眞鍋 峰松
1億総活躍時代より1億総我慢時代
日本には古くから「 子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ 」という格言が残されている。
故松原泰道師は、この格言を日本には古くから「子どもに関しては自分の過去の姿なのだと思ってみる。つまり、頭からやみくもに怒鳴るのではなく、自分を振り返りながら注意・教えたりする。こうすることによって、本当に親身になった指導も出来る。
また、年寄りを見たら、自分も何年かすれば必ずこうなるのだと思って見ることです。そうすれば、忘れっぽいとか、背中が丸く格好が悪いとか、汚らしいとか言って笑うこともなく、自分を愛するそのままの心で年寄りに接することができるようになる。このように全て一人称で受け止める。これが仏教の考え方だ」と教えられる。
一見、単純そうに思われ勝ちなのだが、これこそ、退職世代、現役世代及び将来世代間の調和を見事に表した格言。さすがに昔の人生の大先達からの素晴らしい教えだと思う。
急に私事の話で恐縮だが、義母は88歳という高齢の今でも、ひとり暮らしを続けている。義父は20年ほど前に脳溢血で倒れ、約2年半の入院生活の末に他界した。義母には娘(私の家内)と息子がいるのだが、気丈にもひとりで元気に生活している。
世間一般のご他聞に洩れず、息子の嫁と姑の間柄は必ずしもしっくりといかず、このため、娘である家内が車で片道1時間掛け、週1回程度義母の様子を見に行っている。この独居の状態も、家に残されたマンションの家賃収入等が義母に入るという恵まれた環境のお陰である。まさに、老後の頼りは“お金”次第ということなのか。身近な所からの実感である。
今年10月のある新聞紙上に、名古屋大学の角谷快彦特任准教授(医療経済学)が、日本、米国、中国、インドの4カ国で行った老後の不安に関する意識調査の結果が載っていた。
調査分析では、40歳以上の約5000人(うち日本は約2500人)の意見を分析したというのだが、その結果、日本では▽貯金など所有する金融資産が大きい▽生活費に占める年金の割合が高い▽年齢が高い▽運動する習慣ーがあるほど、老後の不安が減るとされている。
一方、▽子どもとの同居▽持ち家があること▽学歴の高さ−−は、老後の不安を減らしてくれないとの結果だった、というのである。 また、子との同居が安心につながらないのは4カ国共通だったという。
この調査に当った角谷准教授は、「不安が大きいと、将来に備えて貯蓄を過剰なまでに積み上げてしまい、経済にも悪影響を与える。年金など社会保障制度の果たす役割は非常に重要だ」と指摘する。
この意味では、人口の高齢化が続く我が国にとってセーフティネット、とりわけ介護の問題と所得保障としての年金保険制度がとりわけ重要な問題である。
これは親の立場からの老後の過し方・生活についての調査分析だが、では、これを親の世話をする側の子供の立場からは、どうなのか?
この点、現在の扶養世代を直接に対象とする調査という訳ではないが、今年9月の複数の新聞に次の扶養世代である高校生の意識調査の結果が掲載されていた。記事では、“親の世話したいは、少数派?”との見出しの下、内容は「国立青少年教育振興機構が昨年実施した意識調査で、高齢となった親を“どんなことをしてでも自分で世話をしたい”と答えた日本の高校生は37・9%で、日米中韓4カ国の高校生の中で最低だった。
最も高い中国は87・7%。韓国57・2%、米国51・9%で日本以外は半数を超えた。日米中の3カ国が対象だった2004年調査では日本43・1%、米国67・9%でいずれも減少。中国は84・0%から微増した」とのこと。
現代では、要するに、引退した親世代の生活の面倒をみるという家族制度内部における働く子供世代の直接的、私的な費用負担が、介護及び年金に関する公的制度の成立によって、保険者である政府への保険料の納付という間接的、公的な費用負担に振り返られたものということができる。
こうした公的制度の基本的な役割を踏まえれば、働く若壮年子供世代の本当の負担とは、公的制度の成立によって必要となった政府への年金保険料負担から、不必要となった家族内部での高齢親世代の生活費負担を差し引いたものであることが分かる。
このように、高齢者に対する社会保障が基本的には家族と同じ世代間扶養の仕組みであることを理解されれば、公的年金制度も、引退した親世代の生活に必要な家族の費用負担を軽減するものであって、一方的に保険料負担だけを強いるもではないというメッセージが働く子供世代にきちんと伝わるものと思われるのだが、そこが難しい。
現役世代にとっては、現実の厳しい社会・経済状況の中で、このようなメッセージが耳に入る余裕も無いのかも知れない。それが前述の高齢となった親を“どんなことをしてでも自分で世話をしたい”と答えた日本の高校生が37・9%という低率に顕れたのだろうか。
それにしても、最近よくマスコミ報道で伝えられる中国や韓国の人心の荒廃や経済格差等の状況に照らしてみると、中国・韓国の高率の原因は何故なのか、何故日本は低率なのか、私にはやはり理解できない。
今後とも、社会の急速な少子高齢化を背景に、社会保障の負担・受益を巡る論議は、さながら世代間戦争のようにセンセーショナルに取り上げられることが十分考えられるが、家族と社会保障との関係が理解され、保険料拠出のメリットは遠い先の自分たちの受給権の発生だけの問題でないことを、粘り強くテレビ等の情報媒体を通じPRしていかなければならないと思う。
同時に、高齢者本人も、老後の頼りは“お金”の厳しい認識の下、さらに深刻化する高齢化社会を見通して、高齢者にもそれなりの公的制度維持の努力が求められるのではなかろうか。
即ち、高齢者社会を支える医療等の公的費用の節減や、費用負担の世代間の公平・高齢者内部の公平を図るための高齢者が所有する不動産を所得保障や医療・福祉サービス購入の充実に有効活用すべきという考え方である。
また、経済的に恵まれた高齢者へ応分の負担を求めていくことも必要であろう。 そこで改めて、冒頭の格言の含意である世代間の相互思いやりの精神こそが、ギスギスした現在の社会の有様を改善するための素晴らしい慧知が込められているのではなかろうか、と思う。 そして、これが副題の“1億総活躍時代より1億総我慢時代”の意味である。