2019年12月03日

◆雀庵の「習近平来日阻止! 中共殲滅へ」

シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/58(2019/11/30】旧暦の11月4日、庭の池に薄氷
が張った。霜月だなあと何となく感慨を覚えるが、現役時代は目の前に積
み重なった仕事、ほとんど屹立している氷河の絶壁を必死で突き崩すよう
な日々だったから、季節の移り変わりをしみじみ思うようなことはなかった。

せいぜい「寒くなったなあ、今夜は『竿灯』でショッツル鍋にするか、
『お多幸』でオデンというのもいいなあ・・・最初はやはり熱燗だな」な
んて人参をぶら下げて、己を鞭打ちながらシコシコ、時々絶叫しながら奮
闘していたものである。

いい思い出だが、よく倒れなかったものだ、やはり核燃料が燃え盛って
いたのだろう。2003年、52歳で胃癌摘出、会社を畳んで以降はパッとした
仕事はせず、58歳でリタイア、母の介護を終えた63歳以降は「自分で自分
を介護する」ような・・・「酒とバカの日々」・・・落ちたところが精神
科急性期閉鎖病棟だから「落ちるところまで落ちた」わけ。

それからは・・・ここが人生の面白みだが、谷底で眼が覚めると「上り
坂」しかない。登っていくと視野が開けてくる、眺めも良くなる、やがて
尾根に立つと、さらに高い山が見える、「よし、あの山に登ろう、どうせ
暇だし」、マシラのごとくワクワクするのだ。なんせ多動児だで、我慢が
よーできんへん。

<自閉症などの発達障害や注意欠陥多動性障害(ADHD)の子供は時折高い
場所に上ってしまう事があります。発達障害の子供は日常的に外部から受
け取る刺激が少ないとされ、しばしば自分で刺激を得て楽しむ事があります。

また、感覚が過敏であったり逆に鈍感であったりするため、感覚の感じ
方も通常の人とは違う受け取り方をしています。

高いところへ登るということは「体を動かす感覚」「高い場所から見る景
色の感覚」「高さ自体の刺激」などを受け取ることができるため、高い場
所を見つけると刺激を得ようと登ってしまいます>(発達障害-自閉症.net)

まあ、そういうことかもしれない。温かくて、柔らかくて、いい匂いが
して、すべすべして、草むらにかわいい洞窟がある山なんて見つけると刺
激を得ようと無我夢中で登ってしまうなあ。ま、昔の話だけど。

精神科の先生に「フロイト派とユング派の現況はどうですか、エジソンは
ADHDみたいですが、世界を動かすのはキチガイですね。僕はどうも自分は
自閉スペクトラムの気があるんじゃないかと。〇〇先生はマザコンです
ね。聖マリアンナ出身の精神科医はクズです」なんて言うと皆「アハ
ハ!」と楽しそうだった。

振り返れば小生の人生は穏やかな方だったろう。心身共に耐えがたいよ
うな切羽詰まった逆境には遭わなかった。このところ北条民雄の「いのち
の初夜」を何度も読み直しているが、考えさせられることが多い。

<1914年9月22日 - 1937年12月5日。ハンセン病(らい病)となり隔離
生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく作品「いのちの初夜」な
どを遺した。本名:七條晃司(しちじょう てるじ)。

日本統治時代の朝鮮の首都京城(現・ソウル)に生まれる。生後間もな
く母親と死別し、徳島県阿南市下大野町に育つ。

1932年に結婚。1933年にハンセン病を発病し破婚。翌1934年、東京府北多
摩郡東村山村の全生園に入院。入院後、創作を開始した。1937年に腸結核
のため23歳没。

ハンセン病に対する偏見や差別により、長らく本名は公表されていな
かったが、出身地の阿南市が親族に2年間にわたり本名を公開するように
説得した結果、2014年6月に親族の了承を得て、没後77年経って本名が公
開された>(WIKI)

「いのちの初夜」は、原題は「最初の一夜」だったが、彼が師事した川端
康成が原稿を読んでそう命名した。川端は単なる女好きの作家ではなかっ
た! 本名が公開されたのが没後77年というのも、ハンセン病への世間の
「忌避感の激しさ」に驚かされる。

千葉俊二・早稲田大学教授/近代文学はこう評している(要約)。

<小林秀雄は「優れた作品は作者の血液をもって染色されている」と書
いたが、当時大きく盛り上がった宮本顕治(修一:日共のボス、リンチに
よる傷害致死罪などで服役中にGHQが“間違って”釈放)らのプロレタリア
文学は概ね不毛だった。

自己の全存在にかかわるハンセン病という「宿命」を綴った「いのちの
初夜」は圧倒的な存在感である。救いようもない惨めさと絶望感は、宮本
顕治の言うような「史的な必然として到来する新社会」と言いったものへ
の希望のひとかけらもない。

青白いインテリの自意識や階級意識といったものは、まさにここでは
吹っ飛んでしまっている。これは文学の極北に描かれた奇蹟の一篇といえる>

ソルジェニーツィンの「イワンデニーソビチの一日」が、諦観を飲み込ん
だ上で明日を信じ、今日を思い切って生きていこうという休火山の静寂が
あるとすれば、「いのちの初夜」は今大爆発をした活火山であり、死と生
の血だらけの修羅場が描かれている。

作者の「生きよう、生きるんだ!」という人間復活の物語といっていいだ
ろう。そこには真剣な命のやり取りがある。軽佻浮薄なベストセラー本
が、朝に生まれて夕に死ぬ水の泡、陽炎のように思えてくる。

小生は特に以下の話に感動した。

主人公の尾田はハンセン病患者の隔離施設であり、一方で病気の進行で
崩れていく体を見られ嫌悪されることから患者を守る保護施設でもある
「多摩全生園」入所の当日、早々と自殺を試みたが死にきれず、患者の面
倒を見る先輩患者(義眼)の左柄木にその場を見られていた。入所間もな
いと多くの患者が自殺を試みることは定番になっていたのだ。

<「あなたと初めてお会いした今日、こんなことを言って大変失礼です
けれど」と左柄木は優しみを含めた声で前置きすると、

「尾田さん、僕には、あなたの気持ちがよく解る気がします。僕がここ
へ来た五年前のその時の僕の気持ちを、いや、それ以上の苦悩を、あなた
は今味わっていられるのです。ほんとにあなたの気持ち、よく解ります。

でも、尾田さん、きっと生きられますよ。きっと生きる道はあります
よ。どこまで行っても人生にはきっと抜け道があると思うのです。もっと
もっと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりましょう。

とにかく、らい病になりきることが何より大切だと思います」

不敵な面魂が言葉の内部に覗かれた。

「入院されたばかりのあなたに大変無慈悲な言葉かも知れません、今の
言葉。でも同情するよりは、同情のある慰めよりは、あなたにとっても良
いと思うのです。実際、同情ほど愛情から遠いものはありませんからね。

それに、こんな潰れかけた同病者の僕が一体どう慰めたらいいのです。
慰めのすぐそばから嘘がばれていくに決まっているじゃありませんか」

患者が当直の左柄木を呼び、彼は慣れ切った調子で男を背負い、廊下へ
出ていった。男は二本とも足がなく、膝小僧の辺りに包帯らしいものが覗
いていた。

「なんというものすごい世界だろう。この中で左柄木は生きると言うの
だ。だが、自分はどう生きる態度を定めたらいいのだろう」

発病以来、初めて尾田の心に来た疑問だった。尾田はしみじみと自分の
掌を見、足を見、そして胸に掌をあててまさぐって見るのだった。何もか
も奪われてしまって、ただ一つ、生命だけが取り残されたのだった。

今さらのようにあたりを眺めて見た。

膿汁に煙った空間があり、ずらりと並んだベッドがある。死にかかった
重症者がその上に横たわって、他は繃帯であり、ガーゼであり、義足であ
り松葉杖であった・・・

真夜中に尾田は悪夢で目を覚ますと、左柄木は書き物をしていた。病室
を眺めていると、うめき声やすすり泣き、念仏、「ああ、ああ、なんとか
して死ねんものかなあー」という、この世の人とは思えない嗄れ声が聞こ
えてくる。

「眠れませんか」と左柄木が声をかけてきた。

「尾田さん、あなたはあの人たちを人間だと思いますか・・・人間じゃ
ありませんよ。生命です。生命そのもの、『いのち』そのものなんです。
あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ生命だけ
がぴくぴくと生きているのです。なんという根強さでしょう。

誰でも癩(らい)になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬ
のです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡
び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。

けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ
時、まったく癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き返るのです。
復活、そう復活です。ぴくぴくと生きている生命が肉体を獲得するので
す。新しい人間生活はそれから始まるのです。

尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは
人間じゃないんです。あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、考え
て見てください。ひとたび死んだ過去の人間を探し求めているからではな
いでしょうか」

尾田に向かって説きつめているようでありながら、左柄木自身が自分の
心内に突き出してくる何ものかと激しく戦って血みどろとなっているよう
に尾田には見えた。と果たして左柄木は急に弱々しく、

「僕にもう少し文学的な才能があったら、と歯ぎしりするんですよ。僕
に天才があったら、この新しい人間を、今までかつてなかった人間像を書
き上げるのですが――及びません。

せめて自由な時間と、満足な眼があったらと思うのです。いつ盲目にな
るか分からない、この苦しさはあなたにはお分かりにならないでしょ
う・・・」

「ああ、もう夜が明けかけましたね」

外を見ながら左柄木が言った。「ここ二、三日、調子が良くて、あの
(夜明けの)白さが見えますよ。珍しいことなんです」

「一緒に散歩でもしましょうか」

尾田が話題を変えて持ち出すと「そうしましょう」と左柄木は立ち上
がった。

冷たい外気に触れると、二人は生き返ったように自ずと気持ちが若やい
できた。並んで歩きながら尾田は時々背後を振り返って病棟を眺めずには
いられなかった。生涯忘れることのできない記憶となるであろう一夜を振
り返る思いであった。

「盲目になるのは分かり切っていても、尾田さん、やはり僕は書きます
よ。盲目になればなったで、またきっと生きる道はあるはずです。あなた
も新しい生活を始めてください。癩者になり切って、さらに進む道を発見
してください。僕は書けなくなるまで努力します」

その言葉には、初めて会った時の不敵な左柄木が戻っていた。

「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言った
ではありませんか、苦しむためには才能が要るって。苦しみ得ないものも
あるのです」

佐柄木は一つ大きく呼吸すると、足どりまでも一歩一歩大地を踏みしめて
行く、ゆるぎのない若々しさに満ちていた。

あたりの暗がりが徐々に大地にしみ込んで行くと、やがて燦然たる太陽
が林の彼方に現われ、縞目を作って梢を流れて行く光線が、強靭な樹幹へ
もさし込み始めた。

佐柄木の世界へ到達し得るかどうか、尾田にはまだ不安が色濃く残って
いたが、やはり生きて見ることだ、と強く思いながら、光の縞目を眺め続
けた>

ああ、俺も狂気、侠気、驚喜、凶器、強記を抱きながら倒れるまで人間と
して生きていこうと思う。60年前のハガチー事件を思い起こすと来春の
「習近平来日阻止」は首都高羽田線上下をダンプ2台で止めるだけで済
む。道路と滑走路に重油をばらまいておけばなおいい。

全国3500万のヂヂババ諸君、命惜しむな、名こそ惜しめ、中共殲滅、支
那解放へ! 団塊世代は汚名をそそぐ最後のチャンスだ、特攻の名誉を譲
ろう、歴史に名を刻め! 

興奮、公憤したので今回はここまで。(つづく)2019/11/30
          

2019年11月30日

◆雀庵の「台湾」、幼女“花蓮”を背に突撃

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/57(2019/11/29】60年安保騒動は小4の時で、こ
れに触発されて憲法を読んだ。本音と建前、表と裏でこの世は成り立って
いるのか、とショックを受け、欣求浄土、厭離穢土、厭世気分で小6の時
には真剣に自殺を考えた。ありゃあ、天下の悪法だな、有害図書。

憲法ショック以来、「人はなぜ生きるのか、如何に生きるべきか」を60年
間考えてきたが、この頃何となく分かってきた。

1)生物として:繁殖し、命のバトンを次代につなぐこと。これは本能だな。

2)人間として:天職を得て、知恵、技、創意工夫で半歩でも一歩でも前
進し、次代を育て、技、思考のタスキをつなぐこと。これは意識と努力が
必要だ。

この(2)は人類にとってプラス面とマイナス面がある。便利になる、生
産性向上になるのは良いが、牽引する人は賢くなるかもしれない半面、
「専門バカ」になりやすい。脳みその容量は限られているからオールマイ
ティの賢者(統率者、哲人など)にはまずなれないのではないか。

また、利便を享受する側は、雑巾一つ縫えない、炊事洗濯まるでダメとい
う「只のバカ」に退化しやすい。

専門バカが1割、只のバカが9割、2つの集団の差異はどんどん大きくなる
が、これが人類の発展と呼べるのかどうか・・・

キリスト教の一派「アーミッシュ」の生き方はとても興味深い。WIKIから。

<アーミッシュ(含むメノナイト)は移民当時の生活様式を守るため、電
気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。
原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前
と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる。

自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否
するのである。

アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。その
ため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車
によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。

移動手段は馬車によっているものの、ウィンカーをつけることが法規上義
務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。しか
し、メノナイトは自動車運転免許を持つことが許されており、家電製品も
使用している。

アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイ
デンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけ
を導入しているのである>

近代、産業革命以前というと、日本では江戸時代だ。「電車、自動車、先
端医療だけは享受したい、それ以外はNO!」というのは、あまりにもご都
合主義だから、とても「清貧」とは言えない。夏彦翁曰く「ならぬ昔には
戻れない」、東海道を徒歩で行くなんてできやしない。

人類の叡智は発展しているように見えても、プラスマイナスゼロなのかも
しれない。生き方なんて何千年も前から哲学者が研究し尽くしており、
「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」(老子、釈迦)とい
う小生の座右の銘はすっかり身に着いた。

この言葉を教えてくれた宗教学者は自宅の金庫に3000万円を隠していたそ
うだが、領収書なしで貰った講演料などを申告せずに課税を逃れていたわ
けだ。理想と現実は違うことが多い。小生だってその学者の立場になった
らそうしていたかもしれない。

ま、面白おかしく、のんびり生きていくことに満足できない人は棺桶に入
るまで「如何に生きるか」を考え続けるのだろう。小生は「結局、分から
なかったが、考えることに意義があるんだから、ま、いいか」と思うの
じゃないか。

信長は「さすが光秀、如何ともし難し」、家康は「やはり腹八分目は正論
だったな、天ぷらが旨すぎた」と苦笑したろう、晋作は「ああ面白かっ
た、おうのを頼んだぜ」と言って大往生したろう。

子をなさなかった愛妾おうのは晋作の息子を養子とし、明治41年、66歳で
天寿を全う、天国では晋作に膝枕をさせ三味線で、

♪男なら 三千世界の鳥を殺し 主と朝寝がしてみたい 酔えば美人の膝枕
醒めりゃ天下を手で握り 咲かす長州桜花 高杉晋作は男の男よ 傑いじゃ
ないかな

と歌っていることだろう。おうのと年下の正妻の雅(まさ)は姉妹のごと
く仲が良かったようで、一緒に晋ちゃんの墓に眠っている。男はそうあり
たいね。

令和の晋ちゃんは北京に媚びてどうするのかね。呆けたか?

