2013年10月17日

◆今日一日をプラス思考で生きる

眞鍋 峰松


最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  

何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。

だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   
情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 

個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 

もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。 要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 

シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)

2013年10月09日

◆いつまでも残る「教え」(後)

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。

今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
 
<〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜>といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。

それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者・ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

・凡庸な教師は しゃべる。
・良い教師は  説明する。
・優れた教師は 示す。
・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2013年10月02日

◆山崎豊子さんのご逝去を悼む

眞鍋 峰松


「白い巨塔」「大地の子」などスケールの大きな社会派小説を数多く著した人気作家の山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが、9月29日午前、心不全のため死去された。88歳。大阪市出身。葬儀・告別式は親族で行う。喪主はおい、山崎定樹(やまさき・さだき)氏。 

山崎豊子さんは、大正13年、大阪市生まれ。昭和19年に京都女専(現・京都女子大)国文科を卒業後、毎日新聞大阪本社に入社。学芸部時代のデスクで小説家としても活躍していた井上靖氏に刺激を受け、32年、昆布商(小倉屋山本)だった生家をモデルにした長編小説「暖簾(のれん)」で作家デビュー。

33年発表の「花のれん」で直木賞を受賞、同年退社して作家活動に専念した。

初期には「ぼんち」など大阪の商家を舞台にした作品を発表したが、40年、大学病院の腐敗を描いた「白い巨塔」から社会派になった。

都市銀行の深層に迫った「華麗なる一族」、シベリア抑留体験をもつ商社マンが主人公の「不毛地帯」など企業ものから、第二次大戦下の日系アメリカ人を描いた「二つの祖国」、中国残留孤児の半生を描いた「大地の子」など、国家的な視野へと展開していった。

また60年の日航機墜落事故を題材に「沈まぬ太陽」を著した。
 
今年8月から、週刊新潮で新連載「約束の海」を始めたばかりだった。旧海軍士官の父と海上自衛官の息子を主人公に戦争と平和を問う大河小説で、20回分を書き上げていた。
(10月1日付け産経新聞記事から引用)
  

私にとって、山崎 豊子さんとの思い出と言えば、世に社会派の小説家というのは本当に変わった人種、と言うか、あの様な小説の創作活動は、物凄い粘着質的な息の長い地道な取材の下で行われ、あの種の小説が何冊も描き続けれるんだな〜、という驚きが一番。 

その山崎豊子さん(以下、女史と称する)とは、もう20年以上も前になるが、知遇の縁を得た。女史と初めてお会いして以来、私の何処の何がお気に召されたのか解らないが、それ以後の約1年間というもの、ほぼ毎晩夜9、10時頃には、多分女史が執筆活動に疲れた頭の休みがてらということか、電話を頂く会話が暫く続いた。 

私が感じたことは、人生の大先輩・目上の女史に対して失礼ながら、ご本人は非常に変わった性格だが、意外に真っ当な常識の持ち主なんだな〜、ということだった。

元々、私が山崎女史に初めてお会いしたのは、私が役人として文化行政を担当していた、確か平成4年春の終わりか、夏の初め頃だった。

当時の上司から、「文化人を中心にした組織を立ち上げるのに、どうしても堺市内にお住まいの高名な山崎女史にも参加して頂きたいのだが、手掛かりは無いか」、との問いがあったのがキッカケだった。そこで、幅広い人脈をお持ちのある人物を介在役に、私から女子に面会を求めたのが出始めだった。 

当初、女史は役人である私の訪問を嫌がられていたのだが、初めて浜寺のお宅を訪問した際には、20分の約束が1時間半以上の長話に及んだ。今では、女史と何の話題でそこまで話が弾んだのか、全く定かではない。多分、ご主人の入院先である府立病院での出来事ではなかつたかと思い出す。
  

そして、その年の11月初旬の大阪府主催の私学功労者表彰式の際の、「大地の子」執筆活動を巡るエピソードなどを中心に1時間程度のご講演の依頼にご自宅を伺った。

だがそれも、最初の内は、女史は、“講演は嫌い”を理由に遠慮する、こんな形の講演なんて一度もしていないのよ、の一点張り。 そこを何とかお願いを、と押し続けると、最後には、“根負けしたわ、まぁ貴方が来られたら仕方が無いね”と不承不精ながらお引き受け頂いた、という、望外な喜びがあった。
  

