2020年07月24日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(36」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/146(2020/7/22/水】散歩は大事な趣味である。やがて小生は「徘徊老人」と呼ばれるのか。今のところは「徘徊自転車老人」だな。

<「徘徊」1)目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。
「夜の巷を−する」

2)葛藤からの逃避、精神病・認知症などにより、無意識のうちに目的なく歩きまわること。

「漫ろ歩き(そぞろあるき)、漫歩」特にこれという目的もなく、ぶらぶらと歩き回ること。散歩。
「夏の夜の−」 「満開の桜の下を−する」>

小生の場合は精神病も影響している。医者は鬱病と言うが、小生自身では自閉スペクトラム(ASD)であり、「強いこだわり、限られた興味、引き籠もり、対人恐怖症、うつ病」という代表的な症状に合致している。

非常に高い粘着性があり、そのため「葛藤と知的興奮を求めて目的意識的に」徘徊する感じ。「青春彷徨」ならぬ「老人彷徨」・・・でも個人的な悩みがあまりないから敢えて病名を付ければ「多動愉快性浮浪的トム&ハック症候群」あたりか。

同じ「歩く老人」でも、徒歩で日本制覇、伊能忠敬先生は偉かった!

<養子先の家業を大いに盛り上げ、49歳で隠居して江戸に出た。伊能忠敬(ただたか)が第二の人生で挑んだのは、日本地図の作製である。55歳から17年にわたって全国を測量行脚して、約440種類のいわゆる伊能図を残した。

歩いた距離は4万キロにも及ぶ。まさに「四千万歩の男」である。伊能図が一般に出回るようになったのは、忠敬が亡くなって半世紀後の明治になってからだった。その正確さは外国人を驚かせた>(産経7/2)

江戸時代の55歳は今なら75歳あたり、完璧な老人だ。当時の現役男は1日(10時間)に40〜50キロ歩くのは当たり前、健脚だったが、小生は自転車で20キロが精一杯だ。徒歩なら4キロで確実にダウンする。

晩年を世のため人のために尽くすなんて立派なことはできないが、老いたイタズラ坊主として多少でも「へえー、面白いね」という話をしたいものだ。

今日のテーマは「道とか路」。道代ちゃん、路子ちゃんは達者だろうか・・・未練たらたら。それはさておき――

道路は法律では一般道から高速道まで20種類ほどに分類されるとか。普通車がすれ違いできないような道は「路地」と言うようだ。

<路地は、狭義には密集市街地などに形成される狭い道や家と家の間の狭い道、通路などをいう>(WIKI)

当たり前だが道は人類以前からある。獣道(けものみち)とかは今でもある。習近平のオツムは、

俺は神 おまいら獣 ただのクズ 黙って俺の 指示に従え   

一方で世界は、

習近平 ひたすら目指す 世界革命 王道はずれ ただ獣道

習近平は中坊で下放されド田舎の寒村の洞窟で青春期を過ごす。教科書は毛語録と毛沢東選集。すっかり洗脳され韜光養晦、権力を握ると一気に世界赤化へ突き進んだ。確信犯的野獣だから誰かが「野獣死すべし」、とどめを刺すしかないのではないか。閑話休題。

<大型哺乳類は、やみくもに森林内を行き来するのではなく、それなりにコースを決めて移動する。動物はそれぞれの習性によって、エサをとる場所や水を飲む場所などか決まっている。これが獣道になる。

動物に果実を食べさせて中にある種子を運ばせたりする戦略を取っている植物が獣道沿いに分布を広げているケースもある。動物が食べた果実の種子が運ばれて発芽した場合、獣道沿いに餌場ができるので、ますます経路が固定化するとの指摘もある。

人がつくる道路のルーツをたどれば、それが「けもの道」だといわれる。太古の人間は、動物が作った獣道をたどれば、歩きやすくて獲物となる動物を見つけやすいと考え、獣道をたどって歩くようになった。

踏み固めたり、手を加えられて歩きやすく幅広く作られて路(みち)となり、やがて人間が歩くための道路が作られていったとも考えられている>(WIKI)

林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそ こひしけれ(島崎藤村「初恋」)

美味しいものを探すうちに道ができるわけだ。夜道はヤバイね。

辿り着いたは「夜の街」、脂粉と酒でその気になって、骨の髄までしゃぶられて、財布は空っぽ、おまけはコロナの禁足令、夜の新宿、なみだ恋・・・

何百年、何千年あるいは何万年もかけて自然にできた、概ね路地のような道は大体がクネクネしており、行き止まりも多い。実に歴史を感じさせてくれ、昔はこんなところを歩いていたんだなあ、とか、「あっ、立派なお寺、こんな所に丸山教本庁があるなんて!」などと発見することも多い

人も車もあまり見かけない路地や路地裏、迷路や古道、栄耀栄華の面影・・・失われゆくものへの親しみ、哀惜にどっぷり浸るチャリ散歩。

老化劣化が進んでチャリがダメでも電動カートがあれば間に合うだろう。肝心なのは「飽くことを知らない好奇心」ではあるまいか。

(それと地図&磁石! 昨日は津久井道探索の帰路に迷ってしまい、ちょっと心細かった。迷子の迷子の子猫ちゃん、そんな気分になれるのも面白いが・・・「どうされました?」「ボク、迷子になっちゃんたんです」(涙ポロリ)、かくして恋が芽生えたり・・・)

伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。

<国際政治は古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキーであった。

強制執行力を持つ世界政府、世界立法院、世界裁判所、世界警察軍が一度も存在しなかった無政府状態だった。


米中露イスラエルのような核武装した軍事強国が、他国や民族に対して国際法違反の侵略戦争や戦争犯罪を実行しても、国連や世界の諸政府は犠牲者を保護する能力を持っていない。

2500年前も現在も、強力な軍事国が侵略戦争を始めると、誰もそれを止められないのである。

このように無政府的で不安定な国際政治状況を少しでも安定させるため、世界諸国は「勢力均衡」の維持に努める必要がある。

西洋では17世紀中頃から第一次世界大戦まで(19世紀初頭のナポレオン戦争を例外として)諸大国の外交家は「勢力均衡」の維持に努めた。そのために欧州諸国は大戦争の勃発を防ぐことができた>

例えば船。皆が一方、例えば舳先とか艫(とも)、右舷あるいは左舷に集中したら、ちょっとした波で沈没しかねない。現役時代「ドキュメント キャセイ航空の24時間」を取材した際、航空機の貨物搭載で行われているコンピュータ利用の作業には感動した。

<航空機は三次元を飛行する物体ですので、航空機のバランスには重量と同様に細心の注意が必要です。大体の航空機は主翼の付け根あたりに重心があるのですが、安全運航を行うために重心からどれだけ離れても安全飛行が可能となるという基準があります。

航空機重量とバランスを考えて安全飛行を行うための重量決定及び搭載物の搭載位置を決定するのが
Weight & Balance
です。日本の航空業界では"ウエバラ"と呼ばれていますが、各フライトで必ず行われ、出発前には機長の承認を得なければなりません>(「蒼空に近づきたくて」)

「重心位置移動許容範囲に収まるようコンテナ、パレットの重量の分布を操作」しているわけだ。

国際社会が迷走、失速、墜落しないように、それなりに戦力バランスをとって行こうというのがバランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)だということ。



日本が“イイコブリッコ”して「私は平和国家よ、他国に脅威を与えるような核兵器や攻撃力は持ちません、善意を信じてます」という戦略は、実は敵性国家を挑発するに等しく、平和どころか教唆扇動、戦争を使嗾する身勝手そのものだ。

餓狼の前でスッポンポンになって「ね、私は危険な武器は持ってないでしょ、だから手を出さないでね」。

これってほとんどバカかキチ〇イだ。年老いた狼だってムラムラして「ええい、ままよ! あっちが役立たずとも、舌技がある、イザ!」ってなるわな。

それを承知で「裸で歩け、できる限り薄着にしろ」という人々は、アカの走狗で、少なくとも中共、北の味方、赤色革命で美味しい思いをしたいというトンデモ人種、ケダモノ、獣、ムジナ、ウイルスの類だ。

同志諸君、縄張りを守るには抑止効果を高めなければならない、友好国と協力して戦力のバランスを図らなければならない。後の祭りと泣く前に「勢力均衡外交」を学ぶべしアジアは日の出を待っている。(2020/7/22)

2020年07月22日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(35」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/145(2020/7/20/月】近隣近郊を散策散歩冒険調査観察発見研究するのは肉体的精神的刺激が大きく、体と脳みその劣化を抑え、上手くすれば脳みそは活性化するのではないか――

などと考えながら、ほぼ毎日、ママチャリでシマを警邏し、シマの拡大に努めている。

まあ、暇つぶしだが、それを言っちゃあお仕舞よ。と、いうことで昨日は東京側の多摩川堤の裏通り(陋巷、迷路!)を下ったが、多摩川べりの広大な緑に囲まれた「砧(きぬた)浄水場」を発見した。草ぼうぼうで、そのまんま産業遺産みたいだ。

「どうなってるんだ、俺は知りたい!」、昔は痴的興奮好奇心、今は水気がなくなって枯れてきたので知的興奮好奇心だが、老いてますます執拗粘着質、血管が切れたりして

「砧」はしゃれた字だが、布を叩いて柔らかくしたりシワを伸ばしたりする棒。北斎の娘、葛飾応為(おうい)の「月下砧打美人図」は秀逸だ。北斎が壁にぶつかって苦しんでいると、応為曰く――

「何事も“自分が及ばない”と、いやになる時が上達する時なのさ」

北斎も「まったくその通り」と感服したという。いやはや大した親娘だ。

嗚呼、名人、真打は遥かなり、せめて前座、二つ目、ただの変人奇人狂人でもいい、我、日出る処のトリカブトとなりて怨敵退散せばや!

都水道局のサイトで砧浄水場を調べてみた。

<明治時代を迎え、江戸から東京へと変わっても水道は依然として江戸時代のままでした。

しかし、上水路の汚染や木樋の腐朽といった問題が生じ、また消防用水の確保という観点からも、近代水道の創設を求める声が高まりました。さらに、明治19(1886)年のコレラの大流行は近代水道創設の動きに拍車をかけました。

こうして明治21(1888)年、東京近代水道創設に向けて具体的な調査設計が開始されました。

この水道は、玉川上水路を利用して多摩川の水を淀橋浄水場へ導いて沈でん、ろ過を行い、有圧鉄管により市内に給水するもので、明治31(1898)年12月1日に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、明治44(1911)年に全面的に完成しました>

感染病は歴史を変える! 砧浄水場は大正時代に整備されたようだ。多摩川の伏流水を原水として水道水にするため浄水処理を行っている。

東京都の水道は利根川・荒川水系が80%、多摩川水系が17%、相模川水系が3%。小生は相模の川で産湯を使い、多摩の川で育ち、揚子江の治水神として果てなん、とか・・・

国益入り乱れ濁り多き国際社会。「浄水、濾過」、極端な場合は「民族浄化」で積年の恨みをきれいさっぱり、とか、募る野望を実現、とはいかないものだ。2度の大戦の教訓か。

懲りない人もいるが大方は「過去は過去、私たちは恩讐の彼方に永世平和の世界を創るのよ!」。EUの理念は崇高だったろう。

しかし、幾星霜、イタリアなどは「俺は縛られたくない、自由にこの世を楽しみたいんだ。デキル奴だけがオイシイ思いをし、俺たちデキナイ坊主は宿題ばっかり、説教ばっかり食らう。規則、規則、規則・・・もううんざりだ!」。

犬猿の仲だった独仏がどうにか踏ん張っているが、歴史的に見ても独は「俺が正義だ」意識が強いから(英のEU離脱ではまるでいじめっ子だった)、アバウトな伊西ギリシャがEU離脱するならば「好きにしたらいい、出戻りは許さないからね」となるだろう。

独の「中共好き(独裁好き?)と米国嫌い」もあってEUの明日は読めない。大統領選という内乱状態の米国も「失禁ジョーの駄々洩れ」(紫禁城の黄昏のギャグ)になれば弱体化は必至だ。日本は・・・

ドゴール曰く「米国の保護に依存しようという国は、『自国の運命を自分で決める』という責任感、意思決定能力を失ってしまい、知的・精神的な不毛国家となる」。

中共の対日軍事攻勢、威嚇がどんどん露骨になっている今、日本ドースル連としては大いに心配だ。伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。

<冷戦後の米外交は顕著な失敗を繰り返して、国際的な支配力を失ってきた。しかも日本周囲の中露北は日米をターゲットとする核ミサイルを着々と増産してきた。

しかし日本の親米保守、護憲左翼の両陣営は、いつまで経っても1960年代と何も変わらぬ「対米依存ごっこ」「非核三原則ごっこ」「護憲ごっこ」を続けるだけである。



このように知的に停滞した日本を観察すると(上記の)ドゴールの指摘は100%正しかった」と思わざるを得ない。我々日本人がドゴールの外交思想と国家哲学から学べる教訓は多いのである>

貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(以下、勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。

勢力均衡外交を小生なりに紹介する。

世界には150ほどの国があるが、国らしい国はG20の20か国のようだ。「G20は世界のGDPの90%ほどを占め、貿易総額は世界の80%。加盟国の総人口は世界の3分の2ほどになる」(WIKI)から、世界の趨勢は20か国で決まるといってよい。



実質的に政治・経済・軍事で力があるのはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、カナダ、インド、オーストラリア、中共、ロシア、韓国だろう。

戦後世界は米ソの二極支配で始まり、今は米中二極になってきたようだ。米連合は日英加印豪あたり、中共は一国のみだが韓・北が従うかもしれない。仏独露は旗幟を鮮明にしないが、どっちつかずの怪しい第三極になりそうだ(クセが強くて友達にはなりたくないなあ)。

米中の2大勢力のガチンコは、どちらが勝とうが大変動をもたらす。

中共が勝てば(米国が負ければ)世界は中共独裁下に置かれる。暗黒時代になる。中共が負ければ(米国が勝てば)14億の難民が世界を覆う。

さらに米国は「自分の国は自分で守れ、俺は余裕がないんだ、世界の警察官は辞めた」となるだろうから、特に露を警戒して各国は備えなければならなくなり、金欠でこれまた暗黒時代になる。

だから米中対立は「中共経済封鎖」という冷戦が一番いい。

<トランプ政権は5月20日に「中国に対する戦略的アプローチ報告書」を発表した。2017年の国家安全保障戦略に基づくもので、「中国とロシアが米国のパワー、影響、国益に挑戦しており、自由で公正な経済に反対し、情報を管理し、社会を抑圧し、自国の影響を強めようとしている」と分析。

競争相手を国際制度とグローバルな貿易に包含すれば、善意の信頼できるパートナーになるという前提は誤っており、そうした前提に基づく政策は再考しなければならないと論じている>(産経など)



米日英加印豪が利益を共有して中共封鎖をすれば、仏独露はそれに反対して(米国陣営に敵対して)中共を支援することはない(利が薄い)、それよりポスト中共での再生利権をねらうだろう、だから米国陣営は中共封鎖に全力を挙げ、仏独露からは協賛金を引き出すのがいい。

中共は経済封鎖に耐えられるか。2008年のリーマンショックの時は50兆円のインフラ投資で危機を乗り越え、世界の称賛を浴びたが、当時は外貨準備が潤沢だったから、ゴーストタウンでも景気回復に役立った。今は国外への資本逃避もあって外貨準備は低迷しているという。

それでも習近平は世界制覇へ向けて「無意味」としか思えない軍事的な圧力を続けていくのか。党の実力者からも習近平への反発は高まっており、「完全にイカレテいる」という声もあるとか。

このまま習近平が暴走すれば、鉄のカーテンの中で支那人は大好きな派閥抗争をし、新たな秩序(10か国とかに分裂)を創ることになるかもしれない。

共産主義への親和性が高く五四運動や辛亥革命でも暗躍した仏独露は喜んで新生支那づくりに手を貸し、やがて乗っ取ったりして・・・

話を戻すと、「勢力均衡外交」とは、特定メンバー(グループ)の力が突出すると冒険的行動に出るから、それを抑制するためにみんなで力を合わせましょう、ということだ。

そのためには軍事力も高め攻撃力=抑止力を強化すべし、米国依存ではやがて亡国になりかねないよ、脳内ケンポーお花畑ではなく、リアルを見なさいという戦略、政策、理論、知見、智慧、良識、訓導である。

因みに今日、散歩がてらに書店を覗き、アインシュタインとフロイトの往復書簡「ひとはなぜ戦争をするのか」を立ち読みし、「人間は本能的に戦争、殺し合いが好きなのだ!」と妙に納得した。野中幸宏氏の書評から引用する。

アインシュタイン曰く「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!

