2018年08月05日

◆人口学から見て非常に脆弱な中国

櫻井よしこ


「人口学から見て非常に脆弱な中国 日本の真の国難も同様だ」

シンクタンク「国家基本問題研究所」は今年5月、創立10周年国際セミ
ナーにフランスの歴史人口学者で家族人類学者のエマニュエル・トッド氏
を招いた。氏は国家や国際関係を経済や軍事を軸とした戦略論ではなく、
人口や家族形態の変化を軸に論ずることで知られる。

たとえば博士号を取得した若き研究者の時代、旧ソ連の乳幼児の死亡率の
高さから、同国の崩壊を予測した。歴史の展開を言い当てた氏は25歳にし
て国際的な評価を確立した。

人口学から見た場合、少子高齢化の日本は脆弱国家そのものだ。トッド氏
はわが国に鋭い警告を発し続けるが、もうひとつ、氏が非常に脆弱な大国
とするのが中国だ。彼らの危機は人口動態にとどまらず、教育、国民の流
出にあるという。

トッド氏の描く中国の危機の大構図を理解するには、近藤大介氏の『未来
の中国年表 超高齢大国でこれから起こること』(講談社現代新書)を読
むのがよい。近藤氏は毎年数回中国を訪れ、人々や社会の様子を定点観測
してきた。

1982年から2015年まで、30年余の「一人っ子政策」の結果、現在30代以下
の中国人は基本的に皆一人っ子である。彼らは「小皇帝」「小公主(皇帝
の小さな姫君)」などと呼ばれ、「四二一家庭(四人の祖父母と二人の親
が一人の子供に集中して甘やかす)」の中で育つ。彼らの一番の問題が
「肥満」だそうだ。我が儘一杯の肥満児の大軍がひしめく社会はどこから
見ても不健全だ。

中国政府は少子高齢化に陥った日本の轍を踏むまいと、3年前に正式に二
人っ子政策に転換した。だが、多くの中国の若い世代はもはや二人の子供
など持ちたくないと考える。理由のひとつが年老いた両親と子供を同時に
養う事態に直面することだそうだ。保育園、幼稚園、小児科病院など施設
が整っていないというのも理由である。一人っ子には一人っ子の概念が定
着しており、その他のケースを想像しにくい心理の壁もあるという。

一人っ子政策は中国の労働市場や高齢化の加速に深刻な問題を生じさせた
だけでなく、近隣諸国や世界に大変な犠牲を強いつつある。

一人しか子供を持てないなら、男児優先だという伝統的価値観ゆえに、生
まれてくる子供の数の男女差が異常に大きい。人間の子供はどの国でも男
の赤ちゃんの数が女の赤ちゃんよりも多い。比率は大体、女児を100とす
ると男児が102から107の間を正常値と見る。ところが中国では120を超え
た年が近年で三度もあり、3000万人もの結婚適齢期の男性が結婚相手を見
つけられないでいる。

彼らはどうするのか。近藤氏は(1)国際結婚、(2)同性愛、(3)空
巣青年の道があるという。

(1)は、中国農村部ではアフリカの女性たちとの結婚がすでに大流行だ
そうだ。彼女らが中国に流入する事例もあるが、逆に中国人労働者がアフ
リカで結婚するケースも多い。結果、漢民族がアフリカ諸国を席巻するの
である。
 
これとは別に、私は中国の少数民族、ウイグル人女性が適齢期になると故
郷から遠く離れた沿海部に連れて行かれ、安い賃金で働かされ、最終的に
漢人男性との結婚を強いられる実例を多く聞いてきた。その結果、ウイグ
ル人男性は結婚相手を奪われ、子供を持てず民族浄化が進行中だ。

(2)は彼らの文明、選択である。
 
(3)の空巣青年とは親のスネをかじって引きこもり、恋も旅もスマホ
体験で満足する人々だ。彼らはずっと一人でいる可能性が高い。社会福祉
制度の整っていない段階で習近平政権はこれらの問題に対処できるとは思
えない。
 
だが、日本も危うい。安倍晋三首相の言うように、少子化こそは日本の真
の国難であることを知り対処したい。

『週刊ダイヤモンド』 2018年8月4日号 
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1242

2018年08月04日

摩訶不思議な米露首脳会談

櫻井よしこ


敵味方逆転の摩訶不思議な米露首脳会談 トランプ氏の非難はいつか必ず
日本にも

7月16日、フィンランド・ヘルシンキでの米露首脳会談はおよそ万人の予
想を超えた。米CNNのクーパー・アンダーソン記者は「自分が報じてき
たこれまでの如何なる首脳会談に較べても、米国と米国民にとって恥ずか
しい内容だった」と伝えた。CNNはトランプ政権に必要以上に厳しい
が、今回は、「米国人ならそう感ずるだろう」と、共鳴できた。

首脳会談の前、米国の複数のメディアは、トランプ米大統領が単独でプー
チン露大統領と会談することへの懸念を報じていた。どのような言質をと
られるやもしれない、単独会談は回避する、もしくはできるだけ短くすべ
きだという指摘だった。

他方、ホワイトハウスはトランプ氏に、プーチン氏には強く厳しい姿勢で
対処するように、その方が「トランプ氏自身の見映えがよくなる」と説得
していたと、米「ウォールストリート・ジャーナル」紙が伝えている。

ジョン・ボルトン米大統領補佐官らは、トランプ氏に米露関係の分析や各
議題での攻め方などを詳細に説明したはずだ。KGB(旧ソ連国家保安委
員会)出身のプーチン氏に関する客観的分析や米露関係の戦略的解釈より
も、「トランプ氏自身が格好よく見える」という、トランプ氏のエゴに訴
える論法で説得しようとした事実は、身近な側近でさえもトランプ氏の知
的水準をその程度に見ていたということなのだろうか。

結局、首脳同士のサシの会談は2時間も続き、公式の議事録もない。加え
て全体会合が2時間、計4時間の会談を受けてトランプ・プーチン両首脳が
会見した。

トランプ氏がへりくだり、プーチン氏が自信の微笑をうかべた同会見は、
味方が敵になり、敵が味方になる摩訶不思議な歴史の大逆転をまざまざと
見せた。トランプ氏を掌中におさめたとでも言うかのような余裕を感じさ
せたプーチン氏が、トランプ氏の為に記者団の質問に答えた場面さえあっ
た。クリミア半島問題である。

トランプ氏はロシアのクリミア半島の強奪についてさしたる反対論は唱え
ていない。それどころか、クリミア在住ロシア人の多さ故に、同地はロシ
ア領だとの見方を示したことさえある。

プーチン氏はしかし、トランプ氏をかばうようにこう語った。

「トランプ大統領は、クリミア併合は違法だという主張を維持している。
ロシアの考えは別だが」と。

ロシアによる米大統領選挙介入疑惑で米AP通信が、トランプ氏に米国の
情報機関とプーチン氏の、「どちらを信ずるのか」と質した。トランプ氏
はまともに答えなかったが、プーチン氏はこう語った。

「私は情報機関の一員だった。(偽の)資料がどのように作成されるかも
知っている。おまけにわがロシアは民主主義国だ」

米情報機関が偽の資料を作成したとも、「米国同様の民主主義国」である
ロシアが、他国の米大統領選挙に介入することなどあり得ないという主張
ともとれる。噴飯物である。だがトランプ氏はプーチン氏の隣で頷いていた。

トランプ氏は70年近く同盟関係にあるNATO(北大西洋条約機構)諸国
を酷い言葉で非難した一方で、いまや理念も体制も異なるプーチン氏のロ
シアと、核や中東問題などを共に解決できるという構えだ。

