2018年06月28日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。

高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港させ、台湾海軍も米国の港に
定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜水艦建造、機雷製造など水
中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。

こうした理由ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)へ
の中国の招待を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。

中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り
出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ
投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅き
つけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策
に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回

2018年06月27日

◆米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を

櫻井よしこ


「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この二つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、そして正
恩氏らが、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったと
き、彼は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったよ
うに核やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。最大限の圧力という
言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に傾いているとの指摘
も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の制裁は緩めない。た
だ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、『最大限の圧力』と言
わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を
正常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表してい
る。 2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した
右の 宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。

しかし、帰 国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報
を収集するこ とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは
検証できる。そ のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に
入れる、それまで は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号 日本ルネッサンス 第807回

2018年06月26日

◆日本は官民あげて拉致解決を

櫻井よしこ


「米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を」

「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この二つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、そして正
恩氏らが、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったと
き、彼は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったよ
うに核やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。最大限の圧力という
言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に傾いているとの指摘
も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の制裁は緩めない。た
だ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、『最大限の圧力』と言
わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を正
常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表している。
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した右の
宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。しかし、帰
国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報を収集するこ
とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは検証できる。そ
のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に入れる、それまで
は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号 日本ルネッサンス 第807回

2018年06月23日

◆米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を

                                 櫻井よしこ


「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この2つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、正恩氏ら
が、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったとき、彼
は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったように核
やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。

最大限の圧力という言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に
傾いているとの指摘も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の
制裁は緩めない。ただ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、
『最大限の圧力』と言わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を正
常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表している。
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した右の
宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。しかし、帰
国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報を収集するこ
とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは検証できる。そ
のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に入れる、それまで
は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号  日本ルネッサンス 第807回

2018年06月22日

◆米朝山場、日本は官民あげて拉致解決を

櫻井よしこ


「金正恩が話のできる男かどうかは、私は会って1分で判断できる」。ト
ランプ米大統領は記者会見でこう語った後、カナダでの先進7か国首脳会
議を早めに切り上げて、シンガポールに向かった。

この記事が皆さんの目にとまる頃、史上初の米朝首脳会談の結果が吉か凶
か、明らかになっているだろう。

世界最強国の大統領と、世界で最も多くの嘘をついてきた国のひとつ、北
朝鮮の独裁者が合意に達するには、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄を確約し
なければならない。許されざる人道問題である拉致を、「被害者全員の帰
国」を大前提として解決しなければならない。

北朝鮮に核・ミサイルを放棄させられなければ、ただでさえ、すでに崩壊
しているといわれる国際社会の核拡散防止条約(NPT)体制は、さらに
悪化し、核保有国が次々にふえる世界になってしまうだろう。また、拉致
を解決できなければ、究極のテロの前で、世界は無力化する。

この二つの問題のいずれも、北朝鮮の3代にわたる政権が元凶である。彼
らは自身の栄華と生き残りのためにあらゆる悪に手を染めてきた。常識も
良識も通じないが、生き残りのための状況分析には、鋭い嗅覚を持つ人々だ。

だからこそ、昨年9月23日、ステルス性が高く、60トンもの爆弾を運べる
B─1B爆撃機2機を米軍が北朝鮮の元山上空に飛行させたとき、そして正
恩氏らが、貧弱な防空態勢ゆえに2機の飛来にまったく気付かなかったと
き、彼は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。それ以降、人が変わったよ
うに核やミサイルの実験を控えるようになった。

国民の命や生活よりも自身の命を最も心配する正恩氏に対しては、その弱
点をつけばよい。十分な軍事力と強い意思に基づく戦略を保持して、しか
し、友好的な笑みを忘れずに、初回の会談をこなすのが、一番よい。

日本がすべきこと

この点について6月10日、交詢社の第10回オープンフォーラムの基調講演
で河野太郎外務大臣が語った。

「日本には多くの誤解に基づく解説が溢れています。トランプ政権内にポ
ンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の、対
北朝鮮宥和派と強硬派の対立があるなどと言われていますが、それはあり
ません。米国政府内で基本方針は共有されています。

