2016年06月26日

◆木津と応仁の乱 @

白井 繁夫



京の市街を焼失させた応仁の乱は、地方の各地をも巻き込み応仁元年(1467)から文明9年(1477)まで、11年間の長期にわたる大乱(戦乱)となりました。

この大乱に至る原因として、将軍継嗣の問題.有力守護大名家の家督相続争いなどで世の中が乱れてきているのに、気候までも異常に乱れて、中世最大の飢饉と云われる「長禄.寛正の飢饉」にも見舞われたことも大きく起因したと思われます。

長禄3年(1459)は全国的な旱魃があり、旱魃と水害が交互に起こり(畿内の台風では賀茂川が氾濫)、寛正2年(1461)の飢饉の時は疫病も流行り大量の流民が京へ入り数万の餓死者が発生した。と云われているそんな時期でも、将軍義政は世事には構わず自身の趣味に没頭しており、有力守護も家督争いに勢力を傾注していました。

まずは将軍継嗣の話題から;前回少し触れましたが「嘉吉の乱(1441年)」で6代将軍義教(よしのり)が赤松氏に討たれたため、次期将軍は8歳の嫡男義勝が継ぐことになりましたが、僅か3年で早世する事態となり、またも8歳の弟義成(よししげ)が継ぐことになってしまいました。

幼少の義成には将軍を補佐する46歳のベテラン管領畠山持国がつきました。しかし、3年後(文安2年)、16歳の細川勝元が管領になり、幕府のトップが若年のため、幕府の政治は実力者の時代?と思われ、将軍の権威がさらに低下しました。

義成は文安6年(1449)に元服し、将軍宣下を受けて正式に8代将軍に就任し名を義政に改名しました。本来ならばここで幕府政治の再建と将軍の権威向上を目指すべきなのですが、義政は政治には興味を示さず人任せにする性格が改まりませんでした。

将軍義政を補佐する6歳年長の管領細川勝元は歳を重ねるにつれ経験を積み、政治を動かす実力者に成長してきました。しかし、義政の取り巻きには実力者の生母日野重子以外に、
乳母の今参局(いままいりのつぼね).寵臣の有馬持家(ありま).大納言烏丸資任(からすますけとう)の3名の3ま(魔)が政治に介入すると囁かれていました。

義政が権勢者(実力者)に任せる政治姿勢をとるため、将軍の権威は低下しいろいろな弊害が起こりました。特に有力守護家の家督相続争いでは守護家の分裂を招きました。

守護家の家督は将軍に決定権がありますが、将軍義政は各守護家の実情をよく踏まえずに
安易に家督を安堵し、また実力者の介入などではっきりした理由も把握せず、勘当(家督から追放する)や赦免(勘当を許して家督に復帰させる)を繰り返しました。

話題が少し遡りますが、地方においても中央の政治が乱れると、同様に乱れ、大和永享の乱では大和の衆徒.国民の私合戦が起こり、南山城もその影響を受けました。

正長元年(1428)義教が将軍を継職した時、伊勢の北畠満雅が南朝の皇胤小倉宮を奉じて挙兵し、敗死しましたが、その後も伊勢や伊賀.大和にも根強い影響力がありました。

大和では筒井.十市氏と南朝側?の越智.箸尾氏を盟主とする両派の合戦となり、永享4年(1432)には河内守護畠山持国と播磨守護赤松満祐の弟を幕府は派遣して、官符衆徒の棟梁筒井氏を支援しました。

永享元年に始まった大和永享の乱は筒井氏の当主覚順が6年に敗死したが、永享11年(1439)には遂に越智.箸尾氏が自害し終わりました。この戦で越智氏に与した衆徒.国民も幕府は処罰しました。

この争乱に幕府が介入して軍勢を派遣したのには私合戦を禁じた誓書(応永21年)に反した事、越智氏の動静が南朝と連携する危惧があったと思われた。他にも比叡山(延暦寺)の弾圧から興福寺の弾圧と将軍義教の専制政治がさらに強力化してきました。

大和永享の乱では、永享12年に義教の意により有力守護一色義貫.土岐持頼は殺害され、
畠山持国も嘉吉元年(1441)家督罷免され弟の持永と交替、赤松満祐の弟義雅も所領没収
と将軍義教は遂に守護家へも弾圧を始めました。

大和地方の争乱の深刻化で大和や南山城の国人は畠山氏か細川氏への依存(被官)関係がより重要となってきました。
(注)大和の衆徒:興福寺(一乗院)に仕える国衙領の武士の棟梁(大和の筒井氏など)や各群衙の武士(山城木津の木津執行など)、(大乗院は古市氏.豊田氏や長谷寺執行など)。国民:興福寺に関係する春日社の神官(衆徒同様に各領地の武士、越智氏.箸尾氏など)。

大和永享の乱で筒井氏を支援し越智氏を追討した畠山持国は失脚後、越智.箸尾氏との間
で提携(被官)関係が出来ました。他方、筒井氏もその後一族の抗争のため嘉吉3年(1443)順弘が殺害され、順永.光宣が勝利しますが、畠山持国の支援を受けた大乗院派の衆徒の古市.豊田氏の攻勢を受けた結果、筒井氏から官符衆徒は古市.豊田氏に変わりました。

文安2年(1445)一乗院派の筒井氏が反撃に出て、古市氏は失脚し順永は官符衆徒に復帰し光宣の五ヶ関知行も復活しました。しかし、その後も筒井氏と古市氏との間には激しい対立が残り、衆徒.国民の分裂抗争がさらに深刻化して行くのです。

将軍義教の死(1441年)以後、畠山持国は復活し、嘉吉2年(1442)から1445年、宝徳元年(1449)から享徳元年(1452)と管領に就任し、領国も河内.紀伊.越中と宝徳2年には山城の守護職も加わり、古市.越智氏を支援し大和にも大きい影響力を持ちました。

話題を大問題となる有力守護大名家の家督相続争いに戻します。

管領家随一の名門と云われる畠山持国には嫡子がなく、庶子の義就(よしなり)を持国は享徳3年(1454)に継嗣に決めました。この事について反主流派の有力家臣(被官遊佐.神保氏)が弟持冨の子(弥三郎)を立て守護家との分裂抗争になりました。

細川勝元は畠山持国の権勢の巨大化を削ぎたく義就でなく弥三郎(死後は政長)を支援し、
大和の筒井氏も南山城の木津氏.田辺別所氏.狛下司氏も細川勝元派に属して居ました。 (畠山守護と古市.越智ラインでは彼らの領地:北大和.南山城が安穏でなくなります。)

勝元は畠山家の弱体化を目的に畠山政長を支援、他方、嘉吉の乱で赤松氏の守護領国を得て勢力を拡大した山名持豊(宗全)が畠山義就を支援する家督相続争いは、守護領国の傘下の被官達にも重大事となり、その後の両派は不倶戴天の敵同士となりました。

寛正元年(1460)に義就が家督を追われ朝敵となり、政長が家督を継いで朝敵追放戦となった4年間の嶽山合戦を境に、山名宗全と義就は結ばれ、細川勝元と宗全は全面的に対決する展開となりました。

足利一門(細川.畠山.斯波)の三管領家の守護斯波義健(しばよしたけ)にも継嗣がなく分家で一門筆頭の斯波持種の嫡子(義敏)を養子(享徳元年)とした年に義健が逝去し、重臣筆頭執事(甲斐常治)が推す渋川義鏡の子:義廉(よしかど)との家督相続争いが起こり、(勝元は義敏を支援)有力管領家の分裂騒動となって行くのです。

将軍義政は政治には相変わらず熱心でなく、その間に幕府内で確実に実力者となった細川勝元にも頭が上がらない状態であり、早々に継嗣を定め引退しようと思い、出家して義尋と名乗る弟を還俗させ継嗣と定め、寛正5年(1464)名を義視(よしみ)と改めました。

ところが、将軍義政の妻(日野家出身の富子)に翌年末男子が誕生しました。後に9代将軍になる義尚(よしひさ)です。母親の富子は女傑揃いの日野家の女です。勝元.管領畠山政長と足利義視の現体制を崩して、我が子(義尚)を将軍にする手段として、畠山宗全に頼ります。これで宗全派は細川勝元派と全面対決する絶好の大義名分を得ました。

(山名持豊(宗全)は赤松氏と同格の侍所長官になる四家(四職家)で三管領より一格下ですが、先の嘉吉の乱の功績により現在は派閥の領袖まで浮上してきたのです。)

応仁元年(1467)正月、畠山政長は家督を追われ、義就が家督に復帰し、斯波義廉が管領に就任し、応仁の乱の導火線(御霊林の合戦)へと展開して行きます。(つづく)

参考資料: 木津町史 本文篇 木津町 、   山城町史 本文編  山城町
      京都の歴史 2  中世の展開  熱田 公 著
添付図:応仁の乱の対立関係  木津町の歴史


2016年06月25日

◆中国が展開する騙しの常套手段

櫻井よしこ



6月6日、北京で米中戦略・経済対話が開かれた。両国の主要閣僚が勢揃い して、およそあらゆる問題を話し合うこの会議は2009年以降定例化したも のだ。開幕式での演説で習近平国家主席が強調したのは、中国の大国意識 を表わす「新型大国関係」だった。
 
米中が互いの「核心的利益」を認め合い、干渉し合わないことで衝突を避 け「ウィンウィンの関係」を築こうというもので、中国側はここ数年の米 中対話で必ずこの原則を持ち出してきた。習氏は今回も同じ主張を繰り返 し、こう述べた。

「敏感な問題を適切に管理し、実務的、建設的に対立を乗りこえるべきだ」
 
南シナ海に限らず、問題を起こすのは常に中国だ。自らの狙いを定め、時 間稼ぎをしながら目的を達成しようとする。
 
これは中国の常套手段であり、日本は尖閣問題で同手法による目眩ましを 食らった。

1978年、来日した?小平は尖閣問題を現役世代の自分たちが解決できない のであれば、後の世代の平和的な話し合いに任せればよい、と提案した。 !)小平は記者会見で、尖閣問題は日中両国で棚上げしたと発言した。

日本側は尖閣諸島に領有権問題があるとは認めない立場から、棚上げに合 意した事実はなかったが、中国に配慮して、その場で反論することもな く、巨額のODA(政府開発援助)を中国に与え始めた。

中国がいきなり新しい国内法をつくり、尖閣諸島も東シナ海も中国が領有 すると宣言したのはそれからわずか14年後だった。
 
今回の習発言は往時の?小平発言と重っている。彼らが決して尖閣諸島を 諦めないように、南シナ海も諦めることはないだろう。

中国の孤立
 
北京で米中戦略対話が行われる直前まで、両国はシンガポールで開催され たアジア安全保障会議で火花を散らしていた。6月3日から5日まで続いた 同会議には約30の国々の国防大臣や専門家が集った。

中国の譲歩が考えにくい中、最大の焦点は、南シナ海における中国の侵略 的行動をアメリカがどこまで抑止できるか、だった。
 
米国防長官のアシュトン・カーター氏は4日の基調講演で南シナ海の航行 や飛行の自由の重要性を強調し、国際法に基づいた領土主権の原則を、各 国が守り続けることを要請した。

氏は「原則」という言葉を36回も繰り返し、南シナ海の軍事拠点化を進め
る中国の行動を「孤立を深める万里の長城」だと批判した。
 
カーター氏は、西太平洋及びインド洋の安全と秩序の維持は、2国間、3国 間の協力でなされるとして、日米韓、日米豪、日米印の軍事協力について 具体的に語り、さらに米国がベトナム、フィリピン、シンガポールとの2 国間協力に積極的に取り組んでいることを詳細に説明した。タイもインド ネシアもラオスさえもアメリカに協力していると語り、中国の孤立を浮き 立たせた。
 
南シナ海での中国の侵略的行為に関して、フィリピンがオランダ・ハーグ の常設仲裁裁判所に提訴した件で、カーター氏は近々示される判断を中国 が受け入れ、「当該地域諸国と共に、外交機能を強化し、緊張を鎮め、原 則重視の将来を築く機会とすべきだ」と説いた。
 
カーター演説への中国側の反応は驚く程感情的だった。中国代表団を率い る人民解放軍副参謀長の孫建国氏は演説直後に会場を後にし、洗練とは程 遠い太い地声でメディアに語った。

「中国は孤立などしていない。カーター長官の発言は間違っている」
 
翌日演説した孫氏は「我々は問題を起こさないが、問題を恐れることもな い」と予想通りの強硬発言を繰り返した。

「中国は結果責任を負わない。主権と安全保障に関する侵害も許さない。 南シナ海における無責任な国々の行動についても無関心ではあり得ない」 と、穏やかならざる発言だった。
 
