2020年05月08日

◆雀庵の「見る聞く読む書く呆け防止」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/113(2020/5/6/水】ゆうべの夢は実に面白かったなあ。「学びに年齢なんて関係ない!」と大学入試に臨むのだが、面接で年齢を聞かれ、


「50歳です、あ、えーっと、辛卯ですから・・・あれっ、70歳?! 信じられないなあ」

面接官はボーゼン、「なんなんだ、この爺さん?」といささか呆れ顔。


えっちらおっちら階段で2階に上がり試験場に向かう時、多分貧血だろう、倒れてしまった(午前2時ごろの震度3の地震で「つぶれるかも・・・」と思ったことの影響だろう)。気がついたら保健室で寝かされている。


上着を脱がされ、丸首のクルーネック姿だったが、鏡を見たらタグが映ってる。つまり裏返しで、しかも前後逆というボケ振りで、ハハハハハと苦笑いして目が覚めた。


楽しい夢はいいもので、元気になる。措置入院でベッドに拘束されていた時は悪夢ばかりで、目が覚めるとハーハー、息も絶え絶え、グッタリした。それに比べれば今は「気分はトム&ハック」、いたずら心でいっぱいだ。躁状態・・・?


さて、鴎外の「渋江抽斎」、小生が編集者ならその作品名の脇に「幕末前後 漢方医と一族の足跡」とか「漢方医と一族の幕末前後」とサブタイトルをつけるな、さすれば――


「難しそう」という風評被害をロックダウン、「面白いじゃん」というクラスターの3密でオーバーシュート、もうソーシャル・ディスタンスなんて吹っ飛んで濃厚接触、ロックダウンなんてとてもできないパンデミック、出版社はまるでコロナ太り、コロナ倒産・コロナ破綻一歩手前の本屋さんも自粛要請どころじゃない、オマケは不織布マスク、次亜塩素酸ナトリウム・・・さあ買った買った、お代は10万円給付で!

てな具合になるかもね。


昨日「渋江抽斎」を読み終えたので今日から再読する。末尾の解説(中野三敏)によると同作は発表とともに物議をかもしたそうで「これは文学=小説・物語ではないと評する人もいるが、その見方がおかしい、一流の文芸、史伝、文学であることは確かだ」と断じている。

共産主義は科学/学問を装った宗教/病気で、他宗派を修正主義、原理主義、左翼小児病、裏切り者、走資派、教条主義者、ブランキスト、日和見主義、冒険主義、トロツキスト、秘密主義、アナクロ、オプチュニスト、スターリニスト、走狗、ルンペンプロレタリアート、亜流、サンジカリスト、一揆主義、亜流・・・などと互いに罵っている。


意味なんてどうでもいい、声の大きい方が勝ち、相手をやっつけると「正義の鉄槌」、やっつけられたら「権力の走狗による虐殺許すまじ、我々はぁ戦うぞーっ」。

こういう騒動は、見物人から見れば「バーカ、共死するがいい」と嗤うだけだが、本人は私利私欲がかかっているから死に物狂いだ。殺される前に殺せ! 狂気の世界。「私は正義」病とか、性善説、甘い言葉に騙されるとまずしくじるね。

しくじった人が痛恨の思いで告白しているのだからね、信じなさい、尊師と呼びなさい、お布施はこちらに・・・


「私は正義」病・・・「悪と自覚しているとブレーキがかかるが、正義と思うと人はどんな酷いことでもやってのける」という、実に厄介な病気だ。風雲急を告げる幕末にもあった。

当時は参勤交代があり、そのために江戸詰めの臣、国詰めの臣があった。江戸詰めの臣は言わば外交官で、世襲制だから何代にもわたって職を務める。つまり江戸詰めは言葉(標準語)から教育、作法、習慣、服装、交友関係までどっぷり江戸風に染まっている。

参勤交代が廃止されると、藩は「国へ帰るも江戸に留まるも勝手」と触れを出したが、新政府軍が江戸に迫ると“外交官”の多くは戦火を逃れるために艱難辛苦して帰郷したのだ。青空文庫「渋江抽斎」から概略コピペする


<米艦が浦賀に入ったのは、嘉永六年六月三日である。翌安政元年には正月に艦が再び浦賀に来て、六月に下田を去るまで、江戸の騒擾は名状すべからざるものがあった。幕府は五月九日を以て、万石以下の士に甲冑の準備を令した。新将軍家定の下にあって、この難局に当ったのは阿部正弘である。

安政二年に入ってから、幕府は講武所を設立することを令した。次いで京都から、寺院の梵鐘を以て大砲小銃を鋳造すべしという詔が発せられた。多年古書を校勘して寝食を忘れていた漢方医・抽斎(単独での将軍お目見え資格にまで出世)も、ここに至ってやや風潮の化誘する所となった。

女丈夫、五百《いお、妻》の啓沃も与って力があったであろう。抽斎は遂に進んで津軽士人のために(武備のため融資策など)画策するに至った。・・・

安政三年になって、抽斎は再び藩の政事に喙《くちばし》をいれた。抽斎の議の大要はこうである。

弘前藩はすべからく当主、順承《ゆきつぐ》と要路の有力者数人とを江戸に留め、隠居、信順《のぶゆき》以下の家族及家臣の大半を挙げて帰国せしむべしというのである。

その理由の第一は、時勢既に変じて多人数の江戸詰はその必要を認めないからである。何故というに、原《もと》諸侯の参勤、及これに伴う家族の江戸における居住は、徳川家に人質を提供したものである。

今将軍は外交の難局に当って、旧慣を棄て、冗費を節することを謀っている。諸侯に土木の手伝を命ずることを罷《や》め、府内を行くに家に窓蓋《まどぶた》を設ることを止《とど》めたのを見ても、その意向を窺うに足る。

縦令《たとい》諸侯が家族を引き上げたからといって、幕府は最早これを抑留することはなかろう。


理由の第二は、今の多事の時に方《あた》って、二、三の有力者に託するに藩の大事を以てし、これに掣肘を加うることなく、当主を輔佐して臨機の処置に出でしむるを有利とするからである。

由来弘前藩には悪習慣がある。それは事あるごとに、藩論が在府党(江戸詰め)と在国党(国詰め)とに岐《わか》れて、荏苒《じんぜん、物事が延び延びになり》決せざることである。

甚だしきに至っては、在府党は郷国の士を罵って国猿《くにざる》といい、その主張する所は利害を問わずして排斥する。此の如きは今の多事の時に処する所以の道でないというのである。(昨年の津軽旅行では竜飛岬でサルを見た。当時は岩木山を中心にうじゃうじゃいたろう)

この議は同時に二、三主張するものがあって、是非の論が盛《さかん》に起った。しかし後にはこれに左袒《さたん、帰国に賛成》するものも多くなって、順承が聴納《ていのう、了承》しようとした。

浜町の隠居信順がこれを見て大いに怒った。信順は平素国猿を憎悪することの尤《もっと》も甚しい一人であった。

この議に反対したものは、独《ひとり》浜町の隠居のみではなかった。当時江戸にいた藩士の殆ど全体は弘前に往くことを喜ばなかった。中にも抽斎と親善であった比良野貞固《さだかた》は、抽斎のこの議を唱うるを聞いて、馳せ来って論難した。

議、善からざるにあらずといえども、江戸に生れ江戸に長じたる士人とその家族とをさえ、悉く窮北(北の最果て)の地に遷そうとするは、忍べるの甚しきだ(耐え難い)というのである。

抽斎は貞固の説を以て、情に偏し義に失するものとなして聴かなかった。貞固はこれがために一時抽斎と交《まじわり》を絶つに至った>

同藩といっても生まれ育ちが違うと「血は水より濃い」というより、遠慮がない分、近親憎悪的なイジメが発生しやすくなるのか。

今でも帰国子女が新しい環境に馴染めない、それどころか苛められる、孤立する、心を病む、という話は多い。産経記者の近藤紘一氏の奥様は外交官の娘で、幼い頃から世界各地で暮らした。日本では(でも?)馴染めなかった。


<祖国の土と空気を自分のものにしようと懸命の努力を続けていた彼女を、私は再びフランスへ連れ出した。そして、結果的にその内面的崩壊を促すことになった。

妻は次第に塞ぎ始め、やがて私が本気で心配し始めた時には遅すぎた。

つい数か月ほど前とは別人のようにやつれ果てた彼女を、急遽、日本へ送り帰した。自分の迂闊さを、ひどく悔いた。

日本に戻り病院で二か月を過ごし、いったん彼女は快方に向かい始めたように見えた。ある晩、病室訊ねると、彼女は久しぶりに朗らかな顔で、私が去るまで冗談を言い続けた。

翌日、妻は死んだ>(「目撃者
近藤紘一全軌跡」所載、沢木耕太郎著「彼の視線」)

住めば都と言うけれど、少なからぬ人にとってそこはとても馴染めない荒れ地かもしれない。幕末の外国人襲撃・殺害事件の報が本国に届くまで70日ほどもかかったという。今はネットで同時性が可能だ。大使館など在外公的機関の縮小、合理化も検討課題かもしれない。

次回は弘前の「国猿」とMade in Edo
の「在府党」の軋轢を紹介したい。夏彦翁曰く「意地悪は死なず」。(2020/5/6)

       

2020年05月07日

◆雀庵の「吉幾三とミック・ジャガー」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/112(2020/5/5/火】実は小生は「陽性・陰性」の意味を知らなかった。

「彼女は根っから陽性、楽天的なのよ、明るくてさあ、Happy-go-lucky
そのもの。でも彼氏はズブズブの陰性、悲観的でね、そばにいるだけで暗くなるほど、まるで歩く
pessimist
よ。彼女にそう言ったらね、“あらそう? 静かでいいわ”だって。びっくりよ!」


だから「陽性」は良いこと、「陰性」は良くないことと思っていたら、医学では「陽性は菌が活発、アタリ!=病気(患者さま)」「陰性は菌がない、ハズレ!=元気(冷やかし)」みたいなのだ。


ナンカナーという感じだが、医学界は「認知できない」人や「痴呆症」を「認知症」、国会では「物見遊山」を「視察」、世間では「自立できない人」を「社会的弱者」、「アカ」を「リベラル」と言う。「歳をとれば多かれ少なかれ呆けるよ」、これを「アルツハイマー」などと言う。

夏彦翁曰く「人皆飾ってモノを言う」。


「人殺し」を「心神喪失だから」と病院でお世話する・・・小生のような「キチ〇イ」は禁句で「自閉スペクトラム症」だとさ、まるで表彰台から手を振らなくちゃいけないみたいだ。「皆さん、ありがとう! これからも頑張ります!」、頑張ってまた急性期閉鎖病棟3か月・・・もうやだよ。


この病気は「興味の範囲が狭く、特定のものにこだわる」特徴があるという。異常なほどの中共やリベラル≒アカモドキへの憎悪、枝葉末節に対する異常なほどの好奇心、感受性・・・小生はそういう「ハイ」の気分、大好きだけれどなあ。

おはようさん 今日も狂気は 陽性反応(修)

五月晴れ 今日も元気だ 陽性拡散(修)

病者の強い「こだわり」がうかがわれる、いい句じゃない?

