2016年06月19日

◆木津川だより 壬申の乱A

白井 繁夫



大海人皇子は、天武元年(672)5月、美濃国へ赴いた舎人朴井連雄君(エノイノムラジオキミ)から「天智天皇の陵を造営するためと称して、東国の農民を徴集し武器を持たせている云々」との報告を受けたのです。

この情勢こそ、近江朝が戦いを挑むことになると推察し、吉野宮の脱出を決意し吉野においての半年間推考を重ねた作戦に基づき、6月24日に東国(美濃)を目指して出陣しました。

大変きつい強行路を経て、「桑名群家」に辿り着き、「鈴鹿の山道」や「不破道:関ヶ原」の閉塞にも成功を治め、みずからは「野上行宮」に入りました。このことは、大海人皇子側から見れば、内乱突入直前の状況だったのです。(前回記述)

ところで今回は、大友皇子側から見た「壬申の乱」に至るまでの状況を見てみます。

大海人皇子一行が、671年10月19日、大津宮を去る折、菟道(宇治橋)まで見送りに行った近江朝の重臣3名(左右大臣と御史大夫)の内の一人が、こう云いました。

<「虎に翼を着けて放つ」と云ったといわれているように、叔父の大海人皇子は有力な皇位継承者である為、皇位を継承するには大友皇子が、大海人皇子を排除すべき人物なのです。>

虎は鋭い牙と爪を持っているのに、その上に翼まで着けて放ったのだから、大海人皇子を監視するために、近江から倭古京(やまとのふるきみや:飛鳥京)までの要所(宇治橋の橋守に命じて、美濃の大海人の支配地などから武器や食糧などの物資が運搬されるか、「木津川の泉津」(木津の港)から同様に吉野へ届けられるかなど、飛鳥京の留守司などで監視する体制を敷きました。(大海人皇子の勢力を剥ぐための兵糧攻め作戦)

「対新羅戦用」と称して、全国へ国宰(くにのみこともち)を派遣して、「徴兵」(各郡司などを通じて農民兵の動員)に着手しました。

特に大海人に影響を与える地域、畿内(山背.大和.摂津.河内.和泉)と、東国の美濃や尾張(美濃の安八磨郷あはちまのこほり、湯沐邑ゆのむらなど)からの「徴兵」に傾注したのです。(作戦の狙いは、大海人皇子と関係がある地区に楔を打ち込む目的)。

大友皇子は、近江朝の政権の中心であり、大海人皇子が(吉野)隠遁している間に、勢力を剥ぎ、大友に対抗出来なくしようとした計画的な行動を取りました。

ただ、天智の殯(もがり)の期間、いろいろと公式行事があるうえに、筑紫の唐使「郭務悰:カクムソウ」の応対にも忙殺されることのもありました。

古代も現代も戦争に備えるには情報戦略が非常に重要な要素です。近江朝は軍備力や権勢力などで絶対的な自信を持ち過ぎて、少々油断があったのではないかと思われます。

大海人皇子は、誼を持つ舎人を通じて各地の豪族と絆を結び、近江朝の動静などの情報を逐一得ていました。もちろん、近江や飛鳥の官人とも連絡は密だったのです。

両軍が戦闘に入ったとき、大友軍は情報不足により有利になるはずの戦況を、思わぬところで不利にすることが出てしまいました。

重要な歴史書:『日本書紀』は日本最古の正史ですが、舎人親王(天武の皇子)が編纂の総裁者となり養老4年(720年)に編纂され、天武嫡流の皇子に関係した藤原不比等も介在した?と思われる書籍です。

これから記述する「壬申の乱」の戦闘の描写も、勝者側の見方(大海人が正当な皇位継承者)が大きく出るかもと思います。

近江朝は、庚午年籍(こうごねんじゃく:天智天皇の時代に編纂された日本最古の戸籍制度)に基づく徴兵を急がすため、東国へ派遣した国宰書薬(フミノクスリ)ら3名のうち2名が、6月26日に「不破道」で大海人軍に捕えられたのを目の当たりにして、国宰韋那磐鍬(イナノイワスキ)は、大津宮へ逃げ帰ってきました。

近江朝軍は、翌27日臨戦態勢に入り、近江路方面軍と飛鳥方面軍と大きく2方面に軍を分けて、最初に近江路方面軍が「不破道:関ヶ原」を突破して、大海人本営を襲撃する作戦を立て、近江朝正規軍に西国の徴兵や近江の豪族の兵を加えた数万の軍を、大津宮から出発させました。

最初の戦火は、6月29日に大海人軍の大伴吹負(オオトモフケイ)によって大倭飛鳥で開始されました。だから、最初に出発した近江路軍の戦闘は後述するとして、大倭.河内方面の戦いの方を先行します。

(飛鳥京)朝廷側の留守司(トドマリマモル司)は、高坂王.稚狭王(ワカサ).坂上熊毛ですが、大伴吹負とは内応?していたと思われ、実情は近江朝の使者(穂積臣百足等ホヅミノオミモモタリ)が、27日に軍営を設立したばかりの状態でした。

天智10年に亡命百済人を実務官僚に組織した体制に対する反発が、古くから飛鳥などに居住する渡来人(東漢系氏族:坂上熊毛)、同じく山背国に渡来していた氏族(秦熊)など、倭古京の居住者にありました。

大伴吹負は奇策を持って、僅か10余の騎馬兵で高市皇子が攻めて来たと叫び、飛鳥寺の西の軍営を奇襲し、飛鳥京を制圧しました。留守司高坂王らは帰服し、近江朝の軍営にいた物部日向.五百枝兄弟も帰順したので味方に加え、穂積百足のみが最初の戦死者となりました。

大伴吹負の飛鳥京制圧の報は大倭各地に伝わり、三輪君高市麻呂.鴨君蝦夷等の豪族が大伴吹負軍に加わり、その情報は大海人皇子をはじめ、近江朝にも伝わったのです。

7月1日:近江朝の大倭方面軍は大野果安(ハタヤス).犬養五十君(イキミ).廬井鯨(イオイノクジラ)が、近江朝正規軍と西国の徴兵を率い、飛鳥京奪還を目指して大津宮を発進しました。

果安は大伴吹負の軍を度々破り敗走させましたが(後述しますが)、紀臣阿閉麻呂(キノオミアヘマロ)軍の先遣した騎兵隊が伊賀から駆けつけて、吹負の窮地を救ったのです。

庚午年籍に基づき、摂津.河内で徴兵した兵を率いた河内方面軍の将壱岐韓国(イキノカラクニ:渡来氏族)と、国宰来目塩籠(クメノシオコ)は同日、河内.大倭の国境を突破して飛鳥京奪還を目指して河内を出発しました。
(大伴吹負は乃楽山(なら:奈良山)を目指し進発(木津川市と奈良市の国境の丘陵地)。

大海人皇子は、7月2日和蹔(わざみ)の全軍に進撃命令を出し、全軍の兵に赤い布を着用させて、大友軍とはっきり区別させました。

飛鳥方面軍の総大将紀臣阿閉麻呂は、数万の軍勢を率い倭古京守備隊の増援に向かわせ、置始連兎(オキソメノムラジウサギ)の精鋭な騎兵隊は本隊を離れ、飛鳥へ急行させたのです。

多臣品治(オオノオミホムチ)は3千の兵で伊賀の莿萩野(たらの)を防衛、田中臣足麻呂は倉歴道(くらふのみち)の守備につきました。
(近江路方面の村国男依らの数万の軍勢の進撃は次回にします。)

乃楽山(なら:平城山)は、古代崇神天皇の時代:武埴安彦の反乱の舞台となった要衝。

山背と大和の国境の丘陵地であり、北側の平野に木津川が流れ、南は大和平野が広がる両軍にとって戦略上重要な拠点です。(四道将軍の大彦命と和爾氏の祖彦国葺が乃楽山の本陣から北側の山背の武埴安彦軍を木津川の戦いで殲滅し、西の大坂より攻めて来た埴安彦の妻(吾田媛軍)を吉備津彦命が討った。古戦場。)

(吹負はその拠点を固めに行く途上「大和郡山市稗田」で、西方「大坂:河内」から大友軍が進軍してきた情報を捉えたのです。)

吹負は、坂本臣財(サカモトノオミタカラ).長尾直真墨(ナガオノアタイマスミ)等に兵三百を授けて龍田道を防衛させ、佐味君少麻呂(サミノキミスクナマロ)に百余の兵で、大坂道(穴虫峠:二上山の北:大坂側道)を、鴨君蝦夷は百余の兵で石手道(イワテノミチ:竹の内峠:二上山の南:大和側道)の守りに就きました。

坂本財は、龍田付近で斥候が近江朝の高安城(白村江の戦に対処した山城ヤマジロで税倉チカラクラ:穀物の保管倉庫)が手薄との情報を得て、財が襲撃した時、大軍が来たと勘違いして城(穀物倉庫群)を焼き逃走しました。大海人軍の兵は無傷で高安城を占領したのです。

大伴吹負は飛鳥京を7月1日出発して、(3日)乃楽山に布陣が完了まで長時間移動を要したのは、6月29日以来続々と集まる兵を各部署に配置しながら進軍したからです。

7月3日朝霧が晴れ、坂本財は高安城から眼下の大坂平野を見ると大津道:長尾街道(堺市→河内美陵町→生駒王寺町)と、丹比道:竹内街道(堺市→羽曳野古市→飛鳥当麻寺)から整然と隊列を組み、大友軍が東へ進みました。大津道は将軍壱岐史韓国の軍ですが、高安城は黙殺して(武田信玄が家康を無視した様)行軍して行きました。

坂本財は、全軍僅か300人ですが、下山して衛我河(エガガワ:大和川付近藤井寺市道明寺)で挑ませますが一蹴され、懼坂道カシコサカミチの守衛紀臣大音(同族)まで退却しました。

しかも、この戦いで、国宰来目臣塩籠が大海人軍に内応しているのが発覚。大友軍の進軍は一時停止したのです。来目臣が大友の命により河内で徴兵した兵を持って、韓国将軍の下に入ったので、全軍が大きく動揺したためです。

(坂本財の悲壮な突撃戦は後の大坂夏の陣と同じ戦場「道明寺」で東軍水野.伊達軍2万3千に対し西軍の後藤基次軍3千弱の突撃の様と同様でした。だから軍規や軍の再編のため、韓国軍も進軍が遅れ、4日の大友軍全軍の総攻撃日に参加できなかったのです。)

大津宮を1日に出発した大野果安(はたやす)率いる倭飛鳥方面軍が、「木津川」を越え乃楽の大伴吹負が築く堅固な陣を突破し(吹負は数騎で逃れる)、怒涛の進軍で飛鳥京の手前:天香久山(あまのかぐやま)の八口まで来た時、斥候から「飛鳥の各街道の要所に大量の楯などが並び伏兵が潜んでいる」との報告。

大野果安が高所から遠望すると大軍を隠し、吹負軍が罠を仕掛けて簡単に退いたとも取れ、味方の壱岐韓国軍が4日なのに姿.音沙汰ともに無いのは、大海人軍の正規軍が来ていると思い込み、全軍に退却して陣容をかまへ直すよう命じました。(飛鳥京には大海人軍未着)

