2020年03月08日

◆日本も世界も知らされない、中国恐怖の実態

櫻井よしこ


中国の習近平政権が最大の危機に直面している。中国の危機からわが国は何を学ぶのか。中国と同じ過ちを犯さないために、わが国は何をすればよいのか、安倍政権の正念場である。

歴史上、中国は日本にとって永遠の艱難である。災いを回避するには、なんとしてでも賢く対処することだ。

いま世界に広がりつつある新型コロナウイルスの流行は東西南北、どの方向からみても中国の中心部といってよい湖北省から始まった。広がりはおさまらず、3月5日に開幕予定だった第13期全国人民代表大会(全人代)の延期が2月24日、正式決定された。全人代に合わせて開幕予定だった国政助言機関の人民政治協商会議も延期された。中国政府はその後の予定については全く何の見通しも示せていない。

習主席の面子をかけて、どうしても開きたかったであろう全人代が最後の最後に延期へと追い込まれたことは、事態の深刻さと、中国全土にどれほど広く新型ウイルスが広がっているかを物語るものだ。当然、4月上旬に予定されている習氏の国賓来日にも、大幅延期などの影響が出るのは避けられないだろう。

中国はあらゆる意味で情報を操ることで国力を強化してきた国だ。自国に不利な情報は本能的に隠す国柄だと心得ていて間違いない。その意味で現在、中国当局が発表している新型コロナウイルスによる肺炎についての情報も、実態を正しく伝えていると考えてはならない。たとえば2月20日の発表では、今回の新型コロナウイルス禍が始まった湖北省の次に感染者が多い省として、広東省が名を連ねている。ここには多くの日本企業が進出しており、香港・マカオが隣接する。

以下、感染者の多い順に河南省、浙江省、湖南省が続いているが、広東省を含め各省の感染者数はいずれも1000人台、死者は各々、5、19、1、4人にとどまっているというありえない内容の発表だ。

民間資源の強制徴用

これら一連の当局の数字は事実の反映ではなく、中国政府が、「事態をこの程度でおさめたい」と考える数字にすぎず、信用に値しないだろう。

米国、その米国と情報を共有する台湾、それに加えて香港は、たとえば広東省に対し2月の早い時期に厳格な措置をとった。米国は外交官だけでなく、広東省滞在の米国市民の多くを脱出させた。台湾は早くも2日に広東省から台湾への入境を禁止し、8日には広東省を湖北省と同じ警戒レベルの「一級疫区」に指定した。

さらに、香港特別行政区政府は中国大陸との境界を一部を除き全て封鎖し、大陸からの入境者全員に2週間の隔離を義務づけた。ちなみに同措置によって、共同通信、朝日、読売の三社は全員が香港に退避した。広東省(広州、深等)に残っているのはNHKと日経のみだ。BBCやCNNなどはここには支局を設けていない。ロイターとAPは深に支局を置いているが、記者は中国専門というよりハイテク産業に特化した報道を得意とする。

広東省で実際に起きていることを見ると、いかにも中国らしい。域内感染は全く終息していないにも拘わらず、中国政府の決定に従って、2月10日、広東省政府は「復工」を実行した。つまり、人々の勤務を通常に戻したのである。これによって、人口約1.1億人の広東省で職場、通勤、食事等を通じたヒトヒト感染が再度爆発する結果となった。

同事態に対して広東省政府は11日、コロナウイルスによる新型肺炎に関する緊急立法を成立させ、即日施行した。その内容は人の移動や町の封鎖、市場活動に関する行政措置を定める権限を、省政府から県級以上の地方政府に移すというものだ。

広東省は同時に、民間資源としての不動産や物資を徴用する戦時体制下同様の強権体制を確立した。省内の移動を制限し、封鎖や管理を可能にする最も強い拘束力を有する緊急立法(広東省通告第55号)も施行した。

有り体にいえば、人の移動制限や地域の封鎖、市場活動についての行政措置や立法権限を、下位の地方政府に移し、省の責任を回避しようとするものだ。同時に、省政府が不動産や各種物資といった民間資源をフリーハンドで利用できるようにするための措置である。

広東省がこのような緊急立法を行ったのに合わせて、省内の大都市である広州市や深市も、民間資源の強制徴用を可能にする戦時下同様の通告を発表した。当局がコロナウイルスに如何に強い危機感を抱き、全ての手段を、それも必要とあらば瞬時に駆使して、何が何でも力で押さえこもうとしているかが見てとれる。

鉄格子付きのプレハブ

こうした非常事態措置をとる一方で、広東省政府は武漢に見習う形でプレハブの隔離収容施設を突貫工事で建設し始めた。武漢をモデルとしたプレハブの隔離収容施設は、報じられているだけで3か所に上る。まず、広州市白雲区にある1000床の隔離施設だ。これは調査報道に強い独立系メディアの「財新」「21財経」が報じた。

2か所目は深市第三人民病院の拡大隔離収容施設だ。

3か所目は中山市の第二人民病院にわずか10日間で新設された200床の病院だ。ちなみにここではさらに300床の建物が追加されつつある。各病室には2名が収容されるが、写真で見るかぎりこの病院は、「病院というより鉄格子付きのプレハブのコンテナ」である。

わかっているだけで右の3か所で突貫工事が行われている。このこと自体、広東省が武漢と同じく制御不能の事態に陥っている事実を証明しているのではないか。

広東省政府は同省の患者収容能力は1万272床に上り、病院のベッド数に不足はないと発表している。仮にそれが事実なら、なぜ1000床のプレハブ隔離施設や、10日間の突貫工事による病院などを作るのだろうか。答えは明らかであろう。広州をはじめとする町々を包摂する広東省全体が、武漢を含む湖北省と同じく、制御不能の事態に陥っている可能性が高いのではないか。

中国の実態は想像以上に酷いとみて間違いないだろう。そこでいまわが国がすべきことは、まず第一に、中国との人の交流を厳しくコントロールする措置により国内の感染者をふやさないことである。次に国内の感染者には全ての情報を開示して、軽症者は自宅で療養してもらい、重症患者は病院で手当てして、重症化させず、その命を救うことである。徹底した情報開示さえ行えば、危機対処能力、他者を思いやる精神を備えている日本国民なら、必ず乗り越えられるはずだ。いま日本国民が団結するときだ。

『週刊新潮』 2020年3月5日号
日本ルネッサンス 第891回

2020年03月06日

◆日本も世界も知らされない、中国恐怖の実態

櫻井よしこ


中国の習近平政権が最大の危機に直面している。中国の危機からわが国は何を学ぶのか。中国と同じ過ちを犯さないために、わが国は何をすればよいのか、安倍政権の正念場である。

歴史上、中国は日本にとって永遠の艱難である。災いを回避するには、なんとしてでも賢く対処することだ。

いま世界に広がりつつある新型コロナウイルスの流行は東西南北、どの方向からみても中国の中心部といってよい湖北省から始まった。広がりはおさまらず、3月5日に開幕予定だった第13期全国人民代表大会(全人代)の延期が2月24日、正式決定された。全人代に合わせて開幕予定だった国政助言機関の人民政治協商会議も延期された。中国政府はその後の予定については全く何の見通しも示せていない。

習主席の面子をかけて、どうしても開きたかったであろう全人代が最後の最後に延期へと追い込まれたことは、事態の深刻さと、中国全土にどれほど広く新型ウイルスが広がっているかを物語るものだ。当然、4月上旬に予定されている習氏の国賓来日にも、大幅延期などの影響が出るのは避けられないだろう。

中国はあらゆる意味で情報を操ることで国力を強化してきた国だ。自国に不利な情報は本能的に隠す国柄だと心得ていて間違いない。その意味で現在、中国当局が発表している新型コロナウイルスによる肺炎についての情報も、実態を正しく伝えていると考えてはならない。たとえば2月20日の発表では、今回の新型コロナウイルス禍が始まった湖北省の次に感染者が多い省として、広東省が名を連ねている。ここには多くの日本企業が進出しており、香港・マカオが隣接する。

以下、感染者の多い順に河南省、浙江省、湖南省が続いているが、広東省を含め各省の感染者数はいずれも1000人台、死者は各々、5、19、1、4人にとどまっているというありえない内容の発表だ。

民間資源の強制徴用

これら一連の当局の数字は事実の反映ではなく、中国政府が、「事態をこの程度でおさめたい」と考える数字にすぎず、信用に値しないだろう。

米国、その米国と情報を共有する台湾、それに加えて香港は、たとえば広東省に対し2月の早い時期に厳格な措置をとった。米国は外交官だけでなく、広東省滞在の米国市民の多くを脱出させた。台湾は早くも2日に広東省から台湾への入境を禁止し、8日には広東省を湖北省と同じ警戒レベルの「一級疫区」に指定した。

さらに、香港特別行政区政府は中国大陸との境界を一部を除き全て封鎖し、大陸からの入境者全員に2週間の隔離を義務づけた。ちなみに同措置によって、共同通信、朝日、読売の三社は全員が香港に退避した。広東省(広州、深等)に残っているのはNHKと日経のみだ。BBCやCNNなどはここには支局を設けていない。ロイターとAPは深に支局を置いているが、記者は中国専門というよりハイテク産業に特化した報道を得意とする。

広東省で実際に起きていることを見ると、いかにも中国らしい。域内感染は全く終息していないにも拘わらず、中国政府の決定に従って、2月10日、広東省政府は「復工」を実行した。つまり、人々の勤務を通常に戻したのである。これによって、人口約1.1億人の広東省で職場、通勤、食事等を通じたヒトヒト感染が再度爆発する結果となった。

同事態に対して広東省政府は11日、コロナウイルスによる新型肺炎に関する緊急立法を成立させ、即日施行した。その内容は人の移動や町の封鎖、市場活動に関する行政措置を定める権限を、省政府から県級以上の地方政府に移すというものだ。

広東省は同時に、民間資源としての不動産や物資を徴用する戦時体制下同様の強権体制を確立した。省内の移動を制限し、封鎖や管理を可能にする最も強い拘束力を有する緊急立法(広東省通告第55号)も施行した。

有り体にいえば、人の移動制限や地域の封鎖、市場活動についての行政措置や立法権限を、下位の地方政府に移し、省の責任を回避しようとするものだ。同時に、省政府が不動産や各種物資といった民間資源をフリーハンドで利用できるようにするための措置である。

広東省がこのような緊急立法を行ったのに合わせて、省内の大都市である広州市や深市も、民間資源の強制徴用を可能にする戦時下同様の通告を発表した。当局がコロナウイルスに如何に強い危機感を抱き、全ての手段を、それも必要とあらば瞬時に駆使して、何が何でも力で押さえこもうとしているかが見てとれる。

