2017年01月12日

◆トランプ氏の台湾政策に中国が反発

櫻井よしこ



「トランプ氏の台湾政策に中国が反発 求められる現実政治の注意深き戦略」

次期米国大統領、ドナルド・トランプ氏は大統領に当選して以来、中央情
報局(CIA)をはじめとする米国の16に上る主要情報機関のブリーフィ
ングをほとんど受けていない。
 
通常、次期大統領は当選から実際にホワイトハウス入りするまでの2カ月
余りの間、熱心にこれら情報機関の進講を受け、大国米国の指導者に、ま
た、世界のリーダーに必要とされる知識を身に付けていく。

次期副大統領のマイク・ペンス氏は当選以来、毎日熱心にブリーフィング
を受けている。だが、トランプ氏はこれまでに2回、進講に応じただけだ。
 
ビジネスには優れていても、外交・安全保障に関する知識や理解は心もと
ないといわれるトランプ氏に対しては、いったん大統領に当選すればいわ
ゆる専門家が「正しい」情報を助言するので、暴言は軌道修正できるし、
懸念することはないといわれてきた。しかし、そうした期待が裏切られて
いる。
 
その間にもトランプ氏は、50を超える国・地域の首脳との会談を行ってい
る。12月2日には台湾の蔡英文総統にも電話した。氏は蔡総統を「プレジ
デント」と呼び、一国の指導者と位置付ける姿勢で敬意を払った。
 
11月14日には中国の習近平国家主席と会談しており、その後とはいえ、台
湾総統に次期米国大統領が電話をかけるのは異例で、台湾を国家扱いする
ことは中国が最も忌み嫌うことだ。
 
中国側の不快感の表明に対してトランプ氏はツイッターで反発した。

「中国は元安にして(米企業の競争力を削いで)よいかと、われわれに聞
いたか? (米国は中国貿易に関税をかけていないのに)米国の製品に高
い関税をかけてよいかと、われわれに聞いたか? 南シナ海のど真ん中に
巨大な軍事施設を建ててよいかと、われわれに聞いたか? そうは思わな
い!」

「ニューヨーク・タイムズ」紙はツイートの背後にあるのは、大国の指導
者が蔡総統と会談するのに中国に了承してもらわなければならないという
状況への「腹立ち」だと、解説した。
 
トランプ氏のツイートに対して、中国は態度を硬くし、共産党機関紙「人
民日報」が社説でこう書いた。

「中米関係で問題を起こすことは、アメリカ自身に問題を起こすことだ」
 
人民日報の国際版で、世界の反応を見るために様子見の役割を果たす
「環球時報」も社説で書いた。

「(台湾問題で米国が中国に圧力をかけることは)アメリカを再び偉大な
国にするという目的実現の可能性を大幅に減殺することになるだろう」
 
中国は反撃するとの姿勢が見える。
 
トランプ氏はどこまで深く考えて、台湾政策の一歩を踏み出したのだろう
か。外交専門雑誌「フォーリンポリシー」にアレックス・グレイ氏とピー
ター・ナバロ氏が書いている。グレイ氏は政権移行チームの一員、ナバロ
氏はトランプ氏のアドバイザーである。
 
グレイ氏はオバマ政権の台湾政策を「目に余るひどさだ」と厳しく批判
し、ざっと以下のように書いた。

──台湾はアジアのデモクラシーの灯であり、世界で軍事的に最も脆弱な米
国のパートナーである。虎視眈々と台湾を狙う中国を抑止するために、こ
の島に対する包括的な武器装備の売却(deal)が必要だ。
 
同様の意見は、トランプ氏周辺には少なくない。トランプ氏のツイート
が中国の態度を硬化させたことについても、それは西太平洋・インド洋に
またがる国々に、米国の新政権は過去の取り決めに制約されないというこ
とを示す好材料だとみる専門家もいる。
 
中国の覇権主義や圧力に屈しないとの米国の姿勢は大歓迎だ。しかし現
実の政治の中でその政策を全うするには、注意深い戦略が必要だ。それな
しには、かえって事態は悪化する。私には、そのことが心配だ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1162

2017年01月10日

◆日露交渉、一本とられた日本

櫻井よしこ



柔道流に表現すれば、日本は一本とられたということだ。
 
12月15、16の両日、山口県長門市と東京で行われた日露首脳会談には辛い
点をつけざるを得ない。平和条約締結にも北方領土の帰属問題にも進展は
見られないまま、経済プロジェクトが先行する形になった。
 
日本の「敗北」の背景には、都合16回の首脳会談と並行して生じた国際
政治力学の大変化もある。それがロシアに有利な、日本に不利な世界情勢
を作り出した。日本に不利なタイミングで「平和を旨とする国家」日本
と、軍事力、謀略、サイバー攻撃をはじめ、あらゆる力を駆使して目標を
達成する「力治国家」ロシアが交渉すれば、それは今回のような結果につ
ながるだろう。
 
日露関係を揺さぶる要素としての国際政治は、一体どのように変化した
のか。2014年3月、クリミア半島を奪ったプーチン大統領は、国内では
90%の支持を得た一方で、国際的には孤立した。米欧の経済制裁は原油安
で苦境に陥ったロシアの困窮をさらに深め、プーチン氏は対中協力の中に
活路を模索した。中国がロシアにどれだけの経済的メリットをもたらして
いるかは大いに疑問だが、プーチン大統領は中国を「特権的戦略的パート
ナー」と呼び、対日、対米カードと位置づける。
 
ロシアが国際的孤立を深めていた中での日本の接近は、プーチン大統領に
とって願ってもない投資や技術協力の到来に思えたことだろう。日本側の
領土問題解決への切望と対中国でロシアカードを持ちたいという思惑を見
据えた上で、プーチン大統領が安倍首相の働きかけに応じた背景には、ロ
シアの孤立があったことは否めない。
 
しかし、ドナルド・トランプ氏の登場で情勢は変化し始める。トランプ氏
は大統領選挙戦の最中からプーチン氏を前向きに評価しており、プーチン
氏はトランプ氏を勝たせるためにサイバー攻撃を展開した、とオバマ大統
領が事実上、断定した。「ワシントン・ポスト」紙もロシアはサイバー攻
撃で選挙に干渉したと、中央情報局(CIA)が結論づけた旨、報じた。
トランプ氏側はCIAを非難し、次期大統領と国家機密を一手に握る
CIAとの間に亀裂が入りかねない状況が生じている。

秘密警察的手法
 
経済的にも軍事的にも力を落としているロシアが新しいコミュニケー
ション手段を用いて行った情報戦は、アメリカの指導者選出に影響を及ぼ
し、アメリカ中枢の権力構造に亀裂を生じさせようとしている可能性も見
てとれる。ネットやSNSなどの情報伝達手段を用いれば、どんな小さな
国でも、大国の政治を揺るがし、動かすことができる。

プーチン氏のロシ アは衰えたりといえども、情報戦においてはまさに非
情かつ秀でた国だ。 17年は欧州の少なからぬ国々で選挙が行われる。同
種のサイバー攻撃を、 世界の政治を動かしたいと企む勢力は必ず実行す
ると考えるべきだ。秘密 警察的手法で各国の政治が操られかねない時代
に、すでに私たちは入って いる。いま眼前で起きつつある国際政治の変
化は、近未来において予測不 可能な大地殻変動に結びついていくのでは
ないか。
 
トランプ氏は、石油開発事業を通じてプーチン大統領と20年以上の交流が
あるレックス・ティラーソン氏を国務長官に指名した。ロシア側は「これ
以上の人事はない」と歓迎したが、氏はクリミア併合を理由とする米欧諸
国の対ロシア経済制裁に強く反対した人物だ。
 
トランプ政権のもうひとつの人事、国家安全保障担当の大統領補佐官に起
用されたのは元国防情報局長官で退役陸軍中将のマイケル・フリン氏だ。
氏は、イスラム過激派はアメリカに世界戦争を挑んでおり、ロシアがイス
ラム過激派の脅威と戦うのであれば、アメリカのパートナーになり得ると
の考えを明らかにしている。
 
1月に発足する新政権では、大統領、国務長官、大統領補佐官の少なくと
も3名が親ロシア派である。ロシアを最も警戒すべき脅威と位置づけてい
たオバマ政権の対極に、トランプ政権はある。プーチン大統領にとって僥
倖と呼ぶべき変化がアメリカに生じたことは、対ロシア制裁網打開の突破
口と位置づけられていたであろう、日本の重要性を目に見えて低下させた
のではないか。領土問題で日本に譲る必要のない国際環境が出来上がった
ことは、プーチン大統領の余裕につながったか。
 
