2016年05月15日

◆朝日慰安婦報道の背景を分析する

櫻井よしこ 



4月22日、札幌は晴れていた。彼の地で、「朝日新聞」の元記者・植村隆
氏が、氏の慰安婦報道を批判した私の記事が名誉毀損に当たるとして損害
賠償と謝罪記事掲載などを求め、私及び新潮社、ワック、ダイヤモンド社
を訴えた民事裁判の第1回口頭弁論に出廷したのだ。札幌地裁805号法廷は
傍聴人で満席だった。
 
慰安婦報道については、植村氏の記事だけを見るのでは全体像は見えな
い。朝日新聞の報道全体を見ることが大事である。日本はいま、旧日本軍
が戦時中に朝鮮半島の性たちを強制連行し、慰安婦という性奴隷にして、
その揚げ句、約75%の女性たちを
殺害したといういわれなき非難を浴びている。朝鮮半島から20万人、中国
から20万
人、合わせて40万人もの女性をそのような悲惨な運命に突き落としたとい
う濡れ衣の
情報が、主にアメリカを舞台として韓国系及び中国系団体によって流布さ
れている。

その原因を作ったのは、どう考えても朝日新聞である。
 
この私の姿勢に関して、札幌市内の司法記者クラブでの記者会見で、北海
道新聞の女性記者が繰り返し尋ねた。産経も読売も慰安婦報道で間違って
きた。にも 拘らず、なぜ朝日だけを批判するのかという問いだ。
 
理由は明白である。慰安婦問題歪曲の原因を作ったのが朝日であるからに
他ならない。慰安婦に関する国際社会の誤解や偏見を、どれだけ朝日が増
幅させた かは、「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」
(以下、独立検証委員 会)が明らかにしたとおりであろう。
 
朝日は2014年8月5日、6日の特集で自社の慰安婦報道を検証し、軍命に
よって強制連行したと嘘をつき続けた吉田清治氏に関連する一連の記事を
取り消した。

ところがこの特集は反省もない恥ずべき内容だという批判が巻き起こ
り、朝日は「第 三者委員会」に検証を依頼した。

意図的なキャンペーン
 
だが、同年12月22日に発表された報告書も不十分だった。一方、京都大学
名誉教授の中西輝政氏を委員長として、東京基督教大学教授の西岡力氏ら
6名が独立 検証委員会を発足させ、翌15年2月に報告書を発表した。

同報告書は、朝日新聞が内外の慰安婦報道を主導したことを明確に示し
た。たとえば、朝日、毎日、読売とNHKの慰安婦報道を調べた結果、
1985年から89 年までの5年間で朝日新聞の記事が全体の74%を占めてい
た。90年にはなんと77%を 占めた。朝日は間違いなく国内の慰安婦報道
を先導していた。
 
91年には、私を訴えた植村氏が、初めて名乗り出た慰安婦として金学順さ
んの記事を書いたが、その記事を含めて、朝日は150本の慰安婦記事を掲
載してい る。毎日、読売も朝日を追う形で出稿を増やし、朝日の報道は
全体の60%になった。ち なみにNHKもこの年、慰安婦報道に踏み切り
13本のニュースを報じた。
 
85年から91年までの報道では、朝日の報道量は全体の63%を占める。92年
が42%、93年が41%。朝日は他社を圧倒し続けたのだ。
 
独立検証委員会は、91年に朝日が報じた150本の記事中、植村氏所属の大
阪本社の記事が60本に上ったことから、大阪本社には外報部や政治部はな
かったにも 拘らず、これだけ多くの慰安婦報道を行ったのは「意図的な
キャンペーンだったと 言っても良いだろう」と分析している。
 
海外メディアも朝日に大きく影響されていたことを、独立検証委員会は明
らかにした。委員の1人、福井県立大学教授の島田洋一氏が米国の主要3紙
(ニュー ヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイ
ムズ)の80〜14年の慰 安婦関連記事約520本を通読した結果、朝日が道し
た、「『92年1月強制連行プロパ ガンダ』が、間違いなく米国紙に多大な
影響を与えた」と結論づけた。

「92年1月強制連行プロパガンダ」とは、同月11日の「慰安所 軍関与示
す資料」という記事だ。
 
島田氏は、「主要3紙が慰安婦に関するまとまった記事を書くのはすべ
て、その直後から」であり、「米国主要3紙は朝日が『92年1月強制連行プ
ロパガンダ』 を行う以前は、慰安婦問題をほぼ無視し、取り上げていな
かった」事実を示した。
 
こういう事実があるからこそ、朝日新聞の罪は重く、その中で植村氏も重
要な役割を担ったと言うのである。それにしても朝日新聞はなぜ、このよ
うな慰安婦 報道をしたのか。そのことを理解する一助となるのが、「朝
日新聞記者有志」による 『朝日新聞 日本型組織の崩壊』(文春新書)
や、長谷川煕氏の『崩壊 朝日新聞』 (ワック)である。とりわけ長谷
川氏の『崩壊〜』は深い示唆を与えてくれる。

パブロフの犬
 
氏は61年に朝日新聞に入社、93年に定年退職、その後も『AERA』 に
社外筆者として書き続けた。だが、朝日の14年8月5日、6日の特集を機に
『AERA』も辞した。慰安婦報道はなぜ歪んだのか。そのことを突きと
めるのに氏は同期入 社の松井やより氏の足跡を辿っている。
 
松井氏はシンガポールの朝日新聞社アジア総局員時代に、マレーシアの山
奥で旧日本軍が「民衆虐殺」を行ったという告発記事を書いていた。

長谷川氏は91年 11月、日本の対米英開戦50周年に関する取材で、松井氏
の告発記事の現地、ヌグリス ンビラン州を訪れた。そこで中年の華人の
思いがけない訴えを聞いた。

「『シンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性の記者が、虐殺は日
本軍がやったことにしておきなさい、かまわない、と言ったんです』
 
そして、その女性記者の名前を『マツイ』と述べた」
 
長谷川氏が「おののいた」瞬間である。松井氏は00年、昭和天皇をはじめ
とする人々を被告として「女性国際戦犯法廷」を開催した。被告人は全員
死者であ り、弁護人も証人もいない。国際法廷とは到底言えない構えの
中で昭和天皇を「有罪」 と断じたこの企画は、「昭和天皇が木に縛り付
けられて目隠しされ、そこに2挺の拳 銃が向けられている」「韓国の元慰
安婦が描いた」絵をヒントに生まれたそうだ。
 
松井氏らの企画を朝日新聞は熱心に報じた。なぜこんなでたらめな裁きを
報ずるのか。長谷川氏は朝日の報道の根底に「事実を究明するのではな
く、日本の 旧陸海軍は『悪』という大前提でしか物事を考えず、それに
当てはまるような話な ら、それは即事実と思ってしまう条件反射的人
間」、「パブロフの犬」が朝日には大勢 いたからだと書いている。
 
このような朝日の元記者、植村氏との裁判は恐らく長い闘いになるだろ
う。私はこれを慰安婦問題を生み出した朝日の報道、朝日を生み出した日
本の近現代の 歪みについて、より深く考える機会にしようと思う。

『週刊新潮』 2016年5月5日・12日合併号 日本ルネッサンス 第703回

(採録:松本市 久保田 康文)


◆私の「身辺雑記」(343)

平井 修一



■5月12日(木)、朝5:00は室温22度、快晴、ハーフ散歩。

ゴミ出しのついでに外壁補修、ペンキも塗った。「割れ窓論」で、いつも
きれいにしておかないと汚されるから・・・

除染の対象、習近平がヒステリーを起こしている。加藤嘉一氏の論考「中
国共産党が“内部造反者”を過剰に懸念する理由」(ダイヤモンドオンライ
ン5/10)から。

<「西側資本主義の価値体系から我が国の実践や発展を評価し、西側の基
準に符合すれば正しく、そうでなければ古く、遅れていて、批判・攻撃す
べきだ、などと言うようであれば、その後遺症は計り知れない!」

「党校の一部学者は西側資本主義の価値観を授業で語ったり、社会の不当
な活動に参加したりしている。一部の人間に限られていると思うが、影響
はとても悪い。このような問題が党校で起きることがあってはならない」

「遅れれば叩かれる。貧しければ飢える。言葉を持たなければ罵られる。
長期にわたって、我が党は、人民を率いる過程で“叩かれること”“飢える
こと”“罵られること”という3大問題を解決すべく奮闘してきた。数世代の
努力によって、前の2つは基本的な解決を見ている。

しかし“罵られること”という問題はいまだ根本的な解決を見ていない。国
際的な発言権を獲得することは、我々が何としても解決しなければならな
い問題だ」>

‟ゴリゴリ”マルキストの習は、西側世界から中共のありとあらゆることが
非難され、罵倒され、軽蔑され、嫌悪されていることに危機感を募らせて
いる。「西側の価値観なんてクソくらえだ、人民は共産党のクチパクで行
け! 民主主義を見ろ、導入すればイラク、シリア、リビアのような内戦
になるぞ」と怒鳴り散らしている。まるで八つ当たり。

大体、資本主義経済なのに「中国独自の社会主義市場経済だ」なんて、馬
を鹿と呼べというバカ丸出しの中共を見て、西側はまったく中共を信用し
ていない。図体だけが大きいだけのゴロツキだと見抜いている。

「国際的な発言権」が欲しいというが、「南シナ海でもめ事を起こしてい
るのは周辺国だ、小国による大国への強請りだ」などと言っているゴロツ
キ、ウソツキ、キツネツキの発言など誰も信用するはずもない。

中国語網日本語版(チャイナネット)5/9「中国経済はL字型トレンドを辿
る=専門家」から。

<国内外の情勢が複雑さを増す中、今年第1四半期の中国の経済発展、構
造転換、国民生活の改善はいずれも良いスタートを切った(平井:嘘八百
だが、まあ挨拶なのだろう)。一方で、根深い課題にも直面している。

調整中の中国経済をどうみるべきか。そして、どのような対策を講じるべ
きか。記者は権威ある専門家(平井:匿名だけれど‟物言う不動産王”で蟄
居閉門中の任志強氏だろう)を訪ね、中国の現状について独占インタ
ビューを行った。

――短期的、中・長期的なトレンドについてどう判断すべきか

以前から抱えている課題は抜本的な解決に至っておらず、一部で新たな問
題も浮上している。経済の安定成長に向け、「投資けん引型」という従来
の手法から脱却したとは言えず、一部の地域で財政収支の不均衡さが増
し、経済リスクが発生する恐れが増大。

特に、民営企業による投資の大幅な縮小、不動産バブル、生産能力の余
剰、不良債権、地方債務問題、株式、為替、債券市場の変動、違反な資金
集めといったリスクも拡大している。市場化が進まず、ローエンド産業が
集中し、産業構造が単一な地域では経済の下押し圧力は引き続き増している。

総合的に判断すると、中国経済は「U」字型、「V」字型ではなく、「L」
字型のトレンドを辿っている。

ここで強調したいのは、「L」字型は一つの段階で、1、2年で終わるもの
ではない。今後数年にわたり、総需要の低迷と生産能力の余剰が併存する
局面を根本的に変えることは難しい。昔のように、経済が一旦上向けば上
昇が続き、数年連続で高成長を維持することは現実的ではない。ただ、
「一歩後退」は「二歩前進」のためだ(平井:まあリップサービスだ
な)>(以上)

中共直轄の媒体(上海閥が強いようだ)からこう指摘されたら習近平の面
子丸つぶれ、ヒステリーを起こすのも無理からぬことか。“内部造反”“内
部告発”“機密漏洩”そのものだ。

この記事は物議をかもし、上海株は大いに下げたとか。中共機関誌の人民
網までが「債務の株式化なんてデタラメだ」と大声をあげている。

習の求心力が急速に落ち、タガが緩んできた。軍隊は言うことを聞かない
し、官僚はサボタージュ、官営媒体も露骨に反旗を翻すようになった。末
期症状。一気呵成に習を追放すべきだ。「いやな臭いは元を絶たなければ
ダメ!」、然り。

朝食後、塩漬け保存しておいた竹の子で支那竹(メンマ)に挑戦。新しい
ことに挑むのは楽しい。

■5月13日(金)、朝6:30は室温22度、晴れ、フル散歩、いつもとは逆方
向の緑化センターへ。

駅から5分ほどのところに鬱蒼とした森と花壇がある。真ん中を用水路が
流れている。保育園児が50人ほど飛び跳ねている。桃源郷だ。

この世をば 天国とぞ思う 老人は 去って再び 天国暮らし(修一)

