2019年07月14日

◆米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ

櫻井よしこ


国際政治はテレビと共にある。

安倍晋三首相の20カ国・地域(G20)首脳会議での巧みな采配も、惜しく
も吹き飛ばされた感がある。世界の目は板門店でのトランプ・金正恩両首
脳に集中し、その他の印象を消し去った。凄いものだ。

6月30日、15時45分、トランプ大統領が韓国の「自由の家」からゆっくり
と軍事境界線に向かって歩き始めると、北側からは金正恩朝鮮労働党委員
長が歩み寄った。境界線の南北に二人が相対し、握手をし言葉を交わし
て、やがてトランプ氏が北側に足を踏み入れたとき、思わず私自身、大き
な笑顔になった。メモをとりつつ、冷静に見ているつもりが、大きな笑顔
がこぼれたのである。中継映像を見ていた人の多くも同様だったのではな
いか。

二人が北朝鮮側で暫し佇んで境界線に戻り、そのまま自然な形で揃って韓
国側に入ったときには、取材陣の叫び声が聞こえた。カメラに囲まれて立
ち話をする金氏は、大きな賭けに出たがうまく意思の疎通がはかれそうだ
と、ひと安心した様子だった。安堵と嬉しさを隠しきれない表情には、そ
の残虐な行動に似合わない子供っぽさが残っていた。

トランプ氏は「つい昨日、金委員長に会うことを思いついた」と繰り返し
たが、ワシントンで発行されている「ザ・ヒル」は、同紙が行った24日の
インタビューでトランプ氏が板門店で金氏に会う考えを語っていたと報じ
た。ホワイトハウスがセキュリティ確保のためその件を当日まで伏せるよ
うに依頼し、報道できなかったという。

トランプ氏側が少なくとも1週間は板門店会談について考えを巡らしてい
たのに対して、金氏にとってはいきなりの提案だったわけだ。金氏は「ツ
イッターを見て本当に驚いた」と語っている。これはトランプ氏との立ち
話を終えて、韓国側の「自由の家」に入り、トランプ氏と並んで坐ったと
きの発言だ。

安倍晋三首相の役割

「昨日の午後、初めて、会いたいというトランプ大統領のメッセージを聞
いた。私も再度会いたかった」

金氏は、トランプ氏の「会いたい」というメッセージを受けて、決断し、
板門店に来た。その間約24時間だったことになる。いきなり言われて駆け
つけた。面子にこだわらず、大決断をしたのは明らかだ。その決断力を考
えるとき、「我々はもっとよくできる。もっとよくなることを世界に見せ
られる」という金氏の言葉に希望を持ちたくなるが、やはり問いたくな
る。「もっとよくなる」とは、核・ミサイル廃棄と拉致問題解決を意味し
ているか、と。

両首脳の会談は50分間にわたった。トランプ氏は韓国を去るに当たり、
「予定は2時間半遅れたけれど、すばらしかった」と、紅潮した顔で語っ
た。舞い上がる程の上機嫌は、金氏との会話が具体的な果実につながると
の思いを抱いたからであろう。

北朝鮮相手の交渉が順調に進むとは中々思えないが、今回の「いきなり会
談」で化学反応が起き、交渉が前進する可能性はあるだろうか。

ここで、横田早紀江さんのトランプ評が思い出される。早紀江さんはこれ
までに二度トランプ氏に会っている。

「トランプさんは、あたたかな父性を感じさせます。よき家庭の一家のお
父さんという感じで、守ってくれるような印象でした」

国際関係が真に冷徹な力関係であるのは言うまでもない。それでもトラン
プ・金両氏の関係は、これから存外うまくいくのではないか。

そこで安倍首相の役割が重要になる。核・ミサイル・拉致の三課題を優先
すること、問題がすべて解決して初めて見返りを与えるという結果重視の
原則を守らせることだ。さもなければ北朝鮮とのせめぎ合いに敗れると、
トランプ大統領に助言し続けることだ。

今回、明確になったのは、トランプ氏は北朝鮮に関して、韓国の、そして
中国の助力を全く必要としていないことだ。

習近平主席は内外共に行き詰まっている。国際社会で中国の友人はほとん
どいない。そこで来日前の6月20日、21日の両日、習氏は恐らく、北朝鮮
の核問題と米中貿易問題を一体化させて米国の優位に立つべく平壌を訪れ
た。すると、23日にトランプ氏が金氏に手紙を送り、金氏はそれを「すば
らしい手紙がきた」と言って公表した。まずトランプ氏の手紙で、次に板
門店首脳会談で、習氏の意図は粉々に砕かれた。

金氏も習氏に、米国との仲介を求めているわけではない。求めているのは
国連の制裁破りをしてでも、援助してくれということだ。

中国の情けが命綱

習政権はすでに巧妙な制裁破りを実行中だが、具体例について6月28日の
「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「国連制裁の対象になっていない観光で中国は正恩に外貨を与えていま
す。北朝鮮への中国人観光客は2017年が80万人、18年は50%増の120万人
でした。観光客が増えた背景に中国当局が観光業者に補助金を出している
という有力情報があります。旅行費用の7割を中国政府が補助し、業者が3
割取って、ツアーを4割値引きで売り出す。中国人は安い費用で平壌に行
き、焼き肉を食べてカラオケで歌って、夜は買春をするというカラクリです」

この種の客を満載した大型観光バスが毎日多数、北朝鮮に向かい、国連制
裁の対象である鉄鉱石や石炭の先物買いも行われているという。現物は制
裁解除の暁に受け取る条件で、支払いは半分に値引きして現金決済だとい
う。西岡氏の指摘だ。

「中国もそうですが、北朝鮮も騙す国です。先払いなどすれば詐欺にあう
のは当然だと思いますが、大丈夫だという。中国当局の保証があるからだ
そうです。国際社会が北朝鮮の核・ミサイル開発阻止でその外貨を枯渇さ
せようとしているときに、中国はこうした汚い手段で制裁破りをしている
のです」

