2015年10月13日

◆メディア自体の信頼性 如何?

眞邉 峰松

 
残念ながら、我々一般人の知る情報は、マス・メディヤが一方的に流すものにしか接する機会以外に無い。 

確かに、現在の日本社会は全体として改革・革新を進めなければ、日本の進路も袋小路に陥る時期にあると思うが、注意しなければならないのは、マス・メディアの世界もまた例外ではないということである。 

逆に、第四の権力とも呼ばれるその影響力から言えば、改革すべきと思われる中で最も大事な部分は、このマス・メディアであろう。


ここで、私はマス・メディアという用語を使い、ジャーナリズムという言葉を使用していない。 


私が敢えて“マス・メディア”というのは、むしろ“マス”つまり大量の・大衆向けの、という意味を込め、社会の警鐘者たることを期待する“ジャーナリズム・リスト”とを区別したい、が為である。 その故、“ジャーナリズム・リスト”には、ある書物にあった次の言葉を呈したい。

   
「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。


ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる。」


一方、情報をマス・メディアに頼らざるを得ないわれわれ一般の庶民は、いかにマス・メディアの一方的情報伝達に対処すべきか。


残念ながら、我々には個々の情報の信憑性を確かめる術を持たないので、当該メディア自体の信頼性如何に頼らざるをえないだろう。


現在の情報過多の世相の中では、次の文章の示唆する意味を十分踏まえていく必要があると思う。
    

「音楽の情報量は、s/nと表す。Nはノイズ、Sはシグナル、つまり、音楽の発するシグナルを大きく聴き取るためには、シグナルが大きく聞こえることも大事だけれども、ノイズが少ないことが大事だというわけです。


だから、情報量をたくさん取るということは、Sを大きくすることも大事だけれども、Nを小さくすることが大事、余計な情報がどんどん入ってくると、肝心な情報のウエィトが小さくなってしまう。 


情報についても、“省く”ということを考えなければならないということだと思う。 何でも知っていたり、何でも早く読む必要はない。


そうすると、Nがいたずらに大きくなることになるでしょう。日本には「耳を澄ます」という言葉がそういうことでしょう。 (完)
                             (評論家)

2015年09月28日

◆中国桂林への旅(その四)

眞鍋 峰松



私が興味を引かれた点をもう一つ。 市内をバスで移動中に小学校の前を幾度か通り過ぎたのだが、一度、午前11時過ぎに門前に差し掛かったことがあり、そこには大勢の大人達が人待ち顔でたむろしていた。

そこで、私は不思議に思い“あれは何なのか”とガイドに質問してみると、中国の小学校は朝の授業が午前8時20分〜11時30分、午後は14時30分〜17時で、約半数の生徒は自宅に戻り昼食をとり14時半までに再登校する。また、残りの半数の生徒は学校で給食、そして給食後14時半まで学校で昼寝をするのだ、

その学校への支払額(給食費と昼寝の専用ベッド借り賃の合計)は、月額400元(日本円約8000円)。

そこで、11時頃の学校門前の人混みは、昼食のため一時帰宅の生徒を迎えに来た母親や祖父母たちだという。この状況は授業終了時の5時頃にもう一度起こる光景だ、とのこと。

この混雑振りも一人っ子政策の影響で、親・祖父母の過保護気味の現象の現われ。彼曰く、それにしても現在の中国の子供達は可哀想だ、本当に激烈な競争で土日も勉強とピアノや英語塾など通いで休む暇も無い、と嘆いていたことだった。(終)

2015年09月27日

◆中国桂林への旅 (その三)

眞鍋 峰松



観光のため走行するバスの中から市内の状況を眺めていて驚いたことは、以前の訪中の際の自転車走行者の多さに比して、北京や上海という大都市でもない桂林市という地方都市にも自動車が多く、それ以上にバイク・単車の非常な多さである。

市内の交通手段がバス以外には鉄道も地下鉄も無いので、市民はマイ・カ―で移動することになる。しかも、現地ガイドの説明では、そのバイク・単車はガソリン車ではなく殆ど電動式だというのである。

理由はガソリンの値段が高いからで、ガソリンの価格は日本と変わらないという。確かに往き交うバイク・単車に眼を凝らすと、ガソリン車のような排気筒が付いていない。説明の様に、電動式バイク・単車に間違いないと感じると同時に、これには少々驚いた。

それにしても、あの多数のバイク・単車が我先に乱暴に走行する状態の中で、よく事故無く済むものだ。もし私が桂林市内で自動車を運転したとしたら、到底無事に走行できるとは思えない。馴れない状況下で確実に事故ること間違いない。さもなくば、恐怖で少し進みすぐ停まり、少しづつ前進するのが精一杯のところだろう。
     
もともと桂林の「桂」は中国語で樹木の「木犀」のことで、市内の幹線道路の車道と歩道の仕切りには金木犀の木がずらっと植えられていて、10月になると金木犀の花の香りで街全体が包まれ、それ故に、桂林の名産品には金木犀茶と金木犀酒がある、とのこと。

街の外観は、主要幹線沿いには緑が多く、道路も整備されているのだが、一歩表通りから裏通りに入ると、古びた家並みと上半身裸の男性も多く見られ、まだまだ生活環境の整備や生活習慣の改善がされていないことが分かる。そこでは中国独特というか、何処からともなく異臭が漂っている箇所も多い。

その他、今回の桂林観光の途中で現地ガイドの説明から観察できた二点について、記述して置く。

まず、第一点は、中国社会において汚職が蔓延していること。 

現地ガイドの説明の中での事柄であるが、昔と違い現在では、学校教員は経済的に裕福であるとのこと。給料は依然として低いのだが、親からの付け届けや接待の余禄が大きいせいだという。 