我が家の女どもと孫3人はキャンプ場へ行けないので室内にテントを張り、ベランダでBBQや燻製機であれこれ料理を作って楽しんでいる。「こだわり」とか代償行為か。


「代償行動とは、ある目標を達成することができず、満たされない感情や欲求が生まれたとき、別の行動をすることで欲求を満たそうとする行為(防衛機制)のこと」。フロイト親娘が定義づけた概念だという。


なるほどね。「こだわり」の「代償行動」としての「ブログ」という図式も成り立つな。さあ、今朝も「こだわり」のアクセルを踏もう。


太宰治の「津軽」にひかれて昨年、青森県を旅したが、彼の生まれ故郷の金木は寂れた田舎町の印象だったけれど、弘前は実に歴史をたたえた静かな落ち着いた鄙びた城下町だった。


弘前城は地元の人の憩いの場で、散歩する人、運動する人・・・みんな穏やか、のんびり、ほっくりしている。東京のようにぎすぎすして油断ならないという感じはしない。

<1590(天正18)年、17年に亘って津軽地方の統一を成し遂げた大浦為信が、豊臣秀吉から4万5千石の領地を得ました。この時大浦を「津軽」と改姓し、為信は、1594(文禄3)年4月に大浦城から堀越城に移り、藩の基礎作りを開始。

1600年、為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より更に2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立しました。1604(慶長9)年
為信は京都で客死し、築城は中断します。

1609(慶長14)年、2代目信枚が築城を再開し、堀越城、大浦城の遺材を転用し急ピッチでの築城を行い、1611(慶長16)年、
僅か1年と数か月で弘前城が落成しました>(弘前公園)

小生はすっかり落ち着いて「もう一度来たいなあ」と思ったものだが、そう思うような所との出会いは二度とないだろう。

幕末の弘前藩は佐幕の奥羽越列藩同盟と新政府軍の間で揺れ動き、どちらからも敵視されないという軟弱外交でどうにか朝敵を免れたが、「北のはずれで逃げ場所がない、未開の北海道へは行きたくない」という地政学的な事情から、開高健のいう「協力すれど介入せず」のいささか軟弱な「フグリ戦略」にならざるを得なかったのだろう。


「介入」・・・最後はいつだったか・・・遠い遠い昔・・・思えば遠くへ来たもんだ。

煩悩の あった昔が 懐かしい(修)


煩悩昂じて若死願望の太宰は「津軽は誇るべきものが何もない」といささか自虐的に言うが、彼の好きな月見草、あすなろ、りんご、りんどう・・・派手さはないけれど心が安らぐ花、津軽の良さはそんな可憐、奥ゆかしさ、引っ込み思案、恥ずかしがり、劣等感、過剰過ぎるほどの自虐にあるんじゃないかなあ。

ザ・ローリングストーンズが4月24日、約8年ぶりとなる新曲「Living In A Ghost
Town」を世界同時配信したという。

♪I'm a ghost 俺は幽霊 Living in a ghost town ゴーストタウンに住んでいる You
can look for me 君が会おうとしても But I can't be
found 俺は見つからない

We're all living in a ghost town 俺達はみなゴーストタウンに住んでいる Living
in a ghost town ゴーストタウンに住んでいる

We were so beautiful 俺達は美しかった I was your man about
town 俺は君に街を教えた

Living in this ghost town 今ではゴーストタウンに住んでいる Ain't having
any fun 何の楽しみもなく If I want a party パーティーを開いても It's
a party of one 参加者は一人だけ


ミック・ジャガー76歳、脱帽。彼の詩は昔から時代や哲学、歴史を語るものが多く、好いた惚れた別れた系の詩に飽きた小生には新鮮だった。


日本のミックともいうべき吉幾三を検索したら、彼は小生より1コ下、同世代だった。なんと4月27日に津軽弁ラップ「TSUGARU」の「コロナに負けるな!」バージョンを発表したそうだ。さらに4月29日には「百年桜」をリリースした。日英同盟復活か!

♪雪解けの 岩木山隠すように 咲く桜

春の鳥 さえずれば 風に乗り 幼き日

親から子へと 子から孫へと この季節 津軽に飛び舞う 春の花

ああ・・弘前の・・百年桜


「心安まる里、津軽、そうだ、封鎖が終わったら津軽へ行こう・・・JR East」


パクリだが、キャラはもちろん吉幾三同志、バックの曲は「津軽平野」「四季津軽」もいいなあ、ギャラは友情割引きで100万円、総経費300万円、小生はボランティア。電通博報堂なら色々な媒体向けに加工するから基本的な制作料は1億円はするぜ、広告料は別。


ミック&ヨスの競演共演もいなあ、ヂヂババいっぺえ来るびょん、みんな元気になるよ。

弘前藩の江戸詰め漢方医、渋江抽斎の子孫は戊辰戦争の戦禍を恐れて弘前に避難するが、戦禍よりもカルチャーショックに苦しむことになる。まるで帰国子女。次回はそれに触れたい。(2020/5/5)

2020年05月03日

◆雀庵の「独房生活は“3”との勝負」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/110(2020/5/1】多摩丘陵の散歩往路は自転車を押して坂道を登るのがきついが、帰路はいろは坂の下りでまるでジェットコースター、スリル満点で実に爽快だ。このままピ、ピ、ピーン! 大空へ向かってジャーンプ! 崖下に落ちてもいい、と思うほど興奮する。



やりかねないなあ、と思うからドキドキ感はひとしおで、漱石「猫」の迷亭の「素晴らしい枝ぶりで、そこで首を吊ったらさぞかしいい気分だろうという誘惑に駆られた」という「首掛けの松」の笑い話は結構真実ではないか。畑の肥溜めは避けるが、「湖に身を投げる」というのは古今東西ロマンチックではあるね。



このところ多摩川を散歩しているが、いろいろな草花を見るのがこれまた気分がいいし、向こう岸まで300mほど視界を遮るものがないので、とても解放感がある。



一時期は釣り人を見かけなかったが、チャイナコロリで家にごろごろしているのにうんざりしたのか、釣り人がずいぶん増えた。シラサギやカワウが「何だこいつら」と見ているのが面白い。



野鳥を目当てに望遠レンズ装備の高級カメラをもった人も多い。用水路の取水口あたりに巣があるカワセミは昔から大人気で、10人ほどがカメラを持って待機していることもある。家人によると近くの用水路でたまに見かけるカワセミが小生の屋上庭園に来ていたそうだが、スズメが集まるから「何なんだ」と偵察に来たのかもしれない。



「何なんだ」・・・疑問/好奇心は発見発明発奮発情の原点だな。「性交は失敗の母」になる確率は成功を大きく上回っている。江戸時代までの古人・先人は血統をつなぐ生殖=神事と、娯楽や商品としての性を明確に分けていた。好き合って一緒になるのを「野合、畜生」と蔑み、長屋の熊さんだって周りのオバサンから「犬猫じゃあるまいし」とやいのやいの言われて大家さんに仲人になってもらい、神事の正式婚にしたのだ。



話を戻すと、ジョギングや高級スポーツ自転車の人も増えた。ヘルメット、専用ウエアはいいとして頑丈そうなメガネ、不気味な烏マスクというのはいささか殺気立って無粋ではあるね。昔は♪みどりの風も
さわやかに にぎるハンドル 心も軽く サイクリング サイクリング ヤッホー
ヤッホー・・・のんびりしていたものだが・・・



堤を少し下りた森とか灌木、疎林からはウグイスの声が聞こえて、稼ぐ必要のなくなったヂヂイは「ああ平和だなあ」と思うが、現役の人なら「どうしよう」と困っている人は多いだろう。死ぬわけじゃないから、これから先の手立てを考えたり、読書を通じて勉強すれば、それなりに天がくれた好機になるかもしれない。



「どこへも行けない、うんざり、まるで刑務所だ!」と思っている人もいるだろうが、独房生活ではまれに「苦にしない」人がいる。小生は吶喊小僧だったが、上司(小隊長)の井上さんは、まるで田舎の小学校の先生みたいに無口でにこやかだった。



彼の特技は禅の達人のように瞑想でき、もしかしたら瞑想どころか完全に「空」になって、それが何時間でも何日でもできるから「独房でも苦にならない」というのだ。自分の利益、エゴがなく、論争もしない。いるだけで部下がついて行く仁者のようで、こういう人が「神」として担がれるのかもと思うほど、まあ人間離れしていた。



小生のような小僧でもゴロツキでもインテリでも、独房生活はなかなかキツイものである。気が滅入るのが収監/拘置3日目、次が起訴/拘留の3週間、以降は新聞購読、書籍差入れ、日記などで気を紛らわすのだが、30日という節目で鬱になりやすく、小生は拘束から3か月あたりでは精神が七転八倒して脳みそが壊れそうな気分になった。



このハードルを越えれば多分、諦観となってそこそこ静かに日々を送れるようになる。1年、2年・・・イワン・デニーソビチのように「考えたって仕方がない」と、環境に精神を慣らしていくのだろう。シベリアでの過酷な懲役10年プラス閏年のオマケの4日間ではそうするしかない。



“ラスプーチン”佐藤優は2002年5月14日から2003年10月8日まで512日間拘留された。同志の鈴木宗男より75日間多かったが、「宗男先生を巻き込んでしまった。彼より早く保釈されるわけにはいかない」という想いだったのだろう。独房では220冊以上の読書と日記、思索で過ごした。



黙秘はせずにいたし、大物だから待遇は悪くはなかったろうが、トイレと小さな洗面所付きの4畳で、しかも監視カメラ付きの512日をめげず腐らず戦意を失うことなく過ごしたのは戦後岩波ボーイとしてはいい根性をしている。



(小生はあの事件は今でも分からない、宗男の強引な施策を戒めたのかなと思うが、公開処刑すべき缶から管や鳩ポッポはお咎めなし、一体何だったのだろう)



コロナ休暇を如何に過ごすか。個人も企業、組織も危機を前提にして次世代モデルを研究していけば「災い転じて福となす」に違いない。長期スパンの戦略に3か月や半年を費やしてもいい・・・そんな気構えでやっていこうぜ、のう、同志諸君!(2020/5/1)

2020年05月01日

◆雀庵の「中・北・ウイルス水滸伝」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/109(2020/4/29】国内がヤバイ、ごたついてどうも安定しない、秩序を回復するためにいかにせん――為政者が迷ったときに手を出したくなるのが、昔からの「内戦を外戦に転化する」「内部矛盾を外部矛盾にすり替える」政策だろう。



「外に敵を創る」ことで国民を結束させる。邪道だが効き目はある。アカのFDR(ルーズベルト)は日本に一発目を撃たせて米国民を結束させ、WW2戦勝国となり、世界の王者になった。



夫婦喧嘩だって「隣が火事だ!」となれば停戦、休戦になる。鎮火した後は「アンタ、ほっぺた火傷したの?」。旦那は(お前が味噌汁の椀を投げつけた痕だろうが、ウッタク・・・と思いつつも)「あ、ちょっとヒリヒリするけど大丈夫だよ」なんて言っておくのが家政学のキモになっている。この夫婦はわが社の社員で、旦那は「ハハハ・・・」と自虐的な、寂し気な自嘲をしていた。



いずれにしても「内戦→外戦→国民結束→政権維持」は為政者にとっては魅力的な手ではある。求心力が落ちてきた習近平、生死不明の金正恩、影が薄くなったプーチン、同ハメネイなどは「座して処刑の身をさらすくらいなら乾坤一擲、当たるも八卦、外に打って出よう、それしかない」と思っているのではないか。



軍資金を持っているのは中共・習近平だけ、後はそれを頼りとするマイナー国家で、元々が洞ヶ峠の風見鶏だから情勢を見ながらどっちに転ぶか分かったものではない。



チャイナコロリみたいな効き目のある生物科学兵器や核ミサイルは我が身の破滅にもなりかねないから、初戦からは使えそうもない。使えば、たとえ勝ったところで「城春にして草木深し」、大都市は壊滅している。



開戦すれば多くの国は米国に付かざるを得ない。資金、軍事力もさることながらWW2後の実戦経験で米国は他国に圧倒的な差をつけている。一方で中共は朝鮮戦争と中越紛争ぐらいしか経験がない。いずれも勝てなかった。



湾岸戦争でイラク軍主力部隊は一夜にして壊滅した。その後のイラク軍はゲリラ戦しかできなかった。中共もほとんど経験のない海戦では完敗するしかない。世界最強のはずだったバルチック艦隊は日本海軍に鎧袖一触、壊滅した。中共は空母と艦載機がお粗末だから空戦もままならないだろう。



ロシアも中共も広大な国だから陸戦は強いかもしれない。ナポレオンもヒトラーもロシアには勝てなかった。それどころか冬将軍によって壊滅した。



中共はかつての紅軍時代は弱者の戦法である森や疎林の中のゲリラ戦は得意だった。しかし、今では米軍をも畏怖させたベトナム軍とのジャングル戦で中共は勝てなかった。米軍を追い払ったベトナム軍の仮想敵は昔も今も中共である。



そもそも中共には辺境にしか森林がないどころか、それ以外は砂漠化が懸念されている。都市ゲリラの手はあるが、散発的な抵抗はできても大攻勢は無理。大体、人民の支持がないところでゲリラ戦はできない。



素人が考えても中共による対列強の外戦は失敗する。毛沢東のように奥地に引き籠っても自滅するしかない。大体、一人っ子の将兵は毛沢東の時の「古いぼろぼろの革靴を煮て食った」という乞食軍団の、チャップリンもビックリの根性、生活力があるわけない。



