2016年06月05日

◆カリフォルニア州予備選直前

〜ヒラリー人気が「蒸発」〜
宮崎 正弘 



<平成28年(2016)6月4日(土曜日)
          通算第4920号 <前日発行>>
 
〜カリフォルニア州予備選直前、ヒラリー人気が「蒸発」
  トランプ攻撃を高め、サンダース批判を抑制する戦術に変更〜

 7月7日の民主党予備選の天王山と目されるカリフォルニア州で、ヒラ
リーの人気が「蒸発している」(ニューヨークタイムズ、5月27日)。

 2008年の予備選では、ヒラリー・クリントンが8%の差を付けてオ
バマにせり勝った。カリフォルニア州は元来、民主党贔屓のリベラル派、
過激左翼、ラジカルの本場である。ところが、16年三月、ヒラリーとサ
ンダースの差は2%しかないことが分かり、現時点ではサンダ−スに逆転
されているようである。

 そこでヒラリーは戦術を変え、トランプへの攻撃を激化させた。
なぜならカリフォルニア州を落としても、党大会での指名は確実であり、
何時までも党内の論争にかまけているわけにはいかないからだ。

 6月2日、サンディエゴで演説したクリントンは「トランプは危険その
もの、一貫した政策はなにもない、単なる金持ちであり、彼が大統領に選
ばれるとしたら歴史的なミスティクだ」ときつい一発から始めた。

 「かれには米国のトップに就く資格もなければ用意もない。かれにアメ
リカの運命を決めさせるダイスを預けるわけにはいかない」(この箇所、
「核のボタンを持たせられない」と意訳した日本のメディアが多かった)

 さらに批判のオクターブは高まり、「ゴルフ場での競争なら死ぬことは
ないが、国家の運営は無限に高く複雑であり、世界中の豪華ホテル(の経
営手腕)とは違う。実際に外交を間違えれば、米兵が死に直面するのだ」
 
 「トランプ氏はムスリムを追い返せと吠え、NATOと日本に核兵器を
持たせろと訴え、戦争の英雄であるマケイン上院議員を「負け犬」といっ
た。こういう感覚の人物に外交政策がある? なぜなら彼はミスユニバー
スを開催した国際経験があるからですって?」

 ヒラリーはファーストレディ、上院議員、そして国務長官として外交に
は豊富な経験と自信があることを強調し、「トランプ氏とは違うのよ」と
強く印象づける作戦にでた。

「外交交渉は複雑であり、世界で本当に何が起きているかを把握しなけれ
ばならず、単に強いアメリカの再建を叫ぶだけであれば、戦争をしかねな
い。いやトランプ氏が大統領になったら米国は戦争をすることになる」と
有権者の心理に危機意識を煽る。

 ヒラリーは、こうしてトランプの過激発言を並べ立てて非難することに
より、浮動票ならびにトランプに反撥する共和党支持者の票を貰い受ける
戦術と言える。
しかし、正式指名獲得までにヒラリーはあと70票を必要としており、カ
リフォルニア州を落とすとなると、党大会へ指名がずれ込むため、名状し
がたい焦燥に捕らわれているのも事実だろう。

 トランプはサンクレメント空港で記者会見に応じ「彼女は嘘つき、演説
はプロンプターで過去の演説を繰り返しただけ、嘘を繰り返しただけだ」
とやり返した。
 攻撃合戦ますますヒートアップしている。
      ○△◎ま□◎◇さ○○○ひ○△◎ろ◎◇○  

2016年06月04日

◆OPEC減産合意ならず イランが増産を目指す

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)6月4日(金曜日)弐通算第4919号 >

 〜OPEC減産合意ならず イランが増産を目指し、サウジはにんまり
  大減産による原油値上げに期待したベネズエラの悲痛な叫びも虚しく〜


 6月2に、ウィーンで開催されていたOPEC総会は、またもや減産合
意に到らず、市場では原油相場が下落した。
プーチンは原油の値上げを待つが、OPEC参加国ではない。しかし
「OPECは死んだ」と言っている。
 それなら誰が得をしたか?

 650億ドルにものぼる債務を抱えるベネズエラは、デフォルトが刻一
刻と近づいている。最大の債権者は中国である。
海外純資産3兆ドルなどと豪語してきた中国だが、その中味は「不良債
権」の山、ベネズエラのデフォルトで、もっとも被害がでるのは、中国だ
ろう。

 サウジアラビアは、複雑にして怪奇。もともとサウジの戦略は競合相手
のシェールガス開発を潰すことにあり、米国のシェール開発プロジェクト
は軒並み頓挫中だ。
出資してきた日本の商社も数社が1000億円から2000億円以上の損
害を被った。

 これはサウジが減産に応じないことによって、世界市場で原油代金が下
落しつづけ、1パーレル30ドル台にまで落ちた。
米国のシェールガスは競争力を失う。

 原油減産を続行するとベネズエラなど悲痛な叫びが大きくなり、資源立
国である新興国家群全体の経済が沈下を予備なくされる。それでもお構い
なし、強硬な方針を堅持するために、妥協的姿勢を示してきたアル・ナイ
ミ石油省を解任した。サウジの主導権を握るのはモハメド・サルマン副皇
太子である。

 サルマンは反米姿勢に急傾斜し、同時にモスクワを何回か訪問し、ロシ
アとの教義も深めている。

 ここに新しい主役が登場した。
 イランである。イランは米国からの経済制裁を解かれるや、増産に踏み
切ったのだ。イランの原油生産は一日400万バーレルで、現時点で
350万バーレル強にまで恢復させている。

 したがってイランが増産を続ける限り、OPEC合意は達成不可能である。
原油価格低迷が続けば、ロシア経済の浮上も遅れ、サウジアラビアは国債
を発行し、アラムコの株式上場となり、付随してUAE(アラブ首長国連
邦)など、大型プロジェクトが連続して中断に追い込まれている。
自業自得ともいえる。

2016年06月03日

★6月4日は「天安門事件」から27周年です

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)6月4日(金曜日)通算第4918号 <前日発行>>

 〜トランプ陣営のアキレス腱は有能なスタッフと資金の不足
   これからの本番を闘うには共和党の集票マシンと豊富な軍資金が必要〜

 小誌4916号(6月2日付け)への補遺として書く。
 トランプ陣営のキャンペーン主任は、キャリー・ルワンドウスキーとい
う若者で、2014年に雇用された、
ポーランド系ユダヤ人といわれるが、詳細なキャリアと政治力量は未知数。
 
顧問にケビン・クレーマー、会計責任者がステーブ・ムニュチン。法律顧
問はミカエル・コーヘン。いずれもワシントンの政界ではまったく無名で
ある。つまり選挙のベテランではない。素人の集まりといわれる所以である。
後者のコーヘンは訴訟好きのトランプの裁判担当専門の弁護士である。

 そこでトランプは戦略アドバイザーに大ベテランで、ワシントンのフィ
クサーとして悪名高いポール・マニフォートを雇用した。
かれは1980年のレーガン勝利の舞台裏を仕切った。その後、パナマや
フィリピン、ウクライナなど外国政府のロビィストとしても辣腕をふるった。

 ところが、トランプの帷幄にはいって、「選対本部をワシントンDC郊
外へ移転するべきだ」などとマニフォートが助言を始めると従来のスタッ
フと激しく対立し、内紛が露呈するにいたる。

 トランプの選対本部はNY五番街57丁目のトランプタワーの中にあ
り、出入りが厳しく制限されているので、中の様子がわからない。同タ
ワーの北側一階はティファニーが入っており、世界中の観光客で常にごっ
た返している。
TIME誌が撮影を許可された映像をみると、トランプ選対本部の内部に
はインテリアも何もない、天井剥き出しのオフィスに若いスタッフがコン
ピュータを叩いており、部屋の隅には等身大のトランプの写真と並べてド
ナルド・レーガンとジョン・ウェインが飾られている。
この配置はいかにもトランプらしい。

 さて予備選は5月26日のノウス・ダゴダ州でトランプが勝利し、獲得
した代議員の合計が1238名(過半数は1237名)、これでトランプ
の指名は不動となった。

 残る問題とは何か?
第一に共和党内部の団結が早急に望まれることだが、共和党所属の連邦議
会議員の間に支持が拡がらず、ライアン下院議長は「まだ共和党として正
式な支持を決める段階ではない」とした。主流派はいまもトランプに冷や
やか、ネオコンは反トランプ運動に回った。

もっともライアンは2012年大統領選で共和党候補だったミット・ロム
ニーの副大統領候補だった。かれは明らかに2020年の大統領選挙を
狙っている。
 同期に最後までロムニーと指名獲得を争ったのはニュート・キングリッ
チ(下院議長、当時)である。
したがってキングリッチは、12年の予備選のシコリが残っており、はや
くからトランプを支持する。


 ▼意外にもビリオネアが選挙資金不足に直面している

 第二の問題は「選挙資金」の枯渇である。
 トランプは個人資金で予備選をまかなってきたが、これからの本番を闘
うためには5億ドル以上の資金が必要とされる。
 5月までにトランプの元にあつまった献金は2000万ドル程度と見積
もられる。ヒラリーはすでに10億ドルを集めており、5月だけでもヒラ
リーは2億3000万ドルをあつめた(ちなみに2012年の予備選でロ
ムニーは同時期までに、4億93000万ドルを集めていた)。

 つまり、トランプは共和党公認候補になると、各種共和党系のPACを
通じて、本格的な政治資金を獲得できることになり、爾後の推移によって
は財界、ウォール街からの巨額献金に期待を繋げる。

実際にトランプは二月に退役軍人の諸団体に約束した合計100万ドルの
寄付さえ、まだ送金が半分しか出来ておらず、軍人諸団体から批判が渦巻
いている状態となった。

 第三は各選挙区の情勢を勘案しても、1992年以来、共和党が必ず負
けている州が18ある。
これらの選挙区では連邦議会選挙も民主党が圧倒的に強く、小選挙区制度
の下で、共和党候補がトランプの応援を求めるという場面は、いまの段階
では「想定外」のことなのである。


 ▼選挙戦術の修正が必要となった

 ここで予備選の経過を簡単に辿ってみよう。
 トランプは意外に周到な準備のあと、正式に出馬表明をしたのは
2015年6月16日だった。
 一年後、大方の予想に反して泡沫候補が正式な共和党候補となる。

 しかし予備選でトランプが苦戦し敗退したところはテキサス、ユタ、オ
ハイオ州などだった。
テキサスは強敵テッド・クル−ズの地盤、オハイオはケーッシクが州知事
を務め、またユタ州はモルモン教の総本山、モルモン教徒であるロムニー
が徹底的な反トランプのキャンペーンを展開した。

 当初、苦戦を予想されたフロリダ州は、そのときまでに5900万ドル
を集めていた元州知事のジェブ・ブッシュと保守本流が強く推したマル
コ・ルビオの地盤で、ともにいがみ合った為、党の団結ならず、トランプ
の独走を許した。
マサチュウセッツ州の元知事はロムニーで、当然、彼の地盤だが、トラン
プは辛勝した。アリゾナでも、「戦争の英雄ではない」と現職マケイン上
院議員をぼろくそに批判したが、辛勝できた。
 インディア州での勝利で、トランプ陣営は勝利を確信するに到った。

 こうみてくると次なる問題とは何だろう?
 第一になさなければならないのは過激発言、放言、暴言の修正と、共和
党内の有力者との対話、コンセンサス作りである。
 これをなしえるワシントン通のフィクサーが、まだ不在である。

 第二にイメージの修正が必要とされる。予備選の非難合戦を通じてトラ
ンプはカリスマ性をすっかりはぎ取られてしまったうえ、提言した政策の
実現性が疑われているが、それよりも彼のいう「偉大なるアメリカの再
現」というキャッチフレーズの具体案の提示が急がれるだろう。

 トランプ自らの著作『無力化したアメリカ』(『CRIPPLED 
AMERICA』、サイモン&シュスター社、2015年立候補宣言直前
に上梓)を読んでも、具体的な政策は述べられてはおらず、大意次のよう
な基本方針を明示しているに過ぎない。

 『旧来の政治家の真似をしたくはない。彼らは口先だけで何も実行しな
かったではないか。ロビィストらの活躍による特殊権益で法が決められ、
アメリカの偉大さは失われた。傾いた経済を立て直し、ヘルスケアを再編
し、軍を強く再建し、敵が占領している様をみているだけの軍を戦争に勝
てる強い軍に立て直し、教育をまともに再建し、雇用を増やす。偉大なア
メリカを取りもどすことはそれほど難しくはない』と自信満々だ。


