2014年03月23日

◆桜の季節〜日本人の心

真鍋 峰松


この季節、日本各地で咲き始めた桜の花が見られる。私なども毎年見るたびに、“よくぞ日本に生まれけり”という気持になる。それほどに日本人の心の奥深く刻まれ、古来から詩歌にも読まれてきた。 

ところで、桜の開花予想はニュースとして報じられるが、その開花基準になるのが「休眠打破」だと言われる。 

桜の花芽は前年の夏に形成され、それ以上生成されることなく晩秋から「休眠」状態になり、冬にかけて一定期間、低温に曝されることで眠りから覚め、開花の準備を始める。 

これを「休眠打破」と言うのだそうで、さらに温度が上がるにつれて、花芽が成長生成し、気が熟して開花に至る。 

この故に、桜は四季のある日本で進化した植物と言われる。これほどに時間をかけ開花に至る桜だが、咲き誇るのはほんの僅かの期間。日本人はその桜の花の華麗さとは裏腹の、儚さにも強く惹かれ、その魂の、あたかも象徴の如くに看做してきた。

その典型が、本居宣長の歌「しきしまの やまと心を ひととはば 朝日ににほふ やま桜はな 」なのであろう。 

また、西行法師には、「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり 」と、その出家の秘密を封じた悲恋の歌があり、さらには、「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの  望月の頃」、「散る花も 根にかへりてぞ  または咲く 老こそ果ては  行方しられね」という死生観を桜の花に寄せる歌まである。
     
欄漫と咲き誇る桜の花に寄せる心象の一方、そこには日本特有の無常観を底辺に置いた「わび」「さび」「もののあわれ」と言った“ものの見方”も発達してきた。

兼好法師の徒然草第百三十七段「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。 雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀に情ふかし。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ」

これこそが日本人特有の美意識そのものと思っていたのだが、意外にも、古くから日本で読まれてきた中国古典、明末の洪 自誠の「采 根 譚」の中に、「花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。此の中に大いに佳趣有り。若し爛漫氈陶(らんまんもうとう)に至らば、便ち悪境を成す。盈満(えいまん)を履む者、宜しく之を思うべし 」と記されている。

その大意は「 花は五分咲きを見、酒はほろ酔いぐらいに飲む。その中にこの上もなくすばらしい趣がある。 
もし、花は満開しているのを見、酒は泥酔するに至るまで飲んだのでは、その後はかえっていやな環境になってしまう。 

満ち足りた世界にいる人は、よくよくこの点を考えるようにしなさい 」とのことだが、徒然草の言葉とは同じようなことを言っているようにも思えるが、どこか微妙に違っているように思える。

いずれにしても私には、この季節、一年で最も温暖・快適であり、日本人の心に触れる事柄が多い時期を迎えているように思う。(完)


2014年01月23日

◆歴史は繰り返す

真鍋 峰松


年が明けて、はや1ヵ月を過ぎようとしている。 あっという間も無く日が過ぎていく。これは多くの人にとって共通の慨嘆だろう。 

それにしても、現在のこの社会、すべての面で慌ただしい。とりわけ、新聞などの報道を見ていると、政治や経済、日中韓の問題は絶えず渦を巻いている気がしてならない。本来、世の中に驚天動地の事件なんぞ滅多に起こることもない、と思うのだが。 

「今日もまたかくてありけり。 明日もまたかくてありなむ」。これが私の年令相応の心境ということなのだろうか。

それにしても、あの阪神・淡路大震災から、はや19年。一瞬にして6000人を超える死者を数えた都市直下型地震の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。まさに驚天動地の事件であった。改めて、被害に合われた方々のご冥福と残されたご家族皆さんのご奮闘を心からお祈りしたい。
                           
目下、マスコミの焦点となっているのは、東京都知事選挙。特に候補者細川氏“過去の疑惑再燃”問題が浮かび上がってきている。 日々報道される内容以外に詳細を知る術など持たないのが、我われ。

