2019年02月26日

◆チベット人に切実な法王後継者問題

櫻井よしこ


「チベット人に切実な法王後継者問題 中国共産党から仏教を守り通せるか」

米議会は昨年10月、超党派で「中国に関する議会・行政府委員会の年次報
告書」を発表、中国共産党政府の少数民族弾圧は、「人道に対する罪」だ
と明記した。時効のない、最も厳しく追及されるべき犯罪という意味だ。

同報告書は新疆ウイグル自治区を焦点としたが、チベットも同じである。
中国政府のチベット弾圧は、ウイグル弾圧同様、激化するばかりだ。その
中でチベット人にとって今年84歳になる法王、ダライ・ラマ14世の後継者
問題はとりわけ切実である。

チベット仏教には最高位の指導者としてダライ・ラマと、それに次ぐ地位
のパンチェン・ラマが存在する。いずれも前任者の死を受けて幼児が後継
者として選ばれる。チベット仏教の指導的僧侶たちが幼児を守り、立派な
指導者として育て上げるが、それには20年近い歳月が必要だ。

中国共産党は、高齢のダライ・ラマ14世の後継者は自分たちが選ぶと宣言
済みだ。宗教を信じない共産主義者に他民族の宗教指導者を選ぶ資格など
ないのだが、彼らはお構いなしである。

中国には「前科」がある。1995年、ダライ・ラマ14世は、死亡したパン
チェン・ラマの生まれ変わりとして六歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ氏
を選んだが、中国共産党はニマ氏を家族ごと誘拐し、別の少年、ギャン
ツェン・ノルブ氏をパンチェン・ラマ11世に指名した。ニマ氏は未だに行
方不明、中国共産党はノルブ氏を育て、彼こそが真実のパンチェン・ラマ
11世だと主張する。

このような事例があるために、チベット人はいま、次のダライ・ラマをど
のように選ぶべきか悩んでいるのである。センゲ首相が率直に語った。

「私は(亡命政権が位置するインド北部の)ダラムサラにいる時にはいつ
も法王の教えを受けています。法王は、私に、次のダライ・ラマ選出方法
を責任を持って決めよと命じました。法王の御意思を聞きながら、既に、
次のダライ・ラマ選出に関しての意見聴取を進めています」

チベット仏教各宗派の長老達との第1回会議もチベット内外に住む高位の
僧、数百人の意見聴取も終えたという。今年6月と10月にも世界各地から
チベット仏教指導者がダラムサラに集まり、来年取りまとめに入るという。

「全員、とても真剣です。私はいま任期2期目で、あと2年半、主席大臣
(首相)を務めます。この間に結論を出したいと思います」とセンゲ氏。

現在3つの案が有力だ。

(1)チベット仏教の伝統を踏まえダライ・ラマ14世の死後、生まれ変わ
りの幼い男児を探す、(2)長老達が選ぶ、(3)法王自身が亡くなる前
に自らの生まれ変わりを指名する。

センゲ氏の説明では、法王は保守的で仏教の伝統を大事にするため、伝統
に従えば(1)の方法しかない。しかし法王は柔軟であり、3つの選択肢
の全てが頭の中にあるともいう。

(1)の場合、前述のように幼児の成長までに20年近い歳月が必要で、そ
の間、チベットは中国の介入に脅かされる。中国共産党はチベット仏教を
本気で潰しにかかると危惧されている。結果、センゲ氏は(3)に期待する。

「法王が、自分の生まれ変わりとして10代の少年を選べば、長い時間をか
けずに次の法王になれます。少年がまず第一に善きチベット仏教徒で、賢
く、徳の高いことは無論必須条件です。しかし選ばれれば、彼はダライ・
ラマ14世の命のある限り、指導を受け、その徳と叡智を吸収し、立派に成
人するでしょう。このようにして15世が育っていけば中国は一切介入でき
ません。私自身はこの(3)の選択肢が最善ではないかと思います」

チベットの人々の柔軟な思考で中国の介入を退け、チベット仏教を守り通
せるよう、私は願っている。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1268

2019年02月22日

◆こんなに違う皇室と清朝帝室の姿

櫻井よしこ


加藤康男氏の『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書、以下『私生
活』)は、私たちがいま「中国」と呼ぶあの大きな国を統治してきた権力
者、彼らの価値観や倫理の、余りにも日本と異なる実態を描いていて興味
が尽きない。

日本の皇室、さらには社会の実権を握りながらも皇室を権威として敬う政
界や経済界の日本人と、漢民族か否かを問わず、清朝、国民党、中華人民
共和国を統治した・皇帝・と彼らを取り巻く大陸の人々の価値観は水と油
である。

映画にもなった清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)について知るのにとりわけ重要
な書籍は、溥儀の家庭教師を務めたスコットランド人、R・F・ジョンス
トンの『紫禁城の黄昏』だろう。

日本語訳は当初岩波文庫から出版されたが、これは渡部昇一氏によって
「岩波文庫の名誉を害する」「非良心的な刊本」と断じられた。翻訳の間
違いに加えて、「政治的意図」と思われる編集で、ジョンストンの意図が
正しく伝えられていないからだ。日本の溥儀及び満州国との関わりについ
て事実に迫りたい人は、中山理氏が訳し渡部氏が監修した祥伝社の上下2
冊『完訳 紫禁城の黄昏』を読むのが良いと思う。

それでも溥儀についての真実の全容が中々見えない中で、加藤氏が幾つも
の驚くべき事実を『私生活』で描いた。一言で言えば、溥儀は節操を欠く
人物だった。彼の一生を翻弄した苛酷な運命を勘案すれば、致し方ないこ
とであったかもしれないが、彼は運命の節目節目で幾度か驚くべき変身を
遂げている。

