2020年09月14日

◆古くて新しい「真向法」

                       馬場 伯明


昨年秋、都内のコンビニで、面白いデザインの表紙だったのでその文庫本を手にした。「かんたん 開脚!超健康になる!たった4つの『真向法』体操」だ。(以下、本書と言う)。著者は佐藤良彦氏(公益社団法人真向法協会
顧問(前会長)。

WEBに写真がある。大旅館の宴会場みたいなところで、多くの人たちが股を広げてうつぶせになっている。何をやっているのか。何かの宗教団体の教祖様にひれ伏しているのか。これは「真向法(まっこうほう)」という健康法の訓練・実践の現場の風景である。
      
本書を読んだ感想であるが、この手の健康法などには背を向けてきた私としては、めずらしく「これは、ひょっとしたら、身体にいいのではないか」と感じた。

身体を鍛え、または体調を整えるために、「ルネサンス」や「オアシス」といったフィットネスクラブ(ジム)を利用したことは、75歳の今まで、一度もない。必要性を感じていない。

その理由は次である。1.筋力の低下は年齢並である。2.健康診断ではとくに悪いところはない(少し太めのBMI:26だが)。3.日常、薬は飲んでいない。4.健康食品やサプリは何も摂っていない。5.ゴルフの飛距離は同年齢では上位である。5.過去にあるジムを見学したら、多くが歯を食いしばり苦虫をかみつぶしたような顔をして、運動をしていた。全然楽しそうではなかった。この5つ目の理由が大きい。

本書の執筆者、佐藤氏に「読後感」を書いて郵送した。ご返事とお誘いの電話があり、2019.10.16渋谷で昼食をご一緒した。温厚なお人柄であり真向法を丁寧に説明してくださった。その後、小野将広師範に実地ご指導まで受けた。濃密な当日の体験であった。やってみよう。

「真向法」をご紹介する。「真向法」は昭和8年、長井津(わたる)氏が創始した健康法で87年の実績がある。身体を柔らかくし心と身体の健康を保つ。表題の通り簡単な「たった4つの柔軟体操」から成る。筋肉の増大や強化が目的ではない。股関節の柔軟性を増し身体全体の良好なバランスを得る。合気道でも採用されている。

「真向法」の普及母体は「公益社団法人真向法協会」で1969年に社団法人、現在内閣府認可の公益社団法人。実施者は約100万人。「健康で明るく豊かで繁栄する健康長寿社会」をめざし、国民の健康の維持と医療費の節減に寄与している。

ところで、私が真向法に取り組む最大の動機と目的はゴルフである。D1(ドライバー)の飛距離は230〜250ヤードを維持し、平均スコアを95〜90から90〜85に向上させたい。

身体の柔軟性が向上し股関節などの可動域が広がったら、ゴルフの飛距離が維持され、伸びる。また、柔軟であれば、体幹が安定し膝や股関節に粘りが出て、スイングが暴れず球の方向性が安定する。真向法の「たら・れば」で実現するかもしれない。しかも、自宅で、自分ひとりでできる。(協会の指導を受けた方が、より効果的である)。    

本書に出会う前の2019.9.2、関東在住の高校の同級生4人で平成倶楽部鉢形コースを回った。無風快晴、フラットな9番ホール・333ヤード・パー4で、幸運にも260ヤード(D1)のグッショット、残り73ヤードをAWでホール3mのAグリーンに乗り、1パットでバーディだった。偶然ではなく、1ラウンド中これを何回もやりたいのである。

自宅で真向法を続けている。柔軟性の向上は「1mmずつ」とある。基本通りの単調な体操の繰り返しである。大して面白くもないが、ここはやるしかない。理想形にはまだ遠いが少しずつ前進している。

2020年になり、コロナ禍で自宅にこもる人が多い中、2020年は3月から7月まで毎月コースをラウンドした。猛暑の8月は休止。同伴競技者に「この頃ブンブン振っていないね」と言われた。身体の可動域が広くなったのか、ゆったり振ることができるようになったのかもしれない。飛距離は落ちていない。

本書にD1(ドライバー)の飛距離が伸びた人(匿名)の体験談があった。「270ヤード!」と。「ほんとか?」と感じていたが真面目にやれば何かがありそうだ。真向法を始めて1年・・・、続けてみたい。

ところで、気になることがある。真向法の初心者である私が、わざわざ発言する筋合いではないかもしれないが、100万人を誇る真向法実施者数の伸びが今一つだという。少子化や高齢化の影響だろうか。

ある日ジムに通っている友人(女性)が言った。「(真向法?)あれっ、これジムでいつもやってますよ〜」と。ジムで採用しているのだ(無断で?)。真向法が普及すると考えれば、それでいいのだが・・・。また、知的財産権上の問題はないのかな。

彼女が第1・2・3・4の体操(ふう)の写真をメールに添付してくれた。すばらしい。真向法の完成形に近かった。でも、悩ましい。それでは、人は総合的なメニューを売るフィットネスクラブ(ジム)に向かい、本家の真向法は商売あがったりにならないか。

では、真向法の発展のためにどうすればいいのだろうか。協会へのお節介であり、まことに僭越な所業ではあるが、ひとりの素人の思いつきとして、次に例示し提案する。協会においてご検討いただければ大きな喜びである。

1. ロゴ入りの斬新なユニフォームを作る。(夏・冬型)。
2. 若者にも受けるマンガ版「真向法」を出版する。
3. 清潔感と機能性に優れるマットを開発する。
4. 実施者の特典を充実する。
5. 達成感が得られる指標を細かく示す。
6. 感想(事例)では5W1Hを原則本名で表現し信用性を増す。
7. 「真向法によるリハビリ法」を大学医学部と共同研究する。
8. 老若男女の真向法の実態(統計)を調べ即応した指導を行う。
9.
広報活動を強化する。You-Tubeで神髄をPRする。キャッチコピーを創る。ex「真向法で今日も爽やか」「飛距離+20ヤードの魔力」
10. 音楽伴奏を導入する。真向法のメロディーとリズム。

佐藤良彦顧問の本書の「おわりに」は傾聴すべき内容である。

《「自然の一部として生きる」。私たちの体は、正しく使って錬成すれば、毎日が健康で、天命を全うすることができます。人に迷惑をかけず、人生を健康で明るく生き抜くことは、人として、また社会人として大切な使命であり責任でもあります》と。

ひきつづき地道に精進していきたい。外野席からではあるが、真向法のますますのご隆盛を心から祈念する。(2020.9.12 千葉市在住)

2020年09月08日

◆「考えるナメクジ」と「火の鳥(未来編」

馬場 伯明


ある大学教授から「考えるナメクジ(さくら舎)」という本を借りた。著者は松尾亮太(さん)という福岡女子大教授(以下、松尾先生)。48歳。1,650円。著者・出版社ともにあまり聞かない。貸してくださった教授が何の目的でこの本を購入されたのかは、知らない。

読んだらおもしろい。松尾先生は、京大理学部を卒業後、東大で真っ当な神経科学の研究に取り組んでいたらしいが、ナメクジの「脳!」の不思議さに魅せられその虜(とりこ)となりナメクジの研究者となる。

だが、そもそも、ナメクジの一般的印象は悪い。《ナメクジは、体がぬるぬるし粘液を出すため移動の後に銀色に光る筋を残す。じめじめした生息環境におり不潔なので、不快な生物として人間に嫌われる。花壇・畑・ハウスの、花・野菜・きのこに害を与え台無しにする。広東住血線虫の中間宿主にもなり、傷がある手で触れると危険である》(虫知識COM)。

しかし、この本の面白さ・不思議さ・ユニークさは、目次に現れている。私が長々と説明するより手っ取り早い。ざっと抜粋し列挙する。詳しい内容は想像するか、この本を読んでください。

《1章
ナメクジってどんな生き物?(人間社会のおじゃまもの、カタツムリとは違う、からだのしくみ)。 

2章すごい「脳力」(ナメクジにも脳があるの?、ヒトよりすごい「脳力」を持つ動物たち)。3章ナメクジは賢い!(学習する、五感はあるか、記憶はどこに)。4章人間をはるかにしのぐナメクジの「脳力」(再生能力、DNAは倍々ゲームで増える、新たな脳内物質、暗闇を探し出す)。5章ナメクジの生き方(生存戦略、なぜ殻がないのか)。6章愛と青春のナメクジ研究(松尾先生の「自伝」?)

本書で、松尾先生は、型破りでナメクジのすぐれた脳機能に驚かされっぱなしで、人とはまったく違ったロジックで動き、それでいてすぐれた彼らの脳機能を知っていただければ・・と書く。そして最後に「万物の霊長たるヒトの脳は、なにもすべての動物が目指す頂点ではなく、この世界を生き抜くための単なるひとつの形にすぎない」とまで言い切っている。

さて、ここで松尾先生の「本」は机上に置き、遠い50数年前へ飛ぶ。1976年、手塚治虫の長編大作「火の鳥」がマンガ雑誌COMで始まった。その後7編まで続く。当時私は京都市で大学4回生、法律の勉強はサボり、マンガ雑誌のCOM(手塚プロ)やガロ(青林堂)等を読み漁っていた。

1冊目の「黎明編」。ヤマタイ国(邪馬台国)のヒミコ(卑弥呼)の時代から日本の国造りの時代が描かれる。支配者の誰もが永遠の命・・不死の生命をもたらすという「火の鳥」を追い求めた。しかし、誰も果たせない。

2冊目の「未来編」では、いきなり、1434年後の西暦3404年に飛ぶ。大胆で壮大な想定、SFである。

以下、作者(手塚治虫):T、ナメクジ:N、マサト:(M)、火の鳥:(H)、私(馬場:B)の言葉と文章で本稿を展開する。平仮名は適当に漢字に置き換える。

T:西暦3404年―地球は死にかかっていた。かつてそこには強大な帝国があった。青く満ちた海原があった。そして生きるもののしあわせと安らぎと愛の讃歌とがあふれていた。・・だが、今では・・、はてしない荒地だけ。人類は一切を地下へ持ち込んだ。地下だけが残された最後のとりでだった。

B:人々はここに「永遠の都」を築き暮らす。電子頭脳の女王が支配しその命令ですべてが差配されている。最終戦争世界は2つの電子頭脳の命令で2国が核戦争に突入し、他へ連鎖し、・・・あっけなく人類は絶滅した。ただ、地上に出た人類戦士のマサトと友人のロック、地上の暮しを許されていた猿田博士の3人の人間が生き残った。それと、不定形(可変)生物ムーピー(タマミという女性に変形している)だけ。

B:地球の歴史は変遷し最後にマサト一人が残る。火の鳥から永遠の生命をもらい、長い地球の史と運命を見定める存在として、30億年を生き続けることになる。・・・宇宙生命体として。その途中で、恐竜が地球の支配者となる。ところが、予想もしなかったことが起きる。

T:恐竜がなにかに襲われている!何だろう?体に何か吸い付いている!ヒルだろうか? ナメクジが恐竜を倒している!!哺乳類たちも、ごく僅かな小動物を残しナメクジに征服された。これはどういうことなのだ!

T:ナメクジはますます進化していく。その脳ははちきれそうに膨れあがり、ついに・・・・直立して歩くナメクジが現れた。それは突然変異で・・・・出し抜けに、2匹生まれたのだ。その後、その2匹は恐るべきスピードで子どもを増やしやし始めた。神たるマサトは、その2匹に、やむを得ず、アダムとイブと名をつけた!!

