2017年06月30日

◆指導者としての資質を考える A

眞鍋 峰松



以前に私が読んだ本の中に、「決断」について、一方では、如何にもアメリカ人的な合理的な考え方と、他方、如何にも日本人的な思考方式を記述した文章があったので、ご紹介しておきたい。 

この二つの「決断」に関する記述の内容は、「政治家の任務は決断にある」という一点では同じようであり、また、「政治家の責任のあり様」という点では多少違っているようにも、私には思えるのだが。

その一つが、コリン・ルーサー・パウエル(Colin Luther Powell)の自伝。 ご承知の通り、コリン・ルーサー・パウエルはジャマイカからの移民の両親を持ち、共和党員であり、統合参謀本部議長(アメリカ陸軍大将)、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領(息子の ブッシュ)の1期目政権の国務長官の経歴の持ち主。

その著書、マイ・アメリカン・ジャーニー「コリン・パウエル自伝」(鈴木主税訳 角川書店)の中の次の言葉である。

『いまでは意思決定の哲学を作り上げていた。簡単に言えば、できる限りの情報を掘り起こして、後は本能のおもむくままにまかせる。我々はみなある種の直感を備えている。そして、年をとるにつれて、次第にそれを信じ、それに頼るようになる。

私が決定を迫られた時、つまりある地位に誰かを選ぶとか、作戦の方針を選択するかしなければならない時、私はあらゆる知識をきれっぱしも残らずさらって集める。人に助けを求める。彼らに電話する。手当たり次第に何でも読む。つまり、私は知性を使って本能を教育するのだ。 

その後、本能を使って、このデータの全てをテストする。「さあ本能、これは聞いて正しく聞こえるか。嗅いで臭くないか。手ざわりはいいか。違和感はないか」。しかし、我々はいつまでも情報収集ばかりしているわけにはいかない。入手可能なすべての情報がまだ集まっていなくても、あるところで決定を下さなければならない。 

大事なことはあわてて決めないで、適切な時期に決断を下すことである。私には決定の公式、p=40〜70というものがある。pは成功の確率を、数字は得られた情報のパーセンテージを示す。 手持ちの情報だけでは正しいという見込みが40%以下しか得られないなら、私は行動しない。 

また、100%正しいと確信するだけの情報・事実が集まるまで待つことはしない。 なぜなら、その時には必ずと言っていいほど遅すぎるからである。 私は40から70%の範囲の情報が得られたと感じたとき、本能にしたがって動く』。
 
もう一つが、小室 直樹氏の「歴史に観る日本の行く末」の中の次の文章である。

『「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」これこそ、日本人のエトス(民族精神、気風、社会思潮)を一言であらわした表現であろう。その後の句は、「戦争に突入した」とも、「大不況を招来した」とも、いろんな表現が代入されうる。 

このエトスは、どこから出てきたのか。 日本人独特の現実認識からくる。「現実」とは何か。「“現実”というものは、作り出されてしまったこと、いま、さらにはっきりといえば、どこからか起こってきたものと考えられている」(丸山 真男)。このエトスこそ、政治的無責任体制を理解するための急所である。

政治家の任務は決断にある。官僚と根本的に違う点である。このことの重大さは何回繰り返しても、繰り返し過ぎることはない。政治家の任務は、現実を自分の判断によって作り変えることにある。ここに、政治家の責任が生じる。 

現実を、自分の決断によって作り変える時、より良くなるか、より悪くなるか、その結果は、事前には分からない。分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する。(繰り返して強調するが、ここが官僚と違う点なのである。) 

もし、現実を、「作り出されてしまったこと」「どこからか起こってしまったこと」と考える時、そこに、「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考える余地はない。 政治家の存在意義は無いのである』。

以上の二つの文章で明らかなことは、決断への道筋について、アメリカにおいては数理的、合理的規準の下に対処すべきものと観念されており、こと、パウエル氏に限らず、古くはベトナム戦争におけるマクナマル戦略(戦争=軍事に「費用対効果」の考えを持ち込んだ)においても同様である。

一方、日本においては小室直樹氏が指摘のとおり、「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」決断に追い込まれてきたということが、これまでの近代史、現代史の示すところではなかったか、と考える次第である。

私は、むしろ前者が政治判断の前提として官僚のなすべき責務であり、後者つまり「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考え、「分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する」という複合的な考え方が正鵠を得ていると思うのだが、どうだろうか。 

官僚からの成功確率を聴取しての外交戦略だったのか。あまりにも粗雑な外交戦略であったと思わざるを得ない。(完)