長年ロシアを共通の敵として団結してきたNATOの大国、ドイツは軍事
支出がGDPの1.25%にとどまるとしてメルケル首相がトランプ氏に面罵
された。日本はドイツ同様敗戦国として、戦後を経済中心で生きてきた。
日本はドイツよりも尚、米国頼りだ。ドイツよりも国防費のGDP比率は
小さく、憲法改正もできていない。トランプ氏の非難はいつか必ず、ドイ
ツ同様日本に向かってくるだろう。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月28日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1241

2018年08月03日

◆虐待死なくすために全件情報共有を

櫻井よしこ


東京都目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したの
は3月2日だった。結愛ちゃんは1月23日に、父親の船戸雄大容疑者(33
歳)と母親の優里容疑者(25歳)に連れられ、香川県善通寺市から目黒区
に転居した。

それからひと月と1週間、結愛ちゃんは、「もうおねがい ゆるして ゆ
るしてください おねがいします」と書き残して死亡した。

安倍晋三首相は7月20日の関係閣僚会議で「幼い命が奪われる痛ましい出
来事を繰り返してはならない。やれることはすべてやるという強い決意で
取り組んでほしい」と指示し、政府は児童虐待防止に向けて緊急対策を打
ち出した。その柱が来年度から4年かけて児童福祉司の数を約2000人増や
し、全国で5000人強まで、児童相談所(児相)の体制を強化することだ。

これはこれで歓迎すべきことだが、肝心のことができていない。実は私は
7月6日の「言論テレビ」で、政府の決断を前にして特別番組「私たちは結
愛ちゃんの命を救える国になる」を放送した。集った論客は作家の門田隆
将氏、「NPO法人シンクキッズ─子ども虐待・性犯罪をなくす会」代表
理事の後藤啓二氏らである。議論のキーワードは「全件情報共有」だった。

児童虐待情報は、基本的に各地の児童相談所や警察に寄せられる。児童相
談所と警察が、虐待が疑われるすべての事案について、互いの情報を共有
するのが全件情報共有だ。

幼い子供の命を守るのは社会と国全体の責任だという考え方に基づいて、
このような制度は他の先進国では当然、整えられている。だが、日本では
警察と児相(厚生労働省の指針にそって運営)がタテ割り構造から脱け出
せず情報共有ができていない。一般論だが、警察から児相への情報提供が
比較的行われている一方で、その逆は殆んどなされていない。

主治医の警告

門田氏が厳しく指摘した。

「児相と警察はその成り立ちからして組織の特質、DNAが違います。児
相の人はこの番組を見て怒るかもしれないけれど、児相にとって(結愛
ちゃん事件は)普通のことです。警察は命を守る組織です。結愛ちゃんの
命を守ろうとする遺伝子を持っているのが警察です。児相は親子関係、或
いは家庭の在り方を修復するという遺伝子を持つ組織です。だから自分た
ちの手元の情報を警察に通告して、子供の命を守ろうという発想が元々な
いのです」

こんなことを言われれば、門田氏も断ったように児相の人たちは立腹する
だろう。しかし、言論テレビの番組から1週間後、新しい情報がもたらさ
れた。結愛ちゃんがまだ香川県にいたとき、虐待された結愛ちゃんを診察
した主治医が傷の状態に強い危機感を抱き、転居先の児相に電話をかけて
いたのだ。

結愛ちゃんは香川県の児相に2度保護された。診察をした主治医は「虐待
以外では考えにくい命に関わる傷を確認」し、香川県の児相にも、転居後
には品川児相にも連絡したのである。「日本経済新聞」の7月16日付朝刊
によると、品川児相がこの医師から連絡を受けたのは、後述する2月20日
の入学説明会の直後だった。

ここは時系列で見ることが大事である。先述のように結愛ちゃんは1月23
日に目黒区に転居した。29日に香川県の児相は品川児相に口頭で結愛ちゃ
んの状況を説明した。2月9日には、品川児相が結愛ちゃんの様子を見に家
庭訪問したが、母親が結愛ちゃんは不在だと言い張り、児相はそのまま引
き下がった。

そして20日、結愛ちゃんは小学校の入学説明会に欠席し、母親だけが出席
した。私はこの件について4月に品川児相所長に就任したという林直樹氏
に尋ねた。氏はこう答えた。「結愛ちゃんが欠席したことは、私どもも関
係機関から情報を入手して知っていました」。

香川県の主治医が心配して、品川児相に結愛ちゃんの状況を説明したのは
その直後だったわけだ。事情を最もよく知り得るこの主治医の警告に、児
童を守るという視点で危機感は抱かなかったのかと問うと、林氏は「回答
できない」と答えた。だが、2月9日の家庭訪問の目的はまず新しく引っ越
してきた両親と支援関係を打ち立てるためで、必ずしも結愛ちゃんの状況
をチェックすることが最優先ではなかったとも語った。門田氏の「遺伝
子」論そのものだ。

4月に所長に就任した氏に、それ以前の件について尋ねるのは酷かもしれ
ない。ただ事実関係を見れば品川児相は主治医の電話を「あくまでも『情
報提供』として受け止めたため、具体的な対応につながらなかった」(前
出「日経新聞」)。そして10日後に結愛ちゃんは死亡したのである。

政府が児相の人員を新たに2000人増やす計画について尋ねると、林氏は人
員増加によって「子供の置かれている家庭状況を評価し、何をなすべきか
判断する力などを身につけ各々の専門性を高めていくことができる」と評
価した。

「完全な敗北」

実はこの点は、言論テレビで大いに議論された論点のひとつだった。門田
氏が強い調子で語ったものだ。

「児相は自分たちの専門性を高める、そのために要員増には大賛成と言う
でしょう。組織の権限も拡大します。しかし、それでは対応できないとこ
ろまで日本社会はきています。警察と手を携えなければ子供の命は守れな
いでしょう」

児相の物理的能力を見ても子供の命を彼らに任せておくのは不安である。
児童福祉司は全国で現在3000人強。品川児相の場合、児童相談員は、林氏
によると25人だ。同児相がカバーするのは品川区(39万人)、目黒区(28
万人)、大田区(73万人)で約140万人。25人でどうやって見守れるの
か。後藤氏が指摘した。

「隠れているケースも含めれば毎日一人の子供が虐待死させられていま
す。この苛酷な現実の前で児相の専門性もなにもないでしょう。完全な敗
北です。警察は全国に30万人、交番のお巡りさんは10万人です。彼らに、
子供さんは元気ですかと声をかけてもらうだけで事情はかわります」

だが、庶民の情報を警察に渡すのは人権侵害だと論難する声もある。そこ
はすべての情報を渡すわけではない。すでに高知県や愛知県では全件情報
共有がうまくいっている。埼玉県も8月1日から全件共有に踏み切る。上田
清司知事が語った。

「児相と警察が情報を全件共有し、きちんと情報を守っていけるソフトを
作りました。菅官房長官は、地方自治体でやれるところからやってほしい
と言っています。政府も本来、早く省庁の壁を破りたいのです」

人権の極致は命を守ることだ。安倍首相はやれることはすべてやれと指示
済みだ。一日も早く、厚労省の厚い壁を破り、全件情報共有への道を開い
てほしい。
『週刊新潮』 2018年8月2日号 日本ルネッサンス 第813回

2018年08月02日

◆摩訶不思議な米露首脳会談

櫻井よしこ


敵味方逆転の摩訶不思議な米露首脳会談 トランプ氏の非難はいつか必ず
日本にも

7月16日、フィンランド・ヘルシンキでの米露首脳会談はおよそ万人の予
想を超えた。米CNNのクーパー・アンダーソン記者は「自分が報じてき
たこれまでの如何なる首脳会談に較べても、米国と米国民にとって恥ずか
しい内容だった」と伝えた。CNNはトランプ政権に必要以上に厳しい
が、今回は、「米国人ならそう感ずるだろう」と、共鳴できた。

首脳会談の前、米国の複数のメディアは、トランプ米大統領が単独でプー
チン露大統領と会談することへの懸念を報じていた。どのような言質をと
られるやもしれない、単独会談は回避する、もしくはできるだけ短くすべ
きだという指摘だった。