鉄格子付きのプレハブ

こうした非常事態措置をとる一方で、広東省政府は武漢に見習う形でプレハブの隔離収容施設を突貫工事で建設し始めた。武漢をモデルとしたプレハブの隔離収容施設は、報じられているだけで3か所に上る。まず、広州市白雲区にある1000床の隔離施設だ。これは調査報道に強い独立系メディアの「財新」「21財経」が報じた。

2か所目は深市第三人民病院の拡大隔離収容施設だ。

3か所目は中山市の第二人民病院にわずか10日間で新設された200床の病院だ。ちなみにここではさらに300床の建物が追加されつつある。各病室には2名が収容されるが、写真で見るかぎりこの病院は、「病院というより鉄格子付きのプレハブのコンテナ」である。

わかっているだけで右の3か所で突貫工事が行われている。このこと自体、広東省が武漢と同じく制御不能の事態に陥っている事実を証明しているのではないか。

広東省政府は同省の患者収容能力は1万272床に上り、病院のベッド数に不足はないと発表している。仮にそれが事実なら、なぜ1000床のプレハブ隔離施設や、10日間の突貫工事による病院などを作るのだろうか。答えは明らかであろう。広州をはじめとする町々を包摂する広東省全体が、武漢を含む湖北省と同じく、制御不能の事態に陥っている可能性が高いのではないか。

中国の実態は想像以上に酷いとみて間違いないだろう。そこでいまわが国がすべきことは、まず第一に、中国との人の交流を厳しくコントロールする措置により国内の感染者をふやさないことである。次に国内の感染者には全ての情報を開示して、軽症者は自宅で療養してもらい、重症患者は病院で手当てして、重症化させず、その命を救うことである。徹底した情報開示さえ行えば、危機対処能力、他者を思いやる精神を備えている日本国民なら、必ず乗り越えられるはずだ。いま日本国民が団結するときだ。

『週刊新潮』 2020年3月5日号
日本ルネッサンス 第891回

2020年03月02日

◆日本人の連帯力がウイルス克服の鍵

櫻井よしこ


新型コロナウイルスの感染が日本国内で広がりつつある。2月14日、東京、神奈川、沖縄、和歌山、北海道、愛知の6都道県で新たに8人の感染が判明した。

気になるのは感染ルートを辿れる場合とできない場合が混在していることだ。たとえば東京の感染者2人は、その前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性と濃厚接触があった。タクシー運転手は屋形船で遊覧しており、そこには武漢からの旅行者を世話した屋形船の従業員がいた。

神奈川県の感染者はダイヤモンド・プリンセス号の乗客の搬送などに携わった消防局職員だ。

沖縄の女性タクシー運転手はダイヤモンド・プリンセス号の乗客を乗せて観光案内をしていた。

他方、北海道の感染者は感染ルートがはっきりしない。愛知の男性感染者は2月7日までハワイ旅行をしていたが、やはり感染ルートは不明だ。

中国人との接触も中国への渡航歴もなく感染が起きたとすれば、それは三次感染以上の感染が国内で起きている、つまり日本にはすでに感染が広がっているということだ。私たちは新たな段階に入ってしまったと考えるのが正しいだろう。

そこで大事なのは、大感染のパニックを引き起こさずに、ウイルスを管理していくことだ。目に見えない敵のコントロールは極めて難しい。だが、ウイルスの性質と日本人の資質を考えれば、可能だと私は思う。

まず、新型コロナウイルスの性質を見ておこう。これまでに判明しているのは、新型コロナウイルスの感染力は一般のインフルエンザウイルスと異なり、未発症の段階でもヒトヒト感染を起こすが、致死率は0.6%から1%と見られることだ。これはSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率10%より低く、インフルエンザの0.1%より高い。

助け合いの精神

東京大学医学部教授の橋本英樹氏は「たちの悪いインフルエンザと考えればよいでしょう」と、語る。

であれば、新型コロナウイルスは、十分注意しなければならないが、かといって過度に恐れる相手ではない。新型コロナウイルスの決定打となる治療薬はまだ開発されていないため、現在は対症療法しかない。それでも普通に健康で普通に体力のある人は、基本的なルールを守ることでウイルスに打ち勝てるという。

そのためには外出から戻ったらまず、十分な手洗い、うがいを欠かさないことだ。余り無理をせず睡眠と栄養をとり、ウイルスと戦う体力を維持することに尽きる。医療水準だけでなく、一人一人の行動と心構えが大事な要素であり、その意味で私は日本人は大丈夫だと考えている。

2009年に日本列島を襲った新型インフルエンザのことを想い出したい。感染力は強く、とりわけ高齢者の致死率が高いとして恐れられた。私は当時百歳近い母と暮らしていたために、この新型インフルエンザウイルスから母を守るべく心掛けたことなどを鮮明に記憶している。

当初政府は、今回と同じく新型インフルエンザウイルスの上陸を阻止する水際作戦に力点を置いていた。しかしそうした中で海外渡航歴のない人々の集団感染が判明したのだ。その時点で政府の対処方針は、今回と同様、水際作戦から重症化を防ぐ作戦へと転換した。軽症患者には十分な注意と指導を徹底して、地元の病院、或いは自宅で療養してもらい、重い症状の人をふやさないという作戦である。

当時、私も即、母の生活パターンを変えた。週3回から4回に上っていた母の外出を減らして自宅ですごしてもらうようにしたのだ。その上で私も、そしてわが家に出入りする人々全員に、手洗い、うがいを徹底してもらった。橋本氏は「まず、自分が感染源にならないようにすることが大事」だと強調したが、私もこうして自身を守り、周囲の高齢者や弱い存在を守れるよう心掛けた。そしてそれは成功した。

自分の健康と周りの人、他者、さらに社会全体の健康を重ね合わせて考えることが大事である。それは連帯意識と助け合いの精神に直結する。

あの3.11の東日本大震災で大地震と大津波に襲われたとき、東北地方の人々を中心に、日本人は全員が助け合った。自分の身を守ったうえで、自分より弱い人たち、お年寄りを、皆が助けた。一緒に頑張った。こうした日本人の資質から見ても、このコロナウイルスを管理していくことは、日本人には出来るはずだ。

高齢者は感染すれば、20%から30%の確率で重症に陥り易いという。とりわけ糖尿病などの基礎的疾患のある高齢の人はリスクが高い。

万が一、感染すれば、呼吸器をつけたりして全身を管理する必要も生じてくる。感染者がどっとふえて集中すれば、大病院といえども限界にぶつかる。高度の治療を供給できる十分な病室の準備は容易でなくなるだろう。このウイルスには前述のような感染力があって広がり易いのである。それだけに爆発的な流行を抑えることが大事である。

中国人は本当に気の毒

そのために何をしたらよいのか。前述のように自身の健康管理の徹底が第一だが、感染した場合、私たちは保健所や厚労省に殺到するのでなく、地元の医師や病院を活用することが大事になる。そしてここに政府のリーダーシップが求められる。十分な情報を国民に提供し、感染しても、どこでも良質な医療が受けられる態勢を、各地域の医療機関を有機的に結んで作り上げることだ。そのことへの信頼や安心感さえ築くことができればパニックは起こらない。症状が軽い場合、普通のインフルエンザの患者同様に各地の病院が治療し、或いは患者は自宅で静養して、コロナウイルスに打ち勝てるのではないか。それができるのが日本の文明・文化の本当の力ではないかと思う。

武漢で何が起きているのか、正確には見えてこないが、武漢に封じ込められている中国人は本当に気の毒だ。いま、武漢では夜から朝までの「アルバイト」募集が盛んに行われているという。夜を徹して「死体」を搬送するのだそうだ。新型コロナウイルスで亡くなった人々の遺体である。火葬場は一日中フル回転しても間に合わないといわれる。

国民のための医療などが整っていない国では弱い人ほど真っ先に犠牲になる。それでも中国の惨状の実態は外部世界には説明されない。国民のための情報開示よりも、習近平国家主席や中国共産党を守るための情報隠蔽が先行するからだ。しかし隠しても隠しきれない。習氏も共産党も、決定的に国民の、そして国際社会の信頼を失いつつある。

日本にも新型ウイルスの感染が広がるいま、わが国は国民、人間中心の体制を作り上げよう。国民の資質、政府の在り方、国柄の違いでこの危機を乗り越えよう。

『週刊新潮』 2020年2月27日号
日本ルネッサンス 第889回

2020年02月29日

◆日本人の連帯力がウイルス克服の鍵

櫻井よしこ


新型コロナウイルスの感染が日本国内で広がりつつある。2月14日、東京、神奈川、沖縄、和歌山、北海道、愛知の6都道県で新たに8人の感染が判明した。

気になるのは感染ルートを辿れる場合とできない場合が混在していることだ。たとえば東京の感染者二人は、その前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性と濃厚接触があった。タクシー運転手は屋形船で遊覧しており、そこには武漢からの旅行者を世話した屋形船の従業員がいた。

神奈川県の感染者はダイヤモンド・プリンセス号の乗客の搬送などに携わった消防局職員だ。

沖縄の女性タクシー運転手はダイヤモンド・プリンセス号の乗客を乗せて観光案内をしていた。

他方、北海道の感染者は感染ルートがはっきりしない。愛知の男性感染者は2月7日までハワイ旅行をしていたが、やはり感染ルートは不明だ。

中国人との接触も中国への渡航歴もなく感染が起きたとすれば、それは三次感染以上の感染が国内で起きている、つまり日本にはすでに感染が広がっているということだ。私たちは新たな段階に入ってしまったと考えるのが正しいだろう。そこで大事なのは、大感染のパニックを引き起こさずに、ウイルスを管理していくことだ。目に見えない敵のコントロールは極めて難しい。だが、ウイルスの性質と日本人の資質を考えれば、可能だと私は思う。

まず、新型コロナウイルスの性質を見ておこう。これまでに判明しているのは、新型コロナウイルスの感染力は一般のインフルエンザウイルスと異なり、未発症の段階でもヒトヒト感染を起こすが、致死率は0.6%から1%と見られることだ。これはSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率10%より低く、インフルエンザの0.1%より高い。

助け合いの精神

東京大学医学部教授の橋本英樹氏は「たちの悪いインフルエンザと考えればよいでしょう」と、語る。

であれば、新型コロナウイルスは、十分注意しなければならないが、かといって過度に恐れる相手ではない。新型コロナウイルスの決定打となる治療薬はまだ開発されていないため、現在は対症療法しかない。それでも普通に健康で普通に体力のある人は、基本的なルールを守ることでウイルスに打ち勝てるという。

