櫻井よしこ
『週刊新潮』 2020年12月3日
日本ルネッサンス 第928回
政治が激しく動くとき、怪しい勢力が暗躍するのは世の習いだ。
11月8日に来日した韓国の国家情報院(国情院)院長、朴智元(パクチウォ
ン)氏はその典型だ。朴国情院長は4日間滞在し、まず二階俊博自民党幹事
長、次に菅義偉首相に面会した。
国情院は韓国の情報機関だ。そのトップが他国の首脳に会うとき、通常は
秘密裏に行動する。ところが今回、朴国情院長は、官邸側が裏口からの来
訪を検討したにも拘わらず、正面玄関から入り、会談後に記者団の取材に
応じてみせた(「毎日新聞」11月12日朝刊)。
朴智元氏とは何者か。11月20日の「言論テレビ」でシンクタンク「国家基
本問題研究所」研究員の西岡力氏が以下のように説明した。
氏は韓国全羅道出身で金大中元大統領の同志だった。金大中政権で観光大
臣に就任、この頃に、日本の観光業界の実力者、二階氏との親交を持った
といわれている。
朴氏は金大中の密使として北朝鮮と裏交渉を行い、2000年6月の金大中・
金正日の南北首脳会談を実現させた。そのとき金大中側が4億5000万ドル
(約450億円)の現金と5000万ドル(50億円)相当の物資を金正日に貢いだ。
西岡氏の指摘だ。
「朴智元氏の北朝鮮の交渉相手は対南工作機関の統一戦線部と見られてい
ます。金大中一行の平壌入りの映像には朴氏が金正日から耳打ちされてい
る場面があります。彼が行った工作とは、金と物資を北の39号室、つまり
金正日の対南工作の中枢機関で韓国制圧を目指して、長年凄まじい攻勢を
かけ続けた機関に送ったことです。韓国への裏切りです。後に一連の悪事
が明らかになって、有罪判決を受けて収監されました」
ちなみに二階氏は08年4月22日のブログ、「がんばってます」で、収監さ
れ、病気療養で刑の執行が停止された朴氏を見舞ったこと、運輸大臣だっ
た当時、朴氏との間で「兄弟の契り」を結んだことを書いている。
義兄弟の面目躍如か、昨年8月19日、朴氏が文喜相国会議長の特使として
来日した際、朴氏は二階氏と5時間以上会談している(「読売新聞」19年8
月21日朝刊)。
2500億円の秘密文書
朴氏は金大中の系譜でありながら文在寅大統領らとは折り合いが悪かっ
た。理由は朴氏が裏金献金工作の責任をとらされて獄に下ったとき、盧武
鉉大統領は守ってくれず、文在寅氏は朴氏の選挙地盤である全羅道を乗っ
取ろうとしたからだ。ところが今年7月、文氏はそれまでの国情院長、徐
薫氏をスライドさせ、朴氏に頭を下げて国情院長就任を要請した。
「統一日報」論説主幹の洪熒氏が説明した。
「朴智元は複雑な人生を歩んできました。彼の父もその兄弟も日本統治時
代にスターリンの指令で創られた南朝鮮労働党という共産主義革命党の党
員でした。日本の敗戦で米軍が朝鮮半島に入ると彼らは獄中にあった共産
主義者を全て解放しました。朴の家族は南朝鮮労働党の党員になりました
が、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、父もその兄弟も韓国軍に処刑された
のです。彼は韓国を深く恨んでいると思います」
朴氏はその後米国に渡り、全斗煥政権当時、米国で事実上の亡命生活を
送っていた金大中と知り合った。その後の両者の歩みは前述した。
朴氏の国情院長任命に戻ろう。国会での人事公聴会で金大中・金正日会談
に先立って、朴氏が4億5000万ドルの現金とは別に、25億ドル(2500億
円)の対北経済協力の秘密文書に署名していたことが判明した。西岡氏の
説明だ。
「署名の筆跡は本人の自筆に間違いないと鑑定されましたが、本人は知ら
ぬ存ぜぬで通しました。文氏は疑惑に蓋をしたまま、7月末に彼を国情院
長に任命しました。そして何が起きたか。南北朝鮮関係が劇的に改善され
たのです」
たとえば9月8日、文氏が北朝鮮への災害に見舞いの手紙を出すと、4日後
に「大韓民国大統領文在寅貴下」という宛名の返事が来た。
北朝鮮は元来、大韓民国を認めず、いつも南朝鮮と呼ぶ。だから文氏はへ
りくだって、2018年9月、初めての平壌訪問では、「南側の大統領文在寅
です」と自己紹介した。だが今回、金正恩氏が「大韓民国大統領貴下」と
書いてきた。驚くべき豹変である。
9月22日、韓国の公務員が海上で北朝鮮軍に殺害され遺体を焼かれた。す
ると3日後、金正恩氏の謝罪文を朴智元氏が受け取った。
何故急変したのか。韓国情報機関のトップとしてあらゆる秘密情報を手に
する立場に立った朴氏を活用して、韓国を手玉にとれると金正恩氏が考え
たからではないのか。朴氏の動きはおよそ全て北朝鮮の利益をはかるため
と考えておくべきで、その画策は対日政策にも深刻な影響を及ぼすだろ
う。朴氏の背後の勢力と見られる北朝鮮の統一戦線部は朝鮮総連の上部機
関だ。朝鮮総連の幹部が足しげく二階氏の幹事長室に出入りしていること
は深く懸念される。
最も危険な人脈
西岡氏の話だ。
「これまでは安倍前総理が北朝鮮外交を指揮していました。菅政権下で二
階氏の発言力が強まったらどうなるか。『義兄弟』と言われる情報機関の
長とどんな話をしたのか。私には分かりませんが『朝鮮日報』は東京五輪
に合わせた日米南北朝鮮の4首脳会談を画策したと報じました」
菅首相は安倍晋三前首相と同じく、拉致問題解決を最優先し、金正恩氏と
の直接会談を考えている。朴国情院長が、金氏への太いパイプがあるとい
う触れ込みで接触してきた場合、菅首相がその話に乗る可能性はあるかも
しれない。しかし、西岡氏はそれこそ最も危険な人脈だという。
「朴氏がつながっている統一戦線部は横田めぐみさんらは死亡と言い、偽
の遺骨を出してきた機関です。日朝の交渉は統一戦線部を外して首脳同士
が会い、被害者の全員帰国に向けて直談判しなければなりません。統一戦
線部に任せれば、もう一度、死亡説を主張され、日本側が納得しないなら
合同調査委員会を作ろう、東京と平壌に連絡事務所を設置しようと言い始
めるでしょう。これまでの失敗の繰り返しになります」
経済制裁で疲弊しきった金正恩氏が統一戦線部の戦略に沿って、二階氏の
巻き込みを図り、制裁の輪を緩める脱出の道として日本に狙いを定めた可
能性がある。思惑があるため拉致問題が動く可能性もある。だが、経済支
援だけをとられ、核もミサイルも開発され、拉致被害者は戻ってこないと
いう失敗を繰り返さないために、菅首相にはしっかりしてほしい。朴智元
氏のような人物を、日本政府はもっと厳しくスクリーニングする必要があ
ろう。
2020年12月05日
◆官邸に乗り込んだ韓国高官の赤い影
at 08:29
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| 櫻井よしこ
2020年11月16日
◆米大統領選と絡んだ習近平強硬路線
桜井よしこ
本稿執筆時点で米国大統領選挙の予測はつきかねるが、中国のこれからの
世界戦略は10月下旬の中央委員会第5回総会(5中全会)である程度見え
てきた。習近平国家主席は対米強硬策に向かうだろう。
そもそも習氏は5中全会で何を達成しようとしたのか。産経新聞台北支局
長の矢板明夫氏は、事前に乱れ飛んだ尋常ならざる量の人事情報から習氏
の意図が透視できるという。
「多くの情報の中で最も注目されたのが、共産党主席ポストの復活と同ポ
ストへの習氏の就任に関する報道。習氏が毛沢東のように全権を握り、あ
と15年間82歳まで、つまり終身、主席でいたいと考え、世論誘導目的で
リークしたと考えられます」(「言論テレビ」10月30日)
毛沢東は➀国家主席として国全体を司り、➁党中央軍事委員会委員長として
全軍指揮の権力を持ち、➂共産党主席として党に君臨した。
誰も逆らえないオールマイティの権力を握った毛沢東はやがて暴走し始め
た。しかし、毛の権限は余りに強くその暴走は誰も止めることができな
かった。
強すぎる独裁への反省からケ小平らは党主席ポストを設けずにきた。それ
を復活させ、習氏は毛沢東になろうとしている。今回、習氏は自分の望む
人事を固めきれなかったが、その背景に熾烈な権力闘争があると見てよい
だろう。しかし、彼にはあと2回、チャンスがある。
ここで中国の政治の仕組みをみておこう。中国共産党の最高決定機関は党
大会で、5年に1度開かれる。党大会が閉幕すると、中央委員会の全体会議
がすべてを取り仕切る。中央委員会全体会議は1期ごとに7回開かれる。
まず中央委員会第1回総会(1中全会)が党大会閉幕直後に開かれる。1中
全会では党執行部人事を決める。翌年春に2中全会が開かれ、新体制の国
務院(政府)人事を決める。
3中全会は新政権発足の約1年後に開かれ、主として経済政策を議論する。
以降、1年ごとに4中全会、5中全会、6中全会が毎年秋に開かれ、その時々
の重要課題が議論される。次期党大会開幕直前に7中全会が開かれるが、
そこでは5年間を総括し、次回党大会の準備に入る。
大統領選の大スキャンダル
従来のルールでは習氏は2022年の党大会で引退しなければならなかった。
だが、氏がその先も、また更にその先も国家主席として君臨する野望を抱
いているのは明らかだ。
中国共産党のトップ人事に関するルール変更という大それた野望は、今回
は実現しなかった。しかし、この後の6中全会、7中全会を利用して一歩ず
つ進むことも可能だ。
習氏が戦っているのは国内の反習近平勢力だけでなく、アメリカでもあ
る。習氏の直近の動きを見ると、対米融和路線と対米強硬・中国自立経済
路線の間で大きく揺れたのが見てとれる。敢えて大枠でいえば、ケ小平路
線か毛沢東路線かである。
矢板氏の説明だ。
「10月14日、習近平氏は深セン経済特区設置40周年を祝って深センを訪
れ、改革開放の指導者、ケ小平の銅像に献花しました。まるでケ小平路線
を継承すると宣言したかのようでした。
深センにはその後も2~3日とどまる予定だったと言われていますが、突
然、北京に戻ったのです。そして異常なことが起きました。16日からの1
週間で、常務委員会を4回も開いたのです」
常務委員会は日本の閣議に当たる。通常、週に1回程度開催されるが、た
て続けに4回開かれた。
習氏が北京に戻ったのは、米国の大統領選挙に関連する大スキャンダルが
メディアに報じられる直前のタイミングだった。
民主党大統領候補・バイデン氏子息のハンター氏のスキャンダルの証拠
が、メールや音声や映像の形で残っているコンピュータがFBIの手に渡
り、内容が報じられたのだ。
このスキャンダルには、ハンター氏と人民解放軍や中国の情報機関との間
で交わされた取引情報に加えて、破廉恥なビデオ映像も含まれていたという。
ケ小平の像に献花した段階では、習氏はバイデン優勢と見て、次期バイデ
ン政権とは中国の情報機関が撮ったと思われるビデオなどをネタに、取引
しようと考えていたのではないか。
だが、情報が曝露されてしまえば、もはや取引はなしだ。それどころか、
バイデン氏は子息をこんな形で追い込んだ中国に凄まじい怒りを抱くに違
いなく、トランプ大統領以上に中国に強硬になりかねない。
「習氏は大急ぎで北京に戻り、会議を重ね、米国には対決姿勢を取ると決
めたと思います。経済は米国にも国際社会にも依存しないとして自力更生
路線を強く打ち出しました。米国との関係修復は当分ないとの見方です」
と、矢板氏。
工作員が暗躍
ハンター氏のスキャンダル曝露の背後にはインテリジェンスの世界の恐ろ
しい闇がある。一体どの国のどの勢力がハンター情報を曝露したのかは分
からない。その中でロシア或いは中国が疑われている。
まず中国だ。ハンター氏を貶める情報の中には、中国でなければ知り得な
い中国企業とのやり取りの詳細が含まれていたという。当然、反習近平側
から出されたはずだ。バイデン氏を貶め、トランプ氏に勝たせて習氏の力
を殺ぎたい勢力だと考えられる。
ロシアの工作員ならトランプ氏に勝たせる為の工作だろう。トランプ氏に
中国と戦わせて、その間にロシアは世界で好き勝手にできる。
無論、その他にもさまざまなケースが考えられる。米国大統領選を舞台に
世界中の工作員が暗躍しているのだ。中国もロシアも当のアメリカも、血
眼になって自国の利益を守ろうと戦っている。まさに戦争である。
習氏が拘った国防法の改正からも、対外強硬路線が見えてくる。「中国の
発展の利益が脅かされた場合、全国総動員または一部の動員を行う」、
「国家の海外での利益を守る」などの条文が入ったのである。
同改革案は間違いなく法制化されるであろう。その場合、たとえば中国が
まだ作れないICチップを特定の国が輸出禁止にした場合、中国の利益を
損なうとして内外の中国人に総動員をかける、つまり戦争を仕掛けること
もあり得るということだ。
日本では非常に広大な土地が中国人に買われている。豪州の事例に見られ
るように、国土を売ることはとても危険だ。
敵対国に対してでなくとも、国土を売ることは国を売ることだ。日本国民
として、北海道や沖縄の土地の中国人への売却は心配でならない。
もし日本の土地を買った中国人の国土の利用を日本政府が制限する場合、
中国の利益を損なうという理由で中国政府が自国民を決起させることも可
能になる。この法改正によって恐ろしい事態が発生する可能性は否定でき
ない。前例のない強硬路線を突き進もうとする習近平体制が見える。
『週刊新潮』 2020年11月12日号
日本ルネッサンス 第925回
本稿執筆時点で米国大統領選挙の予測はつきかねるが、中国のこれからの
世界戦略は10月下旬の中央委員会第5回総会(5中全会)である程度見え
てきた。習近平国家主席は対米強硬策に向かうだろう。
そもそも習氏は5中全会で何を達成しようとしたのか。産経新聞台北支局
長の矢板明夫氏は、事前に乱れ飛んだ尋常ならざる量の人事情報から習氏
の意図が透視できるという。
「多くの情報の中で最も注目されたのが、共産党主席ポストの復活と同ポ
ストへの習氏の就任に関する報道。習氏が毛沢東のように全権を握り、あ
と15年間82歳まで、つまり終身、主席でいたいと考え、世論誘導目的で
リークしたと考えられます」(「言論テレビ」10月30日)
毛沢東は➀国家主席として国全体を司り、➁党中央軍事委員会委員長として
全軍指揮の権力を持ち、➂共産党主席として党に君臨した。
誰も逆らえないオールマイティの権力を握った毛沢東はやがて暴走し始め
た。しかし、毛の権限は余りに強くその暴走は誰も止めることができな
かった。
強すぎる独裁への反省からケ小平らは党主席ポストを設けずにきた。それ
を復活させ、習氏は毛沢東になろうとしている。今回、習氏は自分の望む
人事を固めきれなかったが、その背景に熾烈な権力闘争があると見てよい
だろう。しかし、彼にはあと2回、チャンスがある。
ここで中国の政治の仕組みをみておこう。中国共産党の最高決定機関は党
大会で、5年に1度開かれる。党大会が閉幕すると、中央委員会の全体会議
がすべてを取り仕切る。中央委員会全体会議は1期ごとに7回開かれる。
まず中央委員会第1回総会(1中全会)が党大会閉幕直後に開かれる。1中
全会では党執行部人事を決める。翌年春に2中全会が開かれ、新体制の国
務院(政府)人事を決める。
3中全会は新政権発足の約1年後に開かれ、主として経済政策を議論する。
以降、1年ごとに4中全会、5中全会、6中全会が毎年秋に開かれ、その時々
の重要課題が議論される。次期党大会開幕直前に7中全会が開かれるが、
そこでは5年間を総括し、次回党大会の準備に入る。
大統領選の大スキャンダル
従来のルールでは習氏は2022年の党大会で引退しなければならなかった。
だが、氏がその先も、また更にその先も国家主席として君臨する野望を抱
いているのは明らかだ。
中国共産党のトップ人事に関するルール変更という大それた野望は、今回
は実現しなかった。しかし、この後の6中全会、7中全会を利用して一歩ず
つ進むことも可能だ。
習氏が戦っているのは国内の反習近平勢力だけでなく、アメリカでもあ
る。習氏の直近の動きを見ると、対米融和路線と対米強硬・中国自立経済
路線の間で大きく揺れたのが見てとれる。敢えて大枠でいえば、ケ小平路
線か毛沢東路線かである。
矢板氏の説明だ。
「10月14日、習近平氏は深セン経済特区設置40周年を祝って深センを訪
れ、改革開放の指導者、ケ小平の銅像に献花しました。まるでケ小平路線
を継承すると宣言したかのようでした。
深センにはその後も2~3日とどまる予定だったと言われていますが、突
然、北京に戻ったのです。そして異常なことが起きました。16日からの1
週間で、常務委員会を4回も開いたのです」
常務委員会は日本の閣議に当たる。通常、週に1回程度開催されるが、た
て続けに4回開かれた。
習氏が北京に戻ったのは、米国の大統領選挙に関連する大スキャンダルが
メディアに報じられる直前のタイミングだった。
民主党大統領候補・バイデン氏子息のハンター氏のスキャンダルの証拠
が、メールや音声や映像の形で残っているコンピュータがFBIの手に渡
り、内容が報じられたのだ。
このスキャンダルには、ハンター氏と人民解放軍や中国の情報機関との間
で交わされた取引情報に加えて、破廉恥なビデオ映像も含まれていたという。
ケ小平の像に献花した段階では、習氏はバイデン優勢と見て、次期バイデ
ン政権とは中国の情報機関が撮ったと思われるビデオなどをネタに、取引
しようと考えていたのではないか。
だが、情報が曝露されてしまえば、もはや取引はなしだ。それどころか、
バイデン氏は子息をこんな形で追い込んだ中国に凄まじい怒りを抱くに違
いなく、トランプ大統領以上に中国に強硬になりかねない。
「習氏は大急ぎで北京に戻り、会議を重ね、米国には対決姿勢を取ると決
めたと思います。経済は米国にも国際社会にも依存しないとして自力更生
路線を強く打ち出しました。米国との関係修復は当分ないとの見方です」
と、矢板氏。
工作員が暗躍
ハンター氏のスキャンダル曝露の背後にはインテリジェンスの世界の恐ろ
しい闇がある。一体どの国のどの勢力がハンター情報を曝露したのかは分
からない。その中でロシア或いは中国が疑われている。
まず中国だ。ハンター氏を貶める情報の中には、中国でなければ知り得な
い中国企業とのやり取りの詳細が含まれていたという。当然、反習近平側
から出されたはずだ。バイデン氏を貶め、トランプ氏に勝たせて習氏の力
を殺ぎたい勢力だと考えられる。
ロシアの工作員ならトランプ氏に勝たせる為の工作だろう。トランプ氏に
中国と戦わせて、その間にロシアは世界で好き勝手にできる。
無論、その他にもさまざまなケースが考えられる。米国大統領選を舞台に
世界中の工作員が暗躍しているのだ。中国もロシアも当のアメリカも、血
眼になって自国の利益を守ろうと戦っている。まさに戦争である。
習氏が拘った国防法の改正からも、対外強硬路線が見えてくる。「中国の
発展の利益が脅かされた場合、全国総動員または一部の動員を行う」、
「国家の海外での利益を守る」などの条文が入ったのである。
同改革案は間違いなく法制化されるであろう。その場合、たとえば中国が
まだ作れないICチップを特定の国が輸出禁止にした場合、中国の利益を
損なうとして内外の中国人に総動員をかける、つまり戦争を仕掛けること
もあり得るということだ。
日本では非常に広大な土地が中国人に買われている。豪州の事例に見られ
るように、国土を売ることはとても危険だ。
敵対国に対してでなくとも、国土を売ることは国を売ることだ。日本国民
として、北海道や沖縄の土地の中国人への売却は心配でならない。
もし日本の土地を買った中国人の国土の利用を日本政府が制限する場合、
中国の利益を損なうという理由で中国政府が自国民を決起させることも可
能になる。この法改正によって恐ろしい事態が発生する可能性は否定でき
ない。前例のない強硬路線を突き進もうとする習近平体制が見える。
『週刊新潮』 2020年11月12日号
日本ルネッサンス 第925回
at 07:50
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| 櫻井よしこ
2020年11月13日
◆設立当初から「赤い巨塔」の学術会議
櫻井よしこ
『週刊新潮』 2020年11月5日号
日本ルネッサンス 第924回
日本学術会議は一体どんな組織なのか。歴史を辿ると設立当初から、日本
を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)及び日本共産党と、深い関係
にあったことが見えてくる。
10月23日、シンクタンク「国家基本問題研究所」で東京大学名誉教授、唐
木英明氏の話を聞いた。唐木氏は2000年に学術会議の会員となり、08
年〜11年の3年間、同会副会長を務めた。
氏によると、1946年6月、GHQ科学技術部は東大の茅誠司氏らに科学渉
