2019年11月15日

◆雀庵の「台湾ゲリラの残虐さに茫然」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/51(2019/11/13】コピーライターの利彦君に
メールを送った。

<2週間ほど前に産経の健康食品広告を見ていたら、コピーが面白かっ
た。ポンポンポンと口上を述べて「さー、どうだ、買ってけ!」と、ほと
んどヤシのバナナの叩き売り、タンカバイで、「あっ、これモロ利彦節だ
なあ、ずいぶん磨きがかかってきたなあ」なんて思ったけれど、勘違いか
なあ。

得意なジャンルが広がるというのは良いね。あれもこれもで大変だろう
けれど、忙しいうちがハナよ。

わしゃ今日は水疱瘡の孫の世話だ。一緒に動物園に行って楽しもうと
思っていたが、孫はシャツを上げて腹を見せた。発疹ができていた。これ
では連れ出せない。

ゴミ出し、雨の時の洗濯物取り込みでさえドジルと「まったく留守番も
できやしない!」と叱られるから、孫の具合が悪くなったら非難轟々、下
手をすると追放される。恐ろしい時代だ。牝鶏鳴きて国亡ぶか>

産業革命(技術革新)が凄まじい勢いで進んでいる。「1980年あたりか
ら通信自由化が全面展開し、ポケットベルや携帯電話・パソコン通信・イ
ンターネット・衛星放送などの新たな通信サービスが展開され、料金の低
価格化も進んだ」(WIKI)。

85年以降のバブル時代は銀行はじゃぶじゃぶとカネを撒き、IT企業もど
んどん試行錯誤的に新機種を出し、ユーザーも新システムを導入していっ
た。ある日突然のごとくに出版・印刷業界ではアップルのマッキントッ
シュが「標準」になり、一般のビジネスの世界ではマイクロソフトのウィ
ンドウズが「標準」になった。


「標準」に対応できない人材や企業は消えていった。

産業革命で人間は幸せになったか、というと、むしろ逆ではないか。記
者は記事を原稿用紙に書いて編集デスクに渡したら「お先に失礼します」
と、飲み屋に行けた。今はスマホで、いつ、どこにいようと仕事の連絡が
来る。無視すれば「メール送っといたろう、なぜ返事しない!?」と怒ら
れ、やがては「融通の利かない、使い勝手の悪い奴」との烙印が押されて
出世コースから外されるのだ。

建設現場で釘を叩くとか鋸を引く音はしない。電動工具だらけで、電池
や電気がなければ仕事ができない。台風で電気が止まったら何もできない。

忙しくなって、脆弱になっただけではないか。技術の進歩、教育の進歩
がもたらしたものは「浮薄の普及」ではなかったか。便利になればなるほ
どオツムも体も劣化するのではないか。鉄道や自動車のない時代、日本人
は1日で10里、40キロを歩いた。江戸〜大阪500キロを女は13日間、それを
男は10日で歩いた。7日で歩く猛者もいた。

福翁は江戸〜横浜往復24時間で横浜の外人居留地を観察し「これからは
英語だ!」と学んだ。「バターン半島死の行進」と言うけれど、日本の歩
兵は足が達者だった、一方で米比兵はいつもはトラック輸送だったから歩
けずにバターンバターンと倒れていったのではないか。「戦場にかける
橋」は創作、不思議の国のアリンス。

小生は「リベラル≒アカモドキ」とよく書くが、ビッグデータを分析する
と「リベラル=アカ=バカ=危険」なのだという。掛谷英紀コラム「なぜ
人は共産主義に騙され続けるのか」「ビッグデータが暴く自称リベラルの
正体」は実に興味深かった。


いまだに共産主義を信奉する人がいるのは、不都合な現実を見ない、見
えない、見たくないという「浮薄の普及蔓延」によるのではないか。一種
の宗教とか、自分が出世できない体制秩序破壊を是とする、下郎の逆恨み
的な一種の精神疾患ではないか。正義を装う狂気。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い。清軍、先住民は情け容赦ない攻撃を
する。彼らには残虐とか殺人を好む嗜癖があるようだ。石光の手記「城下
の人」から。

<(土塀に囲まれた大家屋を包囲し、その中の敵を攻撃するために決死
隊が土塀に爆薬をしかけた)


爆薬が破裂した。大隊長も私も、また前線陣地の(絶交した)本郷も。双
眼鏡を目にしてじっと先方を見つめた。爆煙が風に吹き去られると、土塀
瓦解の破壊箇所が現れた・・・だが、そは狭い通路にしかなっていなかっ
た。決死の十名は起き上がって土塀の中に吸い込まれていった。

だが・・・本郷は石像のように突っ立ったまま、突撃の命令も下さず、
じっと先方を眺めていたのである。やがて敵兵に捕らわれた十名の決死隊
が、裸にされ、煉瓦米の上に引きずり上げられた。耳をそぎ、鼻を落と
し、手を斬り、足を断って、なぶり殺しにして、塀の外に投げ棄て
られたのである。

それでも本郷は依然として突っ立ったまま動こうとしなかった。彼の部
下は土に伏せたまま、これも戦死体のように動かなかった。

この悪夢のような時間が十分であったか二十分であったか、あるいは一
時間であったか判らなかった。五分位の短時間であったかもしれない。辺
りはしんと静まり返って、両眼の底に、ドキン、ドキンと心臓の鼓動が響
いた。

次第に私は全身の血がたぎり立って来るのを感じた。大隊長がその時ど
うしていたかも気がつかなかったし、大隊長の許しを得なければならない
ことも気づかなかった。私は本郷の後ろ姿に向かって突進していった。

彼の斜め後方二十歩ほどに近づいた時に、彼の神経も昂っていたのであ
ろうか、気づいて私の方にさっと身を開いた。別人かと思うほど、紫色に
膨れ上がった彼の顔に、二つの眼が食い入るように光っていた。私の眼も
険しかったに違いない。

兵士もおらず、大隊長もおらず、彼一人そこに立っていたら。私はおそ
らくは大喝して彼を張り倒したに違いない。彼の険しい眼と私の眼とが
ぴったりと合って火花を散らした。

やがて彼はくるりと後ろ向きになって、兵に射撃を命じた。その時はす
でに敵側から激しく撃ちまくっていたのであったが、私たち二人は向き
合ったまま気がつかなかったのである。


「彼とは絶交したんだ、絶交して良かった・・・僕は間違っていなかっ
た・・・」

私は大隊本部に戻り、三木大隊長に別れを告げた。大隊長は不機嫌な表
情で何も言わなかった。私は早々に兵を率いて、汚らわしいものを避ける
ように、新竹城に帰還した>

発狂亭“戦争を知らない幸福は不幸の元か”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(168)2017/1/21】産経、黒田勝弘先生
「韓国 知日派の挑戦と自己批判」、そして忘却と怨恨と捏造の先祖返
り、その繰り返し。

永遠に成長しないのが韓国だろう。小生は「韓国は不治の病、DNAで継承
されるから永遠にビョーキ」と確信している。先生曰く「朴正煕は二宮金
次郎の銅像に感銘を受け、李舜臣(文禄・慶長の役における救国の英雄)
像を各地に建立した。今はびこっているのは慰安婦像で、『こんな人にな
りなさい』と子供たちに教えようというのだろうか。朴正煕は草葉の陰で
泣いているに違いない」。

韓国人の大好きなキリスト教は磔刑のキリスト像を象徴としている。ソ
クラテスは「邪論で若者を惑わした」として処刑されたが(自死)、キリ
ストも似たようなものか。「己の言動に殉じた」のだろう。そこには潔
さ、美しさがある。

朝鮮ピーは家族や自分のために娼婦になった。金持ちになった者も多い
だろう。「サンダカン八番娼館」を読むと、性交で成功して故郷に錦を
飾った娼婦はちやほやされ(おすそ分け狙いが寄って来る)、尾羽打ち枯
らした娼婦は軽蔑され、嫌われ、苛められた。

キリストもピーも韓国では聖人なのか。韓国女は国内(内需)ばかりか
海外(外需)でもピーを売り、韓国GDPの10%は風俗産業だという説があ
る。娼婦は愛国産業戦士だから、あちこちに銅像が造られるわけだ。歴史
的にも妓生(キーセン)は王室や貴族のパーティでは欠かせない「接待公
務員」「美女軍団」だったのである。

欧米などでは韓国女=娼婦のイメージが年々高まっているのではない
か。美女コンテストをしても整形で皆同じ顔をしているから審査員は大い
に困るだろう。今でもコリアンバー、コリアンパブってあるのだろうか。
(つづく)2019/11/13


2019年11月14日

◆雀庵の「台湾人のルーツを探る」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/31(2019/10/5)】
先日、市役所で戸籍謄本を入手した。

チバニアンの友人が「ご先祖様がどこで暮らし、どうやって千葉まで来
たか家族史を研究している。曽祖父は樺太出身で東北を拠点にオホーツク
海で漁業をしていた。あれこれ戸籍をたどったり、書籍に当たっている。
大変だけれどとても面白い」と言っていたことに刺激され、「それなら俺
も」とルーツ探求を始めたのだ。

市役所の案内係の人は「戸籍謄本を必要とする理由」欄に小生が「ルー
ツ探し」と書いていたのを見てニヤリとした。ヂヂイになると暇はある、
金はないからルーツ探しは恰好の暇つぶし、脳みその刺激になっているの
だ。人生/子育てというドンパチ最前線からひとまず身を引くと、あれこ
れ「罪のないオモチャ」が欲しいわけ。「飲む、打つ、買う」以外のオモ
オチャでないと奥さんからダメ出しされるからね、「ピンクカード、退
場!」。

米国黒人のアレックス・ヘイリーが世界的なベストセラーになった
「ルーツ」(Roots: The Saga of an American Family)を上梓したのは
55歳の1976年。軍人、軍広報ジャーナリストを務め、退役後はリーダー
ズ・ダイジェストの編集主幹を務めていた。

まあ、物書きとか編集とかを経験した男は文字、活字が好きだから
「ルーツ探し」は遺跡とか宝物発掘のような興奮はある。

この謄本を頼りに各地の役所から明治初期の「原戸籍」、さらにお寺の
過去帳などを辿ることになるが、友によるとこれが結構大変だそうだ。
「国家資格者に代行してもらう場合は、行政書士または弁護士に依頼する
事になります」という以下のサイトがあった。

<ご自身で書類を集めようとされる場合、取得した戸籍謄本から次に請
求するべき本籍・役所を読みとって郵送で請求するか、もしくは交通費を
かけて役所を訪問して取得するか、委任状で近くに住む親族に依頼して進
めるか、などを選択しなくてはいけません。

戸籍謄本の取り寄せには、難しさもあります。戸籍謄本を遡っていく
と、どこの役所に請求するべきかわからないことがあります。たとえば、
古いものでは「東京市〇〇区」 や 「〇〇郡〇〇村」 など・・・またよ
くあるものでは、「さいたま市」ではなく「浦和市」など・・・

「どこだ?」と言いたくなってしまう本籍が出てきたりします。そうで
す。2000年以降、全国的に市町村の合併がさかんに行われていましたの
で、今では存在しない市区町村が記載されているなんて事も往々にしてあ
るものです。

このような作業や郵送のやり取りを繰り返して、戸籍謄本を集めていく
ことになります。

まず自分の本籍地のある役所にて、自分自身の戸籍謄本を取得。父/母の
最後の本籍地の役所に行き、自分の戸籍謄本をもとに父/母の出生から現
在までの戸籍謄本を請求します。ここですべて揃う方はここで終了です
が、そういう方は稀でなかなかいらっしゃいません。

次に、これよりも前に父/母が本籍地を置いていた役所に行き、取得した
最後の戸籍謄本をもとに、それよりも以前の父の 出生までの戸籍謄本を
請求します。ここで揃う方はここで終了ですが、さらに以前に違う場所に
本籍を置いていた場合はその管轄の役所に行って戸籍謄本を請求します。


郵送で請求するにしても、請求書の記入方法に不備があったり、戸籍発行
料として必要な定額小為替の料金に不足があったりすると、問い合わせの
電話や何度も郵送でのやり取りが必要に なってしまい、2度手間、3度手
間になってしまいかねません。

またこの際、本籍地のある役所に郵送しなくてはいけないほか、必要な
戸籍謄本をすべて添付する必要があります。

ちなみに、定額小為替は郵便局かゆうちょ銀行でなくては購入することが
出来ません。また、役所によっては郵送での受け付け方法を明確に市役所
や区役所のホームページに記載していないところも多いものですから、も
うちょっと分かりやすい案内を用意してくれよ!と一般の方がイライラし
てしまうのも分かる気がします。

戸籍謄本の取り寄せなら、実績ある行政書士・司法書士にお任せ下さい!>

恐ろしい・・・ラビリンス・・・祟りじゃ、ご先祖様の祟りじゃ! ま
るで荒波のを越えるようで萎えてしまいそう。

ルーツ研究には本家の謄本、過去帳なども調べることになるのだろう。
専門家に頼めばいいが、何十万もかかるだろうし、そもそも遊びなんだか
らDIYでないと意味がない。一歩一歩やっていくが、辿り着くといって
も、その先には郷土史、国史も絡んでくるから「終わりのない旅」、途中
棄権しても誰もタスキを受け取ってくれないという、ほとんどこの遊びは
「冥土への旅」だな。

さてさて「台湾」。林景明「台湾処分と日本人」から。

<高砂族あるいは高山族と呼ばれている台湾原住民も、いつから、いず
こから台湾に渡ってきたのかは、先史時代のことに属してつまびらかでない。

しかし、今から3、400年前に南シナ海沿岸から移住してきた人たちは、
政治的にも経済的にも故郷を「住むに耐えないところ」と見切りをつけ、
命懸けで新天地を求め、木の葉のような小舟で怒涛逆巻く台湾海峡に漕ぎ
出した一種の難民だったといえよう。

今日においてすら一度でも海外に出たことのある台湾人が「過塩水的/ケ
キャムツィエ」と呼ばれて一目置かれるのは、海を乗り越えることが命懸
けの冒険であった頃の台湾人が、困難に遭うたびごとに「塩水を乗り越え
てきた勇士ではないか」とお互いに励まし合った名残なのである>

不運にも海の藻屑と消えた霊が閻魔様に「なぜこんな目に」と泣きつい
たら「宿命だから諦めろ」と慰められたほどに過酷な試練だった。

運良く辿り着いたものの彼らを待っていたのは新たな試練だった。

小生が初めてフィリピンに出張しコレラになってしまった際、フィリピ
ン留学帰りの部下が「それがフィリピン流のウェルカムサインですよ」だと。

台湾の緑の沃野には熱帯性風土病が手ぐすね引いて待ち構えていたの
だ。マラリア、黄熱、デング熱、アメーバ赤痢、コレラ・・・が熱いキス
と抱擁で熱烈歓迎してくれる。多くは昇天してしまうが、運良く生き残っ
た人は平地の先住民から開墾を認められ、やがて通婚し、同族化していっ
たようだ。

移住者を好まない先住民もいて、サイセット族は平地から山地に移った
が、もともと洪水や津波が多いためにタイヤル族、ツオウ族、ブノン族、
アミ族、ヤミ族は高地に住んでおり、このために新参者は平地で農耕が可
能だったらしい。

先住民はインドネシア系、移住民はインドシナ系で、元々は同一人種
だったことも幸いした。

以上は林景明氏の著作によるが、氏は日本に留学中、拓殖大や東大で言
語学も学んだようで、こう書いている。

<日本語の「なぜ」は台湾語「ナエ」、ベトナム語「ナウ」、漢族中国
語「オヘサマ」。「おそい」はタイ語で「ソイ」、台湾語「ソー」、ベト
ナム語「トイ」、中国語「マン」>

狩猟採集で海浜に住む日本、台湾など南アジア系と、遊牧農耕の大陸系
の支那/漢族とは民族学的には隔たりがあるようだ。小生が台湾を取材し
た際に台南の農村風景を見てジーンと感動したが、それは4歳までの原風
景がそこにあったからだと思っていたのだが、もっともっと以前からの血
というか、共通する「ルーツ」というものが琴線を振るわせたのかもしれ
ない。

発狂亭“来週は日本人のルーツ探しで三内丸山・津軽探訪!”雀庵の病棟
日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(149)2017/1/15】産経「佐藤優 エルサ
レムに米大使館?」、そこにはユダヤ、キリスト、イスラムの聖地がある
から大騒動になるぞ、止めろ!という説。一方で佐藤は中共工作員のごと
く琉球独立を煽っている。産経よ、外務省出身のインチキ屋ラスプーチン
に騙されるな!

