2010年08月22日

◆残暑、お見舞い申し上げます。

真鍋 峰松

加齢のせいか、今年の暑さにはほとほと参る。例年以上に身体に応える。

総務省消防庁の発表によると、今年7月の熱中症による救急搬送対象者数は全国で1万7750人、うち95人が病院到着直後に死亡と確認された。いずれも平成20年の集計開始以来、最悪の数字。

搬送者も昨年同月比3.4倍、一昨年比1.4倍。うち65歳以上の高齢者が48.6%を占めた、とのこと。 

私も、8月初めに旧知同士の気楽なゴルフ・コンペへ参加、危うく熱中症かと思われる症状を経験した。この日は朝からカンカン照りの強い日差し。1.8リットル入りのスポーツドリンクの大型ペット・ボトルを冷凍させ、最後的には飲み干す程度の用心をしつつのプレーをしたつもり。 

だが、最終18番ホールでは少し太股の裏側に引き攣れを感じ、口の内はからから。極め付けは言葉を発するも、舌が口腔内で引っかかり巧く喋れないという状況に立ち至った。今から思うと、少々危険水域に達していたのかな、と思い出してもゾ〜ッとする経験をしたばかり。
 
お陰で、それ以前のホールまでそれなりのスコアーで回って来たのに、最終ホールで12の大叩き。何とも情けなく、体力の衰えを嫌でも肌で感じさせられた。  

この熱中症。冒頭の消防庁の発表を見ても分かるように、名称が急激に世に普及したようだ。 現に、同発表にあるように、過去平成20年からの統計数字だけで、それ以前の数字は存在していないとのこと。

では、以前はこの症状は無かったのか。そんな筈はあるまい。考えるに、以前は日射病と呼ばれてきたのではないのか。遠い昔の小・中学校時代、朝の朝礼時に生徒が突然気分が悪くなる、突然に倒れた、という症状、これを日射病と呼んでいたはず。 

果たして、二つの症状はどこがどう違うのか。医療に疎い私としてはどうもこの辺りが判然としない。多分、日射病も熱中症の一つ、つまり定義の範疇の狭い・広いの問題なのか、と思われるのだが。

別に眼の色を変えて論及することもない些事かも知れないが、ここら辺りに日本人の新しいもの好き、目新しいものに飛び付き単なるネーミングを代えれば良いという愚かな癖のせいなのかと考えると同時に、こんな些事を暑い最中に考える己自身が変わり者の臍曲がりなのか、と自省する昨今である。 

要は、こんなネーミングのことを色々と挙げつらうことより、何よりも熱中症なり日射病への自衛策を講じ、無事今夏を乗り切るべく用心が大切ということなのでしょう。

2010年07月31日

◆“鬱”なる時代(最終・大阪)

真鍋 峰松

今の勤務場所は大阪梅田の界隈、御堂筋沿いのオフィス街と北新地の近く。

昼も夜も、四六時中、大阪で最も人の賑わう場所の一つ。この界隈で勤め出して5年近くになるが、この間の街の様相は相当な変貌振りである。 勤務場所がビルの高層階なので、窓越しに見える風景の視野は広く、良く見える。

その変化の第一は、この界隈での巨大ビルの増加。目に映るだけでも大阪駅ビルの大改造・増築、阪急百貨店の全面建替えと事務所部分の増築、富国生命ビルの全面建替え等々、この5年間に数えるだけで7〜8棟。その多くが事務所ビル。 

だが、遠目で観る限り、既に完成されたビルでも使用されているフロアーはあまり多くなく、むしろ見た限りでは空室の方が目立つ。

7月1日のサンケイ夕刊に「大阪目立つ無人ビル〜ミニバブルで供給過剰」の見出しの下、新築オフィスビルの空室率は5割を超え、一等地に建ちながら借り手がまったくない状態のビルも、との記事。その現実が目の前にある。 

そして、大阪ビルディング協会の事務局長談として「在阪企業は自社ビルにこだわるところが多く、オフィスを借りるのは大阪に支店を持つ企業が多い。東京一極集中で支店機能が小さくなり、大阪で必要なオフィス面積も小さくなっている。ミニバブルによる供給過剰だけが問題ではない」と嘆いているとのこと。

変化の第二は、この数年間で、大阪駅前地下街地下1,2階の店舗地区の空室が急速に増加してきたこと。それも、長期間も空きのままの箇所が多い。偶に入所する箇所の多くはパチンコ・ゲームセンター、それにチケット売り場。 通常の物品販売店や飲食店の新規入居は極めて稀だ。

この二つの変化は相互に関連している。つまり、サラリーマンなどの利用サイドの減少と、これを反映した事務所・店舗などの提供サイドの減少だ。昨年5月のサンケイのコラムでも、大阪の企業とサラリーマンの減少について触れられ、とりわけ堺筋、松屋町筋沿いの企業のオフィス数の減少が目立つとの記述もあった。  

最も象徴的なのが、昨年2月の朝日朝刊に載っていた「さらば 大阪の名門 〜商船三井、本店を東京へ」との見出しの下、前身の大阪商船が1925(大正14)年にこの地(大阪中之島 ダイビル)に本店を構えて以来の84年の歴史に幕を下ろし、登記簿上の本店所在地を東京虎ノ門の東京本社に移すことを発表した、との報道。

東京への企業の移転傾向は、全国的にもかっての高度経済成長期を通じ首都圏への集中という形で加速的に増加したのだが、ここ大阪でも、今では名実ともに大阪企業と呼ばれる大企業は数えるほども残っていない。 大阪の沈滞の主要原因はまさにこの一点にあることを、誰しも知らぬことでもあるまい。

実際、東京・大阪間を頻繁に行き来する多くの友人・知人も、最近の大阪の状態に触れて、「東京は人の集まる繁華街がどんどん増え、どの場所も物凄い賑わい振りだが、反対に大阪へ戻って来ると、見るたびに元気が無くなっているな〜と感じる」と言う。

この大阪の衰退に歯止めをかけようと、橋下知事が最近声高に言い出したのが、起爆剤としての府庁の移転と大阪都制への改革。 

その府庁WTCへの移転問題。 

立地場所の風格欠如や交通不便等もさることながら、一番の問題は危機管理体制。WTC自体の埋立地ゆえの軟弱地盤や塩害対策も問題だが、イザと言う時の警察本部やNHK放送局との連携はどうするのか。最初はやや否定的であった関西経済三団体も、一転、移転支持を表明した。察するに橋下知事への応援に回ったのだろう。 

その理由が、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待ということなら、構想に具体性を齎せるために、府庁移転に引き続き在阪大企業の中で移転を表明する企業が一社でもあって可笑しくないのではないか。 

