2016年05月10日

◆「なんでも民間」に疑問

 
眞邊 峰松(行政評論家)



私の年来のマスコミに対する不信感・大衆迎合体質への嫌悪感が一層増大してきた。 果たして、国家百年の将来を考えるべき時期に、本筋の議論と離れ、質的には枝葉末節の問題に国民を巻き込んで彼らの主張が、“社会の木鐸”、“オピニオンリーダー”の役割というのは、どこに存在するのだろうか。

私も、必ずしもマスコミ人の全てが、課題を単にワイドショー的に取り上げてばかりいるとまでは言わないが、もう少し冷静・客観的に問題を整理し報道するべきだと考える。

ところで、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者である」とは、ある書物の言葉。 同書でこんな話が続く。

「ナポレオンの脱出記を扱った当時の新聞記事である。幽閉されていたナポレオンがエルバ島を脱出した。兵を集めて、パリへ進撃する。

パリの新聞がこれを報道する。その記事の中で、ナポレオンに対する形容詞が、時々刻々に変化していく。 最初は“皇位簒奪者”。 次いで“反乱軍”〜“叛将”〜“ナポレオン”、 やがて“祖国の英雄”。 そして、ナポレオンがパリに入城した時には、一斉に“皇帝万歳”の記事で埋められた。オポチュ二ズムとセンセーショナリズムのマスコミの実態が浮き彫りにされている」。 まさに、その通りだという感がする。


少々議論が飛躍するが、私は基本的に今の“何でも民間”の風潮に反対だ。私自身の体験から言っても、国の役人の省益あって国益なし、自分たちの徹底的な権益擁護には、実は本当に癖々した。 まさに国を誤る輩だ、何とかならんのか、という気分にもなった。

しかし、国家公務員というに相応しい立派な人士をも身近に知る私としては、少々誤弊のある言い方かも知れないが、敢えて言えば、こと“志”という点においては、真に心ある役人に比し得る民間人は、そう多くなかろうとも思う。
 
これも個人資質・能力というよりは、やはり、退職までの30年を超える永年の職務経験、職責の持つ私自身に染み込んだ体質的なもの、職業の匂いのようなものかも知れない。
  
私には、特にかっての余裕ある民間経営の時代ならともかく、現下の利潤一点張り、効率一点張りの時代に、現役の企業人で、常日頃から“公益とはなんぞや”の視点から物事を考察したことがある人物が、そう数多いとはとても思えない。

とりわけ、最近の風潮となっているリストラを闇雲に推進してきた企業経営者を見るにつけ、その観を否めない。 

このような中で、果たして、現在のマスコミの論調のように“何でも民間人登用”“何でも民間感覚”ということが果たして正しいのだろうか。                          (了)

2016年04月12日

◆いま時の男の子、女の子

眞鍋 峰松



最近、こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 
学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。

生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 

私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。

ところが、その場に居合わせた母親達が一様に驚いた出来事が発生した。生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。

何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。

この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     

私は、その出来事を聞き、改めて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。

4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。

発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。

母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。昔々から、男の子は男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。

街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。

この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。

2016年04月03日

◆花に因んだ一つの話題

眞鍋 峰松



桜の花が満開。今年は気候不順のせいか、梅の開花が遅れ、桜の開花時期と少し重複して、例年にも増して我々の眼を楽しませてくれている。 そこで、前回に続き、花に因んだ話題から。
 
これも何かの書物で読んだ話だが、江戸時代後期の儒学者に安積艮斎(あさか ごんさい)という方がおられた。この方、二度結婚して二度とも、嫁さんに逃げられたという。「その容貌醜なるに耐え得ずして」というから、よほど酷いご面相だったのだろう。
 
彼、ここにおいて発憤し、「もはや、女とは縁なきものと決め、今後奮励して大学者となり、この恥をそそぐ」と志を立て、郷里を捨てて江戸に出、佐藤一斎の門に入って猛勉強をした。やがて、幕府の学問所昌平黌の教授にまでなった。
 
その彼は、逃げた嫁さん二人の画像を床の間にかかげて拝んだという。「自分の今日あるは、この二人のお陰である。もし自分が彼女らに愛されていたら、この学者艮斎は生れなかったはずだ。その恩、忘るべからず」として。 この話からしても、艮斎は並み大抵の人物ではない。
 
この大学者 安積 艮斎が、その弟子たち与えた一文が、「梅には梅の愛すべき香色あり。桜には桜の愛すべき香色あり。 桃李海棠の類に至り、おののその善き所あれば、その本色のままを佳しとす。もし梅に桜の花の開き、桜に梅の花開きたらんには、妖というふべし。人もまたかくの如し。」という言葉である。

そりゃ、そうでしょう。 梅が桜を羨んだり、桜が梅の花を咲かせようとしたり、現代の人間は遺伝子操作とて兎角そういうことをしたがるが、もしそれが実現したら、化け物である。 

