2019年10月17日

◆太平洋で着々と進む中国の覇権戦略

櫻井よしこ


9月16日、中国は太平洋の14の島嶼国のひとつ、ソロモン諸島を台湾から
引き剥がし断交させた。中国の働きかけによって台湾を切り捨て、中国と
国交を樹立した島嶼国はすでに10を数える。台湾は蔡英文総統が就任して
以来7か国から国交断絶を言い渡され、国交のある国はいまや15にまで減
少した。

中国の目的は、「台湾は中国の一部」であることを受け入れない蔡総統を
孤立させ、来年1月の台湾総統選挙で落選させることにあるが、同時にも
うひとつ重要な狙いは太平洋における米軍の覇権に異を唱え、西太平洋及
びインド洋から米国を排除することである。

ソロモン諸島の首都を擁するガダルカナル島で、日本軍はかつて死闘を展
開した。情報も食糧も武器弾薬も極度に不足していた中で米軍相手に壮絶
な戦いを続け、日本軍は実に多くの貴重な命を失った。太平洋の島々を
失った日本がその後苦しい状況で後退に継ぐ後退を続けたのは周知のとお
りだ。その激戦の島嶼国にいま、中国が巧妙な侵略の手を伸ばしている。

かつての日米両軍の戦場でいまや米中二大勢力がせめぎ合う。米国が同海
域をグアムを拠点として防衛するのに対して、中国はつい先頃まで第一列
島線、第二列島線を想定して米海軍をハワイ以東に閉じ込めようとしてき
た。現在は、しかし、西太平洋からインド洋全体を支配するために、この
海域への米海軍の接近を阻止する第一、第二列島線戦略をはるかに越え
て、彼らは第三列島線に進出してきているのである。

第三列島線は、2040年までの目標として中国の国益擁護に必要な海を南緯
35度以北、東経165度以西と定義し、その海域に中国の支配権を確立する
というものだ。中国が支配権を目指すのは豪州南部以北の太平洋であり、
米海軍が遊弋(ゆうよく)し、君臨してきた太平洋である。そこにはマリ
アナ諸島、パラオ、ソロモン諸島などが広がる。

太平洋島嶼国を籠絡

07年に中国側は何気ない会話形式で、米国側に太平洋をハワイを基点とし
て二分し、米国が東太平洋を、中国が西太平洋をとることを提案した。そ
れから12年、彼らは着実に自らの目標達成へと歩を進めている。

そうした戦略目標達成のために、中国は悪名高い資金攻勢で太平洋島嶼国
を籠絡する。典型的事例がトンガであろう。人口11万人弱、王室が強い力
を有する。

明らかに中国は王室への接近に成功したのであろう。「フィナンシャル・
タイムズ」のキャサリン・ヒル氏の、「太平洋島嶼国・米中の新たな敵
対」によると、中国は08年にトンガサット社に5000万ドル(約55億円)を
支払い、赤道上空の静止軌道の使用権を得た。

米国のGPSに相当する中国の衛星測位システム「北斗」をミサイル誘導
など軍事的に使用するには静止軌道が必要で、それを提供したトンガは中
国の軍事戦略上非常に重要な拠点となったわけだ。トンガは見返りに55億
円を受け取ったが、国庫に納入されるべき資金の半分がトンガサット社に
入金されていたという。

同社にはトンガ王室のプリンセスが関係していると報じられた。中国得意
の資金も含めたおもてなし外交でプリンセスの心を射止めたと解釈された
のは自然なことだ。

この年以降10年までの3年間で、トンガは中国から1億1400万ドル(約125
億円)、トンガのGDPの実に43%に相当する融資を受けている。この規
模の債務返済は至難の業で、連想するのは、借金のカタにハンバントタ港
を99年間も奪われてしまったスリランカの悲劇、債務の罠である。

中国と国交を樹立した先述のソロモン諸島は人口61万人、太平洋島嶼国
中、最大級である。その国がいまや中国経済に搦め捕られている。また、
近年急増した移住中国人は約5000人に上り、ビジネス上手の彼らは小売店
の大方を経営し、殆どすべての消費財を提供していると、ヒル氏は報告する。

他方、中国政府は後述する海底ケーブルをはじめ、大規模な公共工事に資
金を集中投下し、これら小さな国のインフラを中国式に作り上げてしま
う。資金も技術も労働者も、定型どおり中国からやってくる。労働者は工
事完了後も現地に残留し、力をつけ、その国の事実上の支配者となるのが
お定まりの道だ。

ソロモン諸島政府は豪州政府の協力を得てソロモン諸島・シドニー間を海
底ケーブルで結ぶところだった。公開入札で受注した企業はしかし、突
如、外され、ソロモン諸島政府は中国のファーウェイに工事を発注した。
ファーウェイは中国人民解放軍と一体だと見做されており、豪州政府が驚
き、安保上の懸念を抱いたのは当然だろう。豪州政府はソロモン諸島政府
に代わって海底ケーブルを建設し、費用の3分の2を負担したそうだ(同前)。

それでもファーウェイは諦めず、次にバヌアツからの海底ケーブル建設を
提案中だという。ファーウェイとその背後の中国政府の、世界制覇にかけ
る執念を感じさせる働きかけではないか。

中国のマネー攻勢

現在、太平洋島嶼国で台湾と国交を保っているのはツバル、マーシャル諸
島、パラオ、ナウルの4か国だけであるが、これらの国々も中国のマネー
攻勢に晒されている。

ツバルは人口1万1000人、議会は予算ほしさに台湾寄りの首相を交代させ
る可能性がある。パラオは人口2万2000人、マーシャル諸島は5万3000人、
ナウルは1万4000人である。

どの国も本当に小さい国だ。人々の性格は穏やかで、生活は貧しい。だが
彼らが保有する海洋面積は広大である。日米豪にとって、そこに広がる海
は自由貿易を担保する開かれた海である。国益上も安全保障上も譲れない
海だ。中国による独占は無論、彼らが小さな国々に強い影響力を発揮し
て、支配する海にしてはならない。

だが、小さな弱い国々は、自由や民主主義への中国共産党の弾圧には余り
関心を抱かない。米国か中国か、と迫られるのも恐れる。中国の威力の前
で、台湾と断交をすれば、それがやがて自らにはね返ってくるとも考えな
い。彼らも生き残り、国民を経済的に養わなければならない。日本や米国
が中国に対抗して取り得る道は、国や民族の生き残りと、国民生活の豊か
さを支える、中国よりも優れた策を打ち出すことだ。

中国は地球全体に欲の網を張り、その網を広げ続ける。中国の手法とは全
く異なる手法で、価値観を共有できる国々と連携して、中国の野望を打ち
消していくのがよい。日本は軍事力の効用を活用できない。その分、合理
的で人道的な賢い道を提唱しなければならない。価値観の戦いの先頭を行
くべきだ。

『週刊新潮』 2019年10月10日号 日本ルネッサンス 第871回

2019年10月16日

◆太平洋で着々と進む中国の覇権戦略

櫻井よしこ


9月16日、中国は太平洋の14の島嶼国のひとつ、ソロモン諸島を台湾から
引き剥がし断交させた。中国の働きかけによって台湾を切り捨て、中国と
国交を樹立した島嶼国はすでに10を数える。台湾は蔡英文総統が就任して
以来7か国から国交断絶を言い渡され、国交のある国はいまや15にまで減
少した。

中国の目的は、「台湾は中国の一部」であることを受け入れない蔡総統を
孤立させ、来年1月の台湾総統選挙で落選させることにあるが、同時にも
うひとつ重要な狙いは太平洋における米軍の覇権に異を唱え、西太平洋及
びインド洋から米国を排除することである。

ソロモン諸島の首都を擁するガダルカナル島で、日本軍はかつて死闘を展
開した。情報も食糧も武器弾薬も極度に不足していた中で米軍相手に壮絶
な戦いを続け、日本軍は実に多くの貴重な命を失った。太平洋の島々を
失った日本がその後苦しい状況で後退に継ぐ後退を続けたのは周知のとお
りだ。その激戦の島嶼国にいま、中国が巧妙な侵略の手を伸ばしている。

かつての日米両軍の戦場でいまや米中二大勢力がせめぎ合う。米国が同海
域をグアムを拠点として防衛するのに対して、中国はつい先頃まで第一列
島線、第二列島線を想定して米海軍をハワイ以東に閉じ込めようとしてき
た。現在は、しかし、西太平洋からインド洋全体を支配するために、この
海域への米海軍の接近を阻止する第一、第二列島線戦略をはるかに越え
て、彼らは第三列島線に進出してきているのである。

第三列島線は、2040年までの目標として中国の国益擁護に必要な海を南緯
35度以北、東経165度以西と定義し、その海域に中国の支配権を確立する
というものだ。中国が支配権を目指すのは豪州南部以北の太平洋であり、
米海軍が遊弋(ゆうよく)し、君臨してきた太平洋である。そこにはマリ
アナ諸島、パラオ、ソロモン諸島などが広がる。

太平洋島嶼国を籠絡

07年に中国側は何気ない会話形式で、米国側に太平洋をハワイを基点とし
て二分し、米国が東太平洋を、中国が西太平洋をとることを提案した。そ
れから12年、彼らは着実に自らの目標達成へと歩を進めている。

そうした戦略目標達成のために、中国は悪名高い資金攻勢で太平洋島嶼国
を籠絡する。典型的事例がトンガであろう。人口11万人弱、王室が強い力
を有する。

明らかに中国は王室への接近に成功したのであろう。「フィナンシャル・
タイムズ」のキャサリン・ヒル氏の、「太平洋島嶼国・米中の新たな敵
対」によると、中国は08年にトンガサット社に5000万ドル(約55億円)を
支払い、赤道上空の静止軌道の使用権を得た。

