平井 修一
■2月9日(火)、朝は室温12度、快晴。風邪で体調不良の2歳女児を預かるが、バギーに乗せてハーフ散歩できるかどうか・・・外は風があり寒そう、無理は禁物、諦めた。
さてさて、冷静に考えて見れば、小猿3〜5匹の150デシベル攻撃によるストレスで終日下痢に悩まされるというのは、すこぶる軟弱である。そんなことで中共を殲滅できるはずはない。
どの面下げて靖国の英霊に対面できるのか。体力が衰えるのは仕方がないが、気力が衰えたらダメだ。意識的に戦意にあふれた吶喊頑固ヂヂイにならなければ勝てやしない。
中共との戦いは絶対勝てる。去年、2015年の1月時点で中共のダッチロールを予測した人はほとんどいない。世界中でも宮崎正弘氏くらいだろう。
氏は2013年に中共は崩れ始めると書いていた。実際にそれが表面化したのは2015年だったが、その誤差なんてまったく問題ない。繊細敏感なカナリアは真っ先に危機を告げるのだ。
今年は年初からのサーキットブレーカー騒動で中共中央が経済をまったくコントロールできていないことが世界中に知れ渡った。外貨準備高が急減していることも知れ渡った。北朝鮮に対してなにも影響力がないことも分かった。
人民は上からの押し付けではない「草の根資本主義」を進めるようになった。支配者は好きにやればいい、我々も好きにやる、もうお前らの言うことなんぞ聞かない、と。
「最後の皇帝」溥儀の家庭教師だったジョンストンは「清朝末期の民衆はまったく自由だった」と書いている。日清戦争の従軍記者だった岡本綺堂は「清朝軍の軍夫は清朝軍が敗けると翌日には日本軍の軍夫になった」と書いている。
つまり「政府は庶民を食わせられない、それなら自分たちで食うしかない」ということだ。支那の民心は政権から完璧に離れつつある。
支那のネトミンは7億だという。ちょうど人口の半分だ。中共が「不都合な真実」を抑え込めるはずはない。中共が「ヤバイ」と思って削除したい情報は、またたくまにアチコチのサイトに拡散する。
秘すれば現れる、のだ。
無知蒙昧な習近平支持者/下層民/生活保護者も、そのうち真実を知る。今年で習近平にうんざりするだろう。大体、経済が低迷して生活保護の原資が枯渇するだろう。そうなると来年あたりに習政権は交代するしかない。そうしないと共産党自体が倒壊する。
8000万党員は習近平より自分のメシが大事だ。習に詰め腹を切らせるよりほかに手はない。我々は習の訃報をやがて聞くだろう。習自身もそれは覚悟しているだろう。さっさと逝くべし。
介錯は、まあ、この間のいきさつ上、李克強がするしかないか。「お前も追い腹切れ」とは誰も言わないだろう、建国以来一番惨めな首相だったのだから・・・
ウ? 惨め? 俺のことでもあるか。
18時にカミサンが帰宅し、女児のお守りからようやく解放された。女児は朝の8時15分から、ずーーーーっと喋りっぱなし。小生の3年分は喋っていた。小生は振り回さっれぱなしで、20キロ歩いた感じ、疲労困憊、腰はふらふら。
30年ぶりにレディーのオシッコの世話、可愛いウンチまで見てしまった、嗚呼。
いろいろ考えてみたが、寿命は2か月分は減ったろう。あわててサプリ(QPとスッポン)を追加補給したが、とにかく習近平がくたばるまでは死ねやしない。悩ましい。
夕食はパワーアップでニンニク味のビフテキ、ポテトとニンジンのフライ、サラダなど。肉食系のカミサンは大喜びだった。
■2月10日(水)、朝は室温13度、快晴、地軸が動いて北東から昇るようになった日射しが今朝はずいぶん強くなってきた。春子が冬子を追い出し始めたのだ。のんびりハーフ散歩。
台湾台南の倒壊マンションのオカラ工事はすさまじい。「ここまでやるか」とびっくりした。悪質さは中共をはるかに上回っている。台湾の勝ち?1973年、ムショ帰りの小生は(カネを稼げる)鳶職になったが(バカはサルと一緒で高いところに登る、高所でもあまり抵抗感がない=「ホヤがいい」と言うそうだ)、最初の現場は五反田のホテルだった。