更にある時、女史から急電話が掛かり、相談事があるとの連絡があった。伺うと、話の内容は、“今、大地の子の原稿料を中心にその他の私財を併せ、中国在留孤児の帰国後の教育育英奨学金の基金設立を文部省に働き掛けているが、一向にラチが開かない、どうにかしてよ”との相談だった。


そこで色々と問合せを、各方面に働き掛けたが、同様の有様。 


そこで、府教育委員会と相談。それ程にお急ぎなら府内の中国在留孤児ための教育育英奨学基金設立なら、府教委の方で対応させて頂くとの回答を貰った。


この財団だが、最終的には、戦争三部作〜「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」〜の著作権料約3億円を原資に、その果実を教育育英奨学金として授与する制度の設立に漕ぎ着けることができ、当の女史に大変喜んで貰ったのは勿論のこと、関係者も事の成就に喜んだ。

こんな中、女史とのお付き合いでは、色々なエピソードも生じた。

中秋のある夜、いつものように夜10時頃に女史から拙宅に電話が来た。生憎私はこの夜遠くへ出かけていて不在。電話に出た家内は、外出しており連絡先も不明ですと応えると、“そんな。ご主人の行き先も聞いていいないなんて、駄目でしょう”とのお叱りを受けた。 


家内が苦労をして私を探し当て、私が慌てて女史に電話すると、用件そのものはいつもの雑談程度だったが、女史からは“貴方も、何が起こるか分からないのだから、ちゃんと奥さんには行き先を言っておかなければ駄目よ”とお叱りを受ける羽目に。これも、今になれば、懐かしい思い出だ。

もう一つのエピソード。私が不在の時には、女史は電話で家内相手に色々と世間話をしておられた。ある夜、やはり私の不在の時、家内が応対したのだが、その話の内容が、当時話題沸騰の貴乃花と宮沢りえの婚約話についてだった。ハナから、女史は家内へボなこと、ボヤクことばかり。

家内相手に、“あるマスコミから、貴乃花と宮沢りえとの婚約話をどう思われますか?と私に訊いてくるのよ。私がそんなことを知る訳ないでしょう。 一体、何を考えているのよ”とのお怒りの言葉。 


そのあまりの剣幕に、家内も思わず、“申し訳ございません。そうですよね。可笑しいですよね”と、ただ相槌を打つしかなかっただけのことだった。

兎に角、山崎豊子さんは人付合いが嫌いで有名。 文壇人とも殆ど付き合いが無かったようだが、何故か私は最初から可愛がって頂いた。

こんなことを書くと故山崎豊子女史からまたキツイお叱りを受けそうだが、お顔を拝見すると、一見、取っ付き難く、気難しい感じなのだが、その内実は寂しがり屋の、やはりお嬢さん育ち、だった。 

私には優しく、署名入りの著書や、高血圧に良いからと自社(生家の小倉屋山本)特製の減塩醤油も、送って頂いたりした

その他、当時を思い出すと、面白可笑しいことが尽きぬほどの会話が色々とあった。

その後、私の出先機関への出向など人事異動に紛れ、双方からの連絡も途絶え勝ちとなり、数年後には暑中見舞いや年賀の交換程度のお付き合いになってしまった。
 

頻繁に電話でお話をさせて頂いた当時は、丁度、女史は沈まぬ太陽の執筆のため、取材活動でアフリカへも度々出向かれるなど、まだまだ旺盛な活動力・体力をお持ちだったのに、と、往時が偲ばれる。 

ご逝去のニュースを聴いて、改めて、私のような人間をあれ程面倒みて頂き、何かとご心配もお掛けしたのにと悔やまれ、その後のご無沙汰をお詫びするとともに、深く深くご冥福をお祈りする次第である。(完)

2013年09月21日

◆メディア自体の信頼性 如何?

眞邉 峰松


残念ながら、我々一般人の知る情報は、マス・メディヤが一方的に流すものにしか接する機会意外に無い。 

確かに、現在の日本社会は全体として改革・革新を進めなければ、日本の進路も袋小路に陥る時期にあると思うが、注意しなければならないのは、マス・メディアの世界もまた例外ではないということである。 

逆に、第四の権力とも呼ばれるその影響力から言えば、改革すべきと思われる中で最も大事な部分は、このマス・メディアであろう。

ここで、私はマス・メディアという用語を使い、ジャーナリズムという言葉を使用していない。 

私が敢えて“マス・メディア”というのは、むしろ“マス”つまり大量の・大衆向けの、という意味を込め、社会の警鐘者たることを期待する“ジャーナリズム・リスト”とを区別したい、が為である。 その故、“ジャーナリズム・リスト”には、ある書物にあった次の言葉を呈したい。

