2020年04月20日

◆和の国」を守るために戦う

(文責 伊勢雅臣)



■1.「“根っこ”が育む自由と人権 編」をお話ししました

 インターネットでライブ配信した「国際派日本人養成講座 LIVE」第2回「“根っこ”が育む自由と人権
編」は、4月12日、900人以上のご参加を得て、番組中、および、放送後に、たくさんのコメントやご質問をいただきました。重要なご意見やご質問をいただいたので、ここで補足させていただきます。まず、当日のお話しの構成は以下でした。

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1.はじめに 〜 中国における自由と人権
 武漢ウイルスに関して、最初にSNSで警告を発して、武漢市当局から罰せられた李文亮医師の事例から、自由と人権のない社会の実態を見る。

2.縄文時代に生まれた和の国の「根っこ」
 戦争もなく、全国の村落が平和な交易を行っていた縄文時代から、「和の国」の根っこは育った。

3.「和の国」が育てた理想
 民を「大御宝」と呼び、その安寧を目指した神武天皇の建国宣言から、聖徳太子の17条憲法、明治天皇の「処を得る」のお言葉へと、理想は深まっていった。

4.人種差別・植民地主義との戦い
 幕末に日本が乗り出した国際社会には、人種瀬別と植民地主義が渦巻いていた。その中で、ユダヤ難民救援、インドネシア独立支援など日本は苦闘を続けた。

5.おわりに 〜 和の国の生き方
 中国共産党政権によるウイグル人弾圧など、世界にはまだまだ抑圧されている民族がある。その中で日本人としてどう生きるのか?
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■2.国籍とは共同体の一員としてやっていく意志を示すもの

 まず「和の国」という言葉に関して、重要な質問をいただいた。

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 今でも日本で生まれた韓国の友人は選挙権がないようです。が、権利を有しないようにしているのは、他民族を受け入れないと同様に思えます。
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 まず、国籍とは、どの国を自ら所属する共同体とするかの意思表示であり、選挙権とは自分の所属する共同体の舵取りを左右する権利です。従って、日本国籍を持たない、すなわち外国に忠誠を誓っている人に、日本の国政を左右されたら困るので、他国籍者に選挙権を与えないのは国際常識となっています。

 韓国の友人が選挙権を持てないのは、日本国が受け入れないのではなく、本人が日本国籍を申請して、日本国の一員としてやっていきたいという意向を示さないからです。実際、毎年、6〜7千人の在日韓国人・朝鮮人が日本国籍をとっていますから「他民族を受け入れない」国ではありません。

 昨年のラグビー・ワールドカップでも、日本代表チーム31人中、半分強の16人が外国生まれでしたが、そのうち9人が日本国籍をとっています。残りの7人は国籍こそ取得していませんが、一度、日本代表としてプレーすると、他国(それが母国であっても)の代表となることはできません[a]。彼らはそれだけの覚悟を持って、日本のためにプレーしてくれているのです。

 また最近亡くなったC・W・ニコルさんも20年以上前に日本国籍を取得して、長年かけて、長野の森を守ってくれました[b]。

 我々の多くは、ふだん国籍など意識せずに暮らしていますが、こういう人々は我々以上に、日本という共同体に尽くそうという覚悟を見せてくれています。これが国籍の本当の意義です。


■3.互いに違うからこそ「和」が生まれる

 ついで、近隣諸国との関係について、次のようなご質問をいただきました。

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 伊勢先生は中国共産党:習近平に対しても和の心をもって対することができますか?
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 一番仲良くすべき隣国の中国と韓国が揃って反日であるのは困ったものです。考えが凝り固まっている人とは距離を置くべきとの話でしたが、付き合い方を変えないといけないのでしょうね。
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「和」の本質に関するご質問です。最も単純明快な答えは、『論語』にある「和して同ぜず」です。自分の考えも主体性もなくして他者に迎合することは、「同ずる」ことであっても「和する」ことではありません。

「和」とは英語で言えば「ハーモニー」です。女性のソプラノと男性のバリトンが、それぞれ別の音程で歌うことで「ハーモニー」が生まれます。違うからこそ「和音」が生まれるのです。女性のソプラノが、無理にバリトンと同じ音程で歌っても「ハーモニー」にはなりません。

 国際社会でも同様で、日本人らしい日本人と、アメリカ人らしいアメリカ人が協力することで、互いの長所を発揮した優れたチームプレーが生まれます。日本人が自分を失って、二流のアメリカ人になっては、そういうチームプレーはできません。


■4.「和の国」を守るために戦う

 しかし、「和」が成り立つためには、ソプラノとバリトンが一緒にハーモニーを作ろうという姿勢を持っている事がが大前提です。相手より自分の方が目立とう、などという気持ちがあったら、到底、無理ですよね。この点は17条憲法第一条で、

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上和(やわ)らぎ、下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則(つなわ)ち事理(じり)自ずから通ふ。何事か成らざらむ。
(上のものが和かな心で接し、下のものも打ちとけて事を話し合えば、自然に道理にかなって解決ができる。何事も解決できる)
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 と述べています。上司−部下などの上下関係はあっても、相互に内的な平等感をもって、心を開いて和やかに事を論ずることで道理が通う、というのです。ですから、相手を支配下に置こう、とか、自分のために利用しよう、などという相手とは「和」は作れません。そういう態度の人や国とは距離を置くしかありません。

 さらに、現在の中国共産党政権はウイグル人を100万人規模で収容所に入れたり、武漢ウイルスを隠蔽して中国国民すら危険に晒(さら)して、何の反省もありません。こうした行為を見逃して「同ずる」ことは、人間を「大御宝」とする「和の国」の理想を自らないがしろにする事です。

 我が国が「和の国」であるためには、それを壊そうとする国や人々とは戦う必要があります。以下のお便りでは、この考え方への賛同を戴きました。

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 他者と自分とは意見が違って当然ということを認めた上で、正しいと思うことを主張できる勇気や能力を育てていくことの大切さを学ばせて頂きました!
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 日本が一貫して「和を以て貴しとなす」を信念を持って実行してしてきたことがよくわかります。しかし仲良くするために他者に迎合するのではなく、その信念のもとに主張すべきは主張し、国民として恥ずかしくないよう振る舞っていたことに感動を覚えます。
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 ただ、中国共産党政権と一般の中国人とは分けて考えなければなりません。

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 中国共産党には抗議しても、日本のコンビニで働く中国人には優しくしなさいという発想にはびっくりしました。習近平のやることをみているとついつい中国人を嫌いになってしまいますが、そうであってはいけませんね。
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 日本で学び働く中国人の多くは、中国共産党政権の犠牲者であり、かつ、日本で「和の国」ぶりを学んで、将来、かの国の正常化に役立ててくれたら、という思いからです。そういう中国人が一人でも増えることで、我が国もそれだけ安全になります。


■5.「日本に対する感謝の言葉を投げられ」

 我々の先人たちは、人種差別と植民地主義の荒海を生き抜いてきただけに、他国の人々が悲惨な目にあっている事に対して、我々よりもはるかに強い同情心を持っていました。その一例としてお話ししたのが、インドネシア独立支援でした。お見せした当時のビデオから、いかに彼の地の人々が日本軍を歓迎したかが、窺えました。

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 現在のインドネシア人も戦時中のこの歴史を知っていますか?教育されていますか?
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 というご質問をいただきましたが、次の具体的なコメントが、素晴らしい回答になっています。

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 長年、インドネシアを始めとして途上国の開発に従事してきました。インドネシア向けの戦後賠償の最後の事案に従事して、調査でスマトラの奥地に入っていましたが、どこでも住民の協力が得られ、日本に対する感謝の言葉を投げられ、次のODAに引き継がれ、今でも日本との関係は良好な状態であることの理由が良く分かりました。
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■6.「ともに協力して繁栄することを願う」

 アジアの独立支援に関して、次のご質問もいただきました。

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 大東亜戦争、アジア独立の大義名分の裏はなんでしょうか?
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 戦争目的としては、開戦の詔書に次の一節があります。

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帝国は今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起つて一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外なきなり。
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 インドネシアに進攻した直接の原因は、アメリカやオランダが石油禁輸を行ったからです。日本としては石油が入らなければ、座して死を待つしかなくなるわけで、まずは戦争目的として「自存自衛」がここで宣言されています。「裏」読みせずとも「表」にこう書いてあります。

 さらに開戦の詔書と同日に発せられた「帝国政府声明」にはアジア諸民族への呼びかけが記されています。現代語訳で引用します。

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 今回帝国は東南アジア地域に武力進攻せざるを得なくなったが、それは決して東南アジア住民に対して敵意を持つからではない。
ただ、米英から東南アジア住民に対し加えられてきた暴政を排除し、東南アジアを白人によつて植民地化される前の、明白なる本来在るべき姿へ戻し、ともに協力して繁栄することを願うからである。大日本帝国は東南アジアの住民たちがこの戦争目的を了解し、東亜に新たなる政治経済体制の構築を目差し共に行動することを疑わない。[安濃、p36]
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「ともに協力して繁栄することを願う」とは、まさしく「和」の精神です。「和」の理想から言えば、欧米諸国がアジア諸民族を隷従させている姿は、見過ごすことのできないものでした。

 そして米国の敵視と圧力の下、もはやアジアで日本だけが自由と独立を享受するわけに行かなくなりました。日本がアジア諸民族とともに隷従の地位に貶められるか、立ち上がってアジア諸民族とともに自由と独立を求めるしか道はなかったのです。日本の自存自衛と、アジア独立とは表裏一体のものでした。


■7.「日本人がやってきたことを事実として淡々と知る」

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 中国も英国とアヘン戦争までしてアヘンによる植民地化されていたのをはじめとして、フランスとベトナム、イギリスとミャンマー、マレーシア、スリランカ。どこでも日本が欧州列国を追い出したことによって独立を獲得できたことが、一般国民に歴史の事実としてなぜ教えられないのか不思議です。
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 日本がアジアを侵略したというのは、アメリカが自己を正当化するために発明し、かつ中国共産党政権などが自らの正統性を訴えるために利用してきた「歴史理論」です。同じ理論のレベルで反論することも大切ですが、「理論」だけでは我々の心底からのエネルギーにはなりません。先人たちの実際の足跡を辿って、我々自身の「根っこ」を感じとることで、心底からの力が得られます。

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「日本人としてのアイデンティティとは…」「日本人としての誇りが…」などと難しく考えるより、今までの日本人がやってきたことを事実として淡々と知るだけで、おのずと生き方が見えてくると思います。言葉はいらないです。
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先祖代々の小さな事業を受け継ぎながら、数年議員をさせて頂いておりました。現在は地元の役職などと共に、38年間細々と続けてきた武道場にて近所の子供たちに空手棒術を指導しております。ここで伊勢先生から伝授された誠の我国日本の姿を、子供たちや保護者の方々に伝えていこうと思います。
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 こういう「一隅を照らす」姿勢が、「和の国」の民の生き方として尊いと思います。

2020年03月18日

◆ 国柄探訪:「緑の列島」の奇跡

伊勢雅臣


 日本の森林率はフィンランドにやや劣るだけだが、人口密度は20倍。この現代世界の奇跡はどのように生まれたのか?


■1.美しき「緑の列島」の奇跡

 海外から帰国する際に、機窓から青い海に囲まれた海岸が、緑に覆われた様を見ると、母国に帰ってきた、とホッとする。こういう光景は、あまり外国では見られないからだ。同じ感想を日本の森林に関する歴史を書いたコンラッド・タットマン・元エール大学教授は次のように書いている。
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 外国人旅行者が日本を訪れてまず目を見張るのは、列島の端から端までつながって空に突き出る山並みが、青々とした森林にくまなく覆われていることである。日本人もその豊かな緑を意識して自分の国のことを「緑の列島」と呼ぶことがある。[タットマン、p22]
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 日本列島の緑の豊かさは、森林率にも歴然と現れている。68.5%という数字は、先進国ではフィンランド(73.1%)、スウェーデン(68.9%)に次ぐ世界第三位である。しかも、日本はフィンランドと同じくらいの国土面積に、20倍ほどの人口を抱えていることを考えれば、この数値はほとんど奇跡である。

 タットマンは、この「奇跡」を次のように描写する。
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 古今東西の歴史を一瞥すると、日本よりも人口密度が低く、より温和な自然条件に恵まれていながら、国土を荒廃させた社会がいくつもある。北西ヨ−ロッパのヒースと沼沢地にそれを見ることができるし、地中海地方にも荒廃した沿岸が広がっている。朝鮮半島の中南部や中国の山々はすっかり収奪された。アフリカのサヘル地域(JOG注:
サハラ砂漠南縁部)は今や死に瀕している。
 さらにまたラテンアメリカや東南アジアでは明日への配慮を欠いたまま森林が剥ぎ取られ災害が頻発するようになった。
 地理的条件と歴史との特異な相互作用を考えれば、日本の国土が荒廃しなかったのが不思議なくらいだ。[タットマン、p23]
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氏は、この「不思議」の理由に関して、次のように述べる

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 この豊かな緑は単なる自然の恵みでもなければ、また日本人の特別な美的感覚を示すものでもない。この列島が一つの大きな保護林のように守られてきた背景には、何世代にもわたる人びとの大変な努力が隠されている。[タットマン、p22]
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■2.70年前の日本列島は「はげ山」状態だった

 現在の国土を覆う豊かな緑は、実はこの70年ほどで造られたものだ。1950年頃の全国各地の写真を見ると、山には木は無く、ほとんどはげ山状態だ。江戸時代の様子を、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」で見ても、鬱蒼(うっそう)とした豊かな森はまったく描かれていない。

「かつての里山は豊かな森が広がり、人々はその恵みを受けて暮らしていた」と信じている人が多いが、森林環境学を専門とする太田猛彦・東京大学名誉教授は、こう語る。

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 かつての里山は「はげ山」か、ほとんどはげ山同様の痩せた森林−灌木がほとんどで、高木ではマツのみが目立つ−が一般的であった。少なくとも江戸時代中期から昭利時代前期にかけて、私たちの祖先は鬱蒼(うっそう)とした森をほとんど目にすることなく暮らしていたのである。[太田、p49]
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 我が国土は、かつての「はげ山」状態から、わずか70年ほどで、現在のような「緑の列島」に変貌を遂げたのである。この変貌がなければ、日本列島も、タットマンの言う世界各地の「荒廃した国土」になっていた可能性が高い

 こういう奇跡的な変貌がどのように生み出されたのか。まずは日本人が森林とどう共生してきたのか、歴史的に見てみよう。

■3.古代の建築熱で消滅した畿内盆地の山林

 縄文時代には、豊かな森林で採れる木の実や果物、小動物が、重要な食料だった。人間は、森の恵みをいただきながら、自然に生かされていた。日本列島の人口は約5〜4千年前の縄文中期の最も多い時でも、26万人程度だったと推定されている。

 樹木は住居や丸木舟を造ったり、煮炊きをしたり、土器を焼いたりするための燃料として使われたが、大規模に森林を切り拓くようになったのは、水田耕作が広まった弥生時代からである。

 飛鳥時代(592年〜)以降は、奈良や平安京とその周辺に寺院、神社、宮殿などが建設され、それを取り囲んで庶民の家が10万戸の規模で造られた。平安初期の西暦800年頃の人口は600万人ほどと推定されている。

 古代には、遷都が頻繁に行われたが、その一因として十分な木材が近くにあるかどうかが、立地選択をある程度、左右していたようだ。たとえば、孝徳天皇の頃の都とされていた難波は、旧大和川や淀川を経由して木材を簡単に手に入れることができた。また、天智天皇が667年に遷都した琵琶湖畔の大津も、木の豊富な近江西部の森林に近かった。

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 この建築熱が社会と生態系にもたらした結末は深刻だった。畿内盆地に隣接した山地にあってアクセスできる原生の高齢林はすべて伐られてしまった。[タットマン、p32]
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■4.全国的な森林喪失と「治山治水」思想

 14〜15世紀の室町時代から18世紀の江戸時代中期までの4、5百年間に、人口は3千万人台に到達した。これを支えたのが、土地の開墾による農地の拡大である。その分だけ、森林が減った。什器や道具類、家屋、門、塀、橋、灌概施設などを造るために、木材が消費された。さらに冶金、製陶、製塩などでも木材が燃料として使われた。

 戦国時代には、安土城や大坂城など、多くの巨大な城の建設に大量の木材が使われた。また平和な江戸時代に入ると、各地で城下町、邸宅・家屋、社寺の建築が広範囲に進められた。そのため、江戸時代中期までに、九州から東北にかけて森林消失が広がった。

 この結果、全国的に木材の窮乏と価格高騰が進んだ。さらに山地での乱伐で、洪水の氾濫や山崩れなどの自然災害が多発した。その対策として、17世紀後半からは幕府や各藩によって、山林の伐採禁止などの処置がとられるようになった。

 同時に、当時の儒者などから「治山治水」の思想が唱えられるようになった。代表的なのは岡山藩の熊沢蕃山(ばんざん)で、下流河川での災害は上流山地での森林の荒廃によるものであり、治水の根本は上流での森林保護にあるとした。

「治山治水」は経世済民の思想として全国に広まり、現代の日本人がこぞって「木は伐ってはいけないものだ。木をもっと植えなければならない」と考えているように、日本人の伝統的な考え方の一つとなった。[太田、p108]

 こうした状況の中で、ドイツとほぼ同時期に世界で最初の人工林が造られるようになった。特に現在でも各地に残る海岸の松林は、「白砂青松」として日本人の美意識を形成しているが、そのほとんどは、この時期に造成されたものだという。


■5.一進一退の治山治水事業

 しかし、こうした植林努力は一定の成果を上げつつも、森林の回復には至らなかった。明治時代に入ると、工業化の進展、医学の発達などにより、再び人口が増加し始める。住宅の建築材の需要が増大し、産業用燃料はまだ薪炭に依存するところが大きかったため、森林の伐採が進んだ。

 明治27(1894)年の国土利用状況の調査結果を見ると、森林が55%だが、そのうち樹木で覆われているのは30%程度、残りははげ山ということで、実質的な森林率は17%程度。すなわち現在の4分の1程度の水準である。

 明治政府は森林に防災機能を持たせる「保安林制度」などを始めていたが、明治43(1910)年の大洪水の発生を機に、翌年から第一期治水治山事業が始められた。これにより17世紀以降、荒廃を続けていた森林は、ようやく回復基調に入った。

 しかし、大東亜戦争により国土の荒廃がまた進んだ。戦後日本で復興に使える自前の資源は木材しかなかったので、国策として引揚者を大量に受け入れ、奥山の天然林の伐採を促進した。

 このような森林破壊により、昭和22(1947)年のキャスリーン台風から昭和34(1959)年の伊勢湾台風まで、毎年のように大規模洪水や土砂災害が続いた。


■6.高度成長と並行して進められた国土保全事業

 こうした災害を防ぐために治山治水緊急措置法(1960年)などが定められ、河川事業も含めて、その後の国土保全政策の基本方針とされた。おりしも高度経済成長に入り、木材需要がいっそう伸びた。それに対応すべく、林道を敷設して奥地林を大規模に伐採した後で、ヒノキ、カラマツなどを一斉に植える「拡大造林」政策がとられた。これが今日の花粉症の原因となったのだが。

 さらにこの時期は、科学技術が発達して、山腹工事における緑化工技術(木と草によって早期・確実に、面的・立体的緑化を行い、環境・土地および景観の保全を図る工法)、海岸林造成技術などが登場して、効率的な植林作業が進んだ。

 同時に高度成長に伴う国家予算の伸びによって、大規模な対策実施が可能となった。太田教授は、高度経済成長時に勧められた国土保全事業に関して、次のように語っている。

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 つまり、国土保全事業は一方で道路や鉄道の建設、住宅団地建設などの開発事業と競合しながら、そしてみずからも開発事業の一部を担いながら、荒廃した国土の回復に努めたのである。[太田、p134]
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 国土保全事業の成果は、土砂災害犠牲者数の大幅な減少に見ることができる。かつては昭和42(1967)年、47(1972)年など、多い年には400人以上の犠牲者が出ていたのに対し、昭和57(1982)年には300人超、平成5(1993)年には200人弱と減少を続け、以後100人以上の犠牲者が出る年はなくなった。太田教授はこう結論づける。

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 稲作農耕民族の日本人がその国士で生き抜くうえで、必然の結果であったと思われる山地・森林の荒廃、それによって引き起こされた土砂災害や洪水氾濫が、少なくとも三百年を経てここに克服されたと断言してもよい。治山・治水事業はここに新しい局面に入ったのである。[太田、p174]
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 先人たちの三百年の苦闘を経て、ようやく日本列島は巨大な人口を支えつつも、森林を回復しうる軌道を見つけたのである。


■7.国民生活から切り離された森林

 しかし、60年代以降の変化は、二つの海外からの援軍によるところが大きい。

 第一は、日本経済のエネルギー源が、薪炭から石油・天然ガスに変わり、森林への依存が大きく減ったことである。これにより、今まで薪炭を供給していた里山が不要になってしまった。

 第二の変化は、安い外国産の木材の輸入である。拡大造林政策は木材の供給を増やしたが、それでも高度成長期の木材需要には十分ではなかった。その不足を埋めたのが輸入木材だった。昭和39(1964)年には輸入の完全自由化が達成され、東南アジア、欧州や北米産の安価な外材が使われ始めた。

 価格の高い国産材はじりじりとシェアを落とし、60年代前半には6千万立米もあった木材生産量は、現在は3分の1にも満たず、9割を超えていた木材自給率も2割前後まで落ち込んだ。

 この二つの変化によって、日本の森林は国民生活とは大きく切り離されてしまった。ドイツ、フィンランド、スウェーデンなどの欧州林業国では、年間の樹木の成長量の60〜90%を伐採して使用しているのに対し、日本はわずか25%である。

 人工林にも間伐の手が入らず、光が十分に差し込まないために、木は光を求めて、上へ上へと伸びて、痩せ細った丈の高いだけの木になってしまう。それでは台風や豪雨に弱くなってしまう。

 今日の日本が「緑の列島」になったのは、60年代までは我々の先人たちの苦闘が実を結びつつあったのだが、それ以降、現代の我々は無為無策のままで、ただ海外からの援軍に頼ったのである。


■8.「緑の列島」は造花?