「どんなことがあっても死んじゃダメ! 敗走三千里でも生き残るのよ! 督戦隊に気を付けてね! 家を継ぐのはあんたしかいないんだから!」



「ママ、僕、怖いよ・・・留学中に現地の人と結婚して国籍取っておけばよかったのに・・・王岐山が邪魔したんだ。そんな奴らのために戦場に行かされるなんて・・・僕は・・・僕は・・・」



中共は少数民族を含めた人民を苛めたつけを払うのだ。天網恢恢、疎にして漏らさず、どうあがこうが習近平が皇帝になり世界に君臨することはできない。恨みを買い過ぎた。桀紂毛習を永遠に忘れない。



世界と支那の人民にとって一番いいのは、習近平が一党独裁を止めて民主主義国への筋道をつけることだろう。「21世紀の辛亥革命」、干支の「辛亥」は近いのでは2031年とか。あと11年あればソフトランディングできるし、習近平は「21世紀の孫文」として永遠に名を遺す。



どや、習さん、あんたの気持ち次第や。わしらは過去のことは問わん、あんたが1億の舎弟を説いて、中共やのうて任侠で行こうと先頭に立って行くんやったら、わしらも全力で応援するが、のう。



もしあんたが改心せんで極道で突っ走る、14億を道連れにしても世界を乗っ取るんや言うんやったら、わしらも覚悟を決めにゃあならんて、のう。若いもんも特攻の血が流れておるで、喜んで吶喊するが・・・まあ、お互いに血は流さない、女子供の涙は流させない、それが男道やないか。そこをよう考えて欲しいんや。



任侠連合の大将には「わしが習さんに手打ちを説いてきます、それまでは武闘派の若衆頭を押さえてください」、そうお願いしておるんや。あんたがどうしても了解せんなら、わしには刺し違えるか腹を斬るしか道がない。



あんたも鉄砲玉を押さえるのに苦労するやろが、ひとつ真剣に考えてな、ヂヂイにいい返事をくれるよう、この通りや、習さん、頼んだで・・・



1927/民国16年12月の中共による武装蜂起「広州起義/広東コミューン」を描いたマルロー「征服者」には、中共と国民政府双方に「軍事衝突だけは避けよ」と命懸けで調停を図る老政治家が描かれている。彼のモデルは裏切り者、反動の手先として中共に殺されたようだ。



この蜂起は事実上、反英暴動でもあったが、国民政府に鎮圧され、以来、居場所を失った中共は辺境に18年間引き籠ることになった。



この愚を習近平は繰り返すのか。父を逼塞させ、姉を自殺させた毛沢東の「文化大革命」、実際は「文化大破壊革命」を真似て支那と世界を大混乱させようとしている。



全国3500万の同志諸君、コロリも逃げるお荷物ヂヂイが大義に殉ずる好機到来だ、「バカなヂヂイ」で終わるか、「バカだったけれど潔かった」と笑いを誘うか、我々は歴史評価の岐路にある、イザ、立ち上がれ、敵は中南海にあり! 命惜しむな、名こそ惜しめ! 



うん? オシメ、アテント、除菌スプレー・・・マスクもって・・・えっ? 飛行機飛んでないの? 2週間隔離?・・・なんか萎えてきたなあ、開戦を遅らせるとヂヂイはどんどん劣化して使い物にならんさかい・・・「重荷とは、それを運ぶ強さを備えたものにふさわしい」、そうだ、明日は明日の風が吹く、明日考えよう・・・(2020/4/29)



2020年04月30日

◆雀庵の「革命聖地武漢再び」加油!

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/108(2020/4/28】チャイナコロリは「人類共通の敵」だから右派と左派が手を握る「レーニンの人民戦線」「毛沢東の国共合作」という、まあ野合が可能かなあと思っていたら、何やらそんな場面が表に出始めたみたいだ。


花清漣女史は「中華ネトウヨの方方女史攻撃にみる習氏中国」(
2020/4/24)でこう記している。


<方方女史と私は共に1950年代生まれです。(ファンファン、本名は汪芳。武漢の作家、封鎖中の暮らしを日記に執筆し、各国で出版される運びとなった)


黒の文革時代、それに比べればまだましだったトウ小平の改革時代を体験しました。江沢民の時期に私は中国を去り、彼女は残りました。ネット時代ですから、その後の中国の変化を身を以て体験し、彼女は中国で、私は地球の裏側からそれを見てきました。


方方の作品は、武漢封印中の彼女自身の心の旅路で、不幸にして流行都市の犠牲になった武漢の人々の痛みを記録したものです。しかし人間として人生の痛みを感じ得る人ならば、現在の中国という、真実を話すことが稀で貴重なお国柄にあって、これがどれほど大切な作品かが分かっています。


少数の人々は、猫も杓子も万歳を三唱するしかない暗黒の時代にあって、社会の暗黒面を語ることができた彼女を褒め称えています。しかし世界をあべこべにしか見ることのできない「義和団2.0」(中共万歳のネトウヨ)たちは罵詈讒謗を浴びせて「社会の暗黒面を書いて西側に攻撃する武器を与えた」と非難しています>


ネットで検索したら「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」というサイトに「封城(ロックダウン)下の武漢の暮らし 方方女史の『武漢日記』抄訳」があった。


ジャーナリスト・田畑光永氏の訳・解説で、とてもいい訳だなあ、どんな人なのだろうと調べたらWIKIにあった。御年85、渡部“頂門”亮次郎氏と同時代の記者だった。


<田畑光永(たばた みつなが、1935年8月29日 -
)は、日本のジャーナリスト。東京都出身。東京都立日比谷高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業後、1960年、TBSに記者として入社。中国政治を主たる専門領域とし、1972年の田中角栄首相の日中国交正常化の際にも同行取材を行った。
妻の田畑佐和子は、元岩波書店の編集者であり中国文学の研究者>


モロ“岩波文化人”で、当然中共に寄り添うリベラル≒アカモドキ、小生の大嫌いな人種だが、習近平中共にとって苦いことも書く(イエローカードを出す)リベラル≒アカモドキもいるのだ、皆が皆、腐れ男妾のテドロス飴じゃないようだ、というのは発見だった。以下、氏の記述と訳を部分引用する。


<田畑:新型コロナ肺炎はいまだに世界中で猖獗をきわめているが、発症の地となった中国の武漢市は1月23日から2ケ月半にも及んだ封鎖(中国語では「封城」)が4月8日に解けて、1100万市民の生活はようやくもとに戻りつつあると伝えられる。


市民にもきびしい外出禁止が課せられ、自由に買い物にも出られない中で、人々は文字通り息をひそめるようにして毎日をやり過ごしていた。


その実情については、わずかに3月10日、習近平主席が同市を訪れ、住宅団地を視察に回った際に、主席へのお付きの説明を聞きとがめた住民たちが「そんなのは全部嘘だ!」と、口々にベランダから声を上げたというニュースが伝えられたことがあったが、それ以外、外部からはほとんど知ることはできなかった。


しかし、その封城の中の生活を冷静に日々記録していた作家がいた。方方という女性作家による『武漢日記』がその作品である。


もっとも状況が状況であるから出版されたわけではなく、ネットで執筆と同時進行で広く読まれた。少ない日で5万人、多い日は15万人もの目に触れていた。すでに英訳、独訳の出版が決まっていると伝えられる。


この作品は現在、中国国内で大きな論議の的となっている。ご想像がつくと思うが、この作品がありのままを書いていることが中国にとってマイナスだと考える人々が、権力に近いところにいるからである。


『人民日報』系列の『環球時報』などには「中国の顔に泥を塗りたいのか」といった批判が見られる。それも外国語訳が出版されるとなってから激しくなったように感じられる。


私も何とかこの作品を読みたいものと思ったが、なかなか遭遇することができなかった。私もまだ入手した分全部を読んではいないのだが、早いほうがいいので、読んだ分から抄訳の形で、とりあえずご紹介する。果たして「中国の顔に泥を塗る」ものなのか、「泥とはなんだ」ということを頭の片隅に置いて読んでいただきたいと思う。



◆方方著『武漢日記』から(1)2月6日


今日の武漢はまた雨。空が暗い。暗い中の雨と風は一種のすごみを感じさせる。ドアを出たとたん冷風に打たれ、身震いする。


けれど今日はいいニュースがいろいろあった。最近で一番うれしい知らせだ。まずラジオで聞いたのだが、病気の蔓延は間もなくおさまるだろうということ。専門家という人が話していたのだが、私は信じられると感じた。


それからネット上で盛んに言われたのが、アメリカの研究所で新薬が開発され(中国の専門家が「人民の希望」と命名?)、金銀潭病院での試験では結果は大変によかったそうだ。


武漢人はみんな大喜びだ。外出禁止の規則がなければ早速、街中が大騒ぎになったろう。長く閉じ込められ、長く待ち望んでいた希望がやってきた。素早く、ちょうどいい時に、みんながうちしおれ始めたこの時に。


しばらくして、誰かがあれは嘘だったと言い、果たせるかな何の結果も出なかったとしても、それはそれでいいではないか。今はいいニュースとして聞こう。二、三日すれば、われわれの期待が本物だったとなるかもしれないのだから。


みんなが注目していた仮設病院が今日から正式に使われはじめた。中に入ったひとたちからのビデオや言葉が届いた。お粗末とかうるさいとか、そんな類の言葉が多い。でも、一日でできた建物だから、その分不完全なところはこれから早急に改善されるだろう。


人が大勢となれば、感じ方もまちまち、まして病人となれば、である。焦燥、不安、煩わしさ、混乱、すべてあるだろう。どうしたって家にいるようなわけにはいかないのだから。


武漢はここへきて一番大変なところを過ぎた。ここでさらに焦ってはだめだ。毎日あちらこちらへと彷徨っていたあの病人たちも(仮設病院ができ)、静かに室内で横になり、隔離されて医師の治療を受けられる。


なにはともあれ、本人たちにも、ほかのみんなにも、よかった。でなければ、今日のような天候の日は、彼らの中のどれほどの人が病状を悪化させたり、路上でたおれたりしたことか? だからわれわれは気持ちを抑え、我慢する。全体の状況が管理下におかれて、はじめて人は安穏を得ることができる。


我々自身はやはり家にいて、恐れないことだ。多少の熱や咳に慌てふためかず、冷静に対処しなければならない。


朝起きてスマホを見たら、お隣りさんからのメモがあった。娘さんが今日、野菜を買いに出たので、ついでに私の分も買ってきてくれて団地の入り口に預けてあるので、起きたら受け取って、とある。


それを受け取りに出て戻ると、同じ敷地内に住む姪から電話。ソーセージと「腐乳」(豆腐の漬物)をくれるという、団地の入り口で受け取ってもよかったが、結局、部屋まで一山、持ってきてくれた。

一か月閉じ込められても食べきれないほどだ。災難の中で、同じ船に乗り合わせたものどうしの助け合い、ありがたく、暖かい。


ブログを書き終えたところで、李文亮医師が亡くなったことを知る。彼は当局の「訓戒」処分を受けた8人の医師の1人で、自身もウイルス肺炎に感染した。今、武漢市の全員が彼のために泣いている。胸中、やるせなさでいっぱい。



『武漢日記』から(2)3月8日

(訳者注:前回は2月6日に書かれた日記だったから、それから1か月が過ぎている。残念ながら、その間の日記は入手できていない)


また雨。それもかなりの降り。寒気が音を立てる。昼間でも夕暮れのようだ。


遠い成都(四川省の省都)に住む劉先生が武漢の友人に託して魚を何匹か届けてくれた。ずいぶん固辞したが、結局、押し切られた。魚はきれいにさばいてあり、ネギ、しょうが、大根まで添えられていて、これでスープを作りなさい、簡単だから、との伝言。


また、私の日記で私の糖尿病を知り、ドライフルーツと手紙が居住区の事務所に届いていた。申し訳ないと同時に胸が熱くなった。友人の皆さん、心配してくれてありがとう


武漢の女は言葉のテンポが速く、声も高い。言葉の衝突ではまず負けない。もし相手も女性で、女2人が対決するとなったら、これは見ものだ。


思い出すのは、あの文化大革命の時代、娘の祖父は華中師範大の教授だったが、紅衛兵が彼をつるし上げようと家にやってきた。この時、祖母は祖父を家において、自分が出て行って、紅衛兵とやりあった。紅衛兵たちも相手がおばあさんでは手の施しようがなく、帰って行った。


