2015年11月19日

◆韓国が企てる統一への反日戦略

古田 博司



今から25年前、盧泰愚大統領時に韓国の歴史教育の過度に反日的な側面を批判したところ、学者たちはこう答えた。「韓国は負けてばかりの歴史です。今は少しだけ勇気を出せという歴史教育をしている。その過程で反日的な側面が出てくるのです。分かってください」と。その低姿勢に同情し、われわれは矛を収めたものである。

ところがその後、金泳三大統領の「歴史の立て直し」政策が始まり、自尊史観と反日の暴走が始まった。韓国は「歴史に学ぼう」と唱えるだけあって、李朝の「●塞(とうそく)」(ごまかし・逃げ口上)の歴史を民族の行動パターンとして濃厚に引き継いでいる。

 ≪同情は次の攻勢の準備段階≫

満洲族の清が馬をよこせといえば、分割払いにしてもらい、総頭数をごまかしたり、婚姻するから良家の子女を送れといわれれば、こっそり酒場女を集めて送ったりした。シナにやられてばかりの歴史ではないのだ。

李朝は国内では民族差別の朱子学で理論武装し、満州族の清を「禽獣(きんじゅう)以下の夷狄(いてき)」(獣以下の野蛮人)だと徹底侮蔑する教育をし、清からの文明流入を悉(ことごと)く防遏(ぼうあつ)した。同情を買うのは次の攻勢の準備段階である。

最近の報道によれば、日韓の国際会議で日本側が韓国の中国傾斜を指摘すると「事実ではないのでその言葉は使わないでほしい」といい、中国に苦汁をなめさせられた歴史からくる警戒や恐怖心を日本人に喚起するという。

また、外務省の元高官が「韓国人には中国から家畜のようにひどい扱いをされた屈辱感がある」と話すそうである。当然心優しい市民派新聞の記者たちは同情し、韓国の中国傾斜論はよそうという記事を書く。

だが、これを放置すればやがて、「韓国を中国に追いやったのは日本のせいだ」という論に成長することは、当然予測されるところである。これを欧米中に広める。朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない。

 ≪否定できない中国傾斜論≫

朝鮮はシナの子分で、シナが朝鮮を操る歴史だと思っている人が多いがそうではない。ごまかしや逃げ口上でいつの間にか攻勢に出てくるので、どう扱ってよいのかよく分からないというのが中国の本音なのだ。

今の中国は韓国と北朝鮮を手玉に取っているわけではない。できるだけ深く関わらないようにし、絶えず微調整しているのである。南北問わず朝鮮民族の「卑劣」に付き合うのは、日本も中国もロシアも苦手である。

韓国の中国傾斜論は、今日否定しようのない事実である。アメリカの促す高高度防衛ミサイル(THAAD)の設置を引き延ばす。これを李朝時代では「遷延(せんえん)」策といった。大国が難題を持ちかけるたびに臣下たちは「王様、遷延でよろしく」と願い出たものである。引き延ばして状況が変わり、相手が諦めるのを待つのである。

中国の南シナ海進出への批判も巧妙に避けている。韓民求国防相に東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大国防相会議で航行の自由の保障を明言させたが、政府は何も言っていない。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に積極参加し、朴槿恵大統領は中国の抗日記念行事に出席し、軍事パレードの雛(ひな)壇で席次2位だったことを朝貢国のように喜んだ。

アメリカよりも中国の影響下の方が、南北で取引ができ統一がしやすいという思惑があるのだ。ただそれを日本に追いやられたからという形に持っていき、アメリカの非難を自国に向けないようにしたいのである。実はこのような面倒なことをしなくとも、南北には統一の機が熟している。

 ≪2度と朝鮮戦争は起きない≫

哨戒(しょうかい)艦「天安」沈没事件(2010年3月)のときも、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件(同年11月)のときも、緊張が高まると必ず韓国が折れる。北朝鮮が謝罪したような折衷案を作ってくれと、韓国が非公開会議において金銭で懇請したと、11年6月1日には北朝鮮の国防委員会に暴露されたこともあった。

今年8月に韓国と北朝鮮の軍事境界線で起きた地雷爆発事件では、北朝鮮が「準戦時状態」を宣言し、南北高官による会談が開かれたが、韓国側の代表2人は北朝鮮シンパだった。加えて協議の映像が青瓦台に中継された。

国家安保戦略研究院の劉性玉院長は朝鮮日報8月24日付で、事件のたびにケーブルテレビによるボス交渉が行われていたことを暴露し、10月には盧武鉉時代の国家情報院の院長だった金万福氏が北との直通電話があったと発言した。

すなわち北朝鮮の核保有と歩調を合わせるように、韓国側が譲歩を重ねていったことが分かるのである。結論として、2度と朝鮮戦争は起きないであろう。

ならば、なぜすぐに南北統一へと向かわないのか。理由は、弱者の方の韓国が統一を主導したいからである。第2に、急に動けばアメリカ軍が撤退の速度を早め、韓国の主導が崩れるからである。第3に、今の生活を手放したくないという、気概のない民族性が統一の意志を妨げているからである。(ふるた ひろし)

●=てへんに唐

産経ニュース【正論】 筑波大学大学院教授・ 2015.11.18
                 (採録:松本市 久保田 康文)

◆理研に巣食う中韓研究者

平井 修一



理化学研究所について読者のMOMOさんから気になる情報を頂いた。

<平井さん毎号ありがとうございます。

「あなたの隣はスパイかも」

あの理研小保方さん騒ぎの時、たまたま目にしたのが、理研に来ている中国人の数。100人以上いました。

理研の傘下(?)にあるのがスーパーコンピューターの製作研究所でした。これで中国がわが国を超えるスパコンを急速に開発できた理由に納得しました。

この「理化学研究所」は国策会社にも匹敵するものでしょう。甘かったなぁ>(以上)

理研のサイトにはこう記してあった。

<人員(平成27年4月1日現在)3470名。

地域別理研在籍研究系外国人スタッフ数(訪問研究員、学生等含む) (平成26年10月1日現在)

中国 153名 韓国 70名 (全体で)合計 704名

・2014年6月24日プレスレリース

独立行政法人理化学研究所 国立大学法人東京工業大学 ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン 独立行政法人科学技術振興機構

スーパーコンピュータ「京」がGraph500で世界第1位を獲得−ビッグデータの処理で重要となるグラフ解析でも最高の評価−

理化学研究所と東京工業大学、およびアイルランドのユニバーシティ・カレッジ・ダブリンは、大規模グラフ解析(互いに関連性のある複雑なデータの分析)に関するスーパーコンピュータの国際的な性能ランキングであるGraph500において、スーパーコンピュータ「京(けい)」による解析結果で第1位を獲得しました。

これは、東京工業大学博士課程(理化学研究所研修生)の上野晃司氏らによる成果です。

大規模グラフ解析の性能は、大規模かつ複雑なデータ処理が求められるビッグデータの解析において重要となるもので、今回のランキング結果は、「京」がビッグデータ解析に関する高い能力を有することを実証するものです>(以上)

スパコンランキングにはTOP500という調査もあり、『世界スパコンランキング更新、1位は5期連続の「天河二号」 理研の「京」も4位で変わらず』(2015/7/14)という以下の記事がった。

<スパコンの性能ランキング「TOP500」において、中国の「天河二号」が前回に引き続き世界1位になったと発表された。

TOP500は年に2回ランキングを更新しており、天河二号が1位を取るのは5期連続で、2013年6月のランキング発表から1位をキープし続けている。

2位は米オークリッジ国立研究所の「Titan」、4位は日本の理化学研究所による「京」>(以上)

いろいろな評価があるから何とも言えないが、Graph500では中共は6位だ。中共がスパコンで大いに能力を上げているのは間違いないかもしれない。

それにしても、理研がよりによって敵性国かつパクリ上手の中韓から研究者を受け入れているというのは、国防上かなり問題ではないのか。国防の基本は「油断大敵」と頭に叩き込み、正しく敵を憎悪し、警戒し、しっかり備えをすることだ。大切な知財が敵に漏れることは日本を毀損する。

理系の研究者でも日本の安全保障には十分配慮してほしいものだ。   
                         (2015/11/18)


             

◆中台首脳会談で国民党支持率は

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)11月18日(水曜日)通算第4730号 > 

  
〜中台首脳会談で国民党支持率は上昇したのか?
   依然として蔡英文(民進党党首、総統候補者)が2桁のリード〜


11月17日の台湾世論調査によれば、7日のシンガポールにおける中台首脳会談と、朱立倫の訪米というトピックにもかかわらず、国民党候補の朱立倫支持は20%台でしかないことが判明した。

台湾の民衆は中国との貿易依存度のあまりの偏重ぶりを危惧しており、また台湾企業はおよそ一万社が撤退し、ベトナムなどへ工場移転をしている。台湾企業の駐在社員らが、投票のため帰国しても、いまのところ大勢に影響がない。

 発表された直近の世論調査によると、各候補者の支持率は、
 蔡英文(民進党)  46・2%
 朱立倫(国民党)  20・4
 宋楚諭(親民党)  10・4
 態度未定      13・3
 棄権する      9・7

