2016年02月20日

◆毎年18万件の暴動、抗議集会

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016) 2月19日(金曜日)通算第4820号 > 

  〜中国名物。一日平均500件、毎年18万件の暴動、抗議集会
   国民の暮らしは絶望的貧困なのに「権貴階級」だけが贅沢三昧とは〜

いかに 「中国では毎日500件前後、どこかで必ず暴動、抗議行動、デモ、道 路
封鎖、そして警官隊との衝突事件がおきています」

講演で、こう述べると聴衆は一瞬、信じられない貌をするのが分かる。「具体的には何処で何時、何に抗議して?」という質問がすぐに飛んでくる。

中国の治安対策の予算は、じつは国防費より多い。人民武装警察、公安、国家公安、そして機動隊装甲車、ガス銃、催涙弾、留置所、刑務所運営費等々。薬物使用、麻薬取引などで昨年一年間だけでも逮捕者は百万人を越えている。麻薬は「毒」と表記されることが多いが、日本で言う「クスリ」だ。

では2月18日一日だけに限って、どこで何が起きたかを紹介しよう。 北京の教育部(文科省)、国家人力資源・社会保証部門の建物前に数百、数千の人々が集まり始め、道路にはみ出し、大騒ぎとなった。

教職員、教員OBらが全国から北京に動員され、教師、教師OBの医療、社会保障の改善要求がなされ、一時は付近の道路が人で溢れ、交通が麻痺したという。

安徽省蛙埠市の農村では土地開発工事で水質が悪化したうえ、立ち退きを強制された農民への保障が十分ではないとして数百の農民が集まり、付近の道路を封鎖、抗議行動を展開し、警察隊が動員された。

福建省福州市平譚県では乱開発をめぐって農民が抗議行動、武装警察が動員され衝突し、多数のけが人がでた。

河北省邯鄲市でも地元の黄河の伝説に立脚した、伝統的なお祭りが規制されたことに抗議し、数百人が抗議行動を起こし、動員された武装警察と衝突、数百名が逮捕、拘束されたという。

いまここに挙げた四つの例が示すのは抗議行動の対象が、これまでの労賃値上げ、待遇改善、給与未払い要求などとはことなり、また近年の新型デモは乱開発、環境汚染、公害工場建設反対、化学工場の新設阻止など環境問題などだったが、これらも越えた、身近な社会保障などを求める声が普遍的になっていることに注目したい。

また何時でも何処でも集会は簡単に組織化されていること。こうした農村の騒ぎがツィッター、フェイスブックなどで瞬時に全国に伝わり、その一部は公安ハッカー部隊の必死の削除による防戦にもかかわらず海外の華字紙メディアに伝わるため、世界中の華僑社会が、こうした情報を共有していること等々が最近の情勢変化である。

◆和式「漸進主義」の功罪

平井 修一



池田信夫氏の書評「田中角栄の『開発主義』の功罪:石原慎太郎著『天才』」(アゴラ2/17)から。

<問題なのは、田中の「功」だけを書いて「罪」を書いていないことだ。田中は財政投融資という「裏の予算」を活用し、鉄建公団で赤字ローカル線をつくり、道路特定財源で全国に赤字の高速道路網を建設した。首相になった翌年の1973年を「福祉元年」と呼び、年金支給額を毎年のように増額して積立方式を崩壊させた。

田中の開発主義は、(高度成長の)60年代までは時代にマッチしていたが、70年代に成長率が下方屈折すると慢性的な財政赤字の原因になった。田中の路線を転換するには、90年代に小沢一郎の構想した「小さな政府」への改革が必要だったが、彼はそれを実現する政治的な才能において「オヤジ」には遠く及ばなかった。

いま問われているのは、田中以来の開発主義から、いかに人口減少時代の低成長経済に転換するかという問題である。そんな時代に古きよき高度成長へのノスタルジアを語る本書は時代錯誤だが、大改革は日本的コンセンサスでは不可能だというメッセージはわかる>(以上)

「日本的コンセンサス」・・・村社会の「和をもって貴しとなす」「万機公論に決すべし」か。これでは「大改革はできない」かもしれない。

大改革≒急進主義≒革新≒革命≒「破壊と創造」だが、日本人は改正≒改良≒カイゼンを少しずつ積み重ねていく「漸進主義」が性に合っているのではないか。

大改革をしたらギロチンのフランス革命になりやすいし、“アラブの冬”のような大混乱を招きやすい。憲法破棄=暫定憲法=国民投票という大改革=回天を小生はしたいが、70年たってもそんな話はまったくなかった。これからもないだろう。こういう「大改革」は日本には合わないのだろう。

(血が流れないから、まあ、いいか、仕方がないと思う他ない)

明治維新も革命ではなく「王政復古」だし、急激に社会が変わったのではなく、維新(1868)から20〜30年かけて憲法を制定し、日清戦争(1894)でようやく列強に追い付いた。なんと維新から40年後に不平等条約を改正できたのだ。

チョンマゲがある程度なくなるまでに10年かかったが、島津久光は明治20年(1887)に亡くなるまでチョンマゲだった。明治帝が率先垂範してマゲを落とし、同様に明治帝が肉食をすることで国民も納得した(面白い国!)。

そうでなければ西洋列強の価値観が普及するには結構な時間がかかったろうし、お妾さんは法律で公的に認められていた(権妻)が、これが否定されたのにも、女性がパンツをはくようになるのにもずいぶん時間がかかった。

日本はそういう国柄だから「スピードの時代」であっても辛抱強く「漸進主義」でやるしかないのだろう。

米国は8年ごとの大統領選真っ盛りだ。2年間、血を流さない内戦をする。60万人死んだ南北戦争で懲りたのだ。これは米国の戦争で最大の被害者数だった。

2番目は日米戦争で米兵は10万人死んだ(欧州戦線は4万人)。「日本を100年間戦争のできない国にする」という占領方針は、米国にとって死活的(今の流行なら「核心的」)な意味が「あった」(冷戦開始と朝鮮戦争ですっかり方針転換せざるを得なくなったが)。

まったく蝸牛の歩みのような、まどらっこしい大統領選に米国が燃えるのは、選挙という方法でしか国の方向を決められないからだ。選挙を否定すれば内戦しかない。60万人の死者では済まない、600万人になるだろう。

選挙、民主主義は弊害はあっても、今のところはベストだ。これに代わるものがないのだ。日本の総理選出は、総選挙などを経るが大体、公然たるゴム弾ドンパチは1か月だ。24か月の米国とはずいぶん異なる。ともに叩き合っても血は流さない。いいシステムと言うしかない。

日本が「漸進主義」でダメなら、米国は「超漸進主義」だ。日本の総理は1年で交代することが続いたが、米国大統領は少なくとも4年は続く。その間は大統領批判は控える、という暗黙のルールがあるそうだ。

小生が思うに、政策に着手してから成果が出始めるのには最低4年かかる。小泉政権を観察していたらそうだった。

ビジネスでも3年は種まきだ。4年目でようやく目が出る。それは小生の経験でもあるけれど、大体そのようだ。

1986年、ANAはグアムに初の国際線定期便を開設した。それまでは航空会社の事業分野を定めた「航空憲法=45/47体制」に縛られて、「国際線定期便はダメ、時々チャーター便ならいい」となっていた。

当時のANA国際部長は確か山田さんだったが、「国際部はANAのお荷物」とずーっと言われ続けてきた。針のむしろだったろう。国際部は売上の5%しかなかったのだ。

それから30年、甘やかされてきた国策会社のJALは破綻し、再建途上。ANAは国際線でぐんぐん躍進し、元気いっぱいだ。

努力が成果として実を結ぶまでには何年、何十年もかかる。急いで大改革をすると「アラブの冬」のように転んで大怪我する。大体、完治しない。フセイン、ムバラク、カダフィを排除したらカオスになって、もう修復の見通しはない。

プーチン、エルドアン、習近平の支持率は80%ほどだろう。彼らに問題は多いが、とりあえず内戦は起きていない。血だらけになる大改革よりはジワリジワリの「漸進主義」の方がはるかにマシではないか(彼らにとって政権安定が最大の課題で、民生は二の次という感じがするが、殺し合いよりはるかにいい)。

マキャベリ曰く「安定をもたらす頑迷冷酷な独裁者と、混乱をもたらす穏やかな宥和主義者。どちらが指導者としていいか。言うまでもなく前者だ」。

まあ、そういうことだろう。日本的コンセンサスで一歩一歩やっていくしかない。千里の道も一歩から。急がば回れ。急勾配の近道は避けた方がいい。

中共もようやく崖っぷちまで来た。あと3か月もすれば、小生愛用の孫の手で背中を押せば谷底へ転落するかもしれない。クネの電報はこうなるだろう。

「旦那はイケナイ、私もアブナイ」♪「ほんとに儚い恋だったわね・・・」(すみだ川)。

まあ、この際だから一緒に消えてほしいものだ。(2016/2/18)


◆最高裁判事の突然死

Andy Chang



日曜日(2月11日)にアメリカの最高裁判事アントニン・スカリア氏が突然死亡した。外国ではあまり報道していないがスカリアの突然死は大きな政治的話題となっている。

また、今週土曜日に行われるスカリアの葬儀にオバマは参列せず、バイデン副大統領を参列させると発表して更に大きな波紋を呼んだ。

米国の主要人物(しかも30年も最高裁判事を務めた人物)の葬儀に大統領が参列するのは当然である。この日は特に重要な仕事もないのにオバマは土曜日の国葬に参列を拒否した。

このことだけでもオバマがスカリアを「個人的に」嫌っていたといわれている。個人的な感情は別としてオバマは葬儀に参加すべきだとメディアは書いている。

●最高裁判事の任命

最高裁は9人の判事から成る。現在は保守系5人でリベラル系4人だが、保守でも最重要な判事と言われたスカリア氏が死亡したので保守対リベラルが4対4となった。最高裁判事は大統領に推薦権があり、上院は審査の義務と拒否権を持つ。つまり推薦権は大統領、
拒否権は上院にある。

オバマがリベラル判事を推薦すれば最高裁はリベラル優勢となる。オバマがリベラルを指名するのは当然の権利だが、上院はリベラルの判事を拒否する権利を持つから、共和党優勢の上院が拒否するのも当然である。

上院のマッコーネル議長は秋の選挙を控えてレイムダックのオバマ大統領は新判事の任命を控えるべきだと発表した。これに対しオバマは最高裁判事の任命権は大統領の権限であると返事した。オバマが新判事の推薦を発表すれば上院は審査しても拒否するなどの方法
がある。

上院議員が最高裁判事の任命を拒否した事例は前にもある。しかも民主党の議員が共和党大統領の推薦を拒否したのだ。この時オバマは上院議員だったが、ブッシュ大統領の任期が一年半もあったのに、ブッシュが推薦したSamuel Alito判事の任命を拒否した。今回は民主党大統領の推薦を共和党議員が拒否することになる。

共和党側は今年秋に選出された新大統領が新判事を推薦すべきだと主張している。オバマは新判事を推薦するだろうが、上院が同意することはないと思われる。

オバマが国会議員が休暇に入った空白期を狙って大統領命令で新判事を任命する「休憩期任命(Recess Appointment)」の可能性もある。憲法によると大統領には推薦権があり、上院には審査権と同意権がある。国会が休暇に入った時に大統領が勝手に任命するのは憲法違反ではないか。だがオバマが強行すれば問題が更に大きくなるが、オバマがやらないと言う保証はない。

共和党議員はすでに予防策を講じていると言われる。つまり国会が休憩期に入るのは三日以上の休暇と決められているから、国会が三日だけ休暇を取れば休憩期任命は出来ない。

●スカリア判事の死について

スカリア判事の突然死はいろいろな問題をはらんでいる。スカリア判事はオバマの大統領権限の乱用や憲法違反に近い大統領命令の発布についてかなり批判的だった。だからオバマは彼の葬儀に参列しないと発表するほど嫌っていたのである。

スカリア判事はオバマの銃規制を憲法違反としているし、大統領権限の行使に批判的、オバマケアの違法問題、堕胎反対、死刑判決、移民法案と違法移民の受け入れなどに反対していた。だから最高裁判事が突然死亡したら陰謀説が囁かれるのは当然である。

アメリカでは不審死には検死が必要とされている。スカリアは寝室で睡眠中に死亡した、つまり密室で死亡したのであり、スカリア氏のような重要人物が死亡したのに検死をしなかったら陰謀説が出まわるのは当然である。

