2009年11月23日

◆最近の風潮に思うこと(その二)

真鍋 峰松

<主宰者より:真鍋 峰松氏寄稿の「最近の風潮に思うこと」(その三)を、(その二)より先に掲載してしまいました。お詫びいたすと共に、(その二)を本日掲載致します>。

今年7月29日、肺炎のため101歳でお亡くなりになった松原泰道師は、私が心から敬愛し、私叔する仏教家のお一人である。

 同 師の説かれるところには、我われ凡人の機微に触れること多く、限りない人間への愛情に満ちた言葉が多い。

それこそ数多ある著書の一つである「迷いを超える法句経」は、真に平明にして、教えられるところの多い本であるが、その中で「こころこそ こころ迷わす こころなれ こころにこころ こころ許すな」との詩句が引用され、愛と憎しみの意(こころ)が理性に勝ち過ぎ、感情が狂うと眼まで曇るものです、と説かれている。
 
そのことを故亀井勝一郎氏は、「言葉は、心の脈拍である」、松原師は「言葉は、心の足跡である」と表現されている。 

真に人間の健康状態は其の人の脈をみれば判るように、其の人の心が病んでいるかどうかは其の人の言葉を聞けばたちどころに判断できる、其の人の言葉を聞いているうちに、次第に其の人の心の足どりが微妙に感じられてくるものだ、との教えである。 

また、同師は、寒山詩からの引用として「心直ければ出づる語も直し、直心に背面なし」と。 

世間は直心からでる直語に反感を持ちやすい。世渡りに賢明な現代人はもちろん直心から出る直言を避ける。しかし、現代最も大切なのは、背面無き直心から発せられる直言の叱責であろう。それが実るには他者に成り切る愛情の涵養である、と説かれる。

私は、これらいずれも、ギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの現在の政治や社会への、惜しくも逝去された恩師からの遺言・直言と受け止めたい。  合掌。
(評論家)

2009年11月22日

◆最近の風潮に思うこと(その三)

真鍋 峰松

昔、学校で国会を「言論の府」、特に参議院は「良識の府」と呼ばれると教わった遠い記憶がある。だが最近では、私には、その言い回しが如何にも虚しいものに聞えてくる。 

そこで見られるのは、出し入れ自由自在のご都合主義で、論戦にはほど遠いお互いの尊厳を損じ合う罵詈雑言に近いものまで見受けられる。いつの時代からこんな風になったのだろうか。 

言葉一つで相手を殺すことだってできる。本来、それほどの力を持ったものが、言葉である。そんな言葉であるから、無責任なものであって良い筈がない。まして国会という、これ以上ない公開・公式の場ではないか。
 
国会(帝国議会)の第一回開会は明治23年(1890年)のことだから、国会論議も約110年の歴史を刻んできた。 その歴史の中では、それこそ生死を賭けた言葉のやり取りは、多々ある。 

昭和12年第70回帝国議会での浜田国松衆議院議員(政友会)が行った軍部の政治干渉を攻撃する演説を巡る、時の寺内寿一陸軍大臣との有名な「腹切り問答」、昭和15年第75回帝国議会での斎藤隆夫衆議院議員(民政党)の軍部批判演説など、当時の世相の下では生死を掛けた発言であったろう。
             
道元禅師の正法眼蔵には「愛語 回天の力あり」という言葉がある。 

分かりやすく言うと「思いやりのある言葉は、人を変えていく力がある」ということのようだ。 

また、中国古典の漢書(劉向伝)には有名な「綸言 汗の如し」つまり、出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いことを意味する言葉もある。 斯様に、古くから言葉の重みを強調する警句は数多い。

さらには、老子には「多言なれば、しばしば窮す」、荘子には「大弁は言わず」と多弁の愚を戒める警句すらある。
 
それに較べて、最近の・・・、と一々並べ立てるのも野暮というものだろう。 だが、こと、国会や閣僚に限らず、今やマスコミの寵児と化した大阪府橋下徹知事にも言葉を重要視しない言動が多々見受けられるのも、如何にも真に遺憾なことである。(完)
                       <評論家> 09.11.22


2009年11月09日

◆最近の風潮に思うこと

真鍋峰松

最近の日本の風潮は、国会論議やマスコミ論調を見聞きするにつれ、政治の面でも、社会面でも、“いい””悪い“という単純な両極端に焦点をしぼって対決を迫るというか、結論を押し付けようとする空気が強く感じられ、国民も風になびく葦のごとく右往左往する。
 
