2015年03月01日

◆府教育長パワハラ発言問題に思うこと

眞鍋 峰松
  


3月ともなれば、まもなく人事の季節。以前、人事に関して一度本誌に寄稿したことがある(平成22年3月18日“人事の季節、悲喜こもごも”)。 

その人事異動。 問題は、大抵の場合、自己評価と、他人とりわけ上司の評価とのギャップが大きいことであり、自己評価の高い人間ほど客観的評価との落差を思い知ることになる。 

ただ、この客観的評価自体にも問題が潜む場合が多い。また、人事には組織管理上の問題がある。古来、その組織管理のポイントとして、「厳」と「寛」のバランスをとることが必要だと言われる。「厳」に片寄ると、命令に従わせることができても、心服されない。

一方、「寛」に過ぎると、組織の中に「甘えの構造」が生まれてくる。両者のバランスをとるのが望ましい組織管理のあり方であり、その際に最も重大なことは、取扱いの公正性・公平性にあると言われる。二重三重の取扱い基準は、厳に慎まなければならない。

それが無ければ、組織の円滑さを欠き、ひいては職員全体のモラールを貶めることにもなる。                                    

そこで、現在開会中の大阪府議会で大きく取り上げられている府教委の中原徹教育長(44)のパワハラ発言問題について触れておきたい。 

事件の概要を記述すると、問題が発覚したのは昨年10月29日。 府民に公開される月に1度の教育委員会議で、立川さおり教育委員(41)が、中原氏から同21日に受けたとされる発言内容を公表したことから始まった。 

府が府議会に提出した幼稚園と保育園の機能を併せ持つ「認定こども園」の定員上限を引き上げる条例改正案をめぐり、立川氏が案の内容に反対する意向を明かしたところ、中原氏が「目立ちたいだけでしょ。単なる自己満足」「誰のおかげで教育委員でいられるのか。ほかでもない知事でしょ。その知事をいきなり刺すんですか」「罷免要求を出しますよ」と強い口調で叱責(しっせき)したという。

もともと中原氏と立川氏は同格の教育委員。このような発言が事実なら、誠に傲慢無礼としか言いようがない。

この外、中原氏は事務局職員に、「精神構造の鑑定を受けないといけない」「別の職場に行ってもらう」などと職員の人格を非難したり、配置転換を示唆したりした。

また、「邪魔になっているので仕事を外れて」と発言され、A4用紙5枚以上のリポートの提出を求められた揚げ句、退職を余儀なくされた職員もいた、というのである。                                             

また、中原氏は自らの進退を決めるに当って「府教委職員の話も聞きたい」として、課長級以上の幹部約20人を集めて会議を開催。「こういう状態なので忌憚のない意見を聞きたい」と求めた。本人の前で遠慮がちになることも十分に予想された。

しかしその様な中で、幹部の口からは次々と厳しい指摘が相次いだ。「怖い」「近づきたくない」「不意打ち好き、困る」「人を育てる視点ない」… 「(中原氏に接していると)追い込まれていくような感じがあるのは事実だ」「教育長に説明に行った担当の部下が固まって怖がってしまっている」「(教育長室のある)5階の廊下を歩くのがしんどかった」。 

ある幹部は中原氏の議論手法を「相撲の立ち会いに上がる前に土俵際に持っていかれる」と表現。「組織で人を育てるという視点が欠けている」という率直な意見も出た。 

結局、幹部からは「最後まで部下の話を聞いてほしい」「いい仕事をしたときはポジティブな声かけをしてほしい」−などと13項目に及ぶ改善要求≠ェ寄せられた、との報道である。                   

以前本誌に一度、橋下知事時代の府庁の状況について記述したことがあるが(“何処へ向かう か大阪府”平成23年1月28日掲載)、「行政に直接責任を担う各層幹部職員からの意見について、橋下知事は自分の意向に反する内容であると、当該幹部職員に対し、すぐに職を辞めなさいと言うなどなど、その独善的なやり方に悲鳴のような声が内部から聞こえてくるばかり。

また、人事方針への不満・不信感も増大する一方。2年前、鳴り物入りで演出した、出先機関の幹部クラスからの環境農林部長への乱暴な大抜擢も1年で破綻したではないのか。 

昨年秋の商工労働部課長級職員の自死事件に関しても、庁内では橋下知事の感情的言動が引き金になったのでないか、というのが専らの噂と聞き及ぶ。

この先、府政はどうなるのだろうか、これらの組織としての体をなさない混乱振りはいずれ府民生活へも悪影響が及ぶのではないか、と心配する」と同じことが言える。                                  

この中原氏の高圧的な発言問題について、府教委は弁護士ら第三者による委員会を立ち上げ、調査を依頼。

この2月20日に、立川教育委員への発言のほか、府教委職員4人に対する発言についてパワーハラスメント行為があったと認定し、「パワーハラスメントとして違法と評価すべきものも含まれ、人格の高潔性および公平性の観点からも疑義ある行為が多く認められる」とする報告書が公表された。 

なお、公表の際、中原氏は記者会見で事実関係を認めた上で、「結果は重く受け止める。職員につらい思いをさせ、大いに反省し深くおわびする」と謝罪というのである。

報告書では、進退は任命権者である松井一郎知事の判断に委ねるとしたが、松井知事は「罷免要件には当たらない」と、続投を容認したとのこと。 

そして、26日の議会で公明党の代表質問に対し、松井知事は「(辞職勧告など)厳しい状況だが、再チャレンジ認める」と答弁したと報道されている。                                   

中原教育長は弁護士であり、橋下大阪市長の大学時代の友人。2010年4月に民間人出身校長として府立和泉高校長に採用され、2012年3月の卒業式で、教職員が国歌斉唱の際に起立斉唱しているかを確認する「口元チェック」で一躍有名になった。 

2013年4月に松井知事が選任、全都道府県中の最年少の教育長となった。府教育長と言えば、府域の教育行政を預かる最高責任者。高度な行政知識のみならず、教育に関する専門的見識の持ち主でなければならない。 

従来の教育長は、全員が長年の行政経験出身者であり、旧制度の下では同時に教育に関する知識所有者としてから就任に際し文部大臣承認を要するほどの重責であった。それが、中原氏は民間人から府立校長を数年勤めただけの経歴。いわば大抜擢と言わざると得ない。

だが、兎角に抜擢人事というのは殆どが自己申告・応募を前提としており、何かと問題を生じ易いのは事実。                               

中国の唐の時代。史上明君・賢帝と称せれた太宗(李 世民 在位626〜649年)の「貞観の治」と讃えられた時代の記録に、その太宗とこれを補佐する名臣たちとの問答や言行を収録した書物「貞観政要」がある。

