2017年07月30日

◆日本こそ劉暁波氏の人権問題について

櫻井よしこ



「日本こそ劉暁波氏の人権問題について中国政府に厳しい意見を言うべき
とき」



7月13日、ノーベル平和賞受賞者で中国の民主化運動の精神的指導者、劉
暁波氏が死去した。中国を愛する故に最後まで中国にとどまって闘った劉
氏の死を、深く悼みたい。

中国当局が劉氏の末期がんを発表したのが6月26日、それからひと月もた
たない死亡だった。中国への厳しい批判が相ついだのは当然だ。劉氏がそ
こでの治療を望んだドイツは、ガブリエル外相が劉氏のがんはもっと早く
発見されるべきだったと批判し、英国もフランスも、劉氏の海外での治療
を許さなかった中国を、明確な言葉で非難した。

日本政府は菅義偉官房長官が14日午前の記者会見で「心から哀悼の意を表
し」「引き続き高い関心を持って、中国の人権状況を注視していく」と
語った。菅氏は「詳細は差し控えるが、さまざまなルートで日本政府の考
え方を中国に伝えていた」とも語ったが、これは日本政府が中国側に、劉
氏の海外移送や治療について、最大限の支援を申し入れたことを指すと思
われる。

萩生田光一官房副長官の説明だ。

「中国からはドイツより、日本の方がずっと近い。移送の際の劉氏への負
担は、日本が引き受ける方がずっと少ない。われわれが支援を申し入れた
のは当然ですが、中国政府は、何もしてもらうことはありませんという
素っ気ない回答でした」

弾圧に苦しむ人々のため、最大限の支援は当然である。日本政府が支援を
申し入れたことは評価したい。しかし、支援申し入れも劉氏の死を悼む言
葉も、なぜこうも控えめなのか。

また日本国全体の反応の何と鈍いことか。国会では野党は7月20日現在も
加計学園問題に拘り続けている。同問題は、前愛媛県知事の加戸守行氏が
7月10日に国会で行った証言で、事実上、終わっている。

しかし、「朝日新聞」「毎日新聞」、NHKなどが、ニュースで加戸氏発
言をほとんど伝えないために問題の本質は理解されていない。メディアは
加計問題の政治利用にかまけて中国の人権問題など二の次ではないか。

日本の国会と米国の議会の相違も際立つ。シンクタンク「国家基本問題研
究所」企画委員で福井県立大学教授の島田洋一氏の指摘だ。

「下院外交委員会のクリス・スミス議員(共和党)は自らが委員長を務め
る小委員会で在米の中国民主活動家らを招いた公聴会を14日に開催しまし
た。共和党のエド・ロイス外交委員長、民主党のナンシー・ペロシ院内総
務も出席して、劉暁波氏の死が超党派の重大関心事であることを印象付け
ました」

「さらに死去前日の12日には、テッド・クルーズ上院議員(共和党)が本
会議場で演説し、『北朝鮮の独裁者金正恩氏ですら、北朝鮮で拘束されて
いた米国人学生、オットー・ワームビア青年を最後に故郷へ帰した。習近
平氏も同程度の人権感覚は示せるはずだ』と演説し、劉暁波夫妻の即時出
国を求めました」

翻って日本では、野田聖子衆院議員を団長に、与党の女性国会議員団9人
が12日、即ち劉氏の危篤が報じられた日に中国の招きで訪中した。深刻な
人権問題として、劉氏の一件を取り上げずに済むタイミングではなかろう
に、野田氏らが取り上げた形跡はない。こんな意識の低さで政治家が務ま
るのか。

米国が国際社会でOdd man(のけ者)視され、求心力を失いつつあ
る一方で、中国が米国に取って代わる動きを見せている。

基本的人権や自由の尊重、民主主義の擁護の価値観と明確な戦略を掲げ
て、世界の秩序を維持してきた米国が後退するいま、日本への期待は価値
観の擁護者としての役割だ。

日本こそ他のどの国よりも劉暁波氏の件について中国政府に厳しい意見を
言うべきときなのである。

『週刊ダイヤモンド』 2017年7月29日号
        新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1192 


2017年07月28日

◆加計学園報道は反安倍倒閣運動だ

櫻井よしこ



愛媛県今治市に加計(かけ)学園の獣医学部を新設する問題で7月10日、
国会閉会中審査が衆参両院で行われた。

この日の審査について「朝日新聞」や「毎日新聞」は、今や彼らの習い性
となったかのような徹底した偏向報道を行った。

両紙は、官邸の圧力で行政が歪められたと繰り返す前川喜平前文部科学事
務次官の証言を主に伝え、氏とは反対の立場から、安倍晋三首相主導の国
家戦略特区が歪められた行政を正したのだと主張した加戸守行前愛媛県知
事の証言は、ほとんど報じなかった。こうして両紙は一方的に安倍首相を
悪者に仕立てた。

大半のテレビ局の報道も同様に偏向しており、報道は今や、反安倍政権・
倒閣運動の様相さえ帯びている。

閉会中審査で証言したにも拘らず、殆ど報じてもらえなかったもう一人の
参考人、内閣府・国家戦略特区ワーキンググループ(WG)委員の原英史
氏が憤る。7月14日、インターネット配信の「言論テレビ」で開口一番、
こう語った。

「加計学園についての真の問題は、獣医学部新設禁止の異様さです。数多
ある岩盤規制の中でも、獣医学部新設の規制はとりわけ異様です。まず、
文部科学省の獣医学部新設禁止自体が異様です。通常の学部の場合、新設
認可の申請を受けて文科省が審査しますが、獣医学部に関しては新規参入
計画は最初から審査に入らない。どれだけすばらしい提案でも、新規参入
は全て排除する。こんな規制、他にはありません」

公務員制度改革も手掛けた原氏は忿懣(ふんまん)やる方ないといった趣
きだ。

「異様の意味はもうひとつあります。既得権益の塊のようなこの岩盤規制
が、法律ではなく文科省の告示で決められていることです。国会での審議
も閣議決定もなしに、文科省が勝手に決めた告示です」

獣医の絶対的不足

文科省の独断の表向きの理由は、獣医の需給調整、即ち獣医が増えすぎる
のを防ぐためと説明されている。だが実際は、競争相手がふえて既得権益
が脅かされることへの日本獣医師会側の警戒心があると見られている。大
学も同様だと、原氏が語る。

「獣医系学部・学科があるのは現在16大学です。志望者は多く、入試倍率
は平均で15倍、学生はどんどんきます。定員は全国で930人ですが、実際
の入学者は1200から1300人と、水増ししています」

定員の50%増で学生を受け入れる程ニーズがあるのに新設させない理屈は
何か。獣医師会側はあくまで、獣医は余っている、これ以上養成する必要
はないと主張する。

加戸氏は、知事として愛媛県の畜産農家の実情を見詰めてきた。その体験
から、獣医師は絶対的に不足していると強調する。

「私の知事時代、鳥インフルエンザが発生しました。感染拡大を防ぐため
に獣医という獣医に集合してもらいました。県庁職員の産業動物獣医に
は、獣医の絶対的不足の中、定年を延長して働いてもらっています。70代
の獣医さんをかき集めても、それでも足りない。獣医学部新設を許さない
鉄のような岩盤規制をどれだけ恨めしく思ったかしれません」

「現場はおよそどこでも獣医不足です。現場を見ることなしに発言してほ
しくないと思います」と原氏。

実際に何が起きていたのか。原氏が異様だと非難した実態は如何にして生
れたのか。こうした問いの答えにつながる情報を、7月17日の「産経新
聞」がスクープした。その中で日本獣医師会と石破茂氏の会話が報じられ
ている。

2年前の9月9日、地方創生担当大臣だった石破氏を、「日本獣医師政治連
盟」委員長の北村直人氏らが訪ね、石破氏がこう語ったという。

「今回の成長戦略における大学学部の新設の条件については、大変苦慮し
たが、練りに練って誰がどのような形でも現実的に参入は困難という文言
にした」

絶対に獣医学部新設を阻むべく、規制を強めたと言っていることがうかが
える。具体的にはそれは「石破4条件」を指すとされ、獣医学部新設の
ハードルを上げて極めて困難にしたと報じられた。

石破氏に連絡がつかず、この点について直接確認できなかったが、産経の
取材に、氏は右の発言も含めて全面的に否定した。ただ右の言葉は日本獣
医師会のホームページに石破氏との対話として公開されている。

