2018年04月14日

◆秦始皇帝の青銅像 倒壊

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月13日(金曜日)通巻第6571号 

 秦始皇帝の青銅像(19メートル)、突風に吹き飛ばされ倒壊
  「独裁者の最後」をみごとに象徴する椿事と中国のネット炎上

2018年4月12日、山東省に屹立していた秦始皇帝の重さ6トン、高さ19
メートの青銅像は二メートルほどの台座に載っていたが基礎工事を怠った
のだろう、像をコンクリートの台に乗せただけで、鉄筋で土台を繋いでお
らず、手抜き工事だったため、突風に吹き飛ばされて倒壊した(この日、
東京でも瞬間強風は23メートル)。
https://timesofindia.indiatimes.com/world/china/strong-wind-topples-chinas-first-emperor/articleshow/63693541.cms

この始皇帝像はブロンズを貼り合わせ、中はがらんどうである。1015年9
月に建立された。

倒壊現場の写真をメディアが大きく伝えたので、これを見て拍手喝采で迎
えたのは中国のネチズン、すぐに拡散した。彼らにとって習近平独裁が、
いつか、突然としてこのような突破的椿事で吹き飛ぶことを希望している
からだろう。

秦始皇帝像は中国全土あちこちに建てられた。本拠地だった陝西省にも多
数あるが、山東省は秦始皇帝の巡礼地としてゆかりが深い。秦の始皇帝は
泰山(孔子の生まれ故郷・曲阜に近い)に登って神仙思想に目覚め徐福を
日本に派遣して不老不死のくすりを求めさせた。日本の姓名に秦氏が存続
しているように由緒が深い。

秦始皇帝は紀元前221から206年、中原を統一し最初の王朝をひらいた。現
在の陝西省西安の西側にある喊陽(西安空港のそば)に豪華絢爛な「阿房
宮」を建築し独裁者として君臨し、人民を支配した。とくに焚書坑儒では
儒学者を生き埋めにして儒学を禁止したことで暴君と言われた。暗殺未遂
は三件と記録されている。

他方、秦の始皇帝は万里の長城や、大運河建設を号令し、交通インフラの
整備を急がせた。阿房宮は、その名前の通りに最愛の側室を意味するが、
異説もある。喊陽の付近に寿陵墓を建設し、囚人など70万人を動員した。

西安の北東部で夥しい兵馬傭が発見されたことから、秦始皇帝の陵墓の位
置も特定され、発掘作業が延々と続けられている。ちなみに堺市の仁?天
皇陵は、この秦の始皇帝の陵墓より遙かに大きい。

焚書抗儒は、毛沢東の「批林批孔」の原点でもあり、また現在の習近平の
言論統制、香港の銅鐸湾書店への弾圧に酷似する。

秦始皇帝の万里の長城は、シルクロード(一帯一路)や雄安新都プロジェ
クトに似ており、独裁皇帝は、習近平が願ったところのポストだ。

秦始皇帝が没し、その子、胡亥が後継皇帝となるが、やがて劉邦と項羽に
攻められ、秦王朝はたちまち衰弱して皇帝二世が殺害され、王宮は擾乱状
態の裡に没した。習近平は、この歴史的事実に学んでいるのだろうか。
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW 
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  司馬遷の『史記』の歴史観が中国史を呪縛した
   袁世凱と孫文の評価はいずれ逆転するかも知れない

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宮脇淳子著、岡田英弘監修『真実の中国史 1840−1049』(PHP文庫)
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嘗て本書はビジネス社から刊行され好評だった。題名に印された年号のよ
うにアヘン戦争から、中国共産党が天下を簒奪したところまでを扱う。近
現代史である。

司馬遷が『史記』を著すのは、秦の始皇帝が没し、その王朝が衰滅し、権
力が別の前漢となった時代である。

中国史書の原点というべき書物が、以後の中国の歴史書の鋳型を造った。
つまり歴史は次の王朝になってから編纂される。ということは史実とはか
け離れた、史観の歪曲あるいは改竄された考え方が主軸に置かれる。

したがって現代中国史を書くのは次の王朝を待つしかないが、現時点で言
えることは中華人民共和国も中華民国も、共産党と国民党が一卵性双生児
であるように、史観が接近する。

両国の政権はともに孫文が『国父』という位置づけを共通させている。
 台湾台北には「国父記念館」があり、中国南京には孫文を祀る「中山
陵」がある。孫文の生まれた家は広東省中山に残り、元帥府は広州市に残
り、上海には記念館もある。しかし、孫文が国父という位置づけは正しい
のか。かれはペテン師ではないのか。
 
1911年に「辛亥革命」なるものが成立し、清王朝が黄昏のなかに消えて
も、孫文の唱えた『三民主義』による政府は成立せず、実態は袁世凱の天
下だった。孫文は共和制にもっていき国会を開設し、議論するようなシス
テムを夢見ていた。

宮脇さんは言う。

「孫文は、袁世凱による一つの政党と、自分たちが率いる政党ということ
で、政党政治を考えていました」

シナにあって実現したためしがない民主国家の建設を標榜したのは西側の
スポンサーに口実が必要だったからだ。

つまり孫文はフィクサー的な調停役、当時の国民党を引っ張っていたのは
宋教仁だった。孫文は邪魔な宋を袁世凱が暗殺するように仕向けた。

「間違いなく袁世凱は独裁者です。彼は自分の思うような政治をしたかっ
たのです。そうでなければ生き残れないからです」。

そこで実権もなにもかもを失った孫文はまたもや日本に亡命する。じつに
無責任男である。それが中華民国の草創期の実態だった。

「袁世凱は日英仏独露との間に2500万ポンドの五国借款を成立させ、この
金で武器を買い、軍隊を整え、議員を買収する。そして1913年の議員の選
挙によって正式の大総統に就任します。(中略)すぐに国民党を解散させ
て、国民党議員の資格を剥奪し、大総統の権限を勝手にどんどん拡大させ
ていきます。これが新約法」(238p)であり、合法を表看板として本物
の独裁となったのである。

日本から援助をむしり取り、技術を導入し、その金で軍事大国となったパ
ターンは袁世凱にあるというわけだ。

ただし袁世凱は、教養人でもあり漢文古典に通じた知識の高い軍人だった。

毛沢東は同様な方法で天下を取った。1949年10月1日の天安門に並んだの
は共産党のほかに民主諸派七つの『連合政府』だった。その後、毛沢東は
じわりじわりと他派を粛清し、権力を固めてゆくのである。

習近平は政敵を排除して、かたちのうえで憲法を改正して、合法的な独裁
者のポストを得た。袁世凱も毛沢東も、その独裁への道のりは、合法とい
う狭き門を一応くぐり抜けるプロセスを必要としたという意味でも共通で
ある。
 

2018年04月13日

◆中国のビッグデータは反政府分子や

宮崎 正弘


平成30年(2018 年)4月12日(木曜日)
        通巻第5670号 

 中国のビッグデータは反政府分子やスパイの摘発ばかりではない
国内の金融取引の全てを掌握し、管理する邪悪ビッグブラザーの元締めだ

中国は従来の金融監督官庁を統合して「銀行保険監査管理委員会小組」を
立ち上げた。トップは劉?(副首相)である。中央銀行の従来の役目を取
り上げるのか、並立的な組織となるかは不明だが、その目的は単純明快である

2015 年の上海株式暴落を、中国政府は管理の不徹底によってシャドー・
バンキングならびに金融ユニット末端の新興組織(これも影の銀行の範疇
にはいる)が、高金利を謳って投資家から金をかき集め、それを信用取引
で4倍、10倍に梃子を効かせて株式市場に注入したからであるとした。

なぜなら株価が下落すれば投資家は証券会社から保証金の追い証を取られ
るが、おおくの投資家は借金して、ハイリターンを信じて投資したのであ
り、そのメカニズムさえ理解できずに、ひたすら株はあがるものという信
仰がもたらした熱狂的投機だった。

実態はと言えば、太子党や証券にすくう代理人等の空売り、それも巨額の
空売りがなされ市場の狼狽が次の下落を招いたからである。

上海株式市場から蒸発したカネは5兆ドル(当時のレートで500兆円)と
当局は算定している。株式は時価総額の合計から下落額を引けばそうなる
が、実際には、それだけの現金が消えたわけではない。5兆ドルというの
は時価総額のことである。

「けっきょく監督力が不足したのだ」というのが、中国政府の驚くべき安
易な総括で、再暴落を防ぐには、徹底した管理が必要という共産党独裁者
の狭窄な思考範囲が達した予防策である。

つまり最新のデータベースを使って、銀行間、銀行・証券間、銀行の地方
政府への融資ばかりか、証券と保険の迂回融資、影の銀行の実態を掌握す
るために個人の銀行口座の取引記録まで閲覧し、これらのデータから対策
を割り出すという、あくまでも共産党の人民管理方法の発送の延長線から
生まれてきた対策なのである。

「e租宝」とう新興のネット企業は、p2p(ネットでのカネの貸し借
り、当局には届け出だけで良かった)の大手である。[e租宝]に群がっ
た投資家がおよそ90万人もいて、ファンドライジングであつめたカネは
77億ドル。

魅力的な高利を謳って、多くのプロジェクトを提示し、薔薇色の将来の収
入を画面に分かりやすく描いて夢を売り、民衆のカネを集めたのだ。
ところが調査した結果、95 %のプロジェクトは胡散臭い、実態のないもの
だった(サウスチャイナモーニングポスト、4月11日)。

かくして中国のビッグデータは反政府分子やスパイの摘発に向けられるば
かりではなかった。国内の金融取引の全てを掌握し、管理する巨大なビッ
グブラザーの元締めとなるのだ。 

2018年04月12日

◆マレーシアも「中国の罠」に陥落したのか?

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月11日(水曜日)
        通巻第5668号 

 マレーシアも「中国の罠」に陥落したのか?
  ナジブ首相が中国主導のプロジェクトにのめり込む面妖な背景

マレーシア総選挙は5月9日と決定した。

前回の選挙で大幅に得票を減らした与党連合「UMNO」はマレー人主体
だが、華僑の政党、インド系も加わっている。得票率は47%、しかし議席
は60%を確保した。

次の選挙では野党への期待が高まっており、事前の世論調査では与党敗北
の信号が灯っていた。

したがってラジブ首相率いる与党と野党連合の対決は大接戦なると見られ
ていたが、土壇場へ来て選挙区の区割り変更など、狡猾な手段でナジブ政
権は野党の票田を分裂させ、しかもマハティール元首相が主導する野党連
合「希望連合」からイスラム政党を離脱させるなどの分裂を策した上で、
活動停止処分とするなど悪質な妨害が目立つようになった。

ナジブは独立後2代目首相ラザクの息子であり、いってみればマレーシア
の「太子党」を代弁する利益集団のトップ、末端の国民からは好かれてい
ない。

マレーシア独立以後、はじめて政権交代、与党敗北色濃いという事前予測
が主流となった背景には「マレーシアも中国の経済植民地となるのか」と
いう未曾有の危機感があったからだ。

いかなる経緯があったか。

第一に中国の進める「一帯一路」プロジェクトにナジブ政権は或るスキャ
ンダルを境目に、突如、興奮するかのように乗り気となり、熱烈な協力者
となった。その理由は国家ファンド「1MDB」が抱えた巨額の不良債権
という闇のファクターが存在する。
 
2015年に発覚した1MDBの負債は1兆4000億円といわれ、しかも、その
うちの使途不明金850億円が、なんとナジブの個人口座に振り込まれて
いたという疑惑が取りざたされ、マレーシア政界を震撼させた。

この穴埋めにナジブ政権は中国の一帯一路に相乗りして、資金を穴埋めに
つかおうというのが中国への急傾斜の動機だとクアラランプールの情報筋
は言う。


▲なぜマレー半島の東海岸を縦断する鉄道が必要なのか

中国が提示するマレーシア関連のプロジェクトには東海岸の6600キロに敷
設する鉄道建設がある。しかもこの鉄道建設は中国企業が主導する。

長期的には雲南省昆明からラオス、カンボジア、タイを経てマレーシアを
通過し、シンガポールまでの長距離。

ところが東海岸鉄道は旅客が望み薄であり、既にバス路線が発達している
ため、マレーシアではなく、中国のための鉄道ではないかという不満が渦
巻く。
中国の軍事戦略では南シナ海のシーレーンが脅かされた場合のバックアッ
プ・ルートしてマラッカ海峡ルートを確保しておくという戦略があるからだ。

あたかも江戸幕府が東海道に対しての中仙道を重視したように、あるいは
日本軍参謀本部の東海道線の代替ルートとしての中央本線という位置づけ
と対比すれば理解できるだろう。

この鉄道に付随してクアンタン港の整備、マラッカ海峡の諸都市にある港
湾の整備、ボルネオ島北部の拠点=コタキナバルへの中国軍艦寄港など中
国の「海のシルクロート」に協力的なプロジェクトが並ぶ。

