2017年06月05日

◆自分ファーストに映る小池都知事

櫻井よしこ




「自分ファースト」に映る小池都知事 言葉に信を置けない同氏の実
行力を注視」

飯島勲氏といえば長年小泉純一郎元首相に仕えた人物として名高い。
 
小池百合子氏といえば、政党を渡り歩き、多くの政界実力者に接近してき
たことで名高い。都知事就任以降の氏は、敵を作って対立構造に仕立て、
相手を悪者、自身を改革の旗手と位置づけて、高い支持率を保つ。
 
次から次へと敵を作り出してはケンカを売り続ける小池氏の手法は、ケン
カ上手の小泉氏を師として学んだものか。私は或る日、飯島氏にそのよう
に尋ねた。すると、強い調子で飯島氏が反論した。

「とんでもない。全く似ていません。正反対です」
 
間髪を入れない勢いと声音の強さに私は驚いた。氏はさらに強調した。

「政(まつりごと)においては誰もが納得する公平さが大事なんです。争
点が深刻な時ほど、目配りが必要になる。私が小泉首相にお仕えした時に
は、どんなことでも、必ず、対立相手の意見も本人に聞かせるようにしま
した。そうすることで、何かが見えてくる。そこが大事なんです。でも、
小池さんは、そうじゃないでしょ」
 
小池氏の唱えるスローガン、「都民ファースト」は、実は「自分ファース
ト」ではないかと私は感じている。調査によっては、70%という高い支持
率にも私は違和感を抱いている。氏の行動を見詰めれば見詰める程、氏の
言動への拒否感は強くなる。
 
今年4月1日、氏は東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園
(ぜんしょうえん)」を訪れた。多くのテレビカメラの前で、氏はハンセ
ン病患者の方と握手し、納骨堂で献花し、手を合わせた。鮮やかなブルー
のパンツスーツ姿の小池氏は格好の報道素材となり、事実、メディアは大
いに報じた。
 
長年社会の一隅に追いやられ、辛い日々をすごしてきた方々に思いを致
し、救済の施策を進めることは、政治家の責任であり、美しい行動である。

「いまだに残るハンセン病への差別や偏見をどのように無くすのか。国立
施設ではあるが、都として解消に努めたい」と小池氏は述べた。
 
立派である。その決意は是非実行してほしい。全生園で暮らしている人々
は180人で、平均年齢は85歳近い。施策は急がねばなるまい。小池氏はど
んな指示を出したのか。
 
ここで思い出すのは氏が環境大臣だったときのことだ。水俣病が公式に確
認されて50年を迎えたにもかかわらず、救済されずにいわば放置されてい
る患者は、当時少なくなかった。そこで小池氏は柳田邦男、屋山太郎、加
藤タケ子各氏ら錚々たる10人の委員を選んで私的懇談会を設置した。
 
柳田氏らは1年4カ月をかけて、水俣病患者らの声に耳を傾け、現地を訪れ
て調査し、2006年9月19日、提言書を提出した。60ページを超える提言書
は、国民の命を守る「行政倫理」の確立と遵守を迫り、眼前で水俣病に苦
しむ人々を患者として認定する基準の緩和を求めていた。

患者救済が進まない最大の障害は、環境省がまだ庁だった時代に設定した
認定基準だった。2つ以上の症状がなければならないとする基準を1つでも
よいとすべきだと、柳田氏や屋山氏は主張した。
 
結論からいえば、小池氏は自らが設けた私的懇談会の提言を無視した。彼
女は、柳田氏らの調査が進行中の06年3月16日、参議院環境委員会で
「(水俣病患者か否かの)判断条件の見直しということについては考えて
いない、この点をもう一度明らかにしておきたいと思います」と答弁して
いる。
 
錚々たる人々を招集し、水俣病患者救済に取り組む姿勢をアピールした
が、行動は伴わなかったのだ。
 
だから私は、小池氏の言葉に信を置かない。あくまでも行動を見たい。5
月下旬の現在、彼女は全生園で語ったことに関して何の指示も出していない。
『週刊ダイヤモンド』 2017年6月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1184


2017年06月03日

◆吉田清治氏長男、父親の謝罪碑書き換え

櫻井よしこ



『週刊新潮』 2017年6月1日号
日本ルネッサンス 第755回

5月19日、インターネット配信「言論テレビ」の番組「言論さくら組」で
ジャーナリストの大高未貴さんがスクープを披露した。

「言論さくら組」は今年2月に発足した、物言う若手女性たちの一団が出
演する番組である。私自身は若くないが、頼もしく勇気のある女性、世の
中の不条理に疑問を感じ、そのことについて思い込みで判断するのではな
く、まず取材して新事実を掘り起こし、それを世の中に提示する意欲と能
力のある女性、そして人間として魅力的だと私が思った女性(ひと)たち
8人を集めた。歴史問題をひとつの大きな柱とし、毎月、できれば特ダネ
で、そうでなければ独自ネタで問題提起したいと願っている。そのメン
バーの1人が大高さんである。
 
彼女はこれまでに100か国以上を駆け巡って取材してきた。彼女が今回取
り上げたのは、自分は慰安婦を強制連行した加害者だと名乗り出て、今日
の慰安婦強制連行説を生み出す原因となった職業的詐話師、故吉田清治氏
の長男である。
 
長男は、後述する決意をもとに、父親が韓国の忠清南道天安市の「望郷
の丘」に建てた「謝罪碑」の文言を今年3月に書き換えた。吉田氏の元々
の碑には「日本の侵略戦争のために徴用され強制連行され」「貴い命を奪
われ」た朝鮮の人々に、「徴用と強制連行を実行指揮した日本人」として
「潔く反省して」「謝罪」すると刻まれていた。氏は同碑を「元勞務報國
會徴用隊長」の肩書きで建てた。
 
氏は同碑建立の式典で、韓国の人々に土下座し、「朝日新聞」はそれを
1983年12月24日、「たった一人の謝罪」として報じた。
 
大高さんの説明だ。

「この記事も含めて朝日は吉田清治氏を大きく取り上げ、強制連行をはじ
めとする慰安婦問題にまつわる虚偽を国の内外に広げました。慰安婦の虚
偽については90年代から指摘されていたにも拘らず、放置され続け、漸く
朝日が吉田証言を取り消したのは14年8月でした。長男は、父は日本軍人
として勤務した経験もなく、労務報国会徴用隊長の職位も全て虚偽だった
と明言しています。慰安婦問題の元凶は父が作ったけれどその嘘は決して
一人で書いたものではない。何人もの協力者、振付師、演出家がいて、そ
のひとつが朝日新聞だと考えています。朝日が父親の嘘を勝手に盛り上げ
て、梯子を外して、『はい、取り消しました。これで終わり』。それはな
いだろうというのが長男の気持ちでした」

父親の嘘
 
大高さんはさらに強調する。

「長男は言うのです。朝日が取り消しても、父親が韓国に建てた石碑は朽
ち果てることなく、後世まで残る。こんなことは許せない。韓国の方にも
失礼、日本人にも失礼。だから自分は日本人として最後までしっかりと責
任を持って後始末したいと」
 
長男は、可能ならクレーン車で碑を撤去したいと願った。それが難しい
とわかった時点で碑の文言の書き換えを決心し、沖縄県に住む元自衛官、
奥茂治氏(69)を代理人として望郷の丘に派遣し、先の謝罪碑を「慰霊
碑」とし、「吉田雄兎 日本国 福岡」と極めて簡潔な内容にした。雄兎
とは吉田氏の本名である。
 
奥氏が相談を受けたときのことを振りかえった。

「あの碑は清治氏が自費で建立したそうです。であるなら、父親の嘘の碑
を消し去る責任も権利も、長男である自分にあるというのです。日韓の摩
擦の原因である慰安婦問題の偽りを正したいとの願いは、日韓両国を大事
に思う心でもあります。私は日本人として応えるべきだと思いました。断
る理由はありませんでした」
 
奥氏は新しい文言を刻んだ重い大理石の石板を望郷の丘に運び、一人で
古い碑の上に、絶対に#剥#は#がれない接着剤で貼りつけた。その行動の
詳細は大高さんの新著『父の謝罪碑を撤去します』に譲りたい。
 
