平井 修一
■3月31日(木)、朝6:30は室温16.5度、素晴らしい快晴、ゴミ出し(プラ系)に行ったらナイスバディのチャウチャウ系が散歩していた。もろ、小生の好みである。
コレクションは男の子の本能だな。ドングリ、ビー玉、メンコ、切手、やがてはエロ写真、カネとか。原監督は交流した女の子の写真類をせっせとアルバムに収めて自慢していたとか(クロウとかいう選手が文藝春秋に書いていた)。張作霖は5人の愛妾専用列車を持っていた。
校長先生は1万2000人、14万枚もの写真、病膏肓。年に300人として40年! もう、これは気絶しそうで・・・ギネス・・・人は好き好きとは言うけれど・・・何とも言いようがない。
枕草子時代からチンを可愛いと思う人はいたが、小生はド派手のカントリー系ファッション(ブーツ付き)のチンクシャ大好き。一緒に歩くと恥ずかしいくらいの感じが何とも言えずいい。ま、人はいろいろ、されど1万2000人・・・前人未到。
明日から4月・・・地軸が動いて北から日が昇るようになった。毎年のことだけれど温かくなる、やがて暑くなる。
昨日の法事で小生は酔った勢いで「まったく、あんなお経の上手い坊さんはいないな、ほとんど広沢虎造だ、ゲイジュツ的」と言ったら、喪主の大姉が「修一、御住職が後にいらっしゃるから、控えて」。後ろを見たら御住職がおられた。
小生は通夜5万円、告別式5万円、四十九日2万円を納めたが、本来ならもっと出すべきだった(カミサンが手元不如意)。それでも大姉は感謝してくれて、上座に席を用意し、食事が上手く取れない小生に“わざわざ”合わせて昼餐会は結構軽めにしてくれ、2/3はいただけた。有難いことである。申し訳ない感じもする。
御住職は小生の言葉を聞いている。高校時代は応援団、大学時代はアジテーター、声が大きいから御住職の耳に届いたろう。多分、喜んでいただけたろう。
びっくりしたのは、先代の御住職の読経に母が「すごい、感動した」と言っていたと大姉が教えてくれたことである。そういう“芸”は代々引き継がれるのだろう、歌舞伎の勧進帳みたいに・・・大いに結構なことである。
まあ、日本仏教は主流13派、いろいろだけれどもイスラム教徒のように殺し合わない。背骨は神道で、ケンカしてもあまり深刻にはならないようだ。それでいい。13派+諸派VS池田教・・・日蓮宗のお経は真言宗(父系の寺、わが家の菩提寺)に比べるとすさまじく賑やかで壮行会のよう。
池田教の人民葬なんて完全に『出征兵士を送る歌』、大歓送会だ。戦意高揚、軍艦マーチみたいに威勢がいい、というか、小生には騒々しいが。
(池田教最精鋭の「那津男も黙る」婦人部の方曰く、「友人葬では香典とか香典返し、食事会は一切しないことになったのよ」。寺から破門されたからお坊さんもいないし、位牌もない。なんか味気ない感じがしないでもないが・・・)
散歩に出かけたら本家の三代目から「お、修ちゃん、渡すものがあるから」と呼び止められた。菩提寺の庫裡を新築するから協力を、という寺からの手紙で、10万円くらいは寄進したいが、柔軟体操しながらどうしようかと考えたら、父母が遺していった金貨2枚と大量の銀貨を隣町の質屋に売れば間に合いそうだ。一件落着。AIにはこのセコサはないだろうな。セコサも芸のうち。
桜は街の東側はまあ八分咲きだが、多摩川に近い西側は三分咲き。畑の八十翁に挨拶したら「こっちはいつも開花が遅い。東は建て込んでいて皆暖房を使うから暖かい。こっちは畑もあるし、あまり建て込んでないから寒いのよ」とのこと。なるほどね。
小生が八十翁とそこそこ親しくなったのは、山本夏彦翁が「私が戦中戦後も食糧に困らなかったのは千葉の農家と懇意にしていたからだ」と書いていたのを教訓にしたためだ。
なんぞの時に八十翁は芋や野菜を譲ってくれるかもしれない。コンビニ経営の大姉一家は缶詰を分けてくれるかもしれない。戦略的に交際しているわけ。そのくらい用心しておいた方がいいと思っている。
お寺だって10万円寄進しておけば、なんぞの時に泊めてくれるかもしれないし、一宿一飯・・・セコサは大事だ。
谷崎はカネをばらまいて人脈を作った。荷風はひたすら貯め込んだ。谷崎は国鉄(省線)にもコネがあったから指定席の切符をすぐに手に入れたし、旅館で美味いものも食えた。空襲で焼きだされた荷風は谷崎の世話になったが、カネをばらまいてコネを作る知恵はついぞ身につかなかった。(銀行員だったからカネに細かい、細かすぎる)