 ▼日本を敵視した姿勢はとうに薄らいでいる

 第三にトランプが貿易不均等、雇用を奪っているなどと強く非難してき
たなかでも、敵性国家たる中国は別にしてドイツ、メキシコ、日本との外
交上の問題点を明確化しておくべきだろう。
 トランプは「反日家」と喧伝されているフシがあるが、これは1980
年代のことである。「貿易摩擦が吹き荒れ、親日派といわれたレーガン政
権の下ですら、反日的な「スーパー301条」などが討議された。

 『トランプの真実』を書いたミカエル・ダントニオ(ピュリツアー賞受
賞作家)によれば、「トランプの日本に対する敵意は薄まり、いまでは
(貿易不均衡の相手)中国と(不法移民のメッカ)メキシコに置き換えら
れている」
 「日本は貿易戦争で地獄の笑顔を浮かべていたとトランプが当時発言し
ているが、二十年以上にわたる不況に陥り、また日本同様に敵視した
OPECへの批判も失せた」(『THE TRUTH ABOUT 
TRUMP』、2016年版、286pから拙訳)。

 さて、これから党大会を経て、八月から本番が始まる。11月8日の投
票日まで予断は許されないだろう。
 

◆阿比留瑠比の極言御免


安倍外交を絶賛しながら安保法制に反対するの は矛盾する 
日米首脳の被爆地での誓いの重みを分かっているのか

 のっけから宣伝話で恐縮ですが、筆者が産経新聞紙面で週1回連載中の
コラム「極言御免」の主要なものと、その他の署名記事10本を集めて再構
成した本が6月15日、産経新聞出版から刊行されます。タイトルは『偏向
ざんまい GHQの魔法が解けない人たち』で、連合国軍総司令部が日本社
会に張り巡らせた「閉(とざ)された言語空間」(作家の江藤淳)から抜
け出せない国会議員や大手メディア、学者、文化人らを取り上げています。
 
そこで本日は、その出版記念にこじつけて、「極言御免」のインター
ネット用特別版を(社命により)お届けしたいと思います。
 
◇ 
 「オバマ氏(米大統領)の広島訪問、そしてスピーチ、被爆者の方と話
される姿。この歴史的な声明を実現された安倍内閣の外交は高く高く評価
します」
 
民進党の蓮舫代表代行が27日夕、自身のツイッターにこう投稿している
のに気づいたのは、三重県伊勢市の国際メディアセンターでのことだっ
た。主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の関連原稿を書きながら、オバ
マ氏の広島訪問を中継するテレビ映像を見てすぐのことである。
 
これについては、その場にいた同僚の担当記者が即座に記事化してネッ
ト上にアップし、大きな反響を呼んだ。その後、岡田克也代表や共産党の
志位和夫委員長も安倍外交は直接触れていないものの、やはりオバマ氏の
広島訪問に一定の評価を与えるコメントを出していた。
 
米側が「最後まで悩んでいた」(政府高官)というオバマ氏の広島訪問
が実現し、当初は数分間の予定だった演説が、「間違いなく心が入って」
(閣僚の1人)17分間にわたる印象深いものになったことは確かに歓迎す
べきだろう。間違いなく安倍外交の大きな成果の一つである。
 
ただ、蓮舫氏が「高く高く評価します」と書いているのを読んで、最初
に脳裏に浮かんだ言葉は「あなたがそれを言うか」だった。外交を何だと
考えているのだろうかと。
 
蓮舫氏といえば、昨年夏の集団的自衛権の行使を限定容認する安全保障
関連法の審議中に、街頭演説でこう言い放った人物である。
 「戦争法案絶対反対!」
 だが、蓮舫氏が今回高く評価した安倍外交、特に対米外交の中で、安保
関連法の制定が極めて重要な部分を占めていたことは言うまでもない。
 
歴史問題においては、安倍首相が昨年4月の米上下両院合同演説で発し
た「和解」のメッセージと同年8月の米国が歓迎した戦後70年談話があ
り、日米同盟の強化では特定秘密保護法制定や安保関連法の制定があっ
た。これら安倍政権の外交面での一つひとつの積み重ねの上に、結果とし
てオバマ氏の広島訪問があるのは間違いない。
 
米国にもオバマ氏個人にも、思惑も事情もあっただろうことは当然だ
が、外務省幹部はこう指摘する。
 
「オバマ氏が自分のレガシー(遺産)づくりのためだけに広島に来るな
んてことはありえない。安倍政権の実績と強さがあってこそ訪問が実現した」
 蓮舫氏らは、安倍外交を一連の流れの中で総合的に判断するべきであ
り、オバマ氏の広島訪問だけを単体で取りだして論じたり、評価したりす
るのは的外れではないか。いいかげん、自分たちの主張の矛盾に気づいた
方がいい。
 
「あの忘れえぬ日に生まれた子供たちが恒久平和を願ってともしたあの
灯火に誓い、世界の平和と繁栄に力を尽くす。必ずやその責任を果たして
いく。日本と米国が力を合わせ、世界の人々に希望を生み出す灯火となる」
 
安倍首相は27日、広島市でオバマ氏と並び立ち、こう演説した。安保関
連法に対し、安易に「戦争法」「対米追随法」などとレッテルを貼って全
否定した人たちに、両首脳が被爆地で誓った言葉の意味と重みや国際社会
の現実が、本当に分かっているのかと疑問を禁じ得ない。
(論説委員兼政治部編集委員)

◆私の「身辺雑記」(349)

平井 修一



■5月30日(月)、朝6:30は室温23度、中雨、散歩不可。

ベランダではド派手なクジャクサボテンが開花。2日しかもたないのが残
念、瞬間保存できたらいいなあと思うが、マルコスに嫁いだイメルダの全
盛時代みたいな輝きだ。今はまったく見る影もないが、知性がないと「美
しく老いる」ことはない、老醜だけ。ちょっと残酷である。↓

http://www.gettyimages.co.jp/detail/ニュース写真/imelda-marcos-
the-wife-of-president-ferdinand-marcos-of-the-ニュース写真/469647355

http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%80%E5%A4%AB%E4%BA%BA+%E7%8F%BE%E5%9C%A8#mode%3Ddetail%26index%3D49%26st%3D1824

拙ブログ2015/8/8の投稿「日米同盟への米国の不満つのる」に田中哲夫さ
んから「対立素が少ない日加同盟に変えるほうが理想」と5/29にコメント
が寄せられた。小生はこう返信した。

「カナダは左巻、このままでは華人に乗っ取られるでしょう。フランス系
の多いケベック州の独立運動はこれからも続くでしょう。内乱の火種は、
英国のEU離脱騒動で温度を高めているのではありませんか。

ケベック州のレストランでウェイターに英語で話しかけたら露骨に無視さ
れたと知人が言っていました。カナダの中の独立国のようです」

<ケベック分離独立運動については、交渉や議論等平和的手段による活動
がほとんどだが、まれに過激派が暴力に訴えることもあった。1963年から
1970年に爆弾・脅迫などを行なったケベック解放戦線によるテロは多くの
犠牲者を出し、「オクトーバー・クライシス」と呼ばれる事件を引き起こ
した。

1967年7月24日にフランス大統領シャルル・ド・ゴールが訪問先のモント
リオールで行った「自由ケベック万歳!」発言はケベック独立運動を盛り
上げることになった>(ウィキ)

火に油を注ぐ、フランスもよーやるよ。今カナダは「トランプが嫌なら
“おいでませーカナダへ”」と米国向けにアピールしているそうな。生き馬
の目を抜く世界。

「日米同盟への米国の不満つのる」、そしてトランプは今、大声を上げて
いる、「金出せ、嫌なら米軍撤収だ」と。オバマの夢「核兵器なき世界」
は戦争だらけの世界になるからあり得ないが、日本は日米安保の片務性是
正を進めるとともに自主防衛に舵を切るべきだ。当然、核兵器を持たなけ
ればならない。ドイツのように核兵器シェアリング、日米Wキーでいいだ
ろう。

TBS系/JNN5/30「シリアで不明の安田純平さんか、ネット上に画像公開」
から。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160530-00000008-jnn-int

<シリアで行方不明になっているフリージャーナリストの安田純平さんと
される新たな画像が、インターネット上に公開されました。

新たに公開された画像では、安田純平さんとされる男性が、「助けてくだ
さい これが最後のチャンスです」と手書きで書かれた紙を手に持ってい
ます。身代金の要求などは書かれていません。

安田さんは去年6月にトルコからシリアに越境した後、連絡が取れなくな
り、今年3月には、安田さんと見られる男性の映像がインターネット上に
公開されていました。

「なぜ動画ではないのか。なぜさらった側から具体的な文書や他の情報が
出てこないのか。不思議なこと、不思議な話がいっぱいありますよね。あ
まりこれっぽちのやつで臆測をめぐらせて話すのは、ものすごく危険なの
で・・・」(中東調査会 高岡豊 上席研究員)

複数の関係者は取材に対し、安田さんは国際テロ組織アルカイダ系の「ヌ
スラ戦線」に拘束されているとしています>(以上)

ウソツキ朝日出身の川上泰徳氏/中東ジャーナリストの論考「安田純平さ
ん拘束と、政府の『国民を守る』責任」(ニューズウィーク5/2)から。

<安田さんの動画が(3月に)出たことを受けて、4月19日のシンポジウム
が開かれた。

パネリストの一人であるジャパン・プレスに所属するジャーナリスト藤原
亮司さんは安田さんとの親交もあり、1月には安田さんの安否をさぐるた
めにトルコ入りし、動画を公開した仲介人のA氏とも接触している。

藤原さんは「安田さんは政府が介入して身代金で解放されることは望んで
いない。それだけ覚悟を決めている。私たちが日本政府に働きかけること
は安田さんが望むところではないはずだ」と発言した。

日本政府が繰り返している「テロ組織とは交渉しない」という従来の姿勢
(のままだ)が、欧州諸国は自国民の救出に積極的に乗り出し、強硬だっ
た米国さえも「自国民保護を最優先」というようになった。そのような流
れの中で、安田さん問題に対する日本政府の対応が問われる。

米国の例を見ても、安田さんを無事帰還させることは、日本政府にとって
も「最優先課題」でなければならない。「テロ組織に身代金を払わない、
交渉しない」という安全保障上の原則を唱えるだけでは、「国民を守る」
という国の責任を全うすることにはならない>(以上)

確信犯的に危険を冒す記者。安田氏は支那の毎日、じゃなかった信濃毎日
新聞社出身である。「誰が私を『人質』にしたのか」「ルポ 戦場出稼ぎ
労働者」などの著書がある。氏のサイトにはこうあった。

<私自身の言動はすべて私自身の判断によるものです。その判断につい
て、私の家族、親戚一同は誰一人かかわっていません。

「自己責任の原則」とは、自分自身の行動についてのみ責任を負うという
ことです。したがって、私の言動に対する責任を私の家族、親戚一同に求
めることは今後おやめいただくようお願いいたします。

私自身の身に何かが起こった場合でも「自己責任」ですので、「自己」で
はない私の家族、親戚一同への取材は一切行なわないよう重ねてお願いい
たします>

朝日的なアカモドキの初期設定は反日である。そのくせ困ったときは「国
民を守るのは国の義務だ」という。小生は「この二枚舌野郎め」と殴る。
バカは死んでも変わらないが、殴らないではいられない。老醜VS老醜。

中共よろよろ、朝日、岩波、NHKはへたってきた。共同通信も角度のつい
た臭い記事は書けなくなるだろう。俺より先に逝けよな。

■5月31日(火)、朝6:30は室温20.5度、晴、ハーフ散歩。

安部氏は消費増税を延期するという。氏はサミットで「リーマンショック
級の危機が来そうだ」と突如言い始めたが、これは「震源地は中共で、中
共は経済破綻、世界は中共ショックでかなりヤバイことになる」というこ
とだ。

これは相当確度が高い情報だから公のサミットの場で公表したのだろう。
中共発の信用不安について中国人民銀行自体が「リスクが多発している」
(人民網5/30)と懸念している。

<中国人民銀行(中央銀行)の陳雨露副総裁は29日に行われた2016年第5
回金融フォーラムで、「当面の中国の金融政策の調整とマクロ金融管理は
新たな要求に直面しており、金融分野には注目すべき3つの問題がある」
と述べた。

陳副総裁は、「金融産業の急速な発展と同時に存在するのは、企業の資金
調達の難しさ、資金調達コストの高さといった問題で、どの地域にもどの
産業にも程度の違いこそあれ存在する」と述べた。

陳副総裁の見方では、「中国の現行の監督管理の枠組には当面の金融産業
の発展にふさわしくない体制的な問題が存在する。一方で中国金融産業は
すでに多様な金融機関システムと複雑な金融商品システムを構築している。

