2018年07月05日

◆日本が非難浴びる国連の慰安婦問題議論

櫻井よしこ



「日本が非難浴びる国連の慰安婦問題議論 資金力活かし道理や公正さ
を説くべきだ」

トランプ米政権が6月19日、国連人権理事会からの脱退を表明した。パレ
スチナ問題でイスラエルに対する偏見の度合いが過ぎているという理由だ。

「朝日新聞」は6月20日夕刊の1面トップで同件を、「また国際協調に背」
という見出しで報じた。パレスチナ対イスラエルの問題に踏み込むつもり
はないが、朝日流の批判だけで済む問題ではないだろう。国連人権理事会
に日本も言いたいことは少なくないはずだ。

クマラスワミ報告はその一例だ。国連人権委員会(国連人権理事会は2006
年に国連人権委員会が改組されてできた)の特別報告者であるクマラスワ
ミ氏は、日本軍は慰安婦を「性奴隷」にし、反抗する女性たちをトラック
で山に運び、池を掘り、毒蛇で一杯にし、女性たちを裸にして池に突き落
として死なせたと報告した。完全な作り話だ。

その2年後、同委員会はマクドゥーガル報告「現代的形態の奴隷制」を承
認したが、クマラスワミ報告に輪をかけた酷い内容だった。慰安所を「レ
イプ・センター」と断じ、「奴隷にされた女性たちの多くは11才から20
才」「厳しい肉体的虐待」で「生き延びた女性はわずか25%」と報告し
た。マクドゥーガル氏も国連人権委員会特別報告者である。

日本人としてこのようないわれのない非難を浴びるのは耐え難い。しか
し、国連での慰安婦問題の議論では、いつも右の両報告が土台になってい
る。結果として日本は屈辱的かつ不条理な非難を浴びることになる。

この他にも昨年は国連人権理事会特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が
「テロ等準備罪」は表現の自由を不当に制約する悪法だと、日本政府を非
難した。圧倒的多くの国々では日本よりはるかに厳しい法律を備えている
が、彼はそのことには触れない。

同じく特別報告者のデービッド・ケイ氏は慰安婦問題を含む歴史問題の
「解釈」に日本政府が介入し、事実を曲げていると非難した。事実を曲げ
たのは彼ら特別報告者であり、彼らに誤った情報を吹き込む運動家や左翼
系弁護士であり、彼らの活躍の主舞台となっている国連人権理事会である。

こんな状況に日本はどう対処すべきか。埼玉大学名誉教授の長谷川三千子
氏は、国連人権理事会に蔓延する活動家の悪質な言説に学者や研究者は
引っ張られてはならないと訴える。その上で希望は若い世代だと語る。

「たとえば朝日新聞に寄稿したり、旧民主党系政治勢力を支持する若手学
者や研究者の中に、少数ですがイデオロギーよりも事実に基づこうとする
人々がいます。彼らは運動家の言説に引っ張られる人々ではない。迂遠か
もしれませんが、彼らに働きかけたい」

確かに正道だが、時間がかかるだろう。国連人権理事会に度々足を運び
「慰安婦は性奴隷だ」と吹聴してまわる日本人の学者、弁護士、運動家ら
と対決してきた衆議院議員の杉田水脈氏は、より直接的な行動が必要だと
語る。

「日本政府は国連人権理事会への対処を真剣に考えるべきです。人権理事
会の背後で、中国や韓国政府の資金が使われ、反日決議を後押ししている
と感じます。日本人は国連や国際条約の『権威』に弱く、そのまま受け入
れがちです。国際条約ゆえに外国人の日本国土の買収を阻止できないと考
える結果、国土は奪われ続けるのです」

力がある米国は力に任せて脱退もできる。安全保障を米国に頼り、拉致問
題解決にも国連の決議を必要とする日本には、逆立ちしても脱退する力は
ない。国民気質から見てもその道は支持されないだろう。しかし、日本は
高額の資金を国連人権理事会にも国連にも拠出している。その力を使うの
だ。その上で国連はじめ国際社会に、道理や公正さという価値観を説く日
本に、まず、なることだ。
『週刊ダイヤモンド』 2018年6月30日
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1237 