12月15日、シリア最大の都市アレッポをロシア軍がアサド大統領の軍と共
に反体制派から奪い返したが、重要な商業都市の奪還は中東における主導
権確立につながるものであり、プーチン大統領は自信を深めたことだろう。
 
このように、日露首脳会談の日程が近づくにつれてプーチン氏有利の国際
情勢が生まれた。領土問題は存在しないと考えるプーチン大統領がますま
す強硬になり得る理由である。
 
だが、国際情勢は一定でも不変でもない。必ずまた変わる。何より、ロシ
ア経済は全く回復しておらず、ロシアの外貨準備は17年にも涸渇すると見
られる。

軍事費も6位に
 
世界最多の核兵器を保有するロシアは軍事大国のイメージが強いが、実
は軍事面でも力を低下させつつある。かつてアメリカに並ぶ世界最大規模
だった軍事費は、現在は米中英印サウジアラビアに次ぐ6位である。国防
予算は484億ドル(1ドル110円換算で5兆3240億円)で、20年にはフランス
にも抜かれると見られている。
 
ロシアの誇る武器装備にもバラつきがある。10月に地中海東部に派遣した
空母「アドミラル・クズネツォフ」は30年前の建造で、カタパルトがな
い。圧縮蒸気の力で一気に艦載機を加速、離陸させるカタパルトの技術は
アメリカだけが持っている。同空母から飛び立つ戦闘機は燃料も爆弾も少
量しか積めない。11月以降、少なくとも2機の艦載機が地中海に墜落して
いる。
 
シリア空爆ではターゲットに正確に当てるピンポイントの誘導弾ではな
く、爆撃機から投下する「馬鹿爆弾」という通常爆弾を用いている。正確
な攻撃ができずに一般国民に多大な犠牲を出し続けている。
 
こうした中、アレッポ奪還はロシア軍事介入の成功例として華々しく喧伝
されたが、実は同じ頃、ロシアはシリア中部の世界遺産都市パルミラをイ
スラム国(IS)に奪われている。パルミラには油田があり、ISにとっ
て重要な戦略拠点だ。専門家はアレッポを含めたシリアの戦況も極めて流
動的だと見る。
 
ロシアの力を過大評価も過小評価もしないことだ。時期が来るまで、あら
ゆる面で日本の力を強化することに集中するのがよい。その間、北方領土
の元住民がより自由に往来できるようになるのが何よりだ。

『週刊新潮』 2016年12月29日、2017年1月5日号
日本ルネッサンス 第735回

2017年01月08日

◆捏造だらけの朝日新聞

櫻井よしこ



「元記者が暴露する捏造だらけの朝日新聞 そのコア読者に嫌われるのは
至上の名誉」

世界は大乱世の時代のとば口に立っている。2017年、戦後見慣れてきた国
際社会の安寧と秩序が脅かされる危険がある。そのとき、日本を取り巻く
国際環境を正確に読み取ることができれば、私たちは必ず問題の突破口を
開き、乗り越えていける。希望的観測や過度の悲観論を横に置いて、内外
の事情を虚心坦懐に分析することが欠かせない。
 
こんな時代、メディアの責任は一層重い。印象操作を加えることなく、で
き得る限りの公正さで事実を伝える責任である。
 
そこで『こんな朝日新聞に誰がした?』(長谷川熙(はせがわ・ひろ
し)、永栄潔著、WAC)の一読をお勧めする。

両氏共に朝日新聞社OBで、長谷川氏は先に『崩壊 朝日新聞』
(WAC)を上梓し、鮮烈な「朝日新聞」批判で注目された。永栄氏は嫌
みもけれん味も感じさせない軟らかな文章で『ブンヤ暮らし三十六年』
(草思社)で新潮ドキュメント賞を受賞した。
 
両氏の対談を主軸とする『こんな朝日…』で驚くべきことが暴露されてい
る。「週刊朝日」編集長の川村二郎氏が某日の「朝日」に載った海外のス
ポーツ大会を報ずる記事に疑問を抱いた。「君が代」が始まると席を立つ
観客が多いと、Y編集委員が署名入りで報じた記事だ。川村氏が「あれっ
て、本当かよ」と尋ねると、Y氏は答えた。
 
「ウソですよ。だけど、今の社内の空気を考えたら、ああいうふうに書
いておく方がいいんですよ」
 
永栄氏が明かすもう1つの事実は1988年、リクルート事件に関する報道
だ。「朝日」は宮沢喜一蔵相(当時)にも未公開株が渡っていたとスクー
プし、永栄氏の後輩記者が宮沢氏を追及。同記者は「会見で何を訊かれて
も、宮沢氏は『ノーコメント』で通し、その数13回に及んだ」と報じた。
 
永栄氏は「それにしても(13回とは)よく数えたな」と後輩の突っ込みを
褒めた。すると彼は照れてこう言ったという。「ウソに決まってんじゃな
いすか。死刑台の段数ですよ」。
 
本当にひどい新聞だ。これら「朝日」の捏造記事に言及しつつ、永栄氏は
自身の事例も振り返る。日朝間で問題が起きると、朝鮮学校の女生徒の制
服、チマチョゴリが切り裂かれる事件が続いたことがある。

そのとき永栄氏の知人がこう語った。「自分の娘を使っての自作自演なん
です。娘の親は(朝鮮)総連(在日本朝鮮人総連合会)で私の隣にいた男
です。北で何かあると、その男の娘らの服が切られる。『朝日』にしか載
らないが、書いている記者も私は知っている」。
 
総連関係者の同人物は、この男に、娘さんがかわいそうだと忠告し、自作
自演の犯行はもうやめると約束させた。そこで男に会って取材しないか
と、永栄氏に持ち掛けたのだ。
 
ところが、氏は提案を即座に断った。「書かないことに対する抵抗は幸い
薄かった」という。氏の感覚は、言論人にあるまじき判断だ。永栄氏の芯
は「『朝日』の人」なのである。

「朝日」は14年8月、吉田清治氏関連の記事全ての取り消しに追い込まれ
たが、永栄氏はこう書く。

「『取り消しは不要。右翼に屈するな』という“激励”電話が2本あっ
た」。電話の主の2人は「『朝日』が頼り」と言ったそうで、「櫻井よし
こさんや西部邁氏に表現の自由など与えたくないというのが、コアな『朝
日』読者の空気」だと、永栄氏は断じている。
 
こんな「コアな読者のなかでもさらにコアな、そういう人たちに占拠され
て」いる「朝日」を、永栄氏は「在社中はずうっといい会社だと思ってい
た」「本当にいい時代を過ごせた」と振り返る。やれやれ。それにして
も、「こんな『朝日』」のコアな読者に嫌われることは、言論人にとって
至上の名誉だ。これからも果敢に取材し、朝日の“悪”を暴いていきたい。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月31日・2017年1月7日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1164



2016年12月31日

◆それ以前に必要な秋篠宮家への手厚い支え

 
櫻井よしこ

天皇の譲位を認めるべきか否かについての専門家16人からの意見聴取が11
月30日に終わった。意見は大きく3つに分かれている。(1)譲位を恒久的
制度とする、(2)譲位を認めつつも、今回限りの特別措置とする、(3)
譲位ではなく摂政を置く、である。
 
私は専門家の1人として、天皇陛下のお気持ちに沿うべく、最大限の配慮
をすると同時に、そうした配慮と国の制度の問題は別であることを認識し
て、(3)を主張した。皇室と日本国の永続的安定のためにもそれが良い
と考えた。
 
一方で、日本国民の圧倒的多数は陛下の「お言葉」を受けて、譲位を認め
るべきという意見である。
 
こうした中、陛下にごく近い長年の友人である明石元紹(もとつぐ)氏
(82歳)が、陛下が譲位を「将来も可能に」してほしいと、以前から話さ
れていたと、「産経新聞」に語った。同紙は12月1日の紙面で、明石発言
を1面トップで報じた。さらに、11月30日に51歳の誕生日を迎えられた秋
篠宮さまも陛下の「お言葉」について、初めて公式に感想を述べられた。