破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に潜む問題です。

平和への努力にあらがうものは「権力欲」、そしてこの「権力欲を後押しするグループ」で、金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄ります。

彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。

私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。

なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです」

フロイト曰く「破壊欲動はどのような生物の中にも働いており、生命を崩壊させ、生命のない物質に引き戻そうとします。エロス的欲動が「生への欲動」をあらわすのなら、破壊欲動は「死の欲動」と呼ぶことができます。「死の欲動」が外の対象に向けられると「破壊欲動」になるのです

人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない。ですから人間の攻撃性を戦争という形で発揮させなければよいのです。

心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。



二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。

文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方──これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません」(以上)

知性は欲望を支配するが、攻撃的にもなるし、宥和的にもなる。そもそも社会の行動様式、生活様式、価値観などの文化は集団によって大きく、あるいは微妙に異なったりする。

それを一つにまとめることができないのなら、「勢力均衡外交」で「手を出したらアンタの負けだぜ」と圧力、威圧をかけ、暴走、挑発、攻撃を抑止するのが良策だということだ。

核兵器がない国が核保有国に圧力を加えることはできない

小生が習近平なら「抗議」(いやよ、やめて、そばにこないで)しかできない日本を叩きまくり(核ミサイルで沖ノ鳥島をピンポイント爆撃すれば効果絶大、速攻で白旗が揚がり、尖閣も無血開城、米軍もビビる)、東シナ海、西太平洋を制覇し、それから南シナ海、インド洋へと縄張りを広げるがなあ。

圧倒的多数の危機感のない人は東海省になっても屁の河童、日中会話辞典を買って五星紅旗を降り、「ああ戦争が終わって良かった!」、そんなものである、現状は。二度目は喜劇。(2020/7/20)

2020年07月20日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(34」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/144(2020/7/18/土】1年振りに本屋を覗いた。出版界では昔から「悪書は良書を駆逐する」と自嘲的、自虐的に言われてきた。

「不本意ながらもよく売れる軽佻浮薄な本で稼ぎ、その儲けで3年で初版2000部をようやく売り切るというような学術的に価値のある本を出して矜持を保ちたい」という意味である。

今でも出版人は戦前の岩波書店のように「出版文化」を大事にしたいという思いは残っているのだ。「構想から30年、〇〇先生は鬼籍に入り、編集部の新人はいつしか白髪三千丈、今ここに初版を世に問うに至り、感慨無量の思い、云々」・・・そういう世界。



買って、読んで、本棚に収め、折に触れて再読する本を良書とするなら、書店の良書スペースは今や良くても1割だろう。

つまり良書志向(教養嗜好・知性思考)の人は1割。それ以外の9割は、

「面白ければすべて良し、それのどこが悪いんだ、偉そうに、くそヂヂイが!」

「うるさいわね、いい加減にしてよ、気分良く楽しんでいるんだからほっといて!」

という良書に縁がない人で、概ね話題の本とかタレント本を好む。

書店の本は書棚で売れるのを待っているだけではない。

「ちょいと、メガネのおヂイさん、チョンマゲの怪しい人、そう、あなたよ、どう寄ってかない、見るだけでもいいからさ、雨でしょ、それにコロナ、もう暇なのよ、ちょっとだけなら見放題、良かったら買って、ね、お、ね、が、い」

本は人を見てデンパを飛ばすのだ。♂本だと「おい、お前だよお前、暇そうだな、俺を読め、俺を・・・ちっとは脳みその肥やしにはなるぜ。スッポン、朝鮮ニンジン、バイアグラ、エディケア・・・あっちの効き目は保証できんが、脳細胞はピンピン、まるで青春だぜ。ボケが嫌なら買ってけ!」

というわけで幻冬舎を創業した見城徹著「読書という荒野」を手に取った。さすがプロだから帯(おび、業界では「腰巻」という)が上手い。「認識者から実践者へ。実践しなければ読書じゃない。本は、人生を切り開く最も身近で決定的な武器だ」

この方は小生と同学年、東大入試が中止になったので慶応へ。ブントで暴れたが、頭が良すぎて吉本隆明にかぶれ脱党したものの、出版人として大成功。

それでも青春不完全燃焼のためか「あしたのジョー」を目指してリングデビューしたいようだ。「真っ白な灰になりたい、完結したい」、そのローザン系バックトゥザパースト志向が面白そうなのでカゴに入れた。

その棚の裏側に回ったら新たなデンパ。「やあ、久し振り、ボクのこと覚えてる?」と声をかけてきたのは伊藤貫先生だ。小生より2個下、1953年生まれだ。

「新著出したよ、良かったらどーぞ」。で「歴史に残る外交三賢人 ビスマルク、タレーラン、ドゴール」もカゴへ


伊藤貫氏の「中国の核が世界を制す」は14年前の2006年に読んで大いに勉強なったが、本書「歴史に残る外交三賢人」はコレラ禍直前の2月10日発行で、コレラ禍が世界の地政学を大変革する直前の論考である。

図らずも氏の新作はブスブス煙が上がり始めた千載一遇の激動期、新しい世界に投じられた「貫氏の兵法」だ。

小生は「中共殲滅、支那解放」で頭がいっぱいだが、「中共の後始末」、つまり中共後のソフトランディングまで考えなければならなくなった。

14億の面倒・・・自分一人の始末でも四苦八苦しているのに・・・

かくすれば かくなると知りながら やむにやまれぬ 大和魂(松陰先生)

大清帝国が阿片戦争でケチが付き始めたのが1840年、帝国崩壊は1912年。ふらふらしながらも72年も延命したのは大したもので、庶民は統治が緩んだのでそれなりに自由で、結構暮らしに満足していたようだ。

中共建国の1949年からは71年だが、ここ5〜10年ほどで飢餓禍はようやくなくなったようだ。習近平も貫氏と同じ1953年生の67歳だが、習近平は絶滅したはずの毛沢東菌による人災を復活させ、パンデミックで世界を揺るがすつもりのようだ。まるで文革の戯画禍。

占いの生方吉子先生の昨年12月の見立てでは習近平の2020年は良くない。

「とかく厄介なことが起こり、思いどおりにならない、計画が頓挫するといったことが起こります。前厄のときは、良くも悪くも世間の注目を集めるときですが、習近平主席には「破」がついているので、どちらかと言えば、良くないことが発覚する可能性が高いようです。中国国内で習近平主席に対する評価に変化が起こるのかもしれません」

ネットにはこんな解説もあった。

<1953年(癸巳)二黒土星で巳(へび)年生まれの人は、とても努力家。アイデアマンで、計画力や企画力に長けて高い能力を発揮します。努力家のため、目上の人に引き立てを受けることも多いです。

猜疑心が強く、疑り深いタイプです。また、依頼心が強く、決断力に欠ける面も持っています。疑い深い気持ちが強く出過ぎると、信用を失います。また、人に合わせるのが苦手で、自分の考えを否定される事を嫌います>

当たるも八卦、当たらぬも八卦、みたいな・・・

中国共産党は来年、2021年に結党100周年だが、ロシア社会民主労働党(ボリシェベキの前身)は結党が1898年、崩壊が1989年、91年の寿命だった。

中共結党の翌年、1922年には日共も結党している。ロシア革命の実情が分からないままに世界中の初心な青年がマルクスボーイになってしまった。悲劇であり喜劇、レーニン、スターリン、やがて毛沢東に騙され、悲惨な目に遭う

今でもアカはリベラル≒アカモドキとして堂々と生きている。不思議と言えば不思議なのだが、宗教と一緒で巨大な利権だから、いずこの国、特に先進国では「思想信条信教の自由」の手前、「邪教邪論だ!」と叩き潰すわけにはいかない。人口が半減してしまう。

コロナ禍で火がついた「中共殲滅支那解放」戦争、我々はいかに戦うべきか、伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から、共に学んでいこう、イザ!

<本書はリアリズム外交の実態を理解していただくために書かれた。リアリズム外交はバランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)とも呼ばれる。

国際政治において最も強力な覇権国をカウンター・バランス(塩梅)して、勢力均衡の状態を作ろうとするというリアリズム外交のパターンは、(記録の残る)古代ギリシャから現在までの25世紀間、基本的に変わっていない。

ビスマルク、タレーラン、ドゴールは、国際政治におけるバランス・オブ・パワーの維持を目的として、自国の外交政策と軍事政策を運営した人物である。個性的でダイナミックな人であり(≒孤立を恐れない変人奇人哲人)、知的、文化的にも洗練されていた。

3人とも頭が良くて討論能力に長けており、しかも深い思考力を持つ人物であった。彼らはしばしば同時代の「思想の潮流」や「圧倒的な世論」や「既成の政治勢力」に対抗してバランス・オブ・パワー外交を実践するために孤立を恐れず奮闘した勇敢な外交家であった。

読者が国際政治史を学ぶのに、最も役に立つのはビスマルクである。彼は歴史上初めて、常に数十、数百に分裂していたドイツ民族を統一した大政治家であり、建国後のドイツを欧州大陸の最強帝国に育て上げて、19世紀後半の欧州外交を牛耳ったのである。

欧州諸国が何故、20世紀に悲惨な世界大戦を二度も巻き起こしたのかという事情も、19世紀後半期のビスマルク外交を理解しなければ分からない。

現在の日本外交の苦境を理解するのに最も役に立つのは、ドゴールの外交思想と国家哲学である。「国際政治の一極構造や二極構造は長続きしない。国際政治は必ず多極化し、バランス・オブ・パワー外交が復活する」と1960年代から予言していた。

冷戦期の米ソ二極構造が1991年に終焉し、その後のアメリカ一極構造戦略が明らかに失敗してきたことを観察すると、ドゴールの先見性に驚かされる。ドゴールはさらに、

「米国の保護に依存しようという国は、『自国の運命を自分で決める』という責任感、意思決定能力を失ってしまい、知的・精神的な不毛国家となる」と述べていた>

コロナ禍は「中共殲滅支那解放」戦争を四半世紀は前倒しした、「これは我らにとって千載一遇のチャンスだ、中南海を包囲すべし」と思う指導者がG7、G8、G20の半分、国民でも5%あれば勝てる。



上手くいけばソ連のように政権から将兵が続々と離反し(給料が払えない!)、民心もすっかり離れ(食い物がない!)、無血革命によるソフトランディングの可能性もある。

中共は派閥の国である。習近平が主席就任後に身辺警護のガードマンを一新したのは、警備員に暗殺される恐れがあったからだろう。軍は習近平の足を引っ張るような事件、騒擾をしばしば起こす。現在のインド挑発も、軍は孫子の兵法のように「西に向かって罵りながら東を叩く」戦術をそっくり真似ているように見える。

尖閣への執拗な挑発も、習近平を引きずり落とすために上海閥や共青団派が意図的に強行しているのではないか。

日米英印豪加台などの有志連合で包囲網を強めていけば、中共内の習近平降ろし勢力が勢いを得て宮廷革命を起こし、第二次辛亥革命(自由民主人権法治の政変)の可能性もある。

長谷川良氏「 ウィーン発
コンフィデンシャル」7/18、「創設百年迎える中国共産党の弱点」から。

<コロナの感染拡大と初期段階の事実隠蔽が発覚し、中共政権と国家のイメージは一段と悪化してきた。欧米諸国はここにきて中国包囲網を構築する一方、中国の人権問題にも積極的に抗議する傾向が出てきた。

それに対し習近平は、国民に愛国心を懸命にアピールし、その批判に応戦している。

中国国民は騙されてはならない。共産党政権が叫ぶ愛国心はあくまでも一党独裁政治を堅持するための手段に過ぎないのだ。

共産党政権は過去、中国本来の伝統的文化を破壊し、一党独裁の国家を樹立するために、多数の同胞を粛正してきた。その点、スターリン時代のソ連共産党と同様だ。

中共政権は今後、状況が厳しくなれば愛国心を国民にアピールし、中国を批判する政治指導者や欧米のジャーナリストに反中政治家、反中ジャーナリストの烙印を押して批判をかわそうとするだろう。

欧米諸国は今後、「我々は中国国民を支援する。国民の基本的権利を蹂躙する中国共産党政権を打倒しよう」と呼びかけるべきだ>

敵は中共であり、中国国民は我々の同志だ、友だ、敵を間違えるな、ということだ。それは分かるけれど、中国国民とは漢族であり、それ以外の民族を卑しい蛮族だと思っているのではないか。

我が長女の親友である漢族エリートは同じ漢族であっても庶民、貧乏人を下層階級どころか汚物のように嫌っている。事大主義で、強い方になびく、紅衛兵の暴れ方を見れば人権なんてお構いなしだ。

漢族の初期設定は蓄財蓄妾美酒美食、それこそが正義、倫理で、そこには「清く正しく美しく」なんてあり得ない。「古い友人」と言うのは私利私欲、ウィンウィンを飾っているだけである。

長谷川先生のような良識的なインテリは世の中は清らかな愛で動くべきだと思い、一方、ひたすら戦争を研究してきた地政学者は「嫌われようが非難されようが、どんな汚い手を使っても世界の安定はバランス・オブ・パワー戦略で行け」という。

世界はコロナ禍でお花畑妄想から目覚めつつある。バランス・オブ・パワー戦略などで新たな「中共後の世界秩序」「独立国家日本」を構築するのが今の我らの歴史的使命ではあるまいか。


