2018年04月11日

◆男らしさはどこへ行ったのか

加瀬 英明


夏季、冬季オリンピックが2年ごとに巡ってくるたびに、日の丸が何本あ
がるか、血涌き、肉躍る思いがする。

スポーツや、武道の領域で最高峰をきわめるためには、自分を相手に戦っ
て、努力しなければならないが、文弱の者には理解できないだろう。

韓国ピョンチャン大会で、日本が国として4つの金メダルを獲得した
が、3つが女性の活躍によるものだった。

個人では、5人の乙女に1人の男性によったから、5対1だった。

羽生結弦選手が金を勝ち取って、本当によかった! 羽生君、有難う!

女性ばかりが金を獲得して、もし男が1人もいなかったとしたら、女性
たちが大股で闊歩するのに出会うたびに、われわれ男は俯(うつむ)いて、
背中をまるめて、道を譲らねばならなかったところだ。

私はテレビで、5人の乙女の姿を見て、1300年の時空を超えて、大 伴旅
人(おおとものたびと)(665年〜731年)が『万葉集』のなかの 「松浦川
に遊ぶ」に、そこで会った乙女たちの「花の容双(かほなら)びな く、桃
の花を頬の上に発(ひら)く」と詠じているのを思った。

私は日本が天平時代に戻ったと、思った。

『万葉集』が編まれた天平の奈良時代には、日本は世界のなかで、男女
が対等だったか、女性が優っていた、唯一つの社会を形成していた。

『万葉集』のなかで、多くの男女が恋歌を交換しているが、男女が対等
でなければ、ありえないことだ。

平安時代でも、女性は男性に教養で劣らなかった。女性による平安時代
の文学作品は、多くが失われたにちがいないが、今日100点近くが存在 する。

同じ時代の世界をみれば、西洋、中東、中国、朝鮮とどこをとっても、
女性はほぼ全員が文盲で、男に従属していた。それに対して、日本の男は
やさしくて、繊細なのだ。

日本の最高神の天照大御神は、女神でいらっしゃる。西洋、中国、中東
の神話の最高神は、みな男性で絶対神だ。

 日本では祖国を母国といって、なぜか父国という表現がないが、英語で
はファーザーランド、ドイツ語ではファーターランドといい、フランス語
には父国(ラ・パトリ)しかない。
アメリカでは、昨年、高名なハリウッド映画界のプロデューサーのハー
ヴェイ・ワインスタイン氏が、多年にわたって多くの女優を弄(もてあそ)
んだことを、女性たちによって暴露されたことから始まって、与野党の連
邦議員にも及んで、全米にわたって女性による「ミー・ツウ」(私
も、#MeToo)運動となって、数千人、数万人による抗議デモが、毎日のよ
うに続いている。

西洋は、アメリカだけでなく、日本でひろく信じられているのと正反対
に、男尊女卑の社会だ。

とくに、アメリカは酷いものだ。2016年にハーバード大学では、報 告さ
れただけでも、27人の女子学生が男子学生によるレイプ被害にあ い、前
年卒業した女子学生の3人に1人の31%が、男子学生による性暴力を経験
している。

ヒラリー夫人が率いた民主党の選挙スローガンの1つが「女の戦い (ウォ
ア・オブ・ウィメン)」で、学園(キャンパス)をはじめとして、男性 の性
暴力を根滅しようというものだった。

西洋では女性に対するセクシャル・ハラスメント――性的な嫌がらせは、
日常茶飯事だ。ユダヤ・キリスト・イスラム教は同じ神を拝む宗教だが、
女性を蔑視している。

日本では、武士上位の江戸時代に入るまで、夫婦(めおと)は女男(めお
と)と書かれた。どうして、夫婦を「めおと」と発音することが、できる
ものか。

日本ではカーナビの指示の声も、交差点でスピーカーから流れる注意
も、女の声ときまっている。乳母車や、トラックのホロを「母衣(ほろ)」
と書くが、武士が首筋を守ってかけた鎖綱のことだ。女性への甘えが強い
のだ。日本では主な家屋は母屋、卒業校は母校だし、いまでも和船に女男
釘(めおとくぎ)が使われている。

私は安倍内閣の応援団だが、女性の“社会進出”を奨励する「一億総活躍
社会」に、首を傾げざるをえない。

専業主婦も家にあって、立派に活躍している。女性が家を守って、子育
てに当たることを、国が支援するべきである。少子化こそ、大きな国難だ。

北一輝といえば、青年将校が暴走した2・26事件に捲き込まれて処刑
された、政治思想家で、あの時代の傑出した申し子だった。 

『日本国家改造法案大綱』によって知られるが、次のように述べている。

「婦人は家庭の光にして人生の花なり。婦人が妻たり母たる労働のみと
ならば、夫たる労働者の品性を向上せしめ、次代の国民たる子女をますま
す優秀たらしめ、(略)特に社会的婦人の天地として、音楽美術文芸教育
学術等の広漠たる未墾地あり。(略)婦人が男子と等しき牛馬の労働に服
すべき者ならば天は彼(か)(女性)の心身を優美繊弱に作らず」

私は男性たちが牛馬のように、身を粉にして働いている会社労働に、女
性たちが競うようにして、加わるべきではないと思う。

それぞれの国の国民性は、2000年にわたって、雛型が変わらない。

日本は女性が強い国であってきた。男性が武に励むことによって、辛じ
て男女の均衡を保ってきた。もともと女性上位の社会であったために、男
たちは女性から男として認めてもらうために、凛々しく振る舞ってきた。
女が男に「男らしくしなさい」というのは、日本だけだ。

それなのに、アメリカが強要した憲法によって、武が否定されたため
に、男が腑抜けで、軟弱になってしまった。このままでは、国が滅びる。



2018年04月06日

◆少子化によって国を滅してはならない

加瀬 英明


日本で少子化が進んでいる。この国が開闢して以来のことであろう。

私たちが直面する大きな国難の1つだと、呼ぶべきものだ。

今回は、最近、私が感動したことを取り上げたい。

少子化に歯止めをかけるために、2年前に警視庁、自衛隊、消防庁などの
幹部のOBたちが立ち上って、「一般社団法人日本官婚推進協会」を設立
して、男性公務員を対象として、身元が確かな女性との縁結びの場をつく
る活動に、全国で取り組んでいる。

代表理事の尾形明氏が神奈川県警察本部の元警部補、理事に自衛隊の元陸
将補、元空将補、東京消防庁の元消防司令長、大手百貨店の元外商部長な
どが並んでいる。私は求められて、会長をつとめている。

2月に、防衛省の福利厚生施設のグランドヒル市ヶ谷で、独身男女97人
が集まって、見合いの懇親パーティが催された。

 真のボランティア活動にふれて

私は70代の役員たちが、ボランティア活動として、無報酬で甲斐甲斐しく
その場を仕切ってゆくのを見て、感動した。

ボランティアを日本語でいえば、国家、社会や、人々のために自己を捨て
て、献身的に働く「奉仕」のことである。

日本で「奉仕」は、古い言葉だ。平安時代後期の説話集である『今昔物
語』が、「奉仕すること、片時(へんじ)も怠る事」があってはならない
と、諭している。

私は英語でボランティアvolunteerというと、「人が嫌がることを無報酬
で行う」という暗い意味があるから、好まない。だが、日本は常世の神信
仰から、海原の向こうから幸がもたらされることを、古来から尊んできた
から、日本語のなかに外国語が氾濫しているのに、目角(めくじら)を立て
るべきでないのだろう。ボランティアも、もとの言葉から離れて、「奉
仕」という意味で、使っているにちがいない。

ほぼ男女半数ずつだった。お洒落に装った若い女性たちが会場を満して、
私は花園に身を置いたようだった。まさに国の花だ。

 適齢期の男女の未婚は何が原因か

なぜ、今日の日本で適齢期の多くの男女が、伴侶を求めることができない
でいるのか。

やはり家族、一族の絆や、地域社会の繋がりが弱まって、自分しか頼れな
い個というか、孤の時代が到来したのだろう。孤独、孤立、孤食、孤独死
といった言葉が、頭を掠(かす)めた。

かつて日本は「家族国家」と呼ばれたが、今日の日本は私にとって異界に
生きているように、感じられる。

 家庭家族は社会の源

明治に入って、西洋から日本に存在しなかった事物や、観念が、巨大な津
波のように押し寄せて、先人たちが明治翻訳語と呼ばれる新語を大量に
造ったが、「個人」という言葉も、その1つだった。それまで日本には、
個人が存在しなかった。

今日の日本の若者たちは、不慣れな個人の役割を演じなければならない。

公務員といえば、民間より所得が高く、生活が安定している。少子化の原
因として、多くの若者が所得が低いために、結婚できないというが、にわ
かに信じられない。昔から結婚したかったら、手鍋提げても貧しさをいと
わないと、いったものだ。

フランスでは子育てを支援するために、出産奨励金や家族手当を給付する
ことによって、出生率が1・5%から1・92%(日本は1・45%)に増
え、スウェーデンでは不妊症の治療が、公費によって行えるといったよう
に、積極的な少子化対策が効果を上げているといわれる。

どうしたら少子化を阻止することが、できるものだろうか。日本列島を生
んだ伊弉諾命(いざなぎみこと)と伊邪那美命(いざなみみこと)は、出産奨
励金や、家族手当がなかったのに結ばれた。収入だけでは、所得が高い公
務員の結婚難を説明できまい。

