2019年05月23日

◆台湾が危ない、中国の侵略阻止に力を貸せ

櫻井よしこ


週末、東京・池袋のホテルで、台湾の与党民進党の前行政院長(首相)、
頼清徳氏に取材した。一言で言えば爽やかな感じの人物だ。台湾出身の金
美齢氏は、「政界一の美男」と評したが、むしろ「穏やかな知性の人」と
いう印象が先に立つ。

頼氏は59歳、元々内科医だった。政界に転じ、立法委員(国会議員)、台
南市長を経て2017年9月に蔡英文政権の行政院長に就任、今年1月に職を辞
し、来年1月の総統選挙に名乗りを上げた。

心意気やよし。しかし、頼氏の前には、穏やかな知性だけでは到底越えら
れないハードルが2つある。➀民進党内の選挙で党の候補者に選ばれるこ
と、➁本選挙で国民党に勝つこと、である。

まず民進党内の相手候補は現職の蔡総統(62)だ。党内の支持は頼氏優位
だが、蔡氏が猛烈に巻き返している。その激しい選挙戦の最中、頼氏は8
日から5日間日本に滞在した。森喜朗氏ら元首相3人を手始めに、自民党の
要人数十人と会い、政界人脈をアピールした。日本の大手メディアも取材
に走り、日本側の関心の高さは台湾でも報じられた。訪日によって、頼氏
の選挙運動に弾みがつく可能性もある。

日本にとっても頼氏の台湾総統就任は非常に望ましい。第一に氏は馬英九
氏に代表される国民党の政治家のような親中派ではない。むしろ熊本地震
の時には、台湾の人々の義援金を抱えていち早く被災地に駆けつけた大変
な親日家である。台湾と日本の間には家族のようなつながりがあるとも語
る頼氏は後に詳述する蔡氏の少々冷めた対日姿勢とは異なるあたたかさが
ある。そのような頼氏への日本政界の期待も大きい。

来日の目的について問うた私に、氏は答えた。

「台湾はいま一番大事な時期にあります。中国の脅威はかつてなく深刻で
す。中国の脅威に押し潰されては台湾は生き残れません。台湾人にとって
最も親密な隣国である日本と、中国を含めた国際情勢に関する認識を共有
したい。私の訪日目的はそこにあります」

武力行使は放棄しない

習近平主席は今年1月2日、年頭の演説で台湾に、香港と同様の一国二制度
を受け入れよ、92年合意(中国と台湾がひとつの国であると互いに認めた
とする合意)を認めよと要求したうえで、台湾への武力行使は放棄しない
と明言した。中国は05年3月の全国人民代表大会で反国家分裂法を制定済
みだ。台湾独立の動きには法に基づいて武力行使するというのだ。

台湾が中国に併合されてしまえば、台湾海峡もバシー海峡も中国の領有す
る海になる。そのとき日本の安全保障は危機に直面するとの頼氏の指摘
は、100%正しい。中国への幻想は一切なく、外見の穏やかさの背後に、
厳しい国際情勢についての正確な認識があるのが見てとれる。

台湾情勢を見詰めるとき抱く懸念は、まず第一に、頼氏が表明したような
危機意識を台湾の人々が共有しているとは思えないことだ。世論調査は、
蔡政権の経済政策への失望から、中国に飲みこまれる恐れがあるにも拘わ
らず国民党への支持がふえていることを示している。経済が少々悪くても
いまは我慢して、中国に国を奪われないように台湾人の政党を支持しよう
と考える有権者は、少なくとも現時点では少数派である。

来年1月、万が一、民進党が敗北して国民党が政権を奪還すれば、単なる
政権交替に終わらず、事実上の国家の交替となる可能性が高い。台湾人が
統治する台湾から、中国人が統治する中国の一省としての台湾へと変わっ
てしまうであろう。

そう断言する理由は、国民党の候補者、たとえば元国民党主席の朱立倫氏
も、総統選に名乗りを上げる場合、どの候補者よりも強力だと見られる高
雄市長の韓国瑜氏も、台湾の経済成長を押し上げるという理由で中国との
平和協定締結に積極的であることだ。

平和協定について頼氏が警告した。

「絶対に受け入れてはなりません。過去の中国の実績を見れば明らかで
す。チベットは中国と平和協定を結びましたが、チベットには平和も経済
発展ももたらされませんでした。逆に彼らは国土を奪われ、ダライ・ラマ
法王は亡命しました。中国に苦しめられる悲劇の平和協定には絶対に反対
です。一国二制度も同様で、台湾は第二の香港にはなりません」

国民党政権になれば、ほぼ間違いなく中国との平和協定が成立するだろ
う。頼氏が国民党の政策は台湾を失う危険の道に通ずると警告しても、国
民の支持は民進党より国民党に向かっている。

台湾人の国

台湾大手のテレビ局TVBSの世論調査は、いま選挙が行われれば完全に
国民党が勝利するという結果をはじき出した。調査では蔡氏は野党国民党
のおよそどの候補者にも勝てない。頼氏なら勝てる見込みは少し高くなる。

だが蔡氏は再度総統職に挑戦する構えを崩さない。私は蔡氏に幾度か会っ
たことがあるが、真面目で純粋な学者タイプだ。韓国の前大統領、朴槿恵
氏と少し似ている。まず、中国への信頼感が想像以上に強い。朴氏は政権
発足から2年余り、中国を信頼し、中国に頼り、日本にはつれなかった。
中国の正体をようやく理解して日本に接近したときにはすでに政権基盤が
危うくなっていた。彼女の戦略的失敗は、国内で左派勢力の増長を許して
しまった。

蔡氏は中国の要求する92年合意を拒否したところまではよかったが、中国
とは摩擦を起こしたくない、話し合いで解決したいという姿勢だった。対
中融和姿勢は、民進党の政権なのに、中国人の政党といってよい国民党の
幹部を外相、国防相などの重要ポストにつけたことにも表れていた。その
後、閣僚は交替させたものの台湾人には納得のいかないことだっただろう。

