2020年03月18日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(10)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/85(2020/3/17】「PET、缶、ビン」のゴミ出しで何とも言えない“事件”を目撃した。18歳ほどの元気な若者が収集車から降りて一升瓶を持ったとたんに落として割れた。ドライバー兼班長の50歳ほどのオッサンが「ここはいいから先の方で分別しておきな」と指示したのだろう、若者は走って行った。


オッサンはゴミ袋を片づけると箒と塵取りを持って道路に散った瓶の破片を掃除し始めたが、何とも言えない、困惑した表情だった。ずいぶん丁寧に掃除をしているなあ、なぜだろうと思ったが、多分こういうことかもしれない。


すぐ近くに幼稚園があり、園児がゴミ収集所の傍で転んで膝にガラス片があった、となれば、園から市役所の環境衛生課に問い合わせがいく。


「ゴミ置き場のガラス片だろうか・・・作業日報によると・・・班長はエチゴヤ商事の平井さんだな」となり、平井さんは会社から事情聴取され、ことによれば訓告、戒告とか。

ゴミ収集は民間業者に委託されるが、市役所は障碍者雇用を促進している。小生がその担当主任なら、下請け業者に「実はコレコレで〇人、雇ってくれないか」と協力を依頼する。業者は次期の契約更改もあるから断れない・・・「それでは3人を」。「もうちょっと頼むよ」「・・・じゃあ4人で。契約更新の方は期待していいんですね?」「悪いようにはしないよ」

ところが更改の時期を前に主任は異動でいなくなっちゃうのである。同志諸君、これがお代官様の常套手段で、泣きを見るのはギョーシャなのである。

クソッと思い、ヤッテラレネーヤとぼやいていると、先輩が「お前、人が良すぎ、役人の約束なんて飲み屋の女のソレと一緒、なじったところで『あらそうだった? 酔っていたから覚えてないわ』、お前は体よく騙されたのよ。ま、今夜はおれが奢るよ、いい店見つけたんだ、ちょいとした美人で、また来たらデートしてくれるっていうもんでさあ」。

男はバカである。成績を上げたいとかモテたいとかで脳みそやへそ下が動き出し、理性が吹っ飛んでしまうのだ。

ビンを割った若者は・・・きっと今日も元気なのだろうが、平井さんは大丈夫だろうか。「ビンは落とすと割れちゃうから、気を付けてね」とこれまでも何回も教育的指導をしてきたのだが、全然効果がない、無意味と知ってしまったから、今日もシコシコとガラスの破片を掃除しながら、

「なんで俺は足を引っ張る奴と仕事をせにゃならんのか、俺の人権、職場環境はどうなってるんだ、俺は食うため生きるために仕事をしている、税金も年金も天引きされている、その一方でパラサイトは生き甲斐のために俺の足を引っ張っている、祟りか、前世で俺はそんなに悪さをしたのか・・・」

何とも言えない苦いような、哀しいような、どこに鬱憤をぶつけることもできない諦めの表情をするしかない平井さん。小生は慰めの言葉もないが、来週のゴミ収集の時には「ご苦労様、これどうぞ」とリポビタンDでも差し入れよう。


障碍者を隔離するのではなく、社会の一員として受け入れていこうというのはいい考えだが、理想と現実は齟齬することが多い。「世界は一家、皆きょうだい」「国境をなくそう、われらは地球市民」のスローガンも「戦争のない世界」も理想だろうが、試行錯誤の中で見えてきたのはそれとは逆で、「もう沢山だ、もうウンザリ、アンタはアンタ、俺は俺の道を行きたいんだ、宗教や共産主義、お花畑の妄想にかられた殺人鬼、銭ゲバ、独裁者、自己中と一緒に暮らすなんて嫌なこった!」。

「こと志と異なる」、良かれと思ってやったことが裏目に出るのはよくある話だが、支那の大失敗は毛沢東の「共産主義革命が人民を幸福にする」という詐話に多くの人が騙されてしまったことである。

中共は悪魔のように細心に民に忍び寄り、天使のように大胆に強権独裁国家を創った。パンダがあっという間に餓狼、人食い虎になり、何億もの民が殺傷された。

大幹部のトウ小平(追放)の息子さえ下半身不随の障碍者になってしまった。習仲勲は16年間も拘束され、息子の習近平は暗愚となって「大習帝国」皇帝を夢想、今は主に西域で大虐殺を繰り広げ、世界に武漢ウィルスをばらまいた。昨秋10月には陸軍が防疫訓練をしていたというのは本当か。

毛沢東の紅軍は支那の南部を中心に革命根拠地(ソビエト、占領地、解放区、縄張り、シマ)を作ってきたが、蒋介石・国民党軍(チンピラ、ヤクザ、ゴロツキ集団)や日本軍の圧迫に耐え切れず、西北の辺境である延安まで逃げたのだ。

彼らはこれを「長征」と呼んでいるが、小作農から脱落した乞食や山賊・匪賊部隊が山に引き籠っただけ、なんと15年間も! ヒッキー毛!


トロツキー著「中国革命論」の訳者・山西英一の解説から。( )内は修一。

<ロシア革命は都市プロレタリアート(工商業の労働者=中卒レベル)を中核に、兵士、農民の支持を得て達成された。(毛沢東による)第三中国革命はそれとは非常に違い、延安のもとにあったのは農民軍で、中共も革命軍も1934年の大移動以来15年、貧困な奥地の延安に逃避して、都市からも、都市のプロレタリアートからも完全に隔絶されてきたのである。


中共の革命軍は広範な農民運動(小作農など貧農=良くて小卒)の支持を受けて波に乗ることができたが、都市労働者の支持は皆無どころか、警戒して抑圧さえした。労働者が悪辣な雇い主を捕まえて革命軍のところへ連行しても、逆に労働者は逮捕され、雇い主は釈放された。ストも禁止された>

つまり中共は「貧農・貧民一揆」、何やら大塩平八郎の乱みたいだ。消えたと思っていたヒッキー毛と貧民の群れが15年後に「日本は負けたそうで・・・わしらにも軍需物資を貰う権利がある」と山から下りてきて火事場泥棒のように振舞ったのにはスターリンも蒋介石もびっくりしたろう。

スターリンも毛沢東も火事場泥棒に変わりはないが、大泥棒とコソ泥の違いはある。スターリンは毛沢東を軽蔑し、嫌っていたようだ。蒋介石は米軍の支援で「これで堂々とアカを根絶やしできる」とはしゃいだ。終戦から1年後、1946年に国共内戦が始まる。

白組のゴロツキ国民党 vs
赤組のルンペン共産党、赤勝て白勝て、米国は白を、ソ連は赤を応援し、日本は場外の焼跡闇市、買出しで生きるのに精いっぱい、「支那のことは夢のまた夢」状態だったなあ、朝鮮戦争で目が覚めるまでは。

この話はいよいよ佳境に入っていくが・・・


発狂亭雀庵の病棟日記は“まだまだ続く、だらだら続く、たいしたもんだよヂヂイの小便”だなあ。何しろ入院中は読書、新聞、散歩、日記しかやることがないから・・・笑って許して。


【措置入院 精神病棟の日々(184)2017/1/24】産経神奈川版、「平塚 イノシシ対策に苦慮 市西部で被害増 防止柵設置」。「イモ類やハクサイなどの野菜が食い荒らされる被害が激増。横須賀市や葉山町といった三浦半島でも平成25年ごろから目撃され、被害も報告されるようになった」。

イノシシは茅ケ崎方面から海を渡ってきた可能性もあるとか。“渚のシシドバッド”だな。「シシは四肢に効く、ヂヂは山鯨大いに食すべし」とか宣伝したらどうか。ただ、鯨と同様、流通量が少ないために高い。猟友会が頑張って各地の名物料理にするといいかも。(つづく)2020/3/17



2020年03月17日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(9)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/84(2020/3/16】月曜は「PET、缶、ビン」のゴミ出しだが、8時までに出さないとアウト、情け容赦ない。いつもゴミ集積所は前夜に出す人がいるので一杯なのに、今朝は少なかった。チャイナコロリ休暇で帰省している人も多いかもしれない。


今朝は寝坊して7時に目が覚めたからちょっと慌てた。寝坊したのは面白い夢を見ていたからだ。こっそりと田中角栄に会って取材したものの、「時間がない」と途中で逃げられてしまい、慌てて追いかけたが、雑踏の中で角栄と秘書の後ろ姿がちょっと見えたものの、見失ってしまった、という夢。


もう一つは米国ニューメキシコ州アルバカーキかサンタフェ郊外のプエブロ・インディアンの居留地を訪ねた思い出。緑のない凄まじい荒野(デザート)にポツンとある、赤っぽいピンク色の粘土「アドービ」でできた住居を見ていたら、小学3年生くらいの男の子が裸馬に乗って楽しんでいた。乗馬で通学! フラッシュバックみたいな夢。

他にもいろいろな夢を見たが、この2つしか覚えていない。昔、枕元にメモ帳を置いて夢をメモしたことがあるが、朝起きて見たら「べんとう」とか書いてあるのだが、どんな夢だったのかまったく思い出せなかったので「夢メモ」は1回でチョン、お仕舞。


なぜ以上の夢を見たか、これは分かった。寝る前に「海を渡って領土を得るのは凄まじい汗、涙、血が伴う。日本にとっての台湾、支那にとっての西域、欧米にとっての旧植民地。それよりも創意工夫で国内遊休地を開発した方がいいだろう、列島改造論みたいに・・・」ここで入眠したからだ。

米国の場合、インディアン(先住民、ネイティブ)制圧は今でも続いいているのではないか。武力などで白人は緑豊かな土地から先住民を追い、やがて生活保護を支給するようになったのだが、ネイティブはアルコールにまったく無防備だったからすぐにアル中になり、早死にした。


銃の代わりに酒で絶滅に追いやり、多分今もそれは続いているだろう。北米大陸の先住民は人口の1割らしいが、純粋種は皆無ではないか。緩やかな虐殺、ジェノサイド、民族浄化。

荒野の中の先住民保護区(居留地)は、当然危機感を持つから、カジノなどを整備して雇用を創ろうというチャレンジもあった。ネバダ州のカジノ(公娼も)はラスベガスが有名だが、先住民の造ったレノというカジノ&エンタメシティもある。荒野でできる産業は限られる。


日本の台湾統治(植民地経営)は欧米と違って「搾取」は少なかったが、治安が落ち着くまでに20年ほどかかっている。日本の敗戦後に台湾人は束の間、解放を喜んだが、蒋介石・国民党軍が乗り込んできて、その余にもの乱暴狼藉強奪虐待ゴロツキ振りに大ショックを受け、「番犬去りて餓狼のごとき豚来たる」と日本統治時代を懐かしんだ。

「日本人は悪さもしたが、台湾の近代化に貢献したのは評価する。悪さ3割、良さ7割かなあ。蒋介石・国民党は悪さ10割、いい思いをしたのは漢族という豚だけ」

今の台湾同胞(正式な国交が遮断されても兄弟は兄弟だ)の思いはそんなところではないか。

植民地経営で先住民も潤うような成功例はほとんどないだろう。習近平は西域など辺境の地を支那・漢族、中共に同化させようと、何百年、何千年も前からの言語、生活に大弾圧を加えている。毛沢東でもパワーが足りなかったのか、この地の少数民族には政治的圧力は加えても言語、生活、風習という民族の根幹、機微には遠慮があったと思う。

ところが習近平はひたすらその「民族の根幹、機微」を叩いている。少数民族への大弾圧はやがてブーメランとなって習近平・中共のクビを落とすのではないか。


同志諸君、諸悪の根源、中共を包囲せよ! 鉄のカーテンで取り囲め! 中共製品ボイコット、中共の犬、南北半島国家を締め上げろ! 日米台英豪乳加印で東・南シナ海、台湾・マラッカ海峡断固死守せよ!

阿倍仲麻呂に倣って安倍仲間老も北京へ行け、北京へ! 習に溺れる犬をさらに打て! 匹夫の勇と笑わば笑え! 我死して護国の鬼とならん! 敵は中南海にあり、イザ戦わん、イザ奮いたて、イザ攻めよ! 

