2016年07月15日

◆EU離脱以後の通商上の悪影響

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)7月12日(火曜日)弐 通算第4962号 > 


 〜中国の深刻な懸念は英国のEU離脱以後の通商上の悪影響
  中国EU首脳サミットの議題だが、EUはサイバーセキュリティに最 大の関心〜

2015年10月、習近平はロンドンを訪問し、大歓待を受けてご満悦だった。
中国は毎日平均で10億ユーロの取引をEU諸国としている。対米、対日よ り中国からのEU輸出は大きく、大切な顧客である。

習近平訪英では総額400億ポンド(5兆5000億円)という未曾有の巨額契 約をおこなった。

中国の対EU投資は非加盟国のノルウェイ、スイスを含めて総額230億ド ル(2兆4000億円)に及んでおり、今後もギリシアの港湾買収、スイスの 農薬会社買収などの決済が加わる。

外貨が急減している中国は対外投資を抑制しており、はたして本当に振り 込まれるのか、どうか訝しむ声もあがっている。

なかでも中国はEU戦略の基本に英国の活用を規定方針としてきたのだか ら、突然の英脱は深刻な影響をもつことは火を見るよりも明らかだろう。

とくに中国は英国がまっさきにAIIBに参加を表明してくれたことを評 価し、対英投資を増やした。

つぎにロンドンのシティでは人民元のオフショア市場が開設され、香港に つぐ取引額となった。

英国のEU離脱によって英国ポンドは劇的な下落を演じ、つられてユーロ 安の相場となり、輸出決済額が減る中国は焦る。連鎖で中国の人民元は下 落し、年初来の安値をつけて青ざめた。

12日から2日間にわたって開催される中国EU首脳サミットは、中国側が 主として聞き役となり、英国EU離脱以後の状況、展望、詳細な分析を聞く。

EU側は中国が一方的に法制化したIT暗合開示という難題を厳しく追及 する手はずで、中国のいう「暗合は絶対に悪用しない」などとする約束は 信用していない。企業間、政府間の通信は、それぞれが暗合でなされてお り、それを中国に開示するなど、サイバーセキュリティ上からも、絶対に 譲歩できないことだろう。

2016年07月14日

◆「岸信介最後の回想」

加瀬 英明



今月、私の監修によって、『岸信介最後の回想 その生涯と60年安 保』(勉誠出版)が、出版されました。

 帯に「岸信介こそ、戦後もっとも偉大な首相だった。アメリカが内に籠 もり、日本は自立を強いられる。生誕120周年の今、36年ぶりに公開 される談話によって、岸信介が蘇る」とうたわれています。

 監修のことばを、お読み下さい


 本書は、岸信介首相(在職1957年〜60年)が、引退後、1980 年に静岡県御殿場の自邸で、幼少時代からその日まで波瀾にとんだ人生 を、2日にわたって振り返った、生まの声を録音した記録である。

 この岸元首相の回想は、今日まで発表されることがなかった。

 この時、聞き役となった、加地悦子夫人(当時・別府大学生活科教授) は、戦前、商工官僚だった岸氏宅の前に住んでいた縁で、岸氏に幼いころ から可愛がられてきた。

 私は今年に入ってから、加地夫人から求められて、録音の速記録に目を 通した。これまで語られたことがなかった、岸首相の信念とその人柄につ いて、きわめて貴重な資料である
のに、驚いた。

 本年は、岸首相の生誕120周年に当たる。

 日本は対日講和条約によって、独立を回復してから64年になるが、そ れ以来、日本が歩んできた道が、はたして正しかったか、熟考しなければ ならない時を迎えている。

 私は岸首相が戦後の日本の歴代の首相のなかで、もっとも傑出した首相 だったと、考えてきた。

 岸首相は1960年に日米安全保障条約の改定を、身命を賭して行った。

 吉田茂首相が1951年にサンフランシスコにおいて講和条約に調印し た同じ日に、日米安全保障条約が結ばれた。

 ところが、この時の安保条約は不平等条約であって、アメリカ軍が日本 に無期限に駐留することを認めていたが、アメリカが日本を防衛する義務 を負っていなかった。

 アメリカ軍が対日占領の形を変えて、駐留を継続するようなことだった が、当時の日本には朝鮮戦争が勃発した直後に、マッカーサー元帥の命令 によって創設した警察予備隊しかなかったから、仕方がなかったといえよう。

 岸首相は、日本を再び独立国家としようという、信念を燃やしていた。 アイゼンハワー政権のアメリカと交渉して、安保条約を改正して、アメリ カに日本を守る義務を負わせるとともに、両国の意志によって、延長をは かることができる期限を設けた。

 新条約は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条 約」と呼ばれ、経済をはじめとする諸分野において、「相互協力」するこ とがうたわれた。

 新条約は日米関係に新しい時代を、もたらすものだった。
 
 新時代を象徴するために、アイゼンハワー大統領が、戦後、最初のアメ リカ大統領として訪日することになった。

 しかし、岸首相は安保条約の改正を成し遂げたが、朝日新聞をはじめと する大新聞や、野党などの左翼勢力によって煽動された反対運動によっ て、志なかばにして辞職せざるをえなかった。

 連日、数万人という左翼のデモ隊が、国会を取り巻き、機動隊と衝突し てしばしば暴徒化した。

 アイゼンハワー大統領の訪日を準備するために来日した、

 ハガティ秘書を乗せた乗用車が、羽田空港を出ようとする時に、暴徒に よって取り囲まれて、立往生する事態が起った。

 岸首相はそのために大統領が来日しても、安全を守ることができないと いう判断から、大統領の訪日を断らざるをえなくなり、その責任をとって 辞職した。

 もし、あのような大規模な反対運動がなかったとしたら、日本の歯車が 狂うことはなかった。

 戦後、米ソの冷戦による対決が終わると、中国が台頭することによっ て、日本を取り巻く国際環境はつねに厳しいものであり続けたが、日本は アメリカの保護に国家の安全を委ねて、安眠を貪ってきた。

 ところが、いまアメリカが世界秩序を守るのに疲れ果てて、内に籠ろう としている。そのために、日本は好むと好まざるをえずに、自立すること を強いられてゆこう。

 岸氏が日本が先の大戦に敗れてから、日本がどうあるべきか、日本の未 来をどのように描いてきたのか、いまこそ、私たちは学ばなければならな いと思う。

 私は速記録を整理していた5月はじめに、日本の保守派の思潮を代表す る月刊誌の一つの『正論』の新聞広告を見て、暗然とした。

 「総力特集 迷走するアメリカ 日本を守るのは誰か」というものだった。

 テレビや、新聞は、ドナルド・トランプがアメリカのインディアナ州の 予備選挙を制して、共和党大統領候補として指名されることが、ほぼ確定 したと報じていた。

 民主党は同州の予備選挙で、バーニー・サンダース上院議員が勝った。 ヒラリー・クリントン夫人の優位が動かないものの、サンダース議員が急 追していることによって、十一月に誰が大統領として当選しても、トラン プ、サンダースの主張が、来年からアメリカの進路に大きな影響を及ぼす こととなろう。

 日本は1952(昭和27)年4月に独立を回復してから、国家の安全 をひたすらアメリカに縋(すが)ってきた。

 “トランプ現象”とは何か。1980年にロナルド・レーガンが大統領予 備選挙に挑んだ時に、カリフォルニア州知事をつとめたことがあったもの の、俳優あがりのシロウトだと嘲けられた。レーガンが「アメリカに朝を 招こう(モーニング・イン・アメリカ)」と呼びかけた楽観主義者(オプ ティミスト)であったのに対して、トランプは悲観主義者(ペシミスト)だ。

 私はCNNのニュースで、トランプが集会で演説するのをみた。トラン プはこう訴えていた。「アメリカは数百億ドルを投じて、イラクにつぎつ ぎと新しい小学校を造ってきたが、造るごとにテロリストによって、破壊 されてきた。そのかたわら、(マンハッタンの隣りにある)ブルックリン では、小学校の校舎が老朽化して、われわれの子供たちの生命を危険にさ らしている。もはやアメリカは豊かな国ではない。アメリカの力をアメリ カのなかで使おう」

 サンダースは、アメリカをスウェーデンや、デンマーク型の福祉国家に つくり変えようとしており、アメリカを内へ籠らせるものだ。若い男女の 圧倒的な支持を、獲得している。

 アメリカのヨーロッパ化が、始まっている。かつて、ヨーロッパは世界 の覇権を握っていた。しかし、その重荷を担うのに疲れ果てて、内に籠る ようになった。

 日本は独立を回復して以来、“吉田ドクトリン”のもとで、アメリカに国 防を委ねて、経済を優先させる、富国強兵ならぬ富国軽武装の道をとって きた。

 アメリカが迷走をはじめた、という。しかし、日本がアメリカによって 占領下で強要された「平和憲法」を護符(おふだ)として恃(たの)んで、こ れまで迷走してきたのではなかったのか。

 “トランプ・サンダース現象”は、オバマ政権がもたらしたものだ。アメ リカは、オバマ大統領が「アメリカは世界の警察官ではない」と言明した ように、世界を守る意志力を萎えさせてしまった。

 いま、日米関係が大きく揺らごうとしている。まさに日本にとって、青 天の霹靂(へきれき)――はげしい雷鳴である。
日本は独立を回復してから、一貫して経済優先・国防軽視を国是としてき たが、「吉田ドクトリン」と呼ばれてきた。

 この“吉田ドクトリン”が破産した。「吉田ドクトリン」は、永井陽之助 氏(当時、青山学院大学助教授)が1985年に造語した言葉だが、今日 まで保守本流による政治を形づくってきた。

 私は吉田首相が講和条約に調印して帰ってから、政治生命を賭けて、憲 法改正に取り組むべきだったと、説いてきた。吉田首相は正しい国家観 を、欠いていた。旧軍を嫌ったために、警察予備隊を保安隊、さらに自衛 隊として改編したものの、独立国にとって軍の存在が不可欠であるのに、 今日でも自衛隊は中途半端な擬(まが)い物(もの)でしかない。

 吉田首相と岸首相を比較することによって、戦後の日本がいったいどこ で誤まってしまったのか、理解することができる。

 私は監修者の序文を一人で書くよりも、吉田茂の優れた研究者である、 堤堯(つつみぎょう)氏と対談して、巻頭に載せたいと思った。堤氏は月刊 『文芸春秋』の名編集長をつとめたが、吉田首相が戦後の日本に対して果 した役割を、高く評価している。

 この4月に、堤氏とテレビで対談を終えた時に、私が「誰が戦後の首相 のなかで、もっとも偉いと思うか」とたずねたところ、言下に「もちろ ん、岸信介だ」という答が戻ってきた。本書のために対談を行ったが、多 年の親しい友人であるために、話がしばしば脱線してしまい、結局、堤氏 から私が一人で書いたほうがよい、ということになった。

 アメリカのダレス特使が、占領末期に対日講和条約の締結交渉のために 来日して、吉田首相に「日本が再軍備しないでいることは、国際情勢から 許されない」と、強く迫った。