一方でカリフォルニア州はリベラル≒アカがヒステリーを起こして地獄と
化している。長野美穂氏の論考「『トランプ大統領』は是か非か? 激突
するカリフォルニア州民の主張」(ダイヤモンドオンライン5/11)から。

<*あのトランプがやって来た! カリフォルニアの騒然を現地ルポ

日本が大型連休に突入した4月29日、カリフォルニア州に米国大統領選共
和党予備選挙の候補者、ドナルド・トランプがやって来た。同じ週にペン
シルバニアなど5州で大勝利を収めたトランプは、全米最大の票田である
カリフォルニアでの選挙戦を開始したのだった。

この日の段階では、まだ共和党の対立候補であるテッド・クルーズは撤退
しておらず、トランプにとって6月7日のカリフォルニア予備選で勝ち星を
挙げることが、党指名を獲得するための「必要絶対条件」だった。

トランプが選んだ演説会場は、オレンジ郡コスタメサ地区のフェア・グラ
ウンドにある野外劇場だ。1万人は軽く収容できる。

オレンジ郡は通称「OC」と呼ばれ、保守派の拠点の1つだ。ロサンゼルス
(以下LA)のリベラル派からは「オレンジカーテンの向こう側にはLAとは
別の世界が広がっている」と形容される土地柄だ。

会場近くに着くと、駐車場に車を止めるだけでも1km以上の渋滞ができて
いた。SUVやトラックなど大型車の長い列が続く。「トランプ講演SOLD
OUT!」という電光掲示板が見え、ヤシの木に囲まれた入り口に近づく
と、青空の下をスケートボードに乗った若い女性が「人種差別主義者のト
ランプを落選させよう!」と書かれた段ボール紙のプラカードを持って、
通り過ぎていく。

「いかにもカリフォルニアっぽいな」などと思っていると、いきなり十数
名の反トランプ派にクルマの周囲をぐるっと囲まれた。

「ファック・トランプ! レイシスト帰れ! トランプを落とせ!」

全員が大声で叫んでいる。

1990年代後半からアメリカで取材しているが、白人の若者集団から有色人
種の自分が「レイシスト」と叫ばれたのは初体験だった。どうやら、トラ
ンプ講演を聴きに来たトランプ支持者の1人だと思われたらしい。

「ファック・トランプ! ファック・トランプ!」の大歓声が響く。彼ら
がかなり興奮しているのが、フロントガラス越しにわかる。

*「トランプ支持者帰れ!」 筆者がひしひしと感じた危機感

やばい、このままでは窓ガラスを割られるかもしれない。早く脱出しなけ
れば。だが、ちょっとでも車を前進させれば、彼らに接触してしまうか
ら、それもできない――

窓を開けて「取材に来たんだけど、通してくれる?」と説明するが、
「ジャーナリストの証拠は?」と聞かれ、記者証も記者ノートもあえて家
に置いてきたことに気づく。まずい。その後、5分以上「トランプ支持者
帰れ!」の叫び声を聞かされ、やっと解放された。だが、すでに駐車場へ
の入り口は鉄のドアでブロックされて閉ざされた直後だった。

その横を「アーバイン」とロゴの入った白いポリスカーが大音響のサイレ
ンを鳴らして次々と通り過ぎる。地元のコスタメサ警察だけではなく、近
隣アーバイン地区の警察も応援警備に当たっているのだ。反トランプ派の
集団は、会場の全ての駐車場の入り口の前で立ち塞がる人海戦術を取り、
数百人を軽く超える大人数となっていた。

反トランプ派の女性の1人が、トランプロゴの入った赤い帽子を被った男
性につばを吐き、男性は「ガッド・ブレス!」と叫び返す。一触即発の雰
囲気だ。

*「反トランプ派」に占拠される演説会場周りで垣間見た人間模様

会場周辺にはメキシコ系アメリカ人の若者たちが大挙して集まっていた

何とかUターンして大通りに出ると、交差点は反トランプ派にほとんど占
拠されていた。トランプ支持者らが交差点を横断しようとするのを待ち構
えて、「ダンプ! トランプ!」と韻を踏んで叫ぶ反トランプ派たち。信
号が青になり、クルマで前進しようとしても、まだ数十人が通りに立って
いる。なんとか彼らの横を通り抜け、数ブロック走って住宅地の路上に
やっと車を駐めた。

周辺が闇に包まれると、あちこちで煙が立ち上り、タイヤが焼ける匂いが
した。

会場の向かいの交差点では、信号を完全に無視した若者たちが交差点内に
入り込んだ1台のフォード・マスタングを標的にし、飛び乗っていた。マ
スタングは何度もスピンしながら、煙を上げて群衆を振り切り、辛うじて
誰も轢かずに走り去った。その様子を興奮しながらスマホで録画する
人々。ハイウェイの入り口は反トランプ派が封鎖しようとしていた。

ついに、マシンガンを持って突入してくる警官隊。交差点に人が溢れて、
ポリスカーが出入りできないため、警官が乗っているのは車ではなく馬
だ。ポリスカーのサイレンが鳴り響き、煙が立ち込める交差点の近くに、
ウーバーやリフトのマークがついた車が駆けつけ、パニックになっている
客を乗せて走り去る。暴動すれすれの場所で商売するウーバー運転手も命
がけ。当然、通常の50%以上の割増料金だ。

混乱の中で、筆者も何とか車を探して乗り、近くのハンバーガーショップ
まで走って避難した。店内には「シークレット・サービス」と大きく書か
れた防弾チョッキを着た警官が2人いた。「シークレット・サービスっ
て、公に身分を公表してしまっていいのか?」と疑問に思いながらもその
警官に話を聞くと、ここから近いハイウェイの入り口は無事開いていると
いう。

*前代未聞の暴動が物語る大統領選の行方を占う

LAの自宅にたどり着きニュースを見ると、暴動で17人が逮捕され、トラン
プロゴのついたTシャツを着たトランプ支持者が顔から血を流している映
像が流れていた。

大統領選キャンペーンで、流血騒ぎと暴動が起きる――。こんなカオスは、
今まで大統領選を取材してきたなかで初めてだった。

6月の予備選を控え、トランプが再びカリフォルニアに足を踏み入れると
き、州民はどんな判断を下し、どんな騒ぎが起きるのか。全く予想がつか
ない。ただ言えるのは、米国という国の今の縮図の全てが、カリフォルニ
ア州で一気に噴出しているということだ>(以上)

ドイツでもそうだが、リベラル≒アカは進化(退化?)して今やナラズモ
ノ、無法者の暴力集団と化しつつある。フランスは元々が殺し合いの革命
志向で、ギロチンによる死刑を見世物にして喜んでいたが、その血は脈々
と欧米諸国に受け継がれているのだろう。

「私はインテリ、穏やかなリベラルです、多様化は力、多文化主義」なん
て装っているが、一皮むけば「奴は敵だ、敵は殺せ」のISと同類、首を切
り落として喜ぶ。「安部をたたっ斬る!」とアカの教授が叫んでいたっ
け。こういうレベル。理性ではなく感情で動くのだ。

彼らは集会&デモという示威で敵を脅すのが大好きだ。「示威行為(じい
こうい・しいこうい)自らの意気込み、活動の勢いなどを示すこと。特に
デモ活動(demonstration)の訳語として用いられることもある」(ウェ
ブリオ)

こういうキチ○イにどう対応すべきか。昔はアカの雑誌が溢れており、
「朝日ジャーナル」「現代の眼」「情況」「破防法研究」「世界」「論
座」「終末から」「話の特集」などいっぱいあった。

今は岩波の「世界」しか残っていないが、ほとんど内輪の言論で、まあ‟
妄語録”。「週刊金曜日」はモロアカのオタク向け。ともに影響力はない。

左巻きの言論は雑誌界ではほぼ駆逐された。今はまだマスコミに残存して
いるが、テレビはクロ現のように浄化されつつある。新聞はウソツキ朝日
が部数を大幅に減らしたが、団塊世代の減少とともにアカ新聞は斜陽を免
れない。

先日、英国の新聞が創刊からわずか3か月足らずで廃刊した。新聞「紙」
に未来はない。ネットに駆逐され続けている。

日本の政界では今、民主党に続いて社会党=社民党が消えつつある。世界
的にアカモドキは消えつつあるが、右派勢力(小生から見れば穏健保守)
の増加に反発して、暴力容認の過激アカ(ナチスSSそっくり)が増えてい
るようなのは気になる。新新左翼、超新左翼か、ゾンビ・レッド、キョン
シー・レッドか。

ナチスSSモドキはたぶん、暴力革命志向だから、やがて体制、大勢に抑え
込まれて消えるだろうが、何回かの流血沙汰は避けられないだろう。ドイ
ツには反対派を殺すという土壌がある。ゲバルト・ローザも暗殺されて埋
められ、河川敷から骨になって発見された。ローザはアカだが、他派に対
する警戒心が薄かった。

■5月14日(土)、朝6:30は室温24度、今季最高、快晴。

ゴミ出ししていたら67歳くらいのオバサンが抱き着いてきた、ビックリ!
 「おカネは貯まらず、ゴミだけ溜まる、ってね」、一応、ハハハと笑っ
ておいたが・・・他者との距離感、他者への警戒心がずいぶんと希薄な人
がいることに小生はいささかショックを受けた。

「老いはいつでも初舞台」・・・1時間たってもドキドキしている。

さてさて、クネの男妾、舛添も終幕を迎えつつある。昔のカミサンから
「相変わらずセコイ」と言われたらオシマイだ。

代わりは橋下でどうかという声があるようだが、橋下は猪突猛進で五輪に
挑むだろうから、これは当たるかもしれない。スキャンダルに強いし、憎
めないキャラだ。

とにかく五輪を成功に導いてくれればいい(誘致したこと自体が間違いだ
が、引き受けた以上は立派にやり遂げなければならない。誘致に際して2
億円の賄賂を有力筋に贈った疑惑があるそうだが、この際「ごめんなさ
い」と返上する手もある・・・が、信用をなくすから禁じ手か)。

都知事ならポストとしてもいいし(陛下、総理、都知事の順で、大臣より
も上位らしい)、これを足がかりに総理を目指すこともできる。安部氏と
も相性がいい。橋下が下半身を自重すれば大化けするかもしれない。

角栄と一緒で若くてオーラがある男は誘惑が多く、操を守るのはとても難
しい。橋下の高校の同級生だった奥様は、わがカミサン同様に寛大のよう
だから、奥様がそれを維持すれば橋下は総理になる。

男にとって愛人の一人や二人は息抜きの趣味のようなもの、嫉妬するほど
のことではない、無断外泊しなければいいぐらいに思っていればいい、と
思うがの。男の勝手な言い分かもしれないが。

週刊文春にスクープされるが、奥様がこの際に、

「オランドさんの奥様と一緒、私も公認しています。8人目は体力的に産
めませんし、ほかの方に産んでいただくのもよいかと思っています。ド
ゴール将軍のように、そもそも男は仕事で評価されるべきで、オフでの気
晴らしをやり玉に挙げるのはいかがなものでしょうか。記者さんだって浮
気ぐらいするでしょう。しない? しないのは機会がなかっただけで、機
会があればするでしょう? 橋下の行為を非難するのは目くそ鼻くその愚
論です」

と言ったら世界中の男が大喜びするだろうな。

「オー、ヤマトナデシコ、スゴスギマスー、イジュウシタイ!」と優秀な
人材が鴨葱で集まるのではないか。奥様がタイム誌の2017年版「世界で影
響力のある100人」のトップになることは確実だ。

家の外壁に這う蔦を除去してからフル散歩。畑の八十翁に挨拶、紫と黄色
の菖蒲が美しい。いずれがアヤメかカキツバタ。スーパーへ寄ってカツオ
三和土とスイカを求めた。夏が来る。(2016/5/14)




2016年05月14日

◆トランプ番狂わせ勝利が射程に入った

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)5月13日(金曜日)通算第4902号>

〜ヒラリーは、このところ連敗ばかり。サンダースが予備選挙後半をリード
  他方、トランプの勢いは留まるところを知らず、番狂わせ勝利が射程
に入った〜

5月12日、ワシントンDCの共和党全国委員会でトランプ候補と共和党の
実力者(下院議長)のポール・ライヤンとの初会合が催された。

ライヤンは面談後、「まだ党の挙党態勢がくめるという合意には到らな
かったが、今後も将来のアジェンダに関して合意を模索することでは『合
意』できた。かれは純粋で暖かみのある人間だと感じた」
と前向きなコメントを出した。

