2011年08月18日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い(後編)

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 

その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
  〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2011年08月17日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い(前編)

眞鍋 峰松


最近、マスコミ上に登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。 多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

 例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。 それでは、どうするのか。

 物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。 だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教え」ほど尊いと 私の体験からも、そう思える。
<後編へ> 

2011年07月27日

◆指導者としての資質を考える (後編)

眞鍋 峰松

<本稿の前編は昨年11月26日、後編は昨年12月1日に掲載したものだが、主宰者のお勧めもあり、今年3月11日の東北大震災・福島原発事故を受けて感じる処があり、改めて再掲したものである。この点お断りしておきたい>。

前回の決断力についての記述、その続き。 

以前に私が読んだ本の中に、「決断」について、一方では、如何にもアメリカ人的な合理的な考え方と、他方、如何にも日本人的な思考方式を記述した文章があったので、ご紹介しておきたい。
 
この二つの「決断」に関する記述の内容は、「政治家の任務は決断にある」という一点では同じようであり、また「政治家の責任のあり様」という点では多少違っているようにも、私には思える。                                 
その一つが、コリン・ルーサー・パウエル(Colin Luther Powell)の自伝。 ご承知の通り、コリン・ルーサー・パウエルはジャマイカからの移民の両親を持ち、共和党員であり、統合参謀本部議長(アメリカ陸軍大将)、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領(息子のブッシュ)の1期目政権の国務長官の経歴の持ち主。
               
その著書、マイ・アメリカン・ジャーニー「コリン・パウエル自伝」(鈴木主税訳 角川書店)の中の次の言葉である。
                           
『 いまでは意思決定の哲学を作り上げていた。 簡単に言えば、できる限りの情報を掘り起こして、後は本能のおもむくままにまかせる。 我々はみなある種の直感を備えている。 そして、年をとるにつれて、次第にそれを信じ、それに頼るようになる。
 
私が決定を迫られた時、つまりある地位に誰かを選ぶとか、作戦の方針を選択するかしなければならない時、私はあらゆる知識をきれっぱしも残らずさらって集める。人に助けを求める。 彼らに電話する。 手当たり次第に何でも読む。
 
つまり、私は知性を使って本能を教育するのだ。その後、本能を使って、このデータの全てをテストする。「さあ本能、これは聞いて正しく聞こえるか。嗅いで臭くないか。手ざわりはいいか。違和感はないか」。 しかし、我々はいつまでも情報収集ばかりしているわけにはいかない。入手可能なすべての情報がまだ集まっていなくても、あるところで決定を下さなければならない。
 
大事なことはあわてて決めないで、適切な時期に決断を下すことである。 私には決定の公式、p=40〜70というものがある。pは成功の確率を、数字は得られた情報のパーセンテージを示す。
 
手持ちの情報だけでは正しいという見込みが40%以下しか得られないなら、私は行動しない。また、100%正しいと確信するだけの情報・事実が集まるまで待つことはしない。

なぜなら、その時には必ずと言っていいほど遅すぎるからである。 私は40から70%の範囲の情報が得られたと感じたとき、本能にしたがって動く』。

もう一つが、小室直樹氏の「歴史に観る日本の行く末」の中の次の文章である。
     
『「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」これこそ、日本人のエトス(民族精神、気風、社会思潮)を一言であらわした表現であろう。その後の句は、「戦争に突入した」とも、「大不況を招来した」とも、いろんな表現が代入されうる。 このエトスは、どこから出てきたのか。日本人独特の現実認識からくる。

「現実」とは何か。「“現実”というものは、作り出されてしまったこと、いま、さらにはっきりといえば、どこからか起こってきたものと考えられている」(丸山 真男)
 
このエトスこそ、政治的無責任体制を理解するための急所である。政治家の任務は決断にある。官僚と根本的に違う点である。このことの重大さは何回繰り返しても、繰り返し過ぎることはない。
 
政治家の任務は、現実を自分の判断によって作り変えることにある。ここに、政治家の責任が生じる。現実を、自分の決断によって作り変える時、より良くなるか、より悪くなるか、その結果は、事前には分からない。
 
分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する。(繰り返して強調するが、ここが官僚と違う点なのである。)もし、現実を、「作り出されてしまったこと」「どこからか起こってしまったこと」と考える時、そこに、「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考える余地はない。 政治家の存在意義は無いのである』。