最大限の圧力という言葉をトランプ大統領が使わなくなったので宥和策に
傾いているとの指摘も間違いです。北朝鮮が核を放棄しない限り、現行の
制裁は緩めない。ただ、交渉のテーブルにつこうとしている今だから、
『最大限の圧力』と言わないだけです」

12日からの米朝首脳会談の行方は、会談前日の段階でも予測困難な面はあ
るにせよ、河野氏の見通しは日本にとって心強い。6月7日に安倍晋三首相
と行った共同記者会見でのトランプ氏の言葉にも期待する。

トランプ氏は「拉致問題は、首相にとって重要なことだと理解している。
首相の望みに沿って、絶対に、絶対に北朝鮮との議題にする」と強調した。

客観的に見て、私たちはいま、拉致の解決に最も近づいている。1977年か
ら78年にかけて、久米裕さん、横田めぐみさん、増元るみ子さんらが次々
に拉致された。それから41年、ご両親や兄弟姉妹、多くの日本人がどれ程
心を焦がしても、被害者を取り戻せなかった。だからこそこの機会を逃し
てはならない。

トランプ大統領との共同記者会見で安倍首相は「北朝鮮と直接向き合い、
話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と「決意」という言
葉を5度、口にした(『産経新聞』6月8日)。

北朝鮮との話し合いに備えて日本がすべきことは多い。まず、日本の世論
を背景にして北朝鮮に迫ることだ。核・ミサイル問題が正しい方向で解決
に向かうとき――このこと自体を確認するのにかなり難しい作業が必要で容
易ではないが、それが担保されたとして――国際社会は北朝鮮への制裁緩和
に向かうだろう。

トランプ氏はすでに、北朝鮮が戦略的に完全非核化の道を選べば、繁栄す
る未来が開ける、北朝鮮には支援が与えられるが、その資金は米国ではな
く、韓国や中国、日本が払うだろうと語っている。米国のみならず、中
国、ロシア、韓国も含めた国際社会は日本に支援せよと迫るだろう。その
とき、しかし私たちは拉致被害者全員を帰さない限り、資金は出さない
と、声をひとつにして主張すべきだ。

これまでの日本の世論、朝日新聞をはじめとするメディア、野党や親北朝
鮮の人々の主張を思い出せば、このような場面になると必ず、彼らは「日
本だけが取り残される」と批判し、だから早く援助の輪の中に入れと言う
であろう。いまでも「圧力と言い続ける安倍政権は蚊帳の外」「北朝鮮に
会ってももらえない」という批判がある。

「全員」帰国を

なんという浅慮であろうか。正恩氏を対話の席に導いたのは、斬首作戦も
あり得ると、正恩氏に認識させた米国の圧力戦略である。その必要性を繰
り返し、トランプ氏に説いたのが安倍晋三首相である。蚊帳の外というよ
り、対北朝鮮戦略の重要な部分を担ってきたのが安倍政権だ。

いま、首相は、「日朝平壌宣言に基づき、不幸な過去を清算して国交を正
常化し、経済協力を行う用意がある」と、北朝鮮に向けて発表している。
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)が金正日国防委員長と発表した右の
宣言は、実は「拉致」には直接触れていない。

ただ、第3項に日本国民の生命と安全にかかわる懸案について、北朝鮮側
は、「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と書いてあ
るだけである。

この部分は拉致被害者を指しているとも解釈できるが、もう拉致はしない
というだけでは不十分で、被害者は全員返してもらわなければならないと
いう世論をこそ盛り上げたい。

だが、「全員」とは何人か。帰国した人々が全員かどうかをどう確認でき
るのかと問う声もある。日本側に「全員」についての明確な情報があるわ
けではないため、このような疑問が生ずるのも自然であろう。しかし、帰
国者全員から聞き取り調査をして、拉致された被害者の情報を収集するこ
とで、「全員」帰国を北朝鮮が誠実に実施したかどうかは検証できる。そ
のことを確認した後、初めて私たちは国交正常化交渉に入れる、それまで
は入らないという国民の意思が、ここでも大事である。