現行憲法の第24条「【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】」は、
第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」(傍点筆者)と、規
定している。

これは、アメリカ占領軍が、家族制度が日本の危険な国家主義の基礎と
なっていると信じて、日本の伝統社会をつくり変えようとして、家族制度
を破壊するために、定めたものだった。

 ¥現行憲法は、原文が英語――外国語で書かれている、世界で唯一つの珍
しい憲法だ。

2月のパーティで、私は独身の男女を前にして、会長として短い挨拶をした。

 『君が代』は婚礼の祝い歌

「みなさんは、昨日、羽生結弦選手が金メダルを獲得して、表彰式で国歌
『君が代』が流れたのを、御覧になったことでしよう。

『君が代』の歌詞は、1000首以上を収録した、西暦905年の『古今和歌
集』に載っていますが、もとの歌は『わが君は千代に八千代に‥‥』と始
まっています。この和歌は庶民を含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴
で、祝われる者の長寿を願って、唄われてきました。

明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が
代」に置き換えました。

 同じ寿歌(ほぎうた)が1100年以上にもわたって、唄い続けられてい
る国は、世界のなかで日本しかありません。古い伝統を大事にしてきた、
国柄を示しています。

 人類の祝い事の基は結婚そのもの

 おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっと
も寿(ことほ)がれるものでしよう。結婚するから、家族(ファミリー)が絶
えることなく、人類が存続でき、未来を確かなものにすることができるこ
とを、理屈抜きで知っているからでしよう。

 日本最古の歴史書の『古事記(ふることふみ)』のなかに、そよ風――凪
(なぎ)を司る伊弉諾(いざなぎ)と、波の神の伊邪那美(いざなみ)の2人の
男女の神が出会って、戯れるうちに、恋に陥って2人が結ばれ、私たちの
美しい日本が生まれたという、麗(うるわ)しい神話が載っています。

 日本では、2人の男女が結ばれるたびに、新しい日本が生まれます。

 人生では値札がついていないものこそ、大切です。豪華なシャンデリア
の下で、1瓶数万円もするワインをあけて、高級な料理を食べて、『あ
あ、贅沢をしている』と思って満足するほど、寒々しいことはありません。

 夫と妻の2人が心を合わせるほど、贅沢なことはありません。

 よい伴侶を求めて、素晴しい新しい日本をつくって下さい」

 現行憲法によれば、親や兄弟や、一族は、2人の結婚とかかわりがな
く、2人の結婚に干渉してはならないことと、されている。

 今日では結婚は、男女2人の一過性の快楽のために行われる、軽い結び
つきに変わった。

 2人が人類を未来へ継いでゆくために、結ばれることがなくなってし
まった。

 結婚相手として、ふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を
選ぶことによって、結婚と家族(ファミリー)が切り離された。

 だが、世界のどこへ行っても、結婚は今日のように一時的な快楽ではな
く、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。

 結婚は人類存続の源

 結婚は責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるた
めという、暗黙の了解があったにちがいない。

 結婚までが、刹那刹那の楽しみを求めるものとなった。

 国民が刹那的な消費文化によって、すっかり蝕まれてしまった。刹那と
いう言葉は、仏教の梵語からきているが、指で弾(はじ)くごく短い時間を
意味している。

 刹那的な物欲によって駆り立てられて、荒(すさ)んだ国をもたらした責
任は、国家の大本(たいほん)である国防を忘れて経済大国をつくってき
た、私たちの世代が負うべきものである。

 2月の市ヶ谷の催しに、私は暗黒のなかに燭光を見た思いがした。蟷螂
(とうろう)(かまきり)が斧をもって隆車(大きな車)に立ち向うような
ものかもしれない。だが、第一歩が大切だ。



2018年03月24日

◆政治利用された平昌オリンピック

加瀬 英明


政治利用された平昌オリンピック “平和”の意味するものとは?

北朝鮮がピョンチャン・オリンピック大会で、世界の注目を浴びたことに
よって、金メダルを攫った。

本来、オリンピックの政治利用は、固く禁じられているはずだが、かつて
オリンピックをいっぱいにまで政治目的に使ったのは、ヒトラーのナチ
ス・ドイツだった。

今日まで、オリンピックのシンボルとなっている“聖火リレー”は、1936年
のベルリン大会に当たって、ナチスの宣伝省が考案したものだった。

1980年に、ブレジネフ書記長のソ連がモスクワ大会を主催したが、前年、
ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したために、西側諸国や、日本がボイコッ
トした。

 2008年の北京大会も、中国の全体主義体制を宣伝するために行われた
が、世界は中国がチベット、新疆ウィグル、内モンゴルを侵略して支配し
ていることに、目を瞑った。

もし、オリンピックが『平和の祭典』であるのならば、平和愛好国のみが
参加することを、許されるべきであろう。

北朝鮮は、核兵器とさまざまなミサイルを開発して、アメリカ、日本、韓
国に露骨な威嚇を加えているのにかかわらず、ピョンチャン・オリンピッ
ク大会に、選手、美女応援団を派遣することを許され、韓国の文在寅大統
領が北朝鮮の最高位の代表たちを招いて、手厚く歓待した。

安倍首相が国内の一部の反対を押し切って、開会式に出席したのは、正解
だった。日本にとって韓国は日本に甘えてばかりいる、出来の悪い弟であ
るが、弟の慶事に当たっては、兄が参加するのは当然のことだ。兄の言い
分をはっきりと伝えたのは、有益だった。

それにしても、北朝鮮による拉致問題は、解決の糸口も掴むことができな
いでいる。

安倍政権の「無策」を非難する声も、あがっている。

それだったら、いったいどのような方策を講じたら、よいのだろうか。

拉致問題は、建国以来犯罪的な「ならず者国家」であってきた、北朝鮮の
責任である。

もう一つ、日本でまったく論じられないことがある。

拉致被害者たちは、日本国憲法の犠牲者である。

もし日本が講和条約によって、独立を回復してから、マッカーサー憲法を
十数年以内に改正して、イギリスか、フランス並みの軍事力を持っていた
としたら、北朝鮮のようにみすぼらしい小国によって侮られて、多くの日
本国民が国内から次々と拉致されることは、ありえなかったことだ。

イギリスとフランスは、GDPがそれぞれ日本の半分しかないが、航空母
艦も、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦も、保有している。両国は「専
守防衛」といった、阿呆らしい寝言をいっていないが、誰もが平和愛好国
だと認めている。

オリンピックが、けつして「平和の祭典」ではないことは、誰の目にも明
らかだ。

多くの日本国民が日本国憲法を、「平和憲法」と呼んでいる。だが、自国
の国民がそのために国内から拉致されても、「平和憲法」と呼び続けるこ
とができるのだろうか。

拉致被害者が日本国憲法の被害者だということに、目を覚ますべきだ。

このままいけば、全国民がこの憲法の犠牲者になりかねない。

2018年03月10日

◆無関心でいられない 中東の危機

加瀬 英明


昨年12月に、クリスティーズの美術オークションで、新しく発見され、レ
オナルド・ダヴィンチの作品だと鑑定された、イエス・キリストの肖像画
が、過去最高額の4億5000万ドル(約500億円)で落札されて、世界的に
話題を呼んだ。

海外メディアによれば、サウジアラビアのモハマド・ビン・サルマン皇太
子が落札した可能性が高く、現在、隣国の首長国のアブダビの美術館に寄
贈されて、所蔵されている。

日本におけるサウジアラビアのイメージといえば、灼熱の砂漠、駱駝と、
石油マネーが唸る神秘的な国だが、アラビア半島が日本の天然ガスと石油
のほとんどを、供給している。

昨年11月に、32歳のモハメド皇太子が、有力な王子グループを拘留して、
国政を掌握した。これまでサウジアラビアでは政治が、王族たちの合議
(コンセンサス)によって行われてきたから、クーデターだった。

逮捕されたプリンスたちは、首都リディアの贅をきわめるリッツ・ホテル
から、一般客を追い出して幽閉されたが、1月に不正に蓄財したという数
百億ドルが没収された後に、釈放された。

モハマド皇太子は石油に依存してきた経済から、2030年までに脱却して、
近代国家を建設する目標を掲げている。

サウジアラビアは、もっとも保守的なイスラム国家だったが、改革を進め
て、女性が目だけをだして黒衣で全身を覆い、家族の男性の同伴なしに外
出したり、自動車の運転を禁じ、戒律に従って映画館も、劇場もなかった
のを、許すようになるという。大改革だ。

皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支
援するアサド政権が勝ったことに、強い危機感に駆られたためといわれ
る。この直後に、内戦に陥っている隣国イエメンから、イランが操る反乱
軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。

サウジアラビアはイランを天敵とするイスラエルと、かねてから裏で協力
してきたが、ムハマド皇太子は事実上の同盟関係を結んだ。イスラエルは
隣のレバノンで、イランが支援する民兵のヒズボラに脅かされている。

12月の皇太子による実権掌握は、あきらかにトランプ大統領の承認を受け
たものだ。その前月、トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れたが、
この時、夫君のクシュナー氏がリディアを訪れている。

皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。

私は性急な改革が、成功しないと思う。かつてイランで、パーレビ皇帝が
性急に改革を進めたために、イスラム保守派革命が起って、帝政が倒れた
轍(てつ)を踏むのではないか。

2030年改革計画では、巨大な新都市をいくつも建設することになっている
が、すでに資金調達が行き詰まるようになっている。昨年、サウジアラビ
アの経済成長率は、マイナス0.6%に陥った。毎年、人口が2%で増え
てゆくのに、追いつかない。