スカリア氏は牧場の主人に招待されたが、翌日の朝食に起きてこなかった。死亡が発見されたときは「頭(顔?)に枕があった」と報道された。このような状況でスカリアは心臓発作で死亡と発表され、すぐに否定された。半日たってから自然死と発表されたが検死官は派遣されず、牧場に呼ばれたテキサス州の警察(marshal)が死亡を宣言をした。絞殺かどうか、瞳孔に充血があったか、枕に唾液が付いていたかなどの確認は一切発表されなかった。死体はまもなく葬儀社に運ばれ防腐処置を施したので証拠は残っていない。

まだある。スカリアはテキサス西南部のCiblo Creek Ranchと呼ぶ牧場に「狩猟に招待された」そうだが、狩猟に招待されたのに狩猟に参加していなかった。狩りをしないのになぜ牧場に行ったのかと言う疑問が残る。このメキシコ国境に近い牧場はJohn Poindexterの所有で、彼はオバマの友人であり、ベトナム戦争に参加したと言う古臭い理由でオバマから勲章を授けられた人物である。しかもオバマは葬儀(国葬)に参列を拒否している。これで疑問を感じない人はオバマ信者かバカと言わねばならない。

スカリアが死亡した翌翌日にwww.infowar.comの一連のヴィデオ報告でAlex Jonesがスカリア氏の突然死に疑問を発表し、真相を調査すべきだと述べた。この報道によるとスカリアの死亡を確認したのは牧場に呼ばれた警察官で、警察官がMerfaと言う町の地方法廷に電話報告し、Judge Guevara裁判官が電話で死亡を確認したと言う。検死官を派遣せず警察と裁判官の電話のやり取りだけで死亡を確認したのはいかにも不自然だが、17日のロスアンジェルスタイムスの報道では、テキサス州は土地が広いので検死官や裁判官が検死に立ち会えないこともあり、電話で死亡を確認することは合法だと言う。たとえ合法でもこれだけの大人物が不審死を遂げて検死もしなかったのである。三大テレビは陰謀説を報道していない。

最後になるが、ジョン・グリシャム原作のペリカン文書(The PelicanBrief)と言う推理小説の筋書きはスカリア氏の死亡にかなり類似したところがある。すでに映画化された小説で日本語訳もあるので興味のある人は図書館で調べてみるとよい。

◆木津川だより 壬申の乱(3)

白井 繁夫


壬申の乱の戦はこれまで河内.飛鳥方面の戦況を先行し、近江路方面は後述に分けました。

672年7月3日大海人軍の大伴吹負(フケイ)将軍は、「木津川」を越え攻め寄せて来る大友軍に対する布陣を、乃楽山(奈良山)に完了し、麾下の荒田尾赤間呂の奇策を倭古京(飛鳥の古い都)に採りました。大野果安(ハタヤス)将軍が率いる近江朝軍に備える作戦でした。

その翌日、果安軍の大軍が来襲し、簡単に布陣を突破され、怒涛の勢いで天香具山(天香久山:奈良県橿原市)の八口まで攻め込まれましたが、そこで吹負軍の奇策(大軍の存在を示す大量の楯等)を試みて戸惑わせました。そして目前までやすやすと占領で来た飛鳥京に、果安軍の全軍を一時後退させました。
「高市県主 許梅(コメ)の託宣(生霊神の言):果安長蛇を逸す。と」

大海人軍の吹負は命拾いしたのですが、逃げる途中に置始連兎(オキソメノムラジウサギ)の騎兵隊(先遣隊)と墨坂(宇陀市榛原)で合流して力を付け、金綱井(かなづなのい:橿原市今井町)に逆襲したのです。


一方、近江朝の壱岐韓国(カラクニ)将軍が率いる河内方面軍も河内衛我河で坂本財を破りますが、その時、国司来目塩籠の背反問題が発生して進軍できません。再度軍勢を立て直して飛鳥を目指しましたが、当麻の衢(ちまた)、葦池付近(奈良県葛城市当麻町)で、大伴吹負麾下の勇士来目(タケキヒトクメ)と置始騎兵隊の凄まじい突撃を受けたのです。

ところが、近江朝の大軍団の中の歩兵連隊の横腹を目指して、精鋭の騎馬隊が決死の覚悟で猛然と突撃した戦いで、さしもの韓国大軍も乱れ、兵は逃惑い、韓国軍の指揮命令系統が機能せず、総司令官(韓国)が、矢を受けて、必死で逃亡して行きました。

この7日の戦いで大海人軍は西方(大坂.河内方面)の脅威を無くしたのです。

当麻の戦いも4日の総攻撃日と同様、大友軍は河内方面軍と近江の倭古京方面軍の連携が機能していなかったと思われます。その間に大海人軍の大倭方面派遣軍の本隊(紀臣阿閉麻呂:キノオミアヘマロ:率いる数万の兵)が大伴吹負軍に参陣しました。

倭古京(飛鳥京)と乃楽(奈良)を結ぶ3本の南北道は東から上ツ道、中ツ道、下ツ道と称され東の上、中ツ道は木津へ奈良街道となって繋がり「木津川」の右岸を通り菟道(宇治)へ、西の下ツ道は木津の歌姫街道へと、「木津川左岸」を通って山陰道などに繋がります。

近江朝の将軍大野果安率いる倭古京方面軍は、大和の北(木津)を経て乃楽から上記3本(上.中.下ツ道)の道に部隊を分けて飛鳥を目指して攻めたのです。
これに対して、紀阿閉麻呂率いる大海人軍の本隊は、7月7日から8日にかけて続々と集まりだしたのです。同本隊の大伴吹負は、この大軍を3道に合わせて上中下陣に分けました。つまり、麾下の三輪高市麻呂は彼の地盤である上ツ道、吹負は中ツ道(自身の百済の家:橿原市百済)、援軍の精鋭部隊(主力部隊)は上ツ道に配置したのです。

ところが、戦闘は上ツ道と中ツ道ほぼ同時に起き、中ツ道の近江の将軍(犬養五十君イキミ)の別動隊(廬井鯨イホイノクジラが率いる精鋭部隊)が少数で守る吹負の陣営を襲い、またまた吹負は苦戦を強いられて仕舞い、必死に防戦しました。

上ツ道沿いの箸陵(はしはか:桜井市)での戦闘は三輪高市麻呂(大倭の豪族)と大海人軍本隊の精鋭部隊(置始兎)が共同で近江朝軍を迎撃、撃退し、更に追跡して、中ツ道の近江軍本隊を攻撃し、廬井鯨の背後を衝いたのです。

これで大友軍の大和の戦闘は、完全に敗北となったのです。

大海人軍の将軍吹負は何度も近江軍と戦い負けても、再度挑み続ける闘志でした。一方、近江軍の兵士の方は、庚午年籍に基づく徴兵であり、将軍も大海人皇子に内応する者も出てきていたため、大事なところで勝機を逃していたのです。

この結果が、飛鳥路方面の戦闘も、大海人軍の勝利に結び付いたことになります。

そこで、大海人軍の将軍大伴吹負は即刻難波へ赴き、西国の国宰から正倉.兵倉の鑰(かぎ)を献上させました。また大海人軍の大倭救援軍本隊は北の乃楽山から木津を経て山前(やまさき:桂川、宇治川、木津川との合流地南:八幡市男山近辺)へ進軍して行きました。これが歴史上の山場と見るべきでしょう。

ここで、大和.飛鳥路方面から近江路方面の戦闘へ話題を戻します。

672年6月に近江朝は、東国へ徴兵督促のため派遣した国宰(くにのみこともち)書薬(フミノクスリ)などが、26日に大海人軍に「不破道(関ヶ原)」で囚われの身になった。との報告に接し即刻臨戦態勢を取り、27日に大津宮より近江路方面軍を発進させました。

近江朝軍の陣営は王族(山部王)、大夫氏族(高級官僚:蘇我果安ハタヤス、巨勢比等コセノヒト)、などの将軍(指揮官)と中小中央豪族、近江地方の豪族、羽田矢国(ヤクニ)将軍を含めて、数万の兵(近江朝正規軍+近江の兵など)からなる大軍団でした。

大友皇子は不破道の大海人軍を、この際一気に粉砕できると、信じて出発させたと思われます。

(話題が前後しますが、この時点で、近江朝には飛鳥の状況も、大海人皇子が野上行宮に入った情報も、更に、尾張の国司小子部鉏鈎:チイサコベノサヒチ:が2万の兵を率い大海人軍に帰服した27日の重大な情報なども、近江朝には全く届いていなかったのです。決定的な手抜かりでした。)

この結果、大友皇子には、6月29日になって、ようやく大伴吹負が倭古京で蜂起し、飛鳥の大友軍営を占領した戦況が伝わったのです。これを機に大友皇子と大海人皇子の両陣営が本格的戦闘態勢を採ることになるのです。

7月2日に大海人皇子は「和蹔:わざみ」(不破郡関ケ原町)の全軍に進撃命令を出しました。紀阿閉麻呂率いる大倭救援軍は前回記述した如く置始兎の騎兵隊を先遣し、飛鳥まで伸びる戦線の腹部防護のため多品治を「莿萩野:たらの」(伊賀市)に、田中足麻呂を「倉歴道:くらふのみち」(甲賀市)に配備しました。

大海人軍の近江路方面進攻軍は総司令官村国男依(オヨリ)将軍、書根麻呂(フミネノマロ)将軍.和珥部君手(ワニベノキミテ).胆香瓦安部(イカゴノアヘ)ら地方豪族で整え、この方面軍も数万の兵士に赤布や旗を備えた赤色軍にしています。

近江路軍の最大特徴は総司令官を除き、指揮を執る各将軍は大友皇子を始めとして近江朝廷の高官とは面識ないのが地方の各豪族です。ただこの地方の土地勘や地縁.血縁を持っているだけです。ですから、戦闘に突入した時、各指揮官が個々に部隊を指揮、命令しました。謂わば総司令官の指揮ではなかったのです。

余談ながら、後世の江戸幕府軍が「錦の御旗」に恐れをなしたのも、大海人皇子と同じ様な巧みな戦略.指揮.監督をしたと思われます。

さて、大海人軍の飛鳥救援軍は即刻先遣部隊を急派し、同時に鈴鹿道.伊賀路の防衛を固めて出発しました。そして近江路進攻軍は大和.飛鳥方面のその後の戦闘情勢と大津京への進軍途上で戦闘に際し非常に重要である各地の豪族:息長氏(オキナガシ:米原市)を始めとし、坂田氏、秦氏、羽田氏などの状況を把握して行ったのです。

これに対して、近江朝廷軍は東国の徴兵と西国(中国.九州)の徴兵が時間的に間に合わないため、朝廷の常備軍と畿内で徴集した兵をもって、飛鳥と不破に兵力を分散さす状況となりました。飛鳥京と大海人本営の攻撃と両方面とも、近江朝は重要と判断したのでしょう。

しかし、近江朝廷の大友皇子は当初は大海人皇子に必勝すると信じて、思い戦闘に入りましたが、「白村江の戦」が尾を引いて軍備が遅れ:武器や兵力不足の悪状況も伴ったのです。

ですから不破への進撃途上に通過する地域の豪族兵を味方に(羽田氏など)加えながら、息長氏(オキナガ)などの近江の豪族をどれだけ味方に出来るかが勝敗を大きく左右すると思うようになっていたでしょう。

一方、大海人皇子は前述の如く、大和飛鳥路戦へは戦術に長ける中央の豪族を指揮官にして近江朝に不満を持つ豪族(国宰や古い渡来人)、東国へ脱出途上大海人軍に加わった兵(美濃.尾張の2万、大倭や伊賀の軍勢)を得て、半年間、吉野で推考した作戦以上の好精華で状況は進展していました。「戦には天が味方してくれている」と思ったに違いありません。

近江路における両軍正規軍の勝敗を決する戦闘と、その顛末は、次回につづけます。

参考資料: 壬申の乱   中央公論社    遠山美都男著
      戦争の日本史2 壬申の乱  吉川弘文館  倉本一宏著


2016年02月19日

◆私の「身辺雑記」(314)

平井 修一



■2月15日(月)、朝6:30は室温18.5度、今季最高、大いに春が近づいてきたか、手袋の人は少なくなった。10時には曇、ハーフ散歩。外はずいぶん冷えてきた。

朝鮮半島は北も南もかなり異常である。北が精神分裂病なら、南は重度の発達障害、両方とも“南北統一失調症”という病も抱えている。付き合うべき人々ではない(人間未満という気がする)。

