2016年03月25日

◆愛国パフォーマンスに走るワケ

黒田 勝弘


韓国では国会議員選挙が来月13日に迫り、マスコミ報道は連日、政界ニュースで埋まっている。ところが与野党とも公認候補選びが難航し依然、候補者が確定していない。

派閥争いが激しく公認候補がなかなか決まらないのだ。公認者が発表されると今度は脱落者が不満を爆発させ党を揺さぶる。各党とも与野党対決の前に“党内闘争”でひどく苦労している。

韓国の国会議員選挙は4年任期で解散は原則的にはない。このため議員ポストのばらまきで毎回、議員の入れ替えが激しい。いつも40%ほどが新人になり、最長老級が就任する国会議長でさえ現在の鄭義和(チョン・ウィファ)議長は5選で議員歴は20年に過ぎない。

今回も多選議員の首切りが目立ち、与党では金泰煥(キム・テファン)・韓日議連副会長、野党では文喜相(ムン・ヒサン)・韓日議連元会長など大物が公認から外された。日本通で知られる朴振(パク・ジン)・前議員も与党の公認が取れず再起に失敗した。

知日派が少ない韓国政界からさらに知日派議員が減りそうだ。党公認問題が大騒ぎになる背景には、韓国政治がきわめて中央集権的ということがある。候補選びも党中央の「公薦委員会」が一手に引き受け、いわばすべて天下り式に決定される。

その結果、地域住民の支持が高くても、党中央での派閥の案配や大統領への忠誠度など政治的判断で公認を外される。現役議員でも党中央の都合で出馬選挙区の移し替えが平気で行われる。

韓国は李朝時代から圧倒的な中央集権国家で、日本の「藩」のような地方政権は存在しなかった。このため地方の統治者はすべて中央から派遣され、地方自治的な考えは存在しなかった。

この“天下り体質”が今も尾を引いていて、中央は勝手に地方をコントロールしようとし、地方はいつも中央ばかり見てその鼻息をうかがうという構造が続いているのだ。

選挙のたびに議員の入れ替え(韓国では「ムルガリ」という)が激しく新人が多いため、議員は専門性に欠ける。日本での「税制の神様」みたいな官僚顔負けの専門議員は極めて少ない。そこで最も簡単な存在誇示としてマスコミ受けのする愛国パフォーマンスに走る議員が多くなるというわけだ。

韓国の国会議員が与野党問わず、竹島問題や慰安婦問題など反日に熱心なのもそのせいといってもいい。大向こう受けのする反日・愛国論は、専門的な知識や経験がなくても弁舌だけでやれるからだ。

一方、今回の選挙の見モノとしては、野党陣営が主流の「共に民主党」と新党「国民の党」に分裂したことから「与党セヌリ党の勝利は確実」というのがもっぱらの見通しだ。そのため話題の中心は与党内の朴槿恵(パク・クネ)大統領派と非朴大統領派の派閥争いに、つまり公認争いになっている。

政界筋によると、非朴大統領派の中心は次期大統領を狙う金武星(キム・ムソン)・党代表で、これを機に勢力拡大を図ろうとしている。これに対し朴大統領派は、金武星氏を嫌い次期大統領に潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長を担ぎ出したい朴大統領の意向をくんで金武星一派の追い落としを狙っているというのだ。(ソウル駐在)
産経ニュース【緯度経度】2 016.3.
 

◆私の「身辺雑記」(326)

平井 修一



■3月22日(火)、朝5:00は室温14.5度、ちょっと寒い、曇のち晴れ、ハーフ散歩。

三分咲き 春も三分の 日和かな(修一)

日当たりのいいところでは三分、他はせいぜい一分咲きだ。街の「桜祭り」は来週の4/3/日。もつといいが。

昨夜、孫・子は風呂に入って機嫌よく帰っていった。たまに3連休はいいものだが・・・功罪はある。

小生ら旅行業界人はビジネスチャンスが拡大するからと、二階俊博(風見鶏。中曽根はそれなりに国家観があった政治家、二階は所詮は私利私欲の政治屋)を担いで祝日法改正(ハッピーマンデー)キャンペーンを張ったが、「とにかく有給休暇もまともに取らない国民性なのだから、強引に休ませるしかない」と(多分、皆)思っていた。

イクメンとかワークライフバランスなんていう言葉もなく、ワーカホリック、過労死が珍しくない時代。「休みたいとか、楽をしたいとか、遊びたいとか思ったら、死ね、鉄也!」・・・そういう時代だった。

今だって日本人は「勤労は美徳。休むのならきっちり仕事を済ませてからにしろ」という気分ではないか、仕事優先(小生のように仕事≒趣味娯楽生き甲斐の人も多いだろう)。

週休2日はかなり浸透したが、職場によっては月に6日間しか休みを取れないとか、昔の小生のように「週1休みがいいところ」なんていう人も今で
も珍しくないだろう。

だからある程度は強制的に休ませるということには意味はあったのだが、「記念日」なのに「日にち」が意味をなさなくなってしまった。

成人の日:1月第2月曜日、海の日:7月第3月曜日、敬老の日:9月第3月曜日、体育の日:10月第2月曜日。

<(当初、成人の日を)1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて「元服の儀」が小正月に行われていたことによる>(ウィキ)

体育の日は10月10日で、それは1964年の東京五輪の開幕日だったからだ。

そういうメリハリがなくなるというのは、ちゃんと料理を作らずにカップ麺で済ますような味気なさ、不健全さを感じる。子供を作らずに犬猫で済ますとか・・・なにか文化破壊のようなイヤな感じを受ける。

「なったらなったで、ならぬ昔には戻れない」と山本夏彦翁は言うが、いささか忸怩たる思いがする。茶道があるのなら人間道、社会道、国家道というものもあるはずだ。その「道」にそむいているような気がしてならない。

過疎地ではお墓の遺棄や「墓じまい」という撤去が増えていると聞く。そうなればご先祖様との縁も切れてしまう。ロシア革命に影響されて大正時代に「猫撫で声」(夏彦翁)でじわりじわりと始まった日本版の文革がかなり進んでいるのではないか、夫婦別姓とか。要警戒だ。

散歩の足を延ばしてスーパーでワイン3本、とちおとめ、ミツカンの「黒酢醤油タレ納豆」をGET。この納豆はすこぶる革命的だが、最近、大豆が少し大きくなって味覚が落ちた。残念だ。

シェア60%、メジャーの「オカメ納豆」と張り合う必要はないのだからコストダウンより「高くても旨い!」ものを作って欲しいと思うが・・・

ヂヂババは貧困層ばかりではないぜ。デパ地下に勤めていた女性曰く「マグロ刺身で真っ先に売れるのは最高級品」。小生は「たかが納豆」のレベルだが、オカメが3パック100円、それならミツカンが300円でも買うなあ。そういうマーケティングが必要だ。価格競争、足の引っ張り合いでは前進しない。

N母子来泊。小生が元気なうちは支援するしかない。そのうち小生が支援されるかもしれない・・・脳ミソが劣化すると大往生丸で逝く判断ができないで迷惑をかけたりするから「ロウソクの火が消えないうちに」と思っても、そういう時はまだ元気が残っているから「もう少しは」と思うのだろう。

未練である。が、人間はそういうものだ。変な延命医療をしなければ2、3日で逝くと思うが・・・迷惑な痴呆症は大往生丸を使うしかないだろう。

明日はまたまた集団的子育て。旨いものを食わせてキャインと言わせる。倒れるまでやるしかない、どうせ暇だから・・・ま、いい運動だ。

■3月23日(水)、朝6:00は室温16度、ちょっと寒い、花曇/晴、散歩。結構咲いてきて、吟行の老人がうじゃうじゃいた。母も元気な頃はよく吟行へ出かけたものだ。足を延ばしてして生牡蠣を買いに行ったらなかった。昨日はあったのに・・・牡蠣のシーズンは終わったようだ。仕方がないから冷凍を買った。

フランスの牡蠣は一度絶滅して、現在のは広島から輸入して養殖を重ねたものだ。フランス人は知らないだろうな。

フランスに続いてベルギーでテロ、34人が殺された。イスラム菌を呼び込んだメルケルEU、イスラム菌を拒絶せよというトランプ。どちらが正気か。一目瞭然だ。良性イスラム菌と悪性イスラム菌は区別がつかないし、あっという間に良性が悪性へ変異する。

だからイスラム菌は容赦なく拒絶しなければならない。ドイツの州議会選挙を見るとリベラル≒アカどもは多少は除染されつつあるが・・・中世にペストでひどい目に遭ったように(人口半減)イスラム菌で相当殺されないとまともな“衛生観念”は定着しないだろう。難民モドキを抱擁するなんてバカな奴らの自傷行為だ。頭がイカレテいるから救いようがない。

支那では中共菌駆除の動きが加速してきた。結構なことである。大紀元3/21「習近平の妻、暗殺未遂か 警察幹部が両会前に逮捕」から。

<北京がもっとも社会の動きに「敏感」になる両会の開催前、1人の「武装警察」の幹部が逮捕されていた。容疑は、習近平主席の妻・彭麗媛氏に対する暗殺未遂だという。

独立メディア・博聞社16日の報道によると、この逮捕された警察幹部は、中国旧正月あとに彭氏が予定していた旅行で利用する交通機関に、何らかの不具合を起こそうと画策していたという。彭氏の警護を担う「中央警備局」が電話を傍聴し、この幹部を逮捕した。

報道によると、この「暗殺未遂」を防ぐために、幹部が所属していた武装警察部隊の全員に捜査対象となった。計画が、個人か組織か、また動機など詳細は明らかになっていない。

彭氏は現在、軍のなかで解放軍芸術大学院長という高級幹部に位置する。しかし、消息筋の話では、彭氏と娘2人の警備は、軍ではなく「中央警備局」が担当している。習近平主席の警備は「中央警備局」トップである王少軍・同局長が務める。

ここ数年、政権を奪還したい江沢民グループによる習近平政権(転覆)クーデター計画や暗殺計画説が、海外の中国語メディアで流れている。伝えられるところによると、死刑が確定している周永康・元政治局常務委員は、少なくとも2度暗殺計画を立てていたという>(以上)

中央警備局は習の親衛隊、ヒトラーの突撃隊 (SA) 、親衛隊と同じだ。モットーは「Meine Ehre heißt Treue、忠誠こそ我が名誉」。

一方、武装警察(武警)は、習が掌握しきれていない軍の影響力が大きいのだろう。習は自分に銃口を向けそうな武警を怖れている。武警よ、立て! 立つんだ!