B:松尾先生が後年検証した(!)ナメクジの脳はさらに進化していたのだ。ナメクジが地球の支配者となった。ナメクジの歴史にとりこれ以上の大きな話はない。政党の総裁や日本の首相が誰かなどという小さなことではなく(笑)、地球の全支配者であり、王者なのだから・・・。


T:そのうち、ナメクジたちははっきり2種類に分かれていった。北方系の色の白い尊大な種族と南方系のどす黒い大型種とだ。この二つは、性質も思想も宗教もぜんぜん違っていた。ついに北方種は、地底の溶岩を地上へ誘い出す方法を見つけた。一方、南方種も大気中の水を自由に調節することを覚えた。

T:ある日、北方種は、突然地上のあちこちに溶岩を噴き出させた。南方種は一瞬のうちに全滅してしまった。しかし、南方種は滅びる前に復讐を忘れなかった。地球上の空気はカラカラに乾き、水はほとんどなくなった。

T:北方種は水を探して死にものぐるいで駆けずり回ったが、もう遅かった。体はどんどん干からびていく。やがて・・・たった一匹生き残って、水、水を・・・それも死にかけていた。水・・。その一匹は転げ回って悲鳴を上げた。

N:死にたくない・・死ぬのは嫌だ。お・・水! 水だ!!フウ これで一日ぐらいは持つ。
M:あわれな生き物よ おまえはなぜそんなに生きたいのだ?たかがナメクジのくせに・・。
N:た・・たかがナメクジですって。ひどいことをおっしゃる。あなたがだれだかは知らないが、私だって命は惜しい!!

M:長生きして何になるというのだ?なぜ命をそんなに惜しむのだ?

N:そりゃあ死んでしまえば何もかもパーになるからですよ・・・。

M:私はおまえの先祖の下等なナメクジを知ってるが、おまえのように未練がましくはなかったし、グチも言わずに死んでいった。恥ずかしくないのかね。

N:イヤダ イヤダ。わたしゃそんな下等動物じゃない。死ぬのが怖いんだ、助けてくれェ。

M:助けたいが私にはできない。その水ももうすぐ枯れるだろう。この暑さでは3時間と保つまい。

N:ウフ・・ウ あ・・あなた・・聞いてますか。・・私に最期のグチを言わせてください。なぜ私たちの先祖は・・、賢くなろうと思ったのでしょうな・・もとのままの下等動物でいれば、もっと楽に生きられ・・死ねた・・ろう・・に・・・進化したおかげで・・。

T:(最後のナメクジが)死んだ。なま暖かい雨が何千年も降りそそいだ。それはナメクジの文明どころか、中生代の名残を跡形もなく流しさった。それに代わって、体温を持った生き物たちが現れ始めたのだった。初めは遠慮深げに・・やがてわが物顔に・・。(マサトは)何億年彼らを待ったことだろう。人間だ!ネアンデルタール人からクロマニヨン人だ。この人類は進化のスピードを早めていく。

M:愚かな人間たちよ。浮気者で、派手好きで、けばけばしく飾り立て、嫉妬深く、他人を信用せず、嘘つきになり、残忍で、何と醜い動物なんじゃ。わしはそんなお前たちなど望まなかった。欲しかったのは新しい人間なんだ。・・あの鳥はどこかで見たような・・。思い出した!火の鳥だ!!

M:ずいぶん久しぶりだのう。

H(火の鳥):ちょうど30億年ですわ。マサト!あなたは何と呼ばれているのですか?

M:いやあ、人間どもやナメクジや動物たちは、わしのことを「造物主」とか「神」とか呼んでおるよ。わしゃ生きとるのか、死んどるのかのう。

H:もちろん生きていますよ。宇宙生命として。見えるでしょ?感じるでしょう、この世界のいたるところに・・・宇宙生命の群れが飛び回っているのを!!さあ、あなたは私(火の鳥)になるのよ。私の中に飛び込んで!!(B:マサトは火の鳥と合体し宇宙生命となった)

T:そして、火の鳥は飛び立った。新しい人類の新しい歴史を見守るために・・。火の鳥は、火山の火口壁に巣を作ってそこへうずくまって思いにふけっていた。それは果てしない長い年月だった。生物が滅びてまた現れて進化して・・栄えて滅びた。火の鳥の前で何度繰り返されたことだろう。

T・H:火の鳥はいつも思うのだ。「あのナメクジにしたって、高等な生物だったこともあった。ここでどうしてどの生物も間違った方向へ進化してしまうのだろう。人間だって同じだ。どんどん文明を進歩させて、結局は自分で自分の首を絞めてしまうのに」。

T・H:「でも今度こそ」と火の鳥は思う。「今度こそ信じたい。今度の人類こそ、きっとどこかで間違いに気がついて・・・。生命を正しく使ってくれるようになるだろう」と。(第2部 未来篇 完)

B:火の鳥の思いと祈りは永遠につづく。それで・・?松尾先生のナメクジ研究はどうなっていくのだろう(笑)。(2020.9.6千葉市在住)

2020年08月22日

◆懐かしのオクラホマミキサー

馬場 伯明


集合・対面せずPCでつなぐ連句の会に10年来参加している、というよりも「ぶら下がっている」の方が適切だろうか。2020年上半期の歌仙36句の大合評会が、先日2020.8.9の夕方から、コロナ禍の折、ZOOMを利用して行われた。延々5時間ぶっ通しで自由な鑑賞の意見を述べ合い、宗匠の適切な指導により課題を残しつつも、纏まった。追記(*1)(*2)。

発句(新年)    老いし手と若き手にうつ注連飾   楓亭
脇句(新年)   つくぼの里にゆるる繭玉     瞬夏 (中略)
三十五句(春・花)車椅子の母の歓声花の土手     海象
挙句(春)    菜の花色し帽子連なる       瀬々

土手は満開の桜である。車椅子上の老母は喜びの歓声をあげ息子は静かに車を押す。転じて、新小学生が菜の花色の帽子をかぶり連なり学校へ元気に歩いている。明るい未来へとその道はつづく。めでたい挙句により本歌仙は巻き終わった。2020年の下半期(8〜12月)の発句は行人さんが予め詠んでいた候補5句の中から連衆の投票により次の句に決定した。

発句(夏)    オクラホマミキサーどこか遠花火  行人

新しい発句を眺めていたら、ふるさとの遠い記憶が蘇ってきた。約60年前、母校・長崎県立口加(こうか)高校のことである。昭和36(1961)年秋の体育祭の企画会議で3年生の先輩の生徒から「フォークダンスをしよう!」と提案があった。生徒数は1学年では、男女共学の普通科3クラスと商業科、それに家庭科(女生徒のみ)の5クラス45人の225人。

2年生のあるクラスの委員長だった私は即座に反応した。「質実剛健を誇るわが口加高校の校風を華美柔弱なものにする愚かなことには絶対に反対である」と青い論陣を張った。正直に言って「フォークダンスをしたい」と思っていた家庭科の女生徒らがいたが、私の勢いに負け、結局、実施は取りやめとなった。

翌年S37(1962)年3年生となった。秋になると進学・就職の追い込みの時期に重なるので時期が不適切であるとのH校長の判断により、体育祭は前倒しの5月開催となった。私は再び企画会議に出席した。別の新3年生からフォークダンス実施案が提出された。

ところが、私は春休みを境に質実剛健派から華美柔弱派に転向しており、突然発言した。「よし、やろで(やろう)。口加高校も新しか時代に、向うて行かにゃあ、いかんたい」と。(私は・・色気づいていたのだ)。

去年の私を知っていた生徒は唖然としていたが、すんなり実施することに決まった。1、2年生もやりたそうだったが、人数が多くなり過ぎるとして、3年生225人の限定種目となった。私は「去年の3年生には悪かったな。『現金な奴だ』と思われるだろう」と恥じる気持ちも少しあったが、すぐ忘れてしまった。

踊るフォークダンスの曲は、オクラホマミキサー、マイムマイム、コロブチカの3曲であった。それらの曲の起源を探る(Wikipediaより)。また、体育祭でどういう気分で踊っていたのかを思い出してみる。

「オクラホマミキサー」:このメロディーは「藁の中の七面鳥」の歌詞以前から"Natchez
Under the Hill(丘の下のナチェス族)"というバイオリン曲としても知られていたほか、"Do
Your Ears Hang
Low?(君の耳は長く垂れている?)"という子供の歌としても知られている(・・らしい)。

古いアルバムに色褪せた写真があった。体育祭のフォークダンスの入場風景の写真で後輩が撮ったものだ。なぜか私が全体の先頭にいる。背は高い方ではあったがクラスの委員長だったのでそうなったのではないか。私は同クラスのMさんと前向きに両手をつなぎ行進している。ちょっと左横を向いている。よく見れば、あらら、右手を握手のように下から添えるべきところを上からかぶせている(間違っている!)。

オクラホマミキサーの踊りは、女生徒と右手を肩越しに、左手を男生徒の左腰の横で手をつなぐので、お互いの一体感がある。1セットをパートナーと踊り挨拶して別れたら次の人に移る。自分が期待する女生徒が今円列のどこにいるのか気になった。やっと巡り合ったらそこで曲が終わりがっかりということもあった。でも、練習のときも楽しく最終学年の体育祭でフォークダンスをやってよかったと思った。

「マイムマイム」:イスラエルのキブツ(集団農場)で、水源の乏しい乾燥地に入植した開拓者たちが、水を掘り当てて喜ぶさまを表したもの(だという)。フォークダンスでは、夏のキャンプファイヤーなどでも定番だ。

大きな円陣になり、両腕を広げ、両側の女生徒と終始手をつないでいる。♪マイムマイムマイムマイムと掛け声を発し、マイムベッサッソン!私の関心は両側の女生徒がラッキーな相手なのか、そうでないのかである。でも、それは逆の女生徒からしても同じことなのに・・・(笑)

「コロブチカ」:ロシアの行商人の背負う荷物箱という意味(とある)。ロシアの有名な民謡となりアメリカ経由で日本に伝わった(という)。パートナーの女生徒と対面し両手をつなぐ。1セット踊ったら次のパートナーに代わりながら進む。

進行するにつれだんだんテンポが速くなっていく楽曲構成であり、男女ふたりの高揚感が表現されるようになっているので、自然にそういう気になるフォークソングである。「馬場さん、あんた、そがん、強う、握らんで!(笑)」と、才媛のKさんに叱られた。

当時男女の高校生同士が公然と自由に手をつなぐことはほとんどなかった。同学年で何組の交際するカップルが生まれたのだろうか。体育祭での初めてのフォークソングのおかげであるという証拠はないが、私たちの3年生のクラス内の同級生同士が、その後2組結婚した。じつは、私が3組目になる可能性もないこともなかったのだが・・・、人生はそうそう思い通りにはならない。

ともあれ、2020年の下半期(8〜12月)の発句は行人さんに決まった。

発句(夏)    オクラホマミキサーどこか遠花火  行人

単調にも見えるが、時と場所が大きく構えられた夏の句である。どういう方向へも展開できる発句、楽しみですと連句の上級者の人が評した。

じつは、この発句の次の脇句は私が指名された。さあ、大変。脇句は、発句(575)と同季・同場・同時の短句(77)とし、体言止めとした方が、納まりがよく、発句と脇句を合わせ短歌(57577)のような世界をつくるのがよいとも言われている。安易に、「高校時代」「セピア色」「思い出」「ほろ苦い」「懐かしい」などと、定番や月並みの言葉を使ったら、連衆から集中砲火を浴び、宗匠から厳しくダメ出しをされるのは間違いない。

奇抜ではなくても発句に寄り添う脇句でご挨拶をしたい。また、60年前ともに踊った「オクラホマミキサー」のパートナーだった女生徒たちにもほめてもらいたい。さあ、どうするのか・・・。次の句となった。

発句(夏)    オクラホマミキサーどこか遠花火  行人
脇句(夏)    堤越えたら舞う姫ホタル      串山(馬場)

宵闇のキャンプ場から、堤(つつみ)を越えたら、炎の如く舞うヒメホタルに出会った。美しくなつかしい故郷の風景がよみがえった。
歌仙は連衆が立派に続けてくださる。私も引き続き参加するが、感謝あるのみである。(2020.8.20千葉市在住)

(追記)
(*1)「歌仙“注連飾の巻”(2019.12〜2020.6越境連句会)」大合評会が
2020.8.9にZOOMで開催され、同歌仙より四句、新たに始められ
た「歌仙“遠花火の巻”2020.8〜2020.12)」より二句を、同資料よ
り引用しました。

(*2)(新旧)歌仙から六句を本稿に転載しています。連衆から本誌への
   投稿のご了解は得ましたが、他の連句や俳句関連紙誌への句の転載
はお控えくださるようお願い申しあげます。(了)

2020年08月08日

◆V・ファーレン長崎。走!跳!蹴!