全国3500万ヂヂババ同志諸君、夜明けは近い! イザ戦わん、あの世も近いぜ! 靖国で逢おう!(2020/7/18)

2020年07月17日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(33」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/143(2020/7/16/木】もうすぐ梅雨明けだが、「今年はよく降るなあ」とは毎年の嘆息だろうと思っていたら、例年の3〜7倍も降っているという。あちこちで水害が発生して大変だ。



想定外 いつでもあるよ 覚悟しな 悔いているより まずは前進(修)



生きている、生かされている、這ってでも前へ進もうという気概を持ち続けるのは大変だが、大災難の体験者として自分と周囲を観察、記録しておく、それが天命だ、と思うこともいいのではないか。



「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」



鴨長明の「方丈記」1177〜1185年の大火、竜巻、飢饉、大地震などの貴重な記録だ。この書によって我々は多くのことを学ぶ。転んでも、死ぬ目に遭ってもただでは起きないという根性、気概、好奇心、使命感は大事だと思う。



水害で溺れたという実に希少な経験をした小生は7歳だったからあまり覚えていないのは残念だった。



<狩野川台風(かのがわたいふう)は、1958年(昭和33年)9月26日に伊豆半島に接近し、翌27日に神奈川県に上陸して、静岡県伊豆地方と関東地方に甚大な被害をもたらした。



狩野川台風は、1951年の統計開始以降で死者・行方不明者数が3番目に、負傷者数が9番目にそれぞれ多い台風となり、さらに台風による浸水被害は統計史上1位の件数となるなど、日本における台風の歴史の中でも記録的な被害をもたらした>(WIKI)



川や雨は「恩恵>水害」で、コンクリートで固めるとまったく風情はなくなるので難しい。小生の愛する多摩丘陵(多摩区)は土砂災害特別警戒区域が136もあり、どう考えても崩れそうな斜面にマンションが建てられていく。



平地は洪水、斜面は崩壊・・・地震もあるし・・・絶対安全なんていう土地はないということだな、当たり前か。



梅雨になると田植えを思い出す。わが街は「稲田地区」とも呼ばれているくらい稲作は盛んだったが、今は水田はほとんど住宅地と化した。



<水田:主として水稲を栽培するために周囲にあぜをつくり,水をたたえることのできるようにした耕地。水稲の栽培は日本には縄文時代には伝来しており,最初河口などの湿地での無肥料,直播であったが,弥生時代中期には水田用のあぜや水路が存在したことが確認されている。



2014年現在日本の総耕地面積は 451万8000ha,うち水田は
157万3000ha。北海道・東北・北陸地方では水田単作であるが,東海以南の地方では多毛作を採用するなど,集約的な利用形態がとられている。



水田稲作は北緯 51°(ロシア極東なら樺太の中央、沿海地方あたり)から南緯
35°(豪州ならシドニーあたり)までの地球上の各地に普及しており,特に日本,中国,朝鮮半島,インド,ミャンマー,ベトナム,タイなどの東南アジア諸国と,米国のカリフォルニア州などで盛んである>(ブリタニカ)



ネットによると豪州のコメ生産は日本人が「種まく人」だった。WW2で豪まで攻め入ったのにも驚いたが、いやはやご先祖様は大したものだ。



<松山藩の武士の息子として育った高須賀穣氏は18歳で結婚し、その後松山市選出の帝国議会議員として活躍後、知人の影響で、オーストラリアに渡りました。



彼は広大な豪州の地で、米作りにチャレンジしようとしたのです。当時、オーストラリアには、米を作る農家はなく、設備も種もない中で、無謀ともいえる挑戦がはじまりました。



高須賀穣氏が政府から土地を割り当てられ米作りをはじめたのが1906年。家族で水路や田をつくり、米作りを試みるも羊が敷地に入る被害や、水不足や洪水、旱魃などさまざまな問題に直面し、何年もの間、失敗を繰り返しました。



洪水をコントロールする堤防をつくるなど、米を作るための努力を続けた高須賀穣氏が米の商業生産に成功したのは1914年。米作りの挑戦をはじめてから8年後のことです。



収穫した種子を、種子業者およびニュー・サウス・ウェールズ州農業省に販売。南オーストラリアで育成された米が商業販売されたのは初めてのことで、劣悪な環境下の中での偉業といえます。



高須賀穣氏の籾は、(シドニー近い)リートンで最初に試みた米作りに使用され、その後、ジャポニカ米の研究に力が注がれることになりました。10年後、リートンの米づくりは、オーストラリアの農業の中で最も成功を収めた米産業へと発展しました。やがて、オーストラリアの米産業は、他国へ輸出するまでに成功したのです>



氏は「豪州米の父」と呼ばれ、「穣」というブランド米も日本に輸出されている。それにしても豪の農家一戸の水田は400ha、日本の400倍だという。戦前の日本が満洲開拓に必死で励んだ気持ちが分かるなあ。



話を戻すと、孫の通う市立下布田小学校では校内の田んぼで田植えを体験する。



「泥の中で作業をすることにはじめは抵抗があったみたいですが、徐々に泥にも慣れJA職員指導のもと1本1本丁寧に真剣に田植えを行いました。普段当たり前に食卓に並ぶお米も作業の1つでもこんなに大変なものだと実感し、米作りの大変さとまた日々味わうことの喜びを改めて感じ取れた貴重な体験となりました」(JAセレサ川崎)



人口150万人の川崎市だが、農地面積は東京ドーム換算でたったの66個分しかない。豪州や米国なら農家1軒分にも満たない。果樹園(多摩川梨)と野菜畑がほとんどで、水田はまさに希少な「歴史遺産」だ。



わが街の東には奇跡的に水田が残っている。見に行ったら50m四方で中型マンションなら一つ分だ。小型コンバインで苗はすっかり田植えされ、20センチほどに育っており、合鴨のつがいがのんびり泳いでいた。



「川崎市生産緑地」に指定されているが、相続税(贈与税)納税猶予制度があるものの、地主には生産緑地はどうも人気がない。「公道へのアクセスが悪いからマンションは無理。とりあえず生産緑地にでもしておこう、俺の趣味にもなるし」という感じのようだ。



近くに豪邸があり、水田のオーナーかも知れない、違っても何か話が聞けるだろうと門前に行ってみたが、「来訪者お断り」的な雰囲気があったから止めた。わが街の地主は「土地を活用しませんか」の訪問者にうんざりしているのだ。



我が家の近くの生産緑地オーナーは小生が10年以上かけて手なずけたので、最近はようやくニコニコするようになった。もう5年もすれば土地は俺のものだ・・・とはならないけど、「このトマト、烏がつついちゃって売りものにならないから、良かったら持ってって」くらいにはなるだろう、小生が生きていれば。



この春に中姉が解離性大動脈瘤の手術を受けたが、介助されながら10分ほど歩くのが限界だという。一昨年は大姉が同じ病気で手術している。そういうDNAかも知れない。穏やかに暮らしていても一寸先は闇、知らぬが仏だな。



良き人も ダメな人でも 差別なし 天網恢恢 病魔は襲う(修)



やるべきこと、やりたいことは生き急ぐようにどんどんやっていった方がいい。心技体、気力・能力・風向きなどの充実を待っていたら、何もしないうちにエンディングだ。



走りながら考える、考えながら走る。自分の運命は他者をあてにせず自分で切り開く・・・連帯を求めるも孤立を恐れず、まずは自立した人間、自立した国家であることが大事、一丁目一番地だ。



戦後世界の「仁義なき戦い:国際編」を振り返れば――



1945年から米国組とソ連組の二大勢力の冷戦時代になった。1949年にはソ連の支援を受けて支那に中共組が結成された。



中共組は60年代には金欠のソ連組から離脱、70年代以降は金満の米国組をたらし込んで順調に軍事力、政治力を強めていった。



米ソの血を流さない覇権戦争は、核戦力など軍拡競争の果てに1989年、ソ連組は金欠でつぶれ、規模を縮小してロシア組に再編されたが、ひもじくても軍拡こそが国の柱だという民族性から軍事力強化を進めている。



中共組は「私はパンダ、大きいけれど無害よ、抱きしめて」と米国組にすり寄り、米国組はみなパンダハガーになった。尻の毛まで抜かれるという体たらく。



このままなら世界はそれなりに安定していたかもしれない。



「まあ、色々あるけどね、ケンカになると、それでなくても危ういオカラ工事、手抜き工事、土手より福祉、安全より見栄えのダムとか、俺らの極道世界でも積み木崩しが一気に起きかねないからね、隠忍自重とか見て見ぬ振りとかしておいた方がいいんでね」



(ダムと言えば、台湾は攻撃されたら某国の巨大ダムをミサイルでぶっ飛ばす覚悟とか。WW2でも英国はドイツのダム4か所を空爆、2か所で決壊に成功。操業不能に陥った軍需工場は125箇所に及んだという。要塞のように迎撃態勢が整っているのでダム攻撃は難しいようだ)



中共組に色々不都合はあってもとりあえずは日和見で・・・それはそれで一理か二理か三理はあるだろう。理想とは離れているけれど、地獄ではない、火種はあるけれど下手に水を掛けたら一気に燃え上がりかねない、今は警戒するだけにしておこう、と。それなりの平和的な安定ではある。



ところが好事魔多し、「歴史は銃口から生まれる、東風が世界を制す」という毛沢東原理主義の遅れてきた妄想性痴呆症紅衛兵・習近平と、「俺はボランティアの武装サンタじゃない!米国復活はタダ乗り中共バッシングと上納金をケチる組員叩きから」という怒鳴る人・トランプが、「戦後的疑似的それなり平和体制」に露骨に、遠慮なしに削岩機で穴を開け始めたのである。



ヘビー級1位が2位にジャブを当て、2位がコーナーに下がったところで武漢出身コロナ服の変な奴が現れて毒薬を撒き試合中断。



1位は組長選挙の真っ最中。2位は我が身が臨時組長選挙で引き吊り降ろされかねない不安に加えて、ライバルのインド組が敵意を募らせ、すこぶる怪しいロシア組がインドに秋波を送り、香港レイプで欧州からも非難されるという自業自得の緊縛状態・・・



米国のオンリーさんになって仁義なき戦いを「私は敗者、戦争はもうこりごり、愛に生きるの」とせっせと芸者フジヤマ、トランジスターガール、カー、ゲーム、マンガ、バラマキ援助資金で血を流さずに一国平和主義でやり過ごしてきた撫子ジャパン。



そういう時代は今、終わり始めた。第1ラウンドがたまたま中断しただけ、またゴングが鳴ってゲームは熱く燃え上がるだろう。



歴史は損得や理性ではなく概ね感情で動くのではないか。少なくとも二つの世界大戦は(ドイツ人の)気分、感情、発狂で始まり、最後は原爆という冷静冷酷な無差別大量殺人実験で終わった。



結婚は感情による。理性で結婚する人は稀である。一方で離婚する際は皆いろいろ損得などを勉強し、理性でする。一時的な感情で離婚する人はまずいない、目に一丁字もない人が「貰うものは貰う!」と「ニコニコ離婚講座」を真剣に読んだりして理性、勘定を働かす。



理性で冷静冷酷な対日作戦を練り、米の国民感情を盛り上げる・・・FDRルーズベルトは上手かった! 初心な日本はまんまと罠にはまった。この際だからオンリーになっちゃおうと決めた吉田茂も岸信介も大したものだ。えげつないリアリスト。



今、日本は大きな選択を迫られている。



米国から富岳級の中距離核ミサイルをレンタルして(あるいは独自に開発して)ハリネズミになって閉じこもるか、それとも核保有国として対中戦で米国組・英印豪加台とともに打って出るか。



世界は永世中立のスイス(銀行)を必要としているが、スイスだけで充分である。ハリネズミの巣ごもり戦略は戦勝国、敗戦国の双方から侮蔑されるからまず亡国になる。



即ち日本は抑止的核武装をして第一線で戦うのがベストだ。敗戦国から脱して列強の地位を取り戻し、少なくとも東シナ海の安全に大いに寄与すべきだ。



(スイスは全人口を収容できる核シェルターを備えている。覚悟が違う)



また、日本の何とも言えないアバウトな“多神教”、どこでも神、なんでも神、アンタも神、おいらも神という考えを広めれば世界はずいぶん天国に近づくのではないか。



宗教/神のために人間があるのではない、人間のために宗教/神がある、心の中のわが内なる神性を磨き、人間の幸福に寄与せよ、世界は一家、人類は皆兄弟姉妹、八紘一宇・・・いい教えだ。



戦争のない世界、恒久平和の世界へ。世界は日の出を待っている・・・100年、200年の長いプロジェクトだが、2000年も一つの国であり続けた日本ならできるだろう。(2020/7/16)



2020年07月16日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(32」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/142(2020/7/13/月】カミサンは今週末から母(小生にとっては義母)の三回忌で奄美大島に帰郷する予定だったが、コロナ禍が終息していないので中止になった。


大島と言っても半日もあればのんびりドライブできる小さな島で、人口はわずか4万人強しかない。ちょっと歩けば同級生などに出会うという、一種の閉塞された町村である。面識がない人でも知人の知人あたりで共通項がめでたく見つかる世界だ。


風俗嬢にでもなれば一日で島中の話題になり、2日目には周辺の小島でも話題になる。だから風俗嬢はすべて本土からのワケアリ移民、出稼ぎだ。そういう島。


現在の島での最大の話題はコロナである。感染した島民は数人ととても少ないが、いずれも遊漁船、飲食店関係者で、本土から来島した客から移されたとか。


そうなると最低でも2週間は商売できない。風評被害で1か月、2か月は開店休業もあり得る。


島民は高齢者がとても多いためもあって50%ほどが生活保護を受けており、義妹に「島の景気はどーよ?」と聞くと、「景気がいいという体験をしたことがないから・・・ずーっと今のまま」。名産の大島紬がほぼ壊滅し、それに代わるこれという産業もなく、国の支援による公共事業でまあまあ暮らしている感じだ。


そういう暮らしにあってコロナ禍で休業を強いられたら、元々少ない預貯金はたちまち底を打つ。だから感染を恐れて近所の人でも寄ってこないだろう、まるで村八分状態ではないか。


へたをすれば村や街自体が忌避されかねない。島での暮らしはもともとが人間関係が濃厚でウェットだから、若者は息苦しさと就職難から外に出たがり、結局、濃厚度は高まるばかりかも知れない。孤立しては生きていけないのだ。


(若者が出て行ってしまうから親は否応なく生活保護に依存せざるを得ないというカタチ。これが完全に根付いており、誰も疑問に思わない。思っても口に出せない)


孤立を招く感染を恐れる、菌を持ち込むのではないかと本土からの人を恐れる、法事でも万一感染となれば大変な人災になる・・・かくして土建会社の二代目である義弟は法事の中止を決断したわけだ。従業員や現場の他社の人たち、元請け、施主のことを考えればやむを得ない措置だ。