倭古京(飛鳥の古い都)への戦闘は、大友軍の河内方面軍も飛鳥方面軍もともに簡単に飛鳥京を占領できる機会だったのをともに逸して、後から来る大海人軍の正規軍と戦うことになるのです。

大和路戦の結末と近江路戦については次回に続けます。    (郷土愛好家)

参考資料:戦争の日本史2  壬申の乱   吉川弘文館  倉本一宏著
     壬申の乱     中央公論社  遠山美都男著
     木津町史     本文篇    木津町

2016年06月18日

◆ルーマニアと合邦へ本気で向かうのか

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)6月16日(木曜日)弐 通算第4939号 >


〜ルーマニアと合邦へ本気で向かうのか、モルドバ共和国
   ウクライナと西側に挟まれ、微妙な地政学的位置のモルドバは経済が問題〜

 
旧ソ連圏のモルドバ共和国は、ドニステル河を挟んで、ウクライナ寄りの東側にロシア人が多く、モルドバの完全独立を阻み、「沿ドニステル共和国」としての独立を主張し、バックにはロシアが鎮座まします。
後者は事実上の独立地域だが未承認国家である。
また将来のルーマニアとの合邦は絶対反対である。ところがソ連時代の分離隔離政策の影響が強く、この地域に重工業が集中している。

 西側はルーマニア人の居住する農業地帯、モルドバワインは世界的に有名、したがって多くのモルドバ国民はルーマニアへの復帰を望み、言語もルーマニア語を話す。
 モルドバはながらくルーマニアと一緒で元の名前は「ベッサラビア」である。2018年にはベッサラビア誕生百周年の記念行事も予定されている。

 第一次世界大戦でベッサラビアはソ連により、分割され、モルドバはソ連圏に編入された。

 まさにその東西冷戦の残滓がまだ居残り、微妙なバランスの中、綱渡りを演じているのがモルドバ共和国だ。親西側を鮮明にはしつつも、もう一歩踏み切れないもどかしさ、すぐ東がウクライナだからだ。

 東西冷戦終了後、このモルドバ共和国で何がおきたのか?
 「保護国」とも言えるルーマニアはチェウシェスク独裁政権の崩壊後、複数政党制を認め、自由選挙が行われ、NATOに加わり、すっかり西側の一員となった。そしてルーマニアは静かに、着実にモルドバへのテコ入れ、影響力の拡大を図ってきた。
 
 ところがモルドバは政治が誰にも地図も描けないほど難解な伏魔殿。
 モルドバには「影の大統領」と言われる人物がいる。ブラッド・プラフォトニクが政治と経済の実権を握っているのである。


 ▼「モルドバの影の大統領」

 この人物は石油ビジネスで当て、銀行を経営して財閥となり、テレビ、ラジオ局を牛耳り、「モルドバのアブラモウィッツ」と異名を取る。アブラモウィッツはロシア新興財閥、プーチンに逆らってロンドンに亡命し、サッカーチームを買収したりした、あの政商である。
 プラフォトニクがモルドバ政治を牛耳ってから、外交政策が変わった。
 プラフォトニクは国会議員を二期務め、モルドバ国会議長もつとめた。民主党所属である。2015年までは事実上、政権を担った。

 かれは新興財閥、汚職の元締めと言われて評判が滅法悪い。「奴は嫌いだ」とする世論調査の結果は90%(ヒラリーもトランプもびっくりの高率)、原因は汚職体質、怪しげな人脈とビジネスである。
ところがプラフォチニクがモルドバ経済の実権を握り、政治を支配している。しかも、この人物が背後で操るモルドバ政権が「プロ西側」を標榜しているからややこしい。

ルーマニアはNATOのミサイル配備をまっさきに許容し、多国籍軍には自国の軍を派遣し、涙ぐましい努力で西側の信頼を勝ち得た。だからこそ、そのルーマニアと合邦しようなどと動けば、ロシアが黙ってはいない。

 ルーマニアは暫時、この男とモルドバ合邦の交渉をしなければならない。親ともいえる ルーマニアも政治的には少数政党の乱立、なかにはプロ・ロシアの政党があり、極右政党もあり、ロシアとの関係は地下水脈で強く結ばれているため、EUもいささかの猜疑心をもって眺めている。
 明らかにルーマニアはモルドバにおいてロシアと政治対立を続け、EU、アメリカを巻き込む政治手法を用いる。

 モルドバの安定はウクライナ情勢に連動しており、EUが全面支援には踏み切れない。プーチンは沿ドニステルの武装勢力と、ルーマニア国内のプロ・ロシア政党、ならびにモルドバ国内のロシア工作員を通じて、一連の地下工作を展開するからだ。

 政治腐敗によってIMF、ECBがきめた1億5000万ユーロの融資は棚上げされており、そのうえ頼みの綱だったルーマニア経済はやや下降気味となって、またモルドバはガスと原油をロシアに依存しているため、ロシアに正面から逆らうような政治行動には出られない。この点では水と食料を中国に依存する香港が、独立を主張できない政治心理と似ている。


 ▼国民からは蛇蝎の如く嫌われても。。。

 プラフォトニクの率いる民主党の支持率は7%しかないが、彼が事実上の「モルドバの王」であり、西側一辺倒の路線をロシアとのバランスで操り、モルドバを壟断しているとみていいだろう。

 親西側を装うのはIMF、ECBからの援助を引き出すジャスチャーではないかと疑われ、他方、ルーマニアは、この男を支持せざるを得ないディレンマにある。
「ルーマニアの政党の多くが地下で彼とのコンタクトがあり、またプラフォトニクは偽名でルーマニア国籍を保有している」(米ジェイムスタウン財団発行『ユーラシア・モニター』、16年4月26日号)

かれは朝令暮改、一貫した政策はなく、日々情勢の変化にあわせて政治スタンスを変えるカメレオン政治家でもある。
10月に予定されるモルドバ大統領選挙は、プラフォトニクの民主党主導により彼が操作できる連立政権(当然、旧共産党が混ざりロシア寄りとなる)となるか、親西側の諸政党の連立が成功するか、予断を許さない情勢となった。

 突如、動きがでた。それまで地下水が染みこむように静かに合邦法への動きは顕在化しなかったが、地下水の蓄積があるように、溜まっていた。

ルーマニア政府の考え方がかわったのだ。
むしろ、プラオトニークとは対峙せず、着実な方法で彼を取り込んでしまおうとする迂回作戦への転換が行われた。2014年、クラウス・ロハンニスが大統領に選ばれ、直接的なモスクワとの対決を巧妙に回避しつつも、ルーマニアはEUとワシントンの根回しに入った。
世論調査でもモルドバ国民は「われわれはルーマニア人だ」とするアイデンティティを強調する比率が過去の10%から25%へと躍進している(STRATFOR,16年4月22日)。

 ルーマニアはチェウシェスク時代の全体主義の呪いから解放され、経済発展が軌道に乗り、国民はむしろ自由経済へ傾斜した国のありかたに安定感を抱くようになった。
 現実にルーマニア各地を旅行すると、あちこちに原油生産のサイトがあり、この国は原油を自給できる。経済成長はどうやら軌道に乗ったようで消費も弾んでいる。ブカレストの繁華街のカフェは満員である。


 ▼経済は行き詰まり、IMFは援助を保留し、頼る先はルーマニアしかないのだ

 他方、モルドバは経済的に行く詰まり、繁栄にはほど遠く、かつ国内政治はプロ・ロシアの政党がまた力をもっており、国民の意識調査では西側への傾斜があきらかではあっても、法体系と治安制度から、多数派には達しない。そのうえ、ロシアのクリミア併合とウクライナの混乱を目撃すれば、急激な政治的路線変更はロシアの介入をまねくことを極度に警戒しているからだ。

 ルーマニアは長期的戦略に立脚し、当面はモルドバ議会の多数派であるプロ・ロシア政党と直接的対峙を避けつつ、徐々にルーマニア文化を浸透させ、経済を梃子にモルドバのガス、電力のロシアへの依存度を低め(ルーマニアは産油国である)、パイプラインをルーマニアからモルドバへ繋げるルートを開拓し、潜在的意識においてモルドバ国民の西側回帰への覚醒を促す。

長期的戦略としては、議会で多数派をしめ、モルドバ国民の多数がルーマニアとの合邦を期待するという環境作りを成し遂げようとするものだ。
ちなみに2014年11月の選挙(定数101議席、6%未満の政党には比例代表の議席は配分されない)

(1)社会党(ドドン党首):  20.75%(25議席)
(2)自由民主党(フィラト党首):  19.97%(23議席)
(3)共産党(ヴォローニン党首):  17.71%(21議席)
(4)民主党(ルプ党首):  15.94%(19議席)
(5)自由党(ギンプ党首):   9.53%(13議席)

 旧ソ連型の左翼政党は合計して38%、対して西側寄りで自由民主を掲げる三つの政党が合計すれば、46%となり、政党間調整がうまく行けば、プロ・ロシア路線を歩むモルドバ政治は終焉する。
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◆木津川だより 壬申の乱@

白井 繁夫



本誌読者の皆様は、日本の歴史上有名な「壬申の乱」のことは良くご存じのはずです。しかし、私が長く書き続けている本題「木津川だより」の流れの中で、この「壬申の乱」を避けて通る訳にはなれません。

長文になりますが、大海人皇子の侵略心理、巧妙な戦略、天運などにつて、思いのままに詳しく綴ってみようと思います。「壬申の乱」の歴史の流れは、これから追々。

さて、(672年)天武元年6月24日大海人皇子が東国を目指してひそかに吉野を脱出した時は、大海人に従った者は妃の鸕野皇女と草壁.忍壁両皇子、舎人20余人に女孺(にょじゅ:鸕野皇女などに仕えた女官)わずか10余人の人数でした。

しかも、初日は約70kmの山道を進む、(道中には大友皇子の生母の出身地があると云う)超ハードのスケジュールです。(出家して吉野を目指して早朝より大津宮を出た日の距離の飛鳥「島宮」までとほぼ同距離を進みますが、その日の道中「山城道」は全体的に平坦な平野でした。)

大海人皇子が約半年間推考して戦略を練り、吉野脱出を決断した「壬申の乱」の大きな要素ともみなされるのは、「親の子に対する愛」がそうさせたと 私は思うのです。

天智天皇の晩年、生母が「卑母」である大友皇子を「皇位継承者」にと願い今までのしきたりを無視する行為を取る、強い愛と同じで、大海人皇子の妃の鸕野皇女は天智天皇の皇女.むすめであり、夫は天智の実弟です。

だから大海人皇子は有力な「皇位継承者」でもありました。而も二人の間の子(草壁皇子)は由緒正しい皇孫です。親(鸕野)の愛も非常に強いものだったと思います。

吉野脱出に先立ち6月22日には、前回本誌に掲載した如く、東国(湯沐令 多品治)に向けて発進した3名の大海人の使者(村国男依ほか2名)が、吉野.大倭.伊賀.伊勢.美濃へ至る行軍ルートの総てにわたる計画が周知され、準備を整えられるように派遣されたのです。

脱出ルートは吉野へ来た泉津.乃楽山.飛鳥の平坦地を避けて、吉野から吉野川沿いに上流に向かい、矢治峠を越える山道から「菟田(ウダ)の吾城:奈良県宇陀市」を抜け、「名墾(名張市)の横河」(名張川と宇陀川の合流点:畿内と外国の境)を経て「伊賀の中山」(三重県上野市)へ出るという、険しいルートでした。

菟田の吾城で屯田司(ミタノツカサ:近江朝の食料供御を行う司)土師馬手が食事を奉る。
(先遣使者よりの言で舎人土師氏は大海人皇子の行幸?と思ったか、大海人一行は、初日70余kmの行軍中、この時食事したのが最初で、何と初日は宿泊地まで食事なしで進む。)

飛鳥京の留守司高坂王への使者は3名が当日(24日)に発遣され、「駅鈴:ウマヤノスズ」を乞わせました。(美濃までの「駅家:ウマヤ」において大海人一行の馬の確保依頼:実際は独自で手を打っていました。高坂王は大海人皇子に好意を持っており、快応していたかも?)