大高さんの取材は産経新聞出版の瀬尾友子さんの尽力で単行本として来
週、出版される。瀬尾さんも「言論さくら組」で語った。

「長男は『吉田家最後の人間』という言葉を繰り返しました。自分が父親
の間違いを正さなければ、大理石上の嘘はいつまでも残る。だからいま、
消し去ると言うのです」
 
産経新聞官邸サブキャップの田北真樹子さんが強調した。

「長男がこういう風に書き換えたことに、よくぞやって下さったと感謝し
ます。韓国のメディアは、吉田氏の長男の意思と決断に、衝撃を受けてい
るようです」
 
儒教では父親の権威は絶大である。伝統的に儒教の影響が強い韓国人に
とって、長男が公然と父親の言動を嘘だと宣言し、父親の嘘から始まった
慰安婦問題を否定したことは、相当なショックのようだ。韓国メディアが
あまり報じないのは、報道すれば、吉田清治氏が本当に嘘つきだったこと
が韓国国民に周知徹底されるからか。氏の嘘を報じた「朝日」の記事取り
消しもより広く伝わる。吉田・朝日の虚偽に依拠する韓国の挺身隊問題対
策協議会をはじめとする運動体の人々の反日の根拠も揺らぎかねない。大
高さんの指摘だ。

「朝日」も酷い

「韓国側は騒ぎたくないのではないですか。自分たちの反日に跳ねかえっ
てきますから。挺対協をはじめ、彼らの最終目的は反日問題を終わらせな
いこと。従って、次には徴用工問題を提起するでしょう。未来永劫日本政
府に謝罪させ、企業から償い金を受け取り、基金を創設して反日を続ける
ことを考えているのです」
 
韓国も事実を見ようとしないが、「朝日」も酷い。5月22日現在、朝日は
この件を全く報じていない。吉田氏の長男も語ったように、朝日が吉田氏
の嘘を内外に拡散した。その責任をも問うている長男の行動に、朝日は見
て見ぬ振りか。とすれば、これ以上の無責任はない。
 
番組の最後で、元衆議院議員の杉田水脈(みお)さんが報告したことも
驚きだった。フランスの大統領選挙の取材中、パリで目にとまったのが
「ZOOMJAPON」というフリー雑誌だった。高倉健さんの「鉄道員
(ぽっぽや)」の紹介など文化的な記事と一緒に、沖縄の基地反対運動が
特集され、日本中から国民が沖縄に集まり基地は要らないと運動している
と報じている。上智大学教授、中野晃一氏への取材記事の中で、日本会議
批判に続いて稲田朋美防衛大臣に言及し、日本では女性は二級市民で、安
倍晋三首相もそう考えている。女性蔑視を覆い隠すために、閣僚に女性を
登用しているのだなどと書いている。
 
この雑誌は広告費で成り立っているが、一番大きな広告を載せているの
が、NHKワールドだ。詳しくは「言論さくら組」を検索して御覧いただ
きたいが、こんなフリー雑誌に視聴者から強制的に徴収する受信料を充て
てよいわけはないだろう。

◆首相提言で改憲論の停滞を打破せよ

櫻井よしこ




停滞の極みにある憲法改正論議に5月3日、安倍晋三首相が斬り込んだ。
➀2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、➁9条1項と2
項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、➂国の基(もとい)は立派
な人材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、という内容だ。
 
それまで弛緩しきっていた憲法改正に関する政界の空気を一変させた大胆
な提言である。大災害時を想定した緊急事態条項でもなく、選挙区の合区
問題でもなく、緊急時の議員の任期の問題でもなく、まさに本丸の9条に
斬り込んだ。
 
9条1項は、平和主義の担保である。2項は「陸海空軍その他の戦力は、こ
れを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」で、軍事力の不保持、
即ち非武装を謳っている。
 
改憲派にとっても1項の維持に異論はない。むしろ1項に込められた日本
国の平和志向を積極的に強調すべきだと考える。
 
問題は2項だ。2項を維持し、如何にして軍隊としての自衛隊の存在を憲法
上正当化し得るのかという疑問は誰しもが抱くだろう。現に、民進党をは
じめ野党は早速反発した。自民党内からも異論が出た。だが、この反応は
安倍首相にとって想定内であり、むしろ歓迎すべきものだろう。
 
矛盾を含んだボールを憲法論議の土俵に直球に近い形で投げ込んだ理由
を、首相は5月1日、中曽根康弘元首相が会長を務める超党派の国会議員の
会、「新憲法制定議員同盟」で明白に語っている。

「いよいよ機は熟してきました。今求められているのは具体的な提案で
す」「政治は結果です。自民党の憲法改正草案をそのまま憲法審査会に提
案するつもりはありません。どんなに立派な案であっても衆参両院で3分
の2を形成できなければ、ただ言っているだけに終わります」
 
約15分間の挨拶で、首相が原稿から離れて繰り返したのは、どんな立派
な案でも衆参両院で3分の2を形成できなければ、ただ言っているだけ、政
治家は評論家ではない、学者でもない、立派なことを言うところに安住の
地を求めてはならない、ということだった。

首相談話を肯定
 
護憲派の評論家や学者はもとより、改憲派の保守陣営にも首相は切っ先
を突きつけている。「口先だけか。現実の政治を見ることなしに、立派な
ことを言うだけか」と。
 
この構図は、安倍首相が戦後70年談話を発表した2年前の夏を連想させ
る。あのとき、首相の歴史観を巡って保守陣営は二分された。首相の歴史
観は欧米諸国の見方であり、日本の立場を十分に反映しておらず、歴史研
究の立場から容認できないとの批判が噴き出した。

その一方で、首相談話は歴史研究の成果を披露するものではなく、中韓両
国が国策として歴史問題で日本を叩き、日本が国際政治の渦中に置かれて
いる中で、日本の立ち位置をどう説明し、如何にして国際世論を味方につ
けるかが問われている局面で出された政治的談話だととらえて評価する見
方もあった。
 
首相談話には、歴史における日本国の立場や主張を十分に打ち出している
とは思えない部分もあった。だが私は後者の立場から、談話の政治的意味
と国際社会における評価を考慮し、談話を肯定した。これと似た構図が今
回の事例にも見てとれる。
 
正しいことを言うのは無論大事だが、現実に即して結果を出せと首相は説
く。その主張は5月9日、国会でも展開された。蓮舫民進党代表が、首相は
国会ではなく読売新聞に改憲の意向を表明したとして責めたのに対し、首
相は、蓮舫氏との質疑応答が行われている予算委員会は行政府の長として
の考えを述べる場であり、自民党総裁としての考えを披瀝すべき場所では
ないと説明した。蓮舫氏は納得せず、その後も憲法の本質、即ち日本が直
面する尋常ならざる脅威、それにどう対処するかなどとは無関係の、本当
につまらない質問に終始した。
 
首相批判もよいが、民進党は党として憲法改正案をまとめることさえでき
ていない。どうするのか。この点を質されると、蓮舫氏は答えることもで
きなかった。
 
民進党だけではない。「結果を出す」次元とは程遠い政界の現状を踏まえ
て、首相が政党と政治家に問うているのは、憲法審査会ができてすでに10
年、なぜ、無為に過ごしているのかということだろう。なぜ、世界情勢の
大激変の中で、日本を変えようとしないのか、それで、国民の命、国土、
領海を守りきれるのか、ということだろう。

ポスト安倍の資格
 
自衛隊を9条に書き入れ、自立するまともな民主主義の国の形に近づけた
い。結果を出すには、加憲の公明党、教育無償化を唱える日本維新の会も
取り込みたい。蓮舫・野田執行部の下で、重要な問題になればなる程まと
まりきれない民進党の改憲派も取り込みたい。

離党はしたが長島昭久氏や、憲法改正私案を出した細野豪志、自衛隊の9
条への明記を求める前原誠司、笠浩史各氏らをはじめ、少なからぬ民進党
議員も賛成できる枠を作りたい。憲法改正の最重要事項である9条2項の削
除を封印してでも、世論の反発を回避して幅広く改憲勢力を結集したい。
そうした思いが今回の政治判断につながっているのは明らかだ。現実的に
見れば首相提言は評価せざるを得ない。
 
安倍政権下での好機を逃せば、改憲は恐らく再び遠のく。「立派なことを
言うだけ」の立場は、この際取るべきではない。首相提言を受けて改正論
議はすでに活性化し始めた。2項と、自衛隊を規定する3項の整合性を保つ
にはどんな案文にするかを大いに議論することが、いま為すべきことだろう。
 
こうして改憲の第一段階をクリアしたとして、次の段階では、まさに9条2
項削除の道を切り開くべきで、その責務を担える人物が次のリーダーだ。
誰がその任に値するのか。
 