米国のGPSに相当する中国の衛星測位システム「北斗」をミサイル誘導
など軍事的に使用するには静止軌道が必要で、それを提供したトンガは中
国の軍事戦略上非常に重要な拠点となったわけだ。トンガは見返りに55億
円を受け取ったが、国庫に納入されるべき資金の半分がトンガサット社に
入金されていたという。

同社にはトンガ王室のプリンセスが関係していると報じられた。中国得意
の資金も含めたおもてなし外交でプリンセスの心を射止めたと解釈された
のは自然なことだ。

この年以降10年までの3年間で、トンガは中国から1億1400万ドル(約125
億円)、トンガのGDPの実に43%に相当する融資を受けている。この規
模の債務返済は至難の業で、連想するのは、借金のカタにハンバントタ港
を99年間も奪われてしまったスリランカの悲劇、債務の罠である。

中国と国交を樹立した先述のソロモン諸島は人口61万人、太平洋島嶼国
中、最大級である。その国がいまや中国経済に搦め捕られている。また、
近年急増した移住中国人は約5000人に上り、ビジネス上手の彼らは小売店
の大方を経営し、殆どすべての消費財を提供していると、ヒル氏は報告する。

他方、中国政府は後述する海底ケーブルをはじめ、大規模な公共工事に資
金を集中投下し、これら小さな国のインフラを中国式に作り上げてしま
う。資金も技術も労働者も、定型どおり中国からやってくる。労働者は工
事完了後も現地に残留し、力をつけ、その国の事実上の支配者となるのが
お定まりの道だ。

ソロモン諸島政府は豪州政府の協力を得てソロモン諸島・シドニー間を海
底ケーブルで結ぶところだった。公開入札で受注した企業はしかし、突
如、外され、ソロモン諸島政府は中国のファーウェイに工事を発注した。
ファーウェイは中国人民解放軍と一体だと見做されており、豪州政府が驚
き、安保上の懸念を抱いたのは当然だろう。豪州政府はソロモン諸島政府
に代わって海底ケーブルを建設し、費用の3分の2を負担したそうだ(同前)。

それでもファーウェイは諦めず、次にバヌアツからの海底ケーブル建設を
提案中だという。ファーウェイとその背後の中国政府の、世界制覇にかけ
る執念を感じさせる働きかけではないか。

中国のマネー攻勢

現在、太平洋島嶼国で台湾と国交を保っているのはツバル、マーシャル諸
島、パラオ、ナウルの4か国だけであるが、これらの国々も中国のマネー
攻勢に晒されている。

ツバルは人口1万1000人、議会は予算ほしさに台湾寄りの首相を交代させ
る可能性がある。パラオは人口2万2000人、マーシャル諸島は5万3000人、
ナウルは1万4000人である。

どの国も本当に小さい国だ。人々の性格は穏やかで、生活は貧しい。だが
彼らが保有する海洋面積は広大である。日米豪にとって、そこに広がる海
は自由貿易を担保する開かれた海である。国益上も安全保障上も譲れない
海だ。中国による独占は無論、彼らが小さな国々に強い影響力を発揮し
て、支配する海にしてはならない。

だが、小さな弱い国々は、自由や民主主義への中国共産党の弾圧には余り
関心を抱かない。米国か中国か、と迫られるのも恐れる。中国の威力の前
で、台湾と断交をすれば、それがやがて自らにはね返ってくるとも考えな
い。彼らも生き残り、国民を経済的に養わなければならない。日本や米国
が中国に対抗して取り得る道は、国や民族の生き残りと、国民生活の豊か
さを支える、中国よりも優れた策を打ち出すことだ。

中国は地球全体に欲の網を張り、その網を広げ続ける。中国の手法とは全
く異なる手法で、価値観を共有できる国々と連携して、中国の野望を打ち
消していくのがよい。日本は軍事力の効用を活用できない。その分、合理
的で人道的な賢い道を提唱しなければならない。価値観の戦いの先頭を行
くべきだ。

『週刊新潮』 2019年10月10日号 日本ルネッサンス 第871回

2019年10月09日

◆サウジ攻撃に見る世界戦争の劇的変化

櫻井よしこ


せいぜい数万円の無人機が数十億円、或いは数百億円のミサイル防衛網
をかいくぐって壊滅的な被害をもたらした。9月14日、サウジアラビア東
部の石油施設アラムコへの攻撃は戦争の形が根本から変わっていくことを
示している。サウジ攻撃こそ、恐るべき新型戦争の始まりなのではないか。

サウジは一挙に日量生産能力の半分以上に相当する570万バレル、実に世
界生産量の5%の生産停止に追い込まれた。株価は地政学的リスクや世界
経済の減速懸念を反映して16日の市場で142jも下がった。小型無人機に
よる攻撃が石油大国サウジの生産量を激減させ、世界経済に動揺を与えた
ことは大方の人々の虚を衝いた。

攻撃後、イエメンのイスラム教シーア派民兵組織、フーシが犯行声明で無
人機10機で攻撃したと発表したが、これには当初から疑問符がついた。イ
エメンのフーシ支配地域からサウジ東部までは約1300`、小型無人機にそ
れ程の距離が飛べるのかとの基本的疑問だった。

攻撃当日からポンペオ米国務長官は「攻撃がイエメンからだという証拠は
ない」とツイッターで発信し、イランの関与を示唆した。4日後にはサウ
ジアラビアを訪れ、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子との会談に先立っ
て、攻撃はサウジに対する「直接の戦争行為」だとしてイランを非難した。

サウジ国防省は米国と歩調を合わせるかのようにイランの関与についての
具体的情報を公開した。攻撃には無人機18機、巡航ミサイル7発が使用さ
れたとし、兵器の破片からミサイルはイラン製の巡航ミサイル「ヤ・ア
リ」、無人機は「デルタ・ウイング無人航空機」だったと断定した。攻撃
はイラン・イラクの北方向から行われており、南のイエメンからではない
とも公表した。「ヤ・アリ」の射程は700`で、イエメンからだと届かない。

対するイランのザリフ外相はサウジや米国がイラン攻撃に踏みきるなら、
全面戦争だと即、警告した。

尖閣や沖縄奪取に投入

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙によると、米国やサ
ウジの防空システムは「世界で最も高度」だ。にも拘らず、無人機攻撃を
回避できなかった。既存の態勢では防御できない事態が全世界の眼前で進
行中であり、日本はこの事例を対岸の火事と見てはならない。

中国は無人機の開発にかけては世界最前線を走る。すでに1000機以上を保
有し、2017年には119機のマルチコプター無人機を同時に飛ばし、AIを
組み入れた全機が自律的に任務を遂行した。

仮にこれらの無人機が尖閣や沖縄奪取に投入されれば、どうなるか。中国
は今年7月24日発表の国防白書で、これまで触れていなかった「尖閣諸島
の防衛」を明記した。彼らは尖閣・沖縄の先に長崎県五島列島も見据えて
おり、7月25日には五島市沖の排他的経済水域で海底を不法調査し、海上
保安庁の警告を無視して4時間も居座った。日本の領土も資源も狙う中国
の攻撃がないとは断言できないだろう。わが国に防衛、対抗手段はあるの
か。ないではないか。足下に迫る危機を深刻にとらえよと、サウジの事例
が警告している。

それにしても犯人は何者か。安倍晋三首相が6月13日、イランの最高指導
者ハメネイ師と会談した当日、会談を嘲笑するかのようにホルムズ海峡で
日本向けの石油を満載したタンカーが攻撃された。米国は直ちにイラン革
命防衛隊の犯行だと主張したが、サウジのケース同様、イラン側は否定し
た。どの国のどの勢力が犯人なのか、現在まで特定されていない。

イランにおける最強の組織が革命防衛隊だ。安倍・ハメネイ会談に合わせ
て日本のタンカーを攻撃したのが彼らだとすると、最強の暴力組織はハメ
ネイ師の命令を聞かないと見て良いのか。攻撃がハメネイ師の意向だとす
れば、なぜか。私たちはここから何を読み取るべきなのか。

イランも北朝鮮も米国の出方をじっと見詰めている。彼らは押せると判断
すれば押し、待つべしと判断すれば待つ。タンカー及びサウジの石油施設
攻撃には、さらに押せるとのイランの判断があったはずだ。なぜそう判断
したのか。
WSJは9月16日の社説で「ボルトンは正しかった」と見出しをつけて解
説した。

「トランプ氏がテヘランに柔軟対応を考えている最中のサウジ攻撃は偶然
ではない」と。

当のジョン・ボルトン氏が9月18日、プライベートな昼食会で生々しく
語っている。

「今年夏、米国の無人機をイランが攻撃したとき、トランプ氏は報復しな
かった。その失敗がイスラム勢力による攻撃を促した」

イラン側は「彼の自制は我の勝利だ」と見て、安心して事態をエスカレー
トさせたというわけだ。

「中東情勢は激変」

ボルトン氏はいま、「トランプ氏の北朝鮮、イランとの交渉は失敗する運
命にある」と断じている。

トランプ氏は18日、対イラン制裁強化策を48時間以内に発表すると語り、
急いでつけ加えた。「軍事攻撃という究極の選択肢もあるが、それ以下の
選択肢もある」と。恫喝し、同時に恫喝は言葉だけだと打ち明けた。軍事
攻撃に消極的な姿勢を見せることで足下を見られている。