事の真偽のほども全く解らないが、古今東西、政治に金は付き物。政治活動に多額の資金が必要とされるのは自明の理。従って、政治がらみの資産形成も、度を越さない程度なら、よしとするのではないかと思うが、しかし度を越せば、社会問題だ。     

だが、肝心の為政の志だけは失って欲しくないものだ。いつの時代であろうと、政治家の原点になるのではないか。政治家だけではない。各界のリーダーすべてについて、それぞれの志が望まれるのである。そうでないとリーダーとしての説得力が出てこない。      

その折も折、ある書物に書かれていた言葉に共感を覚えた。それは、後漢時代から三国志の時代にかけての人物、荀悦(献帝の侍従兼政治顧問)が政治の根本とその得失を論じた「申鑒(しんかん)」の中の言葉で,
「政を致すの術は、先ず、四患を屏(しりぞ)く」と。              

四患とは、「偽私放奢」のことで、
「偽」とは、二枚舌、公約違反のたぐいである。
「私」とは、私心、あるいは私利私欲を意味している。
「放」とは、放漫、節度のない状態を指している。
「奢」とは、贅沢、ムダ使い、あるいは心の驕りである。           

まさに、現下の情勢にピッタリの言葉ではないか。
(完)
                      <評論家>


2014年01月05日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い A

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 

その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
  〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。
        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2014年01月04日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い @

眞鍋 峰松


最近、マスコミ上に登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

靖国神社参拝問題については、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だ。

その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。 それでは、どうするのか。

物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが両立する衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては、本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教え」ほど尊いと 私の体験からも、そう思える。<後編へ> 

2014年01月02日

◆人事の季節 悲喜こもごも

眞鍋 峰松 
 

この季節、いずれの組織・団体においても定期の人事異動が行なわれる。 様々な噂・憶測が飛び交い、当事者はそれに一喜一憂するというのは毎年のことである。

だが、人の噂話ほど当てにならないものはない。 人事異動は悲喜こもごも。 何千、何万という人間を抱える大きな組織に限らず、例えもっと小規模な組織でも、皆が満足し幸せを感じる異動など100%あり得ない。
 
当人にとって、特に昇格を控えた時期であれば、より「そわそわ度」は高くなる。 異動先によっては家族ともども引っ越しという事態ともなるので大変だ。 だが、その結果は最後まで判らない。

その人事異動。 問題は、大抵の場合、自己評価と、他人とりわけ上司の評価とのギャップが大きいことである。 自己評価の高い人間ほど客観的評価との落差を思い知ることになる。 ただ、この客観的評価自体にも問題が潜む場合が多い。
 
昨今、どこの組織においても幾つかの評価項目を定め評点化している場合が殆どであるが、そもそも人間の適性・才能を評価する側の人間にしっかりした能力があれば良いのだが。 それより自分の部下の能力・成績も指導次第でどうにかなるのだ、という自信を持った上司こそが望ましい。
 
正直、私のような者にとっては、この人事評価一つでこの人間の一生を左右するのだと思うだけでもそら恐ろしく、到底確信を抱くには至らなかった。

ある書物の中で、人事担当責任者の言葉として「各部署から部下を評価した報告書が回ってくるのですが、“部下のここが気に入らないから、異動させてくれ”みたいなことが書いてある。

上司というのは、部下のいいところを引き出すのも仕事のうちだと思っていますから、どこの部署で働けば、部下の能力が生かせるか、そこまで書いてくるように書き直しを要請したこともあります。

それぞれの上司が部下の適材適所を真剣に考えれば、会社全体が活性化されると信じていたので、好き嫌いで評価を下すのは許せませんでした」と記述されていたことを思い出す。 私の経験からしても、至極当然の言葉であろうと思う。

そこで、現職当時に常に心に留め置いた、現代でも十分通用する上司の心得として江戸中期の儒者 荻生徂徠の言葉に「徂徠訓」というのがあったので、ここで紹介させて頂く。

1) 人の長所を始めより知らんと求めべからず。 人を用いて始めて長所の現れるるものなり。
2) 人はその長所のみ取らば即ち可なり。 短所を知るを要せず。 
3) 己が好みに合う者のみを用いる勿れ。  
4) 小過を咎むる要なし。 ただ事を大切になさば可なり。    
5) 用うる上は、その事を十分に委ぬべし。  
6) 上にある者、下の者と才知を争うべからず。
7) 人材は必ず一癖あるものなり。 器材なるが故なり。 癖を捨てるべからず。      
8) かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