 こうみると宋楚諭が、国民党と共闘することになっても、両党の合計は30・8%で、到底蔡英文には届かない。
 
朱立倫も新北市長のまま、総統選挙に挑むわけで、最初から負けを覚悟の様子である。
   

◆ヴェルサイユ便り B

寺田 輝介(安保政策研究会 常務理事)




〜ユーロ圏首脳会合。そしてドラマの幕引き〜 

 
第三次ギリシャ金融支援交渉は、7月12日(日)午後5時よりブリュッセルで開始されたユーロ圏首脳レベルの交渉において、徹夜を含め16時間に及んだ長丁場の交渉の末、大筋の決着を見た。


最後までメルケル首相とチプラス首相が激しく対立したのは、首脳会合の下準備にあたったユーロ圏財務相会合でドイツのショイブレ財務相が500億ユーロ相当の民有化基金の創設を求める提案を突然提出、同提案がそのまま首脳会合の議論の俎上に載せられたためであった。


チプラス首相は、民有化基金の創設はギリシャの主権を侵すものとして、これに強く反対した。


他方メルケル首相は、ギリシャに対する金融支援継続に反対するドイツ議会を宥めるためにも、シンボリックな勝利と見做し得る「民有化基金創設」をベルリンに持ち帰りたいと云う政治的願望を強く抱いていた(7月21日付「ル・モンド」紙)。


首脳会合は3回中断した。その都度トゥスク首脳会合常任議長、オランド大統領、メルケル首相、チプラス首相の四人が鳩首協議をこらした。当然「留め役」のオランド大統領が持前の調整能力を発揮したと見られるが、ポーランド出身のトゥスク議長の果たした役割も評価されるべきであろう。


16時間続いた交渉で、チプラス首相はEUが要求した財政緊縮・改革案を全て受け入れたが、「基金」の創設問題には最後まで抵抗していた。徹夜交渉で疲労困憊したメルケル、チプラス両首相が決裂寸前に合意したのは、500億ユーロ「基金」の半分をギリシャの銀行の資本強化のための借款に充当させ、残余をギリシャの経済成長と債務の減殺に充てるとの妥協案であった。


かくして開始してから16時間に及んだ首脳会談は翌日(7月13日月曜日)午前9時直前に終結した。


交渉を振り返って見ると、チプラス首相が最後に折れたのは、メルケル首相に最後まで抵抗すれば、ユーロ圏離脱を迫られることが現実味を帯びてきたことに加え、6月下旬に国民投票を口実に対EU交渉を中断させて以来ギリシャの国内銀行が休業に追い込まれ、ギリシャ経済と国民生活の混乱が大きくなってきたことを自覚せざるを得なかったためであろう。


チプラス首相がこれ程激しく抵抗した「基金」であるが、前掲の「ル・モンド」紙は、「この基金の500億ユーロと言う額は、まったくの架空の数字である。会議に出席した者は全て、ギリシャはパンテオン宮殿、アクロポリス、そして若干の島礁を売却せざる限り、こんな巨額な資金を捻出できる筈はないと見ている」と報じていた。何とも皮肉な話ではなかろうか。(続く)

               (元韓国駐在大使・元メキシコ駐在大使)

2015年11月18日

◆朴正煕大統領は実に傑出した人物であったが…

石原 慎太郎



私は縁あって韓国の現大統領とその父親の朴元大統領の2人と知己がある。歴代の大統領の中では傑出していたと思われる朴正煕大統領とは、実にしげしげと面談し打ち解けた会話を持つことができたものだった。

彼は特に当時結成していた青嵐会を高く評価してくれていて駐日大使をしていた李厚洛を通じてしばしば我々の仲間を招待してくれていた。ある時は福田赳夫さんも交えて限られたメンバーで休日のゴルフ場を借り切りにしてプレイしたりしたものだった。

彼の娘さんの現大統領との知己を得たのは、彼女の父親が暗殺された時、福田赳夫さんと同行し朴さんの自宅に弔問に出かけた折のことだった。両親を暗殺で失い孤独に留守宅を守って私たちを迎えてくれた彼女の印象は実につましく質素なもので強い印象を受けた。

その彼女が女ながら大統領になりおおせたのは、父親の後にろくな大統領が続かず北に比べて押されぎみの政情に飽き足らぬ国民が彼女の父親への畏敬の念を絶ちやらずの故とも思われるが、それにしても娘さん方はさしたる指導力も発想力も感じられず、政治は財閥関係の不祥事にも介入できずにお手上げで、特に日韓関係に関しては言う事やること父親とは大違いで昔を思うと感無量なものがある。

私は最近列強の植民地支配について研究しているというイギリスの学者の『朝鮮が瞬間的に幸せになった時代』なる本を贈られて読んだが、それはまさに日本の朝鮮統合についての記述だった。

断っておくが、日本の朝鮮統治は植民地支配ではなしに、あくまで彼らの議会が裁決し自ら望んで行われた合併であって、それによってこそ朝鮮の近代化は進みロシアへの属国化は免れたのだ。

ある時酒の席で朴元大統領は思いがけぬ述懐をしてくれたものだった。「自分は貧農の息子で勉強をしたくてもできずにいたが、日本人がやってきて子供を学校に通わせぬ親は罰を食う、ということで親も嫌々許して小学校に通うことができた。

そこでの成績がよかったので日本人の校長に勧められ、ただで通える師範学校にいかされた。さらにそこの校長が私を見込んで、これからは軍人の時代だからと推薦されて満州州の軍官学校に送られ首席となった。

そして、他にもいた日本人の子弟をさしおいて卒業の際には代表して答辞を述べさせられたものだ。あれだけの事をさせる民族はあまりいないと思うな」と。そしてまた突然私に「あの竹島は厄介なことになるよ、あれは李承晩が国際法を無視してやった線引きで、その内必ず困る火種になると思うから、今の内にお互いダイナマイトでもしかけて無くしてしまったらいい」と。

彼なら今問題の慰安婦について果たして何と言うだろうか。当時人口二千万人しかいなかった朝鮮で20万人もの若い女性たちを官憲が本当に拉致していったとしたなら、当時の朝鮮の男たちは無為のままにそれを看過していたのだろうか。

敗戦後の日本の街で在日のいわゆる三国人たちが暴れ回っていた頃、戦争帰りの若者たちは絶対の支配力を振るっていたアメリカ軍のMPにも逆らって自警の組織を作り彼らに対抗して戦ったものだ。

それが後に暴力団化し『安藤組』や『銀座警察』ともなったものだろうか。が、当時の朝鮮にはこうした気骨のある男たちは果たしていなかったろうか。

従軍慰安婦の問題は歴史の名を借りた意趣晴らしの作り事でしかありはしない。それは歴史という冷厳な現実への政治的歪曲(わいきょく)であって真実への冒涜(ぼうとく)に他ならない。あの朴元大統領がもしも存命ならお互いの将来のために少し頭を冷やせといってくれるに違いないが。

産経ニュース【石原慎太郎 日本よ、ふたたび】2015.11.16
                 (採録:松本市 久保田 康

◆台湾総統選、ハプニングの連続

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)11月17 日(火曜日)弐 通算第4729 号>  

〜台湾総統選、ハプニングの連続
   今度は民進党の副総統候補に有名医師〜

政治通は驚いた。斯界ではまったく無名、政治力は未知数の人物が蔡英文(民進党総統候補)の副総統チケットを久美子と担ったからだ。

医師の名は陳建仁。

2003 年、中国大陸から台湾にも、SARSが伝染したおりに、大活躍した医師として国民的には知られていたが、政治世界に突如でてくるとは!

しかし昨年の統一地方選挙で、まったく無名の政治素人だが、良心的な医師が、なんと国民党の鉄の票田を軽々と突破して台北市長となったように蔡英文の頭の中には、敬虔なカソリックで、政治世界に汚染されていない人物を物色していたのである。

本命はノーベル賞の李遠哲と見られていた。

ところが、李は蔡英文からの誘いを断り続ける。そこで、清新なイメージの、学者を捜し始めた。僅か数ヶ月前に陳建仁は、民心党のシンクタンクに加わってきた。

そして彼女の眼鏡にかなったのだ。

「貴女は国のためにもっと働いてもらうことになります」とメッセージを送っていたが、それが副総統候補とは、陳建仁医師も気がつかなかった。

陳建仁は前「アカデミック・シニカ」副総裁。台北大学でも生物医学の教鞭をとり、03 年のSARS騒ぎの時、防疫で指揮を執った。

◆中韓「朱子学」VS 日本「陽明学」

平井 修一



中韓は「朱子学的思考行動」、一方で日本は「陽明学的思考行動」という論考があった。朱子学と陽明学・・・小生は勉強したことがない(中公新書の「荻生徂徠」は3回読んだがまったく理解できなかった)ので、今日は「知命立命 心地よい風景」というサイトに学んだが、それによれば、こういうことらしい。

<そもそも陽明学と朱子学は相対する学問ですが、いずれも根本は孔子の儒学です。

儒学は“修己治人”(おのれを修め人を治める)を目標にした実践的な教えであり、前漢代に国教化され、やがて難解な解釈を繰り返すだけのものになっていきます。

そんな中、11世紀に南宋の哲学者朱子(朱熹)が儒教の体系化を図り、上下の秩序・大義名分を重んじ礼節を尊ぶ思想として新儒教“朱子学”(道学、宋学)へと練り上げていきます。