ボルトン氏の後継者、ロバート・オブライエン氏はポンペオ氏の考え方に
近い。ポンペオ氏はトランプ大統領の指示に従う話し合い路線重視派だ。
斯くしてトランプ氏を妨げる人物は消え、トランプ流外交が主流となる
が、これは、氏の弱点、自信過剰で戦略なきディール外交が際立つことと
背中合わせだ。

戦略論に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が語る。

「トランプ大統領がイランにソフトな話し合い路線をとり、イランの核開
発阻止に失敗すれば、中東情勢は激変します。イランはイスラエルを滅ぼ
すと宣言しています。イランの核に対抗するためにイスラエルは反イラン
のサウジやアラブ首長国連邦と連携を強め、この二つの国がイスラエルの
核の傘の下に入る可能性もあります」

米国の影響力は相対的に低下し、ロシア、中国の力がゼロサムゲームで伸
びるだろう。トランプ外交への不安を心に刻みながらも、日本はトランプ
外交のプラスの面を支えていく。それしか選択すべき道はない。一例が中
国に対する強硬策だ。トランプ大統領は2017年12月に堂々たる国家戦略報
告を発表した。それは中国の意図も脅威も過小評価しないという決意表明
だった。同盟諸国を重視する伝統的戦略でもある。戦争の型が激変すると
しても、国防は同盟国との連携強化で当たるのが正しい道だと、日本は行
動で示し続けるのがよい。

『週刊新潮』 2019年10月3日号日本ルネッサンス 第870回


2019年10月07日

◆サウジ攻撃に見る世界戦争の劇的変化

櫻井よしこ


せいぜい数万円の無人機が数十億円、或いは数百億円のミサイル防衛網を
かいくぐって壊滅的な被害をもたらした。9月14日、サウジアラビア東部
の石油施設アラムコへの攻撃は戦争の形が根本から変わっていくことを示
している。サウジ攻撃こそ、恐るべき新型戦争の始まりなのではないか。

サウジは一挙に日量生産能力の半分以上に相当する570万バレル、実に世
界生産量の5%の生産停止に追い込まれた。株価は地政学的リスクや世界
経済の減速懸念を反映して16日の市場で142jも下がった。小型無人機に
よる攻撃が石油大国サウジの生産量を激減させ、世界経済に動揺を与えた
ことは大方の人々の虚を衝いた。

攻撃後、イエメンのイスラム教シーア派民兵組織、フーシが犯行声明で無
人機10機で攻撃したと発表したが、これには当初から疑問符がついた。イ
エメンのフーシ支配地域からサウジ東部までは約1300`、小型無人機にそ
れ程の距離が飛べるのかとの基本的疑問だった。

攻撃当日からポンペオ米国務長官は「攻撃がイエメンからだという証拠は
ない」とツイッターで発信し、イランの関与を示唆した。4日後にはサウ
ジアラビアを訪れ、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子との会談に先立っ
て、攻撃はサウジに対する「直接の戦争行為」だとしてイランを非難した。

サウジ国防省は米国と歩調を合わせるかのようにイランの関与についての
具体的情報を公開した。攻撃には無人機18機、巡航ミサイル7発が使用さ
れたとし、兵器の破片からミサイルはイラン製の巡航ミサイル「ヤ・ア
リ」、無人機は「デルタ・ウイング無人航空機」だったと断定した。攻撃
はイラン・イラクの北方向から行われており、南のイエメンからではない
とも公表した。「ヤ・アリ」の射程は700`で、イエメンからだと届かない。

対するイランのザリフ外相はサウジや米国がイラン攻撃に踏みきるなら、
全面戦争だと即、警告した。

尖閣や沖縄奪取に投入

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙によると、米国やサ
ウジの防空システムは「世界で最も高度」だ。にも拘らず、無人機攻撃を
回避できなかった。既存の態勢では防御できない事態が全世界の眼前で進
行中であり、日本はこの事例を対岸の火事と見てはならない。

中国は無人機の開発にかけては世界最前線を走る。すでに1000機以上を保
有し、2017年には119機のマルチコプター無人機を同時に飛ばし、AIを
組み入れた全機が自律的に任務を遂行した。

仮にこれらの無人機が尖閣や沖縄奪取に投入されれば、どうなるか。中国
は今年7月24日発表の国防白書で、これまで触れていなかった「尖閣諸島
の防衛」を明記した。彼らは尖閣・沖縄の先に長崎県五島列島も見据えて
おり、7月25日には五島市沖の排他的経済水域で海底を不法調査し、海上
保安庁の警告を無視して4時間も居座った。日本の領土も資源も狙う中国
の攻撃がないとは断言できないだろう。わが国に防衛、対抗手段はあるの
か。ないではないか。足下に迫る危機を深刻にとらえよと、サウジの事例
が警告している。

それにしても犯人は何者か。安倍晋三首相が6月13日、イランの最高指導
者ハメネイ師と会談した当日、会談を嘲笑するかのようにホルムズ海峡で
日本向けの石油を満載したタンカーが攻撃された。米国は直ちにイラン革
命防衛隊の犯行だと主張したが、サウジのケース同様、イラン側は否定し
た。どの国のどの勢力が犯人なのか、現在まで特定されていない。

イランにおける最強の組織が革命防衛隊だ。安倍・ハメネイ会談に合わせ
て日本のタンカーを攻撃したのが彼らだとすると、最強の暴力組織はハメ
ネイ師の命令を聞かないと見て良いのか。攻撃がハメネイ師の意向だとす
れば、なぜか。私たちはここから何を読み取るべきなのか。

イランも北朝鮮も米国の出方をじっと見詰めている。彼らは押せると判断
すれば押し、待つべしと判断すれば待つ。タンカー及びサウジの石油施設
攻撃には、さらに押せるとのイランの判断があったはずだ。なぜそう判断
したのか。
WSJは9月16日の社説で「ボルトンは正しかった」と見出しをつけて解
説した。

「トランプ氏がテヘランに柔軟対応を考えている最中のサウジ攻撃は偶然
ではない」と。

当のジョン・ボルトン氏が9月18日、プライベートな昼食会で生々しく
語っている。

「今年夏、米国の無人機をイランが攻撃したとき、トランプ氏は報復しな
かった。その失敗がイスラム勢力による攻撃を促した」

イラン側は「彼の自制は我の勝利だ」と見て、安心して事態をエスカレー
トさせたというわけだ。

「中東情勢は激変」

ボルトン氏はいま、「トランプ氏の北朝鮮、イランとの交渉は失敗する運
命にある」と断じている。

トランプ氏は18日、対イラン制裁強化策を48時間以内に発表すると語り、
急いでつけ加えた。「軍事攻撃という究極の選択肢もあるが、それ以下の
選択肢もある」と。恫喝し、同時に恫喝は言葉だけだと打ち明けた。軍事
攻撃に消極的な姿勢を見せることで足下を見られている。

ボルトン氏の後継者、ロバート・オブライエン氏はポンペオ氏の考え方に
近い。ポンペオ氏はトランプ大統領の指示に従う話し合い路線重視派だ。
斯くしてトランプ氏を妨げる人物は消え、トランプ流外交が主流となる
が、これは、氏の弱点、自信過剰で戦略なきディール外交が際立つことと
背中合わせだ。

戦略論に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が語る。

「トランプ大統領がイランにソフトな話し合い路線をとり、イランの核開
発阻止に失敗すれば、中東情勢は激変します。イランはイスラエルを滅ぼ
すと宣言しています。イランの核に対抗するためにイスラエルは反イラン
のサウジやアラブ首長国連邦と連携を強め、この二つの国がイスラエルの
核の傘の下に入る可能性もあります」

米国の影響力は相対的に低下し、ロシア、中国の力がゼロサムゲームで伸
びるだろう。トランプ外交への不安を心に刻みながらも、日本はトランプ
外交のプラスの面を支えていく。それしか選択すべき道はない。一例が中
国に対する強硬策だ。トランプ大統領は2017年12月に堂々たる国家戦略報
告を発表した。それは中国の意図も脅威も過小評価しないという決意表明
だった。同盟諸国を重視する伝統的戦略でもある。戦争の型が激変すると
しても、国防は同盟国との連携強化で当たるのが正しい道だと、日本は行
動で示し続けるのがよい。

『週刊新潮』 2019年10月3日号 日本ルネッサンス 第870回

          

2019年10月06日

◆サウジ攻撃に見る世界戦争の劇的変化

櫻井よしこ


せいぜい数万円の無人機が数十億円、或いは数百億円のミサイル防衛網を
かいくぐって壊滅的な被害をもたらした。9月14日、サウジアラビア東部
の石油施設アラムコへの攻撃は戦争の形が根本から変わっていくことを示
している。サウジ攻撃こそ、恐るべき新型戦争の始まりなのではないか。

サウジは一挙に日量生産能力の半分以上に相当する570万バレル、実に世
界生産量の5%の生産停止に追い込まれた。株価は地政学的リスクや世界
経済の減速懸念を反映して16日の市場で142jも下がった。小型無人機に
よる攻撃が石油大国サウジの生産量を激減させ、世界経済に動揺を与えた
ことは大方の人々の虚を衝いた。

攻撃後、イエメンのイスラム教シーア派民兵組織、フーシが犯行声明で無
人機10機で攻撃したと発表したが、これには当初から疑問符がついた。イ
エメンのフーシ支配地域からサウジ東部までは約1300`、小型無人機にそ
れ程の距離が飛べるのかとの基本的疑問だった。

