眞鍋 峰松
3月ともなれば、まもなく人事の季節。以前、人事に関して一度本誌に寄稿したことがある(平成22年3月18日“人事の季節、悲喜こもごも”)。
その人事異動。 問題は、大抵の場合、自己評価と、他人とりわけ上司の評価とのギャップが大きいことであり、自己評価の高い人間ほど客観的評価との落差を思い知ることになる。
ただ、この客観的評価自体にも問題が潜む場合が多い。また、人事には組織管理上の問題がある。古来、その組織管理のポイントとして、「厳」と「寛」のバランスをとることが必要だと言われる。「厳」に片寄ると、命令に従わせることができても、心服されない。
一方、「寛」に過ぎると、組織の中に「甘えの構造」が生まれてくる。両者のバランスをとるのが望ましい組織管理のあり方であり、その際に最も重大なことは、取扱いの公正性・公平性にあると言われる。二重三重の取扱い基準は、厳に慎まなければならない。
それが無ければ、組織の円滑さを欠き、ひいては職員全体のモラールを貶めることにもなる。
そこで、現在開会中の大阪府議会で大きく取り上げられている府教委の中原徹教育長(44)のパワハラ発言問題について触れておきたい。
事件の概要を記述すると、問題が発覚したのは昨年10月29日。 府民に公開される月に1度の教育委員会議で、立川さおり教育委員(41)が、中原氏から同21日に受けたとされる発言内容を公表したことから始まった。
府が府議会に提出した幼稚園と保育園の機能を併せ持つ「認定こども園」の定員上限を引き上げる条例改正案をめぐり、立川氏が案の内容に反対する意向を明かしたところ、中原氏が「目立ちたいだけでしょ。単なる自己満足」「誰のおかげで教育委員でいられるのか。ほかでもない知事でしょ。その知事をいきなり刺すんですか」「罷免要求を出しますよ」と強い口調で叱責(しっせき)したという。
もともと中原氏と立川氏は同格の教育委員。このような発言が事実なら、誠に傲慢無礼としか言いようがない。
この外、中原氏は事務局職員に、「精神構造の鑑定を受けないといけない」「別の職場に行ってもらう」などと職員の人格を非難したり、配置転換を示唆したりした。
また、「邪魔になっているので仕事を外れて」と発言され、A4用紙5枚以上のリポートの提出を求められた揚げ句、退職を余儀なくされた職員もいた、というのである。
また、中原氏は自らの進退を決めるに当って「府教委職員の話も聞きたい」として、課長級以上の幹部約20人を集めて会議を開催。「こういう状態なので忌憚のない意見を聞きたい」と求めた。本人の前で遠慮がちになることも十分に予想された。
しかしその様な中で、幹部の口からは次々と厳しい指摘が相次いだ。「怖い」「近づきたくない」「不意打ち好き、困る」「人を育てる視点ない」… 「(中原氏に接していると)追い込まれていくような感じがあるのは事実だ」「教育長に説明に行った担当の部下が固まって怖がってしまっている」「(教育長室のある)5階の廊下を歩くのがしんどかった」。
ある幹部は中原氏の議論手法を「相撲の立ち会いに上がる前に土俵際に持っていかれる」と表現。「組織で人を育てるという視点が欠けている」という率直な意見も出た。
結局、幹部からは「最後まで部下の話を聞いてほしい」「いい仕事をしたときはポジティブな声かけをしてほしい」−などと13項目に及ぶ改善要求≠ェ寄せられた、との報道である。
以前本誌に一度、橋下知事時代の府庁の状況について記述したことがあるが(“何処へ向かう か大阪府”平成23年1月28日掲載)、「行政に直接責任を担う各層幹部職員からの意見について、橋下知事は自分の意向に反する内容であると、当該幹部職員に対し、すぐに職を辞めなさいと言うなどなど、その独善的なやり方に悲鳴のような声が内部から聞こえてくるばかり。
また、人事方針への不満・不信感も増大する一方。2年前、鳴り物入りで演出した、出先機関の幹部クラスからの環境農林部長への乱暴な大抜擢も1年で破綻したではないのか。
昨年秋の商工労働部課長級職員の自死事件に関しても、庁内では橋下知事の感情的言動が引き金になったのでないか、というのが専らの噂と聞き及ぶ。
この先、府政はどうなるのだろうか、これらの組織としての体をなさない混乱振りはいずれ府民生活へも悪影響が及ぶのではないか、と心配する」と同じことが言える。
