2016年05月19日

◆モンゴル考察―その最終C

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)



モンゴルとどう向き合うか

モンゴルの漢人観(中国人に対する感覚)は、土地を耕すという下等な仕事を営む人たちで、彼らのために上質な牧草地が破壊されるのだから、憎むべき存在である。(陳舜臣)

モンゴル民族は「遊牧の民」ですから、牧畜に携わる人は支配階級、田畑を耕す仕事は被征服民族が従事する卑しい作業という伝統的な思考回路があります。

これは、遊牧一辺倒の農牧畜業を近代化する政策の推進に最大の障害となります。農耕は国民の食を確保する大切な職業とみなす意識改革を子どもの頃から植え付ける教育方針の転換が必要です。


「農耕蔑視の考えを変えないと、モンゴル近代化構想は進めようがありません。横綱、そう思いませんか?」(浅野)

「浅野先生、それは重要なポイントです。ですから、北海道の滝川で稲作をお願いして、そこで収穫したお米は全量モンゴルへ送って、試食してもらっています。こんな美味しいお米はどうすれば穫(と)れるのか、まず、モンゴルの人々が関心を持って、自分たちも田圃を耕してみようという意欲をもってほしいと思っています」(白鵬)

「横綱が、そんな素晴らしい試みをしているとは知りませんでした。モンゴルの米づくりは、日本政府が技術援助のできる格好の分野だと思います」(浅野)

「本格的な取り組みをJICA(独立行政法人・国際協力機構)にお願いしたいですね」(白鵬)

「もう一つの課題は、家畜の疾病対策を徹底して、伝染性の高い口蹄疫やブルセラ症を予防して、国際基準を満たす食肉を輸出できる体制を整えることです」(浅野)

「それが実現できたら、モンゴルの所得は跳ね上がります。食べきれなくて処分している羊の肉が大量に輸出できたら、国民生活は潤います。
日本の約4倍の国土、156万㎢に、たった300万人しか住んでいないのに、4,000万頭を有に超える家畜が飼われています。羊、ヤギ、馬、牛からラクダまで人口の15倍内外の家畜が放牧されていますから、すべての家畜の衛生管理を確立するのは至難の業です」(白鵬)

「キーワードは、獣医の育成です。獣医が駐在する家畜保健所が全国いたるところにあって、感染症の診断・予防・治療を徹底するしかありません。口蹄疫が一例もなくならない限り、日本がマトンを輸入することはありません。

実は、もうJICAの支援で、獣医の本格的な養成をモンゴル国立農業大学獣医学部で始めています」(浅野)

「それは、ほんとですか。素晴らしい!」(白鵬)

「4年余り前、サカナ博士の魚井一生翁から、懇意なモンゴル農業大学の学長から相談を受けたと協力要請がありました。ノウハウが優れているのは北海道大学だから、北大の専門の先生を派遣したいという提案でした。幸い、私の親しいJICAの渡辺正人理事(現バングラディシュ大使)が、モンゴル農牧・畜産事業支援の重要性について深い理解を示してくれました。

その結果、モンゴルに対する技術協力「獣医・畜産分野人材育成能力強化プロジェクト」がODAの一環として認められました。

このプロジェクトは、2014/4月30日〜2019/4月29日までの
5年計画で、予算は約3億円です。この決定に基づいて長期駐在専門員として北大の先生が農業大学獣医学部で学生を指導しています。すでに一期生が卒業したと聞いています。」(浅野)

「それは知りませんでした。たいへん有り難いことです。
それから長期的なヴィジョンを見据えた口蹄疫の駆逐で重要なのは、ワクチンではないですか。外国産の高価なワクチンに頼るのでは限界があります。モンゴルが自らの手でワクチンを製造する能力を持つことです。」(白鵬)

「その通りです。あの折、モンゴル政府の要請には、口蹄疫ワクチンの製造・開発に対する支援要請がありましたが、ワクチン製造施設の建設、整備に何十億円も必要とわかり、結局、見送られたと聞いております」(浅野)

「今夜は、美味しい松坂牛をたらふくいただいた上、たいへん勉強になりました」(白鵬)

「わたしの方こそ、有難うございました。」(浅野)

< 終わり >


2016年05月18日

◆私の「身辺雑記」(344)

平井 修一



■5月15日(日)、朝5:00は室温21度、快晴、ハーフ散歩。

沖縄の本土復帰44年。島民は年々劣化しているように見え、キャンプ・
シュワブのゲート前はイカレタ老人たちの不法占拠で“アカの聖地”、治外
法権になっている。

ユスリタカリも芸のうち、本土からの税金で景気はよくなって、人口も増
えているが、それでもオツムは習近平、からっぽ。生活保護のような老人
を甘やかすとどうしようもないクズになる典型だ。まずは琉球新報、沖縄
タイムズをつぶさないと前進しない。

2紙はがっちり報道利権を握っているからなかなか難しいが、ネットが
徐々に洗脳を溶いていくだろう。時間はかかる、ハアー・・・脱力しそうだ。

今朝の産経1面「検証:文革半世紀」はたいへん刺激的だった。が、その1
面の左柱は革マル派の二代目教祖、ラスプーチン佐藤優のお粗末な論考
だった。

産経のお行儀のよい編集者はお坊ちゃまで警戒心がないのだろうか、革マ
ルの戦略はターゲットを叩くのではなく、ターゲットの内部に入り込んで
ターゲットを乗っ取るのである。寄生虫、サナダムシ戦略。JR総連、JR東
労組、沖縄/翁長、北海道/横路・・・みなそれで乗っ取られた。

革マル派教祖の黒田寛一は人前に出るとカリスマ性が薄れるからと深窓に
引っ込んでいたが、初期のころは講演もした。今井公雄氏が「左翼過激派
の20年」にこう書いている。

<全都の学生を集めておこなっていた黒田の講演学習会のことである。
1962年の9月から11月にかけてのことで、黒田はおおむね次のような主旨
のことを話した。

「われわれはサナダムシであ〜る。サナダムシは〜、あごんところについ
てる鈎で胃壁に食らい付いてどんなことがあっても離さない。そんでもっ
て、最後には本体を倒しちゃう」

いまではあまり知られていないことだが、当時を知るものなら知らぬもの
ない「(革命的共産主義者同盟=革共同)全国委員会(のちの革マル派)
寄生虫論」である>

革マルは産経を乗っ取ろうとし、それに応える隠れ革マルの産経社員がい
るということだろう。中核派の兵隊だった小生から見ればそんなことは
「イロハのイ」だ。産経は社内の隠れ革マルキストを摘発し、自己批判さ
せ、市中引き回し、焚刑、梟首、罪九属に及んで一族に恥多き死を与える
べきだ、世が世なら。

昔「黒寛」、今「佐藤」、あなたの隣に革マル派。「検証:革マル半世
紀」を連載してはどうか。

大体が小賢しい沖縄独立論者、習近平の手先である佐藤優を迎合するなん
て狂気の沙汰だ。熊坂先生、宗男を篭絡した佐藤優(神学生、スターリン
と同じ)はダメだ、まだ佐藤守の方がいい(近年は宇宙人になって、いさ
さかカルト的だが。曽野綾子氏に敬服しているから最後の理性は残ってい
るようだが・・・)。

どうも“イキノイイ”ヂイヂが少なくなっているような気がする。高齢化な
のか・・・ウッタク、もー、という感じ。

ところでパナマ文書。こちらは「大山鳴動して鼠一匹」だったりして。ブ
ログ「Argus Akita」5/11「節税は実際の企業経営では当たり前」から。

<納税は義務であると同時に企業経営ではコストであり、コスト低減と利
益最大化は当たり前の行動だからである。また、合法的な節税手段を探す
のが当たり前であり、そのために税理士などの専門家にアドバイスを受け
るのも至極普通の行動である。

節税などは昔から当たり前のように存在する。

『パナマ』で考えても船舶の便宜置籍船(事実上の船主の所在国とは異な
る国に籍を置く船)の件がある。ノリエガ将軍の時代にはパナマは便宜置
籍船国のブラック、グレー、ホワイトのカテゴリーでもブラックリスト
だったはずだ。

そもそも便宜置籍船国はこれといった産業を持たない小国がほとんどで、
船籍を置いてもらうことで税収を得ている。

パナマやリベリア船籍の多い、日本郵船(三菱)、商船三井、川崎汽船など
が、節税で批判を受けたなどは聞いたことがない。

タックス・ヘイブンなどは多くの業種でそれなりにあれこれ昔からあるの
だ。今回に限ってガーガー騒ぐのは面妖である>(以上)

パナマ文書を公表した国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)に日本か
らは朝日新聞と共同通信の2社が加盟している。この2社は偏向捏造報道で
日本のアカマスコミを牽引しているが、米国では同じくアカマスコミの代
表格で朝日のお友達のニューヨークタイムズが加盟している。ICIJはそう
いう自称リベラル、内実アカモドキの集まりではないか。

彼らは公正な報道で真実を探るのではなく、「角度をつけて」自分たちの
主義主張を拡散するのが自分たちの神聖なる仕事だと思っている。自分た
ちが憎む政権の小さな瑕疵(みたいなもの)を見つけると針小棒大に書
く。事実を捻じ曲げて書く。それが「いい記事」だと思っている。

自分たちが憎む政権の瑕疵は大げさに取り上げ、自分たちが好む政権の
「不都合な真実」は「報道しない自由」によりスルーし、それをテンとし
て恥じない。なぜか。「限りなくアカに近い自称リベラル」だから。

そういうマスコミを会員とするICIJが、いい仕事をするかどうか。読売新
聞で長く経済記者を務めた中村仁氏の論考「租税回避地の“パナマ”に金融
制裁を」(アゴラ5/11)から。

<なんといってもすさまじいのは、中国、ロシアなど共産圏の独裁国家の
トップらによる所得の不正取得、タックスヘイブンへの資金逃避、マネー
市場での運用による巨大な増殖が想像され、絶句します。

ひどさでいえば、中国が筆頭でしょうか。租税回避のためのペーパー会社
は中国が突出して多く、2.5万人・法人といいます。国内では報道もさせ
ないそうですから、独裁者や独裁体制下における富の収奪に国民は怒りよ
うもありません。

ロシアを含め、国家、政府は国民のために存在するのではなく、独裁者、
指導層が自らを富ますために存在しているのでしょう。

中国、ロシアはどうするのか。そもそも問題は、所得、資産の不正取得か
ら始まりますので、まず当事国の政府が国内での取り締まりを強化するし
かありません。

中ロでは、政府、党にその気はなく、トップおよび周辺が率先して課税逃
れに励んでいるようですね。まず国民自身が政府、指導者に怒りをぶつけ
ていくしかありません>(以上)

「怒りをぶつけ」たら刑務所行きだ。中村氏は大阪読売の社長まで務めた
人だぜ。それでも中露の残酷な独裁統治に思いが至らない。まるで純粋無
垢の幼児のよう。なぜか。「限りなくアカに近い自称リベラル」だから。

朝日・若宮とチンポコを握りあったナベツネそっくり。ナベツネは東大駒
場細胞出身だ。

中村氏はこの辺の認識が甘い、甘すぎる。メガネドラッグで矯正用3Kメガ
ネ(危険を察知し、検証分析し、警備を固める)に作り直したほうがい
い。世界がよく見えるぞ。

「パナマ鳴動して鼠一匹」というのは大いにあり得る見立てかもしれない。

熊坂先生もよく警戒することだ。アナタのそばにアカがいる。マムシのよ
うな乗っ取り屋が近づいてきたら、問答無用、情け容赦なく頭をつぶすこ
と、それ以外に会社を守る方法はない。マキャベリ曰く――

「企業の存亡がかかっているような場合は、いかなる手段もその目的に
とって有効ならば正当化される。この一事は、経営者に限らず、社員の一
人一人に至るまで、心しておかねばならない。その手段が正しいとか正し
くないとか、寛容であるとか残酷であるとか、賞賛されるものか恥ずべき
ものかなどについて、一切考慮する必要はない」(祖国→企業、為政者→経
営者、国民→社員に置き換えた)

長女一家が秋川渓谷で釣ってきたニジマス10匹を調理。新鮮そのものだっ
たが、北大路魯山人は肝吸虫(肝臓ジストマ)による肝硬変で死んだ。確
かニジマスの刺身が原因だったと聞いているから、熱を通した方がいいだ
ろうと夕食はムニエル、とても旨かった。警戒は大事だ。

