2020年06月14日

◆中国の豪州侵略は、日本への警告だ

櫻井よしこ


豪州は危ういところで踏みとどまった。殆どの人々が気づかない内に中国に国を乗っ取られるところだった。すでに手遅れの分野はあるものの、中国の侵略は「まだ止めることはできる」。オーストラリア人たちが祖国を守る手立てを講じることは、まだ可能である。

中国の魔の手を払いのけるのは容易ではないが、希望は豪州政府、そして一部とはいえ議会が、祖国が長年にわたるあらゆる分野への中国の侵略工作に蝕まれていたと、ようやく気づいたことだ。

中国は如何にして豪州を意のままに動かし得る体制を築き始めていたのか、その実態を詳述したのが『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』(クライブ・ハミルトン著、山岡鉄秀監訳・奥山真司訳、飛鳥新社)である。

著者のハミルトン氏は豪州キャンベラのチャールズ・スタート大学公共倫理学部の教授である。2008年、北京五輪の年、豪州における中国勢力の浸透に不審を抱いた。

聖火が到着したキャンベラに何万人もの中国系学生が集まり、一般のオーストラリア人が中国人たちから蹴られ、殴られた。

自分の国で外国人学生の乱暴狼藉をなぜ受けなければならないのか。そもそも万単位の中国人学生たちは如何にして突如キャンベラに集結したのか。この疑問が氏の中国研究の始まりだった。

氏の体験は、同じ年、長野市に中国人学生が集結しチベット人や日本人に暴力を振るった事件とほぼ完全に重なるではないか。

監訳者の山岡氏はかつてシドニー郊外のストラスフィールド市の公有地に慰安婦像が設置されようとしたとき、そこに住んでいる日本人のお母さん方と協力し、現地の豪州人も交えて話し合い、像設置を止めた体験を持つ。中国の侵略工作の現実を識る2人の研究者の手を経て日本の読者に届けられたのが本書である。

本書は紛れもなく日本に対する警告の書だ。豪州の人々は中国の侵略の意図など夢にも気づかず国を開きすぎたとハミルトン氏は書いている。私は日本が同じ道を進もうとしていると深刻な危機感を抱いている。

電力は産業のコメ

北京の大戦略は米国の同盟国を米国から分離させ、米国の力を殺(そ)ぎ落とし、中華の世界を築き上げることだ。

『目に見えぬ侵略』は、北京が豪州とニュージーランド(NZ)を米国の同盟国の中の「最弱の鎖」と見ていること、この両国を第二のフランス、つまり「米国にノーと言う国」に仕立て上げたいと考えていること、その為に両国の国全体、社会全体をコントロールし易いように親中的に変えていく政策を、中国政府が採用したことをつきとめている。

これは中国お定まりの手法だ。1998年に江沢民国家主席(当時)が国賓として訪日した。それに先立って中国共産党がまとめた対日政策の中に似た記述がある。

日本を支配するには日本人が自ら中国に尽くすように日本人の価値観を変えていくことが重要で、その為に未来永劫歴史問題を活用するのが最上の手段だなどと書かれている。

豪州全体を親中色に染め上げるべく、北京政府は2000年に試験的に華僑の活用を開始し、11年に完全に制度として確立したとハミルトン氏は断じている。世界に散らばる華僑は2300万人規模、豪州総人口2500万人の内100万人以上が中国系市民で、彼らも北京政府の標的に含まれているという。

華僑を大勢力としてまとめる司令塔が僑務弁公室だった。同室は豊かな中国人ビジネスマンの政治献金、選挙時における中国系市民の組織票の動員、中国系候補者当選への支援、政府高官の取り込み、中国を利する政策決定の誘導等、幅広く活動する。

ハミルトン氏は、われわれは「中国共産党は支配のための、考え抜かれた長期的戦略」に従って動いていることを忘れてはならないと強調する。中国は豪州人の精神を親中国に変えることに加えて、豪州に対する有無を言わさぬ支配権を握るべく工作してきた。そのひとつがインフラの買収だ。

数ある事例のひとつが電力である。ビクトリア州の電力供給会社5社と南オーストラリア州唯一の送電会社はすでに、中国国営企業の国家電網公司と香港を拠点とする長江基建集団の所有となった。豪州西部州の三大電力販売会社のひとつ、エナジーオーストラリアは300万人の顧客を持つ大企業だが、これも香港に拠点を持ち北京と深い関係にある「中電集団」に買い取られた。豪州最大級のエネルギーインフラ企業、アリンタ・エナジーも香港の大富豪、周大福に40億豪ドルで売却された。

電力は産業のコメだ。安定した供給なしにはその国の産業は成り立たない。豪州政府が中国の意向に逆らうような政策を打ち出す場合、北京政府は中国系資本所有の電力会社の供給を止めることで豪州を締め上げることができる。

特別に甘い言葉

ハミルトン氏は警告する。豪州の配電網は電信サービス網と融合しているため、前者の所有者は豪州全国民全組織のインターネットと電話のメッセージ機能すべてにアクセス可能になる。豪州政府の情報すべてを中国は文字どおり、手にとって見ることが可能なのだ。豪州は政府ごと丸裸にされているということだ。

中国はさらに攻勢を強め首都キャンベラや、シドニーを擁するニューサウスウェールズ州の電力インフラ、オースグリッドを99年間租借しようとした。豪州連邦政府が危うくこれを阻止したのが16年8月だった。

だが、豪州内の親中勢力は右の政府決定に徹底的に反撃した。そして奇妙なことが起きた。17年4月に対中警戒レベルを上げていたはずの外国投資監査委員会が突如軟化し、巨大インフラ運用会社「デュエット社」を長江基建を主軸とする中国のコンソーシアムに74.8億豪ドルで売却することを許可したのである。

豪州の国運をかけての戦いは一進一退だ。現在、北京はモリソン豪首相が新型コロナウイルスの発生源に関する独立調査を求めたのに対して豪州産農産物の輸入規制で報復中だ。輸出の3割を中国に依存する豪州には大きな痛手だが、首相支持率は66%、2倍にはね上がった。業を煮やした北京政府が特別に甘い言葉をかけ始めたのが日本である。

 中国共産党機関紙の環球時報が5月26日、「日本は豪州に非ず」という社説を配信した。日本は豪州とは異なる、米国側につかず、中国側に来いとして、次のようにも書いた。

「米中摩擦の中で日本が正義の側(中国側)でなく、同盟国側につくなら、日米同盟を当然の(安全)策として活用することはできない」

米国側につけばただでは措かないという恫喝だ。日豪はいま中国の攻勢の真っ只中にある。共に力を合わせて中国共産党の侵略から国と国民、経済を守り通さなければならない。

『週刊新潮』 2020年6月11日号
日本ルネッサンス 第904回

2020年06月12日

◆賭け麻雀報道の裏に反安倍の執念

                       櫻井よしこ


安倍晋三首相は5月25日、官邸で、「日本ならではのやり方で、わずか一カ月半で(新型コロナウイルスの)流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と語り、東京など5都道県への緊急事態宣言を解除した。4月7日発出の宣言はこれで全面解除になった。

振りかえれば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員約3700人、感染者約700人に医療を提供し、中国由来の日本国内の感染も、帰国者を含む欧州経由の感染もほぼ収束させ、結果を出した。

米外交誌「フォーリン・ポリシー(FP)」は5月14日時点で死者数は人口100万人で日本が5人、米国が258人、欧州での成功例のドイツでさえ94人と試算した。日本の死者は桁違いに少ない。この歴然たる結果に、当初日本に批判的だった彼らが電子版で書いた。

「死亡率は世界最低水準で、医療崩壊も起こさずに感染者数は減少している。不可解だが全てが正しい方向に進んでいるように見える」

FPだけでなく世界が賞賛する安倍政権の取り組みに対して、奇妙なことに、日本のメディアだけが厳しい批判を続ける。とりわけ「文春」と「朝日」は恰(あたか)も歩調を合わせたかのように突出した安倍批判に徹している。東京高検前検事長、黒川弘務氏に関する例はそのひとつであろう。

黒川氏は5月28日付けの「週刊文春」のスクープ報道を受けて辞任した。検事長ともあろう者が武漢ウイルスで国民も政府も一所懸命に自粛している最中、しかも黒川氏自身の人事問題が取り沙汰されている最中に、深夜に至る賭け麻雀に興じていたのは言語道断、辞任は当然だ。

相手を務めた産経新聞記者二人、朝日新聞の元検察担当記者で朝日新聞社の中枢部である経営企画室に所属する人物も同様だ。朝日、産経両社が謝罪したのは当然だろう。

取材源の秘匿は鉄則

朝日新聞の調査では黒川氏は4月〜5月に4回、記者らと賭け麻雀をしており、法務省調査ではこの3年程は月に1~2回だったという。そこで疑問だ。黒川氏は産経、朝日とだけ賭け麻雀をしたのか。そうではないだろう。

法務省は前二社以外のどの社が関わっていたのかもはっきりさせるべきだ。文春も当然追跡取材をすべきだろう。さらなる取材で浮かび上がってくるのは、恐らく殆どの社の記者が黒川氏につき合っていたということではないか。

そこで文春のスクープを読んで、感心する前に違和感を覚えた点がある。取材源についてである。文春は賭け麻雀情報をもたらしたのが「産経新聞関係者」だとし、取材源を明かした。

記事では見出しにも前文にも産経記者の存在が記されている。産経にとっては大打撃だ。そこに、同じ社の人間が自社の記者をいわば「売った」構図が本文で浮上する。産経は信用できない新聞だという拒否感を読者が抱いても仕方がない。そのような構成で、文春はスクープを書いた。

ジャーナリズムでは取材源の秘匿は鉄則だ。それだけに文春がこのような形で取材源を明かしたことに疑問を抱くのは自然なことだ。この点は次の疑問につながる。

前述のように文春は見出しにも新聞広告にも産経記者の関与を明記した。文中では二人についてかなり長く書き込んだ。だが、朝日の元記者の扱いは非常に小さく、見出しにも新聞広告にも「朝日」は出てこない。

朝日が登場するのは6頁立ての特集記事のようやく5頁目に入ったところ、かなり後半になってからで、同人物についての記述は13行だ。

で、考えた。東京高検検事長の賭け麻雀の相手として、朝日と産経と、どちらの衝撃がより大きいか。産経には申し訳ないが、断然朝日だろう。私が編集長なら間違いなく「産経と検事長!」ではなく、「朝日と検事長!」を見出しに取る。なぜ、文春は朝日を殊更目立たせない構成にしたのだろうか。