満州国皇帝として即位した溥儀は1935(昭和10)年に、また40(昭和15)
年に日本を訪れた。昭和天皇と会い、母宮節子(さだこ)皇太后のあたたか
いもてなしも受けた。

日本の皇室の在り様は紫禁城における謀略渦巻く世界とは別天地だったに
違いない。初の来日で溥儀は皇室に強い憧れを抱き、「日本の天皇家と一
体となることを自ら希望し、天皇家の祖神である天照大神を満州国帝室の
祖神とすることを望んだ」(『私生活』)。

溥儀の変節

無論、日満一体化で皇室と融合すれば、関東軍の溥儀への姿勢はより恭し
くなるとの期待もあっただろう。それにしても祖国の神を差し置いて日本
の皇祖神を戴きたいとの発想は理解し難い。満州国は憲法も国会もない生
まれたばかりの国家だったが、目指すところは五族協和の下の王道楽土
だ。そこに日本の天照大神を祀るのは無理がある。

そもそも溥儀の夢は大清国の皇帝に戻ること、復辟(ふくへき)だった。日
本近現代史研究家の波多野勝氏は『昭和天皇とラストエンペラー』(草思
社)で、溥儀は日満一体化を主張することで、自らの夢、復辟を諦めたこ
とになったと強調している。

加藤氏は溥儀の変節を克明に辿った。ソ連に抑留されたときにはソ連賛歌
を口にしソ連女性との結婚を望んだ。毛沢東の中国に身柄を移されたとき
には、またもや豹変した。状況次第で立場を変える溥儀の人生が、多くの
裏切りに満ちていたのは致し方ないかもしれない。彼は肉親をも信じるこ
とができなかった。

溥儀初来日の35年当時、その2年前に日本では皇太子(今上陛下)が誕生
し、国全体が明るい雰囲気に包まれていた。満州国に戻った溥儀は、自分
に子供がいないことを気にし始めた。実弟の溥傑(ふけつ)が嵯峨侯爵家の
長女、浩(ひろ)と結婚すると、「溥傑に男子が生まれたら、自分は殺され
る」と弟宮一家を恐れるようになった。後嗣なき自分は、跡目相続を狙っ
ているに違いない弟宮夫婦に命を狙われていると、本気で恐れた。

なぜ彼には後嗣がなかったのか。溥儀が暮した紫禁城には大勢の宦官や女
官が仕えており、溥儀は宦官相手の放埒な性や、多数の女官相手の爛熟し
た性にふけった。これまで明らかにされなかったこうした私生活を、具体
的に描いたのが加藤氏だ。

64(昭和39)年、中国共産党に指示されて、溥儀は自伝『わが半生』を書
いている。同書は中国当局の描きたい歴史であり、頭から信じるのは危う
いが、その中に16歳で、同年齢の美しい后を娶り、初夜を迎えた場面の描
写がある。

「赤いとばり、赤いふとん、赤い着物、赤いスカート、赤い花、赤い頬……
一面に溶けた赤いロウソクのようだった。私は非常にぎこちない感じで、
坐っても落ち着かず、立っても落ち着かない。私はやはり(自分の居住す
る宮殿の)養心殿がいいやと思い、そこで戸をあけて帰ってしまった」

溥儀の自伝が伝えるのはそこまでだ。その先を加藤氏が追跡した。「(彼
は)養心殿に行って太監と夜明けまで遊んだ」「養心殿には王鳳池(おう
ほうち)がただちに呼ばれ、朝まで二人が親密な夜を過ごしたこと」は多
くが証言している、と。

天国と地獄の差

王鳳池は美しい女人よりもなお美しいと伝えられる宦官である。溥儀は一
目で王鳳池に心を奪われ、彼に導かれて宦官との魔界の性に入った。これ
では跡継ぎを授かるはずがない。

紫禁城はまた、聞くだに恐ろしい刑罰で満ちていた。西太后や溥儀らは、
気分次第で些細なことにも死ぬ程の罰を与えた。青竹による「尻二百叩
き」など序の口だ。手抜きは同罪とされるため、刑の執行は苛烈を極め
た。最もひどい刑罰は「数枚の綿紙を水に浸し、それで口や目、耳、鼻を
ふさぎ、棒で殴り殺す」[気斃(きへい)]の罰だそうだ。

溥儀は「憂さ晴らし」として、絶対服従しかない宦官らに度々厳罰を与え
た。いきなり鞭を持ち出して打ち据える。2月の極寒の中で冷水を浴びせ
続け凍死寸前まで追い詰める。「地面に転がっている馬糞を食べてみろ」
と命じて実際に食べさせる。宦官の口中に放尿するなど、虐待と異常行動
を繰り返した。

「抵抗出来ないものを虐待して愉しむという溥儀の悪癖」は日本国の文化
からすればおぞましい限りだ。

私は『私生活』を読んで、加藤氏のもう一つの作品、『慟哭の通州』(飛
鳥新社)を思い出さずにはいられなかった。支那人による日本人虐殺の地
獄の実態はここでは触れない。ただ言えるのは、溥儀がどれ程「日満一体
化」で皇祖神天照大神を祀りたいと望もうとも、溥儀ら大陸の支配者ら
と、「国民に寄り添い民と共にある」日本の皇室との間には、天国と地獄
の差があることだ。

