2015年11月11日

◆そろそろゴルフ人生も終わりかな?

眞鍋 峰松
      

最近、18年間も続いてきたゴルフのプライベート・コンペの幕が下りた。毎年、年2回開催してきた昔の職場仲間達とのゴルフ・コンペの話である。

一体何故、現役を退いて10数年も経ってからこのコンペが始まったのか、今ではその理由すら忘れたが、いずれにしても当時の同じ職場仲間が年2回楽しみにした親睦の場でもあった。           
だが、参加者の全てが65歳を超える年齢ともなると、総勢20数名のうち、毎回必ず10名程度が身体の故障等様々な原因で参加できなく無くなってきていた。徐々に減少する一方の参加数が直接の解散理由である。                                               
ゴルフ好きには“ゴルフができる喜びと幸せ”の機会の喪失ということなのだろうが、最近では急激に体力も落ち、ヘボ・ゴルフアーと化した私にとっては、適当な健康と体力維持の機会を失うことになり、真に残念としか言えない。
     そこで、このゴルフ。 趣味にされる方なら良くお解かりのように、結構危険な場面に出あわすことも多い。誰しもボールを大きく曲げ隣のホールに打ち込んだり、背後からボールを打ち込まれたり、同伴者の打ったボールが体をかすめたりした経験があるはず。
私も過去に何度も身体の眼の前にボールが落ちてきたり、一度はバウンドしたボールが直接足に当った体験すらある。                                                 
最も起こり易いのは、自分の前や先に立っている人にボールを当てる打球事故。同伴競技者のプレーに常に注意を払い、打つ人の前には出ないことが必要だ。競技者は同伴者が自分の前方にいるか否かを確かめる義務を負い、自分がボールを打つところを同伴者が見ていることを確認する義務も負う。「加害者は前方に立っていたプレーヤーを安全な場所まで下がらせる義務を負う」とする判例さえある、とのことなので、用心が肝要である。
     それ以外にも、アマチュア・ゴルフアーの常として、プレーに熱中するあまり、ゴルフ場内には危険な場所の存在を失念することによる事故が多い。
コース内に数多い段差や斜面に注意を払うことなども必要。身体の平衡感覚は年を重ねれば急激に衰え、急斜面を駆け下りようとして体勢を崩し足の靭帯を痛めたりすることも多い。 
恥ずかしながら、私も数年前の11月末に、やっとグリーン上に乗せたボールを慌てて確認に行こうとして、前日の降雨で濡かるんだ斜面に足を滑らし腕・肩を強打。すぐにプレーを中止し、帰路に整形外科科へ走り込み、以来、半年間もクラブを握れない状態に至る失敗を経験している。 
その時、やはりゴルフ中の不測の事故に備えて個人賠償保険に加入しておくことも必要だ、とつくづくと感じた。個人賠償保険に加入しないでゴルフをするのは、自動車保険に入らずに車を運転するようなものだ、と言っても過言ではないのかも知れない。コース内でも通路上でも、自分がいくら注意をしていても事故に巻き込まれる可能性があるものだ。
   それにしても、この話。 何やら、現在の日本が置かれた国際情勢に良く似てなくもない、と感じるのですが・・・。 

先進国の中でも突出して安心・安全な日本社会に住んでいると、どうしても「自分の身は自分で守る」という意識が薄くなってしまう。だが、現在のように日本を取り巻く近隣地域や近隣諸国との間で起きている何やらきな臭い問題が、毎日のようにマスコミで報道される状況の中では、やはり有事の保険への加入、否、国の防衛のための体制整備を図ることは絶対に必要なのではないのか、と思った次第。 

果たして、これは私の考え過ぎなのでしょうか? 
    
また急にお前は妙なことを言い出したな、一体何を言わんとしているのかと思われるでしょうが、お読みの賢明な皆様なら、以前にも本欄で引用したことのある、次の二つのイソップ童話の中の話から十分お汲み取り頂けると思うのですが、如何でしょうか。
        
その一。「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き離すように求めた。 自分と羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。

いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。」(「新訳イソップの寓話集」 塚崎幹夫訳 中公文庫 )
        
その二。「兎が獣の会議に出かけてゆき、これからどうしても万獣平等の世にならなければならぬと、むきになって論じ立てた。 獅子の大王はこれを聞いてニコニコ笑いながら、兎どん、お前の言うのは尤もだの。 だがそれには、まず儂どもと同じに、立派な爪と歯を揃えてからやって来るがいい、と言った。」 ( 同 前 )        
        
以上、蛇足ながら、上記の記述は、今なお引き続き報じられる一部新聞等の厳しい国際環境の現実を無視した形での、我が国の安全保障体制論議に想いを馳せたものであることはご理解を頂けることと思います。

2015年11月04日

◆開山1200年高野山での会合 A 

眞鍋 峰松
     


実のところ、これには私も少々驚きだった。 私が7年前のこの会合で報告し、以前に本誌でも“ 微妙な関係?・・・日・中・韓 ”の表題で記述した内容、即ち「近年になって、日本と中国・韓国の間には一大外交戦争が起こっている。

重要なのは、それが外交という昔ながらの国家と国家との間の政治問題というより、国民と国民との間・国民の感情間の紛争の観・匂いがすることである。

ここ数年、特に平成17年は戦後60年という節目の時期であり、この紛争も、その節目に起こった国連改革問題とりわけ日本の安保理常任国入り問題が両国国民の反発を呼び、靖国参拝、領土問題等、戦後処理を巡る微妙な食い違いが一層顕在化してきた故であろう。

そして、何よりも世代交代が進む日本人側の、両国はいつまで謝罪と賠償を要求し続けるのかという嫌悪感と、過ぎ去ったと思い込んでいた戦争と戦後処理に関する意識を巡る感覚の変化が一層明確化してきたということなのだろう」との記述。 

あれから10年の歳月が流れ、戦後70年も経った今になって、日・中・韓の関係はいよいよ複雑化・深刻化してきたな〜、という感がする。                                    
その中でも、韓国との関係については「韓国側の極端な自民族優位主義(エスノセントリズム)意識を払拭しなければ(日韓関係の改善は)難しいのではないだろうか」と記述したのだ。

しかしこれに対し、前述の今年7月にガンで急逝したK君は当時、「それは違う。韓国の激しい反日感情はそのような小中華思想から発するものでなく、むしろ日本側の韓国への差別感情への反発から発するものである。韓国が日本に対し悪感情を抱くのは、戦前の植民地化と日本国内の差別意識への反感の故である」と激しく反論していた。