またマレーシアにおける中国企業の躍進も凄まじく、華為技術と中興通訊
(ZTE)の二社はマレーシア通信事業に大々的に参入した。

マレーシアの国民車として親しまれるプロトン社の49・9%の株式は中国
の吉利集団が購入した。

エドラ発電は中国廣核集団に売却し、バンダルマレー株の60%を中国中
鉄に売却するなど、旗艦産業も外国資本に売り渡すような政策は「売国
奴」だという野党側の批判に発展した。

しかし、中国の投資はますます巨大化し、民間でも巨大投資はジョホール
バルの四つの島を埋め立てて建設する「フォレストシティ」である。これ
は中国不動産企業のトップを走る「碧佳園」がゼネコン&デベロッパーと
なって完成間近だ。現場の労働者は80%が中国から、残りをパキスタンな
どから連れてきた。

中国から6割、4割は地元の雇用という約束は反故にされた。

ナジブ政権は、フォレストシティ建設プロジェクトの契約に際して、例外
的に外国人の土地所有を認めた。

ここには70万人の中国人が移住するために、マハティール元首相は「ナジ
ブは国土を中国に売り渡した」と激しく攻撃し、ひろく国民の間にも、
「反中ナショナリズム」が燃えあがっていたのである。


▲近年になかった保革逆転の予測が二転三転

こうした状況でマレーシアの政治は「ナジブ政権 vs マハティール元
首相」という対決構造となり、マハティールが野党を結成し、野党連合を
組織して、選挙に出馬すると声明を出して、準備に入った。

与党敗北予測がメディアに目立つようになると、狼狽したナジブは、この
マハティール野党に解散命令を出し、(書類不備の難癖)、さらに特急作
業で「反フェイクニュース法」を制定し、事実上、ナジブ政権批判を封じ
込めた。

そのうえで、222の小選挙区の区割りを与党有利に再編し直し、ナジブ首
相は、なりふり構わずに議会解散を強行した。マレーシアの選挙法では議
会解散から60日以内に総選挙がおこなわれるという規定があり、4月10
日になってマレーシア選挙管理委員会は5月9日を投票日と決めた。

この与党の電光石火の早業によって、イスラム政党が野党連合から離脱、
マハティールは無所属でも立候補すると記者会見した。

世論は圧倒的に反ナジブだが、政権批判のメディア二紙が休刊を命じら
れ、他方ではナジブ首相が選挙目当てのバラマキ、駆け込み施策をおこ
なって人気の回復を図った。大票田を固めるために公務員、年金受給者へ
の現金支給。最低賃金の上乗せ、燃料価格安定のための補助金支給、そし
て選挙公約では消費税廃止も謳っている。


マレーシアは伝統的な多民族国家であり、マレー系に華僑、インド系の3
大民族構成というのはあまりに単純な図式である。

「華僑」と一口にいっても、多くは福建省、広東省出身であり、ついで潮
州出身が多く、彼らには北京語は通じない。

マレーシア華僑を代表するのはシャングリラ・ホテルの経営者ロバート・
クォク(郭?年)が有名だろう。郭は香港の老舗「サウスチャイナ・モー
ニングポスト」を買収して論調を北京寄りとしてから、マードックに売り
抜け、さらにマードックはアリババの馬雲に譲渡した経緯がある。

この多重的な華僑の列に「海峡華僑」という「倭寇」の末裔とされる人々
がいて、英語しか喋れないため「英語系華僑」とも言われる。シンガポー
ルのリークアンユー前首相も、この海峡華僑の流れをくむ。(倭寇は前期
倭寇に日本人もいたが、後期倭寇はシナ人の海賊だった)。

インド系マレーシア人はタミル語族であり、インド・アーリア系列ではな
く、ベンガル流域から流れ込んだ。したがって言語もタミル語である。 
 ともかく上記のような複雑な、多民族国家の未来が次の選挙にかかって
いる。

2018年04月11日

◆18社がフランクフルトへ

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月9日(月曜日)弐 通巻第5666号 

ゴールドマンサックス、JPモルガンなど18社がフランクフルトへ
  BREXIT以後、合計60社が英国ザ・シティから脱出の構え

 英国の「脱EU」(BREXIT)以後、ザ・シティという國際金融セ
ンターの機能不全を恐れ、すでに18社がドイツのフランクフルトへの移
転を決めている(英紙インデペンダント、4月8日、電子版)。
 この脱英国のなかにはゴールドマンサックス、JPモルガンが含まれる。

また英国筋はほかにも40社が、欧州のどこかへ本社移転を決めてお り、
パリ、バルセロナ、ウィーンなどの都市が候補となっているという。

おりしも同紙は「世界で安全な飛行機会社はどこか」とランク付けを独
自に発表したが、トップは「エミレーツ」(UAE),2位が「カタール
航空」。以下3位から10位までは、シンガポール航空、キャセイパシ
フィック、ANA、エティハド(アブダビ)、トルコ、エバエア(台
湾)、カンタス(豪)、そして10位がルフトハンザ。

英国や中国の航空会社が漏れ、またJALもランク入りしていない。ド
イツのルフトハンザは辛うじて10位だ。

経済優等生として欧州に君臨し、トルコを批判するドイツだが、そのド
イツを代表する企業は落ち目が目立つ。ドイツ銀行は経営がふらつき、
BMWを別とすれば、ベンツもフォルクスワーゲンも不振。とくに後者は
中国市場依存型となっており、中国経済の浮沈と運命を共にするかのようだ。

政治も、メルケルが総選挙から数ヶ月も連立政権を組めず、また欧州各
地でドイツ批判がおこり、とりわけ移民問題では、ドイツの政策に同調す
る国はなくなった。

こうした大局観にたつと、国際金融機関がいまさら何故ドイツを目指す
のか、理解に苦しむところだろう。

      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 日本のアウトローはいかような処死観をもっていたのか
       多様多彩な人間像を追求しながら存在の根源を問う

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山平重樹著『アウトロー臨終図鑑』(幻冬舎アウトロー文庫)
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本書に登場するのは筆者の言葉を借りれば「世代差や有名無名の違いこ
そあれ、いずれも世間から見たら型破り、異端といっていい男たちである。

維新者、革命家、プロッスポーツマン、芸能人、カーレーサー、映画人、
作家、政治家、冒険家、カメラマン、シージャッカー、任侠人・・・・・
と、あまりカタギが見当たらないのは、激烈でドラマチックな生と死を経
た男たちとなれば、無理からぬところか」(本書「はじめに」より)
と、実に幅広い分野から約70名もの人物が登場する。

この中から私の関心をひく人物をあげると維新者・民族派運動家では三上
卓、影山正治、森田必勝、阿部勉、三浦重周、野村秋介、江藤小三郎な
ど、作家・文学者では村上一郎、檀一雄、高橋和巳、川内康範など、そし
て唐牛健太郎であろうか。(以下敬称略)

三上卓は5・15事件の首謀者であるとともにいまだに民族派の聖歌 と
いうべき「青年日本の歌」(「昭和維新の歌」)の作者として永遠に語
られる存在である。

大東塾の影山正治塾長は戦前から維新運動家をして知られ、また保田與重
郎、林房雄など日本浪曼派の巨人たちとの交流を持った文学者、歌人で
あった。三島由紀夫を「昭和の神風連」と称揚し、「憂国忌」の発起人に
もなった。影山正治塾長は昭和54年5月青梅の大東農場で元号法案の成
立を熱祷して壮烈な自決を遂げた。私は学生時代に大東塾の行事に招かれ
た際、影山塾長自ら日本酒を振舞われたことがある。その優しい目と温容
が記憶に残っている。

森田必勝、三浦重周は我々の運動の先輩であり、同志であった存在であり
これ以上は付記しない。

作家・評論家の村上一郎は晩年の三島由紀夫と濃密な交流を持ち、昭 和
50年3月東京・武蔵野市の自宅で愛蔵の日本刀で三島のあとを追うが
如く自裁した。先般2月の公開講座で講演をされた西村繁樹元一等陸佐
が、青年自衛官のとき三島由紀夫から村上一郎の『北一輝論』を直接贈ら
れたことを述べておられた。

私も村上一郎とは面識を得ることはなかったが、その晩年の著作はむさぼ
るように読んだものである。村上一郎の葬儀で弔辞を読んだのが戦後『試
行』の同人であり、生涯の友人であった吉本隆明であったという。

檀一雄は私の好きな作家の一人であった。戦前の『花筐』から晩年の
『火宅の人』までその作品の根底には如何にも日本浪曼派の出身らしいロ
マンチシズムが流れている。最後の作品であり、愛人との行状を描いた
『火宅の人』は不倫小説と揶揄されることもあったが、私はこの作品は、
本当は見事な青春小説ではないか、と思う。

高橋和巳は大学紛争当時、全共闘の学生から圧倒的な支持を受けてい た
というが、当時民族派学生運動をしていた私も高橋和巳の『非の器』や
『邪宗門』は愛読書であった。また高橋和巳は三島由紀夫の自決の報道に
は大きな衝撃を受けた、といわれる。

川内康範は民族派学生運動に理解を持ち、日本学生同盟(日学同)の 同
盟歌「我らは誓う」もつくった。私は今でも「風が吹くなら吹くがいい
 たとえ嵐になろうとも 〜」というこの歌の歌詞が好きである。

唐牛健太郎といえば60年安保のときの全学連委員長であり、その後右 翼
の大物・田中清玄との関係で世の注目を浴びた。毀誉褒貶の多い人生で
晩年は酒とさすらいの旅を愛し、昭和59年に46歳の若さで他界している。

唐牛健太郎については60年安保ブントの同志であり、今年1月に自裁死
を遂げた西部邁氏の『六〇年安保〜センチメンタル・ジャーニー』に詳し
く描かれており、まさにあの時代の青春群像が浮かび上がる
                                
(評 玉川博己)
          
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1714回】        
 ――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(3)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽
 一行は日露戦争激戦地の1つである遼陽を訪ねる。

 郊外の畑の中に「露人が戰爭前早くから買ひ取つて壕などを掘つてゐ
た」広大な場所が数カ所あった。「戰爭の結果當然日本の手に移る筈であ
つたのが」、日本側は知らないままに放っておいた。

そこで「いくら助力 してやつても有難がる人間ではない」である「支那
人が畑として仕舞つて ゐた」。だが、ささいなことから村人が喧嘩を起
こし、一方が、ここは日 本側の土地だと申し出た。

かくて1カ所だけは日本側に帰属することと なったというのだ。この一
件から、日本側の手抜かりはもちろんだが、 「いくら助力してやつても
有難がる人間ではない」などと言いながらも、 そういった人々の“セコ
さ”に乗じられてしまう日本人のお人好しさを示す と同時に、日本側に
黙ってればよかったものを、なまじ告げ口をしたこと から土地を失う羽
目になってしまった“間抜けさ”も示しているようだ。ど うやら「いくら
助力してやつても有難がる人間ではない」人々はシタタカ にセコイと同
時に、限りなくヌケテいるようにも思える。

じつは「遼陽には露人が3人商人だと云つて居住してゐるそうであ る」
が、人数は同じだが常に人が変わっている。ということは、どうも純 然
たる商人ではなさそうだ。そのうちの1人が租借地の境界線を石で印し て
いる日本人を笑って、「日本が弱い國であればとにかく、強國である限
り木で境界標を建てゝ、その木が朽れば一歩を進めて新しいのを建てる樣
にしなくては」といっている。この“助言”を「スラブ人の侵略思想を以て
日本人の人心を忖度したものと云ふべもである」としている。

おそらく「スラブ人の侵略思想」が世界の常識であり、租借地を自分 か
ら固定化し強国として当然に採るべき領有地拡大方法を自ら封じてしま
う日本は世界の非常識ということなる。かくて世界の常識からするなら、
日本の振る舞いの“謙虚さ”に何か下心があるのではないのかと、あらぬ疑
いをかけられてしまうことになるわけだ。

日本人が厚かましいことこの上 ない「スラブ人の侵略思想」を身に着け
たとしても付け焼刃で終わってし まうのが関の山。ならば「スラブ人の
侵略思想」を徹底して学び、それを 超える智慧を持つ必要があるが、や
はり言うは易く行うは難い。だが、世 界は「スラブ人の侵略思想」に充
ち満ちていることを固く心に留めておく ことは絶対に必要だ。

遼陽の後、奉天を経て朝鮮半島に入り、やがて釜山で乗船し帰国の途 に
就く。

以上の「旅行日誌(其の壹)」に「旅行日誌(其の貳)」が続く。同じ
行程を歩いているから同じような感想が記されていると思いきや、やはり
生徒によって目の付け所も受け止め方も違うから面白い。

先ずは上海の名門で知られる復旦大学の前身である復旦公学を訪れた 時
のことだ。

 青々と茂る庭樹と「純支那式の鴟尾高く天に聳えて居る瓦屋根」とを
「背景として高く四邊を睥睨して居」る「此の校の設立者で前代の日本――
世界の列強の間に新米として顔出した日本――の?史の上に忘れ難い深い印
象を刻むだ李鴻章の像」を前にするや、案内者が「上半身は純金ですよ」と。