国連制裁があり、米中の貿易戦争が続く限り、中国は米国に正面から逆ら
えない。結果、中国は今も巧妙なルール破りをしているが、さらに狡知を
極めていくだろう。中国の情けが命綱の金氏がどれだけトランプ氏に接近
するかは、中国のやり方をどれだけ国際社会が封じ込められるかという課
題と重なる。

G20の米中会談はその点で危うさを残した。ほとんどすべての中国からの
輸入品に25%の関税をかけるという第4弾の関税は回避され、米中はつか
の間の休戦に入った。そしてファーウェイへの米企業による輸出を一部認
めることになった。トランプ氏の直感や思いつきは素晴らしくとも、中・
長期的戦略は描き切れていない。むしろ戦略の欠如が懸念される。それで
は中国に敗れかねず、全く油断できないのである

『週刊新潮』 2019年7月11日号 日本ルネッサンス 第859回



2019年07月13日

◆米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ

櫻井よしこ


国際政治はテレビと共にある。

安倍晋三首相の20カ国・地域(G20)首脳会議での巧みな采配も、惜しく
も吹き飛ばされた感がある。世界の目は板門店でのトランプ・金正恩両首
脳に集中し、その他の印象を消し去った。凄いものだ。

6月30日、15時45分、トランプ大統領が韓国の「自由の家」からゆっくり
と軍事境界線に向かって歩き始めると、北側からは金正恩朝鮮労働党委員
長が歩み寄った。境界線の南北に二人が相対し、握手をし言葉を交わし
て、やがてトランプ氏が北側に足を踏み入れたとき、思わず私自身、大き
な笑顔になった。メモをとりつつ、冷静に見ているつもりが、大きな笑顔
がこぼれたのである。中継映像を見ていた人の多くも同様だったのではな
いか。

二人が北朝鮮側で暫し佇んで境界線に戻り、そのまま自然な形で揃って韓
国側に入ったときには、取材陣の叫び声が聞こえた。カメラに囲まれて立
ち話をする金氏は、大きな賭けに出たがうまく意思の疎通がはかれそうだ
と、ひと安心した様子だった。安堵と嬉しさを隠しきれない表情には、そ
の残虐な行動に似合わない子供っぽさが残っていた。

トランプ氏は「つい昨日、金委員長に会うことを思いついた」と繰り返し
たが、ワシントンで発行されている「ザ・ヒル」は、同紙が行った24日の
インタビューでトランプ氏が板門店で金氏に会う考えを語っていたと報じ
た。ホワイトハウスがセキュリティ確保のためその件を当日まで伏せるよ
うに依頼し、報道できなかったという。

トランプ氏側が少なくとも1週間は板門店会談について考えを巡らしてい
たのに対して、金氏にとってはいきなりの提案だったわけだ。金氏は「ツ
イッターを見て本当に驚いた」と語っている。これはトランプ氏との立ち
話を終えて、韓国側の「自由の家」に入り、トランプ氏と並んで坐ったと
きの発言だ。

安倍晋三首相の役割

「昨日の午後、初めて、会いたいというトランプ大統領のメッセージを聞
いた。私も再度会いたかった」

金氏は、トランプ氏の「会いたい」というメッセージを受けて、決断し、
板門店に来た。その間約24時間だったことになる。いきなり言われて駆け
つけた。面子にこだわらず、大決断をしたのは明らかだ。その決断力を考
えるとき、「我々はもっとよくできる。もっとよくなることを世界に見せ
られる」という金氏の言葉に希望を持ちたくなるが、やはり問いたくな
る。「もっとよくなる」とは、核・ミサイル廃棄と拉致問題解決を意味し
ているか、と。

両首脳の会談は50分間にわたった。トランプ氏は韓国を去るに当たり、
「予定は2時間半遅れたけれど、すばらしかった」と、紅潮した顔で語っ
た。舞い上がる程の上機嫌は、金氏との会話が具体的な果実につながると
の思いを抱いたからであろう。

北朝鮮相手の交渉が順調に進むとは中々思えないが、今回の「いきなり会
談」で化学反応が起き、交渉が前進する可能性はあるだろうか。

ここで、横田早紀江さんのトランプ評が思い出される。早紀江さんはこれ
までに二度トランプ氏に会っている。

「トランプさんは、あたたかな父性を感じさせます。よき家庭の一家のお
父さんという感じで、守ってくれるような印象でした」

国際関係が真に冷徹な力関係であるのは言うまでもない。それでもトラン
プ・金両氏の関係は、これから存外うまくいくのではないか。

そこで安倍首相の役割が重要になる。核・ミサイル・拉致の三課題を優先
すること、問題がすべて解決して初めて見返りを与えるという結果重視の
原則を守らせることだ。さもなければ北朝鮮とのせめぎ合いに敗れると、
トランプ大統領に助言し続けることだ。

今回、明確になったのは、トランプ氏は北朝鮮に関して、韓国の、そして
中国の助力を全く必要としていないことだ。

習近平主席は内外共に行き詰まっている。国際社会で中国の友人はほとん
どいない。そこで来日前の6月20日、21日の両日、習氏は恐らく、北朝鮮
の核問題と米中貿易問題を一体化させて米国の優位に立つべく平壌を訪れ
た。すると、23日にトランプ氏が金氏に手紙を送り、金氏はそれを「すば
らしい手紙がきた」と言って公表した。まずトランプ氏の手紙で、次に板
門店首脳会談で、習氏の意図は粉々に砕かれた。