小生は「ホヤがいい」し、当時は死に場所を探している感じだし、要領がいいから、足場組み立ての単純作業なんぞはすぐに覚えた。ラチェットレンチ、120と60センチのビケ、直交/自在クランプ、単管パイプ、養生網、3層3スパン、玉掛け、七分ズボン、こはぜ12枚の力王地下足袋・・・
昼休みには老若の職人が談笑するが、コンクリートを流すための型枠にゴミやら木っ端を入れるトンデモ職人がいたものだという話を聞いたことがある。
当時でもそれは多少はあったが、元請の監督や施主の監視で73年頃には多分なくなったのではないかと思う。意地悪な施主になると、ビルの完工式とか引き渡しの直前に、「あそこの壁、ここの床にゴミが埋まっている。欠陥を放置するのか」と元請を締め上げるのだ。
元請は真っ蒼になる。ゴミを掘り出して修復するか(平井:恥知らずの小生でも書くのがはばかれるゴミもある)、それとも補償金で済ますのか。
いずれにしても、こういう話は瞬く間に広まり、建設業界全体がビビッて施工管理に真剣に取り組むようになった、と小生は思っている。
とにかく商売は信用第一で、「あそこは安いけれど手を抜く」なんていう悪評が立ったらお仕舞、レッドカードだ。10年20年の信用も一瞬でパー。耐震装置、杭打ち、エアバッグ、VW・・・嘘、ミス、インチキがばれると信用回復に膨大な時間とコストがかかる。
どんなビジネスでも納期がある。納期に遅れたらペナルティを課せられる(小生も泣いたことが1回ある、利益ゼロになるのだ)。だから「手を抜くしかない」という風に流れる気分も分かる。ところが悪に手を染めると、まず間違いなく破滅だ。
最初はびくびくしていたが、やがては「いつもの手でやるしかない、ばれてもいないし」と常習化する。その先には業界追放、破滅しかないのだ。そうなると皆、容赦しない、「この野郎!」と叩きまくる。
(「俺だってそうやって逃げたかったよ、でも必死で真面目にやっていたんだ、それなのにお前は・・・くたばれ、バカ野郎!」・・・という気分)
あまりにもリスキーだから日本人は悪事には手を出さない方だが、中韓北ならともかく兄弟姉妹の台湾でのオカラ工事は実に意外だった。
犯人を締め上げるべきだろう。犯人はあちこちの現場でオカラ工事を繰り返していたはずで、現場を特定して対策をとるべきだ。
遅ればせながら産経が「台湾地震救援金受付」の告知。ちゃんと早急に被災者に届くのだろうか。まさか愚図の日赤に任せることはないとは思うが・・・確認した方がいいだろう。
産経新聞厚生文化事業団にメールした。
「2/9の産経紙面で「台湾地震救援金受付」の告知を見ました。どういう方法で被災者に救援金が届くのか教えてください。まさか愚図の日赤に丸投げするようなことはないとは思いますが」
これくらい用心しないと支援が無駄になる。なんでも疑ってかかる方がいい。
夕刻、近所のお茶屋さんが「店仕舞いします」と挨拶に見えた。ご夫婦(75歳、73歳)ともに心臓病だし、奥さまは腎臓病もかかえている。ご主人は銀行を定年退職し、暇つぶしで商売していたようなものだから生活はまったく困らない。空き店舗は貸すのだろう。
明日、花屋に5000円の花束を届けてもらうようにした。まったく「ご苦労様」だ。
■2月11日(木)、紀元節、朝は室温11度、快晴、寒い、皇居、靖国遥拝、忠魂碑に献花、ハーフ散歩。寺にも寄ったが、気になる石碑の裏面にいわれが彫られていたのでメモした。
日経の「企業30年寿命説」は有名だ。昇って10年、昇りつめて10年、下って10年。改革とか新事業とか業態転換、M&Aなどにチャレンジしないと30年で寿命が尽きるというものだ。
面白いことに企業は昇ったところで本社ビルを建てたがる。構想着手から5年後に本社ビルが建つ。「この世をば我が世とぞ思う」ほどで意気揚々、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがある。ところがそれから5年もたてば売上が低迷してくる。
こうなると本社ビルを売って現金を手に入れ、そのまま賃借りしたりする(リースバック)。それでも大体が上手くゆかずに斜陽となり、やがて潰れる。