その中に、抜擢人事とも関連して、自己推薦制の是非について論じられている箇所がある。 

つまり、「人を知る者はせいぜい智者の水準であるが、自分を知る者は明智の人である、と古人も語っています。人を知ること自体容易なことではありません。まして、自分を知るということは至難の技であります。世間の暗愚な者たちは、とかく自分の能力を鼻にかけ、過大な自己評価に陥っているものです。売り込み競争だけが活発になりましょう。自己推薦制はお止めになった方が賢明かと心得ます」というのである。                            

これとは反対に、次の本田宗一郎氏の言葉も真実だろうし、部下をひっぱっていく経営者や管理者の心得でもあろう。

「私は不得手なことはやらず、得意なことしかやらないことにしている。人生は「得手に帆をあげて」生きるのが最上である。だから、社員達にも「得意な分野で働け」と言っている。 

そして、上役は下の連中が、何が得意であるかを見極めて、人の配分を考えるのが、経営上手というものだ。また、社員の方も「能ある鷹は爪を隠さず」で、自分の得手なものを上役に知らせる義務がある。 上役だって神様ではないのだから、そうしてもらわなければ、分らない。その位のことは、自分が楽しみながら働くためには当然のことだ」。
                            
この様に、自己申告・応募による抜擢人事には、長所も短所もある。 

それにしても、今回の事件に対する松井知事の「罷免要件には当たらない」「(辞職勧告など)厳しい状況だが、再チャレンジ認める」との発言や答弁を聞いていると、これまで橋下氏ともども行ってきた部下職員に対する、厳しい懲戒処分や人事処遇などに照らし、どうなのか。 

本当に公平妥当な判断なのかと首を傾げざるを得ない。 

まして、今回の中原氏の発言などは教育界の重責の立場にあることを考えると、教育・指導面からも、児童・生徒達の立場からすれば、今回のような重大な過ちを犯しても「反省し深くおわびする」と言えば責任を問われることは無く簡単に「再チャレンジも認め」られるのか、となるのでは。 

このようなことで本当に大阪の教育は大丈夫なのか、と心配になってくる。

2015年02月20日

◆いよいよ“宗教の世紀”の始まり?B

眞鍋 峰松



1990年春のある日、仕事の関係で偶然に当時国立民族博物館長をされていた梅棹忠夫先生にお会いし、じっくりとお話を伺う機会があった。 

その当時は、中東地域ではイラン・イラク戦争(1980〜1988年)がようやく停戦を迎えやっと落ち着きを取り戻した時期だったが、1900年夏のイラクによるクウェート侵攻の直前で、中東地域の随所で活発な軍事活動が行なわれていた時期。 

これらの軍事紛争の発生の故だったのか、梅棹先生の口から発せられた話題の一つが、イスラム教というのは一体如何なる宗教なのだろうか、何故同じイスラム教内部で血生臭い戦争までに至るような事態が起こるのだろうか、という慨嘆混じりのお話であったことを思い出す。

この高名な碩学の学者でも、当時は一般にイスラム教への理解が薄かった時代のことである。

それでは、ここ最近の中近東でのイスラム国を巡る戦闘やイスラム教を奉じる諸国での血生臭い内紛の状態、世界各所で頻発するイスラム過激派のテロ行為などを、今は亡き梅棹先生がご覧になったとしたら、どう仰るだろうかと想像する。

私は、“21世紀は宗教の世紀”、つまり、自由主義国と共産主義国との絶えざる紛争が世界中で勃発した20世紀からの変遷を論じるだけの知識・能力を全く持ち合せていない。 

だが、この“宗教の世紀”の名称付けに間違いが無いとしたら、そこから容易に想像できることは、宗教に関わる紛争は社会・経済制度の優劣・競争のような性質のものではなく、人間同士・民族間の信条に関する深刻な対立を齎し、当然のこととして、容易に決着の着くことではないだろう、また、簡単には根本的な解決法を見出し得ないだろう、という推測である。 

もし、それが宗教間における差別・優劣意識に結びつく場合には、諸々の国際的・国内的な経済力格差が少々改善されたとしても、容易く解決し得ないだろうという悲観的な見方が成り立つ。
   
ひろさちや氏は前出の本の中で、宗教とは何かについて、「それは人生や死後の世界について考える思想」とされ、別の本の中で、宗教は次の三つの条件、

つまり、
@人間は不完全な存在であると認識すること。(逆に言えば、超越的な存在を認める)、
A現実世界の価値観を否定し、彼岸的価値観に立脚していること。(平等・・神の前の平等)、
B人間としての決定的な生き方を教えてくれていること。(死後の世界の存在)、を充たすものとされる。 宗教は、このような人間存在の根源に関わる性格を有するが故に、宗教観を巡る紛争解決は非常に難しいのだ、と言える
  
幸い、日本という国は、色々な見方があろうとも、宗教については寛容な国柄である。 

それも、6世紀に遠くインドから中国・朝鮮を経て伝えられた仏教精神などから長年に渡り培われたお国柄のお陰と言えようか。

古く、インドのマウリヤ朝の第3代の王であるアショーカ王(BC268〜232年統治)の有名な岩石詔勅には「自らの宗教に対する熱烈な信仰により、自らの宗教をのみ賞揚し、あるいは他の宗教を非難する者は、こうするために、却って一層強く自らの宗教を害うのである。 

故にもっぱら互いに法を聴き合い、またそれを敬信するために(すべて)一致して和合することこそ善である。 けだし神々に愛される王の希望することは、願わくばすべての宗教が博学でその教義の善きものとなれかし、ということだからである」と示されている。          

アショーカ王は信教の自由を完全に認め、どの宗教も承認したのである。 この精神が遠く日本まで伝播したということだろう。 

中村 元東京大学名誉教授がその著書「東洋のこころ」(東京書房)の中で「アショーカ王における仏教は決して他の宗教と矛盾するものではありませんでした。ブッダというのは真理を覚った人です。真理を覚った人というのは、あらゆる真理を体得し実践する人です。だからその立場に立つと、他の教えと対立することがないのです。 

色々な思想が現れるのは現れるだけの理由があるので、それをよく見通してそれらすべてを生かして本質を発揮することを目指したのです。だから、彼の目指した仏教は、決して他の宗教に対立するような次元のものではない、こういう理想に基づいて帝王たちは統一国家を運営したのです。」と説いておられる。

“宗教の世紀”とは、現状から有体に言えば、今後とも世界中で血生臭い対立紛争が異宗教間、或いは同一宗教であっても異宗派間で発生するであろうとの意味だと解すれば、この他宗教・宗派への寛容さこそが、唯一の紛争解決の方策だと言わなければならないのだろう。 

だが、単なる政治・外交問題でないとしたら、果たしてこの解決の道筋を誰が示し得るのだろうか。 

2015年02月11日

◆いよいよ”宗教の世紀”の始まり?