金氏も習氏に、米国との仲介を求めているわけではない。求めているのは
国連の制裁破りをしてでも、援助してくれということだ。

中国の情けが命綱

習政権はすでに巧妙な制裁破りを実行中だが、具体例について6月28日の
「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「国連制裁の対象になっていない観光で中国は正恩に外貨を与えていま
す。北朝鮮への中国人観光客は2017年が80万人、18年は50%増の120万人
でした。観光客が増えた背景に中国当局が観光業者に補助金を出している
という有力情報があります。旅行費用の7割を中国政府が補助し、業者が3
割取って、ツアーを4割値引きで売り出す。中国人は安い費用で平壌に行
き、焼き肉を食べてカラオケで歌って、夜は買春をするというカラクリです」

この種の客を満載した大型観光バスが毎日多数、北朝鮮に向かい、国連制
裁の対象である鉄鉱石や石炭の先物買いも行われているという。現物は制
裁解除の暁に受け取る条件で、支払いは半分に値引きして現金決済だとい
う。西岡氏の指摘だ。

「中国もそうですが、北朝鮮も騙す国です。先払いなどすれば詐欺にあう
のは当然だと思いますが、大丈夫だという。中国当局の保証があるからだ
そうです。国際社会が北朝鮮の核・ミサイル開発阻止でその外貨を枯渇さ
せようとしているときに、中国はこうした汚い手段で制裁破りをしている
のです」

国連制裁があり、米中の貿易戦争が続く限り、中国は米国に正面から逆ら
えない。結果、中国は今も巧妙なルール破りをしているが、さらに狡知を
極めていくだろう。中国の情けが命綱の金氏がどれだけトランプ氏に接近
するかは、中国のやり方をどれだけ国際社会が封じ込められるかという課
題と重なる。

G20の米中会談はその点で危うさを残した。ほとんどすべての中国からの
輸入品に25%の関税をかけるという第4弾の関税は回避され、米中はつか
の間の休戦に入った。そしてファーウェイへの米企業による輸出を一部認
めることになった。トランプ氏の直感や思いつきは素晴らしくとも、中・
長期的戦略は描き切れていない。むしろ戦略の欠如が懸念される。それで
は中国に敗れかねず、全く油断できないのである

『週刊新潮』 2019年7月11日号日本ルネッサンス 第859回

2019年07月12日

◆米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ

櫻井よしこ


「米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ」

国際政治はテレビと共にある。

安倍晋三首相の20カ国・地域(G20)首脳会議での巧みな采配も、惜しく
も吹き飛ばされた感がある。世界の目は板門店でのトランプ・金正恩両首
脳に集中し、その他の印象を消し去った。凄いものだ。

6月30日、15時45分、トランプ大統領が韓国の「自由の家」からゆっくり
と軍事境界線に向かって歩き始めると、北側からは金正恩朝鮮労働党委員
長が歩み寄った。境界線の南北に二人が相対し、握手をし言葉を交わし
て、やがてトランプ氏が北側に足を踏み入れたとき、思わず私自身、大き
な笑顔になった。メモをとりつつ、冷静に見ているつもりが、大きな笑顔
がこぼれたのである。中継映像を見ていた人の多くも同様だったのではな
いか。

二人が北朝鮮側で暫し佇んで境界線に戻り、そのまま自然な形で揃って韓
国側に入ったときには、取材陣の叫び声が聞こえた。カメラに囲まれて立
ち話をする金氏は、大きな賭けに出たがうまく意思の疎通がはかれそうだ
と、ひと安心した様子だった。安堵と嬉しさを隠しきれない表情には、そ
の残虐な行動に似合わない子供っぽさが残っていた。

トランプ氏は「つい昨日、金委員長に会うことを思いついた」と繰り返し
たが、ワシントンで発行されている「ザ・ヒル」は、同紙が行った24日の
インタビューでトランプ氏が板門店で金氏に会う考えを語っていたと報じ
た。ホワイトハウスがセキュリティ確保のためその件を当日まで伏せるよ
うに依頼し、報道できなかったという。

トランプ氏側が少なくとも1週間は板門店会談について考えを巡らしてい
たのに対して、金氏にとってはいきなりの提案だったわけだ。金氏は「ツ
イッターを見て本当に驚いた」と語っている。これはトランプ氏との立ち
話を終えて、韓国側の「自由の家」に入り、トランプ氏と並んで坐ったと
きの発言だ。

安倍晋三首相の役割

「昨日の午後、初めて、会いたいというトランプ大統領のメッセージを聞
いた。私も再度会いたかった」

金氏は、トランプ氏の「会いたい」というメッセージを受けて、決断し、
板門店に来た。その間約24時間だったことになる。いきなり言われて駆け
つけた。面子にこだわらず、大決断をしたのは明らかだ。その決断力を考
えるとき、「我々はもっとよくできる。もっとよくなることを世界に見せ
られる」という金氏の言葉に希望を持ちたくなるが、やはり問いたくな
る。「もっとよくなる」とは、核・ミサイル廃棄と拉致問題解決を意味し
ているか、と。

両首脳の会談は50分間にわたった。トランプ氏は韓国を去るに当たり、
「予定は2時間半遅れたけれど、すばらしかった」と、紅潮した顔で語っ
た。舞い上がる程の上機嫌は、金氏との会話が具体的な果実につながると
の思いを抱いたからであろう。

北朝鮮相手の交渉が順調に進むとは中々思えないが、今回の「いきなり会
談」で化学反応が起き、交渉が前進する可能性はあるだろうか。

ここで、横田早紀江さんのトランプ評が思い出される。早紀江さんはこれ
までに二度トランプ氏に会っている。

「トランプさんは、あたたかな父性を感じさせます。よき家庭の一家のお
父さんという感じで、守ってくれるような印象でした」

国際関係が真に冷徹な力関係であるのは言うまでもない。それでもトラン
プ・金両氏の関係は、これから存外うまくいくのではないか。

そこで安倍首相の役割が重要になる。核・ミサイル・拉致の三課題を優先
すること、問題がすべて解決して初めて見返りを与えるという結果重視の
原則を守らせることだ。さもなければ北朝鮮とのせめぎ合いに敗れると、
トランプ大統領に助言し続けることだ。

