平井 修一
■4月30日(土)、朝5:30は室温17.5度、このところ下がっているが快晴、快適、ハーフ散歩。
支那は実に面妖な国だ。ほとんど異星人のよう。驚く話がいっぱいで、絶叫笑奇奇怪怪。近藤大介氏の論考『中国でキケンな「不動産バブル」が再燃中! 消費低迷でも「6.7%成長」のカラクリ 焚きつけているのは中国政府だ』(現代ビジネス4/25)から。
<*国家統計局長の「突然の失脚」
中国の国家統計局が発表する第1四半期(1月〜3月)の各種主要統計が出揃った。
統計の解説の前に、まずは国家統計局の「顔」である王保安局長(大臣)が、1月26日に忽然と消えた一件から述べよう。
王局長は1月19日に記者会見を開き、内外の記者団を前に、「2015年の中国のGDPの成長率は6.9%だった」と胸を張った。
(その後の「中国のハードランディングは避けられない」とのソロス発言を打ち消そうと)1月26日、王保安局長が再度、記者会見に臨んだのである。
王局長はいつもの強気の口調で、こう述べた。
「中国経済のプライオリティと、V字回復の勢いはまったく変わっていない。ソロスのうわごとのような中国経済の予測は、起こりようもない。中国の株価が多少下がったからといって、それが中国経済全体に与える影響は微々たるものだ。中国の株式市場は、これからも自信を持って進んでいく」
だが、王局長の防戦虚しく、この日の上海市場は6.4%、深セン市場は6.9%も暴落したのだった。
(平井:彼の名を後ろから読むと安保王。「経済がどん底でも安保王がいれば安心だ。適当に数字を創るから」という小話がある、今は「あった」の過去形)
この会見の直後、思わぬ展開になった。国家統計局の内部事情に詳しい中国の経済関係者が明かす。
「王保安局長の記者会見が始まったのが、午後3時だった。4時頃に会見を終えた後、王局長は夜7時半から、国家統計局の幹部たち全員に招集をかけ、『国家統計局活動会議』を行うとしていた。国務院を統括する李克強首相の新たな講話を学習するというのが、会議の目的とされた。幹部たちは『なぜ夜に会議なんか開くのか?』と訝りながらも、待機していた。
だがその実、王局長は局長専用車の運転手に、会見が終わったら北京首都国際空港に向かうよう指示していた。同日夜7時発のパリ行きエールフランスと、夜9時発のフランクフルト行きルフトハンザのファーストクラスを、それぞれ2枚ずつ予約していた。身の危険を察した王局長は、何と愛人とヨーロッパに亡命するつもりでいたのだ。
会見が終わった後、王局長は隣の控え室に移り、そこに置いてあったカバンとコートを取って出ようとした。その時、党中央紀律検査委員会副書記と助手、それに二人の特警(特殊警察)が控え室に踏み込み、王局長を引っ捕らえた。
王局長のカバンの中からは、『黄国安』『丁毅』という名義の2枚の偽造公用パスポートが見つかった。愛人は、北京首都国際空港の貴賓室にいるところを引っ捕らえられた。
王局長には、古巣の財政部時代に数億元を不正蓄財し、それらをアメリカとヨーロッパに隠匿していた容疑がかかっている」
(平井:まるで小説のよう。記者会見の檜舞台から一気に奈落の刑務所へ。逃げるタイミングを誤った。タレコミでばれたか)
*新局長となった寧吉浮ニいう男
そんなわけで2月26日、国家発展改革委員会の寧吉封寰蜚Cが、新たに国家統計局長に就任した。
1月末の「王保安事件」で国家統計局が大揺れとなったため急遽、国務院を括する李克強首相に送り込まれたのだ。李克強首相と寧局長が話す時は、安徽省方言を使うほど、李首相から信任を得ている。
その寧局長になって初めての経済統計発表が4月15日に行われ、4月19日に寧局長自身が「中国政府ネット」で解説した。
今回、発表された経済統計で、ひときわ目を引いたのが、不動産の動向だった。3月の主要70都市の不動産調査で、新築商品住宅(マンション)価格が2月から上昇したのは、62都市に上った。また、中古住宅(マンション)価格が上昇したのも、54都市に達した。
前年同月比で見ると、北京の新築マンションは116%、上海は125%、深センに至っては161%にハネ上がった。同様に中古マンション価格は、北京が135%、上海が127%、深センが160%に上昇した。
第1四半期の全国不動産開発投資額は1兆7677億元で、名目で6.2%(物価要素を控除すると9.1%)伸びている。昨年通年の伸びが1.0%だったことを鑑みれば、まさにV字回復しているのだ。
*あまりにも場当たり的な経済政策
このカラクリは、中国政府が固定資産投資を増加させ、「政府主導型の不動産バブル」を演出しているからに他ならない。そうしたら北京、上海、深センと、どんどん上がり出した。「もはや危険水域に達した」と見た上海市は、3月25日に突然、新たな(購入)規制を発表した。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、ジグザグと場当たり的に進むのが、習近平政権の経済政策の一大特徴である。よく言えば、中国人的な「走りながら進む」臨機応変の方法だが、あまりに朝令暮改で、政策が変わるたびに国民は振り回されている。要は経済に対する理念・哲学といったものが欠如しているのである。
*「消費の転換」は起こってるかもしれないが…
ところで、気になる統計データもあった。第1四半期の固定資産投資の伸びが、10.7%に達したのだ。こちらは、ありがたくないV字回復である。
