2019年10月08日

◆雀庵の「オランダの台湾始末」

      “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/32(2019/10/7)】16歳の女の子が環境保護運動
のジャンヌ・ダルクみたいに称賛されているが、あの憎悪の激しい表情は
病的だ。大丈夫だろうか。

「人のことより自分のことを心配したら! アンタ、ほとんどキチ〇イ
じゃないの!」

お言葉ながら「ほとんどキチ〇イ」ではなく「100%キチ〇イ」です。廃
車寸前のポンコツ、不名誉殿堂入り、世界不自然遺産登録を目指している
老骨でございます。わが身に鞭を振るい、だましだましで日々を送る憐れ
な老人でございます。同情するならパワースーツをくれ! こんなのいい
と思わない。


このモリタエコノスという会社、特殊車両のプロ。目立たないけれど社
会を支えているのだ。ああ、こういう会社、職能人、好きだなあ。

このところ「人間性能」「人間力」「老化」といったことをよく考えて
いる。体力=運動力、知力=思考力、技力=技・腕前、これらからなる
「心技体」パワーが老化で減っていくのだが、「パワー残量」は個体差は
あるものの、大体こんなものだろう。


一般的に人は専門分野にパワーを集中させるから、残量度50%でも実際に
はその「得意土俵」では90%、120%になったりする。学者・専門家とし
て優秀だが、車の運転は危なっかしいとかは大いにある。ただ、総合的に
「人間性能」を見ると、上記のようになるのではないかなあと思うわけ。


「自分の土俵なら若いもんには“勝てないものの負けない”」とか。この
“勝てないものの負けない”というのは企業競争で「万年2位の戦略」でも
ある。1位は1位を保つために膨大な研究開発費がかかる(アメリカを見
よ!)、それでも優位に立てる。2位は1位の発明なり研究、特許を買った
り、アイディアを得て似たようなものを創ればいいので、比較的低コスト
で「負けない」商品を作れるわけ(中共とか韓国。日本もそうやって伸び
てきた)。

トヨタに対する日産がそんな「ナンバー2戦略」だったと思う。メーカー
ごとにいろいろな個性があるから、切磋琢磨してこの分野では○○、あの分
野では△△がいいね、となっているのは、日本の全体のパワー向上になって
おり、良いことだ。

男「力比べじゃダメだけどよ、こっちの方ならまだ若いもんには負けね
えよ・・・どうだい?」

女「あ、ああ、ああーん!」

ナレーション・・・バイアグラ、サポート ユア ライフ

テロップ(効能は個体差があり、保障するものではありません)

こんなCF創ったら売れるぜよ、のう。脳みそもアッチも使わんと劣化す
るぜよ、放っておくとお宝盗られるで・・・

台湾“宝島”利権をめぐる日蘭の一触即発的危機。長崎代官末松平蔵、そ
の配下、浜田弥兵衛、和解のためにオランダ総督が差し出した“トカゲの
しっぽ”ノイツ長官。

・末松平蔵:江戸初期の海外貿易家。長崎の人。名は政直。南洋各地と
の朱印船貿易で巨富を築き、のち、長崎代官となった。「長崎のドン」だな。

・浜田弥兵衛:末次平蔵の朱印船の船長。貿易上の争いから、武装日本
人多数を伴って台湾のオランダ人根拠地に渡り、このため日蘭貿易は数年
間中断した。

・ノイツ:オランダ東インド会社の台湾長官 (在任 1627〜29) 。1627年
東インド総督府員外参事としてバタビアに着任、次いで台湾長官に任じら
れて台湾安平にあったゼーランディア城に入り、この年8月、台湾貿易に
ついての日蘭紛争解決交渉のため来日、江戸におもむいたが、将軍の謁見
を許されず帰任。

翌28年、武装して台湾に来た浜田弥兵衛をいったんは捕えたが、脅され
て和解。このため江戸幕府は、オランダの対日貿易を禁止し、弥兵衛とと
もに日本に来た人質とオランダ船員を抑留した。これが浜田弥兵衛事件で
ある。

ノイツは事件の責任者として、人質解放のために日本に来て、平戸に監
禁された。商館長N.クーケバッケルの尽力で、36年解放されてバタビアに
帰り、本国に送還された。(以上はコトバンク、WIKI)

平戸・・・まるで刑務所みたい。

ノイツが一番割を食ったが、日蘭は双方とも「手打ちしたい」事情は
あった。秀吉は西洋列強の侵略策は「カトリックが道普請し、おいしい餌
で民を慰撫し、次いで軍隊で主権を奪う」と見抜いて、カトリックに洗脳
された朝鮮・明国が元寇のように襲ってきたら危ない、機先を制しておく
に如かず、と「朝鮮征伐」を始めた。これは1500年代の「世界最大の戦
争」だという。

家康もその危機感は共有していたろう。このためカトリック禁止などの
「鎖国」を選んだが、明国との貿易を止めたいものの、「絹」などは支那
に依存しており、止めるに止められない事情があった。一方でオランダは
西洋で唯一対日貿易ができるという権利を維持したい。

そこでオランダ東インド会社やノイツなどが「必要な支那産の特産物を
私どもがお届けします」と汗を流して、日・明の了解を得たのだろう。今
でもよく見るグレーゾーン的な「第三国経由の貿易」だ。

これにより家康は晴れて鎖国令を完璧にした。

美味しいものにはアリが群がる。1626年にはイスパニア(スペイン)が
「俺にも食わせろ」と台湾に進撃、2つの城を造り、北部を制覇した。


「無敵艦隊」が象徴するようにスペインは当時の大帝国だ。一方で新興国
のオランダは九州とほぼ同じ面積の小国。まともな土地がない。「ライン
川下流の低湿地帯に位置し、国土の多くをポルダーと呼ばれる干拓地が占
める。国土の1/4は海面下に位置する」(WIKI)。海外へ雄飛するしかな
い。ロイヤルダッチシェル、フィリップス・・・知恵と勇気で生きる、日
本のような国柄だ。必死でスペインに立ち向かっていく。


「一般的に言えば、イスパニア人の熱心さはオランダ人に大きく劣った。
イスパニア人(のアジア戦略)はルソン(フィリピン)の保持に重点を置
き、北部台湾占領はオランダ人に対する牽制の意味しかなかった。

1642年、ついにイスパニア人は、優勢なオランダ艦隊によって追い払わ
れ、16年間の占領史は終止符を打った」(王育徳)

なんか歴史を学んでいるみたいな気分だ。脳みそがハイになる、脳細胞
のボッキ、「立つんだ、ジョー!」。

発狂亭“勉強=受動的、学問=能動的≒趣味”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(150)2017/1/15】産経、酒井信彦「新聞
に喝! 新聞に戦争責任はないのか?」。

<勝っても負けても死者の山。勝てば誰も罰せられないどころか称賛さ
れ、負ければ死刑になる。アサヒはこっそり変身し、GHQの良い子になっ
た。刑死した人に責任をおっかぶせておしまい。ほとんどの国民は食うた
めに必死だったから仕方がないというしかないか。刑死した人々の名誉を
回復すべきだ>


まことに正論。氏は小生の隣町の方。表敬訪問したいなあ。

河村直哉「ロシア革命100年の歴史を直視せよ」。

<陰謀史観を展開したいのではない。ただ日本が戦後の左傾を脱して自
国の歴史を公平に見る必要があることは、指摘したい。

日本では、軍事情報などをソ連に流していたゾルゲ事件が有名である。
ゾルゲとともに死刑になった尾崎秀実(ほつみ)の手記などを読むと、日
中の戦いが世界戦争に発展すること、それが世界共産革命に至ることを、
尾崎は明確に意識している。


資本主義国同士を戦わせ弱らせて、共産革命に至らせるというレーニンの
準則を、守っているのである。こうした事実に、どれほどの注意が払われ
てきただろうか。

戦後もソ連は、日本で工作を行っている。共産主義は変質したものの、
一党独裁の中国も謀略や宣伝の手法はしっかりと受け継いでいるといって
よい。最近の歴史戦など、戦前のソ連の対米世論工作を思わせる。

映画めいているという批判は当たるまい。米大統領選へのサイバー攻撃
が事実なら、ロシアの謀略体質は変わっていないことになる。

ロシア革命100年を振り返ることは、単に異国のこととしてすまされるも
のではない。日本の近現代を振り返り、教訓をくむことにほかならない>

騙されるな、リベラル≒アカモドキに警戒せよ、ということ。まことに正
論。(つづく)2019/10/7

2019年10月07日

◆雀庵の「島国台湾・日本の波瀾万丈」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/30(2019/10/2)】日本や台湾、英国といった島
国は、四方の海が頑丈な国境になり、外部勢力から侵されにくいというメ
リットはある。大小あれどいずこの国/民族/部族も他者から侵されないた
めには版図を大きくするしかない。小さいままだと餌食になりやすい。弱
肉強食、遠交近攻、大きいことはいいことだ、一番を目指さなければ飲み
込まれる。

紀元前500年ごろの中国春秋時代の兵法書「孫子」は有名だが、「戦わず
に勝つのが一番の上策」という。ラテン語の格言には「攻撃は最大の防
御」ともある。敵や、いつ寝返るか分からない隣国は先手必勝で併呑して
おけば、防衛費も少なくて済む。

とにかく強くならないと亡国、勝てば強国になってひとまずは安心という
わけだ。

戦争のルールを定めようとハーグ陸戦条約(1899年、1907年)が44カ国で
結ばれているが、現実にそれが守られているかどうかは怪しいし、非加盟
の国や非正規軍の行動を規制できない。現実に史上最大の悲惨な戦争とい
われる第一次世界大戦(1914〜1918年)ではほとんど効果がなかったようだ。

さて、拙論9/28「台湾・日本の関係強化を!」では、台湾が初めて世界に
紹介されたのは3世紀の支那三国時代の「呉」の武将、沈瑩(しんえい)
著「臨海水土志」だと紹介したが、610年ごろに「隋」の軍人、陳稜(ち
んりょう)が遠征したらしく、随書に「流求国は海島の中に居す」と記述
されている。「流求国」は今の琉球(沖縄)なのか台湾なのか今でも不明
らしいが、支那大陸から近いのが台湾だから「流求国=台湾」が有力という。

その後は1200年頃まであまり動きはないが、この年代の世界的事件は、世
界最大最強の「モンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって
2度にわたり行われた対日本侵攻」の蒙古襲来だ。鎌倉時代の文永の役
(1274年)と弘安の役(1281年)、みんな中学で教わったね。

何のための日本侵略なのか分からないが(黄金の国ジパングが欲しかった
という説もある)、第一次世界大戦も今もって何だったのか分からないか
ら、人間(男の子)は時々戦争したくなるようだ。「そこに山があるか
ら」みたいに血が騒ぐのか。

天災も人災も戦災も防ぎようがないという面はあるだろう。理性で抑えて
いた欲望や感情がある日、ビッグバンを起こして既存秩序を破壊し、血と
涙の上に新しい秩序が生まれるとか。習近平は「どうしても台湾を俺のも
のにしたい、その次は日本もモノにしたい、で、アメリカと太平洋を二分
するんだ」とか夢見ている。

モンゴル帝国は玄界灘の荒波を越えて大小の軍艦で日本を攻めたが、戦争
が長引くと軍艦、兵員、武器、食糧などの補給がままならず、強風や台風
で元寇は大失敗に終わり、モンゴル帝国と高麗は財政悪化も招いてしまっ
たようだ。

少なくとも遊牧民の大陸国家が海洋国家になる野望は砕かれて、その後、
沿岸部は日本の海賊「倭寇」の跳梁跋扈のなすがままになってしまった。
藪をつついて蛇を出す。

国家は成長し続けないと求心力が緩むが、モンゴル帝国のいささか無理な
戦線や領土の拡大戦略は繁栄をもたらしたものの、相続をめぐって国家分
裂も招き、結局は元寇100年後の1368年に朱元璋の明に滅ぼされてしまっ
た。栄枯盛衰、世の習いか。

台湾でも1100年あたりから南宋の沿岸部を荒らし始め(「文献通考」)、
1200年代には大陸から海賊狩りの軍が派遣されるほどになったようだが、
大陸と台湾の間にある澎湖島あたりまでしか監視できなかったようだ。支
那は海が苦手なのかもしれない。

波瀾万丈(波乱万丈)の「瀾」は大波のこと。台湾は台湾海峡、日本は玄
界灘の波瀾万丈、大波小波、時に荒波、時に怒涛が外敵から身を守ってく
れた。われは海の子、玄海育ち、君も海の子、海峡育ち、手を携えて中共
殲滅せねばや。

英国もドーバー海峡育ち、欧州大陸と距離を置いている。「たかが34キ
ロ、されど34キロ」、これが英国らしさを醸成して世界を制覇した。英、
豪、NZなども加えた「海の子連合」で支那を封じることは熟考すべきだ。

「深く静かに潜航する蒼龍」に憧れる発狂亭“浮上しない沈殿ヘドロ”雀庵
の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(147)2017/1/14】承前:産経「龍馬暗殺5
日前の手紙 越前藩重臣宛て『新国家』ににじむ熱い思い」。小生は英外
交官アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」を読んで、龍馬は
西郷先生の右腕、秘密工作員と思ってきたが、同志ではあっても独自の巨
魁だったのかもしれない。

「民泊営業日数新法案 衛生管理義務づけ」、営業日数を制限する必要が
あるのか? ホテル旅館連盟など既得権益層を保護して「票」にしたいわ
けだ。マッチポンプ、私利私欲、党利党略・・・恥を知れ、恥を! 地獄
へ堕ちろ!