目下の焦点となっている日米外交における沖縄基地移転問題、明石海岸での人身事故やJR西日本の列車脱線事故に関する責任問題・・・の如く。 私の独断かも知れないが、どれをとっても理性的でない、感情的な二者択一的な議論ばかりのように思われて仕方がない。 

何でも寄せて二で割る式の曖昧主義・中道主義が良いというのではないが、問題を両極端に絞って対立させ、その良し悪しを定めるやり方は決して現実的ではない、と言いたいのである。

あえて言えば、“いい””悪い“をはっきりさせ過ぎるような世の中は、窮屈でもあり、不健全だということになるのだろう。 実際には、“いい””悪い“を極めつけられないグレーゾーンの部分があることが現実でもあり、もともとその幅の中をゆるやかに往還するのが生活であり、政治でしょう、と。 

古来より、日本人は、思想や宗教に縛られることのきわめて少ない体質で、そういう人々が豊かさと苛烈さをともに齎す風土の中で融通無碍に生きてきた、と言われる。それが“日本民族は農耕民族”論の教えるところではなかったか。

それに反し、どうも今の風潮は、全般的にあまりにも自分自身を省みず、他人を責めることに急に過ぎるのではなかろうか。 
<評論家>


2009年09月24日

◆儚い花「月下美人」

眞邊峰松


少し涼しくなってきましたが、お変りありませんか。

残暑お見舞いの代わりに我が家で咲いた「月下美人」の写真をお送りします。 

一枚目は一昨日の夜11時半、二枚目は同夜12時半の写真です.

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実物は真っ白な花弁で、葉っぱの中頃から花の茎が出てきて、このような見事な花を咲かせます。 

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ご存知とは思いますが、「月下美人」は夜に咲き、一夜で萎んでしまう儚い花です。 

人の人生にも似た何とも儚い夢のような花。 

朝に見ると、本当に萎れて、閉花していました。(完)

2008年12月18日

◆65歳の想い (2)

                眞邊 峰松

本欄(20年に同上の題で振り返れば、50歳を超える頃から、5歳刻みで、己の肉体的変化を気付かされた。 

通常、人間なら55歳でそろそろ「定年という人生の社会的終焉」を意識させられるようになり、いよいよ60歳で社会の第一線からの引退という段取りを。そして65歳では人としての散り際を意識するもの。
   
前回の「65歳の想い」の締めくくりで 「残された人生を、できることなら、かく生き貫きたいものである」と書き、後編に委ねた。 

しかし、そう書いてみても、これまでの過ぎ去った人生において、これにほど遠いのが実感ではある。

そこで、これまで読破した文章の中で、この「想い」に通じる三篇を紹介してみたい。 

<◆紀野 一義の文章>
「 男というものは、どういう生き方をするものなのか、あなたもよくよく性根をすえて、見据える必要がある。 男なんだから、一生、男でありたい。 いつも第一線の男でありたい。 
くよくよせず、うじうじせず、壮快に、壮大に、せいせいして生きたい。 これぞ男の一生、というような生涯を生きたい。

そうでなくては、成仏できない。 私は死ぬまで男でありたい。 最後の最後まで男であるべきで、もはや男として用をなさなくなってからも生きたいとは、さらさら思わない。 何とも痛快ではないか。 

要するに、自分が、ほんまになることだ。 にせものはいかん。 ペテンもいかん。 てんぷらもいかん。 ほんまもんでなくてはいかん。 男なら、言い訳なんぞせず、手を抜いたりせず、威風堂々と行く。 飯もぱくぱくとやる。 勝ったら勝ったでいい。負けたら負けたらでいい。 

ろくすっぽ殴り合いもせんくせに、相手の悪口ばかり言いまくるけちな日本人にはならんこと。 人間、どうせ生きるのなら、さわやかに、気持よく生きたいものである。 少々だらしないところあれども、大勢の人間が喜んでくれるような存在でありたいものである」。               

