2019年07月22日

◆雀庵の「Anne G. of Red Gables」開店

“シーチン”修一 2.0


回からタイトルを「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」から「雀庵の〇〇」
にします。

知性と感性の光輝くコラボ、モード・モンゴメリの名作「赤毛のアン」
(原題 Anne of Green Gables/緑の切妻屋根のアン)シリーズ、さらに自
叙伝的な「可愛いエミリー」シリーズも読了した。

小生の次女は小5の娘に「アン」を読ませたいようだが、高2レベル以上の
言語能力がないと難しいと思う。登場人物が多いし、名前が山田花子鈴木
中村とかで、山田が嫁ぎ先、鈴木が父方、中村が母方とすると、同じ花子
さんでも、呼び名が花子、通称は花ちゃん、花、ハナ、ミセス山田、ミセ
ス花子、山田花子鈴木とかあり、「山田花子鈴木さん、あんたは武門の中
村家の血筋を引いている山田花子鈴木中村なんやさかい、しゃきっとせな
あかんやろ!」なんて言われたりする。

この他に通称・略称でフレデリックが「テディ」、ウィリアムが「ビ
リー」とかで書かれ、日本でも歌舞伎や噺家は「三代目尾上松緑」とか
「四代目古今亭志ん朝」とかがあり、屋号も田舎ではまだ残っている。我
が家は生まれ故郷では「精米」と呼ばれていたし「バロン」(男爵)と呼
ばれている人もいた。分かっている人は分かるが、分からない人は理解す
るまで戸惑う。

モンゴメリの作品中でも同じ人がいろいろな名で呼ばれたりするから、
ボーっとしていると訳が分からなくなる。数ページ戻って読み直すことも
しばしばだ。小生は言語力はIQ130だから読解力はある方だろうが、それ
でもモンゴメリと訳者の村岡花子氏の表現に馴染むには時間がかかった。
慣れればほとんど気にならないが、それなりの高度な読書力は必要だと思う。

話は外れるが、専門分野では専門の言語や隠語、略語を使うから、分かる
人は分かるが、門外漢にはチンプンカンプンだろう。「五校とってようや
く責了、下版で2階のプレスのとこで写真と見出し載せて紙型とって、地
下の輪転機の刷り出しをチェックして、ようやく工場を出たら11時。毎日
午前様だよ。編集長に泣きついたら血尿が出たら一人前だってさあ」

古典落語の「金明竹(きんめいちく)」は上方の骨董屋業界の話。

「わては中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じまして、先度、仲買の弥市が
取り次ぎました、道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗
(こうじょ)・宗乗(そうじょ)三作の三所物(みところもん)。なら
び、備前長船の則光(のりみつ)。四分一ごしらえ、横谷宗aの小柄(こ
づか)付きの脇差……柄前(つかまえ)な、旦那さんはタガヤサンや、と言
うとりましたが、埋もれ木やそうで、木ィが違うとりましたさかい、ちゃ
んとお断り申し上げます。

次はのんこの茶碗。黄檗山金明竹、遠州宗甫の銘がございます寸胴の花活
け。織部の香合。『古池や蛙飛びこむ水の音』言います風羅坊正筆の掛
物。沢庵・木庵・隠元禅師貼り混ぜの小屏風……この屏風なァ、わての旦那
の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊(ぼん)さんのえろう好みます屏風
じゃによって、『表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたします』と、こな
いお言づけを願いとう申します」(矢野誠一「落語歳時記」などから引用)

素人にはチンプンカンプン。分かる人には分かるが、漢字があるから何と
なく意味は分かるだけで、話(口語、会話)だけならお手上げだろう。読
書も日々訓練しないと読書力は伸びないどころか後退する。文字も書かな
いと漢字がどんどん書けなくなるのと同じだ(激しい劣化を痛感した小生
は最近では手紙を書くようにしている)。

才媛モード・モンゴメリは熱烈な作家で、手で下書きを書き、清書はタイ
プだった。同時に物凄い読書の人でもあった。モリー・ギレン著「運命の
紡ぎ車」から。

<当然のことながら、非常に多くの役割――母親であり、牧師の妻であり、
作家である――を果たさねばならない生活は・・・有能な家事手伝いがいな
かったならば、役割の一つや二つはおざなりになっていたであろう。

忙しさに煩わされ続けた年月を通じて、モードは何とか毎日二、三時間の
時間を工面して執筆時間を確保したのである。

「母は早朝に書き物をしていました」と息子のスチュアートは言っている。

「そして夜遅くに読書をしていました。わたしが覚えている限りでは、母
の睡眠時間は5時間、時には6時間でした。母は乱読家で・・・イギリス文
学の古典はすべて、何度も読み返していましたし、それに、信じられない
ほどの記憶力で、シェイクスピア、ワーズワース、バイロンばかりか、有
名なイギリス詩人の作品はすべて、大部分の個所を引き合いに出すことが
できました。

そればかりか、同時代の本、雑誌、新聞のすべてを読み、また、毎日一、
二冊の推理小説を読みこなしていたのです」>

大大好きな可愛い才媛、日本のモンゴメリ、曽野綾子先生みたい。小生も
脳ミソがストップするまで読み続け、書き続けたい、できるものなら「五
箇条の御誓文」をベースにした新憲法の成立を見たいものである。(これ
にてモード・モンゴメリの項は終わりにします。ああ面白かった!)

そうだ、わがペントハウスを「Anne G. of Red Gables」にしよう。発狂
亭“気分爽快”雀庵爺(G.)の病棟日記から。

【「措置入院」精神病棟の日々(120)】【2016/12/28】【産経】曽野綾
子(!偶然! 1969年横浜市大入学の小生は商学部で男ばっかり、で、文
学部のミスキャンパス廣瀬綾子ちゃんに懸想。「テニスコートの君は19、
ヘルメットの僕は18、ニッコリ笑って淋しく別れた、本当にはかない恋
だったねえ」。閑話休題)「南スーダンの新橋工事中断 安全優先と国際
貢献との葛藤」、途上国で仕事をすることの、日本人からすれば途方もな
い難しさ。

「JICAが日本人職員の安全を優先したのは当然だが、生き延びるだけで、
その人が生きたことにはならない時もある。安全第一の思想では人生は理
解できないのである」

カネない、モノない、ヤルキない、技能もないしモラルもない、治安もな
い、あるのは賄賂と汚職、私利私欲、おまけに邪教や部族対立・・・そう
いう国での国際貢献・・・「自己犠牲」とは言うものの「三十六計」逃げ
出したくなるわな。

竹内久美子「正論:勝利のキーワードは『赤』だった」。実力伯仲選手の
試合では赤福の勝率が目立って高い。「アカは強さや支配性を強めてい
る。トランプ氏が接戦を制したのは赤いネクタイが威力を発揮したからか
もしれない」

牛は赤に興奮し、女は赤い唇で誘惑し、共産主義者は赤旗を振る。勝負服
は赤に限る?! アカになったらアカンデ、塀の内側に落ちるさかいな。

小雲則夫「米を蝕む新手の合成薬物フェンタニル型 中国で製造→韓国
ネット 通販流入確認 車事故より多い死者数 次期政権課題」。「2015
年の合成薬物による死者数は前年より7割も多い9600人で、その大半が
フェンタニル型」。

支那による阿片戦争のリベンジのような・・・北京が製造販売を黙認して
いるのではないか。

藤本欣也「中朝国境で連行されて」。3時間拘束され、一部の写真を削除
されたという。「国境の警備強化を身をもって知った」、スパイだとして
刑務所送りになりかねないから取材は命懸けだ。北の飢えた兵士が越境し
て強盗するそうだから中共も必死なのだろう。

「検証 文革半世紀 中国の未来は――専門家座談会 残る傷 居座る指導
部 共産党に国民不信も民主化遠く」。

産経の矢板明夫氏は1972年天津生まれ、15歳で日本人残留孤児2世として
千葉県に引き揚げた。その発言「文革により中国人は何も信じなくなっ
た。すべての宗教が否定され、毛沢東だけが神様になったが、文革後、毛
もトウ小平によって実質的に否定された。信じられるものがないから、
人々はとても現実的になった。お金や権力をとても重視している」。

「習氏が文革的運動をもう1回やろうとしても、50年前に毛沢東に騙され
た国民が信用することはないと思う。いま中国で起きていることは文革的
だと言われているが、毛沢東の真似ごとでしかない。そう長くは続かない
と思う」

金野純氏によるとキリスト教徒が急増し、共産党員(8500万)よりも多く
なっているという話もあるそうだ。

矢板氏の「連載を終えて」から。

「文革で得した人は誰もおらず、皆が被害者だった。個人崇拝など、様々
な文革的現象が中国に戻ってきたのは、共産党政権が自らの負の歴史を封
印し、文革を推進した毛沢東を否定しなかったことにあるのではないか。
それが私が辿り着いた結論だ。紅衛兵世代の習近平自身が毛沢東に憧れ、
毛のような指導者になりたいと考えていることも、大きな原因かもしれない」

今朝も産経は面白かった。

・・・

原野商法などを見ていると、詐欺に遭う人は何回も騙される。支那14億の
うち農民や出稼ぎ労働者など低所得層は7億人(50%)ほどらしい(デー
タがないが何清漣女史は68%=10億だという)が、彼らは低学歴で情報も
限られているために中共の岩盤的な支持層になっているようだ。

支那経済の実態は不明だが、「数字で出世する」国柄で、いい数字を出さ
なければ首が飛ぶから、官僚はいい数字を出して高度成長を囃し立ててい
たが、近年は北京の意向で少しずつ減らしている。それでもGDPは+6%台
で、14億の国が6%台なら世界経済をグングン牽引しているはずなのに、
そんな感じはしない。

プラス成長でもまず上流が美味しい思いをし、下流に届く頃には景気が減
速するというのが日本では当たり前になっているが、支那の低所得層は依
然として「飢えからは解放された」レベルでしかないようだ。エリート階
級も大卒の就職はずいぶんな狭き門らしい。

シンクタンクの東京財団によると「失業者が増え、物価は大きく上昇して
います。経済がスタグフレーションに陥る可能性が高まるなか、中国国内
ではナショナリズムが高まっています」という。

実際、支那の農村は発展どころか逆に疲弊が進んでいるらしい。もともと
生産性が低い「水呑み百姓」で、どうにか息子夫婦が出稼ぎに出てヂヂバ
バと孫で細々と営農していたが、出稼ぎ需要が減っているから帰村してき
た。ところが農地がない、代わりに「閑居して不善をなす」失業者やゴロ
ツキがゴロゴロしており、国破れて山河あり、されど耕す田畑なく、「中
国農村のヤクザ社会化、郷村文化のならず者化現象」(何清漣)は目を覆
うばかりのようだ。

「白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国のああ北国の春」

出稼ぎ者は日本でも支那でもこの歌を歌って涙したものだったが、その故
郷自体がなくなりつつあるのだ。

<中国は、世界第2の経済大国と言いますが、中国の現代経済部門は、か
くも就業チャンスを欠いています。その原因を遡れば、2005年にはじまっ
た「農村消滅」運動(訳注;都市建設のために農地や農民の住居を取り壊
した)と「嘘っぱちの都市化」なのです。

中国共産主義青年団(共青団)が習近平主席の呼びかけに呼応し「農村振
興プロジェクト」として、2022年前に1000万人以上の青年を「上山下郷」
(下放)すると伝えました。海外の世論は騒然となり、これが毛沢東時代
の文革の「下放」と同様、一千万人の青年が「荒れ地を開墾するために」
農村地域に「下放」されたことになぞらえて伝えられました。o

しかし、調べてみると、この大騒ぎの元となったのは、共青団中央の「3
年で千万人の青年ボランティアを農村へ」という文章で、内容を見ると、
毛沢東時代の「下放」とは違っており、「延べ千万人の青年ボランティ
ア」は、文化、科学技術、衛生の三つの分野で農村へ一カ月前後の期間活
動するというもので、文革時代の「千万青年が農村に根を下ろす」話とは
大違いです>(何清漣)

今さら共産党から農地を借りて「食うだけで精一杯」の農村振興・・・カ
ラオケねえ、スナックねえ、電車もバスも見たことねえ、たまに来るのは
共産党員、オラそんなのはやだ・・・ってなるわな。

北京は時代錯誤的な「漢服ブーム」でナショナリズムを焚きつけている
が、小生の愛した深いスリットはご法度。やることがセコイね。「俺は大
国だ」とえばっていた北京は今や「発展途上国に対して特別な待遇を与え
ること。発展は国によって差があることを直視し、発展途上国の発展の権
利を守る必要がある」とWTOに訴えている。昨日はジャイアン、今日は泣
き虫パンダかよ。まったく天に代わってオシオキしないとね。

(つづく)2019/7/21

2019年07月17日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第29章

“シーチン”修一 2.0


駒光なんぞ馳するが如き。遊んだり、学んだり、寝込んだり、入院した
り、手術してもらったり、ボーっと過ごしたりしていたら、いつの間にか
令和の御代になっていた。

全国3500万の諸兄姉、ヂヂババの皆さま、お元気ですか? ようやく書く
元気が湧いてきた。以下は昭和の最後の3月の記事。廃車寸前の頃のこと。

・・・・

<ああ、春だなあ、と心が緩む、水温む。水辺の桜並木は八分咲き、屋上
庭園、その先の多摩丘陵も枯れた薄茶色から薄緑や白に変わってきた。6
時前にはお日様も拝める。噛みつくような寒さもなくなった。

1F床のタイル張りも済ませ、やるべき仕事≒趣味≒暇つぶし≒ゲージツのほ
とんどは終わった。今はどうでもいいが“兎に角ユニークな”木製花活け造
り、1Fの隅っこに“兎に角ユニークな”小さな花壇造りなどを楽しんでい
る。老後の手慰み、遊びみたい。

今朝は新しいガールフレンドに素敵なマーガレットを届けた。「私、お花
が大好きなの!」と大喜びしてくれたが、そうなると1週間に1度は届けた
くなる。次回は色とりどりで10鉢くらいは届けよう。

久し振りに夕食の天ぷらも作った。娘2人が持ち帰る分を含めると10人前
ほどになるが、材料を切って、すべて揚げ終え、キッチンをきれいにする
まで3時間立ちっぱなしで、もうエネルギーが切れてベッドに倒れ込んだ。

揚げ物をすると「油の臭いに当たる」ということなのだろう、ゲンナリす
る。近所の鶏の唐揚げ屋の人は朝10時から晩の9時までひたすら油鍋で揚
げまくるから、さぞやウンザリするだろうな。絶対に揚げ物は食べないだ
ろう。

帝国ホテルの村上シェフの大好物は奥様の作った秋刀魚の塩焼きだったと
いう。奥様が「舌平目のムニエル」を出したら、氏は「・・・ま、家庭料
理ではあるけれど・・・、それにしても俺の仕事を知らないんじゃない
か?」と諦観を新たにしたのではないか。あるいは「女はこういう味が好
みなのか」と興味を示したのかもしれない。


♪男と女の間には 深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど エンヤコ
ラ今夜も舟を出す


野坂昭如が唱っていたが、老人になっても女を理解できない。「男は永遠
に女を理解できない」ということは少しばかり分かってきたが・・・

出産は命懸けの仕事で、子を儲けてヒーヒー踏ん張りながら育て上げたと
ころで、子が老いた親の面倒を見るわけではない・・・それなのに子供を
産むというリスクを幸せそうに引き受ける女。損得を含めて理性的に考え
がちな男にとっては、たとえ出産機能があったとしても「ハイリスク、
ノーリターン or ローリターン」の出産なんてまず挑戦はしないが・・・
男にとって女は永遠の謎、理解不能ということが分かり始めただけという
感じだ。

アインシュタイン曰く「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思
い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」。

名人とは「もっともっと高みへ上りたい!」と挑戦する人なのだろう。王
貞治は深夜に素振りをし、ブンブンという音を立てていたという。夢の中
でも思考を重ね、起き上がって素振りをする。「一番できる奴が一番練習
している!」、チームメートはおおいに感銘を受けたという。


「赤毛のアン」でお馴染みのモード・モンゴメリは今でもカナダの事実上
の「観光省大臣、観光親善大使、インバウンド振興協会会長」で、世界中
からアンの故郷プリンス・エドワード島を訪れる人々が引きも切らない。
モードも実に「学ぶ人」だったが、文系から理系まで幅広いジャンルにわ
たる知性と感性により、100年後の世界を的確に予測しているのには度肝
を抜かれた。モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」から。

<1924年には、モードは、きっと訪れるに違いないと確信していた新しい
啓示の源泉としての科学を、熱烈に支持している。

「これまでになされた啓示の数々は、すでにその使命を終えています。次
の啓示は科学の分野からもたらされるものと私は信じているのです。それ
がどのような形態をとるかは分かりませんが・・・」

5年後もなおモードはこの考えをまったく変えてはいない。

「人類は、成長し、賢くなり、何一つ不自由のない豊かさを手に入れるた
めには、何らかの代償を支払わねばなりません・・・

わたしたちは科学の素晴らしい発達の時代に足を踏み入れつつあるのだと
信じています。これまでに夢にも考えられなかったことが実現するでしょ
うが、偉大な文学や名画は生まれないでしょう。一度に何もかも手に入れ
ることはできないのです。

飛行機で世界を一周することが可能になるでしょう。また原子の秘密を解
くこともできるでしょう。でも、シェイクスピアやホメロスのような偉人
は生まれないことでしょう。彼らは神々とともに退場したのです」

1927年の初め頃、モードは原子力の未来を懸念していた。

「それは素晴らしく、また、啓示的なものでしょう。でも、美しいかし
ら? 原子からエネルギーを放出させる方法を発見すれば、動力というこ
とでは、イエスキリスト以来の画期的なものとなるでしょう。でも、私の
生きているうちは、いえ、私の子供たちが生きている間も、その発見がな
されなければいいと思っています。

良いにしろ悪いにしろ、、人間の生存の諸条件がすべてひっくり返され、
滅ぼされてしまうでしょうから。ありとあらゆるものが消滅するでしょ
う。私たちが今持っている金融機構も、価値基準も、生活様式も。まった
く新しい世界が生まれるのです。それに慣れた人々にはとても素晴らしい
世界かも知れません。彼らは、私たちの時代を振り返る時、暗黒と無知の
中をさ迷った時代とみなすことでしょう」>

核兵器、原発、レントゲン・・・1945年の米国によるヒロシマ、ナガサキ
の“原爆お試し爆撃”以来、あまりの凄まじい破壊力により、それ以後に核
兵器が戦争で使われたことはない。相手国の攻撃を抑止するための“脅し”
としての「伝家の宝刀」になっているが、偶然か故意を問わず、一旦、核
戦争(無差別大量殺戮)が起きれば双方の主要都市は恐らく潰滅するだろう。

「今のところは」米ロ、米中、米朝、印パ、イスラエル・中近東で核戦争
が起きることはなさそうだが、永年の憎悪や疑心暗鬼というマグマがある
のだから、明日にでも核戦争が始まる危険性が消えることはない。危い世
界なのだ。

原発は低コストのエネルギーを世界にもたらし、これからも普及していく
だろう。それにより生産性はたかまり、放射能の活用で医療も向上、普及
し、地球の人口は増え続け、やがて100億の大台を突破するだろう。しか
し、地球にとって人間は悪性腫瘍である。衣食住の発展とは森林が破壊さ
れ、河川や海が汚れ、都市化による温暖化が進むことで、その人間という
癌細胞がひたすらに増殖するのである。地球は耐えられるのだろうか・・・>

ま、永遠の成長はないし、宇宙自体の寿命が50兆年とか100兆年とか言わ
れているから、豆粒のような地球が100年後、1000年後にあるかどうかは
分からない。2億年続いた恐竜時代は一瞬で亡びた。

さてさて相も変わらず「全然進展しない拉致問題」。政治家や官僚は「臭
いものには蓋をして」被害者、被害者の可能性大という人々や家族が「死
に絶えるのを待っている」ようである。拉致の日本における司令塔は朝鮮
総連だ。その総連を叩き潰すどころか手厚く保護している、そのように見
えるのが日本の統治者の主流ではないのか。半島利権でもあるのか。

小生でさえ歯がゆいのだから拉致被害者やその可能性大の失踪者の家族は
辛くて辛くてたまらないだろう。同胞が悲しみ、苦しんでいるのを放置し
ていては、とても自立した一流国家とは言えまい。自前の憲法も作れな
い、米国の51番目のヘタレ州、State of Japan のままでいいのか。恥を
知れ、恥を!