そのためには外出から戻ったらまず、十分な手洗い、うがいを欠かさないことだ。余り無理をせず睡眠と栄養をとり、ウイルスと戦う体力を維持することに尽きる。医療水準だけでなく、一人一人の行動と心構えが大事な要素であり、その意味で私は日本人は大丈夫だと考えている。

2009年に日本列島を襲った新型インフルエンザのことを想い出したい。感染力は強く、とりわけ高齢者の致死率が高いとして恐れられた。私は当時百歳近い母と暮らしていたために、この新型インフルエンザウイルスから母を守るべく心掛けたことなどを鮮明に記憶している。

当初政府は、今回と同じく新型インフルエンザウイルスの上陸を阻止する水際作戦に力点を置いていた。しかしそうした中で海外渡航歴のない人々の集団感染が判明したのだ。その時点で政府の対処方針は、今回と同様、水際作戦から重症化を防ぐ作戦へと転換した。軽症患者には十分な注意と指導を徹底して、地元の病院、或いは自宅で療養してもらい、重い症状の人をふやさないという作戦である。

当時、私も即、母の生活パターンを変えた。週3回から4回に上っていた母の外出を減らして自宅ですごしてもらうようにしたのだ。その上で私も、そしてわが家に出入りする人々全員に、手洗い、うがいを徹底してもらった。橋本氏は「まず、自分が感染源にならないようにすることが大事」だと強調したが、私もこうして自身を守り、周囲の高齢者や弱い存在を守れるよう心掛けた。そしてそれは成功した。

自分の健康と周りの人、他者、さらに社会全体の健康を重ね合わせて考えることが大事である。それは連帯意識と助け合いの精神に直結する。

あの3.11の東日本大震災で大地震と大津波に襲われたとき、東北地方の人々を中心に、日本人は全員が助け合った。自分の身を守ったうえで、自分より弱い人たち、お年寄りを、皆が助けた。一緒に頑張った。こうした日本人の資質から見ても、このコロナウイルスを管理していくことは、日本人には出来るはずだ。

高齢者は感染すれば、20%から30%の確率で重症に陥り易いという。とりわけ糖尿病などの基礎的疾患のある高齢の人はリスクが高い。

万が一、感染すれば、呼吸器をつけたりして全身を管理する必要も生じてくる。感染者がどっとふえて集中すれば、大病院といえども限界にぶつかる。高度の治療を供給できる十分な病室の準備は容易でなくなるだろう。このウイルスには前述のような感染力があって広がり易いのである。それだけに爆発的な流行を抑えることが大事である。

中国人は本当に気の毒

そのために何をしたらよいのか。前述のように自身の健康管理の徹底が第一だが、感染した場合、私たちは保健所や厚労省に殺到するのでなく、地元の医師や病院を活用することが大事になる。そしてここに政府のリーダーシップが求められる。十分な情報を国民に提供し、感染しても、どこでも良質な医療が受けられる態勢を、各地域の医療機関を有機的に結んで作り上げることだ。そのことへの信頼や安心感さえ築くことができればパニックは起こらない。症状が軽い場合、普通のインフルエンザの患者同様に各地の病院が治療し、或いは患者は自宅で静養して、コロナウイルスに打ち勝てるのではないか。それができるのが日本の文明・文化の本当の力ではないかと思う。

武漢で何が起きているのか、正確には見えてこないが、武漢に封じ込められている中国人は本当に気の毒だ。いま、武漢では夜から朝までの「アルバイト」募集が盛んに行われているという。夜を徹して「死体」を搬送するのだそうだ。新型コロナウイルスで亡くなった人々の遺体である。火葬場は一日中フル回転しても間に合わないといわれる。

国民のための医療などが整っていない国では弱い人ほど真っ先に犠牲になる。それでも中国の惨状の実態は外部世界には説明されない。国民のための情報開示よりも、習近平国家主席や中国共産党を守るための情報隠蔽が先行するからだ。しかし隠しても隠しきれない。習氏も共産党も、決定的に国民の、そして国際社会の信頼を失いつつある。

日本にも新型ウイルスの感染が広がるいま、わが国は国民、人間中心の体制を作り上げよう。国民の資質、政府

『週刊新潮』 2020年2月27日号
日本ルネッサンス 第889回

2020年02月28日

◆日本人の連帯力がウイルス克服の鍵

櫻井よしこ


新型コロナウイルスの感染が日本国内で広がりつつある。2月14日、東京、神奈川、沖縄、和歌山、北海道、愛知の6都道県で新たに8人の感染が判明した。

気になるのは感染ルートを辿れる場合とできない場合が混在していることだ。たとえば東京の感染者2人は、その前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性と濃厚接触があった。タクシー運転手は屋形船で遊覧しており、そこには武漢からの旅行者を世話した屋形船の従業員がいた。

神奈川県の感染者はダイヤモンド・プリンセス号の乗客の搬送などに携わった消防局職員だ。

沖縄の女性タクシー運転手はダイヤモンド・プリンセス号の乗客を乗せて観光案内をしていた。

他方、北海道の感染者は感染ルートがはっきりしない。愛知の男性感染者は2月7日までハワイ旅行をしていたが、やはり感染ルートは不明だ。

中国人との接触も中国への渡航歴もなく感染が起きたとすれば、それは3次感染以上の感染が国内で起きている、つまり日本にはすでに感染が広がっているということだ。私たちは新たな段階に入ってしまったと考えるのが正しいだろう。そこで大事なのは、大感染のパニックを引き起こさずに、ウイルスを管理していくことだ。目に見えない敵のコントロールは極めて難しい。だが、ウイルスの性質と日本人の資質を考えれば、可能だと私は思う。

まず、新型コロナウイルスの性質を見ておこう。これまでに判明しているのは、新型コロナウイルスの感染力は一般のインフルエンザウイルスと異なり、未発症の段階でもヒトヒト感染を起こすが、致死率は0.6%から1%と見られることだ。これはSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率10%より低く、インフルエンザの0.1%より高い。

助け合いの精神

東京大学医学部教授の橋本英樹氏は「たちの悪いインフルエンザと考えればよいでしょう」と、語る。

であれば、新型コロナウイルスは、十分注意しなければならないが、かといって過度に恐れる相手ではない。新型コロナウイルスの決定打となる治療薬はまだ開発されていないため、現在は対症療法しかない。それでも普通に健康で普通に体力のある人は、基本的なルールを守ることでウイルスに打ち勝てるという。

そのためには外出から戻ったらまず、十分な手洗い、うがいを欠かさないことだ。余り無理をせず睡眠と栄養をとり、ウイルスと戦う体力を維持することに尽きる。医療水準だけでなく、一人一人の行動と心構えが大事な要素であり、その意味で私は日本人は大丈夫だと考えている。

2009年に日本列島を襲った新型インフルエンザのことを想い出したい。感染力は強く、とりわけ高齢者の致死率が高いとして恐れられた。私は当時百歳近い母と暮らしていたために、この新型インフルエンザウイルスから母を守るべく心掛けたことなどを鮮明に記憶している。

当初政府は、今回と同じく新型インフルエンザウイルスの上陸を阻止する水際作戦に力点を置いていた。しかしそうした中で海外渡航歴のない人々の集団感染が判明したのだ。その時点で政府の対処方針は、今回と同様、水際作戦から重症化を防ぐ作戦へと転換した。軽症患者には十分な注意と指導を徹底して、地元の病院、或いは自宅で療養してもらい、重い症状の人をふやさないという作戦である。

当時、私も即、母の生活パターンを変えた。週3回から4回に上っていた母の外出を減らして自宅ですごしてもらうようにしたのだ。その上で私も、そしてわが家に出入りする人々全員に、手洗い、うがいを徹底してもらった。橋本氏は「まず、自分が感染源にならないようにすることが大事」だと強調したが、私もこうして自身を守り、周囲の高齢者や弱い存在を守れるよう心掛けた。そしてそれは成功した。

自分の健康と周りの人、他者、さらに社会全体の健康を重ね合わせて考えることが大事である。それは連帯意識と助け合いの精神に直結する。

あの3.11の東日本大震災で大地震と大津波に襲われたとき、東北地方の人々を中心に、日本人は全員が助け合った。自分の身を守ったうえで、自分より弱い人たち、お年寄りを、皆が助けた。一緒に頑張った。こうした日本人の資質から見ても、このコロナウイルスを管理していくことは、日本人には出来るはずだ。

高齢者は感染すれば、20%から30%の確率で重症に陥り易いという。とりわけ糖尿病などの基礎的疾患のある高齢の人はリスクが高い。

万が一、感染すれば、呼吸器をつけたりして全身を管理する必要も生じてくる。感染者がどっとふえて集中すれば、大病院といえども限界にぶつかる。高度の治療を供給できる十分な病室の準備は容易でなくなるだろう。このウイルスには前述のような感染力があって広がり易いのである。それだけに爆発的な流行を抑えることが大事である。

中国人は本当に気の毒

そのために何をしたらよいのか。前述のように自身の健康管理の徹底が第一だが、感染した場合、私たちは保健所や厚労省に殺到するのでなく、地元の医師や病院を活用することが大事になる。そしてここに政府のリーダーシップが求められる。十分な情報を国民に提供し、感染しても、どこでも良質な医療が受けられる態勢を、各地域の医療機関を有機的に結んで作り上げることだ。そのことへの信頼や安心感さえ築くことができればパニックは起こらない。症状が軽い場合、普通のインフルエンザの患者同様に各地の病院が治療し、或いは患者は自宅で静養して、コロナウイルスに打ち勝てるのではないか。それができるのが日本の文明・文化の本当の力ではないかと思う。

武漢で何が起きているのか、正確には見えてこないが、武漢に封じ込められている中国人は本当に気の毒だ。いま、武漢では夜から朝までの「アルバイト」募集が盛んに行われているという。夜を徹して「死体」を搬送するのだそうだ。新型コロナウイルスで亡くなった人々の遺体である。火葬場は一日中フル回転しても間に合わないといわれる。

国民のための医療などが整っていない国では弱い人ほど真っ先に犠牲になる。それでも中国の惨状の実態は外部世界には説明されない。国民のための情報開示よりも、習近平国家主席や中国共産党を守るための情報隠蔽が先行するからだ。しかし隠しても隠しきれない。習氏も共産党も、決定的に国民の、そして国際社会の信頼を失いつつある。

