2015年11月11日

◆依然残る人工島基地化の恐れ

櫻井よしこ

アシュトン・カーター米国防長官の警告から半年、オバマ大統領がようやく決断した。
 
カーター長官が、南シナ海で中国が築いた人工島を認めず、島の12カイリ内に米艦船と航空機を進入させる件についての検討を命じたと、米「ウォールストリート・ジャーナル」(WSJ)紙で報じられたのが今年5月13日だ。
 
イージス駆逐艦「ラッセン」が遅まきながら10月26日、スプラトリー諸島のスービ礁12カイリ内を航行したが、問題はこれから先どうなるかだ。米艦は数週間以上、「航行の自由作戦」を行うと発表された。で、米艦が去った後に、何が残るのか。
 
南シナ海の状況変化を占うのが、中国の反応の変化である。10月9日に、英「フィナンシャル・タイムズ」(FT)紙が米高官のリークとして、ホワイトハウスが12カイリ内への米艦派遣を決定したと報じた。すると中国外務省は、「いかなる国でも、南沙の中国の領海・領空の侵犯を絶対に許さない」と強硬に反対した。
 
4日後の13日に、今度はWSJが「12カイリ内進入の決定は(9月25日の)米中首脳会談の前に決定していた」と報じた。中国外務省は「島や岩礁での建設は民事上のニーズに奉仕するものだ。一部に軍事施設が含まれる」と発表した。「絶対に許さない」という発言から、明らかに後退した。
 
さらに4日後の17日、人民解放軍制服組トップ、范長龍中央軍事委員会副主席が「中国は軍事大国ではあるが、軽率に武力に訴えることはしない」
と語った。
 
オバマ大統領の意志が固いとみた中国が、米国との衝突回避へと素早くかじを切った。中国はいまはまだ米軍に勝利できない。勝てる見込みのない無益な衝突は「絶対に」避けるのが孫子の兵法である。現に、ラッセンを監視する中国艦は十分な距離を置いて追尾している。

中国が孫子の兵法を踏まえて賢く対応するとしたら、緊張を高める無謀な軍事行動には出ないであろう。
 
そのときに米国側にどんな反応が生ずるだろうか。ジョン・マケイン上院議員はオバマ大統領の決断を歓迎しながらも「遅過ぎた」との声明を発表し、今後、米国は南シナ海での活動を数週間、数カ月単位で継続し、米軍の日常作戦の一部にすべきだと主張した。
 
オバマ政権も「数週間」巡視活動を続けるという立場だ。だが、その先は保証されていない。米国の巡視活動の長短にかかわらず、明確なのは中国の人工島がそのまま残るということだ。
 
人工島をどうするのか。中国から召し上げて、もともとの領有権を主張するベトナム、フィリピンなどに戻すのか。島々の領有権問題には立ち入らない米国の方針からみて、それはあり得ない。南シナ海沿岸諸国には島々にしても中国から奪い返す力はない。つまり、中国が築いた島々は、米国が監視活動に疲れて視線をそらすとき、中国の強固な海洋基地になってしまいかねない。
 
少しずつ、切り取る。相手が怒れば1歩後退し、油断すれば2歩も3歩も出る。相手が反撃してこないとみれば一挙に攻める。こうして膨張し続けるのが中国だ。
 
その中国に米国は、南シナ海に展開しながらも、配慮を欠かさない。ベトナムなどが領有権を主張する島々の領海にも艦船を入れて、中国だけが標的ではないとの姿勢を示している。
 
中国は米国を打ち負かす十分な力を手に入れるまでは、膨大な額の投資や買い付けを実施して、注意深く、米国を手なずけようとするだろう。しかし、中国の覇権確立という最終目標は不変であろう。
 
眼前の現象は紛れもなく日本の未来を脅かす2つの陣営の戦いだ。国際秩序を守る勢力vs秩序の変更を追求する勢力、日米vs中露の戦いだ。その認識が日本にはあるだろうか。

『週刊ダイヤモンド』 2015年11月7日号新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1107

◆一人っ子政策」を止めることになった中国だが

宮崎 正弘 



<平成27年(2015)11月10日(火曜日)通算第4721号>   

〜では1300万人の「黒戸」はどうなるのか?〜


黒戸というのは、文字通り戸籍のない人間。存在しないゆえに法律上、いかなる権利も受けられない。

学校へ行けないばかりか、汽車にも飛行機にも乗れない。中国では鉄道キップを買うときにIDカードが必要だからである。

一人っ子政策の時代、二人目の子供を希望するとすれば、法外な罰金(都市部では700万円という相場もあった)、を支払えば二人目までは許された。

その罰金がこれからは要らなくなる。

農村ではとくに女性の黒戸が多いのも労働をさせるには男子が望まれ、男性が生まれるまでの赤ちゃんは戸籍の申請を役所にしなかった。もちろん、学校へ行けないから文字も書けない。

過去数年、一人っ子政策は幾分緩んできており、一人っ子同士の夫婦は二人まで許可された。少数民族は二人、あるいは極少数民族では三人まで、OKだった。このため、わざわざ漢族から満族へ民族戸籍も変えてしまうノウハウもあった。

問題は三つある。

第一は、これまで35年間の一人っ子政策で、実際に支払った罰金(年間80億ドルと推定される)は、いったい何処へ消えたのか?

第二は、ならば、これまでに生まれた「黒戸」の人々、およそ1300万人と推定されるが、これからの身分はどうなるのか、という大問題がひかえている。

すでに各地では戸籍復活の裁判も行われているが、原告の黒戸の人がIDカードがないため、裁判所にはいれないという皮肉な光景もみられる。

第三はさらに皮肉な現実である。

2人まで子供をうめることになったのに、現代中国の若者はこどもを造ろうとしない。そればかりか、結婚もしないという若者が激増しており、これは日本と変わらない社会問題となっているのである

結婚しない理由はもっと自分の人生を勝手に行きたい、こどもは煩わしいとするものが多く、現代の若者の見勝手な人生観を伺わせるに十分である。

       

2015年11月10日

◆ISの次の目標はバルカン半島」

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)11月9日(月曜日) 通算第4720号 >  

 
〜クロアチア情報当局、「ISの次の目標はバルカン半島」
  CIAも数百のIS活動家がボスニア、コソボへ潜入を確認〜


 ワシントンタイムズが伝えた(11月8日)。

シリアからの難民に紛れて、およそ数百のIS戦闘員が旧ユーゴスラビアのあちこちへ潜入し、すでにコソボ、ボスニア&ヘルツェゴビナに秘密の活動拠点を構築した可能性がある。すでにクロアチア当局も、何人かを特定していると、クロアチア情報局幹部の談話として伝えている。
 
クロアチアは8日に総選挙を迎えており、旧共産党系のSDPが、与党CDUを猛追しているが、キリスト教徒が90 %、イスラムは人口の2%しかいない宗教事情があり、当面はイスラム系の多いアルバニア、ボスニアが目標であろう、としている。

クロアチアは旧ユーゴスラビア分裂のおり、一番はやくに西側に近づき、いまではNATOの一員でもある。

ついでに言えばコソボ、モンテネグロ、アルバニアも、その後は一転して親西側である。

しかしボスニアはセルビアとの内戦によって独立したが、NATOの空爆で各地に被害が及び、ようやく経済発展の再会が見られてきた現状にあってイスラムが浸透し、再び戦乱の巷になることを極度に警戒しはじめた。

内戦が終わり、バルカン半島にいたイスラム過激派は、そのご、シリアへ向かいISの戦闘員として闘ってきた。

彼らはもともとはアルカィーダ系であり、昨今のヨーロッパへの夥しい難民の列に紛れて古巣へ戻った兵士が目立つという。

◆古舘伊知郎さん!

〜それって悪辣なトリックですよ〜 
八幡 和郎



視聴者から「偏向報道」の指摘をどれだけ受けても、全く聞く耳を持たなかった「報道ステーション」ですが、最近、少しだけ“アリバイ作り”を始めているような気がします。テレビ朝日の上層部としても、「偏向」とは認めたくないものの、「これ以上、悪乗りしない方がいい」くらいの判断は働いたのではないでしょうか。とはいえ、古舘伊知郎さん、根本は何も変わっていませんよ。

          ◇

左寄りのジャーナリズムは自分たちをリベラルと称したがる。しかし、それは世界的な常識から著しく外れている。

リベラルは英国の政治用語で、保守と社会主義に対する概念だ。保守が伝統的なキリスト教道徳や自国利益に固執するのに対し、市民的自由や市場経済などを主張し、社会主義が台頭するとそれとも対立した。

一方、大陸では右派・左派という分類を好むが、日本の公明党に似たキリスト教民主主義などとともに中道派の一形態としてリベラルが存在する。

また、最近では左派の中でブレア元首相ら市場メカニズム重視の人々をソーシャル・リベラリストと呼んでいる。一方、アメリカでは、社会主義には反対だが人権や格差是正も重視すべきだとする民主党左派をリベラルという。

日本では、自民党内でも池田勇人や三木武夫の流れをくむ人をリベラルということがあり、これは欧米での使い方に近いし、現在の民主党の穏健派も同じ範疇(はんちゅう)に入る。

公明党は政策的にはリベラルと共通するが、宗教系政党はリベラルとは言わないのが伝統的な用語法だ。

■極左がリベラル?