元産経新聞政治部長の石橋文登氏が5月22日、インターネット配信の「言論テレビ」で核心を突くコメントをした。

「週刊文春が黒川氏賭け麻雀のスクープで描こうとしたのは、恐らく、安倍総理と近い黒川検事長は、同じく安倍に近い産経の記者と、こんなにベタベタに親しいというキャンペーンをやりたかったのではないか」

文春の狙いは安倍・黒川・産経の密な関係を描き出すことだったと考えられるのではないか。「文春」のあざとさは記事中の黒川氏についての次のくだりにも表れている。

「『何が何でも黒川氏を検事総長にしたい安倍官邸が、東京高検検事長の座に留め置くために異例の定年延長をした』(司法記者)ともっぱら解説されてきた人物である」

この「解説」を読むと問いたくなる。「もっぱら誰が解説してきたのか」と。匿名の司法記者の断定調の証言の根拠は何か、と。

「心より感謝」の意味

私は文春が黒川氏に直接賭け麻雀について質した5月17日の2日前、即ち15日金曜日に、「言論テレビ」で安倍首相に黒川氏の件について問うた。

安倍首相は、黒川氏と二人だけで会ったことはないこと、黒川氏に関する人事案は、検察庁・法務省の総意として承認を求めてきたものを、長年の慣習を尊重し内閣が承認したことなどを語った。

「安倍官邸」の主である安倍首相自身が黒川氏とは殆ど個人的なつながりがないのである。その人物を「何が何でも検事総長にしたい」と首相が思うとは思えない。当初、「安倍首相が」と書いてきたメディアも「安倍官邸」とぼかし始めた。

それでも「安倍官邸」が圧力をかけたと論難するのなら、官邸の誰が、どのような理由で、いつ、どのようにして「何が何でも」と言われるようなゴリ押しをしたのかを、文春、匿名の司法記者、さらには一連の報道に熱心な朝日は、特定してみせるべきだ。

冒頭で触れたように25日、安倍首相は「日本モデル」で武漢ウイルスの収束に至ったとして、「全ての国民の皆様の御協力、ここまで根気よく辛抱して下さった皆様に、心より感謝申し上げます」と語った。

緊急事態宣言発出の前、首相は西村康稔新型コロナ対策担当大臣らと強制力もなく接触機会8割減を要請できるのかを議論している。そのとき「日本人は必ずできるから、頼もう」と言ったのが安倍首相だった。

自粛した国民、命がけで働いた医療関係者、営業自粛の苦しさに耐えた全業種の人々、その全ての人々に「頼んで」収束を達成できた。首相の全国民への「心より感謝」の意味はその点にある。これこそ首相の言う「日本モデル」だ。「安倍憎し」の感情で日本モデルの根本を成す政府と国民の信頼、協力の貴さを評価しないとしたら、それこそ日本国にとって大きな損失ではないか。

『週刊新潮』 2020年6月4日号
日本ルネッサンス 第903回

2020年06月10日

◆賭け麻雀報道の裏に反安倍の執念

櫻井よしこ

 
安倍晋三首相は5月25日、官邸で、「日本ならではのやり方で、わずか一カ月半で(新型コロナウイルスの)流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と語り、東京など5都道県への緊急事態宣言を解除した。4月7日発出の宣言はこれで全面解除になった。

振りかえれば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員約3700人、感染者約700人に医療を提供し、中国由来の日本国内の感染も、帰国者を含む欧州経由の感染もほぼ収束させ、結果を出した。

米外交誌「フォーリン・ポリシー(FP)」は5月14日時点で死者数は人口100万人で日本が5人、米国が258人、欧州での成功例のドイツでさえ94人と試算した。日本の死者は桁違いに少ない。この歴然たる結果に、当初日本に批判的だった彼らが電子版で書いた。

「死亡率は世界最低水準で、医療崩壊も起こさずに感染者数は減少している。不可解だが全てが正しい方向に進んでいるように見える」

FPだけでなく世界が賞賛する安倍政権の取り組みに対して、奇妙なことに、日本のメディアだけが厳しい批判を続ける。とりわけ「文春」と「朝日」は恰(あたか)も歩調を合わせたかのように突出した安倍批判に徹している。東京高検前検事長、黒川弘務氏に関する例はそのひとつであろう。

黒川氏は5月28日付けの「週刊文春」のスクープ報道を受けて辞任した。検事長ともあろう者が武漢ウイルスで国民も政府も一所懸命に自粛している最中、しかも黒川氏自身の人事問題が取り沙汰されている最中に、深夜に至る賭け麻雀に興じていたのは言語道断、辞任は当然だ。

相手を務めた産経新聞記者2人、朝日新聞の元検察担当記者で朝日新聞社の中枢部である経営企画室に所属する人物も同様だ。朝日、産経両社が謝罪したのは当然だろう。

取材源の秘匿は鉄則

朝日新聞の調査では黒川氏は4月〜5月に4回、記者らと賭け麻雀をしており、法務省調査ではこの3年程は月に1~2回だったという。そこで疑問だ。黒川氏は産経、朝日とだけ賭け麻雀をしたのか。そうではないだろう。

法務省は前二社以外のどの社が関わっていたのかもはっきりさせるべきだ。文春も当然追跡取材をすべきだろう。さらなる取材で浮かび上がってくるのは、恐らく殆どの社の記者が黒川氏につき合っていたということではないか。

そこで文春のスクープを読んで、感心する前に違和感を覚えた点がある。取材源についてである。文春は賭け麻雀情報をもたらしたのが「産経新聞関係者」だとし、取材源を明かした。記事では見出しにも前文にも産経記者の存在が記されている。産経にとっては大打撃だ。そこに、同じ社の人間が自社の記者をいわば「売った」構図が本文で浮上する。産経は信用できない新聞だという拒否感を読者が抱いても仕方がない。そのような構成で、文春はスクープを書いた。

ジャーナリズムでは取材源の秘匿は鉄則だ。それだけに文春がこのような形で取材源を明かしたことに疑問を抱くのは自然なことだ。この点は次の疑問につながる。前述のように文春は見出しにも新聞広告にも産経記者の関与を明記した。文中では二人についてかなり長く書き込んだ。だが、朝日の元記者の扱いは非常に小さく、見出しにも新聞広告にも「朝日」は出てこない。朝日が登場するのは6頁立ての特集記事のようやく5頁目に入ったところ、かなり後半になってからで、同人物についての記述は13行だ。

で、考えた。東京高検検事長の賭け麻雀の相手として、朝日と産経と、どちらの衝撃がより大きいか。産経には申し訳ないが、断然朝日だろう。私が編集長なら間違いなく「産経と検事長!」ではなく、「朝日と検事長!」を見出しに取る。なぜ、文春は朝日を殊更目立たせない構成にしたのだろうか。

元産経新聞政治部長の石橋文登氏が5月22日、インターネット配信の「言論テレビ」で核心を突くコメントをした。

「週刊文春が黒川氏賭け麻雀のスクープで描こうとしたのは、恐らく、安倍総理と近い黒川検事長は、同じく安倍に近い産経の記者と、こんなにベタベタに親しいというキャンペーンをやりたかったのではないか」

文春の狙いは安倍・黒川・産経の密な関係を描き出すことだったと考えられるのではないか。「文春」のあざとさは記事中の黒川氏についての次のくだりにも表れている。

「『何が何でも黒川氏を検事総長にしたい安倍官邸が、東京高検検事長の座に留め置くために異例の定年延長をした』(司法記者)ともっぱら解説されてきた人物である」

この「解説」を読むと問いたくなる。「もっぱら誰が解説してきたのか」と。匿名の司法記者の断定調の証言の根拠は何か、と。

「心より感謝」の意味

私は文春が黒川氏に直接賭け麻雀について質した5月17日の2日前、即ち15日金曜日に、「言論テレビ」で安倍首相に黒川氏の件について問うた。

安倍首相は、黒川氏と二人だけで会ったことはないこと、黒川氏に関する人事案は、検察庁・法務省の総意として承認を求めてきたものを、長年の慣習を尊重し内閣が承認したことなどを語った。

「安倍官邸」の主である安倍首相自身が黒川氏とは殆ど個人的なつながりがないのである。その人物を「何が何でも検事総長にしたい」と首相が思うとは思えない。当初、「安倍首相が」と書いてきたメディアも「安倍官邸」とぼかし始めた。

それでも「安倍官邸」が圧力をかけたと論難するのなら、官邸の誰が、どのような理由で、いつ、どのようにして「何が何でも」と言われるようなゴリ押しをしたのかを、文春、匿名の司法記者、さらには一連の報道に熱心な朝日は、特定してみせるべきだ。

冒頭で触れたように25日、安倍首相は「日本モデル」で武漢ウイルスの収束に至ったとして、「全ての国民の皆様の御協力、ここまで根気よく辛抱して下さった皆様に、心より感謝申し上げます」と語った。

緊急事態宣言発出の前、首相は西村康稔新型コロナ対策担当大臣らと強制力もなく接触機会8割減を要請できるのかを議論している。そのとき「日本人は必ずできるから、頼もう」と言ったのが安倍首相だった。

自粛した国民、命がけで働いた医療関係者、営業自粛の苦しさに耐えた全業種の人々、その全ての人々に「頼んで」収束を達成できた。首相の全国民への「心より感謝」の意味はその点にある。これこそ首相の言う「日本モデル」だ。「安倍憎し」の感情で日本モデルの根本を成す政府と国民の信頼、協力の貴さを評価しないとしたら、それこそ日本国にとって大きな損失ではないか。

『週刊新潮』 2020年6月4日号
日本ルネッサンス 第903回

2020年06月06日

◆賭け麻雀報道の裏に反安倍の執念

櫻井よしこ


安倍晋三首相は5月25日、官邸で、「日本ならではのやり方で、わずか一カ月半で(新型コロナウイルスの)流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と語り、東京など5都道県への緊急事態宣言を解除した。4月7日発出の宣言はこれで全面解除になった。

振りかえれば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員約3700人、感染者約700人に医療を提供し、中国由来の日本国内の感染も、帰国者を含む欧州経由の感染もほぼ収束させ、結果を出した。

米外交誌「フォーリン・ポリシー(FP)」は5月14日時点で死者数は人口100万人で日本が5人、米国が258人、欧州での成功例のドイツでさえ94人と試算した。日本の死者は桁違いに少ない。この歴然たる結果に、当初日本に批判的だった彼らが電子版で書いた。