綺麗なべべ着て、美味いものを食って、テレビ見てゲラゲラ笑って・・・
ご先祖様は泣いているぞ! ふにゃれの国を子に引き渡すのか。「“売り
家”と唐様で書く三代目」を繰り返すのか。このままではThe End だ。そ
れでいいのか、ということ。上がアホなら下もアホ、か。

古人曰く「戦時あっては敵、平時にあっては友」が普通の外交関係であ
り、戦時も平時もいつまでも続くわけではない。志那人は「治に居て乱を
忘れず」「外交は血を流さない戦争、戦争は血を流す外交」と言った。西
郷先生は「外交で侮られるな。常に“戦”の一字を忘れてはならない」と教
えた。

戦後の日本人は“戦”の一字を忘れ続けた。三島が諌死した思いがよく分かる。

「特定失踪者問題調査会」のHPを見て欲しい。小生の小論「全然進展しな
い拉致問題」はとりあえず今回で休筆とします。

発狂亭“癇癪ヂイヂ”雀庵の病棟日記から。

【「措置入院」精神病棟の日々(119)】【2016/12/27】【産経】「大晦
日 攻める出版 雑誌や新刊170点発売 正月需要狙う」。


書籍は売れない、雑誌も売れない。知りたいことのおおよそはネットで分
かるし、常識的に考えればニュースソースの信頼性はそこそこ判断でき
る。アナログ文字はやがてデジタル文字に代わるのだろう。時代の流れに
は逆らえない。

それにしても正月に本屋は開いているのか。客はいるのか。みんな遊びに
出かけているのではないか。

「温暖化問題の研究者が警鐘 トランプ流 新たな懸念 観測データ消さ
れる?」。1970年頃は「寒冷化」で、ここ20年は「温暖化」で研究費を
稼ぐのが理系学者のやり方だ。狼少年はまだ多い。

「過去データ長期流用 繊維流通統計、経産省廃止へ」。この世のデータ
は公的なものでもピンキリだということ。鵜呑みにすると方向を誤る。

「話の肖像画 山本寛斎(72)暗く辛かった初めての旅」は、戦後の1951
年、日本が貧しかった頃の回想。両親の離婚、そして京急上大岡から7歳
児が5歳と3歳の弟を連れて高知へ。ところが迎えの父はいず、児童相談所
へ。ひもじい日々が続く。数年後、父と義理の母親になる女が現れ、ばら
ばらになっていた弟2人も一緒に大阪へと住まいを移す・・・1951年は小
生が生まれた年で、まだ食糧不足が続き、国民は食べるのがやっとという
頃だった。

「兜町の風雲児 加藤あきら被告(75)が病死」。バブルの頃はおおいに
世間を騒がせたものだが、晩年はどうだったのだろう。奢れるもの久しか
らず、生者必滅、諸行無常・・・か。(つづく)2019/7/16



2019年03月18日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第26章

“シーチン”修一 2.0


ムショからムッシュー・ゴーンが奇抜なファッションで出てきた。それだ
け見てもタダモノじゃないなあと思う。泣く子も黙る、情け知らずのコス
ト・カッター、切れ味抜群、死屍累々、それでも「下請けの 涙の池で 
イチニッサン」、どん底泥沼の日産を蓮の華のように甦らせたのだから、
何妙法蓮華経、神様、仏様、ゴーン様。永遠に「中興の祖」として記憶さ
れるだろう。その功を私たちは忘れない、日本電装そっくりのファッショ
ンとともに・・・

刑務所や拘置所、留置所では「3」が結構な意味を持つ。3日、3週間、30
日、3か月、300日、3年、30年・・・3日耐えれば3週間はもつ、3週間耐え
れば30日、30日耐えれば3か月はもつということだが、この3か月≒100日目
あたりは独房暮らしでは結構しんどい。

逮捕後の最初の3週間は新聞も本も読めず、カレンダーと「房内心得」し
か読むものがないので辛いが、まだ戦意はあるからどうにか凌げるが、
100日頃には戦意喪失、“拘禁ブルー”になり、娑婆が恋しくなって、とに
かく保釈されたいなあと思いが募って、無実なのに検事のシナリオに沿っ
てゲロったり、同志を売ったりすることは結構多いようだ。

(裏切りは自責で一生苦しむから割が合わない。新宿騒乱事件(1968年)
で逮捕された道浦母都子の短歌に「爪立てて 同志よ黙秘をと 刻みきし
 独房の壁 今宵誰が見む」とかいうのがあったが、その同じ事件でパク
られたN(某企業の御曹司)は分離公判でいち早く執行猶予になった。そ
の後のNは友人をほとんど失い、事件にはまったく触れず、まるで世捨て
人のようだった。同志を売るとろくなことはない。

なお、房の壁はカチカチで、運動場で拾って頭髪に隠して持ち込んだ釘で
も歯が立たなかった。道浦の爪は相当硬度が高いようだ)

ゴーンさんは容疑を否認したままで“保釈を勝ち取った”。裁判では一審で
ケリがつくのではないか。氏は年齢を考えると、さっさとお仕舞にしてビ
ジネス界に復帰したいだろう。実刑でも功績を考えると懲役あるいは禁固
3か月、罰金20億円で、3か月拘留されていたから実際に刑務所に収監され
ることはないし、保釈金プラス10億円で罰金は賄える。

必殺無罪請負人のヤメ検もずるずる最高裁まで持ち越すことは勧めないだ
ろう。ゴーン氏は娑婆でまだまだニーズはあろうから、10億円なんぞすぐ
に稼げるだろう。不動産のいくつかを売ればいいし・・・

まあ、ちょっと公私混同して脱線しただけよ、実業家にはよくあることだ
わ、禊をすればOK、引きこもりするより、社会のためにあなたの桁違いの
能力を発揮すべきだと私は思うわ。ガンガン稼いで、ジャンジャン遣うの
よ、貯め込むと嫉妬を買うから、アドバイスをしておくわ、良くって?

カネと無縁の小生は3月6日に確定申告の書類を税理士に送った。40年近く
確定申告をしているが、今年は税務署から申告用紙が届かず、「歳だし、
キチ〇イだし、骨折もして廃車寸前だから納税免除なのかもしれない」と
思ったりしたが、情け容赦しない泣く子も黙る税吏がそんな温情をするわ
けはないわなあと考えていたら、「そうか、税理士が小生に代わって去年
からネット申告し、それで用紙が来ないのだろう」と思い至った。

で、慌てて書類と数字をまとめて簡易書留で税理士に送ったというわけ。
ゴーン氏と違って納税額はクズみたいなものだが、決まりは決まりだから
仕方がない。税理士は小生が起業した時からお世話になった先代の息子さ
ん。先代は亡くなってしまったが、息子さんがクライアントを引き継いで
おり、生前贈与などでもお世話になっている。

確定申告は小生でもできるが、書類に「税理士のハンコ」があれば、税理
士と税吏はグル(税吏は退職後に税理士になったりする。取材でお世話に
なった四谷税務署の署長さんとは仲良しになったが、退職後に四谷で税理
士事務所を開業した。記者はいろいろな人と仲良しになれるのがいい)だ
から、すんなりいくのだ。ハンコの威力は抜群。2代目の税理士には以下
のことも書き添えた。

<昨秋9月3日に自転車でこけて左膝を複雑骨折し、酷い目に遭いました。
腰痛もあってヨタヨタ、ヨロヨロです。3月10日には「生前葬」(お別れ
の会 or 感謝の集い)を催します。

相続は家内一人にし、孫1人につき100万円の教育費を与えようと思ってい
ます。手続きをお願いできますか。

確定申告もあと1、2年でしょう。家内は「古稀まで生きて」と言っており
ます。DIYで棺を作り、セレモニー業界をアッ!と驚かせ、My Coffinブー
ムを世界に広めたら、もう満足です。ハハハハハ・・・>

古稀までは コキコキシコシコ 生きてみる(修)

相変わらずの愚作だ。

隔離部屋と庭園の掃除、パノラマ展望台の修繕を終え、3月9日は墓掃除、
10日は法事。どこかへ消えてしまったビートルズの3枚組CDの代わりにベ
ストヒット27曲を1枚に収めたCDを8日にブックオフで入手したから、なす
べきことの95%は終わった。キャロルの火事付き解散コンサートCDを残す
だけで気に入りのCDは全部そろった。

いい気分で生前葬を迎えられそうだ。長くなったので今回はこれで終わり
にします。(つづく)2019/3/9

       

2019年03月08日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第25章

“シーチン”修一 2.0


兼高かおるさん(1928年生、本名:兼高ローズ)が1月に亡くなり、2月末
に海外旅行業界有志による「偲ぶ会」が開かれたそうだ(フェイスブック
で知った。たまには役立つ)。兼高さんは戦後の海外旅行ブームの火付け
役、種まく人、パイオニアだった。

1945年の敗戦、占領で明治以降に盛んになった「洋行」=海外旅行は途絶
えた。戦前、日本人は支那大陸だけでも年間1500万人が渡航していた。戦
後は衣食住の「食」の確保から始まり、ようやくどうにか生き延びたとい
う1960年、政府は「もはや戦後ではない」と国民に宣言した。(さあ、反
転攻勢へ出よう!という鬨の声か)

それでも渡航に必要なドルを買えるのは海外で金を稼ぐ輸出業者(業務渡
航)や留学生などごく一部だった。「観光、物見遊山で海外旅行(ドルの
流出=輸入)なんてとんでもない」、業務渡航だって外貨持ち出し制限が
あり、こっそり腹巻にドル札を忍ばせて持ち出していた時代だった。銃の
代わりにソロバンと商品サンプルをもって海外へ派遣されたのは多くが元
皇軍兵士だった。

それに先立つ1958年、兼高さんはトキの声を上げた。この年から平成天皇
皇后のご結婚を祝うミッチーブーム、パレードをテレビで見たいというTV
ブームが高揚してきた。米国留学帰りで英字紙などの記者をしていた兼高
さんは「TVの時代」と同時に「1964年の東京五輪で海外旅行が盛んにな
る」ことを確信したのだろう。

まずは話題作り、名を挙げるためだろう、「スカンジナビア航空が主催し
た『世界早回り』に挑戦し、73時間9分35秒の新記録を樹立」「1959年よ
り『兼高かおる世界の旅』がはじまった」(WIKI)。

海外観光旅行ができない時代に「海外の今」を紹介してくれるのだから、
たちまち人気番組になった。「〇〇ですのよ」といった彼女の気品あるナ
レーション、解説は大変優れていたが、聞き役のアナウンサー、芥川隆行
が彼女の知性、感性を刺激して語らせる、その実に微妙な合いの手と言う
かツッコミが良かった。彼女は嬉しそうに「そうなんですのよ!」と楽し
く話をするのだった。

兼高さんには一度、対談に出ていただいた。その時の彼女の言葉で忘れら
れないのは「天に倉を置け」だった。「世のために善い行いをしなさい、
徳を積みなさい、あなたの現世利益、金銀財宝の倉はこの地でなく、天の
倉に積みなさい」といった意味だろう。

彼女が学んだ香蘭女学校(東京)は英国系プロテスタントで、マタイによ
る福音書には「天に富を積みなさい」とある。「あなたが最も心を込めて
大事にしているものこそがあなたの富である」ということらしい。

大東亜戦争中は日英は互いに敵であり、同校は敵性機関扱いされたが、そ
れを体験しただろう兼高さんは「相互理解が平和を担保する」と確信した
のではないか。父(インド人)母の信仰も影響したろう。兼高さんは観光
旅行、物見遊山であれ、諸国間の草の根交流が必要だ、その時代は間もな
く来ると確信していたに違いない。

1964年の春、観光渡航でもドルを海外へ持ち出せるようになった。欧州旅
行が人気だったが、日数は3週間とか1か月が当たり前の時代で、ツアー価
格は初任給の2年分ほどもした。今なら500万、600万円あたり、高嶺の花
だった。それでも旅行者は右肩上がりで伸びていった。篠山紀信など大志
を抱いた若者は借金してでも世界に雄飛した。

(これを機に有名になった篠山は20歳の小生のアイドルだった南沙織(深
夜の歩哨の時ラヂオで聴くだけだったが)をGETして小生のハートを壊し
たが、今でも門外不出で大事に保管しているそうだから、まあ許す。で
も、ちょっとだけでも拝みたいなあ)

1970年前後からジャンボ機が普及し、運賃が劇的に下がり(バス1台=40
人用運賃登場)、海外旅行は庶民の手が届く娯楽になり、パンアメリカン
航空がスポンサーになっていた兼高さんの番組は1990年、「取材国は約
150か国、距離にして地球を180周」の記録を残して終わった。兼高さんは
日本の海外旅行復活、発展の大功労者だった。

<1990年7月31日、芥川隆行は体調不良を訴え入院、末期の肺がんだっ
た。9月4日、「兼高かおる世界の旅」最終回のナレーション収録時点では
胸を押さえながら必死で挑んだが声が響いておらず、「芥川節」は本調子
ではなかった。10月2日、死去、71歳。

10月3日、入院中の9月6日に書き下ろした、兼高との思い出を振り返った
「一つの旅の終焉」は、雑誌『鳩よ!』に絶筆掲載された>(WIKI)

戦死・・・大和男児の最期はこうありたいね。

ところで河内桃子さん(1932年生、本名:久松桃子、旧姓:大河内)は女
優である。小生にとって彼女はカトリック布教のラジオ番組「心のともし
び」の朗読者だった。河内さんは小生が大好きな生田緑地に近い日本女子
大学附属高等学校を卒業して女優になった。日本女子大はプロテスタント
牧師の成瀬仁蔵が創設した。

(成瀬は新教、旧教の違いにこだわらなかった。今の日本人も「宗教、宗
派の違いなんぞは些事、みんなで仲良くやろうぜ」、これが初期設定。日
本人に生まれてよかった思わないこと?)

河内さんは1998年11月5日に亡くなる直前の10月29日、病床でカトリック
神父より洗礼を受け「マリア」の洗礼名が与えられた。1980年にヨハネ・
パウロ2世から聖十字架章を親授されたほか、1996年にはバチカン市国勲
章も授与されている。

兼高さんと河内さんは、ほぼ同時代を生き、同時期に米国にいたこともあ
り、共にキリスト教にも通じている。時代が「暗いと不平を言うよりも、
すすんで明かりをつけましょう」とか「置かれた場所で咲きなさい」と
いった風潮だったのだろうか。政府は「飢えをなくした、経済は追い風
だ、後は国民の努力次第、3C(カー、クーラー、カラーテレビ)を目指
せ!」という感じだったようだ。

60年安保騒動の1960年から70年代は戦後リベラル≒アカモドキの残照がま
だあった。80年代はバブルに代表されるように「カネ」がボディコンを着
て踊りまくっていた。「♪骨まで溶けるようなテキーラみたいなキスをし
て 夜空もむせかえる 激しいダンスを踊り」まくったのだ。資本主義万
歳!てな感じ。

ところがマスコミなどの出版界は今でもジメジメしてまだ赤い。不思議に
思わないこと?

実は出版界の求人募集は「朝日の月曜朝刊」求人欄に集中していたのであ
る。今はどうかは知らないが、少なくとも70年代はそうだった。だから出
版界を目指す若者は朝日を購読せざるを得ないし、学校の先生たちは日教
組の影響もあって朝日を読み、記事を試験問題にも起用していたから、生
徒たちも朝日を読むという、何やら永遠的に赤いタスキが渡されていくと
いう輪廻駅伝が続いているのかもしれない。

このためにマスコミ、出版は欧米を含めて、多分7〜8割はアカかピンクの
フィルターをつけている。彼らはリベラル(良識と知性ある穏やかな人、
小生にとっては福翁、岩波茂雄、陸羯南など)を自称しているが、戦後は
基本的にはML(マルクス・レーニン)教徒だ。

ひと頃(角栄バッシング前後、立花隆や赤坂“頂門”太郎が元気だった
頃)130万部を誇った「文藝春秋」は今は30万部ほどだろう(雑誌協
会)。昔のリベラル、多分今はほとんど痴呆症的な読者層に迎合している
みたいで、根っからの反日的な保阪正康なんぞの論は胡散臭い。半藤一利
も怪しい感じがするから読んだ記憶はない。

岩波「世界」は寄らば大樹の中共もEUもへたってきたから絶滅危惧種、名
もないML狂徒の公衆便所みたいでレッドブック入りだ。1万部出ているの
かどうか。原稿料が払えずに「そのうち新書にするから印税で」なんて綱
渡り的なことをやっているんじゃないか。「世界」に掲載されるんだか
ら、ま、いいか、なんてML狂徒の学者は思っているかもしれないが、飯を
食えんと戦争できへんで。

モード・モンゴメリは一種の女傑、時代が時代ならサッチャーのような宰
相になっていたのではないか。市井の素朴なクリスチャンのご婦人方を煙
に巻いて熱烈な支持者にする才能を持っている。彼女は大宰相と言われる
チャーチル(1874年11月30日 - 1965年1月24日)が生まれた時に、プリン
ス・エドワード島で生まれた。モードはそれを時に楽しんでいたという。

モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」によると、父方のモンゴメリ家、母方
のマクニール家はともに名家で、エドワード島立法府の議員を務めている
先祖も多い。初代モンゴメリ家はカナダ移住を決めて故国を後にしたが、
エドワード島を目指していたわけではない。ただ、寄港しただけだが、船
酔いに苦しんだ夫人が「もう船は嫌!ここに住む!」と主張して梃子でも
動かない。旦那は「もうしょうがない」と折れるしかなかった。昔も今
も・・・男はつらいよ!なあ、同志諸君!

モリー曰く「モードの家系には気性の激しい婦人が何人もいたのである」

気性の激しさ、繊細な感覚、豊かな知性を抑えながらモードは牧師の良き
妻、母親、作家を演じる。手抜きしないから大変だ。

<忙しさに煩わされ続けた年月を通じて、モードは何とか毎日2、3時間の
時間を工面して執筆の時間を確保したのである。

「母は早朝に書きものをしていました」と息子のスチュアートは言っている。

「そして夜遅くに読書をしていました。私が覚えている限りでは、母の睡
眠時間は5時間、時には6時間でした。母は乱読家で、また、読心術を心得
ていました。

イギリス文学の古典は、すべて何度も読み返していましたし、それに信じ
られないほどの記憶力で、シェイクスピア、ワーズワース、バイロンばか
りか、有名なイギリス詩人の作品はすべて大部分の個所を引き合いに出す
ことができました。

そればかりか、同時代の本、雑誌、新聞のすべてを読み、また、毎日1、2
冊の推理小説を読みこなしていたのです」

牧師のご主人の神経症的な憂鬱状態(小生のような抑うつ症、自殺願望、
引きこもりとかかも知れない)がどれほど深いものなのかをモードはすぐ
に感知したが、会衆にはあずかり知らぬことであった。モードは時折友人
(ペンフレンド♂)たちに夫の思わしくない健康――神経衰弱、不眠症、意
気消沈――について書き送っている。

晩年もどん詰まりになって初めてモードは、夫と共に生活した期間の大部
分、彼女の心を重くしていた夫の精神状態に対する絶望を打ち明けたので
あったが、その時まで、他の重みとからみ合ってモードを打ちひしいでい
たのである>

モードは牧師の妻として笑顔を絶やすことなく、実は必死で夫を支え、夫
の至らぬところを補っていた。

<とはいえ(牧師の妻として)職務を果たすことで、モードがどれほど疲
れ切っていたかをよく分かっている人はいないであろう。一面では職務を
楽しんでいたが、一面ではその進入を不快に思っていたのである>(つづく)

まったく人生は皆、初心者だから想定外のことばかりだ。「これだ」と
思っていても、いつの間にか別の線路になっていたりして、「ここはど
こ? 戻りたいんだけど・・・えーっ、一方通行?! 廃車置き場行
き?!って・・・」。

だから人生は面白いとも言えるし、アホくさいとも言えるのだが、ま、こ
の際は笑った方がよさそうだな。ハッピーカムカムってことでさあ。

さてさて、米朝会談、半島情勢は「大山鳴動、文在寅失禁」というだけ
で、どうもパッとしなかった。中共にとっても半島はただの「ババ」で、
使い道がないんじゃないか。ナイナイヅクシの北は包囲網が継続/強化さ
れ、そのうち中共が見捨てれば自壊するしかないのでは。あるいは核施設
を空爆ですべて破壊されたり。文在寅らの夢見る南北赤化統一はどうもあ
りそうもないような・・・

北の軍隊はどう動くのだろう。金北豚神輿を担いでもじり貧になるだけ
で、中共の了解を受けてクーデターで金王朝をつぶし、ミャンマーみたい
に徐々に前進した方がいいと思うが。

前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長インタビュー 元朝
鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話します』元朝鮮青年同
盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<――北との連絡は密にしていましたか。

全 あまりしなかった。向こうから言ってきましたよ、「上の人物と会
え」と。その人と井之頭公園で会って指令書(暗号)を貰ったんです。

――(橋梁専門家の)Fさんを北へ連れて来いということですね。

全 咄嗟に、これはやるべきじゃないと思いました。しかし、とにかく韓
国へ行ってFさんに接触してみようという気にはなったのです。

だけれど韓国にツテがない。さ、どうするか。知り合いの(韓国居留)民
団系の在日に、生まれ故郷の韓国へ行きたいが、どうしたらよいかと相談
しました。そうしたら、祖国訪問団というのがあるから、それにと申し込
んだらいいと。で、団体の一員として訪韓しました。1979年4月です。

――韓国ではマークされていましたか。

全 されていました。当局の人間が2人も尾行していました。総連系なの
に韓国へ来たのはおかしいというわけです。

Fさんがどこにいるのか、いろいろ調べたら、ソウルの名門大学にいる
と。大学に電話して「今、韓国に来てるよ」って言ったらびっくりしてい
ました。それからまた付き合いが始まり、Fさんが日本に来る時は私の家
に寄るんです。

――F先生の結末はどうなったのですか。

全 結論から言えば、北の望み通りにはならなかった、ということです。
この件はFさんにも誰にも話したことはありません。旧友の人生を狂わせ
ることもなく、本当に良かったと思っています。

これは人間のやることじゃないと思ったんです。相手は家庭を持っていま
す、子供もいます。父親がいなくなったら、子供はどんなにさみしがるで
しょう。私は小さい時に両親を亡くしました。親のいない子供の気持ちは
よく分かっています。

その後、総連との関係はありませんでしたが、総連の暗い部分を知る機会
は何度もありました。帰国者が残していった不動産などが総連幹部の個人
名義になっているんですね。

総連がわが同胞に行った罪は大きいと思います。罪滅ぼしとして、世間の
疑問にきちんと答える説明責任があると思います。

――その通りだと思います。全さんのように勇気ある人たちがどんどん出て
きて、明るい未来を構築するためにも真実解明に向けて貴重な証言をされ
ることを期待しています。(この稿おわり)

上記の記事から15年経っても、拉致問題は一向に解決していない。子を奪
われた親の心、親・きょうだいを奪われた家族の心に寄り添う政治家、官
僚、公務員、識者は、ほとんど増えていないのではないか。むしろ「北に
寄り添う」ような人々、あるいは無関心な人々が増えているような感じが
する。

今、北は経済制裁で苦しんでいる。制裁緩和のカードとして拉致被害者解
放を北の権力者は考えているかもしれない。米国トランプに振られた北は
アカの文在寅や中共の支援に頼るだろうが、それだけではとても足りな
い。やがて日本に秋波を送り、被害者解放をネタに支援を求めるかもしれ
ない。