「お言葉」を通して、「長い間考えてこられたことをきちんとした形で示
すことができた、これは大変良かった」「最大限にご自身の考えを伝えら
れた」「折々にそういう考えがあるということを伺っておりました」との
内容だ。秋篠宮さまご自身、5年前のお誕生日前の会見で、天皇の「定年
制」も必要だと語り、注目された。
 
皇室から次々に、譲位に向けた強いお気持ちの表明がなされる中で、私た
ちに課せられた課題は前述したように陛下のお気持ちを尊重しつつ、国柄
を維持する制度の問題を、どう融合させていくかという点であろう。陛下
がお気持ちをこれほど強く表明される中で、政府および有識者会議は、歴
史と、皇室を軸とする日本の国柄を踏まえ、賢い解決策を出さなければな
らない。

政府の決定いかんにかかわらず、日本国として同時進行でしっかりと策
を講じるべきこともある。次の世代の皇室をよりよく守り、支えるには、
皇室の現状に多くの課題があることを認識しなければならない。皇位継承
の安定はその筆頭だ。1つの方策として指摘されている旧宮家の皇族への
復帰案などは、皇室典範の改正が必要であり、議論のための十分な時間が
必要だ。
 
そうしたこと以前に、皇室典範や憲法改正を伴わずに今すぐできることも
ある。その緊急性を示したのが過日の交通事故である。
 
11月20日、秋篠宮妃紀子さまと悠仁さま、ご学友が乗ったワゴン車が中央
道で追突事故を起こした。紀子さまらにけがはなく、追突された乗用車の
側も無事だったのは、何よりだった。だが、よりによって悠仁さまの乗っ
た車がなぜ事故を起こしたのか。理由は秋篠宮家に対する支えの体制が不
十分であることに尽きるだろう。
 
皇位継承権保持者としてただ1人、若い世代の悠仁さまは、皇室にとって
も日本にとっても掛け替えのない方だ。その悠仁さまの車になぜ、先導車
が就かないのか、交通規制が敷かれないのか。天皇、皇后両陛下や皇太子
ご一家のお出掛けでは、白バイが先導し、後方を警備車両が固める。信号
は全て青になるよう調整され、高速道路には交通規制がかけられる。交通
事故など、起こりようがない状況が整えられる。
 
この当然の対応が、秋篠宮家に対しては一切取られていない。公務でのお
出掛けでも、後方に警備車両が一台就くだけだ。理由は秋篠宮家は他の皇
族と同じ扱いになるからだという。しかし、陛下の譲位が取り沙汰される
中、皇位継承権保持者お二人を擁する秋篠宮家にはもっと手厚い支えをす
るのが筋である。安定した皇位継承体制をつくる法議論も必要だが、この
ような目の前の日常の事柄への配慮も欠かしてはならないと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1161



2016年12月25日

◆現実になりそうな「韓国の消滅」

櫻井よしこ


朴大統領弾劾運動の背後に北朝鮮勢力 

大韓民国という国が消滅する。フィクションのようなことが、現実になる
かもしれない状況が生じている。
 
崔順実(チェ・スンシル)という女性実業家に便宜を図り、国政への介入
を許した朴槿恵大統領は弾劾されたが、機密情報を民間人に漏らすなどし
ており、仕方がないことだろう。

同時に、弾劾に向けて暗躍したのは、韓国政府が国家保安法違反の利敵団
体に指定した北朝鮮系の革命勢力グループであることも忘れてはならない。

革命勢力とは具体的には「祖国統一汎民族連合南側本部」「民族自主平和
統一中央会議」「民主民族平和統一主権連帯」など、北朝鮮主導の組織で
ある。彼らは「民衆総決起闘争本部」をつくり、各種労働組合などを傘下
に収めて、一連のデモを統括した。
 
ソウルに吹き荒れた反朴デモで人々が歌っていた「これが国か!」という
歌は、国民を守れないこんな国は国家ではない、と朴政権の現状を批判・
非難する内容だが、3番の歌詞を見れば、朴大統領批判を超える革命歌で
あることが分かる。

「(与党の)セヌリ党も(保守系新聞の)朝鮮日報も、醜悪な共犯者だ。
おまえたちも解体してやる!」。国家体制を破壊せずにはおかないとい
う、まさに革命歌だ。
 
作詞作曲者はユン・ミンソク氏、前科4犯、いずれも政府転覆と体制変
換を企んだとして国家保安法違反で逮捕されたものだ。四度逮捕された
が、そのたびに短期間で釈放されてきた。韓国の司法が北朝鮮勢力の影響
下にあるからだと指摘されている。
 
氏はまた北朝鮮の工作員が韓国に潜入してつくった組織に加入し、1992
年に北朝鮮の故金日成主席をたたえる歌も作詞作曲した。およそ日本では
考えられない、驚くような状況が韓国に出現しているのである。
 
約四年前に朴政権が誕生したとき、朝鮮半島問題の専門家は「南北朝鮮
それぞれの、時間との競争が始まった」とみた。その心は、北の体制と南
の体制のどちらが先に崩壊するのか、先に崩壊した側が残った側に吸収合
併される形で朝鮮半島が統一に向かう可能性が出てくるという読みだった。
 
今、南北朝鮮間で優位に立っているのは、北朝鮮だといえる。人口は韓
国の半分、経済は40分の1。国民を苦しめるだけの独裁国が韓国より優位
に立てるのは、情報戦の結果である。
 
北朝鮮工作員は長年韓国への潜入を繰り返し、思想的、政治的に韓国人
を親北朝鮮に染め上げてきた。その総仕上げが今だとみて、金正恩第一書
記は全力を挙げている。朴政権のみならず、韓国の保守勢力をつぶしにか
かっている。韓国が先に転んだこの絶好の機会を逃さないよう金氏は全力
を尽くしているが、その1つの側面が北朝鮮の影響下にある在韓国勢力の
手元にかなりの資金を集中させていることだといわれている。
 
朴大統領への弾劾訴追可決によって、黄教安首相が大統領臨時代理と
なった。黄氏は2014年に北朝鮮の代理政党といってよい野党、統合進歩党
を解体したしっかりした人物だ。
 
弾劾を認めるか否か、憲法裁判所の判断は180日以内に出されるが、そ
の間に黄氏は保守勢力の基盤を立て直せるだろうか。国民世論は北朝鮮主
導の反朴運動の熱狂から覚めて、落ち着きを取り戻せるだろうか。韓国は
命運を決する岐路に立っている。
 
仮に保守勢力が巻き返せず、世論も反朴運動の背後にある北朝鮮勢力と
彼らの意図に気付かないまま、来年の大統領選挙に突入する場合、韓国は
事実上消滅するかもしれない。どの候補者を見ても、現在より左翼的政権
になるのは明らかで、それはすなわち、反日政権ということだ。反朴運動
に関わる北朝鮮の働き掛けと意図を認識し、日本の側から韓国に向けて、
全体像を伝える情報を発信すべきだ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1163 

2016年12月24日

◆日本が「拉致」を解決できない理由

櫻井よしこ



10月下旬、都内の友愛会館で開催された拉致問題解決を目指す集会で横田
早紀江さんが近況を語った。

「主人の具合がはかばかしくありません。私自身も、あちらこちら具合が
悪くて困っています」
 
めぐみさんが拉致されて来年で40年、北朝鮮にいると判ってからでもすで
に20年が経つ。13歳の少女は来年53歳になる。
 
集会でいつも早紀江さんは問う。なぜ、こんなに長い間、日本国は拉致さ
れた国民を取り戻せないのか、日本は国家か、と。

「救う会」は毎年のように、韓国やタイの拉致被害者の家族を日本に招い
てきたが、ある年、父親を拉致された韓国の女性が訴えた。訴えは、日本
が羨しいという一言に凝縮されていた。

国民も国会議員も一堂に会して拉致問題解決のために声を上げる。救う対
象には韓国人もタイ人も含まれている。他方、韓国では政府も民間も拉致
問題に非常に冷たい。家族は皆辛い思いをし、経済的にも困っている。そ
れなのに、まるで父が悪いことをしたかのように、冷たい言葉を浴びせら
れる。だから官民あげて救出を叫ぶ日本が本当に羨しい、という内容だった。
 
確かに「救う会」も家族会もこの20年、日本人のみならず全ての拉致被害
者を救出するという大目的を掲げ、その時まで拉致問題を忘れないと、言
い交わしてきた。
 
この思いは12月11日、愛知県豊川での集会でも強く感じた。地元の豊川駅
にはめぐみさんや田口八重子さんらの写真や資料が展示され、会には豊川
市議会議員の八木月子さんたちを中心に大勢が集まった。
 