艮斎がここで言わんとしたのは、人もまた花と同じように、「本色のまま」がいいと言うのである。 人みなそれぞれ、良いところがあるのだから、いたずらに他を羨まず、他の真似をせず、自分の本来の持ち味を生かしきりなさい、ということ。

一時若者たちの多くが、我も彼も、これが自己主張・個性の表現とばかりに頭の毛を真っ黄々に染め上げたり、脱色したりして街角を闊歩した時代があった。また、若い娘の中には、顔をガングロと呼ばれる、何とも形容しようも無い容貌にさえ仕上げていた時代があった。 

これら若い日本の世代を見ながらながら思ったことは、無理やり周囲に合わそうとするあまり、自分自身を消し去ってしまう傾向が見られがちな点である。黄色や茶色の髪、果てにはガングロなどで自己を主張したと錯覚しているのではなかろうか。
 
大事なことは、違うだれかに自分を変身させることではなく、まずは自分が何であるかを知ろうとする姿勢であり、そうした姿勢が身についてこそ、自分は他人と違う、他人も自分と違う、それで当然ではないかという考えにつながっていく。 

ここに、艮斎先生が仰せの、人みなそれぞれ、良いところがあるのだから、いたずらに他を羨まず、他の真似をせず、自分の本来性を生かしきりなさい、という言葉の意味があるのだろう。

考えれば、私も春を盛りに咲き乱れる花を愛でながら、妙なことを考えたものである。

2016年03月21日

◆桜の季節〜日本人の心

真鍋 峰松


この季節、日本各地で見事に咲いた桜の花が見られだした。 私なども毎年見るたびに“よくぞ日本に生まれけり”という気持になる。 それほどに日本人の心の奥深く刻まれ、古来から詩歌にも読まれてきた。 

ところで、桜の開花はニュースとして報じられるが、その開花基準になるのが「休眠打破」だと言われる。 

桜の花芽は前年の夏に形成され、それ以上生成されることなく晩秋から「休眠」状態になり、冬にかけて一定期間、低温に曝されることで眠りから覚め、開花の準備を始める。 これを「休眠打破」と言うのだそうで、さらに温度が上がるにつれて、花芽が成長生成し、気が熟して開花に至る。 

この故に、桜は四季のある日本で進化した植物と言われる。これほどに時間をかけ開花に至る桜だが、咲き誇るのはほんの僅かの期間。日本人はその桜の花の華麗さとは裏腹の、儚さにも強く惹かれ、その魂の、あたかも象徴の如くに看做してきた。

その典型が、本居宣長の歌「 しきしまの やまと心を ひととはば 朝日ににほふ やま桜はな 」なのであろう。 

また、西行法師には、「 春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり 」と、その出家の秘密を封じた悲恋の歌があり、さらには、「 願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの  望月の頃 」、「 散る花も 根にかへりてぞ  または咲く 老こそ果ては  行方しられね 」という死生観を桜の花に寄せる歌まである。
     
欄漫と咲き誇る桜の花に寄せる心象の一方、そこには日本特有の無常観を底辺に置いた「わび」「さび」「もののあわれ」と言った“ものの見方”も発達してきた。

兼好法師の徒然草第百三十七段「 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。 雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀に情ふかし。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ 」

これこそが日本人特有の美意識そのものと思っていたのだが、意外にも、古くから日本で読まれてきた中国古典、明末の洪 自誠の「采 根 譚」の中に、「花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。此の中に大いに佳趣有り。若し爛漫氈陶(らんまんもうとう)に至らば、便ち悪境を成す。盈満(えいまん)を履む者、宜しく之を思うべし 」と記されている。

その大意は「 花は五分咲きを見、酒はほろ酔いぐらいに飲む。その中にこの上もなくすばらしい趣がある。 もし、花は満開しているのを見、酒は泥酔するに至るまで飲んだのでは、その後はかえっていやな環境になってしまう。 

満ち足りた世界にいる人は、よくよくこの点を考えるようにしなさい 」とのことだが、徒然草の言葉とは同じようなことを言っているようにも思えるが、どこか微妙に違っているように思える。

いずれにしても私には、この季節、一年で最も温暖・快適であり、日本人の心に触れる事柄が多い時期を迎えているように思う。(完)

2016年03月13日

◆“長〜い友達”の話

眞鍋 峰松


これは、一時期テレビに長い間にわたり流された育毛剤のCMの言葉。 最近ではテレビを見ていてもあまり耳にすることもなくなった。 

なるほど「髪」という語を分析すれば、“長〜い友達”ということになる。 そう言えば、この漢字を解読し使用する方法は、昔の小林旭の歌にもあった。 

その演歌の題名も忘れたが、“戀という字は、ヤッコラヤのヤ。いと(糸)し、いとしと言う心、言う心”という歌詞である。 ある程度の年代以上の方なら、多少とも耳に残っている歌詞だろう。 
 