「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。

ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる。 」

一方、情報をマス・メディアに頼らざるを得ないわれわれ一般の庶民は、いかにマス・メディアの一方的情報伝達に対処すべきか。残念ながら、我々には個々の情報の信憑性を確かめる術を持たないので、当該メディア自体の信頼性如何に頼らざるをえないだろう。

現在の情報過多の世相の中では、次の文章の示唆する意味を十分踏まえていく必要があると思う。
    
「 音楽の情報量は、s/nと表す。Nはノイズ、Sはシグナル、つまり、音楽の発するシグナルを大きく聴き取るためには、シグナルが大きく聞こえることも大事だけれども、ノイズが少ないことが大事だというわけです。

だから、情報量をたくさん取るということは、Sを大きくすることも大事だけれども、Nを小さくすることが大事、余計な情報がどんどん入ってくると、肝心な情報のウエィトが小さくなってしまう。 

情報についても、“省く”ということを考えなければならないということだと思う。 何でも知っていたり、何でも早く読む必要はない。そうすると、Nがいたずらに大きくなることになるでしょう。日本には「耳を澄ます」という言葉がそういうことでしょう」。 (完)
                                (評論家) 


2013年08月28日

◆チープ・ガバメント

眞邊 峰松

  
国民・住民の役に立つ行政機構とは、能率のいい必要にして最小限度の組織・人員―。この考え方を否定する人はいないと思う。 ただ、機構は仕事に対応するものである。 


だから、機構を廃絶したり、簡素化したりするには、仕事を亡くすか、仕事のやり方を変えるか以外に、簡素にして効率的な機構への改革はないはずである。 


意外と、この簡単な事実を理解し納得する人は少ない。とりわけ、最近の風潮のようにも思える公務員叩きの大合唱の中では、とくにそうである。 それはよく風刺的に“お役所仕事”と揶揄される公務員労働への批判と同列視される。
 

だが、そもそも、日本の公務員数から見て、既に群を抜く小さい政府だという事実が議論から抜け落ちてしまっている。 


それでいて、日本の行政サービスがこれらの国々に比し劣悪だという話も聞かない。 これからすると、私には、現下の風潮はかっての官尊民卑の裏返しのような感情的な議論が先行し、冷静さ・客観性を欠いているような気がしてならない。
 

とは言っても、このような公務員への厳しい批判も、現在ではいざ知らず、かっての公務員の勤務態度には休まず・遅れず・仕事せずと揶揄される実態が一部にあったことからすれば、当たらずとも遠からずの非難ではあるだろう。
   

しかし、この非難は公務員の数量(人数)と質の話。 これを逆に、機構の方から考えていこうとするのは本末転倒であり、やはり実効はあがらない。

これをやはり実効あらしめるためには、やはり「民でできることは、できるだけ公から民へ」という程度に止まらず、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という、現在までの行政サービスを根底から見直すと言う極限的な対応の検討が必要ということになろう。 


同時に、国民・住民側としても行政サービスの低下をも受け入れるという覚悟が必要となろう。 


その場合、勿論、かく主張するマスコミ・論者が純粋に公益を主体にした考えに立っているかどうか、自身がサービスの受益者なのかどうか、または受益者の立場をも踏まえた議論を行っているのかどうか、という点を十分吟味してかかることが必要なることは、論を待たないであろう。


これらを踏まえず、公務員叩きに闇雲に突き進む現在のマスコミなどの論調は、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という真剣な議論抜きの感情論を煽り、それこそ、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者」という言葉を裏書する事態に立ち至っているのではないかと思われる。


大事なことは、現代生活における公平・公正・安全といった面が行政の果す役割を抜きにして維持し得ない以上、いかにして最小のコストで最大の効果を発揮せしめるかであろう。 


そして、その基礎をなすものが公務員労働であるとせば、一に懸かって質の向上が眼目ということになる。だが、現在の公務員叩きが続いている中で、果たして国及び地方の公務員のモラール(士気)はどういう状態なのか、危惧される。


日産自動車の名経営者として名高いカルロス・ゴーン氏の言葉に「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは、従業員のやる気を起させること」「彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる」とあった。