先のダヴィンチの絵画は「サルバトル・ムンディ」(救世主)と題される
聖画だが、イスラム教は人の像を描くことを固く禁じており、ましてイエ
スを神として認めていない。

サウジアラビアのイスラム僧をはじめとする宗教保守勢力が、一連の改革
による脱イスラム化を、傍観するものだろうか。
 
私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、
パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったこと
があった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、
様相が一変する」と、語った。

アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2
正面を、同時に守る軍事力を持っていない。
 
アメリカ軍が東アジアを留守にした時に、日本は北朝鮮、中国に対抗する
ことができるのだろうか。

2018年03月09日

◆深川富岡八幡宮と東京大空襲

加瀬 英明

 
江戸時代から人気が高かった深川祭り

 旧臘――昨年12月に、深川富岡八幡宮の女性宮司が神社の脇で、前任者
だった弟によって、惨殺される不祥事が起った。

江戸時代を代表する祭礼といえば、将軍家の庇護の下にあった日枝神社の
山王祭りと、神田祭りが天下祭りといわれて、京都祇園祭り、大阪天神祭
りと並んで、日本の3大祭りと呼ばれた。

日本の祭りに君臨していた天下祭りは幕府が滅び、街路事情によって曳山
(ひきやま)が姿を消したために、江戸時代から人気が高かった浅草三社祭
りと、富岡八幡宮の深川祭りによって、先を越されるようになった。

富岡八幡宮の祭神は、第15代応神天皇のオオトモワケノミコト、天照大
御神をはじめとする八柱だが、応神天皇は母后の胎内にあった時に即位さ
れた、唯一人の天皇である。

伊能忠敬の銅像の由来

 富岡八幡宮の鳥居を潜ると、江戸末期に全国を歩いて測量して、日本地
図をつくった伊能忠敬の銅像が建っている。忠敬は千葉県九十九里浜の農
家に生まれ、独学で天文学や、測量、和算を学び、55歳で富岡八幡宮か
ら、全国測量の第一歩を踏み出した。

今年は、忠敬の没後200周年に当たることから、全国各地で記念行事が行
われる。

私事になるが、私は忠敬の次女の篠女が加瀬佐兵衛に嫁いだことから、玄
孫(やしゃご)に当たる。富岡八幡宮で伊能忠敬顕彰会に招かれて、忠敬に
ついて講演したこともある。

それにしても神職だったという弟が、姉を日本刀で斬殺したのを、信じら
れなかった。日本刀は神社に祀られて、ご神体にもなるものだ。鍛冶場に
注連縄が張られているのを、知らなかったのだろうか。

国宝のなかでもっとも件数が多いのは、日本刀である。武器として使われ
ることが少なかったから、優れた作品が多く残っている。日本刀は武器で
あるよりも、武士が邪気を祓い、礼節を保つために携えていたのだろう。

昨今の神職の教育に、問題があるのだろう。

だが、富岡八幡宮の神職が不祥事を起したといって、神社に傷がつくもの
ではない。キリスト教会は大虐殺や、侵略戦争にかかわってきた。今年、
フランシスコ現法王がペルーを訪れた時に、多くの司祭が少年に性的虐待
を加えてきたことを謝罪したが、キリスト教の神に傷がつくわけではある
まい。

富岡八幡宮といえば、私にとって忘れられないことがある。

『週刊新潮』に50週にわたって連載

私は37 歳の時に、『週刊新潮』に昭和20年元日から、マッカーサー元帥
が昭和26年に解任されて離任するまで、昭和天皇を中心として、宮中、皇
族、政府、軍中枢の動静を、当時の天皇の側近者をはじめ百数十人に、長
時間インタビューを行って、50週にわたって連載したことがあった。

3月10 日に東京大空襲が行われ、その直後の累計で8万3000人以上の市
民が死亡すると、前年10月を最後に空襲を恐れて、皇居の外へ出られるこ
とのなかった天皇が、軍の強い反対を押し切って、被災地を視察されたこ
とがあった。

軍は天皇が被爆地を見られて、抗戦の決意が揺らぐことを心配して反対し
たが、御巡幸は軍の決定事項ではないので、承知するほかなかった。

宮内省と軍が「御巡幸」の日時について打ち合わせを行い、18日の日曜日
の午前9時から10時までの1時間が決定されたが、アメリカ軍は日曜日
は休んでいるだろうという判断で選ばれ、午前9時から10時までは、それ
までの統計で空襲がもっとも少なかった。

 御料車を黒く塗りかえることも検討されたが、時間がなかったので取り
やめになった。いつもであれば、沿道に1メートル置きに警官が並ぶの
に、天皇であることが分からないように、警衛をできるだけ少なくするこ
とにして、ところどころにしか立たなかった。交通の規制も行わず、前後
60メートルだけが交通制限され、対向車も自由だった。

 昭和天皇の御巡幸

御料車はボンネットに立つ天皇旗を外して、近衛将校が乗ったオートバイ
が、両脇に2台ずつ従って、蓮沼侍従武官長、藤田侍従長、松平宮相など
の供奉員を乗せた車が3台続いて、時速36キロで疾駆した。

永代橋を渡って深川に入ると、見渡すかぎりの焼け跡だった。ところどこ
ろで、市民がトタン板でバラックを造り、瓦礫の整理をしていた。

鹵簿(ろぼ)は富岡八幡宮の焼け焦げた大鳥居の前で、停まった。

陸軍様式軍装を召された天皇が降りられると、待っていた大達内相の先導
で、石畳を歩かれて、境内へ向かわれた。

 ¥拝殿は延焼を免れていた。陛下は軍帽を脱がれると、拝殿に向かって
お辞儀をされた。拝殿の前に粗末な机が、1つ置かれていた。

天皇が机へ向かって立たれると、一面の焼け跡が一望に見渡せた。天皇の
背後に、供奉員や、坂警視総監、都長官の西尾陸軍大将など、約20人が
2列になって並んだ。

国民服を着た大達内相が、地図を鉛筆で指して、被害状況を御説明した。

陛下は大達の言葉が切れるたびに強く頷かれ、「あっ、そう」「それは、
たいへんだったなあ」と、仰言った。

警官が神社を囲んで、一般市民は境内に入れなかった。しかし、被災民の
なかには、巡査から陛下が御幸されていると聞いて、何人かが地面に崩れ
落ちて、有難さに号泣した。

大達が説明を終えると、天皇は焼け野原にじっと見入って、「こんなに焼
けたか‥‥」と、絶句された。天皇は大達に促されるようにして、御料車へ
戻られた。

鹵簿は予定通りに、10時に皇居正門を潜った。幸いこのあいだ、空襲はな
かった。

その後、陛下は敗戦まで皇居の外へ出られなかった。私は『週刊新潮』の
連載にそう書かなかったが、昭和天皇はこの時に終戦を決意されたと、確
信した。

富岡八幡宮の例大祭はなぜか8月15日

江戸時代から富岡八幡宮の例大祭が、8月15日だったことを知っていた
が、私はオカルトを信じなかったから、戦争が8月15日に終わったのは、
偶然でしかないと思った。それとも、御神威によるものだったのだろうか。

軍は根こそぎ動員を進めていたが、国民全員を戦闘員とみなしていた。4
月に、阿南惟幾陸軍大臣が布告した本土決戦のための「決戦訓」は、次の
ようにうたっていた。

「皇軍将兵は皇土を死守すべし。皇土は天皇在(ま)しまし、神霊鎮まり給
ふの地なり。皇国将兵は一億戦友の先駆たるべし。一億同胞は総(すべ)て
是(これ)皇国護持の戦友なり」

大本営陸軍部が同じ月に発した「国土決戦教令」は、必要な場合、軍が国
民を殺すのに躊躇(ちゅうちょ)してはならないと、命じていた。

「敵ハ住民、婦女、老幼ヲ先頭ニ立テテ前進シ、我ガ戦意ノ消磨(しょう
ま)ヲ計ルコトアルベシ。斯(か)カル場合我ガ同胞ハ己(オノ)ガ生命ノ長
キヲ希(こひねが)ハンヨリハ、皇国ノ戦捷(せんしょう)ヲ祈念シアルヲ信
ジ、敵兵撃滅ニ躊躇スベカラズ」

いま、立憲民主党をはじめとする護憲勢力が、憲法解釈による「専守防
衛」を金科玉条のように、頑なに守れと主張している。

「専守防衛」は、敵軍がわが領土を侵さないかぎり、迎撃することが許さ
れないから、本土決戦を戦うことを強いている。いったい、枝野幸男氏た
ちは本土決戦が国民を道連れにして、いかに悲惨なものとなるか、考えた
ことがあるだろうか。

陸軍は本土決戦へ向けて、長野県松代の山を手掘りで巨大な洞窟を刳(く)
り抜いて、大本営を移転することを、計画していた。私はこの跡を訪れた
ことがあるが、天皇皇后のために、半地下式の行(あん)在所(ざいしょ)も
造られていた。

私は「専守防衛」を唱える論者に、松代大本営跡を見学することを勧めたい。

『週刊新潮』の連載は新潮社から単行本として出版されたが、3年前に
『昭和天皇の戦い』(勉誠出版)として、復刻された。


2018年02月28日

◆眞子内親王殿下と秋篠宮家の蹉跌

加瀬 英明


      憲法第24条に従って

宮内庁が2月6日に、秋篠宮家の長女の眞子内親王殿下と、小室圭氏の婚
儀を2020年に延期すると唐突に発表して、国民を驚かせた時に、私は「や
はり、そうなったのか」と、思った。