しかし、今さら「拉致しました、解放します、ごめんなさい」とは北は言
えない。彼らの公式見解は「拉致問題は解決済み」であり、公式に拉致を
認めることは権力基盤を弱めかねない。

正攻法では一歩も前進しないのであれば、裏の秘密交渉で「第三国(例え
ば豪州)で被害者発見、保護」というあらすじでもいいのではないか。政
府認定の被害者以外を含めた全員を奪還してから身代金を払うということ
で手を打つ・・・北は暴力団であり、善を説いたところで無駄。銭、燃
料、食糧、政体保障で手打ちをするしかないと思うのだが。

人質を奪還してからのことは、別に策を練っておけばよい。今はとにもか
くにも救出だ。これは安倍政権の今だからこそできる禁じ手、裏取引だろ
う。「狂」がなければ突破できないことはある。

発狂亭“昨日も狂、今日も狂”雀庵の病棟日記から。

【「措置入院」精神病棟の日々(116)】【2016/12/25】承前【産経】四
番手は井伊重之「アパート建設の過熱に潜む罠」。30年一括借り上げ保
証、自己資金ゼロでOK・・・建設会社やデベロッパーの甘言に乗る地主さ
んが増えているとか。甘い言葉で釣る企業が倒産したらオシマイ。土地建
物は地主が銀行から借金する際に担保に差し出しているから、蓄財どころ
か身上破綻して地獄へ落ちる。

小生の親戚の4家(父方の轟家、菅家、末永家、母方の久保家)は前回
1986〜1991年のバブル景気で「百姓なんてやってられん」とマンションを
建ててすべて消滅した。

それから四半世紀、喉元過ぎてまたぞろアパマン経営。企業が破産するこ
とを知らない善人というか、無知蒙昧の強欲爺さん、世間知らずの長男坊
がまたまた騙されるのだ。

五番手は坂本鉄男(父親が鉄道関係?)「イタリア便り 田舎にある有名
店」、曰く「日本でも、場所は不便でも味で勝負するレストランがもっと
できても良いのではないか」。地代などが安いため値段はリーズナブルだ
という。

フランスに赴任していた先輩が「道路事情がいいので、1日に1000キロ走
ることもある」と言っていた。米国同様に欧州も車社会なのだろう。日
本、特に都市部は鉄道社会である。仕事を終え友人知人、お客さんと食事
をして、ほろ酔い加減で電車で帰宅するのが日本流だ。

いくら美味いレストランでも、ローマから100キロのところ、多分獣でも
出そうなド田舎のレストランへ行くのはイタリア流なのだろう。フェラー
リなどスーパーカーでぶっ飛ばすのがオシャレとか。日本でそういうレス
トランを造れば1年もつかどうか。日本のペンションオーナーで成功した
話は聞かないなあ。

商売の成否は、日本の都市部では立地が大きく作用する。観光地なら温泉
に入って浴衣を着て夕飯。すべて金太郎飴みたいで、美味いと言えば美味
いが、経験を積むと「ま、こんなもん」と感激は薄くなる。近隣に一流レ
ストランもあるだろうが、地元料理の方が人気だろう。翌日の昼飯は「石
和温泉ってなんか風情がないよなあ、葡萄と信玄だけみたいでさあ、せっ
かくだからホウトウ鍋でも食っていこうぜ」とか。

並んでありついたホウトウ鍋・・・期待が膨らみ過ぎたか、まあ、名物に
何とか、ではあるね。(つづく)2019/




◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第24章

“シーチン”修一 2.0


ヨタヨタと散歩していたら、春の静かな、遠慮がちな訪れを見つけた。

可愛い黄色の花をつけたカタバミ、蝋梅、紅梅、白梅、さらに紅白ミック
スのしだれ梅、緑化センターではクリスマスローズやスミレなど多彩な
花々、温室にはコバルトブルーのヒスイカズラが女王様然として目を引
く。町会の花壇には感動的な菜の花がいっぱい、桜並木のつぼみは日々膨
れ始めた。

小生の屋上庭園にはいろいろな小鳥が来るが、餌を食べて小生の無聊を慰
めてくれる鳥として初めてツグミ、アカハラ、ムクドリが来た。ウグイス
は「わたし、こんなもの好かないわ」とすぐに消えてしまったが、木の実
が好みのようだ。ツグミはつがいで薄ピンクの花をおいしそうにパクパク
食べてしまったが、そのうち小生も味見をしてみよう。

スズメたちは、ツグミなど鋭いくちばしの大きな体の新参者を歓迎はしな
いが、恐れずに一緒に食べている。肉食で残酷なモズは見かけただけで50
羽のスズメが一斉に逃げる。ザーッというすごい羽音で、文字通りの一目
散だ。遅れたのか賢いのかは分からないが、草木やプランターの陰に隠れ
る奴もいる。

モズは標的に向かって凄い速さで一直線に向かってくる。まるで矢のよ
う、弾道ミサイルだ。ほとんど攻撃力のないスズメは三十六計逃げるにし
かずだが、実に小回りが良く、パッと身をひるがえしてモズの攻撃をかわ
すのだ。鳥の中で恐らくスズメは一番繁殖しているだろうが、この類を見
ないほどの「小回り力」が大いなる武器になっているのかもしれない。

韓国はモズのような北の攻撃圧力を、カネとスマイルでかわしている。ヤ
クザに殺されたり暴れられたくなければミカジメ料を払って、へらへらす
るのと同じだ。昔から強い者とは喧嘩をしない、三跪九叩頭の朝貢外交で
圧力をかわしてきたのだから、カネとスマイルでその場の緊張が解ければ
いいのだろう。

日米が「暴排条例を守れ」といくら言ったところで、スズメに「逃げてば
かりいないで戦え」と言うようなものだ。

スズメは可愛いが、まったくキンバエのような韓国からすればこう反論す
るだろう。

「余計なお世話や! うちは『長い物には巻かれろ』でずっとやってきた
んやで。相手が弱ったらすかさず豹変して掠奪、強姦、傷害、殺害するの
がうちの伝統的なやり方や。ま、日本には舌戦、脅し、レーダー照射で嫌
がらせをしておるレベルやけどな、そのうちに南北共同で叩き潰してやる
で。それは国民感情法で決められている国民の正義、義務でな、国民感情
法はすべての法律、条約を上回る最高法やねん。そやさかい、それを遵守
するのがうちらの務めや。チョッパリはよー覚悟するこっちゃ」

まあコリアン半島人は「コリナイ/懲りない」から、ウェノムへの劣等感
を罵倒に転化することで留飲を下げているのだろう、これまでも、これか
らも。

韓国のアカ新聞「ハンギョレ」2019/2/10、「寄稿/キム・ヌリ中央大教授
『大韓民国100年、清算なき歴史』」から。

<2019年は歴史的な年だ。2・8独立宣言、3・1革命、上海臨時政府樹立が
すべて100周年をむかえる。“大韓民国”が、自主独立運動の火の手に乗っ
て遠い他国で誕生してから1世紀を迎えたということだ。

大韓民国が経てきた過去の1世紀は、実に残酷な時代だった。

韓国現代史を振り返り最も驚くべき点は、苛酷な歴史による多くの悲劇に
もかかわらず、過去がまともに清算されたことがただの一度もないという
事実だ。大韓民国ほどに、過去が清算されなかった国が他にあるだろうか?

日帝の高等警察の刑事が解放後にも独立闘士を尋問した国、日本軍の将校
が解放された国の大統領になり、それでも足りずにその娘までが大統領に
なる国、ファシスト親日派が作った歌を“愛国歌”として歌う国―それが大
韓民国だ。

親日の過去清算と関連してみれば、解放された空間で親日派が民族主義者
を制圧した「反民特別委」の武装解除が歴史の行方を決定づけた分岐点
だった。

問題は親日の過去だけではない。良民虐殺の過去、軍事独裁の過去、司法
殺人の過去、拷問犯罪の過去、御用学問の過去…。何一つまともに清算さ
れたことがない。今も変わらず多くの盧徳述、宋堯讚、朴正煕、梁承泰、
李根安、葛奉根が、この社会を支配しているのが私たちの現実だ>

「過去清算」・・・って何よ。過去の延長として今があり、そこから学ん
でこれからどんな国を創るのかが今人の仕事だろう。韓国にははっきりし
たビジョンがない。近代化と赤化の間で大きく揺れ動いている。「感情と
気分と妄想とバックミラー」だけで「理性と知性と計算とコンパス」がな
い。まるでカンカラ菅と鳩ポッポしか人材がいないみたいだ。

小生は「♪過去はどんなに暗くても」未来は明るいだろう、明るくするぞ
と思ってきたが、コリアンは相変わらず「バックミラーしか見ない」、つ
くづく「恨/ハン」の民族だ。病膏肓、永遠にそうだろう、永遠の「悪
夢」。御先祖様は彼らを「バ〇チョン」と呼んだが・・・前方不注意でそ
のうち事故るだろう。反省しない、自浄機能なし・・・未来はないわなあ。

良き隣人を持てば君は幸せになれる、悪しき隣人を持てば君は哲学者にな
れる? 凡人のままでもいいから半島人とは関わりたくないなあ、と思わ
ない? なあ、同志諸君!

そうだわ、気分一新、「赤毛のアン」のお話よ、良くって?

こういう言葉遣いは1917年のロシア革命に影響された「大正デモクラ
シー」が生んだものだと山本夏彦翁は書いていたが(不倫、親不幸、核家
族もそう)、アンを日本に紹介した訳者の村岡花子はクリスチャンで、女
権拡張運動家、不倫もしているという(大正語では「自由恋愛ね、ずいぶ
んご発展ね!」か)。彼女の翻訳はもろ「大正デモクラシー」言葉で埋め
尽くされているような気分になるわよ、ちょっとレトロで素敵じゃない?

著者のモード・モンゴメリは不倫はしなかったろうが、当時で言えば「翔
んでる女」だったろう。彼女は仮面をかぶって、あるいは役になりきって
「牧師の妻」を演じたのだが、その忙しさ、心身への負担は尋常ではな
い。モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」から。

<(モード)が大人になった時には(教義に)疑問を持ち、反抗心を抱く
ようになっていた。正真正銘の(牧師の)伴侶として夫に忠実であるこ
と、社会生活のなかで彼女が引き受けた役割に忠実であること、若い人々
に愛読される作家としての立場に忠実であること、こういうことがすべて
相まって、モードは心のうちで、義務感と本心との間の良心の葛藤を鎮め
るのは並大抵のことではなかった。

彼女は「自分を取り巻く環境のために、無理やり芝居をさせられている」
ことに気付いていたのである。この止むことのない内面の葛藤の気配すら
もモードの周りの人々には届かなかったということは、彼女の性格の強さ
を示す印である。

(教区員や周囲の人々は)うんざりする仕事に延々と力を注ぎ続けたり、
みんなから逃げ出して孤独に浸りたいという彼女の気持ちなど決して理解
できなかったのである>

モードはペンフレンド(ともに♂)のウィーバー(在加州、後に教師、作
家)とマクミラン(在英、後に著名ジャーナリスト)宛に典型的な1週間
の退屈きわまりない細目を一覧表にして送っている。

今晩:青年団の劇のリハーサル。
昨夜:お茶の会で外出。
日曜夜:讃美歌詠唱集会。
土曜夜:(教区内にあるもう一つの教会で)礼拝集会。会衆の前であいさ
つし、教区を去っていく伝導夫人会員に贈り物を贈呈。
金曜夜:青年親睦会の指導。
木曜夜:例の劇の練習。
水曜:ロイド・ジョージの演説を聞くためトロントに出かける。
火曜夜:牧師の訪問。
月曜夜:劇の練習。

さぞウンザリするだろう。1920年のある結婚披露宴に「一種の義務」で出
席した際のこと。

<私は午前2時までその席に連なり、部屋のあちこちにずらりと居並ぶ何
十人という女の人たちとおしゃべりをしなければならなかったのです。と
うとう私はまったく意志を持たずにいつまでもしゃべる続ける機械になっ
たような気分になりました>

モードの筆跡は一葉女史の草書体のように非常に美しく、かつ個性的だ
が、若い時に筆跡鑑定をしてもらったことがある。結果は――

<「あなたはかなり傲慢な性格ですが、他の人々のみならず自分自身もよ
く知っているので、そういう性格が非常によく抑えられています。優美な
もの、贅沢なもの、さらに、品のいい作法、等々を大いに好みます。『あ
なたは、本当の自分とは全く違って見えるほどに、自分の内面の考えや感
情を押さえつけ、隠すすべを知っています』。

非情に愛想よく、丁寧で親切な態度を取ることができます。あなたは自分
の意思を持っています。安楽と気楽さを好みます。非常な倹約家であり、
とても慎重であると同時に外交的手腕に優れ、猜疑心が強く、容易に人を
信じません・・・>

『 』内はモード自身によるが、マクミランに「このくだりは私が牧師の
妻となるべく運命づけられていたことを示しています!!」と書き送って
いる。

静かに自然を鑑賞したり、夢想したり、執筆したり、読書したり、家事に
没頭したり・・・モードはそういった「自分の時間」「クールダウンの時
間」を持ちたくても、思うようにできなかった。悲劇と言えば悲劇だが、
天はモードに試練を課したのか・・・「艱難人を玉にす」とは言うもの
の、試練は時に人を押しつぶす。

「運命が もしもあるなら 捕まえて 絞め殺したき わが人生」

40年以上前に知った短歌(朝日歌壇らしい)だが、モードもそんな気分に
落ち込むこともあったのではないか。まあ、順風満帆の人生なんて珍しい
のかもしれず、グロッキーになってもグレンバスターで逆転勝利とか、と
にもかくにも完走したとか・・・モードはどうやって乗り越えたのだろ
う。(つづく)

さてさて、前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長インタ
ビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話します』
元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<――日本国内での拉致を含めて何らかの対日工作の指示はありましたか。

全 拉致などについては何も言われていません。「あなたが日本に帰った
ら、ラジオで暗号を送ります。モランボン(牡丹峰)があなたの暗号名で
す」とは言われました。ラジオでモランボンとくれば、自分あてなので数
字を聞き取って書くわけです。それを乱数表で解読します。

帰る時に活動資金として現金で30万円渡されました。超短波の通信機器な
どもそれで買えということですね。洋服もくれました。

――乱数表は向こうで貰ったのでしょう。

全 いや、日本に帰ってから、ある人物から預かりました。その人は新潟
へ来る万景峰号で渡されたようです。

――極秘に出国し、極秘に戻ってくる。そんなことが日常茶飯事に繰り返さ
れていたんですね。戻る時も接線ポイントは須佐ですか。

全 下関です。その時、いろいろ注意を受けました。日本に上陸したら
酔っ払いの振りをしろとか、官憲に尋問された時の答え方とか。

――ひょっとしたら北に留め置かれる可能性もありました。戻れてよかった
ですね。

全 下関に着いたときはホッとしました。(帰る際の指示は)朝鮮労働党
との連絡を密にして欲しい、何か危険な時があったとしても一切ばれない
ように始末してほしい、乱数表などは最初から地下に埋めときなさいと。

――当然、帰国後も全さんの行動はずっと見張られてますよね。

全 恐らくそうでしょう。私に指令を出した人間の上に、さらにまた命令
を出す人物がいるんですよ。これが司令塔であり、ほんとのくせ者です
よ。(つづく)

「北、中共、南は敵」という認識がない人はゴロゴロいるだろう。社会
党、社民党、民主党、共産党などの人々ばかりでなく、マスコミの多くも
そうだろう。共産主義幻想=憎日・反日の人はカネも絡んでいるのだろ
う、まず転向はしない。新左翼小児病だった団塊世代が消えればずいぶん
世の中は浄化されるのではないか。

「連合」(日本労働組合総連合会)は加盟組合員が700万人。弱体の野党
が野合でドタバタしており、連合は支持政党をどこにするのか困っている
ようだ。賃上げや労働環境を良くしたいのなら自民党を支持すればいいの
に、労組=野党(ほとんど時代錯誤のアカ、ピンク、アホ)支持の悪しき
伝統から離脱できないでいる。専従(夏彦翁曰く「どんなに落ちぶれても
君、専従になるなかれ」)も野党もカネが命だから変身、変心、改革がで
きないでいる。

キチ〇イ頭になるもアカ尾になるなかれ、だな。同じアカオでも赤尾敏先
生の姪、赤尾由美氏が元気なのは結構なことである。

【「措置入院」精神病棟の日々(115)】庭の枯れ草を掃除していたら、
その下に緑の葉が育っていた。枯れ草が次代の命を冬の寒さから守り、育
んでいたのだ。人もそうありたいね。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂(松陰)

松陰先生曰く「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元
(かうべ)を喪うことを忘れず」 。志士たらんとする者は野垂れ死にや
首を斬られることを覚悟しておけ、と。小生の辞世の句も用意しておかな
ければ。

狂に病み 夢は昔の あの娘やこの娘 逢いたく思えど 今は婆さん(修一)

こちらは爺さん・・・全然カッコヨクないなあ、救いがないよ。有島武郎
の不倫心中は梅雨時の別荘の庭で、発見が遅れたので目も当てられない状
態だったという。ヂイヂには心中する相手もいやしない。ぜんぜん素敵
じゃないわよ、いやーね! 発狂亭“非大正ロマン”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/25】【産経】今朝もすこぶる充実していた。一番手は“キラ星”
古森義久「未来への祈り 首相に願う」、曰く「米側の戦争への認識を見
ると、日本軍と実際に激しく戦った人たちほど、あの戦争は両国が国益を
衝突させ、国運をかけて雌雄を決した対決であり、そこには道義的な善悪
の入る余地が少ないという態度を保つように映る。その決戦に米国が勝
ち、日本が敗れたのである」

「日米間の戦争での怨讐の時代はとっくに終わったのだ。首相の真珠湾訪
問を機会に、今また謝罪や釈明を求める動きは米国自体ではなく、中韓の
反日勢力や日本内部の反体制からの政治策動だと言えよう」

大ベテランがいきなりレフトに弾丸ライナー性のホームラン、オーエ信者
数名負傷。

二番手は河崎真澄「中国、相続税導入へ 格差深刻 3月にも審議」。中
共の国庫は枯渇し、庶民をなだめるアメの原資が枯渇しそうなのだ。固定
資産税の本格導入も始まりそうだという。左中間を抜く3塁打。

「上に政策あれば下に対策あり」の国柄だから、カネはますます国外へ流
れ出て、習近平の党内基盤は弱まるしかない。

その分を庶民からの「熱烈支持」で補うという大衆動員ポピュリズムは、
選挙で決着をつけるというシステムがないから暴力による「第二次文化大
革命」にならざるを得ない。習は最大最強の利権集団、7大軍区の反発も
引き起こすから、中共の一党独裁は終わり、連邦制にならざるを得まい。

これは小生の妄想なのか? 20世紀にソ連が消えるなんて誰も予測できな
かったが、1989年末で崩壊した。築城70年、落城2年だった。1949年の中
共独裁国家建国から来年(2017)で68年。落城へのカウントダウンが始
まっている。

三番手は松浦肇「トランプ氏は新興企業が嫌い?」。曰く「ITなどの企業
は伝統企業の半分しか雇用を生んでいず、トランプ氏は『雇用を米国に取
り戻す』と訴える。労働集約的なダウ平均株価銘柄企業に有利な政策を打
ち出し、シリコンバレーの企業群を敵視するのは自然の流れだ。

例えばトランプ氏は大型の法人減税を約束しているが、新興企業は減税の
メリットを享受しにくい。税法上の利益をほとんど生んでいない銘柄多い
ためだ。(上昇中の)株式相場は次期政権の政策効果を先読みしているの
である」

さすが元日経のベテラン、センター前の二塁打で一点追加だ。
(つづく)2019/3/2

2019年03月06日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第24章

“シーチン”修一 2.0


ヨタヨタと散歩していたら、春の静かな、遠慮がちな訪れを見つけた。

可愛い黄色の花をつけたカタバミ、蝋梅、紅梅、白梅、さらに紅白ミック
スのしだれ梅、緑化センターではクリスマスローズやスミレなど多彩な
花々、温室にはコバルトブルーのヒスイカズラが女王様然として目を引
く。町会の花壇には感動的な菜の花がいっぱい、桜並木のつぼみは日々膨
れ始めた。

小生の屋上庭園にはいろいろな小鳥が来るが、餌を食べて小生の無聊を慰
めてくれる鳥として初めてツグミ、アカハラ、ムクドリが来た。ウグイス
は「わたし、こんなもの好かないわ」とすぐに消えてしまったが、木の実
が好みのようだ。ツグミはつがいで薄ピンクの花をおいしそうにパクパク
食べてしまったが、そのうち小生も味見をしてみよう。

スズメたちは、ツグミなど鋭いくちばしの大きな体の新参者を歓迎はしな
いが、恐れずに一緒に食べている。肉食で残酷なモズは見かけただけで50
羽のスズメが一斉に逃げる。ザーッというすごい羽音で、文字通りの一目
散だ。遅れたのか賢いのかは分からないが、草木やプランターの陰に隠れ
る奴もいる。

モズは標的に向かって凄い速さで一直線に向かってくる。まるで矢のよ
う、弾道ミサイルだ。ほとんど攻撃力のないスズメは三十六計逃げるにし
かずだが、実に小回りが良く、パッと身をひるがえしてモズの攻撃をかわ
すのだ。鳥の中で恐らくスズメは一番繁殖しているだろうが、この類を見
ないほどの「小回り力」が大いなる武器になっているのかもしれない。

韓国はモズのような北の攻撃圧力を、カネとスマイルでかわしている。ヤ
クザに殺されたり暴れられたくなければミカジメ料を払って、へらへらす
るのと同じだ。昔から強い者とは喧嘩をしない、三跪九叩頭の朝貢外交で
圧力をかわしてきたのだから、カネとスマイルでその場の緊張が解ければ
いいのだろう。

日米が「暴排条例を守れ」といくら言ったところで、スズメに「逃げてば
かりいないで戦え」と言うようなものだ。

スズメは可愛いが、まったくキンバエのような韓国からすればこう反論す
るだろう。

「余計なお世話や! うちは『長い物には巻かれろ』でずっとやってきた
んやで。相手が弱ったらすかさず豹変して掠奪、強姦、傷害、殺害するの
がうちの伝統的なやり方や。ま、日本には舌戦、脅し、レーダー照射で嫌
がらせをしておるレベルやけどな、そのうちに南北共同で叩き潰してやる
で。それは国民感情法で決められている国民の正義、義務でな、国民感情
法はすべての法律、条約を上回る最高法やねん。そやさかい、それを遵守
するのがうちらの務めや。チョッパリはよー覚悟するこっちゃ」

まあコリアン半島人は「コリナイ/懲りない」から、ウェノムへの劣等感
を罵倒に転化することで留飲を下げているのだろう、これまでも、これか
らも。

韓国のアカ新聞「ハンギョレ」2019/2/10、「寄稿/キム・ヌリ中央大教授
『大韓民国100年、清算なき歴史』」から。

<2019年は歴史的な年だ。2・8独立宣言、3・1革命、上海臨時政府樹立が
すべて100周年をむかえる。“大韓民国”が、自主独立運動の火の手に乗っ
て遠い他国で誕生してから1世紀を迎えたということだ。

大韓民国が経てきた過去の1世紀は、実に残酷な時代だった。

韓国現代史を振り返り最も驚くべき点は、苛酷な歴史による多くの悲劇に
もかかわらず、過去がまともに清算されたことがただの一度もないという
事実だ。大韓民国ほどに、過去が清算されなかった国が他にあるだろうか?