同議長はそれまで「トランプを支持する用意は出来ていない」とし、『彼
とは政治スタイルもアジェンダも異なる』としてきた。

共和党全国委員会の前には『アンチ・トランプ』の活動家ら十数名が集
まって、『トランプ人形』を掲げ「移民への憎しみ」などと怪気炎をあげ
ていた。

一方で、共和党の有力な『集金マシーン』として知られるスペンズ・ズゥ
イックが2月以来、定期的にトランプと面談していることが分かった
(NYタイムズ、5月13日)。

ズゥイックはロムニー(マサチューセッツ知事)の懐刀として、またファ
ンド経営に辣腕をふるうことでも知られる。
 共和党は裏面でも、かなりトランプへの接触が増えていることがわかる。

現時点で、トランプは1086人を既に獲得(過半数1237)、ヒラリーは1716
人(同2303)。ともに第一位を走るが、過半数を制してはいない。
 
ちなみにこれまでの結果、共和党はクルーズが546,ルビオ168,ケーシッ
ク154である。民主党はヒラリーを追うサンダースが1453んを獲得し、猛
追している。

しかも意外な動静はヒラリーに勢いがなくなっていることだ。
 
3月下旬以来、サンダースが勝ったのはアイオア、ユタ、アラスカ、ハワ
イ、ワイオミング、ワシントン、ロードアイランド、インディアナ、ウェ
スト・バージニラ州であり、一方のクリントンは人口大州のニューヨー
ク、コネチカット、メリーランド、ペンシルバニアをおさえたものの、あ
とはデラウェアとグアムという寂しさを露呈してきた。

同時期のトランプはユタ、ウィスコンシンの2州で負けたものの、ほかの
十州では大勝している。
 

 ▼トランプは『道化師』から「勝つかも知れない」候補にシフト

一昨日、沖縄で講演した折、「ところで米大統領選ですが、トランプが勝
ちそうです」と言ったところ、会場が一斉に「えぇーっ」とどよめいた。
尋常ならざる驚きだったようだ。

高杉晋作は言った。「時と勢いには勝てない」と。
 
ヒラリーは予備選後半で明らかに失速している。

明確にその勢いを失っている。地盤のニューヨークはおさえたものの、優
勢といわれた州を次々とおとし、勝利したのはプエルト・リコとか、グア
ムとかになってきた。

前から言われてきたようにヒラリー・クリントンは「ガラスの天井」を超
えないと女性初の大統領にはなれない(拙著『トランプ熱狂、アメリカの
反知性主義』、海竜社参照)。

そのうえ、彼女にはこれからFBIの事情聴取がまっている。「嘘つき」
というイメージは固定しかけている

民主党内には依然として、強敵の社会主義者、バニー・サンダースが予備
選に残って闘っているばかりか、このところ、サンダースが連勝している
のは上記にみた通りである。

あの絶対優勢と評されたヒラリーはどこへ行ったのか?

世論調査をみても、彼女への不人気は沸騰しており、『嫌い』というのが
『好き』より多い。

好感度アンケートで、これほどの開きが出るとは民主党主流派も「こんな
筈ではない」と臍をかんでいるに違いない。

もちろん」「トランプが嫌い」という回答する比率もヒラリーと並ぶほど
に大きいが、トランプに嫌悪感を抱くのは殆どが女性である。

日本の報道がいまもニューヨークタイムズとCNNの分析や予測に偏って
いるから、トランプは勝つことなど考慮の対象外だった。日本の外務省も
そう分析してきたため、日本政府はトランプの情報を3月15日までまじめ
に集めてこなかった。

共和党がトランプでまとまるという近未来の想定をのぞけば、「勝負は闘
う前に明らか」などと民主党陣営は豪語してきたが、最近は「ひょっとし
て、トランプに負けるのではないか」という本能的な疑問が囁かれ始めた。

昨師走まで、全米のマスコミでもトランプは『道化師』扱いで、まともに
取り上げたメディアはすくなかった。年が明けて、トップに立つと泡沫候
補とはいえ、「可能性はゼロだが、面白い」となり、三月にフロリダでル
ビオを撤退させると、『ゼロではないが、限りなくゼロ』という論調と
なった。

3月末から情勢が激変し、トランプを見るマスコミの目が変わった。正式
候補として射程にヒラリーとの対決が明らかになると、「ひょっとして番
狂わせもあり」という予測が増えた。

しかも、ここにきてのヒラリーのあまりに連敗ぶり、そのうえ、サンダー
スが党大会で指名獲得できなければ、党を割って、かつてのアンダーソン
のように独立候補で出馬に到る可能性がないわけではない。


 ▼トランプに投票しているのは従来、党の予備選に参加しなかった層である

しかしもっと大事な側面的現象をみのがしていないか。

トランプもサンダースも党の集票マシーンに依存していない。とくにトラ
ンプは共和党の組織的支援がまったくないのだ。

「勝手連」のようなボランティアがつどっており、しかもこれまで党員登
録しかせずに予備選には投票しなかった層が、どっと投票しているのだ。
 民主党はさめた有権者が多く、党大会予備選を棄権している層が目立
つ。だから、勢いが違うのである。

共和党の予備選は党主流、保守本流が組織を挙げて推したルビオがフロリ
ダ州でまさかの敗北、そのご、オハイオでテキサスで、それぞれが地盤の
ケーシックとクルーズが勝ったが、インディアナ州でトランプに負け、両
者は撤退した。

今後、トランプは選挙戦をヒラリー攻撃一本に的を絞るだろう。そしてメ
ディアがトランプの一斉攻撃に移行するだろう。が、FBIのヒラリー聴
聞がトランプに味方するだろう。

もし米国でフランス、ベルギーのようなテロが起きると、流れは一気にト
ランプに傾斜するだろう。

どうやら米国の選挙戦の勢いが、予期せぬ方向へ迸り出したようだ。筆者
は月末にひさしぶりにアメリカへ出かけて、予備選の後半戦を取材するこ
とにしている。

◆分かっていないロシア人

平井 修一



元外交官の河東哲夫氏の論考「ロシアで僕が言ったこと 世界は先に行っ
ちゃってるぞ」4/23は面白かった。

<2月から3月にかけてモスクワにいた時、随分方々の大学で講演をやっ
た。そういったところで、学生たちに強調したのは次のようなこと。

ロシア人と話していて、大方の人が「わかっていない」ことに気が付く。
そして「わかっていない」ことが、彼らを西側との無用の対立に追いやる。

ロシア人の多くは、依然として19世紀の領土を取り合う時代に生きている
のだ。

1)「国家」なるものは次第に相対的になり、溶融しつつある。「国家」
単位で力比べを争うのは、子どもじみたことだ。

2)国際経済では、どの国がどの国より偉い、強いということではなく、
共生が基本になっている。

3)西側では、ロシアは国営企業の全てを直ちに民営化しないとロシア経
済は救われない、というようなことを言う者がいるが、それは無理であ
る。それだけの資金がない上に、民営化された企業をちゃんと運営できる
マネジャーがほとんどいない。

4)他方、経済運営を政府に丸投げするのも愚かである。政府、官僚は企
業を運営するのに向いていない。政府と企業は、人材プールを異にするべ
きである。

5)同様に、「全知万能の西側の経済理論」に経済問題の解決を期待する
のも愚かである。この複雑な現実を仕切れるだけの理論はこの世にない。

6)ロシアでは製造業面でのベンチャー立ち上げは難しかったが、アウ
ト・ソーシング(少量の注文でも引き受けるところがある)やプラット
フォームの利用で、ロシアでも製造業面でのベンチャー立ち上げは可能に
なっている。

7)先進国経済においては、これまでの「所有」からプラットフォーム、
リースなど、非所有をキーワードにした生産形態が広がりつつある。

8)日本の家電製品は目立たなくなっているが、部品や機械の生産・輸出
では、日本は相変わらず優位を維持している。

9)現在はAIや遺伝子工学等、一大技術革新の時代である。ロシアにも
チャンスがある。他方今回の波に乗り遅れると、ロシアは先進国世界から
200年は遅れることになるだろう>(以上)

プーチン大帝率いるロシア帝国、プーチン王朝。ロシアの民はボリシェベ
キ革命以前の1800年代を生きているようだ。「偉大なるロシアに栄光あ
れ、ハラショー!」、激しい時代錯誤、「中国の夢、中華民族の復興
を!」、習近平のオツムそっくり。

河東氏の言うように「ロシアにもチャンスがある」のか。チャンスを活か
すも殺すもプーチン次第だが・・・

前ロシア高等経済学院学長のセルゲイ・グリエフ氏/パリ政治学院教授
(経済学)の論考「ロシア経済のポテンシャルを開花させるには――構造改
革と世界経済への復帰を実現せよ」(フォーリン・アフェアーズ・リポー
ト2016年5月号)から。

<政治腐敗と改革の遅れ、原油・天然ガス価格の暴落、そして欧米による
経済制裁という要因が重なり合うことで、ロシア経済は追い込まれ、景気
回復は期待できない状況にある。

ロシア経済が直面する三つの大きな問題のうち、国際的なエネルギー価格
の暴落は、モスクワが管理できるものではない。

しかし、ウクライナ紛争に終止符を打ち、構造改革を進めるという、残り
の二つはプーチンの権限で対処できる。

ウクライナへの軍事介入を止めて、経済制裁を緩和し、構造改革路線を取
れば、こうしたダメージの多くは覆せる。

これまでモスクワはそうした選択をしなかった。プーチン大統領も、経済
改革を実行するという約束を守っていない。ロシア経済の現状は「ナッ
ト・グッド」かもしれない。だが、長期的な見通しは暗くない。

たしかに、構造改革を実行し、世界経済に再び加わり、近代的な政治・経
済機構を構築するのはロシアにとって容易ではない。だが、指導者たちに
改革の意思さえあれば、ロシアは富裕国に追いつけるポテンシャルをもっ
ている>(以上)

ふーん、そうあって欲しいが・・・ところでグリエフ氏はなぜパリにいる
のだろう。ニューヨークタイムズ2013/5/29から。

<著名なリベラル派の経済学者が、政府の捜査圧力を受けてロシアを出国
した。クレムリンの1年に及ぶ締め付けは、抗議活動者とそのリーダーた
ちという枠を超えて、彼らを支持したと疑われるパワー・ブローカーのエ
リートたちにも及び始めている。

メドベージェフ大統領時代に大きな力を発揮した経済学者セルゲイ・グリ
エフは、服役中の石油王ミハイル・ホドルコフスキーの有罪判決を批判し
た報告書を共同執筆したことがもとで、繰り返し事情聴取を受けていた。

グリエフ氏は、反体制運動に支援を提供したと捜査官たちが確信するモス
クワの消息通に狙いを定めた捜査の真っ最中にロシアを出国した>

亡命だ。優秀な人はロシアからどんどん逃げていく。絶望しているのだ。
残っているのはプーチンに絶対服従のバカ、「分かっていない」人ばか
り、ということになる。これではチャンスを活かせるはずもない。たぶん
ロシアは永遠に19世紀のままだろう。(2016/5/12)

2016年05月13日

◆トランプは吠えるが

宮崎 正弘



<平成28年(2016)5月12日(木曜日) 通算第4901号 >

 〜トランプは45%の報復関税を中国からの輸入品に掛けろと吠えるが
   オバマは、なんと266%の報復関税を中国の鉄鋼製品に〜 

 USスチールは、中国の鉄鋼製品のダンピング輸出により、損害を被っ
たとして、WTOに近く提訴するが、この場合、適応される報復関税は
266%になるという。

普通、ダンピング分を計測し、それに対して100%の関税を追加徴税する
のが普遍的と見られてきたが、その上、2倍近い税率を提示している。

つまり懲罰的関税である。

WTOはところで、「もはや死に体となった」と発言しているのが、強引
に交渉を牽引した張本人のひとり、ミッキー・カンター(元USTR代
表)だから、いまさら米国がWTOに提訴しても、どれほどの政治的効果
があるのか、不明である。

政治的タイミングで見れば、トランプが「中国からの輸入品に一律45%
を課税せよ」と獅子吼しており、鉄鋼城下町のピッツバーグなどでは一定
の支持がある。

オバマ政権としては、この状態を軽視するわけにはいかないというわけだ
ろう。
 
ともかく中国の設備投資過剰、そして鉄鋼、板ガラス、アルミなどの過剰
在庫処分のため、WTOに違反を平気で猛烈なダンピング輸出をしてお
り、世界の鉄鋼メーカー、加工企業などが、猛烈な損害を被り、日本でも
四基ほど高炉がとまった。