眞鍋 峰松



(承前) また、殺人や売春行為について、宗教と一般社会との認識についての興味深く示唆に富んだ対談(「ヒントは“宗教力”にあり」ワック出版 )があった。 ただ、内容については、事、宗教観に関わることでもあり、各人各様の受け取り方があろうかと思うので、ここでは、その概略をご紹介するだけに止めて置きたい。
   

ひろ さちや氏(宗教評論家) 「 国家は必要か不必要かの判断しか下していない。しかも、必要な時に人を殺せば英雄になります。人を殺して何故悪いかということは当然出て来る疑問です。しかし、法律は、自分が死刑になることを前提に人を殺すのであればいいと言っているようなものです。 


仏教やキリスト教では、人を殺してはならないと教えます。これは宗教の原理でしか教えられない。例えば売春は悪いことですが、実際に売春をやれば刑罰があるだけです。やってはいけないとは書いていません。しかし、それを悪いものだと教えるのが宗教です。いわゆる彼岸の原理を教えるのです。


無宗教の国がいいと言われますが、まさに今の日本が無宗教の状態です。全く価値観が有りません。 何故人を殺してはいけないのか、見つからなければ殺していいではないかとなってしまいます。20歳の成人前の殺人だったら、法律上得だという感覚もあるでしょう。損得でしか判断できなくなっているのです。


また、何故売春が悪いのか、教えられなくなっています。せいぜい、警察に捕まるから悪いことだという程度です。そして警察に捕まらなければ、何をやってもいい、と言うことになってしまう。


つまり、日本人は宗教音痴です。 宗教の論理と政治や社会の論理を区別できません。必要なものは善だと思ってしまう。 必要・不必要ということと、善・悪というのは別次元な問題です。・・・(今の日本人は)悪人は神が裁くという感覚を失った。アメリカではてっきり陪審制度で裁判が行なわれていると思ったのですが、意外にも95%の裁判がギルティ・プリーで裁かれているようです。


つまり罪の申告ということです。弁護士立会いで、検事と裁判官が、罪を認めたなら多少減刑すると取引をする。・・・罪を許すなんて可笑しいと思うかもしれないが、それは神が罰せられるはずだという意識が働いているからです。逃れた罪人がその後どうなろうが、地上で人間が裁く必要はない。自分たちはこの世の秩序さえ守ればよい、という意図があります。これがキリスト教の精神です。 


こうした感覚は、戦前の日本には未だ有ったと思いますが、今やそれが無くなり、皆が必要以上に人の罪を暴き立てるようになっています。それは、宗教心が無くなったためではないでしょうか。」
  

日下 公人氏(経済評論家) 「 そうすると、仏教やキリスト教の学校は、基本を守るためには体罰が不必要な子供だけを入学させたり、もしも体罰が必要になった子供がいたら、むしろ退学させるということになりますね。教義と社会の現実の間に“必要悪”という考えが生じますが、これは難しい問題です。 


所で、人を何故殺してはいけないのか、ということについては、そこに宗教上の審判を持ち出さなくても、教えることはできるはずです。 一般的に、道徳の判断基準としては、一番上に「宗教的審判」があります。 


その次に「正邪」、その次に「善悪」があって、更にその次に「物事の当否」、それから「損得」があり、一番下には「快・不快」という感覚がある。 全部で六段階です。 


私は最も合理的な論議をするには、「物事の当否」の判断を通じて話合うのが一番いいと思っています。 例えば、3時に集合と先生が言う。そこで、生徒がそんな必要はない、3時半でいいじゃないかと「当否」でものを言う。 集合時間の当否に対して、(教師と生徒の)師弟の秩序を乱すのは悪だという善悪で応えるのは、実力の無い先生のすることだと生徒は見破っています。 


正義や不正義というのも、決して世の中を超越している概念ではありません。 これは正しい、或いは正しくないというふうに直感的に働く人間の感覚です。 


では一体正義感覚はどこから生れてくるのかと言えば、これは時間が経つということらしい。100年ぐらい繰り返すと、正邪の感覚が根付いてしまう。それは時間の経過や反復によって植えつけられる感覚と言えますが、個人に置き換えれば、幼児体験に行きつきます。 


つまり、宗教的な審判に行く前に、人間が持っている感覚で解決できる問題が殆んどではないかということです。・・・日本という国は、この善悪論でも得失論でもコントロールが利きます。 いわゆる宗教無しで、ここまで住み心地を実現しているのは知的な国民だからです。」 


「 宗教には色々あるから一概に言えないが、宗教による社会の支配には害が多い。その害だけを取り除いて長所を残すという実験が「近代」という時代で、それを日本はもう400年も前からやっている。 しかし、ヨーロッパは未だ200年位で、脱宗教社会を建設途上です。その未熟な思想や社会制度が日本に「近代化」「文明化」「進歩的」として入ってきた結果の混乱を、ひろさんは「日本には宗教がない」という表現で話されたているのだと感じます。 


私は、日本の俗信を全否定しないように、それから西欧思想を全肯定しないようにと思っています。そう考えると、私の心は仏教の方に向くのです。・・・日本人の日常会話には、宗教的なものが沢山含まれています。


無宗教と言いながらも、宗教生活をしているのではないでしょうか。一神教的な決めつけはありませんが、自分なりの精神生活があるという意味で、日本人は十分に宗教的だと思います。」


以上、思いつくまま縷々記述したが、それにしても、20世紀はイデオロギーの時代、21世紀は宗教の時代、と聞き覚えたのだが、まさに、現在のいわゆる“イスラム国”を巡る問題など、その顕現なのかと思う昨今である。(終)

2015年02月10日

◆いよいよ”宗教の世紀”の始まり?

眞鍋 峰松



ある日の新聞に、過去の私立の中学校か高校の入試問題に関する記事が載っていた。 

記事の趣旨など詳細がどのようであったのか忘れたが、その問題は「仏教の言葉に八正道があるが、そのうち、含まれないものはどれか。 間違いを探しなさいとして、正見、正思、正語、正則・・・」というのである。 

これは中学・高校の入試問題である以上、今の授業ではこのような内容を本当に教えているのだろうか、また、教えているとしたら日本史か道徳の教科なのだろうか、と驚いた。 

だが同時に、このような断片的な知識から、教員が子供に対して人間の根本倫理、例えば、何故殺人は悪であり、売春行為も悪であると言った事柄を、それで果たして授業内容として教えられるのだろうか、と心配になった。 

これは全くの蛇足だが、殺人行為について、刑法第199条では「人を殺したる者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する。」と規定するが、法律上は殺人行為そのものが罪悪であるとの明文の条文は存在しない。当然の理であるとのことだろう。 

強いて、法律上の条文に根拠を求めるとしたら、民法第90条の「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とす」旨の規定にいう「公の秩序又は善良の風俗」に反する人間の行為というべきものであろうか。 

また、自死行為そのものを罪悪行為である、或いは人倫に反する行為であるとする規定など、どこにも見当たらない。 

折しも、ここ1ヵ月近くもいわゆる“イスラム国”による邦人2人の惨殺事件がマスコミ報道で大きく取り上げられ、関連して宗教を巡る諸話題が紙面等で連日大きく取り上げられている最中である。 
因みに、八正道とは、私淑する紀野一義師の記述から要約すれば、『八正道は、経典にある“比丘たちよ、苦の滅にいたる道の聖諦とはこれである。