しかし、日本は本当に、韓国の被害者家族が羨しがる程きちんとした国だ
ろうか。日本政府は、とりわけ安倍晋三首相の固い決意もあり、国をあげ
て拉致問題を解決すると宣言し、努力しているのに、未だに解決できてい
ない。なぜか。

5人を帰すべきではない

「日本のこころ」代表の中山恭子氏と語り合った。中山氏は1999年から3
年間、ウズベキスタン共和国の大使を務めた。赴任後間もなく、日本人の
鉱山技師4人と通訳らが隣国のキルギス共和国で拉致される事件に遭遇し
た。結論から言えば、彼女は救出に成功したのだが、その体験から、日本
が拉致被害者を救出できない原因が見えてくる。
 
最大の原因として、日本には、とりわけ外務省には、国家の責任で国民を
救出するという考え方自体がなかったというのだ。いま、事情は多少変化
しているとはいえ、海外で被害に遭った国民に対しては、国家としての日
本は無関心であり続ける構造になっているという。
 
具体的に見てみよう。氏は02年8月に3年の任期を終えて帰国、翌月の10
日に退官した。拉致被害者家族担当の内閣官房参与に任命されたのはその
直後の9月26日だ。首相は小泉純一郎氏、官房長官福田康夫氏、官房副長
官が安倍晋三氏だった。

「内閣官房参与として、10月15日には平壌に蓮池薫さんたち5人を迎えに
行きました。その日から毎日、政府内で議論が続きました。官房副長官の
安倍さんを中心に、関係省の担当者全員での議論では、5人は日本に1週間
滞在したあと、北朝鮮に戻るのが自明のことのようになっていました。た
だ、安倍さんは何となく納得していなかったと思います。そうした中で、
私は5人を北朝鮮に帰すのはおかしいと主張しました」
 
5人を帰すべきでないと、はっきり主張したのは中山氏1人であり、氏の意
見を、安倍氏を例外として、その場の全員が奇異なものと見做したという。

「もう決まっていることをなぜ今頃ひっくり返すのか、という反応ばかり
でした」と、中山氏。
 
5人の日本滞在期間とされた1週間が過ぎようとしても、まだ安倍官房副長
官の下で、それこそ埒のあかない議論が続いていた。そのとき、5人の意
思を確認する必要があるとの意見が出された。その意図は、蓮池さんは必
ず北に帰ると言うであろうとの読みだと、氏は思いつつ、「どうぞ」と答
えた。

「5人にその意思があろうとなかろうと、残すべしと、私は考えていまし
た。会議では5人の意思確認のために、滞在をあと3日(02年10月25日ま
で)延ばすことになりました」
 
結論から言えば、全員が残留を希望した。ただ、北朝鮮に残してきた家
族を、必ず日本政府が連れ戻してほしいという強い要望があった。5人の
気持が確認できたとき、新たな問題が生じた。

「日本残留を希望する本人たちの意思を無視して、政府が5人を北朝鮮に
帰すことはできない、という論理で進めようとしたのです。それは違う。
私は異議を唱え、日本国政府の意思で5人を残すとするのが筋だと主張し
ました。またそこで議論が噛み合わなくなり、安倍さんが一旦休憩しよう
と仰って散会しました」

「国家の意思」
 
氏は、会議室を出たところで、取材陣に囲まれ、一体何を揉めているの
かと問われた。

「若い記者のその質問に、私の方がびっくりしました。詳しく話すわけに
もいきませんので、私は『国家の意思の問題です』と答えました」
 
大使として日本国を代表し、国家を担って働いた中央アジアからその年
の夏に帰国、赴任中に拉致された日本人の救出に全力を尽し、成功した中
山氏からみれば、拉致問題の解決、即ち、一人一人の国民の命を守り、身
柄を取り戻すことは個人の意思の問題ではなく国家の意思の問題そのもの
だった。しかし、そのような思いは理解されるどころか、「国家の意思」
という言葉自体が激しい反発を呼んだと氏は振り返る。

「その日の午後、事務所にも自宅にも大変な数の抗議の電話やファックス
が入りました。国家などという言葉を使うとは何事かという非難でした。
今では考えられないでしょうが、02年10月段階ではそうでした」
 
結局、安倍氏の判断で5人は政府の意思で日本に残すと発表したが、中
山氏は日本国は異常だと痛感した。
 
国際社会では当り前の「国家」という言葉さえ使えない風潮の中で、政
府は非常に注意深く、タブー視されていることや言葉には、触れないでき
た。日本全体の価値観が信じ難い程、おかしくなっている。国家の意思、
或いは責任について語ること自体が現行憲法下ではあってはならない事柄
だという国に、日本はなってしまった。であれば、外務省も当然、国民を
守るために動くことなどしてはならないと考えるわけだ。
 
横田早紀江さんは、拉致された国民を救えない日本は国かと、問い続け
る。現行憲法下では日本はまともな国にはなりえないのである。現行憲法
の精神に染り続ける日本は到底、国たり得ない、従って、拉致被害者も救
えない、ということであろう。

『週刊新潮』 2016年12月22日号 日本ルネッサンス 第734回


2016年12月22日

◆求められる現実政治の注意深き戦略

櫻井よしこ



トランプ氏の台湾政策に中国が反発 

次期米国大統領、ドナルド・トランプ氏は大統領に当選して以来、中央情
報局(CIA)をはじめとする米国の16に上る主要情報機関のブリーフィ
ングをほとんど受けていない。
 
通常、次期大統領は当選から実際にホワイトハウス入りするまでの2カ
月余りの間、熱心にこれら情報機関の進講を受け、大国米国の指導者に、
また、世界のリーダーに必要とされる知識を身に付けていく。

次期副大統領のマイク・ペンス氏は当選以来、毎日熱心にブリーフィング
を受けている。だが、トランプ氏はこれまでに2回、進講に応じただけだ。
 
ビジネスには優れていても、外交・安全保障に関する知識や理解は心もと
ないといわれるトランプ氏に対しては、いったん大統領に当選すればいわ
ゆる専門家が「正しい」情報を助言するので、暴言は軌道修正できるし、
懸念することはないといわれてきた。しかし、そうした期待が裏切られて
いる。
 
その間にもトランプ氏は、50を超える国・地域の首脳との会談を行ってい
る。12月2日には台湾の蔡英文総統にも電話した。氏は蔡総統を「プレジ
デント」と呼び、一国の指導者と位置付ける姿勢で敬意を払った。
 
11月14日には中国の習近平国家主席と会談しており、その後とはいえ、台
湾総統に次期米国大統領が電話をかけるのは異例で、台湾を国家扱いする
ことは中国が最も忌み嫌うことだ。
 
中国側の不快感の表明に対してトランプ氏はツイッターで反発した。

「中国は元安にして(米企業の競争力を削いで)よいかと、われわれに聞
いたか? (米国は中国貿易に関税をかけていないのに)米国の製品に高
い関税をかけてよいかと、われわれに聞いたか? 南シナ海のど真ん中に
巨大な軍事施設を建ててよいかと、われわれに聞いたか? そうは思わな
い!」

「ニューヨーク・タイムズ」紙はツイートの背後にあるのは、大国の指導
者が蔡総統と会談するのに中国に了承してもらわなければならないという
状況への「腹立ち」だと、解説した。
 
トランプ氏のツイートに対して、中国は態度を硬くし、共産党機関紙「人
民日報」が社説でこう書いた。

「中米関係で問題を起こすことは、アメリカ自身に問題を起こすことだ」
 
人民日報の国際版で、世界の反応を見るために様子見の役割を果たす
「環球時報」も社説で書いた。

「(台湾問題で米国が中国に圧力をかけることは)アメリカを再び偉大な
国にするという目的実現の可能性を大幅に減殺することになるだろう」
 
中国は反撃するとの姿勢が見える。
 
トランプ氏はどこまで深く考えて、台湾政策の一歩を踏み出したのだろう
か。外交専門雑誌「フォーリンポリシー」にアレックス・グレイ氏とピー
ター・ナバロ氏が書いている。グレイ氏は政権移行チームの一員、ナバロ
氏はトランプ氏のアドバイザーである。
 
グレイ氏はオバマ政権の台湾政策を「目に余るひどさだ」と厳しく批判
し、ざっと以下のように書いた。──台湾はアジアのデモクラシーの灯であ
り、世界で軍事的に最も脆弱な米国のパートナーである。虎視眈々と台湾
を狙う中国を抑止するために、この島に対する包括的な武器装備の売却
(deal)が必要だ。
 