使者3名の役割です。

大分恵尺(オオキダノエサカ)は、近江へ急行して大津.高市両皇子に大海人皇子の吉野脱出報告とその後の合流(予定戦略)など、黄書大伴(キフミノオオトモ)は大倭の「百済の家」に結集して兄の大伴馬来田と共に菟田で合流、逢志摩(オオノシマ)は近江朝からの追手がすぐ来ぬように近江に伝わらぬよう留守司に頼みて帰還など。

また「菟田郡家」(現宇陀市榛原区萩原)で湯沐の米運搬の駄馬ニオイウマ50頭(湯沐令多品治オオノホンジの手配の馬)を大海人皇子が得る。吉野から32kmの大野(室生)で日没、これより夜間行軍で「隠駅家:なばりのうまや」に着き、その家を焼いて人夫を求めてみたが真夜中では烽火(のろし)の役目だけで終わる。

「伊賀の中山」は大友皇子の生母の出身氏族(竹原氏)の本拠地へ東北東約8kmの至近距離です。

ところが、そこへ着くと「郡司」が数百の兵を率いて一行に合流してきました。伊賀国の北部の阿閉氏と南部の伊賀氏がともに大海人軍の味方に付いてくれたのです。
(対新羅戦用に近江朝が徴発した徴兵が100余人大海人軍に加わったのです。)

東海道ルートを外れ美濃への最短ルートを採り、「伊賀駅家」:上野市を流れる木津川を挟む古郡フルゴオリ:から「莿萩野」(タラノ:伊賀市佐那具町)へ25日の夜明け前に着きました。

吉野を出て70余km、20時間の進軍を終えてやっと休息、2回目の食事を取ることが出来たのです。
(飛鳥から近江朝へは高坂王の情報統制が有り、まだ気づかれずに進みました。)

25日の未明に近江と伊勢の交通の要所「積殖(つむえ)の山口」:三重県伊賀町柘植(大和と東国を結ぶ道が合流)に大海人一行は到着し、そこへ高市皇子の騎馬隊が舎人達と「鹿深」(カフカ:滋賀県甲賀郡)を越えて合流して来ました。

大海人一行は、伊賀と伊勢の国境の「加太(かぶと)峠」を越えて「鈴鹿郡:すずかのこおり」に入り(東国に入り)脱出が、ひと先ず成功しました。(近江からの高市の舎人は民大火.赤染徳足.大蔵広隅.坂上国麻呂.古市黒麻呂.竹田大徳.胆香瓦安倍:イカゴノアヘです。)

伊勢の「鈴鹿郡家こおりのみや」(鈴鹿郡関町金場付近)では国宰の三宅石床(イワトコ:駄馬50頭送付者)と、三輪子首(コビト)、湯沐令(ユノウナガシ)の田中足麻呂(タリマロ)と高田新宅(ニイノミ:祖父の高田足人が、私馬を大海人に美濃.尾張まで提供)などが出迎え、大量軍が集結しました。

伊勢の国宰三宅連石床は大海人皇子の下で、伊勢軍の統率者となり500の兵を率いて「鈴鹿の山道」を25日中に塞ぎました。三輪子首の軍は後日大和(飛鳥)進攻軍に編入されました。

25日の夕方、「川曲(かわわ)の坂下」(鈴鹿市木田町)に着き、「三重郡家」(四日市市東坂町)には夜になって到着して休息しました。

6月26日早朝:大海人皇子や草壁.高市などの一行は「朝明郡(あさけのこほり)の迹太川(とほかわ)の辺」に到着して、天照大神を遥拝しました。(戦勝祈願)。

「朝明郡家」(四日市市大矢知町)の大海人軍の処に、高坂王の一行が「鈴鹿山道」に来たと連絡あり、路益人を派遣したら、大津皇子の一行と近江へ派遣した大分恵尺等が留められていました。

(大津皇子幼少のため、馬でなく加太峠越えを「輿」で越えたから遅れた。)
ようやく大津皇子の一行は両親に合流できたのです。(大津の舎人の中には後の瀬田橋の攻防で先鋒となった大分稚臣(オオキダノワカオミ)や舎人の戦死者も多数でました。)

他方では、22日に先遣していた舎人の村国男依(オヨリ)が「安八磨郡(あはちまのこほり)の兵」3000人を率いて、「不破道の閉塞」(岐阜県関ケ原町)に成功した、との吉報を得ました。

夕方吉野から145kmの「桑名郡家」に着き、大海人一行は留まりました。
(大海人皇子は東海軍(尾張.三河)、東山軍(信濃.甲斐)を徴発する使者を派遣する。)

27日は妃の鸕野と草壁.大津を桑名に残して、野上(美濃の野上郡:現関ケ原町野上)へ大海人は行き、高市は「和蹔:わざみ」(関ヶ原町関ヶ原)から出迎え。ここが吉野を出て4日間(186km)の行軍の終着地とし、「野上行宮かりみや」としました。

多品治と村国男依が塞いでいた「不破道」で、尾張国司守:小子部連鉏鉤(チイサコベノサイチ)が2万の兵を率いて配下に入りました。

こんな中で、同じ26日の夕方近江朝の東国への使者「書薬フミノクスリと忍坂大摩侶」が捕捉され、少し遅れて来た韋那磐鍬(イナノイワスキ)がこれを見て大津宮へ逃げ帰った結果、27日には近江朝が「事の重大性」に気づいたのです。

「不破道」の封鎖が1日遅れていたら、2万の兵は近江朝軍の支配下になり、尚且つ、東国へ近江の使者が入っていたことでしょう。天運は大海人皇子に味方した、と思います。

「和蹔」に大海人軍の主力部隊を集め、全軍の最高司令官として高市皇子を任命して、
6月28日には全軍を検軍し、高市の下で指揮命令するなどの軍事訓練を行いました。

近江朝は、罠に嵌ったのです。

遅れ馳せながら、やっと戦闘準備に入り、西国へも徴兵を急がす使者の派遣、近江路と大和飛鳥の2方面への戦闘軍の編成に入りました。

しかし、大友皇子は唐からの使者「郭務悰カクムソウ」の応対に忙殺されていたため、迂闊にもこの時点まで、大海人皇子の動静を把握していなかったのです。

だから、大海人皇子が既に東国に入り、対新羅戦用に徴兵した兵2万余が大海人軍に加わったと云う情報も得ていなかったのです。大友皇子は後手後手に回ったのです。

近江路と大和飛鳥で「壬申の乱」の戦闘の口火がいよいよ切られます。(次回につづけます。)

参考資料: 戦争の日本史2  壬申の乱  倉本一宏 著
      木津町史  本文篇   木津町 
      壬申の乱   中公新書    遠山美都男著 

2016年06月17日

◆朝日の捏造、部数減が止まらない

平井 修一



朝日は相変わらずの捏造・虚報新聞である。古森義久氏(ジャーナリス ト・国際教養大学客員教授)の論考「裁判で否定された朝日新聞『人権 委』」(Japan In-deph 6/13)から。

<朝日新聞には自紙の記事が他者の人権や信用を傷つけたかどうかを審査 する第三者機関として「報道と人権委員会」が存在する。ところがこの委 員会が下した判断が東京高裁の判決でまったく間違っていたと断じられて しまった。

しょせんはこの委員会も朝日新聞のお手盛りだったということなのか。報 道や新聞のあり方が改めて問われる。朝日新聞がいかにも公正や良識を示 すかのように大々的に宣伝してきた「報道と人権委員会」の権威も地に墜 ちた感じである。

発端は朝日新聞が2012年3月15日の朝刊で大きく報じたプロ野球の巨人軍 の契約金についての記事だった。

この記事は「巨人軍は1997年から2004年にかけて、6人の選手と当時のプ ロ野球の申し合わせを計26億円分も超える合計36億円の契約金で不当に契 約を結んでいた」と伝えていた。だから巨人軍に対して「『臭いものには ふた』続く不正」と厳しい非難を浴びせていた。

ところが巨人軍はこの朝日新聞報道が事実に反するとして抗議した。2012 年4月のその抗議は「朝日新聞報道は『契約金』と日本野球連盟(NPB)が 別個に認めていた出来高払いの『報酬加算金』とを間違って混同してお り、不正確だ」という趣旨だった。

朝日新聞側は十分な取材をせず、なお勘違いをもしたというわけだ。

巨人軍はこの抗議を当初、朝日新聞の第三者機関「報道と人権委員会」に 提訴した。この委員会は朝日新聞により任命された憲法学者の長谷部恭 男・早大教授や元最高裁判事の宮川光治弁護士ら3人で構成されている。

同委員会はこの巨人軍の抗議に対して2012年7月、「朝日新聞の当該記事 はすべて真実」と断じる見解を発表した。その結果、巨人軍はこの「見 解」に納得せず、裁判所へ提訴したわけだ。

巨人軍の提訴に対してこの6月9日、東京高等裁判所が出した判決は「朝日 新聞はNPBに取材もせず、真実ではない報道をした」として名誉毀損の成 立を認め、朝日新聞に巨人軍への賠償金など合計330万円の支払いを求め ていた。

同判決はまた朝日新聞の記事が巨人軍の名誉を毀損したと断じ、「報道と 人権委員会」の「見解」とは正反対の判断をみせて、同委員会の判断を完 全に否定した。同人権委は巨人軍の抗議に対して、独自の調査はほとんど していなかったことが判明している。

朝日新聞側は今回の判決に対し、なお上告の姿勢をみせてはいるが、新聞 社独自の「第三者機関」の判断が裁判所からは完全に否定されるという展 開はこの種の第三者機関なる存在の独自の判断能力や客観的な事実調査の 能力への疑問を改めて提起する結果となった>(以上)

朝日の原点は「角度のついた記事の捏造・虚報」なのだ。朝日の渡辺雅隆 社長メッセージ「自由な発想で挑戦し続けます」にはこうあった。「国内 外で2千人を超える記者たちが、真実に肉薄しようと努力を重ねています」

