2020年07月12日

◆反戦はいらない

高山 正之


TVのクイズ番組で「映画製作本数世界一はどこの国か」という問いがあった。

近ごろは思わぬ国が映画大国に躍り出る。映画館がほとんどないナイジェリアもハリウッドの倍以上の作品を出していた。

支那も宣伝臭い映画を山と作っているが、クイズの正解はインド。

スタジオはボンベイ(ムンパイ)辺りに犇(ひし)めいていて、地名をもじって「ボリウッド」なんて呼ばれている。年間2千本、ハリウッドの3倍も作っている。

実は日本も昔、世界一だったハリウッドを凌ぐ映画大国だった。

東宝、東映、日活などスタジオがたくさんあって年間の観客動員数は人口の10倍11億人もあった。立ち見など当たり前だった。

映画は娯楽の王様だった。ヒーローも一杯いて、鞍馬天狗が白馬で疾走すると場内に拍手が沸いた。司馬遼太郎が出るまで新選組はずっと悪役だった。

任侠モノは特攻帰りの鶴田浩二と高倉健のはまり役だった。健さんの晩年はなぜか辛気臭い反戦ものが多くて気の毒だった。

若大将の加山雄三は青年将校役が似合った。フランキー堺の八路軍をやっつける独立愚連隊は一級の娯楽作品だった。

そんな日本映画がなぜ斜陽になったか。

一つはテレビの出現。最初は画面サイズが17インチ。おまけに白黒だった。

対して映画の方は総天然色シネマスコープだ。それで東映は毎週2本を封切っていた。テレビなどどう逆立ちしたって恐れる敵ではなかった。

で、昭和33年、遊郭が消えた年に大手5社は傲慢にも邦画をテレビ局に出さないという協定を結んだ。テレビで映画を流したかったら自前のセットで自前の俳優を育てて撮るがいい。

困ったテレビ局は米国から「ローハイド」「コンバット」「パパは何でも知っている」を入れた。ビック・モローは茶の間のヒーローになった。NHKも「バス通り裏」の十朱幸代で結構な視聴率を稼いだ。

テレビが面白くなれば映画館に行く人が減る。

実際、5社協定から数年で観客は減り続け、ついには20分の1まで落ちていった。

日本はこの時だけは米国を見習うべきだった。

米国でもハリウッドの前にCBSなどテレビ三大ネットワークが立ちはだかった。しかし映画は国家の重要な宣伝機関という一面を持っていた。

米国は民主国家で慈悲を知り、一方ドイツは徹底的に悪く描いた。

日本も悪役で、純朴な支那人を虐(いじ)め殺している。だから原爆投下は当然だったという世論を育んだ。

そういう重要な情報宣伝機関だから連邦議会が動いて「フィンシン・ルール」ができた。平たく言えばテレビ局は自前でドラマを賄わず、制作はスタジオに任せろということ。

結果、ハリウッドは益々栄え、テレビ局もいい映画を流すことができた。クリント・イーストウッドのようにテレビからハリウッドの大スターに昇格するケースも生まれた。

日本はそうしたビジョンもなく、スタジオの半分は潰れ、テレビ局も半端なドラマしか作れていない。

それでも残ったスタジオがいい映画を作ればまだ救われたが、そこに自虐史観が割り込んできた。二つ目の凋落原因だ。

例えば日本人を攫(さら)
い、テロを仕組む某国に諜報員が潜入し核施設を破壊し人質を取り返すシナリオなら受けそうだが「北朝鮮を挑発するから」(有田芳生)とかでダメになる。

宮崎駿が素直に零戦を描こうとしても周りの反戦運動家が許さない。

結果、少女を死なせて泣かせる映画しか作れない。そんなの誰が見るか。

でもいいネタはある。例えば拉猛(らもう)。米士官が指揮する支那軍の猛攻。最期を前に朝鮮人慰安婦5人に「彼らは日本人しか殺さない」と白旗を持たせる。5人は生還し、日本人将兵は全滅する。実話だ。

先の戦争と日本人の姿をすべて語っている。そういう反戦でない映画が見たい。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)7月16日号

    【変見自在】反戦はいらない

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文さん採録 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年07月10日

◆【変見自在】コロナ外交 

高山 正之 


製鉄の歴史を見ると様々な国が寄り合う欧州がつくづく羨ましくなる。

鉄作りはまずスウェーデンが木炭高炉を発達させて欧州諸国に広まった。

ただ、できるのは含有炭素の多い銑鉄。鍛冶屋が叩いて脱炭するのが形だった。

炭素をいかに減らすかで、英国では木炭より高温の石炭を使った。さらに18世紀、A・ダービー卿がコークスを発明し、低炭素鉄を量産する道を開いた。

鉄の橋が盛んに架けられたが、強度はイマイチで3本の橋が落ちた。

もっと含有炭素の少ない鋼鉄を作れないか。

英国のH・コートは平炉で溶けた銑鉄を攪拌するパドル法を開発した。

独シーメンスと仏マルタンは平炉に高温ガスを送り込んで鋼鉄を作ってみた。

英のH・ベッセマーは銑鉄をコークスと熱風で燃やして鋼鉄に変えるベッセマー転炉を発明した。

各国も真似た。コークスも無煙炭から作ると炭素以外の不純物もかなり取れることが分かってきた。

無煙炭の産地、支那、ベトナム、インドが植民地にされていった大きな理由だ。

欧州の国々がそうやって製鉄技術を競い合ったのは19世紀半ば、日本の明治維新前後に当たる。

日本にも支那朝鮮という隣邦がある。そこを訪ねたイザベラ・バードは汚穢(おわい)度で競っていたと記録する。製鉄で切磋琢磨する相手ではなかった。

仕方ないから日本は独力で頑張った。

手掛かりは長崎の出島から漏れてくる西洋事情とオランダ人ヒューゲニンの『大砲鋳造法』だった。

それで島津斉彬と南部藩の大島高任が木炭高炉を試みた。

幕府と水戸、長州、鍋島各藩が反射炉を作った。

しかし明治維新を跨いだ試みは大方が失敗に終わった。幕府の韮山反射炉も青銅の大砲を作るのがせいぜいだった。

ただ地元でいい鉄鉱石が採れた大島の釜石高炉が何とか低炭素鉄を作れた。

明治政府は大島を岩倉使節団に加え、欧州製鉄事情を視察させた。

明治28年、外国製の兵器で日清戦争を戦った日本は改めて「鉄は国家なり」(ビスマルク)を実感した。

すぐに、官営八幡製鉄所が着工された。外国から石炭高炉とシーメンス平炉、ベッセマー転炉を買い込んでドイツ人技術者の指導の下に組み立て火入れした。

しかし何度やってもうまくいかなかった。

政府はドイツ人をお払い箱にし、釜石や韮山で技術を培った日本人技術者にすべてを託した。

彼らは炉を改造し、鉄鉱石を選び、良質コークス探しも並行して進めた。長崎港沖の高島や端島(はしま)に産する優良炭が見つかった。

軍艦島こと端島はすぐ電化され、電動モーターで海底炭鉱の掘削を進めた。

かくて明治36年、日露戦争の前年に日本人の手で初めて銑鉄から鋼鉄までの一貫生産に成功した。

明治41年には三池に5メートルの干満をクリアする閘門(こうもん)式の港が築かれた。設計者は三井財閥の団琢磨。米国のパナマ運河の閘門より6年早く完成し、今も現役で稼働している。