こうした中で、加計学園に獣医学部の新設が認められたのはなぜか。原氏
が説明した。

「獣医学部新設は、平成26(2014)年からWGで議論していました。当時
議論していたのは、新設の提案があった新潟のケースです。しかし、肝心
の大学(新潟食料農業大学、2018年開学予定)がついてこず、具体化しま
せんでした。他方、今治の提案は平成27年末に受け入れられました」

天下りの土壌

加戸氏が語る。

「私は知事になって2000年頃からずっと、今治市と協力して地元の熱意と
夢を担って、獣医学部新設を働きかけてきました。私たちの特区申請は何
回も門前払いを食らい、口惜しかった。一番強く反対したのが日本獣医師
会でした」

加戸氏は特区申請を認めてもらえるように教授陣を充実させ、ライフサイ
エンス分野で新しい研究を進めること、感染症対策にも積極的に取り組む
ことなどを盛り込み、提案を練り上げた。

「四国4県のどこにも獣医学部はありません。今治市だけでなく四国全体
の夢として準備を重ねましたから、今治が最適だという自負があります。
安倍首相と加計さんが友人であることは全く無関係です」(加戸氏)

原氏が加えた。

「獣医学部新設の提案は、新潟市、今治市と京都の綾部市からありまし
た。綾部市は京都産業大学を念頭に置いていたのですが、7月14日に京産
大が正式に提案を撤回しました。新潟は申請自体が具体化していません。
結局、充実した案を示したのが今治市と加計学園のチームだった。熟度が
全く違いますから、彼らが選ばれるのは当然です。安倍首相の思いや友人
関係など個人的条件が入り込む余地など全くありません」

先述のように、加戸氏は国家戦略特区で今治市と加計学園が認められたこ
とで、歪められた行政が正されたと語り、官邸が行政を歪めたという前川
氏の主張を真正面から否定した。行政を歪めた張本人は、前川氏の言う官
邸ではなく加戸氏が指摘したように獣医師会と文科省ではないのか。

その動機に天下りがあるのではないか。強い規制は天下りの土壌を生む。
大学は文科官僚の絶好の再就職先だ。大事にしなければならない。加計学
園問題は今や事の本質から離れ、文科省、前川氏、朝日新聞などの思惑が
渦巻いて反安倍政権と倒閣の暗い熱情で結ばれているのではないか。

『週刊新潮』 2017年7月27日号 日本ルネッサンス 第763回


2017年07月27日

◆興味深い前川・加戸両氏の正反対の主張

櫻井よしこ



「歪められたのか、歪みが正されたのか 興味深い前川・加戸両氏の正反
対の主張」

7月10日、学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画問題に関して、衆参
両院の閉会中審査が実施された。

興味深かったのが前川喜平前文部科学事務次官と加戸守行元文科大臣官房
長の正反対の主張だった。

前川氏は加戸氏の元部下。加戸氏は退官後の平成11(1999)年に愛媛県知
事に就任。3期12年間、氏が一貫して取り組んだ課題が獣医学部を備えた
加計学園の今治市への誘致だった。両氏の証言から前川氏頼みで安倍政権
を揺さぶりたい民進党の主張が透視された。

民進党トップバッターは福島伸享衆議院議員だ。氏の問いに前川氏は、今
治市の国家戦略特区に獣医学部を新設する件では、背景に官邸、とりわけ
和泉洋人首相補佐官の動きがあったと、固有名詞をあげて語った。

特区の諮問会議が獣医学部新設を決定したのは平成28年11月9日だ。にも
拘らず、加計学園の渡邊事務局長が文科省の課長を訪ねて相談したのが同
年10月21日だったのはなぜか。

獣医学部新設が認められるか否か不明な段階で、新設学部は現有の学部を
上回る数の教授を揃える、カリキュラムの内容をふやすなどの会話がなさ
れている。加計学園ありきではないかと、福島氏は質した。対して、常盤
豊文科省高等教育局長がこう回答した。

「構造改革特区の段階からすでに(学部新設に向けての)動きが(加計学
園に)あった。(学部新設決定前に)設置の相談をということはあり得る」

構造改革特区は平成14年、小泉政権が導入した規制緩和のための制度であ
る。安倍政権下で始まった現在の国家戦略特区以前の制度で、その古い制
度の時代から加戸氏や加計学園は獣医学部新設を申請していたということだ。

だが、獣医師会及び文科省は既得権益擁護のために、自治体の要請を「は
ねつけ続け」(加戸氏)、獣医学部新設の要請は実に52年間も受け付けて
もらえていない。常盤局長が言外に言っているのはそういうことだ。

加計学園はずっと前から獣医学部新設に向けて準備していたのであり、そ
の一環としてさまざまな相談があったのは自然なことだと、指摘したわけだ。

それでも福島氏は、加計学園問題や国家戦略特区を総理は岩盤規制の突破
だと言うが、むしろ新たな規制になっていると論難した。獣医学部新設を
希望した大学は他にも京都産業大学や新潟食料農業大学があったが、加計
学園にしか認可がおりないようになっていたというのだ。

だが。京都産業大学が書類を揃えてようやく正式に名乗りを上げたのは去
年10月だ。新潟食料農業大学は結局、申請書類を出さなかった。加戸氏が
語った。

「私は少なくとも10年前に愛媛県民、今治の人々の夢と希望を託されて
(獣医学部新設に)挑戦した。厚い岩盤規制ではね返されたが、やっと
(安倍政権の)国家戦略特区の枠で実現しようとしている。今、本当に嬉
しい」

前川氏は、加計学園問題で官邸、つまり安倍首相や和泉補佐官らが介入
し、「行政が歪められた」と繰り返した。だが、加戸氏は「国家戦略特区
によって、歪められた行政が正されたというのが正しい発言だ」と、前川
発言を真っ向から否定した。

7月10日の審査への私の感想は、まず、民進党などは獣医学部新設という
問題の本質から離れて加計学園問題を安倍政権批判に利用しているにすぎ
ない。2、香川県出身の自民党衆議院議員、平井たくや氏のお粗末な質問
に見られるように、自民党の中には、危機の深刻さを理解していない議員
が少なくないのではないか。

3、先週の当欄でも指摘したが現役事務次官時代に新宿のいかがわしい場
所に数十回も通ったことを貧困女子の実態調査だと言って恥じない前川氏
の人格の低劣さが、またもや際立ったことの3点だ。
『週刊ダイヤモンド』 2017年7月22日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1191

2017年07月25日

◆世界の指導者になれない残酷な中国

櫻井よしこ



これまで多くの首脳会議の集合写真を見てきたが、アメリカの大統領が端
に立っている場面は思い出せない。その意味でドイツ・ハンブルクで7月7
日から開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)の集合写真は
印象的である。

前列ほぼ中央にアンゲラ・メルケル独首相が立ち、その左に中国の習近平
主席、さらに左にロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立った。ドナ
ルド・トランプ米大統領は前列の端から2人目、中央から離れて立った。
自由主義陣営の旗手が片隅に立つ姿は現在の世界の実情を投影しているよ
うに私には思えた。

G20で改めて明らかになったのが、大国主義で傍若無人の中国の強気と、
中国に目立った抗議をしない各国の対応である。トランプ大統領はドイツ
入りする直前、ポーランドを訪れ、「ポーランド国民の自由、独立、権利
と国家の運命」について語り、固い絆で支援すると演説した。

G20を、自由主義陣営とそうでない中国・ロシア陣営との価値観のぶつか
り合いの場ととらえての演説だったのか。だがその言は果たしてどの程度
まで行動に反映されているのか。ノーベル平和賞受賞者で、服役中に肝臓
ガンにかかり、今や重体に陥った劉暁波氏の案件を、このG20でアメリカ
も欧州も取り上げてはいない。

中国が劉氏の病状を発表した6月26日、氏はすでに末期だった。たとえ助
からなくても、外国で治療を受けたいと氏は願ったが、中国政府が出国を
許さない。7月8日までに米独の専門家が劉氏を診察し、氏の容態の「急速
な悪化」が報じられた。化学療法も停止されたという。

欧米諸国、とりわけアメリカは人権問題に強い関心を持ち、中国にも厳し
く対処してきた歴史がある。それが世界の尊敬と信頼を集める理由でも
あった。しかし、トランプ政権からは、人権問題に真剣に取り組む姿勢は
見えない。