さてさて台湾清軍残兵討伐の石光真清らの戦い。周花蓮は出陣の石光の足
に縋りつく。幼くして既に女だ。恐るべし。石光の手記「城下の人」から。

<水堀頭に駐屯してから五日目の朝、遠くに激しい小銃の音を聞いた。間
もなく下士哨から伝令がきた。敵兵約百名が襲来、下士哨は村はずれに散
開して戦闘中である。敵の小銃は約三十挺と推定さる・・・とのことで
あった。

私は一分隊を率いて救援することにした。すると周花蓮がちょこちょこ歩
きながら私の後を追ってきて、足に縋りついて離れない。残留組の志田軍
曹が苦笑しながら抱き上げると泣き出した。これを見た井手口一等兵は、

「おう、よしよし、三全世界に頼る者は中尉殿一人ですわい。わしが連れ
てゆく・・・」

と言って、周花蓮を背嚢代わりに背負った。志田軍曹は井手口の背中に子
供をくくりつけながら父親のようなことを言った。

「井手口、銃先に気をつけろよ・・・竹藪を潜りぬける時はな、いいか、
顔をはじかれるからな・・・注意しろよ」

私たちは待ちかねたように銃声の激しい村落を目指して駆けつけた。

嘉義城守備の残兵らしく、装備も悪く、予備もないようっだったから、私
は右翼に回って一分隊を指揮して突撃した。周花蓮を背負った井手口も銃
を構えて突撃した。間もなく敵は三十ほどの死体を遺棄して逃走した。

母の背にあったころから、不幸にも戦塵にまみれたこの子は、この品育段
戦にも、泣き出しもしないで背負われていた>


♪腰の大刀にしがみつき 連れていきゃんせ何処までも 連れて行くのは
やすけれど 女は乗せない戦車隊

なんていう歌は戦前はよく歌われていたようだ。「戦車隊」のところは
「いくさ船」とか「砲兵隊」とか代えていた。間もなく前線に配備され
る、今夜が最後の酒宴になるかもしれない、同郷の馴染みの芸者とも永遠
の別れか・・・元気よく歌っても悲哀がうかがえる。

戦争文化とか戦時の花、悲喜劇、喜怒哀楽といったものが、「平時」が長
く続くと消えていく。いいことなのかどうか・・・苛められると反撃もせ
ずに自殺とか・・・なんかなあという感じはするな。

発狂亭“爽やかな秋晴れに誘われて、縄文遺構の森林公園を満喫、紅葉が
始まり、富士山がよく見えた、まるで天国”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(174)2017/1/22】産経、島田耕「(トラン
プに)何を言われても、最善の策は無視することかもしれません。クール
に無視を決め込んでもらいたいものです」。

苛められたらシカトすればいい、殴られたら黙って耐えろ・・・って、こ
いつ、産経の編集長だって! 自分に不都合なニュースは朝日、毎日、東
京のように無視するつもりだ。トランプショックで発狂したか!

リベラル≒アカモドキの右往左往は見ものだな。(つづく)2019/11/29

2019年11月20日

◆雀庵の「怒涛の進撃!台湾コレラ・マラリア連合軍」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/53(2019/11/16】若い頃、レンタカーで米国中
西部と南部を巡った。当時、日本人にとって米国は加州など西海岸と、NY
など東海岸であり、それ以外はほとんど“未開地”だった。米国への旅行者
を増やすためには“未開地”をまずは旅行会社にシツコク紹介すべしと、米
国商務省や州観光局、受け入れ旅行会社、ホテル、航空会社などが力を入
れ始めていた。

時は建国200年(1976)の「バイセンテニアル」の熱気が続いており、旅
行業界では「ディスカバー・アメリカ」キャンペーンの動きが始まりそう
な雰囲気があった。

そうした追い風の中で小生らは日本人にアピールしそうな地、施設を取
材して回ったのだ。その時に「アメリカにはキャンピングカー(アルミ合
金製の巨大なエアストリーム)がずいぶん多いなあ」と気づいた。エアス
トリームを住宅として使う人も多く、気候に合わせて全米を移住する人も
珍しくない。

キャンピングカー専用地は電機、上下水道、ガスなどのインフラが整備
され、車のホースをガチャンと繋げば快適に暮らせる仕組みになってい
る。専用地以外でも発電機や水のタンクがあれば暮らせるから、荒野など
で野趣に富んだ生活も楽しめる。

自然災害の多い日本でもエアストリームは役に立つのではないか。小人
数なら住宅の代わりになる。避難は楽だ。

普通の家でも、土台の上に耐震板を置き、その上に家を建てる。耐震板
は地面から3メートル(1F分)、4つほどの非常用電動ジャッキで上げ下げ
できる仕組みにし、大雨、氾濫が危惧されそうなときは上げておく。

この設備は3階建て4LDKの戸建て住宅なら1000万円ほどの追加費用で可能
だろう(半分は公的資金補助を!)。

このところわが街では世代替わりによる建て直しが盛んだが、ヘーベル
ハウスが目立つ。ヘーベルハウスは何十年も前から人気だが、東日本大震
災のときの津波か数年前の大洪水で流されなかった映像は注目を浴びたろう。

クライアントの課長が、「今、ヘーベルハウスで建て替えしているんだ
けれど、やたらと基礎が大きいのよ。職人に聞いたら、標準より1ミリで
も小さいとダメだし食らうから、大きめに造るんだとさ。大き過ぎればハ
ツリで削ればいいんで、強度は高いから問題なしだって」と言っていた。

ヘーベルハウス(など頑丈系住宅)+洪水対震ジャッキで、おおよその
自然災害はクリアできるのではないか。天空をたえず支え続けるアトラス
(タイタン族の勇者)に因んで「アトラス工法」として業界全体で開発し
たらいい。アトラスは子沢山だったから繁栄の象徴でもあるね。縁起がいい。

天空を支えながら50億年、雨が降ろうが地震だろうが立ちっぱなし、立
位専門、倒れない、流されない、つぶされない! 「雨が多い日でも安
心、ヘベラナイハウス」ってコピーどうよ。

ジャダレを言っている場合じゃないな、香港はこのままだと第2の天安門
事件になる。習近平を引き吊り降ろさないと大虐殺は免れまい。日米加英
豪乳印+台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどが台湾海峡、東
シナ海、南シナ海に艦船を遊弋させて警戒威嚇しないと、マオイスト習近
平は暴れだす。

上海閥と共青団派は国内でマオイスト習に圧力をかけ、足を引っ張らな
ければ、核戦争も起こりかねない。何しろ毛沢東は「人民の半分が死んだ
ところで問題ない、まだ3億も残っている」と豪語して並み居るワルを震
え上がらせた殺人鬼だ。大躍進で5000万、文革で1億を殺してもヘッチャラ。

習近平は文革で父とともにひどい目に遭い、姉は自殺したのに、「オ
ラ、第二の毛沢東になるだ!」と決心し、糟糠の妻を捨てアイドルと再婚
する、綱紀粛正の名のもとに他派閥を粛正する、同志である支配階級の資
産を防衛するために人為的に不動産価格を高値で維持する、民営企業を国
有化する、結局は「死屍累々、それでも問題ない、まだ7億も残ってい
る」という、毛沢東並の巨悪、骨の髄からマオイストなのだ。

毛沢東にはそれなりの戦略、理論、哲学、知性、悪知恵があった。習近
平はその“真似っ子”に過ぎない。わけのわからん貧困層(習の紅衛兵予備
軍)は習大人を拝んでいるが、ある程度の教育を受けた人民は腹の底では
バカにしている。

上海閥と共青団派は経済力をつけて緩やかに資本主義市場経済の国へと
軟着陸したい。習近平は先祖返りで国有企業中心の「大習帝国」皇帝を夢
見ている。

この狂気のマオイストの悪夢を内から崩すのが上海閥と共青団派の歴史
的使命だ。反中共連合戦線同志諸君の任務は鉄のカーテンで習近平版「紅
衛兵」の軍事的経済的海空域進出を阻むことである。内圧と外圧で習近平
一派を駆逐する、芋づる式に北、ロシアを封鎖し、やがて解放する、それ
なくして21世紀の人類の安寧はない。

帝国陸海空軍は今こそ「前へ!」、八紘一宇の世界を目指して立ち上が
るべし! お、お、俺も連れてってくれえ!

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、行く手を阻むコレラ、さらにマラリ
アも参戦するという熱帯病地獄に! 明治28年7月下旬にはコレラで兵力
は半分以下になり、自身も罹患した石光の手記「城下の人」から。

<「中尉殿、しっかりして下さい。弱いことを言ってはいけません。必
ず、必ず井手口が治して差し上げます」と寝台に縋りついて肛門を押さえ
たまま泣き出した。

私の顔の肉も落ちたが、看病する井手口の方が、もっと、もっと、痩せ衰
えてしまった。「中尉殿、もう少しの辛抱です。我慢なさって下さい」

私は何も食べられなかった。井手口もまた何も食べなかった。

「中尉殿、もう峠は越えました。3日目です。元気を出してください。
中尉殿・・・」

井手口は私の耳元で泣き笑いしながら言った。こうして、不思議にも私は
生き返ったのである。

こんな治療方法に効果があったのものかどうか、私には判らないが、医
薬品もなくなっていたし、治療の方法もなかったから、窮余の策として、
兵士たちの間で田舎の民間療法でも思い出して、始めたものだと思われる。

いずれにしても私が命拾いしたのは、まったく井手口寅吉のお蔭であっ
た。私は彼にどう感謝してよいか判らない。終始、私と共にあって、私の
影のように働いていた。無事私と共に凱旋したが、それから10年の後、後
備兵として召集されて奉天の戦闘で戦死したと聞いている。


新竹城周辺の敵も、増援部隊を得てようやく掃討することができた。それ
からは、私たちの部隊は師団長の指揮下に入ったから今までの大隊行動と
違って窮屈になった。師団はそこから大行動を起こして南下し、嘉義城を
目指して進撃を開始した。

その頃、病み上がりの私は、今度はマラリアに罹って高熱に苦しみ、文
字通り骨と皮だけの身体になってしまった。また井手口は不眠の介護をし
てくれて快復に向かったが、到底、乗馬する力もなかったので、井手口が
街から驕輿(こし)を調達して来て、これに私を乗せ、兵士たちが代わる
代わる担いで行軍してくれた>

コレラ・・・小生もフィリピン取材で罹患して3・7、21日間隔離された
が、医療の進歩でひどい症状はなかった(会社から「自己責任だ」と始末
書を取られたのは不本意だったが、まあ、過労死なんていう言葉もない時
代だから、とやかく言ってもせんない。汚名は挽回すれば良し、グダグダ
言うのは企業戦士の恥。そういう実にいい時代だった)。WIKIで調べたら――

<コレラは腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下が
る。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚
脱を起こし、死亡する。治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では
75〜80%に及ぶ。コレラ罹患時には脱水のみならず消化管を休めることが
大切なので、先進国医療では絶食・水分経口摂取禁が基本である>

医療方法がない中で従卒、井手口の治療として「湯たんぽで石光の低体
温化を防いだ」「脱水症状を抑えるために物理的に肛門に栓をした」のは
大正解であったわけだ。

予防法も治療法もない長い長い暗黒時代に民間療法として伝えられたも
のだろう。古人の知恵、侮るべからず。

真夜中に稲荷神社の大木に「習近平一党絶滅」と書いた紙を釘打ちし
て、油揚げを捧げ、お百度参りしたら願いは叶うか。不審者としてパクら
れたら「信教の自由だ」と抗議すべきか、「わしゃ、お狐様の言いなすっ
たことをしただけじゃ」ととぼけるか、いずれにしても治療中の身だで、
邪険にはされないだろう。化外の人の特権・・・俺はついに特権階級か!?

発狂亭“秋晴れで気分良し”雀庵の病棟日記から。うん? ブタ箱も老人
仕様を進めている?


【措置入院 精神病棟の日々(170)2017/1/21】産経「留置室バリアフ
リー 警視庁 全国初、高齢化に対応」、「警視庁によると、65歳以上の
留置人は平成19年から増加し、24年以降は高止まりの状態が続いていると
いう。1年間に新たに留置された65歳以上の割合についても、17年は約3%
だったのが、26年は約7%に増えている」。

この病棟の男性患者で小生は最年長で、小生のようなクラッシュ・グラ
ンパ、不逞老人が増えているということ。実に悩ましいことだ。家族や世
間に遠慮して静かに暮らしていかないと害獣として駆除されるだろう。
(つづく)2019/11


2019年11月18日

◆雀庵の「怒涛の進撃!台湾コレラ・マラリア連合軍」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/53(2019/11/16】若い頃、レンタカーで米国中
西部と南部を巡った。当時、日本人にとって米国は加州など西海岸と、NY
など東海岸であり、それ以外はほとんど“未開地”だった。米国への旅行者
を増やすためには“未開地”をまずは旅行会社にシツコク紹介すべしと、米
国商務省や州観光局、受け入れ旅行会社、ホテル、航空会社などが力を入
れ始めていた。

時は建国200年(1976)の「バイセンテニアル」の熱気が続いており、旅
行業界では「ディスカバー・アメリカ」キャンペーンの動きが始まりそう
な雰囲気があった。

そうした追い風の中で小生らは日本人にアピールしそうな地、施設を取
材して回ったのだ。その時に「アメリカにはキャンピングカー(アルミ合
金製の巨大なエアストリーム)がずいぶん多いなあ」と気づいた。エアス
トリームを住宅として使う人も多く、気候に合わせて全米を移住する人も
珍しくない。

キャンピングカー専用地は電機、上下水道、ガスなどのインフラが整備
され、車のホースをガチャンと繋げば快適に暮らせる仕組みになってい
る。専用地以外でも発電機や水のタンクがあれば暮らせるから、荒野など
で野趣に富んだ生活も楽しめる。

自然災害の多い日本でもエアストリームは役に立つのではないか。小人
数なら住宅の代わりになる。避難は楽だ。

普通の家でも、土台の上に耐震板を置き、その上に家を建てる。耐震板
は地面から3メートル(1F分)、4つほどの非常用電動ジャッキで上げ下げ
できる仕組みにし、大雨、氾濫が危惧されそうなときは上げておく。

この設備は3階建て4LDKの戸建て住宅なら1000万円ほどの追加費用で可能
だろう(半分は公的資金補助を!)。

このところわが街では世代替わりによる建て直しが盛んだが、ヘーベル
ハウスが目立つ。ヘーベルハウスは何十年も前から人気だが、東日本大震
災のときの津波か数年前の大洪水で流されなかった映像は注目を浴びたろう。

クライアントの課長が、「今、ヘーベルハウスで建て替えしているんだ
けれど、やたらと基礎が大きいのよ。職人に聞いたら、標準より1ミリで
も小さいとダメだし食らうから、大きめに造るんだとさ。大き過ぎればハ
ツリで削ればいいんで、強度は高いから問題なしだって」と言っていた。

ヘーベルハウス(など頑丈系住宅)+洪水対震ジャッキで、おおよその
自然災害はクリアできるのではないか。天空をたえず支え続けるアトラス
(タイタン族の勇者)に因んで「アトラス工法」として業界全体で開発し
たらいい。アトラスは子沢山だったから繁栄の象徴でもあるね。縁起がいい。

天空を支えながら50億年、雨が降ろうが地震だろうが立ちっぱなし、立
位専門、倒れない、流されない、つぶされない! 「雨が多い日でも安
心、ヘベラナイハウス」ってコピーどうよ。

ジャダレを言っている場合じゃないな、香港はこのままだと第2の天安門
事件になる。習近平を引き吊り降ろさないと大虐殺は免れまい。日米加英
豪乳印+台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどが台湾海峡、東
シナ海、南シナ海に艦船を遊弋させて警戒威嚇しないと、マオイスト習近
平は暴れだす。

上海閥と共青団派は国内でマオイスト習に圧力をかけ、足を引っ張らな
ければ、核戦争も起こりかねない。何しろ毛沢東は「人民の半分が死んだ
ところで問題ない、まだ3億も残っている」と豪語して並み居るワルを震
え上がらせた殺人鬼だ。大躍進で5000万、文革で1億を殺してもヘッチャラ。

習近平は文革で父とともにひどい目に遭い、姉は自殺したのに、「オ
ラ、第二の毛沢東になるだ!」と決心し、糟糠の妻を捨てアイドルと再婚
する、綱紀粛正の名のもとに他派閥を粛正する、同志である支配階級の資
産を防衛するために人為的に不動産価格を高値で維持する、民営企業を国
有化する、結局は「死屍累々、それでも問題ない、まだ7億も残ってい
る」という、毛沢東並の巨悪、骨の髄からマオイストなのだ。

毛沢東にはそれなりの戦略、理論、哲学、知性、悪知恵があった。習近
平はその“真似っ子”に過ぎない。わけのわからん貧困層(習の紅衛兵予備
軍)は習大人を拝んでいるが、ある程度の教育を受けた人民は腹の底では
バカにしている。

上海閥と共青団派は経済力をつけて緩やかに資本主義市場経済の国へと
軟着陸したい。習近平は先祖返りで国有企業中心の「大習帝国」皇帝を夢
見ている。

この狂気のマオイストの悪夢を内から崩すのが上海閥と共青団派の歴史
的使命だ。反中共連合戦線同志諸君の任務は鉄のカーテンで習近平版「紅
衛兵」の軍事的経済的海空域進出を阻むことである。内圧と外圧で習近平
一派を駆逐する、芋づる式に北、ロシアを封鎖し、やがて解放する、それ
なくして21世紀の人類の安寧はない。

帝国陸海空軍は今こそ「前へ!」、八紘一宇の世界を目指して立ち上が
るべし! お、お、俺も連れてってくれえ!