「記紀」にあるように、わが国を創り給うた神々の末裔とされてきた皇室
は、民を大切にしてきた。わが国のその時々の権力者は実権を握るもの
の、常に皇室、天皇を権威として戴いてきた。近代国家を目指した日本
は、皇室中心の日本国を立憲君主国、天皇は「君臨すれども統治せず」と
位置づけた。日本のこの国柄をこそ大事にしたいと『私生活』を読んで感
じたものだ。

『週刊新潮』 2019年2月21日号 日本ルネッサンス 第840回

2019年02月21日

◆柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策

櫻井よしこ


「柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交
は正念場だ」

トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267

2019年02月20日

◆柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策

櫻井よしこ


柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交は
正念場だ 」

トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267 

2019年02月19日

◆柔軟路線へ移行する

櫻井よしこ


「柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交
は正念場だ 」


トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267 

2019年02月18日

◆柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策

櫻井よしこ


「柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交
は正念場だ」

トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267

2019年02月17日

◆米国の対北朝鮮政策

櫻井よしこ


「柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交
は正念場だ」


トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267

2019年02月16日

◆米国は貫徹できるか

櫻井よしこ


「米国は貫徹できるか、厳しい対中政策」

2日間にわたる米中閣僚級貿易協議が終わった1月31日、トランプ米大統領
は中国代表団を率いる劉鶴副首相と会談した。トランプ氏は、「極めて大
きな進展があった」とし、中国が米国の大豆500万トンの輸入を約束した
ことについて「アメリカの農家がとても喜ぶだろう」と上機嫌で語った。

中国による大量のオピオイド系鎮静剤、フェンタニルの密輸出阻止につい
ても、トランプ氏は習近平主席が対策を講じると約束したと、語ってい
る。この約束は、実は昨年12月の米中首脳会談で決めたことだ。酒も煙草
も嗜まないといわれるトランプ氏は、習慣性が強く最悪の場合過剰使用で
死に至るこの種の薬剤がとても嫌いなのである。

現時点では、トランプ氏の喜びは中国の苦しみだ。今回、米通商代表部の
ライトハイザー代表がぎりぎりまで詰めた主要事項は、米国の貿易赤字削
減、中国による技術移転の強要阻止、同じく中国による知的財産の窃盗の
阻止などである。こうした点についての合意を如何に確実に実施するか、
そのための監視システムの構築も焦点だった。

トランプ氏が喜んだ大豆は、全体の問題のごく一部にすぎない。現に、米
国内では大豆や天然ガス、その他の対中輸出拡大は大きな問題ではなく、
「中国製造2025」に代表される中国の産業、技術政策を阻止することこそ
大事なのだという意見が強い。

1月31日の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に、元来アメリカが
最も得手とするサービス分野こそ中国におけるシェアを高めるべきだが、
そこには厚い障壁があると解説する記事が目についた。金融、保険、エン
ジニアリング、コンサルティング、ソフトウエアの開発などで中国市場を
もっと開かせよというのだ。しかし、フェイスブック、グーグル、ユー
チューブなどの苦い体験を思い出せば、これらのサービス分野こそ、中国
が最も開放したくないと考えていることは明らかだ。こうした分野でアメ
リカの要求を受け入れてしまえば、人々の意識も生活も大きく変わりかね
ない。中国共産党一党支配の崩壊が猛スピードで進む結果になるだろう。

構造的な景気減速

中国人民大学米国研究センター主任の時殷弘(じいんこう)教授が、米側
の要求である究極の構造改革やその実行を担保する監視メカニズムは、中
国の主権への侵犯や国内秩序への干渉となる可能性が高い、とのコメント
を「産経新聞」に寄せていたが、それこそが米国の狙いであり、中国の恐
れる点であろう。

米国の対中政策は凄まじく厳しい。貿易に関する米中閣僚級協議開催直前
に、米司法省はファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者をニュー
ヨークの連邦大陪審が起訴したと発表し、孟氏の身柄引き渡しをカナダ当
局に正式に要請した。

カナダ政府は米国との協定に従って要請に応じざるを得ないであろう。孟
氏が米国に引き渡された場合、彼女は最高で60年の刑を受ける可能性があ
ると、福井県立大学教授の島田洋一氏は語る。

「米国当局は長期刑をチラつかせながら、孟氏にファーウェイと中国共産
党が行ってきた全ての不法行為を自白させようとするでしょう。協力しな
ければ、彼女は100歳をすぎてもまだアメリカの刑務所に入れられている
ことになりかねません。協力すれば、彼女と彼女の息子のために、一生米
国で安全に暮らせる環境も、そのための資金も用意するでしょう。アメリ
カはなんとしても中国に5G(第5世代移動通信システム)の分野で主導権
を取られたくないのです」

孟氏のケースは、米中間で進行する貿易交渉と同じく、否、それ以上に深
刻な問題だと、島田氏は強調する。いま、米国は貿易、軍事、人権、外交
などで中国締め上げに力を注いでいる。米中の戦いで中国に勝ち目はある
のか。

中国経済の2018年の成長率は6.6%と発表された。28年ぶりの低い伸びだ
と発表されたが、実はもっと低く1.67%だったという資料もあると、人民
大学国際通貨研究所副所長の向松祚(こうしょうそ)氏が指摘している。
向氏は別の試算方法ではGDPはマイナス成長になるとの見解さえ示して
いる。

向氏の言を俟たずとも中国の統計の信頼性の低さは余りにも有名で、中国
経済が公式発表の数字よりもはるかに深刻な低成長に落ちていることは十
分に考えられる。

中国のGDPの約25%を生み出す不動産業界の不況も甚しい。去年1年間
で、大手不動産会社は住宅価格を30%といわれる幅で引き下げたという。
今年もかなりの値下げが懸念されており、銀行は大量の不良債権を抱え込
んでいる。地方政府は過剰債務に陥っており、中小企業にはお金が回らな
い。構造的な景気減速に入ってしまっているが、打つ手がないのが中国経
済だ。