学者であったがゆえに、熟考することが多く、素早い決断ができず対応が
常に後手に回った。経済運営の不器用さに加えて、決断できないことが、
国民の支持を失ったもうひとつの理由でもあろうか。敢えていえば、勝ち
目のない総統選から蔡氏は身を引く方が台湾のためになるのではないか。
いまは己れを捨てて台湾人のための未来作りに集中するときではないかと
思えてならない。

頼氏は、自身が選挙に勝てば、台湾独立の言葉は封じつつ、台湾の軍事力
を強化し、日米印豪のアジア太平洋戦略に参加したいと述べた。TPPに
参加し、福島をはじめとする東北の産品の輸入にも道を開きたいとも語った。

米国はホワイトハウスも議会も台湾支援を明確にした。事実上の民進党支
援である。日本も同様に、台湾を台湾人の国とするための支援を打ち出す
べきである。強力な官邸主導の台湾支援戦略が必要だ。

『週刊新潮』 2019年5月23日号 日本ルネッサンス 第852回

2019年05月21日

◆昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅

櫻井よしこ


「昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を汲みとることが令和時代の
課題だ 」

御代替わりと長い休日で沢山の本を読んだ。その1冊、『昭和天皇 二つ
の「独白録」』(東野真著、NHK出版)は1997年6月放送の「NHKス
ペシャル」を基にした作品だ。NHKの報じる歴史物にはおよそいつも独
特の偏りと臭気を感じるが、約20年前に出版された本書も例外ではない。
それでも考えさせられる著作だった。

「昭和天皇独白録」といえば、90年12月号の「文藝春秋」のスクープを思
い浮かべる。東野氏は他にも「独白録」が書かれていたことを明らかに
し、その作成は東京裁判において天皇無罪を確定させるための対策だった
とする。

そうした動きの背景には、昭和天皇に対する厳しい米国世論があった。45
年6月のギャラップ世論調査では「処刑せよ」が33%、「裁判にかけろ」
が17%、「終身刑」が11%、「追放」が9%で、70%が強い敵愾心を抱い
ていた。東京裁判終了後も厳しい感情は消えず、50年3月の同世論調査で
は、「天皇を戦犯として裁くべし」が53%だった。

皇室を潰し、国柄を断ち切ってしまいかねない米国国民の激しい対日感情
をどのように回避し得るのか、先人たちが重ねた苦労は測りしれない。

国民統合の中心に天皇を戴く形を辛うじて守ったとはいえ、日本の国柄と
はほど遠い現行憲法を受け入れるなど、先人たちは苦渋の選択をした。し
かも、占領下で日本に強要された無理難題の真実は、厳しい検閲制度ゆえ
に国民は知るべくもなかった。

こうした戦後体制をどう考えるか、昭和天皇のお言葉が東野氏の著書に出
てくる。それは「昭和天皇独白録」をほとんど一人で速記してまとめた内
記部長、後に侍従長を務めた稲田周一の備忘録中のお言葉だ。

46年8月14日、終戦記念日を前に陛下が首相ら閣僚を前に、述べられた以
下の件である。

「戦争に負けたのはまことに申訳ない。しかし、日本が負けたのは今度丈
ではない。昔、朝鮮に兵を出して白村江の一戦で一敗地に塗(まみ)れた
ので、半島から兵をひいた。そこで色々改新が行われた。之が日本の文化
の発展に大きな転機となった。このことを考えると、此の際日本の進むべ
き道も自らわかると思う」

昭和天皇が胸に描いた「此の際日本の進むべき道」は、右のお言葉の約8
か月前に発せられた詔勅に示されているのではないか。占領下で迎えた新
年の詔勅を昭和天皇は以下のように始められた。

「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇 明治の初国是として五箇条の
御誓文を下し給えり」

その後に昭和天皇は五箇条の御誓文全文を続けられた。後年、この件につ
いて、五箇条の御誓文を国民に伝えるのが詔勅の「一番の目的」だった、
「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである」「民主主義とい
うものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあっ
た」と語られている。

民主主義は米国からの輸入ではない、五箇条の御誓文に示されているよう
に、明治以来日本が高々と掲げた価値観である。国民は祖国を信頼し、自
信を持ってよいのだと仰ったのだ。敗戦したからといって、祖国を恥じる
必要はないとのお考えでもあろう。

憲法は国柄を表現するもので、国の基いである。昭和天皇や先人たちは、
前述のように他に選ぶ道もなく木に竹を接いだような現行憲法を受け入れ
た。私たちは70年以上、その一文字も改正できずにきた。日本はまるで米
国に魂を抜かれた操り人形のようではないか。令和の時代の課題は、昭和
天皇が発せられた占領下における詔勅の意味を真摯に汲みとることだろ
う。それが憲法改正だということはもはや説明の必要もないだろう。
『週刊ダイヤモンド』 2019年5月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1279

      

2019年05月20日

◆昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅

櫻井よしこ


「昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を汲みとることが令和時代の
課題だ」


御代替わりと長い休日で沢山の本を読んだ。その1冊、『昭和天皇 二つ
の「独白録」』(東野真著、NHK出版)は1997年6月放送の「NHKス
ペシャル」を基にした作品だ。NHKの報じる歴史物にはおよそいつも独
特の偏りと臭気を感じるが、約20年前に出版された本書も例外ではない。
それでも考えさせられる著作だった。

「昭和天皇独白録」といえば、90年12月号の「文藝春秋」のスクープを思
い浮かべる。東野氏は他にも「独白録」が書かれていたことを明らかに
し、その作成は東京裁判において天皇無罪を確定させるための対策だった
とする。

そうした動きの背景には、昭和天皇に対する厳しい米国世論があった。45
年6月のギャラップ世論調査では「処刑せよ」が33%、「裁判にかけろ」
が17%、「終身刑」が11%、「追放」が9%で、70%が強い敵愾心を抱い
ていた。東京裁判終了後も厳しい感情は消えず、50年3月の同世論調査で
は、「天皇を戦犯として裁くべし」が53%だった。