「企業30年寿命説」を思い出すと、いつも浜松町からモノレールで一駅、天王洲アイルという不便な立地のJAL本社ビルを思い出す。ネットによれば――
<Q:日本航空の本社ビルですが、ビルの壁面にあった“JAL”のロゴマークの大きな看板が、いつの間にか“CANON”になっています。JALの本社は他へ引っ越して、そのビルはその後キャノンが使うのでしょうか?(平井:正しくはキヤノン=創業者は観音=カンノン信仰)
A:JALは2004年に野村不動産系のファンドに650億円でビルを売却、本社をそこに残したままテナントとして入っています。 野村不動産天王洲ビルというのがその後の名前です。
JALロゴは2010年から外されました。JALは借りていた部分をだいぶ整理したので空き室が出ていました。貸しビルですからキヤノン系列の会社がたくさん入ったのでしょうね>
栄枯盛衰だ。JALは1996年に竣工した本社ビルをわずか8年で手離し、2010年には会社更生法の適用を申請した。一寸先は闇。
ところで石原慎太郎が「MRJはもっと大型にすべきだった」と書いている(産経1/18)が、ずーっと前にそう書くのならわかるが「今さら何を」という感じ。航空機の開発には最低10年はかかるのであり、夕食のメニューを変更するのとはわけが違う。JALのサイトから。
<世界最大の飛行機、ボーイング(B)777-300型機は、現在「ジャンボ」の名で親しまれているB747型機より機体が約3m長く、その全長は73.8mにもなります。
飛行機を製造するときは、まず航空機メーカーが、これからはどんな仕様の飛行機が売れるのかという市場調査を綿密に行います。仕様というのはお客様が何人ぐらい乗れて、どのくらい遠くまで飛べるか、最高速度はどのくらいで、運航するのにどれくらいの費用がかかるか、などです。
航空機メーカーは、市場調査に基づいて、新型機の開発計画を立て、開発の決定を下します。同時に、各航空会社へ向けて、新型機の開発を発表します。そして、航空会社からの注文数が、飛行機をつくっても採算が取れる機数となったときに、初めて製造を開始するのです。
例えばB777型機の場合、1機の値段は約150億円。ところが開発の費用だけでも6000億円から1兆2000億円にものぼるといわれていますから、開発費の採算を取るだけでも、多くの受注が必要となります。
つまり、航空機メーカーにとって、最初の市場調査で判断を誤ることは、会社の命取りにもなりかねないのです。
新型機の開発が決定すると、サプライヤーと呼ばれる担当工場は、開発計画の設計に基づいて、飛行機の各部分の製造を始めます。B777型機のサプライヤーは、アメリカ、日本をはじめイギリス、イタリア、韓国、オーストラリア、シンガポールなど数ヵ国にわたります。
なかでも日本は、胴体の約7割を製造し、重要な役目を果たしています。
最後に、各国で出来上がった飛行機の各部分は、航空機メーカーの工場に集められ、組み立てられます。
飛行機の組み立て作業が終了すると、いよいよ試験段階です。飛行機の試験といっても、実際に飛行を行うだけではありません。最低速度での離陸や、離陸の中断、マイナス50度Cにもなる寒冷地での作動試験、繰り返し荷重による疲労試験など、さまざまな試験が行われます。
B777型機の場合、航空会社に手渡されるまでに、約1年をかけ、5機の飛行機を使っての試験が繰り返されました。
このように、新しい飛行機が、実際にお客様を乗せて空を飛ぶまでには、市場調査から開発、設計、製造、試験まで、約10年もの歳月がかかっているのです。
しかもB777型機を1機製造するには、約1年かかります。現在、この飛行機を製造したアメリカ・シアトルのボーイング社では、1ヵ月あたり4機のB777が誕生しています>(以上)
慎太郎も老いたか。まるで10周遅れのトップランナーだ。「老害」などと言われぬように注意した方がいい。ま、聞く耳を持つはずもないが。それが彼の魅力でもあるけれど・・・(2016/2/11)