そこで、“長〜い友達”の話。 

私も現役第一線を退き勤めを辞めた途端に、左程身だしなみに気を使うことも無くなった。 一旦このように自己自制の歯止めを失ってしまうと、人間はずるずるとだらしなくなるようだ。近頃では、家族の者から叱られ通しである。 

そうこうしている内に、髪の毛がどんどん薄くなる一方。一番、愕然としたのは、ある時の地下鉄車中でのこと。地下を走る加減で、外は真っ暗闇で、自ずと自分の顔・頭が映る。そこに映る頭を見た時、後頭部位は分からないものの、正面からは頭上にまさに地平線さながらに細く映る自分の髪の毛。 

遂に“長〜い友達”を失ってしまうのかという焦りにも似た感じ。若い内は、かねがね、女性なら兎も角、なぜ男性が頭の毛が薄くなるのをあんなにまで気にするのだろう、禿げ頭は禿げ頭でけっこう貫録もあるのに、と思っていた。 

ところが、自分の髪の毛が次第に薄くなるに従い、初めてそういうものではなかったことに気付いた。いつの間にか、道を歩いていたりしている時、前方から髪の薄い人が歩いて来たり、電車の中で前の座席に座っている人がいると、秘かに自分のそれと比べたりする癖がついていた。情けないことに、その人が自分より薄ければ、ひとまず、ホッとするのである。 

これはある書物に書かれていたことだが、『 若さを捨てる 〜 若さに対する未練を捨てて、老いを明るく楽しむ。 中阿含経という経典に見える話。 釈迦前生の話として、ミテイラー王が理髪師から初めての白髪が生えたと聞かされての王の偈。
     
我頭生白髪    わが頭に白髪生ず
寿命転衰滅    寿命 うたた衰滅せり
天使己来至    天の使い すでに来至せば
我今学道時    われ いま道を学ぶべき時なり

「引退」するということは、私は「老いを楽しむ生き方」をすることだと考えている。逆説的に言えば、若さを捨てることだと思う。 

実をいえば、仏教が教えていることは「あきらめ」である。 しかし、「あきらめ」といえば、「思い切り、断念」の意味に解されやすいが、仏教が言っているのは「明らめ」であって、ものごとの真実を明らかにすることである。 

これは何も老いに限ったことではなしに、仏教のすべてのことにおいて「明らめよ」と教えているのであるが、まぁ、年を取った私には「老いの明らめ」が肝心であろう。そしてそれは、若さを捨てることである。』   

最近、私が実感していることは、年を取るとどうも人間はかえって若さに執着するようだ、ということ。 

「髪の毛が多いですね」と言われたり、年齢よりも若く見られたりするとうれしくなる。その結果、ついつい「なあに、若い者に負けるものか」と息巻いたりする。おかしな話である。 

だが、自然の流れに逆らうには、無理がある。結局、我われは、若さをプラスに、老いをマイナスに価値づけているということなのであろうか。 もしも、老いをマイナス価値に見るならば、人間の生きる価値は毎年毎年、いや毎日毎日、減少する。 

生きる価値が減少するということは、取りも直さず、存在価値が減少することである。そうすると、年寄りなんていない方がいいという極端な考え方になってしまう。実際、今の日本にはそんな考えが横行しているのでは、と考えること自体が老人の僻みなのだろうか。

けれども、本来、人間の価値は年齢によって減少するものではない。 人間の価値は年齢と無関係である。
   
若さは若さ、老いは老いである。だから、人間は年を取れば、しっかりと老いを自覚し(明らめて)、きれいさっぱり若さを捨ててしまおう、それが、仏教でいえば「禅」の行き方、いくら心配しても変えることができないものを心配するな、そんな無駄をするな!と教えるのが禅だ、そうである。 

要は、若者には若者にふさわしい生き方がある。 それに対して、老人は、老人としての生き方があるということなのだろう。こう考え、生きていくのも、それもまた老年の楽しみだ、と悔しさ半分で思う昨今である。

2016年03月01日

◆人事の季節 悲喜さまざま

眞鍋 峰松 

 

これからの季節、いずれの組織・団体においても定期の人事異動が行なわれる。 様々な噂・憶測が飛び交い、当事者はそれに一喜一憂するというのは毎年のことである。

だが、人の噂話ほど当てにならないものはない。 人事異動は悲喜さまざま。 何千、何万という人間を抱える大きな組織に限らず、例えもっと小規模な組織でも、皆が満足し幸せを感じる異動など100%あり得ない。
 
当人にとって、特に昇格を控えた時期であれば、より「そわそわ度」は高くなる。 異動先によっては家族ともども引っ越しという事態ともなるので大変だ。 だが、その結果は最後まで判らない。

その人事異動。 問題は、大抵の場合、自己評価と、他人とりわけ上司の評価とのギャップが大きいことである。 自己評価の高い人間ほど客観的評価との落差を思い知ることになる。 ただ、この客観的評価自体にも問題が潜む場合が多い。
 