ところが、日本ではむしろ、極左がリベラルを名乗るから困る。日本の自称リベラルは、極端な環境規制、高い税負担拒否と福祉充実、自国の歴史の否定と中韓などの国粋主義への迎合、日米の防衛力整備への反対と周辺国の軍国主義化への無警戒、イスラム過激派へのエールなど思想的には支離滅裂である。

どうも、自民党政権とかアメリカといった嫌いなものが先にあって、それが嫌がることはなんでも応援するという発想と、どういう国をつくるかへの無定見とが際立ち、非常にユニークな「極左」だ。

一方、極右とは、極端な国粋主義、特定の宗教思想の押しつけ、言論の自由への強い規制、経済統制などが特色だ。安倍首相まで極右扱いする自称リベラルがいるが、日米安保堅持、TPP推進がどうして極右なのか理解できない。外国軍隊の駐留や経済共同体の形成というのは極右が最も嫌う政策であって、それを支持する安倍首相は普通の保守派だ。

逆に「報道ステーション」にリベラル保守とか自称する学者が出て、「グローバリゼーションは国家主権の目減りで民主主義と相性が悪い」とか言い、古舘氏がしきりに頷(うなず)いていたが、これはヨーロッパでは典型的な極左ないし極右の主張だ。

そこで、気がつくのは、東京の地上波テレビ局では、政府より右寄りの言論はほとんど封じられていることだ。安保法制と不可分の関係にあった戦後70年談話が論じられているとき、「報道ステーション」に出演した朝日新聞の記者が「誰もが納得できる戦後談話を」と言ったので驚いた。

この記者にとっての「みんな」には、国内の保守派も海外の親日派も入らないようだった。自民党議員や支持者には保守派も多いが、現実に自民党政権の取ってきた政策は、野党への配慮や連立与党である公明党の意向を反映して中道左派的でリベラルなものだ。

■「正義」を誘導

保守派には当然、不満があるはずだが、そういう意見の持ち主はほとんどテレビ出演の機会も与えられない。テレビで紹介されるのは、政府の政策とそれに対する左からの批判だけなのだ。

個別のテレビ番組が左派的な傾向で構成されていても構わないと思う。大事なことは、さまざまな意見ができる限り広く紹介されることだ。そして、テレビ局の場合は、放送法で中立性が要求されているのだから、個々の局全体としてバランスが取れていないとすれば法の趣旨にも反する。

また、古舘氏が批判を浴びるのも当然だと思うのは、極端な意見に相づちを打ってほかに正義はありえないと言わんばかりの誘導をすることが多いことだ。それは、かなりトリックに近いもので、テレビショッピングの番組の中で悪辣(あくらつ)なものとしてよく使われる手法に非常に似ている。

          ◇

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          ◇

【プロフィル】八幡和郎 やわた・かずを 徳島文理大教授、評論家。昭和26年、滋賀県生まれ。東大法学部卒。通産省に入省し、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任。退官後は作家、評論家として新聞やテレビで活躍。著書に『誤解だらけの平和国家・日本』(イースト新書)、『政界名門一族の査定表』(宝島社)など。

産経ニュース【iRONNA発】015.11.2
                   (採録:松本市久保田 康文)

◆続:軽減税率は愚策駄作

平井 修一



11/6に「軽減税率は愚策駄作、愚の骨頂」を載せたら以下のコメントを頂いた。

<新聞、書籍に消費税10%を適用するなどという世界の常識に反することがあってはなりません。OECD加盟国34カ国のうち、ほとんどが新聞や書籍に軽減税率を適用しています。

イギリス、ベルギー、デンマーク、ノルウェーにいたっては新聞をゼロ税率、つまり「知識課税はしない」という考えを貫いているのです。

フランスの標準税率は19.6%ですが、新聞の税率は2.1%です。イタリアは標準税率21%に対して4%、ドイツは19%に対して7%。それぞれ率は違うものの、2割近い付加価値税率の国でも1桁の軽減税率を実施しています。

公明党は今回きわめて国際的な常識を提案しており、これに反対するネット住民の無知さ加減が際立っています。お前らが無断でコピペする記事は新聞社がタダで提供してるんじゃないっつうんだよ。

書店ゼロの自治体もでてきました。軽減税率を適用しないと町の本屋も新聞販売店ももっとつぶれます。ネットで十分というのはあまりに乱暴です>(以上)

企業が潰れるのは税金のせいではなく、競争に敗けたり時代の要請に応えられなかっただけではないかと思うが・・・

まあ、軽減税率は賛否両論いろいろあるが、全商連(消費税8%に反対、5%に戻せという日共系らしい)の全国商工新聞(2014年12月8日)「まやかしの低所得者対策 軽減税率の狙いと問題点 元静岡大学教授/税理士・湖東京至さんに聞く」から。

――軽減税率は低所得者に効果はあるのでしょうか

低所得者対策というのはまやかしです。飲食料品などの軽減税率は低所得者にも高額所得者に適用されます。可処分所得が少なく毎日の生活費に事欠くような低所得者の購入する飲食料品より、高額所得者の購入する飲食料品等が多く、その効果は逆進的に進みます。

結局、軽減税率は高額所得者をますます潤わせるだけで、低所得者対策にはなりません。

*本当の狙いは何か? 企業への隠れた補助金

――軽減税率の本当の狙いは何でしょうか

軽減税率は適用される企業に対する補助金としての役割を果たします。

日本新聞協会は「新聞や書籍は軽減税率にせよ」と迫っています。

例えば読売新聞は月極め朝夕セットで4037円です。この新聞が5%の軽減税率を適用された場合、納税義務者である大手新聞社の消費税適用税率は5%です。しかし紙代、インク代、輸送費、資材費、宣伝費など製造コストには10%が適用されます。そのため新聞代は3%分下がりません。

消費税の計算は、「売上高×5%-仕入高×10%=納税消費税額」となりますから、新聞社の消費税納税額は確実に軽くなります。これが隠れた補助金の正体です。消費税率が上がり、軽減税率との差が広がれば広がるほど企業への補助金が増えることになります。

すでに、軽減税率を導入しているドイツでもこの問題が注目されています。企業の補助金となる軽減税率は廃止しなければならないという論議が始まっています>(以上)

「企業への隠れた補助金」というのは的を射ているかもしれない。

EU加盟国で軽減税率導入国と非導入国の比率は、非導入国が増えたため半々だという。軽減税率はややこしすぎて、ファストフードなどで、店内で食べれば外食にあたるから20%、テイクアウトなら食料品だから10%などとなり、客はテイクアウトと言って購入し、店内で食べるというおかしなことも起きているそうだ。

「EU(欧州委員会の見解)」は、独立した経済シンクタンク(コペンハーゲン・エコノミクス)による調査結果。ポイントは以下のとおり。(内閣府の資料から)

1)純粋な経済学の見地からは、単一税率が最善の政策である。

2)しかしながら、注意深く対象を絞った軽減税率の実施には、一定の利点があるかもしれない。

3)所得再分配の見地からは、軽減税率は、適用対象となる財・サービスへの支出割合が、低所得者と高所得者の間で著しく異なり、長期間安定的である場合に限り、効果的である。

4)軽減税率は、事業者・税務当局の双方にとって、相当なコンプライアンスコストを生み出す。

5)特定の活動に対する直接的な補助など、他の政策手段の方が、軽減税率より少ないコストで同じ効果を生み出す。

6)特定の財・サービスの消費を促進したい場合には、軽減税率以外の全ての政策手段を慎重に検討すべき。(以上)

つまり軽減税率の評価は少しも固まっていないのだ。それなのにマスコミは「俺のところは軽減税率にしてくれ」と、賛成論ばかりしか記事にしない。

池田信夫氏の論考「軽減税率を求めるマスコミの“翼賛体制”」 (アゴラ11/6)から。

<軽減税率を求めているのは、新聞協会だけではない。出版業界も、日本書籍出版協会・日本雑誌協会・日本出版取次協会が、出版物への軽減税率の適用を求めている。これが経済学者が一致して反対しているのに「軽減税率批判の声が上がらない」原因だ。

同じようなことは、2006年に独禁法の新聞の特殊指定を解除するときも起こった。このときもすべての新聞・テレビが解除に反対し、それを批判したのはライブドアニュースと私のブログぐらいだった。その直後にライブドアに強制捜査が入った後は、新聞は一転してホリエモンを悪玉に仕立てた。

さらにその前例は戦時中だ。当時も新聞は検閲でやむなく大本営発表を垂れ流したのではなく、新聞を売るために一致して戦意昂揚記事を書いたのだ。今回も毎度おなじみの姜尚中氏や柳田邦男氏などの御用文化人が、「軽減税率で活字文化を守れ」と主張している。

しかし活字文化とは何だろうか。新聞協会は「ネット上の有料記事も軽減税率の対象にすべきだ」という。それなら当然、他のニュースサイトや雑誌サイトの有料記事も、私のブログマガジンも、軽減税率の対象になるわけだ。

要するに新聞や本だけが特権的な「活字文化」の担い手だった時代は、とっくに終わったのだ。「食品」か否かの定義も曖昧で、混乱の原因だ。EUのVATにもそういう批判が強く、ドイツでは軽減税率を廃止する方向だ。