「受動喫煙防止法案提出へ 学校、病院は敷地内全面禁煙」。喫煙人口は
減るが、タバコメーカーも小売店も税務署もあまり困らないのではない
か。値上げするから売上は落ちるが粗利(小売店は10%)はそれほど落ち
まい。煙の出ないタバコ、嗅ぎタバコなど新商品も出るだろう。

チャーチルはキューバ葉巻で思考して、「たばこダメ、絶対!」のヒト
ラーに勝った。山本夏彦翁は缶ピースで文章を書いた、曰く「健康オタク
の元祖はヒトラー。健康は(健康でない人を否定、侮蔑、排除するから)
厭なものである」。学校の先生は校舎の裏でこっそり吸っていたら懲戒処
分か? 「ぬしさま、吸いなまんし」の花魁は喫煙幇助で獄門か。タバコ
は文化。

女性専用車両に間違って乗ったら追い出されたが、化粧品のすさまじい臭
いだった。これは匂い、あんたのは臭い、ってずいぶん勝手だなあ。「分
煙」で街や施設のところどころに喫煙所を作れないものか。それにしても
税率60%にひるまないスモーカーは太っ腹だ。(つづく)2019/10/2


2019年10月06日

◆雀庵の「西洋が席巻するアジア・台湾」

シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/32(2019/10/6)】産経10/3「日本国籍確認求め
台湾人3人が国を提訴へ、大阪地裁」は画期的な展開になるかもしれない。

<日本統治下の台湾で生まれ育ちながら、戦後に日本国籍を喪失したとさ
れるのは不当として、台湾人の男性3人が近く、日本政府に日本国籍を有
していることの確認を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが3日、関係者
への取材で分かった。代理人弁護士によると、日本統治時代の台湾にルー
ツを持つ人が、現在も日本国籍を持つことの確認を求める訴訟提起は初め
てという。

訴状や関係者などによると、原告は楊馥成(ようふくせい)さん(97)、
許華杞(きょかき)さん(85)、林余立(りんよりつ)さん(92)の3
人。いずれも日本の領土だった台湾で生まれ、戦中も台湾出身の日本人と
して過ごした。

日本政府は、昭和27年4月のサンフランシスコ平和条約発効をもって台湾
などの領土権を放棄。また37年12月の最高裁判例は、27年8月の日本と中
華民国(台湾)との間の日華平和条約発効により、台湾系日本人は日本籍
を喪失した、としている

原告側は「何人もほしいままに国籍を奪われない」とした国連の世界人権
宣言などに照らし、「本人の同意なしに国籍を剥奪されることはない」と
主張。「今も生まれたときと変わらない日本人であり、日本国籍を持ち続
けているといわざるを得ない」と訴えている。

原告側代理人の徳永信一弁護士(大阪弁護士会)は「これまで国は戦後、
中国との関係に遠慮して台湾の現実に目をそむけ続けてきた。今回の訴訟
は切実な人権問題。日本人のアイデンティティーを持つ人の声に真摯に耳
を傾けるべきだ」と話している>

産経は翌10/4ではこうフォローしている。

<日本国籍の確認求め提訴、統治下台湾生まれの3人

日本統治下の台湾で生まれ育ちながら、戦後に日本国籍を喪失したとされ
るのは不当として、台湾人の男性3人が4日、日本国籍があることの確認を
国に求める訴訟を、大阪地裁に起こした。

法務省民事局は「何もお答えできません」としている>

こういうことだろう。

ある日、日本のどこかの○○島が異国に襲われ占拠され、日本は反撃したも
のの、その近くの無人島に核ミサイル弾を落とされ「次は首都に落とす
ぞ」と脅かされ、「仕方がない」とその○○島を放棄し、侵略国に実効支配
され、事実上異国の領土になり、やがて国交条約を結んだ。島民は与り知
らないところで日本国籍を奪われ、「それはあんまりだ、我々は日本人
だ」と主張している。

小生は上記の訴訟は了解できる。いつもは「人権、不法だ」と噛みつくリ
ベラル≒アカモドキの人々は何も言わない、まるで「人絹、ナイ論」だ。

現実に被害者がいる、それを「法の不遡及」「国際条約は国法より上位」
だからと知らんぷりする、それはあまりにインモラルじゃないですか?
「その当時は他に手がなかったのだ」と言うのなら、今「手がある」のな
ら助けるのが当然じゃないですか?と思う。

それとも大国のカネが欲しいから大国の機嫌を損ねることはできないとい
うのだろうか。そういう軟弱国は歴史に淘汰されるのだ。

本題に入ろう。1500年代からの「大航海時代」の荒波は世界中を席巻した
が、アジアも西洋文明国の干渉というか餌食になっていく。初めは「トモ
ダチ」「ウィンウィン」「シエン」という甘言で接触してくるのが多い。

<江戸幕府の鎖国が始まる前、戦国時代の1500年代から「朱印船貿易」が
始まる。日本の支配者の朱印状(海外渡航許可証)を得て、海外交易を行
うもので、朱印状を携帯する日本船は、当時日本と外交関係があったポル
トガル、オランダや東南アジア諸国の支配者の保護を受けることができた。

倭寇と違って朱印船は公的な貿易。1500年代後半になるとポルトガル船が
日本に来航するようになって海外への関心が高まり、東南アジア方面にま
で進出する日本人も現れた。

近世ではじめに統一政権を樹立した秀吉は日本人の海外交易を統制し、倭
寇を禁圧する必要から、1592年に初めて朱印状を発行してマニラ、アユタ
ヤ、パタニになどに朱印船を派遣したとされる。

関ヶ原の戦いで全国統一した家康は海外交易に熱心で、1600年、豊後の海
岸に漂着したオランダ船の航海士ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステ
ンらを外交顧問として採用し、ガレオン船を建造させたほどである。1601
年以降、安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャム、パタニなどの東
南アジア諸国に使者を派遣して外交関係を樹立し、1604年に朱印船制度を
実施した。

これ以後、1635年まで350隻以上の日本船が朱印状を得て海外に渡航した。

朱印船は必ず長崎から出航し、帰港するのも長崎であった。なお、明は日
本船の来航を禁止していたので、(ポルトガル居留地マカオを除けば)朱
印船渡航先とはならず、朝鮮との交易も対馬藩に一任されていたので、朱
印状は発行されなかった>(WIKI)

海外へ雄飛した呂宋(ルソン)助左衛門や、タイの日本人町を拠点にした
山田長政は有名だ。

朱印船は、当時ゼーランジャ城を拠点にオランダが支配していた台湾にも
行っている。日本は明国と敵対関係にあったが、主に支那産の生糸を台湾
など第三国経由で輸入していた。一方で日本からの輸出品は金、銀など
だった。

(今でいう「せどり」とか「海上取引」もあったろう。奄美の義父は戦
後、米国領になった沖縄と「せどり」で缶詰など食糧や多分、人気のタバ
コなどを密輸入し、起業の原資を作った。父も米軍基地の警備員でありな
がらフェンス越しにラッキーストライクを投げ出すという「せどり」で起
業の原資を作った。そういう時代った)

西洋列強も日本もタイ、ベトナム、インドネシア、フィリピン、支那、マ
レーなどと交易した。

オランダは明との澎湖島争奪紛争で停戦協定を結び、それに従って1624年
に台湾に上陸、主に交易のための拠点としてゼーランジャ城を建て始め
る。高砂族は「新文化をもたらす人々」と見てオランダに友好的、協力的
だったが、艱難辛苦の末にどうにか定住できた支那移住民数千人は不幸を
直感したという。

<これまで台湾は自由の新天地であった。移住民は自分の危険負担におい
て開墾を始め、狩猟漁労に従事し、高砂族と交易し、日本人と取引して利
益を上げることができた。

貧苦と戦乱の大陸では到底望むべくもない自由人としての生き甲斐ある生
活であった>(王育徳「台湾」)

ここに最新武器をもってオランダが割り込んできたのだから「血で血を洗
う縄張り争い」を嫌というほど知っている支那人がオランダ人を警戒する
のは当然だろう。オランダ人もそれを知っていた。(白人がインディアン
をビー玉で騙してNYCマンハッタン島を詐取したことは世界中で知られて
いたのかも)

<「我々オランダ人が台湾に入った時、漢人は我々を喜ばず、友誼を建て
ることができなかった。漢人は蛮人を先導して特産品の貿易統制に反対した。

大陸から毎年、約百隻のジャンク船が来て、漁業に従事する他に、鹿の干
し肉などの特産品を持ち帰っていた」(オランダの公的記録「バタビヤ日
記」)

相互不信は溶解しない。

オランダ人が恐れたのは、数においてはるかに少ない日本人勢力だった。
オランダ人は台湾に入るや、日本船を含めてあらゆる船に関税をかけた。
中国船は砲台の威嚇の前に屈したが、日本船は自分らの優先権を主張して
譲らなかった。

双方対立し険悪となった。平戸のオランダ商館は(独占的で優利なおいし
い)対日貿易に影響が及ぶことを恐れ、オランダ総督(バタビヤ=ジャカ
ルタ)に和解を進言したが、ついに浜田弥兵兵衛のオランダ長官ノイツ襲
撃事件となって爆発した。

浜田のバックは長崎代官末松平蔵であり、幕府の信任熱かった。

事件は日本の対オランダ断交にまで発展し、オランダ総督は和を乞うため
にノイツに責任を帰し、犯罪人として日本側に引き渡さざるを得なかっ
た>(同)

うーん、宮仕えは辛いものがある。いつもは紳士的な公務員の従兄弟が、
酒の席では鯨飲馬食で、かつ小生も驚く行儀の悪さだったが、ストレスは
相当なものなのだろう。ノイツの運命は如何に。

それにしても浜田、末松は相当な根性マンだ。興味は尽きない。

発狂亭“無謀にも「Pippa Passes」全訳決意、死屍累々、遭難必至”雀庵の
病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(149)2017/1/15】産経「ノジマ(富士通
の)ニフティ買収へ」。盛者必衰、所行無常の理・・・日本のネット普及
はニフティが先導していたが、状況の変化を先読みして変わっていかない
とサバイバル戦から落後する。

坂本鉄男「イタリア便り」、食肉消費量/年で日本人28.4キロ、イタリア
人76.3キロ・・・まあ太るわな。「日本ではイノシシやシカの農作物被害
が増大しているが、猪鹿の肉は料理でもハムでもうまい。研究の余地あり
だ」。既存の畜産農家を敵に回すから政治家は腰を上げそうない。猟友会
と組んでやればどうにかなりそうだが、明治天皇や徳川“豚慶”様など上つ
方がまずはお召し上がりにならないと下々はなかなか手を出さない。「ジ
ビエの日」とか・・・まずはペットフードで売り出したらいいかな。

「中国の政権転覆罪、文革後最悪の3000件」、政権転覆1日8件、暴動1日
800件・・・まるで革命、内乱だ。そのうち激しくハゼルだろう。治安維
持費が国防費を上回るというから、社会保障に回る金が足りない→治安悪
化の負の連鎖か。奢れるもの久しからず。(つづく)20


2019年10月04日

◆雀庵の「台湾は世界史の時代へ」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/30(2019/10/3)】用水路沿いの彼岸花は今年 は
モチがいい。咲くべき時に咲いてくれて「夏が終わるよ、もうすぐ秋だ
よ」と教えてくれる。電池切れとか断水にはまったく影響されないし、傘
もブルーシートも要らない。

いざという時に備えて冷蔵庫用に小型の発電機を買おうかなあと思った
りするが、燃料を保管しなければならないし、月に一度くらいは試運転す
る必要もあるだろう。そもそもどの機種がいいのかは素人には分からな
い。電気とか水道のない時代なら全然困らないのに、今は生活が脆弱に
なってしまった。

これって人類の発展なのか、後退なのか。水道がない、車がない、TVもな
い時代に小学生だったが、別に不便だなんて思ったこともない。TVが来て
一家だんらんの夕餉は奪われた。食いながらTVを見ている、行儀もクソも
ない、会話も静寂もなくなってしまった。話そうとすると父はうるさがっ
て「後で紙に書いてもってこい」と言った。

TVは敵だった。荷風がラヂオを嫌ったように、家庭の会話を奪ったTVは
敵であり、大嫌いだった。

TVは見るものではなく、創るものだ。料理や音楽、芸術、ビルや橋ま
で、見たり食べたり鑑賞したりするよりは創る方がはるかに面白いし、金
になる。豪邸に暮らすより、豪邸を創る方がはるかに面白い。

記者や作家、料理人、そのほか多くのクリエイターは皆そんな思いだろ
う。鉄筋工や型枠大工、運転手や清掃員、ウェイターだって「こうしたら
もっといい」と常に創意工夫をする。瓦が飛んでも雨漏りしない家とか、
洪水や津波でも大丈夫な建物とか、考えて考えて考えて何かを生み出すと
いうのは好きだなあ。