朝日にとって「真実」は自分らの反日親中イデオロギーにとって役立つこ とが「真実」なのである。偏向報道が初期設定なのだ。

「花田紀凱の天下の暴論」2015.10.21から。

<60年安保の時の朝日の社説と(現在の安保法制をめぐる社説を)比べて みたが、大きく違っていたのが、デモに対する態度。今回の社説その他で は、国会周辺のデモをむしろ礼賛し、煽っている。が、60年安保の時の社 説はきちんとたしなめているのだ。

《行き過ぎた荒々しい大衆行動によって、政治的事態を変更しようとする ような行き方は、それ自体、民主主義の行き方ではない・・・

首相官邸などに乱入して、一体、なんの役に立とう。効果はむしろ逆であ ることを、十分に考えなければならない》

正論ではないか。今回の朝日社説を読めば、朝日の劣化が実によくわかる>

当たり前だがゴミダメ新聞から有償読者はどんどん離れていく。ここ数年 で300万部減った。

今のままの捏造・虚報を続ければ毎年5%部数が減る。そうなると実売500 万部→475万部→451万部→428万部→407万部→386万部→367万部→349万部→331万 部→315万部→299万部、つまり10年で300万部を切る。やがて消滅する。

大いに結構なこと、めでたしめでたしだ。後10年は生きていく気になる。 (2016/6/15)

        

◆侵略される日本:浸透する反日工作

MoMotarou



とうとう中国の軍艦が我が国の領海に侵入した。「侵略」の開始で有りま す。もう既にシナ・韓国・朝鮮の我が国に対する攻撃は始まっていて、 NHK等は三国の支配下にあると看做して良いでしょう。

■NHKはシナの検閲を受けている

昨年より定点観測を続けている「NHK7時のニュース」も悪くなるばか りです。政治家に尋ねると、忙しくて見る暇は無いと言います。それな ら、民間の監視会社を設立してやらせる方法もあります。反日左翼野党 は、あらゆる手段で妨害をしてくるでしょう。

テレビの影響は甚大で、世論を形成・教育・洗脳する力は、インターネッ トも及びません。インターネットは“繋がねば”見れません。興味のあるこ とには有効です。その点テレビは“垂れ流し”ができます。毎日見ているお 爺さんやお婆さん、子供や女性は明らかに「洗脳・誘導」されます。

■安倍首相のイメージ操作

今NHK等が取っている手法は「報道しない事」だろうと思います。安倍 首相が、非常に良い答弁・談話をしても報道しない。そうしますと「国 民」には、その発言が無かった事になります。

逆に「福島瑞穂さん」の発言などは無視しても良い様な事までニュースで 取り上げる。安倍さんの悪いイメージばかり報道されます。大変高度な手 法で、海外のプロのやり方でしょう。一(いち)NHK職員などで出来る ことではありません。

■NHKの洗脳機関化

以前元議員中山斉彬さんが、日本の朝鮮併合について委員会で質問した時 です。一度はネットにアップされました映像が、直ちに削除されました。

週刊誌系のサイトが解説しておりました。「中山さんは朝鮮の警察等の8 割は半島出身者だったと明らかにしたからだ」と。要するに朝鮮人が立場 を利用して弾圧したという事になるのが公になるわけです。韓国・在日勢 力には都合が悪い。問題はNHKが直ちに削除したという事でしょう。


■日本人を犯罪者に決めつけるヘイトスピーチ法

ヘイトスピーチ規制法が5月24日に成立。何故か簡単に法律ができまし た。馬淵睦夫元大使に依れば、「この法律は、加害者は日本人で被害者は 在日と規定している。世界に稀にみる“悪法”だ」そうです。

成立後、直ちに効果が発揮され、10人位でデモを計画していた保守団体 が、公園(川崎市)を出て10mで解散させられた。周りには有田民主党員 等200人ぐらいの在日組織らが騒いでいたのに、警察は10人ほどの保守日 本人を取り締まった。

またチャネル桜の街宣車は、渋谷で交通違反だから解散しろと警察に言わ れた。今まで何十回も同じ場所で街頭宣伝していた場所であります。同和 対策法と同じ。「〜された」と言ったら犯罪が成立。

■日本収奪システム
 いろいろ考えてみた。結局は民主党政権の三年間の影響が大きい。行政 組織にスパイや残置工作員が浸透しているはず。在日韓国朝鮮人は笑いが 止まらない。中国は行政組織の乗っ取りもできる。日本の「法律」によっ て日本人を支配できるのだ。

 日本共産党を侮ってはいけない。多かれ少なかれ行政組織法曹界放送界 等に浸透している。資金は外国から貰うのも慣れている。

 中国韓国朝鮮による日本支配だ。反日日本人が国連などで仕掛けてい る。外務省からの出向が増えている皇室も心配だ。

 「テレビは何も伝えない」

  <<< それでは皆様御機嫌よう。 JOKK−WAHAHA^^ こ ちらMoM放送局です! >>>

*資料:(産経新聞)ヘイトスピーチ法が成立 「教育や啓発」国の責務 と規定 「不当な差別的言動は許されない」

 対策法は、在日韓国人らに向けた言動を念頭に、適法に日本に住む日本 以外の出身者や子孫に対する「不当な差別的言動は許されない」と明記。 対象の言動を「差別意識を助長する目的で、公然と危害を加える旨を告知 したり、著しく侮蔑したりして地域社会から排除することを扇動する」も のと定義した。

 国に対し相談体制の整備や教育、啓発活動の充実に取り組むことを責務 と定め、自治体には同様の対策に努めるよう求める。付則では、こうした 取り組みについて「必要に応じて検討を加える」とした。

 野党は審議段階で「適法に居住」「日本以外の出身者」との要件に関 し、「不法滞在の外国人やアイヌ民族への差別的言動が野放しになる」と 批判。これを踏まえ、憲法と人種差別撤廃条約の趣旨に照らし、国や自治 体に適切な対処を求める付帯決議を採択することで決着した。

 民進党などは禁止規定を設けた法案を参院に提出したが、13日の参院本 会議で否決。与党案が参院から衆院に送付されていた

*お勧めサイト
 ・6/9(木)?青山繁晴×居島一平?【真相深入り!虎ノ門ニュース】 【Toranomon NEWS】
  https://www.youtube.com/watch?v=vkMBz_hhKD0  米国は中国から 工場を大量に撤退させている。それが米国の失業率を押し下げている。国 内回帰。

2016年06月16日

◆NATOがバルト三国に4000名の部隊派遣

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)6月16日(木曜日)通算第4938号 <前日発行>>

 〜NATOがバルト三国に4000名の部隊派遣を決定
  ロシアは対抗して、ベラルーシとセルビアに軍事橋頭堡確保へ〜

 6月14日、NATOは正式にバルト三国へ4000名のNATO軍派
遣を決めた。

NATOはロシアが東欧向けに配備している軍事力を30000名と見積
もっており、米軍はあらたに4200名の旅団をNATOの戦略拠点は配
備するという。

 地政学的には脆弱な国々、とくにリトアニアとポーランドに挟まれてい
るカリニングラードはロシアの飛び地であり、NATO軍の配備はウクラ
イナに向けられる部隊もあれば、カリニングラードを睨む配置となる部隊
もでてくるだろう。

ブラッセルで開催されたNATO国防相理事会で、かねてから検討されて
きたバルト三国ならびにポーランドへの抑止力としての軍拡充計画がよう
やく合意に達したもので、一部にはデンマークに配備されているF16の
移設も含まれるとする観測がある。年内に配備は完了する予定。

 カーター米国防長官は「クリミア併合とウクライナ危機を目撃したあと
では、NATOの目的はあくまで防御的な態勢つくりにあり、装備をいか
にグレードアップするかに力点が置かれる」と会見している。

専門筋は四月におきたバルト海での米駆逐艦へのロシア軍機異常接近、ロ
シア軍のミサイル配備に対応するものとしている。

 バルト海で演習中だった米海軍駆逐艦へロシア軍機の異常接近事件は米
国の反撥をよび、予備選最中のトランプは「私なら発砲を命じる」と発言
をエスカレートさせていた。

 NATO事務総長のストルテンベルグは「合同演習をつづけながら
NATOの団結と対応能力をはかり、ロシアの侵略意図を破壊する防御態
勢つくりである」と発言しているが、とくにポーランド、エストニア、ラ
トビア、リトアニア四カ国への具体的な配備、装備、人員などには触れな
かった。


 ▼ロシアは強気、「62年ミサイル危機の真逆になる」

 他方、ロシアの反応はどうか。
 「ロシアは当然、防衛措置を講じる。ロシアからみれば、中欧、東欧は
NATO軍の配備強化により、いまや『アメリカの軍事的植民地』ではな
いか。かれらはロスチャイルドやロックフェラーの傭兵であり、犠牲者で
ある」などとロシアの本音を吐露したのは、レオニード・イバチョフ(国
際地政学分析センター所長、退役大将)だ。

 かれは『プラウダ』のインタビューに答えて次のように続けた。
 「東西間のバランスが崩れたのはNATOがルーマニアにミサイルを配
備したからで、たとえ東欧諸国にNATO群が拡充されようとも、そんな
ものは『こけおどし』に過ぎず、ロシアはベラルーシとの安全保障関係を
強める一方で、セルビアに駐屯基地をおくかどうかの検討をつづけ、また
ブルガリアとの対話も続行する。ロシアはミサイル防衛網を拡充させる」。

 そしてイバチョフはこうも言う。
 「1962年キューバミサイル危機とは真逆なのだ。ソ連のミサイルを
撤去させてアメリカは勝利感に酔ったが、こんどはロシアがNATOのミ
サイル網を撤去させる番だ」(英文プラウダ、5月20日)。

 ウクライナ問題は小康状態のなかで東西の軍事バランスが変化し、軍事
的緊張は高まっている。

2016年06月15日

◆私の「身辺雑記」(353)

平井 修一



■6月11日(土)、朝6:00は室温25度、今季最高レベル、昨日に続いて夏 日、ハーフ散歩。夕べから集団的子育て、朝食も大賑わい。換気扇掃除、 かなり快適になった。

このところ大学生の求人が大きく好転しており、みな喜んでいるだろう。 アカどもは「アベノミクスは失敗した」と叫んでいるが、就職状況を見れ ば「成功した」と言うしかない。もっとも円高株安で「勢いがなくなって きた、失速するかもしれない」懸念はあるが。

田村秀男・産経新聞特別記者・編集委員の論考「増税延期と財政出動でア ベノミクスはよみがえる」(国家基本問題研究所6/6)から。

<安倍晋三首相は2019年10月へ消費税増税を先送りしたが、アベノミクス にとって残された期間は事実上あと2年余である。安倍氏の自民党総裁任 期、2018年9月より前に脱デフレを達成できなければ、安倍政権が終わる ばかりではない。最悪の場合、国政は再び迷走し、憲法改正の機運も消滅 しよう。