そんな時代に、たった10%の税率を軽減しろという公明党のポピュリズムを新聞・雑誌が批判しないどころか、業界ぐるみの「翼賛体制」で応援している。日本のマスコミは戦後70年、何も進歩していないわけだ>(以上)

「軽減税率に反対するネット住民の無知さ加減が際立っています。お前らが無断でコピペする記事は新聞社がタダで提供してるんじゃないっつうんだよ」と言われても・・・無知でバカかもしれないが、小生らは新聞社に記事を書いてくださいなんて頼んだ覚えはない。彼らが勝手に商売で流しているだけだ。コピペが嫌ならブロックすればいい。違うか?(2015/11/9)



◆時代にかなった常識で

清湖口 敏



京都や奈良などの古寺巡りには今が最適の時期だろうか。堂塔や秘仏、寺宝の特別拝観といった思わぬ幸運に恵まれることもあり、古寺・古仏ファンにはたまらぬ魅力となっている。

これらファンの多くはきっと、煤(すす)けた時代の匂い、歴史の風雪を思わせる古色蒼然(そうぜん)とした雰囲気をこそ愛してやまないのに違いない。

■ピカピカの「古寺」

言うまでもなく古寺や古仏の中には、造られた当初は柱が朱色に塗られていたり、仏像に金箔(きんぱく)が施されていたりしたものも少なくないはずだ。当時の人々はピカピカの寺や仏像をごく当然のこととして崇(あが)めた。それなのに今仮に、大和の古寺の一角に艶やかな朱色の柱が突然現れでもしたら、古寺ファンはどれほど失望することだろう。

寺や仏像が文化財としても鑑賞される今と、それらがひとえに信仰の対象であった昔とでは、人々のものの感じ方や常識は大きく違っている。

松尾芭蕉の『野ざらし紀行』を若いときに読んで、私は芭蕉に怒りを覚えた。富士川のほとりにかかると、3歳ばかりの捨て子が哀れげに泣いている。芭蕉は、冷たい秋風の中でその子の命が今宵(こよい)散るか、あす萎(しお)れるかと思いながら、袂(たもと)の食べ物を与えて通りすぎる。

お前を捨てたのは、父や母がお前を憎み、疎(うと)んじたからではない、などと同情はしつつも、「汝(なんじ)が性(さが)のつたなきを泣け」と記した。天命ゆえ、お前の身の不運を嘆くほかはないのだ、と。何と薄情なんだ…。

が、よくよく考えてみると私とて、その時代にそのような場面に遭遇したら、さて何ができたろう。警察も病院も養護施設もあるわけでなく、芭蕉の行為は特に責められるものではなかった。そんな時代だった。
■わが子の命を盾に

『今昔物語』(巻29)に載る一話はもっと凄絶(せいぜつ)だ。子供を背負った若い女が山道で2人の男に乱暴されかかる。「腹具合が悪く、あそこで用を足したい。

逃げないから、待っていてほしい」と女が頼んでも許されない。「ではこの子を人質に」と言って信用させた女は、遠くに用足しに行くと見せかけ、子供を置いたまま逃げてしまう。

途中で出合った武士に事情を話し、武士が女の教える場所に馬を走らせてみると、そこには身を引き裂かれた子供が置き去りになっていた。

子供の命と引き換えに暴行から逃れた女は、現代の常識で測るなら冷酷極まりない母親ということになろう。ところが物語では、子を捨ててまで操を守ろうとしたことを武士が褒めているのである。

この頃、乳幼児は一人前の人間とはみなされなかったようで、時代が時代だったというほかない。

私たちはともすれば、今の常識をもって過去の出来事をも評価しがちだが、それは王朝時代に地動説を持ち込む愚にも似て、夜ごと別の女の元に通う平安貴族を現代の男女平等の常識から論じたところで、全く意味がないのと同じである。

明治期、軍備の強大化を急いだ日本は日清、日露の戦争へと突き進む。この日本の近代史に徴して、日本人は好戦的な民族だと決めつけた知識人もいる。いつの時代の常識でモノを言っているのだろうか。

「安政の不平等条約から、諸外国の圧迫、侮蔑のもとに、ハラワタの煮えくりかえるほど口惜しい思いをして来た代々の政治家たちのことまで考えなければ、あの2度の戦争のほんとうの意味はわからない」(杉森久英「明治の偉大」/筑摩選書『明治への視点』から)

■「69年前」を脱し得ず

今では「憲法9条を守れ」のラッパを勇ましく吹き鳴らしている朝日新聞でさえ、先の大戦前には競って軍歌を募集した。よく知られる「父よあなたは強かった」は朝日選定の歌である。今の常識ではとても考えられないが、当時の時流を踏まえた常識からは簡単に説明がつく。そんな時代だったのだと。

これとは逆に、古い常識で現在を測るのも愚かなことだ。隣国が砲艦やミサイルで日本を脅かしている現下の危機は、69年前の憲法制定時には誰もが想像し得なかった。無理もない。そんな時代だったのだから。

その69年前の、骨董(こっとう)じみた平和観を後生大事に守り、時代にそぐわなくなった9条から脱しきれない人の何と多いことか。

時代は大きく変わった。今昔物語の章句になぞらえて言うなら、69年前は
「今は昔」、今ではすっかり昔のことになったのである。                (せこぐち さとし・論説委員)
産経ニュース【日曜に書く】 2015.11.1
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2015年11月09日

◆日本国憲法は、早期に廃棄すべきだ

池田 元彦
 


日本は、世界に冠たる民主主義国家だ。しかも古代から連綿と続いている。戦後アメリカから初めて民主主義が導入された等と言うのは、GHQの戯言による自虐史観に過ぎない。

神代においても、政は基本的に神々の合議で決め、伊弉諾・伊弉冉も天照・素戔嗚も対等だ。

人代に降っても、和を以て貴しとなす聖徳太子17条憲法は世界初の平和憲法だ。米国憲法を世界初の成文憲法とする向きもあるが、そもそも憲法は英語でConstitution、本来は国の根本規範を指し、国体と同義なのだから17条憲法は堂々たる世界初の憲法なのだ。

世界190国余の多くにも憲法がある。先の大戦では、確かに総理大臣規定がなく天皇統帥権により、軍部にその弱点を逆用されたものの、大日本帝国憲法は、今でも21世紀に冠たる尊敬に値する憲法であることは変わりない。この2か所を訂正すればいいだけの話だ。

戦中・戦後、米国及びGHQは、戦時国際法である1899年採択のハーグ陸戦規定を明白に逸脱、違反して、日本を敗戦に導いただけでなく、東京裁判と言う茶番と事後法で、7名を絞殺した。加えて戦争を善と悪の戦いとして、勝者は善、敗者は悪とする価値観を齎した。

戦略的に大東亜戦争を欲したのは米国とFDRである。日本は追い詰められ窮鼠猫を噛んだに等しい。支那事変を契機としてFDRはフライングタイガー義勇戦闘飛行隊を承認する等、未だ中立の立場に拘らず事実上日本に対して各種の攻撃を準備し、蒋介石を支援した。

ABCD日本包囲網と段階を追う経済制裁は、大東亜米戦争以前1930年代から着々と順次進めた。結果日本は真珠湾を攻撃し、日本全国への空襲、原爆2発で終焉を迎えた。

占領後は、戦前戦中の日本の書物7000冊以上の焚書、日本の伝統・武芸・日の丸掲揚を禁止し、サイクロンを東京湾に沈めた。戦地で日本軍が残虐の限りを尽くしたとの新聞報道、ラジオ放送で国民を誑かし、日本国憲法を押付け、計画的に自虐史観を植え付けた。

太平洋諸島での戦闘では、投降した日本兵を虐殺後、金歯を抜き、時計を剥奪したのは第23条3「兵器を捨てた自衛手段を持たない投降者を殺傷」するなに該当する違反行為だ。

無辜の老若男女無差別に焼夷弾で空襲殺害し、ウランとプルトニウムの2種の原爆投下は、第25条の明らかな違反だ。素人に即席で作成させた稚拙な日本語訳「日本国憲法」の押付けは第43条「・・占領者は、占領地の現行法律を尊重すべき」に対する重大違反だ。

仮令その内容が優れていようと、占領者の悪意が盛込まれた憲法を、未だ以て護持主張するのは反日日本人だけだ。天皇を元首とせず、日本文化伝統の破壊、戦力を保持せず善良な周辺国にその平和と存立を委ねる等との戯言書く憲法等、唾棄すべき以外の何物でもない。

加えて公共の概念、義務を忘れた人権条項のオンパレードだ。こんな憲法の下では対外的には自虐で負目の外交展開、国内的には公共意識薄弱化、誇りの無いバラマキ依存の輩の増殖、長期的な日本精神崩壊が待っているだけだ。現行憲法は早期に廃棄する以外救いはない。

日本は侵略を何とも思わないPRC及び核兵器を持つ中朝米ロに囲まれている。武力なしで幾ら平和々々と叫んでも蟷螂の斧に過ぎない。武力を最後の切札とする徹底的な外交交渉が世界の常識だ。平和を愛するからこそ、有効な反撃力を認める平和憲法が必要なのだ。 