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、行く手を阻むコレラ、さらにマラリ
アも参戦するという熱帯病地獄に! 明治28年7月下旬にはコレラで兵力
は半分以下になり、自身も罹患した石光の手記「城下の人」から。

<「中尉殿、しっかりして下さい。弱いことを言ってはいけません。必
ず、必ず井手口が治して差し上げます」と寝台に縋りついて肛門を押さえ
たまま泣き出した。



私の顔の肉も落ちたが、看病する井手口の方が、もっと、もっと、痩せ衰
えてしまった。「中尉殿、もう少しの辛抱です。我慢なさって下さい」

私は何も食べられなかった。井手口もまた何も食べなかった。

「中尉殿、もう峠は越えました。三日目です。元気を出してください。
中尉殿・・・」

井手口は私の耳元で泣き笑いながら言った。こうして、不思議にも私は
生き返ったのである。

こんな治療方法に効果があったのものかどうか、私には判らないが、医
薬品もなくなっていたし、治療の方法もなかったから、窮余の策として、
兵士たちの間で田舎の民間療法でも思い出して、始めたものだと思われる。

いずれにしても私が命拾いしたのは、まったく井手口寅吉のお蔭であっ
た。私は彼にどう感謝してよいか判らない。終始、私と共にあって、私の
影のように働いていた。無事私と共に凱旋したが、それから十年の後、後
備兵として召集されて奉天の戦闘で戦死したと聞いている。


新竹城周辺の敵も、増援部隊を得てようやく掃討することができた。それ
からは、私たちの部隊は師団長の指揮下に入ったから今までの大隊行動と
違って窮屈になった。師団はそこから大行動を起こして南下し、嘉義城を
目指して進撃を開始した。

その頃、病み上がりの私は、今度はマラリアに罹って高熱に苦しみ、文
字通り骨と皮だけの身体になってしまった。また井手口は不眠の介護をし
てくれて快復に向かったが、到底、乗馬する力もなかったので、井手口が
街から驕輿(こし)を調達して来て、これに私を乗せ、兵士たちが代わる
代わる担いで行軍してくれた>

コレラ・・・小生もフィリピン取材で罹患して3・7、21日間隔離された
が、医療の進歩でひどい症状はなかった(会社から「自己責任だ」と始末
書を取られたのは不本意だったが、まあ、過労死なんていう言葉もない時
代だから、とやかく言ってもせんない。汚名は挽回すれば良し、グダグダ
言うのは企業戦士の恥。そういう実にいい時代だった)。WIKIで調べたら――

<コレラは腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下が
る。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚
脱を起こし、死亡する。治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では
75〜80%に及ぶ。コレラ罹患時には脱水のみならず消化管を休めることが
大切なので、先進国医療では絶食・水分経口摂取禁が基本である>

医療方法がない中で従卒、井手口の治療として「湯たんぽで石光の低体
温化を防いだ」「脱水症状を抑えるために物理的に肛門に栓をした」のは
大正解であったわけだ。

予防法も治療法もない長い長い暗黒時代に民間療法として伝えられたも
のだろう。古人の知恵、侮るべからず。

真夜中に稲荷神社の大木に「習近平一党絶滅」と書いた紙を釘打ちし
て、油揚げを捧げ、お百度参りしたら願いは叶うか。不審者としてパクら
れたら「信教の自由だ」と抗議すべきか、「わしゃ、お狐様の言いなすっ
たことをしただけじゃ」ととぼけるか、いずれにしても治療中の身だで、
邪険にはされないだろう。化外の人の特権・・・俺はついに特権階級か!?

発狂亭“秋晴れで気分良し”雀庵の病棟日記から。うん? ブタ箱も老人仕
様を進めている?


【措置入院 精神病棟の日々(170)2017/1/21】産経「留置室バリアフ
リー 警視庁 全国初、高齢化に対応」、「警視庁によると、65歳以上の
留置人は平成19年から増加し、24年以降は高止まりの状態が続いていると
いう。1年間に新たに留置された65歳以上の割合についても、17年は約3%
だったのが、26年は約7%に増えている」。

この病棟の男性患者で小生は最年長で、小生のようなクラッシュ・グラ
ンパ、不逞老人が増えているということ。実に悩ましいことだ。家族や世
間に遠慮して静かに暮らしていかないと害獣として駆除されるだろう。
(つづく)2019/11


2019年11月16日

◆雀庵の「台湾ゲリラの残虐さに茫然」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/51(2019/11/13】コピーライターの利彦君に
メールを送った。

<2週間ほど前に産経の健康食品広告を見ていたら、コピーが面白かっ
た。ポンポンポンと口上を述べて「さー、どうだ、買ってけ!」と、ほと
んどヤシのバナナの叩き売り、タンカバイで、「あっ、これモロ利彦節だ
なあ、ずいぶん磨きがかかってきたなあ」なんて思ったけれど、勘違いか
なあ。

得意なジャンルが広がるというのは良いね。あれもこれもで大変だろう
けれど、忙しいうちがハナよ。

わしゃ今日は水疱瘡の孫の世話だ。一緒に動物園に行って楽しもうと
思っていたが、孫はシャツを上げて腹を見せた。発疹ができていた。これ
では連れ出せない。

ゴミ出し、雨の時の洗濯物取り込みでさえドジルと「まったく留守番も
できやしない!」と叱られるから、孫の具合が悪くなったら非難轟々、下
手をすると追放される。恐ろしい時代だ。牝鶏鳴きて国亡ぶか>

産業革命(技術革新)が凄まじい勢いで進んでいる。「1980年あたりか
ら通信自由化が全面展開し、ポケットベルや携帯電話・パソコン通信・イ
ンターネット・衛星放送などの新たな通信サービスが展開され、料金の低
価格化も進んだ」(WIKI)。

85年以降のバブル時代は銀行はじゃぶじゃぶとカネを撒き、IT企業もど
んどん試行錯誤的に新機種を出し、ユーザーも新システムを導入していっ
た。ある日突然のごとくに出版・印刷業界ではアップルのマッキントッ
シュが「標準」になり、一般のビジネスの世界ではマイクロソフトのウィ
ンドウズが「標準」になった。


「標準」に対応できない人材や企業は消えていった。

産業革命で人間は幸せになったか、というと、むしろ逆ではないか。記
者は記事を原稿用紙に書いて編集デスクに渡したら「お先に失礼します」
と、飲み屋に行けた。今はスマホで、いつ、どこにいようと仕事の連絡が
来る。無視すれば「メール送っといたろう、なぜ返事しない!?」と怒ら
れ、やがては「融通の利かない、使い勝手の悪い奴」との烙印が押されて
出世コースから外されるのだ。

建設現場で釘を叩くとか鋸を引く音はしない。電動工具だらけで、電池
や電気がなければ仕事ができない。台風で電気が止まったら何もできない。

忙しくなって、脆弱になっただけではないか。技術の進歩、教育の進歩
がもたらしたものは「浮薄の普及」ではなかったか。便利になればなるほ
どオツムも体も劣化するのではないか。鉄道や自動車のない時代、日本人
は1日で10里、40キロを歩いた。江戸〜大阪500キロを女は13日間、それを
男は10日で歩いた。7日で歩く猛者もいた。

福翁は江戸〜横浜往復24時間で横浜の外人居留地を観察し「これからは
英語だ!」と学んだ。「バターン半島死の行進」と言うけれど、日本の歩
兵は足が達者だった、一方で米比兵はいつもはトラック輸送だったから歩
けずにバターンバターンと倒れていったのではないか。「戦場にかける
橋」は創作、不思議の国のアリンス。

小生は「リベラル≒アカモドキ」とよく書くが、ビッグデータを分析する
と「リベラル=アカ=バカ=危険」なのだという。掛谷英紀コラム「なぜ
人は共産主義に騙され続けるのか」「ビッグデータが暴く自称リベラルの
正体」は実に興味深かった。


いまだに共産主義を信奉する人がいるのは、不都合な現実を見ない、見
えない、見たくないという「浮薄の普及蔓延」によるのではないか。一種
の宗教とか、自分が出世できない体制秩序破壊を是とする、下郎の逆恨み
的な一種の精神疾患ではないか。正義を装う狂気。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い。清軍、先住民は情け容赦ない攻撃を
する。彼らには残虐とか殺人を好む嗜癖があるようだ。石光の手記「城下
の人」から。

<(土塀に囲まれた大家屋を包囲し、その中の敵を攻撃するために決死
隊が土塀に爆薬をしかけた)


爆薬が破裂した。大隊長も私も、また前線陣地の(絶交した)本郷も。双
眼鏡を目にしてじっと先方を見つめた。爆煙が風に吹き去られると、土塀
瓦解の破壊箇所が現れた・・・だが、そは狭い通路にしかなっていなかっ
た。決死の十名は起き上がって土塀の中に吸い込まれていった。

だが・・・本郷は石像のように突っ立ったまま、突撃の命令も下さず、
じっと先方を眺めていたのである。やがて敵兵に捕らわれた十名の決死隊
が、裸にされ、煉瓦米の上に引きずり上げられた。耳をそぎ、鼻を落と
し、手を斬り、足を断って、なぶり殺しにして、塀の外に投げ棄て
られたのである。

それでも本郷は依然として突っ立ったまま動こうとしなかった。彼の部
下は土に伏せたまま、これも戦死体のように動かなかった。

この悪夢のような時間が十分であったか二十分であったか、あるいは一
時間であったか判らなかった。五分位の短時間であったかもしれない。辺
りはしんと静まり返って、両眼の底に、ドキン、ドキンと心臓の鼓動が響
いた。

次第に私は全身の血がたぎり立って来るのを感じた。大隊長がその時ど
うしていたかも気がつかなかったし、大隊長の許しを得なければならない
ことも気づかなかった。私は本郷の後ろ姿に向かって突進していった。

彼の斜め後方二十歩ほどに近づいた時に、彼の神経も昂っていたのであ
ろうか、気づいて私の方にさっと身を開いた。別人かと思うほど、紫色に
膨れ上がった彼の顔に、二つの眼が食い入るように光っていた。私の眼も
険しかったに違いない。

兵士もおらず、大隊長もおらず、彼一人そこに立っていたら。私はおそ
らくは大喝して彼を張り倒したに違いない。彼の険しい眼と私の眼とが
ぴったりと合って火花を散らした。

やがて彼はくるりと後ろ向きになって、兵に射撃を命じた。その時はす
でに敵側から激しく撃ちまくっていたのであったが、私たち二人は向き
合ったまま気がつかなかったのである。


「彼とは絶交したんだ、絶交して良かった・・・僕は間違っていなかっ
た・・・」

私は大隊本部に戻り、三木大隊長に別れを告げた。大隊長は不機嫌な表
情で何も言わなかった。私は早々に兵を率いて、汚らわしいものを避ける
ように、新竹城に帰還した>

発狂亭“戦争を知らない幸福は不幸の元か”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(168)2017/1/21】産経、黒田勝弘先生
「韓国 知日派の挑戦と自己批判」、そして忘却と怨恨と捏造の先祖返
り、その繰り返し。

永遠に成長しないのが韓国だろう。小生は「韓国は不治の病、DNAで継承
されるから永遠にビョーキ」と確信している。先生曰く「朴正煕は二宮金
次郎の銅像に感銘を受け、李舜臣(文禄・慶長の役における救国の英雄)
像を各地に建立した。今はびこっているのは慰安婦像で、『こんな人にな
りなさい』と子供たちに教えようというのだろうか。朴正煕は草葉の陰で
泣いているに違いない」。

韓国人の大好きなキリスト教は磔刑のキリスト像を象徴としている。ソ
クラテスは「邪論で若者を惑わした」として処刑されたが(自死)、キリ
ストも似たようなものか。「己の言動に殉じた」のだろう。そこには潔
さ、美しさがある。

朝鮮ピーは家族や自分のために娼婦になった。金持ちになった者も多い
だろう。「サンダカン八番娼館」を読むと、性交で成功して故郷に錦を
飾った娼婦はちやほやされ(おすそ分け狙いが寄って来る)、尾羽打ち枯
らした娼婦は軽蔑され、嫌われ、苛められた。

キリストもピーも韓国では聖人なのか。韓国女は国内(内需)ばかりか
海外(外需)でもピーを売り、韓国GDPの10%は風俗産業だという説があ
る。娼婦は愛国産業戦士だから、あちこちに銅像が造られるわけだ。歴史
的にも妓生(キーセン)は王室や貴族のパーティでは欠かせない「接待公
務員」「美女軍団」だったのである。

欧米などでは韓国女=娼婦のイメージが年々高まっているのではない
か。美女コンテストをしても整形で皆同じ顔をしているから審査員は大い
に困るだろう。今でもコリアンバー、コリアンパブってあるのだろうか。
(つづく)2019/11/13


2019年11月15日

◆雀庵の「台湾ゲリラの残虐さに茫然」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/51(2019/11/13】コピーライターの利彦君に
メールを送った。

<2週間ほど前に産経の健康食品広告を見ていたら、コピーが面白かっ
た。ポンポンポンと口上を述べて「さー、どうだ、買ってけ!」と、ほと
んどヤシのバナナの叩き売り、タンカバイで、「あっ、これモロ利彦節だ
なあ、ずいぶん磨きがかかってきたなあ」なんて思ったけれど、勘違いか
なあ。

得意なジャンルが広がるというのは良いね。あれもこれもで大変だろう
けれど、忙しいうちがハナよ。

わしゃ今日は水疱瘡の孫の世話だ。一緒に動物園に行って楽しもうと
思っていたが、孫はシャツを上げて腹を見せた。発疹ができていた。これ
では連れ出せない。

ゴミ出し、雨の時の洗濯物取り込みでさえドジルと「まったく留守番も
できやしない!」と叱られるから、孫の具合が悪くなったら非難轟々、下
手をすると追放される。恐ろしい時代だ。牝鶏鳴きて国亡ぶか>

産業革命(技術革新)が凄まじい勢いで進んでいる。「1980年あたりか
ら通信自由化が全面展開し、ポケットベルや携帯電話・パソコン通信・イ
ンターネット・衛星放送などの新たな通信サービスが展開され、料金の低
価格化も進んだ」(WIKI)。

85年以降のバブル時代は銀行はじゃぶじゃぶとカネを撒き、IT企業もど
んどん試行錯誤的に新機種を出し、ユーザーも新システムを導入していっ
た。ある日突然のごとくに出版・印刷業界ではアップルのマッキントッ
シュが「標準」になり、一般のビジネスの世界ではマイクロソフトのウィ
ンドウズが「標準」になった。


「標準」に対応できない人材や企業は消えていった。

産業革命で人間は幸せになったか、というと、むしろ逆ではないか。記
者は記事を原稿用紙に書いて編集デスクに渡したら「お先に失礼します」
と、飲み屋に行けた。今はスマホで、いつ、どこにいようと仕事の連絡が
来る。無視すれば「メール送っといたろう、なぜ返事しない!?」と怒ら
れ、やがては「融通の利かない、使い勝手の悪い奴」との烙印が押されて
出世コースから外されるのだ。

建設現場で釘を叩くとか鋸を引く音はしない。電動工具だらけで、電池
や電気がなければ仕事ができない。台風で電気が止まったら何もできない。

忙しくなって、脆弱になっただけではないか。技術の進歩、教育の進歩
がもたらしたものは「浮薄の普及」ではなかったか。便利になればなるほ
どオツムも体も劣化するのではないか。鉄道や自動車のない時代、日本人
は1日で10里、40キロを歩いた。江戸〜大阪500キロを女は13日間、それを
男は10日で歩いた。7日で歩く猛者もいた。

福翁は江戸〜横浜往復24時間で横浜の外人居留地を観察し「これからは
英語だ!」と学んだ。「バターン半島死の行進」と言うけれど、日本の歩
兵は足が達者だった、一方で米比兵はいつもはトラック輸送だったから歩
けずにバターンバターンと倒れていったのではないか。「戦場にかける
橋」は創作、不思議の国のアリンス。

小生は「リベラル≒アカモドキ」とよく書くが、ビッグデータを分析する
と「リベラル=アカ=バカ=危険」なのだという。掛谷英紀コラム「なぜ
人は共産主義に騙され続けるのか」「ビッグデータが暴く自称リベラルの
正体」は実に興味深かった。


いまだに共産主義を信奉する人がいるのは、不都合な現実を見ない、見
えない、見たくないという「浮薄の普及蔓延」によるのではないか。一種
の宗教とか、自分が出世できない体制秩序破壊を是とする、下郎の逆恨み
的な一種の精神疾患ではないか。正義を装う狂気。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い。清軍、先住民は情け容赦ない攻撃を
する。彼らには残虐とか殺人を好む嗜癖があるようだ。石光の手記「城下
の人」から。

<(土塀に囲まれた大家屋を包囲し、その中の敵を攻撃するために決死
隊が土塀に爆薬をしかけた)


