2008年07月22日

◆微妙な関係?日中韓

<本稿は、全国版電子雑誌・渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」7月22日(火)号に掲載されました。同上欄をご覧になりたい方は 下記からお手続ください。
    http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/
                     

眞鍋 峰松
   
近年になって、日本と中国・韓国の間で一大外交戦争が起こっている。
 
重要なのは、それが外交という昔ながらの国家と国家との間の政治問題
というより、国民と国民との間・国民の感情間の紛争の観・匂いがする
ことである。
 
この紛争も、特に平成17年の戦後60年という節目に起こった国連改革
問題、とりわけ日本の安保理常任国入り問題が両国国民の反発を呼び、
靖国参拝、領土問題等、戦後処理を巡る微妙な取り違いが一層顕在化し
てきた故であろう。 

何よりも世代交代が進む日本人側の、両国はいつまで謝罪と賠償を要求
し続けるのかという嫌悪感と、過ぎ去ったと思い込んでいた戦争と戦後
処理に関する意識を巡る感覚の変化が、一層明確化してきたということ
なのだろう。

考えると、我々60歳代超の世代の人間はどこかに、少なくても今次大
戦を引き起こした国としての責任と、両国に対し一方的に多大な迷惑を
かけたという歴史感覚を有していることは間違いなかろう。

しかし、現在の社会の中核をなす50歳代以下の世代の人達はそうではな
い。 日本が世界の経済大国化し、世界からの驚異と羨望の下におかれ
てきた状況下で成長し、この両国に対しても世界に誇る経済力を利用し
た経済援助を続けてきたではないか、という免罪意識の方が強い世代だ
と言えるのではないか。 

このことが、戦争被害を歴史的事実として継承し続けてきた両国中核世
代の感情とのぶつかり合いとなって、剥き出しの国民感情の衝突となっ
た、と思う。

「文化の交流こそが大事だ」と、よく言われる。だが、それは、常に一
方通行ではなく、相互的なものである。日本・中国・韓国の間でも同じ
こと。

例えば、漢字が中国・韓国から日本へ伝わったことや、儒教・仏教など
多面的に文化が両国から日本へ伝わり、日本文化の成立に大いなる影響
をもたらしたことは歴史的事実である。 

だが、漢字一つを考えても、これはある書物からの受け売りだが、近代
以降、逆に日本が作った「新造語」が、日本から中国に相当数逆輸入さ
れたことも事実だ。 

例えば、経済、宗教、信用、手続、目的、代表、現金、譲渡、学校、検
査官、法人、支配、哲学、理想、新聞、図書館、計画、金融、交通、会
話、反対、義務、損害賠償、・・・・。 
  
「化」という字をつけて、形や性格、変更を表す言葉・言い方も日本語
からだ。また、形式的、科学的という「的」も日本からの逆輸入である。
 

かつて清の末に膨大な新名詞(新造語)が日本から流入したので、「新
名詞」を使用しないようにと命令しようとしたところ、「名詞」そのも
のが立派な新名詞だという笑い話があるほどだと聞く。

また、孫文の革命運動も初めは「造反」と称していたのが、日本からの
「革命」の単語の方が新鮮で良いと言って、以降「革命」と名付けた、
とのことだ。
   
何も私は、だから日本文化が上であるとか、優れているとか、主張して
いるのではない。このようにお互いの文化が相互に影響しあい、世の中
が変っていくのが文化の交流であり、グローバル化なのだということ、
両国がよく日本批判・排斥の決まり文句として言う文化侵略といったも
のでもない、と言いたいだけである。
   
お互いの文化の違いを認識し、相手の文化への理解の上に立って、初め
て「友好」が成り立つ。本来の日・中・韓の文化・習慣の違いや戦後日
本の変化を無視し、この無視の上に立ってまた大きな誤解、歪曲を量産
して、悪循環を繰り返すようでは、到底真の友好など夢のまた夢となっ
てしまう。