同時に、それこそ三団体の代表者は団体事務所ビルや、自社の本社事務所ビルを湾沿岸部へ一斉に移転するという意見表明でもしたらどうなのか。今でも用途不明の用地を確保したままの大企業も多いのだから。それでなければ、単に橋下知事へ尻尾を振っただけということにならないのか。 

橋下知事も、府庁移転後何年でこの地域がどう変わるという具体的な数値で青写真を明らかにするべきだろう。

それでなければ、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待も絵に描いた餅に終わり、何ら意味無く府庁を移転させたという無責任が後々明らかになるという結果だけが残るのではないだろうか。現在の大阪府財政の病理体質の根源となった過去の開発行政と、それこそどこが違うのかということにならないか。

  さらに、大阪の都制制度の問題。人気者の知事が最近言い出し、俄かにマスコミも平松大阪市長との確執と併せ、毎日面白可笑しく書きたてているようだ。

だが、この都制問題も私が社会人になる以前から議論の的になった古くからの問題。その当時から、東京・大阪二眼レフ論の幻想の下、府市の二重行政と阪奈和合併論や道州制導入問題とが輻輳し、毎回関係団体・関係者の思惑や利害の相克でポシャってきた、古くて新しい難題。

 しかも、府民・市民にとって、利便性や総合性確保等がどうなのか、誰も確信を持てない難題である。 それだけに、維新の会といった得体の知れない政党を結成するよりは、もっと足が地に着いた地道な検証と論議が望まれる。

一体、朝に言い出し、夕べに引っ込める性癖の橋下知事に果たして己の過信以外に、どのような客観的な確信があるのだろうか。それにしても、府職員が言ったという、「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっているとの表現には、私も橋下知事への的を得た批判だと感心するばかり。
  さらに、大阪復興の観点から気懸りで、今の方策で完全に抜け落ちていると思うのが、学術・文化の発信機能の復権である。元気なのは吉本興業系列ばかりという状況からの脱却である。 
  
考えれば、この問題もマスコミや印刷・出版界等のいつしか行われた首都圏とりわけ東京への一極集中に起因する事柄である。橋下知事はこの問題にどの程度の危機意識を抱いているのだろうか。
  外目には、知事自身のパフォーマンスばかりの発信のようにも思えるのだが。
 
考えれば考えるほど、大阪の将来への憂欝がますます強くなるばかりである。(終)

2010年07月26日

◆我が畏友の死

真鍋 峰松

今月18日日曜日、高校時代の旧友が東京の自宅で亡くなった。長年勤務した大手都市銀行を経て、関連会社の常勤監査役を勤めていた。享年68歳。

高校入学15歳の時以来、50年以上の歳月を経ての永遠の別れである。愛煙家の私と違って、喫煙もしないのに肺ガンによる死であった。大阪市内の中学から入学したのが、当時は学区のトップ校と言われていた府立I高校。旧制中学校以来、来年には創立110年を迎える伝統校である。
 
高校時代の彼は、一本筋の通ったなかなかの硬骨漢。少々運動を苦手としたが、勉学の方はいつも学年上位の成績であった。親しくなったのは、1年生の時に同じクラスだった故と記憶しているが、それよりも同じ新聞部に所属したことの方が大きい。

我々の学年は、昭和17年〜18年の生まれ。 終戦直後の混乱振りを記憶しているはずも無いのだが、多少なりともその匂いを嗅いだことのある世代ということになる。
 
高校時代は昭和33年4月〜36年3月。ちょうど、昭和35年(1960年)の日米安全保障条約改定時の大騒動の真っ只中に、最も多感な高校時代を過ごした世代である。 この安保反対闘争の余波は、当時の高校生たちにも及んでいた。

当時のI高校は教職員組合の拠点校の一つと目される程の激しい活動に巻き込まれていた。組合員である教員の中には、安保反対を唱えて、学校内で座り込みハンガー・ストライキを敢行する者も現れる始末。
 
今から考えると、幾ら自分の主義・信条と異なる政策が採択されたからと言っても、教育現場である学校での斯かる行動は到底許されることではなく、多分、現在の世の中の大半の人達には受け入れられもしまい。
 
だが、当時の校内の雰囲気は凡そ現在の社会常識からかけ離れたものであった。しかも、組合員の教員の影響の下、生徒会活動も先鋭化し、遠い記憶では、I高校でも一日、最も激しかった同じ府立の某高校に至っては、一週間以上も校門を閉鎖しロックアウトに至る異常な状態であったように思う。
 
その他の高校でも似たり寄ったりの状態では無かったろうか。 また、学校内では大学生の学生運動家など外部からのオルグ活動も激しかったという記憶もある。
このような混乱の中、我が新聞部は、組合教員の行動や外部からの学生運動家の活動を批判し、高校生らしく自制を求める論説を載せ、賛否両論の激しい渦の中に放り込まれ、挙句の果てには、一時期、反対派の生徒達によって部室に長時間閉じ込められるという苦い経験もあった。                                     
この渦の中、同じ考えを抱く同期生の仲間が集まり、安保反対闘争から距離を置くための校内活動を進めた。

彼は、高校時代から、確かバイク販売事業を営んでいた父親の影響か、どちらかと言えば右よりの堅実な思想の持ち主で、当時の反安保運動体制下にあったI高校の組合活動家やその影響下にあった生徒会や文芸部などの過激な行動に反対するグループの一員。 私もその一員であった。
 
今から思い起こすと、ここら辺りが50年以上も続く我々のグループ結成の端著になったのではなかろうか。 そして、現在に至るも、年一回の総会と大阪と東京それぞれの地区に分れ、勉強会と称する親睦を深めてきた。                      
この総員14人の仲間は、何しろ15〜16才の紅顔(厚顔)の美少年時代(?)から50年以上も経ち、今や前期高齢者の仲間入り。卒業した大学や専門分野が違い社会人としてのその後の身の振り方も様々だが、今ではその殆どが現役を引退。

僅かに、現役組には医者が二人、会社社長が一人、大学教員二人として残るのみ。寂しいことではあるが、いよいよ会員の殆どが“毎日が日曜日”状態になりつつある。
                     
折しも、この7月7日には、外務省は、作成から30年以上経過した外交文書を原則公開するとした同省の新規則を適用し、日米安全保障条約改定と47年の沖縄返還に関する外交文書ファイル計37冊を、東京・麻布台の外交史料館で一般公開したと伝えられた。
               