欧州を牽引するドイツもまた、人権問題よりも中国との経済協力に、強い
関心を示している。ドイツが主催した今回のG20でも人権問題は殆ど表面
化せず、習主席はさぞ満足したことだろう。

知識人を拷問・殺害

中国歴代の政権が、最も恐れている民主化運動のリーダーが劉氏である。
「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が語る。

「劉氏は自由のために戦い続けてきました。いまや、民主化勢力にとって
神のような精神的リーダーです。もう1人、習氏が恐れる政敵が薄熙来氏
です。彼は民衆のために戦った政治家として、いまも根強い支持がありま
す。両氏が中国の左派と右派、両陣営の精神的求心力になっているので
す。その2人が揃って肝臓ガンになった。尋常ならざる事情が裏にあると
思います」

ちなみに薄氏は酒、煙草は一切のまない。趣味はマラソンという健康人で
ある。酒も煙草も大いに好み、趣味はマッサージという習主席とは対照的
だ。にも拘らず、薄氏が肝臓ガンにかかったことに、中国の残忍さを知悉
する矢板氏は疑問を抱く。

劉氏に関して中国当局は病状を知っていながら必要な治療を施さなかった
のであろう。治療しても到底、助からないことを見越しての公表だったの
であろう。死亡後に釈放するより、末期の氏を手厚く治療する様子を発信
すれば、習体制の悪魔のような人権弾圧や拷問の印象が薄れると踏んだ可
能性もある。中国での人権弾圧の事例を矢板氏が説明した。

「2015年7月10日、『暗黒の金曜日』に人権派弁護士約200人が拘束されま
した。その中に李和平氏がいます。非常に優秀な勇気ある男で、彼は当局
が強要して認めさせようとした罪を一切認めなかった。服役中に拷問さ
れ、血圧を急上昇させるような食事や薬剤を投与されて、殆ど目が見えな
くなった。逮捕から約2年間収監され、今年5月に釈放されたときは、健康
で頭脳明晰だったかつての姿ではなく、髪は真っ白、呆けて別人になり果
てていたのです」

中国で行われる拷問のひとつに、袋をかぶせて呼吸困難にする手法がある。

「頭部をビニール袋でスッポリ覆って暫く放置すると酸素が欠乏して脳に
影響が出ます。死ぬ直前で袋を開けて息をさせる。そしてまた、袋をかぶ
せる。これを繰り返すと、完全に廃人になります」と矢板氏。

カンボジアのポル・ポト政権が、毛沢東に倣って同じ方法で知識人を拷
問・殺害していたことが知られている。習政権はいまもそのようなことを
行っているわけだ。だが、習主席がこの件についてG20で注文をつけられ
たり論難されたりすることはなかった。自由を謳い上げたトランプ大統領
はどうしたのか。

無実の日本人を拘束

欧米諸国が中国に物を言わないのであれば、日本が自由や人権などの普遍
的価値観を掲げて発言すべきだ。今からでもよい、劉氏の治療を日本が引
き受けると表明すべきである。日本は中国と距離的に近い。欧州に移送す
るより日本に移送する方が、劉氏にとってずっと負担が少ない。理由はも
うひとつある。日本人12人が現在中国に「スパイ」として拘束されている
ではないか。12人中6人は、千葉県船橋市の地質調査会社「日本地下探
査」の技術者4人と、彼らが中国で雇った日本人2人である。

社長の佐々木吾郎氏が、4人は「まじめで一生懸命な社員ばかり」だと
語っている。全員、中国語は全くわからない。そんな人たちが郊外で温泉
を掘ろうと地質調査をしていて、どんなスパイ活動ができるのか。完全な
冤罪であろう。即ち、これは中国が日本に仕掛けた外交戦だと、断定して
よいだろう。

無実の日本人をいきなり拘束してスパイ扱いし、対日交渉の材料にする中
国のやり口を、私たちは2010年に拘束されたフジタの社員4人の事件から
学んだ。あのときは中国漁船が尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当
たりして、日中関係が非常に厳しくなっていた。中国はレアアースの対日
輸出を一時止めて世界貿易機関(WTO)のルールも踏みにじった。だ
が、結局日本は譲歩した。

今回、中国が勝ち取りたいのは日本の経済協力であろうし、南シナ海問題
に警戒感を強め、台湾の蔡英文政権について発言、接近する動きを見せる
安倍首相への牽制があるだろう。来年は習主席が訪日する。その前に安倍
首相が訪中する。中国にとって好ましい形で対日外交を乗り切り、大国と
しての地位を確立するために日本を従わせようとしているのではないか。

日本がAIIB(アジアインフラ投資銀行)に前向きな姿勢をとること
も、米国に頼り切れない現状では、戦術上、必要であろう。しかし局面は
いま、日本が人道の国として、普遍的価値観重視の姿勢を、国際社会に鮮
明に打ち出すときだ。そのために6人のみならず、12人の釈放を要求し、
劉氏受け入れも表明するのがよい。

『週刊新潮』 2017年7月20日号 日本ルネッサンス 第762回


2017年07月24日

◆ユネスコ制度改革への日本の働きかけ

櫻井よしこ



「ユネスコ制度改革への日本の働きかけ 方法正しくても実を結ぶかは不
透明だ」

「朝日新聞」が6月24日、「ユネスコ『世界の記憶』 『政治案件』一部
除外へ」という記事を報じた。

ユネスコ「世界遺産」の登録小委員会が、拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏
らが申請した「中国大陸における通州事件とチベット人虐殺」に関する申
請は「『世界の記憶』の基準に合致しない」旨、通知してきたという。他
方、日中韓の団体が申請した「慰安婦の証言」については、申請者に加
わった「女たちの戦争と平和資料館」などに除外の通知は来ていないという。

強い政治的意図が込められた「南京大虐殺の記録」を中国が申請し、日本
の反対にもかかわらず、記憶遺産(現・世界の記憶)に登録されたのは2
年前だった。

当事国の日本には、中国側の登録内容、その正しさを証明する根拠など、
今日に至るまで説明がない。こんな制度は不当だとして、日本政府はユネ
スコの制度改革を申し入れた。

具体的には、記憶遺産の登録に関しては以下の3点を軸に関係諸国が調整
するというものだ。(1)共同申請とする、(2)異なる見解がある場合、
当事国間での合意形成を目指す、(3)合意が困難な場合、対話を継続
し、登録時期を最大で4年間見送る、である。

これらはいま、ユネスコ制度改革に関する専門家委員会が議論中だ。議論
がまだ決着していない中で藤岡氏らの申請に、いわば黄色信号がついたこ
とになる。

麗澤大学客員教授の高橋史朗氏が指摘した。

「中国や韓国が日本のNGOと共同申請した案件は政治的色彩なしとして
許容され、藤岡さんたちの申請に注文がつけられるなら、ユネスコは二重
基準です」

藤岡氏も語った。

「4月10日にユネスコ側から、特定の政治的主張であれば基準に合致しな
いとの通知がありましたが、私たちは20世紀の中国大陸における人権問題
として登録しようとしています。期限の5月8日までに説明し回答しました
が、まだ返事はありません」

藤岡氏らが取り上げた通州事件とは、昭和12(1937)年に中国河北省通州
で発生した日本人257人の虐殺事件である。同事件を機に日本の国民感情
が燃え上がり、日中戦争への気運が高まった。

『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)の著者、加藤康男
氏は現場を取材して、南京や盧溝橋など対日歴史戦の遺跡を保存し利用す
る中国が、通州事件の痕跡だけは完膚なきまでに消し去り続けている事実
を指摘し、中国は自国に不都合な歴史をなかったことにしたいと結論づけ
ている。

チベット人など少数民族への弾圧、虐殺に関する物証も、たとえば彼らの
家族の歴史の記録を残させないなど、全て消し去りたいのが中国政府だ。
チベット人の側から見れば、そうした苦難を生きのびてきた記録こそ、民
族の歴史で、人権擁護の観点から、全人類が共有すべき情報だと、なる。

仮りにこのような事実の登録が許されないとしたら、南京事件登録で見ら
れたように、ユネスコは中韓両国の働きかけを受けた、特定国への不条理
で政治的な攻撃の場であり続けることになる。そのようなユネスコでよい
はずがない。