2017年06月29日

◆指導者としての資質を考える @

眞鍋 峰松



最近の中国やロシア、さらに北朝鮮などのニュースに接する度に思うことがある。

どうも日本の優秀と言われる人物とりわけ政権中枢にいる方々の、不測事態へ対応する能力が本当に大丈夫なのか、不足しているのではないか、という危惧である。また、幾ら事前の準備に怠りがなくても、肝心の決断力がなくてはどうにもならない。
 
これに関連し、思い出すのが昔、昔の話。 阪神・淡路大震災の経験から、毎年恒例として行われる地震災害へ備えた、防災訓練について、である。 

地方自治体や国の出先機関などの行政を始め地元自治会など幅広い方面を巻き込んで大々的に実施されてきた。
 
だが、毎年恒例の行事として行われる故もあってか、災害発生時の住民への避難誘導や救急医療体制の初動活動などが中心で、その当時からマンネリ化の懸念を感じていた。

仄聞するところでは、アメリカでのこの種の訓練では、対策本部における非常事態へのギリギリの判断。例えば、A地点とB地点とに危機が迫っている場合に、如何に防災力を適正分散するべきか、最悪の場合にはどちらか一方に優先して防災力を振り向け、どちらか一方を犠牲にするかなど、指揮を執る人物の決断力が試されるようなケースまで想定し訓練しているとのことだった。
 
最近ようやく我が国においても、この実例として、負傷者多数の場合における負傷程度による治療優先順位の決定問題が、ギリギリの決断訓練の一つとして採り上げられている。

ところが、である。過去に一度、ある都道府県で、このアメリカの方式を採り入れて、水防訓練の中で破壊的水量を抑制するために人為的に堤防決壊させ、水量分散を計るというギリギリの決断を想定したことがある。
 
決壊した場所では、当然なにがしかの被害が発生するのだが、その時、当時の知事は激怒し、そのシュミレーションの場を立ち去ってしまったというのである。要は、彼は逃げたのである。だが、このような決断力こそが、本来のトップ・リーダーに求められる能力、不測事態への対応能力である。              
以前読んだ書物の中に「孤独は全ての優れた人物に課せられた運命」との表題で、
@トップには同僚がいない 
A最終意思決定には誰の助力を求められない 
B自由に意思の伝達がし難い 
C正しい情報を得ることが稀である 
Dしかも、なお、最終的な責任を負っている、
と記述されていたのを思い出す。
 
まさに、これがトップ・リーダーに課せられた運命なのだろう。また、これは、塩野七生氏の著書「日本へ 〜国家と歴史篇」からの引用だが、人間の優秀さについての記述で、その一つが、色々な事態に対し、原則を変えずに、如何に例外を設け、さらにその例外事項を他に類を及ぼさないようにするか。
 
さらにもう一つ。日本的秀才は、予期していた事態への対処は上手いが、予期していなかった事態への対処は、下手なのが特質であるらしい。

しかし、予め分かっている質問に答えるのに、人並み優れた頭脳は必要ない。真正面から答えるか、それともすり抜けるかの違いはあっても、予期していなかった質問に対処して初めて、頭脳の良し悪しが計れるのである、というである。

私が思うに、前半の部分は、むしろ上級公務員の優劣の判断基準に向いおり、後半の部分は政治家を始めとする、組織のトップの資質の判断基準に向いているように思われる。
 
要は、決断するのは難しい作業である。決断に際して、十分に情報を集め、徹底して分析したから万全だ、ということは絶対にない。考える材料が全部そろい、やるべきことが自ずと分るのなら、リーダーは何もしなくてよい。つまり、決断するための情報収集と分析は程度問題である。
 
信頼を繋ぎ止めたるためなら、「ここまでは考えたけれど、これ以上は運を天に任せる」と踏み切るのがリーダーの役割だ。
 
それを検討会議や関係閣僚会議の設置ばかりで逃げてばかりではどうにもなるまい、と思う。日本語で上手い表現があるではないか。“腹をくくる”と。
 
少々穏当でない言い方だが、それこそ、判断を過てば腹を切ればよい、ではないか。 塩野 七生氏は言う。「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない。その覚悟のない指導者は、リーダーの名にも値しないし、エリートでもない」と。これができないなら潔く職を辞するしかあるまい。(続)
                

2017年06月16日

◆腰の痛みと二人三脚 〜私のゴルフ人生〜

真鍋 峰松



今の私のゴルフは年来の腰痛との闘いである。パターやアプローチ、ボールのピックアップ時に腰を屈めると、時にはビーンと身動きできなる位の激痛が加齢とともに。 元々、30歳過ぎから発症の年代物の腰痛だが、意外とゴルフ好きの中にもこの戦いを続けておられる方が結構多い。
 