◆時に人生は短すぎる

別府 育郎



震災とボランティアとラグビーと

◆フランカー

フランカーの動きを追うのが好きだ。石塚武生や梶原宏之らのプレーに、心を揺さぶられた記憶も熱い。

W杯で3勝を挙げ、日本中を興奮させたわが代表には、疲れを知らず最初の突破役を務め続けたリーチ・マイケルがいた。

王者ニュージーランドには闘将の名が誰より似合うリッチー・マコウがおり、3位の南アフリカには少し薄くなった自慢のブロンドを振り乱して仲間を鼓舞するスカルク・バーガーの姿があった。

準優勝のオーストラリアには、スコット・ファーディーがいた。 彼の戦場は常に密集の近くにあり、198センチの長身を生かしてライン アウトでは空中戦も制した。

遅咲きの31歳で初のW杯。準決勝ではチーム最多の16タックルを決め、顔面を朱に染めて戦った彼のプレーをどう表現すればいいのだろう。飽くなき献身。折れない心。怪物の正面に立つ勇気。言葉がなかなか追いつかない。

◆釜石シーウェイブス

W杯決勝と同じ日、秩父宮ラグビー場ではトップイーストの釜石シーウェイブス(SW)が日野自動車を16−11で破った。クラブの最高顧 問で元明大主将の高橋善幸さんに、ファーディーの印象を聞いた。

「もちろんスキルは上がっているけど、基本は変わらない。まじめで密集の中心になれる選手でした。まだ若く、長身で、日本流の低いタックルを嫌がるところはありましたが。2019年の日本大会には豪州代表として帰ってきてほしい」

いまや誰より低く密集に突入し、顔面は傷だらけだ。出場機会を求めて来日した若きファーディーは09〜11年のシーズンを釜石SWでプレーし、12年に帰国、13年に豪州代表入りした。

11年3月11日、東日本大震災の津波は釜石市も襲い、2200人以上 が犠牲となった。新日鉄釜石の日本選手権7連覇にも貢献した往年の名フ ランカー、佐野正文さんも亡くなった。

高橋さんはあの日、濁流にロープを投げて流される人を引き上げ、月夜に浮かぶ一切の灯がない町を見た。高台で難を逃れたファーディーは町に降り、川のようになった道を流れる車の数々を見た。

 ボランティアとしての日々が始まった。ファーディーら選手は怪力を生かし、施設の老人らを車いすごと持ち上げて搬送した。東京から、豪州の大使館員が車で救出にやってきた。帰国の説得を拒むファーディーに携帯電話が渡された。豪州の母親の声が聞こえた。

「ここに仲間がいるから。帰ったら、きっと後悔する」。逆に母親を説き伏せ、元ニュージーランド代表のピタ・アラティニらとともに釜石に残った。

やがて町の人々から、声がかかるようになった。「ボランティアもいいけど、SWにはラグビーで元気づけてほしい」。市民の後押しを得て、クラブは活動を再開した。

 ◆ラグビーの本質

震災の年、釜石で聞いた女性の言葉が忘れられない。「ラグビーって素晴らしいじゃない。皆で前へ進むんだもの」。女性は津波で妹と住居と店をなくし、悲嘆に暮れていた。ラグビーの応援で震災後初めて大きな声を出すことができたという。「行けえ!」。叫び声の先に、ファーディーもいた。

ファーディーはW杯中、外国通信社から震災について聞かれ「人生を変えた瞬間」と答え、天災に命や生活を奪われる人々を見て「ライフ イズ トゥー ショート」と感じたと話していた。人生は短すぎる。だから今やるべきことに全力を尽くし、手を抜かない。すべてのプレーに思いはあふれていた。

日本代表のフルバック、五郎丸歩の祈りにも似た、キックのルーティンに人気が集中している。ヘッドコーチのエディー・ジョーンズが上海の日本人学校で講演し、500人の小学生に「真似(まね)てごらん」と話すと、300人以上が見事にポーズをとったという。

五郎丸自身は帰国時の会見で「それでラグビーに興味を抱き、続けてくれれば、素晴らしい本質を知ってもらえる」と話した。ラグビーの本質とは「他人のために犠牲になること」とも答えた。

敵のボールを殺し、自軍のボールを生かす。ただそれだけのために、ひたすら戦う。震災にも影響されたファーディーのプレーに、その本質が凝縮されているように思えた。
(べっぷ いくろう。論説委員)
              産経ニュース【日曜に書く】2015.11.8

◆西郷隆盛に学んだ庄内藩士たち

伊勢 雅臣



 西郷に学んだ庄内藩士たちは「新しい日本をつくる同志」となった。


■1.庄内の人々の西郷隆盛への敬慕

世の中には不思議な付き合いがあるものだ。西郷隆盛と庄内藩(現在の山形県庄内地方)の人々との交流である。

明治元(1868)年の戊辰戦争では、庄内藩は西郷隆盛率いる明治政府軍に降伏したのだが、西郷の高潔な態度に感激し、その後、藩主自ら70余名の藩士を率いて、薩摩に赴き、西郷に親しく教えを請う。

西郷は明治10(1878)年の西南の役で戦没し[a]、「逆賊(天皇への反逆者)」の汚名を着せられるが、明治22 (1889)年、明治天皇が正三位を与えて汚名を晴らすや、旧庄内藩の人々は西郷の語った言葉をまとめた『南洲翁遺訓』を刊行し、風呂敷包みに背負って、全国に配布して回った。

庄内の人びとの西郷への敬慕は現代まで続いており、昭和51(1976)年には南洲神社が創設され、「財団法人 庄内南洲会」が西郷の人徳を称える活動を続けている。

人びとが一人の偉人をかくも純粋に敬慕した、いかにもわが国らしい美談である。今回はその経緯を辿ってみたい。

■2.庄内藩の人々を感動させた明治政府軍

慶応3(1867)年12月、江戸の薩摩藩邸に結集していた浪人たちが、江戸の治安を乱していた。江戸の治安維持を任されていた庄内藩士千人を中心とする5藩は、薩摩藩邸攻撃を命ぜられ、邸を砲撃し、焼き払った。この事件をきっかけに、鳥羽伏見での明治政府と徳川幕府との戦いが始まり、以後1年半ほどの戊辰(ぼしん)戦争が続く。

庄内藩は会津藩、米沢藩などとともに幕府側に立ち、新政府側に立った秋田に攻め入って連戦連勝を重ねた。庄内藩はもともと良民を手厚く保護する藩政をとってきており、藩主・家臣・領民の結束が強かった。藩政を支えてきた商人・本間家も、スナイドル銃などの最新兵器購入のために莫大な献金をした。

米沢藩、会津藩の降伏後も、庄内藩は最後まで藩領土への新政府軍の侵入を許さなかった。しかし庄内藩以外のすべての藩が降伏したので、明治元(1868)年9月、新政府軍に恭順の意を示した。

このように最後まで頑強に新政府軍に戦ったので、庄内藩の人々はどれほど厳しい降伏条件を突きつけられるのか、と心配していた。

しかし、勝者として庄内藩鶴ヶ岡城に入ってきた新政府軍は刀を持たず、丸腰だった。新政府軍の兵士の中には勝ちに奢って乱暴狼藉を働くかも知れないので、それを防ぐためだった。逆に敗者の庄内藩士には帯刀を許し、武士の面目を持たせた。これには庄内藩の人々が驚いた。

しかも、新政府軍の使者としてやってきた薩摩藩の黒田清隆が示したのは、驚くほど寛大な条件だった。11 代藩主・忠篤の謹慎、弟・忠宝への代替わりと、16 万7千余石から12万石への減封であった。

さらに黒田は、藩主の上座に座って、いちおうの「言い渡し」を終えると、ただちに藩主の下座に降り、「役目のために、ご無礼をいたしましたが、お許しください」と、礼儀正しい態度をとった。武士道を弁えた黒田の態度に、庄内藩の人々は心を動かされた。


■3.「この世に、そんな素晴らしい武士がいるのか」

明治2(1869)年、庄内藩の家老として敗戦処理を進めた菅実秀(すげ・さねひで)が東京に出てきて、黒田に寛大な処置に対するお礼を述べた。すると、黒田は「あれは私の処置ではありません。すべて西郷先生の指示でやったことです」と明かした。

新政府軍の指揮官だった西郷は、庄内藩が降伏した翌日にはすぐに帰ろうとした。まだ降伏したばかりで、後で何が起きるのか分からないので、黒田は西郷を止めた。

けれども西郷先生は、『戦いは……勝てば、もうそれでいいよ。あとは、同じ日本人……。新しい日本をつくる同志じゃないか。もう敵でも味方でもないよ』と、おっしゃったのです。[1,32]

菅は「この世に、そんな素晴らしい武士がいるのか」と感動した。そして菅から西郷の話を聞いた庄内藩の人々の感動も察して余りある。

翌明治3(1870)年、18歳だった前藩主・酒井忠篤は70余名の家臣を引き連れて、西郷に学ぶために鹿児島を訪れた。西郷は彼らを歓迎し、いろいろ話を聞かせてやった。

忠篤は西郷の教えに感激し、大名気分を捨て去り、家臣たちと寝食を共にして過ごした。これら庄内藩の人々が西郷の言葉を記録に残したのが、後に『西郷南洲翁遺訓』としてまとめられたのである。


■4.西郷の涙

『遺訓』の中には、西郷が庄内藩士たちに語った肉声がまざまざと感じられる一幕がある。こんな一節である。

「ある時、西郷先生が、こうおっしゃった。

「国民の上に立って、政治にたずさわる者は、つねに慎みの心をもって、どこにいても品行正しく、贅沢をしないように心がけ、自分の仕事に一生懸命に取り組むような……、つまり人の手本になるような人でなければならないね。・・・

ところが、近ごろの政府はどうだい。今は、これから何もかもはじめなければならないという、いわば時代の出発点に立っている大事な時期なのに、豪邸に暮らし、高価な服に身をつつみ、美しい女性を愛人にし、そして関心があることといったら、個人の財産を築くことばかり……。こんなことでは、何のために明治維新をなしとげたのか……、その本来の理想を達成することなど、とてもおぼつかないよ。

あの鳥羽伏見の戦いにはじまって、五稜郭の戦いで終わった戊辰戦争は、日本を再生するための“義”の戦いだったはずだよね。けれど、その戦いの結果できあがった新政府が、そんなありさまさ!