今回、明確になったのは、トランプ氏は北朝鮮に関して、韓国の、そして
中国の助力を全く必要としていないことだ。

習近平主席は内外共に行き詰まっている。国際社会で中国の友人はほとん
どいない。そこで来日前の6月20日、21日の両日、習氏は恐らく、北朝鮮
の核問題と米中貿易問題を一体化させて米国の優位に立つべく平壌を訪れ
た。すると、23日にトランプ氏が金氏に手紙を送り、金氏はそれを「すば
らしい手紙がきた」と言って公表した。まずトランプ氏の手紙で、次に板
門店首脳会談で、習氏の意図は粉々に砕かれた。

金氏も習氏に、米国との仲介を求めているわけではない。求めているのは
国連の制裁破りをしてでも、援助してくれということだ。

中国の情けが命綱

習政権はすでに巧妙な制裁破りを実行中だが、具体例について6月28日の
「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「国連制裁の対象になっていない観光で中国は正恩に外貨を与えていま
す。北朝鮮への中国人観光客は2017年が80万人、18年は50%増の120万人
でした。観光客が増えた背景に中国当局が観光業者に補助金を出している
という有力情報があります。旅行費用の7割を中国政府が補助し、業者が3
割取って、ツアーを4割値引きで売り出す。中国人は安い費用で平壌に行
き、焼き肉を食べてカラオケで歌って、夜は買春をするというカラクリです」

この種の客を満載した大型観光バスが毎日多数、北朝鮮に向かい、国連制
裁の対象である鉄鉱石や石炭の先物買いも行われているという。現物は制
裁解除の暁に受け取る条件で、支払いは半分に値引きして現金決済だとい
う。西岡氏の指摘だ。

「中国もそうですが、北朝鮮も騙す国です。先払いなどすれば詐欺にあう
のは当然だと思いますが、大丈夫だという。中国当局の保証があるからだ
そうです。国際社会が北朝鮮の核・ミサイル開発阻止でその外貨を枯渇さ
せようとしているときに、中国はこうした汚い手段で制裁破りをしている
のです」

国連制裁があり、米中の貿易戦争が続く限り、中国は米国に正面から逆ら
えない。結果、中国は今も巧妙なルール破りをしているが、さらに狡知を
極めていくだろう。中国の情けが命綱の金氏がどれだけトランプ氏に接近
するかは、中国のやり方をどれだけ国際社会が封じ込められるかという課
題と重なる。

G20の米中会談はその点で危うさを残した。ほとんどすべての中国からの
輸入品に25%の関税をかけるという第4弾の関税は回避され、米中はつか
の間の休戦に入った。そしてファーウェイへの米企業による輸出を一部認
めることになった。トランプ氏の直感や思いつきは素晴らしくとも、中・
長期的戦略は描き切れていない。むしろ戦略の欠如が懸念される。それで
は中国に敗れかねず、全く油断できないのである。

『週刊新潮』 2019年7月11日号 日本ルネッサンス 第859回

2019年07月11日

◆米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ

櫻井よしこ


「米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ」

国際政治はテレビと共にある。

安倍晋三首相の20カ国・地域(G20)首脳会議での巧みな采配も、惜しく
も吹き飛ばされた感がある。世界の目は板門店でのトランプ・金正恩両首
脳に集中し、その他の印象を消し去った。凄いものだ。

6月30日、15時45分、トランプ大統領が韓国の「自由の家」からゆっくり
と軍事境界線に向かって歩き始めると、北側からは金正恩朝鮮労働党委員
長が歩み寄った。境界線の南北に二人が相対し、握手をし言葉を交わし
て、やがてトランプ氏が北側に足を踏み入れたとき、思わず私自身、大き
な笑顔になった。メモをとりつつ、冷静に見ているつもりが、大きな笑顔
がこぼれたのである。中継映像を見ていた人の多くも同様だったのではな
いか。

二人が北朝鮮側で暫し佇んで境界線に戻り、そのまま自然な形で揃って韓
国側に入ったときには、取材陣の叫び声が聞こえた。カメラに囲まれて立
ち話をする金氏は、大きな賭けに出たがうまく意思の疎通がはかれそうだ
と、ひと安心した様子だった。安堵と嬉しさを隠しきれない表情には、そ
の残虐な行動に似合わない子供っぽさが残っていた。

トランプ氏は「つい昨日、金委員長に会うことを思いついた」と繰り返し
たが、ワシントンで発行されている「ザ・ヒル」は、同紙が行った24日の
インタビューでトランプ氏が板門店で金氏に会う考えを語っていたと報じ
た。ホワイトハウスがセキュリティ確保のためその件を当日まで伏せるよ
うに依頼し、報道できなかったという。

トランプ氏側が少なくとも1週間は板門店会談について考えを巡らしてい
たのに対して、金氏にとってはいきなりの提案だったわけだ。金氏は「ツ
イッターを見て本当に驚いた」と語っている。これはトランプ氏との立ち
話を終えて、韓国側の「自由の家」に入り、トランプ氏と並んで坐ったと
きの発言だ。

安倍晋三首相の役割

「昨日の午後、初めて、会いたいというトランプ大統領のメッセージを聞
いた。私も再度会いたかった」

金氏は、トランプ氏の「会いたい」というメッセージを受けて、決断し、
板門店に来た。その間約24時間だったことになる。いきなり言われて駆け
つけた。面子にこだわらず、大決断をしたのは明らかだ。その決断力を考
えるとき、「我々はもっとよくできる。もっとよくなることを世界に見せ
られる」という金氏の言葉に希望を持ちたくなるが、やはり問いたくな
る。「もっとよくなる」とは、核・ミサイル廃棄と拉致問題解決を意味し
ているか、と。