韓国ではポスコが倒産寸前、インドのタタ財閥の鉄鋼部門は苦境に陥り、
ベトナムでは鉄鋼商社が倒産している。

中国の洪水のようなダンピング輸出に対して、米国がようやく反撃を開始
したことは、これからの成り行きに注視せざるを得ないだろう。

         

◆「領土問題が解決できる」プーチンは幻想だ

袴田 茂樹



 ≪支持率が上昇したクリミア併合≫

日露首脳会談が終わった。その問題点と今後の日露関係について考えたい。

食事を含めて3時間余りの事実上の「公式」会談が行われた。安倍晋三首
相が3回続けて−9月の訪問が実現すると4回続けて−訪露することにな
る。この一方的「ロシア詣で」は異常で、国際的には対等の主権国家関係
とは見られないだろう。

日露で最大の懸案事項である平和条約問題を首相はプーチン大統領と「2
人で解決する」と述べ、35分の2人だけの会談も持たれた。そして首相
は「今までの発想にとらわれない新アプローチ」で交渉を進めることを提
案、大統領も同意したとされ、「突破口を開く手応え」があったと述べた。

日本からは8項目の経済その他の対露協力提案がなされ、大統領は歓迎し
た。2人の会談内容は公表されていないが、本当に平和条約交渉進展の可
能性が生まれるのか。


「2人で解決」の考えは正しい。というのは領土問題解決という難しい課
題は、結局は両国首脳の政治決断にかかっており、そのためには(1)両
国に強力な政権(2)両首脳間の信頼関係(3)解決が両国にメリット−
という3条件が必要だからだ。ではそれは存在するか。


(1)について。一見、安倍政権もプーチン政権も強力に見える。問題は
プーチン氏が本当に領土問題で日本に譲歩しようとし、またその力がある
のか、ということだ。

 数年前、ロシアでは大規模な反プーチンデモが各地で起き、支持率は大
幅に低下した。その後も経済・国民生活は悪化しているが、近年、彼の支
持率は90%近くに急上昇した。

理由は「クリミアを併合した」すなわち彼は「失った領土を取り戻した」
偉大な大統領ということで、国民および彼の支持基盤であるシロビキ
(軍・治安関係者)の大国主義的ナショナリズムを大いに満足させたから
だ。となると領土問題での譲歩は、とくに2018年の大統領選挙を考える
と、まず考えられないだろう。

≪領土問題の幕引き望む露大統領≫

今年3月、筆者は訪露して、大統領府・露外務省関係者、国際問題や日本
問題専門家たちと話し合ったが、大統領が領土問題で日本に譲歩すると考
えている者は一人もいなかった。必要なのは露側の言う延々たる話し合い
の継続ではなく大統領の決断だけだが、その雰囲気はない。

プーチン氏は05年9月に「南クリール(北方四島)は第2次世界大戦の結
果ロシア領となり、国際法的にも認められている」と述べ、12年3月、
「ヒキワケ」発言をしたときも「日ソ共同宣言で歯舞、色丹を日本に引き
渡しても、主権はロシアに残す」ことを示唆した。

今では、「引き渡し」は「返還」ではないと公然と述べられている。先
月、ラブロフ外相も「日本が第二次世界大戦の結果を受け入れないと、わ
れわれは(交渉で)一歩も進むことはできない」と述べた。これはプーチ
ン氏の考えを受けたものだ。

≪領土問題の幕引き望む露大統領≫

今年3月、筆者は訪露して、大統領府・露外務省関係者、国際問題や日本
問題専門家たちと話し合ったが、大統領が領土問題で日本に譲歩すると考
えている者は一人もいなかった。必要なのは露側の言う延々たる話し合い
の継続ではなく大統領の決断だけだが、その雰囲気はない。

プーチン氏は05年9月に「南クリール(北方四島)は第2次世界大戦の
結果ロシア領となり、国際法的にも認められている」と述べ、12年3月、
「ヒキワケ」発言をしたときも「日ソ共同宣言で歯舞、色丹を日本に引き
渡しても、主権はロシアに残す」ことを示唆した。

今では、「引き渡し」は「返還」ではないと公然と述べられている。先
月、ラブロフ外相も「日本が第二次世界大戦の結果を受け入れないと、わ
れわれは(交渉で)一歩も進むことはできない」と述べた。これはプーチ
ン氏の考えを受けたものだ

さらにロシア側は最近しばしば、領土問題は存在しない、平和条約交渉は
行うが領土問題と関係ない、とも述べている。これらを総合的に考えると
「北方領土問題を解決できる強力なプーチン大統領」というのは幻想であ
る。彼は問題の「幕引き」を強く望んでいるが、それは「解決」ではない。

(2)の日露首脳間の個人的信頼関係は、皮肉だが最大の同盟国のオバマ
米大統領より強いだろう。

 ≪経済協力の先行は逆効果だ≫

(3)に関しては、ロシアは今、北方領土の経済開発と軍事力強化を精力
的に進めている。つまり、その戦略的・軍事的意味をより重視するように
なり、ロシア化も進展させているのだ。

さらに、北極海航路の開発にも熱心で、それが実現すると、北方領土は経
済的にもロシアに欠かせない重要な中継地となる。この状況下で北方領土
の返還がロシアにとってもメリットになると理解させる方法は筆者には思
いつかない。中露戦争でも始まれば別かもしれないが。

さらにロシア側は最近しばしば、領土問題は存在しない、平和条約交渉は
行うが領土問題と関係ない、とも述べている。これらを総合的に考えると
「北方領土問題を解決できる強力なプーチン大統領」というのは幻想であ
る。彼は問題の「幕引き」を強く望んでいるが、それは「解決」ではない。

(2)の日露首脳間の個人的信頼関係は、皮肉だが最大の同盟国のオバマ
米大統領より強いだろう。

 ≪経済協力の先行は逆効果だ≫

(3)に関しては、ロシアは今、北方領土の経済開発と軍事力強化を精力
的に進めている。つまり、その戦略的・軍事的意味をより重視するように
なり、ロシア化も進展させているのだ。さらに、北極海航路の開発にも熱
心で、それが実現すると、北方領土は経済的にもロシアに欠かせない重要
な中継地となる。

この状況下で北方領土の返還がロシアにとってもメリットになると理解さ
せる方法は筆者には思いつかない。中露戦争でも始まれば別かもしれないが。

北方領土返還に悲観的な見通しを述べた。この問題は国家主権侵害の問題
であり、主権侵害に対しては、それは絶対に認めないということを言動で
明確に示し続けること自体が、国際関係では最も重要なのだ。首相は「新
アプローチ」に言及したとき、「4島の帰属問題を解決して平和条約を締
結するという基本方針は変わらない」とも述べている。つまり領土交渉の
わが国の根幹姿勢は変わらない、ということだ。

では新しい発想、アプローチとは何なのか。未公表だが考えられるのは、
8項目の協力提案以外にも経済協力などを大幅に進め、また国際政治面で
の協力関係も深めること。さらに当面は領土返還要求よりも、これら協力
関係強化を優先させるということだろうか。

 日本の基本的立場は、経済面などの協力と領土交渉を並行して進展させ
ることだ。日本が領土返還を求め必死に経済協力などを進めると、ロシア
側は、領土問題を永遠に残すことにメリットを感じるのではないか。(新
袴田茂樹 (はかまだ しげき・潟県立大学教授)

産経ニュース【正論】2016.5.
 

2016年05月12日

◆日本人、日本のルーツは興味津々

平井 修一



日本は奇妙奇天烈な国である。日本人の多くはそう思っているだろう。大
体、日本語自体が不思議だし、“孤高を恐れず”島国の中で独自に発展し
た。天皇を戴く日本は万世一系、連綿と2000年ほども続いている。こうい
う国は他にない。日本人、日本のルーツは多くの人の関心を呼ぶ。

「日本人の祖先は、驚くほど勇気に溢れていた 「沖縄への渡航」は人類史
上最大のチャレンジ」(東洋経済5/7)から。

5万年前、アフリカを起源に全世界へ拡散した現生人類、ホモ・サピエン
ス。アジアはヒマラヤの南と北を進み、東アジアで再び合流、3万8000年
前、ついに日本へ上陸する。第一波は朝鮮半島から対馬を経て九州へ渡
り、続いて台湾から沖縄へ、陸続きだった樺太から北海道へと、三つの
ルートでやってきた。

日本人の祖先が旅した壮大な道のりを最新の研究結果とともに解き明かす
『日本人はどこから来たのか?』を書いて、現代人の想像を超えるクリエ
イティビティに満ちた祖先たちの姿を浮かび上がらせた、国立科学博物館
人類史研究グループ長の海部陽介氏に話を聞いた。(中村陽子:東洋経済
記者)

*アジア人の祖先はどこから来たのか

──ホモ・サピエンスの「海岸移住説」の否定から話は始まります。

これは、アジアでは南岸伝いにまず移住し、遅れて内陸に拡散したとする
説で、欧米の研究者を中心に論じられ、受け入れられてきた説です。アイ
デアとしては面白いんだけど問題の多い説で、裏付けとなる証拠がない。
それに、進化し新たな能力や創造性を備えたホモ・サピエンスが、2万年
もの間、ただ海岸にへばりついていたとは考えづらい。

そこで各地の遺跡証拠を厳密に解釈し、確実なものだけをプロットしてみ
ると、4万7000年くらい前に爆発的に遺跡が出現する。アジアでは最初か
ら南北に同時拡散が起こっていて、全体的な傾向がクリアに説明できるよ
うになったのです。

少し細かい話をすると、ホモ・サピエンスが世界に大拡散する過程で、
ヨーロッパに移住したクロマニョン人は洞窟に壁画を残した。ところがア
ジアではそうした芸術作品があまり出てこない。では僕らの祖先は何をし
ていたんだろう、そこをきちんと考えたいという意識がずっとあったんで
すね。ヨーロッパの話は連中に任せといて、アジアのことはアジアを軸に
きちんとやりたいと。

──見えてきたのは何ですか?

アジアでは、多様な環境にそうとう早い時期から適応していたというこ
と。人類が居住していなかった熱帯雨林に行き、ヨーロッパより寒いシベ
リアに行く一方、人類最古の渡海でオーストラリアに進出している。芸術
とは別の形で、それまでの人類ができなかった新しい行動をしてるんですね。

つまり、僕らの祖先もクリエイティビティがあるじゃないかと。ヨーロッ
パのような芸術作品は残っていないけど、アジアではその前の人類が突破
できなかった壁を突破していた。

──そして東の果て、日本列島へは三つのルートで渡来した……。

日本では3万8000年前から遺跡の数が爆発的に増えてるんです。これはそ
の時期ホモ・サピエンスが渡来したとしか考えられない。

日本に残るユニークな例として、よそでは出土していない台形様石器や円
形キャンプのような環状ブロック群の跡、そして世界最古の落とし穴や往
復航海があります。中でも黒曜石採取のため産地である神津島との間を往
復航海するなどは、渡来してすぐにやっている。

これは驚くべきことです。「往復」とは、「漂流」と違い、航海術を持っ
て意図して行っていたことを意味しますから。

*「海にチャレンジ」する姿勢に惹かれた

──日本人の祖先の足取りをたどって、魅了された点は何ですか?