2018年07月02日

◆日本が非難浴びる国連の慰安婦問題議論

櫻井よしこ


「日本が非難浴びる国連の慰安婦問題議論 資金力活かし道理や公正さを
説くべきだ」

トランプ米政権が6月19日、国連人権理事会からの脱退を表明した。パレ
スチナ問題でイスラエルに対する偏見の度合いが過ぎているという理由だ。

「朝日新聞」は6月20日夕刊の1面トップで同件を、「また国際協調に背」
という見出しで報じた。パレスチナ対イスラエルの問題に踏み込むつもり
はないが、朝日流の批判だけで済む問題ではないだろう。国連人権理事会
に日本も言いたいことは少なくないはずだ。

クマラスワミ報告はその一例だ。国連人権委員会(国連人権理事会は2006
年に国連人権委員会が改組されてできた)の特別報告者であるクマラスワ
ミ氏は、日本軍は慰安婦を「性奴隷」にし、反抗する女性たちをトラック
で山に運び、池を掘り、毒蛇で一杯にし、女性たちを裸にして池に突き落
として死なせたと報告した。完全な作り話だ。

その2年後、同委員会はマクドゥーガル報告「現代的形態の奴隷制」を承
認したが、クマラスワミ報告に輪をかけた酷い内容だった。慰安所を「レ
イプ・センター」と断じ、「奴隷にされた女性たちの多くは11才から20
才」「厳しい肉体的虐待」で「生き延びた女性はわずか25%」と報告し
た。マクドゥーガル氏も国連人権委員会特別報告者である。

日本人としてこのようないわれのない非難を浴びるのは耐え難い。しか
し、国連での慰安婦問題の議論では、いつも右の両報告が土台になってい
る。結果として日本は屈辱的かつ不条理な非難を浴びることになる。

この他にも昨年は国連人権理事会特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が
「テロ等準備罪」は表現の自由を不当に制約する悪法だと、日本政府を非
難した。圧倒的多くの国々では日本よりはるかに厳しい法律を備えている
が、彼はそのことには触れない。

同じく特別報告者のデービッド・ケイ氏は慰安婦問題を含む歴史問題の
「解釈」に日本政府が介入し、事実を曲げていると非難した。事実を曲げ
たのは彼ら特別報告者であり、彼らに誤った情報を吹き込む運動家や左翼
系弁護士であり、彼らの活躍の主舞台となっている国連人権理事会である。

こんな状況に日本はどう対処すべきか。埼玉大学名誉教授の長谷川三千子
氏は、国連人権理事会に蔓延する活動家の悪質な言説に学者や研究者は
引っ張られてはならないと訴える。その上で希望は若い世代だと語る。

「たとえば朝日新聞に寄稿したり、旧民主党系政治勢力を支持する若手学
者や研究者の中に、少数ですがイデオロギーよりも事実に基づこうとする
人々がいます。彼らは運動家の言説に引っ張られる人々ではない。迂遠か
もしれませんが、彼らに働きかけたい」

確かに正道だが、時間がかかるだろう。国連人権理事会に度々足を運び
「慰安婦は性奴隷だ」と吹聴してまわる日本人の学者、弁護士、運動家ら
と対決してきた衆議院議員の杉田水脈氏は、より直接的な行動が必要だと
語る。

「日本政府は国連人権理事会への対処を真剣に考えるべきです。人権理事
会の背後で、中国や韓国政府の資金が使われ、反日決議を後押ししている
と感じます。日本人は国連や国際条約の『権威』に弱く、そのまま受け入
れがちです。国際条約ゆえに外国人の日本国土の買収を阻止できないと考
える結果、国土は奪われ続けるのです」

力がある米国は力に任せて脱退もできる。安全保障を米国に頼り、拉致問
題解決にも国連の決議を必要とする日本には、逆立ちしても脱退する力は
ない。国民気質から見てもその道は支持されないだろう。しかし、日本は
高額の資金を国連人権理事会にも国連にも拠出している。その力を使うの
だ。その上で国連はじめ国際社会に、道理や公正さという価値観を説く日
本に、まず、なることだ。