攻撃当日からポンペオ米国務長官は「攻撃がイエメンからだという証拠は
ない」とツイッターで発信し、イランの関与を示唆した。4日後にはサウ
ジアラビアを訪れ、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子との会談に先立っ
て、攻撃はサウジに対する「直接の戦争行為」だとしてイランを非難した。

サウジ国防省は米国と歩調を合わせるかのようにイランの関与についての
具体的情報を公開した。攻撃には無人機18機、巡航ミサイル7発が使用さ
れたとし、兵器の破片からミサイルはイラン製の巡航ミサイル「ヤ・ア
リ」、無人機は「デルタ・ウイング無人航空機」だったと断定した。攻撃
はイラン・イラクの北方向から行われており、南のイエメンからではない
とも公表した。「ヤ・アリ」の射程は700`で、イエメンからだと届かない。

対するイランのザリフ外相はサウジや米国がイラン攻撃に踏みきるなら、
全面戦争だと即、警告した。

尖閣や沖縄奪取に投入

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙によると、米国やサ
ウジの防空システムは「世界で最も高度」だ。にも拘らず、無人機攻撃を
回避できなかった。既存の態勢では防御できない事態が全世界の眼前で進
行中であり、日本はこの事例を対岸の火事と見てはならない。

中国は無人機の開発にかけては世界最前線を走る。すでに1000機以上を保
有し、2017年には119機のマルチコプター無人機を同時に飛ばし、AIを
組み入れた全機が自律的に任務を遂行した。

仮にこれらの無人機が尖閣や沖縄奪取に投入されれば、どうなるか。中国
は今年7月24日発表の国防白書で、これまで触れていなかった「尖閣諸島
の防衛」を明記した。彼らは尖閣・沖縄の先に長崎県五島列島も見据えて
おり、7月25日には五島市沖の排他的経済水域で海底を不法調査し、海上
保安庁の警告を無視して4時間も居座った。日本の領土も資源も狙う中国
の攻撃がないとは断言できないだろう。わが国に防衛、対抗手段はあるの
か。ないではないか。足下に迫る危機を深刻にとらえよと、サウジの事例
が警告している。

それにしても犯人は何者か。安倍晋三首相が6月13日、イランの最高指導
者ハメネイ師と会談した当日、会談を嘲笑するかのようにホルムズ海峡で
日本向けの石油を満載したタンカーが攻撃された。米国は直ちにイラン革
命防衛隊の犯行だと主張したが、サウジのケース同様、イラン側は否定し
た。どの国のどの勢力が犯人なのか、現在まで特定されていない。

イランにおける最強の組織が革命防衛隊だ。安倍・ハメネイ会談に合わせ
て日本のタンカーを攻撃したのが彼らだとすると、最強の暴力組織はハメ
ネイ師の命令を聞かないと見て良いのか。攻撃がハメネイ師の意向だとす
れば、なぜか。私たちはここから何を読み取るべきなのか。

イランも北朝鮮も米国の出方をじっと見詰めている。彼らは押せると判断
すれば押し、待つべしと判断すれば待つ。タンカー及びサウジの石油施設
攻撃には、さらに押せるとのイランの判断があったはずだ。なぜそう判断
したのか。
WSJは9月16日の社説で「ボルトンは正しかった」と見出しをつけて解
説した。

「トランプ氏がテヘランに柔軟対応を考えている最中のサウジ攻撃は偶然
ではない」と。

当のジョン・ボルトン氏が9月18日、プライベートな昼食会で生々しく
語っている。

「今年夏、米国の無人機をイランが攻撃したとき、トランプ氏は報復しな
かった。その失敗がイスラム勢力による攻撃を促した」

イラン側は「彼の自制は我の勝利だ」と見て、安心して事態をエスカレー
トさせたというわけだ。

「中東情勢は激変」

ボルトン氏はいま、「トランプ氏の北朝鮮、イランとの交渉は失敗する運
命にある」と断じている。

トランプ氏は18日、対イラン制裁強化策を48時間以内に発表すると語り、
急いでつけ加えた。「軍事攻撃という究極の選択肢もあるが、それ以下の
選択肢もある」と。恫喝し、同時に恫喝は言葉だけだと打ち明けた。軍事
攻撃に消極的な姿勢を見せることで足下を見られている。

ボルトン氏の後継者、ロバート・オブライエン氏はポンペオ氏の考え方に
近い。ポンペオ氏はトランプ大統領の指示に従う話し合い路線重視派だ。
斯くしてトランプ氏を妨げる人物は消え、トランプ流外交が主流となる
が、これは、氏の弱点、自信過剰で戦略なきディール外交が際立つことと
背中合わせだ。

戦略論に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が語る。

「トランプ大統領がイランにソフトな話し合い路線をとり、イランの核開
発阻止に失敗すれば、中東情勢は激変します。イランはイスラエルを滅ぼ
すと宣言しています。イランの核に対抗するためにイスラエルは反イラン
のサウジやアラブ首長国連邦と連携を強め、この二つの国がイスラエルの
核の傘の下に入る可能性もあります」

米国の影響力は相対的に低下し、ロシア、中国の力がゼロサムゲームで伸
びるだろう。トランプ外交への不安を心に刻みながらも、日本はトランプ
外交のプラスの面を支えていく。それしか選択すべき道はない。一例が中
国に対する強硬策だ。トランプ大統領は2017年12月に堂々たる国家戦略報
告を発表した。それは中国の意図も脅威も過小評価しないという決意表明
だった。同盟諸国を重視する伝統的戦略でもある。戦争の型が激変すると
しても、国防は同盟国との連携強化で当たるのが正しい道だと、日本は行
動で示し続けるのがよい。

『週刊新潮』 2019年10月3日号  日本ルネッサンス 第870回

2019年10月05日

◆サウジ攻撃に見る世界戦争の劇的変化

櫻井よしこ


せいぜい数万円の無人機が数十億円、或いは数百億円のミサイル防衛網を
かいくぐって壊滅的な被害をもたらした。9月14日、サウジアラビア東部
の石油施設アラムコへの攻撃は戦争の形が根本から変わっていくことを示
している。サウジ攻撃こそ、恐るべき新型戦争の始まりなのではないか。

サウジは一挙に日量生産能力の半分以上に相当する570万バレル、実に世
界生産量の5%の生産停止に追い込まれた。株価は地政学的リスクや世界
経済の減速懸念を反映して16日の市場で142jも下がった。小型無人機に
よる攻撃が石油大国サウジの生産量を激減させ、世界経済に動揺を与えた
ことは大方の人々の虚を衝いた。

攻撃後、イエメンのイスラム教シーア派民兵組織、フーシが犯行声明で無
人機10機で攻撃したと発表したが、これには当初から疑問符がついた。イ
エメンのフーシ支配地域からサウジ東部までは約1300`、小型無人機にそ
れ程の距離が飛べるのかとの基本的疑問だった。

攻撃当日からポンペオ米国務長官は「攻撃がイエメンからだという証拠は
ない」とツイッターで発信し、イランの関与を示唆した。4日後にはサウ
ジアラビアを訪れ、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子との会談に先立っ
て、攻撃はサウジに対する「直接の戦争行為」だとしてイランを非難した。

サウジ国防省は米国と歩調を合わせるかのようにイランの関与についての
具体的情報を公開した。攻撃には無人機18機、巡航ミサイル7発が使用さ
れたとし、兵器の破片からミサイルはイラン製の巡航ミサイル「ヤ・ア
リ」、無人機は「デルタ・ウイング無人航空機」だったと断定した。攻撃
はイラン・イラクの北方向から行われており、南のイエメンからではない
とも公表した。「ヤ・アリ」の射程は700`で、イエメンからだと届かない。

対するイランのザリフ外相はサウジや米国がイラン攻撃に踏みきるなら、
全面戦争だと即、警告した。

尖閣や沖縄奪取に投入

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙によると、米国やサ
ウジの防空システムは「世界で最も高度」だ。にも拘らず、無人機攻撃を
回避できなかった。既存の態勢では防御できない事態が全世界の眼前で進
行中であり、日本はこの事例を対岸の火事と見てはならない。

中国は無人機の開発にかけては世界最前線を走る。すでに1000機以上を保
有し、2017年には119機のマルチコプター無人機を同時に飛ばし、AIを
組み入れた全機が自律的に任務を遂行した。

仮にこれらの無人機が尖閣や沖縄奪取に投入されれば、どうなるか。中国
は今年7月24日発表の国防白書で、これまで触れていなかった「尖閣諸島
の防衛」を明記した。彼らは尖閣・沖縄の先に長崎県五島列島も見据えて
おり、7月25日には五島市沖の排他的経済水域で海底を不法調査し、海上
保安庁の警告を無視して4時間も居座った。日本の領土も資源も狙う中国
の攻撃がないとは断言できないだろう。わが国に防衛、対抗手段はあるの
か。ないではないか。足下に迫る危機を深刻にとらえよと、サウジの事例
が警告している。

それにしても犯人は何者か。安倍晋三首相が6月13日、イランの最高指導
者ハメネイ師と会談した当日、会談を嘲笑するかのようにホルムズ海峡で
日本向けの石油を満載したタンカーが攻撃された。米国は直ちにイラン革
命防衛隊の犯行だと主張したが、サウジのケース同様、イラン側は否定し
た。どの国のどの勢力が犯人なのか、現在まで特定されていない。