 吉田首相はそれに対して、「日本は経済復興のために、国民に耐乏生活 を強いている困難な時期にある。軍備に巨額の金を使えば、経済復興を大 きく遅らせることになる。それに理由なき戦争にかり出された国民にとっ て、敗戦の傷痕がまだ残っており、再軍備に必要な心理的条件が失われた ままでいる」といって、頑なに反対した。

 アメリカは、ダレス特使が来日した時に、日本を完全に非武装化した日 本国憲法を強要したことを悔いていたから、独立回復とともに、憲法を改 正することができたはずだった。
吉田首相が日本が暴走したために、先の戦争を招いたと信じていたのに対 して、岸首相は日米戦争がアメリカによって、一方的に強いられたと考え ていた。

 日本が戦った相手のフランクリン・ルーズベルト大統領の前任者のハー バート・フーバー第31代大統領は優れた歴史家として評価されている が、その回想録のなかで、先の日米戦争はアメリカが日本に不法に仕掛け たものであり、「ルーズベルトという、狂人(マッドマン)一人に責任があ る」と、糾弾している。フーバーは占領下の日本を訪れて、マッカーサー 元帥と三回にわたって会談したが、そう発言したところ、マッカーサーが 同意したと述べている。(『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルト の罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道著 〈勉誠出版、2016年〉を読まれたい。)

 岸氏は敗戦直後に占領軍によって、A級戦犯容疑者として逮捕された。 入獄する前に「名に代へてこの聖戦(みいくさ)の正しさを 萬代(よろず よ)までも伝へ残さむ」と詠んで、高校の恩師へ贈っている。

 堤氏は吉田首相が経済を優先して、富国軽武装の道を選んだのを、陸奥 宗光(むつむねのり)外相が日清戦争後に三国干渉を受けて、遼東半島を清 国に返還した時に、「他策なかりしを信ぜんと欲す」(『蹇蹇録(けんけ んろく)』)と述べているのを引用して、アメリカの圧力をかわすための 擬態だったと、語った。

 だが、軍を創建するのは、予算の問題ではあるまい。軍は精神によって 成り立っている。独立国の根幹は、精神である。

 吉田首相は在職中に、憲法改正に熱意を示すことが、なかった。引退後 も、口では憲法を改正すべきことを唱えたが、積極的に推進することがな かった。はたして擬態だったのだろうか。

 岸首相は1957年5月に、片務条約だった日米安保条約を改定するた めに、ワシントンへ向かった。

 吉田元首相は岸首相の滞米中に、毎日新聞に「訪米の岸首相に望む」と 題して、寄稿している。

 「安保条約、行政協定の改正などについて意見が出ているようだ。しか し、私はこれに手を触れる必要は全然ないと信ずる。今までのとおりで一 向差支えない。条約を結んだ以上は互いに信義をもって守ってこそ国際条 約といえる。(中略)条約というものは、対等のものもあるが、不対等の 条約もあって、それを結ぶことによって、国の利益になるなら私は喜んで その条約を結ぶ。下宿屋の二階で法律論をたたかわしているようなことで 政治はやれない」(同年6月14日朝刊)

 岸氏は巣鴨刑務所から釈放されると、同志とともに、「憲法を改正して 独立国にふさわしい体制をつくる」という旗印を掲げて、日本再建連盟を 結成した。1953年に、吉田首相の自由党から衆議院議員選挙に当選す ると、憲法調査会の初代会長に就任している。政界から退いた後にも、自 主憲法制定国民会議会長として、全国をまわって憲法改正をすべきことを 訴えた。

 岸首相は安保条約を改定して、アイゼンハワー大統領の訪日を成功させ たうえで、憲法改正への道筋をつけることを、目論んでいた。

 岸首相は引退後に、「吉田氏の役割は、サンフランシスコ講和条約を締 結したところで、終わるべきだった」と、述懐している。岸内閣が退陣し た後は、池田勇人首相をはじめとする、いわゆる“吉田学校”によって政治 が支配され、“吉田ドクトリン”のもとで、日本の迷走が続いた。

 日本の戦後は、“吉田ドクトリン”によって、律せられてきた。

 これまで、さまざまな機会をとらえて、「戦後が終わった」といわれて きたが、アメリカが超大国の座から降りることによって、日本にとって本 当の意味で戦後が終わってしまった。

 私は1960年の安保騒動を、ジャーナリストとして、毎日、取材した が、後にその時の体験を、月刊『文芸春秋』に寄稿した。

 「国会を囲む道路は、熱狂して、歓声をあげながら行進する人々の長い 列が、あふれるように続いた。歌声、ラウドスピーカーが叫ぶ声、林のよ うに揺れる旗。作業服の動労の一隊が威勢よく声を掛けながら、駆け足で 進んでくる。首相官邸の前の曲り角にくると、激しいジグザグ・デモに移 り、何千という人数が渦を巻く。

 この見通すこともできない人の波は、朝からずっと切れずに続いてくる」

 岸首相が辞職すると、新しい安保条約が発効したというのに、安保条約 の改定に対して国会を囲んで、あれほどまで荒れ狂ったデモが、まるで何 ごともなかったように、沈静してしまった。まるで悪夢をみたようだった。

 反対運動は国民のごく一部にしかあたらない勢力によって、つくりださ れたものだったのだ。

 私は「突然、新約聖書にある言葉を思い出した。『悪霊どもは、その 人々から出て、豚にはいった。すると、豚の群はいきなり崖を駆け下って 海に入り、溺れ死んだ。』」と、書いた。

 日米安保条約は、1970年に新条約の最初の期限を迎えるまでは、左 翼勢力などによって動員された人々が街頭に繰り出して、反対することが なかった。

 いまでも左翼勢力は1959年から翌年にわたって、国会の周囲を占拠 して狼藉(ろうぜき)のかぎりを働いた騒動を「安保闘争」と呼んでいる が、マスコミによって1970年の数年前から「70年危機」として喧伝 (けんでん)されたにもかかわらず、ごく一部の撥ねあがった学生たちが新 宿駅構内で騒ぎ立てただけで、拍子抜けしたものに終わった。

 これは、安保条約が改定された時から、日本国民の圧倒的多数が安保条 約に反対する左翼勢力に組することが、まったくなかったことを、証して いる。

 2015年になって、安倍内閣が集団的自衛権の一部行使を認める安保 関連法を成立させた。この時も、民主党や、共産党などの野党や、市民グ ループが、連日、国会を囲んで、デモや、集会を行った。朝日新聞や、大 手テレビがさかんに反対するように煽ったが、またもや、“お祭騒ぎ”に終 わった。

 私は国会の近くに、仕事場を持っている。そこで、何日か続けて国会周 辺に出かけて、安保関連法案に反対して、「平和憲法を守れ」とか、「戦 争法絶対粉碎」というゼッケンをつけた善男善女に、質問を試みた。する と、全員が現憲法も、安保関連法案も、読んだことがないと、認めた。

 堤氏は60年安保の全学連のリーダーだった、唐牛健太郎(かろうじけ んたろう)氏と親しかった。堤氏によれば、唐牛氏は安保条約の条文を、 一度も読んだことがなかったという。

 これから、日本はどうしたらよいのだろうか。

 日本は危険な世界のなかで生き延びるためには、急いで憲法を改正し て、独立国としてふさわしい体制を、整えなければならない。なかでも、 憲法第九条は日本の平和を守るどころか、日本の平和を危ふくするもので ある。(現憲法による戦後の呪縛について、田久保忠衛氏と私との対談に よる『日本国憲法と吉田茂』〈自由社、2017年〉を、お読みいただき たい。)

 いま、私たちは岸首相の再評価を行うことが、求められている。

 岸元首相は1987年8月に、90歳で没した。

 都内の青山葬儀所で葬儀が営まれ、中曽根康弘首相(当時)が弔辞を述 べたが、今日読むと、故人の墓碑銘として、もっともふさわしいものだった。

 「真の政治家は、時流に阿(おもね)らず、自己を犠牲にして国家百年の 大計を敢行しなければなりません。大きい志を遂げようとする政治家は、 毀誉褒貶(きよほうへん)が大きくなるのは当然ですが、時代が経過すれ ば、かえってスケールの大きさ、底力の強さが明らかになります。自己の 信念を忠実に全うする政治家は近来、少なくなっています。その点で、岸 先生ほど信念に忠実に生きた政治家はいませんでした」


◆チャイニーズドリーム失速

平井 修一



小生はすっかり体力が衰えて、気分は70点、そのうち60点台になりそう だ。老化は実に嫌なもので、体が思うように動かない。情けないやら、イ ライラするわ、晩年の国定忠治は「歳をとると目はかすむ、耳は遠くな る、我ばかり立って、口をきくのも億劫だ」と嘆いていた。

落ち目になると、やることなすこと上手くいかない、へたばかり打つ、勢 いがなくなる、運もツキも尽きてくる。中共を見ていると「国家の晩年」 とか「老残」の印象を受ける。

大穴チャイニーズドリームは第3コーナーまではぐんぐん追い上げてサム ライジャパンを抜いて2番手につけた。一番手の本命アメリカンドリーム を追い抜くのは確実視されていたが、第4コーナーからみるみるスピード が落ち、馬体が動揺するようになってしまった。骨折、騎手の落馬もあり そうな予感が・・・

何清漣氏の論考6/23「中国の海外投資はなぜ面倒なプロジェクトばか り?」から。

<習近平のセルビア訪問2日目に、中国河北鋼鉄グループが4600万ユーロ (約546億円)でセルビアのメドレイボ製鉄所を買収しました。この工場 は4年前に米国人が1米ドルという形ばかりの値段でセルビア政府に売った ものです。

政府メディアはこの協力によってセルビアには500人の就職機会が生ま れ、さらに広範な協力による新たな未来が切り開かれるそうです。

このニュースが理解しがたいのは今時、鉄鋼業は世界中で資産切り離しや 生産縮小の対象で、中国でもサプライサイド改革が行われて、自国労動者 が大量失業するご時世に、中国は何故こんなことをするのかということです。

*高速鉄道の受難は「一路一帯」の縮図

このニュースは最近、頻々と耳に入ってくる高速鉄道計画がオジャンに なったニュースを思い起こさせます。実は高速鉄道だけではなく「一路一 帯シルクロード計画」の他のプロジェクトも全然うまくいっていません。 中国国内の論評では、ある種の勢力によって故意に邪魔されているからだ となっています。

阻む勢力があるのは事実ですが、しかしその原因が全て「ある種の勢力の 邪魔」によるもののせいにするならば、中国の投資プロジェクトは永遠に 「面倒プロジェクト」の罠から脱出できません。

いわゆる「面倒プロジェクト」というのは「中国全地球投資追跡」データ バンク式に言えば「一部または全部がダメなプロジェクトと監視機関から 認定される」ことです。

この種のプロジェクトの投資対象国は様々で、(失敗の)原因も様々で す。もしその原因を類別できたら中国が今後、銭をドブに捨てるのを避け るのに少しは役立つでしょう。

今年最も有名な中国の高速鉄道計画が米国でうまくいかなかったケースを 例にみてみましょう。米国西部の XpressWest は6月上旬に正式に中国鉄 路国際(米国)有限公司と共同で米国高速鉄道合資会社を設立する一切の 活動を終了すると発表しました。

