Andy Chang
岡山県のMOMOさんから、「フランスの武器を台湾が購入するのに、敵国中共の業者が介入しておりました が、中共政府は問題視しなかったのでしょうか」、と言う質問があった。中国の介入は業者ではなく政府の介入でした。政府が介入したから政府高官に賄賂を渡し、
ようやく中共に屈従するような条件付きで購入できたのです。
ラファイェット疑惑は中国だけでなく米国とフランス政府も介入し、仲介業者(ブローカー)がたくさん介入してリベートがどんどん膨れ上がり、外国だけでなく台湾(中華民国)の高官も多額の賄賂を分捕る群魔の乱舞、悪魔の飽食となった。フランスで裁判になっても関
係者が喋らないので今でも不明な部分がたくさんある。ここでは中国の介入、仲介業者の暗躍、賄賂の行方を説明してみる。
●アメリカの武器提供がストップ
78年にジミー・カーターが中国と国交を開始し台湾と断交したあと、レーガン政権は82年8月17日、「817公報」と呼ぶ米中コミュニケ(817 Communique)を発表した。この結果アメリカは台湾向けの武器提供を制限するようになり、台湾側はアメリカ以外の国から武器を買うためフランスにアプローチした。
当時フランスは不景気だったので台湾のアプローチを大いに歓迎した。89年5月に中華民国の参謀総長カク伯村一行がフランスを訪問して武器購買を打診してフランスは歓迎を表明した。カク伯村はフランスから台湾の海軍本部に「韓国の蔚山艦購買は一時延期せよ」
と打電し、李登輝総統もフランス側と戦闘機、潜水艦、レーダーなどを交渉していると打電した。
これがその後一連のの巡洋艦(Bravo)、戦闘機(Tango)、空対空ミサイル(Magic)、新幹線と繋がった契約となったのである。
フランスは国家の造船局が船を建造して台湾に提供することは出来ないからトムソン社(Thomson-CSF、のち2000年にThalesと改名)名義で建造し、台湾側も海軍ではなく中国造船の会社名義で交渉するとした。更にラファイェット巡洋艦は2隻をフランス、4隻を台湾で建造すると合意(その後大幅に変更)した。89年末のことで、トムソン社はこのをOperation Bravoと名付けた。
だがこの計画は直ちに中国の知るところとなり、北京に駐在していたフランス大使を47回も召喚して抗議したので、ミッテラン総統はBravo計画の中止を命じた(1990年1月)。後述するがミッテランの中止命令は中国だけでなくアメリカの圧力もあった。つまりアメリ
カは台湾の武器提供を独占したいので、フランスが台湾の「美味しいところ」を横取りすることに反対だったのだ。
●仲介業者の乱舞
せっかく手に入れたブラボー計画が頓挫したのでトムソン社の総裁ゴメス(Alain Gomez)は不満で、直ちに三方面の仲介者を使って販売を推進するプランを立てた。
プランAは台湾の仲介人汪傳浦(Andew Wang)の「開泰公司」をトムソン社の台湾代理とすること。汪傳浦は空軍退役軍人でアメリカCIAとの関係もあった人物で、過去に掃雷艦、ソナーの購買などの実績があり、フランス側との関係も良好だった。トムソン社のアルベサール(Jean-Claude Albessard)は汪傳浦と合作する。この二人は尹清楓の殺害に関与したと言われている。
プランBはゴメスと親密な関係があったという劉莉莉(Lily Liu)を起用して中国側と折衝し、同時に汪傳浦を監督する。劉莉莉は台湾岡山の将軍の娘で、神秘な人物で香港、中国、‘フランスで活躍していた仲介人である。中国の高官と親しく、その後中国側に渡したリベートは劉の手で中南海の高官に分配されたと言う。
プランCはフランスの石油関係会社、エルフ社(Elf Aquitaine)の副社長シルバン(Alfred Sirven)を仲介者(自薦とも言う)とし、フランス高官の介入の推進した。シルバンは香港に住む中国の副総理・姚依林の甥であるエドモンド・関(Edmond Kwan)を起用した。