日本中、特に過疎地では、感染者が少なくてもコロナを恐れる気持ちは都市部の匿名社会とは比較にならないほど大きい。小生らができるのは“渡航自粛”ぐらいしかないが、それは観光産業を破壊することでもある。せめて政府の手厚い支援を願いたい。


なんとも二進も三進もいかないどん詰まりのようで、まるで膠着状態の戦争みたいだ。「進んで灯りをつけませう」・・・こんな話はどうだろう。


昨日、多摩川を渡った調布市でピカピカの「日活調布撮影所」を発見した。近くには古びた巨大な建物が2棟ほどあったが、これがスタジオ、つまり汗と涙の戦場で、ピカピカは表玄関、管理棟のようである。


<約4万5000平方メートルの敷地内に5つのスタジオと、編集室、スタッフルーム棟、大道具・小道具関連の建物が所狭しと建っており、かつて東洋一と謳われたスタジオの面影は薄れているが、現在でも膨大な数の映画・テレビドラマ・CMがこの地で作られている。


2012年には日活100周年に合わせてスタジオ全体の大幅な改修工事を完工し、慢性的な問題であった駐車スペースの拡充やスタッフルームの増設・食堂のリニューアルが行われた>(WIKI)


小生の世代だと、日活と言えば1971年からの「ロマンポルノ」であるが、社会人になりかけていたからあまり見ていない。大体、あれは見るものではなく、するものだ。


学生時代は高倉健、鶴田浩二、藤純子らの「昭和残侠伝」(東映)はそこそこ見た。大体、あれは見るもので、するものじゃない。その認識がなかったから転んで怪我したが、怪我の功名もなかったわけじゃないけれど・・・まあ、複雑な思いはするね。


映画好きの友は毎日のように映画館巡りをしていたが、面白かった、感動した、以外に得るものがあったのかどうか。勉強になった、人生が変わったとか、あるのだろうか


小生が人生で一番影響を受けた映画は「アルジェの戦い」。1970年前後に見て「俺は革命のために無差別テロができるのか」とぞっとし、肌が粟立った。いくら大義があろうとも小生にはそれはできない。


しかし、除染の機会がなく、洗脳され続ければ、やがてオウムのように、日本赤軍のように実行したかもしれない。


暴走しかねない小生に友は何も言わなかったが「この本を読んでごらん」と共産主義の圧政に殺された人々の多くの物語を差し入れてくれた。義兄は殴りかからんばかりに強く諫めてくれた、「党の命令ならお前は親でも殺すのか!」と。


振り返れば多くの善意によって俺は生かされてきたのだと思う。愛してくれている人、心配してくれている人がいたから今の自分がある。有り難いなあと思う。何だかウルウルしてきた。除染が効いてきたのか。


今日はどうもチャラケタ話にはならなかったが、いよいよ昇天の前触れか。大岡昇平がジャングルの中でポツンと現れた少年のような米兵を撃たなかった、撃てなかった気持ちが少し分かってきた。(2020/7/13)

2020年07月15日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(31」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/141(2020/7/11/土】周囲から怪しまれないように、ちゃんとした作業着を着ようかな、専修大学の先に専門店が確かあったから行ってみよう・・・


この安直な思いが小生の体と脳みそに強烈なムチを与えることになるとは全くの想定外。一寸先は闇とはよく言ったものだ。この作業服店には自転車ではまず行けないのだ! 知らぬが仏、後の祭りのような冒険譚を一席。


我が家から車なら川崎街道(府中県道)へ出て、小田急線をまたぐ跨線橋を渡り、世田谷道りに出るのが最短だが、自転車だとそもそも跨線橋には歩道がないのだから立往生。グチャグチャに曲がりくねった細い「永遠の仮設」的下道を行くか、遠回りするしかない。


「どうなっているんだ、如何にせん」と茫然としていたらタクシーが来て、慌ててバックしていった。下道はプロでも分からないほどの迷路なのだ。一帯は再開発で旧道は消えて臨時の迂回路などができるので、たまに来ると大いに困惑する。


どうにか難関を突破したが、多摩丘陵を越えなければならない。自転車を押しながら緩やかな坂を上って行ったが、勾配が少しずつきつくなる。休み休み上るが、ヒーヒー、ハーハー、汗びっしょり。


やがて坂道の両側は専修大学生田校舎群(生田キャンパス)になり、今は部室になっている古い建物や、解体を待つような閉鎖された建物、栄耀栄華の昔を忍ばせる重厚な建物まであり、まるで城塞都市みたい。住所表示は「桝形」で、近くには戦国時代の山城「桝形城址」もある。


道路はうっそうとした木々に覆われ、小雨は降り出す、土曜なので学生の姿もない、カーブを曲がっても曲がっても頂上が見えない、今さら帰るに帰れない、結構心細くなる・・・と、ピカピカのまるで建築デザイナーの作品ような建物が現れた。周囲を睥睨し、本丸、天守閣のよう。ようやくここが頂上だ。


駅から遠く、上り下りの激しいキャンパス、学生は若いから苦にしないのか。ネットではこんな声が。


<駅から徒歩15〜20分はかかるので便利とは言えない。駅周辺にはスーパーやご飯屋さんもあるので、一人暮らしの人は生活も困らないし、遊ぶところがありすぎないので勉強もはかどる>


<東京都の神田キャンパスは法学部のみで、それ以外の文系学部や理系は神奈川県の生田キャンパスにあります。神田というと、中央線などが走っていて、新宿や御茶ノ水などにも程近い位置という印象で、かなり都会という感じがすると思います。


逆に生田キャンパスは神奈川県民でもなかなかこの地域に行くことが少ない(僻地)と思います。専修大学を目指している方は、この生田キャンパスで学ぶ可能性が高いということは覚えておきましょう。


生田キャンパスは駅から結構離れているので、ちょっと不便かもしれません>


周囲は山また山の僻地と言えば僻地。歩きを含めて新宿まで1時間はかかるアクセスの悪さは勉強するにはいい環境かも知れないが、社会勉強(バイト、遊び、飲む打つ買う、人間観察)ではどうなんだろう。


若者にとってアクセスは「便利とは言えない」「ちょっと不便」だが、ヂヂイにとっては山裾から頂上まで片道30分はかかり、難行苦行だ。わしゃ、もうアキマヘン。


専修大学が箱根駅伝の常連校であるのは納得した。否応なしに脚力は鍛えられる。因みに開校に際しては福翁も協力したそうだ(だから悪口は言いません)。


頂上から下ると浄水場、その先には作業服店があるはずだが、小生はもうヘロヘロ、ギブアップ。新築マンションだらけの浄水場通りを勢いよく下って絶叫マシンの爽快感を楽しみ無事帰還した。


毎日面白おかしく過ごしていると、この世への未練が増すようで何となく不安ではあるね。未練たらたら、執着とか。「それが自然」と言われればそうだけれど・・・


両親と義母は眠るように死んだが、その少し前までそれなりに意識ははっきりして苦しみもなかったから、まあ大往生だろう。「じゃりン子チエ」のテツそっくりの義父は60歳ほどだったから「理不尽だ!」と暴れたそうだが・・・


最期まで理性をもっていたいから(モルヒネなどによる)安楽死は嫌だ、苦しみに耐える、という人もいるけれど、看取りの人はかなり辛いのではないか。


落ち着きと平常心で「死を受け入れる」・・・言葉は美しいけれどとても難しそうだが、「立派な自裁」は今の時代では「介錯」制度がないので超難関だ。


西郷先生、松陰先生のような無私、潔さ、美しさ・・・強烈な意志がないとできるものではない。三島由紀夫、森田必勝、三浦重周・・・西部邁は介錯させれば同志が刑務所行きになるから入水を選んだのだろうが、ちょっと気の毒だ。



小生にできるのはせいぜい諦観、最期は封印解除で飲みまくり、急性アルコール中毒で逝く、というのは魅力的かつ現実的だ。どじって緊急措置入院、精神科急性期閉鎖病棟に再びぶち込まれ、ナースやカウンセラーから「あら、出戻り」なんて白い眼で観られたり。太宰曰く「悪い予感はよく当たる」。


「日本と中国の死生観における相違点について」(教えて!goo)から。


<中国の死生観の伝統的な特徴は、大家族制度と祖先崇拝によります。古代からのもので、儒教はこれらを肯定しますが、中華人民共和国になり、儒教は否定されました。


しかし、大家族制(宗族)と大結社制、そして祖先崇拝は相変わらず中共にあります。どこどこ県の「李」であるとか、何何省の「張」というように、祖先を同じくする共通の一族だという考えです。


家族連累は100万人とか300万人とか、途轍もない話になり、しかも、それらが互いに家族の連絡組織などを持っています。


派閥制度も、大家族制度と並んで全国的に巨大なものがあり、「裏の社会」は、日本など比較にならない、複雑で巨大な結社が競合しています。大結社や大家族の後ろ盾を持つ者が、政治、経済の指導者になったりします。


中国文化は元々現世的・現実的で、「あの世」とかを考えませんでした。不老長寿の仙人という考えはありましたが、仙人は「不死」ではありません。


人が死ぬと、祖先崇拝から「祖先の霊(祖霊)」に報告したり、捧げものをしますが、祖霊は曖昧で、いてもいなくてもどちらでも良いという考えのようにも思えます。


中国では、人は孤独では生きられないため、大家族または大結社の後ろ盾で世に出ます。現世的成功をおさめるのにコネを使うのが中国の伝統です。


「死生観」は、現代の若者だと中国も日本もあまり変わりがないように思えますが、中国では事実上、宗教禁止、無神論の唯物主義です。(その代わりに)先祖崇拝、家族結社があるのです。


「死」は、中国人には「無」でしょう。しかし、名を残し、子孫を残し、祖先崇拝と記憶のなかで「誉れある者たらん」というのが死後のヴィジョンでしょう。


なにごとか現世で大きなことをするに「死」を恐れないという気風がまだ現代にも残っていると思います。


日本人にとって「死」は今や「無」になって来たのですが、年長者は「生命の更新」という意味の死後の転生を無意識的に望み、祖霊となって子孫を見守ろうという考えが、心のどこかにあると思えます。


中国は元々、非宗教的、現世的で、仏教や道教は「この世でいかに生きるかを教える宗教」になったとも言えるでしょう。伝統的な中国人の理想の生死は、「子孫が多く、富み栄え、長寿で、病がない」ということです。死後の世界については「あるなしを語らず」です。


日本は、流転する自然の四季における更新される自然・生命という原始的な信仰がありました。これに仏教、道教などが重なると、輪廻転生とか、あの世とか、極楽地獄の思想になります。中国にもそういう思想は芽生えましたが、日本の方がずっと強度があり、影響力が大きかったのです。


中国で仏教として残ったのは、禅のような現世思弁的なものか、この世をいかに生きるかの世俗的倫理的な教えです。閻魔などは信じていなかったと思います。


日本と中国は祖先崇拝は同じでも、中国は「現世利益のための結社の軸としての祖先崇拝」であり、日本では「現世の利害を超えた、自然で、やすらかな、漠然とした祖先崇拝」です。


中国人は心の奥底で、死後の生を「考えていない」。日本人は心の奥底で、死後の生を「信じている」。中国人は未来を切り開こうとし、日本人は生きるのに疲れて惰性で生きている、というのが現状でしょう>(以上、要約)


なるほどね。最後の一節は「?」だが、よく分かりました。中国人の強烈な現世利益志向、日本人の柔和な欣求浄土志向――


日清戦争で従軍記者として戦場にいた岡本綺堂は、「昨日敗退した清兵2人が今日から我が班の雑役夫として雇われた。親身になってよく働いてくれ、曽我兄弟に因んで五郎、十郎と名付けられ、皆からとても愛された」と書いていた。


小生は「どうなってるんだ」を思っていたが、清兵の多くは無理やり拉致された若者で、ほとんど奴隷。清軍への忠誠や、日本軍への敵意があるはずもなく、雑用して稼げるのなら日本軍に従軍しようというわけだ。


現世利益志向とは「儲かればすべて良し、実利が大事」ということである。日本軍は「立派に死ねば名誉と天国がある、命惜しむな、名こそ惜しめ」、突撃も辞さない。どちらが勝つか、明白だ。


支那事変でも多くの庶民は日本軍が来ると匪賊盗賊が逃げ出し治安が良くなるので歓迎した。毛沢東も「日本が蒋介石・国民党軍を叩いてくれたので勝てました」と感謝した


習近平の中共軍も督戦隊がなければさっさと逃げる「張り子の虎」だろう。4000年の遺伝子が変わるわけはない。同盟国と連帯し中共を潰せば13億の人民から「厭離穢土」と感謝されるだろう。(2020/7/11)

2020年07月14日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(30」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/140(2020/7/10/金】わが街界隈でデパートと言えるのはマルイ(神奈川県・溝の口)と高島屋(東京都・二子玉川)しかない。ちょっとセレブの買い物、例えばお祝いの品を買うとなれば、どうしても高島屋の包装紙でないとダメなのだ、女どもは。


「バラの包みの高島屋」、中身はさておき、この包みに大なる価値があるわけ。ファッション、装いなわけね。


男は「中身が肝心だよ、中身が!」と外装を震える手でとっぱらって、とにかく手を出す、両手を合わせて拝んだら、いっただっきまーす、さっさと食べちゃう、邪魔が入らないうちに。


外装なんて枝葉末節、美味ければいい、実質重視、デパートだろうが場末の店だろうが屋台だろうが、美味しければ出自を問わない、安ければなおいい、たまにビョーキをもらったって「ナマは足が速いから、道端で売ってるのは気をつけた方がいいなあ、まあ、勉強にはなった・・・明日は朝一で病院だな、チッ!」でオシマイ。


先日、ちらちら小雨が降ったりやんだりの中、多摩川土手を下り、二子橋(ふたこ、道路)と二子橋梁(東急電車)が並んでいるところまで行った。対岸は高島屋やショッピングセンターなど高層ビルが5棟ほど林立する二子玉川、通称ニコタマ。神奈川県側のこちらは二子新地。


今は川を挟んでいるが、この二つの街は昔は一つだったのだろう。橋は昔からの大山街道(今は並行して国道246がある)に続いており、江戸と大山を結んでいる。川崎国道事務所によると――


<大山街道の起点は赤坂御門とする説が有力とされ、現在はその石垣を残すのみとなりましたが、江戸時代の大山詣りには欠かせない重要な出発地点でした。


赤坂御門を出発して青山を過ぎると、渋谷の宮益坂に差し掛かります。往時の宮益坂は富士見坂と呼ばれ、その名のとおり富士山を眺めることができました。頂上付近の見晴らしのよいところには、牛や馬をつなぎ、一休みできる「立場茶屋」があったとされています。


宮益坂、そして道玄坂を過ぎると、江戸から厚木までの四十八坂のうちでも大きな坂であった「大坂」があります。


渋谷・三軒茶屋・用賀をへて、多摩川の「二子の渡し」(冬は「仮橋」)を渡ります。幕府が江戸攻略を恐れて架設許可をしなかったため、渡し場が設けられていました。


渡しを渡って少しばかり行くと「溝口・二子宿」に。街道沿いには多くの商店が軒を連ねています。二子名主大貫家や溝口の問屋丸屋など、上方から「下り荷」と共に、伊豆の乾魚、椎茸、駿河の茶、真綿、秦野の煙草が集積され、出荷調整が行われている「物流センター」としての役割をはたしていました。