アジア安全保障会議での中国の発言は、ここ3年程顕著に強硬さを増して いる。安倍晋三首相が基調講演を行い、国際社会の公共財としての開かれ た海、航行の自由、問題の平和的解決と国際法の順守を説いたのが14年 だったが、この時、日本の首相の思いがけない正論に、会場に詰めかけた 専門家らが総立ちで拍手する場面が続いた。
 
日本の名誉は中国の怒りを誘う。中国代表は用意した演説メモを横に置い て安倍首相を口汚く批判した。南シナ海は2000年前から中国領だと豪語し て失笑も買った。
 
なぜこの時中国側は怒りの感情に搦めとられたのか。

危機に対応できる国

当時彼らは南シナ海の埋め立てを急ピッチで進めており、そうした後ろめ たさを隠すための発言だったと考えられる。
 
15年にはシンガポールのリー・シェンロン首相が基調講演で、南シナ海問 題の解決は(アメリカや日本などの関与を許さずに)当事国の話し合いで 解決すべきだと、中国の主張に沿う形で訴えた。中国の圧力があったと考 えて間違いないだろう。
 
そして今年の強硬発言である。孫氏は演説で、フィリピンの提訴及び仲裁 裁判所の判断は「受け入れない。従わない。中国の南シナ海政策は不変で ある」とこれまでの主張を繰り返した。
 
中国共産党機関紙の海外版「環球時報」は、孫氏の発言を南シナ海に関す る挑発への中国の明確な回答であるとして、高く評価した。挑発に対して 中国は経済的にも軍事的にも防衛する力があり、その準備も整っていると 自信を示した。
 
中国の強硬発言に対して、中谷防衛大臣は、中国が国連海洋法に基づく仲 裁裁判所の判断を受け入れない場合、「日本も声を上げなければならな い」と語り、ベトナムの国防次官、グエン・チー・ビン氏は中国の姿勢は 「戦争に発展しかねない」と警告した。
 
シンガポールの会議は険悪な空気に満ちていたのだ。それに対して習主席 は「敏感な問題の適切な管理」と、その間の「実務的、建設的な対立解 消」を提案したが、問題はオバマ政権があと半年で終わり、次期大統領が 誰になるか、アメリカの外交、安全保障政策が読みにくい中、時間はアメ リカやアジア諸国の、必ずしも、味方ではないかもしれないことだ。
 
アメリカには日本もNATO諸国も十分な防衛努力をしていないとの不満 が強い。そうした不満がアメリカをさらに内向き志向に追いやる危険性も ある。

その時、日本もアジアもどのように中国の脅威に立ち向かうのか。
 
明確に問われているのは、日本が危機に対応できる国になるか否か、その 決意を持てるか否かである。それによって日米関係が決まり、その先に日 中関係が形成される。
 
中国の膨張とアメリカの展開の不透明さの中で、私たちは日本の国防の根 幹を見直さなければならない。

『週刊新潮』 2016年6月16日号 日本ルネッサンス 第708回

                (採録:松本市  久保田 康文)
                           (再掲)

◆英国の「EU離脱」

宮家 邦彦



英国の「EU離脱」は大衆迎合主義的ナショナリズムの本格始動を意味す るものだ

6月23日は欧州の将来を左右する日となるのか。本日英国でEU離脱 を問う国民投票が行われる。結果次第ではEUは勿論(もちろん)のこ と、世界の経済・政治が変わり得る。英国の友人は「質問がEU離脱の是 非なら答えは理性的なノーだが、質問が今の生活やEUのあり方に不満か 否かならば、答えは感情的なイエスだろう」と言い切った。今回は英国の 選択の意味を考えたい。

まずは歴史的経緯から。EUの前身EEC(欧州経済共同体)の設立は 1957年。東西冷戦中に米ソの狭間(はざま)で埋没することを恐れた 欧州エリートの知恵だった。当初懐疑的だった英国は方針変更し、60年 代に何度か加盟を申請したが、当時は英の裏に米国の影を見たフランスが 拒否権を行使した。英国加盟が実現したのは73年。2年後には英国で国 民投票が実施され、3分の2が加盟に賛成した。あれから半世紀弱、時代 は大きく変わったのだ。

 離脱派の主張は勇ましい。

 ●EUは非民主的組織だ

 ●加盟国の主権を制限する

 ●英国に不法移民が流入する

 ●英公共サービスが低下する

 ●EU分担金は高過ぎる

 ●貿易ルールが不公平だ

 ●EUの各種規制は不必要だ

 ●EU官僚組織は非効率だ

要はEUが大陸中心の欧州統一の仕掛けであり、英国の主権と独立は無 視されるという主張だ。離脱派の急先鋒(せんぽう)・元ロンドン市長 は、「ナポレオンやヒトラーが試みた如(ごと)くEUは超国家を望む が、それは悲劇的な結果を生むだろう」と述べた。英国は欧州大陸の指示 など受けないという強烈な民族主義的感性だ。

その英国で16日に悲劇が起きた。残留派の女性下院議員が極右思想の影響 を受けたと思われる男性に無残にも殺害されたのだ。それまで離脱派と残 留派は拮抗(きっこう)していたが、事件後は両派ともキャンペーンを一 時自粛した。この事件で、英国民がより理性的になるか、それとも感情的 になるかは読み切れない。

日本ではポンド危機など国民投票の経済や株式市場への影響に関するコメ ントが目立つが、英国のEU離脱の悪影響は経済面に限られない。離脱賛 成が過半数を占めるということは、英国有権者が抱く反EUの民族主義的 感性が、加盟維持という国際主義的理性を凌駕(りょうが)したというこ と。すなわち、あの英国でも(あの英国だからこそ、かもしれないが)、 大衆迎合主義的ナショナリズムが本格的に始まったことを意味する。政治 統合という欧州の夢が分岐点に差し掛かっていることだけは間違いなさそ うだ。

                  ◇

【プロフィル】宮家邦彦

みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京 大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東 アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首 相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングロー バル戦略研究所研究主幹。

産経ニュース【宮家邦彦のWorld Watch】2016.6.23
   

2016年06月24日

◆私の「身辺雑記」(356)

平井 修一



■6月20日(月)、朝4:00は室温25.5度、快晴、早朝は涼しかったが、ハー フ散歩の10時には汗ばむほどの暑さに。

“食えない大帝”プーチンが17日、サンクトペテルブルグでの国際経済 フォーラムで次のように述べたという。

「米国は偉大な国だ。恐らく今日、唯一の超大国だろう。我々は、それを 理解している。そして米国と共に仕事をしたいと欲しており、その用意が ある。

世界には米国のような強国が必要だ。我々も必要としている。しかしその 際、絶えず我々の事に干渉したり、どう生きるべきかを指示したり、欧州 との関係構築を邪魔する必要はない」(国営スプートニクニュース6/17)

つまり「お前が世界の安定に寄与していることは俺も認める、しかし、俺 がやることにいちいち文句言うな、邪魔立てするな」ということだ。

ロシアはシノギが怪しくなっているうえに、このところNATOが対ロ軍事力 を強めているため、ちょっとだけ米国に秋波を送ったのだろう、「話し合 いの用意はある」と。

【今朝の産経から】1面「文革半世紀 第2部 動乱が変えた運命 紅衛兵 世代 中国を動かす 『暴力信仰』横の連携で出世」、習近平などの太子 党が現在の幹部クラスに巣食っている。

日本では1967〜1970年まで全共闘が暴れたが、彼らは18〜24歳が主流だっ た。あれから50年ほどたったが、彼らは現在67〜73歳。団塊世代だ。アカ 老人、不良老人が多いだろう。この手の輩が政治を動かしているのが今の 中共だ。異常であり、悲劇でもある。

1面、石原慎太郎の「醜い日本語の憲法」、まったく醜い。改憲と言う が、それはリフォームだ。小生はGHQ憲法を廃棄して(棄憲)、新築した いのだ。“新築そっくりさん”では嫌なのである。まったく新しい、日本の 歴史と風土に根差した憲法を創りたい。国家の国体、骨格を明記して、美 しく、誇り高く、暗記できるほどの長さが望ましい。

1面「沖縄『県民大会』、超党派ならず」。沖縄タイムスは6万5千人(主 催者発表)と書いているが、集会の全体規模が分かる上からの俯瞰写真が ない(琉球新報も)。どう見ても3000人くらいと思うのだが、俯瞰写真を 載せるとイヤミな産経が人数を数えるから避けているのだろう。産経GJ!

半分以上は本土からの動員ではないか。お仕着せのプラカードを掲げて一 斉にポーズをとる、まるで北のマスゲーム、パフォーマンス、思考力ゼロ のバカの群、中共の狗。

殺人、事故を絶滅する特効薬はない。あればノーベル賞ものだ。死の政治 利用、まったくアカは成長しない、バカにつける薬もない。

10面「脅威か希望か AI新時代 日本のものづくりに勝機 国際競争の出 遅れ挽回へ」。AI開発で日本は第2グループの真ん中あたりらしい。せめ て第2グループのトップに混じっていないとダメだとか。

しかし専門家3氏の鼻息は荒い、「巻き返しはこれから」「米国型は曲が り角に」「スピードと頭脳で勝つ」と。皇軍の戦意は高揚している。第1 グループの「トップを目指せ」、まるでスポーツだね。

「人間はホモルーデンス」、遊びが原点とホイジンガに指摘される以前、 1200年前後に日本は「遊びをせんとや生まれけん」と白拍子は浮かれてい た。ビジネスも政治も人生も一種のゲームか。

昨日、長男坊一家4人はお好み焼きの昼食後に、その残りと夕べの餃子 (べちょべちょにならないように片栗粉をどっさり入れて冷凍しておい た)のお土産をもって帰ったが、娘2人、孫3人は今夜も流連。

所望されたので夕食はオムライス7人前などを作ったが、体力の劣化で ウーウー唸りながらの調理だった。

わが老化 想定越える 速さかな つるべ落としに 戸惑う日々ぞ(修一)

相変わらずの駄作、凡作だが、「戸惑う日々ぞ」は「戸惑う日々や」でも いいのだけれども、昨日の産経に慎太郎が「ぞ」というのは慚愧、無念と いった思いがあるのだ、翻訳者(多分ドナルド・キーン)もそれは英訳で きずに、ともに「微妙なニュアンス、翻訳不可ということで頷くしかな かった」というようなことを書いていたから、「ぞ」にしてみた。

知的刺激は大事だ。

夕食の片づけを終えた9時過ぎ、3歳女児と5歳男児が七五三の衣装を着て お披露目に来た。びっくり仰天、女ども曰く「11月の準備、試着よ」。小 生は絶句、「スゴイスゴイ、カッコイイ!」とは言ったものの、女は永遠 に理解不能だ。大地に根差している、男はその掌で戦争する。

「戸惑う日々ぞ」、男は永遠にそんなものだろう。「これでいいのだ」、 なんか、おそ松くんの漫画みたいだが・・・

■6月21日(火)、朝4:00は室温26.5度、今季最高、雨。やんだのでハーフ 散歩。朝食後、子・孫は全員機嫌よく帰った。

「これでいいのだ」みたいなゆるい記事、日経6/20「中東にたこ焼き店  官民ファンド、『築地銀だこ』11月出店」から。

<日本文化の発信を担う官民ファンドのクールジャパン機構は11月、たこ 焼き店を中東に出店する。機構がアラブ首長国連邦(UAE)の商社とつ くった合弁企業と、「築地銀だこ」を運営するホットランドがフランチャ イズチェーン(FC)契約を結ぶ。イスラム教の戒律に沿う「ハラル認証」 に対応した食材を使い、現地への浸透を図る。

同機構は2014年、中東での日本食文化の発信に向け、日本食材の輸入販売 を手掛けるUAEのシファー社と合弁企業を設立した。ホットランドとは6月 中にFC契約を結ぶ。

店舗ではたこ焼きを主力商品として販売するが、地域によってはたい焼き も扱う。出店地域はUAEのほか、サウジアラビア、クウェートなど6カ国で つくる湾岸協力会議(GCC)の域内とし、5年後に35店程度へと拡大する計 画だ。

GCCの域内人口は、25年に5900万人と現在から2割増える見通し。機構は中 東市場は将来有望とみて、今後はラーメンやカレー、焼き肉、スイーツな どの日本食を売り込む。日系企業の協力を得てFC店を増やしたい考えだ> (以上)

娯楽の少ない地域だから大成功するのではないか。

小生は一時期、築地銀だこのフランチャイジーなろうかなと研究したこと がある。15年前くらいかもしれないが、当時は関東の店舗は15店くらい で、アプローチしたものの、銀だこは店舗展開にそれほど熱心ではなかっ たと記憶している。むしろ興味がなかったようで、やんわり断られた。

店舗展開も初期は「暖簾分け」みたいではなかったか。

今は国内450店、海外60店。昨年には東証1部上場した。大阪人は「あんな んはたこ焼きやない!」と怒っているが、銀だこは関西も席巻している。 旨ければええんとちゃう?