技術大国日本の礎となった明治人の気概はユネスコ世界文化遺産に登録され、その資料館も開設した。

ところが、ここにきて韓国が「朝鮮人にも言及しろ」と文句をつけてきた。

朝鮮人はそのころ汚穢の中にいた。日韓併合前の話だと言い聞かせても「端島で地獄を見た」と言い張る。

確かに昭和期、密航朝鮮人が端島で働いた記録はある。住居と恵まれた賃金が与えられ、朝鮮人専用の女郎屋「吉田屋」もあった。

真実など関係ない。「日本人を汚穢に漬け込めないなら世界遺産登録を取り消させる」と息巻く。

その登録の折に韓国は「朝鮮人苦役の一節を入れたら賛成する」と佐藤地(くに)ユネスコ大使に言った。

そうやって相手を引っかけ禍根を植え付ける。彼女も知っていたはずなのに。

付き合えば腹が立つ。日本人の精神衛生からもこの国と外交はコロナ並みに8割減にしたらいい。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)7月9日号

    【変見自在】コロナ外交

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文さん採録 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年07月09日

◆神を畏れぬ新聞

【変見自在】  高山 正之
 


ロサンゼルス特派員時代はサンタモニカのリンカーン通りに住んでいた。

目の前にルーズベルト小学校があって、右手、ウイルシャー通りに向かうと右側に聖モニカカソリック高校の教会が建つ。

黒人生徒が多い問題校で、プロムの夜、生徒同士の銃撃戦もあった。

ただ教会は珍しいカソリック系ということで日曜には驚くほど多くの市民がミサにやってくる。米国人の信仰の深さを見る思いだ。

ただ彼らの紡いできた歴史はそんな風には見えてこない。

「右の頬を打たれたら左の頬を出す」(マタイ伝5章)ような米国人にはお目に掛かったことがない。

因みに「右の頬を打つ」とは右手の拳骨で相手を殴ることではない。そうしたら左頬を殴ることになるからで、右手の甲で相手の右頬を叩く、つまり平手で相手を張り倒すことを言う。殴るより遥かに辱めの度合いが高いらしい。

米国の歴史ではそうやって黒人やインディアンの右頬を叩き続け、その上で彼らに「右頬を叩かれたら左の頬を出す」ように基督教化していった。

教化された米国人の下で働いた2万人のチェロキーは最後は追い払われ、オクラホマまで2000キロを歩かされた。厳寒の山道で彼らは讃美歌「アメージンググレース」を歌いながら、ほとんどが凍え死んだ。

米国人は「ローマ人への手紙」第12章も繰り返し教えた。「復讐はならない。復讐するは我(神)にあり。

神様が天罰を下すから復讐など考えるなと教える。黒人もインディアンもひたすらアメージンググレースを歌っていればいいのだ。

ただ虐めてきた黒人奴隷は400万を超える。殺戮しまくったインディアンも30万は生き残っている。

中には俺たちも白人の右の頬を打ちたいと思っている者もいるはずだ。

だから米連邦議会憲法修正2条「人民の武器所有」をすぐに成立させた。

右の頬を打ちにきた者には左の頬を出す代わりに鉄砲で返り討ちにしてもいい権利を保障した。

ジョージ・フロイドの殺害など最近の警官による黒人殺害は憲法修正2条の拡大解釈とも思える。

米国はよその国ともよく戦争をした。日本とも戦って原爆2発を落とした。

占領統治では日本人にキリスト教への改宗を迫った。

1500人の宣教師が呼ばれ、人々に「ローマ人への手紙」を読んで「原爆の復讐などはしてはならない」と説教させた。

核の平和利用が始まっても米国は日本人が核に触ることを警戒し、禁じた。

しかしエネルギー資源に不足する日本には原子力発電は絶対必要だった。

米国が拒絶するならと日本政府は英国と交渉して黒鉛減速型のコールダーホール原子炉を入れた。

燃料は安価な天然ウラン。黒鉛炉は東海村で発電を始めたが、実を言うと黒鉛炉はもともと核爆弾用プルトニウム(Pu239)の生産炉だった。

日本がその気なら報復用の核爆弾は即座に作れた。

吃驚(びっくり)した米国は、「軽水炉を提供します。だから黒鉛炉はやめてください」と懇願してきた。

軽水炉からもプルトニウムができるが、燃えないPu239が多くを占める。どんなに工夫をしても核爆弾は作れない。

日本はキリスト教など信じていないが、米国にはそのうちきっと天罰が下されると信じている。

青森六カ所村の再処理工場が完成した。日本のエネルギ資源はこれでかなり安定するが、馬鹿な朝日新聞がすぐ因縁をつけてきた。

社説で根本清樹が「核保有の意図か」と騒ぎ、科学班の川田某もコラムで「海外から批判が」と貶(けな)す。

二人が偉そうに指摘するのがまた「核爆弾6千発分のプルトニウム保有」だ。

軽水炉から核爆弾用のプルトニウムは作れないというのに。なぜ同じ嘘を繰り返すのか。

神は人を傷つける嘘を地獄へ落とす大罪としている。すでに若宮啓文が行き、本多勝一、植村隆らで予約もいっぱいなのに。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)7月2日号