この中原氏の高圧的な発言問題について、府教委は弁護士ら第三者による委員会を立ち上げ、調査を依頼。
この2月20日に、立川教育委員への発言のほか、府教委職員4人に対する発言についてパワーハラスメント行為があったと認定し、「パワーハラスメントとして違法と評価すべきものも含まれ、人格の高潔性および公平性の観点からも疑義ある行為が多く認められる」とする報告書が公表された。
なお、公表の際、中原氏は記者会見で事実関係を認めた上で、「結果は重く受け止める。職員につらい思いをさせ、大いに反省し深くおわびする」と謝罪というのである。
報告書では、進退は任命権者である松井一郎知事の判断に委ねるとしたが、松井知事は「罷免要件には当たらない」と、続投を容認したとのこと。
そして、26日の議会で公明党の代表質問に対し、松井知事は「(辞職勧告など)厳しい状況だが、再チャレンジ認める」と答弁したと報道されている。
中原教育長は弁護士であり、橋下大阪市長の大学時代の友人。2010年4月に民間人出身校長として府立和泉高校長に採用され、2012年3月の卒業式で、教職員が国歌斉唱の際に起立斉唱しているかを確認する「口元チェック」で一躍有名になった。
2013年4月に松井知事が選任、全都道府県中の最年少の教育長となった。府教育長と言えば、府域の教育行政を預かる最高責任者。高度な行政知識のみならず、教育に関する専門的見識の持ち主でなければならない。
従来の教育長は、全員が長年の行政経験出身者であり、旧制度の下では同時に教育に関する知識所有者としてから就任に際し文部大臣承認を要するほどの重責であった。それが、中原氏は民間人から府立校長を数年勤めただけの経歴。いわば大抜擢と言わざると得ない。
だが、兎角に抜擢人事というのは殆どが自己申告・応募を前提としており、何かと問題を生じ易いのは事実。
中国の唐の時代。史上明君・賢帝と称せれた太宗(李 世民 在位626〜649年)の「貞観の治」と讃えられた時代の記録に、その太宗とこれを補佐する名臣たちとの問答や言行を収録した書物「貞観政要」がある。
その中に、抜擢人事とも関連して、自己推薦制の是非について論じられている箇所がある。
つまり、「人を知る者はせいぜい智者の水準であるが、自分を知る者は明智の人である、と古人も語っています。人を知ること自体容易なことではありません。まして、自分を知るということは至難の技であります。世間の暗愚な者たちは、とかく自分の能力を鼻にかけ、過大な自己評価に陥っているものです。売り込み競争だけが活発になりましょう。自己推薦制はお止めになった方が賢明かと心得ます」というのである。
これとは反対に、次の本田宗一郎氏の言葉も真実だろうし、部下をひっぱっていく経営者や管理者の心得でもあろう。
「私は不得手なことはやらず、得意なことしかやらないことにしている。人生は「得手に帆をあげて」生きるのが最上である。だから、社員達にも「得意な分野で働け」と言っている。
そして、上役は下の連中が、何が得意であるかを見極めて、人の配分を考えるのが、経営上手というものだ。また、社員の方も「能ある鷹は爪を隠さず」で、自分の得手なものを上役に知らせる義務がある。 上役だって神様ではないのだから、そうしてもらわなければ、分らない。その位のことは、自分が楽しみながら働くためには当然のことだ」。
この様に、自己申告・応募による抜擢人事には、長所も短所もある。
それにしても、今回の事件に対する松井知事の「罷免要件には当たらない」「(辞職勧告など)厳しい状況だが、再チャレンジ認める」との発言や答弁を聞いていると、これまで橋下氏ともども行ってきた部下職員に対する、厳しい懲戒処分や人事処遇などに照らし、どうなのか。
本当に公平妥当な判断なのかと首を傾げざるを得ない。
まして、今回の中原氏の発言などは教育界の重責の立場にあることを考えると、教育・指導面からも、児童・生徒達の立場からすれば、今回のような重大な過ちを犯しても「反省し深くおわびする」と言えば責任を問われることは無く簡単に「再チャレンジも認め」られるのか、となるのでは。
このようなことで本当に大阪の教育は大丈夫なのか、と心配になってくる。