中国は、リーマンショック後に4兆元(当時の邦貨で58兆円)もの緊急財政支出を宣言して、世界経済復活の牽引役となった。この時に主導したのが、固定資産投資だった。日本で言う公共投資である。
習近平政権になってからは、この(ゴーストタウン、過剰設備に象徴される)ゾンビのような固定資産投資を減らしていき、国民の消費が主導する健全な経済発展を目指したのだった。
(伸び率は)昨年の第1四半期で13.5%まで減らし、昨年通年では、ついに10.0%まで落とした。さらに減らしていき、その分、消費が増えていけば、晴れて中国経済復活の暁光が見えてくる。
ところが、今年第1四半期の民間の固定資産投資は5.7%まで落ちた。そこで再び、政府による固定資産投資の増加という「悪癖」が始まったのだ(平井:需要のない公共事業による景気浮揚策)。
*65歳以上が総人口の1割を突破
さて、国家統計局は4月20日、もう一つ興味深い統計データを発表した。それは「2015年全国1%人口ピックアップ調査主要データ公報」である。
注目すべきは、年齢別人口である。65歳以上が1億4374万人と、日本の総人口を上回る数だ。しかもその比率が10.47%と、5年前の8.77%から1.70ポイントも上昇し、初めて総人口の1割を突破したのだ。
これは中国社会が、ものすごいスピードで老齢化社会に向かっていることを意味する。このペースで進めば、20年後には深刻な社会問題と化すだろう。
なぜ大仰に全国で人口調査なんかやるのか。そもそも中国には、15ケタか18ケタからなる身分証が全国民に与えられているので、身分証発行元の公安部は、正確な人口を把握しているはずではないか。
当時(2010年)、少なからぬ中国人にこの疑問を投げかけ、帰ってきた回答も多岐にわたったが、その中で納得できたものが二つあった。
一つは、一人っ子政策などのため、身分証を持たない「無戸籍者」(こっそり産んだ二人目以上の子供)が数千万人単位でいるというのだ。だからきちんと対面して調査を行う必要がある。
もう一つは、公安部が掴んでいる正確な人口は、すでに15億5000万人を超えている。そんな数は国家が養えないから、人口調査をやって、わざと少ない統計が出るようにしているというのだ。
いずれにしても(デタラメ、手抜き横行の)中国で正確な統計データを取るのが難しいこと、及び中国の統計データには多くの場合「目的」があるということを、理解したのだった>(以上)
異常を通り越して何でもありの“超常国家”、新常態でもこれは変わらない軍事予算の半分が軍高官のポケットに入るそうだが、それなら他の部署も同様なのだろう(今は一時的に鳴りを潜めているようだが)。
北京発表の2015年の総人口は13億7349万人、実際は15億5000万人超ということは1億7651万人が「いないことになっている」・・・一種の棄民か。貧しい者が切り捨てられている。
人口統計で13%もの誤差がある国はかなり珍しいだろう。他の数字も推して知るべし、VW、三菱、東芝のようなものか。数字を創る。
国家としては二流なのか・・・農村の暮らしは厳しいようだ。9億人が農村戸籍(二流国民)だそうだが、経済成長の恩典がさほど達していないのか、以下は安徽省の農村だが「人種が違う」感じがする。ちょっとショック。↓
http://jp.xinhuanet.com/2016-04/28/c_135318840_9.htm<安徽省出身者に限らず、貧しさゆえの各地からの出稼ぎは多く、みな同様に差別されています。ただ安徽省は中国全土でも有数の貧困地帯ゆえ、全国的に安徽省出身者の出稼者が多いため目立っているのです。
私は上海に10年ほど住んでいました。上海は安徽省に近いため安徽人がとても多い。そしてほとんどが社会の底辺の仕事についています。工事現場のワーカー、お手伝いさん、ホステスや売春などの風俗業の人々といえば安徽省出身と相場が決まっていました>(知恵袋2014/5/41)
習近平は彼らを救えない。「中国夢」? 圧倒的多数の農民が夢も希望も持てない絶望大国なのに・・・「中国儚」か。♪儚い夢だったわねえー
■5月1日(日)、朝4:30は室温19.5度、快晴。
春は曙。ようよう白くなりたる屋根際、少し明かりて。カラスを追いかける2羽のツバメ、いとおかし。
団結すれば紅龍を封じ込められる。大丈夫だ。共産党は排除され、そして(そんなこととは関係なく)支那人は4000年のDNAでゼニ儲けにいそしむ。執念のレベルだな。
小生が1984年に起業した際、社是は「真面目にコツコツいい仕事」だった。美辞麗句や大言壮語を掲げても1年もたない会社もあったし、3年後には半分、10年後には3割しか生き残れない世界だ。特にこれという才能もない普通の人なのだから「コツコツ勤勉がなによりだ」と日本人の多くは思っているのではないか。
支那人の労働観とはずいぶん違うのだなあとは感じていたが、以下の論考を読んで、なるほど、そういうことか、別世界だな、と大いに納得した一方で、支那は中身のない「張子の虎」(毛沢東の大好きな言葉。まあ勃起不全、フニャマラの意だな)のようで「大丈夫なのか」と心配してしまう。
(亡国で14億人が難民となれば世界中が迷惑する)
在中コンサルタントの田中信彦氏の論考『「投資」の中国、「仕事」の日本 中国の配車アプリに見る「中国経営」を考える』(WISDOM4/28)から。結構ショッキングだった。
<*「お金に働かせる」中国人
中国人と日本人のビジネスで、何が最も違うか。それはお金を稼ぐために「投資」をしようとするか、「仕事」をしようとするかという点である。