この他、需要に応じて街道沿いの村々から、炭や薪、生鮮食品や醤油、油等が大山街道を上り、多摩川を下って江戸へ送られました>


天皇様のおられる京都が「上」だから江戸へ向かうのは「下り」。一流のいいものは京都あたりから将軍のいる江戸に「下って」来るが、そうでないものは「下って」来ない。「下らない」の語源だそうだ。


閑話休題。上記の二子名主「大貫家」は豪商。爆発したタローの母上、ロシア革命に洗脳されて「一夫一婦制なんて許さない!」という翔んでるトンデモ女、岡本かの子の実家だ。近くには死ぬまで「俺の父親は誰だろう」と苦悩したタロー作「岡本かの子文学碑」がある。


我が父は近衛兵になるまでは実家の農業を手伝っていたが、名産「多摩川桃」の出荷時期(7、8月が最盛期)になると大八車に桃の箱(12個入り)をどっさり乗せて二子橋を渡り、瀬田、用賀まで(等々力渓谷から武蔵野台地への)結構急な坂を上るのだが、「そこが一番の難所だった」と言っていた。それを越えたあたりに集荷所があったのかもしれない。


(瀬田の坂上には大平正芳総理の私邸があり、急逝した際は弔問者や記者でごったがえしていた)


大山街道は今は国道246に交通大動脈の役割を譲ったが、歴史ある旧街道だけに立派な寺や老舗の風情は残っており、ちょっとした旅行気分を味わえる。道、両側の建物、人が馴染んでおり、いつもは密集地を嫌う小生の心が和やかに落ち着いていたのは不思議だった。


荷風は玉の井など怪しげな陋巷が大好きだったが、再開発できれいさっぱり消えてしまう前に大山街道周辺を探ってみよう。


街はよそ行き風の包装紙で包んだ「表通り」、一歩入った生活臭漂う「裏通り」、さらにちょっと怪しげな「陋巷」があってこそ風情があるのではないか。


清潔で美しく整然とした美と機能一点張りの街・・・確かにシャンゼリゼは美しかったが、小生は裏通りが好きだった。カメラが趣味の先輩は何気ない裏通りに「ああ、パリだなあ、いいなあという発見、感動があるんだ」と言っていたから、その影響もあるだろう。


(先輩も表裏があり、裏ではホテルオークラの従業員を殴り飛ばした事件が本社にばれてクビになった。裏の顔は時に怪しい)


都内なら小生は新宿がいいなあ。


新宿には残念ながら「おしゃれと清潔」は表通りでも全くない。そもそも品性なんて皆無だ。


カネ、汗、精液、涙、血、薬、欲望、愛、恋、性欲、食欲、ゴミ、汚物、人種、犯罪、野性、喜怒哀楽、そして小さな花とわずかな知性がトッピングされた異次元的な裏通り。そして怪しく危険に満ちた陋巷。


現代によみがえる「ソドムとゴモラ」、世界遺産級である。


新宿駅西口の怪しい解放区の暇人を眺め、汚物の臭いの小便横丁を抜け、紀伊国屋で書籍を物色し、裏通りのエスニック臭に満ち溢れた料理店街を逃れ、コマ劇場からこの世の天国と地獄、美醜、LGBT何でもありの歌舞伎町、さらに花園神社、旧赤線地帯の花園通りまで、テレテレ散策すればあっという間の3時間、眩暈するほどのオツムと体をドトールのアイスコーヒーで癒していく・・・


「ああ、世界のSHINJUKU、リトルポンド・リリーの城下町よ、お前の醜悪が俺の心と脳みそをガラガラポン。俺の五感は刺激に酔い、嘔吐し、疲れ果て、そのダメージが俺を止揚する。大嫌いなのに離れられない、ときどき無性に会いたい、リリー女王様、もっともっと強く、イスラム風のムチを・・・」


自虐的なマゾか。


新宿は道徳で抑えられていた人間の本能、本性をとことん(疑似的に)解放するテーマパーク「Tokyo
Barbarian Resort &
Spa」として世界にアピールすべきだな。1泊2日ダイヤモンドチケット50万円でも世界中から禁欲を強いられてきた善男善女が押し寄せるだろう。


総合監督はもちろん中共帰りの巨匠・蒼井空センセイ、広報宣伝部長はエジプト帰りのリリー様。わしゃソープの下足番だな。ま、3密規制が解除されてからの話だが。


トコトン汚いとか、身の毛もよだつ怖いもの見たさ、というのも一種の嗜好か。無礼講、お祭りは皆好きだろう。ヒステリー、失神も許容範囲。心神耗弱、心神喪失による悪事は「責任を問われない」だけに最悪の蛮行だが、それ以外の不道徳はええじゃないか、ええじゃないか、の世界。


破壊本能とかサドマゾ嗜好は結構、多くの人が持っているのではないか。上品な奥様が「イライラしてどうにも我慢ができなくなると、庭でビール瓶を思いっきり割るの、すっきりするわ」と言っていた。


運命(destiny)、本能(instinct)、遺伝子(gene)――智慧とか理性でコントロールできない部分は結構あるのじゃないか。「考える葦」たらんとしても、


「つい出来心で」「ムラムラして」「成り行きで」「ノーと言える雰囲気じゃなかった」「今さら引き返せない」「もう運命」。ひどいのになると「何となく」「できちゃったし」「あざなえる縄ということで」。軽佻浮薄、小生みたいな奴だな。


「人生は賭けだよ、賭け! 熟慮断行してしくじった奴、石橋を叩き壊しちゃった奴、いっぱいいるよ、狂の一字で吶喊するしかないという場面もあるし」と居直ったり。単純短絡、これも小生みたいな奴だ。


前を向いてしっかり歩くのもいいが、ちょいと横丁に入ったり裏道を探ったりというのも楽しい。荷風はそれで名を成したのだから、大したものだ。


大体、人生は子育てが終わればゴールで、公式ゲームは終わり。その後の余生は迷惑をあまりかけないよう散歩するとか、少年に帰って戦争ごっこ(シミュレーション)するとかがお勧めだな。


米国では火付け、強盗、器物損壊、射殺事件が急上昇、蛮行のパンデミック状態。殺人は日常茶飯事だから「政治的利用価値なし」の殺しはニュースにもならないという、ほとんど無法地帯、ジャングルだ。下劣。


現役世代が仕事もせず就活もせずにアカに踊らされて暴れ放題の革命ごっこ。政治・政策により教育や就職で優遇措置をとったところでロバはロバ、馬にはならない、民度は向上しない、と多くの人は理解したのではないか。


米国も世界もこれからはマイノリティに優遇措置をとったり、生活保護をばらまくことは控えるだろう。ブラックパンサーは言っていたものだ、「黒人はどんどん子供をつくれ、ピッグ(白人)が育てる」と。


ポストコロナの世界は、「忍耐、寛容、互助、平等、博愛」といった戦後民主主義のバラ色の包装紙はなくなり、「自由、民主、人権、法治」+「自己責任」の初期設定に戻るだろう。そもそも経済成長はおぼつかないから「ない袖は振れない」。


平時から戦時へ、という時代に「バラマキ福祉? 努力もせず、それどころか足を引っ張っていながらよー言うわ」と普通の人は思うのではないか。ケネディのスピーチライターは「国家が何をしてくれるかではなく、国家のために何ができるかを考えよ」と国民の奮起を促した。米国と世界、特にEUが正気を取り戻すことを期待したい。


なんか偉そうなことを書いてしまい、恥ずかしい気分。病膏肓、ついに産経脳か。キチ〇イの妄想と嗤って許してくらさい。(2020/7/10)


2020年07月13日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(29」

“シーチン”修一 2.0



【Anne G. of Red
Gables/140(2020/7/9/木】日本は基本的に単一民族だ。日本人=日本民族=日本人種で、これは世界でも珍しい部類だろう。


日本人のご先祖様を辿れば「源平藤橘」とかになる(?)そうだが、それ以前の石器時代、縄文弥生時代でも単一民族の「委人」である。支那が名付けた「小柄な人、チビ」という意味だ。それ以前は「東夷、東の蛮族」で、やがて「奴らは人間らしい」からと人偏をつけて「倭人」になったようで。


ちなみに現在の日本を罵倒する「小日本」は「取るに足らないチンケな日本」、「日本鬼子」は「鬼畜生の嫌な奴」。一方で支那を罵倒する日本語は「チャンコロ」、小生は「アカ」「中禍」「阿Q」をよく使うが、やはり漢字を発明した支那人の方が上手いね。罵る言葉はとても多いとか。


世界の中心に咲き誇る花だから「中華」。これはいただけない。慎み、遠慮を知らず、臆面もなく己の夜郎自大、無知蒙昧、唯我独尊をさらしているようなものだ。


視野狭窄の病める大国・・・毛流チャルメラ笛吹き男について行けば14億の民は「大厄震」、今こそ中華版「乙巳の変」を! 毛沢東曰く「革命は銃口から生まれる」。


閑話休題。ちなみに朝鮮人の蔑称は「二鬼子」で「日本鬼子の子分」という意味とか。可哀想な半島人、三国人。主役になれない「下司徒、ゲスト」、被害妄想の「マゾピー」というのはどうか。


多民族国家の経営は実に難しい。遠交近攻が個人や集団の初期設定で、「みんな仲良く」は理想かも知れないが、まずあり得ない。無理筋なのだ。


旧ユーゴは、チトーの求心力、タガが外れると民族間の血で血を洗う殺し合いになってしまった。


<ユーゴスラビアはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナとコソボの2つの自治州によって構成され、各地域には一定の自治権が認められた。


これらの地域からなるユーゴスラビアは多民族国家であり、その統治の難しさは後に「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と表現された。


このような国で戦後の長期間にわたって平和が続いたことは、チトーのバランス感覚とカリスマ性によるところが大きいとも言われる。1963年には国号をユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称。1974年には6共和国と2自治州を完全に同等の立場に置いた新しい憲法が施行された。


1980年にチトーが死去すると各地から不満が噴出した・・・2006年、ユーゴスラビアを構成していた6共和国はばらばらに解体される事になった>(WIKI)


あまりにものグチャグチャのガラガラポンで、小生には何が何だか分からないが、「凄惨、壮絶な内戦と憎悪の果てにユーゴは消えた」のだ。


米国は「人種の溶け合う坩堝(るつぼ)ではなく、人種がそれぞれ自己主張しているサラダボールだ」と司馬遼は書いている。2010年の国勢調査(10年に一度)は自己申告ではあるが、以下の人種構成である。


・白人 2億2360万人/72.4%

・アフリカ系黒人 3890万人/12.6%

・アジア系 1470万人/4.8%


このビッグ3で9割を占めている。


・先住民 290万人/0.9%

・太平洋先住民 50万人/0.2%

・その他 1910万人/6.2%*

・複数人種 900万人/2.9%


ヒスパニック系(5千万人)はそれぞれの項目に分散しているが、「*その他」の人種では97%がヒスパニック系(6割はメキシコ出身)である。(WIKI)


以上の数値を見ると、米国籍の人々は、米国民、米国人であっても、米国民族、米国人種という色分け、くくりはないようだ。色々な素材が鍋で煮られてコラボしているのではなく、サラダボールに「俺は俺」と乗っかっているだけみたい。


公私の「私」ばかりで「公」がない感じ。個人主義というか、私利私欲の利己心だけで、人種がバラバラ、心もバラバラ、国民の紐帯がずいぶん弱い感じだ。


自国を「わが祖国」と思うとか、「愛国心」を持っている、「イザという時は国のために戦う」という比率は、日本の場合はGHQとリベラル≒アカモドキ≒アカ、日教組の洗脳(さらに平和ボケ)で下がりっぱなしだが、米国は大丈夫なのか。


<米国人の愛国心が退潮、16年から6ポイント下落


(CNN2018.7.7)
米国民であることに自負心を持つ比率は4分の3以下で2016年以降、6ポイント下落した。


調査は米世論調査企業「ギャラップ」が実施し、減少の主因は「民主党支持者の間の愛国心の後退」としている。米国人であることに「強烈な誇りを持つ」とした同党支持者の比率は16年の45%が最新調査では32%に落ち込んでいた>


小生の反共バイアスのオツムは、こう解釈する。


<米民主党の支持者は概ね低学歴で、単純労働が主流であり、貧しい人、福祉、バラマキに頼る人が多い。その人たちの支持を得なければ選挙に勝てないから民主党は「福祉、バラマキ、生活優先の内向き」で、「国防、外交、世界秩序への関与は二の次」である。民主党はリベラル≒アカモドキ≒アカ、オブラートに包んだ共産主義者の政党>


アカだから「対外戦争を内乱に転化して革命で金持ちを一掃し、独裁体制を創り、自分たちがオイシイ思いをし、残飯を庶民・奴隷にやればいい、文句を言う奴は殺せ」、これが最大の目的、結果である。


貧乏人とアカがコラボしているのだから愛国心は邪魔であり、レーニンは「教育には自虐史観が大事だ、愛国心は革命の邪魔である」と主張した。


革命後は一転、「共産主義国はこの世の天国」と愛国心を煽って煽って煽りまくる。若者は概ね単純で洗脳されやすいから「中共万歳! トランプ死ね!」というネチズンも多いようだ。


米中冷戦や「米連合(日英豪加印台など)vs中」のバトルは熱くなるばかりだろうが、「強い米国を敵にはしたくないけれど、美味しい14億の市場を捨てるわけにもいかないし」と政治家、経済界は大いに悩むだろう。


しかし「どっちつかずの曖昧な私」では、米中双方から「急の役に立たぬ奴、腰のすわらなぬ洞ヶ峠め!」と信用を失うことは間違いない。


二兎追うものは一兎も得ず。怪しいドイツは洞ヶ峠を選んだようだが、トランプは早速、ドイツに駐留する米軍3万4674人中の9500人を撤収させると脅しをかけた。


グレネル前駐独米国大使によると、ドイツだけでなくシリア、アフガニスタン、韓国、日本でも米軍の縮小を計画しており、各国はハムレット、いずれは「我々は故あって〇〇にお味方いたす」と蔵前籠を演じなくてはならない。


泰平の 眠りを覚ます トランプ王 いかにせんとて 夜も眠れず

日本も平和ボケから覚める時だ。「オカミサン、時間ですよ!」(2020/7/9)


2020年07月10日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(28」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/139(2020/7/7/火】好奇心はいいものだ。小さい頃からオモチャ、ラジオ、双眼鏡、拳銃・・・「どうなっているんだろう」と何でもばらしていた。



(拳銃:ベルギー製のFNブローニングM1910で、帝国陸軍の官給品。生家は米軍キャンプ座間近くで、酔った米兵が女を求めて深夜に徘徊するため父が護身用に備えていた。父が夜勤のとき、20代の母は外から雨戸を開けようとする音に震え上がったという。「黒人兵は怖かった」とよく言っていた)