昨今、どこの組織においても幾つかの評価項目を定め評点化している場合が殆どであるが、そもそも人間の適性・才能を評価する側の人間にしっかりした能力があれば良いのだが。 それより自分の部下の能力・成績も指導次第でどうにかなるのだ、という自信を持った上司こそが望ましい。
 
正直、私のような者にとっては、この人事評価一つでこの人間の一生を左右するのだと思うだけでもそら恐ろしく、到底確信を抱くには至らなかった。

ある書物の中で、人事担当責任者の言葉として「各部署から部下を評価した報告書が回ってくるのですが、“部下のここが気に入らないから、異動させてくれ”」みたいなことが書いてある。

上司というのは、部下のいいところを引き出すのも仕事のうちだと思っていますから、どこの部署で働けば、部下の能力が生かせるか、そこまで書いてくるように書き直しを要請したこともあります。

それぞれの上司が部下の適材適所を真剣に考えれば、会社全体が活性化されると信じていたので、好き嫌いで評価を下すのは許せませんでした」と記述されていたことを思い出す。 私の経験からしても、至極当然の言葉であろうと思う。

そこで、現職当時に常に心に留め置いた、現代でも十分通用する上司の心得として江戸中期の儒者 荻生徂徠の言葉に「徂徠訓」というのがあったので、ここで紹介させて頂く。

1) 人の長所を始めより知らんと求めべからず。 人を用いて始めて長所の現れるるものなり。

2) 人はその長所のみ取らば即ち可なり。 短所を知るを要せず。 

3) 己が好みに合う者のみを用いる勿れ。  

4) 小過を咎むる要なし。 ただ事を大切になさば可なり。 
   
5) 用うる上は、その事を十分に委ぬべし。 
 
6) 上にある者、下の者と才知を争うべからず。

7) 人材は必ず一癖あるものなり。 器材なるが故なり。 癖を捨てるべからず。 
     
8) かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

もっとも、この「徂徠訓」も江戸中期という封建制度下のもの。 現代の上司たるもの、とりわけ中間管理層は想像以上に大変なのかも知れない。
 
上からと下からの重圧の下、指導が厳し過ぎるとパワハラと疑われ、異動先が当人の意に沿わないと冷酷と言われるそうなのだから。
 
だが、人材以外に頼るべき資源を持たないのが、我われの日本。 その人材を活かすも殺すも適切・妥当な人物評価。 確たる信念を持ったリーダー・管理職達の奮闘を心から望みたい。

2016年02月25日

◆いつまでも残る「教え」(後

眞鍋 峰松


中学時代の先生で、今でもその先生のお顔もお名前も鮮明に記憶しているが、確か、復員軍人上がりの、しかも将校経験のある人であった。 その先生の授業中で、担当教科に何の関係もない一言が今でも忘れられない。

それは、黒板に大書された「男子、青雲の志を抱き、郷関を出れば・・・・」という言葉。

今から思い起こしても、少々時代錯誤的な言葉に聞こえるようだが、間違いなくその後の私の人生に影響を及ぼした言葉であることは事実だ。

最近になって、陳 舜臣氏の著書「弥縫録」の中で久し振りにその言葉に出逢えた。
 
<〜青雲の志を抱いて郷関を出る〜>といった表現がある。

この場合の青雲の志とは、功名を立てて立身出世しようという意欲のことなのだ。辞典には、この外に「徳を修めて聖賢の地位に至る志」といった説明もある。 

だが、実際には功名心の方にウェイトがかかっている。「ボーイズ・ビ・アンビシャス! 青雲の志を抱け」というのだ。  

青といえば、すぐに連想されるのが、春であり、東であり、竜である。

東は日の出る方角であり、人生に日の出の時期を「青春」というのは、これに由来している。青は若く、さわやかである。

それに「雲」という言葉をそえると、心はずむような語感がうまれる。雲は天の上にあるのだから。若い日の功名心は、まさに天に昇ろうとするかのようである。

流石に、良い言葉ではないか。要は、望ましい教師像として私が言いたいことは、19世紀英国の哲学者・ウイリアム・アーサー・ワードの次の言葉に簡潔に表現されている気がする。

        ・凡庸な教師は しゃべる。
        ・良い教師は  説明する。
        ・優れた教師は 示す。
        ・偉大な教師は 心に火を付ける。
                                     (完)

2016年02月24日

◆いつまでも残る「教え」 (前)

眞鍋 峰松
   

最近、マスコミに登場する方々を拝見していると、どうも物事を斜めに見て論じる人が多いように感じられてならない。多分、論じておられるご本人は、それが正しいと信じ切っておられるのだろう。 

これは何も最近になって起こった現象とは限らない事なのかも知れないが、まさにマスコミ好みの人種ということなのだろう。

例えば、靖国神社参拝問題についても、国のために尊い命を捧げた旧日本軍将兵の御霊に感謝の念を表すことは大事な筈だが、その方々はこれに対して、「中国・韓国の国民感情に配慮し外交関係・国益を考えるべし」とおっしゃる。それでは、どうするのか。