イランにおける最強の組織が革命防衛隊だ。安倍・ハメネイ会談に合わせ
て日本のタンカーを攻撃したのが彼らだとすると、最強の暴力組織はハメ
ネイ師の命令を聞かないと見て良いのか。攻撃がハメネイ師の意向だとす
れば、なぜか。私たちはここから何を読み取るべきなのか。

イランも北朝鮮も米国の出方をじっと見詰めている。彼らは押せると判断
すれば押し、待つべしと判断すれば待つ。タンカー及びサウジの石油施設
攻撃には、さらに押せるとのイランの判断があったはずだ。なぜそう判断
したのか。
WSJは9月16日の社説で「ボルトンは正しかった」と見出しをつけて解
説した。

「トランプ氏がテヘランに柔軟対応を考えている最中のサウジ攻撃は偶然
ではない」と。

当のジョン・ボルトン氏が9月18日、プライベートな昼食会で生々しく
語っている。

「今年夏、米国の無人機をイランが攻撃したとき、トランプ氏は報復しな
かった。その失敗がイスラム勢力による攻撃を促した」

イラン側は「彼の自制は我の勝利だ」と見て、安心して事態をエスカレー
トさせたというわけだ。

「中東情勢は激変」

ボルトン氏はいま、「トランプ氏の北朝鮮、イランとの交渉は失敗する運
命にある」と断じている。

トランプ氏は18日、対イラン制裁強化策を48時間以内に発表すると語り、
急いでつけ加えた。「軍事攻撃という究極の選択肢もあるが、それ以下の
選択肢もある」と。恫喝し、同時に恫喝は言葉だけだと打ち明けた。軍事
攻撃に消極的な姿勢を見せることで足下を見られている。

ボルトン氏の後継者、ロバート・オブライエン氏はポンペオ氏の考え方に
近い。ポンペオ氏はトランプ大統領の指示に従う話し合い路線重視派だ。
斯くしてトランプ氏を妨げる人物は消え、トランプ流外交が主流となる
が、これは、氏の弱点、自信過剰で戦略なきディール外交が際立つことと
背中合わせだ。

戦略論に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が語る。

「トランプ大統領がイランにソフトな話し合い路線をとり、イランの核開
発阻止に失敗すれば、中東情勢は激変します。イランはイスラエルを滅ぼ
すと宣言しています。イランの核に対抗するためにイスラエルは反イラン
のサウジやアラブ首長国連邦と連携を強め、この二つの国がイスラエルの
核の傘の下に入る可能性もあります」

米国の影響力は相対的に低下し、ロシア、中国の力がゼロサムゲームで伸
びるだろう。トランプ外交への不安を心に刻みながらも、日本はトランプ
外交のプラスの面を支えていく。それしか選択すべき道はない。一例が中
国に対する強硬策だ。トランプ大統領は2017年12月に堂々たる国家戦略報
告を発表した。それは中国の意図も脅威も過小評価しないという決意表明
だった。同盟諸国を重視する伝統的戦略でもある。戦争の型が激変すると
しても、国防は同盟国との連携強化で当たるのが正しい道だと、日本は行
動で示し続けるのがよい。

『週刊新潮』 2019年10月3日号 日本ルネッサンス 第870回

2019年10月03日

◆サウジ攻撃に見る世界戦争の劇的変化

櫻井よしこ



せいぜい数万円の無人機が数十億円、或いは数百億円のミサイル防衛網を
かいくぐって壊滅的な被害をもたらした。9月14日、サウジアラビア東部
の石油施設アラムコへの攻撃は戦争の形が根本から変わっていくことを示
している。サウジ攻撃こそ、恐るべき新型戦争の始まりなのではないか。

サウジは一挙に日量生産能力の半分以上に相当する570万バレル、実に世
界生産量の5%の生産停止に追い込まれた。株価は地政学的リスクや世界
経済の減速懸念を反映して16日の市場で142jも下がった。小型無人機に
よる攻撃が石油大国サウジの生産量を激減させ、世界経済に動揺を与えた
ことは大方の人々の虚を衝いた。

攻撃後、イエメンのイスラム教シーア派民兵組織、フーシが犯行声明で無
人機10機で攻撃したと発表したが、これには当初から疑問符がついた。イ
エメンのフーシ支配地域からサウジ東部までは約1300`、小型無人機にそ
れ程の距離が飛べるのかとの基本的疑問だった。

攻撃当日からポンペオ米国務長官は「攻撃がイエメンからだという証拠は
ない」とツイッターで発信し、イランの関与を示唆した。4日後にはサウ
ジアラビアを訪れ、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子との会談に先立っ
て、攻撃はサウジに対する「直接の戦争行為」だとしてイランを非難した。

サウジ国防省は米国と歩調を合わせるかのようにイランの関与についての
具体的情報を公開した。攻撃には無人機18機、巡航ミサイル7発が使用さ
れたとし、兵器の破片からミサイルはイラン製の巡航ミサイル「ヤ・ア
リ」、無人機は「デルタ・ウイング無人航空機」だったと断定した。攻撃
はイラン・イラクの北方向から行われており、南のイエメンからではない
とも公表した。「ヤ・アリ」の射程は700`で、イエメンからだと届かない。

対するイランのザリフ外相はサウジや米国がイラン攻撃に踏みきるなら、
全面戦争だと即、警告した。

尖閣や沖縄奪取に投入

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙によると、米国やサ
ウジの防空システムは「世界で最も高度」だ。にも拘らず、無人機攻撃を
回避できなかった。既存の態勢では防御できない事態が全世界の眼前で進
行中であり、日本はこの事例を対岸の火事と見てはならない。

中国は無人機の開発にかけては世界最前線を走る。すでに1000機以上を保
有し、2017年には119機のマルチコプター無人機を同時に飛ばし、AIを
組み入れた全機が自律的に任務を遂行した。

仮にこれらの無人機が尖閣や沖縄奪取に投入されれば、どうなるか。中国
は今年7月24日発表の国防白書で、これまで触れていなかった「尖閣諸島
の防衛」を明記した。彼らは尖閣・沖縄の先に長崎県五島列島も見据えて
おり、7月25日には五島市沖の排他的経済水域で海底を不法調査し、海上
保安庁の警告を無視して4時間も居座った。日本の領土も資源も狙う中国
の攻撃がないとは断言できないだろう。わが国に防衛、対抗手段はあるの
か。ないではないか。足下に迫る危機を深刻にとらえよと、サウジの事例
が警告している。

それにしても犯人は何者か。安倍晋三首相が6月13日、イランの最高指導
者ハメネイ師と会談した当日、会談を嘲笑するかのようにホルムズ海峡で
日本向けの石油を満載したタンカーが攻撃された。米国は直ちにイラン革
命防衛隊の犯行だと主張したが、サウジのケース同様、イラン側は否定し
た。どの国のどの勢力が犯人なのか、現在まで特定されていない。

イランにおける最強の組織が革命防衛隊だ。安倍・ハメネイ会談に合わせ
て日本のタンカーを攻撃したのが彼らだとすると、最強の暴力組織はハメ
ネイ師の命令を聞かないと見て良いのか。攻撃がハメネイ師の意向だとす
れば、なぜか。私たちはここから何を読み取るべきなのか。

イランも北朝鮮も米国の出方をじっと見詰めている。彼らは押せると判断
すれば押し、待つべしと判断すれば待つ。タンカー及びサウジの石油施設
攻撃には、さらに押せるとのイランの判断があったはずだ。なぜそう判断
したのか。
WSJは9月16日の社説で「ボルトンは正しかった」と見出しをつけて解
説した。

「トランプ氏がテヘランに柔軟対応を考えている最中のサウジ攻撃は偶然
ではない」と。

当のジョン・ボルトン氏が9月18日、プライベートな昼食会で生々しく
語っている。

「今年夏、米国の無人機をイランが攻撃したとき、トランプ氏は報復しな
かった。その失敗がイスラム勢力による攻撃を促した」

イラン側は「彼の自制は我の勝利だ」と見て、安心して事態をエスカレー
トさせたというわけだ。

「中東情勢は激変」

ボルトン氏はいま、「トランプ氏の北朝鮮、イランとの交渉は失敗する運
命にある」と断じている。

トランプ氏は18日、対イラン制裁強化策を48時間以内に発表すると語り、
急いでつけ加えた。「軍事攻撃という究極の選択肢もあるが、それ以下の
選択肢もある」と。恫喝し、同時に恫喝は言葉だけだと打ち明けた。軍事
攻撃に消極的な姿勢を見せることで足下を見られている。

ボルトン氏の後継者、ロバート・オブライエン氏はポンペオ氏の考え方に
近い。ポンペオ氏はトランプ大統領の指示に従う話し合い路線重視派だ。
斯くしてトランプ氏を妨げる人物は消え、トランプ流外交が主流となる
が、これは、氏の弱点、自信過剰で戦略なきディール外交が際立つことと
背中合わせだ。

戦略論に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が語る。

「トランプ大統領がイランにソフトな話し合い路線をとり、イランの核開
発阻止に失敗すれば、中東情勢は激変します。イランはイスラエルを滅ぼ
すと宣言しています。イランの核に対抗するためにイスラエルは反イラン
のサウジやアラブ首長国連邦と連携を強め、この二つの国がイスラエルの
核の傘の下に入る可能性もあります」