他方、ホワイトハウスはトランプ氏に、プーチン氏には強く厳しい姿勢で
対処するように、その方が「トランプ氏自身の見映えがよくなる」と説得
していたと、米「ウォールストリート・ジャーナル」紙が伝えている。

ジョン・ボルトン米大統領補佐官らは、トランプ氏に米露関係の分析や各
議題での攻め方などを詳細に説明したはずだ。KGB(旧ソ連国家保安委
員会)出身のプーチン氏に関する客観的分析や米露関係の戦略的解釈より
も、「トランプ氏自身が格好よく見える」という、トランプ氏のエゴに訴
える論法で説得しようとした事実は、身近な側近でさえもトランプ氏の知
的水準をその程度に見ていたということなのだろうか。

結局、首脳同士のサシの会談は2時間も続き、公式の議事録もない。加え
て全体会合が2時間、計4時間の会談を受けてトランプ・プーチン両首脳が
会見した。

トランプ氏がへりくだり、プーチン氏が自信の微笑をうかべた同会見は、
味方が敵になり、敵が味方になる摩訶不思議な歴史の大逆転をまざまざと
見せた。トランプ氏を掌中におさめたとでも言うかのような余裕を感じさ
せたプーチン氏が、トランプ氏の為に記者団の質問に答えた場面さえあっ
た。クリミア半島問題である。

トランプ氏はロシアのクリミア半島の強奪についてさしたる反対論は唱え
ていない。それどころか、クリミア在住ロシア人の多さ故に、同地はロシ
ア領だとの見方を示したことさえある。

プーチン氏はしかし、トランプ氏をかばうようにこう語った。

「トランプ大統領は、クリミア併合は違法だという主張を維持している。
ロシアの考えは別だが」と。

ロシアによる米大統領選挙介入疑惑で米AP通信が、トランプ氏に米国の
情報機関とプーチン氏の、「どちらを信ずるのか」と質した。トランプ氏
はまともに答えなかったが、プーチン氏はこう語った。

「私は情報機関の一員だった。(偽の)資料がどのように作成されるかも
知っている。おまけにわがロシアは民主主義国だ」

米情報機関が偽の資料を作成したとも、「米国同様の民主主義国」である
ロシアが、他国の米大統領選挙に介入することなどあり得ないという主張
ともとれる。噴飯物である。だがトランプ氏はプーチン氏の隣で頷いていた。

トランプ氏は70年近く同盟関係にあるNATO(北大西洋条約機構)諸国
を酷い言葉で非難した一方で、いまや理念も体制も異なるプーチン氏のロ
シアと、核や中東問題などを共に解決できるという構えだ。

長年ロシアを共通の敵として団結してきたNATOの大国、ドイツは軍事
支出がGDPの1.25%にとどまるとしてメルケル首相がトランプ氏に面罵
された。日本はドイツ同様敗戦国として、戦後を経済中心で生きてきた。

日本はドイツよりも尚、米国頼りだ。ドイツよりも国防費のGDP比率は
小さく、憲法改正もできていない。トランプ氏の非難はいつか必ず、ドイ
ツ同様日本に向かってくるだろう。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月28日号

2018年08月01日

◆摩訶不思議な米露首脳会談

櫻井よしこ


敵味方逆転の摩訶不思議な米露首脳会談 トランプ氏の非難はいつか必ず
日本にも

7月16日、フィンランド・ヘルシンキでの米露首脳会談はおよそ万人の予
想を超えた。米CNNのクーパー・アンダーソン記者は「自分が報じてき
たこれまでの如何なる首脳会談に較べても、米国と米国民にとって恥ずか
しい内容だった」と伝えた。CNNはトランプ政権に必要以上に厳しい
が、今回は、「米国人ならそう感ずるだろう」と、共鳴できた。

首脳会談の前、米国の複数のメディアは、トランプ米大統領が単独でプー
チン露大統領と会談することへの懸念を報じていた。どのような言質をと
られるやもしれない、単独会談は回避する、もしくはできるだけ短くすべ
きだという指摘だった。

他方、ホワイトハウスはトランプ氏に、プーチン氏には強く厳しい姿勢で
対処するように、その方が「トランプ氏自身の見映えがよくなる」と説得
していたと、米「ウォールストリート・ジャーナル」紙が伝えている。

ジョン・ボルトン米大統領補佐官らは、トランプ氏に米露関係の分析や各
議題での攻め方などを詳細に説明したはずだ。KGB(旧ソ連国家保安委
員会)出身のプーチン氏に関する客観的分析や米露関係の戦略的解釈より
も、「トランプ氏自身が格好よく見える」という、トランプ氏のエゴに訴
える論法で説得しようとした事実は、身近な側近でさえもトランプ氏の知
的水準をその程度に見ていたということなのだろうか。

結局、首脳同士のサシの会談は2時間も続き、公式の議事録もない。加え
て全体会合が2時間、計4時間の会談を受けてトランプ・プーチン両首脳が
会見した。

トランプ氏がへりくだり、プーチン氏が自信の微笑をうかべた同会見は、
味方が敵になり、敵が味方になる摩訶不思議な歴史の大逆転をまざまざと
見せた。トランプ氏を掌中におさめたとでも言うかのような余裕を感じさ
せたプーチン氏が、トランプ氏の為に記者団の質問に答えた場面さえあっ
た。クリミア半島問題である。

トランプ氏はロシアのクリミア半島の強奪についてさしたる反対論は唱え
ていない。それどころか、クリミア在住ロシア人の多さ故に、同地はロシ
ア領だとの見方を示したことさえある。

プーチン氏はしかし、トランプ氏をかばうようにこう語った。

「トランプ大統領は、クリミア併合は違法だという主張を維持している。
ロシアの考えは別だが」と。

ロシアによる米大統領選挙介入疑惑で米AP通信が、トランプ氏に米国の
情報機関とプーチン氏の、「どちらを信ずるのか」と質した。トランプ氏
はまともに答えなかったが、プーチン氏はこう語った。

「私は情報機関の一員だった。(偽の)資料がどのように作成されるかも
知っている。おまけにわがロシアは民主主義国だ」

米情報機関が偽の資料を作成したとも、「米国同様の民主主義国」である
ロシアが、他国の米大統領選挙に介入することなどあり得ないという主張
ともとれる。噴飯物である。だがトランプ氏はプーチン氏の隣で頷いていた。

トランプ氏は70年近く同盟関係にあるNATO(北大西洋条約機構)諸国
を酷い言葉で非難した一方で、いまや理念も体制も異なるプーチン氏のロ
シアと、核や中東問題などを共に解決できるという構えだ。

長年ロシアを共通の敵として団結してきたNATOの大国、ドイツは軍事
支出がGDPの1.25%にとどまるとしてメルケル首相がトランプ氏に面罵
された。日本はドイツ同様敗戦国として、戦後を経済中心で生きてきた。

日本はドイツよりも尚、米国頼りだ。ドイツよりも国防費のGDP比率は
小さく、憲法改正もできていない。トランプ氏の非難はいつか必ず、ドイ
ツ同様日本に向かってくるだろう。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月28日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1241 

2018年07月31日

◆国会は一日も早い憲法改正の実現

櫻井よしこ


「国会は一日も早い憲法改正の実現に向け国民の意思問う機会をつくる
のが責務だ」

7月5日付の「産経新聞」が、与党は憲法改正手続きを定めた国民投票法改
正案の、いまの国会での成立を断念する方針だと報じた。5日の衆議院憲
法審査会で趣旨説明は行うが、実質審議には入らずに、継続審議にすると
いう。

改正案の内容は、一昨年成立した改正公職選挙法をそのまま国民投票法に
反映させるもので、これによって駅や商業施設に共通投票所が設置され、
より多くの人が投票に参加し易くなる。

