2011年12月18日

◆いつまでも残る「教え」(前)

眞鍋 峰松
   

最近、マスコミに登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。それでは、どうするのか。

物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教えほど尊い」と 私の体験からも、そう思える。<後編へ> 

2011年12月14日

◆年の瀬に思うこと(その一)

眞鍋 峰松


12月も中頃を過ぎると、ほとんどの会社では冬のボーナスの支給が終了する時期。
4,5日前の民放テレビ番組を見ていたら、街行く老若男女のサラリーマン・ウーマンを相手に、“今年のボーナスはどうでしたか”、とインタビューしていた。

ひと昔前までは、同じサラリーマンとして、夏・冬のボーナスが如何に有難いものであったことか、百も承知のこと。とりわけ若年の頃には月給が安い分、あたかもボーナスは会社による強制的な貯金、給料として月々頂くと淡雪のように溶けて無くなってしまう、有難い制度だ、とまで思っていた。 

ただ、現役の当時であれば、同じようなテレビの街頭インタビューであっても、その質問内容は、“貴方(女)は貰ったボーナスはどのように使いますか”、という使い途に関することが多かった。

今回のように、「お宅の会社のボーナスはどれ位」というような類のボーナスの「金額の多寡」の質問では無かった気がする。つまり、今時のボーナスの話題と言えば、会社によって相当な格差が有ることが当然の前提として在って、その格差実態の方へ視聴者の関心が向いていることの表れなのだろう。

さて、そのインタビュー。10人程度の男女が回答に応じていたが、現在の不況風の下でさぞ厳しいのだろうという想像に反し意外にも、昨年に比べ増えましたという答えが多かった。 

それも面白いことに、年配者はパーセント増と答え、若者は1〜3万円増えましたと金額で表現していたこと。年配者のそれは、経済好調時の大らかな時代の名残りだと思うのは考え過ぎだろう、か。 

当番組では、調査対象全体ではやはり現下の不況と先行き不安などを反映し、対前年では減少したとの回答の方が若干多かったと述べていた。

また、インタビュー回答者の中で、3,4人がボーナスの増加要因として、前年に比べ会社の財務状況が改善したので、と答えていた。つまり、収入面の販売促進や売上増加というより、経理内容つまり支出面の諸経費の削減によるもの、という意味なのであろう。

さらに、番組の中、最も印象深く記憶に残ったのは、30才半ばの男性の答え。昨年より“5倍”に増えました、というのである。

視聴者も驚いただろうが、さすがに、そのテレビのインタビュアーも驚いて、もう一度聴き直すと、件の男性の答えは、昨年が悪過ぎたのでその分増加幅が多くなった、リストラにより会社の財務内容が改善されたので、というのである。

この前二者の回答の中で、共通するのは、“会社の財務状況の改善で増えました”という理由。

財務改善の内容を明快に答えていたのは後者の男性のみだが、多分、いずれの会社の内容も似たり寄ったりの要因。〜リストラなどによる人件費の圧縮が大きいのだろうと推察できる。

何故なら、我が国の最近の給与所得者の平均所得額が、ほぼ横ばい乃至やや減少傾向にあること、依然として企業の被雇用者中に占める非正規労働者比率が増加しつつあること、特に中高年齢者のリストラが依然として高水準で続いていることなど、からも明らかだ。

また、件の男性の回答の中で、リストラという発言をする際、自己のボーナス増加は同僚のリストラという犠牲のお陰だと、「やや自嘲気味」に言ったようにも聞こえたのは、私だけの錯覚だったのだろうか。

しかし、一緒に視聴していた家族の反応からしても、あながち私の“独断”だとばかりには思えない。

江戸時代の儒者 伊藤仁斎には「貧しきことを患(うれ)えず、均(ひと)しからざるを患う」という言葉がある。この言葉には件の男性の心根に相通じるものがあると思うのだが、為政者や企業経営者たちにこそよくよく心して頂きたい言葉だ。

現在、非正規労働者を中心に、国民の間に蔓延する将来への不安や現在の生活への不満・不平を齎し、社会全体の安定を乱す要因となっている格差社会への警鐘と受け止めるべきであろう。

ところが同番組の中で、回答内容の実態とその深刻さの意味に些かも触れなかったのには、ガッカリした。

社会の木鐸たるジャーナリズムを標榜するマスコミが、現下の政治経済情勢を正確に捉えず、是非論・視点さえも曖昧にしている最近の傾向には、正直不満を覚える。皆さんはどうだろうか。