四面楚歌の中国

国内経済の減速に加えて、対外事業としての一帯一路への信頼を、中国は
すでに失ってしまった。債務の罠のカラクリは見破られ、中国と協力した
いという国はなくなりつつある。国際戦略の専門家、田久保忠衛氏が「言
論テレビ」で語った。

「中曽根康弘氏の名言ですが、外交で大切なことは筋を通すとか通さない
ということではなく、国際世論を敵にしないことだというのです。いまの
中国は世界のほぼすべての国を敵に回しています」

中国が他国の領土を奪う手法は債務の罠だけではない。南シナ海での振る
舞いが示しているのは、中国は軍事力の行使もためらわないということ
だ。世界はこのことをすでに十分理解した。だからこそ、米国の「航行の
自由」作戦に、英国とフランスは、昨年夏から合流し始めた。

まさに四面楚歌の中国である。このままいけば、米国は中国の横暴を止め
るだろう。だが、物事はそれ程うまくいかないかもしれない。最大の不安
要因がトランプ氏である。

1月31日、トランプ氏の中東政策に共和党上院議員、53名中43名という圧
倒的多数が反対した。シリアからひと月以内に撤退すると、トランプ氏が
唐突に言い出し、反対したマティス国防長官の更迭を発表したのが昨年末
だった。状況不利と見たのであろう。トランプ氏は、メラニア夫人を伴っ
て突然イラクを訪れ、米軍関係者を慰問した。撤退時期などで多少、軌道
修正をはかったとしても、シリア及びアフガニスタンからの撤退という基
本方針は変えないと見られている。

イラクからの早すぎる撤退で失敗したのがオバマ大統領だった。トランプ
大統領も同じ轍を踏みかけている。それは中東の混乱を増大させ、トラン
プ氏の政治基盤を崩しかねない。そのとき、笑うのは中国であり、世界は
本当の危機に陥る。

『週刊新潮』 2019年2月14日号 日本ルネッサンス 第839回

2019年02月15日

◆米国は貫徹できるか、厳しい対中政策

櫻井よしこ


2日間にわたる米中閣僚級貿易協議が終わった1月31日、トランプ米大統領
は中国代表団を率いる劉鶴副首相と会談した。トランプ氏は、「極めて大
きな進展があった」とし、中国が米国の大豆500万トンの輸入を約束した
ことについて「アメリカの農家がとても喜ぶだろう」と上機嫌で語った。

中国による大量のオピオイド系鎮静剤、フェンタニルの密輸出阻止につい
ても、トランプ氏は習近平主席が対策を講じると約束したと、語ってい
る。この約束は、実は昨年12月の米中首脳会談で決めたことだ。酒も煙草
も嗜まないといわれるトランプ氏は、習慣性が強く最悪の場合過剰使用で
死に至るこの種の薬剤がとても嫌いなのである。

現時点では、トランプ氏の喜びは中国の苦しみだ。今回、米通商代表部の
ライトハイザー代表がぎりぎりまで詰めた主要事項は、米国の貿易赤字削
減、中国による技術移転の強要阻止、同じく中国による知的財産の窃盗の
阻止などである。こうした点についての合意を如何に確実に実施するか、
そのための監視システムの構築も焦点だった。

トランプ氏が喜んだ大豆は、全体の問題のごく一部にすぎない。現に、米
国内では大豆や天然ガス、その他の対中輸出拡大は大きな問題ではなく、
「中国製造2025」に代表される中国の産業、技術政策を阻止することこそ
大事なのだという意見が強い。

1月31日の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に、元来アメリカが
最も得手とするサービス分野こそ中国におけるシェアを高めるべきだが、
そこには厚い障壁があると解説する記事が目についた。金融、保険、エン
ジニアリング、コンサルティング、ソフトウエアの開発などで中国市場を
もっと開かせよというのだ。しかし、フェイスブック、グーグル、ユー
チューブなどの苦い体験を思い出せば、これらのサービス分野こそ、中国
が最も開放したくないと考えていることは明らかだ。こうした分野でアメ
リカの要求を受け入れてしまえば、人々の意識も生活も大きく変わりかね
ない。中国共産党一党支配の崩壊が猛スピードで進む結果になるだろう。

構造的な景気減速

中国人民大学米国研究センター主任の時殷弘(じいんこう)教授が、米側
の要求である究極の構造改革やその実行を担保する監視メカニズムは、中
国の主権への侵犯や国内秩序への干渉となる可能性が高い、とのコメント
を「産経新聞」に寄せていたが、それこそが米国の狙いであり、中国の恐
れる点であろう。

米国の対中政策は凄まじく厳しい。貿易に関する米中閣僚級協議開催直前
に、米司法省はファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者をニュー
ヨークの連邦大陪審が起訴したと発表し、孟氏の身柄引き渡しをカナダ当
局に正式に要請した。

カナダ政府は米国との協定に従って要請に応じざるを得ないであろう。孟
氏が米国に引き渡された場合、彼女は最高で60年の刑を受ける可能性があ
ると、福井県立大学教授の島田洋一氏は語る。

「米国当局は長期刑をチラつかせながら、孟氏にファーウェイと中国共産
党が行ってきた全ての不法行為を自白させようとするでしょう。協力しな
ければ、彼女は100歳をすぎてもまだアメリカの刑務所に入れられている
ことになりかねません。協力すれば、彼女と彼女の息子のために、一生米
国で安全に暮らせる環境も、そのための資金も用意するでしょう。アメリ
カはなんとしても中国に5G(第5世代移動通信システム)の分野で主導権
を取られたくないのです」