馬場伯明


私は長崎県島原半島の出身であり、これまで、スポーツの分野でも長崎県出身選手やチームをとくに応援してきた。高校まで長崎県に18年、岡山県を経て、千葉市には35年も住んでいるのに、サッカーでも「ジェフユナイテッド市原・千葉」よりも長崎のチームを優先し応援している。

2020.7.29(水)Jリーグ(J2)のV・ファーレン長崎(以下、V長崎)はアウェイの山口で、レノファ山口FCに2:1で勝った。勝点22(7勝1引分0敗)で2位大宮アルディージャに勝点4差で首位を堅持した。

2020.8.2(日)V長崎は、ホームのトランスコスモス・スタジアム長崎(諫早市・以下、トラスタ)で東京ヴェルディと対戦した。DAZN(ダゾーン)の受信契約をしていないので実況の視聴はできなかった。

じつは、本稿の出だしは次のように書くことになるのではないかと控え目の予想をしていた。《 V・ファーレン長崎がついに負けた。でも、いつかは負けるだろうと思っていたので、それほど悔しくはない。ただ、今年は地力がある。ここから再び連勝が始まるだろう・・》と。

しかし、結果は、東京ヴェルディと0:0で引き分けだったから、次のように書き直そう。《 V長崎が引き分けた。相手は下位だが(かつての名門)東京ヴェルディだった。負けず引き分けたのはよかった。勝点23(7勝2引分0敗)で2位大宮アルディージャに勝点5差で首位を堅持した。今年は地力がある。この後も、負けなしの連勝が続くだろう。》。

この投稿も早めに出さなきゃ・・・。V長崎が、次の徳島ヴォルティクス戦に負けてしまうと困る(笑)。

ここで、V・ファーレン長崎(V長崎)の起源と歴史を紹介する。

雲仙温泉(Unzen Hot
Spring)の麓で、有明SCと国見FC(国見高校サッカー部OBら)が2004年に統合し(新)有明SCが設立された。2004年の九州各県リーグ決勝大会で準優勝し九州リーグへの昇格を決めた。

今から15年前のことである。(新)有明SCが2005年に新チーム名を募集した。私は「スプリング長崎」という提案で応募した。「泉(雲仙)・バネ(跳べ)・春(よ来い)」の3つのSpringに思いを込めたのだが・・・。

チーム名は「V・ファーレン長崎(ヴィ・ファーレン長崎)」に決定。Vは(長崎ゆかりの)ポルトガル語のVITORIA(ヴィトリーア:勝利:)とオランダ語のVREDE(平和)・VAREN(ファーレン・航海)を意味する。

2006年九州リーグ優勝し全国社会人サッカー選手権大会でも優勝した。しかし、JFL昇格戦で負けた。2009年日本フットボールリーグ(JFL)から準加盟クラブとして承認されたが、(代替)専用スタジアムの不備等でJリーグ加盟を断念。2012年11月JFL初優勝し、Jリーグ理事会承認を経て2013年からのJ2参加が決定した。ずいぶん長い道のりだった。

監督には高木琢也氏が就いた。「アジアの大砲」と称された日本代表FWである。国見高校サッカー部OBであり小嶺忠敏(元)監督の愛弟子だ。島原半島(現)南島原市、(旧)北有馬町小中学校卒業の正真正銘の地元の選手であり、私の高校の同級生Nさん(女性)と実家は近所同士だという。

ふるさと長崎とV長崎を一途に愛し、育て、高木監督を支えた人がジャパネットHDの高田明会長である。(直接的責任はともかく)高木監督も経営問題に悩まされた。2017年初、ジャパネットHDがチームを100%子会社化し経営不安を一掃し、また、観客や売上増加のため営業と宣伝に手を尽くした。経営は安定に向かった。夏の島原合宿の懇親会で、高田社長が「J1昇格決定で全員ハワイ旅行だ!」と明るく約束した。場は最高の盛り上がり。(そして、実現した)。

2017.11.11、V長崎はトラスタの最終戦でカマタマーレ讃岐に3:1で快勝した。22,407人の観客(サポーター)の前で2位を確定させJ1入りを決めた。長崎県民と(全国の)サポーターが歓喜した(私も・・)。

しかし、2018年J1シーズン1年目は最下位に沈み、わずか1年でJ2へ降格となった。高木監督は身を引いた。彼は2013年のV長崎の監督就任以来、その消滅の危機、J1昇格の歓喜、そしてJ1陥落の悲哀まで全てを経験した。だが、V長崎のサッカーへの貢献度はNo1の人だ。私は「ほんとにお疲れさま」とその労苦をねぎらい心から感謝したい。

2019年、V長崎(V2)は監督に手倉森誠氏を招聘した。前日本代表コーチ・U-23日本代表監督で、仙台での指揮経験もある。だが、この年は最終12位に終わった。それでも、天皇杯では準決勝で2:3までJ1鹿島を追いつめ2020年へ期待を持たせた。

2020年、高田社長から娘の高田春奈氏に社長が交代した。コロナ禍の中で、うれしい誤算か、本物かはわからないが、目下9戦無敗の快進撃を続けている。だが、圧倒的な戦力や実力があるとは感じられない。接戦を耐え際どく勝利している。引き分けのゲームも粘っている。
そう、サッカーは勝つことである。そして、負けなければいいのだ。

ここから、V長崎にまつわる個人的な話を記す。

2020年は長崎へまだ1回しか帰省していない。2.22〜24。兄弟姉妹等で会食し、高校の友人と夜の街で飲食した。長崎国際GCでラウンドもした。V長崎は翌月3.23、トラスタでの開幕戦で栃木SCとの開幕ゲームを1:0で制した。私は帰省しで応援したかった。コロナ禍を恨む。

関東地方のふるさと関係の諸団体に関与し参加している。関東長崎県人会、関東島原半島会、関東南串会(出身町人会)、関東口加会(高校同窓会)などだ。関東地方で開催されるサッカーゲームには随時応援に行く。

古いが、2002.1.8国立競技場の第80回全国高校サッカー決勝で国見高校は岐阜工業(岐阜)を3:1で破り5回目の優勝を飾った。関東島原半島会(福田学会長)が主催し、私たちは四谷交差点のスクワール麹町(ホール)で祝勝会を行なった。V長崎の徳永悠平(DF)と徳重健太(GK)が3年、柴ア晃誠(FW・J1広島)が2年、平山相太(FW・引退・仙台大在学)は1年だった。「地元の祝勝会より豪華ばい(です)」と言われた。本箱から出してみれば、徳永らのサイン(色紙)は高校生らしく下手な字だ。2年後2004.1.12第82回でも国見高校は6回目の優勝を飾った。平山相太(3年)が9得点(得点王)となりこの年も四谷で祝勝会をした。

そして、2020.7.19の京都サンガ戦では、V長崎の徳永悠平(DF・36歳)と徳重健太(GK・36歳)とが出場し、徳永が見事なヘディングで先制点。徳重は好セーブした。国見高校と長崎サッカーの精神は、連綿と今のV長崎へ受け継がれているのである。

ジェフユナイテッド千葉・市原(千葉)のフクダ電子アリーナは千葉市中央区蘇我にある。長年勤務した川崎製鉄(現JFE)の千葉製鉄所の敷地内である。稲毛区の自宅から車で15分。V長崎:千葉のゲームはいつも観戦するが、まずV長崎を応援する。その次に千葉を応援している(笑)。

記憶に残るゲームを2つ。2017.5.13(J2)V長崎は0:5で完敗した。攻めればカウンターを食らい、守れば押し込まれた。しかし、このゲームを転機に吹っ切れたのか、追い上げてついにJ1に昇格した。ところが、2年後J2に落ちた2019.6.2、V長崎は4:1で勝ち雪辱を果たした。

今後の関東の日程は、2020.8.27(木)水戸ホーリーホックとの対戦である。この日は仕事を調整し応援に出かけよう。その後は未定である。

V・ファーレン長崎は帆を上げ大海へ漕ぎ出した。順風満帆である。V長崎の勇者たちよ、速く走り、高く跳び、強く蹴るのだ。
勝利の港は待っている。ふるさと長崎の母港「トラスタ」へ凱旋帰港するのだ。ファン(サポーター)は強く信じる。(2020.8.6千葉市在住)

2020年08月03日

◆「顔より太もも」その後

馬場伯明


コロナ禍に抗し「飲もう」と新橋のSL広場で待ち合わせたら、ビル壁面のサントリーの角ハイボールのCM看板では井川遙の写真が更新されていた。何と艶めかしい。こういうママさんがいるのならば、すぐふらふらっと店に入ってしまうだろう。

その右横には、GIRLS競輪のCM看板「顔より太もも」の2人の女子選手(児玉碧衣・田中りゆ)がいる。力溢れる走行姿は健在である。五輪を狙う。顔より太もも「実力」である。

2020.7.16(金)朝、勤務が休みでたまたまNHKの「アサいち」を観た。近江友里恵アナがメイン司会者だ。プレミアムトークに48歳で女子競輪学校に応募し1期生として活躍した高松美代子さん(58歳)が登場した。以下、本誌2020.7.8
第5465号の「GIRL’S
KEIRIN『顔より太もも』の「その後」としてご紹介する。

Wikipediaより抜粋・引用する。

《高松美代子(1962.5.9- 58歳)元女子競輪選手。日本競輪学校女子第1期生。大阪府生まれ。プール学院短期大学卒。小学校の臨時教師の後結婚し専業主婦。娘2人を幼稚園に自転車で長距離送迎した。

日本スポーツマスターズ自転車競技大会では2006年から2010年まで女子個人ロードレースで5連覇、東京-糸魚川ファストラン300kmでは女子の部8回優勝。この実績を引っ提げ競輪学校へ48歳で入学、生徒会長を務め、在校競走成績は5勝、第19位。

2012.5.1、競輪選手(プロ)登録。同年7.1に平塚競輪場でデビュー戦。初勝利は同年12.27の高松競輪場。

2013.8.4熊本FI最終日一般戦での勝利はガールズケイリンにおける最高齢勝利記録(51.2月)である。2017.3.26千葉競輪場で引退レース。通算成績323戦3勝。引退後も日本競輪選手会でガールズケイリン・スタッフとして働く。家族は夫(2017.1死去)と2女。1歳年上の歯科医師の兄》(抜粋等終わり)。

「アサいち」のトークによれば、高松さんのモットーは「後悔しない生き方」であるという。エピソードを交え紹介したい。

先に述べた2児の幼稚園送迎。ママチャリで長女では毎日往復20km、次女では32km、7年間で延べ4万kmを走った。決めたらやり抜く。

48歳で入った全寮制の競輪学校の地獄の練習と生活は天国だったと。「主婦業に比べたら、3回ご飯が出てくる。洗濯も自分のものだけ。
自転車に集中できる。
もう一回(でも)競輪学校に通える(笑)」と。すごい。