思えば、我われのグループは、当時の反安保闘争の中で発足し、少々オーバーな表現だが、高校時代はもちろん、戦後の高度経済成長期などの政治・経済の激動の時代を共に闘い、共に生き抜いてきた仲間たちである。

そして、思いがけなくも、彼が仲間の最初の物故者ということになってしまった。当時のいがぐり頭の面影を我われの脳裏に残しながら。

2010年07月13日

◆ありがとう! 愛犬センム君

真鍋 峰松

本誌で、今年1月7日掲載の「これが“私の最後の彼女?”」と題した文章を記憶されておられるでしょうか? その折の登場人物(?)の、一匹の愛犬の話です。 

ついに、我が家の長男犬のセンムが力尽きて亡くなった。誕生が平成9年10月だから、12年9カ月の生涯。小型室内犬の寿命が14年と言われる中で、少々若死だ。

我が家の三匹のミニチュア・シュナウザーの中では最良の血統書付きの犬だったが、よく言われるように純潔質が高いほど体質は弱いということなのだろうか。 僅か3ヶ月前までは毎日、雨の日雪の日を問わず、あれ程元気に朝は6時、夕方5時ちょうど、一日2回“ワン!ワンワン!”と何度も繰り返し鳴き喚き、散歩の催促をしていたのに。
   
7月7日七夕の夜9時30分頃、衰弱のため独力で立てず、娘がいつものように両膝に抱き上げお水を飲ませようとしていたら、その膝へ小水をジャ〜ッと。 呼び声で家内が代わって抱き上げ、娘が風呂場で着替えている最中、私はテレビを見ている途中に、急に家内のセンム!センム!の叫び声。 慌てて駆けつけてみると、既に呼吸が停止、心臓の鼓動も聴こえず。 息を引き取った直後だった。 

体を撫でてみるとまだまだ生温かく、まるで眠っているよう。 だが、もはや、瞳の中の輝きは失われていた。

急に呼吸障害の発作が出てから死亡まで約1カ月半。 本当にあっという間の出来事だった。 その内の約1カ月弱はビニール・ハウス中での酸素吸入生活。死亡直前の10日前頃からは一切の食事を受け付けなくなり、4日前からは庭での排泄にも人間の支えが無ければ自力で立っていられない程に衰弱していた。 

発作後の半月で、従来からの罹り付けの獣医院へ車で通うにも体力的に難しくなり、インター・ネットで調べて往診して頂いた獣医さんの診断では、肺ガンの可能性と咽喉部に何らかの腫瘍状のものができている、回復は難しい、との宣告。 

しかし、この医師のアドバイスで導入した酸素補給器のお陰で、激しい発作による呼吸困難や、これに伴う二度の仮死状態に至るまでの苦しみからも解放され、家内や二人の娘の手厚い介護に加え、元看護婦のお隣の奥さんの手によるリンゲル注射のお陰で、ゆったりとここまで命を長らえ、眠るが如きの安らかな最期を迎えられた。 

その間、残りの二匹の犬はどの程度状況を覚っていたのか判然としないが、居住するビニール・ハウスの周りで昼寝をしたり、ウロウロと徘徊したり。多分、寝たり起きたりのセンムにとって、仲間の姿を絶えず眼にしながらの幸せな終末療養だったろう。 

今時の人間のように、家族と分断された病院での終末治療より随分と幸せだったのでは無かろうか、と思う。

12年以上もの長い間、我が家のために頑張ってくれたセンム君。 鼻にハートマーク型の白い斑点があり、元気な折の散歩途中、普通の小型犬よりやや大きく、足も長くて走る姿が恰も馬のようだったミニチュア・シュナウザーの雄犬のセンム。
 
東京で生まれ、札幌で居住していた長女と市内のペット・ショップで出逢い、当時結婚問題や仕事関係などで深刻に悩んでいた娘の一人暮らしの良き慰め役を果たしてくれた。そして、長女の帰阪とともに、我が家へ来て10年弱。 その頃から4〜5年間、激しいアトピー症状と薬の副作用で一日中寝たきり状態にあった次女の良き癒しとなってくれた。 

夜ともなると一晩中、激しい発汗症状のために櫓炬燵を利用し空間を確保して寝ていた次女の傍らで、それも、炬燵布団の中へ頭の方から上半身だけを入れ、お尻の方の下半身を外に出して一緒に寝ていたセンム。 

その時の印象深い添い寝姿は、親の私どもの眼に焼き付いて忘れられない。現在では無事健康を回復した次女は、当時の自死を考えるほど苦しかった寝たきり生活を思い出しながら、寝ている板の間の周辺で、いつも足の爪音をカチャ・カチャと立てながら歩くセンムの姿とその音にどれだけ慰められたか、計り知れないと言う。

物心ついてからこの方、飼い犬の存在が日常だった私だが、室内犬はセンムが初めての経験。 それだけに、ペットは家族の一員と言う言葉の意味が、視界から消え去った今になってひしひしと実感する。 

今回の二人の娘の懸命の介護ぶりから、センムが果たした二人の心の安らぎへの大きな役割を改めて思い知らされた。  

センム君、本当にありがとう!! 我が家への大きな貢献をいつまでも忘れないよ。(完)

2010年07月05日

◆“鬱”なる時代(その2)

真鍋 峰松

6月11日付けの朝日新聞朝刊に「日本のいまとこれから」をテーマにした全国世論調査の結果の記事が載っていた。
 
この調査は、全国の有権者3000人(層化無作為2段抽出法による)を対象にして4月下旬から5月上旬にかけ行われ、有効回収率78%。その中で、「いまの日本は自信を失っていると思いますか、そうは思いませんか」との設問に、自信を失っているが74%、そうは思わないが22%と言う結果だ。

この自信喪失の原因では、政治の停滞、国財政の悪化、経済の行き詰まりを挙げた人が多い。 また、「これからの日本にどの程度不安を感じてますか」という設問に、大いに不安を感じているが50%、ある程度不安に感じているが45%、あまり不安を感じていないが4%。
 
ここから見ると、現在の日本人の多数が日本という国に関して、現在のみならず、未来においても不安が一杯という結果が読み取れる。
 
だが反面、日本の自信回復への底力の有無については、有るが56%、無いが28%であり、また、日本という国についての見方として、日本への誇りの有無についての設問では、持っているが75%、持っていないが19%という結果。
 
この日本に関する全く違った、一見矛盾とも思える調査結果をどう受け止めたら良いのか。

私には、過ぎ去った繁栄への想いを残しつつ、現在及び未来に対する自信を喪失し不安に脅かされているものの、将来への希望を捨ててはいない現代日本人の迷いと期待の心象をそのままに表しているのではなかろうか、と思えるのだが。
 