現在のような公務員叩きの風潮のみが席巻する中で、果たして公務員のやる気を引き出し、労働の再生がなし得るのだろうか。

こう考えれば、やはり、簡素にして効率的な行政改革を進めていくための現実的な方法の一つとしては、官僚自らがその線に沿い協力するよう誘導し、また、人員削減に成功したら、その浮いた経費の一部を徹底的に見直しされた後の残存人員の労働強化に対応し、プラス化しうるようなインセンチブに充ちた方策をも合わせ考えれば、より効果をあげうるのではなかろうかと、と思料する次第である。(評論家):再掲


2012年11月02日

◆ チープ・ガバメント 

眞邊 峰松
  
   
国民・住民の役に立つ行政機構とは、能率のいい必要にして最小限度の組織・人員―。この考え方を否定する人はいないと思う。 ただ、機構は仕事に対応するものである。 

だから、機構を廃絶したり、簡素化したりするには、仕事を亡くすか、仕事のやり方を変えるか以外に、簡素にして効率的な機構への改革はないはずである。 

意外と、この簡単な事実を理解し納得する人は少ない。とりわけ、最近の風潮のようにも思える公務員叩きの大合唱の中では、とくにそうである。 それはよく風刺的に“お役所仕事”と揶揄される公務員労働への批判と同列視される。
 
だが、そもそも、日本の公務員数から見て、既に群を抜く小さい政府だという事実が議論から抜け落ちてしまっている。 

それでいて、日本の行政サービスがこれらの国々に比し劣悪だという話も聞かない。 これからすると、私には、現下の風潮はかっての官尊民卑の裏返しのような感情的な議論が先行し、冷静さ・客観性を欠いているような気がしてならない。
 
とは言っても、このような公務員への厳しい批判も、現在ではいざ知らず、かっての公務員の勤務態度には休まず・遅れず・仕事せずと揶揄される実態が一部にあったことからすれば、当たらずとも遠からずの非難ではあるだろう。
   
しかし、この非難は公務員の数量(人数)と質の話。 これを逆に、機構の方から考えていこうとするのは本末転倒であり、やはり実効はあがらない。

これをやはり実効あらしめるためには、やはり「民でできることは、できるだけ公から民へ」という程度に止まらず、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という、現在までの行政サービスを根底から見直すと言う極限的な対応の検討が必要ということになろう。 同時に、国民・住民側としても行政サービスの低下をも受け入れるという覚悟が必要となろう。 

その場合、勿論、かく主張するマスコミ・論者が純粋に公益を主体にした考えに立っているかどうか、自身がサービスの受益者なのかどうか、または受益者の立場をも踏まえた議論を行っているのかどうか、という点を十分吟味してかかることが必要なることは、論を待たないであろう。

これらを踏まえず、公務員叩きに闇雲に突き進む現在のマスコミなどの論調は、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という真剣な議論抜きの感情論を煽り、それこそ、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者」という言葉を裏書する事態に立ち至っているのではないかと思われる。

大事なことは、現代生活における公平・公正・安全といった面が行政の果す役割を抜きにして維持し得ない以上、いかにして最小のコストで最大の効果を発揮せしめるかであろう。 

そして、その基礎をなすものが公務員労働であるとせば、一に懸かって質の向上が眼目ということになる。だが、現在の公務員叩きが続いている中で、果たして国及び地方の公務員のモラール(士気)はどういう状態なのか、危惧される。

長引く業績不振と巨額の負債にあえいだ日産自動車のV字回復させた現代の名経営者として名高いカルロス・ゴーン氏の言葉に「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは、従業員のやる気を起させること」「彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる」とあったが、現在のような公務員叩きの風潮のみが席巻する中で、果たして公務員のやる気を引き出し、労働の再生がなし得るのだろうか。

こう考えれば、やはり、簡素にして効率的な行政改革を進めていくための現実的な方法の一つとしては、官僚自らがその線に沿い協力するよう誘導し、また、人員削減に成功したら、その浮いた経費の一部を徹底的に見直しされた後の残存人員の労働強化に対応し、プラス化しうるようなインセンチブに充ちた方策をも合わせ考えれば、より効果をあげうるのではなかろうかと、と思料する次第である。(了)(評論家)



2012年10月24日

◆最近の対中国外交に思うこと

眞鍋 峰松
    

まず、この文章をお読み頂きたい。「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮蔑を招く。その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる。

とにかく国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危うくなろうとも、政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である。・・・・戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所と呼ばれるべきであり、もはや政府と呼ぶべきでない」。 キリスト教信者として名高い内村 鑑三氏の著書「代表的日本人」中の西郷隆盛の言葉である(1908年原著 岩波文庫 鈴木範久訳)。