即ち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である”』のこと。 続いて、『人間の生き方は難しい。人間心理をよくとらえて、よほど上手に生きて行かなくてはならぬ。(自分の子どもに対して)どの程度大事にしたらいいか、どの程度に放任したらいいか、冷静な眼で見通していることが大切である。

つまり、「正見」ということが大切になるのである。「正思」というのは「正しい思慮分別」ということである。 先入観とか利害計算ということを離れて、よくよく考えることである。 

いくら考えても、考えすぎるということはない。納得の行くまで考え、判断してから行動することである。「正語」は、道元禅師は「愛語よく回天の力あることを学すべきなり」といわれた。「正業」とは、正しい行為である。

「身口意の三業」といって、体でする行為、口でいう行為、こころに思う行為。 心に思うことをつつしみ、口をつつしみ、行為をつつしむことをいうのである。 

「正命」とは調和のとれた生活と考えたらよい。ここで「命」というのは「生活」のことである。「正念」とは、正しい信念や理想である。「正精進」は、どんなことでも始めたからには最後までやりとおすということである。 

「正定」とは心が安定していることである。』と説かれる。 そして、経典の「苦の滅にいたる道の聖諦」とは、生・老・病・死の四苦と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊(うん)盛苦の四苦をあわせて八苦のことだ、とのこと。(続く)    

2015年02月04日

◆「何でも民間」に疑問

眞邊 峰松


私の年来のマスコミに対する不信感・大衆迎合体質への嫌悪感が一層増大してきた。 


果たして、国家百年の将来を考えるべき時期に、本筋の議論と離れ、質的には枝葉末節の問題に国民を巻き込んで彼らの主張が、“社会の木鐸”、“オピニオンリーダー”の役割というのは、どこに存在するのだろうか。


私も、必ずしもマスコミ人の全てが、課題を単にワイドショー的に取り上げてばかりいるとまでは言わないが、もう少し冷静・客観的に問題を整理し報道するべきだと考える。


ところで、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者である」とは、ある書物の言葉。 同書でこんな話が続く。


「ナポレオンの脱出記」を扱った当時の新聞記事である。幽閉されていたナポレオンがエルバ島を脱出した。兵を集めて、パリへ進撃する。


パリの新聞がこれを報道する。その記事の中で、ナポレオンに対する形容詞が、時々刻々に変化していく。 最初は“皇位簒奪者”。 次いで“反乱軍”〜“叛将”〜“ナポレオン”、 やがて“祖国の英雄”。 

そして、ナポレオンがパリに入城した時には、一斉に“皇帝万歳”の記事で埋められた。オポチュ二ズムとセンセーショナリズムのマスコミの実態が浮き彫りにされている」。 まさに、その通りだという感がする。


少々議論が飛躍するが、私は基本的に今の“何でも民間”の風潮に反対だ。
私自身の体験から言っても、国の役人の省益あって国益なし、自分たちの徹底的な権益擁護には、実は本当に癖々した。 まさに国を誤る輩だ、何とかならんのか、という気分にもなった。


しかし、国家公務員というに相応しい立派な人士をも身近に知る私としては、少々誤弊のある言い方かも知れないが、敢えて言えば、こと“志”という点においては、真に心ある役人に比し得る民間人は、そう多くなかろうとも思う。
 

これも個人資質・能力というよりは、やはり、退職までの30年を超える永年の職務経験、職責の持つ私自身に染み込んだ体質的なもの、職業の匂いのようなものかも知れない。
  

私には、特にかっての余裕ある民間経営の時代ならともかく、現下の利潤一点張り、効率一点張りの時代に、現役の企業人で、常日頃から“公益とはなんぞや”の視点から物事を考察したことがある人物が、そう数多いとはとても思えない。


とりわけ、最近の風潮となっている企業利益の増加のみに邁進し、その過程で中高年の自殺者の激増など、社会不安を増幅してきたリストラを闇雲に推進してきた企業経営者を見るにつけ、その観を否めない。 


このような中で、果たして、現在のマスコミの論調のように“何でも民間人登用”“何でも民間感覚“ということが果たして正しいのだろうか。                                      (了)

2015年01月23日

◆童話に教えられること

真鍋 峰松



まず、この話をお読み頂きたい。
 

「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き離すように求めた。
 

自分と羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。


いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。」(「新訳イソップの寓話集」塚崎幹夫訳 中公文庫)。


以前、読んだ童話の中の話である。日本の昔話や童話の中では、子ども向けに最後の下りがメデタシ、メデタシ、そして二人で幸せに暮らしました風、或いは勧善懲悪の教訓話が多い。
 

だが、西洋の有名なイソップやグリム兄弟の童話集にはハッピー・エンドばかりではなく、相当にアンハッピー・エンド、残酷な結末で終わる話が多いという。
 

これは、欧米系人と日本人との民族性の違い、とりわけ日本人の現世肯定の現実主義と、子供には夢と希望をという一種の理想主義とが合体したところから生じたのであろうか。


童話の専門家でもない私が、このことを詳しく述べるのは本題ではない。


私がこの話から直ちに連想したのは、昨今の米軍基地の移転問題。いつしか日本近海でキナ臭い話が充満する昨今、基地をどこか国外に移転しろと言うのは、果たして如何なる外国の、或いは宇宙人の策略なのかどうか、私には専門外の話。


だが、この童話、如何にも当て擦り的な寓話のように思えてならない。明らかに分かるのは、昨今の米軍基地問題を巡る議論では、どこか基本的な問題が抜け落ちているのではないのか、ということ。
 

つまり、この寓話での犬の果たす役割〜国の安全保障体制の問題である。 


国の果たすべき役割の最たるものの代表例は防衛・外交、司法。 戦後の防衛・外交の中心的役割を担ってきたのが日米安全保障条約。それ位は誰でも簡単に解ること。


片務的契約だの、何だのという議論はさて置き、明白なのは、現在の日本自身の防衛力だけでは、近代戦闘では非常に心もとない。
 

米国の軍事力を背景にしなければ、とてもじゃないが周辺の反日的な国に太刀打ちできるものではない、ということ。


この件に限らず、今後一体、この国はどこを向いて動いて行くのだろうか。確たる方向性があり、操舵手はいるのだろうか。
        

最後に、もう一つ。


「兎が獣の会議に出かけてゆき、これからどうしても万獣平等の世にならなければならぬと、むきになって論じ立てた。獅子の大王はこれを聞いてニコニコ笑いながら、兎どん、お前の言うのは尤もだの。だがそれには、まず儂どもと同じに、立派な爪と歯を揃えてからやって来るがいい、と言った。」 ( 同 前出 )