また、その他の二者択一の設問のうち、概ね70%以上の回答率を占めたもの、つまり、現在の日本人の多数が抱く共通の感覚だけを拾い出すと、

・「日本人は精神的に豊かな生活を送れていると思わない」73%、
・「勤勉さが報われない社会と思う」69%、
・「目指すべき国の形として、豊かさはそれほどでもないが格差の小
さい国」73%、
・「経済の主役がもの作りから金融やITなどの業種に移ることは好ま しくない」77%、
・「土木・建設業などから福祉産業や農業への転換に期待する」
  78%、
・「いまの日本は国際的議論をリードする力を持つ国と思わない」
 85%となっている。
 
この調査結果を読んで、すぐに思い出したのは、昔に読んだ木村 尚三郎氏(東大教授 西洋史)の著述「男時・女時の文明論」だった。

その中に、<男時、女時とは、世阿弥(室町初期)の風姿花伝にある、舞台の上には、ついている時(男時)とついてない時(女時)があり、舞台の上での芸がスッ、スッと巧くいき、観客の評判もいい時が、男時である。 

反対に一生懸命しているのに巧くいかず客の評判もよくない時が、女時である。 ・・・未来に対する情熱、未来をしっかり見つめ、自分の手に勝ち取ろうとする闘争心、総じて男性的な時間の観念は後退した。
 
代って、どうやっても自分ひとりでは事態は急に好転しそうにもないとの予感から、明日の栄光を考えるよりは今日の幸せと充実に意を用い、現在を調和的・平和的、協調的に生きようとする、女性的な空間感覚が前面に押し出されつつある。
 
その意味で現代は、確かに世阿弥のいう「女時」であるに違いない>との記述がある。
 
同氏は文章の最後に、<しかし、時代がどう動き、急転するにせよ、世の常識を保ち続けつつ、変化に即応しうる柔軟な心、どこにでも住める心と身体、そして自らの力によって時の流れを捉えうる鋭い五感が、これからの時代と社会に不可欠であることは同じである。
 そして、このことこそ、今日の女時が教える、最大の教訓であるのに違いない>

と結論付けておられる。
 
この記述は30年以上も前のものだが、現在こそが同氏の言われる女時に当たるのではあるまいか、と改めて思う。
                                                       現代の日本人が抱えるのは、将来に対する不安感である。それが現実に直面する恐怖なら対象も明確で対策の打ち様もあるだろうが、不安となると、その対象は不明確であり漠然としている。
 
また不安も人間の物欲と同じように際限が無い。それだけに、こと現代の日本人に限らず、人間という弱点だらけの存在にとって、その根差した不安は、未来永劫に完全な払拭というのも困難極まりないことである。
                         
論語の顔淵第十ニ、孔子が言った、門人である子貢からの政冶に関し、兵・食・信のいずれが最も大事かの問への最後の答えが、「信、無くば立たず」である。
 
つまり、民が政治を信じなければ、政治は成り立たないというのである。この人間社会、政治に限らず、経済・個人への不信が極限までいけば、社会そのものが崩壊してしまう。 社会そのものが信無くば立たず、なのである。
      
では一体、「信」とは何なのか。それは同じ規範を持っているという信頼感であり、これを培ってきたのが伝統であり、文化なのであろう。それが崩壊した組織・団体については、現代では少しも珍しくないから、その恐ろしさはすでに多くの人が語っている。             
果たして、今の政治の力でどの程度、「信」の回復が可能なのだろうか。それでは、一部政党が出張するが如く、民に全てを「知らしむ」ことで「信」を獲得できるのか。
 
私には、到底「できない」としか思えない。 こう考えれば、今回の参議院議員選挙に問われる課題は途方もなく重い。

“憂欝”になる由縁である。(完)

2010年07月01日

◆やっと終わったか?! W杯サッカー

真鍋 峰松

やっとこれで、最近のサッカー狂騒劇から解放されると思うとホッとする。 こう書けば、世のサッカーフアンから怒りの声が殺到するであろうことも覚悟の上、承知の上での物言いである。
 
この月30日にサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会での決勝トーナメント1回戦で、日本がパラグアイに惜敗したということ。まだ大会そのものが終了という訳ではないが、これで少しは落ち着くか?世の中、ということである。
 
勿論、日本が4年に一回開催されるこの一大イベントである国際試合で外国勢に敗北を喫したことに関しては、私も心から残念に思うし、決勝トーナメントにまで勝ち残ってきた日本チームの奮闘に敬意を払うことは吝かではない。
 
ただ、世の中、他に大事なニュースは無いのかと思わせるばかりの連日連夜のテレビや新聞などの過熱した報道振りや、世間の今回の異常な盛り上がりにはついてゆけないということである。                                     
私自身、元来が、オリンピックや世界野球大会等々、国際試合というと直ぐに日本チームへの声援で燃え上がり易い気質に反することなので、何故かくも気持が盛り上がらないのかと、我ながら不思議に思い、つらつら考えてみた。

その原因は、1993年5月のJリーグの開幕前後の事情にあった。17年も前の話である。 我々世代にとって、サッカーと言えば、小・中学校時代の冬季における体育授業で僅かにルールや競技方法など教わっただけ。通常なら、そんなに夢中になるほどのスポーツでも無かった。 
むしろ、当時の男の子にとって、草野球やソフトボールの三角ベースなどが一般的なスポーツ。 それがJリーグ結成前後から年齢を問わずサポーターと称する熱烈なサッカーフアンが目立つようになり、我が家の大学生と高校生の二人の娘もどっぷりとこれに漬かり込んだ次第。
 
これに伴い、親爺の好きなテレビのプロ野球ナイター中継を余所に、毎夜Jリーグ中継の観戦。 まさにテレビチャンネルの争奪戦が繰り広げられ、我が家の唯一の男性である私が毎回の敗退。 どうも、原因はこの辺り。他人には大きな顔で言えないほどの情けない理由である。
  
常日頃、私にはこういった公にする文章を書く場合、自重自戒していることが一つある。 それは、個人的な怨みや嫉妬に発している批判・意見は、どんなに素晴らしい文章で書いてあっても、人を感動させることはできない、という先人の言葉である。
 
同時に、頑な、柔軟性を欠いた心で書いた文章も同じだ、と言うこと。ところが、どうも、年齢とともに、靴に足を合わせるような生き方ができなくなってきた気がする。                              
考えてみると、若い時にはとくに苦痛もなく学校や会社の上司・同僚に自分を合わせることができたし、世間や仕事上のお付き合いに能力以上のことは望まず、概ねつつがなく過ごしてくることができた。だが加齢とともに、近年、本来の人嫌いの地が少しずつ表に出てきたのを強く感じる。                                       
論語の子罕(かん)第九に曰く、「子 四を絶つ。 意なく、必なく、固なく、我なし」と。
 