ポスト安倍を狙う一人とされている石破茂氏は、首相提言直後のテレビ番
組などで年来の議論の積み重ねを跳び越えるとして首相提案を批判した。
何年も議論ばかりしていること自体が問題なのであり、国際情勢を見れ
ば、日本に時間的余裕などないことを、石破氏は忘れていないか。氏の批
判は手続き論に拘る印象を与えるが、そんなことでは次代のリーダーたり
えないであろう。
 
世界の現実を見て、長期的視点に立って日本国憲法を改めていく覚悟が必
要だ。日本周辺の現実の厳しさと国家としての在り方を考えれば、9条2項
の削除こそが正しい道であるのは揺るがない。その地平に辿りつくまで、
あるべき憲法の実現を目指して闘い続ける責任が、政治家のみならず、私
たち全員にある。

『週刊新潮』 2017年5月25日号 日本ルネッサンス 第753回




2017年05月31日

◆自衛隊は違憲のまま放置すべきでない

櫻井よしこ



「自衛隊は違憲のまま放置すべきでない 国際情勢の厳しい今こそ改正へ
歩みを」



安倍晋三首相が、憲法改正の直球を投げた。現実主義の極みを行くその提
言で、停滞しきっていた憲法改正論議が賛否両論共に、俄かに活性化した。
 
首相は5月3日の「読売新聞」紙上で単独インタビューとして改正への斬新
な考えを披瀝した。同日午後には「民間憲法臨調」などが主催する「公開
憲法フォーラム」へのビデオメッセージで、「読売」に語ったのと同じ内
容を繰り返した。
 
首相が自民党総裁として述べた点は3点である。(1)東京五輪の行われる
2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、(2)9条1項
と2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、(3)国の基は立派な人
材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、である。
 
発言の主旨はこうだ。災害救助を含め、命がけで24時間、365日、領土領
海、日本国民の命を守り抜く任務を果たしているのが自衛隊である。9割
を超える国民が信頼している。他方、多くの憲法学者や政党の一部に、自
衛隊は違憲の存在だと主張する議論がある。「自衛隊は違憲かもしれない
けど、何かあれば命を張って守ってくれ」というのは、余りに無責任だ。
 
こう述べて首相は、「私の世代が何をなし得るかと考えれば、自衛隊を合
憲化することが使命ではないか」と強調した。自衛隊違憲論が生まれる余
地をなくすために、自分の世代で自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置
づけたい。ただし、9条1項と2項をそのまま維持するという提案は大方の
意表を突くものだったはずだ。
 
9条1項は、周知のように「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武
力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
という平和主義の担保である。
 
2項は、「前項の目的を達するため」、即ち、国際紛争解決のための武力
行使はしないという確約のために、「陸海空軍その他の戦力は、これを保
持しない。国の交戦権は、これを認めない」であり、軍事力の不保持、即
ち非武装を明確に謳っている。
 
大半の改憲派にとっても1項の維持に異論はないであろう。むしろ1項に
込められた日本国の平和志向を、1項を残すことで積極的に強調すべきだ
と考える。
 
注目すべきは2項である。「前項の目的を達するため」、つまり侵略戦争
をしないためとはいえ、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」と定めた2項を維持したままで、いかに
して軍隊としての自衛隊の存在を憲法上正当化し得るのかという疑問を、
誰しもが抱くだろう。
 
矛盾を含む発言を「読売」で読んだとき、既視感が生まれた。私の主宰す
るインターネット配信の「言論テレビ」で、昨年暮れ、首相に最も近い記
者の一人といわれる「産経新聞」の石橋文登氏が、自衛隊の存在を3項と
して書き加えることも選択肢の内であると語っていた。
 
憲法で認められない存在という形を、とにかく解消すべきであり、公明党
がどこまで歩みよれるかが、最大の焦点であると氏は指摘し、具体的に3
項のつけ加えに言及したのだ。私は「言論テレビ」でのその発言を、今年
1月14日号の「週刊ダイヤモンド」で報じているが、首相発言と通底する。
 
少々の矛盾は大目的の前には呑み込むのが政治家であり、大目的を達成す
ることが何よりも大事なのだという現実主義が際立つ。
 
国際情勢の厳しさは私たちに現実を見よと教えている。「ウォール・ス
トリート・ジャーナル」紙は「憲法9条が日本の安全を妨げる」と書い
た。自衛隊を違憲の存在として放置し続けるのは決して国民の安全に資す
ることではない。今、改正に取り組みたいものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2017年5月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1183 



2017年05月28日

◆自衛隊は違憲のまま放置すべきでない

櫻井よしこ



「自衛隊は違憲のまま放置すべきでない 国際情勢の厳しい今こそ改正
へ歩みを」


安倍晋三首相が、憲法改正の直球を投げた。現実主義の極みを行くその提
言で、停滞しきっていた憲法改正論議が賛否両論共に、俄かに活性化した。
 
首相は5月3日の「読売新聞」紙上で単独インタビューとして改正への斬新
な考えを披瀝した。同日午後には「民間憲法臨調」などが主催する「公開
憲法フォーラム」へのビデオメッセージで、「読売」に語ったのと同じ内
容を繰り返した。
 
首相が自民党総裁として述べた点は3点である。(1)東京五輪の行われる
2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、(2)9条1項
と2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、(3)国の基は立派な人
材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、である。
 
発言の主旨はこうだ。災害救助を含め、命がけで24時間、365日、領土
領海、日本国民の命を守り抜く任務を果たしているのが自衛隊である。9
割を超える国民が信頼している。他方、多くの憲法学者や政党の一部に、
自衛隊は違憲の存在だと主張する議論がある。「自衛隊は違憲かもしれな
いけど、何かあれば命を張って守ってくれ」というのは、余りに無責任だ。
 
こう述べて首相は、「私の世代が何をなし得るかと考えれば、自衛隊を合
憲化することが使命ではないか」と強調した。自衛隊違憲論が生まれる余
地をなくすために、自分の世代で自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置
づけたい。ただし、9条1項と2項をそのまま維持するという提案は大方の
意表を突くものだったはずだ。
 
9条1項は、周知のように「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武
力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
という平和主義の担保である。
 
2項は、「前項の目的を達するため」、即ち、国際紛争解決のための武力
行使はしないという確約のために、「陸海空軍その他の戦力は、これを保
持しない。国の交戦権は、これを認めない」であり、軍事力の不保持、即
ち非武装を明確に謳っている。
 
大半の改憲派にとっても1項の維持に異論はないであろう。むしろ1項に
込められた日本国の平和志向を、1項を残すことで積極的に強調すべきだ
と考える。
 
注目すべきは2項である。「前項の目的を達するため」、つまり侵略戦争
をしないためとはいえ、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」と定めた2項を維持したままで、いかに
して軍隊としての自衛隊の存在を憲法上正当化し得るのかという疑問を、
誰しもが抱くだろう。
 
矛盾を含む発言を「読売」で読んだとき、既視感が生まれた。私の主宰す
るインターネット配信の「言論テレビ」で、昨年暮れ、首相に最も近い記
者の一人といわれる「産経新聞」の石橋文登氏が、自衛隊の存在を3項と
して書き加えることも選択肢の内であると語っていた。
 
憲法で認められない存在という形を、とにかく解消すべきであり、公明党
がどこまで歩みよれるかが、最大の焦点であると氏は指摘し、具体的に3
項のつけ加えに言及したのだ。私は「言論テレビ」でのその発言を、今年
1月14日号の「週刊ダイヤモンド」で報じているが、首相発言と通底する。
 
少々の矛盾は大目的の前には呑み込むのが政治家であり、大目的を達成す
ることが何よりも大事なのだという現実主義が際立つ。
 
国際情勢の厳しさは私たちに現実を見よと教えている。「ウォール・スト
リート・ジャーナル」紙は「憲法9条が日本の安全を妨げる」と書いた。
自衛隊を違憲の存在として放置し続けるのは決して国民の安全に資するこ
とではない。今、改正に取り組みたいものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2017年5月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1183


2017年05月27日

◆経済政策の具体論見えない共産党

櫻井よしこ



経済政策の具体論見えない共産党 共闘の民進党ともに描けぬ明るい展望 」
連休中に読んだ『共産主義の誤謬』(福冨健一著、中央公論新社)がため
になった。民進党が日本共産党と選挙協力を深めようとするいま、共産党
が一体どんな政策を実現しようとしているのか、知っていればきっと役に
立つ。
 
皇室については「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現
制度は民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない」とし
て、否定する。
 