起業家という言葉は最近である。以前は創業者だった。創業者は、山本夏 彦翁が言うように、「会社をドンドン大きくしたい人」(指揮者・経営者 志向)「ボチボチで十分な人」(演奏家・職人志向)の2種類だ。

小生はもちろんボチボチ派。銀だこの創業者もそうだったのだろう、現場 で銀だこを作り、お客様のうれしそうな顔を見て、やりがい、生き甲斐を 感じるのだ。「立って半畳、寝て一畳」、そこそこやっていければいい、 金持ちになりたいなんて思わない、まじめにコツコツいい仕事、カネはそ こそこついてくる。上手く演奏したい、匠になりたい、若い衆を育てたい とか。

日本の創業者のほとんど、多分9割はそんなもので、世のため人のためと か、大儲けしようなんていう動機はあまり持っていないだろう。あくまで 職人志向、カネカネカネ、カネがすべてのホリエモンや村上ファンド、 ウォール街、シティ、支那とは真逆だ。

日本人は実に珍しい国民性である。レア、希少金属、宝石、まさに黄金の ジパングだ。情けは人のためならず(巡りめぐって自分のためにもなる、 相身互い)、和親共生互助原理主義国家ニッポン。文武両道で知力体力も 優れているが、目立ちたくない、付和雷同、右へ倣え的なマイナス面もある。

マイナス面の除去、武士道、教育勅語の復活には教育がカギになる。大き な課題だ。

【今朝の産経から】1面「文革半世紀 反腐敗・粛清の裏で租税回避 幹 部一族、今も『特権』に執着」、小生の知らなかったことがいっぱいあっ た。大いに勉強した。

6面「京都ぎらいの大阪まみれ」は面白かった。洛中(中華思想)は洛外 (夷狄)をバカにしているとか。初めて知った。65歳でも知的処女だな、 初心。

8面「ローマ 初の女性市長 EU懐疑派圧勝、首相に痛手」、猫顔の37 歳、大丈夫なのか。ローマの休日、ローマの昔日。

8面「ソウルからヨボセヨ 自転車不要の生活」。小生は以前からなぜ韓 国人は街中で自転車を使わないのだろうかと疑問に思っていたが、交通秩 序が劣っている(自己中)ので危険だから「使えない」のだ。変な国。

11面「IMF、消費税15%も提言」。安部の晋三の民はノミの心臓、8%に なっただけで卒倒した、10%で心肺停止、15%で即死するということを IMFが分かっていないのは財務省の洗脳による。財務官僚は角を矯めて牛 を殺す輩、現実が分からない東大ブランド発達障害。ロシアでも急増して いるようだ。プーチンもそうか。習近平もそうだな。

無理が通れば道理が引っ込む、通りから人が消えて1億総引きこもりにな る。増税よりも社会保障の蛇口を絞れよ。

18面「企業が奨学金返済を支援 優秀な学生の確保狙う」、ノバレーゼと いう会社などが実施しているそうだ。どんどん広まるといいな。古典を学 び、同時に実学を学べ。哲人、鉄人を目指せ。

19面「支援ロボット使い手術」、手術台はまるで自動車工場の溶接ライン みたいにアームだらけ、すごい時代。医は仁術、医は技術。

ラブドール(ダッチワイフ進化系)のAIロボット化が進んでいるそうだ が、そのうち欧米ではロボット差別は許さない、婚姻を認めよと騒ぎ出す かもしれない。「異次元婚」か。

23面/神奈川版「増えた1枠めぐり混戦の様相」。今年になってから町内の あちこちの自民党ポスターに三原じゅん子という、フェロモン過剰気味の 人の写真が目立ってきて、小生は“キモイなあ”とうんざりしていたのだ が、なんと参議院議員(神奈川選挙区/自由民主党神奈川県参議院選挙区 第四支部長)なのだという。

知らないことだらけ。世も末、われも末。

■6月22日(水)、朝6:00は室温24度、肌寒い、曇/雨、やんだのでハーフ 散歩。

JAL幹部曰く「ノンフリル、飾りっ気なし」のLCC、格安航空会社は何十年 も前から出ては引っ込んでいたのだが、今どきのLCCは全体市場の拡大に 支えられて定着しそうだ。カミサンはANA系のバニラエアでお盆時期に奄 美へ帰省する。

羽田−奄美は10年ほど前までは往復7万円もした。市場が小さかったから だ。ところがバニラはナント2万円、「これなら年に2、3回は行ける!」 とカミサンは大喜びだ、「成田発着だけれどね」。

JR横須賀線と南武線がドッキングしたのでわが家から成田空港(わが青春 の墓標)まで便利になったから、大して苦にはならないだろう。それにし ても7万円→2万円!、衝撃的だ。

航空業界では平均搭乗率が60%以上なら「良」で、65%以上なら「優」 だ。80%なら奇跡的で、「これは早朝と夜以外のほとんどの便が満席とい うこと」だそうだ。

予約しても来ない客No Showがいるし(3%ほどか)、年間で「黙っていて も売れるOn Dayは半分、あとの半分のOff Dayは必死こいて売りさばくし かない」のだ。

路線にもよるが旅客の30%はビジネスクラス(C)、70%はエコノミークラ ス(Y) の観光客というのが相場だ。利益では逆転し、Cが70%、Yが30% を稼ぎ出す。

売れ残った席は在庫ができない「永遠に売りそこなった商品」で、切羽詰 まって裏で「4週間前セール」「3週間前セール」「2週間前セール」と叩 き売っていたのが最後は「持ってけ泥棒!」。二束三文でも賞味期限切れ で空気を運ぶよりはいいかと。

ところがLCCを使えば表で多様な運賃を公表でき、市場をすくい上げ、市 場を拡大できるようになったわけだ。

LCCは利益率は薄いが、LCCにあぶれた客は普通の航空会社に来てくれるか ら大いに結構なのだ。

普通の航空会社(高級リムジン、出張用)は搭乗率63%、LCC(乗り合い バス、観光用)は80%前後が目標だろう。LCCは狭くて混んでいるから小 生は好まないが、2時間くらいのフライトならOKという人は多いのだろ う、今は棲み分けができたのかもしれない。

高級寿司と回転寿司、普段はカッパ寿司だけれど、今日は結婚記念日だか ら久兵衛へ行くか、とか。

【今朝の産経から】2面「主張:参院選きょう公示 危機克服への青写真 競え 国と国民守り抜く覚悟あるか」。民共・アカども向けの主張、挑発 だろうが、彼らは「自公政権=日本の危機」であり、反日=中共の狗だか ら、議席を守り抜く覚悟はあっても、「国と国民守り抜く覚悟」なんぞあ るわけない。彼らは現実無視の痴呆症だ。

2面「ソフトバンク アローラ副社長退任へ 孫社長「あと5〜10年や る」。朝令暮改のダッチロール、終わりの始まりになりそう。

3面「文革半世紀 追放記者『これは権力闘争だ』中国の実態 壁新聞か ら看破」、毎回発見がある。

1968年初版、山田慶児・同志社大学助教授著「未来への問い 中国の試 み」から。

<歴史上のあらゆる革命権力は、権力掌握とともに急速に凝固し、権力維 持を自己目的化し、あるいは革命を放棄してきた。政治は人間の疎外形態 (平井:指示するもの、指示される者への分裂)であることを認識し、そ の疎外形態を消滅させるためにあえて一形態を選んだはずのマルクス主義 者の革命権力でさえ、その例外ではなかった。

中国革命の驚くべき性格は、権力掌握の後にも、不断に革命を持続し、疎 外の諸形態を消滅させようという決意である。

かつて梅本克己が指摘したように、人民公社運動は疎外の根源的形態であ る私有制を一挙に消滅させようという、人類の壮大な実験だった。その試 みはさしあたって失敗に終わったけれども、その決意は放棄されていない。

文化大革命は、革命権力の凝固と自己目的化を、民衆の批判によって阻止 し、かつ、批判の原動力を、教育によって民衆の中に培おうとしているか に見える>(以上)

朝日/岩波文化人どころか、当時のインテリの多くは“山田慶児”並だっ た。バカとは言わないが、文革を「人類の壮大な実験」と見ていた。人民 公社運動などの「大躍進」が「大後退」に終わり、4000万人が餓死したと いうこともまったく分かっていなかった。

無知蒙昧、ことが中共に及べばパブロフの犬になり、ご主人様の前でよだ れを流し、尻尾を振って万歳三唱。今でもこうしたインテリやら阿呆はあ らゆるところに巣食っており、小沢一郎は「私は解放軍野戦部隊の隊長 だ」と媚びた。よほどカネが欲しかったのだろう。

トウ小平の息子は紅衛兵に迫害され、(強制されたのか、逃亡のためかは 不明だが)ビルから飛び降り、重度の障碍者になった。教育という名の洗 脳がありとあらゆる暴力を正当化するのだ。

中共というか支那人はDNAとして「暴力信仰」「任侠崇拝」(江湖文化と いうそうだ)があり、暴動騒乱に乗りやすい。非常に危険であり、警戒 し、距離を以て付き合うべし。

「文革半世紀」はこうしめくられていた。

<中国の改革派知識人は、「中国全土が狂気と破壊と虐殺で満ちていたと き、当局の宣伝にまどわされず、冷静なまなざしで真実を書き続けた(産 経の)柴田穂記者や、隣国の言論・芸術の圧殺に声をあげてくれた(三島 ら)日本の作家たちに敬意を表したい」と語り、こう続けた。

「一党独裁体制はいまも続いており、この国でまた文革のようなことが起 きる可能性がある。これからも人権問題などに関心を持ち続けてほしい」>

9面「トランプ氏、最側近『クビ』」、キメゼリフYou are fired! トラ ンプは金庫も空になりつつあり、失速中だ。

14面テーマ川柳、「出来ちゃって結婚 生まれて離婚」、ありそうだな。

28面「3歳児、エアバッグで圧迫死か」、母親が「軽乗用車を運転中に車 内に落とした携帯電話を拾おうとしてハンドル操作を誤り、道路脇の電柱 に車を衝突させた」。

太宰曰く「親がなくとも子は育つ。わが家では“父がいるから子は育た ぬ”」、親がバカだと子は死んでしまう。自戒すべし。(2016/6/22)
   
       

◆東京は燃えているか:首都を守れ

MoMotarou



映画「パリは燃えているか」:1944年8月7日から、8月19日のレジスタン スの蜂起開始、アメリカ軍の援護を受けて、8月25日のフランスの首都パ リの解放に至るまでを描く。(略)映画の終盤、降伏前にパリを破壊しろ (焦土作戦)というアドルフ・ヒトラー総統の命令が下ったが、最終的に コルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊か ら守った。

映画音楽は、NHK「映像の世紀」のテーマ曲として使われた。(WIKI参照)
>  https://www.youtube.com/watch?v=MQp60R1cjGQ
>
>       ☆彡
>
舛添東京都知事の辞任ニュース。最後は都議会解散をチラつかせて都合の
良い条件で辞任したようだ。これで舛添さんを推薦した石破茂氏の首相の

芽は無くなった。

民主党のレンホウ氏や犯罪履歴がある元宮崎県知事の名前も挙がっている
が情けなくなる。東京都知事は首都の知事であります。もっとマシな人物
はいないのでしょうか。
>
■ドロンパ氏の登場

面白い!ヘイトスピーチ排除法こと桜井誠排除法。彼の活躍で不逞在日韓
国朝鮮人に大打撃を与えた。例の京都朝鮮学校は跡形も無く廃校されたよ
うだ。
>
今回の舛添知事辞任の切っ掛けは「韓国人学校」でありました。これに火
をつけたのも桜井氏でした。東京都知事に立候補の計画あり。もっとも当
選すること無き「捨て身」戦術。300万円の供託金没収覚悟。
>
彼が出馬して言いたいことを言うと面白い。直ちに警察がヘイト排除法を
使って取り締まれば「言論の自由」など無いことになる。当然、在日団体
も騒ぎ出すことだろう。マスコミがどの様に桜井氏を無視するか興味深い。
真面(まとも)報道すると在日問題が国民全般に知れ渡る事になります。
>
■田中角栄氏人気

石原慎太郎元知事の本が切っ掛けで色々な角栄本がでてきた。石原本はパ
ラポラ見ましたが購入する気が起こりませんでした。他の言行録が面白く
計3冊買いました。印象に残ったのは角栄氏が自分の選挙区で演説してい
る姿です。
>
集まった選挙民は、仕事場や畑・台所から駆け付けた様な様子。角栄氏は
スーツにネクタイ。演説する顔は仲間や友人たちに話しかけるような感じ。