日本にも新型ウイルスの感染が広がるいま、わが国は国民、人間中心の体制を作り上げよう。国民の資質、政府の在り方、国柄の違いでこの危機を乗り越えよう。

『週刊新潮』 2020年2月27日号
日本ルネッサンス 第889回

2020年02月20日

◆ウイルスが切り崩す、中国独裁政権

櫻井よしこ


14億人の国民の上に君臨する絶対的権力者、21世紀の終身皇帝を目指す習近平国家主席の実相を、新型コロナウイルスがこれでもかこれでもかと抉り出している。

中国中部、武漢で発生したこのウイルスは中国共産党一党独裁体制と習近平氏の退場を促すきっかけになるやもしれない。たとえそこまで行かずとも、世界第2の大国の基盤の緩みは国際政治の力学を大きく変化させずにはおかないのではないか。

習政権は今回のウイルスへの対応で、中国共産党が全く進歩していなかったことを世界に曝露する結果となった。彼らは17年前の重症急性呼吸器症候群(SARS)の経験から何も学んでいない。むしろ当時よりも後退している。

当時、中国政府はSARSに関する情報を「隠蔽」したとして国際社会の強い非難を浴びた。それでも当時の胡錦濤国家主席は、今回の習氏の大失態との比較において、それなりに努力したと評価されている。

SARSの感染症例第一号は2002年11月に広東省で確認され、すぐに隣接する香港に、翌03年3月には北京市にも広がった。このとき、著名なウイルス研究者、鍾南山氏が香港メディアの取材を受けて中国政府が情報を隠蔽していることを曝露した。

ちなみに鍾氏は、今回も当局が隠していた新型コロナウイルスが「ヒトからヒトへ感染している」という重要情報をメディアに発表した人物だ。

SARSの危険性を知らされた胡氏は、情報隠しの中心にいた北京市長と保健衛生大臣を更迭し、情報開示を急がせた。産経新聞の外信部次長、矢板明夫氏が当時の状況を説明した。

「SARS発生の当初段階で情報は隠されていましたが、胡錦濤は責任者を明確な形で処分し、情報開示に踏み切りました。結果として広東省のメディア『南方週末』などが積極的にSARSの危険性を報じるようになりました。今回、中国政府の手元にはSARSの経験を踏まえた対策があったはずです。しかし、習政権は基本的に何の対応もしていないのです」

「発表は絶対にウソ」

中国のネット空間では今も新型コロナウイルス蔓延の情報が次々に削除されている。明らかにそれは政権の意向であろう。共産党の代弁者たる中国メディアは、主として共産党指導部が頑張っているという類のニュースを伝えるばかりだ。この言論空間から真実が発信されるとは思えない。

新型ウイルスは本当にどこまで広がっているのか。私たちには推測するしか術がないが、武漢から帰国した日本人のケースがひとつのヒントを与えてくれる。帰国した565人中、感染者は8人である。従って感染率は1.4%だ。この数字を武漢に閉じ込められている約900万の中国人に当てはめると、感染者数は12万6000人になる。2月3日時点で中国政府が発表している約1万7000人とは桁違いだ。

留意すべき点は、帰国した日本人は中国人との接触が特に多かったわけではなく、衛生環境も悪くなかったと考えてよいということだ。従って日本人の1.4%という感染率は武漢の中国人よりも低い可能性がある。その場合、武漢の人々の感染は前述の12万人余りよりもっと多いと考えられるのだ。

中国を知悉している矢板氏が語った。

「中国当局の現在の発表は絶対にウソです。世界は武漢の真実を知ったら、驚愕するでしょう。だからいま、中国共産党は毎日、情報を小出しにしているのです」

中国当局は2月に入って以降、感染者数が日々2000人単位で増えており、死者の数も急増中だと発表している。感染者、死者共にまるで転げ落ちる雪だるまのように増えていると言っているに等しい。それでも中国当局による一連の数字は非常に低く設定されていると考えるべきだ。

インターネット空間の幾つかの映像を見てみよう。ビニールシートでくるまれた死体が、病院ではなくアパートから白い防護服とマスクで重装備した保健員のような男たちによって運び出されている。亡くなった中国人は新型コロナウイルスの犠牲者だと考えてよいだろう。この気の毒な人に一体何が起きたのか。矢板氏が説明した。

「武漢の人々は事実上、見捨てられているのです。まず、武漢では電車もバスも含めて全ての公共交通手段が止められています。ガソリンスタンドも閉店で自動車も動けない。住民には病院に行く足がない。それでも何らかの手段で病院に辿り着いたと仮定して、そこにはすでに長蛇の列があります。医者に診てもらうまでに何時間もかかる。医者に診てもらっても病院にはクスリがありません。本当に悲惨です」

日中関係の展望

習氏は急ピッチで病棟を建てさせたが、そこでどんな治療が可能になるのか、押し寄せる患者を収容するのに十分なのか。大いに疑問視されている。結果として家にとどまる人が多く、感染者も発症者も自宅で静養する。自身の免疫力で治る人もいる。治らずに死亡する人もいる。

自力で治る者は治れ、生き残れない者は死ねと言わんばかりの状況に、900万人を置いていると言ってよいだろう。それ故、中国共産党は武漢の住民を事実上見捨てていると、矢板氏は強調するのだ。これらの人々は当局発表の「感染者」にも「死者」にも数えられない。中国の国民にも国際社会にも、今回のウイルスの犠牲者の実態が正しく伝えられることなど望めないのである。

一党独裁体制の下では必ずといってよいほど、国民の命も幸福も、社会の安寧も、軽んじられる。社会を蝕む異常や不条理に関する情報はみな隠される。国民生活は息苦しくなり、弱い人ほど苦しめられる。党や国の面子の前に、多くの国民は命さえ奪われる。これが一党独裁国家の現実である。

こんな悲惨な状況に陥ったことについて、習氏の責任を問う声はまだ大きくはない。共産党にとって自らの生き残りのためにも今はウイルス制圧が最優先であり、指導者の責任を問う余裕はないのであろう。しかし、ウイルスは共産党の土台を深く切り崩しつつある。中国経済が壊滅的影響を受けつつある。米中貿易戦争で成長が鈍化していたところをウイルスに襲われ、中国経済は凍結されてしまった。中国共産党の力の源泉は経済成長による富の分配にある。それができなくなったときの中国国民の怒りには烈しいものがあろう。下からの革命で政権を倒してきた中国の歴史を振りかえれば習近平体制の展望は暗い。

このような状況で、3月5日開幕予定の全国人民代表大会を開催できるのか。それにより、日中関係の展望も大きく左右されることになる。

『週刊新潮』 2020年2月13日号
日本ルネッサンス 第888回

2020年02月15日

◆ウイルスが切り崩す、中国独裁政権

櫻井よしこ


14億人の国民の上に君臨する絶対的権力者、21世紀の終身皇帝を目指す習近平国家主席の実相を、新型コロナウイルスがこれでもかこれでもかと抉り出している。

中国中部、武漢で発生したこのウイルスは中国共産党一党独裁体制と習近平氏の退場を促すきっかけになるやもしれない。たとえそこまで行かずとも、世界第二の大国の基盤の緩みは国際政治の力学を大きく変化させずにはおかないのではないか。

習政権は今回のウイルスへの対応で、中国共産党が全く進歩していなかったことを世界に曝露する結果となった。彼らは17年前の重症急性呼吸器症候群(SARS)の経験から何も学んでいない。むしろ当時よりも後退している。

当時、中国政府はSARSに関する情報を「隠蔽」したとして国際社会の強い非難を浴びた。それでも当時の胡錦濤国家主席は、今回の習氏の大失態との比較において、それなりに努力したと評価されている。

SARSの感染症例第一号は2002年11月に広東省で確認され、すぐに隣接する香港に、翌03年3月には北京市にも広がった。このとき、著名なウイルス研究者、鍾南山氏が香港メディアの取材を受けて中国政府が情報を隠蔽していることを曝露した。

ちなみに鍾氏は、今回も当局が隠していた新型コロナウイルスが「ヒトからヒトへ感染している」という重要情報をメディアに発表した人物だ。

SARSの危険性を知らされた胡氏は、情報隠しの中心にいた北京市長と保健衛生大臣を更迭し、情報開示を急がせた。産経新聞の外信部次長、矢板明夫氏が当時の状況を説明した。

「SARS発生の当初段階で情報は隠されていましたが、胡錦濤は責任者を明確な形で処分し、情報開示に踏み切りました。結果として広東省のメディア『南方週末』などが積極的にSARSの危険性を報じるようになりました。今回、中国政府の手元にはSARSの経験を踏まえた対策があったはずです。しかし、習政権は基本的に何の対応もしていないのです」

「発表は絶対にウソ」

中国のネット空間では今も新型コロナウイルス蔓延の情報が次々に削除されている。明らかにそれは政権の意向であろう。共産党の代弁者たる中国メディアは、主として共産党指導部が頑張っているという類のニュースを伝えるばかりだ。この言論空間から真実が発信されるとは思えない。

新型ウイルスは本当にどこまで広がっているのか。私たちには推測するしか術がないが、武漢から帰国した日本人のケースがひとつのヒントを与えてくれる。帰国した565人中、感染者は8人である。従って感染率は1.4%だ。この数字を武漢に閉じ込められている約900万の中国人に当てはめると、感染者数は12万6000人になる。2月3日時点で中国政府が発表している約1万7000人とは桁違いだ。

留意すべき点は、帰国した日本人は中国人との接触が特に多かったわけではなく、衛生環境も悪くなかったと考えてよいということだ。従って日本人の1.4%という感染率は武漢の中国人よりも低い可能性がある。その場合、武漢の人々の感染は前述の12万人余りよりもっと多いと考えられるのだ。

中国を知悉している矢板氏が語った。

「中国当局の現在の発表は絶対にウソです。世界は武漢の真実を知ったら、驚愕するでしょう。だからいま、中国共産党は毎日、情報を小出しにしているのです」

中国当局は2月に入って以降、感染者数が日々2000人単位で増えており、死者の数も急増中だと発表している。感染者、死者共にまるで転げ落ちる雪だるまのように増えていると言っているに等しい。それでも中国当局による一連の数字は非常に低く設定されていると考えるべきだ。

インターネット空間の幾つかの映像を見てみよう。ビニールシートでくるまれた死体が、病院ではなくアパートから白い防護服とマスクで重装備した保健員のような男たちによって運び出されている。亡くなった中国人は新型コロナウイルスの犠牲者だと考えてよいだろう。この気の毒な人に一体何が起きたのか。矢板氏が説明した。

「武漢の人々は事実上、見捨てられているのです。まず、武漢では電車もバスも含めて全ての公共交通手段が止められています。ガソリンスタンドも閉店で自動車も動けない。住民には病院に行く足がない。それでも何らかの手段で病院に辿り着いたと仮定して、そこにはすでに長蛇の列があります。医者に診てもらうまでに何時間もかかる。医者に診てもらっても病院にはクスリがありません。本当に悲惨です」

