2020年05月23日

◆現行法でウイルス第二波を防げるか

櫻井よしこ


安倍晋三首相が5月4日、緊急事態宣言を概ねひと月延ると発表して、1週間が過ぎた。私たちがいま見ている新規感染者数は約2週間前の私たちの行動を反映したものだが、全国の新規感染者数が100人を切る日もあり、東京では50人以下の日々が続く。

気を抜けば数字は一気に跳ね上がるのであろうが、現時点で日本人は「感染爆発」を免れている。5月8日の「言論テレビ」で西村康稔新型コロナ対策担当大臣が強調した。

「日本人は凄いなと、強く感じます。4月7日に緊急事態を発するとき総理とかなり議論しました。接触を8割減らすのは相当な努力が必要で、しかもイメージし難い。そんな要請ができるのか、と。総理は、日本人は必ず出来るから、頼もうと仰って、極力8割削減をお願いした」

日本人の公衆衛生に対する意識の高さ、倫理観や連帯感を含めて、そこに安倍首相は信頼を置いたというのだ。

実は、日本の首相として、それしか選択肢はなかったのである。周知のようにわが国の緊急事態宣言は首相にも知事にも命令権をほとんど与えていない。お願いするだけだ。それでも国民の大多数は自粛し、新規感染者数は確実に減り、第一段階で日本人はウイルス抑制に成功した。

ただウイルスとの闘いは長く続く。政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除に踏み切るが、解除に伴ってまたもや新規感染が発生し、第二波、第三波がやってくると考えるべきだ。

そのとき、現体制のままで乗り切れるか。大半の国民が文字どおり一所懸命に外出を自粛したのとは対照的に、一部のパチンコ店は営業を続けた。知事の「要請」にも「店名公表」にもかかわらず営業を続けた。

この間に政府はパチンコ店への休業支援策を打ち出したがそれでも休業しないため、知事は法的に従う義務を伴った「指示」を出した。しかしこれにも従わない店が兵庫にも千葉にも出現した。「指示」には罰則はないため、店側が開き直れば、打つ手がないのだ。

第二波の襲来も早い

西村氏はこうした事態を念頭に強制力を持つ法整備の必要性を説いた。そもそも今回の武漢ウイルスに対処する際の法的根拠は、民主党政権が作った新型インフルエンザに対する法律が基になっている。

民主党は中央政府にも地方政府にも権限を与えることを嫌い、国民一人一人の権利と自由を最大限尊重した。結果、ウイルス襲来の国難の中でも、わが国政府には何の強制力もないことは既に述べた。武漢ウイルス問題の直接の責任者として、西村氏が語った。

「個人の自由や権利を尊重するフランスなど欧州諸国でも国民の外出を強く規制する都市封鎖、ロックダウンが発令されました。現在の特措法については、国民の生命と健康を守るために、『指示』にも従わない場合、命令を出して罰則を科すやり方を考えるべきだと思います。また、日本が欧州や米国と同じような法体系を整えるかについては、幅広い憲法論議が必要です」

安倍首相が14日に緊急事態宣言の一部解除を行い、その後全てがうまくいけばよいが、そうでない場合、第二波の襲来も早い。西村氏のいう法改正は急務であろう。

「現状を見ると、警戒が緩むのを心配せざるを得ません。今日(5月8日)時点でパチンコ店24店が開業しました。そうした中、ウイルスの収束に向かうため、強い措置もとれるよう、法改正はできるだけ早くする必要があります」と西村氏。

特措法改正を日本維新などの協力で実現したとしても、次に考えなければならないのが、特措法を支える緊急事態条項を憲法に書きこむことだ。この点について立憲民主や共産党などは論外としても、自民党自体の議論が揺れている。

自民党が提唱した憲法改正4項目の内、緊急事態発令については、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」により、国会が機能しなくなった場合、とされている。

野党は「その他の異常かつ大規模な災害」では余りにも範囲が広すぎる、日本が軍事的に好き放題してしまう余地があるなどと反発し、議論は全く進んでいない。対応する自民党が譲歩案を出し、結果として党内の意見が二分されているのだ。

第一の考え方は緊急事態条項は本来、激変する国際情勢の下で国民の命と国土を守るために、つまり安全保障上の必要性を満たすために必要で、世界各国およそ例外なく緊急事態条項を備えている。従って日本も軍事的側面も含めて広くとらえるべきだというものだ。

平和ボケに驚く

第二の考えは現実を重視し、できるところから改正していくという視点に立つ。先の条文に「自然」の二文字を加えて、「大地震その他の異常かつ大規模な自然災害」とする。緊急事態を発令するのは大地震をはじめとする大規模自然災害の場合に限るというものだ。

正論は第一案であろう。しかし、与党の一翼を担う公明党は後ろ向きだ。立憲民主党や共産党は元々反対だ。自民党は公明党の賛成を得たうえに、さらに国民民主党の常識派や日本維新などの協力を得なければ改正はできない。それゆえ軍事的思惑に関する疑念を振り払うべく「自然」災害対策であることを明確にしようとしているのだ。この種の議論を目の当たりにする度、私は日本国の余りの平和ボケに驚くのだが、これがわが国の現実である。

ではなぜただの法改正にとどまらず、憲法改正までしなければならないか。東日本大震災での苦い経験があるからだ。地震と津波で変わり果てた被災地復興にはまず、瓦礫や倒壊家屋の片づけが急務だった。法律で知事はそうした片づけを指示できると定められている。しかし、実際には憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」に阻まれて復興作業が遅れに遅れた。宮城県の村井嘉浩知事は「柱一本でも私有財産だ」と言って戸惑い、内閣府の参事官は「憲法で保障された国民の権利や自由(財産権や経済取引の自由)を安易に制限するわけにはいかない」と答弁した。憲法に根拠が書かれていなければ、法律で緊急時の政府権限を定めても実際には機能しないのだ。

武漢ウイルス問題は私たちに日本国の在り方の歪(いびつ)さを突きつけているが、課題は他にもある。ウイルスに打ち勝つことがいま、最大の課題であるのは明らかだ。感染者の重症化を防ぎ、死者を出さない。国民各自が応分の負担をして充実した医療体制を整えることなしには、経済活動の再開も暮らしの立て直しも儘ならない。

「健康の一帯一路」を謳い始めた中国とは全く異なる、真の意味の医療大国を日本は目指すべきだ。それを国家戦略と定め、国を挙げて体制作りを急がねばならない。

『週刊新潮』 2020年5月21日号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月22日

◆現行法でウイルス第二波を防げるか

櫻井よしこ


安倍晋三首相が5月4日、緊急事態宣言を概ねひと月延長すると発表して、1週間が過ぎた。私たちがいま見ている新規感染者数は約2週間前の私たちの行動を反映したものだが、全国の新規感染者数が100人を切る日もあり、東京では50人以下の日々が続く。

気を抜けば数字は一気に跳ね上がるのであろうが、現時点で日本人は「感染爆発」を免れている。5月8日の「言論テレビ」で西村康稔新型コロナ対策担当大臣が強調した。

「日本人は凄いなと、強く感じます。4月7日に緊急事態を発するとき総理とかなり議論しました。接触を8割減らすのは相当な努力が必要で、しかもイメージし難い。そんな要請ができるのか、と。総理は、日本人は必ず出来るから、頼もうと仰って、極力8割削減をお願いした」

日本人の公衆衛生に対する意識の高さ、倫理観や連帯感を含めて、そこに安倍首相は信頼を置いたというのだ。

実は、日本の首相として、それしか選択肢はなかったのである。周知のようにわが国の緊急事態宣言は首相にも知事にも命令権をほとんど与えていない。お願いするだけだ。

それでも国民の大多数は自粛し、新規感染者数は確実に減り、第一段階で日本人はウイルス抑制に成功した。

ただウイルスとの闘いは長く続く。政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除に踏み切るが、解除に伴ってまたもや新規感染が発生し、第二波、第三波がやってくると考えるべきだ。

そのとき、現体制のままで乗り切れるか。大半の国民が文字どおり一所懸命に外出を自粛したのとは対照的に、一部のパチンコ店は営業を続けた。知事の「要請」にも「店名公表」にもかかわらず営業を続けた。

この間に政府はパチンコ店への休業支援策を打ち出したがそれでも休業しないため、知事は法的に従う義務を伴った「指示」を出した。しかしこれにも従わない店が兵庫にも千葉にも出現した。「指示」には罰則はないため、店側が開き直れば、打つ手がないのだ。

第二波の襲来も早い

西村氏はこうした事態を念頭に強制力を持つ法整備の必要性を説いた。そもそも今回の武漢ウイルスに対処する際の法的根拠は、民主党政権が作った新型インフルエンザに対する法律が基になっている。

民主党は中央政府にも地方政府にも権限を与えることを嫌い、国民一人一人の権利と自由を最大限尊重した。結果、ウイルス襲来の国難の中でも、わが国政府には何の強制力もないことは既に述べた。武漢ウイルス問題の直接の責任者として、西村氏が語った。

「個人の自由や権利を尊重するフランスなど欧州諸国でも国民の外出を強く規制する都市封鎖、ロックダウンが発令されました。現在の特措法については、国民の生命と健康を守るために、『指示』にも従わない場合、命令を出して罰則を科すやり方を考えるべきだと思います。また、日本が欧州や米国と同じような法体系を整えるかについては、幅広い憲法論議が必要です」

安倍首相が14日に緊急事態宣言の一部解除を行い、その後全てがうまくいけばよいが、そうでない場合、第二波の襲来も早い。西村氏のいう法改正は急務であろう。

「現状を見ると、警戒が緩むのを心配せざるを得ません。今日(5月8日)時点でパチンコ店24店が開業しました。そうした中、ウイルスの収束に向かうため、強い措置もとれるよう、法改正はできるだけ早くする必要があります」と西村氏。

特措法改正を日本維新などの協力で実現したとしても、次に考えなければならないのが、特措法を支える緊急事態条項を憲法に書きこむことだ。この点について立憲民主や共産党などは論外としても、自民党自体の議論が揺れている。

自民党が提唱した憲法改正4項目の内、緊急事態発令については、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」により、国会が機能しなくなった場合、とされている。

野党は「その他の異常かつ大規模な災害」では余りにも範囲が広すぎる、日本が軍事的に好き放題してしまう余地があるなどと反発し、議論は全く進んでいない。対応する自民党が譲歩案を出し、結果として党内の意見が二分されているのだ。

第一の考え方は緊急事態条項は本来、激変する国際情勢の下で国民の命と国土を守るために、つまり安全保障上の必要性を満たすために必要で、世界各国およそ例外なく緊急事態条項を備えている。従って日本も軍事的側面も含めて広くとらえるべきだというものだ。