外連絡会を設立し、日本のあるべき科学研究体制を研究するよう勧めた。
5か月後、GHQ科学技術部は科学者の新体制作りを指示した。唐木氏の
説明だ。
「占領軍は日本の原子力研究を禁止したのに加えて、理研、阪大、京大の
サイクロトロン(加速器)を破壊したりしました。この極めて荒っぽい政
策は米国内でも批判されました」
ひたすら日本の底力を破壊しようとする蛮行を見て、GHQの側に科学を
理解する人材を加えるべきだという認識が生まれ、48年に物理学者のH・
C・ケリー氏が招聘された。ケリー氏の指示で誕生したのが日本学術会議
だったという。
それでも当初の学術会議はGHQ内部で暗躍したニューディーラー(その
多くはアメリカ共産党員だった)の考えを受けて、世界的に例のない過激
な政策を掲げた。
再び唐木氏の説明だ。
「たとえば、最高科学者会議を設けて、彼らが科学および教育に関するあ
らゆる政策、研究費の予算配分を決定し、国会決議を得たうえで政府にそ
の執行を命令し、監督する権限を持つ。最高科学者会議のメンバーは科学
者が直接選挙で選ぶなどという過激な案でした」
科学者による絶対支配体制を提唱したわけだが、当時、科学者の多くはア
メリカを帝国主義の国と見做し、彼らの資本主義が日本に浸透することに
反感を持っていた。
共産主義者の後ろ盾
日本学術会議は1949年1月に発足したが、前年12月に学術会議の会員210名
を選挙で選んだ。唐木氏は『通史 日本の科学技術』の第1巻『占領期
1946─1952』(学陽書房 中山茂・他編)を引用し、ざっと以下のように
説明した。
210名の定員に944名の候補者が立った。共産党候補者は61人、内26人が当
選。加えて40名ほどの同調者も当選した。共産党の影響下にあった民主主
義科学者協会(民科)の候補者は、総会員数の1割(21名)以上を占めて
いた。
民科系候補者の正確な当選者数は定かではないが、共産党及び同系統の学
者たちは学術会議の3分の1に迫る66名ほどの勢力を形成したことになる。
彼らは頭もよく、論も立つ人々であったろう。その一群が絶対的権力者で
あったGHQ内の共産主義者の後ろ盾を得ていたのだ。どれ程強力な影響
力を持っていたことか。そうした中で50年、「戦争を目的とする科学の研
究には絶対従わない決意の表明」という声明が出された。
他方、政府は新しいエネルギー源を目指して55年に原子力関連の研究に乗
り出した。学術会議会長の茅誠司氏、国立大学協会会長の矢内原忠雄氏ら
は反対し、原子力委員会設置法に「原子力利用に関する経費には、大学の
研究経費は含まない」との付帯決議をつけさせ、わが国の原子力研究の道
を狭めた。
現在に至るまで学術会議は国防研究も禁じているが、原子力研究の制限
も、学問の自由への挑戦であることに変わりはない。
政府は対抗して56年に原子力委員会をつくり、同時に科学技術庁も設置し
た。その上で原子力委員会を科技庁の所管とした。
「政府は左翼系科学者の影響下にある学術会議への対抗策として、学術行
政の支配権を取り戻すために科技庁を創ったのです」と唐木氏。
学術会議がもっていた科学技術に対する司令塔としての役割及び研究助成
を全て、科技庁に移した。続いて59年には科学技術会議が設置され、学術
会議の中心議題も全てこちらに移された。67年には文部省が学術審議会を
設置、科学技術だけではなく、人文・社会科学についても全ての学術審議
が移された。80年代には各省庁が審議会を設置し始め、学術会議はするこ
とがなくなってしまった。
長年学術会議の会員を務め副会長も務めた唐木氏は、69年から77年にかけ
て日本学術会議は自己点検をし、改善すべきところは改善しようとしたと
語る。が、結論からいえば彼らは政府との全面的対決を選んでしまったのだ。
82年、中山太郎総務長官が学術会議の改革を提議したが、学術会議側は
突っぱねた。その後、政府、学術会議の双方が有識者会議を次々に開いて
対抗する非常に厳しい対立の時代が続いた。この間の詳細は割愛せざるを
得ないが、国民の視点から言えば、学術会議は自らの利益のために活動す
る一方で、国民全体、或いは国に対する貢献は考えなくなったとしか見え
ない。
自民党の油断
90年代から00年代にかけての行政改革では学術会議も対象になり、彼らは
05年に改革を打ち出した。➀社会全体に関わる問題について専門性を持っ
た科学者が集まって総合的・俯瞰的な視点から提言する、➁欧米主要国の
アカデミーの在り方に学び、10年以内、つまり15年には、より適切な設置
形態を検討する、などである。
菅義偉総理の言う「総合的・俯瞰的視点」の意味が分からないなどと学術
会議側は言うが、それは自分達が言い出した表現であろう。
多少反省し軌道修正に向かったかに見えた学術会議は、しかし、09年に民
主党政権が誕生すると、またもや改革の歩みを緩めた。民主党は学術会議
に非常に好意的で、諮問もせず、ただ学者の皆さん頑張ってという姿勢で
学術会議にとってはラクな期間だったという。
そして見直しをする15年が来たとき、驚くことに自民党政権下の有識者会
議が学術会議の現状維持を諒としたのだ。有識者会議には多くの学術会議
関係者が入っていて、ほとんどお手盛り会議だったとの批判はあるが、自
民党の油断である。
民主党政権は原子力規制委員会と規律の緩んだ学術会議という悪しき遺産
を残した。いずれも、自民党は根本から変えるチャンスがあったのに何も
しなかったのは事実である。
学術会議側は、菅首相が6人を任命しなかったのは学問の自由の侵害だと
言う。とんでもない間違いだと唐木氏は強調する。学問の自由とは研究の
自由、発表の自由、教育の自由を指す。だが学術会議は研究機関ではない
ため研究も教育もしない。発表するのは学術会議の中での検討事項だけ
で、学問の自由と学術会議は全く無関係だ。ここまでくれば学術会議は民
営化するのが一番だ。
『週刊新潮』 2020年11月5日号
日本ルネッサンス 第924回
日本学術会議は一体どんな組織なのか。歴史を辿ると設立当初から、日本
を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)及び日本共産党と、深い関係
にあったことが見えてくる。
10月23日、シンクタンク「国家基本問題研究所」で東京大学名誉教授、唐
木英明氏の話を聞いた。唐木氏は2000年に学術会議の会員となり、08
年〜11年の3年間、同会副会長を務めた。
氏によると、1946年6月、GHQ科学技術部は東大の茅誠司氏らに科学渉
外連絡会を設立し、日本のあるべき科学研究体制を研究するよう勧めた。
5か月後、GHQ科学技術部は科学者の新体制作りを指示した。唐木氏の
説明だ。
「占領軍は日本の原子力研究を禁止したのに加えて、理研、阪大、京大の
サイクロトロン(加速器)を破壊したりしました。この極めて荒っぽい政
策は米国内でも批判されました」
ひたすら日本の底力を破壊しようとする蛮行を見て、GHQの側に科学を
理解する人材を加えるべきだという認識が生まれ、48年に物理学者のH・
C・ケリー氏が招聘された。ケリー氏の指示で誕生したのが日本学術会議
だったという。
それでも当初の学術会議はGHQ内部で暗躍したニューディーラー(その
多くはアメリカ共産党員だった)の考えを受けて、世界的に例のない過激
な政策を掲げた。
再び唐木氏の説明だ。
「たとえば、最高科学者会議を設けて、彼らが科学および教育に関するあ
らゆる政策、研究費の予算配分を決定し、国会決議を得たうえで政府にそ
の執行を命令し、監督する権限を持つ。最高科学者会議のメンバーは科学
者が直接選挙で選ぶなどという過激な案でした」
科学者による絶対支配体制を提唱したわけだが、当時、科学者の多くはア
メリカを帝国主義の国と見做し、彼らの資本主義が日本に浸透することに
反感を持っていた。
共産主義者の後ろ盾
日本学術会議は1949年1月に発足したが、前年12月に学術会議の会員210名
を選挙で選んだ。唐木氏は『通史 日本の科学技術』の第1巻『占領期
1946─1952』(学陽書房 中山茂・他編)を引用し、ざっと以下のように
説明した。
210名の定員に944名の候補者が立った。共産党候補者は61人、内26人が当
選。加えて40名ほどの同調者も当選した。共産党の影響下にあった民主主
義科学者協会(民科)の候補者は、総会員数の1割(21名)以上を占めて
いた。
民科系候補者の正確な当選者数は定かではないが、共産党及び同系統の学
者たちは学術会議の3分の1に迫る66名ほどの勢力を形成したことになる。
彼らは頭もよく、論も立つ人々であったろう。その一群が絶対的権力者で
あったGHQ内の共産主義者の後ろ盾を得ていたのだ。どれ程強力な影響
力を持っていたことか。そうした中で50年、「戦争を目的とする科学の研
究には絶対従わない決意の表明」という声明が出された。
他方、政府は新しいエネルギー源を目指して55年に原子力関連の研究に乗
り出した。学術会議会長の茅誠司氏、国立大学協会会長の矢内原忠雄氏ら
は反対し、原子力委員会設置法に「原子力利用に関する経費には、大学の
研究経費は含まない」との付帯決議をつけさせ、わが国の原子力研究の道
を狭めた。
現在に至るまで学術会議は国防研究も禁じているが、原子力研究の制限
も、学問の自由への挑戦であることに変わりはない。
政府は対抗して56年に原子力委員会をつくり、同時に科学技術庁も設置し
た。その上で原子力委員会を科技庁の所管とした。
「政府は左翼系科学者の影響下にある学術会議への対抗策として、学術行
政の支配権を取り戻すために科技庁を創ったのです」と唐木氏。
学術会議がもっていた科学技術に対する司令塔としての役割及び研究助成
を全て、科技庁に移した。続いて59年には科学技術会議が設置され、学術
会議の中心議題も全てこちらに移された。67年には文部省が学術審議会を
設置、科学技術だけではなく、人文・社会科学についても全ての学術審議
が移された。80年代には各省庁が審議会を設置し始め、学術会議はするこ
とがなくなってしまった。
長年学術会議の会員を務め副会長も務めた唐木氏は、69年から77年にかけ
て日本学術会議は自己点検をし、改善すべきところは改善しようとしたと
語る。が、結論からいえば彼らは政府との全面的対決を選んでしまったのだ。
82年、中山太郎総務長官が学術会議の改革を提議したが、学術会議側は
突っぱねた。その後、政府、学術会議の双方が有識者会議を次々に開いて
対抗する非常に厳しい対立の時代が続いた。この間の詳細は割愛せざるを
得ないが、国民の視点から言えば、学術会議は自らの利益のために活動す
る一方で、国民全体、或いは国に対する貢献は考えなくなったとしか見え
ない。
自民党の油断
90年代から00年代にかけての行政改革では学術会議も対象になり、彼らは
05年に改革を打ち出した。➀社会全体に関わる問題について専門性を持っ
た科学者が集まって総合的・俯瞰的な視点から提言する、➁欧米主要国の
アカデミーの在り方に学び、10年以内、つまり15年には、より適切な設置
形態を検討する、などである。
菅義偉総理の言う「総合的・俯瞰的視点」の意味が分からないなどと学術
会議側は言うが、それは自分達が言い出した表現であろう。
多少反省し軌道修正に向かったかに見えた学術会議は、しかし、09年に民
主党政権が誕生すると、またもや改革の歩みを緩めた。民主党は学術会議
に非常に好意的で、諮問もせず、ただ学者の皆さん頑張ってという姿勢で
学術会議にとってはラクな期間だったという。
そして見直しをする15年が来たとき、驚くことに自民党政権下の有識者会
議が学術会議の現状維持を諒としたのだ。有識者会議には多くの学術会議
関係者が入っていて、ほとんどお手盛り会議だったとの批判はあるが、自
民党の油断である。
民主党政権は原子力規制委員会と規律の緩んだ学術会議という悪しき遺産
を残した。いずれも、自民党は根本から変えるチャンスがあったのに何も
しなかったのは事実である。
学術会議側は、菅首相が6人を任命しなかったのは学問の自由の侵害だと
言う。とんでもない間違いだと唐木氏は強調する。学問の自由とは研究の
自由、発表の自由、教育の自由を指す。だが学術会議は研究機関ではない
ため研究も教育もしない。発表するのは学術会議の中での検討事項だけ
で、学問の自由と学術会議は全く無関係だ。ここまでくれば学術会議は民
営化するのが一番だ。
at 08:04
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| 櫻井よしこ
2020年11月07日
◆設立当初から「赤い巨塔」の学術会議
櫻井よしこ
日本学術会議は一体どんな組織なのか。歴史を辿ると設立当初から、日本
を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)及び日本共産党と、深い関係
にあったことが見えてくる。
10月23日、シンクタンク「国家基本問題研究所」で東京大学名誉教授、唐
木英明氏の話を聞いた。唐木氏は2000年に学術会議の会員となり、08
年〜11年の3年間、同会副会長を務めた。
氏によると、1946年6月、GHQ科学技術部は東大の茅誠司氏らに科学渉
外連絡会を設立し、日本のあるべき科学研究体制を研究するよう勧めた。
5か月後、GHQ科学技術部は科学者の新体制作りを指示した。唐木氏の
説明だ。
「占領軍は日本の原子力研究を禁止したのに加えて、理研、阪大、京大の
サイクロトロン(加速器)を破壊したりしました。この極めて荒っぽい政
策は米国内でも批判されました」
ひたすら日本の底力を破壊しようとする蛮行を見て、GHQの側に科学を
理解する人材を加えるべきだという認識が生まれ、48年に物理学者のH・
C・ケリー氏が招聘された。ケリー氏の指示で誕生したのが日本学術会議
だったという。
それでも当初の学術会議はGHQ内部で暗躍したニューディーラー(その
多くはアメリカ共産党員だった)の考えを受けて、世界的に例のない過激
な政策を掲げた。
再び唐木氏の説明だ。
「たとえば、最高科学者会議を設けて、彼らが科学および教育に関するあ
らゆる政策、研究費の予算配分を決定し、国会決議を得たうえで政府にそ
の執行を命令し、監督する権限を持つ。最高科学者会議のメンバーは科学
者が直接選挙で選ぶなどという過激な案でした」
科学者による絶対支配体制を提唱したわけだが、当時、科学者の多くはア
メリカを帝国主義の国と見做し、彼らの資本主義が日本に浸透することに
反感を持っていた。
共産主義者の後ろ盾
日本学術会議は1949年1月に発足したが、前年12月に学術会議の会員210名
を選挙で選んだ。唐木氏は『通史 日本の科学技術』の第1巻『占領期
1946─1952』(学陽書房 中山茂・他編)を引用し、ざっと以下のように
説明した。
210名の定員に944名の候補者が立った。共産党候補者は61人、内26人が当
選。加えて40名ほどの同調者も当選した。共産党の影響下にあった民主主
義科学者協会(民科)の候補者は、総会員数の1割(21名)以上を占めて
いた。
民科系候補者の正確な当選者数は定かではないが、共産党及び同系統の学
者たちは学術会議の3分の1に迫る66名ほどの勢力を形成したことになる。
彼らは頭もよく、論も立つ人々であったろう。その一群が絶対的権力者で
あったGHQ内の共産主義者の後ろ盾を得ていたのだ。どれ程強力な影響
力を持っていたことか。そうした中で50年、「戦争を目的とする科学の研
究には絶対従わない決意の表明」という声明が出された。
他方、政府は新しいエネルギー源を目指して55年に原子力関連の研究に乗
り出した。学術会議会長の茅誠司氏、国立大学協会会長の矢内原忠雄氏ら
は反対し、原子力委員会設置法に「原子力利用に関する経費には、大学の
研究経費は含まない」との付帯決議をつけさせ、わが国の原子力研究の道
を狭めた。
現在に至るまで学術会議は国防研究も禁じているが、原子力研究の制限
も、学問の自由への挑戦であることに変わりはない。
政府は対抗して56年に原子力委員会をつくり、同時に科学技術庁も設置し
た。その上で原子力委員会を科技庁の所管とした。
「政府は左翼系科学者の影響下にある学術会議への対抗策として、学術行
政の支配権を取り戻すために科技庁を創ったのです」と唐木氏。
学術会議がもっていた科学技術に対する司令塔としての役割及び研究助成
を全て、科技庁に移した。続いて59年には科学技術会議が設置され、学術
会議の中心議題も全てこちらに移された。67年には文部省が学術審議会を
設置、科学技術だけではなく、人文・社会科学についても全ての学術審議
が移された。80年代には各省庁が審議会を設置し始め、学術会議はするこ
とがなくなってしまった。
長年学術会議の会員を務め副会長も務めた唐木氏は、69年から77年にかけ
て日本学術会議は自己点検をし、改善すべきところは改善しようとしたと
語る。が、結論からいえば彼らは政府との全面的対決を選んでしまったのだ。
82年、中山太郎総務長官が学術会議の改革を提議したが、学術会議側は
突っぱねた。その後、政府、学術会議の双方が有識者会議を次々に開いて
対抗する非常に厳しい対立の時代が続いた。この間の詳細は割愛せざるを
得ないが、国民の視点から言えば、学術会議は自らの利益のために活動す
る一方で、国民全体、或いは国に対する貢献は考えなくなったとしか見え
ない。
自民党の油断
90年代から00年代にかけての行政改革では学術会議も対象になり、彼らは
05年に改革を打ち出した。➀社会全体に関わる問題について専門性を持っ
た科学者が集まって総合的・俯瞰的な視点から提言する、➁欧米主要国の
アカデミーの在り方に学び、10年以内、つまり15年には、より適切な設置
形態を検討する、などである。
菅義偉総理の言う「総合的・俯瞰的視点」の意味が分からないなどと学術
会議側は言うが、それは自分達が言い出した表現であろう。
多少反省し軌道修正に向かったかに見えた学術会議は、しかし、09年に民
主党政権が誕生すると、またもや改革の歩みを緩めた。民主党は学術会議
に非常に好意的で、諮問もせず、ただ学者の皆さん頑張ってという姿勢で
学術会議にとってはラクな期間だったという。
そして見直しをする15年が来たとき、驚くことに自民党政権下の有識者会
議が学術会議の現状維持を諒としたのだ。有識者会議には多くの学術会議
関係者が入っていて、ほとんどお手盛り会議だったとの批判はあるが、自
民党の油断である。
民主党政権は原子力規制委員会と規律の緩んだ学術会議という悪しき遺産
を残した。いずれも、自民党は根本から変えるチャンスがあったのに何も
しなかったのは事実である。
学術会議側は、菅首相が6人を任命しなかったのは学問の自由の侵害だと
言う。とんでもない間違いだと唐木氏は強調する。学問の自由とは研究の
自由、発表の自由、教育の自由を指す。だが学術会議は研究機関ではない
ため研究も教育もしない。発表するのは学術会議の中での検討事項だけ
で、学問の自由と学術会議は全く無関係だ。ここまでくれば学術会議は民
営化するのが一番だ。
『週刊新潮』 2020年11月5日号
日本ルネッサンス 第924回
日本学術会議は一体どんな組織なのか。歴史を辿ると設立当初から、日本
を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)及び日本共産党と、深い関係
にあったことが見えてくる。
10月23日、シンクタンク「国家基本問題研究所」で東京大学名誉教授、唐
木英明氏の話を聞いた。唐木氏は2000年に学術会議の会員となり、08
年〜11年の3年間、同会副会長を務めた。
氏によると、1946年6月、GHQ科学技術部は東大の茅誠司氏らに科学渉
外連絡会を設立し、日本のあるべき科学研究体制を研究するよう勧めた。
5か月後、GHQ科学技術部は科学者の新体制作りを指示した。唐木氏の
説明だ。
「占領軍は日本の原子力研究を禁止したのに加えて、理研、阪大、京大の
サイクロトロン(加速器)を破壊したりしました。この極めて荒っぽい政
策は米国内でも批判されました」
ひたすら日本の底力を破壊しようとする蛮行を見て、GHQの側に科学を
理解する人材を加えるべきだという認識が生まれ、48年に物理学者のH・
C・ケリー氏が招聘された。ケリー氏の指示で誕生したのが日本学術会議
だったという。
それでも当初の学術会議はGHQ内部で暗躍したニューディーラー(その
多くはアメリカ共産党員だった)の考えを受けて、世界的に例のない過激
な政策を掲げた。
再び唐木氏の説明だ。
「たとえば、最高科学者会議を設けて、彼らが科学および教育に関するあ
らゆる政策、研究費の予算配分を決定し、国会決議を得たうえで政府にそ