今のままなら、どうなる? 結果的に、あの戦争は今の政府の高官たちの“利”のための戦いだった、ということになってしまうよ。

こんなことでは、世の中の人々に対して、そして何より、あの戦いで戦場に散っていった戦没者たちに対しても、私は……本当に申しわけなくて……」

そうおっしゃると西郷先生は、こみあげてくる思いを抑えきれずに、しきりに涙を流されていました。[1,781]

戊辰戦争を西郷の相手側として戦った当の庄内藩士たちも、この西郷の言葉には、涙をこらえきれなかったのではないか。


■5.「日本を再生するための“義”の戦い」

西郷は「戊辰戦争は、日本を再生するための“義”の戦いだったはず」と言ったが、その「義」に関して次のように語っている。

「節操や道義……恥を知る心、こういうものを国民が失ったら、国は、とても持たないね。これは、西洋でも同じことだよ。

たとえば、政治家や官僚や公務員などの上に立つ者が、国民から利益を得ることばかりを求めて、社会正義を忘れてしまったならば、どうなる?

国民もその真似をして、その心は、どんどん拝金主義に向かい、いやらしい貪欲な心が、日を追うごとに国民の間に広がっていくよ。 ・・・

そうなってしまったら……、いったい、どうやって国を維持すればいいんだい?[1,1245]

道義を国民が失ったら、国は持たない。明治政府の高官たちが私利私欲にふけっている姿は、自ら国を壊している。それでは「日本再生のための義の戦い」と信じて、命を捧げていった戦没者たちに申し訳ない。その思いが西郷の涙となっていた。

西郷が戊辰戦争を「日本再生のための義の戦い」と捉えていたことを知れば、『戦いは……勝てば、もうそれでいいよ。あとは、同じ日本人……。新しい日本をつくる同志じゃないか』と、庄内藩の人々に寛大に接した理由も理解できる。

西郷は庄内藩士を「最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士」と称えていた。今後は日本の再生のために、ともに忠義を尽くして欲しい、というのが、西郷の願いだった。


■6.「西洋は野蛮じゃ!」

明治維新という「日本再生のための義の戦い」は、黒船の来航に象徴される欧米諸国の脅威の下で行われた。その欧米諸国について、西郷は省内藩士たちにこう語っている。

ある時、西郷先生が、こうおっしゃった。

「“文明”というのは、どういうことかわかるかい? それは、道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践されている国のようすを、称えて言う言葉なんだ。けっして宮廷が大きくて立派だとか、人々の服装が美しくて綺麗だとか、そういう外から見た、フワフワした華やかさを言うのではないよ。 ・・・

私は昔、ある人と議論したことがあるんだよ。その時、私は、こう言ったのさ。 『西洋は野蛮じゃ!』

するとその人は、こう言った。 『いや、西洋は文明です』

そこで私は、 『いいや、いいや……、野蛮じゃ!』と、たたみかけた。

すると、その人はあきれて、 『どうして西洋のことを、それほどまでに悪くおっしゃるのですか?』と、不満そうに言い返してきた。

そこで私は、こう言ってやったのさ。

『ほんとうに文明の国々なら、遅れた国には、やさしい心で、親切に説得し、その国の人々に納得してもらった上で、その国を発展させる方向に導いてやるんじゃないかな?

けれど西洋は、そうではない。時代に遅れて、ものを知らない国であればあるほど、むごくて残忍なことをしてきたし、結局のところ、そうして自分たちの私利私欲を満たしてきたじゃないか。これを“野蛮”と言わないで、何を“野蛮”と言うんだい?』

私がそう言ったら、その人は口をつぐんで、もう何も言わなくなったよ」

そう言って、西郷先生はお笑いになりました。[1,1069]

当時、欧米諸国はアジア・アフリカの諸国を植民地化し、搾取していた。支配者がその様では、国民全体が植民地根性を抱いて、私利私欲のために働くようになる。西洋の「野蛮」がアジア・アフリカに「野蛮」を生み出す。

西郷は「文明」とは「道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践されている国のようす」と考えた。西洋諸国に植民地化されてしまえば、そんな文明国にはなりえない。

そうした西洋諸国の「野蛮」から、国を守ろうとすることが「攘夷」なのであった。[1]の著者・松浦光修・皇學館大学教授は次のように喝破している。

「攘夷」によって先人たちが護ろうとしていたものは、単なる“国益”ではありません。ここが大切なところなのですが、最終的に護ろうとしていたのは、“道義”なのです。[1,1106]


■7.『後世への最大遺物』

西郷から「最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士」と称えていた、そんな忠義の武士たちであったからこそ、西郷の道義あふれる振る舞いに感じ入り、前藩主が70余名もの藩士を引き連れて、西郷のもとに学びに来たのである。

庄内藩士たちは、西郷の言葉に学んで「新しい日本をつくる同志」となったのであろう。西南戦争の12年後、明治天皇が西郷に正三位を追贈して名誉を回復されるや、『南洲翁遺訓』をまとめ、全国に広めようとしたのも、「新しい日本をつくる同志」としての志に違いない。

西郷隆盛を『代表的日本人』の一人として描いた内村鑑三は、『後世への最大遺物』と題した講演で次のように語っている。

「誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい高尚なる生涯であると思います」。[1,2992]

西郷隆盛と庄内藩士たちの「高尚なる生涯」は、現代の我々に贈られた「後世への最大遺物」そのものである。それをどう活かすかは、我々の生き方にかかっている。


■リンク■

a. JOG(429 西郷隆盛はなぜ立ち上がったのか〜 岩田温『日本人の歴史哲学』から

必敗を覚悟して西南戦争に立ち上がった西郷は、何を目指していたのか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog429.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 松浦光修『[新訳]南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え」[Kindle版]★★★、PHP研究所、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569704174/japanontheg01-22/

2.長尾剛『話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく』 [Kindle版]★★、PHP文庫、H17
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569665829/japanontheg01-22/



◆世界中で英語と悪戦苦闘

平井 修一



英語圏の人は外国語を学ばなくても世界で仕事をする上でさほどの支障はないから「いいなあ」と、多分、英語で苦しんだ、苦しんでいる日本人の多くはそう思っているだろう。

あの戦争で日本が勝っていたら、同盟していた独、伊も勝っていたことになるから、日独伊の3か国語が世界に広まっただろうが、英語のように単独での世界制覇は無理だったろう。「世界で外国語を一番知らないのは米国人」などとジョークのネタになっているが、実に羨ましい限りだ。

小生はたまたま海外旅行関係の出版社に拾ってもらい、記者・編集者になったのだが、資料、元ネタの多くは英語。小学生の頃はほとんどダメ坊主だったので、中学からの英語は皆同じスタートラインに立つから、「ここで先頭に立つしかない」と勉強しまくった。

勉強といっても本来がバカで思考能力がないから、ひたすら教科書を暗記した。3学期の末には教科書一冊丸々暗記していた。高校も同様。

だから翻訳はそこそこできたし、仕事で翻訳しているとメキメキ能力は高まったから、やがては米国大使館から翻訳の仕事をもらうようになった。

その代わりに英会話はほとんどダメ。半分理解できればいい方だった。ただ女性や、アジア人の話す英語は7割ほどは理解できた。聞き取りやすかった。豪州人の英語はまったく理解できなかった。

今日も世界中で英語と悪戦苦闘している人がいる。佐藤智恵氏のインタビュー記事『ハーバードの留学生が思わず涙する「楽天の英語公用語化」の授業』(ダイヤモンドオンライン11/5)から。

佐藤氏は作家/コラムニスト/コンサルタント。1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。報道番組や音楽番組のディレクターとして7年間勤務した後、退局。

2000年1月米コロンビア大学経営大学院留学、翌年5月MBA(経営学修士)取得。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年よりビジネス書作家/コンサルタントとして独立。2004年よりコロンビア大学経営大学院の入学面接官。

<最近の日本企業関連の教材の中では、「最大のヒット作」と言われているのが、楽天の英語公用語化のケースだ。英語で悩んでいるのは日本人だけではない。フランス人も中国人も皆、英語で苦労しているのだ。