    【変見自在】神を畏れぬ新聞

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年06月04日

◆【変見自在】記者は天下る

高山 正之
   

コロナが支那からもう日本に入り込んでいたと政府は1月16日に発表した。

朝日新聞の土肥修一記者の記事によると日本での第1号患者は「神奈川県在住の30代男性」という。

この男は年の瀬に武漢に渡航し、現地で肺炎患者と一緒にいたら「1月3日に自身も発熱」したので急ぎ帰国して神奈川県内の病院に入院。検査の結果、感染が分かった。

もちろん神奈川県では第1号患者になる。

その1週間後、今度は「都内第1号患者」が見つかった。

朝日新聞はその記事に添えて高田正幸北京特派員電で習近平が人口1100万の大都市武漢を封鎖するという「断固として果断な処置をとった」と称賛する記事を載せた。

どう果断かというと、この前のSARSでは罹患を確認してから3カ月間も隠したが、習近平は今回、隠蔽機関を1カ月も短縮した。それが果断という。

それを褒めまくる高田の気が知れないが、それはここでは措く。

その3日後、厚労省が会見で国内感染者数が7人になったこと、その7人目の「奈良在住の60代の観光バス運転手」が日本人感染者第1号だと発表した。

吃驚(びっくり)した。コロナ患者があっちで出た、こっとで出たと騒いできたが、それがみな支那人だったのだ。

ということは土肥が「武漢から帰国した」と書いた男も日本人ではなかった。在日の支那人だったのだ。

しかし土肥は「渡航」「帰国」と書いた。支那人なら「武漢に里帰り」「日本に再入国」と書くところだ。

おまけにこの男の悪質さも分かってきた。武漢で父からうつされて発熱すると、支那の病院より日本の病院の方がいいと舞い戻ることにした。成田の検疫は解熱剤でごまかした。

意図しようとしまいと立派な生物兵器テロだ。

その頃千葉でも第1号患者が出た。支那人ツアーについた女性バスガイドだ。

彼女も支那人。同胞から感染と思っていたら、朝日は彼女の国籍を隠し、感染源も「日本人第1号患者のバス運転手」と書く。

徹底して「支那」を隠して感染源まで日本人に仕立ててしまう。

そして2月中旬、隅田川の屋形船での新年会に参加したタクシーの運転手らから大量の感染者が出た。

初のクラスターと騒がれた事件で、ここから東京でのコロナ禍が拡大の一途をたどり始める。

この屋形船では支那人ツアー客が直前に遊んでいたから、都は支那人ツアー客―屋形船従業員―日本人利用客へと感染拡大していったと考えた。

別に問題はない。もう二昔前、ピッキングが流行ったころ警視庁が「支那人と見たら110番」のチラシを作った。

それと同じ、衛生面でも支那人には気を付けようという意味合いだ。

ところがそれが問題だと朝日が文句を付けた。

岡戸佑樹ら5人の記者が総がかりで「都内で初感染者が出てから100日間」という大型企画を始めた。

その第1回がこの「屋形船」問題。帰国した支那人をみな調べたら発症者は一人もいなかった。

「支那人が感染源」は都の勇み足で、それが独り歩きした。支那人は無実だという主張を展開する。

なぜ朝日の記者はそうまでして支那人を庇うのか。

そのヒントが何清漣『中国の大プロパガンダ』にある。北京は支那のために尽くした外国の記者を高いカネで雇い入れてくれる。

中で北京が最も評価したのが元朝日新聞北京特派員の横堀克己。支那を美化し続けた記事で「人民中国」日本版の責任者になった。

支那は過去「百人斬り」を書いた毎日新聞の浅海一男を北京に永住させ、娘を北京大に入れてくれた。

墜落死した林彪をずっと生きていると報じた朝日特派員、秋岡家栄は人民日報日本代表に据えられた。

朝日は評判が悪い。退職しても再就職は難しい。でも支那に尽くせば、きっと面倒見てくれる。彼らはそう信じて記事を書いている。

そんな紙面を読ますな。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文さん採録
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年05月17日

◆【変見自在】コロナ効果

高山 正之
 

カーター政権の財務長官マイケル・ブルメンソールは1926年、ベルリンの北郊ブランデンブルグ市で生まれた。

ユダヤ系の父母は高級服飾店を営んでいたが、彼が10歳のときに一家の環境は大きく暗転した。

台頭したナチスはユダヤ人排斥を強め、38年11月の月の明るい夜、ゲッペルスの突撃隊が267カ所のシナゴーグを打ち壊し、7500軒のユダヤ人商店を襲って略奪した。

両親の家も破壊され、彼自身もヒットラーユーゲントの少年に暴行された。

一家は故郷を捨てて命からがらナポリ発の貨客船に逃げ込んだ。

船はスエズを越え、英領のボンベイ、コロンボ、シンガポールに寄港した。

その都度、下船を望んだが、どこもユダヤ人の上陸は認めなかった。

一家がナポリを出たのと同じころ、ハンブルグから1千人のユダヤ人を乗せたセントルイス号が出港した。しかし目的地の米保護領キューバは上陸を拒み、ニューヨークでは接岸すら許されなかった。

1カ月の漂流の挙句、船は欧州に戻り、何人かはベルギーで下船できたものの、間もなくナチがそこを占領して、乗客のほとんどは強制収容所に送られた。

しかしブルメンソールの船は幸運だった。航路の終点、上海でユダヤ人は下船することができた。

日本人租界、虹口(ホンキュー)はビザを持たない彼らの居住も認めてくれた。

虹口からガーデン・ブリッジを渡った先の外灘(バンド)には阿片貿易で儲けたサッスーンやジャーデン・マセソンなどユダヤ財閥のビルが立ち並ぶ。

彼らは中東のセム系ユダヤ人(セファルディ)で、白人系ユダヤ人(アシュケナージ)には冷たかった。

実際、パレスチナに逃れてきたアシュケナージは上陸を断られ、ときには射殺された。

彼らを受け入れたのは関東軍が仕切る満洲国か上海の日本人租界だけだった。

そこに身を寄せたのは約3万人。ブルメンソールはそれほどの僥倖を噛みしめて虹口の収容施設となった旧日本人学校に入った。

やがて戦争が終わり、一家は上海を出られることになったが、ユダヤ人はどこもダメ。2年待ってやっと米国が入国OKを出した。

驚いたことに民主党政権下の米国では、親切だった日本人が支那人より悪い侵略者とされていた。日本人の世話で生き延びたなどと言える環境ではなかった。

賢(さか)しいブルメンソールは素早くいい日本を自分の記憶から切って捨てた。

実際、米民主党は戦後も日本を敵視し、戦前と同じように、それが共産党政権なろうとも支那人を使って日本の抑え込みを続けた。

中共は米国が拵えた南京大虐殺の嘘話に乗っかって日本人に贖罪を迫り、ODAと技術援助を引き出して半分近代化に成功した。

それは米国人には格好の奴隷工場に見え、企業は続々支那に進出し、米支の結びつきは?介石時代ほどに強まった。

その一翼を担い、名を挙げたブルメンソールはつい先年、中共の招きで久しぶりに上海を訪れた。

今は「上海ユダヤ難民記念館」と名を改めた虹口の元日本人学校で彼は「日本軍は残忍だった」「親切だった支那の友人の恩を忘れない」と挨拶した。恥を知らない男だった。

武漢ウイルスが流行って、イスラエルは米国と並ぶ素早さで支那との往来を断ち切った。

そしたら戴玉明・駐イスラエル支那代理大使が「私は哀しい。ホロコーストの中でユダヤ人を受け入れてやった支那にこんな冷たい扱いをするのか」(隔月誌「みるとす」)と記者会見でその薄情を非難した。