以上の二つの文章で明らかなことは、決断への道筋について、アメリカにおいては数理的、合理的規準の下に対処すべきものと観念されており、こと、パウエル氏に限らず、古くはベトナム戦争におけるマクナマル戦略(戦争=軍事に「費用対効果」の考えを持ち込んだ)においても同様である。                              
一方、日本においては小室直樹氏が指摘のとおり、「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」決断に追い込まれてきたということが、これまでの近代史、現代史の示すところではなかったか、と考える次第である。
                
私は、むしろ前者が政治判断の前提として官僚のなすべき責務であり、後者つまり「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考え、「分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する」という複合的な考え方が正鵠を得ていると思うのだが、どうだろうか。
 
この考えを当てはめると、鳩山前首相の行った政治判断、とりわけ沖縄基地問題についての決断などは成功確率が果たして何%と判断した上で、決断に及んだのであろうか。
 
官僚からの成功確率を聴取しての外交戦略だったのか。 あまりにも粗雑な外交戦略であったと思わざるを得ない。(終)

2011年07月24日

◆指導者としての資質を考える(前編)

眞鍋 峰松
 
<本稿及び続稿は、昨年11月26日、12月1日に既掲載したものだが、主宰者のお勧めもあり、今年3月11日の東北大震災・福島原発事故を受け、再掲したものである。 この点お断りしておきたい>。

最近の中国やロシア、さらに北朝鮮などのニュースに接する度に思うことは、どうも日本の優秀と言われる人物とりわけ政権中枢にいる方々の、不測事態へ対応する能力が本当に大丈夫なのか、不足しているのではないか、という危惧である。 また、幾ら事前の準備に怠りがなくても、肝心の決断力がなくてはどうにもならない。
 
これに関連し、思い出すのが昔、昔の話。 阪神・淡路大震災の経験から、毎年恒例として行われる地震災害へ備えた、防災訓練について、である。 地方自治体や国の出先機関などの行政を始め地元自治会など幅広い方面を巻き込んで大々的に実施されてきた。
 
だが、毎年恒例の行事として行われる故もあってか、災害発生時の住民への避難誘導や救急医療体制の初動活動などが中心で、その当時からマンネリ化の懸念を感じていた。

仄聞するところでは、アメリカでのこの種の訓練では、対策本部における非常事態へのギリギリの判断。 

例えば、A地点とB地点とに危機が迫っている場合に、如何に防災力を適正分散するべきか、最悪の場合にはどちらか一方に優先して防災力を振り向け、どちらか一方を犠牲にするかなど、指揮を執る人物の決断力が試されるようなケースまで想定し訓練しているとのことだった。
 
最近ようやく我が国においても、この実例として、負傷者多数の場合における負傷程度による治療優先順位の決定問題が、ギリギリの決断訓練の一つとして採り上げられている。

ところが、である。
 
過去に一度、ある都道府県で、このアメリカの方式を採り入れて、水防訓練の中で破壊的水量を抑制するために人為的に堤防決壊させ、水量分散を計るというギリギリの決断を想定したことがある。

決壊した場所では、当然なにがしかの被害が発生するのだが、その時、当時の知事は激怒し、そのシュミレーションの場を立ち去ってしまったというのである。要は、彼は逃げたのである。
 
だが、このような決断力こそが、本来のトップ・リーダーに求められる能力、不測事態への対応能力である。
              
以前読んだ書物の中に「孤独は全ての優れた人物に課せられた運命」との表題で、

@トップには同僚がいない A最終意思決定には誰の助力を求められない B自由に意思の伝達がし難い C正しい情報を得ることが稀である Dしかも、なお、最終的な責任を負っている、と記述されていたのを思い出す。 まさに、これがトップ・リーダーに課せられた運命なのだろう。
   
また、これは、塩野七生氏の著書「日本へ 〜国家と歴史篇」からの引用だが、人間の優秀さについての記述で、その一つが、色々な事態に対し、原則を変えずに、如何に例外を設け、さらにその例外事項を他に類を及ぼさないようにするか。
 
さらにもう一つ。 日本的秀才は、予期していた事態への対処は上手いが、予期していなかった事態への対処は下手なのが特質であるらしい。
 
しかし、予め分かっている質問に答えるのに、人並み優れた頭脳は必要ない。真正面から答えるか、それともすり抜けるかの違いはあっても、予期していなかった質問に対処して初めて、頭脳の良し悪しが計れるのである、というのである。
 
私が思うに、前半の部分は、むしろ上級公務員の優劣の判断基準に向いおり、後半の部分は政治家を始めとする、組織のトップの資質の判断基準に向いているように思われる。
 
要は、決断するのは難しい作業である。決断に際して、十分に情報を集め、徹底して分析したから万全だ、ということは絶対にない。考える材料が全部そろい、やるべきことが自ずと分るのなら、リーダーは何もしなくてよい。
 