言うまでも無く、ここで「子」とは孔子のこと。その大意は、意=私意をもって事に臨む。必=何でも豫定通りに行おうとする。固=一事に固執して融通が利かない。我=ただ我あるを知って他人を考えない。
 
この四つを慎みなさい、ということ。 自ら反省するに、今回のサッカーの一件に関わっては、とくに「固」と「我」が己の問題。

即ち、「固」。一つの判断に固執すること。分かりやすく言えば、頑固である。情勢は常に変化している。先に正しい判断をしたとしても、情勢が変化すれば、当てはまらなくなる。対応を誤り、時代の変化に取り残されていく。
 
この病は、年をとるにつれて高じて行くので、そういう意味でも、一段の自重自戒が必要である。 「我」。自分の都合しか考えないことである。これもまた社会人としては協調性を欠いている。どんな組織に身を置いても、人間関係の中で孤立していく。
           
いずれにしても、独りよがりの言葉・文章は共感を呼ばない。お読み頂いている諸賢からは、お前の文章などが、その良い例だ、その気配が濃厚だ、と言われてしまいそうだが。(終)

2010年06月14日

◆“鬱”なる時代

真鍋 峰松

この6月7日、文化審議会は文部科学大臣に、一般社会における漢字使用の新たな「目安」となる常用漢字表について、現行の1945字より191増の2136字となる29年ぶりの改定を答申した。 

学習指導要領では、中学卒業までに「大体の常用漢字を読め」、高校卒業までに「主な常用漢字が書けるよう」指導することになっている。 

その中には、意外なことに、府県名に使われる漢字として、埼玉の「埼」、大阪の「阪」、栃木の「栃」、福岡や静岡、岡山の「岡」、茨城の「茨」、奈良の「奈」、愛媛の「媛」、山梨の「梨」、岐阜の「阜」、鹿児島の「鹿」、熊本の「熊」の計11字が追加され、都道府県名はすべて常用漢字で書けるようになった、と報道されている。

我ながら恥ずかしいことだが、日常的に見る府県名の中に、常用漢字に採用されていないものが斯くも多数在るとは全く知らなかった。
                 
それはともかく、常用漢字は、学校現場では高校までにほぼ書けるよう指導されており、その新漢字の一つが、「憂鬱」の「鬱(うつ)」。

読みは可能にしても、老いの眼には拡大鏡でもなければ、画数の勘定もままならず、書くことは到底無理である。

だが、先月下旬の同審議会の分科会では、「読みが可能であれば良い」との付記があったというので、やや胸を撫で下ろした次第である。

そこで、「鬱(うつ)」の一文字。これは確たる根拠も無い個人的感覚で申し上るのだが、現在の世相を一番表現できる漢字の一つではなかろうか。
                    
私の言いたいのは、時代認識としての「“鬱”なる時代」。それは何か。端的・単純に言えば、日々報道される政治の世界一つを見ても、小泉首相以後の歴代総理大臣、安部、福田、麻生、鳩山、現在の管、の諸氏の顔付き。

確かに、これらの方々(とりわけ麻生総理などはネアカと称せられるほど、その典型だと確信するのだが)は、いずれも本来の性格は、政治家らしく明るい自由闊達な性格の持ち主だと思う。だが、総理総裁へ就任して暫くすると、何故か以前に比べ顔付きがどうも、次第、次第に重苦しい雰囲気に包まれていく。

残念ながら“鬱”とまで行かずとも、重圧に押し潰されてしまう気配が濃厚だ。そしてこれが時代の風潮が齎すものだ、とも思える。勿論、総理総裁という立場からくる重圧感がそうさせているとは思う。

だが、ひと昔前までのその任にあった方々の顔付きとまるっきり違っているな、と思うのは、私だけの感覚だけなのだろうか。
      
私はこれを「“鬱”なる時代」と表現している。この時代風潮が今の日本のあらゆる分野で顕著に表れてきているような気がする。

これを一挙に個人レベルの話に戻すと、今、医療の中で一番流行っている・トレンディーな科目は、心療内科だそうだ。つまり、従来型の精神科でなく、身体に何らかの問題が起きた時、それが心因性のものかどうかを追究するのが、心療内科。

人生につきもののストレスだが、それが心因性の問題となって、人間の免疫力、自然治癒力に大きな影響を及ぼすのは当然のこと。その典型が「操鬱」という精神病というのである。

この症状が本当に増加一方の日本社会である。年間の自殺者数が3万人の大台を超えて久しいが、自殺原因の中には、潜在的な要因として「操鬱」というものの存在が推量できる。

その中で、各人がしっかりと生き抜くためには、この世はやはり鬱っとうしいと感じる事が多いのは当たり前で、その現実を自分でしっかり自覚し、覚悟することが肝要ということなのだろう。                 
 
しかし、これも、あくまでも個々人向けの処方箋。 果たして、「“鬱”なる時代」への処方箋、誰が、いかなる時に、どのようにして、描いてもらえるのだろうか。心配になってくる。(完)

■本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」6月14日(月)1948号に
掲載されました。

<1948号の目次>
・「小沢銘柄」候補の戸惑い:古澤 襄
・菅氏は日本人拉致犯の釈放を求めた!!!:古森義久
・“鬱” な る 時 代 :真鍋峰松
・「呆けて昇天」が当たり前:平井修一
・フォークランド紛争その後:渡部亮次郎
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2010年05月15日

◆童話に教えられること

真鍋 峰松

まず、この話をお読み頂きたい。
 
「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き離すように求めた。
 
自分と羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。

いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。」(「新訳イソップの寓話集」塚崎幹夫訳 中公文庫)。

以前、読んだ童話の中の話である。日本の昔話や童話の中では、子ども向けに最後の下りがメデタシ、メデタシ、そして二人で幸せに暮らしました風、或いは勧善懲悪の教訓話が多い。
 
だが、西洋の有名なイソップやグリム兄弟の童話集にはハッピー・エンドばかりではなく、相当にアンハッピー・エンド、残酷な結末で終わる話が多いという。
 
これは、欧米系人と日本人との民族性の違い、とりわけ日本人の現世肯定の現実主義と、子供には夢と希望をという一種の理想主義とが合体したところから生じたのであろうか。

童話の専門家でもない私が、このことを詳しく述べるのは本題ではない。

私がこの話から直ちに連想したのは、昨今の米軍基地の移転問題。いつしか日本近海でキナ臭い話が充満する昨今、基地をどこか国外に移転しろと言うのは、果たして如何なる外国の、或いは宇宙人の策略なのかどうか、私には専門外の話。