同様の意見は、トランプ氏周辺には少なくない。トランプ氏のツイート
が中国の態度を硬化させたことについても、それは西太平洋・インド洋に
またがる国々に、米国の新政権は過去の取り決めに制約されないというこ
とを示す好材料だとみる専門家もいる。
 
中国の覇権主義や圧力に屈しないとの米国の姿勢は大歓迎だ。しかし現
実の政治の中でその政策を全うするには、注意深い戦略が必要だ。それな
しには、かえって事態は悪化する。私には、そのことが心配だ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1162

2016年12月20日

◆存在するだけで国家の求心力であり得る

櫻井よしこ



「明治天皇に見る、存在するだけで国家の求心力であり得る皇室・天皇の
役割」

3・11の悲劇で日本人が意気消沈していたとき、日本研究の重鎮、ドナル
ド・キーン氏は日本国籍を取得して日本人となった。氏は『明治天皇を語
る』(新潮新書)で明治天皇の人柄について詳述し、愛情を込めて「よう
するにかなり変わった日本人だった」と評している。

「刺し身が嫌い、花見も嫌い、清潔さに興味がない」からだというが、そ
れぞれ背景がある。まずは花見だ。
 
京都から東京に移った明治天皇の憂い顔に、側近が京都に戻られることを
勧める。天皇は答えた──「朕は京都が好きである。故に京都へは参らぬ」。
 
明治天皇は「自分の好き嫌いに従いたくなかった」ようで、「自分は楽し
むために生まれてきた人間ではないとの、儒学的な思想」が京都に戻らな
かったことの背景にあると、キーン氏は解説する。確かに明治天皇は、天
皇のために造られた日本各地の別荘に、一度もお出ましになっていない。
 
国民は暑さ寒さの中でも働いている。自分だけ静養する気になれない、
として、「朕は臣民の多くと同じことがしたい」とも語っている。
 
刺し身がお嫌いなのは、明治元(1868)年10月、「東京城」(江戸城)
に入城されるまで京都におられたことと関係があるのではないか。当時は
冷蔵技術も未発達で、生きの良い魚が宮廷にまで届かなかったのではない
かと、私は勝手に考えている。

「清潔さに興味がない」についても十分な理由がある。私はなぜ、明治天
皇があまりお風呂に入らなかったのかを知って、大いに同情したのだが、
詳細は米窪明美氏の『明治天皇の一日』(新潮新書)に譲る。
 
明治天皇は、一度登用した人物を長く務めさせたが、人材登用の条件とし
た資質の1つが「正直であること」だった。明治天皇はうそも言い訳も徹
底して嫌った。そしてもう1つの人材登用の条件に、自分の指示への絶対
的服従があったと、米窪氏は指摘する。

しかし、明治天皇の求めた「絶対的服従」は、暴君のそれとは決定的に異
なる。それは上に立つ天皇の側からのきめ細かな配慮と対になっており、
日本社会を束ねる伝統的な価値観を反映したものだ。天皇という存在は国
民に慈愛を施し、国家安寧の礎であり続けることで国の基(もとい)とな
るという価値観である。
 
周知のように、明治天皇は、父帝、孝明天皇の崩御で、14歳にして天皇
となった。そしてわずか2年後の1868年、明治維新で文字通り日本国を担
う立場に立つ。以降明治天皇は一貫して、日本を守るための天皇の在り方
に心を砕く。
 
明治24(1891)年の大津事件では直ちに行動を起こした。ロシア皇帝と
負傷したニコライ皇太子に電報を打ち、皇太子の見舞いのため、あれほど
自らを律して訪れなかった京都に向かった。深夜に到着し、皇太子の滞在
先に赴いた。ロシア側に拒絶されたが、明治天皇は翌日、再度訪問する。
 
一連の迅速な行動をキーン氏は高く評価するが、このとき明治天皇は皇
太子に同行してロシア艦が停泊する神戸港まで無事に送り届けている。の
みならず、ロシアが明治天皇を連れ去るのではないかと側近が心配する
中、皇太子の招きでロシア艦で食事を共にする。
 
3年後、日清戦争が勃発すると、明治天皇は朝鮮半島に近く、主力部隊の
出港地だった広島の大本営に赴いた。粗末な木造2階建ての民家で7カ月、
戦地の兵と同じ生活をという理由で、暖房なしで過ごした。
 
徳川政府が機能停止に陥ったとき、明治天皇は国の中心軸に据えられ、
59歳で崩御するまで、終身天皇として過ごした。維新から77年後、日本は
大東亜戦争に敗れ、皇室の位置付けも大きく変わった。皇室の在り方を考
えるとき、存在するだけで、危機に当たって国家の求心力であり得る皇
室・天皇の役割にあらためて心を致すものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1160


2016年12月18日

◆トランプ氏の台湾政策に中国が反発

櫻井よしこ



「トランプ氏の台湾政策に中国が反発 求められる現実政治の注意深き戦略」

次期米国大統領、ドナルド・トランプ氏は大統領に当選して以来、中央情
報局(CIA)をはじめとする米国の16に上る主要情報機関のブリーフィ
ングをほとんど受けていない。
 
通常、次期大統領は当選から実際にホワイトハウス入りするまでの2カ月
余りの間、熱心にこれら情報機関の進講を受け、大国米国の指導者に、ま
た、世界のリーダーに必要とされる知識を身に付けていく。

次期副大統領のマイク・ペンス氏は当選以来、毎日熱心にブリーフィング
を受けている。だが、トランプ氏はこれまでに2回、進講に応じただけだ。
 
ビジネスには優れていても、外交・安全保障に関する知識や理解は心もと
ないといわれるトランプ氏に対しては、いったん大統領に当選すればいわ
ゆる専門家が「正しい」情報を助言するので、暴言は軌道修正できるし、
懸念することはないといわれてきた。しかし、そうした期待が裏切られて
いる。
 
その間にもトランプ氏は、50を超える国・地域の首脳との会談を行ってい
る。12月2日には台湾の蔡英文総統にも電話した。氏は蔡総統を「プレジ
デント」と呼び、一国の指導者と位置付ける姿勢で敬意を払った。
 
11月14日には中国の習近平国家主席と会談しており、その後とはいえ、台
湾総統に次期米国大統領が電話をかけるのは異例で、台湾を国家扱いする
ことは中国が最も忌み嫌うことだ。
 
中国側の不快感の表明に対してトランプ氏はツイッターで反発した。

「中国は元安にして(米企業の競争力を削いで)よいかと、われわれに聞
いたか? (米国は中国貿易に関税をかけていないのに)米国の製品に高
い関税をかけてよいかと、われわれに聞いたか? 南シナ海のど真ん中に
巨大な軍事施設を建ててよいかと、われわれに聞いたか? そうは思わな
い!」

「ニューヨーク・タイムズ」紙はツイートの背後にあるのは、大国の指導
者が蔡総統と会談するのに中国に了承してもらわなければならないという
状況への「腹立ち」だと、解説した。
 
トランプ氏のツイートに対して、中国は態度を硬くし、共産党機関紙「人
民日報」が社説でこう書いた。

「中米関係で問題を起こすことは、アメリカ自身に問題を起こすことだ」
 
人民日報の国際版で、世界の反応を見るために様子見の役割を果たす
「環球時報」も社説で書いた。

「(台湾問題で米国が中国に圧力をかけることは)アメリカを再び偉大な
国にするという目的実現の可能性を大幅に減殺することになるだろう」
 
中国は反撃するとの姿勢が見える。
 
トランプ氏はどこまで深く考えて、台湾政策の一歩を踏み出したのだろう
か。外交専門雑誌「フォーリンポリシー」にアレックス・グレイ氏とピー
ター・ナバロ氏が書いている。グレイ氏は政権移行チームの一員、ナバロ
氏はトランプ氏のアドバイザーである。
 
グレイ氏はオバマ政権の台湾政策を「目に余るひどさだ」と厳しく批判
し、ざっと以下のように書いた。──台湾はアジアのデモクラシーの灯であ
り、世界で軍事的に最も脆弱な米国のパートナーである。虎視眈々と台湾
を狙う中国を抑止するために、この島に対する包括的な武器装備の売却
(deal)が必要だ。
 