残りは甘露煮とみそ漬けにした。なんとなく手は生臭い。生臭坊主の佐藤
優は再婚してカミサンがいるそうだ。舛添と一緒。小生のカミサンを含め
てゲテモノ好きの女は結構いる。

■5月16日(月)、朝6:30は室温21度、曇、ハーフ散歩。

小生はNGOとかNPOに偏見を持っている。「こいつらアカじゃないか、寄付
金で飯を食っているんじゃないか」と。

中核派の大幹部は娘を米帝へ留学させていたし、ブント戦旗派の大幹部は
外車を乗り回していた。身近なところでは被告団の事務局にいた奴は会う
たびに服装が派手になった(こいつはネコババがばれて追放されたが)。

小生ら中核派の兵隊は、前線に送られたらまず無一文になる。カネは全部
取られるのだ(逃亡防止のため。オームと一緒)。一応、三食は現物支
給、あるいはカネが渡される(必要な交通費も)。

この原資は兵隊が駅前などで募ったカンパである。カンパ、義援金、支援
金が“被害者”“被災者”に回ることはたぶんゼロだろう。1970年前後の中核
派は500〜1000人ほどの専従がいたろう。

(専従=職業革命家、略して職革。食客だな。殺傷専門の非公然部隊=革
命軍は50人程だったろう、友のMはその精鋭で「みな俺と同じく前科が多
すぎて堅気にはなれない人ばかり」と自嘲していた)

専従を抱えているから、幹部の給料や将兵の飯を提供しなければならな
い。カンパはそのための重要な「M作戦」だった。

(スターリンのM作戦は銀行強盗だったろう。1905年、レーニンに面会し
てからスターリンは「掠奪を強行」とシベリア帰りの内村剛介は書いてい
る。レーニンは汚れ役を引き受けたスターリンに頭が上がらない。スター
リンは殺しのテクニックを身に着けた。最強。プーチンそっくり)

小生には以上のような実体験があるし、日赤に送った寄付金がどのように
使われるのかを調べてみたら、川崎市社会福祉協議会経由で、ずいぶんと
怪しいNGOとかNPOに流れていたりした。

税金が首長や取り巻きの物見遊山、週末旅行、正月旅行などに使われてい
る。こういうバカを首長に選んだのは小4とか中2レベルの国民である。選
挙権はローマ帝国やギリシアのポリス時代のように、兵役・納税義務を担
える人にのみ与えるべきではないか。

参政権のない奴らが一掃されれば多くの問題は解決する。

笹川陽平氏の論考「ちょっといい話 その67 非営利組織評価センター設
立」5/13から。

<ようやく「非営利組織評価センター」が設立され、活動が始まった。必
要性は叫ばれていたものの、ここまでこぎつけるには若干の時間を要した。

筆者が2012年11月26日の産経新聞『正論』に『NPO法人は情報公開の徹底
を』と題した投稿をしてから3年半の月日が経過した。現在、NPO法人(特
定非営利活動法人)約5万件、一般財団法人・一般社団法人は約4万件を超
え、社会活動をする組織は厖大な数になってきた。

又、東日本大震災を契機に企業も社会貢献活動の重要性を認識し、CSR活
動の機運が盛り上がり活発化してきた。しかし、企業側から見ると、特に
NPO法人約5万件の中から、自社の計画にマッチした信頼できる団体を選択
するのは至難のことであった。

制度改革により公益財団・公益社団法人は「公益認定等委員会」などに
よって審査が行われるが、NPO法人や一般財団・一般社団法人は法人化が
容易に行われ、その後の活動についての厳しい審査はないに等しい。

そのため当初の『志』と異なり、休眠中の組織や連絡さえ取れない団体が
多数存在するようになった。

本来ならば各自治体が、例えば、二年以上会計並びに活動報告がなければ
自動取り消しというような制度を作れば話は簡単で、まじめに活動してい
る非営利組織の選択も楽になる。

しかし我々は、行政に頼るのではなく、民間の力を結集して自主的に評価
する組織を開設しようということになった。

発案者の日本財団の橋本朋幸が関係者の説得に当たり、以前から先駆的に
京都でこの種の活動をされていた「社会的認証開発推進機構」の協力を得
て、設立発起人にトヨタ財団をはじめ、有力な14の団体が参加。賛同パー
トナーに三菱財団、キリン福祉財団など7団体も協力してくれた。

しかし、この種の組織の活動には何よりも資金が必要である。日本財団で
は、軌道に乗るまでの5年間の経費を負担し、以後は自立することになっ
ている。

かつて「日本ファンドレイジング協会」が開設した折、日本財団は5年間
の活動資金の支援を行い、会長代表理事の鵜尾雅隆氏は約束通り、見事に
自立して成功させたのみならず、この種の社会活動団体及び運営を担う人
材養成になくてはならない団体にまで成長させた。

「非営利組織評価センター」の理事長には、斯道の権威者であられる「公
益法人協会」の太田達男理事長が無給で協力してくださることになった。
何よりの僥倖(ぎょうこう)であり、初期の目的を達成されることを願っ
てやまない。

なお2016年度は、無償で300団体の第三者評価が計画されている。事業目
的、事業内容、評価事業の概要等々、「非営利組織評価センター」につい
ては下記にお問い合わせください(略)>(以上)

非営利組織評価センターはインチキ団体を駆逐する有効な濾過紙になるだ
ろう。労組の強い日赤もチェックしてほしい。日弁連のような多分ろくで
もないアカ組織ではないのか。

知人が数年前にNPOを立ち上げたが、カネが目当てだった(今は休眠)。
知人の奥さんは市会議員に立候補したが、これもカネが目当てだった(落
選)。われらの内なる舛添根性。嫌なものだね。世の中はきれいごとばか
りとはいかない。

■5月17日(火)、朝6:30は室温22度、中雨、傘をさしてゴミ出し。散歩不可。

知らないことを知ると、とても興奮する。知的刺激を受けて血圧も上がる
のだろう、血管が切れそうな感じさえする。それでもネットはタダだ。
まったく有り難い。♪ネットよ 今日も ありがとう

「Argus Akita」5/14から。

<先日、東京で某一部上場会社の採用担当と雑談していて、就活のエント
リーシートで、メルアドにgmail.com、yahoo.com、yahoo.co.jpを書いて
きた学生は即ゴミ箱だそうだ。棄てアドは棄てアドで使わないといけない
ということである。

ついでにその採用担当は、歯並びの悪い奴と中学受験していない奴も即落
とすそうで、これは現在の上場企業ではごく一般的になっているそうだ。
(育った家庭の経済環境・水準の判断か?)>

お受験・・・公立学校はダメよ、二部上場以下へどうぞってか・・・お坊
ちゃま、お嬢様ばかりの一部上場企業と違って、中小零細泡沫企業はジャ
イアンとスネオの世界だから、たぶんタフであり、サバイバルに通じてい
るだろう。

職人の世界、これが日本経済の基礎を営々と築き続けている。丸の内の上
流階級がこけても、丸の外の中小零細泡沫企業が踏ん張っている限り日本
は安泰だ。

原口侑子氏の論考「風呂場で肌をさらしたイエメンの女性たち 旅の形、
国の形(イエメン・サナア)」(JBプレス5/14)も刺激的だった。

氏のプロフィールにはこうあった。「東京大学法学部卒。早稲田大学法科
大学院修了後、弁護士(2008〜2011年、61期)。バングラデシュにて開発
コンサルタント(2011〜2012年、2014〜2015年)。世界一周旅行
(2012〜2014年)、アフリカ・中南米を中心に周遊」

東大法学部卒・・・弁護士廃業?・・・自分探しの旅?・・・ナンカ心配
だが・・・

<私は全身を覆うニカーブを買ったものの、外国人への許容範囲は広いと
聞いていたので普段はヒジャーブで頭髪だけを隠して町を歩いた。

道行く男たちはくちゃくちゃと噛み煙草(カート)を噛んでいる。葉っぱ
を噛み潰してたまった唾とまぜたものを飲み込んでいくとちょっとハイに
なるらしい。噛み終わった葉っぱのくずはどんどんたまっていくので、彼
らの左頬(または両頬)はこぶとり爺さんよろしくプウッと膨らんでいる。

男たちは、外国人と見ると珍しいのか声をかける。「写真撮ってよ」「ぼ
くたち4兄弟」「ジャンビーヤ屋なんだよ、見て行ってよ!」(平井:
ジャンビーヤは短剣。イエメンでは男は14歳以上になると所持が許可される)

女たちは何も言わない。ただこちらに一瞥をくれて、そよと傍らを通り抜
けるだけである。ニカーブの下で彼女らが微笑んでいるのか、舌打ちして
いるのか、私には分からない。

*薄暗い風呂場で浮かび上がる女性たちの肌

サナアは砂漠性気候の、乾いた町だった。半日も歩いて土埃でさらさらに
なったヒジャーブを払う。この土埃から肌を守るのにヒジャーブはけっこ
う有用だったりする。ついでに汗も落としたいと思ったちょうどそのと
き、行く手にドーム型の、小さいお椀のような建造物が現れた。

風呂場であった。日本の銭湯と同じように、番台で小銭を払って体を洗う
という、普通の公衆浴場だ。

まわりに倣って私も番台に小銭を払うと、黒いニカーブを着た番台のおば
さんが、荷物を見せろと言う。私の荷物の中にカメラがあるのを見とが
め、「NOカメラ」とすごい剣幕で言う。

もちろん風呂の写真を撮るつもりはない。とアラビア語で説明することは
できず、確かにこの国では女性の肌や素顔が写真に撮られたら一大事なの
で、おばさんが警戒するのも分かる。私は諦めてカメラを渡した。

日本の銭湯のような更衣所に服を脱ぎ、風呂場に足を踏み入れるとそこは
ひんやりと薄暗い、まるでモスクの中のような静謐な場所であった。

水場のまわりにおばさんたちが大きな身体を揺らす。日本の銭湯で見かけ
る日本のおばさんたちと同じような身体で、同じものがついている。彼女
らは桶を私に手渡して、これで身体を流せという。言われるとおりにやっ
ていると、また別の誰かがスカスカのへちまを投げてよこし、これでこす
れと言う。水は冷たかった。

裸のおばさんは体を洗いながら、同じように裸のアジア人である私を、
じーっと見ている。「天空の城ラピュタ」に出てきそうな、海賊の棟梁の
貫禄のおばさんである。

「外国人かね」 おばさんは聞く。
「日本です」

「日本・・・旅行かね」
「そうです」

「サナアは好きかね」
「はい。とてもいい町。とてもいい人。おいしいごはん」

「ありがとうね」

アラビア語でのコミュニケーションはこれが限界だったが、それでもこれ
は、風呂の壁一枚隔てた外の世界では起こりえない、ニカーブの女性たち
との顔を突き合わせたコミュニケーションだ。

街路では見かけない女性の肌色がいくつも、薄暗い銭湯の中でぼうっと浮
かび上がる。外では外国人に自ら声をかけることのない女性たちは、風呂
の中では快活で、興味津々で、世話焼きだ。

でもニカーブの下でも彼女たちは、本当はいつも世話焼きなのだ。外で
も、中でも。見えないものを、一度目にすることで、それ以降、想像がで
きるようになるのだ、と私はおばさんたちの裸に思った。

それからというもの、道行く女性を見るとその無表情に見えるまなざしの
下に小さな関心を見るようになった。目が合うと「外国人かね」が聞こえ
るようになった。ニカーブの下に彼女らのリアルな微笑みを数え、リアル
な舌打ちを聞き、つまり彼女らの裸の姿を見るようになった>(以上)

イスラム教徒の女性と銭湯で一緒になるなんて、すごい希少体験だが、イ
エメンって・・・治安は大丈夫なのか。海外安全情報を見ると――

<全土:「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避
勧告)」(継続)

*1 概況

(1)イエメンでは,北部のサアダ県を拠点とするホーシー派の武装勢力
が南下し,2014年9月に首都サヌアを制圧しました。ホーシー派武装勢力
が,サヌアから逃れていたハーディ大統領を追って同国南部のアデンへ
迫った2015年3月下旬,ハーディ大統領からの支援要請を受けて,サウジ
アラビア主導の連合軍は軍事介入に踏み切り激しい戦闘が継続しています。

