平井 修一
■5月27日(金)、朝4:00は室温24度、中雨、散歩不可。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる
雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。ま
た、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもを
かし」
初夏、久しぶりの雨など降るもをかし。アジサイが満開だ。結構なことだ
が、これから1か月は洗濯ヂイヂを悩ます梅雨だな。
宮古島に愛人と逃避移住した知人が「住めばミヤコと島の人は皆言うけれ
ど、押入れがカビだらけになる」と嘆いていた。気温の高い南国の梅雨は
“カビ天国”なのだろう。
地面からの湿気をできるだけ避けようという高倉や高床ロングハウスは南
国の知恵だ。奄美では高倉の下で昼寝していたとカミサンが言っていた。↓
http://oki-park.jp/kaiyohaku/inst/85/103ちなみに、すさまじく雨が降るためもあって、小学生時代のカミサンはハ
ダシで過ごしたそうだ。台風も猛烈なので、奄美の住宅のコンクリート率
は多分、今でも日本一だろう。
それは、木材が採れないことにもよるだろう。島民は森林や草むらを本能
的に避けるのだ。ハブが奄美の自然を守っていることになる。
土建会社を経営していた義父はジャリンコチエのお父さんそっくり。命知
らずの無鉄砲な“島っちゅ”はイノシシ狩りをしている(その息子=義弟は
スクーバで魚や貝を採っていた)。イノシシの頭蓋骨を玄関脇にいっぱい
飾っていた義父は、酔っぱらって天井に猟銃をぶっ放すこともあったそうだ。
カミサンがムショ帰りの小生を平気で受け入れたのは、時にお巡りさんを
追っかけまわすほどの乱暴者=村対抗の運動会のヒーローの義父が大好き
だったこともある。ヤクザに魅かれる女は多い。
さてさて、夕べは久し振りにルンバで掃除。ルンバは可愛くてよく働く
が、よく働いてもらうために床上の障害物を片づけなくてなくてはならない。
わが家のDKには椅子だけで9脚ある。ひとつ5キロほど、すこぶる重い。こ
れを卓上に片づけるのには「ヨッシャーッ」という気合、覚悟、体力、諦
観が必要で、カミサンがルンバをあまり使わないのはそれが嫌、苦痛だか
らだ。
「みんなそれが悩みみたい」とカミサン。ルンバを買った奥さん連中はそ
う思っているのだ。
ルンバは家具と家具の間など隅っこを掃除できない不便さもある。IoT
で、天井に複数のセンサーをつけ、細かいところはヘビ状のチビルンバが
掃除するというようにしたらいいと思うが。
今日はカミサン公休。夕食はシャリアピン風トンテキなど、旨かった。
■5月28日(土)、朝3:00は室温22度、曇、ちょっと肌寒い。ハーフ散歩。
5:00に奇妙な集団、20人ほどが街を清掃していた。初めて見た。老人が
少ないので日共ではない。それならナンミョー池田教かと思ったが、聖教
新聞配達人が知らんぷりしていたから、それも違う。彼らの多くは自転車
で帰って行ったからエリアの集団なのだろう。
エホバは毎週土曜日に集まる。奉仕活動として周辺の町の清掃を始めたの
かもしれない。エホバは2人以上の集団で動く。暴行や下半身トラブルな
どを予防するためらしい。単独行動した高齢女性信者は昨年、「殺してみ
たかった」という女子大生に殺された。
女性信者は純粋無垢、警戒心ゼロ、初心、上部はオロオロ、「せめて2人
以上で活動しなさい」と教えているのだろうが・・・
<Q:セックスをするようにとみんなが言ってきますが、どうしたらいい
でしょうか
A:あなたの体はとても大切なものです。安売りしてはいけません。結婚前
に セックスはしないようにという神のおきてに従おうと決意しましょ
う。将来、結婚すれば、セックスができるようになります。結婚前にセッ
クスをする 人のように不安や後悔に悩まされることなく、十分楽しめる
のです>
もう完璧な乙女。小生のようなワルは「どーだい、おじさんと苦労してみ
ないか。性書第一章第一節のオマタイ正上位から学んでいこう」とちょっ
かいを出したくなる。
ちょっかいを出したがるのは男の本能だ。国基研企画委員・福井県立大学
教授の島田洋一氏の論考5/23「安倍政権の植民地的パフォーマンス」から。
<米大統領が主要閣僚をホワイトハウスに招集し、増税を含む経済政策に
ついて日本の首相ブレーンから教えを請い、その姿をメディアに大きく報
じさせるなどというのは、およそあり得ない光景だろう。ところが日本で
はそうではない。
5月19日、オバマ政権下で経済諮問委員長を務めたクリスティーナ・ロー
マー教授(カリフォルニア大学バークレー校)の夫妻が首相官邸に招か
れ、安倍晋三首相と主要閣僚に意見を述べる様子がニュース画面に大きく
映し出された。
*日本は外国の権威に弱い国?