 ◆森本哲郎氏の文章

「 古来、インド人は人生を四期に分けて送ってきた。 第一期は「学習期」。 第二期が「家住期(勤労期)」。 第三期が林住期(ゆったりとした老後を送るために町を離れ、静かな森の中にささやかな住まいを設けて、そこで思索や瞑想の日々を送る)。 最後に「遊行期」(夫婦で聖地を巡礼。なにがしかの貯えがあれば、老後の楽しみの旅行)。
     
自ずから日本人の人生も四期を成しているように思われる。 しかし、私はもっと意識的に、もっと積極的に人生の四期を考えてはどうかと思うのだ。 そうすれば、各期それぞれに生きる目標が与えられるし、人生の設計も容易になろう。 しかも、生活にはっきりとケジメがつく。 現代人の不安は、実は生活にケジメのないところから来ているのだ。 

いつまで働いたら良いのか、老後をどのように暮したらいいのか、何歳ぐらいから老人になるのか、そうしたあいまいな人生行路が人々をいつまでも落ち着かせないのである。 人生にとって何よりも大切なのは、如何に生くべきか、をしっかりと見定めることである。 それに解答を与えるためには、人生に節目を設けなければならない。 

『人の一生は重き荷物を背負いて 遠き道を行くがごとし』と徳川家康は言ったが、そんなふうに人生をだらだらと歩むのは何ともやりきれないではないか。 重い荷を背負って汗水たらしながら生涯を歩み続けねばならないとしたら、ものを静かに考えたり、生活を愉しんだりする暇も無く一生を終えねばならない。 

貧しい時代ならそれは已む得ないことだったのかも知れないが、これからの日本の社会は、一昔前とは比較にならないほど豊かなのである。 私たちはこのへんで、あらためて生き方を学び直すべきではなかろうか。
  
蕪村の句「かぎりある 命のひまや 秋のくれ」 彼はふと絵筆をとめて、秋の夕暮れ、「かぎりある命」に思いを寄せたのである。 私は、人生とは、このように、自分の生き方を噛みしめることだと思う。 どんな人も、そのような命のひまに、自分を見出すのだ。 人生でもっとも大切な時間とは、そうした「命のひま」と言っていいだろう。 だから、私もそんな時間を持とうと努めてきた」。                     
 
◆(再)森本 哲郎氏の文章
「 思えば、年を取るということは、何と難しい行であることか。 すでに老境に入った我が身を省みて、つくづくそう思う。 人生とは、いかに年を取るに懸かっている、と言ってもいいのではなかろうか。
      
老年にとって何より必要なのは、老人としての自覚を持つことだ、と私は思う。 しかし、問題はどのような老年の意識か、ということだ。 誰もが、それを自分で作り上げなければならない。 別言するなら、自分はどのような老人になるかが人生の目的なのである。 何故なら、その向こうには、死があるだけなのだから。
      
では、老年はいつから始まるのか。 それも自分で決めたらいい。 老境とはキケロの言によれば、「精神や肉欲や野心や拮抗や敵意や、その他あらゆる欲望の、例えて言えば、兵役の義務を遂げ果たして、精神独自の境に入り、独自の生活を営む」ことのできるようになった時期である。 

当然、そこには貴重な閑暇があり、静寂があり、平安がある。 これが肉体の衰えを補って余りあるのだ。 老年とは収穫期である。 人生の途上で自分が蒔いてきた種子を自分で刈り取る季節である。 その収穫は「以前に既に贏(か)ち得た幸福を追憶する事と、その幸福を豊かに享有する事」に他ならない。
     
キケロより400余年前に生きた孔子は「五十にして天命を知る」といい、「七十にして、心の欲する所に従えども矩を越えず」と語った。 私は、この二十年こそが人生の真骨頂であり、それ以前は、そのためにあると言ってもいいような気がする。 人生の収穫は、まさにこの段階で、静かに、安らかに、愉しく享受できるはずだからである」。  
 以上<再掲>




2008年12月17日

◆65歳の想い (1)

                 眞邊 峰松

平成20年3月31日は、私の満65歳の誕生日である。 
いつの頃からか、多分50歳代後半だろうと思うのだが、男としての人生は65歳。それを過ぎれば、いつ死んでも心残りはないと思い、過ごしてきた。