主張「東京の大学抑制 まず地方の受け皿づくりを」。幼馴染みのM君は
秋田大卒だが、仕事に恵まれなかったようで、50歳頃には「半農半土工」
みたいだった。敢えて問いたいが、地方大学に学ぶ利点は何か? 大学は
戦後に雨後のタケノコのように増えていったが、若者は減るばかりだから
大学経営はとても難しい。豪州の大学のように支那人留学生頼りか? 豪
州の大学は支那人留学生のオツムに合わせて高校レベルになってしまった
という。

大学経営が中共の資金援助なしでは成り立たないというケースが増えて
いる。田舎も街も国家も支那人抜きにはやっていけない・・・やがて乗っ
取られる。漢族は世界最強で、異民族支配の達人だ。毛沢東曰く「カネ、
女、名誉・・・欲しがるものは何でもくれてやれ」とたらし込み、それで
も抵抗する奴は叩き潰す。これが4000年の伝統的支配策だ。

Slow but steady・・・焦らずじっくり、だが確実に篭絡する。1000万
円、1億円で落ちない人も1億円、10億円なら落ちる。「貴校のため、お国
のための援助資金です」と言われて受け取ったら、もうパトロンなしでは
生きていけなくなる。

「敵は幾万ありとても立ち向かう、周りは流されようとて我は孤高を保
つ、付和雷同は拒否する。でも1000万人が向こうへ行っちゃったら、俺も
行くよなあ」と言ったのは山本夏彦翁である。人間は弱いもの。「毒を食
らわば皿まで」、ズブズブ。だから警戒し、初期の段階で抗がん剤で治療
しなくては駄目だということ。「一度アル中、一生アル中」、支那、漢族
に心を許したら国家、民族はやがて消滅する。(つづく)2019/10/5





2019年11月13日

◆雀庵の「台湾ゲリラ掃討:戦場で英雄は育つ」

           “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/49(2019/11/11】右下奥歯が虫歯菌にやられて
貫通した。そのうちグラグラして抜けるだろうが、痛みで涙がポロポロ出
る。子供の頃を思い出して♪お久しぶりね、あなたに会うなんて、と可笑
しくも思うが、穴に正露丸を詰めたり、こめかみと、頬、下あごにバンテ
リン(皮膚浸透性)を塗っておいたらオツムが安定してきた。

イザベラ・L・バードの「朝鮮紀行」を読み終え、長ーい長ーい絶叫マシ
ンのような驚きと感動、美醜を味わった。氏の「日本奥地紀行」は昨年読
んだから、次は「カナダ・アメリカ紀行」「ハワイ紀行」「ロッキー山脈
踏破行」「チベット人の中で」、さらに「宮本常一著 イザベラ・バード
の旅『日本奥地紀行』を読む」を読むつもりだ。

「赤毛のアン」のLMモンゴメリも大好きだが、優秀な女は「感情、気
分」に加えて男的な「理性、知性」を併せ持っているから凄い作家が多そ
うだ。

「英国 作家 女」で検索したら、

ジェーン・オースティン (「高慢と偏見」1775-1817)、アガサ・クリス
ティ (「そして誰もいなくなった」1890-1976)、シャーロット・ブロンテ
(「ジェーン・エア」1816-1855)、メアリー・シェリー (「フランケン
シュタイン」1797-1851)、ヴァージニア・ウルフ (「ダロウェイ夫人」
1882-1941)、ジョージ・エリオット (「サイラス・マーナー」
1819-1890)、エミリー・ブロンテ (「嵐が丘」1818-1848)・・・

英国はシェイクスピアの時代(1600年前後)から文学でも世界をリード
してきたが、女性作家が増えていったのは1800年代からリベラル≒アカモ
ドキ風の「女権拡張運動」(一夫一婦制批判、自由恋愛など)が盛んに
なっていたことが影響しているだろう。

日本では「元始、女性は太陽であった」と時の声を上げた平塚雷鳥らの
仕事が1900年代に始まったが、自らの醜聞とアカ狩りで、戦前は「女性に
よる文学」についてはあまりぱっとしなかったと思う。近・現代の日本で
は世界的な女性作家はいないのではないか。

孤高の一葉女史の作品は万葉文学の味わいがあって「いいなあ」と思う
が、英語にさえ翻訳されていないようで、残念なことだ。

イザベラ・L・バードとLMモンゴメリ、「L」は二人とも「ルーシー」の
略だ。モンゴメリの場合は、2歳に満たない前に母が死んで、母の母親、
モンゴメリにとっては祖母の名にちなんだものだろう。祖母はかなり強
情、厳格、非寛容で、宗教や伝統に基づく自分の価値観以外を許さないタ
イプだった。モンゴメリはこのルーシー婆さんが母親代わりになって育て
られたのだから、個室で自然や鏡の中の自分を相手におしゃべりしたり、
創作するしかない。

モンゴメリは「私はルーシーと名乗ったことはありません!」と強く
言っているが、ルーシー婆さんがいなかったら作品もなかったろう。

一方のバードは、生まれながらの虚弱体質、ベッドの中で読書したり、
窓から眺めたり、あれこれ考えて過ごすしかない。

この二人の幼少期には普通と違って大きな「陰」があったこと、孤独が
思考力や観察眼を強めたこと、という点で似通っている感じがする。「心
も体も健康で元気な奴は作家なんかにならないよ」と夏彦翁は言っていた
が、二人の環境が女性的な「感情、気分」に加えて男性的な「理性、知
性」を育んだと思う。「艱難汝を玉にす」だな。

モンゴメリの父母は名門、夫は牧師、バードの父はインドでの弁護士を
経て後に牧師、ともに上流階級に近い中流階級だったことも幸いした。良
き土の上に蒔かれたから大輪の花が咲いたという、運もあったろう。努力
したからこそ運を生かせたとも言える。

台湾清軍討伐の石光真清らの悪戦苦闘の中で、臆病だった兵士が勇者に
育っていく。J・マケインは「戦争の中には栄光から悲惨まで人生のすべ
てある」と言っていたが・・・ちょっと感動的だ。石光の手記「城下の
人」から。

<(西村二等兵は分隊中一番の臆病者で、逃げ隠れして一度も戦闘に加
わらない。山本上等兵が西村を遠くへ連れ出して説教している)

私は二人に近づき、その間に入った。

「おい西村、話は聞いた」

「申し訳ありません・・・」

「黄塵の中を行軍した時にお前は落伍したが、運が良くて助かった。あ
れから今日まで、お前は逃げ隠れしていたそうだが、他の者は皆戦った。
それでも誰一人死傷しておらん。戦というものの生き死には、これは運だ
よ。生きよう生きようと思っとるような奴の方が戸惑って撃たれるものだ。

次の戦闘からは、必ず僕の傍におれ、いいか、離れるんじゃないぞ、も
し、こそこそ逃げ出したら、その時は従卒の井手口にお前を撃ち殺す権限
を与えておく。いいか、容赦はせんぞ」

と私は彼に申し訳をさせずに叱ってから、大声で井手口を呼んで言った。

「これからの戦闘には、お前は必ずこの西村を傍に置け。離れるような
ことがあったら、撃ち殺しても、斬り殺しても、お前の勝手にしてよろしい」

井手口は不動の姿勢をして真面目な顔で、


「はっ、必ず、そう致します」

と言った。すると西村の顔色が土色になってブルブル震えだし、とうと
うしゃがみこんで動けなくなってしまった。


私は井手口と山本を促して、西村をそこに残したままさっさと引揚げた。

それから間もなくの(明治28/1895年)7月10日、敵の大部隊が来襲し
た。早速、井手口は西村二等兵を小脇にかかえるように引っ張って、私に
ついて来た。初めのうちは夢遊病者のようにふらふらしていたが、どうし
たことか、途中から急に私の前に飛び出し、地物にも拠らず立ち姿のまま
で敵に向かって突撃を始めた。

この日の戦いで、敵は百五十ほどの死体を遺棄して退却したのであるか
ら、相当に激しい戦闘だったと言える。この日から西村は生まれ変わった
ように勇敢になり、無事に凱旋して「金鵄勲章」*を受けたのであった。

初めての戦闘で眼がくらみ、腰の浮いた私を始めとして、部下たちもこ
のようにして一戦闘ごとに勇敢になり、生死を超越した暮らしを送るよう
になると、なぜか母のことも、急死した兄のことも、思い出すことが稀に
なった。兵士たちの心境も、おそらく同じようなものであったと思う。

国からの手紙などが届くどころか、敵の来襲が引続いて、糧道さえが断
たれ、無暗にバナナを食わされていたのである>

*「金鵄勲章」(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた日本の
勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍の軍人およ
び軍属に与えられた。金鵄章ともいう。「金鵄」は、日本神話において、
神武東征の際に、神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り
輝き、長髄彦の軍兵の目を眩ませたという伝説に基づく。(WIKI)

発狂亭“近衛兵の父は「暑い寒い、辛い苦しい、旨い不味い」と言ったこ
とはなかった。その息子は「歯が痛い」と泣いている。戦がないと男は軟
弱になるばかりか”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(166)2017/1/20】産経、青木伸行「お別
れ会見 オバマ氏(トランプの)取引外交を警告『米国は大丈夫だ』エー
ル」「高い理想と現実、せめぎ合い、米と世界が漂流した8年間」。

ようやくオバマと民主党の政治が終わった。歴代唯一の反米大統領で、
米国にとっていいことを一つでもやったのか? 彼にとっては不本意だろ
うが、リベラルのどうしようもない愚かさを明らかにしたのは、愛国保守
派、サイレントマジョリティにとっては大きなプラスになった。

デタラメルケル、ダレモオランドを蹴飛ばせばEUは解体へ向かう。「通
貨、国境管理を含めて各国の主権(自由、独立)を抑制すれば戦争が起き
ない、平和が保たれる」というリベラル、EUの理念は、皮肉にも難民モド
キを手招き、加盟国のナショナリズムを煽ってしまい、「俺は俺の道を行
く」という風潮を生んでいる、というか先祖返りを促進している。


EU、米国、世界がどうなるのか、今年で方向が分かるだろう。(つづ
く)2019/11/11


2019年11月12日

◆雀庵の「続・台湾のゲリラと蜂起に苦戦」

         “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/48(2019/11/8】「レンタル家族」は小説の材料
になっている。筒井康隆、伊坂幸太郎が書いているから結構、人気の材料
なのだろう。派出婦は「レンタル奥さん」、派遣ワーカーは「レンタル
SE]とか、デリヘルなんて「レンタル恋人」だ。

生涯未婚率は高まり、少子化も進んでいる。当たり前ながら結婚は良い
面(楽しい)もあれば嫌な面(うんざり)もある。「良い面だけを楽しめ
るレンタル家族」のニーズは結構あるだろう。それをビジネスにするに
は、こんなやり方はどうだろう。

客が「奥さんと子供2人」1泊2日を必要としている。土曜の午後1時〜日
曜の午後6時で5万円。飲食費や遊興費などはすべて客が持つ。子供には
「お芝居ごっこ」と言っておけばいい。

奥さんちは母子家庭がいい。週末に出張すれば4週で20万円、申告不要。
「売春? 冗談じゃないわよ、恋人と会っていただけ、お小遣いをもらっ
ただけ」なのだから。生活保護などの支援金プラス「レンタル家族」業で
月に30万円ほどになるから、まあまあ安心して暮らせるのではないか。

この「疑似家庭」は1か月に1回くらいでいいのではないか。まあ「ペッ
トレンタル」だな。月に2回ほどで十分だろう。もしかして愛情というか
情愛が芽生えてきたら同棲したらいい。入籍はリスクが大き過ぎるから同
棲とか内縁関係とか事実婚とかで「別れる権利」を保持した方がいいだろ
う。相手だって同じだろう。転職の自由とか。

「レンタル家族」というのは「万引き家族」みたいに露骨すぎるから本
場のお・フランスを真似て"Famille de location"略称「ファミ・デ・ロ
カ」「ファミロカ」でどうか。「どう、ボクとファミロカしない? お試
し1週間コースとかさあ」なんてええんでないか。

仲良くしていれば子供もできて「結婚せずとも少子化止まる」、国策に
も寄与する。もてない男、苦しい母子家庭、寂しいヂヂババ・・・みんな
喜ぶぜよ、のう。やってみなはれ。

「レンタルヂイヂ」ってないかなあ、「奥さん、わしゃ下はダメですけ
んど舌は元気やさかい、使こうて下さらんかのう」

「嫌よ、タダでもいや、ダメ、絶対!」

沖縄では「ダメ、絶対!」の筆頭は「軍、基地、自衛隊」だとロバー
ト・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表、元在沖縄米海兵隊政務
外交部次長)が書いている(iRONNA 11/7「首里城火災、玉城デニーは
リーダーシップを果たせ」)。

「軍、基地」とはもちろん米軍で、自衛隊も大嫌いだ。「嫌よ、タダで
もいや、ダメ、絶対!」。沖縄県市町村は日米軍とは災害時の協力体制も
ほとんどできていない。正確には拒否しているのだろう、「平和の島に軍
隊はいらない」とか。中共に助けてもらうつもりか。

首里城を再建したところで、最悪の事態を想定した防火対策は取らない
だろう、すなわちトモダチ作戦も自衛隊の支援も「ダメ、絶対!」なのだ
から。造っては焼く、焼いては造る・・・資金は中共に出してもらったら
いい。子曰く「小人は養い難し」、つける薬はない。

沖縄の「売り」はアジアの安全保障の最前線ということだ。この地政学
的価値を活かせば経済は向上し、民生も安定する。今のような観光依存で
は限界がある。「観光は貧しい国の産業」というのが旅行業界の認識だ。
高学歴の子弟の就職先ではない。



戦後、日本はドルを稼ぐために「ゲイシャ、フジヤマ」で外国人旅行者を
誘致した。戦争の傷が癒えて反転攻勢へ自信がついた1964年に海外旅行自
由化、外貨持ち出しOKになるや、外国人旅行者誘致の熱意は細った。沖
縄は「脱・観光オンリー」への道を見つけなくてはならない。スイスのよ
うに兵器産業、防衛産業の最先端アイランドを目指すべきではないか。パ
イナップル、ゴーヤチャンプルでは頭脳は流出するばかりだ。

「ゆすりたかりも芸のうち」とは言え、反戦では食えん。自分の利点弱
点、優位性劣後性などをしっかり見て作戦を考え、着実に前進していくこ
とだ。三歩前進、二歩後退、匍匐でもいい、半歩でも一歩でも前進すること。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、悪戦苦闘は続く。石光の手記「城下
の人」から。

<明治28/1895年6月22日、新竹城の守備についた。25日の午前1時、四戸
軍曹を枕頭山の下士哨(数名による警備探索)に派遣したところ、午前11
時頃、敵兵500名ばかりが下士哨を包囲してしまった。兵20名を率いて救
援に行き、やっとのことで合流して、敵に小銃を浴びせたが、敵兵は次第
に数を増して千名ほどになって、完全にわれわれを包囲してしまった。

ほとんどが青竜刀や槍を持った兵で、小銃は100挺ほどしかない模様で
あったが、50倍の敵に包囲されたのでは全滅である。次第に包囲を縮めて
50m程に接近してきたから、私は退却命令を出し、西門を目指して狂った
ように突進した。この時である。

「待ってくれ! 首を取られるっ!」

という絶叫が後ろに聞こえた。見ると兼氏二等兵が出遅れて窪みの中に
取り残されてしまったのである。

「馬鹿野郎! 貴様一人のために待てるかっ、首を取られたら自分で抱
えて来い!」

私がこう怒鳴って飛び出すと、兼氏二等兵も勇気が出たと見えて飛び出
し、合流した。

妙なもので、50倍の敵兵が真昼間の戦場で、わずか20名のわれわれの勢
いに気を呑まれて、呆然と見送ってしまったのである。お蔭で一人の負傷
者もなく帰還できた。戦争にはこのようなことが多いものである。

その翌日のこと、山本上等兵が西村二等兵を遠くへ連れ出して、なにか
話していた。西村が首を垂れて泣いており、山本が叱っているらしく、な
かなか終わりそうもない。西村といえば、初めて支那大陸に上陸して黄塵
万丈の中を難行軍した時、眼も鼻も口も黄塵にふさがれて行き倒れ、私の
貴重な水筒の水で命拾いした男である。

他の兵士たちも、この長談義の姿を遠くから眺めて、顔を見合わせて
笑っていた。私は不思議に思って、後ろにいた品川上等兵に、あれは何を
しておるんだ、と訊ねると、

「小隊長は本当にご存じないのですか」

「知らんね・・・」

「実は・・・申し上げにくいことなんですが、西村は分隊中一番の臆病
者で、初陣の瑞芳の戦いの時も逃げ出して大行李の所へまぎれこんでし
まって、監視兵の中に入っていたのです。戦いが済んでからのこのこ出て
きて隊に加わったのです。それからというものは、ずっと今日まで一度も
戦闘に加わりません。実にうまく抜け出してしまうんです。それで山本上
等兵が意見をしているのであります」