その一例が、靖国参拝問題に対する単なる政治駆け引きだけではない、
根本的感覚差として現れたのであろう。
   
今後、中国の民主化が進み、西洋式の民主主義・市民文化を理解・経験
しない限り、真の友好は難しいのではないか。

また、韓国についても、その極端な自民族優位主義(エスノセントリズ
ム)意識を払拭しなければ、難しいのではないだろうか。誠に残念なこ
とである。 (完)08.07.20 (評論家)

◆全国版電子雑誌・渡部亮次郎氏主宰の(「頂門の一針」22日号・目次)
・派遣社員10年の実態:内田一ノ輔
・アフリカの盗まれ放題:平井修一
・国の対応は何事にも遅すぎる:毛馬一三
・ 微妙な関係?日中韓:眞鍋峰松
・ 冷奴も味噌も外国頼み:渡部亮次郎

  話 の 福 袋
  反     響
  身 辺 雑 記           
 



2008年06月20日

◆65歳の想い (続編)

眞邊 峰松

前編の「65歳の想い」の締めくくりを 「残された人生を、できることなら、かく生き貫きたいものである」と綴り、後編に委ねた。 

しかし、実際そう書いてみても、これまでの過ぎ去った人生において、これにほど遠いのが実感ではある。

そこで、これまで読破した文章の中で、この私の「想い」に通じた三篇の文章を、以下紹介したい。 

◆紀野一義氏の文章

「 男というものは、どういう生き方をするものなのか、あなたもよくよく性根をすえて、見据える必要がある。 男なんだから、一生、男でありたい。 いつも第一線の男でありたい。 
くよくよせず、うじうじせず、壮快に、壮大に、せいせいして生きたい。 これぞ男の一生、というような生涯を生きたい。

そうでなくては、成仏できない。 私は死ぬまで男でありたい。 最後の最後まで男であるべきで、もはや男として用をなさなくなってからも生きたいとは、さらさら思わない。 何とも痛快ではないか。 

要するに、自分が、ほんまになることだ。 にせものはいかん。 ペテンもいかん。 てんぷらもいかん。 ほんまもんでなくてはいかん。 男なら、言い訳なんぞせず、手を抜いたりせず、威風堂々と行く。 飯もぱくぱくとやる。 勝ったら勝ったでいい。負けたら負けたらでいい。 

ろくすっぽ殴り合いもせんくせに、相手の悪口ばかり言いまくるけちな日本人にはならんこと。 人間、どうせ生きるのなら、さわやかに、気持よく生きたいものである。 少々だらしないところあれども、大勢の人間が喜んでくれるような存在でありたいものである」。               

◆森本哲郎氏の文章

「 古来、インド人は人生を四期に分けて送ってきた。 第一期は「学習期」。 第二期が「家住期(勤労期)」。 第三期が林住期(ゆったりとした老後を送るために町を離れ、静かな森の中にささやかな住まいを設けて、そこで思索や瞑想の日々を送る)。 最後に「遊行期」(夫婦で聖地を巡礼。なにがしかの貯えがあれば、老後の楽しみの旅行)。
     
自ずから日本人の人生も四期を成しているように思われる。 しかし、私はもっと意識的に、もっと積極的に人生の四期を考えてはどうかと思うのだ。 そうすれば、各期それぞれに生きる目標が与えられるし、人生の設計も容易になろう。 しかも、生活にはっきりとケジメがつく。 現代人の不安は、実は生活にケジメのないところから来ているのだ。 

いつまで働いたら良いのか、老後をどのように暮したらいいのか、何歳ぐらいから老人になるのか、そうしたあいまいな人生行路が人々をいつまでも落ち着かせないのである。 人生にとって何よりも大切なのは、如何に生くべきか、をしっかりと見定めることである。 それに解答を与えるためには、人生に節目を設けなければならない。 