同様の意見は、トランプ氏周辺には少なくない。トランプ氏のツイート
が中国の態度を硬化させたことについても、それは西太平洋・インド洋に
またがる国々に、米国の新政権は過去の取り決めに制約されないというこ
とを示す好材料だとみる専門家もいる。
 
中国の覇権主義や圧力に屈しないとの米国の姿勢は大歓迎だ。しかし現
実の政治の中でその政策を全うするには、注意深い戦略が必要だ。それな
しには、かえって事態は悪化する。私には、そのことが心配だ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1162
 
 

2016年12月16日

◆日露関係を左右するプーチンの人柄

櫻井よしこ



ウラジーミル・プーチンロシア大統領の来日。12月15日には安倍晋三首相
の地元、山口県長門市で、翌日には東京で、会談が行われる。
 
首脳会談に向けた最後の準備に岸田文雄外相がロシアを訪れたが、岸田
氏を迎えるロシアの雰囲気は控え目に言っても厳しかった。
 
2日、氏はサンクトペテルブルク市で1時間50分待たされて、ようやくプー
チン大統領と約30分会えた。翌日はモスクワでラブロフ外相と昼食込みで
2時間40分会談したが、その後の共同記者会見でラブロフ氏は領土問題の
早期解決は難しいとの見方を示している。
 
こうした中で安倍首相はプーチン氏との頂上会談に臨む。これまでに日本
の対ロシア経済協力に関する情報は多々報じられたが、平和条約締結、北
方領土返還の見通しについての確たる情報は少ない。安倍政権中枢筋でさ
え、本当のところはトップ2人、安倍、プーチン両首脳しか知り得ないと
語る。安倍首相の北方領土問題を含めた日露関係への「新しいアプロー
チ」に、プーチン大統領がどのように対応するのか。成果は文字どおり、
首脳2人に全面的に委ねられている。
 
プーチン大統領は、他の指導者ならほぼ不可能だと言われている前向きの
決断、北方領土の日本への帰属を明確にするという決断を下せるだろう
か。そもそもプーチン氏とはどんな人物なのか。氏を動かす要因とは何
か。氏が信じる価値とは何か。こうした事柄について、北海道大学名誉教
授の木村汎氏の近著、『プーチン人間的考察』『プーチン内政的考察』
(いずれも藤原書店)は、合わせて1200頁余、ロシア及びプーチン分析で
は他の追随を許さない。
 
プーチン像を、木村氏は「人誑(ひとたら)し」という言葉で鮮やかに表
現した。プーチン氏は父親同様、ソ連(ロシア)の情報要員、つまりスパ
イとして働くべく、KGB(旧ソ連国家保安委員会)に勤めたが、チェキ
ストと総称される彼らに叩き込まれるのは、「人間関係のプロフェッショ
ナル」になることだと、これはプーチン氏自身が語っている。

ブッシュを釣針に
 
ロシアの名門紙「コメルサント」の女性記者、エレーナ・トレーグボワ
は、プーチン氏とは「絶対的に対立し合う立場」だったが、プーチン氏
は、「彼と私があたかも同一グループに属し、同一利益を共有しているか
のような気分に」させてしまうと振り返っている。
 
木村氏はさらにジョージ・ブッシュ前米大統領が如何に「めろめろ」に
されたかも描いた。反ソ、反露主義のブッシュ氏は、大統領就任後、なか
なかプーチン氏に会おうとしなかったが、2001年6月16日、とうとう会談
した。そのときプーチン氏は、幼いときに母親から貰った十字架を見せ
て、マルクス主義の下でロシア正教の信仰が禁止されていた少年時代に、
母親の計いで洗礼を受けた体験を、ブッシュ氏に静かに語ったそうだ。
 
ブッシュ氏は明らかに心を動かされ、次の言葉を残している。「私はこの
男(プーチン)の眼をじっと見た。彼が実にストレートで信頼に足る人物
であることが判った」。
 
英国人ジャーナリストのロックスバフ氏は、「ブッシュは、プーチンの
釣針に見事に引っ掛った」と評したが、木村氏はこの人誑しイメージとは
異なる別のプーチン評も紹介する。

「プーチンは自己(および家族)のサバイバルやセキュリティを何よりも
重視し、この目的達成を人生の第一義にみなして行動する人間」(プーチ
ンの公式伝記『第一人者から』の執筆者)であり、プーチンの胸深くに
は、「己が何が何でも・サバイバル・せねばならないという欲望が、一本
の赤い糸のようになって貫いている」と、断じるのだ。
 
上半身裸で馬を駆ったり、釣りをする姿を、プーチン氏は好んで映像に
とらせる。そこから連想されるマッチョなイメージとは正反対に、彼は
「臆病すぎるほどの慎重居士」だと木村氏は見る。
 
従ってプーチン氏はいかなる人間をも絶対的に信頼することはない。常
に複数の人間に保険をかける。状況が動いているときにはとりわけそうだ。

「小さな戦争」
 
そのプーチン氏が権力保持のために注意深くコントロールしてきたのが、
➀ロシア国民、➁反対派諸勢力、➂プーチン側近のエリート勢だ。
 
➀は新聞・テレビなどのメディアを国営化し、人事をプーチン派で固め、
自分に好都合な情報だけを報じることでコントロール可能だ。ちなみに、
2014年段階でロシア人の情報源は60%がテレビ、インターネットは23%に
とどまる。
 
➁は苛酷で執拗で非情な手段を用いて、命まで奪いとることで押さえる。
一例としてイギリスに亡命したリトビネンコ氏に放射性物質のポロニウム
を飲ませて殺害した疑いがあげられる。
 
最も手強いのが➂の側近による反乱、宮廷クーデターである。そのよう
な事態が起きるとすれば、中心勢力は旧KGB関係者を含む「シロビキ」
だ。万が一にも反乱の可能性があれば、プーチン氏はその芽を摘みとる。
それが今年4月、関係者を驚かせた一大決定だった。プーチン氏が命じた
のは国家親衛隊の創設だった。新組織は生半可なものではない。そこに配
置転換された人数は40万人、ロシア正規軍の約半分に相当する規模だ。新
組織の長にはプーチン氏の長年の柔道仲間で、「プーチン氏に最も献身的
に尽くす人物」と評されるゾロトフという人物が選ばれた。
 
こうした中、今年3月に行われた世論調査では、ロシア人の82%がプーチ
ン大統領を支持し、同じく82%がロシアは深刻な経済危機に直面している
と答えた。深刻な経済危機は為政者への批判につながるのが世界の常識だ
が、ロシアではそうなっていない。なぜか。
 
ロシア人は今日の食事に困っても、ロシアという「偉大な国家」が国際社
会で存在感を示し、大国の栄光を回復するなら、精神的に満足するからだ
と解説されている。

加えて、プーチン氏は経済的困難を外敵の所為にして、対外強硬路線を
取って求心力を高め、自身への支持率上昇につなげる。クリミア、シリア
などとの「小さな戦争」は、ロシア国民のナショナリズムを呼び醒ます効
果を生む。米欧諸国はそれに対して対露制裁を強化する。するとプーチン
氏は新たな小さな戦争を始めて国民のナショナリズムに訴える。
 
完全な悪循環の中にあるのがプーチン大統領である。この尋常ならざる
背景を背負ったプーチン大統領が、領土問題でどれだけ日本の主張に対応
できるのかと、考えざるを得ない。ラブロフ外相の硬い交渉姿勢を超える
展望が、今回の会談から生まれるのか。固唾をのむ思いである。

『週刊新潮』 2016年12月15日号
日本ルネッサンス 第733回




2016年12月12日

◆天皇の譲位問題は時間をかけた議論が重要

櫻井よしこ



それ以前に必要な秋篠宮家への手厚い支え」

天皇の譲位を認めるべきか否かについての専門家16人からの意見聴取が11
月30日に終わった。意見は大きく3つに分かれている。(1)譲位を恒久的
制度とする、(2)譲位を認めつつも、今回限りの特別措置とする、(3)
譲位ではなく摂政を置く、である。
 
私は専門家の1人として、天皇陛下のお気持ちに沿うべく、最大限の配慮
をすると同時に、そうした配慮と国の制度の問題は別であることを認識し
て、(3)を主張した。皇室と日本国の永続的安定のためにもそれが良い
と考えた。
 
一方で、日本国民の圧倒的多数は陛下の「お言葉」を受けて、譲位を認め
るべきという意見である。
 
こうした中、陛下にごく近い長年の友人である明石元紹(もとつぐ)氏
(82歳)が、陛下が譲位を「将来も可能に」してほしいと、以前より話さ
れていたと、「産経新聞」に語った。