陽性と陰性、谷崎は春爛漫の美の中にちょっぴり醜を入れた、ワサビのように。荷風は陋巷の醜の中に切ないくらいの美を詰め込んだ。泥田から儚げな美しい花が咲いた。夏彦翁曰く「美しければすべてよし」、セコクても作品が良ければすべてよし。
カミサンと小生は適度に仲良く、適度に距離を置いている。口に出すと問題だから、バトルは大体メモでやる。
カミサンは2か月前に「コレステロール値が上がったのは解せないわ、どう考えてもパン食が原因だと思うのね、明日から朝は和食にして」と指示を出した。パン食だとどうしてもバター、マーガリン、チーズ、ベーコンエッグなんかになるから、多分、和食系の方がいいかもしれない。
小生はホイキタ、とすぐに和食系朝食にしたが、カミサンはナント納豆にオリーブオイルを入れている(便秘対策のようだ)。で、「ギリシャ、イタリア、スペインはオリーブオイルでみんなデブになった」とメモしておいたら、カミサンは「1日に2本もワインを飲んでみんなアル中になった」と反撃してきた。一種の冷戦だが、このメモは実に正しいのでキッチンに貼ってある。
ロイター3/31「イタリア産オリーブ油が抱える“深い闇”あなたの使っているオリーブ油は大丈夫?」から。
<イタリア警察は昨年12月、オリーブオイル7000トンの偽造を摘発した。この組織的犯罪は、2014年のオリーブ収穫が惨憺たる出来だったのを受けて不正行為が横行し、純度が法定基準に満たないエキストラバージンの製造が推定で4倍に増えたことと無関係ではない。
世界で販売されているイタリア産オリーブオイルの72%が偽装の可能性があり、業界慣行が注目される中で、イタリアは偽装品撲滅の対策を急いでいる>
マフィアの故郷だから、偽装品にはマフィアもからんでいるようだ。偽装品/悪貨が真正品/良貨を駆逐する。ドルは逃げる、人民元は下がる。
莫邦富氏(作家・ジャーナリスト)曰く「この頃、中国政府が制定した政策は安定を欠いている。事前調査が足りないためか、どことなく思いつきで政策の強硬実施に踏み切る傾向がある」
吉田陽介氏(日中関係研究所研究員)曰く「三中全会(2013/11月)から2年余り経過したが、改革の必要性は絶えず強調されているものの、その歩みは遅くなっており、徐々に慎重な態度に変わりつつある。習総書記はマルクス主義経済学を重視しており、今後は社会主義的要素を増やしていくだろう」
マルクス主義経済学、計画経済・・・とっくの昔に破綻している。習が排除されなければ支那は長期的な経済低迷が続く。おそらく永遠の発展途上国のままだろう。ゴールが全然見えない百年マラソン。「もう走れません」。倒れるしかない。
■4月1日(金)、朝6:30は室温17.5度、曇、掃除はルンバに任せてハーフ散歩。
勤め人は6割がマスク、花粉の季節だ。桜は満開、野鳥が群れていて、春を喜んでいるようだ。結構な人出で、週末はすごい賑わいだろう。タンポポ、諸葛菜(紫大根)、ドウダンツツジも開花。
カミサンが「アンタ、髪の毛が増えたんじゃない?」。小生もそう思う。ゴマ塩だった恥毛は今は真っ黒だ。赤ワインの効能としか思えない。小生の体も春の訪れ。これ見よがしの美女のおみ足に目を奪われたりして。
妻思う心にまさる好き心 春の音づれ いかにせんとや(修一)
ところで支那では毎年700万人の大学新卒が生まれるが、まともな職に就くことはとても難しい。好機を待ってアルバイトなどの低賃金労働で生活費を稼ぎ、友だちと集団生活をする大卒浪人は多く、彼らは「アリ族」と呼ばれているそうだ。北京では「ネズミ族」も増えているとか。
北京には虎も蠅もいる。「北京の不思議展」を世界で巡回展示したら結構ドル箱になるのではないか。「100万人が地下暮らし“ネズミ族”の実態は」から。
<(CNN2015/3/15) 住宅価格が高騰している北京で、地下室や防空壕などの狭い空間に住む人々の数が増加している。現地メディアで報じられることはほとんどないものの、こうした人々は「ネズミ族」と呼ばれている。
「ネズミ族」の多くは出稼ぎ労働者で、民間住宅には手が出ない。「戸口」と呼ばれる正規の居住許可証を持っていないため、公営の低コスト住宅に入居することもできず、地下に住むことを余儀なくされているのが現状だ。
北京では現在、推定100万人以上の人々が地下で暮らしているとされる。