中国人は「お金が欲しい」と思った時、まず考えるのは「投資」である。現実に何らかの仕事に就いて働くとしても、それは投資の原資を稼ぐとか、その業界や市場の知識を得るために働くのであって、頭の中には常に投資(=お金に働かせる)という観念がある。
一方、日本人は、頭にまず出てくるのは「仕事」であり「働くこと」である。仕事や労働は収入を得るための手段であると同時に、時にはそれ以上に、それ自体が価値を持っている。良い仕事をして世間に認められれば結果的にお金が入ってくる――と考える。それをコツコツと蓄積して資産をつくる。
もちろんこれは「ゼロか100か」という話ではなく、どちらが良くて、どちらが劣っているという話でもない。中国にも日本にもさまざまな考え方の人がいる。だが、現実に両国において大筋でこういう傾向があるのは間違いないように思う。
日本企業や日本人が中国でビジネスをするのは難しいとよく言われる。もちろん成功例もあるが、比率はそう高くない。その成功にしても日本と中国の地理的、経済的、歴史的関係の深さからみれば、必ずしも大きなものだとは言えないだろう。
それにはもちろんさまざまな要因があって、一党独裁の政治体制(意図的な反日世論形成なども含む)は大きな要素には違いないが、より根幹の部分にあるのは、上述したような「お金を儲ける」ことに対する基本的な観念の違いではないかと私は感じている。
*「投資」が変える中国社会
中国でここ数年、スマートフォンを利用したタクシーやハイヤーなどの配車アプリが爆発的に広がっていることは、耳にされたことがあると思う。いまや世界のビジネスパーソンのスタンダードと言ってもいいUberも中国の主要都市のほとんどで使える。
そのほかに「中国版Uber」みたいな配車アプリが、主なものだけで3つあって、Uberを含めた計4社が激しい競争をしている。
中国の配車アプリにはユニークな仕組みがたくさんあって楽しいのだが、今回はサービス自体を紹介するのが目的ではないので、機能については触れない。ここで考えたいのは、なぜこうした配車アプリが中国では全国民必携のレベルにまで普及しているのに、日本ではそうならないのか――ということである。
監督官庁の規制が直接の要因であることは確かだ。世界中で広く使われているUberにしてからが日本では肝心な部分が骨抜きで、ただのタクシー配車サービスと大差ない。
余談になるが、最近中国の友人たちが日本に来ると、言葉ができないからまずUberのアプリを立ち上げるのだが、あまりに使えないのでびっくりする。日本のタクシー・ハイヤー業界も懸命の努力をしているのは知っているが、現状は十年一日、相変わらずの仕組みで大きな革新は起きていない。
しかし考えてみれば、中国でもタクシー会社の多くは国有企業で、政府の強いコントロール下にある。台数も料金も政府の管理下にあり、経営の裁量は非常に狭い。ある意味で日本よりも「官」との関係は深いといえる。
にもかかわらず、そのガチガチの業界に外部から膨大な資金が投入され、高機能の配車アプリがまたたく間に数億人に普及して、一気に社会のIT化、デジタル化を象徴する業界に躍り出た。それはなぜなのか。
その理由を解く鍵が、冒頭に掲げた「投資」の中国――何事も「投資」を基準に考えて行動する中国社会の観念にある。中国の社会はお上から庶民まで、いったん「こうやったらお金がもっと増える」というやり方が出てくると、その実現に向けて大規模な投資をする人や企業が現れ、既存の仕組みをダイナミックに変えようとする。
そして多くの人がその動きに便乗し、自分の取り分も増やそうと考える。そうやって仕組みそのものがどんどん変わっていくパワーがあるのである。
*配車アプリへの凄まじい投資
iPhoneが日本で発売されたのは2008年の夏。スマートフォンの本格普及はそこからである。中国での普及はそれよりやや遅く、2010年以降のことだ。配車アプリが本格的に広がり始めたのは2013年。わずか3年しか経っていない。
配車アプリの普及前、タクシーは路上で手を挙げて停めるか、タクシー会社に電話して車を寄越してもらうものだった。日本では今でもこの状況に近いかもしれない。そこにスマートフォンが普及し、運転手と利用者の双方が地図とGPSを常に持ち歩くようになったので、中国ではその両者を組み合わせて初期の配車アプリがスタートした。
それでもかなり便利になったのだが、爆発的な普及を呼んだのは、配車アプリに代金決済システムが組み込まれるようになってからだ。タクシーは小銭のやりとりが面倒だし、多額の売上金を持つと盗難の心配もある。
そして何よりも利用客と運転手の双方が決済システムを持っていれば、需要と供給に合わせた柔軟な料金体系が実現できる。
繁忙時に運転手に割増金を支給することも、逆に閑散時に利用客の代金を割り引くこともできるし、車がつかまらない時に、利用客が自らチップの支払いを提示して車を引き寄せることもできる。硬直した運賃体系にとらわれなくて済むようになるのである。
この点に注目したのが、独自の代金決済システムを持っていたIT企業である。ひとつは皆さんご存じ、ジャック・マー(馬雲)率いるアリババグループであり、もうひとつは中国の代表的SNSで、いまや携帯電話やメールをしのいで中国人の中心的な通信手段となった感があるWeChat(ウィチャット、微信)を擁するテンセントである。
特にテンセントは当時、代金決済システムでアリババグループの「Alipay(アリペイ)」に大きく遅れをとっており、アリババに追いつき追い抜くためにも、何とか自前の代金決済システムを育てたいとの強い思いがあった。
