2019年04月27日

◆文在寅、親北反米路線で確信犯

櫻井よしこ


南北両朝鮮が米国に追い詰められている。とりわけ韓国の文在寅大統領へ
の米国の圧力は巧妙である。

4月11日、文氏は“建国”を祝う予定だったが、米韓首脳会談のため、大事
なその記念式典を諦めて訪米した。にも拘わらず、ホワイトハウスでのト
ランプ大統領との会談は、前代未聞の哀れな結果に終わった。

文氏は10日にソウルを出発し、同日夕方にワシントンに到着したが、米国
側との予定は一切組まれていなかった。翌11日午前中に、ポンペオ国務長
官、ボルトン大統領補佐官、ペンス副大統領とそれぞれ面会したが、三氏
共に文氏の北朝鮮寄りの姿勢に批判を加えたと見られる。北朝鮮に非核化
の意思は読みとれず、制裁緩和はあり得ない、米国はむしろ制裁強化を考
えていることなどが強調されたと考えてよいだろう。

その後、トランプ、文両首脳は夫人を伴って首脳会談を行った。夫人同伴
の首脳会談など通常はあり得ない。トランプ氏は文氏と二人で語り合う必
要を認めていなかったのだ。現に会談冒頭、メディアからゴルフのマス
ターズトーナメントの勝者は誰になると思うかと問われ、トランプ氏は文
氏を横においたまま延々と語った。結局27分間もトランプ氏の話が続き、
文氏との会談時間は驚きの2分間、しかも通訳つきだ。その後に他の閣僚
たちも参加しての昼食となった。4月12日、ネット配信の『言論テレビ』
で元駐日韓国大使館公使の洪熒(ホンヒョン)氏が語った。

「2月末にベトナムの首都ハノイで米朝会談が決裂した後、文氏は康京和
(カンギョンファ)外相や鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防部長官を米国に送
り、三度目の米朝首脳会談の開催や対北朝鮮制裁の解除を要請させまし
た。対北経済援助で米国には負担をかけない、韓国が負担するので開城
(ケソン)工業団地も金剛山(クムガンサン)観光も再開させてほしい、など
とも言わせました。米国側は全て拒否し、そのような話題であれば、米韓
首脳会談はなしだと、通告したのです」

一人飯

朝鮮問題の専門家でシンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力
氏も『言論テレビ』で語った。

「朝鮮語で『一人飯』をホンバプといいます。韓国の若者の間で一人でご
飯を食べるのが増えていて、ホンバプという言葉が流行っているのです。
文氏は米国到着の10日夜がホンバプ、11日朝もホンバプ、11日昼にようや
く米国側との食事にあり付いた。本当に相手にされなかったのです」

米国の厳しい態度は文政権の裏切りに対する冷遇だと洪氏が断じる。文氏
の裏切りとは、米朝首脳会談を実現させるために、文氏が金正恩氏は北朝
鮮の非核化を決意していると米国に伝えたことだ。正恩氏が表明したのは
北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化である。これは韓国を守るた
めに米国の核を使うという発想自体もなくしてしまうこと、即ち米韓同盟
の破棄を目指す言葉であり、北朝鮮が所有する全ての核や関連施設の一掃
とは、全く異なる。

当初、北朝鮮の非核化に希望を抱いたトランプ政権は、やがて正恩氏に非
核化の意思がないこと、文氏の嘘を確信したと思われる。国連制裁に違反
してでも北朝鮮支援に動こうとする文氏を牽制するために、米国政府は文
政権の頭越しに韓国の経済界に働きかけ始めた。

昨年9月には、ニューヨークにある韓国の七つの銀行の支店に米財務省が
直接電話をして、米国が北朝鮮に制裁をかけていることを承知しているか
と警告した。西岡氏が語った。

「韓国系の銀行は現在、送金業務を止めているといわれます。もし送金に
北朝鮮と関係する資金が入っていれば、米国の副次的制裁(secondary
sanction)を受け、一切のドル決済が停止されるやもしれない。そうなっ
たら銀行は潰れます」

昨年4月27日の板門店での南北首脳会談にも、9月18日の平壌での南北首脳
会談にも、文氏は多くの韓国企業代表と開城工業団地の組合長らを同行さ
せた。文氏は金正恩氏と共に白頭山に登ったが、そのとき正恩氏に開城工
業団地組合長を紹介し、組合長に直訴させた。「委員長様、何とか開城工
業団地を再開させて下さい」と。

正恩氏は今年新年の辞で「南朝鮮の人民の要望に応えて、無条件で開城工
業団地を再開する」と演説し、それを受けて文氏は開城工業団地再開で米
国を説得すると公言した。だが、北朝鮮を利するだけの工業団地再開に
は、前述のように米国が完全拒絶の姿勢を貫いた。

支持率は下がる一方

その間、ソウルの米大使館の専門官は文氏に同行した財閥や企業に直接電
話攻勢をかけた。米政府が北朝鮮に制裁をかけているのは承知か、と警告
したのである。洪氏が強調した。

「米国は朝鮮半島での70年間に多くの教訓を得ています。そしていま、文
在寅と韓国企業を切り離しているのです。文は米国の警告を聞かない。な
らば企業や韓国国民に直接働きかけようというわけです。核を諦めない北
朝鮮に送金を続けるのか、米国との貿易や自由社会との絆を選ぶのか、と
米国は迫っています」

韓国国民も文氏の危うさを実感しているに違いない。支持率は下がる一方
だ。経済は停滞し失業率は高まり続けている。にもかかわらず、文氏は最
低賃金をこの2年間で約30%も引き上げた。残業を規制し労働時間を大幅
に短くした。人件費は高騰し、倒産は急増、失業率がさらにはね上がる悪
循環である。笑い話のような現実を西岡氏が紹介した。

「統計上失業者が増えると困るので、文氏は60歳以上の失業者に週1回大
学に行って電気を消す、又はゴミ拾いをするなどの仕事を作り、役所が賃
金を払うことにしました。税金で失業率の統計に化粧を施しているのです」