また、行政官僚の汚職の蔓延も酷い様子だ。 彼は、滞日中の出来事として、田舎の貧乏村の村長数人が家族連れで訪日し一行の案内をした体験話を聞かせたが、村長たちは未だ30才台の若い年齢で、本来安い給料だけで費用の高い日本旅行などできるはずがなく、しかも奥さんに40万円もする買物をさせていたとのこと。 

その内幕は、貧乏村では貧しい村民に中央政府から生活費補助が支給されているが、村長はそこからピンはねをして己の懐に入れている実情がある、とのこと。だからこそ、このような贅沢ができるのだ、と忌々しげに説明をしていた。
     
第二点は、よく知られた中国の不動産バブルの崩壊。 市内でもよく注意して観察すると、新しいマンションで空き部屋がチラホラ見られるが、私自身はそれ自体を然して問題とは思わなかった。

だが、市内中心部から少し離れた、帰国のために通った空港までの道筋で見かけた開発地や建造物には相当に問題がある、と感じた。

     桂林市の中心部から空港まではバスで市内の普通道路を15〜20分程度走行し、続いて高速道路を30分程度利用するのだが、市内中心部から10〜15分程度外れた場所で何棟かの新築マンションを見かけた。

丁度帰国日の19日が土曜日ということもあってか、この新築マンションの1〜2棟が販売開始の様子で、沢山の人出と自動車の長い列が出来ていた。現地ガイドの説明では、確かに中心部に近い交通の便の良い場所では新規入居希望者も多いのだが、応募者の中には投資物件としての応募も多いのだとのこと。

だがしかし、さらに高速道路をバスで20分程度離れた場所に在った多数の高層マンションが立ち並ぶ場所では、建築途上のまま放置されているマンションや建造物が数多く見かけられ、既に入居開始しているマンションや建造物でも、入居者がチラホラとしかいない。

私の観察では、これは開発された新市街地で、ここ最近は建設も全く進んでおらず、途中で放置されていると感じられた。一体、これからどうするのだろうか、この状態で開発事業者の経営はどうなるのだろうか、他人事ながら心配になってきた。 

また、この放置の事情は何もマンション等の建築物のみならず、移動途中の道路脇では建設途中で立派な門構えの入口までが完成しているものの、その他は放置されたままのゴルフ場を2カ所も見かけた。(続く)

    

2015年09月26日

◆中国桂林への旅 (そのニ)

眞鍋 峰松



その前に、観光地巡りの話題を一つだけ。市内観光地の何れを訪れても、中国各地からの観光客の多さに圧倒された。それも結構多かった中国人家族や新婚さんの旅行ならまだしも、中国人団体客の場合、その賑やかさは尋常ではない。もっとも、最近では心斎橋筋商店街の通路や各種スーパーの店内などでもありふれた光景になっているのだが。
    
桂林の気候はほぼ大阪と同じ程度との事前情報で、市内滞在中の17〜18日はやや霞んでいたものの、晴天続き。桂林は亜熱帯に位置していて、気温も30度以上。その上、大阪以上に湿度が高く蒸し暑いように感じられた。

ただやはり、朝夕はやや涼しく、日中は暑い。結局、私も主に半袖のポロシャツ姿で行動したのだが、ポケットに物を入れるために羽織った薄手の長袖ジャンバーが暑くて邪魔になるほどだ。               

現地ガイドは40歳前後?の桂林生れ育ちの漢民族男性だったが、何度か訪日した経験(内、1回以上は長期滞在の様子)があり、多分我われ今回の客が日本人であることを意識しての話だろうが、本人は日本が大好きだという。彼の口から、私の知らない東京や周辺のみならず、大阪、京都、名古屋などの地名などがポンポン飛び出してくるのには、恐れいった。                                    

元々我われの方から質問をした訳ではないが、ガイドの説明では、政府の反日・抗日政策に拘らず、多数の中国人は心中では日本が好きで、清潔、治安が良い、食事が美味しい、女性が優しいことなどを良く知っている、とのこと。 
しかし、本当のところ、中国庶民の日本に関する知識は20年前から途切れているのが実情で、今の若者たちは殆ど日本に関する情報に接する機会もない。従って、良く知られている日本人は山口百恵と高倉健の二人くらいで、それ以降の俳優や歌手は知られていない。もし、山口百恵が中国へ来ることがあれば、何よりも日中友好のためになるだろう、と言う。                    

そして、彼の口からハッキリと言葉として出た訳ではないのだが、彼の説明の端々から、心中深く抱く彼の想いが私に伝わって来た事柄がある。それは私が日本へ帰国してすぐに読んだ18日付の雑誌ダイヤモンドに中島 恵氏が掲載していた「本当は中国で余生を送りたくない!日本を目指す中国人の「心の底」」の表題の下での次の記述内容(*)と同様の想いを抱いているのだろうと感じたことである。 多分それは、彼自身の幾度かの訪日体験から生じた夢なのだろうと確信する。
                                   
<*記述内容>:
一度日本の「かゆいところに手が届く、温泉に浸かっているような安らぎ」を覚えてしまったら、またそれを味わいたいと思うのは、人間として自然なことなのかもしれない。価値観が似ている東洋人同士ならば、なおさらだ。おそらく、訪日中国人旅行客の一部も無意識のうちにそれを感じているはずで、それが日本の魅力にもつながっていると思うのだが、もう少し深く日本を理解している人々は、より明確にそうした感情を抱いている。

これは昨今日本で話題になっている、中国人の「マンションの爆買い」などとは全く違う次元の現象だ。日本が投資の対象になっているわけでも、余った財産の使い道になっているわけでもなく、彼らの切実な願いであり、憧れなのである。 