この「国際金融経済分析会合」は計7回を数えたが、内容はすべて非公
開。第3回のゲストでノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン教
授(ニューヨーク市立大学)が討議内容を外部に漏らして以来、情報統制
はより強化されたようだ。
非公開のため、広く議論を喚起する効用もないこの会合は、海外有識者の
権威を借りて世論を誘導する仕組みと思われても仕方がない。首相以下、
主要閣僚がテレビカメラの前に居並んで外国の学者の講義を拝聴する国な
ど、およそ先進国中にはない。
日本は「外国」や「ノーベル賞」の権威に動かされやすい国、との誤解が
海外に広まる恐れもある。表現は悪いが、権威に弱い植民地根性という言
葉すら思い浮かぶ。
*首相は使命の再確認を
この「勉強会」を起案した官僚を、なぜ安倍首相は「みっともないことを
させるな」と一喝しなかったのか。閣僚についてもしかり。「首相に恥を
かかせるのか。日本に恥をかかせるのか」と官邸にかみつく閣僚が1人ぐ
らい出てもよかったはずだ。
40代の若手議員の時代から、党幹部の権威や意向に臆することなく、日本
政治の正常化と日本国の名誉回復のために闘ってきた安倍首相は、およそ
植民地的価値観とは対極にある政治家である。
その安倍政権が、何故こうした、あえて言えば失態を演じたのか。立派な
理念を持ちながら、一部官僚に時として引きずられる安倍首相の姿を象徴
的に見る思いだ。
優秀であっても官僚の中には、驚くほど日本国の名誉に鈍感な人々がい
る。安倍政権の使命は、アベノミクスによる経済活性化と構造改革を実現
し、諸外国が争って日本にレクチャーを請うような状況を作り出すことだ
ろう。外国の経済学者の講義を聴くパフォーマンスに税金を浪費してはな
らない>(以上)
島田先生はかなり頭にきているようだが、内外の識者から提言をもらうこ
とは悪いことではないと思うが。
そもそも日本にまともな教授がいるのか。「一度教授、一生教授」で、高
給をもらいながら学閥の中でぬくぬくしており、憲法学者を見ても大半は
アカモドキだ。岩波「世界」村の住人や築地町民が多いのではないか。教
条的で現実が見えないという発達障碍者ばかりのような気がする。違うか。
国益を考え、国家百年の計に資する論を展開できる学者、論者は島田先生
を含めてせいぜい50人、その論を聞いたら次には外国の学者の論も聞いて
みようとなってもおかしくはない。
日本は植民地ではないが、未だにGHQ憲法という米国占領政策下にあり、
51番目の州に近い、軍事、外交はDCの連邦政府に従属しており、独立国と
は言えないと小生は思っている。安部氏は次の勉強会では島田教授を招い
て、この辺の話を聞いたらいい。
昨日駅前にオープンした「ばいばすけっと」を覗いたらすごい人出。主婦
向けの品揃えで大助かりだ。キッチンヂイヂの小生にはコンビニは
inconvenient である。
■5月29日(日)、朝7:00は室温23度、快晴、涼風。昨日は湿度が高くて洗
濯物がパリッと乾かなかったので、今朝もう一度ベランダに干す。ハーフ
散歩。
外務省は「事なかれ主義」で、とにもかくにも外交で波風が起きることを
避け、日々国益を損なっていると小生は思っているが、プロから見ても
「どうしようもないバカ」なのだという。
外交評論家「加瀬英明のコラム」メルマガ5/26 「トランプ現象にはやく
もオタオタ」から。
<私は日本を守るために、外務省を解体して、建て直したほうがよいと思う。
この2月に、日本人が委員長をつとめる国連女性差別撤廃委員会が、日本
が十数万人のアジアの無辜の娘たちを拉致して、性奴隷となることを強い
たという、怪しげな報告書を発表した。
報告書は皇位の男系による継承も、差別として非難していたが、さすがに
外務省が強く反発したために、削除された。
日本が女狩りして性奴隷としたという誹謗は、1992年の河野官房長官談話
に端を発しているが、外国政府や、国際機関が繰り返すごとに、日本が非
道な国だというイメージが、世界に定着してきた。
これは、由々しいことだ。日本が万一、危機に陥ることがあった場合に、