孟氏のケースは、米中間で進行する貿易交渉と同じく、否、それ以上に深
刻な問題だと、島田氏は強調する。いま、米国は貿易、軍事、人権、外交
などで中国締め上げに力を注いでいる。米中の戦いで中国に勝ち目はある
のか。

中国経済の2018年の成長率は6.6%と発表された。28年ぶりの低い伸びだ
と発表されたが、実はもっと低く1.67%だったという資料もあると、人民
大学国際通貨研究所副所長の向松祚(こうしょうそ)氏が指摘している。
向氏は別の試算方法ではGDPはマイナス成長になるとの見解さえ示して
いる。

向氏の言を俟たずとも中国の統計の信頼性の低さは余りにも有名で、中国
経済が公式発表の数字よりもはるかに深刻な低成長に落ちていることは十
分に考えられる。

中国のGDPの約25%を生み出す不動産業界の不況も甚しい。去年1年間
で、大手不動産会社は住宅価格を30%といわれる幅で引き下げたという。
今年もかなりの値下げが懸念されており、銀行は大量の不良債権を抱え込
んでいる。地方政府は過剰債務に陥っており、中小企業にはお金が回らな
い。構造的な景気減速に入ってしまっているが、打つ手がないのが中国経
済だ。

四面楚歌の中国

国内経済の減速に加えて、対外事業としての一帯一路への信頼を、中国は
すでに失ってしまった。債務の罠のカラクリは見破られ、中国と協力した
いという国はなくなりつつある。国際戦略の専門家、田久保忠衛氏が「言
論テレビ」で語った。

「中曽根康弘氏の名言ですが、外交で大切なことは筋を通すとか通さない
ということではなく、国際世論を敵にしないことだというのです。いまの
中国は世界のほぼすべての国を敵に回しています」

中国が他国の領土を奪う手法は債務の罠だけではない。南シナ海での振る
舞いが示しているのは、中国は軍事力の行使もためらわないということ
だ。世界はこのことをすでに十分理解した。だからこそ、米国の「航行の
自由」作戦に、英国とフランスは、昨年夏から合流し始めた。

まさに四面楚歌の中国である。このままいけば、米国は中国の横暴を止め
るだろう。だが、物事はそれ程うまくいかないかもしれない。最大の不安
要因がトランプ氏である。

1月31日、トランプ氏の中東政策に共和党上院議員、53名中43名という圧
倒的多数が反対した。シリアからひと月以内に撤退すると、トランプ氏が
唐突に言い出し、反対したマティス国防長官の更迭を発表したのが昨年末
だった。状況不利と見たのであろう。トランプ氏は、メラニア夫人を伴っ
て突然イラクを訪れ、米軍関係者を慰問した。撤退時期などで多少、軌道
修正をはかったとしても、シリア及びアフガニスタンからの撤退という基
本方針は変えないと見られている。

イラクからの早すぎる撤退で失敗したのがオバマ大統領だった。トランプ
大統領も同じ轍を踏みかけている。それは中東の混乱を増大させ、トラン
プ氏の政治基盤を崩しかねない。そのとき、笑うのは中国であり、世界は
本当の危機に陥る。

『週刊新潮』 2019年2月14日号 日本ルネッサンス 第839回


2019年02月14日

◆脆くも崩れ去りかねない日露外交

櫻井よしこ


「脆くも崩れ去りかねない日露外交 河井発言は軽率のそしりを免れない」

この一言で元々脆い日露交渉が積木崩しのようになっていくかもしれな
い。そう感じたのが自民党総裁外交特別補佐、河井克行氏の発言だ。

氏は1月8日、米ワシントンの政策研究機関で「中国に対抗するため」日露
平和条約が必要で、同条約締結に米国の理解を求める旨、語ったという。

安倍晋三首相は、米国の対中包囲とでもいうべき厳しい外交の前で、日中
関係の改善を目指している。従って安倍氏の外交戦略目標が河井氏の言う
中国封じ込めにあるかどうかはわからない。仮にそうだとしても、戦略と
は黙って遂行するのが常道だろう。世界の政治の中心地で、安倍氏の特別
補佐が講演すれば、発言は首相の考えを示すものとして瞬時に世界を駆け
巡る。ロシアと中国の怒りは如何程か。河井発言は軽率のそしりを免れない。

まず、ロシア外務省のザハロワ情報局長がロシア国営テレビの番組で、
「対露交渉で日本はなぜ米国の支持を求めるのか、理解できない」と反
発。14日には日露外相会談後の単独記者会見で、ラブロフ外相がこう語った。

「今日何が起きたか、語っておく必要があると思い(記者会見を開い
た)」、平和条約締結に関して両国の立場は「正反対」だ、「南クリール
諸島の主権は第二次世界大戦の結果としてロシアにあることを日本が全面
的に認めることが前提だ」。

ラブロフ氏は従来の厳しい主張を繰り返しただけでなく、「(北方領土を
含む)クリール諸島の主権問題は議論の対象ではない。これはロシアの領
土だ」とまで言い出した。領土交渉には応じないという意味だ。氏はこの
点を河野太郎外相に言い渡したという。

「北方領土」の表現も受け入れないとの発言が、このあとに続いた。

1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉するという安倍・プーチン合意が生
きているのなら、平和条約と北方領土問題は切り離せない。にも拘わら
ず、島の主権問題は話し合いの議題から除くというのでは交渉は行き詰ま
りではないか。日本側はロシアに好き放題言われてしまっている。