イスラエルはそれまでブルメンソール的発言を特に否定してこなかったが、今回は違った。

「何を言う。ユダヤ人を助けたのは日本人だ」「上海は日本人が管理していた。歴史を捏造するな」(同)

代理大使は公式ホームページで捏造部分を削除した。コロナはときには歴史歪曲を糺(ただ)す働きもする。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)5月21日夏端月増大号

    【変見自在】コロナ効果

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

松本市 久保田 康文 

2020年05月04日

◆【変見自在】女議員の鑑

高山 正之 

20世紀の終わりごろに登場した世界経済フォーラムはグローバリズムの落し子の集い風な一面がある。

毎年1月、スイスのダボスで開かれる総会にはメルケルやビル・ゲイツ、習近平に加えて金持ちNGOも沢山顔を並べる。

今年はそんなNGOの担ぐ気候変動少女が凄んで見せる余興もあったが、あとは「大金持ちとシャンパンを飲み明かす」(ボリス・ジョンソン英首相)いつもの形になったようだ。

その昔、米通商代表ミッキー・カンターが酔って2階から落ちて会議を休んだ事件がそれを象徴している。

このフォーラムはお節介にも各国の次世代指導者も認定もする。

日本からは津田大介が選ばれて顕彰された。日本人の間では同じ金髪ならカズレーザーの方がよかったという声が大きかった。

白人国家に比べ有色人国家がいかに劣るかを統計化する趣味もあって、直近では国別に女性の社会的地位をランク付けした。

日本女性は153か国中121位。日帝支配(する)まで名前のなかった韓国女性(108位)よりも低い。

低い理由は「女の政治家の少なさ」という。

しかし日本ではどの政治家もカミさんには頭が上がらない。天照(あまてらす)大神以来の実態を無視したランク付けには首を傾げたが、朝日新聞だけは大騒ぎした。

「男は目立つ女性を排撃する。我が朝日も出来る女記者を潰した」と編集委員の福島申二が日曜コラムに反省の弁を書いていた。

なんで朝日の男は女性蔑視を続けるのか。

その答えに福島はバージニア・ウルフの「男にとって生まれつき人類の半分が自分より劣っていると感じられたら、それは大きな自信になる」を挙げる。オレたちもそのつもりで差別してきたと。