「死亡率は世界最低水準で、医療崩壊も起こさずに感染者数は減少している。不可解だが全てが正しい方向に進んでいるように見える」

FPだけでなく世界が賞賛する安倍政権の取り組みに対して、奇妙なことに、日本のメディアだけが厳しい批判を続ける。とりわけ「文春」と「朝日」は恰(あたか)も歩調を合わせたかのように突出した安倍批判に徹している。東京高検前検事長、黒川弘務氏に関する例はそのひとつであろう。

黒川氏は5月28日付けの「週刊文春」のスクープ報道を受けて辞任した。検事長ともあろう者が武漢ウイルスで国民も政府も一所懸命に自粛している最中、しかも黒川氏自身の人事問題が取り沙汰されている最中に、深夜に至る賭け麻雀に興じていたのは言語道断、辞任は当然だ。

相手を務めた産経新聞記者二人、朝日新聞の元検察担当記者で朝日新聞社の中枢部である経営企画室に所属する人物も同様だ。朝日、産経両社が謝罪したのは当然だろう。

取材源の秘匿は鉄則

朝日新聞の調査では黒川氏は4月〜5月に4回、記者らと賭け麻雀をしており、法務省調査ではこの3年程は月に1~2回だったという。そこで疑問だ。黒川氏は産経、朝日とだけ賭け麻雀をしたのか。そうではないだろう。法務省は前二社以外のどの社が関わっていたのかもはっきりさせるべきだ。文春も当然追跡取材をすべきだろう。さらなる取材で浮かび上がってくるのは、恐らく殆どの社の記者が黒川氏につき合っていたということではないか。

そこで文春のスクープを読んで、感心する前に違和感を覚えた点がある。取材源についてである。文春は賭け麻雀情報をもたらしたのが「産経新聞関係者」だとし、取材源を明かした。記事では見出しにも前文にも産経記者の存在が記されている。産経にとっては大打撃だ。

そこに、同じ社の人間が自社の記者をいわば「売った」構図が本文で浮上する。産経は信用できない新聞だという拒否感を読者が抱いても仕方がない。そのような構成で、文春はスクープを書いた。

ジャーナリズムでは取材源の秘匿は鉄則だ。それだけに文春がこのような形で取材源を明かしたことに疑問を抱くのは自然なことだ。この点は次の疑問につながる。

前述のように文春は見出しにも新聞広告にも産経記者の関与を明記した。文中では二人についてかなり長く書き込んだ。だが、朝日の元記者の扱いは非常に小さく、見出しにも新聞広告にも「朝日」は出てこない。朝日が登場するのは6頁立ての特集記事のようやく5頁目に入ったところ、かなり後半になってからで、同人物についての記述は13行だ。

で、考えた。東京高検検事長の賭け麻雀の相手として、朝日と産経と、どちらの衝撃がより大きいか。産経には申し訳ないが、断然朝日だろう。私が編集長なら間違いなく「産経と検事長!」ではなく、「朝日と検事長!」を見出しに取る。なぜ、文春は朝日を殊更目立たせない構成にしたのだろうか。

元産経新聞政治部長の石橋文登氏が5月22日、インターネット配信の「言論テレビ」で核心を突くコメントをした。

「週刊文春が黒川氏賭け麻雀のスクープで描こうとしたのは、恐らく、安倍総理と近い黒川検事長は、同じく安倍に近い産経の記者と、こんなにベタベタに親しいというキャンペーンをやりたかったのではないか」

文春の狙いは安倍・黒川・産経の密な関係を描き出すことだったと考えられるのではないか。「文春」のあざとさは記事中の黒川氏についての次のくだりにも表れている。

「『何が何でも黒川氏を検事総長にしたい安倍官邸が、東京高検検事長の座に留め置くために異例の定年延長をした』(司法記者)ともっぱら解説されてきた人物である」

この「解説」を読むと問いたくなる。「もっぱら誰が解説してきたのか」と。匿名の司法記者の断定調の証言の根拠は何か、と。

「心より感謝」の意味

私は文春が黒川氏に直接賭け麻雀について質した5月17日の2日前、即ち15日金曜日に、「言論テレビ」で安倍首相に黒川氏の件について問うた。

安倍首相は、黒川氏と二人だけで会ったことはないこと、黒川氏に関する人事案は、検察庁・法務省の総意として承認を求めてきたものを、長年の慣習を尊重し内閣が承認したことなどを語った。

「安倍官邸」の主である安倍首相自身が黒川氏とは殆ど個人的なつながりがないのである。その人物を「何が何でも検事総長にしたい」と首相が思うとは思えない。当初、「安倍首相が」と書いてきたメディアも「安倍官邸」とぼかし始めた。

それでも「安倍官邸」が圧力をかけたと論難するのなら、官邸の誰が、どのような理由で、いつ、どのようにして「何が何でも」と言われるようなゴリ押しをしたのかを、文春、匿名の司法記者、さらには一連の報道に熱心な朝日は、特定してみせるべきだ。

冒頭で触れたように25日、安倍首相は「日本モデル」で武漢ウイルスの収束に至ったとして、「全ての国民の皆様の御協力、ここまで根気よく辛抱して下さった皆様に、心より感謝申し上げます」と語った。

緊急事態宣言発出の前、首相は西村康稔新型コロナ対策担当大臣らと強制力もなく接触機会8割減を要請できるのかを議論している。そのとき「日本人は必ずできるから、頼もう」と言ったのが安倍首相だった。

自粛した国民、命がけで働いた医療関係者、営業自粛の苦しさに耐えた全業種の人々、その全ての人々に「頼んで」収束を達成できた。首相の全国民への「心より感謝」の意味はその点にある。これこそ首相の言う「日本モデル」だ。「安倍憎し」の感情で日本モデルの根本を成す政府と国民の信頼、協力の貴さを評価しないとしたら、それこそ日本国にとって大きな損失ではないか。

『週刊新潮』 2020年6月4日号
日本ルネッサンス 第903回

2020年06月05日

◆賭け麻雀報道の裏に反安倍の執念

櫻井よしこ


安倍晋三首相は5月25日、官邸で、「日本ならではのやり方で、わずか一カ月半で(新型コロナウイルスの)流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と語り、東京など5都道県への緊急事態宣言を解除した。4月7日発出の宣言はこれで全面解除になった。

振りかえれば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員約3700人、感染者約700人に医療を提供し、中国由来の日本国内の感染も、帰国者を含む欧州経由の感染もほぼ収束させ、結果を出した。

米外交誌「フォーリン・ポリシー(FP)」は5月14日時点で死者数は人口100万人で日本が5人、米国が258人、欧州での成功例のドイツでさえ94人と試算した。日本の死者は桁違いに少ない。この歴然たる結果に、当初日本に批判的だった彼らが電子版で書いた。

「死亡率は世界最低水準で、医療崩壊も起こさずに感染者数は減少している。不可解だが全てが正しい方向に進んでいるように見える」

FPだけでなく世界が賞賛する安倍政権の取り組みに対して、奇妙なことに、日本のメディアだけが厳しい批判を続ける。とりわけ「文春」と「朝日」は恰(あたか)も歩調を合わせたかのように突出した安倍批判に徹している。東京高検前検事長、黒川弘務氏に関する例はそのひとつであろう。

黒川氏は5月28日付けの「週刊文春」のスクープ報道を受けて辞任した。検事長ともあろう者が武漢ウイルスで国民も政府も一所懸命に自粛している最中、しかも黒川氏自身の人事問題が取り沙汰されている最中に、深夜に至る賭け麻雀に興じていたのは言語道断、辞任は当然だ。

相手を務めた産経新聞記者二人、朝日新聞の元検察担当記者で朝日新聞社の中枢部である経営企画室に所属する人物も同様だ。朝日、産経両社が謝罪したのは当然だろう。

取材源の秘匿は鉄則

朝日新聞の調査では黒川氏は4月〜5月に4回、記者らと賭け麻雀をしており、法務省調査ではこの3年程は月に1~2回だったという。そこで疑問だ。黒川氏は産経、朝日とだけ賭け麻雀をしたのか。そうではないだろう。

法務省は前二社以外のどの社が関わっていたのかもはっきりさせるべきだ。文春も当然追跡取材をすべきだろう。さらなる取材で浮かび上がってくるのは、恐らく殆どの社の記者が黒川氏につき合っていたということではないか。

そこで文春のスクープを読んで、感心する前に違和感を覚えた点がある。取材源についてである。文春は賭け麻雀情報をもたらしたのが「産経新聞関係者」だとし、取材源を明かした。

記事では見出しにも前文にも産経記者の存在が記されている。産経にとっては大打撃だ。そこに、同じ社の人間が自社の記者をいわば「売った」構図が本文で浮上する。産経は信用できない新聞だという拒否感を読者が抱いても仕方がない。そのような構成で、文春はスクープを書いた。

ジャーナリズムでは取材源の秘匿は鉄則だ。それだけに文春がこのような形で取材源を明かしたことに疑問を抱くのは自然なことだ。

この点は次の疑問につながる。前述のように文春は見出しにも新聞広告にも産経記者の関与を明記した。文中では二人についてかなり長く書き込んだ。

だが、朝日の元記者の扱いは非常に小さく、見出しにも新聞広告にも「朝日」は出てこない。朝日が登場するのは6頁立ての特集記事のようやく5頁目に入ったところ、かなり後半になってからで、同人物についての記述は13行だ。

で、考えた。東京高検検事長の賭け麻雀の相手として、朝日と産経と、どちらの衝撃がより大きいか。産経には申し訳ないが、断然朝日だろう。私が編集長なら間違いなく「産経と検事長!」ではなく、「朝日と検事長!」を見出しに取る。なぜ、文春は朝日を殊更目立たせない構成にしたのだろうか。

元産経新聞政治部長の石橋文登氏が5月22日、インターネット配信の「言論テレビ」で核心を突くコメントをした。

「週刊文春が黒川氏賭け麻雀のスクープで描こうとしたのは、恐らく、安倍総理と近い黒川検事長は、同じく安倍に近い産経の記者と、こんなにベタベタに親しいというキャンペーンをやりたかったのではないか」

