平井 修一
■3月1日(火)、朝6:00は室温12.5度、ちょっと寒いが快晴、ハーフ散歩。
昨日の産経はすこぶる面白かった。月末だから「オオトリ」狙いか。
*1面:「自衛隊作戦 統幕に一元化 防衛省 来月にも手順決定」
<作戦計画「統合防衛及び警備基本計画(基本計画)」を策定する際、防衛官僚(背広組)を中心とする内部部局が担っている計画起案などの役割を、自衛官(制服組)を中心とする統合幕僚監部に一元化する>
「餅は餅屋」で至極当然のことだが、軍事を知らぬシロウトの内局からは権限移譲に反対する声も上がっているそうだ。「背広組 中共大好き ゴルフ酒も 日本嫌い 9条命」、変な奴ら。どうせ発達障碍の東大出だろう。
*1面:「【日の蔭りの中で】米民主主義の現実 京都大学名誉教授・佐伯啓思」
<(トランプ氏の)実像はよくわからないが、昨年評判になった本の題名を借りれば、「アメリカの反知性主義」の代表であるかに見えるし、そのように振る舞っている。だが、その強引で過激な「反知性主義」こそ、アメリカ社会のひとつの伝統であり、大衆の期待するところなのだ。
今日の世界を見渡せば、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)のテロや中東の混乱、中国やロシアの覇権的な行動、欧州連合(EU)の危機、経済の不調といった具合で、どこをとっても不安定な光景が広がる。通常の話し合いによる国際的合意や寛容の精神によって事態が打開できるとも思われない。
この現実に対する責任のかなりは、ブッシュ前大統領によるイラク戦争にあるのだが、アメリカ自身がこの失政によって反撃をくらっている。とてもではないが「正統派」の政治家ではだめだという意識が強い。そこにトランプ氏の「オレこそがアメリカを強くしてみせる」という断固たるパフォーマンスが支持される理由がある。
トランプ現象のなかにわれわれはアメリカ民主主義の現実をみている。ここにあるのは理性的な討論などではなく、伝染性の情緒や勢いといった「反知性主義」そのものだが、しかし、それを民主主義の逸脱形態と呼ぶわけにはいかないのである>
イルカ大使の父親JFKケネディーは今でも愛されているようだが、小生からすれば病的な女好きで、経歴なども胡散臭い。オバマは当初は人気だったが、多くは幻滅した。FDRルーズベルトは犯罪的でさえある。変な大統領は珍しくないのだ。
米国の保守とリベラル≒アカの間には敵意と憎悪と呪詛と罵倒と非難があるだけで、討論、議論の時代はすっかり終っている。
多くの国は戦争で生まれ、一時的に融和したが、今は「血を流さない内戦」が常態化している・・・これは進化なのか、退化なのか。この世はお花畑ではない、戦場だということは事実である。
*6面:「話の肖像画 ガッツ石松」
<世界チャンピオンになるまでのプロセスが8年かかり、芸能界で一流になるまでは6年かかった。幼い時の苦労があるからこそ現在があると思っています>
石松は情がある、場外乱闘でも滅法強い、8人のヤクザを瞬く間にノックアウトした、頭がいい、男の中の男と言えるのではないか。今は理性より野生(を装う)時代だ。トランプに倣って石松も政治家になったらどうか。国会警護はヒゲの隊長だけでは心もとない。石松が来れば百人力だ。
*6面:「【鈍機翁のため息】死ぬために生まれてきた」
<『ドン・キホーテ』の前編で、騎士道物語に耽溺したために主人の頭がおかしくなったと確信する家政婦がこんな台詞を吐く。《これは、あたしが死ぬために生まれてきたってことが真実であるのと同じほど間違いのないところですけどね》。
何気ないがすごい言葉だと思う。なぜなら、《死ぬために生まれてきた》という真実を認識するところから、どう死ぬか、何のために死ぬかといった発想(死生観)が生まれ、そこで人は初めて本当の人生を生きることができるようになるのではないか、と思い至ったからだ。