皇室を潰し、国柄を断ち切ってしまいかねない米国国民の激しい対日感情
をどのように回避し得るのか、先人たちが重ねた苦労は測りしれない。

国民統合の中心に天皇を戴く形を辛うじて守ったとはいえ、日本の国柄と
はほど遠い現行憲法を受け入れるなど、先人たちは苦渋の選択をした。し
かも、占領下で日本に強要された無理難題の真実は、厳しい検閲制度ゆえ
に国民は知るべくもなかった。

こうした戦後体制をどう考えるか、昭和天皇のお言葉が東野氏の著書に出
てくる。それは「昭和天皇独白録」をほとんど一人で速記してまとめた内
記部長、後に侍従長を務めた稲田周一の備忘録中のお言葉だ。

46年8月14日、終戦記念日を前に陛下が首相ら閣僚を前に、述べられた以
下の件である。

「戦争に負けたのはまことに申訳ない。しかし、日本が負けたのは今度丈
ではない。昔、朝鮮に兵を出して白村江の一戦で一敗地に塗(まみ)れた
ので、半島から兵をひいた。そこで色々改新が行われた。之が日本の文化
の発展に大きな転機となった。このことを考えると、此の際日本の進むべ
き道も自らわかると思う」

昭和天皇が胸に描いた「此の際日本の進むべき道」は、右のお言葉の約8
か月前に発せられた詔勅に示されているのではないか。占領下で迎えた新
年の詔勅を昭和天皇は以下のように始められた。

「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇 明治の初国是として五箇条の
御誓文を下し給えり」

その後に昭和天皇は五箇条の御誓文全文を続けられた。後年、この件につ
いて、五箇条の御誓文を国民に伝えるのが詔勅の「一番の目的」だった、
「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである」「民主主義とい
うものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあっ
た」と語られている。

民主主義は米国からの輸入ではない、五箇条の御誓文に示されているよう
に、明治以来日本が高々と掲げた価値観である。国民は祖国を信頼し、自
信を持ってよいのだと仰ったのだ。敗戦したからといって、祖国を恥じる
必要はないとのお考えでもあろう。

憲法は国柄を表現するもので、国の基いである。昭和天皇や先人たちは、
前述のように他に選ぶ道もなく木に竹を接いだような現行憲法を受け入れ
た。私たちは70年以上、その一文字も改正できずにきた。日本はまるで米
国に魂を抜かれた操り人形のようではないか。令和の時代の課題は、昭和
天皇が発せられた占領下における詔勅の意味を真摯に汲みとることだろ
う。それが憲法改正だということはもはや説明の必要もないだろう。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1279 

2019年05月19日

◆昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を

                          櫻井よしこ


「昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を汲みとることが令和時代の
課題だ」

御代替わりと長い休日で沢山の本を読んだ。その1冊、『昭和天皇 二つ
の「独白録」』(東野真著、NHK出版)は1997年6月放送の「NHKス
ペシャル」を基にした作品だ。NHKの報じる歴史物にはおよそいつも独
特の偏りと臭気を感じるが、約20年前に出版された本書も例外ではない。
それでも考えさせられる著作だった。

「昭和天皇独白録」といえば、90年12月号の「文藝春秋」のスクープを思
い浮かべる。東野氏は他にも「独白録」が書かれていたことを明らかに
し、その作成は東京裁判において天皇無罪を確定させるための対策だった
とする。

そうした動きの背景には、昭和天皇に対する厳しい米国世論があった。45
年6月のギャラップ世論調査では「処刑せよ」が33%、「裁判にかけろ」
が17%、「終身刑」が11%、「追放」が9%で、70%が強い敵愾心を抱い
ていた。東京裁判終了後も厳しい感情は消えず、50年3月の同世論調査で
は、「天皇を戦犯として裁くべし」が53%だった。

皇室を潰し、国柄を断ち切ってしまいかねない米国国民の激しい対日感情
をどのように回避し得るのか、先人たちが重ねた苦労は測りしれない。

国民統合の中心に天皇を戴く形を辛うじて守ったとはいえ、日本の国柄と
はほど遠い現行憲法を受け入れるなど、先人たちは苦渋の選択をした。し
かも、占領下で日本に強要された無理難題の真実は、厳しい検閲制度ゆえ
に国民は知るべくもなかった。

こうした戦後体制をどう考えるか、昭和天皇のお言葉が東野氏の著書に出
てくる。それは「昭和天皇独白録」をほとんど一人で速記してまとめた内
記部長、後に侍従長を務めた稲田周一の備忘録中のお言葉だ。

46年8月14日、終戦記念日を前に陛下が首相ら閣僚を前に、述べられた以
下の件である。

「戦争に負けたのはまことに申訳ない。しかし、日本が負けたのは今度丈
ではない。昔、朝鮮に兵を出して白村江の一戦で一敗地に塗(まみ)れた
ので、半島から兵をひいた。そこで色々改新が行われた。之が日本の文化
の発展に大きな転機となった。このことを考えると、此の際日本の進むべ
き道も自らわかると思う」

昭和天皇が胸に描いた「此の際日本の進むべき道」は、右のお言葉の約8
か月前に発せられた詔勅に示されているのではないか。占領下で迎えた新
年の詔勅を昭和天皇は以下のように始められた。

「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇 明治の初国是として五箇条の
御誓文を下し給えり」

その後に昭和天皇は五箇条の御誓文全文を続けられた。後年、この件につ
いて、五箇条の御誓文を国民に伝えるのが詔勅の「一番の目的」だった、
「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである」「民主主義とい
うものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあっ
た」と語られている。

民主主義は米国からの輸入ではない、五箇条の御誓文に示されているよう
に、明治以来日本が高々と掲げた価値観である。国民は祖国を信頼し、自
信を持ってよいのだと仰ったのだ。敗戦したからといって、祖国を恥じる
必要はないとのお考えでもあろう。

憲法は国柄を表現するもので、国の基いである。昭和天皇や先人たちは、
前述のように他に選ぶ道もなく木に竹を接いだような現行憲法を受け入れ
た。私たちは70年以上、その一文字も改正できずにきた。日本はまるで米
国に魂を抜かれた操り人形のようではないか。令和の時代の課題は、昭和
天皇が発せられた占領下における詔勅の意味を真摯に汲みとることだろ
う。それが憲法改正だということはもはや説明の必要もないだろう。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1279 