当時はすでに大臣などを経験した大物であります。謙虚な雰囲気がにじみ
出ておりますね。舛添氏など足元にも及ば無いです。
>
*田中角栄 青年部向け講演 昭和56年9月3日 静岡県函南町 富士箱根ランド
>   https://www.youtube.com/watch?v=g-fOn07KVdI

*田中角栄 国防から老人問題まで幅広い演説。媚びていない。
 https://www.youtube.com/watch?v=9CRGbLjxkYs
>
> ■高給取りに改革はできない
NHK職員の平均的給与は1700万円と聞いた事がある。民放でのアナウンサ
ーも1000万円台。公務員も地方では大企業並みの待遇。この地位環境を獲
得するに努力があったのは労働組合。日本共産党が力を入れている組織でもあ
ります。自治労も然り。
>
この待遇を現実的に放棄する事はできません。という事は、なかなかシナ朝鮮
在日の圧力にも弱い。政治家も同じ。「金持ち喧嘩せず」。「捨て身」な活動
はなかなか難しい。
>
だから「戦後レジーム」の改革が捗(はかど)らないのであります。知恵 ある人、
勇気ある人、秘かに立ち上がれ。流れは確かに変わりつつあります。蜂起 の準備
をしましょう。
>
> ●資料:「曽国藩の日記」安岡正篤より

ただ生活の荒涼は必ずしも常に如上の原因からのみ生ずるのではない。或 ひは自己の性格と、したがってそのやみがたき理想に駆られて身を投じた 天職か らも、また恐るべき凄凉な生活が生じやすい。そは理として崇高 なるべき環境の 現実的矛盾の牢獄に陥るによってである。その適切な一 実例が政治家においても 発見される。
>
政治家といふとき、吾人は真に重大な意義と職分とを要求する。理想に燃 ゆる心は政治家その人を崇高な哲人にまで想像する。しかも翻って現実賓 の政治 界を眺むるとき、我らは俄然として悪夢をみるごとき感のするの をどうすること もできない。
>
身を修め、家庭を斉へえて、はじめて天下を治むるに堪ふるものである
といふことは、動かすべからざる理性の承認であるにも拘らず、政府は
より悪しきものより、悪しきものを択ぶことであるといふ、実に驚くべ
き諺がかへって凱切(がいせつ)な警句であることを、同時に拒むこと
ができない。>>



      

2016年06月23日

◆ベンガジ事件とヒラリー

Andy Chang



10月22日、ベンガジ事件の解明のため国会の調査委員会がヒラ
リークリントンを喚問した。ヒラリーは当時の国務長官で事件の主
役である。アメリカの大使を含む4人がテロ攻撃で死亡した事件で、
真相を追及する共和党側に対し、民主党側は公聴会はヒラリー追い
落としのためと主張し、メディアもヒラリー擁護に回っている。

ベンガジ事件とは大使を含む4人のアメリカ人がリビアのベンガジ
テロ攻撃に逢って死亡した事件である。2012年9月11日、アメリカ
のスティーブン(Chris Stevens)駐リビア大使が護衛二人を連れて
リビアの首都トリポリから危険なベンガジ市に赴き、テロ攻撃で死
亡した事件である。攻撃は前後13時間に及んだがヒラリー、国防部、
CIAなどは救援隊を派遣しなかった。ヒラリーは直ちにこれがテロ
攻撃でなく反イスラムのビデオに抗議した暴動と発表した。

疑問はたくさんある。

(1)英国が領事館を撤退した危険地域になぜ護衛もつけず、大使
を派遣したのか。

(2)ベンガジに行った目的は何か。ヒラリーはスティーブン大使
が状況調査のため「個人の意思」で行ったと責任逃れをした。

(3)なぜ13時間の攻撃で救援隊を出さなかったのか。ヒラリーは
国防部やCIAがやることで国務省の責任ではないと言った。

(4)「イスラム批判のビデオ」に抗議暴動とウソの発表をしたのは
なぜか。ヒラリーはビデオ説が正しい説明と言い張った。

(5)ビデオ説が嘘とわかった今もヒラリーやオバマが嘘を言い続
ける理由はなぜか。ヒラリーはビデオ説にこだわり説明はなかった。

11時間に及ぶ公聴会のあと、民主党側は「共和党はヒラリーを攻撃
した」、「ヒラリーは勝った、全ての質問に答えた」、「ヒラリーの当
選は確実となった」などと発表した。

私が11時間かけてテレビで見た印象では、ヒラリーは嘘を繰り返し
真相を喋っていない。後述するように真相は早耳の宮崎正弘氏が述
べたところにあるが、真相が明るみに出るかどうかはわからない。
最後の「私の憶測」で説明するように真相はベンガジで大使が殺害
された事実よりもっと大きい。

●ヒラリーのベンガジ公聴会で判明したこと

民主党がヒラリーを褒めまくっているにもかかわらず、公聴会で解
明されたいくつかの要点は次の通り。

(1)スティーブン大使は2012年5月に就任し9月に殺害された。
5月に就任してから600回もヒラリーに護衛を増すよう要請したが
却下された。ベンガジに行く二か月前にも13人の護衛を要求したが
却下された。攻撃に逢った時は5人の護衛した居なかった。
(2)ヒラリーは攻撃されても救援を派遣しなかった責任は国防部
とCIAの責任と弁解した。

(3)リビア大使館は2011年に7500通以上のメールを国務省に送
っていたが、2012年のメールは65通しかない。これはメールがな
いのではなく国務省がメールを隠蔽し発表していないと思われる。

(4)ヒラリーは一度もスティーブン大使とメール交信をしなかっ
たと主張している。その代りヒラリーは政府役員でないブルーメン
ソールをリビアに派遣し、600通以上のメール交信があった。ブル
ーメンソールはオバマに批判的なのでオバマが彼の政府雇用を拒否
した。にも拘らずヒラリーは彼をリビアに派遣した。なぜスティー
ブン大使を使わずブルーメンソールを使ったのか説明はなかった。

(5)大使の死亡が確認された10時32分、ヒラリーは「反イスラ
ムのビデオ」に抗議した暴動と発表した。しかし、半時間後の11
時12分、ヒラリーは娘のチェルシーに「ビデオ抗議ではない。アル
カイーダの攻撃だ」とメールした。それから一晩たった24時間後に
ヒラリーは「攻撃はビデオではなくアルカイーダの計画的攻撃」と
エジプト首相に電話した。ヒラリーは明らかに国民に嘘をついたの
に公聴会で嘘を暴かれてもビデオ説を白々と強調した。

(6)ヒラリーは公聴会で4回、リビアに武器を提供したか、シリ
アに武器提供したかと聞かれ、4回とも否定した。

●私の憶測:「リビア・コントラ」疑惑

オバマは国会に無断でリビアに武器を提供したが、2011年にカダフ
ィが殺されたので、武器を秘密裏に回収する必要があった、しかも
今度は回収した武器をシリアの反アサドグループに渡すつもりだっ
たらしい。スティーブン大使が護衛なしでベンガジに行った。とこ
ろが計画がアルカイーダ側にばれて大使は殺害され武器は敵に奪わ
れた。これが私の憶測「リビア・コントラ」である。

大統領が国会の許可なしにある他国に武器を提供してはならない。
嘗てレーガンが秘密裏にイランに武器を提供して問題になった。こ
れを「イラン・コントラ」と呼ぶ。だから今回のベンガジ事件の真
相は「リビア・コントラ」と呼ぶべきなのである。

リビアの独裁者ガダフィが2011年に殺害されたので反米政権に武
器を取られては困る。しかし、武器の回収に米国大使が直接交渉す
るわけにはいかない。そこでヒラリーは政府公務員でないブルメン
ソールを使って回収交渉をしていたのではないか。こうすれば理屈
が通る。

でも交渉がうまくいきそうになったら公式な国の大使が出向く必要
がある、しかも大使の行動は秘密である。国会に知られても困る。
だからヒラリーは国務省の公式通信を使えない。スティーブン大使
と交信をせず、ブルメンソールと非公式通信で交渉していたらしい。
機密を知っているのはヒラリーの親密な部下であるウマ・アベディ
ンとジェーク・サリバンだけだったと思う。

ところがヒラリーは個人のスマホを使っていたのでハッカーが機密
を盗むのは容易いことで、武器引き渡しの為に大使がベンガジに赴
いたことはすぐにアルカイーダの知ることとなり、ベンガジ領事館
を攻撃して武器を奪った。アルカイーダの攻撃である。

真相が国会にばれたらオバマとヒラリーは大変、監獄入りである。
だから二人とも絶対に真相を言わない。ヒラリーは公聴会で嘘を指
摘されてもテロ攻撃でない、ビデオに抗議した暴動だと言い張った
のである。ヒラリーはエジプトの首相にテロ攻撃だと本当のことを
言ってもアメリカ国民を騙し続ける必要があったのである。

これが私の憶測した、シリア・コントラである。読者にもいろいろ
意見や感想があると思うが、誰にも真相がわからないから「シリア・
コントラ」疑惑である。

真相を解明するためにはヒラリーが消去したサーバーのメールを全
部復元し、ブルメンソールとの交信と突き合わせ、さらに一部の関
連者が自分の罪を軽くするため白状する必要がある。オバマとヒラ
リーは必死に隠すだろう。真相が明るみに出るかどうかはわからな
い、永遠に解明されないかもしれない。


◆琥珀の瞬き(またたき)

馬場 伯明



小川洋子(53歳)の「琥珀のまたたき」を読んだ。2015/9/9・講談社・第
一冊発行・1500円(税別)。変な小説である。しかし、読み終えたら、懐
かしいような不思議な感動が込みあげてきた。

あらすじなどを詳しく紹介するのが本意ではないので、本の「帯」の文章
を転載する。なお、拙稿を書く前にはWEBなどの他者の「書評等」は読ま
ないこととする。

《 もう二度と取り戻せないあの儚くも幸福な一瞬》(背)

《 古びた図鑑の片隅に甦る、失われた時の輝き。閉ざされた家で暮らす
子どもたち。彼らだけの密やかな世界は、永遠に続くはずだった―――。小
川文学の粋が結晶した最新長編小説。》(表)

《 『壁の外には出られません』最も大事な禁止事項を、ママは言い渡し
た・・・・。妹を亡くした三人きょうだいは、ママと一緒にパパが残した
別荘に移り住む。そこで彼らはオパール(長女)・琥珀(こはく・長
男)・瑪瑙(めのう・次男)という新しい名前を手に入れた。閉ざされた
家のなか、三人だけで独自に編み出した遊びに興じる・・・・(裏 以下
略)》。

でも、これではよくわからない。思わせぶりなPR。結局、読むしかない。

小川洋子は、登場人物を限定された空間に配置し、その中の彼らに寄り添
い、その一挙手一投足を見つめ、その静謐な団欒と安寧な雰囲気とを、あ
たたかい目線で丁寧に描いていく。

世間の常識からすれば「とても危うい」4人家族なのに、いつの頃か、自
分も経験したような、していないようなある種の臨場感や既視感がある。
「うんうん、そうやったかもしれん」と妙に納得してしまった。

三人の子供らは「図鑑」専門の出版社の社長だったパパが残した「こども
理科図鑑」から新しい名前をもらう。閉鎖された空間であっても彼らには
想像する自由がある。図鑑の読み方などを工夫し、学習し、ゲーム化し、
無邪気に、しかし、知的に遊ぶ。

小学5〜6年生の夏、猛暑の図書館の片隅で、採集した蝶や収集した鉱石の
名前を「図鑑」で必死に調べ判明した・・・あのときの興奮を私はありあ
りと思いだした。

また、言葉の組み合わせで「オリンピックゲーム」を楽しみ、庭では、ロ
バのボイラーと遊び、ひっつき虫を投げる。幼い瑪瑙が得意のオルガンを
演奏する。庭や池、古びた別荘の壁の中で幸せの日々が続いた。

では、この硝子細工のような珠玉の生活はどのように展開し、いつまで続
いて行くのか。ママと次第に成長する三人の子供の未来はどうなるのか。
(子供はそれぞれ11・8・4歳から、次女は3歳で死去している)。

彼ら家族の「めでたし(Happy ending)」を願いながらも、ありきたりな
「崩壊」をついつい予想してしまう。ママの永遠の願望と成長する三人の
子供の均衡が崩れる日が来るのだろうか。

この小説では(老人ホームらしい)「芸術の館」で暮らしているアンバー
氏(琥珀)の晩年の今の姿が並行して描かれる。しかし、別荘時代とその
後の長い空白は語られない。読者は自分で想像の海へ漕ぎだすしかない。

三人の子供の名前は象徴的である。オパール(長女・Opal・蛋白石)、琥
珀(長男・こはく・Amber・アンバー)、瑪瑙(次男・めのう・Agate・ア
ゲート)。いずれも地中深くにあり長い長い年月を経て美しく結晶し、そ
して、いつの日にか掘り起こされる。

