2017年12月22日

◆日欧EPAで拓く日本の未来

櫻井よしこ


安倍政権の外交の巧みさを実感したのが、12月8日の日欧EPA交渉の妥
結だった。この日本と欧州連合との経済連携協定は、来年夏にも署名さ
れ、再来年春にも発効する。

ドナルド・トランプ米大統領は、12か国がギリギリの妥協を重ねてようや
くまとめた環太平洋経済連携協定(TPP)を、今年1月、いとも容易に
反故にすると発表した。これによって自由主義陣営の結束が危ぶまれた
が、今回の日欧EPAの合意には、TPP頓挫の負の影響を着実に薄める
力がある。

日欧EPAは世界の国内総生産(GDP)の約3割、貿易総額の約4割を扱
う。日本が参加する自由貿易協定(FTA)としては最大規模で、日欧間
貿易では最終的に鉱工業製品、農産品の関税がほぼ全廃される。

たとえばいま自動車輸出には10%の関税がかけられているが、これが協定
発効から8年目にゼロになる。韓国はすでにEUと自由貿易協定を結んで
いるため、関税ゼロで自動車や部品を輸出している。日本は10%の関税を
かけられる分、不利な闘いを強いられてきたが、これで対等に競い合える。

日欧EPAのこの条件は、アメリカも無視できないだろう。アメリカとは
TPPで2.5%の関税を25年目に撤廃することで合意しているが、それに
較べても、ずっと有利な協定を日本は勝ちとったのである。

自動車輸出では目に見える大きなメリットを日本は確保したが、EUから
の輸入について問題がないわけではない。キヤノングローバル戦略研究所
の研究主幹、山下一仁氏の指摘によると、EUの対日輸出では、ワインも
チーズも関税はゼロになるものの、チーズに関しては輸入枠をオークショ
ンで業者に売るために、価格は下がらないというのだ。

従って日本の酪農家にも影響は及ばない。本来なら、より厳しい競争に晒
されて日本の酪農産業の基盤を強化する好機とすべきだが、必ずしもそう
ならない。長い将来を展望するとき、日本の酪農産業はこのままで良いの
かという深刻な疑問が残る。

双方に大きなメリット

日欧EPAで日本の対EU輸出は約24%、EUの対日輸出は約33%増える
と見られ、双方に大きなメリットがある。だが、日欧EPAの意義はそこ
にとどまらない。より注目すべき点は協定の内容の透明度の高さにある。

たとえば知的財産の保護、電子商取引の透明性、鉄道など政府調達分野へ
の市場アクセスの拡大、サービス貿易、企業統治などがより公正なルール
で行われるよう、高い水準の規則が設けられた。中国やロシアが貿易や取
引においてルールの透明性を欠く国であることは、今更指摘するまでもな
い。彼らは力に任せて自国有利の状況を作り出そうとする。他方イギリス
はEUを脱退し、アメリカはTPPを否定する。

そうした中で達成された今回の合意は、自由貿易を後戻りさせてはならな
いという日欧の決意であり、今後の国際的メガ協定の先駆けとなる。これ
から起きるであろうアメリカの変化を予測すれば、今、安倍首相がしてい
ることは、自由主義陣営を支える経済活動のルールをまさに日本が主軸と
なってEUと共に作ったということだ。これからの世界の自由貿易を日本
が主導する可能性が強まったということなのだ。

次に日本が目指すべきはTPPの合意だ。トランプ大統領のTPPへの強
い忌避感は、氏が多国間協定よりも2国間交渉を好むからというだけでな
く、TPPは前任者のオバマ氏が手掛けたものだからと言われている。

感情的要因が強いのであれば、トランプ大統領を説得するのは非常に難し
い。それでも安倍首相がアメリカ抜きの11か国でTPPをまとめたら、或
いは、新たな要求を持ち出して異論を唱えるカナダを除いて10か国でまと
めたらどうなるか。

11月に、ベトナム中部のダナンで参加11か国の閣僚会合において合意が確
認された際、カナダの新たな強い要求があって合意は流れそうになった。
土壇場での変心を茂木敏充経済再生担当相は「こういうことを詐欺と言う
んじゃないか!」と怒ったそうだが、安倍首相は、カナダ抜きの10か国で
も合意を成立させ、年明けにも署名式を行う方針だ。

それが実現した場合を山下氏が予測した。

「TPPが成立すれば、日本はオーストラリアの牛肉を9%の関税で輸入
することになります。他方、TPPに入らないアメリカの牛肉には38.5%
の関税が続きます。明らかにアメリカンビーフは不利です。マーケットか
ら排除されかねない。乳製品でも小麦でも、その他でも同じことが起こり
ます」

豚肉も小麦も

氏はさらに続けた。

「アメリカは日欧EPAの影響も受けます。豚肉も小麦も、TPPで起き
る現象と同じようなことが次々に起きると言ってよい。トランプ大統領が
どれほどTPPはいやだと言っても、アメリカの国益を考えれば入らざる
を得なくなります。逆にアメリカが入れて欲しいと言う立場に立たされる
でしょう」

TPPはオリジナルの12か国が参加すれば世界のGDPの約38%を占める
規模だ。アメリカ抜きなら約13%、カナダも抜ければ約11%である。それ
でも日本が主軸となってまとめるのは、前述したように大変重要な意味が
ある。

実利面からアメリカも参加せざるを得ない場面が生ずることに加えて、自
由主義陣営の大事な価値観を守り抜く意味合いがある。何と言っても、自
由貿易、公正なルール、民主主義、国際法による問題解決などといった価
値観を尊重する国々のメガFTAが、ふたつ出来るのだ。合わせると世界
貿易の約半分が、透明性の高いルール圏で取引されることになるのだ。

日欧の今回の合意内容は、中国が世界に発信した彼らなりの経済のあり方
とは明確に異なる。中国は10月の共産党大会で、人口13億人以上の社会主
義大国を指導するには国民全員が優れた本領を身につける必要がある、優
れた本領はマルクス主義の学習によって養われると宣言した。党の指導を
徹底させるために、外国資本の民間企業も含めて、企業内に共産党の支部
を設けよと指導する。

すでに外国企業の70%が共産党の「細胞」組織を設置しており、各企業の
情報は中国共産党に筒抜けになっていると考えた方がよい。知的財産の窃
盗も含めて、何でもありの経済体制が中国で公に強化される傍らで、日本
主導の日欧EPAが合意に至ったのだ。非常に心強い。

安倍首相は、いまこそ、自らの考える地球儀を俯瞰した外交戦略を推し進
めるのがよい。そのときに、忘れてはならないのは、経済活動にも強さが
必要で、憲法改正こそが全ての根本にあるという点だ。

『週刊新潮』 2017年12月21日号 日本ルネッサンス 第783回

2017年12月21日

◆731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦

櫻井よしこ


「731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦 事実の歪曲・捏造阻止へ全容の
解明を」

米国と中国の大きな相違は民主主義体制か専制独裁体制かとの点にとどま
らない。米国は呑み込まない国、中国は呑み込む国である。米国は自国の
広大な国土に満足しており、それ以上に植民地や国土を拡張しようとは考
えていない。中国はすでに広大な土地を手に入れているにもかかわらず、
これからも他国の領土領海を奪い膨張しようとする国である。

もうひとつ大事なのは、米国は歴史を乗り越えようとする国、中国は歴史
を恨み復讐する国だということである。

他国の土地を奪う点についての米中の相違は、米国が植民地だったフィリ
ピンの独立を認め、沖縄をわが国に返還したのに対し、中国はチベット、
モンゴル、ウイグルの3民族から奪った国土は絶対に返さないことだ。

3民族の国土は現在の中華人民共和国の60%に当たる。加えて中国は現在
もインド、ブータン、北朝鮮、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシ
ア、インドネシア、日本などの国土を自国領だとして奪い取りつつある。

歴史への向き合い方も米中ではおよそ正反対だ。まず私たちはさまざまな
想いを込めてバラク・オバマ前米大統領と安倍晋三首相の広島、及びパー
ルハーバー訪問を想い出すことができるだろう。

他方中国は、アヘン戦争以来、帝国主義諸国に奪われ続けたという視点に
立ち、中華民族の偉大なる復興として、「失ったもの」を取り戻す作業に
とりかかっている。その根底をなすのが復讐の想いであり、それを可能に
するのが中国共産党の指導力という位置づけだ。前置きが長くなったが、
その結果何が起きているかが、今回の当欄で指摘したいことだ。

対日歴史復讐戦として仰天する非難がまたもや言い立てられ始めた。「中
国日報」(China Daily)が11月13日付で、旧日本軍の731部隊が少なくとも
3000人の中国人を人体実験して殺害し、30万人以上の中国人を生物兵器で
殺害したと報じたのだ。

