2015年01月23日

◆童話に教えられること

真鍋 峰松



まず、この話をお読み頂きたい。
 

「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き離すように求めた。
 

自分と羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。


いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。」(「新訳イソップの寓話集」塚崎幹夫訳 中公文庫)。


以前、読んだ童話の中の話である。日本の昔話や童話の中では、子ども向けに最後の下りがメデタシ、メデタシ、そして二人で幸せに暮らしました風、或いは勧善懲悪の教訓話が多い。
 

だが、西洋の有名なイソップやグリム兄弟の童話集にはハッピー・エンドばかりではなく、相当にアンハッピー・エンド、残酷な結末で終わる話が多いという。
 

これは、欧米系人と日本人との民族性の違い、とりわけ日本人の現世肯定の現実主義と、子供には夢と希望をという一種の理想主義とが合体したところから生じたのであろうか。


童話の専門家でもない私が、このことを詳しく述べるのは本題ではない。


私がこの話から直ちに連想したのは、昨今の米軍基地の移転問題。いつしか日本近海でキナ臭い話が充満する昨今、基地をどこか国外に移転しろと言うのは、果たして如何なる外国の、或いは宇宙人の策略なのかどうか、私には専門外の話。


だが、この童話、如何にも当て擦り的な寓話のように思えてならない。明らかに分かるのは、昨今の米軍基地問題を巡る議論では、どこか基本的な問題が抜け落ちているのではないのか、ということ。
 

つまり、この寓話での犬の果たす役割〜国の安全保障体制の問題である。 


国の果たすべき役割の最たるものの代表例は防衛・外交、司法。 戦後の防衛・外交の中心的役割を担ってきたのが日米安全保障条約。それ位は誰でも簡単に解ること。


片務的契約だの、何だのという議論はさて置き、明白なのは、現在の日本自身の防衛力だけでは、近代戦闘では非常に心もとない。
 

米国の軍事力を背景にしなければ、とてもじゃないが周辺の反日的な国に太刀打ちできるものではない、ということ。


この件に限らず、今後一体、この国はどこを向いて動いて行くのだろうか。確たる方向性があり、操舵手はいるのだろうか。
        

最後に、もう一つ。


「兎が獣の会議に出かけてゆき、これからどうしても万獣平等の世にならなければならぬと、むきになって論じ立てた。獅子の大王はこれを聞いてニコニコ笑いながら、兎どん、お前の言うのは尤もだの。だがそれには、まず儂どもと同じに、立派な爪と歯を揃えてからやって来るがいい、と言った。」 ( 同 前出 )

2015年01月06日

◆“和気 致祥” を目指して

眞鍋 峰松


今年の干支は未(羊)。 丁度、私は72歳の年男。 だが、年男と言っても、日本国民の凡そ12分の1の確率で毎年年男(女)が誕生する訳だから、別段珍しくもない。 とは言え、意外と本人には気になるもの。

ご承知の通り、十二支は、鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚(猪)の十二の動物を当てたもの。その中で、未年の人間は、穏やかで人情に厚く、性格が従順で温和、情に厚く親切。 人との争いや対立を嫌うため、人間関係もいたって良好だが、その優しい性格から頼みごとが断れない場合もあるので注意する必要がある、とのこと。 

そう言えば、4日の天声人語(朝日新聞)でも「羊のように穏やかに」との見出しの下、東京博物館の話として『羊は古代中国で「よきもの」という意味を持つようになった。栄養源として神への捧げ物として、親しまれ大切にされたからだろう。確かに羊にまつわる「美」や「善」「養」「祥」といった漢字はどれも良い意味だ』と解説している。 

ことほど左様に、羊年は温和で穏やかなイメージなのだから、この1年は天変異変、大きな自然災害も無く過ごしたいものだ。
 
所で、中国古典の漢書の中に、「和気致祥 乖気致異」という語句があり、読み下しは「和気は祥を致し、乖気(かいき)は異を致す」で、その意は、和気とは陰と陽のバランスが取れた状態で、崩れた状態が乖気。 

祥は幸せで、異は天変地異のことだ、という。 私のイメージにある「和気」というのは、人間で言えば、穏やかな風貌をし、だが話を聞いてみると、結構人生の辛酸をなめてきているが、その苦労の跡をどこにも留めていない。 自分の人生を愚痴ることもないし、自慢することもない。 か、と言って卑屈になっている訳でもない。 淡々と社会人としての責任を果たしている。 

こういった人たちの醸し出している雰囲気が、本物の「和気」に近いのではなかろうか。 苦労を「和気」の中に包み込んでいる人は、自分に「祥」を呼び込んでくるばかりか、周りの人の心を和ませてくれる気がする。 そのような人間は、それだけでも人としての存在の意味があろうというものだ。 また、風貌から言えば「和顔」。 つまり、和やかな穏やかな顔。 

ただ、和顔というのは、ニコニコ笑うというのではなく、人間の内面からしみ出して来るようなやさしい表情。 写真を撮る時のようにいい顔をしょうというのではない。 優しさを作るのでもない。 自然に滲み出し、自然にあふれ出して来るものがある。 それが「和顔」。
  
だとすれば、私も72歳の年男。 十二支で数えれば、六巡目の年。 「和気」と「祥(幸せ)」が欲しいと言っても、むろん、ただニコニコ笑っていればそれで良いというものでもなく、その中に包まれているものが大切。 

だから、今年こそは短気は損気だと反省し、徳を積むために忍耐と包容力を養おう、そして穏やかな「和気」を呼び込もうと思うのだが・・・。 しかし、私の今までの欠点を熟知している周りの人たちから視れば、下手すれば、「彼も年齢相応に惚けてきたな〜」と思われる可能性の方が高い。
  

2014年12月25日

◆もうひとりの「畏友の死」

眞鍋 峰松
 

今月15日、高校時代の友がまた1人亡くなった。 亨年72歳。 膵臓の悪性腫に罹り、今春に開腹手術するも各局所に転移、既に手遅れ状態。 最近になって、遂に病床の彼からは“頑張る言葉は決別しました”と最後のメールがあった。           