2019年05月18日

◆昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味

櫻井よしこ


昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を汲みとることが令和時代の課
題だ」

御代替わりと長い休日で沢山の本を読んだ。その1冊、『昭和天皇 二つ
の「独白録」』(東野真著、NHK出版)は1997年6月放送の「NHKス
ペシャル」を基にした作品だ。NHKの報じる歴史物にはおよそいつも独
特の偏りと臭気を感じるが、約20年前に出版された本書も例外ではない。
それでも考えさせられる著作だった。

「昭和天皇独白録」といえば、90年12月号の「文藝春秋」のスクープを思
い浮かべる。東野氏は他にも「独白録」が書かれていたことを明らかに
し、その作成は東京裁判において天皇無罪を確定させるための対策だった
とする。

そうした動きの背景には、昭和天皇に対する厳しい米国世論があった。45
年6月のギャラップ世論調査では「処刑せよ」が33%、「裁判にかけろ」
が17%、「終身刑」が11%、「追放」が9%で、70%が強い敵愾心を抱い
ていた。東京裁判終了後も厳しい感情は消えず、50年3月の同世論調査で
は、「天皇を戦犯として裁くべし」が53%だった。

皇室を潰し、国柄を断ち切ってしまいかねない米国国民の激しい対日感情
をどのように回避し得るのか、先人たちが重ねた苦労は測りしれない。

国民統合の中心に天皇を戴く形を辛うじて守ったとはいえ、日本の国柄と
はほど遠い現行憲法を受け入れるなど、先人たちは苦渋の選択をした。し
かも、占領下で日本に強要された無理難題の真実は、厳しい検閲制度ゆえ
に国民は知るべくもなかった。

こうした戦後体制をどう考えるか、昭和天皇のお言葉が東野氏の著書に出
てくる。それは「昭和天皇独白録」をほとんど一人で速記してまとめた内
記部長、後に侍従長を務めた稲田周一の備忘録中のお言葉だ。

46年8月14日、終戦記念日を前に陛下が首相ら閣僚を前に、述べられた以
下の件である。

「戦争に負けたのはまことに申訳ない。しかし、日本が負けたのは今度丈
ではない。昔、朝鮮に兵を出して白村江の一戦で一敗地に塗(まみ)れた
ので、半島から兵をひいた。そこで色々改新が行われた。之が日本の文化
の発展に大きな転機となった。このことを考えると、此の際日本の進むべ
き道も自らわかると思う」

昭和天皇が胸に描いた「此の際日本の進むべき道」は、右のお言葉の約8
か月前に発せられた詔勅に示されているのではないか。占領下で迎えた新
年の詔勅を昭和天皇は以下のように始められた。

「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇 明治の初国是として五箇条の
御誓文を下し給えり」

その後に昭和天皇は五箇条の御誓文全文を続けられた。後年、この件につ
いて、五箇条の御誓文を国民に伝えるのが詔勅の「一番の目的」だった、
「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである」「民主主義とい
うものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあっ
た」と語られている。

民主主義は米国からの輸入ではない、五箇条の御誓文に示されているよう
に、明治以来日本が高々と掲げた価値観である。国民は祖国を信頼し、自
信を持ってよいのだと仰ったのだ。敗戦したからといって、祖国を恥じる
必要はないとのお考えでもあろう。

憲法は国柄を表現するもので、国の基いである。昭和天皇や先人たちは、
前述のように他に選ぶ道もなく木に竹を接いだような現行憲法を受け入れ
た。私たちは70年以上、その一文字も改正できずにきた。日本はまるで米
国に魂を抜かれた操り人形のようではないか。令和の時代の課題は、昭和
天皇が発せられた占領下における詔勅の意味を真摯に汲みとることだろ
う。それが憲法改正だということはもはや説明の必要もないだろう。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1279

2019年05月17日

◆玉城沖縄県知事の中国おもねり外交

櫻井よしこ


少しばかり古い話だが、沖縄県知事の玉城デニー氏が4月18日、沖縄県を
「一帯一路」の中で「活用してほしい」と、中国副首相の胡春華氏に要請
したそうだ。

一帯一路構想は中国式の世界制覇計画である。手段を選ばないその手法は
世界の非難の対象となっており、日本政府も米国政府も強い警戒心を抱い
ている。

安倍首相は日本も一帯一路に協力していこうと言ったが、前提として各プ
ロジェクトについて透明性、開放性、経済性、対象国の財政健全性が担保
されなければならないとした。右の4条件が満たされるなら、日本企業が
プロジェクトに参入してはならない理由はなくなる。だが、現実には中国
がこれらの条件を満たすのは至難の業であろう。

日本政府はこのように中国に対する慎重な構えを崩していない。玉城氏の
中国副首相への要請は、日本政府が国家戦略として厳しい条件をつけて一
帯一路を警戒しているときに、直接外国政府に働きかけることで自国政府
の外交方針に逆行するものだ。

知事として言語道断ではないか。この件は全国紙では報道されなかった
が、沖縄の新聞が取り上げた。私の手元にある「八重山日報」と「琉球新
報」が4月27日に玉城氏の定例会見を報じたのだ。中国政府への働きかけ
は、同会見で玉城氏自身が披露したものだ。

両紙の報道によると、玉城氏は4月16日から19日まで、河野洋平氏が会長
を務める日本国際貿易促進協会訪中団の一員として訪中した。18日に胡副
首相と面談し、まず、「中国政府の提唱する広域経済圏構想『一帯一路』
に関する日本の出入り口として沖縄を活用してほしい」と要請した。胡氏
は直ちに「賛同」したそうだ。

習主席の沖縄訪問を要請

中国の巨額融資を受けて借金返済が滞り、港や土地を奪われるリスクにつ
いて記者が問うたのに対して玉城氏は、「『情報収集しながら、どう関
わっていけるか模索していく』と積極姿勢を示」した(「琉球新報」)。

不安定さを増す安全保障環境や中国の軍事力強化に関して問われると、玉
城氏は「国際交流などで国家間の全体的なつながりを深化させるのは有益
だ」と答え、習近平国家主席の沖縄訪問を胡氏に要請したことも明らかに
した(「八重山日報」)。