物事を斜めに見ると、その二本の線はそれぞれが独立した線の衝突の側面しか見えない。 

A級戦犯合祀の問題も含め、人により立場により色々な考え方があるのだろうが、私には真正面から考えると、この二つの命題はそもそも両立できないことではないと思える。 

歴史的な経緯があるにせよ、また諸外国から如何に言われようが、日本国にとっては本来一方が他方を排除したり、相容れない事柄ではないはずだ。 

それより戦後70年間以上もこれまで避けられてきた国内論議の決着の方が先決だろう、と思える。だからこそ、外交面では未来志向型の解決しかないのだろうという気がする。
   
過去を振り返ると、私の学校時代の教員にも、物事を斜めに見る性癖のある人達が結構多かった。

とりわけ「己を高く持する人物」に多々見られる事柄でもある。それはそれ、その御仁の生き方・信条そのものの問題だから、他人である私が、眼を三角にしてトヤカク言う必要のないことではある。 

ところが、教員という職業に就いている人間がそういう性癖を持ち、日頃児童・生徒に接しているとしたら、そうはいかない。
   
私の経験でも、「物事を斜めに見る性癖のタイプ」の教員が結構多かった。

結論から言えば、そういうタイプの教員は教育現場では有害無益な人間と言わざるを得ないのではないか。
  
実社会においても一番扱いの難しいのが、こういうタイプの人間だろうし、往々にして周辺の人間からも嫌われてもいる。 

多情多感な青少年にとって、こういうタイプの先生に教えられることには「百害あって一利なし」である。
   
教育の本質はむしろ逆で、もっと「真正面からの言葉・教えほど尊い」と 私の体験からも、そう思える。      <後編へ> 

2016年02月11日

◆いま時の男の子、女の子

眞鍋 峰松



こんな話を耳にした。ある小学校の4年生のクラスの保護者授業参観での出来事。 担任の先生が選んだ参観授業の内容が、小学4年生はちょうど10歳ということで、20歳の半分〜「二分の一成人式」に因んだ作文の発表会。
 
学年全体の授業テーマだったそうだが、単なるありふれた授業内容や風景の参観に比べ、それにしてもなかなか面白い着想。先生方も色々と知恵を絞られたのだろう。

生徒たちはそれぞれ、生れてから10年間聞き取ってきた家庭内出来事を作文に纏め、参観日に保護者(平日だったので、保護者欠席2名を除き全員が母親ばかる)の前で対面して読み上げる、という方式だったそうだ。 

私どもの年代は、学級名簿はまず男子生徒、続いて女子生徒という順番だったが、いま時はアイウエオ順の名簿。従って、生徒の読む順番も男子が終わって、次いで女子ということでもなく、アイウエオ名簿の順番で発表する。

ところが、その場に居合わせた母親達が、一様に驚いた出来事が発生した。

生徒達が読んだ作文は、家族旅行の思い出や家庭内での出来事、中には生徒が風邪で寝込んだ時に母親が徹夜で看病に当たってくれた思い出などに、予め担任の先生が生徒の原文に色々とサジェッションし、完成させたものらしい。

何しろ、まだ10歳という年齢のこと、その発表内容によっては、途中で感極まって泣いたり、涙声になることも当然予想されたのだろう。

ところが実際にその場で見られた光景とは、男子生徒全員が号泣、女子生徒は割合と淡々と発表し終えたというのである。

この話を耳にした私、へ〜ぇという驚きの一言。     

私は、その出来事を聞いて興味を抱き、この話を私の耳に入れてくれた話し手に、それでその場の母親たちの感想は如何だったのかと確認してみた。

4年生の子供を持つ母親といえば、まず30歳台。65歳を超えた私のような年代からみれば、母親自体が我が娘と同じ年代。そこでの年令ギャップに興味も惹かれた次第。

発表会での男女生徒の感性に差があつたことへの母親たちの感想は、「男の子の方が女の子より感受性が強いからとか、本質的に優しいから」というのが多数意見だったようだ。なるほど、なるほど。

母親は、どうやら女性としてのご自分自身の経験・体験に当てはめたご意見の模様だ。昔々から、男の子は男らしく気性がさっぱりして力持ち、女の子は気が優しくて神経が細やか、という、私たち時代の世間常識はもはや通用しないことが窺える。

街角を闊歩する現代の若者達を見ての感想も、男性が女性化し、女性が男性化しているというのが典型的な今時の男女観。そのことからしても、10歳にして既にその傾向が現れているのが今の世相かも。

この話、お読みの皆さんの感想は如何でしょうか。

2016年02月01日

◆あなたはイヌ派? それともネコ派?