日帝の高等警察の刑事が解放後にも独立闘士を尋問した国、日本軍の将校
が解放された国の大統領になり、それでも足りずにその娘までが大統領に
なる国、ファシスト親日派が作った歌を“愛国歌”として歌う国―それが大
韓民国だ。

親日の過去清算と関連してみれば、解放された空間で親日派が民族主義者
を制圧した「反民特別委」の武装解除が歴史の行方を決定づけた分岐点
だった。

問題は親日の過去だけではない。良民虐殺の過去、軍事独裁の過去、司法
殺人の過去、拷問犯罪の過去、御用学問の過去…。何一つまともに清算さ
れたことがない。今も変わらず多くの盧徳述、宋堯讚、朴正煕、梁承泰、
李根安、葛奉根が、この社会を支配しているのが私たちの現実だ>

「過去清算」・・・って何よ。過去の延長として今があり、そこから学ん
でこれからどんな国を創るのかが今人の仕事だろう。韓国にははっきりし
たビジョンがない。近代化と赤化の間で大きく揺れ動いている。「感情と
気分と妄想とバックミラー」だけで「理性と知性と計算とコンパス」がな
い。まるでカンカラ菅と鳩ポッポしか人材がいないみたいだ。

小生は「♪過去はどんなに暗くても」未来は明るいだろう、明るくするぞ
と思ってきたが、コリアンは相変わらず「バックミラーしか見ない」、つ
くづく「恨/ハン」の民族だ。病膏肓、永遠にそうだろう、永遠の「悪
夢」。御先祖様は彼らを「バ〇チョン」と呼んだが・・・前方不注意でそ
のうち事故るだろう。反省しない、自浄機能なし・・・未来はないわなあ。

良き隣人を持てば君は幸せになれる、悪しき隣人を持てば君は哲学者にな
れる? 凡人のままでもいいから半島人とは関わりたくないなあ、と思わ
ない? なあ、同志諸君!

そうだわ、気分一新、「赤毛のアン」のお話よ、良くって?

こういう言葉遣いは1917年のロシア革命に影響された「大正デモクラ
シー」が生んだものだと山本夏彦翁は書いていたが(不倫、親不幸、核家
族もそう)、アンを日本に紹介した訳者の村岡花子はクリスチャンで、女
権拡張運動家、不倫もしているという(大正語では「自由恋愛ね、ずいぶ
んご発展ね!」か)。彼女の翻訳はもろ「大正デモクラシー」言葉で埋め
尽くされているような気分になるわよ、ちょっとレトロで素敵じゃない?

著者のモード・モンゴメリは不倫はしなかったろうが、当時で言えば「翔
んでる女」だったろう。彼女は仮面をかぶって、あるいは役になりきって
「牧師の妻」を演じたのだが、その忙しさ、心身への負担は尋常ではな
い。モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」から。

<(モード)が大人になった時には(教義に)疑問を持ち、反抗心を抱く
ようになっていた。正真正銘の(牧師の)伴侶として夫に忠実であるこ
と、社会生活のなかで彼女が引き受けた役割に忠実であること、若い人々
に愛読される作家としての立場に忠実であること、こういうことがすべて
相まって、モードは心のうちで、義務感と本心との間の良心の葛藤を鎮め
るのは並大抵のことではなかった。

彼女は「自分を取り巻く環境のために、無理やり芝居をさせられている」
ことに気付いていたのである。この止むことのない内面の葛藤の気配すら
もモードの周りの人々には届かなかったということは、彼女の性格の強さ
を示す印である。

(教区員や周囲の人々は)うんざりする仕事に延々と力を注ぎ続けたり、
みんなから逃げ出して孤独に浸りたいという彼女の気持ちなど決して理解
できなかったのである>

モードはペンフレンド(ともに♂)のウィーバー(在加州、後に教師、作
家)とマクミラン(在英、後に著名ジャーナリスト)宛に典型的な1週間
の退屈きわまりない細目を一覧表にして送っている。

今晩:青年団の劇のリハーサル。
昨夜:お茶の会で外出。
日曜夜:讃美歌詠唱集会。
土曜夜:(教区内にあるもう一つの教会で)礼拝集会。会衆の前であいさ
つし、教区を去っていく伝導夫人会員に贈り物を贈呈。
金曜夜:青年親睦会の指導。
木曜夜:例の劇の練習。
水曜:ロイド・ジョージの演説を聞くためトロントに出かける。
火曜夜:牧師の訪問。
月曜夜:劇の練習。

さぞウンザリするだろう。1920年のある結婚披露宴に「一種の義務」で出
席した際のこと。

<私は午前2時までその席に連なり、部屋のあちこちにずらりと居並ぶ何
十人という女の人たちとおしゃべりをしなければならなかったのです。と
うとう私はまったく意志を持たずにいつまでもしゃべる続ける機械になっ
たような気分になりました>

モードの筆跡は一葉女史の草書体のように非常に美しく、かつ個性的だ
が、若い時に筆跡鑑定をしてもらったことがある。結果は――

<「あなたはかなり傲慢な性格ですが、他の人々のみならず自分自身もよ
く知っているので、そういう性格が非常によく抑えられています。優美な
もの、贅沢なもの、さらに、品のいい作法、等々を大いに好みます。『あ
なたは、本当の自分とは全く違って見えるほどに、自分の内面の考えや感
情を押さえつけ、隠すすべを知っています』。

非情に愛想よく、丁寧で親切な態度を取ることができます。あなたは自分
の意思を持っています。安楽と気楽さを好みます。非常な倹約家であり、
とても慎重であると同時に外交的手腕に優れ、猜疑心が強く、容易に人を
信じません・・・>

『 』内はモード自身によるが、マクミランに「このくだりは私が牧師の
妻となるべく運命づけられていたことを示しています!!」と書き送って
いる。

静かに自然を鑑賞したり、夢想したり、執筆したり、読書したり、家事に
没頭したり・・・モードはそういった「自分の時間」「クールダウンの時
間」を持ちたくても、思うようにできなかった。悲劇と言えば悲劇だが、
天はモードに試練を課したのか・・・「艱難人を玉にす」とは言うもの
の、試練は時に人を押しつぶす。

「運命が もしもあるなら 捕まえて 絞め殺したき わが人生」

40年以上前に知った短歌(朝日歌壇らしい)だが、モードもそんな気分に
落ち込むこともあったのではないか。まあ、順風満帆の人生なんて珍しい
のかもしれず、グロッキーになってもグレンバスターで逆転勝利とか、と
にもかくにも完走したとか・・・モードはどうやって乗り越えたのだろ
う。(つづく)

さてさて、前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長インタ
ビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話します』
元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<――日本国内での拉致を含めて何らかの対日工作の指示はありましたか。

全 拉致などについては何も言われていません。「あなたが日本に帰った
ら、ラジオで暗号を送ります。モランボン(牡丹峰)があなたの暗号名で
す」とは言われました。ラジオでモランボンとくれば、自分あてなので数
字を聞き取って書くわけです。それを乱数表で解読します。

帰る時に活動資金として現金で30万円渡されました。超短波の通信機器な
どもそれで買えということですね。洋服もくれました。

――乱数表は向こうで貰ったのでしょう。

全 いや、日本に帰ってから、ある人物から預かりました。その人は新潟
へ来る万景峰号で渡されたようです。

――極秘に出国し、極秘に戻ってくる。そんなことが日常茶飯事に繰り返さ
れていたんですね。戻る時も接線ポイントは須佐ですか。

全 下関です。その時、いろいろ注意を受けました。日本に上陸したら
酔っ払いの振りをしろとか、官憲に尋問された時の答え方とか。

――ひょっとしたら北に留め置かれる可能性もありました。戻れてよかった
ですね。

全 下関に着いたときはホッとしました。(帰る際の指示は)朝鮮労働党
との連絡を密にして欲しい、何か危険な時があったとしても一切ばれない
ように始末してほしい、乱数表などは最初から地下に埋めときなさいと。

――当然、帰国後も全さんの行動はずっと見張られてますよね。

全 恐らくそうでしょう。私に指令を出した人間の上に、さらにまた命令
を出す人物がいるんですよ。これが司令塔であり、ほんとのくせ者です
よ。(つづく)

「北、中共、南は敵」という認識がない人はゴロゴロいるだろう。社会
党、社民党、民主党、共産党などの人々ばかりでなく、マスコミの多くも
そうだろう。共産主義幻想=憎日・反日の人はカネも絡んでいるのだろ
う、まず転向はしない。新左翼小児病だった団塊世代が消えればずいぶん
世の中は浄化されるのではないか。

「連合」(日本労働組合総連合会)は加盟組合員が700万人。弱体の野党
が野合でドタバタしており、連合は支持政党をどこにするのか困っている
ようだ。賃上げや労働環境を良くしたいのなら自民党を支持すればいいの
に、労組=野党(ほとんど時代錯誤のアカ、ピンク、アホ)支持の悪しき
伝統から離脱できないでいる。専従(夏彦翁曰く「どんなに落ちぶれても
君、専従になるなかれ」)も野党もカネが命だから変身、変心、改革がで
きないでいる。

キチ〇イ頭になるもアカ尾になるなかれ、だな。同じアカオでも赤尾敏先
生の姪、赤尾由美氏が元気なのは結構なことである。

【「措置入院」精神病棟の日々(115)】庭の枯れ草を掃除していたら、
その下に緑の葉が育っていた。枯れ草が次代の命を冬の寒さから守り、育
んでいたのだ。人もそうありたいね。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂(松陰)

松陰先生曰く「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元
(かうべ)を喪うことを忘れず」 。志士たらんとする者は野垂れ死にや
首を斬られることを覚悟しておけ、と。小生の辞世の句も用意しておかな
ければ。

狂に病み 夢は昔の あの娘やこの娘 逢いたく思えど 今は婆さん(修一)

こちらは爺さん・・・全然カッコヨクないなあ、救いがないよ。有島武郎
の不倫心中は梅雨時の別荘の庭で、発見が遅れたので目も当てられない状
態だったという。ヂイヂには心中する相手もいやしない。ぜんぜん素敵
じゃないわよ、いやーね! 発狂亭“非大正ロマン”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/25】【産経】今朝もすこぶる充実していた。一番手は“キラ星”
古森義久「未来への祈り 首相に願う」、曰く「米側の戦争への認識を見
ると、日本軍と実際に激しく戦った人たちほど、あの戦争は両国が国益を
衝突させ、国運をかけて雌雄を決した対決であり、そこには道義的な善悪
の入る余地が少ないという態度を保つように映る。その決戦に米国が勝
ち、日本が敗れたのである」

「日米間の戦争での怨讐の時代はとっくに終わったのだ。首相の真珠湾訪
問を機会に、今また謝罪や釈明を求める動きは米国自体ではなく、中韓の
反日勢力や日本内部の反体制からの政治策動だと言えよう」

大ベテランがいきなりレフトに弾丸ライナー性のホームラン、オーエ信者
数名負傷。

二番手は河崎真澄「中国、相続税導入へ 格差深刻 3月にも審議」。中
共の国庫は枯渇し、庶民をなだめるアメの原資が枯渇しそうなのだ。固定
資産税の本格導入も始まりそうだという。左中間を抜く3塁打。

「上に政策あれば下に対策あり」の国柄だから、カネはますます国外へ流
れ出て、習近平の党内基盤は弱まるしかない。

その分を庶民からの「熱烈支持」で補うという大衆動員ポピュリズムは、
選挙で決着をつけるというシステムがないから暴力による「第二次文化大
革命」にならざるを得ない。習は最大最強の利権集団、7大軍区の反発も
引き起こすから、中共の一党独裁は終わり、連邦制にならざるを得まい。

これは小生の妄想なのか? 20世紀にソ連が消えるなんて誰も予測できな
かったが、1989年末で崩壊した。築城70年、落城2年だった。1949年の中
共独裁国家建国から来年(2017)で68年。落城へのカウントダウンが始
まっている。

三番手は松浦肇「トランプ氏は新興企業が嫌い?」。曰く「ITなどの企業
は伝統企業の半分しか雇用を生んでいず、トランプ氏は『雇用を米国に取
り戻す』と訴える。労働集約的なダウ平均株価銘柄企業に有利な政策を打
ち出し、シリコンバレーの企業群を敵視するのは自然の流れだ。

例えばトランプ氏は大型の法人減税を約束しているが、新興企業は減税の
メリットを享受しにくい。税法上の利益をほとんど生んでいない銘柄多い
ためだ。(上昇中の)株式相場は次期政権の政策効果を先読みしているの
である」

さすが元日経のベテラン、センター前の二塁打で一点追加だ。
(つづく)2019/3/2

2019年02月21日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第22章

“シーチン”修一 2.0

>
>【措置入院 精神病棟の日々(113)】小生の縄張り=マーキングエリ
アは、北は多摩川、南は多摩丘陵、東は森林公園/緑ヶ丘霊園(多摩丘陵
内)、西は生田緑地(同)で、南北1キロ、東西2キロほど。真面目に昇降
の多いくねくねしたハイキングコースをたどったら1日がかりになり、次
の日は終日ベッドで過ごすことになりそうだ。(今は1キロほどしか歩け
ないが)

多摩丘陵の東西の真ん中には小田急の経営する向ヶ丘遊園(むこうがお
か)があった。2002年に閉園したので、この跡地には入れなくなったが、
3、4年後にはおしゃれな緑地としてリニューアルオープンされるという。
>
>そうなると東京23区・川崎市・横浜市エリアでは最大の自然緑地になる
そうだ。小田急とJRの最寄り駅から10〜15分ほど歩けばすっかり山の中で
ある。

江戸時代は大川(墨田川)を越えた向島以東(本所、玉ノ井、木場、錦糸
町、亀戸、須崎など)は花と緑の行楽地、享楽地、別荘地だったという。

江戸の南は多摩川を越えた川崎市の多摩丘陵までが日帰り行楽地だった
ようだ。1960年からの高度成長で多摩川は汚染され(この年まで小学校で
は多摩川で水泳を教えていた。小生は小3だった)、かつては桜並木の土
手沿いに並んでいたアユやウナギ料理の料亭、待合も消えていった。

>1927(昭和2)年開園の向ヶ丘遊園は桜の花見で有名で、最盛期には東
京から大勢の人が来た。日本酒がご馳走の時代で、花見の帰りには男ども
はべろべろに酔っぱらい、喧嘩したのか滑ったのか、泥だらけの背広の人
もいた。当時は花見も背広の男が多かった。おしゃれな普段着がなかった
時代だ。女は着物の人が多かった。急な雨でわが家に雨宿りする人もいた
が、「困った時はお互いさま」という、まあ「三丁目の夕日」的な時代
だった。

小田急は遊園跡地に巨大マンション(850戸!)とか戸建て住宅(250
戸!)を計画していたが、自然は一度壊したら二度と復元できない。「緑
地を遺す」という昨秋の小田急の英断を地元民は高く評価し、感極まって
泣く人もいたという。
>
文豪モード・モンゴメリの故郷であり、「赤毛のアン」の舞台である加
州プリンス・エドワード島は同国で最初の国立公園になった。乱開発から
自然を保つためにはそうした指定=規制をするしかない。将来、多摩丘陵
では「ここが狂死したアンジーさん(白髪のアン爺)の愛した森ですよ。
祟りがあると言われていますから、車窓からの観光になります」とかさ
あ。森が消えていたらスズメたちだってとっても寂しいと思うわ。そんな
風に考えたことない?
>
小生の脳ミソはすっかりアンになったのよ、とっても素敵じゃない? 
で、モンゴメリについて。

・(承前)11歳ほどで母方の祖父母に育てられたが、祖母のマリラ・カス
バァトはガチガチの新教徒。ハートが直方体で、少しばかりのアソビ、寛
容がない。聖書にもとる生き方は「ダメ、絶対!」と拒絶する、非難す
る、罵倒する、呪う。村にはその手の教条主義の老婦人がゴロゴロしてい
るのだ。

(モンゴメリが生まれる100年前には米国で「セイラムの魔女狩り」が
あり、200人が告訴され25人が死んでいる)
狂信徒の言にアンは大反発したが、例の面従腹背で、受け入れる振りを
しながら換骨奪胎、ごめんなさいと言いながら、自分の想いは短くも堂々
と言うのだが、その前後に長々と謝罪を心から誠実そうに言うから、感情
と気分しかないような老婦人は「この子は意外と素直ね」と気分を良く
し、「私も言い過ぎました」なんて謝ったりする。アンは(多分モンゴメ
リも)人の心をがっつりとつかむ才がある。

>アンの祖父のマシュウは大の女嫌いだったが数時間でメロメロ、頑固者
の祖母のマリラは2日ぐらいでハートの角が丸くなり始め、マリラはニコ
リともしないものの人眼がないとクスクス、やがてアハハと笑いだすの
だ。2人はすっかりアンのファンになるのだが、モンゴメリ自身もその通
りだったろう。秀吉ではないが「人垂らし」に長けていた。孤児の処世術
ともとれる。

・モード・モンゴメリの生涯の親友、気の置けない友達は2人の男だけ
だった。会う機会はほとんどないから正確にはペンパル/ペンフレンド
で、1902年、モードが28歳の時、加州アルバータ州の青年、ウィーバー
(31)から、1903年にはスコットランドの青年、マクミラン(22)から手
紙をもらった。類は友を呼ぶわけだ。文学青年2人はモードの本心を打ち
明けられる生涯の友になった。

この手紙のやり取りを苦労して発掘して書かれたのがモリー・ギレン著
「運命の紡ぎ車」(1975年)である。
>
・この伝記本のタイトル(原題:The Wheel of Things)は陰気だ。「人
生の有為転変」とか「運命に流されて」とか「暗夜行路」「山あり谷あ
り」のような感じがする。

>小生の場合は「一点突破、全面展開」で、苦しくても乗り越えればいい
人生が待っているぜ、という博奕というか、転んでもただでは起きない、
今度は勝つ、きっと勝つ、待てば海路の日和あり、という楽観主義が強い
(今となっては「強かった」)のだが、モードの人生は、小生から見れば
家康が言うように「重荷を背負って坂を登るが如し」で、死ぬまで坂が続
いていたようだ(彼女自身が坂を選んだのだ)。

・キリスト教が禍のもとだった。オウム真理教の信者の多くは、オウムに
接しなければ決して人を殺し、死刑になるような人生ではなかった。新約
聖書「マタイによる福音書」でイエスはこう語る。

><地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、剣
を投げ込むために来たのである。私が来たのは、人をその父と、娘をその
母と、嫁をその姑と仲違いさせるためである。そして家の者が、その人の
敵となるであろう。私よりも父または母を愛する者は、私に相応しくな
い。私よりも息子や娘を愛する者は、私に相応しくない。また自分の十字
架をとって私に従ってこない者は私に相応しくない>

ポロっと漏れたキリスト教の本音だろう。一神教や主義はそんなもの
だ。リベラル≒アカモドキのペロシを見よ、ほとんどビョーキだ。

当時のカナダでは忠実なプロテスタント(カルヴァン派の長老派、一種の
原理主義)以外は邪道だった。異論を唱えることや無神論、多神教は悪、
不道徳、野蛮だった。理性と感性、知性と野性の奇跡的なコラボである
モードの悲劇は、よりによってと言うか、図らずもと言うべきか、「運
命」と言うしかないのか、牧師と結婚したことだろう。(つづく)

>本題へ。日本の悲劇の筆頭は「異常な隣国」だろう。国民韓情国、金北
豚独裁国、中共殺戮帝国、シロビキ暗殺帝国。建国からそれなりに長い年
月が経っても、日本から見れば異端、異形、異常、異様のまま。日本はト
ランプ帝王に倣って壁を造ってA2AD/接近阻止・領域拒否を強化すべきで
はないのか。まったく鎖国したい気分よ、そう思わない?