ま、そういう生き方もあるということ。生き方を選べるというのは幸せ
なことだ。運命に流されるだけでは辛い、じり貧だ、命懸けでチャレンジ
しよう、道が開けるかもしれぬ、ダメモト、イザ! そういう人たちが時
代を、歴史を作ってきたのだろう。

日本では武士が台頭した鎌倉時代、1200年代の末から支那は大陸と台湾の
間にある「澎湖島」への関心を高め、巡検司(役所)を置く。福建省、広
東省あたりはもともと閩(びん)族、チワン族などベトナム・インドシナ
半島系民族で、特に福建省は山がちで平地が少ないために農業が振るわ
ず、国を捨てて新天地を求める人々が多かった。

「もうどうにもならん、イチかバチか、新天地を目指そう」

今も昔も難民、移民は結構多い。日本人もハワイへ、ブラジルへ、満洲
へと移民したし、英国人もカナダなどへ移民した。食いっぱぐれた民は外
国を目指す。明治のお雇い外国人も、才能があっても職に就けないワケア
リが多く、「食い詰めたヨーロッパ人の吹き溜まり」と上層階級からは揶
揄されたものだ。

札幌農学校を引き受けたクラーク博士は「男の子は山っ気が大事、Be
ambitious、やってみなはれ。日本時代は夢のようだった」と回顧している。

福建省あたりからまずは澎湖島へ、さらに台湾へ、琉球へと移民が増えて
いったのだろう。

支那としては民の逃散は税収減、労働力(苦役、農民、職人、兵士)減、
産業空洞化になるし、かつ移民は農閑期には海賊、出稼ぎで大陸の港町な
どを襲うから、「とにかく巡検司を置こう」となったのだろう(明初の
1281年頃)。

ところが元寇で酷い目に遭った日本が(多分報復で)始めたの倭寇。長
ドスを背負い、褌一丁で情け容赦なく荒らし回る実に恐ろしい海賊が澎湖
島に拠点を置くようになったこと、さらにマラリアなどの熱帯病の猖獗、
不作もあって澎湖島は放置されるようになった。明朝としては触らぬ倭
寇、蛮人に祟りなしか。

倭寇は澎湖島を経て台湾にも進出する。

アメリカ大陸が“発見”され、1500年頃から西洋列強は弱肉強食の「大航
海時代」に入る。ひたすら早い者勝ちで、「これは俺のもの」と唾をつ
け、原住民が逆らえば駆除すればいい。それが西洋列強、キリスト教の慈
愛に満ちたルールなのだ。列強の価値観に合わないものは駆除する、クジ
ラとイルカを食べる日本人は許せない、殺せ!といつ言いだすか分かった
ものじゃない。

1500年代半ばにはポルトガル船が台湾を“発見”し、「イラ・フォルモサ
Ilha Formosa!」と呼んで世界に紹介した。「美しい島」「美麗島」の意
味だが、ポルトガル人は美しい島を見つけると「イラ・フォルモサ!」と
声を上げるそうで、その名称の島は世界に12もあるという。

「おい、見ろよ、イイ・オンナだなあ!」と小生は叫ぶが、これが
「イーオン」やがてスーパーイオンの命名になったことと似ている(フェ
イクブック)。

ポルトガルはスペインと並ぶ当時の強国で、1543年には日本に漂着し鉄砲
を伝えているのは有名な話。最先端の武器に飛びついたのが信長で、「政
権は銃口から生まれる」と戦国時代の天下をほぼ制圧したのもご存じの通り。

日本人は新技術のコア開発はイマイチだが、いじくり回す、援用、発展さ
せるのは大得意で、堺は一時期、世界の鉄砲製造大国だった。家康は「戦
争革命」を起こした鉄砲、武器の開発を抑え込み、鎖国したから250年も
治世を全うできたのだろう。裏面も多いが、「武士道」はじめ独自の日本
文化が醸成されたのは良かった。

1600年前後から台湾はオランダ、日本との出会いもある。

明の世宗嘉靖帝(1521−1566年)の頃、「台湾の有力部族の高砂族、初
めは海浜に住んでいたが、嘉靖帝の末に東の蛮族の夷=日本=倭寇の略奪
に遭い、山奥に難を避けた」(参考:王育徳「台湾」)。倭寇は永住する
つもりだったのだろう。この他に、以下の接触もあった。

<原田孫七郎は安土桃山時代の商人。「ガスパル」の洗礼名を持ち、長
崎で貿易を営む原田喜右衛門の部下であった。海外情勢に詳しかったため
1591年、秀吉の使者として、スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要
求する内容の書状を持ってマニラのフィリピン総督ゴメス・ペレス・ダス
マリニャスのもとに出向き交渉した。

また、文禄3年(1593年)、現在の台湾にあるとされた「高山国」に秀 吉
の命で朝貢を促す文書を届けようとしたが、高山国が存在しない国家
だったため交渉先を見つけることができずその試みは失敗した>(WIKI)

高山国とか高砂族は部族であって国家ではないから接触は難しかったの
だろう。

<キリシタン大名の有馬晴信は、戦国時代から江戸時代初期にかけての
大名で、肥前日野江藩初代藩主。慶長14年(1609年)2月、徳川幕府の命
を受けて高山国(台湾)に谷川角兵衛を派遣し、貿易の可能性を探ってい
る>(WIKI)

王育徳曰く、

「もっとも注目すべきは1615年の長崎代官、村山等安の遠征軍派遣であ
ろう。4000名の兵を13隻の艦船に搭載して出発したこの遠征隊は暴風雨に
遭って壊滅したが、もしこれが成功したら、台湾の歴史は変わったかもし
れない。この時期の日本人の南海進出は“早期重商主義”と定義づけられる
が、惜しくも1636年の鎖国令によって幕を引かれた」

オランダ(ネーデルラント)は1581年に独立し、イギリス東インド会社
(1600年)に続いてオランダ東インド会社(1602年)を創る。アジアも草
刈り場、早い者勝ちだから早速、オランダ艦隊は澎湖島を占拠し、島民
1500人を狩り出し、要塞建設に酷使、そのほとんどが餓死や病死した
(1622年)。

何しろ白人はキリスト教徒以外はケダモノと思っているから情け容赦し
ない。1603年にはスペインがフィリピンのルソン島で2万5000人の華僑を
虐殺している。マゼラン率いるスペイン艦隊に発見されたのが運の尽きに
なってしまった。

澎湖島を占拠したオランダ艦隊は派遣されてきた福建巡撫の10倍以上の明
軍と8か月戦い、停戦協定を結ぶ。

・オランダは澎湖島から撤退する。

・明朝はオランダの台湾占領に異議を唱えない。

・オランダの支那貿易を保障する。

オランダは開戦早くから調査派遣で澎湖島より台湾がはるかに大きく沃野
があることを知っていたから、濡れ手に粟どころか「カネのなる島」を
GETしたのだ。明の浅はかさを笑うより、ここは欧州大陸で百戦錬磨を強
いられた末にようやく(まるでマジックのように)独立した新興国オラン
ダの勇気と狡猾さに敬意を表すべきだろう。日本の鎖国でも牙を隠して例
外的に通商可能にした。

今日はここまでや、ドンドン。そこのお兄ちゃん、水飴買ってくれん
ね・・・そうか、お父ちゃん、まだ帰ってこんか・・・お母ちゃん大変や
な・・・これ食べ。おっちゃんからのプレゼントや。秘密やで。

紙芝居屋もなくなってしもうた。学校が終わっても街中で遊ぶ子供がい
ない。古い奴ほど昔を懐かしむもんでございます。

さてさて毎度おなじみ発狂亭“奥歯は虫歯、牙もなし”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(148)2017/1/14】産経「沢辺隆雄 受験
シーズンに考える教育」。

<先生の雑談に興味をひかれた人は多いのではないか。それは教師の豊
かな知識と教養、体験に裏打ちされたものだ>

先生の社会人体験を重視する国がある一方で、日本の教師は良きにつけ
悪しきにつけ、民間でもまれにもまれ、タフと寛容を身に着けるという経
験がほとんどゼロの純粋培養。事なかれ主義、見て見ぬ振り、アカ=反日
やアカもどきのリベラルが多いのではないか。

アカの日教組の組織率は年々減ってはいるが20%ほど、アカの自治労(地
方公務員系労働組合)はなんと70%。区役所勤めの知人の経験によると自
動的に組合員にされ、上司に嫌だというと「孤立するよ、人事に影響する
よ」と脅かされるそうだ。まずは文科省の除染から始めないとダメだ。

「元MI6諜報員作成『(トランプの)私生活の弱み』文書 英も注 目」。
JFK、クリントン、角栄、橋龍・・・浮気したことのない奴は「石 もて彼
を撃て」。君が浮気をしないのは独身のために資格がないか、モテ ナイ
か、ケチのためで、人徳とは関係ない。オランドはそもそも入籍して い
ないから浮気でも不倫でもない。ドゴール曰く「恋人はいるが、それが
何か?」。つまり政治家は政治を評されるべきで、プライバシーには介入
するなということ。プーチンもその価値観だ。

宇野宗助はケチだったので女から三行半を食らったが、倫理はほとんど
問われなかったのではないか。少なくとも小生にはそれを問う資格はない
(極秘!)。(つづく)2019/10/3


2019年10月03日

◆雀庵の「島国台湾・日本の波瀾万丈」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/30(2019/10/2)】日本や台湾、英国といった島
国は、四方の海が頑丈な国境になり、外部勢力から侵されにくいというメ
リットはある。大小あれどいずこの国/民族/部族も他者から侵されないた
めには版図を大きくするしかない。小さいままだと餌食になりやすい。弱
肉強食、遠交近攻、大きいことはいいことだ、一番を目指さなければ飲み
込まれる。

紀元前500年ごろの中国春秋時代の兵法書「孫子」は有名だが、「戦わず
に勝つのが一番の上策」という。ラテン語の格言には「攻撃は最大の防
御」ともある。敵や、いつ寝返るか分からない隣国は先手必勝で併呑して
おけば、防衛費も少なくて済む。

とにかく強くならないと亡国、勝てば強国になってひとまずは安心という
わけだ。

戦争のルールを定めようとハーグ陸戦条約(1899年、1907年)が44カ国で
結ばれているが、現実にそれが守られているかどうかは怪しいし、非加盟
の国や非正規軍の行動を規制できない。現実に史上最大の悲惨な戦争とい
われる第一次世界大戦(1914〜1918年)ではほとんど効果がなかったようだ。

さて、拙論9/28「台湾・日本の関係強化を!」では、台湾が初めて世界に
紹介されたのは3世紀の支那三国時代の「呉」の武将、沈瑩(しんえい)
著「臨海水土志」だと紹介したが、610年ごろに「隋」の軍人、陳稜(ち
んりょう)が遠征したらしく、随書に「流求国は海島の中に居す」と記述
されている。「流求国」は今の琉球(沖縄)なのか台湾なのか今でも不明
らしいが、支那大陸から近いのが台湾だから「流求国=台湾」が有力という。

その後は1200年頃まであまり動きはないが、この年代の世界的事件は、世
界最大最強の「モンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって
2度にわたり行われた対日本侵攻」の蒙古襲来だ。鎌倉時代の文永の役
(1274年)と弘安の役(1281年)、みんな中学で教わったね。

何のための日本侵略なのか分からないが(黄金の国ジパングが欲しかった
という説もある)、第一次世界大戦も今もって何だったのか分からないか
ら、人間(男の子)は時々戦争したくなるようだ。「そこに山があるか
ら」みたいに血が騒ぐのか。

天災も人災も戦災も防ぎようがないという面はあるだろう。理性で抑えて
いた欲望や感情がある日、ビッグバンを起こして既存秩序を破壊し、血と
涙の上に新しい秩序が生まれるとか。習近平は「どうしても台湾を俺のも
のにしたい、その次は日本もモノにしたい、で、アメリカと太平洋を二分
するんだ」とか夢見ている。

モンゴル帝国は玄界灘の荒波を越えて大小の軍艦で日本を攻めたが、戦争
が長引くと軍艦、兵員、武器、食糧などの補給がままならず、強風や台風
で元寇は大失敗に終わり、モンゴル帝国と高麗は財政悪化も招いてしまっ
たようだ。

少なくとも遊牧民の大陸国家が海洋国家になる野望は砕かれて、その後、
沿岸部は日本の海賊「倭寇」の跳梁跋扈のなすがままになってしまった。
藪をつついて蛇を出す。

国家は成長し続けないと求心力が緩むが、モンゴル帝国のいささか無理な
戦線や領土の拡大戦略は繁栄をもたらしたものの、相続をめぐって国家分
裂も招き、結局は元寇100年後の1368年に朱元璋の明に滅ぼされてしまっ
た。栄枯盛衰、世の習いか。

台湾でも1100年あたりから南宋の沿岸部を荒らし始め(「文献通考」)、
1200年代には大陸から海賊狩りの軍が派遣されるほどになったようだが、
大陸と台湾の間にある澎湖島あたりまでしか監視できなかったようだ。支
那は海が苦手なのかもしれない。

波瀾万丈(波乱万丈)の「瀾」は大波のこと。台湾は台湾海峡、日本は玄
界灘の波瀾万丈、大波小波、時に荒波、時に怒涛が外敵から身を守ってく
れた。われは海の子、玄海育ち、君も海の子、海峡育ち、手を携えて中共
殲滅せねばや。

英国もドーバー海峡育ち、欧州大陸と距離を置いている。「たかが34キ
ロ、されど34キロ」、これが英国らしさを醸成して世界を制覇した。英、
豪、NZなども加えた「海の子連合」で支那を封じることは熟考すべきだ。

「深く静かに潜航する蒼龍」に憧れる発狂亭“浮上しない沈殿ヘドロ”雀庵
の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(147)2017/1/14】承前:産経「龍馬暗殺5
日前の手紙 越前藩重臣宛て『新国家』ににじむ熱い思い」。小生は英外
交官アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」を読んで、龍馬は
西郷先生の右腕、秘密工作員と思ってきたが、同志ではあっても独自の巨
魁だったのかもしれない。

「民泊営業日数新法案 衛生管理義務づけ」、営業日数を制限する必要が
あるのか? ホテル旅館連盟など既得権益層を保護して「票」にしたいわ
けだ。マッチポンプ、私利私欲、党利党略・・・恥を知れ、恥を! 地獄
へ堕ちろ!