また一方で金融の安定に影響する要因が増加を続けており、金融機関の信
用リスク問題が次々明らかになり、民間の貸出とインターネットが累加す
るリスクが次々に出現している。株式市場、債券市場、外国為替市場など
各市場が相互に連動し問題が伝染しあう状況が進行している」という>
(以上)

つまり企業や地方政府の債務不履行が続発し、今は貸し渋り状態で、企業
はノンバンクから高利で資金調達してやり繰りしているということだ。し
かし、やがては行き詰まって巨大な信用不安の連鎖爆発になるリスクは非
常に大きいと小生は思う。

安部氏が得た情報源は任志強の可能性もある。何清漣氏の論考2/29「フォ
ロワー3700万、ネットの名物富豪・任志強はなぜ袋叩きに?その4つの“大
罪”」から。

<「その名は天下に轟き、謗る声もまた天下に」というのが任志強の現在
の状況にぴったりすぎる表現でしょうか。中共党メディア大砲の砲列は
「裏切り者を党から追放せよ!」から「外国勢力の手先!」まで一斉に砲
火を開き攻撃しています。

彼が一体どんな“過ち”を犯してこんな末路になってしまったのかを考えて
みましょう。

*第一の過ち;中国を普通の国だとおもってしまった

*第二の過ち;「人は出身で決まる」というこの国の伝統の得意技を忘れ
ていた

*第三の過ち;群衆心理を見誤った

*第四の過ち;任志強は「間違った本」を読んでしまった

山歩きのベテランの話ですと、真っ暗な森で最も危険なのは色々な気味の
悪い物音がするときではなくて、あたりがシーンと静まり返った時だそう
です。つまりトラだのなんだの、ほんとうに巨大な危険が迫っているから
シーンとしちゃうんですね。

いま、中国はまだ「断崖から一キロ」だそうですから、皆さん、真っ暗な
中、手探りで生存をはかりましょう>(以上)

「断崖から一キロ」は先の全人代での高官の報告だ。このまま進めば墜落
するぞという警鐘。センサーのない中2坊主の習近平(Xi Jinping)は無
策のままで、党内抗争に明け暮れている。リーマンショックから8年、ジ
ンピンショックが中共を、そして世界を襲うことになる。

生き残るためには株式は静かに売り抜け、預金は引き出し、ドルとゴール
ドをこっそり買う。投資用マンションも値下げして売り逃げした方がい
い。借金はゼロにしておく。そしてひそかに脱出することだ。

同志諸君、耳を澄ませよ、中共崩壊のカウントダウンが聞こえてきた。
ん!「舛添辞めろ」の声もするが・・・

■6月1日(水)、朝3:30は室温22.5度、晴、ハーフ散歩。

65歳になったら加齢スイッチが入って足腰がふらつくようになった。ふわ
ふわしている感じ。嫌なもので、そのうち転倒するのだろう。早めに中共
をやっつけないといかん。大いに焦る。

西本紫乃氏(北海道大学公共政策大学院専任講師)の論考「まるで文革時
代!不気味すぎる習近平ソングが大人気のワケ」(ウェッジ3/29)による
と、支那でこんなアネクドートが流行っているとか。

「北京に来なければ、文革をまだやっているなんて知らなかった。南シナ
海について語らなければ、中国にとっての友人がこんなに少ないなんて知
らなかった。全人代を開かなければ、習近平と李克強の仲がこれほど悪い
とは思わなかった」

習近平版の文革的個人崇拝はどこまで本気なのか、あるいは戯画、漫画な
のかよく分からないが、終末的、末期的ではある。↓
http://www.mgtv.com/v/1/291210/c/2972472.html

何清漣氏の論考5/17「文革の毒の土壌は今も。きっかけさえあれば…だ
が」から。

<文革は果たして中国に再び戻って来るのでしょうか? それを論ずるに
はまず文革はなんだったのかということをはっきりさせなければなりませ
ん。この問題について長年、私は考え続けてきましたが、文革とはつま
り、中国人が最高権力の皇帝の号令一下、現存秩序を暴力によって転覆し
たのだと思っています。

中国の“文化”において、「力崇拝」という源流ははるか昔に遡るもので、
大変根の深いものです。この崇拝は両極の表現を呈するもので、ひとつに
は権力への崇拝、極みは皇帝権力への高い崇拝です。

そして二つ目は暴力への崇拝で、これは中国の江湖文化(訳者注;適当な
訳が思いつかんです。ヤクザ文化? 御法度の裏街道文化? 任侠文
化?)にはずっと存在し続けています。

たとえば「水滸伝」の英雄、遊侠文化やギャング文化への崇拝です。もし
文革を定義する必要があるならば、「文革は権力と民間暴力が中国におい
て千載一遇の好機を得て大結合したもの」といえるでしょう。

文革の性格と、その発生した当時の社会的条件をはっきりさせることで、
我々は文革がまた中国に戻って来るのかを明らかにすることができるで
しょう。

ポイントは、権力と民間の暴力が手を結ぶことはありうるのか? つまり
権力は民間のやり放題の暴力を放埓に任せるかどうか、です>(以上)

「江湖文化という暴力への崇拝」・・・なるほど、小生は支那人は嗜虐的
だと思っていたが、大昔からの伝統文化だったのだ。

ウィキによると――

<『水滸伝』(すいこでん、水滸傳)は、明代の中国で書かれた伝奇歴史
小説の大作、「中国四大奇書」の一つ。

北宋の徽宗期に起こった反乱を題材とする講談を集大成して創作されたと
される。「滸」は「ほとり」の意味であり、『水滸伝』とは「水のほとり
の物語」という意味である。「水のほとり」とは、本拠地である梁山泊を
指す。

水滸伝の物語は実話ではない。しかし14世紀の元代に編纂された歴史書
『宋史』には、徽宗期の12世紀初めに宋江を首領とする三十六人が実在の
梁山泊の近辺で反乱を起こしたことが記録されている。

講談師たちは12世紀中頃に始まる南宋の頃には早くも宋江反乱の史実をも
とに物語を膨らませていったと推定される。

15世紀頃にまとめられた水滸伝では、三十六人の豪傑は3倍の百八人に増
やされた。また、梁山泊は朝廷への忠誠心にあふれる宋江を首領とし、反
乱軍でありながらも宋の朝廷に帰順し忠義をつくすことを理想とする集団
と設定された。

農民反乱を扇動する作品であるとして禁止令が出されたこともあるが、清
代には京劇の題材にとられ、108人が皇帝に従うという展開が西太后など
に好まれた。

中国共産党では、「投降主義」的であると見なされ、降伏経験のある幹部
や妥協的であるとされる幹部への間接的な批判として水滸伝批判が行われた。

1975年の毛沢東の名による水滸伝批判では、宋江(平井:劉少奇)が前首
領の晁蓋(同:毛沢東)を棚上げして実権を握り、自ら首領となった挙句
に朝廷(同:西側の価値観)に帰順したことが「革命への裏切り」である
として非難された>(以上)

「降伏するな、妥協するな、劉少奇やトウ小平らの実権派、走資派、修正
主義者を情け容赦なく叩け、造反有理、正義は我らにあり、司令部を攻撃
せよ!」と毛沢東は無知蒙昧な若者を煽りに煽って残虐な方法で殺人を奨
励した。

権力と民間暴力が合体し、化学反応を起こし、紅衛兵という殺人・破壊モ
ンスターを生み出したのだ。

元紅衛兵は今は70台で、多くは生存している。彼らは反省などしないし、
むしろ当時を懐かしんでいる。「江湖文化という暴力への崇拝」は今も
脈々と受け継がれているのだ。

奪い尽くし、殺し尽くし、焼き尽くす――三光作戦は江湖文化によるだろ
う。習近平は文革2.0を狙っている。

殺される前に殺せ! 習近平一匹を排除すれば支那は多少はまともにな
る。支那に英雄豪傑はいないのか。(2016/6/1)

2016年06月02日

◆「痴呆」から「認知症」へ

向市 眞知


有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」でボケ老人が話題になって、何年が経つでしょうか。「ボケ」も「痴呆」もやはり不適切な呼び方だと思います。やはり「認知症」「認知障害」が、用語としては適切と思います。
 

<脳生理学によれば、脳の神経細胞は140億個というとんでもないたくさんの数だそうです。しかし、実際に働いているのは40億個だけ。脳は20歳頃に発達を終え、脳のピーク時の重量は1400gだそうです。20歳のピークを過ぎると、1日に10万個ずつ脳の神経細胞がダメになっていき、脳細胞の数は日に日に減少。
 

1日に10万個、1年365日で3650万個が失われていき、10年で3億6500万個が失われ、30年で約10億個が失われる計算になります。すなわち20歳で40億個働いていた脳の神経細胞が50歳で30億個になり、80歳で20億個になる。つまりピーク時の重量より100gも重量が減るのです。>


この話を知った時、物忘れがひどくなって当たり前と納得してしまいました。一生懸命考えても考える脳の量が減っているのだから、思い出せないし覚えられなくて当然と思ってしまいました。人の名前が出てこない、ふと用事を思いついて立ってみたものの「さて何をするつもりだったのか?」わからなくなってしまう。まさしく老化の入口なのでしょう。


しかし、「認知症」となるともっともっと記憶の障害が強くなるわけです。よく言われるように自分が朝ごはんを食べたことさえも忘れてしまう。とすれば、一瞬のうちに自分のしたことを忘れてしまうという、とてもつらい体験のなかで暮していることになります。
 

1週間前の記憶、昨日の記憶、今朝の記憶も忘れてしまう。自分のしたことを忘れて記憶していないということは、記憶喪失に近い感覚で、体験の積み重ねができないことになります。

すなわち毎日毎日新しい体験ばかりが自分に降りかかってくるという、緊張とストレスの連続の中で生きてゆかねばならないことになります。そんな認識の中で生きている高齢者の辛さをまずわかってあげてほしいと思います。


「認知症」の人が、それぞれの脳に残された能力の範囲で一生懸命に世界を認識しようとしている。私達からみればその世界が非現実的でまちがっている世界であっても、高齢者からすれば他に考えようのない現実なのです。それを頭から否定されたらどうしてよいかわからなくなって、混乱におちいってしまうことになります。
 

「認知症」の人への対応の奥義は「(相手を)説得するより(自分が)納得する」ことです。しかし、だんだんと世の中の決まりごとを超えた行動をとりはじめるのが、「認知症」や「精神科疾患」の特長です。客観的に見ればありえない話が患者さんを支配します。


もの取られ妄想とか、しっと妄想といわれる行動です。たとえば妻が「ここに置いてあった財布を知らないか?」と夫にたずねたとします。夫が「知らないよ。見なかったよ。」と答えます。


夫の答えに対して通常妻は「おかしいなあ、どこへ置いたのかなあ。」と自分の態度を修正するのです。しかし、「認知症」となると自分の態度が修正できません。夫の「知らない。見なかった」という答えに対して「おかしい?!私の財布をとったな?!かくしたな?!」と思い始めるのです。
 

今のところ「認知症」に対する効果的な治療は見つかっていません。まず周りの者が「認知症」を理解し、対処のしかたを身につけることが現実的な道です。そして、その対処の仕方を授けてくれるのが、医療や介護の専門家です。


「老人性認知症疾患センター」という相談機関があります。精神科のある総合病院などに設置されており、大阪全域の場合、9ヶ所の病院にあります。ここでは、「認知症」についての診断と、医療・福祉サービスの情報提供を行っています。まずしっかりと診断を受けないことには対処方法も立てられません。


介護保険をはじめ福祉サービスをうける場合も、入院や施設入所をする場合も、すべて医師の診断書がなければ利用できないことをご存知でしょうか。診療をうける必要を感じない「認知症」の本人を診察につれて行くことが最大の難関となります。もし高齢者に認知症状を疑われたら、本人の身体に関する訴えに注意しておきましょう。


「もの忘れがひどくなった」とか「夜ぐっすり眠れない」という症状は、案外本人も自覚しているものです。それを理由に「受診」をすすめてみましょう。最近は「精神科」という看板ではなく、「もの忘れ外来」という看板をあげている病院もふえてきています。


「おしっこの出が悪い」でも何でも構いません。ご本人の訴えをもとに医師に診てもらうチャンスを作り出してください。精神科でなくても内科系の開業医でも「認知症」の理解はあります。受診にこぎつければ、医師は検査や服薬をすすめてくれます。


「おかしい」と気付いた家族が、本人の診察の前か後かに医師へ本人の在宅の様子を伝えておけば医師は上手に診察をしてくれます。家族の方々も皆それぞれに生活があるのですから、その生活までもが脅かされる問題行動が続く場合には、施設の利用も考えていかざるを得な
いと思います。         (了)   ソーシャルワーカー

◆オバマ大統領広島へ

MoMotarou

 