8つのサブコンセプトからなり、「格物・致知」が学問のヴィジョンを、「誠意・正心・修身」が徳行を、「斉家・治国・平天下」が行動を表す。

こうしてできた朱子学は「格物致知」“物に格(いた)る知”の学問といわれ、格物致知、理気二元論(先知後行)、身分秩序、を重視し、封建社会を支えるための大事な学問でした。

“格物致知”とは、物の道理を窮め知的判断を高めることで理想的な政治を行うということです。

“先知後行”とは、人間の知(知識・学問)と行(実践・行動)の関係は、先後(平井:優先順位)からいえば知を先とし、軽重(平井:重要事項)からいえば行を重とすることで、“知”と“行”とは一致しない、即ち学問は学問、行動は行動、と割り切った二元論とすることです(科挙は知識人偏重、現場は軽視)。

“物をよく見よう”(平井:現状を見よう、14億の民を統治するのに一党独裁以外に方法があるのか、という論理)が一転すれば非常に保守的になり、社会・国家生活でいうと現在の生活や秩序を是認してかかる傾向にあります。

それぞれが住むパーソナルスペースが非常に居心地よく、社会全体に対する欲求や変化を強く望まないため(平井:多くの人民は一党独裁しかないと多分思っている)、批判は出てもそれが政治推進にさしたる影響を持たないという状況です。

これは支配階級からいえば便利で非常に都合がよい考え方ではありますね。日本でも徳川幕府が林羅山に命じて朱子学を導入したことからも、しかもその徳川幕府が260年続いたことからもよくわかります。

そういった意味では、戦後の日本社会においても知識(過去からの常識、行動様式)が重視されている傾向にあります。

“自由な発想で好きなことをやっても良い、ものごとは自分で判断しろ”とは言うものの、実際の社会の枠組みや仕組みは依然として知識偏重で、“突出した個性や性向を嫌う傾向”からは抜け出せていません。

従って知新は少なく、物事を如何にして変えていくか、そのためにどうするかといった発想が行動に結びつき難い傾向になるのです。

朱子学は、明の時代に国家公認の学問として神格化され、批判が適わない権威を持ってきます。

人々は活発な意見を出し合う事が出来ず、朱子学だけが絶対で、儒教の教えは朱子学で解釈され、その解釈は否定することを「否定される」という形式的で窮屈な生活を強いられます(韓国のように社会的に抹殺される)。

時代の為政者達が何故好んで朱子学の方を採用してきたのか、どうして陽明学の説を採用しなかったのかがこれで良くわかると思います。

陽明学は、中国の明代に王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なるもので、王学、心学あるいは明学、陸王学ともいわれます。王陽明は朱子学の解釈を否定し、権威に従うのではなく自の責任で行動する心の自由を説きます。

陽明学は“物を格(ただ)す心”の学問ともいわれており、「心即理」「致良知」「知行合一」を説き、朱子学の(平井:過去からの知性・理性・伝統・常識・体制を意志・感情よりも重視する)主知主義に対して実践を重視しました。

陽明学の心即理とは、心を“性”(天から賦与された純粋な善性)と“情”(感情としてあらわれる心の動き)に分別した上で“性、情”をあわせた心そのものが“理”に他ならないという考え方です。

致良知とは、“良知”(万人が心の内にもつ先天的な道徳知であり、また人間の生命力の根元でもあるもの、人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)を全面的に発揮することを意味し、これに従う限りその行動は善なるものとされる上、“良知”に基づく行動は外的な規範に束縛されないという考え方です。

知行合一とは、知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知から発する作用であり、分離不可能であるとする考えです。要は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであり、いくら知識があっても行動が伴わなければ意味がなく、実践重視が肝要であるということです。

これは一転すれば、非常に変革、革命的になりますし、社会生活、国家生活でいえば現在の如何にかかわらず、終始己れの良心に顧みて、自分の思索判断から現実を直ちになんとか処理してゆこう、変革してゆこうという態度になりますね。

この解釈が行き過ぎると、現在の有様は必ずしも正しいとは言えないので、間違っているならこれを力ずくでも正して行かなければならない、という極めて極論的な考えを持つ傾向が出てきます。

これは支配階級からいえば、非常に都合が悪く危なくてしようがない考え方ですね。

自分たち(支配者)のしていることを直ぐには受け入れないで、「自分で考えて、こうしなければならぬ」ということになると、どこまでもそれを通す主義となるので、自然と陽明学は日本では必ず遠ざけられてきました。

陽明学は中国では廃れていきますが、王陽明の学問は日本へと渡り、日本陽明学として大成していきます。

日本の何がそれを受け容れたのかは単純に整理できるものではありませんが、その思想・学問・考え方が、武士道や神道、仏教、禅、果ては明治キリスト教と習合しながら発展していったと思われます。

あらゆるものを習合しながらその大事なエッセンスをうまく取り入れていくのは、日本人特有の優れた(平井:アバウト、鷹揚な)感性と特質ですが、それが陽明学においてもうまく生かされてきた訳です。

日本に伝わった陽明学は王陽明の意図に反して反体制的な理論ばかりがクローズアップされてきているため、体制を反発する者や、自己の正義感に囚われて革命運動に走る者に好まれてきた傾向にあります。

幕末期の儒家・備中松山藩の山田方谷もこうした危険性を憂慮し、朱子学を十分に理解した上で、朱子学と陽明学を相対化して理解が出来る門人にしか陽明学を教授しなかったそうです。

「大塩平八郎の乱」で有名な大塩平八郎は、山田方谷と共に佐藤一斎が塾頭をしていた昌平黌で学んでいます。佐藤一斎は、儒官としての立場上朱子学を奉じてはいたものの、陽明学の思想が練り込まれている“言志四録”という著作を書き上げています。

これは幕末の志士と言われる吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助といったところに大きく影響を与えたとも言われています。

日本陽明学の全盛期は幕末よりも明治維新以降だったようで、前出の幕末陽明学の再興の動きが、欧化政策の反動として高揚したナショナリズムや武士道見直しの動きと結びつき、明治後期から大正時代にかけてピークを迎えたと見られています。

当時の陽明学は、日本国民の精神修養の一環として「死生を逸脱した純粋な心情と行動力とを陶冶する実践倫理」として説かれる傾向が強かったようです。

従って、この端的なものが三島事件などにも見られ、日本では未だに右寄りな“革命哲学としての陽明学”として認知されてしまっているのではないかと思われます>(以上)

朱子学は「頑迷固陋保守」に流されやすいが、時代を切り拓くイノベーション(革新)は陽明学的な「純粋な心情と行動力とを陶冶(磨く)する実践倫理」によってなされるようである。

伊東乾氏の論考「中国・韓国と日本を分けた朱子学と陽明学 中韓にノーベル賞が取れない理由〜團藤法学から日本の卓越性を探る」(JBプレス11/9)から。

<(私は)このところ「中国や韓国、台湾や北朝鮮の現状を見るに、ノーベル賞などの評価に相当する研究成果を期待するのにはいくつか明確な難がある可能性」を指摘しています。

誤解のないように再三強調しておきますが、これらは各々の国の文化や民族性、個人の資質などを指してものを言っているのではありません。

党が指導しドグマが承認しなければ是認されない意思決定システム、全体主義的な体制、個人の自発性や自由な創意工夫を尊重しない空気・・・端的に言うなら「不十全な学術ガバナンス」が懸念される学術研究行政のもとでは、有産な成果を期待するのは難しい、という観測を示しているものです。

事実、これらの国を飛び出し、自由の天地で存分に力を発揮して、大きな成果を挙げている人・・・科学者であれ、文学者、芸術家であれ・・・は枚挙の暇がありません。

拙劣な学術ガバナンスの状況で、有産な成果が得られにくい・・・。当然のことであると同時に、これはまた、日本も同様に拙劣な研究行政の状況に陥るなら、同じような情けないことに容易に陥りう得るいう、警句を発しているつもりです。

問題は、ある体制内での意思決定の機構、あるいはそれが持つ規範の性格です。その意味で「朱子学」「陽明学」という團藤重光先生が指摘された東アジアにおける2つの端的な「官学」の差異を取り上げたのです。

あえて乱暴に言うなら「朱子学」とは「律令国家」で文書主義を重視すべく改革された儒学で、だからこそ官学として適切だった。

そしてその社会を支えるのは第1次産業、灌漑農法による米生産と、それに従事する圧倒的多数の農民を統治する、はっきり書いてしまえば「弥生時代以来」とも言える循環型社会を保守する訓古学として成功した「モデル」と言えます。

日本でも戦国の動乱を生き抜き、江戸幕府を開いた徳川家康が、長く太平の世、つまり循環的で乱高下には乏しい、しかし農業生産には適した治世を保つべく朱子学を官学に指定し、江戸幕府は260余年の命脈を保つことができた。

これに対して東アジア社会で「実体が変化するときは、規範もまた動く」として革命を支持する学となったのが陽明学であったと考えましょう、というのが「陽明学モデル」にほかなりません。