(3)治安の空白に乗じ,イスラム過激派組織「アラビア半島のアル・
カーイダ」(AQAP)や「イラクとレバントのイスラム国」(ISIL)の関連
組織を名乗るグループによるテロ活動も全土で活発化しています。また,
強盗等の一般犯罪や武装集団による暗殺事件も多発しており,非常に危険
です。

(4)なお,これらの治安状況の悪化を踏まえ,在イエメン日本国大使館
は2015年2月15日以降,一時閉館しています。

*2 地域情勢 外国人等の誘拐の多発

イエメンでは従来から国籍を問わず,誘拐事件が多発しています。近年
は,治安悪化で多くの外国人が国外退避したこともあり,事件発生件数は
減少していますが,危険度が下がったわけではありません。

また,従来の誘拐事件の多くは部族組織による犯行ですが,AQAPの関与が
うかがわれる事件も少なからずみられます。誘拐の多くは政府への政治的
要求目的,身代金目的ですが,人質が最終的にAQAPの手に渡ってしまう
ケースもあるといわれています。そうした事件に日本人が巻き込まれる可
能性は排除できません。

つきましては,上記情勢に鑑み,イエメンへの渡航は,どのような目的で
あれ止めてください。また,イエメンに既に滞在されている日本人の方
は,直ちに国外の安全な地域へ退避してください>(以上)

かなりヤバイところを女の一人旅?・・・大丈夫なのか。異次元の世界、
死と隣り合わせの戦場カメラマンのような激しいスリル、「そこに山があ
るから」「そこに戦場があるから」。

カワイコちゃん、麻薬、酒、賄賂、万引、不倫、ヤクザ、起業、原理主
義、テロ、内乱、戦場・・・危険は魅力的である。

<一ノ瀬泰造、25歳のフリー・ジャーナリスト。キャパや沢田教一に憧れ
て戦場カメラマンを志し、自らの生きる道を追い求め激動のインドシナ半
島を駆け回るうち、解放軍の聖域アンコールワットを撮影することにとり
憑かれてしまう。

「うまく撮れたら、東京まで持って帰ります。もし、地雷を踏んだらサヨ
ウナラ!」と書き残した男は、死の直前、果たして何を目にしたのか>
(映画のPRコピー)

♪一度の人生それさえ 捨てることもかまわない

「地雷を踏んだらサヨウナラ!」、“危険オタク”キケ男にキケ女・・・迷
惑をかけないで自己責任でやってくれ。(2016/5/17)


◆風前の灯となった日米運命共同体路線

加瀬 英明



天下大乱が始まった。2016年に入ってから、世界が一変した。

中国とロシアが勝手気儘に振舞っている。アメリカも、深く病んでいる。
中東が溶解しつつある。

中国という巨龍が病んで、東シナ海と南シナ海に飛沫をあげて、のたうち
まわっている。

中国は天の恵みだった高度成長が終わって、経済が出口がない袋小路には
まっている。中国共産党による体制が、ケ小平以来の高度経済成長という
天命を失って、揺らいでいる。

習近平主席は人民の関心をそらすために、「5000年の偉大な中華文明の復
興」を煽るかたわら、「戦争の準備を進めよ」と訴えながら軍拡を進め、
南シナ海の人工島や、占拠した島嶼を軍事化している。

ロシアも原油価格が暴落して、よろめいている。

プチン大統領が1期目を始めた2000年から原油価格が高騰し、8年後に2
期目を終えるまで、天の恵みが続いた。

2013年に3期目が始まったが、一昨年から原油価格が急落して、昨年末に
20ドル台まで落ちた。

ロシアという大鷲も、病んでいる。ルーブルが暴落し、庶民生活を圧迫し
ている。プチン大統領はウクライナのクリミア、ウクライナの東部、シリ
アに軍事力を用いて、国民の関心を外へ向けている。

ロシア国民の大多数は、25年前にソ連が崩壊した時から、ロシアがそう
だったグローバルパワーの地位を取り戻したいと、願ってきたから、喝采
した。

プチン大統領の人気は、対外的な勝利によって、まだ高いものの、いつま
で続くものか。

オバマ政権の7年間のうちに、アメリカは世界の平和秩序を支えるのに疲
れ果てて、「パックス・アメリカーナ」(アメリカの力による世界平和)
が、破綻した。

アメリカでは、今年11月の大統領選挙へ向けて、全米で民主、共和両党の
候補を選ぶ予備選挙が進んでいるが、両党とも2人のまったく意外な候補
者が、党の体制を大きく揺さぶっている。

東京・霞ヶ関の外務省では、毎朝、省員が登庁すると、全員が跪(ひざま
ず)いて、ヒラリー夫人の勝利を祈っていると、いわれる。ヒラリー夫人
はオバマ政権の国務長官をつとめたから、日本国憲法が日本に課している
特殊な制約を、よく知ってくれているはずだからだ。

夫人のアジア外交のアドバイザーは、日本担当の国務次官補だったロバー
ト・キャンベルだが、外務省が飼い馴らしてきたから、安心できるという。

 トランプが大統領となったら、たいへんだ。

ヨーロッパを守ってきたNATO(北大西洋条約)を解消し、中東を見離
すかたわら、韓国と日本からアメリカ軍を引き揚げろと、主張している。

日本だけ甘やかして、アメリカが日本を守ることを約束しているものの、
日本はアメリカを守る義務がない日米安保条約を再交渉して、どの国とも
結んでいる共同防衛条約にせよと、叫んでいる。

トランプの登場は、日本にとって驚天動地のことだ。アメリカはいまや貧
しい国になったから、外国を守るよりも、アメリカを再建するためにカネ
を使え、というのだ。

民主党でヒラリー夫人と鍔迫(つばぜ)り合いを行っているサンダース上院
議員は、北ヨーロッパ型の福祉社会をつくることを、目指している。やは
り国防費を大きく削って、国内に振り向けようと、主張している。

誰が大統領候補となったとしても、トランプ、サンダースの支持者票を取
り込むために、2人の主張に歩み寄らざるをえない。

アメリカ鷲(アメリカン・イーグル)も、病んでいる。中国、ロシア、アメ
リカが、手負いの大国となっている。

日本はもはやアメリカに縋って、運命を委ねることができない。そこで、
自立することを強いられることになる。

  

          

◆今こそ 国産の飛行機を

石原 慎太郎



私はかつて都知事在任中に日本を核にしたアジアの大都市のネットワーク
なるものを作り出した。その組織を通じて防災や医療の知識を交流させる
というのが建前だったが、本音は幾つかの都市が政府に呼び掛け協力して
アジア製の中小型の旅客機を作り出すという魂胆だった。

130、140人を乗せる中小型の旅客機は世界の中でのいわば隙間製品でその
有効性は極めて高い。かつて日本はYS11というエンジンをのぞけば全て日
本製の旅客機を作り出し南北に長く幅の狭い国土に合わせて極めて有効に
機能させていたが、それに乗じてアセアン諸国への売り込みを試みたが、
日本の航空機産業の台頭を恐れたアメリカの謀略によって潰されてしまった。

その当時私の親友で後に商社丸紅の社長にもなった鳥海がインドネシアの
丸紅の支店長を務めていてアメリカの航空会社の幹部たちが現地に乗り込
みあらゆる画策を講じて日本機の売り込みを封じた実態を教えてくれたも
のだった。

アメリカは太平洋戦争の緒戦における日本の軍用機の性能に怯(おび)え
て彼らの国是として、以後日本の航空機産業を徹底して潰しにかかってきた。

しかしその一方、航空機に関する日本の技術収奪には飽きることがない。
最近ボーイングが開発中の新型大型旅客機の胴体の大半は日本製のカーボ
ンファイバーで出来上がっているがそれをアメリカに運ぶための巨大特殊
な輸送機までを作って現地に運んでいる実態だ。

現にボーイング社の社長も、「この新型機はメイドインアメリカではなし
にあくまでメイドウイズジャパンだ」と明言している始末。

そうした超大型機の裏をかいて今日の航空機産業の隙間を突いての中小型
の旅客機をアジアで作り出し彼らの鼻を明かしてやるつもりで前述のアジ
ア大都市ネットワークでアジア製の旅客機を作り出すべくその可能性のあ
る国の首都の代表に声をかけものだった。

即座に呼応したのはすでに自前のジェット練習戦闘機を作り出しているイ
ンドの会社『ハル』と、これまた自前の中小型旅客機を作ろうとてアメリ
カの陰謀で潰されたインドネシアのバンドンにある会社、ちなみにその会
社の前庭にはアメリカの妨害で潰された完成予定の旅客機のドンガラが意
趣ばらしに飾られていた。

彼らに加えて航空機の緻密な部品の製造能力のある台湾までが呼応し合同
会議に専門家を送り込んできていた。もしこの計画が成就していたならば
その飛行機は、国内ではかつてのYS11のように限られた距離間で使えば良
いし、インドのような亜大陸ではまだジャンボのような大型の旅客機によ
るような多人数の移動のニーズはまだ乏しいからコストの制約のために中
小型の旅客機が適当のはずだ。

発展の可能性の高いアセアン諸国間の行き来には地域間の距離からしてこ
のサイズの旅客機が極めて有効だという専門家たちの意見の合致をみたも
のだった。

しかしその会議の情報が伝わるとつまらぬ横槍(よこやり)が日本の政府
筋から入りアメリカを刺激せぬようにと新規の旅客機の収容容積に対する
横槍が入ったと聞いた。

その結果日本製の新型旅客機の容積は予定を下回るMRJに縮小させられ計
画に参画していた専門家たちを落胆させてしまったものだ。かつては無類
の強さを発揮しアメリカを震撼(しんかん)させた『ゼロ戦』や当時世界
一高速の偵察機『新司偵』さらに高度の空中でもB29を撃ち落とせた『紫
電改』のような軍用機を生み出した日本の航空機技術を恐れているのは誰
よりもアメリカだ。

中曽根内閣時代に三菱重工が発案したF型次期支援戦闘機の計画をアメリ
カは圧力をかけて潰してしまった。これは空中戦でのドッグファイトでの
宙返り半径が従来の半分という画期的なものだったがアメリカの圧力で潰
され、F15を日米だけで改良使用するという姑息(こそく)な案にすりか
えられてしまった。

世界化現象の中で経済が低迷する日本経済の活路は戦時法制が合理化され
た今、兵器の国産化以外にありはしない。軍事産業なるものはジャンルを
超え他のいかなる産業より底辺が広いのだ。

その中でもアメリカが一番恐れて強引に抑圧してきた航空機産業の国産化
こそが彼等に向かって胸を張り日本の主張を遂げるための有効な手立てに
他なるまい。アメリカの高度航空機たとえば戦闘機の操縦席のほとんどが
日本製であることを多くの者が知らずにいる。

かつてクリントン政権の後期にアメリカの技術調査団がやってきて、日本
の関連企業の生産工程の秘密部分にまで首を突っ込み、結局これは日本産
に依存する以外にあるまいとの結論で引き揚げていったものだ。

彼らの強い関心はコックピットの器材を固定するダッシュボードのセラ
ミック、そして数多い計器の中に入れるクリスタルリキッドだったがその
生産工程と器材の質度の高さは自前では不可能という結論で引きさがった
のだ。

いずれにせよ国家の主権の確立のためには歴史が証明しているように、全
ての兵器
を国産化することが基本なのだ。そして日本は優にその能力を備えてい
る。アメリカが密(ひそ)かに開発しようとしている核兵器を超えた次世
代戦略兵器コンベンショナル・ストライクミサイルのような兵器は恐らく
アメリカを凌(しの)いで精巧な物を日本こそが完成出来る筈(はず)だ。

例えば観測衛星を打ち上げるロケットに取り付けられるブースターは通常
は二基だが、日本の場合には四基もある。アメリカのロケットの打ち上げ
は失敗続きだが日本の内之浦から打ち上げられるロケットに失敗はない。

ことほど左様に日本の宇宙開発の技術は他を凌いでいる。かつて火星まで
飛んでいき小惑星の砂を採取して無事帰還した『はやぶさ』のような技術
はアメリカを含めた他国から見れば垂涎(すいぜん)のものに違いない。