眞鍋 峰松
   


最近のある雑誌に次のような記事が載っていた。『 現在、家庭で飼われている犬は1035万頭、猫は996万頭という。飼い始めたきっかけは、ペットフード協会の調査では“生活に癒やし・安らぎがほしかったから”がトップだ。かつては、犬は番犬として“警備関係”、猫はネズミ対策を担当していたが、今や「癒やし・安らぎ」が“お仕事”となっているようである。

そこで「生活の中に癒やしや安らぎを感じられることは、当然、人間の心身の健康にも影響するはず。では、飼い主の寿命を伸ばしてくれるのは、犬と猫、どちらなのか」』というのである。     

昔の我が家では、家の中にいつも犬や猫がいた。犬・猫の両方を同時に飼っていた時期も相当長かったのだが、どちらかと言えば、私は犬の方に親しみを感じている。 

飼っていた3、4匹の猫の方は今でも名前も顔も覚えているが、いずれも雑種のオスばかり。そのせいか、猫は思春期(犬猫でもこう表現するかどうか知らないが)でその時期に達すると、メス猫を求めてか、飼い主の知らない間に家出し行方不明になるケースが多く、なお且つ、自宅の柱などは猫の爪跡だらけ・傷だらけ。

これに対し、犬の方はオス・メスを問わず、飼い主の不注意で家から脱走した場合にも、必ず我が家に戻って来た。 また、猫は長年可愛がっていても強い野性を保ったまま。気に障ると飼い主と雖もすぐに手に噛みついたり、爪で引っ搔く。一方、犬は飼い主にいたって柔順で、余程のことが無い限り噛みつくことはない。 これが私の体験的犬・猫論。  

また、同雑誌の記事の中には、『犬を連れて散歩すると、男性では0.44歳、女性では2.79歳も健康寿命が伸びるという調査結果があります。一方、猫はどうか。犬ほどはっきりしたデータはないようで、猫は散歩もしつけも必要がないが、逆にいえば猫を飼っていても飼い主の運動不足解消にはつながらず、直接的な健康効果は期待薄だ』とのこと。 

さらに、『ひとりで暮らす高齢者の場合、飼い犬や飼い猫がいることはすごく救いになります。例えば70代の方なら“この子のためにあと10年は生きなくちゃ”とか“80までは元気でいなくちゃ”という話もよく聞きます。どちらも生きがいになっている部分はとても大きいのです。

老人ホームでも、犬や猫、小鳥を飼い始めたら4割もいた寝たきりの入居者がゼロになった、動物と触れ合った後は血圧が下がったという事例がある』という。              

これまでペットの人気を二分してきた犬と猫。 長く犬のリードが続いていたが、猫が逆転する日が近々やってきそうで、小型犬ブームが落ち着き、散歩やしつけの手間から犬を飼う人が減る一方で、猫を家庭に迎える人が増えている、という。 

面白いことに、メディアでも猫人気が顕著。ある動物プロダクションでは、かつては犬への仕事依頼が8割を占めたが、最近は猫が6割にのぼる。複数のペットのブログランキングでは猫が軒並み上位を占める、という。                                                     
このように、犬に逆風となっている原因は、飼い主の高齢化が大きい。足腰が弱った高齢の飼い主にとって、散歩に連れて行くのもひと苦労。その上、国内で飼われる犬猫の平均寿命は約14歳で、猫の状況は判然としないのだが、犬は30年前の2倍近くに延びたという。 

もともと7〜8歳で高齢とされる犬猫だが、室内飼育が増えて、バランスの取れた餌の良質化や、事故や病気をもらう危険性が減って長寿化が進む。

本来、犬猫も寿命が延びること自体は喜ばしい話なのだが、飼い主にとって一番頭が痛いのは、老齢化し寝たきり状態になったペット犬・猫の介護の問題。 まして、飼い主の高齢化も進むとなると、特に大型犬の場合、更に深刻化する。これらは最近身近でよく見聞きする話だ。

とは言っても、表題の質問。飼われる側の犬や猫自身にとっては、飼い主の寿命が短かろうが長かろうが知ったことではない・責任も持てない、飼う方の勝手でしょう、と言いたいところだろう。

2016年01月27日

◆わが家の七福神

眞鍋 峰松


我が家の玄関ドアー上の内側の棚には、本当に小さい木彫りの七福神が、一枚の木の板に仲良く並んで鎮座しておられる。

どちらの家庭もご同様でしょうが、大晦日には我が家も恒例行事である家中の掃除と整頓。生来の無精者・怠け者の私は、毎年その作業から逃げの一手。
 
その殆どを家人に任せ、私に課せられた惟一の作業である神棚の磨きとお飾りを終了し、やれやれと玄関で腰を伸ばしつつ、ふと見上げた眼前に1年の埃が積ったこの七福神様。これは真に申し訳ない始末、と慌てて埃を払い清めさせて頂いた。

今になれば、どのようにして入手したものやら、その由来も分からなくなったのだが、いつの間にやら、30年以上も前から我が家の外部からの「災厄除け」の大事なお役を務めて頂いてきている。

ある書物によると、元々この七福神信仰は室町時代からあったと言われ、人間の七福である寿命、有福、人望、清廉、愛敬、威光、大量を七人の神に結びつけ、前から寿老人、大黒天、福禄寿、恵比寿、弁財天、毘沙門天、布袋の順になる、とのこと。
 