そのうえで、「国交正常化の後」日本の援助は行われるという平壌宣言第
2項を実施していくという道筋を受け入れたい。

こうした点について、揺るがない国民世論をいまから固めておきたいものだ。
『週刊新潮』 2018年6月21日号 日本ルネッサンス 第807回

2018年06月20日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。

中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り
出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ
投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅き
つけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策
に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号  日本ルネッサンス 第806回

2018年06月18日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。

恫喝と強制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人
工島は軍事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こう
した理由ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中
国の招待を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。

中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り
出したいのである。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ
投資銀行(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅き
つけられて多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策
に魅きつけられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。
『週刊新潮』 2018年6月14日号  日本ルネッサンス 第806回

2018年06月17日

◆米国の真の相手は

櫻井よしこ



「米国の真の相手は、北を支える中国だ」

世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。

そこで、中国が影響力を及ぼし得る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうと
いう意図が見える。中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の
安全保障会議を創り出したいのである。

彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ投資銀行
(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅きつけられ
て多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策に魅きつ
けられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回

2018年06月16日

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もま
た中国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1
日、基調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。中国はアジア
安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り出したいので
ある。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ投資銀行
(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅きつけられ
て多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策に魅きつ
けられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾 旅行法を、上院
は党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学 上、台湾擁護
は南シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海 として維持
するには台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。
『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回



2018年06月13日

◆首相が加計氏に便宜との批判は疑わしい 

櫻井よしこ


「首相が加計氏に便宜との批判は疑わしい 愛媛県職員の作成文書は一体
何なのか」

愛媛県知事の中村時広氏が5月21日に参議院予算委員会に提出した文書は
加計学園問題を蒸し返すきっかけとなるのか。愛媛県職員が作成した文書
には、加計学園側から県担当者に、「2015年2月25日に理事長が首相と面
談(15分程度)」、加計孝太郎氏が首相に「今治市に設置予定の獣医学部
では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明」「首相からは『そ
ういう新しい獣医大学の考えはいいね』とのコメントあり」と記されている。

これをスクープしたNHKや「朝日新聞」などは、これまで首相は加計学
園の獣医学部新設について知ったのは17年1月20日だと語ってきた、しか
し県の文書では15年2月段階で知っていたことになる、首相は嘘をついて
いたのかと論難調で報じている。

カケもモリも「もう沢山」だが、ここは事実関係を中心に当時何がおきて
いたか、把握することが大事だろう。

時系列で整理しよう。

(1)15年5月25日、首相の「いいね」発言(愛媛県文書)。

(2)6月4日、加計学園が新しく法制化された「国家戦略特区」に獣医学
部新設を申請。

(3)6月22日、日本獣医師政治連盟が石破茂地方創生大臣に面会。

(4)6月30日、獣医学部新設に関する「石破四条件」が閣議決定。

ちなみに石破四条件とは、獣医学部新設に関して満たすべき条件を定めた
ものだ。骨子はライフサイエンスなど新たに対応すべき分野の需要が明確
になること、それらが既存の獣医学部や大学で対応できない内容であるこ
とが証明されなくてはならないというもので、これは日本獣医師会会長会
議の会議録に、「(これによって)獣医師養成の大学・学部の新設の可能
性はほとんどゼロです」と書かれた程、厳しい要求だ。

しかし、(4)に示したようにこの厳しい内容が6月30日に閣議決定された。

安倍晋三首相を非難する人々は、首相が加計氏に便宜をはかったと主張す
る。しかし、事実を時系列で見れば、本当にそうなのかと疑わざるを得ない。

今治市に新しい大学をつくりたい、四国には獣医学部がひとつもないの
で、新しい大学なら獣医学部を中心とするライフサイエンスが最適だと考
えて尽力した前愛媛県知事の加戸守行氏がこう語った。