ラブロフ氏はその後、現在進行中の経済協力は「全くロシアの心に響かな
い(very unimpressive)」、日本はもっと投資できる
はずだとし、さらに深刻なことを要求した。

「国連でのロシア提案に関する日本の投票行動は日露両首脳が達成を望む
信頼関係を、全く反映していない」

北朝鮮への制裁をはじめ、ロシアや中国と日本が立場を同じくするのは難
しい。日本の外交基軸は価値観を同じくする米国との協調にある。それを
念頭に国連で日本はもっとロシア寄りになれとラブロフ氏は要求している
のだ。

河井氏は日本の戦略としての中露分断を語ったが、ロシアはそのような日
本への怒りの表現として日米分断を声高く主張していると見てよいだろう。

ラブロフ氏は間違いも堂々と語る。

「1956年の日ソ共同宣言が署名されたとき、日米安全保障条約は存在しな
かった。条約が60年に署名されると、日本は日ソ共同宣言から距離を置き
始めた」

「(日米同盟が中露に)安保上のリスクを投げかけている」とも非難した。

滅茶苦茶だ。米軍の占領が終わりに近づいた1951年、日本はサンフランシ
スコ講和条約に調印し、52年に発効した。独立したが非武装国の日本に、
米軍駐留の継続を定めた安保条約が、そのとき同時に成立した。60年は安
保改定の年にすぎない。

ロシアの間違いや不条理な主張を百も承知で安倍首相はウラジーミル・
プーチン大統領と会談を重ねてきたはずだ。その内容については知るべく
もないが、安倍首相が何らかの前向きな反応をプーチン氏から得ていると
仮定しても、河井発言で交渉はさらに難しくなると懸念するものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1266 

2019年02月12日

◆脆くも崩れ去りかねない日露外交

櫻井よしこ


 脆くも崩れ去りかねない日露外交 河井発言は軽率のそしりを免れない」

この一言で元々脆い日露交渉が積木崩しのようになっていくかもしれな
い。そう感じたのが自民党総裁外交特別補佐、河井克行氏の発言だ。

氏は1月8日、米ワシントンの政策研究機関で「中国に対抗するため」日露
平和条約が必要で、同条約締結に米国の理解を求める旨、語ったという。

安倍晋三首相は、米国の対中包囲とでもいうべき厳しい外交の前で、日中
関係の改善を目指している。従って安倍氏の外交戦略目標が河井氏の言う
中国封じ込めにあるかどうかはわからない。仮にそうだとしても、戦略と
は黙って遂行するのが常道だろう。世界の政治の中心地で、安倍氏の特別
補佐が講演すれば、発言は首相の考えを示すものとして瞬時に世界を駆け
巡る。ロシアと中国の怒りは如何程か。河井発言は軽率のそしりを免れない。

まず、ロシア外務省のザハロワ情報局長がロシア国営テレビの番組で、
「対露交渉で日本はなぜ米国の支持を求めるのか、理解できない」と反
発。14日には日露外相会談後の単独記者会見で、ラブロフ外相がこう語った。

「今日何が起きたか、語っておく必要があると思い(記者会見を開い
た)」、平和条約締結に関して両国の立場は「正反対」だ、「南クリール
諸島の主権は第二次世界大戦の結果としてロシアにあることを日本が全面
的に認めることが前提だ」。

ラブロフ氏は従来の厳しい主張を繰り返しただけでなく、「(北方領土を
含む)クリール諸島の主権問題は議論の対象ではない。これはロシアの領
土だ」とまで言い出した。領土交渉には応じないという意味だ。氏はこの
点を河野太郎外相に言い渡したという。

「北方領土」の表現も受け入れないとの発言が、このあとに続いた。

1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉するという安倍・プーチン合意が生
きているのなら、平和条約と北方領土問題は切り離せない。にも拘わら
ず、島の主権問題は話し合いの議題から除くというのでは交渉は行き詰ま
りではないか。日本側はロシアに好き放題言われてしまっている。

ラブロフ氏はその後、現在進行中の経済協力は「全くロシアの心に響かな
い(very unimpressive)」、日本はもっと投資できる
はずだとし、さらに深刻なことを要求した。

「国連でのロシア提案に関する日本の投票行動は日露両首脳が達成を望む
信頼関係を、全く反映していない」

北朝鮮への制裁をはじめ、ロシアや中国と日本が立場を同じくするのは難
しい。日本の外交基軸は価値観を同じくする米国との協調にある。それを
念頭に国連で日本はもっとロシア寄りになれとラブロフ氏は要求している
のだ。

河井氏は日本の戦略としての中露分断を語ったが、ロシアはそのような日
本への怒りの表現として日米分断を声高く主張していると見てよいだろう。

ラブロフ氏は間違いも堂々と語る。

「1956年の日ソ共同宣言が署名されたとき、日米安全保障条約は存在しな
かった。条約が60年に署名されると、日本は日ソ共同宣言から距離を置き
始めた」

「(日米同盟が中露に)安保上のリスクを投げかけている」とも非難した。

滅茶苦茶だ。米軍の占領が終わりに近づいた1951年、日本はサンフランシ
スコ講和条約に調印し、52年に発効した。独立したが非武装国の日本に、
米軍駐留の継続を定めた安保条約が、そのとき同時に成立した。60年は安
保改定の年にすぎない。

ロシアの間違いや不条理な主張を百も承知で安倍首相はウラジーミル・
プーチン大統領と会談を重ねてきたはずだ。その内容については知るべく
もないが、安倍首相が何らかの前向きな反応をプーチン氏から得ていると
仮定しても、河井発言で交渉はさらに難しくなると懸念するものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1266