ハーバードの授業でも、「英語ができないことがいかにつらいか」を語りながら、泣き出してしまう留学生もいるという。

言語の問題に対して、なぜ私たちはこんなにも敏感に反応してしまうのか。楽天の事例はなぜ世界中の経営大学院で使用されているのか。教材を執筆したセダール・ニーリー准教授に聞いた。(インタビューは2015年6月23日)

*海外売上が伸びる前に 英語公用語化に踏み切った楽天

――ニーリー准教授はグローバル企業の言語戦略の専門家として有名ですが、楽天の事例に興味を持ったのはなぜですか。

社内公用語を英語にした企業の事例は、ヨーロッパ等では数多く見られますが、日本企業ではまだ珍しいですね。楽天は日本のIT企業としてどんな新しいことに挑戦していくのか、ずっと注目していたのですが、三木谷浩史CEOが社内公用語を英語にすると聞いて、すぐに興味を持ちました。しかも三木谷氏は、短期間で一気に社内を改革しようとしていました。

――楽天はグローバル戦略の一環として英語化を進めましたね。

三木谷氏は日本企業のグローバル化に一石を投じようとしているのだと思いました。社内公用語を英語にすれば、グローバル化が推進します。コミュニケーションと言語はグローバル化の大変重要な要素なのです。

――楽天がユニークなのは、海外売上が伸びるのを見越して、早めに社内を英語化したことですね。

楽天が社内を英語化したのは2010年です。そのころいくつか外国企業を買収していたものの、それほど海外展開は進んでいませんでした。でも楽天は最初からグローバル企業になることを目指していた企業だったので、先に社内をグローバル化してしまったのです。英語化によって、買収先企業との統合をスムーズに行う社内体制を整え、国内、国外のナレッジ(知識)や社員の能力を最大限に生かそうとしました。

*楽天の事例を学んだ学生の反応は? 

――この事例はMBAプログラムの必修科目「リーダーシップと組織行動」の教材として使用されているそうですね。

毎年、MBAプログラムの900人、エグゼクティブプログラムの900人、合わせて1800人が楽天のケースを学んでいます。ハーバードだけではありません。スタンフォード大、ノースウェスタン大(ケロッグ)、INSEADのビジネススクール等でも使用されています。

――授業の最初で日本人の学生が日本語を話し続けるのだそうですね。

知らない言語を聞き続ければ、どんな気持ちになるかを学生に理解してほしいからです。英語圏の学生はあまりそういう経験をしたことがありませんから。

――楽天のケースは学生からの人気を集めているのはなぜでしょうか。

この事例が、学生個人の感情に訴えかけるテーマを扱っているからです。ハーバードで留学生は皆、英語やコミュニケーションで苦労しています。この授業はその経験を共有し合うきっかけとなるのです。

「英語を話している自分は本当の自分ではありません。私は母国語だともっとユーモアにあふれた人間なのです」と発言する学生もいれば、「いつも緊張でふるえながら英語で発言しています」という学生もいます。

韓国人の学生、ヨーロッパ人の学生……。毎年、発言しながら泣いてしまう学生もいます。そういう留学生を見て、英語圏の学生はビックリするわけです。皆こんなに英語でうまく発言できなくて悩んでいたのかと。

面白いことに、この1回の授業で、クラスのダイナミズムが大きく変わるのですよ。

――本当ですか。どのように変わるのでしょうか。

競うように発言していたアメリカ人学生たちが、留学生にも発言の機会を与えよう、と考えるようになります。留学生の話を積極的に聞こうとするわけです。これまでアメリカ人中心で進んでいた議論に留学生の声が数多く加わり、クラス全体に協力的な雰囲気が生まれます。

――この授業はグローバル戦略、言語戦略を学ぶだけではなく、グローバルリーダーとして成長する機会も与えてくれるのですね。

そうです。だからこの事例を1年目の必修科目で教えているのです。

*なぜ日本人はこの問題に過剰に反応するのか

――楽天の英語公用語化は、日本国内で大きな議論を巻き起こしました。なぜ日本人はこの問題にこれほどの関心を持つのでしょうか。

言語は、日本人だけではなくすべての人間に関わる問題だからです。どの言語を話すかという問題は、自分のアイデンティティや文化的なルーツに深く関わってきます。楽天が社内を英語化すると聞けば、「うちの会社はどうなるのか」「私はどうなるのか」と不安に思うのも当然です。

――英語が苦手な日本人社員は、「英語の出来不出来で査定が決まらないだろうか」「私は英語が苦手だから、出世できなくなるのでは」などと社内の英語化に対して大きな危機感を抱いています。また、「英語屋」が過大に評価されている、と考えている人もいます。すべての人間に関わる問題とおっしゃいましたがまさにそのとおりで、英語でのコミュニケーション能力が、必要以上に大きな評価要素となることを、日本人社員は非常に危惧しているのです。

日本企業だけではなく、ヨーロッパやラテンアメリカ等の企業でも「英語化」に抵抗する人たちはいます。そこで大切になってくるのが、経営層のリーダーシップです。

公用語を変えるときには、社員がスムーズに適応できるような環境づくりをしなくてはなりません。英語を使えば活躍の場が広がる、海外との仕事がやりやすくなる、といったプラスの面を理解してもらい、社員がやる気を失わないように導かなければなりません。

私が言語戦略について研究しているのは、適切な言語戦略を実施することは会社の成長につながると信じているからです。研究成果が多くの企業の役に立つことを願っています。

*アイデンティティとどう向き合えばいいか

――日本人は日本語に対して誇りをもっており、その言語を日本人同士で使わないというのはとても抵抗感があります。「日本語のほうが迅速に効率的にコミュニケーションできるのに、わざわざ日本人同士で下手な英語を使うなんて非効率だ」「そもそも母国語である日本語をおざなりにしていいのか」という意見もあります。私たちは日本語とどのように向かい合っていけばいいのでしょうか。

この問題に直面しているのは日本人だけではありません。フランス人だって、「私たちはフランス語とフランス文化に誇りを持っている」と言うでしょう。スウェーデン人だってナイジェリア人だって同じです。すべての人間は自国と自国の文化に誇りを持っている。それがアイデンティティだからです。

でも、英語化を「植民地主義や帝国主義の象徴」と見るのは間違っていると思います。

――私たちはこの問題をゼロサムで考えてしまいがちです。「英語と日本語の両方を完璧に学ぶことなど不可能だ」「子どものころから英語を学ぶと日本語がおざなりになる」といった意見がよく聞かれます。

人間が一言語しか習得できない、というのは少し極端な考え方だと思いますよ。英語を学んだからといって、日本語能力が衰えるわけではないでしょう。日本語に英語を足す、2ヵ国語を話す人になる、という発想です。

英語を学べば、世界に足を踏み入れることができます。自国の文化を世界に伝えることができます。英語を話す人が増えなければ、日本は国際社会からますます孤立してしまうでしょう。日本人はもっと日本の素晴らしさを世界に伝えてほしいと思います。

*英語公用語化がもたらす功罪

――ニーリー准教授は、英語化の功罪についても研究していますね。論文を読むと、英語化が必ずしもよい結果ばかりをもたらさないことが分かります。

ネガティブな影響は主に4つあります。1つめは、英語化は組織にも社員にも大きな負担を強いることです。急進的な改革が実施されれば、社員は強いストレスを感じます。英語ができない社員を支援する体制がなければ、不安はますます増長し、会社全体の雰囲気が悪くなります。

2つめは、英語化はとても時間がかかることです。他の改革とは違って、根付くのに長い時間がかかる。やり遂げるためには相応のリソースを割かなければなりません。

3つめは、企業文化の変化が混乱をもたらすことです。英語化が進めば、社内のグローバル化が進み、企業文化は大きく変わります。すると、当然その文化に合わない社員も出てきます。

4つめは、異文化問題の解決に多くの労力が必要となることです。これは私がここ数年調査している中で、分かってきたことです。

たとえば日本人社員が中国人、ヨーロッパ人、アメリカ人と仕事をしはじめれば、想定外の問題に直面することが多々あります。日本人同士のように業務がスムーズに進みません。慣れない英語で外国人を相手に問題を解決する、という作業は非常に労力のかかることです。

――逆に英語化のメリットは何ですか? 