「ほう、それは少しも知らなかった。今日まで戦闘は十数回もあったの
に、よく抜け出せたものだな、機敏な奴だな・・・」

「本当に機敏な奴であります」

「昨日、下士哨で包囲された時は、どうしておったのか」

「救援に出発の命令が出たら、西村の奴、急に腹が痛いと言い出して、
梃子でも動かないのです。引きずってでも連れて行こうと思ったのです
が、中尉殿がさっさと先頭に立って行かれるので、仕方なく残してゆきま
した」

「・・・・・・」

「戦友の救援にさえ行かない奴ですからね、皆が怒って、最後の忠告を
して従わなかったら、中尉殿に報告して、軍法会議に回していただくこと
にしたのです」

「なるほど、判った。僕が直接訓戒するよ」>

濁流は堤の一番弱いところから崩れだす、一か所がやられたら、そこから
どんどん穴が広がる。スクラムで激突するとき、一人が倒れたら突破され
る、ビジネスのチームでも「できない坊主」どころか「足を引っ張る奴」
もいるとは夏彦翁の言である。企業では春の人事異動後に5月とか6月に小
さな異動があるが、何だかんだ言って休む奴、怠ける奴がいて、「課長、
あのバカ、どうにかしてください、士気に影響します!」となるのは珍し
くない。

怠け者の取締役営業部長が部下の創意による直訴で解任されたケースを
見たが、彼は創業時に4分の1の株主で、「解任するなら持ち株をライバル
社に売るぞ!」と威嚇、手切れ金は1億円だった。

まるでがん細胞みたいな奴はいる。放逐すると「イジメだ! 慰謝料寄
こせ」なんて叫びだす奴もいるだろう。岩波は半島人を解雇して「下郎の
逆恨み」でずいぶん悩まされたようだ。朝日などアカ新聞はほとんど乗っ
取られているのではないか。共同通信の同級生が労務担当になって「うち
は左巻きが多いから苦労するよ」とこぼしていたっけ。

発狂亭“俺は果たして前進しているのか、何となく「寄せては返す波の
音」か、「ときどき怒涛か高波か」、夏彦翁曰く「ヒトはついぞ己が見え
ない」・・・うーん、♪ウナッチャーウーナー”雀庵の病棟日記から。


【措置入院 精神病棟の日々(165)2017/1/20】産経正論、井上寿一「孤
立回避への外交力が試される」、曰く――


「英米の衝撃に共通するエスノセントリズム(自民族中心主義)は、対外
的には孤立主義に陥りがちであり、グローバリズムに対して保護貿易を主
張する。(これを促している)ポピュリズムの広がりは、アジア地域にも
及ぶ。対中関係は小康状態を維持する見通しに乏しい。盧溝橋事件の歴史
から、出来事を一定範囲に限る外交力が試されることを今日の日本は学ぶ
べきだ」

リベラル≒アカモドキは金太郎飴で、ほとんど同じことしか言わない、書
かない、書けない、書きたくないのだ。中共社会科学院の学者そっくり。
十人一色、百人一色。盧溝橋事件(1937/7/7)は中共の工作で、日本vs
蒋介石国民党の対立を煽ったという説を学習院大学学長の井上は知らない
ようだ。

蒋介石にとって最大の敵は中共であって、張学良に騙されて拘束、威嚇
された南京事件で国共合作、事実上、共匪に自軍を乗っ取られ、仕方なく
日本軍と戦わざるを得なかった。毛沢東曰く「日本が国民党を叩いてくれ
たおかげで建国できました」。


外交力は「血を流さない戦争」と西郷先生、毛沢東は言っている。日本の
外務省や政治家にその気概がある奴はいるのか。お花畑の理想論では治ま
らないのが世の常だ。


山を俯瞰する鳥の目、木々を詳細に見る虫の目、学者なら「最低二つの
目」を持たないと鳥目になってよー見えんで、のう(つづく)2019/11/8

2019年11月10日

◆雀庵の「続・台湾のゲリラと蜂起に苦戦」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/48(2019/11/8】「レンタル家族」は小説の材料
になっている。筒井康隆、伊坂幸太郎が書いているから結構、人気の材料
なのだろう。派出婦は「レンタル奥さん」、派遣ワーカーは「レンタル
SE]とか、デリヘルなんて「レンタル恋人」だ。

生涯未婚率は高まり、少子化も進んでいる。当たり前ながら結婚は良い
面(楽しい)もあれば嫌な面(うんざり)もある。「良い面だけを楽しめ
るレンタル家族」のニーズは結構あるだろう。それをビジネスにするに
は、こんなやり方はどうだろう。

客が「奥さんと子供2人」1泊2日を必要としている。土曜の午後1時〜日
曜の午後6時で5万円。飲食費や遊興費などはすべて客が持つ。子供には
「お芝居ごっこ」と言っておけばいい。

奥さんちは母子家庭がいい。週末に出張すれば4週で20万円、申告不要。
「売春? 冗談じゃないわよ、恋人と会っていただけ、お小遣いをもらっ
ただけ」なのだから。生活保護などの支援金プラス「レンタル家族」業で
月に30万円ほどになるから、まあまあ安心して暮らせるのではないか。

この「疑似家庭」は1か月に1回くらいでいいのではないか。まあ「ペッ
トレンタル」だな。月に2回ほどで十分だろう。もしかして愛情というか
情愛が芽生えてきたら同棲したらいい。入籍はリスクが大き過ぎるから同
棲とか内縁関係とか事実婚とかで「別れる権利」を保持した方がいいだろ
う。相手だって同じだろう。転職の自由とか。

「レンタル家族」というのは「万引き家族」みたいに露骨すぎるから本
場のお・フランスを真似て"Famille de location"略称「ファミ・デ・ロ
カ」「ファミロカ」でどうか。「どう、ボクとファミロカしない? お試
し1週間コースとかさあ」なんてええんでないか。

仲良くしていれば子供もできて「結婚せずとも少子化止まる」、国策に
も寄与する。もてない男、苦しい母子家庭、寂しいヂヂババ・・・みんな
喜ぶぜよ、のう。やってみなはれ。

「レンタルヂイヂ」ってないかなあ、「奥さん、わしゃ下はダメですけ
んど舌は元気やさかい、使こうて下さらんかのう」

「嫌よ、タダでもいや、ダメ、絶対!」

沖縄では「ダメ、絶対!」の筆頭は「軍、基地、自衛隊」だとロバー
ト・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表、元在沖縄米海兵隊政務
外交部次長)が書いている(iRONNA 11/7「首里城火災、玉城デニーは
リーダーシップを果たせ」)。

「軍、基地」とはもちろん米軍で、自衛隊も大嫌いだ。「嫌よ、タダで
もいや、ダメ、絶対!」。沖縄県市町村は日米軍とは災害時の協力体制も
ほとんどできていない。正確には拒否しているのだろう、「平和の島に軍
隊はいらない」とか。中共に助けてもらうつもりか。

首里城を再建したところで、最悪の事態を想定した防火対策は取らない
だろう、すなわちトモダチ作戦も自衛隊の支援も「ダメ、絶対!」なのだ
から。造っては焼く、焼いては造る・・・資金は中共に出してもらったら
いい。子曰く「小人は養い難し」、つける薬はない。

沖縄の「売り」はアジアの安全保障の最前線ということだ。この地政学
的価値を活かせば経済は向上し、民生も安定する。今のような観光依存で
は限界がある。「観光は貧しい国の産業」というのが旅行業界の認識だ。
高学歴の子弟の就職先ではない。



戦後、日本はドルを稼ぐために「ゲイシャ、フジヤマ」で外国人旅行者を
誘致した。戦争の傷が癒えて反転攻勢へ自信がついた1964年に海外旅行自
由化、外貨持ち出しOKになるや、外国人旅行者誘致の熱意は細った。沖
縄は「脱・観光オンリー」への道を見つけなくてはならない。スイスのよ
うに兵器産業、防衛産業の最先端アイランドを目指すべきではないか。パ
イナップル、ゴーヤチャンプルでは頭脳は流出するばかりだ。

「ゆすりたかりも芸のうち」とは言え、反戦では食えん。自分の利点弱
点、優位性劣後性などをしっかり見て作戦を考え、着実に前進していくこ
とだ。三歩前進、二歩後退、匍匐でもいい、半歩でも一歩でも前進すること。

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、悪戦苦闘は続く。石光の手記「城下
の人」から。

<明治28/1895年6月22日、新竹城の守備についた。25日の午前1時、四戸
軍曹を枕頭山の下士哨(数名による警備探索)に派遣したところ、午前11
時頃、敵兵500名ばかりが下士哨を包囲してしまった。兵20名を率いて救
援に行き、やっとのことで合流して、敵に小銃を浴びせたが、敵兵は次第
に数を増して千名ほどになって、完全にわれわれを包囲してしまった。

ほとんどが青竜刀や槍を持った兵で、小銃は100挺ほどしかない模様で
あったが、50倍の敵に包囲されたのでは全滅である。次第に包囲を縮めて
50m程に接近してきたから、私は退却命令を出し、西門を目指して狂った
ように突進した。この時である。

「待ってくれ! 首を取られるっ!」

という絶叫が後ろに聞こえた。見ると兼氏二等兵が出遅れて窪みの中に
取り残されてしまったのである。

「馬鹿野郎! 貴様一人のために待てるかっ、首を取られたら自分で抱
えて来い!」

私がこう怒鳴って飛び出すと、兼氏二等兵も勇気が出たと見えて飛び出
し、合流した。

妙なもので、50倍の敵兵が真昼間の戦場で、わずか20名のわれわれの勢
いに気を呑まれて、呆然と見送ってしまったのである。お蔭で一人の負傷
者もなく帰還できた。戦争にはこのようなことが多いものである。

その翌日のこと、山本上等兵が西村二等兵を遠くへ連れ出して、なにか
話していた。西村が首を垂れて泣いており、山本が叱っているらしく、な
かなか終わりそうもない。西村といえば、初めて支那大陸に上陸して黄塵
万丈の中を難行軍した時、眼も鼻も口も黄塵にふさがれて行き倒れ、私の
貴重な水筒の水で命拾いした男である。

他の兵士たちも、この長談義の姿を遠くから眺めて、顔を見合わせて
笑っていた。私は不思議に思って、後ろにいた品川上等兵に、あれは何を
しておるんだ、と訊ねると、

「小隊長は本当にご存じないのですか」

「知らんね・・・」

「実は・・・申し上げにくいことなんですが、西村は分隊中一番の臆病
者で、初陣の瑞芳の戦いの時も逃げ出して大行李の所へまぎれこんでし
まって、監視兵の中に入っていたのです。戦いが済んでからのこのこ出て
きて隊に加わったのです。それからというものは、ずっと今日まで一度も
戦闘に加わりません。実にうまく抜け出してしまうんです。それで山本上
等兵が意見をしているのであります」

「ほう、それは少しも知らなかった。今日まで戦闘は十数回もあったの
に、よく抜け出せたものだな、機敏な奴だな・・・」

「本当に機敏な奴であります」

「昨日、下士哨で包囲された時は、どうしておったのか」

「救援に出発の命令が出たら、西村の奴、急に腹が痛いと言い出して、
梃子でも動かないのです。引きずってでも連れて行こうと思ったのです
が、中尉殿がさっさと先頭に立って行かれるので、仕方なく残してゆきま
した」

「・・・・・・」

「戦友の救援にさえ行かない奴ですからね、皆が怒って、最後の忠告を
して従わなかったら、中尉殿に報告して、軍法会議に回していただくこと
にしたのです」

「なるほど、判った。僕が直接訓戒するよ」>

濁流は堤の一番弱いところから崩れだす、一か所がやられたら、そこから
どんどん穴が広がる。スクラムで激突するとき、一人が倒れたら突破され
る、ビジネスのチームでも「できない坊主」どころか「足を引っ張る奴」
もいるとは夏彦翁の言である。企業では春の人事異動後に5月とか6月に小
さな異動があるが、何だかんだ言って休む奴、怠ける奴がいて、「課長、
あのバカ、どうにかしてください、士気に影響します!」となるのは珍し
くない。

怠け者の取締役営業部長が部下の創意による直訴で解任されたケースを
見たが、彼は創業時に4分の1の株主で、「解任するなら持ち株をライバル
社に売るぞ!」と威嚇、手切れ金は1億円だった。

まるでがん細胞みたいな奴はいる。放逐すると「イジメだ! 慰謝料寄
こせ」なんて叫びだす奴もいるだろう。岩波は半島人を解雇して「下郎の
逆恨み」でずいぶん悩まされたようだ。朝日などアカ新聞はほとんど乗っ
取られているのではないか。共同通信の同級生が労務担当になって「うち
は左巻きが多いから苦労するよ」とこぼしていたっけ。

発狂亭“俺は果たして前進しているのか、何となく「寄せては返す波の
音」か、「ときどき怒涛か高波か」、夏彦翁曰く「ヒトはついぞ己が見え
ない」・・・うーん、♪ウナッチャーウーナー”雀庵の病棟日記から。


【措置入院 精神病棟の日々(165)2017/1/20】産経正論、井上寿一「孤
立回避への外交力が試される」、曰く――


「英米の衝撃に共通するエスノセントリズム(自民族中心主義)は、対外
的には孤立主義に陥りがちであり、グローバリズムに対して保護貿易を主
張する。(これを促している)ポピュリズムの広がりは、アジア地域にも
及ぶ。対中関係は小康状態を維持する見通しに乏しい。盧溝橋事件の歴史
から、出来事を一定範囲に限る外交力が試されることを今日の日本は学ぶ
べきだ」

リベラル≒アカモドキは金太郎飴で、ほとんど同じことしか言わない、書
かない、書けない、書きたくないのだ。中共社会科学院の学者そっくり。
十人一色、百人一色。盧溝橋事件(1937/7/7)は中共の工作で、日本vs
蒋介石国民党の対立を煽ったという説を学習院大学学長の井上は知らない
ようだ。

蒋介石にとって最大の敵は中共であって、張学良に騙されて拘束、威嚇
された南京事件で国共合作、事実上、共匪に自軍を乗っ取られ、仕方なく
日本軍と戦わざるを得なかった。毛沢東曰く「日本が国民党を叩いてくれ
たおかげで建国できました」。


外交力は「血を流さない戦争」と西郷先生、毛沢東は言っている。日本の
外務省や政治家にその気概がある奴はいるのか。お花畑の理想論では治ま
らないのが世の常だ。


山を俯瞰する鳥の目、木々を詳細に見る虫の目、学者なら「最低二つの
目」を持たないと鳥目になってよー見えんで、のう(つづく)2019/11/8


2019年10月28日

◆雀庵の「清弱体、台湾狙う英米そして日本」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/39(2019/10/23)】津軽・下北半島巡りの帰
路、東京へ向かう高速深夜バスから外を眺めていた。「東北自動車道はす
べて山の中である」と言ってよい。道の両側はスギ、ヒノキなど針葉樹の
高木、その多くは多分、戦後に換金性があるとして植林奨励されたものの
1980年あたりから輸入材に圧されて放置されたもので、広葉樹はとても少
ない。1時間も見ていれば飽きる、眠くなる。

トイレストップで2時間後に見ても針葉樹だらけ。まるで未開地、冬にな
れば雪だらけになるのだろう。如何せん、この地を開拓する方策はないも
のかと、茫然と眺めるばかりだった。

薄明の中で大きな川を渡ると景色が一気に開けた。利根川で、それを越
えると埼玉県、懐かしい人家、生活の匂いがどんどん増えてくる。「あ
あ、夜明けだ、文明だ!」とホッとした。下山で最後の尾根を越えてベー
スキャンプが見えてきた時の感動はきっとこんなだろうなと思う。

緑を求めてたまに山林を散策するのは素敵だが、そこで暮らすとなれば
都会人は1年で逃げ出すだろう。北国の冬は耐えられまい。秋田の人は
「冬は温かいところへ旅行したり、出稼ぎしたり、息抜きする。その間、
雪の下で農地は活力を取り戻し、熟成するのよ。これが雪国の生活」とニ
コニコしていたっけ。

司馬遼は「出稼ぎはキャッシュを稼ぐためで、国に帰れば衣食住に困るど
ころか豊かなものだ」と書いていた。今は出稼ぎは激減したが、若者の人
口減で老人でも地元でバイト先があるのだろう。農家が農閑期に海外旅行
へ出かけるのは当たり前で、JA系の農協観光は売上ランキング11位だ
(2018年)。農家が日本の初期、1970〜80年代の海外旅行市場をリードし
てきたと言える。