 しかし、この二つの援軍は、両方とも我が国と世界の持続可能性から考えれば、頼り続けるべきものではない。まず石油や天然ガスのような地下鉱物資源を採掘・消費する事は、外国の自然を破壊する行為である。しかも、その輸入には長距離の輸送で厖大なエネルギーを消費している。

 外国材輸入も、東南アジアの熱帯雨林か、欧米の針葉樹林を収奪する。海外からは、日本は自国の森林を温存しつつ、海外の森林資源を収奪する「環境テロリスト」ではないかとまで勘ぐられている。[タットマン、p6]

 他国の自然を収奪しているだけではない。輸入エネルギー、輸入木材に頼っているという事で、我が国の国民生活は大きなリスクを抱えている。戦争、天災、疫病など、何らかの理由で輸入がストップしたら、国民生活は大打撃を受ける。

 現在の「緑の列島」は先人たちの3世紀の苦闘で育てた土壌の上に、近年の海外依存という造花を飾ったものなのだ。それを本物の「緑の列島」にするためにも、現代の我々が先人の苦闘を引き継いでいく必要がある。(次号に続く)

2020年03月04日

◆ 善意の国が馬鹿を見る

伊勢雅臣


1.善意の国が馬鹿を見る「仁義なき国際社会」

「我々は細菌培養皿の中にいる−コロナ・ウイルスはいかにクルーズ船を破壊したか?」と、おどろおどろしいタイトルで、その記事は始まっている。冒頭のリード文はこうだ。

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 日本が検疫を課すまで3日以上もかかった。この遅れと、その他の失策によって、中国以外での最大のウイルス感染が引き起こされた。[Rich、2020、拙訳]
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 タイトルの背景の写真は、2月2日、日本への到着前夜のダンスパーティの様子だ。恐ろしいウィルスの存在を知らされずに、乗客たちがダンスに興じている。迫りくる破滅に気がつかずに最後の夜を楽しむ乗客たち。いかにもホラー映画の一場面だ。ニューヨーク・タイムズ(以下NYT)2月22日付けの記事である。

 記事は長々と、日本の「失策」のために乗客と船員たちが「細菌培養皿」の中で危険に晒された「悲劇」を詳細に描いているが、根本の所の事実誤認があり、それが明らかになると、すべてが崩れてしまう内容となっている。

 それはダイヤモンド・プリンセス号の船籍は英国であり、船上は英国領土と同様という事だ。しかも、船はアメリカ企業によって運営されている。英国籍でアメリカ企業が運営する船舶に、日本政府が勝手に検疫を課す義務も権限もない。

 日本政府は、この時期に限られた医療人員を割き、国内の対策をある程度、犠牲にしてまで検疫を行ったのだが、それがこのような悪罵を投げつけられ、本当の責任を持つイギリスは知らんぷりしている。船内の安全管理の責任を持つ米企業も黙っている。善意の国がバカを見るこの不条理さは、仁義なき国際社会の実相を表している。


■2.コロナウィルス感染が報告されているのにダンスパーティ?

 そもそも乗客の安全を守るのはクルーズ会社の責任だ。日本政府関係者からは、次のような声が出ていた。

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今回は、感染が後に判明した香港住民の男性が香港で下船した1月25日前後から感染は拡大していたとみられており、「船籍国の英国や、米国の船会社がもっと早く集団が接触しないような措置を取るべきだった」(日本政府関係者)との声も上がっている。[ヨミドクター]
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 1月25日時点ではまだ感染が確認されていなかったとしても、2月1日には香港政府が下船した男性(80)から新型コロナウイルス感染症が確認されたと発表している。

 それなのに、その翌日の晩にダンスパーティまで開催しているのは、船会社の安全管理上の意識がいかに低かったかを示している。一体、船長は何をしていたのか? ある記事では船長はこう書かれている。

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軽快なイタリア語なまりの英語で、気の利いたジョークを織り交ぜつつ重要な健康情報を連日伝え、新型コロナウイルスの集団感染に不安を募らせる乗客たちを落ち着かせてきたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス(Diamond
Princess)」のジェナーロ・アルマ(Gennaro
Arma)船長に、称賛の声が上がっている。[AFP]
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 乗客を落ち着かせる放送は良いとしても、クルーズ船ならコメディアンや俳優も乗っていようから、そういう人々に任せておけば良い仕事だ。船長の本務はあくまで安全な航海を実現する事である。その本務の失敗を棚上げして、アナウンスだけで称賛するとは、これまた見事に本筋の外れた記事である。

 さらにこの記事は、日本政府の検疫で「不安を募らせている乗客」を支える船長、というひっくり返った構図を読者に与えている。不安をかくも増大させたのは、船長と船会社なのに。


■3.ダイヤモンド・プリンセス号の寄港は拒否もできた

 船籍国であるイギリスはどうか? 国連海洋法条約では、公海上の船舶については「旗国主義」に基づき、船籍が登録されている国が排他的な管轄権を持つ。旗国主義とは国家の領土主権の効果が自国船舶・自国航空機内にも及ぶとするもので、ダイヤモンド・プリンセス号は、国際法上はイギリスの領土と見なされる。

 冒頭に引用したNYTの記事は、「日本が検疫を課すまで、3日以上経ってしまった」というが、これは2月1日に香港政府が感染確認の発表をしてから、3日に横浜港に入港した後で隔離措置を開始した事を意味しているようだ。しかし、公海上では、日本政府は外国船舶を検疫をする責任も権限もない。

 それどころか、日本政府はダイヤモンド・プリンセス号に対して、横浜への寄港を拒否する事もできた。やや遅れて2月1日に香港を出港したオランダ船籍のウエステルダム号は乗客38人の発熱や咳の症状が出て感染が疑われ、フィリピンで寄港拒否され、その後、日本、グアム、タイ、韓国でも同様に拒否された。

 最終的にはカンボジアに入港し、乗客の米国人女性が下船してマレーシアに移動した後に、コロナウイルスに感染していたことを同国政府は公表している。

 ダイヤモンド・プリンセス号の寄港も同様に拒否できたのだが、日本政府は敢えて受け入れて検疫を行った。ウエステルダム号の日本人乗客5名に対して、同船には千人を超える日本人乗客が乗っていた。イギリス政府もアメリカ船会社も手を出さない以上、これだけの国民を守るには、日本政府として検疫に乗り出すしかない、と判断したのだろう。

 それは国民を守るという政府の責務を果たすためのやむを得ない処置であった。(本来なら、ウエステルダム号の5人の日本人乗客もヘリコプターなどで救出すべきだったのだが[橋下]。)

 NYTの記者は、この点を伏せたまま、全責任を日本政府に押しつけている。しかし、事実は英国籍なのだから、非難はそのまま英国に向かうべきなのだ。正しいリード文を書くなら、こうなるだろう。「3日以上も管轄国イギリスが黙りを決め込む中で感染は拡大し、やむなく日本政府は乗客を救うために検疫に乗り出した。」


■4.「元々責任はお前らじゃないの」

 2月17日のBBC(英国放送協会)報道では、英国人乗客が「我々は忘れ去られていると感じている」と訴えたこともあって、英国政府の報道官は次のように発表した。

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 我々は非常に困難な状況に置かれた全ての人々に同情している。英外務省はダイヤモンド・プリンセス号上のすべての英国民とコンタクトしており、今後あり得る送還便に乗る意志があるかどうか、確認している。[BBC、拙訳]
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 この声明には、管轄国としての船全体を救おうという責任感はまるで感じられない。単に自国民が乗船している50カ国以上のうちの一カ国という態度である。こうした英国の態度に関して、麻生太郎財務大臣は次のような発言をしたと伝えられている。

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G20での新型肺炎の話題について、麻生太郎財務大臣「船籍は英国、船長もイギリス人、イギリスは何一つ発言してない。元々責任はお前らじゃないのってお腹ん中で言うんですけど、一言も言わないのがこの世界の常識はこれなのかねと思いながら、日本はその対応に追われてる」[Share
News Japan]
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 管轄国としての責任を負う事を恐れ、ひたすら黙りを決め込んで、舞台の袖に隠れる。これが「この世界の常識」なのである。


■5.アメリカも表舞台には立たず

 頬被りはアメリカも同様だ。世界の感染症対策で最も権威のあると見なされているアメリカのCDC(疾病対策センター)は、日本政府の努力を称賛しつつも、次のような声明を出している。

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 ダイアモンド・プリンセス船上で検疫対策を遂行する日本政府の格別の努力を称賛する。その検疫は潜在的には伝染を遅らせて公衆衛生上、重要な貢献をしたが、船上の人から人への伝染を防ぐには十分ではなかった、というのがCDCの評価である。[CDC、拙訳]
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 さすがに専門機関だけに、NYTのようなセンセーショナルな悪罵は投げつけていないが、いかにも上から目線の、他人事のような口調である。そもそもアメリカ企業の運営する船なのだから、日頃の防疫上の危機管理を自分たちがもっと監督すべきだったと反省するなり、日本政府のやり方に不備があるなら専門機関として具体的なアドバイスするのが筋だろう。

 NHKの報道では、日本政府と米国との間で以下のようなやりとりがあったようだ。

__________
日本政府が、当初、アメリカ人乗客の早期下船と帰国を提案したのに対し、アメリカ政府は日本側の対応に謝意を示したうえで、CDC=疾病対策センターなどと議論した結果、「乗客を下船させ、横田基地などに移動させれば、感染リスクが高まることが予想される。船は衛生管理がきちんと行われており、船内にとどめてほしい」と要請していた。[NHK]
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 何の事はない。船上で14日間留め置く案は、CDCの意向だったのだ。結局、この要請をしたアメリカも表舞台には立たずに、日本だけがワンマンショーをさせられ、一身に非難を浴びたのである。しかも、「船内にとどめてほしい」と頼むときは「船は衛生管理がきちんと行われており」と持ち上げ、世界への発信では「不十分だった」とこきおろす。

 こうして見ると、日本の善意の行動が、いかに「この世界の常識」から(良い方向に)外れたものだったかが分かる。イギリスもアメリカも頬被りして、危険で厄介な仕事を日本に押しつけた。国際社会とは、各国が自国の国益を守るために、時には仁義を無視して振る舞っている世界なのである。


■6.アメリカの「朝日新聞」

 国際社会での国益追求のゲームに、中心的な役割を果たしているのが、冒頭に紹介したNYTのようなマスメディアである。この記事の執筆者を調べると、記事で船籍国を伏せているのは単純な無知からではなく、意図的な反日プロパガンダかも知れない、という疑いが湧いてくる。

 記者の名は"Motoko
Rich"。日本人の母親を持つアメリカ人のようだ。肩書きは同紙の東京支局長。NYTの東京支局は朝日新聞社内にあるというから、それだけでも怪しげだ。朝日新聞が提供した反日ネタをNYTが記事にすれば、「アメリカでも批判の声があがっている」と巧みな手口が即座にできる体制になっている。

 過去を調べてみると、このMotoko
Rich氏は韓国人記者らと共同で、昨今の日韓の確執の原因が「強制労働と性奴隷」にある、などと書いている点からも、その事実を無視した強弁ぶりは明らかだ。[Rich、2019]

 今回の記事で船籍国を明らかにしてしまえば、日本叩きの構図が崩壊してしまう。ちょうど職業的慰安婦であった事実が「性奴隷」キャンペーンをぶち壊してしまうように。国益をかけた「仁義なき戦い」は、主にこうしたプロパガンダ戦で行われる。


■7.仁義に基づいた広報外交は世界のためにもなる

 プロパガンダの飛び交う仁義なき国際社会では、我が国の戦い方ももう一工夫する必要がある。アメリカから「船内にとどめてほしい」と依頼を受けた事実が後から明らかになったり、麻生副総理が「元々責任はお前らじゃないの」と後でこぼしても、もはや負け犬の遠吠えである。イギリスやアメリカの頬被りや、NYTの明らかな誤報記事の余地を与えないような戦い方が必要だ。

 たとえば、日本が検疫をするのは良いとしても、それを始める前に、英米の大使を呼んで3カ国合同の記者会見を開く。その場で、英米両国の「依頼」に応えて日本が検疫に乗り出す、と発表する。これにより、日本は検疫を実施する義務も権限もないが、管轄国の英国と、船会社を持つアメリカの両国の依頼に応えて、「善意の協力」を行うという立場を国際的に明らかにする。

 その上で、世界で最も権威のある米国CDCの「助言」に従って船内で14日間の隔離を行うが、乗客の引き取りを希望する国があれば船なりチャーター機を派遣して欲しい、乗客の移動に関しては日本政府が最大限の協力を行う、と表明する。

 こうする事によって、同じ検疫をするにしても、日本の善意を世界に明らかにし、英米のみならず他国に対しても、道徳的な高みに立つことができる。船内に閉じ込められていた乗客の不平も、自国政府に向かう。NYTのような事実に悖る批判記事も出る余地はなくなる。

 この案は一例に過ぎないが、仁義なき国際社会で国の名誉と国益を守っていくには、このように日本の仁義を世界に見えるようにする「広報外交」が欠かせない。この意味では、平成27(2015)年の日韓慰安婦合意で、両国外相が握手する姿がテレビ放映されたのは良い前例である。このシーンによって、以後の韓国側の合意蒸し返しの試みが説得力を欠いたものとなった。

 広報外交としては韓国の「強制労働と性奴隷」などの反日キャンペーンが大先輩だが、虚偽を振りまく「広報外交」と、仁義に基づく「広報外交」は本質的に異なる点に留意しなければならない。

 嘘に基づいた広報外交は、いつか嘘がばれて国際社会での信頼を失ってしまう。仁義に基づいた広報外交は誠実な実行を伴うだけに、心ある人々、国々を味方につけ、さらに諸国民を啓蒙する効果もある。

 すなわち、仁義ある広報外交は日本のためだけでなく、世界のためにもなるのである。これこそが「和の国」の目指すべき外交であろう。
(文責 伊勢雅臣)

2020年02月24日

◆人物探訪: 軍医・高木兼寛、海軍を救う

伊勢雅臣


 全兵員の3分の1もの脚気患者が出るという危機から海軍を救うために、高木兼寛は命を懸けた実験に取り組んだ。

■1.日本海軍に衝撃を与えた脚気患者の大量発生

 クルーズ船での新型肺炎の蔓延で、船内という密閉空間での感染症がいかに恐ろしいか知らされたが、同じ恐怖を戦前の我が先人たちも味わったことがある。明治15(1882)年の京城事変では、朝鮮宮廷のクーデーターで日本大使館も襲われ、政府は邦人保護のために軍艦5隻を仁川沖に派遣した。それに対抗して清国も戦艦3隻を派遣して、睨(にら)み合いとなった。

 この時、日本の五隻の軍艦内では多数の脚気(かっけ)患者が発生し、死亡する者もいた。もしも清国軍艦と交戦状態となったら、日本の各艦には戦闘に応じる人員はわずかで、たちまち危機に瀕することはあきらかだった。日本側はこのような事態を清国側に気付かれないよう、元気な水兵を集めて艦上でしきりに訓練させた。

 脚気は心不全により、足のむくみ、しびれが起き、最悪の場合は心臓発作を起こして死亡に至る。江戸時代の元禄年間には江戸で大流行をしたため「江戸わずらい」と呼ばれ、激しい脚気が流行した京都では、短期間に死ぬので「三日坊」とも言われた。欧米にはない病気で、明治9(1876)年に来日して東京帝国大学医学部で教えていたドイツ人医師ベルツは黴菌による伝染病と考えていた。

 明治天皇は皇后とともに軽い脚気に罹(かか)られた事があり、内親王のお一人を脚気が亡くされている事から、脚気専門病院の設立をしてはどうか、と政府に伝え、破格の金額を下賜されていた。政府も予算を投じ、明治12(1879)年に脚気病院が設立されたが、有効な治療法が見いだせなかった。

 海軍病院の軍医・高木兼寛(かねひろ)は、毎日、脚気患者に接していたことから、なんとしてもこれらの患者を救わねばならないと、自らこの大問題に取り組むこととした。

 改めて記録を調べてみると、明治11(1878)年には海軍の総兵員数4,528名のうち、脚気患者は1,485名、32.8%にも上っていた。これではいくら最新鋭の軍艦を揃えても戦えない。京城事変での危機的状況は、今に始まったことではなかったのである。


■2.「命を救うような医者になりたい」

 兼寛は、嘉永2(1849)年、現在の宮崎県宮崎市高岡町の大工の家に生まれた。幼い頃から勉強熱心だったため、周囲の懇切な計らいで、鹿児島の蘭学塾に入り、オランダ医学を学んだ。

 慶応4(1868)年に戊辰戦役が始まると、兼寛は薩摩藩小銃九番隊付の医者として従軍した。その際に出会った阿波藩の御典医・関寛斎の手術を見て驚いた。関は長崎でオランダ海軍軍医ポンペについて西洋医学を修め、最新の外科手術に長じていた。

 ある戦闘で一人の兵士が右背に銃弾を受け、血が止まらない。兼寛は銃創は手当てできないため、戸板に乗せて後方の治療所に運んだ。そこで出てきた関は、小刀(メス)で胸を切り開き、長い鋏(ピンセット)を使って、巧みに銃弾を取り出した。兼寛には神技に思えた。自分もそんな手術をして、命を救うような医者になりたい、と思った。

 戦争が終わって鹿児島に戻った兼寛は、赴任してきたイギリス人医師に医学を学んだ後、明治5(1872)年に海軍病院での勤務を始めた。そこでの診療の腕と語学力を買われて、明治8(1875)年にはイギリスの名門セント・トーマス病院医学校への留学を命ぜられた。医学研究のためにイギリスに留学するのは、兼寛が初めてだった。

 セント・トーマス病院はイギリスで最も古い由緒ある病院であった。そこで刻苦勉励を続けた兼寛は、首席の成績をとり、外科、産科、内科の医師の資格を得て、ついには外科医としての最高の学位を得て、教授になる資格まで与えられた。

 明治13(1880)年に帰国した兼寛は海軍病院長に任ぜられ、海軍軍医の世界を牽引していく事が期待された。その兼寛にとって海軍の大きな脅威となっていた脚気の問題に取り組む事は、当然の責務であった。