イエス曰く「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。
あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない、むしろ分裂だ」

西郷曰く「焦土の中から新しい日本が生まれる」

夏彦曰く「正義はやがて国を亡ぼす」


壮大なガラガラポンから新しい世界が生まれる、世界史は新しいページを開くことになるのだろう。(つく)2020/3/16


◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(9)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/84(2020/3/16】月曜は「PET、缶、ビン」のゴミ出しだが、8時までに出さないとアウト、情け容赦ない。いつもゴミ集積所は前夜に出す人がいるので一杯なのに、今朝は少なかった。チャイナコロリ休暇で帰省している人も多いかもしれない。

今朝は寝坊して7時に目が覚めたからちょっと慌てた。寝坊したのは面白い夢を見ていたからだ。こっそりと田中角栄に会って取材したものの、「時間がない」と途中で逃げられてしまい、慌てて追いかけたが、雑踏の中で角栄と秘書の後ろ姿がちょっと見えたものの、見失ってしまった、という夢。

もう一つは米国ニューメキシコ州アルバカーキかサンタフェ郊外のプエブロ・インディアンの居留地を訪ねた思い出。緑のない凄まじい荒野(デザート)にポツンとある、赤っぽいピンク色の粘土「アドービ」でできた住居を見ていたら、小学3年生くらいの男の子が裸馬に乗って楽しんでいた。乗馬で通学! フラッシュバックみたいな夢。

他にもいろいろな夢を見たが、この二つしか覚えていない。昔、枕元にメモ帳を置いて夢をメモしたことがあるが、朝起きて見たら「べんとう」とか書いてあるのだが、どんな夢だったのかまったく思い出せなかったので「夢メモ」は1回でチョン、お仕舞。

なぜ以上の夢を見たか、これは分かった。寝る前に「海を渡って領土を得るのは凄まじい汗、涙、血が伴う。日本にとっての台湾、支那にとっての西域、欧米にとっての旧植民地。それよりも創意工夫で国内遊休地を開発した方がいいだろう、列島改造論みたいに・・・」ここで入眠したからだ。

米国の場合、インディアン(先住民、ネイティブ)制圧は今でも続いいているのではないか。武力などで白人は緑豊かな土地から先住民を追い、やがて生活保護を支給するようになったのだが、ネイティブはアルコールにまったく無防備だったからすぐにアル中になり、早死にした。

銃の代わりに酒で絶滅に追いやり、多分今もそれは続いているだろう。北米大陸の先住民は人口の1割らしいが、純粋種は皆無ではないか。緩やかな虐殺、ジェノサイド、民族浄化。

荒野の中の先住民保護区(居留地)は、当然危機感を持つから、カジノなどを整備して雇用を創ろうというチャレンジもあった。ネバダ州のカジノ(公娼も)はラスベガスが有名だが、先住民の造ったレノというカジノ&エンタメシティもある。荒野でできる産業は限られる。

日本の台湾統治(植民地経営)は欧米と違って「搾取」は少なかったが、治安が落ち着くまでに20年ほどかかっている。日本の敗戦後に台湾人は束の間、解放を喜んだが、蒋介石・国民党軍が乗り込んできて、その余にもの乱暴狼藉強奪虐待ゴロツキ振りに大ショックを受け、「番犬去りて餓狼のごとき豚来たる」と日本統治時代を懐かしんだ。

「日本人は悪さもしたが、台湾の近代化に貢献したのは評価する。悪さ3割、良さ7割かなあ。蒋介石・国民党は悪さ10割、いい思いをしたのは漢族という豚だけ」

今の台湾同胞(正式な国交が遮断されても兄弟は兄弟だ)の思いはそんなところではないか。

植民地経営で先住民も潤うような成功例はほとんどないだろう。習近平は西域など辺境の地を支那・漢族、中共に同化させようと、何百年、何千年も前からの言語、生活に大弾圧を加えている。毛沢東でもパワーが足りなかったのか、この地の少数民族には政治的圧力は加えても言語、生活、風習という民族の根幹、機微には遠慮があったと思う

ところが習近平はひたすらその「民族の根幹、機微」を叩いている。少数民族への大弾圧はやがてブーメランとなって習近平・中共のクビを落とすのではないか。

同志諸君、諸悪の根源、中共を包囲せよ! 鉄のカーテンで取り囲め! 中共製品ボイコット、中共の犬、南北半島国家を締め上げろ! 日米台英豪乳加印で東・南シナ海、台湾・マラッカ海峡断固死守せよ!

阿倍仲麻呂に倣って安倍仲間老も北京へ行け、北京へ! 習に溺れる犬をさらに打て! 匹夫の勇と笑わば笑え! 我死して護国の鬼とならん! 敵は中南海にあり、イザ戦わん、イザ奮いたて、イザ攻めよ! 

イエス曰く「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。
あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない、むしろ分裂だ」

西郷曰く「焦土の中から新しい日本が生まれる」

夏彦曰く「正義はやがて国を亡ぼす」

壮大なガラガラポンから新しい世界が生まれる、世界史は新しいページを開くことになるのだろう。(つづく)2020/3/16


2020年03月16日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(8)」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/83(2020/3/14)】久し振りにホームセンターまで車を運転したが、カリタス学園生徒殺傷テロの現場は「確かこの辺だが、どこだろう・・・」と左側に目がいってしまい、「アカ、アカ、アカ!」という同乗監視役の娘の大声で前方を見たら赤信号だった。横断歩道を1メートル越えて、交差点に入っていた。


「もうダメだ、注意力散漫、もう運転は止めた」と娘に運転を代わってもらった。3月「13日の金曜日」、運転返上記念日だ。


そのうち自転車、手押しカート、電動車椅子、車椅子、寝たきり、昇天になる。スッキリ、と逝くかどうか・・・1000年、500年、100年と読み継がれてきた古典、名著を読破したら思い残すことはないが、読書は気力、体力が必要だから、せいぜい精選100冊がいいところだろう。


結局、小生の興味は「人間とは何か、どこから来て、どこへ行くのか、どこへ行くべきか」だと思う。孔子の言行録「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語)はそういうことだろう。

論語が漢字や仏教とともに日本に伝わったのが孔子の生きた時代からおよそ1000年後、応神天皇(西暦390年)の頃で、聖徳太子や空海なども論語を学んでいた。ヨーロッパにはさらに1000年後の1500年あたりにキリスト教宣教師たちが伝えた。


支那から1000年遅れて日本・アジア、さらに1000年遅れてヨーロッパ・世界に孔子の教えが広まったのだが、人間のオツムは60歳70歳で終わり、知性は(技術やモノと違って)後進に自動的遺伝的に伝わることはないから、いつの世でも赤ん坊はゼロから始めて60歳70歳で終わる、その繰り返しで、歴史が前進すれば頭がいいかと言うと、全くそんなことはない。

花と一緒で「咲いたら散る」、永遠にその繰り返しで、長い歴史の中で賢人のいい教えは書物として伝わる、だから時代を越えて読み継がれた良書を読むと多少は人間や世界が見えてくる、と思う。

ただ見えたからどうってことないし、見なくてもどうってことない。好き好き。

見晴らしが良くなると「なるほど、時に人間はバカで愚かで無知で醜く残酷だが、時に人間は利口で賢く知的で美しく慈悲深いもんだなあ」と感動したり悲観したり、まるで観覧車に乗っているような、何とも言えな面白さはある。

デカルト時代、読むに値する書物は2500冊だった。今は3000冊あたりか。16歳から66歳までの50年間、1週間に1冊、月に5冊、年に60冊なら読破できる。読んだ端から忘れても300冊分、あるいは100冊、30冊ほどの智慧は残る。「忘れなかった本」は、その時の自分がそれを受け止める状態にあったということで、「忘れた本」もまた手に取れば「忘れえぬ本」になったりする。

「智の宝庫 人間を知る・世界を知る3000冊」、出版協会あたりで音頭を取って「令和の円本ブーム」を仕かけたら面白いのではないか。

人は好きなものしか読まない、受容しないから、1万冊、10万冊、20万冊読んでも「ああ、バカはバカか」という例はいっぱいある。いかに自分に効果のある良薬のような良書を手に入れるか、これが難しい。

乱読しかないのか、と思うこともあるが、もしかしたら「智の3000冊」が答えになるかもしれない。著作権保護期間はとっくに過ぎているし、転写でも読めればいいのだから1冊500円も不可ではないだろう。

出版人は活字離れを嘆くのではなく、創意工夫で新たな読者を作り出す努力をすべきではないか。

先が読めない出版界、言論界は、支那も読めない、見えない、分からない、そんな時代が20世紀以来続いている。最終的なキーパーソン、アンカーが蒋介石と毛沢東に絞られてきたのは1930年代のようである。WIKIなどから。

<蒋介石(蔣中正、1887年10月31日 -
1975年4月5日)は、中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代「国民政府」主席、初代「中華民国」総統、中国国民党永久総裁。国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。

孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台湾に移り、その後大陸支配を回復することなく没した>

孫文の子分、蒋介石も日本に留学し、帝国陸軍の将校教育を受けている。「昭和の妖怪」岸信介は蚤のシンゾーの祖父だが、蒋介石とも交友している。

<岸は1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。

この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。満州経営に辣腕を振るう。関東軍参謀長であった東條英機などとも交友した。

岸は中国国民党の蒋介石総統とは勝共連合の設立(1954年)を通じて親密であり、1957年(昭和32年)首相就任3ヵ月後には台湾を訪問、蒋介石と会談し日華協力委員会を作った>


蒋介石は早くから「支那の最大の敵」は中共だと認識し、日本の支援で建国した満洲国には敵意を抱いていなかったと思われる。「対日は後回し、まずは日本も嫌っている中共を叩く」というのが戦略だったろう。

1945年、日本の敗戦後、蒋介石は満洲を視察し、原野だった満洲が近代工業国家になっているのを目の当たりにして感動し、子分たちに(多分自戒を込めて)「お前たちは一体何をしていたのか」と叱咤したという。


「反日」が支那世論(概ね世論は人口の3%程の声の大きい奴が決める)での常識、気分、「時代の空気」であった戦中にはまさか「日本とはウィンウィンが可能だが、中共とはともに天を戴かず」とは言えなかった。歴史のif、もし対日融和論があったら、中共はとっくの昔に消えていただろう。

世界史は50年も遠回りしてしまったが、同志諸君、長い歴史から振り返れば、50年は一瞬だ。あのソ連共産党が一発の銃声もなく、手抜き工事のチャイナコロリ隔離施設ビルのように一瞬で崩壊する。待てば海路の日和あり。

中共は今は震度4、間もなく5になるか、壊滅的な6になるか、耐震強度が低いからソ連並に消滅することもあり得る。どうなるか予測できないが、2019/12/03の生方吉子氏の「トランプ大統領と習近平国家主席の2020年の運勢・運気は?」によると、


<習近平の二黒土星は南にあり前厄、そして歳破がついています。破がついていると、とかく厄介なことが起こり、思いどおりにならない、計画が頓挫するといったことが起こります。


また、前厄のときは、良くも悪くも世間の注目を集めるときですが、習近平には破がついているので、どちらかと言えば、良くないことが発覚する可能性が高いようです。


南(離)にあるときは、良し悪しがはっきりするときなので、中国国内で習近平に対する評価に変化が起こるのかもしれません>

蛇の道は蛇、うまいことを言う。

指導者は民からの敬意、憧憬、阿り、怖れなどを失うと軽視される、軽蔑される、求心力が弱くなる。支那の場合は牢獄に拘束されたり(光緒帝)、追放されたり殺されそうになったり(溥儀)するし、墓が侮辱されて小便塚になるのはよくあるらしい。トウ小平はそれを避けて散骨にしたそうだ。

共産主義国では国父をエンバーミング(遺体保存処理)で霊廟に保存するのが流行ったが、レーニン、毛沢東、金日成、ホーチミン以降は見当たらない。エンバーミングは通常は遺体の損傷を化粧したり、土葬や火葬に至るまで時間がかかり腐敗を防ぐために行われる。

米国リンカーンの葬儀は米国各地を巡ったのでエンバーミングが必要だった。これを機に南北戦争以来、将兵の遺体を家族のもとに届けるために普及してきたエンバーミングは世界に広まったという。