もっとも、この徂徠訓も江戸中期という封建制度下のもの。 現代の上司たるもの、とりわけ中間管理層は想像以上に大変なのかも知れない。
 
上からと下からの重圧の下、指導が厳し過ぎるとパワハラと疑われ、異動先が当人の意に沿わないと冷酷と言われるそうなのだから。
 
だが、人材以外に頼るべき資源を持たないのが、我われの日本。 その人材を活かすも殺すも適切・妥当な人物評価。 確たる信念を持ったリーダー・管理職達の奮闘を心から望みたい。

2013年12月09日

◆わが家の七福神

眞鍋 峰松


我が家の玄関ドアー上の内側の棚には、本当に小さい木彫りの七福神が一枚の木の板に仲良く並んで鎮座しておられる。


どちらの家庭もご同様でしょうが、大晦日には我が家も恒例行事である家中の掃除と整頓。 生来の無精者・怠け者の私は、毎年その作業から逃げの一手。
 

昨年も、その殆どを家人に任せ、私に課せられた惟一の作業である神棚の磨きとお飾りを終了し、やれやれと玄関で腰を伸ばしつつ、ふと見上げた眼前に1年の埃が積ったこの七福神様。これは真に申し訳ない始末、と慌てて埃を払い清めさせて頂いた。


今になれば、どのようにして入手したものやら、その由来も分からなくなったのだが、いつの間にやら、30年以上も前から我が家の外部からの災厄除けの大事なお役を務めて頂いてきている。


ある書物によると、元々この七福神信仰は室町時代からあったと言われ、人間の七福である寿命、有福、人望、清廉、愛敬、威光、大量を七人の神に結びつけ、前から寿老人、大黒天、福禄寿、恵比寿、弁財天、毘沙門天、布袋の順になる、とのこと。
 
しかも、この七福神の選び方はまことにバラエティに富んでいて、恵比寿だけが日本土着の神で、あとはインド産が大黒と毘沙門、中国産が福禄寿と寿老人、唯一女神としての弁天さん、そして布袋に至っては中国の唐の時代の実在の和尚であり、神道・仏教・道教を全て総合。
 

外来文化と土着文化とが習合して独自のものを形成したのである、とのことである。


現在でも七福神詣で(参り)と言って、正月元旦から七日までの間に七福神を祭った社寺を巡拝して開運を祈る風習も残されている。


興味を抱いてネットで調べてみると、大阪市内では、寿老人が三光神社(天王寺区)、大黒天が大国主神社(浪速区)、福禄寿が長久寺(中央区)、恵比寿が今宮戎神社(浪速区)、弁財天が法案寺(中央区)、毘沙門天が大乗坊(浪速区)、布袋が四天王寺(天王寺区)というのが、一つの参拝コース(所要3時間)とのこと。
                  

正月の松飾りを立てておく期間(1日〜7日又は15日)を松の内といって、まだまだお正月気分が残っている頃合い。一度、七福神詣に出かけ、この1年の無病息災を祈るのも、昔懐かしい日本情緒に浸る良い機会かも知れない。

2013年11月09日

◆メディア自体の信頼性 如何?