『人の一生は重き荷物を背負いて 遠き道を行くがごとし』と徳川家康は言ったが、そんなふうに人生をだらだらと歩むのは何ともやりきれないではないか。 重い荷を背負って汗水たらしながら生涯を歩み続けねばならないとしたら、ものを静かに考えたり、生活を愉しんだりする暇も無く一生を終えねばならない。 

貧しい時代ならそれは已む得ないことだったのかも知れないが、これからの日本の社会は、一昔前とは比較にならないほど豊かなのである。 私たちはこのへんで、あらためて生き方を学び直すべきではなかろうか。
  
蕪村の句「かぎりある 命のひまや 秋のくれ」 彼はふと絵筆をとめて、秋の夕暮れ、「かぎりある命」に思いを寄せたのである。 私は、人生とは、このように、自分の生き方を噛みしめることだと思う。 どんな人も、そのような命のひまに、自分を見出すのだ。 人生でもっとも大切な時間とは、そうした「命のひま」と言っていいだろう。 だから、私もそんな時間を持とうと努めてきた」。                     
 
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2008年06月16日

◆65歳の想い 

                     眞邊 峰松

平成20年3月31日は、私の満65歳の誕生日である。 いつの頃からか、多分50歳代後半だろうと思うのだが、男としての人生は65歳。それを過ぎれば、いつ死んでも心残りはないと思い、過ごしてきた。

こう考えた当時の私は、男としての最盛期。 その後、己に与えられた職責も周囲の人々に支えられ、自身の能力・才覚以上に無事役割を果たし終え、第一線を去った。 

60歳を越える年齢に到って、新しい仕事に就き、時には食事や会話を共に楽しめる美しい若い女性達にも恵まれ、己のみの錯覚だったのかも知れないが、おおむね順風満帆の人生の道程。 

人生一寸先は闇とよく言われるにも拘わず、傲岸不遜なこの想いも、その余りの有頂天ぶりの現われだったのだろうか。 これらも、今となっては、まさに一場・一幕の夢・まぼろしとしか思えない。 

振り返れば、50歳を超える頃から、5歳刻みで、己の肉体的変化を気付かされた。 通常、人間なら55歳でそろそろ「定年という人生の社会的終焉」を意識させられるようになり、いよいよ60歳で社会の第一線からの引退という段取りを。そして65歳では人としての散り際を意識するもの。
   
私も、8年前に部長職を最後に退職して以来、終始身辺を彩った人達を徐々に失い自尊心への翳りを自覚するという現実に、65歳を目前にまさに男としての散り際になり、己を見失い、己の寄る辺に迷うという悲嘆を味わう結果となった。 

その上、今回の府知事選後、想像を超えた大阪府庁の混乱ぶりに、最大の社会的関心事である府政への興味・一体感をも一挙に失ってしまった。 

あれやこれや、まさに無気力・無関心の極みと言うほか無く、今後如何に最後の人生の残り花を咲かせるか、残り火を燃え尽きさせるか、今、その苦悩の中、まさに煩悩の渦の中にある。

それも、気がつけば既に65歳。 一層の体力の衰えにも気づかされ、遂に前期高齢者の仲間入りを意識せざるを得ない。

 幸い、家庭内ではそれなりに安穏の日々を過ごさせ頂いている。 眼前の苦悩の中で、一方では自己喪失を招来しかねない生来の脆弱さ・煩悩を常に自覚していた故に、これら諸々の悲感も私にとって何らかの意味ある試練と、何かに守って頂いているお陰をも同時に感じ取りながら、少なからず感謝の日々でもある。 

考えれば、往時の喜び楽しみ、辛さ苦しさも一瞬のこと、これら全てが人生の糧・薬味であったと後々において思い知らされるいうことなのだろうか。きっと、それに違いない。

はるか昔、1227年、かの大蒙古帝国の創設者チンギスハン・テムジンは、少年の頃、天山の山頂に登って「我に六十五年の天寿を貸せ」と祈ったそうだ(司馬遼太郎)。 

まさに、私もその年齢である。 果たして我は、これまでその覇気の一片でも持って生きてきたのかどうか。 今更ながら、現状を自ら省みて、己に問うも恥ずかしい限りである。