この言葉の真髄は“ただ相手国の強大さに萎縮して、うまくやろうというような処世術的外交は避けるべきである。 そうすると、かえって侮られ、それまでの友好関係もくずれてしまう”という一点にある。                             
読めば、この文章、これまでの我が国の対中国外交への痛烈な皮肉と解釈できるような気がする。 戦後数十年かかってここまできた日中の外交関係。 この偉大な先人の言葉を無視・軽視するような事態を招くことによりその成果まで灰燼に帰すことのないよう願いたい。 

また、過去の日本外交においてややもすれば多々見受けられた“商法支配所”、即ち、経済的利益を重視するあまり、我が国外交を誤らせたという事態も同様である。          

幸い、今回の尖閣列島を巡る二国間の衝突に関しては、経済界や財界からの、紛争の早期解決だけを願う声も少ないように思う。 それにはそれなりの理由があるのだろう。 

周知のように、近年の中国の居丈高な過剰反応は尖閣列島周辺海域の石油等の資源開発に絡んでのことであり、日本においてもこの側面が熟知されている。 これが今回の場合、経済界・財界からの横槍や雑音がない理由であろう。

近年著しく経済力を増した中国にとって経済カードは強力な武器になる。 我が国経済にとってレアアースの輸入停止は甚大な影響を及ぶすとしても、中国経済にとっても多少影響があろう。 だが、全てにおいて政治が優先する社会ではそれは問題にならない。 

そこで参考になるのは、米国のグーグル社の態度であろう。 自由主義社会の柱とも言うべき情報の自由を求めて中国当局と真正面からぶつかったのだが、これも最悪の場合には撤退もやむを得ないという同社の覚悟があってのこと。 

果たして、口を開けば自由主義経済・市場経済の効用を説く日本の財界・経済界の人達にこの覚悟が有りや無きや。 史上初の財界人から登用された日本の中国大使、これにどう対処していくのか、注目したい。

また、今回の事件に関する新聞テレビ等の報道やコメンテーターの解説を見聞きしていると、相変わらず、中国側の国内事情、つまり国家指導者間の主導権争いや貧富の過大な所得格差問題などを取り上げ、訳知り顔で背景説明をしているように見受けられる。 

このこと自体は事実なのであろうが、だからどうだと言いたいのだろうか。 日本の主張を手控えよ、とでもいうのだろうか。 それより、国際紛争対処の常識として、これら外交紛争に関する政治上の議論は国内だけで止めるべきであり、交渉相手国の国内諸事情を参酌し過ぎる人間や最終的な解決策を持たずして相手国に乗り込む愚を犯す政治家等が多過ぎるのも困ったことではないだろうか。 

こういった国内の無責任な議論や対応で、対外折衝の任にある者の足を引っ張って何になると言うのか。 老獪な中国外交のこと、日本国内の議論の誘発・分断が計られ、結局は日本の国益が損なわれるだけだろう、と思う。

皮肉なことに、中国古典である孟子の離婁篇第四に「夫れ、人は必ず自から侮りて 然る後によそ人もこれを侮り、家は必ず自から毀(こぼ)ちて 然る後によそ人もこれを毀ち、国は必ず自から伐(やぶ)りて 然る後によそ人もこれを伐う。」とある。          

つまり、人間というものは、自尊心を失って、自身を軽蔑するようになると、その気持が言動に現れて卑屈、投げやりになり、それが他人の軽侮を招く、他人に軽蔑される原因は、自分が作っているのだ。 自らを持することが厳でなくなると、家を治めることもできなくなって、家は崩壊する。 内輪がしっかりしてさえおれば、外圧だけでは決して壊れるものではない。 

国家とても同じことで、内に姦邪の臣がはびこり、君主に統御の才なく、国民に不平不満が高まるという末期症状が現れて、他国に攻め滅ぼされるわけであり、明主賢臣がいて善政を布いている限り、自壊作用が起こらず、従って他国の攻め込む隙はない、というのである。

この紀元前4世紀の孟子の言葉は、ひとり我が国のみならず、現代中国の為政者への痛烈な皮肉となり得ると受け止めるのは、私だけではあるまい。(評論家)

2012年06月27日

◆微妙な関係?日中韓

眞鍋 峰松
 
  
<再掲>近年になって、日本と中国・韓国の間で一大外交戦争が起こっている。
 
重要なのは、それが外交という昔ながらの国家と国家との間の政治問題というより、国民と国民との間・国民の感情間の紛争の観・匂いがすることである。
 
この紛争も、特に平成17年の戦後60年という節目に起こった国連改革問題、とりわけ日本の安保理常任国入り問題が両国国民の反発を呼び、靖国参拝、領土問題等、戦後処理を巡る微妙な取り違いが一層顕在化してきた故であろう。 