これが高校入学15歳の時以来、60年近くの歳月を経ての永遠の別れである。 大学工学部を卒業後、在阪の大手電器製造会社の技術部門に就職し、最後は岐阜工場の責任者を経て退職。そのまま岐阜に居ついていた。 

技術畑の人間らしく律義で謙譲の美徳の持ち主。 性格は洒脱で、明るく、真面目そのもの。 仲間同士の議論でも、人の話をじっくり聴き、自分で消化してから発言するタイプ。 最近では環境問題へ関心を寄せるとともに、太極拳に打ち込み修業の末、遂にニ段になったと喜んでいた、とのこと。 

真面目と言えば、昔の酒の席上で私に、一時期フィリッピンの現地会社のナンバー2として出向中の単身生活をしていた頃の思い出話をしていたことがあった。その中で、休みになると、ガードマン付きの住宅地から抜け出し、よく現地の酒場に行った。

その店で彼のお気に入りだったのはやはり同じ黄色い顔の中国人のホステスだった、と如何にも楽しそうな話振りだった。 これが彼から聞いた唯一の浮いた話。

本欄でも一度記述した記憶があるが、我々の学年は、昭和17年〜18年の生まれ。終戦直後の混乱振りを記憶しているはずも無いのだが、多少なりともその匂いを嗅いだことのある世代ということになる。 

高校時代は昭和33年4月〜36年3月。ちょうど、昭和35年(1960年)の日米安全保障条約改定時の大騒動の真っ只中に、最も多感な高校時代を過ごした世代である。 

この安保反対闘争の余波は、当時の高校生たちにも及んでいた。この渦の中、同じ考えを抱く同期生の14人が集まり、安保反対闘争から距離を置くための校内活動を進めた。 今から思い起こすと、ここら辺りが50年以上も続く我々のグループ結成の端著になったのではなかろうか。 

そして、現在に至るも、年一回の総会と大阪と東京それぞれの地区に分れ、勉強会と称する親睦を深めてきたが、彼は欠かさず出席の一人。 だが、今年11月の東京での総会には、体調不良という理由で欠席。 まさか、そのような死に至るような病床にあるとは、仲間の内では、以前から相談に預かっていた2人の医師を除き、誰一人として知らなかった。

それにしても、今や14人の仲間も12人。 同年輩の人間の死がいよいよ身近に迫り、明日は我が身か、と感じる年齢になった。 

「 来しかたも 行方も知らず ひとりきて ひとり消えゆく うたかたの夢 」という歌(残念ながら、詠み人は知らないが)があるが、この歌の心がずしんと心に響く。人間である以上は、いずれ、誰でも行き着くところは同じだが、その終末は人それぞれ。 

そう言えば、権力の頂点に立ち、俗物精神が豊かで、栄華を心のままにしたことで歴史上有名な豊臣秀吉が、生涯を回想して詠んだ辞世が「 露とおき 露と消えにし 我が身かな 難波のことは 夢のまた夢 」。 

これなど、まさに 西欧の権力者には考えられない心情の姿。こういうのを東洋的無常感というのだろうか。“生”をはかない、空しいと観じるとらえ方、感じ方であろう。                          


また、誰が詠んだのか「 金々(カネカネ)と さわぐうちにも 年が寄り その身が墓に 入相(いりあい)の鐘 」、江戸初期の俳人 上島鬼貫の「 骸骨の 上に粧(よそ)ふて 花見かな 」など、現世の金銭欲・色欲という俗世間をあざ笑う歌句まである。

後者の句など、妙齢の女性の若さや肉体美も、折角の入念な化粧も、こう言われてしまっては、台無しである。
 
余談だが、信じる人には信じて頂きたい話。 岐阜羽島の斎場で行われた葬儀に参列後に帰阪した17日の深夜、時刻も定かでないのだが、寝床の中で深く睡眠中のこと。首筋の辺りに今までに感じたことの無いほどの異常な寒さに眼を覚まさせられた私。 

ひょっとしたら、彼が長年の付合いのお別れとお葬式参列のお礼に訪れたのか、と一瞬思った。 

その後、暫しの間、昔々を懐かしく思い出し、高校卒業後すぐに仲間たちと訪れた、神戸六甲山の中腹にあったお寺での宿泊や議論した有様、その時の彼の見事なまでのイガ栗頭などなど、これまでの様々な議論やら風景が眼に浮かび上がって来た、ことだった。

いずれにしても、この世に生れて来るということは、水戸黄門と称される徳川光圀が詠んだ歌と教えられた「 父母(ちちはは)に 呼ばれてかりに 客にきて 心のこさず 帰るふるさと 」のようなこの世・あの世の姿なのであろうか。もう一度、夢の中ででも会えるものなら、彼に訊ねてみたいものである。
 

2014年12月13日

◆対中国外交に思う

真鍋 峰松



まず、この文章をお読み頂きたい。

「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮蔑を招く。


その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる。とにかく国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危うくなろうとも、政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である。・・・・戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所と呼ばれるべきであり、もはや政府と呼ぶべきでない」。 


キリスト教信者として名高い内村鑑三氏の著書「代表的日本人」中の西郷隆盛の言葉である(1908年原著 岩波文庫 鈴木範久訳)。


この言葉の真髄は“ただ相手国の強大さに萎縮して、うまくやろうというような処世術的外交は避けるべきである。 そうすると、かえって侮られ、それまでの友好関係もくずれてしまう”という一点にある。
 

読めば、この文章、これまでの我が国の対中国外交への痛烈な皮肉と解釈できるような気がする。 戦後数十年かかってここまできた日中の外交関係。この偉大な先人の言葉を無視・軽視するような事態を招くことによりその成果まで灰燼に帰すことのないよう願いたい。