■3.なぜ、外国の港に碇泊している間は発病しないのか

 兼寛は、いろいろ調べているうちに興味深い事実を見いだした。明治8(1875)年に軍艦「筑波」が太平洋を横断する練習公開をした記録によると、ホノルル、サンフランシスコに碇泊している間は発病者は一人も出ず、帰途につくと急激に増えていた。明治11(1878)にシドニーなどを訪問した際も、碇泊中は発病者はなく、帰途に患者が出るという同じ傾向が現れていた。

 彼は「つくば」に乗っていた士官から詳細を聞いた。碇泊中は乗組員たちは交替で上陸し、街を歩き、名所を見物して回る。「皆、喜んでおりましたが、上陸して食堂で出されるパンを主食とした洋食だけは、辟易(へきえき)している者が多くおりました」と士官は笑いながら言った。

 もしかすると、と兼寛は思った。「筑波」がサンフランシスコやシドニーに碇泊中、脚気患者が出なかったのは、上陸して洋食を食べたからではないか。そして帰途の艦内ではもっぱら和食だけだったので、多くの者が発病したのではないか。伝染病なら、外国の港に碇泊している間も、患者が発生してもおかしくない。

 さらに調べてみると、海軍病院に入院している脚気患者は水兵ばかりで、士官はきわめて少ないことに気がついた。そこで彼は、水兵たちの艦内と兵舎内での食事状況を視察した。当時の水兵たちは食費を金銭で受け取っていたが、米飯ばかり食べて副食は節約し、貯金をしていた。米飯という炭水化物ばかりで、魚などのタンパク質はきわめて少ない。ここに原因がありそうだった。


■4.明治天皇への言上

 ちょうどその頃、冒頭に記した京城事変での脚気患者の大量発生事件が起こり、海軍医務局副長になっていた兼寛は、帰還した各艦から運び出された多くの患者を見て回った。病状が悪化して死亡するものが続出していた。海軍省に戻った兼寛は、局長に「お願いがあります」と切り出した。「士官、兵とも洋食に切り替えたら、必ず良い結果が出ると考えます」

 局長の許しを得て、兼寛は川村・海軍卿(大臣)に上申書を書き、幹部が集まった将官会議で自ら説明した。しかし洋食に切り替えるには、食費が大きく膨らむ、兵たちの洋食への抵抗がある、などの難題から、「将来、兵食制度を改定することにほぼ内定」という先送りで終わってしまった。兼寛は深く落胆したが、あきらめなかった。

 その後、兼寛は政府の要人に会う機会があると、かならず、脚気問題が急務であることを説いた。ある日、前内務卿の伊藤博文にも説いた所、「陛下は、常日頃、非常にこのことをご心配なさっておられる」として、明治天皇に拝謁して、直接、言上する機会を作ってくれた。

 明治16(1883)年11月29日、兼寛は川村海軍卿に伴われて、皇居に参上した。「残念ながらこの病気の本体はなにもわかっておりません」と述べた後、食事が原因であるとの自説を述べ、「願わくは陛下の御英断により、速やかに改良いたして下さいますよう伏してお願い申し上げます」と、深く頭を下げた。

 天皇のお顔に感動の表情が現れているのを見て、兼寛の目には涙が浮かんだ。「いい話をきいた。海軍のために一層努力するように」とのお言葉に、兼寛は再び頭を深く下げた。その様子に、川村は、これから遠洋航海に出る予定の「筑波」で兼寛が建言していた実験を行うことを決意した。


■5.「国家の存亡にかかわる重大事であるので」

 しかし、「筑波」の予定航路はハワイ、ウラジオストック、釜山を回るという短いもので、真の実験とするためには、その年、ニュージーランド、チリ、ペルー、ハワイという大航海を行い、乗組員378名中150名が発病、23名もの死者を出した軍艦と同じ航路を採らなければ意味がない、と考えた。

 そのためには莫大な費用がかかり、さすがの川村も難色を示した。実験のための予算増額を大蔵省が受け入れるはずもなかった。兼寛は、川村の許可を得て、直接、大蔵卿・松方正義に嘆願した。松方は「私の一存ではどうにもならぬ」と言いつつ、参議の伊藤博文公にお願いしてはどうか、と勧めた。

 伊藤に説明すると、「陛下も深く御憂慮されていることでもあるので」と根回しをしてくれ、出航が間近となった時期に大蔵省から「国家の存亡にかかわる重大事であるので」と異例の許可がなされた。その結果を聞いて、兼寛は体が熱くなるのを感じた。

「筑波」の艦長以下、乗組員たちも、兼寛の提案した試験航海を切望していた。一同は兼寛とともに献立表を何度も作り直し、それに合わせた食料調達にかかった。


■6.「ビョウシャ 一ニンモナシ アンシンアレ」

 明治17(1884)年2月3日、「筑波」は品川沖から出航した。その航海は海軍のみならず、天皇をはじめ政府要人の注視の的となっていた。もし従来と同様に「筑波」に脚気患者が続出すれば、天皇に偽りを述べ、国家予算を浪費した罪を問われて、海軍を追放されることもありうる。自ら腹を切らねばならない事態も十分、考えられた。

 彼は夜も目が冴えてなかなか眠れず、眠りに落ちても「筑波」の至る所に脚気患者が寝ていて、死者を布に巻いて海中に水葬する光景を何度も夢に見た。食欲が衰え、痩せた。出勤前に、神社に行って長い間、祈りを続けた。

 3月21日にニュージーランド国オークランド港に着いた「筑波」からの報告が、ようやく5月28日に届いた。肉やミルク、ビスケットを十分に摂った兵員たちは、出発前よりも健康になり、きわめて軽い脚気患者が4名出ただけだった。しかし、問題はこれからだった。前回大量の脚気患者が出たのは、ペルーからハワイまでの航海中だった。

 10月9日夕刻、川村海軍卿から使いが来て、至急、来るように命ぜられた。兼寛は不吉な予感に襲われながら、川村の許に急いだ。川村は『筑波』艦長がチリからハワイに到着して打った電信文を見せた。「ビョウシャ 一ニンモナシ アンシンアレ」

 通信文の文字が涙でぼやけた。歯をくいしばり、嗚咽がもれるのをこらえた。「よかったな。高木君」。そういう川村の声もうるんでいた。「病者一人もなし」の電文は、兼寛の命も救ったことを、川村は感じているに違いなかった。海軍省内も沸き返った。

「筑波」の献立は、海軍全体に展開された。約7千人の海軍総人員のうち、明治16年には患者総数1,236名、死亡者数49名だったのが、兵食改革が全面的に行われた18年には患者数わずか41名、死亡はゼロ、という画期的な成果が得られた。これが後の日清・日露両戦役での海軍の奮闘の基盤となった。


■7.陸軍の日清日露における深刻な影響

 しかし、この明らかな成果を認めない輩が多かった。当時のヨーロッパではドイツのコッホなどが中心となって、炭疽菌、結核菌、コレラ菌などを発見していた。東京帝国大学も陸軍も医学修業のために、ドイツに人材を次々と送り込んでいた。脚気を病原菌による伝染病と考える先入観はここから来ていた。

 彼らにとっては、兼寛の対策は何も理論的な裏付けのない民間療法に過ぎなかった。臨床を重視するイギリス医学自体を見下していた。兵食改革でいかに脚気患者が減ろうと、それはたまたま伝染病が下火になった時期と偶然に一致しただけだと強弁した。

 コッホなどに師事して帰朝した森林太郎(鴎外)が、細菌説の中心人物となった。森は厳密な実験を行って、陸軍の白米を主食とする兵食が最優秀であると主張した。

 明治27(1894)年から翌年にかけての日清戦争では、海軍の出動人員3,096名中、脚気にかかったのは34名、死者はわずか1名だった。一方、陸軍は朝鮮派兵から台湾平定までの戦死者・戦傷死者1,270名に対し、脚気で死亡したのは3,944名と実に3倍以上、発病者に至っては34,783名に上っていた。

 実は日清戦争前には、多くの部隊は国内では麦飯を採用して、脚気患者はほとんど見られなくなっていた。しかし、陸軍中枢部は森林太郎の兵食実験を信じて、戦線では全軍に白米を主食として補給した。その結果がこれである。

 陸軍の中でも、この甚大な被害に批判の声も上がったが、あくまで細菌説に固執する陸軍中枢は、戦前に脚気患者が減少したのは兵舎の環境が改善されたからであり、戦争中に激増したのは現地が不衛生であったからだと言い張り、批判者を左遷までした。

 この頑迷さは、日露戦争でさらなる悲劇を招いた。出動した陸軍の総人員110万名のうち、脚気患者21万名以上。戦死者約4万7千名に対して、脚気で死亡した者は2万8千名近くに及んだ。陸軍に対する批判が巻き起こった。

 悲惨な状況を目の当たりにしている現地軍では米に粟、小豆、麦をまじえるようになった。寺内陸軍大臣も自らも脚気に悩まされて麦飯を常食にしていた事から、戦争途中で麦飯の給与を命じた。


■8.歴史の最後の評価

 こうした中でも、細菌説の中心にあって白米供給にこだわっていた森林太郎は、日露戦争後、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長と軍医のトップに登りつめた。しかし、同様のキャリアを積んだ人々が男爵、子爵に補せられているのに、森にはついにその声があがらなかった。

 一方、兼寛は、東京帝国大学と陸軍からの厳しい敵視を浴びつつも、明治天皇が自分を認めてくれているという事を心の支えに、屈辱に耐えた。そして生前に男爵に補せられ、大正9(1920)年の逝去の日には従二位に叙された。

 兼寛の業績は欧米でははるかに高い評価を与えられた。コロンビア大学やフィラデルフィア医科大学から名誉学位を送られた。さらに兼寛の業績から、オランダのエイクマンがビタミンBを発見して、ノーベル医学賞を受賞した。ビタミン発見の歴史において、兼寛は先駆的な業績をあげた研究者として顕彰されている。

 日清日露と多くの脚気による死者を出しながらも、保身のために細菌説にこだわった陸軍中枢部に対し、ひたすら兵員の命を救うために、自らの命をも掛けた航海実験を敢行した兼寛に、歴史は最後には正当な評価を与えたのである。
 

2020年02月03日

◆人口適正化と新技術で築く

伊勢雅臣


■1.近代の150年で9千万人も増えた日本の人口

 日本の2019年の出生数が年間90万人割れしたことが確実になった。90万人割れは政府予想よりも2年早く、人口減少が一段と鮮明になった。我が国の出生数は、ベビーブーム時、昭和24(1949)年の270万人から減少を続け、昭和58(1983)年までは150万人、平成27(2015)年までは100万人を維持していたが、いよいよ次の段階に入った。

 近年ベストセラーとなった『未来の年表
人口減少日本でこれから起きること』では、こんな未来図が描かれている。

__________
 2015年時点において1億2700万人を数えた日本の総人口が、40年後には9000万人を下回り、100年も経たぬうちに5000万人ほどに減る。・・・こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きているのである。[河合、33]
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 こういう予測を読むたびに、「ちょっと待って」と言いたくなる。この予測は正しいとしても、江戸末期には32百万だった日本の人口は、この150年ほどで9千万人も増えたのである。[a]

 幕末の開国以来、我が国は近代西洋文明の優等生として人口を急激に伸ばしつつ、経済大国を築きあげてきた。しかし、自然環境から見れば、相当な無理をしている。

 9千万人も増えた人口を養うために、厖大な食料を輸入しており、食糧自給率はカロリーベースでは楽観的に計算しても54%ほどだ[b]。その一方で年間600万トン規模もの食品ロスを出している。さらに荒廃農地・耕作放棄地として無駄になっている土地が70万ヘクタールと、ピーク時の11.5%。まさに「もったいない」「天地に申し訳ない」状態なのである。

 世界に目を向ければ、現在の77億人が今後30年で20億人も増えると予想されている。発展途上国での食事の改善を考えると、今後の食糧供給は逼迫し、価格も上がっていく。今のうちに、日本列島内で持続可能な生活を築いていく事が安全保障上も必要である。

 100年後に5千万人という人口規模は、農林水産業を再建しつつ、食料自給を確立し、かつ都市の過密と地方の過疎を解消して、日本列島の自然と調和した「和の文明」を築くには、適正な水準かもしれない。近年始まった人口減少は、そろそろ近代西洋文明を卒業してこうした「和の文明」を築く時だと、八百万の神々が促しているのかのようだ。


■2.人口減少が必ずしも経済の縮小と貧困化につながるわけではない

「人口減少」というと暗いムードに包まれてしまうが、まず押さえておくべき大前提は、人口減少が必ずしも経済の縮小と貧困化につながるわけではない、ということである。過去の歴史を見ても、人口は経済発展の主要因ではなかった。

 例えば高度成長期(昭和30(1955)年〜昭和45(1970)年)の実質GDP(国民総生産)は年率9.6%も伸びたが、この間の労働力人口の増加は1.2%に過ぎなかった。その後、第一次オイルショックの昭和50(1975)年以降の15年間の成長率は4.6%に落ちたが、この間の労働力人口の増加率は1.2%と同程度であった。

 実質GDP成長率と労働力人口伸び率の差は労働生産性の伸びである。すなわち高度成長期には労働生産性が8.3%伸びたのに対し、オイルショック以降は3.4%に落ちてしまった。[吉川、901]

 高度成長が始まる直前、昭和25(1950)年の日本の就業者の半分近くは農林水産業に従事していた。その後、工業化が進み、多くの人々が地方から都会へ出てきた。この工業化と都市化の進展により労働生産性は急速に向上し、それが高度成長を招いたのである。

 しかしその代償として、都市の過密化、地方の過疎化が進展した。農林水産業の疲弊、食料自給率低下も進んだ。現代日本が抱えるこれらの課題は、我が国が急速に進めた近代西洋文明の副産物なのである。

 石油ショック以降は、国内の人件費高騰に伴い、生産の海外移転が進んだ。これによって工業における労働生産性向上という果実は海外に移ってしまった。一方、製品の開発・設計、販売、管理などの生産性のはっきりしないスタッフ業務やサービス業は国内、それも都市内に残った。結果的に国内には工業化の果実は残らず、都市集中の負担ばかりが残ったのである。

 今やこれらの課題を解決しつつ、労働生産性向上に努めるべき時代なのである。


■3.「介護人材が38万人不足」?

 人口減少に伴って「2025年には介護人材が38万人不足する」との予測がある。いかにも人口減少によって、外国人労働力の導入が不可避だと訴えているようだが、このからくりは単純だ。

 この「38万人不足」とは、単純に高齢者の増加による介護需要増と、減少する労働力人口のギャップから算出されている。介護業界の賃金、生産性、企業の参入撤退、公的規制などは変わらないとしているのである。[小林峰夫「無意味な人手不足の人数推計」『週刊東洋経済』H310119]

 しかし、日本のサービス業全体の労働生産性は、米国の半分(50.7%)だ[日本生産性本部「産業別労働生産性水準の国際比較」2018.4]。介護業界の労働生産性もせいぜいその程度、あるいはそれ以下であろう。介護職員数は183万人もいるから、その労働生産性が米国の半分から、せめて2/3の水準に向上したら、約60万人分の人手増となる。

 38万人の不足はこれで充分お釣りが来るし、労働生産性の向上により介護業界の賃金も上昇すれば、求人も楽になる。企業の収益も向上するだろうから、新規参入も期待できる。そうなれば介護サービスの供給も増えて、入所待ちも解消するだろう。さらには医療技術の進展により、健康寿命を伸ばし、介護需要そのものを減らすことも目指すべきである。

 逆に38万人分の不足を外国人労働者で埋めようとしたら、介護業界の低生産性と低賃金はそのままで、日本人の従業員は減る一方であり、せっかく雇った外国人労働者も、より賃金の高い産業に逃げていってしまうだろう。これでは何の解決にもならない。労働生産性や技術革新を無視した経済論議がいかに無意味か、よく分かる事例である。


■4.日本の一人当たりGDPがドイツ並みになれば

 現在の日本の一人当たりGDP(国民総生産)は39,300ドル(2018年)、世界で26位に転落している。上位国にはルクセンブルグ、スイスなど小国家が並ぶが、これらは金融産業中心など性格が異なるため、比較は適当でない。例えば工業のみならず農林水産業などを含めたフルセットの産業構造を持つドイツは18位、47,700ドルで、日本より20%以上高い。

 ドイツの人口は8290万人、日本の3分の2ほどの規模である。我が国の労働生産性を上げて、一人当たりGDPを20%増やせば、人口が20%減っても、ドイツと同程度に豊かで、かつ経済規模としてもドイツの1.5倍ほど、現状水準では世界第3位の経済大国が維持できる。

 国立社会保障・人口問題研究所の『日本の将来推計人口(平成29年推計)』によれば、2053年には1億人を割って9,924万人となる。「33年後に22%減になる」と悲観しているより、この33年間に生産性を20%ほどあげて、せめてドイツ並みとし、国全体の経済規模は維持しつつも、生活水準を20%向上させる事を目標にすべきではないか。


■5.労働人口1千万人不足か、2千万人余剰か?

 それに対して「日本の労働力人口は今後十数年で1000万人近くも少なくなると見込まれる。そのすべてを機械や外国人に置き換えることにはとうてい無理があろう」[河合、33]と心配する向きがある。その一方で、AI(人工知能)などの普及により、「全体の30%に及ぶ仕事が、2030年までに消えてしまう危険にある」などという研究も発表されている。

 日本の労働力人口6720万人(2017年)の30%なら2千万人だ。労働力人口が1千万人減っても、AIで2千万人浮いてくれば、1千万人のお釣りが来る。これが事実なら、外国人労働者など入れている場合ではない。その1千万人を新産業の創造や農林水産業の再生に生かす道を考えるべきだろう。急速に進み出した情報通信革命は、急速な人口減少への天の配剤かも知れない。

 おりしも金融業界では、みずほフィナンシャルグループが1万9000人の人員削減、三井住友フィナンシャルグループが5000人弱相当の業務量削減と、最新情報通信技術やAIの活用で、人員削減が急ピッチで進められている。

 コンビニでもセルフ・レジで清算し、電子マネーで支払ってしまえば、店舗の人員も大幅削減できる。それ以外の買い物もアマゾンや楽天などの電子ショッピングで注文し、駅やマンションの宅配ボックスで商品で受け取れば、店員や配達員も少なくて済む。自動運転が普及すれば、バスやタクシー、トラックの運転手も削減できる。

 このような情報通信技術の革新をテコに、人口減少に対応しつつ、新しい産業構造の建設を進めなければならない。


■6.人々は機械のおかげで豊かになってきた

 吉川洋・東大名誉教授によれば、

__________
 伝統的に人間がやっていた仕事の多くは機械によって代替されてきた。しかしその結果、人間は「お払い箱」になったのではなく、むしろ労働生産性が上がり、賃金は上昇してきた。つまり、人々は機械のおかげで豊かになってきたのである。[吉川、983]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 例えばかつては会社の給料も現金で支給されていた。経理の担当者が銀行からお金をおろし、社員一人ひとりの給料袋に現金を入れ、その袋を手で配っていたのである。それが銀行振り込みになると、このような作業は全て不要となった。だからといって、その作業していた人たちがお払い箱になったのではなく、コンピューターではできない仕事に振り向けられたのである。

 このようにオフィスではコンピュータ化ができる仕事がたくさんあり、特に日本は欧米諸国に比べてこの分野での労働生産性が低い。それだけ稼ぎ代も大きいわけで、労働生産性を上げる余地は大いにあると考えられる。


■7.都市と地方の格差を解消する5G技術

 新技術の中でも特に社会的なインパクトが大きいのが、最近話題の5G(第5世代移動通信システム)である。

 例えば離島にいる患者の手術を、本土にいる医者が行う遠隔医療が実現しよう。高速大容量通信により検査機器のデータを見ながら、ロボットハンドでメスを操る。また対面診療も、高精度のテレビ電話と検査ロボットにより遠隔地からでも、できるようになる。

 アバター(電子的分身)の技術が確立すれば、ドラえもんの「どこでもドア」が実現する。自宅にいながら、遠くの会社のオフィスに分身を送って、会議に参加できる。仕事の後の一杯飲みも、互いに自宅で好きな酒を飲みながら、ワイワイ騒げる。学生は地方にいながら遠くの大学で講義を受けたり、スタジアムでサッカーの試合を見たりすることもできる。

 近代西洋文明では情報通信技術の制約から、従業員が共同作業をするためには、一カ所に集まらざるを得なかった。また都市に集中した消費者に販売やサービスを提供することで、大量生産、大量輸送、大量販売の効率を追求してきた。