平和ボケに驚く

第二の考えは現実を重視し、できるところから改正していくという視点に立つ。先の条文に「自然」の二文字を加えて、「大地震その他の異常かつ大規模な自然災害」とする。緊急事態を発令するのは大地震をはじめとする大規模自然災害の場合に限るというものだ。

正論は第一案であろう。しかし、与党の一翼を担う公明党は後ろ向きだ。立憲民主党や共産党は元々反対だ。自民党は公明党の賛成を得たうえに、さらに国民民主党の常識派や日本維新などの協力を得なければ改正はできない。

それゆえ軍事的思惑に関する疑念を振り払うべく「自然」災害対策であることを明確にしようとしているのだ。この種の議論を目の当たりにする度、私は日本国の余りの平和ボケに驚くのだが、これがわが国の現実である。

ではなぜただの法改正にとどまらず、憲法改正までしなければならないか。東日本大震災での苦い経験があるからだ。地震と津波で変わり果てた被災地復興にはまず、瓦礫や倒壊家屋の片づけが急務だった。

法律で知事はそうした片づけを指示できると定められている。しかし、実際には憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」に阻まれて復興作業が遅れに遅れた。

宮城県の村井嘉浩知事は「柱一本でも私有財産だ」と言って戸惑い、内閣府の参事官は「憲法で保障された国民の権利や自由(財産権や経済取引の自由)を安易に制限するわけにはいかない」と答弁した。憲法に根拠が書かれていなければ、法律で緊急時の政府権限を定めても実際には機能しないのだ。

武漢ウイルス問題は私たちに日本国の在り方の歪(いびつ)さを突きつけているが、課題は他にもある。ウイルスに打ち勝つことがいま、最大の課題であるのは明らかだ。感染者の重症化を防ぎ、死者を出さない。国民各自が応分の負担をして充実した医療体制を整えることなしには、経済活動の再開も暮らしの立て直しも儘ならない。

「健康の一帯一路」を謳い始めた中国とは全く異なる、真の意味の医療大国を日本は目指すべきだ。それを国家戦略と定め、国を挙げて体制作りを急がねばならない。

『週刊新潮』 2020年5月21日号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月20日

◆黄金週間に国の在り方を考えよう

櫻井よしこ

安倍晋三首相による緊急事態宣言の効果が出始めるのが宣言から2週間後、4月21日の火曜日以降とされる。

東京都の新規感染者数は21日が123人、その後ずっと100人を超えていたが、日曜日には72人になった。週末は検査数が少ないため額面どおりの「減少」とはとらえられないだろうが、それでも少し安堵する。

外出の自粛「要請」にとどまる緩い規制で、私たちは武漢ウイルスに勝てるのか。十分に行動を律して結果を出せるのか。日本人が試されている。

テレビのニュースが東京都台東区浅草寺の無人の様子を伝えていた。銀座も赤坂も同様だ。店の経営者も耐え、国民も頑張っている。いま、私たちはゴールデンウィークに入った。出来るだけ家にいよう。新規感染を出さないように、とりわけ重症者や死者を出さないように、一緒に頑張ろう。

だが、一部のパチンコ店が休業を拒否し続けている。大阪府知事の吉村洋文氏が要請に応じないパチンコ店名を4月24日に公表した。するとその店に客が殺到したという。海外メディアはこんな日本式手法を生温いと批判する。国内でも安倍首相の手法は手緩(てぬる)い、遅いという強い批判がある。そのとおりだ。

しかしよく考えれば安倍首相の責任も大きいが、日本国の造り自体に問題がある。日本国総理大臣には緊急時において国全体を陣頭指揮する権限がないのであるから。

すでに指摘してきた点だが、今回の政府及び地方自治体の武漢ウイルス対策の基本となっている特措法自体が危機対応の体を成していない。その第5条は「国民の自由と権利を制限するには、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない」と定めている。

インターネット配信の「言論テレビ」で新型コロナ対策の担当大臣、西村康稔氏は、政府対応への批判に「政策は必要最小限でなければならない」と応じた。法を忠実に守れば、対策は文字どおり「必要最小限」にとどまり、ウイルス対策に効果的で大胆な策は打てないというのだ。

政府の打つ手は遅い

特措法はまた地域主権の考え方に基づき、地方に軸足を置く形で権限を国と地方に分散する。緊急事態宣言は首相の権限だが、権限行使は知事だ。政府にできるのは精々、「基本的対処方針」を定め地方自治体間を「調整」することだけだ。

この法律は、民主党政権が作った新型インフルエンザ対応の法律に、適用対象に武漢ウイルスを加えただけのものだ。民主党の法律そのままの内容で、従って政府対応を遅い、少ないと批判する立憲民主党副代表の蓮舫氏や幹事長の福山哲郎氏らは、天に唾しているに等しい。

権限と責任のおよそすべてを任される地方自治体で、いま、何が起きているのか。対策を打つには、検査であれ隔離であれ、休業要請と対になる協力金であれ、財政力が必要だ。東京都を除いて、国の交付金頼りの地方自治体には、実力を超える権限も責任もきつい負担である。結果として国に財政援助やより強い規制の定めを求めることになる。

法律上、政府は地方自治体に権限を委譲し、地方自治体は各々、本当に努力し、よくやっているとはいえ、力不足は否めない。

こうした状態を率直に表現すれば、いま、国難にある日本で、ウイルス対策で最終的に責任を取る主体が事実上、存在しないということなのだ。県境など無意味なウイルスとの戦いで、日本全国を見て総合指揮を取る主体が存在しなければ効果的な手など打てない。

場合によっては外出禁止令発出も可能な強い権限を政府が持ち、東京や大阪などを筆頭に各自治体と密接に協力するのでなければならない。陣頭に立つべきは中央政府でなければならない。にも拘わらず、政府権限を否定し、地域主権を進めるという基本構造の延長上に成り立ち、危機に直面すれば一層政府を縛るべきだという現行法の発想自体が、日本を機能不全に陥れているのである。

そうした事情があるにせよ緊急経済対策をはじめ政府の打つ手は遅い。考えられる理由は二つだろう。国会における野党の非協力と、敗戦を受けて作られた財政法29条だ。

財政法29条は、本予算が成立しなければ補正予算の本格的な策定はできないと定めており、状況に対する臨機応変の予算措置を困難にしている。

予算案は与党主導で策定し、閣議決定する。毎年数百ページの分厚い予算書を財務官僚がひと月弱かけて徹夜作業で仕上げる。それを財務大臣と首相が国会、衆参両院の予算委員会で説明する。

野党の責任もある

令和2年度の本予算は3月27日に成立したが、もし野党が協力していれば約ひと月早い成立も可能だった。予算案の衆議院通過は2月28日、憲法第60条2項の衆議院の参議院に対する優越によって、予算案が成立するのは明らかだった。平時なら参議院での大議論も必要だが、1月末には世界保健機関(WHO)が武漢ウイルスについて緊急事態を宣言した。その最中、立憲民主党の蓮舫氏らは、恰(あたか)も武漢ウイルス問題など念頭にないかのように、参院での審議の大部分の時間を「桜を見る会」問題などに費やした。安倍政権批判を優先する余り、国民に早くお金を回す緊急性などは考えなかったのか。2月末の衆院での本予算可決後、早めに参院で成立させて、3月を補正予算の審議に使い、同月末までに成立させていれば、4月早々には国民に「30万円」であれ「10万円」であれ、支給できた。

安倍政権の「遅すぎる対応」には野党の責任もあるのだ。

日本以外の国々では、拙速ではあっても対応が早い。英国議会は党首討論もテレビ会議などの遠隔操作に切り替える。欧州議会は重要案件の決定も各国からの電子採決で行った。

日本では2018年に国会改革の一環として、インターネットによる遠隔投票が提唱されたが、国会外での投票は憲法第56条違反だとして退けられた。

迅速決断のためにドイツ議会は下院定足数を過半数から4分の1に下げた。日本は憲法56条で定足数を議員の3分の1以上としており、これを動かすことは無理である。

国家を悪として敵視して、政府には権力を与えないという発想の憲法と、国民代表としての国会が細かいことまですべて議論しなければ政府への監視機能が果たせないという、財政法を含めた種々の法律を見直さなければ、日本はまともな国になれない。たとえ国民の自律心と協力で国内での武漢ウイルスとの戦いを制したとしても、これからの国際社会の環境は非常に厳しくなる。その中で生き残るには憲法をはじめ戦後体制の見直しが要る。ゴールデンウィークに、皆で日本国の行く末をじっくり考えてみるのもよいではないか。

『週刊新潮』 2020年5月7・14日合併号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月16日

◆黄金週間に国の在り方を考えよう

櫻井よしこ


安倍晋三首相による緊急事態宣言の効果が出始めるのが宣言から2週間後、4月21日の火曜日以降とされる。

東京都の新規感染者数は21日が123人、その後ずっと100人を超えていたが、日曜日には72人になった。週末は検査数が少ないため額面どおりの「減少」とはとらえられないだろうが、それでも少し安堵する。

外出の自粛「要請」にとどまる緩い規制で、私たちは武漢ウイルスに勝てるのか。十分に行動を律して結果を出せるのか。日本人が試されている。

テレビのニュースが東京都台東区浅草寺の無人の様子を伝えていた。銀座も赤坂も同様だ。店の経営者も耐え、国民も頑張っている。いま、私たちはゴールデンウィークに入った。出来るだけ家にいよう。新規感染を出さないように、とりわけ重症者や死者を出さないように、一緒に頑張ろう。

だが、一部のパチンコ店が休業を拒否し続けている。大阪府知事の吉村洋文氏が要請に応じないパチンコ店名を4月24日に公表した。するとその店に客が殺到したという。海外メディアはこんな日本式手法を生温いと批判する。国内でも安倍首相の手法は手緩(てぬる)い、遅いという強い批判がある。そのとおりだ。

しかしよく考えれば安倍首相の責任も大きいが、日本国の造り自体に問題がある。日本国総理大臣には緊急時において国全体を陣頭指揮する権限がないのであるから。

すでに指摘してきた点だが、今回の政府及び地方自治体の武漢ウイルス対策の基本となっている特措法自体が危機対応の体を成していない。その第5条は「国民の自由と権利を制限するには、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない」と定めている。

インターネット配信の「言論テレビ」で新型コロナ対策の担当大臣、西村康稔氏は、政府対応への批判に「政策は必要最小限でなければならない」と応じた。法を忠実に守れば、対策は文字どおり「必要最小限」にとどまり、ウイルス対策に効果的で大胆な策は打てないというのだ。