同紙は12月1日の紙面で、明石発言を1面トップで報じた。さらに、11月30
日に51歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮さまも陛下の「お言葉」につい
て、初めて公式に感想を述べられた。

「お言葉」を通して、「長い間考えてこられたことをきちんとした形で示
すことができた、これは大変良かった」「最大限にご自身の考えを伝えら
れた」「折々にそういう考えがあるということを伺っておりました」との
内容だ。秋篠宮さまご自身、5年前のお誕生日前の会見で、天皇の「定年
制」も必要だと語り、注目された。
 
皇室から次々に、譲位に向けた強いお気持ちの表明がなされる中で、私
たちに課せられた課題は前述したように陛下のお気持ちを尊重しつつ、国
柄を維持する制度の問題を、どう融合させていくかという点であろう。陛
下がお気持ちをこれほど強く表明される中で、政府および有識者会議は、
歴史と、皇室を軸とする日本の国柄を踏まえ、賢い解決策を出さなければ
ならない。
 
政府の決定いかんにかかわらず、日本国として同時進行でしっかりと策
を講じるべきこともある。次の世代の皇室をよりよく守り、支えるには、
皇室の現状に多くの課題があることを認識しなければならない。皇位継承
の安定はその筆頭だ。1つの方策として指摘されている旧宮家の皇族への
復帰案などは、皇室典範の改正が必要であり、議論のための十分な時間が
必要だ。
 
そうしたこと以前に、皇室典範や憲法改正を伴わずに今すぐできることも
ある。その緊急性を示したのが過日の交通事故である。
 
11月20日、秋篠宮妃紀子さまと悠仁さま、ご学友が乗ったワゴン車が中央
道で追突事故を起こした。紀子さまらにけがはなく、追突された乗用車の
側も無事だったのは、何よりだった。だが、よりによって悠仁さまの乗っ
た車がなぜ事故を起こしたのか。理由は秋篠宮家に対する支えの体制が不
十分であることに尽きるだろう。
 
皇位継承権保持者としてただ1人、若い世代の悠仁さまは、皇室にとって
も日本にとっても掛け替えのない方だ。その悠仁さまの車になぜ、先導車
が就かないのか、交通規制が敷かれないのか。天皇、皇后両陛下や皇太子
ご一家のお出掛けでは、白バイが先導し、後方を警備車両が固める。信号
は全て青になるよう調整され、高速道路には交通規制がかけられる。交通
事故など、起こりようがない状況が整えられる。
 
この当然の対応が、秋篠宮家に対しては一切取られていない。公務でのお
出掛けでも、後方に警備車両が一台就くだけだ。理由は秋篠宮家は他の皇
族と同じ扱いになるからだという。しかし、陛下の譲位が取り沙汰される
中、皇位継承権保持者お二人を擁する秋篠宮家にはもっと手厚い支えをす
るのが筋である。安定した皇位継承体制をつくる法議論も必要だが、この
ような目の前の日常の事柄への配慮も欠かしてはならないと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1161

2016年12月10日

◆時代の趨勢も、その本質も見ないメディア

櫻井よしこ



11月23日、シンクタンク「国家基本問題研究所」のセミナーには約800人
の聴衆が参加した。「トランプ政権と日本の決断」と題して約3時間半、
活発な議論が続いた。会場後方には各テレビ局のカメラが並び、新聞社及
び雑誌社の記者も取材した。
 
マスコミ席の近くに座っていた一般会員の若い女性が、私に語った。

「セミナーの間も、その後の質疑応答のときも、記者の人たちのパソコン
を打つパシャパシャという音がずっと続いていました。それがあのときば
かりはピタッと止んだのです。誰もその一件はメモしなかった。とてもお
かしな気がしました」

「あのとき」とは、質疑応答で参加者の1人が日本のマスメディアの責任
について問うたときのことだ。安保法制、中国の脅威など、どの案件につ
いても問題の本質が国民に十分伝わらず、感情的世論が生まれがちなの
は、報道が偏向しているからではないかとの質問だった。私はそのとおり
だと思っているが、その場面でどの記者もパソコンを打つ手を止めたとい
うのには、思わず笑ってしまった。女性はさらに語った。

「ということは、マスコミの人たちの取材ノートには一般の人たちが感じ
ているメディアへの疑問や批判は記録されないということですね。私は仕
事で、お客様の批判には誠実に対応するよう心掛けていますが、マスコミ
の人たちの意識には、そういう考え方はないのでしょうか」
 
私はこの女性に感心した。そして国基研主催のセミナーについての今回
の報道を振りかえって、改めて痛感した。日本のマスメディアは自らへの
批判には応えず、本質から離れた低次元の報道に走りがちだということを。

「田舎のプロレス」発言
 
3時間余の議論の内容は極めて充実していたと、これは多くの参加者が評
価して下さった。内閣官房副長官の萩生田光一氏、国基研副理事長の田久
保忠衛氏、大和総研副理事長の川村雄介氏の3氏を論者として迎え、私が
総合司会を兼ねて登壇した。
 
主な論点として、◎アメリカは超大国ではあるが、普通の国になった、◎
国際社会の力学の変化と、避けられないアメリカの没落、◎トランプ型経
済は、はじめ好景気、後に大きく後退、◎日本は中国の脅威に自力で対処
するとき、◎尖閣諸島の海は非常に緊迫しており、事実を広く国民に公開
する必要があるなど、3時間半が短かく感じられた。
 
セミナーの終盤近くになって萩生田氏が質問に応えた。その中に国会での
野党の反対の仕方を「田舎のプロレス、茶番のようなもの」という表現が
あった。失礼ながら、野党にはそのように言われても仕方がない面がある
と、私は実感している。
 
だが、全国紙5紙、共同、時事、NHK、テレビ朝日、フジテレビなどは
一斉に、萩生田氏のその一言を中心に報道、批判した。新聞は一部デジタ
ル版でセミナーの内容に触れたところもあったが、大方のメディアはほと
んど無視だった。
 
あの長い時間取材して、なぜこんな内容の報道になるのだろうか。とりわ
け酷いのが「朝日新聞」だ。同紙は11月25日、「萩生田副長官 政権中枢
の発言に驚く」と題した社説を掲げ、「強行採決」「歴史認識」「首脳外
交」の3点に絞って萩生田批判を展開したが、いずれも、朝日にそんな批
判をする資格はあるのかと思う。
 
たとえば強行採決について社説子は、「国会で政府・与党が強引な態度を
とれば、数に劣る野党が、さまざまな抵抗をすることは当たり前だ。それ
を『邪魔』と切り捨て、数の力で押し切ることも野党との出来レースだと
言わんばかりの発言」だと論難した。
 
去年の安保法制のときのことを思い出してみよう。強引だったのは政
府・与党だけではなかったはずだ。民主党(現民進党)などの野党は国会
内での議論を置き去りにして、国会外でデモ隊と一緒になって、議員らし
からぬ行動をとった。
 
それを朝日は社説でこう述べた。

「衆参で200時間を超える審議で熟議はなされたか」、「(なされなかっ
た)その責任の多くは、政権の側にある」、「暴力的な行為は許されな
い。しかし、参院での採決をめぐる混乱の責任を、野党ばかりに押しつけ
るのはフェアでない」(15年9月19日)
 
翌日にはこう書いた。

「まさにいま安倍政権が見せつけているのは、日本が戦後70年をかけて積
み上げてきた理念も規範も脱ぎ捨て裸となった、むき出しの権力の姿である」
 
また18日にはこうも書いていた。

「国際社会における日本の貢献に対しても、軍事に偏った法案が障害にな
る恐れがある」
 
野党の反安保法制の姿勢に肩入れする余り、世界の実情を伝えるという
使命を朝日は忘れてしまうのだ。国際社会で、日本の安保法制が軍事に
偏っており障害だと批判する国は、中国や北朝鮮くらいのものだ。東南ア
ジア諸国を含めて多数の国が歓迎した事実を、朝日は無視して偏向報道に
のめり込んでいく。

政権憎しの感情論
 
民進党を見れば、集団的自衛権の行使に賛成する議員も少くない。彼ら
は自民党政策の詳細について異論を抱いてはいても、大筋で安保法制は必
要だと考えている。民進党現幹事長の野田佳彦氏も著書『民主の敵』(新
潮新書)で、「いざというときは集団的自衛権の行使に相当することもや
らざるを得ないことは、現実的に起こりうるわけです。ですから、原則と
しては、やはり認めるべきだと思います」(P134)と書いた。
 