そこでテンセントが狙いをつけたのが、有力なタクシー配車アプリ「滴滴打車」(「滴滴(ディディ)」は愛称、「打車」は「タクシーを拾う」という意味の中国語)である。
中国のタクシーは日本の都市部のように「ぜいたく品」ではなく市民の足であり、年間数十億人が利用する。その配車アプリで自社の決済サービスを広めれば、認知度を飛躍的に上げることができる。
そこでテンセントは「滴滴」に30億元(当時のレートで約500億円、以下、当時のレートで日本円換算した表記を使用する)を出資して経営権を把握。タクシー配車アプリに同社の決済サービス「WeChat Pay(ウィチャットペイ、微信支付)」を導入した新しいシステムを立ち上げた。
テンセントがすごいのはここからだ。「滴滴」はこの500億円の資金を惜しげもなく使い、タクシーの運転手にはボーナスを出し、利用者には運賃を大幅に割り引く大盤振る舞いを始めた。最も多かった時期には、運転手は客を乗せるだけで初乗り運賃を上回るボーナスを手にして、利用客はほとんど無料でタクシーに乗れるという状況まで出現した。
当然、タクシーの運転手は競って「滴滴」の配車アプリに加入しようとする。利用者も同じで、このアプリを使わない手はない。他の競合する配車アプリも応戦して割引合戦が始まった。かくしてわずか数カ月で「滴滴」の登録者数は2億人以上も増えたと言われている。
*500億円の投資で4兆円を得る
しかし、このタクシー配車アプリのビジネスは、もともと収益源は配車手数料しかなく、極めて薄利な商売である。しかも投資した巨額のカネのほとんどを運転手と利用客にバラ撒いてしまうのだから、いつになったら儲かるのか見当もつかない。
ではなぜそんなことをやるのかといえば、それが「投資」である。具体的に言ってしまえば、狙いは株価の上昇にある。株価とは企業の将来に対する期待の大きさを反映するから、経営者はこの企業が大化けするかもしれないという期待を投資家に持たせようとする。テンセントの「滴滴」に対する500億円の投資はまさにそれである。
実際、決済システム「WeChat Pay」の利用者が前述のように一気に2億人も増えたことで、香港市場に上場しているテンセントの株価は急騰した。2013年4月、「滴滴」に出資した時点で250香港ドル程度だった同社の株価は「WeChat Pay」導入の2014年1月には500ドル台まで上昇した(その後、株式を5分割したので現在の株価は100香港ドル台)。わずか8ヵ月ほどの間に同社の時価総額は4兆円以上増えたとみられている。
もちろんその全てが「滴滴」への投資によってもたらされたとは言えないが、「滴滴」への投資が株式市場でのテンセントの評価を一気に押し上げたことは事実である。
やや極端に言えば、テンセントは500億円の投資で4兆円以上の資産を得た。そう考えれば配車アプリでの大盤振る舞いなど安いものである。
これが中国人、中国企業のビジネスの真骨頂である。
テンセントの狙いは配車アプリというサービスで稼ぐことではなく、配車アプリに投資することで決済サービスの利用者を増やし、株価を上げることにあった。タクシーを配車するという「仕事」で稼ぐのではなく、そこに投資することで自社の価値を上げる。そういう考え方である。
もちろんこの神州専車(平井:追い上げを狙うライバルだが略す)にせよテンセントにせよ、その戦略が成功する保証はない。壮大な投資が水泡に帰す可能性もある。しかし投資家がリスクを取って一見無謀とも思えるほどの大胆な投資を行うことで、「便利なもの」が一気に世の中に広まっていく。社会が劇的に変わる。
こうした中国社会のダイナミズムは、これらの企業行動によって支えられているのもまた事実である。
*規模や効率、資金力で勝負する中国的経営
いま話題の配車アプリを例に話をしてきたが、どの業界でも考え方の基本は同じである。例えば小売業にしても、中国のスーパーやショッピングモールの経営者は、極論すれば「よい店をつくること」を目指しているわけではなく、「よい店をつくることを通じて企業の価値を上げ、資産を増やそう」と考えている。
だから、大型のショッピングモールの開発では、店自体を良くするための「仕事」も当然するが、それよりもオフィスビルやマンション、ホテル、テーマパークなど他の業態と組んでモールそのものの付加価値をどうやって上げるか、地元の政府を巻き込んで地下鉄や高速道路などを引き寄せて、いかに周辺の地価を上げるかといったことを真っ先に考える。
お客様に愛される店になることをひたすら目指すという経営をする中国の経営者は多くない。
かくして、中国の経営者は自社の価値を上げるためなら何でもありの総合的な商売をしてくる。一方、日本の経営者は自分の家業、自分の強みとする「仕事」に徹して、「この道一筋」で商売に切れ味を出そうとする傾向が強い。
こういう両者が組んでもなかなかうまくいかないし、仮に中国の市場で両者が競争関係になると、どうしても最後には日本勢は規模や効率、資金力で負けてしまう。
冒頭に書いたように、これはどちらが良い、どちらが優れているという話ではないが、中国という巨大かつ未開拓部分の多い市場を前にすると、細部の積み上げで価値を出していく日本的な「仕事志向」は劣勢に立たされてしまいやすい。
*中国は「投資」で成り立つ国
考えてみれば、中国という国そのものが「投資」で成り立っているようなものである。日本では国(政府)はいわば中立の立場であり、民間のプレーヤーが仕事をしやすくする行司役みたいな存在である。
