2010年02月08日

◆腰の痛みと二人三脚〜私のゴルフ人生〜

真鍋 峰松

        
現在の私のゴルフは年来の腰痛との闘いである。 パターやアプローチ、ボールのピックアップ時に腰を屈めると、時にはビーンと身動きできなる位の激痛が加齢とともに。 元々、30歳過ぎから発症の年代物の腰痛だが、意外とゴルフ好きの中にもこの戦いを続けておられる方が結構多い。
 
もっとも私の場合、後半ハーフのスコアーの悪さを常にこの腰痛のせいにする不届きな人間でもある。                       
ところで、20歳台から始めた多くのゴルファーに比べ、私のゴルフ歴は短い。初めてクラブを握ったのは、と言うより単に手にしたというのが正確なところで、25・6歳の頃。
 
当時大阪市内の都島辺りにあったゴルフ練習場へ同じ職場の先輩に引き連れられて行ったのが最初。先輩の教えに従い7番アイアンを手にしたものの、ボールがクラブに殆ど正確に当たらず、こんな筈はないと焦るばかり。その私を尻目に、隣席の見知らぬ妙齢の女性は100ヤード表示場所にドンドン飛ばしている。

当時腕力自慢の私のボールは渾身の力でぶっ飛ばしても偶に50ヤードの場所へ到達するのがやっとのこと。 悔しさにクラブを放り投げたくなった記憶が今でも鮮明に残っている。

以来、ゴルフとは相性が悪いと思い込み、40歳になるまで一切クラブを手にしたことがなかった。だが、いよいよ40歳代に突入し何か運動を始めなければとの思いと、酒に弱く宴席が苦手な私が先輩・同僚と懇親を深めるにはとの思いから始めたのが、再開の切っ掛けである。
 
我ながら殊勝にも、最初は8月の夏期休暇を利用し、自宅近辺の練習場の教室へ入門。しかし、同門の士は中高年の女性ばかり10人程度。練習途中の休憩時には男一人で会話相手にも困り、こりゃ駄目だと渋る家内を無理やり入門させ、4回程度のレッスンを受けクラブの握り方から始めた。
 
この練習で、初めは7番アイアンで70ヤードの飛距離に過ぎなかったものが、徐々に150ヤード近くに達することを体験して、やはりゴルフは力じゃないナ〜、難しいものなのだと実感した。

その後、心を入れ替え、やれベン・ホーガンがどうの、自分自身のやや肥満体質から同形の尾崎将司のスイングが良い等々とっかえひっかえ色々研究を重ねたものの、その割に成果も上がらず。 遂にはインストラクターの最近の診断では、上半身と下半身の動きがバラバラとの診立て。 
自分自身の診断でも、スポーツは心・技・体のバランスが大事とよく言われるが、この全てのアンバランスが問題で治療不能。 私のゴルフは、もう精神修養の場でしかないとの諦めムード。
                                そして現在、月一のゴルファーとして無駄に年齢だけを重ね、実力不相応のお情けハンディが21。 それも60歳を超えてからというもの、100超のスコアーが常態化。
     
今や、有り余る時間を過ごすための週2回の練習と月1〜2回のラウンドでも一向に上達の兆しが見えず、体重調整の単なる一手段に陥った昨今である。

2010年01月19日

◆歴史は繰り返す

真鍋 峰松

年が明けて、はや半月を過ぎようとしている。 あっという間も無く日が過ぎていく。これは多くの人にとって共通の慨嘆だろう。 

それにしても、現在のこの社会、すべての面で慌ただしい。とりわけ、新聞などの報道を見ていると、政治や経済の世界は絶えず渦を巻いている気がしてならない。本来、世の中に驚天動地の事件なんぞ滅多に起こることもない、と思うのだが。 

「今日もまたかくてありけり。 明日もまたかくてありなむ」、これが私の年令相応の心境ということなのだろうか。

それにしても、あの阪神・淡路大震災から、はや15年。一瞬にして6000人を超える死者を数えた都市直下型地震の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。まさに驚天動地の事件であった。改めて、被害に合われた方々のご冥福と残されたご家族皆さんのご奮闘を心からお祈りしたい。
                           
さて、目下、マスコミの焦点となっている小沢、鳩山氏の政治資金がらみの事件。 日々報道される内容以外に詳細を知る術など持たないのが我われ。事の真偽のほども全く解らないが、古今東西、政治に金は付き物。政治活動に多額の資金が必要とされるのは自明の理。 従って、私は政治がらみの資産形成も、度を越さない程度なら、よしとする。     
だが、肝心の為政の志だけは失って欲しくないものだ。いつの時代であろうと、政治家の原点になるのではないか。政治家だけではない。各界のリーダーすべてについて、それぞれの志が望まれるのである。そうでないとリーダーとしての説得力が出てこない。      

その折も折、ある書物に書かれていた言葉に共感を覚えた。それは、後漢時代から三国志の時代にかけての人物、荀悦(献帝の侍従兼政治顧問)が政治の根本とその得失を論じた「申鑒(しんかん)」の中の言葉で、                             「政を致すの術は、先ず、四患を屏(しりぞ)く」と。              
四患とは、「偽私放奢」のことで、
「偽」とは、二枚舌、公約違反のたぐいである。
「私」とは、私心、あるいは私利私欲を意味している。
「放」とは、放漫、節度のない状態を指している。
「奢」とは、贅沢、ムダ使い、あるいは心の驕りである。           
まさに、混沌とした現下の政治情勢にピッタリの言葉ではないか。

鳩山、小沢の民主党両首脳が置かれている厳しい状況は、この四患の全て、乃至、そのいずれかに該当する恐れ十分有り、と言わざるを得ない。 (完)
                      <評論家>2010.01.18


2010年01月09日

◆これが“私の最後の彼女?”