両首脳の会談は50分間にわたった。トランプ氏は韓国を去るに当たり、
「予定は2時間半遅れたけれど、すばらしかった」と、紅潮した顔で語っ
た。舞い上がる程の上機嫌は、金氏との会話が具体的な果実につながると
の思いを抱いたからであろう。

北朝鮮相手の交渉が順調に進むとは中々思えないが、今回の「いきなり会
談」で化学反応が起き、交渉が前進する可能性はあるだろうか。

ここで、横田早紀江さんのトランプ評が思い出される。早紀江さんはこれ
までに二度トランプ氏に会っている。

「トランプさんは、あたたかな父性を感じさせます。よき家庭の一家のお
父さんという感じで、守ってくれるような印象でした」

国際関係が真に冷徹な力関係であるのは言うまでもない。それでもトラン
プ・金両氏の関係は、これから存外うまくいくのではないか。

そこで安倍首相の役割が重要になる。核・ミサイル・拉致の三課題を優先
すること、問題がすべて解決して初めて見返りを与えるという結果重視の
原則を守らせることだ。さもなければ北朝鮮とのせめぎ合いに敗れると、
トランプ大統領に助言し続けることだ。

今回、明確になったのは、トランプ氏は北朝鮮に関して、韓国の、そして
中国の助力を全く必要としていないことだ。

習近平主席は内外共に行き詰まっている。国際社会で中国の友人はほとん
どいない。そこで来日前の6月20日、21日の両日、習氏は恐らく、北朝鮮
の核問題と米中貿易問題を一体化させて米国の優位に立つべく平壌を訪れ
た。すると、23日にトランプ氏が金氏に手紙を送り、金氏はそれを「すば
らしい手紙がきた」と言って公表した。まずトランプ氏の手紙で、次に板
門店首脳会談で、習氏の意図は粉々に砕かれた。

金氏も習氏に、米国との仲介を求めているわけではない。求めているのは
国連の制裁破りをしてでも、援助してくれということだ。

中国の情けが命綱

習政権はすでに巧妙な制裁破りを実行中だが、具体例について6月28日の
「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「国連制裁の対象になっていない観光で中国は正恩に外貨を与えていま
す。北朝鮮への中国人観光客は2017年が80万人、18年は50%増の120万人
でした。観光客が増えた背景に中国当局が観光業者に補助金を出している
という有力情報があります。旅行費用の7割を中国政府が補助し、業者が3
割取って、ツアーを4割値引きで売り出す。中国人は安い費用で平壌に行
き、焼き肉を食べてカラオケで歌って、夜は買春をするというカラクリです」

この種の客を満載した大型観光バスが毎日多数、北朝鮮に向かい、国連制
裁の対象である鉄鉱石や石炭の先物買いも行われているという。現物は制
裁解除の暁に受け取る条件で、支払いは半分に値引きして現金決済だとい
う。西岡氏の指摘だ。

「中国もそうですが、北朝鮮も騙す国です。先払いなどすれば詐欺にあう
のは当然だと思いますが、大丈夫だという。中国当局の保証があるからだ
そうです。国際社会が北朝鮮の核・ミサイル開発阻止でその外貨を枯渇さ
せようとしているときに、中国はこうした汚い手段で制裁破りをしている
のです」

国連制裁があり、米中の貿易戦争が続く限り、中国は米国に正面から逆ら
えない。結果、中国は今も巧妙なルール破りをしているが、さらに狡知を
極めていくだろう。中国の情けが命綱の金氏がどれだけトランプ氏に接近
するかは、中国のやり方をどれだけ国際社会が封じ込められるかという課
題と重なる。

G20の米中会談はその点で危うさを残した。ほとんどすべての中国からの
輸入品に25%の関税をかけるという第4弾の関税は回避され、米中はつか
の間の休戦に入った。そしてファーウェイへの米企業による輸出を一部認
めることになった。トランプ氏の直感や思いつきは素晴らしくとも、中・
長期的戦略は描き切れていない。むしろ戦略の欠如が懸念される。それで
は中国に敗れかねず、全く油断できないのである。

『週刊新潮』 2019年7月11日号 日本ルネッサンス 第859回

2019年07月09日

◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号日本ルネッサンス 第858回



2019年07月08日

◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号日本ルネッサンス 第858回

2019年07月06日

◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号 日本ルネッサンス 第858回

2019年07月05日

◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ」

「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号 日本ルネッサンス 第858回

2019年07月04日

◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ」

「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号日本ルネッサンス 第858回

2019年07月03日

◆日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって

櫻井よしこ


「日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって近未来を切り開く道が自ずと
明らかになる」

安岡正篤氏は首相まで務めた宮沢喜一氏を「ヨコの学問はできてもタテの
学問がなっていない」と評した。安岡氏は、真の教養ある日本人は欧米の
事情のみならず日本の文化文明、歴史を修めなければならないと言ってい
るのである。

その意味で近年読んだ本の中でとりわけ重要だと感ずるのが白鳥庫吉博士
の書いた日本史である。当欄でも以前に少し触れたことがあるが、大正
3(1914)年に開設された「東宮御学問所」で時の皇太子、裕仁親王に日
本史を教えるために白鳥博士が書いた5巻に上る書である。いま『昭和天
皇の教科書 国史』(以下『国史』、勉誠出版)として手にすることがで
きる。

同書に特別の関心を抱くのは、米国の変容に始まり、国際社会が大激変す
る中ですべての国々が如何に国益を守り通すかに心を砕かざるを得ない時
代に突入しているからだ。米中対立の日本への影響はとりわけ強い。だか
らこそ、日本自身が足場を固める必要がある。経済と安全保障は無論だ
が、その前に安岡氏のいう「タテの学問」が欠かせない。日本人は自らを
どのような民族としてとらえるか、日本の歴史をどれだけ深く学ぶかに
よって日本の近未来を切り開く道が自ずと明らかになる。歴史の学びこそ
重要だ。