つまり、決断するための情報収集と分析は程度問題である。信頼を繋ぎ止めたるためなら、「ここまでは考えたけれど、これ以上は運を天に任せる」と踏み切るのがリーダーの役割だ。
 
それを検討会議や関係閣僚会議の設置ばかりで逃げてばかりではどうにもなるまい、と思う。日本語で上手い表現があるではないか。“腹をくくる”と。少々穏当でない言い方だが、それこそ、判断を過てば腹を切ればよい、ではないか。
 
塩野 七生氏は言う。「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない。 その覚悟のない指導者は、リーダーの名にも値しないし、エリートでもない」と。 

これができないなら潔く職を辞するしかあるまい。(続編へ)

2011年07月21日

◆いま時の男の子、女の子

眞鍋 峰松

最近、こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 
学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。

生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 

私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。

ところが、その場に居合わせた母親達が一様に驚いた出来事が発生した。生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。

何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。

この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     

私は、その出来事を聞き、改めて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。

4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。

発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。

母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。昔々から、男の子は男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。

街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。

この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。

2011年07月10日

◆今日一日をプラス思考で生きる

眞鍋 峰松

最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  

何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   
情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 

個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 

もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 

シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)

2011年07月03日

◆韓国人の日本人観

眞邉 峰松 (評論家)
    
近年の新聞・雑誌の中では、以前にもまして東アジア関係の記事・文献が激増しており、私も最近の日本と中国・韓国との関係についての書物を読む機会が多くなった。 

そこで気付いたことだが、いかなる理由か分からないが、韓国や中国(台湾を含む)の在日の人たちや長期滞在者の書物が非常に多くなっている、という事実である。 

それらの書物に概ね共通していることは、どちらかと言えば日本人の対外認識の甘さに対する警告と、それに比して観た場合の自国・自国民の偏狭なナショナリスティクな態度への批判・反省である。

これのみの著書からだけでは、一方的・一面的という危険性もあるが、その中で、韓国人の日本意識を簡潔に説明していると思ったので、呉 善花(オ ソンファ)著 『私はいかにして「日本信徒」となったか』を紹介したい。


<韓国でも、自国批判、自民族批判は国内ではかなりやるのである。しかし、それが日本との比較で劣位な印象を与えるものについては、国内でも公の場ではまず出ることがない。
 
なぜかといえば、極端にいえば反日であることが愛国であるという感覚が、知識人ほど強くしみついているからである。親日的であるといわれるひとですら、日本との比較では決して韓国を劣位におくことはしない。
    
だから、一般的な韓国知識人にとっての日本に対する姿勢は、本当は反日というよりは、優劣の問題なのである。 要するに、自民族優位主義(エスノセントリズム)が韓国知識人の支柱なのである。
     

自民族優位主義は、戦後の独立新興国のどこにもあったもので、その意味では韓国も例外ではない。ただ、自民族優位主義は当然他民族蔑視の観点を含み、その蔑視の対象を日本に定めているところが、韓国や北朝鮮がほかの諸国と異なるところである。

世界中どこを探しても、ことさらに日本を蔑視する自民族優位主義を持った国などあるわけもない。そこが韓国という「国体」を考える最も重要なポイントである。
    

韓国の自民族優位主義に基づく反日思想は、植民地支配にかかわることはいうまでもないが、自民族優位主義と日本蔑視の観点そのものは、日韓併合への流れから起きたものではない。

自民族優位主義と日本蔑視の観点は、韓国に古くからある中華主義と華夷秩序の世界観にしっかりと根付いて続いてきたものだ。明滅亡以後は、自らこそ唯一の正当な中華文明の継承者だという「小中華主義」を生み、中国以上に強固な中華主義をもつようになっていった。

そういう経緯から、自らは高度で優秀な文明人であり、日本人は低級で劣った非文明人だという価値観が、古代以来近世に至るまで続き、それが韓国人の意識の深層を形成したまま現在にいたっているのである。

そこをはっきり押さえておかないと、韓国人にだけ特徴的な対日姿勢はまったく理解することができなくなる>。 

2011年03月31日

◆春の花、鳥〜鶯のこと

眞鍋 峰松
 
朝夕の犬の散歩に通る道筋の隣家の庭に、一本の辛夷(こぶし)の木がある。ほぼ毎日、二回は通る道なのだが、20日ほど前に白いつぼみが膨らむまで何の木やら一向に気付かず、10日前から次々と開花しだした。