前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長インタビュー 元朝
鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話します』元朝鮮青年同
盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<(承前)全 (山陰本線の須佐駅で降り、工作員の指示通り海岸で潜水
服の北の工作員2人と接触、ゴムボートに乗り)次にモーターボートに乗
り換えました。ここにも男が1人乗っていました。小型なんですが、えら
く速かったです。で、ボートは起重機で(母船に)上げられたんです。そ
して畳2畳の部屋に落ち着きました。小部屋には金日成の肖像画が飾って
ありました。

二日と半日で着いたのは北朝鮮の清津です。

――拉致の前線基地のあるところですね。ずいぶん時間がかかりましたね。

全 漁船を装った母船は夜しか動かないからです。昼間はイカ釣り船のよ
うな格好をして。日本の旗を掲げているんです。
――海保は故意か力不足か、漁船に化けた北の工作船を見逃していたんで
すね。

全母船は夜になると走り出しますが、その速度にはビックリしました。そ
れが一晩中走るんです。で、清津の港に入ったらものすごい雨で、一晩
泊って、次の日は平壌まで汽車で行きました。特等車です。大事に扱われ
たわけです。

平壌に着いたら朝鮮労働党の幹部が迎えに来ていました。で、車に乗せ
られて招待所に向かったのです。窓ガラスにスモークがかかったベンツで
した(修一:銃撃、地雷にも耐えられる特製ベンツかもしれない)。招待
所は平壌駅から40分ほど、門前には歩哨が立っていて、敬礼するのです。

招待所は平屋で、玄関を入ると、右手が食堂で、左手が学習室です。右
手奥が映写室、左手奥が寝室です。左の屋外に射撃練習場がありました
(修一:金正日の趣味は拉致と映画と人殺し)。世話をするのはおばさん
が一人。男の付き添いが2人です。よく映画を見ました。

着いた日は、労働党の相当えらい幹部が招待所で待っていました。南北会
議に参加したこともある人物なんですね。その人が「ご苦労様でした。あ
なたのことはよく知っています。何でも遠慮なく言ってください。ここに
はひと月くらいいることになると思います」と言うんです。

招待所には40日いました。客人は私一人で、三食どれもご馳走でした
し、酒も飲み放題でした。付き添いが結構飲むんですよ。(修一:食うだ
けで精一杯で、酒は贅沢品だったから一種のタカリ。今も同じだろう)

>最初の頃、案内人から「首領様(金日成)に差し上げるものを準備して
きましたか」と言われました。日本を発つとき、仲間が首領に何か贈り物
をしたらいいというのでパイロット万年筆を1本買って持っていったんで
す。その頃私は貧乏していて、それしかできなかった。

で、パイロット万年筆を出したら、生意気にも「ペリカンの万年筆はあり
ませんか」と言う。ペリカンは高級万年筆ですよ。

>で、今度は「アリナミンもいいんですけれど」と言う。なんでアリナミ
ンなのかと思いました。向こうでは有名だったんですね。金日成がアリナ
ミンを求めているわけじゃなく、要するに自分たちが欲しかったんですよ。

――食糧事情が良くないので、栄養のバランスを取るビタミン剤は貴重品
だったのでしょう>(つづく)

大学時代に思ったのだが、100人を支配するためには10%の10人で十分
だ、と言うこと。30人クラスなら3人のアカが結束すれば27人はいやいや
だろうが従う。反対すればアカ3人から制裁を受けるから、せいぜい沈黙
するか無視するくらいしかできない。
>
確かチェ・ゲバラも似たようなことを言っていた。最初は6人で始ま
り、やがて60人を動員して武装蜂起、キューバ革命の狼煙をあげた。60人
が600人、600人が6000人、6000人が6万人になり、革命はなった(そして
発展から取り残され、ソ連の属国になり、カストロらはアカに染まった。
親米のバチスタ政権の方がはるかにマシだったろう)。

>北の人口は2000万人で、都市部住民=エリートは10%の200万人。200万
人が金王朝を支えているわけだ。残りの1800万人がどうなろうと知った
こっちゃない、オマエラ勝手に食え、ミカジメ料(税、役務)はきっちり
出せよ、出せないなら死ねというわけだ。奴隷国家。

そんな異常な国に韓国もなりたいのだろう。小生が北の独裁者、最高権力
者なら、甘言を弄して合邦してから、口減らしで「動揺階級」(信仰に濁
りがある層)は処分するだろう。夢見るパープリンの文在寅、「ハーメル
ンの笛吹き男」は、役目が終わったら金北豚の伯父さんのように高射砲で
銃殺されるだろう。

>どうなるのかしら、知りたいことがあるって、とてもいいことと思わな
い? それを知るまではこの世にいたいなあなんて、抑うつ症のお爺さん
だって思うでしょ?

「そ、そ、そやな・・・アンさん、あんたアタマ良くて、可愛いな・・・
ど、ど、どや、爺さんと苦労してみいへんか」

【措置入院」精神病棟の日々(113)】戒名は「覚道雀庵信士」にした
かったが、ご住職曰く「鶴とか亀とかおめでたいのはいいけれど、それ以
外の動物は使えないのよ。それと名前を一文字でも入れた方がいいよ。雀
庵じゃなくて一庵とかさあ」。

ふーん、「一庵(アン)」ねえ・・・ナンカ座頭市の「いっつぁん」みた
いでパッとせんなあ、私は楽しくて派手なのが好きだわ。ご住職はそうい
う私にウィンクして「♪でもね 古稀、後期になれば あなたも分かる 
そのうちに」。一案としては考えてみるけど・・・

発狂亭“変人はサンザクロース”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/23】天皇陛下83歳。【産経】竹内洋「美徳を突き崩すトランプ
現象」によると、日本人は「努力は報われない」が1988年17%→2013年
26%、「政治は期待できない」51%、「期待できる」16%。インドネシ
ア、インドと比べると政党、政治への信頼はとても低い。

><日本人の庶民の美徳(堅気、整頓、清潔、正直、勤勉、真面目、約束
を守る、几帳面、律儀、実直)の継承者であり、かつ日本社会を下支えす
る「悟り世代≒マイルド堅気」層の心に(変化を期待する)「トランプ現
象」は火をつけることになるかもしれないのである>

まあ、竹内先生の気持ちは分からないでもないが、これまでの政治に対す
る鬱積した不満、庶民の強烈な怒りがトランプを担いだわけだ。不満、怒
りの調査、分析もしないで、トランプ=経験・判断力が劣る≒マイナスだ
から、日本も「変化に気をつけるべし」と言うのは短絡的過ぎる。

日本の庶民の多くは日々の「キレイなべべ着て、旨いものを食って、面白
おかしく過ごす」ことにまあ満足しているのではないか。給料はあまり上
がらないが、物価も安いし、政治に別に(とりわけ)望むことはない
し・・・「まあいいんでない」というのが現実ではないか。

先生はかなり除染されたものの、まだお尻にアカとかピンクの尻尾の跡が
残っているか。もう少し頑張ってください。

「新潟県糸魚川で大火」。昨日の午前10:30頃、中華料理店から出火した
そうだ。小規模の中華料理店は掃除が行き届かずに油でベトベトというイ
メージだが、昼からの開店に備えてスープやチャーシューでも作っていた
のかもしれない。被災者はとんだ年末年始になってしまった。

♪花のお江戸の八百八町・・・最盛期には千町を超えていたとか。下町は
民家、長屋が密集し、「火事と喧嘩は江戸の華」、火消しはイロハ48組が
出動したが、放水で消化できないときは「とにかく延焼を防ぐのが最優
先」で、速攻で火除け地を作るために建物を容赦なく潰していった(破壊
消火)。
>
>素早く解体できるように柱は三寸角以下、簡素な造りにしろ、延焼防止
で庇はダメ、セットバックしろとかいろいろ規制があったそうだ。で、金
持ちは大川を渡った緑豊かなところに別荘を造ったわけ。
>
長屋が焼けたり潰れたりしても店子と大家さん(ほとんどが管理人)の被
害は小さかったろうが、オーナーは安普請とは言え建て直さなくてはなら
なかったから結構な出費だったろう。もっとも金持ちだから身上を潰すこ
とはなかったろうが。

>江戸城(後の皇居)のお堀は延焼防止でもあったろうし、日比谷公園は
火除け地ではなかったか。後藤新平が差配した名古屋の広い道路も火除け
地を意識したのだろう。
>
> 戦前まで東京では家は自分で建てたり買うものではなく、借家が当た
り前だった。勤め人が老後対策として退職金で建て、庶民は皆借りた。一
葉女史や子規を含めて多くの人が何回も引越ししていたのにはそういう背
景がある。(つづく)2019/2/18

2019年02月16日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第21章

                      “シーチン”修一 2.0


【措置入院」精神病棟の日々(112)】小生の保護室というか軟禁牢、独
居房あるいは隠居所、はたまたリトリートのようなペントハウスの外観を
一新した。展望台から街を見回して「度肝を抜くには絶対この色しかない
だろう」と、屋根はレッド、壁はキャロットオレンジ、窓枠は若草色で、
オマケに50鉢の花に囲まれている。

自己主張が激しいというか、ど派手で、実にキチ〇イにマッチしている。
この庵の名称をどうしようか・・・まるで「赤毛のアン」の家みたいな感
じだから、その手の名前にしたらいいかもと、まずはカナダのプリンス・
エドワード島を舞台にした「アン・ブックス」のデビュー作「赤毛のア
ン」を読み始めた。

一気に読んで、ほとんど恍惚状態になった。これがほんまの「恍惚の人」
かいな、まむしドリンクどころやないで、「すごい! 回春剤や」、度肝
を抜く作品やな、わてはお花いっぱいのタイムトンネルを通って11歳のア
ン、「アン爺」どころか「夢見る少女」になってしもうたんや。俗塵にま
みれた脳ミソのアカがきれいさっぱり・・・ああ、うちはもうとろけそうや。

物心つく前に両親を失った孤児のアン(11歳あたり)と(後に養父とな
る)マシュウ(50歳あたり)との出会いから(中村佐喜子訳、要点のみ転
載)。

<(マシュウは駅で孤児院から男の子を引き渡されることになっていたの
だが・・・)

駅へ行ってみた。プラットフォームには女の子が一人いるだけだった。マ
シュウは駅長の所へ行って5時半の汽車がすぐ来るかどうか尋ねた。

「半時間前に出ましたがね。しかし、あんたの所へ乗客が一人降りました
よ。女の子がね。あっちの砂利の上にいますよ。婦人待合室に行くとい
い、と云ったところがね、にこりともしないで、この外の方がいいと云っ
たんですよ。『こっちの方が広々として空想の余地がある』とかってね。
どうも変わった子のようですな」>

マシュウは「男の子を受け取るはずだった」と言い、駅長は孤児院の人か
ら「この女の子をマシュウに引き渡すように託されただけ」と云い、らち
が明かない。

マシュウはライオンの穴へ飛び込むよりも辛いこと――つまり少女に近づき
――なぜ少年でなかったのかと問い質せねばならない羽目になった。(マ
シュウは少女だろうが美女、熟女だろうが、多分「自分の正義」を振りか
ざす女という動物が苦手というか、ほとんど嫌悪しているという、とても
常識的な男だった。もちろん独身。いい人なのだ)

少女は、彼がそばを通り抜けた時から見守っていたのだけれど、今は彼へ
まっすぐ眼を注いでいた。鋭い観察者だったならば、はにかみやのマシュ
ウが滑稽なばかり脅えている、この少女のうちに、決して並ではない魂が
潜んでいると結論をつけたであろう。

マシュウはしかし、先に言葉をかけることをせずに済んだ。彼が近づくの
が分かると、彼女の方ですぐに立ち上がったからである。そうして、やせ
た色黒い片手で古風なぼろの旅行用バッグを握り、片手を彼の方へ差し伸
べてきた。

「おじさんはグリーン・ゲイブルズ(屋号は「緑の切妻屋根」。日本でも
田舎では屋号で呼んでいた。わが家は精米所も経営していたから「精
米」、隣は「井戸屋」だった)のマシュウ・カスバァトさんね?」と彼女
は特別澄んだ、甘い声で云った。

(しゃべって、しゃべって、しゃべり続ける、まるでサエズリまくるアン
は、古舘一郎のプロレス実況放送みたいにビョーキか。もうどうにも止ま
らない。歌うようにしゃべり、しゃべるように詠って琴線を刺激するか
ら、やがて聞く方も気持ちが良くなるみたい。マシュウはアンに出会った
最初から心が和らいでくるのだ)

「よかったわ。もうおじさんが来てくれないのかと心配になっちゃったか
ら、どんな事情が起こったんだろうって、いろいろ考えてたとこだったの
よ。もし来てくれなかったら、今夜はね、この道を降りたあの角に大きな
桜の木があるでしょ、あれに登って、一晩あの上で過ごそうと決心したのよ。

ちっともこわくないわ。それに、月光を浴びながら、真っ白い桜の花の中
で眠るなんて、素敵じゃない? 大理石の広間にいる気がすると思わない
こと? そしてあたし、もし今夜来てくれなくてもね、明日の朝にはきっ
とおじさんが迎えに来てくれるって信じたのよ」

マシュウは、やせた小さい手を臆病そうに握っていたが、その時に、どう
すべきか心が決まった。この眼を輝かせている子供に、彼は間違いの話
(少女ではなく少年を引き取るのが希望だった)ができなかった。ともか
く家へ連れ帰り、それはマリラ(マシュウの妹、45歳くらい。農場は共に
独身の兄妹で経営されていたが、2人にはほとんど会話らしい会話はな
い)から云わせることにしよう。

たとえどんな間違いがあったにしろ、この子を駅に置き去りにして帰るわ
けにはいかない。それならいろんな質問や説明は帰宅して落ち着くまでお
預けにすることだ。

「遅くなってすまなかったね」と彼はおどおど云った。「さあ、おいで。
馬をあの庭につないであるからね。そのバッグ、持ってあげよう」

「あら、あたし持てるわ」と子供は快活に云った。「これは重くないの。
私の全財産が入っているけど・・・」(歩きながらアンはしゃべりまくる
のだ)

マシュウを相手のおしゃべりがやっと止まった。息が切れたのと、小型馬
車の所へ来たからだった。それなり彼女は黙ってしまい、やがて二人は村
を離れ、急な丘を降り始めた。その路は、やわ土を深く切り崩したところ
にあるので、花盛りのサクランボの木や、ほっそりした白い樺の木がある
土手は数フィートの頭上になっていた。

子供は手を伸ばして、馬車の横を払う野性のスモモの枝を折った。

「ずいぶんきれいじゃない? 土手からああして垂れてる真っ白の、レー
スみたいな木を見てね、おじさんは何を考える?」

「さぁてね、わからんね」とマシュウが答えた。

「まあ、花嫁さんじゃないの、もちろんよ――真っ白い衣装に、霞のように
素敵なヴェールを冠った花嫁さんよ・・・」

(アンはしゃべりまくる、自分の結婚式のこと、孤児院でのあれこれ、こ
こに来る汽車や船の中のこと、引率の先生から「お願いだからもう質問は
しないで頂戴って。もう千くらい聞いたじゃないってさ」と言われたこ
と。でもアンは納得できない)

「そうかも知れないのよ。だけど、いろんなこと、質問しないでどうして
分かるの? ねえ、どうして道路が赤くなるの?」

「さぁてね、わからんね」とマシュウが云った。

「そう、これもいつか覚えることの一つだわ。いろいろ覚えることがたく
さんあるって考えているのは、素晴らしいと思わない? あたし、生きて
いるのがうれしくなっちゃうの――こんなに面白い世の中ですもの、なんで
もみんな分かっちゃったら、きっと面白味が半分になるわね。想像の余地
がなくなるんですものね!

だけどあたし、しゃべり過ぎる? みんながそう云うのよ。おじさんも、
あたしが黙った方がいい? そう言ってくれたら、あたし止めるわ。止め
ようと決心すれば、そりゃあ止められるわ。辛いと思うけど」

マシュウは、我ながら驚くほど楽しくなっているのだった。おしゃべりな
人たちが勝手にしゃべっているのは好きだったが、女どもは苦手、少女と
なるとさらに苦手で、もし彼に話しかけると噛みつかれると思ってでもい
るように避ける。その様子が気にくわない。

ところがこのソバカスだらけのやんちゃっ児は全然違った。彼ののろい頭
の回転では、彼女の活発な心の動きについて行ききれないと自分でも分か
るのだったが、「この子のおしゃべりはだいぶ気に入った」と思った。そ
れで例のようにはにかみながら云った。

「ああ、好きなだけ話したらいいよ。わしはいいからな」

「まあうれしい。おじさんと私は気が合うってこと、わかるわ。話したい
時に話せるのは、ありがたいものよ。子供は可愛らしい様子を見せて、
しゃべらぬこと、なんて云われないでさ。あたしが何か云おうとすると、
百万遍もそう云われてきたのよ。それにみんなは、あたしの言葉が大袈裟
だった笑うのよ。でも、大きな考えを表すには、大きな言葉を使う他ない
でしょ?」

「そうだね。それはもっともだね」とマシュウが言った。(アンの活舌
は、孤児院の自然環境が貧弱だったことから、これから行く新居の話に移る)

「グリーン・ゲイブルズのそばには小川があるの?」
「そうだね、ああそう。家のすぐ上にあるよ」

「すてき! 小川のそばに住むのが、あたしの夢の一つだったの、そうな
ると思ってたわけでもないけれど。夢ってそうたびたびほんとになるもの
じゃないわね? ほんとになったらよくないかしら? でも今のあたし
は、ほとんど完全に近い幸福よ。でもあたしにはどうしても完全な幸福は
ないのよ・・・」

(アンは赤毛のコンプレクス、悲しみをあれこれ語り、マシュウに「おじ
さん、分かる?」と聞く)

「そうだね。残念だが、分からんね」。マシュウは少し頭がふらふらして
きた。(アンはさえずり続け、やがて突然叫び声をあげた)

「カアスバァトさん!カアスバァトさん!!カアスバァトさん!!!」

この時、この子が馬車から転がり落ちたのでも、マシュウが何か驚くよう
なことをしたのでもなかった。ただ、馬車が道路のカーヴを回って「並木
道」に差し掛かったのだった。

地元で「並木道」と呼ばれているのは、巨大なリンゴの木が枝を差し交し
て完全なアーチをなしている400メートルほどの道で、香り高い真っ白い
花の天蓋になっていた。大枝の下には紫色の夕暮れが立ち込め、その彼方
には七色の夕焼けの輝きを覗き見ることができた。

どうやらその美しさがこの子を無口にしてしまったようだった。背を後ろ
へもたせ掛け、やせた両手を胸元で組み合わせて、彼女は熱狂した顔を、
頭上一面の見事な白さへ振り向けている。

そこを通り抜けて下り坂に差し掛かっても、身じろぎもしなければ口を開
こうともしなかった。なおも恍惚とした顔を、遥か陽の沈んでいく西空へ
向けたままで、眼は、過ぎてきた後ろの道の華々しい幻影を見ているの
だった。

犬や子供の声で騒がしい村を通る時でも、彼女は無言だった。さらに5キ
ロほど進んでも依然だんまりである。彼女には、しゃべる精力に劣らぬ黙
る力があることを示した。

「あんたはだいぶくたびれて、お腹もすいたようだね」と、今度はとうと
うマシュウの方から切り出した。この落ち込んだ長い沈黙の原因が、彼に
はそれ以外に考えられなかったから。「だがもう遠くはないよ。もうほん
のちょっとだよ」

彼女は妄想から覚めて深いため息をし、魂が星の世界でもさまよってきた
ような、夢見る瞳をマシュウへ向けた。

「おじさん、さっき通ってきたあの真っ白いとこね、あれはどこ?」と声
をひそませて云った。
「ふーむ、あの『並木道』のことを云ってるんだね」とマシュウはひと時
じっと考えた挙句に云った。「あれはきれいなとこだね」

「きれい? まあ、『きれい』なんて言葉どころじゃないわ。美しい、で
もだめね。どっちも追いつかないわ。ああ、あれは、信じきれないもの
よ。想像の方が負けるようなものを見たの、あたし生まれて初めてだわ。
まさに、あたしのここが満足したわ」と、胸に手を当てながら、「ここが
何とも云えなく、変に痛くなってくるんだけど、それが気持ちのいい痛み
なの。おじさんはそんな痛み、感じたことない?」

「さあてね。感じたかどうか、覚えていないね」

「あたしはしょっちゅうよ――すごく美しいものを見ると、いつでもだわ。
だけど、あの素敵なところを並木道なんて云っちゃだめだわ。ただそうい
うだけじゃ意味がないもの。ええと――何て呼ぼうかしら。『歓喜の白い
道』――空想的な、いい名じゃない?」・・・>(以上)

こんな調子で読者もマシュウのように心を動かされ、共鳴し、がっちりと
心をつかまれる。まるで絶叫マシンや流星に乗った気分。この道はまるで
滑走路。大空へ飛んでいきそうだ。

知性と感性のコラボ、理性と野性のシナジー効果、哲学と美学のベスト
ミックス・・・次元が違うほどの筆力で、まったく恐れ入ったぜ、小生は
まるで初心者だ。

この超弩級の作者のモンゴメリって誰よ、と、モリー・ギレン著「運命の
紡ぎ車 L.M.モンゴメリの生涯」を読んでみた。同書やモンゴメリの作品
によると、モンゴメリはこんな人だったようだ――

・ペンネームはL.M.モンゴメリ、女性。普段はモード・モンゴメリと称し
ていた。「読者の女の子からラブレターが来た」と笑っているから、ペン
ネームだけでは性別は分からない。文章を読んでも女性作家によくみられ
る狂気、粘着質、「私は正しい」といった過剰な自己愛、傲りはなく、カ
ラっとしている。爽快感というか、「女感覚による非理性的ないやらしい
フリル」がないのがいい。

・1874年、日本が明治維新の余燼がくすぶっている頃に、カナダのプリン
ス・エドワード島の小村クリフトンに生まれた。1歳9か月で母(23前後)
を病で失い、同島キャベンディッシュの母方の祖父母、アレクザンダー・
マクニール、妻ルーシーと「グリーン・ゲイブルズ」の家で暮らすことに
なった。父親のヒュー・モンゴメリは(山っ気があり)仕事で各地を転々
としていたから親子の情は薄かったようだ。

両親が相次いで流行病で亡くなり天涯孤独の身になったアンのようではな
かったが、「母のない子」は淋しい思いをしたろう。父親はやがて再婚し
たが、義母はモードより10歳上くらいで、しばらく一緒に暮らしたもの
の、「おしん」のような子守り女扱いに嫌気がさしたのだろう、モードは
グリーン・ゲイブルズへ戻った。

・処女作というか出世作と言うのか、モードは「赤毛のアン」原稿を複数
の出版社に送ったが、採用されないままモードのトランクに数年放置され
ていた。彼女自身、トランクに仕舞ったことも忘れていたようだ。偶然発
見し、タイプで清書してP社に送ったところ採用され、陽の目を見ること
になる。

複数の出版社が出版を見送ったのは、「赤毛のアン」は当時カナダの精神
界を牛耳っていたキリスト教(プロテスタント)を軽視(嘲笑とは言わな
いが、教条的な人に反発)するような場面が結構描かれていたためだろ
う。キリスト教を絶対視して、教えのとおりに生き、それからの逸脱を許
さないという、どっかの婦人部的なキャラクターへの疑問(韜晦している
ものの、読みようによっては痛烈なキリスト教批判)が出版社をビビらせ
たに違いない。(長くなり過ぎたので次回へつづく)

さてさて本題へ。前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長イ
ンタビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話しま
す』元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<(承前)全 山陰本線の須佐駅で降りた時は、もう薄暗くなっていまし
た。迎えに来ていた人が海岸ぶちまで送ってくれました。浅田飴を貰いま
した、くしゃみや咳をするといけないからと。夜光時計を持てとも言われ
ていました。

そこらか、この方向へ行けって言うんですよ。で、何時何分ごろ、向こう
で岩を石で3回トン・トン・トンと叩く。で「田中さんですか」と言うか
ら「そうです」と言ってトン・トン・トンってこちらも石で3回叩きなさ
いと。

――北の工作員が上陸してくるのは夜で、大体岩場の所だそうですね。案内
人はどうしました?