自衛隊については「憲法9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前
進をはかる」としている。
 
ちなみに( )内の自衛隊の解消という注釈は私がつけたのではなく、共
産党綱領に書いてあるものだ。
 
引用した皇室、自衛隊に関する記述は2004年綱領に明記された内容そのま
まだ。同綱領は現在も維持されていることから、皇室も自衛隊もいずれ廃
止する政党が共産党である。
 
では次に共産党の経済政策はどうか。福冨氏は04年綱領には経済成長のた
めのマクロ経済政策が欠落していると指摘する。経済の大枠を示すことな
く、個々の政策だけを示しても余り意味はない。ロシア経済が破綻しそう
なのも、中国経済が矛盾と問題だらけなのも明らかな中、共産党は綱領に
「旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と明記するが、共産党
の経済政策とは具体的には何か。
 
その前に彼らがどんな国の形を目指しているのかも知っておきたい。共産
党綱領は、日本の課題は、「資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の
社会への前進をはかる社会主義的変革」を行うことだとしている。
 
社会主義的変革とは、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手
に移す生産手段の社会化」だそうで、「社会主義的改革」を推進するに
は、「計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営」が重
要だと結論づけている。
 
こうした文言を読んでも、しかし、具体的な経済政策のイメージは湧いて
こない。福冨氏は「中国で行っているような改革・解放の経済運営なの
か、判然としない」と論評するが、そのとおりだ。氏は、コミンテルン
(共産主義インターナショナル)の日本支部として日本共産党が設立され
た1922年の綱領から04年の綱領まで、全部で7つの綱領(時にテーゼ、或
いは文書、などと表現される)を読んだうえで、共産党が全ての綱領で
「経済の統制を掲げている」ことを指摘する。
 
その一方で、共産党綱領には統制経済の全面的な否定や、私有財産の保障
なども明記されていて、分かりにくい。
 
04年綱領には「主要な生産手段の社会化」が、94年綱領には「大企業の生
産手段の社会化」が謳われているが、具体的にどういうことか。福冨氏
は、共産党幹部会委員長の志位和夫氏が「共産党の統一戦線の対象者」か
ら外す人として「資本金十億円以上の(企業の)役員」と語っているのを
参考に、次のように警告する。

「綱領に具体的記述はないが、仮に資本金十億円以上の企業の国有化を行
えば、株価の暴落、金利の高騰、グローバル企業の撤退、企業の国際競争
力の破綻など、日本経済は壊滅的打撃を受ける危険性がある」
 
共産党は国民に手厚い福祉を保障し、国民が主役の国を目指すと標榜す
る。こうした政策の実現にはしっかりした経済基盤が必要だ。しかし、健
全で成長する経済をどのように実現するのかという点になると、さっぱ
り、展望が見えてこないのが、共産党の問題だ。
 
世界の先進国の中で、共産主義勢力が伸びているのは日本だけだが、理
由として、そのイデオロギーに加えて共産主義経済ではうまくいかないか
らではないか。とまれ、民進党は共産党と共闘するという。私は両党の未
来に全く明るい展望を抱けないでいる。

『週刊ダイヤモンド』 2017年5月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1182

2017年05月26日

◆首相提言で改憲論の停滞を打破せよ

櫻井よしこ




停滞の極みにある憲法改正論議に5月3日、安倍晋三首相が斬り込んだ。
➀2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、➁9条1項と2
項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、➂国の基(もとい)は立派
な人材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、という内容だ。
 
それまで弛緩しきっていた憲法改正に関する政界の空気を一変させた大胆
な提言である。大災害時を想定した緊急事態条項でもなく、選挙区の合区
問題でもなく、緊急時の議員の任期の問題でもなく、まさに本丸の9条に
斬り込んだ。
 
9条1項は、平和主義の担保である。2項は「陸海空軍その他の戦力は、こ
れを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」で、軍事力の不保持、
即ち非武装を謳っている。
 
改憲派にとっても1項の維持に異論はない。むしろ1項に込められた日本
国の平和志向を積極的に強調すべきだと考える。
 
問題は2項だ。2項を維持し、如何にして軍隊としての自衛隊の存在を憲
法上正当化し得るのかという疑問は誰しもが抱くだろう。現に、民進党を
はじめ野党は早速反発した。自民党内からも異論が出た。だが、この反応
は安倍首相にとって想定内であり、むしろ歓迎すべきものだろう。
 
矛盾を含んだボールを憲法論議の土俵に直球に近い形で投げ込んだ理由
を、首相は5月1日、中曽根康弘元首相が会長を務める超党派の国会議員の
会、「新憲法制定議員同盟」で明白に語っている。

「いよいよ機は熟してきました。今求められているのは具体的な提案で
す」「政治は結果です。自民党の憲法改正草案をそのまま憲法審査会に提
案するつもりはありません。どんなに立派な案であっても衆参両院で3分
の2を形成できなければ、ただ言っているだけに終わります」
 
約15分間の挨拶で、首相が原稿から離れて繰り返したのは、どんな立派
な案でも衆参両院で3分の2を形成できなければ、ただ言っているだけ、政
治家は評論家ではない、学者でもない、立派なことを言うところに安住の
地を求めてはならない、ということだった。

首相談話を肯定
 
護憲派の評論家や学者はもとより、改憲派の保守陣営にも首相は切っ先
を突きつけている。「口先だけか。現実の政治を見ることなしに、立派な
ことを言うだけか」と。
 
この構図は、安倍首相が戦後70年談話を発表した2年前の夏を連想させ
る。あのとき、首相の歴史観を巡って保守陣営は2分された。首相の歴史
観は欧米諸国の見方であり、日本の立場を十分に反映しておらず、歴史研
究の立場から容認できないとの批判が噴き出した。その一方で、首相談話
は歴史研究の成果を披露するものではなく、中韓両国が国策として歴史問
題で日本を叩き、日本が国際政治の渦中に置かれている中で、日本の立ち
位置をどう説明し、如何にして国際世論を味方につけるかが問われている
局面で出された政治的談話だととらえて評価する見方もあった。
 
首相談話には、歴史における日本国の立場や主張を十分に打ち出している
とは思えない部分もあった。だが私は後者の立場から、談話の政治的意味
と国際社会における評価を考慮し、談話を肯定した。これと似た構図が今
回の事例にも見てとれる。
 
正しいことを言うのは無論大事だが、現実に即して結果を出せと首相は
説く。その主張は5月9日、国会でも展開された。蓮舫民進党代表が、首相
は国会ではなく読売新聞に改憲の意向を表明したとして責めたのに対し、
首相は、蓮舫氏との質疑応答が行われている予算委員会は行政府の長とし
ての考えを述べる場であり、自民党総裁としての考えを披瀝すべき場所で
はないと説明した。

蓮舫氏は納得せず、その後も憲法の本質、即ち日本が直面する尋常ならざ
る脅威、それにどう対処するかなどとは無関係の、本当につまらない質問
に終始した。
 
首相批判もよいが、民進党は党として憲法改正案をまとめることさえでき
ていない。どうするのか。この点を質されると、蓮舫氏は答えることもで
きなかった。
 
民進党だけではない。「結果を出す」次元とは程遠い政界の現状を踏まえ
て、首相が政党と政治家に問うているのは、憲法審査会ができてすでに10
年、なぜ、無為に過ごしているのかということだろう。なぜ、世界情勢の
大激変の中で、日本を変えようとしないのか、それで、国民の命、国土、
領海を守りきれるのか、ということだろう。

ポスト安倍の資格
 
自衛隊を9条に書き入れ、自立するまともな民主主義の国の形に近づけた
い。結果を出すには、加憲の公明党、教育無償化を唱える日本維新の会も
取り込みたい。蓮舫・野田執行部の下で、重要な問題になればなる程まと
まりきれない民進党の改憲派も取り込みたい。

離党はしたが長島昭久氏や、憲法改正私案を出した細野豪志、自衛隊の9
条への明記を求める前原誠司、笠浩史各氏らをはじめ、少なからぬ民進党
議員も賛成できる枠を作りたい。憲法改正の最重要事項である9条2項の削
除を封印してでも、世論の反発を回避して幅広く改憲勢力を結集したい。
そうした思いが今回の政治判断につながっているのは明らかだ。現実的に
見れば首相提言は評価せざるを得ない。
 