そんな危機感をだれよりも強く持っているのは安倍首相本人だろう。どの 首相もなしえなかった「財務官僚への戦力外通告」(6月2日付産経新聞朝 刊)をしてのけ、財務官僚が政官民とメディアに張り巡らせた分厚い増税 包囲網を突き破った。

*マクロ政策フル回転へ

1990年代後半から続く「20年デフレ」は財政・金融政策の失敗による。財 務省は増税・緊縮による財政再建路線を最優先し、歴代の政権はそれに 従った。

2012年末に発足した第2次安倍政権が打ち出したアベノミクスも財務官僚 に増税の足かせをはめられた。財務官僚OBの黒田東彦日銀総裁は異次元緩 和政策で応えた半面で、予定通り消費税増税をしないと国債が暴落する恐 れがあると首相を説き付けたが、急落したのは家計消費とアベノミクスの 勢いだ。

安倍首相は今回、黒田氏を黙らせた。続いてマクロ政策の路線の大転換に 踏み切る。財政出動と金融緩和の両輪を連動してフル回転させる決意だ。

踏み台は先の伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)である。その宣言で、 世界経済リスクに対応するためには金融緩和だけでは限界があるとして財 政の出番をうたったが、米欧の指導者は政府債務の増大、あるいはインフ レ再発リスクにも脅えている。ならば、日本に実験させて、結果を確かめ てみたいというのが米欧の本音なのだが、財政政策はもとより自国の事情 優先であるべきだ。
 
*開けるか日本再生の道

日本は財政・金融融合策の絶好の機会にある。デフレ圧力の絶え間がない 分、インフレ懸念は皆無だ。政府の総債務は先進国中最大水準だが、政府 の保有資産を差し引いた純債務は米国と同水準で、民間を含めた対外純債 権は340兆円と世界最大だ。日本国債はマイナス金利、つまり将来世代に ツケをほとんど回さない形で国債を大量発行できる。

大震災に備えたインフラ整備、人材育成、航空・宇宙・バイオ・情報通信 など成長業種の基礎研究などに政府が投資すれば、400兆円を超す法人の 余剰資金(利益剰余金)を呼び込むだろう。増税延期と気の利いた財政出 動プログラムをパッケージにすれば、アベノミクスはよみがえる。日本再 生の道が一挙に開ける>(以上)

創意工夫、イノベーション、人材育成、そのための使いやすい奨学金制度 も必要だ。優秀な学生は返済免除などのトリアージ制がいいだろう。

ところで先日、西尾幹二氏が「中国の現預金は2400兆円ある、恐るべし」 と産経に書いていたが、調べたら、対外債務はそれ以上あり、差し引き赤 字に転落したそうだ(2015年第1〜第3四半期)。金欠病だろう。IMFも 焦っている。

「IMF、中国は企業債務膨張へ早急な対応を−『危険な回り道』の恐れ」 (ブルームバーグ6/11)から。

<国際通貨基金(IMF)のナンバー2であるリプトン筆頭副専務理事は中国 に対し、企業債務の膨張に早急に対応するよう求めた。さもなければ同国 が消費主導の経済に移行する中で「危険な回り道」をする恐れがあると指 摘した。

リプトン氏は11日、深センの経済会議で講演。講演原稿によると、「企業 債務は引き続き深刻かつ拡大している問題であり、真剣な改革へのコミッ トメントをもって早急に対応しなければならない」と述べた。

また、企業債務や企業再編への対応において、中国の「進展は限られてい る」と指摘。中国の債務総額は国内総生産(GDP)比で225%、企業債務は 対GDP比で145%に上るとの試算を示し、「これはどの基準でみても非常に 高い」と述べた>

内証がきついから軍事予算も抑え始めている。これへの不満から中共軍は 暴れまくっているわけだ。

「風が吹けば桶屋が儲かる」「予算が減れば軍は暴れる」のは昔から。高 橋是清は「軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事 件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗 殺された」(ウィキ)

習近平は軍を恐れているから何もできない。軍は暴れ放題だ。

【今朝の産経から】5面「国・地域越えた災害対応拠点網つくれ 元在沖 縄米海兵隊政務外交部次長ロバート・エルドリッヂ氏寄稿」は実に良い論 考だった。

国内のみならずアジア全域に、主に支援物資や支援者を主にオスプレイで 空輸できるようにしろということだが、これはそのまま中共包囲網になる というのがミソだ。アジアの最大の災害、人災は中共であり、暴発できな いように押さえつけるというわけだ。さすがは海兵隊出身。

「災害対応に豊富な経験を持ち、民主主義を重視する日本、米国、台湾、 フィリピンが力を合わせて災害対応拠点を整備すれば、地域の連携はより 強化される。このネットワークをうまく機能させれば、より広い分野の安 全保障協力にも拡大していくはずだ」いいね!

26面「熊襲撃か 犠牲4人目 秋田 狂暴化 ハンターも襲う」。タケノ コ狩りで老人が山に入り、被害に遭った。NHKラヂオによると老人曰く 「やることないし、タケノコを採れば小遣いにもなるし」だと。命よりタ ケノコ・・・警戒心ゼロ。呆けているのじゃないか。こういう人が多すぎ る。だめね!

■6月12日(日)、朝6:00は室温25度、昨日に続いて夏日、洗濯物が1日で 乾くのがいい、ハーフ散歩。

多摩川べりにNECの保養所があり、テニスコート、バレーコート、野球場 がある。土曜日の朝からスポーツを楽しんだ若い男女は、夕方には日焼け した顔で駅へ向かうのだが、皆さっぱりしている。保養所には風呂場があ るためだ。

そのグランドの隣には民間のフットサルコートがあり、ここで楽しんだ若 者は半分くらいは銭湯に入ってさっぱりする。

NEC社員は皆にこにことし、知的であり、氏素性が良さそうで、女性は美 人が多い。歩きたばこはいない。お坊ちゃま、お嬢様育ちという感じ。一 方でフットサルの人たちは締まりがなく、知性と無縁のようで、最賃の単 純労働系の仕事のよう、風呂上がりにしゃがんでドリンク片手にたばこを 吸ったりしている。

エリートの大企業の社員と落ちこぼれ的な単純労働系の社員では以上のよ うに違いがある。職人は一流になると威風堂々、きりっとしているが、単 純労働系はそうはならない。

大企業社員は20代で年収600万、30代係長で800万、40歳課長で1000万、50 歳部長で2000万、55歳局長で2500万、取締役なら3500万くらいは期待できる。

単純労働系はどんなに長く働いても400万前後だろう。運良く結婚できて も共稼ぎでせいぜいが600万ほど。子供を大学へ行かせる余裕はないか ら、負の連鎖で、子供も単純労働に就くのだろう。

戦前、部長の年収は平の10倍(今なら6000万)、社長は平の100倍(同6 億)の給料だった。大企業は求人しなかった、社員推薦保証付きの縁故採 用で十分人が集まった。3代続く鉄道員一家なんてそれほど珍しくなかった。

ちなみに兵役で優秀なのは鉄道員で、ダメなのは警察官だったという。鉄 道員は規律があり、各種手当があって裕福で、信用された。金貸しは鉄道 員にはいくらでも貸したそうだ。

警察官は初期には士族の職業であり、やたらとプライドが高く、百姓の次 男、三男からなる兵士をバカにしていた。軍と警察の喧嘩「ゴー・ストッ プ事件」は有名で、警官と兵士はなじまなかった。今でも確執は残ってい るかもしれない。閑話休題。

戦前の格差はものすごかったが、日本は敗戦で1億中流金太郎飴社会主義 国になり(1980年代)、今は徐々に格差が拡大し始めたところだろう。山 本夏彦翁曰く「金持ちから乞食までいてこそ社会だ」、それが普通の国。 無意味な老人、寄生虫向け社会保障は削減し、子育て支援重視に転換すべ きだ。

【今朝の産経から】1面は盛り沢山。「南シナ海問題めぐり攻防 中国、 豪紙使い政治宣伝」は、金欠媒体をカネで篭絡して、都合のいい主張をし ているということ。首相のターンブルは支那ビジネスで成功したクソ野 郎、女婿は支那人。

「日本、国際会議で抑止 首相、ASEM出席検討」は7月の「アジア欧州会 議」、9月のEAS「東アジア首脳会議」で中共包囲網を強化しようというも のだ。

古森義久氏の論考「首都(ワシントン)での発信力 韓国が圧倒」は、ど うしようもないバカの外務省のケツを蹴っ飛ばしている。大いに結構。

9面「サウジのカネにハンキブン氏屈した?」。不通の人、クネは何もで きないアホだったが、「歴代最低の連合国事務総長」と評価されるハンキ ブンが韓国の次期大統領になれば、韓国は確実に成長レースから脱落す る。慰安婦像と“整形粗マン”朝鮮ピーをせいぜい輸出するがいい。5年も たたずにくたばるだろう。

露と落ち 露と消えにし 我身かな 浪速のことも 夢のまた夢(秀吉)

漢江の 奇跡終わりし 南かな 財閥斜陽 サムソンの夢(修一)

■6月13日(月)、新聞休刊日、朝6:00は室温25度、中雨、散歩不可。

ISシンパが米でテロ、「死者50人 オバマ大統領『米史上最悪の銃撃』 『憎悪に基づくテロだ』容疑者はISに忠誠か」と産経ネット6/13が報じて いる。

イスラム教徒は殺人鬼になりやすいから、安全のためには排除すべきでは ないのか。彼らは法律ではなくコーランに従い、異教徒を殺すことでア ラーに祝福され、天国に召されるという妄想をもっている。マインドコン トロールされている。

少なくともイスラム教徒は一定区域に居住制限した方がいい。危険すぎ る。おとなしそうに見えても急に狼に変身、狂気、凶器と化す。自分が死 ぬことも、他者を殺すこともなんとも思っていない。喜々として殺しまく るのだ。

トランプが「イスラム教徒を入国させるな」と主張するのはもっともだ。 排除できなのであれば、せめて「左手には寛容、右手には警戒」の構えが 必要ではないか。きれいごとや理想は破滅を招く、最悪に備える警戒・防 御・抑止・迎撃・反撃・殲滅が必要だ。

BBCによると――

<*オバマ「何十人という罪のない人たちが無残に殺された。今回の事件 は、アメリカでいかに簡単に殺傷力の高い武器を手に入れて大勢を殺せる か、あらためて認識させるものだ。

自分たちがどういう国になりたいのか決めなくてはならない。積極的に何 もしないというのも、決断だ。

LGBT(性的少数者)のコミュニティーが狙われたのは実に悲惨で、ひとり のアメリカ人への攻撃はアメリカ人全員への攻撃だ」

*ヒラリー「自分はゲイ・コミュニティーの『仲間』だ、銃規制強化は必 要だ。戦争の武器はこの国の市街地にあってはならないと、改めて認識さ せられた。さらにLGBTの人たちが自由にオープンに恐れることなく生活す る権利のために、私たちは闘い続ける。アメリカにヘイト(憎悪)はまっ たくあってはならない」

*トランプ「銃撃を非難する。イスラム過激主義という表現を使わなかっ たオバマ大統領は辞任すべきだ。素早くタフで賢くならなければ、我々は この国を失ってしまう」>

まともなのはトランプだけだ。お花畑妄想のノーズロ・バカが国家を棄損 し、現実主義のスネ夫・タフガイが国家を守る。日本&世界にとって必要 なのは強いアメリカ、ならず者を叩き潰すアメリカだ。ワンパクでもい い、行儀が悪くてもいい、同盟国の負担が増えてもいい、とにかく戦える アメリカが必要なのだ。

Mr. Trump, Make America, Great Again!(2016/6/13)


           

◆西側の支援不足?