車のNHKラジオからオバマ大統領の演説が聞こえてきた。ゆっくりした
英語に耳を傾ける。「・・・KOREA・・・」? 何で「コリア」? また
「金」でも使ってネジ込んだのだろう。全くみっともない国だ。

      ☆彡

 5月27日広島夕刻。歴史的オバマ大統領訪問。反日サヨクの出番無
し。安倍総理大臣の下、戦後左翼潰しが続く。韓国からわざわざ韓国人被
爆者への「謝罪と賠償」を求めて来た連中に、察知した桜井誠氏の「行動
する保守」が反撃デモを実施。効果的に行われた模様。ヘイトスピーチ法
成立も効果なしと反日在日も落胆。進撃は続く。


■「静謐(せいひつ)」が似合う日本

 5月26日伊勢神宮。G7伊勢志摩サミットに関連して「伊勢神宮」を
各国代表が訪問しました。感激。地味なメルケルさんも爽やかな色の服で
した。ご主人の方が細身だ(笑)。またオバマ大統領と安倍総理が大鳥居
を背景に、俗界と聖界を繋ぐと言われる「宇治橋」を渡る光景は、時代を
画するものであります。安倍総理の身長はオバマ大統領のと変わらない。

*首相と大統領
http://blogs.yahoo.co.jp/momotarou100/63563507.html
*内宮「宇治橋」
http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/ujibashi.html

■見捨てられるれ汚穢「韓国・朝鮮」
 大韓航空の旅客機が羽田空港で離陸に失敗。地元広島の国会議員が式典
に参加できなかった。これは「妨害行為」であります。よくこんな事故が
何時も韓国関連で起きる。それも小型の事件。靖国神社のトイレ爆発未遂
事件。雑誌「正論」の出版社に突入。国籍は発表されていないが「街宣右
翼団体」には在日韓国人が多いそうだ。


(転載:産経WEBより)
<<その後、官民双方で支援が続けられ、90年には日本政府が「人道医療
支援基金40億円」を提供している。昨年末、日韓で合意した新たな慰安婦
支援が10億円だから、四半世紀前の40億円は相当大きい。

 この基金は韓国側で医療支援や福祉会館建設などに使われたが、結果的
には長期的かつ効果的な運用に失敗し、「食いつぶされた」といわれる。
そのあげく韓国マスコミには「日本は何もやっていない」「冷淡だ」と
いった非難がいつもの“日本たたき”として出る。

 何をやっても評価されず、文句ばかり言われ続けたのではヤル気はうせ
ます。(産経新聞 黒田勝弘)>>

 とうとう黒田さんまで愚痴が出だしました。私も最早「情状酌量」の余
地も無くなりましたね。報復あるのみ。

■何が国々を分けたのか。
 中国韓国北朝鮮。この三カ国は戦前戦後とも我が国の経済的支援無しで
は発展できませんでした。昔アセアン会議で、韓国が勝手に我が国を罵
(ののし)るような発言を行うと、参加国から「日本の近くにいるとどこ
の国でも発展できる」と叱責されました。戦後多額の賠償金や援助をアジ
ア各国に行いました。それでも我が国は先行して蘇(よみがえ)りまし
た。まったく不思議です。


<<<<<こちらMoM放送局の文化局です!>>

【姓がない日本の皇室】安岡正篤
 
 世界の王室においてひとり姓のないのは日本の皇室だけである。
 日本の皇室は長い歴史の間に君民一体になって、いつの間にか姓という
ものが皇室になくなってしまった。つまり完全に国民に同化してしまっ
た。それは昨晩お話した親の数から勘定しても分かる。

 君民というのは本当に一家だ。皇室は大宅(おおやけ)で一般国民は小
宅(こやけ)である。それで小さい方は数が多いから、ちょうど枝葉にな
るからしてそれぞれ姓が違うが、それを結ぶ全体性というものに当たる皇
室は、私姓、私の姓というものが消滅してしまった。こんなことは世界の
歴史のどこの国にもない。

 これは驚くべきことである。そういうことに気がつかん。。。

  

2016年06月01日

◆九州の震災と日本の国民性

加藤 英明


 九州の熊本県から大分県まで、地震に襲われた。

 5年前の東北の大震災の時もそうだったが、私はすぐに宮沢賢治を思い
出した。

 私は小学生のころから、宮沢賢治を多くの友の1人としてきたが、いつ
のまにか大地震のニュースに接するたびに、賢治が頭に浮かぶようになった。

 宮沢賢治の人や自然への思いやり

 おそらく日本の作家のなかで賢治ほど人や、自然を思い遣って、やさし
かった人はいなかっただろう。

 賢治が生まれる2ヶ月前の明治29(1896)年6月に、東北が三陸
大津波に襲われて、岩手県だけで2万2千人以上が死んでいる。賢治が花
巻で生まれてすぐに、8月31日に大地震が起って、岩手県で数千人が生
命を失った。母のイチが生後4日目の賢治のうえに、覆いかぶさって守っ
ている。

 賢治の作品は生命へのいとおしさが、何より大きな特徴となっている。
作品のなかでは「かなしい」「さびしい」という2つの言葉が、どの言葉
よりも多く使われている。

 私は三陸大津波や、大地震の体験が、賢治の感性をつくっているにちが
いないと、思ってきた。

 関東大震災直後の作品

 関東大震災の15日後に『宗教風の恋』を書いているが、関東地方を
襲った大地震と津波によって、東京と8県の死者と行方不明者を合せる
と、14万人以上にのぼった。

 賢治は「なぜこんなにすきとほってきれいな気層のなかから、燃えて暗
いなやましいものをつかまへるか。信仰でしか得られないものを、なぜ人
間の中でしっかり捕へやうとするか。風はどうどう空で鳴ってるし、東京
の避難者たちはいまでもまいにち遁(に)げて来るのに、どうしておまへは
そんなに医(いや)される筈(はず)のない悲しみを、わざとあかるい空から
とるか」と、綴っている。

 賢治から学んだもの

 賢治は花巻で昭和8(1933)年に、病死した。その6ヶ月前の3月
に、東北が再び地震と津波によって襲われた。

 私は賢治によって、法華経を知るようになった。賢治から地涌菩薩と
か、無量寿仏という言葉や、「むずかすさ」(難しさ)という方言を、
習った。賢治の作品には方言が多く使われているが、人工的に造られた標
準語よりも、血が通っていることを教えられた。

 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は日本人の心根だ

 賢治の詩「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は学校教科書に載っているか
ら、日本人だったら誰だって知っている。私はまるで警視庁の交通安全の
スローガンを列記したようなので、詩として好まないが、日本人の心情が
溢れている。この詩は日本人のほかに、書けないと思う。

 「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレ
バ 行ッテソノ稲ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナク
テモイイトイヒ」と、「行ッテ」が3回も繰り返されていることに、5年
前の東日本大震災や、今回の熊本地震に当たって、全国から被災地を救援
するために、大勢がボランティアとして向かった日本人らしい、心根(こ
ころね)を重ねあわせた。

 日本社会の一体感

 この詩が「雨ニモ……風ニモ……雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」と始まってい
るのには、日本の四季が描かれている。東西南北に心を配っているが、日
本社会に一体感があって、とても日本人らしいことだ。

 だからこそ、この詩が日本国民によって、ひろく親しまれてきたのだろう。

 地震が日本人の心を磨いてきた

 私は賢治に親しむようになってから、東北地方の地震の記録に、関心を
持つようになった。

 明治29年の三陸大津波は、岩手県釜石市(現在)の東方約200キロ
の海底地震によって、もたらされたものだった。賢治はその37年後の昭
和8年9月に没したが、その半年前の3月に、釜石市東方の同じ海底が震
源となって強震が発生して、津波が襲来した。岩手県の被害が最大だった
が、宮城県、青森県の三県で3000人あまりが亡くなった。

 三陸大津波の40年前に当たる安政3(1856)年にも、北海道南東
部を震源地として、青森県と岩手県にかけて三陸沿岸が津波によって襲わ
れ、多数の死者をもたらした。

 地球の地震の90%は太平洋周辺

 地球上の地震の90パーセントが、太平洋の周辺で発生することは、よ
く知られている。私たちは地震と隣合わせて、生きてきた。

 『方丈記』の地震は今日も変わらず

 鴨長明は『方丈記』のなかで、鎌倉時代前期の元暦2(1185)年に
京都を襲った大地震を体験して、「家の内にをれば、忽(たちまち)にひし
げ(押し潰され)なんとす。走り出づれば、地、割れ裂く。羽なければ、
空も飛ぶべからず、龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけ
るは、ただ、地震なりけりとこそ覚えしか」と、記している。
 
 この時も余震が長く続き、「地震の事、今日に至るまで四十七日間、一
日として止(や)まず、或いは四五度、或いは両三度、或いは大きく動き、
或いは小さく動き、皆、毎度声有り」と、記録している。

 日蓮聖人も鎌倉時代の人であるが、その代表的な著作の1つの『立正安
国論』のなかで、天変地異がしきりに起ることについて警鐘を鳴して、地
震の恐しさを描いている。

 日本列島は縄文時代(紀元前1万2000年〜前4500年)の昔か
ら、地震が頻発してきた。そのころから、互に無償で進んで助け合うこと
が、慣わしとなったのではないかと思う。宮沢賢治のやさしい心情も、東
北をしばしば襲った大地震や津波によって、育くまれたにちがいない。私
は東北をさまざまな仕事のために訪れたが、東北の人々は頻繁に苛酷な飢
饉に見舞われてきたこともあって、ことさら情が厚い。

 日本文化の特徴はやさしさにある

 日本文化のもっとも大きな特徴は、やさしさにある。これほどまでやさ
しい文化は、世界に他にない。日本が島国であって、幸いなことに外敵に
よって、侵されることがなかったことによっても、何よりも和を重んじる
ようになった。

 地震や大津波は跡形もなく、すべてを破壊してしまう。そのために、日
本人はうつろってゆく美しさをたっとび、物事に拘泥(こうでい)しない。
日本人にとって花が美しいのは、西洋人に理解することができないが、散
るからである。中国人や、西洋人のように、財に執着することなく、その
時々の心のありかたを尊ぶ。

 有為の奥山今日こえて あさき夢みじ醉いもせず

 いろはうたの「色はにほへと散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ有爲(う
ゐ)の奥山今日こえて あさき夢みじ醉(え)ひもせず」といえば、国民の
誰もがなじんでいる。形あるもの、華やかなものは、すべてうつり去って
しまう。

 いろはうたは、賢治の「雨ニモマケズ」と同じように、日本以外の国で
あれば、これほど国民によってひろく受けいれられることがありえない。
中国や、西洋の国民は、即物的である。

 茶道も、日本に独特なものだ。思い遣りと、いたわりの心によって、つ
くられている。千利休(1522年〜1591年)が、「人の心をなごや
かにするには、まず己の心をなごやかにすること肝要なり」と説いている
が、古来から日本人に備わってきた茶人的な性格が、茶道となったにちが
いない。

 和食は日本人の心、多感で繊細

 和食は世界の料理のなかで、もっともやさしい。自然となごんで、自然
の味を楽しもうとする。私たちは食を通じて、自然を感じようとする。日
本料理は、日本人の心と同じように多感で、繊細なのだ。

 かつて日本では4、50年前までは、どこへ行っても人情が、微粒子の
ように空気のなかを飛びかっていた。はじめて入る一杯呑み屋の客となっ
ても、和――情がぬくもりをもたらしてくれた。

 日本らしさを守ることが日本の心を豊かにする

 日本でこの4、50年のうちに西洋化が進んで、老いも若きもオシャレ
になった。女性は化粧がうまくなった。その反面、男女とも表情が険悪に
なった。過ぎ去った日本が懐かしい。日本らしさを守りたい。 



◆安倍晴明の実母?