あえて言うなら海へのチャレンジですね。ヨーロッパでクロマニョン人は
航海していない。実は沖縄の海に、人類の海洋進出の歴史を探るうえで重
要な手掛かりがあります。

今、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を準備中です。今年7月に
まず与那国島─西表島間75キロメートルを、来年は台湾─与那国島間200キ
ロメートルを、推測しうる当時の材料・技術で実験航海するものです。今
年分の活動資金として、クラウドファンディング(ネット上での支援金募
集)で目標2000万円に対し2620万円が集まりました。

沖縄ルートの航海は、一筋縄ではいかない本当に困難なチャレンジです。
対馬ルートは朝鮮半島─対馬間、対馬─九州間が各40キロメートルくらい
で、一応目視できる。一方沖縄ルートでは、小さな与那国島(平井日本最
西端の島で台湾に一番近い)は台湾からは見えない。見えないほどの距離
を原始的な舟で航海するうえに、世界最大の海流で流速毎秒2メートルと
いう黒潮を横断する。

最短距離の所を横切ろうとしても黒潮に流されてしまうから、もっと南か
ら出航しなきゃ島にはたどり着けない。いろんなミステリーがあるんで
す。しかもその先、宮古島から沖縄本島までは220キロメートルもあっ
て、これはもっと遠い。さらに難関が待ち構えているわけですね。これを
突破して、沖縄の島に3万年前くらいに遺跡が現れ始める。

僕らの目的は、あくまでも祖先の行動を可能なかぎり再現すること。証明
はできないですよ、だけど可能なかぎり正しい答えに近づきたい。そうす
ると、僕らの祖先たちが本当に何をしたのかがだんだんわかってくると思
うんですね。細かいことはこれから実験して確かめていくんだけど、明ら
かなのは、僕らが漠然と思ってるよりすごいチャレンジだったってことで
す。技術は素朴でも創意工夫を持った人たちだった。

*「原始人」と見下すことなかれ

──デモで作った全長3メートル、1人用の草舟を展示していましたね。↓
https://readyfor.jp/projects/koukai

僕らのは「到達」が目的ではなく「移住」の再現だから、相応の人数がい
ないと成り立たない。人口を維持するにはどれくらいの人数が必要か、今
シミュレーションしている最中です。当然女性もいないとダメで、女性も
こぎ手として一緒に舟に乗ります。

実験航海でもし僕らの舟が失敗したら、それは彼らが僕らの考える以上の
技術を持っていたということ。僕らが目指すのはそこなんです。草舟とは
いえ、あれ一つ作るのにも縛り方とか組み合わせ方とかの知識やコツが詰
め込まれてるんです。

プラス、精神力もないと渡れない。今年実験する与那国から西表への航海
も、計算上25時間、1昼夜寝ずにこぎ続けなければならない。来年の台湾
から与那国への航海には3日かかるんですね。それだけでもやろうという
意志がないとダメ。そういうチャレンジをした祖先たちがいて、おかげで
今の僕らがいる。

原始的な道具しか持たない原始人と下に見られがちだけど、本当にそうな
のかっていうところにたぶん行き着く。祖先がやった挑戦を純粋に再現す
ることによって、僕らが拾えるものはもっと大きいと思うんです。

──究極的に解明したいのは、日本人の成り立ちを超えた、広く人類の歩ん
だ道ということ?

その大きなことを知る手掛かりが日本にある、ってことですね。対馬から
渡ろうと沖縄から渡ろうと、海を越えないと来られない。しかも沖縄への
渡航は人類史上最も困難な、とんでもないことへの挑戦だった。こんなに
驚異的な、身が震えるような話が自分たちの足元にあった。これはもう
放っておけないですよね>(以上)

ウィキにはこうある。

<日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前〜約
3万年前に始まったとされる。

当時の日本列島は、アジア大陸と陸続きで、西方の華北や北方のシベリア
との文化交流も見られた。

約3万年前には朝鮮半島と海峡で隔たり、約1万2千年前の前後に最終氷期
が終わると6千年前頃まで100m以上の海進が進んだ(縄文海進:海面が今
より2-3メートル高かったと言われる)。この時期の住民が縄文人である。

この後も列島と大陸との間に小規模ながらも広範囲に通交・交流が行わ
れ、巨視的には、日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下に
あった>

人類の起源がアフリカならば、そこから各種ルートで東へ向かって行った
人々が日本に辿り着いたということになる。アフリカ→中近東→インド→ア
ジア→日本本土と、いろいろなルートで辿り着いたが、その前には沖縄に
も渡った人々がいるようだ。

<日本で一番古い人類の化石は、沖縄の港川人といわれている。港川人は
沖縄の具志頭村港川石灰岩採石場で1970年に発見された。現在までに4体
分の骨が出ている。炭素14法(14C法)で求められた年代は1万8000年
前〜1万6000年前を示す。

同時代の東−東南アジアの人類化石と比べると、骨格はインドネシアから
出土するワジャク人に似ている。こうしたことから、港川人、さらに縄文
人は南方から黒潮に乗ってやってきた人たちの子孫だと考えられている>
(地学教諭を務めた山賀進氏のサイトから)↓
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201006280113.html

沖縄の港川人と、本土に渡って縄文人と呼ばれるようになった人々は交流
する。南国の孤島に暮らす港川人は生産力が低かったかもしれない。

(手を伸ばせばバナナがあり、地面を掘れば芋があり、創意工夫しなくて
も生活できるから。これでは人口は増えない。縄文人のように創意工夫
(石器や土器の発明=食糧の保存など)で生産力が高まれば人口は増える)

<かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきたが、2009年の
研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析
結果が出ている。

港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団
に近いのではないかという説である。 国立科学博物館の海部陽介研究主
幹によると、港川人は本土の縄文人とは異なる集団だった可能性がある。
つまり、港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布
していた集団から由来したことになる。

その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のよう
な集団はオーストラリアなどに限定されたのではないかと述べられてい
る>(ウィキ)

海部陽介氏らの“コンティキ号”的な実験航海が楽しみだ。(2016/5/11)

  
              

◆「戦後」が崩れ出した地球:自立せよ!日本

MoMotarou



アイゼンハワーは、前任のトルーマンがアジアを軽視したのに気付き、対
アジア政策を決める前にまず事実を知ろうと考えた。1953年、副大統領に
なったばかりの私(ニクソン)にアジア17カ国を歴訪させたのは、そのた
めである。妻と私は、アジアで何百人もの指導者に会い、あらゆる階層を
代表する数千人と出会った。

アジアの持つものすごい潜在力はよくわかったが、同時に北京とモスクワ
の指令を受けた共産勢力の直接間接の進出をも、目のあたりにした。
     ーー「指導者たち」 リチャード・ニクソン米国大統領


     ☆彡

「パナマ文書」を論じたチャンネル桜「【討論!】パナマ文書と世界経済
の行方」が面白い。ダウンロードして3回も見た。計9時間だ。

結論は米国の中共に対する戦端が開かれたという事らしい。我が国は安倍
首相の活躍で、”今のところ”大丈夫。田村秀男氏(産経新聞)は「一種の
罠」だとの見解。高橋洋一氏(嘉悦大学教授)はタックス・ヘイブンが大
蔵省時代担当だった。渡邉哲也氏(経済評論家)は今回の文書はかなり力
をもっていると解説。

「調査報道の能力」が問われると高橋氏が指摘。日本では朝日新聞と共同
通信に文書が渡されて政府には無い。両社の姿勢が姿勢だけに面白いと思う。

【討論!】パナマ文書と世界経済の行方」が面白い
https://youtu.be/IlKKpKkCoFg?list=PLubSbhcjV7IBDkkQeK8HKN27nxOlvRu-y


■トランプはフルハウスだ。

とうとうトランプ氏が共和党の大統領候補らしい。馬淵睦夫元ウクライナ
大使によると、トランプ氏と共和党のKingメーカーとの話がついたと解説
があった。米国に「黒幕制度」があったとは知りませんが、「コーク兄
弟」という金持ちグループが毎度段取りをするらしいが、今回は難しかっ
たようだ。
*第13回 馬渕睦夫「和の国の明日を造る」https://www.youtube.com
/watch?v=gGxExuiaEPM


■工作組織・ロビー団体の存在  

 有本香さん指摘。  「NED」:THE NATIONAL ENDOWMENT FOR DEMOCRACY
The National Endowment for Democracy (NED) is a private, nonprofit
foundation dedicated to the growth and strengthening of democratic
institutions around the world.
Each year, NED makes more than 1,000 grants to support the
projects of non-governmental groups abroad who are working for
democratic goals in more than 90 countries.http://www.ned.org


 馬淵睦夫元ウクライナ大使が指摘。ユダヤイスラエル関係。  
「AIPAC」:The mission of AIPAC is to strengthen, protect and
promote the U.S.-Israel relationship in ways that enhance the
security of the United States and Israel. http://www.aipac.org


■世界は自国を中心に回っている。
 討論の中で田村秀男さんが少し触れていたが、米国の企業・銀行は米軍
がいないところでは原則商売しないそうだ。わかるような気がする。

 今回の「パナマ文書」は中国が相手らしい。米国にとっては、今までの
敵とは違う。米国では1+1=2だが中国では1+1=2とは限らない。
算数に賄賂やねつ造が入ってくるからである。前の戦争で我が国は
1+1=2だと思っていたような所がある。要するにグローバルスタン
ダードが二つも三つもあるという事だ。笑。

「東京裁判史観」に染まった外務省・法務省等では負けが込むだけだろ
う。定着させたのが小和田と土井のペア。皇統の危機もある。出版社に突
入した右翼の国籍にも関心がある。我が国我が民族の民族智を信じる。正
念場だ。頑張るぞ!


◆韓国マスコミは“熊本の地震をどう伝えたか

黒田 勝弘



韓国人には16:世紀に豊臣秀吉軍に侵攻され国土が荒廃した歴史的恨みが
残っていてその歴史は繰り返しドラマ化されている。その時の悪者の代表
が秀吉以外では「カドゥンチョンジョン(加藤清正)」と「ソソヘンジャ
ン(小西行長)」で、特に中朝国境まで攻め入った前者は猛将で知られ韓
国側では“悪鬼”になっている。

韓国南部には清正軍が築いた城跡があり長く恨みの対象だったが近年は文
化財として保護され観光資源になっている。韓国側にも多少の心の余裕が
生まれているというわけだ。

歴史好きの韓国マスコミのことだから、加藤清正ゆかりの熊本での大地震
には早速、冷やかしや皮肉が出るだろうと思ったが意外に静かだった。熊
本城の崩落も大々的に報じられたがことさら嫌みたらしい報道は見られな
かった。

現場取材に出かけた韓国取材陣はいつものように沈着冷静で秩序ある日本
人を大いにほめ、現場での親切な対応に感激していた。

加藤清正に触れたコラムでは「ざまあみろ」はなく、むしろ歴史がらみで
は「熊本」の名が韓国古代の百済の首都「熊津」に由来するとの説がある
とかいって「兄弟愛」を訴えるなどという論評も。ネット世界ではいつも
のように反日嫌みが見られたが、決して大勢ではなかった。
産経ニュース【ソウルからヨボセヨ】


2016年05月11日

◆日本について、もっとよく勉強してほしい

加瀬 英明



3月に、日本人が委員長をつとめる国連女性差別撤廃委員会が、日本を糾
弾する報告書を発表した。

あいも変わらず、日本が十数万人かの無辜の娘たちを拉致して、軍の「性
奴隷(セックス・スレイブ)」として凌辱したと、非難した。

 外務省が推薦した結果

これも、外務省の多年にわたる職務怠慢が、招いたことだ。

この怪しげな委員会は、同じ報告書のなかで、日本の男系による皇位継承
が、女性に対する差別だといって批判したが、さすがに外務省も強く抗議
したために、削除された。

皇位の男系による継承は、2000年以上にわたって続いてきた、日本の文化
である。イギリスの王位継承も、男子が優先されている。委員会は男しか
ローマ法王になれない、カトリック教会をなぜ非難しないのだろうか。

この委員会の委員長は、福田康夫内閣当時に、外務省が国連に推薦して、
就任した日本人女性弁護士で、政府の男女共同参画会議の推進役をつとめ
ていた。

外交は国家の重大時であって、外務省に任せておくことはできない。

日本は長い歴史を通じて、奴隷制度が存在しなかった。この点でも、世界
のなかで珍しい国である。

日本民族の和の心は世界の手本である

大和民族は、何よりも人のあいだの和を重んじている。争いや、諍(いさ
か)うことを嫌う。やさしい心の文化である。

宦官を例にとろう。日本には、宦官もいなかった。西洋崇拝癖のある、心
ない日本人にそういうと驚くが、ヨーロッパには宦官制度が、カトリック
教会が1879(明治12)年に廃止するまで、存在していた。

中国には、宦官が清朝が倒れた辛亥(しんがい)革命の1911年、朝鮮は1910
年の日韓併合までいた。

私はアメリカの大学に、1950年代末に留学した。

その時に、アメリカで連邦政府が1936年から3年を費やして、歴史史料と
して多数の奴隷の生存者たちの聴き取り調査を行った報告書が、存在して
いることを知った。

人が人を奴隷とするのは非人道だ

この記録は、『奴隷の証言 元奴隷との対話によるアメリカ合衆国におけ
る奴隷の民俗史』(Slave Narratives: A Folk History of Slavery in
the United States from Interviews with Former Slaves.)と題して、
1941年までに全17巻にのぼる記録が、刊行されている。

私はアメリカで、1865年まで奴隷制度が行われていたことを、頭のなかの
どこかで承知していたが、1936(昭和11)年生れなので、1936年にまだ多
くの奴隷体験者が生きていたことを知って、ごく最近まで、アメリカに奴
隷制度が存在していたのだと、心に刻まれた。