玉城氏は自身の発言の意味を理解しているのかと、思わず疑った。何より
も氏は自身の役割をどうとらえているのか。知事に外交権が与えられてい
るはずもない。にも拘わらず、沖縄県を一帯一路に組み入れようと働きか
けるのは、知事の権限を超えるだけでなく、日本政府の外交政策に反して
いる。一帯一路構想の旗の下で、どのように危険なパワーゲームが展開さ
れているか、知事として危機感を持つべきであろうに、それが感じられない。

折しも5月2日、米国防総省が「中国の軍事・安全保障の動向に関する年次
報告書」を発表し、中国の一帯一路構想の危険性を警告した。

報告書の指摘の中に、日本に最も影響のある点として中国の台湾戦略の分
析がある。報告書は、中国人民解放軍の戦略の最重要点は台湾問題だと
し、中国は「平和的統一」を提唱しつつ、武力行使に備えて軍事力の増強
を着々と進めてきたと詳述している。

台湾海峡有事で中国が取り得る軍事行動としては「航空・海上封鎖」「サ
イバー攻撃や潜入工作活動などによる台湾指導部の失権・弱体化」「軍事
基地や政治中枢への限定的な精密爆撃」「台湾侵攻」などを列挙している。

台湾への軍事力行使を習近平氏は否定しない。国際社会の戦略専門家は中
国は必ず台湾奪取に動くと見ている。台湾が中国の手に落ちれば、次に危
ないのは沖縄である。だからこそ、沖縄県知事は本来、どの政治家より
も、一帯一路を最も警戒しなければならないはずだ。

奪取の方法は軍事力に限らない。国防総省が指摘するように、21世紀の戦
争ではサイバー、情報、経済が大きな鍵になる。その経済力でがんじがら
めにして奪うのが一帯一路であろう。

国防総省報告書は、一帯一路に関連する投資が中国の軍事的優位を生み出
す可能性について明確なメッセージも発信している。たとえば、中国が特
定の国に港を建設すれば、遠く離れたインド洋、地中海、大西洋に展開す
る中国海軍のための兵站をそれらの港に築くことになり、中国の世界制覇
の基盤が自ずとできていくという指摘である。

国防総省の指摘を受けるまでもなく、私たちはすでに多くの事例を体験し
ているはずだ。顕著な例を、中国初の海外軍事基地を置いたジブチに見る
ことができるだろう。

すべてが異常

ジブチはアデン湾と紅海を見渡す戦略的要衝だ。中国以外に米仏伊の軍事
基地があり、自衛隊の小規模な拠点もある。だが中国の軍事基地は他国の
それとは全く様相が異なる。

中国以外の国の基地はジブチ国際空港を囲むようにして位置しているが、
中国だけかなり離れた海岸近くに海兵隊基地を築いた。現地を視察した外
務副大臣の佐藤正久氏によれば、中国軍の基地は広く、構造的にまさに要
塞の趣きだそうだ。

その基地は、中国の資金で造られた港に隣接しており、中国海軍の軍艦に
加えて商船が出入りする。注目すべきは、この港まで鉄道が敷かれ、それ
が隣国のエチオピアまで伸びていることだ。一帯一路と軍事戦略が合体し
ているのである。

さらに驚くのは中国がジブチに建設したアフリカ最大規模の自由貿易区と
物流センターだ。建設費は35億ドル(約3850億円)、ジブチにとって如何
に深刻な債務であるかはジブチのGDPが20億ドル(約2200億円)だと知
れば十分であろう。これが中国の仕掛ける債務の罠なのである。スリラン
カはハンバントタ港を借金のカタに99年間、中国に差し出した。ジブチも
同様の運命を辿りかねない。

こうした事実を見れば、玉城氏が沖縄を一帯一路の拠点にしてほしいと中
国に要請したことは愚の極みである。氏は、中国の脅威に備える日米安保
体制の現状の見直しを求め、普天間飛行場の辺野古への移転などに反対す
る一方、中国の経済と軍事が一体化した測りしれない脅威に対しては、信
じ難いほど無防備である。尖閣諸島を核心的利益とする中国は同島周辺海
域に武装した中国艦船をおよそいつも投入している。しかし、この件につ
いて玉城氏が中国に抗議したとは寡聞にして知らない。

沖縄県知事の国防に対するこのような考え方を、沖縄のメディアも日本の
全国紙も批判するわけでもない。私にはこのすべてが異常に思えてならない。

『週刊新潮』 2019年5月16日号日本ルネッサンス 第851回

2019年05月16日

◆玉城沖縄県知事の中国おもねり外交

櫻井よしこ


少しばかり古い話だが、沖縄県知事の玉城デニー氏が4月18日、沖縄県を
「一帯一路」の中で「活用してほしい」と、中国副首相の胡春華氏に要請
したそうだ。

一帯一路構想は中国式の世界制覇計画である。手段を選ばないその手法は
世界の非難の対象となっており、日本政府も米国政府も強い警戒心を抱い
ている。

安倍首相は日本も一帯一路に協力していこうと言ったが、前提として各プ
ロジェクトについて透明性、開放性、経済性、対象国の財政健全性が担保
されなければならないとした。右の4条件が満たされるなら、日本企業が
プロジェクトに参入してはならない理由はなくなる。だが、現実には中国
がこれらの条件を満たすのは至難の業であろう。

日本政府はこのように中国に対する慎重な構えを崩していない。玉城氏の
中国副首相への要請は、日本政府が国家戦略として厳しい条件をつけて一
帯一路を警戒しているときに、直接外国政府に働きかけることで自国政府
の外交方針に逆行するものだ。

知事として言語道断ではないか。この件は全国紙では報道されなかった
が、沖縄の新聞が取り上げた。私の手元にある「八重山日報」と「琉球新
報」が4月27日に玉城氏の定例会見を報じたのだ。中国政府への働きかけ
は、同会見で玉城氏自身が披露したものだ。