永久保存、永久展示のためのエンバーミングは共産主義国特有みたいだ。後継者が正統性を誇示するためなのだろうが、ちょっと悪趣味のような・・・

習近平はチベット人、ウイグル人、蒙古人に相当怨まれているだろうから、どうするのだろう。「お墓のこと、そろそろ考えてもいいコロナ・・・」、習近平は第二の故郷の福建省辺りでの散骨がお勧めだな。真っ白な灰になれ! ン、真っ黒だな。(つづく)20203/14


2020年03月15日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(7)」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/82(2020/3/12)】かなり春めいてきたので、室内に避難していた亜熱帯系の鉢植えを庭に移した。ジャングルじみていた部屋はすっきりしたし、庭は賑やかになり、スズメも「春が来た!」と喜んでいる。

春になると野山で食糧が得られるようになるのだろう、餌場のスズメは半分ほどの30羽になった。チャイナコロリで制限しているわけではないけれど、これくらいが丁度いい。

先日、墓参の際に、台風19号で打撃を受けた寺の赤松の幹(長さ1m、直径25cmほど)を貰うことになった。寺の伝説では、多摩川が氾濫して流された多くの村民が松から伸びている白い綱のお蔭で命拾いし、翌日、行って見たら綱はなく、白蛇がいたので、これは弁財天様の御利益だと祠を造り、この松を「綱下げの松」と名付けたという。


だからこの赤松は何代目かは知らないけれど由緒あるもので、チビの頃に多摩川の支流が氾濫して溺れかけた小生が赤松の“ご遺体”を引き受けてオブジェに加工するのは天命かもしれない。

住職に頼んだら「どうぞ」と快諾され、その際に写経会に誘われたので断るわけにもいかず、今朝行ってきたが、写経の後の住職の講義にカチンとして、

「仏教13派というが、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の中国仏教で当てにならない。サンスクリット語の原典に当たるべきだ」

などと余計なことを言ってしまったので、厭なヂヂイだと思われたに違いない。


寺に行く際、ドラッグストアの行列を見て「ナンカナー・・・マスクなら自分で造るなり、洗濯・消毒して再利用すればいいだろうに」と、浅ましい光景にちょっと神経が高ぶっていたのだろう。写経の2時間は落ち着いて集中できたが、その後の講義で、仏像の位階について、偉い順に、如来、菩薩、明王、天部・・・と説明され、キレタ。

<お釈迦さまは菩提樹の下で弟子や衆生に「身分の高低は自明のこと」「身分や喜捨に応じてそれなりに救われる」と説かれたのか。そうであるなら井上円了の痛烈な揶揄、ソモサン、セッパ!「真宗識無く、禅宗銭無く、浄土情無く、法華骨無く、念仏物知らず、禅は頓馬、真言盆鎗(ぼんやり)、律は間抜、天台阿呆、日蓮馬鹿」。

「生まれを問うな、行為を問え」と説いたお釈迦さまが仏像に特上、上、並、松竹梅のランキングをつけるか? だから葬式仏教などと揶揄されるのだ。支配者のためではなく、虐げられた者のため、あの世ではなく、この世に天国を造る、そういう姿勢が大事ではないのか>

まさか、ここまでは言えないが、津久井やまゆり園大量殺人事件の植松聖被告のように「自分はまとも、世間こそおかしい」と断じているようで、うーん、精神病は治らんもんだなあとガッカリする。

天の声が聞こえる。

「心の病はあんた一人じゃないからね、多かれ少なかれみんな病んでいるのよ。俺は病んでない、俺は健康だ、と自信たっぷりなのが一番危ないんじゃない?」


脳みそが健康かビョーキか、善悪の判断は・・・普遍的な基準があるわけではないから難しいのだが、「善をなすのを急げ、のろのろしていたら心は悪を楽しむようになる」とお釈迦さまは言っている。

小生思うに、既得権益どっぷりの仏教界が自ら変わらなければ「墓仕舞いの嵐」は激しくなるばかりだろう。井上円了の叱咤激励から100年たっても、君は菩提樹の下で昼寝か? それが仏道か?


ま、現実にはこんな苦々しいことを実際に言う檀家はごく少数で、聞く耳持たずの僧侶が大多数だろうが、仏教もそのうち新教(この世での救い)と旧教(あの世での救い)に大分裂するかもしれない。ガラガラポン、シャッフル、楽しみだな。

さて、小生が大分裂を大いに期待している中共の話。武漢コロナで国際、国内もよろよろし始めた内憂外患同時多発攻撃で、かなり「その時、歴史が動いた!」という場面になってきた。

こういう場面は支那では昔からずいぶん多い。さあ、温故知新のタイムスリップへ! テクマクマヤコン
テクマクマヤコン 1919年の北京になーれ!


1919年の「五四運動」は支那近代化の口火を切った大衆デモだと言われている。スローガンは抗日、反帝国主義、反封建主義らしい。国内の対立、ソ連の共産主義革命、列強の思惑などが絡むから諸説あり、歴史は現代史を含めていろいろな解釈が可能だ。

大体、支那では「新王朝が前王朝の歴史を書く」のが伝統で、それが「正史」であり、異論をはさむことは許されない。中共の現在の毛沢東評価はトウ小平による「功績第一、誤り第二」で、良いこと6割、悪いこと4割、全体としてまあ「国父」ということでいきましょうとなって、天安門広場に肖像画が掲げられているわけだ。

こうした「中共公式認定」には誰も逆らえない。毛沢東は支那史上まれな天才かもしれぬが、かつ大悪党である、などと言えば確実に死刑だ。


漢族は有史以来、そういう独裁強権支配に慣れているようだ。結局、面従腹背、「上に政策あれば下に対策あり」で、「正義でメシが食えるか、創意工夫でメシを食うんだ、今を楽しむに如かず」という生き方が主流になっていると思う。

強いものには巻かれろという事大主義、面従腹背、韜光養晦、東に向かってこぶしを振り上げ西を叩く・・・孫氏の兵法の国だから、実際の民意は分からない。声の大きい少数派に引っ張られる傾向は今でも世界中で見られる。


1919年の「五四運動」の頃の民意はどうであったか。「紫禁城の黄昏」の訳者、中山理(おさむ)氏が「あとがき」でこう書いている。

<著者のジョンストンが客観的で公平なところは、「新青年」「曙光」「改造」といった急進的な雑誌にも注意を払い、実際に「曙光」の一部を引用している。これらの出版物は当時の学生運動に高揚され、一般大衆の啓蒙を目的としたもので、五四文化革命運動を代表するような雑誌である。

とりわけ興味深いのは、当時の「大衆」が、共和国(中華民国)に対して理解を示さず、皇帝溥儀を支持していたことを、これらの雑誌が認めていたという点である。

当時の全人口4億人の90%を占めていた農業人口の10人のうち、8、9人は皇帝の復位を望んでいたという。3億数千万の民衆は君主制を望んでいたことになる。

五四運動に参加した学生を例にとると、北京で3000人、国内の全学生をかき集めたとしてもせいぜい20万で、人口の0.05%にも満たないのである。当時、どちらが民衆の基盤を持っていたか、言うまでもないだろう。

ジョンストンの描いたシナが過去のものであり、現代の中国とは完全に断絶したものであると言えるかどうか、甚だ疑問である。本書で指摘されている内務府の性格、地方の民衆の貧困や農民の反乱の構図は、決して過去だけのものではない。中国の社会主義自体にも、それと構造的にきわめて類似した伝統的性格が残っている気がするのは訳者だけだろうか>

習近平は「武漢コロリ」と言うな、中共は被害者で、一番上手に伝染病を克服しつつある、世界は中共に学べ、という嘘八百で危機を乗り切ろうとしている。

「習近平のお蔭でコロナウィルスに勝った、習近平は英雄だ、ヒーローだ、スーパーマンだ」というほとんどコロナで脳みそがいかれたようなキャンペーンを展開しているだけでも滑稽なのに、よりによって武漢市民に「習近平へ感謝しろ」と強要するまでになったという。

近藤大介氏「新型コロナと闘う『引きこもり武漢市民』900万人が激怒した理由」(現代ビジネス3/10)から。

<党中央宣伝部は、この一連の「ヒーロー番組」に加えて、さらに大胆な手を打った。新型コロナウイルスの発生源と目され、1月23日以降、「封鎖」され続けている900万武漢市民に、「感恩教育」(恩を感じる教育)を施そうと企てたのである。

武漢市は、3月9日現在、累計感染者数4万9948人、死者2388人を数える。その武漢市のトップである党委書記には、2月13日以降、習主席の忠僕である王忠林が就いている。

地元紙の『長江日報』(3月7日付)によれば、3月6日夜、武漢市は「新型コロナウイルス肺炎疫病防止指揮部映像調達会」なる会議を開いた。この会議を主催した王忠林党委書記は、こう述べた。

「武漢全市の広範な市民の中に、感恩教育を深く展開していかねばならない。習近平総書記に恩を感じ、共産党に恩を感じるようにさせる教育だ。党の話を聞き、党と共に歩み、強大なプラス思考を形成する教育だ。


市の幹部は、群衆に宣伝し、群衆を発動しなければならない。多くのやり方の宣伝教育活動を通して、広範な市民と党員幹部の間で感恩教育を展開し、『武漢市民は英雄的な市民であり、感恩を理解する市民だ』と教育するのだ」

この『長江日報』の記事及び関連のテレビニュースが出るや、すでに丸々1ヵ月半も「引きこもり生活」を強いられている900万武漢市民が、ものすごい反応を示した。いわゆる「炎上」である。以下は、この記事に対する武漢市民のコメントの一部だ。

「疫病がまだ去っていないというのに、オレたちに踊り歌えというのか」


「王忠林は市の火葬場に行って言え」(注:コロナウイルスの感染者数にカウントされていない大量の死者を火葬していると言われる)

「まだ1ヵ月かそこらで、どの面下げてこんなこと言うんだ。無能な武漢市政府に従った庶民は、大量に死んだではないか」

「恩を感じるというのは、教育されるものではなくて、自然な感情の発露だろう。本当に泣くべきか、笑うべきか」

「何だ、法輪功の教えかと思ったよ」(注:法輪功は中国共産党が邪教として取り締まっている)

「人は洗脳教育によって、精神を変えられるって話だぞ」


「たしかにお上のおかげで、皆2ヵ月もの休みをもらっている。願わくばお上には、もう少し頑張って、われわれを一生涯休ませてほしいものだ」>

「皇帝・習の廃位、中共帝国解体を望みますか」と人民アンケートを取ったらどんな結果になるだろう・・・我々が鉄のカーテンで中共を包囲すれば、人民はやがて適切な国造りをするのではないか。(つづく)2020/3/12


2020年03月12日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(6)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/82(2020/3/8)】三寒四温で、今日は氷雨。コロナ禍というか、習とテドロスのダーティペアによる「中禍」、さらに日曜日も重なったから、駅前通りはまるで封鎖都市みたい。閑散どころか喪に服しているような感じだ。


♪外は冬の雨 まだやまぬ この胸を濡らすように 傘がないわけじゃないけれど・・・ 


出掛けたくないよなー、100メートルに1人しかいないぜ。


今日は両親の祥月命日で墓参りの予定だったが明日に延期。正確には父が9日、母が10日。小生は3月11日「3.11」で逝くつもりだ。子孫が便利なように1回で墓参りできるだろうという想いもあるが、3.11大震災は小生の生き方をずいぶん変えるきっかけになった。


「あっという間に2万人が亡くなった、これ以上の災害、ショックを体験することはもうないだろう」


浮世の虚しさを感じ、「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」を心がけるようなっていったと思う。虚しい世、虚しい生を、何のために、どう生きるべきか、そんな取りとめもないことをしょっちゅう考えるようになった。


哲人28号とはいかないが、今はリトルリーグの背番号3あたり、あと10年脳みそが達者なら哲人20号で、パラリンピック精神障碍者70代哲学部門にエントリーできるかもしれない。まあ、今年でも来年でも「3.11大往生」はとりあえずの目標にはなる。