自公与党は、共産、社民を除く野党と、前述の共同投票所の設置に加えて
テレビCMの規制なども検討することを前提に、5月時点では大筋で合意
していた。それが6月27日、自公と日本維新の会、希望の党などと共に共
同提出した改正案につながった。

だが、いま、枝野幸男氏の立憲民主党、玉木雄一郎氏らの国民民主党など
は憲法審査会の幹事懇談会にさえ、まともに出席しない状況が続いてい
る。こうして時間がなくなり、与党はいまの国会への提出を諦めるに至った。

背景に、憲法審査会は「全会一致」の運営が原則とされているという事情
がある。立民や共産党らは、この原則を盾に、「モリ・カケ」問題などの
説明が不十分だなどとの理由をつけて、審査会の開催そのものを妨げた。

結果としていまの国会では審査会は衆院ではたった1回、参議院では3回開
かれたのみだ。そのうち衆院と、参院における2回の開催は理事の選任手
続きのためで、憲法の内容についての議論は参院での1回だけという。な
んというお粗末さか。

なぜこんなことになるのか。無論、国会議員の「やる気のなさ」が第一の
原因であろう。とりわけ維新と希望を除く野党は支離滅裂である。彼らは
「立憲主義」を唱えながら、憲法改正が必要だという政党が、憲法に定め
たルールをきちんと守って改正案を提出し、国民の判断を問おうとする
と、そのプロセス自体を阻止する。自分たちが改正をしたくないために、
国民の意思を問う機会そのものを潰してしまおうとしている。

格好の道具となっているのが前述の憲法審査会だ。「全会一致」の原則を
自分たちで作り、それを盾に審査会の開催に応じない。審査会さえ開かせ
なければ改正案の国会提出を妨げることができる。発議自体ができないわ
けで、国民に問うまでもなく、改正を阻止できるという計算であろう。

本当に古い話だが、私は美濃部亮吉氏の都政を思い出す。たった一人でも
反対者がいたら、公共工事をはじめ、何もしないという都政だった。圧倒
的多数の人々の意思であっても一人の反対者が阻止できるという極端な路
線だった。いまの野党の一部と体質的に通底するものを、私は感じている。

こんな事態に陥っているのは、「憲法審査会が動かなければ、改正原案の
国会提出さえできない」という誤解があるからではないか。

憲法改正のカギは、ひとりひとりの国会議員が握っているのである。改正
案を上程するのは、政府ではなく、国会議員の役割である。国会法68条の
2は、衆議院で100人以上、参議院で50人以上の賛成で提出できると定めて
いる。いったん改正案が国会に提出されれば、国会法102条の6によって、
憲法審査会には審査を行う責務が生じる。

憲法という国のもといを決めるのは、国民の総意である。国民ひとりひと
りが日本をどのような国にしたいのかを深く考え、決めるのが、まさに民
主主義の真髄であろう。

いま日本はかつてない危機に直面している。日本周辺の状況に対応するに
は、いまのままの日本では力不足だと感じている人は少なくない。1日も
早く、憲法改正を実現するために、国民の意思を問う機会をつくるのが、
国会の責務である。
『週刊ダイヤモンド』 2018年7月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1239 

2018年07月30日

◆敵味方の区別つかないトランプ外交

櫻井よしこ


「敵味方の区別つかないトランプ外交で欧州情勢が激変する可能性に現実味」

6月上旬、カナダでの先進7カ国首脳会議(G7)に出席したトランプ米大
統領は孤立した。「6対1」のサミットと表現されたG7の2日目午後の会合
を欠席して、トランプ氏は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に会うため
にシンガポールに向かった。

7月11、12日の両日、ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会
議に臨んだトランプ氏は、ここでも多くの問題を残した。会議の前には、
NATO各国首脳に宛てて「貴国の国防費がなぜこんなに少ないのか、米
国国民に説明できない」「米国とNATOの関係はもはや持続可能ではな
い」など、類例のない表現で相手国を非難する手紙を出していた。

首脳会議では、「米国が世界の貯金箱と思われている状況を止める」決意
を、改めて示した。

NATO諸国は2014年、ロシアがクリミア半島を奪ったことに警戒を強め
軍事力を高めるために、少なくとも各々のGDPの2%を軍事費に充てる
と決定したが、その2%条項が守られていないとして、トランプ氏は
NATO諸国を非難していたのだが、今回の首脳会議で、4%という新し
い数字を突然打ち出した。

NATO首脳の間には、トランプ氏がどこまで本気なのかと疑う声もある
が、4%以前の、もっと深刻な問題があるのではないか。

前述のように、カナダでのG7では価値観を共有するはずの先進諸国を非
難して、価値観の全く異なる正恩氏に会いに行った。ベルギーでの首脳会
議では同盟国を非難して、最終的にロシアのプーチン大統領に会いに行
く。集団安全保障の考え方で成り立つ世界最大規模のこの軍事同盟はそも
そも旧ソ連(ロシア)を共通の敵と位置づけて組織されたものだ。トラン
プ氏は完全に味方と敵の区別がつかなくなっていると思われる。

トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、これでは「アメリカ・アロー
ン」になってしまう。米国は同盟国、あるいは友邦国として信ずるに足る
国かとの疑問が、米国にコミットし頼ってきた国々から出始めたことを、
最も喜んでいるのは中国とロシアであろう。

そうした中、ロシアはハイブリッド戦争を進める。これは「非対照的」で
「非伝統的」な力の行使によって、相手国の民主主義的体制を破壊してい
く戦争のことだ。具体的にはサイバーアタックや偽情報の拡散、政治的プ
ロパガンダの拡散などである。NATO諸国にとってロシアの脅威は、も
はや軍事力だけではないのである。

国際社会が直面する新たな戦いは「文化が戦場」となり、音楽や映画がそ
の有力手段となるといわれている。たとえばNATOの一員であるラトビ
アを見てみよう。

小国ラトビアは歴史的にソ連に支配され、次にドイツ、そして再びソ連の
支配下に置かれた。ラトビアが民族国家として自立したのはソ連崩壊後の
4半世紀ほど前のことで、安定した国民生活が可能になったのは、
NATOの枠内に入って以降にすぎない。

ラトビアの人口の約3割が人種的にはロシア人だ。彼らはロシア語を母国
語とし、ロシア文化を守りつつ暮らしている。プーチン氏はラトビアはロ
シア領だと主張し続ける。ロシア、そして中国も全く同様だが、「自国民
擁護」の旗を掲げて他国を脅かすのが常だ。人口の3割がロシア人という
事実は、クリミアに多くのロシア人が住んでいることが侵略の口実のひと
つになったように、ラトビアを再びロシアの支配下に置く理由として十分
活用されるだろう。

こうした中、トランプ氏は、クリミアはロシア領、理由はそこに多くのロ
シア人が住んでいるからと語っている。トランプ外交で欧州情勢が激変す
る可能性が現実となりつつある。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1240 

2018年07月29日

◆トランプの独批判は即日本批判だ

櫻井よしこ


この記事はヘルシンキでトランプ・プーチン会談が行われている日に書い
ている。米露首脳会談の結果はわからないが、プーチン大統領にとって開
催しただけで得るものが多く、トランプ大統領にとっては、「シンガポー
ル型首脳会談」になると見てよいだろう。トランプ氏の「大言壮語」の割
には米国が得るものは甚だ少ないという意味だ。

私たちは、米朝協議で米国が明らかに北朝鮮のペースに嵌まっていること
を認めないわけにはいかない。初の米朝首脳会談は、共同声明に北朝鮮の
CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な核の解体)という大目標を明記
するものと期待されたが、CVID抜きの漠とした内容にとどまった。

7月上旬の3回目の訪朝で、米国の要求する「非核化」の内容を改めて突き
つけたポンペオ国務長官を、北朝鮮は「強盗」にたとえた。この大胆な非
難は、金正恩氏がトランプ氏はもはや軍事オプションなど取れないと、足
下を見抜いたからであろう。