生命は尊い。それは間違いない。ただそれは、自分の生命を超える価値のために使える可能性をはらんでいるからこそ尊いのではないか。
還暦を間近にした凡庸な男(私のこと)が『ドン・キホーテ』と付き合いながらようやくたどり着いた境地である。遅きに失した感はあるが、ささやかな死生観を抱きしめて残りの人生を生きたいと思っている。(桑原聡)>
命惜しむな、名こそ惜しめ、さあ、あとは突撃するだけだ。ともに足腰を鍛えよう。
*6面:「【編集日誌】見苦しい民維の合流方法」
<自民党に対抗するための便宜的な合流かもしれませんが、せっかく作るのですから、明確な理念を掲げ、しっかりした政党を作ってほしいものです。(編集局総務 五嶋清)>
五嶋さん、すごい皮肉。選挙互助会の民維に理念がないのを知っていながら・・・
*6面:「寄り添い続ける「希望」支援 」
<米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のフォスターシティーのオフィスで、東日本大震災発生時の駐日米大使、ジョン・ルース氏(61)は当時のことを振り返った。
「トモダチ作戦」。東日本大震災で米軍は前代未聞の規模で災害支援・救助活動を展開した。陸海空軍と海兵隊合わせて約2万4千人、160機以上の航空機、20隻以上の艦艇が参加した。
「米国が一歩踏み込んで支援できたことを誇らしく思う」
2013年8月の離日のあいさつで、日米の“友情”は東日本大震災から始まったものではないことに触れた。ルース氏は01年9月の米中枢同時テロの直後から、ニューヨークに駆けつけた日本の消防士らが危険を顧みずにグラウンド・ゼロの現場で救助活動を手伝ったエピソードを紹介したのだった。
「十五の春」で被災した少年少女は、成人に。「希望」や「夢」を抱く若者への支援はこの先も続いていく。
「今でも大変な思いで過ごしているだろう。家族、仕事、家といった大切なものが一瞬にしてなくなったのだから」。ルース氏はそう話し、続けた。「いつ東北にいけるかを考えている。まだ忘れていないということを知ってもらいたいからだ」
あれから5年。被災地に寄り添う気持ちは薄れていない。(ロサンゼルス支局長・中村将 なかむら かつし)>
感動するなあ。保安官が立ち上がれば日本もしっかりファイティングポーズをとります!「立つんだ、ジョー!」(三里塚での小生の偽名は矢吹ジョー)
*7面:「【正論】人口抑制は「愚策」か「賢策」か 東京大名誉教授・
平川祐弘」
<人口は基礎国力だとするナショナリストは日本にもいたが中国にもいた。毛沢東である。1951年に北京大学長に就任した馬寅初(マーインチュー)が人口抑制の必要を『新人口論』で主張した。
それに対し毛が「消費する口は一つだが生産する手は二つだ。人の多いことは武器である」と馬を「中国のマルサス」と批判したから、馬は悲惨だった。
毛沢東が1976年に死ぬや馬は復権され、3年後、中国は一人っ子政策に踏み切る。
公権力が個人の出産に介入するのは人権問題だ。一人っ子政策の廃止に私もほっとした。隣国にこれ以上自己中心的な「小皇帝」がふえたらはた迷惑である。
ところで日本で人口を増やす名案はあるのか。かつてブルガリアでは独身税を課した。見合い制度の廃れた日本だ。社交ダンスを復活させ男女交際の機会をせいぜいふやすがいい>
社交ダンス・・・それより各自治体で25〜28歳の独身男女計200人を電気のない簡易宿泊施設付きの島に1か月ほど送り込んではどうか(年間で2400人)。本能に従ってカップルが結構できるのではないか。ゴールインして出産すれば100万円、3人産んだら計300万+子供が22歳まで消費税ゼロ。これなら積極的になるのではないか。
今朝から給湯器の取り換えと関連工事。給湯器はずいぶん長持ちした。Made in Japan はすごいものだ。午後にお内裏様とお雛様を飾る。Madein Japan の子供よ、元気に育て。そして子作り子育てに頑張ってくれ。