朝鮮日報2/12「朴槿恵外交3年の失敗、反省して再出発せよ」から。

<振り返ると現在の朴槿恵政権における外交・安全保障政策は、わずか数カ月先も予測できない完全なその場しのぎの政策ばかりだった。どと自画自賛したかと思えば、最近は政府関係者の口から直接「裏切られた」という声が聞こえるなど、どう考えても異常と言わざるを得ない。

しかし北朝鮮が核実験を強硬した際の今の中国の対応について、中国の事情に詳しい識者らは誰もがある程度予測していたはずだ。

対北朝鮮政策もそうだ。根本的な責任が北朝鮮にあるのはもちろん否定しないが、韓国の対応はやはり極から極に振り回されるばかりで、政府の立場に理解を示す国民も決して多くはないだろう。

日本との関係においても、政府は慰安婦問題では一切譲らない姿勢を堅持していたかと思えば、突然問題解決に向けた政治的決断に踏み切り、国民の誰もが何か後味の悪さを感じている>(以上)

南北ともに哲学や理性、緻密な計算ではなく、その場その場での感情、喜怒哀楽に振り回されている。「行き当たりばったり病」。民族性に由来するようだから、多分、永遠に変わらないだろう。

朝鮮日報は「反省して再出発せよ」というが、国民を煽ってミスリードしたマスコミも「反省して再出発」する必要がある。ところが元来が「私は正義正当、周りは不正義不当」と思い込んでいる被害妄想民族だから「反省して再出発」なんてとてもできはしない。

産経2/15「【門田隆将が読む】中国から国外追放を受けた一人の記者を思い浮かべた…『なぜ私は韓国に勝てたか』(加藤達也著)」から。

<*最良かつ痛快な「教科書」

本書を読みながら、一人の新聞記者を思い浮かべた。筆者加藤達也記者の大先輩にあたる産経新聞元北京支局長の柴田穂(みのる)さん(1992年に61歳で死去)のことだ。中国の文化大革命の実態を世界に先駆けて報じ、中国から国外追放を受けた人だ。

私がかけ出しの頃、柴田氏の講演を聴く機会があった。どれほど敵が強大で、報道がいかに困難であろうと、真実だけを書き続ける大切さを語る柴田氏の姿を覚えている。私は“記者魂”という言葉を思い浮かべながら話を聴いた。

それから30年以上経った今、その言葉を思い出した。朴槿恵大統領への名誉毀損に問われ、最後まで屈しなかった加藤達也・産経新聞前ソウル支局長が柴田氏と二重映しになったのだ。

セウォル号事故当日、朴大統領が7時間も所在不明で、そのとき「誰と会っていたか」を“男女の噂”も交えながら朝鮮日報が書いた。朴政権に近い有力紙がそこまで書いたという「事実」をもとに、加藤氏は噂を「真偽不明」と断った上で、いかに大統領が追い詰められているかをコラムに書く。

だが、韓国の検察は、もともとの朝鮮日報ではなく、加藤氏を名誉毀損で起訴する。

本書では「法」ではなく、「感情」ですべてが動いていく“情治国家”韓国の信じられない実態が描かれていく。さらには、権力者の意向だけを窺う「忖度政治」等、前近代的で、滑稽この上ない韓国の有様が具体的に記述される。

興味深いのは、韓国側が何度も加藤氏と産経に「遺憾の表明」、あるいは「和解」を持ちかけていたという事実だ。それは「歩み寄り」さえ示せば許してやる、というメッセージにほかならない。

だが、慰安婦問題等で、日本政府を手玉にとってきたそのやり方は、妥協の姿勢を示さない加藤氏側に拒絶され、裁判は検察の敗北で終わる。毅然とした姿勢が、韓国の“非常識”を打ち破ったのである。

絶対に圧力に屈しない“記者魂”によって紡がれた本書は、日本がどう隣国とつき合うべきかを示した最良かつ痛快な「教科書」でもある>(以上)

“情治国家”“忖度政治”・・・半島人は出口のない迷路をひたすら彷徨しているようだ。

♪あんまりいそんでこっつんこ アリさんとアリさんとこっつんこ あっち行ってチョンチョン、こっち来てチョン 

つくづく四海に囲まれた日本に生まれてよかったと思う。

中央日報2/15「韓国の輸出が1月に18.5%も減った。記録的な急落だった。韓国人は経済発展を輸出で測る習慣があるため集団的に背筋が寒くなるのを感じた。輸出の減少は深刻な挑戦だ。だが反転のための、さらに多くの投資が果たして解決策なのだろうか。根本的な戦略の修正が必要なのではないだろうか」。

北京時事2/15「中国税関総署が15日発表した1月の貿易統計によると、輸出は前年同月比11.2%減の1775億ドル(約20兆円)、輸入は18.8%減の1142億ドルと、いずれも2桁の大幅な落ち込みとなった。景気減速が一段と深刻化し、世界経済に悪影響が及ぶ恐れがある」。

クネと習、この前までラブラブだったのに・・・金の切れ目が縁の切れ目、最後は道行き心中で飾ったらどうか。

♪この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ(曽根崎心中)

夕刻から集団的子育て。サバとアジの煮物、肉野菜炒めなどを7人で。Nが「子どもたちが一所懸命に食べるようにヂイヂが励まして」というので、褒めて褒めて褒めまくった。

育児は大変、片手間でできることではない。それを分かっていない男が多すぎる。育児に関与していないから現実を知らないのだ。一種のお花畑、未開人、未熟児。イクメンが 育休とって 浮気かよ? イクイクメンだな。

■2月16日(火)、朝6:30は室温13度、勤め人は寒そうにしている。快晴で日射したっぷり、暖かくなりそう。緑化センターの梅は九分咲き、ハーフ散歩。

昨日から固定電話を「留守電」にした。どーでもいいセールス電話がほとんどだからだ。やがてオールドメディアの固定電話は消えるだろう。「新聞紙」も消える。

ジャーナリスト・小林恭子氏の論考「英国の名門新聞が、ついにネットに殺された インディペンデントが電子版オンリーに」(東洋経済2/14)から。

<ニュース伝達の主役がインターネットになってから、すでに久しい。とはいえども新聞社にとっては、急にカジを切ることはできない。今でも、紙の新聞とウェブメディアの両立を目指そうとしているところが、ほとんどだ。

そんな中、2月12日に新聞界に衝撃が走った。英国の左派系高級紙「インディペンデント」(通称「インディー」)が、3月末で紙版を廃止し、電子版のみを発行する体制に移行することを運営会社ESIメディアが明らかにしたのだ。

全国紙が電子版に完全移行するのは、英国では同紙が初めて。紙のみならず新聞が最終的には消えてゆく未来図を想起させ、英新聞界のみならず、社会全体にとっても大きなニュースとなった。ガーディアンの記者は、インディーを「インターネットに殺された新聞」と呼んでいる(12日付)。

インディーの例は、他紙にとっても他人事ではない。紙版の廃止という問題は、「ありうるか」ではなく「いつか」という次元に入ったともいえるだろう。

ガーディアンのジェイン・マーティンソン記者は、言論空間の多様性に変化があることを懸念する。(12日付「インディペンデント:インターネットに殺された新聞」)。

英国のメディア市場は現在、保守系メディアが多勢を占める。インディーは電子版としては継続するわけだが、紙版が消えることで「言論の多様性についてのさまざまな議論が出てきそうだ」(同記者)。

多種な意見がオンライン上にはあるものの、「政治不安が高まる今、かつては急進的で反権力の姿勢を打ち出した新聞が紙では消える。このことによる喪失感は大きい」。

英国では昨年5月から、保守党単独政権が続いている。野党・労働党は政治家らしくない政治家ジェレミー・コービン氏の就任(昨年秋)以来分裂状態で、すぐに政権を担える状態にはない。次の総選挙が予定されている2020年時点でも、労働党が立ち直っているかどうかは不明だ。

左派勢力が弱くなっていくなかでインディーも弱体化していった。そして、ついに紙版廃止に追い込まれた。このことは、今後の政治の方向性にも影響を与えることになるだろう>(以上)

赤色バイアスのかかった西側式リベラル(源流は共産主義)は、メルケルを見ても分かるように世界の現実を認識できずに国を誤る。

国家経営は殖産興業、富国強兵が車の両輪であり、資本主義市場経済は激しい競争下にある。

常にトップグループにいなければ中進国、後進国、破綻国家に転落しかねない。トップ集団からはずれたら二度とトップ集団に戻れないのだ。過酷なレースである。

トップクラブ(G7、G20など)に席を置くためには国民の脳みそを高く維持しなくてはならない。VWのような悪質な手法ではなく、真っ当な方法で勝つ必要があるから、モラルも高く維持しなければならない。つまり教育と道徳が為政者の一番大事にすべき仕事であり、これは国家の基礎づくり、岩盤杭打ちである。

赤色バイアスのかかったメガネでは赤信号を認知できない。「どこの馬の骨かも分からない」人を受け入れる重大な危険を感知できない。センサーが働かないのだ。

リアリズム、現実主義で冷静に情勢を把握し、最良の政策を実行する。性善説に基づくリベラルのお花畑的改革論、革新的急進論では国家がもたず、「愛国保守漸進改革論」が正しいと多くの人が知り始めた。インディーの斜陽は日本のアカ新聞の斜陽を先取りするものだろう。

知人の「キリキリ」が亡くなった。ZAKZAK2/15から。

<ノンフィクション作家の桐山秀樹(きりやま・ひでき)さんが今月6日、東京都内のホテルで心不全のため急死していたことが分かった。61歳だった。

1954年、愛知県生まれ。ホテル業界に詳しいジャーナリストとして著述活動を続ける一方、近年では自身の体験をもとに糖尿病の克服術を綴るとともに、糖質制限食の第一人者として「おやじダイエット部」を結成。中高年向けのダイエット本を多数出版。3か月で15キロやせ、最終的には体重が87キロから20キロの減量に成功していた。

糖質制限の効果に否定的な日本糖尿病学会に対する“反論”を夕刊フジに寄稿。また「攻める健康」「高級ホテル“男の隠れ家”最新事情」などの連載を執筆していた>

彼とは記者仲間で、その縁で一度原稿を依頼したが、締め切りを守らないので非常に困らされ、以来交際は絶えたが、編集者タラシで仕事はそこそこあったようだ。

しかし、永らく出版不況が続いているからかなり苦労したのではないか。老いたライター稼業は余程の力量がないと仕事が来ないのだ。若い編集者にとって父親みたいな老ライターには仕事を頼まない。斜陽、消えるしかない。

もう金の心配も締め切りもない、安らかに眠れ、キリキリ!合掌。

■2月17日(水)、朝6:30は室温11.5度、それほど寒くない、今日も快晴で日射したっぷりだろう。ハーフ散歩、ついでに買い物、リュックにワイン2本、右手にビール6缶、左手にリポDひと箱など。いい運動。

1月から3月は引っ越しの季節で、学生などは就職が決まって独身寮に移る人も多いのだろう、包丁から鍋までゴミ集積場に捨てていく。小生のような職人からすると「もったいないなあ」とは思うが、不要だし、何を料理したのかも分からないから手が出ない。全然使っていないような関の孫六の包丁は誰かが持って行って、ちょっとホッとした。

買っては捨てる、買っては捨てる・・・資本主義の厭な面だ。ムダ、ムリ、ムボウ、ムケイカク。電通心得第一条「新式を買わせろ、旧式を捨てさせろ」。恐ろしいことだ。

マイナス金利が話題になっているが、預貯金の金利はずいぶん前から低いので、多くの国民は銀行をただの財布代わりにしか思っていないのではないか。「それでは死に金だ、株式投資などで“金を働かせて金を儲けろ”」というのは金融業界の人で、少なくとも小生は「余計な金を得るために必要な金をリスクにさらすのは嫌だな、第一煩わしい」と思っているから金融業界の客ではない。

複数の富裕層(実業家)に聞くと、「君のようにせっかちな人は株価に一喜一憂するから、株には向かないね。確かにこまめに売買すれば儲かるだろうけれど、安定株を長く持って、キャッシュが必要な時に売ればいい」。それでないと実業が疎かになるというわけだ。

父もそんな投資家で、毎日日経で株価はチェックしていたが、実業の方が儲かるから売買にはあまり熱心ではなかった。「証券会社の言いなりになるとろくなことにならない。俺には買えと言い、他の客には売れと言う」とぼやいていたっけ。

証券会社は客が売買すれば手数料が入るから、客が儲けようが損しようが、あまり気にしないのではないか。証券会社を今でも「株屋」と呼ぶ人がいるのは故ないことではないのだ。