航空機産業に限らず我々は己が保有する高度な技術を高ぶる事なく熟知
し、この混沌(こんとん)の時代に『天は自ら助くる者をのみ助く』とい
う歴史の公理を信じて進まなくてはなるまいに。

産経ニュース【石原慎太郎 日本よ】低迷する日本経済の活路は兵器の国
産化しかない 2016.5.16

                 (採録:松本市  久保田 康文)

モンゴル考察 ― そのB

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)
 


「元」 初代皇帝世祖フビライ と 文天祥

実権を握った5代皇帝、フビライ大ハーンは、カラコルムを捨てて、燕京(現在の北京)を「大都」と改名して国都とし、宋(正確には南宋)との戦いに集中します。

一方、宋もアリグブカがフビライに投降した1264年に皇帝・理宗が逝去し、度宗(たくそう)皇帝に世代替わりしましたから、モンゴル、中国とも新しい時代を迎えていました。

フビライは、1271年11月、国号を「元」と定め、元王朝の建国を宣言しました。そして、モンゴル5代皇帝が、中国・元の初代皇帝に就任し、世祖フビライとなりました。しかし、名実ともに中原の覇者となるためには、南宋を壊滅させなければなりません。

頼りのタガチャは若死にしたものの、南宋討伐戦の総司令となったバヤンがフビライの右腕となりました。

バヤンは中国の歴史に明るかった。愛読書を聞かれると、武人なので一応兵法書と答えることにしている。だが、「史記」「漢書」「三国志」のほうを、好んで読んだ。じつをいうと、歴史よりも文学の方が好きであった。杜甫や李白、そして王安石の文集も熟読していたのである。(陳舜臣)

バヤンは抵抗する敵は、皆殺しにしましたが、服従した者は殺しませんでした。帰順した能力のある漢人は南宋時代よりも高い地位を与えられて、元王朝に抱(かか)えられた例はいくらもあります。バヤンはフビライの漢化政策に従ったというよりは、自らの思想を実践した人でした。フビライは人材に次々と恵まれた運のいい統領でした。


南宋にも負け戦を覚悟で、城を枕に最後の一兵まで戦った古武士はいるにはいましたが、多くの武人、文人は強力な元軍の前に先を競って帰順するありさまでした。4才で即位(1274年)して5年と経たない南宋7代皇帝・趙(ちょう)㬎(けん)が元に降って南宋は滅びました。首都・臨安は(現在の杭州)は血を流さずに陥落しました。(1279年) 

「チンギス・ハーンの一族」4巻には、随所に興味深いエピソードがちりばめられています。歴史の推移を教えられるだけでなく、フィクッション構成の面白い小説を読んでいるようなノンフィクッション長編絵巻です。
その中から、陳舜臣が力こぶを入れて書いた南宋の右(う)丞相(しょうしょう)(現在の首相クラスの行政官)・文天祥をピックアップします。


文天祥は、「南宋に人なし」と言ったフビライが、生かして味方にしたかった唯一の人物ですが、誉れ高い宋の遺臣として最後まで帰順しなかった士丈夫です。

降伏を潔(いさぎよ)しとしなかった文天祥は、南へ逃れて文人ながらゲリラ戦を展開して元に抵抗します。孤立無援となって遂に捕らえられ、身柄を大都に移されます。そして、狭い地下牢に3年有余閉じ込められて説得されますが、帰順に応じません。

堪りかねた皇帝・フビライは、1282年の暮、文天祥と接見します。
祖父、チンギス・ハーンが燕京を陥(おと)した年(1215年)に生まれ、68才となったフビライが、47才の文天祥に語り掛けます。
文天祥は左目が失明して体力はボロボロですが、気力は衰えていません。


皇帝は漢語で言った。

「まだ国が亡びていないのに、敵に降るのは、あるいは問題かもしれぬ。しかし、今は宋も亡びた。まして3年も牢に入っておれば元(げん)に降っても、誰も逆臣とは言わぬ。わが元はそちを中書丞相(著者註:首相級ポスト)に登用しよう」

「私は宋が亡びましても、宋の臣として死ぬつもりでございます」

「中書丞相職が気に入らぬのなら、枢密使(著者註:シビリアンの軍最高ポスト)ではどうだろうか?」
「私が欲しいのは、ただ一死でございます」

文天祥は、はじめて頭を下げた。
1282年12月9日朝。文天祥の処刑は公開された。

漢人の検屍官は、「今日は犯罪者を処刑するのではない。文天祥は宋の丞相であり、宋が亡びたいま、一死を賜りたいと我が大元皇帝陛下に請い、それが許されたのである。」と朗々と述べ、刑吏が執行した。
最後まで従容(しょうよう)(著者註:ゆったりと落ち着いたさま)とした文天祥の態度に、人々は心を打たれた。(陳舜臣の原文抜粋)


文天祥は、死ぬことを念頭に獄中で必死に生きながらえました。
闘い抜いて、最後はフビライによって処刑されることだけが、宋に節を全うした文天祥の勝利だからです。だから早く死んで楽になりたいのが本心ではありましたが、自決するわけにはいきません。
それはフビライに負けることになるからでした。


北走 ― 元王朝の消滅
元の基盤固めをしたフビライには、西方対策が残っていましたが、「ナヤン・ハダンの乱」を難なく収めて全て平定し、1292年、遠征を終えました。晩年のフビライにとって思い通りにならなかったのは、日本遠征くらいものです。

第一次遠征(文永の役、1274年)では、3〜4万の軍勢を派遣すれば簡単に征服できると日本の戦力を見くびっていました。日本は鎌倉中期にあたり、すでに武家社会は確立されていましたから、防戦体制も組織的で強固でした。このため、モンゴル・高麗連合軍は手痛い敗北を窮して、這(ほ)う這(ほ)うの体で逃げ帰りました。

第二次遠征(弘安の役、1281年)は、
高麗から1000隻の軍船に4万。寧波から江南軍が3,000隻の軍船に10万の兵士を載せて日本へ攻めてきました。ところが7月30日の夜半、北九州は台風圏内に入り元の戦船はほとんど沈没し、大勢の溺死者を出しました。世に言われる「神風」が吹荒れました。

「元史」の「日本伝」は帰還者3名と極端ですが、「世祖本紀」には「十のうち一、二を残す」とありますから、8割余が溺死、戦死、捕虜となって、多くの犠牲者を出し、元軍の大敗に終わりました。

徳川光圀が編纂した「大日本史」の中では、二度にわたった蒙古襲来を「元寇(げんこう)」(元という外敵)と呼称しています。

1294年1月19日、フビライは、亡き皇太子・チンキムの子、テムルを後継指名して死にました。1215年生まれですから享年80才。(正確には満79才)

フビライの孫、2代目の皇帝、成宗・テムルの時世に、「元朝」は早くも陰りが見え始めます。フビライが後事を託したバヤンがフビライの後を追うように2年後に死に、支柱を失います。

病弱を理由に2代皇帝に就任しなかった賢兄・ガマラも重い病気にかかって亡くなりました。テムルは、左右両腕を失って、政権は急速に衰えました。

世祖・フビライの死(1294年)から、1368年、明の朱元璋に追われて、最後の皇帝ドコンテムルこと順帝が北へ逃げて、元王朝が滅亡するまで74年間。その間、10人の皇帝が入れ代わり立ち代わり帝位についていますが、いずれも時々の権臣の傀儡でしか過ぎませんでした。

「北走」した順帝は、モンゴルに戻って恵帝と称しました。

フビライが、1271年、「元」という国号を定めて王朝を創設して以来、1368年に順帝が北走するまで、97年続いた政権ということになります。

「元という国は、世祖フビライの死によってもう亡びたようなものです。その滅亡が70年ほどのびたのは、僥倖(ぎょうこう)(著者註:偶然の幸運)でしたね」と楊維驍ヘ言った。(陳舜臣)

2016年05月17日

◆世界の嘲笑受け36年 ぶりの党大会は閉幕

久保田 るり子

核保有国を喧伝した金正恩氏の“世界デビュー”は、身勝手な主張への世界
中からの批判と嘲笑の中で終了した。経済計画に具体性はなく政治路線も
従来の追認のみ、新人事にも手を付けられなかった。金正恩氏の「朝鮮労
働党委員長」の新しい肩書のためだけの壮大な無駄遣いの政治ショーだっ
た党大会。

世界は“核兵器を抱いた北朝鮮”を再確認、今後、金正恩体制のさらなる孤
立が確実だ。周辺国は北朝鮮の最終ラウンドに向けた準備を始めているよ
うだ。

■「共産国家に委員長はいない」

党大会で唯一のニュースは金正恩氏の権威付け、偶像化に創作された新し
いポスト「朝鮮労働党委員長」の肩書だったが、専門家からは早くも「意
味不明だ」との声が聞かれる。

「共産国家に党委員長などない。無理矢理つくった意味のない肩書だ」
(北朝鮮問題の第一人者、康仁徳・韓国元統一相)

共産党の最高位は旧ソ連であれば党書記長、第1書記、中国であれば党総
書記、主席である。党の指導組織である党中央委員会の委員長職は中国式
で、金正恩氏の祖父、金日成主席は1949年から69年まで同委員長だった。
だが、ただの党委員長というのは前代未聞の職制だ。

そもそも金正恩氏は世襲後の2012年4月、総書記(正確には中央委員会総
書記)に代わる新ポスト、第1書記に就任している。このとき同時に政治
局常務委員・中央軍事委員会委員長となり、党の最高職に就いたはずだった。

ところが、また今回、改めて党委員長への推戴(すいたい)を行った。こ
れまでの第1書記では権威不足との判断だろうが、肩書ばかり粗製乱造と
いったところか。

■人事の若返りができなかったワケは?

党の最高幹部、政治局常務委員に朴奉珠首相、崔竜海書記の2人を加えた
が、70-80代の高齢者の目立つ権力中枢の幹部人事には手を付けなかった。

朴奉珠氏は工場長から最高幹部に上り詰めた“経済通首相”とされることか
ら、金正恩体制の経済と核開発の「並進路線」の象徴として政治局常務委
員になった。

一方の崔竜海氏は、金日成時代のパルチザン世代幹部、崔賢氏の息子。崔
氏自身は毀誉褒貶(きよほうへん)がある。元々は金正恩氏が粛清した張
成沢氏の最側近だったが、最終的に張成沢氏を裏切って金正恩氏に忠誠を
誓ったとされる人物だ。

金正恩氏の実妹、金与正氏は崔竜海氏の次男と結婚したとの情報もあり、
これが事実なら最も近い身内となる。妹の金与正氏は党の実力組織で党、
軍の幹部人事や粛清を行う組織指導部を任されているとの情報もあるた
め、表の肩書より金正恩氏の“懐刀”のような存在とみられている。

今回、老幹部の世代交代を行わなかったことについては党内安定を優先し
たため「世代交代まではできなかった」との見方が多い。党や軍部で中間
層の世代交代はすでに終わっている。

目を付けられれば即刻、排除され、粛清も盛んに行われている恐怖政治の
浸透で「最近は出世を望む幹部が減った」(北朝鮮情報関係者)とされる。

■米国、中国、韓国、日本周辺国は最終ラウンドを準備中

党大会で明らかになった金正恩体制の主張する“正当性”は換言すれば核保
有しかなかった。金正恩氏は北朝鮮を「恒久的核保有国」を宣言、これを
党規約に明記した。

だが国際社会に彼らの核保有を受け入れる国はあり得ず、この路線は北朝
鮮と世界との軋轢(あつれき)以外に生まない。今後、北朝鮮問題はすべ
てが核実験や核保有に連動して膠着(こうちゃく)することが確実になった。

周辺国は北朝鮮の“最終ラウンド”に向けた調整をすでに開始している。ま
ず日米同盟にとって、朝鮮半島有事は伝統的といってもよい想定の脅威
だ。米中も動き出している。

両国は外相会談などで「金正恩氏の行動は無謀で危険」と明言し、朝鮮半
島がコントロール不能の状態に陥る状況をめぐってシミュレーションを始
めているとされる。「習近平氏が北朝鮮の核に敏感なのは、金正恩の核戦
略が対米向けだけではないと考えているためだ」(朝鮮半島専門家)