2019年02月10日

◆脆くも崩れ去りかねない日露外交

櫻井よしこ


「脆くも崩れ去りかねない日露外交 河井発言は軽率のそしりを免れ
ない」

この一言で元々脆い日露交渉が積木崩しのようになっていくかもしれな
い。そう感じたのが自民党総裁外交特別補佐、河井克行氏の発言だ。

氏は1月8日、米ワシントンの政策研究機関で「中国に対抗するため」日露
平和条約が必要で、同条約締結に米国の理解を求める旨、語ったという。

安倍晋三首相は、米国の対中包囲とでもいうべき厳しい外交の前で、日中
関係の改善を目指している。従って安倍氏の外交戦略目標が河井氏の言う
中国封じ込めにあるかどうかはわからない。

仮にそうだとしても、戦略とは黙って遂行するのが常道だろう。世界の政
治の中心地で、安倍氏の特別補佐が講演すれば、発言は首相の考えを示す
ものとして瞬時に世界を駆け巡る。ロシアと中国の怒りは如何程か。河井
発言は軽率のそしりを免れない。

まず、ロシア外務省のザハロワ情報局長がロシア国営テレビの番組で、
「対露交渉で日本はなぜ米国の支持を求めるのか、理解できない」と反
発。14日には日露外相会談後の単独記者会見で、ラブロフ外相がこう語った。

「今日何が起きたか、語っておく必要があると思い(記者会見を開い
た)」、平和条約締結に関して両国の立場は「正反対」だ、「南クリール
諸島の主権は第二次世界大戦の結果としてロシアにあることを日本が全面
的に認めることが前提だ」。

ラブロフ氏は従来の厳しい主張を繰り返しただけでなく、「(北方領土を
含む)クリール諸島の主権問題は議論の対象ではない。これはロシアの領
土だ」とまで言い出した。領土交渉には応じないという意味だ。氏はこの
点を河野太郎外相に言い渡したという。

「北方領土」の表現も受け入れないとの発言が、このあとに続いた。

1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉するという安倍・プーチン合意が生
きているのなら、平和条約と北方領土問題は切り離せない。にも拘わら
ず、島の主権問題は話し合いの議題から除くというのでは交渉は行き詰ま
りではないか。日本側はロシアに好き放題言われてしまっている。

ラブロフ氏はその後、現在進行中の経済協力は「全くロシアの心に響かな
い(very unimpressive)」、日本はもっと投資できる
はずだとし、さらに深刻なことを要求した。

「国連でのロシア提案に関する日本の投票行動は日露両首脳が達成を望む
信頼関係を、全く反映していない」

北朝鮮への制裁をはじめ、ロシアや中国と日本が立場を同じくするのは難
しい。日本の外交基軸は価値観を同じくする米国との協調にある。それを
念頭に国連で日本はもっとロシア寄りになれとラブロフ氏は要求している
のだ。

河井氏は日本の戦略としての中露分断を語ったが、ロシアはそのような日
本への怒りの表現として日米分断を声高く主張していると見てよいだろう。

ラブロフ氏は間違いも堂々と語る。

「1956年の日ソ共同宣言が署名されたとき、日米安全保障条約は存在しな
かった。条約が60年に署名されると、日本は日ソ共同宣言から距離を置き
始めた」

「(日米同盟が中露に)安保上のリスクを投げかけている」とも非難した。

滅茶苦茶だ。米軍の占領が終わりに近づいた1951年、日本はサンフランシ
スコ講和条約に調印し、52年に発効した。独立したが非武装国の日本に、
米軍駐留の継続を定めた安保条約が、そのとき同時に成立した。60年は安
保改定の年にすぎない。

ロシアの間違いや不条理な主張を百も承知で安倍首相はウラジーミル・
プーチン大統領と会談を重ねてきたはずだ。その内容については知るべく
もないが、安倍首相が何らかの前向きな反応をプーチン氏から得ていると
仮定しても、河井発言で交渉はさらに難しくなると懸念するものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1266

2019年02月09日

◆中国が始める宇宙戦争

櫻井よしこ

 
「月を独り占め、中国が始める宇宙戦争」

都会の真ん中に住んでいても美しい月に見とれる夜がある。38万キロ離れ
た地球から眺める月は、欠けていても満ちていても冴え冴えと美しい。満
月のとき、目を細めてじっと見れば、平凡な言い方だが、そこには明らか
にうさぎがいる。

いまその月面で人工物がひとつ走り回っている。中国の探査車「玉兎」で
ある。

1月3日、中国の月探査機「嫦娥(じょうが)4号」が人類初の快挙、月の裏
面着陸を成し遂げた。少しも嬉しくない。中国は2007年に嫦娥1号を、10
年には嫦娥2号を送り月を周回させた。これで月面の詳細な地図を作成
し、13年に嫦娥3号が月の表側に、今回、嫦娥4号が人類未踏の月の裏側に
着陸し、探査車の玉兎を月面に降ろした。

50年前、アメリカの有人宇宙船アポロ11号が月に降り立ち、アームストロ
ング船長が人類初の一歩を月に刻んだ。そのときの中継画像を当時学生
だった私はカナダ・アルバータ州の友人の家族と共に見た。アメリカ人で
はないカナダ人も日本人の私も皆、釘づけだ。興奮と驚嘆と憧憬、まるで
わがことのような嬉しさを分かち合ったのを覚えている。