「受動喫煙防止法案提出へ 学校、病院は敷地内全面禁煙」。喫煙人口は
減るが、タバコメーカーも小売店も税務署もあまり困らないのではない
か。値上げするから売上は落ちるが粗利(小売店は10%)はそれほど落ち
まい。煙の出ないタバコ、嗅ぎタバコなど新商品も出るだろう。

チャーチルはキューバ葉巻で思考して、「たばこダメ、絶対!」のヒト
ラーに勝った。山本夏彦翁は缶ピースで文章を書いた、曰く「健康オタク
の元祖はヒトラー。健康は(健康でない人を否定、侮蔑、排除するから)
厭なものである」。学校の先生は校舎の裏でこっそり吸っていたら懲戒処
分か? 「ぬしさま、吸いなまんし」の花魁は喫煙幇助で獄門か。タバコ
は文化。

女性専用車両に間違って乗ったら追い出されたが、化粧品のすさまじい臭
いだった。これは匂い、あんたのは臭い、ってずいぶん勝手だなあ。「分
煙」で街や施設のところどころに喫煙所を作れないものか。それにしても
税率60%にひるまないスモーカーは太っ腹だ。(つづく)2019/10/2


2019年10月01日

◆雀庵の「台湾・日本の関係強化を!」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/28(2019/9/28)】日本の存在が支那の古文書に
記されたのは西暦紀元前後、有名な「魏志・倭人伝」である。学校で習っ
たものだが、国書の「魏志」そのものは現存しない。なにしろ焚書坑儒の
国だから紛失なんて珍しくないのかもしれない。しかし、「魏志」の内容
はいろいろな史書に転載されていたから、その内容のポイントは「魏
略」、ま、ダイジェスト版として残され、今に伝えられている。

2000年以上も前の西暦1年のころの日本は、支那の外交官を迎えるほどな
のだから、「国」らしい体裁はあった。大小さまざまな地域国家で、まだ
統一国家ではないが、ここまで来るのにずいぶん長い時間がかかっている。

旧・新石器時代、土器で有名な縄文時代は、主に狩猟採集だから食糧を求
めて家族や大小部族とともに移動するが、大部族になると大きな街のよう
なベースキャンプを造る部族もあった。

移動による家族全体の狩猟採集だと食事用の土器など重いものも携行しな
ければならないし、ベースキャンプ周辺では果樹栽培も始まっているから
「お父さん行ってらっしゃい、私は果樹園の手入れと魚の日干しを作って
おくからね」となっていく。

分業が始まり、商業も盛んになる。弓矢の刃先(黒曜石)は岐阜産、刃先
を固定する接着剤(アスファルト)は北海道産、海産物の保存食糧は
「やっぱ大森産が旨いね」とか。食品加工業や流通業者も増えてくる。流
通業者の往来は「統一言語」の普及にも大いに貢献したろう。

やがてコメの水稲栽培が大陸方面からもたらされた。それまでの陸稲に比
べて何十倍もの収穫がある。主食が確保できれば、遠くまで狩猟採集に出
かける必要は薄らいでくる。つまり定住が当たり前になる弥生時代になっ
たわけだ。

生産性が高まると人口も増え、村や街も大きくなる。やがて有力な長(お
さ)や部族が現れ、合従連行していく。まあ、縄張り争いだが、上流と下
流で水田の水争いが激しく、「それなら皆で溜池を作ったり、不作に備え
て食糧庫を作っておいたほうがいいよ」というような塩梅で、こうした地
縁血縁の国が卑弥呼の邪馬台国など有力国家になっていったのだろう。

紀元前から200年、紀元後300年あたりまでは地方豪族の群雄割拠で、古墳
時代、飛鳥時代の何十年もかけて神武東征のような戦乱の末にようやく実
質的な「日本国」ができたのだろう。支那を真似て最初の元号を「大化」
とした(645年)。

それに先立つ607年(推古15年)、日本は隋の煬帝に「日出ずるところの
天子、日没するところの天子に書を致す、恙無きや」と親書を奉じてい
る。「支那なにするものぞ!」という新興国の気概がうかがわれて笑って
しまうが、煬帝は「無礼者め」と怒ったそうである。

「ジャパンデビュー」だ。支那王朝はそれまで日本を東夷(東の蛮族)で
ある倭、倭人、倭国と記していたが、900年の唐時代から「日本国」「日
本」と書くようになった。

人にも国にも勢いのある時期がある。台湾は今、台湾人による、台湾人た
めの、台湾人の国、つまり独立国家建国の好機到来を迎えつつあるのでは
ないか。李登輝総統から「緩やかな革命」が始まり、今は中共のクビキを
離れて完全に独立した国家、国際社会の名誉ある一員、日米英豪欧などと
スクラムを組む有力国家へと確実に変身しつつあるのではないかと思う。
仕上げの「第二革命」「台湾維新」とでも言うのだろうか。

これは学者でもない小生の「勘」だ。外務省上がりの自称「外交専門家」
のように余計な倫理、論理、主義、宗教などに影響を受けていないからこ
そ、デタラメルケル、マックロマクロンというリベラル≒アカモドキの愚
かさがよく見えるように、「台湾維新」は近いと思うのだ。

これは中共にとっては体制崩壊を招きかねないから全力で阻止しようとす
るだろう。日本は米英豪などと共に台湾を熱烈支援し、中共の攻撃を阻止
しなければならない。

最後の皇帝、夜郎自大妄想の習近平一派を落とせば事は進むかもしれな
い。漢族は党よりも「利己」優先で、党と心中する党員はゼロだろう。清
朝の最後は驚くほどあっという間だった。最後の皇帝、溥儀は日本軍に保
護を願ったのだ。「ゴルゴ13、あんたの出番だ」

一方、台湾が落ちれば、次は日本、フィリピン、インドネシア、ベトナ
ム、豪州が危うくなる。日本は「皇国の興廃この一戦にあり」の覚悟で臨
むべきだ。「日本は同胞を見捨てた」という汚辱を払う機会でもある。

1980年ごろに初めて訪台した際、現地のガイドにこう聞いた。

「外省人(国民党・大陸系)に圧迫されて本省人は大変だね」

ガイドは「そうでもないですよ」とこう答えた。

「200万の外省人はほとんどが独身。結婚したければ本省人の女の子を貰
うしかない。優しくしなければ結婚してあげないって、本省人の女の子は
強気です。外省人の多くは尻に敷かれているんです、ハッハッハ」

逆境にあっても諦めない、「いつか青空」になるだろうと信じて台湾革命
の天命を果たす、見届けるまでは往生できない。

台湾が初めて世界に紹介されたのは3世紀の支那三国時代の「呉」の武
将、沈瑩(しんえい)著「臨海水土志」で、「夷州は臨海郡の東南二千里
にあり、土地に霜や雪がなく、草木も死なない。四方は山と谷である。人
が皆、髪を剃り、耳たぶに穴を開けているが、女性は耳に穴を開けない。
土地が肥沃で、五穀(麻、キビ、アワ、麦、豆)が生えていて、また魚肉
も多い、云々」とある(王育徳「台湾」、WIKI)。

やがて支那大陸で飢饉と苛政に苦しめられた福建、広東の人々は「土地が
肥沃」な台湾に逃げてきた。小さな船で波が荒い台湾海峡を渡るのは命が
け、博打だった。それでも運を天に任せて肥沃な台湾にたどり着けば餓死
することはあるまいと信じたのだ。

勇猛果敢な高砂族など先住民族との抗争、マラリアなどの熱帯病の“熱烈
歓迎”、やがて雑婚・・・台湾人のルーツだ。次回から台湾の波乱万丈の
歴史ドラマを紹介していきたい。

発狂亭“寝違えた首”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(145)2017/1/13】承前:路線バスは鉄道事
業の一部として発展していった。駅を中心にバス路線を広げていく「ハ
ブ&スポーク」方式で、もともとが駅に人を集めるための方策だから、鉄
道会社にとってはバス事業そのもので稼ごうという気はあまりなかっただ
ろう。

高度経済成長が“バブル狂騒曲”でおしまいになって以降、「全国の路線バ
スで黒字のところはない」と、あるバス会社の社長が言っていた。

バブル崩壊までバス事業の職員の多くは鉄道会社の社員として採用されて
いたから、勤続年数の長いベテラン運転手では「年収1000万円は珍しくな
い」と言われていた。バスが赤字でも客の利便、鉄道の集客を考えると、
バス事業の縮小はできないという認識だった。

これがバブル崩壊で、一気にリストラせざるを得なくなり、バスは鉄道事
業から切り離され、新規採用者から給与水準はがた減りになり、運転手も
平均年収が450万円ほどに減った。以前からの高給運転手は肩叩きなどの
リストラで急減していった。

都心部でもこのありさまだから、人口減の続く地方バスの惨状は目を覆う
ばかりだ。仕事がない、人がいない、消費者がいない、交通機関もないの
ナイナイヅクシ。景気の良いときは地方交付金もたっぷりあり、純金をば
らまくという派手な政権もあったが、ハコモノは増えても住民が減るばか
りだから、もう衰退、消滅の危機にある。

米国のラストベルト(工場閉鎖で赤錆びた街)を甦らせる、地方都市を復
活させる――投資効率最優先のウォールストリートのセレブではできないこ
と、やる気もないことをトランプはやろうとしている。彼に投票した人は
皆、それを期待している。

仕事を奪っている不法移民を許さない、産業空洞化で工場を錆びだらけに
する企業を許さない――トランプなら粗にして野でもやってくれそうだ、
「品がない?」、上品なら錆び落としができるのかよ。トランプ支持者は
そう思っているだろう。

マスコミはニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルス、サンフランシス
コなどの東西両岸のリベラル≒セレブばかりを取材しているのではない
か。産経は、トランプに一縷の望みをかけた内陸部やディープサウスの
人々をこそ取材すべきだ。

「米国の通奏低音(つうそうていおん)だから私はトランプを選んだ」な
んていうシリーズは絶対面白いと思う。バカの宮家とか胡散臭い佐藤など
の迷妄にはウンザリだ。(つづく)2019/9/28


2019年09月27日

◆雀庵の「平穏無事+ときどき災難=人生」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/27(2019/9/25)】好事魔多し、ということか、
PCが身代金要求の悪性ウイルスに攻撃され、クソッ!とあれこれ抵抗した
のだが、うまくいかない。ついに万策尽きて「もはやこれまで」と初期化
を決意したのだが、ナント!初期化も途中でストップしてしまう。

膨大なデータはもう復元できない、完全に破壊されて、ネチズンに復活
するのに2週間以上もかかってしまった。新しいPCやソフト、保守一式で
7.5万円、メール復活などでアレコレうんざりしたけれど、まあ、気晴ら
しと暇つぶしで自転車で遠乗りできるようになったからいいか・・・事故
りそうだが。

「9月になれば Come September」という軽快な歌があったが、小生の場
合、9月はどうもイケナイ。独居房に叩き込まれたのは1971/9/16、同時多
発テロで会社が破壊されたのが2001/9/11、2003/9月頃は抗がん剤で生き
ながら死んでいる、死んでいるのに生きているという、幽明境を行ったり
来たりしていた。

去年の9月は左足の膝皿を複雑骨折してひどい目にあった。今でも跛行し
ている。歳をとると完治することはないのだろう。

去年の台風25号、今年の15号はともに9月で、我が家も随分な被害にあっ
た。昨日も今朝も街のあちこちで屋根を直している。千葉県は台風への脆
弱性が明らかになったからIR誘致競争の点では大変なマイナスだろう。

そう言えば9月6日は結婚記念日で、まさしく「苦労の日」、愛と子育て
の20年を除けば、つまり50とか60歳以降は「六九でもない」日々にな
る・・・小生の場合は。

小生は「バカみたいなキチ〇イ」、カミサンは「キチ〇イみたいなバ
カ」。キチ〇イにつける薬はあるけれど、バカにつける薬はない、「だか
ら俺のほうがマシだ」と思って留飲を下げているが、結婚、子育ての苦
労=生き甲斐=楽しみと、その後の「ヂヂババだけの暮らし」を天秤にか
ければドッコイドッコイで、結婚しない人が増えているのも理解できる。