また、過去の日本外交においてややもすれば多々見受けられた“商法支配所”、即ち、経済的利益を重視するあまり、我が国外交を誤らせたという事態も同様である。

幸い、今回の尖閣列島を巡る二国間の衝突に関しては、経済界や財界からの、紛争の早期解決だけを願う声も少ないように思う。それにはそれなりの理由があるのだろう。


周知のように、近年の中国の居丈高な過剰反応は尖閣列島周辺海域の石油等の資源開発に絡んでのことであり、日本においてもこの側面が熟知されている。 これが今回の場合、経済界・財界からの横槍や雑音がない理由であろう。

著しく経済力を増した中国にとって経済カードは強力な武器になる。我が国経済にとってレアアースの輸入停止は甚大な影響を及ぶすとしても、中国経済にとっても多少影響があろう。


だが、全てにおいて政治が優先する社会ではそれは問題にならない。そこで参考になるのは、米国のグーグル社の態度であろう。

自由主義社会の柱とも言うべき情報の自由を求めて中国当局と真正面からぶつかったのだが、これも最悪の場合には撤退もやむを得ないという同社の覚悟があってのこと。

果たして、口を開けば自由主義経済・市場経済の効用を説く日本の財界・経済界の人達にこの覚悟が有りや無きや。 史上初の財界人から登用された日本の中国大使、これにどう対処していくのか、注目したい。


また、事件に関する新聞テレビ等の報道やコメンテーターの解説を見聞きしていると、相変わらず、中国側の国内事情、つまり国家指導者間の主導権争いや貧富の過大な所得格差問題などを取り上げ、訳知り顔で背景説明をしているように見受けられる。

このこと自体は事実なのであろうが、だからどうだと言いたいのだろうか。日本の主張を手控えよ、とでもいうのだろうか。


それより、国際紛争対処の常識として、これら外交紛争に関する政治上の議論は国内だけで止めるべきであり、交渉相手国の国内諸事情を参酌し過ぎる人間や最終的な解決策を持たずして、相手国に乗り込む愚を犯す政治家等が多過ぎるのも困ったことではないだろうか。

こういった国内の無責任な議論や対応で、対外折衝の任にある者の足を引っ張って何になると言うのか。 老獪な中国外交のこと、日本国内の議論の誘発・分断が計られ、結局は日本の国益が損なわれるだけだろう、と思う。

皮肉なことに、中国古典である孟子の離婁篇第四に「夫れ、人は必ず自から侮りて 然る後によそ人もこれを侮り、家は必ず自から毀(こぼ)ちて 然る後によそ人もこれを毀ち、国は必ず自から伐(やぶ)りて 然る後によそ人もこれを伐う。」とある。


つまり、人間というものは、自尊心を失って、自身を軽蔑するようになると、その気持が言動に現れて卑屈、投げやりになり、それが他人の軽侮を招く、他人に軽蔑される原因は、自分が作っているのだ。

自らを持することが厳でなくなると、家を治めることもできなくなって、家は崩壊する。内輪がしっかりしてさえおれば、外圧だけでは決して壊れるものではない。


国家とても同じことで、内に姦邪の臣がはびこり、君主に統御の才なく、国民に不平不満が高まるという末期症状が現れて、他国に攻め滅ぼされるわけであり、明主賢臣がいて善政を布いている限り、自壊作用が起こらず、従って他国の攻め込む隙はない、というのである。


この紀元前4世紀の孟子の言葉は、ひとり我が国のみならず、現代中国の為政者への痛烈な皮肉となり得ると受け止めるのは、私だけではあるまい。

2014年12月07日

◆高齢者にとってのペットの癒し

眞鍋 峰松



最近、マスコミで大きく報道されたのが、栃木県で犬の死体が大量に見つかった事件。 小型犬のこの種の死体遺棄事件は全国的にも見られ、10月末から11月初めにかけ、佐賀県、群馬県高崎市、宇都宮市鬼怒川、那珂川町などの河川敷や山林でも発見されている。 

警察では廃棄物処理法違反容疑で元ペットショップ従業員の男らを逮捕したのだが、背景には飼育がずさんな悪質ペット業者の存在など、構造的な問題を指摘する声も出ているというのである。 

昨年9月には動物愛護法が改正され、自治体が業者からの動物引き取りを拒めるようになった。 所管する環境省は「売れ残った犬を安易に保健所に持ち込む業者が一部にあり、一度飼ったら死ぬまで面倒をみるよう徹底させる趣旨だ。都道府県の立ち入り調査などで、ずさんな飼育をしている業者を把握するしかない」という。 

ただ、この改正は悪質業者による処分が殺処分から遺棄に変わっただけとの指摘もあるとの批判的な報道もされている。         

折しも、過日、私が住む泉北ニュータウンの地域コミュニティ誌にこんな記事が掲載されていた。ニュータウンでは人口が減り続けているが、ペットの飼い犬は逆に増えている、というのである。 

調べてみると、ニュータウンを主体とする堺市南区の人口は、平成24年9月末現在で居住人口が155、638人で市域全体(850、521人)の18.3%を占めているのだが、ここ数年では毎年700〜1500人程度の速度で減少している。 

その一方で、65歳以上人口は増え続け、その割合が南区では25.5%(市全域23.4%)に達し、高齢化の速度が他地域に比し明らかに高い。これは他の既成のニュータウンにも多く見られる現象だが、初期入居者の高齢化や都心回帰により、全体的な人口減少とともに、高齢化は進んでいるのである。 

ただ、人口減少の割合ほどには世帯数の方は減少せず、ほぼ横ばいに近い。これらの事実は、泉北ニュータウンの人口が減少傾向の上に高齢化し、世帯構成面でも高齢者世帯化しつつあるということを物語っている。 