 新しい情報通信技術、自動運転技術などにより、こうした近代西洋文明の制約は相当程度、取り払われる。すなわち従来の都市でしか受けられなかった教育、医療、娯楽、行政、金融などのサービスが、地方でも同様に受けられるようになる。

 となれば、生活費や住居費の安い地方で暮らしながら、都会の魅力も十分に味わうと言うライフスタイルが可能となる。これにより、従来の都市の過密化、地方の過疎化を大きく改善できるようになる。そして、多くの人々が地方の恵まれた自然の中で、地元の新鮮な農産物・水産物をいただきながら暮らすという、自然と調和した生き方が実現できる。

 わが国の自然は多様化分散化しているのが特徴であり、その中で人間も分散化して住むことが、自然と調和した生き方となる。近代西洋文明は、自然を無視して発展してきたものであった。人口の地方分散化により、自然との調和をもう一度回復すべき時である。

 また地方の広い住居での祖父母との3世代居住により、子供を産み育てやすくなると言う効果もある。これにより都会では経済的に子供を産みたくても産めなかった人々が、子供を産み育ててることができるようになる。これが人口減少のスピードを緩め、その対応により時間をかけることができるようになる。


■8.日本人のダイナミックな適応力

 弊誌710号「日本を作った人口の波」[a]で述べたように、縄文時代以来、日本人は環境変化や技術進歩に対応しつつ、4つの人口の波を乗り越えてきた。

 直近では「江戸の平和」のもとで、新田開発と全国の流通発展により、江戸中期には3千万人に達した。しかし稲作が北限に達したところで100年間の小氷河期を迎え、宝暦(1753-63年)、天明(1782-87年)、天保(1833-36年)の凶作と飢饉を迎えた。

 開国後は、近代西洋文明を急速に吸収しつつ、経済大国を築いた。人口は急速に伸びたが、同時に世界トップクラスの長寿社会を実現したのは、大きな成果であった。日本人はそれだけのダイナミックな適応力を持っているのである。

 その適応力を再度発揮して少子化と技術革新をテコに、自然環境に適した持続可能な「和の文明」を築くことができれば、人口爆発と自然破壊に直面する人類全体への良きお手本となるだろう。
(文責 伊勢雅臣)

2020年01月03日

◆中学生450人に「和の国」の話をしてみた

伊勢雅臣


 中学生たちは、我が国の「和の国」らしさを聞いて、何を思ったか。
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■1.「なぜ、日本人は『おもてなし』の気持ちを持っているのか?」

10月中旬、千葉県柏市の麗澤中学で話をさせていただいた。中学
生、それも全学年450人もの生徒たちに2時間も話すというのは初めて
の体験で、静かに聞いてくれるだろうか、と不安を抱きながらのスタート
だった。

しかし、いざ話し始めると、そんな不安はすぐにすっ飛んでしまった。
みな真剣な表情で聞いたり、一心にメモをとっている。日頃の躾が行き届
いているのだろう。

話の始めに、先頃、日本中を沸かせたラグビーワールドカップをとりあ
げた。ウェールズ代表が公開練習で、北九州市のグランドに登場すると、
5千人ものファンがウェールズ国歌“Land of My Fathers”を歌いながら、 出迎えた。

ウェールズラグビー連盟のツイッターはそのビデオを流しながら、
“There isn't much more we can say than just let you watch
this.....”(これを見て貰う以上に、語れることはない)と感激を伝えた。

各国代表をその国の国歌で迎えるのは、ラグビー元日本代表主将・廣瀬
俊朗氏の発案で、出場20カ国のカナ付き歌詞カードが公開された。廣瀬
氏曰く「きちんとその国の言葉で話ができなくても、その国のアンセム
(国歌)を歌えば心が通じる」との事だが、何千人ものファンが、それに
賛同して相手国の国歌を歌うというのは、もはや個人的な好意だけでは説
明がつかない。

そういう「おもてなし」を大切に思う文化を、多くの国民が共有してい
るからこそ、こんな光景が実現した、と話した。その後で、生徒たちに質
問した。「みなさん、なぜ、日本人はこれほどの『おもてなし』の気持ち
を持っていると思いますか?」 長いテーブルに3人ずつ座っていたの
で、各机で数分の議論の後、何グループかに回答を発表して貰った。


■2.「東京オリンピックでも、外国人にたくさんおもてなしをして、日
本をもっと好きになってもらいたいです」

最初に手を挙げた生徒の答えは「それが昔から文化として根付いている
から」だった。「なるほど。それはいいポイントですね。でも、なぜ、そ
れが昔から文化として根付いていたのでしょう」とさらに聞き返した。さ
すがにこう聞かれると、答えられるグループはなかった。

そこで、私は「古代の日本人は遠方からやってくるのは神様だと思って
いた」という説を紹介した。「まれびと」に関する折口信夫の説である。
正月に山から下りてくる神々を門松でお迎えするのも、その一種である、
と説明した。「おもてなし」の文化については、何人もの生徒が感じたと
ころがあったようで、一人の中1の男子生徒は、こう感想文に書いてくれた。

今日の伊勢さんのお話を聞いて、大切なのはおもてなしなのだというこ
とを改めて感じました。少し前に道徳の授業でおもてなしは日本の代表的
な文化ということを学習しました。私も、おもてなしを持って生活してい
きたいなと思います。東京オリンピックでも、外国人にたくさんおもてな
しをして、日本をもっと好きになってもらいたいです。

■3.「日本のために戦ってくれていてすごいな」

続いて、日本代表チーム31人中、半分強の16人が外国生まれであ
り、そのうち9人が日本国籍をとっている事を説明した。残りの7人は国
籍こそ取得していないが、一度、日本代表としてプレーすると、他国(そ
れが母国であっても)の代表となることはできない。すなわち、彼らは生
涯、日本代表としてプレーするという決意を持って、参加しているのである。

「たまたま日本に生まれて、日本人という自覚もないまま暮らしている
我々よりも、彼らははるかに日本国民として立派だとと思いませんか」と
私は語った。この言葉に、生徒たちはこう反応した。


その外国人たちは「一生、日本人としてラグビーをやっていこう」と決
心して国せきをとるらしい。私たちは何の決意もせずに生まれてきている
ことから、自分が小さく見えてしまう。(中1男子)

特にラグビーワールドカップについての話が印象に残りました。日本代
表の半分が外国人で、その中でも日本国籍をとっている人もいて、そのよ
うな人たちは、日本のために戦ってくれていてすごいなと思いました。
(中3男子)


■4.「1つの部分がくずれると全部がくずれてしまう」

日本代表選手たちは、合宿最終日に日向市の大御(おおみ)神社にある
「さざれ石」を見学し、全員で「君が代」を斉唱した。そこから「君が
代」の中の「さざれ石の巌となりて」という歌詞の意味を知っています
か、と聞いてみた。「さざれ石」とは小さな石で、それが「巌(いわ
お)」、巨石となるというのは、どういう意味だろう、と。

実は、小さなさざれ石は長い間に、互いにセメントで固めたようにくっ
ついて巨大な岩になる。これは日本の国民がそれぞれは小さな存在だが、
多くの国民が力を合わせて立派な国を創っていることを象徴しているので
す、と話した。ある中3の女生徒はこう書いている。

「君が代」にのっているさざれ石のような小さな石(=国民1人1人)が巌
(=共同体)となって1つの国となっているという歌の歌詞がとても心にひ
びきました。今、ラグビーがとても熱狂しているけど、ラグビーのスクラ
ムもそれと一緒で、1つの部分がくずれると全部がくずれてしまうことか
ら、1つ1つの部分をおろそかにしてはいけないんだなと思いました。

「さざれ石」からスクラムを連想して、「1つ1つの部分をおろそかにし
てはいけない」とまで考えているのは、私の説明をさらに深めた受け止め
方で、こちらも勉強になった。


■5.「イギリスが共同体のまとまりのおかげで大きくなった」

3年生は、この講演の後で、イギリスへの研修旅行を控えているとのこ
とで、ラグビーを生んだ大英帝国について語った。

イギリスはヨーロッパの片隅の小さな国だったが、大英帝国の最盛期に
は地球上の面積の4分の1、人口の6分の1を支配し、なおかつ産業革
命、金本位制、自由貿易、議会制民主主義、法治制度、英語などの政治・
経済制度、文化を世界に広めた。まさに近代文明はイギリスが作ったので
あり、この国を研修旅行先として選んだのは、先生方の見識の深さを示し
ている。

その小さなイギリスが史上最強の大英帝国を築き上げた理由として、
「偉人を顕彰する」文化がある事を説明した。たとえば、ロンドンの街の
そこここにはウインストン・チャーチル、ウェリントン公、ネルソン提督
などの偉人の像が立つ。ナショナル・ポートレイト・ギャラリーには、個
人の肖像画、彫像、写真などが約1万点も所蔵・展示されている。

偉人の人生を描く伝記文学もイギリスでは盛んだ。その中で、サミュエ
ル・スマイルズの『自助論』は、大英帝国を築いた偉人たちを題材とした
人生論である。たとえば、ナポレオン軍を打ち破った初代ウェリントン公
爵アーサー・ウェルズリー(1769-1852)が借金返済を迫る債権者の前で縮
こまっている光景から、その人格の高潔さを描いている。

この話から、ある3年女子は次のような感想を書いてくれた。


イギリスは自分の国に尽くすという意志が一人一人にあるから近代国と
なり、世界を支配できたと知り、尽くすことの大切さが分かりました。共
同体のために役に立つ人になろうとすれば、全体的に強くなり、自分自身
も高められるので、自分の力を高め、みんなのためになれるよう頑張ります。

それと同時に、イギリスも含めた近代の欧米諸国が1480年から1940年ま
での460年間に278回もの戦争をしてきた事を付言した。約1年8か月に一
回のペースである。それに比べて、日本では1615年(豊臣氏滅亡)-1868年
(大政奉還)の約250年間も平和が続いた。これを「徳川の平和」という。
こんな感想もあった。

はっきり言って日本ってかなりたくさん戦争しているほうだと思ったけ
れど、昔の日本の様子を聞いて、やっぱり平和っていいなと思いました。
(中2男子)


■6.「私たちが気軽に水が使えるのは、先人たちのおかげ」

講演の結びは、1年生が水源林の見学に行ってきたというので、今上陛
下が取り組まれている世界の水問題を取り上げた。

世界で6億63百万人もの人々が安心して飲める水源を身近に持たず、
年間30万人の乳幼児が汚れた水を主要因とする下痢で命を落としてい
る。アフリカでは土地はあり余るほどあるのに、水が不足しているために
農耕ができず、食料不足に陥っている。水問題こそは現代人類が直面する
最大の課題の一つである事を説明した。

私自身の体験でも、中国の天津で、外国人向けのそれなりのホテルに泊
まったのに、水道からは砂の混じった茶色い水が出てくる。バスタブにお
湯を貯めても砂混じりなので、どうしたらいいのか、と駐在員に聞いた
ら、しばらく待つと砂が底に沈むので、それからそっと砂を巻き上げない
ようにバスタブに入れば良いと教わった。

それに対して、我が国のご先祖様たちは水の神様を祀り、水が山から平
野に安定的に流れるよう、河川を整備し無数のため池を作ってきた。水道
の水をそのまま飲める国は世界にそれほどない、と話した。これについて
は、多くの生徒が感想を書いてくれた。

今私達が当たり前に使えている水の背景には先祖の人々の努力があると
いうことを初めて知り、びっくりしました。これから水を大切に使おうと
思いました。(中2女子)


普段、何気もなく蛇口をひねると、水が出て、手を洗ったり、飲んだり
している水は、他の国だと1時間かけてくみにいかなければなりません。
今日、私たちが気軽に水が使えるのは、先人たちのおかげです。もしかし
たら、数十年後には、こんなに水を気軽に使えないかもしれません。水を
節約し、大切に使っていきたいとおもいました。(中3女子)


■7.「共同体ということが大切なキーワード」

2年女子の一人は講演全体をこう総括してくれた。

今回の講座を受けて、最初にもおっしゃっていたが共同体ということが
大切なキーワードだと思いました。日々生活をしていても、共同体という
言葉はあまり聞かないけど、この講座では人として、国、助け合いなどは
全て共同体ということが重要だと言っていると思いました。

その共同体には先祖から我々を経て子孫につながっていく縦軸と、学
校、地域、国、世界へと広がっていく横軸がある。

縄文といったとても昔から今の日本の心が出来ていたと考えると、今ま
でそれをつないできた先人たちに感謝したくなった。・・・日本のこのよ
うな大切な心持ちを日本人である私が知らないというのはとても恥ずかし
くなった。もっと自国を知り、世界へと日本を発信し、後世の人間につな
いでいきたい。(中3男子)


日本人が古代からさまざまな"おもてなしの心"をもち、先祖たちが
色々考えながら行動してきたおかげで今の安定した国家があるんだという
ことを知りました。そう考えると自分も人のために何か尽くせることがな
いか、よく考えることが必要だと思いました。(中3男子)


ぼくはこの話を聞いて、日本人のすごさを知りました。昔から日本人は
助け合う精神を持っていて、江戸時代に一度も戦争がなかったのはすごい
と思います。他にも今、水が使えるのは昔の人のおかげだし、色々と物が
使えたりするにも、昔の人のおかげだと思います。

だから日本の先人たちに感謝しようと思いました。そして自分も日本人ら
しく自国の人にも他国の人にも助け合いとして、豊かな社会を作ろうと思
います。(中3男子)


■8.「日本人らしく協力していきたいです」

こういう志を、まずは日々の行動に繋げていってもらいたい。そういう
気持ちから、私は講演の結びとして「一燈照隅、万燈照国」という言葉を
紹介した。一つのロウソクは片隅しか照らせないが、そういうロウソクが
一万本も集まれば、国全体を照らせるという意味だ。この言葉を生徒たち
は自分の生活の中で受け止めてくれたようだ。


いざという時に「人々が協力して一つのことをなしとげる」このことの
すばらしさを知りました。・・・これから合唱コンクールなどもはじまり
ます。最後の合唱なので日本人らしく協力していきたいです。(3年男子)

学校生活の中でも、クラスという共同体を意識して、より良い授業の受
け方などができるといいと思いました。(中3女子話し終えて、講演会場 から退出する時、びっくりするような大きな拍手
で送られた。それもこれらの感想に書かれたように自分の先人たちの歴史
伝統を発見した嬉しい驚きからだろう。450人の生徒たちの一人一人が
一本のロウソクとして、ご先祖様からいただいた火で周囲を明るく照らし
ていって欲しい、と思った。(文責 伊勢雅臣)


2019年12月11日

◆韓国の思想的内戦 〜 

    伊勢雅臣


The Globe Now: 韓国の思想的内戦 〜『反日種族主義』を読む

 韓国内では、朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との命運を
かけた政治的・思想的内戦が展開されている。
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■1.朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との戦い

 10月3日、9日と二度にわたって、文在寅政権に反対する50万人規
模のデモがソウル中心部に発生した。韓国の保守リーダーたちは、これを
「文明勢力」と呼んでいる。自由、人権、民主主義、市場経済、法治を信
条とする近代文明を守ろうという勢力である。

 彼らが反対している文在寅政権は、韓国を日米から離反させ、北朝鮮、
中国の仲間入りさせようとしている。中朝とも中華型の全体主義体制を
とっており、皇帝独裁を支える伝統的な朱子学と親和性が高い。

__________
つまり、いま韓国で展開している戦いは朱子学的全体主義勢力と自由民主
主義文明勢力との体制の命運をかけた、妥協が不可能な戦いなのだ,[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 とは、麗澤大学客員教授・西岡力氏の総括である。韓国内だけではな
い。日米 対 中朝の争いも、同様に両勢力の命運を賭けた戦いである。こ
れに負ければ、我々日本国民も自由、人権、民主主義を失う。そういう戦
いが目の前で展開されているのである。

 この「朱子学的全体主義勢力」の本質を学問的に明らかにした『反日種
族主義』[2]が、韓国で10万部を超えるベストセラーとなり、日本語版
も発売2週間で20万部を超えている。

 これを読むと、韓国内の前近代的な「種族主義」、すなわち思想的文化
的に閉ざされた集団に閉じこもり、他集団を敵とする古代呪術的体制が学
問的に解剖されており、こういう集団には、史実も学問的議論も国際常識
も通用しない事がよく判る。

 こういう種族主義的勢力に対抗して、生命の危険をかけても学問的に正
しい事実を伝えようとする著者・李栄薫氏のような「文明勢力」がいるこ
とを知ると、少しは希望も湧いている。


■2.「日帝をどのように批判したらいいのか分からなくなる」

『反日種族主義』では、「従軍慰安婦」「徴用工」「植民地化」など韓国
の訴える「反日」について、史実を踏まえて、その「嘘」が暴かれてい
る。講義を聞いた韓国の学生たちは次のような感想を漏らすという。

__________
「今まで教科書で習って来たことが事実ではないという点を受け入れる
と、日帝(JOG注: 日本帝国主義)をどのように批判したらいいのか分から
なくなる」
「日帝の植民地支配を正当化してしまうのではないかと怖くなる」[2, 827]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この感想自体が、韓国での研究も教育も非学問的なレベルのものである
事をよく現している。というのは学生たちは「日帝は批判すべきもの」と
いう前提を信じ込んでいるからだ。すなわち「日帝とは悪魔のように呪詛
すべきもの」という「呪術的信仰」が暗黙の前提となっている。これがま
さに「反日種族主義」の正体である。


■3.「日帝の所業に間違いない」

「呪術的信仰」の典型が「鉄杭騒動」である。日本は朝鮮を併合した後、
土地調査のため、朝鮮の歴史上初めての近代的測量を行った。その過程で
測量基準点の標識を朝鮮全土の高い山に設置した。

 朝鮮では、土地には人体のように気脈が流れているという古代中国起源
の風水の自然観が信じられていた。近代的測量の目的も技術も知らない当
時の朝鮮人たちは、大地に打ち込まれた鉄杭を見て、「倭人たちが朝鮮に
人材が出ないように穴(急所:つぼ)を塞ぎ回っている」と噂し、それを
広めた。住人たちは夜、山に登っては、この棒を抜いて、金槌で砕いたと
いう。

 この迷信を国策に利用したのが、金永三政権が1995(平成7)年2月に始
めた「光復50周年記念力点推進事業」だった。大統領の指示を受けた内
務省が全国の地方自治体に公文を送り、日帝が打ち込んだ鉄杭を見つけて
抜くよう指示をした。6ヶ月間で全国から439件の申告があり、うち日
帝が打ち込んだ鉄杭だとして除去されたものは18本だった。

 当時、『月刊朝鮮』の記者だった金容三氏は、この18本の鉄杭除去現
場を訪ね、事実を調査した。慶尚道亀尾市の金烏市で除去された鉄杭を鑑
定したのは、易術人・閔(ミン)スンマン氏だった。彼は「金烏山に鉄杭が
打たれている場所は風水学的に明堂(優れた場所)だ」と言った。「龍が天
に向かって立ち上がる場所に仏が横たわっており、その額の部分に鉄杭が
打たれていた」と言う。

 金氏が「仮にそうだとしても、この鉄杭が日帝が打った、という科学的
で客観的な証拠は何ですか」と訊くと、彼は「証拠はないが、金烏山は風
水的観点からして非常に重要なので、日帝の所業に間違いないと推定し
た」と答えた。


■4.「日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと」

 忠清北道永同郡で除去された鉄杭に関しては、郡庁の担当公務員が「日
帝が打ったと言う根拠がなく、そうなのかどうなのか迷いながら抜いた」
と語った。しかし、同年6月5日午後、盛大な山神祭とともに除去され
た。その行事は、日本のNHKやTBSも取材に来て、撮影したという。

 同じ地方の永春面(JOG注: 面は日本の村に相当)でも3本の鉄杭が発見
され、情報提供者たちは「1984年頃、永春面で抗日義兵と日本軍の間で大
きな戦争が起こった。それで、抗日運動が再び起こらないように、日帝が
将来、将軍の生所となる場所に鉄杭を打ち込んだのだ」と主張した。

 永春面の前・面長であった禹ゲホン氏は、「それは日帝が打ったもので
はなくて、解放後住民たちが北壁の下に舟の綱を結ぶために打ち込んだも
のだ」と証言した。禹氏は「郡庁の人たちにこの事実を何度も説明したけ
れど、どんなに話をしても聞き入れてくれず、日帝が打った鉄杭に化けて
しまった」と、虚しく語った。