国際社会から援けてもらわねばならないが、日本がおぞましい国だとなっ
たら、誰も救おうとしないだろう。
この国連委員会の委員長は、福田康夫内閣の時に外務省が国連に推選して
送り込んだ女性活動家で、それまでは政府の男女共同参画社会の推進役を
つとめていた。
あるいは、国連人権関連委員会が2008年から14年まで、4回にわたって、
沖縄住民が日本における少数民族であり、日本民族から迫害を蒙って、人
権、言葉、文化などを奪われてきたという報告書を発表して、是正するよ
うに勧告してきた。外務省は一度も反論せず、撤回を要求することもな
かった。
中国は沖縄を奪おうと狙って、中国国内に琉球共和国(憲法、国旗も発
表)政府が置かれ、沖縄住民が中華民族であると唱えてきた。このような
国連委員会の勧告は、中国を力づけるものだ。
沖縄住民は疑いもなく、日本人だ。沖縄方言は、さらに本島南部、北部、
宮古、八重山、南奄美、北奄美など、多くの方言に分かれるが、日本語で
ある。
この突飛だとしかいえない、国連委員会の勧告のもとをつくったのは、日
本人グループであって、外務省の多年の御用(ペット)学者の武者小路公秀
氏が理事長をつとめる、「反差別国際運動」が中心となった。
武者小路氏は金日成主席以来、北朝鮮を礼讃してきたことによっても知ら
れるが、1976年には外務省の推薦によって、東京の国連大学副学長に就任
している。
今年4月に、沖縄選出の宮崎政久議員(自民党)が衆院内閣委員会で、こ
の国連委員会の勧告について質問し、木原誠二外務副大臣が政府として撤
回するように働きかけることを、はじめて約束した。
*相手国の代弁者たち
このような例は、枚挙にいとまがない。外務省は多年にわたって、日本を
深く傷つけてきた。
日本とアメリカの外務省と国務省には、奇妙な共通点がある。日本の外務
省は、別名「霞ヶ関」と呼ばれる。
国務省はホワイトハウスと、ポトマック川のあいだにある。ワシントンは
アメリカが独立した直後の1800年に、湿気がひどい泥地に建設されたが、
国務省がつくられたところは、とくに霧が立ち籠めるために、「フォ
ギー・ボトム」(霧の底)と呼ばれてきた。
もう一つの共通点は、両国とも外交官が他の省庁から嫌われていることだ。
霞も霧も、大気中に漂う微細な水滴であって、視界を曇らせる。アメリカ
でも、国務省のキャリアの外交官は、外国贔屓となって国益を忘れやすい
といって、胡散臭い眼で見られている。
外交官の宿痾か、職業病だろうが、ある外国を専門とすると、その国に魅
せられてしまうことだ。その国の代弁者になる罠に、落ちる。
もし、私がある南洋の新興国の文化と言語に打ち込んで、外交官となっ
たら、きっと首狩り習俗や、食人習慣まで含めて、その国に強い親近感を
いだくことになろう。その国に気触(かぶ)れてしまい、日本の国益を二の
次にするようになる。
わが外務省にも気の毒なことに、国籍不明になった犠牲者が多い。
もっとも、日本の外務省のほうが、病いが重い。日本が犯罪国家だという
幻想にとらわれて、謝罪することが、外交官のつとめであると思い込んで
いる。
中国、韓国を増長させて、日中、日韓関係を悪化させてきた。責任は外務
省にある。
外務省員の多くの者が、日本に誇りをいだくことが、まったくない。外交
研修所における教育が悪いからだろう。
1992年8月に、宮沢内閣が天皇ご訪中について、有識者から首相官邸にお
いて個別に意見を聴取したが、私はその1人として招かれた。
私は「陛下が外国に行幸されるのは、日本を代表してその国を祝福される
ためにお出かけになられるものだが、中国のように国内で人権を蹂躙して
いる国はふさわしくない」と、反対意見を述べた。
その前月に、外務省の樽井澄夫中国課長が、私の事務所にやってきた。
「私は官費で、中国に留学しました。その時から、日中友好に生涯を捧げ
ることを誓ってきました。官邸にお出掛けになる時には、天皇御訪中に反
対なさらないで下さい」と懇願した。
私が中国の人権抑圧問題を尋ねると、「中国に人権なんてありません」と
悪びれずに言ってのけ、水爆実験をめぐる問題についても、「軍部が中央