元々、K君は生家がお寺で、大学生時代には8月ともなれば衣を着て檀家回りをしていた人物で、少々頑固なところがあり、なかなかの理屈屋。 彼の反論を受け、私の立論も極端に過ぎ、やはり昔の日本の帝国主義行動への言及が不足した、という点を考え直したことを懐かしく思い出す。 
 
だが、今年の懇談の場の雰囲気は当時とは全く違った。K君流の意見は一切出されず、ほぼ全員が反韓・嫌韓の傾向。 むしろ、大学卒業後、在阪大手電器メーカーに就職し長年に渡る外国勤務を経て、現在でも貿易専門知識を買われて国立大学の非常勤講師を勤めるメンバーのM君までもが、“韓国は大嫌い”とまで感情を露わに断言したのには本当に驚かされた。

しかも、仲間の内では真面目で謙虚・温厚な人柄で知られた人物であるだけに、まさか彼から斯かる激しい意見が出されるとは・・・、と余計に驚き。
                   
もう一つ盛り上がったのが、高齢者の自動車免許証更新を巡る話題。 私は10月20日に来年3月末の更新時期を控え、府公安委員会から私宛てに自動車免許証取得のための高齢者講習通知書が郵送されてきた。

内容は70歳以上の免許証更新者への、講義等1時間、運転適性による指導1時間、実車による指導1時間の受講案内。 そこは全員が72歳の同年齢、この話題にひと盛り上がり。それぞれが“オイ、お前さんは認知症は大丈夫か?検査でひっかからないか?”と言い合う。                              
最近、高齢者の起した交通事故が連続して発生している。高速道路の逆走、鉄道踏切上での停止、ブレーキとアクセルの踏み間違い等々。

そう言えば10月29日の新聞には“宮崎で歩道暴走6人死傷:車の73歳の男性 認知症症状にてんかん病歴”と大きく報道されたばかり。私も運転に一番大切な動体視力が昔に比べて、著しく低下していることに最近になって気が付いた。

例えば、電車に乗る。色々な駅を通過する際に、以前は駅のホームに掲示してある駅名の文字を一瞬にしてピントが合うように車内からハッキリ読み取れたものだった。それが、今では視線が流れ、文字がハッキリ確認できない。いつしか反射神経や運動能力も、同じように衰えているのだろうと思うと慄然とする。これで果たしてこれから何歳まで自動車の安全運転が可能なのか。
     
6月の毎日新聞には「警察庁によると、免許を持つ10万人当たりの死亡事故件数(2013年)は75歳以上が75歳未満の約2.5倍。現行制度では、75歳以上で免許更新する際、記憶力や判断力を調べる検査が義務づけられ、認知機能の低下が進んだ「認知症のおそれ」と判定されたのは、13年に約3万5000人に上った」とし、「75歳以上のドライバーについて認知症の検査を厳しくし、場合によっては免許を取り消す改正道路交通法が成立した。認知症が原因とみられる事故が絶えないためで、やむを得ない措置だろう」と報じられていた。 

そこで、私も75歳になってから、自動車運転の可否を決めよう、と結論。 しかし多分、75歳になっても、なかなか自分自身では免許証破棄の踏ん切りがつかないのでは・・、やはり何とか80歳までは・・。

孔子は「七十にして心の欲する所に従へども 矩(のり)を蝓(こ)えず」と仰ったのだが、悲しいかな凡人の人生。 些細な事柄ながら、古希を過ぎても、様々な迷いが尽きない。 この発言には、メンバー全員から同感、同感との声が挙がった。 これが凡人の凡人たる由縁なのだろう。(終)

2015年11月03日

◆開山1200年高野山での会合 @

眞鍋 峰松
   


10月21・22日の両日、高校同期の仲間達との会合を高野山で開催した。これまでにも何度か本欄で紹介した年1回の仲間達との勉強名目の懇親会である。今年当番の大阪側幹事を私が勤め、東京からの3人を含めた総勢9人が参加した。
                  
高野山は、今年が弘法大師開山1200年の記念の年に当たる。その上、今年春の会合案内時には健在だった仲間の一人が7月にはガンで急逝、メンバーで3人目の物故者となってしまった。そこで、共にガンに倒れ惜しくも逝去した3人の冥福を祈る絶好の場所として、会場を高野山金剛峯寺に隣接する総持院宿坊に決めた。
                                              
高野山は標高900メートル弱、10月下旬には木々の紅葉も始まる季節。開催した21・22日は時期的に若干早過ぎたのだが、それでもあちらこちらで鮮やかに赤や黄色に見事に色付いた場所が点在し、参加メンバーの感嘆の声を聞き、宿坊で出された夕食の見事な精進料理の美味とともに、幹事として若干面目を保ち得て、ひと安心。
                                 
ご承知の通り、高野山は和歌山県北東部に所在する高野山真言宗の聖地高野山を中心とする町。人口約3800人を有し、貴重な文化財・建造物・名所が数多く存在する。

2014年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録され、日本のみならず世界中から多くの観光客が訪れる。現地ガイドの説明では、町人口のうちお坊さんが約1000人住し、国内外からの参詣客や観光客が年間100万人を超える(今年は開山1200年で300万人を超える予想)訪れる、とのこと。 

我々が歩いた山上の道筋の至る所で多数の外国人観光客、それも多くの欧米人を見かけたのだが、これも今や日本全国各地の観光地で見なれた風景である。                                                   

また、高野山真言宗の総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指し、普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内と言うのだが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺、とのこと。

「では、本堂はどこ?」という疑問も湧いてくるが、高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂。また、山内に点在するお寺は塔頭寺院(たっちゅうじいん)と言い、高野山全体を大寺(総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のことで、現在では117ヶ寺が存在し、そのうち52ヶ寺には宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供している、とのことである。                               

今回宿舎の総持院はこの塔頭寺院の一つで、平安時代の久安年間に高野山第28世行恵総持坊により開創され、元々は現在の壇上伽藍の境内にあり、後に現在の金剛峯寺西隣に移ったという由緒あるお寺である。

また、同院の所縁の大名の一つとして肥後熊本の細川家があり、我々の食事場所に提供された大広間の床の間には、行列に使用されたと思われる豪華な細川家の大名興が飾られていて、少し驚いた。  