日本国の課題も明らかだ。2年前に「南京大虐殺」を登録された時点で、
次は中韓両国が他のアジア諸国などと図って日本を貶める慰安婦問題登録
を仕掛けてくることは明らかだった。

彼らが申請する具体的案件は予想がつかないうえに、ひとつひとつへの反
証情報を揃えることは時間的に難しいとの見通しの中で、不公正な審理を
防ぐためにユネスコの制度改革に力を注ぐという、日本政府の基本方針が
決まった。

私もそれが正しい方法だと思うが、現状を見れば2年間の日本の働きかけ
が実を結ぶのか、不透明だ。この間の外務省の努力を厳しく検証すべきだ。

『週刊ダイヤモンド』 2017年7月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1189 


    

2017年07月23日

◆置き去りにされた本質の議論

櫻井よしこ



「置き去りにされた本質の議論 摩訶不思議な「加計学園」問題 」

学校法人「加計学園」問題は摩訶不思議な問題である。とりわけ不思議な
のが前文部科学事務次官の前川喜平氏だ。氏が現役の文科次官だった時、
新宿歌舞伎町のいかがわしい店に頻繁に出入りしていたことはすでに報じ
られている。その店を取材した新聞社や雑誌社の記者に尋ねると一様に、
「買春が目的と思われても仕方のない店」だと語る。

たとえばこのような店に現職の校長や教師などが一度でも足を運び、料金
を払って女の子を店の外に連れ出していたなどとわかったら、恐らく
PTAも教育委員会も黙ってはいないだろう。校長・教師側は散々非難さ
れ、場合によっては辞職を迫られかねない。

だが、そのような行為を数十回も繰り返していた前川氏は、「貧困女子の
実態調査だ」と弁明した。メディアはこの弁明を受け入れ、氏は「親切な
小父さん」になった。民進党等は、前川氏に「証言」させ、安倍政権批判
としてきた。

そこで、加計学園問題に深くかかわってきた前愛媛県知事の加戸守行氏に
聞いてみた。氏は平成11(1999)年から3期12年間、愛媛県知事を務め、
獣医学部の新設に力を尽くした。

氏が語った。

「知事に就任してすぐに、私は、10年以上停滞していた今治市再開発事業
に手をつけました。市の構想のひとつが学園都市を作ることでした。けれ
ど私たちが欲しかったのは獣医学部だった。四国四県が獣医不足に悩んで
いるのは、今も変わりありません。獣医師の定年を延長したり、応募があ
れば、本来試験をして採用に至るものがフリーパスで採用される状況です」

「約50年間も獣医学部は新設されていません。しかも獣医学部の入学定員
は神奈川県以東が8割、岐阜県以西が二2。不公平が罷り通っているので
す。私の時には鳥インフルエンザが、平成22年には宮崎県で口蹄疫が発生
しました。その度に農家も役所もどれほど獣医不足が恨めしいと思ったこ
とか」

獣医師会が力を持って学部新設に反対したことを振りかえり、加戸氏は
「岩盤規制を打ち破るのに10年以上かかった」と語る。

「ところが、平成21年に民主党政権になって少し前進した。衆議院の玉木
雄一郎氏らが頑張った。自民党政権になったらまた停滞しかかったのを、
国家戦略特区諮問会議がこの問題に取り組み、竹中平蔵氏ら有識者の尽力
でようやく事態が動いたのです」

安倍晋三首相の個人的事情については、こう語る。

「首相のお友達云々は関係ありませんよ。それより酷いのは文部科学省で
す。どれだけ獣医師が不足しているか、そのデータを諮問会議が求めて
も、出さない。四国4県の関係者は、早期の獣医学部新設を望んで、4知事
連名で要望しましたが、そうした地元の声を無視したのが文科省です」

加戸氏は問題の本質が取り違えられていると強調する。深刻な獣医師不足
解消のための獣医学部新設であり、急ぐべきだという大事な点を、メディ
アは報じないと批判する。この問題を安倍首相批判の材料としてのみ見て
いるのが報道ではないかと言うのだ。

「私の所に取材にきて、正確に報道したのは産経と読売でした。朝日と毎
日は無視するか、または不正確な報道でした。テレビ報道は文字に残って
いないのでひとつひとつ正確に批判できないのが残念ですが、前川発言を
報じたTBSには唖然としました」

前川氏はTBSの番組で、加戸氏が安倍首相から頼まれて加計学園問題で
安倍首相に有利な発言をしている、見返りに加戸氏は教育再生実行会議の
メンバーにしてもらっているとの主旨を語ったという。

「前川氏は少しおかしくなったと私は思いましたね」と加戸氏。前川氏も
メディアも、常軌を逸していないか。
『週刊ダイヤモンド』 2017年7月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1190

2017年07月22日

◆世界の指導者になれない残酷な中国

櫻井よしこ



これまで多くの首脳会議の集合写真を見てきたが、アメリカの大統領が端
に立っている場面は思い出せない。その意味でドイツ・ハンブルクで7月7
日から開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)の集合写真は
印象的である。

前列ほぼ中央にアンゲラ・メルケル独首相が立ち、その左に中国の習近平
主席、さらに左にロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立った。ドナ
ルド・トランプ米大統領は前列の端から2人目、中央から離れて立った。
自由主義陣営の旗手が片隅に立つ姿は現在の世界の実情を投影しているよ
うに私には思えた。

G20で改めて明らかになったのが、大国主義で傍若無人の中国の強気と、
中国に目立った抗議をしない各国の対応である。トランプ大統領はドイツ
入りする直前、ポーランドを訪れ、「ポーランド国民の自由、独立、権利
と国家の運命」について語り、固い絆で支援すると演説した。

G20を、自由主義陣営とそうでない中国・ロシア陣営との価値観のぶつか
り合いの場ととらえての演説だったのか。だがその言は果たしてどの程度
まで行動に反映されているのか。ノーベル平和賞受賞者で、服役中に肝臓
ガンにかかり、今や重体に陥った劉暁波氏の案件を、このG20でアメリカ
も欧州も取り上げてはいない。

中国が劉氏の病状を発表した6月26日、氏はすでに末期だった。たとえ助
からなくても、外国で治療を受けたいと氏は願ったが、中国政府が出国を
許さない。7月8日までに米独の専門家が劉氏を診察し、氏の容態の「急速
な悪化」が報じられた。化学療法も停止されたという。

欧米諸国、とりわけアメリカは人権問題に強い関心を持ち、中国にも厳し
く対処してきた歴史がある。それが世界の尊敬と信頼を集める理由でも
あった。

しかし、トランプ政権からは、人権問題に真剣に取り組む姿勢は見えな
い。欧州を牽引するドイツもまた、人権問題よりも中国との経済協力に、
強い関心を示している。ドイツが主催した今回のG20でも人権問題は殆ど
表面化せず、習主席はさぞ満足したことだろう。

知識人を拷問・殺害

中国歴代の政権が、最も恐れている民主化運動のリーダーが劉氏である。
「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が語る。

「劉氏は自由のために戦い続けてきました。いまや、民主化勢力にとって
神のような精神的リーダーです。もう1人、習氏が恐れる政敵が薄熙来氏
です。彼は民衆のために戦った政治家として、いまも根強い支持がありま
す。両氏が中国の左派と右派、両陣営の精神的求心力になっているので
す。その2人が揃って肝臓ガンになった。尋常ならざる事情が裏にあると
思います」

ちなみに薄氏は酒、煙草は一切のまない。趣味はマラソンという健康人で
ある。酒も煙草も大いに好み、趣味はマッサージという習主席とは対照的
だ。にも拘らず、薄氏が肝臓ガンにかかったことに、中国の残忍さを知悉
する矢板氏は疑問を抱く。

劉氏に関して中国当局は病状を知っていながら必要な治療を施さなかった
のであろう。治療しても到底、助からないことを見越しての公表だったの
であろう。

死亡後に釈放するより、末期の氏を手厚く治療する様子を発信すれば、習
体制の悪魔のような人権弾圧や拷問の印象が薄れると踏んだ可能性もあ
る。中国での人権弾圧の事例を矢板氏が説明した。

「2015年7月10日、『暗黒の金曜日』に人権派弁護士約200人が拘束されま
した。その中に李和平氏がいます。非常に優秀な勇気ある男で、彼は当局
が強要して認めさせようとした罪を一切認めなかった。