河崎 勝二



山登りや名所旧跡巡りの仲間のサークル「歩こう会」が、予期もしなかった驚きと感動を与えて呉れた。

大阪城を散策中に知り合った仲間同士の会「大阪城歩こう会」に参加して、日曜ごとに10数人が連れ立ち近畿の著名な山々に登ったり、歴史に包まれた名所に出掛けるようになって久しい。

季節の移ろい、新鮮な空気と絶景、出会った人達との交流、その土地の産物の味などに接する楽しみは、実際に汗を掻き、五体の筋肉を酷使して歩き回る者だけしか味合えない産物だと信じている。

最年長のリーダー格の80余歳の仲間は、お年を感じさせない軽妙な足取りと訪ねる先への道筋は勿論、そこに纏わる地縁の知識に長けておられるのには、頭が下がる。

さて、今回の驚きの出来事のキッカケは、たまには気楽に行ける平地の名所に行こうとの女性の提案で、大阪和泉市の「信太の森」に出掛けたことだった。

その「信太の森」は平安時代の清少納言の「枕草子」の中で「もりは信太の森」と称えられていることで知られているということで、麓を熊野古道がはしる古代から参詣の道の側ということでも広く知られているという。

朝鮮半島から5世紀ごろ伝えられた須恵器釜跡があり、わが国最古の釜跡も見付かっているという。なかなか深みのある歴史の里である。

現地に実際足を踏み入れると、流石に周囲は信太山丘陵に囲まれ、裾野まで広がる多種多彩な樹木景観は、素晴らしさの一言だった。

早速、現地博物館「信太の森ふるさと館」を訪ねた。ここの歴史や成り立ちを知る上では、それが最適だからだ。

建物1階の右手にある80坪ほどの「信太の森ふるさと館」に入り、次々と見回っている内、浮世絵風の数枚の異様な「版画絵」が目に入って仰天した。子供を膝の前に座らせた母親らしき女性が、手に持つ筈の筆を口に咥えて、和歌の文字を障子に向かって書いている姿の絵だ。

文字は「恋しくばたずねきて」と書いてある。ところが女性のギョロッとした目線は横向きに何かを見据えている。表情も厳しく尋常ではない。この絵は、一体何を語ろうとしているものなのか。隣には、大木の下に2匹の白狐が闇の上にある白き物体を見上げている、思わしげな別の「絵」が並べられている。

背中に言い知れぬ寒気を感じたので、館員を呼んで説明を受けることにした。館員は、懇切丁寧にこの「絵」について語ってくれた。この「絵」は、古浄瑠璃などでも伝えられる「葛の葉物語」の一場面だそうだ。

<その昔、大阪の摂津の国に安倍保名(あべのやすな)という若者が、信太大明神を参詣に来た時、狩人に追われた深手の傷を負った白狐を匿い逃がした。これに腹を立てた狩人が保名を責め、大怪我をさせ立ち去った。

すると傷で苦しむ保名の所に「葛の葉」と名乗る女性が現れ介抱した。この女性は助けた白狐の化身だったのだが、保名はそれとは知らず、二人はやがて一緒に暮らす仲となり、男子を儲けた。子の名は「童子丸」。

6年後のある日、葛の葉は庭に咲いた菊の花に見とれてわが身を忘れ、うっかり現わした尻尾を「童子丸」に見付けられてしまった。葛の葉は、もはやこれまでと一首を障子に書き残して森へ消え去った>。(版画絵がこの模様を伝える)。

その一首とは、「恋しくばたずねきてみよ和泉なら 信太の森のうらみ葛の葉」だったのだ。

<保名と童子丸は恋しい母を求めて探し回り、やっと森の奥で涙を流しながら二人を見つめている一匹の白狐と出合う。ハッと気づいた保名が「母の元の姿になっておくれ」と哀願すると、白狐は傍らの池に己の姿を映し出し、たちまち葛の葉の姿となった。

しかし、葛の葉は泣き叫ぶわが子を諭しながら、形見に白い玉を与えて最後の別れを惜しみつつ、再び白狐になって森の奥に消えていった>。

これが「葛の葉物語です」と職員は説明を締めくくった。悲しい言伝えに心を痛めて聞き入っていた筆者に、この館員は追い討ちを掛けるようなショッキングなことを告げた。

「この童子丸が、実はかの有名な陰陽道の祖の安倍晴明(あべのせいめい)だといわれているのですよ」。

私の出生地は大阪阿倍野区で、安倍晴明を祀る「安倍神社」は目と鼻の先のところにある。子供の頃から親に連れられ足繁くお参りした神社だ。「安倍晴明の出所」などに思いを馳せた事も無かったが、まさかこの「版画絵」に描かれた「葛の葉物語」の童子だったのかと考えると、頭が真っ白になった。

今は、「安倍神社」とは離れたところに住んでいるため縁が薄れたが、この伝説を知った以上、お参りに行ってみたくなった。

それにしても仲間と共に方々を「歩く」ことは、時空を超えた様々な楽しみと感動の舞台に接遇させてくれるものだとつくづく思い知らされ、改めて有り難さを痛感する。(了)(エッセイスト)再掲

2016年05月31日

◆その場にいるような臨場感、中国皇帝の野心と挫折

宮崎 正弘
 


<平成28年(2016)5月30日(月曜日)通算第4911号 >

 まるでその場にいるような臨場感、中国皇帝の野心と挫折
  習近平皇帝の行状を外交戦略の始動から米国との激突まで緻密に解剖
すると

  ♪
近藤大介『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』(講談社新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 北京に複数の深い情報源をもつ近藤さん、ちょっと見落としがちだった
中国政界を人物集団という側面から、紫禁城の皇帝とその側近達の内部、
その凄まじい権力闘争のどろどろな実態、そして毛沢東にあやかろうとし
て、衣服や立ち居振る舞い、言葉の選び方まで真似ている習近平の姿を浮
き彫りにする。

 骨子は『アジアの新皇帝』たらんとする習近平の涙ぐましいまでの背伸
び外交、その浦にはあからさまな「日本潰し」にあると見ている。
 そして南シナ海の珊瑚礁を片っ端から埋立て、「太平洋に万里の上場を
築け」という、潜在的な至上命令があるとする。

 そのうえで対応する外交方面の野心があちこちの国々との齟齬とあり、
想定外の衝突をもたらしているのだが、オバマ、安部ばかりか朴、アキ
ノ、ナジブ、モディなどとの主導権争い、そのブレーン達の世界各地を舞
台としての、八面六腑などがスリルに富む小説の描写のように、克明に描
かれている。

 この物語は時系列で、習近平にとって「東方の二人の敵」とは安倍首相
と金正恩であり、皇帝に「即位」した2012年から13年が序幕となる。
 第一幕は2013年の「外交始動時期」、第二幕が翌2014年にかけ
ての「東アジアの緊迫状況」を克明に追い、第三幕が2014年発から秋
にかけての「日米離間工作」だったとする。

 第四幕は「オバマの屈服」(2014年後半)、第五幕が「日本外し」
(2015)、第六幕が「ワシントンの屈辱」(2015年秋)、そして
終幕が「米中対立」(2016年)と、長くて、起伏に富んだ外交上の人
物確執史となる。

 清朝末期の凋落からアヘン戦争に直面し、英国に敗北した中国は、習王
朝以後の特徴として、「時計の巻き戻し論」がでてきた。


 ▼オバマの融和策の間に南シナ海を掠め取れ

パックス・チャイナをアジアに確立し、日本を蹴落として、アジアの覇者
を目指すのが習近平の狙いであり、外交ブレーンは王?寧、楊潔チ、王毅
であると説く。

もっとも重要なのは習夫人で、彼女は同時に軍属歌手であり、軍の少将で
もあるが、本書には意外や意外、習近平の最初の妻となった女性が、英国
へわたり、英国籍をとり、ロンドンに暮らしているのだが、深センでふた
りは偶会していた。そればかりか、習の訪英時にもふたりは密かにあった
ことが報告されているのだ。
この秘話は知らなかった。

また軍における習近平の「軍師」は呉勝利だとする近藤氏は、いささか、
他のチャイナウォッチャーとは違う分析を披露している。

昨師走に引退に追い込まれた劉源(劉少奇の息子)の名前は一カ所も出て
こないし、軍の反・習近平の動きも軽視されている。
 もうひとつ意外な観測は重慶市書記の孫政才が胡錦涛、李克強らの派閥
ではなく、習の子飼いと認定していることだ。

これは多くのチャイナウォッチャーが、むしろ孫を団派の代表として胡春
華と並んで次のリーダーを踏んでいる分析とは意見を異にする。

評者(宮崎)に言わしめれば、習は反腐敗キャンペーンで敵をつくりすぎ
たため、上海派と団派の挟撃にあって、権力基盤は明らかに脆弱化してい
るとみているが、近藤氏は反対の立場のようだ。

さらにもう一つある。
 経済問題である。経済政策の主導権を習近平は李克強首相が率いる国務
院から取り上げ、常務委員会でも張?江、劉雲山、愈正声、張高麗の四人
が江沢民人事によるものであるために遠ざけ、閑なポストしか与えていな
いが、団派への冷遇も露骨である。

 近藤さんはこう書く。
 経済政策のブレーンとして、習近平は「北京101中学」の同級生で、
経済学者の劉?を抜擢した。

劉?は「ハーバード大学に留学。帰国後は社会主義計画経済の司令塔だっ
た国家計画委員会に勤務した」けれども、胡錦涛時代がおわるまで「日の
当たらない傍流を歩んでいた」人物である。

 その彼を習は「党中央財経指導小組弁公室主任に抜擢した」。
つまり劉?が「経済指導部のトップ」に躍進し、国務院の役割を希釈化さ
せ、ついで団派の影響力を削いだのだ。

 ついで副主任に楊偉民をあて、「このコンビ」の特徴は「日本との縁が
深く、日本のモデルに学ぶことの意義を説き、楊副主任にいたっては日本
留学で、傍流から主流に飛び出したのも「アメリカ留学を誇るグループが
圧倒的に主流を占める中国の経済学界では、非主流派グループに属してい
た」のだった。

ともかく本書で近藤さんの筆致は、まるで現場にいるような臨場感にとら
われ、習近平という現代中国の皇帝の野心と挫折を描いた傑作となった。
習近平皇帝の行状を外交戦略の始動から米国との激突までを緻密に解剖
し、読ませる物語をつくりあげた。
   □○△◇○○

◆私の「身辺雑記」(348)

平井 修一



■5月27日(金)、朝4:00は室温24度、中雨、散歩不可。

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる
雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。ま
た、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもを
かし」

初夏、久しぶりの雨など降るもをかし。アジサイが満開だ。結構なことだ
が、これから1か月は洗濯ヂイヂを悩ます梅雨だな。

宮古島に愛人と逃避移住した知人が「住めばミヤコと島の人は皆言うけれ
ど、押入れがカビだらけになる」と嘆いていた。気温の高い南国の梅雨は
“カビ天国”なのだろう。

地面からの湿気をできるだけ避けようという高倉や高床ロングハウスは南
国の知恵だ。奄美では高倉の下で昼寝していたとカミサンが言っていた。↓
http://oki-park.jp/kaiyohaku/inst/85/103

ちなみに、すさまじく雨が降るためもあって、小学生時代のカミサンはハ
ダシで過ごしたそうだ。台風も猛烈なので、奄美の住宅のコンクリート率
は多分、今でも日本一だろう。

それは、木材が採れないことにもよるだろう。島民は森林や草むらを本能
的に避けるのだ。ハブが奄美の自然を守っていることになる。

土建会社を経営していた義父はジャリンコチエのお父さんそっくり。命知
らずの無鉄砲な“島っちゅ”はイノシシ狩りをしている(その息子=義弟は
スクーバで魚や貝を採っていた)。イノシシの頭蓋骨を玄関脇にいっぱい
飾っていた義父は、酔っぱらって天井に猟銃をぶっ放すこともあったそうだ。

カミサンがムショ帰りの小生を平気で受け入れたのは、時にお巡りさんを
追っかけまわすほどの乱暴者=村対抗の運動会のヒーローの義父が大好き
だったこともある。ヤクザに魅かれる女は多い。

さてさて、夕べは久し振りにルンバで掃除。ルンバは可愛くてよく働く
が、よく働いてもらうために床上の障害物を片づけなくてなくてはならない。

わが家のDKには椅子だけで9脚ある。ひとつ5キロほど、すこぶる重い。こ
れを卓上に片づけるのには「ヨッシャーッ」という気合、覚悟、体力、諦
観が必要で、カミサンがルンバをあまり使わないのはそれが嫌、苦痛だか
らだ。

「みんなそれが悩みみたい」とカミサン。ルンバを買った奥さん連中はそ
う思っているのだ。

ルンバは家具と家具の間など隅っこを掃除できない不便さもある。IoT
で、天井に複数のセンサーをつけ、細かいところはヘビ状のチビルンバが
掃除するというようにしたらいいと思うが。

今日はカミサン公休。夕食はシャリアピン風トンテキなど、旨かった。

■5月28日(土)、朝3:00は室温22度、曇、ちょっと肌寒い。ハーフ散歩。

5:00に奇妙な集団、20人ほどが街を清掃していた。初めて見た。老人が
少ないので日共ではない。それならナンミョー池田教かと思ったが、聖教
新聞配達人が知らんぷりしていたから、それも違う。彼らの多くは自転車
で帰って行ったからエリアの集団なのだろう。

エホバは毎週土曜日に集まる。奉仕活動として周辺の町の清掃を始めたの
かもしれない。エホバは2人以上の集団で動く。暴行や下半身トラブルな
どを予防するためらしい。単独行動した高齢女性信者は昨年、「殺してみ
たかった」という女子大生に殺された。

女性信者は純粋無垢、警戒心ゼロ、初心、上部はオロオロ、「せめて2人
以上で活動しなさい」と教えているのだろうが・・・

<Q:セックスをするようにとみんなが言ってきますが、どうしたらいい
でしょうか

A:あなたの体はとても大切なものです。安売りしてはいけません。結婚前
に セックスはしないようにという神のおきてに従おうと決意しましょ
う。将来、結婚すれば、セックスができるようになります。結婚前にセッ
クスをする 人のように不安や後悔に悩まされることなく、十分楽しめる
のです>

もう完璧な乙女。小生のようなワルは「どーだい、おじさんと苦労してみ
ないか。性書第一章第一節のオマタイ正上位から学んでいこう」とちょっ
かいを出したくなる。

ちょっかいを出したがるのは男の本能だ。国基研企画委員・福井県立大学
教授の島田洋一氏の論考5/23「安倍政権の植民地的パフォーマンス」から。

<米大統領が主要閣僚をホワイトハウスに招集し、増税を含む経済政策に
ついて日本の首相ブレーンから教えを請い、その姿をメディアに大きく報
じさせるなどというのは、およそあり得ない光景だろう。ところが日本で
はそうではない。

5月19日、オバマ政権下で経済諮問委員長を務めたクリスティーナ・ロー
マー教授(カリフォルニア大学バークレー校)の夫妻が首相官邸に招か
れ、安倍晋三首相と主要閣僚に意見を述べる様子がニュース画面に大きく
映し出された。

*日本は外国の権威に弱い国?