眞子内親王殿下と小室氏の一般なら結納に当たる「納采(のうさい)の儀」
が、1ヶ月にみたない翌月の4日に、予定されていた。まさに、悲喜劇
だった。

私は眞子内親王殿下が、小室氏と2人で昨年9月3日に記者会見を行われ
た時に、日本と皇室の将来が危ふいと思って、暗然として、言葉を失った。

眞子内親王殿下が「婚約が内定いたしましたことを、誠にうれしく思って
おります。(略)プロポーズは、その場でお受けしました」と述べられ、
小室氏が悪びれることなく、「2013年12月に、私から宮さまに『将来結婚
しましよう』というように申し上げました」と補足した時に、私は一瞬、
テレビの映像を信じることができなかった。

眞子内親王殿下と小室氏は、秋篠宮殿下にも、宮内庁にもはかることな
く、あきらかに2人だけのあいだで、結婚を決めたのだった。

ひと昔、4、50年前だったとしたら、2人が駆け落ちしたのだった。

私はあってはならないことが、起ったと思って、強い衝撃を受けた。

現行憲法の第24条「【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】」は、
第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」(傍点筆者)と、規
定している。

内親王殿下と小室氏の若い2人は、憲法第24条に従って、行動したのだった。

これは、アメリカ占領軍が、家族制度が日本の危険な国家主義の基礎と
なっていると信じて、日本の伝統社会をつくり変えようとして、家族制度
を破壊するために、定めたものだった。

私は昨年9月に、2人の記者会見の中で、小室氏が「(私の)好きな言葉
は、”Let it be”です」と述べたのにも、唖然とした。

英語で「レット・イット・ビー」というと、「なるように、なれ」とい
う、自暴自棄な態度を意味している。

もっとも、小室氏の英語の能力が低く、英語がよく分からないことを、祈
りたい。

それに、メディアの報道によれば、小室氏は法律事務所の下働きをしてお
り、年収が250万円というが、それに近いのだろう。真剣になって、皇 女
に求婚したととうてい思えない。

もっとも、今日、国民のあいだでも、家族の絆が弱まって、「家」の観念
が失われるようになっている。

やはり、天皇家も時代の高波によって、侵蝕されるようになっているのだ
ろうか。

 家族の解体

皇室といえば、『君が代』を連想しよう。 

和歌君が代は、おそらく世界のなかで、今日まで歌い継がれている、もっ
とも古い祝い歌であろう。

『君が代』の歌詞は、1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦
905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と
始まっており、庶民を含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる
者の長寿を願って、朗唱されてきた。

明治に入って、西洋に倣って、国歌が制定されると、「わが君」を「君が
代」に置き換えた。

同じ寿歌(ほぎうた)が1100年以上にもわたって、唄い続けられている国
は、世界のなかで日本しかない。古い伝統を大事にしてきた国柄を、示し
ている。

おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも
寿(ことほ)がれるものだろう。

結婚するから、家――あるいは家族(ファミリー)が絶えることなく、人類が
存続でき、未来を確かなものにすることができることを、理屈抜きで、
知っているからだろう。

ところが、今日では結婚は、男女2人の一過性の快楽を求めるために行わ
れる、ごく軽い結びつきに、変わってしまっている。

現行憲法の規定によれば、親や兄弟や、一族は、2人の結婚とかかわりが
なく、2人の結婚に干渉してはならないことと、されている。

2人が家を継いでゆくために、結ばれることが、なくなってしまった。

だが、家族(ファミリー)が解体してしまったら、国も崩壊してしまう。

もっとも、家族の解体は、日本だけの現象ではない。

同じ立憲君主制度をとっているイギリスの王室も、同じような状況に陥っ
ている。

昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称
で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が
発表され、日本のマスコミも騒がした。

マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族
がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、5年前の2013年
に改正されたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカト
リック教会から独立して以来、激しく敵対していた。

マークルさんには、1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロ
デューサーが健在であることも、妨げにならなかった。

また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも、ハリー王子
との婚約の障害にならなかった。だが、5、60年前のイギリスであった
ら、考えられなかったことだった。

チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が、白人の有色人種に対する
絶対的な優位を確信して、有色人種を動物のように見て、植民地支配を
行っていたことを、正当化していた。

日本が先の大戦によって、まずアジアを解放し、その高い波がアフリカ大
陸まで洗ったことによって、今日の人種平等が常識となった世界が、もた
らされたのだった。

ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。

 王家の尊厳

私はイギリス発祥の『ブリタニカ(大英)百科事典』の最初の外国語版と
なった、日本語版の初代編集長をつとめていたことから、エリザベス女王
の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティ
で、お話する役目を割り振られたことがあった。

だが、マークル妃と会っても、同じように敬意を払えないと思う。

エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できる
ファミリーは、200あまりしかなかったろうが、この40年ほどのあいだ
に、社会の大衆化が進んだことによって、社会規範が大きく変わった。

ハリー王子の父君のチャーチル皇太子が、ダイアナ妃と結婚したのは、
1981年だったが、ダイアナ妃は下級の貴族の出身だったから、国民を驚か
せ、イギリス社会を“シンデレラ・ストーリー”として、沸かせた。

開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して、
王室らしくなくなる。

王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選
ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。

その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことに
よって、結婚と家が切り離された。

それに、ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても、貧しかった。

そのために、家族や地域社会の人々が、生活を支え合った。

ところが、物質的な豊かさが、急速にもたらされたことによって、人類に
とって当然のことだった、家族をはじめとする絆を弱めて、破壊してし
まった。

子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。

世界のどこへ行っても、結婚は今日のように一時的な快楽ではなく、家
や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。

結婚は責任をともない、自制と節度を必要とした。もちろん、人類を存続
させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。

 皇室も、社会の一部だから、皇室が社会のなかで、孤立しているわけで
はない。

 皇室も、王室も、その時々の社会のありかたを映す、鏡である。

 どの国も、皇太子をその時の男性の理想像に合わせて、教育する。

 昭和天皇はご幼少のころから、明治時代の日本の男性の理想像に合わせ
た教育を、受けられた。そのために、ご生涯を通じて、国民の憧れの対象
となり、国民が熱い崇敬の念を捧げた。

 今上陛下も、東宮殿下も、日本国民がその時々にいだいていた、男性の
理想像を体現されていらっしゃる。

 眞子内親王殿下も、今日の日本国民の姿を映す鏡となって、いられるのだ。

 すると、いったい、私たちに眞子内親王殿下を批判する資格が、あるの
だろうか。



2018年02月24日

◆アメリカ国民はトランプ支持? 

加瀬 英明

アメリカ国民はトランプ支持? マスコミは“トランプ憎し”の偏向報道

日本のテレビの報道を見ていると、トランプ大統領がすぐにでも弾劾され
て、罷免されてしまうような印象を受ける。

トランプ大統領は粗暴で思慮を欠き、大統領としてまったく不適格で、大
多数のアメリカ国民から鼻摘み者になっているという、薄っぺらなイメー
ジをつくりだしているが、まったく事実と駆け離れているのではないか。

11月に上院議員の3分の1、下院議員全員が改選される中間選挙を行われ
るが、私は蓋をあけると、トランプが支持されて、共和党が両院で過半数
を握り続ける可能性のほうが、高いと思う。

もちろん11月まで、まだ半年以上あるから、何が起るか分からないし、両
院で多くの共和党の有力議員が引退するから、民主党に有利に働くという
見方もある。現状では、トランプ大統領に対する支持が、民主党を大きく
上回っていると思う。

アメリカ経済が順調に上向いている。国内雇用を積極的に創出するわき
で、オバマ時代の多くの規制を撤廃しつつあることも、功を奏している。

株価は2月に一時急落したが、上昇している。結局のところ、有権者は懐
具合(ふところぐあい)で判断する。

民主党は有権者に訴えるような、政策を持ち合わせていない。困ったこと
に、トランプ大統領が本来であれば、民主党が得意技としてきた、大規模
な公共投資と雇用の創出をはじめとする、金看板の綱領を奪ってしまった。

トランプ大統領は1兆5000億ドルのインフラ投資を打ち出したが、かつて
のルーズベルト大統領の『ニューディール政策』を、思い出させる。2年
前の大統領選挙では、ラスト・ベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれ
る、停滞した工業都市のプア・ホワイトや、失業者が、トランプに票を投
じた。

巨大労組は伝統的に民主党を支持してきたが、先の大統領選挙では“労働
貴族”と呼ばれる組合幹部が、ヒラリー夫人に票を投じたかたわら、組合
員の大多数がトランプの側にまわった。

トランプ大統領は、歴代の大統領が大手新聞や、テレビを通じて、国民に
呼びかけたのに対して、ツイッターを使っている。アメリカでも、日本で
も、若者の新聞、大手テレビ離れが急速に進んでおり、トランプのツイッ
ターは3000万人以上が読んでいる。

短いツイッターを乱発することに、批判があるが、北朝鮮と中国を締めあ
げるのに、大きな効果をもたらしている。北朝鮮が平昌オリンピックに当
たって、韓国に対して和平攻勢をかけるようになったのも、トランプのツ
イッターが効いているとみるべきだ。