2011年12月11日

◆大阪北新地 異聞 

眞鍋 峰松

 
世間には不況の風が強烈に吹きまくっているらしい。 

職場も、第一線を離れて6年半、続く非常勤職も半年前に終え、今では暇を持て余す。 それでも、世の多くの人に比べ長年職場には恵まれたものだと感謝する日々だ。

所が、数日前のある新聞の記事に改めて世の不況風に驚いた。 

ご覧になった方も多いかも知れないが、見出しの「不況キタ風 進む二極化」の下に、忘年会シーズンを迎えたが、長引く不況に東日本大震災の自粛ムードも加わり、今年は例年以上に各地のネオン街が活気を失っており、大阪を代表する北新地も同様だ、というのである。 
 

確かに、ごく最近まで徘徊してきた大阪代表格の歓楽街、北新地の最近の変貌ぶりを肌で感じてはいた。居酒屋チェーン店の急増やカラオケ店の出現、道行く若者の増加など、10年以上も前の中高年サラリーマンなど社用族めいた人達だけが闊歩する街とは様変り。

記事によると、<店舗の淘汰が進み街の様相が一変。中堅のクラブやラウンジが相次いで閉店する一方、安い居酒屋などが進出し、高級店と大衆店の二極化が顕著になっている。 昔から続く格式のあるクラブは今や数十軒。安い店と高級店の二極化が進み、その割を食う形で中間店の閉店が相次いでいる>とのこと。 

加えて、<客だけでなくホステスも集まらない。時給制のバイトだと、今の若い女の子は北新地以外のキャバクラなどに勤める傾向にあるという。その理由も北新地は年配客相手でマナーもウルサイ。ところがキャバクラだと未明まで勤務でき稼ぎも多い上、若い客相手のため、水商売の経験なしでも気軽に勤められる>、という。

この記事を読んでみて、改めて思った。このような二極化の現象や安易な勤務と稼ぎを求める風潮は、何も身近な風俗世界だけの話ではない。否、むしろ北新地の問題はその延長線上にあるというだけのことだ。

そこで考えてみると、気になるのは今の我が国を取り巻く経済情勢とそれと関連する世界経済のことだ。

所得階層の二極化とこれに伴う中間所得層の減少と貧困階層の拡大。その要因の多くは非正規雇用形態の拡大と正規・非正規雇用者間の待遇格差が根底にある。これらが国民の間に生活不安・不満を齎し、社会全体の安定を乱す要因となっている。 

しかし、この現象はひとり我が国のみならず、世界全体の抱える問題でもある。世界的には失業率の悪化が最大の要因と思われるが、アメリカや西欧世界での変化を求めるデモの続発、中近東での民主化を求める革命騒ぎまで、その根底には全て国民間の経済力・所得格差の問題が横たわる。また、そこに共産主義一枚岩だったお隣の中国までもが揺れ動いている。

世界を席巻している弱肉強食・効率一点張りの社会。即ち、拝金主義の横行・リストラ自由のアメリカ式経営、市場原理万能の諸改革、これら全てが合い待って引き起こした現象だろう、と私は思う。 

では、これらに如何に対処し、社会の安定を図っていけばよいのだろうか。 

それには、こと日本に関しては「国家の品格」の著者 藤原正彦氏の言うように、

<鎌倉時代以降、多くの日本人の行動基準・道徳基準となって来た武士道精神を復活し、慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠の心を取り戻していくこと。とりわけ他人の不幸への敏感さである惻隠の心、「名誉」と「恥」の意識の回復を図る>ことに尽きる。 

だが、果たしてそのような“情緒”的な形で解決できる問題なのだろうか。これからの社会、一体どのような方向に向かって行くのか、全く予想もつかないな〜、という気分になる。

2011年08月21日

◆今年、8月15日に思ったこと

眞鍋 峰松

  
先日のある新聞紙面に、「世代交代か 1回休みか」との大見出しの下、前原 誠司前外務大臣の紹介記事が載っていた。記事には、本人の発言を引用しつつ、「次の世代」を代表する人物、それが前原なのだ、との内容。 

前原氏は昭和37年京都生まれ、京都大学卒、当選6回、平成17年に民主党代表するも「偽メール問題」で引責辞任。 今年3月、在日韓国人女性からの政治献金問題で外務大臣を辞任、というのが略歴。 私自身は彼の政治姿勢に共感を覚える一人だが、ここで何も前原氏の人物論を描くというのではない。

 
彼に注目するのは、以前報道された一つの情報が背景にある。惜しくも62歳で逝去された政治学者、京都大学教授 高坂正尭氏の門下生という点にあった。

良きにつけ、悪しきにつけ、近代日本における進路をリードしてきた東京大学に代表される勢力への、カウンター・パートナーとしての京都大学の学派・人脈が果たしてきた重要な役割の延長線上で見た場合、彼の存在は大きかったと考える私にとり、その意味合いは大きい。