東北の人は農家の後継ぎがいない、若者は出ていくばかりだと嘆くが、
別に困っているわけではないようだ。

一方で、日本海気候の豪雪地帯、92%が山という岐阜県の飛騨高山に生
まれ育った友は「一度でも太平洋岸に暮らしたら、もう戻れない」と言っ
ていた。彼の兄も千葉暮らしで、高山の両親は亡くなったが、実家は無住
で今頃は朽ち果てているだろう。彼はバブル時代に高山のゴルフ場会員権
を400万円で買ったが、2回ほどプレーしただけ。「今は50万円くらいじゃ
ないか」という。サルやタヌキはゴルフはしないし・・・

雪国から都市へ出た若者は盆と正月に故郷へ帰るだけになり、両親が亡
くなればせいぜい「墓仕舞い」で行って、それで故郷との縁はまず切れ
る。故郷を思い出すのは「東京○○県人会/同窓会」くらいになるのだろう。

「それは時代の流れでどうしようもない、農業も俺の代で終わりよ」と
ヂヂババは諦観しているのだろうが、小生は一歩でも二歩でも、たとえ
這ってでも前へ進みたい、天が「前へ!」とハッパをかけているんだもん。

小生が、今の日本人が、後藤新平のようにフロンティアの東北開拓、近
代化を進めなければ50年、100年たっても「東北は山の中」のままであ
る。「何とかしなければ過疎化で後退しかねない」、この危機感は昔から
あるが、有名なのは以下である。

<「日本列島改造論」は、田中角栄が自由民主党総裁選挙を翌月に控えた
1972年(昭和47年)6月11日に発表した政策綱領、およびそれを著した同
名の著書。略して列島改造論ともいった。

田中はこの「工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成を
テコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地
方分散” を推進すること」を主旨とした事実上の政権公約を掲げて同年7
月の総裁選で勝利し、内閣総理大臣となった。

日本にとって、首都の過密と地方の過疎は、当時よりも一層深刻な問題
になっており、少なくとも田中が日本列島改造論を著したのは、こうした
状況への問題提起としての意味を持っていた。交通網の整備で様々な課題
が解決するという発想は、「土建業一辺倒だ」という批判もある。

地方から過密地(特に首都・東京)へ向かう交通網の整備は、大都市が
持つ資本・技術・人材・娯楽が、地方にも浸透しやすくなったことは事実
であるが、同時に地方の住民・人材・企業もまた大都市に流出しやすく
なったことで東京一極集中と地方過疎化をより促進してしまうということ
が起こった。

地方での駅や道路の建設も同様の事象が起こり、駅ナカ・駅前・郊外へ
のストロー効果を招き、中心市街地が衰退してしまった。田中が抱いてい
た理想の未来には不十分で程遠い結果であった。

新幹線や高速道路なども地方と東京を結ぶ路線がほとんどで、地方と地
方を結ぶ路線の建設は遅々として進まないのが現状であり、防災と減災の
バランス確保による国土強靭化も必要である。こうした道半ばの「均衡あ
る発展」を背景に、田中が目指した本来の日本列島再生を実現させるべき
だという論もある。

こうして田中が提唱した「工業再配置と交通の全国的ネットワークの形
成」は幻となったが、「情報通信の全国的ネットワークの形成」は田中に
よる報道機関への懐柔策もあり、日本電信電話公社によって回線が構築さ
れた後、1985年(昭和60年)に実施された公社の民営化に伴う通信自由化
(電気通信事業法施行)を契機として、民間ネットワーク事業者(日本電
信電話株式会社等の回線を利用する事業者を含む)の新電電参入が招来さ
れた。

続く1990年代の民放テレビ全国四波化やパーソナルコンピュータとイン
ターネットの世界的な普及が、これを確立させるに至ったのである>(WIKI)

素人の小生の思い付きでは、東北の脊柱である奥羽山脈(主に東側)を
上手に崩し、その土で高さ10m、1辺4?、面積16平方キロの巨大な台地
(水害に強い)をあちこちに造る。ピラミッドの上の三角錐がないような
感じ。山手線の内側の4分の1の広さだ。そして全天候対応のドーム型にする。

この植民地に産業、住民、公共施設を誘致する。経済特区として地代はな
し(貸与)、税は所得税のみ。気温が温暖に保たれていればか果樹や花卉
の栽培、畜産も可能だ。雇用があれば人は集まる。

高速道や高速鉄道へのアクセスがいいのは当然とし、東西、つまりに日本
海と太平洋を結ぶ高速道も何本か造る。

まずは「隗より始めよ」で、国会関係の機能、省庁などを移す。成田空港
に近い(1時間)茨木県筑波市あたりがいいか。精密機械は桐生市とか足
利市、食品関係は郡山市とか。

船橋や市川、大田区あたりの町工場の親父は「今さら引っ越せない」と
言うだろうが、工場建設など移転に伴う費用の多くは低利で融資するとな
れば「新天地でもう一勝負するか!」となるのじゃないか。

オフィス、工場、住宅、店舗、農地、学校、保育園、病院、そして遊
郭。新しき「令和の街」ができる。治水灌漑の最上の知恵はオランダに学
ぶといい。

新しい街づくりはいいものだが、新しい国造りは大体が血を伴う。血
降って国固まる、西郷先生曰く「焦土の中から国は生まれる」。

英国はブレグジットでEU帝国に風穴を開けようとしている。アリの一穴は
次々に堤を崩していくだろう。イタリアはフェラーリに乗ってまず「いち
抜けた」、ギリシャ、スペインも逃げるね、捨て台詞は「借金なんて貸し
た方が悪い!」。オーストリア、ハンガリーは「メルケルと心中なんてや
なこった」。フランスも動揺して離脱派と残留派が衝突して糞尿バラマキ
合戦になる。ドイツはAfD対アカモドキで殴り合い、分裂するしかないだ
ろう。

1800年代の世界の覇者は大英帝国だった。当時、清国は世界最大最強の
国、「眠れる獅子」と思われていたから誰もちょっかい出さなかった。英
国は冒険心、イタズラ心、早い者勝ちの開拓精神が旺盛で、この獅子に
ちょっかいを出した。「アヘン戦争」(1840〜42年)である。

英が勝ったことよりも、大帝国の清が実は見掛け倒しのただの着ぐるみ、
虎の皮をかぶった豚、脅せばいくらでも金を出す国だと世界の列強、ゴロ
ツキに知らしめたことがケチのつき始めになったことは清朝にとって痛手
だった。

<英国は1841年9月27日には台湾北部の基隆港に近づき、砲台の兵舎一棟
を吹き飛ばした。威力偵察だったろうが、砲台が応戦すると反転しようと
した英艦は不覚にも座礁、そこに台湾守備隊の大小艦船が殺到した。英艦
の乗員270人のうち英兵10人、インド兵23人を殺し、インド兵133人を捕虜
にし、砲十数門を捕獲した。

連戦連敗のアヘン戦争における台湾での勝利である。道光帝は喜び、台
湾守備隊総司令の兆蛍(ようえい、兆は女偏)は勲章を賜った。

第2回戦は同年10月19日、第3回戦は翌1842年3月5日には中部の彰化沖に
接近した英艦1隻に多数の偽装漁船を近づけて座礁させ、敵兵数十人を殺
し、英兵19人、インド兵30人、漢人5人を捕虜にし、砲10門を奪った。

兆蛍の防備強化の賜物だが、その後の8月13日、戦意高揚と称して多くの
捕虜を処刑した。その16日後の8月29日には英と清が停戦し南京条約が結
ばれた。香港割譲、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港、賠償金支払
い、捕虜の相互交換が定められた>(喜安幸夫「台湾の歴史」)

当時は戦時国際法が普及してはいなかったが、「捕虜は殺さない」のが
暗黙のルールだったろう。このために英雄だった兆蛍は北京に護送され、
官職、栄誉のすべてを剥奪され、追放されてしまった。

「アヘン売りのやくざ」英国の完勝だ。他人の縄張りにちょっかいを出
す、脅す、反発したら報復する、「済みません、ご免なさいで済むと思う
のかよ、のう、俺は寛容やが、血の気の多い若いもんの抑えが効かんで、
のう、誠意を示したれや」。帝国主義は国家を挙げてゴロツキ、海賊、山
賊、匪賊になって獲物を美味しくいただくことである。

弱肉強食、今はアステカ文明、マヤ文明、インカ文明のように皆殺し、
絶滅、ジェノサイドはないが、借金漬けにする、宗教対立を煽る、格差拡
大で貧困層を奴隷状態に置く、独裁政治を支援するなどにより弱小国を併
呑するようになったが、本質的にはシマ、ナワバリをめぐる戦いだ。

「外交は血を流さない戦争、戦争は血を流す外交」。西郷先生も毛沢東
も同じことを言っていた。覚悟、備えがない国、民族は餌食になる。

10月22日は天皇陛下の「即位礼正殿の儀」。昭和天皇が必死で護持した立
憲君主制は国家がまとまりやすいというメリットはある。民主主義は国論
が二分されて二進も三進もならずに漂流するリスクが大きい。

立憲君主制、天皇・皇帝・王政・皇室制度を世界が学び、国柄に合った
制度を採用すれば世界はより良くなるのではないか。国家、国境を嫌う人
には向かないが・・・

「正殿の儀」は昼あたりから雨が止んでよかったが、愛子様のお姿がな
かったような気がする。お元気だろうか。


今朝は素晴らしい秋晴れでめずらしく心身爽快、台風難民の持ち込んだ荷
物を1F倉庫に収納し、家中はかなりすっきりした。発狂亭“天皇陛下万
歳!”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(156)2017/1/18】産経「英、EU強硬離脱
 英国民の反移民尊重 不満根強く 市場より主権回復優先」。


アカの他人からアーダコーダ命令されるのはコリゴリ、「君は君、僕は
僕、結婚ではなく友達で行きましょう」ということだ。EUの未来は「そし
てメルケラー総統の第四帝国が残った」となるだろう。もう少し長生きし
て最後を見たいものだ。

曽野綾子先生「高齢者『75歳から』提案 元気な限り働くのは当然」、
曰く「聖書は、働く意欲を持たない人は食べる資格がないと戒めてい
る」。足腰が動く限りは炊事、洗濯、孫や病人の世話などをやっていこ
う。体力は落ちるばかりだが、できることはあり、家族の役に立つのはい
いことだ。(つづく)2019/10/23


2019年10月27日

◆雀庵の「続・清弱体、台湾狙う英米、日本」

     “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/40(2019/10/25)】学友から「横浜市大自動車部
卒業生の会」の誘いがきた。こう返信した。

<覚えていてくれてうれしいよ、返事が遅れてしまった、すまない。体調
が安定しない →気力が衰える →市大はすっかり変わってしまい、センチ
メンタルジャーニーの雰囲気はない。

過日、三浦半島を周遊したが、車窓から眺めた市大はおしゃれな「青春
キャンパス」。悲惨な青春の舞台の面影はない。自動車部のガレージ・倉
庫ももちろんない。裏山のてっぺんの高射砲台跡もないだろうし、第一、
小道があるのかどうかも分からない。

小生は車酔いでタイムラリーは無理、1回練習しただけだったが、なぜか
懐かしい。中津川渓谷近くの清川村の運転練習所、小野君が側溝に落とし
てびっこになったブルーバード、堀口君の白い(やがてくすんできた)ダ
ウンコート、石堂君とシェアした新大津の山の上のあばら家、・・・

懐かしいけれど「あの日に帰りたい」とは思わない。天職につくまでの青
春/凄春彷徨は「道に迷っているばかり、胸にとげさすことばかり」、思
い出せば懐かしいけれど慚愧無念で苦しすぎる、しょっぱすぎる。

まあ、正直に言えばそういうことで、さらに言えばアル中になって緊急措
置入院、以来3年間断酒中だから酒席は辛い、怖いのよ。今でも「ああ、
メーカーズマーク、スーパードライ、酎ハイ、ギンギンに冷えた吟醸酒呑
みたいなあ、でも呑んだらおしまいだ」と毎日のように思うのよ。

「一升瓶換算で6000本呑んだのだからもう十分じゃないか」「棺桶に酒を
どぼどぼ入れてもらおう」と慰めるのだが、メチルアルコールやミリンを
呑んだ人、ヒロポン中毒になった人の気持ちがよく分かる。

そうだ、カナダへ行こう!「大麻 フロム カナダ」はまずいが、カナダ
でやろう、娯楽用/嗜好用マリファナ(大麻)入り飲料も合法化された!

でも、生来が「のめり込む」タイプだから結局は依存症になってしまい、
脳みそが壊れるわけ。酒の代わりに「ひとを食う」ことで紛らすしかない
か、やっぱ>

そう、「ほどほどに」ができない。トコトンやっちゃう。「自滅型」。吶
喊小僧、猪突猛進、執着質、狂気、突破者、特攻、殉教、革命家、冒険
家、博打うち、芸術家、作家、芸人、学者、職人・・・世の中を大きく動
かしてきたのはそういう人が多い。

「短編の名手」と称賛されるO.ヘンリは10年足らずの作家生活で280編の
作品を書いた。最後の3か月は人とも会わず、電話も切り、アパートの一
室にこもり、肝硬変と戦いながら小説を書いていたようだ。病院に運び込
まれるまでの最後の数日間をどう過ごしたかは不明だが、ベッドの下に
ウィスキーの空き瓶が9本転がっていたという。酒の力で創作意欲を得よ
うともがいていたのだろう。バッカス・ヘンリ!

旅行作家というか異文化研究学者のイザベラ・バード著「朝鮮紀行」、満
洲の奉天へ向かう船旅は未曽有の大雨と氾濫で生き地獄のよう。

「私は高熱を発し、全身ひどい痛みに悩まされた。3日目の朝から雨が降
り、風が吹き始め、そのあとの恐ろしい4日間、風雨は一度もやまなかっ
た。屋根を覆っていた油紙は風で破れてしまい、雨が吹き込んでくる。雨
水が6インチ(15センチ)もたまり、強烈なにおいを発し、船倉の中には
乾いたものは何一つなかった。

私は濡れた服を着て、濡れた蚊帳の中で、濡れたベッドに眠っていた。本
格的に体の具合が悪かったものの洪水の『液体コレラ』を飲まなければな
らなかった。井戸はすべて水中に没していた」

ようやく奉天に着いたものの馬車が横転し、バードは骨折し、腱を痛め
る。それでも前進するのだ。マダム・コンジョー!