全 私に合図の仕方を教えて帰りました。実はこの人もかつて祖国防衛隊
にいたんですよ。名前は分かりませんが、顔は覚えていました。

――祖防隊の流れをくむ過激派の一部が日本人拉致事件に何らかの形でかか
わっている可能性がありそうですね。

全 私もそう思います。北の工作員に協力していた可能性は十分あります。

――工作員から合図がありましたか。

全 ありました。相手は暗闇でまったく分かりません。合図を2回繰り返
したら、ゴソゴソと真っ黒な潜水服を着た2人の男が上がってきました。
そこで初めて握手を交わしました。で、ゴムボートに乗りました。「先
生、ご苦労様でした」って言うんです。

――うーん、全さんは希望に燃えてまだ見ぬ祖国へ船出するのだから気持ち
は高揚していたでしょうが、その時の拉致被害者のことを思うと切ないで
すよ。攫われた時点で大変なショックを受けているのに、化け物のような
男どもに無理やり麻袋に入れられて、一体、暗い海上でどんな気持ちに駆
られていたのでしょう。

全 ほんとにそう思います。罪深いことをしました。拉致事件がはっきり
した時、私も自分のことを思い出し、きっとああいう風にして連れていか
れたに違いないと想像しました>(つづく)

在日朝鮮人、その総本山=総連を破壊、追放すべきではないのか。舐めら
れたらいかんぜよ。

【措置入院」精神病棟の日々(112)】小生の投稿は長くて申し訳ない。
余命がカウントダウンに入ったので、あれも書きたい、これも書きたいと
焦っているのだと思うが・・・昨日菩提寺へ行って打ち合わせ、生前葬を
3/10に決行することになった。

春琴様曰く「戦死は古稀までお預けよ」、佐吉としては「御意」とは言っ
ておいたが・・・1、2年後に昇天か、それとも早々とお迎えが来たりして
「ちょっ、ちょっと待ってよ、プレイバック!」とかで醜態を見せたり。
ま、楽しみではあるな。

発狂亭“AnneG. of Red Gable”雀庵の病棟日記から。G=爺とかGranpaと
か・・・アンジーなんて素敵と思わない?

【2016/12/22】(承前)【産経】宮嶋茂樹曰く「日本の国益守るには嫌わ
れる覚悟も必要や、安倍首相も日本の政治家であることを忘れるな」、ま
ことに正論だ。安倍信長は北京とモスクワの両方を敵にはしたくないか
ら、とりあえず北京=主敵(朝倉、浅井、武田)、モスクワ=己の損得で
動く油断できない松永弾正と見ているのだろう。

広川祐弘「正論・漱石が仰ぐ『立憲君主制』の天皇」。<漱石は天皇陛下
のご意向を優先することの是非を自問自答して、ノートにこう記した。

「昔は御上の御威光なら何でも出来た世の中なり」「今は御上の御威光で
も出来ぬことは出来ぬ世の中なり」「次には御上の御威光だから出来ぬと
いう時代が来るべし」

漱石の時代も今も日本は立憲君主制である>

2000年も不易の心棒、スタビライザーがあるということは日本の国柄だ。
奇跡的なことだと思う。

宮家邦彦「3つのトランプ外交チーム」、曰く「(それにより)迷走して
いるとの見方が有力だ。トランプのクローンが親台・反中になるとアジア
を不安定化させる。要注意だ」。

リベラル宮家は“ダークサイド”トランプショックで茫然自失、思考停止状
態だ。世界中でリベラル妄想が消えつつある。大いに結構だ。(つづ
く)2019/2/14


2019年02月13日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第20章

“シーチン”修一 2.0


【措置入院」精神病棟の日々(111)】風とともに去りぬ、Gone With the
Wind. ゴーンさんはゴーン(Carlos Ghosn)With the Money ということ
か。厳しい環境でいつも金欠病とか、金がすべてというような生まれ育ち
だったのでお金が大好きになったのかもしれない。

日本人は「清貧」とか「清く貧しく美しく」なんていうのに美を感じる
が、あまり辛い/苦い経験をすると拝金教徒になってしまうのかどうか、
「金色夜叉」の貫一みたいに・・・

海外出張から帰ると、「ああ、日本はなんていいんだろう」とホッとした
ものだ。ひったくりに警戒しなくていいし。

同僚は「今、ロスに無事着きました」と空港の公衆電話で会社に第一報を
告げている時、足元に置いたアタッシュケースを盗まれた。ロンドン空港
ではトランクの鍵を壊されて金目のものを盗まれる事件が相次ぎ(移民労
働者が怪しいとか)、添乗員は「トランクに金目のものを入れない、鍵を
かけないで」と案内していたものだ。

日本では表通りだろうが裏通りだろうが目立つようなゴミはまず落ちてい
ない。ビバリーヒルズの一歩裏はまるでごみ溜めみたいだった。撫子はき
れいでサレンダーで大人しそうだし・・・

母国に絶望して他国へ逃れる人々の群・・・江戸時代の農民の藩政に対す
る抵抗・反乱として強訴、越訴、逃散などの一揆があったが、「敷島の大
和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」、心も景色も穏やかな日本国を捨て
るというような、そんな哀しいことは有史以来、日本ではまずなかった。

「おい、侍! 偉そうにしてるが、日本の民のルーツはみんな源平藤橘
じゃねえか。誰のお陰で飯を食ってるのか。一人が百人を食わせるから百
姓と言うんだ。殺せるものなら殺してみろ!」(北島正元「江戸時代」の
引用文を脚色)

一揆を無慈悲に弾圧したら幕府から「藩政怠慢の廉(かど)によりお家断
絶、身は切腹」になるから、藩も譲歩せざるを得ず、首謀者代表を処刑す
るだけで手打ちなんていうことが多かったろう(WIKIによれば義民・佐倉
惣五郎は神様になり、彼を祀る祠や神社は日本全国で30か所あまりもある
という)。

ハード、ソフトとも居心地がいい日本・・・「和の国」日本に生まれてつ
くづく良かったなあと思うぜ、なあ、同志諸君。

昨年、Kの奄美の母(小生の義母)が83歳で大往生した。病院で付き添っ
ていたKが「母ちゃんの子に生まれて良かったよ」などとおしゃべりして
いて、眠ったのかなあと思っていたら亡くなっていたという、実に安らか
な死だった。

Kが20歳の頃まで奄美は土葬だった。大きな甕にしゃがんだ姿で入れてい
たが(屈葬)、近年では木製の棺になった。10年後にお骨を掘り出し(頭
蓋骨や大腿部などの骨などは健在)、海で洗って(洗骨)骨壺に納めて法
事(神事)を再度行うのがしきたりだった。

奄美には基本的に仏教はない。池田教が戦後に乗り込んできたが、他宗派
を含めて昔からお寺がない、お坊さんがいない、今もない。池田教(寺と
喧嘩して破門されるくらい邪宗的で、他宗派と喧嘩ばかりしている。日本
産ではないみたい)以外の仏教の信徒はほとんどいず、お坊さんが必要な
ら鹿児島から出張してもらっているようだ。初参り、お食い初め、七五
三、結婚式、葬式・・・全部神道だ。

近年、奄美でも火葬が主流になってきたようだが、熱々の焼き立てで炉か
ら出てくる。「姿焼き」で、頭蓋骨から足まで、そのままだ。小生がもの
ごころ付いた頃から、少なくとも川崎市の斎場ではお骨は部位が分からな
いように砕かれてからお骨上げをする。

Kは洗骨の経験はあるが「姿焼き」は初体験で、「あんまりよ、私は島で
のお骨上げは二度とごめんだわ」。そりゃあショックだろう。

日本には基本的に宗教対立はない。幕末に来日した仏軍将校(E.スエンソ
ン)は浅草の賑わいを見て「日本では宗教施設が観光地になっている」と
ビックリした。花魁の浮世絵が飾られ、老若男女が拝んでいる姿を見て
「・・・日本には宗教がない・・・」と、多分かなりのカルチャーショッ
クを受けた。(花魁は当時の国民的スターだったんだけどね)

日本では一つの宗教に熱をあげる(淫する)と変人扱いされたり、敬遠さ
れたりする。先人の知恵は今でもことわざや警句として伝えられている。

嘘も方便

鰯の頭も信心から

人は好き好き貶すは野暮よ 好きなお方の好きにさせ

この言葉は信長、家康など浄土真宗や一向宗の信徒の抵抗に苦しんだ戦国
時代と徳川時代に定着したのだろう。秀吉はカトリックが侵略の手先に
なっていることを知り、それが朝鮮と支那へ浸透したら、洗脳された朝支
「救世軍」が元寇のように日本を襲うだろうと、先手を打ってそれを阻止
するため朝鮮征伐を行い、カトリックを拒絶した。秀吉や徳川の鎖国が日
本文化を醸成させたと小生は思う。

この秀吉の16万と朝支の25万の軍が激突した戦争(文禄・慶長の役、
1592〜1598)は世界史的に見て16世紀最大の戦いだったという。秀吉は無
意味な戦争をしかけたという学者が多いようだが、明国は莫大な戦費を強
いられ、財政破綻で1644年に消滅した。

続く清国は英国などの列強に蚕食され、日清戦争に敗れ、間もなく亡び
た。中共はトランプ王国に脛を蹴られて下り坂、逆風は止みそうもない。
ガチガチの中共独裁は自己変革できずに間もなく自壊するだろう、ソ連の
ように。運が良ければその瞬間を我々は目撃できる。閑話休題。

岡村道雄著「縄文の生活誌」に刺激されてこんなことを思う。

日本は100万〜20万年前の旧石器時代の大昔から「八百万」の神々を畏敬
する多神教だったのではないか。人間、動物、植物、大地、空・・・すべ
ての万物には神が宿っているというのが日本人のDNAのような気がする。
モノにもすべて魂があると小生なんぞは思っている(からモノを大事にす
る。穴の開いた靴下でも繕い、「継ぎはぎは誇り、穴の開いたままにする
ことこそ恥」と心得ている。ま、電通式浪費推奨資本主義の敵ではあるけ
れど)。

生物は繁殖したもの勝ちである。世界中の歌の9割は「恋せよ、繁殖せ
よ、地に満ちよ」という応援歌だ。先日買ったサッチモのCDを聞いていた
ら凄いのがあった。「やろうぜ、クラゲだって虫だって貝だってやってる
んだぜ、やろうぜ」・・・ここまで言って委員会で、女子は顔を赤らめる
か侮蔑して去るだろう。

「何なんだ、これ」と歌詞を見たら'Lets do it'で、(Lets fall in
love)とカッコ書があった(Let's ?)。ちょっと人騒がせな歌だね。結局
は生殖なのだけれど、飾らないと身も蓋もないから詩人たちはあれこれ美
しい表現をするわけだ。

わが街には小生が散骨を希望している多摩丘陵の生田緑地に3つ、母校の
中学北側の多摩川に1つ、縄文遺跡がある。狩猟漁労採集の遊動生活の旧
石器時代、続く定住主体の縄文時代の日本で、我らのご先祖様であるホモ
サピエンスはどう暮らしていたか。

日本は温暖な気候で8割は山である。人の住む場所は山と海の間の狭いと
ころで、川が流れているところが望ましい。山・海・川があれば、そこは
食糧の宝庫だ。獣や魚、栗などの木の実が豊富に取れる。取り尽くしたら
他の土地へ移動するという遊動生活だ。

そのうち土器を作るようになり、煮炊きや食糧保存も可能になり、栗の栽
培なども始まる。他の部族との交易も進み、弓矢に使う黒曜石や接着剤の
コールタールと、村特産のジビエの燻製を物々交換したりしたろうから、
定住が進み、夏は涼しい山の上、冬は陽射しのある暖かな麓といった、そ
の程度の移動で暮らせるようになっていった。

「まったく便利な世の中になったもんだ。祖父さんの祖父さんの時代は毎
日のように移動して食糧を得ていたらしいけれど、もう今はのんびりと暮
らせる」

縄文時代の御先祖様はそう思ったろう。

村や部族は最初は小世帯、小人数だったが、狩猟などでは獲物を包囲する
には人数が必要だし、孤立していると交易に不利だし、縄張り争いもある
から、合従連衡で村ができ始め、やがて三内丸山のように数百人もが生活
する、ほとんど町のような集団生活になる。

当時、子供は4人産んでも1人育てばいい方という状況で、なかなか人口は
増えない。大きな村や町に暮らせば男も女も'Lets do it'の機会は増える
から人口は増えやすい。保育士や医者のような人もいたのではないか。

こういう大集団が列島にポコポコ作られていった。やがて大陸伝来の水稲
耕作が盛んになったため、あまり移動しなくても食糧を確保できるように
なった。狩猟や採集は効率が悪い(当たりはずれがある)から稲作や畑作
は歓迎され、大いに普及したろう。これが弥生時代(縄文後期と言った方
がいいと思うが、自給自足で、地域間交流が衰えて「おらが村がすべて」
という「井の中の蛙」的感じになっていったのは良かったのかどう
か・・・それはともかく、独自の文化を育んだことは確かだろう)。

水稲耕作に限らず、農業の適地というのは限られている。食糧事情が良く
なり人口が増えれば農地や水をめぐって紛争も起きやすくなる。こうした
内憂に加えて、支那大陸や朝鮮半島の様子では、「国」としてまとまらな
いと強国に飲み込まれて属国になりかねないという外憂もある。

「M&Aの時代やで。強くなければ支那や半島に首根っこと金玉を握られて
二流国家のままや。今必要なのは日本としての国家統一や。小異を捨て大
同につく。八百万の神々も見守ってくれるやろ」

かくして多分、紀元前300年頃、神武東征が始まったのかもしれない。仲
間に入るか、それとも干戈を交えるか、と硬軟取り混ぜて部族を糾合して
いったのだろう。塩野七海が言うように「神話は事実かどうかはともか
く、素敵なロマンとして国民が共有することに意義がある」のだ。たとえ
勝者の歴史観だろうが、民が受け入れればよく、神話は国家としての接着
剤になる。

神武東征の神話が神道の基礎になったのだろうが、それらが根付くのは西
暦600年あたりからのようだ。「和を以て貴しとなす」で始まる聖徳太子
の有名な十七条憲法(604年)が国体というか国柄はかくあるべしという
規範を明確にした(明治の初め1868年の「広く会議を興し、万機公論に決
すべし」で始まる「五箇条の御誓文」はそれに倣っているようだ)。

続いて実力者の蘇我入鹿を誅殺しての大化の改新(645年)で天皇をトッ
プとした律令体制が固まっていったようである。

(「大化」は元号の最初。大化けとか大革命の意味か。500年代に支那か
らもたらされた儒教の教典「書経」(「尚書」とも)による命名のようで
ある。WIKIによると「昭和や平成を始め35個の日本の元号は、この書が由
来になっている」)

こういうような経緯で神話を基にした「一君万民、天皇の臣民としてみん
な仲良くやろうね」というアバウトな神道が日本の背骨になり、それ自体
はちっとも日常生活に影響しないから仏教、儒教などを規範、方便として
取り込んで(飲み込んで)いったのだろう。「産地がインドだろうが支那
だろうが、いい教えは活用したらええねん。Xマス、ハロウィン、どんど
んやりなはれ。恵方巻もええし、お盆の前にラマダンもやったらええか
も」という感じ。

明治神宮、靖国神社、大村神社、東郷神社、西郷神社・・・尊敬される人
は皆神様になっちゃうという、世界でも実に珍しい多神教。祖国を奪われ
て2000年も迫害されてきたユダヤ人も、この日本の多神教という、まるで
何でも受け入れちゃうオデン鍋に、最初は驚き、そして「いいもんだな
あ」と感動するのだ。

日露戦争でユダヤ人は日本の戦時国債を買ってくれ、勝利の一端を支えて
くれた。旅順攻防戦でロシア兵として戦い、片腕をなくし、さらに捕虜に
なったユダヤ人、ヨセフ・トランペルドールは日本で敬意をもって遇さ
れ、「国家はいいもんだ」と2000年ぶりにユダヤ国家再建へと大きく動い
たのである。イスラエル再建の陰の一端を支えて日本は恩返しをしたのだ。

一神教の宗教は「私は私、君は君。価値観は違うけれど仲良し」という寛
容ではなく、反発や侮蔑を生む。そして繁殖を汚れのように説く(とか暗
に示唆するような)教義が多い。プロテスタントの一派のシェーカー教は
1800年年代の一時期米国で最大の宗派だったが、男女交際を認めなかった
ので1960年代には消滅した。

カトリックの神父は結婚はできずに男色スキャンダルを起こし、バチカン
は信者獲得のために中共に擦り寄っている。繁殖しなければ何でも衰退す
るが、よりによって独裁者にも媚びを売るか。Shame on you! バチが
カーンと来るんとちゃうか?

出産は女しかできない。オッパイも女しか出ない。出産・子育ては女の大
事な仕事である、男はエサを必死で運ぶのが仕事だ、ずーっとずーっと昔
から。ボルトとナットはセットであり、片方だけでは用が足せない。差別
ではなく、区別、役割がある。その規範を無視して男の仕事をしたいとい
うのは分からないでもないが、それは出産・子育てと両立はしない(乳母
や女中がいれば別だろうが)。人間として、生物としてカップルの最優先
の仕事は繁殖である。

繁殖できる環境を整備するのは結構だが、男と伍して戦士になる前にまず
は立派な母親になる方が大事だろうに。Lets do it!