■3月2日(水)、朝5:30は室温12.5度、ちょっと寒いが快晴、ハーフ散歩。今朝は給湯器の床の防水工事。きれいに掃除をしておいたからすぐに終わるだろう。
池田信夫氏の論考「文系教師とマスコミはなぜ劣化するのか」(アゴラ2/29)は“アカ≒バカがアカ≒バカを再生産する”文系教育の構造的伝統的欠陥を指摘している。
<国文科は昨今の「文系学部不要論」で不要とされている学科の筆頭だが、そういう教師ほど劣化するのは偶然ではない。国文学の能力には客観的な業績評価の尺度がないので、自分の弟子を引き上げる傾向が強いからだ。
それがもっともひどかったのは早稲田で、昔は法学部の教師はすべて早稲田出身だった。法学部の劣化が激しいのは早稲田だけではなく、昨今の安保法制をめぐる議論で、東大法学部の石川健治教授(憲法学)が「安保法案は安倍政権によるクーデターだ」と断言したのには驚いた。
このように文系の教師が劣化する原因は、徒弟修行で後継者を育てるため、親分子分の関係が強いのだ。同じ構造はマスコミにもみられ、長谷川煕氏もいうように、朝日新聞は社会主義的な傾向が強く、反権力的な記事を書かない記者は地方支局を転々とする。
両者の共通点は、業績が定量的に評価できないということだ。普通の企業なら売り上げなどの指標があるが、大学もマスコミも金を使う仕事で、ビジネスは知らない。学問の世界でも、客観的な業績評価のできる自然科学は実力主義になり、社会科学でも経済学はそれに近いが、文学部や法学部はコネ社会だ。
これが左翼教師・マスコミがいつまでも残る原因である。法学部でも、戦後の第一世代の南原繁や丸山眞男は一国平和主義者ではなかったが、その弟子は先生に迎合して左傾化してきた。マスコミでも、人事を通じて左翼的なバイアスが再生産されてきた。
早稲田の鎌田総長が「大学入試を人物本位に」というのは、日本中の大学を早稲田のような徒弟制度と情実入試にしようということだろう。このような長期雇用と年功序列が、日本の左翼が一国平和主義から脱却できない原因だ。
労働市場の流動化は、こうしたガラパゴス左翼を追放する上でも重要である>(以上)
「ガラパゴス左翼」、上手いね。“ガラパー”GALAPARか。GALA(祭り)PAR(パラノイア)。アカの集会・デモなどを見るとまさしく「アホの祭典」、歌って踊って恋をしての「赤旗祭り」だ。
無届の渋谷ハチ公前集会2/27に警察がダメ出ししたら「表現の自由危うし。憲法9条を勝手に破棄した安倍政権の下、21条で保証された表現の自由もなくなるのだろうか」と田中龍作が喚いている。典型的な“ガラパー”だな。粗悪品、Made in China だろう。(田中は商売として“ガラパー”を装っているのではないか、かなり怪しい奴。プロフィールがまったく分からない、小生のような前科者ではないか)
Made in Germany の“ガラパー”メルケルが「ご招待」した難民がフランスで暴れている。BBC3/1から。
<英仏海峡近くのフランス・カレーにある「ジャングル」と呼ばれる移民キャンプで2月29日、掘っ立て小屋などの解体を始めた当局と移民の間で衝突が起きた。
移民たちの投石を受けて警官が催涙ガスを使用。少なくとも12の掘っ立て小屋に火が放たれた(平井:火付けしたのは難民だろう)>
メルケルの「アホの祭典」は高くついた。EUガタガタ、英国離脱か。主犯=教唆扇動フランシスコ、実行犯=メルケル。処刑場はゴルゴタにすべし。
■3月3日(木)、雛祭り、春眠暁を覚えず、ちと寝過ごし、朝6:45は室温12度あたり、快晴。
午前はすっかり春の陽気、散歩をかねて確定申告の報酬を税理士に送金するため隣町の銀行へ。余計なことだが、昨年の小生の収入(額面、含む年金)は370万円、修繕費など直接コストや公租公課(市県民税、保険料)などを引いた課税所得は78万円、結局、確定申告の所得税は4万円、これは過去最低だろう。