こう考えた当時の私は、男としての最盛期。 その後、己に与えられた職責も周囲の人々に支えられ、自身の能力・才覚以上に無事役割を果たし終え、第一線を去った。 

60歳を越える年齢に到って、新しい仕事に就き、時には食事や会話を共に楽しめる美しい若い女性達にも恵まれ、己のみの錯覚だったのかも知れないが、おおむね順風満帆の人生の道程。 人生一寸先は闇とよく言われるにも拘わず、傲岸不遜なこの想いも、その余りの有頂天ぶりの現われだったのだろうか。 これらも、今となっては、まさに一場・一幕の夢・まぼろしとしか思えない。 

振り返れば、50歳を超える頃から、5歳刻みで、己の肉体的変化を気付かされた。 通常、人間なら55歳でそろそろ「定年という人生の社会的終焉」を意識させられるようになり、いよいよ60歳で社会の第一線からの引退という段取りを。そして65歳では人としての散り際を意識するもの。
   
私も、8年前に大阪府庁部長職を最後に退職して以来、終始身辺を彩った人達を徐々に失い自尊心への翳りを自覚するという現実に、65歳を目前にまさに男としての散り際になり、己を見失い、己の寄る辺に迷うという悲嘆を味わう結果となった。 

その上、今回の知事選後、想像を超えた大阪府庁の混乱ぶりに、最大の社会的関心事である府政への興味・一体感をも一挙に失ってしまった。 

あれやこれや、まさに無気力・無関心の極みと言うほか無く、今後如何に最後の人生の残り花を咲かせるか、残り火を燃え尽きさせるか、今、その苦悩の中、まさに煩悩の渦の中にある。

それも、気がつけば既に65歳。 一層の体力の衰えにも気づかされ、遂に前期高齢者の仲間入りを意識せざるを得ない。

 幸い、家庭内ではそれなりに安穏の日々を過ごさせ頂いている。 眼前の苦悩の中で、一方では自己喪失を招来しかねない生来の脆弱さ・煩悩を常に自覚していた故に、これら諸々の悲感も私にとって何らかの意味ある試練と、何かに守って頂いているお陰をも同時に感じ取りながら、少なからず感謝の日々でもある。 

考えれば、往時の喜び楽しみ、辛さ苦しさも一瞬のこと、これら全てが人生の糧・薬味であったと後々において思い知らされるいうことなのだろうか。 きっと、それに違いない。

はるか昔、1227年、かの大蒙古帝国の創設者チンギスハン・テムジンは、少年の頃、天山の山頂に登って「我に六十五年の天寿を貸せ」と祈ったそうだ(司馬遼太郎)。 まさに、私もその年齢である。 果たして我は、これまでその覇気の一片でも持って生きてきたのかどうか。 今更ながら、現状を自ら省みて、己に問うも恥ずかしい限りである。

それにしても、板村真民氏の詩の中の、次の一節が私の心に迫ってくる年頃になった。
恐ろしいのは平凡、安定、妥協、安価な幸福
どんなに生きてもあと二十年   惜しまれるのは今日の一日
しかし ああ今日も無為に暮れてしまった

・・・・・・・・・・・・・・・・ 
よい本をよめ          よい本によっておのれを作れ
心に美しい火を燃やし      人生は尊かったと叫ばしめよ

同時に想い起こすのは、呂新吾 (呻吟語)の次の言葉―。
         老いるは嘆くに足らず  嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり


 残された人生を、できることなら、かく生き貫きたいものである。 (完)<再掲>


2008年11月01日

◆今日一日をプラス思考で生きる

     
眞鍋 峰松

最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  

何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   
情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 

個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 

もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。 要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 

シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)


2008年10月17日

◆飲酒運転はモラルかルールか

  
眞鍋 峰松(評論家)

 テレビの朝番組で、大いに気になることがあった。 それは、取材活動を通じて一種のキャンペーンを行うという番組に見受けられたが、今回は現在一番の社会問題化している飲酒運転撲滅のためのものだった。
 