前原氏の、一見、度を過ぎた潔さ、とも思える前記の行動も、師である高坂氏が及ぼした影響の故か、とも思える。
   

次は、最近読んだ書物の高坂教授の言葉。これが前原氏の行動の原動力とも理解できるのだが、同時に、現在何故これまで管総理に対する世の非難が集中するのか、をも理解できるのではなかろうか。何より重要なことは、戦後66年を経た今日、依然として日本の国論にとり足枷となっている戦争責任問題への理解を深める、という意味合いでも。


「指導者は大したことをしなくてもよい。 ただ、いつ責任を取るかを間違えると、その影響はあまりにも大きく、長く続く。 トップが責任を取らないということは恐ろしいことである。 政治も経済も、これだけ難しい状況になったのだから、政界も財界もミスした人は辞めてもらわなければ困る。 

そればかりではない。 エコノミストも政治学者も評論家だからといって責任を免れるものではない。 あまり続けて間違えた人に対して、日本はもっと厳しくあるべきだと思う。」

「私がリーダーの責任を重要視するのは、二つの理由による。 第一は、政治や実業に携わる者は結果倫理に従うべきであり、それによって初めて規律や志気が保たれるということである。 太平洋戦争への突入についても、バブルについても、そして政治改革についても、その時の指導者たちは、それぞれ難しい状況に直面し、決断するにも決断しようがなく、一時しのぎが状況を悪くしたのだった。 


彼らには同情すべき点が多々存在する。 それでもなお、結果倫理の世界に生きる人間は責任を取らなければならないのである。もう一つの理由は、失敗が個人の過ちのためだけでなく、体制全体に問題があったからだということである。 それならば個人が責任を取るべきだとは限らないということになりそうだが、実はそうではない。 

指導者が責任を取り、過去の清算がなされないと、新しい体制づくりが難しいのである。 太平洋戦争も自民党の敗北も、いわゆる「制度疲労」の結果であった。立派な人がいても彼らはその能力を活かせず、苦言は空しく消えた。 

アメリカ軍による追放は、乱暴なやり方ではあったが、そして責任をあいまいにしたが、しかし、失敗に責任のある人々は消え、それによって新しい体制づくりに進むことができたのである。 ある意味では不公平だったが、人の世にそうしたことはまま起こり得る。 

いずれにせよ、そのため戦後の日本はうまくいったのだった。こうして責任がはっきりした後、新しい体制への営みが始まる。」 


「その結果、もっとひどい混乱や破綻が起きるかも知れない。それはそれでかまわない。 それは国民がバカだったということであって、それが本来なら仕方がない。

しかし、国民はバカだという保証も評判もなにもないのである。きちんと行動するかも知れない。それに現在の苦境は、様々な知恵と提案が必要だと考えるべき理由がある。 だから、知恵は分権型の制度への志向を伴って初めて生れてくるように思われる。」

最近、とみに政治の混迷が深まる日本。 その現在の日本を考えた場合、次の「外務省のラスプーチンと呼ばれた男」佐藤 優氏の指摘ほど戦慄を覚える言葉はあるまい、と思う。

『現下の日本で、当事者にとっては深刻な意味があるが、国家と国民にとっては害しかもたらさない政争が展開されている。 この過程で、マスメディア、有識者はもとより国民にも「政治家に期待しても無駄だ」というニヒリズムが浸透しつつある。 

ニヒリズムを放置すると、「議院内閣制では民意を代表できないので、独裁が必要だ」と主張する扇動政治屋が権力を掌握し、日本国家と日本国民に大きな禍をもたらす危険がある。』

これこそ、かって日本が辿った道ではなかろうか。 私には、そう思える。 お読み頂いた諸賢のお考えは、如何でしょうか。

2011年08月18日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い(後編)

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 

その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
  〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2011年08月17日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い(前編)

眞鍋 峰松


最近、マスコミ上に登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。 多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

 例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。 それでは、どうするのか。

 物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。 だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教え」ほど尊いと 私の体験からも、そう思える。
<後編へ> 

2011年07月27日

◆指導者としての資質を考える (後編)

眞鍋 峰松

<本稿の前編は昨年11月26日、後編は昨年12月1日に掲載したものだが、主宰者のお勧めもあり、今年3月11日の東北大震災・福島原発事故を受けて感じる処があり、改めて再掲したものである。この点お断りしておきたい>。