支持率低下や米国の警告にもめげず、親北路線を変えない強い反米の意思
が文氏の人事から読みとれる。一例が統一部長官に指名された金錬鉄(キ
ムヨンチョル)氏である。この人物は米国が韓国に要請した
THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に反対し、開城工業団地の早
期再開を主張する反米主義者である。

同人事は韓国議会の反対にも拘わらず、文氏は考えを変えなかった。文氏
は米国に公然と対立姿勢を見せたに等しく、米国を欺く手法で開城工業団
地再開をはじめ北朝鮮支援に走り出しかねない。

暴走の気配を見せる文氏に、米国が対決姿勢を強め、韓国国内では対抗勢
力が力をつけつつある。2月27日、自由韓国党の代表に黄教安(ファンギョ
アン)氏が選ばれた。朴槿恵政権で法務部長官や首相を務めた公安検事出
身の62歳は、文政権の安保政策と経済政策を「亡国政策」と批判する。

野党勢力はまだ弱いが、それでも文氏の足下は決して盤石ではない。韓国
はいつ何が起きてもおかしくない緊張の中にある。

『週刊新潮』 2019年4月25日号 日本ルネッサンス 第849回

2019年04月26日

◆文在寅、親北反米路線で確信犯

櫻井よしこ


南北両朝鮮が米国に追い詰められている。とりわけ韓国の文在寅大統領へ
の米国の圧力は巧妙である。

4月11日、文氏は“建国”を祝う予定だったが、米韓首脳会談のため、大事
なその記念式典を諦めて訪米した。にも拘わらず、ホワイトハウスでのト
ランプ大統領との会談は、前代未聞の哀れな結果に終わった。

文氏は10日にソウルを出発し、同日夕方にワシントンに到着したが、米国
側との予定は一切組まれていなかった。翌11日午前中に、ポンペオ国務長
官、ボルトン大統領補佐官、ペンス副大統領とそれぞれ面会したが、三氏
共に文氏の北朝鮮寄りの姿勢に批判を加えたと見られる。北朝鮮に非核化
の意思は読みとれず、制裁緩和はあり得ない、米国はむしろ制裁強化を考
えていることなどが強調されたと考えてよいだろう。

その後、トランプ、文両首脳は夫人を伴って首脳会談を行った。夫人同伴
の首脳会談など通常はあり得ない。トランプ氏は文氏と二人で語り合う必
要を認めていなかったのだ。現に会談冒頭、メディアからゴルフのマス
ターズトーナメントの勝者は誰になると思うかと問われ、トランプ氏は文
氏を横においたまま延々と語った。結局27分間もトランプ氏の話が続き、
文氏との会談時間は驚きの2分間、しかも通訳つきだ。その後に他の閣僚
たちも参加しての昼食となった。4月12日、ネット配信の『言論テレビ』
で元駐日韓国大使館公使の洪熒(ホンヒョン)氏が語った。

「2月末にベトナムの首都ハノイで米朝会談が決裂した後、文氏は康京和
(カンギョンファ)外相や鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防部長官を米国に送
り、三度目の米朝首脳会談の開催や対北朝鮮制裁の解除を要請させまし
た。対北経済援助で米国には負担をかけない、韓国が負担するので開城
(ケソン)工業団地も金剛山(クムガンサン)観光も再開させてほしい、など
とも言わせました。米国側は全て拒否し、そのような話題であれば、米韓
首脳会談はなしだと、通告したのです」

一人飯

朝鮮問題の専門家でシンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力
氏も『言論テレビ』で語った。

「朝鮮語で『一人飯』をホンバプといいます。韓国の若者の間で一人でご
飯を食べるのが増えていて、ホンバプという言葉が流行っているのです。
文氏は米国到着の10日夜がホンバプ、11日朝もホンバプ、11日昼にようや
く米国側との食事にあり付いた。本当に相手にされなかったのです」

米国の厳しい態度は文政権の裏切りに対する冷遇だと洪氏が断じる。文氏
の裏切りとは、米朝首脳会談を実現させるために、文氏が金正恩氏は北朝
鮮の非核化を決意していると米国に伝えたことだ。正恩氏が表明したのは
北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化である。これは韓国を守るた
めに米国の核を使うという発想自体もなくしてしまうこと、即ち米韓同盟
の破棄を目指す言葉であり、北朝鮮が所有する全ての核や関連施設の一掃
とは、全く異なる。

当初、北朝鮮の非核化に希望を抱いたトランプ政権は、やがて正恩氏に非
核化の意思がないこと、文氏の嘘を確信したと思われる。国連制裁に違反
してでも北朝鮮支援に動こうとする文氏を牽制するために、米国政府は文
政権の頭越しに韓国の経済界に働きかけ始めた。

昨年9月には、ニューヨークにある韓国の七つの銀行の支店に米財務省が
直接電話をして、米国が北朝鮮に制裁をかけていることを承知しているか
と警告した。西岡氏が語った。

「韓国系の銀行は現在、送金業務を止めているといわれます。もし送金に
北朝鮮と関係する資金が入っていれば、米国の副次的制裁(secondary
sanction)を受け、一切のドル決済が停止されるやもしれない。そうなっ
たら銀行は潰れます」

昨年4月27日の板門店での南北首脳会談にも、9月18日の平壌での南北首脳
会談にも、文氏は多くの韓国企業代表と開城工業団地の組合長らを同行さ
せた。文氏は金正恩氏と共に白頭山に登ったが、そのとき正恩氏に開城工
業団地組合長を紹介し、組合長に直訴させた。「委員長様、何とか開城工
業団地を再開させて下さい」と。

正恩氏は今年新年の辞で「南朝鮮の人民の要望に応えて、無条件で開城工
業団地を再開する」と演説し、それを受けて文氏は開城工業団地再開で米
国を説得すると公言した。だが、北朝鮮を利するだけの工業団地再開に
は、前述のように米国が完全拒絶の姿勢を貫いた。

