2016年12月08日

◆明治天皇に見る

櫻井よしこ



「明治天皇に見る、存在するだけで国家の求心力であり得る皇室・天皇の
役割」

3・11の悲劇で日本人が意気消沈していたとき、日本研究の重鎮、ドナル
ド・キーン氏は日本国籍を取得して日本人となった。氏は『明治天皇を語
る』(新潮新書)で明治天皇の人柄について詳述し、愛情を込めて「よう
するにかなり変わった日本人だった」と評している。

「刺し身が嫌い、花見も嫌い、清潔さに興味がない」からだというが、そ
れぞれ背景がある。まずは花見だ。
 
京都から東京に移った明治天皇の憂い顔に、側近が京都に戻られること
を勧める。天皇は答えた──「朕は京都が好きである。故に京都へは参らぬ」。
 
明治天皇は「自分の好き嫌いに従いたくなかった」ようで、「自分は楽
しむために生まれてきた人間ではないとの、儒学的な思想」が京都に戻ら
なかったことの背景にあると、キーン氏は解説する。確かに明治天皇は、
天皇のために造られた日本各地の別荘に、一度もお出ましになっていない。
 
国民は暑さ寒さの中でも働いている。自分だけ静養する気になれない、
として、「朕は臣民の多くと同じことがしたい」とも語っている。
 
刺し身がお嫌いなのは、明治元(1868)年10月、「東京城」(江戸城)
に入城されるまで京都におられたことと関係があるのではないか。当時は
冷蔵技術も未発達で、生きの良い魚が宮廷にまで届かなかったのではない
かと、私は勝手に考えている。

「清潔さに興味がない」についても十分な理由がある。私はなぜ、明治天
皇があまりお風呂に入らなかったのかを知って、大いに同情したのだが、
詳細は米窪明美氏の『明治天皇の一日』(新潮新書)に譲る。
 
明治天皇は、一度登用した人物を長く務めさせたが、人材登用の条件と
した資質の1つが「正直であること」だった。明治天皇はうそも言い訳も
徹底して嫌った。そしてもう1つの人材登用の条件に、自分の指示への絶
対的服従があったと、米窪氏は指摘する。

しかし、明治天皇の求めた「絶対的服従」は、暴君のそれとは決定的に異
なる。それは上に立つ天皇の側からのきめ細かな配慮と対になっており、
日本社会を束ねる伝統的な価値観を反映したものだ。天皇という存在は国
民に慈愛を施し、国家安寧の礎であり続けることで国の基(もとい)とな
るという価値観である。
 
周知のように、明治天皇は、父帝、孝明天皇の崩御で、14歳にして天皇
となった。そしてわずか2年後の1868年、明治維新で文字通り日本国を担
う立場に立つ。以降明治天皇は一貫して、日本を守るための天皇の在り方
に心を砕く。
 
明治24(1891)年の大津事件では直ちに行動を起こした。ロシア皇帝と
負傷したニコライ皇太子に電報を打ち、皇太子の見舞いのため、あれほど
自らを律して訪れなかった京都に向かった。深夜に到着し、皇太子の滞在
先に赴いた。ロシア側に拒絶されたが、明治天皇は翌日、再度訪問する。
 
一連の迅速な行動をキーン氏は高く評価するが、このとき明治天皇は皇
太子に同行してロシア艦が停泊する神戸港まで無事に送り届けている。の
みならず、ロシアが明治天皇を連れ去るのではないかと側近が心配する
中、皇太子の招きでロシア艦で食事を共にする。
 
3年後、日清戦争が勃発すると、明治天皇は朝鮮半島に近く、主力部隊の
出港地だった広島の大本営に赴いた。粗末な木造2階建ての民家で7カ月、
戦地の兵と同じ生活をという理由で、暖房なしで過ごした。
 
徳川政府が機能停止に陥ったとき、明治天皇は国の中心軸に据えられ、
59歳で崩御するまで、終身天皇として過ごした。維新から77年後、日本は
大東亜戦争に敗れ、皇室の位置付けも大きく変わった。皇室の在り方を考
えるとき、存在するだけで、危機に当たって国家の求心力であり得る皇
室・天皇の役割にあらためて心を致すものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年12月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1160

2016年11月29日

◆「監獄島ではなかった」の確からしさ

櫻井よしこ



「産業革命遺産の軍艦島を見て分かった「監獄島ではなかった」の確
からしさ」

10月末の日曜日、早朝の便で長崎に飛んだ。明治産業遺産関連の取材で、
昨年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)に「明治日本の産業革命遺
産」として登録された端島、通称、軍艦島に向かった。
晴天に恵まれ、海は穏やかだった。港や桟橋などの施設が乏しい軍艦島
は、波が高くなると上陸できないため、島に上がれるのは年間200日ほど
だという。私は長崎市内から陸路伝いに南の方まで下り、野々串港という
小さな漁港で小舟に乗った。
 
10分ほどで島に着いた。狭い島には、日本初の鉄筋高層ビルが約30棟も並
び立っている。1974(昭和49)年に採炭を中止し、住民が去り、それから
40年余り、島は幾十度台風に見舞われたことだろう。鉄筋コンクリート造
の建物は、壁や窓枠が崩落してはいるが、それでも枠組みはしっかり立ち
続けている。
 
特別の許可を得て約2時間かけて島を歩いた。小学校の建物があり、中
学校のそれがある。病院があり、タイル張りの手術室が残っている。地下
には大浴場があったが、いまは立ち入ることはできない。当時の最大の娯
楽、映画館(昭和館)の跡も残っている。
 
鉄筋高層の住居棟がコの字形に建築されており、3つの棟に囲まれた広場
は子供たちの遊び場、運動場でもあった。島の東側に一群の建物が並び
立っているのは、台風などによる大波で一家の主人である父たちの働く採
炭のための竪坑が浸水するのを防ぐためだったという。
 
端島では江戸時代から磯掘りが行われていた。1869(明治2)年以降、台
風や出水という問題を乗り越えながら開発が行われたのだ。三菱財閥が端
島炭鉱の経営に乗り出したのは、1890(明治23)年である。

1900(明治33)年には米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)の直流発
電機を設置して、世界有数の海底炭鉱へと発展した。この点が、今回、世
界産業遺産に指定された理由である。
 
その間に端島は採炭に伴って生じるいわゆるボタ(選炭後に残る商品にな
らない石炭)を材料にして、埋め立てを行い、現在より狭かった島を多
少、拡張した。それでも、総面積は6万5000平方メートル、1万9700坪だ。
 
この島で人々がどんな暮らしをしていたのか。韓国などは「強制労働の地
獄のような島」だったと主張する。
 
そのような非難の声があることも承知で、いざ現場に立って驚いた。私の
耳に人々のさんざめく声が聞こえてきたのである。建物と建物の間の狭い
道に所狭しと並ぶ店──、これを人々は端島銀座と呼んだ。

そこに集い買い物をする人々、走り回る子供たち、島の1番高い所に通ず
る急峻な階段を駆け上がる若者たち、頂上に建てられた端島神社へのお参
りを欠かさない律義な人々、高層建築とは対照的に、低層の木造家屋で営
まれていた3軒の遊郭。島にないのは火葬場とお墓だけ。狭い島の中に、
全てが備わっていた。そこに最盛期は5267人が住んだ。
 
この小さな共同体で、軒を連ね、全てを分かち合って暮らさざるを得ない
空間で、一部の人間が、朝鮮半島出身者だという理由だけで、強制労働で
むち打たれ、地獄の暮らしをさせられることは、隣人たちもそれを受け入
れていたことを示す。そんなことは可能性として成り立たないと実感した。
 
長崎市は、韓国側の非難に、「島民は、共に遊び、学び、働く、衣食住
を共にした1つの炭鉱コミュニティーであり、1つの家族のようであったと
いわれている。島は監獄島ではない」との見方を示している。現場に立て
ば、長崎市の言い分が圧倒的に自然である。当時を知っている人はまだ複
数存命する。彼らから真実の声を聞くべきだ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年11月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1157