ところが中国では国や政府は中核的なプレーヤーであり、どのように投資したら自分たち(国、政府、党)の資産価値をいかに上げられるかを、日々考えている。
中国政府が高速鉄道や高速道路をここまで急いで全国に造るのは、やや意地悪く言えば、人民の生活が便利になるからではない。インフラの整備によって周辺の地価が上がるからである。中国政府は中国全土の土地のオーナーなのだから、国土の価値が上がれば、まさに天文学的な額の利益が生まれる。
せっせと学校をつくって人を育て、産業を興して社会を豊かにし、税金を払ってもらうという「仕事」をするより、インフラに投資して地価を上げ、そのリターンを得るほうが何倍も何十倍も手っとり早く、利益が大きい。権力者はそのことをよく知っている。そして現実は、まさしくそうなっている。
かくして中国は世界にも稀に見るスピードで豊かになった。それは国を挙げて「仕事」ではなく「投資」をしてきたからである。それがいつまで続くのか、長い目で見て中国の13億人の人々のために本当になるのか、それは私にはわからない。
ただ現時点では、私の30年来の中国の友人たちはほぼ例外なく、私よりはるかに資産持ちになったし、豊かな暮らしを実現した。別に悔しいと思っているわけではないが、若い頃には考えたことがなかった「投資」と「仕事」の違いを、この歳になって考えるようになった。「何をいまさら」と中国人には笑われるに違いないけれども>(以上)
いやー、実にいい論考だ。目からウロコ。日本人から見れば支那人は異星人だが、支那人から見れば日本人は異星人なのだろう。価値観が大きく離れているから一緒には仕事はできないかもしれない。彼らはウォール街の人々のようだ。“長城街住人”。
日本人は土佐の鰹一本釣り、大間の鮪一本釣り、匠を目指してシコシココツコツ技を磨く。支那人はトロール船でごっそり獲る。支那近海の魚は激減して“ゴーストシー”、遠洋漁業で世界を荒し回っている。
彼らの投資先は国外にも向かい、カナダも豪州も日本もマンション価格は騰がっている。投資して資産価値が上がっているわけだ。米国も同様だろう、特にニューヨークの住宅は高騰し、もはやカタギには手が出ないし、それはロンドンも同様だ。
チャイナマネーはどこへ行く。マンションの次は企業買収に向かうのか。ホンハイ(本社は台湾だが拠点は支那)はシャープを買い取った。和をもって貴しとなす、万機公論に決すべしの日本と違って支那企業/資本家は拙速を恐れないからスピードが速い。トップダウンで即断即決なのだろう。
カネがカネを生む。マネーゲーム、財テクだ。実業の製造業は発展しているのだろうか。百均向けの雑貨が多いような気がするが(世界中に輸出して後進国の軽工業を壊滅に追い込んでいる)、ハイテク産業は育っているのだろうか。育てるよりは買収の方が手っ取り早いが、これでは人材は育たない。
「人材? カネを出せば世界中からいい人材を得られる。この電気釜はサンヨー出身のベテランが作ったのよ。おいしく炊けて、日本の半額だ。シャープ、三菱自動車、東芝・・・人材の宝庫だな」
そういうことなのだろう。昔から「汗をかくのは下賤の仕事」であり、貴族はひたすら投資するのが今の支那人の資本主義なのだ。いいのかどうか・・・
「長い目で見て中国の13億人の人々のためになるのか、それは私にはわからない」と田中氏は記しているが、小生にも分からない。
支那は雑貨、サウジなどは原油以外に世界へ“売る”ものはあるのか。
<湾岸協力会議(GCC)諸国は、2018年末までに3〜5%の付加価値税(VAT)を導入する方向で調整している。背景には原油価格の低迷による財政悪化がある。GCC諸国の2015年の歳入は2014年に比べて30〜40%減る見込み>(JETRO 2/17)
「30〜40%減る」というのは、これは・・・大恐慌だぜ、マジ、革命が起きかねない。大丈夫かよ。「神は偉大なり、アッラーフ・アクバル!」と祈ったって、ちっとも解決しないと思うがの。
原油と観光以外に売るものがないからVATを導入するしかない。無税国家だったが、国民から税金をとるしかないのだ。GCC諸国でも「汗をかくのは出稼ぎ外国人の仕事」なのだろう、人材や経済インフラが脆弱、いびつで、震度4あたりで倒壊しかねない。
支那はもはや世界の工場ではなくなりつつある。世界有数のハイテク技術もない。偽物を速攻で作るとか、ネズミの肉でハンバーグを作るとかの奇妙奇天烈な技術はあるが・・・「中国製=安いだけの粗悪品」のイメージは世界中に広がっている。
マネーゲーム、カジノ、カネがカネを生む投資経済・・・骨と筋肉のないデブみたいだ。これで14億人に三度三度の飯を食わせ続けられるのだろうか。
遂に中共の泣きが入った。「四つのお願い」だと。要はこういうことだ――
1)歴史を反省し「南京虐殺はなかった」「紅軍は皇軍とまともに戦ったことはなかった」などと言わないでほしい、
2)ひとつの台湾、ひとつの中共、だなんて言わずに「一つの中国」を認めてほしい、
3)武力で地域の秩序を変えようとしているなんていう「中国脅威論」を
煽るのはやめてほしい。
4)今苦しんでいるところだから「中国経済衰退論」をまき散らさないで
欲しい。
嗤うべし、そうはイカの金玉、こうするね。
♪一つ 厳しく非難する
二つ 好き勝手にはさせないぜ
三つ 絶対孤立させるからな
四つ 悪事は世界にばらすぞ
♥王毅丁稚小僧「4つのお願い聞いて 聞いてくれたら あなたに私は夢中 恋をしちゃうわ」?