の言うことを聞かずにやったことです」と答えた。
私が「あなたが日中友好に生涯を捧げるというのは個人的なことで、日本
の国益とまったく関わりがないことです。私は御訪中に反対します」とい
うと、悄然として帰っていった。
外国の代弁者になってしまう、不幸な例だった。
*理路整然たるバカ
私は41歳のときに、福田赳夫内閣が発足して、第1回福田・カーター会談
を控えて、最後の詰めを行うことを頼まれた。首相特別顧問の肩書きを
貰って、ワシントンに入った。
私はカーター大統領の後見役だった、民主党の元副大統領のハンフリー上
院議員や、カーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレ
ジンスキ教授と親しかった。
内閣発足後に、園田直官房長官から日米首脳会談に当たって、共同声明の
“目玉”になるものがないか、相談を受けた。
私は園田官房長官に“秘策”を授けた。日本はこの時に、すでに経済大国と
なっていたが、日本のマスコミが毎年「一人当たり所得ではベネズエラ以
下」と報じていた。
私は日米共同声明でカーター大統領に「日本は国連安保理事会常任理事国
となる資格があり、支持するといわせることができる」といった。総理も
「それだ」ということになった。
そのうえで、山崎敏夫アメリカ局長と会った。すると「そのようなこと
が、できるはずがありません」と冷やかにあしらわれた。私は首脳会談へ
向けて、両国が打ち合わせた記録――トーキング・ペーパーを見せてほしい
と求めたが、峻拒された。
「役割分担でゆきましよう」と促したが、木で鼻を括(くく)ったような態
度で終始した。
トーキング・ペーパーのほうは、発つ前に鳩山威一郎外相に見せてもらっ
て、凌(しの)いだ。
私は総理一行がワシントン入りした前日に着いて、ホワイトハウス、国務
省、国防省などをまわった。出発前に電話で話をまとめていたから、念押
しのようなものだった。
翌日、ホワイトハウスの前にある迎賓館(ブレアハウス)で、総理一行と合
流して、首尾よくいったことを報告した。
福田カーター会談の共同声明では、私の献策が目玉になった。
私は2つの内閣で、園田外相の顧問として、アメリカにたびたびお伴し
た。園田外相は“ハト派”で、私は“タカ派”だったが、妙に気が合った。園
田氏は外務官僚を「理路整然たるバカ」と呼んだ。
*占領以来の大罪
最後に首相特別顧問の肩書きを貰ったのは、中曽根内閣だった。私の外務
省とのおつきあいは、長い。
外務省には、日本が占領下にあった時代から、大罪がある。
今日でも「国連憲章」は、外務省による正訳によれば、「われら連合国の
人民は‥‥」と始まっている。原文は「ウィー・ザ・ピープルズ・オブ・
ジ・ユナイテッド・ネーションズ‥‥」だが、「連合国」と正しく訳されて
いる。
ところが、「ザ・チャーター・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ」
を「国際連合憲章」と訳している。同じ言葉であるのに、奇妙だ。
「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」の正しい名称は「連合国」なのだ。
*ヒラリー頼みの外務省
「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」という呼称が、連合国を指す言葉と
して採用されたのは、日本が真珠湾を攻撃した翌月の1月1日のことだっ
た。この日、日本、ドイツ、イタリアなどと戦っていた26ヶ国の代表がワ
シントンに集まって「連合国宣言」を発した。
ルーズベルト大統領がこの会議で演説し、日本やドイツと戦っている同盟
諸国を「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」と呼ぼうと、提案したことに
よった。
日本は3年8ヶ月にわたって「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」、連合国
を敵として戦ったのだった。日本の都市に国際法を踏躙して絨毯爆撃を加