太平の世であれば、朱子学に基づく循環的=停滞的な封建農村支配が順調に回転することで「繁栄」が約束されます。しかし乱世にはそうした理法は通用しません。

ここで「乱世」とは、単に戦国時代だけを指すのではありません。

イノベーションを念頭に置けば、私たちが生きている現代の毎日、時々刻々がR&D(リサーチ&デベロップメント;研究開発)の乱世そのものであって、そこで生き馬の目を抜くリサーチ・ウオーズに勝ち残っていくには、文書主義程度まで進化した弥生時代崇拝という「朱子学モデル」、つまり伝統思考の停滞型意思決定、権威尊重で前例墨守の思考体制は、圧倒的に不利だ、ということを言っているのです。

文献として遺され、未来を拘束する規範としての「最高裁判例」。それが固定的で停滞したくびきとして日本を縛るのでなく、時代に即して動的に変化するチャンスを与えるもの。それこそが(最高裁判例にある)「少数意見」である。

そこからあらゆる変革、革命が生まれる余地が出てくる、これこそが、戦後の新憲法体制下で日本がGHQと対峙して一歩も引かなかった「陽明学」の精神の骨法である・・・。

こうした趣旨のことを「反骨のコツ」を上梓した後の團藤先生は、口癖のように繰り返しておられました>(以上)

「リサーチ・ウオーズの時代」。少数意見や異端、邪道に「ダイヤモンドの大きな原石」があったりする、ということだ。朱子学的中韓は「俺が正義、俺が道徳、それに反する奴らは悪であり不倫だ、叩くべし」というのが基本的価値観だから、みんな多勢に無勢の「多勢」に与する。

結局、70年以上前からカビの生えた、ほとんどミイラ化した娼婦云々、抗日戦云々に頑迷固陋にしがみついている。一歩も前進しない。バックミラーを見て運転している。これでは事故るわな。他人に迷惑かけずに自損事故で逝ってくれ。(2015/11/17)

◆ヴェルサイユ便り A

寺田 輝介(安保政策研究会 常務理事)



〜ユーロ圏内の葛藤〜 

 
EUはギリシャの要請を受け入れ、ユーロ圏財務相会合を開くと共に、7月13日にユーロ圏首脳会合開催に踏み切ることになるが、この間の舞台裏を取材したフランス各紙(「ル・モンド」、「フィガロ」、「レ・ゼコ」)の報道振りを取り纏めてご紹介しよう。
 

EUのギリシャ支援をめぐる交渉は、とどのつまり緊縮財政の維持に固執するメルケル首相及び超強硬派のショイブレ財務相と反緊縮を旗印に政権を獲得したチプラス首相との間の激しい葛藤であった。


EU内部にも「南北対立」が生まれた。ドイツの主張に組みするフィンランド、スロバキア、ポーランド等「北」の欧州諸国に対し、イタリア、スペイン、ポルトガルの「南欧」諸国は、経済成長と雇用創出のためには財政支出は止むを得ないと主張し、宥和的態度を執っていた。


無論チプラス首相は、強硬派のメルケル首相に対し、5日の国民投票により強い支持を得た「緊縮反対」政策を錦の御旗に掲げ、徹底抗戦の構えであった。


この相対立する二人の宰相の間に入って「留め役」を演じたのがフランスのオランド大統領であった。フランスの国益は、あくまでもギリシャのユーロ圏離脱を防ぎ、EUの「連帯」を維持し、フランスのEU内の盟主の地位を維持することにあり、この為メルケル首相とチプラス首相との間で仲介役を目指すことになる。
 

オランド大統領は、ギリシャ危機発生以来、メルケル首相と常に密接な連絡をとっていた。欧州メデイアが特に注目したのは、EU首脳会合開催に先立ち、ギリシャの国民投票の結果が判明したその翌日、パリ・エリゼ宮で独仏首脳会談が開かれたことであった。


会談内容については一切報じられていない。筆者の観測では、当然のことながら、オランド大統領はメルケル首相に対しEU連帯の必要性を強く訴え、ギリシャのユーロ離脱を避けるためのドイツの譲歩を求めたと思われる。


もっともフランスにとってもギリシャのユーロ離脱を許せば、市場の次のターゲットがユーロ危機から回復途上にある南欧諸国だけでなく、自国にも向かう恐れがあることもオランド大統領の念頭にあったであろう。


オランド大統領が、ドイツが最後までギリシャに最大限の財政緊縮策の実行を求め、これを受諾出来ないチプラス首相が国民投票による国民の信託を大義名分にユーロ離脱を宣言した場合、その責はドイツが負うことになるとメルケル首相に外交的圧力を掛けたことは想像するに難くない。


一方メルケル首相にとっては、ドイツが独仏関係を基礎にEU連帯の中で指導的地位を占めることが国益であり、財政問題でギリシャをEUから追い出すことはナチス・ドイツ時代の強圧的行為の再現と見なされ兼ねず、あくまでも回避すべきであると考えていたであろう。
 

「留め役」のオランド大統領は、チプラス首相とも密接な関係を維持していた。両者の関係には、同じ社会主義陣営に属するとのイデオロギー上のよしみに加え、地中海文化を共有するとの親近感があると見られる。


報道によれば、チプラスは国民投票実施を発表する直前にオランドに内報したのみならず、7月5日国民投票の結果が判明するや否やオランドに電話を入れたようである。その際オランドはチプラスに「僕は君を助ける用意がある。だが君を助けるためには、僕を助けてくれ」と発言したと言われている(7月7日付「ル・モンド」紙)。

 
ところで、チプラス首相が国民投票実施を決めた政治的動機は、あくまでもEUとの交渉を有利に進めるための「弱者の恐喝」であり、EUを離脱する覚悟は当初よりなかったことである。


既に仏紙「ル・フイガロ」は6月30日付社説で「チプラスの国民投票は、直接民主主義の下にカモフラージュされた政治的行為であり、見せかけである」と喝破していた。(続く)
               (元韓国駐在大使・元メキシコ駐在大使)


2015年11月17日

◆スンニ派に取り囲まれた

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)11月17 日(火曜日 通算第4728 号  <前日発行>>
 
〜シーア派過激思想はまわりをスンニ派に取り囲まれた
  イラン、戦略の調整期――現状は明王朝の末期に似てきたか〜


気がつけば四面楚歌。項羽が慌てたように、イランはすっかり周囲を敵に囲まれたことに気がついたのではないか。IS(イスラム国)とて、イランのシーア派には敵対的である。

国家戦略とは国力が基本となって、その軍事力、経済力を総体比較し、さらに当該国家の国民の意思力による。合理的な自己洞察、自己評価、そして懸命な方策により生き残りの道を考えるのが戦略的発想の基本である。

イランはホメイニ師を仰ぐイスラム革命の成功に酔って、テヘランの米国大使館になぐりこみ、長期に人質をとって米国と敵対した。

『悪魔の詩』の作者、サルマン・ラシディに死刑判決を出し、世界各地にテロリストを送り込んだ。日本でも翻訳者が殺害された。

棚からぼた餅の革命だったのに、自己の革命思想の成功と誤断し、ナショナリズムによって狂信的な思想をイスラム圏に輸出し始める。世界はイランを嫌った。

イランの国家戦略の第一期調整はイラン・イラク戦争による。 ホメイニ師の死去にともない穏健派のラフサンジャニ師の政権ができると、より合理的な路線を歩み始める。

当面の国家目標はイラン・イラク戦争ですっかり疲弊した経済の再建と合理主義的な諸政策の立案で、外交的な路線に調整が見られた。ペルシアの伝統とイスラムの正統性を堅持しながらも、耐久の時代だったと総括できるかも知れない。

とは言っても米国とイスラエルの敵対路線は変更がなかった。

次なるイランの調整期はオサマ・ビンラディンの登場だった。

米国を襲った同時テロを受けて、イスラムの影響力の高まりとともにイランは核武装を志向し、ナタンズなどに核施設を建設する。ハタミ政権では伝統的なイスラムへの回帰が見られ、外交は原則的な調整が利かなかった。

イランは露骨に地域覇権を志向していると見られたが、これらは原油代金の高騰という背景があり、経済の回復とともに実現が可能だった。

そして狂信的なアーマドネジャット政権は真っ向から西側に挑戦をいどみ、その勇ましきナショナリズムが国内でさえ孤立していたことを指導者は気がつかなかった。知識人は親西側ではないが、もうすこし合理的は判断ができる知識人が主流だった。

しかし、エネルギー枯渇の中国、印度がさかんにイランから原油を輸入したため、経済力に余裕が生まれ、イランはSCOを積極的に活用しながら、周辺諸国への影響を浸透させる一方で中南米、アフリカ諸国へも進出を果たす。

こうしたイランの強気戦略はチュニジアから破綻が始まった。

第三の調整は「アラブの春」である。

各地でシーア派や過激派が跋扈し、その「民主革命」に失敗する段階で、イランはアサド政権にテコ入れを強化しつつ、ガザへの武器搬入を活発化した。

これですっかりイランへの警戒心を高めたのがサウジアラビア、UEA、そしてトルコだった。

スンニ派の跳ね上がりISがシリアからイラクへ南下し、欧米でもテロリズム活動を展開するや、世界のイランをみる目がすっかり変貌した。

中東の宗教地図はすっかりスンニ派になり、そのうえ原油代金は下落し、イラン経済を直撃した。イランはパラノイア的な狂信的シーア派思想の輸出を中断し、より穏健で合理的な道を歩む必要が求められた。