だが、この童話、如何にも当て擦り的な寓話のように思えてならない。明らかに分かるのは、昨今の米軍基地問題を巡る議論では、どこか基本的な問題が抜け落ちているのではないのか、ということ。
 
つまり、この寓話での犬の果たす役割〜国の安全保障体制の問題である。 

最近の鳩山首相の発言の中にあった、色々と勉強している中で、仰止力のためには米軍基地の分散化には一定の限界があるとの発言に、びっくり仰天するしかなかった。
 
一体、この人物は何年の間、国会議員を勤めて来たのだろうか。それなのに一番大事な国の安全保障について、首相になってから勉強とは。 しかも、この後に及んで仰止力について初めて理解したというのか。惟、唖然とするしかない。
 
国の果たすべき役割の最たるものの代表例は防衛・外交、司法。 戦後の防衛・外交の中心的役割を担ってきたのが日米安全保障条約。それ位は誰でも簡単に解ること。

片務的契約だの、何だのという議論はさて置き、明白なのは、現在の日本自身の防衛力だけでは、近代戦闘では非常に心もとない。
 
米国の軍事力を背景にしなければ、とてもじゃないが周辺の好戦的・反日的な国に太刀打ちできるものではない、ということ。

この件に限らず、今後一体、この国はどこを向いて動いて行くのだろうか。確たる方向性があり、操舵手はいるのだろうか。
        
政治と童話と言えば、イソップ童話の北風と太陽の話。言うまでも無く、これは隣国韓国の対北朝鮮政策の話。
 
三代前の大統領 金大中氏及び後継者盧武鉉氏と、現在の李明博氏の対照的な政策を表現することは、夙に有名である。
 
現時点でも最終判断は保留状態のようだが、これらの政策の行き着いた先が、最近の北朝鮮軍による韓国艦艇への攻撃と数十人の戦死と多数の負傷兵員の発生とすれば、私には自ずと優劣の差も判明したようにも思える。

が、これも鶏が先か卵が先か、どちらが原因で結果なのか、素人眼には結論を出し難い面もある。

最後に、もう一つ。

「兎が獣の会議に出かけてゆき、これからどうしても万獣平等の世にならなければならぬと、むきになって論じ立てた。獅子の大王はこれを聞いてニコニコ笑いながら、兎どん、お前の言うのは尤もだの。だがそれには、まず儂どもと同じに、立派な爪と歯を揃えてからやって来るがいい、と言った。」 ( 同 前出 )

2010年04月05日

◆桜の季節〜日本人の心

真鍋 峰松

この季節、日本各地で見事に咲いた桜の花が見られる。 私なども毎年見るたびに“よくぞ日本に生まれけり”という気持になる。 それほどに日本人の心の奥深く刻まれ、古来から詩歌にも読まれてきた。 

ところで、桜の開花予想はニュースとして報じられるが、その開花基準になるのが「休眠打破」だと言われる。 

桜の花芽は前年の夏に形成され、それ以上生成されることなく晩秋から「休眠」状態になり、冬にかけて一定期間、低温に曝されることで眠りから覚め、開花の準備を始める。 これを「休眠打破」と言うのだそうで、さらに温度が上がるにつれて、花芽が成長生成し、気が熟して開花に至る。 

この故に、桜は四季のある日本で進化した植物と言われる。これほどに時間をかけ開花に至る桜だが、咲き誇るのはほんの僅かの期間。日本人はその桜の花の華麗さとは裏腹の、儚さにも強く惹かれ、その魂の、あたかも象徴の如くに看做してきた。

その典型が、本居宣長の歌「 しきしまの やまと心を ひととはば 朝日ににほふ やま桜はな 」なのであろう。 

また、西行法師には、「 春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり 」と、その出家の秘密を封じた悲恋の歌があり、さらには、「 願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの  望月の頃 」、「 散る花も 根にかへりてぞ  または咲く 老こそ果ては  行方しられね 」という死生観を桜の花に寄せる歌まである。
     
欄漫と咲き誇る桜の花に寄せる心象の一方、そこには日本特有の無常観を底辺に置いた「わび」「さび」「もののあわれ」と言った“ものの見方”も発達してきた。

兼好法師の徒然草第百三十七段「 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。 雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀に情ふかし。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ 」

これこそが日本人特有の美意識そのものと思っていたのだが、意外にも、古くから日本で読まれてきた中国古典、明末の洪 自誠の「采 根 譚」の中に、「花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。此の中に大いに佳趣有り。若し爛漫氈陶(らんまんもうとう)に至らば、便ち悪境を成す。盈満(えいまん)を履む者、宜しく之を思うべし 」と記されている。

その大意は「 花は五分咲きを見、酒はほろ酔いぐらいに飲む。その中にこの上もなくすばらしい趣がある。 もし、花は満開しているのを見、酒は泥酔するに至るまで飲んだのでは、その後はかえっていやな環境になってしまう。 

満ち足りた世界にいる人は、よくよくこの点を考えるようにしなさい 」とのことだが、徒然草の言葉とは同じようなことを言っているようにも思えるが、どこか微妙に違っているように思える。

いずれにしても私には、この季節、一年で最も温暖・快適であり、日本人の心に触れる事柄が多い時期を迎えているように思う。(完)

■<反響>「山科だより」の渡邊好造氏から・・・。

山科疎水の桜も満開です。日本の桜は大半が"ソメイヨシノ"で山科も例外ではありません。この種は花見用に接木して改良を加えたもので、40〜50年が寿命とのこと。

そして、接木の部分が弱点で強風などでそこから倒れるため、危険防止で次々切られています。その点、数少ない"山桜"は花見には見劣りしますが幹も太く丈夫なようですね。今度は"八重桜"です(終)

2010年03月24日

◆人事の季節、悲喜こもごも

真鍋 峰松

この季節、いずれの組織・団体においても定期の人事異動が行なわれる。 様々な噂・憶測が飛び交い、当事者はそれに一喜一憂するというのは毎年のことである。

だが、人の噂話ほど当てにならないものはない。 人事異動は悲喜こもごも。 何千、何万という人間を抱える大きな組織に限らず、例えもっと小規模な組織でも、皆が満足し幸せを感じる異動など100%あり得ない。
 
当人にとって、特に昇格を控えた時期であれば、より「そわそわ度」は高くなる。 異動先によっては家族ともども引っ越しという事態ともなるので大変だ。 だが、その結果は最後まで判らない。