の執行を命令し、監督する権限を持つ。最高科学者会議のメンバーは科学
者が直接選挙で選ぶなどという過激な案でした」
科学者による絶対支配体制を提唱したわけだが、当時、科学者の多くはア
メリカを帝国主義の国と見做し、彼らの資本主義が日本に浸透することに
反感を持っていた。
共産主義者の後ろ盾
日本学術会議は1949年1月に発足したが、前年12月に学術会議の会員210名
を選挙で選んだ。唐木氏は『通史 日本の科学技術』の第1巻『占領期
1946─1952』(学陽書房 中山茂・他編)を引用し、ざっと以下のように
説明した。
210名の定員に944名の候補者が立った。共産党候補者は61人、内26人が当
選。加えて40名ほどの同調者も当選した。共産党の影響下にあった民主主
義科学者協会(民科)の候補者は、総会員数の1割(21名)以上を占めて
いた。
民科系候補者の正確な当選者数は定かではないが、共産党及び同系統の学
者たちは学術会議の3分の1に迫る66名ほどの勢力を形成したことになる。
彼らは頭もよく、論も立つ人々であったろう。その一群が絶対的権力者で
あったGHQ内の共産主義者の後ろ盾を得ていたのだ。どれ程強力な影響
力を持っていたことか。そうした中で50年、「戦争を目的とする科学の研
究には絶対従わない決意の表明」という声明が出された。
他方、政府は新しいエネルギー源を目指して55年に原子力関連の研究に乗
り出した。学術会議会長の茅誠司氏、国立大学協会会長の矢内原忠雄氏ら
は反対し、原子力委員会設置法に「原子力利用に関する経費には、大学の
研究経費は含まない」との付帯決議をつけさせ、わが国の原子力研究の道
を狭めた。
現在に至るまで学術会議は国防研究も禁じているが、原子力研究の制限
も、学問の自由への挑戦であることに変わりはない。
政府は対抗して56年に原子力委員会をつくり、同時に科学技術庁も設置し
た。その上で原子力委員会を科技庁の所管とした。
「政府は左翼系科学者の影響下にある学術会議への対抗策として、学術行
政の支配権を取り戻すために科技庁を創ったのです」と唐木氏。
学術会議がもっていた科学技術に対する司令塔としての役割及び研究助成
を全て、科技庁に移した。続いて59年には科学技術会議が設置され、学術
会議の中心議題も全てこちらに移された。67年には文部省が学術審議会を
設置、科学技術だけではなく、人文・社会科学についても全ての学術審議
が移された。80年代には各省庁が審議会を設置し始め、学術会議はするこ
とがなくなってしまった。
長年学術会議の会員を務め副会長も務めた唐木氏は、69年から77年にかけ
て日本学術会議は自己点検をし、改善すべきところは改善しようとしたと
語る。が、結論からいえば彼らは政府との全面的対決を選んでしまったのだ。
82年、中山太郎総務長官が学術会議の改革を提議したが、学術会議側は
突っぱねた。その後、政府、学術会議の双方が有識者会議を次々に開いて
対抗する非常に厳しい対立の時代が続いた。この間の詳細は割愛せざるを
得ないが、国民の視点から言えば、学術会議は自らの利益のために活動す
る一方で、国民全体、或いは国に対する貢献は考えなくなったとしか見え
ない。
自民党の油断
90年代から00年代にかけての行政改革では学術会議も対象になり、彼らは
05年に改革を打ち出した。➀社会全体に関わる問題について専門性を持っ
た科学者が集まって総合的・俯瞰的な視点から提言する、➁欧米主要国の
アカデミーの在り方に学び、10年以内、つまり15年には、より適切な設置
形態を検討する、などである。
菅義偉総理の言う「総合的・俯瞰的視点」の意味が分からないなどと学術
会議側は言うが、それは自分達が言い出した表現であろう。
多少反省し軌道修正に向かったかに見えた学術会議は、しかし、09年に民
主党政権が誕生すると、またもや改革の歩みを緩めた。民主党は学術会議
に非常に好意的で、諮問もせず、ただ学者の皆さん頑張ってという姿勢で
学術会議にとってはラクな期間だったという。
そして見直しをする15年が来たとき、驚くことに自民党政権下の有識者会
議が学術会議の現状維持を諒としたのだ。有識者会議には多くの学術会議
関係者が入っていて、ほとんどお手盛り会議だったとの批判はあるが、自
民党の油断である。
民主党政権は原子力規制委員会と規律の緩んだ学術会議という悪しき遺産
を残した。いずれも、自民党は根本から変えるチャンスがあったのに何も
しなかったのは事実である。
学術会議側は、菅首相が6人を任命しなかったのは学問の自由の侵害だと
言う。とんでもない間違いだと唐木氏は強調する。学問の自由とは研究の
自由、発表の自由、教育の自由を指す。だが学術会議は研究機関ではない
ため研究も教育もしない。発表するのは学術会議の中での検討事項だけ
で、学問の自由と学術会議は全く無関係だ。ここまでくれば学術会議は民
営化するのが一番だ。
『週刊新潮』 2020年11月5日号
日本ルネッサンス 第924回
at 08:23
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| 櫻井よしこ
2020年10月31日
◆宗教心なき中曽根元首相の葬送
櫻井よしこ
戦後日本の歴史に大きな功績を残した故中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬が今月17日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で営まれた。昨年11月の死去から約1年後の準国葬である。
亡くなった人をどれだけ心をこめて葬送できるか、どこまで深くその人の想いに共感できるかは、残された功績をどれだけ未来に生かせるか、私たちが未来の道をどう歩むかに関わってくる。その意味で合同葬は自民党の精神の芯を見せる機会でもあった。
武漢ウイルスの未だ治まらない中、雨模様も重なってか、広く寒い会場には空席が目立っていた。早めについて着席し、見渡すと、「中曽根行革」が旧来の陋習を破るべく高く旗を立てて社会を揺るがしていた当時、中曽根内閣に深く食い込んでいた兵(つわもの)たち、屋山太郎氏、橋本五郎氏、田原総一朗氏らの姿もあった。
中曽根行革の目玉のひとつが国鉄改革だった。私は旧国鉄を米紙東京支局の助手として取材したが、彼らの顧客軽視、劣悪なサービス、異常な労使関係、不潔極まる列車や駅施設は民営化で一変した。
労働組合の中に革マル派系や中核派系の活動家も暗躍していた旧国鉄は闇を暴かれ、分割民営化されて現在のJR各社に生まれ変わった。
中曽根行革は、それを指揮した経団連の土光敏夫会長の質素な生活振りもあり、国民の熱烈な支持を得た。個人の栄耀栄華や働かない労働組合の既得権益のためにではなく、社会・国全体の水準の向上を優先し、国民のためになる事業体に生まれ変わらせようとする中曽根氏の改革努力を国民は後押しした。容易ではない大改革を成し遂げた氏の政治的手腕と叡智、理想追求の熱意を私は高く評価する。
外交における成果も大きい。それ以前は国際社会で存在感を示し得なかった日本が、一人前の国として認められ始めたのも中曽根氏の功績である。私は氏に、国際外交の基本を尋ねたことがある。氏はこう答えた。
「右手に禅、左手に円。日本の精神文化を高く掲げ、日本の強味である経済力と合わせて、国際社会に確かな地位を築きたい」
靖国神社を見限った
日本と日本人への信頼を外交の基礎に置き、氏は日本を背負って力を尽くした。日本人であることを誇りとして振る舞った。その面でも中曽根外交を大いに評価したい。
そう言いながらも、私には中曽根氏に対する拭いきれない残念な思いもある。戦後40年目の1985年8月15日、靖国神社に「公式参拝」と銘打って参拝し、中国共産党に非難されるや、以降、靖国参拝を完全にやめてしまったことである。この間の事情を氏は後に「靖国参拝をやめたのは、胡耀邦が私の靖国参拝を理由に弾劾されるという危険もあったからです」(『天地有情』)と説明している。
胡耀邦総書記は当時中国共産党内部の権力闘争で追い詰められつつあった。日本に理解を示した開明的な胡耀邦氏を守るためとして、中曽根氏は祖国日本に命を捧げた246万余の英霊が眠る靖国神社を見限ったことになる。
中国共産党総書記の胡耀邦擁護か、日本国に殉じた人々の魂に感謝を捧げ、礼を尽くすための靖国神社参拝か。日本国としての優先順位は余りにも明白だが、中曽根氏はそれをとり違えた。
結論を言えば中曽根氏が靖国神社と訣別したにも拘わらず、胡耀邦氏は失脚した。加えて、以来、日本国の総理大臣の靖国神社参拝は中国によって常に非難される事態となり、首相は自由に参拝できなくなった。私はこの点を、中曽根氏の日本国に対する最大の背信だと考えている。
その点を厳しく指摘しつつ、それでも私は先述の功績も含めて中曽根氏の足跡に敬意を払うものだ。
正負両面ある中曽根氏のための合同葬は丁寧な形で営まれた。
中曽根氏の御遺骨は、前後を警護の車に守られ、孫の衆院議員、康隆氏に抱かれてホテルに到着した。自衛隊の儀仗隊に迎えられ、御遺骨をおさめた純白の清らかな包みは康隆氏から菅義偉総理を経て儀仗兵に手渡された。捧げ銃の儀仗兵に前後を守られ、御遺骨は瑞々しい生花で飾られた壇上に静々と安置された。
天皇・皇后両陛下、及び上皇・上皇后両陛下はいずれも特使を遣わし、一礼を捧げられた。秋篠宮皇嗣殿下、同妃殿下他、皇室の皆様方は献花なさった。葬儀委員長は菅首相が務め、歴代総理も三権の長も参列した。各国大使も列をなした。
この間、御遺骨は同じ手順を逆に辿って康隆氏の胸に抱かれ、再び前後を儀仗兵に守られながら車に到着。その一連の動きを会場の私たちは大スクリーンで見た。御遺骨が車に入ると、礼砲が三発鳴り響き、車は静かに滑り出した。
献花の「流れ作業」
式典の型はどこから見ても美しく整っていた。その意味で政府・自民党は誠を尽くしていた。にも拘わらず、会場で感じたのは合同葬全体に心がこもっていないということだった。
なぜだろうか。ひとつの理由は中曽根氏に捧げられた弔詞であろうか。とりわけ三権の長による弔詞は、型を踏まえたものではあろうが、いずれも短く、紋切り型だった。山東昭子参院議長の弔詞は107文字。これが参院の伝統なのだろうか。流石に忍びなかったのであろう。氏は中曽根氏の伴をしてフランスに出張したときの印象を冒頭につけ加え、人間として、また政界の後輩として、中曽根氏を悼んだ。
大谷直人最高裁長官の弔詞も同様だ。一分程度で読み上げられた短い弔詞は官僚的で、好悪も是非もない。言葉の響きは無機質で、この弔詞を一体誰が嬉しく思うのか、疑うものだ。
たしかに前例は大事かもしれず、世間は前例だらけだ。それを踏襲することの重要性も理解できないわけではない。されどされど、どこを触ってもプラスチックのようにツルンとしていて、掌には何も残らないようなこんな送り言葉でよいのかと強く思った。
心がこもっていないと感じたもうひとつの理由は、式典のどこにも宗教の香りさえなかったことだ。祈りのない式典だったと言ってよい。三権の長も総理経験者も、末席の私たちも皆、順番に白菊を献花したが、遺影に深々と一礼する人、チョコッと頭を下げる人、色々である。だが、献花の「流れ作業」で式典は終わる。
仏教、キリスト教、神道、何でもよい。その人の生と死を深く受けとめ、人間の存在を超える大きな力ゆえにその人に命が与えられたことに、限りない感謝を捧げる宗教心があってこそ、送ることの意味があるのではないか。人間の生死に対する深い感謝と祈りの心、宗教心を失ったかのような合同葬に、わが日本民族の未来に不安を感じた一日だった。
『週刊新潮』 2020年10月29日号
日本ルネッサンス 第923回
戦後日本の歴史に大きな功績を残した故中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬が今月17日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で営まれた。昨年11月の死去から約1年後の準国葬である。
亡くなった人をどれだけ心をこめて葬送できるか、どこまで深くその人の想いに共感できるかは、残された功績をどれだけ未来に生かせるか、私たちが未来の道をどう歩むかに関わってくる。その意味で合同葬は自民党の精神の芯を見せる機会でもあった。
武漢ウイルスの未だ治まらない中、雨模様も重なってか、広く寒い会場には空席が目立っていた。早めについて着席し、見渡すと、「中曽根行革」が旧来の陋習を破るべく高く旗を立てて社会を揺るがしていた当時、中曽根内閣に深く食い込んでいた兵(つわもの)たち、屋山太郎氏、橋本五郎氏、田原総一朗氏らの姿もあった。
中曽根行革の目玉のひとつが国鉄改革だった。私は旧国鉄を米紙東京支局の助手として取材したが、彼らの顧客軽視、劣悪なサービス、異常な労使関係、不潔極まる列車や駅施設は民営化で一変した。
労働組合の中に革マル派系や中核派系の活動家も暗躍していた旧国鉄は闇を暴かれ、分割民営化されて現在のJR各社に生まれ変わった。
中曽根行革は、それを指揮した経団連の土光敏夫会長の質素な生活振りもあり、国民の熱烈な支持を得た。個人の栄耀栄華や働かない労働組合の既得権益のためにではなく、社会・国全体の水準の向上を優先し、国民のためになる事業体に生まれ変わらせようとする中曽根氏の改革努力を国民は後押しした。容易ではない大改革を成し遂げた氏の政治的手腕と叡智、理想追求の熱意を私は高く評価する。
外交における成果も大きい。それ以前は国際社会で存在感を示し得なかった日本が、一人前の国として認められ始めたのも中曽根氏の功績である。私は氏に、国際外交の基本を尋ねたことがある。氏はこう答えた。
「右手に禅、左手に円。日本の精神文化を高く掲げ、日本の強味である経済力と合わせて、国際社会に確かな地位を築きたい」
靖国神社を見限った
日本と日本人への信頼を外交の基礎に置き、氏は日本を背負って力を尽くした。日本人であることを誇りとして振る舞った。その面でも中曽根外交を大いに評価したい。
そう言いながらも、私には中曽根氏に対する拭いきれない残念な思いもある。戦後40年目の1985年8月15日、靖国神社に「公式参拝」と銘打って参拝し、中国共産党に非難されるや、以降、靖国参拝を完全にやめてしまったことである。この間の事情を氏は後に「靖国参拝をやめたのは、胡耀邦が私の靖国参拝を理由に弾劾されるという危険もあったからです」(『天地有情』)と説明している。
胡耀邦総書記は当時中国共産党内部の権力闘争で追い詰められつつあった。日本に理解を示した開明的な胡耀邦氏を守るためとして、中曽根氏は祖国日本に命を捧げた246万余の英霊が眠る靖国神社を見限ったことになる。
中国共産党総書記の胡耀邦擁護か、日本国に殉じた人々の魂に感謝を捧げ、礼を尽くすための靖国神社参拝か。日本国としての優先順位は余りにも明白だが、中曽根氏はそれをとり違えた。
結論を言えば中曽根氏が靖国神社と訣別したにも拘わらず、胡耀邦氏は失脚した。加えて、以来、日本国の総理大臣の靖国神社参拝は中国によって常に非難される事態となり、首相は自由に参拝できなくなった。私はこの点を、中曽根氏の日本国に対する最大の背信だと考えている。
その点を厳しく指摘しつつ、それでも私は先述の功績も含めて中曽根氏の足跡に敬意を払うものだ。
正負両面ある中曽根氏のための合同葬は丁寧な形で営まれた。
中曽根氏の御遺骨は、前後を警護の車に守られ、孫の衆院議員、康隆氏に抱かれてホテルに到着した。自衛隊の儀仗隊に迎えられ、御遺骨をおさめた純白の清らかな包みは康隆氏から菅義偉総理を経て儀仗兵に手渡された。捧げ銃の儀仗兵に前後を守られ、御遺骨は瑞々しい生花で飾られた壇上に静々と安置された。
天皇・皇后両陛下、及び上皇・上皇后両陛下はいずれも特使を遣わし、一礼を捧げられた。秋篠宮皇嗣殿下、同妃殿下他、皇室の皆様方は献花なさった。葬儀委員長は菅首相が務め、歴代総理も三権の長も参列した。各国大使も列をなした。
この間、御遺骨は同じ手順を逆に辿って康隆氏の胸に抱かれ、再び前後を儀仗兵に守られながら車に到着。その一連の動きを会場の私たちは大スクリーンで見た。御遺骨が車に入ると、礼砲が三発鳴り響き、車は静かに滑り出した。
献花の「流れ作業」
式典の型はどこから見ても美しく整っていた。その意味で政府・自民党は誠を尽くしていた。にも拘わらず、会場で感じたのは合同葬全体に心がこもっていないということだった。
なぜだろうか。ひとつの理由は中曽根氏に捧げられた弔詞であろうか。とりわけ三権の長による弔詞は、型を踏まえたものではあろうが、いずれも短く、紋切り型だった。山東昭子参院議長の弔詞は107文字。これが参院の伝統なのだろうか。流石に忍びなかったのであろう。氏は中曽根氏の伴をしてフランスに出張したときの印象を冒頭につけ加え、人間として、また政界の後輩として、中曽根氏を悼んだ。
大谷直人最高裁長官の弔詞も同様だ。一分程度で読み上げられた短い弔詞は官僚的で、好悪も是非もない。言葉の響きは無機質で、この弔詞を一体誰が嬉しく思うのか、疑うものだ。
たしかに前例は大事かもしれず、世間は前例だらけだ。それを踏襲することの重要性も理解できないわけではない。されどされど、どこを触ってもプラスチックのようにツルンとしていて、掌には何も残らないようなこんな送り言葉でよいのかと強く思った。
心がこもっていないと感じたもうひとつの理由は、式典のどこにも宗教の香りさえなかったことだ。祈りのない式典だったと言ってよい。三権の長も総理経験者も、末席の私たちも皆、順番に白菊を献花したが、遺影に深々と一礼する人、チョコッと頭を下げる人、色々である。だが、献花の「流れ作業」で式典は終わる。
仏教、キリスト教、神道、何でもよい。その人の生と死を深く受けとめ、人間の存在を超える大きな力ゆえにその人に命が与えられたことに、限りない感謝を捧げる宗教心があってこそ、送ることの意味があるのではないか。人間の生死に対する深い感謝と祈りの心、宗教心を失ったかのような合同葬に、わが日本民族の未来に不安を感じた一日だった。
『週刊新潮』 2020年10月29日号
日本ルネッサンス 第923回
at 07:34
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| 櫻井よしこ
2020年10月30日
◆「学術会議の反日、異常な二重基準」
櫻井よしこ
『週刊新潮』 2020年10月22日号
日本ルネッサンス 第922回
日本は普通の真っ当な国家になってはいけないというかのような日本否定の考え方はもう捨て去る時だ。論理矛盾とダブルスタンダードの日本学術会議を見ての感想である。
日本の学者・研究者は「今後絶対に」軍事研究はしない。なぜなら日本は過去に軍国主義に走ったから、という学術会議の掲げる1950(昭和25)年の「決意表明」は、日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)の考え方を反映している。
亀山直人初代会長は53年に吉田茂首相(当時)へ、GHQが学術会議設立に「異常な関心を示した」と書き送っている。設立時のGHQの異常な関心は、日本学術会議の理念にもろに反映された。日本が二度と米国に刃向かえないように、およそ全ての軍事力を殺ぎ落とす役割を日本学術会議に担わせようとGHQは考えた。それが前述した軍事研究絶対拒否の誓いにつながっている。
学術会議に相当する世界各国の機関はシンクタンクだ。国によって形態は異なるが、強い影響力を持つ米国のシンクタンクは財政的に独立した民間組織として機能している。GHQはしかし、日本学術会議を自国のシンクタンクとは正反対の立場、国家機関に位置づけた。
日本学術会議法には、同会議を守る枠組みが明記されている。内閣総理大臣が所轄し、全経費は国庫によって賄われる一方で、政府から独立した地位が保証されている。
政府から独立した強い立場で、学術会議はこれまでに三度軍事研究に関する声明を出した。最初のそれは前述の50年、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」だった。67(昭和42)年の第二の声明は、「絶対に」という表現で「戦争を目的とする科学の研究」を拒否した。2017(平成29)年には第三の声明を発表して右の二つの声明を継承した。第三の声明では「今後絶対に」戦争目的の科学研究は行わないとの決意表明に加えて、次の事例を記している。
苦汁を飲まされてきた
「防衛装備庁の『安全保障技術研究推進制度』(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ」ている。しかし「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」。