真鍋 峰松

我が家には室内で飼うミニチュア・シュナイザーが三匹いる。12歳、7歳のオス二匹に、一番小さいのが5歳のメスである。
 
何故このように同種の小型犬を三匹も同時に飼う羽目になったのか。 説明すると長くなるので省かせて頂くとして、私ども夫婦が決して望んだ結果ではないのだが。会社勤務(週2日)以外の在宅日は、オス二匹の朝夕の散歩が私の日課である。

この勤務形態になって以来の4年間というもの、雨が降ろうが雪が降ろうが、台風以外のほぼ毎日、散歩時間ともなれば催促に鳴き喚くお犬様に追い立てられ、健康的な散歩のお供が日々の習慣となってしまった。 
因みに、残り一匹の最小のメス犬は散歩時に狭い庭での放し飼い。そこで、拙宅に来られるお客様が一番驚かれるのは、玄関から入って即の三匹の小型犬の騒々しいワンワン、キャンキャンの喚き声。
 
更に驚かれるのが、我が家で最も広いリビングが、室内の到る所まるで犬小屋化している有様である。太陽の光が最も入る窓際にはお犬様専用の座布団が三枚ずらり。唯一のソファも今やお犬様専用のベッド。
 
実際の話、細々とした収入の我が家にとって極めて物入りなお犬様たちで、餌代にペットシーツ代、更には二カ月に一度のトリミング代、七種混合ワクチンなどの治療代等々、毎年相当な金額ともなる。

その上、家族全員で長時間家を空けることも儘ならず、本当に頭が痛い存在である。                                    
だが、しかし、である。 今や我が家の主人顔でのさばるこの犬たち。意外な事にそれぞれに人間並みの個性があって、毎日飽きない日々を過ごさせて頂ける有難い存在でもある。

何より、長年サラリーマン生活を送ってこられた方なら何方も同様でしょうが、現役時代にはこれまで近所付き合いなど一切無縁であった私とって、散歩時の犬を機縁とした見ず知らずの方々との会話を促す機会ともなり、狭い範囲ではあるが、それなりの地域コミュ ニケーションの機会ともなっている。
 
私の住むのは府内のニュータウン。緑道や公園内で犬の散歩中によくよく観察すれば、犬の散歩に勤しむ会社をリタイヤーした男性年配者の多さに改めて驚かされ、この風景一つに今更ながら高齢化社会の到来を実感させられる。

さてその中で、親しくなった私より少々年上とお見受けするお一人の男性の言葉に暫し笑いが止まらなかった。 曰く、「これは我が家の女王様。現役時代には接待等で色々あったが、これが私の最後の女。孫より宜しいで。あれ買え、これ買えも言わへんし、病気で心配することもないし」
 
この言葉に、私も思わず「同感、同感。御同慶の至り」。長年の宮仕えの辛苦や、様々な色模様の果ての、何とも穏やかな日々の連続である。(完)
                        <評論家>

2009年12月24日

◆最近の風潮に思うこと(七)

真鍋 峰松

今年も残すところ、あと僅か。 毎年この時期になると決って報道されるのが、今年の漢字と新語・流行語大賞の発表。 漢字の方は「新」。そして、新語・流行語大賞は「政権交代」に決った。 

両者とも、現在の暗い世相を根本から変え、少しでも住み良い社会に革新して欲しいという庶民の切なる想いが込められている言葉である。

さて、新語・流行語大賞の正式名は「2009ユーキャン新語・流行語大賞」(現代用語の基礎知識 選)というそうだが、今年で26回目。 その内、選考に残ったトップテンの中に、「派遣切り」や安価で手軽なファッションを指す「ファストファッション」といった現下の厳しい時代をそのまま反映する言葉が見受けられた。

そのトップテンの中の一つが「事業仕分け」。世論調査では8割近くが高く評価をするとの結果。 繰り返しになるが、公開の場でこのような議論がなされ、大々的に国民の目に触れる形で意見交換が行われたという歴史的意義は十分に評価されるべき、とは思う。
 
だが、問題は当該事業の見直しにより如何なる影響が関係方面へ生じるかについての深い議論が不足していたことだろう。見聞きした国民がこれを十分認識し、自身への影響度合が伝わったのだろうか、疑問である。

ドラマそのままに、仕分け人が一方的に攻め込む姿に胸をすく思いだけが残り、片方の所管行政側のモタモタと答弁する姿に快感を覚えるという、一種人民裁判のような錯覚が反映されたような世論調査の結果ではなかったか。 