写真家の沈綺穎氏は、こうした「ネズミ族」の生活ぶりを5年にわたり記録してきた。同氏は当初、地下で暮らしているのはごく普通の人々だと予想していた。だが、その実態を調査してみると、彼らはかなりの「変り者」だったという。その多くは上昇志向が強い若者だ。
同氏はまた、地下生活が思いのほか快適であることを指摘する。夏には湿気を排除するため除湿器を使用。北京で寒さが厳しくなる冬は、地上の家よりも暖かいくらいだ。
「地下の住空間は悲惨に見えるし、私自身、哀れみの念をもって取材を始めた。だが、人々はできる限りの工夫を凝らして前向きな地下生活を送っている」と沈氏は語る。
一方、南カリフォルニア大学のアネット・キム教授の調査によると、居住スペースの中央値は9.75平方メートル(平井:6畳)、家賃は平均で月70ドル(約8400円)だった。もっとも、これは条件がかなり良い物件の話だという。
北京で建造されるビルは、その全てに地下室を併設することが義務づけられている。1950年代に国防政策の一環として始まった。2010年まではこうした地下の空間に住むことは、建築基準法に沿っている限り、完全に合法とされていた。
しかし、現在の政策では、人々を退去させるのが公式方針になっている。ただ、政策の履行にばらつきがあり、地下住居の賃貸広告は、同氏が調査を行った2013年の間にむしろ増加した。
地下住居の代わりとなる低コストの選択肢は、北京郊外の「城中村」だ。ただ、長時間をかけて通勤するよりは地下での生活を選ぶ人の方が多いのが現状だという。
アネット教授の調査では、「ネズミ族」が地上に住む人々とほとんど交流を持っていないことも明らかになった。同教授は、「地上に住む人々はできるだけ距離を置こうとしており、ネズミ族に対する恐怖を助長する結果となっている」と話す。
成功をつかみ、地上に「昇格」する例もある。沈氏と最初に親しくなり被写体にもなったペディキュア師の女性の場合、北京東部のコンドミニアムの地下で長年暮らした末、地上に移り住んだ。
ただ、このような成功例は少ない。沈氏は、社会階層を上昇していく「ネズミ族」の例も存在するとしながらも、多くの人々にとって戸口制度が障壁となっている点を指摘する。戸口制度の下では、出稼ぎ労働者が家を買って定住することは難しく、北京に生活の拠点を作り家族を持つ上での妨げとなっている。
同氏によれば、大抵の人は、最終的に故郷に帰り、店を構えるなどして家族を養うことを思い描いているという>(以上)
北京はすっかり春のようだが、春節休暇中に経営者がトンズラする「春節倒産」が今年もずいぶん多かったようだ。農民工が地下から這い上がって出世するというのはまずあり得ない感じだが、鬱屈がやがては体制への不満になり、爆発しかねない。
「習辞めろ!」の2通目がネットに載った。消されても消されてもどんどん出てくるだろう。第2次文革を妄想する習を駆逐しないと14億人は悲惨を免れ得ない。
夜は集団的子育て。明日も忙しいだろう。
■4月2日(土)、朝5:00は室温16.5度、花曇、花見客で歩きにくいが、ハーフ散歩。わが街が一番美しい時季だ。
災厄を招いたEUに春は来るのか。Yahoo!ニュース3/25「襲撃から1年『シャルリ・エブド』の風刺画は挑発し続ける」から。
<パリから遠く離れた海辺の町にその男はいた。白髪を揺らしながら、ペンを走らせる。風刺画の巨匠・ヴィレム氏。75歳になったいまも精力的に描き続け、『シャルリ・エブド』紙に寄稿している。
「毒にも薬にもならないことは描かないよ。俺には言いたいことがある。反応が欲しいんだ。暴力的な反応はごめんだけどね」
*身に迫る危険、それでも描き続ける
風刺画家、編集者など12人が犠牲になった襲撃事件から1年。『シャルリ・エブド』は編集方針を変えることなく過激な風刺画を発信し続けている。
現在、編集部の所在地は極秘事項。24時間態勢で警備が敷かれ、取材は受け付けていない。そんななか、同紙に風刺画を寄稿し続けているヴィレム氏と接触することができた。身の安全を守るため、居場所を明かすことはできない。
「編集部の様子は一変してしまった」とヴィレム氏。『シャルリ・エブド』の新しい編集部は防弾ドアで何重にも保護され、食事に行くときも警備の警官と一緒に車に乗るのが日常だ。「風刺やジョークを考える雰囲気じゃなくなったね。編集部は窮屈だからもう行かないよ」と寂しげに笑う。
なぜ危険を顧みず、風刺画を描くのか?