鉱石や化石は不滅で永遠の存在であり、人間の命と営みは危うく幻のよう
なものである。私たちは、身の程もわきまえず、鉱石や化石の美しい俤
(おもかげ)を、儚く追いかけているだけかもしれない。


「読書感想」的なことはここまで。本書の中で気になった下世話な関心事
などをいくつか記す。

2016年06月22日

◆中国が展開する騙しの常套手段

櫻井よしこ



6月6日、北京で米中戦略・経済対話が開かれた。両国の主要閣僚が勢揃い して、およそあらゆる問題を話し合うこの会議は2009年以降定例化したも のだ。開幕式での演説で習近平国家主席が強調したのは、中国の大国意識 を表わす「新型大国関係」だった。
 
米中が互いの「核心的利益」を認め合い、干渉し合わないことで衝突を避 け「ウィンウィンの関係」を築こうというもので、中国側はここ数年の米 中対話で必ずこの原則を持ち出してきた。習氏は今回も同じ主張を繰り返 し、こう述べた。

「敏感な問題を適切に管理し、実務的、建設的に対立を乗りこえるべきだ」
 
南シナ海に限らず、問題を起こすのは常に中国だ。自らの狙いを定め、時 間稼ぎをしながら目的を達成しようとする。
 
これは中国の常套手段であり、日本は尖閣問題で同手法による目眩ましを 食らった。

1978年、来日した?小平は尖閣問題を現役世代の自分たちが解決できない のであれば、後の世代の平和的な話し合いに任せればよい、と提案した。 !)小平は記者会見で、尖閣問題は日中両国で棚上げしたと発言した。

日本側は尖閣諸島に領有権問題があるとは認めない立場から、棚上げに合 意した事実はなかったが、中国に配慮して、その場で反論することもな く、巨額のODA(政府開発援助)を中国に与え始めた。

中国がいきなり新しい国内法をつくり、尖閣諸島も東シナ海も中国が領有 すると宣言したのはそれからわずか14年後だった。
 
今回の習発言は往時の?小平発言と重っている。彼らが決して尖閣諸島を 諦めないように、南シナ海も諦めることはないだろう。

中国の孤立
 
北京で米中戦略対話が行われる直前まで、両国はシンガポールで開催され たアジア安全保障会議で火花を散らしていた。6月3日から5日まで続いた 同会議には約30の国々の国防大臣や専門家が集った。

中国の譲歩が考えにくい中、最大の焦点は、南シナ海における中国の侵略 的行動をアメリカがどこまで抑止できるか、だった。
 
米国防長官のアシュトン・カーター氏は4日の基調講演で南シナ海の航行 や飛行の自由の重要性を強調し、国際法に基づいた領土主権の原則を、各 国が守り続けることを要請した。

氏は「原則」という言葉を36回も繰り返し、南シナ海の軍事拠点化を進め
る中国の行動を「孤立を深める万里の長城」だと批判した。
 
カーター氏は、西太平洋及びインド洋の安全と秩序の維持は、2国間、3国 間の協力でなされるとして、日米韓、日米豪、日米印の軍事協力について 具体的に語り、さらに米国がベトナム、フィリピン、シンガポールとの2 国間協力に積極的に取り組んでいることを詳細に説明した。タイもインド ネシアもラオスさえもアメリカに協力していると語り、中国の孤立を浮き 立たせた。
 
南シナ海での中国の侵略的行為に関して、フィリピンがオランダ・ハーグ の常設仲裁裁判所に提訴した件で、カーター氏は近々示される判断を中国 が受け入れ、「当該地域諸国と共に、外交機能を強化し、緊張を鎮め、原 則重視の将来を築く機会とすべきだ」と説いた。
 
カーター演説への中国側の反応は驚く程感情的だった。中国代表団を率い る人民解放軍副参謀長の孫建国氏は演説直後に会場を後にし、洗練とは程 遠い太い地声でメディアに語った。

「中国は孤立などしていない。カーター長官の発言は間違っている」
 
翌日演説した孫氏は「我々は問題を起こさないが、問題を恐れることもな い」と予想通りの強硬発言を繰り返した。

「中国は結果責任を負わない。主権と安全保障に関する侵害も許さない。 南シナ海における無責任な国々の行動についても無関心ではあり得ない」 と、穏やかならざる発言だった。
 
アジア安全保障会議での中国の発言は、ここ3年程顕著に強硬さを増して いる。安倍晋三首相が基調講演を行い、国際社会の公共財としての開かれ た海、航行の自由、問題の平和的解決と国際法の順守を説いたのが14年 だったが、この時、日本の首相の思いがけない正論に、会場に詰めかけた 専門家らが総立ちで拍手する場面が続いた。
 
日本の名誉は中国の怒りを誘う。中国代表は用意した演説メモを横に置い て安倍首相を口汚く批判した。南シナ海は2000年前から中国領だと豪語し て失笑も買った。
 
なぜこの時中国側は怒りの感情に搦めとられたのか。

危機に対応できる国

当時彼らは南シナ海の埋め立てを急ピッチで進めており、そうした後ろめ たさを隠すための発言だったと考えられる。
 
15年にはシンガポールのリー・シェンロン首相が基調講演で、南シナ海問 題の解決は(アメリカや日本などの関与を許さずに)当事国の話し合いで 解決すべきだと、中国の主張に沿う形で訴えた。中国の圧力があったと考 えて間違いないだろう。
 
そして今年の強硬発言である。孫氏は演説で、フィリピンの提訴及び仲裁 裁判所の判断は「受け入れない。従わない。中国の南シナ海政策は不変で ある」とこれまでの主張を繰り返した。
 
中国共産党機関紙の海外版「環球時報」は、孫氏の発言を南シナ海に関す る挑発への中国の明確な回答であるとして、高く評価した。挑発に対して 中国は経済的にも軍事的にも防衛する力があり、その準備も整っていると 自信を示した。
 
中国の強硬発言に対して、中谷防衛大臣は、中国が国連海洋法に基づく仲 裁裁判所の判断を受け入れない場合、「日本も声を上げなければならな い」と語り、ベトナムの国防次官、グエン・チー・ビン氏は中国の姿勢は 「戦争に発展しかねない」と警告した。
 
シンガポールの会議は険悪な空気に満ちていたのだ。それに対して習主席 は「敏感な問題の適切な管理」と、その間の「実務的、建設的な対立解 消」を提案したが、問題はオバマ政権があと半年で終わり、次期大統領が 誰になるか、アメリカの外交、安全保障政策が読みにくい中、時間はアメ リカやアジア諸国の、必ずしも、味方ではないかもしれないことだ。
 
アメリカには日本もNATO諸国も十分な防衛努力をしていないとの不満 が強い。そうした不満がアメリカをさらに内向き志向に追いやる危険性も ある。

その時、日本もアジアもどのように中国の脅威に立ち向かうのか。
 
明確に問われているのは、日本が危機に対応できる国になるか否か、その 決意を持てるか否かである。それによって日米関係が決まり、その先に日 中関係が形成される。
 
中国の膨張とアメリカの展開の不透明さの中で、私たちは日本の国防の根 幹を見直さなければならない。

『週刊新潮』 2016年6月16日号 日本ルネッサンス 第708回

                (採録:松本市  久保田 康文)
                           (再掲)

   

◆間違った国語で綴られた憲法

石原 慎太郎



私が戦時中通っていた旧制の湘南中学は海軍兵学校への合格者が日本一 の名門校だった。私もまた海兵に進むつもりでいたが一年生の時に敢えな く敗戦となった。その意味で私は遅れてきた少年ともいえた。下校の途中 首都を襲った帰りの艦載機に子供と知りながら麦畑の中で兎か狐を狩るよ うに追い回され射撃もされたものだった。

それなりに敗戦なるものの屈辱をいろいろ味わわされもした。傍 聴に いった市谷での戦犯裁判での二階の席に上がる途中の階段の踊り場で い きなりアメリカの憲兵にはいている下駄の足音がうるさいと突きとばさ れ、仕方なしに濡れた階段を裸足で上がりもした。

敗戦の翌年の夏前に町の商店街で酒を飲みアイスキャンディーをしゃぶ りながら闊歩してくる若いアメリカ人が小癪でわざとその真横を真っ直ぐ に歩いて行ったら、いきなり手にしていたアイスキャンディーで顔を殴ら れたりもした。

それがやがて学校に伝わり教師たちに呼び出され、そんなことをしたら 学校に迷惑がかかるとひどく叱責された。

 そうした屈辱は戦にやぶれた者として我慢は出来ても、その相手が恫喝 しながら押しつけた現憲法なるものには、日本語を愛しそれをたつきの元 にしている物書きの一人として、かつて被った肉体的な屈辱以上に我慢が ならない。
かつて文壇を通じて知り合った吉田茂総理の側近中の側近だった白洲次郎 氏が謗っていたように氏も同行したサンフランシスコでの講和会議で吉田 は何故占領憲法の返却を明言しなかったのだろうか。

 安倍晋三総理は次の参議院選挙でも憲法の改正を悲願としてかかげてい るが、日本人の卓抜な感性とそれを踏まえた我々の文化と文明の絶対値の 高さを誇りとするなら、誰しもが今もう一度『平和憲法』なるものを読み 直してみたらいい。あの日本語として醜悪な前文なるものには文章の要と もなる助詞の誤りが数多くあるのに気づくだろう。

私は議員としての最後の予算委員会での質問で、憲法の総合理念なるも のを導き出す前文の中の一行『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し て』を引用してこの『信義に』の『に』なる助詞はどう見てもおかしい、 人が誰かに金を貸す時『君に信頼して』と言いはしまい。あくまで『君 を』信頼してだろう。蟻の一穴というがせめてこの『に』の一字だけでも まず変える訳にはいくまいかと質したものだった、総理は首を傾げ『それ は忍の一字ですな』とうまくかわしたものだったが。

産経ニュース【石原慎太郎 日本よ】

2016年06月21日

◆木津川だより 壬申の乱(4)

白井 繁夫



「壬申の乱の戦」は672年7月に入ると、近江朝廷の大友皇子軍と、不破の大海人軍の両軍が正面からの全面戦争に突入、近江路において雌雄を決する死闘が始まりました。

近江朝の近江路方面軍は、不破(関ヶ原)への進軍途上、近江の豪族、羽田氏や秦氏を味方の軍に取り込みましたが、関ヶ原と彦根市の中間地域を支配している息長氏(オキナガ)の旗幟が不明のため、息長氏の支配地の手前の犬上川畔まで進み陣を構えました。

7月2日に大友皇子の近江路方面軍の山部王将軍は、心ならずも総司令官的立場に担ぎ挙げられましが、大海人皇子に帰参を願っていることが発覚して、将蘇我臣果安.将巨勢臣比等に殺害されました。

この事件は近江朝軍にとって、大きな動揺と内部混乱の起因となりました。

近江朝軍の指揮官の人材不足?による軍の乱れ、(蘇我果安将軍は大津へ帰り、自責の念に駆られてか?自殺する。近江の豪族羽田矢国と子の大人(フシ)一族が息長氏の支配地を通り大海人軍に帰参)の結果、中立的立場だった息長氏を始めとする近江の豪族は、大海人側に加担するようになるのです。

(息長氏が中立を保ち旗幟を鮮明にしなかったので、大海人皇子は彼の本拠地近くの不破に野上行宮を置いていたのです。)

7月5日大津を出発した田辺小隅(オスミ)の少数精鋭の別動隊が、倉歴道から鈴鹿道を抜けて裏面から不破の挟撃を目指し、大海人軍の田中足麻呂が守る倉歴(くらふ:柘植町)を夜襲し守備隊を破りました。

翌日の深夜、莿萩野(たらの:旧上野市)の多品治将軍が守る陣に夜襲をかけますが、今度は田辺小隅軍が敗れて敗走しました。(この勇猛な作戦は非常に良い策でしたが、少数兵では大海人軍に勝てず敗れ去ったのです。)

大海人軍には琵琶湖の東岸の羽田氏、息長氏、北岸の坂田氏などの豪族が加わり、大海人皇子は羽田矢国を、北近江.越方面別動軍の将軍に起用して、北陸方面の要衝(愛発:あらち:高島市.旧マキノ町)の守りに就かせました。(かつて、大友軍の精鋭が夜襲をかけた「玉倉部邑:たまくらべむら」を防げたのも、息長氏の地盤近くで起きたから大海人軍の出雲狛が援助を受けて?防戦できた。とも云われています。)

大海人軍の村国男依が率いる近江路進攻軍(本隊)は7日に出撃し、大友軍の主力部隊と
息長の横河(米原市醒井付近)で主力軍同士が激突し、朝廷軍が敗れ去り、将軍境部連薬は捕えられ斬殺されました。