そこで目を像の上半身に転ずると、「其の偉大な顔の邊から點々と薄 黒
くなつて居る」ではないか。どうやら純金はウソで「鍍金らしい」。か
くして「凡ての支那の眞相が此の偉人の像の半身に刻みつけられて居る樣
であった」と。「此の偉人の像の半身」から「凡ての支那の眞相」を見抜
くとは、じつに素晴らしい感覚といっておこう。

道端の乞食の住まい前で道を聞く。彼らは「實は乞食ではなくて田舎か
らの破産者」の家族であり、「こんな處に引き越して假小屋生活をして居
るのである」。
         

2018年04月10日

◆モディ首相、ネパールのオリ首相会談で警告

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月9日(月曜日)通巻第5665号

 モディ首相、ネパールのオリ首相会談で警告
  「国境をむやみに開放すると中国が浸透してしまうゾ」

4月6日、冷え切ったインドーネパール関係を緩和しようと、ネパールの
左翼連合(マオイスト左右両派の呉越同舟政権)のシャルマ・オリ首相が
インドを訪問し、7日、モディ首相と会談した。

席上、両首脳はいくつかの喫緊の問題で突っ込んだ話し合いをもった。

第一は中国の影響力増大へのインドの懸念である。金融ばかりか、通信の
分野にも中国はシェアを拡大しようとしており、とりわけインターネッ
ト、携帯電話でネパールの市場拡大を狙っており、インドの寡占状態が脅
かされてきた。

第二は過去のカトマンズ政権が拒否してきた「ブドバ・カンダキ水力発電
所」プロジェクトである。

中国はこれを「一帯一路」の一環プロジェクトとして位置づけ、武漢本社
の「フーバー集団」がオファーを出している。フーバー集団は通称であ
り、ダム建設の大手国有企業だ。

インドは中国のゼネコンを排除するよう申し入れ、同時にインドとネパー
ルの国境に近い「アルン?ダム」(900メガワット)の建設に、インドは
10億ドルを拠出する用意があるなどとしたらしい。

いずれにしても、インドはネパールの反インド的な行動の数々に不快感を
露わにしており、とくにこの2年間、両国関係は冷え切ってきた。

この背景にあるのはカトマンズの政権がマオイスト連合となって急速に中
国に近付き、中国とのビジネス関係を強めることで、インドとのバランス
をとるというナショナリスティックな綱渡りを演じてきたからだ。インド
にとってネパールは長年面倒を見てきた保護領という感覚だった。

現に中国の対ネパール外交は長期的展望に立脚している。

すでに「青蔵鉄道」を青海省の西寧からチベットのラサへと開通させ、そ
の延長工事をシガツェ(チベット第二の都市、パンチェンラマの本拠地)
まで完成、さらに、この鉄道をヒマラヤ山脈にトンネルを造成しカトマン
ズへ繋げようとしており、カトマンズは乗り気なのである。

インドの不快感はときに国境を制限し、ネパールへの物資供給を中断す
ることなど経済制裁を課してきた。

このためネパールの歴代政権も不満を蓄積してきたことも事実、またイン
ドがオファーしている「アルン?ダム」に乗り気でないのは、ここで発電
された電力は大半がインドへ送電されるからだと言われている。

      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW
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ライト兄弟が初めて飛行に成功したとき、現代の戦略爆撃機を予測しただ
ろうか

外国から中古戦艦を買った日本が、最新鋭戦艦を誇った清の海軍に勝った

  ♪
竜口英幸『海と空の軍略100年史』(集広舎)
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20世紀に戦争の形態が激変したのは海軍、空軍の飛躍的発展にある。

21世紀はAI搭載の無人兵器が、またも戦争形態を激変させようとし てい
る。この100年の激動の歴史をコンパクトにまとめたのが本書である。

 よもやライト兄弟が初めての飛行に成功したとき、現代の戦略爆撃機を
予測しただろうか? 長距離を飛翔するミサイルの登場を予測していただ
ろうか。

 海軍は空母、原潜、いずれAI搭載の無人潜水艦が登場するだろう。
こうした技術史を基軸に戦争の歴史を巨視的にえがく力作が本書である。

 米国は陰謀好きでほとんど共産主義者だったルーズベルトが仕掛けた対
日戦争。トルーマンがルーズベルトの急死によって大統領となったとき、
米国が原爆を保有していることさえ知らなかった。トルーマンは無能の人
で、国際情勢を見通せるような眼力を持ち合わせていなかった。

 だから致命的な失敗を何回も犯してしまった。トルーマンの夥しい誤り
のなかには嫉妬のあまりにマッカーサーを解任したことも加えるべきかも
しれないが、蒋介石と毛沢東を敵か味方も判別出来なかった。

その残忍さにおいて、両者に区別はないが、くわえて国民党と共産党は一
卵性双生児だが、どちらが反共なのか、どちらが米国や西側に有利となる
かの判定を間違えてしまった。

1949年8月に国務長官となったアチソンが『中国白書』をだすが、 「蒋
介石は無能で、軍は戦闘意欲を欠き、民心は国民党から離れている」 と
一方的に蒋介石を見限った。

翌1950年1月5日に、トルーマン大統領は「中国が台湾に侵攻して も、
アメリカ政府は関与しない」と表明し、アチソンは翌週の1月12日 に演
説して「アメリカの極東防衛ラインを『アリューシャン列島から日本 列
島、琉球諸島、さらにフィリピン諸島』として、韓国は日本に比べてア
メリカの責任の度合いは低いとしてこのラインの外側に位置づけた。また
台湾も、このラインから外した」(191p)
決定的な政策の錯誤である。

共和党は、このアチソン演説に驚き「金日成に(朝鮮戦争開始の)青信
号を出した」と猛烈に批判した。

 その後もアメリカは数限りなき過ちを繰り返し、JFKはベトナムと戦
争を始め、カーターは台湾と断交し、レーガンは日本にスーパー301条
を適用し、ブッシュ・ジュニアはイラク戦争を始めた。
 なかでもクリントン大統領の政策ミスは大きい。

「天安門事件直後、クリントンは中国を『北京の虐殺者』と呼び『最恵
国待遇は中国を甘やかすだけだ』と公言していた」。

にもかかわらず政権末期に、WTOに中国が加盟する道を開き、「世界で
最も人口の多い国との貿易関係を正常化する」「アメリカ企業は初めて、
アメリカの労働者が造った製品を中国に売ることが出来る」「工場進出や
技術移転をしなくても、アメリカの労働者の仕事を減らすことなしに、製
品を輸出できる」等とクリントンは薔薇色の発言を繰り返し、道を間違えた。

中国は対米・対日貿易で稼いだカネを軍事力拡大にあて、いまや南シナ
海を支配し、アメリカならびに米国と同盟する自由世界の多くの国々に軍
事的脅威をあたえ、海軍力を飛躍的に拡充、増大させてアメリカにせまる
勢いをみせた。

この百年の間に技術革新が飛躍し、海と空の地政学をひっくり返し、ま
さかの貧困に喘ぎ、人民が餓死していた国が、アメリカと並ぶ軍事力を保
有することになるとは!

             
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まっすぐに心情を綴った遺書替わりの日記風自伝だが
  当時の軍隊の生活、慰安婦への労りが、歴史の真実が滲み出ている

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田中秀雄『スマラン慰安所事件の真実』(芙蓉書房出版)
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こういう地道な、苦労ばかりの仕事をされるのは、やっぱり田中さんを
おいていないだろうなぁと思いながらページをめくる。

この本は「慰安婦問題」で争われている「強制性」の再考を促すために
は、格好の歴史資料である。「パタビア軍事裁判」で、ただひとり死刑判
決をうけた岡田慶治が、その獄中で綴った手記の復刻、正確には昭和17年
以後の分量を活字化したもので、最後に岡田が家族にあてた遺書も収録
されている。

日本軍人としての矜持と、健気な日本男児の生き様が行間から飛び出し
てくる。

そもそも「スマラン慰安所事件」とは何か?

日本が占領したオランド領東インド(いまのインドネシア)でオランド
人女性35人をジャワ島のスマランの慰安所に「強制連行」したうえ、売
春を「強要した」という言いがかりに対して、BC級戦犯11人が有罪と
され、責任者の岡田慶治が銃殺された。つまり岡田はスケープゴーツにさ
れたのだ。

オランド女性を「強制連行」した事実はなく、契約により、ちゃんと金
銭の授受もあって当時の常識で言えば「合法」ビジネスでしかない。「強
要性」はない。

岡田は剛毅の軍人で、大酒飲み、女大好き、しかし部下の面倒見が良
く、そのうえ女性に優しかった。岡田は広島県福山出身であり陸軍士官学
校、少尉に任官し、連隊大隊長としてビルマ作戦に従軍した。

ジャワ幹部候補生教育隊の教官もつとめた。パレンバン、ボルネオ混成旅
団大隊長だった。

本書は岡田がまっすぐに心情を綴った遺書替わりの日記風自伝だが、獄
中で書いただけに迫り来るような感動をともない、また当時の軍隊の生
活、慰安婦への労り、なによりも歴史の真実が滲み出ている。

昭和21年3月に復員するも、22年3月に巣鴨に収監され、ジャワに 移送
後、バタビア軍事裁判で昭和23年に刑場の露と消えた。享年38だった。

バタビアとはいまのジャカルタ、スマランとは、ジャンジャカルタの北
西部に位置する。

ボルネオは北西部が英領、南東部をオランドが領有していた。当時、岡田
が作戦で赴いた「アピー」とは、いまのコタキナバルである。

往時の地図をみると現在の地名との懸隔にも驚かされた。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1713回】      
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(2)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽

若者たちは郊外電車に乗り「獨乙醫工學堂」に向う。「支那人を限り入
學を許すものでその設備等は我同文書院の比ではなく、彼等が極東殊に支
那の經營には如何に高價な犠牲をも厭わぬこと」に改めて衝撃を受ける。
そして教師を目指す高等師範學校生徒らしく、教室よりむしろ「小閑を利
用して海外一歩の地に來つて榮枯盛衰の跡や白人の活動振りを見せたい」
と、実地教育の必要性を訴える。つまり百聞は一見に如かず、ということ
だろう。

また「支那はその昔榮えた東洋の墓場で、某の社も寺も澆季の世とな れ
ば香たく人も空しく、懐疑と死の憐れなる子の信仰は蘆の上に作られた
る四十がらの墓である、槿花一朝の榮を持ちたるが故に再び榮ゆと思ふ勿
れ」と、「白人の跋扈」する上海から「國民の覺醒」を学ぶのであった。

それにしても「支那はその昔榮えた東洋の墓場」とは、じつに正鵠を得た
表現だと思う。

 やがて南京見物を終え、広島高師の生徒たちは上海から北上し大連に
向う。40時間に及んだ船中でのことだ。

 大分出身の「金時計金指輪した好箇の紳士」が「一體日本人の仕事は
やり方を誤つている」と口を開いた。

辛亥革命以来の日本外交の「事なかれ主義」を批判し、「支那人はいくら
助力してやつても有難がる人間ではないんですから」、たとえばフランス
のように「機會を捕へてしつかり利權を擴大しなけりや駄目ですよ」。

「長江沿岸なんかまるで英國のものゝ樣で」あればこそ、日本の「事なか
れ主義の〇〇領事なんか到底御話になりませんなあ」。だが「この種の活
動はまだまだ止みますまい」。「袁政府の基礎漸く成らんとするとき地方
の暴民を使役して亂をする某國」もあるほど。

だから「どれだけ遠慮した ら彼等の御氣に召すのか、亞細亞のモンロー
主義でも唱へなくては駄目で すね」と熱弁を振るい、また「非現実的な
日本の宗?が邦人の活躍を阻止 する最大原因であると罵倒」する姿は、
「切齒悲憤意氣當るべからざるも のがあつた」そうな。

欧米列強が辛亥革命から中華民国建国後の混乱を好機として「國權擴
張」に奔っているにもかかわらず、その列に加わらず独自外交を進める我
が政府を「事なかれ主義」と糾弾し、この際は「遠慮」することなく、我
が国も「國權擴張」に舵を切るべきだという主張のようだ。

おそらく当時、隣国の混乱に同情し一衣帯水やら同文同種やらといった類
のバーチャルなイメージで捉えて「亞細亞のモンロー主義」を唱える人々
がある一方で、「金時計金指輪した好箇の紳士」のように隣国の混乱に乗
じて「至るところの天地で演ぜられつゝある國權擴張」に努めよという勢
力もあったということだろう。

その後の歴史を辿ると我が国の対中政策は「亞細亞のモンロー主義」と
「國權擴張」の2つの考えの間を揺れ動いたまま推移したように思える。
これを言い換えるなら、大局観に立った確固とした政策を打ち出せないま
まに終始したといえる。

やがて一行を乗せた船は、「わが新植民地の一角に位して歐亞交通の 中
心點をなす大連」に到着する。とはいうものの実情は「邦人の經營が歐
米人のそれに比して非常の見劣りがする」のであった。