 江原道揚口郡では3本の鉄杭が除去された。それは表面に錆もなく、あ
まりにも新しくきれいなので、最近作られたものに間違いないと、金氏は
思った。もしも日帝の仕業でなかったらどうしようかと、と心配した人々
が「専門家の考証を受けた後で除去するのがよさそうだ」という意見を出
したが、無視された。

 この鉄杭も、マスコミの大々的な注目を浴びながら引き抜かれ、ソウル
国立民族博物館で開かれた光復50周年記念の一部として展示された。そ
こには次のような説明文がつけられた。

__________
 民族抹殺政策の一環として、日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しよう
と、全国の名山に鉄杭を打ったり、鉄を溶かして注いだり、炭や瓶を埋め
た。風水地理的に有名な名山に鉄杭を打ち込み、地気を押さえ人材輩出と
精気を抑え付けようとしたのだ。[2, 2974]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果」

 住民たちが舟の綱を結ぶために打ち込んだ鉄杭まで持ち出して、それを
「日帝」が「民族の精気と脈を抹殺」するために打ったものだとする。何
の証拠もなく、自分たちの古代的信仰をそのまま日本への糾弾に使う。そ
れは事実ではない、という地元の証言も聞き入れない。

 しかも、それを首都の国立民族博物館という、学問的な権威が必要とさ
れる場所で堂々と語る。ここには、近代的学問の論理的な姿勢はまるでな
い。そしてそれがいかに恥ずかしい事か、という認識もない。

 李永薫教授は、韓国の教科書を執筆した歴史家は、日帝には「土地だけ
でなく食料も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された、と教科書に書い
てきました。その全てがでたらめな学説です」と述べている。その精しい
内容は実証的な事実によって『反日種族主義』で検証されているが、「で
たらめな学説」が横行している理由について、こう述べる。

__________
 歴史家たちがでたらめな学説を作り出したのは、何かしらの邪悪な意図
からというよりは、無意識による、幼い頃から彼らが呼吸して来た、祖先
から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果だと言えます。[2, 556]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち「鉄杭」神話は、風水説という「伝統文化」に引きずられて生
み出され、広められたものである。そこには史実も合理性も学問的検証も
ない。ただ空理空論で世界のあるべき姿を追求した朱子学的世界観であ
る。李栄薫教授ら「文明勢力」が戦っているのは、このような前近代的思
考に閉じこもった人々なのである。


■6.風水で朝鮮総督府庁舎も解体

 金永三大統領は、鉄杭の除去に留まらず、旧朝鮮総督府の庁舎と総督官
邸の解体まで指示した。その理由も、風水研究家が次のような主張をし
て、世論をリードしたからだった。

__________
 北岳はソウルの主山だが、その優れた気脈が景福宮の勤政殿まで伸び、
その血脈を広げ、そこから国中に白頭山の精気を分け与えるというのが、
伝統地理家たちの考えだ。
ところが倭人たちが国土を強占した後、北岳の精気が景福宮に続く所に彼
らの頭領である朝鮮総督の宿所を造り、気脈の首を絞め、国気の出発点で
ある景福宮南側に総督府の庁舎を造り、首を絞め、口を塞ぐはめになっ
た。当然二つの建物を撤去し原状復旧することが風水の正道だ。[2, 2139]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 文化界の有名人氏たちも「日帝が朝鮮王朝の景福宮を破壊し、そこに朝
鮮総督府の建物を建てたため、国の脈が切れて国土が分断され、同族を殺
し合う悲劇が訪れた」と賛同した。朝鮮戦争まで、風水で説明する。

 1995年8月15日の光復50周年慶祝式で、朝鮮総督府庁舎の撤去作業
が始まり、翌年11月13日、建物の地上部分の撤去が完了した。朝鮮総
督府は日本統治時代に10年の工期を費やして完成した建物で、当時はイ
ギリスのインド総督府やオランダのボルネオ総督府を凌駕する東洋最大の
近代式建築物だった。


■7.「恥ずかしく清算すべき歴史」

 朝鮮総督府庁舎は、戦後も大韓民国の重要な歴史が刻まれた舞台だっ
た。1945年9月9日、ここで第9代朝鮮総督・阿部信行が米第24軍軍団長
ジョン・ホッジ中将に降伏文書を手渡した。ソウルに進駐した米軍は、こ
こを米軍政庁として使った。

1948年5月31日、中央庁の中央ホールで大韓民国の国会が開かれ、
同年7月17日には憲法がこの場で公布された。続いて7月24日には大韓民国
の初代大統領の就任式が、8月15日には大韓民国政府の樹立の宣布が、
中央庁の広場で行なわれた。

 この建物は1950年10月7日まで国会議事堂として使われ、その後は李承
晩大統領の執務室となり、朝鮮戦争で火を放たれたが、1962年11月22日、
復旧され、その後、中央行政府の庁舎として使用されてきた。

 朝鮮総督府庁舎は、大韓民国の建国以来の歴史の中心的舞台だったので
ある。それを風水で「国の脈が切れて国土が分断され」た事を理由とし
て、解体撤去するというのは、どういう心理だろう。風水を信ずる多くの
韓国民は快哉を叫んだが、金永三大統領の真の目的は別の所にあった。

 金泳三大統領の秘書官・金正男は、『月刊朝鮮』におけるインタビュー
で「金泳三大統領は、中央庁の建物で展開された韓国現代史が、自分の政
権の正統性とはほど遠い恥ずかしく清算すべき歴史なので、その建物に対
し愛着を感じなかったようだ」と発言している。

 今までの韓国現代史を「恥ずかしく清算すべき歴史」とするのが、金永
三大統領の歴史観だった。それは現在の文在寅大統領にも継承されてい
る。その歴史観を李永薫教授は、次のように要約してる。

__________
 日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが
建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥
やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかす
んだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢
力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った」 (『大韓民国の物語』
文藝春秋)。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち現在の大韓民国とは、「日帝時代の親日勢力」の残党がアメリ
カと結託して建てた国であり、本来の正統的国家は北朝鮮だというのであ
る。3代続いている北朝鮮の金王朝こそ、朝鮮の正統な支配者であり、ま
たその背後にある習近平の独裁政権も、伝統的な中華帝国の支配者と見る。

 中国も北朝鮮も、それぞれの前近代的な伝統に基づく独裁国家である。
そこには自由、人権、法治、市場経済という文明的概念はない。こういう
東アジアの朱子学的全体主義勢力と戦っているのが、韓国内の自由民主主
義文明勢力なのである。


■8.「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」

 この夏、8月15日にもソウルで反文在寅の「太極旗デモ」が行われ、
参加者は「日本は敵ではない」「反日は反逆だ」などのスローガンを大声
で叫んだ。演説会でも「文在寅政権の反日は親北容共で韓国に有害だ」
「反日は愛国ではなく反逆、利敵だ」「今の日本は敵でなく、共産主義と
共に戦う味方だ」という発言が相次ぎ、参加者が大声で唱和した。[3]

__________
 現在の韓国の反日は、文政権とその支持勢力が主導する「親北反日」
で、それを見抜いた韓国の自由民主主義勢力がアンチ反日運動に立ち上
がって、韓国内で激しい政治的、思想的内戦を展開しているのだ。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 西岡力教授の結論である。香港のデモも本質は同じだろう。自由な日本
と台湾のすぐ隣、大陸との境界では、「激しい政治的、思想的内戦」が起
こっていることを我々は認識しなければならない。『反日種族主義』が韓
国でベストセラーになったのは、自由民主主義文明勢力の反撃の狼煙なの
である。
(文責 伊勢雅臣)

■『No.1141 日系移民がペルー社会を固めた「根っこ」』へのおたより

■(けんたれ3さん)

毎週、珠玉の記事をありがとうございます。
本記事に感動しました。

南米に移民して大変なご苦労をされたにもかかわらず、戦前の日本人は、
利他心とノブレスオブリージュが備わっている人が多く、それは一等国民
として恥ずかしくない恰好をという国家と歴史に対する誇りが根っこにあ
ると感じました。

フジモリ大統領の「正直・勤勉・技術」というスローガンも日本精神の根
本であると思いますし、われわれ日本人も肝に銘じておかねばならないと
思います。

昨今の若者による詐欺の隆盛などを見ますとある種、将来へ希望を持てな
い若者たちのテロという意味で以前のペルーと似ている気がします。

やはり、自身に健全な誇りを持てる国家観を醸成する教育と相対的貧困を
減らして将来に希望を持てる経済成長を前提とする経済政策また、少子高
齢化に対応した抜本的な社会保障制度の構築(これは言うは易くで経済成
長により全体的なパイを増やさないとどうしても限られたパイを奪い合う
ゼロサムゲームになって給付者と納付者の対立が避けられませんので)が
必要かと考えます。

とはいえ、天下国家を論じる前にわれわれ自身一人一人が「正直に誠実
に、報徳思想で自分のことだけでなく自分の身の回りのことにも奉仕して
付加価値のある製品やサービスを生み出していけるよう勤勉に働く」とい
うことを体現していきたいと決意を新たにいたしました

2019年11月20日

◆大嘗祭 〜「安国と知ろしめせ」

伊勢雅臣


1.新嘗(にいなめ)とは「産屋の忌み」

 11月14日(木)・15日(金)にかけて大嘗祭(だいじょうさい)が行われ
た。5月1日に行われた「剣璽等継承の儀」と、10月22日の「即位礼正殿の
儀」によって、天皇の位の継承は済んでいるはずだが、これらに加えて大
嘗祭を行う意味はどこにあるのか? 実はそこに我が国の文化伝統の深い
「根っこ」が秘められている。

 稲の収穫儀礼として毎年、秋に行われるのが、新嘗祭(にいなめさい)で
あり、天皇が即位された最初の年に行われる新嘗祭が、大嘗祭である。こ
の「にいなめ」という不思議な言葉の語源を辿ると、その「根っこ」が見
えてくる。

 工藤隆・大東文化大学名誉教授は『大嘗祭ー天皇制と日本文化の源流』
で、もとは「ニフノイミ」だったのが、「ニフナミ」から「ニヒナメ」と
なった、という説を提示している。それによると「ニフ」とは「産屋」、
「ノイミ」は「の忌(い)み」で、合わせると「産屋の忌み」となる。


■2.「産屋の忌み」

「産屋」というのは、新しく収穫された稲穂は新たに誕生した「稲魂」で
あるという考え方から来る。マレイ半島では、まさにこの「産屋の忌み」
を示す古代の収穫儀礼が伝わっている。

__________
巫女が田に出かけ、前もって定めておいた母穂束から稲魂を収め取る。
「米児」と呼ばれる七本の稲束を魂籠に納める。・・・家では主婦がその
魂籠を迎え、寝室に迎え入れ、枕の用意してある寝具用のござむしろの上
に安置し、規定の呪儀のあとで白布をかぶせておく。
そのあと 主婦は、三日間「産褥(さんじょく) にあるときに守らねばなら
ないのとまったく同じタブー」を厳守する。・・・
一方、田に遺されていた母穂束は最後に主婦によって刈り取られ、家に持
ち帰られる。「稲魂の母」「新しい母」と呼ばれ、子を出産した母として
扱われる。[1, 4102]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 水田耕作は揚子江の中下流で始まったとされている。そこで紀元前
6〜5千年には稲作を始めていたのが長江文明で、漢民族の黄河文明より
古い。しかし、戦闘的な漢民族に追いやられて、中国南部から東南アジア
に移り、一部は台湾から日本にやってきたと考えられている[a]。した
がって、マレー半島と日本列島で類似した農耕儀礼が残っていても不思議
ではない。

 我が国でも古代には、一般民衆の家々で同様の「産屋の忌み」が行われ
ていたようで、『萬葉集』には次のような和歌もある。

__________
誰(たれ)そこの屋(や)の戸押(お)そぶる新嘗(にふなみ)にわが背を遣(や)
りて斉(いは)ふこの戸を
(きょうはニイナメなので私の愛しいあなたを外に出して儀礼を行ってい
ます。それなのに、誰か(あなた)が(まるで訪れてきた神のように)戸を
押して揺らしています。)[1, 1825]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■3.マレイ半島の収穫儀礼と大嘗祭の類似

 マレイ半島の収穫儀礼には「大嘗祭の重要な要素のほとんどすべてが
揃っている」と、工藤教授は指摘する。

__________
「巫女」はサカツコ(酒造児)、「稲魂」は神聖な稲、「稲魂を収め取る」
行事は抜穂、「寝室」は大嘗殿内陣、寝具用のござむしろは白端御帖(し
らべりのおんたたみ)、「白布」は衾(ふすま)、「枕」は坂枕などに対応
する。[1, 4112]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 サカツコは「酒(サカ)の(ツ)童女・巫女(コ)」で、稲から酒を造る未婚
の娘である。大嘗祭では悠紀(ゆき)、主基(すき)両国の現地から占いで選
ばれる。このサカツコが「抜穂」、すなわち育った稲を抜く。そして大嘗
宮に向かう行列においても、神聖な稲の黒木輿(くろきのこし)の前を、白
木輿(しろきこし)に乗って先導する。

 大嘗殿内陣には、敷き布団(白端御帖)、枕(坂枕)、夜着(単、ひとえ)、
掛け布団(衾)と寝具一式が揃っている。これが何を意味するのか、いろい
ろな説がある。しかし、上述のマレイ半島の「米児を寝具用のござむしろ
の上に安置し」という点に引き比べると分かりやすい。稲の新生児を寝か
しておく寝具なのだ。


■4.降臨したニニギノミコトは稲穂の稔りの象徴

 衾は天孫降臨のシーンにも出てくる。天照大神の孫・ニニギノミコトは
生まれたばかりの姿で「真床追衾(まとこおうふすま)」にくるまれて、地
上に送られた。「ニニギ」とは「日本米の原種である古代の赤米が赤らん
で実った姿をいうもの」と、本居宣長は『古事記伝』で解釈した。そこか
ら「ニニギノミコトは稲穂の稔りを象徴する穀童を意味する」とされてい
る。[2, 324]

 マレイ半島の「米児」を寝具に安置するのと、『古事記』で「穀童」が
寝具にくるまって地上に天降るのと、この酷似は偶然ではありえないだろう。

 そもそも、天照大御神が孫のニニギノミコトを降臨させた狙いはどこに
あったのか。天孫降臨が決められた経緯は、「大祓詞(おおはらえのこと
ば)」という祝詞の冒頭にこう語られている。

__________
 八百万(やおよろず)の神等を神(かむ)集(つど)えたまひ、神議(はか)り
に謀(はか)りたまひて、我が皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(と
よあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)を安国(やすくに)と平らけく知ろ
しめせと事依(ことよ)さしまつりき。[2, 553]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち高天原の神々が相談した結果に基づいて天照大神が「我が皇御
孫命」すなわちニニギノミコトに、「豊葦原の瑞穂国」を「安国」、安ら
かな国とするよう治めよ、と委任されたのである。

「豊葦原の瑞穂国」について、皇學館大学・真弓常忠教授はこう語る。

__________
 わが国の古い呼び名を「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)
という。豊かな稲穂の稔りに恵まれた国を意味する。葦の豊かに茂る原は
みずみずしい稲も育つとの経験によった名であるが、必ずしもあるがまま
の姿ではなく、多分に期待と祈りをこめた讃め言葉である。
 日本の神話を記す『古事記』には、天照大御神がはじめて稲を得られた
とき、これこそが天下万民の「食いて活くべきもの」とされて、「斉庭
(ゆにわ)の穂(いなほ、高天原の神聖な稲穂)」を皇孫ニニギノミコトに授
けられて、天降らしめられたと伝える。・・・

 天上の稲を地上に移し替えて、この国を文字通り稲穂の豊かに実る国に
しようというのが、古人の共通の願いであった。[2,328]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 わざわざ赤子を天降りさせたというのは、生まれたばかりの新生児ほど
霊威が強いという古代の信仰によるものらしい。

 新たに収穫された稲穂を嬰児と見立てて、丈夫に育つよう寝床にくるむ
という点では、マレイ半島の古俗も日本神話も共通であるが、日本神話で
はそれを民間習俗に終わらせずに、国家の始原の物語に位置づけている点
が異なる。


■5.前天皇の死と新天皇の誕生

 新しく生まれた稲穂を迎える大嘗祭・新嘗祭も、基本的にはマレイ半島
の古俗と同じ起源を持っているのだろう。ニニギノミコトの降臨にも関係
がありそうだが、実際、どのような儀式が行われるのか。

 大嘗祭では、冬至の頃の一日、夜7〜9時に天皇が悠紀殿に進まれて儀
式を行い、その晩の午前2時からは主基殿で同じ儀式を繰り返す。冬至の
頃に行われる理由を工藤教授はこう説明している。

__________
『日本書紀』によれば、初代神武から持統天皇(41代)までは、前天皇の
死→新天皇の誕生が基本だった。[1, 4426]

大嘗祭当日の行事は、季節の衰弱の秋の部分が前天皇の衰弱および稲の収
穫に対応した午後九時頃からのユキ殿での行事であり、深夜零時前後が冬
の極まりで季節の仮死、すなわち前天皇の死(天皇霊の持続性という視点
からは仮死)また収穫後の稲の仮死を象徴し、
午前二時頃からのスキ殿での行事は季節の復活の春の始まり、新しい稲の
子の誕生、新天皇の誕生を象徴しているとしてよいだろう。[1, 4438]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.天皇の聖なる使命を新たに伝える儀式

 悠紀殿、主基殿での儀式とはどのようなものか。天皇は斎戒沐浴の後、
神に食事を捧げ、御自らも箸をとられる。『国史大事典』の説明を引用す
ると:

__________
陪膳の采女たちが奉仕して、八重畳の東の神座と御座に米と粟の飯・粥に
黒酒(くろき)・白酒(しろき)を中心とした数々の料理の品々の神と天
皇の膳を並べる。天皇は神の食薦(けごも)の上に神饌の品々を十枚の葉
盤(ひらで)に取り分けたものを供え、その神饌の上に神酒をそそぐ。そ
して天皇も箸をとってたべる形をとる。この神事が神饌親供である。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが、悠紀殿の夕御饌(ゆうみけ)、主基殿の朝御饌(あさみけ)と繰り
返される。この儀式はどういう意味を持っているのか? 真弓教授は、こ
う説かれる。

__________
 その稲は、皇祖天照大神より授けられた「斉庭の穂」である。それは皇
祖=日神(ひのかみ)の霊異がこもっている。これをきこしめす(JOG注: お
食べになる)ことは、皇祖の霊威を身に体し、大御神とご一体になられる
ことである。そういう意義をもっておこなわれるのが大嘗祭であり、それ
を年々くり返して霊威の更新をはかられるのが新嘗祭である。[2, 576]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 工藤教授は、西郷信綱・横浜市立大学名誉教授の次の指摘を引用している。

__________
 世々の天皇はみなホノニニギの命であり、新たなホノニニギの命として
初代のホノニニギの命を大嘗宮で再演するのである。つまり、たんに次々
に位を受け継ぐのではなく、高天原直伝の君主として、それぞれ新規に瑞
穂の国に降臨する。[1, 4416]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 つまり、ここでも天皇は代々、ニニギノミコトの生まれ変わりであり、
新しい天皇となられる際に、天照大御神をお迎えして、「安国と平らけく
知ろしめせ」との委任を新たに受けられる。そして、毎年の新嘗祭でもこ
れを繰り返され、この「聖なる使命」を確認されるのである。


■7.国民の幅広い参加

 大嘗祭も新嘗祭も、皇室だけの儀式ではない。国民も様々な形で参加す
る。まず悠紀殿、主基殿で供される神聖なる稲穂をとる田は、亀の甲を焼
いてその亀裂によって神意を判ずることによって選ばれる。概ね悠紀は京
都より東、主基は西国から選ばれる。今回は栃木県と京都府が選ばれた。

 悠紀(ゆき)とは斉酒(ゆき)で、「神聖な酒」の意だとされている。神聖
な米から酒も作るので、こう呼ばれたのだろう。主基(すき)は「次」で第
二の儀式だから、という説もあるが、工藤教授は「サ(神聖な)キ(酒)」が
転じた言葉という説を提唱している。