(そこのキレーナなオネーサン、どや、ヂーサンと一緒に苦労してみーへ
ん?・・・“若大将”の親父、上原謙は「愛があれば歳の差なんて」と、66
歳で28歳のオネーサンと一緒になり子をなし、ミック・ジャガーは22歳の
彼女をGET、73歳にして8人目の子供をもうけたそうや。「金があれば歳の
差なんて」ということかいな・・・

カネなし、タネなし、名誉なし、パワーなしの廃車(者)寸前、ヨロヨロ
発狂ヂヂイにヨロメクような奇特なオネーサンはまずいないわな。ま、K
の勘違いから寺に予約し、3月にわての生前葬をやることになったさか
い、思い残すことはないんやが・・・煩悩のカケラはまだ残っておる
で・・・悩ましいもんやで、のう、人生っちゅうのはよー)

さてさて本題へ。前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長イ
ンタビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話しま
す』元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<――朝鮮総連が結成されるイキサツをご存知ですか。

全 在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)組織に対して韓徳朱が論陣を張り、
在日は北の金日成の指導を受けようということです。

その頃、金日成が「我が国は地上の楽園であり、国民は屋根のついた家に
住み、白いご飯と肉入りスープを食べている」と言っていると。それに比
べて在日コリアンは悲惨な生活状態でした。

働き口はほとんどなく、やっと収入を得てもドブロクやヒロポンで憂さを
晴らすというその日暮らしでした。だから韓徳朱の主張に共感する人たち
は多かったのです。

1955(昭和30)年5月25日の総連誕生の日はよく覚えています。結成式は
浅草公会堂で開かれました。私は韓徳朱議長のボディガードとして隣に
座っていました。「何があっても議長を死守せよ」と言われていたので、
5月というのに緊張感で汗びっしょりでした。韓徳朱は敵が多く、いつ襲
撃されるか分からなかったんですね。

総連ではいろいろ権力争いがありましたね。1970年頃、私は(韓徳朱の親
戚で総連の実力者、人事部長だった金炳植と意見が合わず)総連を離れた
んです。

(後に韓徳朱と対立して北へ追い出された)金炳植がまだ権勢があった
時、政治学校が開校し、彼が学校長になったんです。その一期生が私とか
許宗萬(後に実力者、ドン)ですよ。

――帰国事業(1950年代から1984年にかけて行われた在日朝鮮人とその家族
による日本から北朝鮮への集団的な永住帰国あるいは移住運動)に関わり
ましたか。

全 早く船を出して欲しいと日赤に何度も掛け合いに行きました。新潟で
寝泊りして、あの仕事に関わりました。

(帰国事業の狙いは)いろいろあったと思いますが、厄介払いという面も
あったと思います。当時の在日の中には定職を持たない人間が大勢いまし
た。密造酒やヒロポンを売る人間、借金で首が回らない人間など、我々朝
鮮人の名を汚すようなのがごろごろいたわけです。そういう人間を帰そうと。

実は私もひそかに北へ行ったことがあるんです。1972年でした。総連組織
から離れて1年半ぐらい経ったころでした。以前から尊敬していた人から
「お前、今何をしてるんだ」と、電話があったんです。

その人は昔、祖国防衛隊のキャプテンをしていました。いい度胸だった
し、とても弁の立つ先輩でした。

行ったら、「お前どうして総連をやめたのか」と言われました。「金炳植
と意見が合わなかったのです」と言うと、「ああ、お前もか」というわけ
です。

実は「お前さんの勇気を買って、来てもらった。非常に大切な話だ」と。
要するに「党がお前を呼んでいる」っていうわけです。もう自分は朝鮮労
働党とも総連とも関係ないんだ、と思っていました。それが何と私を必要
としている、と言うんでしょう。体の中の血が燃えたぎるほど興奮し、感
激しました。

――大切な話とは何でしたか。

全 祖国へちょっと行ってみないかと。「どういうことをやるんですか」
と聞いたら、「あとで教える」と。実際に行動を起こしたのは夏に入って
からです。

密出国は(島根県寄りにある山口県阿武郡の)須佐というところです。
1972年の8月17日か18日だったと思います。山陰本線の須佐駅で降りて、
打ち合わせ通り駅の公衆トイレに入りました。そうしたらトイレの外から
「田中さんですか」という声がありました。「はい、田中です」といった
ら、「ご苦労様でした」と。これは事前に聞いていたお互いの身分確認の
合図でした。

その時私に田中という名前が付けられたのは、この年の7月に田中角栄さ
んが総理大臣に選ばれていたからだと思います。(つづく)

【措置入院」精神病棟の日々(111)】1月末で退院してから丸2年がたっ
た。オツムはかなり安定してきたが、痛めた膝と腰は相変わらず良くな
い。老化であり、改善することはなく、「そういうものだ」と慣れてはい
くのかもしれない。屋上に50鉢のお花畑も完成し、やるべき仕事、作業、
遊びの85%は終わったから、「もういつでアポーンになってもいいや」と
いう気分ではある。伊勢参りをしたいが、体力的に無理かもしれない。発
狂亭“煩悩解脱始めの一歩的”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/22】木曜、晴れたり曇ったり。

第一次世界大戦前夜、欧州は妖怪=共産主義にかなり汚染され、内乱→革
命→共産主義社会を理想としていた人々が多かった。レーニンらは「帝国
主義戦争を内乱へ転化せよ!万国の労働者団結せよ!」と煽りに煽った。

ところが戦争が始まると若者は赤旗を捨て国旗を掲げて応召し、内乱どこ
ろか、毒ガスもOKというルールなき戦争へと身を捧げたのだ。レーニンは
ビックリしたろう。

レーニンが考えた末に到達した結論は「愛国心は共産主義の最大の敵だ。
若者が愛国心を持たぬように、父母、祖父母、ご先祖様がいかに酷いこと
をしてきたか、自分の国がいかに最低の悪者だったかを若者に小さいうち
から吹き込まなければならない」というものだった。

いわゆる自虐史観で、第二次大戦後はGHQが日本人洗脳のため米国流レー
ニン方式のWGIP(戦争を起こした日本が悪いという日本悪玉論)を普及さ
せ、アカが大いにその尖兵になったものである。

【産経】井伊重之「競争力高める『働き方改革』」。小生思うに、残
業=×、週休3日=〇のようなものが“正義”になっているのは変だ。一方で
戦後復興を強力に進めたのは、銃の代わりに製品サンプルをもって世界中
を駆け巡った企業戦士ではなかったか。今でも日本経済を引っ張っている
のは24時間戦える人、48時間完全徹夜でもOKな戦士ではないのか?

戦場で死ぬ戦士は多い。血を流す縄張り争いが戦争、血を流さないそれは
競争だ。「もう走れません」となったら死ぬか、周囲が察して入院させる
しかない(実はこれは現実には難しい。自殺の直前は「やることはやった
んだから、もういいや、ルンルン」と躁状態になっているのではないか。
残された家族は「前夜はとてもはしゃいでいたのに・・・」とガックリす
るケースが多いと思う)

1986年、今から30年前のリクルート本社には40畳ほどの雑魚寝部屋があっ
た。残業、徹夜は当たり前で、「女子は3年で子供の産めない体になりま
すよ」と30代で白髪の目立つ男子社員がボソボソと言っていた。

「なぜそんなに働くのか」と女性編集長に聞くと、「社内には波があり、
その波に乗らないと落ちこぼれてしまうんです」。イケイケドンドン・・・

そして今、リクルートHDの社長はこう言うのだ。

「日本のホワイトカラーの管理職層の生産性は世界でも低い」

日本は基本的にトップダウンではなくボトムアップ、かつ「和」の国柄だ
から会議が多すぎるのだろうし(会議のための資料作り!)、それが残業
や過労に繋がっているのは事実だろう。ただ生産性ばかりを高めると、日
本的な、家族的な企業風土の良さ(戦死を厭わない愛社精神)も失われて
しまうのではないか。

「ダメ、絶対、過労死!」と企業戦士を否定するのはどうかと思う。その
辺の塩梅は難しいが、米国のエリートビジネスマン(高給取り)は「夜討
ち朝駆け」は当たり前のようである。無理を承知でも波に乗り続けないと
トップグループからオイテケボリになる。(つづく)2019/2/5

2019年02月06日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第19章

“シーチン”修一 2.0


人手不足と言うが、活きのいいのがゴロゴロしているんじゃないか。若く
て血気盛んで、暇を持て余して渋谷あたりで暴れたり、あるいはアイドル
を追っかけたり、引きこもって二六時中PCやスマホで遊んでいる人たち。
無職とか高校生、大学生とか。

今どきの大学生は部活、サークル、飲み会、バイト、趣味、恋愛、チャッ
トなどなど、学問以外は熱心である。4年間でまともに読んだのはハリポ
タやタレント本だけ、なんていう学生もいる。試験勉強をしても、多分こ
れはゲームみたいなもので、試験を終えたらオツムは空っぽ、高等教育、
最高学府で学びました、と言うような、まあ聡明そうなのはごく少数だろう。

こういうのは日本だけなのかと思っていたら、米国でも事情は似たような
ものらしい。米国の大学教授を経てブリタニカの幹部を務めていたM.J.ア
ドラーとC.V.ドーレンの共著「本を読む本」は学生の程度の低さを嘆いて
いる。要約する。(カッコ内は修一)

<アメリカの高校や大学では従来、特別に読書指導の課程をもうけていな
かったが、最近(1970年あたり)事情がかなり変わってきた。20世紀の始
め(明治後期〜昭和初期あたり)、高校(旧制中学あたりか)入学者が急
増した一時期があったが、この時、教育関係者は、生徒の読書力の低下ぶ
りにびっくりさせられた。

実際、時には四分の三以上もの生徒に、何らかの矯正策を講じる必要に迫
られたこともある。

最近(1970年前後)、それと似た現象が大学でも起こっている。1971年に
ニューヨーク市立大学に入学した4万人の学生の半数以上が、程度の差こ
そあれ、読書力の矯正訓練を必要とした。

だが、大学における矯正訓練が初級読書より高度なものだったかと言え
ば、決してそうではない。それは、小学校終了程度の読書レベルまで学生
を引き上げ、基礎的な読書指導の欠陥を補うものに過ぎない。

(大卒の)学士号は本来、一般書を読み、一人で研究できる読書能力を証
明するものであるはずだ。しかし研究に必要な能力を習得するに、大学卒
業後、さらに3、4年、大学院で勉強しなければならないのが実情である>

読書はTVと違ってそれなりの脳ミソが必要で、大卒でも小6程度でしかな
いとは驚きだが・・・まあ日本もそんなものだろう。1900年前後に斎藤緑
雨は「教育の普及は浮薄の普及也」と喝破していたが、戦後はGHQの占領
政策で今の6・3・3・4年制の教育大改革が押し付けられた。

「日本人をアホなヘタレにして最低100年間は戦争できない国にする」の
が大目的で、「それなら高校、大学などを米国並みの“歌って踊って恋を
して”の遊園地にすべし」というわけだ。

緑雨の警句を紹介した福田恒存も嘆き、大宅壮一は雨後の筍のように増え
る大学を「駅弁大学」と称し、駅弁を売っているそこそこの街には大学が
新設された様子を嗤ったが、多少とも道理を分かる人は「このままでは亡
国だ」と心配するのだ。

三省堂PR誌「ぶっくれっと」2001年月号の編集後記から。

<日本は今黒船以来の危機に直面して居るのであり、これからの英語教育
はつまるところ大衆教育でなく、エリートを作る教育にギア・チェンジす
べきだ、と鈴木先生は仰言る(「英語教育と日本語の将来について」鈴木
孝夫)。

かつて東大の柴田元幸助教授に聞いた話ですが、90年代には彼が学生だっ
た70年代の学生数の1.5倍になったとのこと。学力の上の方へは広がり様
がないので、下の方を取ることになる。それだけ東大生の学力は薄まって
しまった。

考えてみれば、日本全体が同じ様な事態にあるので、高校全入から大学進
学率が5割に達するなど、教育の大衆化はずいぶん進みました。そのため
か、落ちこぼれやいじめが社会問題になったりして、教育内容をどんどん
易しくしてしまった。学力低下は当然の帰結ですね。

落ちこぼれを作るまいと、跳箱を飛べない生徒が何とか飛べるまで、すで
に飛んだ生徒は待たせておく、高等教育も同様にここ数十年やってきた。
まさに「教育の普及は浮薄の普及也」(斎藤緑雨)ですか>

昨年の産経にこんな記事があった。

<1日の読書時間が「ゼロ」の大学生は5割超に上る。最高学府の名に値す
るのだろうか。知識と教養を高めるべき学生時代に多くの本を読まず、い
つ読むのか。国語力低下に拍車をかける、危機的状況だと認識すべきだろう。

学生の生活実態を調べた全国大学生協連の調査(第53回学生生活実態調
査、2017年10〜11月)で、1日の読書時間は平均23.6分だった。「0分」と
回答した学生は53%と初めて半数を超えた。これは、電子書籍も「読書」
に含めての数字である>

教育の現状は悲劇を通り越して、もはや喜劇だ。で、こんな風に学制改革
をしてはどうか。

小学校6年、中高4年を義務教育(無償)とし、大学以上は1%の選抜とす
る(これも無償)。

中高(合わせて)4年では、中学の2年は基礎だが、ここで自分のおおよそ
の進路を決める(文系、理系とか)、高校ではさらに進路を絞っていく
(国語の先生になりたい、芸術家になりたい、政治家、経営者を目指した
い、企業再建のカリスマになってゴージャスに暮らしたい、ICTの開発を
したい、医者になりたい、軍人になって祖国を守りたいとか)。そして基
本的な職業訓練をする(建設土木系志願なら設計図の読み方、重機運転の
基礎、機械系なら旋盤や溶接の基本など)。

必要な場合は優秀な1%を大学へ進学させるのだ。

米国の場合、大卒ではあっても「大卒でなくても務まる仕事」に就いてい
るのは5割前後だそうだ。米国では大学で学んでも「新卒さん、いらっ
しゃい!」とはならない。企業は「戦力」「スキル」を求めているから、
卒業後2、3年は自己研鑽する、起業したりする。

日本の多くの企業はハナから能力を求めない。「心身ともに健康で、上司
の指示に従い、研鑽し、努力できる新卒」が好まれる。社内教育するから
4年間ラグビー漬けの体育会系やら、お受験階級の子弟でも問題なし。む
しろ素直だから歓迎されるようだ。文系だろうが体育会系だろうが、オツ
ムのレベルは大して変わりはないのだろう。

この学制改革により、意味なく大学へ進学していた若者の50〜99%、毎年
35万人〜70万人がフルタイムの労働市場に参入することになりはしまいか。

安易に異民族、外国人労働者を受け入れて日本をダメにしていく危険より
も、「モラトリアム大学生」活用の試験、実験に着手すべきではないか。
学生もキャンパスよりオフィスや工場、現場の方が楽しく、チャレンジン
グで、素敵なお兄さんや綺麗なお姉さんが仕事のみならず恋の手ほどき、
お酒の飲み方もタダで教えてしてくれるから何からナニまで給料を貰いな
がら勉強できる。

どこの世界でもイヤミな上司、同僚、顧客はいるけれど、「修一クン、大
人のキッスを教えてあげるわ」なんていう優しいオネーサンもいて、ま、
人生の大きな糧にはなるのである。大いに脱線したが、キチ〇イもいいこ
と言うだろ?、同志諸君、「キチ〇イだって笑ってほしい」、ま、笑って
許して。

さてさて本題に入ろう。前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編
集長インタビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を
話します』元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要
約する。

<全 祖防隊(北を応援する在日による祖国防衛隊)は朝鮮戦争直後にで
きた最も危険な実行部隊で、もうテロ集団と言ってもいいでしょう。交番
に火炎瓶を投げつけたり、立川基地へ行って(日米が)武器や弾薬を朝鮮
半島へ運ぶのを阻止しようと、妨害行動をとったりしていました。

私が所属していたのは625部隊といって、とりわけ過激でした。朝鮮戦争
が起きた6月25日にちなんだ名前ですね。上の方から「死ね」と言われれ
ば、恐らく死にましたよ、当時の隊員は。もちろん祖防隊は非合法活動で
す。機関紙1枚の扱いにも気を使っていました。火炎瓶の製造法なども教
わりましたね。

――最盛期の動員力をどのくらいでしたか。

全 秘密祖初期ですから中央の中枢にいないと正確な数は分かりません。
恐らく数千人規模であったと思います。私は625部隊の副隊長でした、勇
敢なる青年ということで持ち上げられていたんですね。それでだんだんと
組織内部で力をつけていきました。

――就職しないで。
全 ええ、専従みたいなものです。昼間はほとんど何もしない。夜、集会
があるとゴソゴソ集まるんです。

あの頃、新宿駅で貨物列車を爆発しようとしたこともありました。朝の6
時半、新宿駅南口近くの事務所に集合して7時には決行しようと用意万端
整えていました。ほとんど死ぬ覚悟でした。

ところが武器弾薬を持ってくるはずだった隊長が来ないんですよ。「ああ
裏切られた」と思いましや。隊長はあとで殺されましたね。

――血なまがぐさい時代でしたね。

全 けれども罪悪感はまったくありませんでした。われわれは祖国のた
め、わが民族のために戦っているのだ、という高揚した気分に浸っていま
した。交番とか基地ばかりでなく、民団系の要人や企業に対する嫌がらせ
をしていました。今考えれば、あれは間違いなくテロでした。

――背後で煽っていたのは日本共産党でしょう。

全 当時、我々は日共に入っていました。だから若い頃の不破哲三さんを
よく知っていますよ。青年会館の落成式には宮本顕治さんも来て一緒に樽
酒を割りました。

――祖防隊は朝鮮総連が(朝鮮戦争休戦後の1955年に)できた頃は活動を止
めていたのですか。

全 自主的に止めようということでした。路線転換して総連になったこと
に不満の活動家もいました。(しかし武闘精神はその後も)特に青年同盟
に受け継がれていました。祖防隊の残党がその後も全国の要所、要所に散
らばっていたんですね。(つづく)>

戦後の日共は党員の半数ほどが在日コリアで、中共にならって武闘路線
(ゲリラ戦)を進めていたが、孤立したために1955年に議会主義に転じ
た。これに歩調を合わせて在日も武闘路線から「表向きは」手を引いて
いったのだ。

【措置入院」精神病棟の日々(110)】

左膝骨折から4か月ぶりに自転車に乗ったが、膝がまだ不安定でちょっと
怖いし痛い。リハビリのサド的先生にその旨伝えたら「まだ無理よ」。歳
をとるとケガの治りも蝸牛の歩みだなあ。発狂亭“リハビリ地獄”雀庵の病
棟日記から。

【2016/12/21】水曜、素晴らしい快晴。

【産経】「トルコで露大使射殺 22歳機動隊員 シリア介入報復か」。ま
るで「大津事件」、エルドアンは困惑しているだろう。

「独、トラック突入 12人死亡 無差別標的か 首相『テロ攻撃』」。難
民モドキのイスラム過激派によるXマスプレゼントだ。ドイツ人は少しは
目が覚めるか。メルケル4選は遠のき、AfDは躍進するはずだ。スイスでは
イスラム教施設が銃撃され、3人負傷、犯人は死んだという。難民モドキ
は危険である。

正論 木村汎「関心は領土より露との『共栄』か」、安倍氏は超弩級の領
土問題は先送りし、とりあえずは四島でともに経済開発をしよう、それが
露中にくさびを打つ、中共への牽制になるから、という考えだろう。プー
チン・ロシアにとっては「与しやすい奴」だが、日本の経済界から見れば
「その手は桑名の焼き蛤」で、ロシアンルーレットのようなリスクを引き
受けはしまい。

曽野綾子氏「露大統領訪日 プーチン氏は料理を食べたか」は痛烈だっ
た。何しろロシア大使が駐在先の現職警官に射殺されるという対立があ
り、かつロシアは昔から暗殺が盛んだった。ロシア革命当時は内ゲバも激
しかったが、誤爆しても「敵への警鐘になった」と平然としていた。

(中核派が革マル派幹部と間違えてその弟を誤爆した際、中核派曰く「弟
だったのが悪い!」だと。滅茶苦茶だ)

スターリンが、計画経済政策などを批判する政敵トロツキーを亡命先のメ
キシコでピッケルで頭を破壊して殺したのは有名だが、スターリンを尊敬
するプーチンは武闘派シロビキの政敵暗殺を黙認している。

ニューズウィークの報道によると、毒殺を恐れるプーチンは外国では国家
元首が用意した食事でも決して口にしないとか。己の価値観で見れば外国
訪問は恰好の暗殺の機会だから、最大限の警戒をするわけだ。国民は安い
メチルアルコールで年間1万5000人が自殺している。

松浦肇「不安募らせる米移民社会」、キリスト教会が不法移民の「お助け
寺」になりそうで、トランプがこれに制裁を科すらしい。「トランプ氏と
ニューヨーカーとの溝はますます深まっている」と締めくくっているが、
ニューヨーク州はもともとアンチ共和党だろうから戦々恐々としているの
だろう。

中島朋子・東海大准教授は「トランプ氏は『政治経験のない初のビジネス
界出身の大統領』」と言う。アイゼンハワーは大統領職の8年間を除いて
軍人だったが、軍人も企業家もトップクラスになればおのずと政治に関与
する(政治家のタニマチになったり)。政治経験がないのはダメで、ある
のは優秀なのか。出自はあまり関係ないのではないか。(つづく)2019/1/24

2019年01月28日

◆拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇 第18章

“シーチン”修一 2.0


組織暴力団・北組による拉致問題は一向に進まないどころか、売笑婦崇拝
のノーズロパープリン韓国自体が北に拉致されそうで、朝鮮半島はほとん
ど中華帝国の版図、朝貢国、三跪九叩頭の属国になりそうな感じだ。

ま、中共は南北というトンデモ民族、ババを引くわけだが、半島、特に南
の庶民は自業自得とは言え、北同様に貧民化するだろう。

諸悪の根源は共産主義で(〇〇主義とか一神教は排他的、独善的、好戦
的、妄想的、感情的、非科学的で、狂気のよう)欧州ではリベラル≒アカ
モドキは間違いなく斜陽へ向かっているが、中露は相変わらずの強権独裁
国家だから「自由・民主・法治・人権」という近代国家(強国とか先進
国)の基本、インフラが未整備で、まあ穏やかな“治まる御代”という日本
のような「普通の国」になるには100年、1000年はかかりそうだ。

支那もロシアも数千年の有史以来、強権独裁しか体験したことがない。ス
ラブ民族の格言に曰く「馬と女は殴って調教しろ」、為政者は人民も殴っ
て統治してきたのである。1万年経ってもこの伝統、民族性は変わらない
かもしれない。マキャベリ先生曰く「強権独裁だけれど秩序がある国と、
自由だけれど秩序がない国。あんた、どっちがいい? 秩序がある方がマ
シだろうが」。

欧州・中東・インドなどは一神教を秩序の背骨とする国、中露などは独裁
で秩序を維持し、多神教の日本は天皇でまとまる。2000年以上続いている
国は日本だけだ。猫とスキンシップして蕁麻疹になった曽野綾子先生曰く
「仲良くても距離を保つことが大事よ」「日本は桃源郷に一番近いわ」。
非寛容のイスラム教徒を抱きしめた寛容な独仏は蕁麻疹で苦しんでいる。
トランプは無節操な移民はノーモアだと叫んでいる。マキャベリなら「ト
ランプの方が民主党よりはるかにマシ」と言うだろう。

安倍氏は今の政治家の中で突出して優れている。「お代わり」になる人材
はゼロだ。辞任するまで総理をしてもらったほうが日本のためにはいいと
思うがのう、どや、諸君。移民、増税など「? 大丈夫かよ?」という不
安はあるが・・・

早朝、ハシゴに乗ってペンキ塗りしていたら可愛い声で「オハヨゴザイマ
ス」、見下ろせばスカーフ姿の娘さん7人ほどがニコニコしている。イン
ドネシアあたりからの実習生だろう。複雑な気持ち。

拉致や領土問題などは解決できないままに、“天国に一番近い島”日本が、
やがては祖国を捨てた or 諦めた外国人だらけになり、海面が100mも下
がって大陸と陸続きになった4回の氷河期以外は孤絶していたために育ま
れた日本らしさ、日本人らしさが失われていくようで、何とも言いようの
ない「漠然とした不安」が募っていく・・・大丈夫かよアベシャン、
「ちょっとだけよ」と安易にズロースを脱いだり、増税したりよ・・・元
の娘にゃ戻れないんだぜ。そんな不安を覚える国民は結構多いんじゃないか。

さてさて、久し振りに本題に入ろう。「正論」2005年2月号「大島信三編
集長インタビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を
話します』元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要
約する。(記事を書くのは好きだが、記事を写すのは消耗するので、ここ
のところ拉致問題から遠ざかっていたが、そうもいかないからもうひと踏
ん張りしよう)