「どうか、冷静になって、時系列で見てください。2015年当時、愛媛県も
今治市も、加計学園も、新学部創設を15回も却下され頭を抱えていたので
す。私たちは構造改革特区制度の下で、15回申請して、15回全て却下され
た。その内安倍内閣での却下は5回です。私は世間で言われているのとは
反対に首相は冷たいじゃないかとさえ思っていました。私の言いたいのは
首相には友達に便宜をはかろうという私心はなかったということです」

15回も申請が却下された当時、その暫く前から内閣府が「国家戦略特区」
という制度で、新産業を育てるため岩盤規制を打ち破ろうとしていること
を加戸氏らは報道で知った。調べると、すでに新潟県と京都府が獣医学部
新設を申請していた。愛媛県もそこに活路を求めて、先述のように15年6
月に申請した。すると獣医師連盟がこの動きを察知して早速、石破氏に働
きかけ、厳しい条件を閣議決定にまでもち込んだ。これが事実だ。

ここからは既得権益を守りたい獣医師会の姿は見えてきても、安倍首相が
友人の加計氏のために何かを画策したということではないだろう。では愛
媛県職員の文書は一体何なのだろうか。加戸氏は言う。

「県の職員は真面目ですから嘘は書きません。けれど、書いた情報は伝聞
です。そこが間違っていたのではないでしょうか」

私もそう思うがどうか。
『週刊ダイヤモンド』 2018年6月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1233

2018年06月12日

◆北をめぐる米中の闘いが激化

櫻井よしこ


6月12日の米朝首脳会談はどうやら開催されそうだ。劇的な展開の中で、
はっきりしなかった展望が、少し明確になってきた。米国が圧倒的優位に
立って会談に臨み、拉致問題解決の可能性にも、安倍晋三首相と日本が一
歩近づくという見込みだ。

5月24日夜、トランプ大統領は6月の米朝会談中止を宣言した書簡を発表
し、朝鮮労働党委員長、金正恩氏の鼻っ柱を叩き潰した。9日にポンペオ
国務長官が3人の米国人を連れ戻してから2週間余り、トランプ氏の考えは
どう変化したのか。

まず、5月16日、北朝鮮の第一外務次官・金桂寛氏が、ボルトン国家安全
保障問題担当大統領補佐官を個人攻撃し、米国が一方的に核放棄を要求す
れば「会談に応じるか再考せざるを得ない」と警告した。

1週間後の23日、今度は桂寛氏の部下の崔善姫外務次官がペンス米副大統
領を「政治的に愚鈍」だと侮蔑し、「米国が我々と会談場で会うか、核対
核の対決場で会うか、米国の決心と行動次第だ」と語った。

トランプ氏は23日夜に暴言を知らされた後就寝し、翌朝、ペンス、ポンペ
オ、ボルトン各氏を集めて協議し、大統領書簡を作成したそうだ。

内容は首脳会談中止と、核戦力における米国の圧倒的優位性について述べ
て、「それを使用する必要のないことを神に祈る」とする究極の恫喝だっ
た。24時間も待たずに正恩氏が音を上げたのは周知のとおりだ。

首脳会談が開催されるとして、結果は2つに絞られた。➀北朝鮮が完全に核
を放棄する、➁会談が決裂する、である。これまでは第三の可能性もあっ
た。それは米本土に届くICBMの破棄で双方が合意し、北朝鮮は核や
中・短距離ミサイルなどについてはさまざまな口実で時間稼ぎをする、そ
れを中韓両国が支援し、米国は決定的な打開策を勝ち取れず、年来のグズ
グズ状態が続くという、最悪の結果である。

不満だらけの発言

今回、第三の可能性はなくなったと見てよいだろう。米国は過去の失敗に
学んで、北朝鮮の自分勝手な言動を許さず、中国への警戒心も強めた。ト
ランプ氏は22日の米韓首脳会談で語っている。