支持率は下がる一方

その間、ソウルの米大使館の専門官は文氏に同行した財閥や企業に直接電
話攻勢をかけた。米政府が北朝鮮に制裁をかけているのは承知か、と警告
したのである。洪氏が強調した。

「米国は朝鮮半島での70年間に多くの教訓を得ています。そしていま、文
在寅と韓国企業を切り離しているのです。文は米国の警告を聞かない。な
らば企業や韓国国民に直接働きかけようというわけです。核を諦めない北
朝鮮に送金を続けるのか、米国との貿易や自由社会との絆を選ぶのか、と
米国は迫っています」

韓国国民も文氏の危うさを実感しているに違いない。支持率は下がる一方
だ。経済は停滞し失業率は高まり続けている。にもかかわらず、文氏は最
低賃金をこの2年間で約30%も引き上げた。残業を規制し労働時間を大幅
に短くした。人件費は高騰し、倒産は急増、失業率がさらにはね上がる悪
循環である。笑い話のような現実を西岡氏が紹介した。

「統計上失業者が増えると困るので、文氏は60歳以上の失業者に週1回大
学に行って電気を消す、又はゴミ拾いをするなどの仕事を作り、役所が賃
金を払うことにしました。税金で失業率の統計に化粧を施しているのです」

支持率低下や米国の警告にもめげず、親北路線を変えない強い反米の意思
が文氏の人事から読みとれる。一例が統一部長官に指名された金錬鉄(キ
ムヨンチョル)氏である。この人物は米国が韓国に要請した
THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に反対し、開城工業団地の早
期再開を主張する反米主義者である。

同人事は韓国議会の反対にも拘わらず、文氏は考えを変えなかった。文氏
は米国に公然と対立姿勢を見せたに等しく、米国を欺く手法で開城工業団
地再開をはじめ北朝鮮支援に走り出しかねない。

暴走の気配を見せる文氏に、米国が対決姿勢を強め、韓国国内では対抗勢
力が力をつけつつある。2月27日、自由韓国党の代表に黄教安(ファンギョ
アン)氏が選ばれた。朴槿恵政権で法務部長官や首相を務めた公安検事出
身の62歳は、文政権の安保政策と経済政策を「亡国政策」と批判する。

野党勢力はまだ弱いが、それでも文氏の足下は決して盤石ではない。韓国
はいつ何が起きてもおかしくない緊張の中にある。

『週刊新潮』 2019年4月25日号日本ルネッサンス 第849回

2019年04月25日

◆ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り

櫻井よしこ


「ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り 国際社会で共に対処する発想
こそ重要だ」

フィリピンのドゥテルテ大統領が4月4日、自国が領有する南シナ海の島周
辺に数百隻の中国船が押し寄せているとして、中国に強い不快感を表した。

「パグアサ島に手を出すな。手を引かない場合、自爆任務を担う部隊を送
り込むことも辞さない」と、当然のことだが、領土に関しては一歩も引か
ない構えを示した。

パグアサ島は南シナ海のスプラトリー諸島の一部で、フィリピンが領有す
る9つの島の内、最大の島だ。住民はおよそ100人である。

今年2月4日、国防大臣のロレンザーナ氏は、同島の港湾施設の改良工事が
進行中だと発表した。空港の滑走路などが老朽化しており、早急に修理が
必要で、資材搬入に港の整備が必要だという。同計画は前年末には完成予
定だったが、中国の不当介入で進行は遅れ、現在も未完成だ。

中国はどのように介入してきたのか、ロレンザーナ氏が昨年11月に語って
いる。

「フィリピン駐在中国大使がパグアサ島の港の整備計画中止を要求
(urged)してきました」

フィリピン政府が自国領の島を整備するのに、中国が口を挟むべき理由な
どない。だが、中国は以前から露骨に介入し続けている。2017年8月、
フィリピン漁民が同島の砂州に休憩用の小屋を建てたとき、中国側は小艦
隊を派遣して島を取り囲んだ。100隻近い漁船も押し寄せた。フィリピン
政府は米沿岸警備隊から譲り受けたハミルトン級の艦船を派遣した。

シンクタンク「アジア海洋透明化構想(AMTI)」によると、パグアサ
島に押し寄せた中国漁船はすべて中国海洋軍への所属を示す旗を立ててい
た。さらに注目点は、漁船の大半がGPS(全地球測位システム、中国の
GPSは「北斗」)を搭載していなかったことだ。約100隻の漁船の内、
「北斗」搭載は一隻だけだった。残りの小型漁船は何を期待されているのか。

シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員で東海大学教授の山田吉彦氏
は語る。

「中国政府は彼らを、パグアサ島に置き去りにするということでしょう。
漁民たちにはその島の住人となって、中国政府の次の指令を待つことが求
められていると思います」

漁民の中には軍人も当然交じっている。彼らはいざという時には立ち上
がって中国軍と一緒に島を奪う。彼らの常套手段だ。

中国は南シナ海を派手に埋めたてて国際社会の反発を招いたが、派手な立
ち回りの陰で、パグアサ島のように、国際社会が余り注目しない、目立た
ない島々でも確実に侵略の手を広げている。まさにその点で憂慮すべき事
態が起きていると、AMTIが警告する。

南シナ海の北部にあるパラセル諸島のボンベイ礁に中国が新たなプラット
ホームを建てた。灯台しかなかった島に、27メートル×12メートルのプ
ラットホームが海面から一定の高さの所に造られ、124平方メートルの太
陽光パネルが設置された。隣に航空機用のレーダーアンテナを保護する屋
根も見てとれる。建造物の下部構造は、衛星情報では判断できない。

