一色 正春
前回「韓国が日本を見下す理由」で述べたように、日本は朝鮮との併合
までに日清日露の戦争をはじめ過酷な道のりを歩んできたのですが、その
道のりに対 する解釈の違いが現在の慰安婦問題をはじめとする日韓両国
が争いのもとになってい ます。両国の主張は以下の通り
■日本側
日本は極東アジアに迫りくる西欧列強による侵略の魔の手に対抗するた
め、近代国家へと変貌を遂げ、隣国の朝鮮とともに対抗すべく努力した
が、朝鮮は華 夷秩序の序列にこだわり日本との話し合いすら拒み、自国
内での権力争いに没頭して いたため近代化に遅れ、自力で当時の激烈な
国際社会の荒波を乗り越えられず、やむ なく日本との併合という道を選
ばざるを得なかった。
■韓国側
朝鮮に先んじて近代化に成功した悪の帝国日本が、世界征服の手始めとし
て平和に暮らしていた朝鮮の豊かな富を奪うため武力により侵略し植民地
にした。そ れまで多くの文化文明を教えてやったのに恩を仇で返された。
というふうに両国は全く違う解釈をしています。なぜ、そうなるのかと
いうと両国の歴史に対する考え方が根本的に違うからです。
日本では様々な資料に基づき歴史の事実を認定しますが、韓国では最初
から自国に都合の良い結論があり、それに合わせて資料を集めるなどして
筋書を作る ため、同じ事象でも全く違った話になるのです。特に日本に
関することは、長年の反 日教育により韓国=善、日本=悪という絶対的な
方程式が創られ、それは変えることの できない大前提となっているた
め、かなり強引な解釈を重ねた無茶なストーリーに出 来上がっています。
彼らは、ことあるごとに日本に対して「歴史を直視せよ」と言います
が、それは、日本の善行を無視して虚実とりまぜ韓国に都合の良いように
作られた話を 認めて日本が一方的な悪役になれということです。
普通に考えれば、そのような話を 認めることなどできるはずがないの
で、日本から歩み寄る余地はありません(歩み寄 りたい人が永田町や霞
が関に少なからず存在していますが)。逆に、彼らも極端な反 日教育に
よって作られた世論に逆らって日本を擁護しようものなら社会的に抹殺さ
れてしまうため、例え自分たちが間違っていたことに気が付いたとしても
日本の行為 が正しかったとは公式的に認めることなどできません。
特に慰安婦に関しては神聖視されており、彼女たちの証言に少しでも疑
義を挟めば「帝国の慰安婦」を執筆した世宗大学の朴裕河教授のように訴
えられて、 裁判所に給料を差し押さえられてしまいかねません。そのよ
うな社会で本当のことを 言えるはずもなく、いくら両国で日韓の歴史を
共同研究したとしても現段階で両者の 溝が埋まることは考えられず、日
本としてはありもしなかったことを認めて謝罪など せずに、淡々と事実
を主張し、決して彼らに迎合することなく何百年かかろうとも 彼らが反
日教育を止めて事実に向き合える社会になるのを待つしか方法がありません。
そのためには、彼らが作り出した偽りの物語に惑わされないよう、正し
い歴史を知る必要がありますが、残念ながら我が国の公教育の場では、日
本の立場に 立った本当の歴史を教えてはくれません。
そこで、その一助になるべく日韓双方の主 張が大きく異なる主な出来事
を取り上げてみようと思いますが、その前に当時の朝鮮 人が日韓併合
を、どのように受け止めていたのかということを整理してみたいと思い
ます。
いかなる社会体制の変革であっても、万人が喜んで受け入れることなど
ありません。特に社会システムが急激に大きく変わる場合はなおさらで、
日本でも 明治維新に不満を持った士族が各地で反乱を起こしています。
まして日韓併合というのは、いくら自らが望んだこととはいえ他国の人
間、しかも自分たちが一段下に見ていた日本人に事実上支配されるのです
から不満を 抱く人がいるのは当然なのですが、だからと言って全国民が
反対していたというのは 針小棒大な話で、本当に全国民が反対していた
のであれば、あのように血を流すこと なく併合することなどできなかっ
たはずです。
今の感覚で考えると、国がなくなることに賛成する人間などいないと思
いたくなる気持ちもわかりますが、そもそも当時の朝鮮は日清戦争が終わ