米国の影響力は相対的に低下し、ロシア、中国の力がゼロサムゲームで伸
びるだろう。トランプ外交への不安を心に刻みながらも、日本はトランプ
外交のプラスの面を支えていく。それしか選択すべき道はない。一例が中
国に対する強硬策だ。トランプ大統領は2017年12月に堂々たる国家戦略報
告を発表した。それは中国の意図も脅威も過小評価しないという決意表明
だった。同盟諸国を重視する伝統的戦略でもある。戦争の型が激変すると
しても、国防は同盟国との連携強化で当たるのが正しい道だと、日本は行
動で示し続けるのがよい。

『週刊新潮』 2019年10月3日号 日本ルネッサンス 第870回

2019年10月02日

◆ボルトン氏辞任で、日本外交の危機

櫻井よしこ


9月10日、ジョン・ボルトン氏が突然辞任した。氏は北朝鮮への中途半端
な妥協を是とせず、核・ミサイルの放棄を強く迫り続ける方針をゆるがせ
にしたことがなく、拉致問題には最も深い同情と理解を示し続けた人物だ。

氏の突然の辞任により、トランプ大統領の対北朝鮮外交のみならず、対中
国外交までが妥協の産物に堕してしまえば、日本外交への大打撃になりか
ねない。

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は、トランプ政権に
是々非々の姿勢ながらも基本的に支持してきた有力紙だが、今回の件につ
いて、11日の社説で、トランプ氏は「真実を語らなかった」と批判した。

トランプ氏はツイッターで自分がボルトン氏に辞任を求めたと主張した
が、米各紙の報道を合わせ読むと、WSJの「真実を語らなかった」との
批判は当たっていると見てよいだろう。各紙報道をまとめるとざっと以下
のようになる。

・ボルトン氏は9日、アフガニスタン問題でトランプ氏と対立、辞任を申
し出た。

・トランプ氏は明日話し合おうと返答した。

・帰宅したボルトン氏は一晩考え、10日朝に辞職願いを提出した。

・同日午前、ボルトン氏はシチュエーション・ルームで国家安全保障チー
ムとの討議に臨んだ。

・11時58分、トランプ氏が「昨夜ジョン・ボルトンに、もはやホワイトハ
ウスで仕事をしなくてよいと言い渡した」とツイッター発信。

・12分後の12時10分、ボルトン氏が、「昨夜辞任を申し出た。トランプ大
統領は明日話し合おうと語った」と反論し、ホワイトハウスを去った。

WSJ紙社説は、「(ボルトン氏の正式の辞職願い提出の)すぐ後に、ト
ランプ氏は辞任は自分の考えであるかのように事実をねじ曲げてツイッ
ターで発信した。3年間で国家安全保障会議(NSC)のトップ助言者3人
を失うという失態の悪印象を避けようとするもので、大統領の振舞として
感心できない」と非難した。

とても難しい上司

無論、米国にはボルトン氏を批判する声も少なくない。たとえば、
「ニューヨーク・タイムズ」紙は12日の1面に、ペンシルベニア大学コ
ミュニケーション・ディレクターのジョン・ガンズ氏の意見を掲載し、ボ
ルトン氏がNSCの伝統を破壊したと非難した。ボルトン氏は、フランク
リン・ルーズベルト大統領のスタイルを真似て大統領と少人数の側近が重
要決定を下す形に拘り、独善に走り、常に大統領の側近くにいようとした
というのである。

WSJは、ボルトン氏はたとえトランプ氏と考えが異なっても、大統領の
意思を尊重し、同時に具申すべきことは具申したと強調する。間違った
ディール(bad deal)はディールなし(no deal)よりもはるかに深刻な
結果を招くと、大統領に伝えたが、大統領には異論を聞き入れる気が全く
なかったと解説する。トランプ氏はとても難しい上司だと言ってよいが、
ボルトン氏に対する大統領のコメントの厳しさは、トランプ氏の一面を示
すものとして、安倍晋三首相は無論、日本人は頭に入れておかなければな
らないだろう。

ボルトン氏「解任」を発表した翌日、大統領執務室でトランプ氏は次のよ
うに語っている。

「ジョン・ボルトンがリビア方式に言及したことで我々の取り組みは大幅
に後退した。カダフィに起きたことを見れば、そんなことで北朝鮮と
ディールできるのか」

右の発言は、トランプ氏がボルトン氏を補佐官として招き入れた直後から
同じ間違いを繰り返して、今日に至るまで何も学んでいないことを示して
いる。

たとえばボルトン氏を補佐官に任命して間もない昨年5月17日、トランプ
氏は北朝鮮へのリビア方式の適用は考えていない、米軍はカダフィを滅ぼ
すためにリビア入りした、と語っている。

トランプ氏は「リビア方式」を全く理解していない。リビア方式とは核・
ミサイルの完全廃棄を見届けた後に、経済制裁を解除し、国際社会に受け
入れる方式だ。カダフィ氏は2003年12月、核放棄を宣言し、米英両国は濃
縮ウラニウムやミサイルの制御装置、遠心分離機をはじめ核開発に関する
装置のすべてを3か月で搬出し、廃棄した。すべてが終わった時点で米国
はリビアに見返りを与え始めた。06年5月には国交も正常化した。

カダフィ氏は11年10月に殺害されたが、それは米軍による殺害ではない。
アラブの春における、リビア国民による反乱・殺害だった。

トランプ再選が優先

トランプ氏はこうした前後の事情を、かつても今も見ようとしない。他
方、金正恩朝鮮労働党委員長は絶対に核を手放したくない。核放棄を強く
迫るボルトン氏を憎み、氏とは一切、交渉しないとの姿勢を打ち出した。
18年5月当時、北朝鮮第一外務次官の金桂冠氏は正恩氏の気持ちを代弁し
て「ボルトンに対する嫌悪感を我々は隠しはしない」と語っている。北朝
鮮の一連のボルトン批判に関して、トランプ氏は今回こう述べたのだ。

「金正恩のその後の発言を私は責めない。(中略)(ボルトン氏が外交交
渉で)タフであるか否かではなく、スマートであるか否かの問題だ」

ボルトン氏を賢明ではないと貶めている。マティス国防長官、ティラーソ
ン国務長官らもひどい辞めさせられ方だったが、ボルトン氏に対しては
もっとひどい。選りに選って北朝鮮の専制独裁者、金正恩氏の発言に同調
して、安全保障の中枢に自らが登用した大事な部下を貶めるやり方は、
あってはならないだろう。

金正恩氏が7月以来継続するミサイル発射は、安倍晋三首相が指摘したよ
うに明確な国連安全保障理事会の決議違反だ。しかしトランプ氏は短距離
ミサイルは米朝合意違反ではないとして、静観の姿勢を崩さない。米政府
内で唯一人、安保理決議違反だと正論を述べたのがボルトン氏だった。

北朝鮮の新しいミサイルは、専門家の指摘では、日米両国の現時点におけ
る技術では防ぎ得ない。トランプ氏の姿勢は日本に対する北朝鮮の脅威に
目をつぶることだ。

同盟国に及ぶ危険をなぜ無視するのか。トランプ氏が来年の再選のことし
か考えていないからだ。ボルトン氏が政権を去った結果、トランプ氏は自
身の再選に役立つであろうテレビ映えのする首脳会談実現に邁進するだろ
う。金正恩、習近平、プーチン各氏らとにこやかに握手する場面を創り出
すために、安易な妥協がなされかねない。米国の国益よりもトランプ再選
が優先されれば、対北朝鮮、対中国で日本にとって不利な国際情勢が生じ
るのは容易に見てとれる。ボルトン辞任は実に大きな損失なのである。

『週刊新潮』 2019年9月26日 日本ルネッサンス 第869回

2019年10月01日

◆ボルトン氏辞任で、日本外交の危機

櫻井よしこ



9月10日、ジョン・ボルトン氏が突然辞任した。氏は北朝鮮への中途半端
な妥協を是とせず、核・ミサイルの放棄を強く迫り続ける方針をゆるがせ
にしたことがなく、拉致問題には最も深い同情と理解を示し続けた人物だ。

氏の突然の辞任により、トランプ大統領の対北朝鮮外交のみならず、対中
国外交までが妥協の産物に堕してしまえば、日本外交への大打撃になりか
ねない。

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は、トランプ政権に
是々非々の姿勢ながらも基本的に支持してきた有力紙だが、今回の件につ
いて、11日の社説で、トランプ氏は「真実を語らなかった」と批判した。

トランプ氏はツイッターで自分がボルトン氏に辞任を求めたと主張した
が、米各紙の報道を合わせ読むと、WSJの「真実を語らなかった」との
批判は当たっていると見てよいだろう。各紙報道をまとめるとざっと以下
のようになる。

・ボルトン氏は9日、アフガニスタン問題でトランプ氏と対立、辞任を申
し出た。

・トランプ氏は明日話し合おうと返答した。

・帰宅したボルトン氏は一晩考え、10日朝に辞職願いを提出した。

・同日午前、ボルトン氏はシチュエーション・ルームで国家安全保障チー
ムとの討議に臨んだ。

・11時58分、トランプ氏が「昨夜ジョン・ボルトンに、もはやホワイトハ
ウスで仕事をしなくてよいと言い渡した」とツイッター発信。

・12分後の12時10分、ボルトン氏が、「昨夜辞任を申し出た。トランプ大
統領は明日話し合おうと語った」と反論し、ホワイトハウスを去った。

WSJ紙社説は、「(ボルトン氏の正式の辞職願い提出の)すぐ後に、ト
ランプ氏は辞任は自分の考えであるかのように事実をねじ曲げてツイッ
ターで発信した。3年間で国家安全保障会議(NSC)のトップ助言者3人
を失うという失態の悪印象を避けようとするもので、大統領の振舞として
感心できない」と非難した。