プーチン氏との首脳会談でも、トランプ氏の準備不足とロシアの脅威に対
する認識の欠落が米国にとって決定的に不利な状況を生む可能性がある。
ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会議を終えて7月12日、
英国に到着したトランプ氏は米露首脳会談について記者団に語った。

「君たちお気に入りの質問をするさ。(選挙に)介入したかと聞くよ。彼
は否定するかもしれないが。自分が言えることは『やったのか、二度とす
るなよ』ということだ」

NATO首脳会議から英国訪問へ、その後の米露首脳会談に至る旅で、ト
ランプ氏は「一番たやすい(easy)のはプーチンとの会談かもしれな
い」と語っている。トランプ氏は自分の向き合う人物が、ソ連崩壊を「20
世紀最大の地政学的大惨事」と見做し、28年間ソビエト帝国建て直しを夢
見てきた男であることを知らないのか。米国を外敵ナンバーワンと位置づ
け、愛国心で国論を統一したいと願うプーチン氏は2007年2月、ミュンヘ
ンでこう述べている。

「アメリカはあらゆる分野で己の国境を踏み越えている。経済、政治、人
文の分野で他国に対して自己流のやり方を押しつけようとしている」

ロシアの存在感

13年9月には「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した。

「米国は己を他国とは異なるユニークもしくは『例外的な存在』と見做
し、『世界の警察官』としての役割を果たすとの大義名分を掲げ、かつ実
際に他国の内政に干渉している」(木村汎、『プーチン・内政的考察』藤
原書店)

実はプーチン氏の寄稿と同じ時期(13年9月10日)に、オバマ大統領(当
時)は内戦が激化したシリアについて、「軍事介入はしない」「アメリカ
は世界の警察ではない」と演説した。これは米大統領による近代稀な戦略
的大失敗とされ、ロシアによるシリア介入を招いた。国際社会は異なるイ
デオロギーや価値観を持った国々があらゆる野望と力でせめぎ合う場だ、
という現実から目を逸らし、平和を希求する話し合いで解決できると考え
たオバマ氏の浅慮だった。プーチン氏は間髪を入れず、この機を利用して
中東におけるロシアの存在感を飛躍的に高めた。

陰謀を巡らす指導者は陰謀を恐れる。プーチン氏はジョージアやウクライ
ナの「カラー革命」、アフリカ北部や中東諸国の「アラブの春」は米国の
経済的、軍事的支援があって初めて可能だった、ロシア国内での反プーチ
ン運動も米国の陰謀ゆえだと信じていると見られる。

決して人を信じず、妻にも心を打ちあけないが、狙いを定めた人物の取り
込みには巧みなプーチン氏を、プーチン研究の第一人者、木村汎氏は「人
誑し」と呼んだ。そのプーチン氏とトランプ氏の首脳会談で、米国が戦略
的後退に陥り、その結果、ヨーロッパ情勢が歴史的大激変に追い込まれる
可能性がある。そのとき、NATO諸国はどうなるか、日本にとって他人
事ではない。

7月11、12の両日、ベルギーで開かれたNATO首脳会議でトランプ氏が
迫った要求は、表面上の粗野とは別に、国際政治の常識に基づけば十分正
当なものだ。1949年創設のNATOは、旧ソ連の脅威から西側陣営を守る
ために結成された集団安全保障の枠組だ。これまでずっと米国が経費の
70%強を担ってきた。

トランプ氏は米国の負担が多すぎる、NATOの取り決めであるGDP比
2%の国防費という約束を守れと言っているのだ。メルケル独首相は
「我々がもっと努力しなければならないのは明らかだ」と述べ、NATO
諸国も、先にカナダで開かれた先進7か国首脳会議(G7)のような後味の
悪い結末だけは避けようと必死だった。

日本はどうするのか

トランプ氏とG7で激しくやり合ったカナダ首相のトルドー氏は、
NATO首脳会議初日に、イラク軍の軍事訓練強化のために、カナダ部隊
250人を新たに派遣する、今年後半には現地部隊を車輌整備、爆弾処理、
治安活動で指導する、と語った。

「カナダは向こう10年間で軍事予算70%増を目指す。それでもGDP2%
には届かないが……。冷戦真っ只中の時代同様、NATOはいまも非常に重
要な軍事同盟だ」

NATO軍は、今秋、500人の新部隊をイラクに派遣するとし、さらにア
フガニスタンでも、駐留米軍約1万5000人に対し、1万3000人だった部隊を
1万6000人に増やすと発表した。トランプ氏の「足りない、もっと増や
せ」という要求に追い立てられるNATO諸国の姿が見える。

それでもトランプ氏は言い放った。「4%だ!」と。だが、氏の悪態にも
非礼にもNATO諸国は反論できない。国防が当事国の責任であるのはト
ランプ氏の言うとおりだからだ。

NATO諸国で2%条項を守っているのは今年でようやく8か国になる見通
しだ。米国を筆頭に英国、ギリシャ、エストニア、ラトビア、リトアニ
ア、ポーランド、ルーマニアである。

エストニア以下バルト三国は旧ソ連の下で苛酷な歴史を生きた。ポーラン
ドとルーマニアも東欧圏の一員として息が詰まるようなソ連の支配下に
あった。小国の彼らは再びロシアの影響下には入りたくないのだ。

では、日本はどうするのか。ロシア、中国、北朝鮮、左翼政権の韓国。日
本周辺は核を持った恐ろしい国々が多い。だが、わが国の国防費は、トラ
ンプ氏に激しく非難されているドイツよりもずっと低い1%ぎりぎりだ。
遠くない将来、「シンゾー、いい加減にしろよ」と、トランプ氏は言わな
いだろうか。

日本は安全保障も拉致問題の解決も、およそ全面的にアメリカ頼りだ。国
防費はGDPの1%、憲法改正もできず、第二のNATO、第二のドイツ
にならないという保証はない。その時取り乱すより、いまから備えなく
て、日本の道はない。
『週刊新潮』 2018年7月26日号 日本ルネッサンス 第812回

2018年07月27日

◆トランプの独批判は即日本批判だ

櫻井よしこ


この記事はヘルシンキでトランプ・プーチン会談が行われている日に書い
ている。米露首脳会談の結果はわからないが、プーチン大統領にとって開
催しただけで得るものが多く、トランプ大統領にとっては、「シンガポー
ル型首脳会談」になると見てよいだろう。トランプ氏の「大言壮語」の割
には米国が得るものは甚だ少ないという意味だ。

私たちは、米朝協議で米国が明らかに北朝鮮のペースに嵌まっていること
を認めないわけにはいかない。初の米朝首脳会談は、共同声明に北朝鮮の
CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な核の解体)という大目標を明記
するものと期待されたが、CVID抜きの漠とした内容にとどまった。

7月上旬の3回目の訪朝で、米国の要求する「非核化」の内容を改めて突き
つけたポンペオ国務長官を、北朝鮮は「強盗」にたとえた。この大胆な非
難は、金正恩氏がトランプ氏はもはや軍事オプションなど取れないと、足
下を見抜いたからであろう。

プーチン氏との首脳会談でも、トランプ氏の準備不足とロシアの脅威に対
する認識の欠落が米国にとって決定的に不利な状況を生む可能性がある。
ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会議を終えて7月12日、
英国に到着したトランプ氏は米露首脳会談について記者団に語った。

「君たちお気に入りの質問をするさ。(選挙に)介入したかと聞くよ。彼
は否定するかもしれないが。自分が言えることは『やったのか、二度とす
るなよ』ということだ」

NATO首脳会議から英国訪問へ、その後の米露首脳会談に至る旅で、ト
ランプ氏は「一番たやすい(easy)のはプーチンとの会談かもしれな
い」と語っている。トランプ氏は自分の向き合う人物が、ソ連崩壊を「20
世紀最大の地政学的大惨事」と見做し、28年間ソビエト帝国建て直しを夢
見てきた男であることを知らないのか。米国を外敵ナンバーワンと位置づ
け、愛国心で国論を統一したいと願うプーチン氏は2007年2月、ミュンヘ
ンでこう述べている。