むろん、これは筆者の友人間におけるエピソードであり、全ての中国人がそんなことを思っているわけではない。こうした考え方の人はむしろ少数派だろう。だが、その背後には中国での厳しい日常生活とストレスが隠れている。「隣の芝生は青い」という面もあるのだろうが、少なくとも、過去に日本と接点を持ったことのある中国人の一部は、そのような感情を抱いている。
またそれが、彼らが中国で生活する上で「心の拠り所」となっていることは確かなのである。)

2015年09月25日

◆中国桂林への旅 (その一)

眞鍋 峰松 
   
    
9月16日(水)から19日(土)にかけて、高校の同窓生グループが主催する中国広西省桂林への3泊4日の旅に参加した。 

旅行のコース名は“デラックスホテルに泊まる!桂林漓江下り 4日間”で、総勢23名(男性14名、女性9名)、最高齢85歳の男性から64歳までの高齢者団体である。 

直接の費用は旅行社への約7万円、オプション料金約1.2万円(桂林ナイトクルーズ・320元、雑技ショー・280元)で、日本からの女性添乗員(24才)と現地ガイドが同行。                                   
桂林市は人口72万人。世界的な観光地であり、中華人民共和国広西チワン族自治区(隣接は西側:雲南省・ベトナム、北側:貴州省・湖南省、東側:広東省、南側は南シナ海とその沖に海南島)の北東内陸部に位置する地方都市。 
カルスト地形(石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形)で、タワーカルストが林立し、水墨画のような美しい風景に恵まれる。住民の多くが漢民族だが、少数民族も多く12〜3民族(代表的な民族が苗(ミャオ)族)が存する。 

現地ガイドの説明では、国内外からの観光客が年間3600万人訪れ、うち160万人が外国人観光客だと言う。計算上、一年中、桂林住民以上の観光客が市内に滞在する勘定になる。実際、至る所が観光客で一杯で、まさに地域は観光業と農業で成り立っている。                                    

私の中国への訪問は今回を含めると計5回目。これまでの4回の中国旅行の内、3回は仕事の出張旅行、1回は香港への家族旅行である。今回は純然たる観光旅行だが、ここで観光地の説明をしても仕方がないので、色々な形で私自身が旅の中で見聞した中国の地方都市の実情を簡単に紹介したい。(続く) 


2015年09月23日

◆“長〜い友達”の話

眞鍋 峰松


これは、一時期テレビに長い間にわたり流された育毛剤のCMの言葉。 最近ではテレビを見ていてもあまり耳にすることもなくなった。 

なるほど「髪」という語を分析すれば、“長〜い友達”ということになる。 そう言えば、この漢字を解読し使用する方法は、昔の小林旭の歌にもあった。 

その演歌の題名も忘れたが、“戀という字は、ヤッコラヤのヤ。いと(糸)し、いとしと言う心、言う心”という歌詞である。 ある程度の年代以上の方なら、多少とも耳に残っている歌詞だろう。 
 
そこで、“長〜い友達”の話。 

私も現役第一線を退き勤めを辞めた途端に、左程身だしなみに気を使うことも無くなった。一旦このように自己自制の歯止めを失ってしまうと、人間はずるずるとだらしなくなるようだ。 

そうこうしている内に、髪の毛がどんどん薄くなる一方。一番、愕然としたのは、ある時の地下鉄車中でのこと。地下を走る加減で、外は真っ暗闇で、自ずと自分の顔・頭が映る。そこに映る頭を見た時、後頭部位は分からないものの、正面からは頭上にまさに地平線さながらに細く映る自分の髪の毛。 

遂に“長〜い友達”を失ってしまうのかという焦りにも似た感じ。若い内は、かねがね、女性なら兎も角、なぜ男性が頭の毛が薄くなるのをあんなにまで気にするのだろう、禿げ頭は禿げ頭でけっこう貫録もあるのに、と思っていた。 

ところが、自分の髪の毛が次第に薄くなるに従い、初めてそういうものではなかったことに気付いた。いつの間にか、道を歩いていたりしている時、前方から髪の薄い人が歩いて来たり、電車の中で前の座席に座っている人がいると、秘かに自分のそれと比べたりする癖がついていた。情けないことに、その人が自分より薄ければ、ひとまず、ホッとするのである。 

これはある書物に書かれていたことだが、『若さを捨てる 〜 若さに対する未練を捨てて、老いを明るく楽しむ。 中阿含経という経典に見える話。 釈迦前生の話として、ミテイラー王が理髪師から初めての白髪が生えたと聞かされての王の偈。
     
我頭生白髪    わが頭に白髪生ず
寿命転衰滅    寿命 うたた衰滅せり
天使己来至    天の使い すでに来至せば
我今学道時    われ いま道を学ぶべき時なり

「引退」するということは、私は「老いを楽しむ生き方」をすることだと考えている。逆説的に言えば、若さを捨てることだと思う。 

実をいえば、仏教が教えていることは「あきらめ」である。しかし、「あきらめ」といえば、「思い切り、断念」の意味に解されやすいが、仏教が言っているのは「明らめ」であって、ものごとの真実を明らかにすることである。 

これは何も老いに限ったことではなしに、仏教のすべてのことにおいて「明らめよ」と教えているのであるが、まぁ、年を取った私には「老いの明らめ」が肝心であろう。そしてそれは、若さを捨てることである。』   

最近、私が実感していることは、年を取るとどうも人間は、かえって若さに執着するようだ、ということ。 

「髪の毛が多いですね」と言われたり、年齢よりも若く見られたりするとうれしくなる。その結果、ついつい「なあに、若い者に負けるものか」と息巻いたりする。おかしな話である。 