その人事異動。 問題は、大抵の場合、自己評価と、他人とりわけ上司の評価とのギャップが大きいことである。 自己評価の高い人間ほど客観的評価との落差を思い知ることになる。 ただ、この客観的評価自体にも問題が潜む場合が多い。
 
昨今、どこの組織においても幾つかの評価項目を定め評点化している場合が殆どであるが、そもそも人間の適性・才能を評価する側の人間にしっかりした能力があれば良いのだが。 それより自分の部下の能力・成績も指導次第でどうにかなるのだ、という自信を持った上司こそが望ましい。
 
正直、私のような者にとっては、この人事評価一つでこの人間の一生を左右するのだと思うだけでもそら恐ろしく、到底確信を抱くには至らなかった。

ある書物の中で、人事担当責任者の言葉として「各部署から部下を評価した報告書が回ってくるのですが、“部下のここが気に入らないから、異動させてくれ”みたいなことが書いてある。

上司というのは、部下のいいところを引き出すのも仕事のうちだと思っていますから、どこの部署で働けば、部下の能力が生かせるか、そこまで書いてくるように書き直しを要請したこともあります。

それぞれの上司が部下の適材適所を真剣に考えれば、会社全体が活性化されると信じていたので、好き嫌いで評価を下すのは許せませんでした」と記述されていたことを思い出す。 私の経験からしても、至極当然の言葉であろうと思う。

そこで、現職当時に常に心に留め置いた、現代でも十分通用する上司の心得として江戸中期の儒者 荻生 徂徠の言葉に徂徠訓というのがあったので、ここで紹介させて頂く。

1) 人の長所を始めより知らんと求めべからず。 人を用いて始めて長所の現れるるものなり。
2) 人はその長所のみ取らば即ち可なり。 短所を知るを要せず。 3) 己が好みに合う者のみを用いる勿れ。  
4) 小過を咎むる要なし。 ただ事を大切になさば可なり。    5) 用うる上は、その事を十分に委ぬべし。  
6) 上にある者、下の者と才知を争うべからず。
7) 人材は必ず一癖あるものなり。 器材なるが故なり。 癖を捨てるべからず。      
8) かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

もっとも、この徂徠訓も江戸中期という封建制度下のもの。 現代の上司たるもの、とりわけ中間管理層は想像以上に大変なのかも知れない。 
上からと下からの重圧の下、指導が厳し過ぎるとパワハラと疑われ、異動先が当人の意に沿わないと冷酷と言われるそうなのだから。
 
だが、人材以外に頼るべき資源を持たないのが、我われの日本。 その人材を活かすも殺すも適切・妥当な人物評価。 確たる信念を持ったリーダー・管理職達の奮闘を心から望みたい。

2010年03月21日

◆久々の海外旅行

真鍋 峰松

この月の初め、久々に海外へ出かけた。 初体験の海外でのゴルフ旅行である。    

過去には仕事関係や家族との旅行を併せ14〜5回の海外旅行の経験があるのだが、もともとゴルフ目的にわざわざ海外に出かけることも無かろうという意見の私にとって、少々気遅れのする旅行であった。

だが、結果的には思っていた以上の楽しい旅行になった。行き先はハワイ。
 
三泊五日の短い日程ではあったが、同行者の綿密な計画のお陰で、オアフ島観光と二回のラウンド、さらに最終日の夜には大型観光船のサンセット・ディナーという充実した旅行となった。

なお、本稿は、今回の海外旅行を通じ感じた個人的経験・感想を思いつくまま記述してみたのだが、行き先がハワイというあまりにもポピュラーな場所でもあり、お読み頂く方々には何を今さらという内容かも知れない。その点、予めお許し頂きたい。

ハワイ・ホノルル国際空港に着いたのは午前9時過ぎという、時差ぼけによる睡眠不足の状態。 空港や市内へのバス内から受けた第一印象は、想像以上に多く目についた日本人観光客の数。 

二日目にゴルフ場へ案内して頂いた日本人女性(大阪市内都島の出身。在住13年)の説明では、3月初旬は雨季の時期で年間で最も観光客が少ないとのことだが、それでも1日に4000人(累積の滞在客では3倍以上になるだろう)の観光客が訪れており、最忙期にはこの10倍もの観光客が世界中から集まるとのこと。

何処を見ても観光客ばかり。あまり生活臭のしない土地柄である。それも圧倒的に多いのが日本人。

米国本土内の故、当然アメリカ人観光客も多いのだろうが、日本からの多数の新婚カップルや熟年女性のグループ、若い女性グループ、中には祖父母・夫婦・子供の家族づれが多く見受けられ、我々のような熟年男性ばかりというグループは皆無に等しい。 

宿泊したホテルでも同様の客筋だったが、目立ったのが福岡の私立中学生達の集団。 多分修学旅行生だろう。 我々世代からみれば、時代が変わったな〜ということ。         

前回海外旅行の6〜7年前の職場親睦会での韓国旅行や、随分昔の二度のアメリカ旅行時に較べ、まず驚いたのは到着時の入国手続きと手荷物検査の一層の厳しさである。 これには本当に驚かされた。 

米国向け航路ということで、特にテロ対策上の必要性なのかも知れないが、まず、手荷物の大きさ・容量・重量について各段に詳しく制限が設けられ、重量オーバー時の超過料金なども相当高額化していたこと。 

とりわけ、ハワイからの帰国便では、検査にひっかかった多数の日本人観光客が焦りの表情で預け入れ荷物制限23sを少しオーバーした旅行鞄の入れ直しをしているのを見かけた。 

また、ハワイ到着時の入国検査では、全ての外国人客に対して指紋の採取及び写真撮影までも行われるようになっていたこと。 聞くところによると、現在ではこのような措置が外国人客の日本入国時にも行われているとのことである。

また、現在の日本各地の観光地、これはここ大阪でも同様だが、到る所で見られる韓国・中国人のグループや家族づれが予想に反しハワイでは意外と少なかったことで、心斎橋などの繁華街の其処かしこで聴こえる、あの喧しい韓国語や中国語の往き交う風景が少ないことだった。 

だがこれも、多分数年後には、このハワイでも珍しい光景では無くなるのではなかろうか。 恐らくは現在の日本人観光客に入れ替って、いずれ韓国・中国のグループや家族づれがこのハワイを席巻することになるのではないかと思う。

更に、往き帰りのJAL及びアメリカン航空の共同運航の飛行機。 客室乗務員の胸の名札の多くがカタカナなのには驚かされた。 特に帰りの飛行機の客室乗務員たちとは集合場所のアロハセンター前で偶然に出会ったのだが、彼女達15人のうち日本人は2〜3人。 残りの客室乗務員は全て名前がカタカナの女性ばかり。 