日本戦略研究フォーラム政策提言委員/拓殖大学海外事情研究所教授・澁谷司氏の論考「中国メディアの習主席に対する反撃」から。

<3月7日、新華社記者・周方がかつての事件を“再告発”したことについては、ほとんど報道されていない。

2013年、周方は、某副部級(副大臣レベル)高官が“酒池肉林”の宴会に参加した事を告発している。だが、その件は共産党当局によって握り潰された。

そこで、周方は、全人大常務委員会、最高人民法院、最高人民検察院、中国共産党中央紀律委員会に対し、今度は実名で、メディアを主管する特別インターネット主管部門が基本的人権を踏みにじり、基本的言論の自由を侵害した、として再告発した。以下がその要旨である。

《党インターネット主管部門は長期間にわたり職務怠慢、職権乱用、人権侵害等の憲法違反行為を行っている。

同主管部門の違法行為は思想を混乱させ、世論を誤った方向へ導き、国家の安全と安定の脅威となっている。また、「改革・開放」の深化を妨げ、共産党・政府・国家のイメージを悪くさせ、中華民族の長期的利益を損なっている。

関係部門は憲法を無視し、「法の支配」の原則を無視している。法律的手続きを採らず、また、法律の根拠がないにもかかわらず、至る所でブログや中国版ツイッターのアカウントを閉鎖している。

インターネット主管部門は、公安やCCTV(中央テレビ)等の政府部門やメディアの部門の連携下にあり、そこのトップが法律に取って代わっている。同主管部門のリーダーによってブラックリストが提出され、公安が問題の人間を逮捕する。

近頃発生した「任志強包囲」の類は、インターネットによる“文革式大批判”に似ている。その結果、人々はパニックを引き起こし、当局に対し憤慨している。

中国共産党は18期党大会以降、インターネット主管部門の統治下、ネット世論は大きな圧力を受けている。それは人民の言論の自由に対する重大な侵犯である。

以上の理由により、全人大常務委員会、最高人民法院、最高人民検察院、党中央紀律委員会には、しっかりと調べて欲しい》

ところで(序列3位の)劉雲山政治局常務委員(上海閥)は、かつて党中央宣伝部長を10年間も務め、未だ党中央宣伝部に対し影響力を持つ。恐らく劉雲山は「太子党」の習近平主席に“面従腹背”で接しているに違いない。

表向きは習主席を(毛沢東型)“皇帝”として祭り上げながら、裏では「太子党」を分裂させるよう画策しているのではないか(例:人気ブロガー任志強のアカウント閉鎖によって「習近平・王岐山コンビ」には亀裂が入った)。

同様に、党中央宣伝部も表面的には官製メディアが習主席に対し忠誠を誓うよう指導しながら、裏では党の分裂を図っている可能性を否定できない。そして、人気のない習主席を廃して、李克強首相を担ぎ出す構想を描いているという公算もある>(以上)

任志強に続いて習の膝元の新華社記者・周方が命懸けで声を上げた。感動的だ。

軍閥が割拠する「国盗り物語」が始まろうとしている。壮大なスケールで中共残党狩りとなるか。人民は腹の底では中共を憎んでいるから文革のように8000万党員を皆殺しするかもしれない。合言葉は「中共菌を絶滅せよ」。

まずは瀋陽軍区が立ち上がれ。「敵は中南海にあり、全国の同志諸君、北京へ攻め上れ! 中南海を包囲せよ!」。天安門広場で習一派九属を公開処刑し、時代が変わったことを人民と世界に示すべきだろう。

「政権は銃口から生まれる」、習が言動を猿真似している毛沢東はワルだが頭は良かった。功7割、罪3割。習近平もワルだが、頭が悪すぎた。功1割、罪9割。この差はすこぶる大きい。毛は建国の父、習は桀紂で終わろうとしている。

■3月24日(木)、寝坊、朝7:00は室温16度、ちょっと寒い、微雨、散歩不可。

今年、日本とベルギーは1866年に日白修好通商航海条約を締結、外交関係を樹立してから150周年を迎えた。ベルギーとゆかりの深いフランス人、シャルル・ド・モンブラン伯は島津侯の顧問、次いで明治新政府の顧問的な存在として日本に滞在した。

第1次大戦でドイツに侵略されたベルギーの勇敢な抗戦ぶりが日本でも知られ、ベルギーに対する義援金、日用品がベルギー軍、国民に送られた。関東大震災の際にはベルギーが義援金を日本に送ってくれた。

第2次大戦中、ドイツに占領されたためベルギーとの国交は断絶したが、戦後は関係が再開し、経済関係を中心に発展。

ベルギーは、特に1970年代終盤以降、日本の貿易黒字が世界的に問題視された時代に大規模な対日経済ミッションを派遣。日本側も、経団連によるベルギー訪問団や日本におけるベルギー企業に対する支援を通じ、両国間の貿易投資関係の拡大に努力した。

昭和天皇が皇太子時代の1921年にベルギーをご訪問されて以来、日本の皇室とベルギー王室は世代を超えて非常に親しくされている。(以上、外務省、ベルギー日本人会による)

大事な友好国に何が起きているのか。在英ジャーナリスト・小林恭子氏の論考「ベルギーとジハド・テロのこれまで」(アゴラ3/23)から。

<22日、欧州連合(EU)の主要機関が置かれているベルギーの首都ブリュッセルで、同時多発テロが発生した。英フィナンシャルタイムズはこの日を「EUの心臓部が攻撃された日」と呼んだ(22日付)。後に「イスラム国」(IS)の犯行声明が出た。

なぜベルギーがターゲットになるのだろう?

IS側の声明によれば、ベルギーはイラクやシリアを拠点とするISへの攻撃に参加している国の1つだからだという。

詳しい背景について、アルカイダをはじめとするイスラム原理主義テロ集団を長年追ってきた、英ジャーナリスト、ジェイソン・バーク氏の分析(22日付、ガーディアン)を見てみよう。

同氏によると、過激主義者によるイスラム教をかたってのテロ行為は世界中どこで発生したかにかかわらず、(以下の)共通する理由があるという。

「一定の規模を持つ、社会全体から孤立したイスラム教徒のコミュニティが存在している」

「そのコミュニティの中の若者層の失業率が高い」

「武器が手に入りやすい」

「高いレベルの通信・移動ネットワークを手中にしている」

「取締当局が現状に甘んじる傾向があり、人的資源を十分に割いていない」

「国内の政治不安」だという。

さらに、ベルギーでは、ソーシャルメディアや仲間同士で暴力的なイデオロギーが流布しており、これ自体が直接的な暴力行為に結び付くわけではないが、「憎悪感に満ちた、不寛容な、かつ超保守的な世界観を奨励する」傾向があるという。

ベルギーの規模(人口約1100万人)や国全体が2つに割れている形をとることが武器の流入・流布に貢献した、という人もいる。北部フランデレン地域(人口の約6割、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語)と南部ワロン地域(約4割、フランス語が公用語)の角突き合いは1830年の建国時からものだ。

ナポレオン戦争時の欧州再編成にともなって、列強のパワーゲームの中から生まれたのがベルギーだ。

歴史を振り返れば、1980年代、90年代にはほかの欧州諸国同様に、中東に根を持つテロ事件が発生した。90年代にはフランス北部でアルジェリアの独立運動をめぐって暴力事件が連発し、隣国ベルギーもその余波を受けた。

2000年代の前半にはマドリード(2004年)やロンドン(2005年)でイスラム系テロが発生し、多くの犠牲者を出したが、過激主義のネットワークがベルギーでも構築されている証拠があったにもかかわらず、当局は「ベルギーをほとんど重要視しなかった」(バーク氏)。

2005年にイラクで自爆テロを実行したベルギー出身の女性は、自爆テロを行う初めての欧州生まれの女性となった。しかし、この時点でも「ベルギー=ジハディストの巣」という見方は一般的には広がらなかった。

大きな追い風となったのがシリア内戦だ。ベルギーから中東に向かうイスラム系青年たちが次第に増えていったからだ。

バーク氏の見立てによると、欧州からシリアで戦うために向かった青年たちの中で、一国当たりの人数が最も多いのはベルギーだ。

50万人のイスラム教徒を抱えるベルギーで、アサド政権討伐のためシリアに渡った青年たちは450人から560人と言われているという。その大部分がISに参加して戦った。

*モレンベークがテロリストの巣に

首都ブリュッセル(人口90万人)の南西部郊外にあるモレンベークでは、人口の80%がイスラム教徒だ。失業率は30%で、これは国全体の失業率の3倍だ。

昨年11月のパリ同時多発テロの実行グループの一人で、先日、ベルギー当局が捕まえたサラ・アブデスラムがこの地域で生まれ育った人物だった。グループの大半もここで生活していた。

アブデスラムは世界的な指名手配人物となったが、パリテロ発生から4か月後、最終的につかまったのはモレンベークの一角だった。ベルギーの捜査当局の力不足が露呈したかのような逮捕だった。当局にとってモレンベークは十分に情報が取れない地域になっていた。

*ベルギーとジハディスト

英数紙の報道をまとめると、2000年代に入って、ベルギー関連で以下のテロ事件が発生していた。

2001年9月:米国で同時多発テロが発生する直前、モレンベークを拠点とする国際テロリストグループがアフガニスタンで、反タリバンの指揮官を殺害した。

2005年11月:ベルギー人でイスラム教徒への転向者がイラク・バクダッドで自爆テロ。4人を殺害。欧州出身の最初の女性自爆テロリストとなった。

2010年:「シャリア・フォー・ベルギー」が立ち上げられ、シリアで戦うISの戦士をリクルートした。

2014年5月:ブリュッセルのユダヤ人博物館で4人を銃殺した人物はフランス人だったが、モレンベークを拠点としてブリュッセルで犯行に及んだ。3人が殺害され、一人が重傷。

2015年1月:パリの食料品店で4人を殺害したアメディ・カリバリはモレンベークで銃を調達していた。風刺雑誌シャルリ・エブドで風刺画家らを殺害したコアニ兄弟もモレンベークなどで調達した銃を使った。

同年11月:パリ・テロの実行犯の一人アブデルハミド・アバウドとアブデスラム兄弟が生まれ育ったのはモレンベークだった。

今年3月18日:サラ・アブデスラムがモレンベークで逮捕される。

22日、ブリュッセル国際空港と地下鉄で同時多発テロ発生>(以上)

イスラム菌に寛容で警戒を怠ったために大災難を招いてしまった。戒厳令を敷いて危険人物/予備軍を予防拘禁、国外追放、通信傍受、効果があるのなら水責めでもして尋問し、テロ・ネットワークを捕捉し、絶滅しなければならない。モレンベークをフェンスで囲って出入りをチェックしろ。

それをしなければ国民は殺される。殺される前にテロリストを殺す。攻撃は最大の防御なり。ごく当たり前のこと、これは戦争なのだ。

ジハーディストは自派の人間以外は奴隷か敵でしかない。自分が死ぬのも他者が死ぬのも恐れない、ためらわない。人間の皮をかぶった歩く狂気、凶器だ。彼らは我らを憎悪し、冷酷に殺す。それならは我らは彼らを激しく憎悪し、冷静狡猾に殺す。老朽船に詰め込んで大西洋の真ん中に放置し、神の手に委ねたらいい。

ジハーディストを一日でも早く絶滅できることを友好国として祈っている。(2016/3/24)

2016年03月24日

◆トランプが大番狂わせを起こした理由

加瀬 英明



アメリカの共和党の大統領候補レースで、不動産王のドナルド・トランプが、大番狂わせを演じている。

トランプは予備選で先頭を切るまでは、アメリカの主要メディアから、暴言を連発する「寄席芸人(ボードビリアン)」扱いにされて、泡沫候補として片付けられてきた。

だが、いまでは共和党の大統領候補となるかもしれないと、いわれている。

民主党は、3月1日の“スーパー・チューズディ”で、ヒラリー・クリントン夫人がサンダース上院議員に大差をつけて、大統領候補指名を手にしている。

東京では外務省が、共和党の大統領候補になろうとも、ヒラリーがホワイトハウスを射止めることを、あげて祈っている。

ヒラリーなら、オバマ政権の国務長官として、日本に独特な憲法上の制約を承知しているはずだというのと、外交アドバイザーとして、国務省で日本を担当していた、ロバート・キャンベルがついているためだ。