また30万人か。「南京大虐殺」の犠牲者30万人は多くの研究によって虚構
であることが明らかにされている。慰安婦30万人を旧日本軍が殺害したと
いうことも、絶対にあり得ない。だが、中国共産党は右の2つの「30万人
被害説」を、国を挙げて主張し、世界に広めてきた。いままた、対日歴史
復讐戦として731部隊の犠牲者30万人説が持ち出された。

中国日報は、黒龍江省のハルビン社会科学院の研究者四人が米国立公文書
館、議会図書館、スタンフォード大学フーバー研究室で2300頁に上る資料
を発見したと報じている。

4人のうちの1人、リュウ・リュージア氏(女性)は「細菌戦における731
部隊と軍の密接な関係を示す研究資料が大量に含まれている。資料には多
くの英語による書き込みがある。誰が何を意味して書いたのかはこれから
の研究だ」と語っている。

リュウ氏は同僚たちとこれまで7年を費やして資料を集めたそうだ。その
結論として30万人が731部隊に殺害されたと主張するわけだ。

731部隊に関する資料の多くは戦後米国に持ち去られた。日本で発表され
た衝撃的な報告として日本共産党などが盛んに取り上げた森村誠一氏の
『悪魔の飽食』が想い出される。

30万人説を早くも打ち出したリュウ氏らの研究は純粋な歴史研究というよ
り対日歴史復讐戦の一環と見るべきだろう。中華民族の偉大なる復興を目
指す習近平主席は自身の体制維持のために、進んで日本を貶める。当然、
731部隊に関しても事実の歪曲や捏造が起きるだろう。それを防ぐには、
日本人にとって触れられたくないテーマだとしても、研究を進め事実の全
容を明らかにすることが必要だ。

このようなことにこそ、外務省に与えた歴史の事実発信のための500億円
を活用することが大事である。

『週刊ダイヤモンド』 2017年12月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1209

2017年12月20日

◆習近平は権力基盤を固めたか

  櫻井よしこ

いま64歳の中国国家主席、習近平氏はいつまで君臨するのか。毛沢東と並
ぶ絶対権力者としての地位を固め得るのか、軍は掌握しているのかなど、
見極めるべき点は多い。

なんと言っても、氏は中華人民共和国建国100年の2049年までに「中華民
族は世界の諸民族のなかにそびえ立つ」と宣言する人物だ。

中国共産党創設から100年目が20年だが、氏は、それまでに、経済、民主
的制度、科学・教育においてより充実し、調和的で人々の生活がより一層
豊かな小康社会を実現させると公約した。

それからさらに15年後の35年までには、社会主義現代化を実現するそう
だ。具体的にはアメリカを追い抜いて世界一の経済大国になり、中華文化
の広く深い影響力を各国に浸透させることを習氏は希望している。

そこからもう一度、15年後、中国は他の国家に抜きん出る軍事力を構築す
るという。国を支える経済力と軍事力、「富強」の双方で人類最強の国と
なり、中華民族が「世界の諸民族のなかにそびえ立つ」夢を実現すると、
習氏は繰り返した。

氏は「アヘン戦争(1840年)以降、中国は内憂外患の暗黒状態に陥り」苦
労の連続だったが、中華民族は3段階の偉大な飛躍を実現したと強調す
る。それは「立ち上がり」(站起来、毛沢東)、「豊かになり」(富起
来、ケ小平)、「強くなった」(強起来、習近平)−−の3段階だ。自身を
毛、ケと同列に置いたのである。

こんな野望を抱く習氏が、10月の党大会で有力後継者とされた人材を排除
して一強独裁体制の基盤を整えたという見方がある。他方、そうではない
と異議を唱える専門家もいる。その一人が「産経新聞」前北京特派員の矢
板明夫氏である。

氏の近著『習近平の悲劇』(産経新聞出版)の指摘には説得力がある。中
でも習氏と人民解放軍(PLA)の関係の分析には注目したい。

軍を信用していない

PLAはケ小平時代に7大軍区に分けられ、各軍区にはそれぞれ役割が課
せられていた。習氏は16年2月に7大軍区を5大戦区に変革し、それまでで
きていなかったPLAの統合運用を可能とし、軍の機能も高まったと解説
されてきた。私もそう考えてきた。

矢板氏はしかし、この軍改革はとどの詰まり、権力闘争だったのであり、
統合運用以前の問題だという構図を分析してみせた。習氏の目標は7大軍
区の内の瀋陽軍区と蘭州軍区を潰すことだったという。前者は徐才厚上将
が司令官を務め、後者は郭伯雄上将が司令官を務めていた。

徐才厚、郭伯雄は共に胡錦濤政権を支えた。習氏は腐敗撲滅運動と称して
政敵を倒してきたが、徐才厚は14年に、郭伯雄は15年に摘発され、胡前主
席を支えた軍の最高幹部2人は物の見事に失脚させられた。

習氏は2人が司令官を務めていた瀋陽軍区と蘭州軍区も潰そうとしたが、
そこまでの力はなかった。かわりに成都軍区と済南軍区を潰して東西南北
中の5大戦区にした。瀋陽軍区は北部戦区として、蘭州軍区は西部戦区と
名称を変えて残った。

驚くべきことは5大戦区の人事である。

「5人の司令官の内、4人までも、AからB、BからC、CからAといった
形で国替えさせた」にすぎないと矢板氏は表現している。

狙いは上官と部隊を強引に切り離すことだ。習氏は現場を信用していない
のだ。国家主席として軍の全権掌握を目指す習氏はこれ以外にも軍の制度
改革を行った。たとえば4総部の解体である。

PLAには4総部と呼ばれる中枢組織があった。総参謀部、総政治部、総
後勤部、総装備部である。これを16年1月に解体して15の局に分散した。
結果、軍の全体像を把握できるのは習氏1人になった。習氏は本当に軍を
信用していないのであろう。

氏は共産党中央軍事委員会の委員長だ。文字どおり、軍のトップだが、そ
の地位にありながら、部下である軍幹部や部隊を信用していないのであれ
ば、PLAの側にも習氏への全幅の信頼があるとは言えないだろう。

15年9月3日に、習氏は抗日戦勝利70周年の軍事パレードを、韓国の朴槿恵
大統領(当時)やロシアのプーチン大統領を招いて行った。そのときに
「30万人の軍縮」を突然発表したが、同削減案に対する軍の反発、不安も
強いという。

今年3月に全国人民代表大会が開催されたが、直前の2月22日、数千人の退
役軍人が就職の斡旋と待遇改善を求めて北京中心部で大規模なデモを行っ
た。「退役軍人は全員、軍事訓練を受けた」人々で、「組織化され」てい
る。加えて治安を担当する武装警察は彼らに対して殆ど手を出さないとい
うのだ。政権にとっては大いなる脅威であろう。

反日に走る構図

また、PLAが自らの存在価値を知らしめるために対外強硬路線を取る可
能性も矢板氏は指摘する。一例が、16年6月にインドが自国領だと主張す
るアルナチャルプラディッシュ州に2中隊250人のPLA兵士が侵入し、イ
ンド軍が戦闘準備態勢に入り緊張が高まったことなどだ。

習氏の統治の特徴は自身へのより高度の権力集中であり、その裏返しとし
ての国民や軍、あらゆる分野へのより強い締めつけである。習氏が第2の
毛沢東を目指していると分析される理由もここにある。

矢板氏は習氏の外交の特徴を3点に絞る。➀脱韜光養晦(とうこうようか
い)、つまり低姿勢からの脱却、➁ケ小平時代以来の全方位外交からの脱
却、➂胡錦濤時代まで続いた経済主軸外交からの脱却、である。

わが道(中華の道)を行くという政策だと考えてよいが、その中で政権の
求心力を高める基本が反日である。12年の習政権発足以来、尖閣諸島への
航空機、艦船による領空、領海侵犯が繰り返し行われた。

13年からの反靖国参拝キャンペーンでは世界各地の中国大使に任国で反靖
国キャンペーンを張らせた。結果、スーダンやアルゼンチンなど、遠いア
フリカ、南米諸国で反靖国の主張が展開された。

14年には12月13日を南京事件の国家追悼日として定めた。

15年には抗日戦勝利70周年の軍事パレードを突如、行った。

16年夏には尖閣諸島に漁船400隻が大挙して押し寄せた。それらに乗り組
んでいたのは100名以上の武装海上民兵だった。また、16年にはそれまで
くすぶっていた徴用工問題で中国の司法が積極的に対日企業訴訟を受理し
始めた。