文春の狙いは安倍・黒川・産経の密な関係を描き出すことだったと考えられるのではないか。「文春」のあざとさは記事中の黒川氏についての次のくだりにも表れている。

「『何が何でも黒川氏を検事総長にしたい安倍官邸が、東京高検検事長の座に留め置くために異例の定年延長をした』(司法記者)ともっぱら解説されてきた人物である」

この「解説」を読むと問いたくなる。「もっぱら誰が解説してきたのか」と。匿名の司法記者の断定調の証言の根拠は何か、と。

「心より感謝」の意味

私は文春が黒川氏に直接賭け麻雀について質した5月17日の2日前、即ち15日金曜日に、「言論テレビ」で安倍首相に黒川氏の件について問うた。

安倍首相は、黒川氏と二人だけで会ったことはないこと、黒川氏に関する人事案は、検察庁・法務省の総意として承認を求めてきたものを、長年の慣習を尊重し内閣が承認したことなどを語った。

「安倍官邸」の主である安倍首相自身が黒川氏とは殆ど個人的なつながりがないのである。その人物を「何が何でも検事総長にしたい」と首相が思うとは思えない。当初、「安倍首相が」と書いてきたメディアも「安倍官邸」とぼかし始めた。

それでも「安倍官邸」が圧力をかけたと論難するのなら、官邸の誰が、どのような理由で、いつ、どのようにして「何が何でも」と言われるようなゴリ押しをしたのかを、文春、匿名の司法記者、さらには一連の報道に熱心な朝日は、特定してみせるべきだ。

冒頭で触れたように25日、安倍首相は「日本モデル」で武漢ウイルスの収束に至ったとして、「全ての国民の皆様の御協力、ここまで根気よく辛抱して下さった皆様に、心より感謝申し上げます」と語った。

緊急事態宣言発出の前、首相は西村康稔新型コロナ対策担当大臣らと強制力もなく接触機会8割減を要請できるのかを議論している。そのとき「日本人は必ずできるから、頼もう」と言ったのが安倍首相だった。

自粛した国民、命がけで働いた医療関係者、営業自粛の苦しさに耐えた全業種の人々、その全ての人々に「頼んで」収束を達成できた。首相の全国民への「心より感謝」の意味はその点にある。これこそ首相の言う「日本モデル」だ。「安倍憎し」の感情で日本モデルの根本を成す政府と国民の信頼、協力の貴さを評価しないとしたら、それこそ日本国にとって大きな損失ではないか。

『週刊新潮』 2020年6月4日号

2020年06月02日

◆検察庁法、異常なSNS世論の正体

櫻井よしこ


検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案を巡る動きが急展開した。5月18日官邸で、安倍晋三首相は今国会での成立を断念し、語った。

「国民の皆さまのご理解なくして前に進めていくことはできない」「公務員制度の改革は国民の皆さまの声に十分耳を傾けていくことが不可欠だと、幹事長と意見が一致した」

首相会見前の取材に菅義偉官房長官は「継続審議で次の国会に回さざるを得ない。黒川氏の定年延長と検察全体の定年延長問題が変にリンクされて、現状では客観的議論ができていない」と語った。

確かに東京高等検察庁検事長の黒川弘務氏の定年が今年1月末に半年間延長されたことと、検察官全体の定年が他の国家公務員同様に延長されることの2つに分けて考えなければならないが、両案件が混じりあって分かりにくい議論になっている。

安倍首相は15日金曜日夜、私の主宰するインターネット配信の「言論テレビ」で次のように語った。

「検察庁も含めて法務省が人事案を持ってきました。それを我々(内閣)が承認したということです」

「検察庁の人事については検察のトップも含めた総意です。こういう人事でいくという案を持ってこられた。我々は大体、そのまま承認しているということです」

今回、検察庁法改正に反対の声を上げた元検事総長らも含めて、多くの人々が人事は基本的に検察・法務省側の意向を内閣が尊重する「慣行」があると主張する。安倍首相は現内閣も年来の慣行を尊重していると語っており問題はないはずだ。

そもそも検察官の定年延長問題はかなり前から議論されていた。2018年10月から19年9月まで法相を務めた山下貴司氏が振り返った。

「私のときも検察官の定年延長に一般の国家公務員法が適用されるという話がありました。検察庁法には検察官の延長規定がないため、その欠けている部分に国公法を適用するのは問題ないと私自身は考えていました」

黒川氏が「親安倍」だから

法務省が検察官の定年延長議論を始めたのは山下氏の法相就任の頃、18年暮れ近くである。同年8月の国家公務員の定年引き上げに関する人事院勧告を受け、内閣府が法務省に、検察庁法で定める検察官の定年との関係について省内で意見をまとめるよう求め、法務省刑事局での議論を経て、「検察官にも国公法の定年延長制度の適用は排除されない」との見解を内部文書にまとめたのが20年1月16日だ。

翌17日、法務省事務次官が森雅子法相の決裁を求め、森氏は口頭で了承した。21日には内閣法制局、24日には人事院が法務省判断を了承した。

法務省はこのとりまとめで検察官の定年延長に関する法律解釈を整理しており、省内で認証官である東京高検検事長の黒川氏の定年を半年間延長する人事案を策定し、森氏は1月29日に閣議決定を求める閣議請議を行い、31日の閣議で正式決定した。

この件をいち早く「朝日新聞」が問題視した。これまで一度もなかった検察官の定年延長が整然と手続きされた背景に「政治の意思」が働いたとの主旨で報じたのだ。

百歩譲って「政治」が「意思表示」したとして、そう主張する人々は政治介入の理由を黒川氏が「親安倍」だからだという。だが黒川氏は東京高検検事長として統合型リゾート施設(IR)をめぐる汚職事件の捜査を事実上指揮し、約10年振りに現職議員(秋元司氏)を逮捕した。氏はまた同事件に関連して法務政務官への事情聴取も行った。いずれも安倍政権にとっては大きな衝撃で、イメージダウンだった。黒川氏が「安倍首相や安倍政権に近い」という主張には説得力がない。

では黒川氏の定年延長は検察庁側が考えたのか。歴代の東京高検検事長の職歴を見れば、このポストが検事総長につながっているのは明らかだ。検事長としての任期は半年から2年程まで幅はあるが、黒川氏以前の検事長10人中6人が検事総長に就任し、検事総長は就任から大体2年以内に勇退している。

現検事総長の稲田伸夫氏は18年7月25日に就任し、今年7月24日で丸2年だ。稲田氏がこの時点で勇退すれば定年が半年間延長された黒川検事長の検事総長就任は慣例上、可能性が高い。そのとき、黒川氏と同期でもうひとりの検事総長候補、名古屋高検検事長の林真琴氏は7月30日で63歳、定年退職になる。だが黒川氏が定年延長で検事総長にならなければ、林氏が検事総長になる可能性も大きいということだ。

異常な「闘争」が進行中

右のような事情があるためにこの問題の背景に検察内部の権力闘争、たとえば黒川派と林派の争いを見てとることもできるだろう。或いは次世代検事総長の人材を温存したいとの思いもあるやもしれない。そこに検察官を含む国家公務員全体の定年延長法案が国会に提出された。問題はさらにわかりにくくなり、朝日、NHKをはじめとするメディアの報道で同法案への反対論が異常に盛り上がった。ハッシュタグを付けた投稿が500万件に上ったとの報告もあった。NHKはなぜか、分析によりこれが特定少人数による操作ではないと印象づけるような報道までした。まさに異常な「闘争」が進行中だと実感する。

15日には松尾邦弘元検事総長(77)らも反対の意見書を法務省に提出した。法律の専門家たちの抗議だがおかしな点がある。

松尾氏らは安倍首相が2月13日の衆議院本会議で、「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」と述べたことについて、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせる」とし、「近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる」と非難した。本気なら相当感覚がズレているのではないか。

法解釈は絶対変更されてはならないという硬直した考えでは現実に対処できないであろう。また検察官は一般職国家公務員の行政官であり、検事長の任免権は内閣にある。三権分立の問題にはならないのである。

松尾氏らはまた「検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例」があると主張する。

検察官の独立性が重要なのは当然だ。ただ強力な権力を持つ検察が独断で人事を決行し、内閣の意見を容れないとしたらこれこそ問題だ。任免権は内閣にあるのである。そのことを忘れたかのような主張こそ、松尾氏の「朕は国家なり」式の旧い表現を用いれば、「検察ファッショ」につながるのではないか。

次の国会で冷静な議論ができるのは与党か野党か。検察OBの動き、SNS世論も含めて見届けたい。

『週刊新潮』 2020年5月28日号
日本ルネッサンス 第902回

2020年06月01日

◆検察庁法、異常なSNS世論の正体

櫻井よしこ


検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案を巡る動きが急展開した。5月18日官邸で、安倍晋三首相は今国会での成立を断念し、語った。

「国民の皆さまのご理解なくして前に進めていくことはできない」「公務員制度の改革は国民の皆さまの声に十分耳を傾けていくことが不可欠だと、幹事長と意見が一致した」

首相会見前の取材に菅義偉官房長官は「継続審議で次の国会に回さざるを得ない。黒川氏の定年延長と検察全体の定年延長問題が変にリンクされて、現状では客観的議論ができていない」と語った。

確かに東京高等検察庁検事長の黒川弘務氏の定年が今年1月末に半年間延長されたことと、検察官全体の定年が他の国家公務員同様に延長されることの二つに分けて考えなければならないが、両案件が混じりあって分かりにくい議論になっている。

安倍首相は15日金曜日夜、私の主宰するインターネット配信の「言論テレビ」で次のように語った。

「検察庁も含めて法務省が人事案を持ってきました。それを我々(内閣)が承認したということです」

「検察庁の人事については検察のトップも含めた総意です。こういう人事でいくという案を持ってこられた。我々は大体、そのまま承認しているということです」

今回、検察庁法改正に反対の声を上げた元検事総長らも含めて、多くの人々が人事は基本的に検察・法務省側の意向を内閣が尊重する「慣行」があると主張する。安倍首相は現内閣も年来の慣行を尊重していると語っており問題はないはずだ。

そもそも検察官の定年延長問題はかなり前から議論されていた。2018年10月から19年9月まで法相を務めた山下貴司氏が振り返った。

「私のときも検察官の定年延長に一般の国家公務員法が適用されるという話がありました。検察庁法には検察官の延長規定がないため、その欠けている部分に国公法を適用するのは問題ないと私自身は考えていました」