「アメリカはあらゆる分野で己の国境を踏み越えている。経済、政治、人
文の分野で他国に対して自己流のやり方を押しつけようとしている」

ロシアの存在感

13年9月には「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した。

「米国は己を他国とは異なるユニークもしくは『例外的な存在』と見做
し、『世界の警察官』としての役割を果たすとの大義名分を掲げ、かつ実
際に他国の内政に干渉している」(木村汎、『プーチン・内政的考察』藤
原書店)

実はプーチン氏の寄稿と同じ時期(13年9月10日)に、オバマ大統領(当
時)は内戦が激化したシリアについて、「軍事介入はしない」「アメリカ
は世界の警察ではない」と演説した。これは米大統領による近代稀な戦略
的大失敗とされ、ロシアによるシリア介入を招いた。国際社会は異なるイ
デオロギーや価値観を持った国々があらゆる野望と力でせめぎ合う場だ、
という現実から目を逸らし、平和を希求する話し合いで解決できると考え
たオバマ氏の浅慮だった。プーチン氏は間髪を入れず、この機を利用して
中東におけるロシアの存在感を飛躍的に高めた。

陰謀を巡らす指導者は陰謀を恐れる。プーチン氏はジョージアやウクライ
ナの「カラー革命」、アフリカ北部や中東諸国の「アラブの春」は米国の
経済的、軍事的支援があって初めて可能だった、ロシア国内での反プーチ
ン運動も米国の陰謀ゆえだと信じていると見られる。

決して人を信じず、妻にも心を打ちあけないが、狙いを定めた人物の取り
込みには巧みなプーチン氏を、プーチン研究の第一人者、木村汎氏は「人
誑し」と呼んだ。そのプーチン氏とトランプ氏の首脳会談で、米国が戦略
的後退に陥り、その結果、ヨーロッパ情勢が歴史的大激変に追い込まれる
可能性がある。そのとき、NATO諸国はどうなるか、日本にとって他人
事ではない。

7月11、12の両日、ベルギーで開かれたNATO首脳会議でトランプ氏が
迫った要求は、表面上の粗野とは別に、国際政治の常識に基づけば十分正
当なものだ。1949年創設のNATOは、旧ソ連の脅威から西側陣営を守る
ために結成された集団安全保障の枠組だ。これまでずっと米国が経費の
70%強を担ってきた。

トランプ氏は米国の負担が多すぎる、NATOの取り決めであるGDP比
2%の国防費という約束を守れと言っているのだ。メルケル独首相は
「我々がもっと努力しなければならないのは明らかだ」と述べ、NATO
諸国も、先にカナダで開かれた先進7か国首脳会議(G7)のような後味の
悪い結末だけは避けようと必死だった。

日本はどうするのか

トランプ氏とG7で激しくやり合ったカナダ首相のトルドー氏は、
NATO首脳会議初日に、イラク軍の軍事訓練強化のために、カナダ部隊
250人を新たに派遣する、今年後半には現地部隊を車輌整備、爆弾処理、
治安活動で指導する、と語った。

「カナダは向こう10年間で軍事予算70%増を目指す。それでもGDP2%
には届かないが……。冷戦真っ只中の時代同様、NATOはいまも非常に重
要な軍事同盟だ」

NATO軍は、今秋、500人の新部隊をイラクに派遣するとし、さらにア
フガニスタンでも、駐留米軍約1万5000人に対し、1万3000人だった部隊を
1万6000人に増やすと発表した。トランプ氏の「足りない、もっと増や
せ」という要求に追い立てられるNATO諸国の姿が見える。

それでもトランプ氏は言い放った。「4%だ!」と。だが、氏の悪態にも
非礼にもNATO諸国は反論できない。国防が当事国の責任であるのはト
ランプ氏の言うとおりだからだ。

NATO諸国で2%条項を守っているのは今年でようやく8か国になる見通
しだ。米国を筆頭に英国、ギリシャ、エストニア、ラトビア、リトアニ
ア、ポーランド、ルーマニアである。

エストニア以下バルト三国は旧ソ連の下で苛酷な歴史を生きた。ポーラン
ドとルーマニアも東欧圏の一員として息が詰まるようなソ連の支配下に
あった。小国の彼らは再びロシアの影響下には入りたくないのだ。

では、日本はどうするのか。ロシア、中国、北朝鮮、左翼政権の韓国。日
本周辺は核を持った恐ろしい国々が多い。だが、わが国の国防費は、トラ
ンプ氏に激しく非難されているドイツよりもずっと低い1%ぎりぎりだ。
遠くない将来、「シンゾー、いい加減にしろよ」と、トランプ氏は言わな
いだろうか。

日本は安全保障も拉致問題の解決も、およそ全面的にアメリカ頼りだ。国
防費はGDPの1%、憲法改正もできず、第二のNATO、第二のドイツ
にならないという保証はない。その時取り乱すより、いまから備えなく
て、日本の道はない。
『週刊新潮』 2018年7月26日号 日本ルネッサンス 第812回

2018年07月26日

◆認識せよ、力が支配する世界への変化を

櫻井よしこ


ドナルド・トランプ米大統領は、6月8、9日にカナダ・ケベック州で開か
れた先進7か国首脳会議(G7)に遅れて現われたうえ、2日目は午後の会
議に出席せずに早く帰った。

鉄鋼・アルミの輸入制限拡大、制裁関税問題などで、他の6か国と相容れ
ず「6+1」の対立となったのは周知のとおりだ。居心地の悪さから抜け出
したその足で、トランプ氏は朝鮮労働党委員長の金正恩氏に会うためシン
ガポールに向かった。

首脳会談を終えて、「私は彼(金正恩氏)をとても信頼している」とコメ
ントし、会談翌日には「もはや北朝鮮の核の脅威はない」とSNSで呟いた。

米韓合同軍事演習中止にまでつながったトランプ氏の楽観は、しかし、物
の見事に粉砕された。6月29日、NBCテレビは、北朝鮮の非核化の意思
に疑問ありとして、米政府当局者の「北朝鮮が米国を騙そうとしている明
確な根拠がある」との声を報じた。衛星写真から北朝鮮の核関連施設が拡
張され、建設が進んでいるのが明らかになった。

そうした中、ポンペオ国務長官が7月6日、北朝鮮を3度訪れ2日にわたる
協議に臨んだ。平壌の順安(スナン)空港で会見したポンペオ氏は一連の
会談はすべて「非常に生産的」だったと語った。

しかし氏が飛び立ったあと、北朝鮮の朝鮮中央通信は「米国側の『強盗的
な要求』を北朝鮮が受け入れざるを得ないと考えているなら、それは(ア
メリカの)致命的な誤りだ」という、ポンペオ氏の説明とは正反対の論評
を発表した。

自身の発言が「強盗的な要求」と非難されたにもかかわらず、平壌から日
本に直行したポンペオ氏は、こう弁明した。

「北朝鮮は誠実だった。実際にそうだった。報道を、いちいち気にしてい
たら気が狂う。ギャングスターのような要求をしたと言われたが、世界は
ギャングスターだらけだ」

「敵と味方」の区別

今回の協議でも北朝鮮が完全な非核化(CVID)に応じないであろうこ
とは明確になった。非核化実現の意思があれば核兵器解体についての議論
が当然なされるはずだ。だがポンペオ氏は「騙された」ことを認めない。

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は7月2日の社説で
「ヨンビョンでの活動拡大は金(正恩)が首脳会談での果実を、非核化に
踏み出すことなしに手にしたことを示す」としてトランプ外交の失敗を指
摘した。