政府の打つ手は遅い

特措法はまた地域主権の考え方に基づき、地方に軸足を置く形で権限を国と地方に分散する。緊急事態宣言は首相の権限だが、権限行使は知事だ。政府にできるのは精々、「基本的対処方針」を定め地方自治体間を「調整」することだけだ。

この法律は、民主党政権が作った新型インフルエンザ対応の法律に、適用対象に武漢ウイルスを加えただけのものだ。民主党の法律そのままの内容で、従って政府対応を遅い、少ないと批判する立憲民主党副代表の蓮舫氏や幹事長の福山哲郎氏らは、天に唾しているに等しい。

権限と責任のおよそすべてを任される地方自治体で、いま、何が起きているのか。対策を打つには、検査であれ隔離であれ、休業要請と対になる協力金であれ、財政力が必要だ。東京都を除いて、国の交付金頼りの地方自治体には、実力を超える権限も責任もきつい負担である。結果として国に財政援助やより強い規制の定めを求めることになる。

法律上、政府は地方自治体に権限を委譲し、地方自治体は各々、本当に努力し、よくやっているとはいえ、力不足は否めない。

こうした状態を率直に表現すれば、いま、国難にある日本で、ウイルス対策で最終的に責任を取る主体が事実上、存在しないということなのだ。県境など無意味なウイルスとの戦いで、日本全国を見て総合指揮を取る主体が存在しなければ効果的な手など打てない。

場合によっては外出禁止令発出も可能な強い権限を政府が持ち、東京や大阪などを筆頭に各自治体と密接に協力するのでなければならない。陣頭に立つべきは中央政府でなければならない。

にも拘わらず、政府権限を否定し、地域主権を進めるという基本構造の延長上に成り立ち、危機に直面すれば一層政府を縛るべきだという現行法の発想自体が、日本を機能不全に陥れているのである。

そうした事情があるにせよ緊急経済対策をはじめ政府の打つ手は遅い。考えられる理由は2つだろう。国会における野党の非協力と、敗戦を受けて作られた財政法29条だ。

財政法29条は、本予算が成立しなければ補正予算の本格的な策定はできないと定めており、状況に対する臨機応変の予算措置を困難にしている。

予算案は与党主導で策定し、閣議決定する。毎年数百ページの分厚い予算書を財務官僚がひと月弱かけて徹夜作業で仕上げる。それを財務大臣と首相が国会、衆参両院の予算委員会で説明する。

野党の責任もある

令和2年度の本予算は3月27日に成立したが、もし野党が協力していれば約ひと月早い成立も可能だった。予算案の衆議院通過は2月28日、憲法第60条2項の衆議院の参議院に対する優越によって、予算案が成立するのは明らかだった。

平時なら参議院での大議論も必要だが、1月末には世界保健機関(WHO)が武漢ウイルスについて緊急事態を宣言した。

その最中、立憲民主党の蓮舫氏らは、恰(あたか)も武漢ウイルス問題など念頭にないかのように、参院での審議の大部分の時間を「桜を見る会」問題などに費やした。

安倍政権批判を優先する余り、国民に早くお金を回す緊急性などは考えなかったのか。2月末の衆院での本予算可決後、早めに参院で成立させて、3月を補正予算の審議に使い、同月末までに成立させていれば、4月早々には国民に「30万円」であれ「10万円」であれ、支給できた。

安倍政権の「遅すぎる対応」には野党の責任もあるのだ。

日本以外の国々では、拙速ではあっても対応が早い。英国議会は党首討論もテレビ会議などの遠隔操作に切り替える。欧州議会は重要案件の決定も各国からの電子採決で行った。

日本では2018年に国会改革の一環として、インターネットによる遠隔投票が提唱されたが、国会外での投票は憲法第56条違反だとして退けられた。

迅速決断のためにドイツ議会は下院定足数を過半数から4分の1に下げた。日本は憲法56条で定足数を議員の3分の1以上としており、これを動かすことは無理である。

国家を悪として敵視して、政府には権力を与えないという発想の憲法と、国民代表としての国会が細かいことまですべて議論しなければ政府への監視機能が果たせないという、財政法を含めた種々の法律を見直さなければ、日本はまともな国になれない。

たとえ国民の自律心と協力で国内での武漢ウイルスとの戦いを制したとしても、これからの国際社会の環境は非常に厳しくなる。その中で生き残るには憲法をはじめ戦後体制の見直しが要る。ゴールデンウィークに、皆で日本国の行く末をじっくり考えてみるのもよいではないか。

『週刊新潮』 2020年5月7・14日合併号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月15日

◆黄金週間に国の在り方を考えよう

櫻井よしこ

 
安倍晋三首相による緊急事態宣言の効果が出始めるのが宣言から2週間後、4月21日の火曜日以降とされる。

東京都の新規感染者数は21日が123人、その後ずっと100人を超えていたが、日曜日には72人になった。週末は検査数が少ないため額面どおりの「減少」とはとらえられないだろうが、それでも少し安堵する。

外出の自粛「要請」にとどまる緩い規制で、私たちは武漢ウイルスに勝てるのか。十分に行動を律して結果を出せるのか。日本人が試されている。

テレビのニュースが東京都台東区浅草寺の無人の様子を伝えていた。銀座も赤坂も同様だ。店の経営者も耐え、国民も頑張っている。いま、私たちはゴールデンウィークに入った。出来るだけ家にいよう。新規感染を出さないように、とりわけ重症者や死者を出さないように、一緒に頑張ろう。

だが、一部のパチンコ店が休業を拒否し続けている。大阪府知事の吉村洋文氏が要請に応じないパチンコ店名を4月24日に公表した。するとその店に客が殺到したという。海外メディアはこんな日本式手法を生温いと批判する。国内でも安倍首相の手法は手緩(てぬる)い、遅いという強い批判がある。そのとおりだ。

しかしよく考えれば安倍首相の責任も大きいが、日本国の造り自体に問題がある。日本国総理大臣には緊急時において国全体を陣頭指揮する権限がないのであるから。

すでに指摘してきた点だが、今回の政府及び地方自治体の武漢ウイルス対策の基本となっている特措法自体が危機対応の体を成していない。その第5条は「国民の自由と権利を制限するには、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない」と定めている。

インターネット配信の「言論テレビ」で新型コロナ対策の担当大臣、西村康稔氏は、政府対応への批判に「政策は必要最小限でなければならない」と応じた。法を忠実に守れば、対策は文字どおり「必要最小限」にとどまり、ウイルス対策に効果的で大胆な策は打てないというのだ。

政府の打つ手は遅い

特措法はまた地域主権の考え方に基づき、地方に軸足を置く形で権限を国と地方に分散する。緊急事態宣言は首相の権限だが、権限行使は知事だ。政府にできるのは精々、「基本的対処方針」を定め地方自治体間を「調整」することだけだ。

この法律は、民主党政権が作った新型インフルエンザ対応の法律に、適用対象に武漢ウイルスを加えただけのものだ。民主党の法律そのままの内容で、従って政府対応を遅い、少ないと批判する立憲民主党副代表の蓮舫氏や幹事長の福山哲郎氏らは、天に唾しているに等しい。

権限と責任のおよそすべてを任される地方自治体で、いま、何が起きているのか。対策を打つには、検査であれ隔離であれ、休業要請と対になる協力金であれ、財政力が必要だ。東京都を除いて、国の交付金頼りの地方自治体には、実力を超える権限も責任もきつい負担である。結果として国に財政援助やより強い規制の定めを求めることになる。

法律上、政府は地方自治体に権限を委譲し、地方自治体は各々、本当に努力し、よくやっているとはいえ、力不足は否めない。

こうした状態を率直に表現すれば、いま、国難にある日本で、ウイルス対策で最終的に責任を取る主体が事実上、存在しないということなのだ。県境など無意味なウイルスとの戦いで、日本全国を見て総合指揮を取る主体が存在しなければ効果的な手など打てない。

場合によっては外出禁止令発出も可能な強い権限を政府が持ち、東京や大阪などを筆頭に各自治体と密接に協力するのでなければならない。陣頭に立つべきは中央政府でなければならない。にも拘わらず、政府権限を否定し、地域主権を進めるという基本構造の延長上に成り立ち、危機に直面すれば一層政府を縛るべきだという現行法の発想自体が、日本を機能不全に陥れているのである。

そうした事情があるにせよ緊急経済対策をはじめ政府の打つ手は遅い。考えられる理由は二つだろう。国会における野党の非協力と、敗戦を受けて作られた財政法29条だ。

財政法29条は、本予算が成立しなければ補正予算の本格的な策定はできないと定めており、状況に対する臨機応変の予算措置を困難にしている。

予算案は与党主導で策定し、閣議決定する。毎年数百ページの分厚い予算書を財務官僚がひと月弱かけて徹夜作業で仕上げる。それを財務大臣と首相が国会、衆参両院の予算委員会で説明する。

野党の責任もある

令和2年度の本予算は3月27日に成立したが、もし野党が協力していれば約ひと月早い成立も可能だった。予算案の衆議院通過は2月28日、憲法第60条2項の衆議院の参議院に対する優越によって、予算案が成立するのは明らかだった。平時なら参議院での大議論も必要だが、1月末には世界保健機関(WHO)が武漢ウイルスについて緊急事態を宣言した。その最中、立憲民主党の蓮舫氏らは、恰(あたか)も武漢ウイルス問題など念頭にないかのように、参院での審議の大部分の時間を「桜を見る会」問題などに費やした。安倍政権批判を優先する余り、国民に早くお金を回す緊急性などは考えなかったのか。2月末の衆院での本予算可決後、早めに参院で成立させて、3月を補正予算の審議に使い、同月末までに成立させていれば、4月早々には国民に「30万円」であれ「10万円」であれ、支給できた。

安倍政権の「遅すぎる対応」には野党の責任もあるのだ。

日本以外の国々では、拙速ではあっても対応が早い。英国議会は党首討論もテレビ会議などの遠隔操作に切り替える。欧州議会は重要案件の決定も各国からの電子採決で行った。

日本では2018年に国会改革の一環として、インターネットによる遠隔投票が提唱されたが、国会外での投票は憲法第56条違反だとして退けられた。

迅速決断のためにドイツ議会は下院定足数を過半数から4分の1に下げた。日本は憲法56条で定足数を議員の3分の1以上としており、これを動かすことは無理である。

国家を悪として敵視して、政府には権力を与えないという発想の憲法と、国民代表としての国会が細かいことまですべて議論しなければ政府への監視機能が果たせないという、財政法を含めた種々の法律を見直さなければ、日本はまともな国になれない。たとえ国民の自律心と協力で国内での武漢ウイルスとの戦いを制したとしても、これからの国際社会の環境は非常に厳しくなる。その中で生き残るには憲法をはじめ戦後体制の見直しが要る。ゴールデンウィークに、皆で日本国の行く末をじっくり考えてみるのもよいではないか。