どうにか分解してタメツスガメツ「ふーん、なるほど」とか「分からん、複雑怪奇」とそれなりに納得すると、また復元していた。



両親は呆れながらも「この子はエンジニアになりそうだ」と何となく期待していた様子で、怒られることはなかった。



小生も何となく「エンジニア」という、敗戦後にGHQがもたらした外来語に引かれてはいたが、就学して分かったのは自分が理科、化学、物理、地学・・・つまり理系学問がまったく分からないし、ほとんど興味がないことだった。父母に読書の習慣はなかったため、国語も苦手だった。



国語がダメ、レベル以下だと致命的である。そもそも全教科の内容がよく分からない、さらに試験問題の設問が理解できない、理解するまでに時間がかかる。



2月生まれだから同学年でも最大10か月ほどの体力差、知能差、ハンディがある。これはきつかった、焦る。小5のときに5段階評価の通信簿で「2」がなくなりオール3になった時はちょっと嬉しかった。



一方で4、5月生まれの子はさしたる苦労もせずに結構できるから、やがて遊びやオシャレに夢中になるようで、中高あたりになると早生まれとの差は解消されて同じようなレベルになる。



結局、社会人になると、総合的な学識・教養・知性といった基準では、ほとんどの人は良くて中2レベル、優秀でも高2レベル、それ以上は稀だ。



ただ、現実の社会では「専門分野での能力」が買われる、評価されるから、「物知りの世間知らず、頭でっかちだが雑巾一つも縫えやしない」人より、「変人だけれど実にいい仕事をする、ありゃあカリスマだな」という人に仕事は来る。



というわけで学業≒試験勉強はパッとしない「ドン亀」だったが、文系組ではどうにかバカの一つ覚え=暗記力で英数だけはトップクラスになれた。「ウサギとカメ」。



振り返ると英文和訳がそこそこできたことと、工作機械や道具を使ってのモノ作り、大工さん、電気屋さんなどの職人仕事に小さい頃から興味津々だったのは良かった。


この「興味津々」、正確に言えば「創造的・生産的な知識欲・遊び心」というのは男にとってはとても重要で、前進、挑戦する気概になる。従兄弟が武蔵工大に進んだこともあって、漠然と「建築士はどうだろう」とは思っていたが、まさか文字を書いて食うようになるなんてまったく夢にも思わなかった。


独房では読書と日記=思索しかやることがないのだから、嫌でも文字に親しむ。「落ちたところが上り坂」「人間万事塞翁が馬」、その気になれば敗者復活できる、ということで、日本はいい国だ。


いつも興味津々、退屈知らずだと、老いても脳みその劣化は緩やかで済むような感じがするが・・・


現役時代でも隠居した今でも、記事、文章を書く上で「これどうなっているんだろう」という好奇心、興味がキモになる。日常生活でも「旨そうだな、食ってみよう」「この路地の先はなんなんだ」とかしょっちゅう思う。


孫が通う神奈川県川崎市立下布田(しもふだ)小学校。先日、多摩川を越えて東京側を散策していたら下布田という町名があった。川は蛇行するものだから、昔は一つの村でも、川が移動するとニつに分かれて「飛び地」になったりする。


街の史書などには「多摩川は昔はずっと南の多摩丘陵沿いにあった」とか書かれており、それが北に移動したため「ふたつの下布田」になったのだろう。ツインビレッジ・・・お祭りしたら面白そうだ。


こういうことを知るとか発見するのは面白い。川一本隔てただけなのに東京側の小田急線・狛江駅前通りはびっしりと建物が並んでおり、1階はほとんど店舗。どこまで続くのかと自転車を漕いでいったら京王線・調布駅まで続いていた。


わが街だと駅前商店街はせいぜい150〜200メートル、それくらいで間に合う人口=市場=購買力で、物価も川向うの東京より安い。賃貸住宅も同じ家賃なら川向うより一部屋多い。それでも「お住まいはどちら?」と聞かれて「都内です」と「神奈川県です」ではイメージが違う。


「結構、シカとかイノシシが出るんでしょ?」「まあ、出ますね」

「ジビエ料理、皆さん食べます?」「昔から食べてますから飽きられているみたいで・・・今はコウモリ、ハクビシン、それからヒトを食ってます。奥さんみたいな霜降りはキロ3万円はしますね・・・ほんとに美味しそうですねえ、ヒッヒッヒ」



「都内は一流ブランド」、隣接していても神奈川(横浜を除く)、埼玉、千葉は二流以下なのだろう。在宅勤務が増えると、生活費が安くて自然も残っているような二流以下に引っ越す都民が増えそうだ。「出エジプトリリー記 多摩川を渡れ!」とか。


16世紀のサブサハラ・アフリカは「大西洋を渡れ!」だった。ボタンの掛け違え・・・当時の悲劇が今なお続いているようだ。


サブサハラ・アフリカ(Sub-Saharan
Africa)。サハラ砂漠より南のアフリカは、アラビア人の北アフリカとは大きく異なる世界のようだ。ネグロイド(黒人)が主に居住する地域で「ブラック・アフリカ」とも称される。


現在、サブサハラについて先進国は何となく「触らぬ神に祟りなし」、その隙を中共がついて縄張りにしつつある。


米大陸の黒人のルーツはブラック・アフリカの大西洋側、ルアンダのようだ。不運の地なのか、デフォルトなのか、今でもフツとツチの部族抗争の傷は癒えていない。


<ルアンダは(日本では信長が台頭した)1575年にポルトガル人によって植民され、黒人奴隷の重要な輸出港となった。1641年オランダの西インド会社軍によって占領されたが、1648年にはブラジル植民地軍によって奪回されている。奴隷供給源の喪失はブラジル植民地にとって大打撃だったからである>(WIKI)


初期に新大陸に自ら入植した黒人は「新大陸で一旗揚げよう」という、まるで明治以降の日本人移民のようだった。ところが新大陸は聞くと見るとで大違い、「話が違う」と怒ったところで財布もすっからかんどころか借金だらけで、帰るに帰れない。


要は、裸一貫で入植した白人も黒人も騙されたというか、リクルーターの甘言に乗せられたのだ。こんな具合。


「諸君、神は我々に新大陸を下された。波頭を乗り越え艱難辛苦、我らの先人は畑、農園を作って頑張っている、しかし慢性的に人手不足だ。


そこで私は、優秀で熱意あるがカネがないから新大陸に行けないという諸君を支援したい。渡航と就職先が決まるまでの費用はすべて貸そう。働きながら返してくれたらいい


人生はチャレンジだ! このまま既得権益でガチガチの旧大陸で惨めな一生を送るのか? 叩けよ、さらば開かれん! 新大陸にはたっぷり稼げる仕事がある、すこぶる安い農地がある、自分の道を選べる自由がある、勇気ある青年は申し込んでくれ、先着100名、運命を切り開け!」


前借金という身売りだ。牛詰めになって命からがら新大陸に着き、就職市場のセリに若者が立つ。


「ルアンダ産、オス、16歳、健康、30ドルから始めます(ばんばん!)、はい40、はい60、ほい70・・・上ないか、上ないか、ほい75、80・・・上ないか、上ないか、(ばん!)80でシーチン農場!」


市場で値がつくと、カネ主は買い手に「前借金+諸経費+斡旋料」をもらって一件落着。若者は借金を全額返すまでは買い手、即ち農場オーナーの奉公人になる。


昔の娼妓、お女郎さんと一緒。借金を返しながらも衣食住で新たな借金をするから5年奉公10年奉公ならいい方で、死ぬまで奉公人というケースは珍しくなかっただろう。たとえ独立できたとしても、いくら安いとはいえ農地を買って功成り名を遂げる人は稀だった。


ヨーロッパから来た前借金の白人も同様だったが、職人(技術者)は引っ張りだこの高給で、多くが出世した。広大な農場(プランテーション)では労働者も多く、女、子供もどんどん増えていった。繁殖すれば売って儲けることもできるからだ。


農場は大きな村であり、熟練工を必要とした。大工、鍛冶屋、靴・皮革職人、ロープ職人、煉瓦焼き、醸造職人、織物職人・・・最初は高給でプロを招き、やがては奉公人が技術を学ぶ。


明治の初めみたいだが、日本の年季奉公は少年を一人前のプロに育てる職業訓練所でもあり、前借金で縛る奴隷制度とは全く違う。お女郎さんでも故郷に錦を飾った人は珍しくないだろう。


以上は戦後アメリカでマッカーシー旋風を「私はアカじゃない、社会主義者だ」とごまかして難を逃れたアカの理論家、レオ・ヒューバーマン著「アメリカ人民の歴史」を参考にした。


(アカは今でもFDRやジョージ・マーシャルを讃えているから、ヒューバーマンは読み継がれているだろう。1957年には大内兵衛、向坂逸郎に牛耳られた総評の招きで来日している)


黒人は言語能力、思考力、労働技術力に見るべきものがなかったのか、やがて単純労働、家畜並の動物扱い、反抗する知恵も術もなく借金漬けで奴隷にされてしまったのだろう。夢の新大陸が悪夢の地獄に・・・人生は想定外だ!


日本でも奴隷みたいな労働者は珍しくなかったのではないか。例えば――


<契約社員として奥地のダム工事現場に派遣され、やがて飯場での博打と女で前借金が増え、工事が終わっても親方から他の会社への出向を命じられ、給料も押さえられ、退職も許されない。やがて娼妓上がりのような女を与えられて子もなした。


「でも、何だか俺、奴隷とか唐行きさんみたいだなあ、“ナンダカンダ分からん人生”・・・ま、置かれた場所で咲きなさいって神様が言っているし、そのうち何とかなるかもしれない・・・でも何でこうなったんだろう、不思議だよなあ>


女に騙され惑わされて働きづめ、たまの休みでもドブ掃除や洗車、ペンキ塗りをさせられたり、タバコも外、酒は取り上げられ、家族旅行の参加資格もなく留守番・・・「アンタ、犬の散歩と金魚の世話もちゃんとやってよ!」まるで奴隷・・・


何となく 歌って踊って 恋をして 気付いて見れば 老いたる奴隷(修)


<植民地アメリカでは1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある。オランダ船がメキシコへ向かうイスパニア船と交戦し50〜60人の奴隷化されたアフリカ人を奪取した。


このイスパニア船はマニラで慶長遣欧使節から買い取ったサン・ファン・バウティスタ号であり、ルアンダから350人の奴隷を調達し輸送する途上だったという説がある>(WIKI)



同志諸君! 光秀、秀吉、家康がいなかったら日本人は慶長遣欧使節の船でアメリカに送られ、奴隷にされていたかもしれない。危うかった。



人種、民族がそれぞれの良さを活かしながら、それぞれの国、町村で、それぞれの桃源郷を創ればいいが、やがて仲良しクラブ、派閥ができて争う。もう、これ、人間の宿命だ。



嗚呼、昔「愛の巣」、今「愛の留守」、良い予感は概ね外れ、悪い予感はよく当たる、誤解はやがて悲劇か喜劇かドタバタか・・・「大団円で幕」というのはまずないね、せいぜい戦い済んで日が暮れて・・・諦観で終わればいい方だな。



米国の人種問題を解決するにはワシントン州・オレゴン州は黒人自治区にするとか、縄張りをはっきりと決めた方がいいのではないか。一度、別居してクールになってみることが大事ではないか。国造りの苦労をしないと分からないことはいっぱいある。



「あんたぁ最初からワシらが担いどる神輿じゃないの、神輿が勝手に歩ける言うんなら歩いてみないや、おぉ」



出ていくわ 勝手にするから 手切れ金 まずは寄こせと 恐喝まがい(修)



ありそうな話。内憂外患、大国になれば悩みも大きいから大変だなあと思うが、日本はEEZを含めると結構縄張りが広いから「対岸の火事」と、のほほんとはしていられない。



中共、半島、ロシアちゅう世界有数のゴロツキ連合と対峙しておるんやで、ガラガラポンの仁義なき戦いにそなえにゃ、ええようにやられるで、のう。褌締めて、腹くくって、チャカ用意して、兄弟仁義の組と足そろえて喧嘩に備えにゃあならん。のほほんと危機感がない組は負けよ、最後にバカが泣く。あんた、ボーッとしとるけど分かってんのかい?(2020/7/7)

2020年07月08日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(27」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/138(2020/7/6/月】(承前)産経7/3桑原聡氏論稿「ポリコレという妖怪」は、ジャズシンガーのビリー・ホリデイ、黒人差別、公民権運動、デモ、ポリティカル・コレクトネス(これが絶対正義だ!というアカ的基準)について触れ、こう結んでいる。



<私自身、今回のデモを断固支持する。ただ、デモの先鋭化に大義名分を与えてしまう「ポリコレ」という妖怪が気になってしようがない。こいつがKKK(*)の亡霊を呼び起こしてしまったように感じるのだ>*白人のルールに従わない黒人を処刑する集団



警官が怪しい黒人を捕縛する際に制圧しすぎて黒人が死んだ・・・これを非難するデモはいいが、先鋭化/暴力化して「店舗襲撃、強奪、放火」になったのは遺憾だ、ということだろう。



先鋭化を煽り喜んでいるのは中共、リベラル≒アカモドキ≒アカである。特にANTIFA(極左残党)は暴力革命の最後のチャンスと意気込んでいるはずだ。戦意高揚、「立て!飢えたる者よ、今ぞ日は近し」こういう気分は元アカだからよく分かる。



革命、一揆は理性ではなく猛烈な憎悪、敵意、勢いが不可欠で、チャンスはめったにない。今のチャンスを逃したら次は永久にないかもしれない、だから勝利のためなら何でも許される、何でも政治利用する。60年安保の樺美智子(両親も日共党員、美智子は過激なブント=共産主義者同盟幹部)の事故死も・・・



(良家の美しいお嬢様である樺美智子は偶像として最適だったが、賞味期限は70年安保までだった。それまでは上品な母上を集会でよく見かけた)



キング牧師は長年にわたる「静かな地道な理性的な抗議」で米国を変えた。だからこそ幅広い共感を得たのだ。



<キング牧師を先頭に行われた地道かつ積極的な運動の結果、米国内の世論も盛り上がりを見せ、ついにジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil
Rights
Act)が制定された。これにより、建国以来200年近く施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった>(WIKI)



黒人問題がデモの先鋭化では解決しないことをインテリのANTIFAが知らないわけはない。つまりこれまで自業自得(前科者)で不遇だったろうANTIFAは、黒人問題を利用して共産主義独裁国家を創りたい、自分たちだけがオイシイ国にしたいのだ。本質的に中共、北、文正寅、日共、立民、社民と同じである。



公民権法制定から50年以上たったが、10年ほど前あたりから「黒人=貧困とは言えない」「低賃金単純労働は黒人からヒスパニック、プアホワイトに代わった」という声が聞かれるようになってきた。



米国の空港の荷物係はほとんどが黒人だったが、あるとき(1995年あたりのロスだと思う)黒人を見かけないので「なるほど、黒人は地位向上したのか」と思ったものである。