『週刊ダイヤモンド』 2018年6月30日
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1237 

2018年07月01日

◆日本が非難浴びる国連の慰安婦問題議論

櫻井よしこ



「日本が非難浴びる国連の慰安婦問題議論 資金力活かし道理や公正さを
説くべきだ」

トランプ米政権が6月19日、国連人権理事会からの脱退を表明した。パレ
スチナ問題でイスラエルに対する偏見の度合いが過ぎているという理由だ。

「朝日新聞」は6月20日夕刊の1面トップで同件を、「また国際協調に背」
という見出しで報じた。パレスチナ対イスラエルの問題に踏み込むつもり
はないが、朝日流の批判だけで済む問題ではないだろう。国連人権理事会
に日本も言いたいことは少なくないはずだ。

クマラスワミ報告はその一例だ。国連人権委員会(国連人権理事会は2006
年に国連人権委員会が改組されてできた)の特別報告者であるクマラスワ
ミ氏は、日本軍は慰安婦を「性奴隷」にし、反抗する女性たちをトラック
で山に運び、池を掘り、毒蛇で一杯にし、女性たちを裸にして池に突き落
として死なせたと報告した。完全な作り話だ。

その2年後、同委員会はマクドゥーガル報告「現代的形態の奴隷制」を承
認したが、クマラスワミ報告に輪をかけた酷い内容だった。慰安所を「レ
イプ・センター」と断じ、「奴隷にされた女性たちの多くは11才から20
才」「厳しい肉体的虐待」で「生き延びた女性はわずか25%」と報告し
た。マクドゥーガル氏も国連人権委員会特別報告者である。

日本人としてこのようないわれのない非難を浴びるのは耐え難い。しか
し、国連での慰安婦問題の議論では、いつも右の両報告が土台になってい
る。結果として日本は屈辱的かつ不条理な非難を浴びることになる。

この他にも昨年は国連人権理事会特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が
「テロ等準備罪」は表現の自由を不当に制約する悪法だと、日本政府を非
難した。圧倒的多くの国々では日本よりはるかに厳しい法律を備えている
が、彼はそのことには触れない。

同じく特別報告者のデービッド・ケイ氏は慰安婦問題を含む歴史問題の
「解釈」に日本政府が介入し、事実を曲げていると非難した。事実を曲げ
たのは彼ら特別報告者であり、彼らに誤った情報を吹き込む運動家や左翼
系弁護士であり、彼らの活躍の主舞台となっている国連人権理事会である。

こんな状況に日本はどう対処すべきか。埼玉大学名誉教授の長谷川三千子
氏は、国連人権理事会に蔓延する活動家の悪質な言説に学者や研究者は
引っ張られてはならないと訴える。その上で希望は若い世代だと語る。

「たとえば朝日新聞に寄稿したり、旧民主党系政治勢力を支持する若手学
者や研究者の中に、少数ですがイデオロギーよりも事実に基づこうとする
人々がいます。彼らは運動家の言説に引っ張られる人々ではない。迂遠か
もしれませんが、彼らに働きかけたい」

確かに正道だが、時間がかかるだろう。国連人権理事会に度々足を運び
「慰安婦は性奴隷だ」と吹聴してまわる日本人の学者、弁護士、運動家ら
と対決してきた衆議院議員の杉田水脈氏は、より直接的な行動が必要だと
語る。

「日本政府は国連人権理事会への対処を真剣に考えるべきです。人権理事
会の背後で、中国や韓国政府の資金が使われ、反日決議を後押ししている
と感じます。日本人は国連や国際条約の『権威』に弱く、そのまま受け入
れがちです。国際条約ゆえに外国人の日本国土の買収を阻止できないと考
える結果、国土は奪われ続けるのです」

力がある米国は力に任せて脱退もできる。安全保障を米国に頼り、拉致問
題解決にも国連の決議を必要とする日本には、逆立ちしても脱退する力は
ない。国民気質から見てもその道は支持されないだろう。しかし、日本は
高額の資金を国連人権理事会にも国連にも拠出している。その力を使うの
だ。その上で国連はじめ国際社会に、道理や公正さという価値観を説く日
本に、まず、なることだ。

『週刊ダイヤモンド』 2018年6月30日
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1237

2018年06月30日

◆極東情勢大転換、日本の正念場だ 

櫻井よしこ


全世界が注目した6月12日の米朝首脳会談の共同声明を読んで、つい、
「耐震偽装」という言葉を思い出した。スカスカで強度が足りない。「北
朝鮮の完全非核化」を達成させるといっても、そこに至る具体的取り決め
が盛り込まれていない、これで大丈夫かと、疑問を抱く。 