宮崎 正弘



<平成28年(2016)6月14日(火曜日)通算第4935号 <前日発行>>

〜 西側の支援不足? せっかくNATOに加盟したのにテロリスト養成モ
スクが林立
  アルバニアからも、ISへ100名以上の若者が志願して出て行った〜

 
2016年6月12日、フロリダ州の同性愛者があつまるナイトクラブ
にテロリストが侵入し、銃を乱射。50名が死亡するという悲惨な事故が
起きた。フランス、ベルギーに次ぐ大テロ事件がとうとうアメリカに再来
した。

犯人はアフガニスタン系でアルカィーダ、タリバンの影響を受け、ISに
忠誠を誓ったイスラム過激派だった。
 
この銃撃事件を受け、大統領候補のドナルド・トランプは早速にも、
「(フロリダ州の)オーランドで起きたことは始まりにすぎない。われわ
れの指導者は弱くて無力だ」と指摘し、「私は(イスラム教徒入国)禁止
を要求した。タフにならなければならない」とするメッセージを出した。

 「ムスリム(イスラム教徒)の入国を拒否せよ」、オバマ政権の進める
「銃規制反対」を叫ぶトランプが、この事件直後にヒラリーに奪われかけ
た人気をまたまた回復したように、これから大統領選挙に向けてイスラム
過激派テロリスト、とりわけホームグロウンと呼ばれる過激派がなぜ産ま
れるのかが、効果的な取り締まりができないのか、論争の的になるだろう。

 さて話は飛んでアルバニアである。
ながく鎖国をしてきたので忘れられた国だが、いまでは首都のティアラの
町は交通渋滞がおこり、深夜営業のバアがあり、BMW、ベンツ、レクサ
スが町を疾駆している。
これまでISのテロリズムとはおよそ無縁と思われたアルバニアに異変が
おきているのだ。

 アルバニアはホッジャ独裁政権時代(1944−1985)に、反政府
の知識人、宗教家、民主活動家およそ6万人が血の粛清となって消えた。
 古代に溯れば、ギリシア、ローマの支配を受け、東西ローマ分裂後は東
ローマ、そして15世紀にはオスマン・トルコに支配された。
 オスマン・トルコ時代、キリスト教からイスラムへの改宗を強要された
ため、アルバニアは欧州では珍しく無神論がいまも蔓延る(チェコとこの
点で似ている)。

 第二次戦争中は、イタリアに占領され保護領化、ついでナチス・ドイツ
の支配をうけ、第二次大戦後のどさくさにスターリン主義のホッジャが政
権を掌握し、独裁政治を敷いた。ところがホッジャは国際的な共産主義運
動には距離をおき、ユニークな路線をひたすら歩んだ。
事実上の鎖国だった。
 

 ▼アルバニアの民主政治は矛盾に満ちていた

 ソ連と袂を別ち、事実上の鎖国体制下では唯一の援助は中国からやって
きたが、中国が改革開放に転換すると中国批判のもっとも先鋭的な国と
なった。
中国の国連復帰を提唱した「アルバニア案」の提出国だったのに。変われ
ば変わるもの、そしてホッジャは憲法を改正し、世界でも珍しい「無神
論」を建前の国家となった。

そのアルバニアが冷戦終結直後に民主化を成し遂げ、真っ先にNATOの
メンバー入りし、目抜き通りを「「クリントン・アベニュー」と名付け、
親米路線一直線を突っ走る。
湾岸戦争の捕虜としてグアンタナモ基地に収容されていたウィグル族五名
を引き取ったのもアルバニアだった。

NATO参加条件として、アルバニアはアフガニスタンの多国籍軍にも軍
隊を派遣するほど、その見返りにコソボ独立を勝ち取った(コソボはアル
バニア系が多くなり、セルビアが西側の敵とされ空爆で力が喪失したチャ
ンスをついて、独立したが、ロシア、中国、セルビアなどはコソボ独立を
承認していない)。

 しかしアルバニアの民主化は複数政党制を認めるが、少数政党の乱立、
つねに政局は安定せず、連立政権の組み替え、政権交代がつづき、
NATO入り後も経済政策はうまく機能せず、高官らの汚職が浸透し、若
者の失業率は40%に達した。
 政党は社会党、民主党、緑の党、社会民主党、人権党連合など十数もあ
る。極右の「赤黒連合」というスキンヘッドも目立つようになった。

ホッジャ時代、あらゆる宗教は禁止され、教会は監視されていたが、カソ
リック系のキリスト教会も、アルバニア政教系の東方正教会も息を吹き返
し、やや遅れて、あちこちにモスクが建設され始めた。

サウジアラビア、UAE、そしてトルコが競うようなモスクの寄付を行
い、あちこちにモスクが急造、そこへ外国帰りの指導者があつまって、教
育を始めた。
特徴的なことは従来の宗教指導者や教会、モスクではなく、海外から直接
的な寄付と指導者の派遣があり、宗教学校も建てられたのだ。

宗派登録はともかく、宗教の分布図をみると無神論が70%、東方正教会
が10%、カソリック8%に比較して、イスラムが11%。このうち1・
7%に満たない神秘主義イスラムが認められている。(ワトソン研究所の
2004年調査)。

 アルバニアは人口が300万人弱。面積は四国の1・5倍に満たない農
業主体の国家で、経済的結び付きは対岸のイタリアである。ところが国
旗、國章は双頭の鷲、赤地に鷲のデザインは一種不気味な印象を与える。

 たいそう危険な状況は、ISへ100名を超える若者が志願し、シリア
とイラクに向かったとされる問題で、モスクのなかで、いったい何が語ら
れ、何を教えているのか、アルバニア政府が頭を抱える。
 
 
 ▼テロリズムの爆発が近づいている?

 アルバニア政治の形態はイスラム法を基礎とした西側民主主義というア
ルバニア独特のスタイルだ。
ところが、モスクで教えられていることは同性愛を認めないとする厳格な
イスラム法を実現する路線である。

要するに西側民主政治とイスラム法の共存は欺瞞であり、協調は不可能だ
とする考え方の蔓延である。アルバニア政府はアメリカの傀儡だと過激派
は訴えるのだ。

 バルカン半島の民族浄化戦争もおさまって、アルバニア系主体のコソボ
が独立し、ようやくバルカンに平和が訪れたかに見えたが、地下ではイス
ラム過激派のテロリズムの温床となっていた。

 主因は経済的停滞、困窮であり、資本主義を誤解した民衆が「ネズミ
講」に騙されて、全土が暴動に包まれ、治安が悪化した。
なにしろチトー批判の時代から、国民は銃を所有し、アルバニアのいたる
ところ50万ケ所にトーチカを築いた国柄であり、水と油の宗教の混在、
鼎立が円滑化することは、考えにくいのである。

「虚無的な個人主義者の群れは全体主義の前に拝跪する。現に、市場原理
主義による世界破壊の大実験のあとにやってきた大恐慌の足音に怯えて、
人々が1930年代の再来かと思われるような政治的動きを各国で始動さ
せている」。しかし「資本主義の廃絶などは昔日の夢である。

人間の活力は、私有財産制がなければ、かならず衰滅する。資本を政府所有の下にお
いたとて、一つに、政治による人間の組織か化は全体主義の地獄を将来す
るし、二つに、政府による未来予測は、物理的および金銭的な資本の活動
現場を把握できないため、不合理の局地に至る」(西部遭『保守の辞
典』、幻戯書店)

日本とはまったく無縁の国、アルバニアが暗闇に沈みかけている。

◆木津川だより 〜岩船寺〜 

白井 繁夫



「岩船寺」(木津川市加茂町岩船)は、一度訪ねた浄瑠璃寺の北東約1.2kmの処にあります。この両寺院付近の山間の小道を辿ると、各所に散在している鎌倉時代の石仏に出会えます。

観光案内には岩船寺から浄瑠璃寺へと山を下っていくと約40分の距離で楽しく散策できると記してありました。

ところが、私は浄瑠璃寺へ先に来ましたので、やむなく山道を登る逆ルートをとり、下って来る人とすれ違うので山中で迷うことが無いと思いながら歩いて往くことにしました。

浄瑠璃寺の門前から加茂へ向う舗装道路を進むと「藪の中地蔵」と呼ばれている磨崖仏が竹藪の中にありました。お地蔵さんだけでなく定印の阿弥陀さん、長谷寺式(右手に錫杖.左手に宝珠)の十一面観音立像がそれぞれ舟形の龕(がん)の中に浮彫りされてあり、中央の地蔵菩薩は1.5m高位もあって、本格的な石工橘安繩作の立派な姿です。

当尾(とうのお)の石仏のなかで最も古い弘長2年(1262)の作で、現在までに知られている橘派石工の最古例です。大工や助手、並びに願主や僧尼など9名の名前を記した長文を刻んでありました。

ここから北へ向かうと大門石仏群があり、この地方最大の阿弥陀如来の大磨崖像を見ることが出来るとのことです。この度は「岩船寺」へと、「カラスの壺」を目指して進むルートを歩き、「あたご燈籠」で右(東方)へ折れて、4本の山道が出会う広場へと進みました。(通称「カラスノツボ」:“路傍にあった石を円孔に彫って「唐臼(カラウス)の壺」の形状の様に見えたのがなまって、カラスノツボと呼んだとのことです。”)

石仏はこの場所の西の崖下の東面に阿弥陀如来、南面に地蔵菩薩が刻まれており、刻銘は南北朝時代の康永2年(1343)の作とあります。当尾石仏群の中では最も新しい遺品の一つと云われています。

阿弥陀如来像の右側に線刻で燈籠をあらわし、その火袋の所を彫って燈明を立てられるようにしているのは、大変珍しいとのことです。

「カラスの壺」から東へ進み山道の登り坂の手前を右に折れて「笑い仏:阿弥陀三尊像」へ寄り道しました。

小高い崖に巾広の舟形のくぼみ(龕)を彫りその中に三体の坐仏を浮彫りしてあり、仏の上の岩がせり出して自然の軒をなし、雨露がかからない様になっているためか、蓮華台に坐す各仏は数世紀(永仁7年:1299年の猪末行作)を経ても、風化されていない状態です。

中央の阿弥陀如来や左右の脇仏もともに、穏やかな顔で目を細めてほほ笑む姿は、真に「笑い仏」と呼ばれて愛され、親しまれて来たことがよく理解できました。

もとの山道に戻り、「岩船寺」を目指して登り始めましたが、山中に入ると(私にとっては)急坂を登るので、周りの景色や石仏のことなど構う余裕を失い、ただ只管に一歩づつ足を前に出すだけになりやっとの思いで、門前にたどり着きました。(歳は取りたくないですね)