偏見かも知れないが、人間は「理性・知性・奮闘」の人と、「気分・感
情・安逸」の人に分けられるのではないか。前者は稀で、後者は圧倒的多
数である。

ロシアの知識人が反共の罪で日本人将校用の獄舎につながれた時、彼は言
葉が通じないものの、それまでの兵士の雑居房とは違う落ち着きを得て
ホッとしたと書いていた。前者(将校、高等教育)と後者(一兵卒、普通
教育)は外観は似ていても全然種類が違う人間ではないかと思う。

前者は「リーダー、発信者」、後者は「フォロワー、受信者」のような感
じ。一流の職人は「理性・知性・奮闘」で「凛」とした風情、貫禄があっ
た。祭りなどでわが街の大工の頭領が伝統の仕事着で現れると、辺りは
ピーンとした、清浄と緊張の雰囲気になったものである。一目を置かれる
存在だった。

小生の「第二の親父」である寿司屋の大将も腕は立つ、頭はいい、弟子は
育てる、守る、「是は是、非は非」という人で、風格があった。惰弱、軟
弱とは正反対で、多くの人から尊敬された。

「よく考える、作戦を練る、そして何がなんでも進む、チャレンジする、
負けても負けてもくじけない、新しい道を探す」、そういう人が歴史を
創ってきたのではないかと思う。

そういうトップグループのシッポ、末席でもいいから、そこにいたいなあ
と小生は思う。たとえ牛尾でも二番手、三番手グループの鶏のトップより
ははるかにいいと思う。夏彦翁曰く「最先端ではなくても、その尻にくっ
ついていればいい。遅れすぎると落ちこぼれる」。会社をデジタル化する
上でこの言葉はとても参考になった。

だから書籍、新聞などを楽しみながら読む。娯楽であり勉強だ。「気分・
感情・安逸」の人は文庫本一冊を読むのに半年、一年かかる。テレビやス
マホがないところでしか読書をしない。多くの、実に多彩な人の思考、経
験、喜怒哀楽、人生を追体験できる読書の能力が落ちるから成長どころか
後退する。

福沢先生は「人間に上下はない、しかし、仕事の軽重、上下はある。軽い
仕事は軽い報酬、重い仕事は重い報酬、学問に精出せば重い仕事に就け
る」と鼓舞した。

今の世の中は上の方、トップグループは競争が激しいから必死で勉強す
る。一方、下の方は面白おかしく暮らせればいいや、まあ制限時間に間に
合えばいいんじゃない、とひたすら麻薬中毒のように遊ぶ、脳みそを劣化
させる。

結局、貧富の差は拡大し、代々にわたって勝ち組、負け組が固定化する。
努力しなくても餓死するわけじゃないから負け組が奮起することもない。
福祉、社会保障が手厚くなればなるほど負け組は努力せず、社会はいびつ
化、劣化する。

「金持ちから貧乏人、さらに乞食がいてこそ社会だ」と夏彦翁は言う。セ
イフティネットの家制度が破壊されたから、子供が多くても老親の面倒を
見ないケースは珍しくない。このままだと生活保護依存の貧困層ばかりが
増えることになる。


カミサンの故郷、鹿児島県奄美市は「生活保護を受けるのは当たり前、貰
わないのはもったいない」になってしまった。住民のなんと62.5%が受給
している(平成20年度)。県全体では15.6%だから奄美市は異常であり、
さらに離島の多い瀬戸内町は67.9%と想像を絶する。

遊んでいないで一所懸命に勉強、学問しないと競争に負けるよ、貧乏暮ら
しになるよ、この世は弱肉強食なんだよと叱咤激励するのが教育だろう
が、現場では「国は文化的生活、生存権を保障している、個性的に生きる
権利がある、みんな平等、個性が大事、目指せ福祉国家、お花畑!」とか
教えているのではないか。


EUというリベラル≒アカモドキの壮大なお花畑実験は悲惨な失敗に終わる
だろう。もうすぐ我々はそれを見ることになる。

さて、書物を通して追体験する「台湾」。アヘン戦争(1840〜42年)の弱
肉強食で清朝をノックアウトし支那大陸を貪り食い始めた英国は、さらな
る版図拡大のために台湾を狙うようになり、海洋測量を始めた。中共が尖
閣を狙って測量しているのと同じ。戦争の準備を始めたわけだ。

俺にも食わせろと“遅れてきた青年”米国もアジアに目を向けた。1853年、
黒船の蒸気船を率いるペリー艦隊が日本を威嚇し開国を迫り、翌1854年に
は台湾に上陸して石炭の埋蔵探査をし、ペリーは「台湾占領すべし」と政
府に提案した。

獲物を狙う猟師、「うまそうやな」とスカートをめくる強姦魔、ヤクザ、
ゴロツキ。こういうのが「国益」という利権争奪戦を繰り返していたのが
大航海時代で、今もちょっと化粧をしただけでやっていることは同じだろ
う。プーチン・ロシアのクリミア強奪なんて昔と変わらない。モノ、武器
は進歩しても人間は昔のままである。

英国は米国の本家筋だが、自分の縄張りに米国がちょっかいを出してきた
ことで焦り始めた。そこに1856年、広州湾で英艦と清国が砲撃戦をする
「アロー号事件」が起きる。英国広東領事のパークスは「チャンス到
来!」と出兵を促し、昨日の敵は今日の友とフランスと一緒になって天津
に乗り込んだ。

天津は北京の海の玄関、今は電車で1時間ほど、紫禁城は恐れおののいた
ろう、台湾の首府(台南)と淡水など4港を開港した(天津条約)。英国
は盛んにドラッグ(アヘン)を売り、台湾は砂糖、米、樟脳、茶を輸出した。

アヘン戦争とアロー号事件は日本に大ショックを与えた。「このまま開港
したら列強の餌食になってしまう」という危機感は幕府も諸藩も共有し、
「攘夷」は日本全体の意志になった。親幕府派と反幕府派の違いはあって
も尊皇攘夷は同じだった。1862年、横浜で生麦事件、イギリス公使館焼き
討ちなど攘夷の嵐が吹き荒れていた。

台湾は一気に国際舞台に押し出され、強国の餌食になっていく。米国も本
家を見習ったのかどうかは知らないが、ヤクザの本性を現すのだ。1867年
3月10日、米商船ローバー号が台湾南部で座礁し、船長以下13人の乗った
ボートが漂着した。

ところが先住民のパイワン族は出草(首狩り)で応じた。船員は「台湾は
国際条約国だから保護してくれる」と思っていたから、わけが分からない
ままに殺されたのだろう。厦門の米領事リゼンドルは北京と台湾府に抗議
したが、結局、「パイワン族の地は清朝の支配が及ばない化外の地(皇化
の外の地)」と分かった。

リゼンドルは台湾南部の恒春に乗り込み、南部18蛮社(部族)の大頭目
トーキトクと直談判し、海難救助に関する国際条約を結んだ。つまり、
「清は台湾全土の統治者ではない」ことを世界のゴロツキどもに示したの
だ。1869年10月9日だった。

同年6月27日、日本は戊辰戦争を終えて新国家づくりに本格的に着手し
た。1639年の鎖国以来、232年ぶりの1871年11月、日本と台湾は劇的な再
会をする。それが良かったのかどうかはまだ分からないが、これからはお
互いに手をつなぎたいという「日台新時代」にはなるだろう。

朝から雨、昨夜から降っているのか。先日、網戸が切れており、「もしか
したら2か月ほど前から我が家に移住してきたミッキーが寒くなったので
室内に入りたがっているのだろう」と修復し、ガラス戸を閉めておいた
が、朝、網戸の修復箇所には縦10センチ、横5センチの台湾みたいな形の
穴が開いていた。どうもミッキーはドブネズミみたいだが、如何せん。

発狂亭“「ドブネズミと老人」じゃ売れそうもないな”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(157)2017/1/18】産経、古田博司「正論 
近代完遂の日本と失敗の周辺国」、近代化のハードルの一つは「統一され
た自我の理想像」だと言う。これこれこれだから我は我、これがわが国の
アイデンティティ、国柄だ、というものがないとダメだということだろう。

氏曰く「古代→ 中世→ 近代などという段階を踏めたのは世界のほんの一
部の国だった。いま世界で紛争やいざこざや奪い合いが起きている国は、
全部近代化に失敗した国である。で、本当は中世がなかったので、そのま
ま古代が露呈した」。

古代は王朝、貴族の世界、中世は戦国時代の武力で覇を競う乱世、近代は
幕藩体制・封建主義(王朝=権威、集団指導体制=権力)、現代は立憲君
主制=権威・建前と、自由民主人権法治の体制だろう。

先進国(列強)のG7(日米英独仏伊加)はすべてこの過程を経ている。中
世・近代は青春のようなもので、戦ったり、勝ったり負けたりする中で現
代に至るわけだ。青春がないと、子供から一気に大人になる。自転車しか
乗れない子供が一気に大型バスを運転するようなもので、危うい。

人生は自分を試料に実験しながら、試行錯誤で生きるのがいいのだろう
が、大失敗すると取返しがつかないから危うさはある。

「橋を叩いて渡る」と言っても叩き過ぎれば橋というチャンスはなくなっ
てしまう。思い切って渡った方がいいとは思うけれど・・・失敗したらこ
うしようなんて思っていると上手くいかないし、橋を渡っても次の橋があ
るし・・・他者に危害、損害を与えれば罰せられるが、破産ぐらいなら再
チャレンジはできるだろう。

一所懸命にやった末の敗戦なら支持者は応援してくれる、そういうものだ
ろう。(つづく)2019/10/25

2019年10月26日

◆雀庵の「続・清弱体、台湾狙う英米そして日本」

           “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/40(2019/10/25)】学友から「横浜市大自動車部
卒業生の会」の誘いがきた。こう返信した。

<覚えていてくれてうれしいよ、返事が遅れてしまった、すまない。体調
が安定しない →気力が衰える →市大はすっかり変わってしまい、センチ
メンタルジャーニーの雰囲気はない。

過日、三浦半島を周遊したが、車窓から眺めた市大はおしゃれな「青春
キャンパス」。悲惨な青春の舞台の面影はない。自動車部のガレージ・倉
庫ももちろんない。裏山のてっぺんの高射砲台跡もないだろうし、第一、
小道があるのかどうかも分からない。

小生は車酔いでタイムラリーは無理、1回練習しただけだったが、なぜか
懐かしい。中津川渓谷近くの清川村の運転練習所、小野君が側溝に落とし
てびっこになったブルーバード、堀口君の白い(やがてくすんできた)ダ
ウンコート、石堂君とシェアした新大津の山の上のあばら家、・・・


懐かしいけれど「あの日に帰りたい」とは思わない。天職につくまでの青
春/凄春彷徨は「道に迷っているばかり、胸にとげさすことばかり」、思
い出せば懐かしいけれど慚愧無念で苦しすぎる、しょっぱすぎる。


まあ、正直に言えばそういうことで、さらに言えばアル中になって緊急措
置入院、以来3年間断酒中だから酒席は辛い、怖いのよ。今でも「ああ、
メーカーズマーク、スーパードライ、酎ハイ、ギンギンに冷えた吟醸酒呑
みたいなあ、でも呑んだらおしまいだ」と毎日のように思うのよ。

「一升瓶換算で6000本呑んだのだからもう十分じゃないか」「棺桶に酒を
どぼどぼ入れてもらおう」と慰めるのだが、メチルアルコールやミリンを
呑んだ人、ヒロポン中毒になった人の気持ちがよく分かる。


そうだ、カナダへ行こう!「大麻 フロム カナダ」はまずいが、カナダ
でやろう、娯楽用/嗜好用マリファナ(大麻)入り飲料も合法化された!

でも、生来が「のめり込む」タイプだから結局は依存症になってしまい、
脳みそが壊れるわけ。酒の代わりに「ひとを食う」ことで紛らすしかない
か、やっぱ>

そう、「ほどほどに」ができない。トコトンやっちゃう。「自滅型」。吶
喊小僧、猪突猛進、執着質、狂気、突破者、特攻、殉教、革命家、冒険
家、博打うち、芸術家、作家、芸人、学者、職人・・・世の中を大きく動
かしてきたのはそういう人が多い。

「短編の名手」と称賛されるO.ヘンリは10年足らずの作家生活で280編の
作品を書いた。最後の3か月は人とも会わず、電話も切り、アパートの一
室にこもり、肝硬変と戦いながら小説を書いていたようだ。病院に運び込
まれるまでの最後の数日間をどう過ごしたかは不明だが、ベッドの下に
ウィスキーの空き瓶が9本転がっていたという。酒の力で創作意欲を得よ
うともがいていたのだろう。バッカス・ヘンリ!

旅行作家というか異文化研究学者のイザベラ・バード著「朝鮮紀行」、満
洲の奉天へ向かう船旅は未曽有の大雨と氾濫で生き地獄のよう。

「私は高熱を発し、全身ひどい痛みに悩まされた。3日目の朝から雨が降
り、風が吹き始め、そのあとの恐ろしい4日間、風雨は一度もやまなかっ
た。屋根を覆っていた油紙は風で破れてしまい、雨が吹き込んでくる。雨
水が6インチ(15センチ)もたまり、強烈なにおいを発し、船倉の中には
乾いたものは何一つなかった。

私は濡れた服を着て、濡れた蚊帳の中で、濡れたベッドに眠っていた。本
格的に体の具合が悪かったものの洪水の『液体コレラ』を飲まなければな
らなかった。井戸はすべて水中に没していた」

ようやく奉天に着いたものの馬車が横転し、バードは骨折し、腱を痛め
る。それでも前進するのだ。マダム・コンジョー!

偏見かも知れないが、人間は「理性・知性・奮闘」の人と、「気分・感
情・安逸」の人に分けられるのではないか。前者は稀で、後者は圧倒的多
数である。

ロシアの知識人が反共の罪で日本人将校用の獄舎につながれた時、彼は言
葉が通じないものの、それまでの兵士の雑居房とは違う落ち着きを得て
ホッとしたと書いていた。前者(将校、高等教育)と後者(一兵卒、普通
教育)は外観は似ていても全然種類が違う人間ではないかと思う。

前者は「リーダー、発信者」、後者は「フォロワー、受信者」のような感
じ。一流の職人は「理性・知性・奮闘」で「凛」とした風情、貫禄があっ
た。祭りなどでわが街の大工の頭領が伝統の仕事着で現れると、辺りは
ピーンとした、清浄と緊張の雰囲気になったものである。一目を置かれる
存在だった。

小生の「第二の親父」である寿司屋の大将も腕は立つ、頭はいい、弟子は
育てる、守る、「是は是、非は非」という人で、風格があった。惰弱、軟
弱とは正反対で、多くの人から尊敬された。

「よく考える、作戦を練る、そして何がなんでも進む、チャレンジする、
負けても負けてもくじけない、新しい道を探す」、そういう人が歴史を
創ってきたのではないかと思う。

そういうトップグループのシッポ、末席でもいいから、そこにいたいなあ
と小生は思う。たとえ牛尾でも二番手、三番手グループの鶏のトップより
ははるかにいいと思う。夏彦翁曰く「最先端ではなくても、その尻にくっ
ついていればいい。遅れすぎると落ちこぼれる」。会社をデジタル化する
上でこの言葉はとても参考になった。

だから書籍、新聞などを楽しみながら読む。娯楽であり勉強だ。「気分・
感情・安逸」の人は文庫本一冊を読むのに半年、一年かかる。テレビやス
マホがないところでしか読書をしない。多くの、実に多彩な人の思考、経
験、喜怒哀楽、人生を追体験できる読書の能力が落ちるから成長どころか
後退する。

福沢先生は「人間に上下はない、しかし、仕事の軽重、上下はある。軽い
仕事は軽い報酬、重い仕事は重い報酬、学問に精出せば重い仕事に就け
る」と鼓舞した。

今の世の中は上の方、トップグループは競争が激しいから必死で勉強す
る。一方、下の方は面白おかしく暮らせればいいや、まあ制限時間に間に
合えばいいんじゃない、とひたすら麻薬中毒のように遊ぶ、脳みそを劣化
させる。

結局、貧富の差は拡大し、代々にわたって勝ち組、負け組が固定化する。
努力しなくても餓死するわけじゃないから負け組が奮起することもない。
福祉、社会保障が手厚くなればなるほど負け組は努力せず、社会はいびつ
化、劣化する。

「金持ちから貧乏人、さらに乞食がいてこそ社会だ」と夏彦翁は言う。セ
イフティネットの家制度が破壊されたから、子供が多くても老親の面倒を
見ないケースは珍しくない。このままだと生活保護依存の貧困層ばかりが
増えることになる。

カミサンの故郷、鹿児島県奄美市は「生活保護を受けるのは当たり前、貰
わないのはもったいない」になってしまった。住民のなんと62.5%が受給
している(平成20年度)。県全体では15.6%だから奄美市は異常であり、
さらに離島の多い瀬戸内町は67.9%と想像を絶する。

遊んでいないで一所懸命に勉強、学問しないと競争に負けるよ、貧乏暮ら
しになるよ、この世は弱肉強食なんだよと叱咤激励するのが教育だろう
が、現場では「国は文化的生活、生存権を保障している、個性的に生きる
権利がある、みんな平等、個性が大事、目指せ福祉国家、お花畑!」とか
教えているのではないか。

EUというリベラル≒アカモドキの壮大なお花畑実験は悲惨な失敗に終わる
だろう。もうすぐ我々はそれを見ることになる。

さて、書物を通して追体験する「台湾」。アヘン戦争(1840〜42年)の弱
肉強食で清朝をノックアウトし支那大陸を貪り食い始めた英国は、さらな
る版図拡大のために台湾を狙うようになり、海洋測量を始めた。中共が尖
閣を狙って測量しているのと同じ。戦争の準備を始めたわけだ。

俺にも食わせろと“遅れてきた青年”米国もアジアに目を向けた。1853年、
黒船の蒸気船を率いるペリー艦隊が日本を威嚇し開国を迫り、翌1854年に
は台湾に上陸して石炭の埋蔵探査をし、ペリーは「台湾占領すべし」と政
府に提案した。

獲物を狙う猟師、「うまそうやな」とスカートをめくる強姦魔、ヤクザ、
ゴロツキ。こういうのが「国益」という利権争奪戦を繰り返していたのが
大航海時代で、今もちょっと化粧をしただけでやっていることは同じだろ
う。プーチン・ロシアのクリミア強奪なんて昔と変わらない。モノ、武器
は進歩しても人間は昔のままである。

英国は米国の本家筋だが、自分の縄張りに米国がちょっかいを出してきた
ことで焦り始めた。そこに1856年、広州湾で英艦と清国が砲撃戦をする
「アロー号事件」が起きる。英国広東領事のパークスは「チャンス到
来!」と出兵を促し、昨日の敵は今日の友とフランスと一緒になって天津
に乗り込んだ。

天津は北京の海の玄関、今は電車で1時間ほど、紫禁城は恐れおののいた
ろう、台湾の首府(台南)と淡水など4港を開港した(天津条約)。英国
は盛んにドラッグ(アヘン)を売り、台湾は砂糖、米、樟脳、茶を輸出した。