この「国際金融経済分析会合」は計7回を数えたが、内容はすべて非公
開。第3回のゲストでノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン教
授(ニューヨーク市立大学)が討議内容を外部に漏らして以来、情報統制
はより強化されたようだ。

非公開のため、広く議論を喚起する効用もないこの会合は、海外有識者の
権威を借りて世論を誘導する仕組みと思われても仕方がない。首相以下、
主要閣僚がテレビカメラの前に居並んで外国の学者の講義を拝聴する国な
ど、およそ先進国中にはない。

日本は「外国」や「ノーベル賞」の権威に動かされやすい国、との誤解が
海外に広まる恐れもある。表現は悪いが、権威に弱い植民地根性という言
葉すら思い浮かぶ。

*首相は使命の再確認を

この「勉強会」を起案した官僚を、なぜ安倍首相は「みっともないことを
させるな」と一喝しなかったのか。閣僚についてもしかり。「首相に恥を
かかせるのか。日本に恥をかかせるのか」と官邸にかみつく閣僚が1人ぐ
らい出てもよかったはずだ。

40代の若手議員の時代から、党幹部の権威や意向に臆することなく、日本
政治の正常化と日本国の名誉回復のために闘ってきた安倍首相は、およそ
植民地的価値観とは対極にある政治家である。

その安倍政権が、何故こうした、あえて言えば失態を演じたのか。立派な
理念を持ちながら、一部官僚に時として引きずられる安倍首相の姿を象徴
的に見る思いだ。

優秀であっても官僚の中には、驚くほど日本国の名誉に鈍感な人々がい
る。安倍政権の使命は、アベノミクスによる経済活性化と構造改革を実現
し、諸外国が争って日本にレクチャーを請うような状況を作り出すことだ
ろう。外国の経済学者の講義を聴くパフォーマンスに税金を浪費してはな
らない>(以上)

島田先生はかなり頭にきているようだが、内外の識者から提言をもらうこ
とは悪いことではないと思うが。

そもそも日本にまともな教授がいるのか。「一度教授、一生教授」で、高
給をもらいながら学閥の中でぬくぬくしており、憲法学者を見ても大半は
アカモドキだ。岩波「世界」村の住人や築地町民が多いのではないか。教
条的で現実が見えないという発達障碍者ばかりのような気がする。違うか。

国益を考え、国家百年の計に資する論を展開できる学者、論者は島田先生
を含めてせいぜい50人、その論を聞いたら次には外国の学者の論も聞いて
みようとなってもおかしくはない。

日本は植民地ではないが、未だにGHQ憲法という米国占領政策下にあり、
51番目の州に近い、軍事、外交はDCの連邦政府に従属しており、独立国と
は言えないと小生は思っている。安部氏は次の勉強会では島田教授を招い
て、この辺の話を聞いたらいい。

昨日駅前にオープンした「ばいばすけっと」を覗いたらすごい人出。主婦
向けの品揃えで大助かりだ。キッチンヂイヂの小生にはコンビニは
inconvenient である。

■5月29日(日)、朝7:00は室温23度、快晴、涼風。昨日は湿度が高くて洗
濯物がパリッと乾かなかったので、今朝もう一度ベランダに干す。ハーフ
散歩。

外務省は「事なかれ主義」で、とにもかくにも外交で波風が起きることを
避け、日々国益を損なっていると小生は思っているが、プロから見ても
「どうしようもないバカ」なのだという。

外交評論家「加瀬英明のコラム」メルマガ5/26 「トランプ現象にはやく
もオタオタ」から。

<私は日本を守るために、外務省を解体して、建て直したほうがよいと思う。

この2月に、日本人が委員長をつとめる国連女性差別撤廃委員会が、日本
が十数万人のアジアの無辜の娘たちを拉致して、性奴隷となることを強い
たという、怪しげな報告書を発表した。

報告書は皇位の男系による継承も、差別として非難していたが、さすがに
外務省が強く反発したために、削除された。

日本が女狩りして性奴隷としたという誹謗は、1992年の河野官房長官談話
に端を発しているが、外国政府や、国際機関が繰り返すごとに、日本が非
道な国だというイメージが、世界に定着してきた。

これは、由々しいことだ。日本が万一、危機に陥ることがあった場合に、
国際社会から援けてもらわねばならないが、日本がおぞましい国だとなっ
たら、誰も救おうとしないだろう。

この国連委員会の委員長は、福田康夫内閣の時に外務省が国連に推選して
送り込んだ女性活動家で、それまでは政府の男女共同参画社会の推進役を
つとめていた。

あるいは、国連人権関連委員会が2008年から14年まで、4回にわたって、
沖縄住民が日本における少数民族であり、日本民族から迫害を蒙って、人
権、言葉、文化などを奪われてきたという報告書を発表して、是正するよ
うに勧告してきた。外務省は一度も反論せず、撤回を要求することもな
かった。

中国は沖縄を奪おうと狙って、中国国内に琉球共和国(憲法、国旗も発
表)政府が置かれ、沖縄住民が中華民族であると唱えてきた。このような
国連委員会の勧告は、中国を力づけるものだ。

沖縄住民は疑いもなく、日本人だ。沖縄方言は、さらに本島南部、北部、
宮古、八重山、南奄美、北奄美など、多くの方言に分かれるが、日本語で
ある。

この突飛だとしかいえない、国連委員会の勧告のもとをつくったのは、日
本人グループであって、外務省の多年の御用(ペット)学者の武者小路公秀
氏が理事長をつとめる、「反差別国際運動」が中心となった。

武者小路氏は金日成主席以来、北朝鮮を礼讃してきたことによっても知ら
れるが、1976年には外務省の推薦によって、東京の国連大学副学長に就任
している。

今年4月に、沖縄選出の宮崎政久議員(自民党)が衆院内閣委員会で、こ
の国連委員会の勧告について質問し、木原誠二外務副大臣が政府として撤
回するように働きかけることを、はじめて約束した。

*相手国の代弁者たち

このような例は、枚挙にいとまがない。外務省は多年にわたって、日本を
深く傷つけてきた。

日本とアメリカの外務省と国務省には、奇妙な共通点がある。日本の外務
省は、別名「霞ヶ関」と呼ばれる。

国務省はホワイトハウスと、ポトマック川のあいだにある。ワシントンは
アメリカが独立した直後の1800年に、湿気がひどい泥地に建設されたが、
国務省がつくられたところは、とくに霧が立ち籠めるために、「フォ
ギー・ボトム」(霧の底)と呼ばれてきた。

もう一つの共通点は、両国とも外交官が他の省庁から嫌われていることだ。

霞も霧も、大気中に漂う微細な水滴であって、視界を曇らせる。アメリカ
でも、国務省のキャリアの外交官は、外国贔屓となって国益を忘れやすい
といって、胡散臭い眼で見られている。

外交官の宿痾か、職業病だろうが、ある外国を専門とすると、その国に魅
せられてしまうことだ。その国の代弁者になる罠に、落ちる。

 もし、私がある南洋の新興国の文化と言語に打ち込んで、外交官となっ
たら、きっと首狩り習俗や、食人習慣まで含めて、その国に強い親近感を
いだくことになろう。その国に気触(かぶ)れてしまい、日本の国益を二の
次にするようになる。

わが外務省にも気の毒なことに、国籍不明になった犠牲者が多い。

もっとも、日本の外務省のほうが、病いが重い。日本が犯罪国家だという
幻想にとらわれて、謝罪することが、外交官のつとめであると思い込んで
いる。

中国、韓国を増長させて、日中、日韓関係を悪化させてきた。責任は外務
省にある。

外務省員の多くの者が、日本に誇りをいだくことが、まったくない。外交
研修所における教育が悪いからだろう。

1992年8月に、宮沢内閣が天皇ご訪中について、有識者から首相官邸にお
いて個別に意見を聴取したが、私はその1人として招かれた。

私は「陛下が外国に行幸されるのは、日本を代表してその国を祝福される
ためにお出かけになられるものだが、中国のように国内で人権を蹂躙して
いる国はふさわしくない」と、反対意見を述べた。

その前月に、外務省の樽井澄夫中国課長が、私の事務所にやってきた。
「私は官費で、中国に留学しました。その時から、日中友好に生涯を捧げ
ることを誓ってきました。官邸にお出掛けになる時には、天皇御訪中に反
対なさらないで下さい」と懇願した。

私が中国の人権抑圧問題を尋ねると、「中国に人権なんてありません」と
悪びれずに言ってのけ、水爆実験をめぐる問題についても、「軍部が中央
の言うことを聞かずにやったことです」と答えた。

私が「あなたが日中友好に生涯を捧げるというのは個人的なことで、日本
の国益とまったく関わりがないことです。私は御訪中に反対します」とい
うと、悄然として帰っていった。

外国の代弁者になってしまう、不幸な例だった。

*理路整然たるバカ

私は41歳のときに、福田赳夫内閣が発足して、第1回福田・カーター会談
を控えて、最後の詰めを行うことを頼まれた。首相特別顧問の肩書きを
貰って、ワシントンに入った。

私はカーター大統領の後見役だった、民主党の元副大統領のハンフリー上
院議員や、カーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレ
ジンスキ教授と親しかった。

内閣発足後に、園田直官房長官から日米首脳会談に当たって、共同声明の
“目玉”になるものがないか、相談を受けた。

私は園田官房長官に“秘策”を授けた。日本はこの時に、すでに経済大国と
なっていたが、日本のマスコミが毎年「一人当たり所得ではベネズエラ以
下」と報じていた。

私は日米共同声明でカーター大統領に「日本は国連安保理事会常任理事国
となる資格があり、支持するといわせることができる」といった。総理も
「それだ」ということになった。

そのうえで、山崎敏夫アメリカ局長と会った。すると「そのようなこと
が、できるはずがありません」と冷やかにあしらわれた。私は首脳会談へ
向けて、両国が打ち合わせた記録――トーキング・ペーパーを見せてほしい
と求めたが、峻拒された。

「役割分担でゆきましよう」と促したが、木で鼻を括(くく)ったような態
度で終始した。

トーキング・ペーパーのほうは、発つ前に鳩山威一郎外相に見せてもらっ
て、凌(しの)いだ。

私は総理一行がワシントン入りした前日に着いて、ホワイトハウス、国務
省、国防省などをまわった。出発前に電話で話をまとめていたから、念押
しのようなものだった。

翌日、ホワイトハウスの前にある迎賓館(ブレアハウス)で、総理一行と合
流して、首尾よくいったことを報告した。

福田カーター会談の共同声明では、私の献策が目玉になった。

私は2つの内閣で、園田外相の顧問として、アメリカにたびたびお伴し
た。園田外相は“ハト派”で、私は“タカ派”だったが、妙に気が合った。園
田氏は外務官僚を「理路整然たるバカ」と呼んだ。

*占領以来の大罪

最後に首相特別顧問の肩書きを貰ったのは、中曽根内閣だった。私の外務
省とのおつきあいは、長い。

外務省には、日本が占領下にあった時代から、大罪がある。

今日でも「国連憲章」は、外務省による正訳によれば、「われら連合国の
人民は‥‥」と始まっている。原文は「ウィー・ザ・ピープルズ・オブ・
ジ・ユナイテッド・ネーションズ‥‥」だが、「連合国」と正しく訳されて
いる。