もっとも私の場合、後半ハーフのスコアーの悪さを常にこの腰痛のせいにする不届きな人間でもある。 
                      
ところで、20歳台から始めた多くのゴルファーに比べ、私のゴルフ歴は短い。初めてクラブを握ったのは、と言うより単に手にしたというのが正確なところで、25・6歳の頃。
 
当時大阪市内の都島辺りにあったゴルフ練習場へ同じ職場の先輩に引き連れられて行ったのが最初。先輩の教えに従い7番アイアンを手にしたものの、ボールがクラブに殆ど正確に当たらず、こんな筈はないと焦るばかり。その私を尻目に、隣席の見知らぬ妙齢の女性は100ヤード表示場所にドンドン飛ばしている。

当時腕力自慢の私のボールは渾身の力でぶっ飛ばしても偶に50ヤードの場所へ到達するのがやっとのこと。 悔しさにクラブを放り投げたくなった記憶が今でも鮮明に残っている。

以来、ゴルフとは相性が悪いと思い込み、40歳になるまで一切クラブを手にしたことがなかった。だが、いよいよ40歳代に突入し何か運動を始めなければとの思いと、酒に弱く宴席が苦手な私が先輩・同僚と懇親を深めるにはとの思いから始めたのが、再開の切っ掛けである。
 
我ながら殊勝にも、最初は8月の夏期休暇を利用し、自宅近辺の練習場の教室へ入門。しかし、同門の士は中高年の女性ばかり10人程度。練習途中の休憩時には男一人で会話相手にも困り、こりゃ駄目だと渋る家内を無理やり入門させ、4回程度のレッスンを受けクラブの握り方から始めた。
 
この練習で、初めは7番アイアンで70ヤードの飛距離に過ぎなかったものが、徐々に150ヤード近くに達することを体験して、やはりゴルフは力じゃないナ〜、難しいものなのだと実感した。

その後、心を入れ替え、やれベン・ホーガンがどうの、自分自身のやや肥満体質から同形の尾崎将司のスイングが良い等々とっかえひっかえ色々研究を重ねたものの、その割に成果も上がらず。 遂にはインストラクターの最近の診断では、上半身と下半身の動きがバラバラとの診立て。 
自分自身の診断でも、スポーツは心・技・体のバランスが大事とよく言われるが、この全てのアンバランスが問題で治療不能。 私のゴルフは、もう精神修養の場でしかないとの諦めムード。
                                そして現在、月一のゴルファーとして無駄に年齢だけを重ね、実力不相応のお情けハンディが21。 それも60歳を超えてからというもの、100超のスコアーが常態化。
     
今や、有り余る時間を過ごすための週2回の練習と月1〜2回のラウンドでも一向に上達の兆しが見えず、体重調整の単なる一手段に陥った昨今である。
at 1

2017年06月11日

◆チープ・ガバメント

眞邊 峰松

  

国民・住民の役に立つ行政機構とは、能率のいい必要にして最小限度の組織・人員―。この考え方を否定する人はいないと思う。 ただ、機構は仕事に対応するものである。 


だから、機構を廃絶したり、簡素化したりするには、仕事を亡くすか、仕事のやり方を変えるか以外に、簡素にして効率的な機構への改革はないはずである。 


意外と、この簡単な事実を理解し納得する人は少ない。とりわけ、最近の風潮のようにも思える公務員叩きの大合唱の中では、とくにそうである。 それはよく風刺的に“お役所仕事”と揶揄される公務員労働への批判と同列視される。
 

だが、そもそも、日本の公務員数から見て、既に群を抜く小さい政府だという事実が議論から抜け落ちてしまっている。 


それでいて、日本の行政サービスがこれらの国々に比し劣悪だという話も聞かない。 これからすると、私には、現下の風潮はかっての官尊民卑の裏返しのような感情的な議論が先行し、冷静さ・客観性を欠いているような気がしてならない。
 

とは言っても、このような公務員への厳しい批判も、現在ではいざ知らず、かっての公務員の勤務態度には休まず・遅れず・仕事せずと揶揄される実態が一部にあったことからすれば、当たらずとも遠からずの非難ではあるだろう。
   

しかし、この非難は公務員の数量(人数)と質の話。 これを逆に、機構の方から考えていこうとするのは本末転倒であり、やはり実効はあがらない。

これをやはり実効あらしめるためには、やはり「民でできることは、できるだけ公から民へ」という程度に止まらず、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という、現在までの行政サービスを根底から見直すと言う極限的な対応の検討が必要ということになろう。 