「あぁ、満開だ!」と思う間も無く、白い花びらの先端から黄ばみかけ、一輪また一輪と次々に道端に落下。花の命は儚く、真に残念の一語に尽きる。

住んでいるのはニュータウン。同時期の移住者が多い故か、近隣には同年配の高齢者が多く、ほとんどの世帯が65歳以上を主体とする家庭である。それぞれの庭には、丹精込められた四季折々の花々が咲き乱れる。

その庭に共通して多いのが金木犀。私は特にこの花の何とも言えない高雅な甘い香りが好きなのだが、秋の早朝や夕暮れ、玄関から一歩足を踏み出すと、地域全体に金木犀の強烈な甘い香りが漂う。 

これからの春の深まりとともに、梅、椿、桃、辛夷、雪柳、れんぎょう、桜、木蓮などが咲き乱れ、赤・桃・白・黄色と次々に鮮やかな色合いで眼を和ませてくれる。 この辺りは野鳥も多い。 

とりわけ多いのがヒヨドリ、モズ、メジロ。この季節、木々に隠れて姿を容易にはみせないが、鳴き声を楽しめるのが鶯だ。例年なら今の季節には庭の木々の枝にとまり、早朝から鳴き声が聞こえるのだが、何故か今年は未だ聞こえてこない。 

ただ、鳴き声も季節初めの所為か、まだまだ練習不足。特有のホ―・ホヶキョという鳴き声にもならず、ホ―だけでお仕舞か、チィチィという声のみ。もう鶯の季節かと、耳を澄ませて聞く当方としては、この中途半端な鳴き声に何だか肩透かしを食らったような気持がする季節でもある。

ところで、NPO法人近畿フォーラム21主宰の事業の一つに、大阪市内都島の毛馬村で生まれた与謝蕪村の生誕300年を祝う顕彰俳句大学がある。先日、その大学第2期講座の「修了式兼表彰式」が行われ参列した。

その中、「一般の部講座」(他には「児童・生徒の部」も)で「大阪市長賞」を受けられた方の作品に「笹子くる いつもの薬 飲みをれば」という句があった。

撰者の先生は、“笹子とはまだ整わない鳴き方をしている冬のウグイス、薬を飲みながら庭に来た「笹子」のチィ、チィという可愛げな声を楽しんでいる様子、・・・笹子はいつかは春が訪れることを告げながら、一病息災、一病息災と作者に告げているのかも知れない”、との評。 

笹子といえば、俳人高浜 虚子には「石垣の 上の竹垣 笹子啼く」との句がある。 

日本大歳時記(講談社)によると、古来梅に鶯(うぐいす)といって春のさきがけとされ、鶯の初音は二月はじめごろ、清亮にして円滑な美声で囀る。囀りの整ってくるのは三月ごろで、鳴く時は尾を揺るがす。 四月には山へ帰ると解説している。 

また、基本季語の鶯に対し、一般季語には初鶯、春告鳥、経読鳥、匂鳥、黄粉鳥、花見鳥、歌読鳥、流鶯等々と記されている。まぁ、同じ鶯にも様々な呼び名があるものだと、日本人の感性とボキャブラリーの豊かさを象徴する一例かと、改めて感心するばかり。 

中でも面白いのが経読鳥。なるほど、ホ―・ホヶキョと言えば誰しも法華経を想像する。 真に日本の春はありがたいお経の声に満たされた時季である。また、流鶯とは、春たけなわの頃、木から木へ枝移りしながら鳴き立てる有様からの名付け。 これまた、十分に納得させられる。

この式典では大阪市立大学文学部長の村田 正博先生の「蕪村俳句の面白味」と題する興味深い講演が行なわれた。

その中で蕪村秀句として紹介された鶯の句。「 うぐいすの 啼くやちひさき くち明(あけ)て」と「 鶯の 枝ふみはづす はつね(初音)かな」の二句。

この二句から見ても、芭蕉や一茶と並び称される俳人蕪村の、出生時からの数奇な人生にも拘らず、暖かい人情味を失なわなかったという人柄が偲ばれる。どうやら花や鳥というものは、老年になって、ようやくその味わいが深まってくるもののような気がする。

花を見れば、自ずと花を見るのも今年限りかも知れぬの思いが浮かび、それで花の味わいが一層深くなるのだろう。花は老年のためにこそあるもののようである。若い時分には自分が生きることに精一杯で、そんなふうに思って花を見ることはなかったのに、近頃はどういう訳か、そんな思いを抱かずには花を見ることができなくなった。 