安保技術促進制度に関して、日本国政府は学術会議に苦汁を飲まされてきた。その当事者でもあった小野寺五典元防衛相が10月9日、「言論テレビ」で語った。
「一度めの防衛大臣の時に、日本の次期戦闘機等、新しい技術の開発は外国の技術に頼るのではなくオールジャパンで進めたい、また、航空機を専門に研究している大学や研究室と共同で行いたいと考え提案しました。ところが大学側は軍事研究は基本的に受け付けないというのです。それどころか日本の大学は防衛大学校卒業生が大学院に入ろうとしても、自衛隊だという理由で入れてくれない。おかしいのは、中国人民解放軍の軍歴を持つ中国人を同じ大学院に受け入れ、技術をどんどん教え、垂れ流しているのです。それなのになぜ、日本を守る防衛大生、或いは防大卒の研究者を拒否するのか。不可解な壁が立ち塞がりました」
そこで小野寺氏らは考えた。学界と防衛省の垣根を低くしようと。その為に安全保障の技術革新を目的とする公募型の研究ファンドを作り、大学や研究機関の専門家たちに応募してほしいと、予算を確保した。
「初めの頃に応募して、いい研究をしていたのが北大でした。ところが学術会議は軍事研究につながるものは許さないと、強硬です。学術会議にはそれなりの権威があります。防衛省の研究費を受けようとした大学の先生方が辞退する例が続きました。納得できないのは学術会議が防衛省の委託研究を禁じながら、米軍の研究費についてはお咎めなしだった点です。大阪大、東京工業大、東北大、京都大などは米軍の研究費を受け入れて成果を出していますが、それらには文句を言わないのです」
米軍の委託研究はよいが防衛省の研究は拒絶せよとは、どういうことか。日本の大学がこんなことでよいのか。それを仕切っているのが日本学術会議だ。だからこそ、小野寺氏はこう語る。
「正直、(名称に)『日本』って付けていいのかなと、そう思います」
中国人民解放軍の委託研究を受けるには至らないが、中国の理系大学や研究機関に協力する日本人教授や研究者もいる。日本学術会議は、日本の国益よりも中国の国益を考えたのかと疑いたくなる意見表明もしている。
先端産業の主導権
そのひとつが国際リニアコライダー(ILC)のプロジェクトだ。
いま世界の素粒子物理学研究の中枢は、スイスとフランスの国境に27キロにわたってまたがる地下深くのトンネル、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)にあると言われる。これは宇宙の成り立ちの解明につながる純粋科学の研究だ。しかし、同研究は超電導技術や、素粒子検出に必要なあらゆる先端技術が凝縮されたもので、この分野を制覇できれば、ほぼ完全に先端産業の主導権を握れると言われている。中国はいまこの一大研究に意欲を燃やしている。この研究で成果をおさめられれば、「中国の夢」を叶え、「世界の諸民族の中にそびえ立つ」ことができる。
一党独裁体制で世界制覇を目指す中国共産党は、このビッグ・サイエンスのプロジェクトに惜しみなく資金を投入できる唯一の存在であろう。対して西側陣営は一国では対抗できない。連携が必要で、日本と欧米が共同プロジェクトとして考えているのが先述のILCだ。
科学分野での巨大プロジェクトは国と国との関係を左右する。遅れをとれば先んじた国の後塵を拝すのみならず、安全保障上も経済上も従属を強いられかねない。いま米国が国益をかけて宇宙開発に乗り出しているのも、宇宙空間を中国に制覇されてはならないと考えるからだ。
中国はすでに従来の2倍以上の規模の次世代加速器建設を考えており、日本が誘致しようとするILC建設は我が国が科学において一流国に踏みとどまれるか否かの岐路である。だがここに日本学術会議が立ち塞がっている。30年という長期計画と巨額の資金投下は科学者の代表機関として支持できないというのである。彼らは真に科学者の代表機関なのか。
北海道大学名誉教授の奈良林直氏が語る。
「日本学術会議は、人文社会分野までを含む学術団体の推薦者から構成され、最近は自分達で人選しています。海外の巨大研究機関との連携が弱く、国際プロジェクトを主導する組織力もなく、研究成果の産業界への波及といった活動も活発ではありません。評論家的な立場の所見です」
こんな日本学術会議に、日本の未来を左右しかねない大プロジェクトを止める資格はないだろう。
『週刊新潮』 2020年10月22日号
日本ルネッサンス 第922回
日本は普通の真っ当な国家になってはいけないというかのような日本否定の考え方はもう捨て去る時だ。論理矛盾とダブルスタンダードの日本学術会議を見ての感想である。
日本の学者・研究者は「今後絶対に」軍事研究はしない。なぜなら日本は過去に軍国主義に走ったから、という学術会議の掲げる1950(昭和25)年の「決意表明」は、日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)の考え方を反映している。
亀山直人初代会長は53年に吉田茂首相(当時)へ、GHQが学術会議設立に「異常な関心を示した」と書き送っている。設立時のGHQの異常な関心は、日本学術会議の理念にもろに反映された。日本が二度と米国に刃向かえないように、およそ全ての軍事力を殺ぎ落とす役割を日本学術会議に担わせようとGHQは考えた。それが前述した軍事研究絶対拒否の誓いにつながっている。
学術会議に相当する世界各国の機関はシンクタンクだ。国によって形態は異なるが、強い影響力を持つ米国のシンクタンクは財政的に独立した民間組織として機能している。GHQはしかし、日本学術会議を自国のシンクタンクとは正反対の立場、国家機関に位置づけた。
日本学術会議法には、同会議を守る枠組みが明記されている。内閣総理大臣が所轄し、全経費は国庫によって賄われる一方で、政府から独立した地位が保証されている。
政府から独立した強い立場で、学術会議はこれまでに三度軍事研究に関する声明を出した。最初のそれは前述の50年、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」だった。67(昭和42)年の第二の声明は、「絶対に」という表現で「戦争を目的とする科学の研究」を拒否した。2017(平成29)年には第三の声明を発表して右の二つの声明を継承した。第三の声明では「今後絶対に」戦争目的の科学研究は行わないとの決意表明に加えて、次の事例を記している。
苦汁を飲まされてきた
「防衛装備庁の『安全保障技術研究推進制度』(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ」ている。しかし「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」。
安保技術促進制度に関して、日本国政府は学術会議に苦汁を飲まされてきた。その当事者でもあった小野寺五典元防衛相が10月9日、「言論テレビ」で語った。
「一度めの防衛大臣の時に、日本の次期戦闘機等、新しい技術の開発は外国の技術に頼るのではなくオールジャパンで進めたい、また、航空機を専門に研究している大学や研究室と共同で行いたいと考え提案しました。ところが大学側は軍事研究は基本的に受け付けないというのです。それどころか日本の大学は防衛大学校卒業生が大学院に入ろうとしても、自衛隊だという理由で入れてくれない。おかしいのは、中国人民解放軍の軍歴を持つ中国人を同じ大学院に受け入れ、技術をどんどん教え、垂れ流しているのです。それなのになぜ、日本を守る防衛大生、或いは防大卒の研究者を拒否するのか。不可解な壁が立ち塞がりました」
そこで小野寺氏らは考えた。学界と防衛省の垣根を低くしようと。その為に安全保障の技術革新を目的とする公募型の研究ファンドを作り、大学や研究機関の専門家たちに応募してほしいと、予算を確保した。
「初めの頃に応募して、いい研究をしていたのが北大でした。ところが学術会議は軍事研究につながるものは許さないと、強硬です。学術会議にはそれなりの権威があります。防衛省の研究費を受けようとした大学の先生方が辞退する例が続きました。納得できないのは学術会議が防衛省の委託研究を禁じながら、米軍の研究費についてはお咎めなしだった点です。大阪大、東京工業大、東北大、京都大などは米軍の研究費を受け入れて成果を出していますが、それらには文句を言わないのです」
米軍の委託研究はよいが防衛省の研究は拒絶せよとは、どういうことか。日本の大学がこんなことでよいのか。それを仕切っているのが日本学術会議だ。だからこそ、小野寺氏はこう語る。
「正直、(名称に)『日本』って付けていいのかなと、そう思います」
中国人民解放軍の委託研究を受けるには至らないが、中国の理系大学や研究機関に協力する日本人教授や研究者もいる。日本学術会議は、日本の国益よりも中国の国益を考えたのかと疑いたくなる意見表明もしている。
先端産業の主導権
そのひとつが国際リニアコライダー(ILC)のプロジェクトだ。
いま世界の素粒子物理学研究の中枢は、スイスとフランスの国境に27キロにわたってまたがる地下深くのトンネル、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)にあると言われる。これは宇宙の成り立ちの解明につながる純粋科学の研究だ。しかし、同研究は超電導技術や、素粒子検出に必要なあらゆる先端技術が凝縮されたもので、この分野を制覇できれば、ほぼ完全に先端産業の主導権を握れると言われている。中国はいまこの一大研究に意欲を燃やしている。この研究で成果をおさめられれば、「中国の夢」を叶え、「世界の諸民族の中にそびえ立つ」ことができる。
一党独裁体制で世界制覇を目指す中国共産党は、このビッグ・サイエンスのプロジェクトに惜しみなく資金を投入できる唯一の存在であろう。対して西側陣営は一国では対抗できない。連携が必要で、日本と欧米が共同プロジェクトとして考えているのが先述のILCだ。
科学分野での巨大プロジェクトは国と国との関係を左右する。遅れをとれば先んじた国の後塵を拝すのみならず、安全保障上も経済上も従属を強いられかねない。いま米国が国益をかけて宇宙開発に乗り出しているのも、宇宙空間を中国に制覇されてはならないと考えるからだ。
中国はすでに従来の2倍以上の規模の次世代加速器建設を考えており、日本が誘致しようとするILC建設は我が国が科学において一流国に踏みとどまれるか否かの岐路である。だがここに日本学術会議が立ち塞がっている。30年という長期計画と巨額の資金投下は科学者の代表機関として支持できないというのである。彼らは真に科学者の代表機関なのか。
北海道大学名誉教授の奈良林直氏が語る。
「日本学術会議は、人文社会分野までを含む学術団体の推薦者から構成され、最近は自分達で人選しています。海外の巨大研究機関との連携が弱く、国際プロジェクトを主導する組織力もなく、研究成果の産業界への波及といった活動も活発ではありません。評論家的な立場の所見です」
こんな日本学術会議に、日本の未来を左右しかねない大プロジェクトを止める資格はないだろう。
at 07:51
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| 櫻井よしこ
2020年10月21日
◆「学術会議」にモノ申した菅首相の英断」
櫻井よしこ
アカデミズムの権威の衣をまとった日本学術会議に菅義偉首相が物言いをつけた。菅首相の決定は英断であり、高く評価する。評価の理由は後述するが、まず、日本学術会議という組織を見てみよう。
同会議は、日本が米軍の占領統治下にあった昭和24年に設立された。戦時中、日本の学者、研究者、とりわけ科学者が「戦争に協力させられた」として、同会議は政府から独立して政策提言を行う専門家組織と位置づけられた。GHQのお墨つきを得て、東大法学部憲法講座に君臨した宮澤俊義教授以下、今日まで続く東大憲法学者集団と通底する学者集団が創られたと見てよい。
日本学術会議の会員は210人、任期は6年で1期のみ、3年ごとに半数を入れ替える。新会員の候補者は日本学術会議が推薦し、政府が追認する歴史が長く続いた。今回推薦されたのは105人、内、菅首相が任命しなかったのは6名だ。
半数の入れ替えで学問、研究の新気風が巻き起こるかといえばそうではない。推薦者は往々、自分の弟子筋、或いは同系統の学者を推すからだ。真の意味での新しい人材を招き入れる結果には到底ならない。
日本学術会議が政府政策に批判的立場を取ることが少なくないのは、その成り立ちからも自然であろうか。但し、強調したいのは、学界が自由に発想し、研究し、政府に注文をつけるのは大事だということだ。研究者の批判に政府は一定の敬意を払うべきだと私は考える。
しかし、批判が常軌を逸する場合、或いはどう見ても日本国民と日本国の為にならない場合、修正を求めるのは当然だ。日本学術会議には年間10億円の政府予算が注入されており、修正努力は政府の責任でもあろう。政府による修正には幾つかの方法がある。第一は国民の税金から拠出する日本学術会議関連予算の削減、第二は人事である。
政府は今回の任命拒否の理由を明らかにしていない。そのため推測するしかないが、任命されなかった6人の候補者の行動を見ればある程度、理由は推測できるのではないか。
笑止千万
東京慈恵会医科大学教授(憲法学)の小澤隆一氏と早稲田大学法学学術院教授(行政法学)の岡田正則氏は、日本共産党の研究を専門とする雑誌に1999年9月段階で名前が登場する共産党系の学者である。小澤氏は当時静岡大学助教授、岡田氏は金沢大学助教授だった。
両氏の政治活動の実態は華々しい。以下小澤氏の主たる活動歴だ。
◎2002年5月、「有事関連三法案に反対する学者・研究者共同アピール」に賛同。◎04年6月、「憲法改正阻止・9条の会」に賛同署名。◎15年9月、「安保法制の廃止・反対」に署名。◎16年8月、「全国市民アクション9条改憲NO!」に賛同。◎17年7月、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」に賛同。◎19年6月、「安倍9条改憲NO!6月10日全国市民アクション」の会に参加。
小澤氏の極めて活発な政治行動は「赤旗」でも報道されている。氏に加えて今回任命されなかったのは前述の岡田氏ら6名である。全員が15年の「安保法制廃止・反対」の署名者で、彼らの姿勢は憲法9条擁護という宮澤憲法学の根幹に行きつく。
憲法についてどう考えようと、個々人の自由ではある。だからこそ、個々人の思想を問題視したかのような任命拒否は学問・研究の自由を阻害するものだと、当の学者らが言い、日本共産党も立憲民主党も非難するのであろう。立憲民主党の安住淳国対委員長は「(日本学術会議は)『学問の世界の国会』と言われている」と語り、志位和夫日本共産党委員長は「学術会議は、日本の科学者を内外で代表する機関だ」と言う。
笑止千万である。東京大学大学院理学系研究科(天文学)教授の戸谷友則氏は今月2日、「学術会議が『学者の国会』とか『87万人の学者の代表』という言い方はやめて欲しい。学術会議の新会員は学術会議の中だけで決めていて、会員でない大多数の学者は全く関与できないし、選挙権もない」とツイートした。
北海道大学名誉教授の奈良林直氏は「日本学術会議が内外で日本の科学者を代表するというのは虚構にすぎない。彼らの考えに反対する学者は多い」と反論した。
匿名で東京大学理系教授も語る。
「日本学術会議は特定の学者たちが内輪で人事を回しているにすぎない。それなりの力を持ち、学問研究の世界を動かしているが、特定の集団にすぎない彼らにそんな権利はないはずだ」
日本では許されない研究
17年3月24日、日本学術会議は、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究は認められないとの声明を出した。軍事研究を禁ずること自体学問・研究の自由の阻害である。さらに声明は日本学術会議のダブルスタンダードを示している。彼らは国内では軍事研究を禁止するが、会員が中国の理系大学や研究所で研究することは何ら禁止しない。
中国は「軍民融合」の国だ。民生用技術も軍事に役立てば全て軍事転用する。民間企業に介入できない民主主義国の日本とは異なるのだ。従って中国での理系研究はどんな名目であろうと、およそ全て軍事研究につながると考えるべきだ。にも拘わらず、日本学術会議は会員が中国の大学や研究機関で中国の研究に貢献することに歯止めをかけていない。
一例が11年に日本学術会議会員になった名城大学教授の福田敏男氏である。福田氏は12年に中国の「外専千人計画」の一員に選ばれた。千人計画とは中国が海外の理系研究者を高い報酬等で広く集めて科学研究に寄与させる遠大な計画である。
福田氏は13年、軍事研究においても優れた成果を出している北京理工大学の専任教授になった。氏について北京理工大ホームページは「マイクロ・ナノロボットや生物模倣ロボットの分野で卓越した人物」、「00年から北京理工大の黄強教授と協力して研究した」と紹介し、「08年から北京理工大学『特殊機動プラットホーム設計製造科学与技術学科創新引智基地』の海外学術講師、10年には『生物模倣ロボット・システム』教育部重点実験室の学術委員会委員に就任、13年に北京理工大学の専任となった」と明記している。
福田氏がこの間、日本学術会議の会員になったことは前述した。軍民融合の中国において、福田氏の研究が中国の軍事につながる可能性は否定できない。氏以外にも中国の理系大学・研究機関で、日本では許されない研究に従事している研究者は少なくない。このことに日本学術会議はなぜ警告を発しないのか。
日中の科学者の交流、中国の千人計画などの間には深い闇があるのではないか。首相判断の是非はこうした懸念を念頭に置いて考えるべきだ。
アカデミズムの権威の衣をまとった日本学術会議に菅義偉首相が物言いをつけた。菅首相の決定は英断であり、高く評価する。評価の理由は後述するが、まず、日本学術会議という組織を見てみよう。
同会議は、日本が米軍の占領統治下にあった昭和24年に設立された。戦時中、日本の学者、研究者、とりわけ科学者が「戦争に協力させられた」として、同会議は政府から独立して政策提言を行う専門家組織と位置づけられた。GHQのお墨つきを得て、東大法学部憲法講座に君臨した宮澤俊義教授以下、今日まで続く東大憲法学者集団と通底する学者集団が創られたと見てよい。
日本学術会議の会員は210人、任期は6年で1期のみ、3年ごとに半数を入れ替える。新会員の候補者は日本学術会議が推薦し、政府が追認する歴史が長く続いた。今回推薦されたのは105人、内、菅首相が任命しなかったのは6名だ。
半数の入れ替えで学問、研究の新気風が巻き起こるかといえばそうではない。推薦者は往々、自分の弟子筋、或いは同系統の学者を推すからだ。真の意味での新しい人材を招き入れる結果には到底ならない。
日本学術会議が政府政策に批判的立場を取ることが少なくないのは、その成り立ちからも自然であろうか。但し、強調したいのは、学界が自由に発想し、研究し、政府に注文をつけるのは大事だということだ。研究者の批判に政府は一定の敬意を払うべきだと私は考える。
しかし、批判が常軌を逸する場合、或いはどう見ても日本国民と日本国の為にならない場合、修正を求めるのは当然だ。日本学術会議には年間10億円の政府予算が注入されており、修正努力は政府の責任でもあろう。政府による修正には幾つかの方法がある。第一は国民の税金から拠出する日本学術会議関連予算の削減、第二は人事である。
政府は今回の任命拒否の理由を明らかにしていない。そのため推測するしかないが、任命されなかった6人の候補者の行動を見ればある程度、理由は推測できるのではないか。
笑止千万
東京慈恵会医科大学教授(憲法学)の小澤隆一氏と早稲田大学法学学術院教授(行政法学)の岡田正則氏は、日本共産党の研究を専門とする雑誌に1999年9月段階で名前が登場する共産党系の学者である。小澤氏は当時静岡大学助教授、岡田氏は金沢大学助教授だった。
両氏の政治活動の実態は華々しい。以下小澤氏の主たる活動歴だ。
◎2002年5月、「有事関連三法案に反対する学者・研究者共同アピール」に賛同。◎04年6月、「憲法改正阻止・9条の会」に賛同署名。◎15年9月、「安保法制の廃止・反対」に署名。◎16年8月、「全国市民アクション9条改憲NO!」に賛同。◎17年7月、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」に賛同。◎19年6月、「安倍9条改憲NO!6月10日全国市民アクション」の会に参加。
小澤氏の極めて活発な政治行動は「赤旗」でも報道されている。氏に加えて今回任命されなかったのは前述の岡田氏ら6名である。全員が15年の「安保法制廃止・反対」の署名者で、彼らの姿勢は憲法9条擁護という宮澤憲法学の根幹に行きつく。