両紙の報道によると、玉城氏は4月16日から19日まで、河野洋平氏が会長
を務める日本国際貿易促進協会訪中団の一員として訪中した。18日に胡副
首相と面談し、まず、「中国政府の提唱する広域経済圏構想『一帯一路』
に関する日本の出入り口として沖縄を活用してほしい」と要請した。胡氏
は直ちに「賛同」したそうだ。

習主席の沖縄訪問を要請

中国の巨額融資を受けて借金返済が滞り、港や土地を奪われるリスクにつ
いて記者が問うたのに対して玉城氏は、「『情報収集しながら、どう関
わっていけるか模索していく』と積極姿勢を示」した(「琉球新報」)。

不安定さを増す安全保障環境や中国の軍事力強化に関して問われると、玉
城氏は「国際交流などで国家間の全体的なつながりを深化させるのは有益
だ」と答え、習近平国家主席の沖縄訪問を胡氏に要請したことも明らかに
した(「八重山日報」)。

玉城氏は自身の発言の意味を理解しているのかと、思わず疑った。何より
も氏は自身の役割をどうとらえているのか。知事に外交権が与えられてい
るはずもない。にも拘わらず、沖縄県を一帯一路に組み入れようと働きか
けるのは、知事の権限を超えるだけでなく、日本政府の外交政策に反して
いる。一帯一路構想の旗の下で、どのように危険なパワーゲームが展開さ
れているか、知事として危機感を持つべきであろうに、それが感じられない。

折しも5月2日、米国防総省が「中国の軍事・安全保障の動向に関する年次
報告書」を発表し、中国の一帯一路構想の危険性を警告した。

報告書の指摘の中に、日本に最も影響のある点として中国の台湾戦略の分
析がある。報告書は、中国人民解放軍の戦略の最重要点は台湾問題だと
し、中国は「平和的統一」を提唱しつつ、武力行使に備えて軍事力の増強
を着々と進めてきたと詳述している。

台湾海峡有事で中国が取り得る軍事行動としては「航空・海上封鎖」「サ
イバー攻撃や潜入工作活動などによる台湾指導部の失権・弱体化」「軍事
基地や政治中枢への限定的な精密爆撃」「台湾侵攻」などを列挙している。

台湾への軍事力行使を習近平氏は否定しない。国際社会の戦略専門家は中
国は必ず台湾奪取に動くと見ている。台湾が中国の手に落ちれば、次に危
ないのは沖縄である。だからこそ、沖縄県知事は本来、どの政治家より
も、一帯一路を最も警戒しなければならないはずだ。

奪取の方法は軍事力に限らない。国防総省が指摘するように、21世紀の戦
争ではサイバー、情報、経済が大きな鍵になる。その経済力でがんじがら
めにして奪うのが一帯一路であろう。

国防総省報告書は、一帯一路に関連する投資が中国の軍事的優位を生み出
す可能性について明確なメッセージも発信している。たとえば、中国が特
定の国に港を建設すれば、遠く離れたインド洋、地中海、大西洋に展開す
る中国海軍のための兵站をそれらの港に築くことになり、中国の世界制覇
の基盤が自ずとできていくという指摘である。

国防総省の指摘を受けるまでもなく、私たちはすでに多くの事例を体験し
ているはずだ。顕著な例を、中国初の海外軍事基地を置いたジブチに見る
ことができるだろう。

すべてが異常

ジブチはアデン湾と紅海を見渡す戦略的要衝だ。中国以外に米仏伊の軍事
基地があり、自衛隊の小規模な拠点もある。だが中国の軍事基地は他国の
それとは全く様相が異なる。

中国以外の国の基地はジブチ国際空港を囲むようにして位置しているが、
中国だけかなり離れた海岸近くに海兵隊基地を築いた。現地を視察した外
務副大臣の佐藤正久氏によれば、中国軍の基地は広く、構造的にまさに要
塞の趣きだそうだ。

その基地は、中国の資金で造られた港に隣接しており、中国海軍の軍艦に
加えて商船が出入りする。注目すべきは、この港まで鉄道が敷かれ、それ
が隣国のエチオピアまで伸びていることだ。一帯一路と軍事戦略が合体し
ているのである。

さらに驚くのは中国がジブチに建設したアフリカ最大規模の自由貿易区と
物流センターだ。建設費は35億ドル(約3850億円)、ジブチにとって如何
に深刻な債務であるかはジブチのGDPが20億ドル(約2200億円)だと知
れば十分であろう。これが中国の仕掛ける債務の罠なのである。スリラン
カはハンバントタ港を借金のカタに99年間、中国に差し出した。ジブチも
同様の運命を辿りかねない。

『週刊新潮』 2019年5月16日号 日本ルネッサンス 第851回

           

2019年05月15日

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く 」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お二方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278 

2019年05月13日

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

 櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お二方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278

2019年05月12日

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お二方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278 

2019年05月11日

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お2方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278

2019年05月10日

◆皇族を冷遇する学習院の悪しき体質

櫻井よしこ


元号は令和と改められ、新天皇が即位された。新天皇・新皇后両陛下はど
のような新しい時代を創られ、どのような天皇・皇后になろうとしてい
らっしゃるのか。

そう考えているとき、2001年3月出版のいささか古い本だが、『浩宮の感
情教育』(以下『感情教育』小坂部元秀、飛鳥新社)を勧められて読んだ。

天皇となられる方や皇族には、単に学習院卒業という学歴が求められてい
るわけではない。特別の心構え、帝王学を身につけているか否かが大事だ
といってよいだろう。果たして浩宮さまは親王時代にそのような教育を受
けられたのか、学習院とはどんな学びの場だったのか、その疑問への手掛
かりとして読んでみた。