 両国から提供される米以外に、紀伊国からあわびやさざえ、海藻等6
種、阿波国からあゆ、橘子(たちばなのみ)など12種、淡路国から壺など
容器3種類などが調進される。また神に献上する生糸を作り、服を織るの
は参河国(三河)と阿波国だ。こうした様々な献物を納める行列を迎えるの
が、現在の鹿児島県あたりからやってきた隼人百余人である。

 大嘗祭、新嘗祭は、天皇が天照大御神から授けられた聖なる使命への決
意を新たにする儀式であるが、その儀式を支える多くの民の姿をご覧にな
る事で、その責任の重大さをいよいよ感じとられたであろう。また、民の
方も、この神聖な儀式を支える行為を通じて、天皇の聖なる使命を自分た
ちもお助けしなければ、という思いを新たにしたろう。

 大嘗祭、新嘗祭は、天皇と民が互いに支え合い、助け合う心を新たにす
る、いかにも「和の国」[b]にふさわしい儀式であった。


■8.アニミズム文化圏の中で唯一、近代国家を創り上げた国

 マレイ半島の収穫儀式は、稲の命を人間と同様に見なすアニミズム文化
である。同様のアニミズム文化が長江以南から東南アジアにかけて広く見
られるが、それらの民族は国家を作らなかったか、作っても弱小であっ
た、と工藤教授は指摘する。

「アニミズム系文化には、自然と共に生きる思想と、自然が与えてくれる
恩恵に感謝しながら生きる節度ある欲望の利点がある」[1, 4891]と工藤
教授は指摘するが、その穏やかさのためか、遊牧民族や一神教教徒には敵
(かな)わなかった。長江文明が漢民族に追いやられたり、近代に西洋諸国
の植民地とされたのも、その一例であろう。

 しかし、我が国は、アニミズム文化圏の中で、唯一強力な近代国家を創
り上げた。マレイ半島と同じ収穫儀式を基底としながらも、そこから国家
建設の神話と民の平和を願う国家的理想を生み出した。それを洗練された
伝統儀式として発展させ、1300年以上も継続してきた。大嘗祭で我々が目
にしたのは、そういう奇跡だった。

 自然の命を人間と同様に見なすアニミズム文化は、一神教による近代文
明の自然破壊を転換させる智慧を備えている。また一人ひとりの人間の命
を大切にする思想は、共産主義などの独裁を否定し、国民を大切にする福
祉国家の在り方を指し示す。古代のアニミズム文化を発展させて、唯一近
代国家を創り上げた我が国は、そういう道を世界に指し示す事ができるの
である。

2019年11月18日

◆大嘗祭 〜「安国と知ろしめせ」

  伊勢雅臣


1.新嘗(にいなめ)とは「産屋の忌み」

 11月14日(木)・15日(金)にかけて大嘗祭(だいじょうさい)が行われ
た。5月1日に行われた「剣璽等継承の儀」と、10月22日の「即位礼正殿の
儀」によって、天皇の位の継承は済んでいるはずだが、これらに加えて大
嘗祭を行う意味はどこにあるのか? 実はそこに我が国の文化伝統の深い
「根っこ」が秘められている。

 稲の収穫儀礼として毎年、秋に行われるのが、新嘗祭(にいなめさい)で
あり、天皇が即位された最初の年に行われる新嘗祭が、大嘗祭である。こ
の「にいなめ」という不思議な言葉の語源を辿ると、その「根っこ」が見
えてくる。

 工藤隆・大東文化大学名誉教授は『大嘗祭ー天皇制と日本文化の源流』
で、もとは「ニフノイミ」だったのが、「ニフナミ」から「ニヒナメ」と
なった、という説を提示している。それによると「ニフ」とは「産屋」、
「ノイミ」は「の忌(い)み」で、合わせると「産屋の忌み」となる。


■2.「産屋の忌み」

「産屋」というのは、新しく収穫された稲穂は新たに誕生した「稲魂」で
あるという考え方から来る。マレイ半島では、まさにこの「産屋の忌み」
を示す古代の収穫儀礼が伝わっている。

__________
巫女が田に出かけ、前もって定めておいた母穂束から稲魂を収め取る。
「米児」と呼ばれる七本の稲束を魂籠に納める。・・・家では主婦がその
魂籠を迎え、寝室に迎え入れ、枕の用意してある寝具用のござむしろの上
に安置し、規定の呪儀のあとで白布をかぶせておく。
そのあと 主婦は、三日間「産褥(さんじょく) にあるときに守らねばなら
ないのとまったく同じタブー」を厳守する。・・・
一方、田に遺されていた母穂束は最後に主婦によって刈り取られ、家に持
ち帰られる。「稲魂の母」「新しい母」と呼ばれ、子を出産した母として
扱われる。[1, 4102]
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 水田耕作は揚子江の中下流で始まったとされている。そこで紀元前
6〜5千年には稲作を始めていたのが長江文明で、漢民族の黄河文明より
古い。しかし、戦闘的な漢民族に追いやられて、中国南部から東南アジア
に移り、一部は台湾から日本にやってきたと考えられている[a]。した
がって、マレー半島と日本列島で類似した農耕儀礼が残っていても不思議
ではない。

 我が国でも古代には、一般民衆の家々で同様の「産屋の忌み」が行われ
ていたようで、『萬葉集』には次のような和歌もある。

__________
誰(たれ)そこの屋(や)の戸押(お)そぶる新嘗(にふなみ)にわが背を遣(や)
りて斉(いは)ふこの戸を
(きょうはニイナメなので私の愛しいあなたを外に出して儀礼を行ってい
ます。それなのに、誰か(あなた)が(まるで訪れてきた神のように)戸を
押して揺らしています。)[1, 1825]
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■3.マレイ半島の収穫儀礼と大嘗祭の類似

 マレイ半島の収穫儀礼には「大嘗祭の重要な要素のほとんどすべてが
揃っている」と、工藤教授は指摘する。

__________
「巫女」はサカツコ(酒造児)、「稲魂」は神聖な稲、「稲魂を収め取る」
行事は抜穂、「寝室」は大嘗殿内陣、寝具用のござむしろは白端御帖(し
らべりのおんたたみ)、「白布」は衾(ふすま)、「枕」は坂枕などに対応
する。[1, 4112]
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 サカツコは「酒(サカ)の(ツ)童女・巫女(コ)」で、稲から酒を造る未婚
の娘である。大嘗祭では悠紀(ゆき)、主基(すき)両国の現地から占いで選
ばれる。このサカツコが「抜穂」、すなわち育った稲を抜く。そして大嘗
宮に向かう行列においても、神聖な稲の黒木輿(くろきのこし)の前を、白
木輿(しろきこし)に乗って先導する。

 大嘗殿内陣には、敷き布団(白端御帖)、枕(坂枕)、夜着(単、ひとえ)、
掛け布団(衾)と寝具一式が揃っている。これが何を意味するのか、いろい
ろな説がある。しかし、上述のマレイ半島の「米児を寝具用のござむしろ
の上に安置し」という点に引き比べると分かりやすい。稲の新生児を寝か
しておく寝具なのだ。


■4.降臨したニニギノミコトは稲穂の稔りの象徴

 衾は天孫降臨のシーンにも出てくる。天照大神の孫・ニニギノミコトは
生まれたばかりの姿で「真床追衾(まとこおうふすま)」にくるまれて、地
上に送られた。「ニニギ」とは「日本米の原種である古代の赤米が赤らん
で実った姿をいうもの」と、本居宣長は『古事記伝』で解釈した。そこか
ら「ニニギノミコトは稲穂の稔りを象徴する穀童を意味する」とされてい
る。[2, 324]

 マレイ半島の「米児」を寝具に安置するのと、『古事記』で「穀童」が
寝具にくるまって地上に天降るのと、この酷似は偶然ではありえないだろう。

 そもそも、天照大御神が孫のニニギノミコトを降臨させた狙いはどこに
あったのか。天孫降臨が決められた経緯は、「大祓詞(おおはらえのこと
ば)」という祝詞の冒頭にこう語られている。

__________
 八百万(やおよろず)の神等を神(かむ)集(つど)えたまひ、神議(はか)り
に謀(はか)りたまひて、我が皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(と
よあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)を安国(やすくに)と平らけく知ろ
しめせと事依(ことよ)さしまつりき。[2, 553]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち高天原の神々が相談した結果に基づいて天照大神が「我が皇御
孫命」すなわちニニギノミコトに、「豊葦原の瑞穂国」を「安国」、安ら
かな国とするよう治めよ、と委任されたのである。

「豊葦原の瑞穂国」について、皇學館大学・真弓常忠教授はこう語る。

__________
 わが国の古い呼び名を「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)
という。豊かな稲穂の稔りに恵まれた国を意味する。葦の豊かに茂る原は
みずみずしい稲も育つとの経験によった名であるが、必ずしもあるがまま
の姿ではなく、多分に期待と祈りをこめた讃め言葉である。
 日本の神話を記す『古事記』には、天照大御神がはじめて稲を得られた
とき、これこそが天下万民の「食いて活くべきもの」とされて、「斉庭
(ゆにわ)の穂(いなほ、高天原の神聖な稲穂)」を皇孫ニニギノミコトに授
けられて、天降らしめられたと伝える。・・・

 天上の稲を地上に移し替えて、この国を文字通り稲穂の豊かに実る国に
しようというのが、古人の共通の願いであった。[2,328]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 わざわざ赤子を天降りさせたというのは、生まれたばかりの新生児ほど
霊威が強いという古代の信仰によるものらしい。

 新たに収穫された稲穂を嬰児と見立てて、丈夫に育つよう寝床にくるむ
という点では、マレイ半島の古俗も日本神話も共通であるが、日本神話で
はそれを民間習俗に終わらせずに、国家の始原の物語に位置づけている点
が異なる。


■5.前天皇の死と新天皇の誕生

 新しく生まれた稲穂を迎える大嘗祭・新嘗祭も、基本的にはマレイ半島
の古俗と同じ起源を持っているのだろう。ニニギノミコトの降臨にも関係
がありそうだが、実際、どのような儀式が行われるのか。

 大嘗祭では、冬至の頃の一日、夜7〜9時に天皇が悠紀殿に進まれて儀
式を行い、その晩の午前2時からは主基殿で同じ儀式を繰り返す。冬至の
頃に行われる理由を工藤教授はこう説明している。

__________
『日本書紀』によれば、初代神武から持統天皇(41代)までは、前天皇の
死→新天皇の誕生が基本だった。[1, 4426]

大嘗祭当日の行事は、季節の衰弱の秋の部分が前天皇の衰弱および稲の収
穫に対応した午後九時頃からのユキ殿での行事であり、深夜零時前後が冬
の極まりで季節の仮死、すなわち前天皇の死(天皇霊の持続性という視点
からは仮死)また収穫後の稲の仮死を象徴し、
午前二時頃からのスキ殿での行事は季節の復活の春の始まり、新しい稲の
子の誕生、新天皇の誕生を象徴しているとしてよいだろう。[1, 4438]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.天皇の聖なる使命を新たに伝える儀式

 悠紀殿、主基殿での儀式とはどのようなものか。天皇は斎戒沐浴の後、
神に食事を捧げ、御自らも箸をとられる。『国史大事典』の説明を引用す
ると:

__________
陪膳の采女たちが奉仕して、八重畳の東の神座と御座に米と粟の飯・粥に
黒酒(くろき)・白酒(しろき)を中心とした数々の料理の品々の神と天
皇の膳を並べる。天皇は神の食薦(けごも)の上に神饌の品々を十枚の葉
盤(ひらで)に取り分けたものを供え、その神饌の上に神酒をそそぐ。そ
して天皇も箸をとってたべる形をとる。この神事が神饌親供である。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが、悠紀殿の夕御饌(ゆうみけ)、主基殿の朝御饌(あさみけ)と繰り
返される。この儀式はどういう意味を持っているのか? 真弓教授は、こ
う説かれる。

__________
 その稲は、皇祖天照大神より授けられた「斉庭の穂」である。それは皇
祖=日神(ひのかみ)の霊異がこもっている。これをきこしめす(JOG注: お
食べになる)ことは、皇祖の霊威を身に体し、大御神とご一体になられる
ことである。そういう意義をもっておこなわれるのが大嘗祭であり、それ
を年々くり返して霊威の更新をはかられるのが新嘗祭である。[2, 576]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 工藤教授は、西郷信綱・横浜市立大学名誉教授の次の指摘を引用している。

__________
 世々の天皇はみなホノニニギの命であり、新たなホノニニギの命として
初代のホノニニギの命を大嘗宮で再演するのである。つまり、たんに次々
に位を受け継ぐのではなく、高天原直伝の君主として、それぞれ新規に瑞
穂の国に降臨する。[1, 4416]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 つまり、ここでも天皇は代々、ニニギノミコトの生まれ変わりであり、
新しい天皇となられる際に、天照大御神をお迎えして、「安国と平らけく
知ろしめせ」との委任を新たに受けられる。そして、毎年の新嘗祭でもこ
れを繰り返され、この「聖なる使命」を確認されるのである。


■7.国民の幅広い参加

 大嘗祭も新嘗祭も、皇室だけの儀式ではない。国民も様々な形で参加す
る。まず悠紀殿、主基殿で供される神聖なる稲穂をとる田は、亀の甲を焼
いてその亀裂によって神意を判ずることによって選ばれる。概ね悠紀は京
都より東、主基は西国から選ばれる。今回は栃木県と京都府が選ばれた。

 悠紀(ゆき)とは斉酒(ゆき)で、「神聖な酒」の意だとされている。神聖
な米から酒も作るので、こう呼ばれたのだろう。主基(すき)は「次」で第
二の儀式だから、という説もあるが、工藤教授は「サ(神聖な)キ(酒)」が
転じた言葉という説を提唱している。

 両国から提供される米以外に、紀伊国からあわびやさざえ、海藻等6
種、阿波国からあゆ、橘子(たちばなのみ)など12種、淡路国から壺など
容器3種類などが調進される。また神に献上する生糸を作り、服を織るの
は参河国(三河)と阿波国だ。こうした様々な献物を納める行列を迎えるの
が、現在の鹿児島県あたりからやってきた隼人百余人である。

 大嘗祭、新嘗祭は、天皇が天照大御神から授けられた聖なる使命への決
意を新たにする儀式であるが、その儀式を支える多くの民の姿をご覧にな
る事で、その責任の重大さをいよいよ感じとられたであろう。また、民の
方も、この神聖な儀式を支える行為を通じて、天皇の聖なる使命を自分た
ちもお助けしなければ、という思いを新たにしたろう。

 大嘗祭、新嘗祭は、天皇と民が互いに支え合い、助け合う心を新たにす
る、いかにも「和の国」[b]にふさわしい儀式であった。


■8.アニミズム文化圏の中で唯一、近代国家を創り上げた国

 マレイ半島の収穫儀式は、稲の命を人間と同様に見なすアニミズム文化
である。同様のアニミズム文化が長江以南から東南アジアにかけて広く見
られるが、それらの民族は国家を作らなかったか、作っても弱小であっ
た、と工藤教授は指摘する。

「アニミズム系文化には、自然と共に生きる思想と、自然が与えてくれる
恩恵に感謝しながら生きる節度ある欲望の利点がある」[1, 4891]と工藤
教授は指摘するが、その穏やかさのためか、遊牧民族や一神教教徒には敵
(かな)わなかった。長江文明が漢民族に追いやられたり、近代に西洋諸国
の植民地とされたのも、その一例であろう。

 しかし、我が国は、アニミズム文化圏の中で、唯一強力な近代国家を創
り上げた。マレイ半島と同じ収穫儀式を基底としながらも、そこから国家
建設の神話と民の平和を願う国家的理想を生み出した。それを洗練された
伝統儀式として発展させ、1300年以上も継続してきた。大嘗祭で我々が目
にしたのは、そういう奇跡だった。

 自然の命を人間と同様に見なすアニミズム文化は、一神教による近代文
明の自然破壊を転換させる智慧を備えている。また一人ひとりの人間の命
を大切にする思想は、共産主義などの独裁を否定し、国民を大切にする福
祉国家の在り方を指し示す。古代のアニミズム文化を発展させて、唯一近
代国家を創り上げた我が国は、そういう道を世界に指し示す事ができるの
である。

2019年10月10日

◆「お陰様」と「おもてなし」


■1.「これを見て貰う以上に、言うべき言葉はない」

 オリンピックやサッカー・ワールドカップと並んで、世界三大スポー
ツ・イベントとされるラグビー・ワールドカップが始まった。国内各地で
各国選手を迎える歓迎ぶりが、世界で反響を呼んでいる。

 日本代表との壮行試合に41−7で勝利した南アフリカ代表は、次なる
キャンプ地、鹿児島市へ。公開練習に約5000人も観客が詰めかけ、メディ
ア関係者のMatt Pearce氏はその光景をピッチから撮影し、ツイッターで
こう発信した。[1]

__________
 鹿児島での公開練習で大変な群衆。熱く、惜しみない歓迎が続く。天気
と同じくらい熱い!(拙訳)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ウェールズ代表がキャンプする北九州の商店街ではチーム旗が飾られ、
「ウェールズ代表を応援しよう」と書いた幟(のぼり)が立てられた。小
倉城天守閣はチームカラーの赤でライトアップされて、選手からも「ファ
ンタスティック」などの感激コメントが寄せられた。9月16日のミクニ
ワールドスタジアム北九州での初の公開練習では開場以来最多の1万
5300人の観客が集まった。

 さらなるサプライズは、選手がグランドに出てくる際に、観客がウェー
ルズ国歌「Land of My Fathers」(「父祖の土地」)を斉唱して迎えたこ
とだ。続いて応援歌でもある賛美歌「Calon Lan」。チームの公式ツイッ
ターではその光景をビデオで撮って、「これを見てもらう以上に、言うべ
き言葉はない」と感激を伝えた。

 各国代表をその国の国歌で迎えるのは、ラグビー元日本代表主将・廣瀬
俊朗氏の発案で、出場20カ国のカナ付き歌詞カードが公開された。廣瀬
さんは「きちんとその国の言葉で話ができなくても、その国のアンセム
(国歌)を歌えば心が通じる」と語っている。[2]

 その言葉通り、元代表キャプテンのライアン・ジョーンズ氏は公開練習
後、「これまでのラグビーキャリアでこのような経験をしたことは一度も
なかった」とメディアに感動を伝えた。

 それにしてもなぜ、日本人はこれほど「おもてなし」に心を籠めるのだ
ろうか? 海外からの賓客を歓迎するのは、どこの国民でもするが、その
際の心の籠め方が、日本人の場合はレベルが違うように思う。それが外国
人を感激させるのである。


■2.「おもてなし」と「サービス」の違い

 山村明義氏の近著『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないの
か』[3]で、日本のおもてなしと欧米のサービスとの違いをこう述べている。

__________
欧米のキリスト教社会の「サービス」は、「私」と「あなた」、つまり個
人と個人の関係をハッキリさせた上での「行為」です。 一方、「おもて
なし」は、「私」が「あなた」に「成りかわる」ことによって相手への好
意を表す日本独自の「好意」なのです。
・・・〈「私」と「あなた」は違う〉という視点に立つのが「サービス」
で、〈「私」と「あなた」は同じです〉という視点に立つのが「おもてな
し」なのです。[3, 20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 相手国の国歌を斉唱するのは、まさに相手の身に「成り代わって」相手
が喜ぶことを行い、相手が喜べば自分もまた喜ぶ、という相手との一体感
が、「おもてなし」の基本のようだ。この発想は神道から来ている、と山
村氏は指摘する。


■3.「お客様は神様です」

 「お客様は神様です」とは演歌歌手・三波春夫の口癖だったが、神道に
おいてはこれは譬喩ではない。日本の神様は時々遠方からやってくる「お
客様」であった。『神道大事典』はこう解説している。

__________
 奈良時代に神社が成立することによって、神社に神体が安置され、神が
常住するという考えが現れてきたが、それ以前は祭儀にあたって山や海の
彼方といった他界から神を招き降ろし、祭儀が済めば神を送るのがつねで
あった。・・・
 山や海の彼方の他界から訪れ、穀物の豊穣や幸福をもたらし、また戒め
を与えて、人々の生活を安泰にすると信じられている。[4, p94]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 民族学、国文学の大家であり、神道家であった折口信夫は、このような
神を「まれびと」と呼んだ。「希(まれ)」にしか来ないからである。菅
野覚明・皇學館大学神道学科教授は、次のように解説している。