やはり人間というものは、加齢とともに自然に回帰する習性を持つ生き物のようだ。

西行法師の歌 「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月(もちづき)の頃 」。「散る花も 根にかへりてぞ または咲く 老こそ果ては 行方しられね」。 

詠むほどに、何ともなしに、この歌に心ひかれる昨今である。

2011年03月08日

◆50年後の“高校 卒業式”

眞鍋 峰松

これは、何もこの年齢で2度目の卒業証書が授与されたという訳ではない。毎年、母校府立I高校では、その年、今回の場合は63期生の卒業式に50年前の卒業生、つまり我々13期生が、「来賓」として招かれたと言うだけのことだ。 

他の高校でもこのような習慣があるのかどうかは知らないが、I高校では約20数年前から始まったらしい。 

我ら13期生は昭和17〜18年生まれの、68、67歳の前期高齢者。それが、18歳の青春真っ只中という己の孫のような卒業生達の記念式典に臨席して、一瞬、50年前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。

往時を思い出し、懐かしかった。担任の先生から一人一人の名前が呼ばれ、次々と起立していく若者達の姿に、かっての自分達の姿を重ね合わせ、感無量。これは列席した13期生約70名の異口同音の想いだったようだ。

その感激の最中でも、やはり50年の歳月の落差というか、些細な事柄ではあるが、やはり長い歳月の流れと、世代相互の意識の違いを感じさせられた点も多々見受けられた。
 
全体としては、一時期よく報道されたような生徒間の私語なども聞かれず、国歌や校歌の斉唱など静粛・厳粛な雰囲気の内に進んだのだが、我々の時代と違い、名前を呼ばれ次々起立していく卒業生の順序は男女別なく、アイウエオの順番。

校長式辞の後は、往時のような次々と際限もなく続く来賓挨拶は、保護者会の代表からの挨拶のみ。これには、正直、足元が異常に寒さを感じた体育館内の式典だけに、大助かり。 

式そのものは、儀式中心の第一部と、第二部の卒業生達が作成した3年間の思い出が詰まったビデオ及び担任の先生達からのメッ―セージの「はなむけのビデオ」の放影など。 

中でも、時代の変化を感じたのは、先生達のビデオの内容。我々世代の感覚では、こういった折のビデオと言えば、まぁ、例の説教調の内容だろうという予想を大きく裏切り、先生方はなかなかの役者揃い。

とりわけ、女性教師3人が今風の踊り歌いながらのメッ―セージ。このシーンに、開式直後の卒業生入場で、担当の各学級を引率して先頭に入場されてきた女性教師の女子大生卒業時ばりの袴姿の凛々しさとは打って変わった様子に、大笑いしながらも、内心ではその落差の大きさに驚いた。 

また、極めつきの代物は学年主任。さすがに学年主任。初めは将来の夢や希望への激励の話等やや堅苦しい内容だったのが、一番最後は“さぁ、少女時代に恋しよう”の迷セリフ。 これには、静かに聞き入っていた卒業生や在学生が突如一斉に大爆笑した。 

しかし、傍聴側の、特に我々前期高齢者の面々はと言えば、何が面白いのか、さっぱりその意味が解らない。その時、私がハタと思いついたのが、以前に何かの折に我が娘からレクチャーを受けた韓国の人気少女歌手グループの名前。多分、学年主任の先生は少女時代の大のファンなのだろう。

慌てて、この情報を共有しようと13期生全員に伝達し終えた時は、時すでに遅し。その大爆笑の意味を理解できた時点では、ビデオの画面は他に切り替わり、後の祭り。

何やかや、驚きと感心の2時間半だったが、極め付きは最後の最後のお決まりの卒業生代表からの学校や保護者達への、「謝辞の言葉」だった。

演壇中央に立たれた校長先生の前に進み出た代表の女子生徒。何を喋るのかと固唾を飲んでシーンと静まりかえる中、女子生徒は、“それでは”と一言。 

続いて起立していた卒業生が一斉に“ありがとうございました”と深ぶかと一礼。これだけ。これには、一瞬我々のみならず、列席の来賓、保護者達もさぞ驚いただろう。 

が同時に、私は、これでよかった、卒業生全員一斉の深ぶかと下げる頭と“ありがとうございました”という一言が、彼ら彼女達の万感の想いの全て、と全身で感じとれた。
 
お読みの皆さんには反論もあろうかと思う。だが、その場に臨席し、名前を呼ばれテキパキと応答し、更には自分達の門出を自分達自らで作り上げようと懸命に事前準備に努めてきた卒業生達の気負いと気持を全身で感じた私としては、これで十分に満足した。