理由は同プロジェクトが「バイアメリカン(米国産品購入)法」に触れ、 米国政府の資金的援助が得られなかったからだということです。

このプロジェクトは2015年の習近平訪米の三大成果の一つとみなされてい たのですが、それが9ヶ月でご破算になったのですから、中国側の挫折感 は当然大変強いものでした。

中国メディアはおしなべてこれを米国の中国に対する一種の攻撃だとみな し、「世界日報」6月15日の記事「両国関係の悪化は『一葉落ちて天下の 秋を知る』」は広く引用されました。

この記事は2016年上半期の5つの中国の投資プロジェクト、例えば中国資 本がフィリップスのICチップや車のヘッドライト企業の買収計画、半導体 大手、紫光集団のウェスタンデジタル出資、中聯重科のテレックス買収な どは全部、米国政府の介入で中止になったとしています。

しかしこの高速鉄道がうまくいかなかったのは実のところ米国政府の干渉 のせいなどではありません。高速鉄道と米国国家の安全や科学技術の安全 は全く関係ないからです。そして西部で快速鉄道をというのはプライベー トな企業の話で米政府はそのブロジェクトに参加する義務などありません。

企業が同プロジェクトから手を引いたのは経済的な考慮によるものです。 というのはこのロサンゼルスからラスベガスまでの鉄道路線計画は州道15 号線に沿っており、ネバダ州ラスベガスからカリフォルニア州のヴィクト ルビルを経て、ロス空港まで100kmのパームデールまでで、目的はラスベ ガスのカジノ客の交通利便をはかるためでした。

2011年にこの鉄道建設許可を得たのはまさに米国カジノ業界が大量の中国 金持ち客を迎えて大繁盛していた時期でした。しかし習近平時代になって からは全力で反腐敗キャンペーンを行って役人の公費海外旅行を禁止した ので、ラスベガスの賭博業界は重要な客筋を失って不景気になりました。 ですからこの賭博用鉄道路線の必要性がなくなってしまったのです。

しかしこの理由は米国側からは口にだせません。中国側にとっては習近平 がサインしたときから破約になるまでトラブルに気づかず、誰も注意して くれなかったのでしょう。

*面倒なプロジェクトが多い原因は政治?経済?

その他の国々での面倒プロジェクトは似たり寄ったりですが、その理由は 様々です。

メキシコの高速鉄道プロジェクトの場合は中国企業がいったん落札したの が撤回されました。贈賄疑惑など大スキャンダルに発展したためです。こ れは中国企業と海外の協力モデルのあり方に関係するもので、中国企業は 喜んで政府や役人と親密な利益関係をつくりあげるのですが、これは容易 に腐敗だという指弾を受けます。

華為技術有限公司がオーストラリアでうまくいかなかったのは、従業員 が、会社が社員のメールやネット活動を監視していると訴え出た上、同社 が米国で「スパイ行為」を働いているとされたためで、豪州とて自国に 「トロイの木馬」を引き入れるわけにはいかなかったのです。

しかしもっと多い面倒プロジェクト化の理由は、やはり一国の政治経済の 情勢変化のせいです。第一の種類は政府が変わった時に新しい指導者が前 任者のツケを支払わないケース。

例えば2015年のスリランカ選挙で親北京派の大統領だったラージャパクサ が落選し、新大統領のマイトリーパーラ・シリセーナは前大統領が公共事 業で私腹を肥やしていたとして、着任後ただちに中国の投資によるスリラ ンカの港湾プロジェクトを停止させました。

中国−タイ鉄道もこの類です。同プロジェクトはタイの三期にわたる政権 で毎度、政権が変わるたびに協約の条項でより多くの利益を要求され、ど んどん中身が変わってしまいました。

例えば鉄道が複線から単線に、高速鉄道が中速鉄道になり、建設契約もア ピシット政府からはじまって、インラック政権に「高速鉄道代金を米で払 う」などの条項がくわえらえれ、その後の軍政府時代になってまたこの過 程を繰り返しています。現在、中国側に借款利息の変更や増資やさらなる 優待条件などを要求されています。

二つ目のケースは対象国の経済衰退です。例えばギリシャやベネズエラの ケースです。ギリシャのピレウス港プロジェクトの停止はギリシャの経済 衰退と密接な関係があります。同国の財政赤字は国内総生産の137.14%、 公共債務はGDPの178.4%にのぼり、EU規定の3%や60%どころではありませ ん。ほとんど崩壊寸前です。

ベネズエラはさらに悪く、現在のマドゥロ大統領はチャベツ派を称し国内 政治、経済、社会政策全般はチャベツ時代そのままですが、ただ「中国と いう良き友人」から借りた巨大債務の継承だけは嫌がって、新政府は旧政 府の借金を返さないと宣言して中国の数百億米ドルの借款が消えてしまい ました。

もう一つ中国プロジェクトが対象国に与えるのが環境の大破壊です。プロ ジェクトの商談の段階では両国の官僚は投資の目先の利益と自分のポケッ トにいくら入るかばかり注目して、自国の民意を顧みません。しかし一旦 政局が変化するとこうしたプロジェクトは中止になってしまいます。

例えばビルマの水力発電ダム計画です。最初に話がおきたときはビルマ民 主化の真っ最中でしたが、まず政府が軍事政府から文官政府になり、さら にアウンサンスーチー政権党になりました。スーチー政権は軍事政権に反 対しており当然、軍事政権がサインしたプロジェクトを承認しません、 云々>(以上)

これだけ失敗すると、民間企業なら確実に倒産する。中共の場合は国有企 業や省有企業が多く、倒産すると失業者があふれて治安が悪化するので、 資金を供給して生きながらえるようにしてきた。死んでいるのに人工呼吸 器で生きているだけで、いわゆるゾンビ/キョンシー企業ばかり。その債 務は莫大になり、ほとんどが不良債権だ。

やがては不良債権が表に出て金融機関は破綻し、それが信用不安の連鎖に なる。習近平政権の金庫は空っぽになり、人民元を印刷する、そして元安 と強烈なインフレになる。全土に失業者があふれ、暴動が急増し、警官、 軍人も給料遅配で動かない。人民は金目のものを持っていそうな企業や富 裕層を襲撃し始める。かくして内乱となって政権が変わる。

これが支那4000年の歴史であり、中共独裁帝国も同じ道を歩き出した。 我々は直線コースでチャイニーズドリームが転倒し、真っ赤な勝負服の習 近平が落馬するのをまもなく目撃するはずだ。

「第4コーナーを回って先頭はアメリカンドリーム、二番手はチャイニー ズドリーム、内側の三番手はサムライブルー、まもなく直線コース、鞭が 入った、おおっと、チャイニーズドリーム、様子がおかしい、おかしい ぞ、おおっと、転倒した、騎手が投げ出された、おおっとサムライブルー が騎手を踏んだ、ゴールまで50メートル、アメリカンドリーム1番、10 メートル遅れてサムライブルー2番、1馬身差でデタラメルケル3番・・・ おおっと、落馬した習騎手が担架で運ばれていきますが・・・大丈夫で しょうか・・・? 今入った情報では・・・残念なことですが、習騎手は ほぼ即死だったようです・・・重賞G20、今年のナンデモアリマ賞、アメ リカンドリームの強さと女性騎手の飛躍を印象付けました。この辺で中山 競馬場からお別れいたします」(2016/7/10)

         


2016年07月12日

◆ご主人にやさしくしてください

加瀬 英明
 
今年5月に鹿児島の喜界島に講師として、招かれた。

人口が7000、車で一周して38キロ、砂糖黍が主な産業の南の島だ。

ここで、奄美群島市町村議会議員大会が開かれて、300人あまりの議員 が集まった。

舞台の脇の垂れ幕に、「激動する国際情勢と日本の進路」という演題が書 かれていた。

私は開口一番、「もう40年以上も、今日いただいた演題でお話してきまし たが、これから世界だけでなく、日本が激動することになります」と、警 告した。

アメリカが世界秩序を守ることに疲れて、日本を守る意志を萎えさせてい ると説明したうえで、日本を守るために日本国憲法を改めたいと、訴えた。

質疑応答に移ったところ、50代の女性が手を挙げた。マイクを握ると、 「現行憲法はアメリカが強要したものではありません。日本国憲法は世界 に平和憲法として、知られています。この憲法を守ることによって、私た ちの平和が守られます」と、述べた。

私は「たいへん、よい質問をいただきました」と感謝してから、「まこと に残念ですが、古(いにしえ)の昔から国際社会は悪の社会でした。自国を 守る意志がない国は、例外なく滅ぼされてきました。

ところで、テレビのニュースを見ると、このところ、DV――家庭内暴力に よって、家族を危(あや)める事件が頻発しています。まず日本国憲法の精 神を、家庭のなかで実現しましよう」と答えて、「今晩、お帰りになった ら、ご主人にやさしくしてあげて下さい」と、お願いした。

すると、質問した女性が「わたくしは、独身です!」と叫んだので、会場 が拍手と爆笑によって包まれた。

休憩ののちに、会場に机が並べられて、懇親会になった。

議員の先生がたが列をつくって、コップに黒糖焼酎を注いでくれた。先の 質問した女性が、徳之島の日本共産党の議員だと、教えてくれた。

私は瓶を持つと、女性議員のところまでいって、お酌した。容姿が美しい 人だった。よい質問をもらった礼を述べて、「この国を守るために、ご一 緒に頑張りましよう」といって、握手を交わした。

全国で憲法改正について講演することが多いが、しばしば、聴衆から「安 倍内閣が中国を刺激しているのが悪い」とか、「日本の安全を外交努力で 守れるはずだ」と、反論される。

幕末に、日本はアメリカをはじめとする西洋列強から、不平等条約を強い られた。日本の独立を守るために、何としてでも不平等条約を改正しなけ ればならなかった。先人たちは歯を食いしばって、血が滲む努力を重ねた。

現行憲法はアメリカが占領下で、日本が再び自立することができないよう に押し付けた、憲法を装った不平等条約である。

現行憲法を一日も早く改正しなければ、私たちは幕末から明治までの歴史 を語る資格がない。




◆木津川だより 浄瑠璃寺 A

白井 繁夫



大和と山城国の国境(京都府の最南端)の奈良山丘陵地の山間の地(当尾:とうのお)に、
「小田原山浄瑠璃寺」(木津川市加茂町西小)通称「九体寺」と呼ばれる寺院があります。この寺が「九体の国宝阿弥陀仏」を本尊として祀る、我国で唯一の寺院です。

この寺院へ行く道は、古来より東大寺の転害門(てがいもん)から般若寺を経て笠置街道を採る「般若坂越え」、つまり南から北方へのルートと北の京から南方へ木津川を遡行して加茂道の高田より丘陵を登って南の西小(にしお:西小田原)の集落へ行く道とがありました。(私は浄瑠璃口から南へ約2kmの登りの山道、浄瑠璃寺正門(北門)へ出る道を採りました)。