前回の決断力についての記述、その続き。 

以前に私が読んだ本の中に、「決断」について、一方では、如何にもアメリカ人的な合理的な考え方と、他方、如何にも日本人的な思考方式を記述した文章があったので、ご紹介しておきたい。
 
この二つの「決断」に関する記述の内容は、「政治家の任務は決断にある」という一点では同じようであり、また「政治家の責任のあり様」という点では多少違っているようにも、私には思える。                                 
その一つが、コリン・ルーサー・パウエル(Colin Luther Powell)の自伝。 ご承知の通り、コリン・ルーサー・パウエルはジャマイカからの移民の両親を持ち、共和党員であり、統合参謀本部議長(アメリカ陸軍大将)、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領(息子のブッシュ)の1期目政権の国務長官の経歴の持ち主。
               
その著書、マイ・アメリカン・ジャーニー「コリン・パウエル自伝」(鈴木主税訳 角川書店)の中の次の言葉である。
                           
『 いまでは意思決定の哲学を作り上げていた。 簡単に言えば、できる限りの情報を掘り起こして、後は本能のおもむくままにまかせる。 我々はみなある種の直感を備えている。 そして、年をとるにつれて、次第にそれを信じ、それに頼るようになる。
 
私が決定を迫られた時、つまりある地位に誰かを選ぶとか、作戦の方針を選択するかしなければならない時、私はあらゆる知識をきれっぱしも残らずさらって集める。人に助けを求める。 彼らに電話する。 手当たり次第に何でも読む。
 
つまり、私は知性を使って本能を教育するのだ。その後、本能を使って、このデータの全てをテストする。「さあ本能、これは聞いて正しく聞こえるか。嗅いで臭くないか。手ざわりはいいか。違和感はないか」。 しかし、我々はいつまでも情報収集ばかりしているわけにはいかない。入手可能なすべての情報がまだ集まっていなくても、あるところで決定を下さなければならない。
 
大事なことはあわてて決めないで、適切な時期に決断を下すことである。 私には決定の公式、p=40〜70というものがある。pは成功の確率を、数字は得られた情報のパーセンテージを示す。
 
手持ちの情報だけでは正しいという見込みが40%以下しか得られないなら、私は行動しない。また、100%正しいと確信するだけの情報・事実が集まるまで待つことはしない。

なぜなら、その時には必ずと言っていいほど遅すぎるからである。 私は40から70%の範囲の情報が得られたと感じたとき、本能にしたがって動く』。

もう一つが、小室直樹氏の「歴史に観る日本の行く末」の中の次の文章である。
     
『「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」これこそ、日本人のエトス(民族精神、気風、社会思潮)を一言であらわした表現であろう。その後の句は、「戦争に突入した」とも、「大不況を招来した」とも、いろんな表現が代入されうる。 このエトスは、どこから出てきたのか。日本人独特の現実認識からくる。

「現実」とは何か。「“現実”というものは、作り出されてしまったこと、いま、さらにはっきりといえば、どこからか起こってきたものと考えられている」(丸山 真男)
 
このエトスこそ、政治的無責任体制を理解するための急所である。政治家の任務は決断にある。官僚と根本的に違う点である。このことの重大さは何回繰り返しても、繰り返し過ぎることはない。
 
政治家の任務は、現実を自分の判断によって作り変えることにある。ここに、政治家の責任が生じる。現実を、自分の決断によって作り変える時、より良くなるか、より悪くなるか、その結果は、事前には分からない。
 
分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する。(繰り返して強調するが、ここが官僚と違う点なのである。)もし、現実を、「作り出されてしまったこと」「どこからか起こってしまったこと」と考える時、そこに、「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考える余地はない。 政治家の存在意義は無いのである』。

以上の二つの文章で明らかなことは、決断への道筋について、アメリカにおいては数理的、合理的規準の下に対処すべきものと観念されており、こと、パウエル氏に限らず、古くはベトナム戦争におけるマクナマル戦略(戦争=軍事に「費用対効果」の考えを持ち込んだ)においても同様である。                              
一方、日本においては小室直樹氏が指摘のとおり、「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」決断に追い込まれてきたということが、これまでの近代史、現代史の示すところではなかったか、と考える次第である。
                
私は、むしろ前者が政治判断の前提として官僚のなすべき責務であり、後者つまり「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考え、「分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する」という複合的な考え方が正鵠を得ていると思うのだが、どうだろうか。
 
この考えを当てはめると、鳩山前首相の行った政治判断、とりわけ沖縄基地問題についての決断などは成功確率が果たして何%と判断した上で、決断に及んだのであろうか。
 
官僚からの成功確率を聴取しての外交戦略だったのか。 あまりにも粗雑な外交戦略であったと思わざるを得ない。(終)