爆薬が破裂した。大隊長も私も、また前線陣地の(絶交した)本郷も。双
眼鏡を目にしてじっと先方を見つめた。爆煙が風に吹き去られると、土塀
瓦解の破壊箇所が現れた・・・だが、そは狭い通路にしかなっていなかっ
た。決死の十名は起き上がって土塀の中に吸い込まれていった。

だが・・・本郷は石像のように突っ立ったまま、突撃の命令も下さず、
じっと先方を眺めていたのである。やがて敵兵に捕らわれた十名の決死隊
が、裸にされ、煉瓦米の上に引きずり上げられた。耳をそぎ、鼻を落と
し、手を斬り、足を断って、なぶり殺しにして、塀の外に投げ棄て
られたのである。

それでも本郷は依然として突っ立ったまま動こうとしなかった。彼の部
下は土に伏せたまま、これも戦死体のように動かなかった。

この悪夢のような時間が十分であったか二十分であったか、あるいは一
時間であったか判らなかった。五分位の短時間であったかもしれない。辺
りはしんと静まり返って、両眼の底に、ドキン、ドキンと心臓の鼓動が響
いた。

次第に私は全身の血がたぎり立って来るのを感じた。大隊長がその時ど
うしていたかも気がつかなかったし、大隊長の許しを得なければならない
ことも気づかなかった。私は本郷の後ろ姿に向かって突進していった。

彼の斜め後方二十歩ほどに近づいた時に、彼の神経も昂っていたのであ
ろうか、気づいて私の方にさっと身を開いた。別人かと思うほど、紫色に
膨れ上がった彼の顔に、二つの眼が食い入るように光っていた。私の眼も
険しかったに違いない。

兵士もおらず、大隊長もおらず、彼一人そこに立っていたら。私はおそ
らくは大喝して彼を張り倒したに違いない。彼の険しい眼と私の眼とが
ぴったりと合って火花を散らした。

やがて彼はくるりと後ろ向きになって、兵に射撃を命じた。その時はす
でに敵側から激しく撃ちまくっていたのであったが、私たち二人は向き
合ったまま気がつかなかったのである。


「彼とは絶交したんだ、絶交して良かった・・・僕は間違っていなかっ
た・・・」

私は大隊本部に戻り、三木大隊長に別れを告げた。大隊長は不機嫌な表
情で何も言わなかった。私は早々に兵を率いて、汚らわしいものを避ける
ように、新竹城に帰還した>

発狂亭“戦争を知らない幸福は不幸の元か”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(168)2017/1/21】産経、黒田勝弘先生
「韓国 知日派の挑戦と自己批判」、そして忘却と怨恨と捏造の先祖返
り、その繰り返し。

永遠に成長しないのが韓国だろう。小生は「韓国は不治の病、DNAで継承
されるから永遠にビョーキ」と確信している。先生曰く「朴正煕は二宮金
次郎の銅像に感銘を受け、李舜臣(文禄・慶長の役における救国の英雄)
像を各地に建立した。今はびこっているのは慰安婦像で、『こんな人にな
りなさい』と子供たちに教えようというのだろうか。朴正煕は草葉の陰で
泣いているに違いない」。

韓国人の大好きなキリスト教は磔刑のキリスト像を象徴としている。ソ
クラテスは「邪論で若者を惑わした」として処刑されたが(自死)、キリ
ストも似たようなものか。「己の言動に殉じた」のだろう。そこには潔
さ、美しさがある。

朝鮮ピーは家族や自分のために娼婦になった。金持ちになった者も多い
だろう。「サンダカン八番娼館」を読むと、性交で成功して故郷に錦を
飾った娼婦はちやほやされ(おすそ分け狙いが寄って来る)、尾羽打ち枯
らした娼婦は軽蔑され、嫌われ、苛められた。

キリストもピーも韓国では聖人なのか。韓国女は国内(内需)ばかりか
海外(外需)でもピーを売り、韓国GDPの10%は風俗産業だという説があ
る。娼婦は愛国産業戦士だから、あちこちに銅像が造られるわけだ。歴史
的にも妓生(キーセン)は王室や貴族のパーティでは欠かせない「接待公
務員」「美女軍団」だったのである。

欧米などでは韓国女=娼婦のイメージが年々高まっているのではない
か。美女コンテストをしても整形で皆同じ顔をしているから審査員は大い
に困るだろう。今でもコリアンバー、コリアンパブってあるのだろうか。
(つづく)2019/11/13


2019年11月14日

◆雀庵の「台湾人のルーツを探る」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/31(2019/10/5)】
先日、市役所で戸籍謄本を入手した。

チバニアンの友人が「ご先祖様がどこで暮らし、どうやって千葉まで来
たか家族史を研究している。曽祖父は樺太出身で東北を拠点にオホーツク
海で漁業をしていた。あれこれ戸籍をたどったり、書籍に当たっている。
大変だけれどとても面白い」と言っていたことに刺激され、「それなら俺
も」とルーツ探求を始めたのだ。

市役所の案内係の人は「戸籍謄本を必要とする理由」欄に小生が「ルー
ツ探し」と書いていたのを見てニヤリとした。ヂヂイになると暇はある、
金はないからルーツ探しは恰好の暇つぶし、脳みその刺激になっているの
だ。人生/子育てというドンパチ最前線からひとまず身を引くと、あれこ
れ「罪のないオモチャ」が欲しいわけ。「飲む、打つ、買う」以外のオモ
オチャでないと奥さんからダメ出しされるからね、「ピンクカード、退
場!」。

米国黒人のアレックス・ヘイリーが世界的なベストセラーになった
「ルーツ」(Roots: The Saga of an American Family)を上梓したのは
55歳の1976年。軍人、軍広報ジャーナリストを務め、退役後はリーダー
ズ・ダイジェストの編集主幹を務めていた。

まあ、物書きとか編集とかを経験した男は文字、活字が好きだから
「ルーツ探し」は遺跡とか宝物発掘のような興奮はある。

この謄本を頼りに各地の役所から明治初期の「原戸籍」、さらにお寺の
過去帳などを辿ることになるが、友によるとこれが結構大変だそうだ。
「国家資格者に代行してもらう場合は、行政書士または弁護士に依頼する
事になります」という以下のサイトがあった。

<ご自身で書類を集めようとされる場合、取得した戸籍謄本から次に請
求するべき本籍・役所を読みとって郵送で請求するか、もしくは交通費を
かけて役所を訪問して取得するか、委任状で近くに住む親族に依頼して進
めるか、などを選択しなくてはいけません。

戸籍謄本の取り寄せには、難しさもあります。戸籍謄本を遡っていく
と、どこの役所に請求するべきかわからないことがあります。たとえば、
古いものでは「東京市〇〇区」 や 「〇〇郡〇〇村」 など・・・またよ
くあるものでは、「さいたま市」ではなく「浦和市」など・・・

「どこだ?」と言いたくなってしまう本籍が出てきたりします。そうで
す。2000年以降、全国的に市町村の合併がさかんに行われていましたの
で、今では存在しない市区町村が記載されているなんて事も往々にしてあ
るものです。

このような作業や郵送のやり取りを繰り返して、戸籍謄本を集めていく
ことになります。

まず自分の本籍地のある役所にて、自分自身の戸籍謄本を取得。父/母の
最後の本籍地の役所に行き、自分の戸籍謄本をもとに父/母の出生から現
在までの戸籍謄本を請求します。ここですべて揃う方はここで終了です
が、そういう方は稀でなかなかいらっしゃいません。

次に、これよりも前に父/母が本籍地を置いていた役所に行き、取得した
最後の戸籍謄本をもとに、それよりも以前の父の 出生までの戸籍謄本を
請求します。ここで揃う方はここで終了ですが、さらに以前に違う場所に
本籍を置いていた場合はその管轄の役所に行って戸籍謄本を請求します。


郵送で請求するにしても、請求書の記入方法に不備があったり、戸籍発行
料として必要な定額小為替の料金に不足があったりすると、問い合わせの
電話や何度も郵送でのやり取りが必要に なってしまい、2度手間、3度手
間になってしまいかねません。

またこの際、本籍地のある役所に郵送しなくてはいけないほか、必要な
戸籍謄本をすべて添付する必要があります。

ちなみに、定額小為替は郵便局かゆうちょ銀行でなくては購入することが
出来ません。また、役所によっては郵送での受け付け方法を明確に市役所
や区役所のホームページに記載していないところも多いものですから、も
うちょっと分かりやすい案内を用意してくれよ!と一般の方がイライラし
てしまうのも分かる気がします。

戸籍謄本の取り寄せなら、実績ある行政書士・司法書士にお任せ下さい!>

恐ろしい・・・ラビリンス・・・祟りじゃ、ご先祖様の祟りじゃ! ま
るで荒波のを越えるようで萎えてしまいそう。

ルーツ研究には本家の謄本、過去帳なども調べることになるのだろう。
専門家に頼めばいいが、何十万もかかるだろうし、そもそも遊びなんだか
らDIYでないと意味がない。一歩一歩やっていくが、辿り着くといって
も、その先には郷土史、国史も絡んでくるから「終わりのない旅」、途中
棄権しても誰もタスキを受け取ってくれないという、ほとんどこの遊びは
「冥土への旅」だな。

さてさて「台湾」。林景明「台湾処分と日本人」から。

<高砂族あるいは高山族と呼ばれている台湾原住民も、いつから、いず
こから台湾に渡ってきたのかは、先史時代のことに属してつまびらかでない。

しかし、今から3、400年前に南シナ海沿岸から移住してきた人たちは、
政治的にも経済的にも故郷を「住むに耐えないところ」と見切りをつけ、
命懸けで新天地を求め、木の葉のような小舟で怒涛逆巻く台湾海峡に漕ぎ
出した一種の難民だったといえよう。

今日においてすら一度でも海外に出たことのある台湾人が「過塩水的/ケ
キャムツィエ」と呼ばれて一目置かれるのは、海を乗り越えることが命懸
けの冒険であった頃の台湾人が、困難に遭うたびごとに「塩水を乗り越え
てきた勇士ではないか」とお互いに励まし合った名残なのである>

不運にも海の藻屑と消えた霊が閻魔様に「なぜこんな目に」と泣きつい
たら「宿命だから諦めろ」と慰められたほどに過酷な試練だった。

運良く辿り着いたものの彼らを待っていたのは新たな試練だった。

小生が初めてフィリピンに出張しコレラになってしまった際、フィリピ
ン留学帰りの部下が「それがフィリピン流のウェルカムサインですよ」だと。

台湾の緑の沃野には熱帯性風土病が手ぐすね引いて待ち構えていたの
だ。マラリア、黄熱、デング熱、アメーバ赤痢、コレラ・・・が熱いキス
と抱擁で熱烈歓迎してくれる。多くは昇天してしまうが、運良く生き残っ
た人は平地の先住民から開墾を認められ、やがて通婚し、同族化していっ
たようだ。

移住者を好まない先住民もいて、サイセット族は平地から山地に移った
が、もともと洪水や津波が多いためにタイヤル族、ツオウ族、ブノン族、
アミ族、ヤミ族は高地に住んでおり、このために新参者は平地で農耕が可
能だったらしい。

先住民はインドネシア系、移住民はインドシナ系で、元々は同一人種
だったことも幸いした。

以上は林景明氏の著作によるが、氏は日本に留学中、拓殖大や東大で言
語学も学んだようで、こう書いている。

<日本語の「なぜ」は台湾語「ナエ」、ベトナム語「ナウ」、漢族中国
語「オヘサマ」。「おそい」はタイ語で「ソイ」、台湾語「ソー」、ベト
ナム語「トイ」、中国語「マン」>

狩猟採集で海浜に住む日本、台湾など南アジア系と、遊牧農耕の大陸系
の支那/漢族とは民族学的には隔たりがあるようだ。小生が台湾を取材し
た際に台南の農村風景を見てジーンと感動したが、それは4歳までの原風
景がそこにあったからだと思っていたのだが、もっともっと以前からの血
というか、共通する「ルーツ」というものが琴線を振るわせたのかもしれ
ない。

発狂亭“来週は日本人のルーツ探しで三内丸山・津軽探訪!”雀庵の病棟
日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(149)2017/1/15】産経「佐藤優 エルサ
レムに米大使館?」、そこにはユダヤ、キリスト、イスラムの聖地がある
から大騒動になるぞ、止めろ!という説。一方で佐藤は中共工作員のごと
く琉球独立を煽っている。産経よ、外務省出身のインチキ屋ラスプーチン
に騙されるな!

主張「東京の大学抑制 まず地方の受け皿づくりを」。幼馴染みのM君は
秋田大卒だが、仕事に恵まれなかったようで、50歳頃には「半農半土工」
みたいだった。敢えて問いたいが、地方大学に学ぶ利点は何か? 大学は
戦後に雨後のタケノコのように増えていったが、若者は減るばかりだから
大学経営はとても難しい。豪州の大学のように支那人留学生頼りか? 豪
州の大学は支那人留学生のオツムに合わせて高校レベルになってしまった
という。

大学経営が中共の資金援助なしでは成り立たないというケースが増えて
いる。田舎も街も国家も支那人抜きにはやっていけない・・・やがて乗っ
取られる。漢族は世界最強で、異民族支配の達人だ。毛沢東曰く「カネ、
女、名誉・・・欲しがるものは何でもくれてやれ」とたらし込み、それで
も抵抗する奴は叩き潰す。これが4000年の伝統的支配策だ。

Slow but steady・・・焦らずじっくり、だが確実に篭絡する。1000万
円、1億円で落ちない人も1億円、10億円なら落ちる。「貴校のため、お国
のための援助資金です」と言われて受け取ったら、もうパトロンなしでは
生きていけなくなる。

「敵は幾万ありとても立ち向かう、周りは流されようとて我は孤高を保
つ、付和雷同は拒否する。でも1000万人が向こうへ行っちゃったら、俺も
行くよなあ」と言ったのは山本夏彦翁である。人間は弱いもの。「毒を食
らわば皿まで」、ズブズブ。だから警戒し、初期の段階で抗がん剤で治療
しなくては駄目だということ。「一度アル中、一生アル中」、支那、漢族
に心を許したら国家、民族はやがて消滅する。(つづく)2019/10/5





2019年11月13日

◆雀庵の「台湾ゲリラ掃討:戦場で英雄は育つ」

           “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/49(2019/11/11】右下奥歯が虫歯菌にやられて
貫通した。そのうちグラグラして抜けるだろうが、痛みで涙がポロポロ出
る。子供の頃を思い出して♪お久しぶりね、あなたに会うなんて、と可笑
しくも思うが、穴に正露丸を詰めたり、こめかみと、頬、下あごにバンテ
リン(皮膚浸透性)を塗っておいたらオツムが安定してきた。

イザベラ・L・バードの「朝鮮紀行」を読み終え、長ーい長ーい絶叫マシ
ンのような驚きと感動、美醜を味わった。氏の「日本奥地紀行」は昨年読
んだから、次は「カナダ・アメリカ紀行」「ハワイ紀行」「ロッキー山脈
踏破行」「チベット人の中で」、さらに「宮本常一著 イザベラ・バード
の旅『日本奥地紀行』を読む」を読むつもりだ。

「赤毛のアン」のLMモンゴメリも大好きだが、優秀な女は「感情、気
分」に加えて男的な「理性、知性」を併せ持っているから凄い作家が多そ
うだ。

「英国 作家 女」で検索したら、

ジェーン・オースティン (「高慢と偏見」1775-1817)、アガサ・クリス
ティ (「そして誰もいなくなった」1890-1976)、シャーロット・ブロンテ
(「ジェーン・エア」1816-1855)、メアリー・シェリー (「フランケン
シュタイン」1797-1851)、ヴァージニア・ウルフ (「ダロウェイ夫人」
1882-1941)、ジョージ・エリオット (「サイラス・マーナー」
1819-1890)、エミリー・ブロンテ (「嵐が丘」1818-1848)・・・

英国はシェイクスピアの時代(1600年前後)から文学でも世界をリード
してきたが、女性作家が増えていったのは1800年代からリベラル≒アカモ
ドキ風の「女権拡張運動」(一夫一婦制批判、自由恋愛など)が盛んに
なっていたことが影響しているだろう。

日本では「元始、女性は太陽であった」と時の声を上げた平塚雷鳥らの
仕事が1900年代に始まったが、自らの醜聞とアカ狩りで、戦前は「女性に
よる文学」についてはあまりぱっとしなかったと思う。近・現代の日本で
は世界的な女性作家はいないのではないか。