アヘン戦争とアロー号事件は日本に大ショックを与えた。「このまま開港
したら列強の餌食になってしまう」という危機感は幕府も諸藩も共有し、
「攘夷」は日本全体の意志になった。親幕府派と反幕府派の違いはあって
も尊皇攘夷は同じだった。1862年、横浜で生麦事件、イギリス公使館焼き
討ちなど攘夷の嵐が吹き荒れていた。

台湾は一気に国際舞台に押し出され、強国の餌食になっていく。米国も本
家を見習ったのかどうかは知らないが、ヤクザの本性を現すのだ。1867年
3月10日、米商船ローバー号が台湾南部で座礁し、船長以下13人の乗った
ボートが漂着した。

ところが先住民のパイワン族は出草(首狩り)で応じた。船員は「台湾は
国際条約国だから保護してくれる」と思っていたから、わけが分からない
ままに殺されたのだろう。厦門の米領事リゼンドルは北京と台湾府に抗議
したが、結局、「パイワン族の地は清朝の支配が及ばない化外の地(皇化
の外の地)」と分かった。

リゼンドルは台湾南部の恒春に乗り込み、南部18蛮社(部族)の大頭目
トーキトクと直談判し、海難救助に関する国際条約を結んだ。つまり、
「清は台湾全土の統治者ではない」ことを世界のゴロツキどもに示したの
だ。1869年10月9日だった。

同年6月27日、日本は戊辰戦争を終えて新国家づくりに本格的に着手し
た。1639年の鎖国以来、232年ぶりの1871年11月、日本と台湾は劇的な再
会をする。それが良かったのかどうかはまだ分からないが、これからはお
互いに手をつなぎたいという「日台新時代」にはなるだろう。

朝から雨、昨夜から降っているのか。先日、網戸が切れており、「もしか
したら2か月ほど前から我が家に移住してきたミッキーが寒くなったので
室内に入りたがっているのだろう」と修復し、ガラス戸を閉めておいた
が、朝、網戸の修復箇所には縦10センチ、横5センチの台湾みたいな形の
穴が開いていた。どうもミッキーはドブネズミみたいだが、如何せん。

発狂亭“「ドブネズミと老人」じゃ売れそうもないな”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(157)2017/1/18】産経、古田博司「正論 
近代完遂の日本と失敗の周辺国」、近代化のハードルの一つは「統一され
た自我の理想像」だと言う。これこれこれだから我は我、これがわが国の
アイデンティティ、国柄だ、というものがないとダメだということだろう。

氏曰く「古代→ 中世→ 近代などという段階を踏めたのは世界のほんの一
部の国だった。いま世界で紛争やいざこざや奪い合いが起きている国は、
全部近代化に失敗した国である。で、本当は中世がなかったので、そのま
ま古代が露呈した」。

古代は王朝、貴族の世界、中世は戦国時代の武力で覇を競う乱世、近代は
幕藩体制・封建主義(王朝=権威、集団指導体制=権力)、現代は立憲君
主制=権威・建前と、自由民主人権法治の体制だろう。先進国(列強)の
G7(日米英独仏伊加)はすべてこの過程を経ている。中
世・近代は青春のようなもので、戦ったり、勝ったり負けたりする中で現
代に至るわけだ。青春がないと、子供から一気に大人になる。自転車しか
乗れない子供が一気に大型バスを運転するようなもので、危うい。

人生は自分を試料に実験しながら、試行錯誤で生きるのがいいのだろう
が、大失敗すると取返しがつかないから危うさはある。

「橋を叩いて渡る」と言っても叩き過ぎれば橋というチャンスはなくなっ
てしまう。思い切って渡った方がいいとは思うけれど・・・失敗したらこ
うしようなんて思っていると上手くいかないし、橋を渡っても次の橋があ
るし・・・他者に危害、損害を与えれば罰せられるが、破産ぐらいなら再
チャレンジはできるだろう。


一所懸命にやった末の敗戦なら支持者は応援してくれる、そういうものだ
ろう。(つづく)2019/10/25


2019年10月24日

◆雀庵の「台湾海峡波高し、清朝統治」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/38(2019/10/21)】10月20日(日)は八幡様の
祭りだった。平年より1週間遅れたのは台風19号のためで、その余波なの
か20日も曇り、「秋天の豊穣祭」のうきうきした感じはしない。小生の体
調が優れないためでもある。

「心技体」というけれど、老化とともに「体」は動かなくなる。「あれ
もやりたい、これもやりたい」と「心」は逸るものの、ベッドから降りる
のもしんどい。寝たきりになる老人の気持ちが分かる。いささか焦るのだ
が、「なるほど、老化とはこういうものか」と身にしみて分かるようにな
るのは、オツムにとって一歩前進だなあと思う。

しかし「死」へ向かっての前進であり、それがメデタイのかどうか、分
からない。台風難民の長女が「区役所が粗大ごみをタダで回収してくれる
から、何かあれば出していいよ」というので、「俺」と言っておいた。自
縄自縛、緊縛しておいた方がいいか。小学校の理科の部屋で骨格標本にな
れたら楽しいだろうが、近年は身の始末に困った人が「そうだ、この手が
ある!」と押し寄せて献体も狭き門だから、老人の骨は歓迎されないかも
しれない。「この骨、ダメだよ、背骨がずいぶん擦り減ってるぜ、チェン
ジ!」なんて・・・

チェンジ・・・「もう一度生まれ変わっても君と一緒になりたい」なん
ていう男はいるのだろうか。小生は二度と生まれたくないな。天はそうい
う軟弱な奴に「お前は卒業単位未達や、『詐術扇動学』『繁殖行動学』は
優秀やが、それ以外は『不可』やないか。もう一度『生き地獄』へ行
け!」と蹴落とされるのだろう。如何せん。せめて神州に落としてたもれ。

法務省によると日本国籍にチェンジする外国人は、

<平成30年 申請者9,942 許可者数9,074(韓国・朝鮮4,357、中国
3,025、その他1,692)不許可者数670>

まあ年間に1万人ほどのようだが、逆に外国籍をとる日本人数は分から な
い。外国籍を取った段階で本来は日本国籍を離脱しなければならない
が、自己申告のためにザルで、二重国籍が多いようだ。外国籍を取ればそ
の国で暮らしやすいが、なんぞの時には日本に帰りたい、だから日本国籍
も持っておく、という人が多いだろう。これは違法で罰則もあるが、まず
ばれやしない、ばれても「知りませんでした」で済むからだろう。

日本のパスポートがあれば世界130か国にビザなしで渡航できる。この 特
権を捨てる人はまずいまい。そもそも日本人の多くは「日本は住み心地
がいい、桃源郷に一番近い島」と思っているだろうから、外国籍をとる人
は稀ではないか。

台湾人の国籍は1945年の日本敗戦前までは「日本」、その後は蒋介石国
民党に占領されて「中華民国」、1972年の日中条約で「中華人民共和国」
になった。台湾人は国際政治に翻弄されてきた。国籍一つを見ても台湾の
歴史は過酷だった、過酷過ぎた。

日本人は中共による台湾併呑を傍観するつもりなのか。「恥」という字
をご存じか、「恥辱」の意味をご承知か、友邦台湾を助けずに武士道か、
大和男児か、一朝事あらば台湾と手を携えて中共を殲滅すべし。これでこ
そ男よ。生まれ変わったら吶喊ミサイル小僧になって中南海を襲いたい。


さてさて台湾史。鄭氏三代に仕えた陳永華(?〜1680)の施政は開墾で食
糧問題を克服しただけではない。富国強兵のために貿易を奨励した。商船
隊は日本、琉球、ルソン、シャム、マラッカ、ジョホールへと向かい、自
由貿易を推進したために英国など外国商船も訪台した。

清朝は台湾との交易を禁止したが、海賊上がりの台湾の「威力入港」を
抑えられなかった。日本にも鎖国の例外として年間50隻の台湾船が長崎に
入港し、幕府には「清朝征伐」の軍を派兵する声もあったという(金欠で
消えた)。

駒光何ぞ馳するがごとし、大番頭の陳永華が没すると台湾政治は内紛な
どで揺れ動く。これを大陸から見ていたのが、かつて陳永華とともに鄭成
功の側近であった施良(しろう、良は王編)だ。施良は鄭成功の逆鱗に触
れて一族を皆殺しにされ、復讐の鬼となっていた。

<施良は清朝に「台湾は治世のタガが緩んでいる、しかも天候不良で食
糧不足、海賊の巣窟、台湾を抑える好機です」と説得し、1683年、大小艦
船200余隻に兵2万人を乗せて厦門の南から膨湖島へ向かった。6月の海戦2
回で台湾の鄭軍はほぼ壊滅し、軍紀も乱れ、ついに8月13日、投降した。
施良率いる清軍は7つの島に無血上陸、鄭氏政権31年にしての崩壊である。

1684年、清朝は施良の「台湾は地域の要石」という意見に従って「台湾
府」を置いたが、もともと清朝は膨湖島の軍事的重要性は認識していた
が、肥沃とはいえ風土病と恐れを知らぬ蛮族=先住民の住む台湾の統治に
は乗り気ではなかった。清朝は不法移民を大陸に強制的に戻し、台湾への
密入国を抑え込んだが、逆に福建、広東は人口が急増し、耕作地がなく、
無宿流浪の民であふれてしまった。

治安は悪化する、腹は減る、海峡を越えれば肥沃な台湾がある、清朝の
台湾統治は台南周辺だけである、そこを避ければまず密航はできる、バレ
たところで「魚心あれば水心」、命懸けでも渡台を目指す人は増えるばか
りだった。



清朝統治に対するいくつかの大きな反乱もあったが、命掛けの移住民の汗
と涙で台湾は一歩一歩前進していく。1700年前後には三大都市「一府、二
鹿、三バンカ」が発展の象徴だった。「府」は台湾府の置かれた今の台
南、「鹿」は中部の鹿港(ろっこう)、「バンカ」は今の台北市の万華。

新天地を目指す民の怒涛の進撃はもはや止めようがなく、清朝は1784
年、「盗墾者はその罪を許す」とした。要は「税金を納めろ」。1874年
(明治7)には「蛮地入山禁止令」を解いたが、蛮地は勇猛果敢な先住民
が暮らしており、移住民との同化はあまり進んではいなかったろう。禁止
令解除は遅過ぎたのか、あるいは早過ぎたのか、先住民にとっては侵入者
は「敵」のままだった>(喜安幸夫「台湾の歴史」)

昨日あたりからブルーになったが、その原因は朝鮮地誌/歴史を勉強し 始
めたことによるとしか思えない(イザベラ・バード「朝鮮紀行」)。想
像を絶する美しい景観、想像を絶する醜い生活、その落差があまりにも大
きく、耐え難い。歴史を粉飾、成形、捏造、偽造しないととても生きてい
けない。「朴正煕選集」も読むのが辛かったが、バードの報告はそれ以上
に露骨である。銃を抜いて脅さないと安全が保てない場面もあった。都
市=スラム街=肥溜め、なんて、普通の神経では耐えられない。

発狂亭“コリアコリア菌で終日クラクラ”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(155)2017/1/17】産経、森本敏「正論 
米の政策転換にかなう防衛力を」、なんだかコクのないお吸い物、行儀は
良いけれどパンチ力がない。

遠藤良介「赤の広場で 氷点下30度の世界」、1月7日ごろモスクワはマ
イナス30度まで下がったという。

<−15度だと外に出て寒いし、顔がひりひりし、風があると辛い。−30
度でもさして変わりはない。真っ白な雪を踏みしめて歩くのは実に気持ち
がいい。ウオッカをひっかけて外に繰り出し、一気に酔いを醒ますという
のも乙である>


集中暖房が完備されているのでいつでも屋内に逃げ込めるから・・・との
こと。ウオッカと暖房なしではロシアの冬は越せないから、アル中と短命
は避けられないわけだ。アラスカで−15度は体験したが、目の玉が凍りそ
うだった。良質で安いウォッカを大量に密輸出して露助をアル中にすると
いう戦術は効き目がありそうだ。


「歩数増で“ニンジン”作戦」、馬の前にニンジン=インセンティブをぶら
下げてヤル気を起こさせるのか。NINJIN。N:脳軟化、I:陰険、N:難癖、J:
邪悪、I:イジワル、N:長生きの人間を早めにあの世へ送るハーメルン作戦
か。(つづく)2019/10/21


2019年10月21日

◆雀庵の「台湾:豚去りて餓狼来たる」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/37(2019/10/19)】台風19号去りて子・孫来た
る。我が家に漂っていたヂヂババ2人だけの陰気で憎悪に似た暗雲は消え
て、すっかり秋晴れ。家の中は運動会みたいに賑やかで、難を逃れた衣食
住用品でいささかグチャグチャ。バアバは躁状態で買い物や料理、掃除、
おしゃべりですっかりご機嫌だ。

そのうちバアバは疲れ果てて「ああ、みんな出掛けた、ようやく静かに
なった・・・」となるだろう。

そして思い出すのである、「そういえば3Fのヒッキー、生きてるかし
ら?」。こうして再び三度、彼女は飽きもせずにヂヂイに干渉し、説教し
て楽しむのだ。

精神科の医師から「ご主人だけの時間、奥さんだけの時間、それを持つよ
うにしなさい」と言われて、小生は「まったく異議なし!」と同感した
が、精神科の看護婦でありながらカミサンは「意味が分からない」と言った。

つまり自分の患者は第三者として冷静に観察できるが、自分の亭主(おも
ちゃ、ペット、所有物、うっぷんの吐け口、サンドバッグ)はそういう距
離を置いた目で見ないから医師のアドバイスが理解できない。「精神病患
者の家族もまた心を病んでいるケースが多い」と精神病治療で有名な国立
久里浜医療センターの医師が書いていたが、まったくその通りだ。

サンドバッグは叩かれても叩かれても再起三起する、台湾のように。香
港、台湾、自分加由!

さて、海賊出身でありながら明国海軍司令になり、オランダを台湾から叩
き出した鄭成功。台湾住民は「解放軍」として歓迎した。本人だって「外
科手術でがん細胞は切除した、あとは抗がん剤治療で見守ればいいだろ
う」と思っていたろう。しかし、現実はお花畑の桃源郷ではない。王育徳
先生の「台湾」から援用する。

<当時の台湾の人口は10万人。鄭成功が帯同した兵士が2万5000人、それ
にその家族が5000人、さらに鄭成功の長男、鄭経は本土から1万人を入植
させた。

一気に40%の人口増である。「人は城、人は石垣、人は堀」というのは分
かるが、人は飯を食わなくては役に立たない。鄭成功は「家族に必要な農
地を開墾せよ、登記せよ、永代の所有権を認める」と告諭した。屯田制
だ。素晴らしい政策である・・・それが日本なら。

日本人なら食うものも食わずに荒蕪地の木の根、草、石を除去して水田、
畑を開墾しただろう。が、支那人、朝鮮人は手っ取り早く持ち主を殺す、
追い出すのがデフォルトだ。戦後の混乱に乗じて半島人は駅前一等地を占
拠したことを思い出せばいい。

海賊上がりの餓狼の軍隊に公正を期待するのは無理である。この布告は
はっきり言えば、土地の横領略奪を許可し、いや、奨励したものだった。
島民は自分たちが歓迎した鄭成功が、オランダ人に代わって第二の支配者
になったのを見た。爆発的な人口増加、さらに後から来たものが支配階級
としてやりたい放題。

鄭成功は生まれ育ちが日本ということもあったのだろう、法治には努めた
が、思うようにはいかなかった。大体、三代目はろくでなしだが、鄭経も
その例外ではなかった。

また、強烈な風土病が台湾開発のブレーキになった。「台湾初めて開け、
水土服せず、病めばすなわち死す」(台湾外記)の過酷な島である。1664
年に台湾移住第二団に加わった蘆若騰はこう詠んだ。

「驚き聞く、海東の水土悪しきを。征人、疾疫すること十に九」

ほとんどが熱帯病にやられ死屍累々になるという。なんと蘆若騰自身、台
湾一歩手前の膨湖島で病死してしまった。それどころか鄭成功、鄭経も39
歳、40歳の若さで病死してしまった。

王育徳先生曰く――

「それが今日のように、豊かな住みよい島と変じたのは、不撓不屈の開拓
者の意気が“地霊”を制した結果であるが、日本統治時代に入ってからの衛
生医療の発達を忘れるべきではなかろう」

ちなみに「空気中、水中、土中には目には見えないが病原菌、腐敗菌がう
じゃうじゃいる。アルコールなど殺菌薬で病原性の微生物を除去しなけれ
ば病気、けがは治らない」と世界中が知ったのは1860年前後、幕末の頃か
らである。