この話を私は以前、ある文章に書いたことがある。そのせいか、今度の疫病戦中でも、日常のやれ集団購入でのいさかいとか、やれ居住区事務所との交渉とかを、自分の領分と考えて、多くの女性が出てきた。


武漢の女性は気が強く、声も大きい。ビデオを撮ろうとする連中をいくつも追い払い、大勢を震え上がらせた。武漢のすべての女性にエールを送る。


今日は「封城」46日目。疫病戦もこのところ、喜ばしいニュースが増えてきた。ある区域は試験的に封鎖が解除されて、仕事が始まるとひそかに伝えられている。友人が言うには、空港が運航再開の準備をしている、とか。この知らせは驚喜の上にもう1つ驚喜だ。そうなれば封鎖解除も近い。


医師の友人からの知らせもいいものだ。新しく確認された感染者が2日続けて少ない。明らかに減っている。感染が疑われる人はとっくに少なくなっている。仮設病院も順次、休院に入っている。一部の病院の日常的な外来診療も復活した。


ウイルスの蔓延を抑える戦いは現在、戦場整理の段階に入っている。すっかり終わるまで指を折りながら待つことにしよう。


疫病戦も終戦が近づくにつれ、市民生活の秩序が戻ってきたことが明白に感じられる。多くの居住区のサービス部の仕事も丁寧になり、態度もすこぶるよくなった。


記者が取材にくると、おおむね同じことを聞く。つまり「開城」(封鎖解除)した後、一番したいことは何か、というのだ。私はゆっくり休むこと、そして、この小説を完成させること、と答える。借りた借金は返さなければ、以後、誰も一緒に食事もしてくれなくなってしまう。


今日はまた『財新』(雑誌名)記者が香港の袁国勇院士(アカデミー会員、中国工程院院士、香港大学微生物系教授)を取材した文章を読んだ。


袁院士は武漢に来た第3団の専門家の1人で、今回の疫病戦でWHO(世界保健機構)が組織した合同視察団のメンバーであり、さらに香港特区政府の専門家顧問団の団員でもある。彼が記者に語った情報は真実、驚くべきものであった。


袁国勇氏:ひとつ本当の話をする。われわれが武漢で訪れた場所は多分、モデル地区であったろう。なにか質問をすると、直ちに答えが返ってくる。事前に準備ができていた

しかし、鐘南山(呼吸器医学界の長老的存在。新型ウイルス防疫研究グループのトップ)さんは非常にきびしくて、何度も「ほかにはいないのか?」「結局、これ以上、病人いないのだな?」「ほんとにここにはこんなにたくさんいるのか?」などと追及した。


しかし、答えはこんな具合だ。「私たちは今、検査を進めているところです。なぜなら湖北省疾病対策センターが国から検査キットを受け取ったのは1月16日だったのですから」


彼らは問い詰められて、最後にこう言った。「多分、神経外科の1人の患者から14人の医療人員が感染したようです」、「しかし、その医療人員たちも感染が確認されたわけではありません」


『財新』記者もきびしく質問を続けた。「あなた方が武漢病院を視察した時、主だった人ではどんな人がいましたか?」


袁国勇氏「武漢市衛生健康委員会、武漢市疾病センター、武漢市内の病院や湖北省の健康委員会などの人たちだった」


記者はさらに質問を続けた。「彼らはあなた方になにか隠しているようには感じませんでしたか」


袁国勇氏「食事の時、鍾南山氏と同じテーブルに1人の副市長が座った。顔色はよかったが、気は重そうだった。あの時、彼らはすでに大変なことが起こったと知っていたのだろう。なぜなら3つも専門家の代表団がやってきたのだから。少し前には仮に何か隠していたとしても、あの段階ではもはや隠すこともなくなっていたのではないか。


ただ彼らがしきりに強調したのは、検査キットは武漢に来たばかりだということだ。それがなければ診断を確定することはできないと」


なるほど、端緒はつかめた。調べるべきは調べてもらいたい。1つ1つ問いただせば、きっとなるほどという答えが出てくる。私、われわれ、みな知りたがっている。こんな重大事をなぜ隠そうとしたのか。


鍾南山院士の鋭くきびしい追及で、ようやくウイルスの人から人への伝染の情報が庶民にも伝わった。それによって武漢人は茫然と無知な状態から目覚めたのだ。あれがなければ、あと何日、騙され続けて、すさまじい、残酷な結果が出現することを知らずにいたことか。1000万人以上の武漢人のどのくらいが生き残れただろうか。


現在の問題は、1、袁国勇氏が言及したような人たちは必要なのか不要なのか、調査、再調査を。2、はじめの2つの専門家視察団はとてつもなく大変なことと知っていたのか。なぜ鍾南山院士のようにきびしく追及しなかったのか。袁国勇院士は記者の質問に「われわれ科学者は永遠に『軟情報』(兆候など)を軽視してはならない」と語っていた>(以上)


言論統制の国では「軟情報」の兆候、憶測、懸念、推理、予感、風評、空気、風などに頼らないと真実に近づけない。諜報活動は9割が新聞など公開された資料の分析、1割がスパイ活動(ヒューミント)によるものらしい。習近平はチャイナコロリの不都合な真実を隠すだろうが、政敵はそれを利用して習近平降ろしを図るだろうから、真実や真実らしきものは出てくるかもしれない。


中共の次期政権としては「すべて習近平とその一派が悪い」ということで終わりにして内外の損害賠償責任を逃れたいだろうが、米国も欧州も「はい、分かりました」と引き下がるわけがない。ウイルスとの戦争が終われれば壮大な「銭闘」が始まる。内憂外患。


第二次辛亥革命も武漢蜂起から! 香港、台湾の火が武昌、漢陽、漢口の武漢三鎮に飛び火する、革命聖地武漢再び! 加油! ハラハラドキドキ、五輪より興奮することは確実だ。


なんか長生きして参戦したいなあ、せめて見物したいなあという気分にはなるね。「老人の 気持ちが分かって 迎え来る」、いい句じゃない?(2020/4/28)

2020年04月29日

◆雀庵の「岩波読んでアウフヘーベン?」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/107(2020/4/27】数年ぶりに岩波書店のサイトを見た。それによると今日は「哲学の日」だという。


<4月27日は「哲学の日」.紀元前399年のこの日にソクラテスが毒杯を仰いで死んだことに因みます.


哲学と言えば,難解で,役に立たないことの代表のように言われることもありましたが,近年「哲学の復権」が語られています。


私たちの生きる世界が,歴史的,社会的,人間史的な逼迫のなかにあり,悪い方向への転換点にあるのではないかという問題意識が,思索への回帰を促しているのかもしれません>

なんかこじつけて不良在庫の哲学書をさばきたいのかなあ。

哲学・・・難しそうだが、小生は「いかに生きるべきか、いかに死ぬべきか、考えて考えて考え抜いて実行する、死すとも可なり」という解釈、感じだな。

大辞林にはこうある。


<1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。

2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの哲学がある」>

大学の哲学科は今は人気が下がっているらしい。哲学科で何を学ぶか。

<西洋と東洋の2大哲学から選択し、原理的、本質的な問題を考え抜く。

哲学は、古代ギリシア時代には学問全般を指していたが、近代に入って学問が専門分化していくなかで、あらゆる学問の基礎となる学問、世界や人生の根本となっている原理を探究する学問として位置付けられるようになった。

また、哲学という学問には、もう一つの領域がある。それはヒンドゥー教・仏教の思想から生まれたインド哲学、儒教・道教などの思想から成り立つ中国哲学のように、アジアの世界観や人生観・自然観から育まれた東洋哲学である>

結局、「いかに生きるか、いかにして人間の幸福に寄与するかが哲学、宗教の目標」と東洋大学創設者の哲人・井上円了は言っているから、小生の思いも間違いではないだろう。

まあ、それが就職に有効かどうかは採用する側の評価次第で、「6Gの市場規模を研究しました」「卒論は『ポスト・コロナと防疫』です」とかの方が実利的ではあるね。

戦後リベラル≒アカ≒アカモドキの牙城だった月刊誌「世界」は保守・反共・改革派の拡大で青息吐息、とっくに廃刊になっているだろうと思っていたら、何と生き残っており、森千香子・同志社大学教授が「友人が、政府の無責任なやり方に怒って発した言葉は『外出自体が感染症を拡大させる状況さえなかったら、暴動を起こしたい気分だ』」と書いていた。

暴動って火付け、強盗、殺人、破壊で犯罪であるが、著者も「暴動、分かる、その気持ち!」ということなのだろう。猫をかぶるからアカで、「奴は敵だ、敵を殺せ!」と表立って言うのはまずいだろうに。貧すれば鈍すだな。

岩波は通常の委託販売(返品可)ではなく「書店買取制」で、このために余程の販売力のある書店しか置いていない。先日ブックオフを覗いたら岩波のきれいな本がかなり多く並んでいた。つまり書店が廃業して叩き売ったわけだ。岩波延命して書店亡ぶ、みたい。

日販・出版流通学院の調査によると書店数は減少が続き、2019年版ではついに1万店を割り込んだ。大体、電車内で本、新聞、週刊誌を読んでいる人は数えるほど。わが街でも一時期は書店3店あったのが、今では日共系の小さな店だけしか残っていない。


同志諸君は「岩波文体」をご存知か。50年振りに平田清明著「市民社会と社会主義」(岩波)を読んでみた。


<西欧での社会形成が、市民的なものの資本家的なものへの転成として展開する時、この展開の過程には、商品・貨幣所有者への経済的転成が基底として展開すると同時に、市民的所有権の資本家的領有権への転変の過程が展開しているのであり、これらの過程に規定された政治的・道徳的な諸関係への転成もまた、進行するのである>

「おーい、誰か、救急車呼んでくれ、こいつも発狂したぜ!」

読者はこの数行だけでもまず卒倒し、中には脳神経損傷で一生癒えぬダメージを受けるだろう。小生はこんな悪文に鉛筆でやたらと傍線を引き、結局刑務所に隔離された。除染するのに40〜50年もかかってしまった。

悪書どころかモロ毒書だ。この先生、トロツキー50周年実行委員会世話人も務めていたから教え子の多くは前科者に転成し、病状は進行したことだろう。

マルクスボーイの臭いのする三宅邦彦と佐藤優あたりはまだ除染が進んでいない印象だが、ゼニに敏感だから「面舵いっぱい」とそのうち転向しそうだ。「無礼者め、転向じゃないぞ、アウフヘーベンと言え!」なんて怒り出しそうだ。へっ、分かったよ、嘔吐屁便め!(2020/4/27)


2020年04月28日

◆雀庵の「最後の皇帝“習+四人組”は?」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/106(2020/4/26】ここ半世紀における「現代史の女傑/政治家編」と言えば、結構多くの人が「鉄の女、サッチャー」を挙げるだろう。


米国はレーガン、日本は中曽根、ソ連はゴルバチョフ、中共はトウ小平・・・ポスト冷戦時代への役者が揃ったような感じだった。サッチャーはフォークランド紛争で、WW2後に短期間ではあったものの「世界で一番豊かな国だった」アルゼンチンを撃沈し、再起不能にした。

「キリギリスめ、死ぬまでタンゴを踊ってろ!」みたい。老いてもさすが大英帝国、と世界は英国とサッチャーに敬意を表したものである。彼女はインテリ風で気品のあるなかなかの美人である。

世界史の表の舞台はそういう感じだったが、ロンドンの地球の裏側、支那の1960〜70年代、文革発狂中の北京では、毛沢東と夫人の江青が血染めの「中共裏面史」をせっせと編んでいた。「毛沢東の夫人履歴考」から引用する。


<毛沢東の3番目の妻となる江青(インテリ風で美人の人気女優)は2度の離婚後に上海へ行き1936年、評論家兼劇作家の唐納と結婚。唐納の自殺事件などのスキャンダルのあと、1937年8月下旬(蒋介石に追われた毛沢東の逃亡先)延安に入った。


1938年11月、毛沢東と結婚したが、このとき江青24歳、毛沢東45歳であった。


彼女は(雑誌の表紙を飾るほどの)美人で、肌が白く、両眼は生き生きしていた。化粧がうまく、大都市の香りのする瀟洒な雰囲気をもっていた。体つきはすんなりし、夏はレーニン服、冬は綿入れの軍服を着たが、ウェストラインはいつもはっきりしていた。


上海から延安に突如あらわれた美人女優に(女っ気のない洞窟暮らしの)毛沢東がフラフラとなったのも無理からぬところかもしれない。(同志諸君、男は哀しい動物だよなあ)

(建国後に)毛沢東が大衆から離れ皇帝化するとともに、江青は悪妻度を強めた。けれども結婚当時の毛沢東は、彼女が政治に口をはさむことを許さなかった。江青はもっぱら毛沢東の生活の世話をする役目であった。


江青は第一子を身ごもったあと、毛沢東が特に優しい態度をとらなかったことに傷ついた。毛沢東にとって女性が妊娠するのは当り前のこと。現に前婦との10年間に、子供を6人つくっている。

こうした毛沢東の無関心に、江青はヒステリーをおこして湯呑みを投げつけたこともある。毛沢東は詫びたが、話はこれで終わらなかった。(カマキリはオスを平然と食べる! 身につまされるぜ、男はつらいよ!)