<《全京千氏は1931(昭和6)年11月23日、韓国の全羅北道高尚郡で生まれ
た。(幼くして両親に先立たれ)日本にいた実姉のもとに身を寄せた。

中学生の頃から左翼運動に目覚め、終戦直後にできた「在日本朝鮮人連
盟」(朝連)、その後に結成された「在日本朝鮮統一民主戦線」(民戦)
系の青年グループに参加し、次第に武闘派の活動家として頭角を現して
いった。

1955(昭和30)年5月25日、「民戦」が発展的に解消して「在日本朝鮮人
総連合会」(朝鮮総連、以下総連)が誕生した。23歳の全氏は2001年2月
に病死するまで終身議長として君臨した総連のドン、韓徳朱(金偏)のボ
ディガードとして結成大会を見守った。

全氏の活躍の場は、総連の実戦部隊の中核とも言うべき青年同盟であった》

――どうして過去を話す気になったのですか。

全 やはり拉致問題です。総連も社会党も、拉致なんてあり得ないとずっ
と突っぱねてきたわけです。私自身は2001(平成13、以下西暦のみ表
記))年12月、北の工作船が海保の巡視船に撃沈された時、もしかした
ら、とふいに疑念が生じて、それが日を追ってだんだん確信に変わってい
きました。

2002年9月、小泉首相が初めて訪朝し、金正日が拉致を白状しました。私
の思った通りの結果になって落ち込みました。私は今73歳ですが、このま
ま黙って世を去れば、自分が見聞した様々なことが闇に葬られてしまいま
す。それでいいのか、とずいぶん考えた上での決断です。

――北あるいは昔の組織、仲間との間で摩擦や軋轢があるかもしれません。

全 それは覚悟の上です。事実、私の家内の身内は今北に住んでいますか
ら、家内はマスコミに話すことに反対しました。けれども何とか現状を打
破した地という気持ちに変わりはありませんでした。私の後に続いて新た
に証言する人が出てきて欲しい、ということも考えて、踏み切りました。

在日コリアは新しい道を歩んでほしいと思います。未来にために私の過去
を話します。

――北の現状はひどいですね。

全 餓死者が増えています。物乞いがすごいのです。在日コリアが訪朝す
る際、いろんな土産を持っていきます。で、親戚に手渡す前に向こうの官
憲に品物をねだたれて困っているんです。

親戚に手袋とか軍手が喜ばれるので持っていくと、官憲が自分の分だけで
なく、部下の分も欲しいと。向こうでは軍手も貴重品なんですね。

脱北者がどんどん出ています。国民が自分の国を捨てるというのは大変な
ことです。こういう悲惨な現状に、もう我慢がならないのです。

――日本へ来た頃のことからお聞かせください。

全 私は姉さんに拾われて6歳の時に日本に来ましたが、日本語なんて分
かりゃしない。夜間の小学校に行かされ、だんだん日本語を覚えて1年後
に正式に昼間の小学校へ入学しました。
(東京の)深川小学校で、3つ上の姉と一緒に通いました。

戦争が激しくなって、姉さんの旦那さんの仕事の関係もあって山形に疎開
しました。戦争のさなかに私は東京へ戻って旧姓府立三中(現両国高校)
を受験し、合格しました。朝鮮人が府立三中に受かるのは珍しいと、1945
年3月9日の晩に近所の人たちがお祝いをしてくれました。そこへ爆撃を受
けて、私の甥たち3人も亡くなりました。

せっかく三中に合格したのですが、空襲のため混乱し、結局、旧制山形中
に入りました。中学生というのは多感な時ですね。考え方が左翼的になっ
ていったのも、山形中学へ入ってからです。

戦争が終わった途端、昨日まで米英撃滅と叫んでいたのがメリカ文化を礼
賛している。そんな時に学校の先生から、「お前には自分の祖国があるん
だぞ」と言われ、歴史に興味を持ち始めました。民族というものに芽生え
た(目覚めた?)んですね。学校を代えようと思い、北区にある東京朝鮮
中学へ転校しました。

――こちらも名門ですね。

全 名門も名門。私は3期生で、学校を整備するためにずいぶん労働をさ
せられ、勉強はほとんどしていません。

在学中に関西の朝鮮学校で、生徒がピストルで撃たれて殺されるという事
件が起きました。これは許すわけにはいかんと、生徒たちが立ち上がりま
した。わが学校にも警官が入り込み、毎日のように石のぶっつけ合いで
す。学校の閉鎖令が出た時に、われわれは民族学校を守るんだと、そりゃ
燃えました。

そういう体験を通じて私はだんだん組織というものに興味を持ち始めました。

――全さんは韓国の生まれですが、北朝鮮の組織に入った。こういう例は珍
しくなかったようですね。

全 北の組織と言っても、メンバーは南の人の方が多いんですよ。当時の
李承晩大統領は米帝国主義の傀儡だと言われていたんです。それで金日成
の大衆動員のスローガンであった千里馬(チョンリマ)運動に憧れたんで
すね。本当の祖国は南より北ではないかと感じたわけです。

――まだ北には行ったこともないのに。

全 ええ、行ったこともないのに。金日成の英雄伝を好んで読みました。
あの頃は金日成の活動や思想に感動しました。まだ十代でしたが、生意気
にもマルクスもかじっていました。私たちの先輩もほとんど北の支持者で
したね。

闘争で先輩たちが捕まりますね。その時、法廷で先輩たちが、「私は朝鮮
民主主義人民共和国の国民です」と宣誓して(占領軍の)アメリカに食っ
て掛かるんです。それを見て、実に格好良く勇敢だと感動したものでした。

「在日本朝鮮統一民主戦線」(民戦)ができた後、若者たちで「民主愛国
青年同盟」(民愛青)という組織をつくるんです。大阪での結成大会に私
も参加しました。そして組織自体がだんだんと過激になっていきました。
その最たるものが祖国防衛隊、略して祖防隊(チョバンデ)ですね。

――祖防隊というのはずいぶん過激な集団だったそうですね。

《1950年6月25日、北は韓国に侵攻した。朝鮮戦争の勃発である。日本国内
の親北勢力によって祖国防衛隊がその3日後に結成された。祖国とはもち
ろん北のことで、日共の指導の下で広報攪乱により北の戦況を有利にしよ
うという意図があった》

全 朝鮮戦争が起きると、やっぱり若い人たちですよね。祖国を俺たちで
守ろうと。あの時は祖国という言葉に飢えていました。(米国は)我々の
祖国に日本から武器弾薬を持っていく。そんなことを許せるか。場所はど
こだ。立川基地だ。それじゃ立川へ攻め込もうと、そりゃ血気にはやって
いました。(つづく)>

祖防隊は「粗暴隊」だな。ま、小生もマルクス教徒の粗暴隊ではあった
が・・・洗脳されちゃダメよ、ちっちゃな脳ミソでも一所懸命に学び、考
えんとな・・・小生が教祖の「心の道標教団」(通称みちしるべ)は、信
者は愛犬だけだったが、ここ1年ほどで40人に増えたで。ま、スズメだか
ら40羽で、朝夕のエサという現世利益に魅かれ、小生を崇めるどころか飼
育係としか見ていないようだがの。それでも最近は窓を羽で叩いて「ご飯
まだー? 早よしてーな」と催促するようになった。スズメの恩返しっ
て・・・クソだけ? フーン・・・

ビルの営繕は「これがわしの終活や! 発狂亭雀庵は高所のペンキ塗りで
墜落、死んでも刷毛を放しませんでした、これは立派な戦士やで、これで
行こう!」と死に物狂いで励んで、ようやく第4コーナーを回った。あと
は比較的楽な作業だから、のんびりPCで遊べる。一時期30センチの高さに
なったツンドク新聞の最後、去年の6月28日号も読んでスッキリ。読書も
進んでいる。いい傾向だ。

【措置入院」精神病棟の日々(109)】

これも実に久し振りやな。懐かしいで。老い先短い未来を見、酒とバカの
日々を思い返す。発狂亭“終活アリ地獄”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/20】火曜、素晴らしい快晴。昨日の夕方から32歳の“マジメ”が
テーブルに加わった。デスクワークだが過労自殺一歩手前だったようで、
(可愛い娘さんが死んじゃった電通事件に懲りて?)多くの企業がナマス
を吹き、自殺しかねない社員を病院へ送り込んでいるのではないか?

“マジメ”は最初から礼儀正しく挨拶、自己紹介した。家柄、教育は良さそ
うだが、線が細い感じがする。

【産経】「『サイバー防衛』ネット演習 総務省、人材育成検討」。ハッ
カーというワルとハサミは使いよう。毒を薬にすれば皆ハッピーだ。

田村秀男「トランプ相場呼ぶ中国リスク」。中国からの資金流出は膨らみ
続け、「11月までの12か月合計で1兆ドル(115兆円)に及ぶ。債務国米国
は年間で1兆ドルの外部資金流入を必要としているが、その多くは中国発
の逃避資金で賄われる」。

支那に愛想尽かしたヒト、モノ(産業)、カネが逃げていく。先見性とカ
ネがある人は最初に逃げ、最後にはカネも才もない(6億〜9億の)貧民だ
けが残る。中共は5年もつのか、10年もつのか・・・カウントダウンは始
まっている。

北方領土は「劣悪な治安、相当の覚悟必要」「一歩でも裏に入るとまった
く別のロシア社会が存在する」。裏経済、裏社会、密造酒、暗殺・・・森
に入ればクマに襲われたり。距離感もって付き合うべし。

「シルバー民進 支持層、60歳以上が62%占める」。70歳前後の団塊・全
共闘世代を中心とした65〜75歳はアカ新聞、共同通信、岩波支持者であ
る。オツムは岡田、レンホー並。悪知恵もない。政党交付金や議員手当と
いうユーカリの餌にロートルアカがしがみついている。まるでコアラ、生
活保護者みたいだ。(つづく)2019/1/20


2019年01月21日

◆拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第17章

“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(108)】前回は2018/9/27だったから、それ
からのことを記す。もう4か月ぶりだが、加齢とともにますます光陰矢の
如し(荒淫時代は夢のよう)、駒光なんぞ馳するがごときだ。

リタイアした発狂ヂイヂは日々作業療法という、遊び的な仕事、仕事的な
遊びをしている。一応は「経年劣化のビルの営繕」という、もっともらし
い名目ではあるが、思い起こせば現役時代も仕事≒遊びで、どんな仕事で
も結構楽しんでやれたというのは一種の天の恩寵、恵だったろう。

22歳の1年ほどは鳶職もしたが、吹きっさらしの真冬の現場の寒さは涙が
出るほどきつかったが、TVを見ない小生はTVの話ししかしない仲間とは会
話ができず、「話が合わない」ことは耐え難かった。

あーだこーだ話す相手がいないというのはまるで20歳の時の独房みたい
だったが、「転んでもただでは起きない」という吝嗇の性格が幸いして独
房では読書の習慣が身に付き、鳶職では根性、体力、器用、建築のイロハ
を学び、おまけにカネもできて専門学校で編集・記者の基礎を学び、かつ
前科も隠蔽できた。

前年9/3に左足の皿を割って、さらに右腕もいかれ、腰痛は相変わらず
で、ほとんど廃車寸前のようだったが、跛行しながらも多動老人はあれこ
れ暇つぶしをしているうちに、とりあえずは「オンボロなのにまだ動くん
だ!」というレベルにまでは快復した。

この間の動向、というか狂人日記を以下記す。

2018/9/28は久し振りの快晴で、大いに気分よく病院でリハビリに励ん
だ。9/30は午前中は秋晴れで「ああ、いいなあ」と感動したが、昼過ぎか
ら雨、台風が来ているらしい。

「らしい」どころではなかった。10/1の1時半、ガタガタする音で目が覚
めると猛烈風雨で、大きなガラス戸が南風で圧迫され、ゆがんでいる。割
れたら我が「雀庵」は滅茶苦茶になるから慌ててガラス戸を1時間半も押
さえていたら、腕がおかしくなった。こんなに激しい台風は初めてだ。
「台風24号」、忘れまい。

朝見た屋上庭園は悲惨だった。11月3日あたりでようやく修復したが、物
干しの支柱が根元から折れていたのには驚いた。屋上のパノラマデッキは
かなり傷んでいるが、骨折した膝が治るまでは手の施しようがない。

西日本豪雨、北海道大地震、猛暑・・・2018年は大雨や大地震などの天災
がとても多かった気がする。日本は世界有数の地震大国だが、長雨で地盤
がゆるんでいる時にM6〜7クラスの地震が起きたら地元の多摩丘陵のあち
こちで土砂災害が発生するだろう。

川崎市の「土砂災害警戒区域」でも住宅はどんどん建っており、軟弱地盤
や急勾配の斜面はパイルやコンクリートで補強されてはいるものの、時々
ブルーシートで覆われていたりするから、「なんかなー、こんな所によー
建てるわ」と思ってしまう。

インドネシアも地震大国だ。最近も大地震で大被害を蒙ったが、2008年頃
にインドネシアの古都ジョグジャカルタを中心としたジャワ島中部を訪ね
たが、前年に「1000年に一度」という大地震があり、世界遺産でもあるボ
ロブドゥール遺跡やプランバナン遺跡群が大きな被害に遭い、修復してい
る最中だった。地震大国は「そういうもの」と諦観するしかない。

ジタバタしたところで津波が東京湾を襲ったら首都圏の湾岸は潰滅、多摩
川も無事ではすまないだろう。

わが街は多摩丘陵と多摩川に挟まれた南北1キロ、東西1キロの猫の額のよ
うなところだが、多摩川が氾濫したら多摩丘陵に逃げるしかないが、そこ
に逃げても土砂崩れに遭うかもしれない。小生が子供の頃に山を削って
「長尾の切通し」が開通したが、先日は壁補修の大工事をしていた。切通
しの左右はいつ崩れてもおかしくないほどの急斜面だ。

天気と女とバカ・アカはどうしようもない、黙って耐える、凌ぐしかな
い。自戒を込めて言えば、キチガイもやがては消えるから、我慢が肝心
だ。ダレモオランドは消えたし、デタラメルケルはフラフラだ。習近平、
プーチンも勢いがなくなってきた。

シーチンも満身創痍、リハビリのオネーサンはまるでサド侯爵夫人、情け
容赦しない。こうなればこちらはマゾを演じて楽しむばかりだ、「もっ
と、もっとイジメテ・・・」。一方で薬局のオネーサンはとても優しい。
頭がいい女はイヤミが多いが、彼女は癒し系。花は桜、人は武士、女は癒
し系に限るな。

Kこと春琴様は結構サドっぽい。排水パイプを時々塞いでいたオイルボー
ルを除去するために専用機械(ドレンクリーナ、写真↓)を使っている
が、昔から先端ヘッドは32ミリだった。これを貫通させれば3か月はもつ
のだが、60ミリのを使えば6か月はもつだろうと、初めて使ってみたが、
これが浅慮だった。地獄の4日間になってしまった。

http://www.asada.co.jp/product/dh150.html

何しろ1984年の新築以来初めて、カチカチのオイルボール(岩盤)に挑ん
だのだ、怖いもの知らずで。左足と腰は痛むが不自由な右手でハンドルを
回すしかない。電動にすれば良かったとは思うけれど、グチったところで
どうしようもない。10メートルを貫通させるために4万回転させた。Kにも
手伝ってもらったが、右腕はヘロヘロに。

そうした事情を知っているはずなのに、春琴様は気分と感情の気質やから
「佐吉、キッチンの換気扇、もう我慢できへん」とご機嫌斜めや。「堪忍
したって」と思うんやが、マゾの佐吉としては「はい、明日から掃除しま
す」。

満身創痍のキチ〇イながらも赤い小さな火、闘志を燃やすのであった。
ま、一種の戦死やな。

戦死と言えば・・・小生には大中小の3人姉がいる。小生は67歳、池袋に
一人で暮らしている小姉は69歳、猛暑の7月25日あたりに孤独死した。近
所の人が「腐臭がする」と警察に連絡し、渋谷に住む長女のYが警官とと
もにアパートに行ったが、「奥さんは見ない方がいい」という警官のアド
バイスにより長女の旦那が確認した。かなりひどい状態だったようだ。

多分、熱中症で倒れ、そのまま死んだのだろう。とにかく早くお骨にした
いということで、葬儀は略し、お骨上げだけに大中姉が行った。歩行困難
な小生は香典だけ贈った。

Yは3、4日おきに食糧をもって小姉を訪ねたが、その隙間の出来事だった
ようだ。Yから手紙が来た。

<母は仕事中に骨折して、働けなくなり、家に引きこもるようになってか
ら認知症が酷くなり、去年から発言がおかしくなったため、包括センター
に相談したりしていました。

その間に貯金などの管理もできなくなり、お金をすべて使い切り、足りな
くなると私にお金を貸してくれと言ってくるようになりました。今年に入
り金銭感覚がひどくなり、お金を貸してくれというのが毎週のようになっ
て、いよいよ生活できないレベルになってきたため、区役所、包括セン
ター、看護師、先生と相談し、認知症の検査を行い、生活保護の準備をし
ていた最中に母が亡くなりました。

母は私を最後まで信用できなかったようで、私にすべてを任せることはさ
せてくれませんでした。最後まで「自分でできる」と言っていました。結
局、それもできず、誰にも知られず、看取られず死んで行ってしまいまし
た・・・>

小姉は4人きょうだいの中で不思議なほど変わっていた。勉強や読書をし
ている姿を見たことがない。女子高校に進学したが、テスト前は「徹夜に
備えて」帰宅後にコタツで眠り、夜中に布団で眠っていた。

小生がアドバイスをすると「自分の頭の上のハエも追えないのに、余計な
説教するんじゃないよ」と声を荒げた。その手の言葉を使う友達がいたの
だろう。卒業すると天下の博報堂に入社したが、1年にも満たずに辞めて
しまった。

その頃、「お月様って一つしかないんだって。どこの国も一つずつ持って
ると思っていたのに・・・」と言って小生を驚かした。「この人、一体何
者なんだ」と小生は思い、父母も同じ思いだったろう。園児が言えば可愛
いけれど、コピーライターなど変人が珍しくない博報堂でも「冗談かカマ
トトぶっているのかと思っていたけれど、あの娘、マジだった。いくら何
でも・・・受付にも置けないし」と困惑しただろう。

人間離れしている。人のことは言えないが・・・

小姉はそのうち不動産屋の長男坊と結婚した。創業者(長男坊の父親)は
やり手で、当時は建売住宅も手掛けており、羽振りも良かったが、創業者
の跡継ぎであるはずの長男坊は大卒ながら10年以上受験したものの宅建免
許がついに取れなかった。カラオケは上手かったが・・・人間離れしている。

結局、創業者が亡くなって、不動産屋は知人の名義を借りて継続、アパー
トの管理業務がメインになったが、長男坊は本来は不動産オーナーに渡す
べき金をかき集めて失踪してしまった。小姉は「私は不動産屋のカネに目
がくらんだのよ」と嘆いていたが、いつまでもクヨクヨするタイプではな
かった。

小姉はスーパーの品出し(陳列)やラブホのベッドメーク/清掃のパート
で一女二男を育て上げたが、父親の血筋なのか、長男は永らく失踪中、次
男はケータイは繋がるが居所は不明、この2人はお骨上げにも来なかった。

で、結局は孤独死。小姉は独り暮らしでも、それを寂しく思うこともな
かったのではないか。目の前の課題、つまり衣食住をどうするか、金をど
う工面するかだけが課題で、それ以外のことは関心外だったのではない
か。本能だけの動物みたい。

大姉と中姉は小姉からずいぶん無心されたようだ。気の弱い中姉は1000万
円ほど巻き上げられたろう。先日、大姉に会ったが、小姉の話はまったく
出なかった。二人とも内心では小姉とは関わりたくないという気分だった
ろう。

10月31日で発狂&措置入院2周年を祝った「キチガイを自認しているキチ
ガイ」の小生が偉そうなことは言えないが、小姉は相当な変人奇人ではな
かったか。血筋にそういうDNAがあるのかもしれない。

そう言えば膝の手術で退院した・・・真実は「病室を一歩でも出るときは
看護師を呼べとうるさく干渉され、これ以上入院していると発狂しかねな
いから無理にでも退院する」という強行退院だった9月16日は、因縁の日
でもある。1971年のこの日、小生はお縄を頂戴した。「転んでもただでは
起きない」から獄中で読書と執筆の習慣を身に付けたのは先述した通り。
創業社長になって子供3人を育て上げ、ビルも造って持ちこたえた。

左足をケガをして入院して得たものは何か。Kと心が繋がり(修復し)始
めたこと、無理にでも生かそうとする(患者の死ぬ権利を認めない)高齢
者医療の現場を見たこと、終活を急がないと自裁する機会を失うという焦
り、などか。

前回9/17に続いて本号も「番外編」になってしまった。いくつか川柳モド
キを書いて擱筆する。

・安倍晋三 多くの民は 蚤の心臓 消費増税 日本はまた死ぬ
(バランス、バランスと言うが、心臓が止まったらどないすんねん。手術
する前に蛇口を締めるとかすることはいっぱいあるやろて)

・沖縄は 老いたサヨクの 吹き溜まり 革マル、中核、諸派越冬
(前科が多すぎてシャバには戻れない人が多い。沖縄なら何となく暮らせ
るようである。中核の兵隊だった小生の経験では飯代、交通費、雑魚寝だ
けれど寝床はある。タニマチは普天間移転に反対する軍用地地主なのかど
うか・・・知りたいね)

・老人呆けやすく ガクッとなりやすし 貢献 交流 恋で元気に
(バイアグラ、エディケア、マカ、スッポン、朝鮮人参、マムシ、ハ
ブ・・・効くのかなあ。友人曰く「修ちゃん、相手を変えないとダメよ」)

同志諸君!君たちはどう生きる?どう死ぬ? That is the question. 最
期はカッコヨクしたいが、のう。腐乱死体はどうもなあ・・・老いはいつ
でも初舞台やからナカナカ難しいもんやで。(つづく)2019/1/19