しかも、この七福神の選び方はまことにバラエティに富んでいて、恵比寿だけが日本土着の神で、あとはインド産が大黒と毘沙門、中国産が福禄寿と寿老人、唯一女神としての弁天さん、そして布袋に至っては中国の唐の時代の実在の和尚であり、神道・仏教・道教を全て総合。
 
外来文化と土着文化とが習合して独自のものを形成したのである、とのことである。

現在でも七福神詣で(参り)と言って、正月元旦から七日までの間に七福神を祭った社寺を巡拝して、開運を祈る風習も残されている。

興味を抱いてネットで調べてみると、大阪市内では、寿老人が三光神社(天王寺区)、大黒天が大国主神社(浪速区)、福禄寿が長久寺(中央区)、恵比寿が今宮戎神社(浪速区)、弁財天が法案寺(中央区)、毘沙門天が大乗坊(浪速区)、布袋が四天王寺(天王寺区)というのが一つの参拝コース(所要3時間)とのこと。
                  
正月の松飾りを立てておく期間を松の内といって、まだまだお正月気分が残っている頃合い。一度、七福神詣に出かけ、この1年の無病息災を祈るのも昔懐かしい日本情緒に浸る良い機会かも知れない。

2016年01月21日

◆脳梗塞、今まで他人事と思っていたのに

眞鍋 峰松



「あなた この世になにしにきたの
          女のあとを 追いかけずに」
「あなた この世になにしにきたの  
          お金お金と いわないで 」
「あなた この世になにしにきたの
          出世出世と いわないで 」

これは、ある書物の中で読んだ故菅原義道師(鎌倉・報国寺元住職。大正4年生れ。昭和54年逝去)の言葉だが、その意味するところは道話の「火の車 つくる大工はなけれども 己が造りて 己が乗り行く」と同じだろう。

つまり、“自分が勝手に思いつめて悩んでいること、自分だけで勝手に不安に思っていることが、ふと振り返って判断してみたら、それは、全く小さな他愛もないことであったと気がつくはずだ。それに気がつくことが、悟りである”との意味だろう。                                

新年早々、急に説教臭い話で恐縮だが、これにはそれなりの理由がある。

私事で真に申し訳ないが、昨年12月中頃に危うく命を落とすような大病を経験して、改めて一体、「この世になにしにきたの」かという問いに直面させられた気がした。 

現役時代の私には、老師の仰るような“女”“金”“出世”にさ程あくせくしたという覚えはないのだが、決して無縁であったとは言えないのが、凡夫の悲しさだろう。

ところで、本欄への私の寄稿は前回で丁度99回を数え、昨年中には100回目の寄稿を目指していたのだが、昨年12月11日昼食時に突然、これまで耳学問としてしか認識していなかった「脳梗塞の発作」(左手指と左唇の脱力、ラリルレロの発音不良)が起こり、居合わせた家内が掛り付け医と電話で相談。 

直ぐに救急車の出動を要請、所在ニュータウン隣接の大型病院の脳外科へ搬送され、MRI検査の後、16日に6時間超をかけて「頸動脈内膜剥離」手術が無事終了した。                                     

術後の担当医の説明では、切開してみると頸動脈の血管の90%が詰まっていた状況で、今回の症状はそのごく一部の附着物が剥離し、脳内血管へ流出し脳梗塞をもたらした、とのこと。

今回の手術によって血管内の詰まりを完全に除去できたので、現在円滑に血が流れている、とのこと。また、もし仮に未手術のままなら、次の剥離・流出が早晩発生し、致命的な症状と最悪の結果に至ったと思われる、とのこと。

但し、手術中及び術後の約一週間内には、今度は逆に滞留・沈殿物の完全除去による血流の過剰流の惧れが生じ、その場合には相当に危険な状況に直面する可能性があったとのことだったが、この危機も何とか回避することをでき、少し大仰だが、辛うじて一命を取り留めたような気がする。

以上、手術による首筋の傷跡は15〜20cmの長大だが、お蔭様で、当初3週間の入院治療の予定が、2週間後の25日夕刻には無事退院、自宅療養に至った。

現在は退院後一カ月以上経ったが、幸い経過は順調で何らの後遺症も出ず、今では毎日、自宅近辺を約20分程度の散歩を楽しむまで体力も回復してきた。 

上述のように、今回は脳梗塞症状の早期発見と適切な処置によって危機を回避できたのだが、これも二つの僥倖に恵まれた結果だったと感謝している。 

その一つは、私の発症の一週間ほど前に、家内が以前に同じ症状を起こした知人から脳梗塞の初期症状の状態を耳にし承知していたことで、今回はこの伝聞が活かされ、救急車の敏速な出動要請等の早期対処に至ったことである。 