毛沢東と江青がいつ別居したかについて明記した資料はないが(大躍進で大失敗、劉少奇、トウ小平など実務派/実権派から実権を奪われ、再起を画策していた)1962年ごろである。毛沢東は初老であり、江青も更年期のためヒステリー症状が激しくなり、(失意のどん底にあった)1959年には毛沢東は明らかに江青を避けるようになり、ついに別居するに至った。

江青はこうして毛沢東の生活秘書としての仕事が少なくなり、退屈してきた。それを見かねたのは気配り周恩来で、江青は中共中央の任命する5人の毛沢東付き機要秘書の仲間入りし、毛沢東の公務を手伝う機会を得た。

毛沢東が1966年5月に「文化大革命」を発動するや、江青はその政治舞台の先頭に立った。彼女は文革期に権力をふるうが、それは毛沢東が彼女にその任務を与えたことによる。

やがて林彪らが追放され、文革派は四人組(江青、王洪文、張春橋、姚文元)が残ることになった。毛沢東が継続革命や文革精神の継承にこだわる以上、江青を処分できない。まして彼女は表向きは依然として主席夫人である。

毛沢東はかつての同志たちを信頼できなくなり、江青に文化大革命の旗振り役を期待した。しかし、彼女は政治にはズブの素人であるから、むろん毛沢東の期待にこたえられない。毛沢東の耳には江青に対する悪口がしばしば聞こえてくる。

毛沢東と江青の関係は極端に悪かった。毛沢東は身辺の者にこう一人ごちた。「庶民が離婚したいときは裁判所に行けばよいが、私はどこへ持ち込んだらいいのか」


1976年9月の毛沢東の死後、江青は死刑判決をうけ、投獄されること十余年、1991年5月に首吊り自殺した>


毛沢東は江青という猛毒をもちいて権力を奪還し、結局、副作用で中共そのものをガタガタにしてしまった。トウ小平がどうにか再建のレールを敷いたが、文革の鬼っ子、習近平は、天安門広場で「毛沢東語録」を掲げる巨万の紅衛兵に答礼する毛沢東を見て「ワだば21世紀の毛沢東になる」と決意したのだろう。

皮肉にも「毛創り 習が壊して 北京晴れ」になりそうだ。


造反爆弾男・任志強氏の習近平宛て「諫言」で指摘する打倒すべき「新しい四人組」とは、矢板明夫・産経新聞台北支局長によると、「習とその側近の栗戦書・全国人民代表大会常務委員長、北京市の蔡奇書記、重慶市の陳爾書記の四人を指しているのではないか」とのことだ。

小生は、習近平の懐刀としてハエ叩き、虎退治にいそしんだ王岐山国家副主席も入れて「習+四人組」の計5人を天安門でその最期を見届けたいなあ。習の一人娘、これまで秘密にされていた「習明沢」の名前までさらされて、習は処刑か亡国宣言しか選択肢はない。

コロナ休暇にお薦め「続・紫禁城の黄昏」予約受付中!(2020/4/26)


2020年04月27日

◆雀庵の「天安門炎上、カウントダウンに」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/105(2020/4/25】米国ではミズーリ州などが中共(中国共産党)にチャイナコロリの損害賠償請求訴訟を起こすようだ。思うにを中華人民共和国を訴えるには国連の場になるが、中華人民共和国は国連安保理で拒否権を持つからだろう、それは国連ではできないようである。

国連によると国際司法裁判所(ICJ)は――

<国家は自国民が他国の誤りによって被害を被ったと主張した場合、その訴訟を取り上げ、国家間の紛争として裁判を申し立てることができます。

国家間の紛争に対して、裁判所あるいはその裁判部によって下された判決は関係各国を拘束します。国連憲章第94条は、「各国際連合加盟国は、自国が当事者であるいかなる事件においても、国際司法裁判所の裁判に従うことを約束する」と規定しています>


国際司法裁判所と並んで国際海洋法裁判所(ITLOS)などの専門的な国際裁判所もあるのだが、同志諸君、数年前(2016年7月)の裁定を思い出そう。


<南シナ海に対する中国の領有権主張や人工島の建設などが国際法に違反するとして、フィリピンが中国を相手に提訴した裁判で、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は12日、中国の主張に法的根拠がないと判断を示した。対する中国は、常設仲裁裁判所の判断を認めないと反発している>(BBC)


この時、習近平・中共がほざいた言葉を小生は一生忘れない。「裁定? ただの紙切れ」


国連の裁定は拘束力が全くないようだ。国連の裁判は警察力、軍事力、制裁力、つまり裁定を担保するパワーがゼロである。ましてや常任理事国であり拒否権を持つ中共の面にションベン、全く効果なし、中共の南シナ海軍事基地化は今や大脅威になってしまった。


それであるのなら「国連メンバーではない中国共産党」を訴えようというのがこれからの大きな動きになるだろう。


中共という悪事の総本山、軍を持つ政党、民間機関、国家ではない任意団体、中国の支配者、事実上のオーナー、独裁者、中共ホールディング。


この紅色モンスターを相手に米国内で「未必の故意による傷害殺人」刑事訴訟や「損害賠償請求」の民事訴訟は、対ファーウェイ訴訟などと同様に可能である――論理的には確かに可能だ。


<AFP=時事4/22 ミズーリ州は米連邦裁に中国指導部を提訴した。米国の州がこのような裁判を起こしたのは初めて。中国共産党は中国の正式な国家機関ではないとして、中国共産党を相手取って提訴した。


訴えでは新型コロナウイルスとその拡大防止策で数百億ドルの損害が発生する恐れがあるとの推計を示し、中国共産党が「未必の故意によりミズーリ州とその住民の権利を無視した」と非難している>


泣きっ面に蜂か。“燃えろ、いい女”マドンナ花清漣氏も「アフリカでの武漢肺炎流行の莫大な勘定書、習近平はどうする?」(4/22)と火に油を注いでいる。

<欧米での新型コロナウイルスの大流行で中国中が歓呼の声に沸いていますが、アフリカで流行が始まると、中国政府や粉紅(中共支持のネトウヨ)は喜びませんでした。


これは「アフリカの兄弟と艱難を共にする気持」からではありません。厄介なことになると知っているからです。厄介ごとは実際、小さなものではありません。

というのは「アフリカの兄弟よ、武漢肺炎ウイルスは米国製なのだ」という作戦はうまくいきませんでしたし、国連とWHOが発表する悲痛な訴えから、北京政府はアフリカの兄弟の救いを求める手が北京に向かって伸ばされていることを知っているからです。

今、中国はアフリカの人々や世界の左翼の目には旧植民地国よりもさらに悪く憎むべき新植民地主義の代表だと映っています。

アフリカ諸国の権力者の支持を買うため政府を大金で買収するものの、社会に対して出す金はそれほどでもありません。資源を握って、環境を破壊する罪は、アフリカの人権団体や環境保護団体から糾弾されています。

今回の疫病流行は貴賎貧富を問わず、すでに一部のアフリカ国家の要人が感染、
犠牲になっています。中には
ジンバブエの実業家で政治家のジェームズ・マカンバ氏の息子で時事ニュースキャスターのゾロ氏や、ナイジェリアの大統領補佐官のアッバ・キアリ氏な度も含まれ、アフリカ各国政府の不満を買っています。


また口では「中国国民と平等だ」と言いながら、広州でのアフリカ人に対する中国の扱いは大変な不満と抗議を引き起こしています。

ナイジェリアの下院議長が駐ナイジェリア中国大使と面会したことは中国では報道されませんでしたが、ナイジェリアのオロエ・アキン・アラビ議員が「議長は中国大使に、中国でのナイジェリア人の虐待を許さないとして中国での暴行行為を読み上げた」とツイートし、これには中国大使が深々とお辞儀をしている写真も添えられています。

中国のネトウヨ軍団は意気盛んで、命令があれば全世界を相手に「罵り声で、真っ赤に新世界を染め上げる」気概を持っていますが、彼らはアフリカ相手にはそうした無作法な声を上げようとはしません。なぜでしょうか?

ネットには「お前が黒人への悪口を一言言えば、アフリカに住む中国人を襲う一個の弾丸になるのだ」と題した説得力のある記事があります。


「疫病にかかった多くのアフリカ人は収入がない、靴もない。もし『中国人がアフリカ人を差別している』といった誤解が蔓延して暴動が起こったら、おまえらが中国で書く差別の一言がアフリカに住む中国人の頭への一発の銃弾になるのだ」

いったんアフリカの国々が中国に対して態度を一変させるならば、たちまち「新植民地主義反対」の旗印の下に中国の投資を没収し、アフリカにある国有企業を攻撃しかねないということです。

アフリカへの投資累積額は少なくとも1千億ドルに達しています。「アフリカの兄弟」は裏切るとなったらすぐやりますから、北京にとっては「アフリカの同胞の生命と財産を守る」というのは確かに大変な難題なのです。


マルクスの共産主義宣言に曰く「プロレタリアートがこの革命で失うのは鉄鎖だけであり、彼らが得るのは全世界である」。

国連のエコノミストは、
国際社会に1兆5000億ドルのアフリカ支援を求めています。当座は1千億ドルのセフティーネットが必要で、唯一の「新植民地主義」国である中共・習近平は、これを受け入れるかどうか?

欧米諸国は今後、中国を抜きにして「非中国化」しようとしています。一方、アフリカは中国をパートナーにしたいと思っていますが、
示された価格が高過ぎて中国は耐えられない。

受け入れなければ中国は毛沢東時代から中国の神輿をかついで国連に乗り入れてくれたアフリカの兄弟を失うことになります>

去るも地獄、進むも地獄、まるで「燎原の火のごとく」だ。中共内部では「習近平を引き吊り降ろさないと大変なことになる」と煙も上がっているとか。


習近平一派はコアラみたいに可愛くないから「天網恢恢疎にして漏らさず、自業自得だ!」と救助されることはない。プーチンも「君子危うきに手を出さず」だろう。


ムッソリーニ、カダフィは撲殺、フセインは絞殺、ルーマニアの独裁者チャウシェスクの最後は銃殺だった。習近平は天安門で毛沢東の肖像画とともに火刑か?「天安門炎上」はカウントダウンに入った。(2020/4/25)

2020年04月25日

◆雀庵の「長城 Great Wall で包囲せよ」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/104(2020/4/23】産経「話の肖像画 台湾元総統・陳水扁」インタビューは30回を迎えた。このシリーズでは最長だろうが、「政治はきれいごとではないなあ、中共のあの手この手の謀略工作は聞きしに勝る凄まじさ!」と実に勉強になる。


レーニン、トロツキー、スターリン、FDR/ルーズベルト、毛沢東、金日成、江沢民、プーチン、習近平・・・共産主義者は自分のため、国益のためにありとあらゆる謀略を駆使する。平然と人を殺す。並の神経ではない。


権力者は昔からそういうものか? 明治維新の立役者、大久保利通も西郷先生も「黙ってあの世に持っていく」ような悪事密謀奸計(平時にあっては悪逆非道と非難されるような行為)をしなかったとは言い切れまい。


立場が違えば悪事は正義であり、その逆の正道と思ってやったことがとんでもない災厄になったこともあったろう

歴史は勝者が創る・・・さはさりながら「本当はどんなだったのか」とほじくり返していくのが歴史家の仕事(趣味)のような気がする。

大物はほじくり返され、歴史の審判を受け、「実はかなりの悪党だった」とか「奸臣とされていたが忠臣であり尊敬されていた」とかいろいろな解釈が出てくる。

歴史小説で一番登場するのは家康のようで、今でも評価はいろいろだが、「250年間戦争のない時代を創った(それにより独自の文化が育った)」という点ではまあ一致している。

それが良いことだったのか悪かったのかはまた評価が分かれるのだが、作家の飯のタネ、読者の娯楽のネタになっているのは間違いない。あの世で家康は結構満足しているに違いない。「ふっふっふ、お勝、下界を見よ、わしはまだまだ人気者よ」と機嫌をよくしているだろう。

お勝は文武両道のインテリ。英雄は「明るく楽しくツキを呼ぶインテリ女」が好きなのである。家康は関が原や大阪の役にもお勝を男装・騎乗で同行させたそうだから、勝利の女神、ニーケー(英語ではあのナイキ)、ビクトリアでもあったろう。

同志諸君、20人ほど伴侶をオタメシすればピッタシカンカンに出会えるのだ。一夫多妻(権妻)はいい制度だったと思うが・・・頑張ってくれい! 加油!