今回そんな高揚感はない。中国が宇宙戦争でアメリカの先を行くのかと、
むしろ不安になる。中国の宇宙開発を振りかえれば軍事的野望は明らか
で、人類の平和的発展とは程遠い征服の意図を感じるからである。

21世紀の戦争はサイバー空間と宇宙から始まる。私たちはすでに08年8月
のロシアとグルジア(ジョージア)との戦い、14年3月のロシアとウクラ
イナの戦いで、サイバー戦争が行われたことを知っている。

小野寺五典前防衛相が「言論テレビ」で語ったのだが、ウクライナでは、
まず突然携帯電話がつながらなくなり、テレビ、ラジオ各局の通信が遮断
され、公共の交通機関が止まった。ウクライナ軍の混乱の中、見知らぬ
人々がやってきて街を占拠した。それがロシア軍で、クリミア半島はいと
も簡単に奪われた。

ミサイルで気象衛星を破壊

ロシアはすでに少なくとも二度、人類にサイバー戦争を仕掛け、ロシアに
反対する勢力を倒し、国土を奪ったわけだ。

月に手を掛けた中国は今後、ロシアを上回る規模で本質的に同様の行動に
出ると心得ておくのが正しい。外交・安全保障の専門家で中国問題に詳し
い小原凡司氏も「言論テレビ」で、「宇宙戦争の幕を開けたのは中国」だ
と明言し、その始まりは12年前に遡ると指摘した。

嫦娥1号の月周回と同じ07年、中国は高度850キロにあり、すでに寿命が尽
きていた自国の気象衛星を地上発射のミサイルで破壊してみせた。このと
き世界は本当に驚いた。

「あの驚きは、中国が衛星破壊能力を身につけたためではありません。そ
ういうことを中国は本当にやるのだ、ということで驚いたのです」と、小
原氏。

冷戦後、米露両国は互いの衛星を破壊することはしないという暗黙の了解
に達していたのだという。衛星の破壊は、相手の目や耳を潰すことだ。相
手の状況を見ることができず、通信もできない。自分たちが偵察に行って
も情報も入ってこない。当然、疑心暗鬼に陥り、恐怖心に駆られる。衛星
を破壊されたうえで攻撃されればどうなるか。衛星なしには精密なピンポ
イント攻撃は不可能であるから、まともな反撃はできない。そこで大量破
壊兵器で広い範囲を一挙に潰そうという悪魔のささやきに乗せられてしま
う。かくして核兵器使用の動機が高まり、人類を悲劇に陥れる。

このようなことが十分考えられるため、衛星破壊はしないという暗黙の了
解が生まれたと、小原氏は語る。

「その暗黙の了解を破ったのが07年の中国だったのです。彼らは本当に戦
争する気なのかと、国際社会は驚きました。さらに中国は13年までに、高
度3万キロメートルから4万キロメートルの、いま最も高い軌道にある静止
衛星の破壊能力を確立したと言われています。静止衛星も含めて地球を周
回している衛星のほぼすべてを破壊する能力を、彼らは手にしたと見られ
ているのです」

中国共産党中央委員会の政治理論誌『求是』の10年12月号には、次のよう
に書かれている。

「衛星への攻撃は米国を攻撃する最も効果的な手段だ。速やかに宇宙兵器
開発の努力をすべきだ。最終的に人工衛星からミサイルを発射できるよう
になれば、米国はどこにも隠れる場所がないと知るだろう」

アメリカを標的にして屈服させようという意図は明らかだ。このような意
図が、少なくとも中国の軍事戦略の司令塔である中央軍事委員会の下で発
表されている。彼らの「宇宙強国」計画では、20年末までに中国版GPS
「北斗」の35機打ち上げが決定されており、中国は全世界に「監視の目」
を持つことになる。

人民解放軍の能力

全世界、全天候型の地球観測システムの運用について、中国は民間用の衛
星網だと説明する。北斗は測位精度が2.5メートル程度とされており、ア
メリカの衛星に較べれば、能力は落ちる。中国の発表をどのように読み解
くのがよいのか。小原氏の説明だ。

「民間用の衛星網とされる北斗より、地上にある物体の探知、識別能力を
非常に重視している中国人民解放軍(PLA)の衛星の能力はもっと高い
と見てよいと思います。PLAの太平洋上における探知範囲は500万平方
キロメートルに及ぶと、これは彼ら自身が喧伝しています。それほど広い
海域で、米海軍の艦船を対艦弾道ミサイルで攻撃するのに必要な探知能力
を身につけたと言っているわけです」

一群の北斗打ち上げは20年には達成される。それをさらに強化するのが、
22年までに完成予定の中国独自の宇宙ステーション「天宮」だ。有人で長
期滞在型の宇宙ステーションを中国が完成させる構えなのに対して、日米
露など15カ国が参加する国際宇宙ステーション(ISS)の先行きは不安
である。

トランプ米政権は25年までに資金拠出を打ち切り、ISSの運営を民間に
移転するとしている。ロシアはロシア単独の宇宙ステーション建設を模索
中で、欧州は宇宙計画を継続する方向だ。ISSがどのような形で継続さ
れるのか、また、各国の宇宙政策の形もまだ見えてこない。ひとつ明確な
のは、中国だけが宇宙ステーションを持ち宇宙を独占するという最悪の状
況は避けなければならないということだ。

中国の戦略の息の長さ、継続する国家の意志の、真の脅威を実感する。軍
事的要素を忌み嫌い、国防についてまともに考えもしない日本は、自力で
自国を守れない。そんな国など、国家とは言えないということを肝に銘じ
たい。

『週刊新潮』 2019年2月7日号日本ルネッサンス 第838回