ところが、「ザ・チャーター・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ」
を「国際連合憲章」と訳している。同じ言葉であるのに、奇妙だ。

「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」の正しい名称は「連合国」なのだ。

*ヒラリー頼みの外務省

「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」という呼称が、連合国を指す言葉と
して採用されたのは、日本が真珠湾を攻撃した翌月の1月1日のことだっ
た。この日、日本、ドイツ、イタリアなどと戦っていた26ヶ国の代表がワ
シントンに集まって「連合国宣言」を発した。

ルーズベルト大統領がこの会議で演説し、日本やドイツと戦っている同盟
諸国を「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」と呼ぼうと、提案したことに
よった。

日本は3年8ヶ月にわたって「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」、連合国
を敵として戦ったのだった。日本の都市に国際法を踏躙して絨毯爆撃を加
えて、非戦闘員を大量に殺戮し、広島、長崎に原爆を投下したのも「ジ・
ユナイテッド・ネーションズ」の空軍だった。今日、日本で定着している
国連という名称を用いるなら、国連の空軍が非人道きわまる爆撃を加えた
のだった。

“国連”が結成された時に憲章によって、加盟資格について「すべての平和
愛好国」と規定されたが、日本、ドイツなどの枢軸国に対して宣戦布告し
ていることが求められた。そのために、今日でも“国連憲章”に「敵国条
項」がある。

外務省も、朝日新聞をはじめとする新聞も、敗戦後の昭和20年10月までは
“国連”を「聯合国」と正訳していた。「国際聯合」にすり替えたのは、
「聯合國」だと、国民が占領軍に敵意をいだきかねないために、戦前の
「國際聯盟」をもじって、そう呼び替えたのだった。

都心の青山通りに面して、外務省が多額の国税を投入して誘致した「国連
大学」が聳えている。だが、「連合国大学」であったとしたら、誘致した
ものだろうか。

「国際連合」と呼んできたために“国連”を「平和の殿堂」のように崇めて
いる者が多い。日本国憲法と国連に対する崇拝は、1つのものである。も
し、正しく「連合国」と訳してきたとしたら、日本において国連信仰がひ
ろまることがなかったはずだ。

私は2005年から9年まで、朝日新聞のアメリカ総局長をつとめたK氏と、親
しくしているが、ワシントンを訪れると、ホテルにたずねてくれて、朝食
をとりながら情報を交換した。朝日新聞社の奢りだった。

ある時、K氏が「日本から来る人で、あなたぐらい、ワシントンで会いた
いという者に、誰でも会える人はいない」といった。

私はいまでも年2回、ワシントンに通っている。

ところが、日本の外務省出身の大使館員は、ワシントンでごく狭い社会の
なかで生活している。国務省ばかりを相手にしているから、他に人脈が
まったくない。

霞ヶ関の外務省では毎朝、省員が登庁すると、全員が跪いて、ヒラリー夫
人の勝利を祈っているという。ヒラリー夫人はオバマ政権の国務長官を務
めたから、日本国憲法が日本に課している特殊な制約を、よく知ってくれ
ているはずだからだ。

夫人のアジア外交のアドバイザーは、日本担当の国務次官補だったロバー
ト・キャンベルだが、外務省が飼い馴らしてきたから、安心できる。

外務省は“トランプ現象”のようなことが起ると、対応することができず
に、狼狽えるほかない。

もっとも、外務省を解体すべきだといっても、できることではない。そこ
で、国民が外務省に対して向こう20年か、30年にわたって、保護観察官
か、保護司となって、目を光らせて、補導するほかあるまい>(以上)

79歳翁とは思えない鋭い分析だ。すごいなあ、とても勉強になる。

「西郷南洲先生遺訓」から。

<正道を踏み国を以て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全かる可
からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時
は、軽侮を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。

談(だん)国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の凌辱せらるる
に当たりては、縦令(たとえ)国を以て斃る共、正道を践(ふ)み、義を
尽すは政府の本務也。

然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ
共、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(こうあん)を
謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所
と申すものにて更に政府には非ざる也>

「苟安」とは一時的な安楽をむさぼることだ。日本の国益ではなく相手国
の利益のために働く外務省官僚の言動は、まさに利敵行為、売国奴そのも
のである。解体的再生が必要だ。(2016/5/29)

2016年05月30日

◆広島原爆投下を眼下に見た紫電改操縦士がいた!

〜「これは戦争じゃない。虐殺だ…」 〜
久保田康夫



国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)

■原爆は戦争ではない。虐殺だ。

 1945(昭和20)年8月6日午前7時45分、22歳だった第343海軍航空隊(通称・剣部隊)少尉、本田稔は、兵庫県姫路市の川西航空機(現新明和工業)で真新しい戦闘機「紫電改」を受け取り、海軍大村基地(長崎県大村市)に向けて飛び立った。

 高度5千メートル。抜けるような青空が広がり、眼下には広島市の街並み、そして国宝・広島城が見えた。
 その瞬間だった。猛烈な衝撃にドーンと突き上げられたかと思うと紫電改は吹き飛ばされた。操縦桿は全く利かない。必死に機体を立て直しながら地上を見て驚いた。

 「街がない!」
 広島の街が丸ごと消えていた。傾いた電柱が6本ほど見えるだけで後はすべて瓦礫。炎も煙もなかった。
 やがて市中心部に真っ白な煙が上がり、その中心は赤黒く見えた。白い煙は猛烈な勢いで上昇し、巨大なきのこ雲になった。

「弾薬庫か何かが大爆発したのか?」
 そう思った本田は大村基地に到着後、司令部に事実をありのまま報告したが、司令部も何が起きたのか、分からない状態だった。

 正体は原子爆弾だった。
 米軍B29爆撃機「エノラゲイ」は高度9600メートルからウラン型原爆「リトルボーイ」を投下、急旋回して逃げ去った。

 午前8時15分、リトルボーイは地上600メートルで炸裂した。閃光、熱線に続き、超音速の爆風が発生した。
 本田が見たのは、この爆風で廃虚と化した広島の街だった。この後、大火災が発生し、この世の地獄と化した。
 本田が、広島に米軍の新型爆弾が投下されたことを知ったのは2日後の8月8日だった。翌9日、大村基地から大村湾を隔てて15キロ南西の長崎市で再び悲劇が起きた。

 9日午前11時2分、B29「ボックスカー」はプルトニウム型原爆「ファットマン」を長崎市に投下した。第1目標は小倉(現北九州市)だったが、視界不良のため長崎市に変更したのだ。

 広島と同様、空襲警報は発令されず、大村基地にも「敵機接近」との情報はもたらされなかった。
 本田は食堂で早めの昼食を食べていた。突如、食堂の天幕が激しく揺れ、基地内は大騒ぎとなった。
 まもなく上官が本田らにこう命じた。
 「長崎に猛烈な爆弾が落とされて病院はすべてダメになった。収容できない被害者を貨車で送るから大村海軍病院に運んでほしい」

 本田は手の空いている隊員20人を率いて海軍病院に向かった。
 海軍病院前にはすでに貨車が到着していた。扉を開けると数十人が横たわっていた。だが、体は真っ黒で髪もなく、服も着ていない。男女の区別どころか、顔の輪郭も分からない。息をしているかどうかも分からない。
 「とにかく病院に運ぼう」
 そう思い、担架に乗せようと1人の両腕を持ち上げるとズルッと肉が骨から抜け落ちた。

 甲種飛行予科練習生(予科練)を経て海軍に入った本田は41年の日米開戦以来、インドネシア、トラック諸島、ラバウルなど各地で零式艦上戦闘機(零戦)の操縦桿を握り続けた。ガダルカナル島攻防では、盲腸の手術直後に出撃し、腹からはみ出した腸を押さえながら空戦したこともある。本土防衛の精鋭として剣部隊に配属後も、空が真っ黒になるほどのB29の大編隊を迎え撃ち、何機も撃墜した。この間に何人もの戦友を失った。
 そんな百戦錬磨の本田も原爆の惨状に腰を抜かした。
 「地獄とはこういうものか…」

 剣部隊司令で海軍大佐の源田実(後の航空幕僚長、参院議員)は本田にこう語った。
「もし今度、新型爆弾に対する情報が入ったら俺が体当たりしてでも阻止する。その時は一緒に出撃してくれるか」
 本田は「喜んで出撃します」と返答したが、その機会は訪れることなく8月15日に終戦を迎えた。

 戦後、本田は航空自衛隊や三菱重工に勤め、テストパイロットとして操縦桿を握り続けた。90歳を越えた今も広島、長崎の悲劇を忘れることはない。そして原爆搭載機に向かって出撃できなかった無念もなお晴れることはない。

 「長崎の人たちには本当に申し訳ないと思っています。本土防衛の役目を担った私たちがあんなに近くにいたにもかかわらず…」
 本田は涙をにじませ、こう続けた。
 「戦争というのは軍人と軍人の戦いのはずだ。だから原爆は戦争じゃない。非戦闘員の真上で爆発させるんですから。虐殺ですよ」
     ×     ×     ×
 1945年7月26日、第33代米大統領のハリー・トルーマンは、英首相のウィンストン・チャーチル、中国国民政府主席の蒋介石と連名で、日本政府にポツダム宣言を突きつけた。宣言は13章あるが、その趣旨は最終章に集約されている。

 「われわれは日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、その行動を十分保障することを求める。これ以外の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」
 これは単なる脅しではなかった。米国は7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード実験場で初の原爆実験を成功させた。「完全なる壊滅」とは原爆投下を意味したのだ。

 トルーマンのこの時期の言動を追うと、日本への「原爆投下ありき」で動いていたことが分かる。
 トルーマンは、知日派の国務長官代理、ジョセフ・グルーの進言を通じて「国体護持」(天皇の地位保全)さえ保証すれば、日本が降伏すると踏んでいた。にもかかわらず、陸軍長官、ヘンリー・スティムソンが作成したポツダム宣言の草案から「天皇の地位保全」条項を削ってしまった。日本があっさりと降伏すれば、原爆投下のチャンスが失われると考えたからだとみるのが自然だろう。

 ポツダム宣言は、7月17日〜8月2日にベルリン郊外のポツダムで行われたトルーマン、チャーチル、ソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンとの会談の最中に発表された。

 すでにソ連は対日参戦に向け、着々と準備を進めていたが、スターリンは名を連ねていない。当時、日本外務省と在ソ大使館の暗号電文は解読されており、日本が日ソ中立条約を信じてソ連に和平の仲介役を求めてくることが分かっていたからだ。トルーマンも、その方が原爆投下まで時間を稼げると考えたようだ。
 第32代米大統領、フランクリン・ルーズベルトが、軍と科学者を総動員して原爆製造の「マンハッタン計画」をスタートさせたのは42年8月だった。当初はドイツへの使用を想定していたが、44年9月には日本に変更した。

 秘密主義者のルーズベルトは、副大統領だったトルーマンにも計画を教えなかった。45年4月12日にルーズベルトが死亡し、後を継いだトルーマンはスティムソンから計画を聞かされ、さぞ驚いたに違いない。

 すでに原爆は完成間近で4月27日の目標検討委員会の第1回会合では、日本の17都市を「研究対象」に選定した。5月11日の第2回会合では、京都、広島、横浜、小倉の4カ所を目標に選んだ。原爆の効果を正確に測定するため、4都市への空襲は禁止された。

 7月に入ると、B29爆撃機による投下訓練が始まり、ファットマンとほぼ同一形状、同一重量の爆弾「パンプキン」が目標都市周辺に次々と投下された。

 米公文書によると、米軍内で広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投じるよう命令書が出たのは7月25日だった。ということは、トルーマンはポツダム宣言発表前に原爆投下を命じていたことになる。
 トルーマンはなぜこれほど日本への原爆投下にこだわったのか。

 ポツダム宣言発表時、海軍の戦艦、空母など主力部隊は壊滅に近く、制空権、制海権はほぼ失われ、日本陸海軍は戦闘機による特攻などでわずかな抵抗を続けているにすぎなかった。

 B29爆撃機はほぼ連日空襲を続け、ほとんどの都市は焼け野原と化し、首都・東京も市街地の5割強が焼失。原爆を使用せずとも降伏は時間の問題だった。

 米政府内でもスティムソンやグルー、海軍長官のジェームズ・フォレスタル、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルらは原爆投下に反対していた。太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツや、太平洋陸軍総司令官のダグラス・マッカーサーは原爆の存在さえ知らなかった。トルーマンに同調したのは国務長官のジェームズ・バーンズだけといってもよい。