黒川氏が「親安倍」だから

法務省が検察官の定年延長議論を始めたのは山下氏の法相就任の頃、18年暮れ近くである。同年8月の国家公務員の定年引き上げに関する人事院勧告を受け、内閣府が法務省に、検察庁法で定める検察官の定年との関係について省内で意見をまとめるよう求め、法務省刑事局での議論を経て、「検察官にも国公法の定年延長制度の適用は排除されない」との見解を内部文書にまとめたのが20年1月16日だ。

翌17日、法務省事務次官が森雅子法相の決裁を求め、森氏は口頭で了承した。21日には内閣法制局、24日には人事院が法務省判断を了承した。

法務省はこのとりまとめで検察官の定年延長に関する法律解釈を整理しており、省内で認証官である東京高検検事長の黒川氏の定年を半年間延長する人事案を策定し、森氏は1月29日に閣議決定を求める閣議請議を行い、31日の閣議で正式決定した。

この件をいち早く「朝日新聞」が問題視した。これまで一度もなかった検察官の定年延長が整然と手続きされた背景に「政治の意思」が働いたとの主旨で報じたのだ。

百歩譲って「政治」が「意思表示」したとして、そう主張する人々は政治介入の理由を黒川氏が「親安倍」だからだという。だが黒川氏は東京高検検事長として統合型リゾート施設(IR)をめぐる汚職事件の捜査を事実上指揮し、約10年振りに現職議員(秋元司氏)を逮捕した。氏はまた同事件に関連して法務政務官への事情聴取も行った。いずれも安倍政権にとっては大きな衝撃で、イメージダウンだった。黒川氏が「安倍首相や安倍政権に近い」という主張には説得力がない。

では黒川氏の定年延長は検察庁側が考えたのか。歴代の東京高検検事長の職歴を見れば、このポストが検事総長につながっているのは明らかだ。検事長としての任期は半年から2年程まで幅はあるが、黒川氏以前の検事長10人中6人が検事総長に就任し、検事総長は就任から大体2年以内に勇退している。

現検事総長の稲田伸夫氏は18年7月25日に就任し、今年7月24日で丸2年だ。稲田氏がこの時点で勇退すれば定年が半年間延長された黒川検事長の検事総長就任は慣例上、可能性が高い。そのとき、黒川氏と同期でもうひとりの検事総長候補、名古屋高検検事長の林真琴氏は7月30日で63歳、定年退職になる。だが黒川氏が定年延長で検事総長にならなければ、林氏が検事総長になる可能性も大きいということだ。

異常な「闘争」が進行中

右のような事情があるためにこの問題の背景に検察内部の権力闘争、たとえば黒川派と林派の争いを見てとることもできるだろう。或いは次世代検事総長の人材を温存したいとの思いもあるやもしれない。そこに検察官を含む国家公務員全体の定年延長法案が国会に提出された。問題はさらにわかりにくくなり、朝日、NHKをはじめとするメディアの報道で同法案への反対論が異常に盛り上がった。ハッシュタグを付けた投稿が500万件に上ったとの報告もあった。NHKはなぜか、分析によりこれが特定少人数による操作ではないと印象づけるような報道までした。まさに異常な「闘争」が進行中だと実感する。

15日には松尾邦弘元検事総長(77)らも反対の意見書を法務省に提出した。法律の専門家たちの抗議だがおかしな点がある。

松尾氏らは安倍首相が2月13日の衆議院本会議で、「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」と述べたことについて、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせる」とし、「近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる」と非難した。本気なら相当感覚がズレているのではないか。

法解釈は絶対変更されてはならないという硬直した考えでは現実に対処できないであろう。また検察官は一般職国家公務員の行政官であり、検事長の任免権は内閣にある。三権分立の問題にはならないのである。

松尾氏らはまた「検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例」があると主張する。

検察官の独立性が重要なのは当然だ。ただ強力な権力を持つ検察が独断で人事を決行し、内閣の意見を容れないとしたらこれこそ問題だ。任免権は内閣にあるのである。そのことを忘れたかのような主張こそ、松尾氏の「朕は国家なり」式の旧い表現を用いれば、「検察ファッショ」につながるのではないか。

次の国会で冷静な議論ができるのは与党か野党か。検察OBの動き、SNS世論も含めて見届けたい。

『週刊新潮』 2020年5月28日号
日本ルネッサンス 第902回

2020年05月31日

◆検察庁法、異常なSNS世論の正体

櫻井よしこ


検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案を巡る動きが急展開した。5月18日官邸で、安倍晋三首相は今国会での成立を断念し、語った。

「国民の皆さまのご理解なくして前に進めていくことはできない」「公務員制度の改革は国民の皆さまの声に十分耳を傾けていくことが不可欠だと、幹事長と意見が一致した」

首相会見前の取材に菅義偉官房長官は「継続審議で次の国会に回さざるを得ない。黒川氏の定年延長と検察全体の定年延長問題が変にリンクされて、現状では客観的議論ができていない」と語った。

確かに東京高等検察庁検事長の黒川弘務氏の定年が今年1月末に半年間延長されたことと、検察官全体の定年が他の国家公務員同様に延長されることの2つに分けて考えなければならないが、両案件が混じりあって分かりにくい議論になっている。

安倍首相は15日金曜日夜、私の主宰するインターネット配信の「言論テレビ」で次のように語った。

「検察庁も含めて法務省が人事案を持ってきました。それを我々(内閣)が承認したということです」

「検察庁の人事については検察のトップも含めた総意です。こういう人事でいくという案を持ってこられた。我々は大体、そのまま承認しているということです」

今回、検察庁法改正に反対の声を上げた元検事総長らも含めて、多くの人々が人事は基本的に検察・法務省側の意向を内閣が尊重する「慣行」があると主張する。安倍首相は現内閣も年来の慣行を尊重していると語っており問題はないはずだ。

そもそも検察官の定年延長問題はかなり前から議論されていた。2018年10月から19年9月まで法相を務めた山下貴司氏が振り返った。

「私のときも検察官の定年延長に一般の国家公務員法が適用されるという話がありました。検察庁法には検察官の延長規定がないため、その欠けている部分に国公法を適用するのは問題ないと私自身は考えていました」

黒川氏が「親安倍」だから

法務省が検察官の定年延長議論を始めたのは山下氏の法相就任の頃、18年暮れ近くである。同年8月の国家公務員の定年引き上げに関する人事院勧告を受け、内閣府が法務省に、検察庁法で定める検察官の定年との関係について省内で意見をまとめるよう求め、法務省刑事局での議論を経て、「検察官にも国公法の定年延長制度の適用は排除されない」との見解を内部文書にまとめたのが20年1月16日だ。

翌17日、法務省事務次官が森雅子法相の決裁を求め、森氏は口頭で了承した。21日には内閣法制局、24日には人事院が法務省判断を了承した。

法務省はこのとりまとめで検察官の定年延長に関する法律解釈を整理しており、省内で認証官である東京高検検事長の黒川氏の定年を半年間延長する人事案を策定し、森氏は1月29日に閣議決定を求める閣議請議を行い、31日の閣議で正式決定した。

この件をいち早く「朝日新聞」が問題視した。これまで一度もなかった検察官の定年延長が整然と手続きされた背景に「政治の意思」が働いたとの主旨で報じたのだ。

百歩譲って「政治」が「意思表示」したとして、そう主張する人々は政治介入の理由を黒川氏が「親安倍」だからだという。だが黒川氏は東京高検検事長として統合型リゾート施設(IR)をめぐる汚職事件の捜査を事実上指揮し、

約10年振りに現職議員(秋元司氏)を逮捕した。氏はまた同事件に関連して法務政務官への事情聴取も行った。いずれも安倍政権にとっては大きな衝撃で、イメージダウンだった。黒川氏が「安倍首相や安倍政権に近い」という主張には説得力がない。

では黒川氏の定年延長は検察庁側が考えたのか。歴代の東京高検検事長の職歴を見れば、このポストが検事総長につながっているのは明らかだ。検事長としての任期は半年から2年程まで幅はあるが、黒川氏以前の検事長10人中6人が検事総長に就任し、検事総長は就任から大体2年以内に勇退している。

現検事総長の稲田伸夫氏は18年7月25日に就任し、今年7月24日で丸2年だ。稲田氏がこの時点で勇退すれば定年が半年間延長された黒川検事長の検事総長就任は慣例上、可能性が高い。

そのとき、黒川氏と同期でもうひとりの検事総長候補、名古屋高検検事長の林真琴氏は7月30日で63歳、定年退職になる。だが黒川氏が定年延長で検事総長にならなければ、林氏が検事総長になる可能性も大きいということだ。

異常な「闘争」が進行中

右のような事情があるためにこの問題の背景に検察内部の権力闘争、たとえば黒川派と林派の争いを見てとることもできるだろう。

或いは次世代検事総長の人材を温存したいとの思いもあるやもしれない。そこに検察官を含む国家公務員全体の定年延長法案が国会に提出された。問題はさらにわかりにくくなり、朝日、NHKをはじめとするメディアの報道で同法案への反対論が異常に盛り上がった。

ハッシュタグを付けた投稿が500万件に上ったとの報告もあった。NHKはなぜか、分析によりこれが特定少人数による操作ではないと印象づけるような報道までした。まさに異常な「闘争」が進行中だと実感する。

15日には松尾邦弘元検事総長(77)らも反対の意見書を法務省に提出した。法律の専門家たちの抗議だがおかしな点がある。

松尾氏らは安倍首相が2月13日の衆議院本会議で、「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」と述べたことについて、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせる」とし、「近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる」と非難した。本気なら相当感覚がズレているのではないか。

法解釈は絶対変更されてはならないという硬直した考えでは現実に対処できないであろう。また検察官は一般職国家公務員の行政官であり、検事長の任免権は内閣にある。三権分立の問題にはならないのである。

松尾氏らはまた「検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例」があると主張する。

検察官の独立性が重要なのは当然だ。ただ強力な権力を持つ検察が独断で人事を決行し、内閣の意見を容れないとしたらこれこそ問題だ。

任免権は内閣にあるのである。そのことを忘れたかのような主張こそ、松尾氏の「朕は国家なり」式の旧い表現を用いれば、「検察ファッショ」につながるのではないか。

『週刊新潮』 2020年5月28日号
日本ルネッサンス 第902回

2020年05月29日

◆検察庁法、異常なSNS世論の正体

櫻井よしこ


検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案を巡る動きが急展開した。5月18日官邸で、安倍晋三首相は今国会での成立を断念し、語った。