共同声明には、「完全で検証可能、不可逆的な核の廃棄」(CVID)と
いう言葉はない。「北朝鮮の非核化」もない。代わりに「朝鮮半島の非核
化」が3度繰り返されている。

朝鮮半島の非核化は、北朝鮮が非核化を達成する前提として、韓国が米国
の核の傘から外れることを想定するものだ。つまり、米韓同盟の解消が前
提で、中国や北朝鮮が長年主張してきたことに他ならない。

韓国は長年、米韓同盟によって守られてきた。歴代政権も同盟を重視して
きた。だが、文在寅大統領の下の、今日の韓国は必ずしもそうではない。
韓国は驚く程大きな政治的変化を遂げてしまったのである。

米朝首脳会談という史上初の派手な出来事の陰に隠れて、韓国では6月13
日に統一地方選挙が行われた。米朝会談の翌日に行われたこの選挙につい
て、なぜか日本では殆ど報道されていないが、文大統領の与党で左翼政党
の「共に民主党」が圧勝した。文氏は昨年、経験も不十分な左翼の判事を
いきなり大法院(最高裁)長官に抜擢した。新長官は前長官の「非合法な
行為」をあげつらい、前長官を刑事告訴しようとして、他の判事と対立中
である。

統一日報論説主幹の洪熒(ホンヒョン)氏は、「司法の左傾化が決定的に
なるかもしれず、熾烈な戦いが進行中です」と語る。

韓国では左派勢力が、文大統領と共に行政府を握った。マスコミ界、教育
界も親北朝鮮の左派勢力が席巻している。いま、議会(立法府)が左翼勢
力に席巻され、司法も危ういのだ。結果として韓国は本当に別の国のよう
になりつつある。このことを、日本人はもっとはっきり認識しておくのが
よい。

「戦争ゲーム」

そもそも、6月13日の選挙前日に米朝首脳会談が設定されたのはなぜか。
韓国では文氏と朝鮮労働党委員長の金正恩氏が共謀したという見方が濃厚
だ。事実、選挙前日に行われた米朝首脳会談の効果は絶大だった。米朝会
談への流れを作ったのは文氏だと喧伝され、支持率は70%を超え、決定的
な追い風となった。こうして文氏の左翼政党が圧勝し、正恩氏に批判的な
保守勢力は潰滅的敗北を喫して力を失った。韓国の保守論壇の中心人物と
もいえる趙甲濟(チョガプジェ)氏は「韓国は国家自殺の道を進んでい
る」と警告した。

権力基盤を固めた文氏は、かねてより掲げていた南北朝鮮の連邦政府樹立
をはじめとする対北宥和策を加速させるだろう。米韓同盟の後退もしくは
破棄は、中朝両国のみならず、文氏をはじめとする韓国左派勢力が長年渇
望してきたことだ。無論、ロシアも大歓迎であろう。

こうした状況を知ってか知らずか、米朝首脳会談直後の記者会見でトラン
プ大統領は、米韓合同軍事演習を「戦争ゲーム」と呼んで、中止を示唆し
たのである。中止の理由は、「恐ろしく金がかかる」「(軍事演習は)挑
発的だ」からだそうだ。グアムからB─1B爆撃機を北朝鮮上空付近まで飛
行させた件についても、トランプ氏は「6時間半の飛行だ。非常に金がか
かる」と批判した。

安全保障戦略や軍事行動のひとつひとつを「金勘定」を基準に評価するの
では、北朝鮮の背後に構える中国に最初から白旗を掲げるようなものだ。
米韓合同軍事演習の中止について、日本政府中枢の安全保障問題の専門家
はこう述べた。

「米国でも専門家は皆、馬鹿げた考えだと言っています」

だが、米大統領の言葉は非常に重い。合同軍事演習は、「北朝鮮が真摯に
非核化に向けての話し合いを続けている限り」との条件つきながら中止す
ることになってしまった。

シンガポールでの6月12日の記者会見で、トランプ氏はさらに在韓米軍撤
退の可能性にまで触れた。米朝首脳会談とは別に、在韓米軍3万2000人を
家に戻すことは大統領選挙のときの自分の公約だと強調したのである。