そう、台湾加油! マスクありがとう、大震災の時の支援、日本人は忘れない! 焼け木杭に火、また一緒になりたい・・・なんて思っちゃダメ? そう・・・時期尚早?・・・まずは中共のくびきを断つ、それからの話だね。日本も中共殲滅に頑張るぞ、イザ!

王育徳「台湾」から。

<植民地支配は、それがいかに優れた成果を収めたものであれ、道徳的には無条件に指弾されるべきものであり、私自身、過去のおぞましい数々の体験からも、個人的に日本の台湾統治を憎悪し糾弾してはばからない。

しかし、世界史の発展段階において現れた植民地体制については、道徳論や個人的感情に立つ評価とは別に、比較論的な客観性を持つ、横と縦の両面からの評価が必要だろう


横の面とは、同時代の列強による植民地経営と日本のそれを比べることであり、縦の面とは台湾における清朝時代、国府(蒋介石・国民党支配)時代のやりかたと日本の植民地経営を比べることである。

列強との比較は、各被支配民族でそれぞれ前提条件が違うので、縦の比較論が問題になる。台湾人にとって、過ぎ去った清朝時代はあまり意味がなく、日本統治時代と、その後の国府時代との比較が重大な意義を持つのである。

なぜならば、(国府による支配が始まる1949年前後から本書が発行された70年頃)1000万の台湾人の大多数は、この二つの時代にまたがって生きてきたのであり、何かにつけて二つの時代を比較することは人情の常である。

ここでもし、日本時代のほうがマシだったという結論でも出ようものなら事態は重大と言わねばならない。

そもそも比較論はおかしいという見方もあり、日本時代に軍配が上がる可能性もあり得るとはとても信じられないであろう。台湾人にしてからが、二つの時代を同じ次元から比較する身になろうとはツユ思わなかったのである。
(つづく)>

同志諸君、小生は百科事典を一冊、ベッドの下に置いている。たまに適当にページを開き、自分の知っていることを探すのだが、例えば今引いた見開きにある項目には、

「メンデルスゾーン、メンデルゾーン、メンデルの法則、メンデレエフ、免田」が並んでいる。

「メンデルスゾーンは音楽家、メンデルの法則はなんか習ったことがあるなあ、免田は税金のかからない田畑か」

これしか知らない。一応大学まで行ったのにほとんど無知である。人間は生きるのに必要なことだけを知っていればいいのだが、それだってどんどん新しいことが追加されるから、ついて行くのに精いっぱい。

結局、専門分野に細分化され、その周辺のことは「そこそこ知っている」くらいで、オツムが良くなっているわけではない、むしろ退化しているのではないか。

昔の医者は内科、外科、産科・・・獣医まで何でもやった。今は内科でも消化器、呼吸器、循環器、腎・泌尿器、内分泌・代謝、神経、血液、感染症、アレルギー、膠原病などの専門分科に分かれている。

小生がお世話になっているのは精神科(精神神経科)、心が病んで体がおかしくなった人は心療内科、どちらか分からない人は両方で診てもらう。病気の達人は終日、外来診療で過ごしたりして、わが街には「成人病なら〇〇さんに聞け」と言われていた爺さんさんもいたっけ。

世界の病気、国家の病気、諸悪の根源である“パンデミック・アウトブレイカー”中共の病気を如何せん。多くの智慧と技術、ノウハウ、人材を結集して包囲殲滅戦に努めるべき時だ。元祖・毛沢東同志曰く――

<世界の恒久平和を戦い取るためには、我々は兄弟諸国、平和を愛するすべての国々との友好と協力と団結を一層発展させなければならない。もし敵があくまで戦争をしようとするなら、腹を決め、分析し、精神的な準備もしなければならない。

主義者は極めて凶悪である。その本性は改めることはできない。主義者はその滅亡の日まで決して屠刀を捨てない、決して静かに消えることはない。

勝利したからといって、主義者とその手先どもの狂気じみた報復、陰謀に警戒を緩めてはならない。警戒を緩めることは、政治的な武装解除で、受け身に立つことになる>

原文では「主義者=帝国主義者」、今の世界で最悪の主義者独裁帝国は中共であり、地球と人類の未来は中共絶滅以外にない。

同志諸君、今が絶好の機会だ、お替りはない! 完璧な包囲戦「長城 Great
Wall」で中共を干上がらせよ、14億の民は新しい自由民主の政体を築くと信じたい、加油! 甘いか?(2020/4/23)


2020年04月24日

◆雀庵の「明確な国家ビジョン示す時」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/103(2020/4/22】歳をとると同じ話を繰り返すのかなあ・・・大体古人も同じことを手を変え品を変えて説く。舞台芸術も筋は同じだろうが、演者の創意工夫、解釈、表現などで観客の感動はずいぶん違うようだ。


戦前の岡本綺堂の随筆などを読むと「団菊左はすごかった」という言葉によく出会う。


<団菊左:歌舞伎で、明治期の東京劇壇の三大名優、九世市川団十郎・五世尾上菊五郎・初世市川左団次をいう>(デジタル大辞泉)


小生は伝統芸能にすこぶる疎いが、「歌舞伎は最初の3、4回は分からないが、5回目あたりから楽しめるようになる」という話を聞いて「・・・」、腰が引けてしまった。職場にほど近い新橋演舞場を眺めるたびに「はあ・・・何事も修行かあ・・・いつか、そのうちに・・・」と溜息をつきながら演舞場わきの蕎麦屋でザルを食っていた。


蕎麦屋の初老のオヤジの風格所作はまるで歌舞伎を見るようで、実に美しかった。「そばやー!」と声を上げたくなるほどで、


「歌舞伎が好きで好きでたまらない、楽屋に入りびたりで勘当された大店の次男坊、菊五郎に諭されて廓上がりの女房と二人、演舞場の隣に小さな蕎麦屋を始めました」


そんな落語か講談にもなりそうな雰囲気だった。映画なら森繫、淡島千景のコンビがぴったり、「夫婦善哉」蕎麦屋編のようではあるね。


歌舞伎役者もすごい人はすごい。例えば指物師を演じる時は一流の親方を訪ねて所作を学ぶ。斎藤隆介「職人衆昔ばなし」の「指物師恒造放談」から。


<(陛下のお泊りになる宿の電燈の笠を十二三個作ったことよりも)あたしの自慢は尾上松緑に芝居を教えてやったことさ。――ってえのも大きいが、実は指物師が主人公の芝居でね、道具と仕事について聞かれたから教えてやった。


「親方、指物師ってえのはどんな台を使って削るんだい?」


ってえから、


「一尺の三尺五寸が基準で、厚みは二寸から三寸、左右に留メがあって、右足を台におっつけたら左足を長く伸ばすのがコツ。板を削って体をかがめても左膝が立たねえのが玄人」


って教えてやったらその通りやった。


「仕事は明日必ずできます」


ってえセリフがあるんだそうだが、どうしたら良いかってえから、ミガキをしてたら良かろうが、チョンマゲ時代でペーパーもあるめいから、木賊(とくさ)で磨いてることにして、木賊はストローを短く切ってそう見せたらどうだって知恵を貸したら、そうやったようだ。



「道によって賢し」、あたしはこれでも尾上松緑の師匠さ。へへ。けれど役者衆も自分の仕事にゃ熱心で気に入ったね。芸の上のことになりゃ、あたしたちにも頭を下げて教わりに来るんだ。仕事をするものはああでなくっちゃならねえ>


この本、小生の師匠、山本夏彦翁の雑誌「室内」に連載され、単行本化された。著者の斎藤隆介は日共党員。夏彦翁はヤクザで前科持ちの安部譲二も起用したが、外野が騒ぐと「私は文を見て前科を見ない」と言ってのけた。斎藤隆介にもそのように接したのだろう。著者もすごいが、夏彦翁の見識の高さ、度胸の良さには圧倒される。


大手出版社がチョイと苦情が寄せられたら月刊誌を廃刊してしまうという、およそ根性なしのヘタレ、醜態を見ると、出版界が寂れていくのは自業自得なのだろう。中共走狗の「世界」は消え、次はリベラル≒アカモドの最後の牙城「文藝春秋」が保科と半藤と手を携えて沈むのを我々は近く目にするだろう。


以上、どうでもいいような話ではあるが、一流は生まれながらにして一流ではなく、皆、並以上に努力しているということで、「才能とは努力する能力」であり、生まれ育ちの出自はいろいろでも、努力すれば一流になれるということを改めて考えたからだ。


「頂門の一針」掲載の前田正晶氏の論考によると、米国は基本的に、高等教育を学んだ上流知的支配階級と、その指示で働く下流肉体労働階級に完全に分かれており、階級間の接触や移動、交流はまずあり得ない社会だという。


本家の英国もそのようで、ジャーナリストのコリン・ジョイス氏によれば飲み屋も別々だそうな。チャイナコロリで学校が閉鎖され、ネット授業や家庭教師の手当てができない貧困層の子供の教育はこれまで以上に上流・下流の格差が広がりつつあるという。


先日、米国内で「都市封鎖解除しろ」というデモ・集会があり、小生の目で見ると粗暴犯で何回か刑務所を出入りしたような、それでもちっとも懲りない「塀の中の懲りない面々」米国版のような、およそ学問とは無縁のマッチョの映像を見た。銃で武装している人もいた。


こういうのが典型的な米国下層階級なのか。8割ほどの人がそれなりに生活に満足している日本ではまず見ない人々だ。頑張って上を目指そうという考えもなく、無知で粗暴であることを居直っているような人々を含めて、「国にどう貢献できるかではなく、国が何をしてくれるのか」しか考えない人が国民の多数であり、それが下層階級だとしたら、米国の大統領は恵まれた仕事とは言えない。


パラサイトのような人も一票は一票で、彼らの支持なしには選挙に勝てない。バラマキを拡大すれば下流階級は喜ぶが「もっともっと」とおねだりは際限がない。迎合ばかりしていたら上流階級から嫌われる。


貧しいと言われても、「そもそも自己責任だろうが・・・」と言ってはいけないのか。


アンタ、ちっとは努力したのかよ? 遊び惚けて高校中退、興味は女とおしゃれとテレビとスマホ、仕事はまあそこそこやるけど「上を目指すってかったるいし」って、遊んでばっかり、どうするんだよ!