トランプは、日米安保条約が日本に一方的に有利なものであって、アメリカに不公平な負担を強いているから、日本と交渉して、改定するべきだと主張している。

アメリカは多くの諸国と軍事条約を結んでいるが、日米安保条約が唯一つの例外として、アメリカが日本を守ることを、片務的に約束している。

韓国も、フィリピンも、アメリカと対等な相互防衛条約を結んでいる。ヨーロッパの人口40万の小国ルクセンブルグも、北大西洋条約機構(NATO)の一員として、アメリカをはじめとする加盟国を守る義務を、負っている。

アメリカが日本との間だけに、アメリカが一方的に日本を守る保護条約を、結ばざるをえなかったのは、アメリカが日本に占領下で「平和憲法」を押しつけたためだった。

このために、日米関係は今日にいたるまで、きわめて変則的なものとなってきた。

もし、アメリカが「平和憲法」を強要していなかったとすれば、日本が独立を回復してから、米韓、米比条約と同じように、日米関係が相互防衛条約によって結ばれていたはずだ。そして、日本国民は誰一人として、不思議に思うことがなかったはずだ。

トランプは無知から、暴言を吐いているわけではない。

抜け目ない経営者であるだけに、マスコミを巧みに操って、利用する手腕には、私は舌を巻かされてきた。有名な億万長者(ビリオネア)が暴言を発するたびに、マスコミが興味本位に大きく取り上げて、全米に報道することによって、トランプ像が膨れ上がってきた。

トランプはフィラデルフィアの名門校のペンシルバニア大学のウォートン・スクールでMBA(経営学修士)を取得しているから、優秀な学生だったのだろう。私は同大学から講義に招かれたことがあるが、ウォートンのMBAは、ハーバードのMBAと並んで評価が高い。

今回、トランプはホワイトハウスを狙うのに当たって、内外問題に通じている専門家集団を、ブレインとしてかかえている。国防情報局(DIA)元局長のマイケル・フリン中将(退役)が、外交・安全保障問題のアドバイザーをつとめている。

いまでも、国務省は中国と日本に対して甘く、国防省が両国を醒めた目で見てきた。


◆秋田県の“不思議いっぱい”

平井 修一



秋田県の県紙は「秋田魁新報」である。魁(さきがけ)、いい呼称だが、ご多聞に漏れずアカ系である。明治維新後は雨後の竹の子のように新聞が創刊された。自由民権運動が大いに盛り上がっている時期だから、政府と新聞はほとんど殴り合っている。

このDNAが継承されているからマスコミ≒アカになっており、欧米も似たようなもので、「政府/保守を叩き、アカ/左派に優しい」が主流だ。ナポレオンが一番恐れたのは新聞だった。

秋田魁新報の前身は「遐邇新聞」」(「かじ」は遠近の意味)だが、「明治12(1879)年9月5日 遐邇新聞編集長橋本一止(福島県令誹膀)禁獄10月」(渋沢社史データベース)とある。

「魁」の社史には「9月19日仮編集長橋本一止が拘置され、翌13年獄死。言論弾圧による全国初の犠牲者」とある。筆禍事件は日常茶飯事だから、マスコミは「身代わり」「生け贄(スケープゴート)」を用意するのが戦前では普通だった。発行人とか編集人がパクられる仕組み。

橋本一止氏は多分老人で、獄中で病死したのではないか。判決が9月5日、収監が9月19日だったのは橋本氏の体調が悪かったためかもしれない。新聞界初の「言論弾圧による犠牲者」として歴史に名を刻んだが、氏の経歴などはネットでは分からなかった。

いずれにせよ「魁」は他紙に魁て「栄えある勲章」を得て新聞界に名を馳せたわけだ。

秋田県について調べてみた。小生が秋田を訪ねたのは新秋田空港が開港してから間もない1981年か82年あたりで、初の国際線としてソウル便が開設されたというので取材に行ったのだ。

びっくりするほどの広大な農地と、びっくりするほどの秋田美人。その他にはあまり印象はない。以来、どうも本州の僻地という感じがして、小中学生の学力ではトップクラスで、「あきたこまち」というブランドもあるが、それ以外にはあまりニュースを聞かないし、なんとなく目立たない県だ。

もっとも小生がオフィスを置いた新宿1丁目の小料理屋「竿灯」へはしょっちゅう通ったが。元教師の秋田県人ご夫妻が経営していた(郷土の学生に学費を支援していた、大したものである)。小生がお世話になっているメルマガ「頂門の一針」の主宰者は秋田出身だし、今食べている米は「あきたこまち」、何か縁があるのだろう。

県のサイトにはこうあった。

<秋田県は、明治時代になる前は、安東氏や佐竹氏などの武士が治めていました。

秋田が歴史にあらわれたのは、和銅5年(712年)に出羽国(でわのくに)が置かれたのが最初です。

慶長7年(1602年)に、佐竹義宣が常陸(茨城県)から出羽秋田に国替えを命ぜられ、久保田城(いまの千秋公園)を築きました。

明治維新により、日本は封建社会から近代国家への道をあゆみ、明治4年(1871年)の廃藩置県により秋田県となりました>

ずいぶんそっけないが・・・観光で有名なのは十和田湖、白神山地、祭は竿灯、風俗ではなまはげ、かまくら、味覚はきりたんぽ鍋と日本酒。イブリガッコもある。温泉も多いからそこそこの人気だが、どちらかというと地味である。

奥州藤原氏三代ゆかりの寺、岩手県平泉中尊寺のような文化力というか派手さがない。

芭蕉は元禄2年3月末に江戸深川を出発し、全行程約600里(2400キロ)、日数約150日間で東北・北陸を巡って「おくのほそ道」を著した。秋田では象潟(きさがた)を訪ねており、こう述している。

<江山水陸の風光数を尽くして、いま象潟に方寸を責(せむ=向かっている)。酒田(山形県)の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、いさごをふみて其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風 真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。

闇中に莫作して「雨も又奇也」とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑(あま)の苫屋に膝をいれて、雨の晴を待。

其朝天能霽(よくはれ)て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先(まづ)能因島(能因法師がこの島に三年間隠れ住んだと伝えられているが史実ではない)に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。

(西行は奥州藤原氏と縁戚関係にあり2度訪ねており、象潟に足を延ばしたのだろう。その際の歌は「象潟の桜は波に埋れて 花の上漕ぐ海士の釣り舟」)

江上に御陵あり。神功(じんぐう)皇宮の御墓と云。寺を干満珠寺と云。此処に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや(なんか怪しい話だ)。

此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむやむやの関(伝説上の話)、路をかぎり、東に堤を築て、秋田(現秋田市。当時、佐竹氏20万5千8百石の城下町)にかよふ道遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。

江の縦横一里ばかり、俤(風情)松島(宮城県)にかよひて(似ている)、又異なり。(太平洋の)松島は笑ふが如く、(日本海の)象潟はうらむ(悲しむ)がごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

象潟や雨に西施がねぶの花

(象潟の海辺に合歓の花が雨にしおたれているさまは、伝承にある中国の美女、西施がしっとりうつむいているさまを想像させる――

西施は中国春秋時代の美女。越王は呉王を堕落させるために西施を送り込む。呉王は見事にその策略にハマり、西施を溺愛。国政がおろそかになり、とうとう越王によって滅ぼされた)>(以上)

芭蕉は江戸から逆時計回りで奥州・北陸をめぐったが、象潟から“文明の地”酒田(山形県)に速攻で引き返した。秋田はいささか寂しい北の辺境だったようだ。

イサベラ・バードは1878年(明治11)、西南戦争の硝煙が残っている年に来日し、東北と北海道を旅行しているが、上記の城下町久保田(現秋田市の中心部)はちょうど祭りの最中で、こう記述している。

<素晴らしく上天気で、夏の太陽はすべてに光を注いでいる。これらは私が今までに日本で見た中で最も陽気でお祭りらしい光景となっていた。

男も女も子供も、荷車も人力車も、警官も乗馬者も、今祭をやっている港へみな急いでいる。港は久保田の荷揚げ港で、このみすぼらしい町では神明(天照大神)という神の誕生日を祝って祭をしている。

人力車がそれ以上進めなかったので、私たちは車から降りて群衆の中に分け入った。群衆は狭い通りの中をぎゅうぎゅう押し合っていた。

警察の話では、港に2万2000人も他所から来ているという。しかも祭りに浮かれている3万2000人の人々に対し、25人の警官で十分であった>

貧しい町だが、不快な思いはまったくせずに、子供をかわいがり、実に行儀のよい住民だったと感動している。小生もビックリする。今なら最低320〜1000人の警官が必要だろう。(中共なら3200〜1万人)

司馬遼は「北のまほろば」で青森までは書いた。青森は太宰が精神が一番落ち着いていたときに「津軽」を著したことですさまじい宣伝効果を上げている。

一方で秋田は司馬遼から完璧にシカトされた。文化の香りがしない、知的刺激がないのだろう。貧しさゆえのようだ。坂口安吾著「安吾の新日本地理 秋田犬訪問記――秋田の巻」(1951/昭和26年11月)から。

<戦争で焼けたバラック都市を見るよりも、焼かれずに残った、昔ながらの都市を見る方が、日本の庶民生活の貧しさ悲しさに目をうたれるのである。

まして雪国ともなれば、風土的にどうにもならない貧しさ悲しさが一そう甚しく目をうつものだ。秋田市は徳川三百年一貫して佐竹氏の城下であるが、領主がいかに善政をしいたところで風土的にどうすることもできない貧しさ悲しさは街々の古い姿にハッキリ現れている>

秋田県大館市にあった花岡鉱山。1945年6月30日に支那人労務者が蜂起し、日本人4人を殺害した「花岡事件」で知られる。なんとなく殺伐とした感じがするが・・・ブログ「argusakita」3/7「近代以降の秋田は“移民”が活躍した内国植民地か?」から。

<しばらく前から秋田県の明治以降の歴史についていろいろな資料や文献を探してつまみ食いのように読んでいるが、なかなか表に出てこない事柄があり気になっている。

しかし、あれこれ読んでいると現在の秋田県の面妖な施策や県民性といったものにどこか通じているかのようなものもあり勝手に想像(妄想?)の翼を広げている(^^)。

東京生まれの筆者が言うのも妙ではあるが、個人的な印象では秋田県の県民性は他県他地域に比較して郷土愛のようなものをあまり感じさせない。

例えば、山梨などは未だに普通の人が武田信玄に『公』を付け、その功績を讃える空気があるし、西日本のあちこちの有名な城のある街では築城した人物について様々なエピソードが残り、語られることが多い。

が、秋田では歴史に造詣のある人間くらいしか佐竹に『公』を付けて呼ぶ習わしは無いし、歴代の藩主の銅像が街の中にあるということも無い。

これは関ケ原後の転封による外様大名であったことや、秋田という原野に近い地域を開発することで、引き連れてきた(石高に比して)過剰な家臣団を食わせるために汲々としていた佐竹氏歴代が、武田信玄のように地元の領民を大切にする余裕が無かったたため、殿様に対するリスペクトや親近感が無く、単なる藩主としての半ば強制的な『お上』扱いの空気しか無かったことによると思われる。

経済的な余裕が無いため後世に残るような寺社仏閣、庭園、その他の社会インフラを構築する余裕も無かったのは、菩提寺の天徳寺の質素さからも想像できる。これは本家だけでなく分家も皆そうだったのだろう。