今も、毎月小さくても目標を決め実行しているという。「般若心経の暗唱」。「指笛を鳴らす」「ピアノ1曲を演奏」「ペン習字」「マスクを50枚作製する」など。

じつは、高松さんと近江アナだが、小柄なこの二人は丸っこくて似ている。とくに笑い顔がそっくり、親子みたいだった。

プレミアムトーク・インタビューの終わりに、視聴者からの質問の一つを近江アナが読み上げた。

近江アナ:「太もも周囲の最高時の大きさはどうでしたか?」と。高松:「・・・60cmでした」と。ところが、これは2020年現在の女子競輪の絶対女王である大柄な小林優香選手(26歳)の太もも周囲68cmと比べても立派な数字である。

近江:「ふくらはぎも立派ですね?」に対し、変なことを言う。高松:「じつは、ふくらはぎは(訓練しても)変化がないのですよ。ふくらはぎは生まれつきのものです」と。

へえ、なるほど、そうだったのか。ふくらはぎが太かった亡母を思い出した。母は戦前旧制女子師範学校の陸上競技部に所属し、短距離選手兼(何と!)円盤投げの選手だったという。今でも競技用円盤を自分で投げたことがある読者は1,000人に1人もいないだろうに。私のふくらはぎが太いのは母からの遺伝だったのだ。

今、計測してみたら私のふくらはぎの周囲は44cmと太い。だが、太ももは58cmで、筋肉は若い頃より相当落ちている。だが当然だろう。すでに後期高齢者(75歳〜)なのだから(笑)。

女子競輪界の女王小林優香選手や石井貴子選手(30歳)らが2020東京五輪を目指していたがコロナ禍で延期となった。さらに練習に励み、意欲を持続し、2021年東京五輪で、所期の目的を達成してほしい。

高松さんは前向きだ。苦手なことも厭わず、決して諦めないパワフルな生き方は、人間、一生をどう生きるかについて、視聴者に多くの示唆を与えてくれた。女子競輪界の未来は明るいかもしれない。

高松美代子さんの引退レースがあったという千葉競輪場(千葉市中央区弁天)は千葉公園内にあり、稲毛区の自宅から車で10分だ。女子競輪に行ってみよう。(2020.8.1 千葉市在住)


2020年07月13日

◆1,000円カットの散髪屋さん

馬場伯明


いつから1000円カットの散髪屋さんへ行くようになったのか。そう、あのときだ。午後に急ぐ用事があったのに、朝行きつけの散髪屋さんに電話したら、3人待ちだった。

ふと、駅の近くの店に飛び込んだ。若い理容師が「どう、しますか?」と。「耳が出るくらいに短くして」。「はい」。あとは無駄口も言わず彼は仕事に専念した。15分で完了。ひげ剃りやシャンプーがないので急ぎ自宅へ戻り風呂ですませた。

それから私は1000円カット派となった。「速い、安い、仕上がり並」である。じつはもう一つ要因があった。その頃から頂門つまり頭のてっぺんの毛髪が激減してきていた。「すだれ化」である。

電車内などで、ほぼ総退却の毛髪状態なのに、両耳の上に残る毛髪を刈りそろえている人がいる。正直言って「整髪料金4,000円って、毛が少ないのに、ムダじゃん!う〜〜ん、自分も近い」と思った。

従来の散髪屋さん(A)と、1000円カットの店(B)とを比較してみる。長所・短所がある。

まず(A)の長所は丁寧であること。刈り上げも髪をおおざっぱに掴むのではなく、少しずつ掴んで小刻みにカットする。自分という人間が、何だかわからないけれども「大事にされている」と感じる。職場や家庭で頻繁にあることではない。うれしくなる。

つぎに、一つ一つの仕事(作業)が卒なくきちんとなされる。正しくカットされ私が思い通りの仕上がりの髪になる。長年同じ店に行っていると、私のために積み上げた個別技術かと思えてくる。満足感がある。

(A)の短所は、価格が高いこと、4,000円。次に、時間が長くかかりすぎる。刈り上げのハサミが少しずつしか進まず、終わっても、肩を揉み、背中にマッサージ器を当て、頭を指で押し揉む。ひげ剃り前には熱い蒸しタオルを使う(家では水だ)。また、耳掃除や、何と鼻毛まで切りそろえる。急ぐときは「いい加減にしてくれ」と思う。でも、暇な人にはこれが長所かな・・・。

(B)の長所は単純明快、「速い、安い。そして、仕上がりは並」であること。短所は、まあ、長所以外である(笑)。まとめれば、(B)は毎月の散髪が簡単に終る。夜に風呂で髪を洗い、朝、ひげを剃ればいい。

住んでいる千葉市稲毛区に、「1,000円カット」つまり格安店はいくつあるのか?WEBを見れば10店舗+アルファ。しかし、消費税アップで1,000円ぽっきりではなくどこも値上げしている。列記する。カット専門店FastCut
SQ:1,200円、haircut leaf
clover:1,300円、QBハウスペリエ稲毛店:1,200円。カットオンリークラブ稲毛駅前店:1,650円。・・・13店舗目ビズダイエー千葉長沼店などでる(以下、略)。

いくつか試した後利用する店を固定した。私が通う店はWEB検索では、さっとは出ない。「なぜ?」と若い店長に訊いたら「宣伝はしていない」と。「商売っ気がないなあ」に対し「ま、食っていければいいです。女房も働いているし・・」と。しかし、せっかくだから、どんな店なのかを述べる。

場所は、JR稲毛駅西口を出て、千葉銀行前を通り、交番の交差点を右に曲がり直進2分、三叉路の手前右側にある。
稲毛東三丁目16-17。3席あるが理容師は店長と、平日の女性専用カットの人。腕がよく中高年女性に隠れた人気があるという。

散髪作業はカットのみ。「何も足さない、何も引かない」。どっかのウイスキーの宣伝コピーと同じである。料金は消費税5%据え置きの1,050円ぽっきり。稲毛区でも最安値であると思われる。

髪を湿らせ、ハサミとバリカンでカット。頭に残るカット髪くずを吸引機で吸いとり、ドライヤーでさっと仕上げる。鏡で後ろ頭を見せ「いいですか?」。「いいよ」。手渡された濡れティッシュで顔を拭き、終わる。約20分。さっぱりして店を出る。

しかし、最近の店主はよくしゃべる。彼の得意分野はバイクと釣りであり、こだわっている。もともと、散髪屋(床屋)さんの親父(店長ら)は全員、「ハサミを持った週刊誌」であり四方山話は何でも持ってこい、の物知りである。「床屋談義」とは店員と顧客の掛け合い漫才みたいなもの。あらら、漫才が終わったら散髪(カット)が終わっている。

店長はゴルフの経験は少なく(話だけなら)私が自慢できる。たとえば「ゴルフは心の強さだ。「タイガーウッズは『自分は10歩いたら、ミスショットは忘れる。次のショットに集中する』という。すごい」などと稀少ネタを披露する。「なるほど!」。店主は相槌もうまい。

ここで、関連話を2つ。1つ目。江戸時代から、男の楽な暮らしのことを「髪結いの亭主」のようだと言った。私の中高の同級生N君は長崎県から上京し東京都の職員となったが、同郷の姉さん女房が修行しパーマ店経営者となり、3人の息子を立派に育てた。

彼は悠々と酒好きの人生を満喫し(仕事もし)、退職後は勲章までもらった。私たち関東地方の同級生は夫婦を招きお祝いの会を開いた。

2つ目。私が幼い頃父から聞かされた。田舎の床屋の親父(店長)の話だ。仰向けであごひげなど剃ってもらっている最中には眠くなる。すると「ちょっと、ちょっと・・手が滑って、ここ(頸動脈)を突っ切るかも・・(笑)」と店主がつぶやく。「おまい(お前)なんば(何を)言いよっとか!」と叱ると、「いやいや・・よかと」と笑う。「こいじゃ、おちおち眠れん。『命預けます』状態たい」と父は笑いながら、ぼやいた。

コロナ禍で1,000円カットの店長もぼやく。お客さんの散髪間隔が30日から40日になった。25%の減収だ。ところが、他の格安店のお客さんが移ってきているような気がするという。この店の安値も魅力だが、店長の技術力と軽妙な「話術」がお客を引き付けていると私は思う。

ところが、1,000円カットの店よりさらに進化しているのが本誌主宰者の散髪方法である。長い間奥様にお任せされていると何回か本誌にあった。夫婦円満の秘訣の一つでもあろう。私も家人への依頼を考えたが、確実に拒否されると思われ、また、(頸動脈あたりで)ひげ剃りの手が滑ったらいやだから、このまま1,000円カットを続けることにする。

最後に、お世話になってきた稲毛の店長に対し1,050円/月の他には何も報いるものがない。せめて少しのPR行為として、本誌上で店名を披露させていただくこととしたい。

「CUTPRO1000稲毛店 043-244-1352」。千葉市(稲毛区)の人は機会があれば、店長のバイクについての専門的な講釈を聴きにお出かけください。ついでに、髪のカットも・・・。(2020.7.12 千葉市在住)

(追記)
「CUTPRO1000稲毛店」美容院サイトの評判より。(1)ここ十数年間、ここの店長さん以外の人には、カットしてもらっていません。(2)今まで、カットしてもらった中で最高です。(3)カットの腕前最高 親切な対応。勉強家、細かな要望に気付いてくれる信頼出来るカットマンです。(4)話好きの愉快な方、相談しながらカットしてもらえます。
・・・私(馬場)があえて宣伝する必要もなさそうだ(笑)。(了)

2020年07月08日

◆GIRL’S KEIRIN「顔より太もも

馬場伯明

 
新橋駅日比谷口改札を出ると広場の正面に蒸気機関車(SL)がある。夕刻のサラリーマンの待ち合わせ場所である。クリスマスの夜には美しいライティングが施される。右のビルを見上げれば巨大な看板CMがある。公益財団法人JKA:GIRL’S
KEIRINの「顔より太もも」だ。

キャッチコピー「顔より太もも(腿)」の下地には、若い女子競輪選手の鍛えた「太もも」の画像があり、すごい迫力だ。夕暮れのSL広場で、人待ちの男たちが斜め上を向きあんぐり口を開けている。どこを、何を?・・・女子選手の太ももを見ている。私は男たちのうしろ姿を見てニヤリとする。自分もその1人だから(笑)。

「顔より太もも」の左横にはサントリーの角瓶ハイボールの看板CMがある。大人の女性の色気が漂う井川遙がこちらを見下ろし微笑んでいる。1976年生まれの井川遥は三代目の角ハイボール女優である。初代の小雪は1977年、二代目の菅野美穂は、1976年生まれと、3人ともアラサーであり、同年代の「太ももより・・顔」系統のいい女である。 

「太ももより、ハイボールでしょ」とでも言いたげに、隣で「やっぱり、新橋の、角ハイボールが、お好きでしょ」と色っぽい目線が流れくる。

だが、そのCMの右側には、若い女子競輪選手の「顔より太もも」のピチピチした新手の画像CMが次々と登場し、「まくって」くるので、井川遙たちは年齢差が露わになり、その迫力に押され気味である。

2つのCMを見ながら「うんうん、太もも女子も、ハイボール姉(あね)さんも、いいねえ・・」とうなずきつつ、新型コロナウイルスなど何のその。私たちは、夕闇の新橋の飲み処へ、三々五々、消えていく。

(世間的にはまだマイナーである)GIRL’S KEIRIN
(女子競輪)が飲み処で多くの人たちの話題になれば、「顔より太もも」と「ハイボールがお好きでしょ」の隣同士のCMの相乗宣伝効果があるということになる。 

それにしても、宣伝(CM)は「視覚」に働きかける方法がもっとも効果が大きいと思う。新橋駅の「顔より太もも」はその証明の一つである。さらに、テレビの動画CMのように音響(音楽や言葉)が加わると、いやでも影響を受けてしまう。