報告書を図書館で、何巻か拾い読みしたが、2300人の元奴隷による証言を
集めたもので、むごい内容だった。アメリカのおぞましさを、あらためて
知った。

1936年には、多くの奴隷体験者が生存していたのだった。

 アメリカにおける奴隷制度の廃止

アメリカが憲法を改正することによって、奴隷制度を廃止したのは、
1865(慶応元)年のことだった。明治元年の3年前に当たる。子供も奴隷
として扱われて、7、8歳になると、家畜と同じように農園で鞭打たれな
がら、綿花摘みに酷使され、また売り買いされた。

日本は隣の中国や、朝鮮から、進んだ文物を学んだが、奴隷制度を模倣す
ることがなかった。だから、近代に入ってから、“性奴隷”などがいるはず
が、ないではないか。

 慰安婦問題の記者会見

私は昨年2月に、東京・有楽町の日本外国特派員協会(通称プレスクラ
ブ)から招かれて、慰安婦問題について記者会見を行った。

プレスクラブは、反日の外国記者たちの巣窟である。

外務省のすぐ膝元にあるというのに、どうしたことか。広報課員がこれら
の外国記者と親しく酒を酌みながら、日本の正しい姿を伝える努力をしな
いのだろうか。

性奴隷は存在しなかったとの主張に対する反応

記者会見では、私が「性奴隷などいなかった」と説明したうえで、質疑応
答に入った。

まず、アメリカの記者が手をあげた。所属の新聞名を名乗ったうえで、
「あなたは性奴隷がいなかったと述べたが、日本が20万人以上にのぼる無
辜の娘たちを拉致して、性奴隷としたことは、国際的な常識となってい
る。あなたは国際常識に逆らっているが、恥しくないのか」と、詰め寄った。

私は「日本には歴史を通じて、奴隷制度が一度も存在しなかった。アメリ
カが奴隷制度を廃止したのは、つい最近の1865年のことだ。そのような国
の者から、そのような質問を聞きたくない。もっと日本について、勉強し
なさい」といった。

会見にでていた数人の日本人記者から、拍手が起った。

私は溜飲をさげた。私はついでに、「日本では歴史を通じて、一度も大虐
殺が行ったことがない。アメリカは大量のインデアンを、虐殺したではな
いか。アメリカと同じような国だと、間違って思わないでほしい」と、つ
け加えた。

日本は他の諸国と違って、歴史を通じて人種差別を行ったこともない。日
本列島に渡ってきた、さまざまな人種が和して、この国をつくってきた。

 「八紘一宇」の意味を問う

やはり昨年のことだったが、自民党の三原じゅん子参議院議員が、参院予
算委員会において、「世界が八紘一宇の理念のもとで、一つの家族になっ
て、助け合える経済を実現するべきだ」と、発言した。

すると、朝日新聞が「戦時中のスローガンを使った」と詰(なじ)り、毎日
新聞が「戦意活用のスローガン『八紘一宇』」を持ち出したといって追及
したのをはじめ、新聞や、テレビや、ネットが非難した。

「八紘一宇」は、『日本書紀』(西暦720年)のなかで、初代天皇である
神武天皇の詔(みことのり)にでてくる言葉であって、「八紘(世界)を一
つの屋根の下に置いて、家族として睦み合い、一つの宇(家)とせよ」と
いう意味である。そこで「戦時中のスローガン」とか、「戦意昂揚のス
ローガン」だといって非難するのなら、『日本書紀』がけしからんと、い
うべきではないか。

 パラオご訪問の天皇皇后両陛下の誠

昨年、天皇皇后両陛下が、パラオ諸島を行幸啓された。

パラオ共和国の国民が総出になって、日の丸の小旗を振って、両陛下を歓
迎した。両陛下は行かれるところ、日の丸の小旗の波のなかを進まれた。

しかし、パラオ諸島が日本の統治下にあったのは、第一次大戦が終結して
から、24年しかなかった。

そのうえ、パラオ諸島は日米両軍の激戦地となった。アメリカ軍が来攻す
る前に、ペリリュー、アンガウル両島の島民を避難させていたが、島民は
家財産を失い、避難した者も、他の島々の島民も、アメリカ軍の砲爆撃に
よって、家財を焼かれるか、犠牲になった。

それにもかかわらず、パラオ国民は日本時代を懐かしんで、日本に強い親
しみをいだいている。

 福沢諭吉・立国は公にあらず私なり

パラオ諸島はスペイン、ドイツ、アメリカによって統治されたが、ヨー
ロッパ人も、アメリカ人も、島民を蔑(さげす)んで、差別したのに対し
て、日本人は対等に接して、水道、電気のインフラを整備し、小学校、専
門学校を建て、産業を興したから、親しまれている。

ちなみに、東京裁判で「八紘一宇」が問題になった。判決文は朝日、毎日
新聞に気の毒だが、「全世界に普遍的な人道の原理以上の何ものでもな
かった」と、述べている。

先の国連委員会の報告書は、国連が悪いのではない。日本人が悪いのだ。

日本人は日本について、もっとよく勉強してほしい。自分の国ではないか。

◆“眠れる獅子”の尾を踏んだ中国

上田 和男



■アジアに輝く“未来の星”インド

新興国経済が停滞し始めて2年目に入ります。膨らむ一方の新興国債務が
世界景気回復の障害になっているのは不可避の現実で、ことに中国とロシ
ア経済の減速継続と、大統領の弾劾まで取りざたされるブラジルや、与党
が敗北したベネズエラ、政権交代のあったアルゼンチンなど中南米諸国の
政治と経済の多重危機は、もはや二番底の深みにはまってしまったようです。

こんな情勢下にあって、人口ボーナス(人口構成の変化が経済にとってプ
ラスに作用する状態)に恵まれ、比較的経済成長が期待されるのが、
ASEAN10カ国とインドではないでしょうか。これら諸国の人口が 合計20
億におよび、そのGDP兆ドルもあることは、未来への期待を膨らませてく
れます。

中でも、人口の大きさでは、それぞれ13億内外とほぼ同数の人口を競い合
う中国とインド(予測では10年以内に、インド人口が中国を抜き世界一に
なるそうです)ですが、中国がすでに少子高齢化に突入し人口オーナ(人
口構成の変化が経済にとってマイナスに作用する状態)に陥り、若年労働
力不足に陥っているのに対し、インドは世界最大の若年層を抱え、これか
らますます人口ボーナスを謳歌しようという状況にあることから、アジア
に輝く「未来の星」がインドであることが見えてきます。

インドと中国、どちらが“大国”なのか 「いずれ世界は分かってくる」
かてて加えるに、アジアの新リーダーを自認してきた中国は、このところ
南シナ海の埋め立てによる強引で横暴な軍事拠点化で近隣アジア諸国どこ
ろか、ほぼ全世界からの糾弾を受けており、併せて内政面でも独裁政治の
野蛮さが次々と露呈し、世界の不信感と警戒感をなお一層増幅させ始めて
おります。

対照的に、インドはどの国とも、どこにおいても騒動や諍(いさか)いを
起こさず、また国内でも非道な言論弾圧や無意味な政争を行うこともな
く、アジアの平和国家と民主主義大国としての評判を確実に高めているよ
うです。

目下経済面では、中国の後塵を拝してはいますが、いずれ近い将来、経済
的実力でも肩を並べるものと推測されるにつれ、全世界から、インドとの
親交を求める諸国が目白押しとなりそうです。

何かで読んだ記事で、インドのある要人が「インドと中国の競争は軍事力
と経済力の面だけに限らない。ソフトパワーの競争こそ肝腎だ。どちらの
国の方が政治的に安定しているのか、どちらの方が平和・文化国家なの
か、外交的にも、国際法を遵守尊重するのは、いずれの国か…世界の人々
は間もなく分かってくるだろう」といった内容のことを自信たっぷりで
語って居ました。これを裏書きするかのごとき動きは、モディ首相の積極
果敢な地球儀外交で、民主主義諸国との安保打ち合わせ、自由経済諸国と
の貿易促進と国家間商談の積み重ねに、極めて前向きな国家を挙げての取
り組み姿勢が見られます。

■フィリピン、韓国、ベトナム、インドネシア…アジアで広がる“反中”

「危険な台頭と恫喝」に転じた中国に対する周辺アジア諸国の警戒行動
も、連携を強めるインドにとって、相乗効果を上げつつあるようです。

中国に真っ向から対立しているフィリピンでは、最高裁判所が「米比防衛
協力協定が合憲」との判決を下し、小規模ながら旧軍事基地だったスー
ビック湾等に米軍が戻って来て展開する道が開けました。

北朝鮮の相次ぐ暴走に痺れを来した韓国は、当てにならない中国を見限っ
て米日韓安保同盟に撚りを戻し、高高度防衛ミサイル協力に踏み切りまし
た。さらにベトナム、インドネシアなども対中姿勢を硬化に転じており、
大国インドがこの潮流に乗って新たなアジア大国としての役割を果たす機
会を得たといえるでしょう。

もちろん、わが日本にとっても、親日国家インドと手を携えて、アジアの
平和と民主主義の旗の下に大いなる経済繁栄の礎を築く機会を活かす好機
であると考えます。

■対イスラム教国対策に追われている間に“土足で”踏み込んだ中国
歴史的なインドの外交は、大戦後、英国の頚木(くびき)から解放された
後、大半のエネルギーを近隣諸国との関係に費やされてきました。最大の
ライバルだったイスラム教国・パキスタンとは6度も戦火を交えるなど、
安保政策が南アジアに釘付けにされていたわけです。

 その間に一足早く経済力を伸ばし、併せて軍事力強化を加速してきた中
国が、土足でインドの影響圏へと踏み込みんできました。今世紀に入って
からは、インド洋にまで及ぶシーレーン構想を進め、ミャンマー、バング
ラデシュ、スリランカ、パキスタンへと至る海路に、中国拠点としての商
業兼軍事港を造ってしまったのです。

しかも、インドの海軍基地のある諸島の近隣に通信傍受基地まで構築して
しまったようですから、さすがの“眠れる獅子”インドも目を覚まされた-
という事態です。

モディ首相は、そうしたインドの外交ミスを撤回すべく、これまで不即不
離の関係だった米国と急接近を図り、インドの経済成長を前面に、ハイテ
ク産業を強化育成する上で米国とのビジネスを密着させました。次いで安
保面では、「世界最大の民主主義国」を標榜することで、中国と一線を画
す政治モデル構想から日米豪連携カードを切り、合同軍事演習に突き進み
始めました。中国封じ込め作戦は、今後タイやフィリピンとの安保連携を
画策中のようです。

■軍事力はすでに中国と互角

インドにとって朗報は、ミャンマーの政権交代でしょう。実質上の国策を
リードするアウン・サン・スーチー氏は親インド派で、「インドはミャン
マー民主化の良いお手本である」と発言しております。

これまでの軍事政権が中国べったりで、多額の経済支援を受けてきていま
すが、新政権がどこまで中立化できるかが問われるところです。

いずれにせよ、中国とインドが、アジア大陸南西部とシナ海からインド洋
を経てアラビア海に至る広大な海域において、陣取り合戦、すなわち仲間
作りの政治経済・外交安保・イデオロギーを巡るアジア争奪戦を始めてい
る事実は避けて通れないでしょう。

聞くところによると、インドの核抑止力の強化拡充がすでに中国の脅威と
なりつつあり(インド海軍の核戦力整備はあまり報道されませんが、中国
軍と均衡状態に到達済みのようで、空母2隻、国産原潜1艦保有、2艦を建
造中とか)、一方、既述のごとく、「経済下降中の中国」対「経済上昇機
運のインド」とは、もはや互角の土俵に乗ったともいえるので、あとは民
主主義連合が勝つか、中国の金と恫喝による冊封体制が勝つか、アジアの
地政学は日米やアセアンと南西アジアを巻き込んだ諸国間の綱引きに任さ
れる雲行きとなっています。

■アセアン諸国も歓迎「モディノミクス」 中国の抑圧経済外交に逃げ道
開く最近の新聞報道では、シンガポールの最大手銀行DBSが今般、スマホ
専用銀行サービスを開始したそうです。同行はすでにインドに12店舗を構
え法人向け営業を展開してきましたが、スマホ専用銀行サービスは支店が
不要で、国内500カ所提携のカフェで口座開設でき24時間対応の個人取引
が可能となります。中間所得層が急拡大し、個人向け銀行業務市場の潜在
力が巨大になるとの見通しがあったからこその新展開です。