日本の大手新聞、テレビは、アメリカの大手新聞、テレビが、先の大統領
選挙でヒラリー夫人を支持して、惨敗したために、“トランプ憎し”の偏向
報道にうつつを抜かしているのを、猿真似している。

日本の新聞、テレビのワシントン特派員の大半は、例外があるものの、英
語を満足に話し聞きできない者がポストとして赴任して、ポストだから4
年あまりで交替してしまう。

これでは、人脈をつくることもできない。現地の新聞や、テレビが主な取
材源となる。

もっとも、日本の大手新聞、テレビは日本国内でも、“護憲”をはじめとし
て、思い込みが激しいために、報道が偏向しているから、仕方がないのだ
ろう。

2018年02月09日

◆イギリス王室に見る尊厳と大衆化の相克

加瀬 英明

和歌「君が代」は、おそらく世界で今日まで歌い継がれている、最も古い
祝歌であろう。

1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っている
が、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民も含
めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で祝われる者の長寿を願って、朗唱さ
れてきた。

明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が
代」に置き換えた。

私は『君が代』を斉唱するたびに、心が高揚する。

おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも
寿(ことほ)がれるものだろう。結婚するから、人類が存続でき、未来を手
にすることができることを、理屈抜きで知っているからだろう。

昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称
で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が
発表され、日本のマスコミも騒がした。

マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族
がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、2013年に改正さ
れたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカトリック教
会から独立して以来、敵対していた。

マークルさんには1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロ
デューサーが健在であることも、妨げにならなかった。

また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも障害にならな
かったが、5、60年前のイギリスであったら、考えられなかったことだった。

チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が白人の優位を確信し、劣る
有色人種を植民地支配していたことを、正当化していた。日本が先の大戦
でアジアを解放し、その高波がアフリカまで洗ったことによって、人種平
等の世界がもたらされたのだった。

ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。

もっとも、私はイギリス発祥の『ブリタニカ大百科事典』の最初の外国語
版の編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレッ
ト王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティでお話する機会が
あったが、マークル妃と会って、同じように敬意を払えないと思う。

エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できる
ファミリーは200あまりしかなかったろうが、この40年のあいだに、社会
規範が大きく変わった。

ハリー王子の父君のチャーチル皇太子がダイアナ妃と結婚したのは1981年
だったが、ダイアナ妃は下級貴族の出身だったから、イギリス社会が“シ
ンデレラ・ストーリー”として沸くかたわら、驚かせた。

開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して王
室らしくなくなる。王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛に
よって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。

その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことに
よって、結婚と家が切り離された。

ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても貧しかった。そのために家族
や、地域社会の人々が生活を支え合ったが、物質的な豊かさがもたらされ
たことによって、人類にとって当然のことだった絆を、破壊してしまった。

子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。

結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神
聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存
続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。


2018年02月03日

◆明治維新150周年に当たって想う

 加瀬 英明


 近代日本の出発点を学ぼう

今年は明治維新から150年になることから、政府が「明治維新150周年」を
祝うことになっている。

それなのに、国民の中なかに明治維新150周年を祝うことに、反対する声
が聞かれない。

これは感慨深いことだ。日本国民がようやく明治維新を祝うようになった
のだ。

明治維新は先人たちが行った偉業だった。日本がやっと立ち直りつつある。

今日では明治維新が行われたからこそ、日本が貪欲な西洋列強の餌食にな
ることなく、独立を全うして近代国家として発展することができたこと
に、異論を唱える者はいまい。

今から50年前の昭和43(1968)年に、明治維新100年が巡ってきた。

ところが、50年前の日本では、政府はもちろん、民間にも維新100周年を
祝う気運がまったくなかった。100周年を話題にすることもなかった。日
本は朦朧としていた。

昭和43年には、日本が国民総生産(GNP)でアメリカに次ぐ、世界第2
位の経済大国になったというのに、6月に東大医学部学生が東大安田講堂
を占拠して、機動隊が出動し(翌年、大規模な安田講堂占拠事件が発
生)、10月に学生が新宿駅を占拠し、11月に4000人以上の学生が安保粉砕
を叫んで、首相官邸に乱入した。大学紛争が全国の115校の大学に波及
した。

そのわきで大手新聞が、2年後に迫った日米安保条約改定へ向けて、60年
安保騒動が再現されることを期待して、「70年危機」を煽っていた。

 国家の自立意識の欠如

この年にはすでに敗戦からほぼ半世紀、独立を回復してから15年もたっ
ていたのに、アメリカによる占領によって蒙った深い傷から、立ち直るこ
とができなかった。国家意識を喪失してしまっていたために、国民が明治
維新が紡いだ輝かしい歴史を、思い遣ることができなかった。

昭和43年から半世紀が過ぎて、いま、ようやく占領憲法の改正の是非が問
われ、国論を二分するようになっている。それでも現行憲法を改正できる
のか、まだ前途は険しい。

人は頭部に酷い外傷を負わされたり、異常体験をすると、自分が何者か分
からなくなる記憶喪失に陥ることがあるという。今日の日本でも、日本が
どのような国であってきたか、はたして国家なのか、分からない者が多い。

 自尊こそが大切だ

世界史を振り返ると、このように国家が記憶を喪失する症状を患った例
は、日本の他にない。私にはなぜ日本がこのような状態に、いまだに陥っ
ているのか、説明することができない。読者諸賢に教えを乞いたい。

日本国民は敗戦から今日まで、人であれば正常な人間関係――国家として正
常な国際関係を結ぶことが困難な自閉症を、病むようになっている。国の
存立を危ふくするものだ。1日も早く癒さなければならない。

自閉症は正しくは早期幼児自閉症と呼ばれ、この症状を患っている者は、
言語障害をともなうが、自己のみに関心が集中し、自分を責めたてて、自
立することができない。

 マッカーサーの暴言はいまでも正しいのか

昭和21年に、マッカーサー元帥が「日本国民は12歳だ」と発言したこと
が、総司令部の指示によって、当時の日本の新聞に大きく報じられてい
る。いまでも日本のなかで護憲派が国家の安全をひたすらアメリカに委ね
て、自国に対して成人としての責任を果すことを頑なに拒んでいる。

きっと、昭和21年ごろから幼児性の疾患を病んで、歳をとることがないの
だろう。

日本国憲法は大多数の日本国民によって、「平和憲法」と呼ばれて親しま
れてきたが、先の戦争後の日本の平和は、アメリカの軍事力によって守ら
れてきた。この憲法はアメリカの保護なしに、成り立たない。「“アメリ
カの力による平和”憲法」と、呼ぶべきである。
 
 成人の日の意義を考えよう

今年も1月8日に、『成人の日』が巡ってきた。『成人の日』は占領下
で、昭和23年に制定された。

 テレビが日本各地で、『成人の日』の式典が賑々しく行われたことを報
じた。しかし、日本は国として、まだ「成人の日」を祝うことができない
でいる。いつになったら、「成人の日」を迎えることができるのだろうか。

昨年11月に、都内の名門私立大学の国士舘大学において、建学100周年 を
記念して「『東京裁判』シンポジウム」が催された。

櫻井よしこ氏、西修駒澤大学名誉教授、高橋史朗明星大学特別教授と、私
が招かれて討論が行われた。櫻井氏、西氏、高橋氏は、私が敬愛してやま
ない学識者である。私はシンポジウムから、多くを学んだ。

午前と午後にわたったシンポジウムは、それぞれ3分講演した後に、パネ
ル討論が行われて、東京裁判と、もう1つの占領政策の柱だった「ウォ
ア・ギルト・インフォメーション・プログラム」が、日本国民の精神をい
かに歪めてきたか、追及した。

 東京裁判は国際法を、無惨に踏み躙ったものだった。占領軍が行った言
論統制と、「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、言
論の自由を約束したポツダム宣言に、大きく違反するものだった。

 私はパネル討論が終わる寸前だったが、どうしても1つ訊ねたいことが
あった。

 司会をつとめた国士舘大学法学部のS教授に、「1つお伺いしたいこと
がある」と前置きして、「28年後に先の戦争が終わってから、100周
年になりますが、アメリカが行った東京裁判と『ウォア・ギルト・イン
フォメーション・プログラム』によって、日本が惨めな状況に置かれてい
るというシンポジウムを、また行うことになるでしようか?」と、質問した。

 S教授は答えなかった。私はこのシンポジウムに参加することを求めら
れた時に、戦後72年もたつのに、まだ東京裁判を日本が直面する問題と
して取り上げることに、忸怩たるものがあった。

 東京裁判は無法な復讐劇

 東京裁判は無法な復讐劇だったし、アメリカの占領政策は復讐心と、当
時のアメリカを支配していた白人優位信仰に基く傲りから、日本が野蛮国
だときめつけた偏見が生んだものだった。

 そこで、独立を回復してから15年か、20年以内に、アメリカが占領
下で行ったことが蛮行であったと総括して、アメリカを赦すかたわら、日
本が独立国として誇りを取り戻すべきだった。

 真の独立国を目指そう

 私は日本が独り立ちできない咎を、いまだにアメリカの占領政策に負わ
せるのは、異常なことだと思う。

 これでは、韓国が72年も前に終わった「日帝時代」について、日本を
いまだに執拗に非難しているのと、変わらないのではないか。このため
に、韓国は自立できないでいる。日本と韓国は、似ているところがあるの
か、訝らざるをえない。

 もちろん、過去に遡って、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメー
ション・プログラム」を検証することは、近現代史研究の一環として有意
義なことであることは、いうまでもない。だが、東京裁判をはじめとす
る、アメリカの対日占領政策は、学問的な研究の対象にとどめるべきだ。