米韓はさらに具体的だ。従来の半島有事に向けた軍事訓練をグレードアッ
プした「作戦計画5015」がそれで、韓国の被害を最小限にするため北朝鮮
首脳部へのアタックを含む“斬首作戦”を今年から演習に加えた。金正恩有
事が核兵器、生物化学兵器を使うことを前提に、これら大量破壊兵器をま
ず無力化するのが狙いで、米韓は金正恩氏の軍事挑発には「数十倍にして
報復する」と公言している。(産経新聞編集局編集委員)

産経ニュース【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】核を抱いて孤立の道へ
 金正恩委員長の寂しき未来を透視すると…

【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】2016.5.15
                  (採録:松本市 久保田 康文)



            

◆謎の中国人は周小川の息子だった

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)5月15日(日曜日)弐 第4904号 > 
 
〜カナダで大郷邸を購入した謎の中国人は
   周小川(中国人民銀行総裁)の息子だった〜

バンクーバーの高級住宅区(カーライル岬区)に途方もない大豪邸が建
つ。敷地6879平方メートル、5つのベッドルーム、8つのバスルーム付
き。推定価格は3110万カナダドル(80億円に相当)。

映写室も、プールも備わり、バンクーバーの不動産市場はじまって以来の
高値で取引され、「買い主は誰か」と俄然話題となった。

地元紙の「バンクーバー・サン」が伝えるところでは購入者は「学生」と
印されているのみだった。そこで、香港「文わい報」(5月12日)が調べ
たところによれば、この購入者は中国の中央銀行(人民銀行)総裁の周小
川の息子「周シタンユィ(音訳不明)と判明した」という。

東京の豪華マンションは発売と同時に売り切れる状態が続いている。実態
は中国人が買っている。こうした動きの背景にあるのは中国人が「人民元
の大暴落が近い」ことを肌で直感的に感知、もしくは予知しているからで
ある。

春節に前後して中国当局は観光目的の海外旅行に、持ち出し上限を厳格化
し、さらに税金を一気に2倍から3倍にあげた。

このため化粧品や時計には60%が課税され、連銀カードの上限も厳格に減
額されて、日本ばかりか世界各地で中国人の爆買いは「突然死」を迎え
た。小誌が重ねて予測してきたことが現実となった。

日本のデパートもせっかく突貫工事でしつられた高級時計売り場など、閑
古鳥である。

香港でも人民元の持ち出し上限額は2万元となって、買い物ブームは去った。

かわりに外貨預金がブームである。

英紙フィナンシャルタイムズによれば、中国の中産階級のうち、45%が貯
金の一割を外貨で持ちたいと希望しており、すでに29%の中間階級は、外
貨預金の手当は終わっていると答えている。

2014年に、なんと、76089人の中国人が米国でグリーンカードを取得した。

また同年に「投資移民」を10692人を米国当局が認めたが、このうち9128
人が中国人だった(NYタイムズ、中国語版、5月12日)。
じつに88%が中国人なのである。

こればかりではない。2014年から15年にかけて、米国へ留学した中国人
は、じつに30万4040人、3年前に比べて11万人多い。

中国人が中国に未来を見限っているというのが実態ではないのか。

                    

◆企業は太り、社員は細る

平井 修一



小生は折に触れて「企業は溜め込んでばかりいないで給料を上げろ、ケチ
ケチするな、社員の可処分所得が上がれば消費の拡大になり、やがて企業
も潤うのだから」と書いてきたが、河東哲夫氏の論考「マイナス金利と先
進諸国におけるデフレ対策の誤り」5/12を読んで我が意を得たりの感がした。

<産業革命でモノがあふれるようになって以来、工業国は何度もデフレに
見舞われてきた。19世紀の後半がそうだし、最近では1970年代米国で「ス
タグフレーション」が表面化して以来、先進国はデフレがその経済の根底
にいつもあると思う。

スタグフレーションは、物価の面ではデフレではなくインフレだったのだ
が、それは1974年の石油危機で原油価格が跳ね上がったからで、基本は
「消費と投資の停滞」、つまり「生産設備の過剰と購買力の不足」にあっ
たのだ。

昔から共産主義者が揶揄してきたとおり(「大衆窮乏化理論」と言って、
資本家が労働者を搾取してろくに給料を払わないから、資本主義では需要
が不足するというもの)、「資本主義工業社会は過剰生産設備と購買力の
不足によって国内経済は行き詰まり、海外にはけ口を求めて帝国主義化し
て、戦争で自滅する」シナリオが現実のものとなっているのだろうか。

その共産主義はすべてを分配することで、投資、イノベーションには力が
回らず、資本主義より先に窮乏し自滅してしまったが。

資本主義国での生産能力の過剰は、これからますますひどいことになる。
ロボットとAI(人工知能)で資源も掘れる、モノも作れるということにな
ると、地上の人類は全員左うちわ、奴隷にモノやサービスの生産を押し付
けて自分は上品ぶっていたアテネの市民と同じような境遇を享受できるこ
とになる(カネがあれば)。

ところがアベノミクス工房の人たちは、このデフレを有害で、治療すべき
もの、治療できるものと思って、効かない薬、もしかすると有害な薬を経
済に与えているのでないか。浜田教授や黒田日銀総裁の見立ては理屈倒れ
で、どこか現実から遊離しているのだ。

本来、物価の安定を任務とする日銀に経済刺激の任務も押し付け、自分は
財政出動と国債の増発から逃げようとした財務省の目論見もその背後にあ
るのだろう。

そして、国会議員たちも、日銀たたき、銀行たたきに加わったのだろう。
地方は「シャッター通り」だらけ(東京でもあるが)。不況である。これ
は、その土地の国会議員達には、「銀行が中小企業や商店に貸し渋りをす
るからいけない。銀行がもっと企業や商店にカネをつけるようにしないと
いけない」と見えるだろう。

だから日銀は、銀行が手持ちの国債を日銀に売るように仕向けたり、日銀
への過剰の預金にマイナス金利を課したりして、何としてでも銀行に企業
向けの融資をさせよう、そうすればすべてが良くなる、ということで緩和
政策をやってきた。

しかし、このやり方は間違っている。先に述べたように、現代のデフレの
原因は生産力がどんどん伸びる一方で需要が伸びないことにあるので、物
価を無理に上昇させてそれで企業の収益増期待を高め、投資を増やさせる
というのは、おかしい。

優等生が算数式だけ見て考えるとそうなるのかもしれないが、現実には物
価が上がれば我々は益々消費を控えるのである。

ケインズ政策にせよ、マネタリー政策にせよ、一辺倒や行き過ぎは有害
だ。現実をもっと見てくれないと、生活している人間達はたまったもので
ない。

需要、消費を刺激するには、アベノミクスの別の面、つまり財政支出拡
大、賃金格差の縮小、賃上げへの音頭取りが有効だろう。企業はこの数年
の円安で厖大な自己留保を抱えるに至ったが、社員給与のベース・アップ
には乗り気でない。その気持ちもよくわかるので、ならばボーナスとして
一時金を払えばよかろう>(以上)

社員の懐はちっとも温かくないのに企業の内部留保金はナント343兆円、
国家予算の3年分にもなっている。「企業の内部留保3年で69兆円増加、尻
込み体質鮮明に」から。

<[東京2/29ロイター]過去最高益を出している日本企業だが、昨年9月
末の利益剰余金は343兆円まで積み上がり、安倍晋三内閣発足した直後の
2012年12月から約69兆円増加した。

その一方で、ビッグデータ、人工知能(AI)など最先端分野で米企業に後
れを取っている。また、従業員給与と賞与の総額は減少。貯め込むだけの
企業の姿が浮き彫りだ。日本企業は今こそ、リスクを取って新分野に挑戦
すべきだ。

*経済の拡大、一部に実感できないとの声

アベノミクスがスタートした2012年12月以降、円安の進行と株高によって
企業セクターの活力は急回復した。

民主党政権時代の円高や高い法人税率など「6重苦」が輸出系企業を中心
に重荷になり、日本経済を停滞させているとの批判を経済界から受けていた。

そこから株価はV字回復し、確かに日本経済は明るさを取り戻してきた
が、世の中には、どうも「景気回復を実感できない」という声が多い。

日本経済新聞とテレビ東京が29日に公表した世論調査では、アベノミクス
を「評価しない」が50%、「評価する」が31%という結果になった。  

アベノミクス前半の3本の矢では、大胆な金融緩和と積極的な財政政策、
成長戦略によってデフレから脱却し、経済を拡大基調にすることを目指し
てきた。

実際、2012年から2015年までに国内総生産(GDP)は5%超の伸びとなって
いる。ところが、実質GDPの伸びは1.7%にとどまっている。

このギャップを解き明かすキーワードとして、企業の「内部留保」を挙げ
ることができる。

*従業員の給与・賞与、3年間で1.6兆円減

財務省の法人企業統計によると、2015年9月末の全産業の利益剰余金は343
兆円。2012年12月の274兆円から69兆円も増えている。

一方、従業員給与と賞与を合わせた額は、12年12月の35.1兆円から33.5兆
円へと1.6兆円減少した。

少なくとも、この3年間で企業は利益を積み上げてきたが、従業員の収入
を押し上げるような対応はしてこなかったということが、法人企業統計の
ベースでは明らかだ。

また、国内人口の減少などを背景に、多くの企業は国内における増産投資
を手控えており、利益の増大が付加価値を生み出す方向に波及せず、結果
として企業の内部留保が積み上がるということになっているようだ。

一方、米国系企業を中心に情報分野での技術進歩を生産性の向上に結び付
ける動きが活発化している。「FANG」と呼ばれるネット技術の進歩を生産
性の向上に直結させたアマゾン・ドット・コム、フェイスブックなどの巨
大企業は、あらゆるものがインターネットにつながる「モノのインター
ネット(IoT)」やAI、ビッグデータなどで、日本企業のはるか前方を疾
走している。

製造業を中心にした日本の大企業は、あまりにも組織が官僚化し、アニマ
ル・スピリッツが枯渇した可能性がある。何よりの証拠は「FANG」のよう
な企業が日本国内から出てきていないことだ。

*自社株買い殺到は、安易な道

日銀が1月29日に決めたマイナス金利付き量的・質的金融緩和(QQE)も、
最終的にはキャッシュを持っているよりも、積極的に投資などにマネーを
シフトさせた方が「お得ですよ」とシグナルを送った政策とも言える。

だが、企業サイドに明確な成長モデルがなく、目指すべきフロンティアの
イメージがなければ、より安易な道に向う可能性がある。その1つが自社
株買いの増加傾向だ。

ここ数週間で、著名な企業も含めた自社株買いの発表が相次いでいる。こ
の先、銀行が大口預金に手数料を課し、実質マイナス金利になった場合、
企業はどう対応するのだろうか。

多くの企業が自社株買いをすることは、短期的に株価の下支え要因になっ
たとしても、日本企業の競争力を中長期的に向上されることにはつながら
ない。

3月1日に15年10−12月期の法人企業統計が発表される。もし、そこで12月
末の利益剰余金の残高が10月末より増加しているなら、日本企業の「尻込
み体質」は、いよいよ極まってきたと言えるのではないか>(以上)

利益剰余金は7−9月期49.3兆円、10−12月期51.0兆円と1.7兆円増加、
「尻込み体質」は病膏肓か。

社長は昼に鰻重、夜は久兵衛で寿司、社員は昼は弁当だったのが今はおに
ぎり3個、夜は牛丼だったのが今や豚丼。こんな感じか。

確かに経営は難しく、ナンゾのときに備えて内部留保金は必要だ。それで
も貯め込みすぎ。企業はますます太り、社員はますます痩せ細る。安部氏
はもっともっと、しつこいくらいに「給料上げろ、ボーナス上げろ」と叫
び続けるべきだ。

プア層はうんざりしているのだ。このままだと米国のようにプア層の怒り
が爆発し、選挙でしっぺ返しを食うだろう。(2016/5/15)


◆モンゴル考察 ― そのA

浅野 勝人  (安保政策研究会 理事長)

草原の掟 ― 「兄弟はみな敵」

モンゴル族は、古来、末子相続を原則として、一族の規律を保ってきました。
第2代皇帝は、いささかの確執を伴ったものの、末子の4男・トウルィが、就任を熱望した3男・オコディに大ハーンの継承を譲ったため、親戚縁者間における血の雨を見ずに政権交代が実現しました。
3代皇帝は、オコディのひとり息子、グユクへの親子相続でした。
2代、3代とも比較的短命に終わり、政権は、本来、チンギス・ハーンから直接継承するはずであったトゥルイ家に返還されました。