2016年11月28日

◆中国人の邦人惨殺、通州事件を学べ

櫻井よしこ



『文藝春秋』元名物編集長の堤堯氏が嘆く。─氏と同年代(70代後半)の
日本男児が余りにも歴史を知らないと。

「仙台の中学の同期生、12〜13人の集まりで通州事件を知ってるかと尋ね
たら、知っていたのがわずか3〜4人。歴史呆けは若いモンだけじゃない」
 
詳細は後述するが、通州事件は昭和12(1937)年7月29日払暁に、中国河
北省通州で発生した日本人虐殺事件である。日本人を守るべき立場にあっ
た中国人保安隊が一挙に襲いかかり、日本人居留民225人加えて日本軍守
備隊32名の計257名を尋常ならざる残酷な方法で殺した。
 
日中戦争のこの重要事件を知らないのは堤氏の友人だけではない。他の
多くの日本人も同様ではないか。その理由について、『慟哭の通州 昭和
十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)を上梓した加藤康男氏が非常に重要な
ことを指摘している─「日本政府は戦後一貫して事件のことを口にしてい
ない。奇妙なことだが、日中両国政府がこの事件を『なかったこと』にし
てしまっているとしか思えない」。
 
中国への配慮からか、同事件に一切触れない外務省だけでなく、中国政
府もこの事件を歴史から消し去ろうとしていると加藤氏が言うのは現地を
取材したうえでのことだ。いま事件現場を訪れると、城壁や城門はおろか
通州城の面影を示す建物全てが壊されているそうだ。

破壊は90年代に始まり、事件関連の建物の一切合切がすでに消えている。
さらに通州は北京市に編入され、副都心化に向けた建設によって昔日の歴
史がきれいさっぱり拭い去られようとしている。

「南京や盧溝橋はもとより、満洲各地にある旧大和ホテルに至るまでが
『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の
差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきま
でに消し去ったものとしか考えられなかった」との氏の直感は恐らく当
たっていると思う。

凄惨な目撃談
 
中国人は長い時間をかけて歴史を書きかえつつあるのだ。彼らは、恐らく
人類史上最も残虐な民族である。だからこそ、日本人を中国人よりも尚残
虐な民族に仕立て上げ、免罪符を得ようとしているのではないか。

そのためには、悪魔の所業としか思えない残虐な方法で中国人が日本人を
殺害した痕跡の全てを消し去らなければならない。それがいま、通州で起
きていることではないか。
 
通州事件が発生した前年の12月に、蒋介石が張学良に拘束され、国民党と
共産党が抗日で協力する体制が生まれた。西安事件である。国民党軍と共
産党軍が対日戦で協力するとはいえ、中国各地には彼らの他に匪賊、馬賊
が入りまじって戦う複雑な状況があった。しかし、通州城内は防共自治政
府の保安隊(中国人部隊)によって守られているから安全だと信じられて
いたと、加藤氏は説明する。
 
事件発生当時、邦人の安全を担う日本側の警備隊は用務員、小使らを加え
ても163名が全てだった。対する中国人保安隊は城内に3300名、城外に
2500名がいた。
 
この勢力が29日午前3時すぎ、一挙に日本人を襲い始めた。悪魔の所業は
加藤氏の『慟哭の通州』もしくは今年出版されたもう1冊の本、『通州事
件 目撃者の証言』(藤岡信勝編著・自由社)に詳しい。
 
中国人は日本人の目を抉り取り、腹部を切り裂いて10・以上も腸を引っ
張り出した。女性を犯したうえで無残に殺した。何人もの日本人を生きた
まま針金で掌を貫いてつなぎ、なぶり殺しにした。日本人の遺体は全て蓮
池に放り込まれ、池は真っ赤に染まった。
 
こうして書いていると息が苦しくなる。日本人には信じ難い地獄を、中国
人は実際に次から次へとやってのけた。なぜこんなことが分かるか。
 
夫が中国人で通州に住んでいた佐々木テンさんが事件の一部始終を目撃
していたのだ。佐々木さんはその後、夫と別れて、昭和15年に日本に戻っ
た。50年後、彼女は佐賀県基山(きやま)町の因通寺住職、調寛雅(しら
べ・かんが)氏に凄惨な目撃体験について語り始めた。それがいま、前述
の『慟哭の通州』と『通州事件』につながっているのだ。
 
当時の歴史を振りかえると中国側が如何に対日戦争に向かって走ってい
たかがよく分かる。戦争をしたかったのは中国であり、日本ではなかっ
た。このことは立命館大学の北村稔教授が林思雲氏と共著で出版した『日
中戦争─戦争を望んだ中国 望まなかった日本』(PHP研究所)にも詳
しい。
 
加藤氏も中国人の好戦性を書いている。昭和12年7月7日夜、北京郊外で
勃発した盧溝橋事件は、国民党の宋哲元軍長麾下の第29軍が日本軍に発砲
したことが契機である。日本政府はいち早く事件の不拡大を決定したが、
中国側の挑発は続いた。10日には中国人斥候が日本軍将校を銃撃、13日に
は日本軍のトラックが爆破され、4名が死亡する「大紅門事件」が起きた。

反撃の材料
 
25日には北京郊外の駅、郎坊で軍用電線が中国側に切断され、修理に向
かった日本軍の補修隊が迫撃砲による砲撃を含む激しい攻撃を受けた。こ
こに到って日本側は先に閣議決定しながら実施せずにいた派兵を実行する
ことになったのだ。
 
こうした歴史を日本人は余りにも知らない。意識しない。中国の歴史捏造
に反論しないのは、そもそも、このような歴史を知らないからだ。堤氏が
語る。

「岩波の『近代日本総合年表』は、世界の歴史を1日刻みで輪切りにして
書いていますが、僕の手元にある版には通州事件が載ってない。これはお
かしいと、岩波に問うたら、通州事件を加える必要を認めない、要は編集
権の問題だというのです。ただ、その後に出版されたものには通州事件も
入っていた。僕の抗議が功を奏したのかもしれませんね」
 
中国が歴史を捏造し、日本に酷い非難を浴びせても、外務省は反撃しな
い。反撃の材料のひとつである通州事件にも、加藤氏が指摘するように一
度も言及していない。
 
学校でも通州事件を含めて歴史そのものを余り教えない。この奇妙な知
的無関心の中で、通州事件は、中国の企むように忘れ去られていくのか。
断じて、そんなことは許されないだろう。
 
私たちはもっと先人たちの思いや体験に心を致すべきだ。日本を作って
きた先人たちの努力や誠実さを知るべきだ。日本人の歩みを知らないこと
によって歴史の真実から遠ざかり、日本悪玉論を軸とする中国の歴史の見
方に自ら転げ落ちてはなるまい。加藤氏の『慟哭の通州』と藤岡氏の『通
州事件』を、日本人なら、いまこそ読むように強く勧めたい。

『週刊新潮』 2016年11月17日号
日本ルネッサンス 第729回

2016年11月27日

◆ダライ・ラマ法王14世が語った

櫻井よしこ



「ダライ・ラマ法王14世が語った3つの事柄に対するコミット」

11月16日、チベット仏教最高位のダライ・ラマ法王14世は、赤い法衣から
右腕を出したまま、にこやかに車から降り立った。衆議院第1議員会館大
講堂で超党派の議員団が主催する法王の特別講演会が行われるのだ。
 
私は議員ではないが、同会の世話人就任を依頼された。理由は5年前、シ
ンクタンク「国家基本問題研究所」が超党派議員団と共にインドを訪れた
ときに、自民党の下村博文、山谷えり子両氏と共にインド北部のダラムサ
ラにチベット亡命政府を訪ね、法王にお会いし、それが日本国議員団とチ
ベット交流の嚆矢となったからだろう。
 
共産、社民両党以外の政党の計245人の議員・代理人と国基研関係者の合
わせて300人以上が拍手で迎える中、法王は壇上に立った。
 
立たれたまま合掌して、語り始めた。

「私は81歳、残りの人生をいかに活用するか。3つの事柄にコミットして
います。第1は、70億人の地球人口の1人であることへのコミットです。幸
福な人類社会をつくる責任を各人が果たすその先頭に立ち続けたい。