 独立国は自立していなければならない

 戦後70年以上もわたって、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォ
メーション・プログラム」を、日本を病ませている大きな要因として取り
上げるより、なぜ、日本がいまだに対日占領から立ち直ることができない
のか、いったい日本の民族性のどこに、脆弱なところがあるのか、考えたい。

 日本が明治に開国してから、今日の人種平等の世界を創出したことに
よって、世界のありかたを大きく変えたことを踏まえたうえで、今後、日
本が有力な独立国として、さらに世界にどのように貢献できるものか、考
えるべきであろう。



2018年02月02日

◆明治維新150周年に当たって想う

加瀬 英明

近代日本の出発点を学ぼう

今年は明治維新から150年になることから、政府が「明治維新150周年」を
祝うことになっている。

それなのに、国民の中に明治維新150周年を祝うことに、反対する声が聞
かれない。

これは感慨深いことだ。日本国民がようやく明治維新を祝うようになった
のだ。

明治維新は先人たちが行った偉業だった。日本がやっと立ち直りつつある。

今日では明治維新が行われたからこそ、日本が貪欲な西洋列強の餌食にな
ることなく、独立を全うして近代国家として発展することができたこと
に、異論を唱える者はいまい。

今から50年前の昭和43(1968)年に、明治維新100年が巡ってきた。

ところが、50年前の日本では、政府はもちろん、民間にも維新100周年を
祝う気運がまったくなかった。100周年を話題にすることもなかった。日
本は朦朧としていた。

昭和43年には、日本が国民総生産(GNP)でアメリカに次ぐ、世界第2
位の経済大国になったというのに、6月に東大医学部学生が東大安田講堂
を占拠して、機動隊が出動し(翌年、大規模な安田講堂占拠事件が発
生)、10月に学生が新宿駅を占拠し、11月に4000人以上の学生が安保粉砕
を叫んで、首相官邸に乱入した。大学紛争が全国の115校の大学に波及した。

そのわきで大手新聞が、2年後に迫った日米安保条約改定へ向けて、60年
安保騒動が再現されることを期待して、「70年危機」を煽っていた。

 国家の自立意識の欠如

この年にはすでに敗戦からほぼ半世紀、独立を回復してから15年もたって
いたのに、アメリカによる占領によって蒙った深い傷から、立ち直ること
ができなかった。国家意識を喪失してしまっていたために、国民が明治維
新が紡いだ輝かしい歴史を、思い遣ることができなかった。

昭和43年から半世紀が過ぎて、いま、ようやく占領憲法の改正の是非が問
われ、国論を二分するようになっている。それでも現行憲法を改正できる
のか、まだ前途は険しい。

人は頭部に酷い外傷を負わされたり、異常体験をすると、自分が何者か分
からなくなる記憶喪失に陥ることがあるという。今日の日本でも、日本が
どのような国であってきたか、はたして国家なのか、分からない者が多い。

 自尊こそが大切だ

世界史を振り返ると、このように国家が記憶を喪失する症状を患った例
は、日本の他にない。私にはなぜ日本がこのような状態に、いまだに陥っ
ているのか、説明することができない。読者諸賢に教えを乞いたい。

日本国民は敗戦から今日まで、人であれば正常な人間関係――国家として正
常な国際関係を結ぶことが困難な自閉症を、病むようになっている。国の
存立を危ふくするものだ。1日も早く癒さなければならない。

自閉症は正しくは早期幼児自閉症と呼ばれ、この症状を患っている者は、
言語障害をともなうが、自己のみに関心が集中し、自分を責めたてて、自
立することができない。

 マッカーサーの暴言はいまでも正しいのか

昭和21年に、マッカーサー元帥が「日本国民は12歳だ」と発言したこと
が、総司令部の指示によって、当時の日本の新聞に大きく報じられてい
る。いまでも日本のなかで護憲派が国家の安全をひたすらアメリカに委ね
て、自国に対して成人としての責任を果すことを頑なに拒んでいる。

きっと、昭和21年ごろから幼児性の疾患を病んで、歳をとることがないの
だろう。

日本国憲法は大多数の日本国民によって、「平和憲法」と呼ばれて親しま
れてきたが、先の戦争後の日本の平和は、アメリカの軍事力によって守ら
れてきた。この憲法はアメリカの保護なしに、成り立たない。「“アメリ
カの力による平和”憲法」と、呼ぶべきである。
 
 成人の日の意義を考えよう

今年も1月8日に、『成人の日』が巡ってきた。『成人の日』は占領下
で、昭和23年に制定された。

テレビが日本各地で、『成人の日』の式典が賑々しく行われたことを報じ
た。しかし、日本は国として、まだ「成人の日」を祝うことができないで
いる。いつになったら、「成人の日」を迎えることができるのだろうか。

昨年11月に、都内の名門私立大学の国士舘大学において、建学100周年 を
記念して「『東京裁判』シンポジウム」が催された。

櫻井よしこ氏、西修駒澤大学名誉教授、高橋史朗明星大学特別教授と、私
が招かれて討論が行われた。櫻井氏、西氏、高橋氏は、私が敬愛してやま
ない学識者である。私はシンポジウムから、多くを学んだ。

午前と午後にわたったシンポジウムは、それぞれ30分講演した後に、パネ
ル討論が行われて、東京裁判と、もう1つの占領政策の柱だった「ウォ
ア・ギルト・インフォメーション・プログラム」が、日本国民の精神をい
かに歪めてきたか、追及した。

東京裁判は国際法を、無惨に踏み躙ったものだった。占領軍が行った言論
統制と、「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、言論
の自由を約束したポツダム宣言に、大きく違反するものだった。

私はパネル討論が終わる寸前だったが、どうしても1つ訊ねたいことが
あった。

司会をつとめた国士舘大学法学部のS教授に、「1つお伺いしたいことが
ある」と前置きして、「28年後に先の戦争が終わってから、100周年にな
りますが、アメリカが行った東京裁判と『ウォア・ギルト・インフォメー
ション・プログラム』によって、日本が惨めな状況に置かれているという
シンポジウムを、また行うことになるでしようか?」と、質問した。

S教授は答えなかった。私はこのシンポジウムに参加することを求められ
た時に、戦後72年もたつのに、まだ東京裁判を日本が直面する問題とし
て取り上げることに、忸怩たるものがあった。

 東京裁判は無法な復讐劇

東京裁判は無法な復讐劇だったし、アメリカの占領政策は復讐心と、当時
のアメリカを支配していた白人優位信仰に基く傲りから、日本が野蛮国だ
ときめつけた偏見が生んだものだった。

そこで、独立を回復してから15年か、20年以内に、アメリカが占領下
で行ったことが蛮行であったと総括して、アメリカを赦すかたわら、日本
が独立国として誇りを取り戻すべきだった。

 真の独立国を目指そう

私は日本が独り立ちできない咎を、いまだにアメリカの占領政策に負わ
せるのは、異常なことだと思う。

これでは、韓国が72年も前に終わった「日帝時代」について、日本を い
まだに執拗に非難しているのと、変わらないのではないか。このため
に、韓国は自立できないでいる。日本と韓国は、似ているところがあるの
か、訝らざるをえない。

もちろん、過去に遡って、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメー
ション・プログラム」を検証することは、近現代史研究の一環として有意
義なことであることは、いうまでもない。だが、東京裁判をはじめとす
る、アメリカの対日占領政策は、学問的な研究の対象にとどめるべきだ。

 独立国は自立していなければならない

戦後70年以上もわたって、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォ メー
ション・プログラム」を、日本を病ませている大きな要因として取り 上
げるより、なぜ、日本がいまだに対日占領から立ち直ることができない
のか、いったい日本の民族性のどこに、脆弱なところがあるのか、考えたい。

 日本が明治に開国してから、今日の人種平等の世界を創出したことに
よって、世界のありかたを大きく変えたことを踏まえたうえで、今後、日
本が有力な独立国として、さらに世界にどのように貢献できるものか、考
えるべきであろう。

2017年12月29日

◆中東は砂丘に似ている

加瀬 英明

私は11月に、6ヶ月ぶりにワシントンに戻った。

これまでワシントンでサウジアラビアの一般のイメージは専門家を除け
ば、灼熱の砂漠、棗椰子(なつめやし)と駱駝と、石油マネーの神秘的な国
だったが、突然この国に関心が集まっていた。

11月に、32歳のモハメド・ビン・サルマン皇太子が、有力だった王子グ
ループを拘留して国政を掌握した。サウジアラビアでは王族(プリンス)た
ちのコンセンサスによって、政治が行われてきたから、クーデターである。

逮捕されたプリンスたちは、首都リディアで贅をきわめるリッツ・ホテル
から、一般客を追い出して幽閉されたから、この国らしい。

皇太子は2030年までに石油依存から脱却して、近代国家を建設する目標を
掲げている。サウジアラビアは中東でもっとも保守的な宗教国家であって
きたが、経済改革とともに、女性が目だけを出して全身を衣で覆うことを
定め、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じていたの
を、自由にする意向を示している。

これまでイスラムの厳しい戒律によって、映画館や、演劇場が一つもな
かったが、許可されることになった。大改革だ。

皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支
援するアサド政権が勝ったことによって、強い危機感に駆られたためとい
われる。直前に、内戦中の隣国イエメンで、イランが操るフーシ派の反乱
軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。