亭主の足を引っ張る家庭内野党的な奥さんは珍しくないし、奥さんを殴る
暴力亭主も珍しくない。伴侶を持つよりも犬猫ペットで十分、という考え
も分かる。

久し振りに記事を書いたので、とても疲れる。これから自転車で隣町へ
行き図書館で「朴正煕選集」選集を借り、ブックオフで掘り出し物を探す
つもりだ。

PCを便利にするために「お気に入り」やメルアド登録をしなければなら
ない。マイペースでのんびりやればいいのにと思うが、セッカチ、早漏だ
からそれができない。昨日、医者から「抗うつ剤は気分が落ち込んだと
思ったら飲めばいい」という言質を引っ張り出したから、まあ快復過程に
入ったわけだが、「大丈夫だろうか」と疑心暗鬼になっている。

読書の時はそれだけに集中、没頭できるが、それ以外ではブルーで、あ
れこれ考えまくっている。台湾史、朝鮮史、我が家のルーツ史をどう描く
か、書けるのか、涼しくなってきたからペンキ塗りもしなくてはならな
い、塀は補修か全面新築か、自転車は事故る確率は高いからどうしよう、
電動車椅子を借りるかなどなど・・・スパっとした「解」が見つからない
から全然すっきりしない。

昔はそんな時は酒で気分を高めていたが、せっかく3年間も断酒したのだ
から、いまさらご破算にはしたくない。チョコやお菓子でごまかしている
が、今は虫歯でそれもかなわない。「ああ呑みてえなあ」「それをやった
らおしめいよ」、その繰り返し。

老人の繰り言とはよく言ったものだ。(つづく)2019/9/25


2019年09月26日

◆雀庵の「平穏無事+ときどき災難=人生」

 “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/27(2019/9/25)】好事魔多し、ということか、
PCが身代金要求の悪性ウイルスに攻撃され、クソッ!とあれこれ抵抗した
のだが、うまくいかない。ついに万策尽きて「もはやこれまで」と初期化
を決意したのだが、ナント!初期化も途中でストップしてしまう。

膨大なデータはもう復元できない、完全に破壊されて、ネチズンに復活す
るのに2週間以上もかかってしまった。新しいPCやソフト、保守一式で7.5
万円、メール復活などでアレコレうんざりしたけれど、まあ、気晴らしと
暇つぶしで自転車で遠乗りできるようになったからいいか・・・事故りそ
うだが。

「9月になれば Come September」という軽快な歌があったが、小生の場
合、9月はどうもイケナイ。独居房に叩き込まれたのは1971/9/16、同時多
発テロで会社が破壊されたのが2001/9/11、2003/9月頃は抗がん剤で生き
ながら死んでいる、死んでいるのに生きているという、幽明境を行ったり
来たりしていた。

去年の9月は左足の膝皿を複雑骨折してひどい目にあった。今でも跛行し
ている。歳をとると完治することはないのだろう。

去年の台風25号、今年の15号はともに9月で、我が家も随分な被害にあっ
た。昨日も今朝も街のあちこちで屋根を直している。千葉県は台風への脆
弱性が明らかになったからIR誘致競争の点では大変なマイナスだろう。

そう言えば9月6日は結婚記念日で、まさしく「苦労の日」、愛と子育ての
20年を除けば、つまり50とか60歳以降は「六九でもない」日々にな
る・・・小生の場合は。

小生は「バカみたいなキチ〇イ」、カミサンは「キチ〇イみたいなバ
カ」。キチ〇イにつける薬はあるけれど、バカにつける薬はない、「だか
ら俺のほうがマシだ」と思って留飲を下げているが、結婚、子育ての苦
労=生き甲斐=楽しみと、その後の「ヂヂババだけの暮らし」を天秤にか
ければドッコイドッコイで、結婚しない人が増えているのも理解できる。

亭主の足を引っ張る家庭内野党的な奥さんは珍しくないし、奥さんを殴る
暴力亭主も珍しくない。伴侶を持つよりも犬猫ペットで十分、という考え
も分かる。

久し振りに記事を書いたので、とても疲れる。これから自転車で隣町へ行
き図書館で「朴正煕選集」選集を借り、ブックオフで掘り出し物を探すつ
もりだ。

PCを便利にするために「お気に入り」やメルアド登録をしなければならな
い。マイペースでのんびりやればいいのにと思うが、セッカチ、早漏だか
らそれができない。昨日、医者から「抗うつ剤は気分が落ち込んだと思っ
たら飲めばいい」という言質を引っ張り出したから、まあ快復過程に入っ
たわけだが、「大丈夫だろうか」と疑心暗鬼になっている。

読書の時はそれだけに集中、没頭できるが、それ以外ではブルーで、あれ
これ考えまくっている。台湾史、朝鮮史、我が家のルーツ史をどう描く
か、書けるのか、涼しくなってきたからペンキ塗りもしなくてはならな
い、塀は補修か全面新築か、自転車は事故る確率は高いからどうしよう、
電動車椅子を借りるかなどなど・・・スパっとした「解」が見つからない
から全然すっきりしない。

昔はそんな時は酒で気分を高めていたが、せっかく3年間も断酒したのだ
から、いまさらご破算にはしたくない。チョコやお菓子でごまかしている
が、今は虫歯でそれもかなわない。「ああ呑みてえなあ」「それをやった
らおしめいよ」、その繰り返し。

老人の繰り言とはよく言ったものだ。(つづく)2019/9/25


2019年09月12日

◆雀庵の「支那人は国を信頼しない」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/26(2019/9/10)】京浜急行の横浜からの下り 線
は結構スリルがある。毀誉褒貶の人、島崎藤村「夜明け前」の真似をす
ればこんな具合。

「京急線は概ね山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖際
の線路であり、あるところは十間下の川を越えたり、あるところは山の尾
をめぐる谷の入り口である。山を貫く隧道を抜けるとまた隧道に入り、そ
の数知れず。一筋の線路はくねくねと回りながらこの緑多い森林地帯を貫
き海へ向かっていた」

トンネルを抜けても雪国じゃないから駒子はいないね。藤村が骨まで
しゃぶった「こま子」とか、猪、鹿、狸などのジビエはいそうだ。

仰げばトンビが空をのんびり泳いでいる。思えば遠くに来たものだ、
「旅」という気分になる。南下の旅はひたすら明るい。「三崎口行」なん
てそれだけで気持ちいい。

京急の特急電車は通常は時速120キロ、最速140キロで突っ走る。曲がり
くねっているから見通しが悪く、こんなところに踏切が!と驚いたりす
る。ジェットコースターみたい。少なくともビッグサンダー・マウンテン
より興奮する。

事故を防ぐには線路を高架化すればいいだろうが、莫大な金と時間がか
かるから難しい。比較的簡単なのは踏切を線路の下に移すことだろう。大
型車の通行は無理だろうが。

安全にはカネがかかる、半端ない。日本では自然災害は避けようがない
が、人災は比較的少ない。国家は民に「炊煙と安眠」を保障してこそ存在
意義がある。

「国は国民を守ってくれる」と、戦後復興のいい時代に生まれ育った小
生は思うが、支那の民にとって国=官=支配者=収奪者、民=被収奪者=
囚人、なのではないか。広大な収容所で、囚人は生き延びるためにひたす
ら働き、知恵を巡らせ、獄卒は特権階級として「ユスリ、タカリも芸のう
ち」「三方一両得」で遊んで暮らす。選挙もないから、国民には「自分た
ちの国」という意識があるはずもない。

独裁、専制国家の民はひたすら支配階級の圧政下で生きる道、抜け道を
探り、支配階級は常に簒奪、己の利益のために一党独裁体制護持に努め
る。だから「公共のみんなの国」を愛するとか守るという意識はない。

支那ではあらゆる省庁は単なる行政機関で、その上には絶対君主として
法律を越えた独裁者、共産党が君臨、統治している。党員以外は中共の支
配する専制国家をまず愛さない。愛せというのが無理筋。

中共は建国から70年で、ようやく飢餓を克服した。しかし、恐らく10億
前後の人々の生活は厳しいままだろう。一方で金持も増えているから貧富
の差は開くばかりだ。皆が貧しいのは耐えられても、こちらが冴えない一
品料理でヒーヒー暮らしているのに、隣が毎晩のようにベンツに愛人を乗
せて高級レストランで満漢全席では、なお一層のこと惨めな気分になる。

安全ではない、空気も土壌も汚染されている、社会保障はないか薄い、言
論思想の自由はない、選挙もない、真面目な人がバカを見る・・・そんな
国、体制への愛国心は育ちようがない。それは有史以来連綿と続いた支那
の初期設定だ。

日本の従軍記者の嚆矢でもある岡本綺堂「江戸っ子の身の上」から。

<「昔の従軍記者」

日露戦争の当時、私は東京日日新聞社に籍を置いていて、従軍記者とし
て満洲の戦地に派遣されましたので当時のことがもっとも大きく記憶に
残っていますが、順序としてまず日清戦争当時のことから申し上げましょう。

日清戦争(1894/明治27年〜1895/明治28年)は初めての対外戦争であり、
従軍記者というものの待遇や取締りについても、一定の規律はありません
でした。朝鮮に東学党の乱が起こって、清国がまず出兵する、日本でも出
兵して、明治27年6月12日には第五師団の混成旅団が仁川に上陸する。

こうなると風雲穏やかならず、東京、大阪の新聞社からも記者を派遣す
ることになりましたが、当時は従軍記者ではなく、各社が通信員を送り出
したというに過ぎないので、直接には軍隊とは何の関係もありませんでした。

そのうちに事態いよいよ危急に迫って、7月29日には成歓牙山の支那兵を
撃ち払うことになる。この前後から朝鮮にある各新聞記者はわが軍隊に付
属して、初めて従軍記者ということになりました。

戦局がますます拡大するに従って、内地の本社からは第2第3の従軍記者を
送ってくる。これらは皆、陸軍省の許可を受けて、最初から従軍新聞記者
と名乗って渡航したのでした。

何分にも初めてのことで、従軍記者に対する規律というものがないの
で、その服装も思い思いでした。みな洋服を着ていましたが、腰に白木綿
の上帯を締めて長い日本刀を携えているのがある。仕込み杖をいるのがある。

今から思えば嘘のようですが、当時の従軍記者としては、戦地へ渡った暁
には軍隊がどの程度まで保護してくれるか分からない。万一負け戦とでも
なった場合には、自衛行動をもとらなければならない。非戦闘員とて油断
はできない。

まかり間違えば支那兵と一騎討ちするくらいの覚悟がなければならない
ので、いずれも厳重に武装して出かけたわけです。

実際、その当時は支那兵ばかりでなく、朝鮮人だって油断はできないので
すから、このくらいの威容を示す必要もあったのです。軍隊の方でも別に
それを咎めませんでした・・・>

それから10年後、明治37、38年の日露戦争から従軍記者に対する規律が
定まった。大尉相当の待遇を受ける、その代わりに軍規に一切服従すべし
となった。また、従軍記者は1社1人に制限された。各社とも困り果てた
が、蛇の道は蛇、「上に政策あれば下に対策あり」で、地方新聞社の名義
を借りて複数の記者を派遣するようになった。

陸軍省も知っていたろうが、規定には触れないので許可した。これにより
大手紙各社は3〜6人の記者を派遣できたという。武器はピストルのみ許可
された。

<食事は監理部へ行って貰ってくるのですが、時には生きた鶏や生の野
菜をくれることがある。米は炊き、鶏や野菜は調理しなければならず、な
かなか面倒でした。

私たちは7人が一組で、2人の支那の苦力(クーリー、人夫、軍夫)を
雇っていましたが、毎日交代で日本の料理法を指導していました。


苦力の日給は50銭で、みな喜んで忠実に働いてくれました・・・>

1931/昭和6年の柳条湖事件(満州事変)あたりから、支那は蒋介石国民
党、毛沢東共産党、日本との三つ巴の内戦・乱戦になるのだが、支那人に
とって国民党はゴロツキ、共産党は餓狼山賊殺人鬼、日本軍はそれを追い
払う討伐隊(番犬)というような感じではなかったか。

国民党は“官軍”を自称するが、その徴兵は「アンビリーバボー!」とし
か言いようがない。町村の幹部を脅して、そのアドバイスで“札付きの厄
介者”を拉致したり“通りがかりの若者”を拉致したり。彼らは「拉壮丁」
と呼ばれ、坊主頭で眉毛を剃られて逃げることもできない。捕まれば半殺
しかお陀仏。ほとんど奴隷。

国民党は「砲声一響、黄金万両」(戦争は金儲けのチャンス!)で強
奪、強姦、汚職などの悪事はするが、共産党は奪い尽くし、殺し尽くし、
焼き尽くす「三光作戦」で、「貧民以外は階級の敵」史観だから非常に恐
れられた。

この群は銃を持っているのは3分の1、裸足は2分の1で青龍刀や棍棒を担い
でいる。服装はボロボロ、まるで乞食、阿Qの群だ。「赤匪が来る!」と
なれば近隣の町村はもぬけの殻になったという。

人民は抵抗する術がないから国民党軍や日本軍が来ると用意しておいた旗
を振って友好の挨拶をしたそうだ。「あまり乱暴しないでね」(カネとエ
サとサケはやるから早く出てってくれ)というわけ。にわか娼婦や強姦も
あったろう。