一行は「滿鐵の好意」で日露戦争の戦跡を訪ねるが、その日は「鴻業萬古
に隱れなき明治大帝の御三年祭」であり、日本人住宅は当然のことながら
「支那町の家々にも殘りなく旭日旗が掲揚せられて」ていた。そこで中国
人が我が国に「忠誠を現し、早くも同胞化しつゝある事」に感激の思いを
綴る。

だが、こういうのをお人好し、という。

「支那町の家々にも殘りなく旭日旗が掲揚せられて」いる程度で、「忠誠
を現し、早くも同胞化しつゝある」などと早合点してはいけないのだ。な
にせ「支那人はいくら助力してやつても有難がる人間ではない」のだか
ら。《QED》
         


2018年04月09日

◆ロシアはオバマ政策の失敗を奇貨として

                  宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月5日(木曜日)参 通巻第5662号 

 ロシアはオバマ政策の失敗を奇貨として、インドネシアに深く食い入った
  米国依存だったインドネシア空軍、いまやロシア戦闘機を大量配備

アジア諸国は、南シナ海へ中国海軍が進出している現実を目の前にして、
さかんにバランス外交を展開している。

典型はフィリピンで、ドゥテルテ大統領はスカボロー礁を盗まれ、漁民が
悲鳴を挙げ、ハーグの國際仲裁裁判所に訴えて全面的に勝訴したにもかか
わらず、その判決を横に置いて俄に中国に近づき、経済的に裨益しようと
する道を選んだ。米国が不快感を示すのも当然だろう。

 スタンス替えの代表例がインドネシアである。

歯車がずれたのは東チモール問題からだった。欧米と豪を加えての合唱
は、東チモールをインドネシアから引きちぎり、独立させることだった。
そのため独立運動の指導者らに唐突に「ノーベル平和賞」を授与し、国際
世論を盛り上げ、インドネシアを孤立させた。

東チモールはポルトガル、オランダが交互に占領して植民地化し、大東亜
戦争中は日本が一時占領した。第2次大戦後、ポルトガルとオランダが植
民地回復の動きを見せたが、インドネシア軍が作戦を敢行し、占領した。

スカルノ時代のインドネシアは容共路線でもあり、反共革命以前、つまり
1950年代、インドネシア軍はソ連の影響下にあって、戦闘機、戦車の多く
はソ連製だった。日本はガスと石油のためにスカルノを厚遇し、第三夫人
となったのは日本人女性だった。

1965年9月30日の「反共クーデター」とも言える政変のあと、スハルト政
権は32年間つづいた。

このスハルト時代、インドネシア空軍は米国一辺倒だった。戦闘機は全て
米国製でパイロットは米国で訓練を受け、アメリカ式の軍事訓練になれて
いた。練度も高く、士気は旺盛だった。

1991年、東チモールで暴動が発生し、当時インドネシア領だったので、軍
が出動して武力鎮圧した。西側メディアはこれを「虐殺」とし、インドネ
シア政府を激しく非難した。このため米国との関係が急激に冷却し、以
後、15年にわたって米国の兵器供与が途絶えた。

この状況をチャンスと捉えたのが、中国であり、ロシアである。

 2005年、メガワティ政権になって米国はようやく軟化し、F16機の供
与を再開したが、そのときまでにロシア製ミグ戦闘機が配備されていた。
米露の戦闘機が共存したのだ。

戦闘機はシステムの整合性が重要であり、兵站、整備、部品調達とストッ
クなど時間との闘い。これが米国システムとロシア・システムの共存とな
ると、空軍の作戦に齟齬が生まれやすい。


 ▲ロシア戦闘機がインドネシア空軍の主力となるのか


しかるに、米国はインドネシアとの関係を円滑化できないうちに中国が南
シナ海を支配し、ベトナムにテコ入れして立て直しを図った。この間に、
するするとロシアがジャカルタとの関係を強化していた。

2018年にロシアはスホイ35を11機、従来のスホイ27,スホイ30の列に加え
て供与することが決まり、合計11億ドルの支払いはインドネシア産パーム
オイル、ゴムなど、つまりバーター貿易での決済となる。決済手段として
はロシアに不利なことは明らかだが、プーチンの狙いは稼ぎではなく、影
響力拡大に置かれている。

スホイはエンジンの耐久年度がF16の半分しかないけれども、インドネシ
アのような広い空域をカバ−するには航続距離の長さ(スホイは1500キ
ロ。米国戦と機の3倍)で優位に立つとされる。

インドネシア海軍、海兵隊はこのほかにロシア製の機関砲、対鑑ミサイル
ならびに地対空ミサイル、潜水艦攻撃用の魚雷などを購入した。

こうした急速なロシア兵器体系化を恐れる米国は、懸念を強めたが、すで
にロシア艦隊がインドネシアの港にも寄港している。バリ島へのロシア人
ツアーは年間7万人に達している。

 インドネシア陸軍は米国製AH64E攻撃ヘリを保有するが、ロシアは
ミルハインド17の飛行小隊ならびにミルハインド35攻撃ヘリを供与す
る。長距離爆撃に加え、インドネシアの北側の島にロシア宇宙船打ち上げ
基地建設の打診も展開中だという(アジアタイムズ、3月31日)。
      
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 日本人はなぜ、一神教を信じなかったのか
  キリスト教の暗部を一条の光りが照らしだした

  ♪
奥山篤信「キリスト教というカルト」(春吉書房)
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副題が「信者になれない、これだけの理由」とあって、なぜこの宗教を信
じられないかをひらたく語る。

信長がキリスト教の宣教師を保護し、布教を認めた背景を理解するには、
当時の政治学的な状況を勘案しなければならない。信長の行く手を阻んだ
のは比叡であり、雑賀であり、しかも寺社勢力は武装していた。

信長自身は法華経を信じていた。比叡の軍事力を殲滅するには新興宗教の
力が必要だったうえ、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も
大きかった。

秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国から
もたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情勢の
ニュースだった。しかし宣教師らを通じて得た情報とはキリスト教の布教
の裏で、日本の美女を拉致し、売春婦として西欧に運んでいることであ
り、また同時に一神教の凶悪な侵略性だった。

切支丹伴天連の大名だった高山右近は、領内の寺社仏閣を破壊する凶暴性
を示し、やがてキリスト教徒が日本を侵略する牙を研いでいることをしっ
て追放に踏み切った。

家康はもともとが浄土宗の信者。一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に
助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心し、同時に
家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を
ウィリアム・アダムスから知る。キリスト教の布教を認めず、しかし貿易
のために英国には平戸を解放し、オランダ人も通商だけに専念するとする
理由で長崎出島の活用を許した。

布教は御法度だったが、天草では反徳川の不満分子が反乱を起こしたた
め、これをようやくにして鎮圧し、以後は「鎖国」として、キリストを封
じ込めたのである。

明治政府は、文明開化を鮮明にしてキリスト教の布教も許さざるを得なく
なったが、同時に防波堤が必要であり、国内のナショナリズムを高めるた
めに日本古来の神道の復活を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がお
きた。

かようにして宗教とは政治とが一体となれば、イランのような狂信的イス
ラム国家を産むように、政治と宗教は切り離すことが近代の政治のテーマ
となった。

本書は、キリスト教を研究するために還暦をすぎてから上智大学神学部に
学び、それでも飽きたらずにパリのカソリック学院に留学し、キリスト教
の原理を見極めようとした著者が、探求のはてに得た結論とは、この宗教
のもつ偽善と欺瞞、その残酷さという暗黒面だった。
            
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1712回】           
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(1)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

                ▽

内藤の『支那論』の刊行と同じ大正3(1914年)の7月19日に広島駅から
広島高等師範学校英語部生徒は大陸修学旅行に出発する。他学部生徒何人
かを加えた一行は、「上海・南京・滿洲・朝鮮の天地を突破すること3千
哩、八月八日、日獨の事漸く急を告げんとするに當りて無事歸校す」。

この『大陸修學旅行記』に「収むる所九篇、引率?官の書簡を除き、他は
悉く生徒の筆に成れるもの」である。

彼ら若者が中華民国建国当初の中国社会の姿をどのように捉えていたの
か。それを内藤などの見解と比較してみると、専門家と当時の国民の一般
的な考え方の違いが浮かび上がってくるようにも思える。

また既に読んだ『滿韓修學旅行記念録』(廣島高等師範學校 非賣品 明
治40年/【知道中国 1599回〜1608回】)と重ね合わせることで、同じ広
島高師生徒の目に映った中国社会の変化を知ることもできそうだ。なお、
後者の出発は8年前に当たる明治39(1906)年。日にちは偶然にも同じ7月
19日であった。

蛇足とは思うが、この8年の間に、我が国は明治から大正へ。一方の中国
では清朝が崩壊し中華民国が建国され、さらに袁世凱打倒の第二革命も瓦
解している。第1次世界大戦は生徒らが広島駅を発って10日ほどが過ぎ、
上海から大連に向う洋上に在った7月28日に勃発している。

この戦争に連合国の一員として参戦した日本は、敵であるドイツが中国に
おいて権益拠点とした山東省(東洋艦隊基地)の攻略を果たす。やがて大
隈内閣による袁世凱政権への21カ条要求に繋がり、日中関係はいよいよ複
雑さを増すことになる。

さて肝腎の生徒による旅行日誌に移るが、先ずは「其の壹」から始めたい。

広島を発った船が下関、門司を経て上海に着いたのが22日午後。上海を前
にした洋上での第一声が、「?濁を流す揚子江の白波は早くから見えそめ
ました、この美しき光景にこの豐かなる?の香に美しき國に、暴虐の手を
以て萬物を傷はんとする支那人は住んでゐるのである」である。「暴虐の
手を以て萬物を傷はんとする支那人」とは、はたして教師を目指した当時
の若者の一般的な認識だったのだろうか。激越な表現は、さらに続く。

「東亞の唯一の強大國である日本の後援を却けて無智傲慢にもこれを悦ば
ぬ、所詮彼が亡ぶべき國であると思はれた賤が伏屋も、宮殿も共に穢はし
いこの國の人は揚子江の濁水にいたまされて人とも思われぬその身姿、浴
せず梳らず、亡國の民はかくこそあるのである、崇高嘆美の自然の中に生
れたる憐れなる奴隷よ、かゝるいぶせき人のためにその麗し光を惜しみ給
はなかつた神こそ慈愛の限りではないか」というのだから、さすがに言い
過ぎではなかろうかとも思うが、これが当時の「東亞の唯一の強大國であ
る日本」の、しかも教師を目指す若者の見方だと、ひとまずは納得してお
きたい。

翌朝、ホテルの窓から街を眺め、「無數の支那人が徃來してゐる、4分
の3は裸體で、股引樣のものを腰につけてゐるばかりである」。

「果てしなく愚鈍にして汚はしい支那人は矢張日本人の比ではないのであ
る、この獨立自主の人にあらぬ、逸居の輩の國、家危くして兵なく、羊飼
は己の腕を以て羊を守らねばならぬ、遠かれ早かれ屬國の苦楚をなめなけ
ればならぬかと思われた」。

そして、「この怠惰なる國民の間を、英獨佛米の四國の人々の經營は着々
歩を状めて、上海の市街は全くこれ等四國の人の勢力範囲圍にあるのだ」
と、上海の第一印象を綴る。

船中で一緒だった「支那人の一留學生」が口にした日本では万事に物価高
だが「『女だけは安價い』と云った恥ずかしい言葉」を思いだし、それが
「上海でも遺憾なく實現せられてゐるそうで笑を賣り、またこれを買う女
を客とは日本人が一番多い」ことを知り、「支那人を放肆呼ばはりも出來
ないと思つた」とは、若者の掛け値なしの第一印象だろう。      
   
         

2018年04月08日

◆ロシアはオバマ政策の失敗を奇貨として

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月5日(木曜日)参 通巻第5662号 

ロシアはオバマ政策の失敗を奇貨として、インドネシアに深く食い入った
  米国依存だったインドネシア空軍、いまやロシア戦闘機を大量配備

アジア諸国は、南シナ海へ中国海軍が進出している現実を目の前にし
て、さかんにバランス外交を展開している。

典型はフィリピンで、ドゥテルテ大統領はスカボロー礁を盗まれ、漁民が
悲鳴を挙げ、ハーグの國際仲裁裁判所に訴えて全面的に勝訴したにもかか
わらず、その判決を横に置いて俄に中国に近づき、経済的に裨益しようと
する道を選んだ。米国が不快感を示すのも当然だろう。

スタンス替えの代表例がインドネシアである。

歯車がずれたのは東チモール問題からだった。欧米と豪を加えての合唱
は、東チモールをインドネシアから引きちぎり、独立させることだった。
そのため独立運動の指導者らに唐突に「ノーベル平和賞」を授与し、国際
世論を盛り上げ、インドネシアを孤立させた。