その高野山の見所は、何と言っても、奥付きに弘法大師御廟が在る奥の院の散策。 鬱蒼とした木立の中を徒歩で2〜3万基とも称される苔むした沢山の有名・無名の人たちのお墓の中を通り抜け、御廟へ到る道である。静寂の中で、知らず知らずに人の生死について考えさせられる場所でもある。                    

今年の会合は、遠方のため懇談の時間が窮屈になり、通例のように事前にテーマを設定し報告し合うことも無かったのだが、それはそれ、メンバー各人がそれぞれ一家言の持ち主。懇談の場では色々と活発な話が飛びかった。 

その中で、最も驚かされたのは、最近世上よく取り上げられる反中・反韓、嫌中・嫌韓に関する話題。 各人には強弱の差があれ、参加者の全員がこの感覚を共有していたことに驚いた。(続く)       

2015年10月15日

◆「桂林へ旅」余話

眞鍋 峰松
 


ここ1週間ほど前から、自宅の内外を問わず、金木犀の香りが漂って来る。一歩、家を出ると到る所、どこか懐かしい想いに誘われる高雅な香りが馥郁と漂う。我が家の狭い 庭にも2本植えてあるのだが、それ以上にご近所の庭の金木犀の発する香りの方が強い。

日課のウォ―キングの途中でも強く匂うのだから、地域全体のあちらこちらに植えられているのだろう。これだけでも、香りに誘われての、この時期の外出は本当に楽しい。
   

吾が現役時代の或る職場では、この金木犀の香り漂う時期に毎夜々々、半ば徹夜に近い状態だった。我が家に辿り着くのはほぼ毎晩午前4時前後。それでも、翌朝?の10時前には机に向う。この状態が年末まで続くのだから、今になっても、当時はよく体力が持ったもの、若かったのだな〜、と。 

その苦しい毎日の中、深夜というより早朝に近い時刻に、車を降り自宅に入る直前、この金木犀の香りが私の帰宅を柔らかく迎えてくれた。その甘美さは今でも忘れ難い思い出である。                                  

前々回の本欄に、桂林の「桂」は中国語で樹木の「木犀」のことで、市内の幹線道路の車道と歩道の仕切りには金木犀の木がずらっと植えられていて、10月になると金木犀の花の香りで街全体が包まれ、それ故に、桂林の名産品には金木犀茶と金木犀酒がある、と記述した。                                       

その桂林旅行の途中、旅の思い出に、と金木犀茶を一缶買ってきた。帰国後、今日までに数回熱湯を注ぎ喫してみたが、やはり、湯煙りの中に紛れも無い金木犀の高雅な香りが漂う。


だが、本物の金木犀の開化の盛りに、わざわざお茶の匂いを嗅ぐこともあるまいと再度密封し直した。また金木犀茶と一緒に、ガイドに案内された茶館で支那服の美女の巧みな言葉に乗せられて、現地桂林にしか無く、昔から現地少数民族の間で薬草として飲み継がれてきたとの触れ込みの「田七茶」なるお茶も一缶買ってきた。
 
それも高血圧症、高脂血症、中性脂肪や悪玉コレトロールの抑制などの効能書きに惹かれて購入したのだが、果たして効果のほどはどうだろう。

この「田七茶」は現地に生える野草の花と茎を摘み取り、そのまま乾燥してお茶にしたものだそうで、熱湯を注ぐと徐々に元の形に戻り、確かに漢方薬独特の強い匂いを生ずる。

こちらのお茶の方は毎日少しづつ試しているのだが、暫く飲み続けてみなければ、効能書き通りの薬効があるのかどうか分からない。

少々癖のある匂いと味がして如何にも漢方薬ぽいのだが、旅行先中国の古典、孔子家言に書かれた「良薬は口に苦くして病に利あり、忠言は逆らいて行いに利あり」との言葉を信じ、有る限り飲み続けることにしよう。 
ところで、人間にとって思い出も様々だ。上記の文章を一読した我が娘の一言。
「私にとっては、金木犀は小学生の時の消しゴムの匂いだ」と曰う。しかも「授業時間中に、この金木犀の香り付けの消しゴムの甘い匂いに誘われて、空腹のあまり、この甘い匂いの物が食べられたら良いのにな〜と思った」とのこと。
 
オヤジの往時の苦しさと金木犀への甘美な思い出に水を差すようなことを平気で言う。 同じ人間の思い出と言っても人それぞれ。それにしても、何と情緒の無い娘の思い出であることか。皆さんはどちらが幸せだと思われますか。

2015年10月13日

◆メディア自体の信頼性 如何?

眞邉 峰松

 
残念ながら、我々一般人の知る情報は、マス・メディヤが一方的に流すものにしか接する機会以外に無い。 

確かに、現在の日本社会は全体として改革・革新を進めなければ、日本の進路も袋小路に陥る時期にあると思うが、注意しなければならないのは、マス・メディアの世界もまた例外ではないということである。 

逆に、第四の権力とも呼ばれるその影響力から言えば、改革すべきと思われる中で最も大事な部分は、このマス・メディアであろう。


ここで、私はマス・メディアという用語を使い、ジャーナリズムという言葉を使用していない。 


私が敢えて“マス・メディア”というのは、むしろ“マス”つまり大量の・大衆向けの、という意味を込め、社会の警鐘者たることを期待する“ジャーナリズム・リスト”とを区別したい、が為である。 その故、“ジャーナリズム・リスト”には、ある書物にあった次の言葉を呈したい。

   
「ジャーナリズムが大衆の中におらねばならぬことはいうまでもない。だが、そのことはジャーナリズムが大衆の中に埋没してよい、ということではない。権力に媚びざることはもちろん大切だが、大衆に媚びざることはもっと重大である。


ジャーナリズムが見識を失って大衆に媚びはじめると、活字はたちまち凶器に変ずる。富者、強者、貧者、弱者に媚びざることがジャーナリズムの第一義だが、その原則が影をひそめて、オポチュニズムとセンセーショーナリズムだけになってくる。」


一方、情報をマス・メディアに頼らざるを得ないわれわれ一般の庶民は、いかにマス・メディアの一方的情報伝達に対処すべきか。


残念ながら、我々には個々の情報の信憑性を確かめる術を持たないので、当該メディア自体の信頼性如何に頼らざるをえないだろう。


現在の情報過多の世相の中では、次の文章の示唆する意味を十分踏まえていく必要があると思う。
    

「音楽の情報量は、s/nと表す。Nはノイズ、Sはシグナル、つまり、音楽の発するシグナルを大きく聴き取るためには、シグナルが大きく聞こえることも大事だけれども、ノイズが少ないことが大事だというわけです。