<奴隷解放宣言や公民権法、そしてオバマ氏の大統領就任というようにアメリカの黒人住民は少しずつですが着実に政治的・社会的に受け入れられるようになってきてはいます。たしかに法的には彼らへの差別はなくなりましたが、現実社会の中では今でも根強く残っています。そして、それを克服していくことは今もなおアメリカ社会にとっての重要な課題であり続けています>(みんなのお金ドットコム)



直近の状況はどうなのか。



<【ワシントン時事2020/6/7】米失業、黒人高止まり 経済格差が抗議デモ助長 



米景気は2008年のリーマン・ショック後に回復をたどり、少数派の黒人、ヒスパニック、アジア系の雇用が改善し、所得も増えた。



米国労働省が5日発表した5月の失業率を人種別に見ると、白人は全国平均の13.3%を下回る12.4%に下がった。逆に黒人は16.8%に悪化。新型コロナ流行前には「景気拡大で黒人失業率は過去最低」(トランプ大統領)になっていたのは事実だが、ほぼ一貫して黒人が白人より2倍(2割の間違い?)程度高い傾向が続いてきた。



連邦準備制度理事会(FRB)の調査では、16年の平均的な白人世帯の財産は17万1000ドル(約1900万円)だったのに対し、黒人世帯は1万7600ドルと、わずか10分の1だ。FRB高官は「過去の景気拡大は格差縮小につながらなかった」と格差の固定化に警鐘を鳴らしている>



失業率が白人12.4%、黒人16.8%・・・コロナ禍で小売や飲食店が営業中止になったためもあるだろうが、暴動を起こすほどの極端な差ではないだろう。



<(コロナ禍により)失業給付を加算する特例措置の発動により、失業者が労働市場に早期に復帰する動機を持ちにくい面がある>(米国マンスリー2020年7月号)



「貰うものは貰ってから仕事を探そう・・・」小生もそう考えるわなあ。



日本のマスコミのほとんどはリベラル≒アカモドキ≒アカで、中共ヨイショ、北マンセー、韓流ズブズブの“マスコキ”、ナマと遊離した妄想プロパガンダである。特にTVの熱心な視聴者のほとんどは娯楽目的で、面白さを求めており、TV局は視聴率が上がりCF収入が増えれば「優れた番組」と評価され、給料も増える。



優秀なTVマンは真面目で難しい番組なんてまず創らない。創ったところで深夜帯、誰も見ない、せいぜい酔っぱらったオヤジか猫くらい。



「白人警官の手で多数の黒人が犠牲になっていることが糾弾されている一方で、その倍以上の白人が黒人の犯罪者に殺されていることはまったく話題にもならない。全米の暴力犯罪に占める黒人の割合は85%に上り、事件に巻き込まれて殺害される黒人の90%以上は黒人によって殺害されているにもかかわらずに、である」(藤和彦・元官僚、内閣情報調査室内閣参事官など、現・経済産業研究所上席研究員)



小生はジャズボーカルではビリー・ホリデイ(1915年生)とヘレン・メリル(1929年生)が好きだ。黒人のビリーは1930年あたりから、白人(クロアチア人移民の子)のヘレンは1943年から歌い始めたので、活躍時期が重なっており、交流があったという。



冒頭の桑原聡氏は、ビリー・ホリデイの持ち歌「奇妙な果実」(Strange
Fruit、リンチで絞首刑にされた黒人の意、1939年初演)に触れ、白人による黒人虐待を難じ、これが1950〜60年代にかけての公民権運動に繋がったと書いている。



改めてその曲を目的意識的に聞いてみたが、音源が悪いこともあったとは言え、「これってずいぶん奇妙なジャズ!? 全然スウィングしない、まるで四国八十八ヶ所霊場第一番霊山寺の御詠歌、ショスタコーヴィチの交響曲第5番みたい」だった。



ジャズ愛好歴50年だけれど、感動しない小生が異端なのかなあ。余計なことだが、この曲、作詞作曲は米国共産党員である。



白人による黒人へのリンチは今なお是非論が交わされるものの、入植時から特に辺境の治安は自警団が担っていたという歴史があり、1930年代までリンチはそれほど珍しくはなかった。



それをテーマにした小説としてスタインベックの「自警団員」(The Vigilante)とフォークナーの「乾燥の九月」(Dry
September)を読んだが、ともにリンチの殺す側と殺される側のリアルを描くものの、ともに是々非々は保留している。



「誤爆もあったろうし、黒人にとっては法の裁きもなく、確かにむごいけれども、抑止効果もある、地域の安全を守るための必要悪とも言える、作者も判断がつきかねる、読者諸兄はどう思う?」



そんな感じ。政治的マターでもあるから「売れてナンボ」の作家としては寸止めするしかないという事情もあるだろう。私の最大の読者は神様です、神様のご判断に任せます。三波春夫も偉かった!



米国の刑務所はただの隔離施設で、矯正施設ではないようだ。筋トレのスポーツジムみたい。多くの黒人同様に、ビリー・ホリデイもクスリ中毒でほぼ「万年緩やかな自殺」状態、刑務所に何度も世話になっている。



彼女のちょっと舌足らずみたいな可愛い声で歌う My man とか Lover man
は今はただの泌尿器と化したナニも何となく反応するほど「いいなあ、とろけそうだ」と感動する。



モダンジャズの帝王と言われるマイルス・デイヴィス(理性+感性の見事なコラボ))はコルトレーンなど子分(感性>理性)のクスリ依存に手を焼いたが、米国黒人は相変わらずのようで、道遥かなりのままか。



夕方、自転車でシマを巡邏し、スーパーで買い物をし、交番を見ながら「コンクリート打ち放しもいいけど、ちょっと汚れが目立つなあ」と思いつつ左折したら、お巡りさん2人が追いかけてきて誰何された。若いのは新人だろう、まだ顔がピカピカ、ピチピチして、配属されたばかりのようだ。ずいぶん緊張している。



「初めてのお留守番」のような「初めての誰何」、初々しいが・・・ハードな仕事だから・・・現実は「こち亀」とは真逆だ。米国では今「やってられねーよ」とお巡りさんが続々退職しているとか。同情するね。



小生は荷風の「墨東奇譚」を真似て半分とぼけてみたが、次回はしっかり準備して、攪乱したり、笑わせてみよう。それにしてもチョンマゲ、ヒゲ面、日焼けで真っ黒、変な服、古い自転車、裸足でスニーカー・・・ホームレスのような・・・やはり怪しいようだ。



昨日は上から下まで黒ずくめ、大きな帽子で目の玉も見えないというブラックコロナファッションでビシッと決めたお姉さんを発見して「エキセントリック、俺より凄い!、まるでイスラム」と呆れたが、目的意識的に度肝を抜くような怪人ファッション、新地平を拓く革命的コンセプトデザイン、「HARAQLO」ブランドで怪老シニアのハートに火をつけるべく研究しよう。「柳井クン、カネで心は買えないぜ、たまには後ろを見た方がいい」



ファッションは爆発だあ! レッドファッショはコロナ暴走だあ! 俺の脳みそは暴風だあ! 台風一過、青天を目指そう。(2020/7/6

2020年07月07日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(26」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/137(2020/7/5/日】多摩川から我が街自慢の二か領用水が分岐するところにミニ水族館「二か領せせらぎ館」があり、散歩の帰路に久し振りに覗いてみた。



水槽は種類別で、同じフナでもギンブナ、キンブナ、ゲンゴロウブナ(ヘラブナ)などに分かれて展示されている。実際の川ではコイ、オイカワ、ウグイなどもうじゃうじゃおり、小生にはよく分からない。子供の頃はフナの甘露煮は良く食べたがギンブナだったのか、ヘラブナだったのか。



<フナは、コイ目コイ科コイ亜科フナ属(Carassius)に分類される魚の総称。



フナは生物学的な分類が難しいとされている魚のひとつである。姿・形・色だけで種を判別することはできないため、初心者が種類を見分けることは困難である。



日本においては「フナ」と呼ばれる魚は慣例的に細かい種類に呼び分けられている。しかし、その「種類」がそれぞれ生物学的に別種か、亜種か、同じ種なのかはいまだに確定されていない>(WIKI)



難しいね。人間とサルもご先祖様が同じだからややこしい。



サル目(霊長目)直鼻猿亜目 真猿下目狭鼻小目 ヒト上科ヒト亜科ヒト族、ここからチンパンジー属
(ape)とヒト属
(human)に分かれるそうだ。髪の毛が3本、多いか少ないかでサルやチンパンジーになったり人間になったり。



「ケダモノ! 大っ嫌い!」なんて言われる男もいる(「嫌よ嫌よも好きのうち」、よっ、色男! 俺もあやかりたい)。



日本人は"yellow
monkey"、米国白人は「豚野郎」と言われたり。平時には公言はしないけれど他民族/人種を罵倒する言葉は世界中に溢れている。



<【7月3日
AFP】サルたちに支配された街へようこそ──。タイ中部ロッブリーでは、サルが増え過ぎてしまい、手に負えない状態となっている。数はここ3年で6000頭に倍増し、人間との共存はほぼ限界に達しつつある。



新型コロナの感染拡大以前は、餌をやったり、一緒に写真を撮ったりするために訪れる大勢の観光客のお目当てであることから、住民たちはサルのおふざけも大目に見てきた。



しかし、新型コロナの影響で外国人観光客が訪れなくなり、サルの行動に思いも寄らない変化が起きた。餌となるバナナが与えられなくなり、腹を空かせたサルたちが凶暴化したのだ>



日本の猫島も人気だが、餌がなくなったらやはり狂暴化するだろうなあとは思うね。衣食足りて礼節を知る。



小生は前回こう書いた。



「南アでは失業者の多くは黒人で、貧困→ 教育不足→ 単純労働→ 転職・解雇→ (就業意欲喪失、犯罪)→ 貧困という負の連鎖が何代も続いているようだ。



今の米国黒人もそのようだが、先住民、メキシコ系、南米系、アジア系はそれなりに社会に溶け込んでいるように見えるのに、黒人だけが不満を爆発させている。人種により得手不得手があるのだろうか」



フランス中部オーベルニュ地方視察の帰路、パリに寄ったとき、白人ガイドが「ズック靴の黒人はひったくりの常習犯ですから気を付けて」と注意を促していたのには驚いた。



黒人は暴行・脅迫の強盗あるいはかっぱらい・置き引き・盗みの泥棒だと思って警戒しろ、ズック靴を履いているのは逃げるためだ、というわけだ。「そこまで言っていいんかい?」の気分。



カミュは「異邦人」の中で、作品舞台である仏領アルジェリアのフランス人青年ムルソー(カミュの投影?)が、原住民のアラビア人を、敵意を持った「何となく」得体の知れない害獣と思ったのか、アラビア人に狙われ怪我した「何となく」友達のようなフランス人ヤクザに代わって、「何となく」銃で撃ち、倒れたアラビア人に「何となく」さらに4発撃ち込む。



ムルソー自身「何となく日差しが強いせいで殺したみたい」と陳述する。死刑判決。教誨師が押し掛けると「俺にかまうな、ほっといてくれ」と叩き出す。



「何となく運命が定まり、今、心はすっかり落ち着いている、せいぜい公開処刑に来て罵声を浴びせてくれ!」



若者特有の、潔癖感、正義感が満たされないと「不条理だ、この世は生きるに値しない、俺は孤独な異邦人だ」と思い込んでしまう危うさをカミュは描いたのだろう。



WW2による価値観の大変化もからませて「われら不条理の子」(ボッシュ)なんていう焼跡闇市派による後追い本も出るなど、大きな話題を呼んだ。



カミュは「異邦人」でアラビア人そのものにはほとんど触れていない。そもそも関心がないようだ。仏人ピエール・ロッチの「お菊さん」では日本人は下等動物として観察されている。



ロッチを愛読しているフランスかぶれの荷風も同様で、日本をバカにしつつも消えそうな美、特に娼婦に耽溺するという、複雑な思いが荷風の魅力だ。小生は毎晩、荷風の日記「断腸亭日乗」を読み、笑いながら眠る。最高クラスの文学、史書であり、同時に滑稽本だ。



閑話休題。フランス人は別の人種を「自分たちと同じ人間」と思っているのかどうか・・・せいぜい「何となく人間に近い動物」と思っているような感じがする。



パーティで白人美女が黒人男と腕を組んで現れる。米国人は不快感から目をそらし、フランス人は「大きなペットを連れてきた」とニッコリする、と開高健が書いていた。フランス人にとって黒人は人間未満の動物なのか。



人種間、民族間、部族間の争いは「文明社会」を自称する国であっても尽きない。問題が単なる利害や偏見なら教育、法律で是正できるかもしれないが、本質的、根本的に人間は一律ではなく、その集団である国家、民族などもそれぞれ得意分野、不得手分野があり、是正や矯正できるものではないのではないか。



犬とサル、猫とネズミ、鷹とハト、虎とライオン・・・同じ場所、同じケージで「仲良く暮らしなさい」というのは、そもそも無理筋だろう。理想は理想、現実は現実、「タブーだから」と逃げずに最適解を探す時期になったのではないか。
長くなったので以下次号。(2020/7/5)

2020年07月06日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(25」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/136(2020/7/2/木】「国内法より国際法、国際条約、国際合意、国際公約が優先される」と多分、多くの人々は学んできたが、香港の「一国二制度」は中共によって堂々と反故にされた。罰則がないから「ただの紙切れ」というわけだ。



この暴挙によって世界の主要国は「中共は自由主義国にとっては国際ルールを平気で破るゴロツキ、敵である」としっかり認識したろう。今や中共は「国際指定暴力団 共産主義系北京組習近平一家」である。



中共とどんな約束をしても無意味。彼らの得意技は「ちゃぶ台返し」「恫喝・脅迫」「誘拐」「殺人」「拷問」「傷害」「借金地獄責め」「詐欺」「強盗」「特許窃取」「虚言・捏造」・・・なんでもやり放題だ。砂漠トビバッタの如く武漢肺炎を撒き散らした。中禍、黄禍である。

国家はざっくり2種類に分類できるだろう。

道理国)国民・国家の利益重視、理性、知性、冷静、計画による決定、国際社会に融和的

私利国)組員・一家の利益重視、感情、気分、虚偽、恫喝による決定、国際社会に否定的

大体、国家(人間も)はそのような要素をミックスしており、道理国でも政権党の利益を露骨に追及したり、私利国でも貧者に(人気取りで?)気配りしたりする。

思えば人間自体が清濁併せ呑むみたいで、完全な善人も完全な悪党もいない。聖人みたいな人でも思い出すと「恥ずかしいことをした」「浅はかだった」と悔いる言動は結構あるだろう。

ローマ教皇は「一時的な感情で信者の手を叩いてしまった」と悔いているだろうが、「♪いかに正義の道とはいえど
身にふる火の粉は払わにゃならぬ」、害をなす者は駆除すべし、初期対応が肝腎だ。