「北朝鮮の非核化は極めて短期間に一気に実施するのがよい」「もしでき
なければ、会談はない」

トランプ氏は米国の要求を明確にし、会談延期の可能性にも言及しなが
ら、正恩氏と会うのは無条件ではないと明確に語ったわけだ。

中国関連の発言は次のとおりだ。

・「貿易問題を巡る中国との交渉においては、中国が北朝鮮問題でどう助
けてくれるかを考えている」

・「大手通信機器メーカー中興通訊(ZTE)への制裁緩和は習(近平)
主席から頼まれたから検討している」

・「金正恩氏は習氏との2度目の会談後、態度が変わった。気に入らな
い。気に入らない。気に入らない」
 トランプ氏は3度繰り返して強い嫌悪感を表現している。

・「正恩氏が中国にいると、突然報道されて知った。驚きだった」

・「習主席は世界一流のポーカー・プレーヤーだ」

北朝鮮問題での中国の協力ゆえに貿易問題で配慮しているにも拘わらず、
正恩氏再訪中について自分には通知がなく、米国が求める短期間の完全核
廃棄に関して、習氏は北朝鮮同様、段階的廃棄を主張しているという、不
満だらけの発言だ。

この時までに、トランプ氏は自分と習氏の考えが全く異なることを実感し
始めていたであろう。中国は国連の制裁決議違反とも思える実質的な対北
朝鮮経済援助を再開済みだ。中朝国境を物資満載のトラックが往き交い、
北朝鮮労働者は通常ビザで中国の労働生産現場に戻っている。

こんな中国ペースの首脳会談はやりたくない、だが、米国の対中貿易赤字
を1年間で約10兆円減らすと中国は言っている。2年目にはもう10兆円減ら
すとも言っている。どうすべきか。こうした計算をしていたところに、善
姫氏によるペンス副大統領への攻撃があり、トランプ氏はこれを利用した
のではないか。

いま、米国では民主、共和両勢力において対中警戒心が高まっている。米
外交に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が指摘した。

「米国の中国問題専門家、エリザベス・エコノミー氏が『中国の新革命』
と題して、フォーリン・アフェアーズ誌に書いています。習氏の中国を、
『自由主義的な世界秩序の中でリーダーシップを手にしようとしている非
自由主義国家である』と的確に分析し、国際秩序の恩恵を大いに受けなが
ら、その秩序を中国式に変え、自由主義、民主主義を押し潰そうとしてい
ると警告しています」

中国に厳しい目

エコノミー氏は、習氏の強権体制の下、あらゆる分野で共産党支配の苛烈
かつ非合法な、搾取、弾圧が進行中で、米国は中国との価値観の闘いの
真っ只中にあると強調する。

米国は本来の価値観を掲げ、同じ価値観を共有する日豪印、東南アジア諸
国、その他の発展途上国にそれを広げよと促している。
「もう一つ注目すべきことは、米国のリベラル派の筆頭であるカート・
キャンベル氏のような人物でさえも中国批判に転じたことです。彼はオバ
マ政権の、東アジア・太平洋担当の国務次官補で、非常に中国寄りの政策
を推進した人物です」

キャンベル氏は、これまで米政府は中国が米国のような開かれた国になる
と期待して助力してきたが、期待は裏切られた、もっと中国の現実を見て
厳しく対処すべきだという主張を同誌で展開している。

米国が全体として中国に厳しい目を向け始めたということだ。米中間経済
交流は余りに大規模なために、対中政策の基本を変えるのは容易ではない
が、変化は明らかに起きている。

5月27日には、米駆逐艦と巡洋艦が、中国とベトナムが領有権を争ってい
る南シナ海パラセル諸島の12海里内の海域で「航行の自由」作戦を実施し
た。同海域で、中国海軍と新たに武装警察部隊に編入された「海警」が初
めて合同パトロールを実施したことへの対抗措置だろう。

それに先立つ23日、米国防総省は環太平洋合同軍事演習(リムパック)へ
の中国軍の招待を取り消した。18日に中国空軍が同諸島のウッディー島
で、複数の爆撃機による南シナ海で初めての離着陸訓練を行ったことへの
対抗措置か。