孤高の一葉女史の作品は万葉文学の味わいがあって「いいなあ」と思う
が、英語にさえ翻訳されていないようで、残念なことだ。

イザベラ・L・バードとLMモンゴメリ、「L」は二人とも「ルーシー」の
略だ。モンゴメリの場合は、2歳に満たない前に母が死んで、母の母親、
モンゴメリにとっては祖母の名にちなんだものだろう。祖母はかなり強
情、厳格、非寛容で、宗教や伝統に基づく自分の価値観以外を許さないタ
イプだった。モンゴメリはこのルーシー婆さんが母親代わりになって育て
られたのだから、個室で自然や鏡の中の自分を相手におしゃべりしたり、
創作するしかない。

モンゴメリは「私はルーシーと名乗ったことはありません!」と強く
言っているが、ルーシー婆さんがいなかったら作品もなかったろう。

一方のバードは、生まれながらの虚弱体質、ベッドの中で読書したり、
窓から眺めたり、あれこれ考えて過ごすしかない。

この二人の幼少期には普通と違って大きな「陰」があったこと、孤独が
思考力や観察眼を強めたこと、という点で似通っている感じがする。「心
も体も健康で元気な奴は作家なんかにならないよ」と夏彦翁は言っていた
が、二人の環境が女性的な「感情、気分」に加えて男性的な「理性、知
性」を育んだと思う。「艱難汝を玉にす」だな。

モンゴメリの父母は名門、夫は牧師、バードの父はインドでの弁護士を
経て後に牧師、ともに上流階級に近い中流階級だったことも幸いした。良
き土の上に蒔かれたから大輪の花が咲いたという、運もあったろう。努力
したからこそ運を生かせたとも言える。

台湾清軍討伐の石光真清らの悪戦苦闘の中で、臆病だった兵士が勇者に
育っていく。J・マケインは「戦争の中には栄光から悲惨まで人生のすべ
てある」と言っていたが・・・ちょっと感動的だ。石光の手記「城下の
人」から。

<(西村二等兵は分隊中一番の臆病者で、逃げ隠れして一度も戦闘に加
わらない。山本上等兵が西村を遠くへ連れ出して説教している)

私は二人に近づき、その間に入った。

「おい西村、話は聞いた」

「申し訳ありません・・・」

「黄塵の中を行軍した時にお前は落伍したが、運が良くて助かった。あ
れから今日まで、お前は逃げ隠れしていたそうだが、他の者は皆戦った。
それでも誰一人死傷しておらん。戦というものの生き死には、これは運だ
よ。生きよう生きようと思っとるような奴の方が戸惑って撃たれるものだ。

次の戦闘からは、必ず僕の傍におれ、いいか、離れるんじゃないぞ、も
し、こそこそ逃げ出したら、その時は従卒の井手口にお前を撃ち殺す権限
を与えておく。いいか、容赦はせんぞ」

と私は彼に申し訳をさせずに叱ってから、大声で井手口を呼んで言った。

「これからの戦闘には、お前は必ずこの西村を傍に置け。離れるような
ことがあったら、撃ち殺しても、斬り殺しても、お前の勝手にしてよろしい」

井手口は不動の姿勢をして真面目な顔で、


「はっ、必ず、そう致します」

と言った。すると西村の顔色が土色になってブルブル震えだし、とうと
うしゃがみこんで動けなくなってしまった。


私は井手口と山本を促して、西村をそこに残したままさっさと引揚げた。

それから間もなくの(明治28/1895年)7月10日、敵の大部隊が来襲し
た。早速、井手口は西村二等兵を小脇にかかえるように引っ張って、私に
ついて来た。初めのうちは夢遊病者のようにふらふらしていたが、どうし
たことか、途中から急に私の前に飛び出し、地物にも拠らず立ち姿のまま
で敵に向かって突撃を始めた。

この日の戦いで、敵は百五十ほどの死体を遺棄して退却したのであるか
ら、相当に激しい戦闘だったと言える。この日から西村は生まれ変わった
ように勇敢になり、無事に凱旋して「金鵄勲章」*を受けたのであった。

初めての戦闘で眼がくらみ、腰の浮いた私を始めとして、部下たちもこ
のようにして一戦闘ごとに勇敢になり、生死を超越した暮らしを送るよう
になると、なぜか母のことも、急死した兄のことも、思い出すことが稀に
なった。兵士たちの心境も、おそらく同じようなものであったと思う。

国からの手紙などが届くどころか、敵の来襲が引続いて、糧道さえが断
たれ、無暗にバナナを食わされていたのである>

*「金鵄勲章」(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた日本の
勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍の軍人およ
び軍属に与えられた。金鵄章ともいう。「金鵄」は、日本神話において、
神武東征の際に、神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り
輝き、長髄彦の軍兵の目を眩ませたという伝説に基づく。(WIKI)

発狂亭“近衛兵の父は「暑い寒い、辛い苦しい、旨い不味い」と言ったこ
とはなかった。その息子は「歯が痛い」と泣いている。戦がないと男は軟
弱になるばかりか”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(166)2017/1/20】産経、青木伸行「お別
れ会見 オバマ氏(トランプの)取引外交を警告『米国は大丈夫だ』エー
ル」「高い理想と現実、せめぎ合い、米と世界が漂流した8年間」。

ようやくオバマと民主党の政治が終わった。歴代唯一の反米大統領で、
米国にとっていいことを一つでもやったのか? 彼にとっては不本意だろ
うが、リベラルのどうしようもない愚かさを明らかにしたのは、愛国保守
派、サイレントマジョリティにとっては大きなプラスになった。

デタラメルケル、ダレモオランドを蹴飛ばせばEUは解体へ向かう。「通
貨、国境管理を含めて各国の主権(自由、独立)を抑制すれば戦争が起き
ない、平和が保たれる」というリベラル、EUの理念は、皮肉にも難民モド
キを手招き、加盟国のナショナリズムを煽ってしまい、「俺は俺の道を行
く」という風潮を生んでいる、というか先祖返りを促進している。


EU、米国、世界がどうなるのか、今年で方向が分かるだろう。(つづ
く)2019/11/11


2019年11月12日

◆雀庵の「続・台湾のゲリラと蜂起に苦戦」

         “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/48(2019/11/8】「レンタル家族」は小説の材料
になっている。筒井康隆、伊坂幸太郎が書いているから結構、人気の材料
なのだろう。派出婦は「レンタル奥さん」、派遣ワーカーは「レンタル
SE]とか、デリヘルなんて「レンタル恋人」だ。

生涯未婚率は高まり、少子化も進んでいる。当たり前ながら結婚は良い
面(楽しい)もあれば嫌な面(うんざり)もある。「良い面だけを楽しめ
るレンタル家族」のニーズは結構あるだろう。それをビジネスにするに
は、こんなやり方はどうだろう。

客が「奥さんと子供2人」1泊2日を必要としている。土曜の午後1時〜日
曜の午後6時で5万円。飲食費や遊興費などはすべて客が持つ。子供には
「お芝居ごっこ」と言っておけばいい。

奥さんちは母子家庭がいい。週末に出張すれば4週で20万円、申告不要。
「売春? 冗談じゃないわよ、恋人と会っていただけ、お小遣いをもらっ
ただけ」なのだから。生活保護などの支援金プラス「レンタル家族」業で
月に30万円ほどになるから、まあまあ安心して暮らせるのではないか。

この「疑似家庭」は1か月に1回くらいでいいのではないか。まあ「ペッ
トレンタル」だな。月に2回ほどで十分だろう。もしかして愛情というか
情愛が芽生えてきたら同棲したらいい。入籍はリスクが大き過ぎるから同
棲とか内縁関係とか事実婚とかで「別れる権利」を保持した方がいいだろ
う。相手だって同じだろう。転職の自由とか。

「レンタル家族」というのは「万引き家族」みたいに露骨すぎるから本
場のお・フランスを真似て"Famille de location"略称「ファミ・デ・ロ
カ」「ファミロカ」でどうか。「どう、ボクとファミロカしない? お試
し1週間コースとかさあ」なんてええんでないか。

仲良くしていれば子供もできて「結婚せずとも少子化止まる」、国策に
も寄与する。もてない男、苦しい母子家庭、寂しいヂヂババ・・・みんな
喜ぶぜよ、のう。やってみなはれ。

「レンタルヂイヂ」ってないかなあ、「奥さん、わしゃ下はダメですけ
んど舌は元気やさかい、使こうて下さらんかのう」

「嫌よ、タダでもいや、ダメ、絶対!」

沖縄では「ダメ、絶対!」の筆頭は「軍、基地、自衛隊」だとロバー
ト・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表、元在沖縄米海兵隊政務
外交部次長)が書いている(iRONNA 11/7「首里城火災、玉城デニーは
リーダーシップを果たせ」)。

「軍、基地」とはもちろん米軍で、自衛隊も大嫌いだ。「嫌よ、タダで
もいや、ダメ、絶対!」。沖縄県市町村は日米軍とは災害時の協力体制も
ほとんどできていない。正確には拒否しているのだろう、「平和の島に軍
隊はいらない」とか。中共に助けてもらうつもりか。

首里城を再建したところで、最悪の事態を想定した防火対策は取らない
だろう、すなわちトモダチ作戦も自衛隊の支援も「ダメ、絶対!」なのだ
から。造っては焼く、焼いては造る・・・資金は中共に出してもらったら
いい。子曰く「小人は養い難し」、つける薬はない。

沖縄の「売り」はアジアの安全保障の最前線ということだ。この地政学
的価値を活かせば経済は向上し、民生も安定する。今のような観光依存で
は限界がある。「観光は貧しい国の産業」というのが旅行業界の認識だ。
高学歴の子弟の就職先ではない。



戦後、日本はドルを稼ぐために「ゲイシャ、フジヤマ」で外国人旅行者を
誘致した。戦争の傷が癒えて反転攻勢へ自信がついた1964年に海外旅行自
由化、外貨持ち出しOKになるや、外国人旅行者誘致の熱意は細った。沖
縄は「脱・観光オンリー」への道を見つけなくてはならない。スイスのよ
うに兵器産業、防衛産業の最先端アイランドを目指すべきではないか。パ
イナップル、ゴーヤチャンプルでは頭脳は流出するばかりだ。

「ゆすりたかりも芸のうち」とは言え、反戦では食えん。自分の利点弱
点、優位性劣後性などをしっかり見て作戦を考え、着実に前進していくこ
とだ。三歩前進、二歩後退、匍匐でもいい、半歩でも一歩でも前進すること。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、悪戦苦闘は続く。石光の手記「城下
の人」から。

<明治28/1895年6月22日、新竹城の守備についた。25日の午前1時、四戸
軍曹を枕頭山の下士哨(数名による警備探索)に派遣したところ、午前11
時頃、敵兵500名ばかりが下士哨を包囲してしまった。兵20名を率いて救
援に行き、やっとのことで合流して、敵に小銃を浴びせたが、敵兵は次第
に数を増して千名ほどになって、完全にわれわれを包囲してしまった。

ほとんどが青竜刀や槍を持った兵で、小銃は100挺ほどしかない模様で
あったが、50倍の敵に包囲されたのでは全滅である。次第に包囲を縮めて
50m程に接近してきたから、私は退却命令を出し、西門を目指して狂った
ように突進した。この時である。

「待ってくれ! 首を取られるっ!」

という絶叫が後ろに聞こえた。見ると兼氏二等兵が出遅れて窪みの中に
取り残されてしまったのである。

「馬鹿野郎! 貴様一人のために待てるかっ、首を取られたら自分で抱
えて来い!」

私がこう怒鳴って飛び出すと、兼氏二等兵も勇気が出たと見えて飛び出
し、合流した。

妙なもので、50倍の敵兵が真昼間の戦場で、わずか20名のわれわれの勢
いに気を呑まれて、呆然と見送ってしまったのである。お蔭で一人の負傷
者もなく帰還できた。戦争にはこのようなことが多いものである。

その翌日のこと、山本上等兵が西村二等兵を遠くへ連れ出して、なにか
話していた。西村が首を垂れて泣いており、山本が叱っているらしく、な
かなか終わりそうもない。西村といえば、初めて支那大陸に上陸して黄塵
万丈の中を難行軍した時、眼も鼻も口も黄塵にふさがれて行き倒れ、私の
貴重な水筒の水で命拾いした男である。

他の兵士たちも、この長談義の姿を遠くから眺めて、顔を見合わせて
笑っていた。私は不思議に思って、後ろにいた品川上等兵に、あれは何を
しておるんだ、と訊ねると、

「小隊長は本当にご存じないのですか」

「知らんね・・・」

「実は・・・申し上げにくいことなんですが、西村は分隊中一番の臆病
者で、初陣の瑞芳の戦いの時も逃げ出して大行李の所へまぎれこんでし
まって、監視兵の中に入っていたのです。戦いが済んでからのこのこ出て
きて隊に加わったのです。それからというものは、ずっと今日まで一度も
戦闘に加わりません。実にうまく抜け出してしまうんです。それで山本上
等兵が意見をしているのであります」

「ほう、それは少しも知らなかった。今日まで戦闘は十数回もあったの
に、よく抜け出せたものだな、機敏な奴だな・・・」

「本当に機敏な奴であります」

「昨日、下士哨で包囲された時は、どうしておったのか」

「救援に出発の命令が出たら、西村の奴、急に腹が痛いと言い出して、
梃子でも動かないのです。引きずってでも連れて行こうと思ったのです
が、中尉殿がさっさと先頭に立って行かれるので、仕方なく残してゆきま
した」

「・・・・・・」

「戦友の救援にさえ行かない奴ですからね、皆が怒って、最後の忠告を
して従わなかったら、中尉殿に報告して、軍法会議に回していただくこと
にしたのです」

「なるほど、判った。僕が直接訓戒するよ」>

濁流は堤の一番弱いところから崩れだす、一か所がやられたら、そこから
どんどん穴が広がる。スクラムで激突するとき、一人が倒れたら突破され
る、ビジネスのチームでも「できない坊主」どころか「足を引っ張る奴」
もいるとは夏彦翁の言である。企業では春の人事異動後に5月とか6月に小
さな異動があるが、何だかんだ言って休む奴、怠ける奴がいて、「課長、
あのバカ、どうにかしてください、士気に影響します!」となるのは珍し
くない。

怠け者の取締役営業部長が部下の創意による直訴で解任されたケースを
見たが、彼は創業時に4分の1の株主で、「解任するなら持ち株をライバル
社に売るぞ!」と威嚇、手切れ金は1億円だった。

まるでがん細胞みたいな奴はいる。放逐すると「イジメだ! 慰謝料寄
こせ」なんて叫びだす奴もいるだろう。岩波は半島人を解雇して「下郎の
逆恨み」でずいぶん悩まされたようだ。朝日などアカ新聞はほとんど乗っ
取られているのではないか。共同通信の同級生が労務担当になって「うち
は左巻きが多いから苦労するよ」とこぼしていたっけ。

発狂亭“俺は果たして前進しているのか、何となく「寄せては返す波の
音」か、「ときどき怒涛か高波か」、夏彦翁曰く「ヒトはついぞ己が見え
ない」・・・うーん、♪ウナッチャーウーナー”雀庵の病棟日記から。


【措置入院 精神病棟の日々(165)2017/1/20】産経正論、井上寿一「孤
立回避への外交力が試される」、曰く――


「英米の衝撃に共通するエスノセントリズム(自民族中心主義)は、対外
的には孤立主義に陥りがちであり、グローバリズムに対して保護貿易を主
張する。(これを促している)ポピュリズムの広がりは、アジア地域にも
及ぶ。対中関係は小康状態を維持する見通しに乏しい。盧溝橋事件の歴史
から、出来事を一定範囲に限る外交力が試されることを今日の日本は学ぶ
べきだ」

リベラル≒アカモドキは金太郎飴で、ほとんど同じことしか言わない、書
かない、書けない、書きたくないのだ。中共社会科学院の学者そっくり。
十人一色、百人一色。盧溝橋事件(1937/7/7)は中共の工作で、日本vs
蒋介石国民党の対立を煽ったという説を学習院大学学長の井上は知らない
ようだ。

蒋介石にとって最大の敵は中共であって、張学良に騙されて拘束、威嚇
された南京事件で国共合作、事実上、共匪に自軍を乗っ取られ、仕方なく
日本軍と戦わざるを得なかった。毛沢東曰く「日本が国民党を叩いてくれ
たおかげで建国できました」。


外交力は「血を流さない戦争」と西郷先生、毛沢東は言っている。日本の
外務省や政治家にその気概がある奴はいるのか。お花畑の理想論では治ま
らないのが世の常だ。


山を俯瞰する鳥の目、木々を詳細に見る虫の目、学者なら「最低二つの
目」を持たないと鳥目になってよー見えんで、のう(つづく)2019/11/8

2019年11月10日

◆雀庵の「続・台湾のゲリラと蜂起に苦戦」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/48(2019/11/8】「レンタル家族」は小説の材料
になっている。筒井康隆、伊坂幸太郎が書いているから結構、人気の材料
なのだろう。派出婦は「レンタル奥さん」、派遣ワーカーは「レンタル
SE]とか、デリヘルなんて「レンタル恋人」だ。