「国民の皆さまのご理解なくして前に進めていくことはできない」「公務員制度の改革は国民の皆さまの声に十分耳を傾けていくことが不可欠だと、幹事長と意見が一致した」

首相会見前の取材に菅義偉官房長官は「継続審議で次の国会に回さざるを得ない。黒川氏の定年延長と検察全体の定年延長問題が変にリンクされて、現状では客観的議論ができていない」と語った。

確かに東京高等検察庁検事長の黒川弘務氏の定年が今年1月末に半年間延長されたことと、検察官全体の定年が他の国家公務員同様に延長されることの二つに分けて考えなければならないが、両案件が混じりあって分かりにくい議論になっている。

安倍首相は15日金曜日夜、私の主宰するインターネット配信の「言論テレビ」で次のように語った。

「検察庁も含めて法務省が人事案を持ってきました。それを我々(内閣)が承認したということです」

「検察庁の人事については検察のトップも含めた総意です。こういう人事でいくという案を持ってこられた。我々は大体、そのまま承認しているということです」

今回、検察庁法改正に反対の声を上げた元検事総長らも含めて、多くの人々が人事は基本的に検察・法務省側の意向を内閣が尊重する「慣行」があると主張する。安倍首相は現内閣も年来の慣行を尊重していると語っており問題はないはずだ。

そもそも検察官の定年延長問題はかなり前から議論されていた。2018年10月から19年9月まで法相を務めた山下貴司氏が振り返った。

「私のときも検察官の定年延長に一般の国家公務員法が適用されるという話がありました。検察庁法には検察官の延長規定がないため、その欠けている部分に国公法を適用するのは問題ないと私自身は考えていました」

黒川氏が「親安倍」だから

法務省が検察官の定年延長議論を始めたのは山下氏の法相就任の頃、18年暮れ近くである。同年8月の国家公務員の定年引き上げに関する人事院勧告を受け、内閣府が法務省に、検察庁法で定める検察官の定年との関係について省内で意見をまとめるよう求め、法務省刑事局での議論を経て、「検察官にも国公法の定年延長制度の適用は排除されない」との見解を内部文書にまとめたのが20年1月16日だ。

翌17日、法務省事務次官が森雅子法相の決裁を求め、森氏は口頭で了承した。21日には内閣法制局、24日には人事院が法務省判断を了承した。

法務省はこのとりまとめで検察官の定年延長に関する法律解釈を整理しており、省内で認証官である東京高検検事長の黒川氏の定年を半年間延長する人事案を策定し、森氏は1月29日に閣議決定を求める閣議請議を行い、31日の閣議で正式決定した。

この件をいち早く「朝日新聞」が問題視した。これまで一度もなかった検察官の定年延長が整然と手続きされた背景に「政治の意思」が働いたとの主旨で報じたのだ。

百歩譲って「政治」が「意思表示」したとして、そう主張する人々は政治介入の理由を黒川氏が「親安倍」だからだという。だが黒川氏は東京高検検事長として統合型リゾート施設(IR)をめぐる汚職事件の捜査を事実上指揮し、約10年振りに現職議員(秋元司氏)を逮捕した。氏はまた同事件に関連して法務政務官への事情聴取も行った。いずれも安倍政権にとっては大きな衝撃で、イメージダウンだった。黒川氏が「安倍首相や安倍政権に近い」という主張には説得力がない。

では黒川氏の定年延長は検察庁側が考えたのか。歴代の東京高検検事長の職歴を見れば、このポストが検事総長につながっているのは明らかだ。検事長としての任期は半年から2年程まで幅はあるが、黒川氏以前の検事長10人中6人が検事総長に就任し、検事総長は就任から大体2年以内に勇退している。

現検事総長の稲田伸夫氏は18年7月25日に就任し、今年7月24日で丸2年だ。稲田氏がこの時点で勇退すれば定年が半年間延長された黒川検事長の検事総長就任は慣例上、可能性が高い。そのとき、黒川氏と同期でもうひとりの検事総長候補、名古屋高検検事長の林真琴氏は7月30日で63歳、定年退職になる。だが黒川氏が定年延長で検事総長にならなければ、林氏が検事総長になる可能性も大きいということだ。

異常な「闘争」が進行中

右のような事情があるためにこの問題の背景に検察内部の権力闘争、たとえば黒川派と林派の争いを見てとることもできるだろう。或いは次世代検事総長の人材を温存したいとの思いもあるやもしれない。そこに検察官を含む国家公務員全体の定年延長法案が国会に提出された。問題はさらにわかりにくくなり、朝日、NHKをはじめとするメディアの報道で同法案への反対論が異常に盛り上がった。ハッシュタグを付けた投稿が500万件に上ったとの報告もあった。NHKはなぜか、分析によりこれが特定少人数による操作ではないと印象づけるような報道までした。まさに異常な「闘争」が進行中だと実感する。

15日には松尾邦弘元検事総長(77)らも反対の意見書を法務省に提出した。法律の専門家たちの抗議だがおかしな点がある。

松尾氏らは安倍首相が2月13日の衆議院本会議で、「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」と述べたことについて、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせる」とし、「近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる」と非難した。本気なら相当感覚がズレているのではないか。

法解釈は絶対変更されてはならないという硬直した考えでは現実に対処できないであろう。また検察官は一般職国家公務員の行政官であり、検事長の任免権は内閣にある。三権分立の問題にはならないのである。

松尾氏らはまた「検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例」があると主張する。

検察官の独立性が重要なのは当然だ。ただ強力な権力を持つ検察が独断で人事を決行し、内閣の意見を容れないとしたらこれこそ問題だ。任免権は内閣にあるのである。そのことを忘れたかのような主張こそ、松尾氏の「朕は国家なり」式の旧い表現を用いれば、「検察ファッショ」につながるのではないか。

次の国会で冷静な議論ができるのは与党か野党か。検察OBの動き、SNS世論も含めて見届けたい。

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2020年05月28日

◆現行法でウイルス第二波を防げるか

櫻井よしこ


安倍晋三首相が5月4日、緊急事態宣言を概ねひと月延長すると発表して、1週間が過ぎた。私たちがいま見ている新規感染者数は約2週間前の私たちの行動を反映したものだが、全国の新規感染者数が100人を切る日もあり、東京では50人以下の日々が続く。

気を抜けば数字は一気に跳ね上がるのであろうが、現時点で日本人は「感染爆発」を免れている。5月8日の「言論テレビ」で西村康稔新型コロナ対策担当大臣が強調した。

「日本人は凄いなと、強く感じます。4月7日に緊急事態を発するとき総理とかなり議論しました。接触を8割減らすのは相当な努力が必要で、しかもイメージし難い。そんな要請ができるのか、と。総理は、日本人は必ず出来るから、頼もうと仰って、極力8割削減をお願いした」

日本人の公衆衛生に対する意識の高さ、倫理観や連帯感を含めて、そこに安倍首相は信頼を置いたというのだ。

実は、日本の首相として、それしか選択肢はなかったのである。周知のようにわが国の緊急事態宣言は首相にも知事にも命令権をほとんど与えていない。お願いするだけだ。それでも国民の大多数は自粛し、新規感染者数は確実に減り、第一段階で日本人はウイルス抑制に成功した。

ただウイルスとの闘いは長く続く。政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除に踏み切るが、解除に伴ってまたもや新規感染が発生し、第二波、第三波がやってくると考えるべきだ。

そのとき、現体制のままで乗り切れるか。大半の国民が文字どおり一所懸命に外出を自粛したのとは対照的に、一部のパチンコ店は営業を続けた。知事の「要請」にも「店名公表」にもかかわらず営業を続けた。この間に政府はパチンコ店への休業支援策を打ち出したがそれでも休業しないため、知事は法的に従う義務を伴った「指示」を出した。しかしこれにも従わない店が兵庫にも千葉にも出現した。「指示」には罰則はないため、店側が開き直れば、打つ手がないのだ。

第二波の襲来も早い

西村氏はこうした事態を念頭に強制力を持つ法整備の必要性を説いた。そもそも今回の武漢ウイルスに対処する際の法的根拠は、民主党政権が作った新型インフルエンザに対する法律が基になっている。民主党は中央政府にも地方政府にも権限を与えることを嫌い、国民一人一人の権利と自由を最大限尊重した。結果、ウイルス襲来の国難の中でも、わが国政府には何の強制力もないことは既に述べた。武漢ウイルス問題の直接の責任者として、西村氏が語った。

「個人の自由や権利を尊重するフランスなど欧州諸国でも国民の外出を強く規制する都市封鎖、ロックダウンが発令されました。現在の特措法については、国民の生命と健康を守るために、『指示』にも従わない場合、命令を出して罰則を科すやり方を考えるべきだと思います。また、日本が欧州や米国と同じような法体系を整えるかについては、幅広い憲法論議が必要です」

安倍首相が14日に緊急事態宣言の一部解除を行い、その後全てがうまくいけばよいが、そうでない場合、第二波の襲来も早い。西村氏のいう法改正は急務であろう。

「現状を見ると、警戒が緩むのを心配せざるを得ません。今日(5月8日)時点でパチンコ店24店が開業しました。そうした中、ウイルスの収束に向かうため、強い措置もとれるよう、法改正はできるだけ早くする必要があります」と西村氏。

特措法改正を日本維新などの協力で実現したとしても、次に考えなければならないのが、特措法を支える緊急事態条項を憲法に書きこむことだ。この点について立憲民主や共産党などは論外としても、自民党自体の議論が揺れている。

自民党が提唱した憲法改正4項目の内、緊急事態発令については、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」により、国会が機能しなくなった場合、とされている。

野党は「その他の異常かつ大規模な災害」では余りにも範囲が広すぎる、日本が軍事的に好き放題してしまう余地があるなどと反発し、議論は全く進んでいない。対応する自民党が譲歩案を出し、結果として党内の意見が二分されているのだ。

第一の考え方は緊急事態条項は本来、激変する国際情勢の下で国民の命と国土を守るために、つまり安全保障上の必要性を満たすために必要で、世界各国およそ例外なく緊急事態条項を備えている。従って日本も軍事的側面も含めて広くとらえるべきだというものだ。

平和ボケに驚く

第二の考えは現実を重視し、できるところから改正していくという視点に立つ。先の条文に「自然」の二文字を加えて、「大地震その他の異常かつ大規模な自然災害」とする。緊急事態を発令するのは大地震をはじめとする大規模自然災害の場合に限るというものだ。