キモイ! あっちいけホイ! あーっ! 落ちちゃった・・・魯迅曰く「打落水狗」(水に落ちた犬は打て)。
「愚直な人は、犬が水へ落ちたのを見て、きっと懺悔するだろう、もう人に咬みつくことはあるまいと思うだろうが、それはとんでもない間違いである。犬は道義などを絶対に解さぬのだから」
情け容赦なく「打落水習」で行けということだ。阿Qは処刑。
GWで早朝は街の人口は半減したのか、ひっそりしている。元気な人は旅行や帰省、残っているのはヂヂババばっかりみたいだったが、昼ごろから賑わってきた。
カミサンは上野のアフガン展などへ。とても感動したようだ。「博物館や美術館は一人で行くのがいいわ。自分の好みやペースがあるからね」
ふーん、確かにそうだが・・・個人主義の行く先は独身主義になりかねない。独身者と母子家庭、同性婚ばっかり・・・「子供は要らない、犬で十分」・・・犬が介護してくれるのか、看取ってくれるのか・・・100年もたずに亡国だな。
「産経を含めてあちこちで寄付を募っているが、結局、赤十字が仕切る。被災者にカネが届くのは早くて半年後。いかがなものか。現地のボランティアに速攻でカネを回せ」
笹川陽平氏も赤十字のどうしよもない愚かさを危惧している。法定主義・・・時にはそんなことより「緊急事態だ、各員、現場で良かれと思うことを速攻ですべし」とやるのが正解のことが多いだろう。
夏彦翁曰く「正義はやがて国を亡ぼす」。臨機応変、超法規でやらなくてはいけないことは多いだろう。現実を直視しろ、ということだ。
■5月2日(月)、朝1:30は室温22度、窓を少し開けているが、ずいぶん暖かくなった。昨日は半袖で過ごした。
それにしても1:30、早過ぎる。折角だからとハンク・ウィリアムスのカントリー&ウエスタンを聴きながら朝食の準備をしたが、それでも2:30。一杯、引っかけて眠るしかない。
ちょっと寝坊して6:50起床、晴、今季初、半そでポロシャツでハーフ散歩。10日ほど前の増水で大きな鯉が遊歩道に乗り上げて成仏。そのうち蛆虫がびっしり、やがて小鳥と鳩が来て蛆虫をうれしそうに食べ、カラスは干物と化した肉をつつき始めた。
最初は気持ち悪いなあと思っていたのだが、鯉は死ぬことによって多くの鳥の命の糧になったわけだ。なるほど、風葬とはそういうことかと感心した。小さな老齢の命でも役立つことはあるだろう。一旦緩急あらば義勇公に奉じん、イザ!