生涯未婚率は高まり、少子化も進んでいる。当たり前ながら結婚は良い
面(楽しい)もあれば嫌な面(うんざり)もある。「良い面だけを楽しめ
るレンタル家族」のニーズは結構あるだろう。それをビジネスにするに
は、こんなやり方はどうだろう。

客が「奥さんと子供2人」1泊2日を必要としている。土曜の午後1時〜日
曜の午後6時で5万円。飲食費や遊興費などはすべて客が持つ。子供には
「お芝居ごっこ」と言っておけばいい。

奥さんちは母子家庭がいい。週末に出張すれば4週で20万円、申告不要。
「売春? 冗談じゃないわよ、恋人と会っていただけ、お小遣いをもらっ
ただけ」なのだから。生活保護などの支援金プラス「レンタル家族」業で
月に30万円ほどになるから、まあまあ安心して暮らせるのではないか。

この「疑似家庭」は1か月に1回くらいでいいのではないか。まあ「ペッ
トレンタル」だな。月に2回ほどで十分だろう。もしかして愛情というか
情愛が芽生えてきたら同棲したらいい。入籍はリスクが大き過ぎるから同
棲とか内縁関係とか事実婚とかで「別れる権利」を保持した方がいいだろ
う。相手だって同じだろう。転職の自由とか。

「レンタル家族」というのは「万引き家族」みたいに露骨すぎるから本
場のお・フランスを真似て"Famille de location"略称「ファミ・デ・ロ
カ」「ファミロカ」でどうか。「どう、ボクとファミロカしない? お試
し1週間コースとかさあ」なんてええんでないか。

仲良くしていれば子供もできて「結婚せずとも少子化止まる」、国策に
も寄与する。もてない男、苦しい母子家庭、寂しいヂヂババ・・・みんな
喜ぶぜよ、のう。やってみなはれ。

「レンタルヂイヂ」ってないかなあ、「奥さん、わしゃ下はダメですけ
んど舌は元気やさかい、使こうて下さらんかのう」

「嫌よ、タダでもいや、ダメ、絶対!」

沖縄では「ダメ、絶対!」の筆頭は「軍、基地、自衛隊」だとロバー
ト・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表、元在沖縄米海兵隊政務
外交部次長)が書いている(iRONNA 11/7「首里城火災、玉城デニーは
リーダーシップを果たせ」)。

「軍、基地」とはもちろん米軍で、自衛隊も大嫌いだ。「嫌よ、タダで
もいや、ダメ、絶対!」。沖縄県市町村は日米軍とは災害時の協力体制も
ほとんどできていない。正確には拒否しているのだろう、「平和の島に軍
隊はいらない」とか。中共に助けてもらうつもりか。

首里城を再建したところで、最悪の事態を想定した防火対策は取らない
だろう、すなわちトモダチ作戦も自衛隊の支援も「ダメ、絶対!」なのだ
から。造っては焼く、焼いては造る・・・資金は中共に出してもらったら
いい。子曰く「小人は養い難し」、つける薬はない。

沖縄の「売り」はアジアの安全保障の最前線ということだ。この地政学
的価値を活かせば経済は向上し、民生も安定する。今のような観光依存で
は限界がある。「観光は貧しい国の産業」というのが旅行業界の認識だ。
高学歴の子弟の就職先ではない。



戦後、日本はドルを稼ぐために「ゲイシャ、フジヤマ」で外国人旅行者を
誘致した。戦争の傷が癒えて反転攻勢へ自信がついた1964年に海外旅行自
由化、外貨持ち出しOKになるや、外国人旅行者誘致の熱意は細った。沖
縄は「脱・観光オンリー」への道を見つけなくてはならない。スイスのよ
うに兵器産業、防衛産業の最先端アイランドを目指すべきではないか。パ
イナップル、ゴーヤチャンプルでは頭脳は流出するばかりだ。

「ゆすりたかりも芸のうち」とは言え、反戦では食えん。自分の利点弱
点、優位性劣後性などをしっかり見て作戦を考え、着実に前進していくこ
とだ。三歩前進、二歩後退、匍匐でもいい、半歩でも一歩でも前進すること。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、悪戦苦闘は続く。石光の手記「城下
の人」から。

<明治28/1895年6月22日、新竹城の守備についた。25日の午前1時、四戸
軍曹を枕頭山の下士哨(数名による警備探索)に派遣したところ、午前11
時頃、敵兵500名ばかりが下士哨を包囲してしまった。兵20名を率いて救
援に行き、やっとのことで合流して、敵に小銃を浴びせたが、敵兵は次第
に数を増して千名ほどになって、完全にわれわれを包囲してしまった。

ほとんどが青竜刀や槍を持った兵で、小銃は100挺ほどしかない模様で
あったが、50倍の敵に包囲されたのでは全滅である。次第に包囲を縮めて
50m程に接近してきたから、私は退却命令を出し、西門を目指して狂った
ように突進した。この時である。

「待ってくれ! 首を取られるっ!」

という絶叫が後ろに聞こえた。見ると兼氏二等兵が出遅れて窪みの中に
取り残されてしまったのである。

「馬鹿野郎! 貴様一人のために待てるかっ、首を取られたら自分で抱
えて来い!」

私がこう怒鳴って飛び出すと、兼氏二等兵も勇気が出たと見えて飛び出
し、合流した。

妙なもので、50倍の敵兵が真昼間の戦場で、わずか20名のわれわれの勢
いに気を呑まれて、呆然と見送ってしまったのである。お蔭で一人の負傷
者もなく帰還できた。戦争にはこのようなことが多いものである。

その翌日のこと、山本上等兵が西村二等兵を遠くへ連れ出して、なにか
話していた。西村が首を垂れて泣いており、山本が叱っているらしく、な
かなか終わりそうもない。西村といえば、初めて支那大陸に上陸して黄塵
万丈の中を難行軍した時、眼も鼻も口も黄塵にふさがれて行き倒れ、私の
貴重な水筒の水で命拾いした男である。

他の兵士たちも、この長談義の姿を遠くから眺めて、顔を見合わせて
笑っていた。私は不思議に思って、後ろにいた品川上等兵に、あれは何を
しておるんだ、と訊ねると、

「小隊長は本当にご存じないのですか」

「知らんね・・・」

「実は・・・申し上げにくいことなんですが、西村は分隊中一番の臆病
者で、初陣の瑞芳の戦いの時も逃げ出して大行李の所へまぎれこんでし
まって、監視兵の中に入っていたのです。戦いが済んでからのこのこ出て
きて隊に加わったのです。それからというものは、ずっと今日まで一度も
戦闘に加わりません。実にうまく抜け出してしまうんです。それで山本上
等兵が意見をしているのであります」

「ほう、それは少しも知らなかった。今日まで戦闘は十数回もあったの
に、よく抜け出せたものだな、機敏な奴だな・・・」

「本当に機敏な奴であります」

「昨日、下士哨で包囲された時は、どうしておったのか」

「救援に出発の命令が出たら、西村の奴、急に腹が痛いと言い出して、
梃子でも動かないのです。引きずってでも連れて行こうと思ったのです
が、中尉殿がさっさと先頭に立って行かれるので、仕方なく残してゆきま
した」

「・・・・・・」

「戦友の救援にさえ行かない奴ですからね、皆が怒って、最後の忠告を
して従わなかったら、中尉殿に報告して、軍法会議に回していただくこと
にしたのです」

「なるほど、判った。僕が直接訓戒するよ」>

濁流は堤の一番弱いところから崩れだす、一か所がやられたら、そこから
どんどん穴が広がる。スクラムで激突するとき、一人が倒れたら突破され
る、ビジネスのチームでも「できない坊主」どころか「足を引っ張る奴」
もいるとは夏彦翁の言である。企業では春の人事異動後に5月とか6月に小
さな異動があるが、何だかんだ言って休む奴、怠ける奴がいて、「課長、
あのバカ、どうにかしてください、士気に影響します!」となるのは珍し
くない。

怠け者の取締役営業部長が部下の創意による直訴で解任されたケースを
見たが、彼は創業時に4分の1の株主で、「解任するなら持ち株をライバル
社に売るぞ!」と威嚇、手切れ金は1億円だった。

まるでがん細胞みたいな奴はいる。放逐すると「イジメだ! 慰謝料寄
こせ」なんて叫びだす奴もいるだろう。岩波は半島人を解雇して「下郎の
逆恨み」でずいぶん悩まされたようだ。朝日などアカ新聞はほとんど乗っ
取られているのではないか。共同通信の同級生が労務担当になって「うち
は左巻きが多いから苦労するよ」とこぼしていたっけ。

発狂亭“俺は果たして前進しているのか、何となく「寄せては返す波の
音」か、「ときどき怒涛か高波か」、夏彦翁曰く「ヒトはついぞ己が見え
ない」・・・うーん、♪ウナッチャーウーナー”雀庵の病棟日記から。


【措置入院 精神病棟の日々(165)2017/1/20】産経正論、井上寿一「孤
立回避への外交力が試される」、曰く――


「英米の衝撃に共通するエスノセントリズム(自民族中心主義)は、対外
的には孤立主義に陥りがちであり、グローバリズムに対して保護貿易を主
張する。(これを促している)ポピュリズムの広がりは、アジア地域にも
及ぶ。対中関係は小康状態を維持する見通しに乏しい。盧溝橋事件の歴史
から、出来事を一定範囲に限る外交力が試されることを今日の日本は学ぶ
べきだ」

リベラル≒アカモドキは金太郎飴で、ほとんど同じことしか言わない、書
かない、書けない、書きたくないのだ。中共社会科学院の学者そっくり。
十人一色、百人一色。盧溝橋事件(1937/7/7)は中共の工作で、日本vs
蒋介石国民党の対立を煽ったという説を学習院大学学長の井上は知らない
ようだ。

蒋介石にとって最大の敵は中共であって、張学良に騙されて拘束、威嚇
された南京事件で国共合作、事実上、共匪に自軍を乗っ取られ、仕方なく
日本軍と戦わざるを得なかった。毛沢東曰く「日本が国民党を叩いてくれ
たおかげで建国できました」。


外交力は「血を流さない戦争」と西郷先生、毛沢東は言っている。日本の
外務省や政治家にその気概がある奴はいるのか。お花畑の理想論では治ま
らないのが世の常だ。


山を俯瞰する鳥の目、木々を詳細に見る虫の目、学者なら「最低二つの
目」を持たないと鳥目になってよー見えんで、のう(つづく)2019/11/8


2019年10月28日

◆雀庵の「清弱体、台湾狙う英米そして日本」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/39(2019/10/23)】津軽・下北半島巡りの帰
路、東京へ向かう高速深夜バスから外を眺めていた。「東北自動車道はす
べて山の中である」と言ってよい。道の両側はスギ、ヒノキなど針葉樹の
高木、その多くは多分、戦後に換金性があるとして植林奨励されたものの
1980年あたりから輸入材に圧されて放置されたもので、広葉樹はとても少
ない。1時間も見ていれば飽きる、眠くなる。

トイレストップで2時間後に見ても針葉樹だらけ。まるで未開地、冬にな
れば雪だらけになるのだろう。如何せん、この地を開拓する方策はないも
のかと、茫然と眺めるばかりだった。

薄明の中で大きな川を渡ると景色が一気に開けた。利根川で、それを越
えると埼玉県、懐かしい人家、生活の匂いがどんどん増えてくる。「あ
あ、夜明けだ、文明だ!」とホッとした。下山で最後の尾根を越えてベー
スキャンプが見えてきた時の感動はきっとこんなだろうなと思う。

緑を求めてたまに山林を散策するのは素敵だが、そこで暮らすとなれば
都会人は1年で逃げ出すだろう。北国の冬は耐えられまい。秋田の人は
「冬は温かいところへ旅行したり、出稼ぎしたり、息抜きする。その間、
雪の下で農地は活力を取り戻し、熟成するのよ。これが雪国の生活」とニ
コニコしていたっけ。

司馬遼は「出稼ぎはキャッシュを稼ぐためで、国に帰れば衣食住に困るど
ころか豊かなものだ」と書いていた。今は出稼ぎは激減したが、若者の人
口減で老人でも地元でバイト先があるのだろう。農家が農閑期に海外旅行
へ出かけるのは当たり前で、JA系の農協観光は売上ランキング11位だ
(2018年)。農家が日本の初期、1970〜80年代の海外旅行市場をリードし
てきたと言える。

東北の人は農家の後継ぎがいない、若者は出ていくばかりだと嘆くが、
別に困っているわけではないようだ。

一方で、日本海気候の豪雪地帯、92%が山という岐阜県の飛騨高山に生
まれ育った友は「一度でも太平洋岸に暮らしたら、もう戻れない」と言っ
ていた。彼の兄も千葉暮らしで、高山の両親は亡くなったが、実家は無住
で今頃は朽ち果てているだろう。彼はバブル時代に高山のゴルフ場会員権
を400万円で買ったが、2回ほどプレーしただけ。「今は50万円くらいじゃ
ないか」という。サルやタヌキはゴルフはしないし・・・

雪国から都市へ出た若者は盆と正月に故郷へ帰るだけになり、両親が亡
くなればせいぜい「墓仕舞い」で行って、それで故郷との縁はまず切れ
る。故郷を思い出すのは「東京○○県人会/同窓会」くらいになるのだろう。

「それは時代の流れでどうしようもない、農業も俺の代で終わりよ」と
ヂヂババは諦観しているのだろうが、小生は一歩でも二歩でも、たとえ
這ってでも前へ進みたい、天が「前へ!」とハッパをかけているんだもん。

小生が、今の日本人が、後藤新平のようにフロンティアの東北開拓、近
代化を進めなければ50年、100年たっても「東北は山の中」のままであ
る。「何とかしなければ過疎化で後退しかねない」、この危機感は昔から
あるが、有名なのは以下である。

<「日本列島改造論」は、田中角栄が自由民主党総裁選挙を翌月に控えた
1972年(昭和47年)6月11日に発表した政策綱領、およびそれを著した同
名の著書。略して列島改造論ともいった。

田中はこの「工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成を
テコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地
方分散” を推進すること」を主旨とした事実上の政権公約を掲げて同年7
月の総裁選で勝利し、内閣総理大臣となった。

日本にとって、首都の過密と地方の過疎は、当時よりも一層深刻な問題
になっており、少なくとも田中が日本列島改造論を著したのは、こうした
状況への問題提起としての意味を持っていた。交通網の整備で様々な課題
が解決するという発想は、「土建業一辺倒だ」という批判もある。

地方から過密地(特に首都・東京)へ向かう交通網の整備は、大都市が
持つ資本・技術・人材・娯楽が、地方にも浸透しやすくなったことは事実
であるが、同時に地方の住民・人材・企業もまた大都市に流出しやすく
なったことで東京一極集中と地方過疎化をより促進してしまうということ
が起こった。

地方での駅や道路の建設も同様の事象が起こり、駅ナカ・駅前・郊外へ
のストロー効果を招き、中心市街地が衰退してしまった。田中が抱いてい
た理想の未来には不十分で程遠い結果であった。

新幹線や高速道路なども地方と東京を結ぶ路線がほとんどで、地方と地
方を結ぶ路線の建設は遅々として進まないのが現状であり、防災と減災の
バランス確保による国土強靭化も必要である。こうした道半ばの「均衡あ
る発展」を背景に、田中が目指した本来の日本列島再生を実現させるべき
だという論もある。

こうして田中が提唱した「工業再配置と交通の全国的ネットワークの形
成」は幻となったが、「情報通信の全国的ネットワークの形成」は田中に
よる報道機関への懐柔策もあり、日本電信電話公社によって回線が構築さ
れた後、1985年(昭和60年)に実施された公社の民営化に伴う通信自由化
(電気通信事業法施行)を契機として、民間ネットワーク事業者(日本電
信電話株式会社等の回線を利用する事業者を含む)の新電電参入が招来さ
れた。

続く1990年代の民放テレビ全国四波化やパーソナルコンピュータとイン
ターネットの世界的な普及が、これを確立させるに至ったのである>(WIKI)

素人の小生の思い付きでは、東北の脊柱である奥羽山脈(主に東側)を
上手に崩し、その土で高さ10m、1辺4?、面積16平方キロの巨大な台地
(水害に強い)をあちこちに造る。ピラミッドの上の三角錐がないような
感じ。山手線の内側の4分の1の広さだ。そして全天候対応のドーム型にする。