あまり車や人と出会わない山道を歩きやっと小さく開けた集落に着くと、無人のスタンドには農家の野菜や柿や芋があり、子供時代の遠い昔ののどかな雰囲気に浸っていた時、一時間に一本?のバスが到着し、行楽客?の一団の賑やかな会話となり、そのご一行様は三々五々静かに佇む寺院に吸い込まれて行きました。

「浄瑠璃寺」の創建は不明ですが、嘗ては西小田原寺とも云われ、天平11年(739)
聖武天皇の勅願により僧行基が開創したとか、また天元年中(978−983)多田満仲が開いたとも伝えられていますが、どちらも史料などによる正確な確証は得られていません。

浄瑠璃寺の創建、堂塔の建造.修理、法会(ほうえ)等や施行年などにつてのこの寺院の唯一の根本史料『浄瑠璃寺流記事』、観応元年(1350)寺僧長算(ちょうさん)が、当寺の釈迦院に蔵されていた本をもとに転写し、「釈迦院本の流記、貞和2年(1346)までと観応元年までを加筆、さらに末尾に15世紀の記事二つを長算が付け加えた史料(永承2年:1047〜文明7年:1475)」があります。

以後『流記事:るきのこと』と云う、を参照します。

「浄瑠璃寺」の創建は、永承2年(1047)7月18日義明(ぎみょう)上人を本願とし、
阿知山大夫重頼を檀那として本堂を造立しました。(一日で屋根を葺くと記しているから、最初は小さい本堂と推察されます。)

平安時代の後期になると、釈迦の入滅後、しだいに仏法が廃れ「永承7年(1052)末法の世に入る」と云う、「末法思想」が蔓延しました。この世を救いに来る薬師如来の信仰と現世を捨てて、極楽浄土に往生を遂げようとする「浄土信仰」も高まりを見せ、大和に近いこの山間に、興福寺の一部の僧達が、草庵を建て、修行に励み、教学にも精励しました。

60年後の嘉承2年(1107)正月11日、本仏(薬師如来像)などを西堂に移します。(本尊の移動は本堂を取り壊すため)。

「浄瑠璃寺」は、寺名となる薬師如来が最初の本仏です。一体の木造薬師如来像が当初からこの寺に伝わっており、薬師如来はこの仏の浄土である東方の瑠璃光(るりこう)浄土からの教主であり、この世の苦悩を救い、西方の極楽浄土の阿弥陀仏(来迎仏)へバトンタッチする遺送仏でもありました。

新本堂の建設には約1年半を費やし、翌3年6月23日総供養が導師迎接房経源(ごうしょうぼうきょうげん)、願主阿波公公深で執り行われました。

この時の九体の阿弥陀仏像が当寺院の本尊仏となりました。ただし、この新本堂(九体阿弥陀堂)は現在の場所ではなくて、九体阿弥陀堂と安置の国宝の仏像等はこれより50年後(保元2年1157)に現在の池の西岸に移築されました。

12世紀後半から13世紀にかけては浄瑠璃寺の寺勢が最も隆盛な時代でした。即ち、久安3年(1147)摂政藤原忠道の第1子の伊豆僧正恵信(えしん)の入寺から始まります。

興福寺一乗院門跡であった恵信は、興福寺別当職就任を覚晴に先に越されたのを不満に思い、この山中の小寺に入山して、当寺の延観上人の草庵に隠棲しました。

その後は恵信の力を持って、まず寺域の境界(四至:しいし)を定め、現在の伽藍の中心となっている苑池の原型を整え、浄瑠璃寺一山の守護とするべく、一乗院の法橋信実.寺主玄実父子の墓を寺内に築かせて、(後日)当寺は一乗院の御祈願所となり、興福寺末となりました。

恵信は、保元2年10月興福寺別当に補任されており、本堂を解体して現在の池の西岸に移築した年でもあります。現在見られる浄瑠璃寺の景観は恵信の時代、基本的に完成しました。

九体阿弥陀堂と浄土庭園の一体化を目指し、治承2年(1178)には京都の一条大宮から三重塔を移築して、公式どおりの東に薬師如来の三重塔、池を挟んで西に九体阿弥陀堂の浄土庭園を完成させ、堂宇や多数の仏像も造立されました。

これら一連の大事業は興福寺別当に就任した恵信が浄瑠璃寺に関りがあって尚且つ、摂関家の力を持ってはじめて可能にした大事業だったと思われます。

治承2年には鐘楼も建立され、翌年の11月には三重塔の完成供養を一印上人空心が法会の導師となって執り行われた。(空心上人は九条兼実:摂政関白.太政大臣.九条家の祖:に寺額を依頼できる実力者です)。現在の伽藍の中心である九体阿弥陀堂.苑池.三重塔がそろった輪奐の美が平安時代の末期にここに完成しました。

12世紀末の文治4年(1188)藤原氏の氏神「春日大明神」を請け鎮守とする。『春日大社文書』によると、当時山内には「凡(およそ)当山の住僧僅に80に及ぶ」とあり、80人の住侶を統制して行く組織が浄瑠璃寺では形成されていたと思われます。

鎌倉時代以降の浄瑠璃寺について、『流記事』より少し列挙してみます。

★ 建久5年(1194)〜元久2年(1205)舎利講と一品経(いっぽんきょう)購読を
一千日つづけた勤修を4度おこなう。
★ 建仁3年(1203)2月楼門.経蔵を上棟、貞慶を導師とし、千基塔供養を行う。
★ 建暦2年(1212)薬師如来像に帳を懸ける。吉祥天立像(重文)を本堂に祀る。
★ 仁治2年(1241)馬頭観音立像(重文)造立される。(体内墨書銘)
★ 永仁4年(1296)弁財天像を勧請す。
★ 応長元年(1311)護摩堂を建立。本尊不動明王、二童子像を安置す。
★ 観応元年(1350)9月『浄瑠璃寺流記事』長算によって書写される。

皇族や平安貴族が極楽浄土へ往生出来るように九体の阿弥陀仏を祀る、浄土信仰が隆盛な時期に藤原道長の法成寺(無量寿院)や、白河天皇の法勝寺阿弥陀堂など京都を中心に九体阿弥陀堂が約30建立されましたが、現在当時のまま現存している唯一の寺院がここの「浄瑠璃寺」だけになりました。

寺院の来歴説明が長くなり過ぎました。山内の国宝三重塔、国宝の九体阿弥陀堂.阿弥陀仏像の参拝は、次回にさせてもらいます。

参考資料:浄瑠璃寺と南山城の寺    日本の古寺美術 18    保育社
     加茂町史          古代.中世編         加茂町

                          (郷土愛好家)

2016年07月11日

◆支那は「破局」の最終章へ

平井 修一



中共は相当ガタついてきたようだ。「中国共産党の統治が直面する6つの 問題、胡錦濤側近が語る」から。

<【新唐人7/6日】胡錦濤のシンクタンクとして知られる政治学者・兪可 平氏が深セン市で講演し、中国がいくつかの統治の危機に直面していると して6つの突出した問題を挙げました。7月1日の中国共産党設立記念日を 間近に控えての発言だったため注目を呼びました。

兪可平・北京大学政府管理学院院長は6月26日、深セン創新発展研究院で 「政府の革新と国家統治の現代化」と題し講演を行いました。

中国紙『第一財経』によると、兪氏は講演の冒頭で、「民主主義に対する 自分の理念は変わらない」と述べ、「民主主義は優れたものであり、推進 していかなければならない」と語りました。

兪氏は、中国にはすでに部分的な統治の危機が現れていることを認め、現 在中国が直面している6つの大きな問題として、「政府の信用の喪失」 「政府の革新の不足」「高い行政コスト」「形式主義の横行」「権力集 中」「政府管理の低俗化」を挙げました。

兪氏は、中国政府の信用はすでに一部において「タキトゥスの罠」に陥っ ていると分析します。「タキトゥスの罠」とは古代ローマの歴史家タキ トゥスが述べた理論で、「政府が信用を失っている時は、何を言おうと何 をしようと、民衆に悪く言われる」というものです。

兪氏は、政府役人の自殺率が非常に高いという今の中国で起こっているよ うなことは、古今東西見られない現象だと指摘します。役人が自殺しても 民衆は同情もせず、「死んでよかった」「問題を起こしていないかよく調 べろ」といった反応だといいます。

「中国政府の信用が失われている」との兪氏の発言に対し、米国在住の学 者・呉祚来氏は異論を唱えます。

*在米学者・呉祚来氏:

「中国共産党の信用は喪失したのではない。そもそも信用そのものがこれ まで一度も存在したことがない。独立した司法制度もなく、言論の自由も ない、このような政権がどうして信用を持てるのか。はじめから信用など ないのだ。

民衆はただやむを得ず共産党の統治を受け入れているというのが現状だ。 不満があって陳情に行こうとしても阻止される。陳情すら許されない。陳 情その他の方法も通用しない。政府に信用がないから、行政もまた効率が 悪い」

兪氏はまた、政府の革新が足りないから経済発展の途上で多くの困難に直 面し、社会に活気がなくなっていると述べています。

これについても呉氏の考えは異なります。

「政府の革新や政治家の革新といった人類の普遍的な価値観を標榜する が、アメリカ政府は革新しているのか? 別に革新しなくても、民衆への 服務をよくすれば自ずと革新された社会が生まれる。

村の土地を住民に分配し生産責任制にした中国の小崗村の革新はどうか。 革新と言うがこれは革新なのか。実際はただ普通の状態に戻っただけのこ とだ。農民が自分の土地を耕すのに政府のコントロールを受ける必要はない。

これは革新ではなく、ただ民意に沿って民を尊重するならば、自ずと革新 できる。中国政府の最大の問題は『革新』が多すぎることだ。政府はさま ざまな方法を編み出して民衆に敵対している。教会を壊したり、陳情を阻 止したりするために、奇怪千万な方法が次々と編み出されている」

兪氏は、行政コストが高いという問題について、治安維持のための経費投 入が行政コストを増加させているとし、しかも治安を維持するのは難しい と述べています。

かつて趙紫陽・中国共産党総書記の秘書を務めた鮑トウ氏が側近としての 経験を例に挙げる。

*元趙紫陽総書記秘書・鮑トウ氏:

「例えば今この私を監視している人間は何人いるのか。目に見える者、見 えない者、はっきり分からないが、その数は2桁に上ることは間違いな い。10人〜50人かもしれない。もし1人の国民を管理するのに10人必要な ら、13億の国民を管理するのに130億人の公務員が必要ということになる」

兪氏が指摘した6つの問題について、呉氏は「比較的穏やかなもの」と評 します。

*在米学者・呉祚来氏:

「彼が言ったこの6つの問題とは、比較的穏やかな批判と言える。単刀直 入に言えば、こうした問題を引き起こしている根本的な原因は一党独裁で ある。これらの問題を解決するためには、中国共産党が政治改革を行い、 権利を民衆に返し、民衆に政府を監督させる仕組みをつくることが必要で ある」

呉氏は、共産党という最大の利益集団に最後のメスを入れることが改革だ と指摘しますが、多くの問題があるといいます>(以上)