東チモールはポルトガル、オランダが交互に占領して植民地化し、大東
亜戦争中は日本が一時占領した。第2次大戦後、ポルトガルとオランダが
植民地回復の動きを見せたが、インドネシア軍が作戦を敢行し、占領した。

スカルノ時代のインドネシアは容共路線でもあり、反共革命以前、つま
り1950年代、インドネシア軍はソ連の影響下にあって、戦闘機、戦車
の多くはソ連製だった。日本はガスと石油のためにスカルノを厚遇し、第
三夫人となったのは日本人女性だった。

1965年9月30日の「反共クーデター」とも言える政変のあと、ス ハルト
政権は32年間つづいた。

このスハルト時代、インドネシア空軍は米国一辺倒だった。戦闘機は全て
米国製でパイロットは米国で訓練を受け、アメリカ式の軍事訓練になれて
いた。練度も高く、士気は旺盛だった。

1991年、東チモールで暴動が発生し、当時インドネシア領だったの で、
軍が出動して武力鎮圧した。西側メディアはこれを「虐殺」とし、イ ン
ドネシア政府を激しく非難した。このため米国との関係が急激に冷却
し、以後、15年にわたって米国の兵器供与が途絶えた。

この状況をチャンスと捉えたのが、中国であり、ロシアである。

2005年、メガワティ政権になって米国はようやく軟化し、F16機 の供
与を再開したが、そのときまでにロシア製ミグ戦闘機が配備されてい
た。米露の戦闘機が共存したのだ。

戦闘機はシステムの整合性が重要であり、兵站、整備、部品調達とストッ
クなど時間との闘い。これが米国システムとロシア・システムの共存とな
ると、空軍の作戦に齟齬が生まれやすい。

 ▲ロシア戦闘機がインドネシア空軍の主力となるのか

しかるに、米国はインドネシアとの関係を円滑化できないうちに中国が
南シナ海を支配し、ベトナムにテコ入れして立て直しを図った。この間
に、するするとロシアがジャカルタとの関係を強化していた。

2018 年にロシアはスホイ35 を11機、従来のスホイ27,スホイ 30の列
に加えて供与することが決まり、合計11億ドルの支払いはイン ドネシ
ア産パームオイル、ゴムなど、つまりバーター貿易での決済とな る。決
済手段としてはロシアに不利なことは明らかだが、プーチンの狙い は稼
ぎではなく、影響力拡大に置かれている。

スホイはエンジンの耐久年度がF16の半分しかないけれども、インド
ネシアのような広い空域をカバ−するには航続距離の長さ(スホイは 1500
キロ。米国戦と機の三倍)で優位に立つとされる。

インドネシア海軍、海兵隊はこのほかにロシア製の機関砲、対鑑ミサイ
ルならびに地対空ミサイル、潜水艦攻撃用の魚雷などを購入した。

こうした急速なロシア兵器体系化を恐れる米国は、懸念を強めたが、すで
にロシア艦隊がインドネシアの港にも寄港している。バリ島へのロシア人
ツアーは年間7万人に達している。

インドネシア陸軍は米国製AH64E攻撃ヘリを保有するが、ロシアは
ミルハインド17の飛行小隊ならびにミルハインド35攻撃ヘリを供与す
る。長距離爆撃に加え、インドネシアの北側の島にロシア宇宙船打ち上げ
基地建設の打診も展開中だという(アジアタイムズ、3月31日)。
     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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 日本人はなぜ、一神教を信じなかったのか
  キリスト教の暗部を一条の光りが照らしだした

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奥山篤信「キリスト教というカルト」(春吉書房)
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副題が「信者になれない、これだけの理由」とあって、なぜこの宗教を
信じられないかをひらたく語る。

 信長がキリスト教の宣教師を保護し、布教を認めた背景を理解するに
は、当時の政治学的な状況を勘案しなければならない。信長の行く手を阻
んだのは比叡であり、雑賀であり、しかも寺社勢力は武装していた。
信長自身は法華経を信じていた。比叡の軍事力を殲滅するには新興宗教の
力が必要だったうえ、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も
大きかった。

秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国から
もたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情勢の
ニュースだった。

しかし宣教師らを通じて得た情報とはキリスト教の布教 の裏で、日本の
美女を拉致し、売春婦として西欧に運んでいることであ り、また同時に
一神教の凶悪な侵略性だった。

切支丹伴天連の大名だった 高山右近は、領内の寺社仏閣を破壊する凶暴
性を示し、やがてキリスト教 徒が日本を侵略する牙を研いでいることを
しって追放に踏み切った。

家康はもともとが浄土宗の信者。一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に
助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心し、同時に
家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を
ウィリアム・アダムスから知る。

キリスト教の布教を認めず、しかし貿易 のために英国には平戸を解放
し、オランダ人も通商だけに専念するとする 理由で長崎出島の活用を許
した。布教は御法度だったが、天草では反徳川 の不満分子が反乱を起こ
したため、これをようやくにして鎮圧し、以後は 「鎖国」として、キリ
ストを封じ込めたのである。

明治政府は、文明開化を鮮明にしてキリスト教の布教も許さざるを得なく
なったが、同時に防波堤が必要であり、国内のナショナリズムを高めるた
めに日本古来の神道の復活を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がお
きた。

かようにして宗教とは政治とが一体となれば、イランのような狂信的イス
ラム国家を産むように、政治と宗教は切り離すことが近代の政治のテーマ
となった。

本書は、キリスト教を研究するために還暦をすぎてから上智大学神学部に
学び、それでも飽きたらずにパリのカソリック学院に留学し、キリスト教
の原理を見極めようとした著者が、探求のはてに得た結論とは、この宗教
のもつ偽善と欺瞞、その残酷さという暗黒面だった。
           
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1712回】           
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(1)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

         ▽
 内藤の『支那論』の刊行と同じ大正3(1914年)の7月19日に広島駅か
ら広島高等師範学校英語部生徒は大陸修学旅行に出発する。他学部生徒何
人かを加えた一行は、「上海・南京・滿洲・朝鮮の天地を突破すること3
千哩、8月8日、日獨の事漸く急を告げんとするに當りて無事歸校す」。

この『大陸修學旅行記』に「収むる所9篇、引率?官の書簡を除き、他は
悉く生徒の筆に成れるもの」である。

彼ら若者が中華民国建国当初の中国社会の姿をどのように捉えていた の
か。それを内藤などの見解と比較してみると、専門家と当時の国民の一
般的な考え方の違いが浮かび上がってくるようにも思える。

また既に読んだ『滿韓修學旅行記念録』(廣島高等師範學校 非賣品 明
治40年/【知道中国 1599回〜1608回】)と重ね合わせることで、同じ広
島高師生徒の目に映った中国社会の変化を知ることもできそうだ。なお、
後者の出発は8年前に当たる明治39(1906)年。日にちは偶然にも同じ7月
19日であった。

蛇足とは思うが、この8年の間に、我が国は明治から大正へ。一方の 中
国では清朝が崩壊し中華民国が建国され、さらに袁世凱打倒の第2革命
も瓦解している。第1次世界大戦は生徒らが広島駅を発って10日ほどが過
ぎ、上海から大連に向う洋上に在った7月28日に勃発している。

この戦争に連合国の一員として参戦した日本は、敵であるドイツが中国に
おいて権益拠点とした山東省(東洋艦隊基地)の攻略を果たす。やがて大
隈内閣による袁世凱政権への21カ条要求に繋がり、日中関係はいよいよ複
雑さを増すことになる。


さて肝腎の生徒による旅行日誌に移るが、先ずは「其の壹」から始めたい。

広島を発った船が下関、門司を経て上海に着いたのが22日午後。上海を
前にした洋上での第一声が、「?濁を流す揚子江の白波は早くから見えそ
めました、この美しき光景にこの豐かなる?の香に美しき國に、暴虐の手
を以て萬物を傷はんとする支那人は住んでゐるのである」である。
「暴虐 の手を以て萬物を傷はんとする支那人」とは、はたして教師を目
指した当 時の若者の一般的な認識だったのだろうか。激越な表現は、さ
らに続く。

「東亞の唯一の強大國である日本の後援を却けて無智傲慢にもこれを 悦
ばぬ、所詮彼が亡ぶべき國であると思はれた賤が伏屋も、宮殿も共に穢
はしいこの國の人は揚子江の濁水にいたまされて人とも思われぬその身
姿、浴せず梳らず、亡國の民はかくこそあるのである、崇高嘆美の自然の
中に生れたる憐れなる奴隷よ、かゝるいぶせき人のためにその麗し光を惜
しみ給はなかつた神こそ慈愛の限りではないか」というのだから、さすが
に言い過ぎではなかろうかとも思うが、これが当時の「東亞の唯一の強大
國である日本」の、しかも教師を目指す若者の見方だと、ひとまずは納得
しておきたい。

翌朝、ホテルの窓から街を眺め、「無數の支那人が徃來してゐる、4分の
3は裸體で、股引樣のものを腰につけてゐるばかりである」。

「果てしなく愚鈍にして汚はしい支那人は矢張日本人の比ではないのであ
る、この獨立自主の人にあらぬ、逸居の輩の國、家危くして兵なく、羊飼
は己の腕を以て羊を守らねばならぬ、遠かれ早かれ屬國の苦楚をなめなけ
ればならぬかと思われた」。

そして、「この怠惰なる國民の間を、英獨佛米の4國の人々の經營は着々
歩を状めて、上海の市街は全くこれら4國の人の勢力範囲圍にあるのだ」
と、上海の第一印象を綴る。

船中で一緒だった「支那人の一留學生」が口にした日本では万事に物 価
高だが「『女だけは安價い』と云った恥ずかしい言葉」を思いだし、そ
れが「上海でも遺憾なく實現せられてゐるそうで笑を賣り、またこれを買
う女を客とは日本人が一番多い」ことを知り、「支那人を放肆呼ばはりも
出來ないと思つた」とは、若者の掛け値なしの第一印象だろう。    
     
      
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読
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(読者の声1)下記のような重要論文があります。陣営に影響力の強い貴
誌でも是非紹介して下さい。

 「慰安婦問題に、日本政府が国連で徹底反論。朝日新聞の“捏造”など7
つの論点

【日刊SPA! 「江崎道朗のネットブリーフィング第34回」:2018年4月4日】
https://nikkan-spa.jp/1466361

◆杉田水脈衆院議員が3月28日、国会で画期的な質問

韓国やアメリカにおいて慰安婦像が次々と建立されるなど、外国問題化
している慰安婦問題だが、3月末、大きな進展があった。

もともとこの慰安婦問題は朝日新聞などが大々的に報じたことから韓国
との間で外交問題になり、平成5年8月4日、河野洋平官房長官(当時)が
いわゆる「河野談話」を発表した。この河野談話によって日本政府が朝日
新聞などの報道を追認した形になり、以後、日本の軍や官憲が戦前・戦
中、韓国・朝鮮の女性たちを「強制連行」し、慰安婦にしたと「拡大解
釈」されるようになった。

特に一部の英語メディアが、慰安婦を「性奴隷(sex slave)」と英訳 す
るようになったことから、日本は20万人以上の韓国・朝鮮の女性たちを
「強制連行」し、「性奴隷」にした人権侵害国家という汚名を着せられる
ようになった。

そうした内外の動向に危機感を抱いた多くの学者・ジャーナリストによっ
て、慰安婦問題の「真相」が次々に解明されてきた。こうした研究成果を
踏まえ、近年では、民間人有志が国連などに出かけ、汚名をそそごうとし
ている。

 こうした動きに呼応して安倍政権も平成28年2月16日、スイスのジュ
ネーブで開催された国連女子差別撤廃条約第7回及び第8回政府報告審査に
杉山晋輔外務審議官を派遣し、まとまった「見解」を公表したのだ。
 この見解は果たして日本政府の公式見解なのか。杉田水脈衆議院議員が
平成30年3月28日、衆議院外務委員会において質問したところ、政府(鯰
博行外務省大臣官房参事官)は「この発言は、日本政府の見解を述べたも
の」と答弁したのだ。

この答弁によって25年前の「河野談話」とその後の「解釈」は大きく見
直されることになった。

◆慰安婦問題に関する日本政府、7つの反論

「河野談話」とその「解釈」がどのように見直されるようになったの
か。杉山審議官の「見解」に沿って説明しよう。

第1に、日本政府としては懸命に調べたが、慰安婦の「強制連行」を立 証
する資料は見つかっていない。「強制連行があったとする証拠はない」
が、日本政府の正式な見解なのだ。

《日本政府は、日韓間で慰安婦問題が政治・外交問題化した1990年代初頭
以降、慰安婦問題に関する本格的な事実調査を行ったが、日本政府が発見
した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる「強制連行」を確認できるも
のはなかった。》

第2に、強制連行されたと言われるようになったのは、吉田清治氏の虚 偽
証言を朝日新聞が大々的に報じたことが影響しているが、その吉田証言
が捏造であったことは朝日新聞も認めている。

《「慰安婦が強制連行された」という見方が広く流布された原因は、1983
年、故人になった吉田清治氏が、「私の戦争犯罪」という本の中で、吉田
清治氏自らが、「日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩
りをした」という虚偽の事実を捏造して発表したためである。