大ハーンの地位が早晩めぐってくることを予測して、トゥルイ家では長男・モンケと次男・フビライを担ぐ勢力が政権を狙って密かに蠢動していました。もちろん、たとえ幼くても末子の4男・アリグブカが原則通りに継承すべきだと主張する勢力もあって、内情は複雑でした。けれども、フビライが骨肉の争いを避けて身を引いたため、モンケが第4代皇帝・大ハーンに就任しました。
ポスト・モンケをめぐるフビライとアリグブカの勝負は、次の局面に持ち越されて最終ラウンドを迎えます。


第4代大ハーン、皇帝モンケと実弟のフビライとの間に、不協和音が表面化するのは、フビライが雲南大理(中国・河北省と内モンゴルの境界一帯。大理は南詔(なんしょう)国の国都)討伐を平穏理に終え、その報告にカラコルム(モンゴル帝国首都)へ行った後のことと言われています。

モンテは、口にこそ出しませんが、「自分を滅亡させる力のあるのは、弟のフビライしかいない。あの漢人かぶれには油断すまい」と思っていました。だから、雲南討伐作戦を命じた折、フビライに人望が集まり過ぎないように、命令系統を二頭制にしました。総司令がフビライなのか、ウリャンハタイ将軍なのか、わざとはっきりさせないようにしていました。

このふたりの兄弟は、戦いの根本理念が異なっていました。
モンケはただ勝って相手を皆殺しにするのが真の勝利と考えていました。「逆らうものは徹底的に殺(や)るが、降(くだ)って従うものは生かして使え」というチンギス・カーンの教えを無視して、降った者も見境なく殺戮しました。従って、チンギス・ハーンの戦略を半分は踏襲し、半分は逸脱していたといえます。

フビライには、戦(いくさ)に勝つことによって民を救うのだという理想がありました。雲南大理攻めに際し、「不殺の令」を帛(きぬ)に書いて掲げ、素直に降った者は処刑しない。無辜の民には害を与えないというお触れを徹底しました。そして、一兵も失わずに無血占領に成功して大理城を手に入れました。

そのころ、モンケはフビライの報告を反芻(はんすう)していた。
戦術としては悪くない。だが、膺懲(ようちょう)(著者註:討ち懲らしめる)という目的は果たせなかったではないか。
―ゆっくり考えてみるか。
モンケは床几(しょうぎ)にもたれながら、そうひとりごちた。(陳舜臣)

私は、すぐさま頼朝・義経の兄弟が脳裏に浮かびました。まるでそっくりさんではないか。

チンギス・ハーンの孫、フビライとチンギスの弟の孫、タガチャルは、できるだけ殺戮を避けて戦さを収め、統治するという理念を同じくしていました。
ふたりは、兄の皇帝・モンテを倒して改革を断行するため、密かに連携します。
ところが、フビライとタガチャルが、モンケの指示で宋との戦いを進めている最中に、四川のモンゴル軍を指揮して合州(ごうしゅう)(重慶)討伐戦を決行していたモンケは、重慶付近の釣魚(ちょうぎょ)山の陣営で病死します。1259年、7月(陰暦)のことです。

モンケが死去すると、案の定、カラコルムにいるモンケの腹心・アラムダルと燕(けい)京(きょう)(現在の北京)長官のドルジが連携してフビライ阻止、アリグブカ殿下の擁立を画策します。
モンゴル帝国は、第4代皇帝モンケの死によって、真っ二つに割れました。

1260年3月(陰暦)、国の東半分に勢力を固めていたフビライは、本拠地の開平府(かいへいふ)(金(きん)蓮(れん)川(せん)というところに築いた城郭。北京の北約250キロの内モンゴル自治区。のちに元王朝の首都・大都<現在の北京>と並んで上都(じょうと)と呼ばれ、夏季の首都とされた)で、第5代皇帝の就任式を行い大ハーンとなります。その翌月には、モンゴル帝国の国都、カラコルムで、西半分を抑えているアリクブカが皇帝に即位して、モンゴル帝国に二人の皇帝が誕生しました。

ちょっと整理しますと、チンギス・ハーンと皇后ボルテの3男、「オコディ」が2代皇帝、その子「グユク」(チンギス・ハーンの孫)が3代皇帝、チンギス・ハーンとボルテの4男トゥルイの長男「モンケ」が4代皇帝、次男「フビライ」と 4男「アリクブカ」(いずれもチンギス・ハーンの孫)が5代皇帝をめぐって骨肉の争いという構図です。

「兄弟はみな敵だというのが草原の掟である」(陳舜臣)
官僚化しているアリグブカの「西方軍」は、野戦に次ぐ野戦で鍛えられているフビライ・タガチャの「東方軍」に各地の戦闘で敗れ、4年後の1264年、アリグブカはフビライに投降します。
これにより、1世紀続いた親戚縁者の殺し合いは終止符が打たれましたが、西域から中央アジアの草原を抑えていた主力の軍事力が消滅して、ロシアからヨーロッパまで勢力を伸ばしていた大モンゴル帝国は実質的に内部瓦解します。(続く)



2016年05月16日

◆ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」

伊勢 雅臣



〜 日米戦争、冷戦、そして共産中国

共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ
連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。



■1.「狂人(ルーズベルト)の欲望」

米国の第31代大統領ハーバート・フーバーは、退任後の昭和21(1946)年
5月、日本を占領中のマッカーサー総司令官を訪れて対談した。そこで次
のようなやり取りがあった、とフーバーは記録している。

「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲
望であった」と私(フーバー)がいうとマッカーサーは同意した。
[1,p7]・・・

私(フーバー)は更に続けて次のように言った。「1941年7月の(日本へ
の)経済制裁は、・・・例え自殺行為であると分っていても、日本に戦争
を余儀なくさせるものであった。なぜなら、この経済制裁は、殺人と破壊
を除く、あらゆる戦争の悲惨さを(日本に)強制するものであり、誇りの
ある国ならとても忍耐できるものではないからだ」。この私の発言にも
マッカーサーは同意した。[1,p7] ・・・

さらにマッカーサーは言葉を続けて「ルーズベルトは1941年の9月に近衛
と和平を達成できたはずだ。そうすれば太平洋と中国の自由、そして恐ら
く満州の自由を確保するというアメリカの目標をすべて獲得出来ていたに
違いない」と言った。[1,p162]


フーバーはルーズベルト大統領の前任者で、その回想録"Freedom
Betrayed(『裏切られた自由』)が47年ぶりに出版された。そこでは第
二次大戦が「民主主義 対 全体主義」の戦いだったというアメリカの史観
は完全に否定されている。この回想録が完成後半世紀近くも刊行されな
かったという事実が、その衝撃を表している。

同様の史観は今までにいろいろな歴史学者、軍人、政治家が発表して、弊
誌でも紹介してきたが[a,b,c]、前大統領の発言となれば重みが違う。し
かもフーバーは30冊もの著書を残した著述家であり、二十数年かけて、後
に資料2千5百万点を備えるスタンフォード大学のフーバー研究所に発展
するほどの資料を収集して書いたのが、この本なのだ。

あと20年もすれば、この史観が世の定説になるのではないか。そのために
も、まず日本人自身がこういう本を読んで、自虐史観から脱しなければな
らない。今回は、フーバーの著書から、ルーズベルトが日本を開戦に追い
込んだ経緯を見ていこう。


■2.共産ロシアを1933年11月に承認

フーバーはルーズベルトが冒した19の過ちを列挙しているが、その2番目
に以下がある。

ルーズベルトの第2の失策が、共産ロシアを1933年11月に承認したことで
ある。4人の大統領と、5人の国務長官にわたって、共和党か民主党かを
問わずに、そのような承認行為を、(国際共産主義運動の目的と手法の全
体を知った上で)ずっと拒否してきた。

共産主義者は、宗教の信仰、人間の自由と民族や国家の独立をぶちこわす
ようなばい菌を運び、アメリカに浸透してくることを、彼ら(四人の大統
領と五人の国務長官)は知っていたからである。彼らは、米国が共産ロシ
アを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。

ルーズベルトが(スターリンと)結んだ愚かな合意、つまり共産主義者
は、米国の国境の内側では活動しないという約束は、48時間後には公然
と反故にされた。共産主義の機関車と、それに乗った共産主義の乗客が、
政府の高いレベルに入り込み、第五列の活動が全国にひろがり、フランク
リン・ルーズベルトが大統領であった12年間に亘って、国家反逆者の行
為が長く続く事になった。[1,p81]

ルーズベルト政権に多くの共産主義者が入り込み、その政策を親ソ反日に
ねじ曲げていった様子がヴェノナ文書などで明らかにされている。公民権
活動や、中国支援などの看板を掲げつつ、内実はソ連のために活動してい
た組織が1千もできた。これが日米開戦の悲劇の最大の要因となった。


■3.ソ連への軍事支援、航空機1万4千7百機、、、

ルーズベルト政権の親ソ路線は、ますます露骨になっていく。

アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治の大道が失われたのが、ヒト
ラーがロシアを1941年に攻鑿したときに、共産ロシアを支援して、アメリ
カとロシアが非公然の同盟関係になったことである。・・・

ロシアを米国が支援すると言うことは、共産主義が世界に広がることで
あった。ドイツとロシアの戦争に米国は巻き込まれるべきではなかった。
平和が持続するという最大のチャンスがあったのだが、ルーズベルト大統
領は、その機会を捉えることができなかった。[1,p97]


共産主義のソ連とナチスドイツの2つの全体主義国家が戦っているのだか
ら、アメリカは独ソ戦を傍観していれば、とも倒れになり、アメリカも欧
州も「平和が持続するという最大のチャンスがあった」というのが、フー
バーの考えである。

それなのにルーズベルトはソ連に対して凄まじい軍事支援を行う。その内
容は、航空機1万4千7百機(零戦の全生産量に匹敵)、戦車7千両、装
甲車6千3百両、トラック37万5千台、ジープ5万2千台という規模で
あった。

もちろん、これだけの規模の軍事支援は、ルーズベルトだけでなく、実務
面も含めて多数のソ連工作員が政権内に蠢(うごめ)いていたからこそ、
可能になったのだろう。


■4.経済封鎖による「宣戦なき戦争」

第5の誤りは、41年の冬にルーズベルト大統領が、米国がドイツと日本に
対して、宣戦をしないで戦争を始めた事である。これは、数週間前の大統
領選の公約に全面的に違反するものであった。[1,p93]


1940(昭和15)年秋、ルーズベルトは、「米国は海外でのいかなる戦いに
も巻き込まれない」との公約で、大統領再選を果たした[a]。そのわずか
数ヶ月後の41年冬には、日独に対して経済封鎖という「宣戦なき戦争」を
始める。

同年1月、幕末に黒船の圧力で強要した日米友好通商条約を破棄し、いつ
でも日本に対する原油や鉄鋼などの輸出を止めることができるようになっ
た。「経済封鎖は戦争行為である」とはパリ不戦条約批准の際にケロッグ
米国務長官の議会での発言である。


8番目の、ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、つまり、ス
ターリンとの隠然たる同盟関係となったその1ヶ月後に、日本に対して全
面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ射っていな
かったが本質的には戦争であった。

ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をす
れば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受け
ていた。[1,p099]


この7月、米国は工作機械、石油、屑鉄などを輸出許可制とした。これら
の品目を米国からの輸入に頼っていた我が国の新聞は、これは経済的対日
挑戦であると論じ、駐米大使が正式抗議を申し入れた。ルーズベルトはさ
らに日本の在米資産を凍結し、8月には石油の対日全面禁輸を実施した。

「参戦しない」という公約を守りながら、戦争を始めるには、日本から攻
撃をさせる必要があり、そのために日本を経済的窮地に追い込んでいった
のである。


■5.近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否

 第9の過ちは:

ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したこと。この
和平の提案が受け入れられることを、日本に駐在するアメリカの大使もイ
ギリスの大使も積極的に働きかけたし、又祈る様な気持で見守っていた。
近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成す
るものであった。

しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。皮肉に考える人
は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側で
もっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与
えようとしたのではないかと考えることになるだろう。[1,p102]