だから、情報量をたくさん取るということは、Sを大きくすることも大事だけれども、Nを小さくすることが大事、余計な情報がどんどん入ってくると、肝心な情報のウエィトが小さくなってしまう。 


情報についても、“省く”ということを考えなければならないということだと思う。 何でも知っていたり、何でも早く読む必要はない。


そうすると、Nがいたずらに大きくなることになるでしょう。日本には「耳を澄ます」という言葉がそういうことでしょう。 (完)
                             (評論家)

2015年09月28日

◆中国桂林への旅(その四)

眞鍋 峰松



私が興味を引かれた点をもう一つ。 市内をバスで移動中に小学校の前を幾度か通り過ぎたのだが、一度、午前11時過ぎに門前に差し掛かったことがあり、そこには大勢の大人達が人待ち顔でたむろしていた。

そこで、私は不思議に思い“あれは何なのか”とガイドに質問してみると、中国の小学校は朝の授業が午前8時20分〜11時30分、午後は14時30分〜17時で、約半数の生徒は自宅に戻り昼食をとり14時半までに再登校する。また、残りの半数の生徒は学校で給食、そして給食後14時半まで学校で昼寝をするのだ、

その学校への支払額(給食費と昼寝の専用ベッド借り賃の合計)は、月額400元(日本円約8000円)。

そこで、11時頃の学校門前の人混みは、昼食のため一時帰宅の生徒を迎えに来た母親や祖父母たちだという。この状況は授業終了時の5時頃にもう一度起こる光景だ、とのこと。

この混雑振りも一人っ子政策の影響で、親・祖父母の過保護気味の現象の現われ。彼曰く、それにしても現在の中国の子供達は可哀想だ、本当に激烈な競争で土日も勉強とピアノや英語塾など通いで休む暇も無い、と嘆いていたことだった。(終)

2015年09月27日

◆中国桂林への旅 (その三)

眞鍋 峰松



観光のため走行するバスの中から市内の状況を眺めていて驚いたことは、以前の訪中の際の自転車走行者の多さに比して、北京や上海という大都市でもない桂林市という地方都市にも自動車が多く、それ以上にバイク・単車の非常な多さである。

市内の交通手段がバス以外には鉄道も地下鉄も無いので、市民はマイ・カ―で移動することになる。しかも、現地ガイドの説明では、そのバイク・単車はガソリン車ではなく殆ど電動式だというのである。

理由はガソリンの値段が高いからで、ガソリンの価格は日本と変わらないという。確かに往き交うバイク・単車に眼を凝らすと、ガソリン車のような排気筒が付いていない。説明の様に、電動式バイク・単車に間違いないと感じると同時に、これには少々驚いた。

それにしても、あの多数のバイク・単車が我先に乱暴に走行する状態の中で、よく事故無く済むものだ。もし私が桂林市内で自動車を運転したとしたら、到底無事に走行できるとは思えない。馴れない状況下で確実に事故ること間違いない。さもなくば、恐怖で少し進みすぐ停まり、少しづつ前進するのが精一杯のところだろう。
     
もともと桂林の「桂」は中国語で樹木の「木犀」のことで、市内の幹線道路の車道と歩道の仕切りには金木犀の木がずらっと植えられていて、10月になると金木犀の花の香りで街全体が包まれ、それ故に、桂林の名産品には金木犀茶と金木犀酒がある、とのこと。

街の外観は、主要幹線沿いには緑が多く、道路も整備されているのだが、一歩表通りから裏通りに入ると、古びた家並みと上半身裸の男性も多く見られ、まだまだ生活環境の整備や生活習慣の改善がされていないことが分かる。そこでは中国独特というか、何処からともなく異臭が漂っている箇所も多い。

その他、今回の桂林観光の途中で現地ガイドの説明から観察できた二点について、記述して置く。

まず、第一点は、中国社会において汚職が蔓延していること。 

現地ガイドの説明の中での事柄であるが、昔と違い現在では、学校教員は経済的に裕福であるとのこと。給料は依然として低いのだが、親からの付け届けや接待の余禄が大きいせいだという。 

また、行政官僚の汚職の蔓延も酷い様子だ。 彼は、滞日中の出来事として、田舎の貧乏村の村長数人が家族連れで訪日し一行の案内をした体験話を聞かせたが、村長たちは未だ30才台の若い年齢で、本来安い給料だけで費用の高い日本旅行などできるはずがなく、しかも奥さんに40万円もする買物をさせていたとのこと。 

その内幕は、貧乏村では貧しい村民に中央政府から生活費補助が支給されているが、村長はそこからピンはねをして己の懐に入れている実情がある、とのこと。だからこそ、このような贅沢ができるのだ、と忌々しげに説明をしていた。
     
第二点は、よく知られた中国の不動産バブルの崩壊。 市内でもよく注意して観察すると、新しいマンションで空き部屋がチラホラ見られるが、私自身はそれ自体を然して問題とは思わなかった。

だが、市内中心部から少し離れた、帰国のために通った空港までの道筋で見かけた開発地や建造物には相当に問題がある、と感じた。

     桂林市の中心部から空港まではバスで市内の普通道路を15〜20分程度走行し、続いて高速道路を30分程度利用するのだが、市内中心部から10〜15分程度外れた場所で何棟かの新築マンションを見かけた。

丁度帰国日の19日が土曜日ということもあってか、この新築マンションの1〜2棟が販売開始の様子で、沢山の人出と自動車の長い列が出来ていた。現地ガイドの説明では、確かに中心部に近い交通の便の良い場所では新規入居希望者も多いのだが、応募者の中には投資物件としての応募も多いのだとのこと。

だがしかし、さらに高速道路をバスで20分程度離れた場所に在った多数の高層マンションが立ち並ぶ場所では、建築途上のまま放置されているマンションや建造物が数多く見かけられ、既に入居開始しているマンションや建造物でも、入居者がチラホラとしかいない。

私の観察では、これは開発された新市街地で、ここ最近は建設も全く進んでおらず、途中で放置されていると感じられた。一体、これからどうするのだろうか、この状態で開発事業者の経営はどうなるのだろうか、他人事ながら心配になってきた。 