それにしても、板村真民氏の詩の中の、次の一節が私の心に迫ってくる年頃になった。

恐ろしいのは平凡、安定、妥協、安価な幸福
どんなに生きてもあと二十年   惜しまれるのは今日の一日
しかし ああ今日も無為に暮れてしまった

・・・・・・・・・・・・・・・・ 
よい本をよめ          よい本によっておのれを作れ
心に美しい火を燃やし      人生は尊かったと叫ばしめよ

同時に想い起こすのは、呂新吾 (呻吟語)の次の言葉―。
老いるは嘆くに足らず  嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり


残された人生をできることなら、かく生き貫きたいものである。(次回へ)

2008年02月14日

◆公財政を揺るがす「抗し難い圧力」

眞邊 峰松

私は、本欄で、<特に大阪のように本来豊かな税源を持つ地域でも、現行税配分方式ではその多くが中央に吸い上げられ、辛うじて地方交付税の配分で息を繋いでいる情けない実態>と書いた

更に、<大阪の地盤沈下が叫ばれて久しいが、この主原因は在阪企業の利潤中心の東京移転ではなかったのか、果たして府なり大阪市の力でこれら企業の東京移転を阻止できたのか、これら民間企業経営者の本音の意見を聞きたいところだ>とも指摘した。

その上で、<今後日本経済の復元に成功したとしても、結果的には国と東京の一人勝ちとなり、大阪の地盤沈下が一層明白になり、府下の公財政の改善を求められたとしても、制度の抜本的改革なしには、一歩も進まない実態が明らかになると思われる>と警鐘を鳴らした。

そこで、改めて私の考えを述べてみたい。私も、かっての府下公財政のあり方を決して是認するものではない。例えば、平成17年秋以降の大阪市の職員厚遇や第三セクターの相次ぐ破綻処理問題、平成18年春から次々と明らかになってきた同和行政を巡る乱脈経理。あらゆるところに蔓延する談合体質。

これらは明らかに公財政のあり方を根底から揺るがすものだ。 ただ、私の経験から言えるのは、その背景には、自己の利権と集票のみに関心を持つ低劣な議員、政治分野にのみ存在感を誇示し、真の公正妥当な職員福利の増進を無視してきた労働組合、人権擁護を表看板に有形無形の、抗し難い圧力の下に進められてきた諸団体の活動があったことも事実だ。 


当然担当部署は、それらの圧力に屈することなく公務員本来の全体の奉仕者として踏ん張るべきであったろうと思う。そこが社会の指弾の的になっているのだろう。  
しかし、その彼らを支えるべき議会・マスコミ・警察権力はどこにあったのか、眼を向けていたか。否、全く無かった。

逆に、寧ろ問題の糊塗を進める要因の一つだった、いうのが実態だったであろう。 梯子を登って後ろを振り返れば、誰も続く者とてなく、猪武者扱いされるのが関の山。 全体として、決して褒められた実態ではなかったと確信している。

果たして行政と公財政を取り巻くこのような複雑怪奇な実態を知らず、地方行政に対する見識・胆識をもお持ちとは些かも思えない特定人物を重宝がること自体が、果たして良いのだろうか、正しいのだろうか、と疑問を持たざるを得ない。 単なるパフォーマンス・綺麗事で終わるなら、長期的・最終的に被害を蒙るのは住民・国民ではないか。

まぁ、そうは言っても、民間でもOBとなられた人物で、企業経営から相当期間離れられ、その後色々な経験を重ねられた上で、大所高所から言われることなら、とは思う。 とりわけ行政の弱点である最小コスト・最大効果という点で民間知識を生かしていくのが効果的だとは考えないことではない。