『国史』は歴代の天皇を軸にして描いた歴史だ。歴代の天皇には各々特徴
があるが、共通項は国柄継承の主軸を担ったことだ。遠い過去の天皇たち
は国家や社会、国民の暮らしと具体的にどう関わっていたのか、周囲の
国々や異民族とどう接していたのかなどが『国史』には実例に則して記さ
れている。それは巧まずして日本の国柄をわかり易く現代に伝える結果と
なっている。

前述したように、世界は激しく変化し、前例が通じにくくなってはいる
が、その中にあっても日本国の長い歴史や文化、即ち、国柄を構成する価
値観に基づいて対処すれば大きく間違うことはないだろう。

日本の国柄の基本は、世界一長い歴史をもつ皇室をいただく伝統の国だと
いう点にある。そこから生まれる価値観こそ大事にしたい。令和の時代の
いま、社会も国も水平思考で、皇室の特別扱いには異論さえある。だが、
皇室が日本人にとって特別かつ大切な存在であることに変わりはない。福
澤諭吉は『帝室論』で「一国の帝王は一家の父母の如し」と書いた。皇室
の力は安らぎをもたらす緩和力である。その皇室を、国民は敬愛の情でお
守りしなければならないと、福澤は説いた。

『国史』には福澤の視点と対をなす、皇室の国民に対する視点が次のよう
に書かれている。日本国の特徴は、天皇が日本国を「大きな家族」と見做
し、「君と民とがおだやかに和して国の基礎を強く固め」ていることだ、と。

天皇の慈しみは日本に移り住んだ異民族にも同様に注がれる。天皇は、
「(異民族を)従来の国民と同様に慈しみ、両者が溶け合って円満な国づ
くり」を実践したと『国史』は述べる。右の精神は第一次世界大戦後の
ヴェルサイユ会議で日本が人種差別撤廃を主張したこととも、対米開戦の
理由ともなった米国での日本人排斥運動への憤りとも、通底するのではな
いか。

日本の政情が概して安定しているのは天皇と皇室が高い次元からすべての
人々を公平に見て下さることにあるのではないか。ただ、歴史上、天皇や
皇室発の争いも確かにあった。それを『国史』は蘇我一族の横暴な振舞い
を例にして、どんな時も天皇は一氏族のみを寵愛してはならないと戒めて
いる。

皇室と国民の絆、人種の平等、究極の公正さなどの教えが各天皇の行動に
沿って綴られた本書が、いま一押しの書である。

さて、25年間にわたった連載は今回で終了する。読者の皆様には深く心か
らのお礼を申し上げたい。編集部の方々にも深く感謝申し上げる。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 最終回 

2019年07月02日

◆日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって

櫻井よしこ


「日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって近未来を切り開く道が自ずと
明らかになる」

安岡正篤氏は首相まで務めた宮沢喜一氏を「ヨコの学問はできてもタテの
学問がなっていない」と評した。安岡氏は、真の教養ある日本人は欧米の
事情のみならず日本の文化文明、歴史を修めなければならないと言ってい
るのである。

その意味で近年読んだ本の中でとりわけ重要だと感ずるのが白鳥庫吉博士
の書いた日本史である。当欄でも以前に少し触れたことがあるが、大正
3(1914)年に開設された「東宮御学問所」で時の皇太子、裕仁親王に日
本史を教えるために白鳥博士が書いた5巻に上る書である。いま『昭和天
皇の教科書 国史』(以下『国史』、勉誠出版)として手にすることがで
きる。

同書に特別の関心を抱くのは、米国の変容に始まり、国際社会が大激変す
る中ですべての国々が如何に国益を守り通すかに心を砕かざるを得ない時
代に突入しているからだ。米中対立の日本への影響はとりわけ強い。だか
らこそ、日本自身が足場を固める必要がある。経済と安全保障は無論だ
が、その前に安岡氏のいう「タテの学問」が欠かせない。日本人は自らを
どのような民族としてとらえるか、日本の歴史をどれだけ深く学ぶかに
よって日本の近未来を切り開く道が自ずと明らかになる。歴史の学びこそ
重要だ。

『国史』は歴代の天皇を軸にして描いた歴史だ。歴代の天皇には各々特徴
があるが、共通項は国柄継承の主軸を担ったことだ。遠い過去の天皇たち
は国家や社会、国民の暮らしと具体的にどう関わっていたのか、周囲の
国々や異民族とどう接していたのかなどが『国史』には実例に則して記さ
れている。それは巧まずして日本の国柄をわかり易く現代に伝える結果と
なっている。

前述したように、世界は激しく変化し、前例が通じにくくなってはいる
が、その中にあっても日本国の長い歴史や文化、即ち、国柄を構成する価
値観に基づいて対処すれば大きく間違うことはないだろう。

日本の国柄の基本は、世界一長い歴史をもつ皇室をいただく伝統の国だと
いう点にある。そこから生まれる価値観こそ大事にしたい。令和の時代の
いま、社会も国も水平思考で、皇室の特別扱いには異論さえある。だが、
皇室が日本人にとって特別かつ大切な存在であることに変わりはない。福
澤諭吉は『帝室論』で「一国の帝王は一家の父母の如し」と書いた。皇室
の力は安らぎをもたらす緩和力である。その皇室を、国民は敬愛の情でお
守りしなければならないと、福澤は説いた。

『国史』には福澤の視点と対をなす、皇室の国民に対する視点が次のよう
に書かれている。日本国の特徴は、天皇が日本国を「大きな家族」と見做
し、「君と民とがおだやかに和して国の基礎を強く固め」ていることだ、と。

天皇の慈しみは日本に移り住んだ異民族にも同様に注がれる。天皇は、
「(異民族を)従来の国民と同様に慈しみ、両者が溶け合って円満な国づ
くり」を実践したと『国史』は述べる。右の精神は第一次世界大戦後の
ヴェルサイユ会議で日本が人種差別撤廃を主張したこととも、対米開戦の
理由ともなった米国での日本人排斥運動への憤りとも、通底するのではな
いか。