中国の台湾への圧力を前に、トランプ政権は3月16日、台湾旅行法を成立
させ、米台政府高官の交流を可能にした。トランプ政権の対中認識は厳し
さを増しているのである。

シンガポールで、中国はいかなる手を用いてでも北朝鮮を支えることで、
朝鮮半島の支配権を握ろうとするだろう。それをトランプ氏はもはや許さ
ないのではないか。許さないように、最後の瞬間まで、トランプ氏に助言
するのが安倍首相の役割だ。
『週刊新潮』 2018年6月7日号 日本ルネッサンス 第805回

2018年06月10日

◆お家騒動の真っ只中にある文藝春秋

櫻井よしこ


「お家騒動の真っ只中にある文藝春秋 論壇の中心を形成する日はくるだ
ろうか」

月刊「文藝春秋」は「中央公論」と共に輝くような雑誌だった。物書きを
目指す者たちが、その両方に毎月でも記事を書きたい、書かせてもらえる
力量を身につけたいと願っていたはずだ。

私はいま、物書きの端くれに連なっているが、私の物書き人生は文藝春秋
から始まっている。初めて記事を載せてもらったのは34年前の1984年だっ
た。「微生物蛋白について」という記事である。それ以前、私は英語で海
外新聞用に記事を書いていたため、微生物蛋白の報告は日本語で書く最初
の大型記事だった。

微生物蛋白は元々、日本の技術で生まれ、海外で家畜の飼料として本格的
に生産されていた。だが、日本では「石油蛋白」として報道されたため
に、印象も評判も悪く、各方面で集中砲火を浴び製品化には至らなかった。

なぜ、この記事を書いたのかといえば、当時私は米ボストンを本拠地とす
る月刊新聞の仕事をしており、その編集会議がルーマニアで開かれた。
チャウシェスク専制政治の下にある社会主義国に初めて行くのであれば、
何かこの国について記事を書こうと考え調査したら、日本と社会主義国間
の合弁事業の第一号がルーマニアにあった。それがこの微生物蛋白だった
のだ。

結論からいえば、先述のように日本発の技術はルーマニアでは活かされて
いたが、日本では潰された。潰したのは、「朝日新聞」だった。松井やよ
り氏の記事を発端として、反微生物蛋白のキャンペーンが展開されたのだ。

私は日本での取材に加えてルーマニアの現地取材を行い、当時シンガポー
ルの特派員になっていた松井氏にも電話で話を聞いた。幅広く網をかけ、
読み込んだ資料は大きな山となっていた。

それらを基に私は80枚の原稿を書いた。文藝春秋の当時の編集長は岡崎満
義氏だ。彼は原稿をバッサバサと切り60枚に縮めた。赤の入った原稿を、
私はまじまじと読んだものだ。あの詳細もこの描写も切られている。この
情報はとても苦労して確認したのに、跡形もなく消されている……。

しかし、ゲラになった文章を読んで深く反省した。スラスラと読める。読
み易くなっている。全体の4分の1が削除されたが、言いたいことは見事に
全部入っている。私の文章が下手だっただけのことなのだ。

大いに反省した後、題について納得できない言葉があった。「朝日新聞が
抹殺した“微生物蛋白”」という題の、「抹殺」は強すぎると言って、私は
抗議した。

だが、編集長は「その言葉がこの記事の本質なんだ」と言って譲らない。
私は編集長を説得できずに引き下がったのである。

その後、堤堯氏など名編集長と呼ばれた多くの編集者に多くのことを教え
てもらって、私は今日に至る。文藝春秋という媒体と、そこで知り合った
編集者諸氏はいわば本当の友人だ。

その文藝春秋がお家騒動の真っ只中だ。現社長は松井清人氏で、6月に退
任するらしい。松井氏が後任に選んだ社長はじめ役員に対して、文藝春秋
の幹部たちが異を唱えている。