「ウッゼーナー・・・だからヂヂイは嫌いだぜ、説教ばっか。大体ねえ、俺、字読むの好きじゃねえし・・・親方も資格取れって言うけどさあ、字見ると眠たくなっちゃうんだよ、遊んでるときはめちゃ元気なのに・・・昔からだから・・・


昨日のドリフ、面白かったよなー、喜劇役者ってのもいいけど・・・俺、マスクいいだろ、タッパもあるし、でも役者ってセリフ覚えなくちゃいけねえから、ちょっと疲れるよな、漢字難しいし・・・でね、ホストクラブってのはどうかなあって思ってるわけ。


俺、昔からモテたしさあ、ホストなら出世できるかも、へへへ・・・手が荒れるとまずいから、やっぱ今の仕事は合わねえよなあ、ざらざらのごっつい手じゃ客がつかねえよ


来月、給料もらったらふけようと思ってんの。親方に借金あるけど、出世したら返しますって手紙書いておこうと思ってるけど・・・それまでは内緒にしといてよ。今日は呼び出して悪かったね、駐禁のカネまでたてかえてもらって・・・来月返すから・・・じゃ、また」


このダメンズも今は高齢者だが、どうしているやら。稼ぎのいいホステスやソープ嬢のヒモになったところで食えるのは5年、めでたく店を持てたとしても夫婦善哉の蝶子のような「耐えてみせます」系の根性女は今は昔の物語。


わが街で50年も続いていたスナックが先日閉店し、フェロモンたっぷり、浮名を流したママはすっかりしなびて80歳、とっくの昔にパトロンも亡くなり、天涯孤独、生活保護でどこかの施設に保護されたようだ。


動物は死を予感すると大体ひっそりと群から離れ、隠れるように死ぬ。他者のケアに縋って大騒ぎの末に死ぬのは、あまり美しくはないし、これからの人にこそ使われるべき金が無駄に使われているようでインモラルな感じがする。


それを「国民としての当然の権利だ」と思う人もいれば「努力もせずに他者に依存しながら権利だけを主張するのはいかがなものか」と思う人もいる。上下の階級や階層が硬直化すると国民としてのまとまりが弱くなり、あまりいいことではないだろう。

日本は上下階級の流動性がある方だろうが、それが良いのか悪いのか、小生にはまだ分からない。下流を上流に引き上げるのはとても難しい。一方で上流を下流に引き下げるのは実に簡単だが、世界競争の中で国力は急速に落ちてしまう。


どういう国にしたいのか、明確な国家ビジョンを示す時ではないか。世界中禍危機によるゲーム中断の今、国民的な議論の高まりが必要ではないのか。(2020/4/22)

2020年04月23日

◆雀庵の「グッバイ中共、ハローメキシコ」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/102(2020/4/21】企業は年々成長を目指す。成長しないと消えちゃうからだ。成長すると質量において能力が高まり、小さい仕事から大きい仕事まで声がかかる。

発注する担当者は、名もないチンケな会社に発注しない。仕事の出来が悪いと上司から「なんであんな会社に発注したんだ!」と叱られ、出世が遅れることは避けられない。

ところが非常に特殊な能力があり、真面目にコツコツ、シコシコやっていると、ひょんなことから大企業、大組織(小生の場合は米国大使館、運輸省、日本旅行業協会、近畿日本ツーリストなど)から「入札があるから見積もりと見本をどうぞ」と声がかかる。

職人的チンケ企業は儲けようという気がないから安い、それでいて職人気質でイタズラ好きだから、たとえ見本でも「失禁するくらいびっくりさせてやろう」というものを提出する。

皆ビックリし、受注できる。マッツァオになってやるのだけれど、「面白い仕事だったんで楽しいし、とても勉強になりました。また声をかけてください」なんて愛想を言っておく。

どんな業種でも横のつながりがあり、月に1回ほどは各社の担当者が集まって情報交換する。そこで「ちっこいけれど腕のいいプロダクションがある」という評判が流れるのである。

一点突破、全面展開。米国、英国、豪州の在日オフィスから仕事が来る。評判を聞いて大企業も興味を示し、「なんだ、マムシの修一の会社か!」なんてニコニコして発注してくれる。

「もうアイミツなんてどーでもいい、とにかくあんたに頼みたい」と言うクライアントもあり、同業他社からは「俺たちはどうせ当て馬だ」なんて嫌味を言われたものだ。

ちょっと変わった仕事では、日本に乗り入れていない(=オフラインの)メキシコの航空会社、アエロメヒコのPRにもかかわった。当時、日本からメキシコシティにはJALとメキシカーナ航空があったが、メキシコシティから南米のあちこちに飛ぶにはアエロメヒコなどに乗り換えざるを得ない。で、アエロメヒコは「その際はうちを指名してね」とアピールしたいわけ。

メキシコと言えば1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)以来、経済がずいぶん上向いてきたようだ。

トランプが就任するや、NAFTAを止めてUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)にするとし(今は未発効)、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)から離脱したが、まあ「米国主導じゃなければ嫌だ、しゃぶられるのはもう沢山だ、アメリカ・ファーストでやるんだ!」ということ。

2年前のNAFTA再交渉でメキシコは大顧客の米国トランプに譲歩したが、輸入全体の46%、輸出全体の80%を米国が占めるから、メキシコはもう米国の分家みたいだ。トランプは「密入国は止めろ!」と頭にきているが、冷静に考えると「メキシコが豊かになればメキシコ人は不法移民になりはしない」のである。

小生がそう思うのだから米国トランプも世界の銭ゲバ投資家、大企業、政治家、学者もチャイナコロリ以前から「チャイナ一辺倒リスク回避策」として「メキシコが有望だ」と考えていただろう。

今、チャイナコロリで痛い目に遭わされている世界は、にわかに「ポストチャイナの世界の工場はメキシコにすべし」と確信したようだ。

2001年の9.11テロで小生の会社は2か月後には売上が4分の1になり廃業に追いやられたが、旅行産業も散々だった。ただ、米国本土と中近東への旅行が2年ほど激減しただけで済んだが、今回のチャイナコロリ禍は全世界を1年ほど麻痺させるだろう。「羹に懲りて支那を封鎖」するのは資本の勘定と人々の感情の自然の流れだ。

小生が恋心を募らせている何清漣女史の「粉紅軍団 中共の量産型義和団2.0」2020年4月16日から。

<3月から米国投資研究機関のブレトンウッズ研究所、 経営コンサルティング会社のA.T.
カーニー、 ブルムバークの資本転移の最新データでは、 「中国製造/メイドインチャイナ」の現状と将来に関して、
少なからぬ分析をしています。その共通の結論は、
「中国製造の時代はすでに終わった」です。

武漢肺炎禍とその世界的蔓延後、 世界の投資家たちの選ぶ土地は、 30年前のコスト第一から、
米中貿易戦争の始まり以来の関税リスクの考慮に至り、
いかにしてシステム的なリスクに対応するかになっていました。外資は次々と中国を離れ、
どこへ行こうかと考えています。

(中共支持の官製義和団のような)“ネトウヨ”連は当然ご存知ないのですが、 この20数年の間、
米、 日、 欧州の企業は、 米国とメキシコの国境線に2千社以上の企業が、 2千以上の組み立て工場を建設し、
50万人以上のメキシコ人を雇用しています。

米国は、 国境地帯の主要なコンポーネットパーツ需要地であり、 1700億ドルの部品がメキシコ人によって組み立てられたのち、
欧米に輸出されています・・・>

中共が現在を危機と認識し、少なくとも習近平を排除できなければ毛沢東時代の「食うだけで精いっぱい」の国に戻るだけである。二度とパンダハガーは現れない。
(2020/4/21)

2020年04月22日

◆雀庵の「中共の皆さん、時間ですよ」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/101(2020/4/20】人生いろいろで、小生の場合は「山あり谷あり」と言うより「試練の連続」「シーシュポスの罰」と言った方がいいかもしれない。それに意味、価値があるのかどうか・・・山男と同じだろうな。

心技体、根性だあ!
今は肥大化するアマゾネス軍団との冷戦に「沈黙の行」で耐えている。櫻井先生から「必殺目線」を学ばなければならない。先生に睨まれたチャイナスクール加藤紘一はほどなく死んだ。

天網恢恢疎にして漏らさず、次は二階のパンダ、お連れの“お祭りマンボ”リリーに「死線、特盛!」を。

荷風散人曰く「ホント、結婚しなくて良かったよ。女は買うもの、せいぜい妾。家に入れると豹変するからなあ、もうこりごり」。

良妻とか癒し系の妻なんて、「良き隣国」「良き隣人」と同じく夢のまた夢だ。米加なんて一見すると仲良さそうだが、カナダは米国人を「遅れてきた奴ら、下司、ヤンキー」と軽侮し、米国はカナダ人を「イザという時には役立たない口先だけのインポ野郎」とこれまた軽侮している

米国独立戦争の際は英加連合 vs
米国で銃火を交えているから、ジョージ・ワシントンが言うように「戦時にあっては敵、平時にあっては友」、今は平時だから恩讐の彼方にということで仲良く、とはいかないのが現実だ。

大体、米国自体が南北戦争での傷を未だに引きづっている。



会津は薩摩を永遠に許さない!「イヤッ、絶対!」、世界中がそういうもので、EU解体も時間の問題という気がする。小生なんて「ドイツ人は時々“私は正義病”を発狂するから怪しいで」と警戒している。向こうも日本を警戒しているだろう。

人も世界も順風満帆なんて滅多にないから「試練の連続」は初期設定なのだろう。小生の話に戻ろう。

2001年の9.11テロで海外旅行産業壊滅、傷が重傷化する前に会社撤収するしかなかった。事業引継ぎを終えた2003年4月、長年の飲酒とストレスが重ねって癌発症、胃をほとんど摘出した。


肝臓への転移が疑われ、高価ながら恐ろしく効くという抗がん剤の副作用で半分死んでいたが、「死んだ方がマシ」というカミサンの“英断”でその薬を止めてからは多少元気になった。

とはいえ、消化/栄養摂取機能が著しく壊れているから下痢と嘔吐、めまい、筋肉痙攣が常態化してしまった。

そこでお試し気分で服用したのがサプリ。サプリは「鰯の頭」「癒しの飴玉」、何やら「効くもサプリ、効かぬもサプリ」で何となく飲み続けていたが、2016年にオツムがいかれて措置入院になり、3か月間サプリを断たれて分かったのは、爪がボロボロになり、下痢が激しくなったことから「サプリはそれなりに効くのだ!」ということ。

退院後にサプリを復活させたが、少なくとも爪は3か月でカチカチに戻った。小生には効果があったのだ。


今は4種類のサプリを摂取しているが、残りが少ないのでスーパーに買いに行ったが、ナント2日連続の長蛇の列、初めて見る「買い物マンボ」、客の顔は何やら殺気立っており、「我が家の興廃、この一戦にあり!」、ほとんどパンデミック。2日連続で小生は逃げた。

1週間ほど前に公園ベンチでおにぎりを食べていた際に、むせたので咳をしたら、近くのオバサンから睨みつけられた。ちょっと怖かった。そのうちクシャミ、咳、痰をペッ、なんてしたら「キャーッ、こいつよ、こいつがスプレッダーよ、非国民よ! 誰か、早くやっつけて!」。

ゴキジェット、フマキラー、アルコール、酒を浴びせられ、「焼かないとダメだ!」と火刑に処せられたりして。

ほとんど筒井康隆の世界。「こいつ、まだ動いている! 埋めちゃった方がいいぜ」、魔女狩り、集団ヒステリー・・・今でも宗教色の強い国、地域では珍しくない、かつ犯人、加害者に寛容である。

かくしてわが街の限りなく怪しいチョンマゲ跛行老人は神隠しに遭う。「そういえば、そんなヂイサンいたよなあ」、1か月もしないうちに忘れられ、3年ほどで認定死亡となり、墓碑に名が刻まれれば御の字となる。

王青・日中福祉プランニング代表「コロナ危機、中国人が闘う『もう一つの厄介な相手』」から要約。

<新型コロナウイルスが世界各地で猛威を振るい、深刻な状況になっている。医療機関が崩壊し、自宅で苦しみながら亡くなった人も少なくない。そして、全国規模の道路封鎖や外出禁止により、経済にも計り知れない打撃を与えた。


一体、どうして、このような悲惨な状況となってしまったのか。国民の怒りがSNSやマスコミを通じて爆発的に拡散するのも当然であろう。

◆いたちごっこ

中国では、コロナウイルスとの闘い以外に、もう一つ、煙のない戦争がある。それは、真実追究と情報操作との闘いだ。

インターネットとソーシャルメディアが発達している今日、事実の報道が削除されても、その後、ネット民により復活することがたびたびある。

人々が削除される前の一瞬の隙を狙ってPDFや写真など、別の形式で拡散し、リレーのように続いていく。まるで、いたちごっこだ。

その代表例ともいえる「事件」が、3月上旬に起きた。

今回のコロナ騒動の渦中にある武漢市中心医院(第1告発人とされる李文亮医師が勤務していた病院。李医師はその後、感染し死亡した)の救急科の女性主任医師が、昨年12月に診察した患者の肺のレントゲン写真を見て、重症急性呼吸器症候群(SARS)を疑い、その写真をウィーチャット(中国版LINE)の医者グループに投稿。