これに反し、飼い犬の方は増加傾向。今年3月末の飼い犬数は南区全体で7,561匹で、ここ数年逆に毎年100匹程度づつ増加している、とのこと。                                

これらの事実は私の実感にも合致する。 朝夕に近辺の緑道をジョギングやウォーキングする高齢者や犬を連れ散歩する高齢者の数が、ここ5年間程度で明らかに倍増している。 ここから窺えることは、人口の高齢化とペットの増加とは、比例する関係にあると言い得るのではなかろうか。 

ただ、高齢者のペット犬飼育には、高齢者であるが故の悩みが存在する。拙宅のご近所を見渡しても、同居の子供たちが家を出て、今や老夫婦のみ居住という世帯が多い。

その中には、以前犬を飼っていたものの、犬の死亡後、自分達が世を去った後の飼い犬の面倒を誰が看てくれるのかが心配で新しく犬を飼えない、それが非常に寂しい、悩ましいという家庭が多い。 

余談だが、以前我が家でもミニチュア・シュナウザー犬を3匹飼っていた。だが、3年半前に長男犬が逝き、先月末には次男犬も亡くなった。そして、残されたのは、間も無く12歳になろうかという長女犬の一匹。

かって3匹の室内犬のため家中が犬小屋に変じていた我が家も、やっと整理整頓の眼が届くようになってきた。反面、3匹から2匹、2匹から1匹へと、飼い犬の減少による極度の寂しさは否めない。

ご多聞に洩れず、もし残った今の唯一の愛犬が亡くなれば、その後はどうしたものか。心秘かに思案六方中である。    

高齢者の余生の過し方には色々あるだろうが、ペット犬の飼育による癒しの効果は大きい。それだけに高齢者の増加に伴う小型犬のペット需要も益々大きく、ペット販売業者による販売の構造を変えないと、同じような問題は繰り返されることになるだろう。 

今はトイプードルやチワワ、ミニチュアダックスフントなどが人気で、それらが大量に供給される裏で、売れ残った犬や産んだ親犬を処分しなければならない事態になっているという。 

欧米には、繁殖業者の調査を動物専門の取り締まり機関が調べる仕組みがあり、アニマルポリスと呼ばれ、業者による動物の扱いに問題があると判断した場合は告発、組織によっては逮捕権までも持つという。 

これ以上の業者の残酷・非道な行為が頻発するようであれば、早期に制度の創設も検討されることが必要になるのではないだろうか。それでなくても、他人のみならず自分の命をも粗末にし、親が子を、子が親を見捨て、甚だしきは殺傷するような世の中。 

まず、か弱いペット犬の命からでも大切に扱うことを学ばなければ、と切に願う。

2014年11月29日

◆ワン・フレーズ政治手法の危険性

眞鍋 峰松



今月26日の新聞紙上で、久し振りに昔懐かしいお名前を拝見した。旧社会党委員長や衆院議長を務められた土井たか子氏。去る9月20日に肺炎のため85歳で死去された同氏のお別れの会が25日、国会近くの憲政記念館で関係者や国会議員、友人ら470人が集まり開かれたとの記事。 

お別れの会場では、初代の社民党党首を務めた村山富市元首相が「低落傾向にある社会党の委員長に就任する時、『やるっきゃない』と決意し、どんな圧力にも屈せず『だめなものはだめ』といい、『山をも動かす』強い力を持った社民党に再生させた」と、お別れの言葉を述べられたとのこと。

土井氏の本職は弁護士であり、同志社大学の田畑 忍教授門下で憲法を学び、「憲法と結婚した」と言われるほど、「護憲」のトップリーダー的存在であった。 

余談だが、私の学生時代、この田畑教授について一つの思い出がある。学生自治会役員の一員であった当時、会主催の自主講座の講師として折衝・招聘の役を務めたことがある。

その際、初めて同志社大学教授の研究室を訪問し親しくお話をお伺いしたのだが、同教授は当時雑誌世界などによく執筆されており、これらの雑誌から抱いていた左翼的・先鋭なイメージとは異なり、小柄・やせ気味の口髭を生やした温厚な口調の紳士ぶりにやや違和感を覚えた遠い記憶が残っている。

土井たか子氏には上記のように幾つかの印象的な言葉が残されているが、今思い返すと、これらの言葉は小泉元首相流のワン・フレーズによるプロパガンダ、政治手法。

当時、女性には珍しい位の同氏の毅然とした態度と迫力には感心したのだが、それらの言葉の中で私にとって最も強烈に記憶に残るのは、消費税創設議論に反対の意思表示を示した「ダメなものはダメ」発言である。

だが本来、それは言論を持って戦うべき弁護士としてはあるまじき発言ではなかったのか、との感想である。 
古来、日本には「和をもって貴しとなす」の風土があり、これは元々農耕民族としての気質なのだろう。 

故会田雄次京都大学教授は、著書「逆説の論理 新時代に生きる日本の英知」の中で、『人は誰でもが、たとえ偉い政治家であろうが、高徳の僧であろうが、みな或る意味において出来損ないである。 

社会的に困った出来損ないと、そうでない出来損ないとの差があるだけに過ぎぬ。この世は、こういう哀しい人間同士がお互いに赦し合って生きて行くことで初めて穏やかなものとなる。 泥棒にも三分の理、人の気持を察してやろう。率直に自分に問えば、同じ出来損ないのこと、相手の気持はすぐに察することが出来る。すべて控え目に行こう。 

そういった人間観である。そういう心情、観念だけのことではない。出来損ない達のうさを晴らしたり、それを軟着陸させたり、各種の出来損ないに生き甲斐を与える手段や場所が日本ほど多種多様に、そして複雑巧妙に作り出された国はまぁ存在すまい。

一杯飲み屋、銭湯、岡場所、各種の祭り、花見月見の習慣、盆栽作りといった手段や施設、酔っ払いと陰口への寛容さという対応策など、枚挙にいとまがない。もう少し居直って言えばこうだ。

こういう出来損ないが集まって作った「出来損ない社会」だからこそ、変化もある。流動もある。 安堵できずガタガタしているからこそ遊びも面白いし、活気も生れる。』と記述されている。 