自然死が望ましいが、今は延命治療もあるから「この日に逝きたい」と看取りの家族らに伝えておけば「望み通りの祥月命日」はかなり現実性がある。予定が立てやすいし、葬儀業界も歓迎だろう。


「3.11ですか(カチカチ)・・・結構タイトですねえ・・・地元の火葬場は満杯で取れませんが、ウェイティングリストに入れておきますか? 119人待ちですからOKが出るかどうか・・・それともちょっと遠いですが(カチカチ)・・・大和斎場なら今コンファームできますけど」


「ちょっと遠いなあ、会葬者が大変だし、大体僕は粘着質だから着くまでに生き返ったりしそうだし・・・」


「それではですねえ(カチカチ)・・・最近話題になってきてるんですが、CO2を出さない環境にやさしいグレタセレモニーはどうですかね・・・火葬なしで地下10メートルの土葬、夫婦とか恋人、友達同士で一緒に手をつないで入る人もいて(カチカチ)・・・ペットと一緒とか、趣味のバイクと一緒とかもありますねえ・・・」


「グレタって・・・あのグレタ? なんかなーって感じするけどなあ」


「まあ一種の児童虐待で育てられたように見えますけどね、美空ひばりみたいに・・・ちゃんと学校行ってたんですかね、崇拝者が多いでしょうから親や周囲は稼げるうちに稼ぐという、なんかアイドルみたいですねえ、創られた偶像とか(カチカチ)・・・」


「ハー、ハー、ハックション! 失礼、ハー、ハー、ハックション! 大丈夫、花粉症です・・・コロナと間違えられてクシャミすると、ハー、ハー、グレタのような目で睨みつけられて、ハー、ハー、ハックション!」


「旦那さん、とりあえず地元の火葬場に希望を出しておきましたから・・・チャイナコロリで暫くは稼働率100%だそうで、1週間ほどでコンファームが出そうですよ、また連絡しますね、お元気で」


「いやどうも手数をかけたね、じゃあ、また・・・ウーン・・・エリートはホスピスに行けるだろうが、何かジワジワ死ぬのは嫌だし、夢見るように気分よく逝く・・・『卍のマークの漢方安楽丸』・・・

売れそうだな、ツムラ、クラシエ、大幸薬品あたりに企画書出してみるか・・・スイスだけに大儲けさせるなんぞおかしいで、200万なんてボッタクリだ。

大体、「インセンティブで100万出しますから逝って下さい、国のため子孫のため」というんが政府の歌い上げるべき正調楢山節で、その際にヂヂイは「好意謝するにあまりあるほど、奨励金は日本財団を受取人にしてください」とか・・・それがカッコいい男の後始末や・・・『漢方・男の後始末』っていうネーミングで、曽野綾子先生をキャラにしたらええかもなぁ・・・絶対売れるぜ、これ!

問題はカミサンや、「100万円はうちのもんや、寄付なんてアホなこと絶対させんで! ほんまにドアホ、キチ〇イや」、こういう抵抗に備えて公正遺言証書はきっちり作っておいた方がええな。

人口パンデミック、ヂヂババの過剰在庫で苦しむ中共に「漢方・愛国安楽丸」の商品名で売りつけたら習近平がどっさり買ってくれるで・・・その金で日本は核ミサイルをトランプからレンタルするんや、ウインウインどころかウインウインウイン、日中米三方丸儲け、緊張が薄れて世界は晴れ晴れ、俺は平和賞を謝辞して言うんだ。

「この薬は今の世界、今の地球には必要な良薬です、しかし、時が過ぎれば毒薬になりかねません。一日も早く安楽丸が不要となる日が来ることを願っています」

ウーン、エエナー・・・花束はグレタから?!、えっ、キスもすんの!? ちょっと待ってええな、そんなん聞いてないで、やだよ、やめてくれ、だ、だ、誰か・・・

人生一寸先は闇? 天気も運命、人生も、明日のことは分からないというケースは珍しくない。庶民も総理も国家主席も皇帝も「ある日突然」想定外の事態によって動き、動かされる。

1928年6月、東北軍閥の雄「張作霖爆殺事件」。日本の関東軍による暗殺だと言われているが、不都合な真実は表に出にくい、出しにくい。諸説あるが、最後の皇帝、溥儀の側近、ジョンストンの「紫禁城の黄昏」(祥伝社)から、当時の空気を紹介する。

<紫禁城の黄昏は深まり、夜の帳が降りた。(紫禁城から命からがら逃れた)皇帝は数か月間、すなわち1924年11月29日から1925年2月23日まで、日本公使館の賓客であった。死の間際にいた孫逸仙(孫文)が北京に来た時も、まだ皇帝は公使館にいた。


その数か月間というもの、皇帝は一度も公使館区域を出ることはなかった。公使館区域の南の外壁はシナの管轄外で、そこから皇帝は天壇を囲む森の公園を初めて眺めた。



もっと時代に恵まれていたら、巨大な大理石の天壇で、天子として、また国民の父としての職務を果たせただろうが、今はその場所さえも見えない。外壁からは黄色く輝く紫禁城の瓦が見える。底はある意味で牢獄だったかもしれないが、皇帝にとっては幼少の頃から育った家庭でもあった。

その後、天津の条約港の人目を引かない日本租界内で、皇帝に長くて物寂しい逗留生活が7年近くも続いた。1925年2月から1931年11月までである。シナの新聞では「反清同盟」すなわち「反満洲同盟」を自称する協会が、嘘偽りを並べ立てていた。

日本人は皇帝を口説いて日本に行かせようとしているとか、日本ではシナに対する帝国主義的な計画の道具として皇帝を利用するかもしれないとか、皇帝には住居用の宮殿を与える約束までしているとか、などである。

1925年から1931年までいつでもよい。万が一、日本政府が、日本で皇帝を暖かく歓迎すると少しでも匂わせていたら、皇帝は単調でつまらない天津の生活を捨て、美しい京都の近郊か、天下無双の富士山の見える田園の別荘で、自由にのびのびと生活できる機会が訪れたと大喜びしたことだろう。

だが、日本政府は、皇帝にそのようなそぶりさえ見せなかったのだ。それdころか、日本や、日本の租借地である満洲に皇帝がいては、日本政府が「ひどく困惑する」ことになるという旨を、私を通して、間接的に皇帝に伝えたほどである。

(皇帝と満洲をめぐる政府や軍閥、列強の内外の動きが色々あったが)皇帝と満洲帝室が大惨事に見舞われて深い悲しみに沈んだのは、1928年7月3日から11日にかけて帝室の御陵(北京東方の東陵)破壊、冒涜だった。

シナ人の先祖崇拝や、漢人と満洲人の先祖の墓に対する深い畏敬の念を多少なりとも理解する者でなければ、その嘆きがどれほど深いものか、ほとんど計り知ることはできないだろう>

この事件は皇帝溥儀の心を支那から故国の満洲へ大きく移すことになったようだ。最早支那には何も期待できないという絶望、そして故国へ帰るべしという天啓を得たに違いない。(つづく)2020/3/8


2020年03月09日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(5)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/82(2020/3/7)】小生は現役時代「海外旅行産業アナリスト」を自称していたが、1970〜80年代、米国への日本人旅行者(業務渡航含む)は年間100万人(今は350万人)ほどととても少なかった。ほとんどがハワイで、米国本土は60万人ほどしかなかったろう。

その60万人が行っているのはニューヨーク、ナイアガラ瀑布などの東海岸、ロサンゼルスとサンフランシスコの西海岸で、それ以外の内陸部、北部、南部はほとんど未踏地。つまり広大な米国にごろごろ転がっているオイシソウな、かつ日本人にもアピールするような観光資源を掘り出して、旅行会社の商品企画担当者に売り込むのが仕事なのだった。

「旦那、ええところありまっせ、特上の別嬪さん、フロリダのディズニー・リゾート嬢、廓は東京山手線管内と同じ広さ、妹の加州ディズニーランドとスケールが違いますわ。あちこちにワニもいますから、スリルも満点。本物、生きてるやつ、スッポンポン、素っ裸、自己責任ですけど抱きついてもOK、クロコダイルダンディーのスリルたっぷり。

ホンマ、1週間いても飽きませんぜ、そのうち大統領が毎週末を過ごすオオマガキ(大籬)になると地元でも自信たっぷりですわ。

で、一晩あたり、アゴアシ付きで4万円、と言いたいところ、今は口開けですから思い切って2万5000円! え、高い?・・・しゃーない、わたしも女衒の突破モン、初物を売りそこなったらナカの恥、身を切る思いでズバリ1万9800円、さらにAVISレンタカー1日乗り放題、添乗員さんはビジネスクラス、どうだ!」

火のないところに煙を起こし、虚を実にしていく、まるでレーニン、スターリン、トロツキー、信ずる者は幸いなり、この世は君たちのものだ・・・サンダースのように恐怖を煽り、おいしい話で洗脳していく・・・なんとなく当時は小生の尻尾の先がまだ赤かったようだな。

同志諸君、旨い話は大体が苦い話に「移るんです」、気づいたときは死屍累々、昔も今も、詐欺は所嫌わず。

支那の近現代史は悲劇のような、喜劇のような、苦いようなしょっぱいような、なんとも複雑な印象だが、宗族のような地縁血縁のセーフティネットがあるから何とか人々は逆境の中でも耐えてきたのだろう。大したものだ。前々回に続いて支那の歴史を振り返る。(*)は小生の感想。

<1920年7月、段祺瑞は失脚し、張作霖が「北京政府」の実権を掌握した。(*張作霖は満洲など北部の最大最強の軍閥、10人ほどのお妾さん専用列車も持っていた。アヘン中毒の張学良はその息子)

孫文は1919年に拠点を上海に移し「中国国民党」と改称した。1921年には上海で「中国共産党」が成立した。(*洗脳されたばかりの毛沢東も参加。後に同志となる朱徳は雲南で警察長官就任! 魯迅「阿Q世伝」発表。阿Qばっかり! 悲喜劇役者が揃ってくる)

これらの政党は1917年のロシア革命の影響を受けており、議会政党というよりも明確な計画性と組織性を備えた革命政党を目指した。

(*革命後のロシアは支那の政争に資金提供を含めてすさまじい干渉をしていく。このロシアの共産主義理論は、昨日まではOK、今日からはNOといった、政争で揺れに揺れている不安定な教条主義で、ただ徒に支那の政争を混乱させたと思う。諸悪の根源はロシア、ソ連だ。今に続く悲劇の多くは彼らがもたらした。「妄想から悪夢へ」)

1924年に国民党は第一回全国大会を行い、党の組織を改編するとともに共産党との合同「第一次国共合作」を打ち出した。(*ソ連べったりの中共を支那近代化のパートナーに選んだのは痛恨のミス。ソ連の罠にはまり、近代化は100年遅れてしまった!)