同時に、国民・住民側としても行政サービスの低下をも受け入れるという覚悟が必要となろう。 


その場合、勿論、かく主張するマスコミ・論者が純粋に公益を主体にした考えに立っているかどうか、自身がサービスの受益者なのかどうか、または受益者の立場をも踏まえた議論を行っているのかどうか、という点を十分吟味してかかることが必要なることは、論を待たないであろう。


これらを踏まえず、公務員叩きに闇雲に突き進む現在のマスコミなどの論調は、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という真剣な議論抜きの感情論を煽り、それこそ、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者」という言葉を裏書する事態に立ち至っているのではないかと思われる。


大事なことは、現代生活における公平・公正・安全といった面が行政の果す役割を抜きにして維持し得ない以上、いかにして最小のコストで最大の効果を発揮せしめるかであろう。 


そして、その基礎をなすものが公務員労働であるとせば、一に懸かって質の向上が眼目ということになる。だが、現在の公務員叩きが続いている中で、果たして国及び地方の公務員のモラール(士気)はどういう状態なのか、危惧される。


日産自動車の名経営者として名高いカルロス・ゴーン氏の言葉に「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは、従業員のやる気を起させること」「彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる」とあった。


現在のような公務員叩きの風潮のみが席巻する中で、果たして公務員のやる気を引き出し、労働の再生がなし得るのだろうか。

こう考えれば、やはり、簡素にして効率的な行政改革を進めていくための現実的な方法の一つとしては、官僚自らがその線に沿い協力するよう誘導し、また、人員削減に成功したら、その浮いた経費の一部を徹底的に見直しされた後の残存人員の労働強化に対応し、プラス化しうるようなインセンチブに充ちた方策をも合わせ考えれば、より効果をあげうるのではなかろうかと、と思料する次第である。(評論家)

2017年06月02日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い(後編)

眞鍋 峰松



中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 

その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
  〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。 辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。 要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2017年06月01日

◆真正面からの言葉・教えほど尊い(前編)

眞鍋 峰松




最近、マスコミ上に登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。 多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

 例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。 それでは、どうするのか。

 物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。 だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教え」ほど尊いと 私の体験からも、そう思える。
          <後編へ> 

2017年05月18日

◆対中国外交に思う

真鍋 峰松



まず、この文章をお読み頂きたい。

「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮蔑を招く。


その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる。とにかく国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危うくなろうとも、政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である。・・・・戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所と呼ばれるべきであり、もはや政府と呼ぶべきでない」。 


キリスト教信者として名高い内村鑑三氏の著書「代表的日本人」中の西郷隆盛の言葉である(1908年原著 岩波文庫 鈴木範久訳)。


この言葉の真髄は“ただ相手国の強大さに萎縮して、うまくやろうというような処世術的外交は避けるべきである。 そうすると、かえって侮られ、それまでの友好関係もくずれてしまう”という一点にある。
 

読めば、この文章、これまでの我が国の対中国外交への痛烈な皮肉と解釈できるような気がする。 戦後数十年かかってここまできた日中の外交関係。この偉大な先人の言葉を無視・軽視するような事態を招くことによりその成果まで灰燼に帰すことのないよう願いたい。


また、過去の日本外交においてややもすれば多々見受けられた“商法支配所”、即ち、経済的利益を重視するあまり、我が国外交を誤らせたという事態も同様である。

幸い、今回の尖閣列島を巡る二国間の衝突に関しては、経済界や財界からの、紛争の早期解決だけを願う声も少ないように思う。それにはそれなりの理由があるのだろう。


周知のように、近年の中国の居丈高な過剰反応は尖閣列島周辺海域の石油等の資源開発に絡んでのことであり、日本においてもこの側面が熟知されている。 これが今回の場合、経済界・財界からの横槍や雑音がない理由であろう。

著しく経済力を増した中国にとって経済カードは強力な武器になる。我が国経済にとってレアアースの輸入停止は甚大な影響を及ぶすとしても、中国経済にとっても多少影響があろう。


だが、全てにおいて政治が優先する社会ではそれは問題にならない。そこで参考になるのは、米国のグーグル社の態度であろう。

自由主義社会の柱とも言うべき情報の自由を求めて中国当局と真正面からぶつかったのだが、これも最悪の場合には撤退もやむを得ないという同社の覚悟があってのこと。

果たして、口を開けば自由主義経済・市場経済の効用を説く日本の財界・経済界の人達にこの覚悟が有りや無きや。 史上初の財界人から登用された日本の中国大使、これにどう対処していくのか、注目したい。