安倍政権下での好機を逃せば、改憲は恐らく再び遠のく。「立派なこと
を言うだけ」の立場は、この際取るべきではない。首相提言を受けて改正
論議はすでに活性化し始めた。2項と、自衛隊を規定する3項の整合性を保
つにはどんな案文にするかを大いに議論することが、いま為すべきことだ
ろう。
 
こうして改憲の第一段階をクリアしたとして、次の段階では、まさに9条2
項削除の道を切り開くべきで、その責務を担える人物が次のリーダーだ。
誰がその任に値するのか。
 
ポスト安倍を狙う一人とされている石破茂氏は、首相提言直後のテレビ番
組などで年来の議論の積み重ねを跳び越えるとして首相提案を批判した。
何年も議論ばかりしていること自体が問題なのであり、国際情勢を見れ
ば、日本に時間的余裕などないことを、石破氏は忘れていないか。氏の批
判は手続き論に拘る印象を与えるが、そんなことでは次代のリーダーたり
えないであろう。
 
世界の現実を見て、長期的視点に立って日本国憲法を改めていく覚悟が
必要だ。日本周辺の現実の厳しさと国家としての在り方を考えれば、9条2
項の削除こそが正しい道であるのは揺るがない。その地平に辿りつくま
で、あるべき憲法の実現を目指して闘い続ける責任が、政治家のみなら
ず、私たち全員にある。
『週刊新潮』 2017年5月25日号 日本ルネッサンス 第753回


2017年05月22日

◆戦後70年を経て再演された「海道東征」

櫻井よしこ



「戦後70年を経て再演された「海道東征」と根源的な自然の力宿す高千
穂の巡り合わせ 」

過日、偶然が重なって日本をお創りになった神々の世界に触れることがで
きた。感動の重なりで心が充たされる経験だった。
 
4月19日、東京で「産経新聞」主催のコンサートがあり、初めて「海道東
征(かいどうとうせい)」を聴いた。周囲の人たちに尋ねても海道東征の
ことを知っている人は多くはなかった。私とて詳しいわけでは、全くない。
 
これは昭和15年に日本建国2600年を祝って北原白秋作詞、信時(のぶと
き)潔の作曲で作られた交声曲だ。
 
しかし、日本が敗戦すると、この作品は軍国主義に結びつけられ、全く演
奏されなくなった。戦後、海道東征が再び演じられたのは、戦後70年が過
ぎた大阪でのことである。今回は、従って関東では戦後初めての演奏だ。

『古事記』は、日本国の誕生を、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざ
なみ)の国生みから始まり、天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこ
と)が地上に降り立つ物語として伝えている。
 
神々の住む天上の世界、高天原(たかまのはら)から日向の国の高千穂
の峰に降り立った瓊瓊杵尊のひ孫の神様たちが、高千穂の山を後にし、東
に進んで大和朝廷を開いた。それが日本の皇室の始まりであり、初代天皇
が神武天皇である。海道東征はこの日本誕生、民族生成の物語を描いている。
 
海道東征を堪能した3日後、私は高千穂に出かけた。1年以上前から決
まっていた日程である。それにしてもなんという偶然だろうか。朝一番の
便で熊本空港に飛び、そこから2時間、車で走った。途中、阿蘇連山を見
ながら平野を走り、幾つも山を越え、里を過ぎ、川を渡った。街道沿いに
水仙が咲き乱れ、芝桜が色鮮やかに広がる。八重桜は満開だった。山々は
萌え出る若緑におおわれ笑っていた。その山々の新緑を駆け抜ける道中
だった。
 
そして辿り着いた所が、まさに海道東征の起点、日本の神々の故郷だっ
た。瓊瓊杵尊は天上の世界を離れ「群臣を率いて八重にたなびく雲を押し
わけ、威風堂々と日向の高千穂の二上(ふたがみ)の峰にお降りになっ
た」と『日向国風土記』は伝えている。
 
高千穂神社の宮司、後藤俊彦氏の案内で同神社を参拝した。後藤氏は二
上山に加えて、もうひとつ、「記紀」が伝える降臨の地に「槵触(くじふ
る)岳」があると説明した。高千穂神社は二上山と槵触(くじふる)の峰
を結ぶ中間に位置するそうだ。
 
この神社は、瓊瓊杵尊をはじめ、神武天皇までの神々を御祭神とし、天照
大御神を祭る伊勢神宮と同時代に建てられたという。ということは約1700
年前のことである。
 
高千穂神社は長い長い時を経て、清らかな姿で建っていた。山の上の平
地、即ち山頂であるために境内は決して広くはない。そこに樹齢800年の
杉の大木がどっしりと立っている。思わず木肌に触れてみた。あたたか
い。ずっと日本を見詰め、守ってきてくれた、神宿る大木のあたたかさで
ある。
 
高千穂神社を戴く峰を下って、すぐ隣りの峰といってよい所に槵触(く
じふる)岳がある。登ると、地上に降り立った神々が、高天原を仰ぎ見た
という「高天原遥拝」の地もある。
 
高千穂の街を歩けば、至る所に神話が満ちている。深い山々はそれ自体
が神々の存在を実感させる。清らかな水の湧き出る様子は、人も里も神々
に抱かれていることを感じさせる。
 
高千穂はそれ自体が根源的な自然の力を宿す場所だ。神々の生きた世を
現在に伝える地でもある。敢えて言葉にせずとも、自然と共にある日本の
国柄を実感させてくれる地である。どの人にもぜひ一度ゆっくりと訪ねて
みてほしいと思う。
 
海道東征の鑑賞と高千穂行きが同時に起きたこの巡り合わせは、日本を
お創りになった神々が、もっと深く日本を知りなさい、感じなさいと、励
まし配慮して下さっているからだろうと、私は深く感じ入っている。
『週刊ダイヤモンド』 2017年5月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1181


2017年05月21日

◆経済政策の具体論見えない共産党

櫻井よしこ



「経済政策の具体論見えない共産党 共闘の民進党ともに描けぬ明るい
展望」

連休中に読んだ『共産主義の誤謬』(福冨健一著、中央公論新社)がため
になった。民進党が日本共産党と選挙協力を深めようとするいま、共産党
が一体どんな政策を実現しようとしているのか、知っていればきっと役に
立つ。
 
皇室については「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという
現制度は民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない」とし
て、否定する。
 
自衛隊については「憲法9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての
前進をはかる」としている。
 
ちなみに( )内の自衛隊の解消という注釈は私がつけたのではなく、共
産党綱領に書いてあるものだ。
 
引用した皇室、自衛隊に関する記述は2004年綱領に明記された内容その
ままだ。同綱領は現在も維持されていることから、皇室も自衛隊もいずれ
廃止する政党が共産党である。
 
では次に共産党の経済政策はどうか。福冨氏は04年綱領には経済成長のた
めのマクロ経済政策が欠落していると指摘する。経済の大枠を示すことな
く、個々の政策だけを示しても余り意味はない。ロシア経済が破綻しそう
なのも、中国経済が矛盾と問題だらけなのも明らかな中、共産党は綱領に
「旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と明記するが、共産党
の経済政策とは具体的には何か。
 
その前に彼らがどんな国の形を目指しているのかも知っておきたい。共産
党綱領は、日本の課題は、「資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の
社会への前進をはかる社会主義的変革」を行うことだとしている。
 
社会主義的変革とは、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手
に移す生産手段の社会化」だそうで、「社会主義的改革」を推進するに
は、「計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営」が重
要だと結論づけている。
 
こうした文言を読んでも、しかし、具体的な経済政策のイメージは湧いて
こない。福冨氏は「中国で行っているような改革・解放の経済運営なの
か、判然としない」と論評するが、そのとおりだ。氏は、コミンテルン
(共産主義インターナショナル)の日本支部として日本共産党が設立され
た1922年の綱領から04年の綱領まで、全部で7つの綱領(時にテーゼ、或
いは文書、などと表現される)を読んだうえで、共産党が全ての綱領で
「経済の統制を掲げている」ことを指摘する。
 
その一方で、共産党綱領には統制経済の全面的な否定や、私有財産の保障
なども明記されていて、分かりにくい。
 
04年綱領には「主要な生産手段の社会化」が、94年綱領には「大企業の生
産手段の社会化」が謳われているが、具体的にどういうことか。福冨氏
は、共産党幹部会委員長の志位和夫氏が「共産党の統一戦線の対象者」か
ら外す人として「資本金十億円以上の(企業の)役員」と語っているのを
参考に、次のように警告する。