トランプ氏は今月の11日から2日間、ベルギーでNATO(北大西洋条約
機構)首脳会議に出席するが、氏はNATO諸国に軍事費増額を要求する
手紙を送付済みだ。

NATOはロシア(旧ソ連)の脅威に対処するために西側諸国が1949年に
創設した。どの国であれ加盟国への攻撃は自国への攻撃と見做して、全加
盟国が互いに守り合う集団的安全保障の仕組みがNATOだ。

トランプ氏は、そのNATOは米国におんぶに抱っこだ、自国防衛なのに
十分な軍事費を払っていない、と非難する。2014年3月、ロシアがクリミ
ア半島を奪い、東ウクライナに軍事侵攻したとき、NATO諸国は自国の
GDPの2%を国防費に回し、うち20%以上を軍備や装備の充実に使うと
合意した。合意を守ったのは、米国(3.57%)、ギリシャ(2.36%)、英
国(2.12%)、エストニア(2.08%)の4か国で、EUの盟主、ドイツは
1・24%、フランス1.79%、カナダ1.29%などにとどまる。

こうした状況にトランプ氏は怒り、NATO諸国の首脳になぜ基準を満た
せないのかと、非難する書簡を出した。世界最大規模の軍事予算を使って
いる米国としては当然の不満であろうが、その怒りを認めても解せないの
は、NATO諸国との首脳会議後に、ヘルシンキで米露首脳会談を行うこ
とだ。

トランプ氏はカナダでのG7に先立って、ロシアをG7に復帰させるべきだ
と語った。フランス政府高官は、クリミア半島はロシアに併合されたまま
でロシア復帰の条件は整っていないと批判し、メルケル独首相もメイ英首
相も同意見を表明した。

前述のようにGDP比2%の条項はそもそもウクライナ侵略で、ロシアが
クリミアを奪ったことが直接のきっかけだった。トランプ氏はこの2%条
項を守らないといってNATO諸国を非難する一方、その原因を作った
プーチン大統領とは「うまくやれそう」だとして首脳会談に臨むというの
である。

G7で対立して正恩氏に会いに行く。NATO諸国を叱りとばしてプーチ
ン氏に会いに行く。共通の矛盾が見てとれないか。トランプ氏には「敵と
味方」の区別がつかないということだ。

日本ができること

いま世界で起きているのは大きな価値観の戦いである。トランプ氏の頭の
中では秋の中間選挙が最も重要なのだろうが、国際社会は約100年振り
に、自由を掲げるアメリカの価値観が専制政治を掲げる中国の価値観に
取って代わられようとする局面に直面しているのだ。アメリカ主導のパッ
クス・アメリカーナが揺らぎかけ、中国主導のパックス・シニカの時代に
引き摺り込まれようとしている。ルールを基本とする世界から、力を基本
とする世界へのシフトが起こりつつあるのだ。中国的な価値観を受け入
れ、自由や民主主義を弾圧しているのが北朝鮮やロシアである。

従って米朝関係も中国ファクターを入れて考えると分かり易い。正恩氏は
「朝中はひとつの家族のように親密で友好的」で、「朝中はひとつの参謀
本部の下で緊密に協力」すると語っている。トランプ氏も「中国との貿易
問題を協議するときは北朝鮮のことも考える」と語っている。

米国が北朝鮮問題で梃摺(てこ)ずることは中国にとって大歓迎だ。北朝
鮮が無茶な要求をすればするほど、アメリカは中国の協力を必要とする。
今回の北朝鮮によるポンペオ氏に対する強盗呼ばわりも、中朝が示し合わ
せて行った可能性がゼロではないだろう。折しも米中両国は、互いに制裁
関税に踏み切った。まさに戦争である。

この局面で日本にできることは多い。アメリカが成し遂げようとしている
ことは、不公正な貿易で利益を上げる中国的手法の排除であろう。そのよ
うなことはTPP(環太平洋経済連携協定)にとどまりさえすれば、多国
間の枠組みの中で出来たことだ。

だが、トランプ氏はそのことに気づかない。それだけに安倍晋三首相の役
割は大きい。欧州連合(EU)は日本との経済連携協定(EPA)に11
日、署名すると正式決定した。日本が主導したTPPは合意済みだ。これ
らの枠組みを早く発効させて、中国中心になりかねないRCEP(東アジ
ア地域包括的経済連携)に先行し、価値観を同じくする国々との連携を広
めることが大事だ。
『週刊新潮』 2018年7月19日号  日本ルネッサンス 第810回

2018年07月25日

◆敵味方の区別つかないトランプ外交

櫻井よしこ



「敵味方の区別つかないトランプ外交で欧州情勢が激変する可能性に現実味」

6月上旬、カナダでの先進7カ国首脳会議(G7)に出席したトランプ米大
統領は孤立した。「6対1」のサミットと表現されたG7の2日目午後の会合
を欠席して、トランプ氏は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に会うため
にシンガポールに向かった。

7月11、12日の両日、ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会
議に臨んだトランプ氏は、ここでも多くの問題を残した。会議の前には、
NATO各国首脳に宛てて「貴国の国防費がなぜこんなに少ないのか、米
国国民に説明できない」「米国とNATOの関係はもはや持続可能ではな
い」など、類例のない表現で相手国を非難する手紙を出していた。

首脳会議では、「米国が世界の貯金箱と思われている状況を止める」決意
を、改めて示した。

NATO諸国は2014年、ロシアがクリミア半島を奪ったことに警戒を強め
軍事力を高めるために、少なくとも各々のGDPの2%を軍事費に充てる
と決定したが、その2%条項が守られていないとして、トランプ氏は
NATO諸国を非難していたのだが、今回の首脳会議で、4%という新し
い数字を突然打ち出した。

NATO首脳の間には、トランプ氏がどこまで本気なのかと疑う声もある
が、4%以前の、もっと深刻な問題があるのではないか。

前述のように、カナダでのG7では価値観を共有するはずの先進諸国を非
難して、価値観の全く異なる正恩氏に会いに行った。ベルギーでの首脳会
議では同盟国を非難して、最終的にロシアのプーチン大統領に会いに行く。

集団安全保障の考え方で成り立つ世界最大規模のこの軍事同盟はそもそも
旧ソ連(ロシア)を共通の敵と位置づけて組織されたものだ。トランプ氏
は完全に味方と敵の区別がつかなくなっていると思われる。

トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、これでは「アメリカ・アロー
ン」になってしまう。米国は同盟国、あるいは友邦国として信ずるに足る
国かとの疑問が、米国にコミットし頼ってきた国々から出始めたことを、
最も喜んでいるのは中国とロシアであろう。

そうした中、ロシアはハイブリッド戦争を進める。これは「非対照的」で
「非伝統的」な力の行使によって、相手国の民主主義的体制を破壊してい
く戦争のことだ。具体的にはサイバーアタックや偽情報の拡散、政治的プ
ロパガンダの拡散などである。NATO諸国にとってロシアの脅威は、も
はや軍事力だけではないのである。

国際社会が直面する新たな戦いは「文化が戦場」となり、音楽や映画がそ
の有力手段となるといわれている。たとえばNATOの一員であるラトビ
アを見てみよう。

小国ラトビアは歴史的にソ連に支配され、次にドイツ、そして再びソ連の
支配下に置かれた。ラトビアが民族国家として自立したのはソ連崩壊後の
4半世紀ほど前のことで、安定した国民生活が可能になったのは、
NATOの枠内に入って以降にすぎない。

ラトビアの人口の約3割が人種的にはロシア人だ。彼らはロシア語を母国
語とし、ロシア文化を守りつつ暮らしている。プーチン氏はラトビアはロ
シア領だと主張し続ける。ロシア、そして中国も全く同様だが、「自国民
擁護」の旗を掲げて他国を脅かすのが常だ。人口の3割がロシア人という
事実は、クリミアに多くのロシア人が住んでいることが侵略の口実のひと
つになったように、ラトビアを再びロシアの支配下に置く理由として十分
活用されるだろう。