この本の内 容は、当時、大手の新聞社の一つである朝日新聞により、事
実であるかの ように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国
際社会にも、大 きな影響を与えた。

しかし、当該書物の内容は、後に、複数の研究者によ り、完全に想像の
産物であったことが既に証明されている。その証拠に朝 日新聞自身も、
2014年8月5日及び6日を含め、その後、9月にも、累次にわ たり記事を掲
載し、事実関係の誤りを認め、正式にこの点につき読者に謝 罪している。》

第3に、慰安婦は20万人と言われているが、その数字は「具体的な裏付 け
のない数字」である。

《また、「20万人」という数字も、具体的裏付けがない数字である。朝日
新聞は、2014年8月5日付けの記事で、「『女子挺身隊』とは戦時下の日本
内地や旧植民地の朝鮮・台湾で、女性を労働力として動員するために組織
された『女子勤労挺身隊』を指す。

(中略)目的は労働力の利用であり、 将兵の性の相手をさせられた慰安
婦とは別だ。」とした上で、「20万人」 との数字の基になったのは、通
常の戦時労働に動員された女子挺身隊と、 ここでいう慰安婦を誤って混
同したことにあると自ら認めている。》

第4に、「性奴隷」という表現は事実に反する。

《「性奴隷」という表現も事実に反するということをもう一度繰り返して
おきたい。書面の回答に添付した[平成28年12月28日の日韓]両外相の共
同発表の文書の中にも、「性奴隷」という言葉は1か所も見つからないの
も事実である。》

第5に、河野談話での「軍の関与」は、軍による強制連行という意味で は
ない。

《ここでいう「当時の軍の関与の下に」というのは、慰安所は当時の軍当
局の要請により設置されたものであること、慰安所の設置、管理及び慰安
婦の移送について日本軍の関与があったこと、慰安婦の募集については、
軍の要請を受けた業者がこれに当たったということは、従来から認めてい
ることである。》
 第6に、以上のような「見解」に基づいて平成28年12月28日、韓国政府
も日韓合意において慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決」されるこ
とを確認している。
《昨年12月28日、ソウルにて日韓外相会談が開催され、日韓外相間で本件
につき妥結に至り、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることが
確認された。同日後刻、日韓首脳電話会談が行われ、両首脳はこの合意に
至ったことを確認し、評価をした。》
 第7に、戦後補償について日本政府は賠償金を支払うなど誠実に対応し
てきており、国際条約などによって個人の請求権も含めすべて解決済みで
ある。
《先の大戦に関わる賠償並びに財産及び請求権の問題について(中略)誠
実に対応をしてきており、これらの条約等の当事国との間では、個人の請
求権の問題を含めて、法的に解決済みというのが、日本政府の一貫した立
場である。》
 25年前に発表された「河野談話」は朝日新聞を始めとするマスコミ、韓
国や中国、一部学者たちによって拡大解釈され、日本は「性奴隷国家」と
いうレッテルを貼られてきたわけだが、「それは間違いだ」と日本政府も
ようやく、まとまった形で反論したのだ。
 「河野談話」撤回まで踏み込まなかったことは不満だが、慰安婦強制連
行説や犠牲者20万人説、性奴隷説を全否定した「杉山審議官見解」こそ
「日本政府の公式見解だ」と大いに活用していきたいものである。
 杉田水脈衆院議員も指摘しているが、外務省はまずこの「見解」をもっ
と目立つように、外務省のホームページで紹介すべきだろう。また、歴史
教科書の記述なども、この「見解」に照らして吟味すべきだ。

◆日本政府がアメリカの慰安婦像裁判に「意見書」

 なお、この慰安婦問題について、これまで外務省や海外の日本大使館は
消極的な対応に終始してきた。
 だが、アメリカ・カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦
像に関する訴訟がアメリカ連邦最高裁判所に上告されたことを受けて、平
成29年2月22日、日本政府は、この裁判についての意見書を提出した。
 この意見書についても「今の政府の正式見解として考えていいのか」
と、杉田水脈衆院議員が質問したところ、鯰外務審議官は「ご指摘の通
り」と答弁している。
 日本政府は、慰安婦問題について外国で裁判になった場合は、それが民
間人による裁判であっても日本政府として意見書を出すなど、積極的に対
応することを明らかにしたのだ。
 日本政府もようやく反日プロバガンダに対し反論するようになったとい
うことだ。長年にわたる民間の地道な活動が日本政府を動かしたと言えよう。
 民意と新たな研究成果を踏まえ、政府が政策・見解を変更する、これこ
そ健全な民主主義のあり方だ。

2018年04月07日

◆中国新国防相の魏鳳和が訪ロ

宮崎 正弘


平成30年(2018ん年)4月5日(木曜日)弐 通巻第5661号 

中国新国防相の魏鳳和が訪ロ 中露国防相会談をこなしていた
  バルト海共同軍事演習につづき、近く南シナ海でも中露合同演習か

「これは新冷戦なのか」と『フォーリン・アフェアーズ』(電子版、3月
27日)が問題の深刻さを指摘している。

4月3日、中国の新国防大臣に就任した魏鳳和は、初の外国訪問にモスク
ワを選んだ。アメリカへの当てつけである。

中国は、英国でのロシア二重スパイへの毒殺事件を端に、ロシア人外交官
がスパイ容疑だとして欧米諸国で150名も国外追放になったことに対し
「ロシア側の抗議はもっともであり、理解できる」と反欧米の立場を取る。

中国のリップサービスを受けて、ロシアは米中貿易摩擦で、米国の農作物
が中国へ輸出できなくなるという見通しのもと、「いつでもロシアの農作
物を中国に輸出する」と言い出した。

ロシアの言い分では、NATOの東欧への「進出」が嘗てのワルシャワ条
約機構加盟国への「侵略」であるとし、ロシアは、「NATOはレッドラ
インを超えた」とする。


穏やかな言い分ではないが、この程度ならまだ言葉の戦争、ところが、ス
パイ容疑で、欧州勢と米国が束になってロシア外交官を大量に国外追放す
るに及んで、言葉の戦争から、熱い戦争の一歩手前まで状況は悪化した。

西側はロシアの軍拡やクリミア併呑、ウクライナ内戦への介入に不快感を
露わにしてきた。とくにオバマ政権末期には「ロシアは軍事大国に復活し
ている」という認識に改め、反ロシア色と強めてきたため、ロシアとの宥
和を図るトランプに対して「ロシアゲート」というフェイク工作を仕掛けた。

この動きに対して、圧倒的得票で大統領三選を果たしたプーチンはロシア
の軍拡の合法性を訴えた。まさにNATO vs ロシアの対決は、予期
せぬ迅速さで険悪化した。

プーチンは「証拠も確定しないのにNATO諸国がロシア人外交官を大量
に追放したこと」を激しく非難した。

4月3日、アンカラへ飛んで式典に参加したプーチンはトルコへの原子力
発電所建設(総工費2兆1000億円)に協力するとし、NATO加盟国であ
るトルコとの親密さを見せつけた。

そればかりか、NATOがもっとも警戒してきたミサイルに関しても、西
側の懸念に挑発するかのように、ロシアはトルコへのS400ミサイル供
与を前倒しにするとした。

 
ソ連の崩壊以後、東側に所属してきた旧ワルシャワ条約加盟国のなかで、
まっさきにバルト三国が、そしてポーランド、チェコ、スロバキア、ハン
ガリーがNATOに加わり、ブルガリア、ルーマニアにはNATOの前線
部隊が配備されるという「逆ドミノ現象」を引き起こす。孤立無援だった
アルバニアは親中派のスタンスをかなぐり捨ててNATOに馳せ参じ、旧
ユーゴスラビアでもセルビア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、マケドニアを
除き、NATOへと急傾斜した。

コソボ独立はロシアと中国が認めていない。しかしNATOはコソボの治
安回復の任についており、相当数が駐留している。事実上のNATO傘下
である(筆者がコソボを取材した折もイタリア兵士がNATO軍として世
界遺産の境界などに駐屯していた)。


 ▲流れは変わっている

このタイミングで米国のトランプ大統領はシリアからの撤退を宣言、つま
り今後のシリア統治はロシアにおまかせ、という立場へ後退した(もっと
もペンタゴンはすぐには撤退しないと言明している)。

 同じ日(4月3日)にバルト3国首脳とトランプ大統領はホワイトハウ
スで会合をもち、バルト3国との共同軍事演習を2018年度内におこなうこ
と、また一億ドル相当の弾薬をバルト3国に供与することなどを決めた。

年初にも米国はバルト3国へ4000名の増派をきめたばかりだった。ロシア
にとって、これほど不愉快な事態はなく、大国の矜持、ロシアの名誉を高
らかに回復するとナショナリズムに訴えてきたプーチンとしては、なにか
しら失地回復の機会を窺ってきた。
 
歴史のアイロニーとは一つの衝動的事件(たとえばソ連崩壊)が起きると
動きが逆へ方向転換し、こんどは、その反動が次のアクションを予期せぬ
方向へ導く。つまり旧東欧諸国が、ロシアの軍事力を恐れるために
NATOへ加わり、そのことを不愉快としたロシアが軍備を拡充し、また
その不安が旧東欧諸国に増大するので、NATOが軍備を強化する。欧米
は、NATOの性格変更が旧東欧諸国にひきづられて起きている経過を軽
視し、徒に反ロシアのスタンスへ舞い戻った。


▲冷戦崩壊から米国の一極支配、そしてまた新冷戦へ

こうした状況をさらに複雑にしたのが米中貿易戦争の開始だった。

中国はロシアに再度の急接近を試みて、国防大臣に就任したばかりの魏鳳
和をモスクワへ送り、中露蜜月のジェスチャーを演じさせた。

魏鳳和は軍人の多い山東省出身で、戦略ミサイル軍司令(旧「第2砲
兵」。軍事委員会直属の組織に改革された)だった。

このため現代のハイテク兵器に明るく、ミサイル開発でも貢献し、第18回
党大会から中央軍事委員会のメンバーとなった。

全人代で国務委員を兼務する。肩書きは上将(大将)。常万全前国防相も
国務委員を兼ねた。言うまでもなく中国における国務委員は閣僚級であ
り、外交畑では、楊潔チと王毅が国務委員。王は外相も兼ねる。

冷戦崩壊から米国の一極支配は短期に終わり、いままた新冷戦へ。この迅
速なる変化の流れにあって、基本的な構造が「欧米+中国 vs 旧ソ
連」から「欧米+旧東欧 vs ロシア+中国」と図式になったことである。
      
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 大東亜戦線は日本の自衛戦争だったことは明らか。だが
  占領ボケと平和のぬるま湯のなかで、日本は大事なことを喪失した

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落合道夫『黒幕はスターリン』(ハート出版)
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大東亜戦争がなぜ敗北に到ったのかを、本書ではスターリンの国際戦略か
ら分析し、日本の自衛戦争であったことを明らかにしている。

支那事変は独ソ戦を控えたスターリンが蒋介石を騙してやらせた対日代理
戦争であり、日米戦争はスターリンがルーズベルトの満洲進出欲を利用し
て、ハルノート原案を提供するなどして対日戦争をそそのかしたものだ。
 こう主張する落合氏は、本書の中で戦後史を、「起承転結」風に論を展
開して4期に分けた。

すなわち、「占領破壊期」、「被害抵抗期」、「冷戦講和期」、そして
「盗まれた独立と今」の四期だ。

日本は主権を破壊された。

「盗まれた独立」とは憲法をはじめ占領体制が居座っていることである。
今後の日本人の対応は民族の生態を支える国家基本政策を回復することで
ある。すなわち、天皇崇敬、先祖崇拝、国民国防、家制度、教育勅語であ
ると主張する。

本書には歴史文献からの豊富な引用がなされており、たとえば、戦後ラバ
ウルで処刑された岸良作軍曹の辞世と遺言が挿入されている。

「白壁(死刑房)の窓に眺むる大空に千切れ白雲北(日本)に流るる」私
としては最善を尽くしてきた心算でおります。何時の日か、裁判の真相が
世の人々に知られることを確信しております。どうか皆さまの減刑を祈り
ます。お世話になりました」

自動車修理工場の責任者は雇用していた印度人のマラリヤ病死を殺人とさ
れて死刑など、貴重な歴史資料の紹介が続いている。

 謀略に弱い日本人、これほど痛めつけられてもまだ自衛力を保持せず、
暴力に対抗できる自前の力がない。スターリンの亡霊による日本解体とい
う策略はいまも残存しているのである。