大海人軍は追撃して、9日に鳥籠山(とこやま:彦根市大堀町)の将軍秦友足率いる大友軍も破ります。(鳥籠山は息長氏と羽田氏の本拠地の中間、両戦闘で大海人軍は琵琶湖の東岸「東山道」を完全に制圧できました。)

大海人軍は更に南下して進軍し、13日には近江最大の川「安河畔」(守山市:野洲川畔)
に達して、2度目の主力戦を大友軍の将軍社戸臣大口(コソベノオミオオグチ)と戦い、撃破して彼を捕虜にしました。

17日には栗太(くるもと:栗東市)の大友軍の陣営も破り、瀬田川の東岸にある官衙まで、あと少しの処まで迫りました。

ここからは近江朝廷本営の主力軍との真剣勝負になるため、進軍を停止して、大海人軍は斥候を出し、大友皇子の正規軍の陣容.伏兵の有無などの状況と朝廷軍の情報収集を開始し主力戦に備へました。

その上で、672年7月22日は、村国男依将軍が率いる大海人軍の各諸将が、大友軍の総力を挙げた起死回生の決戦に挑むのです。

◆大海人軍の斥候の報告:
『大友軍は瀬田橋の西側に整然と布陣しているが伏兵は見受けられない。しかし、驚くことがある。それは大友皇子御本人が御出座されており、左大臣蘇我臣赤兄(ソガオミアカエ)、右大臣中臣連金(ナカトミノムラジカネ)の左右大臣も布陣する、朝廷の最高位の人々が前線に出るなど』と、想定外の出来事でした。

(後世でも家康との最後の決戦となる大坂夏の陣で、外堀も内堀も埋められ、まる裸となった大阪城での戦いを鼓舞するため、真田幸村ら諸将が豊臣秀頼の御出陣を依頼したが叶わなかったことは、ご承知ですね。)

朝廷軍は大津宮防衛のため、瀬田橋を大海人軍には絶対に渡らせない強い決意でした。

むしろ大海人軍の各諸将は前回記述した如く、近江朝の高官とも面識がなく、まして大友皇子の御出座も意に介せず、特大の獲物を狙う獣狼の様な地方の豪族達でした。

大海人軍の各部隊の兵は競って橋を突破しようとしますが、橋を目がけて雨霰の如く矢が降り注ぐ集中攻撃を受け、前進を阻まれました。それをも突破して半ばまで進むと、次は仕掛けが有り、兵は川に落ち流され溺れ死させられました。

(大友軍の将「智尊:チソン:渡来人の知恵者」が橋の中程に長板を置き、綱を引くと板が外れる仕掛けをしていたのです。)

この時大海人軍の兵士に動揺が起きました。前進する士気が薄れそうになったとき、大津皇子の舎人:大分君稚臣(オオキダノキミワカミ)は矢が射込まれても耐えられるように挂甲を重ね着して、踊り出、雄叫びをあげながら抜刀して橋上を疾駆すると、無数の矢が突き刺さりました。が、彼は怯まず橋を駆け抜けました。

西側に整列して矢を射ていた大友軍の兵は、眼前に獣の様な形相の稚臣を見て恐怖に駆られ逃げる余裕もなく斬られて逝きました。男依はこの機を捉へ、全軍に総攻撃を命じ、橋の西側へ攻め込みました。

智尊は必死で奮戦しますが、捕らえられ、男依に知略と武勇は称えながらも、定めにより斬殺されました。(大友皇子の本陣が静かに退くのが、遠望された、と云われています。)

同日、琵琶湖北岸の大海人軍の別動隊(羽田矢国.大人父子と出雲狛)は、西岸道を守る三尾城(みおき:滋賀県高島町)を攻撃して、落城させました。また、大和飛鳥から上ツ道、中ツ道、下ツ道の三道を北上した紀臣の大海人軍は、淀川の山前(京都府大山崎町)に到着して布陣を完了しました。

翌日(23日)瀬田の戦で大勝利した村国男依の大海人軍は、橋を渡り粟津岡(大津市膳所)に全軍集結しました。

一方、敗走した大友軍は左右大臣等の姿はなく、大友皇子はわずかの供を従えるだけとなり、全ての退路は大海人軍に断たれてしまったのです。

大友皇子は最後まで付き添った舎人(物部連麻呂)を大海人軍に遣わしました。村国男依将軍は大友皇子の名誉ある死のため、全軍に攻撃を一時中止させました。

物部麻呂が大海人軍の前に再び現れ、皇子の最後の様子を涙ながら報告し、皇子の首を差し出しましたが、流石に誰も正視する者がいなかったと云われています。

壬申の乱後、大海人皇子の裁きです。重罪は8名で、特に大友皇子の帷幕(いばく)として作戦を立案し、実権を握っていた中臣金は極刑、大友皇子擁立の盟約を結んだ者も処罰して政権から排除しました。その他の人々は寛刑で済ませました。

大海人皇子は、天武2年(673)正月、飛鳥淨御原宮で即位し、天武天皇となり、大臣を置かず皇族や皇親を中心とする皇親政治を採り、律令体制の国家を目指しました。

天武天皇は現体制の有能な官僚を温存して活用し、新国家建設を計り、新しい藤原京の建設を立案するのです。

大規模な造営計画の藤原京の京域は約25平方キロ(平城京:約24平方キロ)あり唐風の都城:礎石建築で瓦を葺いた建物、史上初の条坊制を布いた本格的な都城:を目指すのです。(造営プランは天武13年3月に決定されました。)

この皇位継承をめぐる大戦は、天武天皇妃の鸕野皇女(後の持統天皇)にとっては、我が子草壁皇子へつなぐ天武系統体制を確立する戦いであり、大友皇子擁立の盟約者を完全に排除出来ればそれでよかったのです。

大和.飛鳥の玄関港:泉津(木津の港)へは藤原京造営用の大量の檜材が、近江の田上山(たなかみやま:大津市大神山の峰々)から瀬田川→宇治川→「木津川」へと筏に組んで運ばれ、石材や瓦などの重量物も瀬戸内→淀川→「木津川」と水運を利用して運ばれました。

「木津から大和.飛鳥へ上ツ道、中ツ道、下ツ道の3道を利用するルート」があり、泉津は藤原京から平城京へと繁栄が続いて行くのです。(完)

参考資料:壬申の乱    中央公論社      遠山美都男著
     戦争の日本史2  壬申の乱  吉川弘文館  倉本一宏著
     木津町史    本文篇      木津町 

2016年06月20日

◆中共のシナ海侵略撃滅へ

平井 修一



日本戦略研究フォーラム政策提言委員・元空自航空教育集団司令官・小野 田治氏の論考「米国の相殺戦略、日本の相殺戦略」6/10から。(小見出し は平井がつけた)

<我が国自身の防衛に関する政策は、中国経済及び軍事力の強大化や日本 海周辺での強圧的行動の顕在化、北朝鮮の核兵器、弾道ミサイル開発進展 を前にして、2013年12月になってようやく、安全保障戦略が初めて策定さ れた。

2014年4月には武器輸出3原則が改められ他国との共同開発や武器輸出に道 が開かれた、7月には集団的自衛権の限定的行使容認を含む平和安全保障 法制の策定について閣議決定がなされた。

そして昨年、一連の平和安全法制が成立するとともに、日米防衛協力のた めのガイドラインが抜本的に改定され、本年3月、平和安全法制が施行さ れるに至った。

安倍政権による一連の安全保障政策は、我が国の弱点を克服し競争相手の 付け入る隙を小さくする重要な相殺戦略である。

一方、安倍政権がどんなに頑張っても日中の経済力、軍事力の格差は益々 拡大し、北朝鮮が核兵器の小型化を実現し、より遠方に投射する能力を手 にするのは時間の問題となりつつある。プーチンのロシアは、拡大する NATOに対して軍事的に対抗する姿勢を明らかにしており、軍事力、特に核 戦力の近代化に力を入れている。

また米国にとって、混沌の中にある中東から手を引くことは更なる混沌を 招くことになりかねず、当面は軍事的関与を続けざるを得ないだろう。

こうした状況下で同盟国である米国の圧倒的な政治力、経済力が今後も発 揮されるだろうと楽観視することはできない。ロシア、中国、北朝鮮の強 圧的行動を抑止するため、我が国は同盟国などと連携して地域のパワー・ バランスを再調整することが必要である。

この際に重要なことは、我が国がロシア、中国、北朝鮮といった競争相手 の強圧的な行動に対して、軍事力を例外化することなく軍事的な手段を含 めた総合的な方策で対処していくのだという認識を新たにすることである。

現下の競争相手の軍事的な優位性は、核攻撃能力とA2/AD(接近阻止・領 域拒否)能力である。米国と日本の違いは、ロシア及び中国の核兵器の脅 威を除けば米国本土は聖域であるが、我が国は全域が脅威下に置かれてい ることである。

*第1に必要なこと:攻撃に耐える強靭性

我が国がA2/ADを克服するために第1に必要なことは、ミサイル攻撃の脅 威からインフラや装備等の保全を図ることである。飛来する航空機やミサ イルを迎撃する能力を高めることは重要だが、弾道ミサイル防衛能力を支 えるイージス艦とペトリオットのみでは量的に飽和的な攻撃に対処できない。

多数のミサイルや航空機などによる集中的、波状的攻撃から被害を局限す る方策を取る必要がある、装備等を分散すること、代替の運用拠点を確保 すること、分散、機動が困難なインフラには十分な防護措置を講ずるこ と、分散した状態から迅速に戦力を発揮する体制を整えることなど、強靭 な態勢を築くことが必要である。

米国が相殺戦略(敵の能力を殺ぐ)の一環として開発中のエネルギー指向 兵器や、革新的な電子妨害用の装備などの装備化が待たれるところだが、 その前に重要機能の分散防護などを考える必要がある。

日米防衛協力のガイドラインでは自衛隊と米軍基地の相互利用が挙げられ ている。わが国にはそれ以外に100を越える港湾と約70に及ぶ空港があ り、これらを分散、機動、代替運用施設として活用できるよう、必要な法 制やインフラを整備することが必要である。

この他にも発電所、燃料貯蔵施設や弾薬保管施設、装備品等の製造施設な どのインフラの保全も不可欠である。我が国政府は災害に強い国づくりを 標榜しているが、その施策に併せて処置できる事項も多いと考えられる。

障害となるのは、いわゆる縦割り行政、各省庁の所管の壁である。我が国 は東日本大震災という未曽有の災害から迅速に復興を図るために省庁横断 的な観点から全体を管理する復興庁を設立した。

安全保障の観点からはNSC(安保会議)が省庁の壁を越えて総合的な観点 から方策を検討することが望まれる。台湾では戦闘機が離発着できるよう に高速道路が整備されている。

*第2に必要なこと:日米協力のイノベーション

第2には、米国のDII(国防イノベーション・イニシアティブ)の取り組み に我が国の科学技術力を活用することができないかという点である。

とはいえ、米国の2017年度国防総省研究開発予算案は約700億ドル、1ドル 110円のレートで7兆7千億円であるのに対して、我が国防衛省の2016年度 研究開発費は約1200億円に過ぎない。単純比較で64倍、米の研究開発予算 だけで我が国防衛費全体の2倍近い。

安全保障関係の研究開発投資には格段の差があるが、日本の強みは民間の 技術力である。この際に科学技術は国に富をもたらす重要な手段であるこ とから、日米双方にとってWIN−WINとなるような方策が必要である。

一方的な技術流出、富の流出にならぬよう、新たな防衛装備3原則の下 で、政府も関与して日米企業によるジョイント・ベンチャーを構築してい くことが有望である。

日米が現在行っている弾道ミサイル防衛用のミサイルの共同開発は、防衛 省の下で民間企業の力も活用して行われているが、さらに広範な分野で、 日本の競争力向上を狙いつつ、産官学の力を結集する必要がある。

最近話題になっている豪州の潜水艦調達に際して、日米豪が協力できる体 制ができれば画期的なブレイク・スルーになると期待されたが、残念なが ら仏企業が選定された。欧米や豪州の報道では、日本が負けた要因の一つ として海外軍事市場における日本の経験不足を指摘する声が多く見られた。

日本政府による産業競争力の強化に関する実行計画(2015年版)には、 「産学官の垣根を越えた人材結集・循環の場(イノベーションハブ)の形 成に向けた取組を推進する。また、世界最先端の産学官集積地を生み出し ていく」と、イノベーション推進の取り組みについて述べられている。

重点分野として、ロボット分野、ビッグ・データ活用などのIT分野、宇 宙インフラとその活用、サイバー・セキュリティなどに言及されており、 いずれの分野も米国防総省のイノベーション重点分野と重なっている。

また、日米防衛協力のためのガイドラインには、日米間の防衛技術・装備 協力として、装備品の共同研究、開発、生産、試験評価並びに共通装備品 の構成品及び役務の相互提供において協力すること、効率的な取得、相互 運用性及び防衛装備・技術協力を強化するための互恵的な防衛調達を促進 することなどが述べられている。