眞邉 峰松

 
残念ながら、我々一般人の知る情報は、マス・メディヤが一方的に流すものにしか接する機会以外に無い。 

確かに、現在の日本社会は全体として改革・革新を進めなければ、日本の進路も袋小路に陥る時期にあると思うが、注意しなければならないのは、マス・メディアの世界もまた例外ではないということである。 

逆に、第四の権力とも呼ばれるその影響力から言えば、改革すべきと思われる中で最も大事な部分は、このマス・メディアであろう。


ここで、私はマス・メディアという用語を使い、ジャーナリズムという言葉を使用していない。 


私が敢えて“マス・メディア”というのは、むしろ“マス”つまり大量の・大衆向けの、という意味を込め、社会の警鐘者たることを期待する“ジャーナリズム・リスト”とを区別したい、が為である。 その故、“ジャーナリズム・リスト”には、ある書物にあった次の言葉を呈したい。

   
「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。


ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる。 」


一方、情報をマス・メディアに頼らざるを得ないわれわれ一般の庶民は、いかにマス・メディアの一方的情報伝達に対処すべきか。


残念ながら、我々には個々の情報の信憑性を確かめる術を持たないので、当該メディア自体の信頼性如何に頼らざるをえないだろう。


現在の情報過多の世相の中では、次の文章の示唆する意味を十分踏まえていく必要があると思う。
    

「音楽の情報量は、s/nと表す。Nはノイズ、Sはシグナル、つまり、音楽の発するシグナルを大きく聴き取るためには、シグナルが大きく聞こえることも大事だけれども、ノイズが少ないことが大事だというわけです。


だから、情報量をたくさん取るということは、Sを大きくすることも大事だけれども、Nを小さくすることが大事、余計な情報がどんどん入ってくると、肝心な情報のウエィトが小さくなってしまう。 


情報についても、“省く”ということを考えなければならないということだと思う。 何でも知っていたり、何でも早く読む必要はない。


そうすると、Nがいたずらに大きくなることになるでしょう。日本には「耳を澄ます」という言葉がそういうことでしょう。 (完)
                             (評論家)

2013年11月03日

◆真正面からの言葉・教えほど尊いA

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 

その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。


最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
  〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2013年11月02日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い@

眞鍋 峰松
   

最近、マスコミ上に登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。 多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。 それでは、どうするのか。

物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。 だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教え」ほど尊いと 私の体験からも、そう思える。

<後編へ> 

2013年10月17日

◆今日一日をプラス思考で生きる

眞鍋 峰松


最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  

何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。

だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   
情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 

個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 

もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。 要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 

シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)

2013年10月09日

◆いつまでも残る「教え」(後)

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。

今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
 
<〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜>といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。

それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者・ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

・凡庸な教師は しゃべる。
・良い教師は  説明する。
・優れた教師は 示す。
・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2013年10月02日

◆山崎豊子さんのご逝去を悼む

眞鍋 峰松


「白い巨塔」「大地の子」などスケールの大きな社会派小説を数多く著した人気作家の山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが、9月29日午前、心不全のため死去された。88歳。大阪市出身。葬儀・告別式は親族で行う。喪主はおい、山崎定樹(やまさき・さだき)氏。 

山崎豊子さんは、大正13年、大阪市生まれ。昭和19年に京都女専(現・京都女子大)国文科を卒業後、毎日新聞大阪本社に入社。学芸部時代のデスクで小説家としても活躍していた井上靖氏に刺激を受け、32年、昆布商(小倉屋山本)だった生家をモデルにした長編小説「暖簾(のれん)」で作家デビュー。

33年発表の「花のれん」で直木賞を受賞、同年退社して作家活動に専念した。

初期には「ぼんち」など大阪の商家を舞台にした作品を発表したが、40年、大学病院の腐敗を描いた「白い巨塔」から社会派になった。

都市銀行の深層に迫った「華麗なる一族」、シベリア抑留体験をもつ商社マンが主人公の「不毛地帯」など企業ものから、第二次大戦下の日系アメリカ人を描いた「二つの祖国」、中国残留孤児の半生を描いた「大地の子」など、国家的な視野へと展開していった。

また60年の日航機墜落事故を題材に「沈まぬ太陽」を著した。
 
今年8月から、週刊新潮で新連載「約束の海」を始めたばかりだった。旧海軍士官の父と海上自衛官の息子を主人公に戦争と平和を問う大河小説で、20回分を書き上げていた。
(10月1日付け産経新聞記事から引用)
  