しかし、正直、それでも長い期間に養われた視野、当該問題に対する現実や関わる裾野まで見渡せる経験・知識という点では、一般的には自治体職員OBの中の優れた人材と比べて、果たしてどうだろうか。

卑近な例でも、大阪府のりんくうタウンや大阪市の大阪湾埋立地の事業への批判。世の非難はその見通しの悪さを批判の的にしている。 これらは明らかに土地神話やバブルの崩壊によるものだ。 

現時点に立てば、これらを第三者の目で批判・非難することは簡単だが、私の目から見れば、これらの埋め立て事業自体は海面から新しい国土を生み出したという意味で、土地投資に対する安易な融資による金融危機と、同列に扱われることに抵抗を感じる。 

もっと長期的に考えれば、無から有を生み出したという評価だって有り得るのではないだろうか。 過去の責任を追及するばかりというのもどうか、と思う。 

大阪市、大阪府に新しい首長があいつで誕生した。今後、将来の大阪のために、思い切った施策や投資を立案し、実行するかどうか疑問が湧いてきて、背筋が寒くなる。

2007年10月15日

◆メディア自体の信頼性 如何?

眞邉 峰松(行政評論家) 

残念ながら、我々一般人の知る情報は、マス・メディヤが一方的に流すものにしか接する機会意外に無い。 

確かに、現在の日本社会は全体として改革・革新を進めなければ、日本の進路も袋小路に陥る時期にあると思うが、注意しなければならないのは、マス・メディアの世界もまた例外ではないということである。 

逆に、第四の権力とも呼ばれるその影響力から言えば、改革すべきと思われる中で最も大事な部分は、このマス・メディアであろう。

ここで、私はマス・メディアという用語を使い、ジャーナリズムという言葉を使用していない。 

私が敢えて“マス・メディア”というのは、むしろ“マス”つまり大量の・大衆向けの、という意味を込め、社会の警鐘者たることを期待する“ジャーナリズム・リスト”とを区別したい、が為である。 その故、“ジャーナリズム・リスト”には、ある書物にあった次の言葉を呈したい。

   
「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。

ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる。 」

一方、情報をマス・メディアに頼らざるを得ないわれわれ一般の庶民は、いかにマス・メディアの一方的情報伝達に対処すべきか。残念ながら、我々には個々の情報の信憑性を確かめる術を持たないので、当該メディア自体の信頼性如何に頼らざるをえないだろう。

現在の情報過多の世相の中では、次の文章の示唆する意味を十分踏まえていく必要があると思う。
    
「 音楽の情報量は、s/nと表す。Nはノイズ、Sはシグナル、つまり、音楽の発するシグナルを大きく聴き取るためには、シグナルが大きく聞こえることも大事だけれども、ノイズが少ないことが大事だというわけです。

だから、情報量をたくさん取るということは、Sを大きくすることも大事だけれども、Nを小さくすることが大事、余計な情報がどんどん入ってくると、肝心な情報のウエィトが小さくなってしまう。 

情報についても、“省く”ということを考えなければならないということだと思う。 何でも知っていたり、何でも早く読む必要はない。そうすると、Nがいたずらに大きくなることになるでしょう。日本には「耳を澄ます」という言葉がそういうことでしょう」。 (完)




2007年09月19日

◆公財政を揺るがす「抗し難い圧力」

眞邊 峰松(行政評論家)

私は、本欄の前号で、<特に大阪のように本来豊かな税源を持つ地域でも、現行税配分方式ではその多くが中央に吸い上げられ、辛うじて地方交付税の配分で息を繋いでいるという、情けない実態だ>と書いた

更に、<大阪の地盤沈下が叫ばれて久しいが、この主原因は在阪企業の利潤中心の東京移転ではなかったのか、果たして府なり大阪市の力でこれら企業の東京移転を阻止できたのか、これら民間企業経営者の本音の意見を聞きたいところだ>とも指摘した。