えて、非戦闘員を大量に殺戮し、広島、長崎に原爆を投下したのも「ジ・
ユナイテッド・ネーションズ」の空軍だった。今日、日本で定着している
国連という名称を用いるなら、国連の空軍が非人道きわまる爆撃を加えた
のだった。
“国連”が結成された時に憲章によって、加盟資格について「すべての平和
愛好国」と規定されたが、日本、ドイツなどの枢軸国に対して宣戦布告し
ていることが求められた。そのために、今日でも“国連憲章”に「敵国条
項」がある。
外務省も、朝日新聞をはじめとする新聞も、敗戦後の昭和20年10月までは
“国連”を「聯合国」と正訳していた。「国際聯合」にすり替えたのは、
「聯合國」だと、国民が占領軍に敵意をいだきかねないために、戦前の
「國際聯盟」をもじって、そう呼び替えたのだった。
都心の青山通りに面して、外務省が多額の国税を投入して誘致した「国連
大学」が聳えている。だが、「連合国大学」であったとしたら、誘致した
ものだろうか。
「国際連合」と呼んできたために“国連”を「平和の殿堂」のように崇めて
いる者が多い。日本国憲法と国連に対する崇拝は、1つのものである。も
し、正しく「連合国」と訳してきたとしたら、日本において国連信仰がひ
ろまることがなかったはずだ。
私は2005年から9年まで、朝日新聞のアメリカ総局長をつとめたK氏と、親
しくしているが、ワシントンを訪れると、ホテルにたずねてくれて、朝食
をとりながら情報を交換した。朝日新聞社の奢りだった。
ある時、K氏が「日本から来る人で、あなたぐらい、ワシントンで会いた
いという者に、誰でも会える人はいない」といった。
私はいまでも年2回、ワシントンに通っている。
ところが、日本の外務省出身の大使館員は、ワシントンでごく狭い社会の
なかで生活している。国務省ばかりを相手にしているから、他に人脈が
まったくない。
霞ヶ関の外務省では毎朝、省員が登庁すると、全員が跪いて、ヒラリー夫
人の勝利を祈っているという。ヒラリー夫人はオバマ政権の国務長官を務
めたから、日本国憲法が日本に課している特殊な制約を、よく知ってくれ
ているはずだからだ。
夫人のアジア外交のアドバイザーは、日本担当の国務次官補だったロバー
ト・キャンベルだが、外務省が飼い馴らしてきたから、安心できる。
外務省は“トランプ現象”のようなことが起ると、対応することができず
に、狼狽えるほかない。
もっとも、外務省を解体すべきだといっても、できることではない。そこ
で、国民が外務省に対して向こう20年か、30年にわたって、保護観察官
か、保護司となって、目を光らせて、補導するほかあるまい>(以上)
79歳翁とは思えない鋭い分析だ。すごいなあ、とても勉強になる。
「西郷南洲先生遺訓」から。
<正道を踏み国を以て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全かる可
からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時
は、軽侮を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。
談(だん)国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の凌辱せらるる
に当たりては、縦令(たとえ)国を以て斃る共、正道を践(ふ)み、義を
尽すは政府の本務也。
然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ
共、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(こうあん)を
謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所
と申すものにて更に政府には非ざる也>
「苟安」とは一時的な安楽をむさぼることだ。日本の国益ではなく相手国
の利益のために働く外務省官僚の言動は、まさに利敵行為、売国奴そのも
のである。解体的再生が必要だ。(2016/5/29)