小生が中学生の頃、父の友人(商店主)が株にのめり込み、周囲から大層な金を借りて株取引をしていたが、失敗して夜逃げしたという。

もちろん成功した人もおり、先輩で中堅旅行会社を経営していたNさんは「わが家は株で建てた」と言い、引退してからは投資顧問業を始めた。ところがその後、インサイダー取引が犯罪になってしまい、「投資顧問業はその情報を売るのが商売なのだから、もうお話にならない」と会社を畳んだようだ。その後の消息は不明だが、すっかり隠居したのだろう。

そういえば海外旅行分野で準大手だったジェットツアーが倒産した時は大騒ぎになった。倒産記者会見を終えて会場を後にした菅原社長を守るようにして寄り添っていた武井・元営業部長(当時は子会社の社長)に菅原社長はこう言ったという。

「武井君、落城なんてあっけないものだな」

武井氏曰く「修ちゃん、これは書くなよ、俺と菅原さんしか知らない話だから」。武井さんも先年昇天したから解禁だ。

同社は自社の株を買うように社員を奨励していた。社員優待制度なんてあったのだろう。それを信じて多くの社員が老後の蓄えを自社株購入にあてた。それが「あっけなく」紙屑になってしまった。年配の女性の中には泣き出しそうな人もいた。

噂によると菅原氏は会社が危うくなる前から米国に資産を移し、離婚した妻(その後同居したらしい)に慰謝料として多くの資産を渡したという(日本人離れしている?)。裏が取れないから誰も書かなかったが、口コミで瞬く間に広がった。

同社の番頭さんは騒動が収まった頃にハワイへ移住し、不動産業を始め、今も健在のようだ。

小生は武井さん(ペンネームは大前豪、小生は石上幸一で裏情報を盛んに流したものだ)や多くの業界人、税理士の協力を得て同社倒産劇を調査報道し、評価されたが、いい事件ではなかったので気分は優れなかった。

昔から「築城八年、落城一日」と言うそうだ。落城は悲しい。

米国人や華僑などは投資が好きだ。醍醐味はハイリスク・ハイリターンで当てることだろう。これが経済成長に大きく寄与しているとは思う。小生だって金は好きだけれど、別に不自由はしていないし、第一、買いたいものが酒ぐらいだから多寡が知れている。

不要な金やら蓄財が過ぎると、どうもあまりいいことはないと思うが・・・米国で宝くじの高額当選者はほとんどが破綻するという。これを元手にもっと増やしたいとハイリスク・ハイリターンを狙うからかもしれない。

「世の中は 酒と女が仇(かたき)なり どうぞ仇にめぐり会いたい」

今日も鉄火場で銭闘が繰り返されているのだろう。「丁半揃いました、イザ!」(2016/2/17)


◆認知症にはなりたくないが・・・

馬場 伯明


本誌3928号(2016/2/13)に向市眞知氏(医療ソーシャルワーカー)の「『認知症』には『散歩』が効果」という文章があった。住友病院神経内科の(宇高不可思)先生の講演を聴いたところ、(宇高)先生は「こんな症状があったら要注意!」と具体的な11の症状を指摘されたという。

たとえば、1.同じことを何度も言ったり聞いたりする。2.ものの名前が出てこない。3.置き忘れやしまい忘れが目立つ。4.時間、日付、場所の感覚が不確かになった。5.病院からもらった薬の管理ができなくなった。(6.〜11.は省略する)。

向市氏は「(それらの指摘に)思い当たるフシがいくつもある」と自分の経験を紹介し、認知症の人の実態の解説をされていた。また、「医療ソーシャルワーカー」の経験と立場からの助言をされていた。

その助言は認知症の人への家族や周りの人の対応方法に関することが主であったが、最後に「『認知症』には『散歩』の効果があります」とあった。言葉不足の気がしたが、「『認知症』(の進行を抑える)には『散歩』(することで)の効果が(相当)あります」ということであろう。

(向市氏の文中にあったわけではないが)一般的に「酒を控える」「煙草をやめる」「ご飯を減らす」「太らず、痩せる」などが指導されている。

だが、これらは物事や現在の状態を否定する(マイナスの)行動である。一方、「散歩する(歩く)」というのは、自らの前向きな積極的な(プラスの)行動である。これは心身にとり非常にいいことだ。

宇高不可思(うだかふかし)先生の講演内容をWEB等で探したが探せなかった。向市眞知氏からの又聞きではなく、「講演録」に直接に触れたいものである。(向市氏にご紹介いただきたいが)。

宇高先生は、単なる「散歩」ではなく積極的に「歩く」意義も述べられたのではないか。そして、認知症の症状が出たから「歩く」のではなく、認知症にならないよう、認知症の発症を半年でも1年でも遅らせるために「歩く」のがいいという提言ではなかったのかと推測する。

私たち人間にとり、生物としての「生物寿命」ではなく、真っ当な心身状態の「健康寿命」を延ばすことが大事だ。「認知症のより早期発見と軽度認知機能障害(Mild Cognitive Impairment:MCI)対策が重要」と宇高先生も強調されている(「RING MIND no5 2011」)。

認知症が進行してしまってからでは遅い。徘徊する老人に(無目的に:目的を認識できず)「散歩」されては困る。(ただし、認知症が進行した人への対応を否定するものではない)。

賢い人はやっている。たとえば、糖尿病の家系との本誌主宰者は毎日1万歩を超えるウォーキングを欠かさない。私の友人A君もジョギングと高負荷ウォーキングを組み合わせている。「転ばぬ先の杖」、予防に勝る対策はない。また、予防は前向きの行動だからやっていても楽しい。

最近、手首に「ウェアラブル端末」、ポケットに「スマートホン」を持つ人が増えてきた。じつは私も。何のためか?自分の体の諸データを自動的に収集・累積し、医師や作業療法士などの専門家の指導を受け、自分の健康を管理し良好に維持するためである。

各自治体でも積極的な取り組みが盛んになってきた。たとえば、奈良県は「健康寿命日本一!の県」をめざす。この先手必勝の施策はすばらしい。こちら。http://www.pref.nara.jp/secure/116657/h25-teigen.pdf

病気の情報を含む健康データは、医療機関や役所などが独占する状態から、個人のものになっていく。自分で自分を知る、自分がデータを主導的に管理する時代になっていくのであろう。そんなときに、認知症などになってはおれない。

認知症にならないように、また、 ロコモ(運動器症候群:ロコモティブ シンドローム:locomotive syndrome)に陥らないよう、日常的に心と身体を自ら管理し正常に保ちたいものである。

元気な高齢世代が最も陥りたくないもの、それは、癌より認知症であるという。何よりも、生物ではなく人間としての自分が消えてしまうという底知れない恐怖感によるものであろう。

私は71歳になった。元気なつもりである。丈夫な「身体髪膚」を与えてくれ長寿で亡くなった父母(94・93歳)に心から感謝する。合掌。

今、東京で月曜日から金曜日までフルタイムで働いている。酒は毎日飲む。薬は飲んでおらずサプリメントも全く摂取していない。健康診断の数値はオールA。休日はゴルフなどで歩き回り適当に遊ぶ。映画が好きであり、本は雑読・多読である

しかし、いくら元気なつもりであっても、遠くない時期に必ず訪れる心身の老化と死に至る不確かで暗い道程が、私にはまだ見えていない。

この不安をどう乗り切るのか。「さあ、早く来い!」と、どんと構えたい気もするが、う〜〜ん、怖いな。(2016/2/18千葉市在住)


◆木津川だより 壬申の乱A

白井 繁夫



大海人皇子は、天武元年(672)5月、美濃国へ赴いた舎人朴井連雄君(エノイノムラジオキミ)から「天智天皇の陵を造営するためと称して、東国の農民を徴集し武器を持たせている云々」との報告を受けたのです。

この情勢こそ、近江朝が戦いを挑むことになると推察し、吉野宮の脱出を決意し吉野においての半年間推考を重ねた作戦に基づき、6月24日に東国(美濃)を目指して出陣しました。

大変きつい強行路を経て、「桑名群家」に辿り着き、「鈴鹿の山道」や「不破道:関ヶ原」の閉塞にも成功を治め、みずからは「野上行宮」に入りました。このことは、大海人皇子側から見れば、内乱突入直前の状況だったのです。(前回記述)

ところで今回は、大友皇子側から見た「壬申の乱」に至るまでの状況を見てみます。

大海人皇子一行が、671年10月19日、大津宮を去る折、菟道(宇治橋)まで見送りに行った近江朝の重臣3名(左右大臣と御史大夫)の内の一人が、こう云いました。

<「虎に翼を着けて放つ」と云ったといわれているように、叔父の大海人皇子は有力な皇位継承者である為、皇位を継承するには大友皇子が、大海人皇子を排除すべき人物なのです。>

虎は鋭い牙と爪を持っているのに、その上に翼まで着けて放ったのだから、大海人皇子を監視するために、近江から倭古京(やまとのふるきみや:飛鳥京)までの要所(宇治橋の橋守に命じて、美濃の大海人の支配地などから武器や食糧などの物資が運搬されるか、「木津川の泉津」(木津の港)から同様に吉野へ届けられるかなど、飛鳥京の留守司などで監視する体制を敷きました。(大海人皇子の勢力を剥ぐための兵糧攻め作戦)

「対新羅戦用」と称して、全国へ国宰(くにのみこともち)を派遣して、「徴兵」(各郡司などを通じて農民兵の動員)に着手しました。

特に大海人に影響を与える地域、畿内(山背.大和.摂津.河内.和泉)と、東国の美濃や尾張(美濃の安八磨郷あはちまのこほり、湯沐邑ゆのむらなど)からの「徴兵」に傾注したのです。(作戦の狙いは、大海人皇子と関係がある地区に楔を打ち込む目的)。

大友皇子は、近江朝の政権の中心であり、大海人皇子が(吉野)隠遁している間に、勢力を剥ぎ、大友に対抗出来なくしようとした計画的な行動を取りました。

ただ、天智の殯(もがり)の期間、いろいろと公式行事があるうえに、筑紫の唐使「郭務悰:カクムソウ」の応対にも忙殺されることのもありました。

古代も現代も戦争に備えるには情報戦略が非常に重要な要素です。近江朝は軍備力や権勢力などで絶対的な自信を持ち過ぎて、少々油断があったのではないかと思われます。

大海人皇子は、誼を持つ舎人を通じて各地の豪族と絆を結び、近江朝の動静などの情報を逐一得ていました。もちろん、近江や飛鳥の官人とも連絡は密だったのです。

両軍が戦闘に入ったとき、大友軍は情報不足により有利になるはずの戦況を、思わぬところで不利にすることが出てしまいました。

重要な歴史書:『日本書紀』は日本最古の正史ですが、舎人親王(天武の皇子)が編纂の総裁者となり養老4年(720年)に編纂され、天武嫡流の皇子に関係した藤原不比等も介在した?と思われる書籍です。

これから記述する「壬申の乱」の戦闘の描写も、勝者側の見方(大海人が正当な皇位継承者)が大きく出るかもと思います。

近江朝は、庚午年籍(こうごねんじゃく:天智天皇の時代に編纂された日本最古の戸籍制度)に基づく徴兵を急がすため、東国へ派遣した国宰書薬(フミノクスリ)ら3名のうち2名が、6月26日に「不破道」で大海人軍に捕えられたのを目の当たりにして、国宰韋那磐鍬(イナノイワスキ)は、大津宮へ逃げ帰ってきました。

近江朝軍は、翌27日臨戦態勢に入り、近江路方面軍と飛鳥方面軍と大きく2方面に軍を分けて、最初に近江路方面軍が「不破道:関ヶ原」を突破して、大海人本営を襲撃する作戦を立て、近江朝正規軍に西国の徴兵や近江の豪族の兵を加えた数万の軍を、大津宮から出発させました。

最初の戦火は、6月29日に大海人軍の大伴吹負(オオトモフケイ)によって大倭飛鳥で開始されました。だから、最初に出発した近江路軍の戦闘は後述するとして、大倭.河内方面の戦いの方を先行します。

(飛鳥京)朝廷側の留守司(トドマリマモル司)は、高坂王.稚狭王(ワカサ).坂上熊毛ですが、大伴吹負とは内応?していたと思われ、実情は近江朝の使者(穂積臣百足等ホヅミノオミモモタリ)が、27日に軍営を設立したばかりの状態でした。

天智10年に亡命百済人を実務官僚に組織した体制に対する反発が、古くから飛鳥などに居住する渡来人(東漢系氏族:坂上熊毛)、同じく山背国に渡来していた氏族(秦熊)など、倭古京の居住者にありました。