ただ、蛇足話で、ややお恥ずかしいことだが、終始静粛・厳粛さを待ってきた式場全体の中で、我々後期高齢者の面々はと言えば、この雰囲気とは裏腹に、私も含め、終始お隣の同期生同士、眼前に進展するドラマと往時の回顧とを重ね合わしながらの、ヒソヒソ話。 

極々の小声とは言え、若干非難されても仕方が無い状態。しかし、これも考えれば、我々はもはや人生の檜舞台から下りようとする、或いはもはや既に下り切った世代。眼の前の風景は、これから人生の大舞台の上で長い長いドラマを演じようとする若者達の世界なのだ。 

所詮、彼らのドラマの門出をお祝いする観客にしか過ぎない我が身だったが、その様な哀感の想いなどを自分自身で無意識に感じながらの2時間半だった。どうか失礼の段、平に平にご容赦のほどを。

2011年03月01日

◆蔓延するのか、“維新の会”ブーム

眞鍋 峰松

先日あるテレビ番組で、民主党の原口一博衆議院議員が番組のゲストとして出演していた。 彼は現在の混迷する政治の中にあって、台風の目の一つになるかと注目の人物。以前に総務大臣を務めた経歴を持ち民主党若手に属する清新さを感じられる論客の政治家として、私も期待をしていた。 

ところが、番組の中で、共に出演していた政治評論家や政治学者からの、現在の大阪の維新の会や名古屋の減税日本の活動に対する批判意見に対し、彼は、橋下知事や河村市長の主張を多数の住民が支持した結果なのだから、両団体の主張に賛同・支持する旨の発言があった。 

この発言に対し、各人からはこの考えこそが大衆迎合・ポピュリズム、衆愚政治などに繋がるとの厳しい指摘・反論が次々に発せられた。 

私は、この反論に大いに賛同する。彼も、これらの反論に即座に反応し、やや慌てた様子で前言を翻したように見受けられたのだが・・・。 

前々回の本誌でも「どうにも理解できない、一部自治体の動き」の中でも記述したが、それにしても、ここ最近の一部地方自治体の長の動きを見ていると、これらの民主主義の弊害を取り除くには、現在のようなタレント紛いの長を直接に選ぶ選挙ではなく、間接の選挙制度に変更する方が弊害も少なくなるのでは、という極端な考えさえ頭に浮かんでくる。 

しかし、本問題は本稿の主題ではない。私が言いたいのは、原口氏が呼びかけ人となっている「日本維新の会」の話だ。 

率直に言って、会の趣旨・主張も詳しく承知していないのだが、その番組の中でも、彼が述べた現在の大阪の維新の会や名古屋の減税日本との連携構想。もちろん、彼はこのような番組で、構想について詳細に説明するはずもない。だが、その意図ありあり、とも受け取れる発言。 そこで、以下が主題である。
     
今や、○○維新の会と名乗る政治団体は、全国津々浦々と言えば大仰だが、それ程の勢いを以て増加しつつある。 私の結論を端的に言えば、「維新」と云う言葉をそうそう安易に使用して欲しくないということ。 果たして彼らに「維新」という言葉を自ら名乗るほどの潔さと気概があるのか、ただただ選挙に当選したいがためではないのか、と言いたいのである。

手元の「大辞泉」を引いてみると、「維新」とはすべてが改まって新しくなること、特に政治や社会の革新と解説されていた。 

この語源は、孟子の滕文公篇上篇の次の言葉。『 詩に「周は旧い邦なりと雖も、其の命は維(こ)れ新たなり」と云えるは、文王の謂なり。子、力(つと)めてこれを行なわば、亦た以って子の國を新たせん 』。

金谷 治氏(朝日新聞社発行 新訂中国古典選)の訳では、詩とは詩経の大雅 文王篇。その中で『詩に、周の国は古い国であった、聖人文王の出現によって新たに天命を受けることとなった。古い国はここに若がったのである、と云っている。子(滕の文公)もまたここに述べたことを力行するなら、きっとその国を新興することができよう』と言うのである。 

つまり、ここで力行されるべきは王道政治であり、仁政であって、その中心は民を安んじることで、それにはまず経済生活を安固にすること、そして教育によって人倫道徳を明らかにすることが必要だ、と言うのである。