るまでは清 の従属国で独立国ではなく、その後も権力者たちが己の権力
の保持のために日清露の 間を渡り歩きながら国益そっちのけで争い、国
王自らがロシア公使館に逃げ込み一年 間も引きこもり生活を続けながら
ロシアに権益を切り売りするなど、とても自力で独 立を保てなかったこ
とに鑑みれば、とても現代の常識が通用する世界ではなかったと 考える
べきでしょう。
それに当時の朝鮮は厳しい身分制度により明確に階層が分かれており、
一旦その身分に生まれたからは原則として死ぬまでそこから抜け出すこと
はできず、 その制度によって分けられた人たち同士は結婚もできなかっ
たくらい住む世界が全く 違っていたため、現代の国民国家のような一体
感や愛国心を持つことは難しく、併合 に対する考え方も、それぞれの階
層や立場によって違ったと考えるのが妥当です。
当時、全国民の2〜4割いたとされる、死ぬまで奴隷としてこき使われる
運命にあった未来に何の希望もない奴隷階層の人たちにとっては、国のこ
とよりも自 分たちが日々生きるのに精一杯で、朝鮮がどこの国と併合す
るかなどという問題よ り、奴隷として扱われている自分たちの待遇が改
善されることの方が重要だと考える のが普通で、日本と併合することに
より身分制度が廃止されて自由が得られたこと に対して不満を抱く人
は、あまりいなかったかと思われます。
これは現代の北朝鮮の人たちの心境を想像してみれば良くわかる話で、
金一族をはじめとする労働党や軍の支配階層に属し権力をほしいままにし
ている人た ちは体制維持に懸命で自分たちの地位が脅かされるような形
での南との統一には決し て賛成しないでしょうが、同じ支配層でも主流
から外れた人間は自分たちが権力を握 れるのであれば、日々食うや食わ
ずの境遇にある人や収容所に入れられている人たち は自分たちの暮らし
が楽になるのであれば、現体制が崩壊しようとも南との統一を望 むで
しょう。
統一後、本当に自分たちが権力を握り、暮らしが良くなったと すれば、
国がなくなったことに対して不満を述べる可能性は低いと思われます。
同じように、当時、支配層をはじめとする奴隷以外の階層に属していて
も日韓併合により官位や特権を得るなど、何らかの新たな利権を手にする
人たちが日 韓併合に反対していたとは考えにくい反面、併合によって既
得権益を奪われる人たち は、猛烈に反対したことは想像に難くありません。
今、日韓両国のマスメディアが当 時を振り返るとき、いわゆる独立運動
家は大きく取り上げますが、逆に大韓帝国最大 の政治団体「一進会」が
併合に対して積極的賛成であったことなど、賛成派が少なか らずいたこ
とについては、ほとんど語られることがありません。私は何も、多くの国
民が諸手を挙げて日韓併合に賛成していたという極端なことを言いたいわ
けではあり ません。
要は、今の韓国が主張するような「一部の親日派=売国奴以外の大多数 の
国民は併合に対して猛烈に反対していた。」という話ではなく、併合に反
対した 人、賛成した人、賛成反対と簡単に割り切れなかった人などな
ど、様々な立場の人がい たであろうという話です。
それを理解せず、真に国を思い日本との併合しか祖国の生 きる道はな
いと断腸の思いで日韓併合を推進した当時の政権担当者を、今なお売国奴
扱いしている韓国の現状は見るに忍びないとしか言いようがありません。
そこで本稿では、そのようにさまざまな考え方の人がいたという前提
で、出来る限り客観的に過去を検証しようと思いますが、ただし何事にも
裏と表があ り、同じ事象でもどちら側から見るかによって受け止め方に
大きな違いが生じることも ある訳で、そのような場合、私は日本の側か
ら見ますので、韓国側から見た受け止め 方とは違う場合もあるでしょう
が、そこはご理解ください。
■身分制度
1984年に朝鮮国内で発生した農民の反乱に乗じて清が出兵しようとした
ことに対抗した日本が日朝修好条規を理由に、朝鮮政府に対して自国の独
立の確認と 近代国家になるための内政改革を促しました。これを受けた
朝鮮政府は身分制度の廃 止を含む改革を推し進めるようになり奴隷制度
は廃止され、1909年には近代戸籍制度 を導入して、それまで姓を名乗る