昭和16(1941)年9月、石油禁輸のもとで、あてどない対米交渉を続けてい
くのは座して死を待つのみ、と近衛内閣は10月下旬までに平和的交渉が決
着しなければ対米開戦すると決意したが、昭和天皇は御前会議で「よもの
海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむきようく」との明治
天皇御製を読み上げられた。

この御心を受けて、近衛は日米首脳会談による打開を決意し、ルーズベル
トに申し入れたが、拒否されたのである。


■6.「90日の冷却期間」提案を拒否

それでも、日本はなおも忍耐強く和平交渉の道を探ったが、ルーズベルト
は第10の過ちで応える。

昭和16年の11月に、天皇陛下が3ヶ月間のスタンドスティル、すなわち冷
却期間をおこなうとの提案を、駐日の米国大使を通じてされたが、ルーズ
ベルトは是を拒否した。米国の軍高官も、冷却期間の提案を受け入れるべ
きであるとルーズベルト大統領に促した。

当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警
戒していたのである。90日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあ
れば、日本から全ての戦意を喪失させて、太平洋で戦争する必要を無くし
たに違いない。[1,p107]

日本の真珠湾攻撃は12月8日だったが、この頃にはソ連軍の冬期大反抗が
開始され、ドイツ軍をモスクワ正面から後退させていた。3ヶ月の冷却期
間があれば、ドイツ軍の敗色は日本の朝野にも明らかになり、開戦の意思
は萎(しぼ)んでいただろう。

スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、
日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたの
だ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾
で負けたのだ。[1,p107]


陸軍長官スティムソンの日記には、日本にハル・ノートをつきつけたコー
デル・ハル国務長官が「私はこの件(日米交渉)から手を引いた。あとは
あなたとノックス海軍長官の出番だ」と語ったとある。

ハル・ノートは米国からの最後通牒として出されたものであり、それがソ
連工作員ハリー・デクスター・ホワイトによって作成された事が明らかに
なっている。[b]


■7.日本に無条件降伏を要求し、原爆投下

こうして日本は対米戦争に追い込まれ、当初は西太平洋、東南アジアから
米英勢力を駆逐したが、昭和20(1945)年には敗色濃厚となり、講和の道
を探っていた。そこにポツダム宣言が出される。

ポツダムにおけるトルーマンの過ちが、16番目の過ちである。・・・

これ(JOG注: ソ連の東欧への勢力拡張を許した事)に加え、指導者の
人々の忠告に反して、日本に無条件降伏の最後通牒が出されたことであ
る。アメリカの経験ある多くの專門家が勧告した、天皇(みかど)を維持
することを許す救済条項を入れないで、無条件降伏を要求したのである。
日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下され
た。そして、最後になって、この条件が受け入れられた。1,p124]


17番目のアメリカの政治の大道からの逸脱は、トルーマンが日本人の上に
原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を下したことである。日本は繰り
返して平和を求めていたにもかかわらず。これはアメリカの全ての歴史の
なかで、他に比較するもののない残忍な行為であった。これはアメリカの
良心に対して、永久に重くのしかかるであろう。[1,p127]


■8.「竜の歯が、世界中の至る所にばらまかれた」

こうして、ルーズベルトは共産主義の防壁である日独を打ち破って、ソ連
に東独から北朝鮮に至る勢力圏を築かせた。さらに後任のトルーマンは中
国の共産化を許した。

「第3次世界大戦を引き起こす危険のある竜の歯が、世界中の至る所にば
らまかれた」とは、第19の過ちの一節だ。ギリシャ神話には、大地に播
かれた竜の歯から武装戦士たちが生まれ出た、という逸話がある。

その予言の通り、冷戦と朝鮮戦争、ベトナム戦争の種はこうして蒔かれ
た。のちの共和党レーガン政権は日独の協力を得て、冷戦に打ち勝ち、ソ
連の打倒を果たしたが、その際に利用した中国が強大化して、現在の世界
を危機に陥れている。

日米戦争は、共産主義者に操られたルーズベルトの錯誤によって引き起こ
されたものだが、その時に播かれた竜の歯はいまも世界の平和を脅かし続
けているのである。



■リンク■

a. JOG(096 ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

b. JOG(116)操られたルーズベルト
 ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog116.html

c. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
 対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させようというシナリオの原作者が見つかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog168.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』★★★、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/458523036X/japanontheg01-22/


■前号「反原発運動の正体 〜 千葉麗子『さよならパヨク』から」に寄せ
られたおたより

■Spockさんより

原発事故に際して、民主党政府が安全基準を変えたり、幹事長が「当面は
大丈夫」という全く根拠のない発言があったり、関連製品に関わっている
者として、無責任な発言にあきれたことを覚えています。

また、原子核工学を専攻していた私としては、単純に安全・非安全という
2値的な議論を専門家も含めて行っていることに違和感があります。

もっと、客観的な意見が通るような日本になって欲しいと思います。こん
な中で、歌や踊りで日本が良くなるわけがないことが何故わからない人が
多いのでしょうか。



         

◆北にだまされ続けた二十余年の道程

古森 義久



北朝鮮の核武装目的の爆発実験と核兵器保有の公式宣言には、1990年
代からその動きを追ってきた記者として「ついに」という負の感慨を禁じ
えない。思えば北朝鮮に米国など主要諸国が操られ、だまされ続けた二十
余年の道程だった。

1994年の米朝核合意では、北朝鮮は軽水炉の建設や経済援助と交換に核爆
弾の製造をやめることを誓っていたのだ。そんな「誓約」が虚偽となる複
雑な展開がその後、続いてきた。

ワシントンではいま、北朝鮮への非難とともにオバマ政権への糾弾が噴出
してきた。共和党側の大統領候補たちは「オバマ政権の無策」を責め、と
くに同政権の国務長官だったヒラリー・クリントン氏が北朝鮮に対して唱
えた「戦略的忍耐」策に非難の矢を浴びせ始めた。

忍耐をすれば事態は好転するという楽観こそが、いまの事態を招いたのだ
という批判である。

今回の事態は、超大国の米国の対外戦略とその米国を手玉にとる北朝鮮の
虚偽戦術の長い経緯と、無法国家の核武装という国際危機の現在の広がり
という、縦と横の両次元での考察が欠かせない。その観点から、北朝鮮核
問題に90年代から取り組んできた前議会調査局朝鮮問題専門官で現在は戦
略国際問題研究所(CSIS)研究員のラリー・ニクシュ氏に、見解を問
うてみた。

「米国主導の国連などでのこれからの北朝鮮制裁の動きは、オバマ政権が
年来、中国とイランの真の役割の指摘をあえて避けてきたため、シャレー
ド(みせかけ)だけに終わると思う。

中国は公式には北朝鮮の核兵器開発への反対を表明しているが、現実には
黙視してきた。イランは長年、北朝鮮の核開発に技術と財政の両面で協力
してきた。オバマ政権はその両方の事実を正面から提起しないのだ」

ニクシュ氏によると、中国は北朝鮮に石油と天然ガスを大量に供給し、金
正恩(キム・ジョンウン)政権にとって不可欠な軍や党のエリート用の外
国製ぜいたく品の確保をも支えてきた。もし中国が本気で北に核武装の放
棄を求めるならば、それらの停止を通告すればよいのだが、そうはせず、
オバマ政権も中国にそんな措置を求めようとしないというのだ。

北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルの開発でイランと緊密な協力をしてきたこ
とはすでに知られている。当初は北朝鮮からの技術供与がほとんどだった
が、最近ではイランからの供与も多くなった。北朝鮮の2013年2月の前回
の核実験にはイランの技術者一団が立ち会ったという情報もある。

「北朝鮮とイランのこの種の協力のため、機材や人員を輸送する航空機と
船舶はみな中国の領空や港を通っていく。中国政府はそれを知りながら何
もしない。オバマ政権も中国に阻止を求めることがない。イランとの核合
意を別個に成立させることに熱心なあまり、北朝鮮とイランとの大量破壊
兵器開発でのつながりが論議を呼ぶことを極端に嫌ってきたのだと思う」

ニクシュ氏はこう解説したうえで、北朝鮮の今回の核実験の技術面での最
大の狙いは核弾頭の小型化、軽量化による弾道ミサイルへの着装を可能に
することであり、現段階でも韓国と日本を射程におさめるノドン・ミサイ
ルへの核弾頭装備能力はもう確立されたという不吉な分析を強調するの
だった。(ワシントン駐在客員特派員)
産経ニュース【緯度経度】2016.1.9

◆論争にみた戦後ニッポンの悲しい必然

北条 かや



今やすっかりお馴染みの議論になってしまった、「子どもの声は騒音
か」問題。先日は、待機児童問題が深刻な千葉県市川市で、4月に開園予
定だった私立保育園が近隣住民の反対を受け開園できなくなった。周辺は
静かな住宅街で、高齢世帯が多いエリアだそうだ。(iRONNA)

報道によると、社会福祉法人の説明会が複数回なされたが、「子どもの
声は騒音になる」「保育所が面する道路が狭くて危険」などの意見が根強
く、断念した。反対運動を起こした住民たちに対しては、「子どもは社会
で育てるべきなのに、受け入れないとは何事か」という批判も寄せられて
いるようだ。しかし、批判の前に「大前提」を確認しておく必要があるの
ではないか。

 ■「地域コミュニティの衰退」では不十分

私は子どもが好きだが、やはり子どもの声は「うるさい」。物心つきは
じめる4〜6歳くらいの子どもたちと遊んでいると癒やされるが、時に彼
らは突然「キャーッ!」と叫んだり、耳をつんざくような泣き声をあげた
りする。心身ともに疲れている時には、とても相手ができない……こともあ
る。

しかし、子どもとは元々そういうものだ。うるさいし、はしゃぐし、 そ
れが集団になればすさまじきこと限りない。彼らはただ全力で生きてい
るだけで、そのあり方は何百年も変わっていない。ではなぜ近年、一部の
大人が「子どもの声は『騒音』で『迷惑』」と主張するようになったのか。

問題は14年、神戸市の保育所をめぐり、近隣の70代男性が「子どもた
ちの声がうるさい」として訴訟を起こしたあたりから騒がしくなった。14
年末からマスコミも取り上げ始め、NHKはクローズアップ現代で「子ど
もって迷惑?〜急増する保育所と住民のトラブル〜」と報じている
(2014年10月22日放送)。

今のところ、住民と保育所側の対立要因として挙がっているのは、「送
迎の車による事故の危険性が増す」「子どもの声が騒音になる」など、住
民たちが抱える環境変化への不安。そして、その背景には「地域コミュニ
ティの衰退」や、「社会の寛容性が失われたことがある」などと説明され
る。私はこうした議論に今ひとつ、納得がいかない。納得がいかないとい
うより、問題の背景説明としては不十分である。

「地域コミュニティが衰退し、社会の寛容性が失われた」と嘆く論調
は、たとえばこんなふうだ。

「昔なら路地裏で子どもたちが大声で遊んでいても、誰もなにも言わな
かった。となり近所の顔が見える地域コミュニティが機能しており、地域
全体で子どもを暖かく見守っていた。それが核家族化−−に加え、時には
“行き過ぎた個人主義”によって−−地域コミュニティが崩壊し、子どもを
異質なものとみなす住民が増えた。

社会の寛容性がなくなり、−−これま た時には“行き過ぎた個人主義”に
よって−−我慢せずに個人の権利を主張 することが当たり前になった。
だから子どもの声に対しても寛容性を示さ ず、自らの権利を訴える人々
が増えているのだろう」

(※“行き過ぎた個人 主義”の是正は、現政権が憲法改正の俎上に乗せたい
ところでもあるか ら、あえて強調しておいた。ここで深くは議論しない
が、問題が「戦後日 本の『自由』と『個人主義』」を反転させる方向へ
転がっていかないよ う、願ってはいる)
■国の「思惑」が少子化につながった

 まず事実として、戦後日本における「保育所」の出現がある。1947
年に児童福祉法が制定され、「保育に欠ける」子どもを預かる施設に予算
を投入するシステムが完成した。それまでは、工場の託児所があったり、
大家族の中で支えあって面倒を見たりと、保護者が働いている間の「子ど
もたちへの待遇」はバラバラだった。重要なのは今と比べて、戦中期から
戦後直後のベビーブーム時、1人の母親が産む子どもの数が異様に多かっ
たということだ。10人きょうだいなど珍しくもなんともなく、「人生
50年」の間に子を産んでは育て、産んでは育て、そして働く母親が大多
数だったのである。