しかし、病院の共産党組織の幹部や院長らに呼ばれ、厳重注意された上で、医師生命が終わるかのような脅迫まがいの手口で口封じされた。これらの経緯を「人物」という雑誌の取材に応じて告発したのだ。

◆電脳空間の闘い

このインタビュー記事がネットでも掲載され、瞬く間に拡散した。しかし、その2時間後、これらは全て、きれいさっぱり削除された。

ところが、翌日、何千万人ものネット民がSNSで、同記事のさまざまなバージョンを復活させ、まるで燎原の火のごとく広がった。

それらは、英語版や日本語版、ドイツ語版などの外国語版以外に、ショートカット版、写真版、さらには縦読み、右から読み、そして何と、モールス信号、甲骨文、絵文字まであったのだ。漢字の国なのに、漢字が使えない。何と皮肉なことだろう。

インターネットが発達し、グローバル時代である現在は、当局が権力側の都合で完全に情報を遮断することは、もはや不可能である。

これまで、紙媒体は軒並み不振だったが、人々の事実を求める気持ちが強まり、事実を報道している雑誌や新聞などの売り切れが続いている(時事通信社「金融財政ビジネス」2020年4月9日号より)>

戦争には熱い心と冷静な分析、狡猾な作戦、愛と無慈悲、友情と裏切り、生と死、喜びと悲しみ、屈辱と感動・・・人間のすべてがあるとマケイン上院議員は語っていた。

同志諸君、我らと中共独裁帝国との戦いは、自由 vs 弾圧、民主 vs 独裁、人権
vs 抑圧、理性 vs 悪逆、法治 vs 無法、進歩 vs 野蛮、前進 vs
後退の戦いだ。

我らの正義と中共の正義がガチンコでぶつかり合う。我らが負ければ未来はない。我らの子孫に、ウソを膠でつき固めた中共独裁の収容所的地球を渡すのか、それとも自由民主法治の居心地のいい緑の地球を遺すのか、我らは歴史の岐路にある。

チャイナコロリ禍で「上に政策あれば下に対策あり、蓄財蓄妾美酒美食こそ命」の中共の民も、「俺が正義、リベラル≒アカモドキ万歳」という怪しいドイツ人も、「命あっての物種、中共はヤバイ」と見なし始めた。

中共殲滅、支那解放の好機到来どころか二度とない「絶好機」である。

北村稔(立命館大学教授)「日本軍に感謝した毛沢東『抗日』を煽って逃げた中国共産党」(別冊正論15号)から。

<日本軍に感謝した毛沢東

毛沢東曰く――

<日本の軍閥はかつて中国の半分以上を占領していました。このために中国人民が教育されたのです。そうでなければ、中国人民は自覚もしないし、団結もできなかったでしょう。そしてわれわれはいまなお山の中にいて、北京にきて京劇などをみることはできなかったでしょう。

日本の『皇軍』が大半の中国を占領していたからこそ、中国人民にとっては他に出路がなかった。それだから、自覚して、武装しはじめたのです。多くの抗日根拠地を作って、その後の解放戦争[日本敗戦後の国共内戦―北村注]において勝利するための条件を作りだしました。

日本の独占資本や軍閥は『よいこと』をしてくれました。もし感謝する必要があるならば、私はむしろ日本の軍閥に感謝したいのです」。

(外務省アジア局中国課監修『日中関係基本資料集 一九四九−一九六九』所収、

資料70「毛沢東主席の黒田寿男社会党議員等に対する談話」、霞山会、1970年)>

この資料は外務省にあるが、小生の能力不足でネットから引き出せなかった。

しかし、延安に15年間引き籠っていた中共が日本の敗戦で表に出てきて、日本軍将兵と日本の武器を得て装備を固め、かつ海軍と空軍の創設でも援助指導を受けて、蒋介石軍に勝ち、中共を建国できたのは事実である。

米原爆の「お試し人体実験」による日本の敗戦が中共にとって千載一遇のチャンスになった。地球丸ごとを危機に落とし込んだチャイナコロリ禍は、我らにとって中共殲滅、支那解放の千載一遇のチャンスである。

今なら包囲という軍事力示威の「鉄のカーテン」で中共経済を急速に冷えさせることができる。経済封鎖でじわじわ、されど確実に窒息させていく。どういう国家にするのかは14億の民が決める。小生は民主主義国家として再編されることを望むが、そうでなければ世界は封鎖を解かないだろう。

眠れる14億が目覚める時だ。お隣さん、「時間ですよ」!(2020/4/20)


2020年04月17日

◆雀庵の「リリーよりチェリーがいい」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/96(2020/4/12】4月から産経に台湾がらみの論考が増えた。陳水扁総統の回顧録、台湾近代化に貢献した日本人列伝などが始まった。チャイナコロリで蔡英文総統らが防疫で頑張っている記事も多く、産経は大物の天津生まれ育ちの矢板明夫氏を台北支局長に任命した。


バイリンガルのネイティブスピーカー矢板氏は最高クラスの中共・台湾ウォッチャーで、実際に氏の記事はとても新鮮、知的好奇心をそそる。小生もいっぱい勉強して櫻井よし子先生のような必殺必中、情け容赦ない舌鋒を目指そう。


産経は部数減を抑えるため「女子供でも分かりやすく書いてね」という方針を強めているようで、先日の櫻井先生の論考はサンドペーパーでまろやかになっていた。小生は先生の刺々しい、痛いところを刺す、サド的な文章が大好きだから、何だか物足りなかったが、購読者をせめて維持したいという産経の切羽詰まった気持ちは分かる。男はつらい、のだ。


小生は舌鋒を鋭くして何を目指すのか。これが問題だ。

築地豊洲で大はしゃぎした緑のオバサンは、今はチャイナコロリで注目を浴びエクスタシーの絶頂、芯からの騒動士、そのうち記者会見、報道発表は英語になるな。


「合い言葉は Stay home!
アンデスタン? 今回からネットでプレスミーティングします。コンテンツはワールドワイドにリポートされるべきで、イングリッシュでします、エニー・クエスチョン?」


やりかねないなあ、このオバサン。


♪今日は朝から私のお家は てんやわんやの大さわぎ 盆と正月一緒に来たよな てんてこまいの忙しさ 何が何だかさっぱりわからず どれがどれやらさっぱりわからず 東京ネギネギブギウギ 人の気持ちも知らないで わてほんまによう言わんわ あほかいな あーしんど


政治家は注目を浴びてナンボよ! 政治は爆発よ! 都内の緑のオバサン、ユナイト!


この世は理性じゃない、感情で動くということを、騒動士の目の玉タヌキ的オバサンは痛いほど知っているのかもしれない。緑のオバサンに懲りて理性を吹き飛ばす「禁じ手のポピュリズム」を辞さずか、エジプト帰りのリリーはどこへ行く。


わしは単純だで「中共殲滅/解体/普通の国化」が当面の目標だな。台湾完全独立、日米台英豪加乳印安保条約実現も応援したいものだ。倒れても「志」は残る、誰かが引き継いでくれる。

そこで拙文、台湾シリーズの続きを書く。日本人には苦い話になるので気が進まず、ここ暫く休筆していたのだが、台湾の元気に触発されて再スタートだ。蔡英文に加油された!


最初にまず言っておくべきは、日本が異民族、例えば漢族の植民地になったらどんな気持ちか、考えて欲しいということ。我々は嫌悪感どころか激しい憎悪と敵意を持つだろうし、テロだって厭わない。チャンコロに支配されるなんてやなこった、死んだほうがマシだ、死して護国の鬼となる、と徹底的に戦う、あるいはサボタージュする、足を引っ張るのが普通だろう。


当時の為政者は「やがて台湾人は日本統治を理解して受け入れるかもしれないし、屈服しないぞと戦い続けるかもしれない」と思っただろう。「屈服しない、抵抗し続ける」ことを侵略/統治する側の国民がとやかく言う権利なんてない。


統治されている人々は「嫌なら出て行け、バカやろう!」と怒り、追い出す天賦の権利があるのだ。


そもそも土地は先住民のものだ。後から来て武力で先住民を迫害する、追い出す権利なんてありはしない。それを宗教は許しても天と人倫は許さない。欧米列強は戦後、植民地政策のしっぺ返しを今なお受けている。


日本の敗戦で台湾は「解放」されたが、そこに潜り込んできたのが蒋介石・漢族の軍隊、即ちゴロツキだった。台湾人が今でも日本に寛大なのは、このゴロツキ強盗殺人強姦軍団に比べれば日本は番犬として大いに役立った、はるかにマシだったという評価に拠っている。別に日本の植民地を肯定したわけではない。


「再婚? ヨリを戻したい? 冗談じゃないわよ、いい気にならないで!」


というのが本音だろう。同盟国として中共と戦う同志、今はそういう関係を強めるのが大事だ。トウ小平曰く「将来のことは将来の人に任せよう」。今人はレールの土台(土盛り)を造っておくぐらいでいいかも知れない。やがて機は熟す。


本論に入ろう。王育徳「台湾」から。

<日本帝国主義の重圧は(朝鮮と比べると)台湾においてひどくのしかかった。そもそも植民地支配は、それがいかに優れた成果を収めたものであれ、道徳的には無条件に指弾されるべきものであり、私自身、過去のおぞましい数々の体験からも、個人的に日本の台湾統治を憎悪し糾弾してはばからない>


小生はここまで読んで、胸がいっぱいになって、先を読むのが怖くなり、永らく筆をおかざるを得なくなった。氏は「しかし」と冷静な学者の視点で「日本統治」を分析評価すべきだという。続きは次回へ。


【措置入院 精神病棟の日々(185)2017/1/25】承前。産経、貝塚茂樹「『考え、議論する』は道徳の本道」、本当か?


議論は相手との戦いで、歩み寄るのではなく、勝つか負けるかで、結局は投票になり、51人は満足、49人は不満とかになる。


色々な意見を聞くのは良いが、それをベースに自分で考え抜いて「これはこうだ、こうすべきだ」と判断し、採決で支持を得れば果敢に行動する「知行合一」が道徳であり、規範ではないか。


議論は結構だが、議論を尽くしていたら時間だけがかかり、際限がない。お互いに譲歩するとなれば、双方とも不満は残る。それをもとに行動していたらロクな結果になりはしまいか。


だから制限時間になったら採決し、右へ行くのか左へ行くのか決定する。それは邪道か? 決定して行動しなければクラッシュしてしまう。小田原評定が本道なのか。国政なら「議会が麻痺して政府は何も決められない」レームダックになりかねない。


日本の近代化は陽明学の影響を受けて鳥羽伏見での銃口から生まれた。現在の先進国の近代化は大なり小なり、毛沢東の言うように「銃口から生まれ」たのであり、「お上品なお茶会での会話から」生まれたのではない。


竹中平蔵「正論 経済の乱気流に耐える改革を」。そんな「茶話会」での上品で高尚なマクロ論は聞き飽きた。どうしたら生産性が上がるのか、消費が拡大するか、経済学者は書を捨てよ、街へ出よ、だな。モノに溢れた先進国の人でも手を出したくなるような「体験型の商品/サービス」、旅行、グルメ、エンタメ、趣味、スポーツ、芸術などを研究すべきではないか。

(今の武漢肺炎下にあって思うに、これまではGDP上昇が是とされていたが、それで国民が幸せになったのか、マイナス成長は不幸になるのか、政治経済社会の常識を根本から考え直すべきではないか。疑問が起きるのは「解」がどこかに用意されているからだとヘーゲルが言っていたらしいし、パスツールは「偶然は構えのある心にしか恵まれない」と言ったとか。発明、発見の多くは「どうすべきか、何だろう」と思うことから始まった、それならば新しい「解」は発見されるのを待っているわけだ、いよいよ俺はスミス、ケインズを越えるか、それとも神ってる変人になるか、人生の遅すぎた岐路だなあ)


面白い広告があった。日成ビルド工業は折り畳み式の倉庫などを造っている。コンクリートや金属に代わる、軽くて丈夫な建材が普及すれば、あっという間にビルができたりして。


「沖縄に東北縄文土器 初出土 2000年以上前、交流か」、沖縄人先住民族=独立すべし論はそのうち消えるだろう。(2020/4/12)