私の知る日本史の知識では、「維新」と呼ばれる事件は二つ。 

一つは明治維新、もう一つが昭和維新。 両者への歴史上の評価や是非はともかく、これを唱えこれを実行に移した人物群像は、全て己の命を賭し邁進したことは間違いない。 

東洋学の碩学 安岡正篤師は、その著「人間学のすすめ」の中で、昭和維新の人物像について、次のように述べておられる。

「なるほど主張するところは各々一理あるが、こういう人々によって維新や革命をやったところで、果たして世の中はよくなるのだろうかということでありました。

このことは、今日もなお、そのまま私の心に潜んでおる感慨であります。皆さんも同様であろうと思います。それで、昭和の初めの維新だの、革命だのの騒ぎの時も、敢然として、もっと世の中を良くしょうというのには、理論や手段によるよりは、そのことにあたろうという志士・国士・革命家というような人たちが、もっと人間を作り、同志を養い、それにふさわしい人物となり、それにふさわしい実力をつけなければ、そんな運動は何にもならぬ、と主張しました」と。

同師の言葉を私なりに咀嚼すれば、如何なる主義・主張も全て、その人物の内容次第。
 
これを踏み間違えると、単なる群衆心理に支配され、個人的な信念だとか思想とかいうものが失なわれ、人間も無内容になっていく。 

そこで極めて簡単なスローガンであるとか、あるいは指導者の指令であるとかというもので、容易に没理性的に盲目的に動かされるようになってゆく。その結果は恐ろしいことになる、ということだろう。

激動する現在の世界、日本の諸情勢の下、厳しい変革が求められることは周知の事実。だが同時に、闇雲に変革を求めるだけでは何の進展もない、ということは昨今の民主党の混乱振りが差し示すとおりということなのだろうか。




2011年02月20日

◆今時の男の子、女の子

眞鍋 峰松

最近、こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 2月10日のことだったそうだが、担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 
学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。

生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 

私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。

ところが、その場に居合わせた母親達が一様に驚いた出来事が発生した。生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。

何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。

この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     

私は、その出来事を聞き、改めて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。

4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。

発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。

母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。昔々から、男の子は男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。

街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。

この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。

2011年02月02日

◆どうにも理解できない一部自治体の動き

眞鍋 峰松
 
最近、報道されている一部の地方自治体の首長の行動には、理解できないことが多い。

例えば、この16日に行われた鹿児島県阿久根市の出直し市長選挙。議会を開かず専決処分を繰り返した竹原前市長が敗れた、との報道である。二度にわたる議会の不信任決議と出直し選挙、さらには住民投票によるリコールの末の、失職を受けての今回の選挙。

首長と議会との確執はどうにも止まらず、この間の市政の混乱と、選挙、選挙の繰り返しに伴う多額の公費の費消の悪影響も甚大だろう。その挙句の果て、敗れた竹原前市長の敗者の弁が、市職員組合と報道に負けた、とのこと。 

その発言からは、独善的な行動に対する市民からの批判の結果と受け止める気配は、全く見られない。 

名古屋市でも市長と議会との確執からことが発生し、始まった選挙戦の中で有権者の関心を集めている。だが、このような自治体運営の車の両輪とも言われる両者の対立による混乱は、この2市だけに止まらず、近年、全国的にも多数散見されるとのことである。

地方自治体の政治は、民主主義の実験場、草の根の民主主義の実例という表現がよく使われる。

元々、地方自治体の首長は、国の行政トップである総理大臣とは違い、講学上の大統領制つまり直接に住民によって選ばれる制度。 衆議院議員の中から総理大臣が選ばれる国の議院内閣制とは異なるが故に、国に比べても制度的にはなおさら議会との関係がギクシャクすることは仕方がないことだろう。 

これも民主主義政治志向のための避けがたい時間と費用の浪費と言えば、言い過ぎだろうか。
 
ところが、現在の大阪の橋下知事の維新の会や、名古屋の河村市長の減税日本の活動。両方ともに、首長自身が己の政策を一挙に押し進めるための、もっとはっきりと言えば、自己の唯一の政治的主張を独断的に推進していこうとするための、議会多数派工作とも言うべきもので、私には何やら戦前の政府と大政翼賛会の関係に類似した考えのような気もする。 

果たして、このようなチェック・アンド・バランスの考えを欠いた独裁的・独善的な政治活動の行き着く先は、どうなるのだろうか。

本来の地方政治と行政のあり方からみれば奇怪至極な出来事、と思う私は、一時流行りの守旧派とレッテルを張られるような存在なのだろうか。


2011年01月28日

◆何処へ向かうか大阪府

眞鍋 峰松

少し旧聞に属するが、昨年の10月のある日のサンケイ朝刊の「大手前ダイアリー」欄に書かれていた記事。“知事の奏でる笛 府民をどこへ”との見出しで、伐栗恵子記者の署名入りの記事が掲載されていた。 