何よりも世代交代が進む日本人側の、両国はいつまで謝罪と賠償を要求し続けるのかという嫌悪感と、過ぎ去ったと思い込んでいた戦争と戦後処理に関する意識を巡る感覚の変化が、一層明確化してきたということなのだろう。

考えると、我々60歳代超の世代の人間はどこかに、少なくても今次大戦を引き起こした国としての責任と、両国に対し一方的に多大な迷惑をかけたという歴史感覚を有していることは間違いなかろう。

しかし、現在の社会の中核をなす50歳代以下の世代の人達はそうではない。 日本が世界の経済大国化し、世界からの驚異と羨望の下におかれてきた状況下で成長し、この両国に対しても世界に誇る経済力を利用した経済援助を続けてきたではないか、という免罪意識の方が強い世代だと言えるのではないか。 

このことが、戦争被害を歴史的事実として継承し続けてきた両国中核世代の感情とのぶつかり合いとなって、剥き出しの国民感情の衝突となった、と思う。

「文化の交流こそが大事だ」と、よく言われる。だが、それは、常に一方通行ではなく、相互的なものである。日本・中国・韓国の間でも同じこと。

例えば、漢字が中国・韓国から日本へ伝わったことや、儒教・仏教など多面的に文化が両国から日本へ伝わり、日本文化の成立に大いなる影響をもたらしたことは歴史的事実である。 

だが、漢字一つを考えても、これはある書物からの受け売りだが、近代以降、逆に日本が作った「新造語」が、日本から中国に相当数逆輸入されたことも事実だ。 

例えば、経済、宗教、信用、手続、目的、代表、現金、譲渡、学校、検査官、法人、支配、哲学、理想、新聞、図書館、計画、金融、交通、会話、反対、義務、損害賠償、・・。 
  
「化」という字をつけて、形や性格、変更を表す言葉・言い方も日本語からだ。また、形式的、科学的という「的」も日本からの逆輸入である。
 

かつて清の末に膨大な新名詞(新造語)が日本から流入したので、「新名詞」を使用しないようにと命令しようとしたところ、「名詞」そのものが立派な新名詞だという笑い話があるほどだと聞く。

また、孫文の革命運動も初めは「造反」と称していたのが、日本からの「革命」の単語の方が新鮮で良いと言って、以降「革命」と名付けた、とのことだ。
   
何も私は、だから日本文化が上であるとか、優れているとか、主張しているのではない。このようにお互いの文化が相互に影響しあい、世の中が変っていくのが文化の交流であり、グローバル化なのだということ、両国がよく日本批判・排斥の決まり文句として言う文化侵略といったものでもない、と言いたいだけである。
   
お互いの文化の違いを認識し、相手の文化への理解の上に立って、初めて「友好」が成り立つ。本来の日・中・韓の文化・習慣の違いや戦後日本の変化を無視し、この無視の上に立ってまた大きな誤解、歪曲を量産して、悪循環を繰り返すようでは、到底真の友好など夢のまた夢となってしまう。

その一例が、靖国参拝問題に対する単なる政治駆け引きだけではない、根本的感覚差として現れたのであろう。
   
今後、中国の民主化が進み、西洋式の民主主義・市民文化を理解・経験しない限り、真の友好は難しいのではないか。

また、韓国についても、その極端な自民族優位主義(エスノセントリズム)意識を払拭しなければ、難しいのではないだろうか。誠に残念なことである。 (完) (評論家)


2012年06月21日

◆最近の風潮に思うこと (その五)

真鍋 峰松


以前の事だが、朝のテレビ番組の中で、大いに気になることがあった。それは、低額宿泊施設(生活保護法に基づく宿舎提供施設)の運営を巡る訴訟事件に関する報道だった。

内容は、1人の施設退所者が設置運営主体であるNPO法人を相手取り、法外な利用料金を自分名義の口座から勝手に引き落としたので返還を求める、とのこと。 

口座に入金されるのは当人の生活保護費支給額月12万円。そこから、施設利用料金9万円を差し引き、結局本人の手元には3万円しか残らないというのである。 

テレビ取材に応じている本人は健康で実直そうな63、4歳の男性で、現在電気修理業を営みアパートで一人住まい。 その談では、月12万円あれば十分一人暮らしも可能、在所時に3万円の手元金しか残らないのはおかしい、施設の利用料金が不当と言うのである。 