『週刊新潮』 2020年5月7・14日合併号
日本ルネッサンス 第900回

2020年05月10日

◆文氏大勝利で進む反日

櫻井よしこ

「韓国総選挙、文氏大勝利で進む反日」


武漢ウイルスを最も巧妙に利用した一人が韓国の文在寅大統領だ。文氏の与党「共に民主党」などは4月15日の総選挙で一院制議会の定数300議席中180、実に6割を獲得した。圧倒的勝利だ。文氏がこのまま「勝利の方程式」の道を歩めるとは限らないが、韓国で反日政権が強力な基盤を築いたことの意味は深刻である。

韓国では議席の6割を持てば本会議で法案を「迅速処理指定」できる。指定された法案は野党の反対などで委員会で採決されなくとも、本会議に上程、議長権限で採決可能だ。

6割を持った韓国与党は、自分たちの希望する法案を迅速処理に指定し可決できるのであり、3分の2の支持が必要な憲法改正を除いておよそ全ての法案を通すことが可能になった。文大統領と与党の独裁も可能になった。

文政権が着手すると思われる具体的法案はこの政権が反日革命政権であることを示している。まず4本の反日新法だ。➀親日的発言者を処罰する、➁親日派の財産を没収する、➂親日派の叙勲を剥奪する、➃国立墓地内の親日派の墓を掘りかえし移動させる、である。

4月17日、「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「韓国では親日派への厳しい批判だけでなく、たとえば元慰安婦のおばあさんたちを客観的な証拠をもって批判することさえ処罰しようという議論がずっとありました。そうした法案は何度も作られ国会に上程までされました。反対論も強くこれまでは否決されてきましたが、いま状況は一変しています。親日派というより、客観的に正しく歴史を見詰めて議論しようという人々がいきなり刑事罰に処せられる可能性があります」

本欄でも紹介した『反日種族主義』(文藝春秋)を上梓したソウル大学元経済学部教授の李栄薫(イヨンフン)氏や、同書の共著者で、国連人権理事会の関連行事で戦時朝鮮人労働者は強制連行でも奴隷労働でもなかった、日本人と同じ給料が支払われ、同じ扱いを受けていたと英語で講演した李宇衍(イウヨン)教授らは、真っ先に➀の法律で収監される危険性がある。

キリスト教徒への弾圧

➁はすでに実施中だが、「それでも生温い」として強化される。

➂と➃は親日派を辱めるために、大々的な政治ショーとして行われるだろう。対象者の筆頭は朴正煕大統領であろうか。

これらの法律が実際に成立したら実証的な学者たちはおよそ皆刑事罰を受け、日韓関係はさらに悪化するだろう。言論テレビで「統一日報」論説主幹の洪熒(ホンヒョン)氏が警告した。

「文政権の打ち出した三つの国内政策は革命断行の宣言です。選挙が終われば、市場と宗教と言論を変えると宣言しています」

「市場を変える」とは、自由経済体制を変革し、文氏が長年表明してきた社会主義的経済に移行するということだ。文氏は「反財閥」「反金持ち」「反自由主義経済」に傾く人物だ。資産家への感情的反発は非常に強く、その富を奪って再分配するという考えだ。「大韓航空」も「現代」も経営基盤を崩されつつあるが、文氏の信念である財閥解体を実現するものであろう。

文氏の宗教に対する反感も強い。現在進行中のキリスト教徒への弾圧について洪氏が語る。

「韓国の総人口の4分の1がキリスト教徒です。これまで保守派は多くの反文在寅デモを主催し、政治闘争をしてきましたが、その中心軸がキリスト教の教会勢力でした。だから文政権にとって一番厄介なのがキリスト教徒なのです」

文政権は教会勢力の有力な指導者だった全光T(チョンガンフン)牧師を理由にならない理由で選挙前に拘束した。全牧師は現在も獄中にあり、体調不良が懸念されている。全牧師を失った教会は政治的影響力を一気に奪われた感がある。如何に影響力が強かったとはいえ、総人口の4分の1、1000万人以上のキリスト教徒が存在しながら、一人の指導者を奪われただけで、なぜ教会は勢いをなくしたのか。

「そこが文在寅左派勢力の巧妙なところです。彼らは武漢ウイルスを利用して、全牧師は頭のおかしい変な奴だというイメージを作って孤立させました」と西岡氏。

韓国では、新興宗教団体、新天地の集団感染が大問題となった。キリスト教系の新興宗教団体であったことから韓国社会に教会への警戒感が生まれた。そうした中、全牧師は野外での礼拝で「神様が病気を治してくれる」と語った。

牧師なら当然言うであろうこの一言が繰り返し報じられ、当局はそれを利用した。また先述のように当局は、政治的理由で全牧師を逮捕した。それを見た他の教会は全牧師と距離を置き始め、教会勢力のまとまりが失われたという。

総選挙は「韓日戦」

「言論の改革」は言論の自由を封殺し、文政権への批判を許さない国へと韓国を変貌させるだろう。今回の総選挙は「韓日戦」として行われた。韓国の選挙なのに、日本が争点になったのだ。与党系支持者によるネット上のポスターは「共に民主党」のシンボルカラーである青と、野党側のシンボルカラーの赤で半々に塗り分けられた。赤の側には安倍首相、岸信介、東条英機、豊臣秀吉らが描かれ、赤と青の境目に「朝鮮日報、中央日報、東亜日報、自由韓国党」の名が赤色で大書された。メディア3社と野党第一党は親日だという意味だ。

「政権側の姿勢の厳しさを、当の韓国メディアが認識しているとは思えません。朝鮮日報は狙われています。中央日報も東亜日報もやられると思います」(同)

これから韓国情勢は大激変の嵐に突入するだろう。だが、選挙結果は韓国全体が文氏支持ではないことも示している。与党と野党第一党は議席では180対103と大差がついた。得票数では1430万票対1190万票。240万票、8%の僅差だった。4%の120万票で結果を反転できるということだ。文政権は議席では60%を獲得したが得票では49.9%だったのだ。

韓国の保守勢力はまだ大きいが、問題は歴史認識の厚い壁である。左派・従北勢力は長年文化戦略を通して韓国人に「反韓国」の歴史観を植えつけた。それが日本との協力関係の中で経済的繁栄を実現した韓国自身への批判に行き着くのは必然だ。

日本への批判は批判として、事実に基づく教育を保守派はすべきだった。李栄薫氏らの実証的な歴史教育こそ若い世代に教えるべきだった。だが韓国政府も韓国の大人もそれをしなかった。結果としていま、北朝鮮の脅威の実態や日本の貢献を知る古い世代が否定され、歴史を知らない若い世代が反日文政権の支持母体となっているのだ。

正しい歴史教育をする勇気を欠いたことが韓国の現実につながっている。日本にとって他山の石である。

『週刊新潮』 2020年4月30日号
日本ルネッサンス 第899回

2020年05月05日

◆韓国総選挙、文氏大勝利で進む反日

櫻井よしこ

 
武漢ウイルスを最も巧妙に利用した一人が韓国の文在寅大統領だ。文氏の与党「共に民主党」などは4月15日の総選挙で一院制議会の定数300議席中180、実に6割を獲得した。圧倒的勝利だ。文氏がこのまま「勝利の方程式」の道を歩めるとは限らないが、韓国で反日政権が強力な基盤を築いたことの意味は深刻である。

韓国では議席の6割を持てば本会議で法案を「迅速処理指定」できる。指定された法案は野党の反対などで委員会で採決されなくとも、本会議に上程、議長権限で採決可能だ。

6割を持った韓国与党は、自分たちの希望する法案を迅速処理に指定し可決できるのであり、3分の2の支持が必要な憲法改正を除いておよそ全ての法案を通すことが可能になった。文大統領と与党の独裁も可能になった。

文政権が着手すると思われる具体的法案はこの政権が反日革命政権であることを示している。まず4本の反日新法だ。➀親日的発言者を処罰する、➁親日派の財産を没収する、➂親日派の叙勲を剥奪する、➃国立墓地内の親日派の墓を掘りかえし移動させる、である。

4月17日、「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「韓国では親日派への厳しい批判だけでなく、たとえば元慰安婦のおばあさんたちを客観的な証拠をもって批判することさえ処罰しようという議論がずっとありました。そうした法案は何度も作られ国会に上程までされました。反対論も強くこれまでは否決されてきましたが、いま状況は一変しています。親日派というより、客観的に正しく歴史を見詰めて議論しようという人々がいきなり刑事罰に処せられる可能性があります」

本欄でも紹介した『反日種族主義』(文藝春秋)を上梓したソウル大学元経済学部教授の李栄薫(イヨンフン)氏や、同書の共著者で、国連人権理事会の関連行事で戦時朝鮮人労働者は強制連行でも奴隷労働でもなかった、日本人と同じ給料が支払われ、同じ扱いを受けていたと英語で講演した李宇衍(イウヨン)教授らは、真っ先に➀の法律で収監される危険性がある。

キリスト教徒への弾圧

➁はすでに実施中だが、「それでも生温い」として強化される。

➂と➃は親日派を辱めるために、大々的な政治ショーとして行われるだろう。対象者の筆頭は朴正煕大統領であろうか。

これらの法律が実際に成立したら実証的な学者たちはおよそ皆刑事罰を受け、日韓関係はさらに悪化するだろう。言論テレビで「統一日報」論説主幹の洪熒(ホンヒョン)氏が警告した。

「文政権の打ち出した三つの国内政策は革命断行の宣言です。選挙が終われば、市場と宗教と言論を変えると宣言しています」

「市場を変える」とは、自由経済体制を変革し、文氏が長年表明してきた社会主義的経済に移行するということだ。文氏は「反財閥」「反金持ち」「反自由主義経済」に傾く人物だ。資産家への感情的反発は非常に強く、その富を奪って再分配するという考えだ。「大韓航空」も「現代」も経営基盤を崩されつつあるが、文氏の信念である財閥解体を実現するものであろう。

文氏の宗教に対する反感も強い。現在進行中のキリスト教徒への弾圧について洪氏が語る。

「韓国の総人口の4分の1がキリスト教徒です。これまで保守派は多くの反文在寅デモを主催し、政治闘争をしてきましたが、その中心軸がキリスト教の教会勢力でした。だから文政権にとって一番厄介なのがキリスト教徒なのです」