__________
神さまは第一義的にはお客さまなのであるから、当然のことながら丁重に
おもてなしをし、上機嫌でお帰りいただくのが神さまとのつき合い方のイ
ロハである。神さまは客であり、人と神との交流は基本的に接待である。
この接待のことを、お祭り(祭祀)と呼ぶ。
お祭りに酒やごちそうがつきものなのも、祭祀が接待であるということと
関係している。祭りは接待の宴会である。というより、今日の日本人の接
待文化や宴会好きの起源が、そうした神さまのお祭りにあるといってもよ
いのである。[5, 62]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■4.荒魂と和魂

 観客として、遠方からやってきた外国の選手と一体感を持っておもてな
しをするのは良いが、自国の選手と試合をする場合はどうなのか。試合に
は敵味方があり、勝敗がある。これでは相手との一体感を保てないのでは
ないか、と疑問が湧くが、山村氏は名著『神道と日本人』の中で、こう説
明する。

__________
武道や神道では人間の「魂」は、その時々によって、姿かたちをかえる、
とされている。人が怒ったとき、あるいは戦うときの魂が「荒魂(あらみ
たま)」であり、その一方で、普段の柔和な生活を送っているときの魂
は、「和魂(にぎみたま)」と呼ばれる。[6, p143]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 相手チームを迎える時は「和魂」で相手と一体となり、心を込めた「お
もてなし」をするが、いざ試合になると「荒魂」を振るい起こして、全力
を尽くさなければならない。「闘魂」とか「敢闘精神」とか「一球入魂」
などというのは、この類いであろう。しかし、神道では、勝負が終わった
ら「荒魂」から「和魂」に戻さねばならないと教える。

__________
 神道や武道では、「荒魂」を呼び出すことを「振る魂」といい、「和
魂」に戻すことを「魂鎮(たましず)め」と呼ぶが、日本の神道では、こ
の双方を合わせて「鎮魂(法)」と呼ばれている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 山村氏は明治神宮武道場「至誠館」の第三代館長・荒谷卓(あらや・た
かし)氏の次の言葉を紹介している。荒谷氏は陸上自衛隊では初めての
「日本版の特殊部隊」と呼ばれた「特殊作戦群」の初代群長を務め、鹿島
の太刀、合気道六段の武道の達人でもある。

__________
戦場に慣れてしまうと、普段の生活に戻れず、戦場を転々として歩く。あ
るいは逆に、荒魂を呼び出せずに、恐怖に怯えて精神病になる人もいる。
必要なときには荒魂のはたらきを強くし、不必要なときには和魂で暮ら
す。本当のプロの軍人とは、そういう"魂の管理"ができる人たちです。
[6, p144]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ラグビーでも「ノーサイド」と言われる。戦い終えたら、敵味方はな
く、同じ仲間だ、という意味である。ラグビーはイギリス発祥の紳士のス
ポーツだが、イギリスの紳士階級は日本でいえば武士階級である。戦士と
しての振る舞いの理想を追求した騎士道と武士道が、同様の結論に辿り着
いたのも偶然ではないだろう。

 荒谷氏は、武道に関してもこう続ける。

__________
(武道の)試合が終わったあと、荒魂と和魂をちゃんと入れ替えて、それ
からまた協和状態に戻る。日本の武道では勝者にこそ、この精神が必要で
す。(スポーツなら許される)ガッツポーズが、日本の武道ではなぜ見苦
しいのか、というと、興奮を収められない人は、気鎮め(鎮魂)が出来な
い、ということを意味しているからです。[6, p145]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 和魂に戻らなければならないのは、試合の後には相手との和合で終わる
のが武道の理想だからだ。山村氏は語る。

__________
 武道を突き詰めて行くと、単に相手を倒す、あるいは負かすことを考え
がちですが、本当は自分が相手を包容し、調和と融合の世界にコントロー
ル(制御)して、相手に対して事を収めて終わる──ということに尽きま
す。[3, 283]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この「調和と融合の世界」は、まさしく「おもてなし」の目指す所でも
ある。


■5.スポーツ選手はなぜ神社に参拝するのか

 スポーツ選手で神社に参拝する人は少なくない。愛知県大府市の「八つ
屋神神社」は女子レスリングの吉田沙保里選手がずっと通っており、男女
のレスリング選手の「金メダル神社」と呼ばれている。箱根の「九頭龍神
社」は「水の神様」を祀っており、水泳の萩野公介選手らが参拝した。男
子体操の内村航平選手も自分の住む地域の「草加(そうか)神社」によく
参拝していた。

 スポーツ選手が神社に参拝するのは「神頼み」なのだろうか? 山村氏
はその効用を次のように説明する。

__________
その人が参拝する神社では、自分のやり遂げたいと願う計画や目標につい
ても、神様の前で誓います。それが上手く行けば、今度は神様に感謝をし
ながら報告し、ときには「お祭り」を行います。まず自分が生かされてい
ること、あるいは努力できる環境にいることに「感謝」をしながら、神様
にまた祈るわけです。
 そうすると、今後は頑張って実践して行くうちに、ある程度の「成果」
が生まれ、自分がやっていることに対して自信や誇りがついて来ます。・・・
 そして自分に自信と誇りができると、また頑張ることができます。それ
を繰り返していくうちに、自分の目標は達成され、大きな成果を上げるこ
とができることになります。[3, 216]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 神社に参拝する時には、「金メダルをとらせて下さい」などと結果を神
様に頼むのではない。まず自分で「こういう目標に挑戦します」という
「誓い」を立てる。その目標に向けて練習に励み、その結果がある程度出
れば、神様に「感謝」する。結果が出なくとも、努力ができる環境に生か
されていることに感謝する。

 こういう誓いや感謝など、前向きの心持ちでいることで、自分の実力が
向上していく。


■6.神社参拝のPDCA

 興味深いのは、山村氏は神社参拝の効用を、経営学で用いられる
「PDCAサイクル」で説明していることだ。これはPlan(計画)-Do(実
行)-Check(評価、問題点の把握)-Act(問題点の改善)で、このサイクルで
自分の問題点を改善しつつ、次のより高いレベルのサイクルに移行すると
いう経営概念である。これを神社参拝に当てはめて、山村氏は次のように
説明する。

__________
日本人の神社での行いに置き換えてご覧になればわかることだと思います
が、「P」は目標への「祈り」や「誓い」、「D」は自らの「努力」と
「実践」、「C」は神様(上司)への「相談」と「報告」、あるいは「決
済」、「A」は「改善」と「実行」による最終的な「成果」や「勝利」と
いうわけです。[3, 242]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 山村氏の説明になぞらえると、神社参拝のPDCAとは次のように言い換え
ることができるだろう。

 Pray: 祈り Do: 実践 Consul: 相談 Appreciate: 感謝

 これは単なる語呂合わせではなく、「人間の意欲的な目標設定と、事実
に基づく合理的な反省こそが、進歩を生む」という人間心理の働きを現代
経営学は活用しているのだが、それを日本人は大昔から神社参拝で実行し
てきた、という事なのである。


■7.「お陰様」

 我々が普通、神社に参拝する時は、家内安全、無病息災、受験合格、商
売繁盛など、自分の生活での「現世利益」を神様にお願いすることがほと
んどだろう。それはそれで良いし、現実に神社でも「交通安全」など各種
のお守りが売られている。それは我々が自分自身の力を超えた神様がいる
ことを信じ、神への畏敬の念を抱いているからだ。

 一方、神主が祝詞(のりと)は神様に感謝することが基本だと、國學院
大學神道学専攻科で祝詞(のりと)の講師を務めている金子善光宮司(神
奈川県川崎市の中野島稲荷神社など七社)は教えている。

__________
昔の祝詞を見ると、あまり願い事をいっていません。なぜいっていないか
というと、やはり昔の日本人には"お陰様″という気持ちの方が強かったか
らだと思います。それは、昔は共同体全体が、"お陰様″という意識で神様
に向かっていたからだと思うのです。[6, p26]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 日本人にとって神様は「お陰様」と感謝する対象であり、また「まれび
と」としてやってきた神様には、心を込めて「おもてなし」をする。そう
いう時の人間の心は利己心から離れて、清く明るい心持ちになる。そうい
う生き方を我々の先祖は大切にしてきたのである。ご先祖様たちは、それ
が幸福への近道である事を知っていたのだ。
(文責 伊勢雅臣)

2019年09月05日

◆「ローカル経済圏」

伊勢 雅臣



■1.雇用の8割を占める「ローカル経済圏」

 第1次安倍政権が誕生した平成25(2013)年の夏頃、「アベノミクス第
3の矢」の成長戦略メニューに関して、こんな感想を述べた人がいた。

__________
 アベノミクス 第三の矢の成長戦略メニューって、おおむね正しいんだ
けど、何かピンとこないんだよね。

 これ、要は大手製造業やIT企業などのグローバル成長を意識したメ
ニューなんだけど、日本経済でこうした産業が占める割合って、もはやせ
いぜい三割程度。雇用にいたっては二割くらいなんだ。[1, 2457]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 政府の肝入りで発足し、カネボウなど多くの事業再生を支援した「産業
再生機構」の代表取締役を務めた冨山和彦氏の発言である。

 富山氏は大手製造業やIT企業などグローバル市場で活躍する企業群を
「グローバル経済圏」、それ以外を「ローカル経済圏」と呼ぶ。後者は地
域の小売り商店、ホテルや旅館、レストラン・食堂・飲み屋、病院や介護
施設、学校・塾、バスやタクシー・地域鉄道、スポーツ・ジムその他のレ
ジャー施設、行政など、要は我々が日常生活でお世話になっている事業者
からなる。

 こういう「ローカル経済圏」が経済規模で7割、雇用で8割を占めると
いうから、この部分を見過ごした経済対策では、「ピンとこない」のも無
理はない。


■2.「ローカル経済圏」が提供する雇用機会

「グローバル経済圏」と「ローカル経済圏」の違いは大きい。

 まずは地元雇用への波及効果が違う。たとえば、トヨタはアメリカに工
場を持ち、アメリカ市場で相当のシェアを持っている。そこでの稼ぎはト
ヨタの米子会社の利益となり、米国に税金を払う。日本国内にはその一部
が、トヨタ本社への配当や技術使用料として還流してくるが、それが多少
増えても、トヨタ本社が研究者や管理スタッを比例して増やすわけではない。

 それに対して、「ローカル経済圏」では、外国人観光客が増えれば、ホ
テルもレストランの売り上げも比例して増える。当然、従業員もそれなり
に増やさなければならない。地域の雇用が増えれば、新たに雇われた人た
ちの外食やレジャー支出などが増えるので、地域はさらに潤っていく。

「ローカル経済圏」は労働集約型のサービス産業が中心のため、雇用を生
み出す力が格段に大きい。そこが活性化すれば、より多くの国民が仕事と
収入を享受できる。

 雇用の中身も違う。トヨタの研究者や経理スタッフには、高度の知識・
経験が必要であり、一般人が即戦力になりうる職種ではない。「ローカル
経済圏」では、たとえばホテルの清掃やレストランの給仕など、高校生の
アルバイトでも戦力となる。子育てを終わった主婦や、定年後の第二の仕
事を求める高齢者も活躍できる。

 雇用の流動性も高い。トラックの運転手や看護師が同業他社に移ること
は、トヨタの研究員が定年後に他所で専門知識を生かせる仕事を見つける
よりは遙かに容易だ。

「ローカル経済圏」での雇用は、量が大きいだけでなく、質の面でも一般
人への間口が広く、敷居も低いのである。


■3.幸せな生活スタイルにつながる「ローカル経済圏」

 富山氏は言及していないが、働き手の生活スタイルも大きく異なる。ト
ヨタは全国から多くの人を雇用しているが、彼らの多くは出身地を離れ
て、本社のある愛知県豊田市や、東京本社などで働く。国内の転勤のみな
らず、海外勤務も珍しくない。

 それに対して「ローカル経済圏」なら、たとえば福井生まれの人が地元
の商店に勤めて、両親と同居することも可能である。子供を授かれば三世
代同居となり、そういう家庭の多いことが、福井県の小中学生が学力や体
力で常に全国のトップクラスにつけている要因の一つとされている。[a]

 主婦は子育てを祖父母に助けて貰うことで、育児をしている女性の有業
率では全国2位(平成29年)、出生率(同)も全国で12位。お年寄り
も、子や孫との接点が増えて、安心で生きがいのある生活を送れる。
「ローカル経済圏」が活性化することで、多くの国民が生まれ故郷での幸
せな暮らしをすることができるようになり、それが人口減少対策にもなる
のである。


■4.「ローカル経済圏」の高齢化と人手不足

 しかし、現実の「ローカル経済圏」はどうだろうか? 駅前はシャッ
ター街、郊外には独居老人という有様だ。その原因として「地方は疲弊し
ていて仕事がなく、結果的に人手が余っていて、職に困った若者が東京に
出て行ってしまい空洞化が起こっている」と言われるが、これには富山氏
は首を傾(かし)げる。

 富山氏は現在、コンサルティング会社「経営共創基盤」を経営している
が、同社が100%出資している東北の地方公共交通の運営会社は、バブ
ル時代ですら運転手不足で困っていたという事実があるからだ。

__________
地方は高齢化がすさまじい勢いで進行していて、どこの病院も看護師不足
で悩んでいる。どこの介護施設も、介護福祉士がいないと嘆いている。医
師不足は別の問題だが、とにかくどこへ行ってもひどい人手不足に陥って
いた。[1, 190]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 生産年齢人口(15歳以上、65歳未満)の平成2(1990)年から平成
24(2012)年の変化で見ると、東京は約13万人増加しているのに対し、
東北地方はおよそ90万人も減少している。

 すなわち、「ローカル経済圏」は働き手が都会に流出してしまうこと
で、人手不足が深刻化しているのである。人手の流出で駅前商店街が後継
者不在でシャッター街となり、バス会社も残業、休日出勤が増えて、ます
ます就職希望者が減ってしまう。


■5.「ローカル経済圏」の労働生産性と賃金の低さ

 人手不足なのに、なぜ働き手が都会に出てしまうのか。それは賃金水準
が低いからだろう。平成30(2018)年の都道府県別年収で見ても、東京が
622万円でダントツだが、岩手、山形、青森、秋田各県はいずれも
400万円以下である。これではいかに家が広く、自然が豊かでも、都会
に出ていこう、と考えるのも無理はない。

 賃金が安いのは労働生産性が低いからだ。日本の主要製造業の労働生産
性は世界トップレベルで、「グローバル経済圏」はそれをテコに世界市場
で勝負して利益を上げ、高い賃金も払える。

 しかし「ローカル経済圏」では、アメリカを100とすると、小売り・
卸売りで42.9、飲食・宿泊ではなんと26.8である。[1, 1641]

 この低生産性の主要因は「ローカル経済圏」の人口密度の低さである。
東京都の人口密度は平方キロあたり約6,300人。対して東北地方では
福島県135人を筆頭に、青森県130人と続き、岩手県に至っては81
人と、と東京のおよそ80分の1である。

 人口密度が数十分の1では同じようにローカルバスを走らせても、客も
売り上げもはるかに少ない。東京なら10分に1本のバスでも相当な客が
乗っているのに、地方では2時間に1本で乗客は数人という光景が珍しく
ない。これでは運転手1人あたりの売り上げも微々たるもので、当然、給
料も抑えざるをえない。

 この人口密度の低さというハンディをなんとか乗り越えようというアイ
デアが「コンパクト・シティ」構想である。地方のターミナル駅を中心に
人口30〜50万人程度の中核都市圏を作り、周辺の小さな市町村から人
口と都市機能を集める。東北地方であれば、青森市や盛岡市(ともに30
万人)のイメージである。

 介護施設、病院などが集まってくれば、高齢者が車の運転ができなく
なっても、歩いて通院出来る。保育施設や幼稚園などが集まれば、働く女
性も住みやすくなる。人が集まれば、飲食店やレジャー施設も繁盛する。
駅前のシャッター街はこうして復活していく。

 人口密度が高まれば、労働生産性も高まり、賃金水準も高くできる。そ
れによって、働き手も集まってくるから、さらに人口密度が高くなる、と
いう善循環が生まれよう。


■6.先のない企業の「穏やかな退出」を

 富山氏は産業再生機構での経験を生かして、労働生産性向上のための政
策提案をしている。それは生産性が低いがために赤字となっている企業の
「退出」を促進することである。たとえば、赤字企業はたいていの場合、
銀行から最大限の融資を受けている。その際に、銀行は経営者の個人保障
を求める。

 個人保障ゆえに、いざ企業が倒産したら、経営者は個人の貯金や家屋敷
まで取り上げられる。子供は進学を諦め、家族は路頭に迷う。それを避け
るために、中小企業の経営者はなんとしても倒産は避けようと、先行きの
展望がなくとも必死の苦闘を続ける。

 富山氏は、産業再生機構時代には、倒産した経営者からは生活財産や、
つつましいマンションなら取り上げなかった。その後も生活していかねば
ならないからだ。このように、事業を畳んだとしても、最低限の生活はで
きるよう保障すれば、生産性の低い、先の見通しの立たない事業は早めに
諦めることができるようになる。

 そうなれば、破綻寸前の企業の悪あがき的な安値攻勢もなくなって、競
合企業も健全な利益を得て、適正な賃金を提供できる。従業員も一時は失
業しても、生産性のより高い企業に移ることができる。結果的に、生産性
の高い企業の人手不足は緩和され、「ローカル経済圏」全体の労働生産性
も上がっていく。

 さらに、人余りの時代に、なるべく中小企業を潰さないように支援して
いた政策も見直す必要がある。その一つが信用保証協会の債務保証で、銀
行は通常の融資ができない破綻寸前の企業でも、その債務保証があれば、
融資をしてくれる。それでも倒産して、協会が代わって弁済した金額は平
成29(2017)年で3万6千件、3500億円。富山氏は次のように指摘する。

__________
 一九九〇年代ごろまでは、保証協会の社会政策的合理性はあったと思
う。当時は深刻な人余り状態だったので、保証協会融資を実行することで
倒産を防ぐ意味があった。しかし、地方の人口が減少し、過疎が進むとい
うことを受け入れず、闇雲にがんばって延命医療をすることに社会政策的
意味はなくなっている。[1, 2151]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 破綻した企業の尻拭いに3500億円も使うくらいなら、「転廃業支援
金」「事業譲渡促進支援金」という形で、「穏やかな退出」のためにお金
を使った方が良い、と富山氏は主張する。それにより倒産した経営者が、
別の事業に再チャレンジしたり、あるいはそれを元手に年金生活に入ると
いう道が開かれる。

 現行の銀行融資や保証協会制度は、企業経営者を鞭打って、半死半生の
企業に延命措置をしている。それによって従業員には低賃金、同業者には
安売りという迷惑をかけている。そんな企業が往生できるような施策が必
要である。


■7.外国人労働者は対処療法に過ぎない

 人手不足というと、すぐに外国人労働者を入れようという主張する輩が
いるが、富山氏はこの問題に関して、貴重な経験をしている。

__________
私の祖父母は戦前、北米カナダに移民し、父はそこで生まれ、思春期まで
を過ごした。もともと植民地で、かつ多くの移民を受け入れていたカナダ
でさえ、移民を受け入れる側の白人社会と、移民した側の日本人との間の
ストレスがいかに大きいものだったか、私は父や祖父母から嫌というほど
聞かされた。
この手のストレスは、上流階級同士ではあまり生まれない。その地域のま
さにL(JOG注:「ローカル経済圏」)な世界で生きてきた人たちと、そ
こに下層労働者として入ってくる移民との間で生まれるものだ。[1, 2406]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 移民に関しての同様の軋轢が世界中で起こっている。移民がもたらすス
トレスとは文化的な問題だけではない。移民労働者は低賃金で「ローカル
経済圏」に入ってくるので、そこでの職を奪い、かつ賃金水準を下押しす
る。「ローカル経済圏」で働く人々にとっては、招かれざる客なのだ。

 企業側にとっても、一時的に人手不足は解消できるが、それがために生
産性を向上させようという志は薄れてしまう。低生産性が低賃金をもたら
す、という根本的な問題はそのままである。それでは、いずれ外国人労働
者ももっと稼ぎのよい都会に去ってしまうだろう。「ローカル経済圏」に
とって、外国人労働者とは一時しのぎの対処療法でしかない。