17年には731部隊が30万人の中国人を殺害したと報じ始めた。

軍との相互信頼に欠け、経済改革にも失敗している習氏が第2の毛沢東を
目指し、求心力を高めるために、反日に走る構図が見てとれる。習体制の
実の姿をよく見て、こちら側の備えを固めることが大事だ。

『週刊新潮』 2017年12月7日号 日本ルネッサンス 第781回

2017年12月19日

◆資金潤沢なNHKの受信料判決に失望

櫻井よしこ

「資金潤沢なNHKの受信料判決に失望 立法府を動かすには国民の意
識が重要に」

12月6日、最高裁判所大法廷がNHKの受信料について初の判断を示し
た。一言でいえば、判決には失望した。

テレビを所有していながら、受信料支払いを拒否していた男性に、NHK
は受信料を請求できるか、受信設備を持ったらNHKと契約しなければな
らないと定めた放送法64条1項は合憲か、が争われていたケースだった
が、寺田逸郎裁判長は「表現の自由を実現する放送法の趣旨にかなう。

NHKが受信料を請求することは合憲」と判断した。「テレビを設置した
からといって、NHKと受信契約を結ばなければならないのは、契約の自
由を侵すものだ」という原告側の主張は完全に退けられたわけだ。

これでNHKは、テレビを設置する人々全員に受信料を請求、徴収するこ
とが可能になる。私のようにテレビはあるが、NHKは見たくない、或い
は事実上見ていない人々も、支払いを法的に迫られることになる。

原告男性の代理人の一人、高池勝彦弁護士は、インターネット配信の「言
論テレビ」で12月1日、NHK受信料制度の欠陥についてこう語った。

「公共の福祉という視点では、サービスはそれを求める人が要求すると
き、サービスを供給する側は承諾しなければならないというのが基本で
す。たとえば、私が家を建てたとします。水道が要ります。水道会社は私
の要請に応じて、水道を引かなくてはいけません。

ところがNHKのやり方は、私の家に井戸があって豊富な水が湧きでてい
るため、水道は要らないと断っているのに、絶対に水道を引けと要求して
いるに等しいのです。NHKの手法、それを支えている放送法の精神は、
あるべき姿と逆です」

現在NHKは年間売り上げ(受信料など)7547億円、民放の、たとえば日
本テレビの3054億円に較べると、2.5倍である。民放よりもはるかに潤沢
な資金がある。

NHKの受信料について今年3月29日に、東京地方裁判所がビジネスホテ
ルチェーン大手の「東横イン」に19億円余の支払いを命じた判決は見逃す
ことができない。

NHKは東横インに、全客室分の受信料を払え、過去2年間の3万4000室分
の未払い料金を払えと要求していたが、裁判所はNHKの主張をほぼ全面
的に認めたのだ。

NHKの新たな受信料大獲得作戦に通ずる右の支払い要求の原理は、ホテ
ルや旅館に対しては、テレビを備えている客室毎に受信料を徴収するとい
うものだ。

言論テレビで作家の門田髀ォ(かどたりゅうしょう)氏が次のように語った。

「いま受信料は地上波とBSで合わせて月額3590円です。旅館とホテルを
合わせて現在約160万の客室があります。各々テレビがついている。
NHKはその全室から月額3590円を取ろうと言うのです。これは年額689
億円になります」

NHKは強欲だ。今回の裁判の原告側代理人の一人、林いづみ弁護士が警
告した。

「今回の最高裁判決はテレビについてですが、今後インターネット端末に
もこの理論が適用されれば重大な影響がでます。時代に合う徴収のあり方
はもはや立法の問題だと私は考えます。国民がどう考えるかが重要です」

最高裁は「表現の自由」と「知る権利」の重要性を指摘した。ならば問わ
なければならない。NHKは放送者として国民の知る権利を真に満たして
いるか、と。彼らは放送の公正さを規定した放送法四条を全く満たしてい
ないと、私は強調したい。

NHKの偏向報道振りは加計学園問題の事例からも明らかだ。放送の公正
さを求めるには、やはり立法府を動かすしかない。それには私たち国民の
意識が何よりも大事だと実感する。

『週刊ダイヤモンド』 2017年12月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1211 

2017年12月17日

◆ 「慰安所の帳場人の日記」は何を物語るか」

                   櫻井 よしこ


東亜大学人間科学部教授の崔吉城氏の近著に、『朝鮮出身の帳場人が見た
慰安婦の真実 文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』(ハート出版)
がある。

この「慰安所日記」とは、戦中、ビルマ(現ミャンマー)やシンガポール
の慰安所で帳場人として働いていた朝鮮人男性の日記だ(以下『帳場人の
日記』)。慰安所の実態を誰よりもよく知る立場にあった人物の記録であ
り、慰安婦の実態を知るこの上ない手掛かりとなる。それだけに、意気込
んで手に取ってみた。

しかし、読んでもどかしい思いが残る。もっとはっきり知りたいと思うと
ころに仲々行きつかない。

崔氏は3年前、同じ出版社から『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』
も上梓している。合わせて読めば、氏が『帳場人の日記』に深い関心を寄
せ続けてきたこと、日記をできるだけ客観的に読み解こうとしていること
も、明らかである。

氏は、「国家や戦争などを通じて性を考察すること」をテーマとしてきた
という。背景には、10歳の頃に勃発した朝鮮戦争の体験があった。序章か
ら引用する。 

「国連軍は平和軍であり、共産化、赤化から民主主義を守ってくれる天使
のような軍だと思われていた。だからみんなが手を振って迎えたのに、村
の女性に性暴行するとは、思いもよらないことであった」

氏の生まれ故郷の村では儒教的な倫理観が強かった。しかし、「戦争とい
う不可抗力と、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦、つまり『米軍
慰安婦』を認めざるを得なかった」、「国連軍に翻弄された小さな私の故
郷の村は、売春村となった」、それによって「一般の女性たちが性暴行を
免れることができた。いま問題となっている慰安婦問題にも、そうした側
面があったのか」と、氏は問うている。重要な問いだ。

慰安婦問題は日本だけではなく、国連軍や各国の軍を含めた問題である。
さらに加害、被害の両面において、韓国自身も関係するという認識が、崔
氏の分析を公正なものにする力となっている。

韓国では「慰安婦は被害者から愛国者へと変換され、民族的英雄のように
銅像が建てられ、拝まれているが、実はその現象は、新しいものではな
い」と氏は指摘し、 妓生(きーせん)の論介(のんげ)の例を引用する。

当時の事実

朝鮮の人々が日本人を「倭」と呼んでいた時代、妓生の論介は国を守るた
め、敵である日本の武将を抱いて川に身を投じたそうだ。韓国の人々は慶
尚南道晋州に彼女を奉る『義妓祠』を建てて、彼女を英雄から神に祭り上
げた。妓生や売春は儒教的道徳観によって否定されるが、政治的要素で状
況は大きく変わり得るということだ。

『帳場人の日記』は4年前の2013年8月、ソウル大学名誉教授の安秉直(ア
ンビョンジク)氏が解説する形をとって韓国で出版された。同書は韓国に
おいて、慰安所は「揺るぎない日本軍の経営」の下にあり、従って慰安婦
も厳しく監視されていたという主張の論拠となる資料だとされた。反対に
日本では、慰安所が公娼制度の下で営まれていたことを示す証拠と見做さ
れた。

前述のように崔氏は、どちらの側にも与(くみ)しないよう、慎重に本にま
とめた。内容が物足りないのは、日記の日本語訳が部分的な引用にとどま
り全体として示されていないからであろう。全てを日本語訳で出版できな
いわけを私は知る由もないが、慰安婦問題を正しく知る上で残念なことだ
と思う。

それでも崔氏の著作は、当時、慰安所がどのように位置づけられていたの
か、どんな人々が関わっていたのかを、教えてくれる。過去の事象に現代
の価値観や見方を当てはめるのではなく、帳場人だった朴氏の視線を通じ
て当時の事実を見せてくれる。朴氏は1942年7月に釜山からビルマのラン
グーンに向かう船上にいた。第4次慰安団の一員だったのだ。同じ船に、
高額の貯金を残したことが日本でも知られている慰安婦の文玉珠氏も乗っ
ていた。

ラングーン到着後、朴氏は暫くして慰安所で働き始める。11月にはアキャ
ブという所に移動しているが、この地にあるシットウェーという港は、近
年中国が巨額の資金を投じて整備し、中国海軍が拠点としている。年が変
わった43年、氏は再びラングーンに戻り、その後幾つもの市や町を移動し
た。慰安所は1カ所に定着して営業することはあまりないのだと実感する。