文政権は教会勢力の有力な指導者だった全光T(チョンガンフン)牧師を理由にならない理由で選挙前に拘束した。全牧師は現在も獄中にあり、体調不良が懸念されている。全牧師を失った教会は政治的影響力を一気に奪われた感がある。如何に影響力が強かったとはいえ、総人口の4分の1、1000万人以上のキリスト教徒が存在しながら、一人の指導者を奪われただけで、なぜ教会は勢いをなくしたのか。

「そこが文在寅左派勢力の巧妙なところです。彼らは武漢ウイルスを利用して、全牧師は頭のおかしい変な奴だというイメージを作って孤立させました」と西岡氏。

韓国では、新興宗教団体、新天地の集団感染が大問題となった。キリスト教系の新興宗教団体であったことから韓国社会に教会への警戒感が生まれた。そうした中、全牧師は野外での礼拝で「神様が病気を治してくれる」と語った。

牧師なら当然言うであろうこの一言が繰り返し報じられ、当局はそれを利用した。また先述のように当局は、政治的理由で全牧師を逮捕した。それを見た他の教会は全牧師と距離を置き始め、教会勢力のまとまりが失われたという。

総選挙は「韓日戦」

「言論の改革」は言論の自由を封殺し、文政権への批判を許さない国へと韓国を変貌させるだろう。今回の総選挙は「韓日戦」として行われた。韓国の選挙なのに、日本が争点になったのだ。与党系支持者によるネット上のポスターは「共に民主党」のシンボルカラーである青と、野党側のシンボルカラーの赤で半々に塗り分けられた。赤の側には安倍首相、岸信介、東条英機、豊臣秀吉らが描かれ、赤と青の境目に「朝鮮日報、中央日報、東亜日報、自由韓国党」の名が赤色で大書された。メディア3社と野党第一党は親日だという意味だ。

「政権側の姿勢の厳しさを、当の韓国メディアが認識しているとは思えません。朝鮮日報は狙われています。中央日報も東亜日報もやられると思います」(同)

これから韓国情勢は大激変の嵐に突入するだろう。だが、選挙結果は韓国全体が文氏支持ではないことも示している。与党と野党第一党は議席では180対103と大差がついた。得票数では1430万票対1190万票。240万票、8%の僅差だった。4%の120万票で結果を反転できるということだ。文政権は議席では60%を獲得したが得票では49.9%だったのだ。

韓国の保守勢力はまだ大きいが、問題は歴史認識の厚い壁である。左派・従北勢力は長年文化戦略を通して韓国人に「反韓国」の歴史観を植えつけた。それが日本との協力関係の中で経済的繁栄を実現した韓国自身への批判に行き着くのは必然だ。

日本への批判は批判として、事実に基づく教育を保守派はすべきだった。李栄薫氏らの実証的な歴史教育こそ若い世代に教えるべきだった。だが韓国政府も韓国の大人もそれをしなかった。結果としていま、北朝鮮の脅威の実態や日本の貢献を知る古い世代が否定され、歴史を知らない若い世代が反日文政権の支持母体となっているのだ。

正しい歴史教育をする勇気を欠いたことが韓国の現実につながっている。日本にとって他山の石である。

『週刊新潮』 2020年4月30日号
日本ルネッサンス 第899回

2020年05月01日

◆韓国総選挙、文氏大勝利で進む反日

櫻井よしこ


武漢ウイルスを最も巧妙に利用した一人が韓国の文在寅大統領だ。文氏の与党「共に民主党」などは4月15日の総選挙で一院制議会の定数300議席中180、実に6割を獲得した。圧倒的勝利だ。文氏がこのまま「勝利の方程式」の道を歩めるとは限らないが、韓国で反日政権が強力な基盤を築いたことの意味は深刻である。

韓国では議席の6割を持てば本会議で法案を「迅速処理指定」できる。指定された法案は野党の反対などで委員会で採決されなくとも、本会議に上程、議長権限で採決可能だ。

6割を持った韓国与党は、自分たちの希望する法案を迅速処理に指定し可決できるのであり、3分の2の支持が必要な憲法改正を除いておよそ全ての法案を通すことが可能になった。文大統領と与党の独裁も可能になった。

文政権が着手すると思われる具体的法案はこの政権が反日革命政権であることを示している。まず4本の反日新法だ。➀親日的発言者を処罰する、➁親日派の財産を没収する、➂親日派の叙勲を剥奪する、➃国立墓地内の親日派の墓を掘りかえし移動させる、である。

4月17日、「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「韓国では親日派への厳しい批判だけでなく、たとえば元慰安婦のおばあさんたちを客観的な証拠をもって批判することさえ処罰しようという議論がずっとありました。そうした法案は何度も作られ国会に上程までされました。反対論も強くこれまでは否決されてきましたが、いま状況は一変しています。親日派というより、客観的に正しく歴史を見詰めて議論しようという人々がいきなり刑事罰に処せられる可能性があります」

本欄でも紹介した『反日種族主義』(文藝春秋)を上梓したソウル大学元経済学部教授の李栄薫(イヨンフン)氏や、同書の共著者で、国連人権理事会の関連行事で戦時朝鮮人労働者は強制連行でも奴隷労働でもなかった、日本人と同じ給料が支払われ、同じ扱いを受けていたと英語で講演した李宇衍(イウヨン)教授らは、真っ先に➀の法律で収監される危険性がある。

キリスト教徒への弾圧

➁はすでに実施中だが、「それでも生温い」として強化される。

➂と➃は親日派を辱めるために、大々的な政治ショーとして行われるだろう。対象者の筆頭は朴正煕大統領であろうか。

これらの法律が実際に成立したら実証的な学者たちはおよそ皆刑事罰を受け、日韓関係はさらに悪化するだろう。言論テレビで「統一日報」論説主幹の洪熒(ホンヒョン)氏が警告した。

「文政権の打ち出した三つの国内政策は革命断行の宣言です。選挙が終われば、市場と宗教と言論を変えると宣言しています」

「市場を変える」とは、自由経済体制を変革し、文氏が長年表明してきた社会主義的経済に移行するということだ。文氏は「反財閥」「反金持ち」「反自由主義経済」に傾く人物だ。資産家への感情的反発は非常に強く、その富を奪って再分配するという考えだ。「大韓航空」も「現代」も経営基盤を崩されつつあるが、文氏の信念である財閥解体を実現するものであろう。

文氏の宗教に対する反感も強い。現在進行中のキリスト教徒への弾圧について洪氏が語る。

「韓国の総人口の4分の1がキリスト教徒です。これまで保守派は多くの反文在寅デモを主催し、政治闘争をしてきましたが、その中心軸がキリスト教の教会勢力でした。だから文政権にとって一番厄介なのがキリスト教徒なのです」

文政権は教会勢力の有力な指導者だった全光T(チョンガンフン)牧師を理由にならない理由で選挙前に拘束した。全牧師は現在も獄中にあり、体調不良が懸念されている。全牧師を失った教会は政治的影響力を一気に奪われた感がある。如何に影響力が強かったとはいえ、総人口の4分の1、1000万人以上のキリスト教徒が存在しながら、一人の指導者を奪われただけで、なぜ教会は勢いをなくしたのか。

「そこが文在寅左派勢力の巧妙なところです。彼らは武漢ウイルスを利用して、全牧師は頭のおかしい変な奴だというイメージを作って孤立させました」と西岡氏。

韓国では、新興宗教団体、新天地の集団感染が大問題となった。キリスト教系の新興宗教団体であったことから韓国社会に教会への警戒感が生まれた。そうした中、全牧師は野外での礼拝で「神様が病気を治してくれる」と語った。

牧師なら当然言うであろうこの一言が繰り返し報じられ、当局はそれを利用した。また先述のように当局は、政治的理由で全牧師を逮捕した。それを見た他の教会は全牧師と距離を置き始め、教会勢力のまとまりが失われたという。

総選挙は「韓日戦」

「言論の改革」は言論の自由を封殺し、文政権への批判を許さない国へと韓国を変貌させるだろう。今回の総選挙は「韓日戦」として行われた。韓国の選挙なのに、日本が争点になったのだ。与党系支持者によるネット上のポスターは「共に民主党」のシンボルカラーである青と、野党側のシンボルカラーの赤で半々に塗り分けられた。赤の側には安倍首相、岸信介、東条英機、豊臣秀吉らが描かれ、赤と青の境目に「朝鮮日報、中央日報、東亜日報、自由韓国党」の名が赤色で大書された。メディア3社と野党第一党は親日だという意味だ。

「政権側の姿勢の厳しさを、当の韓国メディアが認識しているとは思えません。朝鮮日報は狙われています。中央日報も東亜日報もやられると思います」(同)

これから韓国情勢は大激変の嵐に突入するだろう。だが、選挙結果は韓国全体が文氏支持ではないことも示している。与党と野党第一党は議席では180対103と大差がついた。得票数では1430万票対1190万票。240万票、8%の僅差だった。4%の120万票で結果を反転できるということだ。文政権は議席では60%を獲得したが得票では49.9%だったのだ。

韓国の保守勢力はまだ大きいが、問題は歴史認識の厚い壁である。左派・従北勢力は長年文化戦略を通して韓国人に「反韓国」の歴史観を植えつけた。それが日本との協力関係の中で経済的繁栄を実現した韓国自身への批判に行き着くのは必然だ。

日本への批判は批判として、事実に基づく教育を保守派はすべきだった。李栄薫氏らの実証的な歴史教育こそ若い世代に教えるべきだった。だが韓国政府も韓国の大人もそれをしなかった。結果としていま、北朝鮮の脅威の実態や日本の貢献を知る古い世代が否定され、歴史を知らない若い世代が反日文政権の支持母体となっているのだ。

正しい歴史教育をする勇気を欠いたことが韓国の現実につながっている。日本にとって他山の石である。

『週刊新潮』 2020年4月30日号
日本ルネッサンス 第899回

2020年04月24日

◆危機の中、重要企業狙いの中華戦略

櫻井よしこ


中国の動きが活発だ。内外における米国の統制力は陰ったと見て、今こそ勢力拡大の好機ととらえているのは明らかだ。

中国湖北省武漢発の新型コロナウイルスで国際社会は混乱の中にある。とりわけ米国は4月11日、感染者だけでなく死者においても世界最多の国となってしまった。米軍の海外展開の基盤である11隻の空母群の内4隻も武漢ウイルス汚染で展開不能、最悪の状況である。