日中関係の展望

習氏は急ピッチで病棟を建てさせたが、そこでどんな治療が可能になるのか、押し寄せる患者を収容するのに十分なのか。大いに疑問視されている。結果として家にとどまる人が多く、感染者も発症者も自宅で静養する。自身の免疫力で治る人もいる。治らずに死亡する人もいる。

自力で治る者は治れ、生き残れない者は死ねと言わんばかりの状況に、900万人を置いていると言ってよいだろう。それ故、中国共産党は武漢の住民を事実上見捨てていると、矢板氏は強調するのだ。これらの人々は当局発表の「感染者」にも「死者」にも数えられない。中国の国民にも国際社会にも、今回のウイルスの犠牲者の実態が正しく伝えられることなど望めないのである。

一党独裁体制の下では必ずといってよいほど、国民の命も幸福も、社会の安寧も、軽んじられる。社会を蝕む異常や不条理に関する情報はみな隠される。国民生活は息苦しくなり、弱い人ほど苦しめられる。党や国の面子の前に、多くの国民は命さえ奪われる。これが一党独裁国家の現実である。

こんな悲惨な状況に陥ったことについて、習氏の責任を問う声はまだ大きくはない。共産党にとって自らの生き残りのためにも今はウイルス制圧が最優先であり、指導者の責任を問う余裕はないのであろう。しかし、ウイルスは共産党の土台を深く切り崩しつつある。中国経済が壊滅的影響を受けつつある。米中貿易戦争で成長が鈍化していたところをウイルスに襲われ、中国経済は凍結されてしまった。中国共産党の力の源泉は経済成長による富の分配にある。それができなくなったときの中国国民の怒りには烈しいものがあろう。下からの革命で政権を倒してきた中国の歴史を振りかえれば習近平体制の展望は暗い。

このような状況で、3月5日開幕予定の全国人民代表大会を開催できるのか。それにより、日中関係の展望も大きく左右されることになる。

『週刊新潮』 2020年2月13日号日本ルネッサンス 第888回

2020年02月09日

◆裁判官の原発潰しが日本の活力を削ぐ

櫻井よしこ


日本のエネルギー政策を歪め、電気料金を押し上げ、消費者と中小企業に負担させている元凶は原子力規制委員会だけではなかった。三条委員会として強大な権限を有する規制委の決定を覆し、公平・公正とはいえない一方的理屈で原子力発電所の運転差し止めを決定する裁判官も、もうひとつの元凶である。

健全で公正な司法が確立されて初めて社会も国も安心な場所であり得る。だが、原発訴訟を見る限り、日本の司法の現状は憂慮せざるを得ない。その最も理不尽な事例が1月17日の広島高等裁判所の決定であろう。山口県東部の3つの島に住む住民3人が四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを求めていた裁判で、広島高裁の森一岳裁判長が運転を認めない仮処分を決定したのである。

同裁判の経過、担当した裁判長、審尋の実態、判決内容などは約5年前の福井地方裁判所のケースと非常に似通っている。当時の福井地裁裁判長は樋口英明氏だった。氏は関西電力高浜原発3・4号機の運転差し止めの仮処分を下した人物だ。

森氏も樋口氏も原発の運転を差し止めた時、定年もしくは異動間際だった。森氏は今回の仮処分決定8日後の1月25日に定年で退官するために、本誌が出る頃は広島高裁にはもういないのであろう。他方、福井地裁裁判長だった樋口英明氏は15年4月の異動で名古屋家裁への左遷が決まっており、それにも拘わらず運転差し止めを決定した。

森、樋口両氏はいわば最後の場面で世間に注目される決定を下したわけだが、どう見ても多くの疑問を抱かざるを得ない。第一点が差し止めの仮処分決定に至る過程で当事者の主張を十分に聞いたとは思えないことだ。たとえば森氏が四国電力の意見を聞いたのは90分の審尋1回のみである。樋口氏の関西電力に対する審尋は2回のみだった。いずれのケースでも電力会社側の要請した専門家の意見聴取は却下されている。

判決文の中に間違い

二つの裁判に共通するもうひとつの要素が「人格権」の乱用である。実は私は5年前の樋口氏の仮処分決定の内容に疑問を抱き、インターネット配信の「言論テレビ」に北海道大学教授の奈良林直氏と民法の権威である名古屋大学名誉教授の森嶌昭夫氏を招き、樋口判決について論じたことがある。

樋口氏は判決に「原子力規制委員会の新しい規制基準は緩やかすぎて、それに合格しても安全性は確保されない。従って住民の人格権を侵害する具体的危険がある」との主旨を書いていた。森嶌氏は「人格権」という極めて広く解釈できる用語の使用に以下のように疑義を呈した。

「高浜原発を稼働させたからといって、すぐさま住民の生命自体が侵害される急迫な事態ではないわけです。そこに個人情報から名誉毀損まで幅広い意味が入ってしまう人格権という言葉を当てはめるのであれば、原発を差し止めなければ急迫に侵害されようとしているのが、具体的にどの権利なのかを明確に示さなければなりません」

「人格権」は法律用語としてきちんと定義されているわけではない。にも拘わらず、その曖昧な用語を、ひとつひとつの言葉を厳格に定義したうえで事実認定しなければならないはずの法廷で使用する理由は、本当に急迫した危険な状況であると説明出来ないからではないか、と森嶌氏は疑問視したわけだ。今回の広島高裁の判決にも同様の疑問を抱く。

両判決のもうひとつの共通点は判決文の中に間違いが目立つ点である。高浜原発差し止めを決定した樋口氏の間違いは極めて初歩的であるために分かり易い。

氏は、高浜原発では電源喪失、つまり停電からわずか5時間で炉心損傷に至ると書いている。これは全くの間違いだ。奈良林氏が指摘した。

「福島第一原発はそれに近い状況でしたが、高浜原発では種々の対策がとられていて、全電源が失われても18日から19日間は給水可能、炉心冷却も継続できるのです。特に福島事故の後は巨大タンクを作り、冷却用の水源量を増やしていました」

つまり高浜原発が5時間ほどで炉心損傷に至ることはないのである。この点を樋口氏は高浜原発で事実誤認しただけでなく、その1年前に運転差し止めを命じた大飯原発に関しても同様の誤認をしていた。裁判長たる者が2回も、重要な技術的、科学的な問題点について同じ間違いを犯して公正に裁けるはずがない。

樋口氏はまた、使用済み核燃料プールの給水配管と計測器を、強度の耐震設計を施したSクラスにすべきだと判決文で批判した。

「電力会社の説明を全く聞いていないとしか思えませんね。樋口氏の指摘した部分は元々Sクラスと同等の設計になっていました。最高水準の設計で、使用済み核燃料プールもSクラスです」と、奈良林氏。

国民のツケになる

まだある。樋口氏は、緊急時には免震重要棟が必要であるのに、その建設に猶予期間があるのはおかしい、つまり、免震重要棟が出来ていないではないかと指摘していた。

「免震重要棟は福島第一原発で有名になりましたが、免震のゴムに尋常ならざる圧力がかかりますから、いまは耐震重要棟に切り替わりつつあります。高浜原発には耐震Sクラスの建屋があり、緊急時対策所が設けられています。樋口氏はそのことを認識できていない。猶予期間については全くの思い違いです。猶予期間は重要免震棟ではなく、テロに備えるための『特定重大事故等対処施設』の建築に対するものです。それを樋口氏は免震重要棟の建築と取り違えていたのです」(同)

事実を誤認したまま運転させないという仮処分を下した樋口氏は余りに無責任だが、今回の森判決にも以下のような驚くべき指摘がある。

佐田岬半島瀬戸内海側の沿岸部に活断層があれば、伊方原発に強い地震がくる。だが、四国電力は十分な調査をしないまま、活断層は存在しないと主張し、それを問題なしと判断した原子力規制委員会の側に過誤ないし欠落があった、というものだ。

四国電力は与えられたたった1度の90分の審尋で、指摘箇所の活断層について十分な調査を行ったことをデータを含めて説明した。だが、森氏は電力会社側の説明に殆んど耳を貸さなかったのであろう。その上で、世界一厳しい日本の規制委の安全審査に踏み込んだわけだ。裁判官は活断層の専門家ではない。それがどういう資格でか、一応、専門家集団である規制委の安全審査を否定してみせた。

住民側の主張のみを取り入れている点で森氏は樋口氏と同じである。公正さを欠いた司法判断で伊方原発が止まり、少なくとも毎月35億円の費用が膨らみいずれ国民へのツケになるだろう。経済的痛みと共に国の土台である司法が蝕まれ続けている。

『週刊新潮』 2020年1月30日号
日本ルネッサンス 第886回

2020年02月07日

◆皆で映画「Fukushima50」を観よう

櫻井よしこ

週末、東京・千代田区の東京国際フォーラムで福島の原発事故を描いた映 画「Fukushima50」のワールドプレミアがあった。

1000年に一度と言われたマグニチュード9の大地震とそれに続く大津波に
襲われた東京電力福島第一原発(イチエフ)を守ろうと、現場がどのよう
に戦ったかを描いた作品だ。東電本社のエリート社員と現地採用の職員が 心をひとつにし、原発を守るという使命を果たし、古里と日本を守ろう
と、命を賭けて挑んだ戦いの記録である。

広い会場には多くのメディアが詰めかけ、200倍の応募で客席も満杯だっ
た。上映に先立ち、バイオリニストの五嶋龍氏らがフルオーケストラを バックにテーマ曲を演奏した。世界に名を馳せる五嶋氏を招いた映画製作
の主、角川歴彦氏の思い入れの深さを感じとった。原作者の門田隆将氏が
ポツンとつぶやいた。

「すごいことになっている……」

門田氏は『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)でイ
チエフの男たち、女たち、その家族の思いと行動を忠実に再現した。巨大
原発が人間のコントロールの枠を突き抜けて暴走しようとする。その暴走
を止めるために、現場は一体となった。究極の場面でイチエフの所長、吉
田昌郎も中央制御室の長、伊崎利夫も、共に死んでくれる人々の顔を思い 浮かべた。彼らは他者のために自分を犠牲にすることを誇り高く選び取
り、そのとおり行動した。

だからこそ世界は最後の最後まで現場に踏みとどまった50人を「フクシマ
フィフティ」と呼んで敬意を払った。門田氏が描いたのはそうした日本人
の精神だ。

五嶋氏の演奏、主演の佐藤浩市、渡辺謙両氏ら俳優の挨拶に続いて映画が
始まったとき、私の中に思いがけない身体反応が起きた。それは冒頭でい
きなり地震の場面が登場したときだ。物理的に体が動いてしまったのだ。
胸が苦しい。私は知らず知らず、拳をギュッと握りしめていた。あのとき
東京で大変な揺れを感じたのは確かだが、福島や宮城や岩手や震源地に近
い所にいた人たちの受けた衝撃とは似ても似つかぬものだったはずだ。な
のにこの身体反応だ。ならば現地の人たちはこの映画をどのように受けと
めるのだろうか。