1つめは、世界中のリソース(人材、予算、情報)にアクセスできることです。たとえばアメリカ、イギリス、日本のマーケティングチームが同じリソースを共有することができれば、社員はリソースを有効に活用できて、効率的に仕事ができるようになります。

2つめは、コミュニケーションの効率が上がることです。英語を話せば、職場以外でも交流を深めることもできます。外国人の同僚と食事に出かけたり、雑談をしたりすれば仕事がやりやすくなりますね。

3つめは、多様性を受け入れる企業文化に変わることです。もし全員が同じ言語を話さなければ、同じ言語を話す人同士でグループができます。日本人の中に、日本語を話せない外国人は入っていきづらいものです。

言語が障壁となってチームの中に入れないという現象は、多くのグローバル企業で見られますが、英語化が進めば、こうした障壁はなくなります。

――外資系企業の日本支社では、アメリカ人のCEOや役員のために専属通訳者を雇っているところもあります。なぜそれでは不十分なのでしょうか。

もちろん会議などで通訳者が必要な場面というのは数多くあります。しかし日常的な業務で通訳者をはさんで会話するのは無理があるということです。通訳者をはさめばコミュニケーションに2倍の時間がかかりますし、翻訳の過程で情報が省略されてしまうこともあります。相手との距離感も縮まりません。

通訳者にはそれぞれ専門があり、必ずしもビジネスの専門家であるとは限りません。ITや金融などの専門性の高い話についていけないこともあるのです。そうするとコミュニケーションにさらに時間がかかります。

――英語を片言しか話せなくとも、直接話したほうがよいということですか。

通訳を介すよりはずっと効率的だと思います。どんなにつたない英語でも、専門的な知識が共有されている者同士であれば、言いたいことは伝わります>(以上)

餅は餅屋、英語は英語屋に任せればいい、なんていう時代は終わりつつあるのだろう。悩ましいことだが現役世代は体当たりで習得していくしかない。デパートの販売員だって英語と中国語は必須だろう。そういう時代なのだ。 (2015/11/7)


◆木津川だより 上人ヶ平遺跡

白井 繁夫



木津川の左岸の木津町東部丘陵に、弥生時代(約1900年前)から奈良時代(約1200年前)に亘るいろんな時代が混在している、複合遺跡の「上人ヶ平遺跡」があります。

平野部に突き出した約20mの高さの丘陵上に位置しており、古代の大和から山背(山城)への出口で眺望もよく、狼煙などの通信拠点に活用された水陸交通の要衝でした。

「上人ヶ平(しょうにんがひら)遺跡」から弥生時代の竪穴式住居跡が一基見つかっており、古墳時代には埴輪窯、竪穴式住居、古墳などがあり、古墳の総数は17基が発見されています。中心的な時代は中期古墳時代から後期前半です。

(前期古墳時代には、対岸の山城町にある椿井大塚山古墳から邪馬台国女王卑弥呼が魏より下賜された三角縁神獣鏡が30数枚出土しており、日本最古の前方後円墳の箸墓古墳「卑弥呼?の墓」と同形で三分の二の規模の巨大な古墳です。古代大和の大王と木津川の関わりも想像できると思います。)

中期古墳時代(1600年前) 古墳は小型の方墳で、低い盛土を持つことが解りました。発掘された埋葬施設から、古い時期の「須惠器や剣.斧.鎌」などの鉄器が出土しました。

埴輪を焼いた窯が発見され(上人ヶ平1号窯)、トンネル状の登り窯(従来は野焼きの埴輪)であり、全国的にみても最古級の折紙がつきます。埴輪を焼いた窯は、隣接する瓦谷遺跡からも3基の埴輪窯が検出され、両者ともにトンネル状の登り窯が導入されていました。

奈良時代には掘立柱建物10棟.井戸.土坑などの遺構が発見されました。特に、平城京造営用瓦工場は、南の谷筋にある市坂瓦窯跡(8基)とセットになり、台地の中央部にあって大規模瓦製造工房は掘立柱建物4棟からなり、各棟は9間x4間の大建造物であり整然と並列に配置していました。

古代より木津から大和国への道は上津道.中津道と下津道があり、木津の平野を見渡せる高台に在るこの遺跡は、北東の木津の山城(やまじろ)とも連携できる遺跡です。

古代の「木津川流域での戦乱に纏わる歴史を物語と古墳」の2方面から見てみます。

★物語  大和盆地の東北部に本拠地をもつ「和珥氏が山背(やましろ)南部の勢力と戦い、これを討ち破った。」という4世紀末の史実

史実に基づき述作?された『記』『紀』による物語:

@神功皇后.応神天皇に味方した和珥氏の祖先建振熊命(たけふるくまのみこと)が山背南部を拠点とする押熊王(おしくまのみこ)の反乱軍と戦いこれを打破った。
「佐紀盾列(さきたたなみ)のひつぎの皇子:忍熊王に対する反乱軍(和珥氏)側が勝利した。とも云われています。」

A崇神天皇の時代、四道将軍の大彦命が幣羅坂(大和.山城の国境)で不審な歌を聴き
武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)の反乱を悟り、山背の泉河(木津川)の合戦となり、崇神朝軍の彦国葺(和珥臣祖)が放った忌矢(いわいや)に武埴安彦が当たり敗れさり、一方妻の吾田媛軍は逢坂(奈良県香芝市)から攻めて来たが、四道将軍の一人(五十狭芹彦命)の軍勢に阻まれ敗れさった。
(6世紀代に和珥氏の語部が継体天皇擁立のため、和珥氏出陣の事実を物語として創作した。と云う説もあります。)

大和東南部にヤマト政権が確立した時代から、木津川水系の掌握は政治的にも重要であり、政権が大和東北部へ移行しても各大王は木津川流域を扼(やく)するため、戦うか特別な関係を築いたと思われるのが、古墳からも推察できると思います。

★古墳時代(3世紀半ばから7世紀末頃)の約400年

前方後円墳の時代(3世紀半ば過ぎから6世紀末頃)
 ・前期古墳時代(3世紀後半〜4世紀初)奈良盆地東南部に200m超の大王墓
     箸墓古墳(女王卑弥呼?)桜井市、 行燈山古墳(伝崇神天皇)天理市
     渋谷向山古墳(伝景行天皇)天理市(椿井大塚山古墳:木津川市に出現し、卑弥呼の中国鏡が大量に発掘された。)
 ・中期古墳時代(4世紀中〜5世紀)奈良盆地東北部。佐紀盾列古墳群200m超王墓
   (4世紀後半、朝廷は木津川流域を制圧?盆地東南部から佐紀盾列(西群)へ移動)
     五社神古墳(伝神功皇后)奈良市、 宝来山古墳(伝垂仁天皇) 奈良市
     市庭古墳 (伝平城天皇)奈良市  佐紀石塚山古墳(伝成務天皇)奈良市

   (5世紀に盆地東北部の内部分裂に起因して政治集団が河内(含和泉)へ移動)
    河内の百舌鳥古墳群に世界最大の大王墓(486m)が築造された。
     大仙陵古墳(伝仁徳天皇)堺市、 上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇)堺市
    古市古墳群にも400m超の巨大前方後円墳が出現した。
     誉田御廟山古墳(伝応神天皇)羽曳野市、岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇)藤井寺市、市野山古墳(伝允恭天皇)藤井寺市

  (5世紀に入り応神.仁徳大王と続く河内王朝は地方の小国の王が前方後円墳の築造
  するのを規制したが、木津川流域の平川王家は久津川古墳群に平川車塚古墳などの系
譜を残した。)中国の史書『宋書』倭国伝に「倭の五王」の記述があります。

 後期古墳時代(6世紀)ヤマト王権の確立により、日本各地で前方後円墳は築造され
            なくなる。
       (7世紀)暫くの間、方墳、円墳がつづき、大王墓は特別に八角墳を築造。
            飛鳥時代とも重なります。

ヤマト政権の最高首長権奈良盆地において大和の各大王「三輪の王者」は(3〜4世紀)政権を盆地東南部に置いていましたが、「佐紀の王者」(4〜5世紀)は盆地東北部に移動し、木津川水系を掌握しました。「河内の王者」は5世紀に河内王朝(古市古墳群.百舌鳥古墳群)の大王として政権が確立しました。「倭の五王の時代:史書記述の大和の大王:讃(履中).珍(反正).斎(允恭).興(安康).武(雄略)の天皇か讃(応神).珍(仁徳)天皇とも云われている。」

しかし、雄略天皇没後、政権内部の長い抗争があり、応神天皇系の5世の継体大王が越前坂井より迎えられますが、6世紀中葉、欽明天皇の時代にヤマト王朝は政権が安定します。

「継体大王は木津川水系の豪族に守られ、また24代仁賢天皇の皇女(手白香皇女)と結ばれ楠葉宮(北河内:枚方市)で507年即位し、筒城宮(綴喜:長岡京市)へ遷都、更に弟国宮(乙訓:京田辺市)へ遷都と木津川水系に20年いた後、ヤマト磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや:桜井市)へ入りました。」

木津川市には椿井大塚山古墳(前期古墳時代の前方後円墳)以降、巨大古墳がなく、政権の圧力下、吐師七ッ塚古墳群、上人ヶ平古墳群などの円墳や方墳になったのか、王者や豪族の首長の背景の説明が長くなりました。

「複合遺跡の上人ヶ平遺跡」は、次回につづきます。

参考資料: 木津町史  本文篇  木津町。
    企画展資料   発掘成果速報 京都府立山城郷土資料館
    上人ヶ平古墳群.市坂瓦窯跡.上人ヶ平遺跡(奈良時代) 木津川市教育委員会 

2015年11月08日

◆農家は輸入米を恐れるな

平井 修一



田牧一郎・田牧ファームズ代表の論考「カリフォルニア米の衝撃5キロで650円 TPP合意で日本のコメは変わるか? 」(ウェッジ11/7)から。

<実際に流通することになるのは、カリフォルニア産中粒種である。ここで中粒種を断定できるのは、カリフォルニアでの短粒種栽培面積や、生産コストそして流通価格などから、総合的に考えると、日本への主食用無税枠を利用して輸入されるのは、中粒種になってしまう。

カリフォルニアでの短粒種生産は、その作りにくさや面積当たりの収量が低いこと、そして精米歩留まりが悪いことなどから、白米の生産費が高く、実際現在のロスアンゼルスやニューヨークでは、日本のスーパーで販売されている白米より、高い価格で販売されているブランドもある。