その視覚効果であるが、「メラビアンの法則」という聞きなれない言葉がある。Wikipediaより抜粋する。

《・・感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかという実験に基づく法則。結果は、1.話の内容などの言語情報(Verbal)が7%、2.口調や話の早さなどの聴覚情報(Vocal)が38%、3.見た目などの視覚情報(Visual)が55%だった。そこから「7-38-55の法則」「3Vの法則」とも言われている》。

ところが、この実験結果を「外見が一番」とか「話の内容より喋り方のテクニック」が重要だという短絡的な理解のままで結論に持っていく「俗流解釈」が、世間にはびこるようになってしまったという。

その典型が「人は見た目が9割」という本だ(2005 竹内一郎)。「人は顔より性格」であるという(床の間の)正論を、「人は見た目」という(井戸端の)俗論が完全に打ち砕いた。ベストセラーとなり100万部を売った。

「メラビアンの法則(俗流解釈)」をベースに出版社が意図的につけた題名が功を奏した。「表題の見た目」が読者を一瞬で洗脳したのである。しかし、著書の本文をじっくり読めば、「人は見た目が9割」ではなく、やっぱり、「人は中身が大事である」ということがわかる。

この本は大半が買ったら終わり、最後まできちんと読んでいる人は多くはなく、表題の「見た目」フィーバーの後は売れていないとも聞いた。

競輪場で車券を買うときは、「(俗流解釈の)メラビアンの法則」により「視覚(55%)聴覚(38%)言語(7%)」の順番で判断するのがよい。そのときは、視覚と言っても、押さえるべきポイントは、やはり「顔より太もも」であろう。

女性の前で、公然と「『顔より太もも』です」と言えば、「この変態オッサンは、何を言っているのだろう!」と顰蹙を買うのかな。

勤務先の若い女性にCM「顔より太もも」の話を振ったら、「そんなCMを出すなんて、競輪関係団体はセクハラっぽいオヤジが仕切っている印象です。女性蔑視も感じます。CMは逆効果じゃないですか?」と。また、「でも、オヤジの街である『新橋のSL広場』での掲示ならば、よろしいかも(笑)」と軽くあしらわれた。私はひどいドヤ顔をしていたのかなあ(笑)。

総武快速のグリーン車を待ち、東京駅の地下ホームで並んだら、ヒップが左右に張った若い女性が前にいた。ぴちっとしたジーンズに包まれたヒップから太ももにかけてのゆるやかで丸い曲線が美しい。
(・・・でも、こう書くと、また「スケベオヤジ!」と非難される一因になるかも。とかく、文章は災いの元である)。

最後に、別件だがうれしい出来事があった。水泳の池江瑠璃子さんが復
活に向けて動き出したのだ。池江さんが白血病の治療とリハビリテーションの訓練する様子をNHK・TVで観た。ついに、プールで泳ぐまでに回復してきたのである。

しかし、その姿はまだ痛々しいものであった。長身の池江さんが、ファッションモデルのように、首と腕が細くなり、肩の筋肉も落ちてしまっている。胸のふくらみも減退し、脚も太ももも細くなった。抗がん剤治療により髪の毛も抜け落ちていた(帽子・ウイッグ着用)。

かつての、たくましく太い腕、盛り上がった両肩の筋肉、堂々とした腰の張り、何よりも推進力の源泉であった、はちきれるような立派な太ももの復活を私は心から望みたい。遠いパリ五輪というよりも、2021東京五輪での復帰を目指してほしい。戦う世界は違うけれども、池江さんには、女子競輪選手同じく「顔より太もも」の精神でがんばってほしい。

早くコロナ禍の目途がついてほしい。GIRL’S
KEIRINの観客有りのレースが再開されたら、競輪場(女子)へ出かけてみよう。(2020.7.6 千葉市在住)

2020年07月02日

◆原監督の賭けゴルフ?

馬場伯明


戸塚カントリークラブでのラウンド中にキャディさんが言った。「前は先の巨人監督の原辰徳さん(以下「原さん」)たちです。原さんは昨年(2016)のクラブチャンピオンです」と。そう、原さんはトップアマなのだ。前の組とは大きな技量の差があるので、また、キャディさんが配慮したのか、前の組に追いつきそのプレーなどを近くで見ることは終日なかった。

ラウンド後風呂に原さんがいた。裸同士、私は気軽に訊いた。「初めてお声をかけますが、後ろの組でした。今日の調子はいかがでしたか?」「ええ、まあまあでした・・」と。当時の原さんはハラが出ていた。

さて、表題の「原監督の賭けゴルフ?」。週刊新潮(2020.7.2号・以下「新潮」)が書いている(2人の証言の一部を抜粋する)。

《(1)スポーツ紙デスク。「2000年代後半に、宿泊先のホテルで朝、あるコーチが『昨日も(原)監督に50万(円)やられちゃって、どうせ今日も負ける・・』などとぼやいているのを耳にしました・・」(30p)。
(2)十数年前から一緒にラウンドしてきた50代の男性。「原さんはとにかく賭けゴルフが大好き。すごい腕前の上にとんでもないレートで握るから、これまで累計で何百万円持っていかれたことか・・・」(29~30p)。

「秋季キャンプが終わってから1月末までで、多い時には1年に2~3回はご一緒していましたね。ルールは『5・10・2:ゴットーニ』。1打5000円・ホールごと1万円・ハーフの勝敗ごとに2万円。・・・さらに『ラスベガス』というルールが加わる。・・レートは1打1000円。『ゴットーニ』と併せて100万円近くが動いていました」(30p〜31p)》。

当然、原さんは反論する。《当の原監督に質すと「(賭けゴルフを)いつやるって?俺、500円以上の賭けごとはしたことないよ。(ラスベガスというルールは)知るか、そんなもの」そう笑い飛ばすのだが・・(新潮・32p)》。

巨人球団からも・・反論があった(2020.6.24「東スポWeb」より)。
《本件記事は『十数年前から一緒にラウンドしてきた50代の男性』(以下「当該男性」)の証言を根拠に、原監督が高額の賭けゴルフを繰り返してきたと指摘していますが、そのような事実は一切ありません。

そもそも本件記事に掲載されている原監督と当該男性のツーショットの写真は、2007年12月に撮影されたものですが、その後、当該男性はゴルフ仲間と音信不通になっており、当然、原監督もこの10年以上当該人物に会ったことすらありません。本件記事は、このような当該男性の証言のみに依拠しこれを否定する当球団の回答を一方的に無視しており、裏付け取材を一切行っていない悪意に満ちた記事と言わざるを得ません。

・・原監督の名誉を著しく毀損するものです。・・週刊新潮編集部が本件記事の掲載を強行したことは甚だ遺憾で、速やかに本件記事を取り消し、謝罪文を掲載するよう求めた次第です》。

新潮が仕掛けた「賭けゴルフ」の真偽は、疑惑の森へ分け入っても、ボールは薮の中でロストとなってしまうだろう。新潮の記事は、顔写真が隠れた人とデスクの匿名者2人の「証言」だけであり、その他の確たる証拠がない。新潮は「続報」するのか? それとも・・マッチポンプか? 

私は長年のカープファンである。今最大の関心事は開幕したプロ野球の行方である。カープは最強のライバル球団である巨人からのペナント奪還を狙う。今のタイミングでこの記事は大いに迷惑だ。カープには正々堂々と原巨人と闘い優勝しもらいたい。原さんの賭けゴルフ疑惑(?)の追及は、シーズンオフにゆっくりやってもらいたい。

ところで、原さんは「『(ラスベガスというルールは)知るか、そんなもの』そう笑い飛ばすのだが、(新潮・32p)」。ゴルフのbet(ベット・賭け・握り)の一つである「ラスベガス」とは何か?普通のゴルファーなら知っており、やっているが、その「起源」まではどうだろうか。

有力説がある。勤務した川崎製鉄(現JFE)に楫西雄介さんという部長がいた。昭和59(1984)年に手書き印刷の「ラスベガスルールブック」を貰った。楫西さんは自著「旅・たび・三度び(1998)」で触れている(87p)。

《昭和53(1978)年、新日鉄・日新製鋼・川崎製鉄の亜鉛鉄板界営業の3K(傑)と呼ばれた三課長(楫西のKなど)が「ラスベガス」ルールを進化させた。次に紹介する。1.順位1・4と2・3のペア方式を考案。2.バーディまたはパー2個で相手のスコアを反転。ex(47)を(74)に。3.極端な下手にはハンディを付与するなど。

「ラスベガス」は鉄鋼業界から商社へ、商社から取引先へと瞬くうちに全国のゴルファーに広まっていった。私(楫西)はありうべきケースを網羅した「ラスベガスルールブック」を書きあげ、何十部と刷った》とある。 

ペアは打順の「1・3」番対「2・4」番と各ホールで入れ替わる。4人の実力が拮抗していれば勝敗の差は小さいが、極端な下手と上手い人がいたら、他の2人の実力に関係なく大きな差(金額)になり、ま、上手が勝つ。

たとえば、パー3でバーディが出て、(2・3)と(4・7)のスコアはありうる。この場合、47が74に反転し、2人パー以上で2倍となるルールなので、(74−23)×2=102となる。@100円でも、1ホールだけで、10,200円だ。原さんは500円以上の賭けごとはしたことないらしいが、もしそれが単価@500円ならば、1ホールで51,000円となる。ラスベガスは(下手にとっては)「ギャンブル」のメッカの名の通り相当危険な賭けである。

一方「ナッソー(Nassau)」は1900年発祥という伝統的な賭けだ。アウト・イン・合計の3分野のネットスコアで勝敗を決める。1,000円ナッソーなら、全部負けたら1人に3,000円。3人に全敗ならば9,000円だ。

「原さんとプレーする時のルールは、一般に『5・10・2(ゴットーニ)』と呼ばれるものでした(50代の男性・新潮30p)」。1打5,000円、ホールごと1万円、ハーフごと2万円(とあるが)、真実この「5・10・2」なら高額だ。仮に賭けていたとしても単価は@は一桁下ではなかったのか。

別件。神戸の震災後大阪のある事業部の責任者だった頃、初受注したゼネコン(M社)の部長らを兵庫県のゴルフ場(センチュリー三木GC)で接待した。M社4人、当社は私以下4人の2組。M社の課長から提案があった。「ラスベガス@500円、ナッソー@5,000円など・・」と。

普段ラスベガスは@100、ナッソー1,000だ。何とかラスベガス@300、ナッソー3,000にして貰った。私は部下の3人に厳命した。「OB打つな。半端なパットにOK出すな。絶対に負けるな!」と。結果は4人対4人の合計金額で10数万円の当方の勝ちとなった。18番ホールでは「プッシュ(勝てばチャラ、負ければ2倍)」を提案されたが「でも、万が一失敗されたときは、さらに危険でしょう・・」とやんわり拒否し、了解を得た。

私はM社の人の魂胆が読めていた。「接待だ。あいつらは、最後には負けてくれる」と思っていたのだ。だから、仲間内のゴルフの場合よりもレートを大幅に上げ、18番ホールでプッシュを要求したのだ。

M社は「スーパーゼネコン」ではなかったが、問題は企業規模の大小ではない。その品性を疑った。「あんたら、仕事(受注)はどうするんや?」と訊かれたら「『貴社からの仕事(受注)は成り行きで・・・』と応じろ」と私は指示していた。故意に大負けするつもりはなかった。

ところで、微妙な問題がある。この場合M社の立場を忖度しわざと負け続けたら、賭博罪(刑法185条)の構成要件に該当するのかどうか?「賭博とは、偶然の事実によって財物の得喪を争うことを言う」と定められている。故意による負けは、偶然の負けではなく必然の負けだ。賭博罪に該当しないと私は思うが、論争があるらしい。

個人企業ならともかく、大手企業間の接待で麻雀やゴルフの負けを企業の接待費で負担する「慣習」は国内企業ではあまり聞かない。敗けた個人が負担する。わざと負けた者はかわいそうであり、理不尽なことだ。