服役中に拷問され、血圧を急上昇させるような食事や薬剤を投与されて、
殆ど目が見えなくなった。逮捕から約2年間収監され、今年5月に釈放され
たときは、健康で頭脳明晰だったかつての姿ではなく、髪は真っ白、呆け
て別人になり果てていたのです」

中国で行われる拷問のひとつに、袋をかぶせて呼吸困難にする手法がある。

「頭部をビニール袋でスッポリ覆って暫く放置すると酸素が欠乏して脳に
影響が出ます。死ぬ直前で袋を開けて息をさせる。また、袋をかぶせる。
これを繰り返すと、完全に廃人になります」と矢板氏。

カンボジアのポル・ポト政権が、毛沢東に倣って同じ方法で知識人を拷
問・殺害していたことが知られている。習政権はいまもそのようなことを
行っているわけだ。だが、習主席がこの件についてG20で注文をつけられ
たり論難されたりすることはなかった。自由を謳い上げたトランプ大統領
はどうしたのか。

無実の日本人を拘束

欧米諸国が中国に物を言わないのであれば、日本が自由や人権などの普遍
的価値観を掲げて発言すべきだ。今からでもよい、劉氏の治療を日本が引
き受けると表明すべきである。

日本は中国と距離的に近い。欧州に移送するより日本に移送する方が、劉
氏にとってずっと負担が少ない。理由はもうひとつある。日本人12人が現
在中国に「スパイ」として拘束されているではないか。12人中6人は、千
葉県船橋市の地質調査会社「日本地下探査」の技術者4人と、彼らが中国
で雇った日本人2人である。

社長の佐々木吾郎氏が、4人は「まじめで一生懸命な社員ばかり」だと
語っている。全員、中国語は全くわからない。そんな人たちが郊外で温泉
を掘ろうと地質調査をしていて、どんなスパイ活動ができるのか。完全な
冤罪であろう。即ち、これは中国が日本に仕掛けた外交戦だと、断定して
よいだろう。

無実の日本人をいきなり拘束してスパイ扱いし、対日交渉の材料にする中
国のやり口を、私たちは2010年に拘束されたフジタの社員4人の事件から
学んだ。あのときは中国漁船が尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当
たりして、日中関係が非常に厳しくなっていた。中国はレアアースの対日
輸出を一時止めて世界貿易機関(WTO)のルールも踏みにじった。だ
が、結局日本は譲歩した。

今回、中国が勝ち取りたいのは日本の経済協力であろうし、南シナ海問題
に警戒感を強め、台湾の蔡英文政権について発言、接近する動きを見せる
安倍首相への牽制があるだろう。来年は習主席が訪日する。その前に安倍
首相が訪中する。中国にとって好ましい形で対日外交を乗り切り、大国と
しての地位を確立するために日本を従わせようとしているのではないか。

日本がAIIB(アジアインフラ投資銀行)に前向きな姿勢をとること
も、米国に頼り切れない現状では、戦術上、必要であろう。しかし局面は
いま、日本が人道の国として、普遍的価値観重視の姿勢を、国際社会に鮮
明に打ち出すときだ。そのために6人のみならず、12人の釈放を要求し、
劉氏受け入れも表明するのがよい。
『週刊新潮』 2017年7月20日号 日本ルネッサンス 第762回
    
         
     

2017年07月21日

◆世界の指導者になれない残酷な中国

櫻井よしこ




これまで多くの首脳会議の集合写真を見てきたが、アメリカの大統領が端
に立っている場面は思い出せない。その意味でドイツ・ハンブルクで7月7
日から開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)の集合写真は
印象的である。

前列ほぼ中央にアンゲラ・メルケル独首相が立ち、その左に中国の習近平
主席、さらに左にロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立った。ドナ
ルド・トランプ米大統領は前列の端から2人目、中央から離れて立った。
自由主義陣営の旗手が片隅に立つ姿は現在の世界の実情を投影しているよ
うに私には思えた。

G20で改めて明らかになったのが、大国主義で傍若無人の中国の強気と、
中国に目立った抗議をしない各国の対応である。トランプ大統領はドイツ
入りする直前、ポーランドを訪れ、「ポーランド国民の自由、独立、権利
と国家の運命」について語り、固い絆で支援すると演説した。

G20を、自由主義陣営とそうでない中国・ロシア陣営との価値観のぶつか
り合いの場ととらえての演説だったのか。だがその言は果たしてどの程度
まで行動に反映されているのか。ノーベル平和賞受賞者で、服役中に肝臓
ガンにかかり、今や重体に陥った劉暁波氏の案件を、このG20でアメリカ
も欧州も取り上げてはいない。

中国が劉氏の病状を発表した6月26日、氏はすでに末期だった。たとえ助
からなくても、外国で治療を受けたいと氏は願ったが、中国政府が出国を
許さない。7月8日までに米独の専門家が劉氏を診察し、氏の容態の「急速
な悪化」が報じられた。化学療法も停止されたという。

欧米諸国、とりわけアメリカは人権問題に強い関心を持ち、中国にも厳し
く対処してきた歴史がある。それが世界の尊敬と信頼を集める理由でも
あった。しかし、トランプ政権からは、人権問題に真剣に取り組む姿勢は
見えない。欧州を牽引するドイツもまた、人権問題よりも中国との経済協
力に、強い関心を示している。ドイツが主催した今回のG20でも人権問題
は殆ど表面化せず、習主席はさぞ満足したことだろう。

知識人を拷問・殺害

中国歴代の政権が、最も恐れている民主化運動のリーダーが劉氏である。
「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が語る。

「劉氏は自由のために戦い続けてきました。いまや、民主化勢力にとって
神のような精神的リーダーです。もう1人、習氏が恐れる政敵が薄熙来氏
です。彼は民衆のために戦った政治家として、いまも根強い支持がありま
す。両氏が中国の左派と右派、両陣営の精神的求心力になっているので
す。その2人が揃って肝臓ガンになった。尋常ならざる事情が裏にあると
思います」

ちなみに薄氏は酒、煙草は一切のまない。趣味はマラソンという健康人で
ある。酒も煙草も大いに好み、趣味はマッサージという習主席とは対照的
だ。にも拘らず、薄氏が肝臓ガンにかかったことに、中国の残忍さを知悉
する矢板氏は疑問を抱く。

劉氏に関して中国当局は病状を知っていながら必要な治療を施さなかった
のであろう。治療しても到底、助からないことを見越しての公表だったの
であろう。死亡後に釈放するより、末期の氏を手厚く治療する様子を発信
すれば、習体制の悪魔のような人権弾圧や拷問の印象が薄れると踏んだ可
能性もある。中国での人権弾圧の事例を矢板氏が説明した。

「2015年7月10日、『暗黒の金曜日』に人権派弁護士約200人が拘束されま
した。その中に李和平氏がいます。非常に優秀な勇気ある男で、彼は当局
が強要して認めさせようとした罪を一切認めなかった。

服役中に拷問され、血圧を急上昇させるような食事や薬剤を投与されて、
殆ど目が見えなくなった。逮捕から約2年間収監され、今年5月に釈放され
たときは、健康で頭脳明晰だったかつての姿ではなく、髪は真っ白、呆け
て別人になり果てていたのです」

中国で行われる拷問のひとつに、袋をかぶせて呼吸困難にする手法がある。

「頭部をビニール袋でスッポリ覆って暫く放置すると酸素が欠乏して脳に
影響が出ます。死ぬ直前で袋を開けて息をさせる。そしてまた、袋をかぶ
せる。これを繰り返すと、完全に廃人になります」と矢板氏。

カンボジアのポル・ポト政権が、毛沢東に倣って同じ方法で知識人を拷
問・殺害していたことが知られている。習政権はいまもそのようなことを
行っているわけだ。だが、習主席がこの件についてG20で注文をつけられ
たり論難されたりすることはなかった。自由を謳い上げたトランプ大統領
はどうしたのか。

無実の日本人を拘束

欧米諸国が中国に物を言わないのであれば、日本が自由や人権などの普遍
的価値観を掲げて発言すべきだ。今からでもよい、劉氏の治療を日本が引
き受けると表明すべきである。日本は中国と距離的に近い。欧州に移送す
るより日本に移送する方が、劉氏にとってずっと負担が少ない。