正論は第一案であろう。しかし、与党の一翼を担う公明党は後ろ向きだ。立憲民主党や共産党は元々反対だ。自民党は公明党の賛成を得たうえに、さらに国民民主党の常識派や日本維新などの協力を得なければ改正はできない。それゆえ軍事的思惑に関する疑念を振り払うべく「自然」災害対策であることを明確にしようとしているのだ。この種の議論を目の当たりにする度、私は日本国の余りの平和ボケに驚くのだが、これがわが国の現実である。

ではなぜただの法改正にとどまらず、憲法改正までしなければならないか。東日本大震災での苦い経験があるからだ。地震と津波で変わり果てた被災地復興にはまず、瓦礫や倒壊家屋の片づけが急務だった。法律で知事はそうした片づけを指示できると定められている。しかし、実際には憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」に阻まれて復興作業が遅れに遅れた。宮城県の村井嘉浩知事は「柱一本でも私有財産だ」と言って戸惑い、内閣府の参事官は「憲法で保障された国民の権利や自由(財産権や経済取引の自由)を安易に制限するわけにはいかない」と答弁した。憲法に根拠が書かれていなければ、法律で緊急時の政府権限を定めても実際には機能しないのだ。

武漢ウイルス問題は私たちに日本国の在り方の歪(いびつ)さを突きつけているが、課題は他にもある。ウイルスに打ち勝つことがいま、最大の課題であるのは明らかだ。感染者の重症化を防ぎ、死者を出さない。国民各自が応分の負担をして充実した医療体制を整えることなしには、経済活動の再開も暮らしの立て直しも儘ならない。

「健康の一帯一路」を謳い始めた中国とは全く異なる、真の意味の医療大国を日本は目指すべきだ。それを国家戦略と定め、国を挙げて体制作りを急がねばならない。

『週刊新潮』 2020年5月21日号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月27日

◆現行法でウイルス第二波を防げるか

櫻井よしこ


安倍晋三首相が5月4日、緊急事態宣言を概ねひと月延長すると発表して、1週間が過ぎた。私たちがいま見ている新規感染者数は約2週間前の私たちの行動を反映したものだが、全国の新規感染者数が100人を切る日もあり、東京では50人以下の日々が続く。

気を抜けば数字は一気に跳ね上がるのであろうが、現時点で日本人は「感染爆発」を免れている。5月8日の「言論テレビ」で西村康稔新型コロナ対策担当大臣が強調した。

「日本人は凄いなと、強く感じます。4月7日に緊急事態を発するとき総理とかなり議論しました。接触を8割減らすのは相当な努力が必要で、しかもイメージし難い。そんな要請ができるのか、と。総理は、日本人は必ず出来るから、頼もうと仰って、極力8割削減をお願いした」

日本人の公衆衛生に対する意識の高さ、倫理観や連帯感を含めて、そこに安倍首相は信頼を置いたというのだ。

実は、日本の首相として、それしか選択肢はなかったのである。周知のようにわが国の緊急事態宣言は首相にも知事にも命令権をほとんど与えていない。お願いするだけだ。それでも国民の大多数は自粛し、新規感染者数は確実に減り、第一段階で日本人はウイルス抑制に成功した。

ただウイルスとの闘いは長く続く。政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除に踏み切るが、解除に伴ってまたもや新規感染が発生し、第二波、第三波がやってくると考えるべきだ。

そのとき、現体制のままで乗り切れるか。大半の国民が文字どおり一所懸命に外出を自粛したのとは対照的に、一部のパチンコ店は営業を続けた。知事の「要請」にも「店名公表」にもかかわらず営業を続けた。この間に政府はパチンコ店への休業支援策を打ち出したがそれでも休業しないため、知事は法的に従う義務を伴った「指示」を出した。しかしこれにも従わない店が兵庫にも千葉にも出現した。「指示」には罰則はないため、店側が開き直れば、打つ手がないのだ。

第二波の襲来も早い

西村氏はこうした事態を念頭に強制力を持つ法整備の必要性を説いた。そもそも今回の武漢ウイルスに対処する際の法的根拠は、民主党政権が作った新型インフルエンザに対する法律が基になっている。民主党は中央政府にも地方政府にも権限を与えることを嫌い、国民一人一人の権利と自由を最大限尊重した。結果、ウイルス襲来の国難の中でも、わが国政府には何の強制力もないことは既に述べた。武漢ウイルス問題の直接の責任者として、西村氏が語った。

「個人の自由や権利を尊重するフランスなど欧州諸国でも国民の外出を強く規制する都市封鎖、ロックダウンが発令されました。現在の特措法については、国民の生命と健康を守るために、『指示』にも従わない場合、命令を出して罰則を科すやり方を考えるべきだと思います。また、日本が欧州や米国と同じような法体系を整えるかについては、幅広い憲法論議が必要です」

安倍首相が14日に緊急事態宣言の一部解除を行い、その後全てがうまくいけばよいが、そうでない場合、第二波の襲来も早い。西村氏のいう法改正は急務であろう。

「現状を見ると、警戒が緩むのを心配せざるを得ません。今日(5月8日)時点でパチンコ店24店が開業しました。そうした中、ウイルスの収束に向かうため、強い措置もとれるよう、法改正はできるだけ早くする必要があります」と西村氏。

特措法改正を日本維新などの協力で実現したとしても、次に考えなければならないのが、特措法を支える緊急事態条項を憲法に書きこむことだ。この点について立憲民主や共産党などは論外としても、自民党自体の議論が揺れている。

自民党が提唱した憲法改正4項目の内、緊急事態発令については、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」により、国会が機能しなくなった場合、とされている。

野党は「その他の異常かつ大規模な災害」では余りにも範囲が広すぎる、日本が軍事的に好き放題してしまう余地があるなどと反発し、議論は全く進んでいない。対応する自民党が譲歩案を出し、結果として党内の意見が二分されているのだ。

第一の考え方は緊急事態条項は本来、激変する国際情勢の下で国民の命と国土を守るために、つまり安全保障上の必要性を満たすために必要で、世界各国およそ例外なく緊急事態条項を備えている。従って日本も軍事的側面も含めて広くとらえるべきだというものだ。

平和ボケに驚く

第二の考えは現実を重視し、できるところから改正していくという視点に立つ。先の条文に「自然」の二文字を加えて、「大地震その他の異常かつ大規模な自然災害」とする。緊急事態を発令するのは大地震をはじめとする大規模自然災害の場合に限るというものだ。

正論は第一案であろう。しかし、与党の一翼を担う公明党は後ろ向きだ。立憲民主党や共産党は元々反対だ。自民党は公明党の賛成を得たうえに、さらに国民民主党の常識派や日本維新などの協力を得なければ改正はできない。それゆえ軍事的思惑に関する疑念を振り払うべく「自然」災害対策であることを明確にしようとしているのだ。この種の議論を目の当たりにする度、私は日本国の余りの平和ボケに驚くのだが、これがわが国の現実である。

ではなぜただの法改正にとどまらず、憲法改正までしなければならないか。東日本大震災での苦い経験があるからだ。地震と津波で変わり果てた被災地復興にはまず、瓦礫や倒壊家屋の片づけが急務だった。法律で知事はそうした片づけを指示できると定められている。しかし、実際には憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」に阻まれて復興作業が遅れに遅れた。宮城県の村井嘉浩知事は「柱一本でも私有財産だ」と言って戸惑い、内閣府の参事官は「憲法で保障された国民の権利や自由(財産権や経済取引の自由)を安易に制限するわけにはいかない」と答弁した。憲法に根拠が書かれていなければ、法律で緊急時の政府権限を定めても実際には機能しないのだ。

武漢ウイルス問題は私たちに日本国の在り方の歪(いびつ)さを突きつけているが、課題は他にもある。ウイルスに打ち勝つことがいま、最大の課題であるのは明らかだ。感染者の重症化を防ぎ、死者を出さない。国民各自が応分の負担をして充実した医療体制を整えることなしには、経済活動の再開も暮らしの立て直しも儘ならない。

「健康の一帯一路」を謳い始めた中国とは全く異なる、真の意味の医療大国を日本は目指すべきだ。それを国家戦略と定め、国を挙げて体制作りを急がねばならない。

『週刊新潮』 2020年5月21日号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月26日

◆現行法でウイルス第二波を防げるか

櫻井よしこ


安倍晋三首相が5月4日、緊急事態宣言を概ねひと月延長すると発表して、1週間が過ぎた。私たちがいま見ている新規感染者数は約2週間前の私たちの行動を反映したものだが、全国の新規感染者数が100人を切る日もあり、東京では50人以下の日々が続く。

気を抜けば数字は一気に跳ね上がるのであろうが、現時点で日本人は「感染爆発」を免れている。5月8日の「言論テレビ」で西村康稔新型コロナ対策担当大臣が強調した。

「日本人は凄いなと、強く感じます。4月7日に緊急事態を発するとき総理とかなり議論しました。接触を8割減らすのは相当な努力が必要で、しかもイメージし難い。そんな要請ができるのか、と。総理は、日本人は必ず出来るから、頼もうと仰って、極力8割削減をお願いした」

日本人の公衆衛生に対する意識の高さ、倫理観や連帯感を含めて、そこに安倍首相は信頼を置いたというのだ。

実は、日本の首相として、それしか選択肢はなかったのである。周知のようにわが国の緊急事態宣言は首相にも知事にも命令権をほとんど与えていない。お願いするだけだ。それでも国民の大多数は自粛し、新規感染者数は確実に減り、第一段階で日本人はウイルス抑制に成功した。

ただウイルスとの闘いは長く続く。政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除に踏み切るが、解除に伴ってまたもや新規感染が発生し、第二波、第三波がやってくると考えるべきだ。

そのとき、現体制のままで乗り切れるか。大半の国民が文字どおり一所懸命に外出を自粛したのとは対照的に、一部のパチンコ店は営業を続けた。知事の「要請」にも「店名公表」にもかかわらず営業を続けた。この間に政府はパチンコ店への休業支援策を打ち出したがそれでも休業しないため、知事は法的に従う義務を伴った「指示」を出した。しかしこれにも従わない店が兵庫にも千葉にも出現した。「指示」には罰則はないため、店側が開き直れば、打つ手がないのだ。

第二波の襲来も早い

西村氏はこうした事態を念頭に強制力を持つ法整備の必要性を説いた。そもそも今回の武漢ウイルスに対処する際の法的根拠は、民主党政権が作った新型インフルエンザに対する法律が基になっている。民主党は中央政府にも地方政府にも権限を与えることを嫌い、国民一人一人の権利と自由を最大限尊重した。結果、ウイルス襲来の国難の中でも、わが国政府には何の強制力もないことは既に述べた。武漢ウイルス問題の直接の責任者として、西村氏が語った。