綺堂は、苦力や農村の人々が「日本軍はインテリが多い(現実は「国破れ
て山河在り」とか「月落ち烏啼きて霜天に満つ」なんて有名な漢詩は多く
の人は常識として知っていたし、書けただけなのだが)、漢字で意思疎通
できる、乱暴しない」と警戒心を解き、やがて親密な中になっていくこと
に心打たれている。

今の日本は「日は落ちアカ鳴きて涙天に満つ」だが、愛すべき、支える
べき、信頼できる日本国は土俵際で何とか残っている。最初からそんな母
のように優しい、父のようにイザとなれば頼れる国がない支那の民が、カ
ネ・コネしか支えがないのは気の毒である。互助会みたいな宗族は国の代
わりのなるのか、殉死する価値はあるのか・・・小生には分からない。

♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春

支那の民もこの歌が大好きだった。故郷、故国・・・愛すべき国がある
ことは素晴らしいことである。

発狂亭“愚にして辱だがたまには凛?”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(144)2017/1/13】産経は「トランプが来
る、大変だ、大変だ!」、まるで狼少年のごとくに騒いでいるが、記者の
中にはリベラル≒アカモドキもいるから、まあ、そのうち慣れるだろう。

政治マンガ(山田伸)はいつも本当につまらないが、今朝のはデタラメ
ルケルがトランプに「保護主義はダメ!」と阻止している絵だった。独を
亡国へ導く“ジャンク”メルケルに比べれば、テーブルの下でプーチンと手
を握り合って「うまいことやろうぜ」と意気投合を演じている怒鳴門・虎
河豚の方が遥かにマシだ。調理次第で高級料理になる。

新聞チラシに入っていた「厚木市タウンニュース」によると、緑豊かな
愛甲石田あたりの住民ボランティアによる無料ミニバン路線バスが金曜夜
の終バス(神奈中バス?)後に深夜便運行を始めたという。「このままで
は地元に若者はいなくなってしまう」という危機感が動機だ。

この辺りの若者の多くは、神奈中バスや小田急などを乗り継いで東京の
職場まで通うと最低2時間はかかる。結構しんどいから東京に住んでしま
う。「せめて週末には故郷へ帰ってきてよ」というヂヂババの願いだ。

過疎化、過疎地をどうするか、みな悩んでいるが、生産性の低い小規模
農業では一家4人を支える最低所得、年収800万円には到底届かない。国際
競争もあるから企業誘致も難しい。サービス業にしても猿と鹿、熊は何も
買ってくれない。

狭い農地にしがみついていないで皆でドローンや無人コンバインを使う
農業法人などを先行企業を巻き込んで創るべきだ。地平線が見えるくらい
の農地! せめて2〜4キロ四方の農地でなければ競争に勝てないし、次世
代は育たない。起業では農地を物納して株主になればいい。

「先祖伝来の農地」を死蔵するのではなく、大いに活かす、頭を使う、
魅力ある産業に仕立て上げる、それがご先祖様への何よりの供養になる。

なあ、爺さん、あんた分かってないようやから教えといてあげるがの
う、誰が住むのか分からんような豪邸を建てても、チンケな農業の跡取り
には嫁さん来ないぜよ、のう。よーく考えることや、脳ミソ使わんと呆け
るで、のう。(つづく)2019/9/10


2019年09月11日

◆雀庵の「支那人は国を信頼しない」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/26(2019/9/10)】京浜急行の横浜からの下り線
は結構スリルがある。毀誉褒貶の人、島崎藤村「夜明け前」の真似をすれ
ばこんな具合。

「京急線は概ね山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖際
の線路であり、あるところは十間下の川を越えたり、あるところは山の尾
をめぐる谷の入り口である。山を貫く隧道を抜けるとまた隧道に入り、そ
の数知れず。一筋の線路はくねくねと回りながらこの緑多い森林地帯を貫
き海へ向かっていた」

トンネルを抜けても雪国じゃないから駒子はいないね。藤村が骨までしゃ
ぶった「こま子」とか、猪、鹿、狸などのジビエはいそうだ。

仰げばトンビが空をのんびり泳いでいる。思えば遠くに来たものだ、
「旅」という気分になる。南下の旅はひたすら明るい。「三崎口行」なん
てそれだけで気持ちいい。

京急の特急電車は通常は時速120キロ、最速140キロで突っ走る。曲がりく
ねっているから見通しが悪く、こんなところに踏切が!と驚いたりする。
ジェットコースターみたい。少なくともビッグサンダー・マウンテンより
興奮する。

事故を防ぐには線路を高架化すればいいだろうが、莫大な金と時間がかか
るから難しい。比較的簡単なのは踏切を線路の下に移すことだろう。大型
車の通行は無理だろうが。

安全にはカネがかかる、半端ない。日本では自然災害は避けようがない
が、人災は比較的少ない。国家は民に「炊煙と安眠」を保障してこそ存在
意義がある。

「国は国民を守ってくれる」と、戦後復興のいい時代に生まれ育った小生
は思うが、支那の民にとって国=官=支配者=収奪者、民=被収奪者=囚
人、なのではないか。広大な収容所で、囚人は生き延びるためにひたすら
働き、知恵を巡らせ、獄卒は特権階級として「ユスリ、タカリも芸のう
ち」「三方一両得」で遊んで暮らす。選挙もないから、国民には「自分た
ちの国」という意識があるはずもない。

独裁、専制国家の民はひたすら支配階級の圧政下で生きる道、抜け道を探
り、支配階級は常に簒奪、己の利益のために一党独裁体制護持に努める。
だから「公共のみんなの国」を愛するとか守るという意識はない。

支那ではあらゆる省庁は単なる行政機関で、その上には絶対君主として法
律を越えた独裁者、共産党が君臨、統治している。党員以外は中共の支配
する専制国家をまず愛さない。愛せというのが無理筋。

中共は建国から70年で、ようやく飢餓を克服した。しかし、恐らく10億前
後の人々の生活は厳しいままだろう。一方で金持も増えているから貧富の
差は開くばかりだ。皆が貧しいのは耐えられても、こちらが冴えない一品
料理でヒーヒー暮らしているのに、隣が毎晩のようにベンツに愛人を乗せ
て高級レストランで満漢全席では、なお一層のこと惨めな気分になる。

安全ではない、空気も土壌も汚染されている、社会保障はないか薄い、言
論思想の自由はない、選挙もない、真面目な人がバカを見る・・・そんな
国、体制への愛国心は育ちようがない。それは有史以来連綿と続いた支那
の初期設定だ。

日本の従軍記者の嚆矢でもある岡本綺堂「江戸っ子の身の上」から。

<「昔の従軍記者」

日露戦争の当時、私は東京日日新聞社に籍を置いていて、従軍記者として
満洲の戦地に派遣されましたので当時のことがもっとも大きく記憶に残っ
ていますが、順序としてまず日清戦争当時のことから申し上げましょう。

日清戦争(1894/明治27年〜1895/明治28年)は初めての対外戦争であり、
従軍記者というものの待遇や取締りについても、一定の規律はありません
でした。朝鮮に東学党の乱が起こって、清国がまず出兵する、日本でも出
兵して、明治27年6月12日には第五師団の混成旅団が仁川に上陸する。

こうなると風雲穏やかならず、東京、大阪の新聞社からも記者を派遣する
ことになりましたが、当時は従軍記者ではなく、各社が通信員を送り出し
たというに過ぎないので、直接には軍隊とは何の関係もありませんでした。

そのうちに事態いよいよ危急に迫って、7月29日には成歓牙山の支那兵を
撃ち払うことになる。この前後から朝鮮にある各新聞記者はわが軍隊に付
属して、初めて従軍記者ということになりました。

戦局がますます拡大するに従って、内地の本社からは第2第3の従軍記者を
送ってくる。これらは皆、陸軍省の許可を受けて、最初から従軍新聞記者
と名乗って渡航したのでした。

何分にも初めてのことで、従軍記者に対する規律というものがないので、
その服装も思い思いでした。みな洋服を着ていましたが、腰に白木綿の上
帯を締めて長い日本刀を携えているのがある。仕込み杖をいるのがある。

今から思えば嘘のようですが、当時の従軍記者としては、戦地へ渡った暁
には軍隊がどの程度まで保護してくれるか分からない。万一負け戦とでも
なった場合には、自衛行動をもとらなければならない。非戦闘員とて油断
はできない。

まかり間違えば支那兵と一騎討ちするくらいの覚悟がなければならないの
で、いずれも厳重に武装して出かけたわけです。

実際、その当時は支那兵ばかりでなく、朝鮮人だって油断はできないので
すから、このくらいの威容を示す必要もあったのです。軍隊の方でも別に
それを咎めませんでした・・・>

それから10年後、明治37、38年の日露戦争から従軍記者に対する規律が定
まった。大尉相当の待遇を受ける、その代わりに軍規に一切服従すべしと
なった。また、従軍記者は1社1人に制限された。各社とも困り果てたが、
蛇の道は蛇、「上に政策あれば下に対策あり」で、地方新聞社の名義を借
りて複数の記者を派遣するようになった。

陸軍省も知っていたろうが、規定には触れないので許可した。これにより
大手紙各社は3〜6人の記者を派遣できたという。武器はピストルのみ許可
された。

<食事は監理部へ行って貰ってくるのですが、時には生きた鶏や生の野菜
をくれることがある。米は炊き、鶏や野菜は調理しなければならず、なか
なか面倒でした。

私たちは7人が一組で、2人の支那の苦力(クーリー、人夫、軍夫)を雇っ
ていましたが、毎日交代で日本の料理法を指導していました。


苦力の日給は50銭で、みな喜んで忠実に働いてくれました・・・>

1931/昭和6年の柳条湖事件(満州事変)あたりから、支那は蒋介石国民
党、毛沢東共産党、日本との三つ巴の内戦・乱戦になるのだが、支那人に
とって国民党はゴロツキ、共産党は餓狼山賊殺人鬼、日本軍はそれを追い
払う討伐隊(番犬)というような感じではなかったか。

国民党は“官軍”を自称するが、その徴兵は「アンビリーバボー!」としか
言いようがない。町村の幹部を脅して、そのアドバイスで“札付きの厄介
者”を拉致したり“通りがかりの若者”を拉致したり。彼らは「拉壮丁」と
呼ばれ、坊主頭で眉毛を剃られて逃げることもできない。捕まれば半殺し
かお陀仏。ほとんど奴隷。

国民党は「砲声一響、黄金万両」(戦争は金儲けのチャンス!)で強奪、
強姦、汚職などの悪事はするが、共産党は奪い尽くし、殺し尽くし、焼き
尽くす「三光作戦」で、「貧民以外は階級の敵」史観だから非常に恐れら
れた。

この群は銃を持っているのは3分の1、裸足は2分の1で青龍刀や棍棒を担い
でいる。服装はボロボロ、まるで乞食、阿Qの群だ。「赤匪が来る!」と
なれば近隣の町村はもぬけの殻になったという。

人民は抵抗する術がないから国民党軍や日本軍が来ると用意しておいた旗
を振って友好の挨拶をしたそうだ。「あまり乱暴しないでね」(カネとエ
サとサケはやるから早く出てってくれ)というわけ。にわか娼婦や強姦も
あったろう。

綺堂は、苦力や農村の人々が「日本軍はインテリが多い(現実は「国破れ
て山河在り」とか「月落ち烏啼きて霜天に満つ」なんて有名な漢詩は多く
の人は常識として知っていたし、書けただけなのだが)、漢字で意思疎通
できる、乱暴しない」と警戒心を解き、やがて親密な中になっていくこと
に心打たれている。

今の日本は「日は落ちアカ鳴きて涙天に満つ」だが、愛すべき、支えるべ
き、信頼できる日本国は土俵際で何とか残っている。最初からそんな母の
ように優しい、父のようにイザとなれば頼れる国がない支那の民が、カ
ネ・コネしか支えがないのは気の毒である。互助会みたいな宗族は国の代
わりのなるのか、殉死する価値はあるのか・・・小生には分からない。

♪白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春

支那の民もこの歌が大好きだった。故郷、故国・・・愛すべき国があるこ
とは素晴らしいことである。

発狂亭“愚にして辱だがたまには凛?”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(144)2017/1/13】産経は「トランプが来
る、大変だ、大変だ!」、まるで狼少年のごとくに騒いでいるが、記者の
中にはリベラル≒アカモドキもいるから、まあ、そのうち慣れるだろう。

政治マンガ(山田伸)はいつも本当につまらないが、今朝のはデタラメル
ケルがトランプに「保護主義はダメ!」と阻止している絵だった。独を亡
国へ導く“ジャンク”メルケルに比べれば、テーブルの下でプーチンと手を
握り合って「うまいことやろうぜ」と意気投合を演じている怒鳴門・虎河
豚の方が遥かにマシだ。調理次第で高級料理になる。

新聞チラシに入っていた「厚木市タウンニュース」によると、緑豊かな愛
甲石田あたりの住民ボランティアによる無料ミニバン路線バスが金曜夜の
終バス(神奈中バス?)後に深夜便運行を始めたという。「このままでは
地元に若者はいなくなってしまう」という危機感が動機だ。

この辺りの若者の多くは、神奈中バスや小田急などを乗り継いで東京の職
場まで通うと最低2時間はかかる。結構しんどいから東京に住んでしま
う。「せめて週末には故郷へ帰ってきてよ」というヂヂババの願いだ。