孫文はこの頃全く機能していなかった国会に代わって国内の団体代表による「国民会議」を提唱し、1925年には国民会議促成会が開かれたが、この会期中に孫文は没した。

7月には「中華民国国民政府の成立」が宣言された。一方で1924年6月には蒋介石を校長として(*国共合作で)「黄埔軍官学校」が設立された。1925年4月に「国民革命軍」が正式に発足され、国民党は蒋介石を指導者として軍事的な(*蒋介石の目指す反共近代国家建設という)革命路線を推し進めることとなった。

(*国共の血で血を洗う対立を見る前に逝った孫文は幸せだった。カリスマ孫文の死で国共合作のタガが緩む、外れることにもなった。

中共はソ連や欧州の共産主義者を呼び込んで革命推進のために労働者、学生、農民による反英、反日、反帝国主義運動(五・三〇運動)を開始した。その生々しい模様はアンドレ・マルローの「
征服者」に詳しい。革命や反乱、騒乱に外国資金、外国人を介入させると、愛国心が消えたり薄まるからむき出しの憎悪対立になってしまう)>


1926年7月に蒋介石は広州から北伐を開始(*張作霖の「北京政府」を始めとする北方軍閥掃討戦)、1927年1月には武漢に政府を移し、「武漢国民政府」と呼ばれるようになった。

この武漢国民政府では当初国民党左派と共産党が優位にあったが、蒋介石は4月12日、上海クーデターを起こしてこれらを弾圧し、4月18日には反共を前面に打ち出した「南京国民政府」を別個に成立させた。

南京国民政府は主に上海系の資本家(浙江財閥)に支えられ、北京・武漢・南京に3つの政権が鼎立することになったが、9月ごろから武漢政府も反共に転じ、南京政府に吸収された。

1928年6月には南京政府の国民革命軍が北京政府を打倒し、東北軍閥の張作霖が奉天近郊で日本の関東軍により爆殺された(張作霖爆殺事件)。これを受け、12月に息子の張学良も南京政府を承認したことから、国民政府によって中国の政権は再び統合された。

(*理世・知性は吹っ飛び、気分・感情ばかりで政局が揺れ動く。グチャグチャで「昨日の敵は今日の友、明日のことはまた明日、心配したってしょうがない、明日は明日の風が吹く、心配無用、不要不要(プーヨープーヨー)」みたい)

日本人にはなかなか理解しがたいが、

義理や恩 泣きを見るより 強い方 死んだら終わり この世を楽しむ(修)

それが支那の伝統、事大主義なのだろう。信義でメシが食えるのか、バカ言ってんじゃないよ、あの世なんてありゃしない、運が尽きる前にとことんこの世を楽しむ・・・それが
Chinese way of life

と言われたら「はあ、まあ好き好きですからご勝手に」と距離を置くしかないが・・・


近頃中共は「コロナウィルス禍は日韓米が悪い、支那は被害者だ」と大声を上げている。「声の大きい方が勝ち」というわけだ。「韜光養晦で行け!」と訓示したトウ小平は偉かった。それを理解できない習近平はよせばいいのに世界を突っついて寝た子を起こした。


世界は中共を再び「竹の檻」という急性期閉鎖病棟に封じ込めるべきであり、少なくとも通商制限すべきだ。かけた情けが仇となり、善意が悪意となって世界を屈服させようとしている。われわれはとんでもないモンスターを育ててしまった。

♪立て肥えたる者よ 今ぞ日は近し  醒めよ我が同胞 暁は来ぬ

ダイエットしていざ闘わん、いざ奮い立て、いざ!(つづく)2020/3/7


2020年03月08日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(4)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/82(2020/3/6)】「幻の東京五輪」については時々マスコミで紹介される。ウィキによると――

<1940年東京オリンピックは、1940年(昭和15年)9月21日から10月6日まで、日本の東京府東京市で開催されることが予定されていた夏季オリンピックである。

史上初めて欧米以外の有色人種国家であり、アジアで行われる五輪大会、そして紀元二千六百年記念行事として準備が進められていたものの、日中戦争(支那事変)の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった>


自国と世界の状況が「平和の祭典? 平和が危機的状況なのに五輪? それどころじゃないでしょ、今は平和を確保するために全力を投入すべき時で、お祭りの時じゃない、五輪で平和が担保できやしません!」」ということだったのだろう。歴史が繰り返されるのなら、

五輪祭 捕らぬ狸の 皮算用 テレビと新聞 コロナにがっくり(修)

というこか。


ま、選手やスポーツファンも「どうなるのかなあ」と心配しているだろうが、大宴会ではなく種目ごとの小宴会にして、世界各地で開催したらいい。


流行り言葉で言えば「地球環境への負荷を抑えたスマート五輪へ」。アイドルはもちろんグレート・グレタ嬢だ。

「チケット予約は今すぐ888−8888、ハハハ−ハハハハへ。今ならグレタさんの肖像入りペンダントをプレゼント! 地球にやさしいコーン製、飽きたら食べてね!――カルビーは世界五輪パラを応援しています Love
earth, love Calbee(音)ポリッ、パリッ」。

な、大変でもグレたらアカン、会場が武漢でも大邱でもアレッポでも「置かれた場所で咲きなさい」・・・誰や、「岡場所」とちゃうで、まったく行儀悪いやっちゃな、アーダコーダ言わんで「置かれた場所で咲こうと頑張る」、それが男道ちゅうことや。諦めたらそこで終わりなんや。

偉いセンセイも「死んでもバッジを離しませんでした」、バッジの威力でカネは入るし、コネクティングルームやで、せこいのも能力のうちや、Let's
do it! やってみなはれ。

大体、監視役のスガ、アソウは何してたんや。「殿御乱心!」なら2Fの太鼓持ちを蹴落としてでもビンタの一つ二つ食らわして正気に戻すんが務めやろ。「ここはどこ、私は誰」の思考停止になってキングストン弁を開けようとしているのを見たら、とにかく止めるんや、そして軟禁する、暫く嫁さんから隔離してご母堂に預ければ恢復するやろ。

・・・ちゃうがな、医者は獣医がええねん、殿は人間に疲れたんやから、癒しは動物に限るねん。犬なんかええと思うが、犬のお巡りさんはおるけど、お医者さんはおらんさかい、せめて動物の臭いが染み付いている、四国あたりの獣医が効くと。お遍路の里やから霊験あらたかやないか。

線が細すぎやなあ、したたかさが足りん、性格温厚では、血の匂いがプンプンする露助やチャンコロのボスと付き合うのは大変やろうが、官邸にコネクティングルーム造って癒しの時間を持った方がええんとちゃう? ミスター商社マンの愛したHOゲージ、読書、2〜4本足の動物、マッサージ、ヨガ・・・ペンキ塗りもええで。

任期や人気ではなく、「仕事」が後世に評価されるんや。歴史に残る名宰相なら「仕事振り」も後進の手本になる。頭と体の健康管理も仕事のうちだで、のう。

ところで同志諸君、中山樵(なかやま きこり)さんをご存知か。江戸と京都を結ぶ中山道(木曽路)を斧と鋸をかついで歩いている木こり、じゃない。なんと「孫文」先生が日本で暮らしていた時の名だという。知らなかったなあ。新しいことを知ると得した気分になる。

孫文は支那で一番尊敬されている人だ。支那近代化の号砲を轟かせた。鉄砲でパンパンではなく、日露戦争の旅順攻防戦で攻城砲として投入され活躍した巨大な28糎榴弾砲のような存在で、同志を糾合して大清帝国をぶっ飛ばした。西郷さんや松陰先生みたいな感じかなあ。


日本では「孫文」と言うが、支那では「孫中山」「中山」、欧州では「孫逸仙」と表記されることが多い。1980年頃初めて中共や台湾を取材旅行した際、あちこちに中山路、中山公園、中山大学など「中山〇〇」という表記を見て何だろうと思ったものである。支那の偉人の筆頭といえば孫文だから、なるほど、こちらでは「中山」と書くのだと分かった。

当時の中共は老若男女、皆人民服=中山装だった。中山が日本の軍服からヒントを得てデザインしたとか諸説あるが、彼が大いに広めたのは間違いない。

孫文は日比谷〜青山界隈をよく散歩し、そこの素晴らしい屋敷の表札が「中山」で、これをペンネームにしたらしい。中山家の慶子(中山一位局)は明治帝の実母であり、明治維新を高く評価していた孫文が支那での維新を願って「中山」を名にしたのかもしれない。

閑話休題。

1905年頃、東京に緩やかな革命を目指す「中国同盟会」があり、当時の指導者は孫文だった。その分派に「共進会」があった。

<1911年10月10日、共進会と同学会の指導下、武昌蜂起が起き、各省がこれに呼応して独立を訴える「辛亥革命」に発展した。当時、孫文はアメリカにいた。


独立した各省は武昌派と上海派に分かれ革命政府をどこに置くか、また革命政府のリーダーを誰にするかで争ったが、孫文が12月25日に上海に帰着すると、革命派はそろって孫文の到着に熱狂し、翌1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立した>(WIKI)

ブログ「ゆかしき世界」は素敵なことを書いている。

<蒋介石は台湾で偉人とされているけど、中国では嫌われている。毛沢東は中国で偉人とされているけど、台湾では嫌われている。

でも、孫文は中国と台湾から同時に尊敬されている。


孫文が革命戦士を育てるために建てた「黄埔軍官学校」では、蒋介石が校長を、毛沢東は面接の試験官をしていた。政治部主任をしていた周恩来。

黄埔軍官学校には、「孫文・蒋介石・毛沢東・周恩来」という中国の四天王がそろっていた。今からは想像できないけれど、蒋介石と毛沢東が力を合わせて働いていた時代もあった>

そのまま仲良くやっていければ・・・と思うが、共産主義者は「独裁じゃなければダメ、絶対!」、教祖マルクス、預言者レーニンの盲目的信者だから「他宗派はダメ、絶対!」なのだ。

米国のサンダース候補者・・・78歳でも共産主義幻想のままだ。日本の野党を見ても「人間は成長しないんだなあ」と、なんか生きているのがばからしくなる。「そういうもんだよ、だけれど自分はそれを越えて行くんだ、山を越えれば展望が開けるかもしれないとチャレンジする、ジタバタする、それが人生」と悟るというか達観するとお迎えが来るのが初期設定。


5Gも6Gも100爺、1000爺それは変わらない。寄せては返す波の音。何せ初心者だで戸惑うことはあるけれど、笑って過ごすのが一番いいのだろう。(つづく)2020/3/6

         

2020年03月07日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(3)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/81(2020/3/5)】ゴミ集積所のそばの幼稚園には誰もいなかた。ついでに街を散歩し小学校を見ると、人っ子一人いない。カンサーン・・・こんな光景は初めてだ。駅へ向かう人は7時なのにいつもの5分の1。いつも満員の上り電車は乗車率70%、下りは立っている人がほとんどいない。マスク率は90%ほど。

すっきりしていていいなあ、と最初は思っていたが、商店街はたまったものではない、売上が減ってもテナント料は減るわけではないから大変だろうなあと、何となく寂しくなった。自営零細の商人に収入保障はない、売り損ねた分を取り戻す術はないから不運と諦めるしかないのだ。

今朝の仕事は3F北側の足場作りだ。刷毛の棒を長くし、アクロバットのようにクネクネしながら塗装をしてきたが、足場なしではどうしても塗れないところがある。そこに足場を作る。

3Fまで届く梯子や、単管パイプを買ってきちんとした足場を作るのがベストだが、コストはともかくも5年10年に一度しか使わないのに、それを買ってしまえば収納するスペースが半永久的に必要になる。理不尽かつ美的にも問題だ

どうしても欲しいと思って手に入れても、そのうち厄介なもの、粗大ごみになる。処分もままならない。夫婦とかペット・・・一場の感情で事を起こすと後顧に憂いを残すことになりかねない。チュウは1秒、ケガ一生。実に哲学的だなあ。

どうにか着工したが強風で撤収。昼飯で階下に降りると、孫たちがいた。台風難民の長女一家4人は2月29日に新築マンションに引っ越したが、学校も学童保育もコロナウイルス禍でクローズされたから、女族3人が交代で孫の面倒を見るのだという。夫婦二人でうんざりしていたから、また賑やかになって結構なことである。

さて、支那の近代史だが、漢族にとって史実はあまり気分がいいものではないだろう。「眠れる獅子」と畏怖されてきた大清帝国がアヘン戦争で英国に負け(1839)、これがケチの付き始め。以来、欧州列強に蚕食されるのだが、白人崇拝があるのだろう、「悔しいけれど仕方がない」という気分だったのではないか。

コンプレックスもあってか、欧州の帝国列強に大反発することはなかった。むしろ憧れていたようである。支那の上流階級は子弟を進んで欧州やロシアに留学させ、自分を含めて欧州風の名前をつけることは珍しくなかった。例えば蒋介石の息子、蒋経国はモスクワではニコライ・ウラジーミロヴィチ・エリザロフである。

張作霖の息子、張学良はピーターだ。張学良は蒋介石を拉致して共産党に売ったが(西安事件)、蒋介石は以来、張学良を老衰するまで軟禁、犬扱いで「ピーター、こっちへ来い」とかやっていたのだろうか。

香港が英国に割譲されると、英国の教師は自分が呼びやすいようにと英国風の名前を付けさせた。以来、それが伝統として続いているのだろう、小生が世話になった李さんはフランシス・リーだった。