佐竹以前の秋田氏(安東氏)に対してはどうだったかはほとんど資料が無いため、単なる狭い地域(沿岸部)の豪族、国衆程度の認識だっただろうと想像するしかない。

秋田市の狭く、クランクの多い道は城下町風ではあるが、町割りは防衛を意識したものであることは理解できるものの、商工業の発展を優先したものとは言い難い。

そんな江戸時代を経て、明治になり官選知事が着任後は秋田市だけは急激な発展を見たようだが、秋田市以外については鹿角・大館あたりの鉱山関連の街ぐらいしか近代的な地域は存在していなかったようである。

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』などを見ても県南部の院内から大曲・角間川あたりまでは横手の豪農が紹介されているくらいで、民衆は裸同然で暮らし非文明的な様子が描かれている。土崎湊以北の地域も似たようなものだったらしい。

その秋田=(秋田市+鹿角・大館)が秋田県という広大な地域として発展した近代は、実は地元の住民ではなく“どこかからやってきた人々”の努力によるものというのが筆者の推論だ。

食糧増産という表向きの名目で実施された「八郎潟干拓」は実はオランダへの戦後賠償(平井:オランダは今でも治水事業では世界トップクラス。同国デルフト工科大学のヤンセン教授が八郎潟干拓の指導をし、日本はコンサル料を払ったり機械を買ったのだろう)と、農家の次男・三男の余剰労働力吸収が目的だった。

それ以前から国策で長期間にわたって実施されていたのが、田沢疎水と仙北平野の開拓である。雄物川、玉川、出川に囲まれた15,000haを超える秋田県最大の穀倉地帯は自然に出来たものではない。扇状地に広がる原野は原始林で土中には大きな玉石がゴロゴロしていたそうで、頻繁に3つの河川の氾濫で手の付けられない地域だったそうだ。

ここに、昭和12年東北振興計画の一つとして田沢湖を水源とする玉川の河水統制計画に基き、総工事費9億3千万円で発電の放流水を利用する30kmに及ぶ導水路を構築する田沢疎水国営開拓建設事業(昭和12年〜37年)が開始された。

この田沢疎水と畑地灌漑と開田事業の際に入植した戸数が396戸だったそうだ。当時の既存の農家は仙北地域で約5,000戸だったそうだから396戸は大きなインパクトがあったと思われる。

この入植者は一体どこからやってきたのか・・・

農業支援というカテゴリは実は土木工事が本質であり、このあたりに昔から農業県秋田が実は土建屋体質秋田であることが伺える。

別の資料では最初の入植者は9地区323戸という記録が残っているそうだが、地元の既存農家にはそのほとんどが『東京都からの入植者』と説明されたようだ。

実はそのあたりの記録がどうしても探せない。323戸といえば常識的には1,000人規模の人数だろう。そんな数の人間が昭和初期の文明的な東京を離れてわざわざ原野に入植するだろうか。

朝鮮人のような外国人かどうかは不明だが、間違いなくいわゆる被差別部落あるいはルーツが新平民といった人間達だっただろう。

こういった国内での入植・開拓事業は秋田だけではないが、いわば内国移民が活躍したことは間違いなく、“米どころ仙北”はそういった入植・開拓者によって過去80年程で作られたものといって差し支えないだろう。

また、秋田県の場合は鉱業が盛んで歴史的に三菱、古河、同和の企業植民地的な地域もあり、そこで鉱山労働者として働いていた人間達がどこからやってきたのかは不明なところが多い。

戦時中の徴用で連れて来られた(あるいは日本に稼ぎに来た)支那人、朝鮮人は多数だが、県南では院内銀山と院内の鉄道の隧道工事も多くの労働者をどこかから連れてきているし、非常に多くの事故死傷者を出している。

これらの鉱山、隧道工事の労働者達もまた秋田の近代化の名も無い主役達であることは間違いないが、その鉱山、隧道工事に区切りが着いた時点ですべてどこかに帰っていったとは考えにくい。むしろ、職業を変え住み着いたと考えるのが自然だろう。

筆者の知人でも一代で薬局、薬品卸を創業した人物(故人)がいるが、生ま
れは某鉱山の労働者住宅だったと直接聞いたことがある。

秋田、特に県南は朝鮮や支那にルーツを持つ人間が他地域に比べて多いと聞くが、既に戸籍上もそれを検証できないとも言われる。

何百年も昔の話ではなく、過去100〜150年ぐらいを見ても近代秋田を作ったのは実は秋田のnativeではなく、むしろ“どこかからやってきた人々”が主体だったのではないかと推察するのである。

教育現場で秋田の郷土史(特に近代史)を詳細に扱わないことが郷土愛醸成が不十分になる理由の一つとも言われるが、実はあまり詳細には教えられない、あるいは教えたくない側面が多いのだろう。

また、県南の自治体で外国人の職員採用が多いことや、説明不足で意味不明なソウル便への執着といった『現象』、伝統的に左巻きが元気なことも、実は秋田の近代化の過程とどこか根っこでつながりがあるのだろうと筆者は想像するが、結論付けるにはまだあれこれ資料・史料を探してみたいと考えている>(以上)

スペイン、アメリカ、日本による統治を経たフィリピンに取材に行ったとき、ガイドが「血が混ざると女は綺麗になりますが、男は猿に戻ります」と言っていた。確かにその通りだった。

辺境(極東は多くの民族が交錯したという説がある)で生まれた秋田美人もそういうことではないか。ロシアの血も交じっているかもしれない。これは俗説と否定されているものの、幕末にあの辺りをロシアの捕鯨船が盛んに徘徊していたことは事実である。

武力を背景に上陸されて薪炭、食糧、娼婦を求められたらどうするか。何しろ辺境だから幕府の監視もなかったろうから・・・

(合同会社あきたこまちネットでは「秋田県人のDNAとロシアや欧州でのDNAタイプが似ている」説を“俗説”のひとつと紹介している。

アイヌはヨーロッパ系だと見るバードは、口周辺に刺青をしていないアイヌ女性を見て「その姿や色合いは自然のままの優美な形をしていて、私が長い間見たこともないほど美しい女性となっている」と絶賛している。秋田美人にアイヌの血も交じっていると考えるのはごく自然だ)

殿様がプーチンに秋田犬をプレゼントしたのもロシアに親和感があるからではないか。県は「ロシアとの一層の交流拡大を図りたい」と表明しているが、企業誘致が上手くいっていないからロシアにも頼りたいのだろう・・・秋田県は“不思議いっぱい”だ。(2016/3/22)


      

◆東京在日化に気を付けろ:乗っ取り

MoMotarou



東京都舛添知事が韓国学校を作るそうだ。「大阪市化」だ。東京都民の皆さんは東京都職員の国籍を即刻調査されることをお勧めする。日を追うごとに在日の職員が増えてきているだろう。縁故採用がほとんど。最初は臨時で採用し、いつの間にか正職員。次々と同じパターンが繰り返される。

■在日の天下
 
202尾東京オリンピックの都関係者のユニホームは李朝衛兵のデザインを採用。あの黒いつば広帽子を見た段階で「違和感」を感じていました。2920東京”在日”オリンピックが目標。

都民区民の皆さんは「大阪市」みたいに乗っ取られないように注意されたし。最後には税金の徴収額も違ってきくる。反日在日韓国朝鮮人から「民族差別やヘイトスピーチ被害」を受けないように対抗されたし。「転ばぬ先の杖」というところだ


*産経WEBより転載
 2016.3.17
<韓国政府に学校用地貸与へ 朴大統領要請 都「全力で協力したい」

都が朴大統領の要請を受け、候補地を探したところ、都立市ケ谷商業高校跡地が浮上。27年夏、韓国側が現地を視察し、「入学希望者が多く、学校増設のため、跡地を利用したい」との韓国政府の正式な文書が昨年11月に届いたという。

跡地近くには東京韓国学校があるが、学校教育法の規定に当たらない「各種学校」で、韓国の民族教育などが行われているとされる。>

■水面下で進む「朝鮮征伐」
 
第2次安倍政権の誕生直後から、「在日韓国朝鮮人」に対する調査が始まっていると噂されている。一つには拉致問題解決の糸口にだろう。

もう一つは韓国慰安婦問題絡み。安倍首相も浪人をしていた時に十分勉強されていたのだろう。ソフトバンクの孫正義さんは急に米国の永住権を習得した。理由は不明ではあるが、心に思い当たるところが。。。駅前の一等地は返して頂く事になるだろう。

 中国韓国朝鮮に対しては「武士道」などは忘れて“辛辣に”対応して行く必要あり。外務省みたいに“紳士面(づら)”して付き合うといつの間にか“見下げられ”ます。岸田外務大臣みたいに。戦前では幣原喜重郎氏が「紳士面」した為、シナに舐められました。これが紛争拡大に繋がった。

■トランプ現象

米国大統領選挙も混沌。トランプ氏のことを「変人奇人」扱いをしているマスコミも多いです。しかし、あれだけの活動ができるなら大したものです。大統領になった瞬間から「ぜひ私を。。」と人は寄ってくる。民主主義は多数決。勝ったほうが総取りなのだ。あの我が国の故民主党をみろ。菅直人を思い出そう。地位がなせる業なのだ。ソーラーパネルが溢れている。原発が死んでいる。

◆「 親鸞 」と「 酒井友哉 」A

〜生き仏の講話:シリーズ ― 酒井友哉〜 

浅野 勝人    (安保政策研究会理事長)



やはり一番の難行はお堂入りですネ。山を毎晩、毎晩ぐるぐるぐるぐる歩いているうちに700日終わると、休憩なしで、その足でもってお堂に入らなきゃならない。9日間、断食、断水と、不眠、不臥の『行』です。
水は飲まないわ、ご飯は食べられないわ、眠れないわでネ。じゃ

横になってればいいでしょうっておっしゃるが、横になってもいけない。ただただ、座禅をしている姿でいるんです。その間に法華経を全部読み上げなきゃならない。それから、お不動産の真言を10万遍唱える。

ですから、お堂に入る時にはいつ帰って来られるか、出て来られるかどうかわからないなと思いますよネ。もしかして、お堂から出ることが出来なかったら( 『行』の途中で死んでしまったら )、全部ゼロになっちゃうでしょう。

そうすると、自分でお小遣い持ってたって何の役にも立たないんで、全部はたいて、縁故のある知り合いの人たちを招いて、自分でもってお葬式の宴を開くんです。それを俗に「生き葬式」と呼ぶんです。それをやってお堂に入ります。

お堂にはいると、まず゛108遍お不動さんの真言を唱えて礼拝します。ぺこぺこぺこぺこやるでしょう。それをやってるうちに50回位になると、お招きした親族の人達や昔お世話になった学校の先生とかが、お堂から出て行く。その人達が出てしまったら、お寺の高僧とかお坊さん達もみんな堂から出ていっちゃう。自分ひとりになっちゃいます。

お堂の中では、内陣というお勤めする場所で、まず108遍唱え終わると、席を一段下の方の下陣へ移します。そこの所に一畳の畳が置いてあって、屏風が逆さ屏風、そこで真言あげたり、法華経あげたり、ずっとお経をあげ続けるんです。

そうすると、2日位経つと、脱水状態がだんだん出てきて、こういうところにヒビがいって裂けてくるんです。治(なお)そうと思っても『行』をしている最中だからお堂を出るまで治せないんです。水は飲めませんから、どんどんどんどん脱水状態が進んでくる。