AMTIの専門家はこれを次のように分析した。ボンベイ礁はパラセル諸
島とスプラトリー諸島間の航行路の要衝に当たるため、ここにレーダーを
設置して行き交う船の情報すべてを得ることが目的と思われる。比較的小
型の設備で十分に機能するため、インテリジェンスの視点では非常に重要
な役割を果たし得る。目立たない形で、中国は情報戦における対米優位を
確立できる。国際社会の非難の的になる派手な大規模工事から隠密行動へ
と、中国は戦術転換をしたとの分析だ。

ドゥテルテ大統領の怒りを共有して、共に対処する発想こそ重要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1276

2019年04月24日

◆ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り

櫻井よしこ


「ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り 国際社会で共に対処する発想
こそ重要だ」

フィリピンのドゥテルテ大統領が4月4日、自国が領有する南シナ海の島周
辺に数百隻の中国船が押し寄せているとして、中国に強い不快感を表した。

「パグアサ島に手を出すな。手を引かない場合、自爆任務を担う部隊を送
り込むことも辞さない」と、当然のことだが、領土に関しては一歩も引か
ない構えを示した。

パグアサ島は南シナ海のスプラトリー諸島の一部で、フィリピンが領有す
る9つの島の内、最大の島だ。住民はおよそ100人である。

今年2月4日、国防大臣のロレンザーナ氏は、同島の港湾施設の改良工事が
進行中だと発表した。空港の滑走路などが老朽化しており、早急に修理が
必要で、資材搬入に港の整備が必要だという。同計画は前年末には完成予
定だったが、中国の不当介入で進行は遅れ、現在も未完成だ。

中国はどのように介入してきたのか、ロレンザーナ氏が昨年11月に語って
いる。

「フィリピン駐在中国大使がパグアサ島の港の整備計画中止を要求
(urged)してきました」

フィリピン政府が自国領の島を整備するのに、中国が口を挟むべき理由な
どない。だが、中国は以前から露骨に介入し続けている。2017年8月、
フィリピン漁民が同島の砂州に休憩用の小屋を建てたとき、中国側は小艦
隊を派遣して島を取り囲んだ。100隻近い漁船も押し寄せた。フィリピン
政府は米沿岸警備隊から譲り受けたハミルトン級の艦船を派遣した。

シンクタンク「アジア海洋透明化構想(AMTI)」によると、パグアサ
島に押し寄せた中国漁船はすべて中国海洋軍への所属を示す旗を立ててい
た。さらに注目点は、漁船の大半がGPS(全地球測位システム、中国の
GPSは「北斗」)を搭載していなかったことだ。約100隻の漁船の内、
「北斗」搭載は一隻だけだった。残りの小型漁船は何を期待されているのか。

シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員で東海大学教授の山田吉彦氏
は語る。

「中国政府は彼らを、パグアサ島に置き去りにするということでしょう。
漁民たちにはその島の住人となって、中国政府の次の指令を待つことが求
められていると思います」

漁民の中には軍人も当然交じっている。彼らはいざという時には立ち上
がって中国軍と一緒に島を奪う。彼らの常套手段だ。

中国は南シナ海を派手に埋めたてて国際社会の反発を招いたが、派手な立
ち回りの陰で、パグアサ島のように、国際社会が余り注目しない、目立た
ない島々でも確実に侵略の手を広げている。まさにその点で憂慮すべき事
態が起きていると、AMTIが警告する。

南シナ海の北部にあるパラセル諸島のボンベイ礁に中国が新たなプラット
ホームを建てた。灯台しかなかった島に、27メートル×12メートルのプ
ラットホームが海面から一定の高さの所に造られ、124平方メートルの太
陽光パネルが設置された。隣に航空機用のレーダーアンテナを保護する屋
根も見てとれる。建造物の下部構造は、衛星情報では判断できない。

AMTIの専門家はこれを次のように分析した。ボンベイ礁はパラセル諸
島とスプラトリー諸島間の航行路の要衝に当たるため、ここにレーダーを
設置して行き交う船の情報すべてを得ることが目的と思われる。比較的小
型の設備で十分に機能するため、インテリジェンスの視点では非常に重要
な役割を果たし得る。目立たない形で、中国は情報戦における対米優位を
確立できる。国際社会の非難の的になる派手な大規模工事から隠密行動へ
と、中国は戦術転換をしたとの分析だ。

ドゥテルテ大統領の怒りを共有して、共に対処する発想こそ重要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1276

2019年04月23日

◆ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り

櫻井よしこ


「ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り 国際社会で共に対処する発想
こそ重要だ」

フィリピンのドゥテルテ大統領が4月4日、自国が領有する南シナ海の島周
辺に数百隻の中国船が押し寄せているとして、中国に強い不快感を表した。

「パグアサ島に手を出すな。手を引かない場合、自爆任務を担う部隊を送
り込むことも辞さない」と、当然のことだが、領土に関しては一歩も引か
ない構えを示した。

パグアサ島は南シナ海のスプラトリー諸島の一部で、フィリピンが領有す
る9つの島の内、最大の島だ。住民はおよそ100人である。

今年2月4日、国防大臣のロレンザーナ氏は、同島の港湾施設の改良工事が
進行中だと発表した。空港の滑走路などが老朽化しており、早急に修理が
必要で、資材搬入に港の整備が必要だという。同計画は前年末には完成予
定だったが、中国の不当介入で進行は遅れ、現在も未完成だ。

中国はどのように介入してきたのか、ロレンザーナ氏が昨年11月に語って
いる。

「フィリピン駐在中国大使がパグアサ島の港の整備計画中止を要求
(urged)してきました」

フィリピン政府が自国領の島を整備するのに、中国が口を挟むべき理由な
どない。だが、中国は以前から露骨に介入し続けている。2017年8月、
フィリピン漁民が同島の砂州に休憩用の小屋を建てたとき、中国側は小艦
隊を派遣して島を取り囲んだ。100隻近い漁船も押し寄せた。フィリピン
政府は米沿岸警備隊から譲り受けたハミルトン級の艦船を派遣した。