米国では国防総省がイノベーションに果たす役割が巨大だが、日本でも防 衛分野については新編された防衛装備庁が中心となることが期待される。

*第3に必要なこと:同盟友好国との協力

第3に必要なことは、前述の教訓でも述べたが、日米及びパートナー国を 交えた共同のウォーゲームやシミュレーションを通じて相互の認識を深 め、作戦運用、装備・技術に関する画期的なアイデアを生む協力態勢を構 築することである。

特にアジア地域は、競争相手の中国を正面とし、米国から見れば地球の裏 側に近い。米軍の戦略や運用構想には「Tyranny of distance(距離の暴 政)」という言葉がよく登場する。

遠距離を克服して迅速な攻撃を可能にすることが米軍の大きな課題の一つ であり、アジア地域を舞台に様々なシナリオを検討し、共同対処を研究し ていくことは双方にとって必要不可欠である。

イノベーションを起こすためには、米軍と自衛隊のみのゲームでは不十分 である。政府全体、産学、NGOなどを含めたものに拡大していくことが必 要だと思う。また、「憲法9条の枠は越えてはならない」というような前 提を設けていては革新的なアイデアは生まれないことも付言しておきたい。

*第4に必要なこと:敵地攻撃能力の整備

第4には、専守防衛という基本政策の解釈を拡大し、敵地攻撃能力の整備 を検討することが必要である。米国は脅威圏外からA2/ADを突破する戦略 を取り得るが、我が国が取り得る選択肢は、脅威の戦力投射を迎撃し、戦 力の保全を図り、脅威に対して反撃を加えて敵戦力の減殺を図ることである。

しかしながら、我が国は憲法上の制約として、敵地攻撃は真に我が国の存 亡がかかり他に手段がない場合にのみ許されるとしており、懲罰的な手段 としての攻撃力保有は実質的に放棄して米軍に依存している。

北朝鮮のミサイル攻撃能力が現実的な脅威となり、中国の短中距離ミサイ ル攻撃能力が精密化を増す中で、非常に高価な弾道ミサイル防衛という拒 否的な手段のみを自らの役割とする戦略で我が国の防衛は万全だと言える のだろうか。

競争相手が、経済力及び軍事力で米国を猛烈に追い上げ、国際法を無視し て一方的な行動をとり、狡猾に駆け引きを演じて米国の行動を抑制し、軍 事的にはA2/ADによって拒否能力を増していることを踏まえれば、一朝事 ある際に頼みの米軍が直ちには機能しないかもしれないことを考慮に入れ ておく必要がある。

米国と協力しつつも独自性の高い懲罰的な手段を我が国も追求することが 必要だと考える。それはロシア、中国のA2/ADを突破し得るミサイル攻撃 能力であり、それを可能にするISR(諜報、監視、偵察)能力や指揮統制 能力である。

防衛省がこれまでに開発した対地及び対艦ミサイルの最大射程は 100〜200km程度であるが、これを1000kmの単位に改良する必要がある。

敵の防空網を突破するためには、低空を巡航する、或いは超音速で飛翔す る運搬手段が必要である。

高度なネットワーク能力を持つステルス機であるF-35の活用も選択肢の一 つだが、40機程度の機数では不十分であるし、増強にするにしても莫大な 予算が必要である。

この点、ミサイルは航空機のように繰り返しの使用は困難だが、攻撃手段 としては相対的に安価である。北朝鮮が核搭載の長距離ミサイルにこだわ るのは、米国に対する拒否的な手段の整備が技術的にも予算的にも不可能 であり、米本土に届く核ミサイルが最も費用対効果が高いと考えているか らである。

中国のA2/AD能力開発も同様であり、これまでミサイル開発を優先してき た理由もこの点にあると考えられる。

我が国は、現在の弾道ミサイル防衛の整備を継続しつつも、攻撃手段とな る中距離ミサイル開発に予算を投じて戦略的な見地からバランスの取れた 抑止力を強化して競争相手の優位を相殺することが必要であると考える。

*終わりに

2012年、オバマ大統領は米国の製造業に革新をもたらし、世界をリードす る競争力を実現することを目的とする産官学のネットワークを作ることを 発表した。2014年には分野別に設立した産官学コンソーシアムに国家予算 を支出することを認める法律を制定した。2016年4月1日現在で、既に8つ のコンソーシアムが立ち上げられている。

これらのコンソーシアムは国家予算、参加企業や機関等からの出資、その 他の民間からの投資によって運営され、司令塔となる企業や大学を中心に ネットワーク化されている。コンソーシアム編成には国防総省が主導的な 役割を担っている。

さらに、こうした動きの他に、カーター国防長官はシリコン・バレーに 「試験的国防イノベーション・ユニット(DIUx)」と称する事務所を設 置して産官の協力態勢を強化しようとしている。

米国の強さは、DIIのように国を挙げた取り組みを構想し企画実行してい くこと、組織や専門分野の垣根を越えてネットワークを形成して革新を生 みだす柔軟性にある。

我が国も各省庁が産官学連携に取り組んでいるが、米国との決定的な違い は安全保障分野に関する認識と投資努力が希薄なことである。米政府の研 究開発予算の約50%は国防総省が管理しているが、日本の防衛省の研究開 発予算は政府全体の科学技術予算の4%程度に過ぎない。

米国は国防用と民生用が一体的に考えられているのに対して、日本では国 防用を考えているのは防衛省と防衛産業のみである。この結果、日本が得 意な分野は、ITや通信ネットワークのように民生用として発展したものを 国防用としても適用する両用技術か、レーダーや航空機システム、ミサイ ル、誘導技術のように米国からのライセンス契約で得た技術を発展させた ものとなっている。

F-35やグローバル・ホーク(ドローン)などのように、米国の革新的装備 の導入によって米国への依存が増していく今日の状況では、いずれ我が国 の防衛生産・技術基盤が危殆に瀕することは明らかである。そうなれば中 国やロシアとの格差が益々拡大することになり、それは我が国周辺地域に 力の空白が生じることを意味する。

外国の装備を導入しつつも、我が国独自の研究開発、国際共同開発、ジョ イント・ベンチャーなどについて国を挙げて推進していくことが必要であ る。特に米国だけでなく、英、仏などとの共同開発を模索することは重要 であり、実戦経験に富むイスラエルとの協力なども考慮に値すると考える。

先般の平和安全法制に関する国会での議論や報道を見聞すると、「戦争法 案」「徴兵制復活」「憲法違反」という本質を外れた言葉が飛び交い、世 界や地域の安全保障環境や我が国が果たすべき役割などに関する議論は盛 り上がらない。

我が国の経済、国民の暮らしが海上交通路に大きく依存していることなど まるで忘れ去られているようにすら見える。

我が国を取り巻くこれまでの安全保障環境は、米国の圧倒的なパワーを中 心に、同盟と言いながら我が国の役割は内向きで大きな問題はなかった。 しかしながら北朝鮮が益々挑発的な行動をとり、中国がパワー・アップし て強圧的な行動を躊躇しない今日、日本は政治・外交・安全保障・技術な ど様々な面で自律的、戦略的なアプローチを推進すべきである。

その中で日本の競争力向上という観点からも、米国のDII、或いは第3次相 殺戦略の今後の方向を注視し、協力を模索していく必要があるものと考える。

我が国の相殺戦略とは、米国やパートナー国との協力を通じて防衛装備・ 技術を一層の強みとしていくこと、競争相手に高いコストを強要するよう な運用構想を開発していくこと、その際に周辺諸国を侵略したという過去 の歴史に由来するタブーを克服し、自らの弱点を改善していくことが不可 欠である>(以上)

欧米に負けたから「侵略した」とレッテルを貼られたが、その「侵略」の ために世界中の植民地が解放されたのは史実である。日本の侵略=世界の 解放とは、これいかに。日本がバルチック艦隊を屠ると世界中の有色人種 が欣喜雀躍し、白人追放、独立へ動き始めた。

こういう教育を自衛隊はしていないのだろう。GHQ流自虐史観、小4、中2 のアホの群が多すぎる・・・閑話休題。

中共の暴走は「♪もうどうにも止まらない」。衝突は避けられないが、モ ラルが低いし(2014リムパックの打ち上げ宴会では中共将兵が押し寄せて 食い散らかし、各国の将兵の度肝を抜いたとか。人民のモラルが低いから 兵士も同じということ)、将兵は金儲けのためには頑張るが、国のために 命を捧げるなんてするはずないから、中共軍は連敗するだろう。

中共軍は相手が無防備だととても強い、情け容赦ない。六四天安門を見 よ。好んで殺す。

中共軍が連敗する→人民は怒る→デモ・騒乱→武装警察による鎮圧→戒厳令→ 中共中央への非難が高まる→国家分裂ということになるかもしれない。

第二次大東亜解放戦争で中華人民共和国は消滅し、14億の人民は解放され るのだが、難民ツナミ・・・いかにせん、悩ましい。(2016/6/18)


◆中国が展開する騙しの常套手段

櫻井よしこ



6月6日、北京で米中戦略・経済対話が開かれた。両国の主要閣僚が勢揃い して、およそあらゆる問題を話し合うこの会議は2009年以降定例化したも のだ。開幕式での演説で習近平国家主席が強調したのは、中国の大国意識 を表わす「新型大国関係」だった。
 
米中が互いの「核心的利益」を認め合い、干渉し合わないことで衝突を避 け「ウィンウィンの関係」を築こうというもので、中国側はここ数年の米 中対話で必ずこの原則を持ち出してきた。習氏は今回も同じ主張を繰り返 し、こう述べた。

「敏感な問題を適切に管理し、実務的、建設的に対立を乗りこえるべきだ」
 
南シナ海に限らず、問題を起こすのは常に中国だ。自らの狙いを定め、時 間稼ぎをしながら目的を達成しようとする。
 
これは中国の常套手段であり、日本は尖閣問題で同手法による目眩ましを 食らった。

1978年、来日した?小平は尖閣問題を現役世代の自分たちが解決できない のであれば、後の世代の平和的な話し合いに任せればよい、と提案した。 !)小平は記者会見で、尖閣問題は日中両国で棚上げしたと発言した。

日本側は尖閣諸島に領有権問題があるとは認めない立場から、棚上げに合 意した事実はなかったが、中国に配慮して、その場で反論することもな く、巨額のODA(政府開発援助)を中国に与え始めた。

中国がいきなり新しい国内法をつくり、尖閣諸島も東シナ海も中国が領有 すると宣言したのはそれからわずか14年後だった。
 
今回の習発言は往時の?小平発言と重っている。彼らが決して尖閣諸島を 諦めないように、南シナ海も諦めることはないだろう。

中国の孤立
 
北京で米中戦略対話が行われる直前まで、両国はシンガポールで開催され たアジア安全保障会議で火花を散らしていた。6月3日から5日まで続いた 同会議には約30の国々の国防大臣や専門家が集った。

中国の譲歩が考えにくい中、最大の焦点は、南シナ海における中国の侵略 的行動をアメリカがどこまで抑止できるか、だった。
 
米国防長官のアシュトン・カーター氏は4日の基調講演で南シナ海の航行 や飛行の自由の重要性を強調し、国際法に基づいた領土主権の原則を、各 国が守り続けることを要請した。

氏は「原則」という言葉を36回も繰り返し、南シナ海の軍事拠点化を進め
る中国の行動を「孤立を深める万里の長城」だと批判した。
 
カーター氏は、西太平洋及びインド洋の安全と秩序の維持は、2国間、3国 間の協力でなされるとして、日米韓、日米豪、日米印の軍事協力について 具体的に語り、さらに米国がベトナム、フィリピン、シンガポールとの2 国間協力に積極的に取り組んでいることを詳細に説明した。タイもインド ネシアもラオスさえもアメリカに協力していると語り、中国の孤立を浮き 立たせた。
 
南シナ海での中国の侵略的行為に関して、フィリピンがオランダ・ハーグ の常設仲裁裁判所に提訴した件で、カーター氏は近々示される判断を中国 が受け入れ、「当該地域諸国と共に、外交機能を強化し、緊張を鎮め、原 則重視の将来を築く機会とすべきだ」と説いた。
 
カーター演説への中国側の反応は驚く程感情的だった。中国代表団を率い る人民解放軍副参謀長の孫建国氏は演説直後に会場を後にし、洗練とは程 遠い太い地声でメディアに語った。

「中国は孤立などしていない。カーター長官の発言は間違っている」
 
翌日演説した孫氏は「我々は問題を起こさないが、問題を恐れることもな い」と予想通りの強硬発言を繰り返した。

「中国は結果責任を負わない。主権と安全保障に関する侵害も許さない。 南シナ海における無責任な国々の行動についても無関心ではあり得ない」 と、穏やかならざる発言だった。
 