要は、この日本人の「融通無碍」な考え方こそは、まさに日本民族独特のものだ、と論じられているのであり、私も全く共感する。それだけに、当時の私には、土井氏の「ダメなものはダメ」発言は、日本人としては極めて異質だと感じたのではないか。 

また同書では、『建築と同じように社会にも柔構造社会と剛構造社会がある。 そして柔構造社会の方がはるかに発展性と持久力を持つことも同じだ。 固陋なイデオロギーや、独善的宗教の単一支配が行われ、それへの従属を「安全」「理想」として押し付けられる社会は剛構造である。 その理想の押し付けが強い国ほど社会の堅さ、従って脆さも強まる』と続けられている。

この柔軟性こそが日本人の強みだと断定されているように思う。

さらに、外国生れ・育ちでありながら、良く日本的風土と気質の特質を理解されているものだといつも感心するのだが、呉 善花氏の著書「日本人を冒険する」の中の日本人論は、下記の通り。

『日本人は人間をできるだけ共通な観点から見ようとする意識が強く、異質だとか特異だとかする差別的な観点を嫌います。 日本人の多くは、物事をできるだけ相対的に考えようとします。「いろんな見方があるし」とか、「そういう考え方があってもいい」とか・・』と記述。同趣旨のお考えなのだろう。

私は、今さらここで土井たか子の発言をあげつらうという気持は、毛頭ない。尚更、批判すには、当時の時代背景の下での発言という点をも十分に踏まえる必要があろう。 

だが、ワン・フレーズによるプロパガンダや政治手法は一般的に理解し易く、歯切れの良さが広く社会に受け入れられ易い。

その故に、逆に世論形成の上で危険なものに成りかねないのでないか、近く行われる衆院選においても頻繁に声高に聞かされるのでないか、最近の橋下大阪市長の発言にも相通じる危うさがあるのではないか、と危惧した。そこで敢えて取り上げてみた次第である。

2014年11月23日

◆これも時代風潮を表す言葉?

眞鍋 峰松



この12月初めには、恒例の今年の流行語大賞が発表される。そこにはノミネートされていないだろうが、近頃、新聞紙上等で頻繁に“大義”や“愚直”という言葉を見かける。 

私ひとりの感想なのかも知れないが、これらの言葉は、いずれも現在の日本という国が置かれた状況を反映した、恰も時代風潮を想起させる言葉のようにも思われる。

だが、“大義、大義”などと連発されると、戦中戦前当時の時代感覚が連想されられる。だからどうだ、という仰々しさもないのだが、私にはどうも気になって仕方が無い。往々にして大仰な言葉やスローガンの蔭に、思いも寄らぬ意図や悪謀が潜む場合も多い。

辞典によると、大義という言葉は「人が踏み行うべき道」、の意。 また、大義名分という熟語で使われることも多いのだが、名分は名義(表だった名前)に伴って必ず守るべき道徳上の分際・限度、犯してはならない人倫上の範囲、の意だそうだ。 

この度の衆議院議員選挙、“大義なき解散”などと聞かされると、一体如何なる一大事件なのかと驚く。だがよくよく聞くと、その意味するところ、単に衆議院の解散理由・事由が明らかでないだけのこと。 

“だけのこと”と言えば世間のお叱りを受けるかも知れないが、如何にも情緒的発言であり、結局はアベノミックス効果の成否が問われる選挙などと言うのなら、やはり政策・施策選択の範疇。むしろ私の感覚では名分の有無の問題だと考えるのだが、それが何故“大義”の有無となるのか。 やはり、言葉にはそれ相応の使用方法があるだろうに、と思う。

ところで、愚という語。賢愚と並列され、賢の反対語の、愚かなこと・馬鹿、馬鹿々々しくて取るに足らないことを意味するのだから、他人に対し濫りに使用せられるべき語ではない。 

だが、己の自称となると、自分に関する謙遜、謙称と化する。直は正しい、真っすぐなことを意味するから、“愚直”と愚と直を重ねると、馬鹿正直の意味になる。そうなると、謙遜のはずが一転、自分が正直であることの押付け・自画自賛ともなりかねない。 

最近、この言葉を発した人達から判断すると、その真意・底意がミエミエだと思わざるを得ない。

孔子は、論語の公冶長第五の中で「寗武子(春秋時代初期、衛の国の大夫)は、国家が治まっていれば知者としての技量を十分に発揮し、国家が乱れてくれば愚者になり、知者として鋭敏な見通しが早くつく性質を押さえて愚直な誠実を働かせたと評し、(孔子ですら)その知恵者ぶりはまだ真似られるが、その愚か者ぶりにはとても真似られない」と言われる(参考:吉川幸次郎訳 世界古典全集4など)。 

つまり、道理の通る世では立ち働いて知者となるのは難しいことではないが、無道の世に才知を隠して愚人のように振る舞い世に尽くすことは考えつかない、というのである。愚もここまで達すれば、人知を窮めたということになるのだろう。

また、小説家の故 城山三郎氏は、ある本の中で次のような文章をお書きになっている。

「男にとって大切なことは愚直さですよね。もう明らかにそういうことをしたら損だということが分かっていても、そういうことをしなくちゃいけないという使命感なり理想があって、愚直に生きていく。その愚直さということを、もう少し言い換えると、けじめの問題ですね。つまり、男らしい男は、けじめをつけるっていうことです」というのである。

では、自分自らが“愚直にことを行った”と仰ったと聞き及ぶ面々、例えば鳩山・菅元総理の両氏が果たしてこの域に達しておられたのか、どのようなけじめを付けられたのか、甚だ疑問だ。

要は、私が言いたいのは“大義”とか、“愚直”などの言葉をあまり安易・安直に使って欲しくない、ということ。 

蛇足だが、この意味は本誌に以前(平成23年3月1日)に掲載した“蔓延するのか、維新の会ブーム”の中の「維新と云う言葉をそうそう安易に使用して欲しくないということ。果たして彼らに維新という言葉を自ら名乗るほどの潔さと気概があるのか、ただただ選挙に当選したいがためではないのか」という記述と同趣旨である。