米空母群の内、感染が最も深刻なのがグアムに停泊中のセオドア・ルーズベルトだ。乗組員4800人の内、10日現在で474人の感染が確認されたという。米ワシントン州に停泊中のニミッツにも、横須賀基地で整備中のロナルド・レーガン、ワシントン州で整備中のカール・ビンソンでも感染者が出た。

「ルーズベルト」の艦長クロージャー氏は、船内の感染状況に危機感を覚えて上司に報告した。しかし自分の地元の新聞に、感染者の隔離を求めた書簡を報道されてしまう。空母の動向は軍事機密であり、その内部の情報を中国に知らせる結果となったのは軍規違反だとして解任された。

これだけでも軍の規律の乱れを示すには十分だが、4月7日になって海軍長官代行のモドリー氏が辞任した。クロージャー氏について「頭がおかしい」などと痛烈な批判をしたことを、エスパー国防長官に咎められた結果だという。

米海軍の混乱、ここに極まれりという印象である。北京発の時事電は、中国共産党機関紙「環球時報」が「ウイルス感染によって米海軍の全世界への展開能力はすでに深刻な打撃を受け、東シナ海、台湾海峡、南シナ海で米軍は対処困難になっている」と、報じたことを伝えた。

このような時こそ、中国は攻勢に出るのである。中国人民解放軍(PLA)は全軍の兵士に『孫子』を必読の書として学習を命じている。その「軍争」にはこう書かれている。「整然たる旗じるしを迎え撃ってはならず、堂々たる陣地を撃ってはならない」。敵がしっかりしているときは攻めてはならない。そのような時は、「敵方の乱を待ち受け、敵方のざわめきを待ち受ける」のがよい、と。

米国への宣言

敵方、即ち米軍の乱れとざわめきの中で、PLAが大胆に動いているのがまさに現在である。

2月から3月にかけての彼らの行動は挑戦そのものだ。まず2月9日、最新鋭ステルス戦闘機「殲」と爆撃機「轟」が編隊を組んで、台湾の南側にあるフィリピンとの間のバシー海峡を通過し西太平洋に抜けた。編隊の中の4機の爆撃機は西太平洋に出た後、北上してわが国の沖縄本島と宮古島の間の宮古海峡を通過した。10日にも轟の編隊がバシー海峡を往復、護衛機が台湾海峡の台湾側を飛行した。台湾は中国の一部であり、中国軍機はどこを飛ぶのも自由だという意思表示か。

PLAがバシー海峡を通過したことの意味はとりわけ深い。前統合幕僚長の河野克俊氏が指摘した。

「バシー海峡を通過し西太平洋を自由に飛行することは、PLAが第二列島線を易々と越えて南太平洋を押さえに来ているということです。彼らの目的は日米豪の連携を物理的に断ち切ることです。そのために南太平洋のソロモン諸島やパラオ、マーシャル諸島、キリバス、トンガなどに接近しています。PLAは第二列島線を制して、第三列島線の確保に向けて動いているのです」

第三列島線はハワイ諸島のオアフ島やカウアイ島の鼻先に設定されている。日付変更線からさらに少しばかり西に行った東経165度以西の太平洋ほぼ全域を囲い込む線である。太平洋を米国と二分割して支配する壮大な戦略目標を中国共産党は掲げているが、その達成には、まず足下の台湾制覇が必要だ。一連の軍事行動はそのためなのである。

2月28日には、PLAの爆撃機H6の編隊がまたもやバシー海峡を往復し、台湾の防空識別圏に侵入した。

3月16日には戦闘機「殲」の一群と早期警戒管制機が、台湾の南西沖で異例の夜間訓練を実施した。

台湾海峡も台湾本島も全て中国側に囲い込む形で異例の夜間訓練をし、その南に広がる海峡を自在に飛行するPLAの行動は、「台湾は中国の一部だ」と世界に示すためのものである。同時に、混乱の最中にある米国に、近い将来中国は南太平洋を席巻すると宣言しているのである。

他人事ではない。わが国の尖閣諸島海域に侵入する中国公船はコロナウイルス発生後、約50%も増えている。

中国ファンドの買収工作

中国発のコロナウイルスで世界中が迷惑を被り、混乱しているときに、なぜ、元凶国である中国は力による世界の現状変更を進めようとするのか、なぜ攻勢を強めるのか。穏やかで一本気な多くの日本人には理解し難いと思うが、中国共産党もPLAも、謀略を最高最善の武器と見做しているのである。謀略を基本とした兵法を理論づけ、体系化した孫子の兵法を骨身にしみるところまで学び、その謀略論を実践することこそ最善の勝ち方だと信ずる人々なのだ。

中国が意図しているのはあらゆる分野での勢力拡大である。武漢ウイルスで各国の経済は大打撃を受け、大恐慌にも匹敵する景気の落ち込みとも言われている。中国はこうした事態につけ込み、地価の下がった土地を買い、経営の苦しくなった企業の買収に動いている。

それに対して、欧米各国は中国の戦略のあくどさを喝破し、自国企業を中国ファンドによる買収工作から守るべく防衛策を発表した。

中部大学特任教授の細川昌彦氏は、欧米各国では外国資本による国内企業への投資を規制するため、対内投資規制強化と、国家ファンドの設立が相次いでいると指摘する。株価の急落であらゆる企業の買収が以前よりずっと容易になっている。そこを狙っているのが中国系ファンドである。狙われているのは国家の安全保障の基盤を支える幅広い産業だ。とりわけ注目されるのが「中国製造2025」でも明記されている半導体及びその製造装置である。半導体は米中が覇権を争う5G(第5世代移動通信システム)に必須のもので、中国の製造能力はまだ高くない。中国はこれらの国内生産を2030年までに自給率75%に引き上げるとしており、その手段として、たとえば台湾の半導体受託生産企業、TSMCの買収を虎視眈々と狙っている。

安全保障の根幹に関わる企業を中国に買われるのを阻止するための基金を、米国は5000億ドル(約55兆円)、ドイツは72兆円規模で設立した。

日本はどうか。コロナウイルスに関して生活支援や失業対策に注目する余り、国家の安全保障の土台をなす産業が丸々中国に買い取られるという危機感は全く見られない。この危機意識の欠如こそ最大の危機だ。

『週刊新潮』 2020年4月23日号
日本ルネッサンス 第898回

2020年04月21日

◆注視せよ、コロナで動く米中関係

櫻井よしこ


中国共産党の海外向け機関紙「環球時報」に3月31日、「新型コロナウイルスが米国の世紀を終わらせた」とするコラムが掲載された。著者の王文氏は中国人民大学重陽金融研究院執行院長で専門は国際関係論だ。

王氏はざっと以下のように書いた。

「新型コロナウイルスの感染が1941年以降で初めて米国の全面的介入のない全地球的問題になるとは、多くの人には思いも寄らなかったかもしれない。米国は自らの身を守ることも難しくなった。

トランプ政権は無分別な自信を持ち、ウソをつき、他国への恨み言を繰り返し、責任を転嫁する。世界のリーダーを自称する米国が全人類共通の災難を前に他国を助けられないだけでなく、いかなる国も米国に援助や寄付を積極的に申し出ていない。感染が米国の世紀を終わらせたことに議論の余地はない」

政府の機関紙が右のコラムを掲載したことは、少なくとも習近平国家主席も同様の認識だということか。

王氏は次のようにも書いた。

「瀕死の米帝国にとって最も気がかりな国際的ライバルが中国だ」

これこそ中国人の視点だ。マイケル・ピルズベリー氏が『China2049』で明らかにしたのは、米国は基本的に善意で中国を支援してきたということだ。

もっと言えば日本よりも中国を信頼し、重視するのが米国のアジア外交だった。米国は数年前まで、中国が豊かになれるところまで自分たちが支援してやれば、彼らはやがて米国のような開かれた民主的な国になると、本気で信じていた。中国が米国を最大の敵と見做してきたのとは対照的に、米国は中国との関係を楽観視していたのだ。

環球時報が報じるのは王氏のような単なる敵意に満ちた主張だけではない。昨年6月、中国共産党のシンクタンク、社会科学院のガオ・リンウェン氏が「米国に適確に反撃せよ」と題して投稿した。

米国が中国のサプライチェーンに依存している産業分野を注意深く洗い出し、米国経済の最も弱いところを拳で続けざまに打って締め上げよという戦略論だ。今回の武漢ウイルス襲来で明らかになったサプライチェーン問題で、ガオ発言が現実になった感がある。

マスクを巡る争い

中国の攻勢は多様な形をとる。武漢ウイルスとの戦いで政治的難局に直面している欧米諸国に、中国は巧みな善意外交を展開する。そのひとつが医療・医薬品の提供だ。

たとえばマスクを巡る欧米諸国の争いの渦の中で、中国政府は「コロナウイルスを克服した」大国として世界約100以上の国々に医薬品援助を公約した。

4月5日、ニューヨーク州には早速マスク100万枚、医療用マスク10万枚、人工呼吸器1000台等が届けられた。クオモ同州知事は心からの謝意を表明し、CNNはこれを「米国の命運は中国に握られている」と報じた。

中国に握られているのは大統領選挙を11月に控えるトランプ氏の命運でもあろう。当初ウイルス問題を楽観的にとらえていたトランプ氏は、世界最悪となった米国の悲劇の前で、再選への道として、➀ウイルスとの戦いを制すること、➁米国経済、とりわけ支持基盤の農民や労働者層のために経済の回復を急がなければならないと考えている。明らかに中国はそこを見逃さなかった。

3月27日、米側の要請で実現したとされる米中首脳電話会談以降、トランプ氏の対中政策は融和策に傾いたのかと思わせる兆候がある。

わかり易い事例がトランプ氏の言葉遣いだ。氏は新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼んでいたが、会談後は、「コロナウイルス」と変えた。

米国の感染者が中国の感染者数を上回ったことが公式に確認されたタイミングで行われた電話会談で、習氏は米中の協力の必要性を説き、中国の惜しみない情報提供と援助を申し出た。トランプ氏は直後に「(中国に)多大なる尊敬を!」とツイッター発信した。トランプ氏が再選のために中国の力を追い風として利用する可能性さえ、私達は見ておかねばならないだろう。

米国内の対中政策には以前から、二つの大きな流れがある。中国に対して安全保障問題で譲ってはならないとする対中原理原則擁護派と、中国と折り合って経済運営をスムーズに運びたいという対中融和派である。融和派と書いたが、彼らは中国と折り合いながらも自由貿易の価値観を捨てたわけではない。

極めて大雑把に言って、前者にはポンペオ国務長官、オブライエン、ナバロ両大統領補佐官、ポッティンジャー大統領副補佐官らがおり、後者にはムニューシン財務長官、クドロー国家経済会議委員長らに加えて、大統領の長女イヴァンカ氏の夫のクシュナー氏らがいる。