トランプ氏の国家安全保障問題担当大統領補佐官、ボルトン氏は別の意味
で在韓米軍の撤退を前向きにとらえている。米軍を日本や台湾に移すこと
で、米兵が朝鮮半島で人質にとられている現状を変えられるというのが理
由のひとつだと、氏は説明している。

また、米国内には、朝鮮半島よりも台湾にコミットすべきだとの見方が生
まれている。台湾を中国に奪われれば南シナ海はほぼ完全に中国の海に
なってしまう。戦略的に台湾の重要性は韓国のそれを上回るという分析
だ。その考えに従えば、釜山に戦略的拠点さえ確保できれば、米軍は朝鮮
半島から引き揚げてもよいことになる。

国民を守る

無論、米国内にも反対論は根強い。それでもトランプ氏が決意すれば、日
米中露南北朝鮮の6か国の中で、明確に米軍引き揚げに反対するのは、日
本だけになりそうな状況だ。

朝鮮半島からの米軍の引き揚げは、間違いなく極東情勢を一変させずには
おかない。その場合、日本の姿はどうなるか。米軍の核の傘から韓国が脱
け出し、残るのはわが国だけになる。このような国の在り方でよいのか
と、私たちは問うべきだ。

安倍首相は、いまやトランプ氏以下米国政府が掲げるインド・太平洋戦略
を提起した首脳である。トランプ氏が突然拒否した環太平洋パートナー
シップ協定(TPP)を米国抜きで取りまとめ、欧州連合(EU)との
EPAもまとめ上げた。国連安全保障理事会で北朝鮮に対する制裁決議を
採択に導いたのも、安倍首相だ。

日本が掲げる価値観は、国際社会に遍(あまね)く通用する普遍的価値観
であることを確信して、世界の秩序構築に貢献してきた。日本の進むべき
道筋をきちんと押さえた外交・安保戦略を提示してきた。

だが、それでも、拉致問題は解決されていない。日本国は40年以上も国民
を救出し得ていないのである。どれほど立派な提言ができても、国民を守
るという国家の基本的責務を果たし得ないのでは、日本は国家として立つ
瀬がない。

トランプ大統領は拉致問題交渉のとば口まで、道をつけてくれた。今後の
ことは、韓国からの米軍撤退も含めて何があっても不思議ではない。米朝
交渉で米国が劣勢に立つこともあり得る。極東情勢は大転換してしまった
のだ。そのことを覚悟して、日本が力を発揮して拉致被害者を取り戻すに
は、迂遠かもしれないが憲法改正を含めて力の外交もできる国にならなけ
ればならない。

『週刊新潮』 2018年6月28日号 日本ルネッサンス 第808回

2018年06月29日

◆極東情勢大転換、日本の正念場だ

櫻井よしこ


全世界が注目した6月12日の米朝首脳会談の共同声明を読んで、つい、
「耐震偽装」という言葉を思い出した。スカスカで強度が足りない。「北
朝鮮の完全非核化」を達成させるといっても、そこに至る具体的取り決め
が盛り込まれていない、これで大丈夫かと、疑問を抱く。 

共同声明には、「完全で検証可能、不可逆的な核の廃棄」(CVID)と
いう言葉はない。「北朝鮮の非核化」もない。代わりに「朝鮮半島の非核
化」が3度繰り返されている。

朝鮮半島の非核化は、北朝鮮が非核化を達成する前提として、韓国が米国
の核の傘から外れることを想定するものだ。つまり、米韓同盟の解消が前
提で、中国や北朝鮮が長年主張してきたことに他ならない。

韓国は長年、米韓同盟によって守られてきた。歴代政権も同盟を重視して
きた。だが、文在寅大統領の下の、今日の韓国は必ずしもそうではない。
韓国は驚く程大きな政治的変化を遂げてしまったのである。

米朝首脳会談という史上初の派手な出来事の陰に隠れて、韓国では6月13
日に統一地方選挙が行われた。米朝会談の翌日に行われたこの選挙につい
て、なぜか日本では殆ど報道されていないが、文大統領の与党で左翼政党
の「共に民主党」が圧勝した。

文氏は昨年、経験も不十分な左翼の判事をいきなり大法院(最高裁)長官
に抜擢した。新長官は前長官の「非合法な行為」をあげつらい、前長官を
刑事告訴しようとして、他の判事と対立中である。