その放送内容の話だが、駐車場から今まさに路上へ出て飲酒運転寸前のドライバーへのインタービュの中で、当の酔っ払い氏が「駐車場内での運転は飲酒運転にはならない。 

酔っていないのだから、誰へも迷惑をかけない。お前さんたちにトヤカク言われる筋合いはない。」との発言。 

この3点の発言の内、1点目は明らかに交通法規上の解釈問題だが、問題はそれより、2点目と3点目の発言だ。
 
ややオーバーな言い方だが、「モラル」と「ルール」の取り違えがこの発言に繋がったのではあるまいか。 

単純化して言えば、飲酒運転根絶の標語に「飲んだら乗るな」というのがあるが、これと「赤信号は止まれ」という決まり・約束事との差異の問題である。 

後者は交通法規により、“赤信号では停止”と決まっているから車の停止義務が発生し、これに違反した場合に罰則が課せられるのである。

前者の飲酒運転の場合も同様に交通法規に禁止・罰則規定が存在するのであるが、その規定によってというより、それ以前に運転者の常識として運転しないことが求められる。 

つまり、自己の運転行為そのものに要求される他者への安全確保が、当然の前提とされる故であろう。 

この視点は、殺人が刑法による犯罪行為であること以前に、道徳的に許されざる行為であることと同じではなかろうか。

それでは、モラルとルールとの違いは何だろうか。 モラルとは道徳・良心の掟であり、ルールとは社会の規範・約束である。 この両者の差異は大きい。 ルールは約束であるから、決められた後でも自由に変えることも容易であるが、モラルの場合は基本的には不変のものである。

この両者の領域を濫に犯すことは、社会へ非常な混乱をもたらす。 何故なら、モラルには根元的な尊重が求められ、ルールには厳格さが求められる故である。 

この混乱から、モラルがルールの領域にまで拡大されることによりルールなみにされて、その根源的な尊厳性を失い、ルールは逆にモラルという世界になだれこむことによって、元来ルールが持っているはずの厳密さを失う。 

モラルをルールなみに扱い、ルールをモラルのように扱うことで、一切を曖昧なものにしてしまうのである。 

このことが、前出の酔っ払い氏の「酔っていないのだから、誰へも迷惑をかけない。お前さんたちにトヤカク言われる筋合いはない。」という逆切れ発言へ結びついたと思われる。 

些細な話にみえて意外に適応範囲が広い。 大いに心しなければならない事柄である。(完)

2008年10月09日

◆再燃するか「タバコ増税論議」(後編)

                  
                    眞鍋 峰松(評論家)

無類のタバコ好きの薩摩の伊集院大膳という老武士の話の続きである。

「さよう。厳しい取り締まりでごわすな。しかし、一体、お上はどういうつもりでいなさるでごわすかな。法というものは立てられた以上、必ず行われなければならんものだ。行われん法があると、その法だけでなく、他の法まで軽んずる心を、民に生じさせ、ひいては、お上の権威を軽視する心を生じさせてくる。

それ故に、古来名君といわれる方々は、行われそうもない無理な法は立てられなかったものでごわす。ところが、このタバコ禁止の法は、無理も無理、途方もない無理な法でごわす。わしは、天下の政道をとっていなさる方々の御量見のほどが、てんでわかりませんじゃ」

「ホウ、横目殿でごわすか。これはこれは。こうなる上は、いたし方ごわはん。いい訳はつかまつらん。しかし、武士として、縄目の恥を受けることは出来ん。この場で切腹いたすから、御検視をお願い申す」、と。 

この武勲高い老武士の扱いに困ったのは主君の薩摩義弘。 結局、わけの分らない理由で、この事件をもみ消してしまったとのことである。
  
薩摩・鹿児島といえば今連続テレビドラマ「篤姫」で脚光を浴びているが、今日でも歌にも唄われるほどのタバコの葉の名産地。それがこの話を残しているのは何よりの皮肉。

私がこの話を読んだ時、まず思い出したのはアメリカの禁酒法を巡る混乱。ギャングの横行とその顛末。 

周知のようにこの禁酒法、後世から悪法の見本視される結果となっているが、結局、本人の趣味・好みを法により規制することには少なからず無理があったということである。

つまり、敢えて言えば、同じ嗜好に属する物品であっても、麻薬取締りなどのように社会的に認められる合理的な規制理由が必要ということになろう。

一部の狂信的禁煙主義者の主張に振り回されるのはどうかとも思う。徹底した分煙で済むことではなかろうか。
  
この老武士が指摘している重要な視点に通じるのが、自動車への制限速度の規制。 日本全国の高速道路・主要幹線道路を問わず、あらゆる日本の道路を走る自動車で、果たして制限速度内のみで走行している台数は何割であろうか。 