人間関係の詳細については、私より詳しい人に任せたい。ただ松井氏に対
する批判が社内にあるのは当然だと思う。松井氏の下で文藝春秋はかつて
の大らかな総合雑誌であることをやめ、イデオロギー色の強いつまらない
雑誌になってしまったからだ。

このところどの号を見ても反安倍政権を謳う記事ばかりだ。安倍晋三氏を
「極右の塊」と呼んで「打倒安倍政権」を目指すと、会合でのスピーチで
語ったのも松井氏だ。文藝春秋が左右の論客を大らかに抱えて日本の論壇
の中心を形成する日はくるのだろうか。6月末に文藝春秋の株主総会が開
かれる。そのとき彼らは新しい出発点に立てるのだろうか。
『週刊ダイヤモンド』 2018年6月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1234 


2018年06月09日

◆北をめぐる米中の闘いが激化

櫻井よしこ


6月12日の米朝首脳会談はどうやら開催されそうだ。劇的な展開の中で、
はっきりしなかった展望が、少し明確になってきた。米国が圧倒的優位に
立って会談に臨み、拉致問題解決の可能性にも、安倍晋三首相と日本が一
歩近づくという見込みだ。

5月24日夜、トランプ大統領は6月の米朝会談中止を宣言した書簡を発表
し、朝鮮労働党委員長、金正恩氏の鼻っ柱を叩き潰した。9日にポンペオ
国務長官が3人の米国人を連れ戻してから2週間余り、トランプ氏の考えは
どう変化したのか。

まず、5月16日、北朝鮮の第一外務次官・金桂寛氏が、ボルトン国家安全
保障問題担当大統領補佐官を個人攻撃し、米国が一方的に核放棄を要求す
れば「会談に応じるか再考せざるを得ない」と警告した。

1週間後の23日、今度は桂寛氏の部下の崔善姫外務次官がペンス米副大統
領を「政治的に愚鈍」だと侮蔑し、「米国が我々と会談場で会うか、核対
核の対決場で会うか、米国の決心と行動次第だ」と語った。

トランプ氏は23日夜に暴言を知らされた後就寝し、翌朝、ペンス、ポンペ
オ、ボルトン各氏を集めて協議し、大統領書簡を作成したそうだ。

内容は首脳会談中止と、核戦力における米国の圧倒的優位性について述べ
て、「それを使用する必要のないことを神に祈る」とする究極の恫喝だっ
た。24時間も待たずに正恩氏が音を上げたのは周知のとおりだ。

首脳会談が開催されるとして、結果は2つに絞られた。➀北朝鮮が完全に核
を放棄する、➁会談が決裂する、である。これまでは第三の可能性もあっ
た。それは米本土に届くICBMの破棄で双方が合意し、北朝鮮は核や
中・短距離ミサイルなどについてはさまざまな口実で時間稼ぎをする、そ
れを中韓両国が支援し、米国は決定的な打開策を勝ち取れず、年来のグズ
グズ状態が続くという、最悪の結果である。

不満だらけの発言

今回、第三の可能性はなくなったと見てよいだろう。米国は過去の失敗に
学んで、北朝鮮の自分勝手な言動を許さず、中国への警戒心も強めた。ト
ランプ氏は22日の米韓首脳会談で語っている。

「北朝鮮の非核化は極めて短期間に一気に実施するのがよい」「もしでき
なければ、会談はない」

トランプ氏は米国の要求を明確にし、会談延期の可能性にも言及しなが
ら、正恩氏と会うのは無条件ではないと明確に語ったわけだ。

中国関連の発言は次のとおりだ。

・「貿易問題を巡る中国との交渉においては、中国が北朝鮮問題でどう助
けてくれるかを考えている」

・「大手通信機器メーカー中興通訊(ZTE)への制裁緩和は習(近平)
主席から頼まれたから検討している」

・「金正恩氏は習氏との2度目の会談後、態度が変わった。気に入らな
い。気に入らない。気に入らない」
 トランプ氏は3度繰り返して強い嫌悪感を表現している。

・「正恩氏が中国にいると、突然報道されて知った。驚きだった」

・「習主席は世界一流のポーカー・プレーヤーだ」

北朝鮮問題での中国の協力ゆえに貿易問題で配慮しているにも拘わらず、
正恩氏再訪中について自分には通知がなく、米国が求める短期間の完全核
廃棄に関して、習氏は北朝鮮同様、段階的廃棄を主張しているという、不
満だらけの発言だ。