370万円の額面収入でもポケットには70万円しかない、月当たり6万円、1日2000円ということになる。1日にワイン1本600円、ビール100円、リポD100円、食糧(ご飯とおかず)200円、計1000円だから、まあいいのか。
国連は昨年の貧困定義で「生活費1日200円」当たりと言っているから、2000円は国際的には「中流」なのか。よー分からん。
帰路にスーパーでワイン3本、マグロ刺身、イワシ2匹、スルメイカ1杯、ツボ付きサザエ2個、ひなあられを買う。花屋で桃の花を求めたが売り切れ。当日なのだから当たり前だ。「売れ残りで日持ちしないけれど良ければどうぞ」と4本貰ったが、きれいな鉢植えがあったので買った。500円かと思ったら180円だった。よー分からんが安すぎではないか。
支那人もよー分からん。彼らは自分と関係ない人、つまり他人の命にあまり関心がないので、フェリー沈没事故や天津大爆発の膨大な死傷者についてもすぐに忘れる、という記事を見たことがある。言論規制の影響もあるだろうが、ある程度、人命軽視の国民性はあるのかもしれない。
以下の論考のキモである「幇」とは何か、ウィキにはこうあった。
<幇(ぱん)とは中国で、経済的活動を中心とする互助的な団体。同業・同郷・同族によって組織される。また秘密結社を指す場合もある。宋代に始まり、厳格な規約のもとに強い団結力と排他的性格をもつ>
日本戦略研究フォーラム政策提言委員/拓殖大学海外事情研究所教授・澁谷司氏の論考「“マフィア国家”中国」2/29から。
<中国には、未だ刑務所へ入る人間を雇う文化「囚人交代制度」(*)がある。最近、同国(湖北省宜昌市?)で受刑者の身代わりとして、善良で前科のない25〜30歳男性1名の“急募”があった。
その条件とは、1:受刑期間は5年7ヶ月 2:報酬は320万元(約5500万円)3:入所前、報酬は一括払い 4:入所中、刑務官による扱いは穏当を保証。
この話題には続報がないため、その“急募”に対し応募者がいたかどうかは不明である。
実は、我が国でも、暴力団という特殊な組織内(疑似共同体)では“身代わり受刑”が存在している。実行犯の代わりに同じ組の人間が刑務所へ入ることがある。
ある組の中枢の人間が、敵対する組の組長・若頭等を殺した場合、しばしば前者の子分が「おつとめ」と称し、代理で刑務所暮らしをする。その間、子分の家族は組が面倒見る。出所後は組での昇進が約束されているケースが多い。そうでなければ、喜んで代理入所する者は少ないだろう。
(平井:傷害致死罪の量刑は3〜20年だそうだが、仮に8年とすると、模範囚として真面目に勤めれば4年あたりで仮釈放になるのではないか《囚人1人当たりのコストは年300万円、早く追い出したい当局、早く出たい囚人、利害一致だ》。ヤクザは「塀の中の懲りない面々」(多分人生の半分はムショ暮らし)だから、「4年くらいは、ま、いいか」となりそうだ)
日本の暴力団組織と中国社会とは構造がよく似ている。暴力団も中国も、普遍的な国家の法律より、内輪(共同体)の規則・ルールが優先される。
中国では、必ずしも一般的法律は自分を守ってくれない。中国が「法治」国家ではないからである。だが、共同体(血縁・地縁・幇)はそのルールを遵守する限り、確実に自分を守ってくれる。
したがって、中国人は国内法を軽視・無視しても共同体の規則・ルールを遵守する傾向がある。反対に、もし中国人が共同体のルールに違反した場合には、命の保証はない。同じ共同体の人間が地の果てまで追いかけて行き、裏切り者を追い詰めるだろう。
中国国民党は、秘密結社の青幇(初めは大運河の水運業ギルド。のちに秘密結社へと発展)、哥老会(農民の互助自衛組織が秘密結社となる)の流れをくむ。
他方、中国共産党は紅槍会(華北農村地域で組織された民間自衛武装団体)と関係が深い。国共両党はイデオロギーこそ異なるが、組織構造は酷似している。
現在、中国共産党内は「太子党」「上海閥」「共青団=団派」という3つの大きな「幇」に分かれる。それら以外にも、共産党は様々な「幇」で構成されている。