一方、施設側は9万円の利用金の内訳は、毎日3食の食費で4.5万円(内食材費1.5万円)、施設管理・設備費等で4.5万円と弁明。

何故、ここで事件内容を詳細に伝えるのか。それは、この報道内容に腑に落ちない点を感じたのである。何より、報道の趣旨・着眼点が不明であった。

施設側が勝手に口座から引き落とすこと自体に関する問題意識なのか、それとも、元入所者の主張するように不当に高い利用料金を問題にしているのか、或は、当該NPO法人自体に対する本質的な疑惑を伝えたいのか、判然としなかった故である。 

口座引き落としなら所管行政の考えを追及すべきだろうし、不当料金と言うなら、例えば食費4.5万円のうち食材以外の3万円の内訳なり管理・設備費の詳細を追及し、他の施設との比較考量や所管行政の見解を糺すべきだと思われた。 

法人に対する本質的な疑惑なら如何にも中途半端で、当該法人の他の施設も取材すべきである。 前提の運営実態や費用負担の仕組みも伝えずして。(つづく)

2012年06月16日

◆最近の風潮に思うこと (その四)

真鍋 峰松


今の世の中、あらゆる分野で、善く言えば社会をリードしている、悪く言えば掻き回しているのは、テレビ報道であろう。 

活字による報道媒体である新聞・雑誌などとは違い、テレビのような電波媒体は即時性・臨場性などに優れ、時間に追われじっくりと落ち着いて物事を考察することの少ない現代人にとって、一番相性の良い媒体であろう。 

だが、電波媒体の危険性を指摘する人も多い。 報道を急ぐあまり消化不良気味になることは避けられないし、視聴者にとっても弾丸並みのスピードで流れる言葉は凡人にとり言葉の持つ意味の反芻も効かず、聞き流すことが多々ある。

さらに、番組に登場するコメンテーターと称する種々雑多な人たち。視聴者受けを狙ったような知名人を並べ立て、あらゆるジャンルの事件報道に種々コメントを発するので、如何にも素人感覚で現場から遊離したケースも多い。この番組に居合わした人たちも福祉現場・行政に精通しているとは到底思えなかった。

その故か、番組上では弱者の立場のみを強調したようなコメントだけが多かった気がする。

このような問題意識の判然としない報道よりも、番組に登場した原告となった健康で実直そうな弁も立つ63・4歳の男性が何故この種の施設を利用せねばならない環境に立ち至ったのかを追及する方が、今の厳しい世相を現場の目から取り上げる視点からの、一つの題材になり得たのではないかという気がするのだが。 

本来のあるべきジャーナリズムの姿としては、もう少し冷徹で深みのある、責任ある報道を期待したいのだが、無理なのであろうか。

とりわけ目立つのは、深い考察力もなく、現実や実状も詳しく知らずして、ややもすれば、一方的に強者を責め、弱者を擁護する側面の克ち過ぎた報道である。
これが、逆説的に、モンスター・ペアレンツ(保護者)やぺイシェント(患者)の問題として、一時揶揄的に取り上げられた由縁でもあろう。

望ましい報道として、その客観性・中立性を強調したある書物の言葉を挙げておきたい。

「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。

ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる」。

報道の受け手としての我々も、十分に心しておかねばならぬ言葉だ、と思う。
(つづく)
                             <評論家>

2012年06月06日

◆最近の風潮に思うこと(その三)

真鍋 峰松


昔、学校で国会を「言論の府」、特に参議院は「良識の府」と呼ばれると教わった遠い記憶がある。だが最近では、私には、その言い回しが如何にも虚しいものに聞えてくる。 

そこで見られるのは、出し入れ自由自在のご都合主義で、論戦にはほど遠いお互いの尊厳を損じ合う罵詈雑言に近いものまで見受けられる。いつの時代からこんな風になったのだろうか。 

言葉一つで相手を殺すことだってできる。本来、それほどの力を持ったものが、言葉である。そんな言葉であるから、無責任なものであって良い筈がない。まして国会という、これ以上ない公開・公式の場ではないか。
 
国会(帝国議会)の第一回開会は明治23年(1890年)のことだから、国会論議も約110年の歴史を刻んできた。 その歴史の中では、それこそ生死を賭けた言葉のやり取りは、多々ある。 