2011年07月24日

◆指導者としての資質を考える(前編)

眞鍋 峰松
 
<本稿及び続稿は、昨年11月26日、12月1日に既掲載したものだが、主宰者のお勧めもあり、今年3月11日の東北大震災・福島原発事故を受け、再掲したものである。 この点お断りしておきたい>。

最近の中国やロシア、さらに北朝鮮などのニュースに接する度に思うことは、どうも日本の優秀と言われる人物とりわけ政権中枢にいる方々の、不測事態へ対応する能力が本当に大丈夫なのか、不足しているのではないか、という危惧である。 また、幾ら事前の準備に怠りがなくても、肝心の決断力がなくてはどうにもならない。
 
これに関連し、思い出すのが昔、昔の話。 阪神・淡路大震災の経験から、毎年恒例として行われる地震災害へ備えた、防災訓練について、である。 地方自治体や国の出先機関などの行政を始め地元自治会など幅広い方面を巻き込んで大々的に実施されてきた。
 
だが、毎年恒例の行事として行われる故もあってか、災害発生時の住民への避難誘導や救急医療体制の初動活動などが中心で、その当時からマンネリ化の懸念を感じていた。

仄聞するところでは、アメリカでのこの種の訓練では、対策本部における非常事態へのギリギリの判断。 

例えば、A地点とB地点とに危機が迫っている場合に、如何に防災力を適正分散するべきか、最悪の場合にはどちらか一方に優先して防災力を振り向け、どちらか一方を犠牲にするかなど、指揮を執る人物の決断力が試されるようなケースまで想定し訓練しているとのことだった。
 
最近ようやく我が国においても、この実例として、負傷者多数の場合における負傷程度による治療優先順位の決定問題が、ギリギリの決断訓練の一つとして採り上げられている。

ところが、である。
 
過去に一度、ある都道府県で、このアメリカの方式を採り入れて、水防訓練の中で破壊的水量を抑制するために人為的に堤防決壊させ、水量分散を計るというギリギリの決断を想定したことがある。

決壊した場所では、当然なにがしかの被害が発生するのだが、その時、当時の知事は激怒し、そのシュミレーションの場を立ち去ってしまったというのである。要は、彼は逃げたのである。
 
だが、このような決断力こそが、本来のトップ・リーダーに求められる能力、不測事態への対応能力である。
              
以前読んだ書物の中に「孤独は全ての優れた人物に課せられた運命」との表題で、

@トップには同僚がいない A最終意思決定には誰の助力を求められない B自由に意思の伝達がし難い C正しい情報を得ることが稀である Dしかも、なお、最終的な責任を負っている、と記述されていたのを思い出す。 まさに、これがトップ・リーダーに課せられた運命なのだろう。
   
また、これは、塩野七生氏の著書「日本へ 〜国家と歴史篇」からの引用だが、人間の優秀さについての記述で、その一つが、色々な事態に対し、原則を変えずに、如何に例外を設け、さらにその例外事項を他に類を及ぼさないようにするか。
 
さらにもう一つ。 日本的秀才は、予期していた事態への対処は上手いが、予期していなかった事態への対処は下手なのが特質であるらしい。
 
しかし、予め分かっている質問に答えるのに、人並み優れた頭脳は必要ない。真正面から答えるか、それともすり抜けるかの違いはあっても、予期していなかった質問に対処して初めて、頭脳の良し悪しが計れるのである、というのである。
 
私が思うに、前半の部分は、むしろ上級公務員の優劣の判断基準に向いおり、後半の部分は政治家を始めとする、組織のトップの資質の判断基準に向いているように思われる。
 
要は、決断するのは難しい作業である。決断に際して、十分に情報を集め、徹底して分析したから万全だ、ということは絶対にない。考える材料が全部そろい、やるべきことが自ずと分るのなら、リーダーは何もしなくてよい。
 
つまり、決断するための情報収集と分析は程度問題である。信頼を繋ぎ止めたるためなら、「ここまでは考えたけれど、これ以上は運を天に任せる」と踏み切るのがリーダーの役割だ。
 
それを検討会議や関係閣僚会議の設置ばかりで逃げてばかりではどうにもなるまい、と思う。日本語で上手い表現があるではないか。“腹をくくる”と。少々穏当でない言い方だが、それこそ、判断を過てば腹を切ればよい、ではないか。
 
塩野 七生氏は言う。「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない。 その覚悟のない指導者は、リーダーの名にも値しないし、エリートでもない」と。 