内容は、「府庁担当として約1年にわたり橋下徹知事を身近で取材してきましたが、交代することになりました。・・・、そこで最後のごあいさつを」との切り出しで、「最も印象に残っているのは・・・大阪維新の会の初陣式のワンシーン」とのこと。 

擁立候補の応援で数百メートルほど支持を訴えながら練り歩いた時、知事が道行く人々に“一緒に歩きましょう”と声をかけると、「老若男女のカップルや夫婦、家族連れらがまるで吸い込
まれるように行列に加わっていきました。・・・・アイドル並みの人気を誇る知事ならではの光景ですが、私は少し怖くなりました。子供のころに読んだある童話を思い出したからです。・・・

この有名な童話「ハーメルヘンの笛吹き男」・・・・当時の幼い私は・・・どこに連れていかれるかわからない恐怖を想像して、その夜は、布団の中で震え続けました。なぜそんな記憶が呼び覚まされたのか、自分でも謎です。 

でも、こう考えることにしました。知事の奏でる笛の音が、府民をどこへ導こうとしているのかに非常に関心があるからだと。」との記述である。 

この伐栗記者の感想こそ、私も共感するところである。この記者の感覚、府庁詰め1年で交代とは惜しい、と評価したい。

例えば、府市の合併論(大阪都構想)からして、以前に本欄に書いたように、『人気者の知事が最近言い出し、俄かにマスコミも平松大阪市長との確執と併せ、毎日面白可笑しく書きたてているようだ。

だが、この「都構想」も、古く昭和40年以前から議論の的になった問題。 その当時から、東京・大阪二眼レフ論の幻想の下、府市の二重行政と阪奈和合併論や道州制導入問題とが輻輳し、毎回関係団体・関係者の思惑や利害の相克の中でポシャってきた、古くて新しい難題。 

府民・市民にとって、利便性や総合性確保等がどうなのか、誰も確信を持てない難題である。それだけに、「維新の会」といった得体の知れない政党を強引に結成するよりは、もっと足が地に着いた地道な検証と冷静な論議が望まれる。 

朝に言い出し、夕べに引っ込める性癖の橋下知事に果たして己の過信以外に、どのような客観的な確信があるのだろうか。 

それにしても、府職員が言ったという、「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっているとの表現には、私も橋下知事への妙に的を得た批判だと感心するばかり』というのが私の結論。  

また、行政のトップとしての知事の面からみても問題が多いと思う。

その理由は、橋下知事登場以来、府庁内部の組織には問題山積。職員の知事への信頼は、施策についての出し入れ自由の思い付き発言などによる混乱によって極度に低下。巨大組織を動かす知事としての発言の重みを全く理解していないことが多過ぎる。 

また、行政組織として一番大切な職員のモラールといえば、今回同様に体制の急激な変化に直面した黒田府政やノック府政等とは比べようもないほどの落ち込み、と言われる。 

行政に直接責任を担う各層幹部職員からの意見についても、知事は自分の意向に反する内容であると当該幹部職員に対し、「すぐに職を辞めなさい」と言うなどなど、その独善的なやり方に悲鳴のような声が内部からと聞こえてくるばかり。 

また、人事方針への不満・不信感も増大する一方。2年前、鳴り物入りで演出した、出先機関の幹部クラスからの環境農林部長への乱暴な大抜擢も、1年で破綻したではないのか。昨年秋の商工労働部課長級職員の自死事件に関しても、庁内では知事の感情的言動が引き金になったのでないか、というのが専らの噂と聞き及ぶ。 

この先、府政はどうなるのだろうか、これらの組織としての体をなさない混乱振りはいずれ府民生活へも悪影響が及ぶのではないか、と心配する。

以上の私の診立ての結論は、単純化すれば、橋下知事の考えの根本には、世の中には自分の味方か敵の二種類の人間しかいない、そして敵の敵は味方、味方の敵は敵といったことではないだろうか。 

須らく世の中の出来事の評価は是々非々、何事も柔軟に思考するといった類の、或る意味で人間の器の大きさを推し測るような考え方には、およそ無縁のお方とお見受けする。

最近のマスコミ関係者は日頃から橋下知事の派手なパフォーマンスばかりを報道する。しかし、本当に行政の実態や職員の置かれた状況を知っているのだろうか、

果たして足で稼ぐ地道な取材活動をしているのか、と不安・不信を募らせている昨今、このような新鮮な感覚を持つ記者がまた一人府庁を離れることは、非常に残念なことである。