こうした中、トランプ氏は、クリミアはロシア領、理由はそこに多くのロ
シア人が住んでいるからと語っている。トランプ外交で欧州情勢が激変す
る可能性が現実となりつつある。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1240

2018年07月24日

◆敵味方の区別つかないトランプ外交

櫻井よしこ


「敵味方の区別つかないトランプ外交で欧州情勢が激変する可能性に現実味」

6月上旬、カナダでの先進7カ国首脳会議(G7)に出席したトランプ米大
統領は孤立した。「6対1」のサミットと表現されたG7の2日目午後の会合
を欠席して、トランプ氏は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に会うため
にシンガポールに向かった。

7月11、12日の両日、ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会
議に臨んだトランプ氏は、ここでも多くの問題を残した。会議の前には、
NATO各国首脳に宛てて「貴国の国防費がなぜこんなに少ないのか、米
国国民に説明できない」「米国とNATOの関係はもはや持続可能ではな
い」など、類例のない表現で相手国を非難する手紙を出していた。

首脳会議では、「米国が世界の貯金箱と思われている状況を止める」決意
を、改めて示した。

NATO諸国は2014年、ロシアがクリミア半島を奪ったことに警戒を強め
軍事力を高めるために、少なくとも各々のGDPの2%を軍事費に充てる
と決定したが、その2%条項が守られていないとして、トランプ氏は
NATO諸国を非難していたのだが、今回の首脳会議で、4%という新し
い数字を突然打ち出した。

NATO首脳の間には、トランプ氏がどこまで本気なのかと疑う声もある
が、4%以前の、もっと深刻な問題があるのではないか。

前述のように、カナダでのG7では価値観を共有するはずの先進諸国を非
難して、価値観の全く異なる正恩氏に会いに行った。ベルギーでの首脳会
議では同盟国を非難して、最終的にロシアのプーチン大統領に会いに行
く。集団安全保障の考え方で成り立つ世界最大規模のこの軍事同盟はそも
そも旧ソ連(ロシア)を共通の敵と位置づけて組織されたものだ。トラン
プ氏は完全に味方と敵の区別がつかなくなっていると思われる。

トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、これでは「アメリカ・アロー
ン」になってしまう。米国は同盟国、あるいは友邦国として信ずるに足る
国かとの疑問が、米国にコミットし頼ってきた国々から出始めたことを、
最も喜んでいるのは中国とロシアであろう。

そうした中、ロシアはハイブリッド戦争を進める。これは「非対照的」で
「非伝統的」な力の行使によって、相手国の民主主義的体制を破壊してい
く戦争のことだ。具体的にはサイバーアタックや偽情報の拡散、政治的プ
ロパガンダの拡散などである。NATO諸国にとってロシアの脅威は、も
はや軍事力だけではないのである。

国際社会が直面する新たな戦いは「文化が戦場」となり、音楽や映画がそ
の有力手段となるといわれている。たとえばNATOの一員であるラトビ
アを見てみよう。

小国ラトビアは歴史的にソ連に支配され、次にドイツ、そして再びソ連の
支配下に置かれた。ラトビアが民族国家として自立したのはソ連崩壊後の
4半世紀ほど前のことで、安定した国民生活が可能になったのは、
NATOの枠内に入って以降にすぎない。

ラトビアの人口の約3割が人種的にはロシア人だ。彼らはロシア語を母国
語とし、ロシア文化を守りつつ暮らしている。プーチン氏はラトビアはロ
シア領だと主張し続ける。ロシア、そして中国も全く同様だが、「自国民
擁護」の旗を掲げて他国を脅かすのが常だ。人口の3割がロシア人という
事実は、クリミアに多くのロシア人が住んでいることが侵略の口実のひと
つになったように、ラトビアを再びロシアの支配下に置く理由として十分
活用されるだろう。

こうした中、トランプ氏は、クリミアはロシア領、理由はそこに多くのロ
シア人が住んでいるからと語っている。トランプ外交で欧州情勢が激変す
る可能性が現実となりつつある。
『週刊ダイヤモンド』 2018年7月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1240 

2018年07月23日

◆トランプ外交で欧州情勢が激変

櫻井よしこ



「敵味方の区別つかないトランプ外交で欧州情勢が激変する可能性に現実味」

6月上旬、カナダでの先進7カ国首脳会議(G7)に出席したトランプ米大
統領は孤立した。「6対1」のサミットと表現されたG7の2日目午後の会合
を欠席して、トランプ氏は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に会うため
にシンガポールに向かった。

7月11、12日の両日、ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会
議に臨んだトランプ氏は、ここでも多くの問題を残した。会議の前には、
NATO各国首脳に宛てて「貴国の国防費がなぜこんなに少ないのか、米
国国民に説明できない」「米国とNATOの関係はもはや持続可能ではな
い」など、類例のない表現で相手国を非難する手紙を出していた。

首脳会議では、「米国が世界の貯金箱と思われている状況を止める」決意
を、改めて示した。

NATO諸国は2014年、ロシアがクリミア半島を奪ったことに警戒を強め
軍事力を高めるために、少なくとも各々のGDPの2%を軍事費に充てる
と決定したが、その2%条項が守られていないとして、トランプ氏は
NATO諸国を非難していたのだが、今回の首脳会議で、4%という新し
い数字を突然打ち出した。

NATO首脳の間には、トランプ氏がどこまで本気なのかと疑う声もある
が、4%以前の、もっと深刻な問題があるのではないか。

前述のように、カナダでのG7では価値観を共有するはずの先進諸国を非
難して、価値観の全く異なる正恩氏に会いに行った。ベルギーでの首脳会
議では同盟国を非難して、最終的にロシアのプーチン大統領に会いに行
く。集団安全保障の考え方で成り立つ世界最大規模のこの軍事同盟はそも
そも旧ソ連(ロシア)を共通の敵と位置づけて組織されたものだ。トラン
プ氏は完全に味方と敵の区別がつかなくなっていると思われる。

トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、これでは「アメリカ・アロー
ン」になってしまう。米国は同盟国、あるいは友邦国として信ずるに足る
国かとの疑問が、米国にコミットし頼ってきた国々から出始めたことを、
最も喜んでいるのは中国とロシアであろう。

そうした中、ロシアはハイブリッド戦争を進める。これは「非対照的」で
「非伝統的」な力の行使によって、相手国の民主主義的体制を破壊してい
く戦争のことだ。具体的にはサイバーアタックや偽情報の拡散、政治的プ
ロパガンダの拡散などである。NATO諸国にとってロシアの脅威は、も
はや軍事力だけではないのである。

国際社会が直面する新たな戦いは「文化が戦場」となり、音楽や映画がそ
の有力手段となるといわれている。たとえばNATOの一員であるラトビ
アを見てみよう。

小国ラトビアは歴史的にソ連に支配され、次にドイツ、そして再びソ連の
支配下に置かれた。ラトビアが民族国家として自立したのはソ連崩壊後の
4半世紀ほど前のことで、安定した国民生活が可能になったのは、
NATOの枠内に入って以降にすぎない。

ラトビアの人口の約3割が人種的にはロシア人だ。彼らはロシア語を母国
語とし、ロシア文化を守りつつ暮らしている。プーチン氏はラトビアはロ
シア領だと主張し続ける。ロシア、そして中国も全く同様だが、「自国民
擁護」の旗を掲げて他国を脅かすのが常だ。人口の3割がロシア人という
事実は、クリミアに多くのロシア人が住んでいることが侵略の口実のひと
つになったように、ラトビアを再びロシアの支配下に置く理由として十分
活用されるだろう。

こうした中、トランプ氏は、クリミアはロシア領、理由はそこに多くのロ
シア人が住んでいるからと語っている。トランプ外交で欧州情勢が激変す
る可能性が現実となりつつある。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1240