大伴吹負は奇策を持って、僅か10余の騎馬兵で高市皇子が攻めて来たと叫び、飛鳥寺の西の軍営を奇襲し、飛鳥京を制圧しました。留守司高坂王らは帰服し、近江朝の軍営にいた物部日向.五百枝兄弟も帰順したので味方に加え、穂積百足のみが最初の戦死者となりました。

大伴吹負の飛鳥京制圧の報は大倭各地に伝わり、三輪君高市麻呂.鴨君蝦夷等の豪族が大伴吹負軍に加わり、その情報は大海人皇子をはじめ、近江朝にも伝わったのです。

7月1日:近江朝の大倭方面軍は大野果安(ハタヤス).犬養五十君(イキミ).廬井鯨(イオイノクジラ)が、近江朝正規軍と西国の徴兵を率い、飛鳥京奪還を目指して大津宮を発進しました。

果安は大伴吹負の軍を度々破り敗走させましたが(後述しますが)、紀臣阿閉麻呂(キノオミアヘマロ)軍の先遣した騎兵隊が伊賀から駆けつけて、吹負の窮地を救ったのです。

庚午年籍に基づき、摂津.河内で徴兵した兵を率いた河内方面軍の将壱岐韓国(イキノカラクニ:渡来氏族)と、国宰来目塩籠(クメノシオコ)は同日、河内.大倭の国境を突破して飛鳥京奪還を目指して河内を出発しました。
(大伴吹負は乃楽山(なら:奈良山)を目指し進発(木津川市と奈良市の国境の丘陵地)。

大海人皇子は、7月2日和蹔(わざみ)の全軍に進撃命令を出し、全軍の兵に赤い布を着用させて、大友軍とはっきり区別させました。

飛鳥方面軍の総大将紀臣阿閉麻呂は、数万の軍勢を率い倭古京守備隊の増援に向かわせ、置始連兎(オキソメノムラジウサギ)の精鋭な騎兵隊は本隊を離れ、飛鳥へ急行させたのです。

多臣品治(オオノオミホムチ)は3千の兵で伊賀の莿萩野(たらの)を防衛、田中臣足麻呂は倉歴道(くらふのみち)の守備につきました。
(近江路方面の村国男依らの数万の軍勢の進撃は次回にします。)

乃楽山(なら:平城山)は、古代崇神天皇の時代:武埴安彦の反乱の舞台となった要衝。

山背と大和の国境の丘陵地であり、北側の平野に木津川が流れ、南は大和平野が広がる両軍にとって戦略上重要な拠点です。(四道将軍の大彦命と和爾氏の祖彦国葺が乃楽山の本陣から北側の山背の武埴安彦軍を木津川の戦いで殲滅し、西の大坂より攻めて来た埴安彦の妻(吾田媛軍)を吉備津彦命が討った。古戦場。)

(吹負はその拠点を固めに行く途上「大和郡山市稗田」で、西方「大坂:河内」から大友軍が進軍してきた情報を捉えたのです。)

吹負は、坂本臣財(サカモトノオミタカラ).長尾直真墨(ナガオノアタイマスミ)等に兵三百を授けて龍田道を防衛させ、佐味君少麻呂(サミノキミスクナマロ)に百余の兵で、大坂道(穴虫峠:二上山の北:大坂側道)を、鴨君蝦夷は百余の兵で石手道(イワテノミチ:竹の内峠:二上山の南:大和側道)の守りに就きました。

坂本財は、龍田付近で斥候が近江朝の高安城(白村江の戦に対処した山城ヤマジロで税倉チカラクラ:穀物の保管倉庫)が手薄との情報を得て、財が襲撃した時、大軍が来たと勘違いして城(穀物倉庫群)を焼き逃走しました。大海人軍の兵は無傷で高安城を占領したのです。

大伴吹負は飛鳥京を7月1日出発して、(3日)乃楽山に布陣が完了まで長時間移動を要したのは、6月29日以来続々と集まる兵を各部署に配置しながら進軍したからです。

7月3日朝霧が晴れ、坂本財は高安城から眼下の大坂平野を見ると大津道:長尾街道(堺市→河内美陵町→生駒王寺町)と、丹比道:竹内街道(堺市→羽曳野古市→飛鳥当麻寺)から整然と隊列を組み、大友軍が東へ進みました。大津道は将軍壱岐史韓国の軍ですが、高安城は黙殺して(武田信玄が家康を無視した様)行軍して行きました。

坂本財は、全軍僅か300人ですが、下山して衛我河(エガガワ:大和川付近藤井寺市道明寺)で挑ませますが一蹴され、懼坂道カシコサカミチの守衛紀臣大音(同族)まで退却しました。

しかも、この戦いで、国宰来目臣塩籠が大海人軍に内応しているのが発覚。大友軍の進軍は一時停止したのです。来目臣が大友の命により河内で徴兵した兵を持って、韓国将軍の下に入ったので、全軍が大きく動揺したためです。

(坂本財の悲壮な突撃戦は後の大坂夏の陣と同じ戦場「道明寺」で東軍水野.伊達軍2万3千に対し西軍の後藤基次軍3千弱の突撃の様と同様でした。だから軍規や軍の再編のため、韓国軍も進軍が遅れ、4日の大友軍全軍の総攻撃日に参加できなかったのです。)

大津宮を1日に出発した大野果安(はたやす)率いる倭飛鳥方面軍が、「木津川」を越え乃楽の大伴吹負が築く堅固な陣を突破し(吹負は数騎で逃れる)、怒涛の進軍で飛鳥京の手前:天香久山(あまのかぐやま)の八口まで来た時、斥候から「飛鳥の各街道の要所に大量の楯などが並び伏兵が潜んでいる」との報告。

大野果安が高所から遠望すると大軍を隠し、吹負軍が罠を仕掛けて簡単に退いたとも取れ、味方の壱岐韓国軍が4日なのに姿.音沙汰ともに無いのは、大海人軍の正規軍が来ていると思い込み、全軍に退却して陣容をかまへ直すよう命じました。(飛鳥京には大海人軍未着)

倭古京(飛鳥の古い都)への戦闘は、大友軍の河内方面軍も飛鳥方面軍もともに簡単に飛鳥京を占領できる機会だったのをともに逸して、後から来る大海人軍の正規軍と戦うことになるのです。

大和路戦の結末と近江路戦については次回に続けます。    (郷土愛好家)

参考資料:戦争の日本史2  壬申の乱   吉川弘文館  倉本一宏著
     壬申の乱     中央公論社  遠山美都男著
     木津町史     本文篇    木津町

2016年02月18日

◆米大統領選の背景に「格差」

平井 修一



米大統領候補のトランプの勢いは止まらない。オバマは根が反米であり「穏健なアメリカ」を求め、世界の警察官を辞任した。トランプは愛国、レーガンのような「強いアメリカ」を求めている。きれい事だけの職業政治家にうんざりしている共和党支持の中間層は、彼を支持しているようだ。

「トランプ氏、討論会蹴って対抗集会 “まるでオスカー”とご満悦」(AFP1/29)から。

<大統領選の共和党指名争いでトップを走る富豪のトランプ氏(69)は28日、米FOXニュースが主催する同党候補によるテレビ討論会を欠席して独自イベントを開催し、自ら生みだした騒動を大いに楽しむ様子を見せた。

トランプ氏は、アイオワ州デモインで行われた討論会をボイコット。その代わり、退役軍人を集めた独自の資金調達イベントを、あえて同市内で同じ時間帯にぶつけて開催した。

テレビ中継されたこのイベントでトランプ氏は、討論会から注目を奪うためFOXニュースやライバル候補を挑発する発言を連発。FOXニュースや同局キャスターのメーギン・ケリー氏が自分について偏った報道をしていると改めて主張し、「粗雑な扱いを受けた場合は、自分の権利を守らなければいけない」と持論を展開した。

一方で、「FOXはここにきて非常に好意的になっていて、ついさっきも電話で『来てくれませんか?』と聞いてきた。私は『もう始まっているんじゃないのか?』と答えたよ」とトランプ氏は述べた。

さらにトランプ氏は、たった24時間で集めたという自身のイベントの参加者数を自慢。「見てくれ、ずらりと並んだカメラを。まるでアカデミー賞じゃないか。実際、アカデミー賞よりもずっと多いと聞いたよ」「会場の外にもまだ中に入ろうとする人たちがたくさんいるんだ」などと語った。

FOXニュースの声明によると、トランプ氏はテレビ討論会への出演料として500万ドル(約6億円)を要求したが、同局は拒否したという。(平井:この金は慈善団体に寄付するというのが名目)>(以上)

選挙はみずもの、一寸先は闇だと思うが、トランプが自信たっぷりであることは上記の記事で分かる。熱烈な支持者が多いのだ。昨秋の記事だが「トランプ氏、大人気なのはなぜ? 支持者が語る米大統領選」(AFP2015/10/19)から。

<トランプ氏の人気はとどまるところを知らず、もはや一過性の流行とは言えない。トランプ氏はなぜ、これほど支持者から称賛されているのだろうか。

トランプ氏が選挙キャンペーンを開始してから4か月が経過した現在、約4人に1人の共和党員が同氏を支持している。選挙集会には常に多くの人々が集まり、バージニア州リッチモンドで先週開かれた集会でも5000人近くが同氏に声援を送った。

■ビジネスマンとしての評価

トランプ氏の支持者らは、「ビジネスマン」という言葉を反射的に口にする。これがトランプ氏の能力を評価する基準の一つとなっていることは確かだ。

「私たちの国は転換点を迎えた。私たちは収入よりも支出が多い。だからビジネスマンが必要だ」と、現状に幻滅した不動産業者のテリー・ブレナンさん(50)は語る。トランプ氏に会いに、会場に一番乗りした人々の一人だ。

大統領の能力を企業の経営能力に例える人は多い。最高司令官は交渉力に長け、断固とした決断力を持たなければならない、とする考え方だ。支持者らは、トランプ氏がオバマ米大統領よりももっと上手くロシアのプーチン大統領に対処できると主張している。たとえ、外国の要人たちの名前を知らなかったとしても、だ。

「彼はたった一人で、今の地位にたどり着いたわけではない」と、アイルランド生まれで1980年代に米国に移住した元パラリーガル(弁護士補佐)のアリス・バトラーショートさん(72)は語る。「彼はきちんとしたアドバイスができる人々を自分の周りに置くでしょう」

■独立性

億万長者のトランプ氏は、「誰にも操られていない」ことを強調している。支持者らにとって、こうした独立性は極めて重要だ。支持者らは、見返りを求める利益団体や富裕な寄付者に対し、トランプ氏がなんの借りも持っていないことを称賛している。

トランプ氏は、選挙活動費を自費で賄うと誓い、資金提供者と政治家の癒着関係についてもしっかりと説明する。自ら大金を民主党や共和党の政治家の選挙活動に寄付してきたと語り、小切手を受け取った過去の候補者たちから、あふれるほどのお礼を受けたと述懐する。

トランプ氏の立候補は、自身のブランドのイメージを高めるための大掛かりなPR戦略に過ぎないのだろうか。

「まさか。彼に売名行為は必要ない」。バトラーショートさんは一蹴した。「私が100億ドル持っていたら、売名の必要はあるでしょうか?」

■米国が第一

また、支持者らはトランプ氏のスローガン「米国を再び偉大に」を信奉し、不法移民の追放、中国や日本との貿易戦争への勝利、税金の軽減など、同氏の政策を支持している。

「国境がなければ国は成り立たない」とトランプ氏は強調し、移民の不法入国を阻止するために、メキシコとの国境に壁を築くという誓約を新たにした。

トランプ氏のメッセージの中心にあるものは、米国を最優先するということだ。同氏は、オバマ政権が世界における米国の地位を失墜させたと主張している。

「オバマ大統領は外国寄りすぎる」と学生のトーマス・ロサドさん(19)は不満をもらす。保守強硬派「ティーパーティー(茶会)」は米政府が外国に資金を投入しすぎていると主張しており、その一部はトランプ氏を支持している。

■「不適切」な発言

最後に、挑発的なトランプ氏のスタイルが挙げられる。支持者らは、多くの米国人が思っていてもあえて口にしないことを、トランプ氏が大声で叫ぶのを聴いて満足を覚える。

支持者らは、ニクソン元大統領によって世に広まり、トランプ氏も採用している「サイレント・マジョリティー(物言わぬ多数派)」を自認している。

トランプ氏支持者の多くは、政治家たちを見下す一方で、民主党寄りだった同氏の過去については目をつむり、同氏が国際舞台で外国首脳を相手に失言を発する可能性については無関心を決め込む。