だが、自然の流れに逆らうには、無理がある。結局、我われは、若さをプラスに、老いをマイナスに価値づけているということなのであろうか。もしも、老いをマイナス価値に見るならば、人間の生きる価値は毎年毎年、いや毎日毎日、減少する。 

生きる価値が減少するということは、取りも直さず、存在価値が減少することである。そうすると、年寄りなんていない方がいいという極端な考え方になってしまう。実際、今の日本にはそんな考えが横行しているのでは、と考えること自体が老人の僻みなのだろうか。

けれども、本来、人間の価値は年齢によって減少するものではない。人間の価値は年齢と無関係である。
   
若さは若さ、老いは老いである。だから、人間は年を取れば、しっかりと老いを自覚し(明らめて)、きれいさっぱり若さを捨ててしまおう、それが、仏教でいえば「禅」の行き方、いくら心配しても変えることができないものを心配するな、そんな無駄をするな!と教えるのが禅だ、そうである。 

要は、若者には若者にふさわしい生き方がある。 それに対して、老人は、老人としての生き方があるということなのだろう。こう考え、生きていくのも、それもまた老年の楽しみだ、と悔しさ半分で思う昨今である。

2015年09月12日

◆鬱なる時代(3)

◆鬱なる時代(3)
真鍋 峰松

今の勤務場所は大阪梅田の界隈、御堂筋沿いのオフィス街と北新地の近く。

昼も夜も、四六時中、大阪で最も人の賑わう場所の一つ。この界隈で勤め出して5年近くになるが、この間の街の様相は相当な変貌振りである。 勤務場所がビルの高層階なので、窓越しに見える風景の視野は広く、良く見える。

その変化の第一は、この界隈での巨大ビルの増加。目に映るだけでも大阪駅ビルの大改造・増築、阪急百貨店の全面建替えと事務所部分の増築、富国生命ビルの全面建替え等々、この5年間に数えるだけで7〜8棟。その多くが事務所ビル。 

だが、遠目で観る限り、既に完成されたビルでも使用されているフロアーはあまり多くなく、むしろ見た限りでは空室の方が目立つ。

7月1日のサンケイ夕刊に「大阪目立つ無人ビル〜ミニバブルで供給過剰」の見出しの下、新築オフィスビルの空室率は5割を超え、一等地に建ちながら借り手がまったくない状態のビルも、との記事。その現実が目の前にある。 

そして、大阪ビルディング協会の事務局長談として「在阪企業は自社ビルにこだわるところが多く、オフィスを借りるのは大阪に支店を持つ企業が多い。東京一極集中で支店機能が小さくなり、大阪で必要なオフィス面積も小さくなっている。ミニバブルによる供給過剰だけが問題ではない」と嘆いているとのこと。

変化の第二は、この数年間で、大阪駅前地下街地下1,2階の店舗地区の空室が急速に増加してきたこと。それも、長期間も空きのままの箇所が多い。偶に入所する箇所の多くはパチンコ・ゲームセンター、それにチケット売り場。 通常の物品販売店や飲食店の新規入居は極めて稀だ。

この二つの変化は相互に関連している。つまり、サラリーマンなどの利用サイドの減少と、これを反映した事務所・店舗などの提供サイドの減少だ。昨年5月のサンケイのコラムでも、大阪の企業とサラリーマンの減少について触れられ、とりわけ堺筋、松屋町筋沿いの企業のオフィス数の減少が目立つとの記述もあった。  

最も象徴的なのが、昨年2月の朝日朝刊に載っていた「さらば 大阪の名門 〜商船三井、本店を東京へ」との見出しの下、前身の大阪商船が1925(大正14)年にこの地(大阪中之島 ダイビル)に本店を構えて以来の84年の歴史に幕を下ろし、登記簿上の本店所在地を東京虎ノ門の東京本社に移すことを発表した、との報道。

東京への企業の移転傾向は、全国的にもかっての高度経済成長期を通じ首都圏への集中という形で加速的に増加したのだが、ここ大阪でも、今では名実ともに大阪企業と呼ばれる大企業は数えるほども残っていない。 大阪の沈滞の主要原因はまさにこの一点にあることを、誰しも知らぬことでもあるまい。

実際、東京・大阪間を頻繁に行き来する多くの友人・知人も、最近の大阪の状態に触れて、「東京は人の集まる繁華街がどんどん増え、どの場所も物凄い賑わい振りだが、反対に大阪へ戻って来ると、見るたびに元気が無くなっているな〜と感じる」と言う。

この大阪の衰退に歯止めをかけようと、橋下知事が最近声高に言い出したのが、起爆剤としての府庁の移転と大阪都制への改革。 

その府庁WTCへの移転問題。 

立地場所の風格欠如や交通不便等もさることながら、一番の問題は危機管理体制。WTC自体の埋立地ゆえの軟弱地盤や塩害対策も問題だが、イザと言う時の警察本部やNHK放送局との連携はどうするのか。最初はやや否定的であった関西経済三団体も、一転、移転支持を表明した。察するに橋下知事への応援に回ったのだろう。 

その理由が、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待ということなら、構想に具体性を齎せるために、府庁移転に引き続き在阪大企業の中で移転を表明する企業が一社でもあって可笑しくないのではないか。 

同時に、それこそ三団体の代表者は団体事務所ビルや、自社の本社事務所ビルを湾沿岸部へ一斉に移転するという意見表明でもしたらどうなのか。今でも用途不明の用地を確保したままの大企業も多いのだから。それでなければ、単に橋下知事へ尻尾を振っただけということにならないのか。 