「綱領に具体的記述はないが、仮に資本金10億円以上の企業の国有化を行
えば、株価の暴落、金利の高騰、グローバル企業の撤退、企業の国際競争
力の破綻など、日本経済は壊滅的打撃を受ける危険性がある」
 
共産党は国民に手厚い福祉を保障し、国民が主役の国を目指すと標榜す
る。こうした政策の実現にはしっかりした経済基盤が必要だ。しかし、健
全で成長する経済をどのように実現するのかという点になると、さっぱ
り、展望が見えてこないのが、共産党の問題だ。
 
世界の先進国の中で、共産主義勢力が伸びているのは日本だけだが、理
由として、そのイデオロギーに加えて共産主義経済ではうまくいかないか
らではないか。とまれ、民進党は共産党と共闘するという。私は両党の未
来に全く明るい展望を抱けないでいる。


『週刊ダイヤモンド』 2017年5月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1182

2017年05月19日

◆離党後、真価が問われる長島氏

櫻井よしこ



「言論テレビ」で衆議院議員の長島昭久氏が語った。これまで幾度か、離
党の意向を示して揺れた氏が本当に民進党を離党した。決断は如何にして
なされたか。

「蓮舫氏が代表選挙に出た昨年9月、私は共産党との関係を白紙に戻すこ
となどを要請しました。しかし、蓮舫氏は何もしませんでした」
 
民進党は「次の選挙」や「国会の次の質問」など、眼前の課題や、蓮舫氏
の二重国籍問題にとらわれ、長期戦略を考えられないと指摘する。

「日米安保、自衛隊、皇室、私有財産、エネルギー、テロ等準備罪。共産
党と折り合えない事案を全部曖昧にして選挙協力する。政権を共に担うこ
とはしないから、受け入れてほしいというのは通用しない。有権者に対し
て不誠実です。これが私の最終決断の理由です」

「2009年に政権をとるまでは、当時の民主党は現実的でした。政権を担う
ため政策を練り、賛否を決めた。03年の有事法制は与党と折り合って賛成
した。しかし、2年前の安保法制は完全に政局にしてしまった。テロ等準
備罪も反対、TPPも消費税も自分たちが提案したのに反対。全て、何で
も反対になっていった」
 
そう語る長島氏自身、安保法制に反対した。政治家としての信条を曲げた
と批判されても仕方がない行動だったのは事実だ。氏は語る。

「僕らは以前は、共産党を外して自民党と競った。いまは共産党に引っ張
られて、かつてのような現実を見詰めた議論はなくなっています。安倍首
相が右なら、民進党は左というふうに、反安倍を旗印にした全員集合体制
で、議論は不毛な二極分化に突き進んでいます」
 
共産党との選挙協力について、党内議論は殆んどないとも氏は語る。

「選挙を有利に戦いたいという思いばかりが先行しています。私の選挙区
(東京21区)では前回、共産党候補者が3万5000票とりました。共産党候
補が不出馬なら、その票は恐らく民進党により多く流れるだろうという期
待、これだけなんです」

「そのようなまとまり方で、もう一度政権交代だ、2大政党制を実現する
と考えるのが民進党現執行部でしょう。完全な空回りです。私は2大政党
制はすでに幻想だと思います」

共産主義化を目的
 
では長島氏はこれからどのような政治活動を目指すのか。

「日本は、ドイツのような複数政党による連立政権に向かうのがよいと考
えます。自分は、保守の枠組みの中で現実直視の政策を推進する力になり
たい」
 
月刊誌『正論』6月号に、氏は「真の保守を標榜する立場から言論空間に
おける左右と国会における与野党の主張を包摂し」「中庸の思想」を実践
したい旨、書いている。
 
長年の交流がある氏だけに、非常に違和感を覚えると言わなければなら
ないのが残念だ。右と左を「足して2で割る」という単純な話ではない
と、氏は断っているが、世界情勢が大変革を遂げる中で、いま、日本が行
うべきことは、中庸ではないだろう。「真の保守」という言葉にどんな意
味を込めているのか、改めて、政治家としての氏の覚悟を聞きたいと感ず
る次第である。
 
それにしても、迷走を続ける民進党を去るという意味で、氏に続く政治家
はいないのか。鷲尾英一郎、吉良州司、北神圭朗各氏らの顔が浮かぶ。民
進党の現状に不満を持つ原口一博、前原誠司、細野豪志各氏らはどうか。
 
彼らが民進党に、いまより危機感を強め離党に傾く時は意外と早いかも
しれないと、実は私は考える。理由は明白だ。民進党が共産党に接近すれ
ばする程、民進党は変質し、食われてしまうからだ。
 
党員30万人、党支部2万、地方議員2800人超という基盤をもつ共産党に比
べて、民進党の組織は脆弱極まる。一旦協力すれば飲み込まれるのは確実
だ。飲み込む共産党は『日本共産党研究』(産経新聞政治部著、産経新聞
出版)で指摘されたように、「普通の野党ではない」。彼らは、1922年、
旧ソ連のモスクワに本部を置くコミンテルン(共産主義インターナショナ
ル)の日本支部として誕生した。全世界の共産主義化を目的とするコミン
テルンの「日本支部」である。
 
他の政党とは異質な共産党の本質を、『共産主義の誤謬』(中央公論新
社)で、福冨健一氏が非常にわかり易く描いている。氏はまず、世界の先
進国でいまも共産党が躍進しているのは日本だけであり、日本共産党の綱
領は「コミンテルンで承認された内容」だと警告する。他党、たとえば自
民党が自民党の政治家と党員の意見を反映させて党綱領を決定するのとは
異なるのだ。

危険な安全保障政策
 
日本共産党はどのような国の形を目指しているのか。5月3日、BSフジ
の「プライムニュース」で小池晃共産党書記局長は「天皇のいない日本国
は想像できない」という趣旨の発言をした。一方、共産党の04年綱領に
は、「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民
主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、天皇の制度は憲
法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意
によって解決されるべき」だと書かれている。
 
不破哲三氏は『日本共産党綱領を読む』(新日本出版社)で「民主主義
の徹底のためには天皇制はない方がいい」と明記し、志位和夫委員長は12
年1月10日、共産党本部の「綱領教室」で「日本の将来の発展の方向とし
ては、天皇の制度のない、民主共和制を目標とする」と語った。
 
小池氏の発言とは裏腹に、共産党が党として、皇室廃止を確たる目的と
して掲げているのは明らかだ。
 
次に自衛隊についての共産党の方針である。福冨氏はそれを、➀日米安保
条約の廃棄、アメリカ軍とその軍事基地の撤退、➁いかなる軍事同盟にも
不参加、➂憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かって前進、とまと
めた。
 
これでは日本は全く無防備になってしまう。こんな危険な安全保障政策を
採用するのは、コミンテルンの日本支部として誕生した日本共産党の闘う
相手は、外国でなく日本だからなのだという説明が、共産党の本質を抉り
出しているのではないか。
 
立花隆氏も『日本共産党の研究(二)』(講談社文庫)で、共産党は
「日ソ戦が起きたら、日本が敗北しソ連が勝つように全力をつくし、その
ためには赤軍に協力し、国内で赤軍の攻勢に呼応して内乱を起こし、その
内乱の成功のためには赤軍の協力を求める」と書いた。
 
ソフトなイメージ戦略の背後に、コミンテルン由来の綱領がある。民進党
はこのような共産党と共同歩調をとるのか。そのことに抗して除名された
長島氏は、政治生命を賭けて激しく闘い続けるしかないだろう。
『週刊新潮』 2017年5月18日号 日本ルネッサンス 第753回


2017年05月17日

◆国益重なる蔡総統の台湾と日台関係強化を

櫻井よしこ




「国益重なる蔡総統の台湾と日台関係強化を 関係法の議論だけでも現政
権の支えに」

台湾総統の蔡英文氏の試練が続いている。2016年初めの総統選挙で台湾
(本省)人の政党である民進党を率いて、外省人の政党、国民党に歴史的
勝利をおさめた。16年5月に総統に就任以降、国民党政権の負の遺産を振
り払おうと攻勢をかけてきた。

昨年12月2日には、その前の月に米大統領選挙で勝利したドナルド・トラ
ンプ氏と電話会談を実現させて国際社会の注目を浴びた。安倍晋三首相と
も近い関係にある。台湾を中国の脅威から守るために、日米両国と緊密な
関係を構築すべく、蔡氏は余念がない。
 