また、事件に関する新聞テレビ等の報道やコメンテーターの解説を見聞きしていると、相変わらず、中国側の国内事情、つまり国家指導者間の主導権争いや貧富の過大な所得格差問題などを取り上げ、訳知り顔で背景説明をしているように見受けられる。

このこと自体は事実なのであろうが、だからどうだと言いたいのだろうか。日本の主張を手控えよ、とでもいうのだろうか。


それより、国際紛争対処の常識として、これら外交紛争に関する政治上の議論は国内だけで止めるべきであり、交渉相手国の国内諸事情を参酌し過ぎる人間や最終的な解決策を持たずして、相手国に乗り込む愚を犯す政治家等が多過ぎるのも困ったことではないだろうか。

こういった国内の無責任な議論や対応で、対外折衝の任にある者の足を引っ張って何になると言うのか。 老獪な中国外交のこと、日本国内の議論の誘発・分断が計られ、結局は日本の国益が損なわれるだけだろう、と思う。


皮肉なことに、中国古典である孟子の離婁篇第四に「夫れ、人は必ず自から侮りて 然る後によそ人もこれを侮り、家は必ず自から毀(こぼ)ちて 然る後によそ人もこれを毀ち、国は必ず自から伐(やぶ)りて 然る後によそ人もこれを伐う。」とある。


つまり、人間というものは、自尊心を失って、自身を軽蔑するようになると、その気持が言動に現れて卑屈、投げやりになり、それが他人の軽侮を招く、他人に軽蔑される原因は、自分が作っているのだ。


自らを持することが厳でなくなると、家を治めることもできなくなって、家は崩壊する。内輪がしっかりしてさえおれば、外圧だけでは決して壊れるものではない。


国家とても同じことで、内に姦邪の臣がはびこり、君主に統御の才なく、国民に不平不満が高まるという末期症状が現れて、他国に攻め滅ぼされるわけであり、明主賢臣がいて善政を布いている限り、自壊作用が起こらず、従って他国の攻め込む隙はない、というのである。


この紀元前4世紀の孟子の言葉は、ひとり我が国のみならず、現代中国の為政者への痛烈な皮肉となり得ると受け止めるのは、私だけではあるまい。

2017年05月02日

◆童話に教えられること

真鍋 峰松


まず、この話をお読み頂きたい。
 

「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き離すように求めた。
 

自分と羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。


いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。」(「新訳イソップの寓話集」塚崎幹夫訳 中公文庫)。


以前、読んだ童話の中の話である。日本の昔話や童話の中では、子ども向けに最後の下りがメデタシ、メデタシ、そして二人で幸せに暮らしました風、或いは勧善懲悪の教訓話が多い。
 

だが、西洋の有名なイソップやグリム兄弟の童話集にはハッピー・エンドばかりではなく、相当にアンハッピー・エンド、残酷な結末で終わる話が多いという。
 

これは、欧米系人と日本人との民族性の違い、とりわけ日本人の現世肯定の現実主義と、子供には夢と希望をという一種の理想主義とが合体したところから生じたのであろうか。


童話の専門家でもない私が、このことを詳しく述べるのは本題ではない。


私がこの話から直ちに連想したのは、昨今の米軍基地の移転問題。いつしか日本近海でキナ臭い話が充満する昨今、基地をどこか国外に移転しろと言うのは、果たして如何なる外国の、或いは宇宙人の策略なのかどうか、私には専門外の話。


だが、この童話、如何にも当て擦り的な寓話のように思えてならない。明らかに分かるのは、昨今の米軍基地問題を巡る議論では、どこか基本的な問題が抜け落ちているのではないのか、ということ。
 
つまり、この寓話での犬の果たす役割〜国の安全保障体制の問題である。 


最近の鳩山首相の発言の中にあった、色々と勉強している中で、仰止力のためには米軍基地の分散化には一定の限界があるとの発言に、びっくり仰天するしかなかった。
 

一体、この人物は何年の間、国会議員を勤めて来たのだろうか。それなのに一番大事な国の安全保障について、首相になってから勉強とは。 しかも、この後に及んで仰止力について初めて理解したというのか。惟、唖然とするしかない。
 