私にとって、山崎 豊子さんとの思い出と言えば、世に社会派の小説家というのは本当に変わった人種、と言うか、あの様な小説の創作活動は、物凄い粘着質的な息の長い地道な取材の下で行われ、あの種の小説が何冊も描き続けれるんだな〜、という驚きが一番。 

その山崎豊子さん(以下、女史と称する)とは、もう20年以上も前になるが、知遇の縁を得た。女史と初めてお会いして以来、私の何処の何がお気に召されたのか解らないが、それ以後の約1年間というもの、ほぼ毎晩夜9、10時頃には、多分女史が執筆活動に疲れた頭の休みがてらということか、電話を頂く会話が暫く続いた。 

私が感じたことは、人生の大先輩・目上の女史に対して失礼ながら、ご本人は非常に変わった性格だが、意外に真っ当な常識の持ち主なんだな〜、ということだった。

元々、私が山崎女史に初めてお会いしたのは、私が役人として文化行政を担当していた、確か平成4年春の終わりか、夏の初め頃だった。

当時の上司から、「文化人を中心にした組織を立ち上げるのに、どうしても堺市内にお住まいの高名な山崎女史にも参加して頂きたいのだが、手掛かりは無いか」、との問いがあったのがキッカケだった。そこで、幅広い人脈をお持ちのある人物を介在役に、私から女子に面会を求めたのが出始めだった。 

当初、女史は役人である私の訪問を嫌がられていたのだが、初めて浜寺のお宅を訪問した際には、20分の約束が1時間半以上の長話に及んだ。今では、女史と何の話題でそこまで話が弾んだのか、全く定かではない。多分、ご主人の入院先である府立病院での出来事ではなかつたかと思い出す。
  

そして、その年の11月初旬の大阪府主催の私学功労者表彰式の際の、「大地の子」執筆活動を巡るエピソードなどを中心に1時間程度のご講演の依頼にご自宅を伺った。

だがそれも、最初の内は、女史は、“講演は嫌い”を理由に遠慮する、こんな形の講演なんて一度もしていないのよ、の一点張り。 そこを何とかお願いを、と押し続けると、最後には、“根負けしたわ、まぁ貴方が来られたら仕方が無いね”と不承不精ながらお引き受け頂いた、という、望外な喜びがあった。
  

更にある時、女史から急電話が掛かり、相談事があるとの連絡があった。伺うと、話の内容は、“今、大地の子の原稿料を中心にその他の私財を併せ、中国在留孤児の帰国後の教育育英奨学金の基金設立を文部省に働き掛けているが、一向にラチが開かない、どうにかしてよ”との相談だった。


そこで色々と問合せを、各方面に働き掛けたが、同様の有様。 


そこで、府教育委員会と相談。それ程にお急ぎなら府内の中国在留孤児ための教育育英奨学基金設立なら、府教委の方で対応させて頂くとの回答を貰った。


この財団だが、最終的には、戦争三部作〜「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」〜の著作権料約3億円を原資に、その果実を教育育英奨学金として授与する制度の設立に漕ぎ着けることができ、当の女史に大変喜んで貰ったのは勿論のこと、関係者も事の成就に喜んだ。

こんな中、女史とのお付き合いでは、色々なエピソードも生じた。

中秋のある夜、いつものように夜10時頃に女史から拙宅に電話が来た。生憎私はこの夜遠くへ出かけていて不在。電話に出た家内は、外出しており連絡先も不明ですと応えると、“そんな。ご主人の行き先も聞いていいないなんて、駄目でしょう”とのお叱りを受けた。 


家内が苦労をして私を探し当て、私が慌てて女史に電話すると、用件そのものはいつもの雑談程度だったが、女史からは“貴方も、何が起こるか分からないのだから、ちゃんと奥さんには行き先を言っておかなければ駄目よ”とお叱りを受ける羽目に。これも、今になれば、懐かしい思い出だ。

もう一つのエピソード。私が不在の時には、女史は電話で家内相手に色々と世間話をしておられた。ある夜、やはり私の不在の時、家内が応対したのだが、その話の内容が、当時話題沸騰の貴乃花と宮沢りえの婚約話についてだった。ハナから、女史は家内へボなこと、ボヤクことばかり。