しかしウルフも福島も大きな誤解をしている。男は「生まれつき」女より偉くはなかったのだ。

人間社会も動物と同じに母系社会だった。女はいいタネを残すために外敵を倒せ、いい狩りができる強い遺伝子を持つ男を求めた。

並みかそれ以下の男は一生、女に相手にされなかった。でも欲望は強い。

で、ダメ男どもは宗教というものを考え出した。

そのいい証拠が、どの宗教も夫の偉さと妻の貞節を謳っていることだ。

女が男を選ぶ母系社会を終わらせ、男が女を選び、女は夫のみに貞節を尽くす男社会に変えた。

宗教によって人類は進歩をやめたが、でも並み以下の男にも春は来た。

かくてユダヤ教は女がよそ見をしないようにベールをかぶせ、アブラハムには妻サラのほかに妾ハガルを持つ権利を保証した。

イスラムは女の不倫を死刑とし、ヒンズーは「たとえ夫が酒乱でも女遊びをしても妻は夫を神と思って仕えよ」と命じる。

男たちは初めて「女より優位」を勝ち取れた。ウルフの言う男優位の世界に変容していった。

ただ神道の世界だけは天照大神以来、女性優位のまま推移してきた。世界経済フォーラムも朝日もそれが分かっていなかった。

では優位な日本女性がなぜ政治家を志さないのか。

それは昨今の政治家が常に偽善と悪意に満ちた野党の罵声に耐えねばならないからだ。

そんなのは亭主に任せて自分は好きに生きる。首相夫人がいい例ではないか。

ただ一旦志せば上川陽子のようにやれる。彼女は麻原彰晃も少年殺人犯も躊躇なく処刑した。並みの男にはできない強さだ。

辻本清美も議員になったが志がやや違った。彼女は4千万円を超える報酬にも満足せず、秘書給与2千万円を詐取し逮捕された。

それでも志は変えずに返り咲いた。政治活動は鯛の腐り方を講義したほか何かあったか。

あるいは蓮舫。中共にも通じた家柄なのに、あのウイルスの危なさを日本人に警告もしなかった。対策を考えるときに去年の桜だけを論じ続けた。

こんな人たちを増やすよりはずっと121位のままの方がいい。


出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)5月7・14日ゴールデンウイーク特大号

    【変見自在】女議員の鑑

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

松本市 久保田 康文さん採録
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年04月29日

◆吉田茂は偉かった

高山 正之
 

朝鮮半島の人たちには至福の時だった日帝支配が終わると、米ソは李承晩と金日成を連れてきてそれぞれ南北の指導者にした。

朝鮮人に指導力などない。間もなくの昭和25年6月、北が南に攻め込んだ。

李承晩は一人だけ釜山に逃げた。これも「敵が来たら王様は江華島に逃げる」朝鮮人らしい振る舞いだ。

彼はそれでも不安で山口県に「臨時政府を建てる。準備しろ」と下命した。県知事は即座に断った。

米国も身勝手で、永遠に続けるはずの日本占領をすぐに打ち切り、翌26年、サンフランシスコで講和条約を結ぶことにした。

締結後、日本にはマッカーサー憲法を廃させ、再軍備させて米兵に代わって朝鮮で戦わせるつもりだった。

李承晩はそこに割り込んできて、戦勝国として講和会議に参加させろ、戦時賠償の権利を持たせろとマッカーサーに要求した。

お前は無関係の三国人だ、と一蹴された。

無関係では日本と賠償交渉もできない。で、朝鮮戦争さ中、日本の領海に線を引いて竹島を盗る李承晩ラインを敷き、交渉に応じろと日本に迫った。

自分たちの起こした戦争は米国と支那にみんな任せてしまう。こういう狡い立ち回りは白村江の戦いのころから得意だった。

かくて27年2月、日韓会談が開かれたが、日本はまず半島にある日本資産を返せと言った。

半島にある日本資産は韓国保有資産の85%を占めた。返したらあとに何も残らない。

韓国側は「あれはウリのものスミダ」とか言って「日帝支配の謝罪と日本の国家予算の10年分、21億ドルの賠償をよこせ」の一点張り。交渉は当然、決裂した。

李承晩は怒って日本漁船の拿捕と漁船員の拘束を始めた。死者も出た。嫌なら吉田茂と会わせろ、日韓会談も再開しろ。

吉田は李と翌年1月に東京で会った。李は爪のない指を見せ、日帝時代の拷問で剥がされたと言った。

それは嘘だ。李氏朝鮮時代には彼は捕吏に捕まり7年獄に繋がれて拷問された。吉田は李を河野一郎、スカルノとともに終生嫌った。

再開した日韓会談では久保田貫一郎が「謝罪とは何だ。山も緑にし、学校を建て電気も引いてやった」と事実を指摘した。

会談はまた決裂した。

吉田は感謝もない韓国を嫌って「駐日韓国代表部の閉鎖」と「漁船の攻撃的保護」と「拘束された漁船員と同数の在日の拘束」を命じた。

吃驚(びっくり)した李承晩は慌てて米国に「日米韓三国不可侵条約」を提案してきた。米国を使って日本の実力行使を抑え込もうという狡い手段だった。

吉田の跡を継いだ馬鹿な鳩山一郎は李承晩に手もなく騙され、本気で不可侵条約締結を考えたりした。

拿捕漁船員も李承晩の言うまま「日韓捕虜交換」で合意させられた。

日本側の捕虜とは服役中の在日殺人犯や密入国者のこと。彼らを永住権付で釈放することで漁船員が釈放された。日本人は韓国人を心から嫌った。

李承晩のあと、もっと悪賢い朴正熙が出てきた。彼は謝罪を求めない代わりに日本資産の返還はなしにし、その上に5億ドルのカネと技術援助を乗っけて日本側に呑ませた。

結局、日本人は日帝支配から韓江の奇跡まで実に70年間も彼らに貢がされ続けた。

一方の半島の民はその70年間で便所も荷車もない旧石器時代から世界屈指の工業国に成りあがった。

戦前から何度も朝鮮を訪れたGHQ外交局長W・シーボルトはその印象を「ひたすら陰湿な国。民は頑固で腹立たしい」と著書にたった6行書いている。もううんざりだと。

ハリス現駐韓米国大使が辞任すると言い出した。

そんな理由は「何をしても感謝もない。腹立たしいだけで付き合いたくもない」と同じ感想を語る。

日本はそんな国と関わりすぎた。コロナで付き合いを断って、その清々しさが十分分かっただろう。ハリスに倣おう


出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)4月30日号

    【変見自在】吉田茂は偉かった

2020年04月20日

◆【変見自在】習近平を訴えろ

高山 正之
 
イスラムのスンニ派とシーア派は何がどう違うか。

大雑把に言えばアラブ人が信仰するのがスンニ派で、今はイランと名乗るペルシャ人が拝むのはシーア派だ。教義もキリスト教で言えばカソリックと統一教会くらい違う。

もともとアラブ人は部族社会で、まとまった統一行動もできなかった。

そこに預言者ムハンマドが出て、部族を超えたイスラムの結束が生まれた。

結束したら、それまで10世紀以上も中東を支配してきた強敵ペルシャすら破ってしまった。

預言者が死ぬと合議で強い男アブー・バクルがカリフに選ばれ、さらにイスラム版図を広げた。

そうやってカリフ制が3代続いた後、預言者の従弟アリが4代目に就いた。

彼はムハンマドの娘ファティマを妻にしていた。アリは預言者の血を最も濃く継承する我が一族こそカリフに相応しいと一族の世襲を言い出した。

いやいや、そういう部族主義を廃したのがムハンマドのお心だからと周りが諭してもアリは聞かない。

で、アリは祈禱中に毒を塗った剣で刺され、息子ハッサンも毒殺された。もう一人のフセイン王子もカルバラで襲われて、無残に殺された。

シーア派とは、この悲劇のフセイン王子がペルシャの王女シャハルバヌーと結婚していて、ペルシャ人の血が入った預言者の子孫が12代続いたという神話をベースに生まれた。

教義の特徴は惨殺されたアリ一族を悼み、虐げし者への「恨」がその根っこにある。だから結構、暗い。

その反動なのかシーア派の天国はコーランのそれよりずっと官能的だ。例えばニザール派が描いた天国は「緑の木陰に清流が流れ下り、妙なる音楽が流れて黒い瞳の処女30人が快楽の世界に誘う」(マルコ・ポーロ『東方見聞録』)。

この天国に行けるかどうかはスンニ派では最後の審判で善行の秤(はかり)にかけられるまで分からない。

対してシーア派は「殉教すればいい」(ホメイニ師)とすごく分かり易い。

それでシーア派的天国観はシリア、レバノンなど中東の紛争地にどんどん広まっていった。

とくにパレスチナでは天国で待つ女性が「黒い瞳の少女」ではなく「金髪碧眼の白人女性で人数も72人と倍増」(AP)し、殉教を恐れぬ気風が広まった。

ただ、それだけではまだ殉教に結びつかなかったが「殉教者の家族にカネが出ることになって自殺特攻志願が増えた」(同)という。

そのカネはイランから出ていると言われた。

1995年、ガザ地区で爆弾を積んだ車がバスに突っ込み、乗客のイスラエル兵ら多数が死んだ。自爆青年はイスラム過激派ハマスの一員だった。

このテロで20歳の米国人女子大生アリサ・フラトーが巻き添えで死んだ。

アリさの家族の訴えで米連邦議会は「国務省が指定したテロ支援国家が関与したテロで米国人が被害を受けた場合、米法廷はその国に損害賠償請求できる」とするテロ国家訴追法を成立させた。

アリサの家族はこの事後法でイランを訴え、連邦裁判所は98年、イラン政府に2億4700万ドルの支払いを命じた。

イランは、国家は国外から訴追されない「主権免除」の原則と「法の不遡及」を主張して拒否したが、米側は取り立てる気満々だ。

武漢ウイルスの被害が凄い。今やリーマン超えとも言うが、火元の支那は「支那を非難する国には医薬品は売ってやらない」(櫻井よし子「日本ルネッサンス」)と蛙のツラだ。だからといって訴えようにも主権免除の壁は厚い。

一案だが、武漢ウイルスは生物兵器研究所の関与説が根強い。事実なら世界各国に対するテロだ。

それに支那は知財ドロなど経済テロをあちこちでやってきた実績がある。

幸いというか、米国には主権免除の枠を超えたテロ国家訴追法がある。それで支那をやったらどうか。

国際法無視同士の法廷闘争はきっと楽しい。


【変見自在】習近平を訴えろ
著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
yasufumisukiyo@gmail.com
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年04月17日