大地震があっても小生は日本が大好きだ。何という素晴らしい国柄なのだろう。地球の奇跡だ。
坂本敏夫氏の論考『熊本大地震、そのとき「熊本刑務所」で何があった
か? 過去に例を見ない「決断」の舞台裏 現地ルポ』(現代ビジネス
4/30)から。
<熊本大地震の発生後、熊本刑務所が被災者のために施設の一部を「避難
所」として開放したことが話題になった。元広島拘置所総務部長で、『典
獄と934人のメロス』で関東大震災で被災した受刑者たちが起こした奇跡
を著した作家の坂本敏夫氏が、いまもなお約4万人が避難生活を送ってい
る現地に入り、熊本刑務所を訪ねた。その模様をレポートする――
*熊本刑務所へ向かう
4月23日(土)。私は、熊本地震被災避難者のために道場を提供している
熊本刑務所の取材のため現地に向かった。博多から先の九州新幹線は運転
を見合わせていたので、博多で降りて福岡矯正管区(九州沖縄の矯正施設
を監督管理する機関)を訪ねる。
熊本までは在来線で行けたが、熊本市内の宿はすべて満室だったので博多
の知人宅に泊めてもらう。熊本の宿は、全国から馳せ参じるボランティア
のために県・市当局が確保していたということだった。
24日(日)、この日から運転を再開した新幹線で、熊本に向かった。熊本
駅からは豊肥線で東海学園前まで行く。
熊本刑務所(熊本市渡鹿)に到着したのは正午少し前、屈強な若手刑務官
が立哨する表門に立つ。ここが刑務所内に入る唯一の門である。その刑務
官(看守)に取材に来た旨告げる。
ほどなく幹部職員の懇切な対応により取材は叶った。
正面の2階建てタイル張りの建物が庁舎(所長室、総務部門、会議室など
がある事務所棟)で、その東側に間口25メートルの車庫と道場(420平
米)が建ち並んでいる。
*開放は過去に例を見ない
道場では避難者に非常食(乾パン・缶詰など)が配られているところだっ
た。車庫は、護送車・公用乗用車などを屋外に出して、避難者のための物
資置き場、井戸水をろ過し給水する設備や、湯沸し設備が置かれ、避難民
接遇要員・警備要員として15名の刑務官が詰めていた。このうち半数は福
岡刑務所、長崎刑務所など他施設から応援派遣された刑務官である。
16日の未明に襲った二度目の激震(震度7・マグニチュード7.3)により周
辺地域の被害の甚大さを知った明石雅己所長(56歳)は、自己の判断で、
道場を地域住民の避難場所として開設することを命令。さらに受刑者用に
備蓄してある非常食を避難してきた市民に給与することを指示した。
道場は刑務官にとって、特別な場所である。武器を携帯所持しない刑務官
は我が身を素手で守る。護身術、柔道、剣道は職務の一環としての位置づ
けにあり、訓練や稽古は毎日この道場で行われている。刑務所が構内の重
要な施設を避難場所として市民に開放したことは過去例を見ない。
熊本刑務所の収容人員は500名前後で推移している。
ここは、長期受刑者(8年以上)400名を収容する屈指の重警備刑務所である。しかも長期受刑者の約半数が無期懲役で仮釈放の望みがほとんどないという現状に、刑務官たちは彼らの処遇に苦慮腐心している。
先の見えない無期懲役の受刑者でも20年、あるいは30年務めた者が仮釈放で出所する後ろ姿を見れば、何とか正常な意識を保って服役生活を送ることができるのだが、終身刑化している現実は非常に厳しい。
だから彼らは、いつしか妄想の世界に浸るのだ。ここに、無期懲役囚の特徴がある。私の経験から分析すれば、妄想による現実逃避が自暴自棄から逃れる唯一の自己防衛策ではないかと思えるのだ。
*囚人だって地震は怖い
さて囚人にとって地震ほど恐ろしいものはない。施錠されていて逃げ場がないからだ。今回の地震でも、たび重なる激しい揺れに悲鳴を上げる者あまた。房扉を蹴る者も少なからずいたらしいが、全体として大きな混乱は今のところ起きていないということであった。
道場の背後には、行刑区域(囚人を拘禁・処遇する舎房、工場、運動場などがある)を囲む高さ5.5メートルのコンクリート打ちっぱなしの塀が聳えている。
避難民は17日に最大で250人、前日は130人余りがここ、道場で夜を明かした。すべて近隣の住民で家族ぐるみで避難している人たちである。平日はここから通勤・通学、日曜日のこの日は家の片付けなどに出ている人が多く、道場内にとどまっていたのは、50人余り、ご高齢の人が多かった。
この地に40年以上住んでいるという女性は「まさか刑務所のお世話になるとは、夢にも思っていなかった。どちらかというと、迷惑施設だと思っていたが、本当にありがたい」と感謝の気持ちを述べてくれた。
刑務所の造り・設備は、近世の城郭に似ている。塀の外を職員宿舎で囲み24時間体制で非常事態発生の際の警備配置に備えている。また、構内には井戸が掘られ、上水道が断水しても水にだけは困らないように配慮されている。
したがって、この避難場所は飲み水の給水はもとより、道場内ある浴場(一度に7、8人が入浴できる浴槽とシャワーの設備がある)も使える。ちなみに、風呂はガスが使えるようになると同時に提供し、避難民からは大変喜ばれているとのことである。
*刑務所が倒壊しても、なぜか逃げない日本の囚人
刑務所に大きな被害をもたらした大地震といえば、大正12年9月1日午前11時58分に相模湾を震源地とするマグニチュード7.9の関東大震災である。外塀が倒壊した刑務所は以下のとおりだが、地震発生時には一人の逃走者も出していない。