これができないなら潔く職を辞するしかあるまい。(続編へ)

2011年07月21日

◆いま時の男の子、女の子

眞鍋 峰松

最近、こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 
学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。

生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 

私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。

ところが、その場に居合わせた母親達が一様に驚いた出来事が発生した。生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。

何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。

この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     

私は、その出来事を聞き、改めて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。

4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。

発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。

母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。昔々から、男の子は男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。

街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。

この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。

2011年07月10日

◆今日一日をプラス思考で生きる

眞鍋 峰松

最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  

何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   
情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 

個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 

もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 

シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)

2011年07月03日

◆韓国人の日本人観

眞邉 峰松 (評論家)
    
近年の新聞・雑誌の中では、以前にもまして東アジア関係の記事・文献が激増しており、私も最近の日本と中国・韓国との関係についての書物を読む機会が多くなった。 

そこで気付いたことだが、いかなる理由か分からないが、韓国や中国(台湾を含む)の在日の人たちや長期滞在者の書物が非常に多くなっている、という事実である。 

それらの書物に概ね共通していることは、どちらかと言えば日本人の対外認識の甘さに対する警告と、それに比して観た場合の自国・自国民の偏狭なナショナリスティクな態度への批判・反省である。

これのみの著書からだけでは、一方的・一面的という危険性もあるが、その中で、韓国人の日本意識を簡潔に説明していると思ったので、呉 善花(オ ソンファ)著 『私はいかにして「日本信徒」となったか』を紹介したい。


<韓国でも、自国批判、自民族批判は国内ではかなりやるのである。しかし、それが日本との比較で劣位な印象を与えるものについては、国内でも公の場ではまず出ることがない。
 
なぜかといえば、極端にいえば反日であることが愛国であるという感覚が、知識人ほど強くしみついているからである。親日的であるといわれるひとですら、日本との比較では決して韓国を劣位におくことはしない。
    
だから、一般的な韓国知識人にとっての日本に対する姿勢は、本当は反日というよりは、優劣の問題なのである。 要するに、自民族優位主義(エスノセントリズム)が韓国知識人の支柱なのである。
     

自民族優位主義は、戦後の独立新興国のどこにもあったもので、その意味では韓国も例外ではない。ただ、自民族優位主義は当然他民族蔑視の観点を含み、その蔑視の対象を日本に定めているところが、韓国や北朝鮮がほかの諸国と異なるところである。

世界中どこを探しても、ことさらに日本を蔑視する自民族優位主義を持った国などあるわけもない。そこが韓国という「国体」を考える最も重要なポイントである。
    

韓国の自民族優位主義に基づく反日思想は、植民地支配にかかわることはいうまでもないが、自民族優位主義と日本蔑視の観点そのものは、日韓併合への流れから起きたものではない。

自民族優位主義と日本蔑視の観点は、韓国に古くからある中華主義と華夷秩序の世界観にしっかりと根付いて続いてきたものだ。明滅亡以後は、自らこそ唯一の正当な中華文明の継承者だという「小中華主義」を生み、中国以上に強固な中華主義をもつようになっていった。

そういう経緯から、自らは高度で優秀な文明人であり、日本人は低級で劣った非文明人だという価値観が、古代以来近世に至るまで続き、それが韓国人の意識の深層を形成したまま現在にいたっているのである。

そこをはっきり押さえておかないと、韓国人にだけ特徴的な対日姿勢はまったく理解することができなくなる>。 

2011年03月31日

◆春の花、鳥〜鶯のこと

眞鍋 峰松
 
朝夕の犬の散歩に通る道筋の隣家の庭に、一本の辛夷(こぶし)の木がある。ほぼ毎日、二回は通る道なのだが、20日ほど前に白いつぼみが膨らむまで何の木やら一向に気付かず、10日前から次々と開花しだした。

「あぁ、満開だ!」と思う間も無く、白い花びらの先端から黄ばみかけ、一輪また一輪と次々に道端に落下。花の命は儚く、真に残念の一語に尽きる。

住んでいるのはニュータウン。同時期の移住者が多い故か、近隣には同年配の高齢者が多く、ほとんどの世帯が65歳以上を主体とする家庭である。それぞれの庭には、丹精込められた四季折々の花々が咲き乱れる。

その庭に共通して多いのが金木犀。私は特にこの花の何とも言えない高雅な甘い香りが好きなのだが、秋の早朝や夕暮れ、玄関から一歩足を踏み出すと、地域全体に金木犀の強烈な甘い香りが漂う。 