憲法についてどう考えようと、個々人の自由ではある。だからこそ、個々人の思想を問題視したかのような任命拒否は学問・研究の自由を阻害するものだと、当の学者らが言い、日本共産党も立憲民主党も非難するのであろう。立憲民主党の安住淳国対委員長は「(日本学術会議は)『学問の世界の国会』と言われている」と語り、志位和夫日本共産党委員長は「学術会議は、日本の科学者を内外で代表する機関だ」と言う。
笑止千万である。東京大学大学院理学系研究科(天文学)教授の戸谷友則氏は今月2日、「学術会議が『学者の国会』とか『87万人の学者の代表』という言い方はやめて欲しい。学術会議の新会員は学術会議の中だけで決めていて、会員でない大多数の学者は全く関与できないし、選挙権もない」とツイートした。
北海道大学名誉教授の奈良林直氏は「日本学術会議が内外で日本の科学者を代表するというのは虚構にすぎない。彼らの考えに反対する学者は多い」と反論した。
匿名で東京大学理系教授も語る。
「日本学術会議は特定の学者たちが内輪で人事を回しているにすぎない。それなりの力を持ち、学問研究の世界を動かしているが、特定の集団にすぎない彼らにそんな権利はないはずだ」
日本では許されない研究
17年3月24日、日本学術会議は、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究は認められないとの声明を出した。軍事研究を禁ずること自体学問・研究の自由の阻害である。さらに声明は日本学術会議のダブルスタンダードを示している。彼らは国内では軍事研究を禁止するが、会員が中国の理系大学や研究所で研究することは何ら禁止しない。
中国は「軍民融合」の国だ。民生用技術も軍事に役立てば全て軍事転用する。民間企業に介入できない民主主義国の日本とは異なるのだ。従って中国での理系研究はどんな名目であろうと、およそ全て軍事研究につながると考えるべきだ。にも拘わらず、日本学術会議は会員が中国の大学や研究機関で中国の研究に貢献することに歯止めをかけていない。
一例が11年に日本学術会議会員になった名城大学教授の福田敏男氏である。福田氏は12年に中国の「外専千人計画」の一員に選ばれた。千人計画とは中国が海外の理系研究者を高い報酬等で広く集めて科学研究に寄与させる遠大な計画である。
福田氏は13年、軍事研究においても優れた成果を出している北京理工大学の専任教授になった。氏について北京理工大ホームページは「マイクロ・ナノロボットや生物模倣ロボットの分野で卓越した人物」、「00年から北京理工大の黄強教授と協力して研究した」と紹介し、「08年から北京理工大学『特殊機動プラットホーム設計製造科学与技術学科創新引智基地』の海外学術講師、10年には『生物模倣ロボット・システム』教育部重点実験室の学術委員会委員に就任、13年に北京理工大学の専任となった」と明記している。
福田氏がこの間、日本学術会議の会員になったことは前述した。軍民融合の中国において、福田氏の研究が中国の軍事につながる可能性は否定できない。氏以外にも中国の理系大学・研究機関で、日本では許されない研究に従事している研究者は少なくない。このことに日本学術会議はなぜ警告を発しないのか。
日中の科学者の交流、中国の千人計画などの間には深い闇があるのではないか。首相判断の是非はこうした懸念を念頭に置いて考えるべきだ。
at 08:17
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| 櫻井よしこ
2020年10月07日
◆在日米軍を標的に中国が軍事訓練
櫻井よしこ
防衛問題とは一部の軍事マニアや軍事オタクのものではなく、常識論だ」
こう喝破するのは4年半にわたって統合幕僚長を務めた河野克俊氏である(『統合幕僚長』ワック)。
「自分は何かあったら友人に助けてもらうが、友人に何かあってもお金は出すが助けないという友人関係は常識的にあり得ない。スポーツでもそうだが、守るだけで攻めることをしなければ試合には勝てない。これも常識だ」
河野氏は日米安保条約の非対称性と、日本に染みついている専守防衛の考え方は非常識そのものだと言っている。全く同感である。
防衛の常識を欠いている日本で実際に起きた恥ずかしい事例を河野氏の本から抜粋してみよう。今更ではあるが、1991年の湾岸戦争に直面して日本が演じた醜態を忘れてはならない。
イラクがクウェートに侵攻し、米国が有志連合を結成してイラク攻撃に踏み切った。日本は中東の油に依存しており、高みの見物は許されない。しかしどんな貢献をするのか、海部俊樹首相(当時)はうろたえた。
まず初めに、民間人を派遣する案が提示された。だが民間海運会社に物資の輸送を依頼すると船員組合が猛反対し、メディアは、自衛隊が行かずに民間海運会社に行かせるのはおかしいと批判した。もっともだ。
次に民間人と自衛官をともに派遣する案が出された。だが憲法九条の壁があるから、派遣地域は分けなければならない。自衛官を危険地域に行かせると、武器を持っているので国権の発動たる武力行使になってしまいかねない。そこで「自衛官を安全地域に、民間人を危険地域に」ということになった。誰が聞いてもおかしな話でこの案も立ち消えた。
続いて海外青年協力隊のような別組織を作ってそこに元自衛官を入れて派遣する案が検討された。だが別組織など簡単には作れず、この案も波の彼方に消えた。
冷たい視線
さらに今度は、自衛官の身分のまま協力隊に所属させ二つの身分を持たせる案が出た。これは法律上無理となって消えた。
その次に出てきたのが予備自衛官の活用案だが、当時の予備自衛官は高年齢層の人たちが中心で、これまた却下された。
残されたのが、自衛隊をそのまま派遣する案だった。しかし、ワイドショーなどで「自衛隊を派遣すれば、日本は軍国主義になる」という声が広がった。「いつか来た道」「蟻の一穴」「軍靴の足音が聞こえる」という言葉が飛び交ってこの案も潰れた。
実はまだこの先にも幾つかの案が提示されては消えていったことを河野氏は書いているのだが、省く。最終的にわが国は1兆8千億円を拠出した。但し、「武器弾薬等には使わないで下さい」などの条件をつけた。湾岸戦争が終わったとき、クウェートも世界も日本に感謝せず、カネで済むと思うなとでも言うべき冷たい視線にわが国は晒されたのだ。
これが憲法九条のもたらした結果である。日本は非常識だったのである。当時と今は、多少、違う。しかし、基本的な状況は余り変わっていないのではないだろうか。
だからトランプ米大統領は昨年6月、3度にわたって「日米安全保障条約は不公平だ」「米国は日本を助けるために戦うが、日本はソニーのテレビで見物するだけだ」「米国の軍事費は膨大なのに日本は十分なカネを払っていない」「不公平な日米安保条約の破棄も考えている」と強烈な不満を口にしたのであろう。
一連の発言はトランプ氏の本心そのものだ。にも拘わらず、日本政府・外務省は「日米政府間では日米安保条約の見直しといった話は全く出ていない」などと否定した。現職の大統領は米国政府の代表だ。米国政府の意思表示ではないとしてトランプ発言を否定することは、まさに非常識だ。
日本政府が現実から逃避している間にも、世界の安全保障環境はさらに厳しくなった。トランプ発言から1か月後、米露が約30年間守ってきた中距離核ミサイル(INF)全廃条約が失効した。
射程500キロから5500キロの地上発射型ミサイルは、米露両国がその全廃を取り決めたが、それ以外の国々は次々に中距離ミサイルを保有し始めた。中国を筆頭に、インド、パキスタン、イラン、イラク、北朝鮮、さらに韓国もである。核保有国はその中距離ミサイルに核を搭載できる。
事実上、好きなだけ戦力を増強できる世界になってしまったのだ。剥き出しの力が物を言う世界である。
そうした中、米国には中距離ミサイルがない。中国の中距離ミサイル攻撃に対処する手段がないのである。日本はどうする。これは、米国の安全保障問題ではなく、日本自身の安全保障問題だ。日本の安全保障環境が非常に危険な状況にあることに気付かなければならない。
戦後最大の危機
防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が『新たなミサイル軍拡競争と日本の防衛』(並木書房)で、米国の専門家の論文を次のように紹介している。中国のミサイル攻撃能力の高さを窺わせる内容だ。
「中国国内に、日本の嘉手納基地、横須賀基地、三沢基地を模したターゲットが存在しており、(中国人民解放軍は)そこに向けてミサイルの実射試験を行なっている」「それらのターゲットには、横須賀に停泊している艦艇、三沢や嘉手納のバンカーや駐機場さえも再現されており、しかもそれらにピンポイントで弾道ミサイルが弾着している形跡がある」
訓練ではあるが、中国は精密誘導兵器によって、個々の艦や駐機場の航空機まで殲滅しているのである。彼らは明らかに在日米軍基地をターゲットとしている。台湾奪取、尖閣占領などで、中国軍に立ちはだかるのは米軍であるから、当然であろう。中国のミサイル攻撃をどのように阻止するのか、彼らの攻撃から如何にして国民・国土を守るのか、北朝鮮の脅威への対処も含めて戦後最大の危機が日本に迫っている。
日本がどのような安全保障戦略を持つべきか、中国や北朝鮮に対してどのような抑止力を構築すべきかを考えるときに重要なことは、ハードウェアの具体的なスペックや、配備場所を先行して議論することではないと高橋氏は説く。
「兵器の具体的な運用の形態は軍事戦略に従属し、軍事戦略は大戦略に従属するからだ」
個々の兵器の能力や配置について論ずるよりも日米間で補い合いながら中国を抑止する術を考えよというのだ。私たちはかつてない脅威に晒されている。そのことを意識し、日本の国防を確かなものにする為に、あらゆる努力をするという決意を固めなければならないのではないか。
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櫻井よしこ氏がネット新番組の発表をいたします。
「 在日米軍を標的に中国が軍事訓練 」
防衛問題とは一部の軍事マニアや軍事オタクのものではなく、常識論だ」
こう喝破するのは4年半にわたって統合幕僚長を務めた河野克俊氏である(『統合幕僚長』ワック)。
「自分は何かあったら友人に助けてもらうが、友人に何かあってもお金は出すが助けないという友人関係は常識的にあり得ない。スポーツでもそうだが、守るだけで攻めることをしなければ試合には勝てない。これも常識だ」
河野氏は日米安保条約の非対称性と、日本に染みついている専守防衛の考え方は非常識そのものだと言っている。全く同感である。
防衛の常識を欠いている日本で実際に起きた恥ずかしい事例を河野氏の本から抜粋してみよう。今更ではあるが、1991年の湾岸戦争に直面して日本が演じた醜態を忘れてはならない。
イラクがクウェートに侵攻し、米国が有志連合を結成してイラク攻撃に踏み切った。日本は中東の油に依存しており、高みの見物は許されない。しかしどんな貢献をするのか、海部俊樹首相(当時)はうろたえた。
まず初めに、民間人を派遣する案が提示された。だが民間海運会社に物資の輸送を依頼すると船員組合が猛反対し、メディアは、自衛隊が行かずに民間海運会社に行かせるのはおかしいと批判した。もっともだ。
次に民間人と自衛官をともに派遣する案が出された。だが憲法九条の壁があるから、派遣地域は分けなければならない。自衛官を危険地域に行かせると、武器を持っているので国権の発動たる武力行使になってしまいかねない。そこで「自衛官を安全地域に、民間人を危険地域に」ということになった。誰が聞いてもおかしな話でこの案も立ち消えた。
続いて海外青年協力隊のような別組織を作ってそこに元自衛官を入れて派遣する案が検討された。だが別組織など簡単には作れず、この案も波の彼方に消えた。
冷たい視線
さらに今度は、自衛官の身分のまま協力隊に所属させ二つの身分を持たせる案が出た。これは法律上無理となって消えた。
その次に出てきたのが予備自衛官の活用案だが、当時の予備自衛官は高年齢層の人たちが中心で、これまた却下された。
残されたのが、自衛隊をそのまま派遣する案だった。しかし、ワイドショーなどで「自衛隊を派遣すれば、日本は軍国主義になる」という声が広がった。「いつか来た道」「蟻の一穴」「軍靴の足音が聞こえる」という言葉が飛び交ってこの案も潰れた。
実はまだこの先にも幾つかの案が提示されては消えていったことを河野氏は書いているのだが、省く。最終的にわが国は1兆8千億円を拠出した。但し、「武器弾薬等には使わないで下さい」などの条件をつけた。湾岸戦争が終わったとき、クウェートも世界も日本に感謝せず、カネで済むと思うなとでも言うべき冷たい視線にわが国は晒されたのだ。
これが憲法九条のもたらした結果である。日本は非常識だったのである。当時と今は、多少、違う。しかし、基本的な状況は余り変わっていないのではないだろうか。
だからトランプ米大統領は昨年6月、3度にわたって「日米安全保障条約は不公平だ」「米国は日本を助けるために戦うが、日本はソニーのテレビで見物するだけだ」「米国の軍事費は膨大なのに日本は十分なカネを払っていない」「不公平な日米安保条約の破棄も考えている」と強烈な不満を口にしたのであろう。
一連の発言はトランプ氏の本心そのものだ。にも拘わらず、日本政府・外務省は「日米政府間では日米安保条約の見直しといった話は全く出ていない」などと否定した。現職の大統領は米国政府の代表だ。米国政府の意思表示ではないとしてトランプ発言を否定することは、まさに非常識だ。
日本政府が現実から逃避している間にも、世界の安全保障環境はさらに厳しくなった。トランプ発言から1か月後、米露が約30年間守ってきた中距離核ミサイル(INF)全廃条約が失効した。
射程500キロから5500キロの地上発射型ミサイルは、米露両国がその全廃を取り決めたが、それ以外の国々は次々に中距離ミサイルを保有し始めた。中国を筆頭に、インド、パキスタン、イラン、イラク、北朝鮮、さらに韓国もである。核保有国はその中距離ミサイルに核を搭載できる。
事実上、好きなだけ戦力を増強できる世界になってしまったのだ。剥き出しの力が物を言う世界である。
そうした中、米国には中距離ミサイルがない。中国の中距離ミサイル攻撃に対処する手段がないのである。日本はどうする。これは、米国の安全保障問題ではなく、日本自身の安全保障問題だ。日本の安全保障環境が非常に危険な状況にあることに気付かなければならない。
戦後最大の危機
防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が『新たなミサイル軍拡競争と日本の防衛』(並木書房)で、米国の専門家の論文を次のように紹介している。中国のミサイル攻撃能力の高さを窺わせる内容だ。
「中国国内に、日本の嘉手納基地、横須賀基地、三沢基地を模したターゲットが存在しており、(中国人民解放軍は)そこに向けてミサイルの実射試験を行なっている」「それらのターゲットには、横須賀に停泊している艦艇、三沢や嘉手納のバンカーや駐機場さえも再現されており、しかもそれらにピンポイントで弾道ミサイルが弾着している形跡がある」
訓練ではあるが、中国は精密誘導兵器によって、個々の艦や駐機場の航空機まで殲滅しているのである。彼らは明らかに在日米軍基地をターゲットとしている。台湾奪取、尖閣占領などで、中国軍に立ちはだかるのは米軍であるから、当然であろう。中国のミサイル攻撃をどのように阻止するのか、彼らの攻撃から如何にして国民・国土を守るのか、北朝鮮の脅威への対処も含めて戦後最大の危機が日本に迫っている。
日本がどのような安全保障戦略を持つべきか、中国や北朝鮮に対してどのような抑止力を構築すべきかを考えるときに重要なことは、ハードウェアの具体的なスペックや、配備場所を先行して議論することではないと高橋氏は説く。
「兵器の具体的な運用の形態は軍事戦略に従属し、軍事戦略は大戦略に従属するからだ」
個々の兵器の能力や配置について論ずるよりも日米間で補い合いながら中国を抑止する術を考えよというのだ。私たちはかつてない脅威に晒されている。そのことを意識し、日本の国防を確かなものにする為に、あらゆる努力をするという決意を固めなければならないのではないか。
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櫻井よしこ氏がネット新番組の発表をいたします。
「 在日米軍を標的に中国が軍事訓練 」
at 07:39
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| 櫻井よしこ
2020年09月27日
◆菅新首相に望む、安倍氏の歴史観継続
櫻井よしこ
9月11日の「言論テレビ」で安倍晋三首相と次期首相の菅義偉官房長官について語る内、安倍首相の最大の功績に話題が及んだ。政治ジャーナリストの石橋文登氏が「日本を死の淵から救ったことだ」と語った。
2012年以降も民主党政権が続いていたら、尖閣は今頃中国に奪われている。野田佳彦首相(当時)はよくぞ半年前倒しで解散してくれた。民主党政権下で経済はどん底、国際社会ではどの国からも相手にされず、日本は沈みかけていた。解散・総選挙で安倍氏率いる自民党が大勝利し、日本は蘇ったと、石橋氏は力を込めて語った。
安倍首相の真の功績は日本人の歴史観を正したことだと、私は思う。戦後70年談話で「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と語り、歴史を公正に見詰めることの大切さを国民に説いた。
反省すべきは反省するが、父母・祖父母の世代の日本人が歩んだ道も十分に認めようというものだ。歴史に正対して評価する姿勢は未来永劫謝罪し続ける偏った道を拒否するもので、歴史観の矯正こそ安倍首相の最大の功績だ。会話がそんな形で深まったとき、石橋氏が言った。
「真ん中層を変えたのですよ。右と左は元々いた。僕が新聞記者になった30年前、君が代を歌う奴は右翼だと言われた。いま、君が代を歌わない奴は左翼だって言われる。
この部分をいじったのが安倍晋三ですよ。総理になる前から歴史教科書の問題に取り組んでいた。それが原因で左傾メディアともぶつかった。
しかし社会の中間層は普通の国民として、君が代を歌うのが正しいのか、歌わないのが正しいのか、ようやく気付いた。歌うのは右翼だというのと、歌わないのは特定の少数派だというのは非常に大きな違い。真ん中にいた人たちの認識を変えたのが安倍晋三の最大の功績ですよ」
そのとおりであろう。
独立国ではない状況
菅氏は安倍氏の路線を引き継ぐと語る。個々の政策ひとつひとつを引き継ぐという意味ではないだろう。安倍政権は選挙の度に国民の圧倒的支持を得て勝ち続けた。国民が支える安倍氏の価値観を引き継ぐという意味だろう。
日本を本来の日本たらしめる、そのための改革を推進するということであろう。それは究極的には歴史観の問題に行き着く。
安倍首相は誰よりも、日本は独立国だという意識を持っている。日本が独立国だなんて当然のことだと思ってはならない。
憲法、安全保障を見ればそうではないのであるから。わが国は実質的に独立国ではない状況に浸りきり、そのことに国民も慣れきっている。石橋氏の指摘した君が代を歌うのは右翼だという感じ方がその背景にあった。日本の過去はおよそ全て間違いで、悪いことばかりだと「反省」し続けるべしという歴史観だ。
菅氏が引き継ぐ安倍路線の一番大事な要素がこの歴史観であることは、繰り返し指摘したい。そして強調したい。歴史観の引き継ぎは理念にとどまっていては不十分だ。眼前にある具体的問題で筋を通すことだ。
一例が韓国を貿易上のホワイト国から外して通常の国と同じ扱いにしたことに関する事案だ。この点で菅氏の一歩も譲らない構えを評価する。もうひとつ、「産業遺産情報センター」問題もある。同センターは今年3月、東京・新宿区に開設され、前内閣官房参与の加藤康子氏がセンター長を務めている。
加藤氏は、鎖国の眠りから醒めた日本が如何にダイナミックに産業革命を進めて明治維新を成功させ、近代国家へと変身したか、先人たちの努力と叡智、その足跡を丁寧にまとめている。それはまさに心を揺さぶる感動の物語である。
一人一人の国民の位置づけ、行政機構、法律、哲学、文学などあらゆる面で日本は猛然と学んだ。鉄鋼、造船、石炭など重工業分野でも飛躍した。日本がほぼゼロの状態から産業革命を成し遂げられたのは、優れた人々の集団が日本に存在したからだ。その中核は紛れもなく誠実で真面目で高い労働倫理を身につけていた一般国民だった。