アジア安全保障会議での中国の発言は、ここ3年程顕著に強硬さを増して いる。安倍晋三首相が基調講演を行い、国際社会の公共財としての開かれ た海、航行の自由、問題の平和的解決と国際法の順守を説いたのが14年 だったが、この時、日本の首相の思いがけない正論に、会場に詰めかけた 専門家らが総立ちで拍手する場面が続いた。
 
日本の名誉は中国の怒りを誘う。中国代表は用意した演説メモを横に置い て安倍首相を口汚く批判した。南シナ海は2000年前から中国領だと豪語し て失笑も買った。
 
なぜこの時中国側は怒りの感情に搦めとられたのか。

危機に対応できる国

当時彼らは南シナ海の埋め立てを急ピッチで進めており、そうした後ろめ たさを隠すための発言だったと考えられる。
 
15年にはシンガポールのリー・シェンロン首相が基調講演で、南シナ海問 題の解決は(アメリカや日本などの関与を許さずに)当事国の話し合いで 解決すべきだと、中国の主張に沿う形で訴えた。中国の圧力があったと考 えて間違いないだろう。
 
そして今年の強硬発言である。孫氏は演説で、フィリピンの提訴及び仲裁 裁判所の判断は「受け入れない。従わない。中国の南シナ海政策は不変で ある」とこれまでの主張を繰り返した。
 
中国共産党機関紙の海外版「環球時報」は、孫氏の発言を南シナ海に関す る挑発への中国の明確な回答であるとして、高く評価した。挑発に対して 中国は経済的にも軍事的にも防衛する力があり、その準備も整っていると 自信を示した。
 
中国の強硬発言に対して、中谷防衛大臣は、中国が国連海洋法に基づく仲 裁裁判所の判断を受け入れない場合、「日本も声を上げなければならな い」と語り、ベトナムの国防次官、グエン・チー・ビン氏は中国の姿勢は 「戦争に発展しかねない」と警告した。
 
シンガポールの会議は険悪な空気に満ちていたのだ。それに対して習主席 は「敏感な問題の適切な管理」と、その間の「実務的、建設的な対立解 消」を提案したが、問題はオバマ政権があと半年で終わり、次期大統領が 誰になるか、アメリカの外交、安全保障政策が読みにくい中、時間はアメ リカやアジア諸国の、必ずしも、味方ではないかもしれないことだ。
 
アメリカには日本もNATO諸国も十分な防衛努力をしていないとの不満 が強い。そうした不満がアメリカをさらに内向き志向に追いやる危険性も ある。

その時、日本もアジアもどのように中国の脅威に立ち向かうのか。
 
明確に問われているのは、日本が危機に対応できる国になるか否か、その 決意を持てるか否かである。それによって日米関係が決まり、その先に日 中関係が形成される。
 
中国の膨張とアメリカの展開の不透明さの中で、私たちは日本の国防の根 幹を見直さなければならない。

『週刊新潮』 2016年6月16日号 日本ルネッサンス 第708回

                (採録:松本市  久保田 康文)


◆木津川だより 壬申の乱(3)

白井 繁夫



壬申の乱の戦はこれまで河内.飛鳥方面の戦況を先行し、近江路方面は後述に分けました。

672年7月3日大海人軍の大伴吹負(フケイ)将軍は、「木津川」を越え攻め寄せて来る大友軍に対する布陣を、乃楽山(奈良山)に完了し、麾下の荒田尾赤間呂の奇策を倭古京(飛鳥の古い都)に採りました。大野果安(ハタヤス)将軍が率いる近江朝軍に備える作戦でした。

その翌日、果安軍の大軍が来襲し、簡単に布陣を突破され、怒涛の勢いで天香具山(天香久山:奈良県橿原市)の八口まで攻め込まれましたが、そこで吹負軍の奇策(大軍の存在を示す大量の楯等)を試みて戸惑わせました。そして目前までやすやすと占領で来た飛鳥京に、果安軍の全軍を一時後退させました。
「高市県主 許梅(コメ)の託宣(生霊神の言):果安長蛇を逸す。と」

大海人軍の吹負は命拾いしたのですが、逃げる途中に置始連兎(オキソメノムラジウサギ)の騎兵隊(先遣隊)と墨坂(宇陀市榛原)で合流して力を付け、金綱井(かなづなのい:橿原市今井町)に逆襲したのです。


一方、近江朝の壱岐韓国(カラクニ)将軍が率いる河内方面軍も河内衛我河で坂本財を破りますが、その時、国司来目塩籠の背反問題が発生して進軍できません。再度軍勢を立て直して飛鳥を目指しましたが、当麻の衢(ちまた)、葦池付近(奈良県葛城市当麻町)で、大伴吹負麾下の勇士来目(タケキヒトクメ)と置始騎兵隊の凄まじい突撃を受けたのです。

ところが、近江朝の大軍団の中の歩兵連隊の横腹を目指して、精鋭の騎馬隊が決死の覚悟で猛然と突撃した戦いで、さしもの韓国大軍も乱れ、兵は逃惑い、韓国軍の指揮命令系統が機能せず、総司令官(韓国)が、矢を受けて、必死で逃亡して行きました。

この7日の戦いで大海人軍は西方(大坂.河内方面)の脅威を無くしたのです。

当麻の戦いも4日の総攻撃日と同様、大友軍は河内方面軍と近江の倭古京方面軍の連携が機能していなかったと思われます。その間に大海人軍の大倭方面派遣軍の本隊(紀臣阿閉麻呂:キノオミアヘマロ:率いる数万の兵)が大伴吹負軍に参陣しました。

倭古京(飛鳥京)と乃楽(奈良)を結ぶ3本の南北道は東から上ツ道、中ツ道、下ツ道と称され東の上、中ツ道は木津へ奈良街道となって繋がり「木津川」の右岸を通り菟道(宇治)へ、西の下ツ道は木津の歌姫街道へと、「木津川左岸」を通って山陰道などに繋がります。

近江朝の将軍大野果安率いる倭古京方面軍は、大和の北(木津)を経て乃楽から上記3本(上.中.下ツ道)の道に部隊を分けて飛鳥を目指して攻めたのです。
これに対して、紀阿閉麻呂率いる大海人軍の本隊は、7月7日から8日にかけて続々と集まりだしたのです。同本隊の大伴吹負は、この大軍を3道に合わせて上中下陣に分けました。つまり、麾下の三輪高市麻呂は彼の地盤である上ツ道、吹負は中ツ道(自身の百済の家:橿原市百済)、援軍の精鋭部隊(主力部隊)は上ツ道に配置したのです。

ところが、戦闘は上ツ道と中ツ道ほぼ同時に起き、中ツ道の近江の将軍(犬養五十君イキミ)の別動隊(廬井鯨イホイノクジラが率いる精鋭部隊)が少数で守る吹負の陣営を襲い、またまた吹負は苦戦を強いられて仕舞い、必死に防戦しました。

上ツ道沿いの箸陵(はしはか:桜井市)での戦闘は三輪高市麻呂(大倭の豪族)と大海人軍本隊の精鋭部隊(置始兎)が共同で近江朝軍を迎撃、撃退し、更に追跡して、中ツ道の近江軍本隊を攻撃し、廬井鯨の背後を衝いたのです。

これで大友軍の大和の戦闘は、完全に敗北となったのです。

大海人軍の将軍吹負は何度も近江軍と戦い負けても、再度挑み続ける闘志でした。一方、近江軍の兵士の方は、庚午年籍に基づく徴兵であり、将軍も大海人皇子に内応する者も出てきていたため、大事なところで勝機を逃していたのです。

この結果が、飛鳥路方面の戦闘も、大海人軍の勝利に結び付いたことになります。

そこで、大海人軍の将軍大伴吹負は即刻難波へ赴き、西国の国宰から正倉.兵倉の鑰(かぎ)を献上させました。また大海人軍の大倭救援軍本隊は北の乃楽山から木津を経て山前(やまさき:桂川、宇治川、木津川との合流地南:八幡市男山近辺)へ進軍して行きました。これが歴史上の山場と見るべきでしょう。

ここで、大和.飛鳥路方面から近江路方面の戦闘へ話題を戻します。

672年6月に近江朝は、東国へ徴兵督促のため派遣した国宰(くにのみこともち)書薬(フミノクスリ)などが、26日に大海人軍に「不破道(関ヶ原)」で囚われの身になった。との報告に接し即刻臨戦態勢を取り、27日に大津宮より近江路方面軍を発進させました。

近江朝軍の陣営は王族(山部王)、大夫氏族(高級官僚:蘇我果安ハタヤス、巨勢比等コセノヒト)、などの将軍(指揮官)と中小中央豪族、近江地方の豪族、羽田矢国(ヤクニ)将軍を含めて、数万の兵(近江朝正規軍+近江の兵など)からなる大軍団でした。

大友皇子は不破道の大海人軍を、この際一気に粉砕できると、信じて出発させたと思われます。

(話題が前後しますが、この時点で、近江朝には飛鳥の状況も、大海人皇子が野上行宮に入った情報も、更に、尾張の国司小子部鉏鈎:チイサコベノサヒチ:が2万の兵を率い大海人軍に帰服した27日の重大な情報なども、近江朝には全く届いていなかったのです。決定的な手抜かりでした。)

この結果、大友皇子には、6月29日になって、ようやく大伴吹負が倭古京で蜂起し、飛鳥の大友軍営を占領した戦況が伝わったのです。これを機に大友皇子と大海人皇子の両陣営が本格的戦闘態勢を採ることになるのです。

7月2日に大海人皇子は「和蹔:わざみ」(不破郡関ケ原町)の全軍に進撃命令を出しました。紀阿閉麻呂率いる大倭救援軍は前回記述した如く置始兎の騎兵隊を先遣し、飛鳥まで伸びる戦線の腹部防護のため多品治を「莿萩野:たらの」(伊賀市)に、田中足麻呂を「倉歴道:くらふのみち」(甲賀市)に配備しました。

大海人軍の近江路方面進攻軍は総司令官村国男依(オヨリ)将軍、書根麻呂(フミネノマロ)将軍.和珥部君手(ワニベノキミテ).胆香瓦安部(イカゴノアヘ)ら地方豪族で整え、この方面軍も数万の兵士に赤布や旗を備えた赤色軍にしています。

近江路軍の最大特徴は総司令官を除き、指揮を執る各将軍は大友皇子を始めとして近江朝廷の高官とは面識ないのが地方の各豪族です。ただこの地方の土地勘や地縁.血縁を持っているだけです。ですから、戦闘に突入した時、各指揮官が個々に部隊を指揮、命令しました。謂わば総司令官の指揮ではなかったのです。

余談ながら、後世の江戸幕府軍が「錦の御旗」に恐れをなしたのも、大海人皇子と同じ様な巧みな戦略.指揮.監督をしたと思われます。

さて、大海人軍の飛鳥救援軍は即刻先遣部隊を急派し、同時に鈴鹿道.伊賀路の防衛を固めて出発しました。そして近江路進攻軍は大和.飛鳥方面のその後の戦闘情勢と大津京への進軍途上で戦闘に際し非常に重要である各地の豪族:息長氏(オキナガシ:米原市)を始めとし、坂田氏、秦氏、羽田氏などの状況を把握して行ったのです。

これに対して、近江朝廷軍は東国の徴兵と西国(中国.九州)の徴兵が時間的に間に合わないため、朝廷の常備軍と畿内で徴集した兵をもって、飛鳥と不破に兵力を分散さす状況となりました。飛鳥京と大海人本営の攻撃と両方面とも、近江朝は重要と判断したのでしょう。

しかし、近江朝廷の大友皇子は当初は大海人皇子に必勝すると信じて、思い戦闘に入りましたが、「白村江の戦」が尾を引いて軍備が遅れ:武器や兵力不足の悪状況も伴ったのです。

ですから不破への進撃途上に通過する地域の豪族兵を味方に(羽田氏など)加えながら、息長氏(オキナガ)などの近江の豪族をどれだけ味方に出来るかが勝敗を大きく左右すると思うようになっていたでしょう。

一方、大海人皇子は前述の如く、大和飛鳥路戦へは戦術に長ける中央の豪族を指揮官にして近江朝に不満を持つ豪族(国宰や古い渡来人)、東国へ脱出途上大海人軍に加わった兵(美濃.尾張の2万、大倭や伊賀の軍勢)を得て、半年間、吉野で推考した作戦以上の好精華で状況は進展していました。「戦には天が味方してくれている」と思ったに違いありません。

近江路における両軍正規軍の勝敗を決する戦闘と、その顛末は、次回につづけます。

参考資料: 壬申の乱   中央公論社    遠山美都男著
      戦争の日本史2 壬申の乱  吉川弘文館  倉本一宏著