中国をはじめ、これまでアジアの多くの国では、外資の出資規制など保護
主義慣習が強く、参入障壁が高い障壁があった中、注目される動きと思い
ます。この背景も、モディ首相の進める「モディノミクス」経済戦略、別
名「アクトイースト」と呼ばれる経済外交の成果であり、アセアン他国群
にとっても、中国の横暴、お仕着せ、抑圧経済外交に逃げ道が開かれたこ
とが、大歓迎されているようです。

日本企業の中にも、スズキ自動車のように、すでにインドで製造販売とも
大成果を収めている会社があり、これに続く、日本企業の今後が楽しみと
なってきました。特に、不祥事や業績低迷に悩むシャープ、東芝、三菱自
動車などにも、大いなるチャンスを求めて、インド進出を検討いただきた
いものです。
            ◇

【プロフィル】上田和男(こうだ・かずお) 昭和14(1939)年、兵庫県
淡路島生まれ。37年、慶応大経済学部卒業後、住友金属工業(鋼管部門)
に入社。米シラキュース経営大学院(MBA)に留学後、45年に大手電子部
品メーカー、TDKに転職。米国支社総支配人としてカセット世界一達成に
貢献し、57年、同社の米ウォールストリート上
場を支援した。その後、ジョンソン常務などを経て、平成8(1996)年カ
ナダへわたり、住宅製造販売会社の社長を勤め、25年7月に引退、帰国。
現在、コンサルティング会社、EKKの特別顧問。
                  (採録: 松本市 久保田 康文)

◆木津川だより 7世紀の木津川流域

白井 繁夫



7世紀になると朝鮮半島の3国(百済.新羅.高句麗)は再び戦乱の時代となりました。
隋が(612年)110万余の兵力で高句麗遠征を始め614年まで続きました。

その後、隋から唐(618)になり、太宗.高宗の時代、再び高句麗出兵(644年から3度)が実行されました。唐と同盟を結んだ新羅は、百済も攻めて、660年に百済を滅ぼし、更に、唐.新羅連合軍は668年に懸案の高句麗をも滅亡させたのです。

隋.唐の侵略戦争から逃れて、我国に渡来した人達が「木津川流域」にも住むようになりました。倭国は、百済と伝統的に親密な関係があったので、660年までに救援軍を出兵すべきだったのでしょう。その間の大和朝廷の状況をいま少し振り返って見ようと思います。

6世紀末頃の蘇我氏は皇族との婚姻を通じて勢力を拡大し、蘇我馬子は587年政敵であり対立する非仏派の大豪族物部守屋を倒して絶大な権勢を得ました。

593年には日本史上、初の女帝:推古天皇を擁立し、政治の補佐役に甥の厩戸皇子(聖徳太子)を起用して皇太子にしました。

聖徳太子は蘇我馬子と協調して、仏教を重視し、天皇を中心とする中央集権国家を目指し、
冠位十二階や十七条憲法を制定しました。

『日本書紀』によると、崇峻天皇元年(588)、百済から倭国へ仏舎利や僧6名とともに技術者「寺工(てらたくみ)2名、鑢盤(ろばん:仏塔の相輪の部分)博士1名、瓦博士4名、画工1名」派遣されました。

法興寺(飛鳥寺)は、馬子が開基(596年)した蘇我氏の氏寺です。本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は、6世紀作の重要文化財です。588年に百済からきた技術者「寺工や瓦博士など」によって造営された日本最古の本格的な仏教寺院であったと云われています。

都が飛鳥から平城京への遷都(710)に伴い、法興寺(飛鳥寺)は元興寺(がんごうじ)として718年に奈良市へ移りました。(現在の元興寺極楽坊本堂と禅室の屋根の一部に現在も1400年前の創建当時の「古瓦」が混じっていると云われています。)

推古34年(626)蘇我馬子が没し、蘇我蝦夷(えみし)が本宗家を継いでから17年後、皇極2年(643)11月、蘇我入鹿(いるか)が、斑鳩(いかるが)の上宮王家を襲撃して一族を悉く滅亡させたのです。蘇我本家の専横著しい行為に対して大反発が起りました。(上宮王家:聖徳太子の遺子、有力な皇位継承資格者:山背大兄王の一族)

2年後の皇極4年6月12日、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)等により、入鹿は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)において謀殺されました。(乙巳「イッシ」の変)、翌日(6月13日)父の蘇我蝦夷も自害し、4代続いた蘇我氏本宗家が滅し、6月14日、皇極天皇は軽皇子(孝徳天皇)に譲位しました。

孝徳2年(646)正月に改新の詔を発して、政治改革に乗り出し、宮(首都)を飛鳥から難波宮(大阪市中央区)へ移し、飛鳥の豪族中心政治を天皇中心の中央集権国家に変え、
孝徳天皇は皇太子を中大兄皇子(天智天皇)とする体制を採りました。大化の改新です。
改新の詔の内容:公地公民制、令制国、税(租.庸.調)などの内容説明は省略します。

その後、孝徳天皇と皇太子(中大兄皇子)との政策の相違があり、皇太子が難波長柄豊碕宮から飛鳥へ遷るとき、皇祖母尊(皇極天皇)と皇后、皇弟(大海人皇子)や、臣下の大半を連れて大和に赴きました。(翌年:654年孝徳天皇は病により崩御されました。)

36代孝徳天皇が次代天皇を定めず逝去したため、35代皇極天皇が重祚(ちょうそ:1度退位した君子が再び位に就くこと:再祚)して、37代斉明天皇(655年)となり、皇太子は中大兄皇子(天智天皇)に決まったのです。

斉明天皇時代に百済から救援の要請もありましたが、北方征伐が優先され、658年〜660年に蝦夷と粛慎(しゅくしん:狩猟民族)を討伐したのです。

その後、660年に百済敗北後の百済遺民の百済復興運動の要請に応じて、斉明天皇は百済救援軍の派遣を決定しました。

661年5月、第1派1万余の兵員九州筑紫に集結しますが、斉明天皇急死して仕舞ったのです。

そこで、朴市秦造田来津(いちはたのみやつこたくつ)を司令官に任命し、3派にわけて663年までに約4万2千人、倭船約8百隻派遣して、百済遺民約5千人との連合軍が朝鮮半島の白村江(はくすきえ:はくそんこう:現在の錦江河口付近)で唐.新羅連合軍(唐約13万人、新羅約5万人、唐船約170隻)と663年(天智2年)8月戦いました。白村江の戦いです。

倭国兵約1万人戦死、船約4百隻火災破損の大敗を喫した。倭国水軍は残った船に倭国兵や百済遺民兵の倭国希望者も乗船して、新羅連合軍に追われながらやっとの思いで帰国しました。

その後、668年には首都の平壌城が唐軍により攻略され高句麗は滅亡しました。唐にとっては北の勢力である突厥に続き高句麗にも勝利し、北方の脅威を排除でき、675年に唐が撤収して、新羅により朝鮮半島が統一されました。

天智天皇は「白村江の戦い」に敗れた結果、朝鮮半島の権益を失い、大陸の強大な唐.新羅連合軍の報復と侵攻に防備した国家体制の整備と国内に防衛網を早急に築くことに傾注しました。

北九州の太宰府に水城(みずき)砦、瀬戸内や西日本各地(長門城、屋島城など)に古代山城の防衛砦を築き、九州の沿岸には防人(さきもり)を配備したのです。

667年には都を内陸の近江大津(近江京)へ移し、668年即位して「近江朝廷之令」(近江令:おうみりょう)を発しました。律令制導入の先駆的法令です。

天智天皇10年(671)に新しく大友皇子を太政大臣として、蘇我赤兄.中巨金を左右大臣、蘇我果安.巨勢人.紀大人を御史大夫とする官職が制定されました。しかし、大海人皇子(後の天武天皇)は圧迫感を感じて、11月に吉野に退隠することにしたのです。

木津川流域を挟んで難波(淀川)、飛鳥.大和(木津川)、近江(宇治川)が話題となる
「壬申の乱」は日本の古代史最大の内乱(戦争)で、地方の豪族を味方につけた反乱者(皇弟)が勝利する歴史となります。
次回には、「木津川流域」も絡んだ「壬申の乱」などの歴史を書こうと思っています。        
(郷土愛好家)

2016年05月10日

◆歴史を直視せよと言いたい!

一色 正春



前回「韓国が日本を見下す理由」で述べたように、日本は朝鮮との併合
までに日清日露の戦争をはじめ過酷な道のりを歩んできたのですが、その
道のりに対 する解釈の違いが現在の慰安婦問題をはじめとする日韓両国
が争いのもとになってい ます。両国の主張は以下の通り

■日本側

日本は極東アジアに迫りくる西欧列強による侵略の魔の手に対抗するた
め、近代国家へと変貌を遂げ、隣国の朝鮮とともに対抗すべく努力した
が、朝鮮は華 夷秩序の序列にこだわり日本との話し合いすら拒み、自国
内での権力争いに没頭して いたため近代化に遅れ、自力で当時の激烈な
国際社会の荒波を乗り越えられず、やむ なく日本との併合という道を選
ばざるを得なかった。

■韓国側

朝鮮に先んじて近代化に成功した悪の帝国日本が、世界征服の手始めとし
て平和に暮らしていた朝鮮の豊かな富を奪うため武力により侵略し植民地
にした。そ れまで多くの文化文明を教えてやったのに恩を仇で返された。

というふうに両国は全く違う解釈をしています。なぜ、そうなるのかと
いうと両国の歴史に対する考え方が根本的に違うからです。

日本では様々な資料に基づき歴史の事実を認定しますが、韓国では最初
から自国に都合の良い結論があり、それに合わせて資料を集めるなどして
筋書を作る ため、同じ事象でも全く違った話になるのです。特に日本に
関することは、長年の反 日教育により韓国=善、日本=悪という絶対的な
方程式が創られ、それは変えることの できない大前提となっているた
め、かなり強引な解釈を重ねた無茶なストーリーに出 来上がっています。

彼らは、ことあるごとに日本に対して「歴史を直視せよ」と言います
が、それは、日本の善行を無視して虚実とりまぜ韓国に都合の良いように
作られた話を 認めて日本が一方的な悪役になれということです。

普通に考えれば、そのような話を 認めることなどできるはずがないの
で、日本から歩み寄る余地はありません(歩み寄 りたい人が永田町や霞
が関に少なからず存在していますが)。逆に、彼らも極端な反 日教育に
よって作られた世論に逆らって日本を擁護しようものなら社会的に抹殺さ
れてしまうため、例え自分たちが間違っていたことに気が付いたとしても
日本の行為 が正しかったとは公式的に認めることなどできません。

特に慰安婦に関しては神聖視されており、彼女たちの証言に少しでも疑
義を挟めば「帝国の慰安婦」を執筆した世宗大学の朴裕河教授のように訴
えられて、 裁判所に給料を差し押さえられてしまいかねません。そのよ
うな社会で本当のことを 言えるはずもなく、いくら両国で日韓の歴史を
共同研究したとしても現段階で両者の 溝が埋まることは考えられず、日
本としてはありもしなかったことを認めて謝罪など せずに、淡々と事実
を主張し、決して彼らに迎合することなく何百年かかろうとも 彼らが反
日教育を止めて事実に向き合える社会になるのを待つしか方法がありません。

そのためには、彼らが作り出した偽りの物語に惑わされないよう、正し
い歴史を知る必要がありますが、残念ながら我が国の公教育の場では、日
本の立場に 立った本当の歴史を教えてはくれません。

そこで、その一助になるべく日韓双方の主 張が大きく異なる主な出来事
を取り上げてみようと思いますが、その前に当時の朝鮮 人が日韓併合
を、どのように受け止めていたのかということを整理してみたいと思い
ます。

いかなる社会体制の変革であっても、万人が喜んで受け入れることなど
ありません。特に社会システムが急激に大きく変わる場合はなおさらで、
日本でも 明治維新に不満を持った士族が各地で反乱を起こしています。

まして日韓併合というのは、いくら自らが望んだこととはいえ他国の人
間、しかも自分たちが一段下に見ていた日本人に事実上支配されるのです
から不満を 抱く人がいるのは当然なのですが、だからと言って全国民が
反対していたというのは 針小棒大な話で、本当に全国民が反対していた
のであれば、あのように血を流すこと なく併合することなどできなかっ
たはずです。