国の果たすべき役割の最たるものの代表例は防衛・外交、司法。 戦後の防衛・外交の中心的役割を担ってきたのが日米安全保障条約。それ位は誰でも簡単に解ること。


片務的契約だの、何だのという議論はさて置き、明白なのは、現在の日本自身の防衛力だけでは、近代戦闘では非常に心もとない。
 

米国の軍事力を背景にしなければ、とてもじゃないが周辺の好戦的・反日的な国に太刀打ちできるものではない、ということ。


この件に限らず、今後一体、この国はどこを向いて動いて行くのだろうか。確たる方向性があり、操舵手はいるのだろうか。
        

政治と童話と言えば、イソップ童話の北風と太陽の話。言うまでも無く、これは隣国韓国の対北朝鮮政策の話。
 

三代前の大統領 金大中氏及び後継者盧武鉉氏と、現在の李明博氏の対照的な政策を表現することは、夙に有名である。
 

現時点でも最終判断は保留状態のようだが、これらの政策の行き着いた先が、最近の北朝鮮軍による韓国艦艇への攻撃と数十人の戦死と多数の負傷兵員の発生とすれば、私には自ずと優劣の差も判明したようにも思える。


が、これも鶏が先か卵が先か、どちらが原因で結果なのか、素人眼には結論を出し難い面もある。


最後に、もう一つ。


「兎が獣の会議に出かけてゆき、これからどうしても万獣平等の世にならなければならぬと、むきになって論じ立てた。獅子の大王はこれを聞いてニコニコ笑いながら、兎どん、お前の言うのは尤もだの。だがそれには、まず儂どもと同じに、立派な爪と歯を揃えてからやって来るがいい、と言った。」 

2017年04月23日

◆公財政を揺るがす「抗し難い圧力」

眞邊 峰松



私は、本欄で、<特に大阪のように本来豊かな税源を持つ地域でも、現行税配分方式ではその多くが中央に吸い上げられ、辛うじて地方交付税の配分で息を繋いでいる情けない実態>と書いた

更に、<大阪の地盤沈下が叫ばれて久しいが、この主原因は在阪企業の利潤中心の東京移転ではなかったのか、果たして府なり大阪市の力でこれら企業の東京移転を阻止できたのか、これら民間企業経営者の本音の意見を聞きたいところだ>とも指摘した。

その上で、<今後日本経済の復元に成功したとしても、結果的には国と東京の一人勝ちとなり、大阪の地盤沈下が一層明白になり、府下の公財政の改善を求められたとしても、制度の抜本的改革なしには、一歩も進まない実態が明らかになると思われる>と警鐘を鳴らした。

そこで、改めて私の考えを述べてみたい。私も、かっての府下公財政のあり方を決して是認するものではない。例えば、平成17年秋以降の大阪市の職員厚遇や第三セクターの相次ぐ破綻処理問題、平成18年春から次々と明らかになってきた同和行政を巡る乱脈経理。あらゆるところに蔓延する談合体質。

これらは明らかに公財政のあり方を根底から揺るがすものだ。 ただ、私の経験から言えるのは、その背景には、自己の利権と集票のみに関心を持つ低劣な議員、政治分野にのみ存在感を誇示し、真の公正妥当な職員福利の増進を無視してきた労働組合、人権擁護を表看板に有形無形の、抗し難い圧力の下に進められてきた諸団体の活動があったことも事実だ。 


当然担当部署は、それらの圧力に屈することなく公務員本来の全体の奉仕者として踏ん張るべきであったろうと思う。そこが社会の指弾の的になっているのだろう。 
 
しかし、その彼らを支えるべき議会・マスコミ・警察権力はどこにあったのか、眼を向けていたか。否、全く無かった。

逆に、寧ろ問題の糊塗を進める要因の一つだった、いうのが実態だったであろう。 梯子を登って後ろを振り返れば、誰も続く者とてなく、猪武者扱いされるのが関の山。 全体として、決して褒められた実態ではなかったと確信している。

果たして行政と公財政を取り巻くこのような複雑怪奇な実態を知らず、地方行政に対する見識・胆識をもお持ちとは些かも思えない特定人物を重宝がること自体が、果たして良いのだろうか、正しいのだろうか、と疑問を持たざるを得ない。 単なるパフォーマンス・綺麗事で終わるなら、長期的・最終的に被害を蒙るのは住民・国民ではないか。

まぁ、そうは言っても、民間でもOBとなられた人物で、企業経営から相当期間離れられ、その後色々な経験を重ねられた上で、大所高所から言われることなら、とは思う。 とりわけ行政の弱点である最小コスト・最大効果という点で民間知識を生かしていくのが効果的だとは考えないことではない。

しかし、正直、それでも長い期間に養われた視野、当該問題に対する現実や関わる裾野まで見渡せる経験・知識という点では、一般的には自治体職員OBの中の優れた人材と比べて、果たしてどうだろうか。

卑近な例でも、大阪府のりんくうタウンや大阪市の大阪湾埋立地の事業への批判。世の非難はその見通しの悪さを批判の的にしている。 これらは明らかに土地神話やバブルの崩壊によるものだ。 