だが、支持率が下がっている。総統就任時の69・9%が、いま、どの調査
でも約半分に落ちている。なぜか。蔡氏を支持してきた元駐日台湾代表の
許世楷氏が語る。

「ひとつは人事に問題があるかもしれません。折角台湾人の、しかも初の
女性総統となったのに、閣僚にライバル政党の国民党の人材が少なからず
入っています」
 
行政院長(首相)の林全氏、外交部長(外相)の李大維氏、それに国防部
長(国防相)の馮世寛氏も皆、国民党に所属する。中国関係を担当する大
陸委員会主任(代表)の張小月氏は国民党員ではないが、馬英九政権の人
材である。

「台湾人が勝利して本省人の政権ができたのに、なぜ、外省人を重用し続
けるのか。外省人が重要ポストを占めているため、中国の脅威に抗い、台
湾の立場を強化するための日本やアメリカとの関係強化が思うように進ん
でいないと見る人もいます。そうしたことへの不満は強いと思います」
(許氏)

許氏の懸念は政策にも及ぶ。現在、台湾議会で審議されている年金制度
改革がそれである。台湾の公務員、教師、軍人などは、定年まで無事に務
め上げて退職金を得た場合、銀行に預ければ、18%という極めて高い利子
を受け取れる仕組みになっている。
 
これは国民党が台湾のエリート層を取り込むために導入した制度だが、同
制度を享受している人々にとって、蔡氏の改革は受け入れ難いであろう。
だが、非現実的な高額の支払いを継続すれば年金制度自体が破綻しかねな
い。そこで蔡氏は同制度の廃止を提案した。これに対して、警察発表でも
12万人という大規模デモが発生した。
 
台湾問題に詳しい門田隆将氏はこう語る。

「蔡さんは非常に頭がよく高潔な人物ですが、庶民の暮しに密着する年金
問題に手をつけることの政治的リスクをまだ十分には知らないのではない
か。このままでは年金制度が破綻して長期的には台湾人が苦しむことにな
る。だから改革だという論理は正しいのですが、それは学者の論です」
 
こうした状況を、百戦錬磨の国民党は巧みに利用して反蔡氏の宣伝を強化
する。殆どのメディアは国民党の資本であり、反民進党だ。加えて国民党
にとって政治宣伝は得意中の得意の分野だ。反蔡氏の情報戦にはまた、中
国本土が陰に陽に介入していると考えるべきで、彼らの手法は巧みかつ陰
湿だ。
 
台湾人で日本国籍を取得した金美齢氏は、「政治は日本も台湾も同じ。長
い目で見ることが大事」と笑う。

「トップが変わっても、その下は中々変わりません。それでも日本は国力
があり、官僚機構もしっかりしていますが、台湾はずっと国民党の支配下
にあったのです。蔡政権が国民党の人材を登用せざるを得ないのも、野党
であり続けた民進党に人材が不足しているからで、必要なことなのです」
(金氏)
 
日本ができることは何か。日本と蔡氏の台湾で、国益が重なる部分が多
いのは自明だ。であれば、こんな時こそ、日台関係強化策として、台湾関
係法の議論を進めるべきではないか。議論するだけでも台湾の蔡政権への
大きな支えとなるのは明らかだ。
『週刊ダイヤモンド』 2017年4月29日・5月6日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1180

2017年05月15日

◆若い世代へ贈る、「海道東征」と「海ゆかば」

櫻井よしこ




4月19日、池袋の東京芸術劇場で、関東では戦後初めて、「海道東征(か
いどうとうせい)」が歌われた。大阪では「産経新聞」の主催でこれまで
に2度、演奏されているが、残念乍ら私は聴く機会がなかった。
 
今回も主催は産経。東京公演だというので早速申し込んで驚いた。2000席
分の切符が完売だそうだ。そんなに多くのファンがいるのか。私は張り
切って、私より一世代若い女性たちにも声を掛けた。

「海道東征」は、日本建国の神話を交声曲で描いた名曲である。昭和15年
に「皇紀2600年奉祝行事」のために書かれた。詩は北原白秋、曲は信時
(のぶとき)潔である。
 
民族生成の美しい歌でありながら、昭和20年の敗戦で、軍国主義などに結
びつけられて長年葬り去られていた。作品は、戦後全くと言ってよい程、
世に出ることがなかったのであるから、私もそうだが、声を掛けた70年
代、80年代生まれの若い人たちが「海道東征」について知らないのも当然
である。

なんといっても、米軍の占領が終わって独立を回復してから、日本では、
社会でも学校でも家庭でも、わが国の歴史や神話、民族の成り立ちなど、
ほとんど教えてこなかったのだから。
 
コンサートは、結論から言えば、本当にすばらしかった。堪能した。
 
プログラムの前半で「管弦楽のための『神話』〜天の岩屋戸の物語によ
る〜」が演奏された。
 
天照大御神が天岩屋戸の中にお隠れになり、世界が闇に閉ざされてしま
う。ちなみに古事記にはこのとき、天上も地上も共に闇に包まれたと書か
れている。天照大御神は両方の世界を照らしておられるのだ。神々は大い
に困り、何とか天照にお出になっていただきたいと工夫を凝らす。
 
ここでナガナキドリが一声、高く大きく鳴くのである。それをトランペッ
トが巧みに表現していた。

日本の始まり
 
伊勢神宮の20年毎のご遷宮では、古いお社から新しいお社に神様がお移り
になるとき、まず、鳥が一声、鳴く。ご遷宮ではその場面は「カケコー」
と声を発することで表現されるが、コンサートでは、トランペットだっ
た。神様と鳥はご縁が深い。
 
さて、鳥の声を合図に神々が肌も露わに踊り始め、賑やかな宴が始まる。
岩の向こう側から楽し気な笑いさざめく声が聞こえる。岩屋戸の中にお隠
れだった天照大御神は何事かと好奇心をそそられ、思わず、ちょっとだけ
岩屋戸を押し開け、覗いてしまうのだ。
 
その瞬間に、力持ちの神、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩の
隙間に手を差し込んで天照大御神が戻らないように腕をとり、もう一度、
お出ましを願う。すると陽光は戻り、天上も地上も、世の中は再び明るく
なる。天照は機嫌をなおし、心優しい日本の神々と共に、この大和の国を
再びお見守りになるのだが、演奏にはこの場面でボンゴなどが使われていた。
 
天照大御神が戻って下さったうれしさに神様たちが喜んで歌い踊る場面
が、絵になって浮かんでくるような楽しい演奏だった。
 
第2部が、いよいよ、「海道東征」である。神々がおわす天上の国、高天
原(たかまがはら)から、天照大御神の孫の神様、瓊瓊杵尊(ににぎのみ
こと)が日向の国の高千穂の峰に降臨なさった。
 
北原白秋はこの日本の始まりを「海道東征」の第1章とし、「高千穂」と
題した。格調高く、バリトンの原田圭氏が、瓊瓊杵尊の高千穂の峰への降
臨を歌い上げた。
 
第2章は「大和思慕」である。
 
「大和は国のまほろば、
たたなづく青垣山。
東(ひむがし)や国の中央(もなか)、
とりよろふ青垣山」
 
その旋律に心が引き込まれる。
 
第3章は「御船出」である。瓊瓊杵尊から数えて3代目、4人の皇子が日向
を発って大和平定の旅に出た場面である。
 
「日はのぼる、旗雲(はたぐも)の豊(とよ)の茜(あかね)に、
いざ御船出(みふねい)でませや、
うまし美々津(みみつ)を」
 
光の中に船出する皇子たちの姿が目に浮かぶ。東へ向かう途中で荒ぶる
神々との戦いがあり、嵐があり、4人の皇子の3人までもが命を落とす。
末っ子の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が大和に到
達し、東征の事業を成し遂げるが、この神様が日本国の初代天皇、神武天
皇になられた。
 
こうして「海道東征」は第8章まで続く。時に美しく、時に力強く、清く
澄みきった喜びに満ちた交声曲である。「海道東征」について何も知らな
かった若い女性たちも、楽しんでいた。彼女たちはきっと、これから日本
の神話や歴史に、また新たな角度から興味を抱くのではないかと、私はう
れしく感じたことだ。

先人たちの言葉
 
最後にアンコール曲として「海ゆかば」が演奏された。大伴家持の詩に信
時が曲をつけた。多くの人が立ち上がり、合唱した。私の隣りの方は朗々
と歌った。

「海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山ゆかば 草むす屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かえりみはせじ」
 
教育勅語は、天皇のために死なせる教育だという的外れな批判が生まれる
いま、「海ゆかば」の詩に、スンナリ入っていけない人も多いかもしれな
い。山折哲雄氏が『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画)で「屍
とは何か」と題して書いている。
 