2018年04月04日

◆人々の信仰と誠意を裏切るのか

宮崎 正弘


平成30年(2018年)3月31日(土曜日)通巻第5653号  

 「人々の信仰と誠意を裏切るのか、バチカンよ」と中国の地下信者ら
 バチカンと中国共産党の手打ちが近い、おそくともイースターまでに

交渉は大詰めにきた、と多くのカソリック関係者がみている。長年対立
してきたバチカンが、中国と外交関係を回復するというのだ。

過去数十年、中国では信仰の自由はなく、宗教活動は抑圧され、教会は
破壊され尽くし、信者は地下へ潜った。表向きあるキリスト教会は、すべ
ての礼拝参加者が記録されているが、他方では、「共産党の指導の下に」
宗教活動をしている偽信者だと、地下のカソリック信者、全世界の信者は
見ている。

中国で地下に潜ったカソリック信者はおよそ1千万人。この人たちは中
国共産党が認めた地区の司祭を認めていない。ところが過去2年、新しい
法王になって以来だが、バチカンは中国が指名した偽司教を追認し、中国
共産党に阿ってきた。

 
深い失望、暗澹たる喪失感が宗教界に広がったのは台湾だけではない。
香港のキリスト教会はほぼ総立ちでフランセスコ法王の親中路線への傾斜
を「裏切り」と捉えている(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、
2018年3月30日)。

バチカンと中国の関係回復はおそらくイースターの前後でしょう、と香港
の教会筋は予測する。そして、そのとき中国大陸の多くのカソリック信者
は、バチカンへの忠誠をやめ、信仰の熱心な司祭、司教は引退し、しずか
に去ることになるでしょうと香港の事情通は悲しみの表情で語ったと同紙
は伝えている。

教会の腐敗を糾弾したのはチェコのフス、そしてドイツのルターだった。
それからヨーロッパにおける宗教改革が開始され、19世紀にはニーチェが
でて、『神は死んだ』と言った。中国のカソリックも、まもなく「神は死
んだ」と言うのかも知れない。
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 B
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 「幕末」とはいったい何時始まって、何時終わったのか?
   歴史作家の冷徹な眼を通して激動の時代を客観的に振り返ると

   ♪
中村彰彦『幕末史 かく流れゆく』(中央公論新社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 幕末の激動期のことは多くの作家が書いた。主流は薩長の勝利史観を基
にしての西?、大久保、木戸という「維新の三傑」が主役だが、ときに脇
役の龍馬、晋作が大活劇を演じた小説もあり、あるいは先駆的役割を果た
した吉田松陰、武市瑞山、あるいは傍流でしかない新撰組やら田中新兵衛
らが主人公の短編小説も花盛りだった。


敗者となった徳川慶喜を持ち上げるhiもいれば、榎本武揚を、勝海舟を
過大評価する向きもあった。しかし個人をあまりに英雄視し、カリスマ扱
いすると、作り話が肥大化して、史実とは大きくかけ離れた噴飯ものの時
代小説に化けたものもあった。


史家はと言えば、明治維新を是としてフランス革命になぞらえる試みや
ら、講座派とか、マルクス主義歴史観で裁断する硬直的な明治維新論も一
時期は流行ったが、いまは顧みられない。

大政奉還、版籍奉還、地租改正、憲法制定、議会開催の決定を単に近代主
義の進歩過程だとイデオロギー的に説く所論も、出版動向をみると少なく
なった。

学閥の従来的解釈を離れて、最近の若い書き手の評価には異色のもの が
でてきた。つまり従来の特定史観による一方的で浅薄な解釈は、執筆者
の出身地、学閥、個人的好みによって多彩であってもまちまちであり、そ
れぞれは薩摩に過剰に肩入れしたり、長州がつねに主役の物語になった
り、司馬遼太郎に到っては龍馬が維新の立役者となった。

感情移入がはげしく、最近は逆に会津史観が登場し、西?をけちょんけ
ちょんにけなす作品から、あるいは皇国史観のイデオロギー色が濃すぎ
て、内訌で自滅した水戸藩の悲劇を物語る作家もある。

ときに史実をハナから無視した乱暴な論法も目立つようだ。

さて本書である。

どの藩にも人物にも肩入れせず、史実は史実として、客観的に通史を描く
と、全体の幕末像がみごとな輪郭を描く。

まさに、題名のように幕末の歴史は「かく流れた」のだ。

資料読みとして知られる中村彰彦氏はデビュー作が佐川官兵衛であり、そ
の後、新撰組もたくさん書いたことでしられるけれども、小説ではたしか
に会津贔屓だが、理論では徹底的に客観的、中立的である。
 
薩摩の暴走と陰謀、長州の短慮、冒険心、水戸の思想偏重などをさらりと
片付け、本書はその折々の事件を、その歴史的な意味を再評価し、大事件
と脇役とをみごとに振り分け、歴史の深淵をのぞかせてくれる。

立項目は多彩だが、その叙述はきれいに時系列となっており、歴史作家の
多くが見落としがちだった節目節目の人事交代、事件処理、欧米列強の動
きと要人のクライマックスにおける発言などのなかから「歴史を動かした
要素」を基軸に措えなおしてみせた。

 従来ありがちな「勤王」「佐幕」とか、『開国』か『攘夷』かという二
元論ではなく、すべてが政局の流動かとともに輻湊したのだ。

そして著者はいうのだ。

「幕末」というのなら「幕初」と「幕央」はなぜないのか。幕末は明治政
府の発足でおわるというのが通説だが、ではいつから始まったのか。

著者は幕政の衰えが顕著となった「天保12年の幕府命令撤回」という「事
件」から幕府の衰退が始まり、つまりは『幕末』がこのとき開始され「西
南戦争」の決着をみて、終わったという史観を披露する。

 ひさしぶりに「読書をした」という感想である。

2018年04月02日

◆人々の信仰と誠意を裏切るのか

宮崎 正弘


平成30年(2018年)3月31日(土曜日)通巻第5653号  

 「人々の信仰と誠意を裏切るのか、バチカンよ」と中国の地下信者ら
   バチカンと中国共産党の手打ちが近い、おそくともイースターまでに

 交渉は大詰めにきた、と多くのカソリック関係者がみている。長年対立
してきたバチカンが、中国と外交関係を回復するというのだ。

過去数十年、中国では信仰の自由はなく、宗教活動は抑圧され、教会は
破壊され尽くし、信者は地下へ潜った。表向きあるキリスト教会は、すべ
ての礼拝参加者が記録されているが、他方では、「共産党の指導の下に」
宗教活動をしている偽信者だと、地下のカソリック信者、全世界の信者は
見ている。

中国で地下に潜ったカソリック信者はおよそ1千万人。この人たちは中
国共産党が認めた地区の司祭を認めていない。ところが過去2年、新しい
法王になって以来だが、バチカンは中国が指名した偽司教を追認し、中国
共産党に阿ってきた。

 
深い失望、暗澹たる喪失感が宗教界に広がったのは台湾だけではない。
香港のキリスト教会はほぼ総立ちでフランセスコ法王の親中路線への傾斜
を「裏切り」と捉えている(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、
2018年3月30日)。

バチカンと中国の関係回復はおそらくイースターの前後でしょう、と香港
の教会筋は予測する。そして、そのとき中国大陸の多くのカソリック信者
は、バチカンへの忠誠をやめ、信仰の熱心な司祭、司教は引退し、しずか
に去ることになるでしょうと香港の事情通は悲しみの表情で語ったと同紙
は伝えている。

教会の腐敗を糾弾したのはチェコのフス、そしてドイツのルターだった。
それからヨーロッパにおける宗教改革が開始され、19世紀にはニーチェが
でて、『神は死んだ』と言った。中国のカソリックも、まもなく「神は死
んだ」と言うのかも知れない。
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 B
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 「幕末」とはいったい何時始まって、何時終わったのか?
   歴史作家の冷徹な眼を通して激動の時代を客観的に振り返ると

   ♪
中村彰彦『幕末史 かく流れゆく』(中央公論新社)
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 幕末の激動期のことは多くの作家が書いた。主流は薩長の勝利史観を基
にしての西?、大久保、木戸という「維新の三傑」が主役だが、ときに脇
役の龍馬、晋作が大活劇を演じた小説もあり、あるいは先駆的役割を果た
した吉田松陰、武市瑞山、あるいは傍流でしかない新撰組やら田中新兵衛
らが主人公の短編小説も花盛りだった。


敗者となった徳川慶喜を持ち上げるひともいれば、榎本武揚を、勝海舟を
過大評価する向きもあった。しかし個人をあまりに英雄視し、カリスマ扱
いすると、作り話が肥大化して、史実とは大きくかけ離れた噴飯ものの時
代小説に化けたものもあった。


史家はと言えば、明治維新を是としてフランス革命になぞらえる試みや
ら、講座派とか、マルクス主義歴史観で裁断する硬直的な明治維新論も一
時期は流行ったが、いまは顧みられない。

大政奉還、版籍奉還、地租改正、憲法制定、議会開催の決定を単に近代主
義の進歩過程だとイデオロギー的に説く所論も、出版動向をみると少なく
なった。

学閥の従来的解釈を離れて、最近の若い書き手の評価には異色のもの が
でてきた。つまり従来の特定史観による一方的で浅薄な解釈は、執筆者
の出身地、学閥、個人的好みによって多彩であってもまちまちであり、そ
れぞれは薩摩に過剰に肩入れしたり、長州がつねに主役の物語になった
り、司馬遼太郎に到っては龍馬が維新の立役者となった。

感情移入がはげしく、最近は逆に会津史観が登場し、西?をけちょんけ
ちょんにけなす作品から、あるいは皇国史観のイデオロギー色が濃すぎ
て、内訌で自滅した水戸藩の悲劇を物語る作家もある。

ときに史実をハナから無視した乱暴な論法も目立つようだ。

さて本書である。

どの藩にも人物にも肩入れせず、史実は史実として、客観的に通史を描く
と、全体の幕末像がみごとな輪郭を描く。

まさに、題名のように幕末の歴史は「かく流れた」のだ。

資料読みとして知られる中村彰彦氏はデビュー作が佐川官兵衛であり、そ
の後、新撰組もたくさん書いたことでしられるけれども、小説ではたしか
に会津贔屓だが、理論では徹底的に客観的、中立的である。
 
薩摩の暴走と陰謀、長州の短慮、冒険心、水戸の思想偏重などをさらりと
片付け、本書はその折々の事件を、その歴史的な意味を再評価し、大事件
と脇役とをみごとに振り分け、歴史の深淵をのぞかせてくれる。

立項目は多彩だが、その叙述はきれいに時系列となっており、歴史作家の
多くが見落としがちだった節目節目の人事交代、事件処理、欧米列強の動
きと要人のクライマックスにおける発言などのなかから「歴史を動かした
要素」を基軸に措えなおしてみせた。

 従来ありがちな「勤王」「佐幕」とか、『開国』か『攘夷』かという二
元論ではなく、すべてが政局の流動かとともに輻湊したのだ。

そして著者はいうのだ。
「幕末」というのなら「幕初」と「幕央」はなぜないのか。幕末は明治政
府の発足でおわるというのが通説だが、ではいつから始まったのか。

著者は幕政の衰えが顕著となった「天保12年の幕府命令撤回」という「事
件」から幕府の衰退が始まり、つまりは『幕末』がこのとき開始され「西
南戦争」の決着をみて、終わったという史観を披露する。

 ひさしぶりに「読書をした」という感想である。

     

2018年04月01日

◆中朝首脳会談の成果とは

宮崎 正弘


平成30年(2018年)3月30日(金曜日)弐 通巻第5652号  

 中朝首脳会談の成果とは果たして何があったのか?
  中国にとっては「テーブルのイスを確保したに過ぎない」

習近平はカメラの前では大人の顔だった。いや宗主国としては、そう振る
舞わざるを得ないだろう。しかし金正恩から何を得たか?