これからの春の深まりとともに、梅、椿、桃、辛夷、雪柳、れんぎょう、桜、木蓮などが咲き乱れ、赤・桃・白・黄色と次々に鮮やかな色合いで眼を和ませてくれる。 この辺りは野鳥も多い。 

とりわけ多いのがヒヨドリ、モズ、メジロ。この季節、木々に隠れて姿を容易にはみせないが、鳴き声を楽しめるのが鶯だ。例年なら今の季節には庭の木々の枝にとまり、早朝から鳴き声が聞こえるのだが、何故か今年は未だ聞こえてこない。 

ただ、鳴き声も季節初めの所為か、まだまだ練習不足。特有のホ―・ホヶキョという鳴き声にもならず、ホ―だけでお仕舞か、チィチィという声のみ。もう鶯の季節かと、耳を澄ませて聞く当方としては、この中途半端な鳴き声に何だか肩透かしを食らったような気持がする季節でもある。

ところで、NPO法人近畿フォーラム21主宰の事業の一つに、大阪市内都島の毛馬村で生まれた与謝蕪村の生誕300年を祝う顕彰俳句大学がある。先日、その大学第2期講座の「修了式兼表彰式」が行われ参列した。

その中、「一般の部講座」(他には「児童・生徒の部」も)で「大阪市長賞」を受けられた方の作品に「笹子くる いつもの薬 飲みをれば」という句があった。

撰者の先生は、“笹子とはまだ整わない鳴き方をしている冬のウグイス、薬を飲みながら庭に来た「笹子」のチィ、チィという可愛げな声を楽しんでいる様子、・・・笹子はいつかは春が訪れることを告げながら、一病息災、一病息災と作者に告げているのかも知れない”、との評。 

笹子といえば、俳人高浜 虚子には「石垣の 上の竹垣 笹子啼く」との句がある。 

日本大歳時記(講談社)によると、古来梅に鶯(うぐいす)といって春のさきがけとされ、鶯の初音は二月はじめごろ、清亮にして円滑な美声で囀る。囀りの整ってくるのは三月ごろで、鳴く時は尾を揺るがす。 四月には山へ帰ると解説している。 

また、基本季語の鶯に対し、一般季語には初鶯、春告鳥、経読鳥、匂鳥、黄粉鳥、花見鳥、歌読鳥、流鶯等々と記されている。まぁ、同じ鶯にも様々な呼び名があるものだと、日本人の感性とボキャブラリーの豊かさを象徴する一例かと、改めて感心するばかり。 

中でも面白いのが経読鳥。なるほど、ホ―・ホヶキョと言えば誰しも法華経を想像する。 真に日本の春はありがたいお経の声に満たされた時季である。また、流鶯とは、春たけなわの頃、木から木へ枝移りしながら鳴き立てる有様からの名付け。 これまた、十分に納得させられる。

この式典では大阪市立大学文学部長の村田 正博先生の「蕪村俳句の面白味」と題する興味深い講演が行なわれた。

その中で蕪村秀句として紹介された鶯の句。「 うぐいすの 啼くやちひさき くち明(あけ)て」と「 鶯の 枝ふみはづす はつね(初音)かな」の二句。

この二句から見ても、芭蕉や一茶と並び称される俳人蕪村の、出生時からの数奇な人生にも拘らず、暖かい人情味を失なわなかったという人柄が偲ばれる。どうやら花や鳥というものは、老年になって、ようやくその味わいが深まってくるもののような気がする。

花を見れば、自ずと花を見るのも今年限りかも知れぬの思いが浮かび、それで花の味わいが一層深くなるのだろう。花は老年のためにこそあるもののようである。若い時分には自分が生きることに精一杯で、そんなふうに思って花を見ることはなかったのに、近頃はどういう訳か、そんな思いを抱かずには花を見ることができなくなった。 

やはり人間というものは、加齢とともに自然に回帰する習性を持つ生き物のようだ。

西行法師の歌 「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月(もちづき)の頃 」。「散る花も 根にかへりてぞ または咲く 老こそ果ては 行方しられね」。 

詠むほどに、何ともなしに、この歌に心ひかれる昨今である。

2011年03月08日

◆50年後の“高校 卒業式”

眞鍋 峰松

これは、何もこの年齢で2度目の卒業証書が授与されたという訳ではない。毎年、母校府立I高校では、その年、今回の場合は63期生の卒業式に50年前の卒業生、つまり我々13期生が、「来賓」として招かれたと言うだけのことだ。 

他の高校でもこのような習慣があるのかどうかは知らないが、I高校では約20数年前から始まったらしい。 

我ら13期生は昭和17〜18年生まれの、68、67歳の前期高齢者。それが、18歳の青春真っ只中という己の孫のような卒業生達の記念式典に臨席して、一瞬、50年前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。