同時に、国民の間では、豊富な知識と見識を備え国家天下を論じる高級官僚という今までのイメージが著しく損なわれた気がする。 もっとも、答弁に立つ高級官僚に対して多少同情の気持が生じる点もある。

何故なら、答弁のモタモタは、従来の国会の委員会審議の延長上での答弁意識の表れかも知れないと感じる点にある。 

つまり、委員会審議の答弁内容は議員の質問範囲に限定され、答弁側からの正面切っての反論や問題提起が自動セーブされ、「検討します」「研究します」、酷い場合はよくよく聞けば「ご無理ごもっとも」式の習性がそのままで、質疑の内容が対等な討論にはほど遠い方式であった、という意味である。

今回の「事業仕分け」はその延長上の意識ではなかったのか。 今後も毎年「事業仕分け」を続けるというなら、この答弁意識の変革も含め、種々改善を要する点が多いと思われる。

蛇足ながら、最近の政治・行政を見聞きしていると、現在の風潮は徒にアマチュアリズムに偏し過ぎている気がしてならない。確かに、世に新風を吹き込み、旧来の弊習を抜本的に打破するという面では必要なことだろう。

だが、アマチュアが責任ある立場で参画するというからには、それなりの基礎的な知識を身に付け行うべきだろうし、まず、謙虚さを自覚すべきだろう。今回の「事業仕分け」を見聞するにつれて、その観をより深くした。

もう一つ。 「歴女」なる耳新しい言葉が選ばれた。 その意味するところは何か。大上段に述べるには、この言葉の定義自体も難しいのだが、最近、若い女性の間で歴史がブームになっているそうで、彼女たちが歴女と呼ばれ、歴史に大層詳しく、さらにはお気に入りの戦国武将などがいるそうだ、程度の知識しかない。

その武将の一人が石田光成。今年の大河ドラマでは好意的に描かれ、なおイケメン俳優が演じることによって、「歴女」の中でも人気の武将の一人である、そうな。 私などは、石田光成の有名な「三椀の才」との話と、人により評価が大きく割れる天下分け目の関ケ原大合戦を巡る話程度しか知らないのだが。

そこで、人気者。 人間が最も興味を持つ関心の対象はやはり人間であり、世間は年がら年中、明けても暮れても人の噂話で持ち切り。 居酒屋の酒の肴ではないが、専ら貶して罵って憂さを晴らすのだが、時には持ち上げて囃し立てる話題も求められる。 そこで、陽気で華やかな傑出した人材の出現が待たれている。 

その気運にうまく自分を乗せ、華やかに押し出し売り込む呼吸に成功した者が人気者となって喝采される。反面、人気者ほど辛い立場はないだろう。いつも庶民の要求に応えてゆかねばならない。 

つまり、話題の提供である。それが切れたら運の尽き、飽かれて見放される。その果てには、今度は、逆に世を挙げての嫉妬心が燃え上がり、憎んで難癖をつけて叩き落とす。これが剥いたところの現実の世の姿。 

こう言えば、身も蓋も無い話になるのだが、今の鳩山首相の評判などはその好例。 その内、橋下大阪府知事などもいずれは・・・・。
(この項・最終回)
                       <評論家> 

2009年12月16日

◆最近の風潮に思うこと (その六)

真鍋 峰松

前回(12月13日掲載)に続き、最近の報道について二点、書いてみたい。 

・)最近まで連日賑わい続けた、鳴り物入りの事業仕分け。その目的は民主党のマニュフェテストに掲げられた公約の数々を実現するための財源探しにあり、この作業の趣旨もここにあったことは明白である。 

だが、その後の外交や防衛、文化・科学等の分野での議論の混乱振りから見ると、当初からこの作業部会の基本的処理方針がきっちりと確立されていたのか、非常に疑わしい。 

だからこそ、作業途中であのような紆余曲折の議論を呼んだのではなかろうか。同時に、一部から劇場型の人気取りと批判された由縁でもあろう。

元々、この種の作業部会においては、ある特定の行政目的が設定され、その上に立って具体の施策展開が効率的、つまり最少費用で最大効果を発揮できるような仕組みになっているかどうかを糺すことに重点が置かれるのが基本であり、効果的でもある。

そして本来、民主主義政治の下では、行政目的の樹立とその妥当性を判断するのは政治そのものの果たすべき機能であって、その機能を斯かる作業部会に丸投げする考え方はおかしい。 

もちろん、作業部会とは言え、史上初めて、今回のようにあらゆる分野から人材を集めた大掛かりな会議が公開で開かれたことの意義は大きく、そのこと自体からして一部に行政目的の是非にまで議論が突き進むのも解らないことではない。

だが、それも、作業部会における予め確立された基本的処理方針の下での枠組みの上に立ってのみ許容されることである。

そう考えると、今回の作業部会設置目的の財源探しとの関連において、事業仕分けにより廃止・減額・凍結と判断された事業と、その財源を以て充てるべき公約関連事業との、公益上の観点からの比較考量がなされたのだろうか。 