日本の政情が概して安定しているのは天皇と皇室が高い次元からすべての
人々を公平に見て下さることにあるのではないか。ただ、歴史上、天皇や
皇室発の争いも確かにあった。それを『国史』は蘇我一族の横暴な振舞い
を例にして、どんな時も天皇は一氏族のみを寵愛してはならないと戒めて
いる。

皇室と国民の絆、人種の平等、究極の公正さなどの教えが各天皇の行動に
沿って綴られた本書が、いま一押しの書である。

さて、25年間にわたった連載は今回で終了する。読者の皆様には深く心か
らのお礼を申し上げたい。編集部の方々にも深く感謝申し上げる。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 最終回 

2019年07月01日

◆日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって

櫻井よしこ


「日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって近未来を切り開く道が自ずと
明らかになる 」


安岡正篤氏は首相まで務めた宮沢喜一氏を「ヨコの学問はできてもタテの
学問がなっていない」と評した。安岡氏は、真の教養ある日本人は欧米の
事情のみならず日本の文化文明、歴史を修めなければならないと言ってい
るのである。

その意味で近年読んだ本の中でとりわけ重要だと感ずるのが白鳥庫吉博士
の書いた日本史である。当欄でも以前に少し触れたことがあるが、大正
3(1914)年に開設された「東宮御学問所」で時の皇太子、裕仁親王に日
本史を教えるために白鳥博士が書いた5巻に上る書である。いま『昭和天
皇の教科書 国史』(以下『国史』、勉誠出版)として手にすることがで
きる。

同書に特別の関心を抱くのは、米国の変容に始まり、国際社会が大激変す
る中ですべての国々が如何に国益を守り通すかに心を砕かざるを得ない時
代に突入しているからだ。米中対立の日本への影響はとりわけ強い。だか
らこそ、日本自身が足場を固める必要がある。経済と安全保障は無論だ
が、その前に安岡氏のいう「タテの学問」が欠かせない。日本人は自らを
どのような民族としてとらえるか、日本の歴史をどれだけ深く学ぶかに
よって日本の近未来を切り開く道が自ずと明らかになる。歴史の学びこそ
重要だ。

『国史』は歴代の天皇を軸にして描いた歴史だ。歴代の天皇には各々特徴
があるが、共通項は国柄継承の主軸を担ったことだ。遠い過去の天皇たち
は国家や社会、国民の暮らしと具体的にどう関わっていたのか、周囲の
国々や異民族とどう接していたのかなどが『国史』には実例に則して記さ
れている。それは巧まずして日本の国柄をわかり易く現代に伝える結果と
なっている。

前述したように、世界は激しく変化し、前例が通じにくくなってはいる
が、その中にあっても日本国の長い歴史や文化、即ち、国柄を構成する価
値観に基づいて対処すれば大きく間違うことはないだろう。

日本の国柄の基本は、世界一長い歴史をもつ皇室をいただく伝統の国だと
いう点にある。そこから生まれる価値観こそ大事にしたい。令和の時代の
いま、社会も国も水平思考で、皇室の特別扱いには異論さえある。だが、
皇室が日本人にとって特別かつ大切な存在であることに変わりはない。福
澤諭吉は『帝室論』で「一国の帝王は一家の父母の如し」と書いた。皇室
の力は安らぎをもたらす緩和力である。その皇室を、国民は敬愛の情でお
守りしなければならないと、福澤は説いた。

『国史』には福澤の視点と対をなす、皇室の国民に対する視点が次のよう
に書かれている。日本国の特徴は、天皇が日本国を「大きな家族」と見做
し、「君と民とがおだやかに和して国の基礎を強く固め」ていることだ、と。

天皇の慈しみは日本に移り住んだ異民族にも同様に注がれる。天皇は、
「(異民族を)従来の国民と同様に慈しみ、両者が溶け合って円満な国づ
くり」を実践したと『国史』は述べる。右の精神は第一次世界大戦後の
ヴェルサイユ会議で日本が人種差別撤廃を主張したこととも、対米開戦の
理由ともなった米国での日本人排斥運動への憤りとも、通底するのではな
いか。

日本の政情が概して安定しているのは天皇と皇室が高い次元からすべての
人々を公平に見て下さることにあるのではないか。ただ、歴史上、天皇や
皇室発の争いも確かにあった。それを『国史』は蘇我一族の横暴な振舞い
を例にして、どんな時も天皇は一氏族のみを寵愛してはならないと戒めて
いる。

皇室と国民の絆、人種の平等、究極の公正さなどの教えが各天皇の行動に
沿って綴られた本書が、いま一押しの書である。

さて、25年間にわたった連載は今回で終了する。読者の皆様には深く心か
らのお礼を申し上げたい。編集部の方々にも深く感謝申し上げる。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 最終回 

2019年06月28日

◆香港で想定外の大デモ、習近平の窮地

櫻井よしこ


習近平国家主席の大誤算といってよいであろうが、それも含めて自業自得
ではないか。

香港で「逃亡犯条例」改正への反対の声はおさまらないどころか、国際社
会が一斉に、香港政府と、背後で実権を握っている北京政府への非難の声
を強めている。

逃亡犯条例改正への反対デモは、6月9日の日曜日には主催者発表で103万
人、16日には200万人に倍増した。香港住民700万人の29%が街頭に繰り出
し、中国本土と一体化した香港政府に抵抗の意思を示した。米欧メディア
はデモを生中継で報じ、香港人の人権も自由も危機に瀕していると伝え続
ける。

7月1日は香港が英国から中国に返還された記念日である。この日に向け
て、デモはさらに拡大する可能性がある。その前に習氏は大阪でのG20に
出席しなければならず、そこで国際社会の非難の集中砲火を浴びるだろう。

一連の負の連鎖現象を「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏は「習主席の
もらい事故」と表現する。矢板氏の説明だ。