2015年01月06日

◆“和気 致祥” を目指して

眞鍋 峰松


今年の干支は未(羊)。 丁度、私は72歳の年男。 だが、年男と言っても、日本国民の凡そ12分の1の確率で毎年年男(女)が誕生する訳だから、別段珍しくもない。 とは言え、意外と本人には気になるもの。

ご承知の通り、十二支は、鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚(猪)の十二の動物を当てたもの。その中で、未年の人間は、穏やかで人情に厚く、性格が従順で温和、情に厚く親切。 人との争いや対立を嫌うため、人間関係もいたって良好だが、その優しい性格から頼みごとが断れない場合もあるので注意する必要がある、とのこと。 

そう言えば、4日の天声人語(朝日新聞)でも「羊のように穏やかに」との見出しの下、東京博物館の話として『羊は古代中国で「よきもの」という意味を持つようになった。栄養源として神への捧げ物として、親しまれ大切にされたからだろう。確かに羊にまつわる「美」や「善」「養」「祥」といった漢字はどれも良い意味だ』と解説している。 

ことほど左様に、羊年は温和で穏やかなイメージなのだから、この1年は天変異変、大きな自然災害も無く過ごしたいものだ。
 
所で、中国古典の漢書の中に、「和気致祥 乖気致異」という語句があり、読み下しは「和気は祥を致し、乖気(かいき)は異を致す」で、その意は、和気とは陰と陽のバランスが取れた状態で、崩れた状態が乖気。 

祥は幸せで、異は天変地異のことだ、という。 私のイメージにある「和気」というのは、人間で言えば、穏やかな風貌をし、だが話を聞いてみると、結構人生の辛酸をなめてきているが、その苦労の跡をどこにも留めていない。 自分の人生を愚痴ることもないし、自慢することもない。 か、と言って卑屈になっている訳でもない。 淡々と社会人としての責任を果たしている。 

こういった人たちの醸し出している雰囲気が、本物の「和気」に近いのではなかろうか。 苦労を「和気」の中に包み込んでいる人は、自分に「祥」を呼び込んでくるばかりか、周りの人の心を和ませてくれる気がする。 そのような人間は、それだけでも人としての存在の意味があろうというものだ。 また、風貌から言えば「和顔」。 つまり、和やかな穏やかな顔。 

ただ、和顔というのは、ニコニコ笑うというのではなく、人間の内面からしみ出して来るようなやさしい表情。 写真を撮る時のようにいい顔をしょうというのではない。 優しさを作るのでもない。 自然に滲み出し、自然にあふれ出して来るものがある。 それが「和顔」。
  
だとすれば、私も72歳の年男。 十二支で数えれば、六巡目の年。 「和気」と「祥(幸せ)」が欲しいと言っても、むろん、ただニコニコ笑っていればそれで良いというものでもなく、その中に包まれているものが大切。 

だから、今年こそは短気は損気だと反省し、徳を積むために忍耐と包容力を養おう、そして穏やかな「和気」を呼び込もうと思うのだが・・・。 しかし、私の今までの欠点を熟知している周りの人たちから視れば、下手すれば、「彼も年齢相応に惚けてきたな〜」と思われる可能性の方が高い。
  

2014年12月25日

◆もうひとりの「畏友の死」

眞鍋 峰松
 

今月15日、高校時代の友がまた1人亡くなった。 亨年72歳。 膵臓の悪性腫に罹り、今春に開腹手術するも各局所に転移、既に手遅れ状態。 最近になって、遂に病床の彼からは“頑張る言葉は決別しました”と最後のメールがあった。           

これが高校入学15歳の時以来、60年近くの歳月を経ての永遠の別れである。 大学工学部を卒業後、在阪の大手電器製造会社の技術部門に就職し、最後は岐阜工場の責任者を経て退職。そのまま岐阜に居ついていた。 

技術畑の人間らしく律義で謙譲の美徳の持ち主。 性格は洒脱で、明るく、真面目そのもの。 仲間同士の議論でも、人の話をじっくり聴き、自分で消化してから発言するタイプ。 最近では環境問題へ関心を寄せるとともに、太極拳に打ち込み修業の末、遂にニ段になったと喜んでいた、とのこと。 

真面目と言えば、昔の酒の席上で私に、一時期フィリッピンの現地会社のナンバー2として出向中の単身生活をしていた頃の思い出話をしていたことがあった。その中で、休みになると、ガードマン付きの住宅地から抜け出し、よく現地の酒場に行った。

その店で彼のお気に入りだったのはやはり同じ黄色い顔の中国人のホステスだった、と如何にも楽しそうな話振りだった。 これが彼から聞いた唯一の浮いた話。

本欄でも一度記述した記憶があるが、我々の学年は、昭和17年〜18年の生まれ。終戦直後の混乱振りを記憶しているはずも無いのだが、多少なりともその匂いを嗅いだことのある世代ということになる。 

高校時代は昭和33年4月〜36年3月。ちょうど、昭和35年(1960年)の日米安全保障条約改定時の大騒動の真っ只中に、最も多感な高校時代を過ごした世代である。 

この安保反対闘争の余波は、当時の高校生たちにも及んでいた。この渦の中、同じ考えを抱く同期生の14人が集まり、安保反対闘争から距離を置くための校内活動を進めた。 今から思い起こすと、ここら辺りが50年以上も続く我々のグループ結成の端著になったのではなかろうか。 

そして、現在に至るも、年一回の総会と大阪と東京それぞれの地区に分れ、勉強会と称する親睦を深めてきたが、彼は欠かさず出席の一人。 だが、今年11月の東京での総会には、体調不良という理由で欠席。 まさか、そのような死に至るような病床にあるとは、仲間の内では、以前から相談に預かっていた2人の医師を除き、誰一人として知らなかった。

それにしても、今や14人の仲間も12人。 同年輩の人間の死がいよいよ身近に迫り、明日は我が身か、と感じる年齢になった。 

「 来しかたも 行方も知らず ひとりきて ひとり消えゆく うたかたの夢 」という歌(残念ながら、詠み人は知らないが)があるが、この歌の心がずしんと心に響く。人間である以上は、いずれ、誰でも行き着くところは同じだが、その終末は人それぞれ。 

そう言えば、権力の頂点に立ち、俗物精神が豊かで、栄華を心のままにしたことで歴史上有名な豊臣秀吉が、生涯を回想して詠んだ辞世が「 露とおき 露と消えにし 我が身かな 難波のことは 夢のまた夢 」。 

これなど、まさに 西欧の権力者には考えられない心情の姿。こういうのを東洋的無常感というのだろうか。“生”をはかない、空しいと観じるとらえ方、感じ方であろう。                          


また、誰が詠んだのか「 金々(カネカネ)と さわぐうちにも 年が寄り その身が墓に 入相(いりあい)の鐘 」、江戸初期の俳人 上島鬼貫の「 骸骨の 上に粧(よそ)ふて 花見かな 」など、現世の金銭欲・色欲という俗世間をあざ笑う歌句まである。