各地を移動し、43年の9月末にはシンガポールに移り、朴氏は翌年の44年
12月に故郷に戻った。

その間に朴氏は自分や同僚のために、また慰安婦の女性のためにも驚く程
の送金をしている。たとえばビルマに戻って日も浅い43年1月16日、朴氏
は慰安所経営者の山本龍宅氏から3万2000円を故郷の家族に送金するよう
指示されたと書いている。実はこの山本氏は、朴氏の妻の兄弟である。朴
氏の働いた慰安所は同胞が経営していたのだ。朴氏の日記には慰安所経営
者として多くの日本名が登場するが、人間関係を辿っていくと、その多く
が朝鮮人だと崔氏は指摘する。

「本人に戻るブーメラン」

朴氏が、妻の兄弟から送金を頼まれた3万2000円は現在の貨幣価値ではど
のくらいなのか。崔氏は当時の公務員の給与を75円、それがいま約20万円
として計算した。3万2000円は現在8530万円になる。

「実に、1億円近い大金が、行き来していたわけである」と崔氏は驚いて
いるが、朴氏が朝鮮の家族や自分の口座に送金した中に、1万円台、2万円
台、3万円台の額が目につく。1億円近い額を2年の間に数回送金できた
程、慰安所経営は利益が上がったということだ。

他の多くの慰安所でも同じような状況があったはずだ。女性たちも高額の
収入を手にし、経営者は慰安所を営み、時にはそれ自体を売買していた。

わずかだが、慰安所での生活も紹介されている。朴氏は公休日には映画を
よく見たようだ。「たいていは同業者と一緒」だが、「時には慰安婦たち
や仲居などと一緒」だった。「鉄道部隊で映画があり、慰安婦たちが見て
きた」という記述もある。

朴氏の日記を精読した崔氏が結論づけている。そこには慰安婦の強制連行
に繋がるような言葉すらない、と。氏は、「性的被害をもって問題とする
ことは、どの国、どの民族でも可能だ」、従って「韓国が、セックスや貞
操への倫理から相手を非難することは、韓国自身のことを語ることに繋
が」る「いつか必ず本人に戻るブーメラン」だと強調する。韓国はそのよ
うな対日非難をただちに中止すべきだというのが氏の結論だ。私は同感だ
が、トランプ大統領との晩餐会に元慰安婦を招く政権の耳には、この直言
は届かないのである。

『週刊新潮』 2017年12月14日号 日本ルネッサンス 第782回

    

2017年12月15日

◆米国と対等の地位を印象づけた中国

櫻井よしこ

「米国と対等の地位を印象づけた中国 日本にとって最悪の国際環境が到来」

後世、ドナルド・トランプ米大統領の初のアジア歴訪は、米中の力関係逆
転の明確な始まりと位置づけられるだろう。そこに含まれている歓迎すべ
からざるメッセージは中国共産党の一党独裁が、米国の民主主義に勝利し
たということであろう。中華民族の偉大なる復興、中国の夢、一帯一路な
ど虚構を含んだ大戦略を掲げる国が、眼前の利害に拘り続けるディール
メーカーの国に勝ったということでもある。

日米両国等、民主主義でありたいと願う国々が余程自覚し力を合わせて体
制を整えていかない限り、今後の5年、10年、15年という時間枠の中で国
際社会は、21世紀型中華大帝国に組み込まれてしまいかねない。

孫子の兵法の基本は敵を知り、巧みに欺くことだ。中国側はトランプ氏と
その家族の欲するところをよく分析し、対応した。自分が尊敬されている
ところを形にして見せて貰うことに、過去のいかなる米大統領よりも拘る
性格があると、米紙「ウォールストリート・ジャーナル」が11月10日付で
書いたのがトランプ氏だ。中国側はこの特徴を巧みに利用した。それが紫
禁城の貸し切りと100年以上未使用だった劇場での京劇上演に典型的に表
れた。

トランプ氏は、中国訪問後にベトナムのダナンでアジア太平洋経済協力会
議(APEC)の首脳会議に出席し、その後ハノイに向かったのだが、ダ
ナンからハノイに向かう大統領専用機で行った随行記者団との懇談で、以
下のように語っていた。

「紫禁城のあの劇場は、今回、100年ぶりに使用されたんだ。知ってる
か? 100年間で初めて、彼らは劇場を使ったんだ。なんとすばらしい
(amazing)。我々は相互に凄い友情を築いた」

トランプ氏がどれ程喜んでいるかが伝わってくる。ちなみに氏の話し方の
特徴は、同じ内容を2回、3回と繰り返すことで、辟易する。たとえば、
「習(近平)とは非常にいい関係だ。彼らが準備した接遇は、今までにな
い最大規模のもてなしだ。今まで1度もなかったんだ。彼は『国賓待遇プ
ラス』と言った。彼は言った。『国賓待遇プラスプラス』だと。本当に凄
いことだ」という具合だ。

もう一点、中国が活用した対トランプ原則が「カネの効用」だった。28兆
円に上る大規模契約(スーパービッグディール)で、元々理念のないトラ
ンプ氏は民主、自由、人権、法治などの普遍的価値観に拘る米国の「理念
外交」を捨て去って、彼特有の商談を優先する「ディール外交」に大き
く、わかり易く転じたのである。

ではこれで中国側が得たものは何か。実に大きいと思う。まず、北朝鮮問
題では、中国が最も懸念していた米軍による攻撃が、少なくとも暫くの
間、延期されたと見てよいだろう。日本政府には今年末から来年にかけて
何が起きてもおかしくないとの見通しがあった。

しかし、米中が握った今、軍事紛争に発展する可能性は、金正恩氏が新た
な核実験や今まで一度も行っていない米国東部に到達する大陸間弾道ミサ
イルの実験に踏み切らない限り、少なくとも、先延ばしされたと見てよい
だろう。

孫娘のアラベラさんが中国語で歌う姿をトランプ氏はアイパッドで習近平
夫妻に披露したが、曲目は、「希望の田野の上で」だった。習夫人の彭麗
媛氏が1982年に歌ってスターダムに駆け上がるきっかけとなったものだ。
「満点だ」と習氏は破顔一笑した。米国がまるで教師にほめられた学生の
ように見えた場面だった。

北朝鮮対処という個別案件で「最悪の軍事衝突」を回避したうえに、世界
注視の中で中国は米国と対等の地位を印象づけ、中国の時代の到来を誇示
して見せた。米国圧倒的優位から米中対等関係への変化は、日本にとって
最悪の国際環境であることを肝に銘じたい。

『週刊ダイヤモンド』 2017年11月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1208

2017年12月14日

◆中国共産党大会後に不穏な変化の兆候

櫻井よしこ

「中国共産党大会後に不穏な変化の兆候 強権体質の習氏に安易な妥協は
禁物」

「産経新聞」北京支局の藤本欣也記者が11月29日付紙面で、中国軍元高官
の自殺を報じた。自死したのは中国人民解放軍(PLA)上将の張陽氏
で、先に拘束された徐才厚、郭伯雄両軍人の事件に関連して取り調べを受
けていた。

張氏は軍の人事や政治・思想部門のトップを務めていた。このような重要
な地位にあった人物の自殺が大きな衝撃を与えていると、藤本記者は報じた。

右に名前を挙げた軍人らはいずれも胡錦濤前国家主席派である。習近平国
家主席の下で、胡錦濤派軍人の受難が続いている。

2014年には徐氏、15年には郭氏が、そして16年には田修思氏が、いずれも
重大な規律違反の疑いで拘束された。徐氏は起訴手続き中に既に死亡、郭
氏は収賄罪で無期懲役が確定済みだ。

田氏は胡錦濤派ではないが、習氏の軍の制度改革に反対したことで逮捕さ
れたらしい。

さて、右の4氏は全員、PLAの上将だ。PLAの最高階級は元帥で、そ
の下に大将がいる。元帥と大将は日中戦争と国共内戦に参加した軍の指導
者20人にだけ授与されたが、現在は全員が鬼籍に入っているために空席だ
と、産経新聞の元北京特派員、矢板明夫氏が解説している。

つまり、大将の下の階級である上将が、現在のPLAの最高階級なのだ。
約30人がこの階級を与えられているが、習体制の下で、軍最高位指導者の
1割以上の4人が既に失脚している。異常事態だと言ってよいだろう。

中国出身の評論家、石平氏が行った「習近平観察」が興味深い。10月の第
19回中国共産党大会で党総書記に再任されて以降、習氏はわずか10日間で
PLAの活動に4回も参加したという。

11月4日には迷彩服姿で全軍の指揮を執る演出もしてみせた。翌5日には軍
の最高組織、中央軍事委員会が全軍に「軍事委員会の主席負責制を全面貫
徹させる意見書」を出した。軍事委員会の全業務は習氏の独占的決裁権と
命令権の下で行われるという意味であり、これはPLAを中国共産党の軍
から習氏個人の軍隊へと変質させようとしているのだと、石氏は解説して
いるが、そのとおりだろう。