 そもそも、労働生産性で小売り・卸売りはアメリカの4割程度、飲食・
宿泊に至っては3割以下という状況で、「人手不足だから外国人労働者
を」という主張自体がおこがましい。

 多くの経営者が「外国人の雇用」「女性と高齢者の活用」「労働生産性
の向上」という順序で考えている事に対して、富山氏は言う。

__________
正しいのは、反対の順序だ。最初に生産性を上げることを考え、女性と高
齢者の就労率を上げることを考え、外国人労働者についてはまずは高度人
材から、そして非高度人材については必要最低限の範囲で期間限定型での
導入を検討し、最後に移民の問題に入るべきだ。[1, 2432]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 生産性向上については日本の「グローバル経済圏」は世界最高レベルの
「改善」の経験とノウハウを持っている。また国民一人ひとりの教育水準
も高く、顧客や企業に対する強い利他心を持っているので、改善には積極
的である。そういう日本人の強みを十二分に発揮させれば、労働生産性を
向上させて高い賃金を実現できよう。

 そうなれば、仕事では適正な収入と生きがいを得つつ、豊かな自然の中
で、家族や郷里の人々と共に暮らせる幸せな「ローカル経済圏」を実現す
ることができる。それこそ明日の明るい「和の国」日本の姿である。
(文責 伊勢雅臣)

2018年10月24日

◆世界が称賛する 国際派日本人(5)

伊勢雅臣


■■■ JOG Wing ■■■ 国際派日本人の情報ファイル■■■
皇太子殿下の祈り−世界の水問題に取り組む人々の連帯の「象徴」

 日本の皇太子殿下は、民の幸せを無私の心で祈る、という皇室の伝統精
神を通じて、水問題に取り組む世界の人々の連帯の「象徴」となっています。
■■ 転送歓迎 ■■ No.2820 ■■ H30.10.22 ■■ 7,836部■■


■1.「殿下への高い評価は日本人だけが知らないのでは」■

皇太子殿下は国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁をお務め
になり、また平成15(2003)年の京都、平成18(2006)年メ キシコ、平
成19(2007)年大分、平成20(2008)年スペイ ン、平成21(2009)年ト
ルコで行われた世界の水問題に関わる国 際会議で、講演をされている。

日本のジャーナリストが、水問題の海外の専門家に「海外での殿下の評
価はどうか」と質問したところ、「どうしてそんな質問をされるのか。そ
れは愚問というものだ。殿下の高い評価は言わずもがな。日本人だけが知
らないのでは」と、やり込められる場面があった。

世界水フォーラムを運営している世界水会議のロイック・フォーション
会長は、記者との会見で、「皇太子殿下のご存在は、水の分野におけるオ
ム・デタ (Homme d'Etat) だ」と述べた。

フランス語のオム・デタは英語で言えば“Statesman”、無私の心で国家 公
共のことを案ずる元首や政治家を意味する。日本語で言えば、天皇が日
本国民統合の象徴であるように、皇太子殿下が水問題に取り組む世界の
人々の連帯の「象徴」となっている、という意味で捉えてもよいのではな
いか。

無私の心で国民の幸せを祈られるのが我が皇室の伝統であるから、殿下
は水問題で、皇室の伝統的精神を発揮されている。こうしたことをあまり
報道しないのも日本のマスコミの偏向と言うべきか。

■2.世界の諸問題の根幹にある水問題■

貧困や飢餓の問題を辿ると、水問題にぶつかる。たとえば、アフリカに
は広大な土地があるのに、なぜ飢餓や貧困で多くの幼い命が失われている
のか。水がないからである。水さえあれば広大な荒れ地や砂漠が、緑の農
地に生まれ変わる。

中国のように乱開発から砂漠化が進み、黄河が一年の半分近くも干上が
り、大都市では飲料水ですら危機的状況にある国もある。

水は足りなければ問題だが、多すぎても問題を起こす。地球温暖化や異
常気象も、海面上昇や集中豪雨による河川氾はん濫らんなどの水の問題を
通じて災害を引き起こす。津波もその一つである。

平成21(2009)年3月にトルコ・イスタンブールで行われた第5回世界水
フォーラムでは基調講演で、徳川家康が当時の江戸湾にそそい でいた利
根川を銚子から太平洋に出るようにして江戸の洪水を防いだ事例 を紹介
され、こう述べられた。

平地の少ない日本では、時には猛威をふるう河川を流域全体で適切に管
理することが、国民生活の持続可能な発展に必須の条件でした。そのため
の努力が日本では継続的に続けられてきたのです。……

水関連災害については、災害直後には盛んに議論されますが、しばらく
経つと忘れ去られがちです。日本には、「災害は忘れたころにやってく
る」ということわざがありますが、災害が起こってからでは遅すぎます。

災害を起こさないような備えこそが求められているのです。そのために
は、昔も今も変わることなく、絶え間ない努力によって、一歩一歩、地道
に歩みを進めていくしかないのでしょう。
(『皇太子殿下││皇位継承者としてのご覚悟』明成社編より)


(続きは下記の書籍でご覧下さい)


■リンク
a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanonthegl0-22/
アマゾン「日本史一般」カテゴリー1位 総合61位(H28/9/13調べ)


__________
■『世界が称賛する 国際派日本人』に寄せられたカスタマー・レビュー 
62件、5つ星のうち4.9

★★★★★自分が生まれた国の文化、歴史、伝統を再発見出来る(ともちゃん)

 同一作者の著書「世界が賞賛する日本人が知らない日本」を読んで感動
し、同書をすぐに購入しました。時代を追って偉人達を紹介するとばかり
思っていたのが、ここ数年の記憶に新しい偉人達からの紹介で、とても新
鮮で分かり易く身近で同じ時代を生きる方々に感動しました。自分が生ま
れた国の文化、歴史、伝統を再発見出来る素晴らしい一冊です。

2017年09月04日

◆憲法学者に惑わされないために

伊勢 雅臣



一般国民の社会常識を働かせば、自衛隊違憲論には惑わされない。


■1.「危機が起きてからでないと法制はできませんでした」

朝のテレビ・ニュースを見ていたら、突然、それを遮って、「北朝鮮から
弾道ミサイルが発射されました。屋外にいる場合は、近くの頑丈な建物や
地下(地下街や地下駅舎などの地下施設)に避難して下さい」とのテロッ
プとアナウンスが流れた。全国瞬時警報システム(Jアラート)というシ
ステムだそうだ。

北朝鮮の最近のミサイル実験が、我々の日々の生活にも影響を及ぼし始め
た一瞬だった。こういう現実に直面すると、野党やマスコミが今まで騒い
でいた森友やら加計学園の空騒ぎぶりが、改めて国民の目の前に明らかに
なった。

ちょうど、自由民主党本部で湾岸戦争以降のすべての安全保障・防衛政策
の策定・立案等に関わってきた田村重信氏の近著『知らなきゃヤバい! 
防衛政策の真実』を読んでいたら、唖然とした一節があった。「今までの
危機管理法制というのは、危機が起きてからでないと法制はできませんで
した」と氏は指摘しているのだ。

昭和34(1959)年の伊勢湾台風で死者・行方不明者5千人以上を出して、災
害対策基本法ができた。よど号ハイジャック事件の後に「ハイジャック防
止対策本部(常設)の設置」などが決められた。平成7(1995)年の阪神・
淡路大震災では、放置車両が自衛隊の救援活動を妨害したので、災害対策
基本法が一部改正された、という具合である。

防衛政策や危機管理体制に関して、実際に被害が出てからでないと考えな
い、というのは、我々現代日本人の一大欠陥ではないか、と思えてくる。
この点で、Jアラートシステムにしろ、昨年の平和安全法制にしろ、北朝
鮮からの脅威に対して、現実の被害が出る前に対応が少しずつでもなされ
ているのは、一歩、前進だろう。


■2.半世紀以上も繰り返される同工異曲の批判

防衛政策に関して、なぜ「危機が起きてからでないと法制はでき」ないの
かは、田村氏の著書を見れば良く分かる。その都度、左翼が激烈な抵抗を
していたからである。

昭和35(1960)年の日米安保条約改定では、「米国の戦争に日本が巻き込ま
れる」と、全学連のデモ隊が国家に突入し、激しい反対闘争が繰り広げら
れた。

平成4(1992)年のPKO(国連平和維持活動)への自衛隊参加に道を開く
ためのPKO協力法案審議では「戦争への道だ!」と社会党、共産党が反
対し、朝日新聞も「PKO協力の不幸な出発」と題した社説を発表した。

平成11(1999)年に有事関連法制が国家に提出された時も、「有事法制は戦
争法だ」「アメリカの戦争に協力するためのもの」などと左翼は反対した。

こうした左翼の批判が正しかったかどうか、その後の歴史を見れば誰の目
にも明らかだ。日米安保条約で、日本はアメリカの戦争に巻き込まれた
か? PKO協力法で、わが国は自衛隊を「海外派兵」し、侵略戦争に乗
り出したのか?

その後、カンボジアやモザンビーク、南スーダンなど各地における自衛隊
の活動は世界の平和に大きく貢献し、各国から感謝され、国際的にも高い
評価を得ているのはご存じのとおりです。当時、猛烈に反対していた朝日
新聞なども、今では自衛隊のPKO支持に転じています。[1, 1588]

昨年、成立した平和安全法制に関しても、野党やマスコミの一部は「安倍
政権は日本の軍国化を目指している」「米国が起こす戦争に荷担すること
になる」などと批判をした。60年安保以来、半世紀以上もの間、現実を見
ずに同じ批判を繰り返しているのである。

一般社会で、ある人物が50年以上も誤った言説を主張し続け、しかも間
違っていた事実を認めず、反省も謝罪もしないとしたら、そんな人物はど
う受けとめられるだろうか? 間違った信念に凝り固まった狂信者か、別
の目的のためにそのような言説を繰り返す確信犯か、あるいは生活のため
にはもはや転向できなくなった利得者のいずれかであろう。

いずれにせよ、そのような人物を政界やマスコミ、学界に多数、抱えてい
ることは、わが国の自由民主主義国家としての構造的欠陥である。


■3.「サシミの法則」

「サシミの法則」をご存知だろうか? 「刺身」ではなく「三四三(サシ
ミ)」である。アリや蜂の社会を観察すると、自ら先頭に立って働く蜂が
3割、与えられた仕事をしている蜂が4割、怠け者の蜂が3割だという。

防衛の分野に当てはめると、国家の平和と安全を守るために声をあげてき
たリーダー蜂が3割、黙々と日々の仕事に打ち込んでいる働き蜂が4割、
半世紀以上も反省もなく誤った言説をまき散らしてきた抵抗蜂が3割とい
う構図だろう。

3割の抵抗蜂が狂信者か、確信犯か、利得者であるとすれば、事実も観
ず、論理も通らない彼らの考えを変えさせようとすることは無駄な努力だ
ろう。自由民主主義国家では言論と思想の自由があるから、放っておくし
かない。

ポイントは、4割の働き蜂がこれらの抵抗蜂の言説に惑わされずに、自ら
の目で事実を観て、自らの頭で論理的に考えるようにすることである。そ
れには抵抗蜂たちの言論がいかに事実に悖(もと)り、論理を歪めている
かを示すことだろう。この4割の働き蜂が健全な見識を持つことが、自由
民主主義社会を護る本道である。

その意味で、政権与党として、憲法や国際情勢の制約の中で、抵抗蜂と戦
いながら国民の安全と平和を守るために苦闘してきた田村重信氏の著書
は、4割の働き蜂が国防の常識的な事実と考え方を学ぶ上で好適である。


■4.「国家として当然の権利である自衛権」

抵抗蜂たちが働き蜂を惑わすために用いる代表的な言い分が「自衛隊は憲
法違反だ」という主張である。わが国は平和憲法を持っており、戦争を放
棄したのだから、軍隊は持つべきではない。したがって、自衛隊は憲法に
違反している、という。これに関しては、まず「自衛権」の概念を良く理
解する必要がある。

・・・国際法上、日本は国家として当然の権利である自衛権を有するとい
うことですので、したがって、自衛行動は憲法上許される。自衛のための
戦力に至らない必要最小限の実力という保持もこれは合憲である。[1, p2050]

平成24(2012)年2月、「民主党政権」時代に野田内閣の藤村修・官房長官
が衆議院予算委員会で答弁した内容である。これが伝統的な政府見解であ
り、最近の安倍首相も同様の発言をしている。

自民党から民主党に、そして再び、自民党へと政権が移っても、政府とし
ての憲法解釈は、そう簡単には変えられない。責任ある政権政党なら当然
の政治姿勢だろう。

ここで言われる「自衛権」とは、個人になぞらえて考えたら分かりやす
い。たとえば、「平和を愛する周囲の人々の公正と信義に信頼して、自分
の安全と生存を保持しようと決意した」人は、もし暴漢に襲われたとして
も、何の自衛手段もとれないのだろうか。

誰でも正当防衛の権利はある、というのが、人間社会の常識だろう。「だ
れかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と聖書は説く
が、どんな敬虔なキリスト教徒でも「暴漢に長男を殺されたら、次男を差
し出しなさい」とは言わない。

理想と現実のギャップを少しでも埋めようとする努力は大切だが、その
ギャップを無視して、あたかも理想が実現しているかのように振る舞うこ
とは、狂信者の行いである。

アフリカ・ソマリア沖を通過するタンカーなどを海賊から護るために海上
自衛隊の護衛艦を派遣する事に反対していたピースボートが、地球一周の
船旅で海自に護衛して貰った[2]。彼らは自らの理想が実現していると信
ずる狂信者ではなかった、ということである。偽善者ではあったが。


■5.国民を護るのは国家の義務

「自衛隊が違憲か」に関して、最高裁が唯一、憲法第9条の解釈をしたの
が「砂川判決」であり、そこには自衛権をベースに次のように述べられて
いる。

憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と
隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会に
おいて、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく
恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認す
るのである。

しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするた
めに必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使と
して当然のことといわなければならない。


日本国民も「平和のうちに生存する権利」を有する。国家は、国民が互い
に助け合う共同体である、と考えれば、国家が国民の「平和のうちに生存
する権利」を護るために自衛権を持つというのは、国民に対する義務でも
ある。これが国際常識である。

人権を大切と考えるなら、最も基本的な人権は生命の安全なのだから、国
民の安全が北朝鮮の核ミサイルに脅かされている現在、人権運動家こそ、
現在の防衛体制で国民の人権を護れるのか、と政府に問い詰めなければな
らない。


■6.自衛のための「必要最小限度の武力の行使は許容される」

日本が国として自衛権を持ち、「そのための必要最小限度の武力の行使は
許容される」というのが、上述の最高裁の判断であり、従来からの日本政
府の基本的な立場でもある。

それでは憲法9条はどうなのか、との疑問があがるが、これについての政
府見解は、次のようなものであると田村氏は説明している。

まず、第1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実希
求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛
争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に対しては、政府は
次のような答弁書を出している。

憲法第9条第1項は、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のもの
ではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められて
いるところであると解している。[1, 172]


「自衛のための必要最小限度の武力」という点が、キーポイントである。
9条1項が禁じているのは、北朝鮮が核ミサイルでわが国を脅かしている
ような武力の使い方であって、その脅威から日本国民を護ろうとする武力
の行使は認められている、という解釈である。

第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保
持しない。国の交戦権は、これを認めない」であるが、これに対して、同
じ答弁書は次のように指摘している。

憲法第9条第2項は、『戦力』の保持を禁止しているが、このことは、自
衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のもので
はなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると
解している。[1, 204]


「必要最小限度の実力」に関しては、「性能上専ら他国の国土の潰滅的破
壊のためにのみ用いられる兵器については、これを保持することが許され
ないと考えており、たとえば、ICBM(大陸間弾道ミサイル)、長距離
戦略爆撃機、攻撃型空母みたいなものは保有することは許されない」とし
ている。[1, 204]


■7.「自衛隊が憲法違反だ」とする主張は憲法違反

政府見解はそうだとしても、ほとんどの憲法学者は「憲法9条は『戦力は
持てない』としているのだから、自衛隊は憲法違反だ」と考えている。彼
らは問い詰めるであろう、「政府見解がほとんどの憲法学者よりも正し
い、とする根拠はどこにあるのか」と。この異議に対する田村氏のカウン
ターパンチは単純明快である。

憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に
適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と述べて
いる。政府見解が正しいか、大方の憲法学者が正しいのかを、最終的に決
定するのは最高裁判所である。

前述の砂川判決が最高裁が下した唯一のものである以上、「自衛隊が憲法
違反だ」とする主張そのものが憲法違反なのである。

もし憲法学者が心底から「自衛隊が憲法違反だ」と考えたら、その後の論
理展開は以下の3通りになる。

a)武力をいっさい認めない憲法では国民の「平和のうちに生存する権
利」を守れないから、自衛隊を合憲とするよう憲法を改正すべきである。

b)憲法の命ずる通り、武力はいっさい持つべきではない。したがって他
国に侵略された場合は、それを甘受し、どれほど国民が虐殺、略奪されて
も仕方がない。

c)憲法の命ずる通り、武力はいっさい持つべきではない。日本さえ他国
を侵略しなければ戦争は起こらないから、平和も人権も保てる。

一般社会の常識から考えたら、b)もc)もあり得ないだろう。それなら、
a)を主張すべきだが、憲法学者が改憲を主張している姿はあまり見たこ
とがない。要は、憲法学者の多くは、法学の世界に閉じこもっていて、そ
こから先を考えてないのである。

彼らの中には狂信者や確信犯や利得者もいるだろうが、いずれにせよ、3
割の抵抗蜂であることは確かである。我々、働き蜂の一般国民は国防の基
本的常識を学び、彼らの言説に惑わされないようにしなければならない。



■リンク■

a. JOG(969) 憲法9条改正シナリオ
 9条1項の「積極的平和貢献」は日本の伝統的理想、それを実現するた
めに2項「非武装」を改変すべき。
http://blog.jog-net.jp/201609/article_5.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 田村重信『知らなきゃヤバい! 防衛政策の真実』★★★、扶桑社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594077714/japanontheg01-22/

2. 産経新聞、H28.5.17「『危ないときは守って』はムシがいい」 ソマ
リア沖で海上自衛隊の護衛艦がピースボートを護衛」
http://www.sankei.com/politics/news/160517/plt1605170038-n1.html

■拙著『世界が称賛する国際派日本人』へのおたより

■明治維新以来の近代化指向が生んだ国際人の系譜をたどる(倉石英一さん)

本書の構成は、現代の国際人、ノーベル賞受賞の大村智氏から始まり、明
治天皇にまで遡っている。日本が多くのノーベル賞受賞者を輩出するの
は、国際人としての活躍が評価されているからだ。

しかし、そのルーツは明治維新から、我が国の近代化を実現するために、
多くの政府幹部を欧米に派遣したことだ。彼我のあまりの格差に愕然とし
ただろうが、当然ながら国際人としての見識を身に着けて帰国し、政府の
要職について活動したことが、明治期の近代西洋文明への挑戦を経て、富
国強兵など国力の増進に貢献した。

皇太子の地球レベルの水問題への関心から、多くの国際会議への参画な
ど、世界の水問題に取り組む連帯の象徴として活動しておられる。皇族の
立場を超えて、立派な国際人と言える。

不幸にして太平洋戦争に敗れたが、その過程、特に戦後処理の過程で、多
くの将軍たちが自らの責任を取る形で、部下の命を守った。これも立派な
国際人としての振る舞いだ。

また、戦後、植民地だったアジア諸国に残って、その独立のために戦っ多
くの日本軍人、民間人の活躍も国際人としての面目躍如たるものだ。

戦争末期に多くのユダヤ人を救ったエピソードも有名だ。偉大なる人道主
義者、樋口季一郎氏や杉原千畝氏は永遠に記憶に残るだろう。

戦後も、多くの日本人が、発展途上国の食糧問題に取り組んできた。中国
の米作りの指導、植林の支援、ネパールの高地での稲作指導など枚挙にい
とまがない。

この本には、上記以外にも、明治以来の系譜を引き継いだ、多くの有名、
無名の国際派日本人が登場する。今後とも、これらに倣って多くの日本人
に国際人としての活躍を期待したいものだ。その意味で、特に青少年の読
者に勧めたい一書といえる。

伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/