◆それぞれの9年

【変見自在】  高山 正之
 

日本のポツダム宣言受諾を前に米軍は駆け込むようにプルトニウム型原爆を長崎に投下した。

高温の火球は直下の街を蒸発させ、数万の民を一瞬で焼き殺した。

だいぶ離れた山王神社の石造りの大鳥居は熱風で左半分がもぎ取られ、後ろの樹齢500年の楠は葉も枝も失って真っ黒く焼けた幹だけが残った。

終戦の日に甍(いらか)の波をとどめていたのは京都と小倉だけ。東京は下町も山手も焼け野原と化していた。

13歳だった曽野綾子さんは「もう空襲がない。明日まで生きられる」と、その時の思いを『死学のすすめ』に書いている。

こちらはそのさんよりずっと年下だが、疎開先の三島から隣の沼津が空襲で燃えるのは見ている。

史料によれば沼津は終戦一カ月前、米軍機の空襲を受け9千発の焼夷弾を見舞われて市街の89%が焼失し322人が死んだ。記憶では西の空が真っ赤に染まっていた。

怖い空襲はなくなっても終戦後も「ビタミン不足のせいか心もだるく」暗くつらい日々が続いたと曽野さんは書いている。

焼け出された人たちには「避難所もなく仮設住宅もなく、ボランティアとして助けてくれる人もなく生活保護もなかった」「被災者は自分で焼け残ったトタンや材木を集めてバラックを作って住んでいた」

こちらも終戦のあと東京に戻ったが、家も何もかも失って、焼け残ったガレージに板を敷いて暫く仮住まいしたのを覚えている。

曽野さんよりも二つ年下の田原総一朗は「敗戦ですべての価値観が変わった」「大人への不信感をもった」と利いた風に語る。

対して曽野さんは「日本の未来が見えないなどという言葉も概念も当時は聞いた覚えもない」と。

何度も割り込んで申し訳ないが10歳若いこちらの価値観といえば「甘ければうまい」で「柔らかければおいしい」くらいだった。

「なまり」という柔らかい鰹節があった。柔らかくてもまずかった。

それでも終戦から暫くすると70年間は草木も生えないと言われた被爆地さえ変化が出て「山王神社の楠に芽が吹いた」と永井隆博士が書いている。

関わって何もいいことのなかった朝鮮でそのうち戦争が起き、おかげで日本に活気が戻った。

小学校の給食にも砂糖まぶしの揚げパンが出た。甘くて柔らかくて本当においしかったが時々ネズミの糞が入っていた。

そのころになると元気な日本人も出てきた。

出光佐三は英国制裁下のイランに日章丸を出して安い原油を買い付けた。

怒った英国は撃沈すべく軍艦を出して日章丸を追ったが見事に逃げおおせた。

銀座には祇園の芸妓上がりの上羽秀が進出して「おそめ」を開き、川辺るみ子の「エスポワール」の向こうを張った。

映画界も東映の大川博が毎週新作二本立てを常打ちにし、揚げパン世代が映画館を満員にした。日本映画界はハリウッドを超える年間500本を封切った。

戦後9年たった日本ははっきり元気になった。

福島を大津波とそれに続く原発事故が見舞って今年で9年が経つ。あの時と違って仮設住宅もボランティアも生活保護もついた。

日本中の納税者がこの9年間を含め25年間の復興税を喜んで払い、被災者を温かく見守ってきた。

それに対して「ありがとう」の一言も聞こえてこないけれど、そんなケチを日本人は言わない。

そしたら先日の朝日新聞の投書に震災前に5歳で他県に引っ越した青年が「被災地出身だが被災していない中間被災者」と称して故郷を失った痛みを語っていた。縁がある者全てに同情しろと要求する。

別の紙面では故郷を失った被災者が東電に賠償増額を要求して計7億円を勝ち取ったとあった。

先の戦争で被災した人たちは「無言で生きていた」と曽野さんは言う。そして元気な日本をつくった。

でも昨今はそういう生き方は好まれないらしい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年04月13日

◆それぞれの9年

【変見自在】  高山 正之  

日本のポツダム宣言受諾を前に米軍は駆け込むようにプルトニウム型原爆を長崎に投下した。

高温の火球は直下の街を蒸発させ、数万の民を一瞬で焼き殺した。

だいぶ離れた山王神社の石造りの大鳥居は熱風で左半分がもぎ取られ、後ろの樹齢500年の楠は葉も枝も失って真っ黒く焼けた幹だけが残った。

終戦の日に甍(いらか)の波をとどめていたのは京都と小倉だけ。東京は下町も山手も焼け野原と化していた。

13歳だった曽野綾子さんは「もう空襲がない。明日まで生きられる」と、その時の思いを『死学のすすめ』に書いている。

こちらはそのさんよりずっと年下だが、疎開先の三島から隣の沼津が空襲で燃えるのは見ている。

史料によれば沼津は終戦一カ月前、米軍機の空襲を受け9千発の焼夷弾を見舞われて市街の89%が焼失し322人が死んだ。記憶では西の空が真っ赤に染まっていた。

怖い空襲はなくなっても終戦後も「ビタミン不足のせいか心もだるく」暗くつらい日々が続いたと曽野さんは書いている。

焼け出された人たちには「避難所もなく仮設住宅もなく、ボランティアとして助けてくれる人もなく生活保護もなかった」「被災者は自分で焼け残ったトタンや材木を集めてバラックを作って住んでいた」

こちらも終戦のあと東京に戻ったが、家も何もかも失って、焼け残ったガレージに板を敷いて暫く仮住まいしたのを覚えている。

曽野さんよりも二つ年下の田原総一朗は「敗戦ですべての価値観が変わった」「大人への不信感をもった」と利いた風に語る。

対して曽野さんは「日本の未来が見えないなどという言葉も概念も当時は聞いた覚えもない」と。

何度も割り込んで申し訳ないが10歳若いこちらの価値観といえば「甘ければうまい」で「柔らかければおいしい」くらいだった。

「なまり」という柔らかい鰹節があった。柔らかくてもまずかった。

それでも終戦から暫くすると70年間は草木も生えないと言われた被爆地さえ変化が出て「山王神社の楠に芽が吹いた」と永井隆博士が書いている。

関わって何もいいことのなかった朝鮮でそのうち戦争が起き、おかげで日本に活気が戻った。

小学校の給食にも砂糖まぶしの揚げパンが出た。甘くて柔らかくて本当においしかったが時々ネズミの糞が入っていた。

そのころになると元気な日本人も出てきた。

出光佐三は英国制裁下のイランに日章丸を出して安い原油を買い付けた。

怒った英国は撃沈すべく軍艦を出して日章丸を追ったが見事に逃げおおせた。

銀座には祇園の芸妓上がりの上羽秀が進出して「おそめ」を開き、川辺るみ子の「エスポワール」の向こうを張った。

映画界も東映の大川博が毎週新作二本立てを常打ちにし、揚げパン世代が映画館を満員にした。日本映画界はハリウッドを超える年間500本を封切った。

戦後9年たった日本ははっきり元気になった。

福島を大津波とそれに続く原発事故が見舞って今年で9年が経つ。あの時と違って仮設住宅もボランティアも生活保護もついた。

日本中の納税者がこの9年間を含め25年間の復興税を喜んで払い、被災者を温かく見守ってきた。

それに対して「ありがとう」の一言も聞こえてこないけれど、そんなケチを日本人は言わない。

そしたら先日の朝日新聞の投書に震災前に5歳で他県に引っ越した青年が「被災地出身だが被災していない中間被災者」と称して故郷を失った痛みを語っていた。縁がある者全てに同情しろと要求する。