中国は10月の共産党大会以降、不穏な変化の兆候を見せている。原因は、
軍事、政治、経済の全分野で全権力が習氏に集中する構図ができたことだ。

共産党大会での3時間20分の演説で、習氏は党、政府、軍、民間、学校の
全分野の隅々に党の考えを徹底させなければならないとしつこく繰り返し
た。党の考えとは、習氏自身の考えだ。個人の考えと権威を全国民、全組
織、中国で活動する外資系企業、外国人を含めた全てに徹底させようとす
る姿勢は、北朝鮮の金正恩氏と全く同じである。

習氏の考えを中国の国民や中国企業を超えて、外国企業とその社員にも徹
底させるために、習政権は外資系企業も含めて全企業の内部に、共産党の
「細胞」を置くことを求めている。

細胞とは共産党特有の表現で、企業をはじめ、共産党が狙いをつけた組織
の中につくられる先鋭部隊のことだ。その設置目的は党の考え方を広め、
党の意向を経営や人事、方針に反映させることだ。西側社会では当然の自
由な企業経営や発想は、許さないという意味でもある。

21世紀とは思えないこの時代錯誤の要求に、中国内で活動する外資系企業
の既に7割が応じているとの報道がある。その一方で米国通商代表部のラ
イトハイザー代表は9月時点で中国共産党の要求する指針は「WTO(世
界貿易機関)の大地殻変動につながる」と警告した。

在中国のドイツ商工会議所も11月、中国市場からの撤退を含めた警告を発
した。日本はまだ明確に反応していないが、強権体質の習氏の中国に安易
な妥協は禁物である。『週刊ダイヤモンド』 2017年12月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1210 


2017年12月13日

◆中国共産党大会後に不穏な変化の兆候

櫻井よしこ

中国共産党大会後に不穏な変化の兆候 強権体質の習氏に安易な妥協は禁物」

「産経新聞」北京支局の藤本欣也記者が11月29日付紙面で、中国軍元高官
の自殺を報じた。自死したのは中国人民解放軍(PLA)上将の張陽氏
で、先に拘束された徐才厚、郭伯雄両軍人の事件に関連して取り調べを受
けていた。

張氏は軍の人事や政治・思想部門のトップを務めていた。このような重要
な地位にあった人物の自殺が大きな衝撃を与えていると、藤本記者は報じた。

右に名前を挙げた軍人らはいずれも胡錦濤前国家主席派である。習近平国
家主席の下で、胡錦濤派軍人の受難が続いている。

2014年には徐氏、15年には郭氏が、そして16年には田修思氏が、いずれも
重大な規律違反の疑いで拘束された。徐氏は起訴手続き中に既に死亡、郭
氏は収賄罪で無期懲役が確定済みだ。

田氏は胡錦濤派ではないが、習氏の軍の制度改革に反対したことで逮捕さ
れたらしい。

さて、右の4氏は全員、PLAの上将だ。PLAの最高階級は元帥で、そ
の下に大将がいる。元帥と大将は日中戦争と国共内戦に参加した軍の指導
者20人にだけ授与されたが、現在は全員が鬼籍に入っているために空席だ
と、産経新聞の元北京特派員、矢板明夫氏が解説している。

つまり、大将の下の階級である上将が、現在のPLAの最高階級なのだ。
約30人がこの階級を与えられているが、習体制の下で、軍最高位指導者の
1割以上の4人が既に失脚している。異常事態だと言ってよいだろう。

中国出身の評論家、石平氏が行った「習近平観察」が興味深い。10月の第
19回中国共産党大会で党総書記に再任されて以降、習氏はわずか10日間で
PLAの活動に4回も参加したという。

11月4日には迷彩服姿で全軍の指揮を執る演出もしてみせた。翌5日には軍
の最高組織、中央軍事委員会が全軍に「軍事委員会の主席負責制を全面貫
徹させる意見書」を出した。軍事委員会の全業務は習氏の独占的決裁権と
命令権の下で行われるという意味であり、これはPLAを中国共産党の軍
から習氏個人の軍隊へと変質させようとしているのだと、石氏は解説して
いるが、そのとおりだろう。

中国は10月の共産党大会以降、不穏な変化の兆候を見せている。原因は、
軍事、政治、経済の全分野で全権力が習氏に集中する構図ができたことだ。

共産党大会での3時間20分の演説で、習氏は党、政府、軍、民間、学校の
全分野の隅々に党の考えを徹底させなければならないとしつこく繰り返し
た。党の考えとは、習氏自身の考えだ。個人の考えと権威を全国民、全組
織、中国で活動する外資系企業、外国人を含めた全てに徹底させようとす
る姿勢は、北朝鮮の金正恩氏と全く同じである。

習氏の考えを中国の国民や中国企業を超えて、外国企業とその社員にも徹
底させるために、習政権は外資系企業も含めて全企業の内部に、共産党の
「細胞」を置くことを求めている。

細胞とは共産党特有の表現で、企業をはじめ、共産党が狙いをつけた組織
の中につくられる先鋭部隊のことだ。その設置目的は党の考え方を広め、
党の意向を経営や人事、方針に反映させることだ。西側社会では当然の自
由な企業経営や発想は、許さないという意味でもある。

21世紀とは思えないこの時代錯誤の要求に、中国内で活動する外資系企業
の既に7割が応じているとの報道がある。その一方で米国通商代表部のラ
イトハイザー代表は9月時点で中国共産党の要求する指針は「WTO(世
界貿易機関)の大地殻変動につながる」と警告した。

在中国のドイツ商工会議所も11月、中国市場からの撤退を含めた警告を発
した。日本はまだ明確に反応していないが、強権体質の習氏の中国に安易
な妥協は禁物である。『週刊ダイヤモンド』 2017年12月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1210 

2017年12月12日

◆習近平皇帝に屈服、トランプ大統領 

     櫻井よしこ

トランプ敗れたり。

これが北京での米中首脳会談、それに続くベトナム・ダナンでのアジア太
平洋経済協力会議(APEC)におけるドナルド・トランプ、習近平両首
脳の発言を聞いての結論である。

私たちの眼前で起きているのは、米中どちらが世界のルールメーカーにな
るかの、熾烈な闘いだ。かつて東西の冷戦でアメリカはソ連に勝利した。
いま米中の闘いは米ソのそれのようにイデオロギーで割りきれる単純なも
のではない。

どれ程中国のやり方が嫌でも、どうしても切り離せない所まで相互に織り
込み合った経済関係の中に世界全体があり、しかし掲げる価値観はあくま
でも相容れないという状況下で、米中どちらが覇権を奪うかは周辺諸国に
とってこの上なく深刻な問題だ。アメリカにとっては超大国の座と国運を
賭けた闘いである。

この闘いの真の意味を理解しているのは中国側である。トランプ氏以下、
大統領に助言を与え続けていると思われるヘンリー・キッシンジャー氏も
含めて、アメリカ側はそのことについて理解が及んでいないのではない
か。従ってアメリカには大戦略がない。あるのは眼前の利害を重視する戦
術だけではないか。

中国で盛んに喧伝されているのが「中国5000年の歴史」である。中国共産
党と習政権が作り上げる新たな歴史物語は、国民を鼓舞し、中国共産党の
権威を高めるために是非必要なフィクションだ。中国の歴史は他国の及ば
ない規模であるためには、5000年でなければならないのである。

トランプ大統領はアメリカの歴史の20倍以上も長い中国の歴史について聞
かされ、壮大な建築物や見事な歴史遺産を見せられ、さぞ、印象を深めた
ことだろう。

国賓以上のもてなしはトランプ氏を圧倒的に魅了するためであり、紫禁城
の貸し切りも、習夫妻直々の案内も同様だったはずだ。

歯の浮くような賛辞

加えて、中国が提示した28兆円に上る種々の契約は、ディール好きで、
ディールの名人と自称するトランプ氏の心を掴んだことだろう。確かに誰
しもが驚いた金額だが、すでに始まった詳細な分析では、28兆円は従来の
中国の対米投資を含めた累計で、その衝撃的な数字は真水の数字ではない
こと、割り引いて考えなければならないこと、種々の契約が確約されたと
考えるのも楽天的にすぎることなどが指摘され始めた。

全容の実態はまもなくわかるはずだ。しかしその前にトランプ氏は明らか
にこの額に目が眩んだ。訪中2日目の11月9日、人民大会堂での米中首脳の
共同記者会見は、両首脳の姿勢の違いと共に、トランプ氏が目眩ましをく
らったことが明らかになった場面だった。