「誠実で立派な日本人」

3.11以来、ずっと交流を続けている福島県広野町の西本由美子さんが語っ
た。彼女は身ひとつで避難させられたが、その後、いち早く自宅に戻り古
里再建に取り組んだ。

「震災から今年で10年目に入りますが、いまだに3月11日午後になると、
2011年の3月11日に戻ってしまう。100インチのテレビが倒れ、小皿が飛び
交い、慌てて外に出ると隣家の瓦が飛んできた。砂が強風に巻き上げられ
て灰色の嵐が吹きすさんでいた。私はただ地べたに這いつくばった。その
光景がよみがえってくる。だからあれ以来私はずっと、3月11日はどこに
もいかずに自宅にいます。この映画もまだ恐くて見ていません」

それでも西本さんは映画が事実を忠実に見せてくれるのを期待する。

「一人一人の知っていること、体験は限られています。そうした体験と証
言、思いをまとめて、私たちがしたことは何だったのか、良いことも悪い
ことも含めて記録に残す作品であってほしいと思います」

そうした視点に立つと今更ながら当時の民主党政権、菅直人首相、枝野幸
男官房長官らの「罪」が際立つ。他方、門田氏は語る。

「映画は原発への賛否、政治的立場から離れて作っています。私が本当に
知ってほしいのは現場の人々がどれ程誠実で立派な日本人だったかという
ことです。家族への愛情、古里への愛と共に、自分の仕事への使命感と誇
りゆえです。地元採用のいわば名もなき人々が、東電本社からの所長と一
緒にいかに勇敢に責任を果たしたか。そのことを知らずして、この事故を
語ることは許されません」

勇敢に戦ったフクシマフィフティを、世界は英雄として讃えた。それをし
かし、朝日新聞は「命令に違反して逃げた」と非難した。その非難が全く
の虚偽だったのは周知のとおりだ。

だがもっと悪いのは首相の菅氏だった。映画では佐野史郎氏が首相の役を
演じたが、未曾有の大危機の中で現場の事情に全く配慮せず、自身の能力
を過信して次々と無理難題を突きつけた愚かな人物だ。彼が現場を視察し
たタイミングが原発の制御に如何に大事な時間帯であったか。その前後の
様子は何時何分まで正確に刻まれて描かれており、これは永遠に記録とし
て、また人々の心の中に記憶として残るだろう。

大震災から10年目

門田氏らは作品作りで原発の賛否、政治への批判を焦点にしないように注
意を払ったが、事実が菅氏や枝野氏まで含めてその罪を雄弁に語っている
のだ。西本さんが強調した。

「福島県人として実感するのは菅さん、枝野さんたちの政策がどれ程私た
�ちの生活を、今も路頭に迷わせているかということです。民主党政権は
原発のことも、事故への対応も、その後の復興策もわかっていない人たち です。ならば学ばなければならない。にも拘わらず、彼らは学びもしな
かった」

西本さんの厳しい批判は自民党にも向けられる。自民党は民主党政権の後
始末の一端として、これからの日本の原発政策をどうしたいのか、はっき
り説明し方針を示すべき立場であるにも拘わらず、それをしていないから
である。

「Fukushima50」の試写は福島から始まった。多くの地元の人が見た。映
画に登場する「福島民友」の記者はいま、県会議員になっている。西本さ
んは県議となった元記者や、その家族の皆さん、試写会場に出向いた友人
たちと語り合った。

「皆、言っていました。自分たちの知る限り、事実は正確だ、と」

西本さんは大震災から10年目に入る今年、もう少し強くなりたいと願って
いる。これまで3月11日は家に閉じこもってきたが、今年からその日の午
後を普通に暮らせるようになりたいという。そしてようやく映画を見に行
く気になった。

私は映画を見ながら泣いた。左隣の男の人も右隣の男の人も泣いていた。
立派な日本人の精神に触れさせてもらったからだ。フクシマフィフティは
朝日が言うように逃げたのではない。菅氏がなじったように逃げようとし
たわけではない。立派に戦った人々である。そのことを世界にわかっても
らうためにこの映画はある。角川氏が嬉しそうに語った。

「世界73か国の上映が決まりました」

世界の多くの人々に見てほしい。その前に多くの日本人に見てほしい映画
だった。もうひとつ言えば、原作『死の淵を見た男』を一読するのもよい。

『週刊新潮』 2020年2月6日号
日本ルネッサンス 第887回

2020年02月02日

◆蔡英文大勝利の中に今後の課題山積

櫻井よしこ


1月11日、台湾の運命を決める選挙は民進党総統、蔡英文氏が怒濤の勝利
をおさめた。開票最終局面で同氏の得票が台湾史上初の800万票超えと
なったとき、民進党本部前の広場では花火が弾け、群衆の叫びが地鳴りと
なった。

勝者は蔡氏、もう一方の主役で敗者は中国国家主席の習近平氏だった。

今回の台湾選挙は「中国に対する国民投票」だった。蔡氏の得票率 57.13%は習氏がゴリ押しした「一国二制度」への峻烈な「ノー」であ
り、弾圧されている香港人への強烈な連帯意識の表明である。

11日午後9時半を回った頃に始まった勝利宣言で蔡氏はかつてないほど、
国際社会の注目を集めたこの選挙の意味を説いた。台湾の主権と民主主義
が潰されそうになるとき、台湾人は大声で決意を新たにし、叫び返す人々
だと、今迄の氏にしては珍しい笑顔で語った。大衆もどっと笑ったが、大
中国を相手に圧勝した会心の笑みだった。

だが、彼女はすぐに冷静な表情に戻り、民進党は台湾の主権に関しては揺
るがない、中国とは健全な交流を望むと、中国に呼びかけた。中国は全く
受け入れ不可能な条件と圧力で「一国二制度」を押しつけてきたが、台湾
には平和、均衡、民主主義と対話の4原則がある。選挙で選ばれた台湾政
府と台湾の民主の力は、中国の如何なる圧力にも恫喝にも屈しない。その
ことを北京は理解すべきだと、蔡氏は重ねた。

彼女はさらに香港の若者たちが悲しみの涙と怒りの血を流しながら戦って
いる事例を語った。集会参加者の少なからぬ人々の頬を涙が伝い始め、私
のすぐ近くにいた高齢の小柄な女性が大声で叫んだ。「香港、加油!(香
港ガンバレ!) 香港、加油!」。同じ叫び声がすぐにあちこちで弾け、
こだました。中国共産党の支配、弾圧と抑圧への拒否感情が蔡氏支持者ら
の原動力であることを強く感じさせた場面だ。北京と香港の激しい対立、
習氏と香港人こそが蔡氏を勝たせた要因である。

国民統合を守れるか

台湾史上初の817万余の大量得票は、台湾の若者たちがまさに香港に自ら
の運命を重ねて見て投票所に足を運んだ結果である。彼らは「台湾の主 権」を守ってくれるのは一国二制度拒否の蔡氏であり、同制度受け入れに
傾いた国民党候補者の韓国瑜氏ではないと賢明に見てとったのだ。

一方、台湾人の投票行動のもうひとつの側面に注目すれば、半年ほど前、
即ち、香港問題発生以前は、殆ど勝ち目のなかった蔡氏のこれからの道程
が容易でないことも見てとれる。

113議席の立法院で民進党は過半数の61議席を確保し、行政・立法双方を
堂々と制したが、得票数では国民党も善戦したのである。民進党系シンク
タンクの幹部が語った。

「4年前の総統・議会選挙と比べて国民党は明らかに得票を伸ばしまし
た。総統選では381万票から552万票へ、171万票も増やしました。立法院
選挙では民進党も得票を伸ばしましたが、国民党は少し劣勢なだけで実質
互角の戦いです。蔡氏は総統選で韓氏に得票率で18%以上の差をつけまし
たが、立法院選の差は5%にすぎません」

一連の数字から読みとれることは二つある。➀蔡氏の歴史的大勝利の理由
は前述したように、悪役としての中国の存在によるということ。➁中国共
産党の脅威を別にすれば、蔡氏以下民進党の国内政策は必ずしも受け入れ
られていないことである。従って➁の克服が以降4年間の政権基盤維持に非
常に重要となる。

台湾安全保障協会副理事長の李明峻氏が語った。

「民進党支持者は元々農民と労働者です。ところが民進党は蔡総統の下
(もと)で、主に都市部のエリート向けの先進的政策をリベラルな理念に基
づいて実施しました。一例が同性婚です。考え方として受け入れるのはよ
いのですが、法律まで変えて徹底させ、台湾をアジア初の同性婚国家にし
ました。都会の台北では受け入れられても、田舎の南の方では今も反対が
根強いのです。元々民進党支持勢力だったキリスト長老教会も反対に回り
ました」

台湾人の団結が何よりも必要ないま、学者でリベラル志向の強い蔡氏の理
論先行型政治で国民統合を保てるか、政権のアキレス腱にならないか、注
意が必要だ。

民進党圧勝で平手打ちされた中国の出方を、李氏が説明した。

「もし国民党が勝利していたら、中国はより徹底した強硬路線で、国民党 を従わせ目的を達成しようとしたでしょう。しかし、民進党勝利の前で
は、少なくとも表面的にはそうはできないと考えます」

中国は日本に接近中

中国共産党は媚びる者や弱い者に対しては強く出る。反論する者には下手
に出る。たとえば蔡氏が国民党に圧勝した16年、北京は台湾に対して静観
の姿勢を維持した。しかし18年11月に、地方自治体の首長選挙で民進党が
惨敗すると、中国はあからさまに台湾政策を硬化させた。19年1月2日の習
氏の年頭演説では、「台湾統一は必須であり必然だ、一国二制度の実現が
大事だ」、「軍事力行使の選択肢も放棄していない」と恫喝した。

蔡氏は直ちに「一国二制度は断じて受け入れない」と反撃し、支持率を一
挙に7ポイントも上昇させた。それでも約1年間、今回の選挙まで中国共産
党は台湾海峡に空母を派遣したり、南太平洋の島嶼国を台湾との断交に追
いやったりした。

「日本に対するのと基本的に同じですよ。相手の方が有利だと見れば、静
かな振りをして時を稼ぐ。それでも本心は絶対に変えません。実際の行動
と表面的な動きは無関係です。騙されてはなりません」と李氏。