昭和12年第70回帝国議会での浜田国松衆議院議員(政友会)が行った軍部の政治干渉を攻撃する演説を巡る、時の寺内寿一陸軍大臣との有名な「腹切り問答」、昭和15年第75回帝国議会での斎藤隆夫衆議院議員(民政党)の軍部批判演説など、当時の世相の下では生死を掛けた発言であったろう。
             
道元禅師の正法眼蔵には「愛語 回天の力あり」という言葉がある。 

分かりやすく言うと「思いやりのある言葉は、人を変えていく力がある」ということのようだ。 

また、中国古典の漢書(劉向伝)には有名な「綸言 汗の如し」つまり、出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いことを意味する言葉もある。 斯様に、古くから言葉の重みを強調する警句は数多い。

さらには、老子には「多言なれば、しばしば窮す」、荘子には「大弁は言わず」と多弁の愚を戒める警句すらある。
 
それに較べて、最近の・・・、と一々並べ立てるのも野暮というものだろう。 だが、こと、国会や閣僚に限らず、今やマスコミの寵児と化した橋下徹大阪市長(前府知事)にも言葉を重要視しない言動が多々見受けられるのも、如何にも真に遺憾なことである。(つづく)

2012年05月28日

◆最近の風潮に思うこと(その二)

真鍋 峰松


肺炎のため101歳でお亡くなりになった松原泰道師は、私が心から敬愛し、私叔する仏教家のお一人である。

 同 師の説かれるところには、我われ凡人の機微に触れること多く、限りない人間への愛情に満ちた言葉が多い。

それこそ数多ある著書の一つである「迷いを超える法句経」は、真に平明にして、教えられるところの多い本であるが、その中で「こころこそ こころ迷わす こころなれ こころにこころ こころ許すな」との詩句が引用され、愛と憎しみの意(こころ)が理性に勝ち過ぎ、感情が狂うと眼まで曇るものです、と説かれている。
 
そのことを故亀井勝一郎氏は、「言葉は、心の脈拍である」、松原師は「言葉は、心の足跡である」と表現されている。 

真に人間の健康状態は其の人の脈をみれば判るように、其の人の心が病んでいるかどうかは其の人の言葉を聞けばたちどころに判断できる、其の人の言葉を聞いているうちに、次第に其の人の心の足どりが微妙に感じられてくるものだ、との教えである。 

また、同師は、寒山詩からの引用として「心直ければ出づる語も直し、直心に背面なし」と。 

世間は直心からでる直語に反感を持ちやすい。世渡りに賢明な現代人はもちろん直心から出る直言を避ける。しかし、現代最も大切なのは、背面無き直心から発せられる直言の叱責であろう。それが実るには他者に成り切る愛情の涵養である、と説かれる。

私は、これらいずれも、ギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの現在の政治や社会への、惜しくも逝去された恩師からの遺言・直言と受け止めたい。合掌。
(つづく)
                        <評論家>

2012年05月16日

◆最近の風潮に思うこと(その二)

真鍋 峰松


肺炎のため101歳でお亡くなりになった松原泰道師は、私が心から敬愛し、私叔する仏教家のお一人である。

 同 師の説かれるところには、我われ凡人の機微に触れること多く、限りない人間への愛情に満ちた言葉が多い。

それこそ数多ある著書の一つである「迷いを超える法句経」は、真に平明にして、教えられるところの多い本であるが、その中で「こころこそ こころ迷わす こころなれ こころにこころ こころ許すな」との詩句が引用され、愛と憎しみの意(こころ)が理性に勝ち過ぎ、感情が狂うと眼まで曇るものです、と説かれている。
 
そのことを故亀井勝一郎氏は、「言葉は、心の脈拍である」、松原師は「言葉は、心の足跡である」と表現されている。 

真に人間の健康状態は其の人の脈をみれば判るように、其の人の心が病んでいるかどうかは其の人の言葉を聞けばたちどころに判断できる、其の人の言葉を聞いているうちに、次第に其の人の心の足どりが微妙に感じられてくるものだ、との教えである。 

また、同師は、寒山詩からの引用として「心直ければ出づる語も直し、直心に背面なし」と。 

世間は直心からでる直語に反感を持ちやすい。世渡りに賢明な現代人はもちろん直心から出る直言を避ける。しかし、現代最も大切なのは、背面無き直心から発せられる直言の叱責であろう。それが実るには他者に成り切る愛情の涵養である、と説かれる。

私は、これらいずれも、ギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの現在の政治や社会への、惜しくも逝去された恩師からの遺言・直言と受け止めたい。合掌。
(つづく)