ことを許されなかった人たちも姓を名乗ることが できるようになりました。
■土地政策
1910年から1919年の間、朝鮮総督府が土地の測量調査を行い、それまで
あやふやであった土地の所有権を確定しました。原則、地主の申告通り所
有権を認 め、申告のなかった土地や国有地と認定された土地は国有地と
して朝鮮総督府が接収し ました。そうやって朝鮮総督府が接収した土地
は国土面積の1割にも満たないと言わ れています。
■文字
1443年に世宗大王が開発した訓民正音という文字は、長年、女子供が使
う文字として公的に使われていませんでした。1886年、諺文を呼ばれてい
た、その文 字を井上角五郎が初めて漢城周報という新聞で使い普及に努
め、後にハングル(偉大 なる文字)と呼ばれるようになり、現在、朝鮮
半島全域で公用文字として使用されて います。
■教育
朝鮮時代、知識は支配層が庶民を支配するためのものとして独占されてい
ましたが、教育こそが国家の力の源泉だと考えていた当時の日本政府は朝
鮮の国力を 養うべく教育を広く一般に開放し、併合前に100校程度だった
小学校を最終的には 4000を超えるまで増やしました。高等教育について
も1924年に大阪、名古屋、台湾に先 駆け日本で6番目の帝国大学として京
城大学(現在のソウル大学の前身)を設立しま した。
■皇民化政策
一言で言えば併合により日本国民となった人々にも、同じ国の同じ国民
として分け隔てなく、内地に住む日本人と同じ教育をしたということです。
明治維新 以前、約400の藩に分かれていた日本が中央集権国家をつくり天
皇を元首とした統 一国家としての同化教育を行った延長線上にあるもの
で、中には国旗国歌や教育勅語 などを強要されたという人もいますが、
同じ国であるからには当然のことであり、教 育勅語についてはここで詳
しく述べませんが、現代社会の常識に照らし合わせてみて も至極まっと
うなことが書かれており、日本のみならず世界に通用する内容ですか
ら、読まれていない方は是非一度読んでみてください。
■創氏改名
いまだに日本が朝鮮人の名前を奪ったなどと言う人もいますが、1911年
の時点では一部の朝鮮系日本人が日本内地風の姓名を役所に届け出たこと
を受けて、 朝鮮総督府は内地人と紛らわしい姓名の届け出に対する制限
を行うよう通達を出すく らい内地出身者と朝鮮系日本人が名前で識別で
きるようにしていました。
そもそも、現代日本では家の名前である「苗字」と本人固有の「名」の
二種類しかないので、「氏」と「姓」が混同されおり、そのため「氏」を
新たに創り 「名」を改めるという意味が今一つ理解されていないようで
す。日本における「姓」 というは、本来、天皇から名乗ることを許され
たもので、限られた人しか名乗る ことを許されていませんでした。
しかし時がたつにつれ同じ性の人間が増えてくると 個人の識別が難しく
なってきたため、自らの住む土地の名前などを姓とは別に家の名 前とし
て名乗るようになったのが「氏」というものです。
例をあげると徳川家康の場合、姓は「源」で、氏は「徳川」となりま
す。大雑把に言えば「姓は」血筋を表し「氏」は家の名前を表すものであ
り、江戸時代 までは、このような「苗字」を名乗ることが許されていた
のは支配階層である貴族や 武士など限られた人たちだけで、人口の大半
を占める百姓町人は「苗字」があっても 名乗ることを許されていません
でした。
しかし、日本政府は明治維新を経て近代国家 として国民すべての戸籍を
明らかにする必要に駆られたため、全国民に対して「姓」 と「氏」を
一本化して「苗字」を役所に届け出ることを義務付けました。この時、姓
を届け出た人、氏を届け出た人、自分で考えた名前を届け出た人、皆がそ
れぞれ思い 思いの「苗字」を届け出たため、今の日本には「苗字」が
10〜30万種類あると言われ ています。
(同じ漢字でも読み方の違うものもあるため)
一方の韓国は朝鮮時代から今に至るまで一貫して「姓」を名乗っていま
す。では日本の「氏」に相当するものがないのかといえば、そうではなく
「本貫」と いうものがあります。
本貫も、一族発祥の地の地名に由来するものが多く、普段は名 乗りませ