たとえば日本のエネルギーを賄う石炭採掘において長崎県端島の鉱山があった。軍艦島と呼ばれたこの小さな島では日本人と朝鮮人が心を合わせて働いた。三菱は当時世界最先端を行く近代的鉱山とそこで働く人々のためにこれまた近代的住宅街を造り、日本人と朝鮮人を平等に扱う社の倫理規程を実施した。
だが韓国はこの軍艦島を「強制連行」「奴隷労働」「虐待の限りを尽くした地獄島」と貶め、ユネスコの世界文化遺産登録に大反対の大キャンペーンを展開した。
強力な反対意見
加藤氏は元島民70人以上に会い、一人当たり数時間から数十時間にわたって証言を聞いた。端島で働き、家族と共に島で暮らした人々の証言は、日本人のそれも朝鮮人のそれも拷問、虐待、差別、奴隷労働、強制連行、地獄島などの全てを否定するものだった。
直接の当事者に話を聞くのは、歴史研究の第一歩だ。それを真面目に成し遂げた加藤氏がいま、激しい抗議に晒されている。情報センターに韓国メディアが押し寄せ、在京大使館からも見学者が来る。
それ自体は結構なことだが、彼らはいずれも前述した軍艦島を貶めるような証言が展示されていないことに抗議するのだそうだ。だが、歴史の事実ではないことを展示できるはずはない。
問題は韓国側の理不尽な動きに「朝日新聞」や「共同通信」が連動していると考えられることだ。「月刊Hanada」9月号及び10月号に詳細は譲るが、朝日の清水大輔記者と共同通信の西野秀記者が、「朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動」事務局長の矢野秀喜氏と共に来館したときの応答は実に興味深い。明らかなのは矢野氏らが多くの間違った情報に依拠して日本非難を繰り返している点だ。
さて、ここからがもっと重要な部分だ。加藤氏に抗議する勢力は韓国や朝日や共同だけではないのだ。
実は彼女が日本の産業革命の足跡を、そこで働く人々の実態も含めて調べ、資料収集していたとき、強力な反対意見が日本の官僚、とりわけ外務省や官邸中枢に陣取る幾人かの有力者たちから表明されたという点だ。
加藤氏の資料・証言収集と情報センター開設は、安倍首相の強い後押しがあって初めて可能だった。それなしには、到底、不可能だった。
加藤氏の手掛けるこの「産業遺産情報センター」がこれからも無事に存続できるように担保し、拡大発展して日本の歩みに光りを当て続けられるように守り、配慮することが、菅氏が安倍政治の継承という約束を果たすことだと思う。
『週刊新潮』 2020年9月24日号
日本ルネッサンス 第918回
9月11日の「言論テレビ」で安倍晋三首相と次期首相の菅義偉官房長官について語る内、安倍首相の最大の功績に話題が及んだ。政治ジャーナリストの石橋文登氏が「日本を死の淵から救ったことだ」と語った。
2012年以降も民主党政権が続いていたら、尖閣は今頃中国に奪われている。野田佳彦首相(当時)はよくぞ半年前倒しで解散してくれた。民主党政権下で経済はどん底、国際社会ではどの国からも相手にされず、日本は沈みかけていた。解散・総選挙で安倍氏率いる自民党が大勝利し、日本は蘇ったと、石橋氏は力を込めて語った。
安倍首相の真の功績は日本人の歴史観を正したことだと、私は思う。戦後70年談話で「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と語り、歴史を公正に見詰めることの大切さを国民に説いた。
反省すべきは反省するが、父母・祖父母の世代の日本人が歩んだ道も十分に認めようというものだ。歴史に正対して評価する姿勢は未来永劫謝罪し続ける偏った道を拒否するもので、歴史観の矯正こそ安倍首相の最大の功績だ。会話がそんな形で深まったとき、石橋氏が言った。
「真ん中層を変えたのですよ。右と左は元々いた。僕が新聞記者になった30年前、君が代を歌う奴は右翼だと言われた。いま、君が代を歌わない奴は左翼だって言われる。
この部分をいじったのが安倍晋三ですよ。総理になる前から歴史教科書の問題に取り組んでいた。それが原因で左傾メディアともぶつかった。
しかし社会の中間層は普通の国民として、君が代を歌うのが正しいのか、歌わないのが正しいのか、ようやく気付いた。歌うのは右翼だというのと、歌わないのは特定の少数派だというのは非常に大きな違い。真ん中にいた人たちの認識を変えたのが安倍晋三の最大の功績ですよ」
そのとおりであろう。
独立国ではない状況
菅氏は安倍氏の路線を引き継ぐと語る。個々の政策ひとつひとつを引き継ぐという意味ではないだろう。安倍政権は選挙の度に国民の圧倒的支持を得て勝ち続けた。国民が支える安倍氏の価値観を引き継ぐという意味だろう。
日本を本来の日本たらしめる、そのための改革を推進するということであろう。それは究極的には歴史観の問題に行き着く。
安倍首相は誰よりも、日本は独立国だという意識を持っている。日本が独立国だなんて当然のことだと思ってはならない。
憲法、安全保障を見ればそうではないのであるから。わが国は実質的に独立国ではない状況に浸りきり、そのことに国民も慣れきっている。石橋氏の指摘した君が代を歌うのは右翼だという感じ方がその背景にあった。日本の過去はおよそ全て間違いで、悪いことばかりだと「反省」し続けるべしという歴史観だ。
菅氏が引き継ぐ安倍路線の一番大事な要素がこの歴史観であることは、繰り返し指摘したい。そして強調したい。歴史観の引き継ぎは理念にとどまっていては不十分だ。眼前にある具体的問題で筋を通すことだ。
一例が韓国を貿易上のホワイト国から外して通常の国と同じ扱いにしたことに関する事案だ。この点で菅氏の一歩も譲らない構えを評価する。もうひとつ、「産業遺産情報センター」問題もある。同センターは今年3月、東京・新宿区に開設され、前内閣官房参与の加藤康子氏がセンター長を務めている。
加藤氏は、鎖国の眠りから醒めた日本が如何にダイナミックに産業革命を進めて明治維新を成功させ、近代国家へと変身したか、先人たちの努力と叡智、その足跡を丁寧にまとめている。それはまさに心を揺さぶる感動の物語である。
一人一人の国民の位置づけ、行政機構、法律、哲学、文学などあらゆる面で日本は猛然と学んだ。鉄鋼、造船、石炭など重工業分野でも飛躍した。日本がほぼゼロの状態から産業革命を成し遂げられたのは、優れた人々の集団が日本に存在したからだ。その中核は紛れもなく誠実で真面目で高い労働倫理を身につけていた一般国民だった。
たとえば日本のエネルギーを賄う石炭採掘において長崎県端島の鉱山があった。軍艦島と呼ばれたこの小さな島では日本人と朝鮮人が心を合わせて働いた。三菱は当時世界最先端を行く近代的鉱山とそこで働く人々のためにこれまた近代的住宅街を造り、日本人と朝鮮人を平等に扱う社の倫理規程を実施した。
だが韓国はこの軍艦島を「強制連行」「奴隷労働」「虐待の限りを尽くした地獄島」と貶め、ユネスコの世界文化遺産登録に大反対の大キャンペーンを展開した。
強力な反対意見
加藤氏は元島民70人以上に会い、一人当たり数時間から数十時間にわたって証言を聞いた。端島で働き、家族と共に島で暮らした人々の証言は、日本人のそれも朝鮮人のそれも拷問、虐待、差別、奴隷労働、強制連行、地獄島などの全てを否定するものだった。
直接の当事者に話を聞くのは、歴史研究の第一歩だ。それを真面目に成し遂げた加藤氏がいま、激しい抗議に晒されている。情報センターに韓国メディアが押し寄せ、在京大使館からも見学者が来る。
それ自体は結構なことだが、彼らはいずれも前述した軍艦島を貶めるような証言が展示されていないことに抗議するのだそうだ。だが、歴史の事実ではないことを展示できるはずはない。
問題は韓国側の理不尽な動きに「朝日新聞」や「共同通信」が連動していると考えられることだ。「月刊Hanada」9月号及び10月号に詳細は譲るが、朝日の清水大輔記者と共同通信の西野秀記者が、「朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動」事務局長の矢野秀喜氏と共に来館したときの応答は実に興味深い。明らかなのは矢野氏らが多くの間違った情報に依拠して日本非難を繰り返している点だ。
さて、ここからがもっと重要な部分だ。加藤氏に抗議する勢力は韓国や朝日や共同だけではないのだ。
実は彼女が日本の産業革命の足跡を、そこで働く人々の実態も含めて調べ、資料収集していたとき、強力な反対意見が日本の官僚、とりわけ外務省や官邸中枢に陣取る幾人かの有力者たちから表明されたという点だ。
加藤氏の資料・証言収集と情報センター開設は、安倍首相の強い後押しがあって初めて可能だった。それなしには、到底、不可能だった。
加藤氏の手掛けるこの「産業遺産情報センター」がこれからも無事に存続できるように担保し、拡大発展して日本の歩みに光りを当て続けられるように守り、配慮することが、菅氏が安倍政治の継承という約束を果たすことだと思う。
『週刊新潮』 2020年9月24日号
日本ルネッサンス 第918回
at 07:49
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| 櫻井よしこ
2020年09月23日
◆中国対日工作、過小評価は禁物だ
櫻井よしこ
戦後75年、大きく変わる世界情勢の中で、これからの10年、20年、さらにその先、日本をどんな国にするのか、私たちはどんな価値観を家庭、社会、国の基盤に置きたいのか。いまじっくりと考えて方向性を決めるときだ。
米中の価値観の戦いは行きつく所まで行くだろう。ポンペオ国務長官は7月に中国に関する主要な演説を4回行い、その中で世界各国は米中どちらの側につくのか、どちらの価値観を選ぶのか、明確にせよと迫った。
日本だけでなく英国もドイツも、国際社会に対する影響力は小さくない。米国の影響力が相対的に弱まっているいま、むしろ、日本などの影響力は強まっている。経済、軍事を問わず、力のある国には応分の責任がある。日本は世界に対する責任を果たすためにも、米英などと共に中国とどのように向き合うかを考えなければならない。
そんなとき、米国の有力シンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)が7月下旬に発表した調査報告書「日本における中国の影響」を読んだ。「日本に対する中国の影響は他国に較べて限定的」という結論を導き出したこの47頁の報告書は、残念なことに見通しと分析の甘さが目立つ。
右の報告書は、中国は対日影響力拡大のために硬軟とりまぜた手法を駆使してきたが、何ひとつ対日戦略目標を達成していないと書いている。具体例として一帯一路計画への日本の参加、沖縄の独立、日本政府内の親中派勢力育成、日米同盟の弱体化、これらのいずれも実現していないというのである。
右に挙げた事例が実現していたとしたら、日本はどうなっているだろうか。たとえば沖縄独立である。その実現はまさに革命勃発に等しい。日本にとって天地がひっくり返る動乱となろう。
日米同盟の弱体化は、戦後の日本の歩みと近未来の安全保障戦略を根底から変えるものだ。
報告書の目的
トランプ政権、さらにオバマ政権の時から日本が直面している課題が日米同盟の質的変化の必要性である。米国は日本に、より高度の自立を要求し続けている。日本にもそうしなければならないという自覚がある。だが、それはどのような形であっても日米のより強い結束を目指すものであり、同盟の弱体化ではない。
沖縄独立も日米同盟の弱体化も中国が長年狙ってきた戦略だ。そのために彼らは日本の世論をたきつけ、日米を離反させようとしてきた。それらが実現していないからといって、中国の対日情報工作や影響が、他国と較べて弱い、或いは限定的だと結論するのは間違いではないか。
この報告書の目的として「日本特有の事情に加えて他の民主主義国も共有可能な政策を分析し、中国による対日影響工作の失敗の理由を説明すること」と書かれている。
まさに「中国は日本に大きな影響を及ぼし得ていない」という見方が先にあって、そこに到達するための材料を集めたにすぎないのではないか。そう考えれば報告書で一番先に登場する日本の学者が、上智大学教授で親中派の中野晃一氏である理由もわかるというものではないか。
日本に対する中国の影響が限定的だという判断に至ったひとつの証左として、報告書は日本政府の武漢ウイルスへの対処は当初甘かったが、その後、企業に脱中国を勧めるための資金を用意したことを挙げている。
日本政府が用意したのは2435億円。米国は55兆円、独は72兆円である。「デカップリング」(切り離し)に関する日本の覚悟を疑われかねない少額資金だ。これを中国の影響力がそれほど及んでいない証拠とするのは客観的にみて不適切だろう。
報告書には「孔子学院」の記述もあるが、有り体にいって、非常にうすい内容で参考にならない。
中国が他国を弾圧したり影響力を行使したりするときに最も効果の大きいのは経済力の活用だ。貿易も観光も中国政府の匙加減ひとつで相手国に深刻な打撃を与えることができる。豪州政府が武漢ウイルスの発生源について国際社会による科学的調査を提唱したとき、中国は豪州の大麦輸入に80.5%の関税をかけた。韓国が米国の要請で高高度ミサイル防衛(THAAD)を配備する可能性を示したとき、中国人観光客を止めて韓国経済を締め上げた。
こうした事例を私たちは肝に銘じているが、盲点は教育分野であろう。各国の大学には中国人留学生が大量に送り込まれている。殆どの場合、授業料は一括で前払いされ、受け入れ大学にとっては経済的に非常に有難い。そのため大学全体が恰(あたか)も中国に従属するような、中国の批判が出来にくい空間となっている。その間に中国人留学生たちは各研究室で最先端技術の研究や知見を取得し、盗み、中国に持ち帰る。
大学に巨額の利益
教育分野における中国の影響力拡大のもうひとつの柱が孔子学院だ。孔子学院は、漢弁と略称される教育部(文部科学省に相当)の下部組織が始めたもので、中国語教育や中国文化の普及を通して中華圏を世界に広げることを目的としている。もっとあからさまに言えば、中国共産党の影響力を世界中で高めることが目的だ。
『目に見えぬ侵略』(飛鳥新社)で豪州に対する中国の凄まじい侵略ぶりを描いたクライブ・ハミルトン氏は、中国のプロパガンダ部門の長である李長春氏が「孔子学院は中国が海外でプロパガンダを展開するための重要な組織だ」と述べたことを指摘している。
彼らは孔子学院第一号を2004年に韓国に設立して以来、世界162か国に550の孔子学院を設立してきた。日本での第一号は立命館大学だ。余程、よいことがあるのか、立命館は大分県に立命館アジア太平洋大学も設立済みだ。同大の学生の多くが中国人留学生である。名門といわれる早稲田大学にも孔子学院が生まれた。その他12の大学にも孔子学院がある。それらは桜美林、北陸、愛知、札幌、兵庫医科、岡山商科、大阪産業、福山、工学院、関西外語、武蔵野、山梨学院の各大学である。
多くの留学生受け入れと孔子学院設立は相乗効果を生み出しながら受け入れ大学に巨額の利益をもたらす。それは前述した留学生たちの一括前払いの授業料であり、中国側から提供される種々の研究費でもある。その資金は中国教育部から出る建前になっているが、果たしてクリーンな資金なのか。著名な中国研究者、デイヴィッド・シャンボーは、実際には中国共産党中央宣伝部の資金だと指摘している(前掲書)。つまり、日本の多くの大学や研究者が受け入れている資金は共産党中央宣伝部の資金であり、教育部から支出される形で資金洗浄されたものにすぎない可能性があるということだ。
こうしたことに、先進国で最も鈍感なのが日本である。強く警告を発したい。
戦後75年、大きく変わる世界情勢の中で、これからの10年、20年、さらにその先、日本をどんな国にするのか、私たちはどんな価値観を家庭、社会、国の基盤に置きたいのか。いまじっくりと考えて方向性を決めるときだ。
米中の価値観の戦いは行きつく所まで行くだろう。ポンペオ国務長官は7月に中国に関する主要な演説を4回行い、その中で世界各国は米中どちらの側につくのか、どちらの価値観を選ぶのか、明確にせよと迫った。
日本だけでなく英国もドイツも、国際社会に対する影響力は小さくない。米国の影響力が相対的に弱まっているいま、むしろ、日本などの影響力は強まっている。経済、軍事を問わず、力のある国には応分の責任がある。日本は世界に対する責任を果たすためにも、米英などと共に中国とどのように向き合うかを考えなければならない。
そんなとき、米国の有力シンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)が7月下旬に発表した調査報告書「日本における中国の影響」を読んだ。「日本に対する中国の影響は他国に較べて限定的」という結論を導き出したこの47頁の報告書は、残念なことに見通しと分析の甘さが目立つ。
右の報告書は、中国は対日影響力拡大のために硬軟とりまぜた手法を駆使してきたが、何ひとつ対日戦略目標を達成していないと書いている。具体例として一帯一路計画への日本の参加、沖縄の独立、日本政府内の親中派勢力育成、日米同盟の弱体化、これらのいずれも実現していないというのである。
右に挙げた事例が実現していたとしたら、日本はどうなっているだろうか。たとえば沖縄独立である。その実現はまさに革命勃発に等しい。日本にとって天地がひっくり返る動乱となろう。
日米同盟の弱体化は、戦後の日本の歩みと近未来の安全保障戦略を根底から変えるものだ。
報告書の目的
トランプ政権、さらにオバマ政権の時から日本が直面している課題が日米同盟の質的変化の必要性である。米国は日本に、より高度の自立を要求し続けている。日本にもそうしなければならないという自覚がある。だが、それはどのような形であっても日米のより強い結束を目指すものであり、同盟の弱体化ではない。
沖縄独立も日米同盟の弱体化も中国が長年狙ってきた戦略だ。そのために彼らは日本の世論をたきつけ、日米を離反させようとしてきた。それらが実現していないからといって、中国の対日情報工作や影響が、他国と較べて弱い、或いは限定的だと結論するのは間違いではないか。
この報告書の目的として「日本特有の事情に加えて他の民主主義国も共有可能な政策を分析し、中国による対日影響工作の失敗の理由を説明すること」と書かれている。
まさに「中国は日本に大きな影響を及ぼし得ていない」という見方が先にあって、そこに到達するための材料を集めたにすぎないのではないか。そう考えれば報告書で一番先に登場する日本の学者が、上智大学教授で親中派の中野晃一氏である理由もわかるというものではないか。
日本に対する中国の影響が限定的だという判断に至ったひとつの証左として、報告書は日本政府の武漢ウイルスへの対処は当初甘かったが、その後、企業に脱中国を勧めるための資金を用意したことを挙げている。
日本政府が用意したのは2435億円。米国は55兆円、独は72兆円である。「デカップリング」(切り離し)に関する日本の覚悟を疑われかねない少額資金だ。これを中国の影響力がそれほど及んでいない証拠とするのは客観的にみて不適切だろう。
報告書には「孔子学院」の記述もあるが、有り体にいって、非常にうすい内容で参考にならない。
中国が他国を弾圧したり影響力を行使したりするときに最も効果の大きいのは経済力の活用だ。貿易も観光も中国政府の匙加減ひとつで相手国に深刻な打撃を与えることができる。豪州政府が武漢ウイルスの発生源について国際社会による科学的調査を提唱したとき、中国は豪州の大麦輸入に80.5%の関税をかけた。韓国が米国の要請で高高度ミサイル防衛(THAAD)を配備する可能性を示したとき、中国人観光客を止めて韓国経済を締め上げた。
こうした事例を私たちは肝に銘じているが、盲点は教育分野であろう。各国の大学には中国人留学生が大量に送り込まれている。殆どの場合、授業料は一括で前払いされ、受け入れ大学にとっては経済的に非常に有難い。そのため大学全体が恰(あたか)も中国に従属するような、中国の批判が出来にくい空間となっている。その間に中国人留学生たちは各研究室で最先端技術の研究や知見を取得し、盗み、中国に持ち帰る。
大学に巨額の利益
教育分野における中国の影響力拡大のもうひとつの柱が孔子学院だ。孔子学院は、漢弁と略称される教育部(文部科学省に相当)の下部組織が始めたもので、中国語教育や中国文化の普及を通して中華圏を世界に広げることを目的としている。もっとあからさまに言えば、中国共産党の影響力を世界中で高めることが目的だ。
『目に見えぬ侵略』(飛鳥新社)で豪州に対する中国の凄まじい侵略ぶりを描いたクライブ・ハミルトン氏は、中国のプロパガンダ部門の長である李長春氏が「孔子学院は中国が海外でプロパガンダを展開するための重要な組織だ」と述べたことを指摘している。