理由はもうひとつある。日本人12人が現在中国に「スパイ」として拘束さ
れているではないか。12人中6人は、千葉県船橋市の地質調査会社「日本
地下探査」の技術者4人と、彼らが中国で雇った日本人2人である。

社長の佐々木吾郎氏が、4人は「まじめで一生懸命な社員ばかり」だと
語っている。全員、中国語は全くわからない。そんな人たちが郊外で温泉
を掘ろうと地質調査をしていて、どんなスパイ活動ができるのか。完全な
冤罪であろう。即ち、これは中国が日本に仕掛けた外交戦だと、断定して
よいだろう。

無実の日本人をいきなり拘束してスパイ扱いし、対日交渉の材料にする中
国のやり口を、私たちは2010年に拘束されたフジタの社員4人の事件から
学んだ。あのときは中国漁船が尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当
たりして、日中関係が非常に厳しくなっていた。中国はレアアースの対日
輸出を一時止めて世界貿易機関(WTO)のルールも踏みにじった。だ
が、結局日本は譲歩した。

今回、中国が勝ち取りたいのは日本の経済協力であろうし、南シナ海問題
に警戒感を強め、台湾の蔡英文政権について発言、接近する動きを見せる
安倍首相への牽制があるだろう。来年は習主席が訪日する。その前に安倍
首相が訪中する。中国にとって好ましい形で対日外交を乗り切り、大国と
しての地位を確立するために日本を従わせようとしているのではないか。

日本がAIIB(アジアインフラ投資銀行)に前向きな姿勢をとること
も、米国に頼り切れない現状では、戦術上、必要であろう。しかし局面は
いま、日本が人道の国として、普遍的価値観重視の姿勢を、国際社会に鮮
明に打ち出すときだ。そのために6人のみならず、12人の釈放を要求し、
劉氏受け入れも表明するのがよい。
『週刊新潮』 2017年7月20日号  日本ルネッサンス 第762回


2017年07月20日

◆間違いなく波紋呼ぶ韓国映画「軍艦島」

櫻井よしこ



闘い止めれば捏造された歴史が定着する 


6月15日、映画監督、柳昇完(リュ・スンワン)氏がソウルで記者会見を
開いて映画「軍艦島」の完成を報告した。7月26日封切りと伝えられる同
作品の内容は、かねて日本側が懸念していたように強い反日要素満載のよ
うだ。

韓国紙「中央日報」は、同映画は「軍艦島に強制徴用された朝鮮人たちが
命がけで脱出を図ろうとする過程を描い」たと伝えた。柳氏は強制徴用さ
れた多くの朝鮮人の苦しみを「映画的想像力を加味し」「現在の韓国映画
で作りえる極限ラインに挑戦し」たと語る。

韓国外務省は同作品を韓国の総人口、5000万人中少なくとも1000万人に加
えて、広く国際社会の人々が見ると予測する。配給会社側は2000万人以上
の観客動員を目指すとし、韓国では、日本糾弾のためにも映画は「絶対に
ヒットさせなければならない」という声が上がっている。

周知のように軍艦島は長崎市にあり、「明治日本の産業革命遺産」として
世界文化遺産に登録された。韓国側が主張するような「多くの朝鮮人が強
制徴用された」事実も、朝鮮人を奴隷扱いし虐待した事実もない。

にもかかわらず、韓国側は軍艦島は朝鮮人労働者に奴隷労働と苛酷な死を
強いた島だという捏造話を喧伝し、国際社会にも流布してきた。そうした
情報に基づいて書かれた記事のひとつが「南ドイツ新聞」の2015年7月6日
の電子版記事である。

同記事は、(1)端島(軍艦島)では強制労働者が苦しめられた、(2)大
戦中、日本人労働者は安全な場所に移され、中国と韓国の強制労働者が働
かされた、(3)中国と韓国の強制労働者1000人以上が島で死んだ、(4)
死体は海や廃坑に捨てられた、などと報じている。

この記事を掲載した南ドイツ新聞に対して、かつて軍艦島で暮し、働いて
いた島民が「真実の歴史を追求する端島島民の会」を設立し、抗議の声を
上げた。今年1月23日のことだ。

「島民の会」の皆さんは多くが高齢者だ。炭坑が閉鎖され島が無人島にな
る1974年までそこに住んでいた。この方たちは、自らの体験と今も大事に
保存している資料などに基づいて正確に、旧島民の実生活を発信して誤解
を解きたいと願っている。

南ドイツ新聞に彼らは次のように書き送った。端島では、「朝鮮人も日本
国民として」「家族連れも単身者も同じコミュニティで仲良く暮してい
た」、「朝鮮の女性たちはチマチョゴリを着て、楽しく民族舞踊を踊っ
た」、「朝鮮人の子供も日本人の子供も一緒に机を並べ、学校生活を送っ
た」、さらに「炭坑内に入るときは、日本人坑夫だけの組や、日本人と朝
鮮人坑夫の混成組があった」、「中国人は石炭の積み出しなど坑外作業に
従事していた」、と。

そのうえで断言している。「旧島民の誰も反人道的な行為を見聞していな
い。端島に住んでいる日本人の婦人や子供らに知られずにそのような反人
道的行為をすることは、端島の狭さや居住環境等から見て絶対に不可能だ」。

南ドイツ新聞が報じた(1)は事実と異なる。第一、出身民族にかかわら
ず、全員にきちんと賃金が払われていた。(2)は根拠のない出鱈目。
(3)が事実なら日本人を含む当時の端島の全人口の4分の1が死亡したこ
とになる。島では一人の死さえ皆で悼んだ。「強制労働者1000人以上の
死」の根拠は示されず、(4)は実に悪質な虚構だ。

彼らは1か月以内に訂正記事の掲載を求めたが、5月23日の抗議からやがて
ひと月になろうとする6月21日現在、全く反応がない。

韓国映画「軍艦島」は間違いなく大きな波紋を呼ぶ。日本にとってはまさ
に「濡れ衣の夏」「地獄の夏」になるだろう。私たちは事実を示しつつ、
果敢に闘い続けるしかない。その努力をやめた途端に、捏造された歴史が
定着するからだ。外務省に闘う気はあるか。

『週刊ダイヤモンド』 2017年7月1日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1188
 

2017年07月18日

◆摩訶不思議な「加計学園」問題

櫻井よしこ



「置き去りにされた本質の議論 摩訶不思議な「加計学園」問題」

学校法人「加計学園」問題は摩訶不思議な問題である。とりわけ不思議な
のが前文部科学事務次官の前川喜平氏だ。氏が現役の文科次官だった時、
新宿歌舞伎町のいかがわしい店に頻繁に出入りしていたことはすでに報じ
られている。その店を取材した新聞社や雑誌社の記者に尋ねると一様に、
「買春が目的と思われても仕方のない店」だと語る。

たとえばこのような店に現職の校長や教師などが一度でも足を運び、料金
を払って女の子を店の外に連れ出していたなどとわかったら、恐らく
PTAも教育委員会も黙ってはいないだろう。校長・教師側は散々非難さ
れ、場合によっては辞職を迫られかねない。

だが、そのような行為を数十回も繰り返していた前川氏は、「貧困女子の
実態調査だ」と弁明した。メディアはこの弁明を受け入れ、氏は「親切な
小父さん」になった。民進党等は、前川氏に「証言」させ、安倍政権批判
としてきた。

そこで、加計学園問題に深くかかわってきた前愛媛県知事の加戸守行氏に
聞いてみた。氏は平成11(1999)年から3期12年間、愛媛県知事を務め、
獣医学部の新設に力を尽くした。

氏が語った。

「知事に就任してすぐに、私は、10年以上停滞していた今治市再開発事業
に手をつけました。市の構想のひとつが学園都市を作ることでした。けれ
ど私たちが欲しかったのは獣医学部だった。四国4県が獣医不足に悩んで
いるのは、今も変わりありません。獣医師の定年を延長したり、応募があ
れば、本来試験をして採用に至るものがフリーパスで採用される状況です」

「約50年間も獣医学部は新設されていません。しかも獣医学部の入学定員
は神奈川県以東が8割、岐阜県以西が2割。不公平が罷り通っているので
す。私の時には鳥インフルエンザが、平成22年には宮崎県で口蹄疫が発生
しました。その度に農家も役所もどれほど獣医不足が恨めしいと思ったこ
とか」