過疎化、過疎地をどうするか、みな悩んでいるが、生産性の低い小規模農
業では一家4人を支える最低所得、年収800万円には到底届かない。国際競
争もあるから企業誘致も難しい。サービス業にしても猿と鹿、熊は何も
買ってくれない。

狭い農地にしがみついていないで皆でドローンや無人コンバインを使う農
業法人などを先行企業を巻き込んで創るべきだ。地平線が見えるくらいの
農地! せめて2〜4キロ四方の農地でなければ競争に勝てないし、次世代
は育たない。起業では農地を物納して株主になればいい。

「先祖伝来の農地」を死蔵するのではなく、大いに活かす、頭を使う、魅
力ある産業に仕立て上げる、それがご先祖様への何よりの供養になる。

なあ、爺さん、あんた分かってないようやから教えといてあげるがのう、
誰が住むのか分からんような豪邸を建てても、チンケな農業の跡取りには
嫁さん来ないぜよ、のう。よーく考えることや、脳ミソ使わんと呆ける
で、のう。(つづく)2019/9/10

2019年09月10日

◆雀庵の「華僑が世界にばらまく悪弊」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/25(2019/9/8)】前回紹介した「金儲けの神
様」邱永漢(1924−2012年)の死後、2015年4月「遺族3人が東京国税局か
ら遺産20数億円の申告漏れを指摘された。また2013年までの2年間に配当
約10億円を所得として報告していなかった」(日経2015/4/29) 。

大物は「死してもカネを離しませんでした」、根性が違う。西武グルー
プの2代目、堤義明もドタバタ劇はあったが、その処理で3兆円の資産を投
じ、それでも残ったカネが50億円だという。あっらー、カネは偉大なり!
 別世界。

毎日100万円、1か月3000万円、1年で3億6000万円使っても14年以上もか
かる。小生にとっては地獄だな。奨学金財団を創ってさっさと処理したい
(ま、あり得ないね)。

堤義明は観光産業に造詣が深かったが、傘下のコクド(現NWコーポレー
ション)の八ヶ岳高原ロッジ&ヒュッテ総支配人から「売上を伸ばす知恵
はないか」と相談を受けて視察に行ったことがある。

美しいお嬢様風のロッジはさておき、この「ヒュッテ」は徳川義親(尾
張徳川家19代当主、侯爵)の邸宅を移築したもので、小生のようなイタズ
ラ坊主からすれば実に高貴、気品あふれる令嬢そのもの。

「アーッ、なんて素晴らしいんだろう、一度でも寝てみたい・・・ここ
は泊まれるんですか?」「いや、今は物置にしています」。

何と! まるで眠れる森の美女、小公女セーラを雨ざらしの物置にする
なんて。「このヒュッテ、キレイにしたら売れますよ、結婚式場にもなる
し・・・好き心のカップルなら一度だけでもこんな素敵なおとぎの国で愛
の交歓をしたいもんです」

まあ、そんなアドバイスをしたが、総支配人が派閥抗争で消えてしまっ
たので、話は終わってしまった。噂によると総支配人は若き堤義明の身代
わりでムショに入り、そのお情けで総支配人になったんだとか。

今、このリゾートではヒュッテを夏場にレストラン、ティールームとし
て使っているから、まあ小生の口先三寸的ソリューションは役立ったのか
もしれない。

世界中に新天地を求めた華僑は、国家を(吸血鬼、簒奪者と呪詛して)
まったく信じない代わりにカネと宗族(男系男子の血脈集団)を崇拝す
る。カネの力を知っているから、悪弊(彼らにとっては常識)を世界にば
らまく。日本の海外旅行業界でもそれに染まっている。

1)航空会社から旅行業者へ支払われる「キックバック」。契約書がない
リベートというか報奨金だ。まあ“人参”で、旅行業者は必死でニギリ(ノ
ルマ)を達成しようと励む。追いつめられると叩き売り、「タダでもい
い!とにかく乗ってくれ」。

旅行会社は次期の仕入れ枠が削られてしまうから必死で、航空会社も
ロードファクター(利用率)を高めるために「空気を運ぶよりまし」と黙
認する。

バッタ屋が二束三文で残席を買って、激安ツアー、激安チケットとして
売る。HISはこうして大手にのし上がった。

2)現地旅行会社(ランドオペレーターとかツアーオペレーターと言う)
による「ランドフィーゼロ」。地上費(ホテル代、観光バス代、美術館な
どの入場料、昼食代など)は要りません、タダでOK。

ウマイ話には裏があり、客を土産屋に送り込む。「1日5店回しは当たり
前、10店回しまでは許容範囲」。現地旅行会社はショッピングコミッショ
ンで地上費を賄い、利益も得るわけ。

もちろんお娼妓さんも紹介してコミッションを得る。まるでポン引き。

日本の旅行業者もキックバックを得られるからウィンウィン。昔は添乗
員に払われていたので、1年添乗して家が建たない奴はバカだ、と言われ
たものである。

それを元手に起業した人も多かったが、1975年あたりからコミッション
は直接、会社に入るようになったから、「金ぴかの歩く高級ブランド」だ
らけだった添乗員は一気に最底辺の仕事になってしまった。「好きじゃな
いととてもできないわ」と皆言う。

当時では年間300日働いても年収300万円、今でも人気のある添乗員
(ファンがつく)でもせいぜい500万円だろう。TV(テクニカルビジッ
ト、産業視察旅行)で特定分野の造詣が深く評判のいい40〜50歳の添乗員
でも700万円程度だと思う。

3)地獄の沙汰も金次第、多くの交渉事がワイロ、リベートに左右され
る。民間取引から政府などの認可が必要な案件(空港の発着枠など)も、
袖の下が潤滑油になる、無理も通る。「満員です」、これがワイロ次第で
「古くからの友達、優先させます、大丈夫!」。カネ、コネの世界。

まあ、そんな感じで華僑がいる国ではアングラマネーが動かないとビジ
ネスは上手くいかない。それで誰も損しない(本当は客や真面目な会社が
損しているのだが)、皆ハッピーなんだから波風を立てることもあるま
い、と多分世界中が華僑式ビジネスに汚染されてしまった。みんなお代官
様、越後屋さん。平次さんも「まあ、あんまり派手にやらねえでくれよ」
と見逃してくれる。

実際、いろいろな国への資金・物資援助が正しく使われてるかどうか、
誰にも分かってはいないのではないか。北朝鮮への援助のコメが、市場で
堂々と売られている。赤い羽根共同募金が最終的にどこへ行っているの
か、分からない。怪しいNGOはそれで食っているのではないか。

華僑なら「騙される奴が悪い」「カネがあれば難交渉でも上手くいく」
となるのだろうが、少なくとも日本人は「機械あれば機事あり、裏はとも
かくも、表はキレイにしておかないと」と思うだろう。

支那系の大企業で初の日本支社長(海軍主計局上がり)になった人はほ
とんど華僑みたいだった。人間関係=金銭関係で、「油断するとネコババ
される」と常に社員を疑っていた。女子社員がトイレに行くと「あなた、
いつも30分もトイレに行く、会社の金を盗んでいるようなものです」と詰
り、小生にまで「うちの部長とあなたは仲良しだから、本当にこの請求書
は正しいのですか」なんて疑ったりしていた。

給料はとても良かった。ところが数年たつと「あなたは有能だから取締
役になってくれませんか、ついては株主になってください」。給料が高い
分、株を買わざるを得ないようにして、大方の社員は「こんなワンマンの
銭ゲバの下でカネを絞られてはたまらない」と辞職する。

支社長は「人材は高給で釣れるし、辞めてもらってもどうということな
い」と屁の河童。

社員曰く「あいつは粗にして野だが卑でもある、とにかく卑、卑、卑。
頭のてっぺんから足のつま先まで卑!」と言って辞職した。(この方は
時々産経に記事を書いている。自宅で料理教室も開いたとメールが来た)

因みに支社長の奥様はマンションころがしの天才、息子は日銀マン。一
家を挙げて「銭ゲバ家族」!華僑より出でて華僑より欲深! 儲け話が来
ると「100万円くれたら話に乗りますよ」、詐欺師は尻尾巻いて逃げる。
まさに華僑もマッツァオ!タフ!

極くたまにアジアの暴動などでは華僑が狙われる。香港でも中共とウィ
ンウィンの華僑の大財閥は嫌われているらしい。あまりにえげつなく華僑
式ビジネスをやると叩かれるのではないか。

発狂亭“粗にして野だが貧でもある”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(143)2017/1/12】野口健「自分を追い詰
めず苦しいと認める」。

<多種多彩な活動を続ける上で重要なことは、自分の精神的キャパを把
握することだ。人間の精神力、集中力には限界があるから過剰に自身を追
い詰めてはいけない。苦しい時には苦しいと認めること。

一時の正義感や思い付きだけでは活動は続かない。人生も活動も短距離
走ではないのだから。何よりも大切なのは本人がその活動に夢やロマン、
新たな可能性を感じていること。どんな活動にもワクワクしたい。また活
動を「やりっぱなし」で終えるのではなく、形にまとめ、次につなげてい
くことも重要だ。

今年も一歩一歩、コツコツと焦らずに積み重ねていきたい>

哲学者というか、求道者とか、武蔵のような風格がある。彼は歴史に名
を刻むだろう。

「建設現場 進む自動化 高齢化で130万人離職(平成26年比で37年に
は)の見通し 鹿島、日本初のダンプカー導入」

<複数の重機を一人で操られるようにするが、リモコンによる遠隔操作
とは異なり、一度指示した作業を各重機が連携しながら自律的に繰り返す
点が大きな特徴。改造費は1台当たり500万円・・・>

単純肉体労働者はやがて粗大ゴミになるのか?「窓際が あった時代が
 懐かしい」(サラリーマン川柳)

・・・・

土方では 生きていけない 世となりぬ 汗水流す 現場は消える(修)

京急事故で高齢ドライバーは駆逐されるのだろうな(つづく)2019/9/8


2019年09月09日

◆雀庵の「華僑が世界にばらまく悪弊」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/25(2019/9/8)】前回紹介した「金儲けの神
様」邱永漢(1924−2012年)の死後、2015年4月「遺族3人が東京国税局か
ら遺産20数億円の申告漏れを指摘された。また2013年までの2年間に配当
約10億円を所得として報告していなかった」(日経2015/4/29) 。

大物は「死してもカネを離しませんでした」、根性が違う。西武グルー
プの2代目、堤義明もドタバタ劇はあったが、その処理で3兆円の資産を投
じ、それでも残ったカネが50億円だという。あっらー、カネは偉大なり!
 別世界。

毎日100万円、1か月3000万円、1年で3億6000万円使っても14年以上もか
かる。小生にとっては地獄だな。奨学金財団を創ってさっさと処理したい
(ま、あり得ないね)。

堤義明は観光産業に造詣が深かったが、傘下のコクド(現NWコーポレー
ション)の八ヶ岳高原ロッジ&ヒュッテ総支配人から「売上を伸ばす知恵
はないか」と相談を受けて視察に行ったことがある。

美しいお嬢様風のロッジはさておき、この「ヒュッテ」は徳川義親(尾
張徳川家19代当主、侯爵)の邸宅を移築したもので、小生のようなイタズ
ラ坊主からすれば実に高貴、気品あふれる令嬢そのもの。

「アーッ、なんて素晴らしいんだろう、一度でも寝てみたい・・・ここ
は泊まれるんですか?」「いや、今は物置にしています」。

何と! まるで眠れる森の美女、小公女セーラを雨ざらしの物置にする
なんて。「このヒュッテ、キレイにしたら売れますよ、結婚式場にもなる
し・・・好き心のカップルなら一度だけでもこんな素敵なおとぎの国で愛
の交歓をしたいもんです」

まあ、そんなアドバイスをしたが、総支配人が派閥抗争で消えてしまっ
たので、話は終わってしまった。噂によると総支配人は若き堤義明の身代
わりでムショに入り、そのお情けで総支配人になったんだとか。

今、このリゾートではヒュッテを夏場にレストラン、ティールームとし
て使っているから、まあ小生の口先三寸的ソリューションは役立ったのか
もしれない。

世界中に新天地を求めた華僑は、国家を(吸血鬼、簒奪者と呪詛して)
まったく信じない代わりにカネと宗族(男系男子の血脈集団)を崇拝す
る。カネの力を知っているから、悪弊(彼らにとっては常識)を世界にば
らまく。日本の海外旅行業界でもそれに染まっている。

1)航空会社から旅行業者へ支払われる「キックバック」。契約書がない
リベートというか報奨金だ。まあ“人参”で、旅行業者は必死でニギリ(ノ
ルマ)を達成しようと励む。追いつめられると叩き売り、「タダでもい
い!とにかく乗ってくれ」。

旅行会社は次期の仕入れ枠が削られてしまうから必死で、航空会社も
ロードファクター(利用率)を高めるために「空気を運ぶよりまし」と黙
認する。

バッタ屋が二束三文で残席を買って、激安ツアー、激安チケットとして
売る。HISはこうして大手にのし上がった。

2)現地旅行会社(ランドオペレーターとかツアーオペレーターと言う)
による「ランドフィーゼロ」。地上費(ホテル代、観光バス代、美術館な
どの入場料、昼食代など)は要りません、タダでOK。

ウマイ話には裏があり、客を土産屋に送り込む。「1日5店回しは当たり
前、10店回しまでは許容範囲」。現地旅行会社はショッピングコミッショ
ンで地上費を賄い、利益も得るわけ。