著者の小坂部氏は1974年から97年まで学習院高等科に勤務し、76〜77年の
2年間、浩宮親王のクラスの主管(担任)を務めた。

同書の印象的な部分として学習院の父母会名簿に関する件りが序章にあ
る。30歳前後の高等科のOBが小坂部氏とざっと以下のように会話している。

「『今でも父母会名簿の一頁目には、皇室関係の在学者が並んでいるんで
すか。高等科生の中には、あのページを破り棄てていた者もありましたよ』

『ああ、相変らずですよ』と私は応えた。

『“御在学”も相変らずですか』

OBは投げ出すように問いを重ねた。

皇族については、たとえば浩宮だったら

『浩宮徳仁親王殿下 高等科第3学年御在学』と表記されていた。

『そうですよ』、私は力なくうなづ(ママ)いた」

皇族の在学者名が記された一頁目を破り捨てる。「御在学」という丁寧語
の使用に関して、小坂部氏は「そうですよ」と「力なくうなづ」く。皇室
への拒否感、嫌悪感を感じさせる件りである。

ソ連に配慮して

クラブ活動や学級活動に関連して小坂部氏はこう書いている。

「学級活動だって、彼(浩宮親王)の存在によって、目にみえる、あるい
は目にみえない制約を蒙ることになる。それらは浩宮自身にとってもまた
他のクラスメートにとっても、決して好ましいことではない」

将来の天皇が同じ空間に存在することによって自ずと生まれる緊張感は、
確かに制約となる面もあるだろう。だがそれは、生徒や教師にとって緊張
を強いるものではあっても得がたい環境として前向きの評価も出来るはず
だ。しかし、氏はこう続ける。

「それ(制約)は簡単に言えば、浩宮という存在が所与のものとして持つ
特権性によるものだった。しかもその特権性は、人間浩宮にとっては、プ
ラスにもマイナスにも働くもので、敢て言えばよりマイナスに働くものだ
と、私は思いこみはじめていた」

天皇・皇太子・親王を含む方々には特権もあるが、反対に、国民全般が当
然のものとする権利はない。職業選択の自由や政治的発言の自由はないの
である。「所与の特権」という斬り方が適切なのか。それが「人間浩宮に
とって」マイナスだと一方的に解釈できるのか。疑問である。

小坂部氏の評価からは、担任教師としての愛情や生徒に真剣に向き合って
育てようという気迫が感じられない。遊泳実習についても同様だ。学習院
高等科の生徒はグループ毎に1キロから5キロを泳ぎ切るそうだが、小坂部
氏はこう書いている。

「浩宮がこの夏どの程度の泳力だったか覚えていない。それはこの時私は
主管でもなかったためだが、おそらく特に優れても劣ってもいない、中程
度だったのだろう」

中等科の「卒業文集」で浩宮親王に触れた文章が一篇しかなかった件につ
いても小坂部氏は、「浩宮の過不足のなさ」「地味な持ち味」「特権性を
剥がせばその個性をどうとらえていいか判らず、そもそも最初から書くべ
き対象としての迫力を持っていなかったということだろう」と、突き放し
た無関心とでも言うべき評価である。ここにも、担任教師としての愛情
を、私は感じとれない。

今上陛下は敗戦によって、選りに選ってバイニング夫人という米国夫人を
家庭教師につけられた。それでも学習院ではご学友がいらした。浩宮親王
には、特別なご学友は存在しなかったらしいことが本書から読みとれる。
帝王学を教える人材もいない。これでどのようにして国民を統合する存在
に成長できるのか、学習院の存在意義が薄れるのも当然だ。

小坂部氏は『感情教育』の終章近くで「天皇と天皇制」をめぐる論議の
内、氏が最も興味を抱いている文学者の発言や文章を列挙した。その筆頭
が東京帝国大学総長で、ソ連に配慮して全面講和を主張した南原繁であ
る。南原が昭和21年12月に貴族院本会議で行った演説を、「天皇の『人間
宣言』と新憲法の公布をめぐっての」「記念碑的な演説」と持ち上げている。

冷淡と言うべき視線

南原の演説はその同じ年の1月1日に、昭和天皇が出された詔勅に関して
だ。昭和天皇は後に同詔勅で国民に伝えたかったのは、メディアが報じた
「人間宣言」という要素よりも、民主主義や自由などの善き価値観は敗戦
によって外国から教えられたと国民は思い始めているが、そうした精神は
ずっと前から日本国に根づいていて、明治天皇が発布した五箇条の御誓文
がそれであるとの主旨を語っている。南原の主張が記念碑的な立派なもの
だという評価はどう考えてもおかしい。

小坂部氏はまた、中野重治の小説『五勺の酒』は「恥ずべき天皇制の頽廃
から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの
国民の革命的解放があるのだろう」という発想につながると特記している。

詩人の三好達治の『天皇をめぐる人々』からは次の部分を説得力のある記
述として抽出している。

「所詮は天皇陛下なんかはどうでもいいので、天皇制が現在あるが如くに
未来永遠に存続しようと、神さまが人間に転籍なさつたお布令は出たがそ
の実際がどうであらうと将来どのように逆戻りをしようと、しまいと、一
切まづ問題に関心がない、といふのがこの国の文壇人―といふ特殊な人種
一般の心底であらう」

小坂部氏の想いが那辺にあるかが明らかになるが、氏は「あとがき」でも
書いている。「学習院高等科で浩宮のクラス担任となった時」「〈天皇
家〉という存在に、一種の異和感を抱いていた」と。

帝王学どころか、天皇陛下や皇室などどうでもいいという価値観への共鳴
が先に立つ。このように冷淡と言うべき視線の中で、間もなく即位なさる
皇太子殿下は学ばなければならなかった。非常に気の毒なことだと感じざ
るを得ない。国民全体のあたたかい気持ちで支えずして、皇室が存続する
はずはないだろう。

『週刊新潮』 2019年5月2日・9日号 日本ルネッサンス 第845回



2019年05月09日

◆皇族を冷遇する学習院の悪しき体質

櫻井よしこ


元号は令和と改められ、新天皇が即位された。新天皇・新皇后両陛下はど
のような新しい時代を創られ、どのような天皇・皇后になろうとしてい
らっしゃるのか。

そう考えているとき、2001年3月出版のいささか古い本だが、『浩宮の感
情教育』(以下『感情教育』小坂部元秀、飛鳥新社)を勧められて読んだ。

天皇となられる方や皇族には、単に学習院卒業という学歴が求められてい
るわけではない。特別の心構え、帝王学を身につけているか否かが大事だ
といってよいだろう。果たして浩宮さまは親王時代にそのような教育を受
けられたのか、学習院とはどんな学びの場だったのか、その疑問への手掛
かりとして読んでみた。