1894年、大清帝国は日清戦争で、倭国(チビの国)とか東夷(東の蛮族)とバカにしていた日本に負ける。プライドが高いから大きな屈辱を覚えたようで、以来、欧州列強に向ける憎悪をひたすら日本に向けてきた感がある。反省して国体変革すべきだろうなあと小生でも思うから、当時の支那のインテリや有力者もそれを痛切に感じたろう。

清朝を倒して日本のように近代化、富国強兵の新国家へと進まなければ支那は列強の植民地になってしまうという思いが遂に爆発するのだ。以下、WIKIから(*は小生の感想)

<1911年10月の武昌での軍隊蜂起をきっかけに「辛亥革命」(第一革命)が起こり、華中、華南を中心とした各省が清からの独立を宣言した。11月袁世凱が清国内閣総理大臣に就任し、革命軍の鎮圧にあたった。12月革命軍側が、南京を占領する。同月、清国政府と独立各省との間に停戦が成立した。

翌1912年1月1日、革命派の首領の孫文によって南京で「中華民国」の樹立が宣言された。これにより、中国は「北京の清国政府」と「南京の中華民国政府」の南北両政府並立状態となる。

清朝政府と南京政府の意向により、北京にいた清朝皇帝・溥儀(宣統帝)は2月12日に退位し、「清朝は終焉」した。

(*英国の中国学者で清朝最後の皇帝溥儀の家庭教師を務めたレジナルド・ジョンストンの著書「紫禁城の黄昏」(中共に不都合な個所をカットした岩波版ではない祥伝社の完訳本)によると、庶民は日々が平穏無事であれば満足で、体制変換を望んでいたわけではないようだ。いずこの国、いずれの時代も庶民はそういうものらしい。

なお、同書は英蘭日政府の庇護を得られず孤立した溥儀が現地日本軍の協力を得て命からがら故国の満洲に帰り満洲国皇帝に就任したのはごく自然なことと書いている。極東国際軍事裁判で同書は完璧に無視されたが・・・)

3月10日には、南京政府の合意の元で「袁世凱が中華民国臨時大総統に就任」した。

中華民国成立後、1913年2月に国会議員選挙が実施され「国民党が圧勝」した。3月、議会からの圧力を警戒した袁世凱は「進歩党を組織」し国会内での勢力拡大を図り、議会主義的な国民党の勢力削減を企てた。国民党の急進派はこれに反発し、「第二革命」を起こしたが鎮圧された。

1913年10月に袁は正式な大総統となり、更に11月には国民党を非合法化し、解散を命じた。1914年1月には国会を廃止、5月1日には立法府の権限を弱め大総統の権力を大幅に強化した中華民国約法を公布した。

袁は列強から多額の借款を借り受けて積極的な軍備強化・経済政策に着手した。当初列強の袁政権に対する期待は高かった。しかしこのような外国依存の財政は、後に列強による中国の半植民地化をますます進めることにもなった。

第一次世界大戦が始まると、新規借款の望みがなくなったため、袁は財政的に行き詰まった。また同時期に日本が中国での権益拡大に積極的に動いた。

1915年5月9日に、袁が大隈重信内閣の「21ヶ条要求」を受けたことは大きな外交的失敗と見られ、同日は国恥記念日とされ袁の外交姿勢は激しく非難された。

袁は独裁を強化する事でこの危機を乗り越えようとし、立憲君主制的な皇帝制度へ移行し、自身が皇帝となる事を望んだ。日本も立憲君主制には当初賛成していたようだが、中国国内で帝制反対運動が激化すると反対に転じ外交圧力をかけた。

12月に袁世凱は中華帝国皇帝となるが、同月中に帝制反対派が下野し雲南省は独立を宣言して北京政府に反旗を翻した(護国戦争)。1916年3月に袁は中華帝国を廃止し、失意のうちに没した。

中華民国第二代大総統に黎元洪が就任し、副総統に馮国璋を、4月には段祺瑞を国務総理に任命した。

段祺瑞は当初、国民党議員などと提携し、調整的な政策をとっていた。しかし、第一次世界戦に対独参戦しようとした為、徐々に国会と対立した。段は日本の援助の下に強硬な政策を断行した。

1917年8月14日に段は第一次世界大戦へ対独参戦し、同時に軍備を拡張して国内の統一を進めた。鉄道や通信等の業界を背景とする利権集団に支えられた段は、1918年には国会議員改定選挙を強行した。

国民党はこれに激しく対立し、南方の地方軍とともに「孫文を首班とする広東軍政府」をつくった。

5月に段は日本と日中軍事協定を結んだが、寺内正毅内閣失脚後に日本の外交方針が転回すると急速に没落した。1920年7月、段は失脚し、張作霖が北京政府の実権を掌握した>

1911年の辛亥革命から1920年の張作霖登場まで、わずか10年たらずで、まるで戦国時代、絶叫マシンのように凄まじい葛藤が展開された。それ以前に清朝主導の「洋務運動」など近代化の動きはあったのだが、失敗してきたから、体制変換の「革命モード」にならざるを得なかったわけだ。

権謀術策の支那、孫氏の兵法を産んだ国だから、小生にとっては複雑で「目が回るほどだ」(新幹線に乗ったトウ小平の感想)。以下、次回へ。みんなで学べば怖くない!(つづく)2020/3/5


2020年03月06日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(3)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/81(2020/3/5)】ゴミ集積所のそばの幼稚園には誰もいなかた。ついでに街を散歩し小学校を見ると、人っ子一人いない。カンサーン・・・こんな光景は初めてだ。駅へ向かう人は7時なのにいつもの5分の1。いつも満員の上り電車は乗車率70%、下りは立っている人がほとんどいない。マスク率は90%ほど。


すっきりしていていいなあ、と最初は思っていたが、商店街はたまったものではない、売上が減ってもテナント料は減るわけではないから大変だろうなあと、何となく寂しくなった。自営零細の商人に収入保障はない、売り損ねた分を取り戻す術はないから不運と諦めるしかないのだ。


今朝の仕事は3F北側の足場作りだ。刷毛の棒を長くし、アクロバットのようにクネクネしながら塗装をしてきたが、足場なしではどうしても塗れないところがある。そこに足場を作る。


3Fまで届く梯子や、単管パイプを買ってきちんとした足場を作るのがベストだが、コストはともかくも5年10年に一度しか使わないのに、それを買ってしまえば収納するスペースが半永久的に必要になる。理不尽かつ美的にも問題だ。

どうしても欲しいと思って手に入れても、そのうち厄介なもの、粗大ごみになる。処分もままならない。夫婦とかペット・・・一場の感情で事を起こすと後顧に憂いを残すことになりかねない。チュウは1秒、ケガ一生。実に哲学的だなあ。

どうにか着工したが強風で撤収。昼飯で階下に降りると、孫たちがいた。台風難民の長女一家4人は2月29日に新築マンションに引っ越したが、学校も学童保育もコロナウイルス禍でクローズされたから、女族3人が交代で孫の面倒を見るのだという。夫婦二人でうんざりしていたから、また賑やかになって結構なことである。


さて、支那の近代史だが、漢族にとって史実はあまり気分がいいものではないだろう。「眠れる獅子」と畏怖されてきた大清帝国がアヘン戦争で英国に負け(1839)、これがケチの付き始め。以来、欧州列強に蚕食されるのだが、白人崇拝があるのだろう、「悔しいけれど仕方がない」という気分だったのではないか。


コンプレックスもあってか、欧州の帝国列強に大反発することはなかった。むしろ憧れていたようである。支那の上流階級は子弟を進んで欧州やロシアに留学させ、自分を含めて欧州風の名前をつけることは珍しくなかった。例えば蒋介石の息子、蒋経国はモスクワではニコライ・ウラジーミロヴィチ・エリザロフである。


張作霖の息子、張学良はピーターだ。張学良は蒋介石を拉致して共産党に売ったが(西安事件)、蒋介石は以来、張学良を老衰するまで軟禁、犬扱いで「ピーター、こっちへ来い」とかやっていたのだろうか。

香港が英国に割譲されると、英国の教師は自分が呼びやすいようにと英国風の名前を付けさせた。以来、それが伝統として続いているのだろう、小生が世話になった李さんはフランシス・リーだった。

1894年、大清帝国は日清戦争で、倭国(チビの国)とか東夷(東の蛮族)とバカにしていた日本に負ける。プライドが高いから大きな屈辱を覚えたようで、以来、欧州列強に向ける憎悪をひたすら日本に向けてきた感がある。反省して国体変革すべきだろうなあと小生でも思うから、当時の支那のインテリや有力者もそれを痛切に感じたろう。

清朝を倒して日本のように近代化、富国強兵の新国家へと進まなければ支那は列強の植民地になってしまうという思いが遂に爆発するのだ。以下、WIKIから(*は小生の感想)。

<1911年10月の武昌での軍隊蜂起をきっかけに「辛亥革命」(第一革命)が起こり、華中、華南を中心とした各省が清からの独立を宣言した。11月袁世凱が清国内閣総理大臣に就任し、革命軍の鎮圧にあたった。12月革命軍側が、南京を占領する。同月、清国政府と独立各省との間に停戦が成立した。


翌1912年1月1日、革命派の首領の孫文によって南京で「中華民国」の樹立が宣言された。これにより、中国は「北京の清国政府」と「南京の中華民国政府」の南北両政府並立状態となる。


清朝政府と南京政府の意向により、北京にいた清朝皇帝・溥儀(宣統帝)は2月12日に退位し、「清朝は終焉」した。

(*英国の中国学者で清朝最後の皇帝溥儀の家庭教師を務めたレジナルド・ジョンストンの著書「紫禁城の黄昏」(中共に不都合な個所をカットした岩波版ではない祥伝社の完訳本)によると、庶民は日々が平穏無事であれば満足で、体制変換を望んでいたわけではないようだ。いずこの国、いずれの時代も庶民はそういうものらしい。

なお、同書は英蘭日政府の庇護を得られず孤立した溥儀が現地日本軍の協力を得て命からがら故国の満洲に帰り満洲国皇帝に就任したのはごく自然なことと書いている。極東国際軍事裁判で同書は完璧に無視されたが・・・)

3月10日には、南京政府の合意の元で「袁世凱が中華民国臨時大総統に就任」した。

中華民国成立後、1913年2月に国会議員選挙が実施され「国民党が圧勝」した。3月、議会からの圧力を警戒した袁世凱は「進歩党を組織」し国会内での勢力拡大を図り、議会主義的な国民党の勢力削減を企てた。国民党の急進派はこれに反発し、「第二革命」を起こしたが鎮圧された。

1913年10月に袁は正式な大総統となり、更に11月には国民党を非合法化し、解散を命じた。1914年1月には国会を廃止、5月1日には立法府の権限を弱め大総統の権力を大幅に強化した中華民国約法を公布した。

袁は列強から多額の借款を借り受けて積極的な軍備強化・経済政策に着手した。当初列強の袁政権に対する期待は高かった。しかしこのような外国依存の財政は、後に列強による中国の半植民地化をますます進めることにもなった。

第一次世界大戦が始まると、新規借款の望みがなくなったため、袁は財政的に行き詰まった。また同時期に日本が中国での権益拡大に積極的に動いた。

1915年5月9日に、袁が大隈重信内閣の「21ヶ条要求」を受けたことは大きな外交的失敗と見られ、同日は国恥記念日とされ袁の外交姿勢は激しく非難された。

袁は独裁を強化する事でこの危機を乗り越えようとし、立憲君主制的な皇帝制度へ移行し、自身が皇帝となる事を望んだ。日本も立憲君主制には当初賛成していたようだが、中国国内で帝制反対運動が激化すると反対に転じ外交圧力をかけた。

12月に袁世凱は中華帝国皇帝となるが、同月中に帝制反対派が下野し雲南省は独立を宣言して北京政府に反旗を翻した(護国戦争)。1916年3月に袁は中華帝国を廃止し、失意のうちに没した。

中華民国第2代大総統に黎元洪が就任し、副総統に馮国璋を、4月には段祺瑞を国務総理に任命した。

段祺瑞は当初、国民党議員などと提携し、調整的な政策をとっていた。しかし、第一次世界戦に対独参戦しようとした為、徐々に国会と対立した。段は日本の援助の下に強硬な政策を断行した。