その上で、<今後日本経済の復元に成功したとしても、結果的には国と東京の一人勝ちとなり、大阪の地盤沈下が一層明白になり、府下の公財政の改善を求められたとしても、制度の抜本的改革なしには、一歩も進まない実態が明らかになると思われる>と警鐘を鳴らした。

そこで、改めて私の考えを述べてみたい。私も、かっての府下公財政のあり方を決して是認するものではない。例えば、平成17年秋以降の大阪市の職員厚遇や第三セクターの相次ぐ破綻処理問題、平成18年春から次々と明らかになってきた同和行政を巡る乱脈経理。あらゆるところに蔓延する談合体質。

これらは明らかに公財政のあり方を根底から揺るがすものだ。 ただ、私の経験から言えるのは、その背景には、自己の利権と集票のみに関心を持つ低劣な議員、政治分野にのみ存在感を誇示し、真の公正妥当な職員福利の増進を無視してきた労働組合、人権擁護を表看板に有形無形の、抗し難い圧力の下に進められてきた諸団体の活動があったことも事実だ。 

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2007年08月02日

◆「なんでも民間」に疑問 

                                                   眞邊 峰松(行政評論家)

私の年来のマスコミに対する不信感・大衆迎合体質への嫌悪感が一層増大してきた。 果たして、国家百年の将来を考えるべき時期に、本筋の議論と離れ、質的には枝葉末節の問題に国民を巻き込んで彼らの主張が、“社会の木鐸”、“オピニオンリーダー”の役割というのは、どこに存在するのだろうか。

私も、必ずしもマスコミ人の全てが、課題を単にワイドショー的に取り上げてばかりいるとまでは言わないが、もう少し冷静・客観的に問題を整理し報道するべきだと考える。

ところで、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者である」とは、ある書物の言葉。 同書でこんな話が続く。

「ナポレオンの脱出記を扱った当時の新聞記事である。幽閉されていたナポレオンがエルバ島を脱出した。兵を集めて、パリへ進撃する。

パリの新聞がこれを報道する。その記事の中で、ナポレオンに対する形容詞が、時々刻々に変化していく。 最初は“皇位簒奪者”。 次いで“反乱軍”〜“叛将”〜“ナポレオン”、 やがて“祖国の英雄”。 そして、ナポレオンがパリに入城した時には、一斉に“皇帝万歳”の記事で埋められた。オポチュ二ズムとセンセーショナリズムのマスコミの実態が浮き彫りにされている」。 まさに、その通りだという感がする。


少々議論が飛躍するが、私は基本的に今の“何でも民間”の風潮に反対だ。私自身の体験から言っても、国の役人の省益あって国益なし、自分たちの徹底的な権益擁護には、実は本当に癖々した。 まさに国を誤る輩だ、何とかならんのか、という気分にもなった。

しかし、国家公務員というに相応しい立派な人士をも身近に知る私としては、少々誤弊のある言い方かも知れないが、敢えて言えば、こと“志”という点においては、真に心ある役人に比し得る民間人は、そう多くなかろうとも思う。
 
これも個人資質・能力というよりは、やはり、退職までの30年を超える永年の職務経験、職責の持つ私自身に染み込んだ体質的なもの、職業の匂いのようなものかも知れない。
  
私には、特にかっての余裕ある民間経営の時代ならともかく、現下の利潤一点張り、効率一点張りの時代に、現役の企業人で、常日頃から“公益とはなんぞや”の視点から物事を考察したことがある人物が、そう数多いとはとても思えない。

とりわけ、最近の風潮となっている企業利益の増加のみに邁進し、その過程で中高年の自殺者の激増など、社会不安を増幅してきたリストラを闇雲に推進してきた企業経営者を見るにつけ、その観を否めない。 

このような中で、果たして、現在のマスコミの論調のように“何でも民間人登用”“何でも民間感覚”ということが果たして正しいのだろうか。                          (了)