「岩船寺」の門前は、浄瑠璃寺よりもっと山寺といった風情でした。狭い山間に建っている寺門への石段を登る西側に檜皮葺の白山.春日の2神社(室町時代の遺構)がありますが、寄らずに寺門をくぐり境内に進みました。(この神社は嘗ての岩船寺の鎮守でした。)

右(西側)の庫裏とつながる本堂には丈六の阿弥陀如来坐像(重文)が安置されており、小さい池の左(東側)に重文の十三重石塔、南の奥の小高いところに屋根は瓦葺ですが、褪せた朱色の三重塔(重文)が建っています。

門のすぐ左には五輪塔.地蔵菩薩石像.不動明王石室(応長2年:1312年作)等それぞれ皆重文の石造遺構です。あまり広くない境内ですが、調和し静かに佇んでいました。

「岩船寺」の創建については明らかではありません。

『岩船寺縁起』によると、「僧行基が岩船寺の近くの鳴川に阿弥陀堂を建てたのがはじまりで、その後、空海が善根寺(鳴河寺)を建立して、空海の弟子(甥)の智泉大徳が、嵯峨天皇の皇子の誕生祈願に善根寺の東禅院灌頂堂(かんぢょうどう)内に報恩院を建立しました。その後、弘安2年(1279)にこの報恩院を岩船(いわふね)の地に移し、同8年に供養した。」とあります。しかし確証はありません。

大同年中(806〜809)嵯峨天皇の皇后(橘嘉智子)が、皇子誕生を祈願して報恩院を創建し、智泉を咒願(しゅがん)とした、とあります。『弘法大師伝:高野山智燈撰』。
「岩船寺」の山号が高野山報恩院とされているのが、善根寺の法燈を継ぐものと云われています。

「岩船寺」の寺名は、弘安10年(1287)不動磨崖仏の銘文にはじめて登場し、つづいて永仁7年(1299)の阿弥陀三尊像(笑い仏)にも出ています。

本堂に安置されている天慶9年(946)在銘の阿弥陀如来坐像(重文)や11世紀初めの普賢菩薩騎象像(重文)は、他寺から移入したとしても応長2年(1312)在銘の不動明王石室(重文)や鎌倉時代後期の作の十三重石塔(重文)などの石造物の遺品からすると、鎌倉時代後期には存在したものと推察されます。

室町時代の嘉吉2年(1442)に現在の三重塔(重文)が建立され、同じ頃、鎮守の白山神社の本殿も建立されました。

寺の周辺には13〜14世紀の年紀をもつ石造遺物が多く散在しており、山の峰々を回峰行する修験道的な活動の道場の役目を持つ「岩船寺」は、中世僧徒の活動の場所でもありました。

『興福寺官務牒疏』には「坊舎八宇、交衆十二人」とあり、15世紀ごろが最も寺運が盛んであったのではないかと思われます。

「岩船寺」は浄瑠璃寺同様、興福寺一乗院の末寺でしたが、現在は真言律宗西大寺の末寺です。

本堂に上がると、4体の四天王立像に守られた大きな阿弥陀如来坐像(重文)に圧倒されました。欅の一木造りで高さが3m弱あり、本堂が小さく感じました。像内の墨書銘により天慶9年の作とわかり10世紀半ばの基準作例として大変貴重とのことです。

堂内には、もとは三重塔に祀られていた平安時代の普賢菩薩騎象像(重文)や十一面観音立像(鎌倉時代)などあり、疲れた体も心も各仏様から安らぎのひと時を戴きました。

次回は古代にもどり、「木津川沿いの古墳時代の散策」もと思っています。

参考資料:
      日本の古寺美術  18   保育社  肥田路美著
      加茂町史 第一巻   古代.中世編  加茂町
      大和の古寺7     岩船寺 岩波書店 
                       (郷土愛好家)

2016年06月14日

◆大量殺戮は支那の伝統

平井修一
>
> 日本の人口は縄文時代の寒冷期を除いて、稲作の弥生時代の59万人から2008年の1.26兆人まで基本的に増え続けてきた。つまり安定していた。庶民に災禍が及ぶ戦乱があまりなかったためだろう。
>
> 一方で支那大陸では人口激減が頻繁に起きている。新唐人TV2010/9/24から。
>
> <共産党政権の政策で犠牲となった中国人は膨大な数に上ります。1950年代後半からの「大躍進政策」の死者の数はずっと謎でしたが、最近、ロンドン大学のフランク・ディコット教授は、4500万人以上が餓死したと述べました。
>
> ディコット教授は「毛沢東が発動した大躍進政策は、強引な生産ノルマを課したが、誰もその誤りを指摘せず、しかも毛沢東が食糧による、ソ連への借金返済にこだわったため、食糧事情が悪化した」と指摘>(以上)
>
> 文革時代を含めて毛沢東は最大で8000万人を死に追いやったと言われるが、支那では「王朝が変わるたびに死屍累々」、これが初期設定のようだ。ブログ「my 近代史」にはこうあった。
>
> <支那大陸では王朝が変わる際に数千万人単位で人口が激減している。1861年には1.6億人も消えている。
>
> (なぜそれが分かるのか?)片っ端から前王朝の遺産、書物や建造物などを破壊しつくした新支配者は、戸籍(人口)を記す資料は必ず残した、民を搾取するために>
>
> 徴税、徴兵などのために戸籍が必要だったのだ。
>
> このブログは「支那人口の歴史的考察」(イウァン・イリイチ・ザハーロフ著、1852年、後に満州鉄道調査部が日本語訳刊行)を引用しているのだが、たとえば隋の606年の人口は4600万人、20年後の唐の626年は1650万人で「2900万人」が消えている。
>
> (消えている人口は)唐の755年と200年後の宋の976年では「3500万人」、宋の1101年と60年後の南宋1160年では「2700万人」、明の1504年と140年後の清の1644年では「4900万人」、清朝末期1861年の太平天国の乱では「1億6500万人」が消えている。
>
> 飢饉、病気もあるだろうが、戦争、紛争などでの大量殺戮も相当あったろうと考えざるを得ない。
>
> <新王朝側は旧王朝側を殺戮しまくった、たとえ同一民族同士であっても。戦争は100万〜200万人規模になることもあり、数十万人が死亡する。
>
> 勝者は敗者/捕虜を処刑するよりも楽な方法=生埋めで殺害している。たとえば秦は降伏した趙の捕虜40万人を生埋めにしている(長平の戦い)。
>
> 中国の都市は刑務所の塀のように高く ぶ厚い城壁に囲まれた内側にあり、その都城が戦場になることが多々あり修羅場となる。(南京城の塀の内側は東京山手線内側程の広さ)
>
> 日本の都市は城の外(城下)にあり戦場はおおむね郊外になり、農民は見物さえしている。(平井:武田信玄と上杉謙信の戦では収穫期を避けている)
>
> 支那では戦争になると農家も戦いに駆り出され農地が荒れ大飢饉になった。堤防破壊、頻発する洪水、田畑は破壊、大旱魃、いなごの大発生で食糧難になり、草木や虫を食し、人肉食までして過去数千年を生きてきた。
>
> 彼らは他人を一切信用しなくなる、政府も信用しない、自分の生活が第一、となる。そして今でも中国人は誰も信用せず、自国を信用せず、多くが国外へ移住することを望んでいる>(my 近代史)
>
> 苛烈、過酷な歴史と自然環境。戦争でも督戦隊がないと兵は逃げ出すから、味方に殺される兵もずいぶんいたろう。
>
> 支那では奪い尽くし、殺し尽くし、焼き尽くす戦法を「三光作戦」と呼ぶ。支那では「光」とは「何もない」という意味もあるようで、「吃光」は「食べ尽くして何もないこと」だそうだ。日本では「光」にそういう意味はない。
>
> <中国語での呼称である三光作戦は、1941年の『解放日報』に初出が見られるという(当時の『解放日報』は中国共産党の博古が責任者)。日本では撫順戦犯管理所等に収容され、後に解放された中国帰還者連絡会(平井:洗脳された日本人捕虜)が1957年にカッパブックスから出版した『三光』から、この「三光作戦」という呼称が広がった>(ウィキ)
>
> 支那の伝統的な戦争の作法が「三光作戦」なら急激な人口減になるわけだ。中共(戦前は共匪)ではこれを「報復清野」と呼んでいたようで、敵が何もできないようにきれいさっぱり「何もない」状態にすることだ。すなわち奪い尽くし、殺し尽くし、焼き尽くす。
>
> 残酷的、嗜虐的な殺人方法や大量殺戮は支那の伝統だ。中共はこれらを世界遺産に是非登録した方がいい。日本はしっかり応援すべきだ。日中友好万歳!(2016/6/13)

◆日本の敵は日本人だ!

〜GHQの魔法が解けない人たちの自由すぎる言行を断罪する〜

阿比留瑠比



「日本の報道の独立性は重大な脅威にさらされている」

 2016(平成28)年4月に来日した国連人権理事会の特別報告者、
デービッド・ケイ氏は記者会見でこう指摘し、政府の圧力がメディアを萎
縮させていると批判した。ケイ氏は日本で国会議員や報道機関関係者、
NGO(非政府組織)関係者らから話を聴いたのだという。定めし、偏っ
た人たちの意見ばかり耳に入れたのだろう。

 また、国会での野党質問や著名なテレビキャスターらの発言をみると、
盛んに「報道現場の息苦しさ」「自己規制」などを強調している。安倍晋
三首相が「独裁的手法」で「立憲主義を破壊」した結果、現代日本では言
論の自由、そして民主主義そのものが危機を迎えているのだそうである。

 だが、誰も具体的に政府からどんな圧力がかかったのかは語らない。何
もないから語れないのだ。立憲主義も民主主義も、自分に都合のいいよう
に恣意的に解釈して意に沿わぬ相手への攻撃材料にしているだけにみえる。

 戦後長く、日本の言論空間を主流派としてほしいままにしてきた左派・
リベラル派の人たちが、以前は自分たちの主張を傾聴していたはずの国民
が思うように操れなくなって慌てている。そして、みんな安倍政権の陰謀
だと騒いでいるのではないか。

 むしろ筆者は、ようやく当たり前のことを当たり前に言える時代になっ
てきたと、そうしみじみそう感じている。

 「事実を述べたものに過ぎず、首相として事実を述べてはならないとい
うことではない」

 安倍首相が15年3月6日の衆院予算委員会で、こう明言したのは一つ
の象徴的なできごとだった。過去に産経新聞のインタビューで現行憲法に
ついて「連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全くの素人の人た
ちが、たった8日間で作り上げた代物だ」と語ったことについて、民主党
(現民進党)の逢坂誠二氏の追及を受けてのことである。

 翌日の在京各紙で、この発言を特に問題視したところはなかった。一昔
前ならば、地位ある政治家が憲法が米国製の即席産物であるという「本当
のこと」を指摘したならば、右翼だの反動だのとメディアの批判にさらさ
れ、袋だたきに遭っていただろう。