呼吸をするのに、普通だったら口でこうゆうふうに呼吸したり、今みたいにおしゃべりしてると口が動くでしょう。そうすると傷口がどんどん開いていってしまうんで、それを防ぐために鼻で呼吸するようになるんです。

鼻でもって呼吸していると、のどに痰が詰まってきます。痰でもって、窒息しちゃいそうになるから、それを防ぐため5日目になると「うがいの水」を許してくれる。

器にいっぱいお水を入れてきてくれるんで、グルグルグルグルってうがいをして、空っぽの器にあけるわけです。それをくり返しているうちに、つい、うがいのお水を飲んでお腹の中に入れちゃうことがあります。そうすると、その『行』はこれでお終い。失格です。そうゆう風に厳しい約束があって、少しも気は抜けません。
人間ってのはネ、不思議なもんで、粋がって、「わしは行者です」って、全て忘れて一生懸命がんばってやるんです。

真言を10万遍唱えるのにどうやってやるかというと、1回唱えるごとにお数珠をひとつずつずらしていく。最初は108遍なんだけれども、時々上の空でやりかねないから8回分上乗せさせられる。108回唱えて100遍と計算する。

こうやって、我を忘れてお経をあげ続けているうちに、痰が詰まって窒息しちまったら、せっかくの努力が水のアワになっちゃうから、うがいの水を持ってきてくれるのでしょう。

いままで脱水状態になって、水の「み」の字も忘れていた人間が、器に入った水をくっと見ちゃったら、途端にいままでの気持ちがスーとどっかへ行っちゃうんです。

それでもって、うがいのお水は1日に1回しか持ってこないんだから、ずいぶんと罪なことなんですよネ。
いままでは水を飲みたいという余分なことを考えてなかったから、時間の経つのが流れるようにずっといってた。ところが、今度は口の渇きがどんどんどんどん強くなってくるから、今まで忘れてた感覚がよみがえってくるでしょう。

だから、今度は時間が長く感じるんだ。まだ1時間位しか経ってないのに、もう3時間位経ったはずだと思ってしまう。集中力でもって時間が経っちゃた時と違って、とにかく水が欲しい。24時間経ったら水が来るってんで、早く時間が経たないかってそっちの方が先行しちゃう。水のためにリズムが狂ってくるんです。

追い込まれると人間いろんなことを考える。なんとかして、この水を長くもたせる方法はないものかということを考える。それがまた行者のくせにネ。病人が氷を一片ずつ口に入れてもらってうまそうにクチュクチュやる時があるでしょ。それを思いだしちゃってネ。

その水をいっぺんに使っちゃうと、2回位うがいしたら無くなっちゃう。本当にのどが渇いて潤そうと思ってクーとやったら、それ1回でなくなっちゃう。ガラガラとやったら、本当にものの10秒か15秒位で1日お終いだからネ。

それでなんとか長く水と親しんで、長く持たせる方法はないかと考える。舌の上に水を一滴のせて、舌の中でくるくるくるくるかき混ぜてんだよネ。すると冷たい水が生ぬるくなってきて、ドロドロの粘っこい水になって出てくるんです。そんなことやってるとだいたい2分くらいもつんです。それがだんだん慣れてくると3分とか4分位もつようになります。

水を知ることができてくるんです。

そうゆうことをやってるうちに、今度は集中力が切れてくる。集中力がある間は、そんなこと考えながらでも一生懸命お経あげたり、決められた修行をやってるんですが、集中力が切れると自分に戻ってくる。要するに生身の自分に帰るんです。

腰が痛くなってくるし、肩は張ってくるし、身の置き場がなくなってくるんです。

そうなってくると、今まで一生懸命やっていたのに、なんでこんなことまでやんなきゃならないのか、いくらなんでもここまでやることはないだろうなんて、自分と違うもう一人の自分が出てくる。最初にお堂に入った人間は一生懸命がんばって、なんとかやり遂げようとそれ一筋に進むんです。ところが、今でいう煩悩というやつが現われる。

もう一人の自分が後ろから現われて、指図してくるんです。 < 続く>

2016年03月23日

◆世界はどうなるのだろうか

石原 慎太郎 


新年早々、これから春たけなわというこの頃にいささか時期尚早と謗(そし)りを受けるかもしれないが、毎年の年末の恒例にどこかの坊さんが一年を振り返って漢字一文で要約してみせるものだが、さて今年一年が過ぎた後年末に何という文字で今年を要約してみせるのだろうか。多分『厄』という一字になりそうな気がしてならない。

時間的空間的に矮小(わいしょう)となったこの地球という惑星に今訪れている変化は未曽有なものと思われる。それは長く暗黒だった中世が幾つかの新しい技術の誕生によって文明の資質を変え近世から近代に変質していったのに似て極めて巨(おお)きな変化と思われる。

その要因の一つは世界規模な戦争の勃発の可能性と、異常気象による大規模な災害の連発だ。この二つの厄介事に相互の強い関連はあるまいが、しかし尚(なお)地球という惑星に棲息(せいそく)する人間たちにとっては致命的なものを感じさせられる。

そんな予感の中で私は今からおよそ40年前に東京のあるホールで聞いた、あのブラックホールの発見者の天才的天文学者ホーキングの講演を思い出させられてならない。講演の後質問が許され専門家が多くまじった聴衆の中から面白い質問が出た。

最初の一つはこの宇宙全体の中に地球のように高度な文明を備えた人間に似た生物が棲惻(せいそく)する天体が他にいくつくらいあるだろうかだった。

彼は即座にスリーミリオンと答えたものだった。その数に驚いた次の質問者が、ならば何故(なぜ)我々はハリウッドの作るくだらぬ宇宙SF映画などではなしに、それらの惑星からの人間以外の生物の訪問や彼等を運ぶ宇宙船を実際に目にすることがないのだろうかと質(ただ)したらこれも言下に、そうした地球なみの、あるいはそれ以上の技術文明を備えた星は自然の循環が狂ってしまい、宇宙時間からすれば瞬間的にいかなる生物も消
滅してしまうからだと答えた。

そこで私が挙手して「あなたのいう宇宙時間にくらべれば瞬間的という時間は地球時間では何年ほどのものですか」と質したらこれまた言下に「百年」と彼が答えてくれたものだった。

話し手の彼は天才ではあっても神様ではなかろうが、あの時の会話は私にとっては衝動的なものだった。

あれから40年たった今、産業革命によって中世が終わって今日まで地球の平均気温はどんどん上昇し温暖化は止(とど)まることなく進展している。

NASA(米航空宇宙局)のハンセン教授が予告した通り後十数年すれば北極の氷は解けて消滅する。そして北極海に面する国々は海底に眠る燃料資源の収奪に今から血眼になりつつある。

その資源の活用によって文明は高度化し温暖化はさらに進み世界の各地で異常気象が頻発していくだろう。

                ◇

私が知事時代に訪れた赤道直下のツバルは世界中で解けた氷が流れこみ量を増した海水が地球の自転の遠心力で水位が上がり国全体が埋没しつつあった。

海水に埋没した土地では主食のタロ芋がとれなくなった住民たちはオーストラリアからの援助物資の古肉や期限切れの缶詰で食いつなぎ自暴自棄になった高齢者たちはマリフアナを吸って恐怖から逃れようとしている様だった。

その一方、前にも記したようにアラブ人から教わった航海技術によって十5世紀に初めて大西洋を渡り新大陸を発見し有色人種を隷属させ、彼等がキリスト教に改宗しないかぎり獣と見なすと、時の法王パウロ三世が宣したように中世以来続いてきたキリスト教文明をかざして有色人種を支配収奪してきた白人たちの世界支配は終焉(しゅうえん)し、イスラム国が表象する一神教同士の宗教戦争が蔓延(まんえん)しつつある中でヨーロッパは衰退しEU(欧州連合)の崩壊は目前のこととなってきた。

ホーキングの予言が暗示する大規模な破滅を前に次の世代の者たちのために、我々はかつて東欧の詩人ゲオルグが歌ったように『たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日林檎(りんご)の木を植える』という志を持ち直さなくてはなるまいに。

産経ニュス【石原慎太郎 日本よ、ふたたび】2016.3.21
               (採録:松本市 久保田 康文)

◆私の「身辺雑記」(325)

平井 修一



■3月19日(土)、朝7:00は室温18度、暖かいはずなのに寒い、曇、再び風邪を引いたようで頭痛と悪寒。13時まで薬の影響でウツラウツラしていたが、夜は孫・子来襲、全員集合だからガソリンを補給してトリ唐揚げの下ごしらえだけはしておいた。あとはカミサンがやってくれる。

このコラム(と言うには長すぎて、読者には迷惑だろうが)、もともとはネトウヨ老人の日常生活とオツム(やがてオムツ)事情を報告・記録したいというのが趣旨だった。

つまり妄想を含めて何でも書けるということで、小生にとってはすこぶる便利で面白い。

読者も楽しんでくれているか、あるいは「人畜無害」と無視しているかは分からないが、苦情はないので「ま、いいか」と許されているようである。大感謝だ。

「料理と政治と想定外」という、カルーイ記事を書いてみた。ま、おつまみ。

<首相官邸に近い東京溜池の「頤和園 溜池山王店」を取材した時、中国人シェフがこう言っていた。

「料理が発達するのは強烈な王権・宮廷と、強烈な飢饉があるところですよ。筆頭は中国料理、次いでフランス料理・・・まあ三番手は京都料理かな。

右手を伸ばせばバナナがある、ちょいと掘れば芋がある・・・こういう南国のような恵まれたところでは料理は発達しません。

飢饉でツバメの巣まで食べた中国、カタツムリまで食べたフランス、内陸なので質素な素材(干物)を活かすしかなかった京都・・・これに加えて「旨いものを食わせろ」という強権が重なったから料理が発達したんです」

ふーん、なるほどね。いろいろ工夫するわけだ。

北朝鮮の庶民は肉の代わりに「焼き麩モドキ」を食べているようだ。一種の代用食。ところが最近は市場に珍しいものが並ぶようになったとか。大紀元3/15「経済制裁で国民生活に嬉しい変化“夏まで続けてくれたら…”=北朝鮮」から。

<国連安保理が実施している北朝鮮への経済制裁が、北朝鮮国民に思わぬ恩恵をもたらしていることがわかった。

韓国メディア「デイリーNK」が北朝鮮消息筋からの情報として報じたところによると、北朝鮮国内では最近になって、明太子、ウニ、毛ガニ、エビなどの高級海産物から、松の実、ワラビ、マツタケといった農産物まで、以前には外貨稼ぎのため輸出に回されていたこれらの高級食材が、市場で普通に売られるようになった。

経済制裁により輸出できなくなっているためだという。

一方、こうした品物はいずれも高額なため、購入できるのは一部の人に限られている。ある北朝鮮人は「国連が今回の経済制裁を夏ごろまで続けてくれたら、高級海産物を安く買えるようになる」と期待を膨らませている。

同消息筋によると、制裁前まで中国へ大量に輸出していた石炭も国内市場に安価で出回るようになり、石炭を使用できる一般市民が増えているという>

庶民は制裁大歓迎・・・こんなことはまったく想定外だ。まるで「風が吹いて桶屋が儲かる」式。昨秋、国連は北で食糧危機が起きると懸念していたが、現実はまったく逆、盆と正月が一緒に来たみたいだ。