マナー違反もいとわないトランプ氏の大げさな発言に興奮した様子のバトラーショートさんは「彼はレーガン元大統領を二回り大きくしたような人物になりますよ」と語った>(以上)

トランプがうけている理由も分かった。その背景には米国(あるいは世界)の直面している「地殻変動」があるというのが在米の笠原敏彦氏の最新の論考「『格差』に蝕まれてアメリカ社会は壊れかけている 米大統領選"異変"の読み方」(現代ビジネス2/16)だ。

<*壊れかけたアメリカ社会

アメリカ大統領選は、民主、共和両党ともアウトサイダーが大健闘する展開になっている。

自称「社会民主主義者」のサンダース氏(民主)と、扇動的な発言で物議を醸す不動産王トランプ氏(共和)は、候補指名レースの第2戦となった9日のニューハンプシャー州予備戦でそれぞれトップになった。

従来なら泡沫候補で終わっていただろう両候補が巻き起こしている政治的ムーブメントは、何を意味するのか。

筆者には、経済格差がいかに民主主義、社会を蝕むのかというドラマを同時進行で目撃しているように思えてならない。

米労働統計局が昨年4月に公表した所得データによると、2014年7月までの1年間で所得が増えた層は上位20%の層だけで、それ以下の層は2%以上減少している。

アメリカ経済の堅調さにもかかわらず、こうした結果が出るのは、経済のグローバル化はエリート層を利するばかりで、中・低所得者層にはその恩恵がなかなか回らないという指摘を傍証するものだ。格差は確実に拡大しているのである。

*左傾化する若者たち

サンダース氏とトランプ氏が勢いを見せる選挙戦の展開は、「ワシントン=既成政治」への反乱と説明されることが多い。

公立大学の授業料無料化など欧州社民主義的な政策を掲げるサンダース氏を支持する草の根の若者層。反移民などポピュリスト的な訴えを行うトランプ氏を支持する白人労働者層。

両支持層の思考のベクトルの向きは全く異なるものの、ワシントン政界、ウォール街的な「エリート文化」への憎悪感を爆発させている点においては共通する。

ここで、両支持層の動向を分析することで、アメリカという社会システムの機能不全について考えてみたい。

まずは、サンダース支持層である。自由を国家のコアバリューとするアメリカでは「社会主義」はダーティ・ワード(忌むべき言葉)だった。そのアメリカで盛り上がりを見せるサンダース現象は、この国の若者層の左傾化を示すものだろう。

2008年のリーマン・ショック後に起こった「ウォール街を占拠せよ」運動につながるもので、中核となるのは「ミレニアル世代」(1980〜2000年生まれ)である。

(平井:民主党底辺支持者の「ウォール街を占拠せよ」運動は核となる政治家がいなかったためだろう、政治的なパワーにならずに雲散霧消した。負け犬の遠吠え、成功者へのやっかみとしか見られなかったのかもしれないが、そもそも民主党議員自体が「ウォール街」から献金を受けたり、「ウォール街」で成功した人々ではなかったか。民主党はカネの臭いがする、共和党は硝煙の臭いがする・・・)

「子どもの世代は親の世代より豊かになれる」

第2次大戦後の経済成長は、こんな“庶民的アメリカンドリーム”を生んだが、経済格差が拡大し、中間層が縮小する中で、ミレニアル世代にそんな楽観主義はなさそうだ。

また、「丸太小屋からホワイトハウスへ」の言葉に象徴され、アメリカ社会が誇りとしてきた社会的流動性の高さも近年、陰りを見せている。

こうした閉塞状況に身を置く若者層が諸悪の根源と見なすのは、巨大金融資本、すなわち「カネが持つ政治的影響力」である。だから、サンダース氏が「腐敗した選挙資金制度の下、ウォール街と大金持ちが彼らの選ぶ候補に巨額の資金をつぎ込んでいる」と訴えるとき、彼らは喝采を惜しまないのである。

(平井:民主党議員の選挙資金に中共の金が相当流れているのではないか。中共系と韓国系米人の多くは民主党支持だろう)

*誰がトランプを支持しているか

次は、トランプ氏の支持層である。

この右翼ポピュリズム的ムーブメントを支えているのは、白人労働者層の「古き良きアメリカ」へのノスタルジアだろう。経済のグローバル化、デジタル情報革命などがもたらす恩恵から取り残され、逆に雇用、賃金面などで国際競争のしわ寄せを受ける労働者層だ。

彼らが不遇の原因として、移民や外国人をスケープゴートにするのは欧米先進各国に共通する構図となっている。

米キニピアック大の昨年12月の世論調査では、トランプ氏が大統領になったら「恥ずかしい」と思う人が5割もいる。それにもかかわらず、トランプ氏が候補指名レースで快走していることは、アメリカ社会に走るフォルトライン(断層線)の深さを示すものだろう。

OECDが2014年12月に公表した報告書によると、所得分配の不平等さを示すジニ係数(1に近いほど格差が大きい)は、アメリカ(0.4)とイギリス(0.35)が先進国中では1、2位を占める。

アメリカは、イギリスの階級社会を反面教師に、自由と平等を理想に建国された。そのアメリカが、新自由主義の下で「勝ち組」と「負け組」のコントラストが鮮明になり、半ば“階級社会”化してしまったのである。

*アウトローへの期待の高まり

アメリカ大統領選に費やされる資金は100億ドルと言われる。その多くは、企業や団体が無制限に献金できる「スーパーPAC(Political ActionCommittee、政治行動委員会)」という政治活動を行うアメリカ独自の組織に流れ込む。

このスーパーPACの活動で目に付くのが、テレビCMなどでライバル候補を誹謗中傷するネガティブ・キャンペーンだ。大富豪や大企業が、意中の候補を支持するスーパーPACに巨額献金を行うことで、将来の政治的影響力を確保するパイプとなっているのである。

有権者がこうしたシステムの在り方に憤りを覚えることは何ら不思議なことではないだろう。

こうした中で、300万人を超える人々から個人献金を集めて戦うサンダース氏と、「私には資産がある。お金で買収されることはない」とアピールするトランプ氏は、スーパーPACとの関わりが薄く、「大富豪・大企業―ワシントン政界」のリンク、ロビイストの影響を断ち切れる存在として期待が強いのである。

両者の支持層は、ワシントンの自己改革能力を見限り、アウトローでなければシステムの大掃除はできないと考えているのである。(平井:アウトロー=無法者、この場合はアウトサイダー=体制外の人と書くべきだ)

*民主主義の危機の原因

それでは、格差は社会にいかなる影響を及ぼすのか。

米外交誌「フォーリンアフェーズ」は2月号で「格差をどう捉え、いかに対処するか」という興味深い特集を組んでいる。

その中で、フランスのロザンヴァロン教授は、ピーター・ドラッカーが「『トップエグゼクティブと一介の労働者の給与の比率は20対1を超えるものであってはならない』と主張していた」(アメリカの現状は350倍という調査結果もある)ことなどに触れた上で、次のように指摘している。

「人々がそこに格差があると痛感するのは、異なるルールが別の集団に適用されていると感じているときだ。彼ら(庶民)はダブルスタンダード、そして自分たちに有利なようにゲームを操作し、管理する(エリートの)人々に対して強い憤りを示す。……誰もが自己利益を重視した行動を取るようになり、最終的にパブリックマインドが損なわれる」

古典的名著『アメリカの民主政治』で知られるフランス人政治学者トクヴィルは「社会にとっての利己主義は、金属にとってのサビのようなものだ」と喝破したそうだが、ロザンヴァロン教授の指摘は、利己主義が格差を拡大し、社会を蝕んでいくということだろう。

注目すべきは、格差拡大などを背景に、世界的に同じような政治の潮流が生まれていることである。

米シンクタンク「ニュー・アメリカ財団」のモンク氏は、世界各国が直面する大きな課題として「拡大する経済格差」「社会的流動性の低下」「中間層の生活レベルの低下」の3つを挙げる。

そして民主主義の危機の原因の1つは、旧世代より新世代の生活レベルが低下していることであり、「親の世代よりもよい賃金を得て、長生きし、より多くの時間を余暇に当てられるようになる」と誰もが考えてきたことが当然視できなくなっていることだと指摘している。

そうであれば、我々がアメリカ大統領選で目撃している乱気流に飲み込まれたかのような政治、社会の動向は決して他人事ではないだろう。格差の拡大は確実にその社会を不安定化させ、その帰結として政治を不安定化させていくのである>(以上)

なかなかいい論考だが、「格差は拡大している→社会を不安定化させる」は本当なのか。それほど単純ではないだろう。

南北戦争当時の農園主や事業家と底辺労働者の格差、20世紀を代表する億万長者として知られ「資本主義の権化」「地球上の富の半分を持つ男」と評されたハワード・ヒューズ(1905〜1976)などの時代の格差、それは今をはるかに超えていたのではないか。富裕層は「雲上人」、別世界の人々だったろう。

貧しい人が圧倒的に多い時代には、むしろ貧しいことは「世間並」で、あまり不満には思わないのではないか。それは小生の子供時代の経験でもある。

今は身近なところにアメリカンドリームを体現した「セレブ」が誕生しているから、セレブになれなかった人が「なんでやねん」と不満に思うのかもしれない。

それは民族性にもよるだろう。

日本人の過半数は「中流」だと思っている。小生の周辺を見渡すと、中流の世帯所得/年を500万円とすれば、上流は20倍の1億円あたりが相場か。日本は理想的な“社会主義国”であり、これには“立って半畳、寝て一畳”の清貧の思想があるから、自分だけの金儲けを是としないという風潮、生き方があるのだろう。(日本の金持ちは高が知れている)

山本夏彦翁によると、戦前は「部長は平の10倍、社長は平の100倍」だったという。まあ、係長クラスで500万円なら社長は5億円だ。

だから100倍までは許容範囲かと小生は思うのだが、上記の記事によれば米国の場合は200倍、300倍は珍しくなく、セレブは結構増えているようだ。そうなると中流未満は「金持ちは別世界の人」とは思わずに、「なんでやねん、奴らばっかりええ思いをして、わしらはつまはじきか」と嫉妬、不満、怒りを募らせるのかもしれない。

金儲けは大体早い者勝ちだから、出遅れた人は勝ち組の背中を見ながら「なんでやねん」と思う。ところが背中がまったく見えなくなると「彼らは彼ら、俺らは俺ら、ともに別世界」と割り切るのではないか。インドネシアの大農園を訪ねたら、そういう世界だった。

金持(貴族、名家)は貧民に仕事(時には保護)を与え、貧民は金持ちに仕える。いいか悪いかは分からないが、持ちつ持たれつの調和的秩序があった。

今、米国は「高速ヘビー級アメリカンドリーム」路線を突っ走るか、それともブレーキを踏んで「中速ミドル級アメリカンドリーム」路線にするかの岐路にあるとは言えるだろう。(2016/2/17)


◆ついに崩れ始めた氷山の一角

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)2月17日(水曜日)通算第4817号  

 〜ついに崩れはじめた氷山の一角
   中国の商業銀行の不良債権、3兆香港ドルを入札で売却〜

始まった。

まだ氷山の一角でしかないが、「中国の商業銀行の不良債権1兆4500億HKドル(邦貨換算で23」兆円強)が表面化した。2006年以来もっとも悪い数字である」(サウスチャイナモーニングポスト、2016年2月16日)。

これは『公式』の発表だから、実態はすこぶる悪いという想像ができる。氷山は表にでるのが20分の1か100分の1と言われているように。

また旧正月前に11兆円の通貨供給がなされたが、これも実態は四倍の44兆円だったことが判明した。

「おそらく中国の不良債権は米国のサブプライム危機の四倍に達するだろう。中国の不良債権危機はこれから表面化するだろう」(ヘイマン・キャピタル・マネジメントの創設者キール・バス氏)。なぜなら中国の国有銀行はゾンビ企業に巨額を次々と貸し込んできたからである。

いま紹介したバス氏、じつはジョージソロスと並んで華字紙メディアが攻撃している人物で、ウォールストリートジャーナルにもたびたび談話が掲載されるが、人民元に関しては「3年以内に60%さがる」と予測している(財形新聞、2月12日)。