 大きく変わったのは戦後。ベビーブーム以降、政府は食糧難の解消や福
祉サービスの向上を目指して、「少なく産んでお金をかけて、家庭で大切
に育てましょう」というふうに仕向けたのである。仕向けたとは大袈裟だ
が、そう表現するしかない。高度成長期には、祖父母らと同居する「拡大
家族」とは異なる新しい家族=「専業主婦の妻とサラリーマンの夫、子ど
も2人」が「標準世帯」とされた。三歳児神話がまかり通り、「専業主婦
の母親がつきっきりで子を見るのが当たり前」との考えが広まった。

 日本の経済成長にともなう専業主婦の増加(=男性賃金の上昇)、戦後
の保育所が「保育に欠ける」子どものために作られていたこと、母親が家
庭で、少人数の子どもを大切に育てる理想モデル、そして少子化。すべて
つながっている。子どもを社会で育てず、核家族内で母親が育てる。これ
が戦後日本における理想のシステムだったのだ。今さら「社会で育てよ
う」といっても、急に叶うものではない。


 ■国の「思惑」が少子化につながった

 まず事実として、戦後日本における「保育所」の出現がある。1947年に
児童福祉法が制定され、「保育に欠ける」子どもを預かる施設に予算 を
投入するシステムが完成した。それまでは、工場の託児所があったり、
大家族の中で支えあって面倒を見たりと、保護者が働いている間の「子ど
もたちへの待遇」はバラバラだった。重要なのは今と比べて、戦中期から
戦後直後のベビーブーム時、1人の母親が産む子どもの数が異様に多かっ
たということだ。10人きょうだいなど珍しくもなんともなく、「人生 50
年」の間に子を産んでは育て、産んでは育て、そして働く母親が大多 数
だったのである。

大きく変わったのは戦後。ベビーブーム以降、政府は食糧難の解消や福
祉サービスの向上を目指して、「少なく産んでお金をかけて、家庭で大切
に育てましょう」というふうに仕向けたのである。仕向けたとは大袈裟だ
が、そう表現するしかない。高度成長期には、祖父母らと同居する「拡大
家族」とは異なる新しい家族=「専業主婦の妻とサラリーマンの夫、子ど
も2人」が「標準世帯」とされた。三歳児神話がまかり通り、「専業主婦
の母親がつきっきりで子を見るのが当たり前」との考えが広まった。

日本の経済成長にともなう専業主婦の増加(=男性賃金の上昇)、戦後
の保育所が「保育に欠ける」子どものために作られていたこと、母親が家
庭で、少人数の子どもを大切に育てる理想モデル、そして少子化。すべて
つながっている。子どもを社会で育てず、核家族内で母親が育てる。これ
が戦後日本における理想のシステムだったのだ。今さら「社会で育てよ
う」といっても、急に叶うものではない。
 ■新たな寛容性とは

私たちはそもそも「子どもは社会で育てるべき」という考え方を(ホン
ネの部分では)理解していないのである。「子どもの声は騒音だから、保
育所を作るな」の議論が巻き起こるのは、戦後日本社会の悲しい必然だ。

平成になってからはご存知のように、不況や女性の社会進出で、専業主
婦モデルが崩れている。共働き世帯の増加に、保育所の増加が追いつかな
いから、それまで保育所がなかった狭い土地にも保育所を作らなければな
らない。今までなかった場所に、その環境を大きく変える施設が出現すれ
ば、なんらかの議論は起きる。保育所反対運動が増えるのは、新築マン
ションブームの裏で、マンションの建設反対運動が盛り上がる構図と似て
いる。

さらに近年、ものすごい勢いで高齢化が進んでいる。今や4人に1人が65
歳以上の高齢者。これだけ社会にお年寄りが増えたのだから、「社会の寛
容性」が上がった、下がったのとは無関係に、高齢層の声が大きくなるの
は必然だ。

「保育所作るな問題」は、戦後日本の家族システムの問題点が明るみに
出た「だけ」ともいえる。と同時にこの問題は、日本の福祉制度が転換期
にあることをも示している。社会の寛容性やコミュニティの衰退以前の、
単純な、そして重要な社会現象だ。「保育所作るな」という声に、どう向
き合うかによって、私たちは「これからどんな社会を理想とするのか」を
問われている。そこに新たな寛容性が生まれる素地は、きっとあるはず
だ。私は希望を託したいと思う、この社会の一員として。

北条かや 1986年石川県生まれ。同志社大学社会学部、京都大学大学院文
学研究科修了。15年5月、星海社新書より『整形した女は幸せになってい
るのか』刊行。前著は『キャバ嬢の社会学』。
産経ニュース【iRONNA発】2016.5.14

「保育園をつくるな」  著述家




      

◆モンゴル 考察  その@

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長) 

〜白鵬 翔 と チンギス・ハーン〜

毎年、3月末日、大相撲春の巡業を告げる伊勢神宮奉納相撲が行われます。呼び物は伊勢神宮神苑で行われる、太刀持ち、露払いをしたがえた横綱の「手数(でず)入(い)り奉納」(土俵入り)です。

前夜は、横綱・白鵬を囲み、知人の奢りで鳥羽の料亭「まつむら」の松坂牛ステーキ食べ放題の恒例のパーティです。私が「白鵬翔激励の挨拶」をして乾杯の音頭をとるのが習わしになっています。

横綱とは、メインテーブルで隣同士になりますから、一晩、じっくり語り合う機会に恵まれます。年間を通して、私の一番の楽しみです。

一昨年は、1枚、60グラムの蕩(とろ)けるような松阪牛を、私が2枚食べる間に横綱は14枚平らげました。去年は、私も頑張って7枚。今年は、横綱から負け越しはダメ。8枚以上食べて勝ち越せとはっぱをかけられましたが、6枚でダウンしました。


一昨年のことでした。私の自著「融氷の旅」(青灯社)にも書きましたが、滅多なことでは語らない胸中の秘話を聞かせてくれました。

「私の祖父は、モンゴルの第9代大統領でした。祖父はクレムリンで行われたスターリンとの会談で、モンゴル国とモンゴル人を蔑視した度重なる発言に怒り心頭に達して「グルジア人(スターリンはグルジア生まれ)よりはマシでしょう」と応じました。烈火の如く怒り狂ったスターリンがさらに罵倒したため、スターリンにストレートパンチを食らわせて、銜えたパイプをふっ飛ばしてしまいました。

その場は事なきを得たのですが、後日、家族ともどもモスクワに呼び出されました。出向かないと国に災いが及びます。家族そろってモスクワに行きましたが、密かに家族をモンゴルに逃がして、一人残った祖父は粛清されました。あの時、自分は覚悟を決めて家族を逃がしてくれなかったら、今の私はありません。

さすがに、中央アジアからユーラシア大陸まで制覇したチンギス・ハーンの血を引く勇者の一族と感じ入りました。(融氷の旅、155頁)

今年は、相撲のことよりもモンゴル政府の農牧政策をめぐって議論が盛り上がりました。モンゴルの政治、経済の様子が話題になった際、横綱はスマホに入れて大事にしている祖父の写真を見せてくれました。
その折、白鵬本人が話したことですが、白鵬の首の右側に赤い痣(あざ)があります。チンギス・ハーンも射掛けられた矢の一本が、首の右側を掠(かす)めて傷跡が残ったのだそうです。「こどもの頃、友達からオマエはチンギス・ハーンの生まれ代わりだとよく言われた」そうです。彼は、宿命みたいなものを感じているなと思いました。


陳瞬臣 : チンギス・ハーンの一族

ジンギス・ハーンの生涯とその一族をめぐるモンゴルの興廃を読み解くには、朝日新聞に連載された陳舜臣著「チンギス・ハーンの一族。(1巻)―草原の覇者、(2巻)―中原を征く、(3巻)―滄海への道、(4巻)―斜陽に万里。集英社文庫」がいい。ただ日本人には馴染みにくい人名が数限りなく登場するので混乱させられます。詳しすぎるのが難点といえばむしろ難点です。

モンゴルの歴史は、12世紀中頃からぼんやりと、おぼろげながら透けて見えはじめます。1162年生まれのテムジンが草原に現れるのは、ボルジギン一族の頭目になった青年の姿です。テムジンは、ハーンの称号を取得したら、「チンギス」と名乗ることを若い頃から心に決めていました。チンギスとは「強力」を意味します。

テムジンが、すべてのモンゴル部族を平定して、部族連合からハーンに推戴され「チンギス・ハーン」を名乗ったのは1206年です。

生まれた年については、諸説ありますが、「元史」の1162年説をとれば44才で大ハーン(皇帝)に就任したことになります。

チンギス・ハーンは「モンゴルは、モンゴルの血を流さない」を基本原則にしていましたが、刃向かう他民族、特に裏切りにはモンゴル人とモンゴル以外の民族を問わず、一草一木(広辞苑:一木一草ともいう)残さずに皆殺しにしました。首謀者には残虐極まりない刑が執行されました。

モンゴル馬を駆使する機動性豊かな騎馬隊は、死を恐れない勇猛果敢な兵士が先陣をつとめ、瞬く間に中央アジアを席巻(せっけん)し、中東、ロシア・ヨーロッパへ兵を進めました。チンギス・ハーンの大モンゴル帝国の出現です。

もともとモンゴルという呼び方には、はっきりした定義らしいものはない。チンギスのいうモンゴルは、むしろ「われわれ一族」というせまい意味だったようだ。(陳舜臣)

そんなせまい一族を基盤に、アジア大陸から、中東、ユーラシア大陸に及ぶ大帝国を築いた不世出の皇帝・大ハーンのお墓が、今日、何処にあるのかわからないのは、摩訶不思議なことだとは思いませんか。

山東省曲阜の孔子を祀った孔廟・孔府・孔林の「三孔」を訪(たず)ねた折、中国各地からやってきた観光客の数に圧倒されました。

もし、チンギス・ハーンの眠るお墓がモンゴル国内のどこかにあったら、世界各地からひと目見たいと訪(おとず)れる歴史の好事家(こうずか)があとを絶たたないでしょう。
「チンギス・ハーンの一族」のあとがきに「1991年には、チンギス・ハーンの墓を探すと称して、江上波男先生の驥尾(きび)に付して、モンゴルじゅうをあるきまわった」(陳瞬臣)とあります。さすがです。


チンギス・ハーンは、1227年7月12日(陰暦)、西夏(タングート)討伐戦に出陣の折、陣中で病死しました。しかも、西夏が降伏した因縁の日でした。この時、モンゴル軍は六盤山(ろくばんざん)に陣を敷いていました。ですから、チンギス・ハーンが亡くなった六盤山はモンゴルの人たちにとって、特別な場所のようです。中国・甘粛省の東部から寧夏回族自治区の最南端にかけて連なる山脈の名前ですが、六盤山そのものは山脈の中央付近にあります。

遺骸はケルレン河上流に埋葬されましたが、その直後に周辺を騎馬隊が駆け巡り、埋葬地点がわからなくなったといわれています。
モンゴルには墳丘をつくる習慣がありませんから、困ったことに目標となる目印が何もありません。

チンギス・ハーンと皇后ボルテの四男、トゥルイの正妻、ソルカグタニ(ケレント部族出身。4代モンケ、5代フビライ、二人の皇帝を生んだ母親)の遺骸は、ケルレン河上流の亡夫トゥルイの墓地の隣りに埋葬されました。そこはチンギス・ハーンの墓地に近いとみられていますから、やはりチンギス・ハーンのお墓はその辺りということになりそうです。

ケルレン河は、チンギス・ハーンの故郷、ブルカン山で知られるヘンティ山脈を水源にモンゴル北東部の草原を縦断して中国・内モンゴル自治区のダライ・ノール湖(フルン湖)に注ぐ、全長1,264q、流域面積12万6,000㎢の河川です。この河の上・中流流域が若いテムジンの活動地帯でしたから、遺骸はふるさとに埋葬されたことになります。

上流のどこかの地点といっても、あまりに広すぎて、到底、手に負えそうもありません。素人考えでは、むしろトウルィ夫妻の墓から推測したらチンギス・ハーンの墓地に辿り着けそうに思うのですが、シロウトが考えることなど、当の昔に様々な専門家が調査、研究済みのことだろうと思います。(明後日に続く!)