この植民地に産業、住民、公共施設を誘致する。経済特区として地代はな
し(貸与)、税は所得税のみ。気温が温暖に保たれていればか果樹や花卉
の栽培、畜産も可能だ。雇用があれば人は集まる。

高速道や高速鉄道へのアクセスがいいのは当然とし、東西、つまりに日本
海と太平洋を結ぶ高速道も何本か造る。

まずは「隗より始めよ」で、国会関係の機能、省庁などを移す。成田空港
に近い(1時間)茨木県筑波市あたりがいいか。精密機械は桐生市とか足
利市、食品関係は郡山市とか。

船橋や市川、大田区あたりの町工場の親父は「今さら引っ越せない」と
言うだろうが、工場建設など移転に伴う費用の多くは低利で融資するとな
れば「新天地でもう一勝負するか!」となるのじゃないか。

オフィス、工場、住宅、店舗、農地、学校、保育園、病院、そして遊
郭。新しき「令和の街」ができる。治水灌漑の最上の知恵はオランダに学
ぶといい。

新しい街づくりはいいものだが、新しい国造りは大体が血を伴う。血
降って国固まる、西郷先生曰く「焦土の中から国は生まれる」。

英国はブレグジットでEU帝国に風穴を開けようとしている。アリの一穴は
次々に堤を崩していくだろう。イタリアはフェラーリに乗ってまず「いち
抜けた」、ギリシャ、スペインも逃げるね、捨て台詞は「借金なんて貸し
た方が悪い!」。オーストリア、ハンガリーは「メルケルと心中なんてや
なこった」。フランスも動揺して離脱派と残留派が衝突して糞尿バラマキ
合戦になる。ドイツはAfD対アカモドキで殴り合い、分裂するしかないだ
ろう。

1800年代の世界の覇者は大英帝国だった。当時、清国は世界最大最強の
国、「眠れる獅子」と思われていたから誰もちょっかい出さなかった。英
国は冒険心、イタズラ心、早い者勝ちの開拓精神が旺盛で、この獅子に
ちょっかいを出した。「アヘン戦争」(1840〜42年)である。

英が勝ったことよりも、大帝国の清が実は見掛け倒しのただの着ぐるみ、
虎の皮をかぶった豚、脅せばいくらでも金を出す国だと世界の列強、ゴロ
ツキに知らしめたことがケチのつき始めになったことは清朝にとって痛手
だった。

<英国は1841年9月27日には台湾北部の基隆港に近づき、砲台の兵舎一棟
を吹き飛ばした。威力偵察だったろうが、砲台が応戦すると反転しようと
した英艦は不覚にも座礁、そこに台湾守備隊の大小艦船が殺到した。英艦
の乗員270人のうち英兵10人、インド兵23人を殺し、インド兵133人を捕虜
にし、砲十数門を捕獲した。

連戦連敗のアヘン戦争における台湾での勝利である。道光帝は喜び、台
湾守備隊総司令の兆蛍(ようえい、兆は女偏)は勲章を賜った。

第2回戦は同年10月19日、第3回戦は翌1842年3月5日には中部の彰化沖に
接近した英艦1隻に多数の偽装漁船を近づけて座礁させ、敵兵数十人を殺
し、英兵19人、インド兵30人、漢人5人を捕虜にし、砲10門を奪った。

兆蛍の防備強化の賜物だが、その後の8月13日、戦意高揚と称して多くの
捕虜を処刑した。その16日後の8月29日には英と清が停戦し南京条約が結
ばれた。香港割譲、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港、賠償金支払
い、捕虜の相互交換が定められた>(喜安幸夫「台湾の歴史」)

当時は戦時国際法が普及してはいなかったが、「捕虜は殺さない」のが
暗黙のルールだったろう。このために英雄だった兆蛍は北京に護送され、
官職、栄誉のすべてを剥奪され、追放されてしまった。

「アヘン売りのやくざ」英国の完勝だ。他人の縄張りにちょっかいを出
す、脅す、反発したら報復する、「済みません、ご免なさいで済むと思う
のかよ、のう、俺は寛容やが、血の気の多い若いもんの抑えが効かんで、
のう、誠意を示したれや」。帝国主義は国家を挙げてゴロツキ、海賊、山
賊、匪賊になって獲物を美味しくいただくことである。

弱肉強食、今はアステカ文明、マヤ文明、インカ文明のように皆殺し、
絶滅、ジェノサイドはないが、借金漬けにする、宗教対立を煽る、格差拡
大で貧困層を奴隷状態に置く、独裁政治を支援するなどにより弱小国を併
呑するようになったが、本質的にはシマ、ナワバリをめぐる戦いだ。

「外交は血を流さない戦争、戦争は血を流す外交」。西郷先生も毛沢東
も同じことを言っていた。覚悟、備えがない国、民族は餌食になる。

10月22日は天皇陛下の「即位礼正殿の儀」。昭和天皇が必死で護持した立
憲君主制は国家がまとまりやすいというメリットはある。民主主義は国論
が二分されて二進も三進もならずに漂流するリスクが大きい。

立憲君主制、天皇・皇帝・王政・皇室制度を世界が学び、国柄に合った
制度を採用すれば世界はより良くなるのではないか。国家、国境を嫌う人
には向かないが・・・

「正殿の儀」は昼あたりから雨が止んでよかったが、愛子様のお姿がな
かったような気がする。お元気だろうか。


今朝は素晴らしい秋晴れでめずらしく心身爽快、台風難民の持ち込んだ荷
物を1F倉庫に収納し、家中はかなりすっきりした。発狂亭“天皇陛下万
歳!”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(156)2017/1/18】産経「英、EU強硬離脱
 英国民の反移民尊重 不満根強く 市場より主権回復優先」。


アカの他人からアーダコーダ命令されるのはコリゴリ、「君は君、僕は
僕、結婚ではなく友達で行きましょう」ということだ。EUの未来は「そし
てメルケラー総統の第四帝国が残った」となるだろう。もう少し長生きし
て最後を見たいものだ。

曽野綾子先生「高齢者『75歳から』提案 元気な限り働くのは当然」、
曰く「聖書は、働く意欲を持たない人は食べる資格がないと戒めてい
る」。足腰が動く限りは炊事、洗濯、孫や病人の世話などをやっていこ
う。体力は落ちるばかりだが、できることはあり、家族の役に立つのはい
いことだ。(つづく)2019/10/23


2019年10月27日

◆雀庵の「続・清弱体、台湾狙う英米、日本」

     “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/40(2019/10/25)】学友から「横浜市大自動車部
卒業生の会」の誘いがきた。こう返信した。

<覚えていてくれてうれしいよ、返事が遅れてしまった、すまない。体調
が安定しない →気力が衰える →市大はすっかり変わってしまい、センチ
メンタルジャーニーの雰囲気はない。

過日、三浦半島を周遊したが、車窓から眺めた市大はおしゃれな「青春
キャンパス」。悲惨な青春の舞台の面影はない。自動車部のガレージ・倉
庫ももちろんない。裏山のてっぺんの高射砲台跡もないだろうし、第一、
小道があるのかどうかも分からない。

小生は車酔いでタイムラリーは無理、1回練習しただけだったが、なぜか
懐かしい。中津川渓谷近くの清川村の運転練習所、小野君が側溝に落とし
てびっこになったブルーバード、堀口君の白い(やがてくすんできた)ダ
ウンコート、石堂君とシェアした新大津の山の上のあばら家、・・・

懐かしいけれど「あの日に帰りたい」とは思わない。天職につくまでの青
春/凄春彷徨は「道に迷っているばかり、胸にとげさすことばかり」、思
い出せば懐かしいけれど慚愧無念で苦しすぎる、しょっぱすぎる。

まあ、正直に言えばそういうことで、さらに言えばアル中になって緊急措
置入院、以来3年間断酒中だから酒席は辛い、怖いのよ。今でも「ああ、
メーカーズマーク、スーパードライ、酎ハイ、ギンギンに冷えた吟醸酒呑
みたいなあ、でも呑んだらおしまいだ」と毎日のように思うのよ。

「一升瓶換算で6000本呑んだのだからもう十分じゃないか」「棺桶に酒を
どぼどぼ入れてもらおう」と慰めるのだが、メチルアルコールやミリンを
呑んだ人、ヒロポン中毒になった人の気持ちがよく分かる。

そうだ、カナダへ行こう!「大麻 フロム カナダ」はまずいが、カナダ
でやろう、娯楽用/嗜好用マリファナ(大麻)入り飲料も合法化された!

でも、生来が「のめり込む」タイプだから結局は依存症になってしまい、
脳みそが壊れるわけ。酒の代わりに「ひとを食う」ことで紛らすしかない
か、やっぱ>

そう、「ほどほどに」ができない。トコトンやっちゃう。「自滅型」。吶
喊小僧、猪突猛進、執着質、狂気、突破者、特攻、殉教、革命家、冒険
家、博打うち、芸術家、作家、芸人、学者、職人・・・世の中を大きく動
かしてきたのはそういう人が多い。

「短編の名手」と称賛されるO.ヘンリは10年足らずの作家生活で280編の
作品を書いた。最後の3か月は人とも会わず、電話も切り、アパートの一
室にこもり、肝硬変と戦いながら小説を書いていたようだ。病院に運び込
まれるまでの最後の数日間をどう過ごしたかは不明だが、ベッドの下に
ウィスキーの空き瓶が9本転がっていたという。酒の力で創作意欲を得よ
うともがいていたのだろう。バッカス・ヘンリ!

旅行作家というか異文化研究学者のイザベラ・バード著「朝鮮紀行」、満
洲の奉天へ向かう船旅は未曽有の大雨と氾濫で生き地獄のよう。

「私は高熱を発し、全身ひどい痛みに悩まされた。3日目の朝から雨が降
り、風が吹き始め、そのあとの恐ろしい4日間、風雨は一度もやまなかっ
た。屋根を覆っていた油紙は風で破れてしまい、雨が吹き込んでくる。雨
水が6インチ(15センチ)もたまり、強烈なにおいを発し、船倉の中には
乾いたものは何一つなかった。

私は濡れた服を着て、濡れた蚊帳の中で、濡れたベッドに眠っていた。本
格的に体の具合が悪かったものの洪水の『液体コレラ』を飲まなければな
らなかった。井戸はすべて水中に没していた」

ようやく奉天に着いたものの馬車が横転し、バードは骨折し、腱を痛め
る。それでも前進するのだ。マダム・コンジョー!

偏見かも知れないが、人間は「理性・知性・奮闘」の人と、「気分・感
情・安逸」の人に分けられるのではないか。前者は稀で、後者は圧倒的多
数である。

ロシアの知識人が反共の罪で日本人将校用の獄舎につながれた時、彼は言
葉が通じないものの、それまでの兵士の雑居房とは違う落ち着きを得て
ホッとしたと書いていた。前者(将校、高等教育)と後者(一兵卒、普通
教育)は外観は似ていても全然種類が違う人間ではないかと思う。

前者は「リーダー、発信者」、後者は「フォロワー、受信者」のような感
じ。一流の職人は「理性・知性・奮闘」で「凛」とした風情、貫禄があっ
た。祭りなどでわが街の大工の頭領が伝統の仕事着で現れると、辺りは
ピーンとした、清浄と緊張の雰囲気になったものである。一目を置かれる
存在だった。

小生の「第二の親父」である寿司屋の大将も腕は立つ、頭はいい、弟子は
育てる、守る、「是は是、非は非」という人で、風格があった。惰弱、軟
弱とは正反対で、多くの人から尊敬された。

「よく考える、作戦を練る、そして何がなんでも進む、チャレンジする、
負けても負けてもくじけない、新しい道を探す」、そういう人が歴史を
創ってきたのではないかと思う。

そういうトップグループのシッポ、末席でもいいから、そこにいたいなあ
と小生は思う。たとえ牛尾でも二番手、三番手グループの鶏のトップより
ははるかにいいと思う。夏彦翁曰く「最先端ではなくても、その尻にくっ
ついていればいい。遅れすぎると落ちこぼれる」。会社をデジタル化する
上でこの言葉はとても参考になった。

だから書籍、新聞などを楽しみながら読む。娯楽であり勉強だ。「気分・
感情・安逸」の人は文庫本一冊を読むのに半年、一年かかる。テレビやス
マホがないところでしか読書をしない。多くの、実に多彩な人の思考、経
験、喜怒哀楽、人生を追体験できる読書の能力が落ちるから成長どころか
後退する。

福沢先生は「人間に上下はない、しかし、仕事の軽重、上下はある。軽い
仕事は軽い報酬、重い仕事は重い報酬、学問に精出せば重い仕事に就け
る」と鼓舞した。

今の世の中は上の方、トップグループは競争が激しいから必死で勉強す
る。一方、下の方は面白おかしく暮らせればいいや、まあ制限時間に間に
合えばいいんじゃない、とひたすら麻薬中毒のように遊ぶ、脳みそを劣化
させる。

結局、貧富の差は拡大し、代々にわたって勝ち組、負け組が固定化する。
努力しなくても餓死するわけじゃないから負け組が奮起することもない。
福祉、社会保障が手厚くなればなるほど負け組は努力せず、社会はいびつ
化、劣化する。

「金持ちから貧乏人、さらに乞食がいてこそ社会だ」と夏彦翁は言う。セ
イフティネットの家制度が破壊されたから、子供が多くても老親の面倒を
見ないケースは珍しくない。このままだと生活保護依存の貧困層ばかりが
増えることになる。


カミサンの故郷、鹿児島県奄美市は「生活保護を受けるのは当たり前、貰
わないのはもったいない」になってしまった。住民のなんと62.5%が受給
している(平成20年度)。県全体では15.6%だから奄美市は異常であり、
さらに離島の多い瀬戸内町は67.9%と想像を絶する。

遊んでいないで一所懸命に勉強、学問しないと競争に負けるよ、貧乏暮ら
しになるよ、この世は弱肉強食なんだよと叱咤激励するのが教育だろう
が、現場では「国は文化的生活、生存権を保障している、個性的に生きる
権利がある、みんな平等、個性が大事、目指せ福祉国家、お花畑!」とか
教えているのではないか。


EUというリベラル≒アカモドキの壮大なお花畑実験は悲惨な失敗に終わる
だろう。もうすぐ我々はそれを見ることになる。

さて、書物を通して追体験する「台湾」。アヘン戦争(1840〜42年)の弱
肉強食で清朝をノックアウトし支那大陸を貪り食い始めた英国は、さらな
る版図拡大のために台湾を狙うようになり、海洋測量を始めた。中共が尖
閣を狙って測量しているのと同じ。戦争の準備を始めたわけだ。

俺にも食わせろと“遅れてきた青年”米国もアジアに目を向けた。1853年、
黒船の蒸気船を率いるペリー艦隊が日本を威嚇し開国を迫り、翌1854年に
は台湾に上陸して石炭の埋蔵探査をし、ペリーは「台湾占領すべし」と政
府に提案した。

獲物を狙う猟師、「うまそうやな」とスカートをめくる強姦魔、ヤクザ、
ゴロツキ。こういうのが「国益」という利権争奪戦を繰り返していたのが
大航海時代で、今もちょっと化粧をしただけでやっていることは同じだろ
う。プーチン・ロシアのクリミア強奪なんて昔と変わらない。モノ、武器
は進歩しても人間は昔のままである。

英国は米国の本家筋だが、自分の縄張りに米国がちょっかいを出してきた
ことで焦り始めた。そこに1856年、広州湾で英艦と清国が砲撃戦をする
「アロー号事件」が起きる。英国広東領事のパークスは「チャンス到
来!」と出兵を促し、昨日の敵は今日の友とフランスと一緒になって天津
に乗り込んだ。

天津は北京の海の玄関、今は電車で1時間ほど、紫禁城は恐れおののいた
ろう、台湾の首府(台南)と淡水など4港を開港した(天津条約)。英国
は盛んにドラッグ(アヘン)を売り、台湾は砂糖、米、樟脳、茶を輸出した。

アヘン戦争とアロー号事件は日本に大ショックを与えた。「このまま開港
したら列強の餌食になってしまう」という危機感は幕府も諸藩も共有し、
「攘夷」は日本全体の意志になった。親幕府派と反幕府派の違いはあって
も尊皇攘夷は同じだった。1862年、横浜で生麦事件、イギリス公使館焼き
討ちなど攘夷の嵐が吹き荒れていた。

台湾は一気に国際舞台に押し出され、強国の餌食になっていく。米国も本
家を見習ったのかどうかは知らないが、ヤクザの本性を現すのだ。1867年
3月10日、米商船ローバー号が台湾南部で座礁し、船長以下13人の乗った
ボートが漂着した。