1917年8月14日に段は第1次世界大戦へ対独参戦し、同時に軍備を拡張して国内の統一を進めた。鉄道や通信等の業界を背景とする利権集団に支えられた段は、1918年には国会議員改定選挙を強行した。

国民党はこれに激しく対立し、南方の地方軍とともに「孫文を首班とする広東軍政府」をつくった。

5月に段は日本と日中軍事協定を結んだが、寺内正毅内閣失脚後に日本の外交方針が転回すると急速に没落した。1920年7月、段は失脚し、張作霖が北京政府の実権を掌握した>

1911年の辛亥革命から1920年の張作霖登場まで、わずか10年たらずで、まるで戦国時代、絶叫マシンのように凄まじい葛藤が展開された。それ以前に清朝主導の「洋務運動」など近代化の動きはあったのだが、失敗してきたから、体制変換の「革命モード」にならざるを得なかったわけだ。


権謀術策の支那、孫氏の兵法を産んだ国だから、小生にとっては複雑で「目が回るほどだ」(新幹線に乗ったトウ小平の感想)。以下、次回へ。みんなで学べば怖くない!(つづく)2020/3/5

2020年03月03日

◆雀庵の「ヒッキー毛とフォニー習(1)」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/79(2020/3/2)】雨だ。昨日の天気予報では今日は「温かい曇り」だったのに・・・よくあることで、科学は「翌日の天気さえ分からない」ことが間々あるのだから、人間社会の未来予測もあてにはならないことが珍しくないのだろう。



人災、天災を問わず、イザという時のシェルターとして別荘を持っているといいなあと思うが、メンテナンスでヂイヤバアヤをそこに住まわせるほどの金持ちは今の日本ではまずいないし、日本は地震、噴火、津波、洪水など自然災害の宝庫だから、「安全かつ利便性の高い」地、桃源郷、ユートピアなんてないのである。



そもそも地球上にそんな天国みたいな土地はない。たとえ自然災害が少なくても、代わりに人災があったりする。地球は有史以来、弱肉強食の人災だらけで、20世紀に二つの世界大戦で疲れ果てた世界は「とにもかくにも戦争はイヤ!」ということで75年間、世界の大国はとにもかくにも「血を流さない戦争」である経済競争、外交で軍事衝突を避けてきた。



そのタガが何やら急速に緩み始めた感じがする。ビアスは「平和:戦争と戦争の間の騙し合いの時期」と書いたが、いつ火がつくかはブラジルや豪州、加州の森林火災のように分からない。第一次大戦なんて合理的な理由が今もって分からないようだ。



世界は合理的な説明ができない気分や感情で動く部分がずいぶん大きいのではないか。つまり不確実、予想不能、不可解、芥川の「漠然とした不安」がある日、まるで休火山が一気に噴火するように大爆発する。科学、人知を超えたような、地球という生命体の奢れる人間への制裁、報復のような・・・



今日も平和だった、でも明日のことは「?」一寸先は闇で、ヂイサンバアサンが冥土の土産に乗った豪華クルーズは棺桶になってしまった。「世紀の恋」で王様候補が逃げたために今の女王が急遽即位、玉座を守ってきたが、今度もまた「世紀の恋」でご宸襟を悩ますという、何やら因果は巡るような・・・世界は常に山火事、フニクリフニクラ、御嶽山、雲仙岳などの危険と隣り合わせだ。



<CNN2018.12.10
世界保健機関(WHO)がこのほど発表した道路の安全に関する2018年版の報告書によると、2016年に交通事故で死亡した人は世界で135万人に達した。死者の数はHIV・エイズや結核を上回って全体では8位に上昇、5〜29歳の子どもと若者では1位だった>



若者の死は大打撃になるが、自動車は便利だから誰も「自動車、ダメ、絶対!」とは言わない。原発の放射線被曝で死んだ人は世界で60年間にたったの60人である。人類の敵は原発より自動車、トランプより中共だと言うのなら分からなくもないが、リベラル≒アカモドキは本質的にパラサイトで、利権の拡大にならないことはしない。本質的に虚偽、詐欺、騒動士、インモラルだ。


「ヂヂババはやるべきことをやった人だから、その死は嘆くに当たらない」という見方もできる。そうなれば、習近平的思考ならこうなるだろう。


「医療費や年金で財政がもたん。若い世代にとって命取りの大負担だ。70歳以上は死んで国家に尽くすべきだ、これが真の愛国者だ! このままではわが国は老人に押しつぶされれる!という報告もある。そこでだ、同志諸君、老人向けの、老人によく効く、あの世に逝きやすい、その何だ、そういうナニを開発し、わが帝国の発展に寄与するのが中国科学院の喫緊の課題・・・これ以上言わせるな!忖度しろ、忖度!」


これはインモラルかもしれないが、「楢山節考」を見ればモラルの基準は時代や土地によって違う。子供は親のために尽くせ、という国、親は子供のために命を削れ、という国、中共のように「子供は親の不正を告発しろ」という国・・・


中共的な思考ならチャイナコロリウイルス誕生のいきさつがそんなものであっても不思議ではない。開発者は「これは最強だ! 人間で試したい! ハツカネズミより人間だ!」と思うのが自然である。「うーん、想像以上の効き目だが・・・抗菌剤を作っておけばよかった・・・もう俺はダメだ・・・身はたとえ革命の聖地、武漢に死すとも、チャイナコロリは永遠なり! 革命烈士の末席にでも名を刻んでくれ!」


北京を離れ天津の別荘に引きこもっている「シンちゃん」にわが長女が送ったマスクと玩具は届くまで1週間かかった。長女は「赤ちゃんかかえてシンが大変」だと大いに同情している。「この世をば我が世とぞ思う」金持ちセレブでも「マスクの欠けたることがなければ・・・」で不自由をかこつばかりのようだ。


「シンが大変」・・・ン? 「シンが大変」とかけてなんと説く。コロナウイルス、その心は「しんがた・いへん」新型肺炎。座布団要らない、マスクくれ、だな。奢れるチャイナ、久しからず・・・


床上浸水難民の孫たちは新型肺炎による学校閉鎖でのんびり工作などで遊んでいる。何となく日本中もヒッキーぽい。年中ヒッキーのヂイヂも同志ができて何となく楽しい。戦地から旦那が無事帰還して無法松の淡い恋は終わる・・・戦争や災難も悲喜こもごも、あざなえる縄のごとし、一律の評価はできないね。

スターリンと毛沢東の関係を知りたくてあれこれ調べているのだが、どうもよく分からない。1945年の終戦までいろいろな政治的な場面が続くのだが、小生の書庫にある当時を語る論考や記事の中で毛沢東が出てこないのである、PR臭い「人間革命」のような伝記は別として。(韓国人はカルト的新興宗教がとても好きなようだが、ビョーキか?)


戦前リベラルの貝塚茂樹は戦後、日共コペル君に乗っ取られた岩波から「毛沢東伝」執筆を依頼され上梓したが、同書の最後では泣きが入っている。「中日戦争中から太平洋戦争終結後の国共の激しい国内戦にかけて、毛沢東の個人的行動は霧に包まれたようで、全く補足することができない。私はこの辺で引き下がる」だと。

毛沢東は大物なのだろうから出ていないはずはない、と小生も情報を探したが、ない。ないからと言って三十六計逃げるに如かずとは、学者先生のようにいかないのが吶喊小僧、突破モンの身上、根性、粘着質、ま、狂気。ようやくトロツキー「中国革命論」の中ではなく、その訳者・山西英一氏の解説の中に出てきた。


それを紹介する前に支那の近代史をざっくりと知らなければならない。「中共パンダミック大崩壊」を生で、感度深く観るには前戯、もとい!前史を枕絵で知っておいた方がええねん。(つづく)


さてさて“習さま命ファンクラブ”日本代表の蚤のシンゾー、国賓での習さま訪日ご招待は中止になったみたいだ。この際だからシンゾーが三跪九叩頭で朝貢し、そのまま北京で余生を過ごしたらいい。シンゾーが習に握られた弱みは何か・・・ハニーか、マネーか、LGBTか、潰瘍性大腸炎に効く希少な漢方薬か、知りたいものだ。



話は変わって、日本に愛想をつかし始めたようなアンチ中共最前線の台湾の物語。先人から学ぶことは実に多いのである。学問とはそういうことだ。今の日本は「負うた子に教えられ」みたい。王育徳著「台湾」から。


<(原野のような)この台湾を、日本は51年間にわたって孜々として経営し、ほとんど完璧に近い資本主義的植民地に仕立て上げた。


総理大臣によって任命された台湾総督は、法律と同じ効力を持つ律令w制定施行する権限を有し、司法官をも勝手に任免できたから、まさしく“台湾皇帝”であった。


日本が台湾の植民地支配に成功したのは、国運の隆盛に乗じ、上は総督からsh他は市民に至るまで、母国の名誉にかけて、最善の努力を尽くすとした意気込みによるところが大きい。


総督は51年の支配を通じて、人を変えること19人、時代区分をつければ、次の如くである。


【前期武官総督時代】1895年5月〜1919年9月 樺山資紀、桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、佐久間左馬太、安東貞美、明石元二郎


【文官総督時代】1919年10月〜1936年9月 田健治郎、内田嘉吉、伊沢多喜男、上山満之進、川村竹治、石塚英蔵、太田政弘、南弘、中川健蔵

【後期武官総督時代】1936年9月〜1945年10月 小林躋造、長谷川清、安藤利吉


前期武官総督時代は、台湾人の武力抗争と未帰順蛮人に対する鎮圧を任務とし、併せて台湾開発の基礎を定めようとするものであった。

文官総督時代は、武力抗争に代わって起こった台湾人の政治運動、日本本国の政党政治に対応するため。

後期武官総督時代は、日華戦争から太平洋戦争への発展に応じて、台湾を南方作戦基地として整備する使命を持った>


日本から台湾に来た有象無象の人々が台湾という野趣あふれた素材を、それぞれの思惑をもって形作っていく。一種の国造り。そういうスケールの大きなプロジェクトは大和男児の心を燃え上がらせた。ありとあらゆる分野の、一癖も二癖もある人材が作品を仕上げていく。ロマンだなあ。

発狂亭“大姉に続いて中姉も急性大動脈解離で手術! 長生きは痛いね”雀庵の病棟日記から。


【措置入院 精神病棟の日々(183)2017/1/24】産経、ファーマインド・堀内達生社長「バナナで日本とフィリピン結ぶ」。


「昨年10月、フィリピンのバナナを調達する基本意向書を同国政府と結んだ。将来的には年間2000万ケース輸入を増やしたい。日本だけでなく中国などアジアでも販売していく。そんためにはフィリピンで6000〜7000ヘクタールの畑が新たに必要となるだろう。現地企業や金融機関の支援受けながら作っていきたい。

ドゥテルテ大統領のビジョンは、バナナ産地の雇用を増やし、経済と社会の安定を図ることだ。当社は日本のバナナのおよそ4割を扱う日本最大の流通業者だが、フィリピンの農家と他社を介さず直接取引することによって、農家の収入増につながると考える」(談)

いやはや、今読んでいる百田の「海賊」のバナナ版だな。士魂商才、こういう王道を行く人々がいる限り、日本は大丈夫だと自信を持てる。SBの孫とか、ユニクロの柳井とかはイマイチ信用できない。ワタミは今は話題にも上らないし・・・(つづく)2020/3/2

2020年02月28日

◆雀庵の「昔ペキン屋、今ペンキ屋」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/78(2020/2/26)】はい、私がお尋ねの「ペンキ屋シーチン」でございます。雨の中、よくぞお出でくだすった。氷雨ですね、ずいぶん寒かったでしょう、まあ、コーヒーで体を温めて、一息ついてください。

ええ、若い頃は寒くたって苦にしませんでしたけどね、今は冬場の外の仕事は辛くなりました。手はかじかむ、鼻水は垂れる、クシャミは出る・・・塗料の伸びも悪いんで手間もかかるんですよ。高いところですと北風も強いですから涙もポタポタ・・・泣きが入ることもあります。


いえ、別にペンキ屋を志していたわけではないんですよ、最初は「ペキン屋」を目指していたんです。北京ダックは関係ないんですが・・・あれはなかなか乙ですな、銀座アスターあたりですと見た目もきれいですし、客筋もいい、なかなかの高級料理です。