著者の小坂部氏は1974年から97年まで学習院高等科に勤務し、76〜77年の
2年間、浩宮親王のクラスの主管(担任)を務めた。

同書の印象的な部分として学習院の父母会名簿に関する件りが序章にあ
る。30歳前後の高等科のOBが小坂部氏とざっと以下のように会話している。

「『今でも父母会名簿の一頁目には、皇室関係の在学者が並んでいるんで
すか。高等科生の中には、あのページを破り棄てていた者もありましたよ』

『ああ、相変らずですよ』と私は応えた。

『“御在学”も相変らずですか』

OBは投げ出すように問いを重ねた。

皇族については、たとえば浩宮だったら

『浩宮徳仁親王殿下 高等科第3学年御在学』と表記されていた。

『そうですよ』、私は力なくうなづ(ママ)いた」

皇族の在学者名が記された一頁目を破り捨てる。「御在学」という丁寧語
の使用に関して、小坂部氏は「そうですよ」と「力なくうなづ」く。皇室
への拒否感、嫌悪感を感じさせる件りである。

ソ連に配慮して

クラブ活動や学級活動に関連して小坂部氏はこう書いている。

「学級活動だって、彼(浩宮親王)の存在によって、目にみえる、あるい
は目にみえない制約を蒙ることになる。それらは浩宮自身にとってもまた
他のクラスメートにとっても、決して好ましいことではない」

将来の天皇が同じ空間に存在することによって自ずと生まれる緊張感は、
確かに制約となる面もあるだろう。だがそれは、生徒や教師にとって緊張
を強いるものではあっても得がたい環境として前向きの評価も出来るはず
だ。しかし、氏はこう続ける。

「それ(制約)は簡単に言えば、浩宮という存在が所与のものとして持つ
特権性によるものだった。しかもその特権性は、人間浩宮にとっては、プ
ラスにもマイナスにも働くもので、敢て言えばよりマイナスに働くものだ
と、私は思いこみはじめていた」

天皇・皇太子・親王を含む方々には特権もあるが、反対に、国民全般が当
然のものとする権利はない。職業選択の自由や政治的発言の自由はないの
である。「所与の特権」という斬り方が適切なのか。それが「人間浩宮に
とって」マイナスだと一方的に解釈できるのか。疑問である。

小坂部氏の評価からは、担任教師としての愛情や生徒に真剣に向き合って
育てようという気迫が感じられない。遊泳実習についても同様だ。学習院
高等科の生徒はグループ毎に1キロから5キロを泳ぎ切るそうだが、小坂部
氏はこう書いている。

「浩宮がこの夏どの程度の泳力だったか覚えていない。それはこの時私は
主管でもなかったためだが、おそらく特に優れても劣ってもいない、中程
度だったのだろう」

中等科の「卒業文集」で浩宮親王に触れた文章が一篇しかなかった件につ
いても小坂部氏は、「浩宮の過不足のなさ」「地味な持ち味」「特権性を
剥がせばその個性をどうとらえていいか判らず、そもそも最初から書くべ
き対象としての迫力を持っていなかったということだろう」と、突き放し
た無関心とでも言うべき評価である。ここにも、担任教師としての愛情
を、私は感じとれない。

今上陛下は敗戦によって、選りに選ってバイニング夫人という米国夫人を
家庭教師につけられた。それでも学習院ではご学友がいらした。浩宮親王
には、特別なご学友は存在しなかったらしいことが本書から読みとれる。
帝王学を教える人材もいない。これでどのようにして国民を統合する存在
に成長できるのか、学習院の存在意義が薄れるのも当然だ。

小坂部氏は『感情教育』の終章近くで「天皇と天皇制」をめぐる論議の
内、氏が最も興味を抱いている文学者の発言や文章を列挙した。その筆頭
が東京帝国大学総長で、ソ連に配慮して全面講和を主張した南原繁であ
る。南原が昭和21年12月に貴族院本会議で行った演説を、「天皇の『人間
宣言』と新憲法の公布をめぐっての」「記念碑的な演説」と持ち上げている。

冷淡と言うべき視線

南原の演説はその同じ年の1月1日に、昭和天皇が出された詔勅に関して
だ。昭和天皇は後に同詔勅で国民に伝えたかったのは、メディアが報じた
「人間宣言」という要素よりも、民主主義や自由などの善き価値観は敗戦
によって外国から教えられたと国民は思い始めているが、そうした精神は
ずっと前から日本国に根づいていて、明治天皇が発布した五箇条の御誓文
がそれであるとの主旨を語っている。南原の主張が記念碑的な立派なもの
だという評価はどう考えてもおかしい。

小坂部氏はまた、中野重治の小説『五勺の酒』は「恥ずべき天皇制の頽廃
から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの
国民の革命的解放があるのだろう」という発想につながると特記している。

詩人の三好達治の『天皇をめぐる人々』からは次の部分を説得力のある記
述として抽出している。

「所詮は天皇陛下なんかはどうでもいいので、天皇制が現在あるが如くに
未来永遠に存続しようと、神さまが人間に転籍なさつたお布令は出たがそ
の実際がどうであらうと将来どのように逆戻りをしようと、しまいと、一
切まづ問題に関心がない、といふのがこの国の文壇人―といふ特殊な人種
一般の心底であらう」

小坂部氏の想いが那辺にあるかが明らかになるが、氏は「あとがき」でも
書いている。「学習院高等科で浩宮のクラス担任となった時」「〈天皇
家〉という存在に、一種の異和感を抱いていた」と。

帝王学どころか、天皇陛下や皇室などどうでもいいという価値観への共鳴
が先に立つ。このように冷淡と言うべき視線の中で、間もなく即位なさる
皇太子殿下は学ばなければならなかった。非常に気の毒なことだと感じざ
るを得ない。国民全体のあたたかい気持ちで支えずして、皇室が存続する
はずはないだろ

『週刊新潮』 2019年5月2日・9日号 日本ルネッサンス 第845回