現在、国際社会から見て完璧な私利国、ゴロツキ国家はどこか。中共は横綱、ロシアは大関、北は関脇あたりか。トップクラスを選んだら世界のためになる智慧とか教訓が得られるのではないか。参考になりそうなデータをネットで拾ってみた。



◆セーブ・ザ・チルドレン(≒アカ)の世界176ヶ国を対象にした「子ども時代が守られている国ランキング」。子供にとって悪い国は大人にとっても悪い国だから目安にはなるだろう。



*子供にとってのワースト5

中央アフリカ/ニジェール/チャド/マリ/南スーダン



中央アフリカは内戦でボロボロ。外務省によると、2019年2月に政府と14武装勢力(!)間で和平合意署名。



◆貧富の格差を示すジニ係数は0.4を超えると危険と言われている。OECDの統計データから(中共のデータはないが0.5前後らしい)。



*貧富の格差ワースト5

南アフリカ 0.62/コスタリカ 0.48/メキシコ 0.458/チリ 0.454/トルコ
0.404



南アはアパルトヘイト撤廃以降はパッとしない。「黒人と白人の格差が今も解消できず、世界で最も不平等な国とも呼ばれ」(産経)、治安も年々悪くなっているようだ。



外務省によると、失業率の高さは依然として大きな社会問題で、2010年以降からは25%前後を記録し、2017、18年にはそれぞれ27.3%、27.0%と悪化傾向を示している。



失業者の多くは黒人(白人失業率は8%)で、貧困→ 教育不足→ 単純労働→ 転職・解雇→ (就業意欲喪失、犯罪)→ 貧困という負の連鎖が何代も続いているようだ。



(今の米国黒人もそのようだが、先住民、メキシコ系、南米系、アジア系はそれなりに社会に溶け込んでいるように見えるのに、黒人だけが不満を爆発させている。人種により得手不得手があるのだろうか)



◆米中央情報局(CIA)のザ・ワールド・ファクトブックは、失業率とCPI(消費者物価指数)上昇率から経済状況の悲惨な国をランキング。



*経済ボロボロワースト5

シリア/ジブチ/イエメン/スーダン/モザンビーク



前アサド大統領時代のシリアは美しい国という印象があったが、(特にアレッポは)今は見る影もない。外務省によると、2011年3月中旬以降、各地で反政府デモが発生、さらに反政府勢力に過激派武装勢力なども参加し、当局との間で暴力的衝突に発展した。



その結果、2016年6月現在、全土で25万人の死者、650万人の国内避難民が発生し、周辺諸国に480万人の難民が流出した。泥沼!



◆スイスの名門ビジネススクールIMDによる「世界競争力ランキング2019」は、GDP増加率や失業率、景気回復力など235の指標でランキング。



*世界の経済競争力ワースト5

ベネズエラ/モンゴリア/アルゼンチン/クロアチア/ブラジル



外務省によると、ベネズエラのマドゥーロ政権(チャベスの後継)は、反米の急先鋒として度々米国批判を展開してきた。米国は2017年以降、対ベネズエラ経済制裁を実施。



マドゥーロは「イラクのサダム・フセインやソ連のスターリンを自分に類似した人物」と言っているそうだから確信犯的なアカ独裁者だ。



◆1人当たりの国内総生産、平均寿命、個人の選択の自由、汚職レベルの低さ、社会的支援といった要素による世界幸福度ランキング。



*幸福度ワースト5

ルワンダ/ベナン/シリア/ブルンジ/トーゴ



ルワンダはフツ族過激派によるツチ族と穏健派フツ族に対するジェノサイドが勃発した「ルワンダ虐殺」で有名。2000年ごろからはICT立国を目指し、ICTの普及・整備に力を注いでいる。一方で、激しい反体制派への弾圧などで自らの権力基盤を強化するその手法は独裁的との批判もある。



こう見てくると「残念な国」には一定のパターンがある。



「部族・人種の対立で国民としてのまとまりがとても弱い」→「派閥抗争もあって国家・政府の求心力が弱いために政策が実行されず、常にダッチロール状態」→「国際社会は植民地経営という羹(あつもの)に懲りて、旧宗主国でも支援に及び腰」→



「汚職は常態化し、強権独裁で辛うじて国家を名乗っているが、近代の遥か以前、日本なら神武東征以前の部族社会」→「中共の深謀遠慮によるバラマキ外交で中共による属国化が進んでいる」



こうした「負の連鎖」のような国々は、支援をあてにして国連に加盟しているものの、そもそも「国家なのかどうか」すこぶる怪しい。WIKIに興味深い情報があった。



<定量的なアプローチから国家の状態を診断するため、アメリカのシンクタンク、平和基金会(The
Fund for Peace;
FFP)は2006年から毎年、各国の状況を特定の指標(※)によって数値化し「脆弱国家ランキング」(Fragile
States Index; FSI)を発表している>



◆2010年から直近までの「脆弱国家」で最悪の10傑。



*脆弱国家ワースト10

リビア/シリア/マリ/イエメン/ベネズエラ/モザンビーク/ギリシア/エリトリア/チリ/バーレーン



以上では小生が激しく嫌うゴロツキ中共が出てこないが・・・ありました、天網恢恢疎にして漏らさず。



◆「世界報道自由度ランキング」(国境なき記者団、2020)。



*報道自由度ワースト5

北朝鮮/トルクメニスタン/エリトリア/中国/ジブチ



中共は180か国中177位という最強鉄壁の自由圧殺、言論弾圧の超大国というわけだ。世界人口の実に2割が中共によって口封じされている。完璧な私利国、ゴロツキ国家。



それでも金が欲しいから中共に擦り寄る「口だけ自由民主派」は少なくないだろう。アカモドキのEUは、モーパッサンの「脂肪の塊」に登場する「私利のために敵に生贄女を贈呈して危機を免れ、テンとして恥じない下司」そのものだ。天罰でEUもコケるだろう。

・・・



※「脆弱国家」の判定基準。



・国家が有する領域に対する物理的な統制の喪失、或るいは合法的な武力の独占の喪失。

・集団の意思決定を下す為の正統な権限に対する侵害。

・合理的な公共サービスの提供不能。

・国際社会の正式な一員として他国と接触する外交能力の不能。



要は、国土国民を守れない、司法立法行政の三権が機能しない、警察も軍隊も電車も動かず電気もストップ、反政府勢力に包囲されて二進も三進もいかない、という非常事態の程度を判定したもの。「遺憾に思う」「抗議する」でお茶を濁していると、そのうちに痛い目に遭う。(2020/7/2)

2020年07月05日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(24」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/136(2020/7/1/水】先輩は「ベランダの花卉の水遣りは水曜日だ」と言っていたが、なぜ水曜なのか、ようやく分かった。「水」曜、ね。


この曜日、考えてみると何だか分からない。WIKIを見てもグチャグチャで理解不能だが、こういうことらしい。


<「週・曜日」は、すでにそのものが古代バビロニアの粘土板に書かれており・・・キリスト教徒に伝えられたのはローマ経由でゲルマン社会に広まったものである。


日本には入唐留学僧らが持ち帰った密教教典によって、平安時代初頭に伝えられ、朝廷が発行する具註暦にも曜日が記載されるようになり、現在の六曜のような、吉凶判断の道具として使われてきた。藤原道長の日記『御堂関白記』には毎日の曜日が記載されている。(その後は廃れた)



英語やドイツ語、オランダ語といったゲルマン系の言語では、



日曜日 (Sunday) 太陽 (Sun)

月曜日 (Monday) 月 (Moon)

火曜日 (Tuesday) 北欧神話の天空神テュール

水曜日 (Wednesday) アングロサクソンの主神オーディン(ウォドン)

木曜日 (Thursday) 北欧の雷神トール

金曜日 (Friday) 北欧の愛の女神フレイヤ

土曜日 (Saturday) ローマ神話のサトゥルヌスを起源としている。


ユダヤ教徒は異教の神の名を嫌って安息日以外は1から6までの番号で呼ぶ。


日本で曜日を基準として日常生活が営まれるようになったのは、明治初頭のグレゴリオ暦導入以降である。


週の最初が何曜日であるかは、国、文化、規準により様々である。ISO
8601では、月曜日が週の始まりとされ、月曜日〜日曜日を01〜07で表す。日本の改正労働基準法では、1週間を「日曜日から土曜日まで」と定めている


ISO 8601で「2000年1月1日を土曜日とする」と定義された。日本ではJIS X
0301がそれに従っている。



中国語では日曜だけが「星期天(または星期日)」、月曜以降は「星期一」、「星期二」と数字になる。


ソ連では1929年10月1日から、宗教抑制のために従来の七曜は廃止され、五曜制に移行した。休日の増加と生産の効率向上を狙い、国民それぞれに休日となる曜日を割り当てた。しかし、家族間の休日不一致等の理由から大変不評で、肝心の生産効率もまったく向上しなかったため、1931年11月30日をもって廃止された。


1931年12月1日からは毎月第6・12・18・24・30日を国民共通の休日とする新しい制度に移行した。七曜より休日日数は多いものの、これも大変不評であったため、1940年に元の七曜制に復帰した>


共産主義は己が絶対神であり天、正義だから、気に入らないものは叩き潰す、そしてしくじる、元に戻す・・・いくら血が流れてもこのパターンを繰り返すから、全然成長しない。


中共は資本主義経済を破壊し、共産主義経済へ向けて大躍進政策を強行し、大失敗し、劉少奇、トウ小平らが資本主義化に着手すると、文化大革命でそれをつぶし、再び共産主義経済を目指し、二進も三進もいかず、トウ小平らが改革開放の資本主義経済を促進し、ところが習近平が“王政復古”で共産主義経済へ向けて統制を強め、武漢肺炎対応で大失敗し、世界から叩かれて、今度は独裁統治を強めるために、香港の自由を圧殺し、世界から顰蹙を買い・・・


この次は「孤立を深め」だが、あなたならどうする、泣くの、笑うの、死んじゃうの? 三択から選びなさい。


A「国際社会の良き一員として自由民主人権法治の国を目指すようになった」、


B「国内の不満をそらすため、および世界に共産主義政治経済圏を拡大して中共による、中共のための、中共の覇権を固めるため、一点突破全面展開の戦争を開始した」、


C「連帯を求めるも孤立を恐れず、国交断絶何するものぞ、復讐するは我にあり、共産主義、毛沢東主義万歳、と名誉ある孤立・断交を選び、第二次文化大革命を始めた」、


AとBとCあたりの三択になりそうだが、世界中が喜ぶものの習近平皇帝一派だけが悲しむ(A)はまずないな。メデタシメデタシのお子様向けの童話みたいだ。


(C)は「引き籠もり」で、世界はいいね!と大いに支持してくれるだろう。毛沢東信者の習近平は毛の長征(好機を待つという冬眠)を好むかもしれない。しかし、美味いものを食った体験のある14億の民は武漢肺炎での隔離に耐えるのが限界で、粗衣粗食で数年間、数十年間逼塞するなんて、それこそ内乱になる。


そもそも14億の爆食に応えられるハクビシンや蝙蝠、犬、ネズミ、食糧生産インフラがあるわけないから、現実的ではない。


「人民はパンがないと騒いでいるの? それなら人を食えばいいのに」という手もあるが、食欲わくか?



となれば、残りは(B)だが、主要国は経済封鎖するから、備蓄の戦略物資は減るばかりになる。中共軍の強さは皆が承知しており、「弱いもの相手には滅法強い」と評判だ。最近では「素手の殴りあい、投石でも強い」と評価されている。


それでも鉄、石炭、石油、マンガン、クロム、コバルト、ゴム、綿花、パルプ、油脂、皮革・・・十分な備蓄があるのかどうか。書類上はあることになっていても現物はなし、これは支那4000年の伝統だから今になって改善するわけがない。


フォークランド紛争でアルゼンチンが英に負けた最大の理由は、英の潜水艦によりアルゼンチン海軍が全く動けなかったことだ。


中共は海戦経験ゼロで、小舟には滅法強いことは知られているが、海戦・空戦・ミサイル戦は昔から蓄積した高度で総合的な指揮が必要で、ここ10年20年ほどで強化されたとはいえ実戦経験ゼロの中共海軍が米英日など伝統的海軍国に勝てるとは全く思えない。


まあ、以上はど素人の予測だが、世界最強と言われたバルチック艦隊は必死で訓練した日本海軍に大負けした。


中共海軍は人海戦術的な「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ということなのかミサイル攻撃力に優れているというが、張子の虎ではないか。大砲の火薬をネコババする清国海軍、船酔いで倒れる中共海軍(2014年の環太平洋合同演習「リムパック」に初参加してばれた。スパイ行為をしたので以降は招かれていない)、一方で火薬を惜しんで大砲に銃を固定して攻撃訓練した日本海軍・・・民度が違う、根性が違う。


中共潜水艦がこの6月18日から20日にかけて奄美大島周辺の接続水域内を潜航したが、東シナ海は浅い(100〜200m)から発見、捕捉されやすいという。ミサイルを装備していても西太平洋など深海に出るまでに撃沈されたら戦力にならない。どうするつもりだろう。


南シナ海では海南島に原子力潜水艦の秘密基地を建設しているそうだが、深度が浅く泥濘のために出港すると海の色がすぐに変わり目視できるとか。


支那はロシアのように広大な大地を利用した防衛・抗戦・陸戦向きで(ランドパワー)、外に出て戦う海戦、空戦(シーパワー)は馴染まないのではないか。


700年前に日本を襲った2回の元寇では、日本の反撃と嵐で12万人以上が戦死し、元の海軍力はほぼ壊滅、お先棒を担いだ朝鮮は未だにビョーキ。結果的に褌一丁、ギラギラの日本刀を担いだ海賊倭寇に大陸沿岸を荒らされるという報復、災難を招いてしまった。


夜郎自大が亀にちょっかい出したら噛みつかれた図だ。笑止千万、スッポン、ニッポン、触らぬ亀/神に祟りなし。


「子曰く、学びて思わざれば、すなわち暗し。思いて学ばざれば、すなわち危うし。異端を修むるは、これ害あるのみ」


ちゃんと学問、勉強しろ、そしてあれこれ考えろ。バカな本ばかり読んでいるとろくなことにならんぞ。


習近平は「毛沢東選集」以外何も学ばないから支那と世界に禍をなす。支那人民が草莽崛起して中共を駆除すべきだ。13億で1億のアカを潰す。


武田信玄曰く「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ」、上杉鷹山曰く「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」。


支那、香港の同志諸君、命惜しむな、名こそ惜しめ、「いつか青空」を信じて、加油! 俺は何をできるのだろう・・・(2020/7/1)


(昨夜、何げなくダイエーの新聞チラシを見たら「一時休業のため9月30日閉店」とあった。一時休業とは長くてもせいぜい3か月だろう。親会社のイオンと土地建物所有者の野村不動産が、多分「コロナ禍で先が読めない今はビルの建て替えはリスクが大き過ぎる、この際はリニューアル、新築そっくりさんで行こう」となったようだ。現実的な選択ではあるが、ちょっと残念