シンクタンク「アジア海洋透明化構想(AMTI)」によると、パグアサ
島に押し寄せた中国漁船はすべて中国海洋軍への所属を示す旗を立ててい
た。さらに注目点は、漁船の大半がGPS(全地球測位システム、中国の
GPSは「北斗」)を搭載していなかったことだ。約100隻の漁船の内、
「北斗」搭載は一隻だけだった。残りの小型漁船は何を期待されているのか。

シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員で東海大学教授の山田吉彦氏
は語る。

「中国政府は彼らを、パグアサ島に置き去りにするということでしょう。
漁民たちにはその島の住人となって、中国政府の次の指令を待つことが求
められていると思います」

漁民の中には軍人も当然交じっている。彼らはいざという時には立ち上
がって中国軍と一緒に島を奪う。彼らの常套手段だ。

中国は南シナ海を派手に埋めたてて国際社会の反発を招いたが、派手な立
ち回りの陰で、パグアサ島のように、国際社会が余り注目しない、目立た
ない島々でも確実に侵略の手を広げている。まさにその点で憂慮すべき事
態が起きていると、AMTIが警告する。

南シナ海の北部にあるパラセル諸島のボンベイ礁に中国が新たなプラット
ホームを建てた。灯台しかなかった島に、27メートル×12メートルのプ
ラットホームが海面から一定の高さの所に造られ、124平方メートルの太
陽光パネルが設置された。隣に航空機用のレーダーアンテナを保護する屋
根も見てとれる。建造物の下部構造は、衛星情報では判断できない。

AMTIの専門家はこれを次のように分析した。ボンベイ礁はパラセル諸
島とスプラトリー諸島間の航行路の要衝に当たるため、ここにレーダーを
設置して行き交う船の情報すべてを得ることが目的と思われる。比較的小
型の設備で十分に機能するため、インテリジェンスの視点では非常に重要
な役割を果たし得る。目立たない形で、中国は情報戦における対米優位を
確立できる。国際社会の非難の的になる派手な大規模工事から隠密行動へ
と、中国は戦術転換をしたとの分析だ。

ドゥテルテ大統領の怒りを共有して、共に対処する発想こそ重要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1276

2019年04月22日

◆ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り

櫻井よしこ


「ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り 国際社会で共に対処する発想
こそ重要だ」

フィリピンのドゥテルテ大統領が4月4日、自国が領有する南シナ海の島周
辺に数百隻の中国船が押し寄せているとして、中国に強い不快感を表した。

「パグアサ島に手を出すな。手を引かない場合、自爆任務を担う部隊を送
り込むことも辞さない」と、当然のことだが、領土に関しては一歩も引か
ない構えを示した。

パグアサ島は南シナ海のスプラトリー諸島の一部で、フィリピンが領有す
る9つの島の内、最大の島だ。住民はおよそ100人である。

今年2月4日、国防大臣のロレンザーナ氏は、同島の港湾施設の改良工事が
進行中だと発表した。空港の滑走路などが老朽化しており、早急に修理が
必要で、資材搬入に港の整備が必要だという。同計画は前年末には完成予
定だったが、中国の不当介入で進行は遅れ、現在も未完成だ。

中国はどのように介入してきたのか、ロレンザーナ氏が昨年11月に語って
いる。

「フィリピン駐在中国大使がパグアサ島の港の整備計画中止を要求
(urged)してきました」

フィリピン政府が自国領の島を整備するのに、中国が口を挟むべき理由な
どない。だが、中国は以前から露骨に介入し続けている。2017年8月、
フィリピン漁民が同島の砂州に休憩用の小屋を建てたとき、中国側は小艦
隊を派遣して島を取り囲んだ。100隻近い漁船も押し寄せた。フィリピン
政府は米沿岸警備隊から譲り受けたハミルトン級の艦船を派遣した。

シンクタンク「アジア海洋透明化構想(AMTI)」によると、パグアサ
島に押し寄せた中国漁船はすべて中国海洋軍への所属を示す旗を立ててい
た。さらに注目点は、漁船の大半がGPS(全地球測位システム、中国の
GPSは「北斗」)を搭載していなかったことだ。約100隻の漁船の内、
「北斗」搭載は一隻だけだった。残りの小型漁船は何を期待されているのか。

シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員で東海大学教授の山田吉彦氏
は語る。

「中国政府は彼らを、パグアサ島に置き去りにするということでしょう。
漁民たちにはその島の住人となって、中国政府の次の指令を待つことが求
められていると思います」

漁民の中には軍人も当然交じっている。彼らはいざという時には立ち上
がって中国軍と一緒に島を奪う。彼らの常套手段だ。

中国は南シナ海を派手に埋めたてて国際社会の反発を招いたが、派手な立
ち回りの陰で、パグアサ島のように、国際社会が余り注目しない、目立た
ない島々でも確実に侵略の手を広げている。まさにその点で憂慮すべき事
態が起きていると、AMTIが警告する。

南シナ海の北部にあるパラセル諸島のボンベイ礁に中国が新たなプラット
ホームを建てた。灯台しかなかった島に、27メートル×12メートルのプ
ラットホームが海面から一定の高さの所に造られ、124平方メートルの太
陽光パネルが設置された。隣に航空機用のレーダーアンテナを保護する屋
根も見てとれる。建造物の下部構造は、衛星情報では判断できない。

AMTIの専門家はこれを次のように分析した。ボンベイ礁はパラセル諸
島とスプラトリー諸島間の航行路の要衝に当たるため、ここにレーダーを
設置して行き交う船の情報すべてを得ることが目的と思われる。比較的小
型の設備で十分に機能するため、インテリジェンスの視点では非常に重要
な役割を果たし得る。目立たない形で、中国は情報戦における対米優位を
確立できる。国際社会の非難の的になる派手な大規模工事から隠密行動へ
と、中国は戦術転換をしたとの分析だ。

ドゥテルテ大統領の怒りを共有して、共に対処する発想こそ重要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1276