2014年11月19日

◆今時の男の子、女の子

眞鍋 峰松



こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 

学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。


生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 


私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。


ところが、その場に居合わせた母親達が一様に驚いた出来事が発生した。


生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。


何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。


ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。


この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     


私は、その出来事を聞き、改めて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。


4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。


発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」、というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。


母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。男の子は昔々から、男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。


街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。


この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。

2014年10月29日

◆青春時代へタイムスリップ(そのニ)

眞鍋 峰松



とは言え、15,16歳からの仲間たちの間柄のこと。何も堅苦しい話題ばかりではない。 勉強会?後の四方山話の中では、在学当時の女子生徒の噂話など諸々の雑談が噴出する。 

その雑談中に仲間から聞いた愉快な話の一つが、スーパーでの体験。仲間の一人が近所のス―パへ買物で出掛けた時、支払いの際に折悪く小銭の持ち合せが無かったので、レジ―の女性に900円弱の代金にクレジットカードの使用の可否を訊ねた。

そこで、件の女性、“カードで結構ですよ。お支払いは一括払いで宜しいでしょうか”とのたまった。彼は咄嗟の事で“一括支払いで結構です”と即答したのだが、後刻不思議に思ったのは、果たして900円弱の支払いに分割して支払う客などいるのだろうか、

もし客が分割払い、例えば2回、3回払いでお願いしますと返事されたら、そのレジーの女性はどう反応し対応するのだろうか、と可笑しくなってきた・・・とのこと。 

そこで、聞いていた我々一同、“一層のこと、10回払いでお願いします、と言えば良かったのに”、“いやいや、10回払いなら利子の方が高くなる惧れがある”、“これはよく話題になるマニュアル化の弊害だ”等々、喧しいこと。 

このような他愛も無い話題に盛り上がるのも、この年齢に到達し、今さらお互いに格好を付ける必要もない50年以上の付合いの賜物だろう。

その後、集まりも終了し解散後のこと。私が朝食後、東京在住の仲間一人の案内で行った同じ上野の不忍池を通り抜け、寛永寺参拝途中に立ち寄った弁天さんのお宮での話。

社務所側面の壁に掲げられていた小型の絵馬が全部で500枚以上も有っただろうか、しかも、驚いた事に、書かれていた文字の殆どが英語・スペイン語などの外国語。 

また、付近の樹木の枝には沢山のお神籤が結び付けられていた。このこと自体は日本の神社の至るところで見られる風景なのだが、彼から聞いた話によると、外人がお神籤を引いた場合、手にしたお神籤を必ず日本旅行の記念に持って帰ろうとする。 

外国人観光客である以上これも尤もな話なのだが、同行のガイドからは、日本の風習に従い一旦結んだのだから取れません、と止められる。 

しかし、外国人はやはりどうしても記念に欲しいからとお御籤を再度引き、持ち帰ろうとするそうだ。だが、そうなると殆どの場合、前回のお神籤とは違った運勢の結果となる。 

これが彼等外国人にとってはどうしても合点がいかない。何故先ほどのお神籤と内容が違うのだ、可笑しいではないか、と言う訳である。

その場合、日本人はお神籤とはそういうものだと納得しているのだが、彼等外国人にはどうしても理解できない出来事なのだろう。ではその場でガイドはどう返答し説明したのか、残念ながら尋ね忘れた。 

だが、大阪へ帰り帰宅後、この出来事を家庭で話題にした。そこで、家人の答えは“二回目は宮参りのお陰で運勢が変わったのだから、喜ぶべきだと返答すれば”とのこと。

これに対し、他の家人からは、“それでは前回のお神籤が良くって(例えば、大吉)、今回が悪い運勢(例えば、凶)ならどう説明するのか”と反論。 

これに対し“それはお神籤は本来一回引くものなのに、それを欲を出してニ回も引き直したら違うのは当たり前。運勢が悪くなったのは、それが原因ですと説明すれば良い”との返答。 

聞いていた私、それぞれ成る程、成る程とは思ったが、しかし、居合わせた外人が一人なら良いが、複数人なら二回目のお神籤が良い場合も悪い場合も混在する。その場合はどう返答すれば・・・?? 

この難問、なかなか正解など無いと思うのだが、本当のところ、どう説明するべきなのだろうか。果たして、彼等外国人の納得する説明が有り得るのだろうか。
 
考えれば、お神籤の本質そのものが、当るも八卦、当らぬも八卦の易の類の話。パスカルの「瞑想録」の中の有名な言葉として、神さまを信じない人に向かって「あなたは神さまを信じていない。信じてはいないけれど今幸せだ。

しかし、神さまを信じる方に賭けたらもっと幸せになるだろう。だからあなたは神さまを信じる方に賭けなさい。もし神さまがいなくても、もともとである。もし神さまがいたら、もっと幸せになれる」というのがあるが、これと同じ類の事柄なのだろうか。 

同行してくれた仲間の弁は、“いやいや、これは八百万の神・多神教の日本人と、一神教の外国人との差異だ”と言うのだが・・・。

2014年10月15日

◆“読 書 の 秋” 考

眞鍋 峰松



「 店先に 並ぶ実りで 秋(とき)を知る 」。 これは私の駄作だが、退職後に自宅で引きこもりがちになって以来の実感である。 

週に1、2度、近所のスーパーへ家人と共に買い物を行けば、その時々の旬の果物が並んでいる。夏のスイカ・ブドウから梨へといつしか移り、現在では柿。その時に、初めて夏も終わり、あぁもう秋なんだと実感する。 

秋と言えば、現役の頃にはもうそろそろ今年度の事業実績見通しと来年度の事業計画と予算の作成に取りかからなければ、と思う時期。 とにかく、現役当時は何らかのメリハリの効いた行動パターンがあり、外出する時の背広の着用ひとつを考えても、それなりに季節の変動を感じられた。 