「非核化」というレトリックはあったが、時期も条件もなにも明示されず
に「段階的に同時並行的に」という条件が金正恩から示されたが、煎じ詰
めれば何もしないという過去のパターンを別の表現でしているだけで、日
米の要求する「完全な、不可逆的な」要件を一つも満たしていない。

しかし、金正恩を北京に呼んだことは、中国がテレビ演出を通じて、米国
にメッセージを送ったのである。

「中国を抜きにことを進めることは出来ませんぞ」と。
 
「中国はテーブルのイスを確保したに過ぎない」と米国の『ナショナル・
インタレスト』(3月29日号、電子版。オリアナ・スカイラー・マストロ
女史)は書いた。マストロ女史はジョージ・タウン大学準教授。かねてか
ら米国の北朝鮮攻撃はあり得るだろうし、あるいは米国と中国が共同で軍
事行動にでると予想してきた。


事実、北朝鮮の核実験ならびにミサイル実験のたびに中国海軍は渤海湾と
黄海で軍事演習ならびにミサイル迎撃ミサイル実験を大規模に行っている。

いったん事態が危機となれば、中国軍は出動するというメッセージを北朝
鮮に伝えるためである。中国はチャイナ・ロビィだった張成沢を粛清し、
中国が保護した金正男を毒殺し、しかも習近平の晴れ舞台だった北京
APECと、一帯一路國際フォーラムの朝に、これみよがしの核実験、ミ
サイル実験をやって習の顔に泥を塗ったロケットマンを心から許している
とはとても考えられないだろう。


金正恩は博打に出た。トランプがそれに応じた。だから北京は焦ったの
だ。舞台はがらりと場面を変えたのだ。

南北朝鮮の首脳会談(板門店)に関してはソウルから北京に挨拶があっ
た。米朝会談はトランプの思いつきとは思えず、事前の入念な準備工作の
上になされたと習近平は読んだ。しかにトランプが外交素人とはいえ、周
囲には専門家がいる。

長い列車を仕立てて北京にやってきた金正恩に破格の待遇をなしてもてな
したが、土産は与えなかった。

中国は経済制裁の手綱を緩めず、制裁緩和の言質も与えず、しかし説明に
緊張してやってきた金正恩を「呼びつけた」かたちにして厚遇してみせる
必要があった。
政治演出として最重要課題であり、ネットに溢れた「金三代の豚がきた」
という文言は一斉に削除された(それまで金正恩の批判は意外に自由だっ
た)。

 筆者は、こうした分析にもう一つ、習近平が意図したのは、米朝会談で
のトランプの準備しているシナリオに、横合いからの警告をなした意味が
あると考える。米国もまた、この状況では米朝首脳会談を再考せざるをえ
なくなった。

習近平を金正恩の首脳会談という演出は、中国にとっては対米メッセージ
が多分に大きな要素であり、同時に横から介入してきそうなプーチンへの
牽制球でもある。なにしろ会談に臨んだのは王こ寧、楊潔ち、王毅と習の
外交ブレーンが勢揃いだった。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1711回】             
――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(18)
  内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

               △

 これまでは袁世凱陣営、つまり「北方が成功したと仮定」しての議論だ
が、かりに南方の革命党(=反袁世凱勢力)が勝利したとしても、「とに
かく新しい国家を組織して、それを成り立てて維持して行くというには、
第一にはそれを遂行するだけの人物を要するわけである」。

じつは革命党陣営にも「色々な人物がおるのであるが、日本(維新政府)
のごとく支那の国を負担して、そうして大改革を遂行すべき人物」は見当
たりそうにない。そのことが、じつは革命党の最大の欠陥だと指摘する。

ここで内藤は議論を外圧に転じた。

清末以降、辛亥革命から第二革命期まで外圧は一層激しくなっているか
ら、外圧によって局面が転換する可能性は高い。そうなった場合、「支那
の前途というものは、いよいよ以て危険を感ずるわけである」。

にもかかわらず「革命党の立て者になっておる人間」にも多くは期待でき
そうにない。であればこそ、「いよいよ以て危険」となる。

袁世凱陣営にせよ革命党にせよ外圧に対処できるほどの人物が見当たら
ないうえに、双方に外交交渉を担いうる人材がいそうにない。「袁世凱の
現在の政府でも常にこの外交に対して清朝の末路よりかも遥かに軟弱に傾
いておる。蒙古の問題についてロシアに譲るとか、また西蔵問題について
もイギリスに譲らなければならぬようになるとか」を考えると、ますます
軟弱に傾くと予想せざるを得ない。

これを日本に置き換えると満州問題の取り扱い、ということになる。「日
本の対支那行動について何か容易ならぬ野心があるような議論を出す者が
ある」が、「これについては日本の立場として日本の態度、意見を表明し
なければならず、支那としても対日の態度という者を自覚しなければなら
ぬ」。

「日本は自分の利益上やむを得ず支那を保全しなければならぬというもの
ではない」。やはり日本、ロシア、イギリスの3国は「自分のやむを得ざ
る立場というものでなくして、つまり自分の権利としてこれ(保全論)を
発言することが出来るのである」。

「色々な関係から自分の権利として支那の保全を主張しておる」ことを諸
外国のみならず、「また支那人にもその意味を呑み込ませ、日本人も自ら
その意味を明確に自覚する必要がある」。

かくして内藤は「今後ともしばしば局面の転換を経て、その度ごとに何
らかの損害をその交際しておる国が蒙るということがあっては、その自分
の立場というものを十分に自覚する必要が確かにあるのであって、殊に外
交の局に当る者などは、その意味で支那に臨まないと大なる謬見に陥り、
また大なる自分の不利益をも来すのであると思う」と結ぶ。

変革期や混乱期のみならず安定期であればなおさらのこと、どのような
姿勢で隣国に向い合い、どのようにして自国の国益を最大限に確保するのか。

内藤の指摘は正鵠を得ていると思う。

彼の主張がそのような形で国政に反映され、輿論を裨益し、国論を動かす
ことはあったのか。それを明らかにするには詳細な検証が必要だが、改め
て「今の日本政府には、こういう考えのありそうにも思われない。それで
日本では、朝野ともに支那の政争を野次馬的に眺めて、わいわいと騒ぎま
わるものの、自分の国でも、そのために政府と民間と互いに理窟を言い合
うて、自分の国で大いになすべきことのあることを遺却しておるかと思
う」(「支那現勢論」)の一節が気になる。

どうやら当時も「こういう考え」、つまり大局観はみられなかったという
ことだろう。

次に『支那論』の本論に移りたいが、小休止して内藤が深刻な議論を展
開していた頃に現地を歩いた人々の旅行記を読んでおきたい。

それというのも彼らと内藤の考えの違いに、以後の日本が辿る対中政策の
紆余曲折の萌芽が見つかるかもしれないからである。《QED》

2018年03月31日

◆慰安婦像を韓国のキャンペーン・レベルを超えて

宮崎 正弘


平成30年(2018年)3月27日(火曜日)弐 通巻第5647号 

慰安婦像を韓国のキャンペーン・レベルを超えて
  中国が情報戦の効果的武器として活用、「超限戦」の道具に

先月、マニラの幹線道路ロハス・ブルーバードの海岸沿いの遊歩道に、突
如建立された「慰安婦像」を撮影してきた。付近の散歩者や釣り人は誰一
人、その像が何を意味するかを知らなかった。

フィリピンは米軍によって四十万人が虐殺され、さらには韓国人がフィリ
ピン女性を騙して生ませた子供を放置し、大きな社会問題となっている。
 
そのフィリピンとほとんど関係のない「慰安婦像」を建てたのは華人グ
ループだが、かれらが北京とつながって国際的規模で謀略を展開している
と、アジアタイムズ(3月24日)に鋭い分析を寄稿したのはジェイソン・
モーガン麗澤大学準教授である。

モーガン準教授は早稲田大学に留学、日本史で博士号を持つ学究だが、次
の分析を続ける。

「中国の情報戦略の一環として、韓国がはじめた慰安婦像キャンペーン
を、韓国の思惑を超えて中国が国際的に展開する謀略に着手した。

韓国の動機は短絡的な『反日』で国民を糾合する手段でしかないが、中国
はこれを在外華僑の政治集団に指令し、カナダで、米国で反日キャンペー
ンを展開し、従来の国連での反日工作や東南アジアでの反日キャンペーン
から、さらに北米、とりわけリベラルの多い西海岸、反意地メディアが集
中する被害海岸で、南京問題の展示やら慰安婦問題でのキャンペーンを急
増させた」という。

目的は明らかである。

「中国がアメリカで慰安婦キャンペーンを展開するのは日米離間が戦略的
目的である」。

そうした背景を軽視して、徒らに、或いは感情的に中国を批判しても始ま
らない。謀略には謀略をもって対応するという戦略性が日本に求められて
いるのではないか。
      

2018年03月30日

◆米中貿易戦争勃発、日本円が上昇、豪ドルは下落

宮崎 正弘


平成30年(2018年)3月28日(水曜日)通巻第5648号 

 米中貿易戦争勃発、日本円が上昇、豪ドルは下落
  低金利の通貨が、なぜ高くなるかの不思議なメカニズム

トランプ政権が鉄鋼に制裁関税を課すと発表したとき、なぜか主敵の中国
より、世界で一番下落した株式市場は日本だった。
<?>。

なぜなら米国へ輸出されている高級鋼板、自動車鋼板は中国では作れな
い。日本製である。

約1500品目の中国製品に最大600億ドルの知的財産権の損害を回収するた
めの報復関税を米国は用意したとするや、上海株式は激しく下落した。米
中貿易戦争が本格化すれば、通貨で影響が出るのは日本円と豪ドルだろ
う、と市場関係者は見ている。

為替相場は、通常の場合、金利と経常収支で決まるが、政治相場となる
と、経済原則と激しく乖離した、不思議な為替レートに変化する。そもそ
も金利が世界一低い日本の通貨が買われる筋合いはないが、経済が世界的
規模でリスクに遭遇すると、金利状況を無視して、もっとも安全な通貨に
逃げ込む。

今回も世界の投機集団は、日本に照準を当てて、日本円への投機を行った
フシが濃厚にある。

他方、石炭と鉄鉱石を中国に輸出して潤ってきたオーストラリアは、全輸
出の30%が、じつは中国向けであり、この方面での暗転が予測されるた
め、豪ドルが売られ続けている。

豪ドル相場は過去一年で1豪ドル90・27円から80・46円へ、逆に日本円は
1ドル=118・54円から104・64円に(27日午後3時比較)
 この面妖な為替相場はしばし継続されるだろう。

       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1710回】              
――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(17)
  内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

               △

財政基盤が脆弱である以上、反対勢力との戦いに勝ったとしても、統一
した中華民国の安定的経営は無理である。加えて袁世凱が中華民国を担い
うる人物かどうかも疑わしい。

「一体袁世凱という人物を日本の当局も買い被っておるという評判が専
らであるが、これは日本のみならず、列国とも大分買い被っておる傾きが
あると思う」とする内藤は、清末を代表する指導者の李鴻章を取り上げ袁
世凱と比較しながら、「西洋文明採用の仕方は」李鴻章の方が「一段と組
織立っておるように見える」ものの、「文明の意義というものを十分に呑
み込まずに、やはり有形上の利器を採用しさえすればよろしいと思う点に
おいては、やはり同一ではないかと思われる」。

だが袁世凱には李鴻章の持つ「誠実さ」も「度胸」もない。「何でも外見
を都合よく見せ掛けることだけに骨折って、そうして根柢の仕事というも
のは、一向にこれをする積りがない」というから、袁世凱という人物は一
国の、しかも建国直後の混乱する国家を纏める統領としては相応しくない
ということだろう。

 話を先に進める前に考えさせられるのが、「文明の意義というものを
十分に呑み込まずに、やはり有形上の利器を採用しさえすればよろしいと
思う点」という指摘だ。これをいいかえるなら「有形上の利器」(=ハー
ド)は「文明」(=ソフト)という培養土によって育ち創造されるという
意識を、袁世凱も李鴻章も持ち合わせてはいなかったことになる。

これを改革・開放政策に踏み切った1978年末を挟んだ時期の共産党政 権
首脳の動きに合わせると、不思議と重なってしまう。ともかくも彼らは
日本や欧米の最新技術を求めた。


 訪日したと小平にしてから、当時世界最新の新日鉄君津工場の導入を
熱望したのだ。ここで我が明治殖産興業時代を思い出してもらいたい。当
時の明治政府指導者は超破格好条件で『お雇い外人』を招聘し、とにもか
くにも文明の培養土作りに励んだ。
時代に差はあれ、「有形上の利器」と「文明」の関係を考える時、彼我の
指導者の違いに改めて注目したいと同時に、我が先人の先見性に深い敬意
を表したい。

 内藤に戻るが、清朝を倒して中華民国という共和制の新国家が誕生し
たが、それは名義上に過ぎない。
中華民国の政権を維持しているのは袁世凱を筆頭に清朝政権中枢であり、
「それがために支那数千年来の積弊を掃除することはとうてい出来な
い」。その典型が「政治上の事すべてが尾大掉わざる形に陥って、どこに
も責任を持つ人間がなく、それから官吏になると、一種の貴族生活をなし
て、非常の収入を得るということ、あらゆる官吏の無能にしてそうして私
を営む」のである。この「私を営む」ことを取り除くことが困難至極なのだ。

 「とにかく一口で云えば官場の習気というものを一洗しなければ、い
かなる政体であっても、いかなる政府であっても決して完全に支那を統一
するということは出来ぬのである」と内藤は説く。蓋し名言というべきだ
ろう。この内藤の明言を『拳々服膺』するゆえに、習近平は長期独裁に突
き進み、「私を営む」輩を退治しようとでもいうのだろうか。

 時代が前後して申し訳ないが、いわば「政治上の事すべてが・・・そ
うして私を営む」式の政治を率先してきた「清朝の政権を受け継いだ姿に
ある袁世凱をして、その弊害の掃除に任ぜしむるということが、とうてい
出来得べからざる」ということだ。これをいいかえるなら、旧体制の禄を
はみ、「私を営む」を率先垂範してきた人物による軍事的勝利によって
「威力上の統一が行われても、結局根本の改革というものは」出来そうに
なく、「これが出来なければ共和国になっても、結局支那というものがま
すます衰減に向って行くより外ない」ということになる。

 やはり「根本の改革」は「官場の習気というものを一洗」するに尽き
る。昔も今も。《QED》