鄭氏三代が努力したものの台湾という恐ろしいばかりの悍馬はちっとも馴
染まないどころか、寄って来るものを蹴飛ばす、咬みつく。小生のような
軟弱男は「女子と小人は養い難し、君子危うきに近寄らず、三十六計逃げ
るに如かず」と考えるが、命からがら大陸から来た移住民もまた「逃げ
場」があるわけではない。しがみつくしかない。

ここに鄭氏三代に仕えた陳永華が舞台中央に登場する。福建出身、経済に
長けていた。大清帝国の圧力を受けながら「10年成長、10年教養、10年立
国(国民国家)、合わせて30年で清と肩を並べ、独立する」という成長政
策を唱えた。

陳永華は獅子奮迅して政治経済社会の安定と改革発展に努めた。彼は「科
挙」合格者、つまり清朝にとどまれば無為徒食の竹林の清談で蓄財蓄妾美
酒美食の優雅な生活が保障されていた。鄭成功と出会い、意気に大いに感
ずることがあったのだろう、鄭氏政権を支えてきた。餓狼に牙を収めさ
せ、鍬鍬を与え、屯田兵として生きよと巡撫した。

日本生まれ育ちの鄭成功は「開山王」として、鄭成功に意気を感じた陳永
華は、鄭氏父子を補佐するその業績を諸葛亮が劉備、劉禅父子を補佐する
がごとくとして「鄭氏諸葛」と称され、「永華は今の臥龍なり」とも言わ
れた。台南永華宮には陳永華の神像が安置されている。

なお、WIKIにはこう記されている。

<日本の台湾統治時代に日本人により陳永華の墓碑が発見された。墓碑に
は「皇明贈資善大夫、正治上卿、都察院左都御史、總制、諮議參軍、監軍
御史,諡文正陳公暨配夫人淑貞洪氏墓」。墓碑は保存され、1954年には衣
冠塚が設置されている>

発狂亭“台湾独立、英国独立、香港一国二制度熱烈支持、中共殲滅”雀庵の
病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(154)2017/1/17】産経、河崎真澄「インフ
ラ銀 融資9件のみ 実務進まず他機関依存」、2016年の融資はたったの9
件1800億円、職員数は計画の700人がたったの90人だとか。中共は金欠病
で、インフラ銀の化けの皮がはがれてきた。

「中国の対外投資44%増 最高額更新」、前年比44%増の19.4兆円だった
が、中共は慌ててブレーキを踏み、12月は39.4%減に。元、ドルの海外逃
避は制御できない。習近平はダボスで「中国が世界経済の新旗手だ」とア
ピールするそうだが、カネが中共に見切りをつけて逃げていくのによー言
うよ。

長谷川秀行「雇用改善に重点を置くのならトランプは格差是正やAI問題に
取り組むべきで、隣国の低賃金労働で代替できる仕事を強引に本国に戻す
ことが労働環境の真の改善にどれほど資するかは疑問である。失業率は
4%台半ばまで改善し、完全雇用に近い」。

ホントかよ?

この失業率、日本の場合は職安に通っていないとカウントされない。失業
保険金給付が終わると、多くの人、特に60歳以上は事実上、求人がないの
で職安にはいかない。求人欄に「年齢不問」とあるのは、そうしないと職
安に叱られるからで、電話してごらん、「実は若い人が欲しいのです」と
謝絶される。

かくして「完全雇用」になるのだが、就職を諦めた「無業率」は相当高い
のではないか。

米国の場合、能力重視のため、新卒採用はまれで、普通は大卒してから就
職までスキルアップに努め、2〜3年後に就職というケースは多いだろう。
この就職浪人を含めれば米国の失業率は相当高いだろう。

米国資本が低賃金に引かれて外国で安く生産して世界市場で儲ける、しか
し、本国の民は仕事がなく、購買力もなく、工場は錆びだらけ。これがモ
ラルか? 実家が貧窮しているのに自分は蓄財蓄妾美酒美食で「それは悪
いことなんですか?」。犯罪ではないが、社会に恩返しするという尺度で
はインモラルである。

読者はバカじゃない。記者は望遠レンズ、広角レンズ、標準レンズ、接写
レンズ、虫眼鏡、顕微鏡で世間を観察しないとダメよ。赤いフィルターと
かの色付きで見てはいけません。(つづく)2019/10/9


2019年10月20日

◆雀庵の「台湾:豚去りて餓狼来たる」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/37(2019/10/19)】台風19号去りて子・孫来た
る。我が家に漂っていたヂヂババ2人だけの陰気で憎悪に似た暗雲は消え
て、すっかり秋晴れ。家の中は運動会みたいに賑やかで、難を逃れた衣食
住用品でいささかグチャグチャ。バアバは躁状態で買い物や料理、掃除、
おしゃべりですっかりご機嫌だ。

そのうちバアバは疲れ果てて「ああ、みんな出掛けた、ようやく静かに
なった・・・」となるだろう。

そして思い出すのである、「そういえば3Fのヒッキー、生きてるかし
ら?」。こうして再び三度、彼女は飽きもせずにヂヂイに干渉し、説教し
て楽しむのだ。

精神科の医師から「ご主人だけの時間、奥さんだけの時間、それを持つ
ようにしなさい」と言われて、小生は「まったく異議なし!」と同感した
が、精神科の看護婦でありながらカミサンは「意味が分からない」と言った。

つまり自分の患者は第三者として冷静に観察できるが、自分の亭主(お
もちゃ、ペット、所有物、うっぷんの吐け口、サンドバッグ)はそういう
距離を置いた目で見ないから医師のアドバイスが理解できない。「精神病
患者の家族もまた心を病んでいるケースが多い」と精神病治療で有名な国
立久里浜医療センターの医師が書いていたが、まったくその通りだ。

サンドバッグは叩かれても叩かれても再起三起する、台湾のように。香
港、台湾、自分加由!

さて、海賊出身でありながら明国海軍司令になり、オランダを台湾から
叩き出した鄭成功。台湾住民は「解放軍」として歓迎した。本人だって
「外科手術でがん細胞は切除した、あとは抗がん剤治療で見守ればいいだ
ろう」と思っていたろう。しかし、現実はお花畑の桃源郷ではない。王育
徳先生の「台湾」から援用する。

<当時の台湾の人口は10万人。鄭成功が帯同した兵士が2万5000人、そ れ
にその家族が5000人、さらに鄭成功の長男、鄭経は本土から1万人を入 植
させた。

一気に40%の人口増である。「人は城、人は石垣、人は堀」というのは分
かるが、人は飯を食わなくては役に立たない。鄭成功は「家族に必要な農
地を開墾せよ、登記せよ、永代の所有権を認める」と告諭した。屯田制
だ。素晴らしい政策である・・・それが日本なら。

日本人なら食うものも食わずに荒蕪地の木の根、草、石を除去して水
田、畑を開墾しただろう。が、支那人、朝鮮人は手っ取り早く持ち主を殺
す、追い出すのがデフォルトだ。戦後の混乱に乗じて半島人は駅前一等地
を占拠したことを思い出せばいい。

海賊上がりの餓狼の軍隊に公正を期待するのは無理である。この布告は
はっきり言えば、土地の横領略奪を許可し、いや、奨励したものだった。
島民は自分たちが歓迎した鄭成功が、オランダ人に代わって第二の支配者
になったのを見た。爆発的な人口増加、さらに後から来たものが支配階級
としてやりたい放題。

鄭成功は生まれ育ちが日本ということもあったのだろう、法治には努め
たが、思うようにはいかなかった。大体、三代目はろくでなしだが、鄭経
もその例外ではなかった。

また、強烈な風土病が台湾開発のブレーキになった。「台湾初めて開
け、水土服せず、病めばすなわち死す」(台湾外記)の過酷な島である。
1664年に台湾移住第二団に加わった蘆若騰はこう詠んだ。


「驚き聞く、海東の水土悪しきを。征人、疾疫すること十に九」


ほとんどが熱帯病にやられ死屍累々になるという。なんと蘆若騰自身、台
湾一歩手前の膨湖島で病死してしまった。それどころか鄭成功、鄭経も39
歳、40歳の若さで病死してしまった。


王育徳先生曰く――

「それが今日のように、豊かな住みよい島と変じたのは、不撓不屈の開
拓者の意気が“地霊”を制した結果であるが、日本統治時代に入ってからの
衛生医療の発達を忘れるべきではなかろう」

ちなみに「空気中、水中、土中には目には見えないが病原菌、腐敗菌が
うじゃうじゃいる。アルコールなど殺菌薬で病原性の微生物を除去しなけ
れば病気、けがは治らない」と世界中が知ったのは1860年前後、幕末の頃
からである。

鄭氏三代が努力したものの台湾という恐ろしいばかりの悍馬はちっとも
馴染まないどころか、寄って来るものを蹴飛ばす、咬みつく。小生のよう
な軟弱男は「女子と小人は養い難し、君子危うきに近寄らず、三十六計逃
げるに如かず」と考えるが、命からがら大陸から来た移住民もまた「逃げ
場」があるわけではない。しがみつくしかない。


ここに鄭氏三代に仕えた陳永華が舞台中央に登場する。福建出身、経済に
長けていた。大清帝国の圧力を受けながら「10年成長、10年教養、10年立
国(国民国家)、合わせて30年で清と肩を並べ、独立する」という成長政
策を唱えた。

陳永華は獅子奮迅して政治経済社会の安定と改革発展に努めた。彼は「科
挙」合格者、つまり清朝にとどまれば無為徒食の竹林の清談で蓄財蓄妾美
酒美食の優雅な生活が保障されていた。鄭成功と出会い、意気に大いに感
ずることがあったのだろう、鄭氏政権を支えてきた。餓狼に牙を収めさ
せ、鍬鍬を与え、屯田兵として生きよと巡撫した。

日本生まれ育ちの鄭成功は「開山王」として、そして鄭成功に意気を感
じた陳永華は、鄭氏父子を補佐するその業績を諸葛亮が劉備、劉禅父子を
補佐するがごとくとして「鄭氏諸葛」と称され、「永華は今の臥龍なり」
とも言われた。台南永華宮には陳永華の神像が安置されている。

なお、WIKIにはこう記されている。

<日本の台湾統治時代に日本人により陳永華の墓碑が発見された。墓碑
には「皇明贈資善大夫、正治上卿、都察院左都御史、總制、諮議參軍、監
軍御史,諡文正陳公暨配夫人淑貞洪氏墓」。墓碑は保存され、1954年には
衣冠塚が設置されている>

発狂亭“台湾独立、英国独立、香港一国二制度熱烈支持、中共殲滅”雀庵
の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(154)2017/1/17】産経、河崎真澄「イン
フラ銀 融資9件のみ 実務進まず他機関依存」、2016年の融資はたった
の9件1800億円、職員数は計画の700人がたったの90人だとか。中共は金欠
病で、インフラ銀の化けの皮がはがれてきた。

「中国の対外投資44%増 最高額更新」、前年比44%増の19.4兆円だっ
たが、中共は慌ててブレーキを踏み、12月は39.4%減に。元、ドルの海外
逃避は制御できない。習近平はダボスで「中国が世界経済の新旗手だ」と
アピールするそうだが、カネが中共に見切りをつけて逃げていくのによー
言うよ。

長谷川秀行「雇用改善に重点を置くのならトランプは格差是正やAI問題に
取り組むべきで、隣国の低賃金労働で代替できる仕事を強引に本国に戻す
ことが労働環境の真の改善にどれほど資するかは疑問である。失業率は
4%台半ばまで改善し、完全雇用に近い」。

ホントかよ?

この失業率、日本の場合は職安に通っていないとカウントされない。失
業保険金給付が終わると、多くの人、特に60歳以上は事実上、求人がない
ので職安にはいかない。求人欄に「年齢不問」とあるのは、そうしないと
職安に叱られるからで、電話してごらん、「実は若い人が欲しいのです」
と謝絶される。

かくして「完全雇用」になるのだが、就職を諦めた「無業率」は相当高い
のではないか。

米国の場合、能力重視のため、新卒採用はまれで、普通は大卒してから
就職までスキルアップに努め、2〜3年後に就職というケースは多いだろ
う。この就職浪人を含めれば米国の失業率は相当高いだろう。

米国資本が低賃金に引かれて外国で安く生産して世界市場で儲ける、し
かし、本国の民は仕事がなく、購買力もなく、工場は錆びだらけ。これが
モラルか? 実家が貧窮しているのに自分は蓄財蓄妾美酒美食で「それは
悪いことなんですか?」。犯罪ではないが、社会に恩返しするという尺度
ではインモラルである。

読者はバカじゃない。記者は望遠レンズ、広角レンズ、標準レンズ、接
写レンズ、虫眼鏡、顕微鏡で世間を観察しないとダメよ。赤いフィルター
とかの色付きで見てはいけません。(つづく)2019/10/9


2019年10月19日

◆雀庵の「オランダの台湾支配終わる」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/36(2019/10/17)】朝夕の室温が20度程になっ
たので、冬に備えて厚手のカーテンを使えるようにした。全部閉めると
真っ暗、何やら巣ごもりだ。蓑虫になったような、カフカの「変身」の虫
になったような、ヒッキーになったような、複雑な感じがする。

カミサンは自宅療養中の患者を定期的に(小生の部屋にはしょっちゅう)
訪問するが、ほとんどがヒッキーで、狭い部屋で掃除もしない、窓も開け
ないから臭い、座るのも気持ち悪いと言う。小生の部屋はまあ奇麗な方だ
ろう。脳みそはずいぶん穏やかになってきたとは思うし、死神はここ1か
月ほどは来なくなった。面白い夢もよく見る。

昨夜はロイヤルホストとかいうファミレスの本部へ行って、「料理を出す
だけでは勝てない、これからはそこにいるだけでもお客さんが楽しい気分
になるようにディズニーランド化すべきだ、いるだけで楽しい、落ち着く
とか、付加価値がものをいう」なんて説教を垂れていた。

「演出が大事で、ストリップと同じ。初めはクネクネ、チラチラ、挑発
していき、最後はかぶりつきのお得意さんに御開帳。ソープだって出会
い、恋、結ばれる、という“恋に似たもの”を演出している。ファミレスも
ワクワクドキドキの体験を売るように工夫すべきです。プレイボーイクラ
ブのバニーガール、マックのミニスカコスプレ、ロッキー青木の「紅花オ
ブ東京」の愉快なパフォーマンス・・・あの店ならいつも Something
Else がある、そんなソフトで差別化を図るんです」

こういう講演は交通、質疑応答を含めて半日はかかるが、最低10万円の
収入にはなる。やっているうちに成功例なんてどんどんできてくると、有
名人、カリスマになり、50万、100万円とかになる。人気商売だからその
うち落ち目になるのだが、知名度がまだあるうちに作家、芸人、コメン
テーター、議員にでもなっておけば数年は食えるのではないか。野垂れ死
んだりする可能性もあるが、まあ週刊誌が「あの人は今」特集で供養して
くれるだろう。

台風19号で床上浸水になった長女のマンションは、消毒屋さんが多分公
共施設から手を付けるから(長女の勤め先の保育園は厨房が浸水)民間住
宅にまでは手が足りずに復旧のめどが立たないという。結局、オーナーの
お見舞金で引き下がり、1年前に長女夫妻が契約したマンションが来年の3
月に完成するまで我が家に仮住まいすることになった。

つまりだ、同志諸君、毎日孫二人(小2と年長)は我が家にいることに な
る! いっぺんに2匹のペット、オモチャが来るわけで、ヂイヂはとて も
楽しみだ。ちっこいのを捕まえて抱きしめると実に気分がいい。ぺろぺ
ろ舐め放題! 今のうちだで!