橋下知事も、府庁移転後何年でこの地域がどう変わるという具体的な数値で青写真を明らかにするべきだろう。

それでなければ、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待も絵に描いた餅に終わり、何ら意味無く府庁を移転させたという無責任が後々明らかになるという結果だけが残るのではないだろうか。現在の大阪府財政の病理体質の根源となった過去の開発行政と、それこそどこが違うのかということにならないか。

  さらに、大阪の都制制度の問題。人気者の知事が最近言い出し、俄かにマスコミも平松大阪市長との確執と併せ、毎日面白可笑しく書きたてているようだ。

だが、この都制問題も私が社会人になる以前から議論の的になった古くからの問題。その当時から、東京・大阪二眼レフ論の幻想の下、府市の二重行政と阪奈和合併論や道州制導入問題とが輻輳し、毎回関係団体・関係者の思惑や利害の相克でポシャってきた、古くて新しい難題。

 しかも、府民・市民にとって、利便性や総合性確保等がどうなのか、誰も確信を持てない難題である。 それだけに、維新の会といった得体の知れない政党を結成するよりは、もっと足が地に着いた地道な検証と論議が望まれる。

一体、朝に言い出し、夕べに引っ込める性癖の橋下知事に果たして己の過信以外に、どのような客観的な確信があるのだろうか。それにしても、府職員が言ったという、「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっているとの表現には、私も橋下知事への的を得た批判だと感心するばかり。
  さらに、大阪復興の観点から気懸りで、今の方策で完全に抜け落ちていると思うのが、学術・文化の発信機能の復権である。元気なのは吉本興業系列ばかりという状況からの脱却である。 
  
考えれば、この問題もマスコミや印刷・出版界等のいつしか行われた首都圏とりわけ東京への一極集中に起因する事柄である。橋下知事はこの問題にどの程度の危機意識を抱いているのだろうか。
  外目には、知事自身のパフォーマンスばかりの発信のようにも思えるのだが。
 
考えれば考えるほど、大阪の将来への憂欝がますます強くなるばかりである。(終)

2015年09月11日

◆“鬱”なる時代(その2)

真鍋 峰松



昔 朝日新聞朝刊が「日本のいまとこれから」をテーマにした全国世論調査の結果の記事が載せていたことを思い出す。
 
その中で、「いまの日本は自信を失っていると思いますか、そうは思いませんか」との設問に、自信を失っているが74%、そうは思わないが22%と言う結果だったのだ。

この自信喪失の原因では、政治の停滞、国財政の悪化、経済の行き詰まりを挙げた人が多かった。 また、「これからの日本にどの程度不安を感じてますか」という設問に、大いに不安を感じているが50%、ある程度不安に感じているが45%、あまり不安を感じていないが4%であったことを、あらためて思い出す。
 
ここから見ると、現在の日本人の多数が日本という国に関して、現在のみならず、未来においても不安が一杯という結果が読み取れる。
 
だが反面、日本の自信回復への底力の有無については、有るが56%、無いが28%であり、また、日本という国についての見方として、日本への誇りの有無についての設問では、持っているが75%、持っていないが19%という結果だった。
 
この日本に関する全く違った、一見矛盾とも思える調査結果をどう受け止めたら良いのか。

私には、過ぎ去った繁栄への想いを残しつつ、現在及び未来に対する自信を喪失し不安に脅かされているものの、将来への希望を捨ててはいない現代日本人の迷いと期待の心象をそのままに表しているのではなかろうか、と思えるのだが。
 
また、その他の二者択一の設問のうち、概ね70%以上の回答率を占めたもの、つまり、現在の日本人の多数が抱く共通の感覚だけを拾い出すと、

・「日本人は精神的に豊かな生活を送れていると思わない」73%、
・「勤勉さが報われない社会と思う」69%、
・「目指すべき国の形として、豊かさはそれほどでもないが格差の小さい国」73%、
・「経済の主役がもの作りから金融やITなどの業種に移ることは好ま しくない」77%、
・「土木・建設業などから福祉産業や農業への転換に期待する」  78%、
・「いまの日本は国際的議論をリードする力を持つ国と思わない」 85%となっていた。
 
この調査結果を読んで、すぐに思い出したのは、以前、木村尚三郎氏(東大教授 西洋史)の著述「男時・女時の文明論」だった。

その中に、<男時、女時とは、世阿弥(室町初期)の風姿花伝にある、舞台の上には、ついている時(男時)とついてない時(女時)があり、舞台の上での芸がスッ、スッと巧くいき、観客の評判もいい時が、男時である。 

反対に一生懸命しているのに巧くいかず客の評判もよくない時が、女時である。 ・・・未来に対する情熱、未来をしっかり見つめ、自分の手に勝ち取ろうとする闘争心、総じて男性的な時間の観念は後退した。
 
代って、どうやっても自分ひとりでは事態は急に好転しそうにもないとの予感から、明日の栄光を考えるよりは今日の幸せと充実に意を用い、現在を調和的・平和的、協調的に生きようとする、女性的な空間感覚が前面に押し出されつつある。
 
その意味で現代は、確かに世阿弥のいう「女時」であるに違いない>との記述がある。
 
同氏は文章の最後に、<しかし、時代がどう動き、急転するにせよ、世の常識を保ち続けつつ、変化に即応しうる柔軟な心、どこにでも住める心と身体、そして自らの力によって時の流れを捉えうる鋭い五感が、これからの時代と社会に不可欠であることは同じである。そして、このことこそ、今日の女時が教える、最大の教訓であるのに違いない>