「去年、香港の男が台湾で女性を殺害し、香港に逃げ帰ったのです。台湾
当局は犯人引き渡しを要求しました。香港は米英などとは引き渡し条約を
結んでいますが、中国や台湾とはそのような取り決めをしておらず、引き
渡せなかった。それで香港行政長官の林鄭月娥(りんていげつが)氏は条
例改正に取りかかった。習近平や中国共産党の直接の指示ではないのです」

実はこの話には続きがある。殺人犯とされる男性の引き渡しを要求した台
湾当局は、今年5月、男性の引き渡しは求めないと方針を転換させたので
ある。理由は二つ、台湾当局は逃亡犯引き渡し条例が、後述するように中
国共産党政府に悪用されると気付いたこと、香港住民の反対の声に耳を傾
けたこと、だった。

自由は次々と奪われた

他方、林鄭月娥氏はこの機会を逃そうとはしなかった。彼女は昨年11月、
北京を訪れ習氏と長時間の面談を果たしている。その席で習氏は香港によ
り厳しい「法的整備」を求めたという。

彼女がこだわった逃亡犯条例改正案は、容疑者の引き渡し先に「中国、マ
カオ、台湾」を新たに加えた内容で、改正されれば同条例は間違いなく反
中勢力弾圧強化の手段として中国政府に利用されると、香港人は恐れた。

改正案は、引き渡されるのは香港人だけでなく、香港在住の外国人、香港
にビジネスや観光で渡航する人まで含んでいた。これには香港を支えてき
た国際ビジネス界の重鎮たちも驚いた。

殺人事件をきっかけにした改正案はこのように多方面から反対を受けなが
らも香港政府によって進められ、国際政治の渦の中で、200万人もの人々
を駆り立てるという、予想を越えた反応を生み出した。矢板氏が指摘する
ように、習氏にとっては「もらい事故」の側面もある。だが、中国政府の
年来の弾圧は尋常ならざるものであり、中国共産党の手法は国際法や人類
普遍の価値観と余りにも隔たっていて、それらが一連の反応を引き起こし
たという意味で、自業自得としか言いようがない。

1997年の香港返還以降、周知のように50年間は一国二制度の下で高度な自
治が保障されるはずが、香港の自由は次々と奪われた。2014年、香港人は
民主的選挙の実現を雨傘革命で訴えた。彼らの要求は完全に退けられ、い
ま、香港議会の議員70人の内、中国共産党が事実上指名する議員が半分以
上を占める。多数を得た彼らは香港人代表ではなく、中国共産党を代表し
て香港を監視し、香港社会を中国化するための権力者集団となっている。

彼らは如何なる意味でも中国共産党への批判を受け入れない。中国共産党
に批判的な書籍を扱っていた銅鑼湾書店の経営者らが失踪したのは雨傘革
命の翌年だった。書店の経営者らは家族にも連絡できず中国当局に拘束さ
れていた。

解放されても、彼らは以前のように自由に書籍を扱って言論、出版の自由
を楽しめるわけではない。いつ何時再び、誰にも知られずに拘束され、大
陸に連行され、最悪の場合、拷問、虐殺の悲劇に見舞われないとも限らな
い。現に書店の元店長は逃亡犯条例改正の動きを察知して、4月26日台湾
に“亡命“した。

このような一連の事実があるために、香港人は中国共産党の支配強化を恐
れ、警戒心を強めるのだ。国際社会が香港人の抱く恐怖心に共感するのも
当然だ。国際社会はかつての宗主国である英国を筆頭に、デモの市民たち
への支持を打ち出した。とりわけ強烈に反応したのが米国である。

共和党のマルコ・ルビオ氏ら8人の上院議員に下院議員も加わった10人が
連名で、香港を米国の「特別貿易相手国」リストから外す法案を提出する
構えだ。

米中対立は「文明の衝突」

現在米国が香港との貿易にかけている関税は、大陸中国とは別扱いであ
る。中国の製品であっても、一旦香港に持ち込んで加工し、「香港製品」
にすれば、関税は通常レベルにとどまる。中国製品がそのまま香港経由で
米国に輸出される場合は、現在米国がほぼ全ての中国製品に課している
25%の関税が適用される。

ルビオ氏らの法案が実現すれば香港には大打撃だ。企業の香港離れが進
み、投資も減少するだろう。中国にとっても痛手だが、香港政府の多数派
を占める中国系議員にとっては死活問題だ。香港は自由貿易で成り立って
おり、香港の中国系議員の多くは経済界の幹部だからだ。

矢板氏は、習氏には現在打つ手がなく、「死んだふり」をするしかないと
語る。

「去年、中国共産党指導部内では習氏降ろしの動きもあったのですが、た
とえ李克強氏に交替してもアメリカの対中姿勢は変わらないと、彼らは
悟ったのです。米中対立の構造が変わらないのであれば、指導者を引きず
り降ろす意味もない。このような認識が内政も外交も手詰りの習氏の立場
を逆に安定させています」

共産党内の権力闘争が米国の「固い意思」の前で暫時休止しているという
のである。米中対立はいまや「文明の衝突」にもたとえられる。米国の要
求は中国がルールを守るフェアな国になることだ。知的財産も情報も先端
技術も盗んではならず、少数民族を弾圧してはならず、人権を尊重せよと
いう当然の要求だ。だが米国の要求を容れれば中国共産党の一党支配体制
は崩壊する。

米中の戦いで、わが国は日本の依って立つ価値観をもっと鮮明にしなけれ
ばならない。価値観外交を標榜してきた安倍政権は、いま、最低限、香港
の人々のデモに明確な支持を表明すべきだ。さらにウイグル人への弾圧に
も、台湾に対する圧力にも、日本ははっきりと反対の姿勢を打ち出し、中
国に物申すのがよい。

『週刊新潮』 2019年6月27日号
日本ルネッサンス 第857回