家内相手に、“あるマスコミから、貴乃花と宮沢りえとの婚約話をどう思われますか?と私に訊いてくるのよ。私がそんなことを知る訳ないでしょう。 一体、何を考えているのよ”とのお怒りの言葉。 


そのあまりの剣幕に、家内も思わず、“申し訳ございません。そうですよね。可笑しいですよね”と、ただ相槌を打つしかなかっただけのことだった。

兎に角、山崎豊子さんは人付合いが嫌いで有名。 文壇人とも殆ど付き合いが無かったようだが、何故か私は最初から可愛がって頂いた。

こんなことを書くと故山崎豊子女史からまたキツイお叱りを受けそうだが、お顔を拝見すると、一見、取っ付き難く、気難しい感じなのだが、その内実は寂しがり屋の、やはりお嬢さん育ち、だった。 

私には優しく、署名入りの著書や、高血圧に良いからと自社(生家の小倉屋山本)特製の減塩醤油も、送って頂いたりした

その他、当時を思い出すと、面白可笑しいことが尽きぬほどの会話が色々とあった。

その後、私の出先機関への出向など人事異動に紛れ、双方からの連絡も途絶え勝ちとなり、数年後には暑中見舞いや年賀の交換程度のお付き合いになってしまった。
 

頻繁に電話でお話をさせて頂いた当時は、丁度、女史は沈まぬ太陽の執筆のため、取材活動でアフリカへも度々出向かれるなど、まだまだ旺盛な活動力・体力をお持ちだったのに、と、往時が偲ばれる。 

ご逝去のニュースを聴いて、改めて、私のような人間をあれ程面倒みて頂き、何かとご心配もお掛けしたのにと悔やまれ、その後のご無沙汰をお詫びするとともに、深く深くご冥福をお祈りする次第である。(完)

2013年09月21日

◆メディア自体の信頼性 如何?

眞邉 峰松


残念ながら、我々一般人の知る情報は、マス・メディヤが一方的に流すものにしか接する機会意外に無い。 

確かに、現在の日本社会は全体として改革・革新を進めなければ、日本の進路も袋小路に陥る時期にあると思うが、注意しなければならないのは、マス・メディアの世界もまた例外ではないということである。 

逆に、第四の権力とも呼ばれるその影響力から言えば、改革すべきと思われる中で最も大事な部分は、このマス・メディアであろう。

ここで、私はマス・メディアという用語を使い、ジャーナリズムという言葉を使用していない。 

私が敢えて“マス・メディア”というのは、むしろ“マス”つまり大量の・大衆向けの、という意味を込め、社会の警鐘者たることを期待する“ジャーナリズム・リスト”とを区別したい、が為である。 その故、“ジャーナリズム・リスト”には、ある書物にあった次の言葉を呈したい。

「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。

ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる。 」

一方、情報をマス・メディアに頼らざるを得ないわれわれ一般の庶民は、いかにマス・メディアの一方的情報伝達に対処すべきか。残念ながら、我々には個々の情報の信憑性を確かめる術を持たないので、当該メディア自体の信頼性如何に頼らざるをえないだろう。

現在の情報過多の世相の中では、次の文章の示唆する意味を十分踏まえていく必要があると思う。
    
「 音楽の情報量は、s/nと表す。Nはノイズ、Sはシグナル、つまり、音楽の発するシグナルを大きく聴き取るためには、シグナルが大きく聞こえることも大事だけれども、ノイズが少ないことが大事だというわけです。

だから、情報量をたくさん取るということは、Sを大きくすることも大事だけれども、Nを小さくすることが大事、余計な情報がどんどん入ってくると、肝心な情報のウエィトが小さくなってしまう。 

情報についても、“省く”ということを考えなければならないということだと思う。 何でも知っていたり、何でも早く読む必要はない。そうすると、Nがいたずらに大きくなることになるでしょう。日本には「耳を澄ます」という言葉がそういうことでしょう」。 (完)
                                (評論家)