別の紙面では故郷を失った被災者が東電に賠償増額を要求して計7億円を勝ち取ったとあった。

先の戦争で被災した人たちは「無言で生きていた」と曽野さんは言う。そして元気な日本をつくった。

でも昨今はそういう生き方は好まれないらしい。


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 松本市 久保田 康文 
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2020年04月06日

◆【変見自在】フリーは記者か

高山 正之
 
半世紀前、新聞記者を志して何社か受けた。

倍率は三桁近かった。奇跡的に産経新聞の補欠に引っかかったが、そこからが大変だった。

入社後も選り分けがあって記者への第一歩となる地方支局に出られたのは五人に一人。あとは整理部とか総務とかに回された。

それは「ダメならいつでも差し替える」という脅しでもあった。

だから不満など一言も言えない。朝から晩までサツや県警、裁判所を回った。

回りながら原稿の書き方を覚える。最初の半年は休みも取れなかった。

新聞は毎日出る。毎日が言わば試験で他社の記者と比較され、下手を書くと一日惨めだった。

それに疲れ切る記者もいた。水戸支局時代には読売の記者が自殺し、本社に上がってからは同期と先輩が鎰(金偏が糸偏)死した。死人が多い職場だった。

なまじの仕事では芽が出ない。支局管内にも誰もいかない東海村があった。通って原子力を勉強した。

3年通って遠心分離方式によるウラン濃縮実験に出くわした。米オークリッジで広島型原爆を作ったのと同じ洗濯槽みたいな筒が並んでいた。いま北朝鮮が懸命に回している。歩き回った成果だった。

それを重ねてやっと本社に上がれた。上がっていいことは専門性の高い記者クラブに出られることだ。

こちらは飛行機のクラブに出た。すぐロッキード社から新型機披露の招待があって、ロスに飛んだ。

ロ社での会見に出て驚いた。各社記者は通訳なしで新型機についてロ社側に突っ込んだ質問をしていた。

そういう手練(てだ)れになって初めて航空機事故を取材でき、解説を書ける。

記者クラブは遊んで務まる場ではなかった。航空機のイロハから管制まで勉強しなければ会見に出ても意味も分からなかった。

当時の日航全日空には戦前派の操縦士もいて、生きた航空史が聞けた。

その中で「米軍に雇われてソ連、中共の奥地に侵入しスパイを落下傘降下させた」秘話を聞いた。スパイ機を飛ばした一人は当時の羽田空港長、中尾純利だった。震える特ダネだった。

経済部、政治部を含めて記者クラブとは研鑽を積んだ猛者が集い、会見は静かな戦場と言ってよかった。



いま新聞協会登録の記者は129社2万人。一線に出て記事を書く記者は約5千人。東京にある中枢の記者クラブ詰めになれるのはその10分の1ほど。国会議員の数よりも少ない。

平成の御代、その記者クラブが閉鎖的だ、開放しろという声が出た。声の出所は嘘しか書かない反日の外人記者会。それにフリーの記者も乗って騒いだ。

彼らはクラブに入って一線の記者と切磋琢磨する気はなく、ただ記者クラブ主催の形をとる記者会見に出るのが目的だった。

戦場に新兵訓練もしていない素人が来る。冗談かと当時は思った。

ただ朝日新聞は記者会見開放派に回った。なぜなら朝日の記者は取材や研鑽はしない。思い付きと浅はかな知恵で記事を書く。「中国の旅」の本多勝一や従軍慰安婦の植村隆がいい例だ。

たまに事実を書く。政治家のオフレコ話だ。あとは政治家の失言待ち。その意味でフリー記者とレベルは似ている。

今村復興相にくどくど無知な質問を繰り返したフリー記者がいた。あれが朝日の記者だったとしても何の違和感もない。

そんな朝日の尽力もあって今は外人記者とフリーの記者が記者会見に出て記者もどきを演じている。

「もんじゅ」事故の会見では彼らが騒いで関係者二人が自殺した。東電福島事故では「次は誰が自殺するんだ」と質問が飛んだ。

記者が自殺する時代から記者が人を死に追いやる時代に変わった。

先日コロナ禍の首相会見があった。小一時間もやって終わろうとしたらフリー記者が騒ぎ、12人が立って辻本清美より意味のない質問を延々ぶっつけていた。

怒らせるか、自殺させるか。記者会見も随分と様変わりした。

出典:『週刊新潮』令和2年(2020)4月9日号
【変見自在】フリーは記者か

著者:高山 正之
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
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2020年04月01日

◆【変見自在】日帝の防疫

高山 正之


日本近代史の都市伝説の一つに桂タフト協定がある。米国のフィリピン植民地化を認めよう。その代わり朝鮮は日本のものとするという話だ。

ただ、そんな外交文書は日本にも米国にもない。史実に照らせばこれっぽちも真実味はない。

例えばフィリピン。スペイン支配に抵抗するアギナルドに米国が独立を約束し、ともに戦った。

が、スペインが降伏すると米国は約束を反故にしてフィリピンを自分の植民地にしてしまった。

怒るアギナルド軍の抵抗は4年間も続き、40万人もが殺された。

その間、日本はアジア同胞の苦境に同情し、日清戦争で鹵獲(ろかく)した銃火器をこっそり送り出したり、山田美妙の『あぎなるど』がベストセラーになったり。それで6人の志士が潜入し、米軍に捕まってもいる。

抵抗派の大物リカルテは日本に亡命し、先の戦争で日本軍がマッカーサーを叩き出した後に故国に凱旋している。

義に篤い日本がフィリピンを残忍な米国に喜んで委ねるわけもない。

一方の朝鮮はすぐ隣にいながら性格は日本人とは真反対。まず義を知らない。奸計に長け、自国の戦争すら他国に押し付ける。

白村江もしかり。南北で始めた朝鮮戦争もいつの間にか米支の戦争にした。

そういう狡さ以上に日本人が嫌ったのが不潔さだ。

イザベラ・バードは糞便塗(まみ)れの京城を歩いて世界一不浄としたが、後に北京を見て第2位とした。

汚穢度ですら世界一の座を支那に譲る。華夷秩序への律儀さだけがこの民族の取り柄に見える。

つまり日本がフィリピンとの義を捨ててまでそんな汚い国を欲しがるなどありえない話なのだ。

そう見れば、セオドア・ルーズベルトが「白人には白人の重荷があるように日本にも黄色い重荷がある」と朝鮮を押し付けてきた説の方がずっと説得力がある。

厄介な国を押し付けられれば日本の大いなる負担になる。「日本の脅威」を削げるという読みだ。

日本はそんなお荷物はいらない。だから伊藤博文は元駐日米代理公使D・スティーブンスの協力で朝鮮に鉄道や港湾、教育制度などインフラを与え、距離を取った保護国にしようとした。