宗教心の有無を含めて全ての相違を超えて、慈悲と愛を実践し、70億人が
1つになることを説き続けたい「第2に、仏教徒であることへのコミットで
す。私は仏の教えを実践する僧です。全ての宗教は同じ目的、愛を実現す
るものです。慈悲と寛容、自身の足るを知る心を実践し尽くしたい」
 
1959年にインドに亡命し、以来ダラムサラを拠点にチベット仏教を説く法
王をインド政府が庇護して今日に至る背景を示唆し、こう語った。

「インドには多くの宗教が共存し、人々は足るを知り、他者への思いやり
の実践を尊ぶ価値観が定着しています。国の在り方としてのよき規範と
なっているのがインドです」
 
トランプ、プーチン、習近平各氏の目指す国の在り方を見れば、私たちが
住む現在の世界が寛容の精神に満ちているわけではないことが分かる。そ
の中で法王は前出の価値観の重要性を説く。世界で、日本が最も日本らし
く生きる道筋も、実はここにある。
 
第3のコミットは、「チベット人であること」だと語った。

「亡命チベット人と中国内のチベット人の99%以上が私に絶対的な信頼を
寄せてくれます。私にはチベット人がチベット人として生きていく環境を
守る責任があります。仏教、知識、言語、文化など1000年以上にわたって
伝えられてきた価値観を未来においても守っていけるようにしたい」
 
法王は、チベットが中国から分離独立することを否定して今日に至る。そ
の意味で、チベット問題は決して政治問題ではない。中国の一部であるこ
とを受け入れ、たった1つ、チベット人として生きたいと要望しているに
すぎない。中国政府にはチベット人の宗教、文化的環境を守る責任はあっ
ても、破壊する権利はないのだ。
 
法王は、チベットに心を寄せる「外の世界の」人々には、全ての人々が真
実を知ることができるような支援をしてほしいと語る。中国人も含めて
人々が真実を知れば、それが偏見を打ち砕き、思い込みを是正する力になる。
 
すでに人々は情報の力で目覚めつつある。法王は、中国で仏教徒が増え、
チベット問題を従来の強硬手段ではなく、より現実的な方法で解決すべき
だと考える人々が増えていることを強調した。チベット人の不屈の精神に
変化はないことも指摘し、日本人のチベット問題への関心に感謝した。
 
ダラムサラへの旅から5年、今回、日本・チベット議員連盟が発足する。
人間の自由と民主主義、各民族の価値観が尊重される世界を、日本が先頭
に立って構築する国になれるようにという国基研の理想もここで1つの形
になる。下村、山谷両氏をはじめ衛藤晟一氏ら関係者の尽力を私は高く評
価する。

『週刊ダイヤモンド』 2016年11月26日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1159

2016年11月26日

◆朴大統領、最大の危機を回避できるか

櫻井よしこ



韓国の混乱が深まるばかりだ。朴槿恵大統領に与えられた問題処理の時間
は極めて短い。この原稿を執筆中のいまも、大統領秘書官たちの自宅や事
務所が検察の捜索を受けたなどの情報が入ってくる。
 
韓国で最も信頼されていると言われる言論人、趙甲濟(チョ・ガプジェ)
氏は朴大統領が問題処理のタイミングを逃せば、左翼陣営のみならず、保
守陣営もソウル市中心部の光化門広場に繰り出し、退陣を要求すると、警
告する。
 
朴氏支持勢力の核心である保守系高齢層までが、朴氏離れを起こしつつ
ある。事の発端は、朴大統領が崔順実(チェ・スンシル)という女性実業
家に、機密漏洩をしていたことだ。朴大統領の親友である崔氏は、大統領
の信頼を悪用して大統領府の人事に介入するのみならず、私腹も肥やして
いた。メディアが不祥事を報じ始めると、彼女は娘を連れてドイツに逃亡
した。
 
統一日報論説主幹の洪熒(ホン・ヒョン)氏の指摘である。

「崔氏の件に関しては複雑な因縁があります。彼女の父は崔太敏(チェ・
テミン)という牧師で、朴槿恵氏の父の朴正煕大統領にも絶大な影響力を
有していました。韓国のラスプーチンと呼ばれた男です」
 
ラスプーチンは帝政ロシア皇帝に取り入って、絶大な影響力を持った亡国
の僧だ。崔太敏牧師は、朴槿恵氏の母が1974年に暗殺されたあと、急速に
朴一家への影響力を強めた。再び洪氏の説明である。

「崔太敏牧師は、母親を暗殺された朴槿恵の心をあらゆる意味で掴みまし
た。彼女が崔牧師に操られていることに危機感を抱いた中央情報部
(KCIA)の金載圭(キム・ジェギュ)部長はこの件について朴正煕大
統領に忠告したのです。しかし、大統領は金部長の忠告を聞かず、娘の方
を信用しました」

不通大統領
 
内部告発サイト、「ウィキリークス」が同件に関する機密文書を早速、
10月27日に公表。それを「朝鮮日報」が報じたのだが、そこには驚くべき
ことが書かれていた。2007年当時、駐韓アメリカ公使のスタントン氏が朴
槿恵氏にまつわる状況を以下のようにまとめていたのだ。

「カリスマ性のある崔太敏氏は人格形成期にあった若い朴槿恵氏の身心を
完全に支配していた。その結果、崔太敏氏の子息らは莫大な富を蓄積した
という噂が広まっている」
 
右のスタントン報告書を、バーシュボウ大使(当時)は機密情報に指定
して本国に送った。洪氏が語る。

「朴正煕大統領は79年10月に金載圭に暗殺されましたが、暗殺理由のひと
つに崔太敏牧師と朴槿恵氏の関係に関する助言が聞き入れられなかったこ
とがあると、金載圭の弁護人が控訴審で主張しました。或る程度高齢の韓
国人はこうした事情をよく知っています。彼らは熱心な朴正煕の崇拝者
で、その内の少なからぬ人々が朴槿恵氏が事実上父親の死を招いたと批判
的にとらえています」
 
韓国の保守陣営は朴槿恵大統領に度々、崔太敏・順実父娘との関係を問
い質してきたそうだ。

「その都度、朴槿恵氏は崔父娘は決して変な人たちではない。自分と特別
な関係にあるわけでもない、と疑惑を全否定しました」と洪氏。
 
現実にはしかし、崔牧師が死亡したあとは娘の順実氏を重用し、機密情
報まで渡し、彼女の関係財団に大企業から巨額の寄付が流れるようにして
いたことがわかってきた。父親の死を招いた牧師との奇妙な関係がまずあ
り、牧師の娘との不透明な関係がその先につながる。他方、朴槿恵氏は大
統領として青瓦台に入ったあと、大統領府で働く有能な官僚や、愛国精神
に満ちた政財界の実力者には会おうともしなかった。

「それで不通(プルトン)大統領、話の通じない大統領と呼ばれるので
す。あの広い公邸でいつも1人。しかし、彼女は実は、崔順実との会話は
続けていたわけです」(洪氏)
 
朴槿恵氏を大統領に選んだ韓国国民にとって、彼女は元大統領の愛娘
で、深窓の令嬢、大切に守り抜く対象だったはずだ。前述の駐韓米公使の
報告が正しかったと認めるなど、屈辱そのものであろう。そうした彼らが
いま直面している問題の本質を趙氏が以下のように分析した。
 
・朴大統領は崔順実氏について嘘をつき続けてきた。法治国家の法治国家
たるゆえんは国家機関が基本的に誠実であること、それゆえに国民の信頼
があることだ。その意味で青瓦台が崔氏の事案に関して嘘をつき覆い隠そ
うとしたことは、順実氏の国政介入よりも深刻な問題である。
 
・崔順実氏は娘と共に出国し帰国を拒否していた。彼女らの横着な振舞い
は朴大統領の承認と助力があるからだ。大統領の行為は司法妨害であり、
問題が長期化すれば弾劾の理由となる。
 
・歴代の大統領の中で朴大統領程、検察を政治的に悪用した例はない。大
統領命令によって無理な捜査が行われ、それを苦にして自殺者も出た。朴
大統領は検察の独自性と公正さを損ねたのであり、そのことは歴史的不名
誉として記録されるはずだ。