と結論付けておられる。
 
この記述は30年以上も前のものだが、現在こそが同氏の言われる女時に当たるのではあるまいか、と改めて思う。
                                                       現代の日本人が抱えるのは、将来に対する不安感である。それが現実に直面する恐怖なら対象も明確で対策の打ち様もあるだろうが、不安となると、その対象は不明確であり漠然としている。
 
また不安も人間の物欲と同じように際限が無い。それだけに、こと現代の日本人に限らず、人間という弱点だらけの存在にとって、その根差した不安は、未来永劫に完全な払拭というのも困難極まりないことである。
                         
論語の顔淵第十ニ、孔子が言った、門人である子貢からの政冶に関し、兵・食・信のいずれが最も大事かの問への最後の答えが、「信、無くば立たず」である。
 
つまり、民が政治を信じなければ、政治は成り立たないというのである。この人間社会、政治に限らず、経済・個人への不信が極限までいけば、社会そのものが崩壊してしまう。 社会そのものが信無くば立たず、なのである。
      
では一体、「信」とは何なのか。それは同じ規範を持っているという信頼感であり、これを培ってきたのが伝統であり、文化なのであろう。
それが崩壊した組織・団体については、現代では少しも珍しくないから、その恐ろしさはすでに多くの人が語っている。
             
果たして、今の政治の力でどの程度、「信」の回復が可能なのだろうか。それでは、一部政党が出張するが如く、民に全てを「知らしむ」ことで「信」を獲得できるのか。
 
私には、到底「できない」としか思えない。 こう考えれば、これからの地方統一選挙、ついで参議院議員選挙に問われる課題は、途方もなく重い。

“憂欝”になる由縁である。(つづく)

2015年09月10日

◆”鬱”なる時代(1)

真鍋 峰松


学習指導要領では、中学卒業までに「大体の常用漢字を読め」、高校卒業までに「主な常用漢字が書けるよう」指導することになっている。 

その中には、意外なことに、府県名に使われる漢字として、埼玉の「埼」、大阪の「阪」、栃木の「栃」、福岡や静岡、岡山の「岡」、茨城の「茨」、奈良の「奈」、愛媛の「媛」、山梨の「梨」、岐阜の「阜」、鹿児島の「鹿」、熊本の「熊」の計11字が追加され、都道府県名はすべて常用漢字で書けるようになった、と報道されている。

我ながら恥ずかしいことだが、日常的に見る府県名の中に、常用漢字に採用されていないものが斯くも多数在るとは全く知らなかった。
                 
それはともかく、常用漢字は、学校現場では高校までにほぼ書けるよう指導されており、その新漢字の一つが、「憂鬱」の「鬱(うつ)」。

読みは可能にしても、老いの眼には拡大鏡でもなければ、画数の勘定もままならず、書くことは、到底無理である。

そこで、「鬱(うつ)」の一文字。これは確たる根拠も無い個人的感覚で申し上るのだが、現在の世相を一番表現できる漢字の一つではなかろうか。
                    
私の言いたいのは、時代認識としての「“鬱”なる時代」。それは何か。

端的・単純に言えば、日々報道される政治の世界一つを見ても、小泉首相以後の歴代総理大臣、諸氏の顔付き。

確かに、これらの方々(とりわけ麻生総理などはネアカと称せられるほど、その典型だと確信するのだが)は、いずれも本来の性格は、政治家らしく明るい自由闊達な性格の持ち主だと思う。

だが、総理総裁へ就任して暫くすると、何故か以前に比べ顔付きがどうも、次第、次第に重苦しい雰囲気に包まれていく。

残念ながら“鬱”とまで行かずとも、重圧に押し潰されてしまう気配が濃厚だ。そしてこれが時代の風潮が齎すものだ、とも思える。勿論、総理総裁という立場からくる重圧感がそうさせているとは思う。

だが、ひと昔前までのその任にあった方々の顔付きとまるっきり違っているな、と思うのは、私だけの感覚だけなのだろうか。
      
私はこれを「“鬱”なる時代」と表現している。この時代風潮が今の日本のあらゆる分野で顕著に表れてきているような気がする。

これを一挙に個人レベルの話に戻すと、今、医療の中で一番流行っている・トレンディーな科目は、心療内科だそうだ。つまり、従来型の精神科でなく、身体に何らかの問題が起きた時、それが心因性のものかどうかを追究するのが、心療内科。

人生につきもののストレスだが、それが心因性の問題となって、人間の免疫力、自然治癒力に大きな影響を及ぼすのは当然のこと。その典型が「操鬱」という精神病というのである。

この症状が本当に増加一方の日本社会である。年間の自殺者数が増大していって久しいが、自殺原因の中には、潜在的な要因として「操鬱」というものの存在が、推量できる。

その中で、各人がしっかりと生き抜くためには、この世はやはり鬱っとうしいと感じる事が多いのは当たり前で、その現実を自分でしっかり自覚し、覚悟することが肝要ということなのだろう。                 
 
しかし、これも、あくまでも個々人向けの処方箋。 果たして、「“鬱”なる時代」への処方箋、誰が、いかなる時に、どのようにして、描いてもらえるのだろうか。心配になってくる。(つづく)



2015年09月04日

◆最近の風潮に思うこと(その三)

真鍋 峰松



昔、学校で国会を「言論の府」、特に参議院は「良識の府」と呼ばれると教わった遠い記憶がある。だが最近では、私には、その言い回しが如何にも虚しいものに聞えてくる。 

そこで見られるのは、出し入れ自由自在のご都合主義で、論戦にはほど遠いお互いの尊厳を損じ合う罵詈雑言に近いものまで見受けられる。いつの時代からこんな風になったのだろうか。 

言葉一つで相手を殺すことだってできる。本来、それほどの力を持ったものが、言葉である。そんな言葉であるから、無責任なものであって良い筈がない。まして国会という、これ以上ない公開・公式の場ではないか。
 