作業部会にあれ程までの権限が付与されるのであれば、この比較考量こそがまず行なわれるべきであったのではないか。 

この両者の比較をして、果たして国民の軍配はそのどちらに上がったのだろうか。 それとも、威猛々しい劇場型のドラマに酔っただけという結果なのであろうか。事業仕分けに携わった人たちは、斯かる視点をも加味して種々の判断をしたのか、甚だ疑わしい。

・)ごく最近のある新聞紙上に、堺市の公園管理を巡っての指定管理者制度の導入についての記事が載っていた。 競争入札で、従来管理に当っていた市のシルバー人材センターから民間会社への請負に変わったというのである。 

選定委員会での最初の入札結果では、同センターが評価で1点の僅少差で落札したものの、後日、選定委員の1人からクレームがつき、再度の審査に結果、民間会社への落札となったというのだ。

私自身の経験からして、この種の入札に一番大事なのは事前の仕様書の作成作業にあり、出るだけ詳細・綿密な仕様設計が行われなければならず、この仕様書の下で公開審査、ケースによっては専門委員による非公開審査が行われる必要があると思料する。

このケースの場合は公開審査で行われることが望ましいと考えるが、単に金銭的に安上がりであることのみが大事とは思えない。 

何故なら、シルバー人材センターという団体の性格上、高齢者の生き甲斐対策という側面が視されるべきと思うからである。即ち、経済的効率性というのみならず、高齢者対策という重要な行政目的に沿った視点をも十分に加味すべきと考える。

報道から見る限りは、初回審査で1点差というのであるなら、当初の審査の方が行政の総合的な公益に適った判断だったのではなかろうか、とも思える。

一方、市のシルバー人材センター側の見積りについても、少々気になる点がある。ボランティアを主体にした公益団体である同センターが、何故に利潤を旨とした民間会社の見積りに敗れるのか。通常感覚なら、到底考えられないようなことだと思うのだが。少々気懸りな点である。
 
まさか、敗因は、当節問題になっているような天下りによる高額給与者の存在による、間接的な管理事務費の高額化によるのではあるまいか、と余計な心配までしたくなる。 
   
本件も、報道を賑わした国の事業仕分けと同様、公益上の長期的観点を軽視し、単なる経済的効率性のみを追い求めるという過ちを犯しているような気がしてならない。 

と同時に、事前の報道目的や取材方針の確立なしに行われた報道の結果、ということではないのか、と。
   
上記の二件は、相当に独断的と言う批判も敢えて辞せず、先に指摘したような報道趣旨や着眼点が十分吟味され、取材活動が行われたのか。その報道姿勢に非常な疑問を感じ、取り上げてみた次第である。(完)
                     <評論家>


2009年12月13日

◆最近の風潮に思うこと (五)

真鍋 峰松

先日朝のテレビ番組の中で、大いに気になることがあった。それは、低額宿泊施設(生活保護法に基づく宿舎提供施設)の運営を巡る訴訟事件に関する報道だった。

内容は、1人の施設退所者が設置運営主体であるNPO法人を相手取り、法外な利用料金を自分名義の口座から勝手に引き落としたので返還を求める、とのこと。 

口座に入金されるのは当人の生活保護費支給額月12万円。そこから、施設利用料金9万円を差し引き、結局本人の手元には3万円しか残らないというのである。 

テレビ取材に応じている本人は健康で実直そうな63、4歳の男性で、現在電気修理業を営みアパートで一人住まい。 その談では、月12万円あれば十分一人暮らしも可能、在所時に3万円の手元金しか残らないのはおかしい、施設の利用料金が不当と言うのである。 

一方、施設側は9万円の利用金の内訳は、毎日3食の食費で4.5万円(内食材費1.5万円)、施設管理・設備費等で4.5万円と弁明。

何故、ここで事件内容を詳細に伝えるのか。それは、この報道内容に腑に落ちない点を感じたのである。何より、報道の趣旨・着眼点が不明であった。

施設側が勝手に口座から引き落とすこと自体に関する問題意識なのか、それとも、元入所者の主張するように不当に高い利用料金を問題にしているのか、或は、当該NPO法人自体に対する本質的な疑惑を伝えたいのか、判然としなかった故である。 

口座引き落としなら所管行政の考えを追及すべきだろうし、不当料金と言うなら、例えば食費4.5万円のうち食材以外の3万円の内訳なり管理・設備費の詳細を追及し、他の施設との比較考量や所管行政の見解を糺すべきだと思われた。 

法人に対する本質的な疑惑なら如何にも中途半端で、当該法人の他の施設も取材すべきである。 前提の運営実態や費用負担の仕組みも伝えずして。

今の世の中、あらゆる分野で、善く言えば社会をリードしている、悪く言えば掻き回しているのは、テレビ報道であろう。 

活字による報道媒体である新聞・雑誌などとは違い、テレビのような電波媒体は即時性・臨場性などに優れ、時間に追われじっくりと落ち着いて物事を考察することの少ない現代人にとって、一番相性の良い媒体であろう。 