安倍晋三氏が首相に就任した12年12月以降、中国は日本に強硬政策を取り
続けた。安倍首相は「中国が首脳会談に条件を付けるようなら、会談に応
じる必要はない」として屈せず譲らず、選挙にも勝ち続けた。すると最後
に何の条件も付けずに首脳会談に応じたのが習氏だった。

米中貿易戦争で窮した中国が日本に接近中のいま、日本こそ中国の本質を
想起すべきだ。靖国参拝、尖閣諸島、東シナ海、日本人拘束など、中国の
対日姿勢は不変だ。彼らは表面の薄い膜一枚の色合いを変えて印象操作を
企んでいるだけである。

中国の本質を知り、厳しく長い戦いを予想しているためか、蔡氏は大勝利
の興奮の中でもはち切れるような笑みはほとんど見せない。氏は米国にさ
らなる武器売却と軍事技術の供与を要請し、台湾防衛の力を強化する意思
を示した。天晴れではないか。台湾と民主主義が勝てるように、日本は最
大限の支援をしなければならない。台湾の戦いは、日本にとっての戦いで
もあるからだ。

『週刊新潮』 2020年1月23日号 日本ルネッサンス 第885回

2020年02月01日

◆中国が覇権を握ると、世界はこうなる

櫻井よしこ


令和2年、日本の道は平坦ではあり得ず厳しい1年になるだろう。世界の秩序を揺るがす二大国の前で日本の覚悟が求められている。

米国がアメリカ第一主義を追求し続け、中国がその真空を埋め続けるとしたら、中国主軸の世界はどんな世界になるのか、そのとき日本の対応はどうあるべきなのか。

中国が米国にとって代わる可能性は決して高くない。だが、そのときの世界を想像してみよう。ケ小平以降、江沢民、胡錦濤の歴代指導者と交流があり、中国共産党の考えや性格を深く理解していたシンガポール建国の父、故リー・クアンユー元首相はこんなことを語っていた。

「産業化し力をつけた中国は東南アジア諸国に1945年以来の米国のように慈悲深く接するだろうか。シンガポールは確信が持てない。ブルネイ・インドネシア・マレーシア・フィリピン・タイ・ベトナムなども同じだろう。中国がより自信に満ちており、強硬な構えをとりたがっているのを、我々はすでに承知している」(グラハム・アリソン他著『リー・クアンユー』BCSIA)。

リー氏は次のようにも語っていた。

「中国は我々シンガポール人に、自らの影響力が強くなるにつれてもっと敬意を払うよう求めた。大小にかかわらずどの国も対等で、中国は覇権を求めないと言った。しかし我々が彼らの気に入らないことをすると、13億人に不快な思いをさせた、立ち位置をわきまえろと言う」(同)

どれ程美しい言葉で飾ったとしても、中国には「どの国とも対等」という考え方はないのである。

リー氏がまだ健在で子息のシェンロン氏に首相職を譲る2004年、シェンロン氏が首相就任前に「個人的かつ非公式に」台湾を訪問した。それ以前にも訪台したことがあり、本人は中国の本当の恐ろしさを読みとれていなかったのだ。次期首相の行動に中国側は激しく反応し、「重大な結果を招く」と恫喝した。

怯えた氏は、同年8月の独立記念集会の演説で「台湾独立を支持しない」と宣言した。

習氏が訪日

10年のASEAN地域フォーラム(ARF)外相会議では、当時の楊潔篪外相が他の国々の外相を睨みつけながら言い放った。「中国は大国で、他の国々は小国だ。それは厳然たる事実だ」と。

リー氏が15年3月に死去し、同年5月にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議では、「覇権を求めない」はずの中国が覇権国の強圧的な振る舞いを暴露してしまった。

当時、オバマ政権の無策が続き、中国が凄まじい勢いで南シナ海を埋め立てていたため、基調演説をする立場にあったシェンロン氏は南シナ海問題に言及せざるを得なかった。国際社会が注目する中、氏は中国の大規模埋め立ては非難せず、ベトナムやフィリピンの小規模な埋め立てを非難した。中国の怒りを恐れての演説だったのは明らかだ。

その前年の5月には、習近平国家主席が「アジア信頼醸成措置会議」(CICA)で47カ国の代表を前に「アジアの安全はアジアの人民が守らなければならない」、「いかなる国家も安全保障を独占し、他国の正当な権益を侵害することはできない」と語った。世界人口の約6割を占めるアジアの覇権は中国が握るとの宣言であり、米国のアジア太平洋重視のリバランス(再均衡)政策を牽制したのである。

17年10月には中国共産党第19回全国代表大会で、習氏が「中国の特色ある社会主義」を掲げ、「偉大なる中華民族の復興」を公約した。建国100年には、中国が世界の諸民族の中にそびえ立つとも誓った。

そのとき、中国はどんな国になっているのだろうか。豊かで強くなった中国は民主主義国になっていると思うかと問われたリー氏は、即座に「ノー」と答えている。民主主義が中国共産党の支配を崩壊させるのは明らかだからだ。

中国の歴史にはかつて一度も民主主義の要素など存在しなかった、中国人民は民主主義など求めていない、ともリー氏は指摘している。

いま私たちが認識しなければならないのは、このような中国の異質さである。私たちの価値基準で中国人を推し測るのは愚かなことだ。

今年春には習氏が訪日する。日中両政府は両国関係が非常に良くなっていると讃え合うが、現実は全く異なるのではないか。

両国間には多くの問題が存在する。中国の異常な軍拡、尖閣諸島、東シナ海ガス田、靖國神社、歴史認識、知的財産権の窃盗、日本人不当拘束など、まさに問題山積である。

中でも日本人拘束と尖閣諸島の両問題は18年10月の安倍首相と習氏の首脳会談以降、19年6月、11月、12月の首脳会談で安倍首相の側から問題提起し続けてきた。それに対して中国側はどう対応してきたか。日中関係が「非常に良好」だと言えるような対応だろうか。

安倍首相の要請を無視

安倍首相は18年10月に訪中して習氏と首脳会談を行った。その後の19年11月4日、12月23日の首脳会談でも、拘束されている邦人の解放を求めている。が、習氏の側からは何ら回答がない。

それどころか、安倍首相の要請を無視して、中国政府は次々に、拘束した日本人に有罪判決を下し続けた。

18年12月には二人を実刑とした。札幌市の男性に懲役12年、元中国人で日本に帰化した女性に懲役6年である。

19年5月には別の3人に最高15年の実刑を下した。

同年10月、伊藤忠商事の男性社員に懲役3年の実刑判決を出した。

同年には新たに50代の日本人男性が拘束されたが、同件は11月末になって公表された。また9月には、中国政府のシンクタンク、中国社会科学院の招きで訪中した北海道大学教授が拘束され、11月に解放された。

加えて信じ難いのは、どの件でも中国側は判決文を公表しないことだ。日本側としては、一体どんな罪なのか、どんな根拠があるのかなど、一切わからない。

安倍首相が直接、習氏に問題提起した後でも、こんな不透明で不条理な拘束がなされ、実刑が下されている。対日関係改善への中国首脳の熱意も誠意も感じられない。日本に対する敬意などおよそないのではないか。

尖閣の海にほぼ毎日中国艦が侵入していることは今更言うまでもない。これで日中友好などと言えるのだろうか。中国の支配する世界はこのような事態が基調となるのであろう。

米中がせめぎ合う中、日本は自由と民主主義の価値を重視する米国との協力、連携に全力を尽くすべきだ。憲法改正を急ぎ、軍事力を強化し、経済力を強めることだ。

『週刊新潮』 2020年1月16日号
日本ルネッサンス 第884回

2020年01月31日

◆裁判官の原発潰しが日本の活力を削ぐ

櫻井よしこ


日本のエネルギー政策を歪め、電気料金を押し上げ、消費者と中小企業に負担させている元凶は原子力規制委員会だけではなかった。三条委員会として強大な権限を有する規制委の決定を覆し、公平・公正とはいえない一方的理屈で原子力発電所の運転差し止めを決定する裁判官も、もう ひとつの元凶である。

健全で公正な司法が確立されて初めて社会も国も安心な場所であり得る。だが、原発訴訟を見る限り、日本の司法の現状は憂慮せざるを得ない。その最も理不尽な事例が1月17日の広島高等裁判所の決定であろう。山口県東部の三つの島に住む住民3人が四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方 町)の運転差し止めを求めていた裁判で、広島高裁の森一岳裁判長が運 転を認めない仮処分を決定したのである。

同裁判の経過、担当した裁判長、審尋の実態、判決内容などは約5年前の福井地方裁判所のケースと非常に似通っている。当時の福井地裁裁判長は樋口英明氏だった。氏は関西電力高浜原発3・4号機の運転差し止めの仮処分を下した人物だ。

森氏も樋口氏も原発の運転を差し止めた時、定年もしくは異動間際だった。森氏は今回の仮処分決定8日後の1月25日に定年で退官するために、本誌が出る頃は広島高裁にはもういないのであろう。他方、福井地裁裁判長だった樋口英明氏は15年4月の異動で名古屋家裁への左遷が決まってお り、それにも拘わらず運転差し止めを決定した。

森、樋口両氏はいわば最後の場面で世間に注目される決定を下したわけだが、どう見ても多くの疑問を抱かざるを得ない。第一点が差し止めの仮処分決定に至る過程で当事者の主張を十分に聞いたとは思えないことだたとえば森氏が四国電力の意見を聞いたのは90分の審尋1回のみであ る。樋口氏の関西電力に対する審尋は2回のみだった。いずれのケースでも電力会社側の要請した専門家の意見聴取は却下されている。

判決文の中に間違い

二つの裁判に共通するもうひとつの要素が「人格権」の乱用である。実は私は5年前の樋口氏の仮処分決定の内容に疑問を抱き、インターネット配信の「言論テレビ」に北海道大学教授の奈良林直氏と民法の権威である名古屋大学名誉教授の森嶌昭夫氏を招き、樋口判決について論じたこと がある。

樋口氏は判決に「原子力規制委員会の新しい規制基準は緩やかすぎて、それに合格しても安全性は確保されない。従って住民の人格権を侵害する具体的危険がある」との主旨を書いていた。森嶌氏は「人格権」という極めて広く解釈できる用語の使用に以下のように疑義を呈した。

「高浜原発を稼働させたからといって、すぐさま住民の生命自体が侵害される急迫な事態ではないわけです。そこに個人情報から名誉毀損まで幅広い意味が入ってしまう人格権という言葉を当てはめるのであれば、原発を差し止めなければ急迫に侵害されようとしているのが、具体的にど の権利なのかを明確に示さなければなりません」