小誌の予測は半値だから、それ以上だ。

株価にしても、もし、中国の金融界が不良債権で10%の資産を失うと仮定すれば、時価総額にして3・5兆米ドル(邦貨換算400兆円強)が失われる。

他方、銀行を通さない民間ローンは昨年末の1・82兆元(33兆円)から、3・42兆元(62兆円)とわずか弐ヶ月で2倍近くに膨らんでいる。

 中国当局の金融緩和、資金供給を続ければ、人民元暴落に直面するという二律背反のなか、いよいよ破局が迫った。
   

◆現行憲法では危機を乗り切れない

百地 章


現行憲法では危機を乗り切れない 国民の生命守る緊急事態条項を 

憲法改正について、安倍晋三首相は昨年11月11日の参議院予算委員会で、次のように答弁した。

「大規模な災害が発生したような緊急時において、国民の安全を守るため、国家そして国民自らがどのような役割を果たしていくべきかを憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く大切な課題であると考えています」

今回、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したが、最大の緊急時は外国からの武力攻撃である。そして、あらゆる国家的緊急事態において国と国民の生命(いのち)をいかに守るかというのが、緊急事態条項の核心となる。ところがそれを忘れたかのような反対論が、護憲派の陣営やマスメディアから出始めた。

現行憲法で危機は乗り切れるか

昨年11月13日のパリ同時多発テロでは、130人以上の死者と400人近い負傷者が出た。フランス政府は非常事態法に基づいて非常事態を宣言、緊急権を発動して事態を収拾した。

わが国政府はテロの発生を事前に阻止すべく、国際テロ情報収集ユニットを立ち上げたが、問題はそれでも不測の事態が発生した場合にどうするかということだ。

また、心配される首都直下型大地震や南海トラフ巨大地震が発生した場合はどうするのか。大正12年の関東大震災では、東京市内の44%、21万棟が焼失、10万5千人余りの死者、行方不明者が出た。

大蔵省、文部省、内務省など国の多くの建物も焼失、帝国議会も開けなかった。そこで山本権兵衛内閣は、憲法に基づいて法律に代わる緊急命令を発令、被災者の食糧確保のための物資の調達、統制、物価高騰の取り締まり等を次々と実施し、危機を乗り切った。

しかし現行憲法には緊急事態条項がなく、東日本大震災の折には災害対策基本法で定められた緊急政令も出せなかった。これで国民の生命や安全は守れるのか。

ところがこれに対して、緊急事態に対処するためには必要な法律を整備すれば足り、憲法改正は不要とする反対論が展開され始めた。朝日新聞は一面を割いて、長谷部恭男教授と杉田敦教授の対談「改憲の『初手』? 緊急事態条項は必要か」を掲載、「憲法でなく法律で対応を」といった見出しを付けている(1月10日付)。

また毎日新聞も「特集ワイド 本当に必要? 『緊急事態条項』 」と題する特集を組み(2月2日夕刊)、災害対策基本法など今の法律を使いこなせば十分との弁護士らの発言を紹介している。しかし、本当に法律だけで大丈夫なのか、さまざまな疑問がわく。

法律万能は立憲主義の否定に

第1に、災害対策基本法のような緊急事態のための法律は幾つかあるものの、実際に役に立たなかったではないかという点である。

例えば、流れ着いた家屋や自動車を撤去しようとしたところ、憲法が保障する「財産権」がネックとなったとか、倒壊した家屋から負傷者を助けようとしたところ、「住居の不可侵」との関係で障害が生じたといった事態が各所で発生している。

また、災害対策基本法に定める緊急政令が発せられなかったため、ガソリンなどの買い占めを規制することもできなかった。それでも法律があるから良いというのは無責任ではないか。

第2に、緊急時における権利や自由の制限は、憲法解釈上は「公共の福祉」によって可能である。しかし、憲法に明確な根拠を持たないまま、法律のみに基づいて緊急事態を布告し、緊急権を行使したり人権の制約を行った場合には、「憲法違反」の声があがり、違憲訴訟が続出する恐れもある。

これが先の大震災の折、法律の適用を躊躇(ちゅうちょ)した理由でもあろう。だからそのような混乱を未然に回避するためにも、憲法に根拠規定を明記しておく必要がある。

第3に、憲法で保障された人権は濫(みだ)りに制限されてはならない。国会が憲法上の明確な根拠もないまま法律によって自由に人権を制限することになれば、それこそ立憲主義に反する。それ故、法律だけで対処可能というのは、かえって危険である。だから各国とも憲法に規定しているではないか。

反対派の詭弁に惑わされるな

この点、フランスではパリのテロの際に令状なしの家宅捜索、劇場などの閉鎖や集会の禁止等の措置をとったが、これは非常事態法に基づくもので、憲法上の根拠を持たない。

そのため違憲論もあることから、フランス政府は現在、緊急事態宣言等を憲法の中に盛り込み、憲法によって正当性を確保しようとしているわけである。

反対派は憲法改正を阻止しようと必死である。そこで緊急事態についても、法律さえあれば大丈夫であり、新たに法律を作る必要があれば国会を召集すればよく、衆議院が解散しているときは、参議院の緊急集会で対処可能という。
 
しかし、参議院の緊急集会さえ召集できない場合こそ真の緊急事態である。もし首都直下型大地震が発生し、国会が集会できない時はどうすればよいのか。反対派の詭弁(きべん)に惑わされず、いかにして緊急事態に対処すべきか、真剣に考えてみる必要がある。

(ももち あきら・日本大学教授)産経ニュース【正論】2016.2.13


◆木津川だより 壬申の乱@

白井 繁夫



本誌読者の皆様は、日本の歴史上有名な「壬申の乱」のことは良くご存じのはずです。しかし、私が長く書き続けている本題「木津川だより」の流れの中で、この「壬申の乱」を避けて通る訳にはいきません。

長文になりますが、大海人皇子の侵略心理、巧妙な戦略、天運などにつて、思いのままに詳しく綴ってみようと思います。「壬申の乱」の歴史の流れは、これから追々。

さて、(672年)天武元年6月24日大海人皇子が東国を目指してひそかに吉野を脱出した時は、大海人に従った者は妃の鸕野皇女と草壁.忍壁両皇子、舎人20余人に女孺(にょじゅ:鸕野皇女などに仕えた女官)わずか10余人の人数でした。

しかも、初日は約70kmの山道を進む、(道中には大友皇子の生母の出身地があると云う)超ハードのスケジュールです。(出家して吉野を目指して早朝より大津宮を出た日の距離の飛鳥「島宮」までとほぼ同距離を進みますが、その日の道中「山城道」は全体的に平坦な平野でした。)

大海人皇子が約半年間推考して戦略を練り、吉野脱出を決断した「壬申の乱」の大きな要素ともみなされるのは、「親の子に対する愛」がそうさせたと 私は思うのです。

天智天皇の晩年、生母が「卑母」である大友皇子を「皇位継承者」にと願い今までのしきたりを無視する行為を取る、強い愛と同じで、大海人皇子の妃の鸕野皇女は天智天皇の皇女.むすめであり、夫は天智の実弟です。

だから大海人皇子は有力な「皇位継承者」でもありました。而も二人の間の子(草壁皇子)は由緒正しい皇孫です。親(鸕野)の愛も非常に強いものだったと思います。

吉野脱出に先立ち6月22日には、前回本誌に掲載した如く、東国(湯沐令 多品治)に向けて発進した3名の大海人の使者(村国男依ほか2名)が、吉野.大倭.伊賀.伊勢.美濃へ至る行軍ルートの総てにわたる計画が周知され、準備を整えられるように派遣されたのです。

脱出ルートは吉野へ来た泉津.乃楽山.飛鳥の平坦地を避けて、吉野から吉野川沿いに上流に向かい、矢治峠を越える山道から「菟田(ウダ)の吾城:奈良県宇陀市」を抜け、「名墾(名張市)の横河」(名張川と宇陀川の合流点:畿内と外国の境)を経て「伊賀の中山」(三重県上野市)へ出るという、険しいルートでした。

菟田の吾城で屯田司(ミタノツカサ:近江朝の食料供御を行う司)土師馬手が食事を奉る。
(先遣使者よりの言で舎人土師氏は大海人皇子の行幸?と思ったか、大海人一行は、初日70余kmの行軍中、この時食事したのが最初で、何と初日は宿泊地まで食事なしで進む。)

飛鳥京の留守司高坂王への使者は3名が当日(24日)に発遣され、「駅鈴:ウマヤノスズ」を乞わせました。(美濃までの「駅家:ウマヤ」において大海人一行の馬の確保依頼:実際は独自で手を打っていました。高坂王は大海人皇子に好意を持っており、快応していたかも?)

使者3名の役割です。

大分恵尺(オオキダノエサカ)は、近江へ急行して大津.高市両皇子に大海人皇子の吉野脱出報告とその後の合流(予定戦略)など、黄書大伴(キフミノオオトモ)は大倭の「百済の家」に結集して兄の大伴馬来田と共に菟田で合流、逢志摩(オオノシマ)は近江朝からの追手がすぐ来ぬように近江に伝わらぬよう留守司に頼みて帰還など。

また「菟田郡家」(現宇陀市榛原区萩原)で湯沐の米運搬の駄馬ニオイウマ50頭(湯沐令多品治オオノホンジの手配の馬)を大海人皇子が得る。吉野から32kmの大野(室生)で日没、これより夜間行軍で「隠駅家:なばりのうまや」に着き、その家を焼いて人夫を求めてみたが真夜中では烽火(のろし)の役目だけで終わる。

「伊賀の中山」は大友皇子の生母の出身氏族(竹原氏)の本拠地へ東北東約8kmの至近距離です。

ところが、そこへ着くと「郡司」が数百の兵を率いて一行に合流してきました。伊賀国の北部の阿閉氏と南部の伊賀氏がともに大海人軍の味方に付いてくれたのです。
(対新羅戦用に近江朝が徴発した徴兵が100余人大海人軍に加わったのです。)

東海道ルートを外れ美濃への最短ルートを採り、「伊賀駅家」:上野市を流れる木津川を挟む古郡フルゴオリ:から「莿萩野」(タラノ:伊賀市佐那具町)へ25日の夜明け前に着きました。

吉野を出て70余km、20時間の進軍を終えてやっと休息、2回目の食事を取ることが出来たのです。
(飛鳥から近江朝へは高坂王の情報統制が有り、まだ気づかれずに進みました。)

25日の未明に近江と伊勢の交通の要所「積殖(つむえ)の山口」:三重県伊賀町柘植(大和と東国を結ぶ道が合流)に大海人一行は到着し、そこへ高市皇子の騎馬隊が舎人達と「鹿深」(カフカ:滋賀県甲賀郡)を越えて合流して来ました。

大海人一行は、伊賀と伊勢の国境の「加太(かぶと)峠」を越えて「鈴鹿郡:すずかのこおり」に入り(東国に入り)脱出が、ひと先ず成功しました。(近江からの高市の舎人は民大火.赤染徳足.大蔵広隅.坂上国麻呂.古市黒麻呂.竹田大徳.胆香瓦安倍:イカゴノアヘです。)

伊勢の「鈴鹿郡家こおりのみや」(鈴鹿郡関町金場付近)では国宰の三宅石床(イワトコ:駄馬50頭送付者)と、三輪子首(コビト)、湯沐令(ユノウナガシ)の田中足麻呂(タリマロ)と高田新宅(ニイノミ:祖父の高田足人が、私馬を大海人に美濃.尾張まで提供)などが出迎え、大量軍が集結しました。

伊勢の国宰三宅連石床は大海人皇子の下で、伊勢軍の統率者となり500の兵を率いて「鈴鹿の山道」を25日中に塞ぎました。三輪子首の軍は後日大和(飛鳥)進攻軍に編入されました。

25日の夕方、「川曲(かわわ)の坂下」(鈴鹿市木田町)に着き、「三重郡家」(四日市市東坂町)には夜になって到着して休息しました。

6月26日早朝:大海人皇子や草壁.高市などの一行は「朝明郡(あさけのこほり)の迹太川(とほかわ)の辺」に到着して、天照大神を遥拝しました。(戦勝祈願)。

「朝明郡家」(四日市市大矢知町)の大海人軍の処に、高坂王の一行が「鈴鹿山道」に来たと連絡あり、路益人を派遣したら、大津皇子の一行と近江へ派遣した大分恵尺等が留められていました。

(大津皇子幼少のため、馬でなく加太峠越えを「輿」で越えたから遅れた。)
ようやく大津皇子の一行は両親に合流できたのです。(大津の舎人の中には後の瀬田橋の攻防で先鋒となった大分稚臣(オオキダノワカオミ)や舎人の戦死者も多数でました。)

他方では、22日に先遣していた舎人の村国男依(オヨリ)が「安八磨郡(あはちまのこほり)の兵」3000人を率いて、「不破道の閉塞」(岐阜県関ケ原町)に成功した、との吉報を得ました。