本当の家族は崔一家
 
趙氏の分析は非常に厳しい。だが、朴大統領の支持率が14%に急落し、
不支持率が74%にまで上昇したことからも、国民が趙氏同様、厳しい目を
向けていることが見てとれる。政権発足以来最悪の状況に朴大統領は陥っ
ている。
 
危機を回避するには、まず、如何なる捜査にも協力する姿勢が必要だ。
帰国した崔順実氏を捜査に協力させることも欠かせない。大統領府の秘書
室を一新し、朴大統領自身はセヌリ党を離党し、国務総理に日常的行政を
任せる程の決意を見せなければ、事態はおさまらないと、趙氏は指摘する。
 
世論の厳しい逆風を受けて、朴大統領は10月28日夜、大統領府の首席秘
書官全員に辞表の提出を指示した。これで問題解決につながるのか。洪氏
は真っ向から否定した。

「朴大統領には19年間、秘書としてついてきた3人の最側近がいます。本
来なら彼らをまず切るべきです。しかし、彼らには全く責任をとらせよう
としていない。これでは事態の収拾などできません」
 
孤高に生きてきた朴槿恵大統領にとって、本当の家族は崔一家なのであ
ろう。実弟や実妹を青瓦台に近づけない一方、何かあれば崔一家に相談す
るようにと朴大統領は言ってきた。この期に及んでも崔一家を排除できな
い程、朴大統領は心理的に崔一家に頼りきりだと言える。
 
特定の怪し気な人物に操られているかのような大統領の下で、韓国は二
進(にっち)も三進(さっち)もいかない危機の淵に立たされている。
今、大統領が下野すれば韓国は大混乱に陥る。このまま政権を維持して
も、来年の大統領選挙までの1年間、指導力回復の見込みはない。韓国の
危機は日本にも深い負の影響を及ぼすことになる。

『週刊新潮』 2016年11月10日号
日本ルネッサンス 第728回

2016年11月25日

◆天皇陛下のお言葉に応えるには

櫻井よしこ



8月8日の今上陛下の「お言葉」で、私たちは改めて天皇の役割と日本国の
在り方について根本から考える機会を得た。政府は「天皇の公務の負担軽
減等に関する有識者会議」を設置。11月14日、私は専門家16人の1人とし
て意見を述べた。
 
有体にいえば、陛下のお気持を人間としての思いを軸に受けとめる場合
と、国の在り方を基に判断する場合とでは、結論は異なりかねない。従っ
て、いますべきことは、いわば情と理の2つの次元が近づき融和するとこ
ろまで叡智を絞って辿りつくことである。そのための努力が必要だと私は
思う。
 
お言葉の趣旨は次のとおりだ。象徴天皇として国の安寧と国民の幸せを祈
る祭祀を大切にしてきた。人々の傍らに立ち、寄り添うことも大切にして
きた。しかし高齢によって全身全霊で象徴天皇の務めを果たすことが難し
くなった。国事行為や公務の縮小による解決には無理がある。摂政を置い
ても、天皇の重責を果たし得ないまま天皇であり続けることになる。国民
の理解を得て、こうした事態を避ける方法を導き出したい。
 
丁寧な表現で示されたお言葉からは譲位を望まれていることが明確に伝
わってくる。圧倒的多数の国民は陛下の思いに共感し、譲位を可能にすべ
きだという意思表示をした。
 
災害時には被災地に足を運ばれ、病む人々の施設を分け隔てなくお見舞さ
れ、内外の戦跡を訪ねては鎮魂の祈りを捧げて下さるお姿が国民の心に
しっかり焼き付いている。全身全霊でご公務に打ち込んでこられたことを
国民はよく知っており、両陛下に深く感謝している。

それ故に、こうしたことが高齢の身には辛くなったと陛下が仰ったとき、
一も二もなく、大多数がお言葉を受け入れ、陛下の仰るとおりにして差し
上げたいと願った。
 
私とて例外ではない。1人の国民としての私の素朴な思いは両陛下への感
謝と尊敬に始まる。御心よ安かれとの願いも強い。従ってお言葉を耳にし
たとき、如何にしてお言葉に応え得るのかという視点で考え始めたのは、
ごく自然なことだった。

永続性と安定性
 
お言葉には「2年後には、平成30年」という表現もあった。それまでの譲
位を望まれているとすれば、時間は限られている。皇室典範を大幅に改正
する余裕などどう考えてもない。

ならば、制限された時間の中で、特別立法で対処するのがよいのか。法技
術に関しては政府が叡智を集めれば道は開けるはずだ。このような考えが
脳裡に浮かび続けた。
 
だが、その間にも、譲位を恒久制度化して問題はないのか、そもそも譲位
を認めることは国の在り方とどう関わってくるのかという問いが、心の中
にあった。皇室の安定と日本の形はどうなっていくのかという疑問も募った。
 
周知のように明治以前、譲位は度々行われた。だが、長い鎖国が破られ、
弱肉強食の国際環境の中に日本が立たされたとき、先人達は譲位の制度を
やめた。明治維新は、もはや機能しなくなった徳川幕府に代わって、天皇
が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、国民の心を統合して
成し遂げた大変革である。
 
国内事情だけを見ていれば事は治まったそれ以前の時代が去り、安定した
堅固な国家基盤を築かなければ生き残れない国際競合の時代に入ったと
き、先人たちは皇室にもより確かな形で永続性と安定性が必要だと考えた
のではないか。

国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基軸である皇室の安定
なしには、日本の安定もないと考えたのではないか。それが譲位の道を閉
ざした理由のひとつではないか。
 
歴史において譲位は度々政治利用された。時には国家・社会の混乱にもつ
ながった。このことも譲位の制度をやめた一因ではなかったか。
 
それに対して、譲位の悪用などもはや現在の日本ではあり得ないとの声が
ある。そうかもしれない。だが、100年後、200年後はどうか。国の基盤に
ついては、長い先までの安定を念頭に、あらゆる可能性を考慮して、万全
を期すことが大事だ。
 
明治の先人たちが智恵を絞って考えた天皇の在り方は、その後の歴代天皇
によっても固く守られてきた。昭和天皇は病いを得ても、ご公務がかなわ
なくとも、譲位なさらず、天皇として一生を完うされた。
 
今上陛下のお言葉が発せられたことを考慮しても、このような歴史を振り
かえれば、私たちは慎重でなければならないとの思いが湧いてくる。
 
ご高齢の陛下への配慮が当然なのは言うまでもないが、そのことと国家の
在り方の問題は別である。この大事なことを認識しなければならない。結
論からいえば、私はご譲位ではなく摂政を置くべきだと考える。日本国の
選択として、これまでのように天皇は終身、天皇でいらっしゃるのがよい
と考える。皇室典範第16条2項に「又はご高齢」という5文字を加えること
で、それは可能になる。

祭祀を中心軸に
 
だが、ここで再度、強調したい。大事なことは、国家の制度をきちんと守
りながら、人間として、陛下の思いを丁寧に掬い上げ、その思いを実現す
べく最大限の努力を、官民あげてすることだ。智恵を絞るのだ。

それが圧倒的多数の国民の期待するところでもあろう。有識者会議が具体
的目的として、ご高齢の両陛下の過重なお務めを如何にして削減するかを
掲げた理由もそこにあると思う。
 
早急にできることがある。天皇陛下のお仕事は現在、➀国事行為、➁公的
行為、➂祭祀、➃私的行為に分類されている。長い伝統に基づけば、皇室本
来のお務めで第一に来るべきは➂である。しかし連合国軍最高司令官総司
令部(GHQ)は、国民のために祈る最重要のお務めを私的行為と位置づ
けた。
 
その順位をいま、実質的に変えるのである。天皇のご日常を➂を最優先し
て、➂➀➁の順に組み替えればよい。憲法や皇室典範を持ち込む必要はない
だろう。地方や海外への行幸啓の折も、陛下は多くの公式行事の合間を縫
うようにして祭祀をなさっている。天皇陛下に祭祀のための時間的余裕を
設けることで、祭祀を中心軸とするご日常が可能になるのではないか。
 