統一日報論説主幹の洪熒(ホンヒョン)氏は、「司法の左傾化が決定的に
なるかもしれず、熾烈な戦いが進行中です」と語る。

韓国では左派勢力が、文大統領と共に行政府を握った。マスコミ界、教育
界も親北朝鮮の左派勢力が席巻している。いま、議会(立法府)が左翼勢
力に席巻され、司法も危ういのだ。結果として韓国は本当に別の国のよう
になりつつある。このことを、日本人はもっとはっきり認識しておくのが
よい。

「戦争ゲーム」

そもそも、6月13日の選挙前日に米朝首脳会談が設定されたのはなぜか。
韓国では文氏と朝鮮労働党委員長の金正恩氏が共謀したという見方が濃厚
だ。事実、選挙前日に行われた米朝首脳会談の効果は絶大だった。

米朝会談への流れを作ったのは文氏だと喧伝され、支持率は70%を超え、
決定的な追い風となった。こうして文氏の左翼政党が圧勝し、正恩氏に批
判的な保守勢力は潰滅的敗北を喫して力を失った。韓国の保守論壇の中心
人物ともいえる趙甲濟(チョガプジェ)氏は「韓国は国家自殺の道を進ん
でいる」と警告した。

権力基盤を固めた文氏は、かねてより掲げていた南北朝鮮の連邦政府樹立
をはじめとする対北宥和策を加速させるだろう。米韓同盟の後退もしくは
破棄は、中朝両国のみならず、文氏をはじめとする韓国左派勢力が長年渇
望してきたことだ。無論、ロシアも大歓迎であろう。

こうした状況を知ってか知らずか、米朝首脳会談直後の記者会見でトラン
プ大統領は、米韓合同軍事演習を「戦争ゲーム」と呼んで、中止を示唆し
たのである。中止の理由は、「恐ろしく金がかかる」「(軍事演習は)挑
発的だ」からだそうだ。グアムからB─1B爆撃機を北朝鮮上空付近まで飛
行させた件についても、トランプ氏は「6時間半の飛行だ。非常に金がか
かる」と批判した。

安全保障戦略や軍事行動のひとつひとつを「金勘定」を基準に評価するの
では、北朝鮮の背後に構える中国に最初から白旗を掲げるようなものだ。
米韓合同軍事演習の中止について、日本政府中枢の安全保障問題の専門家
はこう述べた。

「米国でも専門家は皆、馬鹿げた考えだと言っています」

だが、米大統領の言葉は非常に重い。合同軍事演習は、「北朝鮮が真摯に
非核化に向けての話し合いを続けている限り」との条件つきながら中止す
ることになってしまった。

シンガポールでの6月12日の記者会見で、トランプ氏はさらに在韓米軍撤
退の可能性にまで触れた。米朝首脳会談とは別に、在韓米軍3万2000人を
家に戻すことは大統領選挙のときの自分の公約だと強調したのである。

トランプ氏の国家安全保障問題担当大統領補佐官、ボルトン氏は別の意味
で在韓米軍の撤退を前向きにとらえている。米軍を日本や台湾に移すこと
で、米兵が朝鮮半島で人質にとられている現状を変えられるというのが理
由のひとつだと、氏は説明している。

また、米国内には、朝鮮半島よりも台湾にコミットすべきだとの見方が生
まれている。台湾を中国に奪われれば南シナ海はほぼ完全に中国の海に
なってしまう。戦略的に台湾の重要性は韓国のそれを上回るという分析
だ。その考えに従えば、釜山に戦略的拠点さえ確保できれば、米軍は朝鮮
半島から引き揚げてもよいことになる。

国民を守る

無論、米国内にも反対論は根強い。それでもトランプ氏が決意すれば、日
米中露南北朝鮮の6か国の中で、明確に米軍引き揚げに反対するのは、日
本だけになりそうな状況だ。

朝鮮半島からの米軍の引き揚げは、間違いなく極東情勢を一変させずには
おかない。その場合、日本の姿はどうなるか。米軍の核の傘から韓国が脱
け出し、残るのはわが国だけになる。このような国の在り方でよいのか
と、私たちは問うべきだ。