習氏は一帯一路の経済効果と未来に及ぼす大きな影響について説き、太平
洋は米中2カ国を容れるに十分な大きさの海だと述べている。今更指摘す
る必要もないが、これは中国が年来求めてきた大戦略、「新型大国関係」
と「太平洋分割統治論」の繰り返しである。

中国側はあくまでも米中で世界を仕切る体制を作りたいのだ。その先に、
中華民族が世界の諸民族の中にそびえ立つ日を目指していると、習氏は先
の共産党大会で述べている。

記者会見で習氏は、両国は双方の国からの亡命者の避難の地となってはな
らないという点で一致したとも述べた。これは、中国の民主化を求める
人々、民主化運動に参加した結果、中国にいられなくなり、アメリカに逃
れた人々にとっては深刻な合意だ。アメリカが思想信条の自由を守る砦と
しての役割、亡命者の受け入れを拒否するのかと疑わせる。

習主席が中国の戦略に従って主張し、取るべきものを取ったと思わせる演
説をしたのに対し、トランプ大統領は習氏への賛辞に終始した印象だ。無
論、トランプ氏は北朝鮮、麻薬、経済、知的財産権などについても言及し
たが、28兆円に喜んだ結果、個々の問題には深く入らずに、サラッと通り
過ぎたという印象だ。発言の最初と最後には習氏に歯の浮くような賛辞を
贈っている。

「中国国民は自分たちが何者であるか、何を築き上げてきたかについて誇
りを抱いている。彼らはまた、あなた(習氏)のことを、非常に誇り高く
思っている」

このような賛辞の連続を聞けば、トランプ氏は本当に習氏に心酔してし
まったのかと感じさせられる。

北京からベトナムのダナンに移ってAPECで行った演説は耳を塞ぎたく
なる内容だった。ここで期待されていたのは、国際法を無視して南シナ海
をわが物顔に占拠し軍事拠点化し、ASEAN諸国に分断政策を適用し
て、彼らの抗議にまともに対処しようとしない中国に対して、アメリカが
抑止力を発揮してくれることだった。アメリカが国際法を擁護し、法によ
る秩序の確立を主張し、問題の解決に武力ではなく平和裡の多国間の協議
を以てし、航行の自由を守り、どの国も安心して南シナ海で活動できるよ
うに、軍事的手段も用いて主導権を握る決意を示すことが期待されていた。

トランプ氏のアジア歴訪直前に、ティラーソン国務長官はインド・太平洋
の平和構築について語った。日本、インド、オーストラリアと共にアメリ
カは広大なインド・太平洋圏の擁護者にならなければならないという主張
である。

危機感と戦略的思考の欠落

これは、2016年に安倍首相がアフリカ開発会議(TICAD)で提唱した
考えだ。アメリカ国務省が安倍首相の提言を取り込んだ。それをトランプ
大統領も口にした。日本国の首相の外交・戦略論をアメリカが採用したこ
とは未だかつてなかったことで、もし、トランプ政権が本気でインド・太
平洋圏構想を実現するのであれば、中国の一帯一路やアジアインフラ投資
銀行(AIIB)よりはるかにすばらしい大戦略をこちら側が構築でき
る。その意味でもトランプ氏の発言が注目された。

しかし、トランプ演説は失望以外の何物でもなかった。トランプ氏は、こ
れ以上の不公平な貿易や不条理な赤字には耐えられないなどと繰り返し、
ひたすらアメリカの利益について語ったのだ。インド・太平洋という言葉
は登場はしたが、その肉付けとなる具体策は何も示さなかった。何よりも
足下の危機である南シナ海については、その固有名詞は遂に一度も登場し
なかった。危機感と戦略的思考の欠落を示してトランプ氏の演説は行われた。

内向きになりつつあるトランプ氏とは対照的に習氏は広く門戸を開くこ
と、国際協調の重要性を指摘した。語った言葉だけを聞けば、習氏の方が
世界の指導者たる資格を備えているように思える。これ以上の皮肉はない
だろう。言葉とは裏腹の中華思想の世界に、私たちは引き込まれていって
はならないのである。

『週刊新潮』 2017年11月23日  日本ルネッサンス 第779回

2017年12月11日

◆習近平は権力基盤を固めたか

櫻井よしこ

いま64歳の中国国家主席、習近平氏はいつまで君臨するのか。毛沢東と
並ぶ絶対権力者としての地位を固め得るのか、軍は掌握しているのかな
ど、見極めるべき点は多い。

なんと言っても、氏は中華人民共和国建国100年の2049年までに「中華民
族は世界の諸民族のなかにそびえ立つ」と宣言する人物だ。

中国共産党創設から100年目が20年だが、氏は、それまでに、経済、民主
的制度、科学・教育においてより充実し、調和的で人々の生活がより一層
豊かな小康社会を実現させると公約した。

それからさらに15年後の35年までには、社会主義現代化を実現するそう
だ。具体的にはアメリカを追い抜いて世界一の経済大国になり、中華文化
の広く深い影響力を各国に浸透させることを習氏は希望している。

そこからもう一度、15年後、中国は他の国家に抜きん出る軍事力を構築す
るという。国を支える経済力と軍事力、「富強」の双方で人類最強の国と
なり、中華民族が「世界の諸民族のなかにそびえ立つ」夢を実現すると、
習氏は繰り返した。

氏は「アヘン戦争(1840年)以降、中国は内憂外患の暗黒状態に陥り」苦
労の連続だったが、中華民族は3段階の偉大な飛躍を実現したと強調す
る。それは「立ち上がり」(站起来、毛沢東)、「豊かになり」(富起
来、ケ小平)、「強くなった」(強起来、習近平)−−の3段階だ。自身を
毛、ケと同列に置いたのである。

こんな野望を抱く習氏が、10月の党大会で有力後継者とされた人材を排除
して一強独裁体制の基盤を整えたという見方がある。他方、そうではない
と異議を唱える専門家もいる。その一人が「産経新聞」前北京特派員の矢
板明夫氏である。

氏の近著『習近平の悲劇』(産経新聞出版)の指摘には説得力がある。中
でも習氏と人民解放軍(PLA)の関係の分析には注目したい。

軍を信用していない

PLAはケ小平時代に7大軍区に分けられ、各軍区にはそれぞれ役割が課
せられていた。習氏は16年2月に7大軍区を5大戦区に変革し、それまでで
きていなかったPLAの統合運用を可能とし、軍の機能も高まったと解説
されてきた。私もそう考えてきた。

矢板氏はしかし、この軍改革はとどの詰まり、権力闘争だったのであり、
統合運用以前の問題だという構図を分析してみせた。習氏の目標は7大軍
区の内の瀋陽軍区と蘭州軍区を潰すことだったという。前者は徐才厚上将
が司令官を務め、後者は郭伯雄上将が司令官を務めていた。

徐才厚、郭伯雄は共に胡錦濤政権を支えた。習氏は腐敗撲滅運動と称して
政敵を倒してきたが、徐才厚は14年に、郭伯雄は15年に摘発され、胡前主
席を支えた軍の最高幹部2人は物の見事に失脚させられた。

習氏は2人が司令官を務めていた瀋陽軍区と蘭州軍区も潰そうとしたが、
そこまでの力はなかった。かわりに成都軍区と済南軍区を潰して東西南北
中の5大戦区にした。瀋陽軍区は北部戦区として、蘭州軍区は西部戦区と
名称を変えて残った。

驚くべきことは5大戦区の人事である。

「5人の司令官の内、4人までも、AからB、BからC、CからAといった
形で国替えさせた」にすぎないと矢板氏は表現している。

狙いは上官と部隊を強引に切り離すことだ。習氏は現場を信用していない
のだ。国家主席として軍の全権掌握を目指す習氏はこれ以外にも軍の制度
改革を行った。たとえば4総部の解体である。

PLAには4総部と呼ばれる中枢組織があった。総参謀部、総政治部、総
後勤部、総装備部である。これを16年1月に解体して15の局に分散した。
結果、軍の全体像を把握できるのは習氏1人になった。習氏は本当に軍を
信用していないのであろう。

氏は共産党中央軍事委員会の委員長だ。文字どおり、軍のトップだが、そ
の地位にありながら、部下である軍幹部や部隊を信用していないのであれ
ば、PLAの側にも習氏への全幅の信頼があるとは言えないだろう。

15年9月3日に、習氏は抗日戦勝利70周年の軍事パレードを、韓国の朴槿恵
大統領(当時)やロシアのプーチン大統領を招いて行った。そのときに
「30万人の軍縮」を突然発表したが、同削減案に対する軍の反発、不安も
強いという。