「魚心あれば水心」なのか?「ラスベガス@1,000円、ナッソー@10,000円」の高ルールで、接待側4人で30万円負け工事完了までに4回なら120万円だ。その場合追加工事の精算で戻ることがあるとも聞いた(ホンマ?)。でも、その増収分を敗者個人へどう戻すのか悩ましい。だから、サラリーマンの企業間接待の賭けゴルフはそれなりのレートにすべきなのだ。

私的なゴルフでも賭ける。ところが、上手なゴルファーが大半勝つ。なぜか?スタート前に勝ちが見えている。上手は口もうまい。下手の自尊心をくすぐり、ハンディキャップが不公正になる傾向にある(私の経験)。

上手は猫なで声で囁く。《馬場ちゃん、最近また飛ばしとるらしいな!調子がいいのか。すごいな。そいで、今日のハンディやけど、8ではあんたのプライドが許さんやろ。思い切って4でどうや。俺は今腰が痛うて飛ばんし・・。お願いや。4やったらあんたの今後の励みにもなるで・・》

私は思う。《そうか、腰が痛いんか。今D1は飛ぶ。4でやってみるか》という気になるから、不思議だ。ゴルフの朝は忙しい。受付、着替え、コーヒー、パット練習、雑談。その間隙で「HCP、8から4」への急な申入れ。スタート時刻も迫る。ついつい「ま、ええか!」となってしまう。

戦いすんで日が暮れる。18ホールの結果は、当然のごとく負ける。上手は軽く一言。《・・なんか、今日はパターがはいりよった。偶然、勝たせてもろた。ありがと。次に、がんばってや・・・》でチョンだ(笑)。

性格がいい人のゴルフの賭けは赤字になりがちだ。原さんは性格がいいように見えるので、ゴルフは上手いが大した儲けはないのではないか。

ゴルフはあくまでラウンド(プレー)が主である。ゴルフの賭けは泣き笑い。賭けで泣いても自分は性格がいい人間なのだと慰める。そして、ラウンドが終われば「お疲れさまの『ノーサイド』」にしたい。
原さんも、ほどほどがよろしいようで・・。(2020.7.1千葉市在住)


2020年05月19日

◆サンズ、日本(横浜)カジノ断念

馬場伯明


新型コロナウイルス禍の拡散にうんざりの日々であるが「サンズ日本(横浜)カジノ(IR)断念」の知らせは、コロナ禍が手を貸した逆方向への流し打ちヒットかもしれない。

「カジノ実施法(特定複合観光施設区域整備法)」が2018.7.20にあっという間に成立し、日本では3ヶ所に立地が認められることとなった。世界のカジノ運営企業が利益を求め日本へ殺到してきていた。

日経新聞。《 米カジノ大手のラスベガス・サンズは2020.5.13、日本市場への参入を断念すると発表した。横浜市が計画するカジノを含む統合型リゾート(IR Integrated
Resort)への参入をめざしてきたが、取りやめる。 

新型コロナウイルスの感染拡大により同社の業績は急激に悪化していた。IR整備を進める日本政府がモデルにしてきた業界大手が進出断念を決めたことで、今後の整備計画に影響が出る可能性もある。

同社のシェルドン・G・アデルソン会長は同日、「日本におけるIR開発の枠組みでは、私たちの目標達成は困難」とし、「今後、日本以外での成長機会に注力する」とのコメントを出した。日本のIRは、政府が事業を認める期間が10年で、多額の投資回収は困難と判断したとみられる。今後はマカオやシンガポールなど既存のIR施設に投資を振り向ける》(引用終わり)。

私にすれば「ざまみろ!」である。サンズは冷徹な「賭博(とばく)運営企業」である。横浜市などの建前によるIR何たらの「きれいごと」をその収支予想であっさりと打ち砕いた。単に「儲からん。じゃあ、やらないよ」であり、「後足で(軽く)砂をかける」のものである。

林文子横浜市長は、別のIR事業者でも同様の動きが広がる可能性があるかについては「想像もつかない」と。でも(コロナ禍の影響・・に)「驚きはない」と話し、IRの推進を引き続き続ける方針を示した(日経新聞2020.5.13)。

私は、IRと称する「カジノ(賭場)の日本への誘致に(個人的に)反対してきた。と言っても、小さな蟷螂の斧の存在にすぎない。それでも、言うべきことは言わなければならない。本誌には、過去3回、反対の意思の拙稿を掲載していただき、主宰者に感謝している。

推進論と反対論の分水嶺は経済と道徳である。推進論はカジノには大きな経済効果があり、ギャンブル依存症など負の側面は是正が可能だという。でも、青少年や国民の教育や道徳に役に立つという推進論者はいない。一方、反対論の主たる根拠は道徳の涵養と健全な社会の防衛・維持である。

私がもっとも重視するのは、カジノ(賭場)が子供たちへの正しい経済教育や道徳教育とは真反対であるからだ。それは簡単に証明できる。カジノ推進論者の知人に訊いてみた。「あなたやあなたの家族・親族は、開業したら、当然みんなでカジノへどんどん行くのでしょうね?」と。

ところが、彼は口ごもった。そう、自分たちは行かないのだ。自分の家族などには「さあ、カジノへ行って金を儲けよう」とは言わず「カジノ(賭場)には行くな。はまるな」とこっそり説教する。他人ならばカジノ(賭博)へ誘導し、行かせ、散財させ、ギャンブル依存症へ追いやってもいいという理屈である。

つまり、自分はしない。他人が不幸になれという言行不一致の二枚舌である。そのように親に説教された子供や孫なども、おそらく、二枚舌が得意な人間に育つことだろう。

カジノ運営業者が儲けた利益の残滓を得る。それを経済効果というのなら、それは真っ当な事業利益ではない。他人の不幸を踏み台にする事業(商売)に頼る不健全な成長戦略などは、くそ喰らえと言いたい。かつて、渋沢栄一翁は事業には「論語と算盤」が必要であると説いた。以って肝に銘ずるべきである。

横浜市では、藤本幸夫横浜港運協会(240社)会長は横浜カジノ反対の先頭に立ってきた。

《人が生きるために政治や経済はある。人が安全に仲良く暮らせているか、そこが一番大切だ。経済効果だけでカジノを進めるのは順番が違う。・・・道路や橋を造ろうってなんなら分かる。ばくち(博打)場をつくろうってんだからね。ばくち場を作るからどいてくださいって言われて、どけますか?体を張って阻止するしかないでしょ》(2019.9毎日新聞)。そう、統合型リゾート(IR Integrated
Resort)と称しているが、その本質はカジノ(賭場)と見抜いている。

林文子市長やその応援団の政治家や経済人たちは、意気地がないと思う。「私たち一族郎党はこぞってカジノ(賭場)へ行きます。カジノ愛好者(➡依存者)になります」と、宣言する勇気もない。せめて、そう宣言した上でカジノ(賭場)の推進に取り組んでほしい。

ところで、サンズのシェルドン・G・アデルソン会長は、「日本におけるIR開発の仕組みでは、私たちの目標達成は困難」とし、「今後日本以外での成長機会に注力する」と述べた。う〜〜ん、これって、「運営条件UP闘争」ではないのか?

トランプ大統領の意(?)を受けたアデルソン会長の条件闘争により、日本政府が腰砕けになり、運営条件を緩めないことを祈りたいが、どうだか・・・。(2020.5.17 千葉市在住)

(追記)
ラスベガス・サンズの日本参入断念を受けて、中国資本等が進出を伺うとの声も聞こえてくる。断固として阻止しなければならない。(了)

2020年05月14日

◆確りせよと抱き起し

馬場 伯明


2020.5.10(日)NHK9:00〜の「日曜討論 現場で何が 緊急事態宣言延長 命と暮らしをどう守る・・・」を観た。加藤勝信厚生労働大臣は「対策を・・・しっかり実施していきたい」というふうに「しっかり」を多く使った。気になり数えたが4回でやめた。

「コロナ」よりも「しっかり」の方が重要なキーワードなのか・・・、確かに「実施していきたい」だけでは迫力に欠ける。視聴者に「やる気がないと」受け取られることを避けたかったのかもしれない。

新型コロナウイルス対策を担当する西村康稔経済再生大臣も「しっかり」をよく使う。三村明夫日本商工会議所会頭など他の(業界の)論者は「しっかり」をほとんど発しなかった。「しっかり」は国会議員や政治家の専売特許の「決め台詞」のようにも思われた。

「しっかり」を少し長いがGoo辞書で見る。《 しっかり【確り/聢り】の解説 [副(詞)](スル)1
物事の基礎や構成が堅固で安定しているさま。(ア)かたく強いさま。「ロープを―(と)結ぶ」。(イ)確かでゆるがないさま。「土台の―(と)した建物」。2
考えや人柄などが堅実で信用できるさま。「―(と)した意見の持ち主」「論旨の―(と)した論文」》。

《 3 気持ちを引き締めて確実にするさま。「―(と)勉強する」「上級生らしく―しなさい」。4
身心(ママ)が健全であるさま。また、意識がはっきりしているさま。

「―(と)した足どり」「高齢でも頭は―している」。5
十分であるさま。たくさん。皮肉をこめていうこともある。「今のうちに―と)食べておく」「金を―ためこんでいる」6
相場が上昇傾向にあるさま。》(引用終わり)。

加藤大臣や西村大臣が使った「しっかり」は、「3 気持ちを引き締めて(課題を)確実に(実行)する」という意図をもって、「4
身心(ママ)が健全である」という自意識の上で使用しているようである。

すなわち、数々の政治課題そのものを「しっかり」解決するという意味と、自分自身が「しっかり」しなければならないという二つの場面で使われている。

「しっかり」は、似たような言葉である「きちんと」や「ちゃんと」よりも、物事が確実に達成されるかのような信頼感があり、言葉に重量感がある。聞く側はなんとなくその気になり安心してしまう。

神永曉(国語辞典編集者)氏による「知識の泉」というサイトがある。「楽しもう、ニッポンの知識」とあり「日本語、どうでしょう?(第68回2017/11/20)」という表題で「しっかり」という言葉を国会会議録で手間をかけて検索した結果が書かれている。

《 1983年中曽根康弘内閣時代には321件。森喜朗内閣から増え始める。2002年の小泉純一郎内閣では925件となりピークに達する。小泉内閣時代に国会の「『しっかり』指数」が大きく上昇した。民主党政権時代も中曽根内閣の2倍以上の件数で推移し、今に至っている》とある。

「(このような金にならない調査をするなど)我ながら暇だとは思うのだが(神永氏)」とあるが、それを引用させてもらい、この雑文を書いている私(馬場)も、神永氏に勝るとも劣らない・・・相当な暇人であるといえる(笑)。

かつて、人気の小泉内閣では、経験の浅い小泉チルドレン代議士が急増した。「そういう新人代議士たちに『しっかり』してもらわなければならない」という党内の事情があったのかもしれない。

とりあえず、何事も「しっかり」と言っておけばその場が収まるような気もする。駆使する人もいる。しかし、「猫だまし」のような方法で事態を切り抜けようとするのは姑息であり、終には見透かされる。

「しっかり」は物事の説明を補強する言葉(副詞)である。本来、責任ある説明は「数字」をもって行う。特に数量・金額・期限はそうするべきである。

「しっかり」の変わった用法に「6
相場が上昇傾向にあるさま」がある。株式の市場用語で、相場が上昇している状態や株価が高い状態のことを「しっかり」という。

逆に、相場が下落している状態や株価が安い状態のことを「甘い」という。また、相場が少し上昇している状態のことを「こじっかり」といい、相場が少し下落している状態のことを「小甘い(こあまい)という」(株式用語辞典)。