2019年04月21日

◆ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り

櫻井よしこ


「ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り 国際社会で共に対処する発想
こそ重要だ」

フィリピンのドゥテルテ大統領が4月4日、自国が領有する南シナ海の島周
辺に数百隻の中国船が押し寄せているとして、中国に強い不快感を表した。

「パグアサ島に手を出すな。手を引かない場合、自爆任務を担う部隊を送
り込むことも辞さない」と、当然のことだが、領土に関しては一歩も引か
ない構えを示した。

パグアサ島は南シナ海のスプラトリー諸島の一部で、フィリピンが領有す
る9つの島の内、最大の島だ。住民はおよそ100人である。

今年2月4日、国防大臣のロレンザーナ氏は、同島の港湾施設の改良工事が
進行中だと発表した。空港の滑走路などが老朽化しており、早急に修理が
必要で、資材搬入に港の整備が必要だという。同計画は前年末には完成予
定だったが、中国の不当介入で進行は遅れ、現在も未完成だ。

中国はどのように介入してきたのか、ロレンザーナ氏が昨年11月に語って
いる。

「フィリピン駐在中国大使がパグアサ島の港の整備計画中止を要求
(urged)してきました」

フィリピン政府が自国領の島を整備するのに、中国が口を挟むべき理由な
どない。だが、中国は以前から露骨に介入し続けている。2017年8月、
フィリピン漁民が同島の砂州に休憩用の小屋を建てたとき、中国側は小艦
隊を派遣して島を取り囲んだ。100隻近い漁船も押し寄せた。フィリピン
政府は米沿岸警備隊から譲り受けたハミルトン級の艦船を派遣した。

シンクタンク「アジア海洋透明化構想(AMTI)」によると、パグアサ
島に押し寄せた中国漁船はすべて中国海洋軍への所属を示す旗を立ててい
た。さらに注目点は、漁船の大半がGPS(全地球測位システム、中国の
GPSは「北斗」)を搭載していなかったことだ。約100隻の漁船の内、
「北斗」搭載は一隻だけだった。残りの小型漁船は何を期待されているのか。

シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員で東海大学教授の山田吉彦氏
は語る。

「中国政府は彼らを、パグアサ島に置き去りにするということでしょう。
漁民たちにはその島の住人となって、中国政府の次の指令を待つことが求
められていると思います」

漁民の中には軍人も当然交じっている。彼らはいざという時には立ち上
がって中国軍と一緒に島を奪う。彼らの常套手段だ。

中国は南シナ海を派手に埋めたてて国際社会の反発を招いたが、派手な立
ち回りの陰で、パグアサ島のように、国際社会が余り注目しない、目立た
ない島々でも確実に侵略の手を広げている。まさにその点で憂慮すべき事
態が起きていると、AMTIが警告する。

南シナ海の北部にあるパラセル諸島のボンベイ礁に中国が新たなプラット
ホームを建てた。灯台しかなかった島に、27メートル×12メートルのプ
ラットホームが海面から一定の高さの所に造られ、124平方メートルの太
陽光パネルが設置された。隣に航空機用のレーダーアンテナを保護する屋
根も見てとれる。建造物の下部構造は、衛星情報では判断できない。

AMTIの専門家はこれを次のように分析した。ボンベイ礁はパラセル諸
島とスプラトリー諸島間の航行路の要衝に当たるため、ここにレーダーを
設置して行き交う船の情報すべてを得ることが目的と思われる。比較的小
型の設備で十分に機能するため、インテリジェンスの視点では非常に重要
な役割を果たし得る。目立たない形で、中国は情報戦における対米優位を
確立できる。国際社会の非難の的になる派手な大規模工事から隠密行動へ
と、中国は戦術転換をしたとの分析だ。

ドゥテルテ大統領の怒りを共有して、共に対処する発想こそ重要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1276

2019年04月20日

◆福澤諭吉論に見る、皇室と国民の関係

櫻井よしこ


約150年前、日本人は列強諸国の脅威の前で、潰されず呑みこまれず、祖
国の未来を確固たるものにしようと必死の想いで努力した。徳川幕府の統
治から転じて天皇の権威の下に皆が結集して、明治維新という大変化を乗
り切った。おかげで日本は大半のアジア諸国とは異なり、辛うじて独立独
歩で前進できた。

国の形が大転換したとき、先人たちはどんな発想で国家、民族の一体性を
守り通したのか。現在、1945年から続いてきた戦後体制が大変革中なのは
否定しようのない現実だ。わが国も、何かしら根本的な変化は避けられな
いと、多くの人が感じている。

今上陛下のご退位が近づき、皇太子殿下のご即位が近づいている。新天皇
と皇室はどうあるのがよいのか。私たち国民はどのように新天皇皇后両陛
下を支え、向き合うのがよいのか。先人たちは、明治維新で突然、立憲君
主として国を統治する立場に立たれた天皇にどのように向き合ったのか。
皇室の在り方も含めて何を理想としたのか。

明治15(1882)年5月に、福澤諭吉が上梓した『帝室論』が多くを教えて
くれる。冒頭で福澤は「帝室は政治社外のものなり」と説いている。

政治と皇室を結びつけてはならないということだが、これは現代の日本人
にとっては当然の心得だ。現行の日本国憲法は、第四条で書いている。
「天皇は、(中略)国政に関する権能を有しない」と。

これは日本を占領した米軍が、出来得るならば皇室も消滅させたいとの悪
意ある思いから定めた憲法だ。日本国民が絶大な信頼を寄せていた皇室の
力を殺ぎたいとの思惑がそこにはあったと考えてよい。

だが、福澤の説く「皇室は政治にかかわってはならない」という意味は全
く異なる。明治の人々は天皇及び皇室を敬うが故に、政治と皇室は別のも
のと考えたのだ。皇室は政治の外にあったからこそ、「我が日本国におい
ては、古来今に至るまで真実の乱臣賊子なし」だったのである。