だが、電波媒体の危険性を指摘する人も多い。 報道を急ぐあまり消化不良気味になることは避けられないし、視聴者にとっても弾丸並みのスピードで流れる言葉は凡人にとり言葉の持つ意味の反芻も効かず、聞き流すことが多々ある。

さらに、番組に登場するコメンテーターと称する種々雑多な人たち。視聴者受けを狙ったような知名人を並べ立て、あらゆるジャンルの事件報道に種々コメントを発するので、如何にも素人感覚で現場から遊離したケースも多い。この番組に居合わした人たちも福祉現場・行政に精通しているとは到底思えなかった。

その故か、番組上では弱者の立場のみを強調したようなコメントだけが多かった気がする。

このような問題意識の判然としない報道よりも、番組に登場した原告となった健康で実直そうな弁も立つ63・4歳の男性が何故この種の施設を利用せねばならない環境に立ち至ったのかを追及する方が、今の厳しい世相を現場の目から取り上げる視点からの、一つの題材になり得たのではないかという気がするのだが。 

本来のあるべきジャーナリズムの姿としては、もう少し冷徹で深みのある、責任ある報道を期待したいのだが、無理なのであろうか。

とりわけ目立つのは、深い考察力もなく、現実や実状も詳しく知らずして、ややもすれば、一方的に強者を責め、弱者を擁護する側面の克ち過ぎた報道である。これが、逆説的に、モンスター・ペアレンツ(保護者)やぺイシェント(患者)の問題として、一時揶揄的に取り上げられた由縁でもあろう。

望ましい報道として、その客観性・中立性を強調したある書物の言葉を挙げておきたい。

「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。

ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる」。

報道の受け手としての我々も、十分に心しておかねばならぬ言葉だ、と思う。(完)
                               <評論家>

2009年11月23日

◆最近の風潮に思うこと(その二)

真鍋 峰松

<主宰者より:真鍋 峰松氏寄稿の「最近の風潮に思うこと」(その三)を、(その二)より先に掲載してしまいました。お詫びいたすと共に、(その二)を本日掲載致します>。

今年7月29日、肺炎のため101歳でお亡くなりになった松原泰道師は、私が心から敬愛し、私叔する仏教家のお一人である。

 同 師の説かれるところには、我われ凡人の機微に触れること多く、限りない人間への愛情に満ちた言葉が多い。

それこそ数多ある著書の一つである「迷いを超える法句経」は、真に平明にして、教えられるところの多い本であるが、その中で「こころこそ こころ迷わす こころなれ こころにこころ こころ許すな」との詩句が引用され、愛と憎しみの意(こころ)が理性に勝ち過ぎ、感情が狂うと眼まで曇るものです、と説かれている。
 
そのことを故亀井勝一郎氏は、「言葉は、心の脈拍である」、松原師は「言葉は、心の足跡である」と表現されている。 

真に人間の健康状態は其の人の脈をみれば判るように、其の人の心が病んでいるかどうかは其の人の言葉を聞けばたちどころに判断できる、其の人の言葉を聞いているうちに、次第に其の人の心の足どりが微妙に感じられてくるものだ、との教えである。 

また、同師は、寒山詩からの引用として「心直ければ出づる語も直し、直心に背面なし」と。 

世間は直心からでる直語に反感を持ちやすい。世渡りに賢明な現代人はもちろん直心から出る直言を避ける。しかし、現代最も大切なのは、背面無き直心から発せられる直言の叱責であろう。それが実るには他者に成り切る愛情の涵養である、と説かれる。

私は、これらいずれも、ギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの現在の政治や社会への、惜しくも逝去された恩師からの遺言・直言と受け止めたい。  合掌。
(評論家)

2009年11月22日

◆最近の風潮に思うこと(その三)

真鍋 峰松

昔、学校で国会を「言論の府」、特に参議院は「良識の府」と呼ばれると教わった遠い記憶がある。だが最近では、私には、その言い回しが如何にも虚しいものに聞えてくる。 

そこで見られるのは、出し入れ自由自在のご都合主義で、論戦にはほど遠いお互いの尊厳を損じ合う罵詈雑言に近いものまで見受けられる。いつの時代からこんな風になったのだろうか。 

言葉一つで相手を殺すことだってできる。本来、それほどの力を持ったものが、言葉である。そんな言葉であるから、無責任なものであって良い筈がない。まして国会という、これ以上ない公開・公式の場ではないか。
 
国会(帝国議会)の第一回開会は明治23年(1890年)のことだから、国会論議も約110年の歴史を刻んできた。 その歴史の中では、それこそ生死を賭けた言葉のやり取りは、多々ある。 

昭和12年第70回帝国議会での浜田国松衆議院議員(政友会)が行った軍部の政治干渉を攻撃する演説を巡る、時の寺内寿一陸軍大臣との有名な「腹切り問答」、昭和15年第75回帝国議会での斎藤隆夫衆議院議員(民政党)の軍部批判演説など、当時の世相の下では生死を掛けた発言であったろう。
             