今年3月に全国人民代表大会が開催されたが、直前の2月22日、数千人の退
役軍人が就職の斡旋と待遇改善を求めて北京中心部で大規模なデモを行っ
た。「退役軍人は全員、軍事訓練を受けた」人々で、「組織化され」てい
る。加えて治安を担当する武装警察は彼らに対して殆ど手を出さないとい
うのだ。政権にとっては大いなる脅威であろう。

反日に走る構図

また、PLAが自らの存在価値を知らしめるために対外強硬路線を取る可
能性も矢板氏は指摘する。一例が、16年6月にインドが自国領だと主張す
るアルナチャルプラディッシュ州に2中隊250人のPLA兵士が侵入し、イ
ンド軍が戦闘準備態勢に入り緊張が高まったことなどだ。

習氏の統治の特徴は自身へのより高度の権力集中であり、その裏返しとし
ての国民や軍、あらゆる分野へのより強い締めつけである。習氏が第2の
毛沢東を目指していると分析される理由もここにある。

矢板氏は習氏の外交の特徴を3点に絞る。➀脱韜光養晦(とうこうようか
い)、つまり低姿勢からの脱却、➁ケ小平時代以来の全方位外交からの脱
却、➂胡錦濤時代まで続いた経済主軸外交からの脱却、である。

わが道(中華の道)を行くという政策だと考えてよいが、その中で政権の
求心力を高める基本が反日である。12年の習政権発足以来、尖閣諸島への
航空機、艦船による領空、領海侵犯が繰り返し行われた。

13年からの反靖国参拝キャンペーンでは世界各地の中国大使に任国で反靖
国キャンペーンを張らせた。結果、スーダンやアルゼンチンなど、遠いア
フリカ、南米諸国で反靖国の主張が展開された。

14年には12月13日を南京事件の国家追悼日として定めた。

15年には抗日戦勝利70周年の軍事パレードを突如、行った。

16年夏には尖閣諸島に漁船400隻が大挙して押し寄せた。それらに乗り組
んでいたのは100名以上の武装海上民兵だった。また、16年にはそれまで
くすぶっていた徴用工問題で中国の司法が積極的に対日企業訴訟を受理し
始めた。

17年には731部隊が30万人の中国人を殺害したと報じ始めた。

軍との相互信頼に欠け、経済改革にも失敗している習氏が第2の毛沢東を
目指し、求心力を高めるために、反日に走る構図が見てとれる。習体制の
実の姿をよく見て、こちら側の備えを固めることが大事だ。

『週刊新潮』 2017年12月7日  日本ルネッサンス 第781回



2017年12月09日

◆習近平は権力基盤を固めたか

櫻井よしこ

いま64歳の中国国家主席、習近平氏はいつまで君臨するのか。毛沢東と並
ぶ絶対権力者としての地位を固め得るのか、軍は掌握しているのかなど、
見極めるべき点は多い。

なんと言っても、氏は中華人民共和国建国100年の2049年までに「中華民
族は世界の諸民族の中にそびえ立つ」と宣言する人物だ。

中国共産党創設から100年目が20年だが、氏は、それまでに、経済、民主
的制度、科学・教育においてより充実し、調和的で人々の生活がより一層
豊かな小康社会を実現させると公約した。

それからさらに15年後の35年までには、社会主義現代化を実現するそう
だ。具体的にはアメリカを追い抜いて世界一の経済大国になり、中華文化
の広く深い影響力を各国に浸透させることを習氏は希望している。

そこからもう一度、15年後、中国は他の国家に抜きん出る軍事力を構築す
るという。国を支える経済力と軍事力、「富強」の双方で人類最強の国と
なり、中華民族が「世界の諸民族のなかにそびえ立つ」夢を実現すると、
習氏は繰り返した。

氏は「アヘン戦争(1840年)以降、中国は内憂外患の暗黒状態に陥り」苦
労の連続だったが、中華民族は3段階の偉大な飛躍を実現したと強調す
る。それは「立ち上がり」(站起来、毛沢東)、「豊かになり」(富起
来、ケ小平)、「強くなった」(強起来、習近平)−−の3段階だ。自身を
毛、ケと同列に置いたのである。

こんな野望を抱く習氏が、10月の党大会で有力後継者とされた人材を排除
して一強独裁体制の基盤を整えたという見方がある。他方、そうではない
と異議を唱える専門家もいる。その一人が「産経新聞」前北京特派員の矢
板明夫氏である。

氏の近著『習近平の悲劇』(産経新聞出版)の指摘には説得力がある。中
でも習氏と人民解放軍(PLA)の関係の分析には注目したい。

軍を信用していない

PLAはケ小平時代に7大軍区に分けられ、各軍区にはそれぞれ役割が課
せられていた。習氏は16年2月に7大軍区を5大戦区に変革し、それまでで
きていなかったPLAの統合運用を可能とし、軍の機能も高まったと解説
されてきた。私もそう考えてきた。

矢板氏はしかし、この軍改革はとどの詰まり、権力闘争だったのであり、
統合運用以前の問題だという構図を分析してみせた。習氏の目標は7大軍
区の内の瀋陽軍区と蘭州軍区を潰すことだったという。前者は徐才厚上将
が司令官を務め、後者は郭伯雄上将が司令官を務めていた。

徐才厚、郭伯雄は共に胡錦濤政権を支えた。習氏は腐敗撲滅運動と称して
政敵を倒してきたが、徐才厚は14年に、郭伯雄は15年に摘発され、胡前主
席を支えた軍の最高幹部2人は物の見事に失脚させられた。

習氏は2人が司令官を務めていた瀋陽軍区と蘭州軍区も潰そうとしたが、
そこまでの力はなかった。かわりに成都軍区と済南軍区を潰して東西南北
中の5大戦区にした。瀋陽軍区は北部戦区として、蘭州軍区は西部戦区と
名称を変えて残った。

驚くべきことは5大戦区の人事である。

「5人の司令官の内、4人までも、AからB、BからC、CからAといった
形で国替えさせた」にすぎないと矢板氏は表現している。

狙いは上官と部隊を強引に切り離すことだ。習氏は現場を信用していない
のだ。国家主席として軍の全権掌握を目指す習氏はこれ以外にも軍の制度
改革を行った。たとえば4総部の解体である。

PLAには4総部と呼ばれる中枢組織があった。総参謀部、総政治部、総
後勤部、総装備部である。これを16年1月に解体して15の局に分散した。
結果、軍の全体像を把握できるのは習氏1人になった。習氏は本当に軍を
信用していないのであろう。

氏は共産党中央軍事委員会の委員長だ。文字どおり、軍のトップだが、そ
の地位にありながら、部下である軍幹部や部隊を信用していないのであれ
ば、PLAの側にも習氏への全幅の信頼があるとは言えないだろう。

15年9月3日に、習氏は抗日戦勝利70周年の軍事パレードを、韓国の朴槿恵
大統領(当時)やロシアのプーチン大統領を招いて行った。そのときに
「30万人の軍縮」を突然発表したが、同削減案に対する軍の反発、不安も
強いという。

今年3月に全国人民代表大会が開催されたが、直前の2月22日、数千人の退
役軍人が就職の斡旋と待遇改善を求めて北京中心部で大規模なデモを行っ
た。「退役軍人は全員、軍事訓練を受けた」人々で、「組織化され」てい
る。加えて治安を担当する武装警察は彼らに対して殆ど手を出さないとい
うのだ。政権にとっては大いなる脅威であろう。

反日に走る構図

また、PLAが自らの存在価値を知らしめるために対外強硬路線を取る可
能性も矢板氏は指摘する。一例が、16年6月にインドが自国領だと主張す
るアルナチャルプラディッシュ州に2中隊250人のPLA兵士が侵入し、イ
ンド軍が戦闘準備態勢に入り緊張が高まったことなどだ。

習氏の統治の特徴は自身へのより高度の権力集中であり、その裏返しとし
ての国民や軍、あらゆる分野へのより強い締めつけである。習氏が第2の
毛沢東を目指していると分析される理由もここにある。

矢板氏は習氏の外交の特徴を3点に絞る。➀脱韜光養晦(とうこうようか
い)、つまり低姿勢からの脱却、➁ケ小平時代以来の全方位外交からの脱
却、➂胡錦濤時代まで続いた経済主軸外交からの脱却、である。

わが道(中華の道)を行くという政策だと考えてよいが、その中で政権の
求心力を高める基本が反日である。12年の習政権発足以来、尖閣諸島への
航空機、艦船による領空、領海侵犯が繰り返し行われた。

13年からの反靖国参拝キャンペーンでは世界各地の中国大使に任国で反靖
国キャンペーンを張らせた。結果、スーダンやアルゼンチンなど、遠いア
フリカ、南米諸国で反靖国の主張が展開された。