このようにしたうえで、天皇陛下のお仕事を祭祀、国事行為、公的行為の
それぞれで整理し優先順位をつけ、普段から皇太子様や秋篠宮様との分担
体制を工夫しておくのはどうか。祭祀、国事行為、公的行為は、現行制度
の下でも皇太子様や秋篠宮様に代行していただくことが可能である。それ
をもう少し整理して進めることに何の問題もないはずだ。
 
現行法の下でできることは実は少くない。現実的な工夫と努力を、摂政
制度に重ねながら実践することで、陛下の御心にも沿えるのではないか
と、私は願っている。

『週刊新潮』 2016年11月24日号
日本ルネッサンス 第730回


2016年11月24日

◆日本はTPP成立と憲法改正が必要

櫻井よしこ



トランプ勝利の混乱で高まる危機 

「米国のメディアの全てが間違った。なぜか」「トランプ氏は世論調査な
ど信じないと言い、われわれはそれを軽蔑したが、結局、彼が正しかっ
た。なぜか」。自問する声が米国大統領選挙の開票番組で飛び交った。

「クリントン優勢」「クリントンの圧勝でも驚かない」と報道される中、
「目の覚めるような大逆転」でドナルド・トランプ氏が勝った。ヒラ
リー・クリントン氏はその当日、トランプ氏に電話をかけ、自らの敗北を
認めたものの、支持者の前に立ち、敗北宣言をすることもなく、「今日は
語らない」とのメッセージを出しただけだった。彼女の敗北感がいかに深
かったか。
 
トランプ氏は上下両院の過半数も制し、強力な共和党体制が出来上がる。
これは米国国民の強い不満が、政治、経済、知性、文化、制度などあらゆ
る分野で専門家を否定する形で噴出した結果だと、米「ニューヨーク・タ
イムズ」(NYT)紙のコラムニスト、ロジャー・コーエン氏は書いた。
 
米国国民はグローバリズムの名の下に波状攻撃のようにやって来る変化に
耐え切れなかったのであり、アフリカ系大統領の次に女性大統領を受け入
れるゆとりはなかったとの分析だ。
 
だが、それだけではないだろう。ワシントンの体制に染まったクリントン
氏への反発は尋常ではない。

例えば一連のメールで判明した凄まじいカネまみれ体質のクリントン夫妻
の方が、女性への暴言で非難されたトランプ氏より、より深刻な悪だとい
う思いが強かったのではないか。クリントンびいきのNYTでさえ、「高
貴な政治的大義と、疑惑にまみれた個人資産形成の間のあまりに細い道を
歩む」クリントン夫妻に、人々は嫌気が差したと書いた。
 
トランプ政治はどうなるか。当初からトランプ勝利を予測した木村太郎氏
は、トランプ氏は言ったことの99%を実行するだろうと語る。ざっと見
て、TPPは見直す。ロシアのプーチン大統領とは対立よりも話し合いを
優先する。中国に米国人の職を奪わせるようなことはさせず、日本や
NATO諸国には、安全保障のただ乗りは許さないということになるだろう。
 
世界各地を荒波が襲うような状況が生まれてくるだろう。他方、米国の新
体制は、なかなか整わない。こうした中で日本が構えるべきは万が一の危
機、尖閣諸島有事に対してである。中国が一挙に上陸してこない保証はど
こにもない。

中国側に立てば、外国の紛争に「介入したくない」大統領が米国に生ま
れ、新体制はできておらず、最強国米国が一種のショック状態に陥ってお
り、当事国日本の国防体制は憲法上も現実の装備上も全く整っていない今
ほど、好機はない。
 
このような状況下では万が一の危機が起きかねない。安倍政権はまず、こ
の最も身近な足元の危機に対して、可能な限りの構えをつくり、国家とし
ての意思を中国に明確に示すべきだ。
 
その上で最速で2つのことをすべきである。まず、TPPを可決成立させ
る。民進党にはトランプ氏が否定するTPPを今更やる意味はあるのかと
いう声があるが、このような無責任な発言をする政党に未来はない。
TPPを成立させ、過半数を取った共和党に働き掛けることに力を注ぐのだ。
 
次に、憲法改正である。日本周辺には中国が押し寄せている。北朝鮮は核
の小型化に成功し、ミサイルも手にした。朴槿恵政権は事実上崩壊し、韓
国は親北朝鮮勢力にのみ込まれつつある。

朝鮮半島全体が親中の色に染まる可能性がある。安倍晋三首相のロシア接
近には、中国とロシアの脅威に対処する二正面作戦は不可能だという思い
もあるのではないか。だが、いかなる国といかなる関係を結ぶにしても、
日本に地力がなければ、しょせんは属国のようにされるだけ。憲法改正を
断行して、強い日本をつくるしかないのである。

『週刊ダイヤモンド』 2016年11月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1158

2016年11月23日

◆トランプ勝利の混乱で高まる危機

櫻井よしこ



トランプ勝利の混乱で高まる危機 日本はTPP成立と憲法改正が必要 
「米国のメディアの全てが間違った。なぜか」「トランプ氏は世論調査
など信じないと言い、われわれはそれを軽蔑したが、結局、彼が正しかっ
た。なぜか」。自問する声が米国大統領選挙の開票番組で飛び交った。

「クリントン優勢」「クリントンの圧勝でも驚かない」と報道される中、
「目の覚めるような大逆転」でドナルド・トランプ氏が勝った。

ヒラリー・クリントン氏はその当日、トランプ氏に電話をかけ、自らの敗
北を認めたものの、支持者の前に立ち、敗北宣言をすることもなく、「今
日は語らない」とのメッセージを出しただけだった。彼女の敗北感がいか
に深かったか。
 
トランプ氏は上下両院の過半数も制し、強力な共和党体制が出来上がる。
これは米国国民の強い不満が、政治、経済、知性、文化、制度などあらゆ
る分野で専門家を否定する形で噴出した結果だと、米「ニューヨーク・タ
イムズ」(NYT)紙のコラムニスト、ロジャー・コーエン氏は書いた。
 
米国国民はグローバリズムの名の下に波状攻撃のようにやって来る変化
に耐え切れなかったのであり、アフリカ系大統領の次に女性大統領を受け
入れるゆとりはなかったとの分析だ。
 
だが、それだけではないだろう。ワシントンの体制に染まったクリントン
氏への反発は尋常ではない。例えば一連のメールで判明した凄まじいカネ
まみれ体質のクリントン夫妻の方が、女性への暴言で非難されたトランプ
氏より、より深刻な悪だという思いが強かったのではないか。

クリントンびいきのNYTでさえ、「高貴な政治的大義と、疑惑にまみれ
た個人資産形成の間のあまりに細い道を歩む」クリントン夫妻に、人々は
嫌気が差したと書いた。
 
トランプ政治はどうなるか。当初からトランプ勝利を予測した木村太郎氏
は、トランプ氏は言ったことの99%を実行するだろうと語る。ざっと見
て、TPPは見直す。ロシアのプーチン大統領とは対立よりも話し合いを
優先する。中国に米国人の職を奪わせるようなことはさせず、日本や
NATO諸国には、安全保障のただ乗りは許さないということになるだろう。
 
世界各地を荒波が襲うような状況が生まれてくるだろう。他方、米国の
新体制は、なかなか整わない。こうした中で日本が構えるべきは万が一の
危機、尖閣諸島有事に対してである。中国が一挙に上陸してこない保証は
どこにもない。中国側に立てば、外国の紛争に「介入したくない」大統領
が米国に生まれ、新体制はできておらず、最強国米国が一種のショック状
態に陥っており、当事国日本の国防体制は憲法上も現実の装備上も全く
整っていない今ほど、好機はない。
 
このような状況下では万が一の危機が起きかねない。安倍政権はまず、こ
の最も身近な足元の危機に対して、可能な限りの構えをつくり、国家とし
ての意思を中国に明確に示すべきだ。
 