取材場所に指定されたのは、パリから遠く離れた海辺の町。1960年代から風刺画を仕事としてきたヴィレム氏はこの地に身を隠し、『シャルリ・エブド』に載せるイラストを描き続けていた。
「仲間がたくさん死んだ。彼らのためにも風刺画で反撃したいんだ」
*表現は「挑発してなんぼ」
ヴィレム氏には「風刺画は権力への対抗手段。なくてはならないものだ」という強い使命感がある。
「挑発してなんぼ、人びとの頭を揺さぶってなんぼ。フランスではそうやって風刺画が何世紀も描かれ続けてきたんだ」
自身の作品が名誉毀損で訴えられたこともあるが、そんなことには動じない。それどころか、命を狙われることも恐れない。ヴィレム氏の攻めの姿勢を支えるものは一体なんなのか。
ヴィレム氏を貫いているのは、表現の自由を守り抜くという強い信念。ヴィレム氏にとって「表現の自由に境界線は存在しない」、つまり表現してはいけないことは何もないのだ。
「あなたの意見に反対だ。だが、それを主張する権利は命がけで守る」
2015年1月の襲撃事件直後にはパリで大規模な市民デモが沸き起こった。表現の自由が暴力によっておびやかされることを看過できない。そう思った市民たちは「わたしはシャルリ」と書いたプラカードを掲げて通りや広場を埋め尽くした。その数、370万人。なかには、『シャルリ・エブド』の風刺画はやり過ぎだと感じている人や、再三、風刺のネタにされてきた大統領の姿もあった。
背景には、18世紀以降、市民が権力に抵抗し、多くの血を流して自由を獲得したという歴史がある。250年以上前に哲学者ヴォルテールが著した『寛容論』は、事件後1年間で18万5千部を売り上げた。罪のない人間が狂信者の犠牲になった実際の事件をモチーフにした古典だ。
「わたしはあなたの意見に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命がけで守る」。このヴォルテールの言葉が、表現の自由のために立ち上がるフランス人の矜持となっている。
だが、フランスでも「表現の自由」が無制限に認められるというわけではない。『シャルリ・エブド』に関する裁判が起こるたびに、司法の場では表現の自由の境界線をどこに引くべきかの議論が交わされてきた。
*『シャルリ・エブド』裁判“違法”と“合法”の境界は?