道元禅師の正法眼蔵には「愛語 回天の力あり」という言葉がある。 

分かりやすく言うと「思いやりのある言葉は、人を変えていく力がある」ということのようだ。 

また、中国古典の漢書(劉向伝)には有名な「綸言 汗の如し」つまり、出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いことを意味する言葉もある。 斯様に、古くから言葉の重みを強調する警句は数多い。

さらには、老子には「多言なれば、しばしば窮す」、荘子には「大弁は言わず」と多弁の愚を戒める警句すらある。
 
それに較べて、最近の・・・、と一々並べ立てるのも野暮というものだろう。 だが、こと、国会や閣僚に限らず、今やマスコミの寵児と化した大阪府橋下徹知事にも言葉を重要視しない言動が多々見受けられるのも、如何にも真に遺憾なことである。(完)
                       <評論家> 09.11.22


2009年11月09日

◆最近の風潮に思うこと

真鍋峰松

最近の日本の風潮は、国会論議やマスコミ論調を見聞きするにつれ、政治の面でも、社会面でも、“いい””悪い“という単純な両極端に焦点をしぼって対決を迫るというか、結論を押し付けようとする空気が強く感じられ、国民も風になびく葦のごとく右往左往する。
 
目下の焦点となっている日米外交における沖縄基地移転問題、明石海岸での人身事故やJR西日本の列車脱線事故に関する責任問題・・・の如く。 私の独断かも知れないが、どれをとっても理性的でない、感情的な二者択一的な議論ばかりのように思われて仕方がない。 

何でも寄せて二で割る式の曖昧主義・中道主義が良いというのではないが、問題を両極端に絞って対立させ、その良し悪しを定めるやり方は決して現実的ではない、と言いたいのである。

あえて言えば、“いい””悪い“をはっきりさせ過ぎるような世の中は、窮屈でもあり、不健全だということになるのだろう。 実際には、“いい””悪い“を極めつけられないグレーゾーンの部分があることが現実でもあり、もともとその幅の中をゆるやかに往還するのが生活であり、政治でしょう、と。 

古来より、日本人は、思想や宗教に縛られることのきわめて少ない体質で、そういう人々が豊かさと苛烈さをともに齎す風土の中で融通無碍に生きてきた、と言われる。それが“日本民族は農耕民族”論の教えるところではなかったか。

それに反し、どうも今の風潮は、全般的にあまりにも自分自身を省みず、他人を責めることに急に過ぎるのではなかろうか。 
<評論家>


2009年09月24日

◆儚い花「月下美人」

眞邊峰松


少し涼しくなってきましたが、お変りありませんか。

残暑お見舞いの代わりに我が家で咲いた「月下美人」の写真をお送りします。 

一枚目は一昨日の夜11時半、二枚目は同夜12時半の写真です.

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実物は真っ白な花弁で、葉っぱの中頃から花の茎が出てきて、このような見事な花を咲かせます。 

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ご存知とは思いますが、「月下美人」は夜に咲き、一夜で萎んでしまう儚い花です。 

人の人生にも似た何とも儚い夢のような花。 

朝に見ると、本当に萎れて、閉花していました。(完)

2008年12月18日

◆65歳の想い (2)

                眞邊 峰松

本欄(20年に同上の題で振り返れば、50歳を超える頃から、5歳刻みで、己の肉体的変化を気付かされた。 

通常、人間なら55歳でそろそろ「定年という人生の社会的終焉」を意識させられるようになり、いよいよ60歳で社会の第一線からの引退という段取りを。そして65歳では人としての散り際を意識するもの。
   
前回の「65歳の想い」の締めくくりで 「残された人生を、できることなら、かく生き貫きたいものである」と書き、後編に委ねた。 

しかし、そう書いてみても、これまでの過ぎ去った人生において、これにほど遠いのが実感ではある。

そこで、これまで読破した文章の中で、この「想い」に通じる三篇を紹介してみたい。 

<◆紀野 一義の文章>
「 男というものは、どういう生き方をするものなのか、あなたもよくよく性根をすえて、見据える必要がある。 男なんだから、一生、男でありたい。 いつも第一線の男でありたい。 
くよくよせず、うじうじせず、壮快に、壮大に、せいせいして生きたい。 これぞ男の一生、というような生涯を生きたい。

そうでなくては、成仏できない。 私は死ぬまで男でありたい。 最後の最後まで男であるべきで、もはや男として用をなさなくなってからも生きたいとは、さらさら思わない。 何とも痛快ではないか。 

要するに、自分が、ほんまになることだ。 にせものはいかん。 ペテンもいかん。 てんぷらもいかん。 ほんまもんでなくてはいかん。 男なら、言い訳なんぞせず、手を抜いたりせず、威風堂々と行く。 飯もぱくぱくとやる。 勝ったら勝ったでいい。負けたら負けたらでいい。 

ろくすっぽ殴り合いもせんくせに、相手の悪口ばかり言いまくるけちな日本人にはならんこと。 人間、どうせ生きるのなら、さわやかに、気持よく生きたいものである。 少々だらしないところあれども、大勢の人間が喜んでくれるような存在でありたいものである」。               