「人格権」は法律用語としてきちんと定義されているわけではない。にも拘わらず、その曖昧な用語を、ひとつひとつの言葉を厳格に定義したうえで事実認定しなければならないはずの法廷で使用する理由は、本当に 急迫した危険な状況であると説明出来ないからではないか、と森嶌氏は 疑問視したわけだ。今回の広島高裁の判決にも同様の疑問を抱く。

両判決のもうひとつの共通点は判決文の中に間違いが目立つ点である。高浜原発差し止めを決定した樋口氏の間違いは極めて初歩的であるために分かり易い。

氏は、高浜原発では電源喪失、つまり停電からわずか5時間で炉心損傷に至ると書いている。これは全くの間違いだ。奈良林氏が指摘した。

「福島第一原発はそれに近い状況でしたが、高浜原発では種々の対策がとられていて、全電源が失われても18日から19日間は給水可能、炉心冷却 も継続できるのです。特に福島事故の後は巨大タンクを作り、冷却用の水源量を増やしていました」

つまり高浜原発が5時間ほどで炉心損傷に至ることはないのである.この点を樋口氏は高浜原発で事実誤認しただけでなく、その1年前に運転差し止めを命じた大飯原発に関しても同様の誤認をしていた。裁判長たる者が 2回も、重要な技術的、科学的な問題点について同じ間違いを犯して公正に裁けるはずがない。

樋口氏はまた、使用済み核燃料プールの給水配管と計測器を、強度の耐震設計を施したSクラスにすべきだと判決文で批判した。

「電力会社の説明を全く聞いていないとしか思えませんね。樋口氏の指摘した部分は元々Sクラスと同等の設計になっていました。最高水準の設計で、使用済み核燃料プールもSクラスです」と、奈良林氏。

国民のツケになる

まだある。樋口氏は、緊急時には免震重要棟が必要であるのに、その建設に猶予期間があるのはおかしい、つまり、免震重要棟が出来ていないではないかと指摘していた。

「免震重要棟は福島第一原発で有名になりましたが、免震のゴムに尋常ならざる圧力がかかりますから、いまは耐震重要棟に切り替わりつつあります。高浜原発には耐震Sクラスの建屋があり、緊急時対策所が設けられています。樋口氏はそのことを認識できていない。猶予期間について は全くの思い違いです。猶予期間は重要免震棟ではなく、テロに備えるための『特定重大事故等対処施設』の建築に対するものです。それを樋口氏は免震重要棟の建築と取り違えていたのです」(同)

事実を誤認したまま運転させないという仮処分を下した樋口氏は余りに無責任だが、今回の森判決にも以下のような驚くべき指摘がある。

佐田岬半島瀬戸内海側の沿岸部に活断層があれば、伊方原発に強い地震がくる。だが、四国電力は十分な調査をしないまま、活断層は存在しないと主張し、それを問題なしと判断した原子力規制委員会の側に過誤ないし欠落があった、というものだ。

四国電力は与えられたたった1度の90分の審尋で、指摘箇所の活断層について十分な調査を行ったことをデータを含めて説明した。だが、森氏は電力会社側の説明に殆んど耳を貸さなかったのであろう。その上で、世 界一厳しい日本の規制委の安全審査に踏み込んだわけだ。裁判官は活断 層の専門家ではない。それがどういう資格でか、一応、専門家集団であ る規制委の安全審査を否定してみせた。

住民側の主張のみを取り入れている点で森氏は樋口氏と同じである。公正さを欠いた司法判断で伊方原発が止まり、少なくとも毎月35億円の費用が膨らみいずれ国民へのツケになるだろう。経済的痛みと共に国の土台である司法が蝕まれ続けている。

『週刊新潮』 2020年1月30日号
日本ルネッサンス 第886回

2020年01月29日

◆蔡英文大勝利の中に今後の課題山積 

櫻井よしこ


1月11日、台湾の運命を決める選挙は民進党総統、蔡英文氏が怒濤の勝利 をおさめた。開票最終局面で同氏の得票が台湾史上初の800万票超えと なったとき、民進党本部前の広場では花火が弾け、群衆の叫びが地鳴りと なった。

勝者は蔡氏、もう一方の主役で敗者は中国国家主席の習近平氏だった。

今回の台湾選挙は「中国に対する国民投票」だった。蔡氏の得票率 57.13%は習氏がゴリ押しした「一国二制度」への峻烈な「ノー」であ り、弾圧されている香港人への強烈な連帯意識の表明である。

11日午後9時半を回った頃に始まった勝利宣言で蔡氏はかつてないほど、 国際社会の注目を集めたこの選挙の意味を説いた。台湾の主権と民主主義 が潰されそうになるとき、台湾人は大声で決意を新たにし、叫び返す人々 だと、今迄の氏にしては珍しい笑顔で語った。大衆もどっと笑ったが、大 中国を相手に圧勝した会心の笑みだった。

だが、彼女はすぐに冷静な表情に戻り、民進党は台湾の主権に関しては揺 るがない、中国とは健全な交流を望むと、中国に呼びかけた。中国は全く 受け入れ不可能な条件と圧力で「一国二制度」を押しつけてきたが、台湾 には平和、均衡、民主主義と対話の4原則がある。選挙で選ばれた台湾政 府と台湾の民主の力は、中国の如何なる圧力にも恫喝にも屈しない。その ことを北京は理解すべきだと、蔡氏は重ねた。

彼女はさらに香港の若者たちが悲しみの涙と怒りの血を流しながら戦って いる事例を語った。集会参加者の少なからぬ人々の頬を涙が伝い始め、私 のすぐ近くにいた高齢の小柄な女性が大声で叫んだ。「香港、加油!(香 港ガンバレ!) 香港、加油!」。同じ叫び声がすぐにあちこちで弾け、 こだました。中国共産党の支配、弾圧と抑圧への拒否感情が蔡氏支持者ら の原動力であることを強く感じさせた場面だ。北京と香港の激しい対立、 習氏と香港人こそが蔡氏を勝たせた要因である。

国民統合を守れるか

台湾史上初の817万余の大量得票は、台湾の若者たちがまさに香港に自ら の運命を重ねて見て投票所に足を運んだ結果である。彼らは「台湾の主 権」を守ってくれるのは一国二制度拒否の蔡氏であり、同制度受け入れに 傾いた国民党候補者の韓国瑜氏ではないと賢明に見てとったのだ。

一方、台湾人の投票行動のもうひとつの側面に注目すれば、半年ほど前、 即ち、香港問題発生以前は、殆ど勝ち目のなかった蔡氏のこれからの道程 が容易でないことも見てとれる。

113議席の立法院で民進党は過半数の61議席を確保し、行政・立法双方を 堂々と制したが、得票数では国民党も善戦したのである。民進党系シンク タンクの幹部が語った。

「4年前の総統・議会選挙と比べて国民党は明らかに得票を伸ばしまし た。総統選では381万票から552万票へ、171万票も増やしました。立法院 選挙では民進党も得票を伸ばしましたが、国民党は少し劣勢なだけで実質 互角の戦いです。蔡氏は総統選で韓氏に得票率で18%以上の差をつけまし たが、立法院選の差は5%にすぎません」

一連の数字から読みとれることは二つある。?蔡氏の歴史的大勝利の理由 は前述したように、悪役としての中国の存在によるということ。?中国共 産党の脅威を別にすれば、蔡氏以下民進党の国内政策は必ずしも受け入れ られていないことである。従って?の克服が以降4年間の政権基盤維持に非 常に重要となる。

台湾安全保障協会副理事長の李明峻氏が語った。

「民進党支持者は元々農民と労働者です。ところが民進党は蔡総統の下 (もと)で、主に都市部のエリート向けの先進的政策をリベラルな理念に基 づいて実施しました。一例が同性婚です。考え方として受け入れるのはよ いのですが、法律まで変えて徹底させ、台湾をアジア初の同性婚国家にし ました。都会の台北では受け入れられても、田舎の南の方では今も反対が 根強いのです。元々民進党支持勢力だったキリスト長老教会も反対に回り ました」

台湾人の団結が何よりも必要ないま、学者でリベラル志向の強い蔡氏の理 論先行型政治で国民統合を保てるか、政権のアキレス腱にならないか、注 意が必要だ。

民進党圧勝で平手打ちされた中国の出方を、李氏が説明した。

「もし国民党が勝利していたら、中国はより徹底した強硬路線で、国民党 を従わせ目的を達成しようとしたでしょう。しかし、民進党勝利の前で は、少なくとも表面的にはそうはできないと考えます」

中国は日本に接近中

中国共産党は媚びる者や弱い者に対しては強く出る。反論する者には下手 に出る。たとえば蔡氏が国民党に圧勝した16年、北京は台湾に対して静観 の姿勢を維持した。しかし18年11月に、地方自治体の首長選挙で民進党が 惨敗すると、中国はあからさまに台湾政策を硬化させた。19年1月2日の習 氏の年頭演説では、「台湾統一は必須であり必然だ、一国二制度の実現が 大事だ」、「軍事力行使の選択肢も放棄していない」と恫喝した。

蔡氏は直ちに「一国二制度は断じて受け入れない」と反撃し、支持率を一 挙に7ポイントも上昇させた。それでも約1年間、今回の選挙まで中国共産 党は台湾海峡に空母を派遣したり、南太平洋の島嶼国を台湾との断交に追 いやったりした。

「日本に対するのと基本的に同じですよ。相手の方が有利だと見れば、静 かな振りをして時を稼ぐ。それでも本心は絶対に変えません。実際の行動 と表面的な動きは無関係です。騙されてはなりません」と李氏。

安倍晋三氏が首相に就任した12年12月以降、中国は日本に強硬政策を取り 続けた。安倍首相は「中国が首脳会談に条件を付けるようなら、会談に応 じる必要はない」として屈せず譲らず、選挙にも勝ち続けた。すると最後 に何の条件も付けずに首脳会談に応じたのが習氏だった。

米中貿易戦争で窮した中国が日本に接近中のいま、日本こそ中国の本質を 想起すべきだ。靖国参拝、尖閣諸島、東シナ海、日本人拘束など、中国の 対日姿勢は不変だ。彼らは表面の薄い膜一枚の色合いを変えて印象操作を 企んでいるだけである。

中国の本質を知り、厳しく長い戦いを予想しているためか、蔡氏は大勝利 の興奮の中でもはち切れるような笑みはほとんど見せない。氏は米国にさ らなる武器売却と軍事技術の供与を要請し、台湾防衛の力を強化する意思 を示した。天晴れではないか。台湾と民主主義が勝てるように、日本は最 大限の支援をしなければならない。台湾の戦いは、日本にとっての戦いで もあるからだ。

『週刊新潮』 2019年1月23日号
日本ルネッサンス 第885回