夕方吉野から145kmの「桑名郡家」に着き、大海人一行は留まりました。
(大海人皇子は東海軍(尾張.三河)、東山軍(信濃.甲斐)を徴発する使者を派遣する。)

27日は妃の鸕野と草壁.大津を桑名に残して、野上(美濃の野上郡:現関ケ原町野上)へ大海人は行き、高市は「和蹔:わざみ」(関ヶ原町関ヶ原)から出迎え。ここが吉野を出て4日間(186km)の行軍の終着地とし、「野上行宮かりみや」としました。

多品治と村国男依が塞いでいた「不破道」で、尾張国司守:小子部連鉏鉤(チイサコベノサイチ)が2万の兵を率いて配下に入りました。

こんな中で、同じ26日の夕方近江朝の東国への使者「書薬フミノクスリと忍坂大摩侶」が捕捉され、少し遅れて来た韋那磐鍬(イナノイワスキ)がこれを見て大津宮へ逃げ帰った結果、27日には近江朝が「事の重大性」に気づいたのです。

「不破道」の封鎖が1日遅れていたら、2万の兵は近江朝軍の支配下になり、尚且つ、東国へ近江の使者が入っていたことでしょう。天運は大海人皇子に味方した、と思います。

「和蹔」に大海人軍の主力部隊を集め、全軍の最高司令官として高市皇子を任命して、
6月28日には全軍を検軍し、高市の下で指揮命令するなどの軍事訓練を行いました。

近江朝は、罠に嵌ったのです。

遅れ馳せながら、やっと戦闘準備に入り、西国へも徴兵を急がす使者の派遣、近江路と大和飛鳥の2方面への戦闘軍の編成に入りました。

しかし、大友皇子は唐からの使者「郭務悰カクムソウ」の応対に忙殺されていたため、迂闊にもこの時点まで、大海人皇子の動静を把握していなかったのです。

だから、大海人皇子が既に東国に入り、対新羅戦用に徴兵した兵2万余が大海人軍に加わったと云う情報も得ていなかったのです。大友皇子は後手後手に回ったのです。

近江路と大和飛鳥で「壬申の乱」の戦闘の口火がいよいよ切られます。(次回につづけます。)

参考資料: 戦争の日本史2  壬申の乱  倉本一宏 著
      木津町史  本文篇   木津町 
      壬申の乱   中公新書    遠山美都男著 

2016年02月17日

◆「六四」のような武力弾圧は用いるな

宮崎 正弘 


<平成28年(2016)2月16日(火曜日)弐 通算第4816号>  

 〜香港の民心安定のため「六四」のような武力弾圧は用いるな
       習近平が香港の民主化運動再燃に弾圧は反作用を産むと警戒〜

銅鑼湾書店事件がこれほど世界的批判を受けるとは中国共産党にとって「想定外」のことだったのだろう。

市民等の抗議行動を「暴乱」、デモなどの参加者を「暴徒」とこき下ろし、北京寄りの香港マスコミを駆使して「暴乱鎮圧は正当」などと書かせたら、かえって香港市民、学生らの反撥を産んだ。

旺角騒乱に「軍隊を投入するな」「駐マカオ軍隊を香港へ移動させるな」「ともかく六四のような武力弾圧を用いるな」と習近平が指令を出したという。

党中央の「香港マカオ協力工作小組」は旺角事件以後の社会騒擾に緊急対策会議を開催した模様で、張徳江・主任(中央政治局常務委員)は、席上、上記の習近平の指示を伝えたという(博訊新聞網、2月14日)。

お笑い草は、香港の騒擾は「香港独立分子」が組織的に興している陰謀であり、この処理を間違えるとウィグル、チベットの独立運動激化に飛び火する恐れあり、と分析総括していることだ。

この異様な、神経質な対応ぶりをみていると、香港の統治がうまく行かない理由が共産党の間違った対応にあることを自らは気がついていないようである。

◆米国を呪詛する?オバマ

平井 修一



オバマが永らく師事していた宗教指導者(黒人系トリニティー・ユナイテッド教会=初期清教徒系プロテスタントのジェレマイア・ライト牧師)は米国を呪っていた。つまりオバマは米国史上初の「反米大統領」だと小生は思っている。米国益(≒白人の利益)を損ねることがオバマにとって正義ということになるのではないか。

若い時からの根本的な思想は、なかなか変わるものではない。小生はアカ思想の除染、再生に10年かかった。オバマは師匠を切り捨てることで大統領になったものの、まだ7年、多分反米思想から脱皮することさえ考えていないから、本質は昔のままの米国を呪詛する反米屋ではないのか。

昨年1月のシャルリーエブド虐殺事件への抗議デモにオバマはすこぶる冷淡だったし、IS殲滅戦も本気度が疑われている。テロリストに寄り添っているような印象を受けるのは小生だけだろうか。

佐々木伸・星槎大学客員教授の論考「『オバマ米大統領はシーア派』ドバイ高官が発信」(ウェッジ1/30)から。
<オバマ米大統領は隠れイスラム教徒、しかもシーア派――。

サウジアラビアとイランが断交し、政治的、宗派的な分断が深まる中東で、こんな“陰謀説”がネット上などで駆け巡り、話題になっている。発信源がアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ首長国の治安長官とあって、取るに足らないジョークとは片付けられないようだ。

(平井:少数派シーア派はホメイニ革命で政教一致体制になったイラン=ペルシャの国教、基本的に過激派。サウジ(アラブ)は多数派スンニ派の盟主で、イランと敵対している。ISはスンニ派の過激派、シリアのアサド政権は少数派のアラウィ派で国内多数派のスンニ派を圧迫している。憎悪と利害でグチャグチャだ) 

*シーア派ルーツ

米有力紙ワシントン・ポストなどによると、ネットのツイッターでこのほどメッセージを発信したのは、ドバイ首長国のダヒ・カルファン・タミム治安長官(元警察長官)。単なる民間人ではなく、歴とした有力者で、そのツイッターには120万人の読者がいる、という。

同長官はオバマ大統領の“シーア派のルーツ”が米国とイランの接近と和解の動きの一助となったとし、大統領が間もなく、イランにあるシーア派の聖地を訪問するのではないか、とツイートした。真偽はともかく、オバマ氏のイスラム教徒説は中東でもかなり面白いことから、多数に繰り返し読まれている。

この“陰謀説”は今に始まったことではない。2008年の米大統領選挙の際にも、オバマ氏の隠れイスラム教徒説が囁かれ、シーア派の盟主であるイランの国営各紙も同氏がシーア派教徒であることを仄めかした。米誌タイムによると、大統領に当選した時には、「今や、ホワイトハウスに兄弟がいる」などとイラクのシーア派地区で祝福の声が多数上がった、という。

オバマ氏のイスラム教徒説にはそれなりの理由がないわけではない。同氏のフルネームはケニア人の実父の名前にちなみ、「バラク・フセイン・オバマ」。「父親は無神論者に近かった」(オバマ氏の自伝)ものの、イスラム教徒だった。白人の母親の再婚相手であるインドネシア人もイスラム教徒で、父親が2人ともイスラム教徒であったことが陰謀説の元になっている。

オバマ氏自身が小学校の4年間はインドネシアで、イスラム教徒が多い学校に通っていたことも、陰謀説を補強する材料だ。同紙によると、2014年の米国の世論調査では、共和党の54%が「オバマ氏は本当はイスラム教徒だ」と思っていることが分かった。

イスラム法は「父親がイスラム教徒の場合は自動的に同教徒になる」と定めているが、実際にはオバマ氏はプロテスタントのキリスト教徒だ。同氏のミドル・ネーム「フセイン」というのは、崇拝されるシーア派殉教者の名前で、シーア派教徒には人気のある氏名だが、スンニ派教徒にもポピュラーだ。

*中東の真骨頂

今回のオバマ氏の隠れイスラム教徒説は、イランの核協議の合意で急接近する米国とイランの政治状況に合わせて広がり、オバマ政権のイラン重視に不快感を隠さないスンニ派のサウジなど湾岸諸国に受けているようだ。サウジとイランが断交し、ペルシャ湾を中心に政治的な対立が激化していることも背景にあるだろう。

オバマ氏がイスラム教徒であることを示唆する具体的な証拠は一切なく、「たまにするうわさや発言が飛び交う中東の真骨頂」(ベイルート筋)と言えそう。昨年には、ヒラリー・クリントン元国務長官が過激派組織「イスラム国」(IS)を操作するため、イスラム原理主義組織「モスレム同胞団」を使うことを討議しているという偽画像も中東で出回ったこともあった。

こうした中、サウジのイスラムの最高権威であるアブドルアジズ・アルシェイク師がこのほどオバマ氏の“隠れイスラム教徒説”を凌ぐような話題を提供した。チェスが「アルコールやギャンブルと同じ悪魔の所業」として、チェス禁止のファトワ(宗教令)を出したのだ。

同師がサウジのテレビ番組での質問に答えたもので、チェスが時間と金の無駄であり、プレーヤー同士の対立を生んでいる、と決め付けた。チェスは中東では人気のゲーム。サウジでも年間70回程度の大会があるとされており、同国のチェス愛好者は困惑を隠し切れないでいる。

オバマ氏の“隠れイスラム教徒説”にせよ、サウジのチェス禁止令にしろ、さすが「なんでもありの中東」(同)といったところか>(以上)

宗教に淫したり、公開処刑を楽しんだりするより、チェスで頭の体操をした方が余程いいと思うが、頭がいいと宗教や政治に疑問を抱くようになるからまずいのだろう。

BBC2/4「オバマ氏、米国のモスク初訪問『君たちもアメリカの一部』」から。

<オバマ米大統領は3日、メリーランド州ボルティモアのモスク(イスラム寺院)を訪問した。オバマ氏が米国内のモスクを訪れるのは初めて。

大統領は、ムスリム米国人の排除や中東からの難民受け入れ阻止を主張する共和党候補たちを「許しがたい」と強く批判。ムスリムの子供たちに「ここはみんなの居場所だよ」「君たちもアメリカの一部だ」と呼びかけた>

ライト牧師はこう説教した。

「黒人はアメリカに虐げられている。黒人を人間以下に扱っているアメリカに神よ断罪を。自分があたかも神であるかのように、かつ至上の存在であるかのようにふるまっているアメリカに神よ断罪を」

アメリカ同時多発テロ事件直後にはこう説教した。

「我々は広島を爆撃した。我々は長崎を爆撃した。そして我々は核爆弾を落とし、このたびニューヨークとペンタゴンで殺された数千人よりもはるかに沢山の人々を殺害した。我々はこのことから目を背け続けている」

白人が支配する傲慢な米国は断罪されるべきだ、と説き、オバマもミシェル夫人も「その通り」と思ったはずだ。

<(予備選で快進撃していた)2008年2月18日、ウィスコンシン州ミルウォーキーでミシェルは「大人になってからの人生で初めて自分の国のことを誇りに思います。それは(この国に)遂に希望が戻ってきたからです」と発言した>(ウィキ)

オバマもそう思っていただろう。それまでは米国を呪っていたのだ。

今はどうなのか。冒頭の佐々木氏の論考「米、特殊部隊による拉致、暗殺作戦を強化」(ウェッジ2015/6/11)から。

<オバマ大統領は就任以来、2つの戦争からの米軍撤退をしゃにむに推進し、イラクからは2011年に撤退を完了させ、アフガニスタンからも2016年末までに撤退させるという日程を確定させている(平井:延期した)。

大統領のこの性急な政策がイスラム国(IS)の台頭を生んだとも言えるが、地上部隊の大規模投入を拒否する戦略こそが「オバマ・ドクトリン」だ。その眼目は「最小の費用で最大の効果を挙げる」というのに尽きる。

とりわけテロとの戦いでは、地上戦闘部隊を派遣する代わりに3つの戦術が柱になっている。第1に、地上戦はあくまでも地元勢力に行わせるということ。第2に、米軍は空爆による支援に徹すること、第3に無人機(ドローン)と特殊部隊による暗殺と拉致作戦の実行、である>

これなら地上部隊の損害はないかもしれないが、効果は限定的だろう。この論考から8か月たってもISは健在で、国際テロの脅威も増すばかりだ。オバマがテロリスト絶滅に及び腰なのは「彼らにも言い分はある、米国は傲慢であってはならない」と心の底で思っているからではないか。

シャルリー・エブド襲撃事件を受けた2015年1月11日のパリ反テロ行進には50カ国以上の首脳も参加したが、対テロ戦争を主導すべき米国の政府高官の姿はなかった。この日、オバマはワシントンで、バイデンは地元デラウェア州で休日を過ごしていた。(2016/2/16)