 それでもトルーマンを原爆投下に突き進ませたのは、ルーズベルトが45年2月にスターリンと結んだヤルタ密約の存在が大きい。

 スターリンは、ルーズベルトに対し、ドイツ降伏後3カ月以内にソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦に踏み切ることを約束。見返りとして南樺太や千島列島の引き渡しや、満州の鉄道・港湾権益を要求した。
 そもそも日米が開戦に至る対立は満州・中国での権益争いに始まったことを考えると本末転倒だといえるが、すでに病が悪化していたルーズベルトはスターリンにまんまと乗せられた。

 トルーマンは大統領就任後、金庫から出てきたヤルタ密約を見て驚愕したという。ポーランドやドイツの統治をめぐってもソ連との対立はすでに顕在化していた。トルーマンは「戦後のソ連との覇権争いで優位に立つには原爆しかない」と考えたとみられる。

 こうして8月6日、広島に原爆が投下された。慌てたソ連は8日に日本に宣戦布告。9日には長崎に原爆が投下され、2都市で計21万人の尊い命が失われた。日本政府は、昭和天皇の聖断により、14日深夜にポツダム宣言を受諾した。

 広島への原爆投下をマニラで知ったマッカーサーは記者にこう語った。
 「これであらゆる戦争は終わった。戦争はもはや勇気や判断にかかわる問題ではなくなり、科学者の手に委ねられた。もう戦争は起こらないのだ」

 トルーマンは死ぬまで自らの行為を正当化し続けた。58年2月、米テレビで原爆投下についてこう語った。
「日本への上陸作戦には150万人の兵力が必要で25万人が戦死すると推定された。だから強力な新兵器を使用するのに何ら良心の呵責を感じなかった。夜もぐっすり眠れた…」
      ×      ×     ×
※この記事は、好評発売中の「国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)から抜粋しました。 「敗戦」という国家存亡の危機から復興し、国際社会で名誉ある地位を築くまでになった日本。その重要な節目節目で歴史の歯車を回し続けたのは、声高に無責任な主張を繰り返す人々ではなく、ごく少数のリアリストたちでした。彼らが東アジアのちっぽけな島国の独立自尊を保つべく奔走してきた事実を埋もれさせてなりません。
 安倍晋三首相は、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言しています。つまり在任中に衆参両院で改憲勢力が3分の2以上を占める情勢になれば、米軍占領下の1947年5月に施行以来、指一本触れることができなかった「平和憲法」の是非を国民一人一人に問いたいと考えているわけです。

 決断の時は迫りつつあります。国会議員が与野党を問わず、戦後の真の歴史を知らずして、その時を迎えるとしたら、日本国民としてこれほど不幸なことはありません。

 国会議員よ、歴史から目をそむけまい。本書にはこんなメッセージがこめられています。

2016年05月29日

◆原爆を正当化する「神話」

平井 修一



産経5/27「オバマ大統領広島演説」から。

<71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。
閃光と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示
した。

われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な
力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日
本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。

無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦
争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。

単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史
を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならな
いかを問う共通の責任がある。

いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8
月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像
力を養い、われわれを変えさせてくれる。

広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契
機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び
取る>(以上)

広島・長崎はWW2での唯一の無差別大量虐殺、ホロコーストだった。ト
ルーマンは自信たっぷり、意気軒高だった。「アメリカ大統領演説:1945
年8月6日ハリー・S・トルーマン(枯葉訳)」から。

<16時間前、アメリカの航空機が広島という日本軍の重要拠点に一発の爆
弾を投下した。この爆弾の威力はTNT二万トンを上回るものだ。これまで
の戦争の歴史において使用された最大の爆弾、イギリスの「グランドスラ
ム」と比べても、二千倍の破壊力がある。

日本はこの戦争を、パールハーバーの空襲からはじめた。かれらはすでに
何倍もの報いを受けてきている。であるのに、いまだ戦争は終わらない。

この爆弾により、われわれの軍隊が有する大きくなりゆく戦力を補うもの
として、新しく、革命的な規模の破壊を、いま、付け足したのだ。現行の
ものはすでに生産体制に入っている上、さらに強力なものの開発も行われ
ている。

つまり原子爆弾だ。宇宙の根源的な力を利用したものである。太陽の力の
源となる力、それが、極東に戦闘をもたらした者たちの上に解き放たれた
のだ。

1939年以前から、科学者たちの間では原子力の利用が理論的には可能とさ
れてきた。が、その現実的なやりかたはだれにも分からなかった。1942年
までには状況が変わり、われわれの承知のとおり、ドイツは、軍事的エネ
ルギーとして原子力を登用する方法を精力的に探していた。それに、かれ
らは全世界を奴隷化するという希望をかけたのだ。

ドイツ人たちがV−1やV−2を手にしたときはすでに手遅れだったこと、及
び、原子爆弾に至ってはまったく手にすることができなかったこと。われ
われはこの点、神の思し召しに感謝すべきかもしれない・・・>

「革命的な規模の破壊」による「報復」を喜んでいる。下品な言い方にす
れば「ジャップめ、ざまーみろ」あたりだ。

Peter Van Buren氏の論考「広島『原爆神話』、米国はどう海外攻撃を正
当化したか」から。

氏は、米国務省に24年間勤務。著書にイラク再建の失策を取り上げた「We
Meant Well: How I Helped Lose the Battle for the Hearts and Minds
of the Iraqi People」などがある。

<[5/25ロイター]オバマ米大統領が、現役の米大統領として初めて、世
界初の原爆被爆地となった広島の平和記念碑を訪問する。写真映えのする
訪問となりそうだが、この訪問は、この地が持つ真の歴史的な意味への認
識を避けるものとなるかもしれない。

ケリー国務長官が4月に平和記念碑を訪問し、それ以前にも2人の米国駐日
大使が訪れているが、彼ら同様、オバマ大統領も原爆投下をめぐる主要な
問題には触れない方針だ。ローズ大統領副補佐官(国家安全保障担当)は
以前、大統領は「原爆投下の決定について立ち返ることはない」と述べて
いる。

まれな例外を除き、原爆投下が第2次世界大戦を終結されるために必要
だったかどうかについての深い議論は、米学界の安全圏内でのみ行われて
いる。

つまり、原爆投下がなくとも地上侵攻は避けられたのか。さらなる外交努
力によって、2つの都市を破壊することなく、同じ目的を達成することが
できたのか。無人島での原爆実験で日本人を説得することはできなかった
か。広島原爆投下の2日後、そして、長崎での投下1日前に、歴史上の偶然
によって、旧ソ連が太平洋戦争に参戦したが、日本の降伏は主にこのこと
で引き起こされたものではなかったか。

しかし、議論が避けられてきたのは、その決定にまつわる歴史そのものだ
けではない。破壊行為の向こう側に横たわるのは、原爆の神話である。つ
まり、実際に起きなかったことを大衆が記憶するという戦後の創造物だ。

世間一般の意識に浸透している原爆神話は、簡単に言えば、原爆投下は復
讐や悪意によるものではなく、軍事的な必要性からしぶしぶ決定されたと
いうものだ。その結果、原爆投下は、道徳性についての深い自己反省や国
家的な考察を呼び起こすことはなかった。

「神話」という言葉の使用は適切である。

当時のトルーマン大統領は1945年の広島への原爆投下を伝える演説で、復
讐と、米国だけが持つ新しくて並外れた力を強調。軍事的に必要だったと
いう議論はその後、原爆投下を擁護する1947年の論文によって生まれた。

この論文は、ヘンリー・スティムソン元陸軍長官の名前によって執筆され
たが、実際は、ベトナム戦争の政策立案者のマクジョージ・バンディと原
爆建造に関わった科学者のジェームズ・コナントが草稿を用意した。コナ
ントは、冷戦開始時に発表された論文の目的について、「未来に向かって
多くを準備する前に、過去を整理する必要がある」と述べている。

スティムソンの論文は、ジャーナリストのジョン・ハーシーが執筆した広
島で被爆した人々の惨状を描いた記事に対する回答だった。この記事は
1946年にニューヨーカー誌に初掲載され、後に出版された。

戦時中の検閲のため、米国人は原爆戦争がもたらした地上の真実をほとん
ど知らずにいた。

この記事が人々に与えた衝撃は、米政府が公式な回答をせざるを得なくな
るほど大きいものだった。

自らを良識ある人々とみなすアメリカ人の一般感覚は、米国の名の下で行
われた過去と折り合いをつける必要があった。スティムソンの論文は文字
通り、広島の神話誕生の瞬間だった。

原爆投下には道徳上の問題はなく、それゆえに考察も自己反省もいらない
との国家的な信仰は、今日まで繰り返されているものである。「そして、
長崎も」と、長崎への原爆投下を歴史的な補足として軽率に扱う方法もそ
のことを痛感させる。

新たな「パールハーバー」とも称される、9・11の米同時多発攻撃によっ
て、たとえ破壊的で不完全であっても、殺害によって人々の命を守るとい
う道徳的要請に応じた一連の不道徳的な行為が始まった。

米国が下した戦争や拷問、容疑者の他国への引き渡し、さらには無期限拘
留などの決定は、性善な者が性悪な者と向き合う上で、不快だが必要な行
動だと、多くの人々に受け止められている。

広島は「自分たちがやるなら、正しい」という圧倒的な国家的概念を始動
させた。

こうしたことを踏まえれば、広島での破壊や、イラクのアブグレイブ刑務
所内で起きた「衝撃と畏怖」の恐怖から距離を置くことは、単に程度の差
である。

こうした神話は、たとえわずかな数でも民間人が痛ましく斬首されたこと
を受けて、世界で最も強力な国が被害国として、戦争に突入することを可
能にした。

一方で、ドローンが結婚式に参加していた子供たちを殺害しても、それは
不運ではあるが、国際的なテロリズムを打ち負かすという目的達成のため
の単なる巻き添え被害だとみなされている。

それは、単に誰がナイフを持っていたかによって暴力行為を分析し、一部
に対し道徳的な正当性を認める気味の悪い計算である。

実際、私たちはアフガニスタン人の一部を殺害することによって、アフガ
ニスタンの国民に善い行いを施していると考えているかもしれない。それ
は第2次世界大戦を終わらせるため、日本本土への地上侵攻が実施されて
いたならば、命を無くしたであろう何万人のために善い行いをしたと信じ
ていることと同じである。

「テロとの戦い」をめぐる議論はほとんど起きない。なぜなら議論そのも
のが多分に不必要だからだ。

広島の神話は、ご都合主義の幻想が道徳的懸念を拭い去ってしまうことを
物語っている。それは私たちの良心の中に巧妙にしまい込まれ、次はどこ
を攻撃するか考えることを残すのみだ。

日本もまた、戦時中の自身の戦争行為を深く検証できないという罪を犯し
ている。それでも、第2次世界大戦中とそれ以降の驚くべき残虐行為の
数々と比較しても、世界で唯一となる核兵器使用は、不名誉なものとして
なおも重大な位置を占めている。

犠牲となった多数の罪のない民間人を日本政府に見せて降伏に追い込むこ
と(1945年当時はこの計画がうまく行くかは誰にも分からなかったが)。
そして、さらに多くの爆弾を投下すると脅し、無防備な都市に対する将来
的な連続攻撃に対して、日本という国を人質に取ること。これらはかつて
見たことがないほどの残酷さを物語っている。

オバマ大統領が、こうした不幸な人命の損失の理由について、それらがあ
たかも自然災害だったかのように、考察することなく広島を訪れること
は、過去71年間、どの米国大統領もこの被害都市を訪問することの重要性
を特に感じていなかった点と、悲劇的に合致している。

20世紀の最も重大な出来事の1つに対する米国の自己反省の欠如は、21世
紀への影響も伴って、今も続いている>(以上)

広島・長崎の悲惨な実態が漏れ始めると、後付けで「これ以上の米兵の損
害を防ぐために投下した」という原爆神話を捏造したのだ。神話創造。そ
れは米国人にとって口当たりがいいから、瞬く間に広まり、今ではそれを
否定すると恐らく「ウソツキ野郎」と罵られ追放されるに違いない。

「日本もまた、戦時中の自身の戦争行為を深く検証できないという罪を犯
している」と論者は言うが、日米戦争を仕掛けたのが米国であり、日本の
罪は「負けたこと」だけであることを論者は知らない。

日米のあいだに残る戦争のわだかまりは永遠に消えないが、そういうもの
なのだろう。しかしバックミラーを見ていたら事故るだけだ。

我にも正義、彼にも正義。戦争はルールのない正義と正義のぶつかり合
い。しかし「戦時にあっては敵、平時にあっては友」だ。昔のことは棚上
げにして、前に進むしかない。(2016/5/28)