統治機構がガタついているから社会がガタガタになっている。今はただ爆 発していないだけだ。「上海ディズニーランドのレストランで子供に排便 させる入園客、文明と発展のねじれ」から。

<【新唐人6/22】 上海ディズニーランドが6月16日にオープンし世界の注 目を集めましたが、その初日、入園客がレストランで子供に排便させると いう非文明的な出来事が起こりました。目覚ましい経済成長の一方、文明 が未発達のままという中国の矛盾を曝け出し、注目を集めました。

中国国内の中流階級をターゲットにしていますが、開幕当日、施設内レス トランで人々が食事をしているすぐそばで、子供に排便させている入園客 の映像が中国版ツイッター・微博にアップされました。トイレからは20 メートルも離れていませんでした。

*中国問題研究家・文昭:

「人は本来、儒学者が言う「四端(したん)の心」、つまり惻隠の情、羞 恥の心、謙譲の心、物事の是非を見極める心を備えているはずですが、今 の中国では非文明的な事柄があちらこちらで起こっています。

これは過去数十年間にわたって、人が持つ良知、良能を封建主義、資本主 義、修正主義だと見なして批判してきたために引き起こされたものです」

2015年10月にはイギリスの高級ブランドショップ・バーバリーの店先で、 中国人観光客と見られる客が子供に排便させている様子がネットに流れま した。

ほかにも、大声で騒いだり、エジプトの神殿の古跡に字を刻み入れたり、 旅客機の緊急ドアを開けたりなどの中国人観光客の非文明的行為が外国メ ディアの注目を集めています。

*中国問題研究家・文昭:

「中国社会の文明の水準を上げるためには、伝統的文化を重視した教育を 行うほか、悪い環境へと流されないように社会を変革させることが重要で す。悪しきもの、自己中心的で拝金主義的な社会的風潮を取り除き、良 知、良能を復活させなければなりません」

上海ディズニーランドですが、オープン当日や試運営期間中、トイレのハ ンドドライヤーで足を乾かしたり、敷地内の草花を摘み取ったり、街燈に 落書きしたり、といった迷惑行為が多発しています。

中国文化に詳しい専門家は、中国がかつてのような礼儀を重んじる国に立 ち戻ってほしいと指摘しています。

*著名な評論家・曹長青:

「中国でなぜこれほど多くの劣悪な現象が起きているかといえば、それは 共産党によって『党の文化』、騙しの文化が作り上げられてきたためで す。制度、文化、人の3者が互いに悪い影響を与え合う悪循環に陥ってい るのです。

これを断ち切るにはまず制度を変えなければなりません。そして中国の良 き伝統文化を復帰させ発揚し、少しずつ中国人の心理状態を変え、文明的 水準を向上させるしかありません。

まず制度を変え、次に文化を変えれば、人を変えることはできます。中国 にはまだ希望があるのです」>(以上)

中共独裁から67年で民度は「堕ちるところまで堕ちた」。まともになるに は最低でも67年はかかる。子供が親を告発し、親が子供を告発する。出世 のために妻を上司に差し出す。中共がモラルを完全に破壊したのだ。

最近登場した賄賂の手口は、越後屋が自慢の高級車をお代官様に2000万円 で売り、やがて「やはり気に入っていたので買い戻したい、迷惑をかけた ので」と、2500万円を払うのだ。つまりお代官様は500万円の儲けに。

こんなことばかりをしている。「中国にはまだ希望があるのです」・・・ そう思いたい気持ちには同情するけれど、目の前にあるのは良くて「絶 望」、最悪は「内乱」「崩壊」だろう。気の毒だけれど、これが現実だ。

遠藤誉東京福祉大学国際交流センター長/筑波大学名誉教授/理学博士の論 考「中共建党記念・習演説にVOAがぶつける――『日本軍と共謀した毛沢 東』特集番組」(ヤフーニュース7/4)から。

<中国共産党の求心力が低下し滅亡の危機にさらされている中、一党支配 の正当性と合法性を強調するには、どうしても「抗日戦争中、日本軍と勇 猛果敢に戦ったのは中国共産党軍である」「だからこそ、こんにちの繁栄 がある」という「虚構の神話」を捏造し続けなければならない。

7月1日(6月30日深夜)、アメリカのVOA(Voice of America)中文テレビ は、中国共産党の建党95周年記念にぶつける形で、「日中戦争中、毛沢東 は日本軍と共謀していた」という特集番組を報道した。

拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』が6月中旬にニューヨークにある Mirror Media Group(明鏡集団)から中国語で出版されたことは、6月23 日付の本コラム「日本軍と共謀した毛沢東を、中国人はどう受け止めた か?」でご紹介したが、熱狂的な反響があったとのことで、今度は1時間 の生放送番組が特集されたわけだ。

ワシントンとの時差は11時間。真夜中でもあるし、Skypeを使える環境に もなかったので、ゲストとして呼ばれた筆者は、携帯電話を通して、その 番組に生出演することとなった。

*生放送中に飛び込んできた大陸ネットユーザーの生の声

途中まで順調にいったが、なんとその番組では、途中から「中国大陸にい るネットユーザーが直接テレビ局に電話をかけてきて意見を言う」という スタイルになっていたらしい。

ライブなので、中国大陸各地のネットユーザーのナマの声がいきなり飛び 込んできた。そのようなことを知らされていなかった筆者は非常に驚き、 戸惑った。罵倒されるであろうことは分かっているからだ。

中国にはGreat Fire Wall(万里の防火壁)があって、西側の情報を シャットアウトしているが、これらのネットユーザーは「壁越え」という ソフトを用いてVOAを視聴し、電話まで掛けてきている。

全体的に言えば「よくぞ真実を明かしてくれた」という声が大半ではある が、何十年ぶりかの罵倒に、激しい疲れを覚えた。

電話を受け付けて、ナマで意見を述べさせるのは中国大陸のネットユー ザーに限っているらしい。

そうであるならば、今後はこちらも考え方を変え、これは中国共産党の指 導層に直接話しかけているのも同じだと位置づけて、むしろ覚悟を決め て、言いたいことをしっかり伝えていくことにした方がいいかもしれない。

その昔、中国政府高官から、「中国政府の中央には必ず壁越えソフトが設 置してあるパソコンがあって、自ら創った壁を越えて、“美国之音(VOA)” 中文テレビだけは観るようにしているし、ネット記事も読むようにしてい る」ということを聞いたことがある。

ということは、筆者は習近平に「直接」話しかけているという可能性を 持っている。

*中国大陸のネットユーザーのコメント

今般のVOAの特集番組のコメント欄に、中国大陸のネットユーザーと思し き人のコメントがあり、そこには「この事実を中国人民全員に知らせた い」というものもあれば、「中国人民よ、目覚めよ」というものもある。

また、袁冠中という名前を名乗っているユーザーは、「遠藤誉博士に感謝 する」というタイトルで、概ね以下のようなことを書いている。

――遠藤は日本人が見落としがちな日中戦争の資料庫を発掘し、毛沢東の新 しい罪状である「毛沢東が日本軍と共謀していた」という新しい罪状の証 拠を掘り出してくれた。

7月2日には、You Tubeにも転載されていたが、そこには明らかに大陸の ユーザーと思われる以下のようなコメントがあった。

――「壁越え」の方法を覚えてからというもの、実に多くの事実に関する真 相を知ることができるようになった。現在、大陸の多くの者は依然として 耳目を欺かれ、洗脳され愚弄されているが、一部には「眠ったふり(装 睡)をしている者」がいたり。

なるほど。「眠ったふり」とはよく言ったものだ。問題は、その人たちが いつ「眠ったふり」をやめるかだ。この人たちは事実を知っている。

習近平もまた、実は「装睡」をしていて「見て見ぬふり」をしているのか もしれない。だからこそ、言論弾圧を強化しているのであろうと確信す る>(以上)

支那はいよいよ「破局」の最終章へ入った。日本は警戒レベルを最高にす べきである。中韓北からの難民モドキは絶対に受け入れてはならない。そ れができなければ日本も破局に向かうだろう。

皇国の興廃この一戦にあり、同志諸君、目を見開き、耳をそば立て、警戒 せよ、武装せよ、迎撃せよ! (2016/7/8)


◆中国『海のシルクロ―ド』

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)7月9日(土曜日)通算第4957号 >


 〜中国『海のシルクロード』、バングラデシュで頓挫
    チッタゴンの南,深海の港湾新設をハシナ政権はキャンセル〜


またまた中国提案の巨大プロジェクトが頓挫した。

メキシコ新幹線、米国(ロスーベガス)新幹線、インドネシア新幹線と陸 のプロジェクトの挫折ばかりではない。

『海のシルクロード』は言うまでもないが、中国の軍事戦略の一環であ り、南シナ海に伸びた魔手はマラッカ海峡からインド洋へ伸びており、ス リランカのハンバントタ港にはすでに中国海軍潜水艦が寄港し、インドば かりか米国が警戒、その先のモルディブにはチャイナタウンが出来ている。

コロンボの沖合には人工島プロジェクトが再開されようとしており、パキ スタンのグアイダール深海港湾整備は進んでいる。

この海のシルクロードは、ジブチへおよび、そしてギリシアのピレウス港 の買収に成功(チプラス左翼政権はデフォルト回避のため、港湾を中国に 売却するという愚挙演じた)。つまりインド洋を囲みこみ、インドを封じ 込める中国の戦略が背景にある。

こうして中国の「一帯一路」の海洋版は着々と進捗するかにみえた。
 バングラデシュのチッタゴンは地政学的に要衝とされ、この港湾からの 輸送路はバングラ国内ばかりか、ブータン、ネパールを含むインド経済圏 の貨物輸送のハブでもある。

バングラはその野党政権時代に、中国がチッタゴンの南に位置するソナ ディア港が深海であることから、ここに巨大港湾施設プロジェクトを持ち 掛け、度重なる協議を経て、2012年に政府が許可に前向きとなった。ほか にUAE、オランダも提案を行っていたが、融資条件などが折り合わな かったとされる。 

過去30年、中国はバングラデシュに対して橋梁、道路、港湾整備など多く のプロジェクトを手掛けてきた。

現に「中国・バングラ友好橋」は、八本が建設中である。

ダッカにはチャイナタウン5万人構想もあり、また繊維産業では中国企業 が100万人のミシン女工を雇用している。

加えて中国の武器がバングラ軍と警察の武装の82%、ほかに民間企業の進 出も目立ち、重層的な進出がみられるのである。

2014年、ハシナ首相は北京を訪問した。

しかし数ヶ月後の15年1月、ソナディア港開発構想は最終的に折り合いが つかず「白紙に戻す」ことが決まった。2016年2月に、この事実がインド のメディアで報道された。

代わりにバングラデシュに深海の港湾プロジェクトを仕切るのは誰あろ う、わが日本である。

チッタゴンの南に位置するマタルバリ(ソナディアからさらに南へ25キ ロ)に深海に面した港湾ばかりか、付近に4基の火力発電所とLNG基地 が含まれ、総額46億ドル、この80%を日本がアンタイドローンでカバー する。