ところが先住民のパイワン族は出草(首狩り)で応じた。船員は「台湾は
国際条約国だから保護してくれる」と思っていたから、わけが分からない
ままに殺されたのだろう。厦門の米領事リゼンドルは北京と台湾府に抗議
したが、結局、「パイワン族の地は清朝の支配が及ばない化外の地(皇化
の外の地)」と分かった。

リゼンドルは台湾南部の恒春に乗り込み、南部18蛮社(部族)の大頭目
トーキトクと直談判し、海難救助に関する国際条約を結んだ。つまり、
「清は台湾全土の統治者ではない」ことを世界のゴロツキどもに示したの
だ。1869年10月9日だった。

同年6月27日、日本は戊辰戦争を終えて新国家づくりに本格的に着手し
た。1639年の鎖国以来、232年ぶりの1871年11月、日本と台湾は劇的な再
会をする。それが良かったのかどうかはまだ分からないが、これからはお
互いに手をつなぎたいという「日台新時代」にはなるだろう。

朝から雨、昨夜から降っているのか。先日、網戸が切れており、「もしか
したら2か月ほど前から我が家に移住してきたミッキーが寒くなったので
室内に入りたがっているのだろう」と修復し、ガラス戸を閉めておいた
が、朝、網戸の修復箇所には縦10センチ、横5センチの台湾みたいな形の
穴が開いていた。どうもミッキーはドブネズミみたいだが、如何せん。

発狂亭“「ドブネズミと老人」じゃ売れそうもないな”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(157)2017/1/18】産経、古田博司「正論 
近代完遂の日本と失敗の周辺国」、近代化のハードルの一つは「統一され
た自我の理想像」だと言う。これこれこれだから我は我、これがわが国の
アイデンティティ、国柄だ、というものがないとダメだということだろう。

氏曰く「古代→ 中世→ 近代などという段階を踏めたのは世界のほんの一
部の国だった。いま世界で紛争やいざこざや奪い合いが起きている国は、
全部近代化に失敗した国である。で、本当は中世がなかったので、そのま
ま古代が露呈した」。

古代は王朝、貴族の世界、中世は戦国時代の武力で覇を競う乱世、近代は
幕藩体制・封建主義(王朝=権威、集団指導体制=権力)、現代は立憲君
主制=権威・建前と、自由民主人権法治の体制だろう。

先進国(列強)のG7(日米英独仏伊加)はすべてこの過程を経ている。中
世・近代は青春のようなもので、戦ったり、勝ったり負けたりする中で現
代に至るわけだ。青春がないと、子供から一気に大人になる。自転車しか
乗れない子供が一気に大型バスを運転するようなもので、危うい。

人生は自分を試料に実験しながら、試行錯誤で生きるのがいいのだろう
が、大失敗すると取返しがつかないから危うさはある。

「橋を叩いて渡る」と言っても叩き過ぎれば橋というチャンスはなくなっ
てしまう。思い切って渡った方がいいとは思うけれど・・・失敗したらこ
うしようなんて思っていると上手くいかないし、橋を渡っても次の橋があ
るし・・・他者に危害、損害を与えれば罰せられるが、破産ぐらいなら再
チャレンジはできるだろう。

一所懸命にやった末の敗戦なら支持者は応援してくれる、そういうものだ
ろう。(つづく)2019/10/25

2019年10月26日

◆雀庵の「続・清弱体、台湾狙う英米そして日本」

           “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/40(2019/10/25)】学友から「横浜市大自動車部
卒業生の会」の誘いがきた。こう返信した。

<覚えていてくれてうれしいよ、返事が遅れてしまった、すまない。体調
が安定しない →気力が衰える →市大はすっかり変わってしまい、センチ
メンタルジャーニーの雰囲気はない。

過日、三浦半島を周遊したが、車窓から眺めた市大はおしゃれな「青春
キャンパス」。悲惨な青春の舞台の面影はない。自動車部のガレージ・倉
庫ももちろんない。裏山のてっぺんの高射砲台跡もないだろうし、第一、
小道があるのかどうかも分からない。

小生は車酔いでタイムラリーは無理、1回練習しただけだったが、なぜか
懐かしい。中津川渓谷近くの清川村の運転練習所、小野君が側溝に落とし
てびっこになったブルーバード、堀口君の白い(やがてくすんできた)ダ
ウンコート、石堂君とシェアした新大津の山の上のあばら家、・・・


懐かしいけれど「あの日に帰りたい」とは思わない。天職につくまでの青
春/凄春彷徨は「道に迷っているばかり、胸にとげさすことばかり」、思
い出せば懐かしいけれど慚愧無念で苦しすぎる、しょっぱすぎる。


まあ、正直に言えばそういうことで、さらに言えばアル中になって緊急措
置入院、以来3年間断酒中だから酒席は辛い、怖いのよ。今でも「ああ、
メーカーズマーク、スーパードライ、酎ハイ、ギンギンに冷えた吟醸酒呑
みたいなあ、でも呑んだらおしまいだ」と毎日のように思うのよ。

「一升瓶換算で6000本呑んだのだからもう十分じゃないか」「棺桶に酒を
どぼどぼ入れてもらおう」と慰めるのだが、メチルアルコールやミリンを
呑んだ人、ヒロポン中毒になった人の気持ちがよく分かる。


そうだ、カナダへ行こう!「大麻 フロム カナダ」はまずいが、カナダ
でやろう、娯楽用/嗜好用マリファナ(大麻)入り飲料も合法化された!

でも、生来が「のめり込む」タイプだから結局は依存症になってしまい、
脳みそが壊れるわけ。酒の代わりに「ひとを食う」ことで紛らすしかない
か、やっぱ>

そう、「ほどほどに」ができない。トコトンやっちゃう。「自滅型」。吶
喊小僧、猪突猛進、執着質、狂気、突破者、特攻、殉教、革命家、冒険
家、博打うち、芸術家、作家、芸人、学者、職人・・・世の中を大きく動
かしてきたのはそういう人が多い。

「短編の名手」と称賛されるO.ヘンリは10年足らずの作家生活で280編の
作品を書いた。最後の3か月は人とも会わず、電話も切り、アパートの一
室にこもり、肝硬変と戦いながら小説を書いていたようだ。病院に運び込
まれるまでの最後の数日間をどう過ごしたかは不明だが、ベッドの下に
ウィスキーの空き瓶が9本転がっていたという。酒の力で創作意欲を得よ
うともがいていたのだろう。バッカス・ヘンリ!

旅行作家というか異文化研究学者のイザベラ・バード著「朝鮮紀行」、満
洲の奉天へ向かう船旅は未曽有の大雨と氾濫で生き地獄のよう。

「私は高熱を発し、全身ひどい痛みに悩まされた。3日目の朝から雨が降
り、風が吹き始め、そのあとの恐ろしい4日間、風雨は一度もやまなかっ
た。屋根を覆っていた油紙は風で破れてしまい、雨が吹き込んでくる。雨
水が6インチ(15センチ)もたまり、強烈なにおいを発し、船倉の中には
乾いたものは何一つなかった。

私は濡れた服を着て、濡れた蚊帳の中で、濡れたベッドに眠っていた。本
格的に体の具合が悪かったものの洪水の『液体コレラ』を飲まなければな
らなかった。井戸はすべて水中に没していた」

ようやく奉天に着いたものの馬車が横転し、バードは骨折し、腱を痛め
る。それでも前進するのだ。マダム・コンジョー!

偏見かも知れないが、人間は「理性・知性・奮闘」の人と、「気分・感
情・安逸」の人に分けられるのではないか。前者は稀で、後者は圧倒的多
数である。

ロシアの知識人が反共の罪で日本人将校用の獄舎につながれた時、彼は言
葉が通じないものの、それまでの兵士の雑居房とは違う落ち着きを得て
ホッとしたと書いていた。前者(将校、高等教育)と後者(一兵卒、普通
教育)は外観は似ていても全然種類が違う人間ではないかと思う。

前者は「リーダー、発信者」、後者は「フォロワー、受信者」のような感
じ。一流の職人は「理性・知性・奮闘」で「凛」とした風情、貫禄があっ
た。祭りなどでわが街の大工の頭領が伝統の仕事着で現れると、辺りは
ピーンとした、清浄と緊張の雰囲気になったものである。一目を置かれる
存在だった。

小生の「第二の親父」である寿司屋の大将も腕は立つ、頭はいい、弟子は
育てる、守る、「是は是、非は非」という人で、風格があった。惰弱、軟
弱とは正反対で、多くの人から尊敬された。

「よく考える、作戦を練る、そして何がなんでも進む、チャレンジする、
負けても負けてもくじけない、新しい道を探す」、そういう人が歴史を
創ってきたのではないかと思う。

そういうトップグループのシッポ、末席でもいいから、そこにいたいなあ
と小生は思う。たとえ牛尾でも二番手、三番手グループの鶏のトップより
ははるかにいいと思う。夏彦翁曰く「最先端ではなくても、その尻にくっ
ついていればいい。遅れすぎると落ちこぼれる」。会社をデジタル化する
上でこの言葉はとても参考になった。

だから書籍、新聞などを楽しみながら読む。娯楽であり勉強だ。「気分・
感情・安逸」の人は文庫本一冊を読むのに半年、一年かかる。テレビやス
マホがないところでしか読書をしない。多くの、実に多彩な人の思考、経
験、喜怒哀楽、人生を追体験できる読書の能力が落ちるから成長どころか
後退する。

福沢先生は「人間に上下はない、しかし、仕事の軽重、上下はある。軽い
仕事は軽い報酬、重い仕事は重い報酬、学問に精出せば重い仕事に就け
る」と鼓舞した。

今の世の中は上の方、トップグループは競争が激しいから必死で勉強す
る。一方、下の方は面白おかしく暮らせればいいや、まあ制限時間に間に
合えばいいんじゃない、とひたすら麻薬中毒のように遊ぶ、脳みそを劣化
させる。

結局、貧富の差は拡大し、代々にわたって勝ち組、負け組が固定化する。
努力しなくても餓死するわけじゃないから負け組が奮起することもない。
福祉、社会保障が手厚くなればなるほど負け組は努力せず、社会はいびつ
化、劣化する。

「金持ちから貧乏人、さらに乞食がいてこそ社会だ」と夏彦翁は言う。セ
イフティネットの家制度が破壊されたから、子供が多くても老親の面倒を
見ないケースは珍しくない。このままだと生活保護依存の貧困層ばかりが
増えることになる。

カミサンの故郷、鹿児島県奄美市は「生活保護を受けるのは当たり前、貰
わないのはもったいない」になってしまった。住民のなんと62.5%が受給
している(平成20年度)。県全体では15.6%だから奄美市は異常であり、
さらに離島の多い瀬戸内町は67.9%と想像を絶する。

遊んでいないで一所懸命に勉強、学問しないと競争に負けるよ、貧乏暮ら
しになるよ、この世は弱肉強食なんだよと叱咤激励するのが教育だろう
が、現場では「国は文化的生活、生存権を保障している、個性的に生きる
権利がある、みんな平等、個性が大事、目指せ福祉国家、お花畑!」とか
教えているのではないか。

EUというリベラル≒アカモドキの壮大なお花畑実験は悲惨な失敗に終わる
だろう。もうすぐ我々はそれを見ることになる。

さて、書物を通して追体験する「台湾」。アヘン戦争(1840〜42年)の弱
肉強食で清朝をノックアウトし支那大陸を貪り食い始めた英国は、さらな
る版図拡大のために台湾を狙うようになり、海洋測量を始めた。中共が尖
閣を狙って測量しているのと同じ。戦争の準備を始めたわけだ。

俺にも食わせろと“遅れてきた青年”米国もアジアに目を向けた。1853年、
黒船の蒸気船を率いるペリー艦隊が日本を威嚇し開国を迫り、翌1854年に
は台湾に上陸して石炭の埋蔵探査をし、ペリーは「台湾占領すべし」と政
府に提案した。

獲物を狙う猟師、「うまそうやな」とスカートをめくる強姦魔、ヤクザ、
ゴロツキ。こういうのが「国益」という利権争奪戦を繰り返していたのが
大航海時代で、今もちょっと化粧をしただけでやっていることは同じだろ
う。プーチン・ロシアのクリミア強奪なんて昔と変わらない。モノ、武器
は進歩しても人間は昔のままである。

英国は米国の本家筋だが、自分の縄張りに米国がちょっかいを出してきた
ことで焦り始めた。そこに1856年、広州湾で英艦と清国が砲撃戦をする
「アロー号事件」が起きる。英国広東領事のパークスは「チャンス到
来!」と出兵を促し、昨日の敵は今日の友とフランスと一緒になって天津
に乗り込んだ。

天津は北京の海の玄関、今は電車で1時間ほど、紫禁城は恐れおののいた
ろう、台湾の首府(台南)と淡水など4港を開港した(天津条約)。英国
は盛んにドラッグ(アヘン)を売り、台湾は砂糖、米、樟脳、茶を輸出した。

アヘン戦争とアロー号事件は日本に大ショックを与えた。「このまま開港
したら列強の餌食になってしまう」という危機感は幕府も諸藩も共有し、
「攘夷」は日本全体の意志になった。親幕府派と反幕府派の違いはあって
も尊皇攘夷は同じだった。1862年、横浜で生麦事件、イギリス公使館焼き
討ちなど攘夷の嵐が吹き荒れていた。

台湾は一気に国際舞台に押し出され、強国の餌食になっていく。米国も本
家を見習ったのかどうかは知らないが、ヤクザの本性を現すのだ。1867年
3月10日、米商船ローバー号が台湾南部で座礁し、船長以下13人の乗った
ボートが漂着した。

ところが先住民のパイワン族は出草(首狩り)で応じた。船員は「台湾は
国際条約国だから保護してくれる」と思っていたから、わけが分からない
ままに殺されたのだろう。厦門の米領事リゼンドルは北京と台湾府に抗議
したが、結局、「パイワン族の地は清朝の支配が及ばない化外の地(皇化
の外の地)」と分かった。

リゼンドルは台湾南部の恒春に乗り込み、南部18蛮社(部族)の大頭目
トーキトクと直談判し、海難救助に関する国際条約を結んだ。つまり、
「清は台湾全土の統治者ではない」ことを世界のゴロツキどもに示したの
だ。1869年10月9日だった。

同年6月27日、日本は戊辰戦争を終えて新国家づくりに本格的に着手し
た。1639年の鎖国以来、232年ぶりの1871年11月、日本と台湾は劇的な再
会をする。それが良かったのかどうかはまだ分からないが、これからはお
互いに手をつなぎたいという「日台新時代」にはなるだろう。

朝から雨、昨夜から降っているのか。先日、網戸が切れており、「もしか
したら2か月ほど前から我が家に移住してきたミッキーが寒くなったので
室内に入りたがっているのだろう」と修復し、ガラス戸を閉めておいた
が、朝、網戸の修復箇所には縦10センチ、横5センチの台湾みたいな形の
穴が開いていた。どうもミッキーはドブネズミみたいだが、如何せん。

発狂亭“「ドブネズミと老人」じゃ売れそうもないな”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(157)2017/1/18】産経、古田博司「正論 
近代完遂の日本と失敗の周辺国」、近代化のハードルの一つは「統一され
た自我の理想像」だと言う。これこれこれだから我は我、これがわが国の
アイデンティティ、国柄だ、というものがないとダメだということだろう。

氏曰く「古代→ 中世→ 近代などという段階を踏めたのは世界のほんの一
部の国だった。いま世界で紛争やいざこざや奪い合いが起きている国は、
全部近代化に失敗した国である。で、本当は中世がなかったので、そのま
ま古代が露呈した」。

古代は王朝、貴族の世界、中世は戦国時代の武力で覇を競う乱世、近代は
幕藩体制・封建主義(王朝=権威、集団指導体制=権力)、現代は立憲君
主制=権威・建前と、自由民主人権法治の体制だろう。先進国(列強)の
G7(日米英独仏伊加)はすべてこの過程を経ている。中
世・近代は青春のようなもので、戦ったり、勝ったり負けたりする中で現
代に至るわけだ。青春がないと、子供から一気に大人になる。自転車しか
乗れない子供が一気に大型バスを運転するようなもので、危うい。

人生は自分を試料に実験しながら、試行錯誤で生きるのがいいのだろう
が、大失敗すると取返しがつかないから危うさはある。

「橋を叩いて渡る」と言っても叩き過ぎれば橋というチャンスはなくなっ
てしまう。思い切って渡った方がいいとは思うけれど・・・失敗したらこ
うしようなんて思っていると上手くいかないし、橋を渡っても次の橋があ
るし・・・他者に危害、損害を与えれば罰せられるが、破産ぐらいなら再
チャレンジはできるだろう。


一所懸命にやった末の敗戦なら支持者は応援してくれる、そういうものだ
ろう。(つづく)2019/10/25