んが(最近まで同姓同本同士は結婚できなかったため、初対面の人同士で
確 認することはよくある)戸籍に記載されており重要視されています。
これを日本に置 き換えてみれば徳川家康の子孫も武田信玄の子孫も源氏
の血筋を引くすべての人間が 「源」と名乗っているようなもので、だか
ら韓国は「苗字」の数が300弱しかないの です(本貫は約4000種類)。
朴槿恵大統領んなにも日本と苗字の数が違うのでしょうか。韓国では、今
なお族譜と呼ばれる家系図のようなものが重宝されているくらい家系を重
んじる社 会であり、韓国人に先祖のことを尋ねるとほとんどの人から
「先祖は両班だった。」 という答えが返ってくることから推測すると、
おそらく近代戸籍制度発足のどさくさ に紛れて、姓を持たなかった人た
ちの多くが両班といわれる貴族の姓や昔からある姓 を名乗り、新たに姓
を作る人がほとんどいなかったのではないかと思われます。(そ れ以前
に身分を金で買った人も多かったという一面もあります)
この日本と朝鮮の似て非なる名前を日本式に統一しようと、1939年、朝
鮮に本籍のある日本国民(日韓併合により日本人となった人)に対して、
新たに 「氏」を創らせ、希望すれば「名」を改めることを許可したのが
「創氏改名」で、これ により朝鮮出身の日本人は先祖代々の「姓」に加
えて新しく作った「氏」の2つの 「苗字」を持つことになったのです。
ただし、従来の姓名がなくなったわけではなく、 その証拠に日韓併合解
消後には、すべての韓国人は元の名前に戻っており、現大統領 の父親も、
日韓併合時代は「高木正雄」という名前でしたが、昭和20年に「朴正煕」
という名前に戻っています。
なぜ、当初区別していた内地人と朝鮮系日本人の名前を同じようにする
創氏改名が行われたのかと言いますと、朝鮮式の名前だと中国人に馬鹿に
されたり、 何かと都合が悪いので日本式の名前を名乗りたいという朝鮮
系日本人の要望に応えた からです。
実際に当時の内務官僚で後に自民党国会議員になった奥野誠亮代議士が
「朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったの
で、創氏改名に 踏み切った。私が内務官僚として判子をついた」と発言
しています。
そしてこれは、任意の届け出であったため、届け出なかった場合は、元
の「姓」がそのまま「氏」になるだけで特に不利益はなかったと言われて
おり、朝鮮 名のまま陸軍中将になった「洪思翊」や衆議院議員の「朴春
琴」など、高位の公職に 就いた人間は多数いました。
そもそも差別をするのであれば、差別する側とされる側を区分けしなけ
ればなりません。最も簡単なのは肌の色による区別であり、これは隠し様
がありませ ん。
では肌の色が同じ人間同士を差別するときは、どうするのかと言えば、入
れ墨を 入れる、住む場所を隔離する、など差別する側とされる側に明確
な違いを人工的に作 り出すのが普通です。
名前による区分けも一つの方法で日本や朝鮮でも昔は支配階層 以外の人
間は姓を名乗ることは許されず、また、その姓により、ある程度は家の格
式 が分かるような仕組みでした。
当時の日本政府が朝鮮半島出身者を差別しようと思うのであれば、日本
名を名乗ることを許さず朝鮮式の名前を使い続けさせて区分けするはず
で、それが良 いのか悪いのかは別問題として、名前を同じにするのは同
じ日本人として扱おうとい う意思の表れであり、差別を助長するもので
はないということは少し考えればわかる かと思います。
一色正春氏
1967年1月3日生まれ。元海上保安官。 2010年11月、尖閣諸島中国漁船衝
突映像流出事件において「sengoku38」名で映像をYouTubeへ最初に投稿した。
海上保 安官退職後は執筆やテレビ出演、講演活動など幅広くこなす。12
年、論文「中国の狙 いは尖閣だけではない」でアパグループ第5回「真の
近現代史観」懸賞論文で最優秀 藤誠志賞を受賞。著書に『何かのために
sengoku38の告白』(朝日新聞出版)などが ある。
【iRONNA発】韓国人こそ「歴史を直視せよ」と言いたい!
2016.5.8
(採録:松本市 久保田 康文)