「個人の自由や権利を尊重するフランスなど欧州諸国でも国民の外出を強く規制する都市封鎖、ロックダウンが発令されました。現在の特措法については、国民の生命と健康を守るために、『指示』にも従わない場合、命令を出して罰則を科すやり方を考えるべきだと思います。また、日本が欧州や米国と同じような法体系を整えるかについては、幅広い憲法論議が必要です」

安倍首相が14日に緊急事態宣言の一部解除を行い、その後全てがうまくいけばよいが、そうでない場合、第二波の襲来も早い。西村氏のいう法改正は急務であろう。

「現状を見ると、警戒が緩むのを心配せざるを得ません。今日(5月8日)時点でパチンコ店24店が開業しました。そうした中、ウイルスの収束に向かうため、強い措置もとれるよう、法改正はできるだけ早くする必要があります」と西村氏。

特措法改正を日本維新などの協力で実現したとしても、次に考えなければならないのが、特措法を支える緊急事態条項を憲法に書きこむことだ。この点について立憲民主や共産党などは論外としても、自民党自体の議論が揺れている。

自民党が提唱した憲法改正4項目の内、緊急事態発令については、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」により、国会が機能しなくなった場合、とされている。

野党は「その他の異常かつ大規模な災害」では余りにも範囲が広すぎる、日本が軍事的に好き放題してしまう余地があるなどと反発し、議論は全く進んでいない。対応する自民党が譲歩案を出し、結果として党内の意見が二分されているのだ。

第一の考え方は緊急事態条項は本来、激変する国際情勢の下で国民の命と国土を守るために、つまり安全保障上の必要性を満たすために必要で、世界各国およそ例外なく緊急事態条項を備えている。従って日本も軍事的側面も含めて広くとらえるべきだというものだ。

平和ボケに驚く

第二の考えは現実を重視し、できるところから改正していくという視点に立つ。先の条文に「自然」の二文字を加えて、「大地震その他の異常かつ大規模な自然災害」とする。緊急事態を発令するのは大地震をはじめとする大規模自然災害の場合に限るというものだ。

正論は第一案であろう。しかし、与党の一翼を担う公明党は後ろ向きだ。立憲民主党や共産党は元々反対だ。自民党は公明党の賛成を得たうえに、さらに国民民主党の常識派や日本維新などの協力を得なければ改正はできない。それゆえ軍事的思惑に関する疑念を振り払うべく「自然」災害対策であることを明確にしようとしているのだ。この種の議論を目の当たりにする度、私は日本国の余りの平和ボケに驚くのだが、これがわが国の現実である。

ではなぜただの法改正にとどまらず、憲法改正までしなければならないか。東日本大震災での苦い経験があるからだ。地震と津波で変わり果てた被災地復興にはまず、瓦礫や倒壊家屋の片づけが急務だった。法律で知事はそうした片づけを指示できると定められている。しかし、実際には憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」に阻まれて復興作業が遅れに遅れた。宮城県の村井嘉浩知事は「柱一本でも私有財産だ」と言って戸惑い、内閣府の参事官は「憲法で保障された国民の権利や自由(財産権や経済取引の自由)を安易に制限するわけにはいかない」と答弁した。憲法に根拠が書かれていなければ、法律で緊急時の政府権限を定めても実際には機能しないのだ。

武漢ウイルス問題は私たちに日本国の在り方の歪(いびつ)さを突きつけているが、課題は他にもある。ウイルスに打ち勝つことがいま、最大の課題であるのは明らかだ。感染者の重症化を防ぎ、死者を出さない。国民各自が応分の負担をして充実した医療体制を整えることなしには、経済活動の再開も暮らしの立て直しも儘ならない。

「健康の一帯一路」を謳い始めた中国とは全く異なる、真の意味の医療大国を日本は目指すべきだ。それを国家戦略と定め、国を挙げて体制作りを急がねばならない。

『週刊新潮』 2020年5月21日号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月25日

◆現行法でウイルス第二波を防げるか

櫻井よしこ


安倍晋三首相が5月4日、緊急事態宣言を概ねひと月延長すると発表して、1週間が過ぎた。私たちがいま見ている新規感染者数は約2週間前の私たちの行動を反映したものだが、全国の新規感染者数が100人を切る日もあり、東京では50人以下の日々が続く。

気を抜けば数字は一気に跳ね上がるのであろうが、現時点で日本人は「感染爆発」を免れている。5月8日の「言論テレビ」で西村康稔新型コロナ対策担当大臣が強調した。

「日本人は凄いなと、強く感じます。4月7日に緊急事態を発するとき総理とかなり議論しました。接触を8割減らすのは相当な努力が必要で、しかもイメージし難い。そんな要請ができるのか、と。総理は、日本人は必ず出来るから、頼もうと仰って、極力8割削減をお願いした」

日本人の公衆衛生に対する意識の高さ、倫理観や連帯感を含めて、そこに安倍首相は信頼を置いたというのだ。

実は、日本の首相として、それしか選択肢はなかったのである。周知のようにわが国の緊急事態宣言は首相にも知事にも命令権をほとんど与えていない。お願いするだけだ。それでも国民の大多数は自粛し、新規感染者数は確実に減り、第一段階で日本人はウイルス抑制に成功した。

ただウイルスとの闘いは長く続く。政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除に踏み切るが、解除に伴ってまたもや新規感染が発生し、第二波、第三波がやってくると考えるべきだ。

そのとき、現体制のままで乗り切れるか。大半の国民が文字どおり一所懸命に外出を自粛したのとは対照的に、一部のパチンコ店は営業を続けた。知事の「要請」にも「店名公表」にもかかわらず営業を続けた。この間に政府はパチンコ店への休業支援策を打ち出したがそれでも休業しないため、知事は法的に従う義務を伴った「指示」を出した。しかしこれにも従わない店が兵庫にも千葉にも出現した。「指示」には罰則はないため、店側が開き直れば、打つ手がないのだ。

第二波の襲来も早い

西村氏はこうした事態を念頭に強制力を持つ法整備の必要性を説いた。そもそも今回の武漢ウイルスに対処する際の法的根拠は、民主党政権が作った新型インフルエンザに対する法律が基になっている。民主党は中央政府にも地方政府にも権限を与えることを嫌い、国民一人一人の権利と自由を最大限尊重した。結果、ウイルス襲来の国難の中でも、わが国政府には何の強制力もないことは既に述べた。武漢ウイルス問題の直接の責任者として、西村氏が語った。

「個人の自由や権利を尊重するフランスなど欧州諸国でも国民の外出を強く規制する都市封鎖、ロックダウンが発令されました。現在の特措法については、国民の生命と健康を守るために、『指示』にも従わない場合、命令を出して罰則を科すやり方を考えるべきだと思います。また、日本が欧州や米国と同じような法体系を整えるかについては、幅広い憲法論議が必要です」

安倍首相が14日に緊急事態宣言の一部解除を行い、その後全てがうまくいけばよいが、そうでない場合、第二波の襲来も早い。西村氏のいう法改正は急務であろう。

「現状を見ると、警戒が緩むのを心配せざるを得ません。今日(5月8日)時点でパチンコ店24店が開業しました。そうした中、ウイルスの収束に向かうため、強い措置もとれるよう、法改正はできるだけ早くする必要があります」と西村氏。

特措法改正を日本維新などの協力で実現したとしても、次に考えなければならないのが、特措法を支える緊急事態条項を憲法に書きこむことだ。この点について立憲民主や共産党などは論外としても、自民党自体の議論が揺れている。

自民党が提唱した憲法改正4項目の内、緊急事態発令については、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」により、国会が機能しなくなった場合、とされている。

野党は「その他の異常かつ大規模な災害」では余りにも範囲が広すぎる、日本が軍事的に好き放題してしまう余地があるなどと反発し、議論は全く進んでいない。対応する自民党が譲歩案を出し、結果として党内の意見が二分されているのだ。

第一の考え方は緊急事態条項は本来、激変する国際情勢の下で国民の命と国土を守るために、つまり安全保障上の必要性を満たすために必要で、世界各国およそ例外なく緊急事態条項を備えている。従って日本も軍事的側面も含めて広くとらえるべきだというものだ。

平和ボケに驚く

第二の考えは現実を重視し、できるところから改正していくという視点に立つ。先の条文に「自然」の二文字を加えて、「大地震その他の異常かつ大規模な自然災害」とする。緊急事態を発令するのは大地震をはじめとする大規模自然災害の場合に限るというものだ。

正論は第一案であろう。しかし、与党の一翼を担う公明党は後ろ向きだ。立憲民主党や共産党は元々反対だ。自民党は公明党の賛成を得たうえに、さらに国民民主党の常識派や日本維新などの協力を得なければ改正はできない。それゆえ軍事的思惑に関する疑念を振り払うべく「自然」災害対策であることを明確にしようとしているのだ。この種の議論を目の当たりにする度、私は日本国の余りの平和ボケに驚くのだが、これがわが国の現実である。

ではなぜただの法改正にとどまらず、憲法改正までしなければならないか。東日本大震災での苦い経験があるからだ。地震と津波で変わり果てた被災地復興にはまず、瓦礫や倒壊家屋の片づけが急務だった。法律で知事はそうした片づけを指示できると定められている。しかし、実際には憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」に阻まれて復興作業が遅れに遅れた。宮城県の村井嘉浩知事は「柱一本でも私有財産だ」と言って戸惑い、内閣府の参事官は「憲法で保障された国民の権利や自由(財産権や経済取引の自由)を安易に制限するわけにはいかない」と答弁した。憲法に根拠が書かれていなければ、法律で緊急時の政府権限を定めても実際には機能しないのだ。

武漢ウイルス問題は私たちに日本国の在り方の歪(いびつ)さを突きつけているが、課題は他にもある。ウイルスに打ち勝つことがいま、最大の課題であるのは明らかだ。感染者の重症化を防ぎ、死者を出さない。国民各自が応分の負担をして充実した医療体制を整えることなしには、経済活動の再開も暮らしの立て直しも儘ならない。

「健康の一帯一路」を謳い始めた中国とは全く異なる、真の意味の医療大国を日本は目指すべきだ。それを国家戦略と定め、国を挙げて体制作りを急がねばならない。

『週刊新潮』 2020年5月21日号
日本ルネッサンス 第900回