その意味では、人間の人生の越し方や未来への考察時期と似ている。秋と言えば、形容詞に“スポーツの”“読書の”と付くのだが、この年頃ともなると、この二つの形容詞の使用には若干の躊躇を感じる。 

思うように身体が動かない、長時間の読書をしようにも眼が霞み、兎角にいずれも億劫になる。だが、日常に為すべき何ものも持たない我が身には、辛うじて読書のみが残されている。

別段然したる自慢にもならぬが、私は自分の記憶力の衰えを痛感した40歳半ばから、読み終えた書物の中で、最も重要と思う部分を記述し、ノートに残す癖をつけている。一冊の書物の中で写し取る記述部分は極々限られた分量だが、それでも積もり積もると凄いもので、今やA4阪で700枚にもなる。 

この着想は、アンドレ・モロア(1885〜1976 フランスの文芸評論家・伝記作家.)の次の文章を読み、成る程と思えたので、面倒だと思いながらも積み重ねて来た。「本を読みながら、ノートを傍らに置いて、覚えておきたいと思った意味深い箴言をそこに書きとめておくのは好ましいことである。 

いつか気持がふさいだ時など、これを眺めれば、書きとどめられた賢者たちの思索は、生きてゆくのを助けてくれるだろう。 」
 
さらに、故谷沢永一関西大学教授の次の文章にも誘発された。

「混沌とした現実を整理するために、読書する。これも真実だろう。つまり、色々な本を読み、自分なりにピンセットで摘むしかない。本の読み方としては、まずは、どんなことが書いてあったかを覚えておく。そして、現実にあったことと照らし合わせる。 

だが、本を読んだだけで、人間を知るのは絶望的に不可能である。本が何故、大事かと言ったら、実人生と照合することができるからである。言うならば、実人生は麻雀牌をかき回したような順序不同の状態だ。 

読書で得た知識で、ばらばらの牌を自分なりに整頓していく。 そこに読書の意味がある。 だから、浮世を離れた読書など無意味だ。」 

私も、年とともに自分の能力の限界がだんだん分ってきた。元々の乏しい才能と根気・集中力の上に、一つの分野に集中して独自の境地を切り開く気力も気概も毛頭ない。せめて出来ることは、古今東西のそれぞれの分野で偉かった人の教えを少しづつ受けてみるくらいのことである。私にとって、それが本を読むということである。
 
ただ、“古人の跡を求めず、古人の求めたものを求めよ”という言葉がある。自分で考えよということである。古人の言や良き師は、縁であり邂逅である。 それが機会となって自らの眼が開かれる。 

だが、教えられたところを租述しているだけでは自分のものにならない。教えられたことは情報である。情報は頭や心に刷り込まれて初めて知識となる。 そして、知識の活用こそが知恵である。知恵こそが、生きていくための根源である。 

他人の言葉でなく、自分の言葉で考えて、初めて自分のものになる。まさに、人生を問題にしている時は知識で解決できるが、人生が問題になった時には知識では解決がつかない。知恵なのだ。自分を介さないものは単なる情報、知識でもなく、知恵を生み出す本当の力とはならない。ここが難しい。    

人生、どう生きても100年足らず。これをどう生き抜くかは、自分自身の問題。他人に自分自身の人生を委ねることなどできない。 

だとすれば、どう生きて行くかを先哲先賢から学び、人間として誤りの無いように人生を生き抜いていかなければならない。人生の幸せ・満足を、今こそ先哲先賢に学び、イザと言う時に後悔することのないように生き続けていかなければならない、これこそ読書の効用だろうと思う。

2014年10月13日

◆今日一日をプラス思考で生きる

眞鍋 峰松



最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  


何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   

かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。


ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   

情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は、個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 


個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   

そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 


そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 


この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 


もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 


ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。 要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 

もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 


シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)

2014年10月07日

◆“長〜い友達”の話

眞鍋 峰松



これは、テレビに長い間にわたり流された育毛剤のCMの言葉。 最近ではテレビを見ていてもあまり耳にすることもなくなった。 

なるほど「髪」という語を分析すれば、“長〜い友達”ということになる。 そう言えば、この漢字を解読し使用する方法は、昔の小林旭の歌にもあった。 

その演歌の題名も忘れたが、“戀という字は、ヤッコラヤのヤ。いと(糸)し、いとしと言う心、言う心”という歌詞である。 ある程度の年代以上の方なら、多少とも耳に残っている歌詞だろう。 
 
そこで、“長〜い友達”の話。 

私も現役第一線を退き勤めを辞めた途端に、左程身だしなみに気を使うことも無くなった。 一旦このように自己自制の歯止めを失ってしまうと、人間はずるずるとだらしなくなるようだ。近頃では、家族の者から叱られ通しである。 

そうこうしている内に、髪の毛がどんどん薄くなる一方。一番、愕然としたのは、ある時の地下鉄車中でのこと。地下を走る加減で、外は真っ暗闇で、自ずと自分の顔・頭が映る。そこに映る頭を見た時、後頭部位は分からないものの、正面からは頭上にまさに地平線さながらに細く映る自分の髪の毛。 

遂に“長〜い友達”を失ってしまうのかという焦りにも似た感じ。若い内は、かねがね、女性なら兎も角、なぜ男性が頭の毛が薄くなるのをあんなにまで気にするのだろう、禿げ頭は禿げ頭でけっこう貫録もあるのに、と思っていた。 

ところが、自分の髪の毛が次第に薄くなるに従い、初めてそういうものではなかったことに気付いた。いつの間にか、道を歩いていたりしている時、前方から髪の薄い人が歩いて来たり、電車の中で前の座席に座っている人がいると、秘かに自分のそれと比べたりする癖がついていた。情けないことに、その人が自分より薄ければ、ひとまず、ホッとするのである。 