自制的で、合理的な外交政策を選択しなければ、「かつて明王朝は外敵から身を守るために万里の長城を築き、鎖国した結果、文化伝統の高揚はあったが、相対的な力の衰退を招き、ある日、満州族に政権を奪われた。この歴史のパターンが示すように、イランの周りがスンニ派の世界に変貌したことを甚大な危機として認識し始めた」(ケビン・リン、中東アナリスト、『ナショナル・インタレスト』誌、11月16日)。

とはいえ世界はイランへの警戒感を緩めず、サウジアラビアはロシアに接近して外交上の挽回をはかり、欧米は中東の不安定化をおそれ、しかも原油代金は依然として低迷している。

輻輳する諸情勢のなか、いまや中東の政治地図はイスラエル vs パレスチナはすっかり色あせて傍流となった。

◆私の「身辺雑記」(281)

平井 修一



■11月14日(土)、朝は室温16度、曇、ハーフ散歩。

フランスはすごいことになっている。

<13日夜(日本時間14日未明)、パリ中心部の劇場やレストラン、近郊のスタジアム近くなど少なくとも6か所で爆発、銃撃が相次いだ。

地元メディアによると、100人以上の死亡が確認されており、死者数はさらに増える見通し。AFP通信などによると、市内のコンサート場では武装した複数の男が押し入り、自動小銃を乱射したという>(読売11/14)

テロは欧州全体に広まるのではないか。イスラム教徒の移民を受け入れてきたツケが回ってきたのだ。「イスラム教徒は危険な狂信者、潜在的テロリスト」との認識をもって警戒するしかない。「信教の自由」や「自由・民主・人権・法治」を、それを否定するイスラム教徒に保障するのは愚かだ。

フランスの刑務所で一番多いのはイスラム教徒の囚人だ。囚人は刑務所で過激思想に洗脳されるから、出所すれば“兵士”として惨事を引き起こす機会を求めるだろう。「自爆すれば天国へ行ける」と洗脳されているのだから。

移民・難民を規制しないと欧州はイスラム教徒に占拠されるだろう。中近東産「憎悪の連鎖」が欧州に飛び火した。超法規で叩き消さないと燎原の火のごとく欧州を焼き尽くしかねない。

目には目を、歯には歯を、殺戮には殺戮を。復讐するは我にあり。オランドにその覚悟はあるか。

日経11/14「仏大統領、国家非常事態を宣言『テロに立ち向かう』」 から。

<【パリ支局】フランスのオランド大統領は13日深夜、テレビを通じ国民向けに演説し、同日夜のパリ同時テロを受け「国家非常事態」を宣言した。「国境を封鎖する」と語った。一連の事件については「前例のないテロ」と指摘。「フランスはテロに立ち向かわなければならない」と述べ、国民に冷静な対応と連帯を呼びかけた。「なお事件は続いている」と説明した。

フランス当局は警察に加え軍も出動させ、事態を早期に収拾し、犯人を追及する構えだ。

国家非常事態宣言により、フランス当局は人や自動車などの移動の制限のほか、集会禁止なども命じることができる>(以上)

正しく憎悪し、敵意・反感・警戒心を持ち、しっかりと備える――当たり前だ。「銃と生きるテキサスの女性たち」(ニューズウィーク11/13)から。

<ハンドバッグに忍ばせて、洗面台の傍らに、あるいは寝室のナイトテーブルに。彼女たちが口紅や携帯電話のように持ち歩いているのは、拳銃だ。

銃に寛大なことで知られるテキサス州では4月、他人に見える形での銃携帯を認める法律が下院で可決された。今後はより堂々と持ち歩けるようになる。

写真家シェリー・カールトンは、地元テキサスで銃を持つ「普通の女性たち」をカメラに収めた。同州では銃携帯許可の取得者の25%が女性、そのほとんどが白人だ。銃社会で育った彼女たちは、自分や身近な人を守るためなら引き金を引くこともいとわない、と口をそろえる。

兵士や警察官が銃を携帯するのは見慣れた光景だが、女性が銃を持つことに社会は厳しい目を向ける。それでも彼女たちは身を守るために銃を選ぶ。か弱い立場になることを断固として拒否しているかのようだ。

銃所持の賛否や政治的議論は別にして、自衛のために銃を持つ女性の実態や、テキサスに根付いた文化を理解することは重要だと、カールトンは考えた。銃を手にした女性たちはこう宣言しているようだ──私は決して「被害者」にはならない。

「私が心配するのはすべての女性の身の安全。弱いほうの性として神は女性をつくられたが、私たちは無力のままでいる必要などない。簡単な話だ。自分の身は自分で守ればいい。男性がいつも守ってくれるとは限らない」──ドナ

「私は自営業をしていて、しばしば3人の子を連れて長い距離を移動する。女性は犯罪のターゲットになりやすいけれど、私は被害者にはなりたくない。私は私の家族と自分自身を、自分の手で守りたい」──ジェニファー「私は320ヘクタール超の大牧場を所有していて、1人きりで回ることも多い。いろいろな事件に遭遇して、コルト38口径を常に携帯するようになった。ピューマやイノシシ、野生の犬に遭遇したり、連続殺人犯の捜索が近隣で行われたこともあった」──メアリー・ルー

キャサリン――テキサスで銃を持ち歩く女性の立場はさまざまで、子供を持つ専業主婦や起業家、学生、アーティストもいる。刑事裁判所の判事キャサリンもその1人だ。彼女たちが銃の携帯を人前で自慢げに話すことはあまりないが、かといって後ろめたさを感じているわけでもない>(以上)

法の番人である判事でさえも、法がわが身を守ってくれるとは思っていない。法は犯罪者を罰するだけで、殺された人は犬死だ。

敵は常に我々を狙っている。オーム真理教の連中と同じで、彼らは嬉々として大量無差別殺戮をする。我々はしっかり備え、狂信徒を撃退すべきだ、犬死したくないのなら。決して「被害者」にはならない、と。イスラム狂信徒と中共は敵である。

「安倍首相『テロを断固非難』仏国民との連帯表明」(時事11/14)から。

<安倍晋三首相は14日午前(日本時間同日午後)、パリで起きた同時テロについて、訪問先のトルコ・イスタンブールで記者団に「強い衝撃と怒りを覚える。いかなる理由があろうともテロは許されない。断固非難する」と述べた。

また、国内テロ対策と在外邦人の安全確保に万全を期す考えを強調した。

首相はテロの犠牲者に「心からの哀悼の意」を表した上で、「価値を共有するフランスが困難に直面しているとき、われわれ日本人はフランスの人々と常に共にある。強い連帯を表明する」と語った>(以上)

リップサービスで事態は改善しない。各国で怪しい奴らを予防拘禁し、収容所に監禁し、厳しく調べて、一網打尽で壊滅するしかない。できるか? リベラル教に洗脳されたお花畑のおバカな欧州はできない。つまり欧州は没落する。

警戒心ゼロのフランシスコやメルケルに同調しているようでは救いようがない。「汝の敵を愛せよ、って、ほとんどキチ○イだな」と、イスラム狂信徒は大笑いしているだろう。その反動で欧州政治は左派主導から右派主導へ劇的に転換するだろう。それ以外に欧州を守る術はないのだから。

■11月15日(日)、朝は室温16度、曇、ハーフ散歩。

産経新聞は昨日のパリ無差別大量殺人テロを大きく報道していたが、「イスラム教徒は危険な狂信者、潜在的テロリスト、警戒せよ」とは書いていない。圧倒的多数のイスラム教徒は穏健なのだから当然の見識なのだが、「水泳や水遊び、船は危険」とも書かない。

<日本での水難事故の発生件数(2002年)は1722件で、その内死亡者は951件である。死亡率は約50%と、交通事故などに比べても圧倒的に死亡率が高い>(ウィキ)

世界中ではすさまじい数の人が水死しているが、人口比ではわずかだから「水泳や水遊び、船は危険」とは書かない。

「2013年、米国務省によれば、全世界のテロ攻撃総数は9707件、死亡者総数1万7800人、 3万2500人以上の傷害者数に達した。さらに2990人以上が拉致誘拐、人質に取られた。イスラム教テロリストは、今や世界のテロ事件の100%に近い犯行率」(日本まほろば支援局)という。

テロによる死傷者数が世界で5万人。それでも人口比では微々たるものだから「イスラム教徒は危険な狂信者、潜在的テロリスト、警戒せよ」とは書かない。なにしろ日本だけでも交通事故死傷者数は年間80万人。それでも「自動車は危険だ、乗らない、買わない、近づかない」と書く新聞はない。

世界でサメに襲われて死ぬ人は年間10人前後、500キログラムだ。人に殺されるサメは年に200万トンだ。サメを襲ってもニュースにはならないが、サメに襲われるとニュースになる。

パリ同時多発テロも「珍しい」からニュースになっているが、「イスラム教徒は危険な狂信者、潜在的テロリスト、警戒せよ」と叫ぶのはイスラム教に大いなる不信感をもっている小生ぐらいだ。マスコミはイスラム教徒一般を「信教の自由」の建前から叩けない。