14年には12月13日を南京事件の国家追悼日として定めた。

15年には抗日戦勝利70周年の軍事パレードを突如、行った。

16年夏には尖閣諸島に漁船400隻が大挙して押し寄せた。それらに乗り組
んでいたのは100名以上の武装海上民兵だった。また、16年にはそれまで
くすぶっていた徴用工問題で中国の司法が積極的に対日企業訴訟を受理し
始めた。

17年には731部隊が30万人の中国人を殺害したと報じ始めた。

軍との相互信頼に欠け、経済改革にも失敗している習氏が第2の毛沢東を
目指し、求心力を高めるために、反日に走る構図が見てとれる。習体制の
実の姿をよく見て、こちら側の備えを固めることが大事だ。
『週刊新潮』 2017年12月7日号 日本ルネッサンス 第781回

2017年12月07日

◆731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦

櫻井よしこ

「731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦 事実の歪曲・捏造阻止へ全容の
解明を」

米国と中国の大きな相違は民主主義体制か専制独裁体制かとの点にとどま
らない。米国は呑み込まない国、中国は呑み込む国である。米国は自国の
広大な国土に満足しており、それ以上に植民地や国土を拡張しようとは考
えていない。中国はすでに広大な土地を手に入れているにもかかわらず、
これからも他国の領土領海を奪い膨張しようとする国である。

もうひとつ大事なのは、米国は歴史を乗り越えようとする国、中国は歴史
を恨み復讐する国だということである。

他国の土地を奪う点についての米中の相違は、米国が植民地だったフィリ
ピンの独立を認め、沖縄をわが国に返還したのに対し、中国はチベット、
モンゴル、ウイグルの三民族から奪った国土は絶対に返さないことだ。

3民族の国土は現在の中華人民共和国の60%に当たる。加えて中国は現在
もインド、ブータン、北朝鮮、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシ
ア、インドネシア、日本などの国土を自国領だとして奪い取りつつある。

歴史への向き合い方も米中ではおよそ正反対だ。まず私たちはさまざまな
想いを込めてバラク・オバマ前米大統領と安倍晋三首相の広島、及びパー
ルハーバー訪問を想い出すことができるだろう。

他方中国は、アヘン戦争以来、帝国主義諸国に奪われ続けたという視点に
立ち、中華民族の偉大なる復興として、「失ったもの」を取り戻す作業に
とりかかっている。その根底をなすのが復讐の想いであり、それを可能に
するのが中国共産党の指導力という位置づけだ。前置きが長くなったが、
その結果何が起きているかが、今回の当欄で指摘したいことだ。

対日歴史復讐戦として仰天する非難がまたもや言い立てられ始めた。「中
国日報」(China Daily)が11月13日付で、旧日本軍の731部隊が少なくとも
3000人の中国人を人体実験して殺害し、30万人以上の中国人を生物兵器で
殺害したと報じたのだ。

また30万人か。「南京大虐殺」の犠牲者30万人は多くの研究によって虚構
であることが明らかにされている。慰安婦30万人を旧日本軍が殺害したと
いうことも、絶対にあり得ない。だが、中国共産党は右の2つの「30万人
被害説」を、国を挙げて主張し、世界に広めてきた。いままた、対日歴史
復讐戦として731部隊の犠牲者30万人説が持ち出された。

中国日報は、黒龍江省のハルビン社会科学院の研究者四人が米国立公文書
館、議会図書館、スタンフォード大学フーバー研究室で2300頁に上る資料
を発見したと報じている。

4人のうちの1人、リュウ・リュージア氏(女性)は「細菌戦における731
部隊と軍の密接な関係を示す研究資料が大量に含まれている。資料には多
くの英語による書き込みがある。誰が何を意味して書いたのかはこれから
の研究だ」と語っている。

リュウ氏は同僚たちとこれまで7年を費やして資料を集めたそうだ。その
結論として30万人が731部隊に殺害されたと主張するわけだ。

731部隊に関する資料の多くは戦後米国に持ち去られた。日本で発表され
た衝撃的な報告として日本共産党などが盛んに取り上げた森村誠一氏の
『悪魔の飽食』が想い出される。

30万人説を早くも打ち出したリュウ氏らの研究は純粋な歴史研究というよ
り対日歴史復讐戦の一環と見るべきだろう。中華民族の偉大なる復興を目
指す習近平主席は自身の体制維持のために、進んで日本を貶める。当然、
731部隊に関しても事実の歪曲や捏造が起きるだろう。それを防ぐには、
日本人にとって触れられたくないテーマだとしても、研究を進め事実の全
容を明らかにすることが必要だ。

このようなことにこそ、外務省に与えた歴史の事実発信のための500億円
を活用することが大事である。

『週刊ダイヤモンド』 2017年12月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1209 

2017年12月06日

◆731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦

櫻井よしこ

「731部隊を巡る中国の対日歴史復讐戦 事実の歪曲・捏造阻止へ解明を」

米国と中国の大きな相違は民主主義体制か専制独裁体制かとの点にとどま
らない。米国は呑み込まない国、中国は呑み込む国である。米国は自国の
広大な国土に満足しており、それ以上に植民地や国土を拡張しようとは考
えていない。中国はすでに広大な土地を手に入れているにもかかわらず、
これからも他国の領土領海を奪い膨張しようとする国である。

もうひとつ大事なのは、米国は歴史を乗り越えようとする国、中国は歴史
を恨み復讐する国だということである。

他国の土地を奪う点についての米中の相違は、米国が植民地だったフィリ
ピンの独立を認め、沖縄をわが国に返還したのに対し、中国はチベット、
モンゴル、ウイグルの三民族から奪った国土は絶対に返さないことだ。3
民族の国土は現在の中華人民共和国の60%に当たる。加えて中国は現在も
インド、ブータン、北朝鮮、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、
インドネシア、日本などの国土を自国領だとして奪い取りつつある。

歴史への向き合い方も米中ではおよそ正反対だ。まず私たちはさまざまな
想いを込めてバラク・オバマ前米大統領と安倍晋三首相の広島、及びパー
ルハーバー訪問を想い出すことができるだろう。他方中国は、アヘン戦争
以来、帝国主義諸国に奪われ続けたという視点に立ち、中華民族の偉大な
る復興として、「失ったもの」を取り戻す作業にとりかかっている。

その根底をなすのが復讐の想いであり、それを可能にするのが中国共産党
の指導力という位置づけだ。前置きが長くなったが、その結果何が起きて
いるかが、今回の当欄で指摘したいことだ。

対日歴史復讐戦として仰天する非難がまたもや言い立てられ始めた。「中
国日報」(China Daily)が11月13日付で、旧日本軍の731部隊が少なくとも
3000人の中国人を人体実験して殺害し、30万人以上の中国人を生物兵器で
殺害したと報じたのだ。

また30万人か。「南京大虐殺」の犠牲者30万人は多くの研究によって虚構
であることが明らかにされている。慰安婦30万人を旧日本軍が殺害したと
いうことも、絶対にあり得ない。だが、中国共産党は右の2つの「30万人
被害説」を、国を挙げて主張し、世界に広めてきた。いままた、対日歴史
復讐戦として731部隊の犠牲者30万人説が持ち出された。

中国日報は、黒龍江省のハルビン社会科学院の研究者四人が米国立公文書
館、議会図書館、スタンフォード大学フーバー研究室で2300頁に上る資料
を発見したと報じている。

4人のうちの1人、リュウ・リュージア氏(女性)は「細菌戦における731
部隊と軍の密接な関係を示す研究資料が大量に含まれている。資料には多
くの英語による書き込みがある。誰が何を意味して書いたのかはこれから
の研究だ」と語っている。

リュウ氏は同僚たちとこれまで7年を費やして資料を集めたそうだ。その
結論として30万人が731部隊に殺害されたと主張するわけだ。

731部隊に関する資料の多くは戦後米国に持ち去られた。日本で発表され
た衝撃的な報告として日本共産党などが盛んに取り上げた森村誠一氏の
『悪魔の飽食』が想い出される。

30万人説を早くも打ち出したリュウ氏らの研究は純粋な歴史研究というよ
り対日歴史復讐戦の一環と見るべきだろう。中華民族の偉大なる復興を目
指す習近平主席は自身の体制維持のために、進んで日本を貶める。当然、
731部隊に関しても事実の歪曲や捏造が起きるだろう。それを防ぐには、
日本人にとって触れられたくないテーマだとしても、研究を進め事実の全
容を明らかにすることが必要だ。

このようなことにこそ、外務省に与えた歴史の事実発信のための500億円
を活用することが大事である。

『週刊ダイヤモンド』 2017年12月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1209