 ◆森本哲郎氏の文章

「 古来、インド人は人生を四期に分けて送ってきた。 第一期は「学習期」。 第二期が「家住期(勤労期)」。 第三期が林住期(ゆったりとした老後を送るために町を離れ、静かな森の中にささやかな住まいを設けて、そこで思索や瞑想の日々を送る)。 最後に「遊行期」(夫婦で聖地を巡礼。なにがしかの貯えがあれば、老後の楽しみの旅行)。
     
自ずから日本人の人生も四期を成しているように思われる。 しかし、私はもっと意識的に、もっと積極的に人生の四期を考えてはどうかと思うのだ。 そうすれば、各期それぞれに生きる目標が与えられるし、人生の設計も容易になろう。 しかも、生活にはっきりとケジメがつく。 現代人の不安は、実は生活にケジメのないところから来ているのだ。 

いつまで働いたら良いのか、老後をどのように暮したらいいのか、何歳ぐらいから老人になるのか、そうしたあいまいな人生行路が人々をいつまでも落ち着かせないのである。 人生にとって何よりも大切なのは、如何に生くべきか、をしっかりと見定めることである。 それに解答を与えるためには、人生に節目を設けなければならない。 

『人の一生は重き荷物を背負いて 遠き道を行くがごとし』と徳川家康は言ったが、そんなふうに人生をだらだらと歩むのは何ともやりきれないではないか。 重い荷を背負って汗水たらしながら生涯を歩み続けねばならないとしたら、ものを静かに考えたり、生活を愉しんだりする暇も無く一生を終えねばならない。 

貧しい時代ならそれは已む得ないことだったのかも知れないが、これからの日本の社会は、一昔前とは比較にならないほど豊かなのである。 私たちはこのへんで、あらためて生き方を学び直すべきではなかろうか。
  
蕪村の句「かぎりある 命のひまや 秋のくれ」 彼はふと絵筆をとめて、秋の夕暮れ、「かぎりある命」に思いを寄せたのである。 私は、人生とは、このように、自分の生き方を噛みしめることだと思う。 どんな人も、そのような命のひまに、自分を見出すのだ。 人生でもっとも大切な時間とは、そうした「命のひま」と言っていいだろう。 だから、私もそんな時間を持とうと努めてきた」。                     
 
◆(再)森本 哲郎氏の文章
「 思えば、年を取るということは、何と難しい行であることか。 すでに老境に入った我が身を省みて、つくづくそう思う。 人生とは、いかに年を取るに懸かっている、と言ってもいいのではなかろうか。
      
老年にとって何より必要なのは、老人としての自覚を持つことだ、と私は思う。 しかし、問題はどのような老年の意識か、ということだ。 誰もが、それを自分で作り上げなければならない。 別言するなら、自分はどのような老人になるかが人生の目的なのである。 何故なら、その向こうには、死があるだけなのだから。
      
では、老年はいつから始まるのか。 それも自分で決めたらいい。 老境とはキケロの言によれば、「精神や肉欲や野心や拮抗や敵意や、その他あらゆる欲望の、例えて言えば、兵役の義務を遂げ果たして、精神独自の境に入り、独自の生活を営む」ことのできるようになった時期である。 

当然、そこには貴重な閑暇があり、静寂があり、平安がある。 これが肉体の衰えを補って余りあるのだ。 老年とは収穫期である。 人生の途上で自分が蒔いてきた種子を自分で刈り取る季節である。 その収穫は「以前に既に贏(か)ち得た幸福を追憶する事と、その幸福を豊かに享有する事」に他ならない。
     
キケロより400余年前に生きた孔子は「五十にして天命を知る」といい、「七十にして、心の欲する所に従えども矩を越えず」と語った。 私は、この二十年こそが人生の真骨頂であり、それ以前は、そのためにあると言ってもいいような気がする。 人生の収穫は、まさにこの段階で、静かに、安らかに、愉しく享受できるはずだからである」。  
 以上<再掲>




2008年12月17日

◆65歳の想い (1)

                 眞邊 峰松

平成20年3月31日は、私の満65歳の誕生日である。 
いつの頃からか、多分50歳代後半だろうと思うのだが、男としての人生は65歳。それを過ぎれば、いつ死んでも心残りはないと思い、過ごしてきた。

こう考えた当時の私は、男としての最盛期。 その後、己に与えられた職責も周囲の人々に支えられ、自身の能力・才覚以上に無事役割を果たし終え、第一線を去った。 

60歳を越える年齢に到って、新しい仕事に就き、時には食事や会話を共に楽しめる美しい若い女性達にも恵まれ、己のみの錯覚だったのかも知れないが、おおむね順風満帆の人生の道程。 人生一寸先は闇とよく言われるにも拘わず、傲岸不遜なこの想いも、その余りの有頂天ぶりの現われだったのだろうか。 これらも、今となっては、まさに一場・一幕の夢・まぼろしとしか思えない。 

振り返れば、50歳を超える頃から、5歳刻みで、己の肉体的変化を気付かされた。 通常、人間なら55歳でそろそろ「定年という人生の社会的終焉」を意識させられるようになり、いよいよ60歳で社会の第一線からの引退という段取りを。そして65歳では人としての散り際を意識するもの。
   