クネがヒステリーを起こして先月閉鎖された開城工業団地。米政府系のラジオ・フリー・アジアによると、工業団地内には、進出していた韓国企業の設備のみならず、完成した製品も残されていたが、これが北朝鮮国内の市場に出回っているという。

デイリーNKジャパンがこう伝えている。

<平壌の情報筋によると、市場で売られているのは主に靴下と靴だ。それ以外にも様々な製品が出回っている。「よく知っている行商人の家には、開城工業団地で作られた女性用の高級靴が山のように積まれている。安くとも1足50ドル(約5600円)はする」と情報筋は述べた>

戦後の闇市みたいだが、政府が干渉しなければ北の「草の根資本主義」は間違いなく育つ。庶民のためにも当分、しっかりと制裁を維持することだな・・・

どう?、楽しんでいただけたかどうか。「へー、面白いね」。そう思っていただければ最高だ。

中国の著名辛口コラムニスト、賈葭氏も行方不明になっている。習近平の「不都合な奴は全部拉致」「裸の王様一直線」これが新常態だ。

■3月20日(日)、彼岸中日、朝6:00は室温17度、曇/晴、寒くはないが体調はよくない。11人分の朝食を用意。膨大な洗濯物。

散歩はやめた方がいいかなと思ったが、予想外にずいぶん食欲も戻ってきたし、暖かいので午後に散策。山桜は一気に満開、ソメイはちらほら開花。来週からすごい人出だろう。年々歳々、花相い似たり、歳々年々、人同じからず。黄色や紫の草花も開花を始めた。

そのー、バブル時代の話というか、まあ、証言というか。笑い話として聞いてくれ。(これは友達の証言だからね、小生はただそれを語るだけだからね、ハハハと笑ってオシマイにしてね)

一戦を終わった後で「あのー、生理が・・・3か月ないんです、一緒に病院へ行ってくれますか?」

キャイン!・・・そりゃあそうだ、あれだけやりまくったら、そいうことになるのも仕方がないか・・・まいったなあ・・・でも逃げるわけにはいかない、男がすたるし・・・

長考30秒ほど。「もちろんだ、いつでも声をかけてくれ、全部おれが責任をとる」。責任とれるのかどうか・・・2家族を養うなんて・・・「君子危うきに近寄らず」とは言うけれど、「据え膳食わぬは男の恥」とも言うし・・・神様、助けて・・・

4か月目にはナニがあったから良かったが、本当に怖かった。

女は強い男に魅かれるのである。男は勝ちまくっている時はフェロモン(とかカネの匂い)、オーラを放出するのだろう、女はスッポンポンで迫ってくる。本能だな。いい気になっているとしくじる。まあ、小生は神様に救われたが。

バブルの時は35歳から45歳、男盛りだ。現役バリバリ、仕事はいっぱい、カネもいっぱい、かわいこちゃんもいっぱい、酒も飲みたい、ナニもやりたい・・・でも、とにかく時間がない。無茶苦茶忙しい。

一戦終わって子猫ちゃんを送って、さあ急いで帰宅しなければと駅へ行ってオシッコをしていたら、ナニが引っ張られるのである。忙しすぎてゴムを外すのを忘れたのだ。大きな水風船ができていた。ずしりと重い。駅員さん、ごめんなさいと外すしかなかった。

まあ、以上は知人の話ということで。実体は“痴人”だが、時代の証言でもあるなあ。

面白かった? ♪バカな男の浪花節 ひとつ聞かそか ねんころり

おやすみなさい。

■3月21日(月)、振替休日、朝6:00は室温16度、花曇、少し寒い。ハーフ散歩、全体としては0.5分咲きで、あまり人出はない。

「女性の最大最優先の仕事は子供を最低2人産むことだ」と校長先生が言った。裏側では「男性の最大最優先の仕事は家庭をもって奥さんとともに子供を最低2人育て上げることだ」と言っているわけだ。

ごくまっとうな論で、我ら日本人のご先祖様は少なくとも2000年は経済事情が許す限りそうしてきた。小生の父は12人兄弟姉妹、母は5人姉妹である。江戸時代を中心に間引きという悲しいこともあったが・・・

江戸時代は家康の政治=家法=祖法を墨守することを専らにした。変化を嫌った。経済は稲作中心で、米=マネーだった。「そこそこ食えればいい、作り過ぎると価格が下落する」と豊作や生産量拡大を嫌っていたようである。換金作物だからできすぎるとインフレになるのだ。

藩が富国強兵になることは戦争の元だから藩のGDPが増えることは幕府の恐れることだったろう。結果的にどうなったか。

米の生産量は文禄元年(1592)1846万石、天保3年(1832)3040万石。なんと240年間で65%しか増えていない。人口が増える→飢饉→人口が減る→生産が回復する→人口が増える→飢饉。江戸時代はこの繰り返しだったから、ほとんど人口が増えずに3000万人前後で推移した。

しかし創意工夫で農林水産業の生産性は向上し(少ない人数で生産できるようになった)、余剰人員は家内工業、手工業、商業、サービス業に向かい、いずれも発展した。農村の長男以外は都市に仕事を求めたから江戸と大坂は世界有数の大都市になった。教育、学問も発展した。

だが食糧政策は祖法のままであり、ために飢饉と一揆は相変わらずで、幕末には全国で頻発し、ついに幕府は倒壊した。

江戸時代を「人口抑制社会」と呼ぶのなら、明治から1945年の敗戦を経て1965年あたりまでまでは「人口拡大社会」と呼べるだろう。新手の労働者が急増して人口ボーナスで富国強兵が進んだ。

政府によれば「2008年には1億2808万人とピークになったが、以降は減少に転じた。全人口に占める若者人口(20〜39歳)の割合を見ると、1970年の35.0%(3人に1人)から2010年には25.1%(4人に1人)へと減少しており、2060年には更に17.4%(約6人に1人)にまで減少することが見込まれている」。

1.3億人いても中身が悪すぎる。トランプ風に極端に言えば――

「無為徒食の老人が現役世代を圧迫している。役に立たない老人に意味のない医療を施すことは若者への迫害だ。安楽死を合法化せよ。老人向けの社会保障費を若いカップルに回し、次代を担う子供をどんどん産んでもらおう。

元気で暇な老人は育児を手伝え。

インテリ女性は子供を産まない。ヒラリーはたった1人しか産んでいない。これでは亡国だ。俺の3人のワイフはナイスバディで、インテリではないが、5人の子供を産んでくれた。移民に頼っていれば米国らしさがなくなってしまう。

不法移民を許せば不法移民を招く。不作為は米国への犯罪だ。インテリ女性も25歳から35歳あたりまでは安心して子供を2、3人産めるように支援すべきだ。産めよ殖やせよ、Make America Great Again!」

ごくごく当たり前の話だ。

マイアミ在住の三石江里子氏の論考「フロリダのお年寄り」(世界日報1/20)から。

<友人のカズコさんはポーランド系米国人と結婚していて娘が一人いる。ご主人の父上は現在93歳で食事に留意していたせいかスリムで、いたって健康な御仁である。夫人を病で亡くして以来一人で住んでいたのだが、さびしさゆえか、いろんな得体のしれない人物が出入りするようになって、カズコさんは夫と相談して父上を引き取ることにした。

息子夫婦の友人である私たちが訪ねていくと、口数は少ないものの昔の話や古い写真を出してきて説明してくれた。行くたびに同じ話と写真につきあうことになったが…。

第2次大戦終了間際、エルベ川でのソ連軍と連合軍の歴史的出会い後、米軍は苦手なソ連軍と友好的交流をすることになる。しかしロシア語を話す米軍兵は少なく、ポーランドに生まれ12歳で米国に移住しロシア語が流暢な氏は、二十歳そこそこの兵士だったが通訳として用いられた。

当時の思い出を聞くと、「いやあ、ずいぶん女性にもてちゃったよ」とウインク。

そんなおじいさんも息子夫婦と孫に囲まれて平穏だったが、近年は徘徊がはじまり、息子しか認識できなくなった。朝起きてきたおじいちゃんが、カズコさんに毎朝「あんた誰?」と尋ねるようになった。

おじいちゃんの世話が大変になりながらも、カズコさんは義父を施設に入れずに、ご主人が家で仕事をするようにして世話をしていたのだが、どうにもならなくなり1年前に施設に入れた。年金があるため施設はすぐに受け入れてくれる。

父親の世話でどこにも出かけられなくなったご主人だったが、最近カズコさんとわが家を訪ねてくれた。見違えるほどご主人が若々しくなっていた。ずいぶん苦労していたんですね。

息子さんがホームを訪ねると、お父さんは痩身に白髪をたなびかせ部屋の中を黙って歩いているそうだが、同室のおじいちゃんが息子さんに子供のようにつきまとって離れないらしい。

カズコさんの義父(おじいちゃん)にはアトランタに住む娘もいる。娘夫婦はビジネスで成功して豪邸に住んでいて父親を引き取ろうとしたらしいし、住んでもみたらしいが、おじいちゃんはカズコさん夫婦のもとにすぐ帰りたがり、娘もあきらめたようだ。

(平井:個人の独立、自立を重んじるためだろう、米国WASPには老人を自宅に引き取って面倒を見る価値観も伝統もないから、老人にとっては居心地が悪いのかもしれない)

実の娘よりも日本人の嫁と住むことを選んだおじいちゃん、何か琴線に触れるものがあったのでしょうね>(以上)

5年間、母を世話した小生の経験から「介護は家庭で」が一番いい、と思う。家庭から隔離された施設は幽鬼漂う“深海”だった。

母は眠るように亡くなった。深夜にお茶を飲ませると「ああ、おいしい」、これが末期の水、最後の言葉となった。95歳の大往生だった。

子供がいて(できれば3世代同居で専業主婦/主夫がいる)家庭が最強最後のセイフティネットになること、これが老人にも一番いいことだと思う。国や自治体は必要なことを出張サービスする態勢を整えればいい。子供が3人いるくらいの丈夫な、真っ当な家庭を作ることが若者にも老人にも国家にもいいのである。

この正論にリベラル≒アカは反発する。共産主義は人民(バラバラになった個人)の直接統治を目指すから、家庭が強靭化することを嫌う。親子が告発し合うことが理想なのだ。

日本のリベラルはそこまで思い至らないだろうが、底流にはその思想が流れている(「内乱を革命に転化せよ!」、国家の否定が原点だ)。両親が日教組ような家庭では子供がまともに育たない、つまり家庭が壊れているのではないか。機能不全家庭には発達障害が多いだろう。

家庭が壊れ、授業が崩壊し、社会が荒れる。これでは国家がもたない。カオスは独裁者の恰好の舞台になる。国家社会主義、社会主義市場経済、国有企業経済、難民抱擁“大当たり”主義・・・名称は何であれ間違いなく亡国だ。

トランプが目クソなら、彼に暴力で反発する人々はアカモドキの鼻クソだ。おい、鼻クソを飛ばすなよ、それがテメーラの言う民主主義かよ、クソッタレメ。小生だって You are fired! と叫びたい。Make Japan GreatAgain!(2016/3/21)

◆紅のひときは、寒椿

馬場 伯明



近所の丸小山公園に椿の花が咲いている。濃い緑の葉のなかに紅い花がぽつぽつと浮き出ている。彼岸過ぎれば落花していく。落ちる花は「落椿」だが、そのさまは人の首が落ちるようで不気味である。