私ら庶民は溜池の頤和園なんぞでよく集ったもんで、霞が関に近いから結構人気でした。新宿の隋園別館は昔はバラックのような店で、汚いけれど安くて旨かった、店には北京語が飛び交っていたもんです。

客は店ではなく料理に付くんですね。腕のいい料理人は引っ張りだこで、条件がいいと子分を連れてごっそり移っちゃう。逃げられた店は大変です、ウエイターが厨房に入ったりするんですが、どうしても味は落ちる、客は細る、腕のいい料理人を引っ張るにはとてつもない金が要りますから・・・

大陸のいい人材はまず香港に民族移動した、涙が出るほどの旨い中華料理を食べたければ香港へ行け、という時代が文革中の1970年代から盛んになりました。料理人にとどまらず、優秀な人材は大陸に見切りをつけ、世界に流出したんです。

文革が終わっても1989年には6.4天安門大虐殺があった。こんな国に夢はないと、多くの若者が逃散しました。香港返還の1997年前後からは英国の支援もあって優秀な若者はカナダ、豪州、さらに米国、欧州、日本、アジアに移住しました。自由を求め、夢を求め、竹のカーテンを乗り越えて異郷を目指したのです。

まるで亡国の民です。

ご存知のように1970年代から日米など西側世界は中共と国交回復するようになります。80年前後からトウ小平は外貨獲得のために外国人の支那旅行を一部解禁しましたが、日本も含めて「中国旅行事情」がよく分からない。激しい情報ニーズがあり、それを提供すれば値段が高くても買ってくれる、ここにビジネスチャンスがあり、「ペキン屋」が誕生する素地ができたというわけです。

はい、まるで矢野経みたいです(笑)。

大陸に西側世界が大使館を置き始めた時代ですから、旅行関係の情報なんて有名観光地以外のはまずない。そういう情報や経験者の体験、人物往来、政府や民間の動きを調べる。警察庁だか警視庁の公安担当者までが「ペキン屋」を訪ねてくる。公安は「情報を見て、前科は問わない」のです(笑)。

まあ、そんな風にして「ペキン屋」は味をしめ、やがて米国のド田舎を紹介したり、「クルーズ時代幕開け」なんていう情報を集め、煽り、拡散して、多少なりともお役に立ったかもしれません。家族を養うこともできましたから、まあ及第点でしょう。

余計な話ですが、外国から観光客を呼び寄せるインバウンド、日本なら訪日旅行ですね、これは売り物がない「貧しい国の産業」というのが業界の認識です。戦後の日本は「ゲイシャ、フジヤマ」で外貨を稼ぎました。芸娼妓も第一線で頑張ったんです。

でもね、外国人旅行者が増え過ぎるといろいろ問題も出てきますから、今の時代ではほどほどがいいんですよ。

IR(統合型リゾート)は本来は大規模な国際会議・見本市・ホール・イベント施設を備えた集積地というものです。ビジネスのための施設ですが、それだけでは楽しさに欠けるでしょうから音楽会、演劇、芸能、スポーツなどの娯楽要素も用意しました、お好きな方はカジノもどうぞ――そういうものなんです。カジノは刺身のツマ、色添えなんです。

MICE(ミーティング、インセンティブ、コンベンション、エグジビション)、それを受け入れるIR施設も大産業です。一つのイベントには世界中から優秀な人材が集まり、最高の情報を発信します。開催地は潤います。

枝葉末節ばかりを見て、肝腎要の幹を見ずにアーダコーダ言う、知的レベルはロウソク屋が電灯を、人力車夫が電車や自動車を非難したのとまったく変わらない。暗愚は100年たっても暗愚かと、いささか情けなく思います。

ああ、余計なおしゃべりをしてしまいました、老いの繰り言ですね。そう「ペンキ屋シーチン」の話でしたね。そもそも私がペンキ屋に興味を覚えたのは・・・・

永遠のエンドレステープだな。チャイナコロリは「もうどうにも止まらない」ような・・・この際だから習近平は毛沢東を真似て「大体わが国は人口が多すぎる、半分になったって7億もいる!」と豪語したらいい。皆ビックリして黙るぜ。「人権で14億を食わせられるのかよ、半分やるから持ってけ!」とか。

思い残すことなく罵詈罵倒罵詈雑言、面白い奴、と人気が急上昇したり。♪ここらでやめてもいいコロナ、と天も情けをかけてくれるかもね。(つづく)2020/2/26


2020年02月26日

◆雀庵の「中共は衰退/復活の瀬戸際に」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/77(2020/2/25)】「国力」とは何か。小生は畏れ多くも商学部経済学科である。ここまではいいが・・・専攻がマルクス主義経済学・哲学で、とりわけ情熱を挙げて取り組んだのが――


「初級:デモ・ビラ撒き・カンパ」「中級:ゲバ棒・火炎瓶・投石」「上級:アジ・立看・ガリ版」「特級:イザという時への備え・黙秘・房内での過ごし方」「吟醸:保釈・長期裁判
A to Z」。


以上の理論とノウハウでは「優」だったが、現実の経済とは全く無縁だったから、起業しても複式簿記や貸借対照表は恥ずかしながらチンプンカンプン。そういう難しいことは税理士にやってもらい、ひたすら文字を書き、広告宣伝物を創り、客と大酒を食らい、カネを稼いでいた。それ以外に何もできなかったのだ(ナニはしたが・・・)。


バブル景気というビッグウェーブにたまたま乗っただけで、その波の勢いで業務のIT化にも後れを取らなかったから、2001年の9.11同時多発テロまでは会社を維持できた。基本的に海外旅行業界の仕事が主だったから、9.11で一気に売上が落ちたのは打撃だった。

会社の体力、資金力が枯渇する前にきれいさっぱりと廃業できたから、家を売ることも失踪することもなく、まあまあソフトランディングできたのは不幸中の幸いだった。

会社は廃業や倒産は日常茶飯事だが、国、国家となると、「もうあかん、万歳や、国民諸君、勝手に生きてくれ」とはいかないから大混乱になる。まさかのソ連崩壊の時は、年金暮らしの高齢者は服まで売って糊口を凌いでいた。気の毒なタケノコ暮らしまるで敗戦前後の日本のようだった

「国力」が無くなると国家の破綻、ついには「亡国」になったりする。で、このところ「国力」とは何かと考えるのだ。

「家の経営」ということなら、こんな風に考えらる。

街外れに住むAさんは5人家族、共稼ぎで世帯年収1500万円。大・高・中の3人の子供がいる。@300万円。生活はぎりぎりだ。戸建て、車2台、自転車3台、食糧備蓄は50キロ

一方で人里離れた村外れに住むBさんは夫婦だけの暮らしでWインカム・ノー・キッズ、年収1000万円、@500万円、ゆとりがあり、戸建て、車2台、食糧備蓄は20キロ。自転車はない。

台風でこの2家族は床上浸水した。プロパンなのでコンロは使え、電気も復旧したが、冷蔵庫、洗濯機、テレビなど電気製品、車は壊れてしまった。道路は完全復旧していない。スマホは無事だったが、基地局が破壊されて不通だ。

食糧が不安なのでAさんちでは自転車で遠くの町から食糧50キロを調達できた。Bさんちはあと少しで食糧が無くなるが、買いに行けなくて困っている。

自治体は緊急性のある被災者のケアだけで精いっぱいだ。Aさんちは自転車で町役場に行き、とりあえず被災状況を報告し、支援を要請した。

山渓などが煽った「田舎暮らし」に憧れこの地に来たBさんちは、村役場から一山超えた辺鄙なところで、近所に住宅はない。実は村役場も台風で破壊されて機能していないのだ。以前から村役場の建て替えは課題になっていたが、過疎化もあって税収が落ち込み、長いこと先延ばしされている。

この村の産業は以前は林業だったが、継承者がいないこともあって廃れるばかりだった。今はタケノコや山菜、農業だけの過疎地になってしまった。仕事がない、若者が出て行ってしまう、高齢化は進む、村民の8割が生活保護を受けているという衰退ぶりだ。

明るい未来が全くなく、過疎地支援金でどうにか息をしているだけだった。大体、消防団の一番若い人が65歳、災害があってもとても救援は無理。本人が倒れそうだ。

「戦後復興で林業が盛んな頃は若い人も多く、祭りの時なんかずいぶん賑やかだったけどね、今は分校も消えちゃって、村役場もなくなるそうだ。若いもんがいなくなって、そのうち住民は町の施設に移るしかない。村が消えちまうんだから淋しいけどね、まあ、寿命なんだねえ・・・」

Bさんは夫婦が遺体で発見されたのは台風から1年後だった。食糧が底をついて餓死したと見られる。

つまりだ、同志諸君!

「カネがないと求心力が弱まる、世間、世界との交際、交流、取引、接触、戦争、紛争がないと、沈滞する、黴る、腐る、どこにも行かないし、誰も来なくなる、そして孤立する、やがて戦争、病気、気候変動などで死滅する、消滅する」

のである。人も、村も、街も、国も、文明も消えてしまうのだ。

繁栄していた町、国がいつしか廃墟になるのは天災人災いろいろだろうが、活発な経済活動、交流が途絶えると亡びる、自転車やマグロ、サメなどは動いているから倒れない、止まったら倒れる、死ぬ、そんな感じ。

「連帯を求めるも、孤立を恐れず」というのは人や国家の一つの選択肢ではあるが、孤立の行き着く先は「死」だ。今回の新型肺炎で有名になった韓国のカルト宗教もそんな例ではないか。よくある話。

で、国力。「真の国益を実現するブログ」2014/4/5にはこうあった。

<国力とは、以下の総合力だと思います。

・経済(GDP)・軍事力を背景とした統治力・国民の教育レベル、文化レベル・国民の団結力、民主主義による統治力

GDPはあくまで「総額」であって、国民の豊かさをみるには「一人当たり」のGDPをみる必要があります。現在、日本はGDPでは世界第三位、一人当たりGDPは12位です(ドル換算)>

中共の一人当たりGDPは人口が多いから50位あたりか。しかし、戦争は「軍事力、経済力、戦意」がものをいう。

中共の弱点は「戦意」だろう。中共軍は丸腰の敵には滅法強いが、武器を持った粘り強い敵にはどうも勝てない。ベトナムにちょっかいを出したら猛烈な抵抗に遭い、逃げ出した。現場の将兵はやる気なし。漢族のモットーは蓄財蓄妾美酒美食で、そのためには必死で頑張るが、何の報酬、褒賞もない戦争で死ぬなんて、とてもじゃないがやってられない、という気分だろう。

「よい鉄は釘にならない、兵士になるのは人間の屑」が支那4000年の価値観なのである。逃げるが勝ちで、だから督戦隊が見張っていないと皆逃げちゃうのだ。兵士は人間狩りで「兵士にさせられた奴隷あるいは囚人」みたいなもので、逃げる兵士を皆殺しにするという督戦隊は今でも中共軍にあるだろう。

督戦隊は世界的にも珍しい支那の伝統かと思っていたら、歴史的には欧州でも昔は一般的だったようだ。「ソ連の場合、戦車兵を戦車に入れて上から鍵をかけてしまう。鍵をかけてしまうので、蓋が空きません。前へ進むしかない。絶対に逃げられない。これも督戦隊の考え方です」(中杉弘のブログ)

コロナウイルス禍は事故なのか事件なのか、人災なのか天災なのか、今のところ分からない。原因が分からなければ対策は立てられない。収束しても再発はあり得るのかもしれない。中共建国から70年、コロナウイルスを制御できなければ国力は落ちるばかりだろう。下手をすれば国家崩壊の危機にもなりかねない。

中共はコロナウイルス禍は収束に向かっている、秩序ある操業再開をと、いささか焦ってきているが、もしコロナウイルス禍が「故意の人災=犯罪」であるとしたら、第2波、3波の攻撃は避けられない。

世界は「本当のことを知りたい」が、中共は「本当のことを隠したい」ように見える。中共が曖昧なままなら、国際社会は距離を置く。それなら経済復興はままならず、国力は急速に落ちていくだろう。それは中共の自滅の道だ。(つづく)2020/2/25