安倍首相は、いまやトランプ氏以下米国政府が掲げるインド・太平洋戦略
を提起した首脳である。トランプ氏が突然拒否した環太平洋パートナー
シップ協定(TPP)を米国抜きで取りまとめ、欧州連合(EU)との
EPAもまとめ上げた。国連安全保障理事会で北朝鮮に対する制裁決議を
採択に導いたのも、安倍首相だ。

日本が掲げる価値観は、国際社会に遍(あまね)く通用する普遍的価値観
であることを確信して、世界の秩序構築に貢献してきた。日本の進むべき
道筋をきちんと押さえた外交・安保戦略を提示してきた。

だが、それでも、拉致問題は解決されていない。日本国は40年以上も国民
を救出し得ていないのである。どれほど立派な提言ができても、国民を守
るという国家の基本的責務を果たし得ないのでは、日本は国家として立つ
瀬がない。

トランプ大統領は拉致問題交渉のとば口まで、道をつけてくれた。今後の
ことは、韓国からの米軍撤退も含めて何があっても不思議ではない。米朝
交渉で米国が劣勢に立つこともあり得る。極東情勢は大転換してしまった
のだ。そのことを覚悟して、日本が力を発揮して拉致被害者を取り戻すに
は、迂遠かもしれないが憲法改正を含めて力の外交もできる国にならなけ
ればならない。
『週刊新潮』 2018年6月28日号 日本ルネッサンス 第808回

2018年06月28日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。

高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港させ、台湾海軍も米国の港に
定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜水艦建造、機雷製造など水
中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。

こうした理由ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)へ
の中国の招待を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。

中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り
出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ
投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅き
つけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策
に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回

2018年06月27日

◆米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を

櫻井よしこ


「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この二つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、そして正
恩氏らが、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったと
き、彼は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったよ
うに核やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。最大限の圧力という
言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に傾いているとの指摘
も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の制裁は緩めない。た
だ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、『最大限の圧力』と言
わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を
正常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表してい
る。 2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した
右の 宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。

しかし、帰 国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報
を収集するこ とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは
検証できる。そ のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に
入れる、それまで は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号 日本ルネッサンス 第807回

2018年06月26日

◆日本は官民あげて拉致解決を

櫻井よしこ


「米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を」

「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この二つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、そして正
恩氏らが、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったと
き、彼は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったよ
うに核やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。最大限の圧力という
言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に傾いているとの指摘
も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の制裁は緩めない。た
だ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、『最大限の圧力』と言
わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を正
常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表している。
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した右の
宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。しかし、帰
国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報を収集するこ
とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは検証できる。そ
のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に入れる、それまで
は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号 日本ルネッサンス 第807回

2018年06月23日

◆米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を

                                 櫻井よしこ


「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この2つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、正恩氏ら
が、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったとき、彼
は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったように核
やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。

最大限の圧力という言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に
傾いているとの指摘も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の
制裁は緩めない。ただ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、
『最大限の圧力』と言わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を正
常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表している。
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した右の
宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。しかし、帰
国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報を収集するこ
とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは検証できる。そ
のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に入れる、それまで
は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号  日本ルネッサンス 第807回

2018年06月22日

◆米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を

櫻井よしこ


「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この二つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、そして正
恩氏らが、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったと
き、彼は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったよ
うに核やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。

最大限の圧力という言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に
傾いているとの指摘も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の
制裁は緩めない。ただ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、
『最大限の圧力』と言わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を正
常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表している。
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した右の
宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。しかし、帰
国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報を収集するこ
とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは検証できる。そ
のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に入れる、それまで
は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号 日本ルネッサンス 第807回

2018年06月20日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。

中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り
出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ
投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅き
つけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策
に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号  日本ルネッサンス 第806回

2018年06月18日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。

恫喝と強制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人
工島は軍事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こう
した理由ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中
国の招待を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。

中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り
出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ
投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅き
つけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策
に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。
『週刊新潮』 2018年6月14日号  日本ルネッサンス 第806回

2018年06月17日

◆米国の真の相手は

櫻井よしこ



「米国の真の相手は、北を支える中国だ」

世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。

そこで、中国が影響力を及ぼし得る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうと
いう意図が見える。中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の
安全保障会議を創り出したいのである。

彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ投資銀行
(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅きつけられ
て多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策に魅きつ
けられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回