セオドアはそんな勝手を許さない。だから彼は伊藤もスティーブンスも暗殺して一気に日韓併合までもっていかせた。

その途端、朝鮮をペスト禍が見舞う。日本は改めて朝鮮の汚さを思い知った。

幸い北里柴三郎が菌の正体を突き止めていたからすぐ終息させられた。

と思ったら次は腸チフスが流行り、終わったら今度はコレラが襲った。さすが世界2位の汚穢国家だ。

で、総督府は日本の内務省に倣って防疫を警備局所管とした。その強制力で流行地への交通を遮断し、罹患者を隔離し、集会を禁止したと総督府の記録にある。

衛生観念も教え、各戸に便所を作らせた。

活動写真で病気の怖さを教え、各村落に「防疫自衛団」を置き「自分たちで防疫」意識を高めさせた。

総督府は仁川の海港防疫を重視し、支那の船は沖泊めし、乗員の検便検査をしたうえで入港を認めた。

ただ乗船者の中の「支那人下層労働者」は一切入国禁止とした。

日帝支配10年目のコレラ禍も支那から入ってきた。経路は取り締まりが難しい地方の港に入る漁船だった。

総督府は防疫自衛団に戸口調査をさせ、患者を見つけ隔離した。

火葬を嫌って患者を隠す家もある。それには報奨金つき密告制を採った。

おかげで最初の流行は僅か2カ月で終息させた。

こうした衛生観念は日帝支配後も生き残り、1970
年代の外務省資料では韓国民の回虫を持つ割合が50%を切ったとある。

その韓国で武漢コロナが猛威を振るう。

日帝が徹底して教え込んだ「支那人入国禁止」を文在寅がどうしても受け入れなかったためとか。

華夷に秩序あれば肺炎に死すとも可なり、か。
『週刊新潮』 令和2年(2020)3月26日花見月増大号


松本市 久保田 康文さん採録 

2020年03月29日

◆【変見自在】支那ウイルス 

高山 正之
 

「スペイン人は足が地につくくらいの絞首台を作った。そこにインディオを13人ずつ吊るし、足許に置いた薪に火をつけて生きたまま吊るし焼きにした」

ドミニコ会司教ラスカサスが16世紀に著した『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の一節だ。

新大陸に入ったスペイン人は確かに残忍だった。彼らは男たちを死ぬまで酷使し、働けない者は子供でも殺した。子を持つ女も一緒に殺した。

ただ処女は自分たちの慰みものにした。

カナンの地に入ったユダヤびとは先住のミディアンびとらを平定すると、男は殺し、男を知った女も殺した。ただ処女は「神ヤハウェからの贈り物」として兵士たちが分かち合った。

同じことをスペイン人がやった。結果、例えば今のメキシコ人は1割が白人で6割が処女のインディオに産ませた混血の民メスチソ。残りは深い森に逃げて生き残ったマヤ族ら先住民という構成だ。

中南米で行われた蛮行は北米に入った今の米国人たちもそっくり真似てインディアンをほぼ殺し尽くした。

白人はみな同じことをやってきた。ただラスカサスの本が出てから何故かスペイン人だけが「残虐な国民」と批判され続けた。

理由の一つにユダヤ人の意趣返しがある。

いわゆるレコンキスタ以降、スペイン人は多くのユダヤ人を異端審問にかけて殺した。トルケマーダは8千人を火炙りにした。

ユダヤ人はオランダに逃れ、そこでラスカサスの本を各国語に訳し銅版画までつけて出版した。

スペインの悪評は世界に知れ渡った。

スペインに遅れて植民地獲得に出た「オランダや英国がその悪評をスペイン帝国衰退の道具にした」(西尾幹二『歴史の真贋』)。

どこへ行っても悪評が待っていれば国民の士気は落ちる。かくて無敵艦隊がやられ、植民地は奪われ続け、新興の米国にも嘗められるようになった。

米国は19世紀末にどぎつく脚色した英語版ラスカサス本を出版し、スペイン人を「拷問好きで肉欲的な殺戮者」(ニューヨーク・ジャーナル社)と罵った。

その上で戦争を仕掛けてキューバだけでなくフィリピン、グァムも奪った。

米国はラスカサスで一番儲けた国になった。

400年続いたスペイン苛めは、それほど悪い人でもないフランコまで極悪の独裁者に仕立て、国連までスペインを「除(の)け者にするよう」決議した。

その少し前、第一次大戦末期に世界で致死性の呼吸器疾患が流行った。

日本では「流行性感冒」と呼んだ20世紀最悪のバンデミックで1億人が死んだとも言われる。

発生地はカンザス州の兵舎だとか西部戦線の塹壕だとか諸説があった。

最近、カナダの歴史学者マーク・ハンフリーが「支那発生で支那人が蒔いた」とする説を発表した。

それによると、大戦で働き手が不足した英仏が急ぎ苦力(くーりー)十万人を手配した。

彼らは太平洋を越え、バンクーバーから列車で大西洋側に運ばれ、再び海路で英仏に送られた。

その頃支那では肺ペストに似た病が流行り、日に50人が死んでいた。

苦力たちにも同じ症状が出て仏ノイエル・シュルメールの病院には「数百人の苦力が呼吸器疾患で死んだ」記録が残る。

この凶悪な流行病を何と呼ぶか。当時「カンザス病」とかも候補になった。

それを嫌がった米国がどうだろう、この際、世界の嫌われ者「スペインの風邪」にしては、と持っていったと言われる。

それから1世紀。武漢から汚らしい伝染病が世界に蔓延し、人命も世界経済も瀕死に追い込んでいる。

運び屋はスペイン風邪と同じ支那人。そこまではっきりしているのに習近平はとぼけ、支那外務省は米軍が持ち込んだと言い出す。

仮に発生地がカンザスだって構わない。

いま世界で一番恥知らずな嫌われ者は支那だ。それを「支那ウイルス」と呼んで何の不都合があるか。

出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)4月2日号

    【変見自在】支那ウイルス

著者:高山 正之


松本市 久保田 康文さん採録