掻い摘まんで言えば、万葉集の挽歌でわかるように、死者の屍とは「たん
なる魂の抜け殻」だというのだ。人はひとたび死ねば、その魂は亡骸から
離脱し、山の頂や海の彼方、空行く魂となって、この国の行方を静かに見
守ってくれる。あとに残された屍には何の執着も見せない。それがかつて
の日本人の、人の最期をみとるときの愛情であり、たしなみであった、と。
 
同書で谷川俊太郎氏は「子どもの私はそれまでも音楽がきらいではなかっ
たが、音楽にほんとうにこころとからだを揺さぶられたのは、『海ゆか
ば』が最初だった」「私が愛聴したのが北原白秋詩・信時潔曲の『海道東
征』だ」と書いた。
 
私の友人でもあった松本健一氏は、同書で、演出家で作家の久世光彦氏の
文章を紹介している。

「『海ゆかば』を目をつむって聴いてみるといい。これを聴いていったい
誰が好戦的な気持ちになるだろう。・・・私は『海ゆかば』の彼方に日本の
山河を見る。・・・美しい私たちの山河を護るために、死んでいった従兄た
ちの面影を見る」
 
松本氏も、久世氏も、亡くなってしまった。けれど、彼らの言葉はどれも
みんな、私の心に沁みる。コンサートホール一杯に広がった「海ゆかば」
の合唱に、静かに感動した。
 
若い女性の友人たちは、「海ゆかば」にとっつきにくいようだった。だか
らこうした先人たちの言葉を、私は彼女たちにそっと捧げてみたい。

『週刊新潮』 2017年5月4・11日合併号 日本ルネッサンス 第752回


2017年05月06日

◆北朝鮮に通じるか、トランプの手法

櫻井よしこ
 


4月6、7の両日、フロリダで開かれた米中首脳会談で、米中関係はどこま
で進展したのか。そのことについてヒントになる事例が目についた。マイ
ク・ペンス米副大統領のソウル訪問に合わせて、4月16日、ホワイトハウ
スが同行記者団に行ったブリーフィングである。
 
ホワイトハウス高官はアメリカが急いできた韓国への高高度防衛ミサイル
(THAAD)の配備及び運用開始の時期について、作業を急がないと
語ったという。「まだいくつか必要な作業があり、韓国の新大統領が決ま
るまで流動的だ」「配備は次期大統領が決定すべきで、5月前半が適当
だ」などと発言したと報じられた。
 
これまで、次期大統領が選ばれる前に、何としてでもTHAAD配備を完
了し、運用を開始して、実績を作りたいとしてきたアメリカが、なぜい
ま、このように変化したのか。北朝鮮のミサイル発射や核実験の危険性は
少しもなくなっていない。
 
中国問題に関して一目も二目も置かれている産経新聞外信部編集委員、
矢板明夫氏は、北朝鮮問題で中国の協力を要請したアメリカが、中国の前
向きな反応を得て、彼らに配慮した可能性を指摘する。アメリカは今も昔
も中国は北朝鮮抑止に力を発揮できると考えている。他方、習近平氏はと
りわけいま、アメリカの協力を必要とし、対立関係に陥ることを最大限回
避している。合意の下地があるということだ。
 
習氏がどれだけアメリカとの対立を回避したかったかは、4月12日に行
われた国連安全保障理事会で、シリアのサリンガス攻撃についての調査に
関する決議案の採決を、中国が棄権したことにも見てとれる。ロシアは拒
否権を行使してアサド大統領を守った。中国もこれまで6回、ロシアと共
に拒否権を行使してきたが、今回は棄権にまわった。トランプ大統領は決
議案採決の前日に電話会談で習氏に協力を依頼したと語っている。中国は
ロシアと距離をおき、アメリカに接近したのだ。

20世紀の個人崇拝

「過去6回もシリアのために拒否権を行使して、アメリカに反対した中国
が、今回、アメリカに従ったことが明確になりました」と矢板氏。
 
氏はさらに説明した。

「米中首脳会談を、どうしても成功させなければならない立場に、習氏は
ありました。8月には最も重要な北戴河会議が、秋には党大会がありま
す。それが終わるまで、アメリカには問題を起こしてほしくない。そのた
めにはトランプ氏とよい関係を構築しなければならない。これが習氏が訪
米した背景です」
 
習氏はいま党組織改革を目論んでおり、8月に河北省の避暑地、北戴河
で開かれる中国共産党長老たちの会議で了承を得なければならない。習氏
は昨年秋、自身を毛沢東に匹敵する党の「核心」として位置づけた。今年
の組織改革では、政治局常務委員会を無力化し、党主席、つまり習氏1人
に権力を集中させる「中央委員会主席」という役職を新設すると報じられ
ている。
 
21世紀の中国を20世紀の個人崇拝の時代に引き戻すと懸念されている組織
改革には、まず長老たちの間に強い反対の声があると言われている。長老
の反対論を抑え、党大会の了承を得るために、習氏は全ての問題を巧く取
り仕切らなければならない状況にある。
 
韓国へのTHAAD配備には、中国全体がとりわけ敏感になっている。
国をあげて韓国製品の不買運動を展開している最中である。旅行者も制限
して韓国を締め上げ、配備を止めさせようとしているのが中国だ。
 
そうした習氏の思惑や中国の事情をトランプ氏が取り引きの材料に使った
のか。
 
習氏が目指した訪米の目的が、党大会まで、アメリカに大人しくしてい
てもらうことだったのであれば、THAAD配備の先延ばしは明確な成果
であろう。しかし、夏、或いは秋まで延ばすことは、北朝鮮のミサイル迎
撃という観点からは考えにくい。となると、アメリカ側は中国の北朝鮮対
策を見ながら、配備のタイミングを調整する可能性もある。
 
このように推測する理由に、トランプ氏の対中国発言が首脳会談後、大い
に和らいでいることがある。4月13日、「ウォール・ストリート・ジャー
ナル」(WSJ)紙は氏の単独インタビューに基づく複数の記事とコラム
を掲載した。「トランプと習、緊張転じて合性よし」というコラムにはト
ランプ氏のこんな発言がある。

「我々の合性は抜群だ。私は彼がとても好きだ。彼の妻もすばらしい」
 
トランプ氏はさらに語っている。

「冒頭の初顔合わせは10分か15分の予定だった。それが、3時間も話し込
んだ」「翌日、また10分のところが2時間も会話した。本当に気が合うんだ」

北朝鮮への支援
 
中国や習氏に対するこの熱く高い評価は、暫く前の発言とは正反対だ。
WSJは、トランプ氏が次々に政策を反転させていると指摘したが、プー
チン氏への評価は負の方向に大逆転させた。
 
70分間のインタビューでトランプ氏は、メディアはプーチン大統領との関
係を書きたてるが「私はプーチンのことなど知らない」と素っ気なく繰り
返している。
 
トランプ氏はかつて為替操作国だとなじった中国に、もはやそのような
レッテルは貼らないと変化した。アメリカの輸出入銀行は不要だと切り捨
てていたのを、中小企業支援のためにこれからも支えるとした。NATO
は無用だと悪口雑言だったのが、いまは非常に重要な同盟だと評価する。
なぜ変わるのかと質問されて、トランプ氏は答えた。

「全ての事案の重要性はとてつもなく大きく、全ての決定がとてつもなく
大きい。わかってるだろ、生か死かの問題なんだ。うまくディールできる
かどうかの話ではないんだ」
 
トランプ氏は、中国は簡単に北朝鮮問題を解決できると考えていたが、習
氏の説明に「最初の10分間で、それほど容易なことではないとわかった」
と語っている。それでも恐らく中国は約束したのではないか。トランプ氏
は中国が直ちに北朝鮮をコントロールできなくとも、暫く待つ姿勢を示し
ているのではないか。もしそうならうまく行かないと、矢板氏は見る。

「中朝関係は制裁では動かない。経済的に締め上げてもダメ。お金を与え
れば別ですが」
 
中国はこのことをよく知っている。アメリカが要求するように北朝鮮へ
の支援を止めれば、そこにロシアが介入して、北朝鮮をロシア陣営に引き
込む。従って中国は支援を止められない。北朝鮮抑止を中国に任せること
自体、何度も失敗してきた。そのことをトランプ政権は、いまから学ぼう
としているのか。

『週刊新潮』 2017年4月27日 日本ルネッサンス 第751回