獣医師会が力を持って学部新設に反対したことを振りかえり、加戸氏は
「岩盤規制を打ち破るのに10年以上かかった」と語る。

「ところが、平成21年に民主党政権になって少し前進した。衆議院の玉木
雄一郎氏らが頑張った。自民党政権になったらまた停滞しかかったのを、
国家戦略特区諮問会議がこの問題に取り組み、竹中平蔵氏ら有識者の尽力
でようやく事態が動いたのです」

安倍晋三首相の個人的事情については、こう語る。

「首相のお友達云々は関係ありませんよ。それより酷いのは文部科学省で
す。どれだけ獣医師が不足しているか、そのデータを諮問会議が求めて
も、出さない。四国4県の関係者は、早期の獣医学部新設を望んで、4知事
連名で要望しましたが、そうした地元の声を無視したのが文科省です」

加戸氏は問題の本質が取り違えられていると強調する。深刻な獣医師不足
解消のための獣医学部新設であり、急ぐべきだという大事な点を、メディ
アは報じないと批判する。この問題を安倍首相批判の材料としてのみ見て
いるのが報道ではないかと言うのだ。

「私の所に取材にきて、正確に報道したのは産経と読売でした。朝日と毎
日は無視するか、または不正確な報道でした。テレビ報道は文字に残って
いないのでひとつひとつ正確に批判できないのが残念ですが、前川発言を
報じたTBSには唖然としました」

前川氏はTBSの番組で、加戸氏が安倍首相から頼まれて加計学園問題で
安倍首相に有利な発言をしている、見返りに加戸氏は教育再生実行会議の
メンバーにしてもらっているとの主旨を語ったという。

「前川氏は少しおかしくなったと私は思いましたね」と加戸氏。前川氏も
メディアも、常軌を逸していないか。
『週刊ダイヤモンド』 2017年7月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1190
 

2017年07月16日

◆摩訶不思議な「加計学園」問題

櫻井よしこ



「置き去りにされた本質の議論 摩訶不思議な「加計学園」問題」

学校法人「加計学園」問題は摩訶不思議な問題である。とりわけ不思議な
のが前文部科学事務次官の前川喜平氏だ。氏が現役の文科次官だった時、
新宿歌舞伎町のいかがわしい店に頻繁に出入りしていたことはすでに報じ
られている。その店を取材した新聞社や雑誌社の記者に尋ねると一様に、
「買春が目的と思われても仕方のない店」だと語る。

たとえばこのような店に現職の校長や教師などが一度でも足を運び、料金
を払って女の子を店の外に連れ出していたなどとわかったら、恐らく
PTAも教育委員会も黙ってはいないだろう。校長・教師側は散々非難さ
れ、場合によっては辞職を迫られかねない。

だが、そのような行為を数十回も繰り返していた前川氏は、「貧困女子の
実態調査だ」と弁明した。メディアはこの弁明を受け入れ、氏は「親切な
小父さん」になった。民進党等は、前川氏に「証言」させ、安倍政権批判
としてきた。

そこで、加計学園問題に深くかかわってきた前愛媛県知事の加戸守行氏に
聞いてみた。氏は平成11(1999)年から3期12年間、愛媛県知事を務め、
獣医学部の新設に力を尽くした。

氏が語った。

「知事に就任してすぐに、私は、10年以上停滞していた今治市再開発事業
に手をつけました。市の構想のひとつが学園都市を作ることでした。けれ
ど私たちが欲しかったのは獣医学部だった。四国四県が獣医不足に悩んで
いるのは、今も変わりありません。獣医師の定年を延長したり、応募があ
れば、本来試験をして採用に至るものがフリーパスで採用される状況です」

「約50年間も獣医学部は新設されていません。しかも獣医学部の入学定員
は神奈川県以東が8割、岐阜県以西が二2。不公平が罷り通っているので
す。私の時には鳥インフルエンザが、平成22年には宮崎県で口蹄疫が発生
しました。その度に農家も役所もどれほど獣医不足が恨めしいと思ったこ
とか」

獣医師会が力を持って学部新設に反対したことを振りかえり、加戸氏は
「岩盤規制を打ち破るのに10年以上かかった」と語る。

「ところが、平成21年に民主党政権になって少し前進した。衆議院の玉木
雄一郎氏らが頑張った。自民党政権になったらまた停滞しかかったのを、
国家戦略特区諮問会議がこの問題に取り組み、竹中平蔵氏ら有識者の尽力
でようやく事態が動いたのです」

安倍晋三首相の個人的事情については、こう語る。

「首相のお友達云々は関係ありませんよ。それより酷いのは文部科学省で
す。どれだけ獣医師が不足しているか、そのデータを諮問会議が求めて
も、出さない。四国4県の関係者は、早期の獣医学部新設を望んで、4知事
連名で要望しましたが、そうした地元の声を無視したのが文科省です」

加戸氏は問題の本質が取り違えられていると強調する。深刻な獣医師不足
解消のための獣医学部新設であり、急ぐべきだという大事な点を、メディ
アは報じないと批判する。この問題を安倍首相批判の材料としてのみ見て
いるのが報道ではないかと言うのだ。

「私の所に取材にきて、正確に報道したのは産経と読売でした。朝日と毎
日は無視するか、または不正確な報道でした。テレビ報道は文字に残って
いないのでひとつひとつ正確に批判できないのが残念ですが、前川発言を
報じたTBSには唖然としました」

前川氏はTBSの番組で、加戸氏が安倍首相から頼まれて加計学園問題で
安倍首相に有利な発言をしている、見返りに加戸氏は教育再生実行会議の
メンバーにしてもらっているとの主旨を語ったという。

「前川氏は少しおかしくなったと私は思いましたね」と加戸氏。前川氏も
メディアも、常軌を逸していないか。


『週刊ダイヤモンド』 2017年7月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1190 

2017年07月14日

◆韓国が拘束、碑を書き換えた元自衛官

櫻井よしこ



自分は慰安婦を強制連行した加害者だと名乗り出て、今日の慰安婦強制連
行という虚偽を生み出す原因となったのが故吉田清治氏だ。吉田氏が韓国
の国立墓地、望郷の丘に建立した謝罪碑を当局の許可なく書き換えたとし
て、韓国警察は6月25日、元自衛官の奥茂治氏(69)を逮捕し、出国禁止
措置をとったうえで拘束を解いた。

奥氏は26日現在、ホテルに滞在しており、27日には忠清南道天安市の天安
西北検察局に出頭する。

奥氏が吉田清治氏の長男の依頼を受けて碑文を書き換えた経緯は、6月1日
号の当欄でも報じた。吉田氏は1983年12月に韓国人に向けて、「あなたは
日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて(中略)貴い命を奪われ
ました」、「私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として(中
略)謝罪いたします」と記した碑を建立した。

「朝日新聞」は、碑の除幕式で土下座する吉田氏の写真を掲載、「たった
一人の謝罪」という見出しで報道した。「朝日」はその後も吉田氏の嘘を
大々的に伝え続けたが、30年も過ぎた2014年8月に、吉田氏関連記事全て
の取り消しに追いこまれた。

だが、朝日新聞の記事取り消しは日本国内に向けて発表されたにすぎず、
韓国も世界もこれを殆ど知らない。吉田氏の長男は、父親の証言が朝日新
聞によって正式に全面否定されたのであれば、そのことを内外に周知徹底
させるのが筋だと考えた。第一歩が父親が偽りの文面を刻んで韓国に建て
た碑の撤去だった。

長男は奥氏に実行を依頼し、奥氏は現場を下調べし、大きな大理石の碑の
撤去は困難だと判断。両氏は相談のうえ、碑の文言を書き換えた。新しい
碑には「慰霊碑 吉田雄兎 日本国 福岡」とだけ刻んだ。

碑の書き換え作業は3月21日午後11時から闇の中で決行され、翌日の午前3
時に完了した。だが、韓国側は折角の碑文書き換えに一向に気づかない。
そこで奥氏は4月5日付で望郷の丘の施設管理人に「碑文変更届」を郵送し
た。それで初めて書き換えに気づいた韓国の警察から出頭要請があったの
が、同月半ばだ。

「堂々と出頭」

奥氏が語った。

「逃げ隠れするようなことはしません。元々、謝罪碑を書き換えたこと
を、韓国当局に手紙で知らせたのは私ですから。私は悪事は働いていませ
んので、堂々と出頭します」

奥氏は韓国警察にどういう理由の出頭かと、問うた。彼らは「国有財産の
損壊罪と不法侵入だ」と答えたそうだ。だが、その理屈はおかしいと、奥
氏は滞在先のホテルで語った。