◆ヒラリー不起訴アメリカ死ね

Andy Chang



7月5日朝、FBI長官コーメィ(James Comey)はヒラリーのメール調
査報告で、ヒラリーの数々の違法行為を列挙し、「きわめて不注意
(Extremely careless)だった」と糾弾しながら最後の結論において
「ヒラリーが法を知りながら故意に罪を犯した証拠は挙がらなかっ
た。よってどの検察官も彼女を立件できない」と述べたあと、記者
の質問に答えず退場した。15分後に誰かがインタネットで「アメリ
カ死ね」とツイートした。

発表後からすぐにこの不起訴決定に不信、不満足、抗議が押し寄せ、
メディアはこのことで持ち切り、しかも決定に不満が100%である。

6日午後、リンチ(Loretta Lynch)司法長官は「FBI長官の結論でヒ
ラリーの調査は打ち切る」と発表した。そして本日7日、国会はコ
ーメィ長官を喚問した。国会も国民もFBIの報告に失望しているの
でヒラリーの不起訴討論は11月の選挙まで続くだろう。

FBI長官の発表の数日前にリンチ司法部長とビル・クリントンが「偶
然の出会い」の密室会見をした事件があり、ヒラリー不起訴はすべ
てオバマ政権の作ったシナリオ通りと言われている。

●FBI長官報告の概略

コーメィ長官の列挙したヒラリーの違法行為は簡単に説明すると以
下のようである:

1 ヒラリーは国務省の許可を得ず複数の私有スマホを使用し、国
外でも機密保持のない私有スマホで通信していた(ヒラリーは個人
スマホを一つしか使っていないと公言、誓言した)。

2 ヒラリーは国務省の許可を得ず、複数のクリントン家専用のサ
ーバーにすべての通信データを残し、このうちの55000通の通信を
提出したが、国務省の許可なく勝手に32000通のデータを消去した。
データの消去は弁護士が全てをチェックしたとウソをついた。

だが弁護士は「機密マークのあるなし」を調べただけだったと言う。ヒ
ラリーはメールの送受信に機密メールの記号はついていなかったと
強調した。しかし機密マークの付いたメールが3通発見された。弁
護士は機密扱い許可を持っていない。

3 FBIの調査したメールの結果とは2014年に国務省が提供したヒ
ラリーの3万通のメールを調査した結果である。ところがFBIの調
査したメールのなかに110通のトップシークレット(Top Secret)
メールが発見され、その他にも複数の敏感(Confidential)メール
も見つかった。更に2000通のメールは機密データを程度の低い敏感
に変更したものがあった。許可なしで変更したのか。

4 調査したメールのうち、ヒラリーが勝手に消去したメールを国
務省以外の機関から取得したのもある。ヒラリーが提出しなかった
メールでほかの機関から取得できなかったメールもまだあるはず。

5 メールに機密記号が付いていたかどうかではなく、他の機関か
ら送られてきたメールは、ヒラリーの地位(国務長官)からみてトッ
プシークレットかどうか判別できるはずだ。ヒラリーは送受信した
メールに機密記号はついていなかったと弁明したが事実として機密
記号の付いたメールもあった。たとえメールに記号がなくてもヒラ
リーは機密かどうか判別できるはずだった。

6 この調査で分かったことは国務省が機密メールの取り扱いに極
めて杜撰であることだった。

7 ヒラリーのサーバーは機密扱い許可がないためハッカーに侵入
された可能性がある。しかもヒラリーは国外に居た時の送受信にも
機密性のないスマホを使っていた。ハッカーが機密データを取得し
た証拠は発見されなかった。

8 これらの事実が分かったにも拘らず、ヒラリーが「明らかに意
図して、違法と知って法を無視した」、「意図して法を犯した」、

または「国家に危害を与える行動をとった」ことは証明できなかった。
9 ヒラリーの行いは「きわめて不注意(Extremely careless)]であ
ったが、違法を知って故意に行った証拠はなかった。そういうわけ
で、いかなる検察官も彼女を立件、起訴は出来ないと判断したので
ある。以上が結論である。

●リンチ司法部長とビル・クリントンの秘密会見

コーメィ長官の発表に先立つ6月28日、ビル・クリントン元大統領
はアリゾナ州フェニックスの空港で「偶然の出会い」と称する秘密
会見をした。

クリントンの飛行機がフェニックス空港に着陸しクリントンが地上
におりたあと、まもなくリンチ司法部長の飛行機が到着して、二人
は「偶然の出会い」で握手し、2人はリンチの飛行機に乗り込んで
39分の会話をした。

機内に入る前にリンチ部長は護衛に対し、「機内に入るな、写真を
撮るな」と命令した。会見の後彼女は新聞記者の質問に答えて「た
だの日常会話、孫の話やゴルフの話」と説明したが、2人で39分も
日常会話をしたなんて誰も信用しない。

メディアの批判が激しかったのでリンチ部長は、ヒラリーの調査結
果はFBIの調査結果を見てから決めると述べた。そのようなことが
あって、5日にFBI長官がヒラリー不起訴としたから、リンチ部長
は6日の午後、「ヒラリーの調査は終了した」と発表した。

だからこの一連の事実を繋ぎ合わせてあるシナリオがあったと言う
人もいる。つまり、リンチ司法部長とクリントンの秘密会見→FBI
長官のヒラリー不起訴処分発表→司法部長のヒラリーの調査終結、
この繋がりに疑問を感じない人はいないだろう。但しFBI長官は、
「誰からも何処からも圧力を受けなかった」と国会喚問で誓った。

●国会でFBI長官コーメィを喚問

7日の朝、国会はコーメィ長官を国会喚問した。コーメィ長官は5
日の発表の通り、誰からも圧力を受けていないと宣誓し、ヒラリー
不起訴は調査の結果からヒラリーが法を知りながら違法行為を犯し
た証拠は立件できないと強調した。しかし国会議員は信じなかった。

ガウディ議員は記者に次のように述べた。個人スマホの使用、複数
のスマホ、複数のサーバー、データの改竄と消去、機密メールの存
在など、すべてヒラリーの決定である。そして彼女はウソの弁明を
繰り返した。明らかに違法と知って法を犯した証拠である。

ギングリッチ元国会議長も記者の質問に対し次のように述べた。ヒ
ラリーは8年の大統領夫人、4年の上院議員と4年の国務長官の経
歴を持つ法を知り尽くした人である。

ヒラリーが機密とは何か、違法とは何かも知らなかった、だから
「極めて不注意だった」と言うFBI長官の結論は不当だ。このような
経歴の持ち主が本当に法を知らなかったならこんな人物が大統領に
なれるはずもない。

ライアン国会議長は7日、ヒラリーの機密扱い許可を廃止すべしと
言う申請書を提出した。機密扱い許可がなければ大統領になれない。
ライアンは「最低限度、今から11月の選挙までヒラリーの機密扱い
許可を廃止すべきだ」と述べた。

ヒラリーの選挙本部は不起訴処分で立候補は確実と喜んだが、民意
調査ではヒラリー不利となった。トランプの人気が下落したのでこ
の二週間ほどヒラリーがリードしていたのに、FBIの発表のあとヒ
ラリーの人気は落ちてトランプと同じ40%以下になった。

つまり二人とも大統領に不適任である。ヒラリーとトランプ、二人
とも「大統領になる資格」が26%。アメリカにはこんな人物しかい
ないのか。まさに「アメリカ死ね」である。

◆憲法前文の精神に浸る人々の幻想

櫻井よしこ



5月13日、米国防総省が「中国の軍事動向」に関する年次報告書を発表し た。報告書は、中国は共産党創設100周年の2021年までに「適度に豊かな 社会」を目指し、中華人民共和国創立100周年の49年までに「近代的社会 主義国となり、繁栄する強国、民主主義的、文化的で高度に進んだ和を基 調とする国を作る」ことを目指していると報告した。
 
しかし、習近平政権は毛沢東時代に逆戻りしたかのような凄まじい言論弾 圧を行っている。前政権の政治犯は10年間で66人だったが、習政権は発足 以来3年余りですでに600人もの政治犯を拘束、拷問している。和を基調 とする国作りは絵空事である。
 
年次報告はまた中国の海軍力増強に関して強い警戒感も示した。中国はソ 連崩壊後、2度にわたって軍改革を断行、江沢民政権は93年、湾岸戦争で アメリカのハイテク兵器を駆使した戦い振りに驚嘆して、ハイテク化に乗 り出した。
 
胡錦濤政権は04年に、通信手段を高度化し全軍が情報を共有して効率的な 展開を可能にする情報化戦争に向けた改革に踏み切った。
 
2月の大規模な機構改革によって中国人民解放軍(PLA)は新しい段階 に入ったが、それによって中国共産党(CCP)のPLAに対する掌握力 が強まり、中国大陸から離れた遠方地域での短期集中型戦争に勝利する統 合運用能力は高まると見られる。
 
米国防総省の報告からわが国に関する記述を拾えば、中国は尖閣諸島問題 で対日摩擦を引き起こすとしても、アメリカを決定的に怒らせないレベル にとどめつつ、自国の利益を拡大していく戦術だとの分析がある。領土要 求を満たすために、中国は厳しい緊張の中で米国を刺激しすぎることな く、かといって諦めることもなく、戦いを続けているというのだ。

「戦えば必ず勝つ軍隊」
 
中国の深謀遠慮について、アメリカ側は彼らはアメリカと同じような軍隊 を創るつもりはないと分析する。アメリカ海軍大学教授のトシ・ヨシハラ 氏とジェイムズ・R・ホームズ氏の共著『太平洋の赤い星』(山形浩生 訳、バジリコ)の指摘が興味深い。

中国人は制海権を手にするために、大日本帝国海軍を研究しているという のだ。その心は小であっても大を制し得るということだ。
 
習主席は、PLAは「戦えば必ず勝つ軍隊」でなければならないと檄を飛 ばす。勝つためには軍艦をはじめとする装備が重要だが、勝利するか否か に決定的な意味を持つのは軍人の質である。
 
PLAの力量については、中越国境紛争以来30年以上も大規模な戦争を 戦っていないこと、中国海軍に至っては一度も実戦経験がないことなどが 注目され、彼らの実力は低く評価されがちである。ならば日本の足跡はど う説明できるのかとヨシハラ氏らは問うている。
 
明治維新まで日本には海軍さえなかった。それが明治27年には、物量で 劣っていたにも拘わらず、清朝の艦隊に圧勝した。10年後の日露戦争で は、さらに大規模海軍を有していたロシアにも勝利した。
 
その歴史をいま中国人が振り返っている。習主席の唱える「中国の夢」は 史上最大規模を誇る清朝時代の版図を取り戻すことだ。そのために清朝を 打ち破った大日本帝国海軍の強さを学びとろうとする中国人を軽く見ては ならないだろう。
 
軍事的強さの研究だけでなく、彼らは国際社会の行方を先取りしようとし ている。中国は昨年11月3日に「強軍目標」を発表し、「軍事闘争準備や 新型作戦力建設を強化し、国防・軍隊改革を加速させる」「海洋権益を守 り、海洋強国を構築する」「深海、極地、宇宙、サイバーなど新領域の国 際ルール制定に積極的に関与する」と明らかにした。
 