現時点に立てば、これらを第三者の目で批判・非難することは簡単だが、私の目から見れば、これらの埋め立て事業自体は海面から新しい国土を生み出したという意味で、土地投資に対する安易な融資による金融危機と、同列に扱われることに抵抗を感じる。 

もっと長期的に考えれば、無から有を生み出したという評価だって有り得るのではないだろうか。 過去の責任を追及するばかりというのもどうか、と思う。 

大阪市、大阪府に新しい首長があいつで誕生した。今後、将来の大阪のために、思い切った施策や投資を立案し、実行するかどうか疑問が湧いてきて、背筋が寒くなる。

2017年04月16日

◆桜の季節〜日本人の心

真鍋 峰松



この季節、日本各地で見事に咲いた桜の花が見られる。 私なども毎年見るたびに“よくぞ日本に生まれけり”という気持になる。 それほどに日本人の心の奥深く刻まれ、古来から詩歌にも読まれてきた。 

ところで、桜の開花予想はニュースとして報じられるが、その開花基準になるのが「休眠打破」だと言われる。 

桜の花芽は前年の夏に形成され、それ以上生成されることなく晩秋から「休眠」状態になり、冬にかけて一定期間、低温に曝されることで眠りから覚め、開花の準備を始める。 これを「休眠打破」と言うのだそうで、さらに温度が上がるにつれて、花芽が成長生成し、気が熟して開花に至る。 

この故に、桜は四季のある日本で進化した植物と言われる。これほどに時間をかけ開花に至る桜だが、咲き誇るのはほんの僅かの期間。日本人はその桜の花の華麗さとは裏腹の、儚さにも強く惹かれ、その魂の、あたかも象徴の如くに看做してきた。

その典型が、本居宣長の歌「 しきしまの やまと心を ひととはば 朝日ににほふ やま桜はな 」なのであろう。 

また、西行法師には、「 春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり 」と、その出家の秘密を封じた悲恋の歌があり、さらには、「 願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの  望月の頃 」、「 散る花も 根にかへりてぞ  または咲く 老こそ果ては  行方しられね 」という死生観を桜の花に寄せる歌まである。
     
欄漫と咲き誇る桜の花に寄せる心象の一方、そこには日本特有の無常観を底辺に置いた「わび」「さび」「もののあわれ」と言った“ものの見方”も発達してきた。

兼好法師の徒然草第百三十七段「 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。 雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀に情ふかし。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ 」

これこそが日本人特有の美意識そのものと思っていたのだが、意外にも、古くから日本で読まれてきた中国古典、明末の洪 自誠の「采 根 譚」の中に、「花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。此の中に大いに佳趣有り。若し爛漫氈陶(らんまんもうとう)に至らば、便ち悪境を成す。盈満(えいまん)を履む者、宜しく之を思うべし 」と記されている。

その大意は「 花は五分咲きを見、酒はほろ酔いぐらいに飲む。その中にこの上もなくすばらしい趣がある。 もし、花は満開しているのを見、酒は泥酔するに至るまで飲んだのでは、その後はかえっていやな環境になってしまう。 

満ち足りた世界にいる人は、よくよくこの点を考えるようにしなさい 」とのことだが、徒然草の言葉とは同じようなことを言っているようにも思えるが、どこか微妙に違っているように思える。

いずれにしても私には、この季節、一年で最も温暖・快適であり、日本人の心に触れる事柄が多い時期を迎えているように思う。(完)

2017年04月08日

◆いつまでも残る「教え」(後)

眞鍋 峰松



中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。

今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
 
<〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜>といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。

それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者・ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                               (完)

2017年04月07日

◆いつまでも残る「教え」(前)

眞鍋 峰松
   


最近、マスコミに登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。それでは、どうするのか。

物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後60年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教えほど尊い」と 私の体験からも、そう思える。
<後編へ> 

2017年03月31日

◆春の花、鳥〜鶯のこと

眞鍋 峰松
 


朝夕の犬の散歩に通る道筋の隣家の庭に、一本の辛夷(こぶし)の木がある。ほぼ毎日、二回は通る道なのだが、20日ほど前に白いつぼみが膨らむまで何の木やら一向に気付かず、10日前から次々と開花しだした。

「あぁ、満開だ!」と思う間も無く、白い花びらの先端から黄ばみかけ、一輪また一輪と次々に道端に落下。花の命は儚く、真に残念の一語に尽きる。

住んでいるのはニュータウン。同時期の移住者が多い故か、近隣には同年配の高齢者が多く、ほとんどの世帯が65歳以上を主体とする家庭である。それぞれの庭には、丹精込められた四季折々の花々が咲き乱れる。