中国人は「幇」内では、血肉を分けた兄弟のようにお互い助け合う。当然、人権も重視される。けれども、原則「幇」外の人間を人間扱いしない。
したがって、公安・武装警察・人民解放軍は、自分の「幇」に属さない人々に対して、しばしば残忍な行為に及ぶのである。
1989年6月の「天安門事件」を想起して欲しい。人民解放軍が丸腰の学生や市民を掃射し、戦車で轢き殺した(一説には死者は1万人以上と言われる)。何故、トウ小平の命を受けた人民解放軍は、平気でむごい事ができたのだろうか。
それは、ひとえに自分の所属する「幇」以外の人々は人間と見なしていないからである>(以上)
日本人は(多分)他者とあまりかかわらずにひっそりと生きたい。ところが支那人はコネがないと仕事にありつけない、出世もできない、かくして上から下までコネ人脈「幇」にすがる、組織強化する。その際の接着剤が賄賂でありお土産だろう。
若者がいいアイディアを持っているが会社(スタートアップ)を立ち上げるカネがない。そういう時に「幇」の金持ちが投資してくれるそうだ(在中の日本人弁護士の話)。「幇」が学資を出してくれるケースは多いようだ。成功すれば「幇」の人々に酬いる、恩返しする。互助会、集団的安全保障に似ている。
「幇」から外れている人が災難で死んでも「どうってことない、興味がない」となるのだろう。生きることが何千年も苛烈な社会で、国家は人民を守りはしない。だから「幇」を頼りにするしかない。
(クネは勝手に、自分は習近平・太子党の「幇」に入ったと思っていたが、全然見返りがない。ヒステリーを起こしているが、裏で上海閥=瀋陽軍閥(北の保護者)とも手を握っていた方が良かったかもしれない。しかし、それがばれたら習一派から総スカンを食う。いずれにしても習には上海閥=北を抑える力はない。それを見抜けなかったのはクネのミスだ)
強い「幇」に所属するのは難しいだろう。トリプルA+なんていう格付けがあるのだろうか。
中島恵氏の論考「日本だけじゃない!中国本土の猛烈な“爆買い・爆食・爆待ち”事情」(ダイヤモンドオンライン3/2)から。
<上海に住むOLの女性は春節で河南省にある実家に帰省する際、航空券の発売日の発売時間に、友人を3人も動員してネットの前に陣取り、開始直後にクリックしないと希望のチケットが確保できないと嘆いていた。
それほどにチケット争奪戦は激しいのである。
友人は動員した3人に、あとで食事をごちそうするなど、気を遣っていた。今後も毎回友人に頼まなければならないからだが、それだけでなく、彼女も友人のチケット争奪戦にはその都度付き合うのだから、ご苦労なことである。中国人が日本人よりも人間関係を重視せざるを得ない理由はこんなところにもある>
14億人が激烈な生存競争をしている支那では、チケットを得るにも「幇」が必要不可欠なのだ。堺屋太一氏が3/2の産経に、「欲ない、夢ない、やる気ない」の「3Yない社会」こそ現代日本の最大の危機だと書いていたが、ぬるま湯に浸かっているような日本と違って、苛烈な支那は「欲あり、夢あり、やる気あり」の「3Yあり社会」、生きるために「幇」が何よりも大事なのだ。
・・・
*注)囚人交代制度:ロケットニュース2012/8/26にはこうあった。
<中国において交代囚人制度の歴史は古く、中国刑法の学者アーネスト・アラバスターは1899年に、その報告を行っている。その当時からしばしば利用されている制度だったようである。
この制度がなくならない背景には、中国の激しい格差がある。服役しているだけでお金がもらえるのであれば、請け負う側としては有難いからだ。
とはいえ、罪に対する社会的な処罰感情は消えることなく、また富裕層にのみ認められた特権であることに違いはない。これからも「暗黙の了解」として、この制度は生き続けるのだろう>
想像を絶するすごい世界だ。事件事故を闇に葬るなんて日常茶飯事なのだろう。(2016/3/3)