国境が未確定の海や宇宙空間において中国に有利な条件を確定すること が、近未来の中国の力を高めると、彼らは理解し、行動しているのであ る。中国問題に詳しい拓殖大学教授の富坂聰氏が語る。

「中国は一旦掲げた旗は絶対に降ろさないでしょう。台湾も南シナ海も東 シナ海も尖閣も諦めないと思います」
 
中国の要求は、中国の主張を国際社会が丸ごと受け入れることである。南 シナ海問題を国際問題にしてはならないと彼らは言うが、真意は、彼らが 核心的利益と定めたものは、そのまま受け入れよ、ということだ。
 
日本をはじめとする自由諸国にとって、それは受け入れ難い帝国主義的要 求である。それでも中国は主張を押し通すために死力を尽くす。

ASEAN諸国を南シナ海沿岸国とカンボジア、ミャンマー、タイなどの 非沿岸国に分断して非沿岸国組を中国の味方に引き入れようとする。フィ リピンのアキノ大統領が中国の行動を常設仲裁裁判所に提訴したが、中国 は国際裁判自体を認めないと言う。
 
国際法無視の蛮行を押し通そうとする不条理の前で、しかし、国際社会の 中国包囲網とでも呼ぶべき体制を崩しかねない不確定要素が生じてきた。

中国ともうまくやれるかもしれないと言うアメリカのドナルド・トランプ 氏や、祖父は中国人だった、中国と相互利益のために協力するなどと述べ るフィリピンの次期大統領、ロドリゴ・ドゥテルテ氏らの存在である。
 
中国の脅威は日本にとりわけ厳しく向かってくる可能性がある。だが、日 本は殆んど対応できないのではないかと思わせられる驚くべき世論調査が あった。

米軍に守ってもらえばよい

「AERA」(5月16日号)が11都府県の700人に行った対面調査結果であ る。「自衛のためなら戦争を認めるか」「自衛のためでも認めないか」と の問いに、女性はどの世代も全て、認めないと回答していた。
 
それでは「他国や武装組織の日本攻撃にはどうすべきか」と問うと、「日 本には攻めてこないと思う」「外交の力で攻撃されないようにすればよ い」「日本は戦争しないで米軍に戦ってもらえばいい」などの答えが並ん だのだ。
 
このように答えた人たちは、中国が日本を念頭に軍事的脅威を高めている との米国防総省の分析や、南シナ海における中国の蛮行に目をつぶるのだ ろうか。アメリカ人の税金で日本を守るのは真っ平だと主張するトランプ 氏と、氏を支える幾千万人の米国人に向かって「米軍に守ってもらえばよ い」と本気で言えるのか。

「日本には攻めてこない」などと言う人は諸国民の公正と信義に縋るとい う憲法前文
の精神に染まっているのであろう。いまどきこんな考えにどっぷり浸って いれば、ト
ランプ氏やドゥテルテ氏同様、中国には歓迎されるであろうが、それは思 考停止以外
の何ものでもない。
『週刊新潮』 2016年5月26日号 日本ルネッサンス 第705回

               (採録: 松本市 久保田 康文)

◆木津川だより 浄瑠璃寺(序文)

白井 繁夫



前回訪れた海住山寺と「木津川」を挟んだ対岸の丘陵地帯には、古くからある当尾(とうのお)の里に「小田原山浄瑠璃寺」があります。この通称「九体寺」が、現在では唯一となった「九体阿弥陀如来坐像(国宝)」を本尊として安置している寺院なのです。

私は深く考えず健康のためと浄瑠璃寺口でバスから降りて約2kmの山道を徒歩で登っていくことにしました。しかし、誰も歩いていない山道を一人で歩いたとき、古の人々は、こんな山中まで、よくぞ材木を運びあげて寺院を建立したものだと、その情熱に畏敬の念を改めて深く感じた次第です。

そこで、「浄瑠璃寺」を散策する前に、もう少し「木津川地域」(木津川市)と、「木津川の歴史的関連」を話題に取り上げてみようと思い、「木津川流域」の概略的事柄を記述してみました。

伊賀(三重県)を源流とする「木津川」は、古代の飛鳥、奈良時代の藤原京、平城京を造営する建築用材運搬の大動脈となり泉津(いずみのつ:木津の港)が、奈良の都の玄関港となりました。これが歴史上「木津川」が果たした重要な役割なのです。

「木津川上流域」の杣山(そまやま:笠置、加茂)から木材を筏に組んで、また近江(滋賀県)の杣山(田上山:たなかみやま)や琵琶湖から宇治川を経由して、さらに遠方の瀬戸内や、丹波からも、淀川を利用するルートにより、木材が運ばれ「木津」で陸揚げされたのです。

この泉津では東大寺、興福寺など諸寺の木屋(こや)所や国の役所等があり、それぞれの用途に振分け加工したりして都へ運び出しました。

泉津から平城京へは上津道(かみつみち)、中津道、下津道(しもつみち)の官道があり、その官道沿いには川や池も設置されていましたので、水量を調節して材木を運ぶ方法も採られていました。

ところで、「木津川流域」に人々が住みついたのはいつの時代からかは正確には分りません。遺跡から観ると、弥生時代の中期(紀元前一世紀から後一世紀)、「木津の相楽山丘陵」から祭祀用の銅鐸が出土し、そのすぐ近くの大畠遺跡に集落跡や墓跡などがありました。

弥生時代になって「階級や身分社会」が成立してきましたので、小さい古墳も流域の各地に出来ました。更に一層政治的に関連が進んだ古墳時代、「木津川」の右岸(山城町)に、前方後円墳の「椿井(つばい)大塚山古墳」が出現しています。

この大古墳は、中国の文献(魏志倭人伝)にある「邪馬台国の女王卑弥呼の銅鏡」(三角縁神獣鏡)が、36面も出土しました。これだけの副葬品が出る墓の人物は、相当偉大な権力者(王)であったと思われます。

また、この巨大な古墳の造り方は、3世紀末に築かれたわが国最古で、女王卑弥呼の墓とも云われている前方後円墳の箸墓古墳(奈良県桜井市)と、多くの共通点がありました。

古事記、日本書紀に記載されている泉河(輪韓河:わからかわ:木津川)の物語 
崇神天皇10年条 (武埴安彦の反乱):

四道将軍の一人大毘古命(おおびこのみこと)が、越国(北陸道)へ赴く途中、武埴安彦(たけはにやすびこ)の謀反を山代の幣羅坂(へらさか)で知り、崇神天皇の勅命により彦国葺(ひこくにぶく:丸邇臣氏の祖)と大毘古命の軍は輪韓河で武埴安彦の軍に挑みました。

その結果、武埴安彦の戦死によって反乱軍は総崩れとなって敗走した様子の地名(波布理會能:ハフリソノ:→祝園:ホウソノ、屎褌→久須婆→楠葉など)が、今もこの地域に残っています。「挑み」伊杼美イドミ→伊豆美イズミ→泉河

この大戦のとき、大和の大王(崇神天皇)軍は、西国道を固めていた武埴安彦の妻(吾田姫:あたひめ)の軍も打破りました。その後(神功皇后摂政2年条:押熊王の反乱)、大和政権は、奈良山西麓を越えた下津道の押熊の王との戦にも勝利したのです。

名実ともに大和政権が確立し、「木津川流域」をはじめ畿内では、大和の大王に敵対する勢力が一掃されました。

5世紀から6世紀になると渡来人が「木津川流域」に多く住みつき、彼らは朝鮮半島より渡来の中国大陸の先進的文化、文明を携えてきました。

570年には高句麗使の一行を迎えるため、大和朝廷の外交官舎「相楽館:さがらのむろつみ」を、「木津の港」にかかわる相楽神社近辺に作りました。(608年には難波高麗館が設置された。)

7世紀後半の「壬申の乱」:天智天皇の太子(大友皇子)に対して672年大海人皇子(後の天武天皇)の反乱の時も、「木津地域」はやはり重要な地域でした。

8世紀になり、藤原京から平城京へ元明天皇が遷都(710年)した奈良時代の天平12年(740)聖武天皇が恭仁京(くにきょう)に遷都したころは、正に恭仁京の泉津として、現木津川市(木津、加茂、山城町)が、最も輝いていた時期と推察します。

奈良時代の加茂町銭司では、日本最初の貨幣(和同開珎)を鋳造しており、(僅か4年間の都でしたが)恭仁京では聖武天皇が大仏造立の発願、全国に国分寺、国分尼寺造立の詔、墾田永世私財法など発信しました。

「木津川市」は、京都府の最南端で、奈良県の奈良市と境界を接しています。ですから奈良時代では大和の北部丘陵地(奈良山)の背後の国:山背国(やましろのくに:山代国)と呼ばれていましたが、桓武天皇が平安京へ遷都(794年)して、「山城国」と詔で命名しました。

都が京都へ移っても、南都(奈良市)には藤原一族の氏寺(興福寺)、氏神(春日大社)があり、平安貴族は競って南都詣でをしていましたので、人々の往来や物資の流通も多く、「木津」は交通の要衝であり、また文化や情報の発信地でした。

9世紀から10世紀の平安貴族文化が盛んな時期も、南都仏教の興福寺、東大寺等の諸寺は
南山城(京都府旧相楽郡、旧綴喜郡)に奈良時代からの広範な杣山(後に荘園にもなった)を所有しており、実質的に南山城は大和の文化、経済圏内でした。

10世紀後半から11世紀になり、南都の貴族仏教の僧侶の中には世俗に溺れ堕落する僧も現れ、世相も乱れかけた現象を疎みました。

このため現世を救う弥勒菩薩や観音菩薩の信仰、または釈迦如来に回帰すべきという思想など様々な思考を持った僧侶が、「木津川流域」の山中にある笠置寺、加茂の岩船寺、浄瑠璃寺、海住山寺などの草庵に籠り、真の悟りを求めて厳しい修行や戒律の教学を開始しだしたのです。

前回訪ねた海住山寺は、寺伝による創建は:聖武天皇が大仏造立発願のため云々ですが、12世紀後半から13世紀の解脱上人貞慶は戒律を重視して、釈迦如来に回帰すべきとして、釈迦の仏舎利を祀る五重塔の建立を開始し、1214年貞慶の1周忌に、貞慶の後継者の覚真上人が落慶供養をしました。

次回は、木津川市加茂町西小の「淨瑠璃寺」訪ねようとしています。創建時の本尊は弥勒菩薩でしたが、現在は九体の阿弥陀如来坐像(国宝)の本尊が本堂に祀られている、この寺院の変遷なども辿ってみようと思っています。

参考文献: 木津町史   本文編            木津町
      加茂町史   第一巻 古代、中世編     加茂町

(奈良から浄瑠璃寺門前行きの急行バスは一時間に一本ぐらいです。時刻表に注意下さい。JR加茂駅からは毎時一本岩船寺、浄瑠璃寺行きのコミュニティーバスが利用できます。)<郷土愛好家>



2016年07月10日

◆アメリカにおける知的エリートの暴走

加瀬 英明



アメリカがトランプの話題で、沸騰している。

不動産王のドナルド・トランプは、大統領選挙へ向けた予備選挙が2月に 始まった当初は、アメリカの知的なエリートが支配するマスコミから、お 笑い芸人(ボードビリアン)もどきの奇矯な泡沫候補だと、見られていた。