その庭に共通して多いのが金木犀。私は特にこの花の何とも言えない高雅な甘い香りが好きなのだが、秋の早朝や夕暮れ、玄関から一歩足を踏み出すと、地域全体に金木犀の強烈な甘い香りが漂う。 

これからの春の深まりとともに、梅、椿、桃、辛夷、雪柳、れんぎょう、桜、木蓮などが咲き乱れ、赤・桃・白・黄色と次々に鮮やかな色合いで眼を和ませてくれる。 この辺りは野鳥も多い。 

とりわけ多いのがヒヨドリ、モズ、メジロ。この季節、木々に隠れて姿を容易にはみせないが、鳴き声を楽しめるのが鶯だ。例年なら今の季節には庭の木々の枝にとまり、早朝から鳴き声が聞こえるのだが、何故か今年は未だ聞こえてこない。 

ただ、鳴き声も季節初めの所為か、まだまだ練習不足。特有のホ―・ホヶキョという鳴き声にもならず、ホ―だけでお仕舞か、チィチィという声のみ。もう鶯の季節かと、耳を澄ませて聞く当方としては、この中途半端な鳴き声に何だか肩透かしを食らったような気持がする季節でもある。

ところで、NPO法人近畿フォーラム21主宰の事業の一つに、大阪市内都島の毛馬村で生まれた与謝蕪村の生誕300年を祝う顕彰俳句大学があった。同大学講座は 31日「解散」するが、その大学第2期講座の「修了式兼表彰式」が行われ参列した。

その中、「一般の部講座」(他には「児童・生徒の部」も)で「大阪市長賞」を受けられた方の作品に「笹子くる いつもの薬 飲みをれば」という句があった。

撰者の先生は、“笹子とはまだ整わない鳴き方をしている冬のウグイス、薬を飲みながら庭に来た「笹子」のチィ、チィという可愛げな声を楽しんでいる様子、・・・笹子はいつかは春が訪れることを告げながら、一病息災、一病息災と作者に告げているのかも知れない”、との評。 

笹子といえば、俳人高浜 虚子には「石垣の 上の竹垣 笹子啼く」との句がある。 

日本大歳時記(講談社)によると、古来梅に鶯(うぐいす)といって春のさきがけとされ、鶯の初音は二月はじめごろ、清亮にして円滑な美声で囀る。囀りの整ってくるのは三月ごろで、鳴く時は尾を揺るがす。 四月には山へ帰ると解説している。 

また、基本季語の鶯に対し、一般季語には初鶯、春告鳥、経読鳥、匂鳥、黄粉鳥、花見鳥、歌読鳥、流鶯等々と記されている。まぁ、同じ鶯にも様々な呼び名があるものだと、日本人の感性とボキャブラリーの豊かさを象徴する一例かと、改めて感心するばかり。 

中でも面白いのが経読鳥。なるほど、ホ―・ホヶキョと言えば誰しも法華経を想像する。 真に日本の春はありがたいお経の声に満たされた時季である。また、流鶯とは、春たけなわの頃、木から木へ枝移りしながら鳴き立てる有様からの名付け。 これまた、十分に納得させられる。

この式典では大阪市立大学文学部長の村田 正博先生の「蕪村俳句の面白味」と題する興味深い講演が行なわれた。

その中で蕪村秀句として紹介された鶯の句。「 うぐいすの 啼くやちひさき くち明(あけ)て」と「 鶯の 枝ふみはづす はつね(初音)かな」の二句。

この二句から見ても、芭蕉や一茶と並び称される俳人蕪村の、出生時からの数奇な人生にも拘らず、暖かい人情味を失なわなかったという人柄が偲ばれる。どうやら花や鳥というものは、老年になって、ようやくその味わいが深まってくるもののような気がする。

花を見れば、自ずと花を見るのも今年限りかも知れぬの思いが浮かび、それで花の味わいが一層深くなるのだろう。花は老年のためにこそあるもののようである。若い時分には自分が生きることに精一杯で、そんなふうに思って花を見ることはなかったのに、近頃はどういう訳か、そんな思いを抱かずには花を見ることができなくなった。 

やはり人間というものは、加齢とともに自然に回帰する習性を持つ生き物のようだ。

西行法師の歌 「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月(もちづき)の頃 」。「散る花も 根にかへりてぞ または咲く 老こそ果ては 行方しられね」。 

詠むほどに、何ともなしに、この歌に心ひかれる昨今である。