また、この放置の事情は何もマンション等の建築物のみならず、移動途中の道路脇では建設途中で立派な門構えの入口までが完成しているものの、その他は放置されたままのゴルフ場を2カ所も見かけた。(続く)

    

2015年09月26日

◆中国桂林への旅 (そのニ)

眞鍋 峰松



その前に、観光地巡りの話題を一つだけ。市内観光地の何れを訪れても、中国各地からの観光客の多さに圧倒された。それも結構多かった中国人家族や新婚さんの旅行ならまだしも、中国人団体客の場合、その賑やかさは尋常ではない。もっとも、最近では心斎橋筋商店街の通路や各種スーパーの店内などでもありふれた光景になっているのだが。
    
桂林の気候はほぼ大阪と同じ程度との事前情報で、市内滞在中の17〜18日はやや霞んでいたものの、晴天続き。桂林は亜熱帯に位置していて、気温も30度以上。その上、大阪以上に湿度が高く蒸し暑いように感じられた。

ただやはり、朝夕はやや涼しく、日中は暑い。結局、私も主に半袖のポロシャツ姿で行動したのだが、ポケットに物を入れるために羽織った薄手の長袖ジャンバーが暑くて邪魔になるほどだ。               

現地ガイドは40歳前後?の桂林生れ育ちの漢民族男性だったが、何度か訪日した経験(内、1回以上は長期滞在の様子)があり、多分我われ今回の客が日本人であることを意識しての話だろうが、本人は日本が大好きだという。彼の口から、私の知らない東京や周辺のみならず、大阪、京都、名古屋などの地名などがポンポン飛び出してくるのには、恐れいった。                                    

元々我われの方から質問をした訳ではないが、ガイドの説明では、政府の反日・抗日政策に拘らず、多数の中国人は心中では日本が好きで、清潔、治安が良い、食事が美味しい、女性が優しいことなどを良く知っている、とのこと。 
しかし、本当のところ、中国庶民の日本に関する知識は20年前から途切れているのが実情で、今の若者たちは殆ど日本に関する情報に接する機会もない。従って、良く知られている日本人は山口百恵と高倉健の二人くらいで、それ以降の俳優や歌手は知られていない。もし、山口百恵が中国へ来ることがあれば、何よりも日中友好のためになるだろう、と言う。                    

そして、彼の口からハッキリと言葉として出た訳ではないのだが、彼の説明の端々から、心中深く抱く彼の想いが私に伝わって来た事柄がある。それは私が日本へ帰国してすぐに読んだ18日付の雑誌ダイヤモンドに中島 恵氏が掲載していた「本当は中国で余生を送りたくない!日本を目指す中国人の「心の底」」の表題の下での次の記述内容(*)と同様の想いを抱いているのだろうと感じたことである。 多分それは、彼自身の幾度かの訪日体験から生じた夢なのだろうと確信する。
                                   
<*記述内容>:
一度日本の「かゆいところに手が届く、温泉に浸かっているような安らぎ」を覚えてしまったら、またそれを味わいたいと思うのは、人間として自然なことなのかもしれない。価値観が似ている東洋人同士ならば、なおさらだ。おそらく、訪日中国人旅行客の一部も無意識のうちにそれを感じているはずで、それが日本の魅力にもつながっていると思うのだが、もう少し深く日本を理解している人々は、より明確にそうした感情を抱いている。

これは昨今日本で話題になっている、中国人の「マンションの爆買い」などとは全く違う次元の現象だ。日本が投資の対象になっているわけでも、余った財産の使い道になっているわけでもなく、彼らの切実な願いであり、憧れなのである。 

むろん、これは筆者の友人間におけるエピソードであり、全ての中国人がそんなことを思っているわけではない。こうした考え方の人はむしろ少数派だろう。だが、その背後には中国での厳しい日常生活とストレスが隠れている。「隣の芝生は青い」という面もあるのだろうが、少なくとも、過去に日本と接点を持ったことのある中国人の一部は、そのような感情を抱いている。
またそれが、彼らが中国で生活する上で「心の拠り所」となっていることは確かなのである。)

2015年09月25日

◆中国桂林への旅 (その一)

眞鍋 峰松 
   
    
9月16日(水)から19日(土)にかけて、高校の同窓生グループが主催する中国広西省桂林への3泊4日の旅に参加した。 

旅行のコース名は“デラックスホテルに泊まる!桂林漓江下り 4日間”で、総勢23名(男性14名、女性9名)、最高齢85歳の男性から64歳までの高齢者団体である。 

直接の費用は旅行社への約7万円、オプション料金約1.2万円(桂林ナイトクルーズ・320元、雑技ショー・280元)で、日本からの女性添乗員(24才)と現地ガイドが同行。                                   
桂林市は人口72万人。世界的な観光地であり、中華人民共和国広西チワン族自治区(隣接は西側:雲南省・ベトナム、北側:貴州省・湖南省、東側:広東省、南側は南シナ海とその沖に海南島)の北東内陸部に位置する地方都市。 
カルスト地形(石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形)で、タワーカルストが林立し、水墨画のような美しい風景に恵まれる。住民の多くが漢民族だが、少数民族も多く12〜3民族(代表的な民族が苗(ミャオ)族)が存する。 

現地ガイドの説明では、国内外からの観光客が年間3600万人訪れ、うち160万人が外国人観光客だと言う。計算上、一年中、桂林住民以上の観光客が市内に滞在する勘定になる。実際、至る所が観光客で一杯で、まさに地域は観光業と農業で成り立っている。                                    

私の中国への訪問は今回を含めると計5回目。これまでの4回の中国旅行の内、3回は仕事の出張旅行、1回は香港への家族旅行である。今回は純然たる観光旅行だが、ここで観光地の説明をしても仕方がないので、色々な形で私自身が旅の中で見聞した中国の地方都市の実情を簡単に紹介したい。(続く) 


2015年09月23日

◆“長〜い友達”の話

眞鍋 峰松


これは、一時期テレビに長い間にわたり流された育毛剤のCMの言葉。 最近ではテレビを見ていてもあまり耳にすることもなくなった。 

なるほど「髪」という語を分析すれば、“長〜い友達”ということになる。 そう言えば、この漢字を解読し使用する方法は、昔の小林旭の歌にもあった。 

その演歌の題名も忘れたが、“戀という字は、ヤッコラヤのヤ。いと(糸)し、いとしと言う心、言う心”という歌詞である。 ある程度の年代以上の方なら、多少とも耳に残っている歌詞だろう。 
 