大岡裁きに人気が集まる

福澤は、少なくとも鎌倉時代以降、日本人は「北条や足利のような反乱分
子と見られるもの」でさえ、皇室に敵対しなかった、彼らは皇室に奉ずる
方法について争ったにすぎないという。その世俗の争いを、皇室は「父母
が子供の喧嘩の騒々しさを叱るような」姿勢で見ていたのであって、その
種の争いを「憎むのではない。唯これを制止するものであり、騒ぎがおさ
まればもはや問題視はしない」のだと説いている。

政治とかかわらない皇室は、「万機を統(す)ぶる」存在であり、「万機に
当たる」存在ではないとの指摘には深い意味があるだろう。

政治や政党を、「自由改進」や「保守守旧」を自称して論争するが、結局
「政権の受授を争って自らが権力を執ろうとする者にすぎない」と手厳し
く批判する。政治は世の中の多岐にわたる事柄に携わるが、皇室はそうで
はない。にもかかわらず、そうした事象のすべてが、自ずと皇室の下で治
まっていくという見方を福澤は取っている。

現実問題として日本では争い事はどのように解決されるのか。大岡越前守
の大岡裁きに人気が集まるように、必ずしも厳格な法による解決が善い解
決ではなかった。たとえば江戸市中の火事場で鳶の組同士が喧嘩する。す
ると公の裁きのかわりに親分が仲裁し、喧嘩の当事者が坊主頭になって和
解する。なぜ坊主頭になるのか。実際に寺に入らずとも、寺に入り、俗世
と別れるという覚悟を、示すためだろう、と福澤は見る。

だが、西洋の合理性を重視した福澤は日本における宗教の力は評価しない。

「我が日本の宗教の功徳は人々の営みにまでは浸透していない。宗教はた
だわずかに、寺院の中の説教にとどまっている。宗教の力のみで、国民に
倫理や徳を浸透させ維持することができないのは明らかだ」

福澤は宗教の力は評価しないが、社会の潤滑油としての宗教の機能は大い
に認めている。たとえば、として次のような事例を挙げている。古く歴史
を遡れば敗軍の将が高野山に登り、国事犯の罪人が尼寺に入り、あるい
は、藩法に背いた家来に止むを得ず切腹を命ずるようなとき、君家菩提寺
の老僧が仲裁に入ったり、罪人を寺に引き取ったりしておさめてきた。

宗教は法以外の力、法以外の存在として、社会の安寧を維持するのに役
立ったということなのだ。社会を暮らし易いものとするための力として評
価しているのだ。

それでも前述したように、宗教は寺院の中の説教にすぎず国民に倫理や道
徳を行き渡らせる役割は担えていないと強調して、「帝室に依頼するの要
用なることますます明らかなり」というのだ。

敬愛の情

政治も宗教も社会問題の解決や摩擦解消の力にはなり得ない。それは皇室
にしか果たせない役割だと結論づけるが、そんなオールマイティーな力
は、皇室のどこから生まれてくるのか。皇室の「統べる力」の源泉は何か。

福澤は「一国の帝王は一家の父母の如し」と説く。良家の父母は子供に
「このようにしなさい」と諭すが、「このようにしなければ鞭で打つぞ」
とは言わない。言わないだけでなく実際に手に鞭を持つことはしない。よ
き両親は慎むのである。

日本の皇室と国民の関係も同じである。そこが政治と国民の関係との違い
だとして、ざっと以下のように説いている。

国会は立法する。法を守ればよし、破れば罰せられる。懲らしめることは
善きことを勧めることではない。罰することは誉め奨励することではな
い。規範規律で縛り上げて社会の秩序を整えるのでは、国民は「畳のない
部屋に坐らされ空気のない地球に住まわされる」ようなものだ。これでは
道理道理と詰め寄られて、窒塞することもある。

それを救って、国中にあたたかい空気を通し、人心を落ち着かせ、国民に
安寧をもたらし得るのは、ただ皇室のみだ。

明治維新の荒波の中、皇室が国家の根本を担い、人々をまとめた。日本は
立派に危機を乗り切った。皇室の力は和らぎをもたらす力であり、緩和力
だ。如何なる政党にも党派にも#与#くみ#せず、公正な視点で一段と高い
所から全体を見渡す。穏やかに春のようなあたたかさで国全体を包み込
む。そのような姿勢から皇室の力は生まれたと福澤は説いている。

先人たちのこのような感じ方は、次代の皇室、ひいては新天皇皇后両陛下
とどのように向き合うかについて、自ずと私たち国民への大いなる導きと
なるのではないか。敬愛の情をもってお守りする心を、私たち国民が抱く
ことの重要性を強調したい。

『週刊新潮』 2019年4月18日号日本ルネッサンス 第848回

2019年04月19日

◆福澤諭吉論に見る、皇室と国民の関係

櫻井よしこ


「福澤諭吉論に見る、皇室と国民の関係」

約150年前、日本人は列強諸国の脅威の前で、潰されず呑みこまれず、祖
国の未来を確固たるものにしようと必死の想いで努力した。徳川幕府の統
治から転じて天皇の権威の下に皆が結集して、明治維新という大変化を乗
り切った。おかげで日本は大半のアジア諸国とは異なり、辛うじて独立独
歩で前進できた。

国の形が大転換したとき、先人たちはどんな発想で国家、民族の一体性を
守り通したのか。現在、1945年から続いてきた戦後体制が大変革中なのは
否定しようのない現実だ。わが国も、何かしら根本的な変化は避けられな
いと、多くの人が感じている。

今上陛下のご退位が近づき、皇太子殿下のご即位が近づいている。新天皇
と皇室はどうあるのがよいのか。私たち国民はどのように新天皇皇后両陛
下を支え、向き合うのがよいのか。先人たちは、明治維新で突然、立憲君
主として国を統治する立場に立たれた天皇にどのように向き合ったのか。
皇室の在り方も含めて何を理想としたのか。