とても難しい上司

無論、米国にはボルトン氏を批判する声も少なくない。たとえば、
「ニューヨーク・タイムズ」紙は12日の1面に、ペンシルベニア大学コ
ミュニケーション・ディレクターのジョン・ガンズ氏の意見を掲載し、ボ
ルトン氏がNSCの伝統を破壊したと非難した。ボルトン氏は、フランク
リン・ルーズベルト大統領のスタイルを真似て大統領と少人数の側近が重
要決定を下す形に拘り、独善に走り、常に大統領の側近くにいようとした
というのである。

WSJは、ボルトン氏はたとえトランプ氏と考えが異なっても、大統領の
意思を尊重し、同時に具申すべきことは具申したと強調する。間違った
ディール(bad deal)はディールなし(no deal)よりもはるかに深刻な
結果を招くと、大統領に伝えたが、大統領には異論を聞き入れる気が全く
なかったと解説する。トランプ氏はとても難しい上司だと言ってよいが、
ボルトン氏に対する大統領のコメントの厳しさは、トランプ氏の一面を示
すものとして、安倍晋三首相は無論、日本人は頭に入れておかなければな
らないだろう。

ボルトン氏「解任」を発表した翌日、大統領執務室でトランプ氏は次のよ
うに語っている。

「ジョン・ボルトンがリビア方式に言及したことで我々の取り組みは大幅
に後退した。カダフィに起きたことを見れば、そんなことで北朝鮮ディー
ルできるのか」

右の発言は、トランプ氏がボルトン氏を補佐官として招き入れた直後から
同じ間違いを繰り返して、今日に至るまで何も学んでいないことを示して
いる。

たとえばボルトン氏を補佐官に任命して間もない昨年5月17日、トランプ
氏は北朝鮮へのリビア方式の適用は考えていない、米軍はカダフィを滅ぼ
すためにリビア入りした、と語っている。

トランプ氏は「リビア方式」を全く理解していない。リビア方式とは核・
ミサイルの完全廃棄を見届けた後に、経済制裁を解除し、国際社会に受け
入れる方式だ。カダフィ氏は2003年12月、核放棄を宣言し、米英両国は濃
縮ウラニウムやミサイルの制御装置、遠心分離機をはじめ核開発に関する
装置のすべてを3か月で搬出し、廃棄した。すべてが終わった時点で米国
はリビアに見返りを与え始めた。06年5月には国交も正常化した。

カダフィ氏は11年10月に殺害されたが、それは米軍による殺害ではない。
アラブの春における、リビア国民による反乱・殺害だった。

トランプ再選が優先

トランプ氏はこうした前後の事情を、かつても今も見ようとしない。他
方、金正恩朝鮮労働党委員長は絶対に核を手放したくない。核放棄を強く
迫るボルトン氏を憎み、氏とは一切、交渉しないとの姿勢を打ち出した。
18年5月当時、北朝鮮第一外務次官の金桂冠氏は正恩氏の気持ちを代弁し
て「ボルトンに対する嫌悪感を我々は隠しはしない」と語っている。北朝
鮮の一連のボルトン批判に関して、トランプ氏は今回こう述べたのだ。

「金正恩のその後の発言を私は責めない。(中略)(ボルトン氏が外交交
渉で)タフであるか否かではなく、スマートであるか否かの問題だ」

ボルトン氏を賢明ではないと貶めている。マティス国防長官、ティラーソ
ン国務長官らもひどい辞めさせられ方だったが、ボルトン氏に対しては
もっとひどい。選りに選って北朝鮮の専制独裁者、金正恩氏の発言に同調
して、安全保障の中枢に自らが登用した大事な部下を貶めるやり方は、
あってはならないだろう。

金正恩氏が7月以来継続するミサイル発射は、安倍晋三首相が指摘したよ
うに明確な国連安全保障理事会の決議違反だ。しかしトランプ氏は短距離
ミサイルは米朝合意違反ではないとして、静観の姿勢を崩さない。米政府
内で唯一人、安保理決議違反だと正論を述べたのがボルトン氏だった。

北朝鮮の新しいミサイルは、専門家の指摘では、日米両国の現時点におけ
る技術では防ぎ得ない。トランプ氏の姿勢は日本に対する北朝鮮の脅威に
目をつぶることだ。

同盟国に及ぶ危険をなぜ無視するのか。トランプ氏が来年の再選のことし
か考えていないからだ。ボルトン氏が政権を去った結果、トランプ氏は自
身の再選に役立つであろうテレビ映えのする首脳会談実現に邁進するだろ
う。金正恩、習近平、プーチン各氏らとにこやかに握手する場面を創り出
すために、安易な妥協がなされかねない。米国の国益よりもトランプ再選
が優先されれば、対北朝鮮、対中国で日本にとって不利な国際情勢が生じ
るのは容易に見てとれる。ボルトン辞任は実に大きな損失なのである。

『週刊新潮』 2019年9月26日 日本ルネッサンス 第869回

2019年09月29日

◆ボルトン氏辞任で、日本外交の危機

櫻井よしこ


9月10日、ジョン・ボルトン氏が突然辞任した。氏は北朝鮮への中途半端
な妥協を是とせず、核・ミサイルの放棄を強く迫り続ける方針をゆるがせ
にしたことがなく、拉致問題には最も深い同情と理解を示し続けた人物だ。

氏の突然の辞任により、トランプ大統領の対北朝鮮外交のみならず、対中
国外交までが妥協の産物に堕してしまえば、日本外交への大打撃になりか
ねない。

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は、トランプ政権に
是々非々の姿勢ながらも基本的に支持してきた有力紙だが、今回の件につ
いて、11日の社説で、トランプ氏は「真実を語らなかった」と批判した。

トランプ氏はツイッターで自分がボルトン氏に辞任を求めたと主張した
が、米各紙の報道を合わせ読むと、WSJの「真実を語らなかった」との
批判は当たっていると見てよいだろう。各紙報道をまとめるとざっと以下
のようになる。

・ボルトン氏は9日、アフガニスタン問題でトランプ氏と対立、辞任を申
し出た。

・トランプ氏は明日話し合おうと返答した。

・帰宅したボルトン氏は一晩考え、10日朝に辞職願いを提出した。

・同日午前、ボルトン氏はシチュエーション・ルームで国家安全保障チー
ムとの討議に臨んだ。

・11時58分、トランプ氏が「昨夜ジョン・ボルトンに、もはやホワイトハ
ウスで仕事をしなくてよいと言い渡した」とツイッター発信。

・12分後の12時10分、ボルトン氏が、「昨夜辞任を申し出た。トランプ大
統領は明日話し合おうと語った」と反論し、ホワイトハウスを去った。

WSJ紙社説は、「(ボルトン氏の正式の辞職願い提出の)すぐ後に、ト
ランプ氏は辞任は自分の考えであるかのように事実をねじ曲げてツイッ
ターで発信した。3年間で国家安全保障会議(NSC)のトップ助言者3人
を失うという失態の悪印象を避けようとするもので、大統領の振舞として
感心できない」と非難した。

とても難しい上司

無論、米国にはボルトン氏を批判する声も少なくない。たとえば、
「ニューヨーク・タイムズ」紙は12日の1面に、ペンシルベニア大学コ
ミュニケーション・ディレクターのジョン・ガンズ氏の意見を掲載し、ボ
ルトン氏がNSCの伝統を破壊したと非難した。ボルトン氏は、フランク
リン・ルーズベルト大統領のスタイルを真似て大統領と少人数の側近が重
要決定を下す形に拘り、独善に走り、常に大統領の側近くにいようとした
というのである。

WSJは、ボルトン氏はたとえトランプ氏と考えが異なっても、大統領の
意思を尊重し、同時に具申すべきことは具申したと強調する。間違った
ディール(bad deal)はディールなし(no deal)よりもはるかに深刻な
結果を招くと、大統領に伝えたが、大統領には異論を聞き入れる気が全く
なかったと解説する。トランプ氏はとても難しい上司だと言ってよいが、
ボルトン氏に対する大統領のコメントの厳しさは、トランプ氏の一面を示
すものとして、安倍晋三首相は無論、日本人は頭に入れておかなければな
らないだろう。

ボルトン氏「解任」を発表した翌日、大統領執務室でトランプ氏は次のよ
うに語っている。

「ジョン・ボルトンがリビア方式に言及したことで我々の取り組みは大幅
に後退した。カダフィに起きたことを見れば、そんなことで北朝鮮と
ディールできるのか」

右の発言は、トランプ氏がボルトン氏を補佐官として招き入れた直後から
同じ間違いを繰り返して、今日に至るまで何も学んでいないことを示して
いる。

たとえばボルトン氏を補佐官に任命して間もない昨年5月17日、トランプ
氏は北朝鮮へのリビア方式の適用は考えていない、米軍はカダフィを滅ぼ
すためにリビア入りした、と語っている。

トランプ氏は「リビア方式」を全く理解していない。リビア方式とは核・
ミサイルの完全廃棄を見届けた後に、経済制裁を解除し、国際社会に受け
入れる方式だ。カダフィ氏は2003年12月、核放棄を宣言し、米英両国は濃
縮ウラニウムやミサイルの制御装置、遠心分離機をはじめ核開発に関する
装置のすべてを3か月で搬出し、廃棄した。すべてが終わった時点で米国
はリビアに見返りを与え始めた。06年5月には国交も正常化した。