「謝罪碑は吉田清治が私費で建立した。それがいつ、韓国の国有財産に
なったのか。手続きはきちんと取ったのか、見せてほしいと要求しまし
た。すると彼らは管理権の問題だと言い始めました。とまれ、明日(27
日)、検察に出頭します」

奥氏は天安西北の警察による事情聴取を受けたときの様子も語った。

「空港に着いた途端に手錠をかけられました。私は取り調べにも嘘偽りな
く応じています。そのせいか彼らは紳士的に取り扱ってくれますが、吉田
清治の言葉は皆嘘だということを、こちらの人は知らないのです。起訴さ
れて裁判になれば、法廷で吉田証言はすべて嘘だった、朝日もそれを虚偽
と認めて取り消したということを訴えたいと思います」

韓国で奥氏のニュースがどのように報じられたかは定かでない。日本では
菅義偉官房長官が26日の会見で奥氏逮捕に触れて、「韓国側における司法
手続きを見守りたい」と述べ、共同通信が短く配信した。新聞で報じたの
は、「産経」だけだ。虚偽報道の責任を考えれば、どの新聞よりも大きく
報じるべき朝日は、26日夕刊でも全く伝えていない。NHKは奥氏を取材
済みであるにもかかわらず、これまた伝えていない。

なぜ伝えないのか。朝日が吉田発言を取り消し、長男が碑を書き換えた、
つまり、慰安婦問題はその第一歩から間違っており、強制連行など全くな
かったということを認めたくない、知らせたくないからであろう。慰安婦
問題の真実は知りたくない、知ってしまえば日本を非難できなくなる、日
本は朝鮮人を強制連行して酷い目に遭わせた国だと信じ続けたい、そのよ
うな屈折した精神構造ゆえではないのか。

だからこそ奥氏は言うのだ。被告人として裁かれるとき、韓国法廷で朝日
の虚偽について詳しく証言すると。韓国人に、朝日の報じた慰安婦強制連
行も吉田氏の話も嘘だったとしっかり伝えたいと。

偏狭な民族主義

奥氏が興味深いことを語った。

「吉田氏建立の碑を、今回書き換えたものも含めて完全に撤去するため
に、私はこちらで民事訴訟を起こそうと思います。これは実は韓国の警察
の助言なんです」

もう一点、氏は天安西北の警察で、今回の出頭に日本の官憲は強く反対し
ただろうと質された。氏はこう答えたそうだ。

「逆です。外国のことでも、罪を犯したのなら、出頭して償ってこいと言
われました」

すると、韓国の警察が、「日本の警察は我々の理想だ」とほめたという。

今後は、しかし、それ程甘くない。奥氏にこれから何が起きるのか、懸念
せざるを得ない。韓国の政治状況を見ると、決して楽観できない。文在寅
大統領は選挙のときから、大統領になった暁には、まず積弊を一掃すると
公約していた。積弊とはこれまで積み重ねてきた国家の弊害、つまり、親
日的主流派を一掃して、日本の罪を厳しく問う韓国を作るということだ。

前大統領の朴槿恵氏を正当な理由もなく逮捕し、収監し、裁判にかけてい
る現状を見れば、韓国で司法が正常に機能しているとは到底、言えない。
加えて、韓国では「反日」が政権の求心力を高める方策になる。文氏はす
でにそのことを活用しているのではないか。

7月に韓国で封切られる韓国映画「軍艦島」は、かねて懸念されていたよ
うに、酷い捏造に満ちている。徴用工に関しては労働者の強制連行も虐待
も奴隷的労働も全くなかった。日本人と朝鮮人は、明治の最も先進的な技
術で建設されたあの小さな島で、肩と肩が触れ合うような密集状態で共に
助け合って生きた。

それを、日本人が多くの朝鮮人を死に追いやる次元まで奴隷労働させた
と、映画は主張する。歴史を歪め、捏造して日本に歴史戦を挑み続けるの
が、韓国であり、そのような反日の気運を盛り上げるのが文政権である。
そうした反日歴史戦に力を注ぐ彼らの偏狭な民族主義を思えば、奥氏の訴
えは、韓国においては報道されず、闇から闇へ葬り去られる可能性があ
る。だからこそ、日本側は伝え続けなければならない。
『週刊新潮』 2017年7月6日号 日本ルネッサンス 第760回


2017年07月13日

◆ユネスコ制度改革への日本の働きかけ

櫻井よしこ



「ユネスコ制度改革への日本の働きかけ 方法正しくても実を結ぶかは不
透明だ」

「朝日新聞」が6月24日、「ユネスコ『世界の記憶』 『政治案件』一部
除外へ」という記事を報じた。

ユネスコ「世界遺産」の登録小委員会が、拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏
らが申請した「中国大陸における通州事件とチベット人虐殺」に関する資
料は「政治的」だとの理由で申請から除外する旨を、通知してきたとい
う。他方、日中韓の団体が申請した「慰安婦の証言」については、申請者
に加わった「女たちの戦争と平和資料館」などに除外の通知は来ていない
という。

強い政治的意図が込められた「南京大虐殺の記録」を中国が申請し、日本
の反対にもかかわらず、記憶遺産(現・世界の記憶)に登録されたのは2
年前だった。

当事国の日本には、中国側の登録内容、その正しさを証明する根拠など、
今日に至るまで説明がない。こんな制度は不当だとして、日本政府はユネ
スコの制度改革を申し入れた。

具体的には、記憶遺産の登録に関しては以下の3点を軸に関係諸国が調整
するというものだ。(1)共同申請とする、(2)異なる見解がある場合、
当事国間での合意形成を目指す、(3)合意が困難な場合、対話を継続
し、登録時期を最大で4年間見送る、である。

これらはいま、ユネスコ制度改革に関する専門家委員会が議論中だ。議論
がまだ決着していない中で藤岡氏らの申請は除外という通知が来たわけだ。

麗澤大学客員教授の高橋史朗氏が指摘した。

「中国や韓国が日本のNGOと共同申請した案件は政治的色彩なしとして
許容され、藤岡さんたちの申請が除外されるなら、ユネスコは二重基準です」

藤岡氏も語った。

「4月10日にユネスコ側から、特定の政治的主張であれば不適切だとの通
知がありましたが、私たちは20世紀の中国大陸における人権問題として登
録しようとしています。期限の5月8日までに説明し回答しましたが、まだ
返事はありません」

通州事件は昭和12(1937)年に中国河北省通州で発生した日本人257人の
虐殺事件である。同事件を機に日本の国民感情が燃え上がり、日中戦争へ
の気運が高まった。

『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)の著者、加藤康男
氏は現場を取材して、南京や盧溝橋など対日歴史戦の遺跡を保存し利用す
る中国が、通州事件の痕跡だけは完膚なきまでに消し去り続けている事実
を指摘し、中国は自国に不都合な歴史をなかったことにしたいと結論づけ
ている。

チベット人など少数民族への弾圧、虐殺に関する物証も、たとえば彼らの
家族の歴史の記録を残させないなど、全て消し去りたいのが中国政府だ。
チベット人の側から見れば、そうした苦難を生きのびてきた記録こそ、民
族の歴史で、人権擁護の観点から、全人類が共有すべき情報だと、なる。

このような事実の登録を許さないとしたら、南京事件登録で見られたよう
に、ユネスコは中韓両国の働きかけを受けた、特定国への不条理で政治的
な攻撃の場であり続けることになる。そのようなユネスコでよいはずがない。

日本国の課題も明らかだ。2年前に「南京大虐殺」を登録された時点で、
次は中韓両国が他のアジア諸国などと図って日本を貶める慰安婦問題登録
を仕掛けてくることは明らかだった。

彼らが申請する具体的案件は予想がつかないうえに、ひとつひとつへの反
証情報を揃えることは時間的に難しいとの見通しの中で、不公正な審理を
防ぐためにユネスコの制度改革に力を注ぐという、日本政府の基本方針が
決まった。

私もそれが正しい方法だと思うが、現状を見れば2年間の日本の働きかけ
が実を結ぶのか、不透明だ。この間の外務省の努力を厳しく検証すべきだ。
『週刊ダイヤモンド』 2017年7月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1189