その上で最速で2つのことをすべきである。まず、TPPを可決成立させ
る。民進党にはトランプ氏が否定するTPPを今更やる意味はあるのかと
いう声があるが、このような無責任な発言をする政党に未来はない。
TPPを成立させ、過半数を取った共和党に働き掛けることに力を注ぐのだ。
 
次に、憲法改正である。日本周辺には中国が押し寄せている。北朝鮮は
核の小型化に成功し、ミサイルも手にした。朴槿恵政権は事実上崩壊し、
韓国は親北朝鮮勢力にのみ込まれつつある。朝鮮半島全体が親中の色に染
まる可能性がある。安倍晋三首相のロシア接近には、中国とロシアの脅威
に対処する二正面作戦は不可能だという思いもあるのではないか。だが、
いかなる国といかなる関係を結ぶにしても、日本に地力がなければ、しょ
せんは属国のようにされるだけ。憲法改正を断行して、強い日本をつくる
しかないのである。

『週刊ダイヤモンド』 2016年11月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1158

2016年11月21日

◆「配慮と国家のあり方は別」

櫻井よしこ



【天皇陛下ご譲位】 皇室制度を考える 櫻井よしこ氏「配慮と国家のあ
り方は別」 − 譲位ではなく摂政を置かれるのが最善

天皇陛下のお言葉を最初に聞いたとき、陛下のお気持ちに応えることがで
きるような対処をしなければならないと、素朴に一人の国民として考えま
した。その方法は、一代に限って譲位を認める特別措置法と、最小限の皇
室典範改正にとどめる形によって可能だと思っていました。

同時に、そのとき国の形はどうなるのかという思いも心の中にありまし
た。有識者会議で私見を述べる機会をいただき、陛下の御心に沿い、国の
形も守り得る最善の道を考えたとき、「情」と「理」のバランスに大層悩
みました。お言葉を人としての思いを軸に受け止める場合と、国のあり方
を基に判断する場合とでは、結論は異なりかねません。私たちの課題は、
英知を絞って、情と理が近づき、融和する解決法にたどりつくことです。

被災地も病む人々の施設も分け隔てなくお見舞いされ、内外の戦跡で鎮魂
の祈りを捧(ささ)げてくださる両陛下への深い感謝は全国民が共有して
いる思いです。

ご高齢の両陛下への感謝と配慮は当然です。一方で皇室と国家の安定を念
頭に置いた国家のあり方の問題は別だと思います。

このように考え、誠に申し上げにくいことですが、私は譲位ではなく、摂
政を置かれることが最善の方法だという結論に至りました。

国民感情は、陛下の思いを大切に受け止め、ご日常の過度な負担を何とか
してさしあげたいというものでしょう。それは終身天皇のまま、現行法の
中でご公務の負担軽減を実現することは可能です。

陛下のご日常を、祭(さい)祀(し)、国事行為、公的行為の順番で優先
順位を組み替え、陛下が大切になさっている祭祀のための時間を確保する
ことは可能です。その上で、国事行為や公的行為は皇太子さま、秋篠宮さ
まが臨時代行などの制度を活用して分担するなど、工夫ができます。

祭祀はいま、天皇の私的行為とされていますが、これこそが皇室で最も重
要な公務です。長い日本の歴史の中で皇室の役割は、国家の安定と国民の
幸福のために祈る形で定着し、日本文明を育んできたからです。

すでに触れましたが、陛下が国民とのふれ合いを大切にしてくださること
は本当にありがたいことです。しかし、ご高齢でそれが大変となれば、摂
政を置かれて補完されるのが一番だと思います。やはり、天皇は存在する
だけで非常にありがたいのです。

ご高齢に伴う天皇自身の変化も考慮に入れて皇位継承の安定性を図るた
め、近い将来、皇室典範の改正に本腰を入れて取り組まなければならない
と思います。

過去2回、皇室制度に関わる有識者会議がありました。小泉純一郎政権の
時は、女系天皇の道を切り開くかなり明確な意図があり、旧民主党政権時
代も中立だといいながら、出された結論をみると女系天皇論で固まってい
ました。今回は、座長代理の御厨(みくりや)貴さんが産経新聞のインタ
ビューで有識者会議は極めてオープンマインドだ、とおっしゃっています
のでそう信じています。

大事なのは、皇室の本質を変えることなく、国の形を守っていくことにあ
ります。皇室の未来、日本の未来を考えて、最善に近い提言を出すよう努
力していただきたいと思います。(広池慶一)

                   ◇

安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会
議」によるヒアリングの対象者に、天皇陛下のご譲位への対応や皇室制度
について見解を聞いた。(この企画は随時掲載します)

 ■さくらい・よしこ ジャーナリスト。米ハワイ大歴史学部卒。平成19
年にシンクタンク「国家基本問題研究所」を設立し、国防、外交、憲法、
教育、経済など幅広い分野で提言を行っている。著書に「凛たる国家へ 
日本よ、決意せよ」「日本の未来」など。
【産經ニュース】 2016.11.19 21:52 〔情報収録 − 坂元 誠〕


2016年11月14日

◆「監獄島ではなかった」

櫻井よしこ



「産業革命遺産の軍艦島を見て分かった「監獄島ではなかった」の確から
しさ」

10月末の日曜日、早朝の便で長崎に飛んだ。明治産業遺産関連の取材で、
昨年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)に「明治日本の産業革命遺
産」として登録された端島、通称、軍艦島に向かった。
 
晴天に恵まれ、海は穏やかだった。港や桟橋などの施設が乏しい軍艦島
は、波が高くなると上陸できないため、島に上がれるのは年間200日ほど
だという。私は長崎市内から陸路伝いに南の方まで下り、野々串港という
小さな漁港で小舟に乗った。
 
10分ほどで島に着いた。狭い島には、日本初の鉄筋高層ビルが約30棟も並
び立っている。1974(昭和49)年に採炭を中止し、住民が去り、それから
40年余り、島は幾十度台風に見舞われたことだろう。鉄筋コンクリート造
の建物は、壁や窓枠が崩落してはいるが、それでも枠組みはしっかり立ち
続けている。
 
特別の許可を得て約2時間かけて島を歩いた。小学校の建物があり、中学
校のそれがある。病院があり、タイル張りの手術室が残っている。地下に
は大浴場があったが、いまは立ち入ることはできない。当時の最大の娯
楽、映画館(昭和館)の跡も残っている。
 
鉄筋高層の住居棟がコの字形に建築されており、3つの棟に囲まれた広場
は子供たちの遊び場、運動場でもあった。島の東側に一群の建物が並び
立っているのは、台風などによる大波で一家の主人である父たちの働く採
炭のための竪坑が浸水するのを防ぐためだったという。
 
端島では江戸時代から磯掘りが行われていた。1869(明治2)年以降、台
風や出水という問題を乗り越えながら開発が行われたのだ。三菱財閥が端
島炭鉱の経営に乗り出したのは、1890(明治23)年である。1900(明治
33)年には米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)の直流発電機を設置
して、世界有数の海底炭鉱へと発展した。この点が、今回、世界産業遺産
に指定された理由である。
 
その間に端島は採炭に伴って生じるいわゆるボタ(選炭後に残る商品にな
らない石炭)を材料にして、埋め立てを行い、現在より狭かった島を多
少、拡張した。それでも、総面積は6万5000平方メートル、1万9700坪だ。
 
この島で人々がどんな暮らしをしていたのか。韓国などは「強制労働の地
獄のような島」だったと主張する。
 
そのような非難の声があることも承知で、いざ現場に立って驚いた。私の
耳に人々のさんざめく声が聞こえてきたのである。建物と建物の間の狭い
道に所狭しと並ぶ店──、これを人々は端島銀座と呼んだ。そこに集い買い
物をする人々、走り回る子供たち、島の1番高い所に通ずる急峻な階段を
駆け上がる若者たち、頂上に建てられた端島神社へのお参りを欠かさない
律義な人々、そして高層建築とは対照的に、低層の木造家屋で営まれてい
た3軒の遊郭。島にないのは火葬場とお墓だけ。狭い島の中に、全てが備
わっていた。そこに最盛期は5267人が住んだ。
 