カダフィ氏は11年10月に殺害されたが、それは米軍による殺害ではない。
アラブの春における、リビア国民による反乱・殺害だった。

トランプ再選が優先

トランプ氏はこうした前後の事情を、かつても今も見ようとしない。他
方、金正恩朝鮮労働党委員長は絶対に核を手放したくない。核放棄を強く
迫るボルトン氏を憎み、氏とは一切、交渉しないとの姿勢を打ち出した。
18年5月当時、北朝鮮第一外務次官の金桂冠氏は正恩氏の気持ちを代弁し
て「ボルトンに対する嫌悪感を我々は隠しはしない」と語っている。北朝
鮮の一連のボルトン批判に関して、トランプ氏は今回こう述べたのだ。

「金正恩のその後の発言を私は責めない。(中略)(ボルトン氏が外交交
渉で)タフであるか否かではなく、スマートであるか否かの問題だ」

ボルトン氏を賢明ではないと貶めている。マティス国防長官、ティラーソ
ン国務長官らもひどい辞めさせられ方だったが、ボルトン氏に対しては
もっとひどい。選りに選って北朝鮮の専制独裁者、金正恩氏の発言に同調
して、安全保障の中枢に自らが登用した大事な部下を貶めるやり方は、
あってはならないだろう。

金正恩氏が7月以来継続するミサイル発射は、安倍晋三首相が指摘したよ
うに明確な国連安全保障理事会の決議違反だ。しかしトランプ氏は短距離
ミサイルは米朝合意違反ではないとして、静観の姿勢を崩さない。米政府
内で唯一人、安保理決議違反だと正論を述べたのがボルトン氏だった。

北朝鮮の新しいミサイルは、専門家の指摘では、日米両国の現時点におけ
る技術では防ぎ得ない。トランプ氏の姿勢は日本に対する北朝鮮の脅威に
目をつぶることだ。

同盟国に及ぶ危険をなぜ無視するのか。トランプ氏が来年の再選のことし
か考えていないからだ。ボルトン氏が政権を去った結果、トランプ氏は自
身の再選に役立つであろうテレビ映えのする首脳会談実現に邁進するだろ
う。金正恩、習近平、プーチン各氏らとにこやかに握手する場面を創り出
すために、安易な妥協がなされかねない。米国の国益よりもトランプ再選
が優先されれば、対北朝鮮、対中国で日本にとって不利な国際情勢が生じ
るのは容易に見てとれる。ボルトン辞任は実に大きな損失なのである。

『週刊新潮』 2019年9月26日 日本ルネッサンス 第869回

2019年09月28日

◆ボルトン氏辞任で、日本外交の危機

櫻井よしこ


9月10日、ジョン・ボルトン氏が突然辞任した。氏は北朝鮮への中途半端
な妥協を是とせず、核・ミサイルの放棄を強く迫り続ける方針をゆるがせ
にしたことがなく、拉致問題には最も深い同情と理解を示し続けた人物だ。

氏の突然の辞任により、トランプ大統領の対北朝鮮外交のみならず、対中
国外交までが妥協の産物に堕してしまえば、日本外交への大打撃になりか
ねない。

「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は、トランプ政権に
是々非々の姿勢ながらも基本的に支持してきた有力紙だが、今回の件につ
いて、11日の社説で、トランプ氏は「真実を語らなかった」と批判した。

トランプ氏はツイッターで自分がボルトン氏に辞任を求めたと主張した
が、米各紙の報道を合わせ読むと、WSJの「真実を語らなかった」との
批判は当たっていると見てよいだろう。各紙報道をまとめるとざっと以下
のようになる。

・ボルトン氏は9日、アフガニスタン問題でトランプ氏と対立、辞任を申
し出た。

・トランプ氏は明日話し合おうと返答した。

・帰宅したボルトン氏は一晩考え、10日朝に辞職願いを提出した。

・同日午前、ボルトン氏はシチュエーション・ルームで国家安全保障チー
ムとの討議に臨んだ。

・11時58分、トランプ氏が「昨夜ジョン・ボルトンに、もはやホワイトハ
ウスで仕事をしなくてよいと言い渡した」とツイッター発信。

・12分後の12時10分、ボルトン氏が、「昨夜辞任を申し出た。トランプ大
統領は明日話し合おうと語った」と反論し、ホワイトハウスを去った。

WSJ紙社説は、「(ボルトン氏の正式の辞職願い提出の)すぐ後に、ト
ランプ氏は辞任は自分の考えであるかのように事実をねじ曲げてツイッ
ターで発信した。3年間で国家安全保障会議(NSC)のトップ助言者3人
を失うという失態の悪印象を避けようとするもので、大統領の振舞として
感心できない」と非難した。

とても難しい上司

無論、米国にはボルトン氏を批判する声も少なくない。たとえば、
「ニューヨーク・タイムズ」紙は12日の1面に、ペンシルベニア大学コ
ミュニケーション・ディレクターのジョン・ガンズ氏の意見を掲載し、ボ
ルトン氏がNSCの伝統を破壊したと非難した。ボルトン氏は、フランク
リン・ルーズベルト大統領のスタイルを真似て大統領と少人数の側近が重
要決定を下す形に拘り、独善に走り、常に大統領の側近くにいようとした
というのである。

WSJは、ボルトン氏はたとえトランプ氏と考えが異なっても、大統領の
意思を尊重し、同時に具申すべきことは具申したと強調する。間違った
ディール(bad deal)はディールなし(no deal)よりもはるかに深刻な
結果を招くと、大統領に伝えたが、大統領には異論を聞き入れる気が全く
なかったと解説する。トランプ氏はとても難しい上司だと言ってよいが、
ボルトン氏に対する大統領のコメントの厳しさは、トランプ氏の一面を示
すものとして、安倍晋三首相は無論、日本人は頭に入れておかなければな
らないだろう。

ボルトン氏「解任」を発表した翌日、大統領執務室でトランプ氏は次のよ
うに語っている。

「ジョン・ボルトンがリビア方式に言及したことで我々の取り組みは大幅
に後退した。カダフィに起きたことを見れば、そんなことで北朝鮮と
ディールできるのか」

右の発言は、トランプ氏がボルトン氏を補佐官として招き入れた直後から
同じ間違いを繰り返して、今日に至るまで何も学んでいないことを示して
いる。

たとえばボルトン氏を補佐官に任命して間もない昨年5月17日、トランプ
氏は北朝鮮へのリビア方式の適用は考えていない、米軍はカダフィを滅ぼ
すためにリビア入りした、と語っている。

トランプ氏は「リビア方式」を全く理解していない。リビア方式とは核・
ミサイルの完全廃棄を見届けた後に、経済制裁を解除し、国際社会に受け
入れる方式だ。カダフィ氏は2003年12月、核放棄を宣言し、米英両国は濃
縮ウラニウムやミサイルの制御装置、遠心分離機をはじめ核開発に関する
装置のすべてを3か月で搬出し、廃棄した。すべてが終わった時点で米国
はリビアに見返りを与え始めた。06年5月には国交も正常化した。

カダフィ氏は11年10月に殺害されたが、それは米軍による殺害ではない。
アラブの春における、リビア国民による反乱・殺害だった。

トランプ再選が優先

トランプ氏はこうした前後の事情を、かつても今も見ようとしない。他
方、金正恩朝鮮労働党委員長は絶対に核を手放したくない。核放棄を強く
迫るボルトン氏を憎み、氏とは一切、交渉しないとの姿勢を打ち出した。
18年5月当時、北朝鮮第一外務次官の金桂冠氏は正恩氏の気持ちを代弁し
て「ボルトンに対する嫌悪感を我々は隠しはしない」と語っている。北朝
鮮の一連のボルトン批判に関して、トランプ氏は今回こう述べたのだ。

「金正恩のその後の発言を私は責めない。(中略)(ボルトン氏が外交交
渉で)タフであるか否かではなく、スマートであるか否かの問題だ」

ボルトン氏を賢明ではないと貶めている。マティス国防長官、ティラーソ
ン国務長官らもひどい辞めさせられ方だったが、ボルトン氏に対しては
もっとひどい。選りに選って北朝鮮の専制独裁者、金正恩氏の発言に同調
して、安全保障の中枢に自らが登用した大事な部下を貶めるやり方は、
あってはならないだろう。

金正恩氏が7月以来継続するミサイル発射は、安倍晋三首相が指摘したよ
うに明確な国連安全保障理事会の決議違反だ。しかしトランプ氏は短距離
ミサイルは米朝合意違反ではないとして、静観の姿勢を崩さない。米政府
内で唯一人、安保理決議違反だと正論を述べたのがボルトン氏だった。

北朝鮮の新しいミサイルは、専門家の指摘では、日米両国の現時点におけ
る技術では防ぎ得ない。トランプ氏の姿勢は日本に対する北朝鮮の脅威に
目をつぶることだ。

同盟国に及ぶ危険をなぜ無視するのか。トランプ氏が来年の再選のことし
か考えていないからだ。ボルトン氏が政権を去った結果、トランプ氏は自
身の再選に役立つであろうテレビ映えのする首脳会談実現に邁進するだろ
う。金正恩、習近平、プーチン各氏らとにこやかに握手する場面を創り出
すために、安易な妥協がなされかねない。米国の国益よりもトランプ再選
が優先されれば、対北朝鮮、対中国で日本にとって不利な国際情勢が生じ
るのは容易に見てとれる。ボルトン辞任は実に大きな損失なのである。

『週刊新潮』 2019年9月26日 日本ルネッサンス 第869回

2019年09月25日

◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号日本ルネッサンス 第868回


2019年09月24日

◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号 日本ルネッサンス 第868回