私もすっかり、そう思い込んでいた。私は年2回、ワシントンに通ってい るが、アメリカの知的な社会としか、交わってこなかった。

いま、アメリカでどこへ行っても、トランプと並んで大きな話題となって いるのが、日本でほとんど報道されていないが、トイレ(便所)である。

5月に、オバマ大統領が大統領令を発して、男性であっても、女性であっ ても、自分がそう認識している性別に従って、男女どちらのトイレを使っ てもよい、ということにした。

出生時に届け出た性別によって、トイレの使用を強いるのは、ゲイ、レズ ビアン、性同一障害者に対する差別だというのだ。

この大統領令をめぐって、アメリカは大混乱だ。全米が賛否に沸きかえっ ている。自治体によっては、大統領令に従うことを拒んでいる。チェーン ストアが顧客に従来通りに、出生時の性別によってしか、トイレを使うこ とを認めないときめたところ、ボイコット運動の標的となっている。

来日したアメリカの親しい友人が、「いま、アメリカで流行っている ジョークがある」といって、「ケネディ(大統領)のレガシーは男(マン) を月面に送った。オバマは男(マン)を女性トイレに送った」と、教えてく れた。

昨年月には、『ニューヨーク・タイムズ』紙が、大きな記事を載せて、 「ミスター」「ミセス」「ミス」と呼ぶのは、差別であるからといって、 そのかわりに全員を「Mx」と呼ぶべきだと、促した。私はいったいどうMx を発音したらよいのか、分からなかったので、アメリカ大使館員に確かめ たところ、「ミックス」というそうである。

 これは、氷山の一角にしかすぎない。差別反対主義者たちが、旧来の社 会常識を大きく変えてきた。日本でも、セクハラ、パワハラからヘイトス ピーチまで、模倣されるようになっている。

 トランプが知的エリートたちの予想を大きく裏切って、大統領レースの 先頭に躍り出たのは、所得格差がひろがるなかで、金持ちと庶民のあいだ の溝が、深まったのに対する不満が爆発したことによると、説明されている。

 ハイテク化に加えて、経済の構造改革が叫ばれてきた。その追風を受け て、経済効率が向上して、金(かね)が金を生むわきで、人手が省かれて、 庶民の労働価値が低下してきた。

 トランプ現象は、社会が高学歴の知的エリートによって、支配されてき たことに対する反乱である。素朴な庶民にとっては、祖祖父、祖祖母から 使ってきた言葉を使ってはならないとか、ミスターとか、ミセスは差別に なるとか、男が女性トイレに入ってもよいとか、バカバカしいにもほどが ある。

 庶民にとっては、もう、いい加減にしてほしい。男女の区別があって、 何が悪い。このところ、アメリカでは「チェアマン」(議長、会長)と いってはならない。「マン」が男を意味するからだ。「チェアパーソン (人)」といわねばならない。数百年も使い慣れてきた言葉のどこが、悪 いのか。

 もっとも、日本でも「痴呆症」が差別になるから、「認知症」というよ うになった。それだったら、「不妊症」は「妊娠症」というべきだ。警察 庁が「婦人警察官」の「婦」が女が帚(ほうき)を持っているから差別だと いって、「女性警察官」と呼び替えるようになった。

 私は帚で掃除するほうが、心が籠っていると思う。

 歴史を振り返ると、男女の区別や、言葉が乱れると、文明が滅びること を教えている。もう、アメリカの真似はやめたい。



◆「比例票が減ってしまう」

阿比留 瑠比



「メディアで自民大勝なんていう世論調査を含めた情勢分析が出ると、比 例票が減ってしまう」

政府高官は一連の報道についてこう懸念を示すが、与党大勝の方向性は もう変わるまい。各紙は6月24日付の紙面で参院選序盤の情勢を報じた 際にも、今回と同様に改憲勢力が3分の2をうかがうと書いていたが、そ の後も流れに変化はなかった。

今回は、事前の予測で不利とみられたところに同情票が集まる「アン ダードッグ効果」は今のところ表れていない。

民進党は選挙戦で「まず、3分の2をとらせないこと。」をキャッチコ ピーとしてポスターやチラシで強調している。だが、自分たちの政策や主 義・主張を訴えるのではなく、ただ他党の足を引っ張りたいという後ろ向 きのメッセージは、有権者の胸には響いていないようだ。

 ■国民の納得必要

もちろん、改憲勢力が衆参両院で3分の2議席を占めたからといって、 ただちに憲法改正が発議されるわけではない。どこをどう変えるか憲法審 査会が議論を始めるのは、あくまでこれからの話である。

また、安倍晋三首相が繰り返し強調しているように、最終的に憲法を改 正するかどうかを決めるのは国会ではなく、国民自身による国民投票だ。 国会で発議して国民投票で否決されるような事態になったら、安倍政権が 「1強」と言われていようと内閣総辞職は免れない。そんなに簡単に改憲 手続きへと進めるわけではない。

改憲を党是とする自民党には、連立を組む公明党を含め各党への粘り強い 説得・折衝が求められるし、何より国民に改憲の必要性を納得させるため の懇切丁寧な説明が不可欠だ。まだまだ時間はかかるし、さまざまな困難 も伴うだろう。

ただ、日本が改憲によって自前の憲法を持ち、真の独立国となるための 千載一遇の機会が今回の参院選であるのは間違いない。

「本年は挑戦、挑戦、そして挑戦あるのみ。未来へと果敢に『挑戦する 1年』とする」

 今年1月4日の年頭記者会見でこう述べた安倍首相にとって、最大の挑 戦は憲法改正であるはずだ。さらなる奮起を期待したい。

(論説委員兼政治部編集委員)

産経ニュース 7月8日

2016年07月09日

◆流しのギター弾きになりたかった

加瀬 英明



2ヶ月前に、ある雑誌の記者が私の物書きとしての半生を、取材にやって きた。

最後の質問が、「もし、違う人生を歩んだとしたら、何になりたかったで すか?」と、いうものだった。

とっさに、私は「流しのギター弾き」と答えた。

30年前には、もう流しはいなくなっていたが、銀座で飲んでいると、サブ ちゃんといって引退していたが、電話をしてアパートにいると、銀座まで 出て来てくれたものだった。流しているころから、馴染(なじみ)だった。

私は不器用で、楽器は何一つ弾けないが、下手なのに微醺をおびて歌うこ とがある。

黛敏郎氏と親しかったが、『題名のない音楽会』や、徳間音響に煽(おだ) てられて、日劇の舞台で歌ったことがあった。その時に、島倉千代ちゃん が日劇の舞台裏に、大きな花束を持ってきてくれた。

「流しになりたい」と、不用意に答えたのは、日頃から演歌が好きだから だ。演歌は、日本人の溜息だ。演歌は情歌だ。

日本のどこへ行っても、ついこのあいだまでは、情けが微粒子のように空 気の中を、飛んでいたものだった。私たちはその空気を吸って、生きていた。

演歌の歌詞には、外来のカタカナ語も、漢語もない。運命(さだめ)、生命 (いのち)、別離(べつり)、憧憬(あこがれ)といったように、漢字が日本に 入ってきてから、もう千数百年もたつというのに、漢語はいまだに私たち の心の近くにない。

演歌は、心の奥底の溜息なのだ。はかない、やるせない、しがない、うら ぶれた――人生は苦の連続だったから、ちょっとでも楽しいことがあった ら、喜んだ。

雪だけでも、みず雪、かた雪、こな雪、つぶ雪、ささ雪、わた雪、氷雪、 春の雪といったように、感情を託したものだった。

演歌の歌詞は、すべて日本語(やまとことば)で綴られている。演歌がある かぎり、私たちは万葉の歌を生んだ風土に住んでいる。

 私は1950年代末に、アメリカに留学したが、その時に『万葉集』と 『古今和歌集』の2冊だけを、携えていった。古今集に、小野小町の「思 いつつ寝ればや人の見えつら 夢と知りせば覚めざらましを」という、歌 がある。小町は平安時代前期の歌人だが、絶世の美女だった。

といって、もちろん、小町の肖像は残っていない。

『小倉百人一首』の絵札には、女性は後ろを向いた横顔しか、描かれてい ない。正面から描いたら、あられもなかった。憧れた女(ひと)は、胸に秘 めたものだった。

アメリカのクラスメートから、「自分の恋人だ」といって、写真を何枚も 見せられたが、アメリカ人は何と即物的なのだろうかと、思った。

もっとも、日本でも雑誌のグラビアに、美女の写真が大きく載っている が、私が生まれる前から、日本の西洋化が容赦なく進んでいたのだろう。

 明治はじめの小説が、恋を「孤悲」と書いていた。大正の演歌に、「逢 (あ)いたさ見たさに 怖さを忘れ」、昭和に入ると、古賀政男の曲で「儚 き影よ わが恋よ」「二度と泣くまい 恋すまい」というように、恋は耐 えるものだった。

 日本人は万葉の昔から、つい4、50年前までは、風にも、雨にも、波 にも、鷗(かもめ)にも、江戸時代、明治になると、花火、汽笛に も、恋心を託した。多感だった。

 ところが、今では自分勝手な快楽を、四六時中、追っているために、な ぜか、まるで宅急便になったように急いでおり、落ち着きがない。恋まで が、衝動的になった。どこを見ても、情けを知らない、器械的な人間ばか りになってしまった。

 人生が楽の連続であるべきだと思い込んでいるから、すぐに傷いてしまう。

 今の人は、「感動した」「感心した」というかわりに、口を揃えて「癒 された」という。私はNHKから大手の民放までが、よい景色や、絵や、 映画をみたり、本を読んで、「癒された」というたびに、恐怖に戦(おの の)く。

 当り前のように、「癒される」という言葉が使われるようになったの は、この20年ほどのことだ。

 私は会話のなかで、「癒された」と聞いたら、「え、どこか体が悪いん ですか?」と、たずねることにしている。「癒される」というのは、病ん でいることを前提としている。

 人々が耐えることができなくなったために、すぐに傷いて、神経症を患 うようになっているのだろう。

 社民党が解党して、民進党に合流することを検討しているという。

 私は「社会」という言葉を、嫌ってきた。

 社会主義とか、つむじが左に巻いていると、頭の働きが少しおかしいと 信じられてきた左巻きを、連想させるからではない。

 「社会」も明治に入ってから、西洋語を翻訳するために造られた借用語 とも、舶来語とも、呼ばれた。西洋人の真似に身を窶(やつ)す学者が、よ く使う舶来語だから、上っ滑りで、意味がよく分からない。

 「世間様に申し訳ない」「世間知らず」「世間の手前」「世間に負け た」「世間の風の冷たさに」というのを、「社会様に顔向けできない」 「社会知らず」「社会に負けた」と、いえないだろう。

 舶来語は、薄っぺらだ。日本社会党も、社民党も、世間党といっていた ら、泡(あぶく)のように消えることがなかったはずである。

 だから、私は流しのギター弾きになりたかった。