彼女たちの会話しているのを洩れ聴いていると、どうやらタイ語のようだ。 しかし、私の知るタイ人のような浅黒の顔色ではなく、色白。 言葉を聞いていなければ、日本人乗務員にしか思えないだろう。 

この事一つからみても、最近の航空会社の経営悪化に伴う効率化への厳しい対応策が窺われる気がした。                                  
所で、肝心のゴルフの成績は如何ということだが、貸しクラブの故とか、折悪く雨に祟られてとか、長時間の座り続けによる持病の腰痛が出たからとか、あれこれ理由を付けるのもお恥ずかしい限りだが、結論は、日本国内のゴルフ場では味わえない異国情緒たっぷりの風景の下、それなりに楽しい経験でしたと申し上げるだけにしておく

2010年02月08日

◆腰の痛みと二人三脚〜私のゴルフ人生〜

真鍋 峰松

        
現在の私のゴルフは年来の腰痛との闘いである。 パターやアプローチ、ボールのピックアップ時に腰を屈めると、時にはビーンと身動きできなる位の激痛が加齢とともに。 元々、30歳過ぎから発症の年代物の腰痛だが、意外とゴルフ好きの中にもこの戦いを続けておられる方が結構多い。
 
もっとも私の場合、後半ハーフのスコアーの悪さを常にこの腰痛のせいにする不届きな人間でもある。                       
ところで、20歳台から始めた多くのゴルファーに比べ、私のゴルフ歴は短い。初めてクラブを握ったのは、と言うより単に手にしたというのが正確なところで、25・6歳の頃。
 
当時大阪市内の都島辺りにあったゴルフ練習場へ同じ職場の先輩に引き連れられて行ったのが最初。先輩の教えに従い7番アイアンを手にしたものの、ボールがクラブに殆ど正確に当たらず、こんな筈はないと焦るばかり。その私を尻目に、隣席の見知らぬ妙齢の女性は100ヤード表示場所にドンドン飛ばしている。

当時腕力自慢の私のボールは渾身の力でぶっ飛ばしても偶に50ヤードの場所へ到達するのがやっとのこと。 悔しさにクラブを放り投げたくなった記憶が今でも鮮明に残っている。

以来、ゴルフとは相性が悪いと思い込み、40歳になるまで一切クラブを手にしたことがなかった。だが、いよいよ40歳代に突入し何か運動を始めなければとの思いと、酒に弱く宴席が苦手な私が先輩・同僚と懇親を深めるにはとの思いから始めたのが、再開の切っ掛けである。
 
我ながら殊勝にも、最初は8月の夏期休暇を利用し、自宅近辺の練習場の教室へ入門。しかし、同門の士は中高年の女性ばかり10人程度。練習途中の休憩時には男一人で会話相手にも困り、こりゃ駄目だと渋る家内を無理やり入門させ、4回程度のレッスンを受けクラブの握り方から始めた。
 
この練習で、初めは7番アイアンで70ヤードの飛距離に過ぎなかったものが、徐々に150ヤード近くに達することを体験して、やはりゴルフは力じゃないナ〜、難しいものなのだと実感した。

その後、心を入れ替え、やれベン・ホーガンがどうの、自分自身のやや肥満体質から同形の尾崎将司のスイングが良い等々とっかえひっかえ色々研究を重ねたものの、その割に成果も上がらず。 遂にはインストラクターの最近の診断では、上半身と下半身の動きがバラバラとの診立て。 
自分自身の診断でも、スポーツは心・技・体のバランスが大事とよく言われるが、この全てのアンバランスが問題で治療不能。 私のゴルフは、もう精神修養の場でしかないとの諦めムード。
                                そして現在、月一のゴルファーとして無駄に年齢だけを重ね、実力不相応のお情けハンディが21。 それも60歳を超えてからというもの、100超のスコアーが常態化。
     
今や、有り余る時間を過ごすための週2回の練習と月1〜2回のラウンドでも一向に上達の兆しが見えず、体重調整の単なる一手段に陥った昨今である。

2010年01月19日

◆歴史は繰り返す

真鍋 峰松

年が明けて、はや半月を過ぎようとしている。 あっという間も無く日が過ぎていく。これは多くの人にとって共通の慨嘆だろう。 

それにしても、現在のこの社会、すべての面で慌ただしい。とりわけ、新聞などの報道を見ていると、政治や経済の世界は絶えず渦を巻いている気がしてならない。本来、世の中に驚天動地の事件なんぞ滅多に起こることもない、と思うのだが。 

「今日もまたかくてありけり。 明日もまたかくてありなむ」、これが私の年令相応の心境ということなのだろうか。

それにしても、あの阪神・淡路大震災から、はや15年。一瞬にして6000人を超える死者を数えた都市直下型地震の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。まさに驚天動地の事件であった。改めて、被害に合われた方々のご冥福と残されたご家族皆さんのご奮闘を心からお祈りしたい。
                           
さて、目下、マスコミの焦点となっている小沢、鳩山氏の政治資金がらみの事件。 日々報道される内容以外に詳細を知る術など持たないのが我われ。事の真偽のほども全く解らないが、古今東西、政治に金は付き物。政治活動に多額の資金が必要とされるのは自明の理。 従って、私は政治がらみの資産形成も、度を越さない程度なら、よしとする。     
だが、肝心の為政の志だけは失って欲しくないものだ。いつの時代であろうと、政治家の原点になるのではないか。政治家だけではない。各界のリーダーすべてについて、それぞれの志が望まれるのである。そうでないとリーダーとしての説得力が出てこない。      

その折も折、ある書物に書かれていた言葉に共感を覚えた。それは、後漢時代から三国志の時代にかけての人物、荀悦(献帝の侍従兼政治顧問)が政治の根本とその得失を論じた「申鑒(しんかん)」の中の言葉で、                             「政を致すの術は、先ず、四患を屏(しりぞ)く」と。              
四患とは、「偽私放奢」のことで、
「偽」とは、二枚舌、公約違反のたぐいである。
「私」とは、私心、あるいは私利私欲を意味している。
「放」とは、放漫、節度のない状態を指している。
「奢」とは、贅沢、ムダ使い、あるいは心の驕りである。           
まさに、混沌とした現下の政治情勢にピッタリの言葉ではないか。

鳩山、小沢の民主党両首脳が置かれている厳しい状況は、この四患の全て、乃至、そのいずれかに該当する恐れ十分有り、と言わざるを得ない。 (完)
                      <評論家>2010.01.18