後者の句など、妙齢の女性の若さや肉体美も、折角の入念な化粧も、こう言われてしまっては、台無しである。
 
余談だが、信じる人には信じて頂きたい話。 岐阜羽島の斎場で行われた葬儀に参列後に帰阪した17日の深夜、時刻も定かでないのだが、寝床の中で深く睡眠中のこと。首筋の辺りに今までに感じたことの無いほどの異常な寒さに眼を覚まさせられた私。 

ひょっとしたら、彼が長年の付合いのお別れとお葬式参列のお礼に訪れたのか、と一瞬思った。 

その後、暫しの間、昔々を懐かしく思い出し、高校卒業後すぐに仲間たちと訪れた、神戸六甲山の中腹にあったお寺での宿泊や議論した有様、その時の彼の見事なまでのイガ栗頭などなど、これまでの様々な議論やら風景が眼に浮かび上がって来た、ことだった。

いずれにしても、この世に生れて来るということは、水戸黄門と称される徳川光圀が詠んだ歌と教えられた「 父母(ちちはは)に 呼ばれてかりに 客にきて 心のこさず 帰るふるさと 」のようなこの世・あの世の姿なのであろうか。もう一度、夢の中ででも会えるものなら、彼に訊ねてみたいものである。
 

2014年12月13日

◆対中国外交に思う

真鍋 峰松



まず、この文章をお読み頂きたい。

「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮蔑を招く。


その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる。とにかく国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危うくなろうとも、政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である。・・・・戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所と呼ばれるべきであり、もはや政府と呼ぶべきでない」。 


キリスト教信者として名高い内村鑑三氏の著書「代表的日本人」中の西郷隆盛の言葉である(1908年原著 岩波文庫 鈴木範久訳)。


この言葉の真髄は“ただ相手国の強大さに萎縮して、うまくやろうというような処世術的外交は避けるべきである。 そうすると、かえって侮られ、それまでの友好関係もくずれてしまう”という一点にある。
 

読めば、この文章、これまでの我が国の対中国外交への痛烈な皮肉と解釈できるような気がする。 戦後数十年かかってここまできた日中の外交関係。この偉大な先人の言葉を無視・軽視するような事態を招くことによりその成果まで灰燼に帰すことのないよう願いたい。


また、過去の日本外交においてややもすれば多々見受けられた“商法支配所”、即ち、経済的利益を重視するあまり、我が国外交を誤らせたという事態も同様である。

幸い、今回の尖閣列島を巡る二国間の衝突に関しては、経済界や財界からの、紛争の早期解決だけを願う声も少ないように思う。それにはそれなりの理由があるのだろう。


周知のように、近年の中国の居丈高な過剰反応は尖閣列島周辺海域の石油等の資源開発に絡んでのことであり、日本においてもこの側面が熟知されている。 これが今回の場合、経済界・財界からの横槍や雑音がない理由であろう。

著しく経済力を増した中国にとって経済カードは強力な武器になる。我が国経済にとってレアアースの輸入停止は甚大な影響を及ぶすとしても、中国経済にとっても多少影響があろう。


だが、全てにおいて政治が優先する社会ではそれは問題にならない。そこで参考になるのは、米国のグーグル社の態度であろう。

自由主義社会の柱とも言うべき情報の自由を求めて中国当局と真正面からぶつかったのだが、これも最悪の場合には撤退もやむを得ないという同社の覚悟があってのこと。

果たして、口を開けば自由主義経済・市場経済の効用を説く日本の財界・経済界の人達にこの覚悟が有りや無きや。 史上初の財界人から登用された日本の中国大使、これにどう対処していくのか、注目したい。


また、事件に関する新聞テレビ等の報道やコメンテーターの解説を見聞きしていると、相変わらず、中国側の国内事情、つまり国家指導者間の主導権争いや貧富の過大な所得格差問題などを取り上げ、訳知り顔で背景説明をしているように見受けられる。

このこと自体は事実なのであろうが、だからどうだと言いたいのだろうか。日本の主張を手控えよ、とでもいうのだろうか。


それより、国際紛争対処の常識として、これら外交紛争に関する政治上の議論は国内だけで止めるべきであり、交渉相手国の国内諸事情を参酌し過ぎる人間や最終的な解決策を持たずして、相手国に乗り込む愚を犯す政治家等が多過ぎるのも困ったことではないだろうか。

こういった国内の無責任な議論や対応で、対外折衝の任にある者の足を引っ張って何になると言うのか。 老獪な中国外交のこと、日本国内の議論の誘発・分断が計られ、結局は日本の国益が損なわれるだけだろう、と思う。

皮肉なことに、中国古典である孟子の離婁篇第四に「夫れ、人は必ず自から侮りて 然る後によそ人もこれを侮り、家は必ず自から毀(こぼ)ちて 然る後によそ人もこれを毀ち、国は必ず自から伐(やぶ)りて 然る後によそ人もこれを伐う。」とある。


つまり、人間というものは、自尊心を失って、自身を軽蔑するようになると、その気持が言動に現れて卑屈、投げやりになり、それが他人の軽侮を招く、他人に軽蔑される原因は、自分が作っているのだ。

自らを持することが厳でなくなると、家を治めることもできなくなって、家は崩壊する。内輪がしっかりしてさえおれば、外圧だけでは決して壊れるものではない。


国家とても同じことで、内に姦邪の臣がはびこり、君主に統御の才なく、国民に不平不満が高まるという末期症状が現れて、他国に攻め滅ぼされるわけであり、明主賢臣がいて善政を布いている限り、自壊作用が起こらず、従って他国の攻め込む隙はない、というのである。


この紀元前4世紀の孟子の言葉は、ひとり我が国のみならず、現代中国の為政者への痛烈な皮肉となり得ると受け止めるのは、私だけではあるまい。

2014年12月07日

◆高齢者にとってのペットの癒し

眞鍋 峰松



最近、マスコミで大きく報道されたのが、栃木県で犬の死体が大量に見つかった事件。 小型犬のこの種の死体遺棄事件は全国的にも見られ、10月末から11月初めにかけ、佐賀県、群馬県高崎市、宇都宮市鬼怒川、那珂川町などの河川敷や山林でも発見されている。 

警察では廃棄物処理法違反容疑で元ペットショップ従業員の男らを逮捕したのだが、背景には飼育がずさんな悪質ペット業者の存在など、構造的な問題を指摘する声も出ているというのである。 

昨年9月には動物愛護法が改正され、自治体が業者からの動物引き取りを拒めるようになった。 所管する環境省は「売れ残った犬を安易に保健所に持ち込む業者が一部にあり、一度飼ったら死ぬまで面倒をみるよう徹底させる趣旨だ。都道府県の立ち入り調査などで、ずさんな飼育をしている業者を把握するしかない」という。 