彼らは孔子学院第一号を2004年に韓国に設立して以来、世界162か国に550の孔子学院を設立してきた。日本での第一号は立命館大学だ。余程、よいことがあるのか、立命館は大分県に立命館アジア太平洋大学も設立済みだ。同大の学生の多くが中国人留学生である。名門といわれる早稲田大学にも孔子学院が生まれた。その他12の大学にも孔子学院がある。それらは桜美林、北陸、愛知、札幌、兵庫医科、岡山商科、大阪産業、福山、工学院、関西外語、武蔵野、山梨学院の各大学である。
多くの留学生受け入れと孔子学院設立は相乗効果を生み出しながら受け入れ大学に巨額の利益をもたらす。それは前述した留学生たちの一括前払いの授業料であり、中国側から提供される種々の研究費でもある。その資金は中国教育部から出る建前になっているが、果たしてクリーンな資金なのか。著名な中国研究者、デイヴィッド・シャンボーは、実際には中国共産党中央宣伝部の資金だと指摘している(前掲書)。つまり、日本の多くの大学や研究者が受け入れている資金は共産党中央宣伝部の資金であり、教育部から支出される形で資金洗浄されたものにすぎない可能性があるということだ。
こうしたことに、先進国で最も鈍感なのが日本である。強く警告を発したい。
at 07:55
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| 櫻井よしこ
2020年09月19日
◆日本が知るべき米国の対中強硬姿勢
櫻井よしこ
新首相の最大の課題は対中政策において誤りなきを期することだ。合わせ鏡の論として、これまで以上に対米関係の実質的強化に努めることでもある。
中国とは人間の常識に基づいて向き合うのが最善である。許容範囲を遥かに超えたウイグル人への弾圧や香港に関する英中合意の破棄。
その結果として香港から自由、民主主義、人権等を奪い尽くす意図は、穏やかな文明を育み、人間一人一人を大事にしてきた日本の国柄に鑑みて、到底受け容れられない。
そのような隣国のあり方に強く抗議するというメッセージを、日本国として発することが大事だ。
9月8日の『産経新聞』が一面トップで伝えたスクープの意味を噛みしめたい。
民主党政権当時、尖閣諸島沖の領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした。わが国は船長を逮捕したが、菅直人首相(当時)が「釈放」を命じたと、前原誠司元外相が語っている。
なぜ釈放させたのか。予定されていた横浜でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)に、胡錦濤国家主席(当時)が来なくなると困るという理由だったという。未だに習近平国家主席の国賓訪問を切望する人々がいるが、次期政権は民主党政権の愚を繰り返さないことが肝要であろう。
田久保忠衛氏は「国際社会で最も恐れるべきは孤立である」という中曽根康弘元首相の言葉を政府首脳は心に刻むべきだと語る。国際社会における日本の位置を確保する際、日本本来の価値観を忘れてはならない。
私たちが望む自由な世界、人権が尊重され法秩序が保たれる世界は米国一国だけの力では守り通せなくなっている。国際社会が連帯して異形の大国中国に抑止をかけなければならない。価値観を共有する国々との連携が必須で、連携の要になることが日本の最大の国益だ。
全米の孔子学院を全廃
日本には中国の侵略から守らなければならないものが多くある。目に見えるその第一が尖閣諸島である。尖閣諸島の防衛は南シナ海の岩礁を守ることと基本は同じだ。
中国は南シナ海のサンゴ礁を中国領として、人工島と軍事基地を造り領有権を主張する。中国の国際法無視は許さないという国際世論を米欧諸国と共に作るのだ。
世界の秩序を異質、異形の勢力、中国共産党の下に差し出して勝手にさせてはならない。だからこそ、日本はもっと強く、南シナ海の中国支配に異を唱えるのがよい。
中国との闘いの先頭に立つ米国の、日々厳しさを増す一連の政策・行動には瞠目する。戦略を打ち立てたが最後、総力を挙げて突進する。大東亜戦争に至る過程で米国が如何に周到な対日攻略策を構築し、実行したかを思えば、現在の米国の対中政策に米国の本質が見てとれる。米国の中国に対する怒りの深さを、新首相は肝に銘じておくべきだろう。
9月1日、ポンペオ国務長官はFOXビジネス・ネットワークの「今夜のロウ・ダブ」という番組に出演し、現時点で少なくとも75の大学等に設置されている孔子学院について問われ、今年末には、「ゼロになっていることを希望する」と述べた。
あと3か月余りで全米の孔子学院を全廃させるというのだ。表向き中国語や中国文化の普及を目的として、中国政府の資金で海外に設置している孔子学院を、米政府が外交使節団に認定したのは8月13日だった。
孔子学院を中国共産党の戦略指導の下で活動する機関に位置づけたのだ。事実、孔子学院は世界において中国共産党の影響力を高めるために設置され、資金は中国共産党中央宣伝部から出ている(クライブ・ハミルトン『目に見えぬ侵略』飛鳥新社)。
トランプ政権は各大学の各教授の各研究プロジェクトにどれだけ中国資金が入っているか、全て報告させた。情報公開という民主主義社会を支える力を活用することで米国の知的空間に対する中国マネーの侵略工作に終止符を打ったのだ。
日本では早稲田大学をはじめ孔子学院を擁する大学が存在するが、このことに無関心であってはならない。中国マネーに関する情報公開をわが国も早急に義務づけるべきであろう。
米国の対中対抗策は日々刻々、強化されている。息つく暇もない程の実態を十二分に意識しなければ新政権は選択を誤りかねない。
その一部を見てみると、5月、中国が全国人民代表大会で香港への国家安全維持法の導入を決定すると、翌29日、トランプ大統領は米国市場に上場している中国企業の財務を精査し、上場廃止を可能にすることや香港への特別措置の撤廃を含む対抗措置を発表した。7月14日には対香港優遇措置廃止の大統領令に署名し、同法を施行した。
打つ手がない
香港金融市場が中国経済に持つ意味が限りなく大きいのは周知のとおりだ。2019年1〜8月の統計では外資による対中投資の70%が香港経由で行われた。
18年には中国企業は香港金融市場で1000億ドル(10兆8000億円)の資金を調達した。香港金融市場の締め上げは米企業にとっても痛手だが、米政府は敢えてそこに踏み込んだ。対中取引から得る現在の利益よりも、中・長期的視点に立った国益を重視した。
この米政府の政策を日本も十分、勘案しなければ米国市場で日本企業は生きていけなくなりかねない。
7月8日、ポンペオ氏は尖閣諸島に具体的に言及して「世界は中国の弱い者苛めを受け入れない」と断言した。
世界中で進行中の領土紛争に関して、アメリカが初めて中国の主張を否定し、非難した。中国の領有権の主張は国際法の根拠を欠き、事実関係においても間違っているとして、日本を含めて中国の侵略を受けている国々の側に立った。
7月24日には米ヒューストンの総領事館が閉鎖され、8月6日にはトランプ大統領が中国系動画アプ「TikTok」を運営するバイトダンスとの取引を45日後から禁止すると発表した。13日にはファーウェイなど中国のハイテク企業5社の製品を扱う企業を、米政府調達から外すと発表した。
これら中国のハイテク企業は19年に米政府調達から外されていたが、今回は民間企業にも中国製品の排除を迫り、米国政府か中国企業かと選択を迫った。
8月9日には厚生長官のアザー氏が台湾を訪れ、蔡英文氏を大統領と呼び、台湾を独立国として扱った。米国はどこまでもやる気である。対して中国は反撃らしい反撃をしていない。
中国政府から発信される対米メッセージはひたすら対話の呼びかけである。彼らには当面打つ手がないのである。
日本は米国と共に、自由世界の中心軸を目指し、中国が私たちの価値観を受け入れざるを得ないところまで頑張るのだ。
『週刊新潮』 2020年9月17日号
日本ルネッサンス 第917回
新首相の最大の課題は対中政策において誤りなきを期することだ。合わせ鏡の論として、これまで以上に対米関係の実質的強化に努めることでもある。
中国とは人間の常識に基づいて向き合うのが最善である。許容範囲を遥かに超えたウイグル人への弾圧や香港に関する英中合意の破棄。
その結果として香港から自由、民主主義、人権等を奪い尽くす意図は、穏やかな文明を育み、人間一人一人を大事にしてきた日本の国柄に鑑みて、到底受け容れられない。
そのような隣国のあり方に強く抗議するというメッセージを、日本国として発することが大事だ。
9月8日の『産経新聞』が一面トップで伝えたスクープの意味を噛みしめたい。
民主党政権当時、尖閣諸島沖の領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした。わが国は船長を逮捕したが、菅直人首相(当時)が「釈放」を命じたと、前原誠司元外相が語っている。
なぜ釈放させたのか。予定されていた横浜でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)に、胡錦濤国家主席(当時)が来なくなると困るという理由だったという。未だに習近平国家主席の国賓訪問を切望する人々がいるが、次期政権は民主党政権の愚を繰り返さないことが肝要であろう。
田久保忠衛氏は「国際社会で最も恐れるべきは孤立である」という中曽根康弘元首相の言葉を政府首脳は心に刻むべきだと語る。国際社会における日本の位置を確保する際、日本本来の価値観を忘れてはならない。
私たちが望む自由な世界、人権が尊重され法秩序が保たれる世界は米国一国だけの力では守り通せなくなっている。国際社会が連帯して異形の大国中国に抑止をかけなければならない。価値観を共有する国々との連携が必須で、連携の要になることが日本の最大の国益だ。
全米の孔子学院を全廃
日本には中国の侵略から守らなければならないものが多くある。目に見えるその第一が尖閣諸島である。尖閣諸島の防衛は南シナ海の岩礁を守ることと基本は同じだ。
中国は南シナ海のサンゴ礁を中国領として、人工島と軍事基地を造り領有権を主張する。中国の国際法無視は許さないという国際世論を米欧諸国と共に作るのだ。
世界の秩序を異質、異形の勢力、中国共産党の下に差し出して勝手にさせてはならない。だからこそ、日本はもっと強く、南シナ海の中国支配に異を唱えるのがよい。
中国との闘いの先頭に立つ米国の、日々厳しさを増す一連の政策・行動には瞠目する。戦略を打ち立てたが最後、総力を挙げて突進する。大東亜戦争に至る過程で米国が如何に周到な対日攻略策を構築し、実行したかを思えば、現在の米国の対中政策に米国の本質が見てとれる。米国の中国に対する怒りの深さを、新首相は肝に銘じておくべきだろう。
9月1日、ポンペオ国務長官はFOXビジネス・ネットワークの「今夜のロウ・ダブ」という番組に出演し、現時点で少なくとも75の大学等に設置されている孔子学院について問われ、今年末には、「ゼロになっていることを希望する」と述べた。
あと3か月余りで全米の孔子学院を全廃させるというのだ。表向き中国語や中国文化の普及を目的として、中国政府の資金で海外に設置している孔子学院を、米政府が外交使節団に認定したのは8月13日だった。
孔子学院を中国共産党の戦略指導の下で活動する機関に位置づけたのだ。事実、孔子学院は世界において中国共産党の影響力を高めるために設置され、資金は中国共産党中央宣伝部から出ている(クライブ・ハミルトン『目に見えぬ侵略』飛鳥新社)。
トランプ政権は各大学の各教授の各研究プロジェクトにどれだけ中国資金が入っているか、全て報告させた。情報公開という民主主義社会を支える力を活用することで米国の知的空間に対する中国マネーの侵略工作に終止符を打ったのだ。
日本では早稲田大学をはじめ孔子学院を擁する大学が存在するが、このことに無関心であってはならない。中国マネーに関する情報公開をわが国も早急に義務づけるべきであろう。
米国の対中対抗策は日々刻々、強化されている。息つく暇もない程の実態を十二分に意識しなければ新政権は選択を誤りかねない。
その一部を見てみると、5月、中国が全国人民代表大会で香港への国家安全維持法の導入を決定すると、翌29日、トランプ大統領は米国市場に上場している中国企業の財務を精査し、上場廃止を可能にすることや香港への特別措置の撤廃を含む対抗措置を発表した。7月14日には対香港優遇措置廃止の大統領令に署名し、同法を施行した。
打つ手がない
香港金融市場が中国経済に持つ意味が限りなく大きいのは周知のとおりだ。2019年1〜8月の統計では外資による対中投資の70%が香港経由で行われた。
18年には中国企業は香港金融市場で1000億ドル(10兆8000億円)の資金を調達した。香港金融市場の締め上げは米企業にとっても痛手だが、米政府は敢えてそこに踏み込んだ。対中取引から得る現在の利益よりも、中・長期的視点に立った国益を重視した。
この米政府の政策を日本も十分、勘案しなければ米国市場で日本企業は生きていけなくなりかねない。
7月8日、ポンペオ氏は尖閣諸島に具体的に言及して「世界は中国の弱い者苛めを受け入れない」と断言した。
世界中で進行中の領土紛争に関して、アメリカが初めて中国の主張を否定し、非難した。中国の領有権の主張は国際法の根拠を欠き、事実関係においても間違っているとして、日本を含めて中国の侵略を受けている国々の側に立った。
7月24日には米ヒューストンの総領事館が閉鎖され、8月6日にはトランプ大統領が中国系動画アプ「TikTok」を運営するバイトダンスとの取引を45日後から禁止すると発表した。13日にはファーウェイなど中国のハイテク企業5社の製品を扱う企業を、米政府調達から外すと発表した。
これら中国のハイテク企業は19年に米政府調達から外されていたが、今回は民間企業にも中国製品の排除を迫り、米国政府か中国企業かと選択を迫った。
8月9日には厚生長官のアザー氏が台湾を訪れ、蔡英文氏を大統領と呼び、台湾を独立国として扱った。米国はどこまでもやる気である。対して中国は反撃らしい反撃をしていない。
中国政府から発信される対米メッセージはひたすら対話の呼びかけである。彼らには当面打つ手がないのである。
日本は米国と共に、自由世界の中心軸を目指し、中国が私たちの価値観を受け入れざるを得ないところまで頑張るのだ。
『週刊新潮』 2020年9月17日号
日本ルネッサンス 第917回
at 08:03
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| 櫻井よしこ
2020年09月17日
◆政治家「安倍晋三」に残された使命
櫻井よしこ
8月28日金曜日、早朝からシンクタンク「国家基本問題研究所」の研究会に出席し、午後1時過ぎに事務所に戻った。その日の夜の「言論テレビ」に向けて準備を始めたとき、そのメールは飛び込んできた。
「安倍首相、まもなく辞任表明」というものだった。
「あー、遂に」という想いと「やはりそうか」という想いが同時にこみ上げてきた。しかし、感慨に耽ってはいられない。慌ただしくメールと電話が行き交い始めた。即決したのが言論テレビの番組差し替えである。
その日夜、文在寅政権の混乱振りを伝える予定だったのを、安倍総理辞任の特別番組に切り換えた。情報収集しながら「産経新聞」の元政治部長、有元隆志氏と石橋文登氏に連絡し、両氏の番組出演を要請した。
公表された日程を見ると、その間の午後1時57分に安倍晋三首相は官邸を出発し、自民党本部に向かっている。それまでは武漢ウイルス対策本部の会合に出ており、自民党本部行きは突然の動きだった。
だが総理が自民党本部に向かったことで、永田町のベテラン達は即座に「辞任決定」と覚悟した。私がメールを受けたのはこのタイミングだった。
さまざまな想いが渦巻く中、私は言論テレビのプロデューサー、安藤信充氏との打ち合わせに入った。首相辞任は多くの人にとって本当に残念なことだ。日本の国益にとってあらゆる意味で大きなマイナスだ。
安倍首相だから出来たことは山程ある。だがまだ果たしていない課題もある。安倍首相抜きの日本の政治はどうなるのか。日本の命運を左右する日米関係はどうなるのか。虎視眈々と日本を狙う中国に相対峙していけるのか。頭の中でそんなことを整理していたその時、携帯電話が鳴った。安倍首相からだった。
首相は短く語った。
「すみません、御心配下さったのに。新薬が効いたんですが、定期的に治療が必要ということで。ギリギリまで待つと、13年前のようになります。途中で辞めるのでなく、自分で区切りをつけました。辞任を決めました」
要点だけの短い会話だった。確認すると2時52分、3時からの自民党臨時役員会の直前だった。
「総理辞任」と聞いたその瞬間、半分信じられない面もあった。他方、もう半分のところで予想をしていたといえば、後づけの理屈と思われるだろうか。少し状況を振り返ってみる。
総理は6月の定期検診で再発の兆候を指摘された。7月中頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況に陥った。このことは辞任表明の会見で述べている。その後の8月17日の慶応大学病院での診察・治療は7時間半にわたった。首相は会見でこのときに「潰瘍性大腸炎の再発が確認された」と語っている。
この病気の大変さを、13年前の突然の辞任から暫く時間が過ぎたとき、2008年2月号の『文藝春秋』で首相自身が語っている。発病は17歳の高校生の時だったという。自分の免疫が自分の腸の壁を攻撃し、腸壁が剥落して潰瘍となりただれる。激しい腹痛と夥しい下血が続く。夜中もほぼ30分毎に下血が続き到底熟睡できない。
こんな辛い症状が新しい薬によってようやくおさまった。にも拘わらず何年もの間コントロールできていた難病指定の病がぶり返した。それを確認したのが8月17日の検診だったと総理は明かしたのだ。
安倍事務所はその翌日、私も関係する大きな会合をキャンセルした。その理由について、この病気は1週間休んだからといって治るものではない、総理自身が一番よく識っている。新薬投与の効果はあったが、継続的な処方が必要で、病気が快方に向かうという保証はない、予断は許さないという説明を受けていた。信じたくはなかったが、そのとき私はある意味、覚悟した。
そのときの説明と、28日の総理の短い電話連絡の内容は丁度重なる。間違いなく首相はこの8月17日に辞任を決意したのだ。
思いがけない勇気
さて、首相辞任が明らかにされた28日、私は再び同じような考えに引き戻されていた。総理にはとにかく体を大事にして十分に休んで回復してほしい。しかし、これからの日本が心配だ。相対的に弱くなっている米国の影響力を安倍首相は豪州やインドを巻きこみながら戦略的に補完してきた。日欧の経済連携協定、及び環太平洋経済連携協定(TPP)もまとめて強い指導力を発揮した。その安倍首相後の日本も世界もどうなるのか。よく見通せない。そんな想いで作業をする内に、夕方5時からの会見が始まった。
首相の辞任表明会見は実に印象的だった。冒頭発言で首相は二度にわたって国民に心からの感謝を表明したうえで、辞職することを心より詫びた。質疑には最後まで非常に謙虚で丁寧に応えた。
謙虚であるだけでなく首相は冷静で忍耐強かった。己れを無にして国家・国民の為に働く姿がそこにあった。謙虚、冷静、忍耐強さは武士道精神の核を成す資質である。これらが一体となったとき人間には思いがけない勇気が湧いてくる。自分の力以上の力が与えられる。
私はこの会見に無私の境地にある首相の真摯さを読みとった。多くを成し遂げたとはいえ、道半ばで辞職する無念さが、国民と日本国の安寧を願う純粋な気持ちと共に伝わってきた。
だが首相会見を見ていてどうにも納得できないことがあった。難病をコントロールしながら、最善を尽くした首相とは対照的な、官邸詰めの記者の姿だった。彼らの質問は彼らの問題意識の在り方を示している。記者としての矜恃も能力も質問から明らかになる。彼らは首相の努力も功績も殆ど認めていない。個々の記者が首相の成し遂げたことの意義を知ったうえで認めないのであればそれもいいだろう。しかし、会見での彼らの質問は、安倍首相の功績を真に理解した結果発せられたというより、単に勉強不足だったり視野が狭いからではないかと思えてならない。
必要とされる日
世界はいま米中二大国の尋常ならざる対立局面に陥っている。にも拘わらず、記者の中でなぜ一人も、米中問題や北朝鮮のミサイル問題、中国の脅威などについて質問しないのか。100年に一度と言われる厳しい国際情勢に関するわが国の備えについての質問がなぜ、出てこないのだ。
日本の中枢に陣取る官邸記者クラブはジャーナリズムの役割を果たしているのかと、疑ったのも当然だろう。彼らは総裁選挙の細々とした情報について多くの質問をした。政局の詳細情報も大事だ。しかし、安倍首相が実践してきた地球を俯瞰する外交や、日々刻々と変化する安全保障環境について質さないのは、どう考えても奇妙だ。官邸記者クラブ所属なら、もっと誇りと知性を示せ。大局から見た日本国の針路を問い、首相の掲げる国家戦略を議論するくらいの力を見せよ。