それに対し中粒種は栽培しやすく、安定して高い収穫量を得ることができるため、その白米の生産コストも短粒種(コシヒカリ)の60%〜70%程度の額になる。

この中粒種をカリフォルニアの精米工場で日本向けに包装して出荷すると、5キロの袋で550円程度の価格で出荷される。ここから日本までの運賃や通関費用が5キロで約50円、日本に陸揚げされた段階で合計600円/5キロのコメになる。

これに輸入商社の経費と利益、日本国内の販売業者の経費と利益を、いくらで計算するかで、消費者への販売価格が決まる。ここでも仮に50円/5キロとすれば、650円/5キロとなり1キロあたり130円のコメになる。

日本のスーパーで販売される低価格米と比較しても650円/5キロは、安いコメになる。しかし、品質と味の違いがそこまであり、その差をどのように考えるかが消費者の選択にゆだねられるとことである。中粒種の産地であるカリフォルニアの大都市でのコメの販売は、その価格と味によってすみわけが行われており、日本にもこのすみわけは起こりえると予測できる。

キロ当たり130円の中粒種は、日本の消費者も食べてみたくなるはずで、品質の良くない国産米よりも美味しく感じるかもしれない。この低価格中粒種が、国内で主食として消費される量(筆者推定600万トン)の1%の量とはいえ、日本のコメ価格に影響を及ぼさないはずがない。現状よりさらに低いコストで生産をして、精米・流通コストも低く抑えながら、消費者に買ってもらう努力が、コメの生産から販売までかかわる業界に強く求められる>(以上)

田牧氏はコメ作りのプロだろうが、ちょっとこの論考はおかしいのではないかと小生は思う。

スーパーの粗利益率、つまり仕入れ価格に何%乗せて売るかという率は、35〜45%あたりだ。スーパーの店長に聞いたことがあるが、ロスや値引き販売が生じやすい生鮮食品は40〜45%になるそうだ。

陸揚げ時に600円/5キロのコメに「輸入商社の経費と利益」「卸問屋の経費と利益」をそれぞれ10%、スーパーの粗利益率を40%とすると、販売価格は、

600円×1.1=660円→660円×1.1=726円→726円×1.4=1016円となる。実際は二次問屋などもあったりするし、計算は複雑なのだろうが、5キロで1000円というのは特売で珍しくないのではないか。わが家では1500〜2000円ほどの米をいつも買っている。これより安いのはそれなりの味でしかない。

5キロ1000円で美味しいのなら国内産米に影響するが、美味しくて人気ならスーパーは1400円、さらに1600円で売るだろう。市場経済とはそういうものだ。供給不足、需要過多なら値上げする。当たり前だ。

米作農家はいたずらに輸入米を恐れるなと言いたい。ひたすら美味しい米を作り、世界に普及することに力を入れてほしい。「日本の米は高いけれど異次元のおいしさだ、安心だし」と評価されるようになってほしい。日本の製造業はそれで成功したのだから。(2015/11/7)

2015年11月07日

◆危惧抱く教養主義の衰退

平川 祐弘



「台風を放棄する」と憲法に書けば、台風は日本に来なくなりますか、と田中美知太郎は問うた。世間には「戦争を放棄する」と憲法9条に書いてあるから戦争がないような言辞を弄する者がいる。田中は戦争被害者で焼夷弾で焼かれた顔は恐ろしかったが、そう問うことで蒙を啓く発言には笑いと真実があった。

 《今も通じる竹山道雄の判断》

55年前、国会前は「安保反対」で荒れた。多くの名士はデモを支持した。だが大内兵衛、清水幾太郎など社会科学者の主張は傾向的だったものだから今では古びて読むにたえない。ところがギリシャ哲学者、田中の発言は古びない。今年の国会でも維新の党の議員が「台風放棄」説を引用した。

興味あるのは論壇名士の賞味期限だ。人民民主主義を擁護した社会科学者の期限はとうに切れたが、田中は違う。複数の外国語に通じた人文学者の常識−プラトンの対話を講ずる一見、浮世離れの田中の論壇時評のコモン・センスを私は信用した。

「台風を放棄する」と憲法に書けば、台風は日本に来なくなりますか、と田中美知太郎は問うた。世間には「戦争を放棄する」と憲法9条に書いてあるから戦争がないような言辞を弄する者がいる。田中は戦争被害者で焼夷弾で焼かれた顔は恐ろしかったが、そう問うことで蒙を啓く発言には笑いと真実があった。

 《今も通じる竹山道雄の判断》

55年前、国会前は「安保反対」で荒れた。多くの名士はデモを支持した。だが大内兵衛、清水幾太郎など社会科学者の主張は傾向的だったものだから今では古びて読むにたえない。ところがギリシャ哲学者、田中の発言は古びない。今年の国会でも維新の党の議員が「台風放棄」説を引用した。

興味あるのは論壇名士の賞味期限だ。人民民主主義を擁護した社会科学者の期限はとうに切れたが、田中は違う。複数の外国語に通じた人文学者の常識−プラトンの対話を講ずる一見、浮世離れの田中の論壇時評のコモン・センスを私は信用した。

またドイツ語でマルクスを読んで有難がる社会科学者よりも、東独からの逃亡者と生きたドイツ語で会話する竹山道雄の判断の方を信用した。私はいま竹山の往年の新聞コラムを本に編んでいるが、その安保騒動批判は今でも通用する。

「米軍がいると戦争が近づく、いなければ遠のく−、多くの人がこう考えている。しかしあべこべに、米軍がいると戦争が遠のくが、いなければ近づく」と考えるのが竹山だった。

習近平中国の露骨な膨張主義に直面して日本人の考えはいまや後者の方に傾いた。半世紀前は新保守主義とか教養主義とか揶揄された田中や竹山だが、どうしてその判断は捨てたものではない。

そんな大正教養主義世代を敬重するだけに、日本の高等教育における教養主義の衰退に危惧の念を抱く。かくいう私はlater specializationを良しとした。

ところが近年、文部科学省はそんな専門化への特化を先延ばしする教養主義を排し、早く結果の出る専門主義を推している。

《外国語による自己主張の訓練を》

教養教育批判が出るについては、従来の教養部に問題もあったろう。しかし私は教養主義を奉じた旧制高校で学び、新制大学では教養学部の教養学科を出、教養学士の学位号を持つ者だ。おかげで80代でも仏語で本を出している。

恩恵を感じるだけに教養主義の復権を唱えずにはいられない。私が学際的につきあった人は理系社会系を問わず詩文の教養があり外国語が達者な人が多かった。外国人と食卓で豊かな会話もできぬような専門家では寂しいではないか。
 
では21世紀の要請に応え得る教養人の形成は具体的にどうするか、その一石二鳥の語学教育法を披露したい。人文主義的な教養教育の基礎は外国語古典の講読で、徳川時代は漢文、明治・大正・昭和前期は高校では独仏の短編などを習った。

西洋では以前はラテン・ギリシhumanitesclassiquesを習ったが、近年は近代語古典 humanites modernesへ重点が移行した。

英語の読み書き話しの力はグローバル人材に必要だが、問題は有限の時間を効率的に使うこと。そのために英語とともに国際関係・歴史など別の科目も同時に学ぶこと。教材にルーズベルトの対日宣戦布告、チャーチルの演説、ポツダム宣言等の英文も用いれば外国が日本をどう見たかもわかる。

そして日本側の非とともに理のあるところも考えさせ、外国語による自己主張も訓練せねばならない。そのためには日本人であることに自信のある人が望ましい。

 《「複眼の士」養成が大学の任務》

『源氏物語』を原文とウェイリー英訳とともに講読すれば、外国語を学びながら自己の日本人性にも目覚める。平安朝の洗練を知れば日本人として妙な卑下はしないだろう。もっともこんな授業は大学院でも無理かもしれないが。

しかし、文化的無国籍者でなく、世界に通用する日本人を育てることは国防上からも大切だ。そんな日本と外国に2本の足をおろして活躍できる人を育てることこそが教養教育の王道で、「複眼の士」を養成することが大学の任務だろう。

「台風を放棄する」と憲法に書けば、台風は日本に来なくなりますか、と田中美知太郎は問うた。世間には「戦争を放棄する」と憲法9条に書いてあるから戦争がないような言辞を弄する者がいる。田中は戦争被害者で焼夷弾で焼かれた顔は恐ろしかったが、そう問うことで蒙を啓く発言には笑いと真実があった。

 《今も通じる竹山道雄の判断》

55年前、国会前は「安保反対」で荒れた。多くの名士はデモを支持した。だが大内兵衛、清水幾太郎など社会科学者の主張は傾向的だったものだから今では古びて読むにたえない。ところがギリシャ哲学者、田中の発言は古びない。今年の国会でも維新の党の議員が「台風放棄」説を引用した。

興味あるのは論壇名士の賞味期限だ。人民民主主義を擁護した社会科学者の期限はとうに切れたが、田中は違う。複数の外国語に通じた人文学者の常識−プラトンの対話を講ずる一見、浮世離れの田中の論壇時評のコモン・センスを私は信用した。(東大名誉教授)
                 産経ニュース【正論】2015.11.2