内容が曖昧な「しっかり」という言葉を気安く連発する人は、心ある人から「小甘い」から「甘い」と評価され、人間の値打ちが下がる。政治家の皆さんには、「しっかり」という言葉を、乾坤一擲の場面で真の意味での「決め台詞」として、使ってもらいたい。

ところで、軍歌「戦友」の4番に有名な一節がある。作詞 真下飛泉 作曲 三善和気。

軍律厳しき中なれど 
これを見捨てて置かりょうか
確(しっか)りせよと抱き起し
仮繃帯も弾丸(たま)の中

「♪確(しっか)りせよと抱き起し」の歌詞に差しかかるところで、私は、その戦場の情景を想像し(歌いながらも)涙することがある。

政治家の皆さんに切にお願いしたい。国会、重要な会合やTV出演などの前夜には、ひとり静かに低い声でこの歌を唱えつつ、意志を固め、明日の現場に臨んでほしい。そして、確(しっか)りせよ、と。(2020.5.13 千葉市在住)

2020年05月07日

◆重井博先生の「倉敷昆虫館」

馬場伯明


私は昆虫少年だった。長崎県島原半島のふるさと南串山町(現在は雲仙市)の田舎で昆虫採集や標本作りに熱中していた。いま採集はしていないが昆虫への興味と関心は持続している。

小学校6年の夏休みの昼、「お母(か)ちゃん、モンキアゲハ(紋黄揚羽)ば(を)捕ったよ!」と、走ってきた小庭から縁側に飛び上がり台所の母に向かって大声で叫んだ。隣家の庭でモンキアゲハ(雄)を捕獲したのである。

傷や破れのない完璧な羽根のモンキアゲハである。茶褐色の前翅、真っ黒な後翅、ビロードみたいなつややかな光沢の鱗粉はまるで濡れているように見えた。うれしさと興奮で手の震えが止まらない。蝶へのホルマリン注射や展翅板へのピン刺しなどの展翅作業が暫時できなかった。

この年、作品「アゲハの採集(馬場伯明・浦島稔)」は島原市・南高来郡(島原半島)の夏休み自由研究小学生の部で金賞を受賞した。52年後、回想して「モンキアゲハを追いかけて」を書いた。(「嶽南風土記NO.16」長崎県南島原市有家町
有家史談会誌 平成21.1.30発行)。

大学卒業後川崎製鉄(株)に入社し、倉敷市の水島臨海工業地帯に立地する水島製鉄所に配属され、その後家庭を設け東京転勤まで都合10数年暮らした。倉敷市は美観地区の古い街並みや大原美術館に代表される文化と芸術の街であり、全国有数の観光地である。

その観光コースの定番ではないが、個性的な歴史がある「倉敷昆虫館」は全国に異彩を放っている。倉敷市を訪れる機会があれば美観地区とともに倉敷昆虫館の見学を強く推奨する。入場無料である。「しげいの自然保護−ふるさと岡山の自然とともに−」(冊子)、「倉敷昆虫館」
 
・「倉敷昆虫館」住所 岡山県倉敷市幸町2-30 しげい病院1階(院長 重井文博)。TEL086(422)8207 ・営業時間 午前9時30分〜午後1時/午後2時〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)・観覧料無料 ・定休日 月曜日(祝日・休日の場合は開館、翌火曜日休館)年末年始(12月29日〜1月3日)・HP http://www.shigei.or.jp/ento_museum/index.htm
メールアドレス:kurakon@shigei.or.jp

なぜ、病院の中に昆虫館があるのか?由来を記す。
《倉敷昆虫館の開設者の重井博(1924〜1996)は幼い頃から野口英世にあこがれ、1948年岡山医科大学専門部を卒業し医師となった。実は根っからの「生物屋・虫屋」。しげい病院・重井医学研究所・同附属病院の開設者であるとともに、倉敷昆虫館・重井薬用植物園の設立や倉敷市立自然史博物館開設への協力、また自然保護運動の指導者として活動した。優れた医学者であるとともに自然を探究する人だった。 

1945(昭和20)年に「岡山博物同好会」ができ、その有志により「倉敷昆虫同好会」が誕生した。この岡山博物同好会や倉敷昆虫同好会に重井博も参加していた。重井博は専門の医学研究に専念する傍ら、関連した昆虫学分野の「衛生害虫」の研究にも力を注いでいた。

展示および収蔵標本は主に倉敷昆虫同好会員による半世紀以上の調査活動の成果による。そのうち3,200種15,000点を展示している。
60年前からの標本の所蔵点数は4,000種30,000点に及んでいる。絶滅種や絶滅危惧種を含め、とくに、岡山県を中心とした身近な種をはじめ、現在では(全国でも)ほとんど見ることができなくなった種や、当館にしかない貴重な県内産標本を観ることができる》。
  
ところで、場所を移す。東京・文京区千駄木には、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」がある。昆虫好きには見逃せない昆虫館だ。館長の奥本大三郎氏は幼い頃から無類の昆虫好きだったという。1944年大阪生まれ、フランス文学者、作家、東京大学大学院修了。大阪芸大教授・埼玉大名誉教授。何といっても大作、10巻20冊のファーブルの「完訳ファーブル昆虫記(集英社)」の翻訳者として有名である。

昆虫館の展示物は大規模ではないが、手作りの落ち着いた展示室は魅力的だ。アゲハ蝶群の怪しく光る青い鱗粉の美しさが目に焼き付いている。
ファーブル昆虫館 「虫の詩人の館」・開館日:土日曜日・開館時間:13:00〜17:00・入館料:無料・管理・運営:NPO
日本アンリ・ファーブル会・協力:ファーブル昆虫塾・住所:113-0022
東京都文京区千駄木5-46-6 電話:03-5815-6464 ・(常勤スタッフなし。開館時間内のみ対応。時間外問合せはFAX:03-5815-8968など)

さて、終わりに、12世紀平安時代の物語であるが、昆虫の話については「蟲(むし)愛づる姫君」を外すことはできない。Wikipediaから。

《按察使大納言の姫は美しく気高いが、裳着(元服に相当)を済ませたにもかかわらず、化粧せず、お歯黒も付けず、ゲジゲジ眉毛のまま、引眉せず、平仮名を書かず、可憐なものを愛さず毛虫を愛する風変わりな姫君だった。美男子の若い貴族も愛想を尽かし「もうお手上げだ・・・」と嘆く。話は突然終わり「二の巻にあるべし」とあるが、第二巻はない》。

高校のとき古文の参考書で読んで驚いた。短編物語集「堤中納言物語」内の10話の一つである。美しく気高くありながら、虫が大好きな高貴な姫(女の子)がいた、平安時代にこの姫を想像し創作した作者は・・偉い(!)

毛虫も芋虫もやがて美しく華やかな蝶(や蛾)になる。この美しい姫はまさに「(元祖)虫女子」であり、その異端・偏執・溺愛・反慣習の徹底ぶりには、あきれるというか、感心してしまう。

これには、わが愛するカープファン仲間の「カープ女子」も、ちょっと負けてしまうなあ〜〜(笑)。

ともあれ、倉敷昆虫館とファーブル昆虫館「虫の詩人の館」が多くの昆虫好きの人たちに支えられ、持続的に発展することを心より祈る。(2020.5.4 千葉市在住)

2020年05月04日

◆「いたずら」は楽しく、せつない

馬場伯明


少子化時代の今の子供は孫などの例を見ても勉強も遊びも一人でする傾向である。六十数年前は子供が多かった。同級生だけでなく地域の上下の学年の者もいっしょに遊んでいた。男女で遊ぶことはなかった。

「いたずら(悪戯・徒)1」は「いじめ(虐め)」と紙一重のようだが、違う。当時は「いじめ」という新聞用語はなかった。「小さい子や弱い者を『いじめ』てはならない」と両親に厳しく教育された。しかし「『いたずら』をするな」とは言われなかった。1語源は「いたづら」であるが本稿では「いたずら」の方を使う。

「いたずら」とは、1いたずら(徒に)、2いたずら(悪戯)の2つの意味に分かれる。1は、〈無駄に〉〈無益に〉〈意味もなく〉という意味。2は、〈わるふざけ〉〈面白半分〉〈淫らな〉の意味である。

私の「いたずら」は2の方だ。ちょい悪・ちょっかい・茶目っ気・楽しさ・自己顕示・いい恰好・可愛げ・ふざけ・愛情の裏返し・存在認知・女子への示威・・。「いたずら」には複雑な要素が入り混じっていた。

多くの「いたずら」をした。楽しかった。子供の娯楽の一つでもあった。だが、その種類や態様は様々だった。夕方家に帰り今日を振り返ったとき、一人になると、ときに「せつない」気分にもなることもあった。

新聞は「いたずら」を、意味の一つである「性的に淫らな行為(強制猥褻等)の婉曲表現」で使うようになった。強姦等の性犯罪の公式新聞用語になった。茶目っ気がある「いたずら」が凶悪な犯罪と同義の言葉に成り下がってしまった。今の「いたずら」のWEB画像は見るに堪えない。

腕白小僧だった65年前の頃の懐かしい、ほのぼの「いたずら」の記憶の数々を思いおこし、記述してみたい。

「黒板消し落とし1」:教室の入口の引戸の上部に白墨の粉が付いた黒板消しを、粉側を下にして挟む。引戸を開けたら黒板消しが落下し、入室者の頭に当たり白墨の粉まみれになる。それを見て笑った。小学校5年生のとき、T先生の紺の背広の右肩が白く汚れた。「誰がやったのか!」(T先生)。犯人のA君がすごすごと名乗り出た。

これは刑法2の「愉快犯」の範疇だが器物損壊罪の恐れがある。Z先生の一張羅、紺色の背広の白墨がとれない。処分は「廊下で立ってろ!」だった。背広の白墨は消えた。奥さんが時間をかけ蒸しタオルで消したのだ。2大学時代平場安治教授の刑法ゼミに(一応!)所属していた。

「屁の音の玩具2」:C子ちゃんは椅子に薄い座布団を敷いていた。その下に置く。座った途端に「ぶ〜〜」。皆が振り向き教室は爆笑。俯くC子ちゃん。犯人が判明した。B君が名乗り出たが、悪びれていない。

B君の行為は被害者のC子ちゃんへの好意の裏返しだったのだ。自分の方を向いてもらいたい一心からだった。でも、それは逆効果になったかなあ。C子ちゃんは幼くB君の真意と深意を忖度できる年齢ではなかった

「ムカデ(百足)・ヘビ(蛇)模型3」:中学1年。D君がゴム製のムカデ(百足)・ヘビ(蛇)の模型を学校へ持ってきた。E子ちゃんの机上に無造作に載せた。

「キャ〜〜」。D君はE子ちゃんを好きだったのに・・。また、ある日私の机上に「うんこ」があり、私はD君に殴りかかった。 

「握りっ屁4」:祖父から聞いた話。わが家の本家である南串山村の11代目最後の庄屋であった馬場立造先生は、明治になり荒牧小学校の初代校長になられた。幼い祖父は、先生に「こん(の)漢字は、何て(と)読むと(の)ですか?」と目の前に本を開き差し出した。本の下からは(自分の)屁を握っている右手をそっと開いた。「うっ、臭(い)か、臭かな」と立造先生。「わ、わかりました。『くさか』と読むと(の)ですか」と言って家へ逃げ帰った。

翌日、恐る恐る学校へ行ったが、立造先生は、祖父を叱ることもなく、泰然自若としておられたという。私は小学校の先生に「握りっ屁」を開く勇気はなかった。祖父は剛毅で「のふどか3」子供だったのだ。当時の家に経済的な余裕はなかったけれども自学自習で祖父は検定を突破し教師となり校長になった。3「のふどか」:島原半島の方言。「のふぞ(野風増)」:やんちゃ・生意気な。