この小さな共同体で、軒を連ね、全てを分かち合って暮らさざるを得ない
空間で、一部の人間が、朝鮮半島出身者だという理由だけで、強制労働で
むち打たれ、地獄の暮らしをさせられることは、隣人たちもそれを受け入
れていたことを示す。そんなことは可能性として成り立たないと実感した。
 
長崎市は、韓国側の非難に、「島民は、共に遊び、学び、働く、衣食住
を共にした1つの炭鉱コミュニティーであり、1つの家族のようであったと
いわれている。島は監獄島ではない」との見方を示している。現場に立て
ば、長崎市の言い分が圧倒的に自然である。当時を知っている人はまだ複
数存命する。彼らから真実の声を聞くべきだ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年11月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1157


2016年11月11日

◆朴大統領、最大の危機を回避できるか

櫻井よしこ



韓国の混乱が深まるばかりだ。朴槿恵大統領に与えられた問題処理の時間
は極めて短い。この原稿を執筆中のいまも、大統領秘書官たちの自宅や事
務所が検察の捜索を受けたなどの情報が入ってくる。
 
韓国で最も信頼されていると言われる言論人、趙甲濟(チョ・ガプ
ジェ)氏は朴大統領が問題処理のタイミングを逃せば、左翼陣営のみなら
ず、保守陣営もソウル市中心部の光化門広場に繰り出し、退陣を要求する
と、警告する。
 
朴氏支持勢力の核心である保守系高齢層までが、朴氏離れを起こしつつ
ある。事の発端は、朴大統領が崔順実(チェ・スンシル)という女性実業
家に、機密漏洩をしていたことだ。朴大統領の親友である崔氏は、大統領
の信頼を悪用して大統領府の人事に介入するのみならず、私腹も肥やして
いた。メディアが不祥事を報じ始めると、彼女は娘を連れてドイツに逃亡
した。
 
統一日報論説主幹の洪熒(ホン・ヒョン)氏の指摘である。

「崔氏の件に関しては複雑な因縁があります。彼女の父は崔太敏(チェ・
テミン)という牧師で、朴槿恵氏の父の朴正煕大統領にも絶大な影響力を
有していました。韓国のラスプーチンと呼ばれた男です」
 
ラスプーチンは帝政ロシア皇帝に取り入って、絶大な影響力を持った亡国
の僧だ。崔太敏牧師は、朴槿恵氏の母が1974年に暗殺されたあと、急速に
朴一家への影響力を強めた。再び洪氏の説明である。

「崔太敏牧師は、母親を暗殺された朴槿恵の心をあらゆる意味で掴みまし
た。彼女が崔牧師に操られていることに危機感を抱いた中央情報部
(KCIA)の金載圭(キム・ジェギュ)部長はこの件について朴正煕大
統領に忠告したのです。しかし、大統領は金部長の忠告を聞かず、娘の方
を信用しました」

不通大統領
 
内部告発サイト、「ウィキリークス」が同件に関する機密文書を早速、
10月27日に公表。それを「朝鮮日報」が報じたのだが、そこには驚くべき
ことが書かれていた。2007年当時、駐韓アメリカ公使のスタントン氏が朴
槿恵氏にまつわる状況を以下のようにまとめていたのだ。

「カリスマ性のある崔太敏氏は人格形成期にあった若い朴槿恵氏の身心を
完全に支配していた。その結果、崔太敏氏の子息らは莫大な富を蓄積した
という噂が広まっている」
 
右のスタントン報告書を、バーシュボウ大使(当時)は機密情報に指定
して本国に送った。洪氏が語る。

「朴正煕大統領は79年10月に金載圭に暗殺されましたが、暗殺理由のひと
つに崔太敏牧師と朴槿恵氏の関係に関する助言が聞き入れられなかったこ
とがあると、金載圭の弁護人が控訴審で主張しました。或る程度高齢の韓
国人はこうした事情をよく知っています。彼らは熱心な朴正煕の崇拝者
で、その内の少なからぬ人々が朴槿恵氏が事実上父親の死を招いたと批判
的にとらえています」
 
韓国の保守陣営は朴槿恵大統領に度々、崔太敏・順実父娘との関係を問
い質してきたそうだ。

「その都度、朴槿恵氏は崔父娘は決して変な人たちではない。自分と特別
な関係にあるわけでもない、と疑惑を全否定しました」と洪氏。
 
現実にはしかし、崔牧師が死亡したあとは娘の順実氏を重用し、機密情
報まで渡し、彼女の関係財団に大企業から巨額の寄付が流れるようにして
いたことがわかってきた。父親の死を招いた牧師との奇妙な関係がまずあ
り、牧師の娘との不透明な関係がその先につながる。他方、朴槿恵氏は大
統領として青瓦台に入ったあと、大統領府で働く有能な官僚や、愛国精神
に満ちた政財界の実力者には会おうともしなかった。

「それで不通(プルトン)大統領、話の通じない大統領と呼ばれるので
す。あの広い公邸でいつも1人。しかし、彼女は実は、崔順実との会話は
続けていたわけです」(洪氏)
 
朴槿恵氏を大統領に選んだ韓国国民にとって、彼女は元大統領の愛娘
で、深窓の令嬢、大切に守り抜く対象だったはずだ。前述の駐韓米公使の
報告が正しかったと認めるなど、屈辱そのものであろう。そうした彼らが
いま直面している問題の本質を趙氏が以下のように分析した。
 
・朴大統領は崔順実氏について嘘をつき続けてきた。法治国家の法治国家
たるゆえんは国家機関が基本的に誠実であること、それゆえに国民の信頼
があることだ。その意味で青瓦台が崔氏の事案に関して嘘をつき覆い隠そ
うとしたことは、順実氏の国政介入よりも深刻な問題である。
 
・崔順実氏は娘と共に出国し帰国を拒否していた。彼女らの横着な振舞い
は朴大統領の承認と助力があるからだ。大統領の行為は司法妨害であり、
問題が長期化すれば弾劾の理由となる。
 
・歴代の大統領の中で朴大統領程、検察を政治的に悪用した例はない。大
統領命令によって無理な捜査が行われ、それを苦にして自殺者も出た。朴
大統領は検察の独自性と公正さを損ねたのであり、そのことは歴史的不名
誉として記録されるはずだ。

本当の家族は崔一家
 
趙氏の分析は非常に厳しい。だが、朴大統領の支持率が14%に急落し、
不支持率が74%にまで上昇したことからも、国民が趙氏同様、厳しい目を
向けていることが見てとれる。政権発足以来最悪の状況に朴大統領は陥っ
ている。
 
危機を回避するには、まず、如何なる捜査にも協力する姿勢が必要だ。
帰国した崔順実氏を捜査に協力させることも欠かせない。大統領府の秘書
室を一新し、朴大統領自身はセヌリ党を離党し、国務総理に日常的行政を
任せる程の決意を見せなければ、事態はおさまらないと、趙氏は指摘する。
 
世論の厳しい逆風を受けて、朴大統領は10月28日夜、大統領府の首席秘
書官全員に辞表の提出を指示した。これで問題解決につながるのか。洪氏
は真っ向から否定した。

「朴大統領には19年間、秘書としてついてきた3人の最側近がいます。本
来なら彼らをまず切るべきです。しかし、彼らには全く責任をとらせよう
としていない。これでは事態の収拾などできません」
 
孤高に生きてきた朴槿恵大統領にとって、本当の家族は崔一家なのであ
ろう。実弟や実妹を青瓦台に近づけない一方、何かあれば崔一家に相談す
るようにと朴大統領は言ってきた。この期に及んでも崔一家を排除できな
い程、朴大統領は心理的に崔一家に頼りきりだと言える。
 
特定の怪し気な人物に操られているかのような大統領の下で、韓国は二
進(にっち)も三進(さっち)もいかない危機の淵に立たされている。
今、大統領が下野すれば韓国は大混乱に陥る。このまま政権を維持して
も、来年の大統領選挙までの1年間、指導力回復の見込みはない。韓国の
危機は日本にも深い負の影響を及ぼすことになる。