キリスト教宣教師は侵略の尖兵だった。これは世界史的な事実である。日本、特に秀吉はそれを禁止したから植民地化を免れたとも言える。秀吉はキリスト教の危険な芽を発見したからだ。猛烈に反発し、スペインによるキリスト教の支那信徒による日本侵略の野望を潰すために大陸に押し出した。

小生はイスラム教に「危険な芽」を見る。信徒は狂信者、テロリストに豹変する。彼らは「腐敗した異教徒、他宗派」を殺すことが正義だと思っている。正義と思えばどんな残虐なことでも平気でするのが人間である。これは人間がすべからく持っているサガだが、イスラム教徒はその濃度が極端に濃いようだ。未だに石打やら公開処刑を行っている。

パリのテロはイスラム教テロリストによる「公開処刑」だ。危険の芽を摘むためにイスラム教徒を大いに監視、警戒すべきだ。人権か人命か。テロは最大の人権無視、人命否定だ。イスラム教徒の人権云々をしていたら、国中にテロが蔓延する。情けが仇となる。

敵性人を正しく憎悪し、敵意・反感・警戒心を持ち、しっかりと備える。殺されたくないのなら、そうするしかない。駆除、追放できないのならそれしかない。移民受け入れの代償は実に大きい。

夜は8人で鉄板焼きを楽しむ。この幸福を守るためには「敵性人を正しく憎悪し、敵意・反感・警戒心を持ち、しっかりと備える」。それ以外に方策はない。欧州のアホ、リベラルはイスラム過激派と抱き合って心中するのだろう。バカにつける薬はない。

■11月16日(月)、朝は室温13度、今季最低、快晴、ハーフ散歩。

英語ができれば上級国民、日本語オンリーは下級国民? 小生は中級国民か。

<環太平洋連携協定(TPP)の合意全文が5日に公表されたことを受け、米国の消費者団体や労働組合は合意内容に批判的な見解を示した。一方で、政界からは今のところ目立った反応は見られない。

政界の反応は控えめだが、これは合意全文が1000ページ超に及ぶためとみられる。下院の新議長に就任した共和党のポール・ライアン氏はTPPへの判断を留保。「読んでさえいない貿易協定について自身の立場を答えることはできない」と述べた>(ロイター11/6)

米国人でも英文1000ページには辟易している。ましてや日本人なら「英語に通じた経済、法律のプロ」以外はまず読まない、というか読めない。素人は関心ある分野の概要、キモを知れば十分だ。 

第一、憲法さえ全文を読んだ日本国民はごく少数だ。民法、刑法なども関係者以外は読まない。世界はそんなものだろう。

世の中には知っておくべきこと、知っておいた方がいいこと、知らなくてもいいことがある。それぞれの人が「何が大事か」を取捨選択する。

昨日「イスラム教徒は危険な狂信者、潜在的テロリスト、警戒せよ」と叫ぶのはイスラム教に大いなる不信感をもっている小生ぐらいだ、と書いたが、ドイツのロルちゃんもそう思っている。氏のブログ11/14から。

<フランスの事件を起こしたのは、言うまでもなくイスラム教徒のテロリストだ。中に何人かが「アラーウアクバール」(神様は偉大)と叫びながら乱射を始めた。キリスト教徒、ユダヤ教徒、仏教徒はやらないに決まっている。というか、キリスト教徒、ユダヤ教徒、仏教徒はここ数十年の歴史でどんな所でどんな事件を起こしたっけ? 僕の記憶にはないね。いつもあいつらだ。

だから、先ず第一に、日本の皆さまよ! 自分の人生を愛しているなら、イスラム教徒を1ミリも信用しない方がいい。小さい子連れのお母さんは当分いいかもしれないが、お母さんではない女性の場合すら注意が必要! 子供も近い将来テロリストになる可能性あり。

アラビア諸国では12〜13歳の男の子達は自爆テロに巻き込まれるし、例えば「イスラム国」ではもっともっと若い男の子達は武器を手に持たされて、戦うように強制されている。

14年前のアメリカの同時多発テロ事件の犯人達はみんないわゆる「スリーパー」だった。一切特別に目立たずに、普通の住民の様に、西洋の社会の一部となっていた。仕事して、大学に通って、現地の女の子と付き合いすらあり、極普通の生活を送っていた。

だけど、ある日、どうやら「目が覚める」ように命じられて、長年の訓練まで受け始めた。そして、自分がやっている事は最悪の虐殺に至る事を知りながら、長い準備を掛けて、一所懸命最終的な目的を狙い、成功させた・・・。

もう一度強調させてもらおう。彼らは西洋で普通の人間と同じ様に仕事をしていた。虐められた事でもなく、お金にも困っていた訳でもない。それなのに、突然スイッチが入って、「狂っちゃった」とは言いたいけど、狂っちゃったのではない。

狂っちゃった人は部分的に許されるが、彼らは全てを何よりも意識的にやっていた、つまり彼らが犯した事件は衝動的な行動ではなく、完璧な計画的大量虐殺だった!>(以上)

「イスラム教徒は潜在的テロリスト」「中共とロシアは潜在的侵略者」
「欧米にはリベラル=現実を直視しないパープリンが多い」「マスコミのほとんどは容共左派の反日屋=中共の走狗」くらいのことは“日本人の常識”として知っておいた方がいい、犬死したくないのなら。(2015/11/16)

      

◆ヴェルサイユ便り @

寺田 輝介  (安保政策研究会 常務理事)
 


本年も6月下旬より8月下旬まで夏休みをフランス・ヴェルサイユ市で過ごすことになった。


7月まではそれなりに賑わっていた街も8月に入ると、多くの店舗がシャッターを降ろし、人通りも少なくなる。本格的なバカンス・シーズンの到来である。フランス政府閣僚も二週間の休暇をとる。わが家のアパートの近くにあり、重宝にしていたパン屋も20日間のバカンス休業に入った。


8月特に目に付くのがヴェルサイユ宮殿に観光客を運ぶ観光バスの急増である。バスの窓越しから見える顔付きは最近とみに東洋系が多くなっていることに気が付く。観光バスの往来を除けば、8月のヴェルサイユ市は休眠状態に入ったようである。


昨年の夏は、悪化の一路を辿ったウクライナ情勢が欧州国民にとり最大の関心事であったが、今年の夏は、殆んど話題になることもなかった。代わってギリシャ債務危機問題が欧州国民に深い懸念を与える重要案件として浮上してきた。


当地ヴェルサイユで観測していた筆者にとっては、ギリシャ債務危機をめぐるEUの動きは、欧州を舞台とする一大ギリシャ・ドラマの展開のように見えた。


以下「ヴェルサイユ便り」をお届けする。


〜EUに対するギリシャ政府の反撥〜 


筆者がフランスに着いた時(6月下旬)、現地メディアは次の通り報じていた。


EUに第三次金融支援を求める急進左派チプラス政権とEUとの交渉は当初より難航を極めている。ギリシャ政府は過去2度にわたって、EUの緊急財政支援を受けてきたが、受け入れ条件として欧州中央銀行、欧州委員会、国際通貨基金(「トロイカ」)の監督の下での緊縮財政措置の実施(付加価値税の増税、年金の削減等)を飲まされてきた。


経済の回復は遅々として進まず、経済環境は悪化するばかりであり、ギリシャ国民のトロイカ主導の緊縮財政政策に対する不満は爆発寸前であった。


この様な背景の中で、本年1月総選挙が実施された。反緊縮を掲げる野党の急進左派連合(シリザ)が勝利を納めたのは当然の成り行きであった。かくして急進左派のチプラス政権が誕生した。


チプラス政権がEUに対し激しく抵抗したことは総選挙の経緯から見れば自明の理である。対EU交渉の先頭に立ったのがチプラス政権にあって最強硬路線を主導するバルファキス財務相であった。


当時フランスのメデイアが連日徹底抗戦を試みる同財務相をセンセーショナルに報じていたことが筆者にとり印象的であった。


〜チプラス首相の反撃ドラマ〜 

 
ギリシャ政府は徹頭徹尾EUに抵抗していたが、ギリシャのIMFに対する借款返済期限が6月30日と迫りつつあり、加えてギリシャの財政危機が深刻化しているのを見て、欧州のメディアはギリシャ政府の抵抗も結局のところ軟化するのではないかと観測していた。


しかしチプラス首相は6月26日、予想外の行動に打って出る。7月5日に国民投票を実施し、ギリシャ支援の前提となる財政緊縮・行政改革実施の是非を国民に問うと発表したのである。


当然EU側は反撥、ギリシャとの交渉打ち切りを決定する。チプラス首相の突然の発表は、シヨック・ウェーブとなって、EU諸国を揺さぶり、メディアも興奮ぎみに大きく報ずるところとなった。メディアの関心は、「ギリシャはEUを離脱するのではないか」との点に集中した。


フランスの「ル・モンド」紙にいたっては、7月5日―6日付で「欧州の未来はアテネにかかっている」との見出しの下に一面トップ記事を掲載すると共に、16頁に及ぶ「ギリシャ問題」の大型特集を発行するほどであった。


7月5日の国民投票で、61.31%が「緊縮NO」を投じたことは、1月の総選挙結果から見れば予想通りのところであったが、興味深い点は、国民投票実施前の世論調査(6月28日ギリシャ「トビーマ」紙が実施)で67.8%がEU圏残留を表明したのに止まらず、国民投票後でも70%の残留支持があったことである(7月10付「ル・モンド」紙)。