そのために、サルマン皇太子はイランと対抗するために、イスラエルと事
実上の同盟関係を結んだ。すでに皇太子は極秘裡に、イスラエルを訪れて
いる。イスラエルは隣国レバノンで、イランが支援する民兵ヒズボラの脅
威を蒙っている。

今回の皇太子による実権掌握は、トランプ大統領の承認を受けたものとみ
られる。トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れていた時に、夫君の
J・クシュナー氏がリディアを訪れていた。

皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。

私は性急な改革が成功することはない思う。かつてイランで、パーレビ皇
帝が改革を性急に進めたために、革命が起って帝政が倒れた。

『ニューヨーク・タイムズ』紙がサルマン皇太子の実権掌握を、正真の
「アラブの春」と称えているが、2011年にチュニジアで民衆が蜂起した時
に、アメリカは「アラブの春」と呼んだ。その結果、リビア、シリアが内
戦に陥り、エジプトでムバラク政権が倒れた。

私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、
パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったこと
があった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、
様相が一変する」と、語った。

アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2
正面を、同時に守る軍事力を持っていない。

東アジアが留守になった時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができ
るのだろうか。

2017年12月28日

◆中東は砂丘に似ている

加瀬 英明

私は11月に、6ヶ月ぶりにワシントンに戻った。

これまでワシントンでサウジアラビアの一般のイメージは専門家を除け
ば、灼熱の砂漠、棗椰子(なつめやし)と駱駝と、石油マネーの神秘的な国
だったが、突然この国に関心が集まっていた。

11月に、32歳のモハメド・ビン・サルマン皇太子が、有力だった王子グ
ループを拘留して国政を掌握した。サウジアラビアでは王族(プリンス)た
ちのコンセンサスによって、政治が行われてきたから、クーデターである。

逮捕されたプリンスたちは、首都リディアで贅をきわめるリッツ・ホテル
から、一般客を追い出して幽閉されたから、この国らしい。

皇太子は2030年までに石油依存から脱却して、近代国家を建設する目標を
掲げている。サウジアラビアは中東でもっとも保守的な宗教国家であって
きたが、経済改革とともに、女性が目だけを出して全身を衣で覆うことを
定め、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じていたの
を、自由にする意向を示している。

これまでイスラムの厳しい戒律によって、映画館や、演劇場が一つもな
かったが、許可されることになった。大改革だ。

皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支
援するアサド政権が勝ったことによって、強い危機感に駆られたためとい
われる。直前に、内戦中の隣国イエメンで、イランが操るフーシ派の反乱
軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。

そのために、サルマン皇太子はイランと対抗するために、イスラエルと事
実上の同盟関係を結んだ。すでに皇太子は極秘裡に、イスラエルを訪れて
いる。イスラエルは隣国レバノンで、イランが支援する民兵ヒズボラの脅
威を蒙っている。

今回の皇太子による実権掌握は、トランプ大統領の承認を受けたものとみ
られる。トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れていた時に、夫君の
J・クシュナー氏がリディアを訪れていた。

皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。

私は性急な改革が成功することはない思う。かつてイランで、パーレビ皇
帝が改革を性急に進めたために、革命が起って帝政が倒れた。

『ニューヨーク・タイムズ』紙がサルマン皇太子の実権掌握を、正真の
「アラブの春」と称えているが、2011年にチュニジアで民衆が蜂起した時
に、アメリカは「アラブの春」と呼んだ。その結果、リビア、シリアが内
戦に陥り、エジプトでムバラク政権が倒れた。

私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、
パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったこと
があった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、
様相が一変する」と、語った。

アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2
正面を、同時に守る軍事力を持っていない。

東アジアが留守になった時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができ
るのだろうか。

2017年12月26日

◆北朝鮮誕生の理由

加瀬 英明

日本の「良識」が今日の北朝鮮という妖怪を生んだ

吹けば飛ぶような弱小国の北朝鮮が、日本だけではなく、アメリカも翻弄
している。

北朝鮮は人口が僅か2千数百万人、経済が完全に破綻したみすぼらしい国
なのに、核弾頭とミサイルの開発を進めてきたために、東アジアの様相を
変えようとしている。

私は1977年に韓国に何回も通って、多数の北朝鮮から逃れてきた脱北者
(タルプクチャ)をインタビューして、北朝鮮社会の実情をあからさまにし
た『誰も書かなかった北朝鮮「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出
版)を著した。

私はこの本によって、北朝鮮研究の草分けとなった。その後、多くの北朝
鮮研究者から、この本によって触発されて、北朝鮮に関心を持ったと聞か
された。

金正恩(キムジョンウン)委員長の祖父の金日成(キムイルソン)による「偉
大なる首領さま(ウィデハン・スーリヨンニム)」の朝鮮民主主義人民共和
国が誕生したのは、1948年9月のことだった。

日本が1945年8月に第2次大戦に敗れると、38度線以北にソ連軍が進駐
し、10月にソ連軍の手によってピョンヤン(平壌)において、「金日成将
軍(キムイルソンチャングン)帰国歓迎(キグクファンヨン)平壌市群衆大会
(ダンジュンデフェ)」が催され、ソ連軍少佐の軍服を着た30代はじめの壇
上に立つ男性が、「金日成(キムイルソン)将軍(チャングン)」として紹介
された。

「金日成将軍」(金一成(キムイルソン)、金一星(キムイルソン)としても
知られた)は1930年代に、満州国で住民を悩ましていた匪賊団(ひぞくだ
ん)の頭目であり、一部の朝鮮人のあいだで「抗日ゲリラ」として人気を
博していたが、30年代なかばに当時の日本語新聞に、日本軍によって討伐
されたという記事が載っている。

この平壌大会に参加した朝鮮人の1人は、金日成将軍といえばもっと年長
であるはずだから、壇上の青年が“偽者(カッチャインムル)”だと直感した
と、私に語っている。

日本が1932年に満州国を建国する前の満州は無法地帯で、匪賊が跋扈
(ばっこ)していた。

「金日成」を名乗った男は、本名を「金成柱(キムソンジュ)」といって、
満州で跳梁(ちょうりょう)していた匪賊を働いていた盗賊だったが、日本
軍の討伐に耐えられずに、ソ連領シベリアへ逃げ込んだ。ソ連は対日戦に
備えて、これらの朝鮮人を日本軍の背後を撹乱する遊撃大隊として組織し
て、金成柱を隊長として起用した。

ソ連は日本統治下の朝鮮にいた朝鮮人を信用しなかったので、金成柱を傀
儡(かいらい)として選んだ。金成柱が平壌大会に登場した時には33歳だった。

金日成の死後「聖なる血筋(コウルクチョルトン)」を継いで、2代目の独
裁者となった金正日(キムジョンイル)は、朝満国境にある白頭山(ペクト
ウサン)にあったゲリラ基地で誕生したとされるが、シベリアの粗末なソ
連軍兵舎で賄い婦で、金成柱の妻だった金正淑(キムジョンスク)を母とし
て生まれている。

金日成は匪賊出身だったから無教養で、首相に就任するまで、接収した日
本人の邸宅に住んでいたが、日本人女中として働き、後に越南して、帰国
することができた林和子氏によると、ボール紙で尻を拭いたために、よく
水洗便所がつまったと回想している。

朝鮮民主主義人民共和国が発足すると、金日成こと金成柱は首相に就任
し、ライバルをつぎつぎと処刑、あるいは暗殺して、独裁体制を確立する
と、自分に対する個人崇拝を全国民に行わせて、「唯一思想(ユイルササ
ン)」と「主体思想(チュチェササン)」を国家の基盤に据えた。

もっとも「主体思想」というものの、「主体(チュチェ)」も何もあったも
のではない。ソ連が崩壊するまでは、ソ連とソ連の衛星国の東ヨーロッパ
諸国の経済援助に頼っていたし、韓国、日本、アメリカなどから、たえず
金(かね)や食糧を騙し取ることをたくらみ、ドル札、外国タバコの偽造、
覚醒剤の密輸出によって稼いだ。

匪賊の出身であるだけに、この国の対外政策は今日まで、すべてが山賊の
発想と手口によって行われてきた。北朝鮮は「匪賊国家」なのだ。

在日朝鮮人のパチンコ屋からの巨額にのぼる送金も、大きな収入源だっ
た。私は「金日成」という名を、「日本ハ金(かね)ニ成ル」と読んでいた。

クリントン政権の時に、金日成首席が死亡し、52歳の金正日総書記があと
を継ぐと、アメリカは直前まで北朝鮮で飢饉によって100万人以上が餓死
していたので、北朝鮮がほどなく崩壊する可能性が高いと誤って予想した。

ところが、北朝鮮は人口が2000万人台と小さいために、体制が揺らがな
かった。

人口が厖大(ぼうだい)な中国で王朝が頻繁に交替したのと違って、朝鮮半
島では歴代の王朝が酷い政治を行ってきたが、新羅(紀元前57年〜935
年)、高麗(918年〜1392年)、李氏朝鮮(1392年〜1910年)も、人口が
少なく統制しやすかったから、それぞれ400年以上も続いた。

 北朝鮮では国民一人ひとりを、その出身によって、100以上の「成分(ソ
ンプン)」に細かく分類したうえで、いまでも「人民班分組担当制(インミ
ンパンブンジョクムタンジェ)」と呼ばれるが、全住民を5戸単位にし
て、それぞれ「熱誠覚員(ヨルソンタンウォン)」によって責任指導させ
て、徹底的に管理している。