「椿の花」の季語(連句)は三春(初春・仲春・晩春を通して)である(「明日季寄せ(連句必携)」宇咲冬男・角田双柿:共著)。山椿、藪椿、乙女椿、白椿、紅椿、赤椿、八重椿、玉椿、そして落椿など。

藪椿散りても色香捨て切れず   小宮信恵

落ちてなお名門の内白椿     品田冨美子

椿落つ身の内側のどこか冷え   栗原英甫

くらがりの恋の火種の落椿    宇咲冬男

俳句や連句では、「椿は、散って、落ちてなんぼ・・」のように「落椿」が再々使われる。「落ちて儚し、また寂し」。だから、「くらがりの恋の火種」にもなるのだ。宇咲先生は恋の機微がわかっておられる。

でも、寒椿は晩冬の季語であるのに、雪椿が春の季語になるのはなぜなのかなあ。椿の実が晩秋の季語であることには異存はないが・・・。

10年前の彼岸2006/3/22に父は亡くなった。外庭(ほかにわ)から入った玄関の右側には白い椿が咲いていた。隣の楽常寺の山門は早咲きの桜が満開であった。西行が望んだという花の下(楽常寺)で葬儀を行なった。

願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ  西行

昨日2016/3/21、本棚の一つを整理していたら、最上段の端っこにB5版の小さい本を見つけた。歌集「寒椿」である。背が黄ばんでいる。

当時私は倉敷市の水島臨海工業地帯の一角にある水島製鉄所(当時は川崎製鉄、現在JFEスチール)で働いていた。総務部の掛長(「係長」のこと)だった。一掛長と言っても、庶務、不動産・租税管理、所長室秘書、庶務、受付に加え、電話交換手20人(当時はPBX、手動つなぎ方式)、運転手などを含め、総勢50人の部下がいた。

その業務の一つにお客さんを接待する段取りの仕事があった。社有車の手配、送迎のタクシー、持たせるお土産、2次会のセット。だが、最も大事なことが宴の「店」の選定である。洋食、中華、和食・・・。割烹「ふくだ」は飛び切りの和食の料亭でありよく利用させてもらっていた。

歌集「寒椿」は岡山市田町の割烹「ふくだ」の名物女将であった福田ふじ子さんが残した歌集である。昭和52(197)年3月5日発行。料亭を訪問したとき女将からいただいたものである。

巻末に福田ふじ子さんの略歴がある。《、明治43(1910)年、高松市生まれ、昭和21(1946)年、岡山市に割烹店開業、昭和31(1956)年、田町に新築移転、現在(1977年)に至る。息子夫婦、孫2女、1男。》

本棚の整理を中断しソファに戻り歌集をひろげた。ゆくりなく、ほとんど忘れていた39年前の記憶がよみがえり、その情景がふつふつと目の奥に浮かんできた。

多くの他の人の利用の手配や段取りをした。しかし、私が「ふくだ」で接待を受けたのは1回だけ。岡山県庁職員Tさんの製鉄所出向研修で私が指導担当者となり、1年間の長期研修完了の御礼にと、岡山県M総務部長(自治省からの出向)から、製鉄所I総務部長と2人が接待を受けた。

「ふくだ」の瀟洒な部屋も傍の若い仲居さんもいい雰囲気だった。だが、そのとき出された料理も飲んだ酒の銘柄もまったく覚えていない。

歌集の福田さんの歌は、家族に囲まれた穏やかな個人生活、多くの顧客をもてなす女将、そして、男まさりの経営者の軌跡が詠まれている。人事詠、自然詠で飾りのない写生短歌である。148頁の歌には、「夢をつなぎて楽し」と福田さんの万感の思いが吐露されている。

戦後乏しき時代経て来し吾(わが)料亭若きに夢をつなぎて楽し歌集の中から私が好きな歌を抜粋し紹介する。

送り火の頻りゆらぎて仄かにも母の面影浮かび来たりぬ

姑の丸帯疎開なせしを賜はりき生形見とて遠き日の思ひ出

小雪降る裸祭りに行きし子を更けゆく夜半にいねやらず待つ

京に行きし子の顔見る迄は落ちつかずミロのビイナス語りて呉るる

水仙の一葉ひとはに心していけて客待つ春早き朝

玄関の竹垣の裾に梔子の朝の露に一輪咲きそむ

吾が亭の箒目立てし砂庭に夏雨一時打水せしがに

夜も更けて庭の筧の水の音聞き置きて打てる思ひ侘し

久々に有馬の宿に友と集ひ湯に入る途端雷雨窓打つ(昭和36年49歳)

吾が料亭30年働らく玉さんの曲がる背流しやりつついとし

わが宿に薄茶点てをり若竹の茂みのそよぐ庭に見えつつ

西川に誰が放ちしか薄暗き柳の枝に蛍群れ飛ぶ

歳暮持ち訪ふ家の玄関脇寒椿ここだ蕾もちゐる

孫と来し緑道公園の寒椿紅のひときは樹の間に見ゆ

頭取の逝きますニュース夜遅く嫁は驚き吾に告げきぬ

春またず逝きます君のゆくりなく吾にたまひし寒椿かも

ここでいう頭取とは中国銀行の守分十頭取のこと。高度成長の時代に岡山県をはじめ地方経済を先導した代表的な経済人である。本書の題字と扇絵(の寒椿)は守分頭取から頂戴いたしましたと「あとがき」にある。

福田ふじ子さんはすでに亡くなられている。寒椿のように最後まで凛とした人であったという。歌集の発行から39年、現在、割烹「ふくだ」の女将は三代目らしいが、お店はどうなのだろうか。(でも、現役の後輩の人たちに尋ねるのはやめた)。

WEBによれば今も立派に続いているようでありうれしい限りである。割烹「ふくだ」のますますのご繁盛とご一族のご健勝とご繁栄を祈る。http://okakomi.com/index.php?mode=disp_rumor&category=gourmet&
id=2473 

《 割烹ふくだ 老舗の料亭。メニューも営業時間も決まっていません(完全予約制)。希望に応じて瀬戸内の海の幸をふんだんに使った懐石料理を味わうことができます。岡山市北区田町1-7-17 電話086-225-24881~2万円/人》。機会があれば訪れてください。

多くの箇所に挟んだ付箋をそのままにして、私は歌集「寒椿」を本棚の元の場所へそっと戻した。昨日は不思議な体験をした。この歌集を再び読むのはいつの日か・・・。
(2016/3/22千葉市在住)

◆『 親鸞』 と『 酒井友哉 』

浅野 勝人   (安保政策研究会理事長)

 

私も人生の先が短くなってきました。ピッチを上げて読書しないと間に合いません。

 書店で目に映った吉川英治著「親鸞」(1万年堂出版)を読もうとした矢先、半世紀前、NHK同期の記者だった著者ご子息の吉川英明氏から「新平家物語を読む方が先決」といわれて「新平家」(新潮文庫)20巻を年末年始に読破しました。

ところが、「親鸞」を読む前に、やはり書店で目にとまった故大平正芳元首相のお孫さん、渡邊満子著「祖父、大平正芳」、葉室麟著「はだれ雪」(角川書店)が、間に挟まりました。

前者は貴重な政治史的資料。後者は、随所に涙を誘う「外伝―赤穂浪士」。いずれも感動の書です。

やっと3月(2016年)早々「親鸞」4巻を読み終えました。


弥陀(みだ)は、人間になし難いことを強いた。5戒の約束がそれである。求法(ぐほう)の僧(そう)衆(しゅう)が、最も苦しみ闘うのは、そのうちでも「女色禁」の一戒であった。女に対して、眼をつぶることは、生まれながらの盲人でさえもなし難い。(2巻、146頁)

範(はん)宴(えん)(親鸞、最初の法名)は、月輪(つきのわ)禅閤(ぜんこう)の末娘、玉(たま)日(ひ)姫(ひめ)との恋におち、僧として許されない叛逆の心に苦しみます。

相反している二つのものが、範宴という一個の肉体をかりて、心のうちで、血液のうちで、すさまじく戦っているのが(範宴には)わかる。(2巻、214頁)と著者は書いています。
 
「親鸞」を読みながら、なぜか、比叡山延暦寺北峯大行満・天台宗大阿闍梨・酒井雄哉師の講話が想い出されました。三度の山籠りから最後は比叡山を去った親鸞と酒井友哉師とでは微妙なパズル合わせですが、「極限の行の人」という共通項が私の五感を覚(さ)まさせたみたいです。

酒井師は、7年かけて4万キロ歩く荒行「千日回峰行」を2回満行した不世出の行者です。ちなみに赤道の周囲が、40,075 km ですから、ぴったり地球1周です。酒井師は2回達成していますから、地球をふた回り歩いたことになります。

信長によって比叡山が焼き払われた天正以来400有余年の間、生涯に2回満行した行者は3人だけです。酒井師は、そのうちの1人です。師が生き仏と慕われた所以です。

酒井師には、生前、懇意にご指導いただき、そのご縁で「浅野勝人政経塾」にお運び願って、豊川市と名古屋市で2度講話をしていただきました。

酒井師は、滅多なことには下山して娑婆の会合には出ないと聞いていましたが、何故か、わたしを気に入っていただき、御山を下(くだ)ってくださいました。

講話を聴かせていただいて、これは後世に記録として残す義務があると思い立ちました。師も「講話を後(のち)の世に伝えるのは願ってもないこと」と賛同して下さいましたので、自著「成熟」(時評社)に収めました。

今回、ご紹介するのは、2005年6月10日、名古屋市で行った浅野勝人政経塾セミナーで2,000人に語りかけた講話です。

酒井師が、「千日回峰行」を80年、87年にそれぞれ満行したのをきっかけに酒井雄哉を素材にした著書が登場し始めました。

私が承知している範囲では、1988年が最初です。その後、酒井師のことばを寺田みのる氏が描いた絵を添えた色紙に仕上げ、細溝高広氏がコメントした「ただ自然に ― 比叡山千日回峰行 酒井雄哉 画賛集」(小学館文庫)があります。

ただ、酒井師単独の著書は、2008年10月発刊「一日一生」(朝日新書)以来、亡くなられた( 酒井友哉師が逝去されたのは、2013年9月23日、87歳の大往生でした)1か月後に出版された「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書)までの間に10冊余の出版が集中しています。

私の手元にあるだけで6冊あります。ですから、2005年発刊の「成熟」に収録させていただいた講話は、酒井師ご本人単独のものとしては、もっとも旧(ふる)い貴重な記録ではないでしょうか。

そんな意味合いもあって、今回、改めて、「成熟」に掲載した講話をご紹介いたします。何度も読み返していただくと、読むたびに新しい発見に出会います。

そして、ことも無げに語られている数々のエピソードに「行」の凄みと不思議な心の安らぎを見出していただけると存じます。

酒井師のひと言、ひと言にどれほどの勇気をいただいたか、わたしは道に迷うと読み返して諌めていただいています。

師は、1991年、中国山西省の五台山を巡礼して、3千メートル級の山々を踏破しています。94年には西安を訪れ慈覚大師が仏法を学んだ足跡をたどりました。

また、孔子のお墓がある山東省を巡礼して孔子文化大学の客員教授に迎えられて名誉博士号を贈られており、日中仏教界の交流に貢献しています。

酒井師とは食事をともにさせていただいた貴重な機会がありました。その折々に、中国観をじっくりお聞きすればよかったとそればかりが悔やまれます。もったいないことをしました。