5日の国民投票の結果が判明するや否や、チプラス首相は、EUに対し外交的ゼスチャーを示すべく、反緊縮の旗の下に極めて攻撃的であり、EUの交渉相手に嫌悪されてきたバルファキス財務相を即日解任し、EUとの交渉再開を求める方針を内外に鮮明にした。(続く)
              
(元韓国駐在大使・元メキシコ駐在大使)

2015年11月16日

◆日本国憲法は、早期に廃棄すべきだ

池田 元彦

 
日本は、世界に冠たる民主主義国家だ。しかも古代から連綿と続いている。戦後アメリカから初めて民主主義が導入された等と言うのは、GHQの戯言による自虐史観に過ぎない。

神代においても、政は基本的に神々の合議で決め、伊弉諾・伊弉冉も天照・素戔嗚も対等だ。

人代に降っても、和を以て貴しとなす聖徳太子17条憲法は世界初の平和憲法だ。米国憲法を世界初の成文憲法とする向きもあるが、そもそも憲法は英語でConstitution、本来は国の根本規範を指し、国体と同義なのだから17条憲法は堂々たる世界初の憲法なのだ。

世界190国余の多くにも憲法がある。先の大戦では、確かに総理大臣規定がなく天皇統帥権により、軍部にその弱点を逆用されたものの、大日本帝国憲法は、今でも21世紀に冠たる尊敬に値する憲法であることは変わりない。この2か所を訂正すればいいだけの話だ。

戦中・戦後、米国及びGHQは、戦時国際法である1899年採択のハーグ陸戦規定を明白に逸脱、違反して、日本を敗戦に導いただけでなく、東京裁判と言う茶番と事後法で、7名を絞殺した。加えて戦争を善と悪の戦いとして、勝者は善、敗者は悪とする価値観を齎した。

戦略的に大東亜戦争を欲したのは米国とFDRである。日本は追い詰められ窮鼠猫を噛んだに等しい。支那事変を契機としてFDRはフライングタイガー義勇戦闘飛行隊を承認する等、未だ中立の立場に拘らず事実上日本に対して各種の攻撃を準備し、蒋介石を支援した。

ABCD日本包囲網と段階を追う経済制裁は、大東亜米戦争以前1930年代から着々と順次進めた。結果日本は真珠湾を攻撃し、日本全国への空襲、原爆2発で終焉を迎えた。

占領後は、戦前戦中の日本の書物7千冊以上の焚書、日本の伝統・武芸・日の丸掲揚を禁止し、サイクロンを東京湾に沈めた。戦地で日本軍が残虐の限りを尽くしたとの新聞報道、ラジオ放送で国民を誑かし、日本国憲法を押付け、計画的に自虐史観を植え付けた。

太平洋諸島での戦闘では、投降した日本兵を虐殺後、金歯を抜き、時計を剥奪したのは第23条3「兵器を捨てた自衛手段を持たない投降者を殺傷」するなに該当する違反行為だ。

無辜の老若男女無差別に焼夷弾で空襲殺害し、ウランとプルトニウムの2種の原爆投下は、第25条の明らかな違反だ。素人に即席で作成させた稚拙な日本語訳「日本国憲法」の押付けは第43条「・・占領者は、占領地の現行法律を尊重すべき」に対する重大違反だ。

仮令その内容が優れていようと、占領者の悪意が盛込まれた憲法を、未だ以て護持主張するのは反日日本人だけだ。天皇を元首とせず、日本文化伝統の破壊、戦力を保持せず善良な周辺国にその平和と存立を委ねる等との戯言書く憲法等、唾棄すべき以外の何物でもない。

加えて公共の概念、義務を忘れた人権条項のオンパレードだ。こんな憲法の下では対外的には自虐で負目の外交展開、国内的には公共意識薄弱化、誇りの無いバラマキ依存の輩の増殖、長期的な日本精神崩壊が待っているだけだ。現行憲法は早期に廃棄する以外救いはない。

日本は侵略を何とも思わないPRC及び核兵器を持つ中朝米ロに囲まれている。武力なしで幾ら平和々々と叫んでも蟷螂の斧に過ぎない。武力を最後の切札とする徹底的な外交交渉が世界の常識だ。平和を愛するからこそ、有効な反撃力を認める平和憲法が必要なのだ。 


     

◆朝日新聞、マスコミ界の北朝鮮

伊勢 雅臣



〜 永栄潔『ブンヤ暮らし三十六年』から

 真っ当な報道記者は、こうして排除されていく。



■1.『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』

朝日新聞や『週刊朝日』などで36年の「ブンヤ暮らし」を務めた永栄潔(ながえ・きよし)氏が、その内幕を描いた『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』が話題を呼んでいる。Amazonでは20件ものカスタマーレビューが寄せられ、うち星5つが16件、星4つが2件という高評価だ。

弊紙でもこれまで登場いただいた朝日新聞記者の素顔が描かれていて、なるほど、こういう人物が、こんな風に朝日の中をかき乱し支配していったのだな、と納得できる場面が多かった。

本稿では、そのうちの印象的な場面をいくつかご紹介しよう。弊誌では朝日が行ってきた偏向報道を何度も論じてきた[a]が、それがどんな風に生み出されてきたのか、がよく判るだろう。


■2.本田雅和記者の豪腕

最初に登場いただくのが本田雅和記者。日本軍が中国で「百人斬り競争」をしたとでっちあげて、山本七平氏から「論理的にありえない話」と論破された本多勝一記者[b]、沖縄のサンゴ礁を自分で傷つけた上で環境破壊を戒める記事をでっちあげた本田嘉郎記者と並んで、「朝日の3ホンダ」と並び称される一人である。

本田記者は、「従軍慰安婦」問題が昭和天皇の責任であったと追求する市民団体による「女性国際戦犯法廷」(平成12 (2000)年)を準備段階から支援し、積極的に報道するのみならず、主催団体と一緒に北朝鮮にまで渡航して、協力を求めている。

その4年の後、北朝鮮が送ってきた横田めぐみさんの「遺骨」が偽物と鑑定され、「北朝鮮を制裁すべし」との世論が高まっていた最中に、その中心であった安倍晋三・経産相(現首相)と中川昭・経産相(故人)がNHKの「女性国際戦犯法廷」に関する番組に「圧力をかけた」と、本田記者は朝日の第一面で糾弾した。

 しかし、中川氏がNHK幹部と会ったのは番組放映の後なのに「放映前」と書き、幹部が安倍氏には予算説明に行ったのに「安倍氏が呼びつけた」とした。安倍・中川両氏から「事実無根」と訂正・謝罪を求められ、NHKからも公開質問状が寄せられたというなんとも強引な捏造報道をする人物であった。[c]


■3.「崩御」か「死去」か

 永栄氏は、その本田記者と大激論をしたそうだ。昭和天皇が病床にあった昭和63(1988)年暮れ、二人は『週刊朝日』編集部に属していた。ある日、緊急部会が開かれ、天皇が亡くなられた時の言葉遣いをどうすべきかが諮られた。編集局、出版局ごとに意見をまとめて、全社で統一することになったからだ。

 本田氏がさっそく手を挙げて、こう言った。

ぼくは、『死去』がいいと思います。『崩御』は絶対に反対です。『崩御』という時代錯誤の用語を使うことは、天皇制を認めることになる。ただ、そんな用語のことより、ぼくは、われわれがいま取り組むべきは天皇の戦争責任を追及することだと思います。

新聞は一度も天皇責任に正面から切り込まない。新聞がやらないのであれば、『週間朝日』でやるべきです。そのことを議論しませんか。[1,p49]


他の人からは「ご逝去ではどうか」という案が出て、編集長から意見を求められた永栄氏は、こう語った。


崩御が特別な用語だというのはその通りだろうが、崩御を使うことは天皇制を認めることになるという理屈が分からない。天皇は憲法に「国民統合の象徴」とあり、天皇は憲法上も特別の存在であるわけだ。・・・

天皇や皇后が亡くなったことをいう崩御という言葉があるのに、ご逝去にするというのは、「朝日は天皇の敬意を払うつもりはない」という意思表示と受け止められないか。そのことも考えておくべきだ。ただ、近代日本の苦闘と天皇への共感共苦が底にあるなら、「死去」でも構わない。[1,p49]

本田氏は、永栄氏の発言中も「おかしいですよ」「議論が逆立ちしているよ」と何度も挙手した。発言が終わると真っ向から反論し、いつしか二人の論争が延々と続いて周囲はうんざりしたという。


■4.「噫(ああ)軍神乃木大将」

最後に、編集長が「それでは『ご逝去』ということにしましょう」と締めくくった。どこの部も「ご逝去」で上層部に提案したということだったが、実際に昭和天皇の崩御を伝える号外、新聞見出し、『週刊朝日』とも、すべて「崩御」で統一されていた。どうしてそうしたかの説明は、編集長クラスにもなかったという。

 永栄氏は「乃木大将夫妻の自刃[d]を知った夜の朝日社内が思い出されておかしかった」という。


明治天皇の大葬で猫の手も借りたい編集室に乃木希典・静子夫妻自決のニュースが飛び込む。「この忙しいときに馬鹿が」「記事のないときに死んでくれりやあいいのに」などと罵声が飛びかい、見出しをどうするかが問題になる。「心中だな」 「共同自殺や」。その場にいた生方敏郎の『明治大正見聞史』 (中公文庫) に出てくる挿話だ。

