真鍋 峰松
この世の中、人間はいつ、如何なる事が我が身に降り掛かって来るか分からない。 この21日の新聞、テレビで報道された厚生労働省の村木元局長と大阪地検特捜部の前田主任検事の両人の上に起こった出来事を見ての感想である。
ほぼ同時期に起こった、前者は無罪確定、後者は前者の取調べに関連する証拠の改竄容疑による逮捕ということ。
幾ら“人生いろいろ”とは言え、これほど対照的な出来事は滅多に起こることではない。小説やドラマ底抜けの人間模様。斯く書けば、何処からか、特に両当事者及びその関係者からきついお叱りを受けるかも知れないが、決して面白がって言っている訳ではない。
この出来事そのもの自体の中に、事の善悪とは違った、この人の世の無情さ・無残さ、人生の悲哀を感じたのである。
国の省庁の局長といえば、いわば役人としての頂点間近という超エリート。それも過去の職務に対する本人の刻苦精励の結果として勝ち取った栄光の地位だが、それが或る日を境に、世の指弾を一身に浴びる身に置かれ、1年以上の戦いの結果としての無罪潔白。
一口に災難と言ってしまえばそれまでだが、無罪確定までの村木元局長本人の苦悩と憤怒のほどは如何ばかりだったろうか。
一方の大阪地検特捜部の前田主任検事。 東大・京大というエリート校出身でなく、地方国立大法学部出身で司法試験も現役合格でなく、26歳での合格とのこと。 検事への道を進み、検事中のエリート、東京・大阪の特捜部で活躍したそうだから、これまた、相当な努力・職務精励振りだったに違いない。
周囲からもその力量への評価は高いが、反面、その強引なやり方への批判もあったようだ。 それがここに来て、一転、容疑者の身に。
両者に共通するのは、仕事に邁進して克ち得た栄光の座に、突如襲った思わぬ落とし穴。
人間世界におけるこのような無情・無残な結果を避けるための警句、「転ばぬ先の杖」とはよく世間で使われる言葉だが、両人にとっては余りにも唐突な激しい浮き沈みであっただろう。
「世の中は 地獄の上の 花見かな 」。 この句は俳人・小林一茶の作と教えられたのだが、
まさに、この句そのものの人間世界であることの証。 また、良寛さんの「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」そのものの人生行路ということでもある。
また、「禍福は糾(あざな)える縄のごとし 人間(じんかん)万事、寒翁が馬」。
これは、中国古典の淮南子(西漢帝国の王族 淮南王劉安を中心に作成された)に取り上げられた故事からの成句だが、果たして前田主任検事の方では如何なる形で禍が転じて福となるのだろうか。 その日がくるのだろうか。
こう言えば、前田主任検事の場合、禍ではない、故意又は過失?による重大犯罪だという反論の向きもあるだろうと思う。なるほど、検事という職責にあるまじき行為で、社会へ与えた衝撃の大きさは計り知れないというのは事実である。
だが私は、過去における彼の職務に懸けた情熱と努力はこれを何人も否定できないだろうという、ただその一点から、その暗転の無情さ・残酷さに一片の憐憫の情を感じざるを得ないのである。
道元禅師の言葉「或は是 或は非 人識(し)らず 逆行順行 天も測ること莫(な)し」。 つまり、善いの、悪いのと言ったとて、善いが悪いのか、悪いが善いのかわからない。 どんなのが悪行で、どんなのが順行か、どんなのが身のためになって、どんなのが身のためにならないのか、ちょっと目で見ただけでわからない。 薬が毒で、毒が薬ということもある。
そうすると、世の中というものは見た通りではないということもあるのだろう、と説かれる。 世の中、このような見方もあるのではないか、と思うが故である。