これはある書物に書かれていたことだが、
『 若さを捨てる 〜 若さに対する未練を捨てて、老いを明るく楽しむ。 中阿含経という経典に見える話。釈迦前生の話として、ミテイラー王が理髪師から初めての白髪が生えたと聞かされての王の偈。
     
我頭生白髪    わが頭に白髪生ず
寿命転衰滅    寿命 うたた衰滅せり
天使己来至    天の使い すでに来至せば
我今学道時    われ いま道を学ぶべき時なり

「引退」するということは、私は「老いを楽しむ生き方」をすることだと考えている。逆説的に言えば、若さを捨てることだと思う。 

実をいえば、仏教が教えていることは「あきらめ」である。 しかし、「あきらめ」といえば、「思い切り、断念」の意味に解されやすいが、仏教が言っているのは「明らめ」であって、ものごとの真実を明らかにすることである。 

これは何も老いに限ったことではなしに、仏教のすべてのことにおいて「明らめよ」と教えているのであるが、まぁ、年を取った私には「老いの明らめ」が肝心であろう。 そしてそれは、若さを捨てることである。 』   

最近、私が実感していることは、年を取るとどうも人間はかえって、若さに執着するようだ、ということ。 

「髪の毛が多いですね」と言われたり、年齢よりも若く見られたりするとうれしくなる。その結果、ついつい「なあに、若い者に負けるものか」と息巻いたりする。おかしな話である。 

だが、自然の流れに逆らうには、無理がある。結局、我われは、若さをプラスに、老いをマイナスに価値づけているということなのであろうか。 もしも、老いをマイナス価値に見るならば、人間の生きる価値は毎年毎年、いや毎日毎日、減少する。 

生きる価値が減少するということは、取りも直さず、存在価値が減少することである。そうすると、年寄りなんていない方がいいという極端な考え方になってしまう。実際、今の日本にはそんな考えが横行しているのでは、と考えること自体が老人の僻みなのだろうか。

けれども、本来、人間の価値は年齢によって減少するものではない。人間の価値は年齢と無関係である。
   
若さは若さ、老いは老いである。だから、人間は年を取れば、しっかりと老いを自覚し(明らめて)、きれいさっぱり若さを捨ててしまおう、それが、仏教でいえば「禅」の行き方、いくら心配しても変えることができないものを心配するな、そんな無駄をするな!と教えるのが禅だ、そうである。 

要は、若者には若者にふさわしい生き方がある。それに対して、老人は、老人としての生き方があるということなのだろう。こう考え、生きていくのも、それもまた老年の楽しみだ、と悔しさ半分で思う昨今である。


2014年09月23日

◆老いを見つめ直す

眞鍋 峰松

  
今月9月は敬老月間。9月15日が敬老の日。毎年のことだが、この時期に老人に関する話題が新聞・テレビなどで大きく報じられる。

今年の総務省発表によると、総人口に占める割合は65歳以上が25.9%、75歳以上が12.5%と過去最高。つまり、65歳以上が4人に一人、75歳以上が8人に一人になったという訳である。

その大きい要因は団塊の世代といわれる1949年(昭和24年)生れの人間が65歳に到達したからだという。我が国おける老人人口の占める割合が今後ますます高まることは間違いない。

だが、この傾向が決して我が国自体の沈滞化に繋がらせてはならない。私自身も71歳に到達したのだからと、願わくば、次の三国志の主人公である魏の曹操の漢詩のような気概溢れる人生を送りたいものだと念じている。
          老驥伏櫪    老驥 櫪に伏すも
          志在千里    志  千里に在り
          烈士暮年    烈士 暮年
壮心不已    壮心 已まず
この意は、「駿馬は年老いて厩につながれても、志だけは千里のかなたに馳せているもの。それと同じように、男らしい男というものは年老いた晩年になっても、やらんかなの壮心を失わないものだ。」というのである。
                                            
ところで、老という文字は、中国では単に通常の年寄りに対する呼び名だけではなく、目上の人や自分より年下の人間に対しても、老先生とか老大人とかという尊敬の表現にも使い、 元々老という文字は中国でも年齢的に老いるという意味で使われるのだが、同時に慣れる、練れるという意味を持っているようだ。
 
そこで、経験を積んで練達した人を尊敬するのに、老という字を付け加える。お酒でもよく練れて口あたりも良く、いつまでもほのぼのと酔いを持続する、そういうお酒を老酒と呼ぶ。
 
ところが日本ではこういった言い方はしない。中国の老酒に対して、日本の清酒は生一本と言われるように、生ま(なま)のお酒を売り物にし、酔いに対する即効性を愛する傾向がある。
 
だから、敬老即ち老いを敬し重んじるということは、経験や練達を尊重するということになり、それは、思想で例えるならば、現実を把握した深い思慮である。
 
逆に言えば、生まを愛するということは新鮮を愛するとすることで、同時にそれは経験の未熟ということで、どうかすると副作用、失敗を伴いやすいことになりかねない。 

最近のオバマ米国大統領の唱えたチェンジ、チェンジなどもこれに属する類なのかも知れない。

だが、世の中、何事につけ、老人だけが集まって、或いは若者だけが集まって議論したり、活動しても上手くいかないもの。 “亡年の交わり”といわれるように、若い時は老人と交わり、於いては若者と交わる。この亡年の交わりこそが、人が年齢に関係なく成長し続ける方策なのだろう。

故本田宗一郎氏が「飛行機は飛び立つときより着地が難しい。人生も同じだよ」と言われ、小説家の故吉川英治氏が「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが、帰りはない。この旅でさまざまな人と道中道連れになる。それの人と楽しくスムーズにやっていくには人生のパスポートが大切だ。それはお辞儀と挨拶である。」と説かれたように、人間まさに老いるということ自体が難しい。 

まして、老いても世のために尽くしていく方途はないものかと思案するものの、なかなか簡単には行かないものだと感じる、昨今である。

(評論家)