ただ、この改正は悪質業者による処分が殺処分から遺棄に変わっただけとの指摘もあるとの批判的な報道もされている。         

折しも、過日、私が住む泉北ニュータウンの地域コミュニティ誌にこんな記事が掲載されていた。ニュータウンでは人口が減り続けているが、ペットの飼い犬は逆に増えている、というのである。 

調べてみると、ニュータウンを主体とする堺市南区の人口は、平成24年9月末現在で居住人口が155、638人で市域全体(850、521人)の18.3%を占めているのだが、ここ数年では毎年700〜1500人程度の速度で減少している。 

その一方で、65歳以上人口は増え続け、その割合が南区では25.5%(市全域23.4%)に達し、高齢化の速度が他地域に比し明らかに高い。これは他の既成のニュータウンにも多く見られる現象だが、初期入居者の高齢化や都心回帰により、全体的な人口減少とともに、高齢化は進んでいるのである。 

ただ、人口減少の割合ほどには世帯数の方は減少せず、ほぼ横ばいに近い。これらの事実は、泉北ニュータウンの人口が減少傾向の上に高齢化し、世帯構成面でも高齢者世帯化しつつあるということを物語っている。 

これに反し、飼い犬の方は増加傾向。今年3月末の飼い犬数は南区全体で7,561匹で、ここ数年逆に毎年100匹程度づつ増加している、とのこと。                                

これらの事実は私の実感にも合致する。 朝夕に近辺の緑道をジョギングやウォーキングする高齢者や犬を連れ散歩する高齢者の数が、ここ5年間程度で明らかに倍増している。 ここから窺えることは、人口の高齢化とペットの増加とは、比例する関係にあると言い得るのではなかろうか。 

ただ、高齢者のペット犬飼育には、高齢者であるが故の悩みが存在する。拙宅のご近所を見渡しても、同居の子供たちが家を出て、今や老夫婦のみ居住という世帯が多い。

その中には、以前犬を飼っていたものの、犬の死亡後、自分達が世を去った後の飼い犬の面倒を誰が看てくれるのかが心配で新しく犬を飼えない、それが非常に寂しい、悩ましいという家庭が多い。 

余談だが、以前我が家でもミニチュア・シュナウザー犬を3匹飼っていた。だが、3年半前に長男犬が逝き、先月末には次男犬も亡くなった。そして、残されたのは、間も無く12歳になろうかという長女犬の一匹。

かって3匹の室内犬のため家中が犬小屋に変じていた我が家も、やっと整理整頓の眼が届くようになってきた。反面、3匹から2匹、2匹から1匹へと、飼い犬の減少による極度の寂しさは否めない。

ご多聞に洩れず、もし残った今の唯一の愛犬が亡くなれば、その後はどうしたものか。心秘かに思案六方中である。    

高齢者の余生の過し方には色々あるだろうが、ペット犬の飼育による癒しの効果は大きい。それだけに高齢者の増加に伴う小型犬のペット需要も益々大きく、ペット販売業者による販売の構造を変えないと、同じような問題は繰り返されることになるだろう。 

今はトイプードルやチワワ、ミニチュアダックスフントなどが人気で、それらが大量に供給される裏で、売れ残った犬や産んだ親犬を処分しなければならない事態になっているという。 

欧米には、繁殖業者の調査を動物専門の取り締まり機関が調べる仕組みがあり、アニマルポリスと呼ばれ、業者による動物の扱いに問題があると判断した場合は告発、組織によっては逮捕権までも持つという。 

これ以上の業者の残酷・非道な行為が頻発するようであれば、早期に制度の創設も検討されることが必要になるのではないだろうか。それでなくても、他人のみならず自分の命をも粗末にし、親が子を、子が親を見捨て、甚だしきは殺傷するような世の中。 

まず、か弱いペット犬の命からでも大切に扱うことを学ばなければ、と切に願う。

2014年11月29日

◆ワン・フレーズ政治手法の危険性

眞鍋 峰松



今月26日の新聞紙上で、久し振りに昔懐かしいお名前を拝見した。旧社会党委員長や衆院議長を務められた土井たか子氏。去る9月20日に肺炎のため85歳で死去された同氏のお別れの会が25日、国会近くの憲政記念館で関係者や国会議員、友人ら470人が集まり開かれたとの記事。 

お別れの会場では、初代の社民党党首を務めた村山富市元首相が「低落傾向にある社会党の委員長に就任する時、『やるっきゃない』と決意し、どんな圧力にも屈せず『だめなものはだめ』といい、『山をも動かす』強い力を持った社民党に再生させた」と、お別れの言葉を述べられたとのこと。

土井氏の本職は弁護士であり、同志社大学の田畑 忍教授門下で憲法を学び、「憲法と結婚した」と言われるほど、「護憲」のトップリーダー的存在であった。 

余談だが、私の学生時代、この田畑教授について一つの思い出がある。学生自治会役員の一員であった当時、会主催の自主講座の講師として折衝・招聘の役を務めたことがある。

その際、初めて同志社大学教授の研究室を訪問し親しくお話をお伺いしたのだが、同教授は当時雑誌世界などによく執筆されており、これらの雑誌から抱いていた左翼的・先鋭なイメージとは異なり、小柄・やせ気味の口髭を生やした温厚な口調の紳士ぶりにやや違和感を覚えた遠い記憶が残っている。

土井たか子氏には上記のように幾つかの印象的な言葉が残されているが、今思い返すと、これらの言葉は小泉元首相流のワン・フレーズによるプロパガンダ、政治手法。

当時、女性には珍しい位の同氏の毅然とした態度と迫力には感心したのだが、それらの言葉の中で私にとって最も強烈に記憶に残るのは、消費税創設議論に反対の意思表示を示した「ダメなものはダメ」発言である。

だが本来、それは言論を持って戦うべき弁護士としてはあるまじき発言ではなかったのか、との感想である。 
古来、日本には「和をもって貴しとなす」の風土があり、これは元々農耕民族としての気質なのだろう。 

故会田雄次京都大学教授は、著書「逆説の論理 新時代に生きる日本の英知」の中で、『人は誰でもが、たとえ偉い政治家であろうが、高徳の僧であろうが、みな或る意味において出来損ないである。 

社会的に困った出来損ないと、そうでない出来損ないとの差があるだけに過ぎぬ。この世は、こういう哀しい人間同士がお互いに赦し合って生きて行くことで初めて穏やかなものとなる。 泥棒にも三分の理、人の気持を察してやろう。率直に自分に問えば、同じ出来損ないのこと、相手の気持はすぐに察することが出来る。すべて控え目に行こう。 

そういった人間観である。そういう心情、観念だけのことではない。出来損ない達のうさを晴らしたり、それを軟着陸させたり、各種の出来損ないに生き甲斐を与える手段や場所が日本ほど多種多様に、そして複雑巧妙に作り出された国はまぁ存在すまい。