明治15(1882)年5月に、福澤諭吉が上梓した『帝室論』が多くを教えて
くれる。冒頭で福澤は「帝室は政治社外のものなり」と説いている。

政治と皇室を結びつけてはならないということだが、これは現代の日本人
にとっては当然の心得だ。現行の日本国憲法は、第四条で書いている。
「天皇は、(中略)国政に関する権能を有しない」と。

これは日本を占領した米軍が、出来得るならば皇室も消滅させたいとの悪
意ある思いから定めた憲法だ。日本国民が絶大な信頼を寄せていた皇室の
力を殺ぎたいとの思惑がそこにはあったと考えてよい。

だが、福澤の説く「皇室は政治にかかわってはならない」という意味は全
く異なる。明治の人々は天皇及び皇室を敬うが故に、政治と皇室は別のも
のと考えたのだ。皇室は政治の外にあったからこそ、「我が日本国におい
ては、古来今に至るまで真実の乱臣賊子なし」だったのである。

大岡裁きに人気が集まる

福澤は、少なくとも鎌倉時代以降、日本人は「北条や足利のような反乱分
子と見られるもの」でさえ、皇室に敵対しなかった、彼らは皇室に奉ずる
方法について争ったにすぎないという。その世俗の争いを、皇室は「父母
が子供の喧嘩の騒々しさを叱るような」姿勢で見ていたのであって、その
種の争いを「憎むのではない。唯これを制止するものであり、騒ぎがおさ
まればもはや問題視はしない」のだと説いている。

政治とかかわらない皇室は、「万機を統(す)ぶる」存在であり、「万機に
当たる」存在ではないとの指摘には深い意味があるだろう。

政治や政党を、「自由改進」や「保守守旧」を自称して論争するが、結局
「政権の受授を争って自らが権力を執ろうとする者にすぎない」と手厳し
く批判する。政治は世の中の多岐にわたる事柄に携わるが、皇室はそうで
はない。にもかかわらず、そうした事象のすべてが、自ずと皇室の下で治
まっていくという見方を福澤は取っている。

現実問題として日本では争い事はどのように解決されるのか。大岡越前守
の大岡裁きに人気が集まるように、必ずしも厳格な法による解決が善い解
決ではなかった。たとえば江戸市中の火事場で鳶の組同士が喧嘩する。す
ると公の裁きのかわりに親分が仲裁し、喧嘩の当事者が坊主頭になって和
解する。なぜ坊主頭になるのか。実際に寺に入らずとも、寺に入り、俗世
と別れるという覚悟を、示すためだろう、と福澤は見る。

だが、西洋の合理性を重視した福澤は日本における宗教の力は評価しない。

「我が日本の宗教の功徳は人々の営みにまでは浸透していない。宗教はた
だわずかに、寺院の中の説教にとどまっている。宗教の力のみで、国民に
倫理や徳を浸透させ維持することができないのは明らかだ」

福澤は宗教の力は評価しないが、社会の潤滑油としての宗教の機能は大い
に認めている。たとえば、として次のような事例を挙げている。古く歴史
を遡れば敗軍の将が高野山に登り、国事犯の罪人が尼寺に入り、あるい
は、藩法に背いた家来に止むを得ず切腹を命ずるようなとき、君家菩提寺
の老僧が仲裁に入ったり、罪人を寺に引き取ったりしておさめてきた。

宗教は法以外の力、法以外の存在として、社会の安寧を維持するのに役
立ったということなのだ。社会を暮らし易いものとするための力として評
価しているのだ。

それでも前述したように、宗教は寺院の中の説教にすぎず国民に倫理や道
徳を行き渡らせる役割は担えていないと強調して、「帝室に依頼するの要
用なることますます明らかなり」というのだ。

敬愛の情

政治も宗教も社会問題の解決や摩擦解消の力にはなり得ない。それは皇室
にしか果たせない役割だと結論づけるが、そんなオールマイティーな力
は、皇室のどこから生まれてくるのか。皇室の「統べる力」の源泉は何か。

福澤は「一国の帝王は一家の父母の如し」と説く。良家の父母は子供に
「このようにしなさい」と諭すが、「このようにしなければ鞭で打つぞ」
とは言わない。言わないだけでなく実際に手に鞭を持つことはしない。よ
き両親は慎むのである。

日本の皇室と国民の関係も同じである。そこが政治と国民の関係との違い
だとして、ざっと以下のように説いている。

国会は立法する。法を守ればよし、破れば罰せられる。懲らしめることは
善きことを勧めることではない。罰することは誉め奨励することではな
い。規範規律で縛り上げて社会の秩序を整えるのでは、国民は「畳のない
部屋に坐らされ空気のない地球に住まわされる」ようなものだ。これでは
道理道理と詰め寄られて、窒塞することもある。

それを救って、国中にあたたかい空気を通し、人心を落ち着かせ、国民に
安寧をもたらし得るのは、ただ皇室のみだ。

明治維新の荒波の中、皇室が国家の根本を担い、人々をまとめた。日本は
立派に危機を乗り切った。皇室の力は和らぎをもたらす力であり、緩和力
だ。如何なる政党にも党派にも#与#くみ#せず、公正な視点で一段と高い
所から全体を見渡す。穏やかに春のようなあたたかさで国全体を包み込
む。そのような姿勢から皇室の力は生まれたと福澤は説いている。

先人たちのこのような感じ方は、次代の皇室、ひいては新天皇皇后両陛下
とどのように向き合うかについて、自ずと私たち国民への大いなる導きと
なるのではないか。敬愛の情をもってお守りする心を、私たち国民が抱く
ことの重要性を強調したい。

『週刊新潮』 2019年4月18日号日本ルネッサンス 第848回


2019年04月18日

◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びた
い 」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。
『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275


2019年04月17日

◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275 

2019年04月16日

◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275 

2019年04月15日

◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275