挿話はこう続く。主筆が隣室から出てきて、「このさい慎んだらどうです。聞き苦しい」と言う。そこへ社長が出社する。「乃木が死んだってのう。馬鹿な奴だなあ」。「社長万歳!」 の歓声が一斉に起こる。にもかかわらず、翌朝の新聞が「噫(ああ)軍神乃木大将」と、誠忠無二の人の殉死を悼む記事で埋まっているのを見、生方は唖然とする。そんな話だっ
た。[1,p50]


朝日社内には北朝鮮のような強力な社内統制があるようだ。


■5.「クビにしてやる」

その統制がどのように行われるのかを窺わせる逸話も、永栄氏は語っている。永栄氏が入社早々の頃、朝日は日本の報道機関で唯一、北京に特派員を置いていたが、その報道があまりにも他紙と違うので、戸惑ったという。

当時、文化大革命が進む中で、それを伝えた日本の各社北京特派員は次々と追放され、朝日の秋岡特派員のみが北京に残っていて、差し障りのない報道だけをしていた。[e]

それに対する批判が高まると、当時の広岡知男社長・主筆が、「相手の厭がることを取材したり書いたりする必要はない」という趣旨を朝日の第一面に書いていたのに永栄氏は驚き、「私たちは日々、相手の嫌がることを取材している。こういうことをお書きになるなら、社長をお辞めになるべきだ」と社長に手紙を出したが、咎められることもなかった。

永栄氏の剛直さは見上げたものだが、社長としては一介の新人社員の手紙など無視しておけば済むと思ったのではないか。ところが、社論に背く報道がなされると、対応が違ってくる。

『週刊朝日』が昭和46(1971)年12月10日号で、「林彪のナゾを負う ----ここ3 ヶ月の中国首脳25人の動静全調査」という特集を組んだ。 林彪副主席の動静が同年10 月1日を最後に報道されなくなり、側近たち の名はそれ以前から公式報道から消えている事実を調べて、林彪の周辺で 何かが起きているのではないか、と書いた。

突然、姿を消した林彪の行方を追って世界のマスコミがさまざまな分析をするなかで、中国現地紙から林彪一派の動静を調べて、異変が生じている可能性がある、と書いたのは、報道機関としてごく真っ当な取り組みだった。

ところが、編集長の工藤宜(よろし)氏自宅に、まだ夜も明けきらないうちに、外報畑の元香港特派員が電話してきて「クビにしてやる」と言ったそうだ。朝日では一介の記者でも、主流派に身をおけば編集長クラスに対してこういう口の利き方ができるようだ。

実際に工藤編集長はその後、数週間で解任されたそうだ。「相手の嫌がることを書いたりする必要はない」と言っていた社長のもとでは、中国の「嫌がることを書いた」工藤編集長を飛ばすのは簡単なことだったのだろう。こうして真っ当なジャーナリストは左遷され、社論に忠実な似非ジャーナリストが出世していく。[1,p277]


■6.「こんなもの、載せられるか!」

社論に沿わない記事がいかに排除されるか、永栄氏はご自分の経験も書いている。

1980年代前半、永栄氏が大蔵省を担当した時は、消費税論議の真っ最中だった。消費税導入を説く経済学者や経済研究機関のレポートが相次いで発表されており、永栄氏はそれらの提言を短い記事にまとめた。

その晩、君和田正夫デスク(のち編集担当専務、テレビ朝日社長)に、「うちは消費税反対なんで、ボツにしたぜ」と言われた。社論に合わない見解は、消費税のような国民的論議が必要な事柄でも載せないと知り、やはりそうなのか、と思った。・・・

「おかしいですね」と言おうかと一瞬思ったが、不肖に言う必要のないボツを告げる君和田さんの済まなそうな表情に接し、「わざわざどうも」と不肖は答えた。[1,p191]


2003(平成15)年3月、アメリカがイギリスなどの有志連合とともに、 イラクを空爆したおり、朝日の社説は「空爆已(や)むなし」だった。朝日の従来の論調からは理解しがたい社論で、どういう事情でこうなったかは判らないが、当然、朝日の読者には「戦争は避けるべきだ」と考える人も少なくなく、そんな意見が読者から「声」欄に寄せられ、採用された。

「声」欄は、不肖が当時属していたオピニオン編集部の管轄だった。「声」欄のゲラを読んだその日の当番局次長がオピニオン編集部に怒鳴り込んできたらしい。局次長は「こんなもの、載せられるか!」と怒り、ただちに差し替えられたという。

不肖はその場に居合わせなかったが、出先から戻って騒ぎを聞き、「読者の意見なのだから、このまま載せると突っぱねればよかった」と言った。入社同期の同僚が「いや、社長も論説も、上が全部、駄目だと言ったらしいんだ」と声を潜めた。[1,p192]

この時は、永栄氏の同僚はみな空爆に反対で、一人の若い女性記者などは「空爆已むなし」の社説に抗議して、会社を去ったという。こうして、その時々の社論に盲従する人ばかりが朝日に残り、出世することになる。


■7.「どんな些細なことでも、自分の目で見、耳で聞く」

永栄氏が富山支局の新米記者になって、最初に担当したのは警察担当だった。ある日の未明、車が交差点脇の電信柱にぶつかり、折れた電信柱が民家の屋根に倒れかかったという事故が警察の当直簿に記録されていて、それを300 字ほどの原稿にしてデスクに提出した。

デスクは「朝早うから、ご苦労さんやったな。ところで交差点だけどな、四差路かいな、三差路かいな」と聞いた。「四差路だと思いますけど、もう一度、調べてきます」と答えると、デスク曰く「調べてくる? 現場に行ったんと違うかいな。それからな、『思います』はあかん。あんたがどう思おうが、四差路は四差路やし、三差路は三差路や」。

交通課に聞いて戻ると、「電信柱はどのへんで折れたんかいな」「屋根瓦のほかに被害ないやろな」「前にも同じような被害に遭ったということはないやろな」と聞かれ、そのたびに交通課に聞きに行って、職員一同に大笑いされた。

それらを書き込むと、最初の原稿の3倍くらいになったが、デスクが修正した原稿には、追加情報は何も残っていなかった。

要するに、不肖への訓練だったのだ。どんな些細なことでも、自分の目で見、耳で聞くことの大事さを教えようとしたのだろう。悪戦苦闘だったが、視界がいっぺんに広くなった気がした。[1,p63]


■8.報道機関か、プロパガンダ機関か

こうした事実報道の基本を叩き込まれた事もあってか、永栄氏が特ダネをものにして社内表彰を受けたのも、大阪本社管区内では他の誰よりも多かったかも知れないという。しかし、先輩たちには、何度もこう言われた。「永ちゃんは書けるのに、ほんま、惜しいわ。ウチと方向が違うからなあ」

しかし、「方向が違う」というだけの問題ではない。林彪の行方を探求しようとると怒鳴り込んだり、数人切れば刃こぼれしてしまう日本刀で100人斬りをさせたり、と朝日の主流派は「特定の方向」ありきで、それに向けて事実を隠したり、捏造までしているのである。

朝日新聞社の中にも、永栄氏やそのデスクのように丹念に事実を調べる所から出発する本物の報道記者は少なくないはずだ。しかし、そういう真実の報道をしようとする人が「方向が違う」記事を書くと没にしたり、左遷してしまうのが朝日の体質のようだ。

自由民主社会においては、正確な事実を提供して、国民に向かうべき「方向」を考えさせるのが報道機関の役割だ。特定の「方向」に沿って事実を取捨選択したり、時には捏造したりするのはプロパガンダ(思想宣伝)機関である。

朝日新聞社は、自由民主主義社会に必要な報道機関と言うよりは、北朝鮮や中国にこそふさわしいプロパガンダ機関のようだ。

捏造・偏向報道は「従軍慰安婦」「原発」だけではない。捏造・偏向報道は国民を誤った方向に導く。国民一人ひとりがその実態と手口を学ぶことで、事実を見抜く力をつけましょう。週刊メール入門講座「国民欺く捏造報道」 http://bit.ly/1vSb8va


■リンク■

a. テーマ「朝日新聞」の記事
http://blog.jog-net.jp/theme/4f841679c7.html

b. JOG(028) 平気でうそをつく人々
戦前の「百人斬り競争」の虚報が戦後の「殺人ゲーム」として復活した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog028.html

c. JOG(401) 北風と朝日
ある朝日新聞記者が北朝鮮擁護のために でっちあげ記事を書いたという重大疑惑。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h17/jog401.html

d. JOG(802) 国史百景(5): 乃木大将の「みあとしたひて」
明治天皇に殉死した乃木大将は、その後も多くの人々の心の中に生き続けた。
http://blog.jog-net.jp/201306/article_3.html

e. JOG(042) 中国の友人
 中国代表部の意向が直接秋岡氏に伝わり、朝日新聞社がそれに従うという風潮が生まれていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog042.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 永栄潔『ブンヤ暮らし三十六年: 回想の朝日新聞』★★★、草思社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4794221185/japanontheg01-22/