1992年以降、掲載された風刺画が人権侵害や名誉棄損にあたるとして『シャルリ・エブド』が訴えられた回数は実に50回。うち40件がシャルリ側の勝訴、8件が敗訴(未決が2件)という判決が出ている。
勝訴と敗訴との境界線は、いったいどこにあるのだろうか。表現の自由と差別の研究を続ける第一人者グエナエル・カルヴェス教授に、シャルリ・エブド裁判を読み解いてもらった。
『シャルリ・エブド』の裁判事例をたどると、訴訟のたびに表現の自由の境界線を決めることに苦慮してきたフランス司法の姿が見えてくる。
たとえばローマ法王を侮辱した風刺画が満載の特集号に対しては、「カトリック信者に対して憎しみを挑発する表現」と判断し、シャルリ・エブドに敗訴の判決を下した。
一方でマホメットらしき人物が「馬鹿どもに愛されるのはつらいよ」とつぶやいている風刺画はシャルリ・エブドの勝訴。争点は「馬鹿」が何を指すのか、だった。
この風刺画には「マホメットは原理主義者で手一杯」のキャプションが添えられている。風刺されているのはマホメットやイスラム教信者ではなく、どの宗教にもいる一部の「原理主義者」であると判断されたのだ。
*権力への攻撃は“表現の自由”
おしなべてフランスの裁判官は「宗教への攻撃はよいが、信者への攻撃はダメ」というスタンスをとっている、とカルヴェス教授は解説する。人々を支配し抑圧しうる宗教は批判してもよいが、ひとりひとりの信者が自由に信仰を持つことは法で守るべき、というわけだ。
だが、「その判断はつねに揺れている」とカルヴェス教授は指摘する。「表現の自由の境界線は明確に引けるものではない。だからこそ、毎回、議論を尽くす必要があるのです」。
*権力に挑んでこその「風刺」
「権力やタブー視されているものに闘いを挑んでこそ、レベルの高い風刺になる。一方でマイナーなものを攻撃することは差別を助長させる可能性があり、レベルの低い風刺と言わざるを得ない」と語るのは、メディア法を研究してきた青山学院大学の大石泰彦教授。
日本における風刺の好例として大石教授は、現代美術家の会田誠やChim↑Pom、コントグループの「ザ・ニュースペーパー」をあげた。サザンオールスターズの一部の楽曲にもレベルの高い風刺が見られるという。
この問題に長年向き合ってきたフランスの司法の場でも、いまだ明確な境界線は引けていない。どこまでが表現の自由で、どこからが人権侵害なのか。誰もが簡単に発信できるソーシャルメディアの普及が、さらに問題を複雑化している。
ネットに書き込まれる悪口、拡散されるヘイトスピーチ動画、有名人をバッシングするツイート……。表現の自由があるからこその多様な発信が、ときに他者を傷つける>(以上)
難しい問題だが、「正義は自分にある、自分を批判する奴は殺す」という人に対しては「目には目を」で殺すしかない。殺し屋の表現の自由=テロを許せば殺されるだけだ。殺されたくないのなら殺される前に敵を殺す。
小生はいつも疑問に思っているが、我々は犯罪者の「更生」を果たして願っているのだろうか。少なくとも小生は殺意をもって瑕疵のない人を殺した殺人者は少年であろうがなかろうが速攻で殺処分すべきだと思っている。年間に300万円もかけて悪意の人殺しを収監するなんて愚の骨頂だ。
殺し屋に甘い社会は殺し屋を増長させる。殺し屋を容赦なく殺す社会は殺し屋予備軍を委縮させる。殺し屋は人間の皮をかぶったエボラ菌である。情け容赦なく駆除すべきではないか。
殺されてもいい、殺し屋の人権を守るのだというのなら、家族を道連れに殺し屋とさっさと心中したらいい。生きていられると迷惑だ。寛容や日和見主義が犯罪を招く。
毛沢東曰く――
「革命戦争は、(平井:メルケルのように)客を招いてごちそうすることでもなければ、文章を練ったり、絵をかいたりすることでもない(平井:理想に酔ったり記念撮影までしている)。そんなにお上品で、おっとりしたものではない。
戦略上は敵を蔑視/憎悪し、戦術上は敵を重視/警戒する。戦いは一戦一戦戦うほかなく、敵を一部分一部分消していくほかはない。これを各個撃破という。
革命戦争は暴動であり、ひとつの階級集団が他の階級集団を打倒す激烈な行動である」
狂気の原理主義を信奉するテロリストとの戦いは激烈な戦争である。過酷な殲滅戦である。各個撃破し、地上から一掃しなくてはならない。敵を激しく憎悪し、冷静に恥多き死を与える。愛は地球をぶっ壊す。憎悪と勇気と戦意と銃が地球を守る。
戦争はお上品なきれいごとではない。「奴は敵だ、敵を殺せ」そういう認識が必要だ。毛沢東は無慈悲にそれを実践し、8000万人を殺しまくって天下を取った。「核戦争で3億人が死んでも構わない。だいたい中国は人口が多すぎるし」と米ソを恫喝した。冷徹な残虐VS無謀な寛容。前者が勝ったのは歴史が証明している。(2016/4/2)