また、違法駐車の問題もしかりである。果たして、これらの交通法規の違反者にどの程度の犯罪意識があり、罪の意識があるのだろうか。怪しいものである。
  
私も、現下の交通事故発生件数や死傷者等の状況を考えれば、スピード違反・違法駐車取締りの重要性を軽視するものではない。

しかしそれでも、この老武士の「法というものは立てられた以上、必ず行われなければならんものだ。行われん法があると、その法だけでなく、他の法まで軽んずる心を、民に生じさせ、ひいては、お上の権威を軽視する心を生じさせてくる。」という言葉に妙に説得力を感じるのは、私だけであろうか。

やはり、制限速度などは万人が認める程度の危険速度を想定すべきだろうし、駐車違反も場所をもっと限定し、決めた以上は違反者を例外なく検挙するくらいのものでなければならないのだろう。

2008年10月07日

◆再燃するか「タバコ増税論議」 (前編)

眞鍋 峰松(評論家)
   
タバコの原産地はアメリカで、これがヨーロッパに伝わったのは1492年コロンブスのアメリカ発見以後。 日本に伝わったのが慶長10年(1605年)だというから大体、百年内外でヨーロッパを通過し、東洋の涯の国に届いたわけである。 

これは海音寺潮五郎氏の「日本歴史を散歩する」という本の中で紹介されていた話だが、当時、ヨーロッパにおいても日本においても、タバコは薬になると信じられていたそうだ。

だが、慶長14年にタバコが禁止された。その理由は「タバコは食欲を減じ、牌胃をそこなう害があるのみならず、大へん火の用心が悪い。爾今、吸うことを禁じる」ということで、ここ最近の法律まで制定しての禁煙騒ぎと大同小異の制定理由と言えよう。
 
私も喫煙家である。一日20本位ということだから、喫煙者としては並みの存在というところである。しかも、禁煙試行・失敗が数度というのだから、別段、喫煙の確信犯ということでもない。 

少なくとも室内外を問わず、喫煙の際には、周囲の人々に迷惑の罹らぬように気を使いながらの喫煙者でもある。 

それでも、敢えて言いたい。 今も昔も、この禁煙令は、もともと無理な法令である、と。
  
最近の税制改正で気になるのが再燃するかタバコ増税。ウソかマコトか、かっての風説では一箱1000円という途方も無い金額が俎上に上っていた。

これには、やはり抵抗を感じざるを得ない。何故なら、そこにはもろもろの物品への税負担に一番大切なバランス感覚の欠片も感じることができず、喫煙の習慣性に着目し、何よりも取れる所か取ろうか、という安易な増税感覚がミエミエで、抜本的な的増税議論を深めることにもならないという気がするからである。
  
面白いことに、私のような感覚の持ち主は昔にも存在していたようだ。

同じ本の中に書かれていた話なのだが、関ケ原の合戦直後、薩摩に伊集院大膳という老武士がいた。 古傷にタバコが良いと聞き、吸い始めたのが習慣になり、無類のタバコ好きになった。
 
この老人が偶然に横目(藩の目付役)の目前で喫煙し、相手の取締りに当たる身分を知らずに言った言葉がある。 
<後編へ>

2008年09月10日

◆「情報化と人間の生き方考」(後編) 

眞鍋 峰松(評論家)

 情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。

 個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
 そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

 そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

 そして、この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 そして、もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

 ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。 要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
 もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)

2008年09月09日

◆「情報化と人間の生き方考」(前編)

     
眞鍋 峰松(評論家)

最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。 

その最たるものが、今や少々旧聞に属するが、IT企業による旧来のマスコミ産業株の大量取得、強制的とも思える事業参画事件の続発だろう。 

当時、この一連のマスコミ産業界の騒動こそ、大きな目で鳥瞰すれば、これまで製造業界、金融界、流通業界と引き続いてきた一連の各業界のグローバル化に伴う再編の波が、いよいよマスコミ界まで及んできたもので、これまで他人ごとのように批判・評論してきた既存マスコミ人の狼狽振りが少々滑稽に思える。

 だが、その進展ぶりは、何もこれに限らず、もっと身近なところでもいっぱい起こっている。消費行動におけるネット販売の普及やネット犯罪の横行などもよく知られた例だ。 
だが、何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているのではないだろうか。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。

だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより所属してきた組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。(後編に続く)

2008年08月23日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い (後編)   

     
眞鍋 峰松(評論家)


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 

その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。


最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
  〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)