いつも週末に来る小5の孫の算数の勉強を見ていて思ったのだが、テス ト
の問題は当然ながら日本語で、しかし、とても分かりにくい設問だ。つ
まり「国語理解力がないと分からない問題が多い」のだ。「読書の訓練」
が算数などにも必要だということ、これは小生が成人してから痛感したこ
とだ。

で、国語を孫に教えることにした。教材は子供がわくわくするようなや
つ、「金瓶梅」とか「ファニーヒル」「ロリータ」「チャタレー夫人の恋
人」・・・ちょっと早いか? まあ、アリスとかオズの魔法使い、かぐや
姫とか、赤毛のアン、イソップ物語とか、読みと暗記、感想文、創作など
折に触れて教えていけば少しは役立つだろう。

さてさて激動の「台湾」史。喜安幸夫著「台湾の歴史」から要約、咀
嚼、調理する。

<最強の海賊頭目、鄭芝龍が明朝官僚の支那的マジックで福建海防遊撃
(海軍司令)になると、彼は本拠地を台湾から福建省に移した。まさに
「故郷に錦を飾る」。そして平戸から妻と6歳の息子、福松(鄭成功=国
姓爺)を呼び寄せた。鄭芝龍は「この世をば我が世とぞ思う」絶頂気分
だったろう。

鄭芝龍の配下には台湾から大陸に拠点を移したことに賛成しない郭懐一
らもいた。

台湾南部では大陸からの移住民がオランダ支配の重税にあえいでいた。
オランドは初めは資源をむさぼり尽くす「重商主義」(インカ、マヤ絶
滅)だったが、島民を働かせて鶏に卵を産ませて儲けるという「植民地主
義」(拡大再生産だが先住民搾取)に変わっていった。拡大再生産で先住
民を駆逐するわけではないが、生かさず殺さず、要は重税による搾取強奪だ。

移住民の不満は募るが、鄭芝龍は明国に取り込まれ懐柔されて動かない。
それならと1651年、郭懐一は満足な武器もないままオランドのゼーラン
ジャ城を攻撃したが敗退、移住民4000〜8000人が殺された。これにより台
湾移住民のオランダに対する憎しみは倍加したという。

鄭芝龍の息子、鄭成功は文武両道の好青年に育ったが、後ろ盾の明国は
風前の灯火になっていた。北方の満州族が北京に入り、1644年に清朝を樹
立した。明国は南に後退し、鄭芝龍の縄張りである福建に辛うじて残っ
た。そして明国は功績高い鄭芝龍の子、福松=鄭成功に明の名門「朱」姓
を与え、朱成功(=国姓爺、国が姓を与えた人)近衛隊長が誕生した。

鄭芝龍は利に敏かったのだろう、勝ち馬に乗れとばかりに清の誘いに
乗ったが、鄭成功は明への恩義からだろう、その誘いを断った。二君にま
みえず的な心があったのかもしれない。そのために父・鄭芝龍は処刑さ
れ、母親も自害、明国の降武帝も食を絶って死を選んだ。

明に恩義を感じていただろう鄭成功は「滅清復明」を誓い、3000隻の船
を主力に清軍と一進一退の攻防を重ねた。「二君にまみえず」的な武士道
精神があったのだろうか。1652年、郭懐一がオランダに反旗を翻したころ
だ。清は陸戦では優位だったが、「海賊と呼ばれた男」の息子、鄭成功の
海上封鎖は突破できなかった。

この封鎖で台湾のオランダ人は大陸との交易ができずに困惑した。1660
年、台湾のドン、オランダ長官コイエットは調停に入るが、鄭成功の船団
は清の圧迫を避けるために一時的に台湾に退去することになった。コイ
エットは2つの台湾の城から砲撃すれば「鄭成功の船団なんぞチョロイ」
とバタビヤ本部に援軍を頼まなかった。「功」を独占してご褒美に本国に
帰りたかったのか。

1661年3月23日、金門島に集結していた鄭艦隊400隻、2万5000人は抜錨
し、澎湖諸に立ち寄り、台湾南部に向けて進発した。浅瀬が多く水路が複
雑なため漁船でも接岸が難しく、オランドもまったく無防備だったという
セッカム海岸、まさしく「義経の一ノ谷逆落しの奇襲」で上陸した。多く
の移住民がそれを支援したという。

鄭軍は瞬く間にプロビデンジャ城を包囲し、ゼーランジャ城との連絡を
絶った。プロビデンジャ城は一か月後の5月1日陥落。ゼーランジャ城は孤
立し、バタビヤからのオランダ軍、戦艦10隻、兵700人も鄭軍の海上封鎖
を突破できずに敗退した。12月、ゼーランジャ城はついに白旗を掲げた。

武士道精神なのか、鄭成功はコイエットに最後の名誉を与え、1661年12
月13日、オランダ人一行は城門を開き、国旗を掲げ、国歌を奏しながら4
隻の帰国船に乗り込み、統治38年にして台湾を離れていった。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰
の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけ
き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」


コイエットはその後バタビヤでの裁判で死刑を宣告され、のち終身禁固と
なり、多額の金を積んで12年後に釈放され、オランダ本国に戻った>


勝ったり負けたりは兵家の常とはいえ、現代の戦争はスパンが長すぎ、し
かも「ノーサイドや!グッドルーザーやで!」と言われて、2回戦、雪辱
の機会がなかなかないから、負け戦は100年は身を苛むね。


発狂亭“出発はまだかいな、ヂヂイ待たすな、弾寄こせ”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(153)2017/1/17】産経「会員制リゾート
クラブ 市場拡大で多様化」って・・・イメージとして「詐欺」臭いが、
どうなのか。小生は同じ相手から2回、計150万円を詐取された。詐欺師は
実に誠実に見えるのだ。小生のような怪しい奴は詐欺師にはなれない。


この詐欺師、小生の取材先の東京商工リサーチの調査部長の紹介で小生に
接触してきた。嘘を見破るプロが勧めるのだから信用しちゃうよな。120
万円騙された後で調査部長から「ごめん、アイツ詐欺師だった」と連絡が
きたが、遅かりし由良之助。大手の有名企業も巻き込んだ詐欺プロジェク
トで、こういうのは素人はまず見破れない。

65年生きてきて「ああ、買わなくてよかったなあ」と思うものが3つあ
る。筆頭はログハウスの別荘(4000万円)。利用は月2回→ 1回、やがて
春夏秋冬の年4回になる。痛みが進むから営繕作業もせにゃならんから、
リゾートライフどころではない。そのうち体力、気力が萎えて持ちこたえ
られず、売りに出したところで買い手がつかずに朽ち果てるのだ。そんな
別荘はごろごろしている。

小生の叔父さんも高原別荘を持っていたが、喘息で酸素の薄い高原は行
けなくなって放置、今は跡形もなく崩れているだろう。

キャンピングカーも「いいなあ」と思うが、これもすぐに飽きる。1年 で
中古屋に売ることになるだろう。

三番目はリゾート会員権。年に数回利用するくらいだから、メリットは
薄い。

若いときは大いに遊びたいが、仕事も育児も忙しくなるから遠出の1泊2
日なんてめったにできるものではない。「週末くらいのんびりしたい」と
ゴロゴロしていると、「アンタ、庭掃除くらいしたら!」と奥さんから怒
られるのである。

以上の3つの贅沢品は大体処分に困る。確かに夢の商品だが、一時的に 夢
を楽しめても実態は詐欺的ではないか。高値で売り抜けた、なんていう
話は聞いたこともない。血迷って買うとまずしくじるね。(つづ
く)2019/10/17


2019年10月18日

◆雀庵の「オランダの台湾支配終わる」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/36(2019/10/17)】朝夕の室温が20度程になった
ので、冬に備えて厚手のカーテンを使えるようにした。全部閉めると真っ
暗、何やら巣ごもりだ。蓑虫になったような、カフカの「変身」の虫に
なったような、ヒッキーになったような、複雑な感じがする。

カミサンは自宅療養中の患者を定期的に(小生の部屋にはしょっちゅう)
訪問するが、ほとんどがヒッキーで、狭い部屋で掃除もしない、窓も開け
ないから臭い、座るのも気持ち悪いと言う。小生の部屋はまあ奇麗な方だ
ろう。脳みそはずいぶん穏やかになってきたとは思うし、死神はここ1か
月ほどは来なくなった。面白い夢もよく見る。

昨夜はロイヤルホストとかいうファミレスの本部へ行って、「料理を出す
だけでは勝てない、これからはそこにいるだけでもお客さんが楽しい気分
になるようにディズニーランド化すべきだ、いるだけで楽しい、落ち着く
とか、付加価値がものをいう」なんて説教を垂れていた。

「演出が大事で、ストリップと同じ。初めはクネクネ、チラチラ、挑発し
ていき、最後はかぶりつきのお得意さんに御開帳。ソープだって出会い、
恋、結ばれる、という“恋に似たもの”を演出している。ファミレスもワク
ワクドキドキの体験を売るように工夫すべきです。プレイボーイクラブの
バニーガール、マックのミニスカコスプレ、ロッキー青木の「紅花オブ東
京」の愉快なパフォーマンス・・・あの店ならいつも Something Else が
ある、そんなソフトで差別化を図るんです」

こういう講演は交通、質疑応答を含めて半日はかかるが、最低10万円の収
入にはなる。やっているうちに成功例なんてどんどんできてくると、有名
人、カリスマになり、50万、100万円とかになる。人気商売だからそのう
ち落ち目になるのだが、知名度がまだあるうちに作家、芸人、コメンテー
ター、議員にでもなっておけば数年は食えるのではないか。野垂れ死んだ
りする可能性もあるが、まあ週刊誌が「あの人は今」特集で供養してくれ
るだろう。

台風19号で床上浸水になった長女のマンションは、消毒屋さんが多分公共
施設から手を付けるから(長女の勤め先の保育園は厨房が浸水)民間住宅
にまでは手が足りずに復旧のめどが立たないという。結局、オーナーのお
見舞金で引き下がり、1年前に長女夫妻が契約したマンションが来年の3月
に完成するまで我が家に仮住まいすることになった。

つまりだ、同志諸君、毎日孫二人(小2と年長)は我が家にいることにな
る! いっぺんに2匹のペット、オモチャが来るわけで、ヂイヂはとても
楽しみだ。ちっこいのを捕まえて抱きしめると実に気分がいい。ぺろぺろ
舐め放題! 今のうちだで!

いつも週末に来る小5の孫の算数の勉強を見ていて思ったのだが、テスト
の問題は当然ながら日本語で、しかし、とても分かりにくい設問だ。つま
り「国語理解力がないと分からない問題が多い」のだ。「読書の訓練」が
算数などにも必要だということ、これは小生が成人してから痛感したことだ。

で、国語を孫に教えることにした。教材は子供がわくわくするようなや
つ、「金瓶梅」とか「ファニーヒル」「ロリータ」「チャタレー夫人の恋
人」・・・ちょっと早いか? まあ、アリスとかオズの魔法使い、かぐや
姫とか、赤毛のアン、イソップ物語とか、読みと暗記、感想文、創作など
折に触れて教えていけば少しは役立つだろう。

さてさて激動の「台湾」史。喜安幸夫著「台湾の歴史」から要約、咀嚼、
調理する。

<最強の海賊頭目、鄭芝龍が明朝官僚の支那的マジックで福建海防遊撃
(海軍司令)になると、彼は本拠地を台湾から福建省に移した。まさに
「故郷に錦を飾る」。そして平戸から妻と6歳の息子、福松(鄭成功=国
姓爺)を呼び寄せた。鄭芝龍は「この世をば我が世とぞ思う」絶頂気分
だったろう。

鄭芝龍の配下には台湾から大陸に拠点を移したことに賛成しない郭懐一ら
もいた。

台湾南部では大陸からの移住民がオランダ支配の重税にあえいでいた。オ
ランドは初めは資源をむさぼり尽くす「重商主義」(インカ、マヤ絶滅)
だったが、島民を働かせて鶏に卵を産ませて儲けるという「植民地主義」
(拡大再生産だが先住民搾取)に変わっていった。拡大再生産で先住民を
駆逐するわけではないが、生かさず殺さず、要は重税による搾取強奪だ。

移住民の不満は募るが、鄭芝龍は明国に取り込まれ懐柔されて動かない。
それならと1651年、郭懐一は満足な武器もないままオランドのゼーラン
ジャ城を攻撃したが敗退、移住民4000〜8000人が殺された。これにより台
湾移住民のオランダに対する憎しみは倍加したという。

鄭芝龍の息子、鄭成功は文武両道の好青年に育ったが、後ろ盾の明国は風
前の灯火になっていた。北方の満州族が北京に入り、1644年に清朝を樹立
した。明国は南に後退し、鄭芝龍の縄張りである福建に辛うじて残った。
そして明国は功績高い鄭芝龍の子、福松=鄭成功に明の名門「朱」姓を与
え、朱成功(=国姓爺、国が姓を与えた人)近衛隊長が誕生した。

鄭芝龍は利に敏かったのだろう、勝ち馬に乗れとばかりに清の誘いに乗っ
たが、鄭成功は明への恩義からだろう、その誘いを断った。二君にまみえ
ず的な心があったのかもしれない。そのために父・鄭芝龍は処刑され、母
親も自害、明国の降武帝も食を絶って死を選んだ。

明に恩義を感じていただろう鄭成功は「滅清復明」を誓い、3000隻の船を
主力に清軍と一進一退の攻防を重ねた。「二君にまみえず」的な武士道精
神があったのだろうか。1652年、郭懐一がオランダに反旗を翻したころ
だ。清は陸戦では優位だったが、「海賊と呼ばれた男」の息子、鄭成功の
海上封鎖は突破できなかった。

この封鎖で台湾のオランダ人は大陸との交易ができずに困惑した。1660
年、台湾のドン、オランダ長官コイエットは調停に入るが、鄭成功の船団
は清の圧迫を避けるために一時的に台湾に退去することになった。コイ
エットは2つの台湾の城から砲撃すれば「鄭成功の船団なんぞチョロイ」
とバタビヤ本部に援軍を頼まなかった。「功」を独占してご褒美に本国に
帰りたかったのか。

1661年3月23日、金門島に集結していた鄭艦隊400隻、2万5000人は抜錨
し、澎湖諸に立ち寄り、台湾南部に向けて進発した。浅瀬が多く水路が複
雑なため漁船でも接岸が難しく、オランドもまったく無防備だったという
セッカム海岸、まさしく「義経の一ノ谷逆落しの奇襲」で上陸した。多く
の移住民がそれを支援したという。

鄭軍は瞬く間にプロビデンジャ城を包囲し、ゼーランジャ城との連絡を
絶った。プロビデンジャ城は一か月後の5月1日陥落。ゼーランジャ城は孤
立し、バタビヤからのオランダ軍、戦艦10隻、兵700人も鄭軍の海上封鎖
を突破できずに敗退した。12月、ゼーランジャ城はついに白旗を掲げた。

武士道精神なのか、鄭成功はコイエットに最後の名誉を与え、1661年12月
13日、オランダ人一行は城門を開き、国旗を掲げ、国歌を奏しながら4隻
の帰国船に乗り込み、統治38年にして台湾を離れていった。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰
の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけ
き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」


コイエットはその後バタビヤでの裁判で死刑を宣告され、のち終身禁固と
なり、多額の金を積んで12年後に釈放され、オランダ本国に戻った>


勝ったり負けたりは兵家の常とはいえ、現代の戦争はスパンが長すぎ、し
かも「ノーサイドや!グッドルーザーやで!」と言われて、2回戦、雪辱
の機会がなかなかないから、負け戦は100年は身を苛むね。


発狂亭“出発はまだかいな、ヂヂイ待たすな、弾寄こせ”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(153)2017/1/17】産経「会員制リゾートク
ラブ 市場拡大で多様化」って・・・イメージとして「詐欺」臭いが、ど
うなのか。小生は同じ相手から2回、計150万円を詐取された。詐欺師は実
に誠実に見えるのだ。小生のような怪しい奴は詐欺師にはなれない。


この詐欺師、小生の取材先の東京商工リサーチの調査部長の紹介で小生に
接触してきた。嘘を見破るプロが勧めるのだから信用しちゃうよな。120
万円騙された後で調査部長から「ごめん、アイツ詐欺師だった」と連絡が
きたが、遅かりし由良之助。大手の有名企業も巻き込んだ詐欺プロジェク
トで、こういうのは素人はまず見破れない。

65年生きてきて「ああ、買わなくてよかったなあ」と思うものが3つあ
る。筆頭はログハウスの別荘(4000万円)。利用は月2回→ 1回、やがて
春夏秋冬の年4回になる。痛みが進むから営繕作業もせにゃならんから、
リゾートライフどころではない。そのうち体力、気力が萎えて持ちこたえ
られず、売りに出したところで買い手がつかずに朽ち果てるのだ。そんな
別荘はごろごろしている。

小生の叔父さんも高原別荘を持っていたが、喘息で酸素の薄い高原は行け
なくなって放置、今は跡形もなく崩れているだろう。

キャンピングカーも「いいなあ」と思うが、これもすぐに飽きる。1年で
中古屋に売ることになるだろう。

三番目はリゾート会員権。年に数回利用するくらいだから、メリットは薄い。

若いときは大いに遊びたいが、仕事も育児も忙しくなるから遠出の1泊2日
なんてめったにできるものではない。「週末くらいのんびりしたい」とゴ
ロゴロしていると、「アンタ、庭掃除くらいしたら!」と奥さんから怒ら
れるのである。

以上の3つの贅沢品は大体処分に困る。確かに夢の商品だが、一時的に夢
を楽しめても実態は詐欺的ではないか。高値で売り抜けた、なんていう話
は聞いたこともない。血迷って買うとまずしくじるね。(つづく)2019/10/17