私が先の著書を発表した時には、朝日、読売新聞をはじめとする新聞や、
著名人が、北朝鮮を「労働者の天国」とか、「地上の楽園」として賞讃し
ていた。

1977年に、朝日新聞が『北朝鮮みたまま』という連載を行ったが、「抜き
ん出る主席の力」「開明君主」「建国の経歴に敬意」といった、歯が浮く
ような見出しが続いていた。

 この連載の「こどもは物心つくと金日成主席の故郷、マンギョンデ(万
葉台)の模型を前に、いかに主席が幼い日から革命指導者としての資質を
発揮したか教えられ、それを自分で説明できる」という記事は、まるで籠
池泰典氏の森友学園の幼稚園のようではないか。

1968年に、日本婦人団体連合会会長だった櫛田ふき女史は、「朝鮮民主主
義人民共和国創建20周年」の慶祝大会に招かれて、次のように書いている。
 
「数万の観衆は、ただただ賛嘆の声を放つばかりでした。その夜大劇場で
くりひろげられた、うたとおどりから成る大史劇とともに、私たちは日も
夜も感激のるつぼの中で心をもやすのでした。(中略)

金日成主席の卓越した指導のもとで、党と政府と人民の1枚岩の団結を、
ここでもはっきりと見る思いがしました。そうでなかったら、どうしてこ
んなすばらしい国を挙げての大祝典を、これほどまでに成功させることが
できたでしょうか。

“金日成将軍の歌”がどこからともなく聞こえてきます。数千の風船が舞い
あがった平壌の空に、夜は5色の花火が巨大な模様をえがきだし、歓喜の
どよめきは夜ふけまでつづきました」(『チュチェの国朝鮮を訪れて』)

1974年に、槇枝元文日教組委員長が訪朝して、こう書いている。 

「この国は、みんなが労働者であって資本家搾取者がいない。みんながよ
く働き、生産をあげればあげるほどみんなの財産がふえ、みんなの生活が
それだけ豊かになる。この共産主義経済理論を徹底的に教育し、学習し、
自覚的に労働意欲を高めている。またこのことは、労働――生産――生活の体
験を通して現実的にも実証されているから国民の間に疑いがない。

全国が学習しよう、全党が学習しよう、全人民が学習しようというスロー
ガンのもとに、毎日2時間(労働時間終了後)、土曜日の午後半日、学習
することが制度化されている」(『チュチェの国朝鮮を訪れて』)

1976年に、作家の三好徹氏が北朝鮮に招かれて、「社会主義メルヘンの
国」と呼んで、絶賛した。

「主席に会えなかったのは残念ですが、どういう人かということは、おぼ
ろげながらわかりました。キム・イルソンという人は、天が朝鮮の人々の
ためにこの地上に送ったような人だということです」(『今日の朝鮮』)

1977年に、創価大学の城戸又一教授は金日成主席について、「朝鮮に来て
以来、朝に夕に、一日中、寝ても覚めても、といってもいいくらい、『わ
が偉大なる主席金日成同志』『敬愛する金日成主席』『父なる主席金日成
さま』など、主席の名を口にするときは、必ずその前に、何らかのほめこ
とばを付けずにいうことはないほど、人民大衆の尊敬を一身に集めている
人である」(『世界』1月号)と書いている。

1976年に、小田実氏が訪朝して、金日成主席と会見したうえで、「『北朝
鮮』を『南侵』の準備態勢にある国として見るには、きちがいじみた猜疑
心と想像力を必要とするにちがいない」(朝日ジャーナル、1976年)
と、書いている。当時、小田氏といえば、日本の青年男女の寵児(ちょう
じ)だった。

小田氏は2007年に物故したが、存命されていたら、いま、何といわれるこ
とだろうか。私はかねてから北朝鮮が「山賊国家」だと説いてきたが、
狂っていたのか、桁外(けたはず)れた想像力に溢れてきたにちがいない。

私は先の櫛田女史の訪朝記を読んで、かつてナチス・ドイツを礼讃した朝
日新聞の記事が、二重映しとなった。

「かつ色シャツ制服の『暴風団』は密集長蛇の行列を立てて指揮官の音頭
に雷の様な標語を唱和する――。ドイツ国、さめよ! ユダよ、くたばれ!
 1928年9月には御大(おんたい)のヒトラーがベルリンの『スポーツ
バラスト』に姿を現し未曽有の大集会を催して狂欣(きん)しをえつする人
民に叫びかける――『ハイル・ヒトラー!』(万歳)」(朝日新聞、昭和7
年10月2日、『ナチスは叫ぶ』)

戦前、朝日新聞は、ヒトラーのナチス・ドイツを紙面をあげて、礼讃した
ものだった。

私は土井たか子日本社会党委員長、読売新聞の高木健夫論説委員をはじ
め、北朝鮮を手放しで絶賛した多くの発言を、まだ引用することができる
が、同じ日本人として恥しいから、ここまでにしたい。

私は1974年に、36歳で日本ペンクラブの理事になった。77年に韓国で反体
制詩人の金芝河(キムジハ)氏が、朴正煕(パクチョンヒ)政権を批判する詩
集『五賊』を発表したために、投獄される事件が起った。

ペンクラブ理事会で、韓国政府の言論弾圧を非難する決議を行う提案が行
われた。私は北朝鮮は表現の自由が完全に圧殺されているから、北朝鮮を
あわせて糾弾(きゅうだん)すべきだと反論した。まだ韓国のほうが、自由
だった。すると、理事だった三好誠氏が、北朝鮮には「言論弾圧はまった
くない」と、嘯(うそぶ)いた。

韓国を非難する決議が行われた。私は阿呆(あほ)らしいので、抗議の記者
会見を開いたうえで、クラブから脱退した。

そういえば、作家の豊田有恒氏がWiLL『歴史通』2017年11月号に寄稿
した、「朝日新聞が讃えたヒトラーと金日成」のなかで、「この新聞の当
時のナチスへの傾斜と北朝鮮報道の類似について初めて言及したのは、加
瀬英明さんである。ヒトラーを褒めちぎったのと同様の筆致で、金日成を
称えてみせたのである」と、指摘している。

私は日本の「良識」を、まったく信じない。

つい、15年前の2002年まで、NHKをはじめとして、大手のすべてのテレ
ビ局が、北朝鮮に言及する時に、「チョーセンミンシュシュギジンミン
キョウワコク」と、正式国名をいわなければならなかった。なぜなのか北
朝鮮だけを、正式国名で呼ばなければならなかった。

当時、私は北朝鮮をそう呼ばねばならないのは、まるで「寿限無寿限無五
劫(ジュゲムジュゲムゴコウ)のすり切れ、パイポパイポパイポのシューリ
ンガン‥‥」のようで、「バカバカしい」と、批判した。

もし正式国名で呼ばなければ、良識に反するのなら、どうしてドイツを
「ドイッチェラント」、なぜイギリスを「ブリテン連合王国」、ギリシア
を「ヘラス」と呼ばないのかと、からかった。

ドイツも、イギリスも、ギリシアという呼び名も、もとにはない日本語だ。
 
中国についても、同じことだった。1972年に日中国交正常化が行われた時
に、日本中が「日中友好」の大合唱に、酔い痴れていた。いまから振り返
ると、日本国民は脳疾患をわずらっていたのだろう。

私は中国は秦の始皇帝のころから、自分が天下を取らねばならないとい
う、中華思想に取り憑かれた文明だから、「『子子孫孫までの友好』のよ
うなタワゴトに惑わされてはならない」と、警鐘を鳴らした。だが、「日
中友好」が、その時の「良識」となっていた。

「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と正式国名を呼ばな
ければならないという、不思議なきまりは、2002年9月に小泉首相が訪朝
して、金正日総書記が日本人を拉致したことを認めたために、国民のあい
だで北朝鮮に対する嫌悪感が強まったために、どこかに消えた。

いま、北朝鮮危機によって、日本が存在する東アジアが、アナーキー(無
秩序状態)に陥っている。

 その最大の原因は、何だろうか。「平和憲法」と呼ばれる、日本国憲法だ。

もし、日本が講和条約によって独立を回復した後に、“マッカーサー憲法”
を改めて、日本のGDP(経済規模)の半分しかないイギリスか、フラン
ス程度の軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮が日本を侮って、日本列島
の頭越しにミサイルを試射することがなかっただろう。

イギリスとフランス両国のGDPを合わせて、やっと日本と同じ経済規模
となる。

イギリスとフランスはそれぞれ航空母艦と、核を搭載した原潜を保有して
いる。イギリスとフランスは、平和愛好国ではないのか。

そうなれば、中国が強盗のように尖閣諸島と、沖縄を奪おうとすることも
なかった。

日本国民がキナ臭いことを嫌うのは、理解できるが、今日でも戦後の日本
の平和が日本国憲法によって守られてきたと信じている国民が多い。相手
を攻撃する能力を持たないという「専守防衛」が、いまでも「良識」と
なっている。

だが、もし、戦後、日米安保体制がなかったとしたら、韓国が竹島だけで
なく対馬も奪い、中国が南シナ海のように沖縄を、ロシアがウクライナ共
和国のクリミア半島のように、北海道を占領していたのではないか。

日本の「良識」が、北朝鮮危機という妖怪を生んだ。
北朝鮮という「匪賊国家」が核兵器を持って、傍若無人に振る舞っている。

 戦前であれば、日本軍が討伐しているところだが、この匪賊団は核兵器
を手にしている。