一杯飲み屋、銭湯、岡場所、各種の祭り、花見月見の習慣、盆栽作りといった手段や施設、酔っ払いと陰口への寛容さという対応策など、枚挙にいとまがない。もう少し居直って言えばこうだ。

こういう出来損ないが集まって作った「出来損ない社会」だからこそ、変化もある。流動もある。 安堵できずガタガタしているからこそ遊びも面白いし、活気も生れる。』と記述されている。 

要は、この日本人の「融通無碍」な考え方こそは、まさに日本民族独特のものだ、と論じられているのであり、私も全く共感する。それだけに、当時の私には、土井氏の「ダメなものはダメ」発言は、日本人としては極めて異質だと感じたのではないか。 

また同書では、『建築と同じように社会にも柔構造社会と剛構造社会がある。 そして柔構造社会の方がはるかに発展性と持久力を持つことも同じだ。 固陋なイデオロギーや、独善的宗教の単一支配が行われ、それへの従属を「安全」「理想」として押し付けられる社会は剛構造である。 その理想の押し付けが強い国ほど社会の堅さ、従って脆さも強まる』と続けられている。

この柔軟性こそが日本人の強みだと断定されているように思う。

さらに、外国生れ・育ちでありながら、良く日本的風土と気質の特質を理解されているものだといつも感心するのだが、呉 善花氏の著書「日本人を冒険する」の中の日本人論は、下記の通り。

『日本人は人間をできるだけ共通な観点から見ようとする意識が強く、異質だとか特異だとかする差別的な観点を嫌います。 日本人の多くは、物事をできるだけ相対的に考えようとします。「いろんな見方があるし」とか、「そういう考え方があってもいい」とか・・』と記述。同趣旨のお考えなのだろう。

私は、今さらここで土井たか子の発言をあげつらうという気持は、毛頭ない。尚更、批判すには、当時の時代背景の下での発言という点をも十分に踏まえる必要があろう。 

だが、ワン・フレーズによるプロパガンダや政治手法は一般的に理解し易く、歯切れの良さが広く社会に受け入れられ易い。

その故に、逆に世論形成の上で危険なものに成りかねないのでないか、近く行われる衆院選においても頻繁に声高に聞かされるのでないか、最近の橋下大阪市長の発言にも相通じる危うさがあるのではないか、と危惧した。そこで敢えて取り上げてみた次第である。

2014年11月23日

◆これも時代風潮を表す言葉?

眞鍋 峰松



この12月初めには、恒例の今年の流行語大賞が発表される。そこにはノミネートされていないだろうが、近頃、新聞紙上等で頻繁に“大義”や“愚直”という言葉を見かける。 

私ひとりの感想なのかも知れないが、これらの言葉は、いずれも現在の日本という国が置かれた状況を反映した、恰も時代風潮を想起させる言葉のようにも思われる。

だが、“大義、大義”などと連発されると、戦中戦前当時の時代感覚が連想されられる。だからどうだ、という仰々しさもないのだが、私にはどうも気になって仕方が無い。往々にして大仰な言葉やスローガンの蔭に、思いも寄らぬ意図や悪謀が潜む場合も多い。

辞典によると、大義という言葉は「人が踏み行うべき道」、の意。 また、大義名分という熟語で使われることも多いのだが、名分は名義(表だった名前)に伴って必ず守るべき道徳上の分際・限度、犯してはならない人倫上の範囲、の意だそうだ。 

この度の衆議院議員選挙、“大義なき解散”などと聞かされると、一体如何なる一大事件なのかと驚く。だがよくよく聞くと、その意味するところ、単に衆議院の解散理由・事由が明らかでないだけのこと。 

“だけのこと”と言えば世間のお叱りを受けるかも知れないが、如何にも情緒的発言であり、結局はアベノミックス効果の成否が問われる選挙などと言うのなら、やはり政策・施策選択の範疇。むしろ私の感覚では名分の有無の問題だと考えるのだが、それが何故“大義”の有無となるのか。 やはり、言葉にはそれ相応の使用方法があるだろうに、と思う。

ところで、愚という語。賢愚と並列され、賢の反対語の、愚かなこと・馬鹿、馬鹿々々しくて取るに足らないことを意味するのだから、他人に対し濫りに使用せられるべき語ではない。 

だが、己の自称となると、自分に関する謙遜、謙称と化する。直は正しい、真っすぐなことを意味するから、“愚直”と愚と直を重ねると、馬鹿正直の意味になる。そうなると、謙遜のはずが一転、自分が正直であることの押付け・自画自賛ともなりかねない。 

最近、この言葉を発した人達から判断すると、その真意・底意がミエミエだと思わざるを得ない。

孔子は、論語の公冶長第五の中で「寗武子(春秋時代初期、衛の国の大夫)は、国家が治まっていれば知者としての技量を十分に発揮し、国家が乱れてくれば愚者になり、知者として鋭敏な見通しが早くつく性質を押さえて愚直な誠実を働かせたと評し、(孔子ですら)その知恵者ぶりはまだ真似られるが、その愚か者ぶりにはとても真似られない」と言われる(参考:吉川幸次郎訳 世界古典全集4など)。 

つまり、道理の通る世では立ち働いて知者となるのは難しいことではないが、無道の世に才知を隠して愚人のように振る舞い世に尽くすことは考えつかない、というのである。愚もここまで達すれば、人知を窮めたということになるのだろう。

また、小説家の故 城山三郎氏は、ある本の中で次のような文章をお書きになっている。

「男にとって大切なことは愚直さですよね。もう明らかにそういうことをしたら損だということが分かっていても、そういうことをしなくちゃいけないという使命感なり理想があって、愚直に生きていく。その愚直さということを、もう少し言い換えると、けじめの問題ですね。つまり、男らしい男は、けじめをつけるっていうことです」というのである。

では、自分自らが“愚直にことを行った”と仰ったと聞き及ぶ面々、例えば鳩山・菅元総理の両氏が果たしてこの域に達しておられたのか、どのようなけじめを付けられたのか、甚だ疑問だ。

要は、私が言いたいのは“大義”とか、“愚直”などの言葉をあまり安易・安直に使って欲しくない、ということ。 

蛇足だが、この意味は本誌に以前(平成23年3月1日)に掲載した“蔓延するのか、維新の会ブーム”の中の「維新と云う言葉をそうそう安易に使用して欲しくないということ。果たして彼らに維新という言葉を自ら名乗るほどの潔さと気概があるのか、ただただ選挙に当選したいがためではないのか」という記述と同趣旨である。

2014年11月19日

◆今時の男の子、女の子

眞鍋 峰松



こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 

学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。


生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 


私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。


ところが、その場に居合わせた母親達が一様に驚いた出来事が発生した。


生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。


何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。


ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。


この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     


私は、その出来事を聞き、改めて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。


4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。


発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」、というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。


母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。男の子は昔々から、男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。


街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。


この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。