私も、8年前に大阪府庁部長職を最後に退職して以来、終始身辺を彩った人達を徐々に失い自尊心への翳りを自覚するという現実に、65歳を目前にまさに男としての散り際になり、己を見失い、己の寄る辺に迷うという悲嘆を味わう結果となった。 

その上、今回の知事選後、想像を超えた大阪府庁の混乱ぶりに、最大の社会的関心事である府政への興味・一体感をも一挙に失ってしまった。 

あれやこれや、まさに無気力・無関心の極みと言うほか無く、今後如何に最後の人生の残り花を咲かせるか、残り火を燃え尽きさせるか、今、その苦悩の中、まさに煩悩の渦の中にある。

それも、気がつけば既に65歳。 一層の体力の衰えにも気づかされ、遂に前期高齢者の仲間入りを意識せざるを得ない。

 幸い、家庭内ではそれなりに安穏の日々を過ごさせ頂いている。 眼前の苦悩の中で、一方では自己喪失を招来しかねない生来の脆弱さ・煩悩を常に自覚していた故に、これら諸々の悲感も私にとって何らかの意味ある試練と、何かに守って頂いているお陰をも同時に感じ取りながら、少なからず感謝の日々でもある。 

考えれば、往時の喜び楽しみ、辛さ苦しさも一瞬のこと、これら全てが人生の糧・薬味であったと後々において思い知らされるいうことなのだろうか。 きっと、それに違いない。

はるか昔、1227年、かの大蒙古帝国の創設者チンギスハン・テムジンは、少年の頃、天山の山頂に登って「我に六十五年の天寿を貸せ」と祈ったそうだ(司馬遼太郎)。 まさに、私もその年齢である。 果たして我は、これまでその覇気の一片でも持って生きてきたのかどうか。 今更ながら、現状を自ら省みて、己に問うも恥ずかしい限りである。

それにしても、板村真民氏の詩の中の、次の一節が私の心に迫ってくる年頃になった。
恐ろしいのは平凡、安定、妥協、安価な幸福
どんなに生きてもあと二十年   惜しまれるのは今日の一日
しかし ああ今日も無為に暮れてしまった

・・・・・・・・・・・・・・・・ 
よい本をよめ          よい本によっておのれを作れ
心に美しい火を燃やし      人生は尊かったと叫ばしめよ

同時に想い起こすのは、呂新吾 (呻吟語)の次の言葉―。
         老いるは嘆くに足らず  嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり


 残された人生を、できることなら、かく生き貫きたいものである。 (完)<再掲>


2008年11月01日

◆今日一日をプラス思考で生きる

     
眞鍋 峰松

最近になって、情報化社会がいよいよここまで進展してきたのか、と強く感じさせられる社会現象が多く見受けられるようになった。  

何よりも情報化の進展は、個人レベルの社会生活の中では、その人のアイデンティティの組織離れということに大いに関係してきているような気がする。
   
かって、サラリーマンが企業戦士として高度成長を支えてきた時代には、個よりも役割を優先する日本的意識はそれなりに機能してきた。だが、こうした肩書き優先社会では、退職や失業などにより組織を失うと、個人のアイデンティティも失われ、ヘタをすると人間としての存在価値そのものが奪われる結果となる。

ここにきて、一挙に増加傾向を示しつつある中高年男性の自殺や熟年離婚のなども、役割と人格を混同し社会や配偶者などと個として向き合うことが少なかったことの裏返しの現象の一つ、ということだろう。
   
情報化の進展とともに、個々人が容易に色々な情報に接し得る機会が多くなり、各人のライフスタイルも多様化しつつある現在では、かっての組織優先の人間観・人生観は個人にも社会へも大きい軋轢と落差をもたらす。 

個人にとって、従来の日本型の自意識のままでは、情報化、多様化している社会を生き抜くのは非常に難しい時代に直面しているのは確かだ。
   
そこで求められる生き方は、ということになると、やはり肩書き抜き、組織とは距離を置いた自己意識を持ち、長寿社会を迎えて多趣味を生かしながら生き抜いていくことだろう。 

そのためには、好奇心をいつまでも強く持ち、新しいものをどんどん受け入れ、それらを積極的に活用していこうという気構えを常に忘れないこと、これはつまり、進取の気性を持つということだ。 

この進取の気性こそ生きがいを見つける最大の武器の一つでもある。 

もう一つは、徒に明日を思い煩うな、ということ。 明日のことは明日のことで、今日思い煩うことはない。いずれにしても、座して待つのでなく、これぞと思った時には、すぐさま行動に移すぐらいの勇気と機敏さをいつまでも忘れないことだろう。 

ここで動いて明日はどうなるだろう、なんて思い悩んでしまったらどうだろう。 要は、明日を思い煩うことなく、今日一日をプラス思考でことに当たることが肝要、ということになろう。
 
もう一度少年のような冒険心と好奇心を持って、一日一日を過ごし、充電してゆくことが、花も実もある生き方につながるのではないか。 

シェークスピア風にいえば、退職後も自分に与えられた「劇場」の中で、しっかりと「主役」を演じることはとても楽しいことである。(完)


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