国会(帝国議会)の第一回開会は明治23年(1890年)のことだから、国会論議も約110年の歴史を刻んできた。 その歴史の中では、それこそ生死を賭けた言葉のやり取りは、多々ある。 

昭和12年第70回帝国議会での浜田国松衆議院議員(政友会)が行った軍部の政治干渉を攻撃する演説を巡る、時の寺内寿一陸軍大臣との有名な「腹切り問答」、昭和15年第75回帝国議会での斎藤隆夫衆議院議員(民政党)の軍部批判演説など、当時の世相の下では生死を掛けた発言であったろう。
             
道元禅師の正法眼蔵には「愛語 回天の力あり」という言葉がある。 

分かりやすく言うと「思いやりのある言葉は、人を変えていく力がある」ということのようだ。 

また、中国古典の漢書(劉向伝)には有名な「綸言 汗の如し」つまり、出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いことを意味する言葉もある。 斯様に、古くから言葉の重みを強調する警句は数多い。

さらには、老子には「多言なれば、しばしば窮す」、荘子には「大弁は言わず」と多弁の愚を戒める警句すらある。
 
それに較べて、最近の・・・、と一々並べ立てるのも野暮というものだろう。 だが、こと、国会や閣僚に限らず、今やマスコミの寵児と化した大阪府橋下徹知事にも言葉を重要視しない言動が多々見受けられるのも、如何にも真に遺憾なことである。(完)
                       <評論家> 

2015年09月03日

◆最近の風潮に思うこと(その二)

真鍋 峰松


肺炎のため101歳でお亡くなりになった松原泰道師は、私が心から敬愛し、私叔する仏教家のお一人である。

 同 師の説かれるところには、我われ凡人の機微に触れること多く、限りない人間への愛情に満ちた言葉が多い。

それこそ数多ある著書の一つである「迷いを超える法句経」は、真に平明にして、教えられるところの多い本であるが、その中で「こころこそ こころ迷わす こころなれ こころにこころ こころ許すな」との詩句が引用され、愛と憎しみの意(こころ)が理性に勝ち過ぎ、感情が狂うと眼まで曇るものです、と説かれている。
 
そのことを故亀井勝一郎氏は、「言葉は、心の脈拍である」、松原師は「言葉は、心の足跡である」と表現されている。 

真に人間の健康状態は其の人の脈をみれば判るように、其の人の心が病んでいるかどうかは其の人の言葉を聞けばたちどころに判断できる、其の人の言葉を聞いているうちに、次第に其の人の心の足どりが微妙に感じられてくるものだ、との教えである。 

また、同師は、寒山詩からの引用として「心直ければ出づる語も直し、直心に背面なし」と。 

世間は直心からでる直語に反感を持ちやすい。世渡りに賢明な現代人はもちろん直心から出る直言を避ける。しかし、現代最も大切なのは、背面無き直心から発せられる直言の叱責であろう。それが実るには他者に成り切る愛情の涵養である、と説かれる。

私は、これらいずれも、ギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの現在の政治や社会への、惜しくも逝去された恩師からの遺言・直言と受け止めたい。  合掌。          (評論家)

2015年09月02日

◆最近の風潮に思うこと(その一)

真鍋 峰松



最近の日本の風潮は、国会論議やマスコミ論調を見聞きするにつれ、政治の面でも、社会面でも、“いい””悪い“という単純な両極端に焦点をしぼって対決を迫るというか、結論を押し付けようとする空気が強く感じられ、国民も風になびく葦のごとく右往左往する。
 

何でも寄せて二で割る式の曖昧主義・中道主義が良いというのではないが、問題を両極端に絞って対立させ、その良し悪しを定めるやり方は決して現実的ではない、と言いたいのである。

あえて言えば、“いい””悪い“をはっきりさせ過ぎるような世の中は、窮屈でもあり、不健全だということになるのだろう。 実際には、“いい””悪い“を極めつけられないグレーゾーンの部分があることが現実でもあり、もともとその幅の中をゆるやかに往還するのが生活であり、政治でしょう、と。 

古来より、日本人は、思想や宗教に縛られることのきわめて少ない体質で、そういう人々が豊かさと苛烈さをともに齎す風土の中で融通無碍に生きてきた、と言われる。それが“日本民族は農耕民族”論の教えるところではなかったか。

それに反し、どうも今の風潮は、全般的にあまりにも自分自身を省みず、他人を責めることに急に過ぎるのではなかろうか。 
                                    <評論家>

2015年08月18日

◆今年8月15日に思ったこと

眞鍋 峰松
    

  今年の終戦記念日は戦後70年の節目。それ故、数か月も前から安部首相の談話を巡る議論がマスコミ報道を賑わしてきたのだが、結局、談話はこの14日に公表された。この首相談話について国内外で様々な論議を呼んでいるが、浅薄な知識・情報しか持ち得ない私が、本欄であれこれ記述する気持は全く無い。 

所で、この15日夜7時からの関西テレビで、終戦70年ドキュメント「私たちに戦争を教えて下さい〜5人の若者が戦争体験者に直接話を聞き、戦争を知る」が放送されていた。 

その5人の戦争体験者のおひとりが裏千家の前家元 千 玄室氏(先代の宗室氏)だった。 放送中、聴き手役の福士蒼汰という20歳台前半の男優が、同 氏が語る特攻隊員の生き様・死に様を聞き、ぽろぽろと涙を流し続けていたのが取り分け印象的だった。