『週刊新潮』 2016年11月10日号     日本ルネッサンス 第728回


2016年11月07日

◆アジアの曖昧路線を理解する重要性

 
櫻井よしこ



欧米流の合理的戦略論だけでなくアジアの曖昧路線を理解する重要性

フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が来日した。安倍晋三首相との
首脳会談で、大統領は南シナ海問題を持ち出し「日本とフィリピンは同じ
ような状況にある」「われわれは常に日本の側に立つ」と、それぞれ2
回、繰り返したという。
 
安倍首相はドゥテルテ大統領の本音を聞くべく、首脳会談後に両首脳を
含めて6人のみが参加する小規模会談を設けた。同会談は首脳会談の2倍の
長さの70分に及んだと、「産経新聞」の田北真樹子氏が書いている。明ら
かに安倍首相はドゥテルテ大統領の心を開いたのだ。財界人との会合で
「日本が大好きだ」と大統領は繰り返した。
 
日本に先立って訪問した中国では「米国との関係を断つ」という暴論を
口にし、東京でも、米国を念頭に、フィリピン国内の外国軍基地を2年以
内になくすと語った真意は測り難い。明らかに、大統領には欧米流の理詰
めの論理は通用しないのである。
 
米国の後ろ盾が南シナ海における中国の侵略阻止に欠かせない要件であ
ることは、1991年末に米軍基地が閉鎖された途端に中国船がフィリピンの
海に侵入してきたことからも明らかだ。

だが、ドゥテルテ大統領の念頭には、90年代以降の現代史よりももっと長
い米比関係の歴史と、民族としての苦い記憶があるのだろう。中国に対し
ても、古代から中国と付き合ってきたフィリピンの思いが、米国の対中感
覚と一致するわけもないだろう。
 
大統領と共に来日したベテラン政治家、ヤサイ外相が10月26日の記者会見
で語った内容が興味深い。「南シナ海問題は中国と平和的に解決したい。
フィリピンが米国との定期合同演習を一方的に終了したのは、中国の疑念
を高めたくないからだが、米比相互防衛条約は重要で尊重し続ける。条約
は打ち切りにはしない」と、語ったのだ。
 
白とも黒ともはっきりしない曖昧な立場は、理屈では説明できない。フィ
リピンを含むアジア諸国の主張はこのようによく分からないことが多い。
とはいえ、これが現実なのである。
 
日本は、米国よりも巧みにこの種の曖昧さを受け入れられるのではない
か。ドゥテルテ大統領に、「日本に感謝している」と言わしめたのは、
フィリピン独自の感じ方を日本側が受け止め得ているからであろう。押し
付けるのではなく、語り合うことで、フィリピンに日本と同一の方向性を
共有させることに成功したのが今回の例ではないか。
 
米国の影響力が相対的に弱まる中、日本は米国の合理的戦略論とともに、
アジア流の曖昧路線を理解することが大事である。欧米流の理屈だけでは
対処できないことを肝に銘じ、各国独自の歴史や文明、価値観を心に刻む
ことである。
 
価値観がいかに多様であり得るかを知悉しておくのがよい。世界があま
りに混然とし、多くの事が発生するとき、私が時折り開く本に『東北学
へ』(赤坂憲雄・責任編集、作品社)がある。
 
10年前に、山形しあわせ銀行での講演がご縁で全10巻の貴重な全集を頂い
た。東北芸術工科大学の赤坂憲雄大学院長が全巻をそろえるのに尽力して
くださった。同全集では、日本人はそもそもどういう人たちか、日本列島
の文明はどのような流れの中で育まれたのかが、多角的に論じられている。
 
実はこの全集を縄文人への憧れから読み始めた。「東北学」はしかし、1
万年も続いた縄文文明を超えて日本人のルーツ、「日本」を形成する要素
が、驚くほど多様であることを教えてくれる。
 
常識では理解し難い現象が世界中で続発するとき、「日本人」とひとく
くりにされる私たち日本民族の、実は非常な多様性に満ちた歴史を思い出
して、1つの価値で決めつけることへの自戒とするのだ。そうしてこそ、
アジアの「曖昧さ」も理解でき、したがってアジア諸国のリーダーともな
り得るのである。
『週刊ダイヤモンド』 2016年11月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1156

2016年11月06日

◆クリントン有利が決定的に

櫻井よしこ



「テレビ討論会でクリントン有利が決定的に アジア各国を籠絡する中国
に対抗できるか」

日本時間の10月10日午前、米国大統領選挙戦2回目のヒラリー・クリント
ン氏vsドナルド・トランプ氏の討論会には気がめいった。

「うそつき」「下品でわいせつ」「愚か者」「不作法者」「無資格者」
等、考えつく限りの罵詈雑言を互いに投げ付け合った90分間だった。これ
が世界の超大国のリーダーたらんとする人物同士の討論かしらと、視聴し
たおよそ全員が思ったはずだ。
 
だが、それが世界政治の冷酷な現実である。明白になったのは、2回目の
討論でも1回目同様、国際政治や外交、安全保障に関する議論は二の次
だったこと、またクリントン氏がさらに優勢になったことである。
 
米「ウォールストリート・ジャーナル」紙は社説でこう述べた。

「トランプ氏は(わいせつな表現で既婚女性に迫る様子を語った)テープ
が暴露される以前に、すでに支持率を落としつつあった。このまま下落が
続けば、共和党員の良心と共和党の政治的生き残りのために、トランプ氏
を見限っても無責任だと非難はできない」
 
さらに、大統領選挙と同時に行われる上下両院議員選挙で過半数を維持す
るには「クリントン阻止」で団結し全力を尽くせと檄を飛ばしている。
「ヒラリーの国内政治目標はいずれもオバマ大統領のそれらよりも左翼的
で、ナンシー・ペロシが(もし下院議長になれば)それらの法案を可決す
るだろう」と書いて、米国社会がリベラル方向に振れることを警告している。
 
10月8日号の当欄で書いたように、トランプ氏が大統領になった場合、世
界は大混乱に陥ると思うが、かといって、クリントン氏なら安心かといえ
ば、全くそうではない。彼女主導の政治に私は少なからぬ不安を覚えてい
る。現状を見ると不安はいや応なしに高まる。なぜなら、オバマ大統領が
重い腰を上げて築き始めたアジア・太平洋地域の「団結」が中国に崩さ
れ、米国の力がさらに弱まっているからである。
 
今年2月15日、オバマ政権は初めての米・ASEAN(東南アジア諸国連
合)首脳会議を米カリフォルニア州で開いた。曲がりなりにも
ASEAN10カ国全てが参加し、南シナ海での中国の蛮行を念頭に「航行
の自由」と「域内活動の非軍事化と自制を促す」ことを、共同文書で確認
した。中国の強い影響下にあるカンボジアまで署名したことは、オバマ政
権の成果である。
 
しかし、そうした成果を中国は覆してきた。9月7日にラオスの首都ビエン
チャンで開催された日本・ASEAN首脳会議では、安倍晋三首相が南シ
ナ海問題に関するオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所の判定を尊重すべき
だなどと発言し、ASEAN首脳は支持の意向を示した。
 
だが、翌日の日・米・中・ASEAN首脳会議ではASEAN諸国が中国
に説得され、議長声明から仲裁裁判所の判定に関しての言及がスッポリ抜
け落ちた。議長国のラオスやカンボジアの姿勢がぐらついているのだ。
 
加えてフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領の中国への急接近であ
る。合理的な範疇を超えたフィリピンの反米親中路線は南シナ海問題にと
どまらず、アジアの海における米中関係の行方に大きな影響を与える。
 
こうした中で米国の新大統領、恐らくはクリントン氏が登場する。彼女が
ホワイトハウス入りするのは来年1月20日、それまでの約3カ月間、中国は
全力で勢力を拡大するだろう。その状態が新大統領にとっての外交、安保
のいわばスタート台となる。
 
その時点でクリントン氏が中国を押し返せるか。そんな難事に取り組むよ
り、現実的に判断して中国と結び、日本は両国の谷間に追い込まれかねな
い。その可能性も念頭に、日本は準備を進めているはずだ。外交、安保、
いずれも厳しい時代を私たちは迎えている。
『週刊ダイヤモンド』 2016年10月22日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1154