向こうへ行ったら、改めて門を叩くのが楽しみです。
                              (元内閣官房副長官)

<註> 酒井友哉師と合意のもと、浅野勝人の著書「成熟」(時評社)に掲載された「浅野勝人政経塾セミナー・酒井雄哉講話」の転載については、生前の酒井師から「この講話は、記録にして後々(のちのち)まで残してほしい。そして、1人でも多くの方に伝える努力をしてもらいたい」という要請を直接いただいていることを付記しておきます>


生き仏の講話:シリーズ @ ― 酒井友哉 

こんにちは。比叡山で回峰行という『行』をさせていただいているお陰で、まだこうやって生きているんです。皆さんから、なんのためにそんな苦行をするのか、なに考えながらやってるんだって言われるんですけれども、ホントはなんにも考えてないんです。ただひたすら、一生懸命生きてるってことだけなんです。

千日回峰行というのは、7年間かかって延べ1000日修行するんです。( 堂塔、霊蹟、野仏、草木などを礼拝する『行』で、雨の日、嵐の日、雪の降る日でも行われる。病気や怪我をしても休むことは許されない。もし、『行』に失敗すれば、山を去るか、自害するかの掟があり、まさに決死の難行 )

最初は毎日32キロ位の山道を歩き、5年目に入って700日終わると「 お堂入り 」( 無動寺谷・明王堂に篭り、9日間、断食、断水、不眠、不臥で不動真言と法華経全巻を唱える荒行。途中で死ぬ人もいる )というのがあるんです。

お堂入りが終わると、今度は赤山苦行ってのがあります。それが終わった翌年、7年目に入ると、京都の大廻りといって、毎日、毎日84キロ歩くんです。それで最後の100日は最初の1日、32キロに戻ってお終いになるんです。 < 続く >


2016年03月22日

◆女子差別撤廃委員長は、反日日本人だ

池田 元彦
                


 国連女子差別撤廃委員会(CEDAW:Committee on theElimination of Discrimination Against Women)が17日に最終見解を発表した。昨年末の日韓合意を批判し、元慰安婦への金銭賠償や公式謝罪を含む「完全かつ効果的な賠償」を要求したのだ。バカも休み休みに言え。

この女子差別撤廃委員会の主張に対し、多分初めて日本が正式に反論した。杉山晋輔外務審議官は「強制連行、20万人、性奴隷」は事実誤認と明言した。しかし昨年末の日韓合意は、英訳すれば、幾ら杉山審議官が主張しても、軍が関与し、謝罪し、賠償金を払うのだと反論される。

加えて、議論の対象にすらなっていなかった皇室典範を、最後の最後になって持ち出し「女系女子の皇族にも承継が可能となるよう皇室典範を改正すべき」と公式見解記含めようと迄した。

含まれはしなかったが、安倍首相、菅官房長官、稲田自民政調会長が一斉に反論を表明した。

この背景を外務省は「反日左翼団体の主張を鵜呑みしている」と観測し官邸筋は「メンバーには中国出身者もいる。日本を攻撃・牽制したい中国の思惑が感じられる」と分析した。

藤岡信勝拓殖大教授は「足蹴にされた。日本叩きをする国際機関に大金を出資するのは不条理だ」と訴えた。

改めて「女子差別撤廃委員会」とは何か。国際連合人権理事会の設置する1982年発足の外部専門家組織で、日本からも継続して委員を派遣している。実は2008年から派遣されていた林陽子弁護士が委員就任以降、日本への偏見的、反日的な懸念表明、韓国、報告要請が増えている。

翌2009年には児童買春・児童ポルノに懸念を表明、2011年には選択的夫婦別姓制度等の導入について1年以内の報告勧告をした。日本民法改正審議に軌を一にするタイミングだ。そして昨年2月、この林陽子弁護士はこの組織の委員長に就任したのだ。判り易い話ではないか。

「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」が有る。その第17条は「委員会の委員は,締約国により指名された者の名簿の中から秘密投票により選出される。各締約国は,自国民の中から1人を指名することができる」とし、各国政府に委員推薦を求め、各国政府が推薦する。

日本政府の推薦責任部署は内閣府男女共同参画局だ。即ち内閣府が推薦した人物が反日言動で委員会を主導しているのだ。皇室典範等余程のことがない限り各国委員が知る由もない。林陽子委員はフェミニストであり女性の権利問題専門家だ。勿論夫婦別姓主義者だ。結論を急ごう。

反日主義者を選りによって国連に送り込み、皇室典範改定等の反日勧告を受ける羽目になっている構図なのだ。日本政府もう少ししっかりしてくれよ、と言いたくなる。

勿論総理が身体検査出来る訳がないから、内閣府の担当職員が本人の経歴等をキチンと事前に首相に報告すべきなのだ。

逆に言えば、日本政府機関内に、彼女を推薦する管理職を含め多くの反日左翼が跳梁していることの証左ではないか。外務省にも宮内庁にも潜んでいて、官邸が気付かなけれれば好き放題だ。昨年末の日韓共同声明(何ら公式文書はないが)も外務省反日派が安倍首相を丸め込んだか。

今や国連は、発展途上国から見れば高い報酬を得られるため、各国高官の縁故採用で有象無象の人物が入り込む。潘基文事務総長も縁故主義で韓国人を次々に抜擢し、「抗日戦争勝利70年」軍事パレードにも出席した。国連内外の批判に、厚顔無恥で応じている。

学校補助金で北朝鮮を潤し、政府が金を出して慰安婦問題が収まらない。絶対に何か可笑しい。


◆嫌われ者同士の選挙戦

平井 修一



Bill Schneider氏の論考「リベラル・保守双方の有権者をつかむトランプ戦術」は、お花畑的リベラル臭(産経記者にもいる)がなくて冷静な分析になっている。氏は第一線で活躍する政治アナリストで、ジョージ・メイソン大学で行政・国際関係の教授を務めているという。

こういう冷めたオツムの論者は希少価値だ。招聘したらどうか。以下、紹介する。

<3/16 ロイター] - これはもう「トランプ」問題である。なぜトランプ候補は共和党の指名獲得競争で勝利を収めつつあるのか。米国が世界でも最もポピュリスト的な国であることを忘れないでおこう。

それというのも、この国はもともと、権威(圧制的な政府、硬直した教会、閉鎖的な経済)から逃げ出してきた者たちによる植民に由来しているからだ。

エリートへの不信は、米国史を通じて流れる、深く根づいた価値観である。米国の大衆文化において、金持ちや権力者(企業幹部、政治家、官僚)がどのように表現されているかお気づきだろうか。たいていは無能で腐敗している(と表現されている)。

米国の政界は、米経済と同様に、非常に起業家的である。市場があるところには製品が生まれる。(同様に)支持されない戦争が行われているときには反戦派の候補が出てくる。

有権者が重税に不満を抱いていれば、減税派の候補が出てくる。大衆がいつもながらの政治にウンザリしていれば、1992年のロス・ペロー氏のように、反政界の横断幕を掲げるアウトサイダーが突然浮上する。

今日では、それがトランプ候補なのだ。

出口調査は、トランプ支持者を最もうまく定義する一つの特性が「怒り」であることを明らかにしている。「連邦政府の仕事ぶりについてあなたの感情を最も的確に表現する言葉はどれですか」という質問に対して、「わくわくする」「満足している」「不満がある」ではなく、「怒っている」と答える有権者のほとんどが、トランプ支持なのだ。

彼らは何に怒っているのだろうか。答えは2つ、景気の後退と、文化的な影響力の低下だ。

トランプ候補を最も強く支持しているのは、米国社会のうち衰退している部門の有権者だ。ニューヨーク・タイムズによる調査「トランプ主義の地域分布」によれば、トランプ候補の支持率が最も高いのは、高校の卒業証書を持たない白人の比率が高く、民族的・宗教的マイノリティーの数が少なく、農業や製造業など「旧経済」タイプの雇用が多く、労働参加率が低い地域だ。たとえば、アパラチア地方である。

つまり、米国民のうち、景気の回復から取り残され、外国との貿易により雇用を脅かされ、人口は減少し、伝統的な宗教・文化に基づく価値観が挑戦を受けているような人々だ。彼らは怒れるレジスタンスであり、トランプ候補は彼らレジスタンスのリーダーなのだ。

イデオロギー的にはどうか。彼らは、オバマ大統領のような、スノッブな謙遜さを備えたリベラルを憎悪している。そして、無頓着に彼らを搾取していくミット・ロムニー氏(平井:投資ファンド重役で大金持ち、マサチューセッツ州元知事)のような保守派も憎悪している。

トランプ候補を止めようとする保守派の努力が失敗すれば、同氏と大統領の座のあいだに立ちふさがる存在はただ1人、ヒラリー・クリントン氏だけだ。多くの有権者にとって苦渋の選択になろう。

どちらも有名人で、長年にわたって世間の視線にさらされており、米国民の大部分から否定的に見られている。ただしクリントン氏よりもトランプ氏の方がよけいに嫌われている、という点が民主党にとっては心強い。

米国民は皆、オハイオ州デイトンで9月26日に行われるトランプ対クリントンの最初の公開討論を期待していい。きっと火花が散るだろう。視聴率は過去最高を記録するかもしれない>(以上)

勝負は下駄をはいて見なければ分からない。ヒラリーの不都合な真実が暴かれるかもしれない。ヘタレ・オバマの無作為がヒラリーの足を引っ張るかもしれない。欧米でジハード主義者がテロを再開するかもしれない。トランプが舌禍でコケルかもしれない。

尊皇攘夷、公武合体がいつの間にか倒幕、開国、富国強兵になった。司馬遼はこれを「化学変化」だと言った。想定外はいつでもあり得る。メルケル神話も崩れてきた。まあ、どっちもどっち“嫌われ者同士”の米大統領選も目が離せない。もしかしたら「化学変化」で偉大な指導者に変身するかもしれない。(2016/3/21)


           

◆ゾンビ企業、各地で空前の暴動

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)3月21日(月曜日)通算第4854号> 

〜ゾンビ企業、賃金不払い相次ぎ、各地で空前の暴動
   鉄鋼、石炭城下町は失業者に溢れ、不穏な空間が漂う〜

全人代で報告されたゾンビ企業処理とは、鉄鋼、石炭、アルミ、板ガラスなど不況入りの産業を再編と人員整理の効率化だった。

解雇もさりながら、賃金が支払われていない国有企業がやまのように出た。

各地で大規模な労働争議が発生し、暴力沙汰が続き、警官隊が導入されても引き上げず、流血の衝突を繰り返している。

3月初旬から黒竜江省の双?市で発生している抗議行動の暴力化は、ついに警官隊と衝突となり数十名が負傷した。この街は「双?鉱業集団」の城下町。鉄鋼不況のあおりで、労働者への賃金支払いが遅れに遅れており、会社に対する抗議のスローガンはいつしか「政府は不払い賃金を補填せよ」という訴えに変わった。

鞍山鉱山では16万人の従業員を10万人に削減することが発表され、首切りをおそれる労働者が抗議デモを開始し、警官隊との衝突を繰り返した。東北三省の全域は石炭、鉄鋼が主力産業であり、たとえば阜新など各都市で同様な、悲壮ともいえる風景が繰り返されている。多くは旧満州時代、日本が開発した炭鉱町でもある。

断末魔が近い?