物事の道理を弁えたまともな人物であり、党の重鎮でもある氏が、原
則、認めるべきだと言明した集団的自衛権の条件つき容認に対して、民進
党は廃案を掲げて選挙戦を戦い、敗れた。そしていま、思想信条で相容れ
ないはずの共産党との協力関係を進めることが論じられている。
 
朝日は自民党を「理念も規範も脱ぎ捨て裸となった」と批判したが、そ
れはむしろ民進党にあてはまる言葉であろう。朝日の社説は、政権憎しの
感情論で書かれているのか、批判の対象たる政党を間違えているのだ。
 
朝日社説子は歴史認識についても萩生田氏を批判した。噴飯物である。
如何なる人も、朝日にだけは歴史認識批判はされたくないだろう。慰安婦
問題で朝日がどれだけの許されざる過ちを犯したか。その結果、日本のみ
ならず、韓国、中国の世論がどれだけ負の影響を受け、日韓、日中関係が
どれだけ損われたか。事は慰安婦問題に限らない。歴史となればおよそ全
て、日本を悪と位置づけるかのような報道姿勢を、朝日は未だに反省して
いるとは思えない。
 
民主主義は健全なメディアによる情報伝達があって初めて成熟する。そ
のことを心すべきだ。

『週刊新潮』 2016年12月8日号 日本ルネッサンス 第732回

2016年12月09日

◆時代の趨勢も、その本質も見ないメディア

櫻井よしこ



11月23日、シンクタンク「国家基本問題研究所」のセミナーには約800 人
の聴衆が参加した。「トランプ政権と日本の決断」と題して約3時間 半、
活発な議論が続いた。会場後方には各テレビ局のカメラが並び、新聞 社
及び雑誌社の記者も取材した。
 
マスコミ席の近くに座っていた一般会員の若い女性が、私に語った。

「セミナーの間も、その後の質疑応答のときも、記者の人たちのパソコン
を打つパシャパシャという音がずっと続いていました。それがあのときば
かりはピタッと止んだのです。誰もその一件はメモしなかった。とてもお
かしな気がしました」

「あのとき」とは、質疑応答で参加者の1人が日本のマスメディアの責任
について問うたときのことだ。安保法制、中国の脅威など、どの案件につ
いても問題の本質が国民に十分伝わらず、感情的世論が生まれがちなの
は、報道が偏向しているからではないかとの質問だった。私はそのとおり
だと思っているが、その場面でどの記者もパソコンを打つ手を止めたとい
うのには、思わず笑ってしまった。女性はさらに語った。

「ということは、マスコミの人たちの取材ノートには一般の人たちが感じ
ているメディアへの疑問や批判は記録されないということですね。私は仕
事で、お客様の批判には誠実に対応するよう心掛けていますが、マスコミ
の人たちの意識には、そういう考え方はないのでしょうか」
 
私はこの女性に感心した。そして国基研主催のセミナーについての今回
の報道を振りかえって、改めて痛感した。日本のマスメディアは自らへの
批判には応えず、本質から離れた低次元の報道に走りがちだということを。

「田舎のプロレス」発言
 
3時間余の議論の内容は極めて充実していたと、これは多くの参加者が評
価して下さった。内閣官房副長官の萩生田光一氏、国基研副理事長の田久
保忠衛氏、大和総研副理事長の川村雄介氏の3氏を論者として迎え、私が
総合司会を兼ねて登壇した。
 
主な論点として、◎アメリカは超大国ではあるが、普通の国になった、◎
国際社会の力学の変化と、避けられないアメリカの没落、◎トランプ型経
済は、はじめ好景気、後に大きく後退、◎日本は中国の脅威に自力で対処
するとき、◎尖閣諸島の海は非常に緊迫しており、事実を広く国民に公開
する必要があるなど、3時間半が短かく感じられた。
 
セミナーの終盤近くになって萩生田氏が質問に応えた。その中に国会での
野党の反対の仕方を「田舎のプロレス、茶番のようなもの」という表現が
あった。失礼ながら、野党にはそのように言われても仕方がない面がある
と、私は実感している。
 
だが、全国紙5紙、共同、時事、NHK、テレビ朝日、フジテレビなどは
一斉に、萩生田氏のその一言を中心に報道、批判した。新聞は一部デジタ
ル版でセミナーの内容に触れたところもあったが、大方のメディアはほと
んど無視だった。
 
あの長い時間取材して、なぜこんな内容の報道になるのだろうか。とりわ
け酷いのが「朝日新聞」だ。同紙は11月25日、「萩生田副長官 政権中枢
の発言に驚く」と題した社説を掲げ、「強行採決」「歴史認識」「首脳外
交」の3点に絞って萩生田批判を展開したが、いずれも、朝日にそんな批
判をする資格はあるのかと思う。
 
たとえば強行採決について社説子は、「国会で政府・与党が強引な態度を
とれば、数に劣る野党が、さまざまな抵抗をすることは当たり前だ。それ
を『邪魔』と切り捨て、数の力で押し切ることも野党との出来レースだと
言わんばかりの発言」だと論難した。
 
去年の安保法制のときのことを思い出してみよう。強引だったのは政
府・与党だけではなかったはずだ。民主党(現民進党)などの野党は国会
内での議論を置き去りにして、国会外でデモ隊と一緒になって、議員らし
からぬ行動をとった。
 
それを朝日は社説でこう述べた。

「衆参で200時間を超える審議で熟議はなされたか」、「(なされなかっ
た)その責任の多くは、政権の側にある」、「暴力的な行為は許されな
い。しかし、参院での採決をめぐる混乱の責任を、野党ばかりに押しつけ
るのはフェアでない」(15年9月19日)
 
翌日にはこう書いた。

「まさにいま安倍政権が見せつけているのは、日本が戦後70年をかけて積
み上げてきた理念も規範も脱ぎ捨て裸となった、むき出しの権力の姿である」
 
また18日にはこうも書いていた。

「国際社会における日本の貢献に対しても、軍事に偏った法案が障害にな
る恐れがある」
 
野党の反安保法制の姿勢に肩入れする余り、世界の実情を伝えるという
使命を朝日は忘れてしまうのだ。国際社会で、日本の安保法制が軍事に
偏っており障害だと批判する国は、中国や北朝鮮くらいのものだ。東南ア
ジア諸国を含めて多数の国が歓迎した事実を、朝日は無視して偏向報道に
のめり込んでいく。

政権憎しの感情論
 
民進党を見れば、集団的自衛権の行使に賛成する議員も少くない。彼ら
は自民党政策の詳細について異論を抱いてはいても、大筋で安保法制は必
要だと考えている。民進党現幹事長の野田佳彦氏も著書『民主の敵』(新
潮新書)で、「いざというときは集団的自衛権の行使に相当することもや
らざるを得ないことは、現実的に起こりうるわけです。ですから、原則と
しては、やはり認めるべきだと思います」(P134)と書いた。
 
物事の道理を弁えたまともな人物であり、党の重鎮でもある氏が、原
則、認めるべきだと言明した集団的自衛権の条件つき容認に対して、民進
党は廃案を掲げて選挙戦を戦い、敗れた。そしていま、思想信条で相容れ
ないはずの共産党との協力関係を進めることが論じられている。
 
朝日は自民党を「理念も規範も脱ぎ捨て裸となった」と批判したが、そ
れはむしろ民進党にあてはまる言葉であろう。朝日の社説は、政権憎しの
感情論で書かれているのか、批判の対象たる政党を間違えているのだ。
 
朝日社説子は歴史認識についても萩生田氏を批判した。噴飯物である。
如何なる人も、朝日にだけは歴史認識批判はされたくないだろう。慰安婦
問題で朝日がどれだけの許されざる過ちを犯したか。その結果、日本のみ
ならず、韓国、中国の世論がどれだけ負の影響を受け、日韓、日中関係が
どれだけ損われたか。事は慰安婦問題に限らない。歴史となればおよそ全
て、日本を悪と位置づけるかのような報道姿勢を、朝日は未だに反省して
いるとは思えない。
 
民主主義は健全なメディアによる情報伝達があって初めて成熟する。その
ことを心すべきだ。
『週刊新潮』 2016年12月8日号
日本ルネッサンス 第732回