もちろんお娼妓さんも紹介してコミッションを得る。まるでポン引き。

日本の旅行業者もキックバックを得られるからウィンウィン。昔は添乗
員に払われていたので、1年添乗して家が建たない奴はバカだ、と言われ
たものである。

それを元手に起業した人も多かったが、1975年あたりからコミッション
は直接、会社に入るようになったから、「金ぴかの歩く高級ブランド」だ
らけだった添乗員は一気に最底辺の仕事になってしまった。「好きじゃな
いととてもできないわ」と皆言う。

当時では年間300日働いても年収300万円、今でも人気のある添乗員
(ファンがつく)でもせいぜい500万円だろう。TV(テクニカルビジッ
ト、産業視察旅行)で特定分野の造詣が深く評判のいい40〜50歳の添乗員
でも700万円程度だと思う。

3)地獄の沙汰も金次第、多くの交渉事がワイロ、リベートに左右され
る。民間取引から政府などの認可が必要な案件(空港の発着枠など)も、
袖の下が潤滑油になる、無理も通る。「満員です」、これがワイロ次第で
「古くからの友達、優先させます、大丈夫!」。カネ、コネの世界。

まあ、そんな感じで華僑がいる国ではアングラマネーが動かないとビジ
ネスは上手くいかない。それで誰も損しない(本当は客や真面目な会社が
損しているのだが)、皆ハッピーなんだから波風を立てることもあるま
い、と多分世界中が華僑式ビジネスに汚染されてしまった。みんなお代官
様、越後屋さん。平次さんも「まあ、あんまり派手にやらねえでくれよ」
と見逃してくれる。

実際、いろいろな国への資金・物資援助が正しく使われてるかどうか、
誰にも分かってはいないのではないか。北朝鮮への援助のコメが、市場で
堂々と売られている。赤い羽根共同募金が最終的にどこへ行っているの
か、分からない。怪しいNGOはそれで食っているのではないか。

華僑なら「騙される奴が悪い」「カネがあれば難交渉でも上手くいく」
となるのだろうが、少なくとも日本人は「機械あれば機事あり、裏はとも
かくも、表はキレイにしておかないと」と思うだろう。

支那系の大企業で初の日本支社長(海軍主計局上がり)になった人はほ
とんど華僑みたいだった。人間関係=金銭関係で、「油断するとネコババ
される」と常に社員を疑っていた。女子社員がトイレに行くと「あなた、
いつも30分もトイレに行く、会社の金を盗んでいるようなものです」と詰
り、小生にまで「うちの部長とあなたは仲良しだから、本当にこの請求書
は正しいのですか」なんて疑ったりしていた。

給料はとても良かった。ところが数年たつと「あなたは有能だから取締
役になってくれませんか、ついては株主になってください」。給料が高い
分、株を買わざるを得ないようにして、大方の社員は「こんなワンマンの
銭ゲバの下でカネを絞られてはたまらない」と辞職する。

支社長は「人材は高給で釣れるし、辞めてもらってもどうということな
い」と屁の河童。

社員曰く「あいつは粗にして野だが卑でもある、とにかく卑、卑、卑。
頭のてっぺんから足のつま先まで卑!」と言って辞職した。(この方は
時々産経に記事を書いている。自宅で料理教室も開いたとメールが来た)

因みに支社長の奥様はマンションころがしの天才、息子は日銀マン。一
家を挙げて「銭ゲバ家族」!華僑より出でて華僑より欲深! 儲け話が来
ると「100万円くれたら話に乗りますよ」、詐欺師は尻尾巻いて逃げる。
まさに華僑もマッツァオ!タフ!

極くたまにアジアの暴動などでは華僑が狙われる。香港でも中共とウィ
ンウィンの華僑の大財閥は嫌われているらしい。あまりにえげつなく華僑
式ビジネスをやると叩かれるのではないか。

発狂亭“粗にして野だが貧でもある”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(143)2017/1/12】野口健「自分を追い詰
めず苦しいと認める」。

<多種多彩な活動を続ける上で重要なことは、自分の精神的キャパを把
握することだ。人間の精神力、集中力には限界があるから過剰に自身を追
い詰めてはいけない。苦しい時には苦しいと認めること。

一時の正義感や思い付きだけでは活動は続かない。人生も活動も短距離
走ではないのだから。何よりも大切なのは本人がその活動に夢やロマン、
新たな可能性を感じていること。どんな活動にもワクワクしたい。また活
動を「やりっぱなし」で終えるのではなく、形にまとめ、次につなげてい
くことも重要だ。

今年も一歩一歩、コツコツと焦らずに積み重ねていきたい>

哲学者というか、求道者とか、武蔵のような風格がある。彼は歴史に名
を刻むだろう。

「建設現場 進む自動化 高齢化で130万人離職(平成26年比で37年に
は)の見通し 鹿島、日本初のダンプカー導入」

<複数の重機を一人で操られるようにするが、リモコンによる遠隔操作
とは異なり、一度指示した作業を各重機が連携しながら自律的に繰り返す
点が大きな特徴。改造費は1台当たり500万円・・・>

単純肉体労働者はやがて粗大ゴミになるのか?「窓際が あった時代が
 懐かしい」(サラリーマン川柳)

・・・・

土方では 生きていけない 世となりぬ 汗水流す 現場は消える(修)

京急事故で高齢ドライバーは駆逐されるのだろうな(つづく)2019/9/8


2019年09月06日

◆雀庵の「洗脳、扇動、恐怖政治は限界に」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/23(2019/9/5)】山本夏彦翁は「正義はやがて国
を亡ぼす」と書いたが、政治、特に外交は「昨日の敵/友は、今日の友
/敵、明日の敵/友」で、永遠に変わらないのは「国益だけ」という論はよ
くある。

過去を見ても、鬼畜米英は日本の親友みたいになった。支那の国民党は敵
だったが、台湾に引き籠ってから日本は仲良くなった。国民党の敵の中共
が台頭すると日本は掌返しで日中友好と叫び出した。「サヨナラ台湾、
ニーハオ北京」・・・

明日はどうなるのか、分からない。いずこの国も“国際政治天気予報”に敏
感になっているが、積み木崩しでアレヨという間に状況が変わるから、国
家経営は実に難しい。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」は面白かった。ビアスの「悪魔の辞典」、モ
ンテーニュの「随想録」みたいに秘伝辛子が入っているが、「悪魔の辞
典」を日本に紹介したのは芥川だそうだ。彼は「随想録」も読んでいる。

「侏儒の言葉」は『文藝春秋』に1923/大正12年1月から1927/昭和2年の自
死まで断続的に連載された。頭が良過ぎるというか、早熟というか、35歳
で逝くのはチョットナーという気がする。早世とか夭折は当時の文壇の流
行病だったのだろうか。

「侏儒の言葉」から引用(要約)する。

<古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思わ
れていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは「彼自身の
意志を民衆の意志とする」もののことを云うのである。

少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。

この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。ナポレオンは「荘厳と滑
稽との差は僅わずかに一歩である」と云った。この言葉は帝王の言葉と云
うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

民衆は大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に大義そのものには
一文の銭をも投じないものである。唯民衆を支配する為には大義の仮面を
用いなければならぬ。しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱す
ることを得ないものである。もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治
的天才もたちまち非命に倒れる外はない。

つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである。この故に
政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない>

「彼自身の意志を民衆の意志とする」・・・ヒトラーの演説は実に民衆の
魂を高揚させたのだろう。彼自身が演説中に興奮して倒れ込むこともあっ
たという。エクスタシー、ヒステリー、失神・・・まさに名優だ。

「JFK」ケネディの(カネと野望に溢れた父親が雇っただろう)ゴースト
ライター、スピーチライターは実に優秀だった。JFKのオツムは普通なが
ら、軍歴があり(日本軍に撃沈され漂流、これを父親は「英雄譚の物語」
にした))、イケメンで(TV映りが良いように化粧をした)、病的な女好
き(秘せられたろう)という男の演説は、しかし、聴衆を大いに魅了した。

モンテーニュ曰く――

<ある修辞学者は、「自分の仕事は、小さな事柄を大きそうに見せ/思わ
せることである」と言った。スパルタでなら詐術師として鞭打たれたに違
いない。

(古代アテナイ全盛期の王に次ぐ事実上の最高権力者ペリクレスの政敵に
対して)王は「角力(すもう)ではどっちが強いのか、ペリクレスか、そ
れとも汝か」と尋ねたところ、彼はこう答えた。

「どうとも言えませぬ。わたしが角力で彼を地に投げても、彼は並み居る
人々に向かって『自分は倒れはしなかった』と言い張り、結局勝ってしま
います」

王はさぞかし驚いたことだろう。

婦人の化粧は男の目を欺くが、大した損害ではない。ところが修辞学者は
我らの目ではなく判断を欺き、変えることを職としている。クレタのよう
に秩序、善政のもとにある国々は、雄弁家をあまり尊重しない。


アリストン(スパルタ王)は賢明にも修辞学を「人民を納得させる学問」
と言った。ソクラテスとプラトンは「欺きかつへつらう術」と言った。マ
ホメット教徒は修辞学を無用の長物として子弟に教えることを禁じた。

またアテネ人は、修辞学が彼らの都においてはなはだ重んじられたために
いかに世を毒したかを悟り、人の感情を煽り立てるような部分を削除させた。

修辞学は、常軌を逸した群衆や暴徒を扇動したり操縦したりするために案
出された道具である。医薬のように病める国家においてのみ使用される道
具である。

俗衆や無知の者、誰でも彼でもが何でもなしえた国々、たえず物情騒然の
国々には(修辞学に長けた)雄弁家が集まった。これらの共和国において
は、雄弁の助けを借りずに衆望を負いえた人物はほとんど見られないので
ある。

ポンペイウス、カエサル、クラッシュス、ルクルス・・・いずれも己の雄
弁を大きな頼りとして、とうとうあれほどの高位まで昇ったのである。雄
弁を武器以上に活用したのである。

政治が安定しないと雄弁家が百家争鳴、暗愚軽信の庶民は耳に快い美辞麗
句に魅せられてしまい、理性によって物事の真偽を識別するに至らない、
一人の君主をいただく国は、そうでない国々ほどに雄弁を必要としないよ
うだ・・・>


我らの隣人、支那、半島は概ね権力者の暗闘と民の暗愚軽信の「私利私欲
的支那人(シナジー)効果」で何百年も活火山だ。時々女が火に油を注
ぐ。いつ大噴火するか分からない。

香港政府は中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正
案の正式撤回を表明した(9/4)。建国70週年を迎える10月1日の国慶節前
後あたりまでは香港に対する中共軍の攻撃はなさそうだ。


この“休戦”は習近平と上海閥(香港に強い)、共青団(海軍に強い)との
合意によるものだろう。習近平は建国70周年を安泰に迎える代償として何
を譲歩したのか。

地球を俯瞰すれば、独裁国家の「洗脳、扇動、恐怖政治」は限界に来てい
る、と小生は思う。不都合な政敵を闇討ちするようなやり方ではとても国
際競争を乗り切れはしない。少なくとも中共は香港の普通選挙を認めなけ
れば香港市民は手を緩めないのではないか。

<9月11日から12日にかけて、香港で「一帯一路」サミット2019が開催さ
れることになっている。参加者は部長級ではあるものの、現状では開催可
能なはずがない。では、どうするつもりなのか?・・・他の都市に移して
開催するだろうと推測される。その都市はどこかと考えた時に「深セン」
が有力候補として考えられる>(遠藤誉・中国問題グローバル研究所所長)

こんな騒擾の中で「一帯一路」会議で訪中するのは三跪九叩頭の属国によ
るお見舞いみたいで、中共を警戒する多くの国から反発を買うのではないか。

香港人を圧殺すれば台湾人は中共の侵略に命懸けで反発する。外資系企業
や人材は逃げ出し、ロシアのように孤立するしかない。連邦制国家への移
行は出血の最も少ない体制転換だ。習近平がそれを成せば永遠の名君とし
て、成さねば永遠の暴君として歴史に刻まれるだろう。

発狂亭“香港加油!台湾加油!”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(141)2017/1/12】承前【産経】広告「宮崎
正弘『日本が全体主義に陥る日』」。個人の自由の抑制、社会・集団の利
益優先・・・多かれ少なかれ先進国は選挙で政権を選ぶから、右や左にぶ
れる危険性は常にあるし、回復力もあるから、大きく国を棄損することは
なさそうだ。

阿比留瑠偉ボナパルト「実現しつつある『高麗共和国』」、「誰が大統領
になるにせよ、韓国の従中、反米、反日、親北の左派路線は今後ますます
強まりそうで、在韓米軍の撤退すら現実味を帯びてきそうだ」。韓国は自
殺するのだろう、ほとんど狂気。

石平「習政権を襲う“黒船”トランプとの貿易、南シナ海、台湾という3つ
の戦線」。米中はお互いにジャブは打つけれど、激烈な権力闘争を抱える
習としては当面は様子見でいくしかないだろう。

伊藤元重「正論 グローバル化が諸悪の根源か」。それはどうかは分から
ないが、ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動き回ると、国柄、公序
良俗、価値観などが壊れる危険性は高い。制御できないとかなりヤバイ。
2019/9/5