今の感覚で考えると、国がなくなることに賛成する人間などいないと思
いたくなる気持ちもわかりますが、そもそも当時の朝鮮は日清戦争が終わ
るまでは清 の従属国で独立国ではなく、その後も権力者たちが己の権力
の保持のために日清露の 間を渡り歩きながら国益そっちのけで争い、国
王自らがロシア公使館に逃げ込み一年 間も引きこもり生活を続けながら
ロシアに権益を切り売りするなど、とても自力で独 立を保てなかったこ
とに鑑みれば、とても現代の常識が通用する世界ではなかったと 考える
べきでしょう。

それに当時の朝鮮は厳しい身分制度により明確に階層が分かれており、
一旦その身分に生まれたからは原則として死ぬまでそこから抜け出すこと
はできず、 その制度によって分けられた人たち同士は結婚もできなかっ
たくらい住む世界が全く 違っていたため、現代の国民国家のような一体
感や愛国心を持つことは難しく、併合 に対する考え方も、それぞれの階
層や立場によって違ったと考えるのが妥当です。

当時、全国民の2〜4割いたとされる、死ぬまで奴隷としてこき使われる
運命にあった未来に何の希望もない奴隷階層の人たちにとっては、国のこ
とよりも自 分たちが日々生きるのに精一杯で、朝鮮がどこの国と併合す
るかなどという問題よ り、奴隷として扱われている自分たちの待遇が改
善されることの方が重要だと考える のが普通で、日本と併合することに
より身分制度が廃止されて自由が得られたこと に対して不満を抱く人
は、あまりいなかったかと思われます。

これは現代の北朝鮮の人たちの心境を想像してみれば良くわかる話で、
金一族をはじめとする労働党や軍の支配階層に属し権力をほしいままにし
ている人た ちは体制維持に懸命で自分たちの地位が脅かされるような形
での南との統一には決し て賛成しないでしょうが、同じ支配層でも主流
から外れた人間は自分たちが権力を握 れるのであれば、日々食うや食わ
ずの境遇にある人や収容所に入れられている人たち は自分たちの暮らし
が楽になるのであれば、現体制が崩壊しようとも南との統一を望 むで
しょう。

統一後、本当に自分たちが権力を握り、暮らしが良くなったと すれば、
国がなくなったことに対して不満を述べる可能性は低いと思われます。

同じように、当時、支配層をはじめとする奴隷以外の階層に属していて
も日韓併合により官位や特権を得るなど、何らかの新たな利権を手にする
人たちが日 韓併合に反対していたとは考えにくい反面、併合によって既
得権益を奪われる人たち は、猛烈に反対したことは想像に難くありません。

今、日韓両国のマスメディアが当 時を振り返るとき、いわゆる独立運動
家は大きく取り上げますが、逆に大韓帝国最大 の政治団体「一進会」が
併合に対して積極的賛成であったことなど、賛成派が少なか らずいたこ
とについては、ほとんど語られることがありません。私は何も、多くの国
民が諸手を挙げて日韓併合に賛成していたという極端なことを言いたいわ
けではあり ません。

要は、今の韓国が主張するような「一部の親日派=売国奴以外の大多数 の
国民は併合に対して猛烈に反対していた。」という話ではなく、併合に反
対した 人、賛成した人、賛成反対と簡単に割り切れなかった人などな
ど、様々な立場の人がい たであろうという話です。

それを理解せず、真に国を思い日本との併合しか祖国の生 きる道はな
いと断腸の思いで日韓併合を推進した当時の政権担当者を、今なお売国奴
扱いしている韓国の現状は見るに忍びないとしか言いようがありません。

そこで本稿では、そのようにさまざまな考え方の人がいたという前提
で、出来る限り客観的に過去を検証しようと思いますが、ただし何事にも
裏と表があ り、同じ事象でもどちら側から見るかによって受け止め方に
大きな違いが生じることも ある訳で、そのような場合、私は日本の側か
ら見ますので、韓国側から見た受け止め 方とは違う場合もあるでしょう
が、そこはご理解ください。

■身分制度

1984年に朝鮮国内で発生した農民の反乱に乗じて清が出兵しようとした
ことに対抗した日本が日朝修好条規を理由に、朝鮮政府に対して自国の独
立の確認と 近代国家になるための内政改革を促しました。これを受けた
朝鮮政府は身分制度の廃 止を含む改革を推し進めるようになり奴隷制度
は廃止され、1909年には近代戸籍制度 を導入して、それまで姓を名乗る
ことを許されなかった人たちも姓を名乗ることが できるようになりました。

■土地政策

1910年から1919年の間、朝鮮総督府が土地の測量調査を行い、それまで
あやふやであった土地の所有権を確定しました。原則、地主の申告通り所
有権を認 め、申告のなかった土地や国有地と認定された土地は国有地と
して朝鮮総督府が接収し ました。そうやって朝鮮総督府が接収した土地
は国土面積の1割にも満たないと言わ れています。

■文字

1443年に世宗大王が開発した訓民正音という文字は、長年、女子供が使
う文字として公的に使われていませんでした。1886年、諺文を呼ばれてい
た、その文 字を井上角五郎が初めて漢城周報という新聞で使い普及に努
め、後にハングル(偉大 なる文字)と呼ばれるようになり、現在、朝鮮
半島全域で公用文字として使用されて います。

■教育

朝鮮時代、知識は支配層が庶民を支配するためのものとして独占されてい
ましたが、教育こそが国家の力の源泉だと考えていた当時の日本政府は朝
鮮の国力を 養うべく教育を広く一般に開放し、併合前に100校程度だった
小学校を最終的には 4000を超えるまで増やしました。高等教育について
も1924年に大阪、名古屋、台湾に先 駆け日本で6番目の帝国大学として京
城大学(現在のソウル大学の前身)を設立しま した。

■皇民化政策

一言で言えば併合により日本国民となった人々にも、同じ国の同じ国民
として分け隔てなく、内地に住む日本人と同じ教育をしたということです。

明治維新 以前、約400の藩に分かれていた日本が中央集権国家をつくり天
皇を元首とした統 一国家としての同化教育を行った延長線上にあるもの
で、中には国旗国歌や教育勅語 などを強要されたという人もいますが、
同じ国であるからには当然のことであり、教 育勅語についてはここで詳
しく述べませんが、現代社会の常識に照らし合わせてみて も至極まっと
うなことが書かれており、日本のみならず世界に通用する内容ですか
ら、読まれていない方は是非一度読んでみてください。

■創氏改名

いまだに日本が朝鮮人の名前を奪ったなどと言う人もいますが、1911年
の時点では一部の朝鮮系日本人が日本内地風の姓名を役所に届け出たこと
を受けて、 朝鮮総督府は内地人と紛らわしい姓名の届け出に対する制限
を行うよう通達を出すく らい内地出身者と朝鮮系日本人が名前で識別で
きるようにしていました。

そもそも、現代日本では家の名前である「苗字」と本人固有の「名」の
二種類しかないので、「氏」と「姓」が混同されおり、そのため「氏」を
新たに創り 「名」を改めるという意味が今一つ理解されていないようで
す。日本における「姓」 というは、本来、天皇から名乗ることを許され
たもので、限られた人しか名乗る ことを許されていませんでした。

しかし時がたつにつれ同じ性の人間が増えてくると 個人の識別が難しく
なってきたため、自らの住む土地の名前などを姓とは別に家の名 前とし
て名乗るようになったのが「氏」というものです。

例をあげると徳川家康の場合、姓は「源」で、氏は「徳川」となりま
す。大雑把に言えば「姓は」血筋を表し「氏」は家の名前を表すものであ
り、江戸時代 までは、このような「苗字」を名乗ることが許されていた
のは支配階層である貴族や 武士など限られた人たちだけで、人口の大半
を占める百姓町人は「苗字」があっても 名乗ることを許されていません
でした。

しかし、日本政府は明治維新を経て近代国家 として国民すべての戸籍を
明らかにする必要に駆られたため、全国民に対して「姓」 と「氏」を
一本化して「苗字」を役所に届け出ることを義務付けました。この時、姓
を届け出た人、氏を届け出た人、自分で考えた名前を届け出た人、皆がそ
れぞれ思い 思いの「苗字」を届け出たため、今の日本には「苗字」が
10〜30万種類あると言われ ています。

(同じ漢字でも読み方の違うものもあるため)

一方の韓国は朝鮮時代から今に至るまで一貫して「姓」を名乗っていま
す。では日本の「氏」に相当するものがないのかといえば、そうではなく
「本貫」と いうものがあります。

本貫も、一族発祥の地の地名に由来するものが多く、普段は名 乗りませ
んが(最近まで同姓同本同士は結婚できなかったため、初対面の人同士で
確 認することはよくある)戸籍に記載されており重要視されています。

これを日本に置 き換えてみれば徳川家康の子孫も武田信玄の子孫も源氏
の血筋を引くすべての人間が 「源」と名乗っているようなもので、だか
ら韓国は「苗字」の数が300弱しかないの です(本貫は約4000種類)。

朴槿恵大統領んなにも日本と苗字の数が違うのでしょうか。韓国では、今
なお族譜と呼ばれる家系図のようなものが重宝されているくらい家系を重
んじる社 会であり、韓国人に先祖のことを尋ねるとほとんどの人から
「先祖は両班だった。」 という答えが返ってくることから推測すると、
おそらく近代戸籍制度発足のどさくさ に紛れて、姓を持たなかった人た
ちの多くが両班といわれる貴族の姓や昔からある姓 を名乗り、新たに姓
を作る人がほとんどいなかったのではないかと思われます。(そ れ以前
に身分を金で買った人も多かったという一面もあります)

 この日本と朝鮮の似て非なる名前を日本式に統一しようと、1939年、朝
鮮に本籍のある日本国民(日韓併合により日本人となった人)に対して、
新たに 「氏」を創らせ、希望すれば「名」を改めることを許可したのが
「創氏改名」で、これ により朝鮮出身の日本人は先祖代々の「姓」に加
えて新しく作った「氏」の2つの 「苗字」を持つことになったのです。

ただし、従来の姓名がなくなったわけではなく、 その証拠に日韓併合解
消後には、すべての韓国人は元の名前に戻っており、現大統領 の父親も、
日韓併合時代は「高木正雄」という名前でしたが、昭和20年に「朴正煕」
という名前に戻っています。

なぜ、当初区別していた内地人と朝鮮系日本人の名前を同じようにする
創氏改名が行われたのかと言いますと、朝鮮式の名前だと中国人に馬鹿に
されたり、 何かと都合が悪いので日本式の名前を名乗りたいという朝鮮
系日本人の要望に応えた からです。

実際に当時の内務官僚で後に自民党国会議員になった奥野誠亮代議士が
「朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったの
で、創氏改名に 踏み切った。私が内務官僚として判子をついた」と発言
しています。

そしてこれは、任意の届け出であったため、届け出なかった場合は、元
の「姓」がそのまま「氏」になるだけで特に不利益はなかったと言われて
おり、朝鮮 名のまま陸軍中将になった「洪思翊」や衆議院議員の「朴春
琴」など、高位の公職に 就いた人間は多数いました。

そもそも差別をするのであれば、差別する側とされる側を区分けしなけ
ればなりません。最も簡単なのは肌の色による区別であり、これは隠し様
がありませ ん。

では肌の色が同じ人間同士を差別するときは、どうするのかと言えば、入
れ墨を 入れる、住む場所を隔離する、など差別する側とされる側に明確
な違いを人工的に作 り出すのが普通です。

名前による区分けも一つの方法で日本や朝鮮でも昔は支配階層 以外の人
間は姓を名乗ることは許されず、また、その姓により、ある程度は家の格
式 が分かるような仕組みでした。

当時の日本政府が朝鮮半島出身者を差別しようと思うのであれば、日本
名を名乗ることを許さず朝鮮式の名前を使い続けさせて区分けするはず
で、それが良 いのか悪いのかは別問題として、名前を同じにするのは同
じ日本人として扱おうとい う意思の表れであり、差別を助長するもので
はないということは少し考えればわかる かと思います。

一色正春氏

1967年1月3日生まれ。元海上保安官。 2010年11月、尖閣諸島中国漁船衝
突映像流出事件において「sengoku38」名で映像をYouTubeへ最初に投稿した。

海上保 安官退職後は執筆やテレビ出演、講演活動など幅広くこなす。12
年、論文「中国の狙 いは尖閣だけではない」でアパグループ第5回「真の
近現代史観」懸賞論文で最優秀 藤誠志賞を受賞。著書に『何かのために
sengoku38の告白』(朝日新聞出版)などが ある。

【iRONNA発】韓国人こそ「歴史を直視せよ」と言いたい! 
2016.5.8
                (採録:松本市 久保田 康文)