出撃前夜、隊員たちがそれぞれの故郷の空の方向を見やり、“お母さん”と呼びかけていたという千 氏のお話には、私も思わず涙を抑えきれなかった。

それにしても、私が千 玄室氏の特攻隊員当時の体験話を聴くのは2回目。5年前の同じ時期のテレビ番組〜黒柳 徹子さん司会の「徹子の部屋」で同 氏の対談での話を初めてお聴きした。 初回より、沖縄戦での特攻で戦死した戦友たちに対する想いの程は一層深まったな〜という感がした。

この5年の間に私の高校同期のグループ14人中3人が次々とガンで倒れ世を去ったのだが、72歳という高齢になっても目前の友の死には未だに想いが尽きない。

同 氏が語られるのは、人生これからという未だ20歳代前半の若さでの特攻による戦死。 時勢の赴くところとはいえ、彼らの胸中にはさぞかし無念の想いもあったろう、と悲哀の念を禁じ得ない。 
 
人間70歳を超す年齢ともなると、あと何年生きられるかを真剣に考える。考えざるを得なくなる。その延長線上に死を自覚する。 その考えは、次の二つの点に絞られる。 死後の世界があるのか、どうか。 神は存在するか、人間に仏性はあるのか。 人類始まって以来の永久の問である。 

急に妙なことを言い出したなと思われたかも知れないが、これこそが、誰しも持つ窮極の疑問であり、おのれ自身のこれまでの生き様の中で、各人それぞれが持つ信条、体験や見聞の中で判断する外のない問題であろう。 

まぁ、言ってしまえば、霊的な体験や見聞を信じるかどうかの問題、とでも言え替えられようか。そして、これを今次大戦で帰らぬ人となった幾多の英霊・戦没者への、真正面から向き合うせめてもの契機としたいと思ったのである。

5年前の終戦記念日の直前のある日、何気なしにつけたテレビで黒柳徹子さん司会の「徹子の部屋」が放送されていた。この日の客人が千 玄室氏。この方はいわゆる特攻隊帰りの元海軍中尉。同志社大学2年生で徳島海軍航空隊に入隊、訓練後同期210数名が全て特攻隊へ。 

その中にはテレビの水戸黄門役で知られた西村晃氏が居られた、とのこと。 鹿児島県鹿屋特攻基地から、同氏は沖縄戦での米艦船への特攻出撃前の偵察機乗りのため、西村氏は出撃したものの機体不良で不時着のため、お二人とも無事終戦を迎えられたそうである。 

数多の同期生が戦死した中で、今でも内心では死に損なったという忸怩たる想いで一杯、特に87歳(放送当時)を迎えた今日でも、寝床に入ると当時の戦死した仲間の顔が浮かび、グルグルと回って見える、という。 

また、戦後度々沖縄へ赴き、記念碑の前や海辺で献茶されてきたそうだが、その度に記念碑前では献茶される同氏の周りに、それまで風も無かったのに、必ず一閃の風が同氏を取り巻くように吹き、海辺では海に注いだお茶が渦を巻き、何処からかお母さんという声が聴こえてきます、とのこと。 ただ、この種の体験を、身近な所で私自身でも味わったことがある。

パスカルの「瞑想録」の中の有名な言葉として、神さまを信じない人に向かって「あなたは神さまを信じていない。 信じてはいないけれど今幸せだ。 しかし、神さまを信じる方に賭けたらもっと幸せになるだろう。 だからあなたは神さまを信じる方に賭けなさい。 もし神さまがいなくても、もともとである。 もし神さまがいたら、もっと幸せになれる」というのがある。 

確かに、この言葉には欧米風の功利主義的思想がプンプンと匂ってあまり好きではないのだが、ある一面の真理を表している言葉だ、とは思う。

この類の話には、人により受け止め方も千差万別。 信じる人、全く信じない人、半信半疑の人。 繰り返しなるが、前に述べた通り、おのれ自身のこれまでの生き様の中で、各人それぞれが持つ信条であり、体験や見聞の中で判断する外のない問題だろうし、個人的な霊的体験・見聞を信じるかどうかの問題、とでも言え替えられる。

また、論語の述而第七には「子、 怪・力・乱・神を語らず」とある。孔子は奇怪なこと・勇力のこと・逆乱のこと・鬼神のことは、人と語らなかった、というのであり、通説では論語にいう怪・力・乱・神を語らずとは、否定するべきものではないが、語るべきものではない、というのである。 それは、なお鬼神の存在を認めて、それをはばかる信条が、理性とは別のこととして、残されていることを意味している。 

それではお前はどうなんだと問われたら、やはり、私には、身近な所で感じた体験からして、到底否定し難い世界の話、こうした未知の世界は残されると信じる。 その世界は、ただ人間の経験の積み重ねによってのみ自然に解明される事柄である、としか言えない。      

かの著名な養老 孟司氏もどこかでお書きになったように、「当人にとって、これ以上本当の事はないというほど本当のことだって、他人が信用するとは限らない。私は神を見るという宗教体験があることを疑わない。でもそれを私が見るかどうか、その保証はないのである。 

だから、私は科学の分野なら立ち入るが、宗教の分野には立ち入らない。 別な表現をするなら、感覚の世界には入り込むが、他人の心の内部には入り込みたくない。それは個々人の世界であって、他人があれこれ言うべきことではない。 そんな気がするのである」ということであろうか。 

我が国での年間自殺者が3万人を超えること久しく、親が子を殺し、子が親を殺し、挙句の果てには、己が死にたいから誰でもよいから道づれに、というような殺伐たる世の中。 このような世の中だからこそ、このような話を語り継ぐことが必要だと改めて思う。 

今次大戦で尊い命を失われた幾多の英霊・戦没者のご冥福を心からお祈りしながら・・・ 合掌。