米国の敗北

この2つの勢力の力のせめぎ合いが、ウイルス問題への対処にも影響を及ぼしている。ポッティンジャー氏らは中国由来のウイルス禍の情報を得た昨年12月下旬、中国からの入国を即禁止するよう提言したが、経済への悪影響を心配するムニューシン、クドロー両氏らの反対で結論を出せなかったと、ロイター通信が伝えている。

トランプ政権発表の数字によると、その間、毎日1万4000人の中国人が米国に流入、ウイルスを広げていったという。

新型コロナウイルス発生の地を巡って、米中間で険しい感情的対立が続いていた間、ムニューシン、クドロー両氏は国内経済対策の立案に集中し、トランプ氏の対中政策は強硬派によって担われていたという。

他方で、クシュナー氏が中国側と交渉して大量の医療品が米国に届き、首脳の電話会談が行われ、それによって流れが変わりつつあるというのだ。

元々、トランプ氏の対中観は戦略というより戦術次元から生まれているといってよいだろう。氏の主な対中要求は、中国は米国から輸入せよ、とりわけ農産物を買うべしというものだ。コロナウイルス騒動の最中でも、中国による米国産トウモロコシや小麦の輸入量を週毎の統計でチェックしているとされるトランプ氏にとって、最重要課題は米国の実利につながる貿易関係を維持することであろう。だが眼前の利益を重視する余り、対中宥和策に米国が走るとしたら、それは米国の敗北を意味しかねず、日本にとっては悪夢そのものだ。

ムニューシン、クドロー両氏の考えの中には少なくとも、中国による知的財産の窃盗、先進技術の強制的移動、国有企業への不公平な優遇策などは許さないという原理原則へのこだわりがある。トランプ政権を支える人々の多様な考え方の中で大統領自身の軸足がどこに落ち着くのか。誰にも見通せない。米中関係は文字どおり世界秩序の形を規定する。トランプ大統領の揺らぎこそ、日本にとって最大の懸案である。

『週刊新潮』 2020年4月16日号
日本ルネッサンス 第897回

2020年04月19日

◆視せよ、コロナで動く米中関係

櫻井よしこ


中国共産党の海外向け機関紙「環球時報」に3月31日、「新型コロナウイルスが米国の世紀を終わらせた」とするコラムが掲載された。著者の王文氏は中国人民大学重陽金融研究院執行院長で専門は国際関係論だ。

王氏はざっと以下のように書いた。

「新型コロナウイルスの感染が1941年以降で初めて米国の全面的介入のない全地球的問題になるとは、多くの人には思いも寄らなかったかもしれない。米国は自らの身を守ることも難しくなった。トランプ政権は無分別な自信を持ち、ウソをつき、他国への恨み言を繰り返し、責任を転嫁する。世界のリーダーを自称する米国が全人類共通の災難を前に他国を助けられないだけでなく、いかなる国も米国に援助や寄付を積極的に申し出ていない。感染が米国の世紀を終わらせたことに議論の余地はない」

政府の機関紙が右のコラムを掲載したことは、少なくとも習近平国家主席も同様の認識だということか。

王氏は次のようにも書いた。

「瀕死の米帝国にとって最も気がかりな国際的ライバルが中国だ」

これこそ中国人の視点だ。マイケル・ピルズベリー氏が『China2049』で明らかにしたのは、米国は基本的に善意で中国を支援してきたということだ。もっと言えば日本よりも中国を信頼し、重視するのが米国のアジア外交だった。米国は数年前まで、中国が豊かになれるところまで自分たちが支援してやれば、彼らはやがて米国のような開かれた民主的な国になると、本気で信じていた。中国が米国を最大の敵と見做してきたのとは対照的に、米国は中国との関係を楽観視していたのだ。

環球時報が報じるのは王氏のような単なる敵意に満ちた主張だけではない。昨年6月、中国共産党のシンクタンク、社会科学院のガオ・リンウェン氏が「米国に適確に反撃せよ」と題して投稿した。米国が中国のサプライチェーンに依存している産業分野を注意深く洗い出し、米国経済の最も弱いところを拳で続けざまに打って締め上げよという戦略論だ。今回の武漢ウイルス襲来で明らかになったサプライチェーン問題で、ガオ発言が現実になった感がある。

マスクを巡る争い

中国の攻勢は多様な形をとる。武漢ウイルスとの戦いで政治的難局に直面している欧米諸国に、中国は巧みな善意外交を展開する。そのひとつが医療・医薬品の提供だ。

たとえばマスクを巡る欧米諸国の争いの渦の中で、中国政府は「コロナウイルスを克服した」大国として世界約100以上の国々に医薬品援助を公約した。4月5日、ニューヨーク州には早速マスク100万枚、医療用マスク10万枚、人工呼吸器1000台等が届けられた。クオモ同州知事は心からの謝意を表明し、CNNはこれを「米国の命運は中国に握られている」と報じた。

中国に握られているのは大統領選挙を11月に控えるトランプ氏の命運でもあろう。当初ウイルス問題を楽観的にとらえていたトランプ氏は、世界最悪となった米国の悲劇の前で、再選への道として、➀ウイルスとの戦いを制すること、➁米国経済、とりわけ支持基盤の農民や労働者層のために経済の回復を急がなければならないと考えている。明らかに中国はそこを見逃さなかった。

3月27日、米側の要請で実現したとされる米中首脳電話会談以降、トランプ氏の対中政策は融和策に傾いたのかと思わせる兆候がある。

わかり易い事例がトランプ氏の言葉遣いだ。氏は新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼んでいたが、会談後は、「コロナウイルス」と変えた。

米国の感染者が中国の感染者数を上回ったことが公式に確認されたタイミングで行われた電話会談で、習氏は米中の協力の必要性を説き、中国の惜しみない情報提供と援助を申し出た。トランプ氏は直後に「(中国に)多大なる尊敬を!」とツイッター発信した。トランプ氏が再選のために中国の力を追い風として利用する可能性さえ、私達は見ておかねばならないだろう。

米国内の対中政策には以前から、二つの大きな流れがある。中国に対して安全保障問題で譲ってはならないとする対中原理原則擁護派と、中国と折り合って経済運営をスムーズに運びたいという対中融和派である。融和派と書いたが、彼らは中国と折り合いながらも自由貿易の価値観を捨てたわけではない。

極めて大雑把に言って、前者にはポンペオ国務長官、オブライエン、ナバロ両大統領補佐官、ポッティンジャー大統領副補佐官らがおり、後者にはムニューシン財務長官、クドロー国家経済会議委員長らに加えて、大統領の長女イヴァンカ氏の夫のクシュナー氏らがいる。

米国の敗北

この二つの勢力の力のせめぎ合いが、ウイルス問題への対処にも影響を及ぼしている。ポッティンジャー氏らは中国由来のウイルス禍の情報を得た昨年12月下旬、中国からの入国を即禁止するよう提言したが、経済への悪影響を心配するムニューシン、クドロー両氏らの反対で結論を出せなかったと、ロイター通信が伝えている。

トランプ政権発表の数字によると、その間、毎日1万4000人の中国人が米国に流入、ウイルスを広げていったという。

新型コロナウイルス発生の地を巡って、米中間で険しい感情的対立が続いていた間、ムニューシン、クドロー両氏は国内経済対策の立案に集中し、トランプ氏の対中政策は強硬派によって担われていたという。

他方で、クシュナー氏が中国側と交渉して大量の医療品が米国に届き、首脳の電話会談が行われ、それによって流れが変わりつつあるというのだ。

元々、トランプ氏の対中観は戦略というより戦術次元から生まれているといってよいだろう。氏の主な対中要求は、中国は米国から輸入せよ、とりわけ農産物を買うべしというものだ。コロナウイルス騒動の最中でも、中国による米国産トウモロコシや小麦の輸入量を週毎の統計でチェックしているとされるトランプ氏にとって、最重要課題は米国の実利につながる貿易関係を維持することであろう。だが眼前の利益を重視する余り、対中宥和策に米国が走るとしたら、それは米国の敗北を意味しかねず、日本にとっては悪夢そのものだ。

ムニューシン、クドロー両氏の考えの中には少なくとも、中国による知的財産の窃盗、先進技術の強制的移動、国有企業への不公平な優遇策などは許さないという原理原則へのこだわりがある。トランプ政権を支える人々の多様な考え方の中で大統領自身の軸足がどこに落ち着くのか。誰にも見通せない。米中関係は文字どおり世界秩序の形を規定する。トランプ大統領の揺らぎこそ、日本にとって最大の懸案である。

『週刊新潮』 2020年4月16日号
日本ルネッサンス 第897回       

2020年04月14日

◆優しいだけでは国民の命は守れない

櫻井よしこ


サッカー選手の香川真司氏が呼びかけた。

「ご存知のようにスペインでは本当にたくさんの人が苦しんでいます。日本もおそらく、これから感染が拡大されていくでしょう。それを止めるのはみなさん次第です。ワクチンもない、止める方法もない、一人ひとりの行動が、コロナに打ち勝つ唯一の方法です。今は自宅にいて待機することです」

“ステイホーム”のハッシュタグでメッセージを発信した香川選手は思慮深く、格好よかった。阪神タイガースの藤浪晋太郎選手も京都産業大学の学生たちも、あんな風に格好よい若者であってほしい。

今は、自分の思い中心でいくより、慎む方がよい。自分の欲望を追求するより他者への思いやりを優先する方が大事だ。その方がすてきで品格もある。ジェントルマンであり、分別ある大人である。

東京都知事の小池百合子氏が3月30日、「若者はカラオケ、ライブハウス、中高年はバー、酒場、ナイトクラブなど、接客を伴う店に行くことは当面控えてほしい」と、訴えた。

彼女は25日夜、都庁で緊急会見し、不要不急の外出自粛を強く要請した。すると不要不急とは具体的にどういう場合か、などと疑問視したつまらない新聞もあった。

具体的に教えてもらわなければそんなことも分からないのか。人の暮らし方、おつき合いの仕方は各人各様だ。普段自由に生きている幾千万の国民、都民に対して、不要不急を具体的に示せとは、これはまた、大人の問いとは思えない。本来、一人一人が自分で考えて判断することだろう。

そんなところに30日の小池氏のメッセージである。ここまで具体的に語ったのは、若者たちの間でクラスターが発生してしまっているからだろう。京都産業大学の学生たちのイギリス、フランス、スペインなど5か国への卒業旅行、帰国後のゼミやサークルの懇親会やカラオケでの熱唱を知ると、21歳か22歳の君たち、十分大人でしょ、香川選手に学べ、と再度強調したくなる。