この時までに、トランプ氏は自分と習氏の考えが全く異なることを実感し
始めていたであろう。中国は国連の制裁決議違反とも思える実質的な対北
朝鮮経済援助を再開済みだ。中朝国境を物資満載のトラックが往き交い、
北朝鮮労働者は通常ビザで中国の労働生産現場に戻っている。

こんな中国ペースの首脳会談はやりたくない、だが、米国の対中貿易赤字
を1年間で約10兆円減らすと中国は言っている。2年目にはもう10兆円減ら
すとも言っている。どうすべきか。こうした計算をしていたところに、善
姫氏によるペンス副大統領への攻撃があり、トランプ氏はこれを利用した
のではないか。

いま、米国では民主、共和両勢力において対中警戒心が高まっている。米
外交に詳しい国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏が指摘した。

「米国の中国問題専門家、エリザベス・エコノミー氏が『中国の新革命』
と題して、フォーリン・アフェアーズ誌に書いています。習氏の中国を、
『自由主義的な世界秩序の中でリーダーシップを手にしようとしている非
自由主義国家である』と的確に分析し、国際秩序の恩恵を大いに受けなが
ら、その秩序を中国式に変え、自由主義、民主主義を押し潰そうとしてい
ると警告しています」

中国に厳しい目

エコノミー氏は、習氏の強権体制の下、あらゆる分野で共産党支配の苛烈
かつ非合法な、搾取、弾圧が進行中で、米国は中国との価値観の闘いの
真っ只中にあると強調する。

米国は本来の価値観を掲げ、同じ価値観を共有する日豪印、東南アジア諸
国、その他の発展途上国にそれを広げよと促している。
「もう一つ注目すべきことは、米国のリベラル派の筆頭であるカート・
キャンベル氏のような人物でさえも中国批判に転じたことです。彼はオバ
マ政権の、東アジア・太平洋担当の国務次官補で、非常に中国寄りの政策
を推進した人物です」

キャンベル氏は、これまで米政府は中国が米国のような開かれた国になる
と期待して助力してきたが、期待は裏切られた、もっと中国の現実を見て
厳しく対処すべきだという主張を同誌で展開している。

米国が全体として中国に厳しい目を向け始めたということだ。米中間経済
交流は余りに大規模なために、対中政策の基本を変えるのは容易ではない
が、変化は明らかに起きている。

5月27日には、米駆逐艦と巡洋艦が、中国とベトナムが領有権を争ってい
る南シナ海パラセル諸島の12海里内の海域で「航行の自由」作戦を実施し
た。同海域で、中国海軍と新たに武装警察部隊に編入された「海警」が初
めて合同パトロールを実施したことへの対抗措置だろう。

それに先立つ23日、米国防総省は環太平洋合同軍事演習(リムパック)へ
の中国軍の招待を取り消した。18日に中国空軍が同諸島のウッディー島
で、複数の爆撃機による南シナ海で初めての離着陸訓練を行ったことへの
対抗措置か。

中国の台湾への圧力を前に、トランプ政権は3月16日、台湾旅行法を成立
させ、米台政府高官の交流を可能にした。トランプ政権の対中認識は厳し
さを増しているのである。

シンガポールで、中国はいかなる手を用いてでも北朝鮮を支えることで、
朝鮮半島の支配権を握ろうとするだろう。それをトランプ氏はもはや許さ
ないのではないか。許さないように、最後の瞬間まで、トランプ氏に助言
するのが安倍首相の役割だ。
『週刊新潮』 2018年6月7日号 日本ルネッサンス 第805回