また、日本国の中心で働く記者であれば、日本人らしい配慮や礼節も示してほしい。会見終盤で中国新聞社の下久保記者が「総理、お疲れさまでした」と労(ねぎら)ったのがせめてもの救いだったが、身心をすりへらして歴代最長政権になるまでに勤め上げた首相に対して、その他の社のどの記者も感謝と労いの言葉を発しなかった。取材者以前に人間として、或いは社会人としての常識の欠落だ。
木を見て森を見ない類いの質問に終始する彼らの、時に不条理な批判に晒されながら、7年8か月、安倍晋三首相は獅子奮迅の働きをした。無論、首相の足跡の全てが100点満点とはいえない。それでも首相は8年近く、日本国と国民の為に本当によく働いて下さった。私は国民の一人として、心から労い、感謝したいと思う。
そして感ずるのだ。激動の国際社会で日本のみならず世界の道しるべとして安倍首相の視点と力量が必要とされる日が必ず、また来る。首相は退いても世界から求められる貴重な日本の政治家であり続けるだろう。
『週刊新潮』 2020年9月10日号
日本ルネッサンス 第916回
8月28日金曜日、早朝からシンクタンク「国家基本問題研究所」の研究会に出席し、午後1時過ぎに事務所に戻った。その日の夜の「言論テレビ」に向けて準備を始めたとき、そのメールは飛び込んできた。
「安倍首相、まもなく辞任表明」というものだった。
「あー、遂に」という想いと「やはりそうか」という想いが同時にこみ上げてきた。しかし、感慨に耽ってはいられない。慌ただしくメールと電話が行き交い始めた。即決したのが言論テレビの番組差し替えである。
その日夜、文在寅政権の混乱振りを伝える予定だったのを、安倍総理辞任の特別番組に切り換えた。情報収集しながら「産経新聞」の元政治部長、有元隆志氏と石橋文登氏に連絡し、両氏の番組出演を要請した。
公表された日程を見ると、その間の午後1時57分に安倍晋三首相は官邸を出発し、自民党本部に向かっている。それまでは武漢ウイルス対策本部の会合に出ており、自民党本部行きは突然の動きだった。
だが総理が自民党本部に向かったことで、永田町のベテラン達は即座に「辞任決定」と覚悟した。私がメールを受けたのはこのタイミングだった。
さまざまな想いが渦巻く中、私は言論テレビのプロデューサー、安藤信充氏との打ち合わせに入った。首相辞任は多くの人にとって本当に残念なことだ。日本の国益にとってあらゆる意味で大きなマイナスだ。
安倍首相だから出来たことは山程ある。だがまだ果たしていない課題もある。安倍首相抜きの日本の政治はどうなるのか。日本の命運を左右する日米関係はどうなるのか。虎視眈々と日本を狙う中国に相対峙していけるのか。頭の中でそんなことを整理していたその時、携帯電話が鳴った。安倍首相からだった。
首相は短く語った。
「すみません、御心配下さったのに。新薬が効いたんですが、定期的に治療が必要ということで。ギリギリまで待つと、13年前のようになります。途中で辞めるのでなく、自分で区切りをつけました。辞任を決めました」
要点だけの短い会話だった。確認すると2時52分、3時からの自民党臨時役員会の直前だった。
「総理辞任」と聞いたその瞬間、半分信じられない面もあった。他方、もう半分のところで予想をしていたといえば、後づけの理屈と思われるだろうか。少し状況を振り返ってみる。
総理は6月の定期検診で再発の兆候を指摘された。7月中頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況に陥った。このことは辞任表明の会見で述べている。その後の8月17日の慶応大学病院での診察・治療は7時間半にわたった。首相は会見でこのときに「潰瘍性大腸炎の再発が確認された」と語っている。
この病気の大変さを、13年前の突然の辞任から暫く時間が過ぎたとき、2008年2月号の『文藝春秋』で首相自身が語っている。発病は17歳の高校生の時だったという。自分の免疫が自分の腸の壁を攻撃し、腸壁が剥落して潰瘍となりただれる。激しい腹痛と夥しい下血が続く。夜中もほぼ30分毎に下血が続き到底熟睡できない。
こんな辛い症状が新しい薬によってようやくおさまった。にも拘わらず何年もの間コントロールできていた難病指定の病がぶり返した。それを確認したのが8月17日の検診だったと総理は明かしたのだ。
安倍事務所はその翌日、私も関係する大きな会合をキャンセルした。その理由について、この病気は1週間休んだからといって治るものではない、総理自身が一番よく識っている。新薬投与の効果はあったが、継続的な処方が必要で、病気が快方に向かうという保証はない、予断は許さないという説明を受けていた。信じたくはなかったが、そのとき私はある意味、覚悟した。
そのときの説明と、28日の総理の短い電話連絡の内容は丁度重なる。間違いなく首相はこの8月17日に辞任を決意したのだ。
思いがけない勇気
さて、首相辞任が明らかにされた28日、私は再び同じような考えに引き戻されていた。総理にはとにかく体を大事にして十分に休んで回復してほしい。しかし、これからの日本が心配だ。相対的に弱くなっている米国の影響力を安倍首相は豪州やインドを巻きこみながら戦略的に補完してきた。日欧の経済連携協定、及び環太平洋経済連携協定(TPP)もまとめて強い指導力を発揮した。その安倍首相後の日本も世界もどうなるのか。よく見通せない。そんな想いで作業をする内に、夕方5時からの会見が始まった。
首相の辞任表明会見は実に印象的だった。冒頭発言で首相は二度にわたって国民に心からの感謝を表明したうえで、辞職することを心より詫びた。質疑には最後まで非常に謙虚で丁寧に応えた。
謙虚であるだけでなく首相は冷静で忍耐強かった。己れを無にして国家・国民の為に働く姿がそこにあった。謙虚、冷静、忍耐強さは武士道精神の核を成す資質である。これらが一体となったとき人間には思いがけない勇気が湧いてくる。自分の力以上の力が与えられる。
私はこの会見に無私の境地にある首相の真摯さを読みとった。多くを成し遂げたとはいえ、道半ばで辞職する無念さが、国民と日本国の安寧を願う純粋な気持ちと共に伝わってきた。
だが首相会見を見ていてどうにも納得できないことがあった。難病をコントロールしながら、最善を尽くした首相とは対照的な、官邸詰めの記者の姿だった。彼らの質問は彼らの問題意識の在り方を示している。記者としての矜恃も能力も質問から明らかになる。彼らは首相の努力も功績も殆ど認めていない。個々の記者が首相の成し遂げたことの意義を知ったうえで認めないのであればそれもいいだろう。しかし、会見での彼らの質問は、安倍首相の功績を真に理解した結果発せられたというより、単に勉強不足だったり視野が狭いからではないかと思えてならない。
必要とされる日
世界はいま米中二大国の尋常ならざる対立局面に陥っている。にも拘わらず、記者の中でなぜ一人も、米中問題や北朝鮮のミサイル問題、中国の脅威などについて質問しないのか。100年に一度と言われる厳しい国際情勢に関するわが国の備えについての質問がなぜ、出てこないのだ。
日本の中枢に陣取る官邸記者クラブはジャーナリズムの役割を果たしているのかと、疑ったのも当然だろう。彼らは総裁選挙の細々とした情報について多くの質問をした。政局の詳細情報も大事だ。しかし、安倍首相が実践してきた地球を俯瞰する外交や、日々刻々と変化する安全保障環境について質さないのは、どう考えても奇妙だ。官邸記者クラブ所属なら、もっと誇りと知性を示せ。大局から見た日本国の針路を問い、首相の掲げる国家戦略を議論するくらいの力を見せよ。
また、日本国の中心で働く記者であれば、日本人らしい配慮や礼節も示してほしい。会見終盤で中国新聞社の下久保記者が「総理、お疲れさまでした」と労(ねぎら)ったのがせめてもの救いだったが、身心をすりへらして歴代最長政権になるまでに勤め上げた首相に対して、その他の社のどの記者も感謝と労いの言葉を発しなかった。取材者以前に人間として、或いは社会人としての常識の欠落だ。
木を見て森を見ない類いの質問に終始する彼らの、時に不条理な批判に晒されながら、7年8か月、安倍晋三首相は獅子奮迅の働きをした。無論、首相の足跡の全てが100点満点とはいえない。それでも首相は8年近く、日本国と国民の為に本当によく働いて下さった。私は国民の一人として、心から労い、感謝したいと思う。
そして感ずるのだ。激動の国際社会で日本のみならず世界の道しるべとして安倍首相の視点と力量が必要とされる日が必ず、また来る。首相は退いても世界から求められる貴重な日本の政治家であり続けるだろう。
『週刊新潮』 2020年9月10日号
日本ルネッサンス 第916回
at 08:01
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| 櫻井よしこ
2020年09月10日
◆首相最大の功績は歴史観
櫻井よしこ
8月28日、辞任を表明した安倍晋三首相は13年前とは別人だった。事後への懸案への対策を打ち、余力を残した退き方は首相が難病に負けていないこと、以降も強い力を維持することを示していた。
政界の動きは速く10日前の辞任表明が随分と前のことのように思える。その分、旧聞に属するかもしれないが、きちんと書いておきたい。
7年8カ月、病を押して獅子奮迅の働きをした安倍首相の辞任表明会見における内閣記者会の記者たちの非礼ぶりは言語道断だった。メディアの役割は大きく、記者の資質が記事の質に反映され、世論を動かす。だから記者の資質を問うのは当然である。
会見で、約8年にわたる安部首相の健闘をねぎらったのは中国新聞社の下久保聖司記者一人にとどまった。TPP11(環太平洋戦略的経済連携協定)や日欧EPA(経済連携協定)、中国に備える日米豪印のインド太平洋戦略など、以降の世界政治の軸となる協調の枠組みはおよそ全て安倍首相が主導した。そのことや日本の命運に即跳ね返る米中の攻防をただした記者はなんと一人もいなかった。日本は日本一国で完結するのではないぞ。
中曽根康弘元首相は国家が最も恐れるべきことは国際社会での孤立だと語った。国際社会でどんな立場を確保するのか自体が国益だ。安倍首相の顕著な功績は国際社会における日本の立場をこれまでになく強化したことだ。その点に全く触れない官邸記者などあり得るのか。
また、記者は記者である前に1人の人間である。去り行く宰相に感謝やいたわりの言葉ひとつかけられずに、社会の営みを取材し、人間の心の痛みや喜びを書けるのか。こんな彼らが日本国中枢の記者クラブに陣取り「モリ・カケ」や「サクラ」を報じた年月の深刻なる喪失を痛感する。
だが、国民の目は節穴ではなかった。辞任表明直後の共同通信の調査では安倍首相の支持率は20ポイント以上跳ね上がった。続く朝日新聞の調査では安倍内閣評価が71%だった。朝日はさぞ仰天しただろう。
首相が日本と日本国民のために精魂こめて努力したことを国民は識(し)っているのだ。だからこそ強調したい。安倍首相の7年8カ月に心より感謝する、と。十分な休養後、首相が内外の政治において重きをなす日が必ずまた来ると、私は考えている。
安倍首相の功績の最たるものは歴史観の見直しだ。平成27年8月14日、戦後70年談話で安倍首相は語った。「私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」
歴史は、その当時の状況の中で考えるものだ。首相談話はこの常識を踏まえていた。日本全面否定の戦後の歴史観を打ち砕く健全な視点への転換点となった。
米中のせめぎ合いが日々激化する今日、歴史観や国柄をどのように評価し、日本社会に伝わるどの価値観を守るのかという判断が大事になる。健全な歴史観を持てば、日本人は自らをより深く信頼し国際社会においてもっと勇気をふるって重要な役割を果たせると思う。
中国の振る舞いに対して日本はもっとはっきりと自由主義、民主主義、国際法、人道、人権を軸とする国際秩序養護の旗を米国とともに立て、行動できるだろう。歴史観、人間社会はいかにあるべきかという価値観は、勁(つよ)い精神を支える柱である。日本人が日本人らしさを発揮する上で最も重要な要素が歴史観であろう。
中国はいま、海洋権益、陸上支配、国際法、国際社会の価値観も含めて、世界を中国式の考えで作り直そうとしている。その脅威の前で日米同盟強化の手立てを急いだのが安部晋三首相だった。憲法改正が進まなかったのはまさに痛恨の極みだが、首相は憲法改正に替わる現実的施策を急いだ。
防衛予算を削減から増加に転じ、情報ダダ漏れの穴を特定秘密保護法で埋めた。平和安全法制で国連憲章が認める集団的自衛権の限定的行使を可能にした。経済政策を安全保障の重要な一翼と位置づけた。省庁の縦割りを超えて国家安全保障局を設けた。
それでも十分でないのが現実だ。5月29日、トランプ米大統領が打ち出した対中対抗措置は中国企業の財務の透明性に踏み込み、米国での上場廃止も可能にする厳しさだった。ポンペオ国務長官ら主要閣僚が相次いで、安全保障、経済、政治、外交など全分野にわたって講演したが、その徹底した中国非難は、米国と共に行動するかと世界に迫る踏み絵に等しかった。
そうした中、9月1日の米国防総省の発表は米国の切迫感を示して余りある。中国海軍の軍艦・潜水艦は350隻となり、293隻の米海軍を抜いて世界最大規模となって、米中の海軍力が逆転したと認めたのだ。中国はまた地上配備の中距離ミサイルを1250発以上保有するが、米国はゼロだ。経済においてもあと10年で中国は国内総生産(GDP)で米国を抜く。
日本が米国に頼り続けてよい状況でないのは明らかだ。昨年6月、トランプ氏は日米安全保障条約は不公平だとして「破棄」を口にしたと報じられた。破棄発言はすぐに否定されたが、トランプ氏はそれ以降も日米安保条約への不満を繰り返した。トランプ氏の警告を無視することは日本の国益を決定的に損ねることである。米国の強い不満を日本の自立に結びつける前向きの努力を倍加する必要がある
安倍首相に続く新たな首相の役割は、米国の意図をこれまで以上に真剣に受け止めることだ。米中の対立がいかに深刻かを鋭く認識し、日本が打つべき手を急ぐことだ。自民党の二階俊博幹事長や公明党も、祖国日本を強くし、それによって国際社会により良く貢献する道としての憲法改正に反対する理由はないはずだ。米中のはざまにあって、日本が生き残る道は、一に自力強化、二に日米同盟強化であることを認識したい。
【産経ニュース】【美しき勁き国へ】桜井よしこ
令和2年9月7日
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松本市 久保田 康文
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8月28日、辞任を表明した安倍晋三首相は13年前とは別人だった。事後への懸案への対策を打ち、余力を残した退き方は首相が難病に負けていないこと、以降も強い力を維持することを示していた。
政界の動きは速く10日前の辞任表明が随分と前のことのように思える。その分、旧聞に属するかもしれないが、きちんと書いておきたい。
7年8カ月、病を押して獅子奮迅の働きをした安倍首相の辞任表明会見における内閣記者会の記者たちの非礼ぶりは言語道断だった。メディアの役割は大きく、記者の資質が記事の質に反映され、世論を動かす。だから記者の資質を問うのは当然である。
会見で、約8年にわたる安部首相の健闘をねぎらったのは中国新聞社の下久保聖司記者一人にとどまった。TPP11(環太平洋戦略的経済連携協定)や日欧EPA(経済連携協定)、中国に備える日米豪印のインド太平洋戦略など、以降の世界政治の軸となる協調の枠組みはおよそ全て安倍首相が主導した。そのことや日本の命運に即跳ね返る米中の攻防をただした記者はなんと一人もいなかった。日本は日本一国で完結するのではないぞ。
中曽根康弘元首相は国家が最も恐れるべきことは国際社会での孤立だと語った。国際社会でどんな立場を確保するのか自体が国益だ。安倍首相の顕著な功績は国際社会における日本の立場をこれまでになく強化したことだ。その点に全く触れない官邸記者などあり得るのか。
また、記者は記者である前に1人の人間である。去り行く宰相に感謝やいたわりの言葉ひとつかけられずに、社会の営みを取材し、人間の心の痛みや喜びを書けるのか。こんな彼らが日本国中枢の記者クラブに陣取り「モリ・カケ」や「サクラ」を報じた年月の深刻なる喪失を痛感する。
だが、国民の目は節穴ではなかった。辞任表明直後の共同通信の調査では安倍首相の支持率は20ポイント以上跳ね上がった。続く朝日新聞の調査では安倍内閣評価が71%だった。朝日はさぞ仰天しただろう。
首相が日本と日本国民のために精魂こめて努力したことを国民は識(し)っているのだ。だからこそ強調したい。安倍首相の7年8カ月に心より感謝する、と。十分な休養後、首相が内外の政治において重きをなす日が必ずまた来ると、私は考えている。
安倍首相の功績の最たるものは歴史観の見直しだ。平成27年8月14日、戦後70年談話で安倍首相は語った。「私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」
歴史は、その当時の状況の中で考えるものだ。首相談話はこの常識を踏まえていた。日本全面否定の戦後の歴史観を打ち砕く健全な視点への転換点となった。
米中のせめぎ合いが日々激化する今日、歴史観や国柄をどのように評価し、日本社会に伝わるどの価値観を守るのかという判断が大事になる。健全な歴史観を持てば、日本人は自らをより深く信頼し国際社会においてもっと勇気をふるって重要な役割を果たせると思う。
中国の振る舞いに対して日本はもっとはっきりと自由主義、民主主義、国際法、人道、人権を軸とする国際秩序養護の旗を米国とともに立て、行動できるだろう。歴史観、人間社会はいかにあるべきかという価値観は、勁(つよ)い精神を支える柱である。日本人が日本人らしさを発揮する上で最も重要な要素が歴史観であろう。
中国はいま、海洋権益、陸上支配、国際法、国際社会の価値観も含めて、世界を中国式の考えで作り直そうとしている。その脅威の前で日米同盟強化の手立てを急いだのが安部晋三首相だった。憲法改正が進まなかったのはまさに痛恨の極みだが、首相は憲法改正に替わる現実的施策を急いだ。
防衛予算を削減から増加に転じ、情報ダダ漏れの穴を特定秘密保護法で埋めた。平和安全法制で国連憲章が認める集団的自衛権の限定的行使を可能にした。経済政策を安全保障の重要な一翼と位置づけた。省庁の縦割りを超えて国家安全保障局を設けた。
それでも十分でないのが現実だ。5月29日、トランプ米大統領が打ち出した対中対抗措置は中国企業の財務の透明性に踏み込み、米国での上場廃止も可能にする厳しさだった。ポンペオ国務長官ら主要閣僚が相次いで、安全保障、経済、政治、外交など全分野にわたって講演したが、その徹底した中国非難は、米国と共に行動するかと世界に迫る踏み絵に等しかった。
そうした中、9月1日の米国防総省の発表は米国の切迫感を示して余りある。中国海軍の軍艦・潜水艦は350隻となり、293隻の米海軍を抜いて世界最大規模となって、米中の海軍力が逆転したと認めたのだ。中国はまた地上配備の中距離ミサイルを1250発以上保有するが、米国はゼロだ。経済においてもあと10年で中国は国内総生産(GDP)で米国を抜く。
日本が米国に頼り続けてよい状況でないのは明らかだ。昨年6月、トランプ氏は日米安全保障条約は不公平だとして「破棄」を口にしたと報じられた。破棄発言はすぐに否定されたが、トランプ氏はそれ以降も日米安保条約への不満を繰り返した。トランプ氏の警告を無視することは日本の国益を決定的に損ねることである。米国の強い不満を日本の自立に結びつける前向きの努力を倍加する必要がある
安倍首相に続く新たな首相の役割は、米国の意図をこれまで以上に真剣に受け止めることだ。米中の対立がいかに深刻かを鋭く認識し、日本が打つべき手を急ぐことだ。自民党の二階俊博幹事長や公明党も、祖国日本を強くし、それによって国際社会により良く貢献する道としての憲法改正に反対する理由はないはずだ。米中のはざまにあって、日本が生き残る道は、一に自力強化、二に日米同盟強化であることを認識したい。
【産経ニュース】【美しき勁き国へ】桜井よしこ
令和2年9月7日
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松本市 久保田 康文
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at 07:58
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| 櫻井よしこ