危機感に欠ける

ウイルスとの戦いは国民全員の協力なくしては制することができない。若い世代は感染しても症状が軽くて済むと考えているかもしれないが、自らの感染でウイルスを拡散し、周りの人々に感染させ、その人々の命を奪うことにもなる。そのことをどうか大いに自覚してほしい。

他方、政府は緊急事態宣言について、「まだその状況にはない」として慎重な構えを崩さない。無論事態が緊急事態宣言を必要とするところまで悪化しないのが最善である。しかし段々分かってきたのはこのウイルスとの戦いは本当に容易ではないということだ。何といっても感染後1週間から2週間は症状が出ないのである。症状が出た後の体調悪化は、あっという間のことだ。志村けんさんは倦怠感を覚えてから、12日後に亡くなっている。

症状悪化の速度も凄まじいが、ウイルス拡散の勢いも凄まじい。だが、米欧諸国が悲惨な状況に直面しているのとは対照的に、日本はまだ危機感に欠けるのではないか。緊急事態宣言で国民に自覚を促し、緊張感を持ってもらうことが大事ではないか。日本人は、一旦自覚しさえすればきちんと対処できる人々だ。

そもそも日本国の建てつけは、国民の自覚、徳、人品卑しからざることに依拠してようやく成立するものである。日本の憲法も法律も全て性善説で成り立っている。国家や政府が強い力で強制したり罰したりする形はとらず、あくまでも国民の善意、私利よりも他利の思想によって国も社会も運営されていく形である。

「緊急事態法」も例外ではない。決して強権発動の法律ではない。だが、性善説に基づいた国の形で、ウイルスに勝てるのか、といま私たちは問わなければならない。

3月13日に成立した改正特別措置法の32条1項に基づいて首相は緊急事態を宣言することができる。その条件は、➀新型ウイルスの国内での発生、➁全国的かつ急速な蔓延、である。

経済再生担当相の西村康稔氏は、➀の条件は満たされているが、➁の「全国的」な蔓延とまでは言えない、と語った(3月29日「日曜報道THE
PRIME」)。

法治国であるからには法の厳格運用は大事である。しかし、ウイルスの全国的蔓延が確認されてからの緊急事態宣言では遅すぎる。にも拘わらず、政府のメンタリティは「権力による強権発動」を退ける優しい日本国なのである。

戦える国

そこで改めて、緊急事態を宣言すると実際に何が起きるのか、特措法に沿って検証してみる。首相が宣言すると、知事は、ざっと以下の権限を行使できるようになる。

・みだりに外出しないなど、感染防止に必要な協力を「要請」できる。

・学校、社会福祉施設、興行場等に対し、使用制限や停止等の措置を「要請」できる。

・しかし、応じない時は措置を講ずるよう「指示」できる。

首相からバトンタッチされた後、知事にできることはおよそ要請と指示が全てで、命令はできない。

朝日新聞などが度々指摘してきた「私権の制限」の危険性は特措法の次の部分に限られる。

・臨時の医療施設を開設するため土地、家屋、物資を使用する必要のあるときは、「所有者の同意」を得て、土地等を使用できる(49条1項)

・同意が得られないときは、同意なしに利用できる(同条2項)

万が一、日本で感染者が急増して、イタリアやスペイン、ニューヨーク州のような医療崩壊の危険性が見えてきたとき、病床をふやし、出来る限りの命を救わなければならない。新たな病院建設のために空いている土地の一時的提供を知事が求めるのはやむを得ないことであり、それに応えるのは国民の義務であろう。しかも、これは本当に緊急事態に対するための措置で、私権制限だといって危険視するのはおかしい。

日本大学名誉教授の百地章氏が指摘した。

「中国と違って人権を手厚く保障している欧米各国でさえ、国民の外出や移動の禁止、商店の閉鎖などを次々と行っています。フランスでは買い物などを除き全土で国民の外出を禁止しました。米国ではトランプ大統領が国家非常事態を宣言し、カリフォルニア州は実質的な外出禁止令を出しました。理由なく外出した人に罰金まで科す国もあります」

性善説に基づく、限りなく優しい法的枠組みだけで、ウイルスの猛威から国民の命を守れるのか。必要な時には強い力で指導し、戦える国にならねばならない。

『週刊新潮』 2020年4月9日号
日本ルネッサンス 第896回

2020年04月11日

◆優しいだけでは国民の命は守れない

櫻井よしこ


サッカー選手の香川真司氏が呼びかけた。

「ご存じのようにスペインでは本当にたくさんの人が苦しんでいます。日本もおそらく、これから感染が拡大されていくでしょう。それを止めるのはみなさん次第です。ワクチンもない、止める方法もない、一人一人の行動が、コロナに打ち勝つ唯一の方法です。今は自宅にいて待機することです」

“ステイホーム”のハッシュタグでメッセージを発信した香川選手は思慮深く、格好よかった。阪神タイガースの藤浪晋太郎選手も京都産業大学の学生たちも、あんな風に格好よい若者であってほしい。

今は、自分の思い中心でいくより、慎む方がよい。自分の欲望を追求するより他者への思いやりを優先する方が大事だ。その方がすてきで品格もある。ジェントルマンであり、分別ある大人である。

東京都知事の小池百合子氏が3月30日、「若者はカラオケ、ライブハウス、中高年はバー、酒場、ナイトクラブなど、接客を伴う店に行くことは当面控えてほしい」と、訴えた。

彼女は25日夜、都庁で緊急会見し、不要不急の外出自粛を強く要請した。すると不要不急とは具体的にどういう場合か、などと疑問視したつまらない新聞もあった。

具体的に教えてもらわなければそんなことも分からないのか。人の暮らし方、おつき合いの仕方は各人各様だ。普段自由に生きている幾千万の国民、都民に対して、不要不急を具体的に示せとは、これはまた、大人の問いとは思えない。本来、一人一人が自分で考えて判断することだろう。

そんなところに30日の小池氏のメッセージである。ここまで具体的に語ったのは、若者たちの間でクラスターが発生してしまっているからだろう。京都産業大学の学生たちのイギリス、フランス、スペインなど5か国への卒業旅行、帰国後のゼミやサークルの懇親会やカラオケでの熱唱を知ると、21歳か22歳の君たち、十分大人でしょ、香川選手に学べ、と再度強調したくなる。

危機感に欠ける

ウイルスとの戦いは国民全員の協力なくしては制することができない。若い世代は感染しても症状が軽くて済むと考えているかもしれないが、自らの感染でウイルスを拡散し、周りの人々に感染させ、その人々の命を奪うことにもなる。そのことをどうか大いに自覚してほしい。

他方、政府は緊急事態宣言について、「まだその状況にはない」として慎重な構えを崩さない。無論事態が緊急事態宣言を必要とするところまで悪化しないのが最善である。しかし段々分かってきたのはこのウイルスとの戦いは本当に容易ではないということだ。何といっても感染後1週間から2週間は症状が出ないのである。症状が出た後の体調悪化は、あっという間のことだ。志村けんさんは倦怠感を覚えてから、12日後に亡くなっている。

症状悪化の速度も凄まじいが、ウイルス拡散の勢いも凄まじい。だが、米欧諸国が悲惨な状況に直面しているのとは対照的に、日本はまだ危機感に欠けるのではないか。緊急事態宣言で国民に自覚を促し、緊張感を持ってもらうことが大事ではないか。日本人は、一旦自覚しさえすればきちんと対処できる人々だ。

そもそも日本国の建てつけは、国民の自覚、徳、人品卑しからざることに依拠してようやく成立するものである。日本の憲法も法律も全て性善説で成り立っている。国家や政府が強い力で強制したり罰したりする形はとらず、あくまでも国民の善意、私利よりも他利の思想によって国も社会も運営されていく形である。

「緊急事態法」も例外ではない。決して強権発動の法律ではない。だが、性善説に基づいた国の形で、ウイルスに勝てるのか、といま私たちは問わなければならない。

3月13日に成立した改正特別措置法の32条1項に基づいて首相は緊急事態を宣言することができる。その条件は、➀新型ウイルスの国内での発生、➁全国的かつ急速な蔓延、である。

経済再生担当相の西村康稔氏は、➀の条件は満たされているが、➁の「全国的」な蔓延とまでは言えない、と語った(3月29日「日曜報道THE
PRIME」)。

法治国であるからには法の厳格運用は大事である。しかし、ウイルスの全国的蔓延が確認されてからの緊急事態宣言では遅すぎる。にも拘わらず、政府のメンタリティは「権力による強権発動」を退ける優しい日本国なのである。

戦える国

そこで改めて、緊急事態を宣言すると実際に何が起きるのか、特措法に沿って検証してみる。首相が宣言すると、知事は、ざっと以下の権限を行使できるようになる。

・みだりに外出しないなど、感染防止に必要な協力を「要請」できる。

・学校、社会福祉施設、興行場等に対し、使用制限や停止等の措置を「要請」できる。

・しかし、応じない時は措置を講ずるよう「指示」できる。

首相からバトンタッチされた後、知事にできることはおよそ要請と指示が全てで、命令はできない。

朝日新聞などが度々指摘してきた「私権の制限」の危険性は特措法の次の部分に限られる。

・臨時の医療施設を開設するため土地、家屋、物資を使用する必要のあるときは、「所有者の同意」を得て、土地等を使用できる(49条1項)

・同意が得られないときは、同意なしに利用できる(同条2項)

万が一、日本で感染者が急増して、イタリアやスペイン、ニューヨーク州のような医療崩壊の危険性が見えてきたとき、病床をふやし、出来る限りの命を救わなければならない。新たな病院建設のために空いている土地の一時的提供を知事が求めるのはやむを得ないことであり、それに応えるのは国民の義務であろう。しかも、これは本当に緊急事態に対するための措置で、私権制限だといって危険視するのはおかしい。

日本大学名誉教授の百地章氏が指摘した。

「中国と違って人権を手厚く保障している欧米各国でさえ、国民の外出や移動の禁止、商店の閉鎖などを次々と行っています。フランスでは買い物などを除き全土で国民の外出を禁止しました。米国ではトランプ大統領が国家非常事態を宣言し、カリフォルニア州は実質的な外出禁止令を出しました。理由なく外出した人に罰金まで科す国もあります」

性善説に基づく、限りなく優しい法的枠組みだけで、ウイルスの猛威から国民の命を守れるのか。必要な時には強い力で指導し、戦える国にならねばならない。

『週刊新潮』 2020年4月9日号
日本ルネッサンス 第896回