そこで、“長〜い友達”の話。 

私も現役第一線を退き勤めを辞めた途端に、左程身だしなみに気を使うことも無くなった。一旦このように自己自制の歯止めを失ってしまうと、人間はずるずるとだらしなくなるようだ。 

そうこうしている内に、髪の毛がどんどん薄くなる一方。一番、愕然としたのは、ある時の地下鉄車中でのこと。地下を走る加減で、外は真っ暗闇で、自ずと自分の顔・頭が映る。そこに映る頭を見た時、後頭部位は分からないものの、正面からは頭上にまさに地平線さながらに細く映る自分の髪の毛。 

遂に“長〜い友達”を失ってしまうのかという焦りにも似た感じ。若い内は、かねがね、女性なら兎も角、なぜ男性が頭の毛が薄くなるのをあんなにまで気にするのだろう、禿げ頭は禿げ頭でけっこう貫録もあるのに、と思っていた。 

ところが、自分の髪の毛が次第に薄くなるに従い、初めてそういうものではなかったことに気付いた。いつの間にか、道を歩いていたりしている時、前方から髪の薄い人が歩いて来たり、電車の中で前の座席に座っている人がいると、秘かに自分のそれと比べたりする癖がついていた。情けないことに、その人が自分より薄ければ、ひとまず、ホッとするのである。 

これはある書物に書かれていたことだが、『若さを捨てる 〜 若さに対する未練を捨てて、老いを明るく楽しむ。 中阿含経という経典に見える話。 釈迦前生の話として、ミテイラー王が理髪師から初めての白髪が生えたと聞かされての王の偈。
     
我頭生白髪    わが頭に白髪生ず
寿命転衰滅    寿命 うたた衰滅せり
天使己来至    天の使い すでに来至せば
我今学道時    われ いま道を学ぶべき時なり

「引退」するということは、私は「老いを楽しむ生き方」をすることだと考えている。逆説的に言えば、若さを捨てることだと思う。 

実をいえば、仏教が教えていることは「あきらめ」である。しかし、「あきらめ」といえば、「思い切り、断念」の意味に解されやすいが、仏教が言っているのは「明らめ」であって、ものごとの真実を明らかにすることである。 

これは何も老いに限ったことではなしに、仏教のすべてのことにおいて「明らめよ」と教えているのであるが、まぁ、年を取った私には「老いの明らめ」が肝心であろう。そしてそれは、若さを捨てることである。』   

最近、私が実感していることは、年を取るとどうも人間は、かえって若さに執着するようだ、ということ。 

「髪の毛が多いですね」と言われたり、年齢よりも若く見られたりするとうれしくなる。その結果、ついつい「なあに、若い者に負けるものか」と息巻いたりする。おかしな話である。 

だが、自然の流れに逆らうには、無理がある。結局、我われは、若さをプラスに、老いをマイナスに価値づけているということなのであろうか。もしも、老いをマイナス価値に見るならば、人間の生きる価値は毎年毎年、いや毎日毎日、減少する。 

生きる価値が減少するということは、取りも直さず、存在価値が減少することである。そうすると、年寄りなんていない方がいいという極端な考え方になってしまう。実際、今の日本にはそんな考えが横行しているのでは、と考えること自体が老人の僻みなのだろうか。

けれども、本来、人間の価値は年齢によって減少するものではない。人間の価値は年齢と無関係である。
   
若さは若さ、老いは老いである。だから、人間は年を取れば、しっかりと老いを自覚し(明らめて)、きれいさっぱり若さを捨ててしまおう、それが、仏教でいえば「禅」の行き方、いくら心配しても変えることができないものを心配するな、そんな無駄をするな!と教えるのが禅だ、そうである。 

要は、若者には若者にふさわしい生き方がある。 それに対して、老人は、老人としての生き方があるということなのだろう。こう考え、生きていくのも、それもまた老年の楽しみだ、と悔しさ半分で思う昨今である。

2015年09月12日

◆鬱なる時代(3)

◆鬱なる時代(3)
真鍋 峰松

今の勤務場所は大阪梅田の界隈、御堂筋沿いのオフィス街と北新地の近く。

昼も夜も、四六時中、大阪で最も人の賑わう場所の一つ。この界隈で勤め出して5年近くになるが、この間の街の様相は相当な変貌振りである。 勤務場所がビルの高層階なので、窓越しに見える風景の視野は広く、良く見える。

その変化の第一は、この界隈での巨大ビルの増加。目に映るだけでも大阪駅ビルの大改造・増築、阪急百貨店の全面建替えと事務所部分の増築、富国生命ビルの全面建替え等々、この5年間に数えるだけで7〜8棟。その多くが事務所ビル。 

だが、遠目で観る限り、既に完成されたビルでも使用されているフロアーはあまり多くなく、むしろ見た限りでは空室の方が目立つ。

7月1日のサンケイ夕刊に「大阪目立つ無人ビル〜ミニバブルで供給過剰」の見出しの下、新築オフィスビルの空室率は5割を超え、一等地に建ちながら借り手がまったくない状態のビルも、との記事。その現実が目の前にある。 

そして、大阪ビルディング協会の事務局長談として「在阪企業は自社ビルにこだわるところが多く、オフィスを借りるのは大阪に支店を持つ企業が多い。東京一極集中で支店機能が小さくなり、大阪で必要なオフィス面積も小さくなっている。ミニバブルによる供給過剰だけが問題ではない」と嘆いているとのこと。

変化の第二は、この数年間で、大阪駅前地下街地下1,2階の店舗地区の空室が急速に増加してきたこと。それも、長期間も空きのままの箇所が多い。偶に入所する箇所の多くはパチンコ・ゲームセンター、それにチケット売り場。 通常の物品販売店や飲食店の新規入居は極めて稀だ。

この二つの変化は相互に関連している。つまり、サラリーマンなどの利用サイドの減少と、これを反映した事務所・店舗などの提供サイドの減少だ。昨年5月のサンケイのコラムでも、大阪の企業とサラリーマンの減少について触れられ、とりわけ堺筋、松屋町筋沿いの企業のオフィス数の減少が目立つとの記述もあった。  