「草結び5」:原っぱでは走り回って遊ぶ。鬼ごっこや駆けっこである。30〜40cmのカホン科類の草を一掴み結ぶ。F君がそこに突っかかって転んだ。歓声が上がる。こんな危険なことをやっていたのである。だが、すこし手加減をしていた。草を固くは結ばなかった。

「膝かっくん6」:後ろからそっと近づき、G君の膝の裏を自分の膝でぐいと押す。不意な「攻撃?」で膝が、かっくんとなりよろける。一瞬何が起きたのか。「何ばすっとか」。さあ、逃げるが勝ち・・走り去る。

「麦わら人形7」:I君はG君にいじめられていた。少年雑誌の漫画から「呪い殺す」と決意し麦わら人形を作りG君に見立て、「死ね」と言って人形の胸に5寸釘を打った。でも、G君に変化はなかった。これを「不能犯」という。G君に『必ず殺す』と手紙を書き直接怒声で迫れば脅迫罪(精神・意思の平穏を損なう)になる。

「不能犯」には伝統的な刑法の定義がある。意思(故意)をもって犯罪の実行に着手したがその行為自体には目的を達成させる危険性がない。だから刑罰は科されない。いたずら(強姦)目的で犯罪の実行に着手したが直前に「不能」となり中止した場合は違う。危険性があり未遂犯である。

「尻突き8」:6と同じく、後ろからH君に近づき、両手を合わせ、組み、人差し指と中指を突き出し、尻の穴をぐいっと突く。やられたらこれは痛い。憎い相手だけにするという訳でもなく、ま、親愛の情の証明に近い。「やったなあ〜」で終わりだ。今度は私がやられる番になる。

「落とし穴9」戦国時代には実戦で使われていた。日清・日露戦争でも活用されたのではないか。ただ、戦争用の落とし穴には中(底)に竹やりが埋め込まれていたらしい。H君を落とした落とし穴は深さが浅く竹やりももちろん立ててはいない。

「脅し『わっ!』10」:I君の前にものも言わずつかつかと進み、両腕・拳を脇腹に「ヨーイ・ドン」の形にし、「わっ!」と叫び体の斜め下にズイと伸ばす。何だ? I君は驚く。ただそれだけの「いたずら」である。

「ビンタ11」:J君の左頬に自分の左手の甲を当て、右の手の平で思い切り左の手の平を打つ。パーンと大きい音が出るが、打つ瞬間に左手を手前に引き、J君に何の被害も与えないのが「コツ」である。

「いたずら:性犯罪12」:この「いたずら」は実行すれば重罪となる。中学生のKさんが僕ら小学生3人に言った。「これからL子ちゃんの家に行く。俺(おい)が『する』けん(から)お前(まい)たちゃ(たちは)L子ちゃんの足を押さえておけ」と。年長のL君は「する」の意味がわかった。僕ら3人は同行を嫌った。Jさんは「冗談、冗談」と言いL子ちゃんの家には行かなかった。危うく「する」共犯に陥るところだった。

「ハート・ラブレター13」:(長じて)大学入学前の「いたずら」。好きでもないのに友人M君と2人でN子さんに匿名のラブレターを書いた。
《 【3X 2- 2|X|Y + 3Y 2 = 4】 つまり、【3X(Xの2乗)- 2X(Xの絶対値)XY
+ 3Y(Yの2乗)=
4】の数式を図形に描き、中を赤く塗ってください。それが私の心です》。図形はハート型になる。後日ばれた。N子さんから「もっと優しくやわらかいレターにしてよ」と叱られた。

最後に、前川清が歌った「愛のいたずら」を紹介する。この歌の「いたずら」とは、「いたずら」の定義の1「徒」:無駄に・無益に、と2「悪戯」:悪ふざけ・面白半分、の意味が混在しているように思われる。

愛のいたずら(1970)
内山田洋とクール・ファイブ 歌 前川清 
安井かずみ 作詞  彩木雅夫 作曲

あなたはもういないと 
心にきめたのに・・・
愛のさだめのいたずらなのね
会えて 会えて ときめく 
会えて 会えて ふるえる
もう迷わせないで   
夢をもたせないで
あなた あなた そんな風にしないでね (2番 略)

この曲は、安井かずみの歌詞もよく22歳の前川清の声の高音もすばらしい。しかし、どういう「愛のさだめのいたずらなの」か。私たちの愛も人生も、いたずらに(無駄に・面白半分で)終わってしまうものなのか・・、せつない。(2020.5.3千葉市在住)
 

2020年05月03日

◆思いおこせば ひとつ浮かんだ迷い雲

馬場伯明


気になっていた昔の歌がある。「♪思いおこせば ひとつ浮かんだ迷い雲
・・・」。歌詞は半分ほど覚えている。今WEB検索万能環境の時代である。調べてみた。

「テレビドラマデータベース(http://www.tvdrama-db.com/)」ですぐわかった。NHKの連続TVドラマ「その人は今・・・」の主題歌であった。ドラマは1976(昭和51)年秋からから1977(昭和52)年の春までの半年間放送された。そう言えば、だんだん思い出してきた。引用する。

《お盆の休みからみかんの花咲くころまでを背景に、3人の娘が別々の道を歩むまでを描く。制作・キー局
NHK 月曜日1976/10/11〜1977/03/28 放送時間 20:00-20:50 主な出演者 仁科明子、小川知子、高橋洋子、あおい輝彦、久我美子(中略)岸部シロー、西田敏行。 脚本 高橋玄洋、演出 中山三雄・高松良征。(そして)主題歌「思いおこせば」作詞:塚原将 作曲・歌:小椋佳》。

市場調査なのか、下欄に「DVDが欲しいですか?」とあり、ポチっと押したら「今221
人の方がこのドラマDVDに興味を持っています」と更新された。

次に「NHK番組発掘プロジェクト通信」。概要説明がもう少し詳しい。《故郷を離れ異郷の地で働く若者たちが、さまざまな出来事に出会い、複雑な人間関係に身を置きながら、豊かな生命力でさわやかに生きる姿を描いた物語。出演:仁科明子(亜季子)、小川知子、高橋洋子、(あおい輝彦)ほか。出演者の仁科さんが録画していたテープなど数本が保存されています》とあった。

このNHKのサイトを見た人は169人。「思い出のコメント」欄には、《小学生の頃、家族で見ていました。子どもながらに仁科明子さんのことを「きれいなお姉さんだなぁ」と憧れていました。小椋佳さんの歌も印象的で今も口ずさみます。(菜穂さん:投稿日2019.12.17)》と。

しかし、コメント欄はこの人たった一人である。私は少し長めの投稿をし、2人目の投稿者となった。次のとおり。(2020.5.1)。

《当時私は32歳、瀬戸内海の製鉄所で総務部の掛長をしていました。若い女性社員20数人を含む50人の部下がおり、海を見下ろす高台のホテルでの課全員の泊まり込み忘年会は、元気一杯の若さで大いに盛りあがりました。車座のお喋りでは、その年(1976年)の秋に始まったこの番組の話題で持ちきりでした。女性たちは西田敏行を無視しあおい輝彦に肩入れし、私たち男性は美しい仁科明子や小川知子などを思い思いに持ち上げました。

私と同年生まれの小椋佳が歌っていた主題歌「思いおこせば」が印象に残っています。作詞の塚原将が小椋佳の義兄(奥さんの兄さん)であったことを後に知りました。青春群像劇の内容はほとんど忘れていますが、あの高度成長の時代、若い私たちは「今日も、明日も、ずっと明るい」と信じ、顔をあげ前を向いて生きていました》(投稿終わり)。

せっかくだから、ここで、このドラマの主題歌の歌詞の全文を載せる。(JASRACの許可は未取得であるが)。

「思いおこせば」 作詞 塚原将 作曲 小椋佳

思いおこせば ひとつ浮かんだ迷い雲
いつの間に生まれきて  
拡がる空をひとり占めして
夢をはこぶ舟のように   
流れてあきて 消えてゆく
そんなふうに時を過ごしてみたい日があった

思いおこせば 開き初(そ)めてる朝の花
濡れたまま摘みとって
あなたの眠る部屋の窓辺に
そっと飾り 風のように
遠くに孤(ひと)り 去ってゆく
そんなふうな愛に憧れていた日があった

そんな私が いま過ぎ行く時と同じ速さで
心の中の玩具箱の鍵を探して暮らしています

そうだ。ドラマの主役は全員20代の若者だった。(TVの中で)彼らは夢を求め語り合い、悩み、苦しみ、もがき、そして行動した。倉敷市水島臨海工業地帯の製鉄所の私の部下20数人の女性は全員独身で24歳以下であった。

思いおこせば(!)ドラマの仁科明子や小川知子の(役の)生き方は、視聴した彼女たちの近い未来に密接に繋がっていたのだ。電話交換のチーフだったK子さんは「共感することが多く、歌も覚えました」と忘年会の翌朝私に話した。

ところで、当時、同じ倉敷市の児島(地区:旧児島市*1)には全国有数の学生服の縫製工場が立ち並び、私の出身県である長崎県の五島、対馬、島原半島などから、多くの中学校を卒業した女子が集団就職した。働きながら定時制高校に通い4年間がんばって高校を卒業する。(*1)今、「ジーンズの聖地」となり、外国人の訪問も多い。

関連して私には会社の仕事とは別の仕事があった。倉敷市(産業振興)から依頼で、倉敷市長崎県人会が組織され役員の一人として、より若い人たちのお世話に当たっていた。ずばり地域の雇用定着である。

一定の予算をもらい、臨海工業地帯(男性)や縫製工場(女性)の若者たちを集め、芸能歌謡大会、九州各県対抗運動会、また、長崎龍踊りの水島港祭への出演を企画し実行した。瀬戸内の島などへの合同小旅行には毎回男女100人以上が参加していた。参加者は女性の方が多かった。

製鉄所のOLたちより若かった彼女たちも、NHK「あの人は今・・・」のTVドラマを観ていた。「自分もいつか・・」と心に夢を描き、自分の未来に重ね合わせていた。真剣でありその気持ちは私の胸に響いた。

それでも、日々の昼の仕事と夜の学業に耐えきれず、様々な誘惑と勧誘により他業種へ転職する者(男女)もいた。県人会として相談にも乗ったが、華やかな夜の飲食業の仕事へ移る女性もいた。(あれから半世紀近く経った。現在の外国人技能実習生の若者たちの就業・離職・分散が、私にはあの時代の再現のようにも思えてくる)。

このドラマの具体的な内容はWEBでは探せなかった。(あればご教示をお願いしたい)。主題歌が示唆を与えてくれそうである。長い最終フレーズで歌は終わる。《♪そんな私が
いま過ぎ行く時と同じ速さで 心の中の玩具箱の鍵を探して暮らしています 》。

視聴者は、何か中途半端な感じというか、手探りの状態のままで残された気がするだろう。小椋佳の義兄(6歳上)であるこの作詞者(塚原将)は詩人だったという。《想い出が 遠いほうから順序よく わたしの胸に帰ってきて 一番不機嫌な顔をしているのは 今日だ》。塚原将・詩集「閉ざされた愛」の“今日”より。

また、小椋佳が歌う「時」も魅力的だ。《街角で偶然に出逢った とてもとても遠い日・・》で始まる。

塚原将は、主題歌「思いおこせば」の歌詞で、若者たち(男女)の願望(のぞみ)と現実の揺れ動くさまを心憎いばかりに表現している。若い小椋佳はそれをのびやかに歌った。(塚原将、2012年74歳、逝去)。

若いTV聴視者の心の中にはどんな玩具箱があったのか(また、私の心にも)。大きいか、小さいか。豪華なのか、粗末な木箱か。そして、探していたその鍵は見つかったのか。

私は、本稿を書いているうちに、「その人は今・・・」のDVDをほんとに観たくなった。(2020.5.2千葉市在住)