 また、これに先立つ記者会見で東京裁判の法律的問題点について言及し
た自民党の稲田朋美政調会長が、産経新聞の取材に「以前は東京裁判を批
判するなどあり得ない、という状況だった」と振り返ったのも時代の空気
が変わってきたことを示している。

 文芸評論家の江藤淳氏のいう戦後日本を長く覆ってきた「閉された言語
空間」はほころび、自由闊達な議論がかなりの程度、可能になってきたの
は間違いない。

 現在では、その本質的な虚構性と政治性があらわになってきた慰安婦問
題もそうである。かつては「従軍慰安婦」という言葉が戦後の造語である
ことを指摘するだけで、「慰安婦の存在を否定する人たち」と偏見に満ち
たレッテルを貼られたものだった。

 軍や官憲による強制連行の証拠は見つかっていないという事実を述べる
と、元慰安婦の人権を無視する暴論だと反発された。1996年に早大学
園祭のシンポジウムを取材した際には、同様の趣旨を述べた藤岡信勝東大
教授(当時)に学生らが罵声を浴びせた。

 「元慰安婦の前でも同じことが言えるのか」

 「教授のその感性が許せない」

 まるで議論がかみ合わず、藤岡氏に対する集団による私刑のような雰囲
気だったことが強く印象に残っている。

 さらに現在では、左派系の野党議員も含めて国会で普通に外交上の「国
益」が論じられているが、これも以前は利己的で自己中心的な用語として
忌避されていた言葉だ。

 「国益を考えない援助はあるのか。ODA(政府開発援助)政策の中に
国益の視点があるのは当然だ」

 2003年6月の参院決算委員会で、小泉純一郎首相(当時)が中国へ
のODA見直しに関してこう述べた際には永田町界隈(かいわい)で話題
を呼んだ。それまでは国益を堂々と追求することについて、どこかうしろ
めたく思う風潮があったからだろう。

 少しずつではあるが戦後のタブーは破れ、確実に社会は正常化してお
り、以前はうかつに口にできなかった「本当のこと」を堂々と語れるよう
になってきている。

 戦後の占領期、GHQは新聞、ラジオなどメディアに(1)東京裁判
(2)GHQが憲法を起草したこと(3)中国−などへの批判や、「占領
軍兵士と日本女性との交渉」などへの言及を禁じ、厳しく検閲していた。

 この検閲の後遺症と身に染みついた自己規制から、日本社会は少しずつ
回復してきた。ちょっと前までは特に保守系の言論に対し、甚だ不寛容な
空気が支配していたが、随分と自由度が増し、風通しがよくなった。

 そんな中で、かつて特権的な立場にあった左派系言論人、ジャーナリス
トらは時代に逆行して「政権批判を自粛する空気が広がっている」などと
盛んに吹聴しているのである。

 政権を批判したら、ネット上で激しくバッシングされるのだそうだ。

 これまで保守系の言論を根拠なく蔑視し、時に無視し、また時には危険
で有害なものだと決め付けて「弾圧」してきた彼らは今、これまでのやり
方が通用しなくなってうろたえ、逆上しているようだ。

「安倍政権はテレビ報道を神経質に気にして、監視チームをつくって
チェックしている」

 16年3月にはジャーナリストの鳥越俊太郎氏が記者会見でこう語って
いた。だが、監視チームは本当に実在するのだろうか。これは実態の伴わ
ない被害妄想ではないのか。

 現在、報道機関の偏向やジャーナリストのいい加減な発言を監視・検証
しているのは、政府や与党ではなかろう。そうではなくて、インターネッ
トという情報収集・発信の手段を手にした市井の人たちだと考える。

 左派・リベラル系の言論人たちは、一般国民の向ける厳しい視線が耐え
られないのだ。

 だからそこから目をそらし、本当は存在しない仮想敵を相手にファイ
ティング・ポーズをとり、己に「私たちは正しい」と言い聞かせている。

 GHQが日本人にかけた魔法は、かなりの程度、解けてきた。だが、魔
法が生み出した「夢の世界」に安住し、そこに閉じ籠もって出てこない人
たちもまだたくさんいる。

■阿比留瑠比(あびる・るい) 産経新聞論説委員兼政治部編集委員。
1966年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。90年、産経
新聞社入社。仙台総局、文化部、社会部を経て、98年から政治部。首相
官邸、自由党、防衛庁、自民党、外務省などを担当し、首相官邸キャッ
プ、外務省兼遊軍担当などを歴任。2013年、政治部編集委員。15
年、論説委員兼政治部編集委員。著書に『破壊外交 民主党政権の3年間
で日本は何を失ったか』『決定版 民主党と日教組』(いずれも産経新聞
出版)、『政権交代の悪夢』(新潮新書)など。
※この記事は6月15日発売の『偏向ざんまい〜GHQの魔法が解けない
人たち』(産経新聞論説委員・阿比留瑠比 産経新聞出版)から転載
【産經ニュース】 2016.6.12 01:00  〔情報収録 − 坂元 誠〕

◆黒海をNATOの湖にはさせない

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)6月13日(月曜日)通算第4934号 >
 
〜「黒海をNATOの湖にはさせない」(プーチン)
   「黒海をロシア海軍の湖とはさせない」(エルドアン)〜

 
黒海における軍事的主導権をめぐって、NATOとロシアとの目に見え
ない係争が継続している。

 トルコはNATOのメンバーであり、昨年11月24日にはトルコ軍機
がロシア戦闘機を撃墜した。
爾来、両国の軍事緊張がつづき、発言はエスカレートしている。

 「黒海をロシア海軍が自由に遊弋する湖とはさせない。したがって
NATOは海軍の強化を急げ」とトルコが発言すれば、すかさずロシアは
「黒海をNATOの湖にはさせない」と対抗した。

 ロシアの黒海艦隊は地中海艦隊と連動しており、じつは海賊退治では、
NATOとロシアの黒海艦隊は協力し合っている。

 地中海には米海軍の空母のほか、フランスの空母も投入されているが、
反面でロシアと中国海軍の艦隊が合同軍事演習を展開している。ロシアは
シリアに海軍基地を確保している。

 トルコのエルドアン大統領は「黒海はほぼロシア海軍の湖と化してい
る。この状況を打破する必要がNATOにはある」とEU諸国にも対応を
急がせ、現在、ルーマニア海軍をテコ入れして、ルーマニアの港湾を母港
とする艦隊の編成計画を発表している。

ウクライナのポロシェンコ大統領はこの動きを容認する態度をとっている
ため、ロシアは苛立ちを隠さない。黒海艦隊の母港はセバストポリだが、
オデッサという良港はウクライナの南西部に属しているからだ。
 
 ロシアはこの構想にするどく反撥し、「ロシアは近く何らかの対抗措置
をとるであろう」と頑なな姿勢を示した。


 ▼印度、BRICSなど不安定要因が増えて。。。。。

 またロシアはインドの西側への接近に異常な関心を寄せている。
 印度海軍は米軍との共同演習をおこない、近く米国からもハイテク兵器
の導入を決定しているが、従来のロシアとの同盟関係から、インドの兵器
体系は90%前後がロシア製である。

 ロシアは衰退傾向のBRICSのテコ入れを盛んに参加国に呼びかけ、
これを梃子にインドの過度な西側寄り外交に牽制球を投げている。

 米国の間接的目標はインドへの影響力を強め、BRICSを相対的に無
価値なもととすることだが(現実に原油価格下落によってロシア、ブラジ
ル、南アの三ヶ国はBRICSどころではなくなっているが)、インドの
立場はと言えば、訪米したモディ首相の言動を追っても、ついに南シナ海
には言及せず、米印同盟は経済の分野のみに限定するかのような発言を繰
り返し、オバマ政権をがっかりさせた。

 他方、米国はベトナムへの武器輸出を再開するとし、オバマ大統領がベ
トナムを訪問すると大歓迎をうけた。

ベトナムを梃子に米国は当面、南シナ海での中国牽制の武器として駆使す
る戦略が露骨になった。
--

2016年06月13日

◆役者はそろったが、帷幄は不協和音

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)6月12日(日曜日) 通算第4933号 >


 〜役者はそろったが、帷幄は不協和音でギシギシと
  トランプ、組織が団結に遠く、そして資金集めは立ち後れ〜

 人気投票ではヒラリー・クリントンと五分五分のドナルド・トランプ陣
営、しかしクリントン陣営と決定的な差違は、組織化の立ち後れ、資金集
めがようやく開始されるという泥縄的な遅れである。

 まず帷幄をみるとメンバーは揃いつつある。

 戦略チーフはフィクサーとして著名なポール・マニフォート、主将格は
真っ先にトランプを支持したクリス・クリスチーヌ(ニュー・ジャージー
州知事)。

 資金集めの応援団長格にブッシュ陣営の責任者だったウッディ・ジョン
ソンとジョン・カスティマテイディスが加わって、共和党からもベテラン
のライス・プライパスが急遽加わり、なんとか陣営の中核部分が形成された。

 選挙スタッフはと言えば、トランプは70名しかしない。
一方のクリントン陣営にはウォール街や労組からの派遣組で732名のも
スタッフ。十倍の開きがある。

 資金面はどうか。クリントンはすでに10億ドルを集めた。
 トランプはこれまでの予備選で5600万ドルを使い果たし、資金切れ
となる。

ようやく本格的な資金集めを開始するが、目標は10億ドル。半分も集ま
らないと予測されている。
 ウォール街と金持ちが依然としてトランプに冷淡だからだ。

 この遅れを取りもどそうと、トランプ陣営は6月10日にニューヨーク
のフォーシーズンズ・ホテルに幹部を集め、初めての資金キャンペーン対
策会議を開催した。

 しかしカスティマティデスはいう。「彼の効果的なテレビ出演をCM費
用に換算すれば、優に10億ドルに値する」と強気である。

 さて最大の難題は組織化だろう。
 共和党組織が強いのはニュー・ジャージー州、メリーランド州、そして
カリフォルニア州だが、選挙本番で死命を制するほどの影響力を持つフロ
リダ、ウィスコンシン、ペンシルバニア、オハイオ州でトランプ選対の組
織化が遅れに遅れている。

 ところでバーニー・サンダースはまだ民主党の予備選から撤退しない
が、もし「副大統領候補」としてのチケットを引き受けるとなると、トラ
ンプの勝ち目はまずなくなると見られている。

しかしサンダース支持者は「それなら棄権する」「トランプに入れる」と
いうウィング現象も予測される状況下、直近の「ワシントンポスト」(6
月11日)の世論調査では、第三候補のグレイ・ジョンソン(リバタリア
ン党)へ投票が相当数流れそうだという。

 1980年のカーター vs レーガンではアンダーソンが第三候補と
して出馬し、7%を取った。

92年にはブッシュ vs クリントンにロス・ペローが出馬し、19%
もとって、優位といわれていたブッシュ落選となった。

 2000年にはラルフ・ネーダーが「緑の党」からでて、3%だった
が、こんどはクリントン、トランプともに「嫌い」「大嫌い」とする反応
があまりにも協力であり、思わぬ第三党の大飛躍があれば、予測はさらに
難しくなる。