最も象徴的なのが、昨年2月の朝日朝刊に載っていた「さらば 大阪の名門 〜商船三井、本店を東京へ」との見出しの下、前身の大阪商船が1925(大正14)年にこの地(大阪中之島 ダイビル)に本店を構えて以来の84年の歴史に幕を下ろし、登記簿上の本店所在地を東京虎ノ門の東京本社に移すことを発表した、との報道。

東京への企業の移転傾向は、全国的にもかっての高度経済成長期を通じ首都圏への集中という形で加速的に増加したのだが、ここ大阪でも、今では名実ともに大阪企業と呼ばれる大企業は数えるほども残っていない。 大阪の沈滞の主要原因はまさにこの一点にあることを、誰しも知らぬことでもあるまい。

実際、東京・大阪間を頻繁に行き来する多くの友人・知人も、最近の大阪の状態に触れて、「東京は人の集まる繁華街がどんどん増え、どの場所も物凄い賑わい振りだが、反対に大阪へ戻って来ると、見るたびに元気が無くなっているな〜と感じる」と言う。

この大阪の衰退に歯止めをかけようと、橋下知事が最近声高に言い出したのが、起爆剤としての府庁の移転と大阪都制への改革。 

その府庁WTCへの移転問題。 

立地場所の風格欠如や交通不便等もさることながら、一番の問題は危機管理体制。WTC自体の埋立地ゆえの軟弱地盤や塩害対策も問題だが、イザと言う時の警察本部やNHK放送局との連携はどうするのか。最初はやや否定的であった関西経済三団体も、一転、移転支持を表明した。察するに橋下知事への応援に回ったのだろう。 

その理由が、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待ということなら、構想に具体性を齎せるために、府庁移転に引き続き在阪大企業の中で移転を表明する企業が一社でもあって可笑しくないのではないか。 

同時に、それこそ三団体の代表者は団体事務所ビルや、自社の本社事務所ビルを湾沿岸部へ一斉に移転するという意見表明でもしたらどうなのか。今でも用途不明の用地を確保したままの大企業も多いのだから。それでなければ、単に橋下知事へ尻尾を振っただけということにならないのか。 

橋下知事も、府庁移転後何年でこの地域がどう変わるという具体的な数値で青写真を明らかにするべきだろう。

それでなければ、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待も絵に描いた餅に終わり、何ら意味無く府庁を移転させたという無責任が後々明らかになるという結果だけが残るのではないだろうか。現在の大阪府財政の病理体質の根源となった過去の開発行政と、それこそどこが違うのかということにならないか。

  さらに、大阪の都制制度の問題。人気者の知事が最近言い出し、俄かにマスコミも平松大阪市長との確執と併せ、毎日面白可笑しく書きたてているようだ。

だが、この都制問題も私が社会人になる以前から議論の的になった古くからの問題。その当時から、東京・大阪二眼レフ論の幻想の下、府市の二重行政と阪奈和合併論や道州制導入問題とが輻輳し、毎回関係団体・関係者の思惑や利害の相克でポシャってきた、古くて新しい難題。

 しかも、府民・市民にとって、利便性や総合性確保等がどうなのか、誰も確信を持てない難題である。 それだけに、維新の会といった得体の知れない政党を結成するよりは、もっと足が地に着いた地道な検証と論議が望まれる。

一体、朝に言い出し、夕べに引っ込める性癖の橋下知事に果たして己の過信以外に、どのような客観的な確信があるのだろうか。それにしても、府職員が言ったという、「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっているとの表現には、私も橋下知事への的を得た批判だと感心するばかり。
  さらに、大阪復興の観点から気懸りで、今の方策で完全に抜け落ちていると思うのが、学術・文化の発信機能の復権である。元気なのは吉本興業系列ばかりという状況からの脱却である。 
  
考えれば、この問題もマスコミや印刷・出版界等のいつしか行われた首都圏とりわけ東京への一極集中に起因する事柄である。橋下知事はこの問題にどの程度の危機意識を抱いているのだろうか。
  外目には、知事自身のパフォーマンスばかりの発信のようにも思えるのだが。
 
考えれば考えるほど、大阪の将来への憂欝がますます強くなるばかりである。(終)

2015年09月11日

◆“鬱”なる時代(その2)

真鍋 峰松



昔 朝日新聞朝刊が「日本のいまとこれから」をテーマにした全国世論調査の結果の記事が載せていたことを思い出す。
 
その中で、「いまの日本は自信を失っていると思いますか、そうは思いませんか」との設問に、自信を失っているが74%、そうは思わないが22%と言う結果だったのだ。

この自信喪失の原因では、政治の停滞、国財政の悪化、経済の行き詰まりを挙げた人が多かった。 また、「これからの日本にどの程度不安を感じてますか」という設問に、大いに不安を感じているが50%、ある程度不安に感じているが45%、あまり不安を感じていないが4%であったことを、あらためて思い出す。
 
ここから見ると、現在の日本人の多数が日本という国に関して、現在のみならず、未来においても不安が一杯という結果が読み取れる。
 
だが反面、日本の自信回復への底力の有無については、有るが56%、無いが28%であり、また、日本という国についての見方として、日本への誇りの有無についての設問では、持っているが75%、持っていないが19%という結果だった。
 
この日本に関する全く違った、一見矛盾とも思える調査結果をどう受け止めたら良いのか。

私には、過ぎ去った繁栄への想いを残しつつ、現在及び未来に対する自信を喪失し不安に脅かされているものの、将来への希望を捨ててはいない現代日本人の迷いと期待の心象をそのままに表しているのではなかろうか、と思えるのだが。
 
また、その他の二者択一の設問のうち、概ね70%以上の回答率を占めたもの、つまり、現在の日本人の多数が抱く共通の感覚だけを拾い出すと、

・「日本人は精神的に豊かな生活を送れていると思わない」73%、
・「勤勉さが報われない社会と思う」69%、
・「目指すべき国の形として、豊かさはそれほどでもないが格差の小さい国」73%、
・「経済の主役がもの作りから金融やITなどの業種に移ることは好ま しくない」77%、
・「土木・建設業などから福祉産業や農業への転換に期待する」  78%、
・「いまの日本は国際的議論をリードする力を持つ国と思わない」 85%となっていた。
 