また、シルバンの部下ミアラ(Gilbert Miara)は密友ジョンクール(Christine Deviers-Joncour)に通報。彼女はフランスの外交部長デュマ((Roland Dumas)の情婦だったので、デュマがBravoの販売推進計画に参与した。その後ジョンクールはトムソン社から複数のリベートを受け取ったが、最後にトムソン社がリベートを拒否し、デュマにも捨てられたので「共和国の淫売婦(The Whore of theRepublic)」と言う暴露本を出版(1998年)した。この本のおかげでラファイェット事件が発覚し、国際的な大事件となった。
裁判ではジョンクールもデュマも有罪となたが、デュマはその後無罪となった。シルバンは裁判中に国外逃亡したが、フィリッピンで逮捕(2001年)された。2005年に故郷のツールースで死亡した(?)。
●中国の介入
91年1月にミッテラン総統がBravoの中止を命じたあと、1991年4月に中国の朱鎔基一行がフランスを秘密訪問し、ロカール首相(Michael Rocard)と会談し、「初歩的な了解」を得た。それで4月末にデュマ外相はさっそく情婦ジョンクールを同伴して中国を訪問
し、中国の外交部長銭其?と会見、数人の高官も同席した。翌日、デュマは江沢民と李鵬とも会見した。ジョンクールによると、フランスは中国側に1億ドルのリベートを約束したと言う。
デュマが中国から戻ると間もなく、ロカールから首相を受け継いだ(1991年6月)クレソン首相(Edith Cresson)はBravo計画を批准したが、批准書には「船は武器を含まない」と書いてあった。
中国海軍はフランスが渡したラファイェット巡洋艦の設計図と、台湾が「奉呈」した武器で同型の巡洋艦を6隻建造したことになっている。私は前に「哈爾濱級」の巡洋艦を建造したと書いたが、2人の研究者が哈爾濱級は艦型が違うと否定した。その後の研究による
と中国は「旅滬級」駆逐艦を建造し、第一号艦「哈爾濱号」と第二号艦「青島号」にはトムソン社製造のTAVITAC作戦系統、シーコブラ型ミサイル、レーダーなどを搭載していたと言う。これが台湾の奉呈した武器であると言われている。
●誰がリベートを取ったか
ジョンクールの供述では1991年に訪中した際に中国側に1億ドルのリベートを約束したと言うが、その後の調査ではトムソン社の5億ドルのリベートはフランス、台湾、中国が分け合った、つまり中国は1億7千万ドルを受け取ったのである。誰が取ったのか。
報道(江沢民朱鎔基受賄軍火商:Taiwanus.us。Dec2, 2005)によると、トムソン社が台湾から分捕った5億ドルのリベートは3等分され、中国で1億7千万ドルのリベートを受け取ったのは中央総書記・江沢民、軍委副主席・楊尚昆、劉華清、総理・李鵬、副総理・姚依林、外交部長・錢其?、北京市長・王岐山、および当時の上海市長朱鎔基など8人とされている。
なお、事件が国際大事件に発展したあと、中国高官にBravo の仲介をした劉莉莉は江沢民に庇護を求め、江沢民も同意して彼女に厳密な警護をつけたと言う。
●米国の武器提供
アメリカも黙っていたわけではない。レーガン大統領は1982年7月に台湾に対し、6つの保証(Six Assurances to Taiwan )を約束している。この保証条件には(1)米国は台湾に武器の提供を中止しない、(2)武器の提供について中共に事前相談はしない、などとしているが、この約束は同年8月の817公報と矛盾したものである。
ワシントンポストのパリ駐在記者の報道によると、フランスの武器販売計画を探知したパパブッシュ大統領は89年末に「台湾海峡の安定に鑑み、台湾の使用する武器においては完全にアメリカの提供に依頼すべきである」とミッテラン総統に打電したと言う。
台湾が韓国の2000トン級駆逐艦をフランスの巡洋艦に変更したので、米国は慌てて台湾に150機のF16A/Bを提供し、8隻のKnox Class巡洋艦の租借契約を結んだ。こうして米国とフランスの武器販売合戦は一応終焉したが、おかげで台湾は両国から武器を買わされ、中台双方のシナ人の悪魔の飽食となったのである。