往時を思い出し、懐かしかった。担任の先生から一人一人の名前が呼ばれ、次々と起立していく若者達の姿に、かっての自分達の姿を重ね合わせ、感無量。これは列席した13期生約70名の異口同音の想いだったようだ。

その感激の最中でも、やはり50年の歳月の落差というか、些細な事柄ではあるが、やはり長い歳月の流れと、世代相互の意識の違いを感じさせられた点も多々見受けられた。
 
全体としては、一時期よく報道されたような生徒間の私語なども聞かれず、国歌や校歌の斉唱など静粛・厳粛な雰囲気の内に進んだのだが、我々の時代と違い、名前を呼ばれ次々起立していく卒業生の順序は男女別なく、アイウエオの順番。

校長式辞の後は、往時のような次々と際限もなく続く来賓挨拶は、保護者会の代表からの挨拶のみ。これには、正直、足元が異常に寒さを感じた体育館内の式典だけに、大助かり。 

式そのものは、儀式中心の第一部と、第二部の卒業生達が作成した3年間の思い出が詰まったビデオ及び担任の先生達からのメッ―セージの「はなむけのビデオ」の放影など。 

中でも、時代の変化を感じたのは、先生達のビデオの内容。我々世代の感覚では、こういった折のビデオと言えば、まぁ、例の説教調の内容だろうという予想を大きく裏切り、先生方はなかなかの役者揃い。

とりわけ、女性教師3人が今風の踊り歌いながらのメッ―セージ。このシーンに、開式直後の卒業生入場で、担当の各学級を引率して先頭に入場されてきた女性教師の女子大生卒業時ばりの袴姿の凛々しさとは打って変わった様子に、大笑いしながらも、内心ではその落差の大きさに驚いた。 

また、極めつきの代物は学年主任。さすがに学年主任。初めは将来の夢や希望への激励の話等やや堅苦しい内容だったのが、一番最後は“さぁ、少女時代に恋しよう”の迷セリフ。 これには、静かに聞き入っていた卒業生や在学生が突如一斉に大爆笑した。 

しかし、傍聴側の、特に我々前期高齢者の面々はと言えば、何が面白いのか、さっぱりその意味が解らない。その時、私がハタと思いついたのが、以前に何かの折に我が娘からレクチャーを受けた韓国の人気少女歌手グループの名前。多分、学年主任の先生は少女時代の大のファンなのだろう。

慌てて、この情報を共有しようと13期生全員に伝達し終えた時は、時すでに遅し。その大爆笑の意味を理解できた時点では、ビデオの画面は他に切り替わり、後の祭り。

何やかや、驚きと感心の2時間半だったが、極め付きは最後の最後のお決まりの卒業生代表からの学校や保護者達への、「謝辞の言葉」だった。

演壇中央に立たれた校長先生の前に進み出た代表の女子生徒。何を喋るのかと固唾を飲んでシーンと静まりかえる中、女子生徒は、“それでは”と一言。 

続いて起立していた卒業生が一斉に“ありがとうございました”と深ぶかと一礼。これだけ。これには、一瞬我々のみならず、列席の来賓、保護者達もさぞ驚いただろう。 

が同時に、私は、これでよかった、卒業生全員一斉の深ぶかと下げる頭と“ありがとうございました”という一言が、彼ら彼女達の万感の想いの全て、と全身で感じとれた。
 
お読みの皆さんには反論もあろうかと思う。だが、その場に臨席し、名前を呼ばれテキパキと応答し、更には自分達の門出を自分達自らで作り上げようと懸命に事前準備に努めてきた卒業生達の気負いと気持を全身で感じた私としては、これで十分に満足した。

ただ、蛇足話で、ややお恥ずかしいことだが、終始静粛・厳粛さを待ってきた式場全体の中で、我々後期高齢者の面々はと言えば、この雰囲気とは裏腹に、私も含め、終始お隣の同期生同士、眼前に進展するドラマと往時の回顧とを重ね合わしながらの、ヒソヒソ話。 

極々の小声とは言え、若干非難されても仕方が無い状態。しかし、これも考えれば、我々はもはや人生の檜舞台から下りようとする、或いはもはや既に下り切った世代。眼の前の風景は、これから人生の大舞台の上で長い長いドラマを演じようとする若者達の世界なのだ。 

所詮、彼らのドラマの門出をお祝いする観客にしか過ぎない我が身だったが、その様な哀感の想いなどを自分自身で無意識に感じながらの2時間半だった。どうか失礼の段、平に平にご容赦のほどを。