二つ目には、救急車から連絡し搬送された病院の脳外科部長が全く偶然にも、約50年前の私の結婚の媒酌人を勤めて頂いた元上司の御子息だったという予期せぬ奇遇に恵まれことで、このお陰なのか、担当医師の真に丁寧な説明と適切な処置だったことである。                                

昨年は5月には“魔女の一撃”と表現するしかない強烈な腰痛が再発し、やはり72歳ともなれば、心身に様々な故障が出て来るものだと観念していたら、年末にはこれまで想像もしていない脳梗塞の症状まで起り、いよいよこの世の中、明日には我が身に何がおこるものか分からないのだと体得した。                             

中国古典の「易経」の繋辞伝には、「天を楽しみ命を知る、故に憂えず」という有名な言葉がある。そこから、「楽天知命」という四字句が生まれたのだが、「天」も「命」も、ほとんど同じような意味である。

即ち、人間がどんなに努力しても、どんなにジタバタあがいても、どうにもならない部分が最後に残る。それが「天」であり「命」である、というのである。昔から中国人は、私どもの人生にはそういう天の意思が働いていると考えてきたようだが、こんなことを言うと「単なる迷信ではないか」と仰る方がいるかも知れない。

確かに、迷信といえば迷信である。しかし、ある程度人生を生きてくると、何か知らないが人間の営為を超えた、ある大いなるものの意思が働いていることを認めざるを得なくなるではないか。それを中国人は「天」とか「命」と名付けたのであろう。

これを自覚することのメリットは、逆境におかれた時、変にジタバタしなくなることであり、甘んじて天の意思を受け入れ、それに身を委ねることができるなら、どんなに辛くても、どんな苦しくても、その辛さや苦しさを客観化することができる。

その結果、淡々とした気持で逆境に対処できようというものだということ。それを語っているのが、「天を楽しみ命を知る、故に憂えず」という言葉に外ならず、私も、今回の手術を目前にして、この四字句が脳裏に浮かび、その持つ意味合いを実感させられた気がした。

2016年01月14日

◆宗教の心、社会の心

眞鍋 峰松 (評論家)

記事の趣旨など詳細がどのようであったのか忘れたが、その問題は「仏教の言葉に八正道があるが、そのうち、含まれないものはどれか。 間違いを探しなさいとして、正見、正思、正語、正則・・・」というのである。 

これは中学・高校の入試問題である以上、今の授業ではこのような内容を本当に教えているのだろうか、また、教えているとしたら日本史か道徳の教科なのだろうか、と驚いた。 

だが同時に、このような断片的な知識から、教員が子供に対して人間の根本倫理、例えば、何故殺人は悪であり、売春行為も悪であると言った事柄を、それで果たして授業内容として教えられるのだろうか、と心配になった。 

これは全くの蛇足だが、殺人行為について、刑法第199条では「人を殺したる者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する。」と規定するが、法律上は殺人行為そのものが罪悪であるとの明文の条文は存在しない。当然の理であるとのことだろう。 

強いて、法律上の条文に根拠を求めるとしたら、民法第90条の「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とす」旨の規定にいう「公の秩序又は善良の風俗」に反する人間の行為というべきものであろうか。 

また、自死行為そのものを罪悪行為である、或いは人倫に反する行為であるとする規定など、どこにも見当たらない。 

折しも、ここ1ヵ月近くもいわゆる“イスラム国”による邦人2人の惨殺事件がマスコミ報道で大きく取り上げられ、関連して宗教を巡る諸話題が紙面等で連日大きく取り上げられている最中である。 
因みに、八正道とは、私淑する紀野一義師の記述から要約すれば、『八正道は、経典にある“比丘たちよ、苦の滅にいたる道の聖諦とはこれである。

即ち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である”』のこと。 続いて、『人間の生き方は難しい。人間心理をよくとらえて、よほど上手に生きて行かなくてはならぬ。(自分の子どもに対して)どの程度大事にしたらいいか、どの程度に放任したらいいか、冷静な眼で見通していることが大切である。

つまり、「正見」ということが大切になるのである。「正思」というのは「正しい思慮分別」ということである。 先入観とか利害計算ということを離れて、よくよく考えることである。 

いくら考えても、考えすぎるということはない。納得の行くまで考え、判断してから行動することである。「正語」は、道元禅師は「愛語よく回天の力あることを学すべきなり」といわれた。「正業」とは、正しい行為である。

「身口意の三業」といって、体でする行為、口でいう行為、こころに思う行為。 心に思うことをつつしみ、口をつつしみ、行為をつつしむことをいうのである。 

「正命」とは調和のとれた生活と考えたらよい。ここで「命」というのは「生活」のことである。「正念」とは、正しい信念や理想である。「正精進」は、どんなことでも始めたからには最後までやりとおすということである。 

「正定」とは心が安定していることである。』と説かれる。 そして、経典の「苦の滅にいたる道の聖諦」とは、生・老・病・死の四苦と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊(うん)盛苦の四苦をあわせて八苦のことだ、とのこと。