『市ヶ谷刑務所』(現在の東京拘置所の前身)
煉瓦塀180メートル倒潰
炊事所、被服庫 全壊
炊事所煉瓦煙突倒潰
工場2棟 半壊
収容人員 1020名のところ死傷者なし。
炊事は空き地に土を掘って釜を据付ける。水道は断水も井戸水を使用し炊き出し可能
『小菅刑務所』
煉瓦塀全潰
工場13棟全潰
監房7棟、工場2棟 半壊
収容人員1295名のところ死者3、重軽傷13。
外塀全潰するも混乱に乗じて逃走を企てる者なし。
『豊多摩刑務所』
煉瓦塀倒潰七ヶ所 延べ90メートル
収容人員920人のところ死傷者なし
『横浜刑務所』
煉瓦塀全潰
工場、舎房等建物すべて全半壊後焼失
収容人員1131名のところ死者48名、重傷50名。
当日午後6時半に解放するまで逃走者なし。
『小田原少年刑務所』
煉瓦塀全壊
工場、舎房等建物すべて全壊
収容人員394名のところ死傷なし。
9日に3名逃走するまでは逃走者なし。
なぜ日本の囚人は逃げないのか、明確な答えは見つからず、“日本人だから逃げない”としか言いようがない。
昭和に入ってからは、昭和53年6月12日午後5時14分に宮城県沖を震源地とするマグニチュード7.5の宮城県沖地震で宮城刑務所の赤煉瓦塀60%倒潰、隣接する仙台拘置支所のコンクリート塀40%が倒壊した。
当日の収容人員は宮城刑務所583名、仙台拘置支所109名で死傷なし。逃走者なし。
なお、平成7年1月17日の阪神淡路大震災、平成23年3月11日の東日本大震災では刑務所の塀の倒潰はなかった。
*「災害時には役に立ちたい」受刑者たちは実はそう思っている
関東大震災では横浜刑務所の受刑者が命懸けで救援物資の荷揚げ奉仕をした。これはわが国の歴史から抹殺されていた出来事である。
震災翌日、瓦礫と灰塵の山と化した横浜刑務所では雨露をしのぐことも、腹を満たすこともかなわぬ囚人たちが我が身の不幸を顧みず、県知事からの救援物資陸揚げ要員出役要請を伝達する典獄(刑務所長)椎名通蔵(しいなみちぞう)に対し、全員立ち上がって「願ってもないこと。やらせてください」と声を上げた。
大阪や兵庫から次々に入港する救援船、そこからの荷役作業は壊滅した横浜港大桟橋で行うもの。足場が悪い上に余震が続く危険極まりない奉仕作業に9月3日から6日までの4日間、延べ520人の囚人が毎日10数時間従事したのである。
この感動的な物語は、拙著『典獄と934人のメロス』に詳細に著し、なぜ関東大震災の歴史から横浜刑務所でおきたことが消し去られてしまったのか、その謎を解き明かした。
*決壊した堤防の修復作業を行ったことも
昭和24年9月23日、長野県下は豪雨に見舞われた。旧長野刑務所西側約300メートルのところを流れる裾花川は濁流と化し、夕刻には数か所が決壊。全職員が出て特別警戒中の午後9時過ぎ、およそ500メートル離れた県庁から使者がやってきた。
堤防決壊個所の応急工事(土のう積み)に囚人1000人を出動願いたいという要請だった。所長は菊池信之丞(きくちしんのじょう)、菊池は病人を除く全受刑者と職員、合わせて860名に出動を命じた。25日未明に刑務所から1キロ先の決壊現場に到着。幅2キロにわたる決壊個所を昼夜兼行4昼夜をもってふさいだのである。
もちろん逃走者はなし。無事故で工事を終えている。
*義援金を送る受刑者たち
全国の受刑者たちからの義援金は、関東大震災の時から寄せられている。何もできない身ゆえ、せめて見舞金・義援金を!という受刑者からの発意によるものである。
阪神淡路大震災でも多額の義援金が寄せられたが、東日本大震災では震災発生後3か月で、8300人から6200万円が寄せられている。
一人あたりに換算すると7500円ほど。作業報奨金が時給7円から48円だから、彼らの実入りの一か月分以上の金額である。今回の熊本地震でも、おそらく全国の受刑者からまとまった額の義援金が寄せられるだろう。
最後に、もう一度熊本刑務所の話に戻るが、刑務所はどこも1週間程度の非常食を備蓄している。
福岡矯正管区によれば、管内施設から非常食の一部を供出させているとのこと。できることなら、塀の中で受刑者の手によって日に三度ごとに調理されている温かい汁物や米麦・副食を炊き出しのかたちで避難民の方々に提供できればいいのだが、それが許されない財務基準がある。食材を購入する国家予算の費目 は『被収容者食糧費』で、被収容者つまり囚人以外には食させてはならないということになっている。
もちろん、非常食もこの予算で買う。厳密にいえば、こちらも受刑者以外への提供は許されないのだろうが、消費期限があり定期的に払い出し、買い替えているところから、この度の処理は「払い出し」とか「管理換え」という帳簿処理を行うのだろう。
国の財務会計基準から見れば、問題のあることだが、それを恐れず、自己の責任で避難民救済を決断した所長には賛辞を送るべきである>(以上)
いやー、実にいい話だ。日本人は「奇跡の民族」なのではないか。もちろん嫌な人もいるのだけれど・・・坂本氏も上記の取材では不快な思いもしている。
<「そこで待て!」
と、いかにも偉そうに高飛車に出る看守は、私に一喝すると庁舎に入っていく。職責に燃えているのだろうが、部外者にははなはだ失礼千万な応対になっている。私が現職の時は温和で公共心のある刑務官を表門の担当に就けたものだ>
それでも「職責に燃えているのだろうが」とかばったりしている。この辺がどうにも日本人だ。好きです、私のニッポン! 極東の隅で愛を叫ぶ。
(2016/5/2)