この調査結果を読んで、すぐに思い出したのは、以前、木村尚三郎氏(東大教授 西洋史)の著述「男時・女時の文明論」だった。

その中に、<男時、女時とは、世阿弥(室町初期)の風姿花伝にある、舞台の上には、ついている時(男時)とついてない時(女時)があり、舞台の上での芸がスッ、スッと巧くいき、観客の評判もいい時が、男時である。 

反対に一生懸命しているのに巧くいかず客の評判もよくない時が、女時である。 ・・・未来に対する情熱、未来をしっかり見つめ、自分の手に勝ち取ろうとする闘争心、総じて男性的な時間の観念は後退した。
 
代って、どうやっても自分ひとりでは事態は急に好転しそうにもないとの予感から、明日の栄光を考えるよりは今日の幸せと充実に意を用い、現在を調和的・平和的、協調的に生きようとする、女性的な空間感覚が前面に押し出されつつある。
 
その意味で現代は、確かに世阿弥のいう「女時」であるに違いない>との記述がある。
 
同氏は文章の最後に、<しかし、時代がどう動き、急転するにせよ、世の常識を保ち続けつつ、変化に即応しうる柔軟な心、どこにでも住める心と身体、そして自らの力によって時の流れを捉えうる鋭い五感が、これからの時代と社会に不可欠であることは同じである。そして、このことこそ、今日の女時が教える、最大の教訓であるのに違いない>

と結論付けておられる。
 
この記述は30年以上も前のものだが、現在こそが同氏の言われる女時に当たるのではあるまいか、と改めて思う。
                                                       現代の日本人が抱えるのは、将来に対する不安感である。それが現実に直面する恐怖なら対象も明確で対策の打ち様もあるだろうが、不安となると、その対象は不明確であり漠然としている。
 
また不安も人間の物欲と同じように際限が無い。それだけに、こと現代の日本人に限らず、人間という弱点だらけの存在にとって、その根差した不安は、未来永劫に完全な払拭というのも困難極まりないことである。
                         
論語の顔淵第十ニ、孔子が言った、門人である子貢からの政冶に関し、兵・食・信のいずれが最も大事かの問への最後の答えが、「信、無くば立たず」である。
 
つまり、民が政治を信じなければ、政治は成り立たないというのである。この人間社会、政治に限らず、経済・個人への不信が極限までいけば、社会そのものが崩壊してしまう。 社会そのものが信無くば立たず、なのである。
      
では一体、「信」とは何なのか。それは同じ規範を持っているという信頼感であり、これを培ってきたのが伝統であり、文化なのであろう。
それが崩壊した組織・団体については、現代では少しも珍しくないから、その恐ろしさはすでに多くの人が語っている。
             
果たして、今の政治の力でどの程度、「信」の回復が可能なのだろうか。それでは、一部政党が出張するが如く、民に全てを「知らしむ」ことで「信」を獲得できるのか。
 
私には、到底「できない」としか思えない。 こう考えれば、これからの地方統一選挙、ついで参議院議員選挙に問われる課題は、途方もなく重い。

“憂欝”になる由縁である。(つづく)

2015年09月10日

◆”鬱”なる時代(1)

真鍋 峰松


学習指導要領では、中学卒業までに「大体の常用漢字を読め」、高校卒業までに「主な常用漢字が書けるよう」指導することになっている。 

その中には、意外なことに、府県名に使われる漢字として、埼玉の「埼」、大阪の「阪」、栃木の「栃」、福岡や静岡、岡山の「岡」、茨城の「茨」、奈良の「奈」、愛媛の「媛」、山梨の「梨」、岐阜の「阜」、鹿児島の「鹿」、熊本の「熊」の計11字が追加され、都道府県名はすべて常用漢字で書けるようになった、と報道されている。

我ながら恥ずかしいことだが、日常的に見る府県名の中に、常用漢字に採用されていないものが斯くも多数在るとは全く知らなかった。
                 
それはともかく、常用漢字は、学校現場では高校までにほぼ書けるよう指導されており、その新漢字の一つが、「憂鬱」の「鬱(うつ)」。

読みは可能にしても、老いの眼には拡大鏡でもなければ、画数の勘定もままならず、書くことは、到底無理である。

そこで、「鬱(うつ)」の一文字。これは確たる根拠も無い個人的感覚で申し上るのだが、現在の世相を一番表現できる漢字の一つではなかろうか。
                    
私の言いたいのは、時代認識としての「“鬱”なる時代」。それは何か。

端的・単純に言えば、日々報道される政治の世界一つを見ても、小泉首相以後の歴代総理大臣、諸氏の顔付き。

確かに、これらの方々(とりわけ麻生総理などはネアカと称せられるほど、その典型だと確信するのだが)は、いずれも本来の性格は、政治家らしく明るい自由闊達な性格の持ち主だと思う。

だが、総理総裁へ就任して暫くすると、何故か以前に比べ顔付きがどうも、次第、次第に重苦しい雰囲気に包まれていく。

残念ながら“鬱”とまで行かずとも、重圧に押し潰されてしまう気配が濃厚だ。そしてこれが時代の風潮が齎すものだ、とも思える。勿論、総理総裁という立場からくる重圧感がそうさせているとは思う。

だが、ひと昔前までのその任にあった方々の顔付きとまるっきり違っているな、と思うのは、私だけの感覚だけなのだろうか。
      
私はこれを「“鬱”なる時代」と表現している。この時代風潮が今の日本のあらゆる分野で顕著に表れてきているような気がする。

これを一挙に個人レベルの話に戻すと、今、医療の中で一番流行っている・トレンディーな科目は、心療内科だそうだ。つまり、従来型の精神科でなく、身体に何らかの問題が起きた時、それが心因性のものかどうかを追究するのが、心療内科。

人生につきもののストレスだが、それが心因性の問題となって、人間の免疫力、自然治癒力に大きな影響を及ぼすのは当然のこと。その典型が「操鬱」という精神病というのである。

この症状が本当に増加一方の日本社会である。年間の自殺者数が増大していって久しいが、自殺原因の中には、潜在的な要因として「操鬱」というものの存在が、推量できる。

その中で、各人がしっかりと生き抜くためには、この世はやはり鬱っとうしいと感じる事が多いのは当たり前で、その現実を自分でしっかり自覚し、覚悟することが肝要ということなのだろう。                 
 
しかし、これも、あくまでも個々人向けの処方箋。 果たして、「“鬱”なる時代」への処方箋、誰が、いかなる時に、どのようにして、描いてもらえるのだろうか。心配になってくる。(つづく)